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◆ブローム‐ウント‐フォス(Blohm & Voss)BV-138飛行艇
写真(上)1943年秋、ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合したブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇
:ゴムボートを使って、潜水艦と飛行艇の間の連絡を取っている。潜水艦からゴムホースを伸ばして、飛行艇に軽油(ディーゼル油)を海上補給するのである。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0103-25 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss BV 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild101I-507-B0103-25引用



写真(上)1942-1943年、ソビエト連邦北部、氷の海(Eismeer)で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合したブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇
:ブローム・ウント・フォッス社は、ドルニエ Do 18と同じ燃費の良いユンカース ユモ 205ディーゼルエンジン3基搭載する長距離飛行艇を開発し、試作1号機を第二次大戦半年前の1939年2月に初飛行させた。その後、安定性を回復するための改修作業が行われ、1941年になって改良型BV 138Cが完成した。BV138飛行艇は、227機生産され、大西洋、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-506-B0097-17A Archive title: Sowjetunion-Nord.- Eismeer, Versorgung eines deutschen U-Boots mit Nachschub von einem Flugzeug Blohm & Voss BV 138; Lfl 5 Dating: 1942/1943 Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild101I-506-B0097-17A引用

写真(上)1942-1943年頃、ノルウェー、北極海、ドイツ海軍第406沿岸航空隊第5飛行中隊(V.KuFlGr406)所属ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138飛行艇(K6+BE)

In 1935, the German Reich Air Ministry (Reichsluftfahrtministerium or RLM) produced a requirement for a twin engined general purpose floatplane, suitable both for patrol and for anti-shipping strikes with bombs and torpedoes. Proposals were received from both Heinkel Flugzeugwerke and from Blohm & Voss' aircraft subsidiary, Hamburger Flugzeugbau, and on 1 November 1935, orders were placed with both Heinkel and Hamburger Flugzeugbau for three prototypes each of their prospective designs, the He 115 and the Ha 140.
写真は、KuFlGr406 main list Blohm and Voss BV 138 V.KuFlGr406 K6+BE ebay 01 引用。

1934年にヒンデンブルク大統領が死去すると,大統領選挙なしに、いきなり首相が大統領を兼任する国民投票を強行,ヒトラーは総統となった。そして,軍の将兵は,全員,総統アドルフ・ヒトラーに忠誠を誓うように宣誓文を改変し、国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルク(Werner von Blomberg:1878-1946)もそれを受諾した。

写真(右)1936年4月20日,ヒトラー総統、陸軍大臣フォン・ブロンベルク元帥、海軍提督レーダー博士,ルントシュテット将軍:ベルリンの軍事パレードに参加した後。ヒトラーは,突撃隊SA幕僚長レームら幹部を粛正,国防軍に代わる軍隊を創設するつもりがないことを示した。
Geburtstag des Führers 1936. Adolf Hitler verabschiedet sich von Reichskriegsminister Generalfeldmarschall von Blomberg. [nach der Parade in Berlin]. Dahinter General-Admiral Dr. h.c. Raeder [und General von Rundstedt]. Archive title: Werner v. Blomberg und Adolf Hitler, Hände schüttelnd. dahinter General-Admiral Erich Raeder und General Gerd von Rundstedt Dating: 20. April 1936
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


1934年8月2日導入の新しいドイツ国防軍兵士の忠誠宣誓
"Ich schwöre bei Gott diesen heiligen Eid, dass ich dem Führer des Deutschen Reiches und Volkes, Adolf Hitler, dem Oberbefehlshaber der Wehrmacht, unbedingten Gehorsam leisten und als tapferer Soldat bereit sein will, jederzeit für diesen Eid mein Leben einzusetzen."

「私は,聖なる宣誓によって神に誓う。ドイツ帝国と国民の総統,アドルフ・ヒトラー国防軍最高司令官に対して自ら無条件の忠誠を捧げ,勇敢なる兵士として,いかなる時も命を投げ出すことを。」
Die feierliche Vereidigung der Reichswehr auf den neuen Reichspräsidenten Adolf Hitler! Die Mannschaften mit Trauerflor beim Ablegen des Eides auf den neuen Reichspräsidenten Adolf Hitler.

海軍提督レーダー ナチス政権奪取から2年後の1935年3月16日,ヒトラーは,ベルサイユ条約の打破の公約実行するために,再軍備を宣言し,兵役の復活によって,50万人の兵力,戦車を保有し,陸軍参謀本部を正式に復活し,空軍を新設した。

ここで,1936年3月の再軍備宣言は,強大な軍事大国を一挙に目指したのではなく,周辺国への脅威とはいえない範囲にとどめており、だからこそ,英仏,ポーランド,ソ連もドイツの再軍備を黙認した。

1935年6月、イギリスに至っては、海軍提督エーリヒ・ヨーハン・アルベルト・レーダーErich Johann Albert Raeder: 1876-1960)総司令官率いるドイツ海軍を脅威とはみなさず、英独海軍協定Anglo-German Naval Agreement) )を結んで、ドイツ再軍備を公認した。

しかし、裏では、1922年のソ連とのラパロ条約秘密議定書で,ドイツはソ連奥地におい軍備を整える兵器開発・訓練をし、スウェーデン,スイスに合弁会社を設立して新型火砲を開発していた。つまり,ドイツ・ワイマール共和国の内部で,軍隊復活の動き、闇の国防軍は着実に強化されていたが、ヒトラーは再軍備を宣言して,軍を再建したのは,すべて自分の功績であるかのように吹聴した。

ヘルマン・ゲーリング ワイマール共和国の軍事組織維持の背景の中で,三軍総司令官となったヒトラー総統は,1935年3月16日,ベルサイユ条約の軍備制限条項を破棄して,再軍備を宣言した。この時,国軍Reichswehrは,国防軍Wehrmachtに戻され,陸軍,海軍に加えて,ヘルマン・ゲーリング率いる空軍が新設された。再軍備宣言から2ヵ月後,1935年5月21日に兵役法が施行。

忠誠宣誓については,従来のように国家と憲法に忠誠を誓うのではなく,三軍最高司令官の総統兼首相のヒトラーに忠誠を誓うが、実は、この宣誓は、親衛隊SSがヒトラー個人に忠誠宣誓をするのとほぼ同じである。

1936年のラインラント非武装地帯への武力進駐,1938年3月のオーストリア併合アンシュルスは,この復活させたドイツ国防軍を使って,達成された。

1938年5月23日,ベルリンの帝国官房(総統官邸)で,三軍総司令官が出席した会議で,ヒトラー総統は,「適当な機会があり次第,ポーランドを攻撃する」ことを宣言している。


1.ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 偵察飛行艇

写真(右)1937年8月に完成し、11月までバルト海で飛行試験が続けられたハンブルク航空機 (Hamburger Flugzeugbau)Ha 138 V2 (D-AMOR)飛行艇試作2号機:Ha 138 V1 (D-ARAK)飛行艇試作1号機は、燃費の良いユンカース ユモ Jumo205ディーゼルエンジン3基搭載したHa 138V1試作機1号機(D-ARAK)は7月15日初飛行した。プロペラは全て3翅を装備している。ハンブルクHa 138 V2 (D-AMOR)の試験飛行の結果、空中と海上での安定性が悪く、強度不足も指摘されたために、開発は長引いた。br>Blohm and Voss Ha 138 Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID:38234822 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002283.TIF Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, PictionID: 38234822引用。


ハンブルク航空機 (Hamburger Flugzeugbau)の企画になる中型長距離旅客飛行艇ハンブルク航空機 (Hamburger Flugzeugbau)Ha 138は、1938ブローム・ウント・フォッス社は、ドルニエ Do 18と同じく燃費の良いユンカース ユモ 205ディーゼルエンジン3基搭載する形で長距離飛行を可能にした。1937年に、ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)138の原型Ha 138試作機が完成したが、空中と海上での安定性が悪く、強度不足も指摘されたために、開発は長引いた。水上安定性と飛行中の空力学的問題が生じたのである。

ブローム・ウント・フォスの子会社ハンブルク航空 (Hamburger Flugzeugbau)の開発したHa 138 V1(D-ARAK)飛行艇試作1号機は、1937年7月15日初飛行、同試作2号機Ha 138 V2 - (D-AMOR)は、1937年8月初飛行で、その1937年のうちに、 ブローム・ウント・フォス Blohm & Voss Bv 138飛行艇と呼称されるようになった。

子会社ハンブルク (Hamburger Flugzeugbau)が、飛行艇の開発を始めたのは、親会社ブローム・ウント・フォスが造船、潜水艦建造などを担っていた船舶関連大企業で、エルベ川河畔に工場があったことを反映している。1935年には、Ha138飛行艇のモックアップが製造され、3機のプロトタイプ試作機を受注した。この3機のHa138試作機は、1000hp級の発動機を搭載する予定だったが、エンジンは、他機種に優先されたために、3機はみなユモJumo205Cディーゼルエンジン650hp3基を搭載した。発動機は、2基が左右主翼上面、中央の胴体上に1基の発動機が置かれた。

写真(右)1937-1938年頃,海上のドイツ空軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv 138試作2号飛行艇V-2 D-AMOR
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43932633 - Catalog:16_005018 - Title: Blohm & Voss Bv 138 V-2 D-AMOR Nowarra photo - Filename:16_005018.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43932633引用。


第一次大戦までのドイツ帝国の国旗は、帝政の「黒・白・赤」の横縞三色国旗である。しかし、第一次大戦後は、訂正が崩壊し、ドイツ(ワイマール)共和国となり、「黒・赤・金」の横縞三国旗に変更された。しかし、1933年1月30日に樹立されたヒトラー政権では、共和国を否定し、事実上「ドイツ第三帝国」を復活したために、帝政の「黒・白・赤」の横縞三色国旗に再度改められた。したかって、ベルサイユ条約で認められたドイツ民間機の国籍マークは、1933年1月のヒトラー政権では、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、帝政の「黒・白・赤」の横縞三色国旗を模したものが垂直尾翼に描かれている。

ハンブルクHa 138 V1 (D-ARAK)飛行艇試作1号機は、1937年7月15日に初飛行した。ハンブルクHa 138 V2 (D-AMOR)飛行艇試作2号機は、1937年8月に完成し、11月までバルト海で飛行試験が続けられた。しかし、水上安定性と飛行中の空力学的問題が生じた。ハンブルクHa 138 V2 (D-AMOR)飛行艇試作2号機によるテストが続けられていたために、Ha 138 V3試作3号機は放棄された。

ハンブルク (Hamburger Flugzeugbau)は、ブローム・ウント・フォス航空の子会社で、Ha135複座水上機が最初に開発された飛行機だった。その後、ブローム・ウント・フォスの飛行機主任設計者に迎えられたリヒャルト・フォークト(Richard Vpgt)技師は、Ha136単座機、Ha137急降下爆撃機を設計した。このHa137急降下爆撃機と競争試作を競って制式されたのが、ユンカースJu87急降下爆撃機である。そして1937年から、ハンブルク航空の開発したHaの機体は、ブローム・ウント・フォス航空のBvの名称を使うようになった。

