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◆双発水上機ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
写真(右)1941年8月24日、ソビエト連邦と戦う継承戦争時、枢軸国フィンランドの装備したハインケル(Heinkel)HE 115 A水上偵察機(Fly nr 52)
;ドイツからフィンランドに飛来、鹵獲したHe115水上偵察機を、フィンランド空軍が鹵獲し、第44飛行隊(LLv.44)に配属して輸送任務に投入した。
Kapteeni Malinen - Heinekel. Lassi Hämäläinen, valokuvaaja Kapteeni Malinen - Heinekel. Lentokone on Heinekel HE 115 A, joka kuului Kapteeni Osmo Malisen johtamaan Lentolaivue 15:een. Photo info: 1941-08-24 Lassi Hämäläinen, valokuvaaja
写真は Finna.fl : Identifier:sa-kuva-61921引用。

写真(上)1940-1943年、ドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 115B-2水上偵察機
He 115'B'型は、A型の 燃料および爆弾搭載量を増強した改良型で、ドイツ軍の採用したHe115水上偵察機の主力型。北大西洋、北海、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃にも投入され、一部は、機雷敷設、物資兵員輸送の任務にも就いた。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43936109 - Catalog:16_005301 - Title:Heinkel He 115B-2 Nowarra photo - Filename:16_005301.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
SDASM Archives・Catalog:16_005301引用。

1.双発水上偵察機ハインケル(Heinkel)He 115

写真(右)1935年頃,ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機試作機1号機V1(He 115V-1 Prototype)D-AEHF :1937年8月に初飛行。
SDASM Archives PictionID:43936025 - Catalog:16_005294 - Title:Heinkel He 115V-1 Nowarra photo - Filename:16_005294.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, PictionID:43936025引用。


ハインケル He111 1935年, ドイツ航空省 (RLM: Reichs-luftfahrt-ministerium) は、哨戒、爆弾あるいは航空魚雷による対艦船攻撃が可能な双発水上機の開発を各社に要求し、ハインケル(Heinkel)社とブロームウントフォス(Blohm & Voss)社(子会社がハンブルク航空社)がそれを受けた。1935年11月、He 115とHa 140が各々3機ずつの試作機を完成させた。ハインケルの試作機第1号は、1937年8月に初飛行し、ハンブルク社Ha 140は1938年初頭に初飛行した。

そして、1938年代初頭、さらに10機のハインケル(Heinkel)He 115試作機が発注されている。この機体は、1,000 km (620 mi) と 2,000 kmの円周で、平均速力は 328 km/hで水上機の世界記録を打ち立てた。

写真(右)1942年4月24日、ドイツ、自ら開発したハインケルHE 115 水上偵察機をバックにした教授エルンスト・ハインケル博士(Professor Dr. Ernst Heinkel);ハインケルHe115の搭載したBMW132空冷星形9気筒エンジンと3翅プロペラが背後に見える。
Collectie NIOD
Trefwoorden Duitsers, Luftwaffe, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen, Portretten
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Personen Heinkel, Ernst
Bijschrift Professor Heinkel zum Pionier der Arbeit ernannt. Auf Grund seiner hervorragenden Leistungen auf den Gebiet des deutschen Flugzeugbaues wurde Professor Ernst Heinkel, der Schöpfer zahlreicher unübertroffener Flugzeugtypen vom Führer zum Pionier der Arbeit ernannt. Professor Dr. h.c. Ernst Heinkel vor einen seiner Kampfflugzeuge, der He 115.
Type Foto
Datum 24/04/1942 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 29482引用。


エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、ドイツ南部ヴュルテンベルク州のシュッツガルト大学で工学を学び、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

ハインケル 第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北部ヴァーネミュンデにハインケル航空機を設立した。ここは、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで軍用機を開発できるという利点があった。この時期、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機も開発している。

1881年1月24日生まれのエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、二人兄弟、3回結婚し、連れ子2人を含め7人の子供をもつ。1958年1月30日逝去。

ハインケルHe 112 1933年1月末、ナチ党総統アドルフ・ヒトラーが、首相に任命され、1935年にドイツ再軍備を宣言して、ドイツ空軍を設立すると、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、政権獲得前から既存の飛行機を活かして、軍用機として開発したHe59双発水上機、He60水上偵察機などを採用され、航空機メーカーとして、順調に飛行機製造を拡張することができた。He 70高速輸送機など高性能機も開発し、1935年のドイツ再軍備宣言後には、ドイツ空軍の創設に伴い高速輸送機として開発したHe111を爆撃機として採用させ、さらにHe51複葉戦闘機の量産も受注することで、ドイツ有数の航空機メーカーに成長してゆく。

第二次大戦前にHe 112戦闘機を開発したが、Bf109戦闘機との競争試作に敗れた。しかし、その後も、 He177四発重爆撃機、He219夜間戦闘機、He280ジェット戦闘機など数々の軍用機を開発、生産して、ハインケル社を興隆させた。

写真(右)1935年頃,ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機試作機V2(Heinkel He 115V-2 Prototype) D-APDS:1937年11月に初飛行。1935年の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色バルカンクロス(鉄十字)の国籍マークを記入した。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43936037 - Catalog:16_005295 - Title:Heinkel He 115V-2 Nowarra photo - Filename:16_005295.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, PictionID:46168808引用。


ヒトラー ドイツ帝国軍は、第一次大戦の敗戦後、ベルサイユ条約によって、陸軍は10万人規模に大幅に縮小され、参謀本部も廃止、戦争遺憾の保有禁止、航空兵力の保有禁止と束縛された。しかし、ドイツ帝国軍人が引き継いだドイツ共和国軍は、密かにフライコール(義勇軍)を擁立して陸軍の拡充を図り、火砲や戦車を外国で子会社や外国企業と開発した。また、共和国時代から、スポーツ航空や民間航旅客・貨物・郵便・通信航空を隠れ蓑に、軍用機を開発していた。その時代は、プロシア以来のドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプを尾翼に描いで国章としていた。

しかし、1933年1月末、ナチ党を首班とする連立政権が成立、アドルフ・ヒトラーは、貴族的なプロシア軍の伝統を軽蔑しており、ナチ党のイデオロギーを軍に浸透させるべきであると考えていた。そこで、ドイツ軍機の国章は、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、垂直尾翼尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために取りやめになった。

つまり、ドイツ機の国籍記章は、1933年1月末、ナチ党政権となってから、当初は、黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年以降、再軍備宣言がなされ、ドイツ空軍が創立されると、赤帯に白丸とハーケンクロイツを描いた国章が決まった。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸は目立つために敵からの標的にされやすかった。そこで、黒色のハーケンクロイツのみが小さく描かれるように変更された。

写真(右)1935年頃,ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機試作機3号機V3(Heinkel He 115V-3)D-ABZV :1938年3月に初飛行したA型の原型(A-series prototype)。双フロートの下に地上での移動がしやすいように台座付き車輪を装備している。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43936085 - Catalog:16_005299 - Title:He 115V-3 Nowarra photo - Filename:16_005299.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, PictionID:43936085引用。


Hermann Goering 1933年1月末に、ヒンデンブルク大統領は、アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、ヒトラー政権が成立し、1933年10月にドイツは 国際連盟を脱退 した。これは、1933年2月、満州事変とリットン調査団の措置に反発した日本の国際連盟脱退に次ぐものだった。この当時、ドイツ機の国籍マークは、1935年の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。

1935年1月、国際連盟管理下のドイツ・フランス国境の炭鉱地帯のザールラント (Saarland) は、住民投票によってドイツへの帰属が認められ、1935年3月16日には、ヒトラーは、ドイツの徴兵制の復活をはじめとする再軍備宣言をした。これ以降、ベルサイユ要約で保有が禁止されていたドイツ空軍がヘルマン・ゲーリングHermann Goering)司令官の下に創設され、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯白丸黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党カギ十字)の国籍マークを付けるようになった。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、総統アドルフ・ヒトラーに対する忠誠を誓うものに変更された。

また、航空機の高速化で、敵味方の識別が容易になるように、垂直尾翼の白の縁取り付き黒色ナチ党鍵十字に加えて、機体後方左右と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色鉄十字の国籍マークを記入した。

写真(右)1935年頃,ドイツ、ハインケル(Heinkel)He115V-4水上偵察機試作機4号機V4(Heinkel He115V-4)D-AHME:1938年5月に初飛行した量産型の原型(production prototype)。双フロートの下に地上での移動がしやすいように車輪付き台座を装備している。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43936049 - Catalog:16_005296 - Title:Heinkel,He 115V-4 Nowarra photo - Filename:16_005296.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, PictionID:43936049引用。


1935年、ドイツ航空省(Reichsluftfahrtministerium: RLM) は、偵察哨戒、対艦船攻撃に使用できる双発の多用途水上機の要望をメーカーに出した。この競争試作に応じたハインケル社は、ハインケル(Heinkel)He 115を開発し、1937年8月にHe115V1 試作1号機を成功裏に初飛行させた。良好な性能だったために、競争試作に応じたハンブル航空Ha 140水上機との比較に勝ち、採用が決まった。BMW132空冷星形9気筒エンジン2基を装備したHe115双発水上機は、まず試作機10機が発注された。


写真(右)1937年8月-1939年9月以前,飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 115V1 試作1号機(登録コード:D-AEHF)の下面
: akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, See Mehrzweckflugzeug Heinkel He 115, D-AEHF Nr. 10.539.234 Zustand, siehe Scan ca 14 cm X 9 cm
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe引用。

1935年、ドイツ航空省(Reichs-luftfahrt-ministerium: RLM) が発注した双発の多用途水上機の競争試作の条件は、偵察哨戒、対艦船攻撃に使用できることだった。ハインケル(Heinkel)He 115V1 試作1号機(登録コード:D-AEHF)は、水上雷撃機として利用できる機体だった。


写真(右)1937年8月-1939年9月以前,飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 115V1 試作1号機(登録コード:D-AEHF)の下面
: akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, See Mehrzweckflugzeug Heinkel He 115, D-AEHF Nr. 10.539.234 Zustand, siehe Scan ca 14 cm X 9 cm
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe引用。

ハインケル(Heinkel)He 115V1 試作1号機は、1937年8月に初飛行、同時期に試作が完成したHa 140水上機を抑えて採用が決定した。さらに試作機10機が生産された。He 115は、対艦船攻撃用に、航空魚雷LTF 5あるいはLTF 6bを1本、あるいはSD 500 500 kg 爆弾か SC 250 250 kg爆弾を搭載することができた。後に、ハインケル(Heinkel)He 115は、空中投下式磁力機雷LMB III あるいは LMAを搭載し、機雷敷設にも使用された。


写真(右)1937年8月-1939年9月以前,飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 115V1 試作1号機(登録コード:D-AEHF)の後上方
: 完成したばかりの機体で、後の改造型とは、(1)胴体上の風防が前方のみで短い。(2)フロートから胴体に上る搭乗員用の昇降梯子がない。akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている。
Foto Flugzeug, Heinkel He 115, Wasserflugzeug, D-AEHF Nr. 10.436.303 Foto, keine Ak, ca 17 cm x 12 cm, Zustand, siehe Scan
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe引用。

1937年8月に初飛行のハインケル(Heinkel)He 115 V1 試作1号機(登録コード:D-AEHF)の原型の特徴は、後の試作機改造型と比較して次の2点が異なっている。
(1)胴体上の風防は前方のみで短い。
(2)フロート後方から胴体に上る搭乗員の昇降用梯子は設置されていない。

写真(右)1938年、ドイツのハインケル(Heinkel)He 115V1 protype 水上雷撃機試作1号機(登録コード:D-AEHF);1935年、ドイツ航空省(Reichs-luftfahrt-ministerium: RLM) が発注した双発の多用途水上機で、偵察哨戒、対艦船攻撃に使用できることが求められた。
Collectie Foto Technische Dienst Luchtvaartafdeeling
Beschrijving Prototype van een Duitse Heinkel He 115, een drijvervliegtuig voor het afwerpen van torpedo's.
Datering van 1938 Datering tot 1938
Trefwoorden Foto Technische Dienst Luchtvaartafdeeling, Luchtvaartafdeeling, Heinkel, prototypen, productontwikkeling
Specifieke kenmerken D-AEHF Copyright CC-BY-4.0
写真は Nederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Objectnummer 2011-1627 引用。


ハインケル(Heinkel)He 115 V1 試作1号機(登録コード:D-AEHF)の原型は、1937年8月に初飛行したが、その直後に、次のような改造を施されている。この改造は、有用と判断され、生産型にも引き継がれることになった。
(1)胴体上のガラス風防が前方から後方まで長くなりコックピットの容積が増加した。
(2)双浮舟フロート後部から胴体に搭乗員の昇降用梯子が掛けられた。


