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◆ハインケル(Heinkel)He60/He114艦載複葉水上偵察機
写真(上)1939-1940年、第二次大戦勃発直後、ハインケル(Heinkel)He 114 A-1 艦載水上偵察機
第二次大戦勃発直前に、He-60艦載水上偵察機の後継機とされた。しかし、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークには、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いていた。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Heinkel He 114 PictionID:38236934 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002342.TIF -
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:38236934 引用。

写真(上)1939年4月以前、ドイツ海軍巡洋戦艦「グナイゼナウ」(GNEISENAU)の後部カタパルトに搭載されたハインケル(Heinkel)He-114艦載水上偵察機とAr-95艦載水上機

Title:GNEISENAU (German battleship, 1936) Caption:View of port side from astern, 1938. Note seaplanes on catapults: a Heinkel HE 114 on the forward catapult and an Arado AR 95 on the catapult atop #3 turret. Description: Catalog #:NH 80977 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939 Original Medium:BW Photo
Naval History and Heritage Command・NH 80977 GNEISENAU (German battleship, 1936) 引用。

写真(右)1942年4月24日、ドイツ、自ら開発したHE 115 水上偵察機をバックにした教授エルンスト・ハインケル博士(Professor Dr. Ernst Heinkel);He115の搭載したBMW132空冷星形9気筒エンジンと3翅プロペラが背後に見える。
Collectie NIOD
Trefwoorden Duitsers, Luftwaffe, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen, Portretten
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Personen Heinkel, Ernst
Bijschrift Professor Heinkel zum Pionier der Arbeit ernannt. Auf Grund seiner hervorragenden Leistungen auf den Gebiet des deutschen Flugzeugbaues wurde Professor Ernst Heinkel, der Schöpfer zahlreicher unübertroffener Flugzeugtypen vom Führer zum Pionier der Arbeit ernannt. Professor Dr. h.c. Ernst Heinkel vor einen seiner Kampfflugzeuge, der He 115.
Type Foto
Datum 24/04/1942 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 29482引用。


エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北部ヴァーネミュンデにハインケル航空機を設立した。ここは、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで軍用機を開発できるという利点があった。この時期、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機も開発している。

中島九五式一号水上偵察機 1933年1月末、ナチ党総統アドルフ・ヒトラーが、首相に任命され、1935年にドイツ再軍備を宣言して、ドイツ空軍を設立すると、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、政権獲得前から既存の飛行機を活かして、軍用機として開発したHe59双発水上機、He60水上偵察機などを採用され、航空機メーカーとして、順調に飛行機製造を拡張することができた。He70高速輸送機など高性能機も開発し、1935年のドイツ再軍備宣言後には、ドイツ空軍の創設に伴い高速輸送機として開発したHe111を爆撃機として採用させ、さらにHe51複葉戦闘機の量産も受注することで、ドイツ有数の航空機メーカーに成長してゆく。第二次大戦前に、He112戦闘機を開発したが、Bf109戦闘機との競争試作に敗れた。しかし、その後も、 He177四発重爆撃機、He219夜間戦闘機、He280ジェット戦闘機など数々の軍用機を開発、生産して、ハインケル社を興隆させた。

1881年1月24日生まれのエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、二人兄弟、3回結婚し、連れ子2人を含め7人の子供をもつ。1958年1月30日逝去。


1.ハインケル He-60艦載水上偵察機

写真(右)1935年頃,ドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 60艦載水上偵察機試作機V1(Heinkel He 60a (V-1) First Prototype) :陸上木型と水上機型が同時に試作されたが、採用されたのは水上機型だけだった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46168808 - Catalog:16_007362 - Title:Heinkel He 60 a (V-1) First Prototype Nowarra Collection - Filename:16_007362.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168808引用。


 ハインケルHe 60は、He 59と同じラインホルト・メーヴェス設計になる木材/金属混合構造、羽布張りの単発複葉水上機で、当時の標準的な保守的スタイルだった。試作機はBMW液冷エンジン660馬力を搭載、1933年初飛行した。

写真(右)1933年頃,ドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 :機体は尾翼にドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章を描いている。1935年に再軍備宣言がされると、ドイツ空軍が創設され、尾翼の国章は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46168834 - Catalog:16_007364 - Title:Heinkel He 60 - Filename:16_007364.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168834引用。


ハインケルHe 60水上艦載偵察機がドイツ海軍に試験的に配備されたのは1933年のヒトラー政権下で、1934年からHe 60がドイツ海軍艦隊の艦載水上偵察機として配備された。1936年のスペイン内戦にも実戦投入されたが、1939年の第二次世界大戦時には、後続の艦載水上偵察機アラド Ar 196に代替されていた。

写真(右)1935年以降,ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 :1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46168846 - Catalog:16_007365 - Title::Heinkel He 60(V-8) with DB 600 Nowarra Collection - Filename:16_007365.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168846引用。


ドイツ帝国軍は、第一次大戦の敗戦後、ベルサイユ条約によって、陸軍は10万人規模に大幅に縮小され、参謀本部も廃止、戦争遺憾の保有禁止、航空兵力の保有禁止と束縛された。しかし、ドイツ帝国軍人が引き継いだドイツ共和国軍は、密かにフライコール(義勇軍)を擁立して陸軍の拡充を図り、火砲や戦車を外国で子会社や外国企業と開発した。また、共和国時代から、スポーツ航空や民間航旅客・貨物・郵便・通信航空を隠れ蓑に、軍用機を開発していた。その時代は、プロシア以来のドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプを尾翼に描いで国章としていた。

