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◆目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦
写真(上)1925年11月以降、ソ連、ソ連空軍ツポレフ (Tupolev)TB-1(ANT-4)双発爆撃機
;試作機なのか、識別記号を記入していない。ツポレフ (Tupolev)TB-1(ANT-4)は、1925年11月26日に初飛行、1937年までに818機量産された。乗員: 6名 全長: 18.00 m 全高: 5.1 m 翼幅: 28.7 m 翼面積: 120.0 m2 空虚重量: 4,620 kg 運用時重量: 6,810 kg 発動機 :ドイツのBMW VIを国産化したミクーリン(Mikulin)M-17液冷12気筒V型 510 kW (680 hp)2基、最高速力 178 km/h、航続距離1,000 km、兵装: 7.62mm機関銃6挺、爆弾1,000kg。
Tupolev, TB-3(→TB-1(ANT-4)) Catalog #: 01_00088933 Manufacturer: Tupolev Designation: TB-3(→TB-1(ANT-4)) Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, TB-3, USSR
写真はWikimedia Commons San Diego Air and Space Museum Archive 引用。

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写真(上)1933年、ドイツ、ザクセン州、ドレスデン飛行場、ハインケル(Heinkel)He 70「ブリッツ」Blitz(電撃)高速輸送機(D-3)の原型と後方のユンカース(Junkers)G-38大型旅客輸送機
;19361929年11月6日初飛行のユンカース G-38は、全長:23.21 m、全幅:44 m (144 ft)、翼面積:290 m2、全備重量:24,000 kg、最高速力:225 km/h、航続距離:3,460 km、搭乗員:7名、乗客数:34名、生産数:2機。
Flugplatz Dresden-Heller, Verkehrsflugzeug He-70 Blitz
Location: Dresden, Heller Hahn, Walter: Flugplatz Dresden-Heller, Verkehrsflugzeug He-70 Blitz, 1933 Integrated Authority File (GND) Hahn, Walter
写真は,Deutsche Fotothek Datensatz 70058644 df_hauptkatalog_0309756引用。



写真(上)1936年、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 118試作機(D-UKYM)
;1936年2月14日初飛行、全長: 11.8 m 全幅: 15.09 m 全高: 4.18 m 全備重量: 4,120 kg エンジン: ダイムラー・ベンツ DB600C 850 hp1基 最高速力: 394 km/h 航続距離: 1,050 km 武装 7.92 mm MG 17機関銃(機首固定) 2挺、7.92 mm MG 15後方旋回機銃1挺、 爆弾 500 kg。国籍マークには、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカ。
English: Heinkel He 118 - German dive bomber build in 1936 Date 30 January 2006 Source Unknown source Author Heinkel Company
写真は,Category:Heinkel He 118  File:Heinkel He 118.jpg引用。



写真(上)1937年10月以前、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 116郵便機
:単発のハインケル He 70高速機を流用しギュンター兄弟は、重い燃料重量に対してこのエンジン4基をハインケル He 70「ブリッツ(Blitz、稲妻)」の主翼を流用して2本桁に合板表皮(He 70の様に)の楕円翼としたが、胴体は新たにジュラルミン製セミモノコック構造とした。V5試作5号機、V6試作6号機は、1938年4月にドイツから15,251 km、54時間17分の飛行、6日間で日本に到着。「乃木号」「東郷号」と命名されて、満州航空で東京=新京間で運行に供された。
Description English: Heinkel He 116 photo from L'Aerophile October 1937 Date 1 October 1937 Author L'Aerophile magazine
Category:Heinkel He 116・File:Heinkel He 116 photo L'Aerophile October 1937.jpg引用。

写真(右)1942年4月24日、ドイツ、自ら開発したHE 115 水上偵察機をバックにした教授エルンスト・ハインケル博士(Professor Dr. Ernst Heinkel);He115の搭載したBMW132空冷星形9気筒エンジンと3翅プロペラが背後に見える。
Collectie NIOD
Trefwoorden Duitsers, Luftwaffe, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen, Portretten
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Personen Heinkel, Ernst
Bijschrift Professor Heinkel zum Pionier der Arbeit ernannt. Auf Grund seiner hervorragenden Leistungen auf den Gebiet des deutschen Flugzeugbaues wurde Professor Ernst Heinkel, der Schöpfer zahlreicher unübertroffener Flugzeugtypen vom Führer zum Pionier der Arbeit ernannt. Professor Dr. h.c. Ernst Heinkel vor einen seiner Kampfflugzeuge, der He 115.
Type Foto
Datum 24/04/1942 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 29482引用。


エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北部ヴァーネミュンデにハインケル航空機を設立した。ここは、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで軍用機を開発できるという利点があった。

九四式一号水上偵察機 この時期、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機も開発している。

愛知二式複座水偵は、ハインケルHD-25の日本海軍仕様で、艦載機ではあるが、カタパルトが実用化されていない時期だったために、艦上から海面に滑り落とすような滑走台から発進した。双浮舟フロート式の離着水装置で、開放式縦列複座の搭乗員配置である。1926年に初飛行したHD-25試作機を輸入した日本海軍は、この機体の実用化を図るために1928年制式し、大正2年の元号から、二式水上偵察機と命名した。生産機数は、愛知航空機で16機に過ぎないが、日本での艦載水上偵察機の実用化に大きな足跡を残した。

また、民間機としても、1928年に逓信省航空局の仕様で水上旅客機AB-1(乗員:2名、旅客:4名)が1機生産された。

日本航空界の進歩に寄与したエルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北部ヴァーネミュンデにハインケル航空機を設立した。

写真(右)1941年頃、ドイツ、自ら設計したハインケルHe111Hを飛行士とともに視察するエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士[中央](1888-1958):エンジンの左側に空気取り入れ口インテイクがあるので装備した発動機はユモJumo211液冷エンジンでHe111H型が装備した。他方、ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB601液冷エンジンはインテークが右側にあり、これを装備したのがHe111P型である。
Perma_000757 Permann Collection Image
Ernst Heinkel, Famous Nazi Plane Designer --Perman Collection Image
Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SmugMug+Flickr., SDASM Archives引用。


ハインケル(Heinkel)He111P爆撃機の発動機は、単発のメッサーシュミットBf109戦闘機、双発のBf110駆逐戦闘機と同じダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB601液冷エンジンを搭載した。

しかし、ダイムラーベンツDB601液冷エンジンは、戦闘機専用として優先配備することになり、代替策として、より大型で重いユモ(Jumo)211液冷エンジンに換装したHe111H爆撃が開発、量産された。

ハインケル(Heinkel)He111Pでは、DB601エンジンの左側に空気取り入れ口インテイクがあるのに対して、He111Hでは、ユモJumo211エンジンの右側にインテークがあるので、両者の区別は可能である。


1.東京日日新聞 1936.11.22 「比較にならぬ劣勢」 「情ない」の一語に尽きる我が民間航空陣


写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"(NC14716):1945年1月に「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)は、サンフランシスコ郊外に墜落し失われた。全長27.7m、全幅39.7m、、全備重量:23,701 kg、プラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)R-1830ツインワスプ空冷星形エンジン840馬力4基搭載、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Bilstein_00088 Martin 130 NC14716 Pan American Airlines Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives Bilstein_00088 Martin 130 NC14716 Pan American Airlines引用。


最近欧米漫遊から帰朝する人は異口同音に欧米に比しわが国の軍器特に航空機の著しき劣勢を説く、近代的戦争が機械化し立体化して来た今日飛行機の軍事上における重要性は頗る大なるものがあり制空権の獲得は即ち戦いの勝敗を決するとさえいわれる、フランスがドイツやイタリーの感情を無視してまでもロシアと相互援助協定を結んだのは世界無比と称せられるロシア空軍の偉力に頼らんとしたためといわれている、近代的戦闘におけるその重要性の増大が即ち各国をして飛行機の発達と空軍の充実に狂奔せしめる所以である。

然し空軍はその性質上戦端開始後短時間に消耗される、従って間断なくこれを補充する能力、即ち飛行機の新造と操縦士とを養成する能力の大小が即ち各国の空軍勢力の優劣を決めるのである、そこでまず飛行機製造工業の確立が必要であると共に如何に製造設備が充実していてもその設備を平時遊ばせて置く訳にはいかぬから平時間断なく製造される飛行機を消化する方法が考えられねばならない、各国が競って商業航空路の拡張に熱狂しつつあるのは即ち平時において製造される飛行機の消化を考えているからである。

写真(右)1934年,ソ連、ツポレフ(Tupolev)ANT-22 六発飛行艇:ANT-22 (MK-1)は1934年8月8日初飛行、全長24.1 m、全幅51.0 m、翼面積304.5 m2、発動機ミクーリン(Mikulin) M-34R 液令12気筒エンジン820 hp (612 kW)6基搭、空虚重量21,663 kg、全備重量33,560 kg、最高速力233 km/h、航続距離1,350 km、兵装20 mmエリコン機関銃2丁、7.62mm ShKAS機関銃4丁、爆弾6000kg。
Catalog #: 00068825 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes: 27 December 2010 (original upload date) Source Transferred from ru.wikipedia to Commons. Author .The original uploader was Капитан Немо at Russian Wikipedia. Permission (Reusing this file) PD-OLD-70; PD-OLD-70/Алгоритм решения проблемы.
写真は,Category:Tupolev ANT-22 File:Tupolev ANT-22.jpg引用。


写真(右)1934−1935年頃,ソ連、ツポレフ(Tupolev)ANT-22 六発飛行艇:ANT-22 (MK-1)は1934年8月8日初飛行、ただ1機のみ試作された。ソ連にとって、飛行艇は、極東アジアでの使用ではなく、バルト海、黒海での使用を想定したもので、大陸国のため、イギリス、イタリア、日本のような海洋国と違い、飛行艇の需要は少なかった。
Tupolev, ANT-22 Catalog #: 01_00088955 Manufacturer: Tupolev Designation: ANT-22 Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, ANT-22, USSR.
写真は,SDASM Archives引用。


最近欧米各国は競って民間航空を国防上の観点から見ようとしている、即ち民間航空を国防の一部門として兵力量の一斑としての考慮を払いつつある、民間航空は即ち空軍第二陣であるから世界各国はその第二陣の発達を促すために必死の拡張戦を演じ殊に最近その触手は極東に向けられつつある。

即ち最近汎アメリカ会社のチャイナ・クリッパー機によって処女航空路が開拓されたニューヨーク、香港間の定期郵便飛行をはじめ英国は本国と各植民地間の連絡のためロンドンより南阿ケープタウン線をシンガポールまで延長し、更にこれを香港、上海まで延長して完全に本国と東亜との連絡を完成せんとしている、フランスはパリ、サイゴン線をハノイまで延長し、更にこれを広東を経て上海に延長の計画をもっている、ドイツはベルリン−アテネ線をサイゴン−広東−上海に延長し、更にこれを東京まで延長の計画を持ちオランダはアムステルダムよりジャワ島のスラバヤに至る極東線を付近の蘭領諸島(インドネシア)を経てマニラに延長する線の経営に著手し、ソヴィエトはモスクワ浦塩(ウラジオストーク)幹線から北平への支線を出し、またアラスカのノームまで延長してアメリカと連結せんとし、また浦塩より日本への延長をさえ望んでいる。

写真(右)1934−1935年頃,ソ連、チェトヴェリコフ (Chyetverikov) MDR-6飛行艇:イゴール・チェトヴェリコフ設計、初飛行1937年7月の双発高翼単葉の飛行艇チェトヴェリコフ (Chyetverikov) MDR-6は、1940年に生産開始。第二次大戦にソ連が巻き込まれた1941年から就役した。発動機は、シュベツォフ M-25(Швецов М-25)で原型は、ソ連がライセンス生産したアメリカのライト R-1820サイクロン空冷星型9気筒エンジンである。水上の波しぶきがプロペラやエンジンに悪影響を与えないように、エンジンは主翼の上方に位置して取り付けられている。しかし、戦局悪化の中で、飛行艇生産は取りやめになり27機の生産にとどまった。
Ray Wagner Collection Image PictionID:45938699 - Catalog:16_007224 - Title: Chyetverikov MDR-6 (Che-2) Petrov photo - Filename:16_007224.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives引用。


写真(右)1934年,ソ連、チェトヴェリコフ MDR-6(Chyetverikov MDR-6)飛行艇:チェトヴェリコフ MDR-6は1937年7月初飛行、乗員:3名 搭乗者数:3名、全長:15.73 m (51 ft 7.25 in)、全幅:19.4 m (63 ft 7.75 in)、全高: 翼面積:52.3 m2 (562.97 ft2)、空虚重量:4,100 kg (9,039 lb)、全備重量:7,200 kg (15,873 lb) エンジン:2 × シュベツォフ M-63 星型エンジン、821 kW (1,100 hp)、最高速力:360 km/h (224 mph)、巡航速力:220 km/h (137 mph)、航続距離:2,650 km (1,647 miles)、 12.7 mm UBT機関銃1丁、7.62mm ShKAS機関銃1丁、爆弾 1,000 kg (2,205 lb)。
Description Русский: Самолет Че-2 (МДР-6). English: Chyetverikov Che-2 (MDR-6) plane. Date 20 June 2015 Author Unknown author
写真は,Category:Chyetverikov MDR-6 File:Mdr-6 (Che-2) plane.jpg引用。


