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◆ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
写真(上)1935年頃,ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機試作17号機V-17:楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・爆撃機として開発された。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935028 - Catalog:16_005214 - Title:
Heinkel He 111V-17 Nowarra photo - Filename:16_005214.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005214引用。


写真(上)1940年頃、PVC1006BラックにLTF5b航空魚雷を2本搭載したドイツ空軍ハインケルHe111 H-4爆撃機雷撃型:機首段なし大型ガラス風防を採用したHe111爆撃機には、DB600液冷エンジン搭載、エアインテーク正面右のP型とユモJumo211液冷エンジン搭載、エアインテーク正面左のH型の2種類があるが、DB600エンジンが戦闘機に優先配備されることとなり、H型が主力となった。PVC1006ラックには1トン爆弾も搭載できる。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935442 - Catalog:16_005247 - Title: Heinkel He 111 H-4 - Filename:16_005247.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は SDASM Archives Catalog:16_005247 引用。



写真(上)1941-1943年頃、ノルウェー、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111H-16爆撃機
:原典は1940年撮影というが、機首に20ミリMG-FF機関銃を備えた後期のH-16型と思われる。
heinkel bombefly på norsk flyplass, antakelig Værnes. To flygere og en annen tysk soldat foran flyet.
Fotografering:1940 Aksesjon:2001
Part of collection:Nordlandsmuseet Owner of collection:Nordlandsmuseet Institution: Nordlandsmuseet Date published:December 9, 2015 Date updated:March 20, 2017.
写真はNorsk Luftfartsmuseum・Identifier:NM.F.009142-00002 引用。


写真(上)1943年、ソビエト連邦南部、黒海上空、迷彩塗装したドイツ空軍ゴーダGo242大型貨物運搬グライダーを曳航するハインケル(Heinkel) He 111爆撃機H型:1941年に開発されたゴーダGo 242は箱型断面の鋼管フレーム構造、羽布張だが、双ビームの胴体後方に大型扉を設けて、自動車や大型貨物を迅速に積み下ろしができた。生産機数は1,500機。輸送量:兵員 23名、全長:15.81 m、全幅:24.50 m、全高:4.40 m、主翼面積:64.4平方メートル、空虚重量:3,200 kg、最大離陸重量:7,100 kg、曳航速度:240 km/h。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-641-4547-25 Archive title: Sowjetunion-Süd.- Lastensegler Gotha Go 242 im Schlepp eines Flugzeugs Heinkel He 111; Einsatzkompanie Luftwaffe zbV Dating: 1943 Photographer: Wanderer, W. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv , 101I-493-3352-28引用。


写真(上)2015年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機H-20/R1型16人乗り輸送機仕様(1944年製造):大戦末期、ハインケル爆撃機は一部が夜間爆撃、V-1飛行爆弾(巡行ミサイル)発射母機に使用されたが、緊急空輸のための輸送機仕様に改造された機体も少なくなかった。この輸送機仕様の機体もアメリカ陸軍航空隊第56戦闘グループがドイツで鹵獲し1945年11月にイギリス空軍ファンボロー基地にまで空輸しそれが、1947年に博物館で保管されることになった。その後各地を移ったが1978年から現在のイギリス空軍博物館で「イギリス本土航空決戦」の時期のものとして展示されている。
Description Built in 1944, this was a transport variant with seats for 16 paratroops. Recovered in airworthy condition at the end of the war, it was allocated to the USAAF for evaluation in the United States. It remained in Europe, however, and joined the 56th Fighter Group at Boxted as a mascot / transport aircraft. During this time it was painted in full 56FG markings. When the unit returned to the US in September 1945 the aircraft was flown to Heston, and then to Farnborough in November 1945. In 1947 it was selected for museum use and stored. It remained in store at various locations (including Biggin Hill) except for a couple of brief public appearances. At this time it was painted overall black. In 1967 it was used to assist with the making of the ‘Battle of Britain’ film at RAF Henlow, and then moved to RAF St Athan where some restoration work was carried out and the aircraft painted into a factory colour scheme. In 1978 it went on permanent display in the Battle of Britain Hall, where it remains today. Even though the lighting in the BoB Hall has vastly improved in 2015, the aeroplane is still very much in a corner and is very difficult to photograph! RAF Museum, Hendon, London, UK. 22-3-2015 Date 22 March 2015, 10:10 Source Heinkel He111H-20/R1 ‘701152’ Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真は,Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88D at National Museum USAF File: Heinkel He111H-20-R1 ‘701152’ (16537183634).jpg引用。

◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
読売新聞2013年7月30日「ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演」によれば、日本副総理麻生は7月29日、東京の講演会で憲法改正は「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」として、ドイツの「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。国民が騒がないで、納得して変わっている。喧騒けんそうの中で決めないでほしい」と語った。これは、徴兵復活、軍備強化、独裁政権獲得という本音のようだ。

写真(右)1942年6月28日、ドイツ、東プロイセンのラステンブルク総統大本営「狼の巣」から列車/自動車に乗ってドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥の下を去るフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥
ゲーリングの経歴:1893年、ドイツ帝国外交官を父とする上流階級に誕生、恵まれたな子供時代を過ごし、1905年、カールスルーエの幼年士官学校に入学、卒業後、1909年に士官学校Staff College)に入学して、第一次大戦の始まる1914年に陸軍少尉として歩兵部隊に配属。第一次世界大戦の緒戦では 歩兵として戦ったが、10月からドイツ陸軍航空隊へ移動、当初は偵察員、1915年からは、戦闘機パイロットとして西部戦線で戦った。1918年6月の敗戦の年に最高勲章のプール・ル・メリット勲章Pour-le-Merite)を授与された。ヘルマン・ゲーリングは、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンManfred von Richthofen)が率いていた戦闘機大隊指揮官として敗戦を迎えた。1922年から1923年に、ミュンヘン大学で学んでいるときに、ナチ党総統ヒトラーに出会い、入党する。第一次大戦のエースとしてナチ党の看板となり、突撃隊司令官として、上流階級とナチ党との仲を取り持つことになった。しかし、1923年11月、ヒトラー主導の武装蜂起「ミュンヘン一揆」(Beer Hall Putsch)は失敗し、銃弾を受けたゲーリングは、外亡したものの、治療のために投与したモルヒネの中毒となった。
1911年5月13日、士官候補生、1914年1月20日、少尉、1916年8月18日、中尉、1920年6月8日、名誉階級大尉、1933年8月30日、名誉階級歩兵大将、1935年5月21日、空軍大将、1936年4月20日、上級大将、1938年2月4日、元帥、1940年7月19日、国家元帥 1923年3月1日、SA最高指導者、1931年12月18日、SA中将、1933年1月1日、SA大将。
"Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym. Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym. Institution
写真は Museo Finna: sa-kuva-3283引用。


ドイツ空軍総司令官 ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は、戦争中盤以降、空の戦いで敗北を続け、権威を失っており、戦争後半以降、戦争指導にほとんど参加していない。1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会でヒトラーは「私が倒れたらゲーリングが続く」と演説をしていた。そこで、1945年4月23日、ベルリン攻防戦が始まり、ヒトラーとの連絡が確保できなくなる危険な状況で、ゲーリングは、1941年6月29日にヒトラーが公布したゲーリングを総統の後継者とした法令に基づいて、指揮権継承を電文で問い合わせた。ヒトラーは、これをゲーリングの裏切りとみなし、激怒、ゲーリングを公職から追放し、監禁することを命じた。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。


1.戦前の民間航空ハインケルHe-111輸送機 

ドイツ航空省は、1934年、見るからに精悍なHe 70(Heinkel He 70 "Blitz")単発高速輸送機を完成させていたハインケル社に爆弾搭載量1,000kg、航続距離1,000km、最大速度350km/hの性能の爆家機を密かに発注した。当時のドイツは、ナチ党ヒトラー政権の下にあったが、1929年6月のヴェルサイユ条約の軍事制限条項の下にあり、空軍の保有はできなかったのである。しかし、ハインケル社のジークフリート・ギュンターとヴァルター・ギュンターの兄弟は、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士は、1888年、ドイツ南部、シュトゥットガルト生まれ、第一次大戦で飛行機設計に加わった。戦後の1922年に、北ドイツのヴァーネミュンデにハインケル飛行機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。の指導の下で、He 70の設計思想をもとに、He 111試作機にBMW VI.液冷エンジン(660馬力)2基を装備し、最高速力348km/hの当時としては高速の爆撃機を飛行させた。

写真(右)1933年6月23日、ハインケル(Heinkel)He111輸送機/爆撃機の前段階といえるハインケル(Heinkel)He 70「ブリッツ」(電撃)高速輸送機(D-3)の原型:楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・郵便機として開発され、932年12月1日に初飛行。楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかったが、飛行性能を向上させるとしてあえて採用された。
Photographer: Wild, H.
Title: Heinkel He 70 Verkehrsflugzeug D-3 (367 Std.-Km.)
Caption: Flugzeug, Tiefdecker, Immatrikulation D-3, Lufthansa Emblem auf Seitensteuer, Flugplatz Dübendorf. Der zweite Prototyp der He 70, die He 70b, war die Mustermaschine für die Lufthansa und flog unter dem Kennzeichen D-3. Sie hatte zwei Mann Besatzung und Platz für vier Passagiere. Das Einziehfahrwerk hatte Klappen, welche den Fahrwerksschacht im Flug verschlossen. Als Antrieb kam ein flüssigkeitsgekühlter BMW VI 6,0 Z mit 637 PS Startleistung zum Einsatz.
Dating: 23.6.1933
Impressum: Oerlikon-Zürich : Photo & Verlag H. Wild Photography : paper print
Orientation: Horizontal Format: 9 x 14 cm
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Record Name: Ans_05035-492 引用。


ハインケル He 70の諸元
全長:11.70 m、全幅:14.78 m、全高:3.10 m
翼面積:36.50 平方メートル
空虚重量:2,300 kg、運用重量:3,420 kg
プロペラ:金属製2翅
発動機:BMW VI 7.3 z 液冷V型12気筒液冷エンジン 750馬力1基
最大速度:360 km/h
上昇限度:6000 m
航続距離:1400〜1820 km

ハインケル(Heinkel)He 111 A-0は、He 111試作3号機V3を原型に、He 70同様の楕円曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・爆撃機として開発された。発動機は、BMW VI 12気筒液冷エンジン600馬力2基で、 プロペラは、エンジン出力の低さを反映して2翅だった。このHe 111 A-0は、ドイツのレヒリンRechlin)で実用試験が行われたものの、最高速力は308km/hにしかならず、飛行性能の低さのために、ドイツ空軍は採用しなかった。そこで、生産されたHe111A-0爆撃機は、当時、ドイツの軍事顧問団を招聘していた中華民国に売却された。

写真(右)1935年、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 111 爆撃機V-1試作1号(D-ADUM):楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・爆撃機として開発された。プロペラは、エンジン出力の低さを反映して2翅で、後に3翅となった。
楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかり、工作の簡易化には逆行した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46168960 - Catalog:16_007374 - Title:He 111V-1 Peter Bowers Collection - Filename:16_007374.TIF
Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005215 引用。


He-111 V-1試作機
1929年6月のヴェルサイユ条約の軍備制限条項の下で爆撃機として1934年に密かに開発
乗員員(Crew): 5名
発動機(Engine): BMW VI 6.0Z 液冷12気筒エンジン(600 馬力)
全長(Length): 16.40 m | 全幅(Width): 22.60 m | 全高(Height): 4 m
最高速力(Max. Speed): 310 km/h