写真(右)1937-1939年、1933-1939年頃,ジブラルタル海峡,イギリス軍によって撮影されたドイツ海軍装甲巡洋艦装甲巡洋艦「ドイッチュラント」(Deutschland)艦体中央のカタパルトに搭載されたドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機;カタパルトの先端には、機体を乗せていた移動台車が残っている。ここに機体を乗せるが、射出する際は、台車に期待を固定せず、カタパルト先端に来た時に、台車から機体が離れるようになっている。
Title:DEUTSCHLAND (German Battleship, 1931) Caption:View taken at Gibraltar, circa 1937-1939. Close-up view shows plane (HEINKELHE.60), bridge, and forward 11' gun turret. Note eagle marking on turret, and red/white/black stripes as well. These were neutrality markings adopted during the Spanish Civil War period. Also note crew sunbathing on deck abaft the turret. Description: Catalog #:NH 50230 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は Naval History and Heritage Command: NH 50230 DEUTSCHLAND (German Battleship, 1931) 引用。


装甲巡洋艦「ドイッチィエラント」は、1929年2月5日 起工、1931年5月19日進水、1933年4月1日就役、主砲:28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ砲(55口径)8基、 53.3センチ(21.0 in)四連装魚雷発射管2基、 搭載機2機。基準排水量1万2,100トン、満載排水量1万6,200トン、全長186 m、全幅21.6 m。 大西洋方面の交通破壊戦に投入された。第二次世界大戦勃発翌年の1940年に、ヒトラーは、ドイツを意味する「ドイッチュラント」の撃沈が面子を失うことを危惧して、艦名を「リュッツォウ」に変更した。

写真(右)1937-1939年8月,ドイツ海軍艦艇のクレーンで吊り下げられたドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 :ドイツ機の国籍マークは、垂直尾翼に1935年までの旧ドイツ軍の黒白赤三色の国章を、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)の国章を付けた。その後に、機体と主翼上下に黒のバルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。
SDASM Archives Heinkel, He 60 PictionID:46168884 - Catalog:16_007368 - Title:He 60C-1, 1937 Nowarra Collection - Filename:16_007368.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168884引用。


しかし、1933年1月末、ナチ党を首班とする連立政権が成立、アドルフ・ヒトラーは、貴族的なプロシア軍の伝統を軽蔑しており、ナチ党のイデオロギーを軍に浸透させるべきであると考えていた。そこで、ドイツ軍機の国章は、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、垂直尾翼尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。

1935年の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色バルカンクロス(鉄十字)の国籍マークを記入した。

1933年1月末に、ヒンデンブルク大統領は、アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、ヒトラー政権が成立したが、ドイツ機の国籍マークは、1935年の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色バルカンクロス(鉄十字)の国籍マークを記入した。

1937年、第二次大戦勃発2年前、ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーErich Raeder)提督は、国防軍総司令官ブロンベルク元帥に対して、沿岸防衛の範囲に関して、ドイツ海軍とドイツ空軍との分担の取り決めを依頼したが、実際に海軍と空軍の責任範囲について協定文書がまとまったのは、戦争直前の1939年2月3日だった。これは、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)を置き、戦時には海軍司令部空軍代表を海軍総司令官の指揮下に行動するというものである。しかし、ドイツ近海を離れた海上は、ドイツ空軍の責任範囲で、ドイツ海軍が作戦行動を行う場合のみ、ドイツ海軍が哨戒偵察の責任を負うとした。また、水上艦艇同士の海戦、航空機による機雷敷設については、海軍と空軍の合意のもとに、実施するとした。

写真(右)1933-1939年頃,装甲巡洋艦「アドミラル・シェーア」(ADMIRAL SCHEER)艦体中央のカタパルトに搭載されたドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60艦載水上偵察機:装甲巡洋艦「ドイッチィエラント」は、1931年6月25日 起工、1933年4月1日 進水、1934年11月12日 就役、28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ連装砲6基12門、10.5センチ(65口径)連装高角砲7基14門、 搭載機3機。基準排水量:3万1,850トン、満載排水量:3万8,900トン、全長234.9m、全幅30.0m。 大西洋方面の交通破壊戦、1942年末のバレンツ海海戦に投入された。
Title:ADMIRAL SCHEER German Armored Ship, 1933-45 Caption:Detail view amidships of aircraft catapult, Heinkel He 60 aircraft, and one 15 cm gun, photographed 1935-38. Description: Catalog #:NH 45564 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は,Naval History and Heritage Command,NH 45564 ADMIRAL SCHEER German Armored Ship, 1933-45 引用。


ドイツ潜水艦UボートType IX C しかし、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督の指揮する潜水艦Uボートは、当時、レーダーを搭載しておらず、船団攻撃のためには、空中哨戒偵察が効果的であると考えられ、1941年1月になって、潜水艦の交通破壊戦を支援するための長距離海上偵察部隊として、フォッケウルフFw200コンドルCondor)を配備した第40爆撃航空団の一部をドイツ海軍総司令官の指揮下に置くことが提言された。しかし、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)国家元帥は、航空兵力は全て空軍に所属するとの原則を強硬に主張し 海上哨戒偵察部隊は、ドイツ空軍が大西洋航空司令部の隷下として、潜水艦Uボート部司令部と協力することとなった。こうして、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)は、指揮権のない空軍の連絡絡官・副官のような存在となった。1941年12月、ドイツ海軍は艦載水上偵察機を除いた航空兵力の指揮も行ったが、形式的な指揮権は空軍の指揮下に入れ、海上作戦における航空兵力の指揮権は、ドイツ空軍が独占する形となった。

写真(右)1940年,デンマーク、ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 :1935年までの旧ドイツ軍の黒白赤三色の国章を、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)の国章に変更し、その後に、機体にバルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は敵から発見されやすいことが分かり、取りやめになったが、垂直尾翼と主翼上下面に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。
SDASM Archives Heinkel, He 60 Catalog #: 01_00081266 Title: Heinkel He 60 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 60 Tags: Heinkel He 60
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081266引用。