東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)
かくの如く今や欧米列強の空の触手はすべて東亜に向って集中し、日本はこれ等の航空路によって四面より包囲される体形である、これに対してわが民間航空は情ないほど貧弱である、今各国が経営しつつある定期航空路の総延長及び飛行場の数を示すと(一九三六年五月現在)

世界の定期航空路の総延長及び飛行場の数(1936年5月現在)
       航空路     飛行場
イギリス  7万3419km 395か所
ドイツ   5万6km    231か所
フランス  4万9069km 112か所
イタリリア 1万5561km  67か所
ソヴィエト 4万8982km
アメリカ 10万2290km 2334か所
日本     5840km    20か所

右の表は空軍の第二陣であり補充母体であるわが民間航空の現状が世界の重要国に比し如何に劣勢の状態にあるかを示している、しかも、各国の飛行機製造会社はそれぞれ優秀なる機体或はエンジンの特許権を有しその海外輸出を行っているが、わが国の飛行機会社はこれ等の優秀機を高価に買入れて研究し模倣するか或は特許を買って製造するという情ない有様である、世界に対してこれが日本産の優秀機なりとして外国へ輸出し得るようなものは未だない

写真(右)1935年7月,フランス、ラテコエール 521(Latécoère 521)六発旅客飛行艇:初飛行は1935年1月10日で、大西洋横断旅客飛行艇として登場した大型機で、発動機6基を搭載、内側2基は串形タンデム式の搭載のために、一見すると四発機に見える。1機のみしか生産されていない。全長31.62 m、全幅49.31 m、翼面積330 m2、全備重量:37,933 kg、最高速力247 km/h、航続距離3,900 km。
English: Late 521 photo from L'Aerophile July 1935 Date 1 July 1935 Author L'Aerophile magazine
写真は,Category:Latécoère 521 File:Late 521 photo L'Aerophile July 1935.jpg引用。


民間航空の発達は優秀にして廉価な飛行機を大量に作り料金を安くして誰でも手軽に乗れるようにしなければならない、米国や英国では四、五千ドルで優秀な軽飛行機が買えるという、最近航空国策が叫ばれ政府も航空事業の発達に対して稍力を入れるようになり一千万円の研究費を投じて航空機検査所、航空機試験所等を新設することとなり、他面内地、台湾線をシンガポールまで延長し更に台北−香港−ハノイ−バンコック線を新設してヨーロッパからの三定期空路と握手せんとする計画をもっているがこれが十年計画だというから情ない、わが内地−台湾空路に使用している十四人乗の優秀機だがこれはアメリカから買入れたものだ、アメリカの太平洋空路に就航するチャイナ・クリッパーは乗組七名、乗客四十三名の寝台設備を有しフランスの誇りラテコール五二一型機は客席七十を有する豪華さである。

図(右)1936年3月,フランス、ラテコエール 521(Latécoère 521)六発旅客飛行艇の三面図と内部構造図:ラテコエール 521は最大乗客数72名、下層デッキにサロンとしてテーブル席20名分、客席はバスルーム付きツインルームと22席、上層デッキに客席18名分、さらに機関士室があった。フランス航空の長距離輸送機として、1939年5月から7月の間にフランス=ニューヨーク間を4回の往復している。
English: Latécoère 521 detail drawing from NACA-AC-202 Date 1 March 1936 Author NACA Aircraft Circular
写真は,Category:Latécoère 521 File:Latécoère 521 detail NACA-AC-202.png引用。


こんな優秀機をわが国産機として見出し得るのは果していつの日か? 各国はこういう大旅客機を競争的に建造しつつあるが他面機体と別にガソリン発動機に対しディゼル航空発動機の研究競争が行われドイツの如き旅客機は勿論軍用機にもすでにディゼル発動機が装置されて実用化している、フランスにおいてはディゼルエンジンによる一万キロ無著陸飛行機完成に対して政府は一千万フランの懸賞を賭けて奨励している、然るに日本においては漸く最近ディゼル航空発動機を買入れて研究を始めたという万事に立遅れの状態である。

これ等の情報を耳にするとしみじみ日本の航空界の劣勢が痛感される、日本の科学者の頭脳が彼等に劣る結果だとは考えたくない、一九三五年度において、民間航空事業に対してドイツは一億三千三百万円、フランスは四千万円の補助奨励金を支出しているがわが国は僅かに五百万円前後にすぎない、この国家の力の入方の相違が発達の差の原因をなしている、この全面的立遅れを取戻すためには科学者の動員と政府の熱意と民間の協力が可欠の要件である
東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)「比較にならぬ劣勢 : 「情ない」の一語に尽きる我が民間航空陣」引用終わり。


Martin M-130 (1935)
The Martin M-130 was a commercial flying boat designed and built in 1935 by the Glenn L. Martin Company in Baltimore, Maryland, for Pan American Airways.

マーチン M-130(Martin model 130)四発旅客飛行艇は、1934年12月30日に初飛行しサンフランシスコ、ハワイ諸島ホノルル、ミッドウェー島、ウェーク島、グアムを経由してアメリカ植民地フィリピンのマニラとの航路を開拓したが3機しか生産されていない。マーチン M-130「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)、「ハワイ・クリッパー」(NC14714)、「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)があった。



2.満州日日新聞 1937.3.26(昭和12)「目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦」

写真(右)エジプト、カイロ上空、ナイル川沿い低空を飛行するエジプト航空デハビラント(De Havilland)DH 84 ドラゴン(Dragon)複葉輸送機(SU-ABJ:製造番号C/n 6051):乗客:8名、全長10.5 m、全幅14.6 m、高さ3.1 m、翼面積32 m²、空虚重量1,460 kg、全備重量2,490 kg、発動機ジプシークイン エンジン 200 hp(150 kW)2基、最高速力253 km/h、航続距離920 km、上昇限界5,090 m。1938年6月製造のようだが、第二次大戦後もしばらく使用されている。
Hilda Jarmuth Collection Photov DH.84 aircraft SU-ABJ PictionID:40983549 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:Hilda Jarmuth Collection Photo_00020.TIF - Image from the Hilda Jarmuth Personal Papers. Little is known about Hilda Jarmuth, an early aviatrix who was born on November 22, 1900. She may have been a member of the Ninety-Nines Club, which was founded on November 2, 1929, for the mutual support and advancement of women pilots. She was married to Charles F. Jarmuth in Cook County, Illinois, on June 12, 1923. She was widowed in 1927 when Charles drowned while attempting to rescue her from an undertow. Around 1949, she remarried to his first cousin, Louis T. Jarmuth. While little more is known about her other than she traveled extensively, she passed away in Los Angeles, CA, on July 1, 1976. --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


写真(右)エジプト、カイロ上空、ナイル川沿い低空を飛行するエジプト航空デハビラント(De Havilland)DH 84 ドラゴン(Dragon)複葉輸送機(SU-ABJ:製造番号C/n 6051):乗客:8名、全長10.5 m、全幅14.6 m、高さ3.1 m、翼面積32 m²、空虚重量1,460 kg、全備重量2,490 kg、発動機ジプシークイン エンジン 200 hp(150 kW)2基、最高速力253 km/h、航続距離920 km、上昇限界5,090 m。1938年6月製造のようだが、第二次大戦後もしばらく使用されている。
Hilda Jarmuth Collection Photov DH.84 aircraft SU-ABJ PictionID:40983598 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:Hilda Jarmuth Collection Photo_00021.TIF - Image from the Hilda Jarmuth Personal Papers. Little is known about Hilda Jarmuth, an early aviatrix who was born on November 22, 1900.. She may have been a member of the Ninety-Nines Club, which was founded on November 2, 1929, for the mutual support and advancement of women pilots. She was married to Charles F. Jarmuth in Cook County, Illinois, on June 12, 1923. She was widowed in 1927 when Charles drowned while attempting to rescue her from an undertow. Around 1949, she remarried to his first cousin, Louis T. Jarmuth. While little more is known about her other than she traveled extensively, she passed away in Los Angeles, CA, on July 1, 1976. --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


写真(右)エジプト、カイロ、ピラミッド上空を飛ぶエジプト航空デハビラント(De Havilland)DH 84 ドラゴン(Dragon)複葉輸送機(SU-ABJ:製造番号C/n 6051):乗客:8名、全長10.5 m、全幅14.6 m、高さ3.1 m、翼面積32 m²、空虚重量1,460 kg、全備重量2,490 kg、発動機ジプシークイン エンジン 200 hp(150 kW)2基、最高速力253 km/h、航続距離920 km、上昇限界5,090 m。1938年6月製造のようだが、第二次大戦後もしばらく使用されている。
Hilda Jarmuth Collection Photo PictionID:40983704 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:Hilda Jarmuth Collection Photo_00019.TIF - Image from the Hilda Jarmuth Personal Papers. Little is known about Hilda Jarmuth, an early aviatrix who was born on November 22, 1900. She may have been a member of the Ninety-Nines Club, which was founded on November 2, 1929, for the mutual support and advancement of women pilots. She was married to Charles F. Jarmuth in Cook County, Illinois, on June 12, 1923. She was widowed in 1927 when Charles drowned while attempting to rescue her from an undertow. Around 1949, she remarried to his first cousin, Louis T. Jarmuth. While little more is known about her other than she traveled extensively, she passed away in Los Angeles, CA, on July 1, 1976 De Havilland DH.84 Dragon c/n 6051 SU-ABJ of Misr Airwork Egyptian Airlines, flying over Egypt.
写真は San Diego Air and Space Museum Archive PictionID:40983859 - 引用。


写真(右)エジプト、カイロ、ピラミッド上空を飛ぶエジプト航空デハビラント(De Havilland)DH 84 ドラゴン(Dragon)複葉輸送機(SU-ABJ:製造番号C/n 6051):1938年6月製造のようだが、第二次大戦後もしばらく使用されている。
Hilda Jarmuth Collection Photo PictionID:40983897 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:Hilda Jarmuth Collection Photo_00016.TIF - Image from the Hilda Jarmuth Personal Papers. Little is known about Hilda Jarmuth, an early aviatrix who was born on November 22, 1900. She may have been a member of the Ninety-Nines Club, which was founded on November 2, 1929, for the mutual support and advancement of women pilots. She was married to Charles F. Jarmuth in Cook County, Illinois, on June 12, 1923. She was widowed in 1927 when Charles drowned while attempting to rescue her from an undertow. Around 1949, she remarried to his first cousin, Louis T. Jarmuth. While little more is known about her other than she traveled extensively, she passed away in Los Angeles, CA, on July 1, 1976 De Havilland DH.84 Dragon c/n 6051 SU-ABJ of Misr Airwork Egyptian Airlines, flying over Egypt.
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)エジプト、カイロ、ピラミッド上空を飛行するエジプト航空デハビラント(De Havilland)DH 84 ドラゴン(Dragon)複葉輸送機(SU-ABJ:製造番号C/n 6051):乗客:8名、全長10.5 m、全幅14.6 m、高さ3.1 m、翼面積32 m²、空虚重量1,460 kg、全備重量2,490 kg、発動機ジプシークイン エンジン 200 hp(150 kW)2基、最高速力253 km/h、航続距離920 km、上昇限界5,090 m。
PictionID:40983872 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:Hilda Jarmuth Collection Photo_00015.TIF - Image from the Hilda Jarmuth Personal Papers. Little is known about Hilda Jarmuth, an early aviatrix who was born on November 22, 1900. She may have been a member of the Ninety-Nines Club, which was founded on November 2, 1929, for the mutual support and advancement of women pilots. She was married to Charles F. Jarmuth in Cook County, Illinois, on June 12, 1923. She was widowed in 1927 when Charles drowned while attempting to rescue her from an undertow. Around 1949, she remarried to his first cousin, Louis T. Jarmuth. While little more is known about her other than she traveled extensively, she passed away in Los Angeles, CA, on July 1, 1976. .--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


写真(右)エジプト(?)、エジプト航空デハビラント(De Havilland)DH 84 ドラゴン(Dragon)複葉輸送機(SU-ABJ:製造番号C/n 6051):1938年6月製造のようだが、第二次大戦後もしばらく使用されている。
Hilda Jarmuth Collection Photo Catalog:Array - Title:Array - Filename:Hilda Jarmuth Collection Photo_00013.TIF - Image from the Hilda Jarmuth Personal Papers. Little is known about Hilda Jarmuth, an early aviatrix who was born on November 22, 1900. She may have been a member of the Ninety-Nines Club, which was founded on November 2, 1929, for the mutual support and advancement of women pilots. She was married to Charles F. Jarmuth in Cook County, Illinois, on June 12, 1923. She was widowed in 1927 when Charles drowned while attempting to rescue her from an undertow. Around 1949, she remarried to his first cousin, Louis T. Jarmuth. While little more is known about her other than she traveled extensively, she passed away in Los Angeles, CA, on July 1, 1976.--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives PictionID:40983859 - 引用。