写真(右)1935-1936年、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 111輸送機A型V-4試作4号(製造番号 W.Nr. 1968、登録コード D-AHAO):プロペラは、2翅から3翅となった。
楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかり、工作の簡易化には逆行した。
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081302 Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081302引用。


1935年末に,ハインケル(Heinkel)He 111輸送機試作2号機V2と試作4号機V4が製造され、民間登録コードのD-ALIX, D-ALESおよびD-AHAOが与えられた。これが、He 111 A-1輸送機の初めての試作機で、1936年1月10日に完成した。当時は、世界最速の高速輸送機とされ、最高速力は時速402 km/h (250 mph)以上を発揮した。

写真(右)1935-1936年、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機A-0型:装備している発動機は、BMW VI "upright" 液冷倒立V12気筒エンジン(650馬力)2基で、3翅プロペラ、楕円主翼の曲線構造、流線型の胴体。機首のガラス窓は、爆撃手の視界を確保するためのものである。登録コードや国籍マークも記入されていない。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46168947 - Catalog:16_007373 - Title:He 111A-0 Nowarra Collection - Filename:16_007373.TIF
Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081302引用。


設計は、1,000 馬力ダイムラー・ベンツ DB 600液冷倒立V12気筒エンジン2基を装備したが、これはメッサーシュミット(Messerschitt)Bf 109戦闘機の試作10号機から13号機が搭載したのと同じエンジンである。ハインケル社は、戦闘機用のダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB600エンジンをHe111に装備することは認められず、より非力な 650馬力BMW VI "upright"液冷倒立V12気筒エンジンを装備することを強いられた。民間輸送機よりも戦闘機に優秀なエンジンを優先して搭載するのは、ドイツ再軍備(German Rearmament)・空軍の創設を進めたヒトラーとしては当然の帰結だった。

写真(右)1935年9月8日、フィンランド南西、ヘルシンキ西150km、トゥルク、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa)航空のハインケル(Heinkel)He111輸送機C型「ロストック」"Rostock" (W.Nr. 715:D-ALIX):原型はHe-111旅客機試作2号機V-2で、Rostock"として1936年1月に 初飛行したともいわれる。民間輸送機として使用されたが、1937年3月12日、ガンビアのバンジュール(Banjul)に着陸する前に事故で喪失,搭乗員4名死亡。
Lufthansa -lentoyhtiän Heinkel Turun lentoaseman avajaisissa Heinkel He 111 D-ALIX Artukaisten avajaisissa 8/9.1935.
Aineistotyyppi ?Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Inventaarionro SIM VK 533:329 Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1935-09-08 Foto Turku
写真はMuseot Finna・sa-kuva-18864引用。


写真(右)1935年以降、スイス北部、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH:Deutsche Lufthansa AG)、ハインケル(Heinkel)He111輸送機C型:ハインケルHe111輸送機は、ドイツ・ルフトハンザ航空の新鋭高速輸送機として、乗客10名を乗せた旅客輸送に使用された。
Photographer: Swissair
Dating: nach 1935
Title: Heinkel He 111 C der Deutschen Lufthansa am Boden in Dübendorf
Dating: nach 1935 Physical Description: Photography : nitrate-negative Format: 6 x 6 cm
Categories: Reportage photography, Dübendorf, 1931-1940, Aerodrome Dübendorf, Propeller-driven aircraft, Swissair, Lufthansa (DLH), Swissair Archive
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Record Name: LBS_SR01-00070 引用。


ハインケル社は、ドイツ航空省Reichsluftfahrtministerium:RLM)の密命を受けて、ハインケルHe70の技術を活用して大型高速爆撃機の開発を始めた。ベルサイユ条約の軍事制限条項を掻い潜るために、開発の名目は高速旅客機とされた。ハインケルHe111は、1935年2月に試作1号機が初飛行した。この試作機は、民間輸送機としてドイツ・ルフトハンザ航空に採用された。こうして、民間輸送機としてHe111は採用され、量産されることになったため、ハインケル社は、この民間機He111をベースにして、ドイツ再軍備(German Rearmament)によって創設されたドイツ空軍のために爆撃機の開発を進めた。

写真(右)1939年、スイス北部(?)、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH:Deutsche Lufthansa AG)、ハインケル(Heinkel)He111高速輸送機C型の機首:荷物を入れる貨物室になっているが、航空郵便のようなパッケージの積み下ろしをしている。手すり付き金属製移動式階段など機首の倉庫にアクセスする専用機材が準備されている。
Photographer: Swissair
Title: Bugfrachtraum der Heinkel He 111 C (Schnellverkehrsflugzeug)
Dating: nach 1939
Physical Description: Photography : nitrate-negative Format: 6 x 6 cm
Categories: Nose, Reportage photography, 1931-1940, Cargo and luggage compartment, Freigth and baggage services, Propeller-driven aircraft, Lufthansa (DLH), Swissair, Swissair Archive
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Record Name: LBS_SR01-00038 引用。


写真(右)1935-1939年、スイス北部、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH:Deutsche Lufthansa AG)、ハインケル(Heinkel)He111輸送機C型の前で記念撮影をする紳士:機首先端が開いているが、ここに荷物を格納することができる。車輪止め、移動式階段、充電車(?)など飛行機整備のための専用機材が準備されている。
Photographer: Swissair
Title: Unbekannte Person vor Heinkel He 111C der Deutschen Lufthansa in Dübendorf
Caption: Schnellverkehrsflugzeug für 10 Passagiere
Dating: 1935-1948
Physical Description: Photography : nitrate-negative Format: 6 x 6 cm
Categories: 1941-1950, Entry + Exit, Dübendorf, Aerodrome Dübendorf, 1931-1940, Propellers, Men, Propeller-driven aircraft, Lufthansa (DLH), Swissair, Swissair Archive
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Record Name: LBS_SR01-00069 引用。


写真(右)1935年頃、スイス北部、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH:Deutsche Lufthansa AG)、ハインケル(Heinkel)He111輸送機C型(登録コード:D-AQYF)のタラップ(移動式昇降階段)で乗客夫妻の記念写真:手すり付き金属製移動式階段など飛行機乗客のための専用機材が準備されている。
Photographer: Swissair
Title: Passagiere vor dem Einstieg in die Heinkel He 111C Leipzig in Dübendorf
Caption: Einstieg hinter der rechten Flügel-Hinterkante
Dating: ca. 1935
Physical Description: Photography : nitrate-negative Format: 6 x 6 cm
Categories: 1941-1950, Entry + Exit, Dübendorf, Aerodrome Dübendorf, 1931-1940, Propellers, Men, Propeller-driven aircraft, Lufthansa (DLH), Swissair, Swissair Archive
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Record Name: LBS_SR01-00073引用。


写真(右)1935年以降、スイス北部、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH:Deutsche Lufthansa AG)、ハインケル(Heinkel)He111輸送機C型(登録コード:D-AQYF)のタラップ(移動式昇降階段)で乗客夫妻の記念写真:手すり付き金属製移動式階段など飛行機乗客のための専用機材が準備されている。
Photographer: Swissair
Title: Passagiereinstieg in die Heinkel He 111 C, D-AQYF der DLH
Dating: nach 1935
Physical Description: Photography : nitrate-negative Format: 6 x 6 cm
Categories: 1941-1950, Entry + Exit, Dübendorf, Aerodrome Dübendorf, 1931-1940, Propellers, Men, Propeller-driven aircraft, Lufthansa (DLH), Swissair, Swissair Archive
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Record Name: LBS_SR01-00113 引用。


ヒトラーの再軍備宣言
?義務兵役制を復活:兵力36個師団,50万人を動員
?軍事組織の名称変更:陸海軍に加えて空軍Luftwaffeを新設し,国軍Reichswehrを伝統的な国防軍Wehrmachtに戻す。国防省を陸軍省(Ministry of War)と変更。陸軍参謀本部の復活。

写真(右)1935年頃、スイス北部、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)、ハインケル(Heinkel)He111輸送機C型をバックにしたスイス・アルパル航空のオランダ製コールホーフェン F.K.50 (Koolhoven F.K.50) 軽輸送機(左手前)とハンガリーからきたユンカースJu52輸送機(右):コールホーフェンFK50軽輸送機の初飛行は1935年9月18日だが、生産機数は3機のみ。乗員:2 名 乗客:8 名、全長:14.30 m、全幅.:17.70 m、全備重量:4250 kg、発動機: プラット・アンド・ホイットニー R-985空冷星型エンジン(400馬力)2基、最高速力:295 km/h
Photographer: Swissair
Title: Koolhoven FK-50 der Alpar, Junkers Ju-52 aus Ungarn und Heinkel He-111-C der Deutschen Lufthansa (v. u.) am Boden in Dübendorf
Dating: 1932-1948
Physical Description: Photography : nitrate-negative Format: 6 x 6 cm
Categories: 1941-1950, Entry + Exit, Dübendorf, Aerodrome Dübendorf, 1931-1940, Propellers, Men, Propeller-driven aircraft, Lufthansa (DLH), Swissair, Swissair Archive
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Record Name: LBS_SR01-00103引用。


写真(右)1937-1938年、日中戦争の最中、ドイツで不採用になり、中華民国に輸出されて使用されたハインケル(Heinkel)He 111 A-0爆撃機:エンジンは、普及していたアメリカのライト R-1820 サイクロン 9(Wright R-1820 Cyclone 9 )空冷9気筒星形エンジン(1000馬力)を装備している。胴体後方に、四角のガラス窓が開いていて、機首もソリッド化していて、爆撃手席がみえないので、中国では爆撃機としてでではなく、輸送機として使用されたようだ。
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081303
Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081303引用。


 ハインケル(Heinkel)He111の軍用爆撃機は、A型として完成したが、爆撃機としての飛行性能が不十分だった。これは、搭載したエンジンの馬力不足のためだった。そこで、He111Aは、中国に民間機として中華民国に売却された。爆撃機として、実用化されたのは、He111Bが初めてである。新生ドイツ空軍の新鋭爆撃機ハインケルHe111爆撃機B型は、新鋭ダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB600エンジン2基を装備し、1936年に勃発したスペイン内戦に送られ、1937年4月26日、市民への無差別空襲として悪名高いゲルニカ空襲Bombing of Guernica)にも投入された。


2.戦前のハインケルHe-111爆撃機の試作機・初期型 

写真(右)1935年、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111 J-1爆撃機V-18試作18号(D-ADUM):楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・爆撃機として開発された。:ハインケルHe 111 V-18 (D-ADUM)は、魚雷攻撃をする雷撃機(Torpedobomber)として開発され、ドイツ空軍(Luftwaffe)は 90機を発注した。K.Gr. 806に配属され、特殊部隊として J-1 の形式を与えられた。楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかり、工作の簡易化には逆行した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935041 - Catalog:16_005215 - Title:Heinkel He 111V-18 Nowarra photo - Filename:16_005215. TIF
Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005215 引用。


