Search the TORIKAI LAB Network

Googleサイト内

◆ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
カラー図(上)1938年、ドイツ海軍軽巡洋艦「ニュルンベルク」(Nurnberg)に搭載されたドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上偵察機(60-A81)
機首部は、黒白赤のドイツ帝国三色旗、垂直尾翼には、1933年のヒトラー首相ナチ党政権下のドイツ機国籍マークとして採用された赤帯白丸黒ナチ党鍵十字を描いている。
He.60 Unit: unknown Serial: 60+A81 This aircraft based at light cruiser Nurnberg, circa 1938. Artist: © Zbynek Valka Source: Historie a Plastikove Modelarstvi (HPM) 1998, No.6; Mesicnik pro zaemce o letectvi, pozemni bojovou techniku a valecne lod'stvo. ISSN: 1210-1427.
WINGS PALETTE・Heinkel He.60/Germany (Nazi)引用。


写真(上)1939年9月以降、第二次世界大戦緒戦、水上機基地で発進準備中のドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上偵察機(60-G71)他の戦列
垂直尾翼には、1933年のヒトラー首相ナチ党政権下のドイツ機国籍マークとして採用された赤帯白丸黒ナチ党鍵十字は、1939年9月の第二次大戦勃発後は修正されて、鍵十字だけを描うている。
写真は、WW2AIRCRAFT,NET・World War II - Aviation Aircraft Pictures >Heinkel He60 Thread starter Snautzer01 引用。


1.1922年創業ハインケル(Heinkel)のHD機

写真(右)1924年以降、ドイツ、迷彩塗装を施した開放式複座コックピットのハインケル(Heinkel)HD-14複葉水上偵察機;イタリアのフィアット(Fiat)A.14 液冷W-12ガソリンエンジン 450 kW (600 hp)1基を装備して1925年9月13日、初飛行した。乗員2名、総重量5,600 kg、最高速力は175 km/h。スウェーデン軍用に開発されたが、性能不足で量産には至らなかった。ハインケルが「スピード狂」の革新的設計者というのは、自伝で述べた表現だが、たかだかHe70高速輸送機以降に浸透しはじめた方針であり、当初から天才的才能があったというのは自画自賛であろう。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_007310 - Title:Heinkel HD 14 Nowarra collection - Filename:16_007310.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168148引用。


ハインケルHeinkel He 70 G-1 Blitz 1930年までのハインケルが設計・開発した飛行機は、ヨーロッパでは、決して革新的でも、最先端技術を体現したものではなかったようだ。日本のような後進国には喜ばれたが、ヨーロッパ内では大量生産された機体がないことが、それを示している。

ハインケルの飛行機が、高性能、高速機、高技術として讃えられるようになったのは、He70輸送機の開発意向であろう。空力学的に抵抗の少ないデザインを研究し、1932年12月にハインケルHe 70を初飛行させた。ハインケルHe 70輸送機は、最高速力377km/hで、世界スピード記録を書き換え、アメリカの高速輸送機独占を崩すことになった。これは、1933年1月に首相に任命されたアドルフ・ヒトラーにとっても誇らしいことで、ドイツの国威発揚、アーリア人の人種的優秀性のプロパガンダに使用された。

写真(右)1924年以降、ドイツ、迷彩塗装を施した開放式複座コックピットのハインケル(Heinkel)HD-17複葉偵察機;ネピア・ライオン(Napier Lion)W-12液冷エンジン 340 kW (450 hp)1基装備して1924年、初飛行した。最高速力は240 km/h、当時としては標準的な速力だった。ハインケルが「スピード狂」の革新的設計者というのは、自伝で述べた表現だが、たかだかHe70高速輸送機以降に浸透しはじめた方針であり、当初から天才的才能があったというのは自画自賛であろう。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel HD-17 - Title:Heinkel HD-17- Catalog:16_003710 - Filename:16_003710.TIF - - - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43102081 引用。


日本海軍は、1920年(大正10年)にイギリス人ハーバート・スミス技師に依頼し、三菱・十年式艦上雷撃機を試作し、1923年には初飛行に成功したものの、実用化はできなかった。そこで、三菱から複葉に改めた艦上攻撃機(雷撃機)の設計を再度依頼した。こうして、1923年(大正12年)1月に試作機が完成、1924年(大正13年)に三菱・一三式艦上攻撃機として制式されている。日本海軍の一三式艦上攻撃機は、1923年から1933年まで、444機もが量産されている。

写真(右)1928年以降、スウェーデン、45センチ800キロ魚雷を搭載したスウェーデン空軍のハインケル(Heinkel)HD-16複葉雷撃機;垂直未翼は、スウェーデン金十字国旗を模した青色と黄色の縦縞。アーム・スロング・レオパルド(Armstrong Siddeley Leopard)497 kW (666 hp)1基装備して初飛行した。最高速力は196 km/h、乗員3名、総重量4,570 kg、生産機数2機のみ。スウェーデンではJ4と命名された。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel, HD 16 Catalog #: 01_00081272 Title: Heinkel, HD 16 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: HD 16 .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43102045 引用。


ハインケル(Heinkel)HD-16複葉雷撃機は、イギリスのアーム・スロング・レオパルド(Armstrong Siddeley Leopard)497 kW (666 hp)1基を装備して1928年、初飛行した。最高速力は196 km/h、乗員3名、総重量4,570 kg。ドイツ軍は、ベルサイユ条約の軍備制限条項で、空軍兵力を保有できなかったため、ハインケルは、スウェーデン軍のために開発した機体である。生産機数は2機のみで終わっているが、スウェーデン軍でも、1920年代に航空機からの雷撃を実施しようとしたことには驚かされる。

写真(右)1928年7月以降、ドイツ、開放式複座コックピットのハインケル(Heinkel)HD-19L複葉複座機;1928年7月、ブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter) VI空冷 9気筒エンジン 310 kW (420 hp)、2翅プロペラを装備して初飛行した。最高速力は215 km/h 、生産機数6機のみ。
Ray Wagner Collection Image
Title:Heinkel HD-17- - Catalog:16_007313 - Title:Heinkel HD 19L, 1928 Nowarra collection - Filename:16_007313.TIF - - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168186 引用。


ハインケル(Heinkel)HD-19L複葉複座機は、イギリスのブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter) VI空冷 9気筒エンジン420馬力(排気量28.7L)を搭載、1928年7月に初飛行に成功した。全長9.26 m (30 ft 5 in)、全幅 11 m (36 ft 1 in)、全高 3.91 m、最高速力は215 km/h 、巡航速力182 km/h、実用上昇限度 6,400 m。生産は6機のみで終わっている。

写真(右)1928年7月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)HD-19A複葉複座水上機(製造番号:WNr 296 );1928年7月、ブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter) VI空冷 9気筒エンジン 310 kW (420 hp)、排気量28.7L1基装備して初飛行した。最高速力は215 km/h 、生産機数6機のみ。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel HD 19a WNr 296 for Sweden Nowarra photo - Title:Heinkel HD 19a WNr 296 for Sweden Nowarra photo - Catalog: 16_003709 - Filename: 16_003709 .TIF - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43102069 引用。



写真(右)1925年、ドイツ、るハインケル(Heinkel)HD 21複葉練習機の絵葉書ポストカード
:1924年初飛行、乗員2名、全長: 7.25 m (23 ft 9 in)、全幅: 10.60 m (34 ft 9 in)、全高: 3.05 m (10 ft)、主翼面積: 27.8 m2 (299 sq ft)、空虚重量: 680 kg (1,500 lb)、総重量: 980 kg (2,160 lb)、発動機:メルセデス(Mercedes) D.I 液令エンジン75 kW (100 hp)、最高速力: 135 km/h 。Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Seefliegerstaffel Heinkel He 42, Wasserflugzeuge. Zustand, siehe Scan ca 14 cm X 9 cm
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel Schulflugzeug H D 21, Deutscher Rundflug 1925引用。


写真(右)1925年以降、ドイツ、開放式複座コックピットのハインケル(Heinkel)HD-25愛知二式水上偵察機;イギリスのネピア・ライオン 水冷W型12気筒450hpエンジン1基装備を装備して1926年、初飛行した。乗員2名、全備重量2,570kg、最高速力203km/h、日本海軍も購入し愛知で二式水上偵察機として組み立てた。生産機数は16機。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel, HD 25 Title: Heinkel, HD 25 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: HD 25 Tags: Heinkel, HD 25.
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081253引用。


日本海軍HD25国産型愛知 二式水上偵察機の諸元
全長:9.70m、全幅:14.88m、全高:4.27m
自重:1,700kg、全備重量:2,570kg
最高速度:203km/h 乗員:2名
発動機:ネピア ライオン 水冷W型12気筒 450馬力
航続距離:910km
兵装:7.7ミリ旋回機関銃1丁

ドイツ北部バルト沿岸のワルネミュンデにあるハインケル工場で完成したHD25の試作機は、1926年初飛行に成功し、軍用機開発を始めていた日本海軍が注目するところとなり、2機が輸出された。日本海軍では、実用審査を行い、1928年(昭和3年)3月に愛知・二式水上偵察機として制式した。生産機数は16機で、時計生産から発展した愛知航空機で行われたが、これは部品を輸入してのノックダウン生産であろう。しかし、日本ではこれを「国産」と称して、自国でも飛行機が生産できる技術があることを誇っていた。大型艦艇用の艦載機として実用化が図られたが、実際には、試験的運用にとどまったようだ。

写真(右)1928年7月以降、スウェーデン、スウェーデン海軍海防艦「ドリスティキータ」(Dristigheten)後甲板に艦載されたハインケル(Heinkel)HD-19A水上偵察機(右)とHe-16水上雷撃機(左:最後尾甲板、デリック近く)
Heinkel HD 19a WNr 296 for Sweden Nowarra photo English: Postcard picture of the Swedish coastal defence ship HMS Dristigheten. Svenska: Vykortsbild av det svenska pansarskeppet HMS Dristigheten..
No. DO14939:208 from the Naval Museum of Sweden (Marinmuseum) collections.
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel HD 19 File:HMS Dristigheten.jpg引用。


スウェーデン海軍海防艦「ドリスティキータ」(Dristigheten)は、乗員427名、排水量3445 トン、210ミリ砲2門、152ミリ砲6門、57ミリ砲10門の重兵装だが、最高速力16.5ノット(30.6 km/h)、航続距離 2,040マイルと機動力は非常に低く、沿岸防備用の艦艇である。このような近距離の沿岸で運用する火力重視の海防艦は、フィンランド、スウェーデンのような内海の防衛を優先する北欧諸国が建造している。

写真(右)1926年以降、ドイツ、開放式コックピットのハインケル(Heinkel)HD-28三座水上偵察機;水上滑走用の双フロート(浮舟)の下に、陸上移動用のドリー(滑車台)を取り付けている。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_007314 - Title:Heinkel HD 28 Nowarra collection - Filename: 16_007314.TIF.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 46168199引用。


ハインケル(Heinkel)HD-28三座水上偵察機は、フランスのロレーヌ・ディートリヒ(Lorraine Dietrich)18K水冷W型18気筒エンジン485 kW (650 hp)1基を装備して、1926年に初飛行した。乗員3名、総重量3,850 kgkg、最高速力199 km/h、巡航速力150 km/h、実用上昇限度4,500m。日本海軍が購入し愛知でノックダウン方式で組み立てたハインケルHD-28は、二式三座水上偵察機と命名された。ただし生産機数は1機のみ。航空黎明期であるため、僅か1機の輸入で、国内量産をしていないに機体を制式している。


写真(右)1933年1月以降(?)、ドイツ、海上で待機するハインケル(Heinkel)He 42水上偵察機の戦列の絵葉書ポストカード
:垂直尾翼には、ドイツ三色旗を模した国籍記章ではなく、赤帯白丸黒鍵十字のナチ党式国籍記章が描かれている。Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Seefliegerstaffel Heinkel He 42, Wasserflugzeuge. Zustand, siehe Scan ca 14 cm X 9 cm
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Seefliegerstaffel Heinkel He 42, Wasserflugzeuge引用。



