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◆アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank 写真(上)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のアメリカ陸軍M4シャーマン中戦車:Title: M-4 tank line, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35207 (digital file from original transparency) LC-USW361-171 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-171 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。

1.アメリカ陸軍 M3A スチュアート Stuart 軽戦車/M3リー中戦車

第二次大戦開戦当初、アメリカ陸軍の主力戦車はM3A軽戦車で、長砲身の37 mm戦車砲を装備、装甲も1.5インチ(38ミリ)と当時としては強力だった。重量14.7トン、全長 4.53m 装甲13-51ミリ、(0.52-2 インチ)、53.5口径37ミリ(1.45インチ) M5/M6戦車砲。1934年に飛行機用のコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル250馬力)あるいは星型空冷ディーゼルエンジンGuiberson Diesel T-1020 (9気筒250馬力)を搭載し、最高速度58km/h(36 mph)、航続距離 120km(74.5 mi)、 生産数 1万3,860輌。高い機動性を活かして、1944-1945年、ドイツ侵攻でも偵察任務についた。

アメリカ陸軍M3Aスチュアート軽戦車 M3リー/グラント中戦車は、75ミリ砲を装備できる大型砲塔搭載戦車の先行型として計画され、車体前面右側に、フランスのシュナイダー社75ミリ野砲を原型とする、36口径M2-75ミリ戦車砲(砲身長 2,700ミリ)1門を搭載。車体上部砲塔に53.5口径M3 37ミリ砲1門(砲身長 1,980ミリ)を搭載、対戦車能力も備えていた。

 M3グラント・リ^−中戦車の試作は1941年1月に完成、量産は1941年4月から開始。アメリカは、1941年12月まで第二次世界大戦参戦せず、中立だったが、武器貸与法Lend-Lease Act 1941)により、M3をイギリス陸軍にも供与した。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月までに6258輛が量産された。

 1942年8月から9月、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery "Monty" )の下に、エジプト西国境のエル・アラメインを起点に地雷と火砲で守られた堅固なボックス陣地を構築し、ドイツアフリカ軍団のエジプト侵攻を食い止めた。そして、密かに部隊を前線に集結させ、1942年10月23日、一斉攻勢を開始した。

アメリカ軍が北アフリカ戦に加わったのは、1942年11月8日のトーチ作戦Operation Torch)で、ドワイト・アイゼンハワーDwight D. Eisenhower)中将(大将昇格は1944年3月)指揮下の部隊が参戦してからである。ただし、それ以前からイギリス軍はアメリカ製の戦車を貸与されていたので、北アフリカのイギリス軍に配備していた。

 1942年8月18日、クルード・オーキンレック大将の後任として北アフリカ・エジプトのイギリス第8軍を指揮したバーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)は、エルウィン・ロンメルErwin Rommel)元帥隷下のドイツ・アフリカ軍団をエル=アラメインの戦いで敗退させ、1942年11月に55歳で大将に昇進。

1942年10月23日、エジプト・アレクサンドリアの西方、エル=アラメインで、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery "Monty" )中将は、ドイツ軍・イタリア軍への攻撃を開始。イギリス軍は、敵の2倍、すなわち戦車1000輌両(強力なM3グラント、M4シャーマン中戦車は500輌)をもち、火力、航空支援の下で優位に戦いを進めた。

 西側連合軍はエル=アラメインでの攻勢から2週間後の1942年11月8日、トーチ作戦を発動し、アメリカ軍とイギリス軍は、フランス領モロッコ、仏領アルジェリアの海岸に上陸、ドイツ軍とイタリア軍を挟撃した。1943年1月23日、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリー大将は、トリポリを占領、エルヴィン・ロンメル元帥隷下のアフリカ軍団Deutsches Afrikakorps)をリビアへ、そしてさらにチュニジア、チュニスに追いつめた。

アメリカ陸軍M3グラント/リー中戦車

 M3グラント中戦車が完成した頃、ソ連赤軍はT-34戦車を部隊配備していた。T-34の搭載砲は,76.2ミリ(3インチ)砲で,アメリカの75ミリ砲と同等だが、砲塔も車体周囲も傾斜装甲を施しており、避弾径始の効果が大きく,命中弾は横滑りして,貫通力が低下した。

ソ連赤軍のT-34戦車:T-26,T-70,KB-1,KB-2


2.アメリカ陸軍 M4 中戦車 シャーマン Sherman

写真(右)真横から見たアメリカ陸軍M4シャーマン Sherman戦車の記録写真 :。
Catalogue number: MH 7592, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: A side view of an M4 Sherman converted to a flamethrower tank. The additional armoured box on the hull rear containing the weapons fuel can be seen clearly. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (MH 7592)


 アメリカ陸軍M4シャーマン Sherman中戦車は、アメリカ参戦前の1940年夏に設計され、実戦投入は、1942年の北アフリカのエルアラメインにおける対ドイツ戦。出現当時は、ドイツ軍にM4シャーマン戦車を上回る対戦車戦闘能力を持った戦車はなかった。しかし、ドイツ軍戦車が短砲身ではなく長砲身43口径7.5センチ戦車砲を装備するようになり、さらに8.8センチ砲を装備するティーガー戦車を投入するに至って、M4シャーマン戦車の個別性能の優位性は崩れはじめた。しかし、個別能力を数的優位で補い、終戦まで活躍した。重量30トン 時速40キロ 航続距離193キロ、装甲80ミリ、乗員5人。機関の信頼性、乗員の居住性に優れていた上に、量産や整備のしやすさにも十分配慮されていた。

写真(右)斜め前から見たアメリカ陸軍M4シャーマンSherman戦車の記録写真 :砲塔上にアンテナを装備する場所、砲口にノズルを装着する場所が確認できる。車体前面には車載機銃の搭載場所も設けてある。
Catalogue number: MH 7593, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: A front view of an M4 Sherman converted to a flamethrowing tank. The blocked up main armament and flamethrower nozzle ( above the hull machine gun position ) can both be seen clearly. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (MH 7593)


アメリカ陸軍M4シャーマン Sherman中戦車の諸元
車体長:5.84 m (19.2 ft)
全幅:2.62 m (8 ft 7 in)
全高:2.67 m (8 ft 9 in)
重量:30.3 t
最高路上速度:38.6 km/h(整地)、19.3 km/h(不整地)
航続距離:193 km
主砲:37.5口径75mm戦車砲M3(90発)
車載機銃:砲塔上;12.7ミリ重機関銃M2×1(600発)、車体前面;7.62ミリ機関銃M1919×2(6,250発)
装甲:砲塔防盾:76 mm
砲塔:前面64-76 mm、側面50 mm、後面64 mm
車体:前面51 mm、側面38-45 mm、後面38.1 mm
エンジン:Continental R975 C4 4ストローク星型 9気筒空冷ガソリン400馬力
乗員:5 名

写真(右)斜め前から撮影したアメリカ製のM4シャーマン Sherman I 戦車:75ミリ戦車砲を搭載し,車体前面に車載機銃も装備している。砲塔や車体の側面に記される白い星の記章はペイントされていない。車体上面のハッチ二つは、とも開いた状態にある。
Catalogue number: MH 4377, Part of FIGHTING VEHICLES RESEARCH & DEVELOPMENT ESTABLISHMENT, CHERTSEY, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Object description: M4 Sherman I. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (MH 4377)


M4シャーマン中戦車は、M3グラント戦車の車体を利用し、そこに75mm砲を搭載する砲塔を付けた。M4シャーマン戦車は、日米開戦の直前の1941年10月の制式である。大量生産を考慮して、鋳造構造の車体のM4A1、板金溶接の車体のM4の2種類が同並行的に量産された。M4A1はアメリカ参戦直後の1942年2月から量産開始、M4は1942年7月から量産開始。

第二次大戦が1939年9月に勃発すると、アメリカは、1941年3月に武器貸与法に制定し、イギリスに対して、兵器から燃料・被覆など戦略物資を貸与、レンドリースを始めた。その際、ドイツ軍戦車を上回る大型強力な75ミリ戦車を搭載した戦車が望まれるようになった。

 しかし、当時のアメリカのM3スチュアート戦車は37ミリ砲を搭載するにすぎず、大型砲を全周旋回砲塔に搭載するには、新たな設計が必要だった。そこで、砲塔に75ミリ砲を搭載するM4シャーマン戦車が量産可能になるまで、車体に75mm砲を搭載したM3グラント戦車が量産され武器貸与法によってイギリスに渡されることになった。

 アメリカ軍が重装甲、大口径砲装備の重戦車を設計、量産できなかったのではない。参戦当時、アメリカにはLST(戦車揚陸艦)はなく、戦車のような重量物をクレーンで船倉に積載する設備に限りがあった。貨物船に装備された大型クレーンではたかだか重量10トンから20トン程度の貨物を吊り上げることしかできない。また、クレーンには、ウインチ(ワイヤー巻き上げ機)、モーター(油圧機)、吊り上げワイヤー、フック、カーゴブロック(滑車)も必要であり、その強度の上からも大重量の貨物は負荷大きく、備品を磨耗させるため、耐用年数も短縮させてしまう。

 また、当時の港湾に装備された大型クレーンでも、一般的には重量30トンの貨物扱う30トンクレーンであり、それが積み下ろしの限界であった。戦艦「大和」を艤装した呉海軍工廠もガントリークレーンを除けば、やはりコーワンズ&シェルドン製ジブクレーン30t×125ft(30トンクレーン)であった。つまり、クレーンCrane)施設が整っていない港湾も多く、30トン以上の戦車を迅速に陸揚げできない以上、重量40トンの戦車を開発しても、ヨーロッパやアジアで戦うイギリス軍やアメリカの遠征軍に運搬する手段が制限された。したがって、武器貸与法に基づいて外国に戦車を積出すことを考慮して、戦車の重量も30トン程度を限度と考えたのである。

写真(右)写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス(Ft. Knox)駐屯地のアメリカ陸軍M4シャーマン中戦車
Title: M-4 tank, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35224 (digital file from original transparency) Call Number: LC-USW36-190 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


第二次世界大戦勃発時の1939年の時点において、アメリカ陸軍の戦車は、M2軽戦車で、M2中戦車は、補助的存在だった。ドイツによるフランス侵攻が1940年5月に開始されたが、このころには、アメリカが中立で、参戦していないにもかかわらず、新型中戦車が戦略上必要と考えられるようになった。すぐに、武器貸与法Lend-Lease Act 1941)が制定され、イギリスに、そして独ソ戦開始後はソ連にも、戦車、軍用機、火器、自動車から燃料、被服まで、大量に貸与するようになった。

しかし当時の戦車で大口径の75 mm 砲を砲塔に搭載していたのは、ソ連赤軍の重戦車だけであり、アメリカ陸軍は、砲塔に当時の主力戦車砲37ミリを搭載し、車体に75ミリの大口径砲を搭載したM3リー/グラント中戦車を開発した。

そして、M3リー/グラント中戦車の75ミリ砲を砲塔式に装備したM4シャーマン中戦車が開発された。

M4シャーマン中戦車は、先行するM3中戦車の車体を活用して、そこに75 mm 砲をもつ大型砲塔を装備した戦車である。制式になったのは、1941年10月で、鋳造生産のM4Aと溶接車体のM4とがあった。

量産が開始されたのは、M4Aが1942年2月から、M4が1942年7月からで、ドイツ戦車のような多数の改造改良はなされず、後期型で搭載した戦車砲が長砲身の76.2ミリ砲に変換された程度である。

1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM4中戦車シャーマン:世界の有志が連合国の兵士として参加し自由のために戦っている、というプロパガンダをカラー写真で展開した。
Title: Tank crew standing in front of an M-4 tank, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35215 (digital file from original transparency) LC-USW361-180 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-180 [P&P]
写真はLibrary of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


wikipediaのM4シャーマン中戦車の項目で「多くの生産型が生み出される事となった」というのは、小改造のことであって、正確な表現ではない。M4戦車は、各社の要望にこたえるために、当初より多種のエンジンを搭載を考慮し、汎用性を高める車体設計となっていた。M4中戦車の大きな形式変更(生産型の変更)は、主砲変換の一回限りで、生産されたのは2つの型しかない。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のアメリカ陸軍M4シャーマン中戦車:イギリス、フランス、ロシアなど世界各国の戦車兵が訓練を受けている様子をカラープロパガンダ写真として撮影した。
Title: Tank crew standing in front of M-4 tank, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35225 (digital file from original transparency) LC-USW361-191 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-191 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


ヒトラーは,1941年6月に開始したソ連侵攻の前後に,卓上談話(『ヒトラーのテーブル・トーク1941-1944(上)』三交社,1994年)で,次のように述べている。

1942年1月23日ヒトラー卓上談話:「必要なのは思い切った行動である。----ユダヤ人は、ヨーロッパから消えてなくなるべきである。さもないと,われわれヨーロッパが相互理解に達しえなくなる。ユダヤ人は,何事にも障害となっている。
------だが,彼らが自由意志で出ていかなければ、絶滅があるだけだ。なぜユダヤ人をロシア人捕虜とは違ったものとしなければならないのか。捕虜収容所では,多くのものが死んでいる。それは私の責任ではない。戦争も捕虜収容所も私が望んだわけではない。ユダヤ人によって,この状況に追い込まれたのだ。


1941年9月23日ヒトラー卓上談話:「ドイツ世界とスラブ世界の間には,現時いつには境界がある。それをどこに引くかはわれわれが決めることだ。ドイツ世界を東方に拡張する権利がある。国家が自分の代表するものを認識しているから,権利があるのだ。成功すれば全て正当化される。これは,経験的にいえることだ。優秀な民族が狭苦しい土地に押し込められ,文明の名に値しないものどもが,世界でも有数の広大な肥沃な土地を占めているのは許しがたい。----強者が自らの意思を主張する,これが自然の掟だ。世界は常に変わらず,その法則に支配される。

1941年10月10日:「戦争は原始的な形態に戻ってきた。民族対民族の戦いは影をひそめ,広大な土地の所有権を巡る戦いが主流になってきた。----戦争は今日では,天然資源を求めて起こる。暗黙の掟によって,こうした資源は征服者のものとなる。----この絶え間のない闘争は自然淘汰の掟であり,最もふさわしい者だけが生き残る。

ヒトラーの第三帝国は,弱肉強食の掟を奉じ,弱いものを支配し,領土を拡張することで,強者たらんとする強烈な生存闘争の意思を持つ。1941年6月22日以降のドイツのソ連侵攻は,ユダヤ人など下等劣等人種殲滅戦争の第二段階だった。

既に,バルカンの戦いにおいて,1941年4月27日,「あらゆる抵抗が仮借ない厳格さで打ち砕かれること」と求める命令が出されていた。

ユダヤ人迫害の理由は,ユダヤ人が,ソ連共産党ボリシェビキの下で,政治的,経済的に優位にあった,現地のポーランド人,ウクライナ人を抑圧したという偏見だった。
ナチスドイツは,アーリア人の人種汚染,後方撹乱,共産主義革命,パルチザン活動に関与する下等劣等人種は全て排除するつもりだった。

東方ソ連に対しては,共産主義ボリシェビキが支配している地域として,その土地,資源,人民をドイツの支配下におこうとした。この手段が,ソ連侵攻バルバロッサ作戦である。

ソ連占領の目的は,東方ソ連をドイツの生存と繁栄のための生存圏とし,ボリシェビキを殲滅してドイツ第三帝国を千年安泰ならしめるためである。1941年クリスマスに側近に「こちらに力があればこそ,マルクス主義に最終決戦を仕掛けたのだから」と本心を覗かせている。 

1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM4中戦車シャーマン:75ミリ砲を装備した,当時の最新鋭戦車。
Title: M-4 tank crews of the United States, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35210 (digital file from original transparency) LC-USW361-175 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-175 [P&P]
写真はLibrary of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


M4 シャーマン Sherman V (OP)戦車諸元
設計:1942年、生産期間:1942年5月−1943年9月、生産台数:7,499両
重量:31.6 トン、全長:6.05 m、全幅:2.62 m、全高:2.74 m
装甲:最大76 mm、乗員:5名
兵装:40口径75 mm M3 L/40砲 (搭載砲弾数90発)
車載機銃:0.50口径12.7ミリBrowning M2HBブローニング機銃 (搭載弾丸数300発), 2丁 ×0.30口径7.62ミリ Browning M1919A4ブローニング機銃(搭載弾丸数4,750発)
エンジン: Chrysler A57 Multibank 30シリンダー、21Lエンジン. 470 hp 2,700回転・毎分
馬力・重量比(Power/weight)12.2馬力/トン
トランスミッション:前進4段、後進1段
サスペンション:垂直車軸懸架装置Vertical Volute Spring Suspension (VVSS)
航続距離:160 km 605リットル(80オクタン)、最高速度:40 - 48 km/h。