1919年のヴェルサイユ条約Treaty of Versailles)の軍備制限条項のために、敗戦後のドイツは、軍用機の開発・保有が禁止されたが、輸送やスポーツを目的とした民間機で、軍用機に転換できないのであれば、開発・保有も可能だった。そこで、ドイツでは民間機の開発が、ユンカース、ハインケル、ドルニエDornier)など有力な航空機メーカーの下で行われた。しかし、1933年1月にドイツの政権を握ったナチ党は、アドルフ・ヒトラーの独裁体制を確立し、軍事力を今まで以上に強化しようと、密かに画策していた。ナチ党政権樹立前から、外国における兵器開発や軍事訓練は行われていたが、ナチ党ヒトラーも下では、この軍事化の動きが強力に推進されたのである。

写真(右)1935年、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機V-23試作23号(D-ACBH):ハインケルHe 111V-23(D-ADUM)は、試作最終機体で、軍用型に発展する。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935056 - Catalog:16_005216 - Title:Heinkel He 111V-23 Pete Bowers photo - Filename:16_005216. TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005216 引用。


 ハインケルの開発したHe 111輸送機も、高速民間旅客輸送機として登場し、He-111Cが生産されたが、これは単発機のハインケルHe-70高速郵便輸送機と同様、楕円翼の全金属製、引き込み客の機体で、軍用機に転用することも視野に入れていた。

He111試作1号機V1(製造No.713) が初飛行したのは、1935年2月24日で、 発動機のBMW VI液冷12気筒エンジン(650馬力)が出力不足で低速だったものの、飛行特性、離着陸性能はよかった。1935年に2機の試作機V2V1(製造No.715)とV4は、民間機として登録コードD-ALIX,(D-ALES)と D-AHAOを与えられた。

写真(右)1937-1938年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機:主翼両端と胴体後方に、ドイツの国籍識別マークの黒の鉄十字、垂直尾翼に、新たな国籍マークとなったナチ党卍十字スワスチカが描かれている。他方、4桁の登録コードは記されていない。胴体下面のゴンドラはなく、尾輪も小さいものがついている。
SDASM Archives Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081301
Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives, Catalog: 01_00081301引用。


写真(右)1937-1938年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機試作6号機V-6(登録コードD-AXOH):ユモJumoJ200液冷エンジン(700馬力)2基を装備。主翼両端と胴体後方に、ドイツの国籍識別マークの黒の鉄十字、垂直尾翼に、新たな国籍マークとなったナチ党卍十字スワスチカが描かれている。胴体下面のゴンドラはなく、尾輪も非常に小さいものがついている。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43935015 - Catalog:16_005213 - Title:Heinkel He 111V-6 Nowarra photo - Filename:16_005213.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005213引用。


写真(右)1937-1938年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機の機首下面のハッチから出ようとする乗員:大柄のドイツ空軍搭乗員にとって、小型の機首から小さなハッチを使って出入りするのは楽ではない。主翼両端と胴体後方に、ドイツの国籍識別マークの黒の鉄十字、垂直尾翼に、新たな国籍マークとなったナチ党卍十字スワスチカが描かれている。他方、4桁の登録コードは記されていない。胴体下面のゴンドラはなく、尾輪も非常に小さいものがついている。
SDASM Archives Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081282
Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog: 01_00081282引用。


写真(右)1937-1938年頃、ドイツ、沿岸部を飛行するドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機:胴体後上方に機銃座が備えられている。主翼両端と胴体後方に、ドイツの国籍識別マークの黒の鉄十字、垂直尾翼に、新たな国籍マークとなったナチ党卍十字スワスチカが描かれている。他方、4桁の登録コードは記されていない。胴体下面のゴンドラはなく、尾輪は若干大きくなった。
SDASM Archives Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081297
Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081297引用。


写真(右)1937-1938年頃、ドイツ、沿岸部を飛行するドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機:機首に設けられた銃座に7.92ミリMG15旋回機銃が備えられている。遠方のHe111爆撃機の胴体に、ドイツの国籍識別マークの黒の鉄十字、垂直尾翼に、新たな国籍マークとなったナチ党卍十字スワスチカが描かれている。胴体下面のゴンドラはないが、胴体中部下面にごみ箱上の下方銃座を設けている。
SDASM Archives Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081281
Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081281引用。



3.スペイン市民戦争のコンドル軍団ハインケルHe-111爆撃機 

 ドイツ再軍備(German Rearmament)によって、表立った活動を始めたドイツ国防軍だったが、初めての実戦投入は、翌1937年のスペイン内戦(Spanish Civil War)の時に訪れた。

写真(右)1937年、スペイン、スペイン内戦に投入されたドイツのコンドル軍団所属のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機B-0:ドイツ空軍が採用したハインケルHe111の初期爆撃機原型。DB600Aエンジン(1,000hp)装備。コンドル軍団(Legion Condor)の識別指標は、×十字だった。主翼両端に黒丸に白×十字、垂直尾翼には白地に黒×、胴体に黒丸を描いている。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:43935084 - Catalog:16_005218 - Title:Heinkel He 111B-0 Nowarra photo - Filename:16_005218.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005218引用。


1936年7月18日、スペイン共和国政府に対する軍の反乱がおこり、スペイン市民戦争(Spanish Civil War)が始まった。反乱軍は、自らを国民戦線と名乗り、共和国政府を共産主義・ボリシェビキと見なして、打倒しようとした。しかし、共和国政府側につく軍人もあり、西欧民主主義諸国(英仏アメリカ)からは義勇軍が、ソ連からは赤軍が共和国政府を軍事支援した。

 他方、フランシスコ・フランコ(Francisco Franco)将軍の率いるスペイン反乱軍は、ドイツ・イタリアのファシスト軍の支援を求めた。そこで、ヒトラーは、即座にJu-52輸送機を派遣して、北アフリカ・スペイン領モロッコから反乱軍をスペイン本土に空輸させた。そして、ドイツ・コンドル軍団(Legion Condor)を編成して、空軍兵力を中心に軍を「義勇軍」として派兵した。コンドル軍団の識別指標は、×十字だった。これを主翼両端には黒丸に白×十字、垂直尾翼には白地に黒×十字を描いている。

写真(右)1937年、スペイン、スペイン内戦に投入されたドイツのコンドル軍団所属のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機B-1:爆撃型の量産型で、ダイムラーベンツDB600液冷エンジンを装備し、爆弾搭載量1.5トン。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935071 - Catalog:16_005217 - Title:Heinkel He 111B-1 in Spain 1937 Nowarra photo - Filename:16_005217. TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005217引用。


軍用型としてハインケルHe 111Aが開発されたが、当初は搭載したエンジン出力不足から、性能は低かった。しかし、ダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB600エンジン液冷倒立12気筒エンジン2基を装備したB型は、最高速力400?/hと高性能を発揮し、高速機として認められるようになった。

写真(右)1937年、スペイン、カタロニア(?)、スペイン内戦に投入されたドイツのコンドル軍団第88爆撃部隊(K88)所属のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機B-1(25+92)が250キロ爆弾を投下:胴体下面には、ごみ箱状の後下方銃座(C銃座)があり7.92ミリMG15旋回機銃が装備されている。コンドル軍団(Legion Condor)の識別指標は、×十字である。主翼両端には黒丸に白×十字、垂直尾翼には、白地に黒×十字を、胴体には黒丸を描いている。また垂直尾翼にはコンドルのエンブレムが描かれている。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43935124 - Catalog:16_005221 - Title:Heinkel He 111E-1 Nowarra photo - Filename:16_005221. TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005221引用。


 スペイン市民戦争(Spanish Civil War)に際して、反乱軍フランシスコ・フランコ(Francisco Franco)の国民戦線を支援したドイツ・コンドル軍団(Legion Condor)は、戦闘機・爆撃機・偵察機・輸送機を揃えた航空軍を持っていた。これは、実際にはドイツ空軍部隊であるが、建前ではボランティア志願兵から成る「義勇軍」とされた。国民戦線・コンドル軍団の飛行機の国籍・部隊識別マークは、×の十字で、胴体には黒丸を、垂直尾翼には、白地に黒の×だった。主翼両端の国籍マークは、黒丸に白×十字を描いている。

写真(右)1937-1938年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機:主翼両端に、ドイツの国籍識別マークとして小さな黒の鉄十字と、大きく登録コードD-AYFOが描かれている。この機体は、絵葉書としても別の角度から飛行中の姿が撮影されている。戦時中は、より大きな鉄十字となり、登録コードは、より小さくなった。胴体下面のゴンドラは、まだ設けていない。
Ray Wagner Collection Image Ray Wagner Collection Image PictionID:43935098 - Catalog:16_005219 - Title:Heinkel He 111D Pete Bowers photo - Filename:16_005219.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005219引用。


写真(右)1937-1938年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機D-0型:1933年のナチ党政権獲得後、赤地に白丸、その中にナチ党の逆卍スワスチカを垂直尾翼に描いている。胴体後上方に機銃座が設けられている。胴体下面に、ごみ箱のようなものが下がっているが、これは後下方の銃座である。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:43935112 - Catalog:16_005220 - Title:Heinkel He 111D-0 Nowarra photo - Filename:16_005220.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005220 引用。


写真(右)1939年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機E-3型(V4-EH):1933年のナチ党政権獲得後、赤地に白丸、その中にナチ党の逆卍スワスチカを垂直尾翼に描いている。胴体後上方に機銃座が設けられている。胴体下面にはゴンドラがない。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:43935136 - Catalog:16_005222 - Title:Heinkel He 111E-3 Nowarra photo - Filename:16_005222. TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005222 引用。


写真(右)1939年頃、トルコ空軍が購入したドイツ製ハインケル(Heinkel)He 111F-1爆撃機:垂直尾翼には月と星のトルコ軍の国籍マークを描いている。胴体後上方の機銃座は確認できないが、胴体下面にはゴンドラはないが、ごみ箱上の銃座を設けている。機首に大きなピトー管を装備して正確な速度など飛行性能を計測しようというのであろうか。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:43935148 - Catalog:16_005223 - Title:Heinkel He 111F-1 Nowarra photo - Filename:16_005223.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005222 引用。


写真(右)1939年頃、ドイツ、ダイムラーベンツDB 600Gを装備したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機J-1型:1938年8月初飛行。胴体側面に白で鉄十字のドイツ国籍マークを描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935160 - Catalog:16_005224 - Title:Heinkel He 111J-1 Nowarra photo - Filename:16_005224.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005224引用。


ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機J-1型の諸元
初飛行:1938年8月初飛行
発動機:ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 600 G液冷倒立12気筒エンジン(1050 PS)2基
空虚重量6120 kg、全備重量10550 kg
最高速力 415 km/h(高度 5000 m)
航続距離1820 km
爆弾搭載量2000?
武装 7.92ミリMG 15旋回機銃3丁。
ドイツ空軍によりHe 111爆撃機J-1型は、雷撃機として開発された。60機が発注されたものの、実際に雷撃機とされることはなく、全て爆撃機として配備された。

写真(右)1938年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111 V-10 E(登録コードD-ALEQ、製造番号 1437):1933年1月のヒトラー政権樹立後しばらくしてから、垂直尾翼に赤地に白丸を塗り、ナチ党の卍十字をドイツの国籍識別マークとして描くようになった。1935年3月16日、 ドイツ首相兼総統のアドルフ・ヒトラーは、徴兵制を復活による兵役義務を定め、参謀本部を復活した。これが「ドイツ再軍備宣言」であり、ヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄する行為だった。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:43935234 - Catalog:16_005230 - Title:Heinkel He 111V-10 Nowarra photo - Filename:16_005230.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005230引用。