写真(右)1933年1月、ナチ党ヒトラー連立政権誕生以降(?)、ドイツ、編隊飛行するハインケル(Heinkel)He 42水上偵察機(EMES)の絵葉書ポストカード
:垂直尾翼には、ドイツ三色旗を模した国籍記章ではなく、赤帯白丸黒鍵十字のナチ党式国籍記章が描かれている。Zustand, siehe Scan, ungelaufen ca 14 cm X 9 cm.
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Deutsches Kampfflugzeug, Heinkel He 42, Wasserflugzeug, EMES, Warnemünde引用。


写真(右)1940年頃、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)
Portraitserie Ernst Heinkel
Datensatz 70246185
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050035引用。


エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北部ヴァーネミュンデにハインケル航空機を設立した。ここは、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで軍用機を開発できるという利点があった。この時期、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機も開発している。

ハインケル(Heinkel)He111爆撃機 1933年1月末、ナチ党総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)が、首相に任命され、1935年3月にドイツ再軍備を宣言して、ベルサイユ条約で禁止されていたドイツ空軍を創設すると、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、政権獲得前から既存の飛行機を活かして、軍用機として開発したHe59双発水上機、He60水上偵察機などを採用され、航空機メーカーとして、順調に飛行機製造を拡張することができた。He 70高速輸送機など高性能機も開発し、1935年のドイツ再軍備宣言後には、ドイツ空軍の創設に伴い高速輸送機として開発したHe111を爆撃機として採用させ、さらにHe51複葉戦闘機の量産も受注することで、ドイツ有数の航空機メーカーに成長してゆく。第二次大戦前にHe 112戦闘機を開発したが、Bf109戦闘機との競争試作に敗れた。しかし、その後も、 He177四発重爆撃機、He219夜間戦闘機、He280ジェット戦闘機など数々の軍用機を開発、生産して、ハインケル社を興隆させた。

1881年1月24日生まれのエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、二人兄弟、3回結婚し、連れ子2人を含め7人の子供をもつ。1958年1月30日逝去。


2.ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上偵察機

写真(右)1933年頃,ドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 60艦載水上偵察機試作機V1(Heinkel He 60a (V-1) First Prototype) :2翅プロペラ装備の陸上木型と水上機型が同時に試作されたが、採用されたのは水上機型だけだった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46168808 - Catalog:16_007362 - Title:Heinkel He 60 a (V-1) First Prototype Nowarra Collection - Filename:16_007362.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168808引用。


 ハインケルHe 60は、He 59と同じラインホルト・メーヴェス設計になる木材/金属混合構造、羽布張りの単発複葉水上機で、当時の標準的な保守的スタイルだった。He 60の原型は、ハインケル HD 60 (W.Nr.380, D-2157)と命名され、1931年8月に初飛行した。

写真(右)1933年頃,ドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60 V4水上偵察機試作4号機(D-IHOH) :He60A先行生産型14機の第1号機は、He60V4(D-IHOH)で発動機はBMW VI 6.0 液冷 V型12気筒エンジン492 kW (660 hp)1基、2翅プロペラを装備。艦載機としてテストされた。He60A先行生産型14機は、He 60A-01からHe 60A-014まである。機体は尾翼にドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章を描いている。1935年に再軍備宣言がされると、ドイツ空軍が創設され、尾翼の国章は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46168834 - Catalog:16_007364 - Title:Heinkel He 60 - Filename:16_007364.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168834引用。


ハインケル(Heinkel)He 60V-1(D-2325)試作水上機1号機は、BMW VI 6,0ZU液冷式V型12気筒エンジン660 hp(492 kW)を搭載し、2翅プロペラを装備して、1933年初めに初飛行した。しかし、出力不足のためにハインケル(Heinkel)He 60V-2試作水上機2号機は、BMW VI 液冷式V型12気筒エンジン750 hpを装備したが、新型であるために不具合があり、もとの660 hpに戻されている。


写真(右)1933年1月以前、ドイツ、編隊飛行するハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
:垂直尾翼には、ドイツ三色旗を模した国籍記章が描かれている。The first production He 60B aircraft entered service with training units in 1933 and as the programme of rebuilding Germany’s navy accelerated, the type was selected for service aboard German battle cruisers and cruisers. In 1934 an improved version (He 60C) was introduced. The aircraft saw extensive service in the Spanish Civil War, where it performed well. By the time that war had broken out in Europe at the beginning of September 1939, however, the He 60 was fast becoming obsolete and it was soon relegated to training duties only, although German maritime reconnaissance units based in Greece and Crete continued to operate the He 60 until 1943.
写真はWindmill Books Ltd. German War Machine・Heinkel He 60引用。


2翅プロペラ装備のハインケル(Heinkel)He 60V-2(D-IROL)試作水上機2号機は,艦上の射出機カタパルトから発射できるように強度を高めた機体で、ドイツ海軍に派遣されて実用審査が行われた。ただし、既にHe60Aと命名されて生産が始まっている。そして、1933年夏までに、14機のHe60A先行生産型がドイツ海軍の練習飛行隊に送られている。He60A先行生産型14機の第1号機は、He60V4(D-IHOH)でHe 60A-01からHe 60A-014と命名されたはずだ。

写真(右)1933年以降,ハインケル(Heinkel)He 60V-8水上偵察機 :He60水上機の量産機は、BMW VI 液冷式V型12気筒エンジン660 hp(492 kW)を搭載したが、ハインケルHe60V-8試作8号機は、より高性能のダイムラーベンツDB 600を装備した。1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46168846 - Catalog:16_007365 - Title::Heinkel He 60(V-8) with DB 600 Nowarra Collection - Filename:16_007365.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168846引用。


ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機は、1931年8月初飛行で、1932年から1938年3月まで、361機が量産された。搭載した発動機は、1920年代から生産されていたBMW VI 液冷式V型12気筒エンジンである。しかし、ハインケル(Heinkel)He 60 水上機V-8試作8号機は、ダイムラーベンツDB 600を装備したが、この液令倒立12気筒エンジンを装備したのはV-8試作機のみだった。


写真(右)1932-1933年1月、3機編隊、3編隊で堂々と飛行するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
(左前方より撮影);垂直尾翼には、ドイツ三色旗を模した国籍記章が描かれている。akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Kampfflugzeuge Heinkel He 60, Wasserflugzeuge, Geschwader über See, Formation Zustand, siehe Scan, ungelaufen ca 14 cm X 9 cm
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60 Wasserflugzeuge im Formationsflug, Luftwaffe引用。


ドイツ帝国軍は、第一次大戦の敗戦後、ベルサイユ条約によって、陸軍は10万人規模に大幅に縮小され、参謀本部も廃止、戦争遺憾の保有禁止、航空兵力の保有禁止と束縛された。しかし、ドイツ帝国軍人が引き継いだドイツ(ワイマール)共和国軍は、密かにフライコール(義勇軍)を擁立して陸軍の拡充を図り、火砲や戦車を外国で子会社や外国企業と開発した。また、共和国時代から、スポーツ航空や民間航旅客・貨物・郵便・通信航空を隠れ蓑に、軍用機を開発していた。その時代は、共和制時代の黒赤金三色ストライプを尾翼に描いで国章としていた。


写真(右)1933年1月以前、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機の絵葉書ポストカード
:垂直尾翼には、ドイツ三色旗を模した国籍記章を描いていると思われる。Postcard Seeflugzeug Heinkel He 60, Luftwaffe.
The company akpool Ltd. offers postcards from the Third Reich era for the following purposes only: civic education, the prevention of unconstitutional and anti-constitutional activities, the assistance of academic and art historical research, the reporting and clarification of events from the Third Reich era, and the research of uniforms and military history. The purchaser is obligated to only use cards for the historic and academic purposes listed above. They are in no way to be used as propaganda, particularly in regards to paragraph §86a of the StGB
写真は German War Machine・Wehrmacht: Technology - Aircrafts. Ansichtskarte / Postkarte Seeflugzeug Heinkel He 60, Luftwaffe引用。


1933年1月30日に樹立されたヒトラー政権では、ドイツ・ワイマール共和国を否定し、事実上「ドイツ第三帝国」を復活したために、帝国時代の「黒・白・赤」三色国旗に再度改められた。そこで、ベルサイユ条約で認められたドイツ民間機の国籍マークは、1933年1月のヒトラー政権初期、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、帝政「黒・白・赤」の横縞三色国旗を模したものが垂直尾翼に描かれている。

1935年3月、ドイツ再軍備宣言で、ヒトラー政権にドイツ空軍が創設されたが、この時に、垂直尾翼に赤帯白丸黒卍鍵十字スワスチカ(ハーケンクロイツ)のナチ党式の国籍マークが定められた。 アドルフ・ヒトラー ナチス政権奪取から2年後の1935年3月16日,アドルフ・ヒトラーAdolf Hitler)は,ベルサイユ条約の打破の公約実行するために,再軍備を宣言し,兵役の復活によって,50万人の兵力,戦車を保有し,陸軍参謀本部を正式に復活した。そして,第一次大戦の撃墜王にして1923年のミュンヘン一揆にも参加したヘルマン・ゲーリングを司令官とするドイツ空軍を新設したのである。

ここで,1936年3月の再軍備宣言は,強大な軍事大国を一挙に目指したのではなく,周辺国への脅威とはいえない範囲にとどめており、だからこそ,英仏,ポーランド,ソ連もドイツの再軍備を黙認した。

1935年6月、イギリスに至っては、海軍提督エーリヒ・ヨーハン・アルベルト・レーダーErich Johann Albert Raeder: 1876-1960)総司令官率いるドイツ海軍を脅威とはみなさず、英独海軍協定Anglo-German Naval Agreement) )を結んで、ドイツ再軍備を公認した。

しかし、裏では、1922年のソ連とのラパッロ条約Treaty of Rapallo) 秘密議定書で,ドイツはソ連奥地で軍備を整える兵器開発・訓練をし、スウェーデン,スイスに合弁会社を設立して新型火砲を開発した。つまり,ドイツ・ワイマール共和国の内部で,軍隊復活の動き、闇の国防軍は着実に強化されていたが、ヒトラーは再軍備を宣言して,軍を再建したのは,すべて自分の功績であるかのように吹聴した。

ヘルマン・ゲーリング ドイツ・ワイマール共和国の軍事組織維持の背景の中で,三軍総司令官となったアドルフ・ヒトラーAdolf Hitler)総統は,1935年3月16日,ベルサイユ条約の軍備制限条項を破棄して,再軍備を宣言した。この時,国軍Reichswehrは,国防軍Wehrmachtに戻され,陸軍,海軍に加えて,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)率いる空軍が新設された。再軍備宣言から2ヵ月後,1935年5月21日に兵役法が施行。

忠誠宣誓Oath of allegiance)については,従来のように国家と憲法に忠誠を誓うのではなく,三軍最高司令官の総統兼首相のヒトラーに忠誠を誓うが、実は、この宣誓は、親衛隊(SS:Schutzstaffel)がヒトラー個人に忠誠宣誓をするのとほぼ同じである。

1936年のラインラント非武装地帯への武力進駐,1938年3月のオーストリア併合アンシュルスは,この復活させたドイツ国防軍を使って,達成された。

1938年5月23日,ベルリンの帝国官房(総統官邸)で,三軍総司令官が出席した会議で,ヒトラー総統は,「適当な機会があり次第,ポーランドを攻撃する」ことを宣言している。