ハンブルクHa 138 V2 (D-AMOR)飛行艇試作2号機の飛行試験を受けて、水上と飛行中の安定性を改良するために、胴体後方から尾翼までのビームが長くのばされ、垂直尾翼は拡大されたこれがBv 138 A-01(D-ADJE)飛行艇でさらにBv 138 A-02からA-06まで5機が先行生産型として製造されたが、これらの機体は、機首銃座(ターレット)に20mm機関銃1挺、後方に7.92mmMG15戦秋機関銃を装備している。

ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss Bv 138)の量産生産型V1飛行艇試作1号機がリヒャルト・フォークト(Richard Vpgt)技師の設計で初飛行したのは、第二次大戦半年前の1939年2月と遅れたために、民間航空での使用されることはなく、軍用に回された。

写真(右)1936-1938年頃,ドイツ軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv 138飛行艇:3基のJumo205Cディーゼルエンジン650hpは、全て3翅プロペラを装備している絵葉書ポストカード。ハンブルク航空機 (Hamburger Flugzeugbau)で1937年に完成した中型旅客飛行艇Ha138は、空中と海上での安定性が悪く、強度不足も指摘されたために、ドイツ・ルフトハンザ航空で就役することができなかった。そこで、後継のブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)社に引き継がれて、試作2号機Vが完成している。3基のエンジンは、全て3翅プロペラを装備。
Ansichtskarte / Postkarte Blohm & Voss BV 138 Flugboot, See-Fernaufklärer der Luftwaffe Nr. 2.648.632 ungelaufen, sehr guter Zustand
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten , Ansichtskarte / Postkarte Blohm & Voss BV 138 引用。


九七式大型飛行艇 1933年にナチ党政権下のドイツに帰国したリヒャルト・フォークトRichard Vogt)博士は、ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)社の主任設計技師に就任した。ここでブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)138飛行艇、Ha-140(Blohm & Voss Ha 140)水上雷撃機、BV-141偵察機(非対称機)、BV-222飛行艇ヴィーキング、BV238巨人飛行艇などを開発した。第二次大戦でドイツが降伏した後は、アメリカ軍が枢軸国の高度技術取得のために行ったペーパークリップ作戦Operation Paperclip)の恩恵に浴し、アメリカに移住して、アメリカ軍の下で軍事研究に従事した。

飛行機設計者リヒャルト・フォークトRichard Vogt)は、1894年12月19日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴェービッシュ・グミュントこ生まれた。第一次大戦に参加、復員後、シュトゥットガルト工科大学で、航空工学を学んだ。その後、1923年にリヒャルト・フォークトRichard Vogt)博士は、日本の川崎航空に招聘され、神戸でライセンス生産されていたドルニエ設計の機体をベースに、日本陸軍用にBMW-6水冷V型12気筒エンジン装備の九二式複葉戦闘機(KDA-5)、八八式複葉偵察機などを開発した。

写真(右)1940年頃,ドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138B-1偵察飛行艇 :ユンカース ユモ 205ディーゼルエンジン3基につけたプロペラは、全て3翅なのでBv138Bであるとわかる。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID: 43933088 - Catalog: 16_005055 - Title: Blohm & Voss Bv 138 B-1 MG-turret removed - Filename: 16_005055.TIF - -- - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43932695引用。


ハンブルク航空機 (Hamburger Flugzeugbau)の企画になる中型長距離旅客飛行艇Blohm & Voss Bv 138
ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)社は、ドルニエ Do 18と同じく燃費の良いユンカース ユモ 205ディーゼルエンジン3基搭載する形で長距離飛行を可能にした。1937年にHa 138試作機が完成したが、ドイツ・ルフトハンザ航空で使用するには、空中と海上での安定性が悪く、強度不足も指摘されたために、開発は長引いた。

ドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)138B-1偵察飛行艇は、軽油(Diesel fuel:柴油)の燃費の良いユンカース ユモJumo 205ディーゼルエンジン3基搭載して長距離飛行を可能にした。

写真(右)1944年刊行の絵葉書ポストカード,沿岸を編隊で低空飛行するドイツ軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv 138 B(?)飛行艇:戦争末期のドイツの戦局悪化の時局に直面しても、記念絵葉書が作成・刊行されているのには驚かされる。
Ansichtskarte / Postkarte Blohm & Voss BV 138 Seefernerkunder der Deutschen Luftwaffe Nr. 10.337.945 gelaufen 1944, sehr guter Zustand
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten , Ansichtskarte / Postkarte Blohm & Voss BV 138 Seefernerkunder 引用。


1930年初頭、既にドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)は、大西洋上に飛行艇母船を配置し、そこを中継基地として、アフリカから南アメリカに大西洋を横断する郵便航路を開いていた。使用していたのは、ドルニエDo-Jワール飛行艇、Do-Rズーパーワール四発飛行艇で、飛行艇母船にデリックで引き上げて、そこで、機体の燃料補給・整備、搭乗員の休息を行い、天候に左右されないように、船上の大型カタパルトから射出発進するというシステムである。

Hermann Goering 1937年、第二次大戦勃発2年前、ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーErich Raeder)提督は、国防軍総司令官ブロンベルク元帥に対して、沿岸防衛の範囲に関して、ドイツ空軍ヘルマン・ゲーリング総司令官との海空の分担の取り決めを依頼したが、実際に海軍と空軍の責任範囲について協定文書がまとまったのは、戦争直前の1939年2月3日だった。

これは、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)を置き、戦時には海軍司令部空軍代表を海軍総司令官の指揮下に行動するというものである。

しかし、ドイツ近海を離れた海上は、ドイツ空軍の責任範囲で、ドイツ海軍が作戦行動を行う場合のみ、ドイツ海軍が哨戒偵察の責任を負うとした。また、水上艦艇同士の海戦、航空機による機雷敷設については、海軍と空軍の合意のもとに、実施するとした。

写真(右)1940年頃,ドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138B-1偵察飛行艇 の7.92ミリMG15旋回機関銃:Bv138飛行艇は、輸送機としては無武装であったが、軍用哨戒偵察機として使用されるにあたって、防御用の旋回機関銃を装備した。
SDASM Archives PictionID:43933076 - Catalog:16_005054 - Title:Upper rear gunnner of Blohm & Voss Bv 138 B with MG 15 - Filename:16_005054.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43932695引用。


ドイツ海軍 航空母艦 グラーフ・ツェッペリン ドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」Graf Zeppelin)の諸元

発注 1935年11月16日
起工 1936年12月28日
進水 1938年12月8日
排水量 33 550 t
全長 262.5 m
全幅 31.5 m
吃水 7.6 m
機関 タービン2基4軸、20万馬力
最高速力 35 kt
航続距離 19ノット/8,000マイル
建造中断 1940年6月
建造中止 1943年
1945年4月25日 自沈

写真(右)1939年3月22日,キール軍港で艤装中のドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」"Graf Zeppelin" :カタパルト2基を装備した近代的な大型艦橋を備えた空母として建造されたが,未完成に終わった。
Flugzeugträger "A". Baustadium Aufgen. am 22.3.1939 Deutsche Werke Kiel Archive title: Kiel.- Flugzeugträger "Graf Zeppelin" am Ausrüstungskai. Bugansicht mit Flugdeck, Backbordseite Dating: 22. März 1939 Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


ドイツ海軍は,第二次世界大戦に間に合うように何とか大型戦艦「ビスマルク」型2隻,巡洋戦艦「シャルンホルスト」型2隻,ポケット戦艦「ドイッチュラント」型3隻を建造,就役させることができた。しかし、航空母艦は竣工させることができなかった。戦時中のドイツ海軍は、水上艦艇は小型艦のみの建造で、海軍主力は、潜水艦(U-boat)になったのである。

wikipediaでは、ドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」"Graf Zeppelin" 放棄の理由を次のように誤解している。

ドイツ大西洋防壁 「1940年半ばになると状況は劇的に変化し、北のノルウェーから南はスペイン国境までの長大な海岸線を敵の上陸戦から守る必要が生じた為、それまで本艦よりも優先順位の低かった沿岸要塞は突然最優先事項に浮上し、兵器、要員、そしてあらゆる種類の軍需品が迅速にこの分野に投入され、後に大西洋の壁と呼ばれる壮大な要塞線建設計画が立てられた。この為に海軍の艦艇建造計画は削減され、その資材は沿岸防衛要塞建設に投入される事となった。この段階で造船所の船台上にあったグラーフ・ツェッペリンの15cm主砲及び10.5cm高射砲は要塞や沿岸砲台に転用され、完成率90%前後に達していた本艦の艤装工事は1940年に中断された。」

Wikimedia は、大西洋防壁の海岸砲・要塞砲の整備をヒトラーが海上艦艇より優先したために、空母「グラーフ・ツェッペリン」"Graf Zeppelin" が解体されたと誤解している。これは、
1)ヒトラーが言い出した艦砲の沿岸砲台転換など空母1隻分では取るに足らない兵力であること(15cm55口径連装砲8基、10.5cm65口径連装高角砲6基の計画が未完成)、
2)空母本体の機関・艤装を無為にすることをどうして許容したのか説明できないこと(火砲より機関・その他の艤装のほうが重要である)、
3)ドイツ海軍とドイツ空軍の航空兵力指揮権を巡るの軋轢(海軍に対する空軍の優位)、
に思い至らないたための誤謬である。

写真(右)1940年3月26日,進水後、ドイツ・キール工場(Deutsche Werke Kiel)で艤装中のドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」"Graf Zeppelin" :カタパルト2基を装備した近代的な大型艦橋を備えた空母として建造されたが,ドイツ軍は,空母を1隻も保有することができなかった。
Kiel.- Flugzeugträger "Graf Zeppelin" am Ausrüstungskai. Bugansicht, Backbordseite Title Flugzeugträger "Graf Zeppelin", Ba Neubau Nr. K 252. Bauzustand Aufgen. 26.3.40 Deutsche Werke Kiel Date 26 March 1940 rigin: Bundesarchiv
写真はWikimedia Commons, Category:Graf Zeppelin (ship, 1938) : File:Bundesarchiv RM 25 Bild-59, Flugzeugträger "Graf Zeppelin", Bau.jpg引用不許可)


ドイツ海軍 航空母艦 グラーフ・ツェッペリンドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」"Graf Zeppelin" 建造放棄は、次のような理由が指摘できる。
(1)1940年6月にはフランスが降伏し、僅か1隻の未経験な空母の戦力化にはあまり意味がなかった。
(2)英国本土航空決戦を戦う場合、僅か1隻の航空母艦の実用化よりも空軍兵力増強が優先された。
(3)東方ソ連侵攻の場合、僅か1隻の航空母艦が実用化しても戦局に関わらない。(実際には北極海の輸送船団攻撃に空母を使用できた。)
(4)未経験な航空母艦と空母艦載機の運用について、戦時のドイツ海軍は独力で解決することも、イギリス空母に対抗することも困難だった。

写真(右)1940-1944年頃、ノルウェー、飛行艇母艦「フリースラント」(Friesenland)の18トン射出ハインケル社カタパルト上に搭載されようとしているブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138 B飛行艇;船尾には、飛行艇を艦船に持ち上げるための大型20トンクレーンが装備されている。
A German Blohm & Voss BV 138 float plane being lifted aboard the German aircraft tender Friesenland, in Norwegian waters, during the Second World War. Date between 1940 and 1945 Source U.S. Navy photo NH 71350 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command Author Unknown author
The depot ship Friesenland could carry two of these aircraft and she was launched at Kiel on 23 March 1937 and completed later that year. She operated in France and Norway as a seaplane tender/depot ship, and was also used as a repair ship at Trondheim. After the war, Friesenland was taken over by the Royal Navy and continued to be used as a seaplane depot. (Naval History and Heritage Command)
写真は, Category:Friesenland (ship, 1937) File:BV 138 float plane being lifted aboard the German aircraft tender Friesenland during World War II.jpg引用。