楕円主翼に950馬力のダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB600エンジンA液冷倒立12気筒エンジン2基を装備し,最高速力360 km/hという当時としては高速を発揮したために,ドイツ空軍(Luftwaffe)は、1936年にハインケルHe.111爆撃機B型として生産を開始した。そして、1936年7月18日に勃発したスペイン市民戦争(Spanish Civil War)に実戦投入された。

写真(右)(右)1938年頃、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 111 爆撃機B-1型試作11号機V-11(D-ARCG):民間機として登録コードD-ARCGを付与され、胴体側面に乗客用のガラス窓4つが設けられている。しかし、迷彩塗装を施しており、胴体上方に銃座が設けられており、事実上、軍用機として扱われた様だ。手前の双尾翼は、ドルニエD0-17爆撃機の尾翼で、胴体には白の鉄十字の国籍マークが描かれている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935258 - Catalog:16_005232 - Title:Heinkel He 111V-11 Nowarra photo - Filename:16_005232.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005232引用。


写真(右)1942-1944年頃、ドイツ、新型誘導爆弾の試作品を搭載して実験するハインケル(Heinkel)He 111 爆撃機E型/J-0型:E型は、ユモ Jumo211 A液冷12気筒エンジンを装備したのに対して、J型はダイムラーベンツDB600液冷倒立12気筒エンジンを装備した。旧式化したハインケルHe111爆撃機初期型の中には、1944年まで、後方における新兵器の実験や輸送任務に使用された機体もある。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43935467 - Catalog: 16_005249 - Title: Heinkel He 111 J-0 Nowarra photo - Filename: 16_005249.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005249引用。


ハインケル社は、1922年にエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)が創立したドイツ有数の航空機メーカーである。自由百科では「第二次世界大戦中にドイツ空軍のために爆撃機を始め数多くの航空機を製造した」とされているが、実は大戦前から、ドイツ有数の航空機メーカーであり、新生ドイツ空軍の主力戦闘機He-51を量産した。大戦前、戦闘機のほかにも、偵察機He-46、水上偵察機He-59、高速輸送機He-70などを民間機も含めて量産し、スウェーデン、フィンランド、ブルガリア、ハンガリー、スペイン、日本などに輸出していたのである。


4.第二次大戦直前のハインケルHe-111爆撃機 

写真(右)1938-1939年頃、大戦勃発直前のドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機試作7号機V-7 (V-19): (D-AUKY) 装備しているのはユモJumo 211液冷12気筒エンジン(1.100馬力)2基。 従来の段あり機首・コックピットを、段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防とし、視界を向上させた。これが、量産されるP型(DB600エンジン搭載:エアインテークはエンジン正面右)、H型(Jumo211エンジン搭載:エアインテークはエンジン正面左)の原型となる。1933年1月30日のヒトラー政権樹立後しばらくしてから、垂直尾翼に赤地に白丸を塗り、ナチ党の卍十字をドイツの国籍識別マークとして描くようになった。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935198 - Catalog:16_005227 - Title:Heinkel He 111V-19 (Heinkel He 111V-7) - Filename:16_005227.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005227引用。


ハインケルHe111爆撃機は、A型、B型、C型、F型には機首に段があり、機首先端の爆撃手と、操縦席のパイロットとの間は離れていた。しかし、P型、H型からは、段なしの大型ガラス風防として、爆撃手と操縦手が接近した。これによって、乗員の居住性が向上するとともに、視界が向上した。機首・コックピット一体型の段なし大型ガラス風防は、その後のハインケルHe111爆撃機の標準型となる。さらに、1942年後半からは、ドルニエDo217、ユンカースJu188といった他社の開発・製造する爆撃機にも、段なし大型ガラス風防が採用されるようになる。

写真(右)ノルウェー、ボードー、ノルウェー航空博物館(Norsk Luftfartmuseum)、戦時中、ノルウェーに駐留していたドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型の装備していたユモJumo 211 F 12気筒液冷エンジン(1400馬力);ハインケルHe111爆撃機H型も同じエンジンを装備していたが、冷却器の形状は異なっている。
Innsprøytningspumpe Komponent sammensatt av flere deler med dataplater og nr. på de enkelte deler. Gerat Nr. 9-2021A3U Werk Nr. 1046081231 Innsprøytningspumpe for Jumo 211 motor Identifier: NL.0000001908 Date published: November 21, 2014 Date updated: December 18, 2014
Jumo 211 Fの諸元
全長: 174.5 cm 全幅: 80.4 cm 重量: 640 kg .
写真はNorsk Luftfartsmuseum ・Identifier: NL.0000001908 引用。


ユンカース社、ユモJumo 210液冷倒立12気筒エンジンは、気筒(シリンダー)のボア(Bore): 124 mm、ストローク (Stroke): 136 mm、排気量(Displacement): 19.7 L。当初は600馬力しかなかったが、1936年には660馬力迄向上した。引き続き、エンジンの馬力強化のために、Jumo211が開発されるが、これは気筒数は同じで、Jumo210を発展させたタイプである。ハインケル・アーカイブ(Heinkel Archiv)が保管していた写真。1936年に、Jumo210を大型化、発展させた、ユモJumo 211 液冷倒立12気筒エンジンが完成している。気筒(シリンダー)のボア: 150 mm、 ストローク: 165 mm、排気量: 34.99 L。 ハインケルHe111H型は、ユンカースJu88爆撃機と同じユンカース・ユモJumo211エンジン(エアインテーク正面左)することになった。

1932年にユンカース社は、ユモJumo 210液冷倒立12気筒エンジンを完成させた。これは12気筒(シリンダー)で、ボア(Bore)124 mm、ストローク (Stroke)136 mm、排気量(Displacement)19.7 Lで、出力は初期は600馬力、1936年には660馬力だった。馬力を向上することで新型軍用機の性能向上が可能になるとして、ユンカース社はJumo210のシリンダーを大型化し、機構を改良したユモJumo 211液冷倒立12気筒エンジンを開発し、1936年に完成させている。Jumo211は、気筒(シリンダー)のボア 150 mm、 ストローク 165 mmと気筒の容積を増して、同じ12気筒ながら排気量は34.99 Lとなり、馬力も1000馬力以上発揮できるようになった。

ハインケルHe111P型は、ダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB600エンジン液冷倒立12気筒エンジン(エアインテーク正面右)を搭載したが、このエンジンは戦闘機に優先配備されることになった。そこで、ハインケルHe111H型は、ユンカースJu88爆撃機と同じユンカース・ユモJumo210エンジン(エアインテーク正面左)することになった。後に、エンジンは馬力強化型のJumo211に変換されるが、気筒・構造はほぼ同じである。

写真(右)1938-1939年頃、大戦勃発直前のドイツ北東部、ロストック=マリエネーヘ飛行場、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機試作8号機V-8 (D-AQUO):後にB-0あるいはB-1に改修された。従来の段あり機首・コックピットを、段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防とし、視界を向上させた。これが、量産されるP型(DB600エンジン搭載:エアインテークはエンジン正面右)、H型(Jumo211エンジン搭載:エアインテークはエンジン正面左)の原型となる。1933年1月30日のヒトラー政権樹立後しばらくしてから、垂直尾翼に赤地に白丸を塗り、ナチ党の卍十字をドイツの国籍識別マークとして描くようになった。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43935246 - Catalog: 16_005231 - Title: Heinkel He 111V-8 Nowarra photo - Filename: 16_005231.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005231引用。


トルコは、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He111爆撃機の高性能に着目し、自国空軍に導入しようと計画した。そこで、ドイツ航空省も、ハインケルHe 111 試作8号機V8に,戦闘機に必要となるDB600液冷エンジンではなく、ユモJu211Aエンジンに変換した型、すなわちHe 111F-4型を40機を発注した。このHe111F-4は、1938年の初めに部隊配備された。これらは、1942年には旧式化していたが、スターリングラードに包囲されたドイツ第六軍への空輸にも投入されている。


5.第二次大戦直前からポーランド侵攻までのハインケルHe-111爆撃機 

写真(右)1940年頃、自ら設計した新品のハインケルHe111爆撃機H/P型を背景にしたエルンスト・ハインケル教授エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士の後方には、機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型が控えている。
Beeldnummer 44748 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Formatie Heinkel 111, gevechtsvliegtuigen.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 44748 引用。


エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士は、1888年、ドイツ南部、シュトゥットガルト生まれ、第一次大戦で飛行機設計に加わった。戦後の1922年に、北ドイツのヴァーネミュンデにハインケル飛行機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。アドルフ・ヒトラーの唱える国家社会主義に共鳴し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党した。ハインケルは、スピード感に陶酔しており、スピードへの追及に熱心で、He70高速輸送機のような凝った設計の高速機を開発し、1932年にドイツ・ルフトハンザ航空に採用されている。

  写真(右)1941年8月9日、ハインケルHe111爆撃機の模型を子供に見出ているエルンスト・ハインケル教授:機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型の模型。
Beeldnummer 44741 Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Trefwoorden Duitsers, Luftwaffe, Kinderen, Vliegtuigen, Speelgoed
Personen Heinkel, Ernst
Bijschrift Model He 111 Ein grosser und zwei kleine Heinkel. Doch dies und das gibt's zu erkunden, (Für manches ist die Hand zu klein). 'Ach wer das Flugzeug hat erfunden, Der muss doch schrecklich tüchtig sein!'
Datum 09/08/1941
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 44741 引用。


1881年1月24日生まれのエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、二人兄弟、3回結婚し、連れ子2人を含め7人の子供をもつ。1958年1月30日逝去。

写真(右)1940年頃、ハインケルHe111爆撃機H/P型を生産するエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授の設立したハインケル飛行機工場:1888年、ドイツ南部、シュトゥットガルト生まれ、1922年には、ハインケル飛行機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立。ヒトラーの国家社会主義に共鳴し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党し、He70高速輸送機など高性能機を開発、ドイツ再軍備宣言後には、ドイツ空軍の創設に伴いHe111爆撃機を筆頭に、He112戦闘機、He177爆撃機、He219夜間戦闘機、He280ジェット戦闘機など数々の軍用機を開発、生産して、ハインケル社を興隆させた。後方には、機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型。
Beeldnummer 43807 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen
Locatie Naam: Federal Republic of Germany
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 44748 引用。


初期型のHeinkel He 111には、輸送機時代からの設計をそのまま受け継いでいるために、機首の風防と操縦席の風防の間に段差があるが、後期型では段なしで視界の良い大型操縦席となった。

ハインケル(Heinkel)He111爆撃機初期型の段付き風防を、コックピット路機首を一体化した大型で視界の良いガラス風防に変更し、ユモJumo211液冷V12気筒エンジン2基(空気取入れ口は正面左側)を装備したのがH型である。

写真(右)1940年頃、ハインケルHe111爆撃機H/P型を生産するエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授の設立したハインケル飛行機工場:1888年、ドイツ南部、シュトゥットガルト生まれのエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士は、1922年には、ハインケル飛行機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。ヒトラーの国家社会主義に共鳴し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党し、He70高速輸送機など高性能機を開発、ドイツ再軍備宣言後には、ドイツ空軍の創設に伴いHe111爆撃機を筆頭に、He112戦闘機、He177爆撃機、He219夜間戦闘機、He280ジェット戦闘機など数々の軍用機を開発、生産して、ハインケル社を興隆させた。後方には、機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型。
Beeldnummer 43807 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen Locatie Naam: Federal Republic of Germany
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 43823引用。