写真(右)1935年以降,ドイツ、水上機基地で、ハインケル(Heinkel)He 60艦上水上偵察機とエンジン駆動の準備をする整備士:絵葉書ポストカード。水上機基地で台車に載せられてた機体のフロートに整備士が乗って、2翅プロペラを手動回転させ、エンジンを駆動しようとしている。エンジン顎部分には、エンジン冷却水を空気の高速の流で冷却するラジエーターがある。 88mm砲6門。
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeug, Luftwaffe
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten ,Katapultflugzeug Heinkel He 60引用。


アメリカ、イギリス、オランダ、日本、イタリアのような海洋国は、飛行艇や水上機を多用したが、軍用飛行艇・水上機は、一般的に海軍の所属だった。しかし、ドイツの飛行機の所管は、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)元帥の支配下に置かれたために、ドイツ軍の基地航空隊所属の飛行艇、水上機の多くは、空軍の隷下に置かれ、海軍艦艇、潜水艦との連携に不都合な面があった。

海軍提督レーダー ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーErich Raeder)提督の指揮権のある海軍航空兵力は、巡洋艦以上の大型艦船が搭載する艦載水上機に限られた。

1937年、第二次大戦勃発2年前、ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーErich Raeder)提督は、国防軍総司令官ブロンベルク元帥に対して、沿岸防衛の範囲に関して、ドイツ空軍ヘルマン・ゲーリング総司令官との海空の分担の取り決めを依頼したが、実際に海軍と空軍の責任範囲について協定文書がまとまったのは、戦争直前の1939年2月3日だった。

これは、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)を置き、戦時には海軍司令部空軍代表を海軍総司令官の指揮下に行動するというものである。

しかし、ドイツ近海を離れた海上は、ドイツ空軍の責任範囲で、ドイツ海軍が作戦行動を行う場合のみ、ドイツ海軍が哨戒偵察の責任を負うとした。また、水上艦艇同士の海戦、航空機による機雷敷設については、海軍と空軍の合意のもとに、実施するとした。

写真(右)1935年頃,水上機基地で白い整備服を着た地上勤務員が浮舟フロート上でドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上偵察機のエンジンを整備している。:フロートの先端は、水中にあっても目立つように赤色で塗られている。絵葉書ポストカード。
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Marine Seeflugzeug, Luftwaffe Nr. 2.622.000 ungelaufen, sehr guter Zustand
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten ,Katapultflugzeug Heinkel He 60引用。


1935年3月のドイツ再軍備宣言で、ベルサイユ条約Treaty of Versailles)を無視して、ヒトラーはドイツ空軍を創設した。この時に、垂直尾翼に赤帯白丸黒卍鍵十字のナチ党式国籍マークが定められた。これ以前の国籍マークは、ドイツ共和国三色旗を描いていた。

ハインケル(Heinkel)He 60V-2(D-IROL)試作水上機2号機は,2翅プロペラ装備で、軽巡洋艦以上の主力艦艇が搭載した射出機カタパルトから発射できるように強度を高めている。この試作機の審査最中、He60Aは、1933年夏までに、14機が先行生産されていて、ドイツ海軍の練習飛行隊に送られている。He60A第1号機は、He60V4(D-IHOH)と命名され、He 60A-01からHe 60A-014まで14機がある。

任務用の実用生産型は、He60Bと命名され、後部偵察席に7.92mmMG15旋回機関銃1挺を装備、1934年までに部隊配備されている。

ハインケル(Heinkel)He60Cは、D-ILROとD-IXESでダイムラーベンツDB600液令倒立12気筒エンジンに強化された、審査を受けたが、エンジン供給の制約のためにBMW VI 液冷式V型12気筒エンジン660 hp(492 kW)を搭載し、生産された。

写真(右)1935年頃,水上機基地で整備を受けるドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上偵察機の上空を飛行するHe 60水上偵察機:絵葉書ポストカード。
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeuge, Kampfflugzeuge, Luftwaffe Nr. 2.624.153 ungelaufen, Eckknicke, sonst guter Zustand
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten ,Katapultflugzeug Heinkel He 60引用。


BMW VI 液冷式V型12気筒エンジンは、1926年から生産が始まり、1930年には1BMW VI 液冷式V型12気筒エンジンを串型タンデム配置にして、主翼上面に搭載したドルニエ(Dornier)Do-J 双発飛行艇が、大気の流れを逆行し東から西へ大西洋横断の世界初飛行を成功させた。こうして、BMW VI 液冷式V型12気筒エンジンは、1930年代には、飛行機用エンジンとして普及し、1933年には燃料直接噴射方式のBMW VI 液冷式V型12気筒エンジンも開発されたが、この方式は、第二次世界大戦中のドイツ空軍戦闘機の優秀さを他国に認めさせることになる。

ドイツのBMW VI 液冷式V型12気筒エンジンは、性能と信頼性の高さから、日本とソ連がライセンス生産権を取得し、国産化した。日本の川崎航空は、BMW-6型450馬力エンジンとして、主に日本陸軍機に搭載した。ソ連は、ミクーリン M-17として、ポリカルポフ R-5偵察機、ツポレフ TB-3四発重爆撃機のような飛行機から、BT-7快速戦車,T-28多砲塔戦車のような戦闘装甲車両まで、発動機として大量生産している。

BMW VI 液冷式V型12気筒エンジンの諸元
気筒ボア:160 mm190 mm
気筒ストローク:190 mm
気筒排気量: 46.9 L
圧縮比: 7.3
全長: 1,810 mm
全幅: 859 mm
全高: 1,103 mm
乾燥重量: 510 kg
出力: 750 PS/1,700 rpm

写真(右)1935年以降,1931年10月8日就役のドイツ海軍軽巡洋艦「ライプツィヒ (Leipzig)」のカタパルト射出機に搭載されたハインケル(Heinkel)He 60艦上水上偵察機(IROL)1号機と水兵たち:絵葉書ポストカード。
Ansichtskarte / Postkarte Deutsches Kriegsschiff, Leipzig, Kreuzer, Katapultflugzeug Heinkel He 60, Seeleute
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten ,Postkarte Deutsches Kriegsschiff, Leipzig, Kreuzer, Katapultflugzeug Heinkel He 60, Seeleute引用。


軽巡洋艦「ライプツィヒ (Leipzig)」 の諸元
排水量: 8,380 トン
全長: 177 m
全幅: 16.30 m
吃水: 5.65 m
機関: 蒸気タービン 60,000 shp (45 MW)
ディーゼルエンジン 12,400 hp (9.3 MW)
最大速: 32ノット
乗員: 850名 兵装: 3連装5.9インチ砲塔3基

1933年1月末、ドイツではナチ党を首班とする連立政権が成立、アドルフ・ヒトラーは、貴族的なプロシア軍の伝統を軽蔑しており、ナチ党のイデオロギーを軍に浸透させるべきであると考えていた。そこで、ドイツ軍機の国章は、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、垂直尾翼尾翼に赤帯白丸に黒スワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。

その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯白丸は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになり、白縁黒スワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)だけとなった。

写真(右)1935年以降,1931年10月8日就役のドイツ海軍軽巡洋艦「ライプツィヒ (Leipzig)」のカタパルト射出機から射出されたドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 艦上水上偵察機機:絵葉書ポストカード。手前下は76口径8.8cm連装高角砲、その砲口の奥にうつっているのは、カタパルトの先端で、艦載機と台車を繋ぐ接続装置が写っている。この接続部が、カタパルト内部で火薬を爆発をさせて、打ち出されるのである。右上は夜間砲撃戦用の大型探照灯、右上は煙突。
Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Kriegsmarine, Seeaufklärungsflugzeug Heinkel He 60, Katapultstart vom Kreuzer Nr. 10.512.854 Zustand, siehe Scan ca 11 cm X 15 cm
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten , Heinkel He 60, Katapultstart vom Kreuzer引用。



飛行機射出用の蒸気カタパルトは、設備が大規模化、複雑化するために、アメリカ海軍が航空母艦からの飛行機発進用に採用した程度で、第二次世界大戦中の枢軸国では実用化されていない。

ドイツ海軍艦艇が搭載した対空用の8.8センチ高角砲は、ドイツ陸軍・空軍が1933年に制式した8.8cm FlaK 18高射砲である。1928年の第一次大戦敗戦、1919年のべルサイユ条約によって、大口径砲、戦車、軍用機、潜水艦など新兵器の開発・保有が禁止されたドイツでは、スウェーデンやスイス、さらにソ連に開発拠点を移して新型兵器を設計、開発した。

ドイツのクルップ社は、スウェーデンのボフォース社と共同で新型対空砲として、8.8cm口径の高射砲、8.8 cm FlaK18を開発した。このFlaK (Flugabwehrkanone)18という形式名は、1918年式対空砲、という意味であり、第一次大戦末期の1918年にドイツで開発した高射砲ということになる。しかし、これはべルサイユ条約で禁止されていた新兵器開発を胡麻化して、旧式火砲の再生産とする欺瞞行為である。

写真(右)1934年11月-1939年9月以前,ドイツ海軍ライプチッヒ級軽巡洋艦「ニュルンベルク」(Nürnberg)舷側からデリックで艦上に引き上げられようとするドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上偵察機(登録コード:60−G21):軽巡洋艦「ニュルンベルク」の就役は、1935年11月2日なので、1934年の撮影ということであれば、最終艤装中、艦載機の搭載・射出試験を行った時の撮影であろう。煙突の後方に飛行機を搭載するデリックが準備されている。煙突の上部周囲には、探照灯が搭載されている。煙突の根元には、76口径8.8cm高角砲連装砲塔1基が見える。右端の2基の小型デリックは、短艇カッター用で、飛行機用ではない。
A Heinkel He-60 Seaplane is hoisted on board of Leipzig class light cruiser Nürnberg, 1934.[800 × 533]
写真は,WarshipPorn Heinkel He-60 Seaplane引用。


ドイツ軽巡洋艦 ケーニヒスベルク ドイツ海軍軽巡洋艦「ニュルンベルク」Nürnberg)(Nürnberg)の諸元
起工1933年11月4日、進水1934年12月8日、就役1935年11月2日
排水量9,040 トン
全長181.3 m、全幅 16.30 m
最高速力32ノット
航続距離10ノット/3,900マイル
15cm(60口径)3連装砲3基9門
88mm(76口径)高角砲連装4基8門
37mm対空機関砲連装4基8門
53.3cm(21インチ)魚雷三連装発射管4基12門
機雷120個
水上偵察機2機搭載。

ドイツ海軍駆逐艦 Z32 ドイツ海軍軽巡洋艦「ニュルンベルク」Nürnberg)は、第二次大戦中勃発時に、機雷敷設任務に就いた。そして、1940年6月14日から、ノルウェーのトロンヘイムからドイツ陸軍第3山岳師団を乗せた輸送船を、駆逐艦「エーリッヒ・シュタインブリンク」と護衛する任務に就いた。

1941年9月、戦艦「ティルピッツ」の護衛艦として、バルト海に進出、1942年12月には、イギリスからソ連への輸送船団を攻撃するためにノルウェー北部へ進出したが、目立った活躍はしていない。1945年、バルト海で、大戦末期の東欧からのドイツ人、民族ドイツ人の避難民を救出する任務に従事し、ドイツ敗戦まで生き残った。

写真(右)1934年,ドイツ海軍軽巡洋艦「ニュルンベルク」の射出機カタパルトに搭載されたドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 :就役したばかりの2翅プロペラ装備のHe 60水上艦載偵察機が、竣工直前の軽巡洋艦「ニュルンベルク」の艦載機として採用された。カタパルトの奥には、76口径8.8cm単装高角砲塔1基、下の甲板には53.3cm(21インチ)魚雷三連装発射管1基が見える。
Here we see a Heinkel He 60 floatplane on the catapult on the cruiser Nurnberg in 1934, just after the aircraft entered service, and while the cruiser was still being completed. How to cite this article: Rickard, J (25 May 2019), Heinkel He 60 on Nurnberg, 1934 , http://www.historyofwar.org/Pictures/pictures_nurnberg_1934_he_60.html
写真は,Military History Encyclopedia on the Web, Heinkel He 60 on Nurnberg, 1934引用。