写真(右)1935年3月-1939年9月以前,,波の高い港湾堤防上空を3機編隊で飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 115 水上偵察機
:撮影位置が、海面近くなので、プロパガンダ用の合成写真であろう。 akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Heinkel He 115, Seemehrzweckflugzeug Nr. 3.255.998 Zustand, siehe Scan ca 9 cm X 14 cm
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・He 115, Handelsschiff mit Tarnanstrich引用。

ヒトラー政権になっても、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、ドイツ機の尾翼に描いて、国籍マークとしていた。

しかし、1935年、ヒトラーの再軍備宣言後、第一次世界大戦の撃墜王ヘルマン・ゲーリングの下、ドイツ空軍が設立されると、ドイツ軍機は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ(ナチ党のカギ十字)の国籍マークを採用した。

スワスチカは、ナチ党のイデオロギー、政治思想を軍人にまで浸透させることを反映したもので、軍人の忠誠宣言がドイツに対してでは、ヒトラーに対する忠誠を誓うものと変更されたのと同じ動機である。

また、高速の機体の国籍、敵味方の認識をしやすくするため、機体・主翼の上下にも、白の縁取り付きの黒色鉄十字の国章を追加した。

写真(右)1938-1939年,ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 115C-1 水上偵察機 :BMW 132K空冷星形9気筒エンジン960hp2基を装備、機首に7.92ミリMG15旋回機関銃1丁(弾数525発)のほかに、機首下面にも固定式の15.1ミリMG151機関銃1丁を搭載している。沿岸に設けられた水上機基地で問口に引揚げるランプの端に台座を置き、その上に駐機している。胴体後方の鉄十字(バルカンクロス)の国籍マークは、白色で描かれていて、コード番号同様に目立つために、うえから迷彩色で塗って消されている。
SDASM Archives PictionID:43936121 - Catalog:16_005302 - Title:Heinkel He 115C-1 Nowarra photo - Filename:16_005302.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, PictionID:43936121引用。


ドイツ空軍Ju88A4 1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、激しい航空戦が展開され、敵の空襲も予期する必要があったため、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)は敵から発見されやすいいとして、取りやめになった。その代わり、ナチ党のイデオロギーを示す国章として、尾翼に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。

ハインケルHe 60 のような旧式水上偵察機は、第一線で活動してはいないはずだが、このような古い機種についても国政マークの変更を行っている。後に、白渕が目立ちやすいとして、黒のスワスチカ、鉄十字の白の縁取りは廃されている。

写真(右)1940年夏,ベルギー、フランス、給油中のハインケルHe 115水上偵察機:左手前のドラム缶には航空燃料が入っていて,そこからパイプを使って,主翼付け根にある給油口に燃料を送っている。1937年試作機完成,1939年より138機生産。右奥にある単発水上機は,アラドAr-196偵察機。
Belgien, Frankreich.- Betanken eines Wasserflugzeugs Heinkel He 115; KBK Lw 3 Dating: 1940 Sommer Photographer: Jütte撮影。 Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


カール・デーニッツ 1937年、第二次世界大戦勃発2年前、ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーErich Raeder)提督は、国防軍総司令官ブロンベルク元帥に対して、沿岸防衛の範囲に関して、ドイツ海軍とドイツ空軍との分担の取り決めを依頼したが、実際に海軍と空軍の責任範囲について協定文書がまとまったのは、戦争直前の1939年2月3日だった。

これは、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)を置き、戦時には海軍司令部空軍代表を海軍総司令官の指揮下に行動するというものである。しかし、ドイツ近海を離れた海上は、ドイツ空軍の責任範囲で、ドイツ海軍が作戦行動を行う場合のみ、ドイツ海軍がハインケル(Heinkel)He 115のような機体で哨戒偵察の責任を負うとした。また、水上艦艇同士の海戦、航空機による機雷敷設については、海軍と空軍の合意のもとに、実施するとした。

しかし、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督の指揮する潜水艦Uボートは、当時、レーダーを搭載しておらず、船団攻撃のためには、空中哨戒偵察が効果的であると考えられた。

写真(右)1939-1941年頃、ドイツのハインケル(Heinkel)飛行機工場で生産中のハインケルHe 115水上機と後方の3機のハインケルHe111爆撃機;ドイツ北部、バルト海に面したマリーエンエーエ (Marienehe)にハインヘル飛行機工場があったが、この対岸はスウェーデンで、1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍創設の前から、ベルサイユ条約の軍備制限条項を密かに掻い潜って、ハインケルはスウェーデンで軍用機を開発していた。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht
Beschrijving Fabriekshal met op de voorgrond een werknemer die werkt aan een motor van vermoedelijk een Heinkel He 115 watervliegtuig. Op de achtergrond de produktie van zeker 3 Heinkel He 111 bommenwerpers.
Trefwoorden Heinkel, vliegtuigbouw, industrie, vliegtuigmotoren, motoren
Vervaardiger Onbekend
Copyright NIMH
写真は Nederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Objectnummer 2157_008372 引用。


1941年1月になって、潜水艦の交通破壊戦を支援するための長距離海上偵察部隊として、フォッケウルフFw200コンドルCondor)を配備した第40爆撃航空団の一部をドイツ海軍総司令官の指揮下に置くことが提言された。

ドイツ潜水艦Uボート ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)国家元帥は、航空兵力は全て空軍に所属するとの原則を強硬に主張し 海上哨戒偵察部隊は、ドイツ空軍が大西洋航空司令部の隷下として、潜水艦Uボート部司令部と協力することとなった。こうして、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)は、指揮権のない空軍の連絡絡官・副官のような存在となった。1941年12月、ドイツ海軍は艦載水上偵察機を除いたハインケル(Heinkel)He 115のような航空兵力の指揮も行ったが、形式的な指揮権は空軍の指揮下に入れ、海上作戦における航空兵力の指揮権は、ドイツ空軍が独占する形となった。

写真(右)1939-1940年,ハインケル飛行機工場で生産中のハインケルHe 115水上偵察機とHe 111 P-4爆撃機(手前):生産ラインの手前のハインケルHe111爆撃機のすぐ後ろに双発水上偵察機He-115の生産ラインがある。水上偵察機Heinkel He 115は全金属製で、アメリカのプラット&ホイッ トニー社ホーネットエンジンをコピーしたBMW132エンジンを搭載した双発機である。試作機は1937年8月に完成。ドイツ軍だけでなく、ノルウェー、スウェーデンも採用したために、ドイツのノルウェー侵攻では、両軍が同じHe-115で戦うことになった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-774-0011-34 Archive title: Reichsgebiet.- Bau des Bombers Heinkel He 111 P-4 (vorne NA+IU, Werksnummer 2922), dahinter Wasserflugzeug Heinkel He 115 im Bau (u.a. GA+CR); PK F.W. Dating: 1939/1940 ca. Photographer: Hubmann, Hanns Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-774-0011-34引用(他引用不許可)。


ドイツ潜水艦Uボート アメリカ、イギリス、オランダ、日本、イタリアのような海洋国は、飛行艇や水上機を多用したが、軍用飛行艇・水上機は、一般的に海軍の所属だった。しかし、ドイツでは、飛行機の所管は、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥の支配下に置かれたために、ドイツ軍の基地航空隊所属の飛行艇、ハインケル(Heinkel)He 115のような水上機の多くは、空軍の隷下に置かれ、海軍艦艇、潜水艦Uボートとの連携、特に海上破壊作戦には不都合な面があった。ドイツ海軍の航空機は、巡洋艦以上の大型艦船が搭載する艦載水上機に限られた。

写真(右)1940年,クレーンでつり上げられたハインケルHe 115-B水上偵察機:フロートの形状がよくわかる。胴体コックピット後方とフロート船尾の間には、背後が装着されているが、これは搭乗員がコックピットに昇降するための使用する。
A German Heinkel He 115B seaplane of 1./Küstenfliegergruppe 206 on a crane. Date 1940年 Source Royal Air Force Battle of Britain campaign diaries [1] photo [2]
写真は,Commons:WikiProject Aviation/recent uploads/2012 April 21-30引用


ドイツ語「U-Boot(ウーボート:Unterseeboot)」とは、水面下の艦船の意味で、狭義には、ドイツ海軍の潜水艦を意味する。英語でもU-Boat(ユーボート)といわれるが、これも第一次世界大戦および第二次世界大戦でイギリス本土を封鎖しようとした敵国ドイツ海軍の潜水艦を指示している。

Fw200コンドル ドイツ海軍の潜水艦Uボートは、ハンブルクを中心としたブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)など造船所で建造され、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(Befehlshaber der U-Boote: BdUカール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督の指揮下に置かれた。第二次大戦当初、レーダーを搭載しておらず、目標とする敵艦船を目視によって発見するしかなかった。また、海面上5メートルもない潜水艦の艦橋からの視界は限られており、敵発見は天候・気象にも依存した困難な任務だった。

 敵艦船発見を容易にするため、潜水艦の目となるような航空機によって、洋上哨戒偵察をすることが考えられた。しかし、ドイツでは空飛ぶ兵器、軍用機はみなドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)の指揮下に置くという原則があった。そのため、ドイツ海軍航空隊は、海軍艦艇に搭載する偵察用艦載水上機程度しか保有を許されなかった。

その後、1941年3月にはドイツ空軍第三航空軍の下に、大西洋司令部(Fl.F.Atlantic) が置かれ、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(Befehlshaber der U-Boote: BdU)と連携して、ハインケル(Heinkel)He 115水上基地航空部隊や洋上航空部隊の作戦が展開されるようになった。

Fw200コンドル フォッケウルフFw200コンドル哨戒爆撃機の諸元
乗員: 5名
全長: 23.46 m
全幅: 32.86 m
全高: 6.30 m
全備重量: 22,700 kg
発動機: ブラモ323Rファフニル 空冷星型9気筒エンジン1,200 hp 4基
最高速力: 360 km/h
航続距離: 3,550 km
武装
7.92 mmMG15旋回機関銃 4挺
20 mmMG151/20旋回機関銃 1挺
爆弾 5,400 kg

特に長距離偵察哨戒機フォッケウルフFw200コンドルを配備した第40爆撃航空団第1飛行隊(I/KG40)は、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督隷下の潜水艦Uボートと連携した交通破壊戦に参加し、大きな戦果を挙げた。

写真(右)1938年頃,ノルウェーがドイツ、ハインケル社から購入したハインケル(Heinkel)Heinkel HE 115 A.水上偵察機 (Fly nr 60):沿岸に設けられた水上機基地の沖合をタキシングしている。胴体コックピット後方とフロート船尾の間には、搭乗員がコックピットに登るための梯子が固定されている。
Heinkel He 115 A.2 = Fly nr 60. Part of collection MMU Owner of collection Marinemuseet Institution Forsvarets museer Date published November 20, 2014 Date updated November 20, 2014 DIMU-CODE 021015534239
写真は,Forsvarets museer Marinemuseet , Identifier: MMU.941835引用。


ノルウェー軍がドイツのハインケル社から購入したハインケル(Heinkel)He 115 A 水上偵察機は、ノルウェー軍に配備された。その際に、国籍識別マ―クとして、主翼の両端および垂直尾翼後端に、外側から赤白青の順に、ノルウェー国旗と同じ、記章が描かれた。しかし、胴体後方、主翼上面・下面に、これ以外に国籍惜別マークは描かれておらず、他の諸国の軍用機の塗装とはかなり異なった印象を受ける。

写真(右)1939-1940年,ノルウェーがドイツ、ハインケル社から購入したハインケル(Heinkel)He115 A-2水上偵察機(Reg. nr.: 52) :沿岸に設けられた水上機基地で問口に引揚げるランプの端に台座を置き、その上に駐機している。胴体後方下面には、整備員らしい多数の人員が集まっている。コックピットの上には、帰投用の環状ループアンテナが装備されている。垂直尾翼後端に、外側から赤白青の順に、ノルウェー国旗と同じ、国籍識別マ―クが描かれている。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 43936061 - Catalog: 16_005297 - Title: Heinkel He 115 A-2 for Norway Nowarra photo - Filename: 16_005297.TIF.
写真は,SDASM Archives, PictionID: 43936061引用。


ハインケル(Heinkel)He 115双発水上機の装備したBMW132空冷星形9気筒エンジンは、アメリカのプラット&ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1690空冷星形9気筒ホーネット(Hornet)をドイツのBMWが1928年にライセンス取得して、製造に移った信頼性ある発動機である。