◆1941年6月22日にドイツがソ連を攻撃すると,それまで反共産主義の立場を表明していた英国,米国は即座にソ連支援を公言した。それまでのチャーチル英首相の関心は,英本土航空決戦,大西洋の対潜水艦戦争,そして米国の参戦を引き出すことだった。

 イギリス首相サー・ウィンストン・チャーチル(Sir Winston Churchill, 1874年11月30日-1965年1月24日)は,独ソ戦の勃発に,英国の危機が遠のいたと大喜びした。そして,チャーチルは反共産主義だったが,即座にソ連に軍事援助を申し込んだ。チャーチルと親密なアメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトFranklin Delano Roosevelt: FDR, 1882年1月30日-1945年4月12日)は,ソ連を武器貸与法の対象とした。ソ連は,米英から軍事援助を受けることができた。そして、日本がアメリカを攻撃したことで、1941年12月7日に太平洋戦争が勃発、そのご12月11日にドイツ首相ヒトラー総統が対米参戦し、ドイツとアメリカの戦いも始まる。


GERMANY´S DECLARATION OF WAR ON THE USA 11 DEC 1941

1941年12月11日、クロル・オペラ臨時国会議事堂において、ゲーリング国会議長の司会で、ヒトラー総統は、ユダヤ人に操られているルーズベルト大統領がドイツ民族を滅ぼそうと戦争を挑発しているが、もはや我慢ならないとして、アメリカに宣戦布告した。これに対して、アメリカの連邦議会ではルーズベルト大統領の対独宣戦布告を求める演説が行われたが、対日参戦のFDR演説とは異なり、対独参戦FDR演説の動画は公開されていない。


December 11, 1941 US Congress declares War on Germany


3.イギリス陸軍 M4 中戦車 シャーマン Sherman

写真(右)1942年11月5日、北アフリカ、イギリス軍第1装甲師団第2装甲連隊第9女王王室槍騎兵隊C大隊のM4シャーマン戦車。
Catalogue number:E 18972, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Chetwyn Len (Sgt), Object description: Sherman tanks of 'C' Squadron, 9th Queen's Royal Lancers, 2nd Armoured Brigade, 1st Armoured Division, 5 November 1942.  Label: Sherman tanks of 9th Queen's Royal Lancers during the Battle of El Alamein, 5 November 1942.写真は
イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 18972)引用。

写真(右)1944年1月28日、イギリス南岸イプスウィッチ、サクスマンダム、上陸用舟艇に搭載されたイギリス軍第79装甲師団のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車(手前)、その後ろは、架橋用・壕乗越え用のチャーチルChurchill AVRE戦車、さらに左後方は地雷掃除用シャーマン・クラブフライル戦車(回転ローラーはクラブ(鎖)と一緒にカバーが架けられている)
チャーチル 歩兵戦車は、ドイツによるイギリス侵攻に備えるために急遽、生産された歩兵戦車で、1941年6月から部隊配備が開始された。1942年8月、北フランスのディエップ奇襲作戦に初投入され、その後1942年の北アフリカのエル・アラメイン戦にも投入されている。
Catalogue number:H 35473, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit,Lansdown (Sgt), Object description: 79th Armoured Division Sherman tanks, Churchill AVRE with fascine and Churchill bridgelayer loaded into a landing craft, Saxmundham-Ipswich area, 28 January 1944.  Label: Sherman tanks, a Churchill AVRE with fascine and a Churchill bridgelayer of 79th Armoured Division loaded into a landing craft, Saxmundham-Ipswich area, 28 January 1944 . 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 35473)引用。


写真(右)1944年2月13日、イギリス、イギリス軍第79装甲師団のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車がチャーチル架橋戦車「箱舟」AVREを超えて急坂を上る試験。1941年6月から部隊配備チャーチル 歩兵戦車は、アメリカ製M4シャーマン戦車が多数供与されていた状況を考慮して、工作戦車に回収されたものが多数あった。
Catalogue number:H 35790, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Sherman tank using a Churchill 'Ark' armoured ramp carrier to climb over an escarpment, 79th Armoured Division, 13 February 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 35790)


 アメリカ製M4シャーマンSherman戦車を改修して、地雷掃除用シャーマン・クラブフライル戦車が生産された。またチャーチル 歩兵戦車を改修したチャーチルAVRE工作戦車も生産されている。これらの特殊装甲車両は、1942年8月、北フランスのディエップ奇襲作戦が不調だったことを反省して開発された、敵の防衛する海岸への上陸を円滑に進めるための工作戦車で、1942年に北アフリカのエル・アラメイン戦にも地雷掃除用戦車は投入されている。

写真(右)1944年6月6日、北イタリア内陸、モンテ・カッシーノ近郊のイギリス軍M4シャーマンSherman戦車とオードナンス17ポンド砲(17-pdr anti-tank):17ポンド対戦車砲は、1942年に完成、1943年2月から実戦投入された。その後、アメリカ製M4シャーマン中戦車の搭載していた75ミリ砲をこの17ポンド対戦車砲に変換したのがM4シャーマン ファイアフライ戦車である。
Catalogue number: B 5258, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Gade, Richard Felix (Captain),  
Object description: A 17-pdr anti-tank gun and crew near Cassino, 17 May 1944. A Sherman tank can be seen in the background.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5258)引用。


写真(右)1944年3 月、イラク駐留のインド第31装甲師団シンド騎馬連隊のM4シャーマンSherman中戦車:シークの兵士がブローニング機銃の分解清掃について講習している。シーク教徒は、髭や髪を切らない慣習を守るので、長い髪を束ねてターバンで巻いている。シークの男子は、機械工、運転手、兵士として向いているとされる。
Catalogue number: K 6692, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white,   Object description: Sherman tank crews of the Scinde Horse Regiment, part of the Indian 31st Armoured Division in Iraq. In the foreground, a party of Sikhs is being given instruction on stripping and cleaning a Browning gun, by a Viceroy's Commissioned Officer. Label: Machine gun maintenance instruction for Sherman tank crews of the Scinde Horse Regiment, part of the Indian 31st Armoured Division in Iraq, March 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (K 6692)引用。


写真(右)1943年8月、イタリア、シシリー島カタニア近くのミロ、イギリス軍第4装甲旅団カウンティ オブ ロンドン ヨーマンリー連隊(義勇軍)所属のシャーマン・マークIII(Sherman Mk III) 戦車:解放されたミロの住民が大通りを行進する戦車に乗せてもらっている。イタリアの住民や子供たちに大歓迎されている連合軍兵士というプロパガンダに使用できる。シャーマン Mk.3の中には、ライトマッドとブラックという2色の地中海方面迷彩を施した車体もある。
Catalogue number:TR 1244, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer: Chetwyn L (Lt), Object description: At Milo in the north of Sicily, County of London Yeomanry tank men are accorded a great reception by the civilians of the town. Here they are seen with Sicilian children riding on their tanks as they rumble down the main street. Label: Local children crowd aboard a Sherman Mk III tank of the County of London Yeomanry in the village of Milo near Catania in Sicily, August 1943.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (TR 1244)引用。
 

 1942年11月8日、西側連合軍は、、トーチ作戦Operation Torch)に基づいて、モロッコとアルジェリアに上陸し、1943年初頭、には北アフリカのドイツ軍をチュニジアに退却させた。1943年 1月14日から10日間、連合国首脳はモロッコでカサブランカ会談Casablanca Conference)を開いて、枢軸国に対する無条件降伏の要求を基本方針とした。

  1943年5月13日、西側連合軍は、チュニジアTunisia)の枢軸国軍25万人を降伏させ、ドイツ軍、イタリア軍は北アフリカから完全に駆逐された。

 1943年7月10日、西側連合軍は、ハスキー作戦に基づいて、イタリアのシシリー島へ上陸した。此の時は、グライダーとパラシュートによる空挺部隊による拠点確保を進めつつ、バーナード・モントゴメリー大将隷下のイギリス第8軍がシシリー島の東海岸シラクサ(Siracusa)近郊に上陸し、そこから北上してカタニアCatania)、さらに北端のイタリア本土の目と鼻の先のメッシーナに進軍した。上陸から1カ月、1943年8月11日、シチリアの枢軸軍は降伏し、連合軍はイタリア本土侵攻を企図することになる。

写真(右)1944年1月7日、イタリア戦線のイギリス第2軍のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車
樹木の生えた場所で隠れているようだが、地面はキャタピラが泥を掻き揚げており軟弱である。平坦地であれば問題はないが、イタリア戦線には丘陵地帯が多く、進撃速度が遅くなり、燃費も悪く補給も大変だったと思われる。
Catalogue number:NA 10707, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Best (Sgt), Object description: Sherman tank and crew, 7 January 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 10707)引用。


 西側連合軍は1942年10月23日にエジプト国境、エル・アラメインで攻勢を開始、11月8日には、フランス領モロッコのカサブランカ・オラン、フランス領アルジェリアのアルジェへ上陸(トーチ作戦)した。これらの上陸部隊の主力は、アメリカ軍であり、後に有名になるジョージ・パットンGeorge Smith Patton)将軍もアメリカ陸軍第3歩兵師団・第9歩兵師団を率いていた。挟撃された枢軸軍は、リビア、次いでチュニジアへと退却した。

写真(右)1944年4月、中部イタリア、カッシーノ攻防戦の時期と思われるイギリス軍第21槍騎兵(ランサーズ)第17大隊のM4シャーマン戦車砲塔の司令塔に立つA G ウィリアムズ軍曹。1943年11月までイギリスのエセックスのウッドフォード・ブリッジにいたウィリアムズ軍曹は、1943年11月にイタリアに出征した。
Catalogue number:TR 1702, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Chetwyn Len (Sgt), Object description: The 'Tankman'. Sergeant A G Williams of 17/21 Lancers in the turret of his Sherman tank at the main Headquarters of the Eighth Army in the San Angelo area of Italy. Sergeant Williams from Woodford Bridge, Essex left England in November 1943, landed in North Africa, and from there was sent to Italy. Label: Sergeant A G Williams of the 17th/21st Lancers in the turret of his Sherman tank at San Angelo in Italy, April 1944.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (TR 1702)引用。


 イギリス軍第4装甲旅団は、ロイヤル・スコッツ・グレイズ連隊、第3カウンティ・オブ・ロンドン・ヨーマンリー連隊、第44王室戦車連隊、 キングズ・ロイヤル機械化歩兵大隊などからなっていた。

写真(右)1944年4月、中部イタリア、カッシーノ攻防戦の時期と思われるイギリス軍第21槍騎兵(ランサーズ)第17大隊のM4シャーマン戦車砲塔の司令塔に立つA G ウィリアムズ軍曹。戦車はエンジンの騒音があるのでヘッドホーンをつけており、手には戦車内の操縦手や砲手に命令を伝える有線マイクが握られている。
Catalogue number:TR 1705, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Chetwyn Len (Sgt), Object description: The 'Tankman'. Sergeant A G Williams of 17/21 Lancers in the turret of his Sherman tank at the main Headquarters of the Eighth Army in the San Angelo area of Italy. Sergeant Williams from Woodford Bridge, Essex left England in November 1943, landed in North Africa, and from there was sent to Italy.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (TR 1705)引用。


写真(右)1944年4月、中部イタリア、カッシーノ攻防戦の時期と思われるイギリス軍第21槍騎兵(ランサーズ)第17大隊のM4シャーマン戦車を後ろに宣伝用の写真を撮影したA G ウィリアムズ軍曹。布ベルトには拳銃の銃弾を入れるポケットがついている。右腕下から出ている紐は、拳銃(左腰のホルスターに入っている)を落としたり、置き忘れ暴発させたりしないためのもの。1943年11月までイギリスのエセックスのウッドフォード・ブリッジにいたウィリアムズ軍曹は、1943年11月にイタリアに出征した。ウィリアムズ軍曹の6枚のカラー写真がイギリス帝国戦争博物館の写真一覧に公開されているが、イギリス第8軍司令部のシャーマン戦車の乗員で見栄えもよかったからであろう。
Catalogue number:TR 1703, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Chetwyn Len (Sgt), Object description: The 'Tankman'. Sergeant A G Williams of 17/21 Lancers standing beside his Sherman tank with a reel of signal cable at the main Headquarters of the Eighth Army in the San Angelo area of Italy. Sergeant Williams from Woodford Bridge, Essex left England in November 1943, landed in North Africa, and from there was sent to Italy.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (TR 1703)引用。


 1943年5月、西側連合国は、枢軸軍最後の拠点だったチュニジアを攻撃し、北アフリカのドイツ軍を降伏に追い込んだ。こうして、北アフリカから地中海南部を支配した西側連合軍は、航空支援の及ぶイタリア、シチリア島へ上陸することを決定する。

 1943年7月24日、久しく開かれていなかったファシズム大評議会Grand Council of Fascism)が招集されたが、ここでファシスト党幹部グランディらは、総帥ムッソリーニ首相を罷免し、政権を国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世に返還することを決めた。翌日25日、ムッソリーニはサボイア朝ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世Vittorio Emanuele III di Savoia)国王に解任された。イタリアの ピエトロ・バドリオPietro Badoglio)将軍率いる新政権は、密かに西側連合国と休戦交渉を始めた。

写真(左)1944年4月、中部イタリア、カッシーノ攻防戦の時期と思われるイギリス軍第21槍騎兵(ランサーズ)第17大隊のM4シャーマン戦車の前でポーズをとるA G ウィリアムズ軍曹。首には双眼鏡を掛け、布ベルトに垂れている紐は、拳銃を落としたり、置き忘れ暴発させたりしないように拳銃に繋がっている。1943年11月までイギリスのエセックスのウッドフォード・ブリッジにいたウィリアムズ軍曹は、1943年11月にイタリアに出征した。
Catalogue number:TR 1706, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Chetwyn Len (Sgt), Object description: The 'Tankman'. Sergeant A G Williams of 17/21 Lancers standing beside his Sherman tank at the main Headquarters of the Eighth Army in the San Angelo area of Italy. Sergeant Williams from Woodford Bridge, Essex left England in November 1943, landed in North Africa, and from there was sent to Italy.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (TR 1706)引用。


 1943年7月10日、ハスキー作戦Operation Husky)を発動、シチリア島に上陸した西側連合軍は、1か月後の1943年8月17日にシチリア島の枢軸軍を駆逐した。

  1943年9月8日、イタリアと連合国が密約した休戦協定が公表されたが、ドイツ軍は即座にイタリアを占領、イタリア軍兵士を武装解除し始めた。翌日9月9日、イタリア新政府は国王とともに首都ローマを脱出した。

 イタリアは1943年9月8日に降伏、休戦協定を締結し、10月13日には連合国側に立って、 ドイツに宣戦布告しているた。このイタリアの休戦宣言Armistice of Cassibile)の翌日の9月9日、連合軍は、アバランチ作戦Operation Avalanche)を発動しイタリア半島サレルノに上陸した。イタリアの ピエトロ・バドリオPietro Badoglio)政権は、1943年9月9日の連合軍によるサレルノ上陸Battle of Salerno)を歓迎した。

写真(右)1944年4月、中部イタリア、カッシーノ攻防戦の時期と思われるイギリス軍第21槍騎兵(ランサーズ)第17大隊のM4シャーマン戦車の前に立つA G ウィリアムズ軍曹。1943年11月までイギリス本土エセックスのウッドフォード・ブリッジにいたウィリアムズ軍曹は、1943年11月にイタリアに出征した。大型の双眼鏡を首から下げている。砲塔に搭載した75ミリ砲の砲口と刻印まで明瞭に映し出されている。シャーマン戦車の車体前面には、通信回線が回転円盤に巻かれて装着されているが、これは本部に所属する戦車の特別な指揮用通信設備であろうか。
Catalogue number:TR 1704, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Chetwyn Len (Sgt), Object description: The 'Tankman'. Sergeant A G Williams of 17/21 Lancers standing in front of his Sherman tank at the main Headquarters of the Eighth Army in the San Angelo area of Italy. Sergeant Williams from Woodford Bridge, Essex left England in November 1943, landed in North Africa, and from there was sent to Italy.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (TR 1704)引用。


 北アフリカ・シチリア・イタリア本土上陸作戦の司令官は、翌年のヨーロッパ大陸侵攻オーバーロード作戦の「指揮を執ることになるドワイト・アイゼンハワー(Dwight Eisenhower)大将である。

 1943年9月8日のイタリアの休戦宣言イタリアArmistice of Cassibile)は、以前からドイツも確実視しており、休戦宣言直後にドイツ軍はイタリア軍を即座に武装解除し、イタリア半島の大半を占領することに成功する。そして、9月12日、ドイツ軍は降下猟兵からなる特殊部隊を送ってグラン・サッソ山荘に幽囚されていたベニート・ムッソリーニBenito Mussolini:1883-1945 )を救出し、ドイツ傀儡のムッソリーニ新政権を樹立した。