ハインケル(Heinkel)He 60 水上機がドイツ海軍に艦載機として試験的に配備されたのは1933年のヒトラー政権下で、1934年からHe 60がドイツ海軍艦隊の艦載水上偵察機として配備された。1936年のスペイン内戦にも6機が投入された。

第二次世界大戦の勃発した1939年9月以前から、ハインケル(Heinkel)He 60 C 水上機は、ドイツ海軍のすべての主力戦艦に艦載偵察機として配備されていた。また、ハインケル(Heinkel)He 60 C 水上機は、戦前から、4個の沿岸飛行隊にも配備されている。しかし、第二次大戦の勃発後、ハインケル(Heinkel)He 60 C 水上機は、後継機のHe 114水上偵察機、アラド Ar 196水上偵察機に代替されるようになった。

写真(右)1933-1939年頃,ジブラルタル海峡,イギリス軍によって撮影された1933年4月1日就役のドイツ海軍装甲巡洋艦「ドイッチュラント」(Deutschland)艦体中央のカタパルトに搭載されたドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機;カタパルトの先端には、機体を乗せていた移動台車が残っている。ここに機体を乗せるが、射出する際は、台車に機体を固定せず、カタパルト先端に来た時に、台車から機体が離れるようになっている。
Title:DEUTSCHLAND (German Battleship, 1931) Caption:View taken at Gibraltar, circa 1937-1939. Close-up view shows plane (HEINKELHE.60), bridge, and forward 11' gun turret. Note eagle marking on turret, and red/white/black stripes as well. These were neutrality markings adopted during the Spanish Civil War period. Also note crew sunbathing on deck abaft the turret. Description: Catalog #:NH 50230 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は Naval History and Heritage Command: NH 50230 DEUTSCHLAND (German Battleship, 1931) 引用。


ドイツ海軍装甲艦グラーフ・シュペー 装甲巡洋艦「ドイッチィエラント」は、1929年2月5日 起工、1931年5月19日進水、1933年4月1日就役、主砲:28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ砲(55口径)8基、 53.3センチ(21.0 in)四連装魚雷発射管2基、 搭載機2機。基準排水量1万2,100トン、満載排水量1万6,200トン、全長186 m、全幅21.6 m。 大西洋方面の交通破壊戦に投入された。第二次世界大戦勃発翌年の1940年に、ヒトラーは、ドイツを意味する「ドイッチュラント」の撃沈が面子を失うことを危惧して、艦名を「リュッツォウ」に変更した。


写真(右)1933年7月-1939年3月以前、第二次大戦勃発前、スペイン東方、地中海、バレアレス諸島マリョルカ(Mallorca)島ポレンサ水上機基地に接岸するスパイン軍ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上偵察機(60-4)とHe59双発水上機
;第二次大戦前の1936年7月に勃発し大戦勃発直前の1939年3月まで続いたスパイン内戦に、ドイツはコンドル軍団としてHe-60艦載水上偵察機、He59双発水上機を派遣して、フランコ将軍の反乱軍国民戦線を軍事援助した。
Deutsch: Aufmunitionieren der spanischen Heinkel He 60, Kennung 60-4, in Pollensa/Mallorca, mit Heinkel He 59 im Hintergrund Date 10 December 2018 Source Own work Author Wilhelm Röder, Frankfurt
写真は Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 60 File:Heinkel He 60 (60-4).tif引用。



写真(右)1933年7月-1939年3月以前、第二次大戦勃発前、スペイン、飛行中のスぺイン国民戦線フランコ将軍ファシスト政権のハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機(60-5)とHe59双発水上機

El Heinkel He 60 fue un hidroavión biplano alemán de reconocimiento diseñado para operar desde las catapultas de los buques de la Marina de Guerra alemana (Kriegsmarine), en el período de los años 30. ESPECIFICACIONES 1A. Características Generales 1B. Rendimiento 1C. Armamento 1D. Variantes 1E. Usuarios
写真は Segunda Guerra Mundial Heinkel He 60 [Hidroavión de Reconocimiento]引用。


第二次大戦前の1936年7月に勃発し大戦勃発直前の1939年3月まで続いたスパイン内戦に、フランコ将軍国民戦線は、ドイツの軍事援助を受け、軍用機には、垂直尾翼に白地クロ×、胴体に黒●の国籍マークを描いている。戦闘機としては、初期にはハインケルHe 51複葉戦闘機が、水上偵察機としては、He59双発機、He60単発機が派遣されている。


写真(右)1933年7月-1939年3月以前、第二次大戦勃発前、スペイン、海上で待機するスぺイン空軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機(60-5)と後方のハインケルHe 59 双発水上機

El Heinkel He 60 fue un hidroavión biplano alemán de reconocimiento diseñado para operar desde las catapultas de los buques de la Marina de Guerra alemana (Kriegsmarine), en el período de los años 30. ESPECIFICACIONES 1A. Características Generales 1B. Rendimiento 1C. Armamento 1D. Variantes 1E. Usuarios
写真は Segunda Guerra Mundial:Snautzer01 Major General> Heinkel He 60 引用。


ヒトラー 1935年3月16日のアドルフ・ヒトラーAdolf Hitler)によるドイツ再軍備宣言から半年以上経過した1935年11月7日、第一次大戦勃発の時1914年生まれの成人男子に徴兵が開始され、それまで10万人だった共和国軍(ライヒスヴェア)は、50万人の国防軍(ヴェアマハト)へ拡張された。そして、ヘンマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring)を総司令官とするドイツ空軍も創設された。

ただし、ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機は、1933年5月に「スポーツ機・アクロバット機」として初飛行している。正規のドイツ空軍が生まれる以前に、密かに軍用機の開発はドイツ国外で行われて、ドイツ国内の民間機が軍用機として使用されたのである。

2翅プロペラ装備のハインケルHe 51複葉戦闘機は、ハインケル(Heinkel)He 60 水上機よりも前に1934年から1937年に陸上型473機生産されたが、この他に水上機型が33機生産されている。したがって、He51の全経形式の生産機数は506機となる。

ハインケルHe51B.1複葉戦闘機 ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機の搭載した発動機BMW VI液冷V型12気筒エンジンは、前形式のBMW IV6気筒液冷エンジンのシリンダー数を2倍(排気量を2倍)にした出力向上エンジンである。1926年に開発され、前作のBMW VIを踏襲して大量生産に入った。

1936年7月、スペインでは、人民戦線政府に対して、モロッコ植民地に駐留していたフランシスコ・フランコらの反乱軍が蜂起した。このスペイン内乱に際して、ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、即座に支援を命令し、ドイツ・コンドル軍団をスペインに派遣することが決定した。

 ドイツは、形式上は、スペイン市民戦争に不干渉の立場にあると表明しながらも、義勇軍の形式をとったコンドル軍団を編成して、ドイツ正規軍の派兵を実装した。この時、コンドル軍団に配備されたハインケル(Heinkel)He-51戦闘機、He111爆撃機、He70輸送機もスペイン内乱に反乱軍への援軍として実戦投入されている。

写真(右)1933年1月-1939年9月以前、水上機基地の格納庫前の滑走台(ランプ)に待機中のドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 C 水上偵察機 (60-01):He60水上機の量産機は、BMW VI 液冷式V型12気筒エンジン660 hp(492 kW)を搭載。1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。
NICO BRAAS COLLECTION No. 12740. Heinkel He 60 C Luftwaffe Source unknown
写真は,1000aircraftphotos.com, Created February 28, 2015引用。


枢軸軍の双フロート双発以上の水上機には、ハインケル(Heinkel)He115のほかハインケルHe59救難機、イタリア軍のフィアットCMASA RS.C14水上偵察機、カントZ.506 水上偵察爆撃機 などがあり、いずれも飛行性能は、秀でているわけではないが、堅牢な構造で、使いやすい機体だった。


写真(右)1935-1939年9月以前、海近くの水上機基地で待機する2機のドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上偵察機
;陸上の移動に便利なように双フロートは台車ドリーの上に載せられている。2翅プロペラ先端には安全識別カラーが塗装されている。akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている。
Die Firma akpool GmbH bietet Karten aus der Zeit des III. Reiches nur zu Zwecken der staatsbürgerlichen Aufklärung, der Abwehr verfassungswidriger und verfassungsfeindlicher Bestrebungen, der wissenschaftlichen und kunsthistorischen Forschung, der Aufklärung oder Berichterstattung über die Vorgänge des Zeitgeschehens oder der militärhistorischen und uniformkundlichen Forschung an. Der Bieter verpflichtet sich, diese Karten nur für historische – wissenschaftliche Zwecke aus oben genannten Gründen, zu erwerben und sie in keiner Weise propagandistisch, insbesondere im Sinne des § 86a StGB, zu benutzen.
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Seefliegerstaffel, Luftwaffe引用。

写真(右)1935-1939年9月以前、海近くの水上機基地で待機する1機のドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上偵察機;2翅プロペラには安全識別カラーが塗装されていない。左フロートには搭乗員が降り立っている。左側の2人の地上整備員は、海中に腰までつかっても大丈夫なように、長靴とビニール製水除を着用している。akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60 Wasserflugzeug wird an Strand gezogen, Luftwaffe Nr. 2.621.91
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Seefliegerstaffel, Luftwaffe引用。

写真(右)1935年3月-1939年9月以前,海上を滑走するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上偵察機(左前方より撮影);2翅プロペラ先端近くには、人身事故防止のためにプロペラの回転が明瞭に識別できるように、赤白の安全塗装がなされている。垂直尾翼には、赤帯白丸黒鍵十字型の国籍マーク、部隊マークが描かれている。
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeug beim Start, Luftwaffe
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeug beim Start, Luftwaffe引用。

1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色バルカンクロス(鉄十字)の国籍マークを記入した。


写真(右)1939年9月以降、海面を滑走するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
;akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Die Firma akpool GmbH bietet Karten aus der Zeit des III. Reiches nur zu Zwecken der staatsbürgerlichen Aufklärung, der Abwehr verfassungswidriger und verfassungsfeindlicher Bestrebungen, der wissenschaftlichen und kunsthistorischen Forschung, der Aufklärung oder Berichterstattung über die Vorgänge des Zeitgeschehens oder der militärhistorischen und uniformkundlichen Forschung an. Der Bieter verpflichtet sich, diese Karten nur für historische – wissenschaftliche Zwecke aus oben genannten Gründen, zu erwerben und sie in keiner Weise propagandistisch, insbesondere im Sinne des § 86a StGB, zu benutzen.
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeug beim Start, Luftwaffe引用。


写真(右)1935-1939年9月以前、海上を波を立てて滑走する1機のドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上偵察機3号機(D-IQUT)
(右後方より撮影);垂直尾翼には、赤帯白丸黒鍵十字型の国籍マークが描かれている。akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている。
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeug beim Start, Luftwaffe, D IQUT
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeug beim Start, Luftwaffe引用。


写真(右)1935年3月-1939年9月以前,海上を滑走する1機のドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上偵察機(60-G21)
(左側方より撮影);垂直尾翼には、赤帯白丸黒鍵十字型の国籍マークが描かれている。akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeug, LuftwaffeNr. 2.621.918gelaufen 1939, sehr guter Zustand »Zufriedenheitsgarantie!«
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeug beim Start, Luftwaffe引用。


写真(右)1935-1939年9月以前、海上を滑走するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上偵察機(60-121)と奥のもう1機
(左前方より撮影);垂直尾翼には、赤帯白丸黒鍵十字型の国籍マーク、部隊マークが描かれている。akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeuge beim Start, LuftwaffeNr. 2.621.917ungelaufen, sehr guter Zustand
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Seefliegerstaffel, Luftwaffe引用。