ヒトラー政権になっても、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、ドイツ機の尾翼に描いて、国籍マークとしていた。しかし、1935年、ヒトラーが再軍備を宣言し、第一次世界大戦の撃墜王ヘルマン・ゲーリングの下、ドイツ空軍が設立されると、ドイツ軍機は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを採用した。スワスチカは、ナチ党のイデオロギー、政治思想を軍人にまで浸透させることを反映したもので、軍人の忠誠宣言がドイツに対してでは、ヒトラーに対する忠誠を誓うものと変更されたのと同じ動機である。また、高速の機体の国籍、敵味方の認識をしやすくするため、機体・主翼の上下にも、白の縁取り付きの黒色バルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。

写真(右)1940年,デンマーク、ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 (奥):
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine Signature: Bild 101II-MN-1017-21 Archive title: Dänemark .- Seefliegerhorst. Marineangehörige / Piloten vor Wasserflugzeug Heinkel He 60 (Kennung +WH); PK Marine Nord Dating: April 1940 Photographer: Eschenburg, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、激しい航空戦が展開され、敵の空襲も予期する必要があったため、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)は敵から発見されやすいいとして、取りやめになった。その代わり、ナチ党のイデオロギーを示す国章として、尾翼に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。ハインケルHe 60 のような旧式水上偵察機は、第一線で活動してはいないはずだが、このような古い機種についても国政マークの変更を行っている。後に、白渕が目立ちやすいとして、黒のバルカンクロス(スワスチカ)、ハーケンクロイツの白の縁取りは廃されている。

Heinkel He60の動画


2.ハインケルHe-114艦載水上偵察機

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、3翅プロペラ装備のハインケルHe 114V-1水上偵察機試作1号機:試作機(Prototype)として1938年に完成した。フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935951 - Catalog:16_005288 - Title:Heinkel He 114V-1 Nowarra photo - Filename:16_005288.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935975 引用。


ハインケルHe 114水上偵察機は、前作のHe60艦載水上偵察機の後継機として開発された双フロート、複葉水上偵察機だが、上部主翼は操縦席近傍の胴体から直接伸びたパラソル翼である。下部翼は上部翼よりかなり短いが、縦横比は上部翼と同じである。

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、3翅プロペラ装備のユモJumo210液冷倒立V型12気筒エンジンを搭載した ハインケルHe 114V-2水上偵察機試作2号機(登録コード:D-UGAT):試作機(Prototype)として1938年に完成した。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935963 - Catalog:16_005289 - Title:Heinkel He 114V-2 Nowarra photo - Filename:16_005289.TIF
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935963引用。


アメリカ、イギリス、オランダ、日本、イタリアのような海洋国は、飛行艇や水上機を多用したが、軍用飛行艇・水上機は、一般的に海軍の所属だった。しかし、ドイツでは、飛行機の所管は、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥の支配下に置かれたために、ドイツ軍の基地航空隊所属の飛行艇、水上機の多くは、空軍の隷下に置かれ、海軍艦艇、潜水艦との連携に不都合な面があった。ドイツ海軍の航空機は、巡洋艦以上の大型艦船が搭載する艦載水上機に限られた。

ドイツ語「U-Boot(ウーボート:Unterseeboot)」とは、水面下の艦船の意味で、狭義には、ドイツ海軍の潜水艦を意味する。英語でもU-boat(ユーボート)といわれるが、これも第一次世界大戦および第二次世界大戦でイギリス本土を封鎖しようとした敵国ドイツ海軍の潜水艦を指示している。Uボートは、ハンブルクを中心としたブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)など造船所で建造され、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督の指揮下に置かれた。第二次大戦当初、レーダーを搭載しておらず、目標とする敵艦船を目視によって発見するしかなかった。また、海面上5メートルもない潜水艦艦橋からの視界は限られており、敵発見は天候・気象にも依存した困難な任務だった。

 敵艦船発見を容易にするため、潜水艦の目となるような航空機によって、洋上哨戒偵察をすることが考えられた。しかし、ドイツでは空飛ぶ兵器、軍用機はみなドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)の指揮下に置くという原則があった。そのため、ドイツ海軍航空隊は、海軍艦艇に搭載する偵察用艦載水上機程度しか保有を許されなかった。その後、ドイツ海軍大西洋司令部の下に、水上基地航空部隊や洋上航空部隊の指揮が任されるようになり、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督隷下の潜水艦Uボートと連携した交通破壊戦をするために、水上偵察機、偵察用飛行艇が配備されるようになった。

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、ユモJumo210液冷倒立V型12気筒エンジン装備のハインケルHe 114V-2水上偵察機試作2号機(G-UGAT) :フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている。試作機(Prototype)として1938年に完成した。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081316 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081316引用。


ハインケルHe 114水上偵察機は、成功作とはいえず、前作のHe60水上偵察機と代わり映えしない飛行性能で、安定性が悪かったために、生産機数は98機と少なかった。前作のHe60水上偵察機は、飛行性能は低かったが、使いやすいために、前線では長い期間、使用された。他方。1939年に搭乗したアラドAr-196単葉機は、成功作だったため、艦載水上偵察機として普及したこともあって、ドイツにおけるHe114水上偵察機の使用期間は短かった。

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、2翅プロペラ装備のハインケルHe 114V-4 水上偵察機試作4号機(登録コード:D-IOGD):試作機(Prototype)としてBMW132D空冷星形9気筒エンジンを搭載、3翅ではなく2翅プロペラ装備。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカ(カギ十字:卍)を描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935975 - Catalog:16_005290 - Title:Heinkel He 114V-4 Nowarra photo - Filename:16_005290.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935975 引用。


ハインケルHe 114水上偵察機は、ドイツの外貨獲得のため、ルーマニアに24機が輸出された。そして、ルーマニアでは8機が1960年5月まで部隊で使用されていた。スペインに対しても、1943年7月に、12機のA型、C型が輸出され、1954年まで部隊で使用されていた。

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、ハインケルHe 114V-5水上偵察機試作5号機(登録コード:D-IDWS):3翅ではなく2翅プロペラ装備のBMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載している。試作機(Prototype)として1938年に完成した。第二次世界大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカ(カギ十字:卍)を描いている。フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935987 - Catalog:16_005291 - Title:Heinkel He 114V-5 Nowarra photo - Filename:16_005291.TIF
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935975 引用。