写真(右)1944年4月、中部イタリア、カッシーノ攻防戦の時期と思われるイギリス軍第21槍騎兵(ランサーズ)第17大隊のM4シャーマン戦車を後ろに宣伝用の写真を撮影したA G ウィリアムズ軍曹。首には双眼鏡を掛け、布ベルトには右手で扱う拳銃を繋ぐ紐が伸びている。拳銃を落としたり、置き忘れ暴発させたりしないために、紐で繋がれている。1943年11月までイギリスのエセックスのウッドフォード・ブリッジにいたウィリアムズ軍曹は、1943年11月にイタリアに出征した。ウィリアムズ軍曹の6枚のカラー写真がイギリス帝国戦争博物館の写真一覧に公開されているが、イギリス第8軍司令部のシャーマン戦車の乗員で見栄えもよかったからであろう。
Catalogue number:TR 1707, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Chetwyn Len (Sgt), Object description: The 'Tankman'. Sergeant A G Williams of 17/21 Lancers standing beside his Sherman tank at the main Headquarters of the Eighth Army in the San Angelo area of Italy. Sergeant Williams from Woodford Bridge, Essex left England in November 1943, landed in North Africa, and from there was sent to Italy.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (TR 1707)


 アメリカ陸軍M4シャーマン Sherman中戦車は、アメリカ参戦前の1940年夏に設計され、実戦投入は、1942年の北アフリカのエルアラメインにおける対ドイツ戦。出現当時は、ドイツ軍にM4シャーマン戦車を上回る対戦車戦闘能力を持った戦車はなかった。しかし、ドイツ軍戦車が短砲身ではなく長砲身43口径7.5センチ戦車砲を装備するようになり、さらに8.8センチ砲を装備するティーガー戦車を投入するに至って、M4シャーマン戦車の個別性能の優位性は崩れはじめた。

 しかし、アメリカ軍、イギリス軍はM4シャーマン中戦車の個別能力を数的優位で補い、終戦まで使い続けた。重量30トン 時速40キロ 航続距離193キロ、装甲80ミリ、乗員5人。機関の信頼性、乗員の居住性に優れていた上に、量産や整備のしやすさにも十分配慮されていた。

 さrに、アメリカ軍、イギリス軍はM4シャーマン戦車の量産性、機動性を損なわずに、M4を改造し対戦車戦闘能力を向上した仕様の戦車や自走砲を開発した。搭載する主砲を76.2ミリ対戦車砲強化したM4シャーマンファイアフライ、アキリーズ、76.2ミリ高射砲に強化したM10ウォルブリンなど駆逐戦車や駆逐自走砲戦車ともいえるタイプを量産し、この対戦車仕様の戦車だけでも、ドイツ軍のティーゲル重戦車、パンテル中戦車に個別に対抗できるだけでなく、数的優位も得ていたのである。

写真(右)1944年5月11-18日、中部イタリア、カッシーノ攻防戦の時期、サンアンジェーロを進むイギリス第2軍のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:ドイツ軍の防衛線グルタフ・ラインに対する第3次攻撃の時期。歴史ある石造り建築物でも砲撃や空爆で破壊されてしまったが、この瓦礫の中にドイツ軍兵士が立て籠もって抵抗を続けると、戦車の運用も制限され、火砲による支援も困難な場所も多く、掃討戦は困難だった。
Catalogue number: NA 14803, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Lambert (Sgt), Object description: Third Phase 11 - 18 May 1944: A Sherman tank moves through the ruins of San Angelo.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 14803)引用。


写真(右)1944年5月18日、中部イタリア、カッシーノ攻防戦の跡を行くイギリス第2軍のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:展望の良いのカッシーノ修道院にドイツ軍が立て籠もっていると考えた連合軍は、カッシーノ修道院の建築物を空爆と砲撃で破壊した。しかし、この破壊された修道院の建築物を遮蔽物として、ドイツ軍は抵抗を続けた。
Catalogue number: NA 15009, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit McConville, W. E. (Sergeant), Object description: Sherman tanks and infantry in the ruins of Cassino, Italy, 18 May 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 15009)引用。


 1943年9月12日、ドイツの武装親衛隊オットー・スコルツェニーに率いられた降下猟兵部隊は、ローマの南方の飛行場から、ヘンシェルHs126偵察機が曳航するDFS230グライダーで、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini )が監禁されているグラン・サッソ山荘近くに降下した。着陸に成功した8機のグライダーから急速展開した特殊部隊はムッソリーニが幽閉されていた山荘に突入、警備していたイタリア警察と交戦することなく無血でムッソリーニを解放した。

 幽閉を解かれたベニート・ムッソリーニは、草地に着陸したFi156偵察機にスコルツェニーがドイツ支配に護送したが、此の時のムッソリーニの表情は、喜んではおらず、当惑しているように見える。脱出したというより、連行されているようだ。

写真(右)1944年5月18日、中部イタリア、カッシーノ攻防戦の跡を行くイギリス第2軍のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車と先導するジープ:由緒ある歴史的建造物のカッシーノ修道院を利用してドイツ軍は防衛線のグスタフ・ラインを構築したと考えた連合軍は、カッシーノ修道院の建築物を空爆と砲撃で破壊した。しかし、この破壊された修道院の建築物を遮蔽物として、ドイツ軍は抵抗を続けた。
Catalogue number: NA 15079, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date: 1944-05-18、 Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Tanner (Cap), Object description: View of Cassino after heavy bombardment showing a knocked out Sherman tank by a Bailey bridge in the foreground with Monastery Ridge and Castle Hill in the background.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 15079)引用。


ドイツ軍支配地域に移されたベニート・ムッソリーニBenito Mussolini )は、1943年9月18日、イタリア国王を否定した共和ファシスト党を設立し、9月23日にドイツ傀儡政権のイタリア社会共和国(Repubblica Sociale Italiana:RSI;サロ共和国)を樹立して、ドイツ軍とともに連合軍と戦った。

写真(右)1944年5月18日、中部イタリア、カッシーノ攻防戦の跡に破壊、放置されたイギリス第2軍のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:後方のモンテ・カッシーノの山頂に破壊された修道院が見える。建築物が破壊され、架橋も大きく破損して、川にシャーマン戦車が落ちている。ポーランド軍とイギリス軍は、第四次攻勢を仕掛けてカッシーノを占領し、ローマへの道が開けた。
Catalogue number: TR 1799 Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date: 1944-05-18、 Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Bowman, C. (Sergeant), Object description: A Sherman tank and jeep of the 4th Brigade entering the ruins of Cassino. The monastery of Cassino had formed the focal point of the German Gustav Line which they had successfully defended since November 1943. The fourth offensive led by Polish and British troops secured Cassino for the Allies and caused the Germans to retreat north of Rome, which was then declared an 'open city'.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (TR 1799)引用。


写真(右)1944年6月25日、イタリア、ペルジャ西30キロのペルージャ県プッチャレッリを通過するイギリス軍第6イニスキレンの歩兵とM4シャーマン Sherman戦車
Catalogue number: NA 16442, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War.
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Menzies (Sgt), Object description: Infantry of the 6th Inniskillings and a Sherman tank advance through Pucciarelli, 25 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 16442)引用。


 イタリア戦線で、1944年1月17日から5月19日にかけて、連合軍は、モンテ・カッシーノでドイツ軍と激しい戦いを演じた。ドイツ軍は、グスタフ・ラインと称して防衛線を設けており、これを突破し、ローマを解放するために、連合軍は、1月17日にグルタフラインのドイツ軍を攻撃した。しかし、険峻な丘陵の頂上にモンテ・カッシーノ修道院があり、その裾野の岩場にはドイツ軍の陣地が築かれていた。そこで、1944年2月15日、モンテ・カッシーノ修道院に対し、アメリカ陸軍航空隊は空爆を行い、ドイツ軍を排除しようとした。それでも、破壊された修道院にドイツ軍は立て籠もって抵抗を続けた。

写真(右)1944年7月15-16日、イタリア中部、フィレンツェ南東50キロメートルのアレッツォの鉄道を通過するイギリス軍第6装甲師団第26装甲連隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:破壊されたアレッツォの鉄道駅。蒸気機関車を駐機できる天井の高いドームが破損し崩れかかっている。手前は鉄道を超える歩道橋(陸橋)である。M4シャーマン戦車の車体側面や砲塔に装着物がなく、すっきりしているが、車体後方には荷物を積載している。砲塔上面の司令塔ハッチが開放されており、視界を確保しながら高速で移動中のようだ。
Catalogue number: NA 16963, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Johnson (Sgt), Object description: A Sherman tank of 16th/5th Lancers passes through a railyard in Arezzo, 15 - 16 July 1944. Associated people and organisations: British Army, 16th/5th Queen's Royal Lancers. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 16889)引用。


写真(右)1944年7月16日、イタリア中部トスカーナ州、フィレンツェ南東50キロメートルのアレッツォ、イギリス軍第6装甲師団第26装甲連隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:砲塔上面の司令塔ハッチから戦車長らしき人物が体を出しているので、戦闘中ではなく、移動途上にあると思われる。
Catalogue number: NA 16963, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Best (Sgt), Object description: Sherman tank of 26th Armoured Brigade, 6th Armoured Division, Arezzo, 16 July 1944. Label: A Sherman tank of 26th Armoured Brigade, 6th Armoured Division, at Arezzo in Italy, 16 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 16963)引用。


 西側連合軍は、1943年9月末には、南イタリアの港町ナポリを解放し、10月13日、バドリオ政権はドイツへ宣戦を布告する。1944年1月、連合軍はローマ南方のアンツィオへ上陸を開始した。1944年に入ると、西側連合軍はドイツ軍の防衛線グスタフ・ラインを突破しローマを目指そうと画策し、1月22日、アンツィオに上陸すると同時に、内陸部でもローマに向けて進撃し、モンテ・カッシーノでドイツ軍の激しい抵抗を受けた。2月にはドイツ軍がアンツィオに反撃を開始したた。当時、連合軍は北フランス、ノルマンディーに主力部隊を上陸させる準備をしており、イタリアにおける大攻勢を続けることは困難になった。こうして、グスタフ・ラインは1943年5月まで突破できなかったのである。

写真真(右)1944年7月16日、イタリア中部トスカーナ州、フィレンツェ南東50キロメートルのアレッツォ旧市街の狭い道を通過する、イギリス軍第6装甲師団第26装甲連隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:砲塔上面の司令塔ハッチから戦車長らしき人物が体を出しているので、戦闘中ではなく、移動途上にあると思われる。旧市街の中心に、ロマネスク様式のサンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会がある。
Catalogue number: NA 16963, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Best (Sgt)
Object description: Sherman tanks of 6th Armoured Division passing through the narrow streets of Arezzo, 16 July 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 16963)引用。


 1944年1月22日、イギリス軍第46王立戦車連隊やアメリカ軍第6615レンジャー部隊などの西側連合軍は、イタリア首都ローマ南30キロに位置するアンツィオAnzio)に上陸作戦を開始した。既にイタリアは降伏しており、ドイツ軍の防衛線も構築されていなかったために、1日で3万名ほ兵士、300台の車両を揚陸することができた。

 しかし、内陸部のドイツ軍は強力であり、上陸した連合軍は橋頭堡を確保する防備を固め、ローマに旧進撃をしなかった。そして、後続するアメリカ軍第1装甲師団など増援部隊の到着を待って、1月30日、上陸軍指揮官アメリカ陸軍John Lucas)少将は内陸部への進撃を命じた。1週間後の前進という安全策を取ったために、ローマ付近にドイツ軍を集結させる『余裕を与えてしまい、ローマの早期解放が困難になったとも考えられる。

写真(右)1944年8月3日、北イタリア、フィレンツェ南10キロのインプルネータを通過するイギリス軍のシャーマン Sherman戦車
Catalogue number: NA 17565, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War.
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Johnson (Sgt), Object description: A Sherman tank advancing through Imprunetta, 3 August 1944. Label: A British Sherman tank advancing through Imprunetta, Italy, 3 August 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 17565)引用。


 1944年5月、西側連合軍は、イタリア中部のグスタフ・ラインに攻勢をかけ、ついでアンツィオにも攻撃を開始し、枢軸軍を撤退させた。連合軍は、ここでも首都占領という政治戦略を優先し、ローマを目指したため、ドイツ軍は抵抗しつつ後退することができた。連合軍は日系人で編成されたアメリカ軍 第442連隊を加わって首都ローマへの道を開きし、6月4日、 ローマ解放に漕ぎ着けた。ドイツ軍はイタリア中部のゴシックラインの防衛線まで撤退する。

 西側連合軍は、8月11日にはフィレンツェを解放したが、主力をノルマンディー上陸作戦に投入していたため、イタリアでの攻勢は弱体化し、9月には、ドイツ軍の防衛線ゴシックラインで進撃が停まり、1945年1月まで突破することができなかった。

写真(右)1944年8月3日、北イタリア、フィレンツェ南10キロのインプルネータを通過するイギリス軍のシャーマン Sherman戦車:車体前面に箱や荷袋を置いているが、これは補助装甲板というより、社内のスペースを確保するために私物を車外に置いたのであろう。砲塔と車体前方のハッチもすべて開放されているが、蒸し暑くなった車内の換気のためで、周囲の歩兵を見ても、敵からの攻撃の恐れがない地区を進撃しているようだ。
Catalogue number: NA 17567, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War.
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Johnson (Sgt), Object description: A Sherman tank and infantry advance through Imprunetta, 3 August 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (NA 17567)引用。


ドワイト・アイゼンハワーDwight Eisenhower)の指揮の下、西側連合軍は1943年にシチリア島進攻ハスキー作戦を発動した。アメリカ陸軍ジョージ・パットン将軍の第7軍、バーナード・モントゴメリーBernard Law Montgomery)の第8軍が戦った。この時に、両者は対立が始まった。

シシリー島攻略後、バーナード・モントゴメリーBernard Law Montgomery)は、イタリア本土上陸まで第8軍を指揮した。イタリア戦の後、D-デイ、ノルマンディー上陸オーバーロード作戦に向けて、ヨーロッパ侵攻のための戦略を練ったが、D-デイの総指揮官はアメリカ軍のドワイト・アイゼンハワーDwight Eisenhower)だった。

写真(右)1944年6月6日、北フランス、ノルマンディ海岸ゴールドビーチに戦車揚陸艦(Landing Craft, Tank)から上陸するイギリス軍第8装甲旅団シャーウッド レンジャー(ノッチンガムシャーヨーマンリー)部隊A大隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車
Catalogue number: B 5258, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Midgley (Sgt),  
Object description: A Sherman tank of 'A' Squadron, Nottinghamshire Yeomanry (Sherwood Rangers), 8th Armoured Brigade, comes ashore from a landing craft on Jig beach, Gold area, 6 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5258)引用。


第二次世界大戦終盤、1944年6月6日、西側連合国軍は、ヨーロッパ反攻オーバーロード作Operation Overlord)戦の一環として、ノルマンディーの5カ所の砂浜海岸に上陸した。ソード・ビーチSword Beach)とは、この上陸地点の1つに付された連合国側のコードネームで、イギリス軍と自由フランス軍とが上陸した。海岸でのドイツ軍の抵抗はわずかだったために、直ぐに内陸に浸透することができた。しかし、内陸部のカーンでイギリス軍は、ドイツ軍第21装甲師団の反撃を受け、進撃は停止させられた。

  1944年6月6日、西側連合国がオーバーロード作戦で上陸したノルマンディーの海岸は5カ所あるが、その一つのゴールドビーチには、イギリス軍が0725上陸した。ドイツ軍の抵抗は弱く、隣のジュノー・ビーチに上陸したカナダ軍と連絡をと事が出来た。しかし、カーン・バイユー間の道路の確保、オマハ・ビーチに上陸したアメリカ軍と連絡はとれなかった。オマハビーチでは、ドイツ軍の反撃を受けたアメリカ軍が、内陸部に侵攻できなかったのである。

  絵画(右)1944年、北フランス、ノルマンディ海岸上陸を描いたエルンスト・ジェームズ(Ernest James)の「夜の戦車上陸」(A Tank-Landing at Night):闇夜の海岸をLCTから兵士2人が下りてくる。既にM4シャーマン中戦車は砂浜海岸をのぼっている。
Catalogue number: Art.IWM ART LD 4282, Production date1944 Subject period: Second World War Materialsmedium: oil, support: canvas, DimensionsSupport: Height 495 mm, Support: Width 660 mm, Frame: Height 672 mm, Frame: Width 830 mm, Alternative Names: object category: object category: painting, Creator: James, Edward Ernest,  
Object description: image: a tank driving up a beach, away from a landing ship with its bow door open. Two men stand on the ship, looking out at the moon-lit beach. Further out to sea there are other ships visible in the background. History note: War Artists Advisory Committee purchase,
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (Art.IWM ART LD 4282)引用。