写真(右)1935年3月-1939年9月以前,3機編隊、堂々と編隊離水を開始したドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
;左側面から撮影。垂直尾翼には、赤帯白丸黒鍵十字のナチ党ヒトラー政権下で定められたドイツの国籍記章が描かれている。胴体後方側面には、黒の鉄十字(白縁付き)の国籍記章が描かれている。
Ansichtskarte / Postkarte Startende Kette von Wasserflugzeugen, Heinkel He 60, Luftwaffe
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Startende Kette von Wasserflugzeugen, Heinkel He 60, Luftwaffe引用。


写真(右)1939年9月以前、3機編隊で離水を開始したドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
;右側面から撮影。akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Startende Kette von Wasserflugzeugen, Heinkel He 60, Luftwaffe
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Startende Kette von Wasserflugzeugen, Heinkel He 60, Luftwaffe引用。


写真(右)1933年1月-1939年9月以前,海面上を3機編隊で低空飛行するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機と海面を滑走して離水しようとする2機のHe 60 水上偵察機
;二つのシーンの合成写真のようだが、空に浮かぶ雲と海の波のコントラストがいい。akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカード。
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel Seeflugzeug He 60, D IVIX, Luftwaffe Nr. 10.446.748 Zustand, siehe Scan,
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60 Wasserflugzeuge im Formationsflug, Luftwaffe引用。


絵葉書ポストカードは、平時にはいくつもの種類が多数印刷されているが、第二次世界大戦がはじまっても緒戦のドイツ軍勝利の時期には多数のポストカードが作成されている。

ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機は1933年初めにBMW VI液令エンジン492 kW (660 hp) を搭載して初飛行し、1933年6月にはドイツ海軍の訓練部隊に最初に配備された。翌年1934年には量産型He 60 Cがドイツ海軍に艦載偵察機として配備され、ケーニヒスベルク級軽巡洋艦に搭載され、カタパルト射出によって発進することができた。こうして、ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機は、ドイツ海軍軽巡洋艦以上の主力艦船の艦載水上偵察機となった。

第二次世界大戦が勃発した1939年9月時点では、最高速力が100キロ速い金属製の後継水上機He 114が部隊配備されつつあったが、使いやすく、信頼性、安定性の高かったHe60は、大戦初期まで艦載水上偵察機として使用された。

1940年になると、全金属製の低翼単葉のアラド Ar 196水上機がドイツ海軍主要艦艇の艦載機として配備され、ハインケル(Heinkel)He 60水上偵察機は艦載機としては退役した。しかし、その後も、練習航空隊で使用されるとともに、バルト海や地中海の沿岸哨戒任務に就いて1943年まで現役として活躍した。

写真(右)1935年-1939年9月、海面上空を低空飛行するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機(D-IVIX):絵葉書ポストカード。
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel Seeflugzeug He 60, D IVIX, Luftwaffe Nr. 10.446.748 Zustand, siehe Scan
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten , He 60, D IVIX, Luftwaffe引用。



写真(右)1935年3月-1939年9月以前,3機編隊、3編隊で堂々と飛行するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
(正面より撮影);akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Seefliegerstaffel, LuftwaffeNr. 2.621.908ungelaufen, sehr guter Zustand
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60 Wasserflugzeuge im Formationsflug, Luftwaffe引用。



写真(右)1935年3月-1939年9月以前,3機編隊、2編隊で堂々と飛行するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
(右上方より撮影);akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60, Wasserflugzeuge, Luftwaffe Nr. 2.621.910 ungelaufen, sehr guter Zustand
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60 Wasserflugzeuge im Formationsflug, Luftwaffe引用。


写真(右)1935年3月-1939年9月以前,5機編隊で堂々と飛行するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
(左下方より撮影);akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60 Wasserflugzeuge im Formationsflug, Luftwaffe Nr. 2.621.911 gelaufen 1940, sehr guter Zustand »Zufriedenheitsgarantie!«
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60 Wasserflugzeuge im Formationsflug, Luftwaffe引用。


写真(右)1935年3月-1939年9月以前,3機編隊で堂々と飛行するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
(左下方より撮影);akpool GmbH社は、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている。
Ansichtskarte / Postkarte Flugzeugkette, Heinkel He 60, Luftwaffe
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Flugzeugkette, Heinkel He 60, Luftwaffe引用。



写真(右)1933年1月-1939年9月、3機編隊、ドイツ海軍ケーニヒスベルク級軽巡洋艦の上空を3機編隊、3編隊で飛行するハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機の合成組み込み写真
;編隊飛行するHe60の影の写真を巡洋艦上に組み込んだ合成写真を使ったakpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカード。
Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Kampfflugzeuge Heinkel He 60 in Staffel über Kriegsschiff, Kriegsmarine Nr. 2.622.074 ungelaufen,
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 60 Wasserflugzeuge im Formationsflug, Luftwaffe引用。



写真(右)1933年1月-1939年9月、ドイツ海軍潜水艦Typ II-B型Uボート(U-Boot)U-9 上空を飛行するハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機の3機編隊、3編隊
;akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカード。
Ansichtskarte / Postkarte Deutsches U-Boot U-9 Typ II-B, Kriegsmarine, Heinkel Seekampfflugzeuge, Luftwaffe,
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・U-Boot U-9 Typ II-B, Kriegsmarine, Heinkel Seekampfflugzeuge引用。


海軍提督レーダー ドイツ海軍提督エーリヒ・レーダーErich Raeder: 1876-1960)総司令官は、大戦1年前の1938年、イギリス海軍に対抗できるドイツ海軍のZ計画を提示し、戦艦10隻(ビスマルク級戦艦の大型化)、装甲艦15隻(ドイッチュラント級装甲艦の大型化) 、空母4隻(グラーフ・ツェッペリン級)を主軸とする大海艦隊拡充の方針を打ち出したが、大戦勃発によって、そのほぼすべての建艦計画が中止されてしまう。そこで、ドイツ海軍は、索敵、哨戒など交通破壊戦に特化した空海立体作戦を進めようと企図し、海上航空兵力の充実を臨んだ。

英語でもU-Boat(ユーボート)といわれるが、これも第一次世界大戦および第二次世界大戦でイギリス本土を封鎖しようとした敵国ドイツ海軍の潜水艦を指示している。潜水艦Uボートは、ハンブルクを中心としたブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)など造船所で建造された。

ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(Befehlshaber der U-Boote: BdUカール・デーニッツKarl Dönitz)提督の指揮下に置かれたドイツ潜水艦Uボートは、第二次大戦当初、レーダーを搭載しておらず、目標とする敵艦船を目視によって発見するしかなかった。また、海面上5メートルもない潜水艦艦橋からの視界は限られており、敵発見は天候・気象にも依存した困難な任務だった。

カール・デーニッツ したがって、連合国のシーレーンを遮断するための潜水艦Uボートによる交通破壊戦には、長距離哨戒機、索敵機など海上の偵察任務に就くことのできる航空兵力が必要で、これはイギリス、アメリカ、日本などでは、海軍航空隊として海軍の指揮に置かれた部隊だった。そしてそのための飛行機も、海軍の発注、開発依頼が行われるのが普通だった。

しかし、ドイツ国防軍では、陸軍と空軍が優先されたために、海軍兵力は弱体で、特に海軍航空兵力は、艦載機や沿岸偵察部隊に指揮権が限定されてしまったのである。

 敵艦船発見を容易にするため、潜水艦(U-boat)の目となるような航空機によって、洋上哨戒偵察をすることが考えられた。しかし、ドイツでは空飛ぶ兵器、軍用機はみなドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)の指揮下に置くという原則があった。

 ドイツでは、海軍の航空兵力は、空軍優先のために冷遇され、海軍の指揮できる航空兵力は、主力水上艦艇の ハインケル(Heinkel)He 60 水上機のような艦載水上偵察機程度だった。

その後、ドイツ海軍大西洋司令部の下に、水上基地航空部隊や洋上航空部隊の指揮が任されるようになり、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督隷下の潜水艦Uボートと連携した交通破壊戦をするために、沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe:KüFlGr.)、海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr.)のような偵察哨戒機を擁する航空兵力が配備されるようになった。


写真(右)1935年3月-1939年9月以前,ドイツ海軍ケーニヒスベルク級軽巡洋艦「ケルン」(Köln)上空を飛行するハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
;akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカード。
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel Borderkunder HE60 über dem Kreuzer Köln, Deutsche Wehrmacht, Kriegsmarine Nr. 10.479.235 Zustand, siehe Scan ca 14 cm X 9 cm,
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・HE60 über dem Kreuzer Köln引用。


写真(右)1935年3月-1939年9月以前,第二次世界大戦前、艦船のデリックで引き上げ中のドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上偵察機(60-Y81):左側には、10.5センチ連装高角砲が写っているので、煙突後方の船体中央部に射出用カタパルト1基を装備したドイツ海軍「シャルンホルスト」(Scharnhorst)級巡洋戦艦あるいは 1939年4月29日就役の重巡洋艦「ヒッパー 」(Hipper) である。射出用カタパルトを使って、艦上から打ち出されて発進した艦載水上機は、任務終了後、帰艦して艦船の脇に着水する。そして、艦船上のデリックで艦上に引き上げられ、再びカタパルト上に据え付けられる。1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。
NICO BRAAS COLLECTION No. 12740. Heinkel He 60 C Luftwaffe Source unknown
写真は1000aircraftphotos.com, Heinkel He 60 C Luftwaffe引用。


シャルンホルスト 1935年3月の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。

軍人の忠誠宣言も、ドイツや憲法に対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色バルカンクロス(鉄十字)の国籍マークを記入した。

写真(右)1937年,ドイツ海軍艦艇のデリックで吊り下げられたドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機(60-B41) :ドイツ機の国籍マークは、垂直尾翼に1935年までの旧ドイツ軍の黒白赤三色の国章を、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)の国章を付けた。その後に、機体と主翼上下に黒のバルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。
SDASM Archives Heinkel, He 60 PictionID:46168884 - Catalog:16_007368 - Title:He 60C-1, 1937 Nowarra Collection - Filename:16_007368.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168884引用。


ドイツ海軍 巡洋戦艦 シャルンホルスト ドイツ海軍航空隊は、艦船に乗せて運用する艦載水上機を指揮下に置いたものの、それ以外の航空兵力は、沿岸部に基地を設けた水上機や飛行艇ですらも直接指揮する権限がなかった。つまり、ドイツ海軍航空隊は、攻撃、偵察、哨戒に関して有効な航空支援を得ることが困難になった

このように、ドイツ海軍航空隊が簸力であったために、そのため、海軍艦艇、特に潜水艦Uボートとの連携支援が疎遠になる傾向があった。これはドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥が、飛行機と航空兵力は全て自分の隷下に置くことを主張したためである。そこで、イギリス本土の交通破壊戦や海上封鎖に、航空機による索敵、偵察が十分に行えないという欠点が露呈した。

写真(右)1937年頃,海上で前のめりになって不時着水したドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上偵察機(60-95)と搭乗員救助のために接近するカッター・ボート :プロペラは海中で、双浮舟フロートも前半分は海中に没している。搭乗員は、主翼上面に顔を出して、救助を待っている。ドイツ機の国籍マークは、垂直尾翼に1935年までの旧ドイツ軍の黒白赤三色の国章を、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)の国章を付けた。
写真は,axis-and-allies-paintworks. com,Heinkel, He 60引用。


潜水艦 1937年、第二次大戦勃発2年前、ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーErich Raeder)提督は、国防軍総司令官ブロンベルク元帥に対して、沿岸防衛の範囲に関して、ドイツ海軍とドイツ空軍との分担の取り決めを依頼したが、実際に海軍と空軍の責任範囲について協定文書がまとまったのは、戦争直前の1939年2月3日だった。

1939年2月のドイツ海軍とドイツ空軍の海上航空兵力指揮権について協定文書では、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)を置き、戦時には海軍司令部空軍代表を海軍総司令官の指揮下に行動するというものである。