1935年4月初飛行のハインケル(Heinkel)He111爆撃機だが,ポーランド戦の時には,60-90機程度しか配備されておらず,ドイツ空軍の主力爆撃機は,ドルニエDo-17だった。しかし,1年後の西方フランス侵攻では,ハインケルHe-111爆撃機が主力となった。

写真(右)1940年頃、ハインケルHe111爆撃機H/P型の機首・胴体部分を生産中のハインケル飛行機工場:機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型。
Beeldnummer 43807
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Personeel, Gevechtsvliegtuigen, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen
Bijschrift He 111 Mä die zum Vorbild wurden. Wieviel Tage noch, uns an seiner Stelle blickt der Pilot aus der Kanzel dem Feind ins Auge. Solche Gedanken kommen einem wohl, wenn man, wie dieser Vorarbeiter in der Endmontage seine Pflicht tut.
Locatie Naam: Federal Republic of Germany
写真はBeeldbank WO2: Beeldnumm 44748 引用。


Heinkel He 111爆撃機のドイツにおける生産数は、1939年452機 1940年756機、1941年950機、1942年1,337機、1943年1,405機、1944年756機、合計5,656 機である。

エルンスト・ハインケル博士の主導したハインケルHe112戦闘機は、Bf109との比較で不採用になり、量産されたHe177爆撃機はエンジン2基でプロペラ1基を駆動する新システムのために、戦塵加熱の事故が頻発し、失敗作となった。他方、新鋭He219夜間戦闘機、高速He280ジェット戦闘機は、斬新で高性能だったが、ドイツ空軍は、重視せずに終わってしまった。戦争末期のハインケルHe162ジェット戦闘機は、大量生産に移ったが、実戦投入前に、終戦となった。

写真(右)1939-1940年冬頃、大戦勃発前後のドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機H型:従来の段あり機首・コックピットを、段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防とし、視界を向上させた。これが、H型(Jumo211エンジン搭載:エアインテークはエンジン正面左)の原型となる。これと同時に、P型は、ダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB600エンジン液冷倒立12気筒エンジンを搭載。このエアインテークはエンジン正面右にあるので仕置き別できる。
born digital image pictionid64603803 - catalogm-004f.jpg - title he-111 - filenamem-004f.jpg--
写真は,SDASM Archives, catalogm-004f.jpg引用。


1939年9月1日,ドイツ軍によるポーランド侵攻があり、その2日後の9月3日,ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスのネヴィル・チェンバレンNeville Chamberlain)首相は、フランスとともに,対ドイツ宣戦布告をした。

写真(右)1939-1940年頃、大戦勃発前後のドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機P-1型:従来の段あり機首・コックピットを、段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防とし、視界を向上させた。これが、量産されるP型(DB600エンジン搭載:エアインテークはエンジン正面右)、H型(Jumo211エンジン搭載:エアインテークはエンジン正面左)の原型となる。1933年1月30日のヒトラー政権樹立後しばらくしてから、垂直尾翼に赤地に白丸を塗り、ナチ党の卍十字をドイツの国籍識別マークとして描くようになった。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935210 - Catalog:16_005228 - Title:Heinkel He 111P-1 Nowarra photo - Filename:16_005228.TIF -
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005228引用。


1939年9月1日、ポーランド侵攻時には,特別部隊(のちのアインザッツグルッペ)が投入され,公務員,教師,医師,聖職者,ユダヤ人,地主,商店主など,ポーランドの文化・国家の維持に有益な人物,インテリゲンツィアを処置していた。ヒトラーにとって,ワルシャワ空爆に躊躇は一切なかった。

ポーランド侵攻に参加したドイツ空軍機は,アルベルト・ケッセリング元帥の第1航空軍,アレクサンデル・レール第4航空軍で,あわせて1302機を保有していた。さらに,空軍総司令部直轄として,輸送機,偵察機など133機があり,陸軍にも偵察機,連絡機など288機が配備されていた。また,ドイツ本土防空部隊は,216機を保有していた。

したがって,ドイツ軍は,総計1929機をポーランド戦に投入したことになる。これはドイツ空軍兵力の三分の二に相当した。当時の主力爆撃機は、ハインケルHe111、ドルニエDo-17とユンカースJu87だった。

写真(右)1939-1940年頃、ドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111 爆撃機H-1型、機首の7.92ミリMG15旋回機銃が明瞭に見て取れる。:胴体下面には、四角の枠が見えるが、これは1枚ずつ開閉する爆弾倉で、爆弾は弾頭を下にして搭載するという珍しい方式を採用した。ハインケルHe111爆撃機初期型の段付き風防を、コックピット路機首を一体化した大型で視界の良いガラス風防に変更し、ユモJumo211液冷V12気筒エンジン2基(空気取入れ口は正面左側)を装備したのがH型である。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935185 - Catalog:16_005226 - Title:Heinkel He 111H - Filename:16_005226.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005226 引用。


対するポーランドの航空兵力は,自国設計・国内生産の機体も含めて、第一線機900機(爆撃機150機,戦闘機315機,偵察機325機,海軍機50機など)だった。これは、当時の小国としては、強力な空軍力であり、イギリス、フランスは、士気の低いソ連軍よりも、勇敢なポーランド軍の方を同盟相手として選ぶことになった。イギリスもフランスもポーランドの独立を保証する順次協定を結び、これを破ってポーランドに侵攻したドイツに対して最後通牒を告げ、宣戦布告をしたのである。

ポーランド軍機は,果敢に攻撃をかけてきたが,ドイツ軍に撃退された。部品,燃料に不足をきたし,稼動機数は急速に低下した。

ドイツ軍は、ビラを空中散布するなどしてポーランドに降伏勧告をした。しかし、果敢な抵抗を続けるポーランドは、黙殺した。降伏の機会を黙殺したポーランドに対して,ドイツ軍は,1939年9月25日、ワルシャワを大空襲した。これは,爆撃機400機を配備した3-4回の反復爆撃で通常爆弾560トン,焼夷弾72トンを投下した。9月27日,ポーランドは降伏した。

写真(右)1939-1940年頃、ドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111 爆撃機H-1型、機首の7.92ミリMG15旋回機銃が明瞭に見て取れる。:胴体下面には、四角の枠が見えるが、これは1枚ずつ開閉する爆弾倉で、爆弾は弾頭を下にして搭載するという珍しい方式を採用した。ハインケルHe111爆撃機初期型の段付き風防を、コックピット路機首を一体化した大型で視界の良いガラス風防に変更し、ユモJumo211液冷V12気筒エンジン2基(空気取入れ口は正面左側)を装備したのがH型である。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935479 - Catalog:16_005250 - Title:Heinkel He 111H-1 Nowarra photo - Filename:16_005250.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005249引用。


ドイツ空軍によるワルシャワ爆撃は、ワルシャワの軍事施設を目標としており、無差別爆撃ではないと主張される。

しかし、当時の水平爆撃の技術では、目標に爆弾を命中させることは困難であった。この低い命中率を前提に、命中しないで目標をそれて着弾した爆弾が、敵に被害を与えるように爆撃あ計画された。目標付近に、民間施設や一般市民がいて、空襲で被害を受けることを当然のように考えていた。これが軍と民間市民を区別しない「無差別」爆撃である。

ポーランド戦に参加した五つの特別行動部隊(アインザッツグルッペ) のうち,第2特別行動部隊,第3特別行動部隊の指揮官は博士の学位を保持するSS大隊長(中佐)だった。

ポーランドの主力戦闘機は,パラソル翼のPZL-11戦闘機で,全幅10.7メートル,全長7.6メートル,全備重量1650キロ, マーキュリーエンジン630馬力,最高速度375キロ,航続距離550キロ,兵装7.92 mm機銃2丁だった。

このような低速戦闘機よりも,エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)の設計したHe-111爆撃機のほうが早く,攻撃は容易だった。電撃戦では,戦車の威力が注目されるが,ポーランド侵攻のときのドイツ軍戦車は,?号戦車,?号戦車で,決して攻撃力,防御力が高い戦車ではなかった。空軍の果たした役割が大きかったと思われる。

1939年9月21日,開戦から3週間,SS保安警察長官ラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich)は,ドイツ陸軍総司令部(OKH)の了解を得て,ポーランド・ユダヤ人の強制移送を,アインザッツグルッペ(特別行動部隊)に指示。これが,後のゲットーへのユダヤ人囲いこみに繋がる。ゲットーとは,ユダヤ人居住区であり、狭い区画の中にユダヤ人は隔離され,囲い込まれた。

ポーランド降伏から1年後,1940年10月12日,ワルシャワでは、ユダヤ人居住区ゲットー(ghetto)を作る法令が出された。ワルシャワでは,1940年10月12日ゲットー設置命令以降,1940年10月第3・4週だけで,ポーランド人キリスト教徒11万3000人が立退かされ,13万8000人のユダヤ人が流入した。ワルシャワの2.4%の区域のゲットーに,ワルシャワ人口の30%を占めるユダヤ人が押し込められた。その結果,人家族が住んでいたアパートに2-3家族が暮らすことになった。1940年11月16日,ワルシャワ・ゲットー(Warsaw Ghetto)は封鎖された。ユダヤ人は,労働動員など許可を得られない限り,ゲットーの外に出ることはできなくなった。


ハインケルHe-111爆撃機を生産するハインケル飛行機工場


6.WW2緒戦フランス侵攻前後のハインケルHe-111爆撃機 

写真(右)1940年2月3日、イギリス中東部、ウィットビーでイギリス空軍(RAF)ハリケーン(Hurricane)戦闘機によって撃墜されたドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機H2/H3型(1H+FM:W.Nr.2323):胴体、垂直尾翼に7.7ミリ機銃団の後が多数残っている。ファニウォー(まやかし戦争)と呼ばれたこの時期、西部戦線では静寂が続いていたとされるが、ドイツ空軍機はイギリス本土に対して散発的に襲撃、偵察を繰り返していた。
THE PHONEY WAR 1940,
object category: Black and white Alternative Namesobject category: Photography,
Object description: A Heinkel He 111 which crashed near Whitby, 3 February 1940.
Part of FOREIGN OFFICE POLITICAL INTELLIGENCE DEPARTMENT (PID) SECOND WORLD WAR PHOTOGRAPH LIBRARY: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 3327)


1939年9月1日、ドイツのポーランド侵攻、9月3日にイギリス・フランスの対ドイツ宣戦布告で第二次大戦が勃発した。ドイツ軍の侵攻を受けたポーランドは、勇戦したが1カ月で降伏、その後、ドイツ東部戦線も西部戦線も平穏になった。ポーランド侵攻から半年以上,フランス軍、イギリス軍はドイツへの攻撃を仕掛けず、西部戦線は、開戦後も静謐だった。そのため「まやかし戦争」(Phoney War)とも称されるほどだった。

写真(右)1940年2月3日、イギリス中東部、ウィットビーで撃墜されたドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機H型:ファニウォー(まやかし戦争)と呼ばれたこの時期、西部戦線では静寂が続いていたとされるが、ドイツ空軍機はイギリス本土に対して散発的に襲撃、偵察を繰り返していた。
THE PHONEY WAR 1940,
object category: Black and white Alternative Namesobject category: Photography,
Object description: A Heinkel He 111 which crashed near Whitby, 3 February 1940.
Part of FOREIGN OFFICE POLITICAL INTELLIGENCE DEPARTMENT (PID) SECOND WORLD WAR PHOTOGRAPH LIBRARY: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 69033)