1944年6月6日、西側連合軍は、ヨーロッパ大陸反攻のために、ノルマンディに「ネプチューン作戦」(Operation Neptune)」に従って上陸した。ここでは、イギリスのバーナード・モントゴメリーBernard Montgomery:1887-1976)元帥を総指揮官に、西からオマール・ブラッドレーOmar Bradley:1893-1981)准将隷下アメリカ軍が「ユタ」(第4歩兵師団)・「オマハ」(第1歩兵師団)、マイルズ・デンプシーMiles Dempsey:1896-1969 )中将隷下のイギリス軍が「ゴールド」(第50歩兵師団)・「ジュノー」(カナダ第3歩兵師団)・「ソード」(第3歩兵師団)に侵攻した。

 1944年6月6日、西側連合軍が上陸したノルマンディのゴールドビーチの様子は、事前の艦砲射撃のためか、窪みやクレーターが多数開いており、砂浜の軟弱地盤と相まって、自動車はもちろん戦車の走行にも困難が伴ったようだ。実際、初めに上陸したM4シャーマン クラブ・フライル地雷除去戦車も多数が立ち往生している。

写真(右)1944年6月6日、北フランス、カーン北方10km、ノルマンディー海岸、エルマンヴィル=シュル=メールのイギリス軍王室騎兵隊本部のアメリカ製M4シャーマンSherman OP 戦車とブレンガン・キャリア (IWMの解説では105ミリM7プリースト Priest自走榴弾砲とある):写真の右に写っているのは、ブレンガン・キャリア (Bren Gun Carrier)であろう。
Catalogue number: B 5033, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Mapham J (Sgt), Object description: A Royal Artillery command post, probably from a 105mm SP M7 Priest Field Regiment, near Hermanville-sur-Mer, 6 June 1944. The Sherman OP (observation post) tank in the background has a small 'GD' tactical marking on the side of its hull, indicating the GPO (Gun Position Officer) of B Troop, 2nd Battery. Motorcycle despatch riders and a Universal Carrier can also be seen. Some troops are bedding down in the foreground. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5033)引用。


ユニバーサル・キャリア (Universal Carrier)は、全長3.6 m、全幅2.1 m、全高1.6 m、重量3.8 tで105ミリ榴弾砲を搭載できるだけの大きさはない。しかし、前線での貨物輸送に有用だったため、11万両生産された。

写真(右)1944年6月7日、北フランス、ドイツ軍の88ミリ対戦車砲射撃によって、サスペンションに被害を受けたイギリス軍ウエストミンスター竜騎兵(第2ロンドン・ヨーマンリー部隊)のM4シャーマンSherman戦車:重量30トン以上もある戦車を手押し式ジャッキで少しずつアップしているが、破壊された転輪を交換するつもりのようだ。キャタピラが外されて、転輪の上に垂れ下がっている。
Catalogue number: B 5423, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Mapham J (Sgt),
Object description: The crew of a Sherman tank of the Westminster Dragoons (2nd County of London Yeomanry) repairing damage to one of its suspension units caused by an 88mm anti-tank shell, 7 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5423)引用。


写真(右)1944年6月8日、北フランス、ノルマンディ海岸近くのドゥヴル=ラ=ディヴランドを進撃するイギリス軍のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車 :6日の上陸からカーンまで10キロメートル以内にまで侵攻したイギリス軍のシャーマン戦車。
Catalogue number:B 5267, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Handford (Lt),  
Object description: Sherman tanks driving through Douvres-la Delivrande, 8 June 1944. Associated items: SCENES IN THE NORMANDY BEACH-HEAD D+1, D+2 (PART 3) [Allocated Title]
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5267)引用。


 ヨーロッパ大陸侵攻の総司令官の人事は、米英の対立、アメリカ軍内の戦略指導の兼ね合いから難航した。結局、1943年12月に、北アフリカ・シチリア・イタリア本土上陸作戦の司令官を勤めたドワイト・アイゼンハワー(Dwight Eisenhower)大将が任命されたが、その任務は、戦略的な判断だけではなく、連合軍内の結束を維持する調整することも重要だった。

写真(右)1944年6月10日、北フランス、ノルマンディのイギリス軍第13・18王室騎兵隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:後方には、連合軍が空挺部隊の降下に使用したイギリス製ホルサグライダー(Horsa glider)が見える。ホルサグライダー(Horsa glider)は1941年9月、初飛行の人員・貨物輸送用グライダーで、乗員 2人、空挺部隊28人、全幅 26.83 m、全長 20.43 m、全高 5.95 m、主翼面積 102.60 平方メートル、空虚重慮 3,804 kg、全備重量 7,045 kg、最高曳航速度242 km/h。
Catalogue number: B 5348, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt), Object description: A Sherman tank of 13th/18th Royal Hussars in action against German troops using crashed Horsa gliders as cover near Ranville, 10 June 1944.  写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5348)引用。


写真(右)1944年6月13日、北フランス、イギリス軍王室海兵隊装甲支援部隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車とオードナンス 6ポンド速射砲(57ミリ対戦車砲): Royal Marines Armoured Support Group (RMASG)はノルマンディー侵攻のために編成された部隊で80両のケンタウルス(セントウ:Centaur)戦車{クロムウェル戦車}と20両のM4シャーマン戦車が配備されていた。
Catalogue number: B 5456, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt),
Object description: Sherman tanks of the Royal Marines Armoured Support Group, Normandy, 13 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5456)引用。


写真(右)1944年月6月13-16日、、北フランス、ノルマンディ、カーン南西15キロのヴィレー=ボカージュの街中で破壊されたイギリス軍のアメリカ製M4シャーマン中戦車:搭載していた75ミリ戦車砲の砲身が折れて、手前に転がっている。左の兵士は迷彩服を着た武装SS第101重戦車大隊の戦車兵であろうか。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-738-0267-28A Archive title: Frankreich, Villers-Bocage.- zerstörter Panzer M4 "Sherman" im Ort; PK Signal-Einsatz Dating: Juni 1944 Photographer: Grimm, Arthur Origin: Bundesarchiv
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) 引用Bundesarchiv> Picture database > Bild 101I-738-0267-28A引用。


写真(右)1944年月6月13-16日、、北フランス、ノルマンディ、カーン南西15キロのヴィレー=ボカージュで破壊されたイギリス軍のアメリカ製M4シャーマン中戦車:搭載していた75ミリ戦車砲の砲身が折れて、手前に転がっている。右手前のドイツ軍兵士は軍用拳銃ホルスターを付けて撃破の跡を検分している。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-738-0276-35A Archive title: Frankreich, Villers-Bocage.- Zerstörter amerikanischer Panzer M4 Sherman im Ort; PK Signal-Einsatz Dating: Juni 1944 Photographer: Grimm, Arthur
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) 引用Bundesarchiv> Picture database > Bild 101I-738-0276-35A 引用。


西側連合軍が北フランス、ノルマンディー海岸に上陸した直後の1944年6月13日、フランスのカーン南西15キロメートルのヴィレル・ボカージュの戦いBattle of Villers-Bocage)が起きた。これは、内陸に侵攻してきたイギリス軍とドイツ軍と衝突で、イギリス軍は第7装甲師団の第8王室ロイヤル・アイリッシュ騎兵連隊(スチュアート軽戦車配備)、第7女王ロイヤル連隊、第5王立戦車連隊(シャーマン中戦車配備)など、ドイツ軍は武装SS第101重戦車大隊と装甲教導師団が主力である。

ドイツ軍第101重戦車大隊第2中隊長ミハエル・ヴィットマンMichael Wittmann )中尉に率いられたティーゲル重戦車は、8.8センチ砲を射撃して多数のイギリス軍戦車を撃破した。

ミハエル・ヴィットマン中尉は、6月22日に東プロイセンのラステンブルクにある大本営に出頭し、柏葉剣付き騎士十字章をヒトラー手ずから授与され、大尉に昇進した。

写真(右)1944年6月17日、北フランス、ノルマンディ、6月7-8日にイギリス第50師団が解放したバイユーの市街を行進するイギリス軍のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車
Catalogue number:B 5685, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt),  
Object description: The Battle for Normandy: Sherman tanks of British 30th Corps passing through Bayeaux, liberated by the British 50th Infantry on 7 - 8 June 1944.  Label: British Sherman tanks passing through Bayeux, Normandy, 17 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5685)引用。


イギリス軍、アメリカ軍など西側連合軍を「解放者」として歓迎するフランス人は、フランス国旗を掲げてドイツ支配から脱することができたのを喜んだ。子供や赤ちゃんを連れた夫人が入場する戦車部隊を見守っている。

写真(右)1944年6月28日、北フランス、ノルマンディのイギリス軍第8装甲旅団第4/7竜騎兵のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車 :第8装甲旅団は、1942年、北アフリカでドイツアフリカ軍団と戦った歴史があり、歴戦部隊として、1944年のノルマンジー侵攻作戦に参加した。また、竜騎兵(Dragoon Guards)とは、ヨーロッパで鎧を着て乗馬した銃士・騎兵で、伝統と名誉を重んじる部隊であるが、第二次大戦でも勇ましさを強調するために戦車部隊や空挺部が「竜騎兵」の名称を冠した。
Catalogue number:H 38987, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt), Object description: Sherman tanks of the 4/7th Dragoon Guards, 8th Armoured Brigade, waiting to go into action near Rauray, Normandy, 28 June 1944.  写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 38987)引用。


写真(右)1944年6月28日、北フランス、ノルマンディのイギリス軍第8装甲旅団第4/7竜騎兵のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車 :37.5口径75mm戦車砲M3は、ドイツ軍の43口径7.5cm砲よりも砲身長は短い。対戦車戦闘よりも榴弾として炸裂させ、歩兵支援の戦闘に投入する事が想定されている。搭載砲弾数は90発で、 砲塔上面のハッチから、戦車長と思われる兵士がヘルメットを被って周囲を見回している。車体前面に樹木を載せて偽装している。キャタピラ上部のカバーは付けていない。
Catalogue number: B 6130, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt), Object description: A Sherman tank of the 4/7th Dragoon Guards, 8th Armoured Brigade, moves along a road near Rauray, 28 June 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 6130)引用。


写真(右)1944年6月30日、北フランス、ノルマンディのイギリス軍第8装甲旅団第1ノッティンガムシャー・ヨーマンリー(予備軍)のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車 :手前の鉄十字をかたどった墓石には、SSとカギ十字の刻印が見える。
Catalogue number: B 6218, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt), Object description: Sherman tanks of 1st Nottinghamshire Yeomanry, 8th Armoured Brigade in an orchard near Rauray, 30 June 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 6218)引用。


 西側連合軍(米英仏、カナダ、ポーランド軍など)は、1944年6月6日からヨーロッパ大陸侵攻「オーバーロード」作戦Operation Overlord)の一環として、ノルマンディー上陸を開始したが、灌木地帯や丘陵を利用したドイツ軍の抵抗で容易に内陸部を占領できなかった。特に、交通上の要衝カーンの攻略が求められたため、カーンの占領のために内陸のファレーズFalaise)へ進撃することになった。

写真(右)1944年6月30日、北フランス、ノルマンディのイギリス軍第8装甲旅団第1ノッティンガムシャー・ヨーマンリー(予備軍)のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車
Catalogue number: B 6222, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt), Object description: The crew of a Sherman tank named 'Akilla' of 1st Nottinghamshire Yeomanry, 8th Armoured Brigade, after having destroyed five German tanks in a day, Rauray, 30 June 1944. Left to right: Sgt J Dring; Tpr Hodkin, Tpr A Denton; Tpr E Bennett; L/Cpl S Gould. Label: The crew of a Sherman tank named 'Akilla' of 1st Nottinghamshire Yeomanry, 8th Armoured Brigade, after having destroyed five German tanks in a day, Rauray, Normandy, 30 June 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 6222)引用。


 1944年7月、連合軍は オーバーロード作戦 Operation Overlord)の一環として、ノルマンディー要衝の カーンCane)に突入するために、歩兵師団6個、戦車旅団5個を投入した。ドイツ軍は歩兵師団4個、装甲師団3個、重戦車大隊1個で果敢に防戦したため、連合軍の攻勢は成功せず、3000人から3500人の死傷者を出した。

写真(右)1944年7月9日、北フランス、チャーンウッド作戦に従ってノルマンディ要衝のカーンに進撃するイギリス軍第33装甲旅団のM4シャーマンSherman戦車:砲塔の後面と側面に「69」と白色ペイントで車体番号を記している。不整地を多数の戦車が走行しつづけたために、キャタピラの回転する道路部分が陥没して、道路中央部分が戦車車体の下面に接触してもおかしくない状況になっている。
Catalogue number: B 6650, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt),
Object description: Sherman tanks of 33rd Armoured Brigade during Operation 'Charnwood', the attack on Caen, 8 July 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 6650)引用。


 チャーンウッド作戦Operation 'Charnwood')とは、1944年7月8日から9日かけて行われたカーン(Caen)攻防戦である。連合軍は、歩兵師団3個、装甲旅団3個を投入し、ドイツ軍の歩兵師団1個、装甲師団1個(戦車61両)を攻撃した。 7月10日にカーンに突入できたが、連合軍は死傷者3,817人、戦車80両の損害を出した。対するドイツ軍の損害は、連合軍の半分だった。

写真(右)1944年7月9日、北フランス、チャーンウッド作戦に従ってノルマンディ要衝のカーンに進撃するイギリス軍第33装甲旅団のM4シャーマンSherman戦車:砲塔に白色ペイントで大きく連番の車体番号を描いている。目立ちすぎて敵から発見やすいように思われるが、秩序だった進撃をするためには、視界の悪い戦車からも判別可能な標識が必要だった。
Catalogue number:B 6652, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt),
Object description: Sherman tanks of 33rd Armoured Brigade during Operation 'Charnwood', the attack on Caen, 8 July 1944. 
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 6652)引用。


 ノルマンディー上陸作戦後の1944年8月、ファレーズ包囲戦Falaise Pocket)でドイツ軍戦車部隊に大打撃を与えた西側連合軍は、8月25日にはパリを解放、9月4日にはベルギーのアントワープを奪還した。そこで、イギリス軍は、ソ連軍によるベルリン攻略前に、ドイツ本土に深く攻め込み、ドイツの工業地帯であるラインを占領し、早期にドイツを降伏させることを期待した。

写真(右)1944年7月9日、北フランス、ノルマンディ要衝のカーンに進撃するイギリス軍のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車と歩兵部隊
Catalogue number: B 6758, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Malindine E G (Sgt),
Object description: Sherman tanks and infantry during the advance on Caen, 9 July 1944. Label: British Sherman tanks and infantry during the advance on Caen, Normandy, 9 July 1944. 
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 6758)引用。


 当時のイギリス軍歩兵が使用した小銃は、1895年制式リー・エンフィールド0.303口径7.69mmボルトアクションライフル(Rifle )Lee Enfield No.4 Mk Iが主流だった。このエンフィールド小銃は長年に渡りイギリス軍の制式小銃として配備されていた。

写真(右)1944年7月10日、北フランス、ノルマンディ要衝のカーン市街に突入したイギリス軍のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車とオードナンス 6ポンド速射砲(57ミリ対戦車砲):、6ポンド速射砲の量産は1941年11月から、配備は1942年5月からで、戦争中頃に登場した。速射砲とはQuick-Firing の日本語訳で、日本軍では対戦車・装甲車砲を意味する。イギリス軍は、火砲を砲弾の口径ではなく、砲弾の重量で表すのが通例で、1ポンド(pond)= 16オンス(ounce)=454グラムとして、6ポンドは2722グラム。
Catalogue number: B 6924, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Malindine E G (Sgt),
Object description: Sherman tanks and 6-pdr anti-tank gun in the centre of Caen, 10 July 1944. Label: British Sherman tanks and a 6-pdr anti-tank gun in the centre of Caen, Normandy, 10 July 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 6924)引用。


 1944年7月18日、西側連合軍はグッドウッド作戦Operation 'Goodwood')を発動した。まずイギリス空軍爆撃機100機がカーンのドイツ軍陣地を猛爆し、火砲の援護の下に、モントゴメリー総司令官の隷下のイギリス軍とカナダ軍の戦車部隊が攻勢を開始した。

 しかし、ドイツ軍の地上兵力の頑強な抵抗に直面し、100キロメートルを進出するのに戦闘車両400輌の損実を受け、悪天候のために、機械化部隊が未舗装の道路を進撃することが困難になった。モントゴメリー大将は「グッドウッド」作戦を中断したが、連合軍の攻勢の前にドイツ軍はファレーズ包囲"Falaise pocket")の状況に直面した。