日本海軍 水上機母艦 秋津洲 ドイツ海軍は、航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」Graf Zeppelin)の建造を開始したものの、竣工させることができなかったために、ドイツ空軍(Luftwaffe)は、海軍に代わって自らカタパルト装備飛行艇母艦(Catapult vessels)を保有し、第二次世界大戦中に7隻を使用している。

ドイツの飛行艇母艦7隻のうち、4隻は、既にドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)が使用していた飛行艇母船を徴用したもので、3隻がドイツ空軍の発注になる。ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV-138飛行艇も、このカタパルト装備飛行艇母艦に搭載、海上哨戒任務に使われた。

図(右)1939年、ドイツ飛行艇母艦「フリースラント」(Friesenland) ;船尾には、飛行艇を艦船に持ち上げる大型20トンクレーンが船尾右寄りに装備されている。左舷に18トン射出ハインケル社カタパルト上に搭載されているのはブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)子会社のハンブルク航空Ha 139水上機"Nordstern"(D-ASTA)
Description Lot-2275-4: German Warships, WWII. Plans for German catapult seaplane tender, Friesenland, 1939. Halftone image from Division of Naval Intelligence, Identification and Characteristics Section, June 1943. Courtesy of the Library of Congress. (2016/05/06). Date 6 May 2016, 09:46 Source Lot-2275-4 Author National Museum of the U.S. Navy
写真は, Category:Friesenland (ship, 1937) File:Plans for German catapult seaplane tender, Friesenland, 1939 (26760763932).jpg引用。


日本海軍 水上機母艦 秋津洲 ドイツ飛行艇母艦「フリースラント」(Friesenland)の諸元
1937年3月23日、ドイツ、キール進水、1937年5月13日、ブレーメン竣工
1万1500総トン
全長:140.5m、全幅:15.56m、喫水:8.24m
燃料:1620トン
ディーゼル機関5800hp、2軸
最高速力:16ノット
装備:20tクレーン1基
18トン射出ハインケル社カタパルト1基
兵装:20mm対空機関銃4挺
乗員:49名、航空関連搭乗員:34名。

写真(右)1940-1942年頃,ドイツ海軍飛行艇母艦にデリック(クレーン)で吊り上げられて、艦後甲板の大型カタパルトに据え付けられようとしているドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138C-1偵察飛行艇の正面 :燃費の良いユモJumo 205Dディーゼルエンジン3基搭載して長距離飛行を可能にした。プロペラは、左右主翼上のエンジンでは3翅だが、胴体中央のエンジンは、クリアランスが狭いために、4翅で直径を小さく抑えている。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43932695 - Catalog:16_005023 - Title: Blohm & Voss Bv 138 C-1 - Filename:16_005023.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43932695引用。


 ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138C-1偵察飛行艇はBv138B-1飛行艇と同じユンカース(Junkers)ユモ(Jumo) 205液令6気筒ディーゼルエンジン880hp3基だが、中央の胴体上の発動機は、胴体が真下にあるために、プロペラ翅を短くし、3翅ではなく4翅プロペラに変更された。プロペラは、左右主翼上のエンジンでは3翅だが、胴体中央のエンジンは、クリアランスが狭いために、4翅で直径を小さく抑えたのである。これによって、水上と飛行中の安定性が改善された。

ドイツの「ブッシュラント」(Bussard;SP 21)と「ファルケ」(Bussard;SP 22)は、同型のカタパルト装備飛行艇母艦で、ともに1942年竣工、排水量 2040トン、全長 98.3m、全幅14.0 mで、ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV-138のような飛行艇を2機まで搭載することが可能だった 。

写真(右)1944年5月26日、ノルウェー沖、カタパルト装備の飛行艇母艦「ブッシュラント」あるいは「ファルケ」 に搭載された2機のブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138発飛行艇;ブッシュラント(Bussard;SP 21)とファルケ(Falk:SP 22)は同型のカタパルト装備の飛行艇母艦で、ともに1942年竣工、排水量 2040トン、全長 98.3m、全幅14.0 mで、飛行艇を2機まで搭載することが可能 。飛行艇母艦は、飛行艇の整備、燃料補給、飛行艇搭乗員の休養などを任務とする。
Beeldnummer 43451 Collectie NIOD
Trefwoorden Marine, Oorlogsschepen, Vliegdekschepen, Vliegtuigen
Locatie Naam: Kingdom of Norway Land: Norway Bijschrift Sie sichern Norwegens Küste. Das Katapultschiff. Von ihm werden unsere bewährten Flugboote "BV 138" abgeschleudert, um ihre Reise über See anzutreten.
Datum 26/05/1944
写真は, BeeldbankWo2 Beeldnummer 43451 引用。


ドイツ空軍(Luftwaffe)のカタパルト装備飛行艇母艦(Catapult vessels

日本海軍 水上機母艦 秋津洲 スペルベル (Sperber:ハイタカ;SP 11):ハンブルクで1938年11月26日進水、排水量 1086トン、全長70.25m, 全幅 14.55m、吃水1.8m、18tクレーン1基、18tカタパルト1基。

ブッシュラント(Bussard ;SP 21):ケーニヒスベルクで1940年進水、1942年5月1日竣工、排水量 2040 トン、全長 98,3m、全幅14.0 m 吃水1.8m、20tクレーン1基、20tカタパルト1基。

ファルケ(Falke :鷹;SP 22):ケーニヒスベルクで1940年7月29日進水、1942年11月22日竣工、総トン数 2040トン、全長 98.3m、全幅14.0 m、吃水2.33m、20tクレーン1基、20tカタパルト1基。

ヴェストファーレン(Westfalen):ゲーシュテミュンデ(ブレーメン北30km)で1905年11月14日進水、1906年12月30日竣工、排水量 1万700トン、全長130.54m、全幅16.08m、吃水 8.52 m、3000馬力、1軸、最高速力12ノット。

シュワーベンラント(Schwabenland):キールで1925年3月14日進水、1925年7月16日竣工, 排水量1万6200トン、全長 147.0m、全幅 18.41 m、吃水 9.95m、3600馬力、燃料:ディーゼル1600トン搭載、2軸、最高速力 11ノット、15tクレーン1基、14tカタパルト1基。

オストマルク(Ostmark):キールで1936年4月15日進水、5月16日竣工、排水量 2500トン、全長79.8m、全幅11.25m、吃水4.72m、15tクレーン1基、14tカタパルト1基。

フリースラント(Friesenland):キールで、1937年3月23日進水、5月13日竣工、排水量 1万1500トン、全長 140.5m、全幅 15.56m 、吃水8.42m、20tクレーン1基、18tカタパルト1基。

写真(右)1940-1944年頃、ノルウェー、飛行艇母艦の巨大なカタパルト上に搭載されている2機のブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138飛行艇;船尾には、飛行艇を艦船に持ち上げるための大型デリック(クレーン)が装備されている。船体の大半は、1本煙突の煙突以外、扁平で、船上での飛行機搭載に障害物はない。
Title:German aircraft tender Caption:At Tromso, Norway, during World war II. Her planes are BV-138 seaplanes. Description: Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1939 Before this Year:1945
写真は, Naval History and Heritage Command Catalog #:NH 71351引用。


Uボート ドイツ空軍(Luftwaffe)のカタパルト装備飛行艇母艦にブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138 C-1飛行艇は搭載されたが、艦上では大型カタパルトに載せられて、射出された。またBv138C飛行艇には、ワルター(Walter)109-501補助ロケット推力500kg2基を搭載し、42.5秒間、推力1000kgのロケット噴射で短距離離水が可能だった。

ドイツのワルター(Walter)109-502補助ロケットの場合は、推力750kgのものをBV-138 C-1飛行艇に2基を搭載し、30秒間、推力1500kgのロケット噴射で短距離離陸することも可能だった。いずれも、使用後のワルター・ロケットは、切り離されパラシュートで降下、回収し再使用することができた。

ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl Dönitz)提督の指揮する潜水艦Uボートは、当時、レーダーを搭載しておらず、船団攻撃のためには、空中哨戒偵察が効果的であると以前から判明していた。

 1940年当時の潜水艦Uボートは、水中での行動時間・速力が低く、さらに艦橋が低いために視界が狭く、動揺・波浪の影響もあって、索敵能力は低かったのである。したがって、レーダーが発達し、水上艦艇や航空機を遠距離でとらえることができれば、潜水艦(U-boat)の攻撃力も防御力も向上したが、敵もレーダー哨戒索敵を行っているので、潜水艦は水上で行動することが困難になりつつあった。

カール・デーニッツ 船舶の発見を容易にするために、ドイツ海軍は、複数の潜水艦Uボートを集団的に利用して、敵船団を発見し、潜水艦による集団攻撃を加えるという狼群戦術を採用した。しかし、イギリス側が、アメリカ軍事援助も受けて、哨戒用の飛行機を充実させてくると潜水艦(U-boat)が浮上して敵船団を発見する機会は制限されるようになった。

ドイツ海軍潜水艦(U-boat)の索敵能力向上に、有力な空中偵察・哨戒機の協力が必要な状況はますます明白になり、1941年1月に潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl Dönitz)提督は、潜水艦の交通破壊戦を支援するための長距離海上偵察部隊として、フォッケウルフFw200コンドルCondor)を配備した第40爆撃航空団の一部をドイツ海軍総司令官の指揮下に置くことを提言した。

 しかし、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)国家元帥は、航空兵力は全て空軍に所属するとの原則を強硬に主張し 海上哨戒偵察部隊は、ドイツ空軍が大西洋航空司令部の隷下として、潜水艦Uボート部司令部と協力することとなった。

こうして、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)は、指揮権のない空軍の連絡絡官・副官のような存在となった。1941年12月、ドイツ海軍は水上艦艇に搭載した水上偵察機からなる艦載偵察隊(Bordfliegergruppe :BdFlGr)以外にも、沿岸飛行隊や海上偵察隊の航空機の指揮も行ったが、形式的な指揮権は空軍の指揮下に入れられていた。海上作戦における航空兵力の指揮権も、ドイツ空軍が独占する形となっていたのである。

写真(右)1940-1940年頃,海上のドイツ空軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)138A-1飛行艇 :ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138C-1偵察飛行艇はBv138B-1飛行艇と同じユモJumo 205Dディーゼルエンジン880hp3基を装備しているが、中央の胴体上の発動機は、プロペラ直径を短縮し、3翅を4翅プロペラに変更している。左右主翼上のエンジンでは3翅プロペラだが、胴体中央のエンジンには、クリアランスが狭いために、直径を小さく抑えた4翅プロペラを装備したのである。これによって、水上と飛行中の安定性が改善された。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43932670 - Catalog:16_005021 - Title: Blohm & Voss Bv 138 A-1 (C-1?) Nowarra photo - Filename:-16_005021.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43932670引用。