写真(右)1935年頃、イギリス、飛行するイギリス空軍ハンドレページ (Handley Page)ヘイフォード(Heyford)爆撃機:1930年6月12日初飛行、1936年までに125機が生産された。 乗員:3名 全長:58 ft (18 m) 全幅: 75 ft (23 m) 全高: 17 ft 6 in (5.33 m) 主翼面積: 1,470 sq ft (137 m2) 空虚重量: 9,200 lb (4,173 kg) 総重量: 16,900 lb (7,666 kg) 発動機: 2 × ロールスロイス(Rolls-Royce)ケストラー(Kestrel)II-S 液冷V-12気筒エンジン525 hp (391 kW)2基 最高速力: 142 mph (229 km/h, 123 kn) /13,000 ft (3,962 m) 航続距離: 920 mi (1,480 km, 800 nmi) 実用上昇限度: 21,000 ft (6,400 m) 上昇時間: 10,000 ft (3,048 m) /15分18秒 旋回機関銃: 3 × .303 in (7.7 mm)ルイス機関銃 爆弾: 2,500 lb (1,134 kg) t
Handley-Page, Heyford Catalog #: 01_00080867 Title: Handley-Page, Heyford Corporation Name: Handley-Page Official Nickname: Heyford Additional Information: UK Tags: Handley-Page, Heyford Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。


飛行機は科学の尖端を行く最新兵器である。これを製造する技術の優劣は、飛行機の性能を左右するものであるから、列強は競って航空技術の進歩に努力している。元来航空工業は、重工業中機械工業の部門に属し、就中航空用発動機製作は、精密工業に属すべきものであるが、その円満なる発達のためには単に航空工業の進展を期すれば可なりというものではなく、その関聯するところ甚だ広汎にして、重工業全般特に材料を供給する金属工業の進展に俟つもの甚だ多いのである。例えば優秀機のパテントを外国から購入し、これを模作することが出来るとしても、材料そのものに欠陥があれば、同一の性能は勿論求め得られないばかりでなく各部の亀裂又は折損を生ずること少くないのである。而して列強の航空工業は、ソ聯邦を除きては、殆ど大戦以来二十有余年の歴史を有しているのであって決して一朝一夕の間に培養されたものではなく、大戦以来今日まで巨額の国費を投入して漸く今日の進運を来したものであることを思えば、航空技術なり、航空工業の躍進を求むることは尋常一様の方法では至難であるといわねばならぬ。最近における列強の技術及航空工業を概術すれば次の如くである。

写真(右)1941年、イギリス、第47爆撃飛行隊のビッカース ウェルズレイ(Vickers Wellesley)偵察爆撃機:全幅 22.66 m 、全長11.96 m、翼面積 59m2、空虚重量3,066 kg、総重量5,67kg、発動機 ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)空冷星型9気筒エンジン925 hp 排気量28 L (690 kW)1基、最高速力 367 km/h,、航続距離 1,960 km、乗員3名、兵装 7.7 mmビッカース(Vickers)機関銃2丁、爆弾搭載量 2,000 ポンド (910 kg)。。
Description English: Vickers Wellesley Mk I of No. 47 Squadron RAF in flight over the mountains of Eritrea, 1941. Wellesley Mark I, L2673 ‘KU-C’, of No. 47 Squadron RAF based at Agordat, Eritrea, in flight over the rugged landscape of Eritrea. Date between 1939 and 1945 IWM LondonT This is photograph ME(RAF) 845 Imperial War Museums. Author Royal Air Force official photographer.
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写真はWikimedia Commons Category:Vickers Wellesley File:Vickers Wellesley Mk I of No. 47 Squadron RAF in flight over the mountains of Eritrea, 1941. ME(RAF)845.jpg引用。


写真(右)1939年-1944年、イギリス南岸、ハンプシャー、ポーツマス対岸、ゴスポート、雷撃機として試験中のイギリス空軍ビッカース ウェルズレイ(Vickers Wellesley)偵察爆撃機:初飛行は、1935年7月19日、胴体形状は。円筒形の大圏構造を採用した。1936–1938年に177機生産。
English: Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Vickers Wellesley. Wellesley Mark I, K7740, of the Torpedo Development Unit, at Gosport, Hampshire, following conversion for tests as a torpedo-bomber. Date between 1939 and 1945 MH 135 from the collections of the Imperial War Museums. Author Royal Air Force official photographer Part of RAF Station Gosport
写真はWikimedia Commons Category:Vickers Wellesley File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Vickers Wellesley. MH135.jpg引用。


写真(右)1935年-1940年、イギリス、イギリス空軍第14爆撃飛行隊ビッカース・ウェルズレイ(Vickers Wellesley)爆撃機:初飛行は、1935年6月19日、1938年までに171機生産。全長:11.97 m、全幅:22.73 m、全高:3.74 m、全備重量:5,074 kg、エンジン:ブリストル・ペガサス20 空冷9気筒 925 hp1基、最高速力:367 km/h 実用上限高度:10,000m、航続距離:1,790 km、爆弾搭載量:900kg、兵装:7.7mm機銃2挺
English: AIRCRAFT OF THE ROYAL AIR FORCE 1919-1939 The pilot of a Vickers Wellesley of 14 Squadron, Royal Air Force, is assisted with his harness prior to take off from RAF Amman in Transjordan. Royal Air Force official photographer Part of The Royal Air Force 1919 - 1939.
写真はWikimedia Commons Category:Short Stirling File:AIRCRAFT OF THE ROYAL AIR FORCE 1919-1939 H(AM)379.jpg引用。


写真(右)1938-1940年頃、イギリス、編隊飛行するビッカース ウェルズレイ(Vickers Wellesley)偵察爆撃機:全幅 22.66 m 、全長11.96 m、翼面積 59m2、空虚重量3,066 kg、総重量5,67kg、発動機 ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)空冷星型9気筒エンジン925 hp 排気量28 L (690 kW)1基、最高速力 367 km/h,、航続距離 1,960 km、乗員3名、兵装 7.7 mmビッカース(Vickers)機関銃2丁、爆弾搭載量 2,000 ポンド (910 kg)。
SDASM Archives Follow Vickers, Wellesley Catalog #: 01_00089616 Manufacturer: Vickers Title: Vickers, Wellesley Tags: Vickers, Wellesley, UK Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Official Nickname: Wellesley
写真は  San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1935年-1940年、イギリス、農地上空を低空飛行中のイギリス空軍ビッカース ウェルズレイ(Vickers Wellesley)偵察爆撃機:初飛行は、1935年7月19日、胴体形状は。円筒形の大圏構造を採用した。1936–1938年に177機生産。左右主翼にはポッドを付けていない。
SDASM Archives Follow perma_003007 Permann Collection Image Vickers Wellesley(Post Card)--Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は  San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1935年-1940年、イギリス、農地上空を低空飛行中のイギリス空軍ビッカース ウェルズレイ(Vickers Wellesley)偵察爆撃機:初飛行は、1935年7月19日、胴体形状は。円筒形の大圏構造を採用した。1936–1938年に177機生産。左右主翼にはポッドを付けていない。
SDASM Archives Follow perma_003007 Permann Collection Image Vickers Wellesley(Post Card)--Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は  San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1937-1938年、イギリス、工場で生産中のフェアリー バトル (Fairey Battle)Mk.I 爆撃機:初飛行は1936年3月10日、全長: 12.90 m、全幅:16.46 m、翼面積: 39.2m2、空虚重量: 3,015 kg、最大離昇重量: 4,895kg、ロールスロイス(Rolls-Royce)マーリン(Merlin) II V-12 )液令V12気筒1,030 hp (770 kW)1基、最高速力:414 km/h、航続距離:1,600 km、7.7mm機関銃2丁、爆弾搭載量は最大4,000 lb (1,800 kg)、1937-1940年に2,201機量産、乗員 3名。
SDASM Archives Follow perma_002969 Permann Collection Image Fairey Battle--Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は  San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1937-1938年、イギリス東部、ケンブリッジ州アップウッド(Upwood)基地、イギリス空軍第52爆撃飛行隊イギリス空軍第218爆撃飛行隊フェアリー バトル (Fairey Battle)Mk.I 爆撃機:初飛行は1936年3月10日、全長: 12.90 m、全幅:16.46 m、翼面積: 39.2m2、空虚重量: 3,015 kg、最大離昇重量: 4,895kg、ロールスロイス(Rolls-Royce)マーリン(Merlin) II V-12 )液令V12気筒1,030 hp (770 kW)1基、最高速力:414 km/h、航続距離:1,600 km、7.7mm機関銃2丁、爆弾搭載量は最大4,000 lb (1,800 kg)、1937-1940年に2,201機量産、乗員 3名。
English: IWM caption : A Fairey Battle Mk.I of 52 Squadron, Royal Air Force, at RAF Upwood. Date between 1937 and 1938 H(AM) 179 the Imperial War Museums. . Author assumed RAF .
写真はWikimedia Commons Category:Fairey Battle File:52 Squadron RAF Fairey Battle at Upwood IWM H(AM) 179.jpg引用。


写真(右)1939−1940年、イギリスあるいはフランス上空(?)、イギリス空軍フェアリー バトル (Fairey Battle)Mk.I 爆撃機(1737):初飛行は1936年3月10日。
SDASM Archives Follow Permann_20 001 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1939∹1940年、フランス上空、イギリス空軍第218爆撃飛行隊フェアリー バトル (Fairey Battle)Mk.I 爆撃機:初飛行は1936年3月10日、全長: 12.90 m、全幅:16.46 m、翼面積: 39.2m2、空虚重量: 3,015 kg、最大離昇重量: 4,895kg、ロールスロイス(Rolls-Royce)マーリン(Merlin) II V-12 )液令V12気筒1,030 hp (770 kW)1基、最高速力:414 km/h、航続距離:1,600 km、7.7mm機関銃2丁、爆弾搭載量は最大4,000 lb (1,800 kg)、1937-1940年に2,201機量産、乗員 3名。
English: English: Royal Air Force in France, 1939-1940. Three Fairey Battle Mark Is, K9353 ‘HA-J’, K9324 ‘HA-B’ and K9325 ‘HA-D’, of No. 218 Squadron RAF, based at Auberives-sur-Suippes, in flight over northern France. K9325 went missing during an attack on enemy troops near St Vith on 11 May 1940, and K9353 was shot down north of Bouillon the following day. K9324 survived the Battle of France to serve with the RAAF until 1944. Date between 1939 and 1940 C 449 from the collections of the Imperial War Museums. Author Stanley Arthur Devon (1907–1995) Royal Air Force official photographer .
写真はWikimedia Commons Category:Fairey Battle File:Fairey Battle - Royal Air Force in France, 1939-1940. C449.jpg引用。


写真(右)1942年7−11月頃、イギリス、田園地帯を低空飛行するイギリス空軍ハンドレページ (Handley Page)ハンプデン(Hampden)爆撃機:初飛行は1936年7月21日、全長: 17.32 m、全幅:21.08 m、翼面積: 63.9 m2、空虚重量: 5,790 kgkg、最大離昇重量: 10,206 kg、ブリストル(Bristol)ブリストル・ペガサス17 空冷9気筒1,000 hp (750 kW) 2基、最高速力:398 km/h、航続距離:2,770 km、爆弾搭載量は最大4,000 lb (1,800 kg)。
SDASM Archives Follow Handley-Page, H.P. 52, Hampden Catalog #: 01_00080841 Title: Handley-Page, H.P. 52, Hampden Corporation Name: Handley-Page Official Nickname: Hampden Additional Information: UK Designation: H.P. 52 Tags: Handley-Page, H.P. 52, Hampden
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1940−1941年頃、イギリス、田園地帯を低空飛行するイギリス空軍ハンドレページ (Handley Page)ハンプデン(Hampden)爆撃機:1938年以降、イギリス空軍、カナダ空軍、オーストラリア空軍で使用された。生産期間は1936–1941年で生産機数1,430機。胴体が細く、スペースが狭いために、装備や居住性が劣り、方向安定性も十分でなかったために、開戦早々の1939年12月には昼間爆撃任務から除外され、夜間爆撃に充当された。しかし、ウェリントン、ブレニム双発爆撃機よりも飛行性能が低かったために、1942年9月には前線任務からは外されている。
English: Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command Hampdens of No 44 Squadron on a practice flight, September 1941. The foreground aircraft, AE257, was lost on an operation to Bremen on 21-22 October. Date September 1941 CH 3481 from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg Author Daventry B J (F/O), Royal Air Force official photographer.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1941年11月21日、イギリス東部、リンカン州ワディントン田園地帯を低空編隊飛行するイギリス空軍第44爆撃飛行隊ハンドレページ (Handley Page)ハンプデン(Hampden)爆撃機:初飛行は1936年7月21日、1938年以降、イギリス空軍、カナダ空軍、オーストラリア空軍で使用された。生産期間は1936–1941年で生産機数 1,430機。胴体が細く、スペースが狭いために、装備や居住性が劣り、方向安定性も十分でなかったために、開戦早々の1939年12月には昼間爆撃任務から除外され、夜間爆撃に充当された。しかし、ウェリントン、ブレニム双発爆撃機よりも飛行性能が低かったために、1942年9月には前線任務からは外されている。
English: Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command Hampdens of No 44 Squadron on a practice flight, September 1941. The foreground aircraft, AE257, was lost on an operation to Bremen on 21-22 October. Date September 1941 CH 3481 from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg Author Daventry B J (F/O), Royal Air Force official photographer.
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH3481.jpg。