写真(右)1939-1940年,ノルウェー中部、ボドー、ノルウェーがドイツ、ハインケル社から購入したハインケル(Heinkel)He115 A-2水上偵察機 :沿岸に設けられた水上機基地の大型ハンガーに、浮舟(フロート)下に陸上移動用の車輪を装着した状態で格納されている。主翼下面に、外側から赤白青の順に、ノルウェー国旗と同じ、国籍識別マ―クが描かれているのが分かる。
1 fly på bakken, ant. inne i hangar, Heinkel He 115 (N) A 2. Litt av annet fly t.h., dobbeldekker. 2 personer
Aksesjon 1998 Informant Bodø Luftfartshistoriske Forening Giver/siste eier Ebeland, Bjørn E.
Fotografering 1939 - 1940
Produsent Egeland, Knut sikker Production place Bergen Hordaland Flatøya sikker Aksesjon 1998
Copies 1 Positivkopi, svart/hvitt, Arkivkopi
Part of collection Norsk Luftfartsmuseum
Owner of collection Norsk Luftfartsmuseum
Institution Norsk Luftfartsmuseum
Date published December 18, 2014 Date updated December 18, 2014
DIMU-CODE 021015696991
UUID AFC7B792-B44D-46AF-85AD-BF0F0F032897
写真はForsvarets museer ,Norsk Luftfartsmuseum, Identifier NL.98080001 引用。


ハインケル(Heinkel)He-115水上偵察機の諸元
全長 17.3メートル,全幅 22.3メートル
搭載量 1トン
全備重量 1.1トン
発動機: BMW132空冷星形9気筒エンジン960馬力2基
最高速力 320キロ
航続距離 2800キロ
兵装:7.92ミリMG17機銃4丁,爆弾1トンあるいは航空魚雷1本
搭乗員: 3名

写真(右)1939-1940年,ノルウェー中部、ボドー、ノルウェーがドイツ、ハインケル社から購入したハインケル(Heinkel)He115 A-2水上偵察機 :主翼前縁および垂直尾翼後端に、赤白青の順に、ノルウェー国旗と同じ色彩で、国籍識別マ―クが描かれているのが見て取れる。
Ett fly på vannet, Heinkel He 115. Produsentland: Tyskland. Tekn. data: motor: 2x 960 hk BMV 132 K. Vingespenn: 22,275 m. Lengde: 17,3 m. Høyde: 6,6 m. Maks TO vekt: 9 345 kg. Maks hast.: 315 km/t.
Giver/siste eier:Thelle, Thorstein sikker Fotografering:1939 - 1940
Copies:1 Positivkopi, svart/hvitt, Arkivkopi1 Negativ, svart/hvitt, Arkivkopi Identifier:NL.05160207 Part of collection:Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection:Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:November 21, 2014 Date updated:December 18, 2014 DIMU-CODE:021015552134
写真はForsvarets museer ,Norsk Luftfartsmuseum, Identifier:NL.05160207 引用。


He-115は,飛行艇ではなく,発進・降着用にフロート(浮舟:ふしゅう;フロート)を2本を装備した水上偵察機で,雷撃装備も可能だった。機首の下に20ミリ機銃を搭載した銃撃型もある。
戦前,スウェーデン,フィンランド,ノルウェーにも輸出された。

1988年,ノルウェーのベルゲン海底で戦時中に沈んだHe-115水上偵察機(機体番号S4+EH)が破損した状態で発見された。

写真(右)1939-1940年,ノルウェー中部、ボドー、ノルウェーがドイツ、ハインケル社から購入したハインケル(Heinkel)He115 A-2水上偵察機 :双フロートの後端から、胴体上のコックピット迄、搭乗員昇降用の梯子が固定されている。この昇降用梯子は、左右双方に装着されているので、フロートを支える骨格構造の一翼をなしていることが分かる。垂直尾翼後端に、赤白青の順に、ノルウェー国旗と同じ色彩で、国籍識別マ―クが描かれているのが見て取れる。
1 fly på bakken, ant. inne i hangar, Heinkel He 115 (N) A 2. Litt av annet fly t.h., dobbeldekker. 2 personer
Aksesjon 1998 Informant Bodø Luftfartshistoriske Forening Giver/siste eier Ebeland, Bjørn E.
Fotografering 1939 - 1940
Produsent Egeland, Knut sikker Production place Bergen Hordaland Flatøya sikker Aksesjon 1998
Copies 1 Positivkopi, svart/hvitt, Arkivkopi
Part of collection Norsk Luftfartsmuseum
Owner of collection Norsk Luftfartsmuseum
Institution Norsk Luftfartsmuseum
Date published December 18, 2014 Date updated December 18, 2014
DIMU-CODE 021015696991
UUID AFC7B792-B44D-46AF-85AD-BF0F0F032897
写真はForsvarets museer ,Norsk Luftfartsmuseum, Identifier NL.98080001 引用。


ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機 ハインケル(Heinkel)He115水上偵察爆撃機の搭載した
発動機BMW132空冷星形9気筒エンジンの諸元

気筒ボア:155.5 mm
気筒ストローク:162 mm
排気量:27.7 L
全長:1,256 mm
エンジン直径:1,372 mm
重量525 kg
過給機:機械式1速・燃料直接噴射
出力:865 hp
回転数: 2,450 rpm
出力重量比:1.83 hp/kg

BMW132空冷星形9気筒エンジンの原型は、1928年1月にBMWがアメリカからライセンス生産の権利を取得して製造したプラット&ホイットニー社R-1690 ホーネット空冷星形9気筒エンジンである。BMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載した機体は、ユンカースJu52/3m輸送機、ヘンシェルHs 123襲撃機、ハインケルHe114水上機、ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機、アラドAr196水上偵察機など第二次世界大戦の緒戦から活躍していた機体である。

写真(右)1938-1940年、ノルウェー、ドイツから購入したハインケル(Heinkel)HE 115 A-2水上偵察機(Fly nr 60):水上機を陸上に引揚げられるように、海と接したランプは傾斜がついている。沿岸に設けられた水上機基地の大型ハンガーに、浮舟(フロート)下に陸上移動用の車輪を装着した状態で格納されている。
左右主翼・垂直尾翼後端に、赤白青の順に、ノルウェー国旗と同じ色彩で、国籍識別マ―クが描かれているのが見て取れる。
Part of collection:MMU Owner of collection:Marinemuseet Institution: Forsvarets museer Date published:November 20, 2014 Date updated:November 20, 2014
写真は Forsvarets museer Identifier:MMU.941838引用。


ヘンシェル Hs123A プラット&ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1690空冷星形9気筒ホーネット(Hornet)エンジンの諸元

排気量Displacement: 1,680.5 立方インチ(cu. in.);27.7 L 全長:1,295 mm
直径:1,382 mm
重量Weight: 1,014 ポンド(lbs.)
出力Power Output: 525ー875 hp
生産期間:1927年ー1942年
生産台数:2,944基

R-1690空冷星形9気筒ホーネットを搭載したアメリカでは、ロッキード L-18 ロードスター双発輸送機、シコルスキー S-42大型旅客飛行艇、ボートO2Uコルセア複葉機など。

写真(右)1939年5月7日から1940年2月5日,ノルウェーがドイツ、ハインケル社から購入したハインケル(Heinkel)He115 A-2水上偵察機(Reg. nr.: 52) :沿岸に設けられた水上機基地に接岸したところ。水上機を陸上に引揚げられるように、海と接したランプは傾斜がついている。
1 fly, Heinkel He 115 (N) A 2, skrått forfra. Taues inn på land. Produsentland: Tyskland. Reg. nr.: 52. Serienr.: 119.
Tekn. data: Motor: 2x 960 hk BMW 132K. Vingespenn: 22,275 m. Lengde: 17,3 m. Htøyde: 6,6 m. Maks TO vekt: 9 345 kg. Maks hast.: 315 km/t. Historie: Brukt av Marinens Flyvåpen 5/7-1939 - 2/5-1940.
Fløyet til Storbritannia 2/5-1940. Overtatt av RAF som BV186 24/9-1940.Copies 1 Positivkopi, svart/hvitt, Arkivkopi Identifier NL.98080002 Part of collection Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection Norsk Luftfartsmuseum Institution Norsk Luftfartsmuseum Date published December 18, 2014 Date updated December 18, 2014 DIMU-CODE 021015696992
写真はForsvarets museer,Marinemuseet, Foto-nummer 98080002 引用。


ノルウェーは、1937年8月に初飛行し、偵察など多用途に使えるハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機7機を購入した。これらの機体は、 第二次世界大戦時にはノルウェー海軍に配備され、1940年4月のドイツのノルウェー侵攻時に、ドイツ軍との戦いに投入された。

写真(右)1939年5月7日から1940年2月5日,ノルウェーがドイツ、ハインケル社から購入したハインケル(Heinkel)He115 A-2水上偵察機(Reg. nr.: 52) :主翼に、赤白青の順に、ノルウェー国旗と同じ色彩で、国籍識別マ―クが描かれている。双フロートの後端から、胴体上のコックピット迄、搭乗員昇降用の梯子が固定されている。この昇降用梯子は、左右双方に装着されているので、フロートを支える骨格構造の一翼をなしていることが分かる。
Ett fly på bakken, Heinkel He 115 med flotørrer. Flere sjøfly i bakgrunnen på vannet.
Giver/siste eier: Thelle, Thorstein sikker Fotografering: 1939 - 1940 Copies:1 Positivkopi, svart/hvitt, Arkivkopi1 Negativ, svart/hvitt, Arkivkopi Identifier: NL.05160146 Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published: November 21, 2014 Date updated: December 18, 2014
写真はForsvarets museer ,Norsk Luftfartsmuseum , Identifier:NL.05160146 引用。


ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、大型の水上機のため、フロートの後方から胴体上部コックピットに搭乗員が出入りするために、昇降用の梯子が取り付けられている。この昇降用梯子は、フロートの左右双方の後端から伸びており、ハインケル(Heinkel)He 115水上機のフロートを支える骨格構造の一部となっている。

写真(右)1939-1940年,ノルウェー中部、トロモス沖をタキシングするノルウェーがドイツ、ハインケル社から購入したハインケル(Heinkel)He115 A-2水上偵察機 :沿岸に設けられた水上機基地の大型ハンガーに、浮舟(フロート)下に陸上移動用の車輪を装着した状態で格納されている。
Sjøfly, propellfly, ute på fjorden. 2 personer står på flyskroget. Fjell bak. Marinens Flystasjon, 3.Flyavdeling Tromsø 1937-1940
Fotografering:1940 Eier: Forsvaret sikker Avbildet sted: Tromsø Troms Skattøra
Copies:1 Negativ, svart/hvitt Part of collection:Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection:Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:December 18, 2014 Date updated:March 28, 2016
写真はForsvarets museer ,Norsk Luftfartsmuseum, Identifier:NL.97150005 引用。


ハインケル(Heinkel)He115水上機が搭載したBMW132空冷星形9気筒エンジンは、気筒ボア155.5 mm、気筒ストローク162 mm、排気量27.7 L、全長1,256 mm、直径1,372 mm、重量525 kg、機械式1速の過給機で直接噴射、出力865 hp、回転数 2,450 rpm、出力重量比1.83 hp/kgの信頼性あるエンジンで、アメリカのプラット&ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1690空冷星形9気筒ホーネット(Hornet)をライセンス生産したものだった。

写真(右)1939-1940年,ノルウェー、水上滑走するノルウェー軍のハインケル(Heinkel)He 115 (N) A 2.水上偵察機(Reg. nr.: 52):沿岸に設けられた水上機基地から発進し、フィヨルドの海上をタキシングする。主翼の両端には、赤白青のノルウェー国旗と同じ、国籍識別マークが描かれている。
1 fly i sakte fart på havoverflata, Heinkel He 115 (N) A 2. Land i bakgrunnen.
Fotografering 1939 - 1940 Produsent Egeland, Knut sikker Production place Bergen Hordaland Flatøya sikker Aksesjon 1998 Informant Bodø Luftfartshistoriske Forening Giver/siste eier Ebeland, Bjørn E. Copies 1 Positivkopi, svart/hvitt, Arkivkopi Part of collection Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection Norsk Luftfartsmuseum Institution Norsk Luftfartsmuseum Date published December 18, 2014 Date updated December 18, 2014 DIMU-CODE 021015696997
写真はForsvarets museer ,Norsk Luftfartsmuseum , Identifier NL.98080007 引用。