写真(右)1940年頃,ノルウェー、オスロ近郊のフィヨルド海上で待機するドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)138 B-1飛行艇 :Bv138 B飛行艇はユモJumo 205Dディーゼルエンジン880hp3基を装備、中央の胴体上のプロペラも含めて大直径の3翅を3翅プロペラを装備している。後のBv138C型では、胴体中央に直径を小さく抑えた4翅プロペラを装備、水上と飛行中の安定性を改善した。
この写真の後ろの記載テキスト:「待機の飛行艇。飛行機は離水準備が完了し、兵士が文書を持ってる。イギリス駆逐艦の射撃を受けた直後で、負傷者はトロンハイムに行く航空機に乗って輸送された。」
Norsk bokmål: Tysk flybåt, Hemnesfjorden
Tittel / Title: Tysk flybåt, Hemnesfjorden Dato / Date: Medio mai Fotograf / Photographer: Karl Marth Sted / Place: Hemnesberget, Nordland, Norge Eier / Owner Institution: Arkiv i Nordland Lenke / Link: Arkiv i Nordland
Arkivreferanse /Archive reference: AIN.NA143.0166
Fra Dag Skogheims Privatarkiv
Tekst bak på bildet: Verwundete gebirgsjäger werden im Hemnes-fjord abgeholt.
Flybåt som har kommet med forsyninger. Flyet er klart til å ta av og har brevene som soldatene har skrevet med. Ble straks etter skutt i stykker av engelsk destroyer. Det vi ser er sårede som blir fraktet om bord i flyet som skulle til Trondheim.
Date 28 July 2011, 15:00:54
Author Karl Marth
写真は Wikimedia Commons,Category:Blohm & Voss BV 138 , File:German soldiers welcomes flying boat on Hemnesfjorden.jpg引用。


ユンカース(Junkers)ユモJumo 205液令6気筒ディーゼルエンジン搭載のドイツのブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)138飛行艇は、1937年7月15日初飛行だが、機体の不安定性を改修するための改造に手間取り、ドイツ・ルフトハンザ航空に引き渡され就役することはなかった。

ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)138飛行艇の部隊配備は1940年10月と、第二次大戦勃発1年後にずれ込んでしまった。 生産期間は、1938年から1943年までだが、生産機数は297機と、第二次大戦期のドイツ軍の飛行艇としてはドルニエDo-24飛行艇の279機と並んで最多である。

写真(右)1941年,ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:胴体中央を主翼上から眺めているが、胴体側方に、軽油の急に使用しているゴム・パイプが這っている。左には中央のユモJumo205ディーゼルエンジンの4翅プロペラが写っている。主翼のプロペラは、3翅だったが、中央のプロペラは胴体とプロペラのクリアランスが制限されるために、短いブレードの4翅に変更されている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-592-0086-36A Archive title: Reichsgebiet.- Wasserflugzeug Blohm & Voss Bv 138.- Be-/Entladen; KBK Lw zbV Dating: 1941 Photographer: Wimmers [Winners] Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


1941年に改良型のブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138Cが登場し、実用に耐えると判断され、偵察飛行艇として採用された。 ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)138飛行艇は、227機生産され、大西洋、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。

写真(右)1941年,ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C 飛行艇:胴体側方に、給油に使用しているゴム・パイプが這っている。中央部のディーゼルエンジンは、主翼上面に搭載されたため、主翼・胴体とのクリアランスを確保する必要上、プロペラの羽根を短くし、四本とした。他の主翼左右のディーゼルエンジンのプロペラは、羽根の長い三枚プロペラである。
Inventory:Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-592-0086-33A Archive title: Reichsgebiet.- Wasserflugzeug Blohm & Voss Bv 138.- Be-/Entladen; KBK Lw zbV Dating: 1941 Photographer: Wimmers [Winners] Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138B-1飛行艇は,ユンカース(Junkers)ユモJumo 205 D液令6気筒ディーゼルエンジン880hp3基に同じ3翅プロペラを装備し、軽油(Diesel fuel:柴油)を燃料とした。

Bv138C-1偵察飛行艇は、胴体上の中央発動機には、プロペラ直径の短い4翅プロペラ装備に変更している。左右主翼上のエンジンでは3翅プロペラで同じだが、胴体中央のエンジンには、直径を抑えた4翅プロペラを装備して、垂直尾翼までの気流の流れを変更し、水上と飛行中の安定性を改善したのである。


写真(右)1940-1943年頃、ノルウェー、海上から水上機・飛行艇基地にトレーラーを使って陸上に引き上げられているブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇
:中央エンジンには4翅細プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。左後方には、ハインケルHe111双発水上機が待機しているのが見える。
Title:Servicing A Ferman Bv-138 Seaplane. Caption:At Kirkenes, Norway, during World War II. In the left background is a HEINKEL HE-115 float plane. Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1939 Before this Year:1945 Original Medium:BW Photo
写真は, Naval History and Heritage Command Catalog #:NH 71412 引用。


1940年5月のノルウェー侵攻に少数のブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138A-1飛行艇が参加した後、1940年のフランス侵攻後に、ドイツ空軍第130海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe 130:SAGr 130)第1飛行中隊が参加した。

 それに続いて、ドイツ空軍第406沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe 406:KüFlGr 406)第2飛行中隊、第3飛行中隊、第706沿岸飛行隊第1飛行中隊、第906沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe 906:KüFlGr 906)第1飛行中隊、第2飛行中隊、第3飛行中隊、ドイツ空軍第125海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe 125:SAGr.125)第1飛行中隊、第3飛行中隊、第126海上偵察隊第1飛行中隊、第129海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe 129:SAGr.129)第1飛行中隊、第130海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe 130:SAGr.130)第2飛行中隊、第3飛行中隊、第131海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe 131:SAGr.131)第1飛行中隊、第2飛行中隊、第132海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe 125:SAGr.125)第2飛行中隊、第3飛行中隊、第196艦載偵察隊(Bordfliegergruppe 196:BFGr.196)第1飛行中隊が編成され、ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138A-1が配属された。


写真(右)1940-1943年頃、ボートで連絡あるいは搭乗員の運搬をしているドイツ軍のブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇
:中央エンジンには4翅細プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。
Title: Blohm & Voss Bv 138 Seaplane. Caption:Picking up her mooring bouy at Kirkenes, Norway, during World War II. Note tender boat alongside. Also note three-bladed props on outboard engines, four-bladed prop on inboard. Description: Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1939 Before this Year:1945 Original Medium:BW Photo
写真は, Naval History and Heritage Command Catalog #:NH 71413 引用。


1940年末、エンジン出力向上型のBv138B-1飛行艇が登場した。Bv138B-1の装備した発動機は、軽油(Dieselkraftstoff)を燃料とするユンカース(Junkers)ユモJumo 205 D液令6気筒ディーゼルエンジン880hp3基で、20mmMG151機関銃1挺搭載の動力回転銃座、後上方にも20mmMG151機関銃1挺を搭載し、兵装も強化された。また、爆弾も搭載可能となり、右主翼下面付け根に150キロ爆弾1発を搭載できたが、実戦ではこの4倍という荷重搭載も行われた。

写真(右)1943年8月,ロシア方面、バルト海あるいは北大西洋方面のフィヨルド(?)、ドイツ潜水艦Uボートと共同作戦を行ったブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇
Russisch front, 1943 Beschrijving uits watervliegtuig Blohm & Voss BV-138 Seedrache landt in het hoge noorden van Rusland Datum augustus 1943 Locatie Rusland
写真は,Nationaal Archief en Spaarnestad Photo (他引用不許可)。


ハンブルク航空機 (Hamburger Flugzeugbau)の企画になる中型長距離旅客飛行艇。ブローム・ウント・フォッス社は、ドルニエ Do 18と同じく軽油(柴油)の燃費の良いユンカース ユモ 205ディーゼルエンジン3基搭載する形で長距離飛行を可能にした。1937年にHa 138試作機が完成したが、空中と海上での安定性が悪く、強度不足も指摘されたために、開発は長引いた。ブローム・ウント・フォス社として、BV 138V1試作1号機が初飛行したのは、第二次大戦半年前の1939年2月と遅れたために、民間航空での使用されることはなく、軍用に回された。1941年に改良型のBV 138Cが登場し、実用に耐えると判断され、偵察飛行艇として採用された。BV138飛行艇は、227機生産され、大西洋、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖、荒天の中でドイツ海軍潜水艦Uボートと会合、ディーゼル油の補給を受けるブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:中央エンジンには4翅細プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0101-05A Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)138B-0は、後に磁気機雷掃海用の大型電磁誘導リング(フープ)を胴体に装備した型Bv138MSが生産されている。

1941年3月、最多生産となるBv138C-1が登場した。Bv138C-1はその前のBv138B-1と同じく、発動機にはユンカース(Junkers)ユモ(Jumo) 205 D液令6気筒ディーゼルエンジン880hp3基を搭載した。しかし、プロペラは、胴体中央部ディーゼルエンジンが、主翼上面に搭載されたため、主翼・胴体とのクリアランスを確保する必要上、プロペラの直径を短縮し4翅とした。他の主翼左右のディーゼルエンジンのプロペラは、幅広野長い3翅プロペラである。この中央プロペラ変更によって、飛行機の安定性が向上した。

Bv138飛行艇は、1939年から1943年までに総生産279機であるが、そのうち227機がBv138C-1の生産で占められている。

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖、荒天の中でドイツ海軍潜水艦Uボートと会合、ディーゼル油の補給を受けるブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0101-06A Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


大西洋、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合したブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0106-01 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


1941年3月に登場したBv138C-1は、その前のBv138B-1と同じユンカース(Junkers)ユモ(Jumo) 205 D液令6気筒ディーゼルエンジン880hp3基を搭載しているが、中央プロペラは3翅から4翅に兼行されている。つまり、プロペラは、胴体主翼上面の中央ディーゼルエンジンが、主翼・胴体とのクリアランスを確保するとともに、後方の尾翼にあたる気流を改善する必要上、プロペラ直径を短縮し4翅としたのである。他の主翼左右のディーゼルエンジンのプロペラは、幅広の長い3翅プロペラである。このプロペラ変更によって、飛行機の安定性が向上し、水上ト飛行中の不安定性という問題を解決することができた。
Bv138飛行艇は、1939年から1943年までに総生産279機、そのうちBv138C-1は227機と過半を占めている。

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖の氷の海で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合して、軽油燃料の補給を受けようとするブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:中央エンジンには4翅細プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。手前の鉄棒は、Uボート艦橋後部の機銃台の手摺。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0111-10 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ドイツ潜水艦Uボート ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)社として、BV 138V1試作1号機が初飛行したのは、第二次大戦半年前の1939年2月と遅れたために、ドイツ・ルフトハンザ航空で使用されることはなく、軍用に回された。1941年に改良型のBV 138Cが登場し、実用に耐えると判断され、偵察飛行艇として採用された。

Blohm & Voss Bv 138飛行艇は、227機生産され、大西洋、地中海でドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)隷下の潜水艦(U-boat)と連携して、船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。