写真(右)1933-1939年頃,ドイツ海軍巡洋戦艦「グナイゼナウ」(GNEISENAU)の後部カタパルトに搭載されたハインケル(Heinkel)He-114艦載水上偵察機:発注 1934年1月25日、起工 1935年5月6日、進水 1936年12月8日、就役 1938年5月21日、基準排水量:3万1,850t 満載排水量:3万8,900t、全長 234.9m、水線長 226m、全幅 30m、吃水 9.1m、最高速力 31.6ノット、航続距離 17ノット/10,000マイル、28センチ (11 in)三連装砲塔3基、15センチ砲(55口径)連装砲塔6基、10.5cm(65口径)連装高角砲7基、艦載機 水上3機、射出用カタパルト2基。
Title:GNEISENAU (German battleship, 1936) Caption:View take during a fleet review, probably in August 1938. Note crew manning the rail, and Admiral's flag at the fore; Heinkel HE.114 seaplane on amidships catapult. Description: Catalog #:NH 81105 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939 Original Medium:BW Photo
写真は,Naval History and Heritage Command,NH NH 81105 引用。


写真(右)1938年8月22日,装甲巡洋艦「クナイゼナウ」(GNEISENAU)艦体中央のカタパルトに搭載されたドイツ軍ハインケル(Heinkel)He114水上艦載偵察機:装甲巡洋艦「クナイゼナウ」は、1931年6月25日 起工、1933年4月1日 進水、1934年11月12日 就役、28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ連装砲6基12門、10.5センチ(65口径)連装高角砲7基14門、 搭載機3機。基準排水量:3万1,850トン、満載排水量:3万8,900トン、全長234.9m、全幅30.0m。 大西洋方面の交通破壊戦、1942年末のバレンツ海海戦に投入された。
Title:GNEISENAU (German BB, 1936) Caption:View taken 22 August 1938, during a fleet review, showing crewmen "manning the rails." Note Heinkel HE. 114 seaplane on catapult. Description: Catalog #:NH 83614 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: Original Date:Mon, Aug 22, 1938 Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は,Naval History and Heritage Command,NH 83614 GNEISENAU (German BB, 1936) 引用。


写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ本土海域、ハインケルHe 114A-1 水上偵察機:3翅ではなく2翅プロペラ装備のBMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載している。第二次世界大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカ(カギ十字:卍)を描いている。フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935999 - Catalog:16_005292 - Title:Heinkel He 114A-1 Pete Bowers photo - Filename:16_005292.TIF -
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935975 引用。


写真(右)1939年9月-1941年頃、ドイツ本土海域、ハインケルHe 114A-1 水上偵察機(登録コード:IY-YF):第二次大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークの黒色スワスチカは残されたが、赤帯白丸は、敵に目立ちやすいために廃止された。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081312 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081312引用。


ハインケル He 114A-2水上偵察機の諸元
搭乗員: 2名
全長: 11.65 m、全高: 5.23 m、全幅: 13.60 m
翼面積: 42.3平方メートル
空虚重量: 2,300 kg 、全備重量: 3,670 kg
発動機: BMW 132K 空冷 星型エンジン(960 hp)
最高速力: 335 km/h
航続距離: 920 km
実用上昇限度: 4,900 m
兵装: 7.92ミリMG15旋回機銃1丁
搭載爆弾:50キロ爆弾2発

写真(右)1939年9月-1941年頃、ドイツ本土海域、ハインケルHe 114A-1 水上偵察機:3翅ではなく2翅プロペラ装備のBMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載している。第二次大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークの黒色スワスチカは残されたが、赤帯白丸は、敵に目立ちやすいために廃止された。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081313 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive -
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081313 引用。


1940年4月9日、ドイツ軍はデンマークとノルウェーに侵攻、理由は、スウェーデンの鉄鉱石を不凍港ナルビクNarvik)を通じて安定して輸入するためだったが、イギリスがノルウェーの機雷封鎖や保障占領を企図していることもあった。このノルウェー侵攻「ウェーゼル演習作戦」では、四発大型旅客輸送機ユンカースJu-90が、オスロに兵員を輸送した。デンマークは侵攻初日の4月9日、国王クリスチャン10世Christian 10)、デンマーク政府が即座に降伏したが、ノルウェーは、イギリス軍の支援を受けて、激しく戦った。しかし、ドイツ軍のフランス侵攻で、5月下旬にはフランスの危機、イギリスの孤立化が確実になったため、ノルウェーの連合軍は6月に撤退した。ノルウェーには、傀儡ヴィドクン・クヴィスリングVidkun Quisling)政権が樹立され、ドイツ海軍潜水艦Uボートの基地となった。

写真(右)1939-1942年頃、ドイツ、淡水湖で多数の半裸の整備員がドイツ軍ハインケルHe 114 水上偵察機の収容作業をしている様だ。:第二次世界大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークのカギ十字を残すのみと支、目立ちすぎる赤帯白丸は廃止された。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081317 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081317引用。


写真(右)1938-1939年9月、ドイツ本土海域、ハインケルHe 114 水上偵察機:防御兵装は、コックピット後方、偵察員席に 7.92ミリMG 15旋回機銃1丁を装備するのみだが、左右の主翼下面に50キロ爆弾各1発を懸架できる。第二次世界大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークのカギ十字を残すのみと支、目立ちすぎる赤帯白丸は廃止された。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081311 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081311引用。


写真(右)1938-1939年9月、ドイツ本土海域、ハインケルHe 114A-1 水上偵察機:アラドAr-196水上偵察機が、1937年5月に初飛行し、1938年11月に部隊配備されると、He114水上偵察機は、艦載機から、順次、代替されていった。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081315 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081315引用。