ハインケル(Heinkel)He111爆撃機の初飛行は、1935年2月24日だが、その直後の1936年7月18日に勃発したスペイン市民戦争(Spanish Civil War)にも投入された。スペイン内戦は、共和国政府の人民戦線と反乱軍のフランコ将軍の指導する国民線・軍政府との内戦で、ドイツはフランコ将軍を軍事支援するために、義勇軍「コンドル軍団」と称して、事実上の正規軍を派遣した。その新鋭爆撃機が、ハインケルHe111爆撃機E型である。

 第二次世界大戦では、1939年のポーランド侵攻「白の事例」、1940年のフランス侵攻「黄の事例」でもハインケルHe111爆撃機は主力として活躍した。こうして、ハインケルHe111は、大戦当初に主力爆撃機として、勝利に貢献した。

写真(右)1940年2月、イギリス北東沿岸、ノース・バーウィックの通りを運搬されるで撃墜されたドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機H型胴体・主翼中央部:ファニウォー(まやかし戦争)と呼ばれたこの時期、西部戦線では静寂が続いていたとされるが、ドイツ空軍機はイギリス本土に対して散発的に襲撃、偵察を繰り返していた。
THE PHONEY WAR 1940,
object category: The fuselage of a Heinkel He 111 shot down in North Berwick is manoeuvred along a street in an 'East Lothian town' while being removed, February 1940,
Object description: A Heinkel He 111 which crashed near Whitby, 3 February 1940.
Part of FOREIGN OFFICE POLITICAL INTELLIGENCE DEPARTMENT (PID) SECOND WORLD WAR PHOTOGRAPH LIBRARY: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 104736)


ドイツ陸軍参謀本部が立案したフランス侵攻作戦「ゲルブ」(黄)計画は,第一次大戦のシュリーフェン計画と同様であった。

しかし,1940年1月10日,ドイツ空軍第二航空軍所属の連絡機Me-108タイフーンが,悪天候によって,ベルギーに不時着する事故が発生した。この連絡機には,ドイツ軍参謀が搭乗しており,その携帯していた参謀本部のゲルブ計画書(フランス侵攻作戦計画)が,ベルギー軍にわたってしまった。本来,このような機密書類を携帯して空路を飛ぶことは禁止されていたが,連戦連勝の中,機密保持についておろそかになっていた。

ベルギー軍が入手したドイツ軍のフランス侵攻作戦計画は,当然,英仏軍に手渡されたことは疑うべくもなかった。飛行機事故で,ドイツのフランス侵攻ゲルフ計画が連合軍に明らかになってしまったために,ドイツ軍は,侵攻変更を余儀なくされた。

ドイツ空軍は,フランス侵攻には、アルベルト・ケッセリング将軍の第二航空軍,フーゴー・シュペルレ将軍の第三航空軍をあて,そこにハインケル(Heinkel)He111爆撃機など双発爆撃機1120機,単発Ju-87急降下爆撃機シュツーカ342機,複葉Hs-123襲撃機42機,単発Me-109戦闘機1016機,双発Me-110戦闘機248機を配備した。1940年5月10日0430,ケルン郊外の航空基地をユンカースJu-52輸送機41機が離陸,輸送機は各々1機のDFS-230グライダーを曳航していた。グライダーには,1機当たり8-12人の降下猟兵(空挺隊員)が搭乗していた。このドイツ空軍の空挺部隊が,ベルギーのマース川の要衝マーストリヒト近くのエバン・エマール要塞に降下し,ベルギー兵士1200人の守備していた近代的な要塞を,その日のうちに攻略した。

写真(右)1940年、オランダ南部、アイントホーフェン(Eindhoven)飛行場、イギリス本土航空決戦直前と思われるドイツ空軍第4爆撃航空団第二爆撃飛行隊(II./KG 4)所属のハインケルHe111爆撃機H/P型: 装を施した遮蔽カモフラージュの柵を準備して待機している。
Onder meer tijdens de Slag om Engeland fungeerde Eindhoven als bommenwerperbasis. De Heinkels He-111's van II./KG 4 hebben zich inmiddels geïnstalleerd. Beeld: NIMH
写真はNational Institute of Mental Health (NIMH): Defensie.nl>Onderwerpen>Vliegveldenoverzicht>Eindhoven 引用。


 イギリスの準備していたノルウェー進駐が始まる直前,1940年4月9日にドイツ軍はノルウェー侵攻を開始した。しかし,4月14日には,イギリス・フランス、ポーランド軍の連合軍1万2000名が、ノルウェーのフィヨルド、トロンハイムに上陸し、4月20日には、北部のナルヴィクNarvik)にも,連合軍3万名が上陸し、ドイツ軍は危機に陥った。

写真(右)1940年、フランス、250キロ爆弾を投下するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H爆撃機:段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防としたハインケルHe111型爆撃機のP型は、DB600エンジン装備で、エアインテークはエンジン正面右に開いているが、H型はユモJumo211エンジン装備で、エアインテークはエンジン正面左に開いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935332 - Catalog:16_005238 - Title:Heinkel He 111H France 1940 - Filename:16_005238.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005238引用。

 しかし、1940年5月10日,ドイツ軍は、中立を表明していたベルギー,オランダに侵攻、連合軍はナルヴィクを撤退し、フランス正面での戦いに集中した。この時、イギリス首相チェンバレンは,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任し、 1940年5月10日に戦時挙国一致内閣がウィンストン・チャーチルWinston Churchill)首相の下に組閣された。

1940年5月14日、ドイツの第54,第57爆撃航空団ハインケル(Heinkel)He111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。当日,出撃した第54爆撃航空団のハインメル爆撃機に「交渉中のために爆撃延期」が打電されたが,ヘーネ中佐の部隊は,爆撃を中止できた編隊もあったが,ラックナー大佐の部隊は無電を傍受できず,爆撃を行った。

こうして,ハインケル(Heinkel)He111爆撃機57機がロッテルダム中心街のマース川北岸にあったオランダ軍防衛陣地を50キロ爆弾1150発,250キロ爆弾158発,合計97トンによって空襲した。

写真(右)1940年5月、ベルギー、フランス国境近くのトゥルネー、撃墜され墜落したドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機の尾翼を運ぶイギリス遠征軍(BEF):ナチ党逆卍スワスチカの付いた垂直尾翼を誇らしげに戦利品として獲得した。しかし、彼らの多くは、ダンケルクに撤退、そこからイギリス本土に逃亡することになる。
THE BRITISH EXPEDITIONARY FORCE (BEF) IN FRANCE 1939-1940,
Creator: Puttnam, Len A. (Captain) War Office official photographer
Object description:British troops move into Belgium, May 1940: British troops with the wreckage of a Heinkel bomber shot down near Tournai...
Part of WAR OFFICE SECOND WO
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (F 4416)


1940年5月14日、ドイツの第54,第57爆撃航空団ハインケルHe111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。その同じ5月14日2030,オランダ軍総司令官ウィンケルマン将軍は,ラジオ放送を通じて,オランダ軍に全面降伏を命じた。このため、ロッテルダム空襲がオランダを降伏に追い込んだよな形になり、戦略爆撃の効果が実証されたと感じた指揮者も多くいたであろう。にドイツ軍は,空挺作戦などによって,投入したJu-52輸送機430機の三分の二が破壊損傷した。

ウィストン・チャーチル首相は、1940年5月26日1857,北フランスのダンケルクDunkirk)に包囲されたイギリス軍救出命令,ダイナモ作戦Operation Dynamo)を発動。ダイナモ作戦第一日の夕方まで,連合軍将兵7669名が救出され,5月28日だけで,1万7804人が救出された。5月29日には,4万7310名が後送,5月30日には5万3823人が大陸を去った。うちフランス兵氏は1万4874人だった。5月31日は,6万8014人が,6月1日には6万4429人が英本土に戻ることができた。敗退するフランス軍を前に、フランス政府では和平派(終戦派)が主導権をにぎった。

写真(右)1940年5月11日のフランス侵攻「ゲルフ(黄色)作戦」時期、オランダに不時着したドイツ空軍第4爆撃航空団(Kampfgeschwader 4)「ウェーバー将軍」 'General Wever'の ハインケル(Heinkel)He111爆撃機P型:ダイムラーベンツDB600液冷倒立V12気筒エンジンのエアインテーク(空気取入れ口)は、正面右側に開いているのはP型である。
Beeldnummer 173483
Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Wrakken, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie Naam: Nederland Land: Nederland Bijschrift: Foto Duitse Heinkel He 111 bommenwerper van Kampfgeschwader 4 'General Wever' (codeletter 'C') na noodlanding in weiland met boomgaard op de achtergrond.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 173483引用。


ヴァルター・ヴェーファー(Walther Wever:1887?1936)は、ドイツ空軍参謀長として「ウラル爆撃機」と呼ばれるような長距離重爆撃機の開発を進め、戦略爆撃を重視する空軍の育成に励んだ。しかし、1936年6月3日、ハインケルHe70輸送機の飛行事故で死去した。後を継いだエルンスト・ウーデット(Ernst Udet:1896-1941)は、第一次世界大戦のエースパイロット ? プール・ル・メリット勲章戦功章受章者で、急降下爆撃機を重視する対地支援中心の空軍を念頭に置いた。 1941年11月17日、45歳で自殺。

写真(右)1940年5月11日のフランス侵攻「ゲルフ(黄色)作戦」時期、オランダに不時着したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機P型:機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111は、H型かP型だが、ダイムラーベンツDB600液冷倒立V12気筒エンジンのエアインテーク(空気取入れ口)は、正面右側に開いているのはP型である。
Beeldnummer 142656
Collectie NIOD
Trefwoorden Wrakken, Luftwaffe, Crashes, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie Naam: Nederland Land: Nederland
Bijschrift: Een uit de serie Heinkel 111 vliegtuigen. Is hij neergeschoten of heeft hij een noodlanding gemaakt?
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 142656 引用。


写真(右)1940年5月11日、フランス侵攻「ゲルフ(黄色)作戦」時期のフランス、ハインケル(Heinkel)He111爆撃機の機首コックピットの操縦席:機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型。
Beeldnummer 5818
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Piloten, Westfront, Duitse strijdkrachten
Bijschrift: Duitse piloten van de Luftwaffe, afdruk van een negatieffilm gevonden in een neergeschoten Heinkel 111. Deze foto is ontwikkeld door Group Captain E.F. Pippet, Royal Air Force piloot, die tot de capitulatie van Frankrijk in 1940 aldaar was gestationeerd. Dit op verzoel van de Franse bemanning van het afweergeschut waarmee zij, op 11 mei 1940 bij Tigeux, in de buurt van Meaux, Noord Frankrijk, een Heinkel 111 hadden neergeschoten, waarin een camera met deze onontwikkelde film werd gevonden. catie
Locatie Naam: Republic of France Land: France
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 5818引用。