写真(右)1943年秋,ノルウェー沖の氷の海で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合して、軽油燃料の補給を受けようとするブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:中央エンジンには4翅細プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。手前の鉄棒は、Uボート艦橋後部の機銃台の手摺。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0111-09 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
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海軍提督レーダー ドイツ海軍提督エーリヒ・レーダーErich Raeder: 1876-1960)総司令官は、大戦1年前の1938年、イギリス海軍に対抗できるドイツ海軍のZ計画を提示し、戦艦10隻(ビスマルク級戦艦の大型化)、装甲艦15隻(ドイッチュラント級装甲艦の大型化) 、空母4隻(グラーフ・ツェッペリン級)を主軸とする大海艦隊拡充の方針を打ち出したが、大戦勃発によって、そのほぼすべての建艦計画が中止されてしまう。そこで、ドイツ海軍は、索敵、哨戒など交通破壊戦に特化した空海立体作戦を進めようと企図し、海上航空兵力の充実を臨んだ。

例えば、ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)Bv138飛行艇のようなは、海上の哨戒偵察のために、燃費の良いユンカース(Junkers)ユモ(Jumo) 205液令6気筒ディーゼルエンジン880hp3基を搭載していた。軽油(ディーゼル油)は燃費がいいだけでなく、ドイツ海軍で普及していたディーゼル機関搭載の艦船と同じ燃料を使うことも都合が良かった。

ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)Bv138飛行艇は、海上で密かにドイツ海軍潜水艦Uボート(ディーゼル機関搭載)と会合し、同じ軽油の燃料をゴムホースをつないで給油することができ。これによって、陸上の水上機・飛行艇基地に帰還することなく、長距離索敵飛行をすることができるようになった。

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合したブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:中央エンジンには4翅細プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0111-08 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ドイツ潜水艦Uボート ドイツ語「U-Boot(ウーボート:Unterseeboot)」とは、水面下の艦船の意味で、狭義には、ドイツ海軍の潜水艦を意味する。

英語でもU-Boat(ユーボート)といわれるが、これも第一次世界大戦および第二次世界大戦でイギリス本土を封鎖しようとした敵国ドイツ海軍の潜水艦を指示している。潜水艦Uボートは、ハンブルクを中心としたブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)など造船所で建造された。

写真(右)1943年秋,ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合したブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:中央エンジンには4翅細プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。
Inventory:Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0111-12 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


カール・デーニッツ ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(Befehlshaber der U-Boote: BdUカール・デーニッツKarl Dönitz)提督の指揮下に置かれたドイツ潜水艦Uボートは、第二次大戦当初、レーダーを搭載しておらず、目標とする敵艦船を目視によって発見するしかなかった。また、海面上5メートルもない潜水艦艦橋からの視界は限られており、敵発見は天候・気象にも依存した困難な任務だった。

したがって、連合国のシーレーンを遮断するためのドイツ海軍潜水艦Uボートによる交通破壊戦には、長距離哨戒機、索敵機など海上の長距離偵察任務に就くことのできる航空兵力が必要で、これはイギリス、アメリカ、日本などでは、海軍航空隊として海軍の指揮に置かれた部隊だった。そして、そのための偵察機、哨戒機、飛行艇、水上機などの各種の航空機も、海軍の発注、開発要求で試作が行われるか、陸軍航空隊や空軍の航空機が海軍仕様に改造・制式されるのが普通だった。

しかし、ドイツ国防軍では、陸軍と空軍が優先されたために、海軍兵力は弱体で、特に海軍航空兵力は、艦載飛行隊(Bordfliegergruppe :BdFlGr)、沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe:KüFlGr.)、海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr.)の一部に指揮権が限定されてしまったのである。

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合、ディーゼル油の補給を受けるブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:中央エンジンには4翅プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0102-19A Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


 敵艦船発見を容易にするため、潜水艦(U-boat)の目となるような航空機によって、洋上哨戒偵察をすることが考えられた。しかし、ドイツでは空飛ぶ兵器、軍用機はみなドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)の指揮下に置くという原則があった。

 ドイツでは、海軍の航空兵力は、空軍優先のために冷遇され、海軍の指揮できる航空兵力は、主力水上艦艇の艦載水上機程度だった。

つまり、ドイツ海軍航空隊は、海軍艦艇に搭載する偵察用ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上機のような艦載偵察隊程度しか保有を許されなかったため、連合国の膨大な物資輸送を担う輸送船を撃沈しシーレーンを破綻させる「交通破壊作戦」に水上艦艇、潜水艦(U-boat)を投入しても、敵輸送船の捜索・索的能力が低く、輸送船団への有効な攻撃が困難だったのである。

  写真(右)1943年秋、ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合したブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:プロペラは、左右主翼上のエンジンでは3翅だが、胴体中央のエンジンは、クリアランスが狭いために、4翅で直径を小さく抑えている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0111-10 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
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1941年3月にはドイツ空軍第三航空軍の下に、大西洋司令部(Fl.F.Atlantic) が置かれ、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(Befehlshaber der U-Boote: BdU)と連携して、水上基地航空部隊や洋上航空部隊の作戦が展開されるようになった。

 爆撃・雷撃が可能だったハインケル(Heinkel)He115水上偵察機、ディーゼル油で燃費の良いブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇もドイツ海軍の指揮かにあった。そして、新鋭機の四発で長距離飛行が可能なフォッケウルフFw200コンドル哨戒機を配備した第40爆撃航空団第1飛行隊(I/KG40)も、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督隷下の潜水艦(U-boat)と連携した交通破壊戦に参加し、大きな戦果を挙げた。

Fw200コンドル フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200 コンドル(Condor)の諸元
乗員: 5名
全長: 23.46 m
全幅: 32.86 m
全高: 6.30 m
全備重量: 22,700 kg
エンジン: ブラモ323Rファフニル 空冷星型9気筒 1,200 hp × 4
最大速度: 360 km/h
航続距離: 3,550 km
兵装:7.92 mmMG15旋回機関銃4挺、20 mmMG-FF旋回機関銃 1挺
爆弾 5,400 kg

フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200 コンドル は、第二次世界大戦勃発2か月後の1939年11月には、洋上の船舶攻撃や長距離哨戒作戦に出動したが、元来、民間輸送機として設計されているため、軍用哨戒機と使用するには強度不足だった。過重な装備・多大な燃料搭載のために、機体構造が持たず、あるいは戦時の乱暴な操縦操作のために、破損事故、墜落事故も発生した。特に、着陸時に胴体が折れる事故が多発したため、消耗も激しかった。それでも、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200 は、1944年年までに276機が生産されている。

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合、ディーゼル油の補給を受けるブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:中央エンジンには4翅プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0102-03A Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)BV 138 飛行艇の原型は、ハンブルク航空機 (Hamburger Flugzeugbau)の企画になる中型長距離旅客機として計画された機体である。しかし、ブローム・ウント・フォッス社は、ドルニエ Do 18と同じく燃費の良いユンカース(Junkers)ユモ(Jumo) 205液令6気筒ディーゼルエンジン880hp3基を搭載することとして、ブローム・ウント・フォスBV 138飛行艇の航続距離を伸ばすことに成功した。

ハンブルクHa 138V1飛行艇試作1号機は1937年7月15日に初飛行し、ハンブルクHa 138V2飛行艇試作2号(D-AROR)は、1937年8月に完成し、10月までHa 138は、バルト海方面で審査を受けた。Ha 138は、双ビーム構造で太い胴体の為か、空中でも海上でも安定性が悪く、強度不足だった。そこで、その欠点を直すために、胴体と尾翼を繋ぐ双胴ビームを補強延長し、尾翼の面積を拡張して、安定性を確保できるように、大規模な改修作業が行われた。これがBv138 A-0であり、先行生産型となった。

ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)社がブローム・ウント・フォスBV 138V1試作1号機を初飛行させたのは、第二次大戦勃発2年前の1937年7月だったが、量産型Bv138 A-1が初飛行したのは、第二次大戦半年後の1940年4月にまでずれ込んでしまった。そのため、当初の目的だった民間旅客飛行艇として使用されることはなく、軍用に回され、1940年4月のノルウェー侵攻に2機のBv138 A-1偵察飛行艇が参加した。

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合したブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:中央エンジンには4翅プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。手前では、潜水艦Uボート艦橋で隊員たちが話し込んでいる。同期生でもいれば、話が弾んだであろう。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0103-03 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ドイツ海軍水雷艇35型T-8 ドイツ空軍は沿岸や洋上の偵察・哨戒用の飛行隊を編成し、その指揮権を掌握したが、これが純粋に「ドイツ空軍」かということは、必ずしも正確でない。潜水艦(U-boat)や水上艦艇との共同作戦をとる場合に、海上での作戦、洋上行動は、海軍のほうが専門知識と技術を有していた分野が多かったからである。

ドイツ海軍の艦載飛行隊(Bordfliegergruppe :BdFlGr)のほかに、編成された沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe:KüFlGr.)、海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr.)は、形式上はドイツ空軍であるが、実質的にはドイツ海軍部隊のように指揮される場合が多かったようだ。したがって、戦後の文献では、ドイツ空軍ともドイツ海軍とも明言せずに、ドイツ軍の沿岸偵察飛行隊、のようなあいまいな表現がなされていることがある。

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合、ディーゼル油の補給を受けるブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV-138 C-1飛行艇;中央エンジンには4翅プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅プロペラを装備している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0102-11A Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


1941年に改良型のブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)BV 138C型が登場し、実用に耐えると判断され、偵察飛行艇として採用された。

ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV-138飛行艇は、293機と第二次大戦中のドイツ飛行艇としては最も生産機数が多く、大西洋、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。

写真(右)1943年秋、ノルウェー北部、ベルゲン沖、ドイツ軍基地を発進するブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:基地で燃料の軽油を満たして、ノルウェー沖の連合軍輸送船団の偵察任務に就く様だ。手前では、基地の隊員たちが見送っているのであろう。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0104-25A Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss BV 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


写真(右)1943年秋,ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合したブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0106-12 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss BV 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ドイツのブローム・ウント・フォスBlohm & Voss Bv 138飛行艇は、ドルニエ Do 18と同じく燃費の良いユンカース(Junkers)ユモ(Jumo) 205液令6気筒ディーゼルエンジン880hp3基を搭載する形で長距離飛行を可能にしたが、中央部のエンジンは、主翼上面に搭載され、
(1)主翼・胴体とのクリアランスを確保するため、
(2)水平尾翼への気流を調整し水上と飛行中の安定性を改善するため、
に羽根の短い四本プロペラ(他の2基は羽根の長い三枚プロペラ)と変則的配置にされた。


写真(右)1940-1944年頃、ノルウェー、水上機基地の滑走台から陸上に引き上げられようとしているブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV-138 C-1飛行艇
;中央エンジンには4翅プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅プロペラを装備している。右後方は、ハインケルHe 115 水上偵察機があり。奥には氷雪に覆われた山並みが見える。
Title: Servicing A Ferman Bv-138 Seaplane. Caption: At Kirkenes, Norway, during World War II. In the left background is a HEINKEL HE-115 float plane. Description: Copyright Owner: Naval History and Heritage Command After this Year:1939 Before this Year:1945 Original Medium:BW Photo
写真は, Naval History and Heritage Command Catalog #: NH 71412引用。