写真(右)1944年7月22日、ノルマンディーで戦線を視察するイギリス第2軍司令官マイルズ・デンプシー中将(左)、ウィストン・チャーチル英首相、カナダ軍司令官シモンズ中将、第21軍集団司令官バーナード・モントゴメリー大将:モントゴメリーの元帥昇格は1944年9月1日、57歳の時。当時、チャーチル65歳に対して、ルーズベルト58歳、スターリン61歳、ヒトラー51歳であり、チャーチルは高齢であり、戦争指導者として不利だったが、彼の意思の強さは格別だった。
Catalogue number: TR 2045, Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR COLOUR TRANSPARENCY COLLECTION,Bernard Montgomery Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: Malindine E G (Capt), No 5 Army Film and Photographic Unit, Object description: Lieutenant General Sir Miles Dempsey, commanding British Second Army, pointing out a section of the front to the Prime Minister, Winston Churchill. Also in the picture are the Lieutenant General G G Simonds (left), commanding II Canadian Corps and the 21st Army Group commander General Sir Bernard Montgomery (right), Normandy, 22 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (TR 2045)引用。


 アメリカ軍ドワイト・D・アイゼンハワーとともに、バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)は、1943年7月、イタリア、シチリア島進攻、ハスキー作戦Operation Husky)に参加、イタリアを降伏に導いた。 

 ヨーロッパ大陸侵攻オーバーロード作戦について、バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)大将は、連合国遠征軍総司令官Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force)の地位を望んだようだが、それは得られず、アメリカ軍のドワイト・アイゼンハワーDwight Eisenhower:1953-1961 )大将隷下の指揮官として活躍している。ドワイト・D・アイゼンハワーもモントゴメリー同様に昇進が早く、1943年2月に53歳で大将に昇進しているが、元帥General of the Army )になったのは、ノルマンディー上陸後の戦績が認められた形で、54歳、1944年12月のことだった。しかし、大陸反攻の航空兵力も地上兵力も過半をアメリカ軍が担ってた。それを考慮すれば、イギリス軍のバーナード・モントゴメリーは、先任将校で戦歴が豊富な指揮官でっても、連合国遠征軍総司令官Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force)の地位を与えられるはずがなかった。

 バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)は、1944年6月、ノルマンディ上陸を果たした西側連合軍地上部隊を指揮し、その功績もあって1944年9月1日、57歳で元帥Field Marshal)に昇進した。しかし、戦歴と元帥という階級に加えて、自らの軍事的才覚に圧倒的な自信を抱いていたモントゴメリーは、ノルマンディー上陸後も、自分の戦略の優位性を他の連合軍将軍たちにも認めさせようとし、しばしば衝突している。

写真(右)1944年7月18日、ノルマンディ、グッドウッド作戦当初、歩兵を載せたイギリス軍アメリカ製M4シャーマンSherman戦車:連合軍には、ハーフトラックやジープに乗った歩兵もあったが、完全に機械化されていたわけではない。短時間であれば、戦車の上の空いたスペースに乗ることも多かった。ただし、不整地であれば振動が大きく、エンジンからの熱気も排出される。2-3メートルの高さで不安定な位置に伸すしかない歩兵は決して楽ではなかったであろう。
Catalogue number: B 7511, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creato: No 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt)、
Object description: Sherman tanks carrying infantry wait to advance at the start of Operation 'Goodwood', 18 July 1944. 
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 7511)引用。


 1944年9月17日、オランダ中部、ドイツとの国境地帯へ空挺部隊を降下させるマーケット・ガーデン作戦Operation Market Garden)が開始された。

 アイントホーフェン、ナイメーヘンなどにイギリス軍の空挺師団を降下させたが、後続すべき地上部隊の進撃が遅かった。また、オランダに駐留していたドイツ陸軍も反撃したため、連合軍の攻勢は停滞し、オランダ諸都市を解放することには成功したものの、ドイツ中枢部のライン、ルール工業地帯を占領することはできなかった。

1944年9月17日に開始されたオランダ中部への空挺部隊降下を中心とするマーケット・ガーデン作戦Operation Market Garden)が不調であったこと、1944年12月17日にドイツ軍の「ラインの守り作戦」によるバルジ反抗のために、ドイツ本土への西側連合軍の本格的な侵攻は、1945年に入ってからと遅れた。そのために、ソ連赤軍によるベルリン攻略に余裕を与え、戦後のドイツ分割統治において西側は大きな不利益を被ることになった。

写真(右)1944年7月18日、ノルマンディ、グッドウッド作戦当初、歩兵を載せたイギリス軍アメリカ製M4シャーマンSherman戦車と奥3両目に長砲身76.2ミリ対戦車砲を搭載したM4シャーマンファイアフライ戦車、4両目にシャーマン・クラブフライル地雷掃除戦車:連合軍の装甲師団の中核を担ったのがM4シャーマン戦車であるが、対戦車用、地雷除去用など各種のバージョンがあった。同一の戦車に汎用性を持たせたために、生産性だけでなく、整備や乗員の訓練の上でも好都合だった。
Catalogue number: B 7510, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creato: No 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt)、
Object description: Sherman tanks carrying infantry wait for the order to advance at the start of Operation 'Goodwood', 18 July 1944. 
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 7510)


写真(右)1944年7月18日、ノルマンディ、グッドウッド作戦当初、イギリス軍第3歩兵師団の歩兵を載せたイギリス軍第27装甲連隊スタッフォードシャー・ヨーマンリーのアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:グッドウッド作戦当初のM4シャーマン戦車で、車体前面、砲塔周囲にキャタピラを撒きつけ、転輪を置いて、砲撃を受けたときの補助装甲として役立てている。後方のM4シャーマン中戦車も同じようにキャタピラと転輪を設置しているので、部隊の標準仕様とされたのであろう。
Catalogue number: B 7518, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creato: No 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt)、Object description: Sherman tanks of the Staffordshire Yeomanry, 27th Armoured Brigade, carrying infantry from 3rd Division, move up at the start of Operation 'Goodwood', 18 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 7518)引用。


写真(右)1944年7月26-28日、北フランス、ノルマンディ海岸「ゴールドビーチ」に建設された巨大人工港マルベリーに戦車揚陸艦LSTから揚陸されるポーランド第1軍団第10装甲騎兵旅団第1装甲連隊B中隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:ノルマンディ海岸バイユー北10キロのアロマンシュ=レ=バンにコンクリート、鉄筋、浮橋を利用した巨大な人工桟橋、港が建設され、そこから揚陸した物資が、上陸した連合軍へ補給された。
THE POLISH ARMY IN THE NORMANDY CAMPAIGN, 1944, Catalogue number: B 8460, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date1944-08 , Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Harrison (Sgt) (Photographer)
Object description: A Sherman tank of the "B" Squadron, 1st Armoured Regiment (10th Armoured Cavalry Brigade, 1st Polish Armoured Division) disembarking from a LST landing craft onto the Mulberry artificial harbour at Arromanches, 26-28 July 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 8460)引用。


1944年6月のヨーロッパ侵攻時で、イギリス軍はノルマンディ「ゴールドビーチ」に上陸したが、ゴールドは秘匿名称であり、実際の地名はアロマンシュ・レ・バンの海岸だった。イギリス軍は、大量の補給物資、兵力を揚陸するために、ここにきょっだいな人口埠頭「マルベリー港」(Mulberry harbour)」を建築した。これは、巨大な鋼鉄とコンクリート構造物の杭をいくつも遠浅の海に沈めて固定し、その間を、全長60mの巨大なコンクリート構造物を数十個繋いで構築する即製の港である。埠頭の全長は2キロほどとなる。 「マルベリー港」 (Mulberry harbour)の建設作業は、1944年6月7日に着手され、マルベリーAは6月16日夕方に完成した。しかし、6月19日から22日にかけて、マルベリー港 (Mulberry harbour)大きな時化に襲われ破損してしまった。

写真(右)1944年7月26-28日、北フランス、ノルマンディ海岸アロマンシュ=レ=バン(バイユー北10キロ)、「ゴールドビーチ」に建設されたマルベリー人工港の浮橋を渡るイギリス軍第1装甲旅団第10装甲騎兵旅団(第1ポーランド装甲師団)B中隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車
Catalogue number: B 8463, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Harrison (Sgt),
Object description: A Sherman tank of the "B" Squadron, 1st Armoured Regiment (10th Armoured Cavalry Brigade, 1st Polish Armoured Division) commencing its journey to shore along a floating bridge at Arromanches, 26-28 July 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 8463)引用。


 トータライズ作戦Operation 'Totalise')は、ノルマンディー侵攻後、西側連合軍占領地を東方のカーン方面に広げようと、攻勢を開始した。そして、ファレーズ北を占領し、ドイツ軍部隊の退路を断ちファレーズに包囲することができた。

写真(右)1944年8月1日、ノルマンディの連合軍の兵器回収保管所にあるアメリカ製M4シャーマンSherman戦車や M3Aスチュアート軽戦車。廃棄された戦車は、使用できる部品は再利用し、そのでないものはイギリスに送られ屑鉄として再生利用される。どの戦車もすでにキャタピラが外されているが、キャタピラは補助装甲板ともなり、容易に再利用できる。
Catalogue number:B 8409, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creato: rNo 5 Army Film & Photographic Unit Wilkes (Sgt)、Object description: Wrecked Sherman tanks and carriers being broken up at a vehicle salvage dump in Normandy, 1 August 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 8409)引用。


 連合軍は、戦車回収車を装備しており、前線で破損した戦車を回収して、野戦修理所で整備したようだ。ドイツ軍では、本国の設備の整った修理工場に回されたことも多かったが、フランスに侵攻した連合軍には、ヨーロッパ大陸に大きく破損した戦車を修理できるような修理工場はなかったようだ。そこで、戦車をイギリス本国に送り返して修理することも考えられるが、そのために艦船を準備する手間と経費を考えると、大修理するのをあきらめて、再使用可能な部品を調達することが選択されたのであろう。

  写真(右)1944年8月1日、ノルマンディの連合軍の兵器回収保管所にあるアメリカ製M4シャーマンSherman戦車群とチャーチル歩兵戦車(後方)。左の戦車は、裏返しにされ、転輪は外されている。
Catalogue number: B 8394, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creato: No 5 Army Film & Photographic Unit Wilkes (Sgt)、Object description: The remains of Sherman tanks and carriers waiting to be broken up at a vehicle dump in Normandy, 1 August 1944. All salvageable parts have been removed and the remaining components are shipped back to Britain to be smelted down and used in the production of new vehicles.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 8394)引用。


 連合軍は、北フランスに戦車回収所・スクラップ置き場を準備して、そこに大きく破損した戦車を収集し、使用できる部品を取り外し、修理用部品、予備部品として活用した。残ったパーツは、屑鉄として再使用するためにイギリス本土に送り返したというが、本来、アメリカから多数の新品戦車を貸与されており、その必要性は低かったと考えられる。しかし、補給物資を積載した艦船が、その帰りの復路に破損した戦車などスクラップを積載したことはあったのであろう。残された戦車スクラップ置き場の写真を見ると、膨大な量の鉄屑があり、これを屑鉄として再履称したことは十分に納得がゆく。

  写真(右)1944年8月1日、ノルマンディの連合軍の兵器回収保管所にあるアメリカ製M4シャーマンSherman戦車のサスペンションをアセチレントーチ(ガス・バーナー)を使って切断、切り離す作業。廃棄された戦車から外された部品は、再利用可能なものは他の戦車の部品にされた。日本ではこのような廃棄・中古の部品の再利用を「共食い」とも言った。戦車のキャタピラも、再利用が容易で、車体の上に装着して補助装甲板としても活用された。
Catalogue number: B 8408, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creato: No 5 Army Film & Photographic Unit Wilkes (Sgt)、Object description: An oxy-acetylene torch being used to cut suspension components from a Sherman tank at a vehicle salvage dump in Normandy, 1 August 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 8408)引用。


写真(右)1944年8月2日、ノルマンディ、カーン南西60キロ、ビールに進軍するアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:車体前面に転輪を置いて補助装甲として使い、樹木を配して偽装している。砂埃を上げて疾走しているため、後方に続くM4シャーマン戦車の視界が悪くなる。そこで、走行する戦車と戦車との間隔は、シャーマン戦車(全長5.84メートル)の4倍、すなわち20メートルも離れている。
Catalogue number: B 8484, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creato: rNo 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt)、 Label: Sherman tanks advancing towards Vire, Normandy, 2 August 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 8484)引用。


 ノルマンデー侵攻「オーバーロード」作戦Operation Overlord)の支作戦としてトータライズ作戦(Operation 'Totalise')で、ドイツ陸軍の第7軍装甲軍と第5装甲軍をファレーズ南方で包囲した。8月7日夜、イギリス空軍の四発重爆撃機による地上支援爆撃の後、装甲歩兵が進撃し、クルト・マイヤーKurt Meyer:1910-1961)准将が指揮する第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」と戦った。「ヒトラーユーゲント」装甲師団は1926年生まれ、1943年時点で16歳あるいは17歳のドイツの少年を徴収した少年戦車師団だった。8月10日、ファレーズ北まで進撃したもののファレーズを占領することはできなかった。

写真(右)1944年8月8日、北フランス、カーン南部、イギリス軍第10装甲騎兵旅団(第1ポーランド装甲師団)第1装甲連隊C中隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車 :北フランスのノルマンディに上陸した西側連合軍は、要衝カーンを攻略しようとし、ドイツ軍と衝突した。
Catalogue number: B 8823, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Wilkes (Sgt) (Photographer), Object description: Sherman tanks of the "C" Squadron, 1st Armoured Regiment (10th Armoured Cavalry Brigade, 1st Polish Armoured Division) assembled for the Operation 'Totalise', south of Caen, 8 August 1944. Note that all regimental markings are painted over. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 8823)引用。


写真(右)1944年8月8日、北フランス、カーン南部、イギリス軍第10装甲騎兵旅団(第1ポーランド装甲師団)第1装甲連隊C中隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車 :1944年6月6日、ヨーロッパ大陸侵攻オーバーロード作戦ノルマンディー侵攻後に開始されたトータライズ作戦(Operation 'Totalise')の初期。
Catalogue number: B 8830, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Wilkes (Sgt) (Photographer),
Object description: Sherman tanks of the 10th Armoured Cavalry Brigade (1st Polish Armoured Division) in line at the beginning of the Operation 'Totalise', south of Caen, 8 August 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 8830)引用。


西側連合軍は、1944年8月にファレーズを攻略目標として攻勢を開始したが、これがトータライズ作戦(Operation Totalize)である。まず8月7日に、イギリス空軍の四発重爆撃機が水平爆撃による地上支援を行った。その後、イギリス軍、カナダ軍は、ドイツ軍の第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」、ティーゲルを装備した第101SS重戦車大隊が防衛しているファレーズにまで前進したが、8月10日には、激しい抵抗を受けて、ファーレズ市街には突入できなかった。ドイツ軍を防衛陣地にとどめることはできたが、ファレーズ攻略はできなかったのである。

写真(右)1944年9月1日、北フランス、イギリス軍近衛装甲師団のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車とそれに続くM4シャーマン・ファイアフライ中戦車:通常型のM4シャーマン中戦車の75ミリ戦車砲に換えて、長砲身の76.2ミリ対戦車砲を搭載したM4シャーマン・ファイアフライ中戦車は、通常型のM4シャーマン中戦車と混成で配備されていた。
Catalogue number: BU 269, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Hewitt (Sgt),
Object description: Sherman tanks of Guards Armoured Division advancing towards Arras, 1 September 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (BU 269)引用。


 1944年8月下旬、ファレーズを防衛していたドイツ軍8万人は、事実上、ファレーズに包囲された形となり、これがファレーズ・ポケットと言われた。ドイツ軍はファレーズを脱出しようとし、包囲していた西側連合軍と激しい戦いが起きた。連合軍の包囲から脱出は困難で、ドイツ軍の戦死1万人、捕虜4万人以上で、脱出できたのは2万人程度だった。

写真(右)1944年9月1日、北フランス、フイヨワ(アミアン西20キロ)を通過し、アラス(北東50キロ)に進軍するイギリス軍近衛装甲師団のアメリカ製M4シャーマンSherman中戦車:後方には、第一次世界大戦イギリス記念堂が建っている。
Catalogue number: BU 271, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Hewitt (Sgt),
Object description: Sherman tanks of Guards Armoured Division pass a British First World War memorial at Fouilloy during the advance towards Arras, 1 September 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (BU 271)引用。


 ノルマンディ上陸から数週間たった1944年の8-9月、イギリス軍バーナード・モントゴメリー(1887-1976)将軍隷下の装甲師団4個、装甲旅団2個はフランスを通り、ベルギーを目指した。低地の運河地帯はドイツ軍の守備が強固だったため、内陸への迂回路をとった。そこで、気まぐれの寄り道を連想させたため、「偉大な白鳥」‘Great Swan’(気ままなぶらつきの意味)と自嘲された。特に、第一次大戦の戦跡も多かったため、兵士たちは第一次大戦に参加した父親世代を思い返し感慨深かったようだ。また、年配の兵士には、自ら第一次大戦をこの地で戦った経験があったものもあった。(1 September 1944 The ‘Great Swan’ through France into Belgium参照)