写真(右)1939-1940年,ノルウェーがドイツ、ハインケル社から購入したハインケル(Heinkel)He115 A-2水上偵察機 :沿岸に設けられた水上機基地で問口に引揚げるランプの端に台座を置き、その上に駐機している。胴体コックピットには、整備員が集まって作業をしている。主翼の両端および垂直尾翼後端には、赤白青のノルウェー国旗と同じ、国籍識別マークが描かれている。
1 fly på bakken, Heinkel He 115 (N) A 2, skrått bakfra. 3 personer i arbeid med flyet. Bygninger rundt. Fotografering 1939 - 1940 Produsent Egeland, Knut sikker Production place Bergen Hordaland Flatøya sikker Aksesjon 1998 Informant Bodø Luftfartshistoriske Forening Giver/siste eier Ebeland, Bjørn E Copies 1 Positivkopi, svart/hvitt, Arkivkopi Part of collection Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection Norsk Luftfartsmuseum Institution Norsk Luftfartsmuseum Date published December 18, 2014 Date updated December 18, 2014 DIMU-CODE 021015697001
写真はForsvarets museer ,Norsk Luftfartsmuseum, Identifier NL.98080011 引用。


ユンカースJu87 1940年4月9日、ドイツ軍はデンマークとノルウェーに侵攻、理由は、スウェーデンの鉄鉱石を不凍港ナルビクNarvik)を通じて安定して輸入するためだったが、イギリスがノルウェーの機雷封鎖や保障占領を企図していることもあった。

このノルウェー侵攻「ウェーゼル演習作戦」では、四発大型旅客輸送機ユンカースJu-90が、オスロに兵員を輸送した。デンマークは侵攻初日の4月9日、国王クリスチャン10世Christian 10)、デンマーク政府が即座に降伏したが、ノルウェーは、イギリス軍の支援を受けて、激しく戦った。

しかし、ドイツ軍のフランス侵攻で、1940年5月下旬にはフランスの危機、イギリスの孤立化が確実になったため、ノルウェーの連合軍は6月に撤退した。ノルウェーには、傀儡ヴィドクン・クヴィスリングVidkun Quisling)政権が樹立され、ドイツ海軍潜水艦Uボートの基地やハインケル(Heinkel)He 115の沿岸水上機基地が設けられた。

写真(右)1940年4月8日,ノルウェー中部、ソール・トロンデラーグ県トロンハイム、フィヨルドを水上滑空するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)Heinkel HE 115 水上偵察機
Description TRONDHEIM, NORWAY, 1940-04-08. A HEINKEL 115, TWIN ENGINED TORPEDO OR MINE LAYING SEAPLANE OF THE GERMAN AIR FORCE TAXIIING FOR A TAKE OFF. THIS AIRCRAFT HAS BEEN ASSIGNED TO THE NAZI FORCE INVADING NORWAY FOR RECONNAISSANCE WORK RATHER THAT FOR THE PURPOSE FOR WHICH THE AIRCRAFT WAS DESIGNED.
Places Europe: Norway, Trondheim Collection type Photograph Object type Black & white - Film polyester negative Maker Schroeder Conflict Second World War, 1939-1945
写真は,Australian War Memorial, Accession Number 042637 引用。


写真(右)1940年4月8日,ノルウェー中部、ソール・トロンデラーグ県トロンハイム、フィヨルドの海面上を飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)Heinkel HE 115 水上偵察機
Description TRONDHEIM, NORWAY, 1940-04-08. A HEINKEL 115, TWIN ENGINED TORPEDO OR MINE LAYING SEAPLANE OF THE GERMAN AIR FORCE TAKING OFF ON A RECONNAISSANCE FLIGHT. ALTHOUGH THIS AIRCRAFT IS NOT DESIGNED FOR RECONNAISSANCE WORK, THE NECESSITY FOR LONG-RANGE RECONNAISSANCE FLIGHTS HAS MADE THIS AIRCRAFT INVALUABLE TO THE NAZI FORCES INVADING NORWAY.
Places Europe: Norway, Trondheim Collection type Photograph Object type Black & white - Film polyester negative Maker Schroeder Conflict Second World War, 1939-1945
写真は,Australian War Memorial, Accession Number 042638引用。


写真(右)1940年,ノルウェー中部、ソール・トロンデラーグ県トロンハイム、フィヨルドで待機しているドイツ海軍軽巡洋艦「ニュルンベルク」と多数のハインケル(Heinkel)Heinkel HE 115 水上偵察機:1933年11月4日にドイチェ・ヴェルケで起工されたドイツ海軍軽巡洋艦「ニュルンベルク」は、1934年12月8日進水、1935年11月2日就役、排水量 9,040 トン、全長 181.3 m、全幅 16.30 m、吃水 5.74 m、 航続距離 10ノットで3,900マイル、 15センチ60口径三連装3基、8.8センチ76口径連装高射砲4基8門、53センチ(21インチ)三連装魚雷発射管4基、艦載機:アラドAr-196水上偵察機2機。
Tyske sjøfly og krysser i Ilsvika Intervju og fotostatkopi av album finnes på TF. Se FTTF 54613. "Tyske sjøfly ligger i Ilsvika på flottør. I bakgrunnen sees et orlogsfartøy - "Hipper"?. Tatt fra Steinberget."
Tilleggsinfo (Jørn Nikolaysen): Heinkel He 115 sjøfly og sansynligvis krysseren Nürnberg
1) - Kommentar fra www.digitaltmuseum.no: Den tyske krysseren Nurnberg. Skrevet av: Espen Arnestad (08.12.2013)
2) - 'FTTF.054644' er kommentert av: Navn: Jørn Nikolaysen (02.03.2015) Flyene er av type Heinkel He 115 og tilhører sannsynligvis Küstenfliegergruppe 506.
Subject Tyske sjøfly og krysser i Ilsvika Avbildet sted Norge Sør-Trøndelag Trondheim Ila Ilsvika
Part of collection Trøndelag Folkemus Owner of collection MIST Institution Sverresborg Trøndelag Folkemuseum Date published March 18, 2014 Date updated November 22, 2017 DIMU-CODE 011012872890
写真は,Forsvarets museer Trøndelag Folkemuseum , Identifier FTTF.054644 引用。


1940年4月9日,イギリス軍に先んじて,ドイツ軍がノルウェーに侵攻,その後,4月14日,トロンヘイムに英仏軍,ポーランド軍の連合軍1万2000名を上陸させた。ナルヴィクにも,4月20日に連合軍3万名を上陸させた。1940年5月10日,ドイツ軍のベルギー,オランダに侵攻に直面して,連合軍はナルヴィクを撤退。

1937年5月28日からイギリス首相を務めてきたアーサー・ネヴィル・チェンバレン (Arthur Neville Chamberlain)は,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,1940年5月10日に首相を辞任したが、この日は、ドイツ軍による西方侵攻、ベルギー・オランダ・フランスへの攻撃が始まった時だった。未曽有鵜の難局に直面したイギリスでは、戦時挙国一致内閣として,1940年5月10日、チャーチル(Winston Churchill)がイギリス首相に就任した。

写真(右)1940年頃、西部戦線、オランダ、飛行中のドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 C-1水上偵察機(登録コード:VF+UY、製造番号 WNr 3252) ;この機体は、試験飛行中なのか、防御用火器を搭載していない。ドイツは、イギリス本土航空決戦のために、北フランスから、ベルギー、オランダンの沿岸部に航空兵力を展開した。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Luchtmacht, Vliegtuigen
Bijschrift Unsere Wehrmacht. Eine Heinkel He 115 im Wolkenmeer. Type Foto
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 43333 引用。


ハインケル(Heinkel)He 115水上機は、対艦船攻撃用に、航空魚雷LTF 5(760 kg)かLTF 6bを1本、あるいはSD 500爆弾(500 kg)か SC 250爆弾(250 kg)を搭載したが、後に、航空機雷LMB III あるいは LMAを搭載し、空中機雷敷設の任務にも投入された。

写真(右)1940年10月、オランダ、オランダ、オランダ軍が採用したハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機と連絡用の小型舟艇
Collectie NIOD
Trefwoorden Kriegsmarine, Legerbases, Luftwaffe, Vliegtuigen Locatie Naam: Nederland Land: Nederland
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam. Het originele bijschrift luidt: 'Bootfahrt'. Een watervliegtuig bij Fliegerhorst Schellingwoude. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Type Foto Periode oktober 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher Gebruiksrechten NIOD
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 152115引用。


ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、1937年8月の初飛行で、生産数138機のみだが、最前線の新鋭機ではない。そのためか、宣伝用のPK写真が比較的豊富である。 ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、輸出や鹵獲を通じて、ブルガリア、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、イギリスなどが使用した。

写真(右)1940年10月、オランダ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機;この写真と上の写真はともに、ドイツ空軍(Luftwaffe)の宣伝用の写真で、カメラマンのKarl Rauscherが作成したオリジナルネガのコレクションに収められている。彼は、アムステルダムに1940年に数ヶ月間滞在した。元のキャプションには、「ボートに乗って」(Bootfahrt)と書かれている。水上飛行機に乗るためにボートで移動したドイツ空軍の搭乗員たち。この機体は、ドイツ海軍(Kriegsmarine)と連携して、海上の哨戒偵察のための支援を行った。また、空中投下機雷の敷設をしたり、海上に墜落した搭乗員の救助の任務にも就いた。アムステルダム東部の人工島(Zeeburg)は、戦時中、オランダにおける北海方面の海上作戦の基地としてに発展し、1945年まで、偽装も施されていた。
Collectie NIOD
Trefwoorden Kriegsmarine, Legerbases, Luftwaffe, Vliegtuigen Locatie Naam: Nederland Land: Nederland
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam. Het originele bijschrift luidt: 'Bootfahrt'. Een watervliegtuig bij Fliegerhorst Schellingwoude. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Type Foto Periode oktober 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher Gebruiksrechten NIOD
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 44709引用。


写真(右)1940年10月、オランダ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機;この写真と上の写真はともに、ドイツ空軍(Luftwaffe)の宣伝用の写真で、カメラマンのKarl Rauscherが作成したオリジナルネガのコレクションに収められている。彼は、アムステルダムに1940年に数ヶ月間滞在した。元のキャプションには、地名に因んで「シェリンブルテの部隊、1940年11月」 'Einsatz Schelinwoude, November 1940'と書かれている。
Collectie NIOD
Trefwoorden Kriegsmarine, Legerbases, Luftwaffe, Vliegtuigen Locatie Naam: Nederland Land: Nederland
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam. Het originele bijschrift luidt: 'Einsatz Schelinwoude, November 1940'. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Type Foto Periode november 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher Gebruiksrechten NIOD
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 152099引用。


枢軸軍の双フロート双発以上の水上機には、ハインケル(Heinkel)He 115のほかハインケルHe59救難機、イタリア軍のCASA RS.C14水上偵察機、カント Z.506 水上偵察爆撃機などがあり、いずれも飛行性能は、秀でているわけではないが、堅牢な構造で、使いやすい機体だった。

写真(右)1940年、西部戦線、ドイツ、飛行中のドイツのハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Vliegboten, Vliegtuigen
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Bijschrift Heinkel vliegboot, He 115. Type Foto
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 128引用。


ドイツ海軍航空隊は、艦船に乗せて運用する艦載水上機を指揮下に置いたものの、それ以外の航空兵力は、沿岸部に基地を設けたハインケル(Heinkel)He 115水上機や飛行艇ですらも直接指揮する権限がなかった。つまり、ドイツ海軍航空隊は、攻撃、偵察、哨戒に関して有効な航空支援を得ることが困難になった。このように、ドイツ海軍航空隊が弱体であったために、そのため、海軍艦艇、特に潜水艦Uボートとの連携支援が疎遠になる傾向があった。これはドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥が、飛行機と航空兵力は全て自分の隷下に置くことを主張したためである。そこで、イギリス本土の交通破壊戦や海上封鎖に、航空機による索敵、偵察が十分に行えないという欠点が露呈した。

写真(右)1940年、西部戦線、ドイツ、海上を滑走しているドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機;ドイツ海軍航空隊は、艦船に乗せて運用する艦載水上機を除いて、直接航空部隊を指揮する権限はなかった。そのため、海軍艦艇、特に潜水艦Uボートとの連携支援が疎遠になる傾向があった。これはドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥が、飛行機と航空兵力は全て自分の隷下に置くことを主張したためである。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Vliegboten, Vliegtuigen
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Bijschrift Heinkel vliegboot, He 115. Type Foto
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 129引用。