写真(右)1943-1944年頃,ドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv 138 MS機雷掃海用飛行艇:機体の周囲に大直径の電磁誘導コイルを搭載したBv138飛行艇は、磁気感応式の機雷を誘爆、掃海することができる。掃海機としては、同じ電磁誘導コイルを使った磁力機雷掃海機は、ユンカースJu53/3m輸送機にも搭載されている。
SDASM Archives PictionID:43932657 - Catalog:16_005020 - Title: Blohm & Voss Bv 138 MS rebuilt from C-0 Nowarra photo - Filename:16_005020.TIF - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43932695引用。


ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)の開発・量産したBv 138 MS飛行艇は、磁力感応機雷を掃海する直径14.3メートルもある磁場コイルElectromagnetic coil)を、機体周囲に水平に搭載している。直径14.3mの円形リング状パイプ(磁場コイルガウス・リング)は、メルセデス・ニュルンベルク8気筒液冷エンジン(55馬力)を使って15kWのジェネレーター(発電気)を駆動して、電磁誘導Electromagnetic induction)によって、磁力線を生み出している。ジェネレーター(発電気)用の冷却器は、胴体下面にある箱型バルジに取り付けられている。

写真(右)1943-1944年頃,港湾のクレーンで釣り上げられたドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv 138 MS機雷掃海用飛行艇:大直径の電磁誘導コイルを搭載した磁力機雷掃海機。BV-138 C-1飛行艇の中央エンジンには4翅プロペラ、左右主翼のエンジンには幅広の3翅プロペラを装備している。
A total of 297 BV 138s were built between 1938 and 1943. Some examples of the BV 138 were adapted to specialized roles. The Bv 138 was tested with the oft-used Walter HWK 109-500 Starthilfe RATO jettisonable rocket pod, used in pairs, for shorter takeoff performance. One anti-shipping variant carried FuG 200 Hohentwiel low-UHF band maritime search radar.
写真は,Alchetron, Blohm and Voss BV 138引用。


ドイツのブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV-138 MS 飛行艇は、機首下面、主翼下面、胴体下面に円形パイプの電磁コイルを装備して、イギリスの撒いた磁気感応式機雷magnetic mine)を誘爆、除去、無力化する機雷掃海で、リング状の大型コイルが外観上の大きな特徴である。これは、直径14.3mの円形リング状のパイプ(ガウス・リング)で、電磁誘導electromagnetic-induction)によって電磁力を発生させ、磁力線によって、海底に仕掛けられた磁気感応式機雷magnetic mine)を感応、起爆(誘爆)させる機雷掃海装置である。磁場コイルElectromagnetic coil)の電磁力は、機体に搭載したメルセデス・ニュルンベルク8気筒液冷エンジン(55馬力)を駆動して、15kWのジェネレーター(発電気)のよって電気エネルギーを作り、作動させる。このジェネレーター(発電気)に必要な冷却器は、胴体下面に突出したバルジに収められている。これは、飛行中の空冷効果を求めた設計である。

写真(右)1943-1944年頃,ドイツ海軍ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV-138 MS機雷掃海用飛行艇:大直径の電磁誘導コイルを搭載した磁力機雷掃海機。BV-138 C-1飛行艇の中央エンジンには4翅プロペラ、左右主翼のエンジンには幅広の3翅プロペラを装備している。
The BV 138 MS variant was converted for minesweeping, and carried magnetic field-generating degaussing equipment, including a hoop antenna with a diameter equal to the length of the fuselage, which encircled the hull and wings, which was also used on certain models of the Ju 52/3m trimotor transport used for the same duty.
写真は,Alchetron, Blohm and Voss BV 138引用。


Ju52MS機雷掃海機 磁場コイルElectromagnetic coil)は大型で、機首・主翼。尾部の下面には取り付け具があるが、主翼後方に飛び出した、磁場コイルガウス・リング)には、張線が繋がれていて、後上方にある支柱と繋いで、固定されている。コイルで生み出した磁器によって、金属製艦船が接近したのと同じ効果を上げて、磁気感応式機雷magnetic mine)を反応、爆発させるのである。

Ju52輸送機を改造した機雷敷設機は、磁場コイルElectromagnetic coil)、ジェネレーター、冷却器などを装備したために、輸送機型に比較して1150キロ重量が増加した。

写真(右)1943年-1945年5月以前、ドイツ、ディーゼルエンジンを整備し、エンジンに大型パイプで温風を送風しているブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV-138 C-1飛行艇;中央エンジンには4翅プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅プロペラを装備している。飛行艇基地での整備だが、敗戦後に、逃亡あるいは復員の準備に取り掛かったのであろうか。
Beeldnummer 2586 Collectie NIOD
Trefwoorden Kustgebied, Vliegboten, Duitse strijdkrachten
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Bijschrift Auf einem Seefliegerhorst im hohen Norden. Eine BV 138 wird getrocknet. Gelegentlich gefährdet das zufällig in das Flugboot eindringende Wasser die elektrischen Anlagen des Flugzeuges. Heizschläuche, die sonst zum Vorwärmen der Motoren dienen, werden daher zum Trockenen der Leitungen in das Innere des Flugzeuges gelegt.
Periode 1945
写真はFlikers, BeeldbankWo2 Beeldnummer 2586引用。


ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV-138C飛行艇の諸元
全長: 19.85 m
全幅: 27.00 m
全高: 5.90 m
全備重量: 15,480 kg
発動機: ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo) 205液令6気筒ディーゼルエンジン880hp3基
最高速力: 290 km/h
航続距離: 4,023 km
兵装:機首動力銃座 20ミリMG151/20 機関銃1丁、胴体後上方動力銃座 20ミリMG151/20 機関銃1丁、中央エンジンナセル後上方銃座:13.1ミリMG131旋回機関銃 1丁
搭載量:150キロ爆雷 4発
乗員: 6名

写真(右)1944年、ノルウェー、トロムソ(Tromso)沖、ドイツ海軍第706沿岸偵察飛行隊第1飛行中隊(1.KuFlGr706)所属ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇(6I+GH):梯子をかけて救命胴衣ライフジャケットを着た搭乗員がコックピットに入ろうとしている。中央エンジンには4翅細プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。
Blohm and Voss BV 138 der 1.SAGr 130 vorher 1.KuFlGr706 (6I+GH) Tromso 1944-01
写真はKuFlGr706 main list The Heinkel He 115 in a nutshell引用。



写真(右)1940-1945年、イギリス空軍第404戦闘機中隊の襲撃を受けて大西洋あるいは北海上に墜落したドイツ空軍ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138飛行艇
;双胴ビーム、双尾翼と3基ある中央のエンジン1基と4翅プロペラが海上に出ている。
Object description A Blohm und Voss Bv 138 flying boat settles in the water after being shot down by a Bristol Beaufighter of No. 404 Squadron RCAF while escorting a Naval force off the north coast of Scotland..
Related period Second World War (production), Second World War (content) Creator No. 404 Squadron RCAF Catalogue number C 3684 Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は, Imperial War Museums Catalogue number C 3684引用。



写真(右)1944年6月14日以降、オランダ、空襲で銃撃を受けたような弾痕が残る破損したドイツ海上偵察訓練部隊(Luftnachrichten-schule 6:LNS 6 See)のブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV-138飛行艇A-1型(登録コード NA-LR:製造番号W.nr.387)
;1940年7月19日、初飛行、1941年7月12日、部隊配置、1942年1月8日、コペンハーゲンに配備、1942年10月、輸送部隊に配備、1944年6月、海上偵察訓練部隊(Luftnachrichten-schule 6:LNS 6 See)配備、6月14日、全損(100%破損:修理見込み無し)。尾翼、胴体後方に弾痕が見えるが、同大前部は海中に没しており、より大きな被害を受けたのであろう。
De overblijfselen van een aangeschoten Blohm und Voss Bv 138,welke op een ponton vervoerd wordt.
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Beschrijving De overblijfselen van een aangeschoten Blohm und Voss Bv 138,welke op een ponton vervoerd wordt. Plaats Onbekend Datering van 1939 Datering tot 1945 Trefwoorden Blohm und Voss, Tweede Wereldoorlog, conflicten, vliegboten, watervliegtuigen Specifieke kenmerken NA-LR, 9
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) , Beeldbank.defensie.nl Objectnummer 2157_001-037引用。



写真(右)1945年、第二次大戦後(?)、ノルウェー北部、ナルビク北150キロ、トロムス県トロムソ、ドイツ軍が放棄したブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138飛行艇
;手前には、Ju52輸送機のものか、BMW132空冷星形9気筒エンジン・2翅プロペラの残骸が転がっている。
Object description An abandoned Blohm und Voss Bv 138 flying boat stands close to a pile of wreckage from German seaplanes at Tromso in northern Norway.
Category-photographs Related period Second World War (production), Second World War (content)Creator Daventry Royal Air Force official photographer Part ofAIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は, Imperial War Museums Catalogue number CL 2918 引用。



写真(右)1945年、第二次大戦後(?)、ノルウェー北部、ナルビク北150キロ、トロムス県トロムソ、ドイツ軍が放棄したブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138飛行艇
;手前には、Ju52輸送機のものか、BMW132空冷星形9気筒エンジン・2翅プロペラの残骸が転がっている。
Fly, propellfly, med "hakekors. Flydeler, vrakdeler i forgrunnen. En lastebil i bakgrunnen. Blom und Voss BV-138 Luftforsvaret, Skattøra Sjøflystasjon, 1945-1958-59
Fotografering:1945 Eier:Forsvaret sikker Avbildet sted: Tromsø Troms Skattøra
Identifier:NL.97150006 Part of collection:Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection:Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:December 18, 2014 DIMU-CODE:021015696811
写真は, Norsk Luftfartsmuseum Identifier: NL.97150006 引用。



写真(右)1945年、第二次大戦後、ドイツ、キール、ドイツ軍から鹵獲したブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138飛行艇を点検するイギリス海軍軍予備軍ドブスン中佐ら先遣部隊
;機体には小銃弾らしい弾痕が列をなしているが、これは占領したイギリス軍が気まぐれに発砲を楽しんだためであろう。このような無秩序な仲間の兵士の破壊・掠奪を抑え、戦利品を確保するのが、先遣隊の役割の一つだった。
Object description Lieut Cdr (A) W Dobson RNVR, attached to the Advanced Naval Party at Kiel, inspecting a captured German Blohm and Voss seaplane.
Related period Second World War (production), Second World War (content) Creator McNeill, M H A (Lt) Catalogue number A 29084 Part of ADMIRALTY OFFICIAL COLLECTION
写真は, Imperial War Museums Catalogue number A 29084引用。



写真(右)1945年夏、ノルウェー、第二次大戦後、ドイツ軍から鹵獲したブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138飛行艇を配備されたノルウェー軍第330飛行中隊(330 skadronen)
;飛行艇基地に制服のノルウェー陸海軍人が整列している。
Gruppefoto. Offiserene ved 330 skadronen. Et fly Blohm & Voss BV 138 i bakgrunnen Albumtekst: Offiserene ved 330 skv. Sommeren 1945.
Eierskap Giver/siste eier:-Bjørnebye, Lasse sikker Fotografering:-1945 Fotograf:-Bjørnebye, Sverre Annet
Copies:1 Negativ, svart/hvitt, Arkivkopi1 Negativ, svart/hvitt, Arkivkopi Identifier:NL.06050252 Part of collection:Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection:Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:November 21, 2014 Date updated:December 18, 2014 DIMU-CODE:021015552918
写真は, Norsk Luftfartsmuseum Identifier: NL.06050252 引用。


図(右)ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇の三面図
English: Blohm & Voss BV 138 Date 10 August 2016 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons, Category:Blohm & Voss BV 138 File:Blohm & Voss BV 138.svg引用。


ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇の諸元

乗員: 6名
全長: 19.85 m
全幅: 27.00 m
全高: 5.90 m
主翼面積: 112 m2 (1,210 sq ft)
空虚重量: 11,770 kg (25,948 lb)
総重量: 14,500 kg (31,967 lb)
燃料: 3,750 L
発動機: ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo) 205液令6気筒ディーゼルエンジン(656 kW)880 hp 3基
最高速力: 290 km/h/高度1000m
航続距離: 1220km
移動可能距離:4,300km
実用上昇限度:5,000 m
上昇率:3.67 m/s
翼面荷重: 114.2 kg/m2
武装
20 mmMG151/20機関銃 2挺
13 mmMG131機関銃 2挺
爆弾 150 kg × 4
初飛行:1937年7月15日
生産期間:1938–1943年
生産機数:297機



Blohm and Voss 138 Aircraft, 1943 - Film 17809
Blohm and Voss 138 flying boat German aircraft during World war Two. A reconnaissance plane with three engines. Views of aircraft from different angles giving detail of its construction. Sometimes it's called the 'flying flipper' because of its pointed hull.