写真(右)1942年7−11月頃、イギリス東部、リンカン州ワディントン田園地帯を低空編隊飛行するイギリス空軍第44爆撃飛行隊ハンドレページ (Handley Page)ハンプデン(Hampden)爆撃機:初飛行は1936年7月21日、全長: 17.32 m、全幅:21.08 m、翼面積: 63.9 m2、空虚重量: 5,790 kgkg、最大離昇重量: 10,206 kg、ブリストル(Bristol)ブリストル・ペガサス17 空冷9気筒1,000 hp (750 kW) 2基、最高速力:398 km/h、航続距離:2,770 km、爆弾搭載量は最大4,000 lb (1,800 kg)。
English: Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Handley Page Hp.52 Hampden and Hereford. Hampden Mark Is, AE257 ‘KM-X’ and AE202 ‘KM-K’, of No. 44 Squadron RAF based at Waddington, Lincolnshire, in flight. Both aircraft were lost on raids over Germany, AE257 on the night of 21/22 October 1941 flying to Bremen, and AE202 over Hamburg on 26/27 July 1942. Date between 1939 and 1945 CH 3478 from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg Author Daventry B J (Mr), Royal Air Force official photographer Permission (Reusing this file) This image was created and released by the Imperial War Museum on the IWM Non Commercial Licence. Photographs taken, or artworks created, by a member of the forces during their active service duties are covered by Crown Copyright provisions. Faithful reproductions may be reused under that licence, which is considered expired 50 years after their creation. Part of Air Ministry Second World War Official Collection.
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Handley Page Hp.52 Hampden and Hereford. CH3478.jpg引用。


英国

航空技術及航空工業は、空軍省内補給研究局において主宰し、統制指導機関として多くの委員会を組織している。工業技術進歩改善のためには科学産業委員会を設け、官民の全研究機関を連繋せしむる制度を採り、航空技術は航空研究委員会において統制し、これが進展を図っている。

又空軍における研究機関と審議機関とを完全に分離し、前者は文官を主とし、後者は武官を主とし、各々一流の権威者を集中していることは、制度上の特徴と認むべきである。

現在飛行機工場としては、大小を合し三七会社があるが、空軍が利用しているのは、大製造能力を有する一流の一五会社にして、その他は戦時これを利用する程度であろう。発動機工場は一八会社であって、大規模のものは五個に過ぎない。而してこれ等工場の製作能力は年産四〇〇〇−五〇〇〇機といわれている。

写真(右)1940年8月、イギリス、田園地帯を低空編隊飛行するイギリス空軍第149爆撃飛行隊ビッカース(Vickers)ウェリントン(Wellington)爆撃機:初飛行は1936年6月15日、全長: 19.68 m、全幅: 25.26 m、翼面積: 、空虚重量: 19,278 kg、最大離昇重量: 29,484 kg、ブリストル(Bristol)ブリストル・ペガサス17 空冷9気筒 1000 hp2基、最高速力:378km/h、航続距離:2,000km、爆弾搭載量は最大 2.041kg。
English: RAF Bomber Command 1940 Vickers Wellington Mk IC bombers of No. 149 Squadron in flight, circa August 1940. Date between 1939 and 1945.
Author Press Agency photographer HU 107812 Imperial War Museums.
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Vickers Wellington - RAF Bomber Command 1940 HU107812.jpg引用。


写真(右)1940年7月25日、イギリス、第25爆撃飛行隊のブリストル(Bristol)ブレニム (Blenheim)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1935年4月12日。全幅 17.17 m、全長 12.12m、翼面積 84.0 m2、自重4,441 kg、総重量 6,532 kg 発動機ブリストル(Bristol) マーキュリー (Mercury)空冷星形9気筒エンジン840 hp2基、 最高速力 418 km/h、航続距離 1810 km、乗員3名、兵装 7.7 mm 機関銃2丁、爆弾搭載量454 kg。
English: RAF Fighter Command 1940 Blenheim Mk IFs of No. 25 Squadron at Martlesham Heath, 25 July 1940. The foreground aircraft is equipped with AI Mk III radar. The squadron was used for night fighter operations. Date 25 July 1940 (Second World War)
Author Press Agency photographer Part of Ministry of Information Second World War Press Agency Print HU 104652 Imperial War Museums.
写真はWikimedia Commons Category:Bristol Blenheim Mk.I of the Royal Air Force File:Bristol Blenheim - Martlesham - RAF Fighter Command 1940 HU104652.jpg引用。


写真(右)1939年-1944年、イギリス、イギリス空軍第7爆撃飛行隊ショート(Short)S.29 スターリング(Stirling)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1939年5月14日、1945年までに2,371機生産。全幅 30.20 m 、全長26.59 、翼面積 136m2、自重22,498 kg、総重量26,943 kg、発動機ハーキュリーズ Mk.XI空冷星型14気筒1,500hp4基、 最高速力 454 km/h、航続距離 3.755 km 、乗員7名、兵装 7.7 mm M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,350kg。
English: Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.29 Stirling. Stirling Mark I, N3641 ‘MG-D’, of No. 7 Squadron RAF, running up its engines on the ground at Oakington, Cambridgeshire. Date between 1939 and 1945 CH 3138 Imperial War Museums Royal Air Force official photographer Part of Air Ministry Second World War Official Collection Subjects Associated people and organisations Royal Air Force, 7 Squadron.
写真はWikimedia Commons Category:Short Stirling File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.29 Stirling. CH3138.jpg引用。


写真(右)1942年4月、イギリス、250ポンド爆弾16発を搭載するイギリス空軍第1651重爆撃隊のショート(Short)S.29 スターリング (Stirling)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1939年5月14日、1945年までに2,371機生産。全幅 30.20 m 、全長26.59 、翼面積 136m2、自重22,498 kg、総重量26,943 kg、発動機ハーキュリーズ Mk.XI空冷星型14気筒1,500hp4基、 最高速力 454 km/h、航続距離 3.755 km 、乗員7名、兵装 7.7 mm M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,350kg。
Royal Air Force armourers check over the sixteen 250lb bombs before they are loaded into a Short Stirling bomber (s/n N6101) of No. 1651 Heavy Conversion Unit at Waterbeach, Cambridgeshire. N6101 was one of the first Stirlings built by Short and Harland at Belfast. Date April 1942 Source TR 8 comes from the collections of the Imperial War Museums. Author Charles E. Brown.
写真はWikimedia Commons Category:Short Stirling File:Short Stirling bomber N6101.jpg引用。


写真(右)1940−1943年、イギリス、イギリス空軍第7爆撃飛行隊ショート(Short)S.29 スターリング (Stirling)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1939年5月14日、1945年までに2,371機生産。全幅 30.20 m 、全長26.59 、翼面積 136m2、自重22,498 kg、総重量26,943 kg、発動機ハーキュリーズ Mk.XI空冷星型14気筒1,500hp4基、 最高速力 454 km/h、航続距離 3.755 km 、乗員7名、兵装 7.7 mm M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,350kg。
Short Stirling B Mark I bombers of No 7 Squadron RAF, lined up at RAF Oakington, Cambridgeshire. Date between circa 1940 and circa 1943 Source COL 203 comes from the collections of the Imperial War Museums. Author Royal Air Force official photographer.
写真はWikimedia Commons Category:Short Stirling File:Stirlings at RAF Oakington WWII IWM COL 203.jpg引用。


写真(右)1944年4月、イギリス南西部、飛行するイギリス空軍第1615重爆隊ショート(Short)S.29 スターリング (Stirling)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1939年5月14日、1945年までに2,371機生産。全幅 30.20 m 、全長26.59 、翼面積 136m2、自重22,498 kg、総重量26,943 kg、発動機ハーキュリーズ Mk.XI空冷星型14気筒1,500hp4基、 最高速力 454 km/h、航続距離 3.755 km 、乗員7名、兵装 7.7 mm M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,350kg。
English: A Royal Air Force flight of No. 1651 Heavy Conversion Unit Short Stirling aircraft flying south-west, with the outskirts of Waterbeach (UK) in the foreground and Cambridge in the distance. From near to far the aircraft are: "S" N3676; "G" N6096; "C" N6069. Date April 1942 TR 37 from the collections of the Imperial War Museums. Author Royal Air Force official photographer.
写真はWikimedia Commons Category:Short Stirling File:Short Stirlings 1651 HCU in flight 1942.jpg引用。


写真(右)1943-1944年頃、イギリス、イギリス空軍ハンドレページ(Handley Page)ハリファックス(Halifax)重爆撃機:初飛行は1939年9月24日、全長: 29.59 m、全高: 8.0 m、翼面積: 330.2 m2、空虚重量: 19,278 kg、最大離昇重量: 29,484 kg、ブリストル(Bristol)ハーキュリーズ(Hercules )Mk VI 空冷星形14気筒ロエンジン1204 kW (1615 hp)4基、最高速力:454 km/h、航続距離:爆弾搭載量は最大5897 kg(13,000ポンド)、生産機数6,176機。
English: Halifax Bomber Source Canadian Forces Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago.
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Halifax Bomber 7 ExCC.jpg引用。


写真(右)1944年2月10日、イギリス南東部、ロンドン北90キロ、ハンティンドン(Huntingdon)、イギリス空軍第156爆撃飛行隊アブロ(Short)ランカスター (Lancaster)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1941年1月9日、1945年までに7,377機生産。全幅 31.09m 、全長21.18m 、翼面積 120m2、自重16,783 kg、総重量28,576 kg、発動機 ロールス・ロイス マーリン XX V型12気筒レシプロエンジン 1,280hp(954 kW)4基、 最高速力 450 km/h、航続距離 4,300 km、乗員7名、兵装 7.62mm ブローニング(Browning)M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,400 kg、生産機数7,377機。
English: Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command King George VI and Queen Elizabeth visited three Pathfinder stations on 10 February 1944. Here they are seen talking to ground crew of No 156 Squadron at Warboys, Huntingdonshire, beneath the imposing bulk of one of the squadron's Lancasters protruding from a T2 hangar. Date 10 February 1944.
CH 12153 Imperial War Museums
Associated people and organisations Elizabeth, Queen, George VI, King, Royal Air Force, 156 Squadron Associated places Warboys, Huntingdonshire, England, UK
写真はWikimedia Commons Category:Avro Lancaster File:Avro Lancaster - RAF Warboys - Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH12153.jpg引用。



写真(右)1945年2月9日、イギリス南東部、ロンドン北90キロ、ケンブリッジ(Cambridgeshire)、メパール (Mepal)、エンジン整備中のイギリス空軍第75ニュージーランド爆撃飛行隊アブロ(Short)ランカスター (Lancaster)Mk.I型爆撃機
:胴体下面の爆弾倉は長大で爆弾倉扉は開放状態にある。爆弾搭載量は最大6,400 kg、。
Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command Mechanics working on the port-outer Merlin engine of a No 75 (New Zealand) Squadron Lancaster at Mepal, Cambridgeshire, 9 February 1945. Date 9 February 1945 Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command Mechanics working on the port-outer Merlin engine of a No 75 (New Zealand) Squadron Lancaster at Date 9 February 1945
写真はWikimedia Commons Category:Avro Lancaster File:Avro Lancaster - Mepal - Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH14681.jpg引用。


仏国

航空省内に、技術及び製造工業全般の指導に任ずる航空製造局があって、技術及び科学研究所、製造部契約部、各地実験所を統轄している。航空技術は、昭和三−七年(一九二八−三二年)間航空省当時の技術局長カッコー氏の広汎なる奨励指導政策に依り、放漫の避難を受けてはいるが、著しく進歩し、特に金属機製作技術の向上には観るべきものがあった。殊にその優秀機試作奨励政策は後年における性能優秀なる軍用機多量生産の根柢をなしたのである。併しながらこれがため大小製作会社が簇出して五〇個以上に達し、これが統制を行うの必要に迫られ、ドナン航空相は、昭和九−一〇年(一九三四−三五年)に八個の群に統合して会社の強化を図ったのであるが、なお充分に目的を達成するに至らず、昨年七月ブルム内閣に依り、軍需工業国営を行うことに依って、初めてこの問題が解決したのであった。

写真(右)1937年、フランス、フランス空軍アミオ(Amiot)143双発爆撃機("Grandpappy" 登録番号:35-277): アミオ 143の試作1号機は1934年8月に初飛行した固定脚、肩翼の単葉双発の金属製機である。大型の機首は、二階デッキとなっており、主翼には大きな固定脚ゴム主輪があり、スパッツで覆われている。外観は、空力学的な洗練さが見られない無骨な設計に見える。ノームローンGR14Kirs 空冷14気筒 870 hp2基搭載で、最高速力310km/hは、ユンカースJu52輸送機と大差はない。
Polski: Samolot Amiot 143 podczas lotu Date 1 January 1937 Source Narodowe Archiwum Cyfrowe Author Autor nieznany
写真はWikimedia Commons, Wikimedia Commons,  File:Amiot 143 1.jpg引用。



写真(右)1930年代、フランス、フランス空軍アミオ(Amiot)143双発爆撃機
:1935年7月初飛行、全長:18.26 m 全幅:24.51 m 全高:5.68 m 全備重量:9,700 kg エンジン:ノームローンGR14Kirs 空冷14気筒 870 hp 最大速度:310 km/h 航続距離:1,200 km 武装 爆弾1,600kg 7.5mm機銃×4 乗員 5名。
Ray Wagner Collection Image PictionID:45647630 - Catalog:16_007043 - Title:Amiot 143 Musee de l'Air photo - Filename:16_007043.TIF - ---Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はWikimedia Commons SDASM Archives 引用。