3.アラドAr-196艦載単葉水上偵察機

シャルンホルスト アラドAr 196水上偵察機は、ドイツ海軍(Kriegsmarine )艦艇に搭載する艦載水上偵察機としてアラド社(Arado)で開発された。Ar 196水上偵察機の試作は、1936年から開始され、ドイツ海軍の競争試作機として他社を抑えて採用され、500機が製造された。第二次大戦の全期間を通じて、ドイツ海軍の水上偵察機として活躍した。

写真(右)1941年9月30日、ドイツ海軍巡洋戦艦「グナウゼナウ」にデリックで吊り上げられたアラドAr196 艦載水上偵察機;ハインケルHe 60複葉水上機の後継機としてアラド社が開発した単葉金属製の水上機で、1937年に試作機が完成し、双フロート水上機、艦載偵察機として採用された。機体構造は、鋼管骨組の胴体に、前部は金属張り、後部は羽布張り、主翼は金属製だった。ドイツ海軍巡洋戦艦「グナウゼナウ」の28.3cm(54.5口径)三連装砲の装甲は、前面 360mm、側方200mm、後方180mm、天蓋180mmだった。28cm砲は、商船を攻撃するには十分な威力、発射速度、射程があったが、イギリス海軍戦艦と砲撃戦には威力不足で苦戦することになる。
Collectie NIOD Trefwoorden Geschut, Marine, Oorlogsschepen, Vliegdekschepen, Vliegtuigen
Locatie Naam: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland Land: United Kingdom
Bijschrift Arado 196 Blockade um England. Schwerer Kreuzer schlägt zu in uebersee. Enorm Grosses leistete uns unser Bordflugzeug, das nach mancher Erkundungsflug mit der Meldung zurückkam 'feindlicher grosser Frachter in so und so viel Grad gesichtet'. Einsetzen des Bordflugzeuges.
Type Foto Datum 30/09/1941 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 43437 引用。


写真(右)1940年2月23日、ドイツ空軍のアラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察の主翼下面のラックに50キロ爆弾を懸架する整備員;オリジナル解説では、主翼支柱に注目してドルニエ(Dornier)DO-24飛行艇というが、これは低翼式、双フロートを備えた水上機である。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Beschrijving Militairen van de Luftwaffe bouwen een machinegeweer in een Dornier Do.18 vliegboot en laden munitie in. Plaats Onbekend Datering van 1940-02-23 Datering tot 1940-02-23 Trefwoorden Luftwaffe, Duitse strijdkrachten, mitrailleurs, handvuurwapens, munitie, bewapening, verkenningen, inzet, Tweede Wereldoorlog, conflicten, activiteiten, Dornier Do 18, vliegboten Vervaardiger PK.-Tews (Weltbild) Materiaalsoort Ontwikkelgelatinezilverdruk Kleur/Zwart-wit Zwart-wit
写真はNational Institute of Mental Health (NIMH) Beeldbank.defensie.nl・Objectnummer 2157-112-021 引用。


写真(右)1940-1942 年頃、アムステルダム郊外のシェリンブルデ(Schellingwoude)水上機基地アラドAr196 艦載水上偵察機;フロートの先端をぶつけないように目立つ赤で塗っている。BMW132空冷星形9気筒エンジンと3翅プロペラを装備。ドイツのAR 196は、ドイツ海軍(Kriegsmarine)の艦船が沖合を航行したときに機体は艦船に乗っていた。
Een Duitse AR 196. Als de grote oppervlakteschepen van de Kriegsmarine zich buitengaats waagden, bevonden deze watervliegtuigen zich aan boord. Wanneer de oorlogsbodems in de haven lagen, opereerden de Arado's onder meer vanaf vliegkamp Schellingwoude.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Schellingwoude 引用。


写真(右)1940年,デンマーク、飛行中のアラド(Arado)Ar 196 水上偵察機
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine Signature: Bild 101II-MN-1517-09 Archive title: Dänemark (?).- Wasserflugzeug Arado Ar 196 in (Kennung CK+EQ der Küstenfliegergruppe 706, stationiert in Aalborg-See) im Flug; PK Marine-Nord Dating: 1940 ca. Photographer: Eschenburg, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1940年,ノルウェー、飛行中のアラド(Arado) Ar 196 水上偵察機と並んだハインケル(Heinkel)He 59双発水上偵察機 (奥):ハインケルHe 59は、双発の偵察機/雷撃機で、当初は水上型と陸上型があったが、大半は双フロート付の水上機型である。第二次世界大戦にも投入され、白色塗装、赤十字マークを付けた海難救助機としても活躍した。
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine Signature: Bild 101II-MN-1533-07 Archive title: Norwegen, Seefliegerhafen.- Wasserflugzeuge Arado Ar 196 und Heinkel He 59 an einem Anleger; PK Marine-Nord Dating: 1940 ca. Photographer: Eschenburg, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年冬、ノルウェー水域のアラド社アラドAr-196艦上水上偵察機:主翼を90度回転させて折りたためるので、狭い艦船上での搭載・運用が容易になる。
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine Signature: Bild 101II-MW-6081-11 Archive title: Norwegen.- Verladen eines Wasserflugzeugs Arado Ar 196 Dating: 1942 Winter Photographer: Schöppe, Walter Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


アラドAr 196水上偵察機は、ドイツ海軍の巡洋艦以上の艦艇用の艦載水上偵察機として1937年にHe-60水上偵察機の後継機として開発され、BMW132空冷星型9気筒エンジン(880馬力)を装備した。双フロートのAr196A型、単フロートのAr196B型が試作され、1938年に、双フロート式のA型が採用された。