写真(右)1944年9月1日、北フランス、フイヨワ(アミアン西20キロ)を通過し、アラス(北東50キロ)に進軍するイギリス軍近衛装甲師団のアメリカ製M4シャーマンSherman中戦車: 補助装甲板とするために、キャタピラを車体前面、砲塔側面に装着している。後方の寺院のような建物は、第一次世界大戦を記念するイギリス記念堂。
Catalogue number: BU 272, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt),
Object description: Sherman tanks of Guards Armoured Division passing through Fouilloy on their way to Arras, 1 September 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (BU 272)引用。


 1944年8月以降、北フランスからベルギーを目指していた50歳以上連合軍兵士には、第一次大戦に参加し、再び思い出深い戦地に帰ってきたと感じた者も少なくなかった。たとえば、バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)大将は、30年前にこの地で戦った経験があったが、1944年9月1日に元帥Field Marshal)に昇格しており、まさに歴戦の地で軍人最高ランクの栄誉を得て感無量だったであろう。この直後、周囲の将軍たちの危惧を説得してマーケットガーデン作戦Operation Market Garden)を強行するが、その背景には、自身が過剰ともいえるほど高まったことが指摘できよう。

写真(右)1944年9月1日、北フランス、アミアン北東60キロ、リール南西50キロのアラスに向かって進撃するイギリス軍近衛装甲師団のアメリカ製M4シャーマンSherman中戦車と手前のM3AスチャートStuart 軽戦車:M3Aスチャート軽戦車はM4シャーマン中戦車に比較して、重量は半分、搭載している戦車砲も口径は半分、装甲も半分であり、ドイツ軍戦車との正面切っての戦いはできなかった。しかし、高い機動性を活かして、偵察用戦車として1944年6月のノルマンディ上陸以来、1945年5月のドイツ降伏まで前線で使用されていた。
Catalogue number: BU 270, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Hewitt (Sgt),
Object description: Sherman and Stuart tanks of Guards Armoured Division advancing towards Arras, 1 September 1944. 
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (BU 270)引用。


 ドイツ陸軍は、特殊砲弾として、ヴァルター・ドルンベルガー少将、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士を中心に、A-4、後のV-2ロケット(Vergeltungswaffe)を開発した。A-4ロケットの発射実験は、1942年6月から8月にペーネミュンデ秘密基地で行われたが、みな失敗した。発射実験の初成功は10月3日だった。他方、ドイツ空軍は、V-1飛行爆弾を開発し1944年6月13日に北フランスから、イギリスのロンドンに向けて発射した。V-1に遅れて完成したV-2ロケットは、弾頭1トンで射程250km以上の弾道弾で、ドイツ陸軍は、1944年9月6日、ベルギーの基地からパリに向けて発射した。

  写真(右)1944年9月1日、北フランス、ベルギー国境まで50キロメートルのアラス郊外に入ったイギリス軍近衛装甲師団のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車と手前のM4シャーマン・ファイアフライ中戦車のオードナンス58.3口径17ポンド76.2ミリ対戦車砲のマルズブレーキ(発射の反動による砲の後座を爆風を逆風にして抑制する装置)の付いた砲身:通常型のM4シャーマン中戦車の75ミリ戦車砲に換えて、長砲身の76.2ミリ対戦車砲を搭載したM4シャーマン・ファイアフライ中戦車は、通常型のM4シャーマン中戦車と混成で配備されていた。
Catalogue number: BU 266, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Hewitt (Sgt),
Object description: Sherman tanks of Guards Armoured Division entering the outskirts of Arras, 1 September 1944. Label: Sherman tanks of Guards Armoured Division entering the outskirts of Arras, France, 1 September 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (BU 266)引用。


 1944年8月24日、西側連合軍は、フランスの首都パリを解放し、11月11日にチャーチルはパリを訪問し、フランス臨時政府大統領ド・ゴール将軍とともに無名戦士の墓に花を捧げている。しかし、戦術的に見て、多数の人口を抱え、燃料や食料の補給が必要なパリを攻略することは、得策とは言えなかった。このような政略的な目的のために資源エネルギーを消費されたために、ドイツ本土への侵攻が遅れることになった。そこで、この遅れを取り戻すかのようにマーケットガーデン作戦Operation Market Garden)が強行された。 

写真(右)1944年9月12日、オランダ、ネイメーヘン西40キロのフースデン、イギリス軍近衛装甲師団のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車。手前にあるのは、破壊されたドイツ陸軍71口径8.8センチ8.8 cm PaK 43 対戦車砲で起動用ゴム車輪付きトレーラーに乗っている。砲弾の威力は、30度傾斜の装甲板に対して、185ミリ(射程500メートル)/165ミリ(射程1,000メートル)/148ミリ(射程1,500メートル)/132ミリ(射程2,000メートル)で西側連合軍の戦車を全て撃破できた。
Catalogue number: BU 851, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Leatherbarrow, R (Sgt),
Object description: Guards Armoured Division Sherman tanks pass an abandoned German 88mm anti-tank gun in the village of Heusden, 12 September 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (BU 851)引用。


 マーケットガーデン作戦は、オランダ南部、アイントホーフェン(Eindhoven)、ネイメーヘン(Nijmegen )、アルンヘム(Arnhem)の攻略を目指すもので、この作戦が成功すれば、オランダ沿岸を通って、ドイツ本土へ侵攻することができ、ドイツ・フランス国境の要塞「ジークフリード線」を迂回することが可能になる。また、ドイツ工業の中心地ルール、ライン地方へも、防備の薄い北方から迂回して侵入が可能なように思われた。

写真(右)1944年9月22日、オランダ南部、レーンデ(ドイツ国境の町フェンローまで45キロ)を通過するイギリス軍第11装甲師団のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:通常型のM4シャーマン中戦車の75ミリ戦車砲に換えて、長砲身の76.2ミリ対戦車砲を搭載したM4シャーマン・ファイアフライ中戦車は、通常型のM4シャーマン中戦車と混成で配備されていた。
Catalogue number: B 10255, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Jones (Sgt),
Object description: A Sherman tank of 11th Armoured Division passing through Leende, 22 September 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 10255)引用。 さらにWikimedia Commonsにも同一の写真がある。


1944年9月17日、マーケットガーデン作戦Operation Market Garden)では、第一に、空挺部隊(3個空挺師団)によるベルギー・オランダの交通要衝の橋を確保する手はずになり、大規模な降下作戦が実施された。

 マーケットガーデン作戦作戦当初は順調で、1944年9月18日、アメリカ第101空挺師団(US 101st Airborne Division)は、オランダのアイントホーフェンを解放し、住民は広場にこぞってダンスをするほどだった。翌19日には、イギリス第30軍団(British XXX Corps)がグレーヴを確保しネイメーヘンに迫ったものの、降下した空挺部隊と合流できず、ネイメーヘンを確保することも困難だった。こうして、連合軍は、兵力が分散してしまった上に、ドイツ軍の反撃は素早かった。
 また、連合軍空挺部隊の装備は軽火器のみであり、連合軍地上部隊が進撃してくる前に戦車やかのうを備えたドイツ軍によって掃討されてしまう危険があった。

 1944年9月24日、ドイツ軍の戦車を投入した反撃に抗しきれず、連合軍はマーケット・ガーデン作戦を中止し、前線から離れた地点に降下していたイギリス第1空挺師団は撤退することになったが、ドイツ軍に阻まれて、多数の損害、捕虜を出した。

写真(右)1944年9月24日、オランダ、ソメレンの運河を渡河しているイギリス軍の歩兵部隊とイギリス軍第11装甲師団アメリカ製M4シャーマンSherman戦車:戦車の車体と砲塔の前面にシートを掛けている。左側には、梯子を立てて、高い位置から進撃するイギリス軍を撮影しているイギリス第五軍映像写真班らしきカメラマンが映っている。
Catalogue number: B 10291, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt),
Object description: A Sherman tank and infantry of 11th Armoured Division cross a canal at Someren in Holland, 24 September 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 10291)引用。


1944年6月6日、ノルマンディー上陸後、西側連合軍は、8月25日にパリを解放し、フランス臨時政府はパリを首都とし、9月には、英仏海峡の要衝カレーを占領している。
 1944年9月には、日本陸軍の南方総軍が、ビルマ方面軍にインパール作戦の中止を命じていた。ソ連赤軍はバルト諸国に侵攻、エストニアを占領し、 1944年9月12日には、ドイツ側に立っていたフィンランドがソ連と休戦している。

 1944年9月2日、西側連合軍は、ベルギーに侵入し、9月8日にはリェージュを解放したものの、海路補給の要衝となるアントワープのドイツ軍の抵抗は続き、ベルギー解放は、1944年11月3日にまでずれ込んだ。西側連合軍は、1944年9月17日に発動された空挺部隊を投入したマーケット・ガーデン作戦が失敗したため、ドイツ軍がベルギーやオランダの運河や海面下の土地を利用した防御陣地の攻略には時間を要した。

写真(右)1944年9月24日、オランダ、イギリス軍の歩兵部隊を車体後方に乗せて進むアメリカ製M4シャーマンSherman戦車:歩兵は、イギリス軍歩兵の主要兵器であるリーエンフィールド歩兵小銃(Lee-Enfield ?4 Rifle)とブレン軽機関銃(Bren Light Machine Gun)を持っている。
Catalogue number: B 10287, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt),
Object description: Infantry ride on Sherman tanks in Holland, 24 September 1944. Label: British infantry ride on Sherman tanks in Holland, 24 September 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 10287)。さらに ">Wikimedia Commonsにも同一の写真がある。


リーエンフィールド歩兵小銃(Lee-Enfield ?4 Rifle)は口径0 .303インチ弾(7.69ミリ弾) 重量4 kg、全長1,118ミリ、初速744 m/s、射程3,000ヤード(2,743 m)

ブレン軽機関銃(Bren Light Machine Gun)は、チェコスロバキア製のZB26軽機関銃をベースに弾薬を7.92ミリ弾を.303弾(7.69ミリ弾)に変換してライセンス生産したもの。

写真(右)1945年1月19日、ドイツ国境の町ヘンゲンのイギリス軍M4シャーマンSherman中戦車と前線から後送されるドイツ軍捕虜:1944年12月16日、ドイツ軍のアルデンヌ攻勢「ラインの守り作戦」で大損害を受けた連合軍だったが、年を超えると反撃に移ることができた。ヘンゲンHöngenは、ドイツのベルギー・オランダ国境の町。
Catalogue number: B 13900, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Malindine E G (Capt),  Object description: German prisoners trudge past a Sherman tank in a German frontier village of Höngen, 19 January 1945.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 13900)引用。


写真(右)1945年1月20日、ドイツ、オランダ南端国境近くザエッフェレンのイギリス軍第8装甲旅団のM4シャーマン Sherman 中戦車:ザエッフェレンはアーヘン北方50キロメートルのオランダ国境近くの街。
Catalogue number: B 13925, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Travis (Sgt),  Object description: Sherman tanks of 8th Armoured Brigade in Saeffelen, 20 January 1945.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 13925)引用。


 マーケットガーデン作戦Operation Market Garden)による連合軍の侵攻を喰いとめたものの、1944年9月には、ドイツに保護を求めて亡命してくるフランス・オランダ・ベルギーの対独協力者、北フランス・ベルギー戦線で疲労困憊して退却してくるドイツ軍兵士が、アーヘンに退却してきていた。そこで、アーヘン住民は戦局の悪化、故郷が破壊されることへの不安を募らせていった。

第二次大戦緒戦でドイツが併合したフランス領ストラスブルクのナチ党指導者は「一番困るのは敗走してきた兵士の撒き散らす噂話だ。−退却してきた兵隊たちが民衆をひどく不安にさせている」と1944年9月初めに報告し、同様の報告がケルンからナチ党本部にも送られている。

 1944年9月10日、アーヘンを視察した親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーは、党・軍の幹部と民衆に向かって「敵軍は決してアーヘンに到達できない。市民の一斉避難は全く問題にならない」と演説したが、コートニー・ホッジス将軍指揮下のアメリカ第一軍は,9月11日にドイツ国境に達し、9月12日には、アーヘン突入を試みた。

アーヘン死守を命ぜられたドイツ軍部隊は必死に抵抗し、連合軍側も進軍速度に武器弾薬・燃料など補給が追いつかなくなったため、アーヘンは陥落は、10月21日まで遅れることになった。
 退却するドイツ軍第116装甲師団の指揮官フォン・シュヴェリン中将は、「アーヘン市防衛責任者の権限において次のように命令する。計画と目的を持たない住民の全面避難行動を直ちに中止し市民は市に留まること。ただし目的の宿舎・食料・輸送方法が確実な人は市からの退去を認める。」こうして、戦火を生き延びた住民は、アメリカ占領下で生活を始めることになった。

 アメリカ軍によるドイツ占領行政(軍政)は、1944年10月21日のアーヘン占領から始まった。阿部正昭(1998)「アメリカ軍のドイツ占領開始と民衆ーアーヘン:1944年」)引用)

写真(右)1945年2月17日、オランダ国境近くドイツ西部、ゴッホ、イギリス軍第8装甲旅団第4/7竜騎兵のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車 :手前に移っているのは、M4 中戦車 シャーマン ファイアフライ Sherman Fireflyが搭載している長砲身58.3口径オードナンス17ポンド対戦車砲(Ordnance Quick-Firing 17-pounder)。
Catalogue number: B 14678, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Jones (Sgt), Object description: Shermans of 4/7th Dragoon Guards, 8th Armoured Brigade move up to support the attack on Goch, 17 February 1945. Label: Sherman tanks of 4/7th Dragoon Guards, 8th Armoured Brigade move up to support the attack on Goch, Germany, 17 February 1945.  写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 14678)引用。


 日本において「占領下の生活」とは、沖縄を除けば、1945年8月15日の日本の敗戦(天皇の停戦命令)以降に限られているが、ドイツではその1年前、敗戦に至らないうちに多数のドイツ市民がアメリカ、ソ連など軍政の下に置かれ、困難な生活を余儀なくされていた。一方に戦い続けるドイツ軍、他方に占領軍に従う市民があり、ドイツ人の立場は微妙なものになった。ドイツ国民の戦争継続の意思が崩壊してしまうことを危惧したドイツ軍兵士、SSは、対敵協力者とみなした市民や臆病なドイツ兵士を処刑、殺害するようになった。

写真(右)1945年5月4日、ドイツ、オランダ国境近くのケーヴェラアー(デュセルドルフ北西50キロ)、イギリス軍第8装甲旅団のアメリカ製M4シャーマンSherman中戦車に続く長砲身76.2ミリ砲を搭載したM4中戦車シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly:武器貸与法によって、アメリカからイギリス、ソ連に大量の軍事物資が供給された。イギリス軍が自前で生産、配備したチャーチル歩兵戦車、クルーセイダー巡航戦車よりも、アメリカで生産されイギリスに貸与されたM4シャーマン中戦車のほうが多い。しかし、イギリス軍はアメリカ製M4シャーマンの車体をそのままに、砲塔を新たに製造して従来の75ミリ戦車砲をイギリス製17ポンド(76.2ミリ)対戦車砲に変換したM4中戦車シャーマン・ファイアフライ Sherman Fireflyを生産、配備した。
Catalogue number: B B 15146, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Hutchinson (Sgt)、  Alternative Names: object category: Black and white,   Object description: Sherman tanks and transport of 8th Armoured Brigade moving through Kevelaer, 4 March 1945. Label: Sherman tanks of 8th Armoured Brigade in Kevelaer, 4 March 1945.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 15146)引用。


写真(右)1945年5月4日、ドイツ、オランダ国境近くのケーヴェラアー(デュセルドルフ北西50キロ)、イギリス軍第8装甲旅団のアメリカ製M4シャーマンSherman中戦車:補助装甲板として、車体や砲塔にキャタピラや転輪、工具を装着している。
Catalogue number: B 15145, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Hutchinson (Sgt)、  Alternative Names: object category: Black and white,  Object description: Sherman tank of 8th Armoured Brigade in Kevelaer, 4 March 1945. Label: A Sherman tank of 8th Armoured Brigade in Kevelaer, Germany, 4 March 1945.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 15145)引用。


 武器貸与法によって、アメリカからイギリス、ソ連に大量の軍需物資が供給された。イギリス軍は、自前でチャーチル歩兵戦車やクルーセイダー巡航戦車を量産したが、その性能は、M4シャーマン中戦車に比べて優秀であるとも言えず、M4シャーマン中戦車は、アメリカで大量生産されイギリスに大量貸与されたたために、イギリス自前の戦車を上回るほど配備されていたようだ。 