写真(右)1938年以降、フランス領北アフリカ(?)、フランス空軍アミオ(Amiot)143双発爆撃機: 前作アミオ 140は、フランス空軍の要求にアミオが応じた機体で、ロレーヌ 18G オリオン W形18気筒液冷エンジン515 kW (691 hp)2基の搭載を予定したが、実際は、アミオ 140Mとしてイスパノ・スイザ 12Nbr液冷エンジン485 kW (650 hp) を搭載した。2機が試作、フランス空軍が制式した。この時に、性能向上型として、ロレーヌ 18G オリオンエンジン3基搭載のアミオ 141M三発爆撃機が計画されてたが、完成していない。アミオ 142は、イスパノ・スイザ 12Ybrs液冷エンジン499 kW (669 hp)2基を搭載した試作機で1機のみ生産。
Ray Wagner Collection Image PictionID:45647618 - Catalog:16_007042 - Title:Amiot 143 Musee de l'Air photo - Filename:16_007042.TIF - ---Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives引用。


写真(右)1940年6月以降、フランス(?)、ドイツ軍が鹵獲して輸送機としているフランス空軍アミオ(Amiot)143双発爆撃機: アミオ 143の試作1号機は1934年8月に初飛行した固定脚、肩翼の単葉双発の金属製機である。機種は、二階デッキで、主翼には大きな固定脚ゴム主輪があり、空力学的な洗練さが見られない。ノームローンGR14Kirs 空冷14気筒 870 hp2基搭載で、最高速力310km/hは、ユンカースJu52輸送機と大差はない。
1939年9月のドイツのポーランド侵攻で勃発した第二次世界大戦は、1940年に入ってノルウェーに進駐したイギリスとドイツの海上交通を巡る争いがあり、5月10日には、ドイツ軍のオランダ・ベルギー侵攻とそれに続くフランス侵攻があった。アルデンヌを突破したドイツ地上軍に包囲されたイギリス・フランス軍はダンケルクに追い詰められた。そして、6月14日にはドイツ軍は都パリを占領した。その直前、6月10日にイタリアが参戦し、地中海方面での戦闘も始まった。6月22日、第一次世界大戦でドイツ降伏調印がなされたコンピエーニュの森で、今度はフランスが降伏した。また、日本も、重慶に首都を移した中華民国蒋介石政権の補給ルート、すなわち援蔣ルートを遮断するために、9月にフランス領インドシナ(北部仏印)に強硬進駐した。また9月27日、日独伊三国同盟が結ばれた。ヨーロッパ大陸を勢力圏に置いたドイツは、日本がアメリカを牽制しアメリカの参戦を阻止できると考え、1941年6月22日にソ連に侵攻した。1940年6月のフランス敗北は、イタリア、日本を眩惑させ、火事場泥棒と同じく、フランスの領土・資源を狙う攻撃を行ったのである。フランス第三共和政は国際関係に大きな影響を与え、世界大戦争への引き金となったのである。
Amiot 143 Catalog #: 00074861 Manufacturer: Amiot Designation: 143
写真はSDASM Archives Catalog #: 00074864引用。


写真(右)1938年以降、フランス、フランス空軍アミオ(Amiot)350双発爆撃機("Grandpappy" 登録番号:35-277): 1934年から開発が始まり1937年12月6日にイスパノスイザ12Y28エンジンを搭載して初飛行。全幅 22.83 m、全長14.50 m、翼面積 258.4 m2、自重 37,709 lb (17,141 kg)、全備重量 11,285 kg)、発動機 発動機をノームローン 14N38空冷星形14気筒エンジン850 hp(634 kW)2基、最高速力479 km/h、航続距離 2,500 km、乗員4名。20 mm (0.79 in)イスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲1門、7.5 mm (.295 in) MAC1934機関銃2丁、爆弾 1200kg。生産機数84機。
Amiot 350 Manufacturer: Amiot French medium bomber 2 x Gnome & Rhone 14N/48 1060 Hp each Top speed: 480 Km/h at 4000m Cruise speed: 350 Km/h Range: 2500 Km Crew:4
写真はSDASM Archives引用。



写真(上)1930年5月1日メーデー、ソ連、モスクワ赤の広場で披露されたソ連ツポレフ(Tupolev)ANT-9大型輸送機
:初飛行は、1929年5月5日。全幅 23.80 m、全長 16.65 m、翼面積 84.0 m2、自重 3,680 kg、離昇重量 5.690 kg、発動機:ライト(Wright)ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン300 hp (224 kW)3基、最高速力 205 km/h、航続距離 700 km、乗員2名、乗客9名。
Description English: Tupolev ANT-9 photo from Aero Digest May,1930 Date 1 May 1930 Source https://archive.org/details/aerodigest1617unse/page/n147 Author Aero Digest magazine
写真はWikimedia Commons Category:Tupolev ANT-9 File:Tupolev ANT-9 Aero Digest May,1930.jpg引用。


ツポレフ TB-3 ソ聯

航空工業は重工業省の統轄するところで、航空技術は昭和三年(一九二八年)までは漸く外国製に模倣する程度であったが、第一次五ケ年計画の遂行に依り急速なる進展を遂げ、その製造工場も百数十に達し、更に第二次五年計画の実行過程にあるので、その製造能力は飛躍的進展をなすものと思われる従来航空技術方面に於ては創造的特色に乏しいようであったが、航空技術研究機関として大規模の施設を有する中央飛行科学研究所を設け、世界的に有名なるア・エヌ・トボレフAndrey Nikolajevich Tupoljev:1888–1972)技師をその長とし多くの優秀技術者を集中して、統一せる研究を行うとともに、高級技術者の養成を企図し、又技術大学を多数設立して技術員の養成に努力しているので、その将来は刮目して睹るべきものがあると思う。


写真(上)1930年12月以降、ソ連、ソ連空軍ツポレフ(Tupolev) TB-3(ANT-6)大型爆撃機
:胴体に共産党(CCCP)H-の符号を記入している。ツポレフTB-3重爆撃機は、1930年12月22日に初飛行、1937年までに818機量産された。全幅 39.5m、全長 24.4m、翼面積 84.0 m2、自重 3,680 kg、離昇重量 17,200kg 発動機 :ドイツのB.M.Wを国産化したミクーリン(Mikulin)M-17F液冷12気筒V型 715hp4基、最高速力 197 km/h、航続距離1,350km、乗員8名、兵装 7.62mm機関銃6-8丁、爆弾2,000kg。
Tupolev, TB-3 Manufacturer: Tupolev Designation: TB-3 Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, TB-3, USSR
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00088930引用。


写真(上)1935年以降、ソ連、ソ連空軍ツポレフ(Tupolev) TB-3(ANT-6)大型爆撃機と両翼に懸架されたポリカルポフ(Polikarpov)I-16-5戦闘機(250キロ爆弾2発搭載)の親子飛行機ズヴェノー(Zveno)Z-6:親子飛行機ズヴェノーZ-6は、1935年8月に初飛行。子機ポリカルポフI-16戦闘機は、1933年12月30日初飛行、全幅9m、全長6.13 m、翼面積 14.5 m2、総重量 1,941 kgあったので、ツポレフTB-3重爆撃機(爆弾2,000kg)に2機懸架すると子機の揚力はあるとはいっても、過重量だったはずだ。しかし、1941年の独ソ戦では、ルーマニア爆撃、ドニエプル川架橋爆破に出撃し戦果を挙げたという。
Tupolev, TB-3 Manufacturer: Tupolev Designation: TB-3 Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, TB-3, USSR
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00088935引用。


写真(右)1941年、ソ連、ソ連空軍ツポレフ(Tupolev) TB-3(ANT-6)親子飛行機ズヴェノー(Zveno)Z-6:両翼にポリカルポフ(Polikarpov)I-16-5戦闘機(250キロ爆弾2発搭載)を懸架する親子飛行機ズヴェノー(Zveno)Z-6の母機と思われる。親子飛行機ズヴェノーZ-6は、1935年8月に初飛行。子機ポリカルポフI-16戦闘機は、1933年12月30日初飛行、全幅9m、全長6.13 m、翼面積 14.5 m2、総重量 1,941 kgあったので、ツポレフTB-3重爆撃機(爆弾2,000kg)に2機懸架すると子機の揚力はあるとはいっても、過重量だったはずだ。
Русский: Самолёт English: Soviet bomber TB-3 "Zveno project" Date before 1944 Source Self-scanned Author Stalnenko96
写真はWikimedia Commons, Category:Tupolev TB-3 File:ТБ-3.jpg引用。


写真(右)1941年7月21日、独ソ戦勃発1か月後、ソ連西部、ルーマニア国境モルドヴァ、バルティー飛行場で破壊されたソ連空軍ツポレフ(Tupolev) TB-3(ANT-6)大型爆撃機:両翼にポリカルポフ(Polikarpov)I-16戦闘機(250キロ爆弾2発搭載)を懸架する親子飛行機ズヴェノー(Zveno)の母機と思われる。親子飛行機ズヴェノーZ-6は、1935年8月に初飛行。子機ポリカルポフI-16戦闘機は、1933年12月30日初飛行、全幅9m、全長6.13 m、翼面積 14.5 m2、総重量 1,941 kgあったので、ツポレフTB-3重爆撃機(爆弾2,000kg)に2機懸架すると子機の揚力はあるとはいっても、過重量だったはずだ。しかし、1941年の独ソ戦では、ルーマニア爆撃、ドニエプル川架橋爆破に出撃し戦果を挙げたという。
Description English: Tupolev TB-3 heavy bomber destroyed at the Balti airfield. Picture taken after taking over of Balti by JG-77 Date 21 July 1941 Source http://aviadejavu.ru/Site/Arts/Art9581.htm Author Luftwaffe 3rd Reich
写真はWikimedia Commons, Category:Tupolev TB-3 File:Tupolev TB-3 heavy bomber destroyed at the Balti airfield. Picture taken after taking over of Balti by JG-77.jpg引用。


図(右)、ソ連、ツポレフ(Tupolev)TB-3四発爆撃機/輸送機の三面図
Description English: Tupolev TB-3 bomber Русский: Советский тяжёлый бомбардировщик ТБ-3 Date 26 December 2012, 09:00:50 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons, Category:Tupolev TB-3 File:Tupoljev TB-3.svg引用。


ツポレフ TB-3(ANT-6)Tupolev ТБ-3)四発爆撃機は、アンドレイ・ツポレフ技師の設計になり、試作機は1930年12月22日に初飛行した。TB-3は、ドイツのユンカースG24双発機やG 38四発輸送機と同じく波板コルゲート構造の外板を採用している。胴体も直方体形状で類似している。

TB-3 は大祖国戦争の緒戦で、親子爆撃機および輸送機として使用された。1938年までに818機が量産された。ツポレフTB-3 は大祖国戦争の緒戦で、爆弾を搭載したI-16戦闘機2機を懸架運搬する親子爆撃機として、実戦投入された。生産機数は、1938年までに818機もが量産されている。

ツポレフ TB-3(ANT-6)Tupolev ТБ-3)四発爆撃機の諸元
搭乗員:8名
全幅:39.5 m
全長:24.4 m
全高:8.47 m
最大離陸重量:17,200kg
エンジン:M-17F (B.M.W)液冷12気筒V型 715hpx4
最大速度:197 km/h
実用上昇限度:3,800 m
航続距離:1,350km
武装:機関銃x4, 爆弾2,000kg

写真(右)1939年頃、フィンランド、冬戦争で撃墜されたソ連空軍ツポレフ (De Havilland)SB 2M爆撃機と検分するスウェーデン義勇兵:第二次世界大戦の勃発3か月後、1939年11月30日、ソ連とフィンランドが戦う冬戦争が始まった。その時、隣国フィンランドを守るために、スウェーデン義勇兵が馳せ参じた。ソ連空軍SB高速爆撃機、1934年10月7日に初飛行、乗客:8名、全長12,27m、全幅20,33 m、翼面積51,95m²、空虚重量4,768kg、全備重量6,308 kgkg、発動機クリーモフ(Klimov) M-103 液冷V12気筒エンジン960 hp (716 kW)2基、最高速力450 km、航続距離2,300km、上昇限度9500 m、7.62mm ShKAS機関銃4丁、爆弾搭載量500 kg。1936年 - 1941年に6,945機製造。独ソ戦の初期の主力爆撃機だったが、1942年には退役。中国空軍が1937年の日中戦争勃発時にSB-2M爆撃機60機を貸与し、その後の中国空軍主力爆撃機となった。チェコスロバキア空軍は、ドイツとの戦争を意識し1938年にSB爆撃機60機を購入した。フィンランド空軍は、1939-1940年の対ソ連冬戦争でSB爆撃機8機を鹵獲し使用した。
Svenska: 19. flygflottiljen. SB-2 (nedskjuten av Fänrik Theler) Source National Archives of Sweden wikidata:Q1724971 https://sok.riksarkivet.se/arkiv/nkz2OIsjOAL2jz3lt8MhU1
写真はCategory:Tupolev SB File:Svenska frivilligflottiljen i finland SB2 (cropped).jpg引用。