写真(右)1940-1941年頃、ノルウェー、トロンヘイム、停泊中のドイツ海軍軽巡洋艦「ニュルンベルク」に搭載されたアラドAr-196水上偵察機
;波の静かなフィヨルドに停泊している。
Lett krysser Nürenberg, med obesrvasjonsflyet Arado 196, sted ukjent.
Tilhører samling av fotografier tatt av ukjente tyske soladater under 2.verdenskrig. Bildene var sendt inn til framkalling og kopiering hos Harald Renbjørs fotoforretning i Levanger. Familen Renbjør dobbeltkopierte noen av fotografiene og beholdt en kopi selv. Dette var strengt ulovlig. Mest sannsynlig gjorde de dette av etterretningsgrunner for motstandsbevegelsen eller på eget initiativ.
Fotografering:1940 - 1945Ukjent tysk soldat.
Part of collection:Levanger Fotomuseum Owner of collection:Levanger Fotomuseum Institution: Levanger Fotomuseum Date published:October 15, 2014 Date updated:March 16, 2018 DIMU-CODE:011015437707
写真はLevanger Fotomuseum ・Identifier:LEM.018.19.06 引用。


写真(右)1941-1943年頃、ノルウェー、トロンヘイム、停泊中のドイツ海軍戦艦「ティルピッツ」のデリックで吊り上げられてカタパルトに乗せられようとするアラドAr-196水上偵察機;15センチ55口径連装砲、10.5センチ65口径連装高射砲の報道が見える。ドイツ海軍戦艦「ティルピッツ」は、「ビスマルク」級戦艦2番艦として、起工 1936年11月2日、進水 1939年4月1日、就役 1941年2月25日、 基準排水量:4万2,900トン、満載排水量:5万3,500トン、全長 253.6m、水線長241.7m、全幅 36.0m、速力30.8ノット。38センチ48.5口径連装砲4基、15センチ55口径連装砲6基、10.5センチ65口径連装高射砲8基を搭載。
Slagskipet Tirpitz i Fættenfjorden fotografert fra taubåt, Flyet i kranen er et Arado 196 oppklaringsfly..
Slagskipet Tirpitz og søsterskipet Bismarck var de største slagskipene i den tyske krigsmarinen, Kriegsmarine, under andre verdenskrig. Skipet var oppkalt etter den tyske marineminister og storadmiral Alfred Freiherr von Tirpitz.
Skipet lå i en periode i Fættenfjord i Nord-Trøndelag.
,Tirpitz ble til slutt senket ved Håkøya utenfor Tromsø den 12. november 1944. Avro Lancaster bombefly fra RAF 617. og 9. skvadron, utrustet med Barnes Wallis' tallboy-bomber, utførte bombingen. 916 av mannskapet omkom. Av dem som overlevde, ble 87 reddet ved at redningsmannskapene skar seg inn gjennom skutesiden. ( Kilde: Wikipedia)
Tilhører samling av fotografier tatt av ukjente tyske soladater under 2.verdenskrig. Bildene var sendt inn til framkalling og kopiering hos Harald Renbjørs fotoforretning i Levanger. Familen Renbjør dobbeltkopierte noen av fotografiene og beholdt en kopi selv. Dette var strengt ulovlig. Mest sannsynlig gjorde de dette av etterretningsgrunner for motstandsbevegelsen eller på eget initiativ.
Fotografering:1940 - 1945Ukjent tysk soldat.
Part of collection:Levanger Fotomuseum Owner of collection:Levanger Fotomuseum Institution: Levanger Fotomuseum Date published:October 15, 2014 Date updated:March 16, 2018 DIMU-CODE:011015437707
写真はLevanger Fotomuseum ・Identifier:LEM.018.18.02 引用。


アラドAr 196水上偵察機が部隊配備されたのは、第二次世界大戦の勃発した1939年9月からである。その後、主翼の7.92ミリMG17機関銃(左右合計2丁)を20ミリMG-FF機関銃(合計2丁)にう強化したA-2型が主力となった。活動海域は、主に大西洋、北海、バルト海だが、黒海、地中海方面でも使用されている。アラドAr 196水上偵察機は、1944年までに500機が製造された。第二次大戦の全期間を通じて、ドイツ海軍の水上偵察機として活躍した。

写真(右)第二次大戦後、保管・展示されたアラドAr-196A水上偵察機の正面:Ar-196A-3は、 全長 11.0m、全幅12.4m、全備重量 3,720 kg、発動機BMW 132K 空冷星型9気筒エンジン 960馬力、最高速力 312km/h、 航続距離 800km、乗員 2名、兵装 20ミリMGFF機関銃2丁(前方固定)、7.92ミリMG15後方旋回機銃1丁。
Arado AR-196A Catalog #:00075050 Manufacturer: Arado Designation: AR-196A
写真は,Flickr, SDASM ArchivesCatalog #: 00075050引用。


写真(右)第二次大戦後、保管・展示されたアラドAr-196A水上偵察機:Ar-196A-3は、 全長 11.0m、全幅12.4m、全備重量 3,720 kg、発動機BMW 132K 空冷星型9気筒エンジン 960馬力、最高速力 312km/h、 航続距離 800km、乗員 2名、兵装 20ミリMGFF機関銃2丁(前方固定)、7.92ミリMG15後方旋回機銃1丁。
Arado AR-196A Catalog #: 00075051 Manufacturer: Arado Designation: AR-196A
写真は,Flickr, SDASM ArchivesCatalog #: 00075051引用。


アラドArado Ar 196 水上偵察機は、第二次大戦中にドイツ海軍で広範囲に使用された、低翼単葉、双フロートの艦載機。BMW132K空冷星型エンジン960馬力搭載、機首と後部座席の7.92mm機銃2挺、主翼内に20mm機関銃2挺、主翼下面に50kg爆弾2発搭載可能。第二次大戦の始まった1939年に部隊配備開始、戦艦ビスマルク、重巡洋艦ヒッパーなど大型水上艦艇に搭載。沿岸水上機部隊にも配備された。


アラドAr-196水上偵察機諸元
乗員:2名
全長: 11.0メートル,全幅: 12.5メートル
翼面積: 28.4平方メートル
自量: 2トン,全備重量: 3.7トン
エンジン: BMW132 空冷 960馬力1基
最高時速: 320キロ
航続距離: 1000キロ,上昇限度: 7,000メートル
武装: 20ミリMG-FF機関砲2門,7.92ミリMG17機銃2丁
50キロ爆弾2発
初飛行1937年5月
生産開始1938年11月からで、1944年3月までに540機が産された。