写真(右)1940年5月11日、フランス侵攻「ゲルフ(黄色)作戦」時期、ハインケル(Heinkel)He111爆撃機の機首コックピットの操縦席:機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型。
Beeldnummer 5815
Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Piloten, Westfront, Duitse strijdkrachten
Bijschrift: Duitse piloten van de Luftwaffe, afdruk van een negatieffilm gevonden in een neergeschoten Heinkel 111. Deze foto is ontwikkeld door Group Captain E.F. Pippet, Royal Air Force piloot, die tot de capitulatie van Frankrijk in 1940 aldaar was gestationeerd. Dit op verzoel van de Franse bemanning van het afweergeschut waarmee zij, op 11 mei 1940 bij Tigeux, in de buurt van Meaux, Noord Frankrijk, een Heinkel 111 hadden neergeschoten, waarin een camera met deze onontwikkelde film werd gevonden.
Locatie Naam: Republic of France Land: France
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 5815引用。


ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機は、従来の段あり機首・コックピットを、段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防とし、視界と居住性を向上させた。これが、量産されるP型(DB600エンジン搭載:エアインテーク正面右)、H型(Jumo211エンジン搭載:エアインテーク正面左)の原型となる。機首コックピットの段なし大型ガラス風防一体化は、ユンカースJu88がJu188に、ドル二エD0217E型がD0217K型に発展・改良された時にも実施されているが、ハインケルHe111での採用が最も早い。

写真(右)1940年頃、飛行中のドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H/P型爆撃機編隊を僚機の機首コックピット:段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防の後ろに、複式操縦席が配置されている。計器は双発機なので2組ある。左側が正パイロット、右が副パイロットである。操縦桿は1本で、左右に移動することで、正操縦士あるいは副操縦士のどちらかが機を操縦する。
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081283 Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081283引用。


写真(右)1940年頃、飛行中のドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H/P型爆撃機編隊を僚機の機首コックピットのガラス風防越しに撮影:従来の段あり機首・コックピットを、段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防とし、視界を向上させた。これが、量産されるP型(DB600エンジン搭載:エアインテーク正面右)、H型(Jumo211エンジン搭載:エアインテーク正面左)の原型となる。
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081284 Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081284引用。


ドイツ軍の主力は,ファン・ルントシュテット総司令官が率いるA軍集団で,フォン・クライスト将軍が率いる装甲集団が,ルクセンブルク,セダンを突破して,マール川を超え,ソンム川北岸をダンケルクに向かって突進した。ベルギーにあった連合軍は,退路を遮断されるのを恐れて退却を開始したが,A軍集団の装甲軍集団は,「電撃戦」というに相応しい機動力を発揮して,連合軍がフランス本土,パリへ退却するのを阻止してしまった。そこで,連合軍は,英仏海峡に面したダンケルクへと追い詰められた。

1940年5月20日,フランスでは、ポール・レノーPaul Reynaud)内閣が改造され、副首相に第一次世界大戦の英雄フィリップ・ペタン元帥が就任した。1940年5月15日オランダ降伏、5月28日ベルギー降伏と続き、6月10日にはパリが無防備都市を宣言した。このとき、ベニート・ムッソリーニ統領の指導するイタリアも、南フランスを攻撃した。6月14日、パリにドイツ軍が無血入城した。 独仏戦では,フランス軍は、死者10万人、負傷者12万人、捕虜150万人の損害を出した。他方,ドイツ軍は,死者4万人,負傷者15万人だった。

写真(右)1940年、完成したばかりのような真新しいドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-2爆撃機:従来の段あり機首・コックピットを、段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防とし、視界を向上させた。これが、量産されるP型(DB600エンジン搭載:エアインテーク正面右)、H型(Jumo211エンジン搭載:エアインテーク正面左)の原型となる。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935430 - Catalog:16_005246 - Title:Heinkel He 111H-2 Nowarra photo - Filename:16_005246.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005246引用。


フランス休戦の場所として、アドルフ・ヒトラーは、第一次大戦のドイツ休戦が調印されたのと同じコンピエーニュの森を指定した。コンピエーニュには、ドイツ降伏調印を行ったのと同じ食堂列車をフランスの博物館から引き出し据え付けて、そこで行った。フランス勝利の記念碑もコンピエーニュにあったが、それも爆破された。第一次世界大戦の敗戦の雪辱を晴らした思いは、第一次大戦の戦闘機エースのヘルマン・ゲーリングも同じであったろう。

フランス休戦は、1.フランス国土の北部5分の3をドイツ軍政下に置く、2.フランス軍の武装解除、3大西洋側の港湾をドイツに引き渡す、4.フランス艦船の行動停止、5亡命者の引渡し、6.フランスによる占領経費の負担、という条件で認められた。


7.イギリス本土航空決戦のハインケルHe-111爆撃機 

写真(右)1940年、バトル・オブ・ブリテンの時期と思われるドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機H/P型の編隊飛行:機首の段なし大型ガラス風防左側面より撮影。
Beeldnummer 517 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen(飛行機), Duitse strijdkrachten Bijschrift Een formatie Heinkel 111 bommenwerpers.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 517引用。


1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵は英国だけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言した。まだ、英国本土への大規模空襲は控えていた。英国の工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。

写真(右)1940年、バトル・オブ・ブリテンの時期と思われるドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機H型初期型の編隊飛行:エンジン側面(正面右)にエアインテークが見えているので、ユモJumo211液冷エンジンを装備したH型である。
Beeldnummer 526 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen(飛行機), Duitse strijdkrachten Bijschrift Formatie Heinkel 111, gevechtsvliegtuigen.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 526 引用。


英国ウィストン・チャーチル首相は,米国の武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦を戦う覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日、バトル・オブ・ブリテンBattle of Britain)の期間、ドイツ空軍は、英国本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。

写真(右)1940年頃、大戦初期から配備されていたドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-6爆撃機 (登録コード: KI-XO):迷彩塗装を施した真新しい機体で、出現当初1930年代の高速爆撃機も、1940年代には鈍足であり、武装強化のために、胴体後上方、後下方、機首に銃座を設けた。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935455 - Catalog:16_005248 - Title:Heinkel He 111H-6 Nowarra photo - Filename:16_005248.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005248引用。


空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング国家元帥は,1940年8月からの英本土航空「鷲」作戦に際して,ドイツ空軍がイギリス空軍機を駆逐し,イギリスを征服してみせると豪語した。しかし,ドイツ側の被害は甚大で,イギリス戦闘機の抵抗が続いたために,1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始した。

写真(右)1940年頃、ドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機P型:フライングパンハンドル(空飛ぶフライパンの柄)とあだ名されたハンドレページ ハンプデン (Handley Page Hampden)爆撃機は、バトルオブブリテンで、1940年8月25日、前日のロンドン爆撃の報復として、ウェリントン爆撃機とともに、ドイツの首都ベルリンへの初の夜間大空襲を決行した。 ブリストル・ペガサス18 空冷9気筒エンジン(965馬力)を搭載したハンプデンに比べると、ハインケルHe111は、同一時期に初飛行した機体ながら、一回り大型で、飛行性能も優れている。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 43935284 - Catalog: 16_005234 - Title:Heinkel He 111P Pete Bowers photo - Filename: 16_005234.TIF -
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005234引用。


ハインケルHe111爆撃機は、第二次大戦突入直前に、従来の段あり機首・コックピットを、段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防とし、視界を向上させた。

この時、新鋭エンジンのダイムラーベンツDB600液冷エンジン2基を搭載したのがハインケルHe111爆撃機P型である。DB600液冷エンジンのエアインテークは、エンジン正面右に開いているが、H型のユモJumo211液冷エンジンのエアインテークはエンジン正面左に開いている。

のちに、ハインケルHe111爆撃機P型の装備したダイムラーベンツDB600液冷エンジンは、Bf109戦闘機・Bf110戦闘機に優先配備されることになり、爆撃機(He111・Ju88)にはユモJumo211エンジン2基を搭載することとなり、He111爆撃機H型のみ量産を続けることになる。


写真(上)1940年、完成したばかりの真新しいドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機P型
:従来の段あり機首・コックピットを、段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防とし、視界を向上させ、DB600エンジン搭載(エアインテーク正面右)装備のP型、およびJumo211エンジン搭載(エアインテーク正面左)のH型が開発された。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Heinkel He 111k PictionID:38237073 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002346.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.br>写真は,SDASM Archives, PictionID:38237073引用。


写真(右)1940年頃、イギリス本土航空決戦の時期、防空用の阻塞気球(barrage balloon)のケーブルを切断するカッターをした前面に装着したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-8爆撃機:防空用の阻塞気球は、要衝の上空に大型の無人気球を複数上げて、鋼索(ケーブル)の網を作ることで、空襲のために進入しようとする航空機の行動を妨害する目的があった。そこで、妨害用のケーブルを切断するカッターを飛行機に装着して、妨害を気にせずに目標に進入することが企図された。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935405 - Catalog: 16_005244 - Title:Heinkel He 111H-8 Nowarra photo - Filename: 16_005244.TIF -
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005244 引用。


防空用の阻塞気球Barrage Balloons)とは、大都市や要衝の上空に上げる大型の無人気球で、気球と地面とは、鋼索(ケーブル)で繋がっている。そこで、阻塞気球を多数上げると、地面とその上空に、気球が並び、その間を鋼索の網が構築されるために、飛行機が侵入すると、ゲーブルや気球に接触して、墜落することになる。飛行機のパイロットは、阻塞気球を恐れて、目標への侵入を諦めてしまうかもしれない。

そこで、ドイツ空軍は、1940年7月10日から10月31日のバトル・オブ・ブリテンBattle of Britain)の時期、イギリスの阻塞気球Barrage Balloons)による防空を排除するために、進入する飛行機の前部に阻塞気球を繋ぐケーブルを切断するカッターを装備した。こうして、阻塞気球で妨害された目標に向かっても、阻塞気球のケーブルを切断してしまい、無力化できるというわけである。ケーブル切断カッターを爆撃機に装備したことで、阻塞気球を気にせずに目標に進入することが可能になった。

阻塞気球Barrage Balloons)ケーブル切断カッターを装備した爆撃機は、ノーズヘビーとなり、そのバランスをとるために、胴体後方に錘を装備しなければならなかった。その上、カッターの空気抵抗も大きかったために、飛行性能が低下した。そこで、爆撃機の搭乗員は、このような大型ケーブル切断カッターを好まなかった。後に、より小型化したケーブル切断カッターが開発され、Ju188爆撃機に装着され、1944年の小電撃(イギリス本土再空襲)の際に使用された。

写真(右)1940年6月21日,イギリス本土航空決戦に参加したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-111爆撃機H型(Kennung V4+LU)と僚機:当初は、ダイムラーベンツDB601液冷エンジンを装備していたが、これはBf109、Bf110戦闘機用の専用とされ、ハインケルHe-111爆撃機には、若干性能の劣るが、堅牢で生産性の高いユモJumo211エンジンが充当された。
Frankreich.- Bomber Heinkel He 111 (Kennung V4+LU) des Kampfgeschwader 1 (KG 1) auf Feldflugplatz; KBK Lw 4 Date 21 June 1940 Photographer Wanderer, W. Institution German Federal Archives Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-385-0582-06
写真はWikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv Accession number Bild 101I-385-0582-06 引用。