写真(右)1939年頃、ソ連、ソ連空軍ツポレフ (De Havilland)SB 2M爆撃機:1934年10月7日に初飛行、乗客:8名、全長12,27m、全幅20,33 m、翼面積51,95m²、空虚重量4,768kg、全備重量6,308 kgkg、発動機クリーモフ(Klimov) M-103 液冷V12気筒エンジン960 hp (716 kW)2基、最高速力450 km、航続距離2,300km、上昇限度9500 m、7.62mm ShKAS機関銃4丁、爆弾搭載量500 kg。1936年 - 1941年に6,945機製造。独ソ戦の初期の主力爆撃機だったが、1942年には退役。中国空軍が1937年の日中戦争勃発時にSB-2M爆撃機60機を貸与し、その後の中国空軍主力爆撃機となった。チェコスロバキア空軍は、ドイツとの戦争を意識し1938年にSB爆撃機60機を購入した。フィンランド空軍は、1939-1940年の対ソ連冬戦争でSB爆撃機8機を鹵獲し使用した。
Tupolev, SB Manufacturer: Tupolev Designation: SB Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, SB, USSR
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00089058 引用。



写真(上)1933年5月以降、ドイツ、開放式コックピットのハインケル(Heinkel)He-51戦闘機試作1号機(登録コード:D-ILGY)
;1933年5月に初飛行。既に1月末にヒトラー政権が成立していたので、国籍マークは、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のナチ党のカギ十字スワスチカを付けている。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_007348 - Title:Heinkel He 51 First prototype Nowarra Collection - Filename:16_007348.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168630引用。



写真(上)1936年4月,ドイツ空軍第134戦闘航空団(Jagdgeschwader)"ホルストヴェッセル(Horst Wessel)" (JG 134)を閲兵するアドルフ・ヒトラー総統,ヘルマン・ゲーリング空軍大臣
;1935年にドイツ空軍を復活させたヒトラーは、第一次大戦のエースパイロット,航空大臣ゲーリングを空軍大臣とし,ルフルトハンザ航空出身のエルハルト・ミルヒ(Erhard Milch)中将(左端)を航空省次官とした。右端は,突撃隊SA隊長(粛清されたレームの後任)ヴィクトール・ルッツェで,軍と突撃隊との宥和を演出する。左の機首は,BMW VI12気筒V型液冷エンジン492 kW (660馬力)を搭載したアラド(Arado)Ar 68 F複葉戦闘で,ハインケルHe-51戦闘機同様、スペイン内戦にも派遣された。
Übergabe des Jagdgeschwaders "Horst Wessel" (JG 134), vlnr: Generalleutnant Erhard Milch, General der Flieger Hermann Göring, Adolf Hitler, SA-Stabschef Viktor Lutze Dating: April 1936 ca.
ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・Bild_146-2005-0191引用(他引用不許可)。


独逸

軍用機の製作は一昨年の空軍再建以来の事実であるから、列強の水準に達し居るやは疑問であるが、工業技術の発達、特に民用機の製造技術より観るとき、列強を凌駕するの日遠からざるを想わしむるものがある。而して飛行製作会社は大小合せて二十四個であって、特にハインケル、ユンカース、ドルニエー等は最も大規模のものである。その生産力は米国側の観測に従えば、月製一〇〇〇機以上で、戦時二五〇〇機に拡張し得る設備ありとしている。

写真(右)1936年、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do 19V-1重爆撃機試作1号機:1936年10月28日に初飛行し1938年には輸送機に改造された。生産機数3機のみ。全幅35.0m、全長 25.4 m、翼面積 162 m2、自重 11,865kg、全備重量 18,500 kg、発動機 BMW 132空冷倒立9気筒エンジン604 kW (810 hp)4基、最高速力 315 km/h、航続距離1,600 km、乗員10名。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46170090 - Title:Dornier Do 19V-1 with 4 BMW 132 1936 Nowarra Collection - Filename:16_007464.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives Catalog:16_007464 -引用。


写真(右)1936年、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do 19V-1重爆撃機試作1号機:ドイツ空軍参謀部長ヴァルター・ヴェーファー中将は、長距離戦略爆撃機を保有すること重要性を認識し、「ウラル爆撃機計画」の一環として、四発重爆撃機の開発を各社に打診した。そして、ドルニエではDo-19を1936年10月28日に初飛行させた。しかし、ヴェーバーの事故死で、ウラル爆撃機計画は放棄され、生産機数3機で終わった。全幅35.0m、全長 25.4 m、翼面積 162 m2、自重 11,865kg、全備重量 18,500 kg、発動機 BMW 132空冷倒立9気筒エンジン604 kW (810 hp)4基、最高速力 315 km/h、航続距離1,600 km、乗員10名。
English: The Dornier Do 19 bomber in flight. Date circa 1938 Source Flightglobal 28 December 1939 - 1654.html Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 19 File:Dornier Do 19 in flight c1938.JPG引用。


写真(右)1938年、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do 19V-1重爆撃機試作1号機:初代ドイツ空軍参謀長ヴァルター・ヴェーファー(Walther Wever)中将の推進した長距離戦略爆撃機「ウラル爆撃機」として開発され、1936年10月28日に初飛行した。しかし、ヴェーファー空軍参謀長は、1936年6月3日、ハインケルHe 70高速輸送機の操縦中に墜落死したため、ドイツ空軍は、従来の第一線で活躍する戦術爆撃機の開発に専念することになった。生産機数3機み。
The German Dornier Do 19 bomber prototype in flight, circa in 1938. Date circa 1938 Source Strategy for Defeat: The Luftwaffe 1933-1945 photo [1] Author Unknown author
写真はCategory:Dornier Do 19He 70の設計を流用し File:Dornier Do 19 bomber in flight c1938.jpg引用。


写真(右)1937年-1939年前半,ドイツ、舗装飛行場に待機するドイツ・ルフトハンザ航空ハインケル(Heinkel)He 116 V1試作1号機(D-AJIE):1936年12月9日初飛行、ルフトハンザ航空で「シュレジエン」と命名され試験飛行したが、民間輸送機としては採用されなかった。しかし、「リューベック」と再命名され、ドイツ=南米を結ぶ郵便機として使われた。1935年までは、ドイツ伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために取りやめになった。
Perma_000180 Permann Collection Perman collection Image Heinkel He 116 V1 --Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum It is the far more unusual Heinkel He 116 V1 which had made its first flight on 9 Dec 1936. It was painted in Lufthansa colors and named Schlesien during its testing, but was never used by the airline but tested as a long range postal delivery aircraft to/from South America now renamed as Lübeck.
写真は,SDASM Archives引用。


写真(右)1939年9月の第二次大戦勃発前、ドイツ、飛行機格納庫前に引き出されたハインケル(Heinkel)He 116偵察機:He 70の設計を流用し1936年12月9日に初飛行し1938年までに郵便輸送機として14機が生産された。全幅 22,00 m、全長 13,70 m、翼面積 62,90 m2、自重 4220kg、全備重量 7046 kg、発動機 ヒルト(Hirth) HM 508空冷倒立8気筒エンジン240 PS (177 kW) 排気量7.97L 4基、最高速力 325 km/h、航続距離 4,100 km、乗員4名。第二次大戦中は、ドイツ空軍で偵察機として使用された。
Myhra_00637 David Myhra Collection Image HE 116 Mototype A Vi D-Ajie-- Please do not use this photo without permission. --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons Category:Heinkel He 116 引用。


写真(右)1939年9月の第二次大戦勃発後、ドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 116偵察機:He 70の設計を流用し1936年12月9日に初飛行し1938年までに郵便輸送機として14機が生産された。全幅 22,00 m、全長 13,70 m、翼面積 62,90 m2、自重 4220kg、全備重量 7046 kg、発動機 ヒルト(Hirth) HM 508空冷倒立8気筒エンジン240 PS (177 kW) 排気量7.97L 4基、最高速力 325 km/h、航続距離 4,100 km、乗員4名。第二次大戦中は、ドイツ空軍で偵察機として使用された。
Deutsch: He 116 Date 18 April 2013 Source Image rights owned by the San Diego Air & Space Museum, which has released the image with no known copyright restrictions. Author San Diego Air & Space Museum
写真はWikimedia Commons Category:Heinkel He 116 File:He 116 2013.jpg引用。


写真(右)1940年頃,ドイツ、舗装飛行場に待機するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 116 B偵察機:長距離て偵察機として軍用化されたが、小型だったた上に、発動機のヒルト HM 508C 空冷倒立V型8気筒エンジンが182 kW (244 hp)と低出力だったために、低速、搭載量不足となり、偵察機としては量産されなかった。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43936133 - Catalog:16_005303 - Title:Heinkel He 116B Nowarra photo - Filename:16_005303.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives引用。


写真(右)1938年10月以降,ドイツ、舗装滑走路でエンジンを駆動するブロム=フォスBV-142輸送機:ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa)航空で大西洋横断郵便事業用に開発された長距離機で、双尾翼式で、主翼は軽い逆ガル構造。発動機はユンカースJu-52/3mと同じBMW 132H空冷星型9気筒エンジン655 kW (880 hp)4基を搭載。ブロム=フォス(Blohm & Voss)BV-142試作機は、V1, V2, V3,V4の4機が完成、1938年10月11日に初飛行。しかし、第二次大戦が勃発し、量産はされなかった。
Blohm & Voss BV-142 Catalog #: 00075863_Blohm & VossDesignation_ BV-142
写真は,SDASM Archives引用。


写真(右)1938年10月以降,ドイツ、飛行中に着陸態勢に入ったブロム=フォスBV-142輸送機:フラップが下がって、降下姿勢にあることがわかる。ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa)航空で短期間、ブロム=フォス(Blohm & Voss)BV-142を航空便輸送に使用したが、1939年9月1日に第二次世界大戦が勃発し、民間輸送機としての開発は中止になった。
ブロム=フォス(Blohm & Voss)BV-142V3 とV4は、占領したデンマークを基地として、特別任務部隊KGr.(Kampfgruppe)z.b.V. 105にユンカース(Junkers)G 38巨人輸送機とともに配備され、フル装備の兵士30名を4,000 km (2,490 mi)運び、ノルウェー侵攻に参加した。しかし、ブロム=フォス(Blohm & Voss)BV-142V3 とV4はの最後はわかっていない。のちに試作1号機V1と試作2号機V2は、ヘンシェル(Henschel)GT 1200C誘導魚雷を搭載する計画があったが、これは実現困難と判断され、計画はキャンセルとなった。
Blohm & Voss BV-142 Catalog #: 00075864 Manufacturer: Blohm & Voss Designation: BV-142
写真は,SDASM Archives引用。


写真(右)1940年頃,ドイツ、舗装飛行場に待機するドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa)航空ブロム=フォスBV-142輸送機「カルトル」"KASTOR" (製造番号c/n 219, 登録コード D-ABUV):ドイツ・ルフトハンザ航空用の民間航空便輸送機で、ダブルタイヤの引込み式ゴム主輪、BMW空冷星形9気筒エンジン4基、3翅金属製プロペラ、しかし、ブロム=フォス(Blohm & Voss)BV-142は、期待されたほど性能を発揮できず、哨戒機としても量産はされなかった。
Blohm & Voss BV-142 Catalog #: 00075865 Manufacturer: Blohm & Voss Designation: BV-142
写真は,SDASM Archives引用。


写真(右)1940年頃,ドイツ、舗装飛行場に待機するドイツ空軍ブロム=フォスBV 142 V2/U1偵察機:ドイツ・ルフトハンザ航空用の民間機を改造、兵装を施して、最高速力375 km/h、航続距離3,900 kmの長距離海上哨戒機として、大西洋上の哨戒任務に就いた。ブロム=フォス(Blohm & Voss)BV-142偵察機は、防御用火力として 7.92 mm MG 15旋回機関銃を機首に1挺、後上方に左右各1挺合計2挺、下方1挺、後上方動力回転銃座2挺 を装備した。しかし、ブロム=フォス(Blohm & Voss)BV-142は期待されたほど性能を発揮できず、哨戒機としても量産はされなかった。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43933124 - Catalog:16_005058 - Title:Blohm & Voss Bv 142V-2 Nowarra photo - Filename:16_005058.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives引用。


写真(右)1940年10月,フランス,待機整備中のブロム=フォスBV 142 V2/U1偵察機:試作としてV1, V2, V3,V4の4機のみ生産され,郵便配達に使用されていたが,第二次大戦の勃発によって,民間機としての開発は中止されて、軍用仕様の長距離哨戒機が試作された。
ブロム=フォスBV-142諸元
全長: 20.5メートル,全幅: 29.5メートル,翼面積: 130平方メートル
自量: 1.1トン,全備重量 1.65トン,乗員5人
エンジン BMWS132空冷 9気筒 880馬力4基,燃料: 6560リットル
最高時速: 375キロ,巡航速度: 325キロ,航続距離: 3,900キロ
実用上昇限度: 9,000 メートル,上昇率: 6.70メートル/秒
武装:7.92ミリMG15機銃5丁,爆弾:100キロ爆弾4発または50キロ爆弾8発
1938年10月初飛行,試作4機のみ。
Frankreich.- Feldflugplatz, Wartung eines Flugzeugs Blohm & Voss BV 142; KBK Lw5 Dating: Oktober 1940 Photographer: Ritter撮影。 Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