枢軸軍の双フロート双発以上の水上機にはハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機のほかハインケルHe59救難機、イタリア軍のフィアットCMASA RS.C14水上偵察機、カントZ.506 水上偵察爆撃機 などがあり、いずれも飛行性能は、秀でているわけではないが、堅牢な構造で、使いやすい機体だった。

写真(右)1940年、西部戦線、オランダ、ドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機;機首のガラス風防には、A銃座に7.92ミリMG15旋回機銃が装備されているのが明瞭にわかる。
Collectie NIOD
Trefwoorden Kriegsmarine, Legerbases, Luftwaffe, Vliegtuigen
Locatie Naam: Schellingwoude Land: Nederland
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam. Het originele bijschrift luidt: 'Flugzueg aufnamen'. Een watervliegtuig He 115 bij Fliegerhorst Schellingwoude. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Periode 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher Gebruiksrechten NIOD
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 152170引用。


写真(右)1940年、西部戦線、オランダ、アムステルダム、ドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機の機首側面ガラス風防と機首(A)銃座の7.92ミリMG15旋回機関銃;機首銃座は、体格のいい搭乗員にとっては、窮屈で、居住性は良くないように見えるが、ガラス風防に覆われているために、視界は十分に確保されている。
Collectie NIOD
Trefwoorden Kriegsmarine, Legerbases, Luftwaffe, Vliegtuigen
Locatie Naam: Gemeente Amsterdam Land: Nederland
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam. Het originele bijschrift luidt: 'Flugzueg aufnamen'. Een watervliegtuig He 115 bij Fliegerhorst Schellingwoude. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Periode 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 152172引用。


写真(右)1940年、西部戦線、オランダ、ハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機の機首と装備された7.92ミリMG15旋回機関銃;7.92ミリMG15旋回機関銃の下側にある金属製球形容器は、撃ち終わった薬莢を受けるもので、これがないと、機内に薬莢が散乱してしまう。
Collectie NIOD
Locatie Naam: Nederland Land: Nederland.
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam. Het originele bijschrift luidt: 'Flugzueg aufnamen'. Een watervliegtuig He 115 bij Fliegerhorst Schellingwoude. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Periode 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 152174引用。


写真(右)1940年、西部戦線、オランダ、アムステルダム、ドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機;周囲の状況から、上の2枚の写真と同じ場所にある同じ機体と思われる。胴体後方側面の白色の鉄十字、垂直尾翼のスワスチカ(カギ十字:卍)は目立ちすぎるためか、塗りつぶされている。
Collectie NIOD Trefwoorden Kriegsmarine, Legerbases, Luftwaffe, Vliegtuigen
Locatie Naam: Gemeente Amsterdam Land: Nederland
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam.
Het originele bijschrift luidt: 'Flugzueg aufnamen'. Een watervliegtuig He 115 bij Fliegerhorst Schellingwoude. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Periode 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 152175引用。



写真(右)1939年9月-1941年頃,敵輸送船を爆撃したドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 115 水上偵察機
:撮影位置が、海面近くなので、敵イギリス側の撮影した写真家か、あるいはプロパガンダ用の合成写真であろう。 akpool GmbH社、第三帝国の絵葉書ポストカードは、芸術、研究、啓蒙目的での使用が認められている・
Ansichtskarte / Postkarte Luftwaffe, Torpedoabwurf von einer Heinkel He 115, Handelsschiff mit Tarnanstrich Nr. 10.534.619 Zustand, siehe Scan, ungelaufen ca 14 cm X 9 cm
写真は、Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・He 115, Handelsschiff mit Tarnanstrich引用。

写真(右)1941年10月13日、西部戦線、オランダ、ドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機;フロート(浮舟)の間に艀を置いて、胴体下面に航空魚雷を搭載しようとしている。機首A銃座の7.92ミリMG15旋回機銃は、銃座を上方に回転させ、機首上面のハッチから乗り出した整備員が手入れをしている。
Beeldnummer 43394 Collectie NIOD
Trefwoorden Bommenwerpers, Luchtmacht, Vliegtuigen, Bommen
Bijschrift He 115, Type Foto
Datum 13/10/1941
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 43394 引用。


ドイツ空軍が1941年から使用しハインケル(Heinkel)He 115も搭載した代表的な航空魚雷LT I A1 F5bで、直径45センチ、全長 5.5メートル、蒸気駆動、速力40ノット、射程距離2000メートルだった。他方、ドイツ海軍は、潜水艦用に開発した電気魚雷TII G7eは、直径53.3センチ、全長7.1メートル、速力30ノット、射程距離5000メートルだった。

写真(右)1940-1944年,ノルウェー中部、ソール・トロンデラーグ県トロンハイム、フィヨルドで待機している2機のドイツ空軍ハインケル(Heinkel)Heinkel HE 115 水上偵察機
Heinkel 115, med flottører, antakelig ved Hommelvik.
Tilhører samling av fotografier tatt av ukjente tyske soladater under 2.verdenskrig. Bildene var sendt inn til framkalling og kopiering hos Harald Renbjørs fotoforretning i Levanger. Familen Renbjør dobbeltkopierte noen av fotografiene og beholdt en kopi selv. Dette var strengt ulovlig. Mest sannsynlig gjorde de dette av etterretningsgrunner for motstandsbevegelsen eller på eget initiativ. Fotografering 1940 - 1945 Ukjent tysk soldat.
Part of collection Levanger Fotomuseum Owner of collection Levanger Fotomuseum Institution Levanger Fotomuseum Date published October 15, 2014 Date updated March 16, 2018 DIMU-CODE 011015437715
写真は,Levanger Fotomuseum, Identifier LEM.018.20.06引用。


1939年の冬戦争で、フィンランド軍は、総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の下、数的に遥かに勝るソ連赤軍相手に善戦した。しかし、ドイツは、西方戦役の準備のため、1939年独ソ不可侵条約を順守し、スカンジナビア諸国からも、英仏からも軍事援助を受けることができず、孤軍奮闘するしかなかった。その結果、1940年3月12日、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)は、ソ連の領土要求を受け入れざるを得ず、フィンランドは降伏の道を選んだ。

写真(右)1941年8月24日、ソビエト連邦と戦う継承戦争時、枢軸国フィンランドの装備したドイツ製ハインケル(Heinkel)HE 115 A水上偵察機;ドイツからフィンランドに飛来、鹵獲したHe115水上偵察機を、フィンランド空軍が鹵獲し、第44飛行隊(LLv.44)に配属して輸送任務に投入した。
SA-kuvat ovat lisensoitu Nimeä 4.0 Kansainvälinen (CC BY 4.0) -lisenssillä ja ne ovat vapaasti käytettävissä ja julkaistavissa. Kuvat ovat nähtävissä myös www.sa-kuva.fi -palvelussa. Photo info: undated Kartto - Peronkoski, valokuvaaja
Kuvaustiedot: 1941-08-24 Lassi Hämäläinen, valokuvaaja
写真は Finna.fl : Identifier:sa-kuva-61917引用。


冬戦争 フィンランドは、ロシア革命時期にその独立が定まった反面、その後のソビエト連邦の共産主義には、強い警戒感を抱いていた。フィンランド国内での共産主義革命の動きがあったからである。そこで、反共産主義の象徴として、白丸に青の鍵十字を描いたカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を用いるようになった。1917年のロシア革命に追随する赤軍に対抗する白軍以来のシンボルとしてである。

フィンランドの内戦では、反共産主義の赤軍に反対する、白軍が自由のシンボルとして、カギ十字(卍)を採用した。白軍を支援したスウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が鈎十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を譲渡した飛行機に描いたこともある。フィンランド軍は、1918年に採用したカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を、1944年の対ソ講和の時に廃止した。 このスワスチカが、対ソビエト連邦の戦い、すなわち1939年の「冬戦争」(Talvisota)、1941年の「第二次ソ芬継続戦争」(Jatkosota)でも採用されている。

「冬戦争は、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦がフィンランドに侵攻した戦争である。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守った。」このように、民主国家フィンランド祖国防衛のための名誉の戦いと称賛されることの多い冬戦争だが、第一次大戦後のフィンランドの内戦では、共産主義者の政権奪取が危惧され、内戦に至っている。フィンランド内戦に勝利した白衛軍は、反共産主義でボリシェビキの抑圧を当然のことと考えていた。この反共産主義=反ソビエトのフィンランドの戦争が、1939年11月の「第一次ソ芬継続戦争」(冬戦争)、1941年6月のドイツのソ連侵攻に乗じた「第二次ソ芬継続戦争」(継承戦争)である。

写真(右)1941年8月24日、ソビエト連邦と戦う継承戦争時、枢軸国フィンランドの装備したドイツ製ハインケル(Heinkel)HE 115 A水上偵察機の破損した主翼;フィンランド軍が使用したが、このHe115水上偵察機は、ソビエト軍の対空砲火に被弾して、破損したようだ。
SA-kuvat ovat lisensoitu Nimeä 4.0 Kansainvälinen (CC BY 4.0) -lisenssillä ja ne ovat vapaasti käytettävissä ja julkaistavissa. Kuvat ovat nähtävissä myös www.sa-kuva.fi -palvelussa. Photo info: undated Kartto - Peronkoski, valokuvaaja
Kuvaustiedot: 1941-08-24 Lassi Hämäläinen, valokuvaaja
写真は Finna.fl : Identifier:sa-kuva-61929引用。


当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。

しかし、1944年、リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)はフィンランド大統領を辞職、新大統領カール・グスタフ・マンネルヘイム元帥の下で、ソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、廃止された。

wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を忌避するために唱えられた方便か、カギ十字を好む人物の誤解に基づく思い込みである。

写真(右)1941-1943年頃、ソビエト連邦と戦う継承戦争時、枢軸国フィンランドの装備したドイツ製ハインケル(Heinkel)HE 115 A水上偵察機(Fly nr 52)、購入したフランス製モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.406戦闘機と ソ連から鹵獲したソ連製ポリカルポフ(Polikarpov) I-16戦闘機;ドイツからフィンランドに飛来、鹵獲したHe115水上偵察機を、フィンランド空軍が鹵獲し、第44飛行隊(LLv.44)に配属して輸送任務に投入した。フィンランド軍にとっても、白丸に青の鍵十字を描いたカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、軍の国籍識別マークで、1917年のロシア革命に追随する赤軍に対抗する白軍以来のシンボルである。フィンランドの内戦では、反共産主義の赤軍に反対する、白軍が自由のシンボルとして、カギ十字(卍)を採用した。白軍を支援したスウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が鈎十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を譲渡した飛行機に描いたこともある。フィンランド軍は、1918年に採用したカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を、1944年の対ソ講和の時に廃止した。
Lentokonetehdas. Etummaisena Heinkel He 115 A (tunnus HE-115), sen takana Morane-Saulnier M.S.406 (tunnus MS-302) ja viimeisenä Polikarpov I-16. Photo info: undated Kartto - Peronkoski, valokuvaaja
写真は Finna.fl : Identifier:sa-kuva-61921引用。


1939年の冬戦争で失ったカレリア地方を奪還するために、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻をチャンスととらえたフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)とカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムCarl Gustaf Emil Mannerheim)将軍は、6月22日には、ナチスと同盟して、ソ連を敵として、継承戦争Continuation War)を開始した。これは、事実上、フィンランドが枢軸同盟国の一員として、第二次世界大戦に参加することを意味した。フィンランドは、ナチスと組んで軍事作戦を展開し、レニングラードを包囲し住民を餓死させ、不凍港ムルマンスクを攻略し、ソ連への西側連合国の輸送船団を途絶させる作戦を展開した。

しかし、1941年6月22日の継承戦争Continuation War)を始めたフィンランド側は、イギリス、アメリカには戦争を仕掛けたいとは思っていなかった。そこで、あくまで、ソ連に対して1939年の冬戦争で奪われた国土の回復を求めた防衛戦争であるとの立場を主張した。

ソ連がドイツの攻勢を一国で受け止めている状況で、イギリスもアメリカも、フィンランド側の言う継承戦争Continuation War)であり、イギリス・アメリカと戦う第二次大戦への参戦ではないという身勝手な論理は受けつかなかった。これを梃子にして、ヒトラーはフィンランドに対して、ソ連への軍事的攻勢を強化するように強く要請した。

写真(右)1941-1943年頃、ソビエト連邦と戦う継承戦争時、枢軸国フィンランドの装備したドイツ製ハインケル(Heinkel)HE 115 A水上偵察機(Fly nr 52);フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。
Lentokonetehdas. Lentokone on Hienkel He 115 A (tunnus HE-115).. Photo info: undated Kartto - Peronkoski, valokuvaaja
写真は Finna.fl : Identifier:sa-kuva-9800引用。