写真(左)2014年7月12日、オークションで29.9万ドルで取引されたM4シャーマン中戦車:1942年10月にフォード自動車で生産されたM4A3シャーマン中戦車(シリアルナンアー2779)
;オークションで$299,000で落札された。トランスミッション、ファン、ラジエータ、運転操作盤は現行の物を完備。車内からはペリスコープではなく直接視認するタイプ。戦後に補修しており、75ミリ砲はブルドック戦車搭載の76-mm M32戦車砲と変換されている。
This M4A3 (75) 42-tone Sherman Medium Tank was sold for $299,000. This tank, part of Littlefields collection, was built in October 1942 by the Ford Motor Company and was given a refit later during World War II and used for training purposes. The tank is in perfect working order and houses a crew of five, including driver and co-driver. M4A3 production ended at Ford in September 1943 after 1,690 had been built but most were retained within the United States for training purposes during World War II. However, some were redesigned and sent to Europe and saw service after the pivotal Battle of the Bulge after January 1945. Some of the M4A3's saw service in Okinawwa in 1945 before ending up in the National Guard. The M4A3 was a modified version of the smaller Sherman which saw service across Europe as the workhouse of the American military. With thicker armor and a heavy gun turret, only seven or eight remain today
M4A3(75) Sherman, serial number 2779, was built in October 1942 by Ford Motor Company. It is an early production M4A3 as it is equipped with direct vision slots. This vehicle was rebuilt late during World War II or early in the post-war period and has many rebuild features that include full applique armor on the hull sides, welded up direct vision slots with applique armor over them, applique armor on the right front of the turret, spare track block stowage on the turret sides, torsion bar hinges for the engine deck doors, and a modified M34 mantlet with extension for a retrofitted M70 gunner's direct sight telescope. This vehicle features a fresh cosmetic restoration. Fans, radiator and fuel tanks are present. The transmission and driver's controls are all present. The 75-mm main gun has been replaced by a 76-mm gun M32 from a Walker Bulldog. Both driver and co-driver's hatches function. Gunner's seat is present. Tracks and roadwheels are in very good condition. 写真はAuctions America引用。
写真(右)2015年10月16日、15.5万ドルでオークションに出されたM4シャーマン中戦車:1943-1944年にカナダで「グリズリーI」と称して188輌生産された初期型のM4シャーマンSherman中戦車:Going Once! WWII-Era 'Grizzly' Tank Sells for $155,000.A Canadian variant of the M4 Sherman tank; it was the very first Sherman tank produced by Montreal Locomotive Works for the Canadian army. Known in Canada as Grizzly I cruisers, only 188 of these slightly modified M4 tanks were produced in Canada between 1943 and 1944. - See more at: http://www.livescience.com/52509-wwii-grizzly-tank-auction.html#sthash.zkUggE2O.dpuf.写真はElizabeth Palermo. Live Science 引用。




 第二次大戦中の戦車やモデルに関心の深い日本人には未だに、アメリカ軍の兵器の性能や戦術を軽視して「物量」のみを評価する傾向が残っているが、それを反映してか、Wikipedia「M4中戦車」の概要は、次のように若干偏った解説を載せている。

「優れた信頼性と量産性により、第二次世界大戦の連合国戦車の代名詞になった戦車。アメリカの高い工業力を基盤にして大量生産された。M4という形式名で呼ばれているものの、車体・発動機・砲塔・砲・サスペンション・履帯など多くのバリエーションを持つのは、各生産工場の得意とする生産方式・部品を活かして並行生産させたためであるが、構成部品の規格化により殆どの車体構成部品に互換性を持たせることに成功し、高い信頼性が保たれていた。敵対するナチス・ドイツの特にV号戦車パンターVI号戦車などに車輌単体での性能こそ劣っていたが、数で圧倒することができた。」 

  「北アフリカ及びヨーロッパでの米軍対ナチス・ドイツの戦いに加えて日本軍を敵とする太平洋戦争にも投入された。またイギリスカナダオーストラリアをはじめとするイギリス連邦加盟国の他、ソビエト連邦に4,000輌以上が、自由フランス軍ポーランド亡命政府軍にもレンドリースされている。」

「M4の75 / 76 mm 砲で十分」とするAGF(Army Ground Forces 陸軍地上軍)の甘い判断で、M26パーシングの配備が遅らされ、終戦まで連合国軍の主力戦車として活躍した。」

「第二次世界大戦後も朝鮮戦争印パ戦争中東戦争などで使用され、特にイスラエル国防軍はM4の中古・スクラップを大量にかき集めて再生し初期の陸戦力の中核として活用、その後独自の改良により「最強のシャーマン」と呼ばれるM50/M51スーパーシャーマンを生み出している。」

「第一線を退いた後も装甲回収車などの支援車両に改造され最近まで各国で使用されていた。M4A3E8型はMSA協定により日本の陸上自衛隊にも供与されて1970年代半ばまで使用され、70年代末には61式戦車と交代するかたちで全車が退役した。」(引用終わり)

  Wikipedia「M4シャーマン戦車」では、M4シャーマン戦車を、後年に量産されたドイツ陸軍のティーガー重戦車、パンテル中戦車と比較しているが、これは、設計時期も前線で大量配備された時期もが異なるので適切ではない。早期に配備が始まったM4シャーマン戦車が、T-34戦車を念頭に置いたドイツ軍の?号ティーゲル重戦車、?号パンテル中戦車よりも防御力、攻撃職の双方で劣っているのはやむを得ない。M4シャーマン戦車は、ドイツ陸軍の最多量産台数を誇る?号戦車と同等以上の戦闘能力を持っていた。また、17ポンド戦車砲を装備したM4シャーマンファイアフライは、パンテル中戦車の装備した70口径7.5cm KwK 42戦車砲と同等以上の火力を誇っており、対戦車専用戦車、駆逐戦車としても活躍した。

 米陸軍のM4シャーマン戦車は、ドイツ軍の主力戦車である?号戦と対等以上だった。決して米軍戦車隊がドイツ軍戦車隊に劣勢だったわけではない。また、戦車戦とは敵味方の戦車が1対1で広場で戦う試合とは全く異なり、航空兵力の下、地上兵力の一部として活用され、配備される数量も重要な要素である。量産性、信頼性に優れているM4シャーマン戦車は、後継のシャーマン・ファイアフライ戦車にも発展し、西側連合軍の中で、ドイツ陸軍の新鋭戦車を撃破するのに大きな役割を果たしたのである。


3.アメリカ陸軍 M4中戦車シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly―17ポンド砲装備の対戦車戦車

 イギリス造兵廠で生産されたM4シャーマン ファイアフライは、M4シャーマン戦車の搭載していた37.5口径75mm戦車砲M3を長砲身58.3口径オードナンス17ポンド対戦車砲に変換した改修型。終戦の1945年5月までに2000両以上で、ドイツ軍の重戦車ティガーよりも多い。

写真(右)1944年7月14日、グッドウッド作戦に従事するイギリス軍第27装甲旅団「ベルベベルデ」B大隊所属のアメリカ製M4中戦車シャーマン・ファイアフライSherman Firefly:M4シャーマンファアフライ戦車は、M4シャーマン戦車の搭載していた37.5口径75ミリ戦車砲M3を58.3口径オードナンス17ポンド(76.2ミリ)対戦車砲に変換したために、砲塔が大型になった。砲塔の後方が突出した形状になっている。
Catalogue number: B 7557, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt), Object description: Sherman Firefly Vc T212680 'Belvedere' of B Squadron, Staffordshire Yeomanry, 27th Armoured Brigade, carrying infantry during Operation 'Goodwood', 18 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 7557)引用。


 M4シャーマン・ファイアフライ(Firefly:ホタル)は、従来のM4シャーマン戦車の車体はそのままで、搭載していた75ミリ戦車砲を長砲身58.3口径オードナンス社の17ポンド対戦車砲17 Pounder Anti-Tank Gun)に変換、装備した。つまり、76.2ミリ砲(Ordnance QF 17-pounder Towed Anti-Tank Gun)を搭載して対戦車能力を向上させたシャーマン戦車である。

 イギリス製の長砲身58.3口径オードナンス17ポンド対戦車砲17 Pounder Anti-Tank Gun)は、1943年から生産された、装弾筒付徹甲弾APDS:Armor Piercing Discarding Sabot)を装填できる強力な対戦車砲である。装弾筒付徹甲弾APDS:Armor Piercing Discarding Sabot)は、質量の大きいタングステンを含む弾頭を用いて、貫通力を高めた。装弾筒は軽金属として軽量化し初速は毎秒1000メートルの高速。搭載砲弾数は77発。


写真(上)2016年3月18日、アメリカのインターネットオークションeBayで1944年製M4シャーマンファイアフライ戦車「M4A2E8」が入札にかけられた。
車体の塗装も転輪に装着している緩衝ゴムも真新しく見える。この車両は搭載しているオリジナルのディーゼルエンジンで稼働できる状態にある。即決買取価格は55万ドル(6100万円)もするが、歴史的価値がある。eBayで競売にかけられた1944年GM社製造のM4シャーマン中戦車「M4A2E8」は即決買取価格は55万ドルで、入札の最終日は3月23日だった。写真はBring a Trailer The best vintage and classic cars for sale online 引用

M4シャーマン中戦車「M4A2E8」のオークション(Yahooニュース2016年3月18日 )
1944年にGM(General Motors :ゼネラルモーターズ)で生産されたデーゼルエンジン搭載の「M4A2E8」をレストアしたものがオークションeBayで販売された。主砲や搭載機銃など火器は使用不能にされているが、M4A2E8オリジナルのディーゼル・エンジンを搭載しており実際に走行が可能。M4シャーマン中戦車M4A2E8を20年以上していた所有者(オーナー)は、現金化するためにオークションで売り出したようだが、開始価格は1000ドル(約11万円)、即決価格は55万ドル(6100万円:$550,000)とされた。3月16日には$185,301.77、オークション5日で20万ドル(約2200万円)以上に吊り上がったが、入札はアメリカ国内限定の国内販売とされている。

イギリス陸軍シャーマン・ファイアフライ戦車


5.アメリカ陸軍 M4 シャーマン Sherman Crab flail地雷撤去クラブフライル戦車

 1942年8月19日、戦局悪化の打開とソ連のスターリンのヨーロッパ侵攻による第二戦の形成要求に応じる形で、本格的なヨーロッパ侵攻前の試験的な奇襲作戦として「ディエップ奇襲上陸作戦」(Dieppe Raid)が実施された。これは、北フランスのディエップに上陸し、防備手薄な小規模なドイツ軍部隊を攻撃、6時間で直ちに撤退する奇襲である。つまり、いまだにドイツ軍は優勢であり、ヨーロッパ反攻は不可能な状況にあることを認識し、北フランスに橋頭堡を築くのではなく、政治的効果、イギリス軍の士気高揚を狙った短期的作戦であった。

写真(右)1944年4月27日、イギリス、ノルマンディー侵攻に投入予定の第79装甲師団の地雷掃除用のM4シャーマンSherman Lobster flailロブスター・フライル戦車:回転ローラーを支えるアーム(支柱)には、土砂除けのカバーが装備されている。
Catalogue number: H 38079, Part of CHERTSEY COLLECTION, Subject period: Second World War、Object description: Sherman Lobster flail.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 38079)引用。


1942年8月19日、「ディエップ奇襲上陸作戦」(Dieppe Raid)が実施された。カナダ軍・イギリス軍を中核にしたコマンド部隊6,000人がチャーチル歩兵戦車30両のとともに上陸したが、優勢なドイツ軍の反撃にあって半数以上の損害をだし、作戦は大失敗に終わった。この上陸で、軟弱な砂浜や障害物を乗り越えることも、トーチカの守備隊への攻撃も困難であることが判明した。そこで、作戦失敗を活かして、敵の防備する海岸に上陸する際、その障害・防備を打ち破ることのできる特殊装甲工作車両の必要性が認識されたのである。

 1942年8月19日のディエップ奇襲上陸作戦Dieppe Raid)では、イギリスが新鋭チャーチル歩兵戦車を投入した。この戦車は、重装甲と攻撃力、すなわち対歩兵に軽快な戦車砲を砲塔に搭載し、大型榴弾を発射できる大口径砲を車体に搭載していた。つまり、対歩兵・対戦車能力を併せ持っており、奇襲上陸に大きな威力を発揮すると期待されていた。しかし、軟弱な砂浜海岸や障害物でその機動が制限され、十分な威力を発揮できずに、立ち往生してしまったのである。

 1942年8月のディエップ奇襲上陸作戦Dieppe Raid)の失敗を受けて、イギリス軍は、ヨーロッパ大陸侵攻、北アフリカ侵攻時の上陸作戦のためには、海岸に上陸する際の特殊装甲工作車が必要であると認めるようになった。こうして、装甲車両王立工作車(AVRE:Armoured Vehicle Royal Engineers)と称される工兵部隊用の特殊車両が開発されるようになったのである。

 装甲車両王立工作車(AVRE:Armoured Vehicle Royal Engineers)の母体となったのは、イギリス製チャーチル戦車やマチルダ戦車、あるいはアメリカ製M4シャーマン中戦車など、既存の戦車で装甲が施された車両だった。つまり、海岸に上陸するに際して、敵の下記の反撃を想定し装甲車が、砂浜海岸の軟弱地盤を支障なく装甲するキャタピラ式の車両が求められたが、新規の設計・生産では効率が悪いので、結局、既存の戦車を利用することになった。

 砂浜海岸への上陸作戦のために準備された工兵部隊用の特殊車両は、装甲車両王立工兵隊指揮官パーシー・ホバートPercy Hobart:1885-1957)少将に因んで「ホバーツ・ファニーズ」(Hobart's Funnies:ホバートの奇妙な連中)と自嘲気味に呼ばれることになった。戦車を改造した特殊車両は、特異な装備をして、車両の形状も異彩を放っていたからである。

写真(右)1942-1943年頃、アメリカ製M4シャーマン戦車の車体を改修したシャーマン・マーキスSherman "Marquis" Flail Tank フライル戦車:砲塔を除去して車体前面に鎖をつけた回転ローラーを装備している。シャーマン戦車は75ミリ砲を装備した砲塔があったが、重量軽減のためか、主砲は除去されている。この型の後に、75ミリ砲を搭載した砲塔をそのまま残した地雷掃除戦車が開発された。
Catalogue number: MH 9289, Part of FIGHTING VEHICLE ESTABLISHMENT CHOBHAM, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: A side profile of a Sherman "Marquis" Flail Tank.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (MH 9289)引用。


 西側連合軍がヨーロッパ大陸反攻ノルマンディー上陸、オーバーロード作戦の際、上陸海岸に敷設されたドイツ軍の地雷を掃除する目的で、地雷除去戦車が開発された。地雷除去戦車の中核は、M4シャーマン戦車を利用したもので、車体前面に鎖付き回転ローラードラムを装備し、それを回転駆動させて地雷を爆破あるいは破壊することを企図した。M4シャーマン・クラブフライルSherman Crab Flail)と呼ばれた地雷除去戦車は、上陸作戦以降も、地雷爆破用に使用され、1945年4月のドイツ本土進攻にも先陣を切っている。

写真写真(右)1944年4月27日、イギリス(?)、ヨーロッパ大陸侵攻に投入予定のイギリス王室工兵隊パーシー・ホバート少将指揮下の第79装甲師団の地雷掃除用のアメリカ製M4シャーマンSherman Crab Mark II クラブ・フライル戦車:ノルマンディー上陸作戦のために準備された工兵部隊用の特殊車両は、指揮官に因んで以Hobart's Funnies(ホバートの仲間たち)と通称された。軽量化の為、回転ローラーを支えるアーム(支柱)には、土砂除けのカバーが装着されている。
Catalogue number: H 38079, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War、Object description: Sherman Crab Mark II minesweeping flail tank, one of Hobart's 'funnies', used to clear already identified minefields. Label: Sherman Crab Mk II flail tank, one of General Hobart's 'funnies' of 79th Armoured Division, during minesweeping tests in the UK, 27 April 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 38079)引用。


シャーマン・クラブフライルSherman Crab Mk II flail)は、敷設された地雷を除去するため、回転ローラーに鎖(チェーン)を装備した車輌で、シャーマン・クラブフライルとも呼ばれた。車体前面に鎖をつけた回転ローラー(クラブ・フライル)を装備して、鎖の衝撃で敷設された地雷を破壊する。爆破の衝撃や破片から乗員を保護するために装甲が保護こされている。

アメリカ陸軍M4シャーマン・クラブフライルSherman Crab Mk II flail)が、地雷除去作業をすると、砂が舞い上がり、戦車砲の砲口に異物が入り込んだ。そこで、戦車の砲塔を180度回転して、後方に砲身を向けて地雷除去作業を行った。つまり、地雷除去と敵への砲撃を同時に行うことはできなかった。