伊国

空軍省に研究実験局があって、航空技術及び航空工業を統轄指導している。航空器材は空軍大臣監督の下に民間会社に製造せしむるとともに、一方国家総動員の見地より国防最高会議隷下にある工業監察官をしてこれが製作を監察せしめている。昭和八年(一九三三年)一月ムッソリーニ首相空軍大臣を兼摂するや、航空器材の自給自足は国防上における最重要事項であると為し、優秀なる自国発動機を産出せんが為め、航空総監督部を創設するとともに、各種の方面に奨励保護を行ったので、現今に於ては国産発動機として優秀なるものを産出するに至った。研究機関としては研究実験局があって、理論実験のみならず試作研究をも実施している。飛行機製作会社は十五個あり、中カプローニ、サボイア、フィアット、ブレダ等は大規模であって、社名機は伊国を代表している優秀機に属するものである。

写真(右)1930年代、イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti) S.M.73輸送機:1934年7月4日に初飛行し48機が生産された。1935年にはベルギー・サベナ航空が5機を購入、イタリア空軍も制式した。1938年までに535機が生産された。エチオピア侵攻サ悪銭に投入された。第二次世界大戦時には旧式化していたため、輸送任務に従事した。
全幅 24,00m
全長 18,37 m
翼面積 92,20 m2
自重 7300 kg
全備重量 10.800 kg
発動機 ヒルト(Alfa Romeo ) 126 RC.10空冷星形8気筒エンジン800 PS (ca. 590 kW) 3基
最高速力 325 km/h
航続距離 1000km
乗員4名、乗客18名。
Description Italiano: Savoia-Marchetti SM.73 Date before 1950 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons Category:Savoia-Marchetti S.73 File:Savoia-Marchetti SM.73.jpg引用。




写真(右)1930年代、スペイン、スペイン・ファシスト政府(国民戦線)空軍のサヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti) S.M.81ピピストレッロ(Pipistrello)「コウモリ」爆撃機:1934年2月8日に初飛行し534機が生産された。
乗員: 6 名 全長: 18.3 m 全幅: 24 m 全高: 4.3 m 翼面積: 92.2 m2 空虚重量: 6,800 kg 全備重量: 9,300 kg 最大離陸重量: 10,505 kg 発動機: ピアッジョ P.X RC.15 (またはアルファロメオ 125 RC.35、同126 RC.34、ノーム・ローヌ 14K) 空冷星型 670 hp × 3 最高速力: 320-347 km/h 巡航速力: 260 km/h 航続距離: 2,000 km(移動時)、1,500 km(作戦時) 上昇限度: 7,000 m 翼面荷重: 101 kg/m2 武装: 7.7 mmブレダ(534機)機銃 × 6 爆装: 2,000 kg。
Italiano: Savoia Marchetti SM.81 sorvolo in Spagna Date before 1945 Source https://www.facebook.com/alieuominiit-385021521652120/ Author Unknown author
写真はWikimedia Commons Category:Savoia-Marchetti SM.81 Pipistrello File:Savoia Marchetti S.81 in Spagna.jpg引用。


米国

陸、海、商務各省に航空局があって各々技術関係事項を統轄し、飛行機は民間会社に注文する制度である。米国の航空工業は民間航空工業の飛躍的進展により急速なる発達を遂げ、世界に覇を唱えている状態である。飛行機会社は大小を合して八三個あり、中マーチン、ボーイング、ベランカ、フェヤチャイルド、ダグラス、カーチス等は代表的なものである。年製機数は民用機のみにても次の如くである

▲大正八年(一九一九年)六六二機
▲昭和四年(一九二九年)六一九三機
▲昭和五年(一九三〇年)三四三七機(世界不況のため減少)
▲昭和八年(一九三三年)一三二四機


写真(右)1935年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発輸送機「オークランド市」
:初飛行は、1932年2月16日。全幅 70 ft 6 in (21.49 m)、全長 44 ft 9 in (13.64 m)、翼面積 70 ft 6 in (21.49 m) m2、自重 9,681 lb (4,391 kg)、離昇重量 14,700 lb (6,668 kg)、 発動機ライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒775 hp (578 kW)2基、最高速力 213 mph (343 km/h, 185 kn)、航続距離 1,240 mi (2,000 km, 1,080 nmi)、乗員3名。 0.30 in (7.62 mm) ブローニング機関銃3丁、爆弾 2,260 lb (1,025 kg)。1940年までに348機量産。
Description Martin B-10 to carry the air mail. Date 12 March 2010, 10:08 Source MartinB-10cityofoak Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons Category:Martin B-10 File:MartinB-10cityofoak (4427708226).jpg引用。



写真(上)1935年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第25爆撃戦隊マーチン(Martin)B-10双発輸送機

English: 25th Bombardment Squadron B-10s Date 1935 Source USAF Author US Air Force Museum
写真はWikimedia Commons Category:Martin B-10 File:25th Bombardment Squadron B-10s.jpg引用。


写真(右):2018年5月3日、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the United States Air Force)に世界中でただ1機のみ展示されているマーチン(Martin)139WAA爆撃機:マーチンB-10爆撃機輸出仕様(マーチン(Martin)139)は、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the United States Air Force)に世界中でただ1機のみ展示されている。このマーチン爆撃機はB-10輸出仕様の139Wで、1938年にアルゼンチンに売却された機体の1機である。アルゼンチン政府はアメリカからの要請に応じ、親睦のために、1970年にマーチン139W爆撃機をアメリカ空軍国立博物館に展示用にアメリカ政府に贈与した。
Description Photo ref; Nikon-D80-2018-DSC_0222 (Edited) Date 3 May 2018, 15:00 Source Martin B-10, National Museum of the US Air Force, Dayton, Ohio, USA. Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons, Category:Martin B-10 File:Martin B-10, National Museum of the US Air Force, Dayton, Ohio, USA. (42956496360).jpg引用。


アメリカ陸軍航空隊のほか、
アルゼンチン陸軍航空部隊が、22機の139WAAを受領した。アルゼンチン海軍航空隊も12機の139WAN、1機の139WAを受領した。
オランダ空軍が、1936年12月から13機のマーチン139WH-1を、1938年に26機のマーチン139WH-2を購入し、1940年3月までにマーチン166を含めて合計121機がオランダ向けに生産された。植民地の東インドで使用された。
シャム(タイ王国)空軍が、1937年に6機の139Wを1937年4月に受領、 1940‐1941年の対フランス戦争、タイ・仏印戦争に投入された。1942年、日本から蘭印で鹵獲した9機のオランダ受領マーチン139が貸与され、1949年まで使用された。
中華民国空が、1936-1937年に6機のM-139WC-1と3機のM-139C-2、合計9機のマーチン139を輸入し、対日戦に投入した。
トルコ空軍が1937年に20機のマーチン139Wを受領した。

写真(右)1936-1940年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第88偵察戦隊ダグラス(Douglas)B-18 ボロ(Bolo)双発爆撃機:初飛行は、1936年4月。全幅 89 ft 6 in (27.28 m)、全長 57 ft 10 in (17.63 m)、翼面積 89.1 m2、自重 16,320 lb (7,403 kg)、総重量 24,000 lb (10,886 kg)、 発動機 ライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒1,000 hp (750 kW)2基、最高速力 216 mph (348 km/h, 188 kn)、航続距離 900 mi (1,400 km, 780 nmi)、乗員6名。 0.30 in (7.62 mm) ブローニング機関銃3丁、爆弾 2,000 lb (910 kg) 。1939年までに351機量産。
English: Douglas B-18 of the 88th Reconnaissance Squadron Source US Goverment
写真はWikimedia Commons Category:Douglas B-18 Bolo File:Douglas B-18 061128-F-1234S-010.jpg引用。


写真(右)1936-1940年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第3爆撃飛行隊ダグラス(Douglas)B-18 ボロ(Bolo)双発爆撃機:飛行場滑走内で着陸停止することができず、滑走路をオーバーランしてした状態で停止している。
Description Douglas B-18 of the 3rd Bomb Group (BC 20) after over-running the runway Source www.nationalmuseum .af.mil Permission (Reusing this file) US Goverment
写真はWikimedia Commons Category:Douglas B-18 Bolo File:3d Bombardment Group Douglas B-18 Bolo.jpg引用。


飛行機の輸出は大戦間欧洲列強に対し実施したのを始めとし、大正五年(一九一六年)には二六九機昭和八年(一九三三年)四〇六機の多きに達した。航空技術は航空事業が殷盛となるに従い著しく進歩し、昭和九年(一九三四年)にはソ聯邦航空視察団が渡米して米国軍用機多数を購入し、昭和十年(一九三五年)には仏国よりも技術者渡米し軍用機を購入する等今や米国の製作技術は列強をリードしあるの観があって、特に豊富なる資力を以てする多量製産は勢い実験的研究の歩を進め、逐年性能優秀なる飛行機を製作しある状況である。


写真(上)1937年10月、アメリカ、オハイオ州クリーブランド(Cleveland)飛行場、アメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)
:試作機1機のみ。XB-15の厚い主翼の中には通路があり、エンジン点検が可能だった。また、自動操縦装置を搭載し長距離飛行を容易にした。 XB-15 (Boeing 294)は、1934年から開発が始まり1937年10月15日に初飛行。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46702046 - Catalog:16_007752 - Title:Boeing XB-15 35-277 Cleveland 1937 - Filename:16_007752.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM ArchivesSDASM Archives  Catalog:16_007752 引用。



写真(上)1937年10月、アメリカ、オハイオ州クリーブランド(Cleveland)飛行場、アメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26ピーシューター(Peashooter)戦闘機
:ボーイングXB-15は全幅 149 ft 0 in (45.43 m)、全長87 ft 7 in (26.70 m)、翼面積 258.4 m2、自重 37,709 lb (17,141 kg)、離昇重量 70,706 lb (32,139 kg)、発動機 Pratt & Whitney R-1830空冷星形14気筒エンジン850 hp(634 kW)4基、最高速力 197 mph (317 km/h, 171 kn)、航続距離 5,130 mi (8,260 km, 4,460 nmi)、乗員10名。 0.30 in (7.62 mm) M1919ブローニング機関銃3丁、0.50 in (12.7 mm) M2 ブローニング3機関銃2丁、爆弾 12,000 lb (5,400 kg)。試作機1機のみ。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46702034 - Catalog:16_007751 - Title:Boeing XB-15 35-277 2BG Peter Bowers Collection - Filename:16_007751.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these image
写真は  Catalog:16_007751 引用。


写真(右)1937年10月以降、アメリカ、1937年10月15日に初飛行したメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26戦闘機
Boeing XB-15 with Boeing P-26 From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives 引用。



写真(上)1937年10月以降、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26ピーシューター(Peashooter)戦闘機
: XB-15 (Boeing 294)は、1934年から開発が始まり1937年10月15日に初飛行。ボーイングP-26の初飛行は1932年3月20日、プラット・アンド・ホイットニー P&W R1340空冷星形9気筒エンジン542 hp (404 kW)、最高速力377 km/h、7.62 mm ブローニング M1918機関銃2丁、生産数162機。
Boeing XB-15 with P-26 PictionID:40972044 - Title:Boeing XB-15 with P-26 - Filename:15_002709.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."----PLEASE TAG this image with any information you know about it, so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives Catalog:15_002709 -引用。


之を要するに列強の航空技術は各々特徴を有し直に優劣を論することは困難であるが、これが進歩向上を図るため、官民一致努力を傾注しあることは、列強その軌を一にしている。併し乍らこれが方法としては

1、理論、実験共に大規模の中央研究機関を設け、技術の研究進歩を図ると共に、優秀なる技術者を養成するに努めあること。
2、軍民需要数並に外国輸出の増加を図り、多量製産、機種更新に因り、又は多額の研究試作費を投じ、以て製造会社の自発的研究を促進すること。
3、研究機関と審査機関とを分離し一流の権威技術の向上を図ること。

等であって、何れも国情により適切なる方策を採用している。

航空工業においては、製作会社の数が必ずしもその実勢力を現しているものではない。仏国の例に観るも必要以上に増加したものはこれを合同統制するのでなければ、これが培養強化を困難ならしむるものであって、小会社を多数簇生せしむることは、財政豊でない国家にあって、却て有害無益であって、寧ろ必要最小限度の大規模の会社に限定し、これを強化する方が有利であるとされている。又航空工業の製産能力を国家総動員の見地から戦時の要求に合致せしむるため、民用航空の進展により飛行機の需要を促進し、戦時能力を保持せしめることが極めて重要であって、列強が大戦後採用した航空政策の基調は此処に存しているのである。

満州日日新聞 1937.3.26(昭和12)「目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦」引用おわり。


⇒写真集Album:支那事変と欧州戦を繞る日米の関係/米の極東対日攻勢を見る。 

⇒写真集Album:第二次大戦前のイギリス・ドイツ・フランス・ソ連の航空機の発達を見る。

⇒写真集Album:目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦を見る。 

⇒写真集:欧洲大戦に於ける空軍の活躍と燃料を見る。


3.フィンランド軍のブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))