⇒写真集Album:アラド Ar 196水上偵察機を詳しく見る。


4.ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機

写真(右)1940年、西部戦線、オランダ、アムステルダム、ドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機;胴体後方側面の白色の鉄十字、垂直尾翼のスワスチカ(カギ十字:卍)は目立ちすぎるためか、塗りつぶされている。
Collectie NIOD Trefwoorden Kriegsmarine, Legerbases, Luftwaffe, Vliegtuigen
Locatie Naam: Gemeente Amsterdam Land: Nederland
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam.
Het originele bijschrift luidt: 'Flugzueg aufnamen'. Een watervliegtuig He 115 bij Fliegerhorst Schellingwoude. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Periode 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 152175引用。


ドイツ海軍航空隊は、艦船に乗せて運用する艦載水上機を指揮下に置いたものの、それ以外の航空兵力は、沿岸部に基地を設けた水上機や飛行艇ですらも直接指揮する権限がなかった。つまり、ドイツ海軍航空隊は、攻撃、偵察、哨戒に関して有効な航空支援を得ることが困難になった。このように、ドイツ海軍航空隊が簸力であったために、そのため、海軍艦艇、特に潜水艦Uボートとの連携支援が疎遠になる傾向があった。これはドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥が、飛行機と航空兵力は全て自分の隷下に置くことを主張したためである。そこで、イギリス本土の交通破壊戦や海上封鎖に、航空機による索敵、偵察が十分に行えないという欠点が露呈した。

枢軸軍の双フロート双発以上の水上機には、ハインケルHe115のほかハインケルHe59救難機、イタリア軍のフィアットCMASA RS.C14水上偵察機、カントZ.506 水上偵察爆撃機 などがあり、いずれも飛行性能は、秀でているわけではないが、堅牢な構造で、使いやすい機体だった。

写真(右)1940年、西部戦線、オランダ、アムステルダム、ドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機の機首側面ガラス風防と機首(A)銃座の7.92ミリMG15旋回機関銃;機首銃座は、体格のいい搭乗員にとっては、窮屈で、居住性は良くないように見えるが、ガラス風防に覆われているために、視界は十分に確保されている。
Collectie NIOD
Trefwoorden Kriegsmarine, Legerbases, Luftwaffe, Vliegtuigen
Locatie Naam: Gemeente Amsterdam Land: Nederland
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam. Het originele bijschrift luidt: 'Flugzueg aufnamen'. Een watervliegtuig He 115 bij Fliegerhorst Schellingwoude. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Periode 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 152172引用。


ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、1937年8月に初飛行した機体で、海上の哨戒偵察以外にも、船団への魚雷攻撃、機雷敷設、輸送などにも投入された多用途機だった。ヘルマン・ゲーリング総司令官のドイツ空軍に飛行機を集中させられたため、ドイツ海軍航空隊は貧弱であり、ハイケルHe115水上偵察機は、艦艇に搭載することは想定されておらず、水上機基地をベースに活動することを前提としていた。そのため、He115水上偵察機の総生産機数は138機のみであった。しかし、北大西洋、地中海方面では、水上機の特性を生かして、海上哨戒偵察、対艦船攻撃(爆弾・航空魚雷・機雷)に有効な働きをしている。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機を詳しく見る。


5.ドルニエ(Dornier)DO-18哨戒偵察飛行艇


写真(上)1940年頃、オランダ、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-18飛行艇

Collectie Fotoalbums voormalig Instituut voor Maritieme Historie Beschrijving Een Dornier Do 18 vliegboot ligt afgemeerd aan een boei. Plaats Onbekend Precisie start Circa Datering van 1936 Precisie eind Circa Datering tot 1940 Trefwoorden Dornier Do 18, vliegboten Vervaardiger Onbekend Materiaalsoort Ontwikkelgelatinezilverdruk Kleur/Zwart-wit Zwart-wit
写真はBeeldbankWo2.nl・Objectnummer 2157-112-018 引用。


⇒写真集Album:ドルニエ(Dornie)Do 18飛行艇を詳しく見る。


5.ドルニエ(Dornier)DO-24哨戒偵察飛行艇

写真(右)1937年、ドイツ、海上で停泊中のドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 24K-1 三発飛行艇(登録コード:D-ADLP);1937年頃、フリードリヒスハーフェンのドルニエ航空機工場で海上哨戒用の飛行艇を海上試験中に撮影された。機首にも胴体にも銃座は、まだ設けられていない。
Beschrijving Beproeving op zee van een Dornier Do 24K-1 maritieme patrouillevliegboot met Duitse registraties. Foto genomen door de vliegtuigfabriek Dornier te Friedrichshafen (Z-Duitsland) omstreeks 1937.
Plaats Duitsland Precisie start Circa Datering van 1937 Precisie eind Voorjaar Datering tot 1937
Trefwoorden Dornier Do 24, vliegboten, patrouillevliegtuigen, vliegtuigen, vliegboten, watervliegtuigen Specifieke kenmerken
D-ADLP Vervaardiger Dornier Copyright NIMH Materiaalsoort Ontwikkelgelatinezilverdruk
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) Beeldbank.defensie.nl・Objectnummer 2173-247-020引用。


写真(右)1938-1942年、オランダ、オランダ王室海軍の艦隊まえを水上滑走するドルニエ(Dornier)DO-24K-1哨戒偵察飛行艇X-13
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Marine
Beschrijving Dornier Do 24K-1 maritieme patrouillevliegboot X-13 (1938-1942). Datering van 1938 Datering tot 1942 Trefwoorden Dornier Do 24, vliegboten Specifieke kenmerken X-13 Vervaardiger Postma
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) , Beeldbank.defensie.nl:・Objectnummer 2158_012913引用。