しかし、ドイツ近海を離れた海上は、ドイツ空軍の責任範囲で、ドイツ海軍が作戦行動を行う場合のみ、ドイツ海軍が哨戒偵察の責任を負うとした。また、水上艦艇同士の海戦、航空機による機雷敷設については、海軍と空軍の合意のもとに、実施するとした。

ドイツ語「U-Boot(ウーボート:Unterseeboot)」とは、水面下の艦船の意味で、狭義には、ドイツ海軍の潜水艦を意味する。英語でもU-boat(ユーボート)といわれるが、これも第一次世界大戦および第二次世界大戦でイギリス本土を封鎖しようとした敵国ドイツ海軍の潜水艦を指示している。


カラー図(上)1939年9月以前、第二次世界大戦勃発前、ドイツ空軍第906飛行隊第I中隊ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上偵察機(60+Y91)
垂直尾翼に、1933年のヒトラー首相ナチ党政権下のドイツ機の国籍マークと採用された赤帯白丸黒ナチ党鍵十字を描いている。
He.60 Unit: I./906 Serial: 60+Y91 No additional information Artist: © Zbynek Valka Source: Historie a Plastikove Modelarstvi (HPM) 1998, No.6; Mesicnik pro zaemce o letectvi, pozemni bojovou techniku a valecne lod'stvo. ISSN: 1210-1427.
WINGS PALETTE・Heinkel He.60/Germany (Nazi)引用。


ドイツ潜水艦Uボート ドイツ海軍潜水艦Uボートは、ハンブルクを中心としたブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)など造船所で建造され、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督の指揮下に置かれた。第二次大戦当初、レーダーを搭載しておらず、目標とする敵艦船を目視によって発見するしかなかった。また、海面上5メートルもない潜水艦艦橋からの視界は限られており、敵発見は天候・気象にも依存した困難な任務だった。

写真(右)1934年11月-1939年9月以前,ドイツ海軍ドイッチュラント級装甲艦「アドミラル・シェーア」(ADMIRAL SCHEER)艦体中央のカタパルトに搭載されたドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上偵察機:装甲巡洋艦「ドイッチィエラント」は、1931年6月25日 起工、1933年4月1日 進水、1934年11月12日 就役、28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ連装砲6基12門、10.5センチ(65口径)連装高角砲7基14門、 搭載機3機。基準排水量:3万1,850トン、満載排水量:3万8,900トン、全長234.9m、全幅30.0m。 大西洋方面の交通破壊戦、1942年末のバレンツ海海戦に投入された。
Title:ADMIRAL SCHEER German Armored Ship, 1933-45 Caption:Detail view amidships of aircraft catapult, Heinkel He 60 aircraft, and one 15 cm gun, photographed 1935-38. Description: Catalog #:NH 45564 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は,Naval History and Heritage Command,NH 45564 ADMIRAL SCHEER German Armored Ship, 1933-45 引用。


1933年1月末に、ヒンデンブルク大統領は、アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、ヒトラー政権が成立した。ドイツ機の国籍マークは、1935年3年のヒトラーによるドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。


写真(右)1939年9月以前,第二次世界大戦勃発前、水上滑走するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He.60 C 艦載水上偵察機(60-G11)

No obstante, El He 60, era muy vulnerable a los ataques de los cazas enemigos debido a su bajo desempeño, pero siguió prestando servicio en tareas de patrulla costera en el Mar Báltico y en el Mediterráneo durante los primeros meses de la guerra. También participó en la Guerra Civil Española en la Legión Cóndor y más tarde con las fuerzas aéreas nacionalistas.
写真はИдея, разработка Dale Volkov, He.60引用。


1933年1月末に、ヒンデンブルク大統領は、アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、ヒトラー政権が成立した。ドイツ機の国籍マークは、1935年3年のヒトラーによるドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。


写真(右)1939年9月以前,第二次世界大戦勃発前、水上機基地の滑走台に並べられたドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He.60 艦載水上偵察機(S6-D33)他と集合した搭乗員たち
:3翅プロペラ、BMWVI液冷12気筒エンジン装備で、第二次大戦突入時には旧式化していたが、後継機He 114が登場してからも、大戦末期まで少数ながら使用され続けた。
A group of He 60 crews in front of thier aircraft.By 1935, it was found that the He 60's performance was lacking, and the RLM asked Heinkel to design its replacement. The result was the He 114. The first prototype was powered by the Daimler-Benz DB 600 inline engine, but it was clear that supplies of this engine would be limited, and the production versions turned to the BMW 132 radial engine instead.
写真は LUFTWAFFE RESOURCE CENTER > SEAPLANES > AR 196 > PREVIOUS PAGEARADO AR 196 Design & Development引用。


ドイツフォッケウルフ Fw 200 コンドル しかし、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督の指揮する潜水艦Uボートは、当時、レーダーを搭載しておらず、船団攻撃のためには、空中哨戒偵察が効果的であると考えられ、1941年1月になって、潜水艦の交通破壊戦を支援するための長距離海上偵察部隊として、フォッケウルフFw200コンドルCondor)を配備した第40爆撃航空団の一部をドイツ海軍総司令官の指揮下に置くことが提言された。

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)国家元帥は、航空兵力は全て空軍に所属するとの原則を強硬に主張し 海上哨戒偵察部隊は、ドイツ空軍が大西洋航空司令部の隷下として、潜水艦Uボート部司令部と協力することとなった。こうして、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)は、指揮権のない空軍の連絡絡官・副官のような存在となった。


写真(上)1939年9月以降,第二次世界大戦勃発後、前下方から見た飛行中のドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He.60 C 艦載水上偵察機(60-G11)
:3翅プロペラ、BMWVI液冷12気筒エンジン装備で、第二次大戦突入時には旧式化していたが、大戦末期まで少数ながら使用され続けた。
No obstante, El He 60, era muy vulnerable a los ataques de los cazas enemigos debido a su bajo desempeño, pero siguió prestando servicio en tareas de patrulla costera en el Mar Báltico y en el Mediterráneo durante los primeros meses de la guerra. También participó en la Guerra Civil Española en la Legión Cóndor y más tarde con las fuerzas aéreas nacionalistas.
写真はla Segunda Guerra Mundial, Heinkel He 60 [Hidroavión de Reconocimiento]引用。


1941年12月、ドイツ海軍はハインケル(Heinkel)He 60 水上機のような艦載水上機以外の沿岸飛行隊などの航空兵力の指揮権をもつことになったが、形式的な指揮権は空軍の指揮下に入れ、海上作戦における航空兵力の指揮権は、ドイツ空軍が独占する形となった。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、激しい航空戦が展開され、敵の空襲も予期する必要があったため、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)は敵から発見されやすいいとして、取りやめになった。その代わり、ナチ党のイデオロギーを示す国章として、尾翼に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。ハインケルHe 60 のような旧式水上偵察機は、第一線で活動してはいないはずだが、このような古い機種についても国籍マークの変更を行っている。後に、第二次世界大戦中盤以降、ドイツ空軍の優位性が喪失してからは、国籍マークの白縁が目立ちやすいとして、黒の鉄十字、鍵十字(スワスチカ)の白の縁取りは廃止された。


写真(上)1939年9月以降,第二次世界大戦初期、艦船のデリックで引き上げ中のドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上偵察機(60-C91)
:左後方は1933年4月1日就役ドイツ海軍「ドイッチュラント」(Deutschland)級装甲艦で船体中央部煙突後方に射出用カタパルト1基装備、右は1939年1月7日就役の「シャルンホルスト」(Scharnhorst)級巡洋戦艦で、後部52口径28センチ三連装C砲塔上と煙突後方の船体中央部に各々1基の射出用カタパルトを装備している。
NICO BRAAS COLLECTION No. 12740. Heinkel He 60 C Luftwaffe Source unknown
写真はavionslegendaires.net Encyclopédie de l'aviation militaire, Heinkel He 60 : “Surveillance de la Manche à la Méditerranée”Ghe60引用。


1933年4月1日に就役したドイツ海軍「ドイッチュラント」(Deutschland)級装甲艦は、基準排水量1万1,700トン、全長186.0mの新鋭大型艦で、ドイッチュラント Deutschland (後にリュッツォウLützowと改称)、1934年11月12日就役のシェーア(Scheer)、1936年1月6日就役のグラーフ・シュペー(Graf Spee)の3隻が建造された。主砲は28cm(52口径)三連装砲2基、副砲15cm(55口径)単装砲8基、8.8cm(76口径)連装高角砲3基(ドイッチュラント以外は10.5cm(65口径)連装高角砲3基に換装)、最高速力28ノット、航続距離20ノットで1万マイル、10ノットで2万1,500マイルの通商破壊戦用の装甲艦で、戦艦との艦隊決戦用ではない。船体中央部煙突後方に射出用カタパルト1基装備、搭載機はハインケルHe 60 水上偵察機 3機(戦時中にアラドAr196水上偵察機2機に変更)。

写真(右)1940年,デンマーク、ハインケル(Heinkel)He 60 C 水上艦載偵察機 : 1935年までの旧ドイツ軍の黒白赤三色の国章を、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)の国章に変更し、その後に、機体にバルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は敵から発見されやすいことが分かり、取りやめになったが、垂直尾翼と主翼上下面に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。
SDASM Archives Heinkel, He 60 Catalog #: 01_00081266 Title: Heinkel He 60 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 60 Tags: Heinkel He 60
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081266引用。


1941年12月、ドイツ海軍はハインケル(Heinkel)He 60 水上機のような艦載水上機以外の沿岸飛行隊などの航空兵力の指揮権をもつことになったが、形式的な指揮権は空軍の指揮下に入れ、海上作戦における航空兵力の指揮権は、ドイツ空軍が独占する形となった。

写真(右)1940年,デンマーク、北海の水上機基地に待機するドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上艦載偵察機 (奥):
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine
Signature: Bild 101II-MN-1017-21
Archive title: Dänemark .- Seefliegerhorst. Marineangehörige / Piloten vor Wasserflugzeug Heinkel He 60 (Kennung +WH); PK Marine Nord
Dating: April 1940
Photographer: Eschenburg, Karl
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ヒトラー政権になっても、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、ドイツ機の尾翼に描いて、国籍マークとしていた。しかし、1935年、ヒトラーが再軍備を宣言し、第一次世界大戦の撃墜王ヘルマン・ゲーリングの下、ドイツ空軍が設立されると、ドイツ軍機は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを採用した。

スワスチカは、ナチ党のイデオロギー、政治思想を軍人にまで浸透させることを反映したもので、軍人の忠誠宣言がドイツに対してでは、ヒトラーに対する忠誠を誓うものと変更されたのと同じ動機である。また、高速の機体の国籍、敵味方の認識をしやすくするため、機体・主翼の上下にも、白の縁取り付きの黒色バルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。

写真(右)1940年,デンマーク、北海の水上機基地に待機するドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 60 水上艦載偵察機 (奥):
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine
Signature: Bild 101II-MN-1017-24
Archive title: Dänemark .- Seefliegerhorst. Marineangehörige / Piloten vor Wasserflugzeug Heinkel He 60 (Kennung +WH); PK Marine Nord
Dating: April 1940
Photographer: Eschenburg, Karl
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


1940年4月9日、ドイツ軍はデンマークとノルウェーに侵攻、理由は、スウェーデンの鉄鉱石を不凍港ナルビクNarvik)を通じて安定して輸入するためだったが、イギリスがノルウェーの機雷封鎖や保障占領を企図していることもあった。このノルウェー侵攻「ウェーゼル演習作戦」では、四発大型旅客輸送機ユンカースJu-90が、オスロに兵員を輸送した。デンマークは侵攻初日の4月9日、国王クリスチャン10世Christian 10)、デンマーク政府が即座に降伏したが、ノルウェーは、イギリス軍の支援を受けて、激しく戦った。しかし、ドイツ軍のフランス侵攻で、5月下旬にはフランスの危機、イギリスの孤立化が確実になったため、ノルウェーの連合軍は6月に撤退した。ノルウェーには、傀儡ヴィドクン・クヴィスリングVidkun Quisling)政権が樹立され、ドイツ海軍潜水艦Uボートの基地となった。