ドイツのソビエト連邦侵攻は、1941年6月22日だが、フィンランドは、1939年11月30日から1940年3月12日の対ソビエト冬戦争に敗北していた。冬戦争に敗北したフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)は、今度は、その報復として、1941年6月26日から1944年9月19日にかけて、ドイツとともに対ソビエト継続戦争を戦った。冬戦争の2カ月前から、イギリスもフランスも連合国として、ドイツと第二次世界大戦を戦っていたが、ソ連とは戦っておらず、あえてフィンランドを助けるために、ソ連と会戦するはずがなかった。

 1941年7月、フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の指揮の下、フィンランド軍は、ハカリスティ(Hakaristi)を再び掲げて、フィンランド南東部、ソ連に割譲させられていたカレリア地方を攻撃し、再占領し、冬戦争で奪われた領土を取り戻しつつあった。

写真(右)1941年8月24日、ソビエト連邦と戦う継承戦争時、枢軸国フィンランドの装備したドイツ製ハインケル(Heinkel)HE 115 A水上偵察機、輸入したフランス製モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.406戦闘機 (MS-302)、鹵獲したソ連空軍のポリカルポフ I-16戦闘機 (IR-101),
SA  Lataa kuva (4880 X 4962) Aineiston käyttöoikeudet CC BY 4.0 Mitä merkintä tarkoittaa? SA-kuvat ovat lisensoitu Nimeä 4.0 Kansainvälinen (CC BY 4.0) -lisenssillä ja ne ovat vapaasti käytettävissä ja julkaistavissa. Kuvat ovat nähtävissä myös www.sa-kuva.fi -palvelussa. QR-koodi Tämän aineiston tarjoaa Sotamuseo Ota yhteyttä Lentokonetehdas. Kartto - Peronkoski, valokuvaaja Lentokonetehdas. Etummaisena Polikarpov I-16 (tunnus IR-101), sitten Morane-Saulnier M.S.406 (tunnus MS-302) ja viimeisenä Heinkel He 115 A (tunnus HE-115).
写真は Finna.fl : Identifier:sa-kuva-61929引用。


1935年8月8日初飛行のフランス製モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.406戦闘機は、前作MS405改良型で、低翼単葉の近代的な戦闘機として、1938年から量産され、第二次世界大戦緒戦のフランス空軍主力戦闘機となった。

フランス空軍モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.406戦闘機は、それ以前の複葉・開放型風防・固定脚の旧式戦闘機を刷新し、低翼単葉・引き込み脚・密閉風防を採用して、戦前のフランス空軍の主力戦闘機としてドイツ空軍メッサーシュミットBf109戦闘機より若干劣っているとはいえ、十分に空中戦を戦うことのできる飛行性能を持っていた。

モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.406戦闘機の諸元
全長:8.15m
全幅:10.71m
全高:2.84m
主翼面積:16.0平方メートル
空虚重量:1,893kg
全備重量:2,720kg
発動機:イスパノ・スイザ 12Y31液冷V型12気筒(860hp)
最高速力:486km/h
実用上昇限度:9,500m
上昇率:5,000m/6分
兵装:20ミリ機関砲1門、7.5ミリ機銃2丁

フィンランド軍は、冬戦争に際しては、このほか輸入したアメリカ製バッファロー戦闘機、オランダ製フォッカー戦闘機など世界各国の軍用機を使用した。

写真(右)1940年4月10日、ノルウェーの海岸に待機しているドイツ軍のハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機を撮影したイギリス空軍機の偵察写真;海面に4機のハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機が写っている。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luchtfotografie, Royal Air Force, Bombardementen, Havens Locatie Naam: Kingdom of Norway Land: Norway
Bijschrift First picture of the R.A.F. in action over the Norwegian coast. A low altitude photographed of four He 115 seaplanes moored off bergen. Taken by an R.A.F. aircraft in the course of actual operations against the enemy. The large white shape of a bomb dropping is seen on the edge of the photograph - picture taken 10th April.
Datum 12/04/1940
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 15301引用。


ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、1937年8月に初飛行した機体で、海上の哨戒偵察以外にも、船団への魚雷攻撃、機雷敷設、輸送などにも投入された多用途機だった。ヘルマン・ゲーリング総司令官のドイツ空軍に飛行機を集中させられたため、ドイツ海軍航空隊は貧弱であり、ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、艦艇に搭載することは想定されておらず、水上機基地をベースに活動することを前提としていた。そのためハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機の総生産機数は138機のみであった。しかし、北大西洋、地中海方面では、水上機の特性を生かして、海上哨戒偵察、対艦船攻撃(爆弾・航空魚雷・機雷)に有効な働きをしている。

写真(右)1941年10月10日、西部戦線、胴体下面に航空魚雷の搭載準備をしているドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機。機首(A)銃座には7.92ミリMG15旋回機関銃を装備。;水上機基地では、飛行機を陸上に引揚げやすいように、海面との境には、緩傾斜のランプが備わっていて、ウインチを使って、機体を引き上げることができた。これは、漁港で小型船を引き上げるのと同じ要領である。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Luchtmacht, Vliegtuigen, Vliegvelden Bijschrift Das deutsche Torpedoflugzeug. Auf einem Transportkarren bringen Mannschaften des Fliegerhorstes dem Torpedo zum bereitliegenden Flugzeug Heinkel He 115. tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Datum 10/10/1941 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 43354引用。


写真(右)1941年10月10日、西部戦線、胴体下面に航空魚雷の搭載準備をしているドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機。機首(A)銃座には7.92ミリMG15旋回機関銃を装備。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Luchtmacht, Vliegtuigen, Vliegvelden Bijschrift Das deutsche Torpedoflugzeug. Auf einem Transportkarren bringen Mannschaften des Fliegerhorstes dem Torpedo zum bereitliegenden Flugzeug Heinkel He 115. tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Datum 10/10/1941 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 43346引用。


ドイツは、イギリス本土航空決戦のために、北フランスから、ベルギー、オランダンの沿岸部の北海、大西洋にハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機のような海洋航空兵器を航空兵力を展開した。

写真(右)1940-1943年,ドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 115B-1水上雷撃機(Heinkel He 115B-1) :胴体下面の爆弾倉に航空魚雷を搭載する準備をしている。水上にあるために、800キロ近い魚雷を特製の艀のような整備フロートに載せて海上のHe-115 の下まで運搬し搭載する。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43936073 - Catalog:16_005298 - Title:Heinkel He 115 B-1 Nowarra photo - Filename:16_005298.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43936073 引用。


PQ船団は、西側連合国アメリカ・カナダ・イギリスの軍需物資をイギリスから北大西洋・北極海・バレンツ海を経由して東側連合国ソビエト連邦北西端のアルハンゲリスクやムルマンスクに送る輸送船団の総称である。このPQ船団の一つで、1942年6月に輸送船33隻、タンカー2隻を中核に編成されたのがPQ17船団Convoy PQ 17)で、その航路には、ドイツ海軍戦艦「ティルピッツTirpitz)」、装甲巡洋艦「アドミラル・シェーア」「リュッツオウ」、重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」以下、駆逐艦10隻、潜水艦Uボート9隻、ドイツ空軍第五航空団、海軍航空隊沿岸航空隊が行く手を阻止しようと待ち構えていた。

他方、連合国側は、PQ17船団に、イギリス海軍戦艦「デューク・オブ・ヨーク」、アメリカ海軍戦艦「ワシントンUSS Washington)」、イギリス海軍空母「ヴィクトリアスHMS Victorious)」以下、重巡洋艦5隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦24隻、潜水艦13隻、護衛艦11隻が護衛部隊、支援部隊として警戒に当たらせた。

1942年6月27日、アメリカ海軍基地のあるアイスランド西部から出航したPQ17船団Convoy PQ 17)を、7月1日、アイスランド北東でドイツ海軍潜水艦 U456が発見、ドイツ海軍BV138飛行艇もPQ17船団に触接を開始した。

1942年7月2日、ドイツ海軍第406飛行隊第I中隊8機のハインケル(Heinkel)He 115水上雷撃機は、ノルウェー北部、トロムソ近くの水上機基地を出撃し、北極海上で、PQ17船団を雷撃した。この時、艦船の対空砲火を受け、He115水上雷撃機1機は海上に不時着を余儀なくされたが、僚機のHe115によって搭乗員は救助された。

1942年7月4日0500、ドイツ海軍第406飛行隊第I中隊の1機のハインケル(Heinkel)He 115水上雷撃機が、PQ17船団Convoy PQ 17)のアメリカ輸送船を雷撃で大破させた。

この1942年7月4日イギリス海軍は、有力なドイツ水上艦隊が接近していることを大いに危惧し、船団を分散させて、ソ連に向かわせることを決定した。これが、7月4日の夜で、散開することを命じられたPQ17船団は、水上艦艇からの襲撃は受けなかったが、ドイツ側に航空兵力によって、爆撃、雷撃を受けたPQ17船団Convoy PQ 17)は、輸送船33隻を撃沈される大損害を被った。

写真(右)1940-1943年,ドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 115B-1水上雷撃機(Heinkel He 115B-1) :胴体下面に予備のフロートを搭載しているが、僚機がフロートを破損したために、修理・交換用のフロートを運搬したようだ。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43936097 - Catalog:16_005300 - Title: Heinkel He 115B-1 transferring a new float for another He 115 in Norway Nowarra photo - Filename:16_005300.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43936097 引用。


ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、船団攻撃のために、爆弾、航空魚雷から磁気感応機雷まで搭載することができた多用途水上機だった。

写真(右)1942-1943年頃、西部戦線、ドイツ、機首の顎に20ミリMG151/20機関銃1丁を装備して、対艦船銃撃をを行えるように兵装を強化したドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 C型水上偵察機;北海、大西洋方面では、船団攻撃にも従事したので、航空魚雷や爆弾を胴体下面の大きな爆弾倉に搭載することができた。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Officieren, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie : Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift He 115 Ein Fliegerführer besucht seine Seeflieger. Der Fliegerführer besucht seine Staffel. Der Staffelkapitän hält ihm Vortrag über die bisherigen Einsätze und Erfahrungen.
Vervaardiger PK-Berichter Hirschfelder
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 84 引用。


ハインケル(Heinkel)HE 115 C-1水上機は、発動機は BMW 132K空冷星形9気筒エンジン856馬力2基を装備し、乗員3名で、全長 17.30 m、全幅 22.28 m、全高 6.59 m、空虚重量 6680 kg、最大重量 10390 kgの大型水上機である。

ハインケル(Heinkel)He 115の最高速力は 355 km/hと遅く、実用上昇限度も 6500 mと低かったが、航続距離は 3350 kmと長いうえに、兵装は、機首に15ミリMG 151機関銃1丁、機首・胴体後方などに7.92ミリMG15旋回機銃最大6丁を装備し、爆弾・魚雷・機雷など最大 1250 kgまで搭載可能だった。

ハインケル(Heinkel)He 115C-1型水上機の性能は、偵察機というより、攻撃機に近く、HE115は、事実上、水上偵察攻撃機と見なすことができる。

写真(右)1943年頃、ノルウェー、イギリス空軍デ・ハビランド(de Havilland)モスキート(Mosquito)F 双発戦闘機の銃撃を受けるハインケルHe-115双発水上戦闘機:イギリス輸送船団を捜索中のハインケルHe115双発水上偵察機は、180メートルまで接近したイギリス空軍第333戦隊デ・ハビランドモスキートF 戦闘機に襲撃され、この写真が撮影された直後に海上に墜落した。軸線が機銃の弾道とは異なるので、ガンカメラではなく偵察用の手持ちカメラで写したものであろう。
Catalogue number: CE 118, Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War, Object description: A Heinkel He 115 on fire and trailing smoke, photographed by the observer of De Havilland Mosquito 'P' of No. 333 (Norwegian) Squadron RAF based at Leuchars, Fife, which intercepted the seaplane 200 feet above the sea off Bremanger, Norway, while conducting a shipping reconnaissance. The Mosquito closed to within 200 yards to finish off the Heinkel with cannon fire, which crashed into the sea shortly afterwards. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (CE 118)


ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)のドイツ空軍第一航空軍Luftflotte 1)に属していたJG54は、1941年6月21日、バルバロッサ作戦初日,ヴィルヘルム・リッター・フォン・レープWilhelm Ritter von Leeb)元帥を司令官とする北方軍集団(レープ元帥)を支援し、フィンランド、バルチック海周辺、レニングラードで戦った。