ドルニエ(Dornier)Do 24飛行艇は、第二次世界大戦前、オランダがドイツのドルニエ社に発注した軍用飛行艇で、オランダ海軍航空隊が、東インド諸島(インドネシア)のオランダ植民地で使用するための偵察飛行艇である。ドルニエ社は開発を受けてドルニエ(Dornier)Do 24飛行艇試作機V1を1937年に初飛行させ、オランダが採用して、ライセンス生産された。

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6.ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138飛行艇

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖、荒天の中でドイツ海軍潜水艦Uボートと会合、ディーゼル油の補給を受けるブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0101-06A Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


写真(右)1943年秋、ノルウェー北部、ベルゲン沖、ドイツ軍基地を発進するブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:基地で燃料の軽油を満たして、ノルウェー沖の連合軍輸送船団の偵察任務に就く様だ。手前では、基地の隊員たちが見送っているのであろう。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0104-25A Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss BV 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


⇒写真集Album:ブロームウントフォッス(Blohm & Voss)BV-138飛行艇を詳しく見る。


写真(右)1938年9月29日、ミュンヘン会談のために、ミュンヘン飛行場から市内のホテルにフランス首相エドゥアール・ダラディエを送り届けるドイツ空軍総司令官ヘルマン・ベーリング元帥

Title Münchener Abkommen, Daladier (l.) und Göring (r.) Info non-talk.svg Original caption For documentary purposes the German Federal Archive often retained the original image captions, which may be erroneous, biased, obsolete or politically extreme. Info non-talk.svg Frankreichs Ministerpräsident mit Generalfeldmarschall Göring auf der Fahrt durch München. Nach der ersten Besprechung im Führerbau in München begleitete Generalfeldmarschall Hermann Göring den französischen Ministerpräsidenten Daladier im Kraftwagen zu dessen Hotel. Daladier und Göring waren Mittelpunkt lebhafter und herzlicher Kundgebungen der Tausende, die die Strassen umsäumten. UBz.: Ministerpräsident Daladier und Generalfeldmarschall Göring auf der Fahrt durch München. Scherl Bilderdienst, Berlin 29.9.39
Daladier, Edouard: Ministerpräsident, Vorsitzender Sozialistische Partei, Frankreich Göring, Hermann: Reichsmarschall, Oberbefehlshaber der Luftwaffe, Ministerpräsident von Preußen, Deutschland Depicted place Münchener Abkommen Date 29 September 1938
写真は Wikimedia Commons, Hermann Göring in 1938 File:Bundesarchiv Bild 183-H12963, Münchener Abkommen, Daladier (l.) und Göring (r.).jpg引用。


1922年から1923年に、ミュンヘン大学で学んでいるときに、ナチ党総統ヒトラーに出会い、入党する。第一次大戦のエースとしてナチ党の看板となり、突撃隊司令官として、上流階級とナチ党との仲を取り持つことになった。しかし、1923年11月、ヒトラー主導の武装蜂起「ミュンヘン一揆」(Beer Hall Putsch)は失敗し、銃弾を受けたゲーリングは、外亡したものの、治療のために投与したモルヒネの中毒となった。
1911年5月13日、士官候補生、1914年1月20日、少尉、1916年8月18日、中尉、1920年6月8日、名誉階級大尉、1933年8月30日、名誉階級歩兵大将、1935年5月21日、空軍大将、1936年4月20日、上級大将、1938年2月4日、元帥、1940年7月19日、国家元帥 1923年3月1日、SA最高指導者、1931年12月18日、SA中将、1933年1月1日、SA大将。

ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)が国会議長に就任。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月の再軍備宣言によって新設された空軍の総司令官に就任。

写真(右)1938年10月1日、ドイツ、ベルリン駅、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)国家元帥を従えたヒトラーと、国民啓蒙・宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス、ヒトラーユーゲント指導者バルドゥール・フォン・シーラッハ、財務大臣ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク、総統官房長フィリップ・ボーラー
Title Münchener Abkommen, Rückkehr Hitler Info non-talk.svg Original caption For documentary purposes the German Federal Archive often retained the original image captions, which may be erroneous, biased, obsolete or politically extreme. Info non-talk.svg Des Führers Rückkehr von den Münchener Besprechungen Der Führer begrüßt auf dem Bahnsteig des Anhalter Bahnhof seine Mitarbeiter. UBz: v.r.n.l. Reichsminister Graf von Schwerin-Krosigk,Reichminister Kerrl,Reichsminister Rust,Reichsleiter Bouhler,Reichsjugendführer Baldur von Schirach,rechts Generalfeldmarschall Göring und Reichsminister Dr. Goebbels. Fot.: 1.10.38
Baldur von Schirach Bouhler, Philipp Hanns Kerrl Lutz Graf Schwerin von Krosigk Adolf Hitler Joseph Goebbels Hermann Göring Depicted place platform of the Berlin Anhalter railway station Date 1 October 1938
写真は Wikimedia Commons, Hermann Göring in 1938 File: Bundesarchiv Bild 183-H13039, Münchener Abkommen, Rückkehr Hitler.jpg引用。


1938年9月29日から30日にかけて、ドイツ南部、ミュンヘンにおいて、イギリス首相チェンバレン、フランス首相ダラディエ、イタリア統領ムッソリーニ、ドイツ首相アドルフ・ヒトラー総統が会談し、チェコスロバキアの北部で、多数のドイツ系住民が居住していたズデーテン地方のドイツ割譲を決定した。イギリスとフランスは、ドイツがこれ以上の領土割譲要求をしないとの条件で、1938年9月29日にミュンヘン協定に署名し、平和が守られたと宣言した。このミュンヘン会談は、第二次世界大戦前のイギリス・フランスの対ドイツ宥和の頂点にして、最後の機会だった。この時、ゲーリングは、ドイツ空軍がチェコ空襲をいつでも始める覚悟があると威嚇のポーズをとっていたのである。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。

2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ハンセン病Leprosy差別

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