写真(右)1940-1942年頃、ドイツ(?)、水上機基地の海上で待機しているハインケル(Heinkel)He 60 E 水上偵察機(T3+HH)
;前方操縦席にはパイロットが、航法偵察席には偵察員が登場している。後席には、7.92mmMG15旋回機関銃の銃座が明瞭に見える。円形レールの上を機関銃を移動して射撃する範囲(射界)を確保している。浮舟フロートの末端には、水上滑走時に使用する方向舵が取り付けられている。
Deutsch: Eingetarnte Heinkel He 60 E (T3+HH) zu Beginnn des 2. Weltkriegs Date 11 December 2018 Source Own work Author Wilhelm Röder, Frankfurt
写真は Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 60  File:T3+HH.tif引用。


ハインケル(Heinkel)He 60 C 水上偵察機は、搭載量ペイロードは小さかったが、浮舟フロートに圧搾空気を利用したスプレーを搭載しており、煙幕やマスタードガスのような非揮発性の毒ガスを散布することができた。そして、第二次世界大戦勃発時にはハインケル(Heinkel)He 60 C 水上偵察機はドイツ海軍主要戦艦の艦載機として配備されていた。その後、後継機のHe114あるいはAr196に次第に取って代われてたが、1942年末まで地中海方面の沿岸飛行隊に配備されていた。

写真(右)1940年,デンマーク、北海の水上機基地に待機するドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60 水上艦載偵察機 (奥):
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine
Signature: Bild 101II-MN-1017-28
Archive title: Dänemark .- Seefliegerhorst. Marineangehörige / Piloten vor Wasserflugzeug Heinkel He 60 (Kennung +WH); PK Marine Nord
Dating: April 1940
Photographer: Eschenburg, Karl
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機の諸元
乗員: 2名
全長: 11.50 m
全高: 5.30 m
翼幅: 13.50 m
翼面積: 56.0平方メートル
空虚重量: 2,735 kg
運用時重量: 3,407 kg
発動機: BMW VI 6.0 液冷V型12気筒エンジン、492 kW (660 hp)1基

ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機の性能
最高速力: 240 km/h(海面高度) (130 kt) 149 mph
巡航速力: 216 km/h (117 kt) 134 mph
航続距離: 826 km 高度2,000 m (6,560 ft) (446 マイル)
実用上昇限度: 5,000 m
上昇率: 1,000 m/3.2 分
兵装:7.92ミリMG15固定機関銃1丁、7.92ミリMG17旋回機銃1丁


写真(右)1940年頃,第二次世界大戦の最中、艦船のデリックで引き上げ中の迷彩塗装を施したドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 艦載水上偵察機ドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He.60c 艦載水上偵察機(60-G11)
:3翅プロペラ、BMWVI液冷12気筒エンジン装備。br>Snautzer01 Major General 20,249 17,260 Mar 26, 2007.
写真はww2aircraft, Forums World War II - Aviation Aircraft Pictures Heinkel He 60引用。


アメリカ、イギリス、オランダ、日本、イタリアのような海洋国は、飛行艇や水上機を多用したが、軍用飛行艇・水上機は、一般的に海軍の所属だった。しかし、ドイツでは、飛行機の所管は、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥の支配下に置かれたために、ドイツ軍の基地航空隊所属の飛行艇、水上機の多くは、空軍の隷下に置かれ、海軍艦艇、潜水艦との連携に不都合な面があった。ドイツ海軍の航空機は、巡洋艦以上の大型艦船が搭載する艦載水上機に限られた。


写真(右)1943年1月、フィンランド沖、破損したドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
;兵士がゴム製ボートで避難している。ドイツ同盟国フィンランドはドイツのソ連侵攻3日後 1941年6月25日にソ連を攻撃したが、1‎ - ‎1944年‎9月19日‎には休戦している。 日付1943年1月。(Heinkel)He 114 olski: Niemiecki wodnosamolot rozpoznawczy Heinkel He 60 tonący na wodach fińskich. Widoczni żołnierze ewakuujący się na gumowy ponton. styczeń 1943 Date styczeń 1943 r. (ze zbiorów Narodowego Archiwum Cyfrowego) Author Unknown author -
写真は Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 60 File:Heinkel He 60 fin.jpg引用。


作戦に従事する実戦部隊から、後方での訓練部隊に移籍されたハインケル(Heinkel)He 60 C 水上偵察機は、新たに訓練機であることを示すために、He 60 D の形式を与えられたようだ。

1939年9月22日、第二次世界大戦勃発直後、第406沿岸飛行隊のハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機(K6-QH)はエンジントラブルのために、スウェーデン南岸、イースタッドに不時着を余儀なくされた。この乗員たちは、反対にドイツに強制着陸させられたスウェーデン空軍ユンカースJu86K双発爆撃機の搭乗員と交換された。


写真(右)1945年5月、ドイツ敗北の時期、デンマーク東方、スウェーデン南部、ドイツ、ポーランドに囲まれたバルト海上のボーンホルム島海岸、ソ連空軍機の空襲で破壊されたハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機
;第二次大戦勃発前に艦載水上偵察機として使用されていたHe60水上機は、大戦勃発時には旧式化していたが、実用性が高かったためか、戦時中には夜間襲撃機としても東部戦線で使用されていて第二次大戦末期にも練習機や輸送機として残っていた機体があったのには驚かされる。
Svenska: Tyska bombplan sänktes vid den ryska attacken. Bornholm. Fred 1945. Date May 1945 Source Åhlen & Åkerlund via IMS Vintage Photos Author Unknown photographer -
写真は Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 60  File:German-airplane-destroyed-in-the-soviet-raid-on-Bornholm-352128979068.jpg引用。


第二次世界大戦緒戦に実戦部隊に配備されていたハインケル(Heinkel)He 60 C 水上偵察機は、その後、訓練や連絡用に回されていったが、1942年末まで、地中海方面のクレタ島、ギリシャ本土などでは任務に就いていた。その後、He60C水上偵察機は、前線から引き上げられて、後方での訓練や連絡に使用されたが、その時の名称はHe60Dと改められている。


図(右)1934年、ドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60 D 水上偵察機の側面構造図
;前方操縦席下方に燃料タンク、後席偵察席下方に写真偵察用カメラが搭載されている。その下の胴体下面には、アンテナ支柱が斜めに張り出している。フロートの後端には、水上滑走で使用する方向舵が設けられている。後方偵察席には、後ろ向きに7.92ミリMG15旋回機関銃1丁とその円形レール式銃座が設置されている。
図は、WINGS PALETTE・Heinkel He.60引用。

第二次大戦突入時実用化された後継機ハインケルHe 114 水上偵察機が性能的に振るわなかったため、100機の量産に留まった。そこで、250機生産されていたHe 60 は大戦時には旧式化していたものの、大戦末期まで少数ながら使用され続けた。

図(右)ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機の三面図
Heinkel He 60 Category WW2 Airplanes ID Heinkel Width x height 1147 x 779 px Hits 238 (2.9 / day) Source Dr Dan Saranga
写真は,Blueprints WW2 Airplanes / Heinkel / Heinkel He 60引用。


ハインケル(Heinkel)He 60 C 水上偵察機は、木製金属混合、羽布張の機体構造の複葉機である。第二次大戦勃発時には、He 60 ドイツ海軍の主要戦艦・巡洋艦の艦載機として搭載されていた。He 60 Cの兵装は、後部偵察席の7.92mmmMG15後方旋回機関銃1挺のみ。

ハインケル(Heinkel)He 60 C 水上偵察機が装備した発動機は、DB600液令12気筒エンジン1000hpもあったが、最終的にはBMW VI 6.0 液令倒立V-12気筒エンジン搭載型のみが量産された。右下方主翼上面に小型の風力発電機が設置されている。He60水上機は、1932年から1938年3月まで合計361機の量産。

図(右)ハインケル(Heinkel)He 60 C 水上偵察機(D-IXES)の三面図:ハインケルHe 60 B 水上偵察機は実用生産型で、7.92mmmMG15後方旋回機関銃を搭載した。右下方主翼上面には、小型の風力発電機が設置されている。次のハインケルHe 60 Cの試作機がHe 60(D-ILRO)とHe 60(D-IXES)の2機である。このHe60 C以降、装備される発動機は全てBMW VI 6.0 液令倒立V-12気筒エンジンとなった。He60水上機は、1932年から1938年3月まで合計361機が生産された。
写真はBlueprints, Blueprints for 3D modeling Heinkel He 60 Blueprint引用。


ハインケル(Heinkel)He 60 水上偵察機の諸元
搭乗員Crew: 2
全長Length: 11.5 m (37 ft 9 in)
全幅Wingspan: 13.5 m (44 ft 3 in)
全高Height: 5.3 m (17 ft 5 in)
主翼面積Wing area: 56 m2 (600 sq ft)
空虚重量Empty weight: 2,735 kg (6,030 lb)
総重量Gross weight: 3,407 kg (7,511 lb)
発動機Powerplant: BMW VI 6.0 液令倒立V-12気筒エンジン492 kW (660 hp)
プロペラPropellers: 2-bladed fixed-pitch propeller
Performance
最高速力Maximum speed: 240 km/h (150 mph, 130 kn) at sea level
巡行速力Cruise speed: 216 km/h (134 mph, 117 kn)
航続距離Range: 826 km (513 mi, 446 nmi) at 2,000 m (6,562 ft)
実用上昇限度Service ceiling: 5,000 m (16,000 ft)
上昇時間Time to altitude: 1,000 m (3,281 ft) in 3 minutes 12 seconds
兵装Armament
7.92 mm (.312 in) MG 15旋回機関銃1挺(偵察席)
生産期間:1932年から1938年3月
総生産機数:361機



動画:movieHeinkel He 60: 651 回視聴 2014/01/27
PanzerArchivo チャンネル登録者数 8610人 El Heinkel He 60 fue un hidroavión biplano alemán de reconocimiento diseñado para operar desde las catapultas de los buques de la Marina de Guerra alemana Kriegsmarine en el período de los años 30.

⇒動画Movie:Heinkel He 60 (CAS-AC-275-2) 92 回視聴 2018/02/21
Sala Mandra チャンネル登録者数 461人 Collected Authentic Shots WW II
Sesbírané autentické záběry vojenské techniky z oficiálních dokumentů, roztříděné a soustředěné na jedno místo pro zájemce o letadla 2. světové války, např. pro modeláře. NEJEDNÁ SE O PROPAGACI ŽÁDNÉHO POLITICKÉHO USKUPENÍ ČI HNUTÍ, PROSAZUJÍCÍHO NEBO POTLAČUJÍCÍHO COKOLIV... !!!
Německý jednomotorový dvoumístný dvouplovákový letoun s řadovým motorem pro službu na katapultech válečných lodí, pobřežní průzkum a výcvik osádek vodních letadel.
Verze A a B byly prototypy, verze He 60C pak již standardní provedení.
Verze C – 1 kulomet ráže 7,92 mm na otočném kruhu v kabině pozorovatele.
Verze D – výzbroj stejně jako verze C plus další kulomet stejné ráže - pevný.
Verze E – pro Španělsko.