2.ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV222「ヴィーキング」飛行艇

写真(右)1940年、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV-222 V-1六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"試作1号機(登録コード:D-ANTE);BV 222試作1号機は、ブラモBMW323Rファニール( Fafnir )空冷星型9気筒エンジン(1,000馬力)6基を装備、民間登録記号D-ANTEをつけて、1940年9月7日に初飛行したが、戦局は、このような六発大型飛行艇を量産することを許さなかった。生産機数は、事実上試作機として合計13機のみ。
Beeldnummer 109 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Transportvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Blohm und Voss, BV 222 'Wicking', neues leutsches Grossflugboot. Das neue deutsche Grossraumflugboot 'Wicking' ist derzeit das grösste Flugboot der deutschen Lufwaffe. Das zweistöckige Boot ist 37 m lang und 5,6 hoch, die Spannweite der Tragfläche beträgt 46 m.
写真はFlikers, BeeldbankWo2 Beeldnummer 109引用。


ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV-222(Fafnir)空冷星型9気筒エンジン(1,000馬力)6基を装備、民間登録記号D-ANTEをつけて、1940年9月7日に初飛行したが、戦局は、このような六発大型飛行艇を量産することを許さなかった。生産機数は、事実上試作機として合計13機のみ。

ドイツ・ルフトハンザ航空は、ドイツ〜アメリカ間を横断できる長距離旅客飛行艇を求めており、旅客16名、飛行時間20時間の要望を出していた。これにブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)社が応じて開発したのが、BV222大型輸送飛行艇だったが、試作機完成前の1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、民間の長距離旅客機としての需要は途絶えてしまった。

1930年代後半、ルフトハンザ航空Deutsche Luft Hansa)は、大西洋航路で使用可能な長距離大型旅客輸送機を求めていたが、大重量、大量の燃料を積んで離陸する巨大な滑走路が不必要で、非常時には海上に不時着可能な安全性の高い飛行艇式の旅客輸送機が有利ではないかと目されていた。そこで、巨大旅客飛行艇の開発を、リヒャルト・フォークト博士に依頼し、ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)にBV 222飛行艇3機を発注した。試作機V1号機の製造は1938年1月から開始し、第二次大戦勃発1年後の1940年9月7日に、初飛行を実施した。ペイロードは、乗客92名あるいは救急担架72基で、最高速力は385 km/hで早いとはいえなかった。

ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222飛行艇試作機V1は、1941年8月19日までの7回の運航で、ハンブルクとノルウェー北部のヒルケネス間を合計65トンの貨物、負傷者221名をの負傷兵を運んだ。総飛行距離は3万キロに達した。1940年4月9日、ドイツのノルウェー侵攻に呼応して、ノルウェーの政治家ヴィドクン・クヴィスリングVidkun Quisling)は、自らを首班とする臨時政府を樹立し、1942年2月には、アドルフ・ヒトラーの下で、クヴィスリングは首相に任命され、ノルウェーは親ドイツ傀儡政権が支配するようになった。また、BV222飛行艇は、地球海方面面では、1941年10月16日から11月6日の17回の運航で、北アフリカに派遣されたドイツ・アフリカ軍団に対する物資を補給した。

 ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)社の開発したBV 238飛行艇は、BV222飛行艇よりスケールが大きく、6基のディーゼルエンジンを搭載、より長距離飛行が可能だったが、試作1機だけが製造された。ヨーロッパからアメリカまでの飛行が可能な軍用機として、戦争末期にもかかわらず、試作が行われ、実機が完成、飛行試験をしている。

⇒写真集Album:ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 飛行艇「ヴィーキング」を見る。


2.ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 238大型飛行艇

写真(右)1944年中頃,ドイツ、ドイツ空軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 238 V1飛行艇(登録コード:RO+EZ)
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-667-7143-02 Archive title: Flugboot Blohm & Voss BV 238V1 (Kennung RO+EZ) auf einem See wassernd; PK Eins Kp Lw zbV Dating: 1944 Mitte Photographer: Hoffmann Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 ・Bundesarchiv Bild 101I-667-7143-02, Flugzeug Blohm - Voß BV 238 V1.jpg引用。


1941年、ドイツ航空省Reichsluftfahrtministerium: RLM)は、ブローム・ウント・フォスに長距離飛行可能な大型飛行艇の開発を依頼し、チェコで4分の1のサイズの実験機が製造された。

ドイツ、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)が開発したBV 238飛行艇は、全幅60.17 m、全長43.36 m、ダイムラー・ベンツDB 603液冷倒立V12気筒エンジン(1750 hp)6基を装備し、第2次世界大戦末期、1944年3月11日に飛行した世界最大級の飛行機である。ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss BV 238V1の記録は、1947年11月2日にアメリカ、ヒューズが開発した H-4 ハーキュリーズHughes H-4 Hercules)試作機(全幅97.51 m、全長 66.65 )が海面を離れるまで、破られていない。

ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 238 V1飛行艇(登録コード:RO+EZ) の諸元
搭乗員:12名
全長:43.36 m、全幅:60.17 m 、全高:12.80 m
翼面積:360平方メートル
空虚重量:5万4,700 kg
総重量:9万0,000 kg
発動機:ダイムラー・ベンツ、DB 603G12気筒液冷エンジン1,900 馬力6基
最高速力:425 km/h、巡行速度:350 km/h
着水速度:143 km/h
実用常用限度:7,300 m
航続距離: 6,620 km

ブローム・ウント・フォス(Blohm & VossBV 238 V飛行艇 は、すなわち試作1号機しか完成していなかったが、1944年9月、ドイツ北部のシャール(Schaal)湖に待機中に、アメリカ陸軍航空隊第361戦闘飛行隊P-51ムスタング戦闘機の襲撃を受け、破壊、湖に沈んだ。


4.ドルニエ(Dornier)Do-18飛行艇


写真(右)1930-1931年頃、ドイツ、ドルニエDo 18 D飛行艇
;1933年ナチ党政権樹立以来、ドイツの国籍標識には、垂直尾翼に赤帯、白丸、黒の鍵十字を描いているが、この民間航空の国籍標識は、1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍創設以降も引き継がれ、1939年9月の第二次世界大戦勃発まで続く。大戦では、この赤白の国籍指標は廃止され、ナチ党逆卍を白縁取りの黒で描いている。エンジンは主翼上面に3翅プロペラの液冷エンジンを2基の串型に配備している。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:--46170028 - Catalog:--16_007459 - Title:--Dornier Do 18D Nowarra
Collection - Filename:-16_007459.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はSDASM Archives・PictionID:46170028引用。


ドルニエ社は、ベストセラーになったDo.Jワール飛行艇の後継機として、形状を一回り大型化した輸送飛行艇を、ドイツ・ルフトハンザ航空のために開発した。この機体の構造は、Do.Jワール飛行艇を踏襲し、胴体支柱の上にエンジンとパラソル式の主翼を備えていた。そして、胴体左右に水上安定を確保する図る浮きを張り出させている。エンジン配置は、Do.Jワール飛行艇で採用したのと同じ串型で、主翼中央上面に、縦に置き、3翅の牽引式プロペラと推進式プロペラを備えている。発動機は、ユモJumo205ディーゼル6気筒エンジンで、燃費がいいために、航続距離の延長に寄与できた。

1934年、ドルニエは、ルフトハンザ航空用に大西洋横断定期郵便事業用の飛行艇を開発することになった。ルフトハンザ航空は、Do Jワール飛行艇を、ポルトガルのリスボンからブラジルに、大西洋横断便を就航させていた。


写真(右)1939-1944年頃、ドイツ、ドルニエDo 18D飛行艇
;機首上面と胴体後上面に銃座があり、そこに各々7.92ミリMG15旋回機銃1丁が装備されている。開口部があり、そこに乗員が顔を出している。後方の搭乗員は、右手を挙げて、カメラマンの乗る僚機に挨拶している。ナチ党のスワスチカ(鍵十字)が描かれていない。
SDASM Archives Wagner Collection Image
PictionID:--46170016 - Catalog:--16_007458 - Title:--Dornier Do 18D Dornier photo - Filename:-16_007458.TIF .
写真はSDASM Archives・PictionID:46170003引用。


ドルニエ(Dornier)Do18は、1935年3月15日に初飛行した。1936年9月、ハンブルクから、アゾレス諸島を経由して、ニューヨークまで4,460kmを22時間15分で飛行した。ルフトハンザ航空は「世界初の西廻り大西洋横断定期郵便飛行に成功」と喧伝したが、1938年3月には、イングランドのデボン州からブラジルまでの8,391kmをノンストップ43時間で飛行し、水上機の飛行距離世界記録を達成した。

ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇の信頼性と航続力に注目したドイツ空軍は、1936年にDo18飛行艇を哨戒偵察機として制式し、1940年までに100機を生産した。しかし、第二次世界大戦緒戦時点で、性能的には高性能とはいえなかったが、信頼性が高いために、後方の連絡、海難救助の任務では1945年の終戦まで現役で使われた。しかし、ドルニエDo-18飛行艇は、前線任務には旧式化が歴然としていたために、1942年には後継のブローム・ウント・フォス BV 138に置き換えられた。

ドルニエDo18飛行艇は、戦前からルフトハンザ航空などの民間航路で活躍し、1939年に第二次世界大戦が勃発してからも、信頼性と航続力の高さを活かして、ドイツ空軍で当初は、哨戒偵察機として、後には、後方における連絡用務輸送、海難救助の任務で活躍した。生産機数は100機と飛行艇としては、それなりに量産されているが、旧式で鈍足の飛行艇が、1945年のドイツ敗戦時まで現役で使われていたのには驚かされる。


The S.S. Schwabenland catapults a 10 ton Dornier Do-18 flying boat. HD Stock Footage :飛行艇母船からカタパルト発射されるドルニエDo-18飛行艇の映像