1941年から1943年には、第54戦闘航空団JG54は、レニングラード包囲戦、イイリメニ湖周辺のソ連軍攻撃のために、フィンランドにも駐屯した。

写真(右)1943年頃、ノルウェー、イギリス空軍デ・ハビランド(de Havilland)モスキート(Mosquito)F 双発戦闘機の銃撃を受けるハインケルHe-115双発水上戦闘機:イギリス輸送船団を捜索中のハインケルHe115双発水上偵察機は、180メートルまで接近したイギリス空軍第333戦隊デ・ハビランド(de Havilland)モスキート(Mosquito)F 戦闘機に襲撃され、この写真が撮影された直後に海上に墜落した。軸線が機銃の弾道とは異なるので、ガンカメラではなく偵察用の手持ちカメラで写したものであろう。
En Heinkel He-115 blir forfulgt og skutt ned av en Mosquito, 6. februar 1944. Specific subject terms: RAF Royal Air Force
History Under hele 2. verdenskrig ble tyske mål i Norge bombet av allierte fly. Det første angrepet skjedde allerede om ettermiddagen 9. april 1940, da fly fra RAFs 9-, 50- og 115 skvadron bombet havnen i Bergen. Grunnet dårlig sikt var bombingen meget upresis, og ingen mål ble truffet.
Datidens lave presisjonsnivå under bombing fra fly førte til mange tragiske resultater. Til sammen 752 sivile nordmenn ble drept av allierte bomber. Norske myndigheter i London protesterte ved flere anledninger mot bombing på norsk jord, første gang høsten 1941, da RAF bombet sildoljefabrikker som regjeringen mente ikke hadde militær betydning. Bombeaktiviteten var forholdsvis lav inntil den amerikanske 8th. Air Force ble overført til England. Interessen for tungtvannsproduksjonen til Norsk Hydro lå bak en viss opptrapping fra høsten 1942, som førte til nye norske protester. Norske myndigheter forsøkte å påvirke beslutningsprosessen for valg av bombemål ved å utarbeide egne mållister, men de alliertes myndigheter, spesielt de amerikanske, tok ikke alltid hensyn til norske synspunkter. Frykten for økt alliert bombing lå bak forslaget fra enkelte norske militære om kraftig opptrapping av sabotasjeaksjoner fra slutten av 1943, men forskjellige hensyn gjorde dette uaktuelt for Milorg.
Derfor opprettet RAF Coastal Command, 18. Group, flere nye flybaser i Skottland. Formålet var å senke det de kunne av tysk "skipsfart" langs Norges kyst, først og fremst ubåter, samt forsynings- og malmskip, som gikk i skytteltrafikk mellom Norge og Tyskland.
Det kanskje mest kjente og betydningsfulle vellykkede angrepet utført av RAF på norsk territorium, var senkingen av det tyske slagskipet Tirpitz. Aksjonen fant sted ved Håkøya utenfor Tromsø den 12. november 1944. Lancaster bombefly fra RAFs 617 og 9 skvadron, utrustet med Barnes Wallis Tallboy-bomber, utførte bombingen. Over tusen tyske soldater og besetningsmedlemmer ombord ble drept.
av Tirpitz endret det strategiske bildet av krigen på en avgjørende måte. Murmanskkonvoiene kunne gå friere, og forsyningene til nord- og østfronten ble styrket. Dessuten kunne store sjøstridskrefter settes inn andre steder, bl.a. til ubåtjakt, eller sendes til Middelhavet og Stillehavet.
Part of collection:FMU Owner of collection:Forsvarsmuseet Institution: Forsvarets museer Date published:March 17, 2014 Date updated:March 17, 2014
写真はForsvarets museer 登録: Identifier:FMU.402455


デ・ハビランド(de Havilland)モスキート(Mosquito)F Mk. XVI戦闘機の諸元
乗員: 2名
全長: 13.57 m (44 ft 6 in)
全高: 5.3 m (17 ft 5 in)
翼幅: 16.52 m(54 ft 2 in)
翼面積: 42.18 m2 (454 ft2)
空虚重量: 6,490 kg (14,300 lb)
運用時重量: 8,210 kg (18,100 lb)
最大離陸重量: 11,350 kg (25,000 lb) 発動機: ロールス・ロイス マーリン V型12気筒液冷レシプロエンジン、1,275 kW (1,710 hp) × 2
最高速力: 667.9 km/h (415 mph) 高度8,535 m (28,000 ft)
航続距離: 2,400 km
実用上昇限度: 11,280 m (37,000 ft)
上昇率: 14.5 m/s (2,850 ft/min)
武装:FまたはNF型;20mm イスパノ機関砲 4門
爆弾搭載量:1,800kg (4,000 lb)
Mk VI:27kg (60 lb) ロケット弾 8発

写真(右)1944年2月6日、ノルウェー、イギリス空軍デ・ハビランド(de Havilland)モスキート(Mosquito)F 双発戦闘機の銃撃を受けるハインケルHe-115双発水上戦闘機:イギリス輸送船団を捜索中のハインケルHe115双発水上偵察機は、180メートルまで接近したイギリス空軍第333戦隊モスキート戦闘機に襲撃され、この写真が撮影された直後に海上に墜落した。軸線が機銃の弾道とは異なるので、ガンカメラではなく偵察用の手持ちカメラで写したものであろう。
En Heinkel He 115 sekunder før den blir truffet av ild fra en Mosquito, 333 skvadronen, utenfor norskekysten, 6. februar 1944.
History Den opprinnelige 333 skvadronen ble opprettet 8. februar 1942 i Woodhaven, Skottland, etter initiativ fra kaptein Finn Lambrechts. Skvadronen tilhørte da Marinens Flyvevåpen. I mai 1943 fikk den betegnelsen 333 (N) Squadron, og besto av den allerede operative 1477 Norwegian Flight, forsterket med en ny norsk gruppe.
333 skvadronen var stasjonert i Skottland (Woodhaven og Leuchars), og sto under kommando av britiske Coastal Command. Den var oppsatt med Catalina flybåter (A Flight), og etterhvert også Mosquito jagerbombere (B Flight). Denne flytypen hadde en unik konstruksjon - skrog og vinger var bygget av treverk. Dette gjorde den svært lett, og flyene ble dermed meget raske og manøvrerbare. Operasjonsområdet var Nordsjøen, norskehavet og langs hele norskekysten. Oppdraget var ubåtjakt, konvoieskorte, angrep mot tyske skip og ilandsetting av agenter til hemmelig oppdrag i Norge, samt å hente dødsdømte motstandsfolk i Norge til sikkerhet i Storbritannia. Dessuten ble de benyttet til flydropp av diverse varer i Norge, bl.a. kaffe og tobakk.
333 skvadronens innsats under krigen var betydelig: 251 tokt resulterte blant annet i 4 senkede og 8 ødelagte ubåter, samt 18 nedskutte fly. Skvadronen mistet selv 28 mann og 18 fly.
Owner of collection:Forsvarsmuseet Institution: Forsvarets museer Date published:March 17, 2014 Date updated:March 17, 2014
写真はForsvarets museer 登録: Identifier:FMU.402608


写真(右)1943年頃(?)、ノルウェー、イギリス空軍ブリストル (Bristol)ボーフォート(Beaufort)戦闘機の銃撃を受けるハインケルHe-115双発水上戦闘機:1938年10月15日初飛行のボーフォートは、1,130 hp (840 kW)エンジン2基装備、最高速力440km/h、7.7mmビッカース機関銃を機首2挺、後上方動力銃座に2挺を装備。生産機数1121機で、1944年まで第一線で活躍した。
Original wartime caption: Photograph taken by navigator through the nose of the Beaufort this time as it was pursuing a Heinkel 115 float plane. The "V" across the second picture is formed by the struts of the perspex window. The two photographs show how the Beaufort overtook the Heinkel - the pilot was forced to pull away at the last moment to avoid ramming it. The rear gunner of the Heinkel was put out of action by machine gun fire.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM CH 3620


ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察爆撃機は、1937年8月に初飛行した機体で、海上の哨戒偵察以外にも、船団への魚雷攻撃、機雷敷設、輸送などにも投入された多用途機だった。

ヘルマン・ゲーリング総司令官のドイツ空軍に飛行機を集中させられたため、ドイツ海軍航空隊は貧弱であり、ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、艦艇に搭載することは想定されておらず、水上機基地をベースに活動することを前提としていた。そのため、He115水上偵察機の総生産機数は138機のみで1941年前に終了することが決まった。

ブリストル しかし、ドイツ海軍は、陸上機型の爆撃機、雷撃機はもちろん、偵察機ですら自前の航空兵力を持つことが認められなかった。そこで、北大西洋、地中海方面では、水上機の特性を生かして、海上哨戒偵察、対艦船攻撃(爆弾・航空魚雷・機雷)に有効な働きをしていたために、ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察爆撃機の生産を1943年末に再開した。

生産が再開されたハインケル(Heinkel)He 115 E 水上偵察爆撃機は、He 115 Cの武装強化型で機首と後部に各々7.92mmMG81旋回機関銃2挺を装備し、さらに20mmMG151/20前方固定機関銃1挺を装備した。合計500機の量産が行われたハインケル(Heinkel)He 115は、ドイツ空軍で最も成功した水上機といえる。

図(右)ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 115 B-2水上偵察爆撃機の三面図:He115の初の生産型A-3型で、武装と通信装置を搭載している。He 115 B-0 は、爆弾(あるいは空中投下磁力機雷) を最大限1,000 kg (2,200 lb)搭載できるようにした武装強化型。He 115 B-1 は、航法通信装置を充実させた。そして、燃料搭載量を増加するか、あるいは爆弾搭載量を増加するか、選ぶことができた。He 115 B-1/R1氷上と雪上に離着陸できるように、水上滑走用の双浮舟フロートの強度を向上させた水陸両用離着型。
Deutsch: Profilansichten der He 115 B-2 Date 26 July 2012 Source Own work Author PimboliDD
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 115 File:He 115 Profile.png引用


ハインケル(Heinkel)He 115 B-2水上偵察爆撃機の三面図

全長: 17.30 m
全幅: 22.27 m
全高: 6.60 m
翼面積: 87.5 m2
翼面荷重: 103.8 kg/m2
空虚重量: 5,290 kg
全備重量: 10,400 kg kg
発動機: BMW 132K空冷星形9基とエンジン 960 hp 2基
最大速度: 327 km/h 航続距離: 2,100 km
巡航高度: 5,200 m
武装
7.92 mm (.312 in) MG 17 固定機関銃 1挺、 7.92 mm (.312 in) MG 15 旋回機関銃(胴体後上方・後下方の3か所各1挺、合計3挺)
5発 × 250kg (551lb) 爆弾あるいは又は魚雷 1,764lbs (800kg)
1発 × 920kg (2,028lb)機雷
乗員: 3名


Heinkel He 115の動画


2.ハインケル He-59双発水上救難機

写真(右)1941年,フランス海岸(?)、ドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 59水上救難機機
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID: 46168783 - Catalog: 16_007360 - Title: Heinkel He 59n 1941 Nowarra Collection - Filename: 16_007360.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID: 46168783引用。


ハインケル(Heinkel)He 115の前作といえるHe 59は、双発水上偵察機/雷撃機で、ラインホルト・メーヴェス(Reinhold Mewes)設計になる。当初のHe 59には、水上型と陸上型があったが、生産型は双フロート付の水上機型で第二次世界大戦でも使用された。白色塗装、赤十字マークを付けたHe-59海難救助機が有名である。

ハインケルHe59水上機は、木金混交の構造で、主翼は2本桁で合板製フレーム(wooden frame)と羽布張だった。胴体は金属骨格に羽布張、尾翼部分は軽量金属構造。フロート(浮布)は、内部を燃料タンク(片方で900 L、合計1800L)で、胴体内部の燃料タンクにも合わせて900L、合計 2,700 Lの燃料を搭載できる。さらに、胴体爆弾倉に追加補助燃料タンク500Lを搭載すれば、合計 3,200 L (845 US gal)の燃料を積むことができる。プロペラは、4翅固定ピッチ(fixed-pitch)プロペラである。

写真(右)1941年,フランスの海岸(?)、ハインケル(Heinkel)He 59n水上救難機
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID: 46168783 - Catalog :16_007360 - Title: Heinkel He 59n 1941 Nowarra Collection - Filename: 16_007360.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID: 46168783引用。


1940年に英仏海峡で活動していたドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 59双発水上救難機は、万国共通の攻撃対象外の機体として、無武装で白色塗装の上に大きな赤十字を描いていた。しかし、バトルオブブリテンで必死の本土決戦を戦っているイギリス空軍には、海上に漂うドイツ軍のパイロット救出を黙認する余裕はなかった。そこで、白色塗装の救難機He59も攻撃対象となった。そこで、このような目立つ白色の塗装は廃止され、グレーン系統の迷彩塗装が施され、防御用の旋回機銃が搭載された。