フィンランド軍は、ブレダ1916/1935年式76ミリ海軍砲を輸入し、ブレダ1916/1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))と命名して使用した。つまり、フィンランド軍のブレダ1916/1935年式76ミリ高射砲の原型は、イギリス海軍用に開発されたアームストロング1916年式76ミリ両用砲(76 mm Armstrong Model 1916)砲である。ここで、フィンランド軍は、ブレダ76ミリ高射砲と呼称したが、イタリアにおける本砲のライセンス生産は、アンサルド (Ansaldo)社が担当しており、フィンランドの命名に「ブレダ」とした理由は、改良型や輸出仲介にブレダ社がかかわったためにであろうか。

写真(右)1942年1月24日、フィンランド、フィンラン軍第2対空部隊(2.Rask.It.Ptri)のイタリア製ブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))と冬季白色迷彩塗装のコートを着た7人のフィンランド軍の対空要員の兵士たち:対空陣地の兵士は冬季白色迷彩塗装の外套を着ている。
Ilmatorjuntatykki valmiina antamaan tulta. Kuvassa italialainen raskas ilmatorjunta kanuuna 76 ItK 16/35 BrK (Breda).
Content Type Photo
Organisation Military Museum
Photo info 1942-01-24
Sot.virk. H. Roivainen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-90140引用。


ブレダ1916/1935年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)諸元

設計Designed 1893年
製造所Manufacturer Ansaldo
生産開始Produced 1916年
改良型Cannone da 76/40 modificata 35
重量Mass 510 kg (1,120 lb)
全長Length 3.13 m (10 ft 3 in)
砲身長Barrel length 3 m (9 ft 10 in) 40口径
操作要員Crew 7人
弾薬Shell Fixed QF 76.2 x 420mm R
弾薬重量Shell weight 5.6–6.5 kg (12–14 ポンド)
口径Caliber 76.2 millimeters (3.00 インチ)
仰角Elevation Cannone da 76/40 C.A.: -6° to +81°
旋回Traverse 360°
発射速度Rate of fire 毎分12-15 rpm
砲口初速Muzzle velocity 680 m/s (2,200 ft/s)
有効射程Effective firing range 10.7 km (6.6 mi) /仰角 +40°
射程距離 5.8 km (19,000 ft) / +70°
対空射撃高度4.8 km (16,000 ft) AA ceiling

1934年式46口径75ミリ対空高射砲(Cannone da 75/46 C.A. modello 34)の諸元
Modello 34: 226門
Modello 40: 45門
総重量(牽引時): 4,405 kg (9,711 lb)
総重量(戦闘時): 3,300 kg (7,300 lb)
砲身長Barrel length 3.45 m (11 ft 4 in) L/46
全幅Width 1.8 m (5 ft 11 in)
全高Height 3.45 m (11 ft 4 in)
弾薬: 75 x 580 mmR
弾薬重量:6.5 kg (14 lb 5 oz) (HE)
口径Caliber 75 mm (3.0 in)
牽引方法Carriage:外装二輪着脱式
仰角Elevation –2° to +90°
旋回核Traverse 360°
砲口初速Muzzle velocity 750 m/s (2,500 ft/s)
最大射程Maximum firing range 13,000 m (43,000 ft)
最大射高8,500 metres (27,900 ft)

写真(右)1944年4月25日、フィンランド、第31対空砲台(31.Rask.It.Ptri: )、フィンラン軍のイタリア製1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda)):イタリアの1934年式46口径75ミリ海軍砲(Cannone da 75/46)を購入したフィンランド軍は、ブレダ1916/1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))と命名して使用した。
31.Rask.It.Ptri: Tykin (m/Breda) miehistö tehtävissään. Kuvassa italialainen raskas modernisoitu ilmatorjunt akanuuna vuodelta 1935, 76 ItK/16-35 (Breda).
Aineistotyyppi Valokuva
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot 1944-04-25
Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-131938引用。


フィンランド軍は、イタリア製ブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))の形式名称を使たが、この海軍砲(両用砲)の原型は、イギリスの速射砲QF 12ポンド 12cwt海軍砲(QF 12 pounder 12 cwt naval gun)で、イギリス、アームストロング社の開発された艦載、沿岸砲台用の速射砲(発射速度が速い)である。

フィンランド軍は、イタリア製ブレダ1935年式76ミリ高射砲は、檀頼、艦載用の海軍砲である。戦艦同士の砲撃戦に使用する大口径砲ではなく、76ミリ口径の小口径砲なので、敵の動きの速い(機動性の高い)駆逐艦、水雷艇などを小型艦艇を砲撃することを前提として速射砲である。

イギリスのアームストロング1916年式12ポンド 12cwt速射砲(76 mm Armstrong Model 1916)は、使いやすく、信頼性もあったために、第一次大戦中に飛行機が発達すると、対空戦闘用の高射砲としても用いられるようになった。

アームストロング12ポンド速射砲(QF 12-pounder 12 cwt naval gun)は旋回も仰角も人力駆動で、高速化した飛行機を追尾するのは困難になった。そのうえ、砲尾の閉鎖機は、斜鎖式尾栓で、発射速度も遅かった。しかし、軽量で、信頼性のある安価な砲火だったために、日本、イタリア、フィンランドでは、大戦末期まで第一線で使用され続けた。

アームストロング12ポンド速射砲(QF 12-pounder 12 cwt naval gun)を原型とした日本海軍の四十口径三年式八糎高角砲は、日中戦争、第二次世界大戦中には旧式化しており、特に射撃照準器や信管の設定が高速化した飛行機射撃には適さなかった。

写真(右)1944年4月25日、フィンランド、フィンラン軍第31対空部隊(31.Rask.It.Ptri)のイタリア製ブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda)):フィンランド軍は、ブレダ1916年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)原型とするブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))を購入し配備した。
31.Rask.It.Ptri: Ilmator juntatykin (m/Breda) miehistö suoralla suuntauksella ammuttaessa.
Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-04-25 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-131937引用。


1939/1940年、対ソビエト冬戦争では、フィンランドがイタリアからブレダ1935年式76ミリ高射砲(QF 12-pounder 12 cwt naval gunのイタリアライセンス生産)を購入したが、この高射砲は冬戦争には間に合わず、次の1941年対ソビエト継続戦争で、フィンランド軍が76 ItK 16/35 BrK (Breda)として実戦使用した。

フィンランド軍が1941年6月の継続戦争以降、実戦使用したイタリア製ブレダ1916年式40口径76ミリ海軍砲(76/40 Model 1916)は、イギリスの1893年式12ポンド速射砲(QF 12-pounder 12 cwt naval gun)を原型に、1987年に開発された火砲だった。イタリアでは、ブレダ社ではなく、アンサルド (Ansaldo)社が生産を担った。アンサルド (Ansaldo)は、1853年にイタリア人ジョヴァンニ・アンサルド (Giovanni Ansaldo) が北イタリア、ジェノヴァに設立した機械メーカーで、第一次世界大戦中には、1926年式50口径120ミリ海軍砲(Cannone da 120/50 Mod.1926)のような火砲、日本海軍の装甲巡洋艦「春日」「日進」のような艦艇を生産した。

写真(右)1944年4月25日、フィンランド、フィンラン軍第31対空部隊(31.Rask.It.Ptri)のイタリア製ブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))の水平方向の照準を定める射撃手:フィンランド軍は、ブレダ1916年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)原型とするブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))を購入し配備した。
31.Rask.It.Ptri: Ilmator juntatykin (m/Breda) miehistö suoralla suuntauksella ammuttaessa.
Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-04-25 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-131939引用。


イタリアの兵器メーカーBREDA(ブレダ)とは、ブレダ機械製作所、すなわちブレダ・メッカニカ・ブレシャーナ(Breda Meccanica Bresciana)のことで、イタリア北部、ロンバルディア州ブレシア(Brescia)県に本社が位置する。

ロンバルディア州ブレシアはイタリア有数の工業都市で、機械、製鉄が興隆し、中世以来、金属加工による武器製造が有名だったため、近代以降も兵器製造の拠点となっている。

写真(右)1944年4月25日、フィンランド、丸太で囲われた半地下式高射砲陣地、フィンラン軍第31対空部隊(31.Rask.It.Ptri)のイタリア製ブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))to 8人の対空要員:フィンランド軍は、ブレダ1916年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)原型とするブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))を購入し配備した。
31.Rask.It.Ptri: Ilmator juntatykin (m/Breda) miehistö suoralla suuntauksella ammuttaessa.
Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-04-25 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-131941引用。


航空機が高速で高空を飛行するようになると、地上から射撃する高射砲で撃墜するのは困難になった。特に三次元空間で砲弾を飛行機に直接命中させることは至難だったために、飛行機の近くで砲弾を破裂させその断片を周囲に拡散して飛行機を撃墜しようとした。そのために、発射された高射砲弾が空中で破裂するように信管を取り付けた。

写真(右)1944年4月25日、フィンランド、フィンラン軍第31対空部隊(31.Rask.It.Ptri)のイタリア製ブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda)):イタリアの1934年式46口径75ミリ対空高射砲(Cannone da 75/46)を購入したフィンランド軍は、ブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))と命名して使用した。
31.Rask.It.Ptri: Ilmator juntatykin (m/Breda) miehistö suoralla suuntauksella ammuttaessa.
Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-04-25 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-131942引用。


砲弾や爆弾に取り付けられた信管の作動方式は、時限信管、着発信管から電気式が中心だったが、第二次大戦中には電波式の近接信管がアメリカで実用化されている。また、地上に設置寸前の時に爆弾を爆発させて、地上の航空機や兵器を破壊するために、光学式信管も実用化されている。

飛行する航空機を地上の対空要因から眺めると、上下左右に移動しているように見えても、遠ざかったり、接近したりと、三次元の運動のために、その位置情報を正確に把握することは難しい。銃口初速が毎秒数百メートルとしても、数秒後には、飛行機は数十メートルは移動してしまっているので、その未来位置に弾丸を飛ばして命中させるのはさらに困難になる。

写真(右)フィンラン軍のイタリア製ブレダ1916/1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))の左側面にある仰角調整装置を操作する対空要員:イタリアの46口径75ミリ対空高射砲(Cannone da 75/46)を購入したフィンランド軍は、ブレダ1916/1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))と命名して使用した。
31.Rask.It.Ptri: Tykin (m/Breda) miehistö tehtävissään. Kuvassa italialainen raskas modernisoitu ilmatorjunt akanuuna vuodelta 1935, 76 ItK/16-35 (Breda).
Aineistotyyppi Valokuva
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot 1944-04-25
Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-131943引用。

弾丸は、直線ではなく、重力によって放物線の形状を飛行するために、直線目視し、未来予測した敵機の位置が計算できても、そこに放物線的な移動をする弾丸を飛ばして充てるのは至難の業である。

したがって、弾丸の銃口初速を高速化し、発射速度を増して、遠距離までできるだけ直線に近いほう移戦の弾道で対空砲弾を飛ばすことが重要になる。

1940年2月、フィンランドにイタリアから12門のブレダ1916年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)が到着した。フィンランド軍は、この海軍砲を、ブレダ1935年式76ミリ高射砲(76 ItK 16/35 BrK (Breda))と命名し沿岸砲あるいは対空高射砲として、陸上固定配備している。76-mm対空高射砲砲(76 ITC / 16-35 Br)が、1935年式というのは、ブレダ1916年式76 mm海軍砲を原型にブレダの技術者が改良した時の命名である。新しい火砲のように1935年式と名付け、輸出促進を図ったが、1916年式の原型とさして技術進歩は見られないようだ。

⇒写真集Album:ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)を見る。

⇒写真集Album:フィンランド軍の対空高射砲を見る。

⇒写真集Album:フィンランド軍の防空監視哨を見る。




2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ハンセン病Leprosy差別
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答

ポーランド侵攻:Invasion of Poland
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)

自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」

日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
ソ連赤軍T-34戦車ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov

フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車/Sd.Kfz. 231-6Rad六輪装甲車
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
ドイツ陸軍2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
VI号ティーガー重戦車
ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
V号パンター戦車
ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車

イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
イギリス陸軍コメット巡航戦車

アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機

ユンカース(Junkers)F.13輸送機
ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
ユンカース(Junkers)K43f水上機
巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
ユンカース(Junkers)G.31輸送機
ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
ハインケル(Heinkel)He111輸送機
ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機

フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"

フィンランド内戦:Finnish Civil War
フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
フィンランド軍の防空監視哨

ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇

ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 C/R/G夜間戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」

サヴォイア=マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機
サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
サヴォイア・マルケッティSM.82カングロ輸送機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.12/G.212三発輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
フィアット(Fiat)BR.20/イ式重爆撃機
サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84爆撃機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
ピアジオP.108重爆撃機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機

当時の状況に生きた方々からも、共感のお言葉、資料、映像などをいただくことができました。思い巡らすことしかできませんが、実体験を踏まえられたお言葉をいただけたことは、大変励みになりました。この場を借りて、御礼申し上げます。
◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただけますお方のご協力をいただきたく,お願い申し上げます。

ご意見等をお寄せ下さる際はご氏名,ご連絡先を明記してくださいますようお願い申し上げます。
連絡先: torikai007@yahoo.co.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
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