3.ハインケル(Heinkel)He 114 水上偵察機

ハインケルHe 114 水上偵察機は、前作のHe60艦載水上偵察機の後継機として開発された双フロート、複葉水上偵察機だが、上部主翼は操縦席近傍の胴体から直接伸びたパラソル翼である。下部翼は上部翼よりかなり短いが、縦横比は上部翼と同じである。

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、2翅プロペラ装備のハインケル(Heinkel)He 114 V4 水上偵察機試作4号機(登録コード:D-IOGD):試作機(Prototype)としてBMW132D空冷星形9気筒エンジンを搭載、3翅ではなく2翅プロペラ装備。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカ(カギ十字:卍)を描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935975 - Catalog:16_005290 - Title:Heinkel He 114V-4 Nowarra photo - Filename:16_005290.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935975 引用。


ハインケルHe 114 水上偵察機は、成功作とはいえず、前作のHe60水上偵察機と代わり映えしない飛行性能で、安定性が悪かったために、生産機数は98機と少なかった。前作のHe60水上偵察機は、飛行性能は低かったが、使いやすいために、前線では長い期間、使用された。他方。1939年に搭乗したアラドAr-196単葉機は、成功作だったため、艦載水上偵察機として普及したこともあって、ドイツにおけるHe114水上偵察機の使用期間は短かった。

写真(右)1938年8月22日,装甲巡洋艦「クナイゼナウ」(GNEISENAU)艦体中央のカタパルトに搭載されたドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 114 V4 水上偵察機試作4号機(登録コード:D-IOGD):装甲巡洋艦「クナイゼナウ」は、1931年6月25日 起工、1933年4月1日 進水、1934年11月12日 就役、28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ連装砲6基12門、10.5センチ(65口径)連装高角砲7基14門、 搭載機3機。基準排水量:3万1,850トン、満載排水量:3万8,900トン、全長234.9m、全幅30.0m。 大西洋方面の交通破壊戦、1942年末のバレンツ海海戦に投入された。
Title:GNEISENAU (German BB, 1936) Caption:View taken 22 August 1938, during a fleet review, showing crewmen "manning the rails." Note Heinkel HE. 114 seaplane on catapult. Description: Catalog #:NH 83614 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: Original Date:Mon, Aug 22, 1938 Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は,Naval History and Heritage Command,NH 83614 GNEISENAU (German BB, 1936) 引用。


ドイツ巡洋戦艦 グナイゼナウ 1939年1月7日に就役したドイツ海軍「シャルンホルスト」(Scharnhorst)級巡洋戦艦は、基準排水量3万1,850トン、全長235.4m、最高速力31.6ノットの新鋭高速巡洋戦艦で、シャルンホルストとグナイゼナウの2隻が1935年に起工された。1番艦「シャルンホルスト」(Scharnhorst)は、1936年10月3日進水、1939年1月7日就役で、主砲はドイッチュラント給装高官と同じ28cm(52口径)三連装砲3基9門、副砲15cm(55口径)連装砲4基と単装砲4基、10.5cm(65口径)連装高角砲7基14門、航続距離17ノットで1万マイル。

「シャルンホルスト」(Scharnhorst)級巡洋戦艦は通商破壊戦用で、戦艦との艦隊決戦用ではない。船体中央部煙突後方と後部C主砲塔に射出用カタパルトを各1基合計2基(1943年には砲塔上のカタパルトは撤去)を装備、搭載機は初期はハインケルHe 60 水上偵察機 2機、戦時中にアラドAr196水上偵察機2機に変更。

写真(右)1939年9月-1941年頃、ドイツ本土海域、ハインケル(Heinkel)He 114 A-1 水上偵察機(登録コード:IY-YF):第二次大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークの黒色スワスチカは残されたが、赤帯白丸は、敵に目立ちやすいために廃止された。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081312 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081312引用。


ハインケル He 114A-2水上偵察機の諸元
搭乗員: 2名
全長: 11.65 m、全高: 5.23 m、全幅: 13.60 m
翼面積: 42.3平方メートル
空虚重量: 2,300 kg 、全備重量: 3,670 kg
発動機: BMW 132K 空冷 星型エンジン(960 hp)
最高速力: 335 km/h
航続距離: 920 km
実用上昇限度: 4,900 m
兵装: 7.92ミリMG15旋回機銃1丁
搭載爆弾:50キロ爆弾2発

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 114水上偵察機を見る。


4.アラド (Arado)Ar 196 水上偵察機

写真(右)1940-1942 年頃、アムステルダム郊外のシェリンブルデ(Schellingwoude)水上機基地アラド (Arado)Ar 196 艦載水上偵察機;フロートの先端をぶつけないように目立つ赤で塗っている。BMW132空冷星形9気筒エンジンと3翅プロペラを装備。ドイツのAR 196は、ドイツ海軍(Kriegsmarine)の艦船が沖合を航行したときに機体は艦船に乗っていた。
Een Duitse AR 196. Als de grote oppervlakteschepen van de Kriegsmarine zich buitengaats waagden, bevonden deze watervliegtuigen zich aan boord. Wanneer de oorlogsbodems in de haven lagen, opereerden de Arado's onder meer vanaf vliegkamp Schellingwoude.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Schellingwoude 引用。


アラドAr 196水上偵察機は、ドイツ海軍(Kriegsmarine )艦艇に搭載する艦載水上偵察機としてアラド社(Arado)で開発された。Ar 196水上偵察機の試作は、1936年から開始され、ドイツ海軍の競争試作機として他社を抑えて採用され、500機が製造された。第二次大戦の全期間を通じて、ドイツ海軍の水上偵察機として活躍した。

アラド (Arado)Ar196水上偵察機 アラドArado Ar 196 水上偵察機は、第二次大戦中にドイツ海軍で広範囲に使用された、低翼単葉、双フロートの艦載機。BMW132K空冷星型エンジン960馬力搭載、機首と後部座席の7.92mm機銃2挺、主翼内に20mm機関銃2挺、主翼下面に50kg爆弾2発搭載可能。第二次大戦の始まった1939年に部隊配備開始、戦艦ビスマルク、重巡洋艦ヒッパーなど大型水上艦艇に搭載。沿岸水上機部隊にも配備された。

アラド (Arado)Ar 196 水上偵察機諸元
乗員:2名
全長: 11.0メートル,全幅: 12.5メートル
翼面積: 28.4平方メートル
自量: 2トン,全備重量: 3.7トン
エンジン: BMW132 空冷 960馬力1基
最高時速: 320キロ
航続距離: 1000キロ,上昇限度: 7,000メートル
武装: 20ミリMG-FF機関砲2門,7.92ミリMG17機銃2丁
50キロ爆弾2発
初飛行1937年5月
生産開始1938年11月からで、1944年3月までに540機が産された。

⇒写真集Album:アラド (Arado)Ar 196 水上偵察機を見る。


5.ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機

写真(右)1940年、西部戦線、オランダ、アムステルダム、ドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機;胴体後方側面の白色の鉄十字、垂直尾翼のスワスチカ(カギ十字:卍)は目立ちすぎるためか、塗りつぶされている。
Collectie NIOD Trefwoorden Kriegsmarine, Legerbases, Luftwaffe, Vliegtuigen
Locatie Naam: Gemeente Amsterdam Land: Nederland
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam.
Het originele bijschrift luidt: 'Flugzueg aufnamen'. Een watervliegtuig He 115 bij Fliegerhorst Schellingwoude. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Periode 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 152175引用。


ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察爆撃機は、1937年8月に初飛行した機体で、海上の哨戒偵察以外にも、船団への魚雷攻撃、機雷敷設、輸送などにも投入された多用途機だった。

ヘルマン・ゲーリング総司令官のドイツ空軍に飛行機を集中させられたため、ドイツ海軍航空隊は貧弱であり、ハイケルHe115水上偵察機は、艦艇に搭載することは想定されておらず、水上機基地をベースに活動することを前提としていた。そのため、He115水上偵察機の総生産機数は138機のみで1941年前に終了することが決まった。

しかし、陸上機型の爆撃機、雷撃機はもちろん、偵察機ですら自前の航空兵力を持つことが認められなかったドイツ海軍は、北極海、北大西洋、地中海方面で、水上機を活用して、海上哨戒偵察、対艦船攻撃(爆弾・航空魚雷・機雷)に有効な働きをしていた。そこで、ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察爆撃機の生産を1943年末に再開、合計515機を量産した。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機を見る。


6.フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro水上戦闘機

写真(右)1932年頃,イタリア、水上機基地、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro 水上戦闘機:ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
Fiat C.R.20 Bis Idro. Variante idrovolante a scarponi del caccia Fiat. Vennero realizzati 23 esemplari dalla Macchi e 23 dalla CMASA. L’installazione dei galleggianti comportò un deperimento delle caratteristiche di velocità e maneggevolezza.
写真はWikimedia Commons、Modellismo Italia Fiat C.R.20 引用。


イタリア王国空軍は、1926年6月19日に固定脚の複葉戦闘機フィアット(Fiat) CR.20 を初飛行させた。リビアの反イタリア勢力との戦闘、第二次エチオピア戦争の初めに地上支援航空機としてフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機を投入した。このフィアットCR.20の水上戦闘機仕様が、フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro である。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)C.R. 20idro複葉水上戦闘機を見る。


7.ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機

1935年3月16日のドイツ再軍備宣言から半年以上経過した1935年11月7日、第一次大戦勃発の時1914年生まれの成人男子に徴兵が開始され、それまで10万人だった共和国軍(ライヒスヴェア)は、50万人の国防軍(ヴェアマハト)へ拡張された。ただし、ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機は、1933年5月に「スポーツ機・アクロバット機」として初飛行している。

ハインケルHe 51複葉戦闘機は、1934年から1937年に陸上型473機生産されたが、この他に水上機型が33機生産されている。したがって、He51の全経形式の生産機数は506機となる。

ハインケルHe51B.1複葉戦闘機 ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機の搭載した発動機BMW VI液冷V型12気筒エンジンは、前形式のBMW IV6気筒液冷エンジンのシリンダー数を2倍(排気量を2倍)にした出力向上エンジンである。1926年に開発され、前作のBMW VIを踏襲して大量生産に入った。

1936年7月、スペインでは、人民戦線政府に対して、モロッコ植民地に駐留していたフランシスコ・フランコらの反乱軍が蜂起した。このスペイン内乱に際して、ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、即座に支援を命令し、ドイツ・コンドル軍団をスペインに派遣することが決定した。

 ドイツは、形式上は、スペイン市民戦争に不干渉の立場にあると表明しながらも、義勇軍の形式をとったコンドル軍団を編成して、ドイツ正規軍の派兵を実装した。この時、コンドル軍団に配備されたハインケル(Heinkel)He-51戦闘機、He111爆撃機、He70輸送機もスペイン内乱に反乱軍への援軍として実戦投入されている。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機を見る。


8.ドイツ空軍アラド(Arado)Ar 68 複葉戦闘機

アラド(Arado)Ar 68 E 戦闘機は、空力学的に洗練されており、ハインケルHe-51戦闘機を若干上回る性能だったが、ソ連空軍I-16戦闘機に劣っていた。そこで、1935年5月28日に試作機が初飛行していたメッサーシュミット(Messerschmitt)Bf109が高性能を発揮していたため、アラド Ar 68 (Arado Ar 68) 戦闘機は、ハインケルHe51戦闘機と並行的に使用され、生産機数も同程度の511機の量産にとどまっている。

アラド(Arado)Ar 68 Eは、ユンカース・ユモJumo210倒立V型12気筒液冷エンジン(610馬力)を装備し、ドイツ空軍の制式戦闘機となった。1936年はスペイン内戦が勃発した年で、アラドAr68戦闘機もスペイン内戦に投入され、国民戦線側のコンドル軍団に配備され、共和国政府人民戦線側のソ連ポリカルポフ(Polikarpov)I-16戦闘機と戦った。

⇒写真集Album:アラド(Arado)Ar 68 複葉戦闘機を見る。



2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機

2018年9月3日開設の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
連絡先: torikai007@yahoo.co.jpp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
Fax: 0463-50-2078
Flag Counter


Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 10000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai Yukihiro, who is web archive maintainer.
Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2018 All Rights Reserved.