ハインケルHeinkel He 59双発水上救難機諸元
全長: 17.40 m、全幅: 23.70 m 全高: 7.10 m、全備重量: 9,100 kg
発動機: BMW VI 6.0 ZU 水冷 1気筒660hp2基
最高速力: 209 km/h、実用上限高度: 3,500 m
航続距離: 1,750 km
兵装 7.92ミリ旋回機銃 2丁、搭載量:爆弾 700 kg
乗員: 4名。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 59双発水上救難機を見る。


3.ハインケル He-60艦載水上偵察機

写真(右)1940年,デンマーク、ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 :1935年までの旧ドイツ軍の黒白赤三色の国章を、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)の国章に変更し、その後に、機体にバルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は敵から発見されやすいことが分かり、取りやめになったが、垂直尾翼と主翼上下面に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。
SDASM Archives Heinkel, He 60 Catalog #: 01_00081266 Title: Heinkel He 60 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 60 Tags: Heinkel He 60
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, Catalog #: 01_00081266引用。


 ハインケルHe 60は、He 59と同じラインホルト・メーヴェス設計になる木材/金属混合構造、羽布張りの単発複葉水上機で、当時の標準的な保守的スタイルだった。試作機はBMW液冷エンジン660馬力を搭載、1933年初飛行した。

ハインケルHe 60水上艦載偵察機がドイツ海軍に試験的に配備されたのは1933年のヒトラー政権下で、1934年からHe 60がドイツ海軍艦隊の艦載水上偵察機として配備された。1936年のスペイン内戦にも実戦投入されたが、1939年の第二次世界大戦時には、後続の艦載水上偵察機アラド Ar 196に代替されていた。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機を見る。


4.ハインケルHe-114艦載水上偵察機

写真(右)1939年9月-1941年頃、ドイツ本土海域、ハインケルHe 114A-1 水上偵察機(登録コード:IY-YF):第二次大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークの黒色スワスチカは残されたが、赤帯白丸は、敵に目立ちやすいために廃止された。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081312 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081312引用。


ハインケルHe 114水上偵察機は、成功作とはいえず、前作のHe60水上偵察機と代わり映えしない飛行性能で、安定性が悪かったために、生産機数は98機と少なかった。前作のHe60水上偵察機は、飛行性能は低かったが、使いやすいために、前線では長い期間、使用された。他方。1939年に搭乗したアラドAr-196単葉機は、成功作だったため、艦載水上偵察機として普及したこともあって、ドイツにおけるHe114水上偵察機の使用期間は短かった。

ハインケル ハインケル(Heinkel)He 114A-2水上偵察機の諸元
搭乗員: 2名
全長: 11.65 m、全高: 5.23 m、全幅: 13.60 m
翼面積: 42.3平方メートル
空虚重量: 2,300 kg 、全備重量: 3,670 kg
発動機: BMW 132K 空冷 星型エンジン(960 hp)
最高速力: 335 km/h
航続距離: 920 km
実用上昇限度: 4,900 m
兵装: 7.92ミリMG15旋回機銃1丁
搭載爆弾:50キロ爆弾2発

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 114水上偵察機を見る。


5.アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機

写真(右)1941年頃、ドイツ海軍巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」のカタパルト台車上のアラドAr196 艦載水上偵察機;フロートの下、カタパルトの脇には大きなボンベ(圧搾タンク)があるが、これはカタパルト射出する際に開放される圧搾空気ボンベである。
Frankreich.- Kreuzer "Admiral Hipper", Bordflugzeug Arado Ar 196 auf Katapult Date 1941 Photographer Hipper Institution German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine (Bild 101 II) Accession number Bild 101II-MW-1949-03
写真は Wikimedia Commons, Bundesarchiv: Accession number Bild 101II-MW-1949-03 引用。


アラドAr 196水上偵察機が部隊配備されたのは、第二次世界大戦の勃発した1939年9月からである。その後、主翼の7.92ミリMG17機関銃(左右合計2丁)を20ミリMG-FF機関銃(合計2丁)にう強化したA-2型が主力となった。活動海域は、主に大西洋、北海、バルト海だが、黒海、地中海方面でも使用されている。アラドAr 196水上偵察機は、1944年までに500機が製造された。第二次大戦の全期間を通じて、ドイツ海軍の水上偵察機として活躍した。

アラドArado Ar 196 水上偵察機は、第二次大戦中にドイツ海軍で広範囲に使用された、低翼単葉、双フロートの艦載機。BMW132K空冷星型エンジン960馬力搭載、機首と後部座席の7.92mm機銃2挺、主翼内に20mm機関銃2挺、主翼下面に50kg爆弾2発搭載可能。第二次大戦の始まった1939年に部隊配備開始、戦艦ビスマルク、重巡洋艦ヒッパーなど大型水上艦艇に搭載。沿岸水上機部隊にも配備された。


アラドAr-196水上偵察機諸元
乗員:2名
全長: 11.0メートル,全幅: 12.5メートル
翼面積: 28.4平方メートル
自量: 2トン,全備重量: 3.7トン
エンジン: BMW132 空冷 960馬力1基
最高時速: 320キロ
航続距離: 1000キロ,上昇限度: 7,000メートル
武装: 20ミリMG-FF機関砲2門,7.92ミリMG17機銃2丁
50キロ爆弾2発
初飛行1937年5月
生産開始1938年11月からで、1944年3月までに540機が産された。

⇒写真集Album:アラド(Arado)Ar-196水上偵察機を見る。


5.ドルニエ(Dornier)Do 24K-1 三発飛行艇

写真(右)1937-1942 年、オランダ領インドシナ(蘭印:インドネシア)で活躍したオランダ海軍航空隊所属のドイツ設計のドルニエ(Dornier)Do 24K-1 三発飛行艇X-1;機首、胴体に銃座が設けられている。
Fotoafdrukken Koninklijke Marine
De eerste Dornier Do-24K-1 maritieme patrouillevliegboot (Duits: Hochsee-Aufklärungsflugboot) van de Marine-luchtvaart-dienst (MLD), gebouwd door Dornier te Friedrichshafen (Z-Duitsland) stijgt op van de Bodensee in 1937. De X-1 heeft dienst gedaan in Ned-Indië van 1937-1942 en is verloren gegaan te Broome (W-Australië ) door een Japans bombardement.
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) Beeldbank.defensie.nl・Objectnummer 2173-247-019引用。


ドルニエDo 24飛行艇は、第二次世界大戦の開戦前にドイツで開発された飛行艇である。1936年にオランダ海軍航空隊が東インド諸島の植民地で使用するためにドルニエ社に開発を依頼した機体で、1937年に初飛行した。その後オランダでライセンス生産が行われたが、第二次世界大戦開戦後ドイツがオランダを占領すると、オランダにおける生産ラインはそのまま活用され、生産された機体はドイツ空軍が海難救助任務や輸送、洋上偵察に使用した。

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6.ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138飛行艇

写真(右)1943年,ノルウェー沖、ドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C飛行艇(K6+EH)と右奥のハインケルHe 115水上偵察爆撃機(K6+EH):エンジンは、ガソリンではなくディーゼル機関で航続距離の延長、海上での潜水艦・母艦からの燃料補給を企図していた。
Crews pull a German Blohm&Voss BV 138C seaplane from the water at at Kirkenes, Norway, during World War II. In the left background is a Heinkel He 115 float plane from Küstenfliegergruppe 406 coded K6+EH. Date circa 1943 Source Official U.S. Navy photo NH 45564 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command Author U.S. Navy
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 115 File:Blohm&Voss BV 138 and Heinkel He 115 at Kirkenes c1943.jpg引用


ドイツのブローム・ウント・フォスBlohm & Voss Bv 138飛行艇は、ドルニエ Do 18と同じく燃費の良いユンカース ユモ 205ディーゼルエンジン3基搭載する形で長距離飛行を可能にしたが、中央部のエンジンは、主翼上面に搭載され、主翼・胴体とのクリアランスを確保するために、羽根の短い四本プロペラ(他の2基は羽根の長い三枚プロペラ)と変則的配置にされた。

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7.イタリアのカント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇

写真(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の陸上に待機するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面:垂直尾翼には、第二次世界大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍記章が描かれている。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore C.R.D.A. Cant. Z. 501 serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。


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8.カント(CANT)Z.506 Aアイローネ(Airone:アオサギ)水上機

写真(右)1938年-1941年頃,イタリア、水上機基地の舗装滑走ランプ(傾斜台)から水面に移動したイタリア民間輸送機カント(CANT)Z.506 Aアイローネ(Airone)水上輸送機:胴体後半の客室キャビンには、乗客12人分(2列6席)の座席が確保されている。胴体後半にある。民間機であっても、イタリア・ファシスト党政権をたたえる意味で、ファッシ(武器の束)が機首に描かれている。
Description Italiano: Cant Z.506 vista anteriore Date before 1945 Source http://www.airwar.ru/enc/sww2/z506.html Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:CANT Z.506 Airone File:Cant Z.506 alla fonda 02.png引用。


イタリアのカント(CANT:Cantiere Navale Triestino)Z.506水上機は、1935年8月19日の初飛行の三発動機(エンジン)の水上偵察爆撃機で、ハインケルHe-115のライバルといえる。

図(右)1940年、イタリア、CANT Z.506 B マニュアルに掲載されたファシスト・イタリア空軍カント(CANT)Z.506 B アイローネ(Airone:アオサギ)水上偵察爆撃機の左側面図(図2);浮舟フロートがエンジンナセル可能に支柱で支えられている。
写真は、Ministero Dell'Aeronautica (1940) Indrovolante CANT Z 506 B Manuale引用。


カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone:アオサギ)水上機の諸元
乗員:5名
全長:19.25m
全幅:26.50m
全高:7.40m
全備重量:12.3t
エンジン:アルファロメオAR126RC34空冷9気筒単列星型 750hp排気量28.6L 3基


カント(CANT)Z.506水上機は、フィリッポ・ザパタ(Filippo Zappata)技師の設計になり、1935年8月19日に初飛行した三発機である。1937年10月2-17日に北イタリア、ミラノで開催された航空展示会に出品された。カント(CANT)Z.506の生産機数は、試作2機、量産機314機と1930年代の大型水上機にしては多数生産されている。

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.506 B アイローネ(Airone)爆撃機を見る。


9.カプローニ(Caproni)Ca. 316 水上機


写真(右)1942年,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機
;1937年2月20日初飛行のCa.310を水上機化した発展型がCA.316水上偵察機で、1940年8月14日に初飛行した。生産は14機のみで、制式されずに終わった。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載写真と同じ場所・同じ機体の写真。
写真は, Caproni (CAB) Ca. 316- scala 1/72 -di Marco SERINO 引用。


カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機は、ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.16/35空冷星形9気筒(cylinder)エンジン350 kW (470 hp)2基装備で、最大離昇重量 4,650 kg (10,251 lb)、最高速力365 km/h (227 mph, 197 kn)、航続距離 1,690 km (1,050 mi, 910 nmi)の性能だった。
原型のカプローニ(Caproni)Ca.310陸上機は、1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備。生産機数 312機。このCa.310の水上機仕様Ca.310 Idroを原型として、CA.316は1940年8月14日初飛行した。しかし、戦局悪化の中で、低性能の水上機は制式されず、生産機数は14機のみで終わった。


図(右)1940年6月以降,イタリア軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の三面図
;主翼や水平尾翼の取り付け角度と昇降舵・方向舵の制御角度が図解されている。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の諸元

乗員Crew: three
全長Length: 12.89 m (42 ft 3 in)
全幅Wingspan: 15.87 m (52 ft 1 in)
全高Height: 5.11 m (16 ft 9 in)
主翼面積Wing area: 38.0 m2 (409 sq ft)
空虚重量Empty weight: 4,000 kg (8,820 lb)
総重量Gross weight: 4,804 kg (10,590 lb)
発動機Powerplant: 2 × ピアッジオ(Piaggio)P.VII空冷星形7気筒エンジン 460 kW (616 hp) each
性能Performance
最高速力Maximum speed: 328 km/h (205 mph, 178 kn)
航続距離Range: 1,600 km (1,000 mi, 870 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 6,000 m (19,680 ft)
並走Armament
1 × 7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1−2丁
爆弾搭載量:400 kg (882 lb)

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca. 316 水上機を見る。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ハインケル He111P
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲

ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥

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