地雷写真(右)1944年6月6日、北フランス、ノルマンディーのソードビーチ、動けなくなったシャーマン Sherman Crab flail地雷掃除戦車とアメリカ製のジープ:車体前面の回転ローラー(クラブ・フライル)の衝撃で敷設された地雷を破壊する。手前の浅瀬には、イギリス軍の捕虜となったドイツ軍兵士の集団が映っている。
Catalogue number: B 5089, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Mapham J (Sgt), Object description: A group of German prisoners standing in the water next to a disabled Sherman Crab flail tank watch as a jeep is towed from the sea, Queen beach, Sword area, 6 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 5089)引用。


 M4シャーマン Sherman Crab flailクラブ・フライル地雷掃除戦車は、地雷除去を行わないときも、回転ローラー(クラブ・フライル)を車体の前面に装着していたために、車体前方に重量が偏ってしまい、バランスが悪かった。整地であれば、重量バランスの悪さは、航続距離の短縮程度の問題で済むが、不整地であれば、戦車の自量30トンと回転ローラーの重量が加わって、機動性が大きく損なわれた。
 海岸付近で動けなくなったM4シャーマンクラブ・フライル地雷掃除戦車は、ドイツ軍による反撃を受けたというよりも、機動性が低いために砂浜のような軟弱な地盤で立ち往生してしまった車両も少なくない。

  アメリカ製M4シャーマン Sherman Crab flail(クラブ・フライル)地雷除去戦車は、地雷除去のために鎖の付いたローラーを回転させると、土砂が舞い上がり、砂塵で前方視界が悪くなった。また、75ミリ戦車砲の砲口から砂塵が大量に入り込み、さらに砂塵で前方視界が悪くなるために、戦車砲を正面射撃することはできなかった。地雷除去の時には、クラブ・フライル戦車は、砲塔を後方を向ける必要があったのである。つまり、戦車砲を使用しながら、地雷除去をすることは原則できなかった。

写真(右)1944年11月1日、オランダ、ワルヘレン(アントワープ西岸沖)に上陸したイギリス軍シャーマン Sherman Crab flail(クラブ・フライル)地雷除去戦車:LCT(戦車揚陸舟艇)からオランダのワルヘレン島に上陸した地雷除去戦車。前面に装備した回転ローラー(クラブ・フライル)の衝撃で敷設された地雷を破壊できる。手前の浅瀬には、イギリス軍の捕虜となったドイツ軍兵士の集団が映っている。
Catalogue number: B 11632, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Crocker (Sgt),  Object description: A Sherman Crab flail tank coming ashore from an LCT during the invasion of Walcheren Island, 1 November 1944. 
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 11632)引用。


オランダのワルヘレン島Walcheren Island)は、ベルギーの要港アントワープの沖にある島で、ドイツ軍は東岸を中心に防備を固めていた。ドイツ本土侵攻のためにアントワープを起点としたかった西側連合軍は、1944年10月末にワルヘレン島とオランダ本土を結ぶコーズウェーを攻撃した。

M4シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail


6.アメリカ陸軍 M7 105ミリ自走榴弾砲 GMC (Gun Motor Carriage)

写真(右)1944年6月6日、ノルマンディ海岸エルマンヴィル=シュル=メール近くのイギリス軍王室近衛砲兵隊第33野戦砲兵大隊のアメリカ製 M7プリエスト105ミリ自走榴弾砲 GMC (Gun Motor Carriage) : ノルマンディ海岸の上陸地点は、ソード・ビーチ、ジュノー・ビーチ、ゴールド・ビーチ、オマハ・ビーチ、ユタ・ビーチの5カ所だったが、後方への空挺部隊降下も行われている。
Catalogue number: B 5032, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Mapham J (Sgt),  Object description: A battery of M7 Priest 105mm self-propelled guns from 33rd Field Regiment, Royal Artillery, near Hermanville-sur-Mer, 6 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 5032)引用。


M7プリースト105ミリ自走榴弾砲105mm SP M7 Priest)は、M3中戦車の車台をベースにした機械化部隊随伴の自走砲で、1941年6月に開発された。105mm砲弾を69発搭載。1942年中に2,000両が生産され、その後1944年10月までにさらに1100両が生産された。M12 155ミリ自走加農砲も開発された。 


7.アメリカ陸軍 M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage)

写真(右)1944年6月10日、ノルマンディ、バイユー近くのイギリス軍第987野戦砲兵大隊のアメリカ製 M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage)
Catalogue number: B 5413, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt),  Object description: An American M12 GMC 155mm self-propelled gun of 987th Field Artillery Battalion near Bayeux, 10 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5413)引用。


M12 155ミリ自走加濃砲 GMC諸元
全長:6.73 m、全幅:2.67 m、全高:2.7 m
重量: 26トン
装甲:車体前面50mm
兵装:38.2口径M1917 155mmカノン砲、 搭載弾薬 10発
ライトコンチネンタル R975 EC2 空冷星形9気筒ガソリンエンジン(340馬力)
行動距離 220 km

 1941年6月に開発開始、1942年2月に試作車が完成したM12 155ミリ自走加濃砲 GMCは、フランス設計の38.2口径155mm加農砲M1918M1を、M3リー中戦車の車台に搭載した自走砲。 四角形の戦闘室は、、前面、左右側面を垂直な0.5インチ(12.7mm)厚の装甲板で囲んでいる。

 M12 155ミリ加農砲M1918M1は、左右旋回角左右各15度、仰角−3〜30度で、射会は広い。42キロの榴弾は、最大射程1万8,000メートルに達する。しかし、大型砲弾のために、車載可能な弾丸は10発分に過ぎない。また、弾頭と薬莢が一体化していない分離装薬式であったために、装填に手間がかかり、発射速度は毎分4発程度に制限された。


8.M10 ウォルブリンWolverine/アキリーズAchilles 駆逐自走砲戦車 17-pdr tank destroyer

写真(右)1944年8月11-14日、北イタリア、フィレンツェ(フローレンス)、イギリス軍第6装甲師団第72駆逐戦車連隊第111中隊のアメリカ製M10ウォルブリンWolverine(クズリ)3インチ駆逐自走砲戦車:3インチ戦車砲の仰角を上げて射程を延ばせるように、M10駆逐自走砲を坂道に乗せて、上向きにし、戦車砲の仰角を大きくしている。
Catalogue number: NA 17868, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION,
Subject period: Second World War, Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Radford (Sgt),  Object description: M10 tank destroyers of 'A' Troop, 111st Battery, 72nd Anti-Tank Regiment, 6th Armoured Division, in the Arno valley near Florence, 11 - 14 August 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (NA 17868)


アメリカ軍M10ウォルブリンWolverine 3インチ駆逐自走砲戦車

M10 アキリーズ駆逐自走砲戦車の主砲は、3インチ M7戦車砲で、通常のM4シャーマン搭載の75ミリ戦車砲よりも対戦車戦闘能力は高かった。後に新型シャーマン・ファイアフライが搭載した76 ミリM1戦車砲と弾頭・口径は共通の76.2ミリ(3インチ)である。しかし、76.2ミリ(3インチ)薬莢は若干大型で装薬量が多く、砲身も長く、装甲貫通能力能力は若干勝っている。

3インチ(76.2ミリ) M7戦車砲のAPC(通常弾)M62は、敵のドイツ陸軍IV号戦車の搭載した48口径7.5センチ砲以上の能力がある。また、タングステン芯を使ったHVAP(高速徹甲弾)M93の場合、3インチ(76.2ミリ) M7戦車砲の貫通力はドイツ軍の8.8センチ砲と同等の威力があった。

イギリス軍M10 アキリーズ 17ポンド駆逐自走砲戦車Achilles 17-pdr tank destroyer


9. シャーマン海岸装甲回収車BARV (Beach Armoured Recovery Vehicle)

写真(右)1944年2月8日、イギリス、ロンドンのアールズ・コート屋内展示場に置かれたシャーマン海岸装甲回収車BARV(Beach Armoured Recovery Vehicle:海岸装甲回収車)
Catalogue number:H 35624, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Stubbs (Sergeant), Object description: Sherman BARV (Beach Armoured Recovery Vehicle), Earls Court, London, 8 February 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 35624)引用。


 北フランスの砂浜海岸は軟弱な地盤で、戦車やトラックなどが不整地で動けなくなることが予測された。そのまま放置しておけば、波にさらわれてしまったり、これから上陸する部隊の障害物になったりする。そこで、上陸海岸で立ち往生した戦車など重量物を回収する戦闘車両として 、シャーマン回収車BARV(Beach Armoured Recovery Vehicle:海岸装甲回収車)が開発された。装甲を施しているのは、後方の安全地帯での作業ではなく、放火の飛び交う最前線での回収作業のためである。

さらに、海岸線に上陸を阻むために設けられたバリケードや機雷をダイバーを使って除去することも必要で、ダイバーを安全に所定地点に運ぶために装甲を施した水陸両用の車両が必要だった。

写真(右)1944年6月2日、イギリス南部ペットワースPetworthからゴスポートGosportへ移動中のイギリス軍第13/18騎兵連隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車とシャーマン海岸装甲回収車BARV(Beach Armoured Recovery Vehicle) : 数日後に迫ったノルマンディ侵攻のDデイに合わせて、港での乗船準備に向かうところ。
Catalogue number:H 38987, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Mapham J (Sgt), Object description: A Sherman BARV (Beach Armoured Recovery Vehicle) and Sherman tanks of 13th/18th Royal Hussars during the regiment's move from Petworth to Gosport, prior to embarking for D-Day, 2 June 1944. Label: A Sherman BARV (Beach Armoured Recovery Vehicle) and Sherman tanks of 13th/18th Royal Hussars during the regiment's move from Petworth to Gosport, prior to embarking for D-Day, 2 June 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (H 38987)引用。


 シャーマン海岸装甲回収車Sherman BARV (Beach Armoured Recovery Vehicle)は、M4シャーマンA2戦車をベースにして、車体から砲塔を撤去、軽量化し、そこにウインチやワイヤーなど牽引に必要な用具を搭載した戦車回収車。海岸から上陸するときには、戦車と異なって、水陸両用であり、海岸付近に敷設された機雷を除去するためのダイバーも乗り込んでいた。

  写真(右)1944年6月6日、イギリス南岸ゴスポートGosportから戦車上陸用舟艇 LCT 610に積載されてノルマンディ海岸に向かうイギリス軍第27装甲旅団第13/18騎兵連隊のアメリカ製M4シャーマンSherman戦車とその前に置かれたシャーマン海岸装甲回収車BARV (Beach Armoured Recovery Vehicle)
Catalogue number:H 38987, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Mapham J (Sgt), Object description: Sherman tanks and other vehicles of 13th/18th Royal Hussars, 27th Armoured Brigade, aboard LCT 610 approaching the French coast, 6 June 1944. The Sherman tank in the foreground (T147161 '10' 'Balaclava') is a RHQ tank. In front of it is a Sherman BARV (Beach Armoured Recovery Vehicle). 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (H 38987)引用。


 シャーマン海岸装甲回収車BARVBeach Armoured Recovery Vehicleは、
?戦車よりも軽量で機動性が高いために真っ先に上陸して、航続する戦車が不整地で動けなくなった際にすぐに牽引できる位置にあるようにする、
?敵の放火を真っ先に浴びるのであれば、最前線での戦車回収をするためにも戦車並みの装甲を確保する、
?水陸両用車両とすることで、海岸に敷設された機雷や障害物をダイバーを使って掃除する、
という3つの特徴があった。

写真(右)1944年6月14日、海岸で動けなくなったベッドフォード・トラックを牽引するシャーマン海岸装甲回収車BARV (Beach Armoured Recovery Vehicle) :ノルマンディ上陸地点のようだが、イギリスの海岸でトラックを揚陸艦まで牽引しているのかもしれない。
Catalogue number:B 5578, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, No 5 Army Film & Photographic Unit Morris (Sgt), Object description: A Sherman BARV tows a disabled Bedford articulated lorry and trailer off the beach, 14 June 1944.
 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 5578)引用。


シャーマン海岸装甲回収車BARV は、M4シャーマン戦車より前に置かれているので、上陸時にはM4より先に上陸することになる。これは、砲塔がなく水陸両用で機動性に富んだシャーマン海岸装甲回収車BARV が戦車に先行することで、?海岸付近の機雷をダイバーを使って掃除する、?戦車が軟弱地盤で立ち往生した場合に、ワイヤーや鎖を使って即座に牽引し、脱出させること、という2点が企図されている。

 水陸両用車両として、海岸に敷設された機雷や障害物をダイバーを使って掃除するといった現在のシールズのような任務も考慮されていたが、実際にはこの任務には、海上機動性が求められ、水陸両用車よりも上陸用舟艇を利用したほうが効果的と判断できる。また、最前線での海岸部の掃除は、秘匿作業で行ったほうが有利であり、大騒音を立てる水陸両用車の使用は敵に発見、攻撃を受けやすい。そこで、シャーマン海岸装甲回収車BARVを用いた機雷除去作業は実戦では実施されていないようだ。


10.シャーマン回収車 (Sherman Recovery tank)

写真(右)1944年6月-7月、北フランス、カーン南5マイル、ファレーズ方面に向かうイギリス軍シャーマンSherman回収戦車。後方のM4シャーマン戦車との間隔が狭いので牽引しているようだ。 :M4シャーマン戦車の砲塔を除去し、軽量化したために、牽引能力は大幅に向上した。シャーマン海岸装甲回収車BARVは、水陸両用を目指しており、水上装甲の装備も備えた複雑な構造であり、全高も1メートル近く高い。しかし、シャーマン回収車は、砲塔を除去しただけの簡易型の工作車である。
Catalogue number: B 8910, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Object description: The town of Bourguebus, five miles south of Caen on the road to Falaise was cleared of the enemy by British infantry and tanks. Picture shows: A Sherman Recovery tank towing a crippled Sherman through the ruined town. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 8910)引用。


写真(右)1944年8月6日、北フランス(?)、穴にはまって動けなくなったM4シャーマン戦車を牽引して救出しようと働いているイギリス軍工兵とイギリス軍シャーマンSherman回収戦車。 横になったM4シャーマン戦車の車体前面に大型の隙のような金属板が埋め込まれているが、これはキャタピラが土砂で滑らないようにする導板である。シャーマン回収車は、砲塔を除去し、牽引装置を備えただけの簡易工作車ではあるが、その牽引能力の大きさをもって活躍していた。
Catalogue number: B 8741, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Gee (Sgt),  Object description: A tank recovery unit works to extricate a Sherman from a ditch, 6 August 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 8741)引用。


写真(右)1945年3月24日、ドイツ、ライン川を渡河したイギリス軍シャーマンSherman回収戦車と特殊装甲工兵車両。 :M4シャーマン戦車の砲塔を除去し、牽引装置などを装着しただけの簡易工作車だが、車体、サスペンション、エンジンはM4戦車と同じなので、軽量になった分だけ、牽引能力は向上している。
Catalogue number: B 8910, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Malindine E G (Capt),  Object description: A Sherman ARV and other specialised armour moving up to cross the Rhine, 24 March 1945. Label: A Sherman ARV (armoured recovery vehicle) and other specialised armour moving up to cross the Rhine, 24 March 1945. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 8910)引用。


写真(右)1945年4月20日、ドイツ、ハンブルク=ブレーメンの道路で仮設架橋が崩落し転落したイギリス近衛師団アイルランド近衛歩兵連隊(IG)のM4シャーマン中戦車を牽引して回収しようとしているシャーマンSherman回収戦車 :転落したM4シャーマン戦車は大重量なので、牽引には、ワイヤーでも鎖でもなく、ロッドを繋いだものを使用している。左はシャーマンSherman回収戦車、右端は、ゴムタイヤの牽引車で、牽引にはワイヤーを使用しているようだ。M4シャーマン戦車の車体前面には転輪が3個あり、補助装甲板として機能している。また、車体前面と砲塔の周囲は樹木で偽装されている。このような実戦に投入された戦車の上面を撮影した写真は珍しく貴重である。
Catalogue number: BU 4162, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Johnson (Sgt), 
Object description: Recovery vehicles prepare to tow a Sherman tank of the Irish Guards out of a stream where it landed after collapsing a bridge on the slip road leading to the Bremen-Hamburg autobahn, 20 April 1945. The tank was evenutally recovered undamaged.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (BU 4162)引用。


シャーマン海岸装甲回収車(BARV: Beach Armoured Recovery Vehicle)は、水陸両用を目指しており、水上装甲の装備も備えた複雑な構造であり、全高も1メートル近く高い。しかし、 シャーマン回収車Sherman ARV ( Armoured Recovery Vehicle)は、砲塔を除去し、牽引装備を追加したより簡易仕様の工作車である。

2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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