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier) Do 18飛行艇を見る。


5.ドルニエ(Dornier)Do-24 飛行艇

写真(右)1937-1938年頃,飛行中のドルニエ(Dornier) Do 24V-2 飛行艇試作機2号機 :Do24飛行艇試作機1号機V1は、1937年初飛行なので試作2号機V2の飛行写真は、それ以降のものである。オランダへの輸出向け機体。エンジンは、ドルニエでの開発当初、燃費のいいユンカース社ディーゼルエンジンを搭載していた。しかし、発注者のオランダ軍は、自国で普及しているライト・サイクロン空冷星形エンジンを搭載することを求めたた。そこで、Do 24V-2 飛行艇試作機2号機では、エンジンを変換し、要求に応じた。垂直尾翼にナチ党のマークを引用した赤帯に白丸とハーケンクロイツを描いた国籍マークが描かれている。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:--46170291 - Catalog:--16_007480 - Title:--Dornier Do 24V-2 Dornier photo - Filename:-16_007480.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46170291引用。


ドルニエDo24飛行艇は、胴体中央部の両側に張出し式フロートを備え、パラソル式主翼にていた。エンジン3基を装備した。エンジンは、当初、燃費のよいユンカース・ユモJumo205ディーゼルエンジンを搭載したが、オランダから発注を受けた際に、オランダで使用しているアメリカ製ライト(Wright)社のサイクロン(Cyclone)R-1820 空冷星形9気筒エンジン1200馬力を搭載するよう変更された。試作第1号機V1は、1937年7月に初飛行。

ドルニエ(Dornier)Do 24飛行艇は、第二次世界大戦前、オランダがドイツのドルニエ社に発注した軍用飛行艇で、オランダ海軍航空隊が、東インド諸島(インドネシア)のオランダ植民地で使用するための偵察飛行艇である。ドルニエ社は開発を受けてドルニエ(Dornier)Do 24飛行艇試作機V1を1937年に初飛行させ、オランダが採用して、ライセンス生産された。

写真(右)1938-年、オランダ海軍航空隊が採用したドニエDo 24K-1飛行艇胴体前方部分の組み立て;製造権を獲得したオランダは、自国でドルニエDo24K哨戒飛行艇を無製造した。胴体から平面上の突出部分は、主翼ではなく、海上に安定した姿勢で浮かぶための張出し式フロート。他社の飛行艇は、水上安定性を確保するために、主翼の両端に吊り下げ四季のフロート(浮舟)を装備していたが、ドルニエ社は、空気抵抗を少なくし、構造を堅固にするために、胴体から張出すフロートを採用していた。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Marine
Objectnummer 2158_022582
Beschrijving Maritieme patrouillevliegboot Dornier DO-24K-1 (1938) in aanbouw bij Aviolanda Plaats
Papendrecht Datering van 1938
Datering tot 1938
Specifieke kenmerken Dornier DO-24K-1, Werkplaats, hangar
Vervaardiger Onbekend
Copyright NIMH.
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) :Objectnummer 2158_022582引用。


ドイツ機の国籍記章は、1933年1月末、ナチ党政権となってから、当初は、黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍創立以降、垂直尾翼にナチ党のマークを使った赤帯に白丸とハーケンクロイツを描いた国籍マークが採用された。プロシア貴族、ユンカーの伝統ではなく、新たなナチ党の人種的イデオロギーを具現化したハーケンクロイツは、ヒトラーンは是が非でも軍に取り込みたいと感じていた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸は目立つために敵からの標的にされやすかった。しかし、ハーケンクロイツを外すことは許されず、黒色のハーケンクロイツのみが小さく描かれるようになった。

写真(右)1940年4月,ノルウェー、ナルビクのフィヨルドに停泊するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-24 飛行艇
Inventory: Bild 101 II - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Marine Signature: Bild 101II-MW-5620-07A Archive title: Norwegen, Narvik.- Gelandetes Wasserflugzeug Dornier Do 24 (TJ+HR) von einem Boot aus fotografiert, PK Dating: April 1940 Photographer: Böttger, Gerd Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


第二次世界大戦で、1940年5月にドイツがオランダを占領すると、オランダ軍が使用していた飛行機は、ドイツ軍に鹵獲され、さらにオランダが生産していた軍用機の生産も、ドイツの監督下で、ドイツ軍のために継続され、合計 279機が生産された。ドルニエ(Dornier)Do 24飛行艇は、ドイツ空軍において海上救助、洋上偵察用に投入された。

写真(右)1940年4月、ノルウェー北部、ナルヴィク、ドイツ軍のドルニエDo 24飛行艇;エンジンは、BMW空冷星形エンジンではなく、ユモJumo205ディーゼルエンジンを3基搭載している。
Inventory: Bild 101 II - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Marine Signature: Bild 101II-MW-5620-28A .
Archive title: Norwegen, Narvik.- Pilot eines Flugbootes Dornier Do 24 auf einer Tragfläche stehend, PK.
Dating: April 1940.
Photographer: Böttger, Gerd.
Origin: Bundesarchiv .
写真はBundesarchiv・Signature: Bild 101II-MW-5620-28A 引用。


⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do 24 飛行艇を見る。


6.ドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇

1938年5月21日に初飛行したドルニエ(Dornier)Do 26四発飛行艇は、民間機として使われるはずだったが、1939年9月に第二次世界大戦が勃発、ドイツ空軍の哨戒偵察機として使用されるることになった。ただし、Do 26飛行艇の生産数は試作機6機のみ。

写真(右)1938-1939年,第二次大戦勃発前のドルニエ(Dornier) Do 26飛行艇試作機V-2 :大戦前のドイツの国籍識別マークは、垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ十字)
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID: 46170354 - Catalog: 16_007485 - Title: Dornier Do 26V-2 Nowarra Collection - Filename: 16_007485.TIF - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46170354 引用。


ドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇の諸元
全長: 24.50m、全幅: 30.0m、全高: 6.90m
翼面積: 120 平方メートル
空虚重量: 10,200 kg、搭載量: 500 kg
全備重量: 20,000kg
発動機: ユンカース ユモ 205C 600馬力 4基
最高速力: 335km/h、巡航速度: 310km/h
航続距離: 9,000km、巡航高度: 4,600 m

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇を見る。


7.ハインケル(Heinkel)He 115 水上偵察機

写真(右)1940年、西部戦線、ドイツ、飛行中のドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機;公表した写真で、銃座を秘匿するためか、写真では搭載機関銃が写っていない。ドイツは、イギリス本土航空決戦のために、北フランスから、ベルギー、オランダンの沿岸部に航空兵力を展開した。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Vliegboten, Vliegtuigen
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Bijschrift Heinkel vliegboot, He 115. Type Foto
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) Beeldbank WO2 : Beeldnummer 128引用。


⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)HE 115水上偵察機を見る。


8.カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇

写真(右)1940年7月26日,イタリア、水上機基地のランプに近寄ったイタリア空軍第146飛行中隊所属のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇を(146-4):主翼上面にあるエンジンナセル後上方回転銃座、胴体後上方銃座には、各々7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁が搭載されている。
Idrovolanti italiani in mare: avieri impegnati nella manutenzione di un idrovolante Cant Z501, montagne sullo sfondo;
Time Creation date: Creation date: 26.07.1940 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22 写真は,Europeana. Identifier: GuerraGuerraIL0001001717-man0 引用。


イタリア空軍カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇は、1934年に初飛行した。単発の飛行艇のために燃料消費が少なくて済む利点があり、1号機は1934年5月、モンファルコーネ〜エリトリア間の4,130キロを26時間35分で飛行し、長距離飛行国際記録を樹立した。

図(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面図
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501 serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。


カントとは、航空機メーカーのカンティエリ・ナヴァレ・トリエスティーノ(Cantiere Navale Triestino)の略称である。

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇 を見る。


9.カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機艇


写真(右)1942年,水上機基地のランプ(滑走台)で待機するイタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機
;後方には、水上機の格納庫が見える。フロートは、陸上移動用の台車に乗っており、台車はレールの上をそのまま飛行機を乗せて移動し、海面に入る。台車は外れるが、浮がついているので海上に漂う。それを陸上から伸びたロープで手繰り寄せて回収する。
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA Coletti’s Combat Aircraft ANNO 1942 - XX F. E.引用。


1937年2月20日初飛行のCa.310を水上機化したカプローニ(Caproni)CA.316水上偵察機は、1940年8月14日に初飛行した。生産は14機のみで、制式されずに終わった。

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機を見る。


10.ドルニエ(Dornier)Do-X飛行艇

1929年に完成したばかりの ドルニエDo-X 飛行艇(登録コード:D-1929)は、Do-Jワール飛行艇、Do-18飛行艇と同じく、水上安定性を確保するために、胴体中央部左右に浮きを張り出し、胴体上部に主翼をパラソル式に配備し、その上にエンジンを縦列縦型に配置している。正面から見ると、主翼上面にエンジンナセル6基が見えるが、これは前後2基のエンジンを縦列串型にエンジン12基を配置したため。エンジンは、シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)9気筒空冷星型エンジン525馬力で、流線型ナセルに縦列串型配置、12基の合計出力は6600馬力となる。


写真(右)1929年後半、ドイツ南部、ドルニエ工場で完成直後、ボーデン湖に進水したドルニエDo-X巨人旅客飛行艇
;ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV-222巨人飛行艇よりも12年も古い機体であるが、大重量の飛行艇を離水させるために、ドルニエDo-X飛行艇Dornire DO-X)肩翼式の主翼上面に、エンジンを縦列串型に12基もタンデム配置した。エンジンは、当初、シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)エンジン525馬力12基を流線型ナセルに装備。水上安定性を確保するために、胴体中央部左右に浮きを張り出し、胴体上部に主翼をパラソル式に配備し、その上にエンジンを縦列串型に配置している。まだ、塗装も終わっていないようだが、この時期は、ナチ党政権獲得(1933年1月)以前なので、カギ十字のドイツ国籍マークはまだ存在しない。
M-269. [Copy negative of print of left side view of the Dornier DO X moored in the water, c.1929.]
photographer Curtiss Aeroplane and Motor Company See more items in Curtiss-Wright Corporation Records
Date Circa 1929 Repository Loc. National Air and Space Museum, Archives Division, MRC 322, Washington, DC, 20560
Type Glass negatives
写真はSmithsonian Institution: Local number:NASM-CW8G-M-0269引用。


ドルニエDo-X飛行艇Dornire DO-X)は、合計3機が試作されたが、ドイツ・ルフトハンザで就航したのは1機のみ、その他2機はイタリアに売却され、技術習得、試験飛行に使用されて終った。シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)9気筒空冷星型エンジン525馬力を流線型ナセルに縦列串型配置で12基装備、合計6600馬力。ユンカースG38巨人輸送機も、2機のみの試作で終わっている。1929年に初飛行したドルニエとユンカースの初頭の巨人機は、大型機のために機構が複雑で、整備が困難であり、部品の管理も手間がかかったために、実用性・信頼性が低く、量産されずに終わった。そこで、ルフトハンザ航空は、ドルニエDo-X飛行艇Dornire DO-X)を「世界に誇るドイツの巨人旅客機」として宣伝材料として使用した。

⇒写真集Album:巨人機ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇を見る。



ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
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東海大学社会環境課程 鳥飼 行博
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