ハインケルHe-111爆撃機H型の諸元
初飛行:1935年2月24日
乗員: 5名(正副パイロット、航法士、通信士、機関士:爆撃照準手、機首銃手、後上方銃手、ゴンドラ銃手、胴体側方銃手は兼任)
全長: 16.4 m、 全高: 3.9 m、全幅: 22.5 m
主翼面積: 86.5 平方メートル
空虚重量: 7,720 kg、全備重量: 12,030 kg
最大重量: 14,075 kg
発動機: ユモ Jumo211 F 液冷V12気筒エンジン(1,300馬力)2基
最高速力: 400 km/h
航続距離: 2,800 km
実用上昇限度: 8,390 m
上昇力: 5,185 mまで20分
翼面荷重: 137 kg/平方メートル
兵装: 20ミリMG FF機関砲1丁、13.1ミリMG131機関銃 1丁、7.92ミリMG15機関銃1-3丁
爆弾搭載量:2トン(胴体爆弾倉50-250-500?/外部ラック1トン爆弾懸架)

写真(右)1940-1941年、イギリス本土航空決戦(?)、西部戦線でイギリス空軍スピットファイア(Spitfire)戦闘機の襲撃をかわしたドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-111爆撃機:第二次世界大戦前に民間高速輸送機の名目で開発され、1935年に初飛行したハインケルHe111は、1936年には就役したが、直ぐに爆撃型が中心になり、 1937年、スペイン市民戦争、フランコ将軍の国民戦線側に、コンドル軍団として参戦した。爆撃だけでなく、第二次大戦中は、雷撃にも参加した。大戦末期は、飛行性の相対的劣化から、輸送任務に従事した。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1978-087-22 Original title: info Eine Spitfire versucht eine He 111 von vorn anzugreifen. Sofort jagt ihm der Beobachter seine gut gezielten Feuerstösse entgegen. Ein wilder Kurvenkampf entwickelt sich, plötzlich eine dicke Rauchfahne. Sie ist getroffen. (Bild: PK/OKW) Archive title: Luftkampf, Flugzeug Heinkel He 111 und brennendes Jagdflugzeug Supermarine Spitfire Dating: 1940/1941 ca. Photographer: o.Ang.
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 Signature: Bild 146-1978-087-22引用(他引用不許可)。


1946年1月29日,戦後のニュルンベルク国際軍事法廷で,ヘルマン・ゲーリングは,1940年7月10日から10月31日のバトル・オブ・ブリテンBattle of Britain)の失敗、英本土上陸作戦ができなくなったことで非難を受けたことの確認を求められた。しかし,ゲーリングはそれを否定し,「私の4個師団の空挺部隊が欲しいという要求を,陸軍の他の要求のために,貫徹できなかった。もし,ダンケルクの戦いの時期に,この4個師団をもっていたら,直ちに英本土に進撃させたであろう」と述べた。しかし,ヘルマン・ゲーリングは,英本土航空決戦について,多くを語ろうとしなかった。

写真(右)1940年夏頃,イギリス本土航空決戦に参加中と思われるドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-111爆撃機H型/P型の大編隊:H型は、ユモJumo211液冷倒立12気筒エンジン2基を装備した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935172 - Catalog: 16_005225 - Title:Heinkel He 111 - Filename: 16_005225. TIF - -
写真は, SDASM Archives Catalog: 16_005225 引用。


ドイツ空軍は、1940年7月10日から10月31日のバトル・オブ・ブリテンBattle of Britain)の時期、イギリス本土空襲当初は、イギリス空軍基地、イギリス航空機工場、レーダー探知装置など軍事施設に対する戦術爆撃を主に実施した。しかし、ドイツ空軍が誤ってロンドン市街を爆撃した報復として、イギリス空軍がドイツの首都ベルリンを夜間爆撃すると、ヒトラーは報復として、ロンドンへの都市無差別爆撃を開始するように指示した。

1940年8月24日、ドイツ空軍のハインケルHe111爆撃機は、ロンドンのテームズ川近くの軍事施設爆撃に向かったが、He 111が目標を誤認し、ロンドン市街に爆弾を投下した。これを受けて、井岸ス首相チャーチルは、報復として、ドイツの首都ベルリンへの夜間空襲を命じた。8月25日、イギリス空軍双発爆撃機のウエリントン、ハンプデン70機が、大戦中初の本格的なベルリン爆撃を実施した。

すると、怒ったヒトラーは、イギリス空軍のベルリン空襲への報復として、ドイツ空軍に対して、ロンドンへの大空襲を始めるように命令した。ドイツ空軍は、効果の上がっていたイギリス軍の軍事施設への空襲を、都市報復爆撃に転換することになったのである。ドイツ空軍は、1940年7月10日から10月31日のBattle of Britain)の後半には、都市空襲に大兵力を投入したが、これは苦戦していたイギリス空軍戦闘機部隊にとって、休養・訓練の時間を与え、さらに戦闘機の増産・配備の余裕を与えることになり、イギリスにとって好都合だった。

写真(右)1940年後半,イギリス本土航空決戦に参加したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-111爆撃機の大編隊:当初は、ユモJumo211液冷倒立12気筒エンジンの爆音を響かせて、イギリス空軍基地、イギリス航空機工場、レーダー探知装置などを空襲した。しかし、ベルリンがイギリス空軍機に空襲されて以降、ロンドンへの報復空襲に大兵力が投入された。
Frankreich.- Verband von Flugzeugen Heinkel He 111 im Flug am Horizont; KBK Lw 5 Date 1940 Photographer Lachmann Institution Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-403-0313-15
写真はWikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv Accession number Bild 101I-403-0313-15 引用。


アドルフ・ヒトラーは,英国がソ連を当てにして戦っていると考え,イデオロギー上の敵であるボリシェビキを殲滅し,東方ソ連にドイツ民族の生存圏を獲得しようとの本心をむき出しにして,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」を発動した。しかし,その直前の1941年4月,ユーゴスラビアで反ドイツのクーデターが勃発,急遽,ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した。

1941年6-7月、バルバロッサ作戦でソ連軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,1942年の東部戦線では,スターリングラード空輸作戦以外,大軍をまとめて投入することはなくなった。

写真(右)1940年11月,イギリス本土航空決戦末期、西部戦線、エンジン整備中のドイツ空軍第4爆撃航空団「ウェーバー将軍」Kampfgeschwader 4(KG4)"General Wever"所属のハインケル(Heinkel)He-111爆撃機:飛行場の後方に駐機しているハインケルHe-111爆撃機は,初期には,機首の風防と操縦席の風防の間に段差があったが、P型、H型では、段差のない大型風防になった。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-2006-0001 Original title: info Stets einsatzbereit müssen unsere Flugzeuge für die ununterbrochenen Vergeltungsschläge unserer Luftwaffe gegen England sein. Der Motor eines Heinkel - Kampffluzeuges He 111 wird überholt. Ein englischer Beutekran der R.A,F. leistet hierfür gute Dienste. Archive title: Heinkel He 111 des Kampfgeschwader 4 (KG 4) "General Wever" Dating: November 1940 Photographer: o.Ang.
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 Signature: Bild 146-2006-0001引用。


1940年6月、フランスは降伏し、7月にフランス戦勝利の褒賞として、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進した。しかし、アメリカの支援を受けたイギリスは、1940年7月10日から10月31日のバトル・オブ・ブリテンBattle of Britain)でドイツ空軍に大損害を与え敗退させた。ヒトラーは,ヨーロッパで孤立したイギリスが戦い続けるのは、東方ソ連がドイツを圧迫しているからだと考え、下等人種の土地をドイツの生存圏に組み込むためにも、1941年6月22日、「バルバロッサ作戦」(Unternehmen Barbarossa)に基づいて、ソ連に侵攻した。ドイツ軍は、東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げ、3カ月程度でソビエト連邦に勝利するつもりだった。

写真(右)1940年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機H型とメッサーシュミットBf109戦闘機E型:1933年採用の赤地に白丸は廃止され、ナチ党の逆卍スワスチカだけを垂直尾翼に描いている。胴体後上方に機銃座が設けられ、胴体下面ゴンドラにも後下面銃座が設けられた。
Heinkel, He-111 Catalog #: 01_00081287
Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081287引用。


Bf 109 Eは、愛称「エーミール」(Emil)で、ダイムラーベンツDaimler-Benz DB601A液冷エンジン1175馬力を搭載、バトルオブブリテン当時の主力戦闘機だった。E-1は、機首上面に2丁、左右主翼に各々1丁の7.92ミリMG17機銃を装備したが、プロペラ軸を通して20ミリMGFF機関砲が発射可能な構造だったが、機銃整備・調整が間に合わずに、機首プロペラ軸の機関銃(モーターカノン)は未搭載だった。

E-2型は、モーターカノンとしてスイスのエリコン社の開発した20ミリMGFF機関砲を搭載した。しかし、20ミリ機関砲の発射時の振動が大きく、機種上面の7.92ミリMG17機銃と共振し大きな振動を起こしてしまう。そこで、E-3型とE-4型では機首プロペラ軸の機関銃(モーターカノン)を撤去して、主翼内に20ミリMGFF機関砲を搭載した。E-5型とE-6型はE-4を改造し、小型カメラを搭載した偵察機である。

 また、爆撃機に随伴、護衛するには、航続距離の延長が不可欠だったため、E-7型では、胴体下面に金属製300L入り落下増槽を懸架可能にした。部隊配備は、1940年夏だった。

Me109E戦闘機諸元
兵装:機首7.92ミリMG17機銃 2丁,主翼20ミリMGFF(エリコン)機銃2丁装備
ダイムラー・ベンツDB601Aエンジン (1100馬力),最大速度570キロ, 航続距離 660キロ
生産機数(1935-1945年)3万3000機。

写真(右)1940年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機H型と500キロ爆弾を専用の爆弾引揚げアームに乗せて運搬する整備員:爆弾を乗せたまま、アームを油圧で持ち上げて爆弾を爆弾搭載ラックにまで引揚げることができる。胴体後上方と側面に機銃座が設けられているのが分かる。
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081290
Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel
Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081290引用。


ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機の胴体中部の爆弾倉は、50?小型爆弾用に分割され、爆弾倉扉も分割されており、爆弾は、その垂直尾翼を下にして縦置き姿勢で搭載された。そこで、500?以上の大型爆弾は、胴体中部下面の爆弾層の位置にラックを取り付け、そこに懸架した。専用の爆弾引揚げアームあるいはラックに着けてある滑車式の引揚げ装置を回転させて、爆弾を喧嘩する方式だった。しかし、多人数が揃えば、人海戦術で爆弾をケーブルで引っ張り上げるほうが手っ取り早い。

写真(右)1940年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機H型:He111H型のユモJumo211液冷倒立12気筒エンジンのエアインテーク(空気取入れ口)は、正面左側に開いている。他方、He111P型は、ダイムラーベンツDB600液冷倒立V12気筒エンジンを装備し、そのエアインテーク(空気取入れ口)は、正面右側に開いている。He111爆撃機の胴体中部の爆弾倉は、50?小型爆弾用に分割され、爆弾倉扉も分割されており、爆弾は、その垂直尾翼を下にして縦置き姿勢で搭載された。
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081289
Title: Heinkel, He 111
Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081289引用。


ハインケルHe-111爆撃機諸元:全長16.4メートル,全幅 22.5メートル,翼面積 86.5平方メートル,全備重量 1.4トン,Jumo211F液冷エンジン(1200馬力)2基,最大速度 440キロ,航続距離 2800キロ,武装 7.92ミリMG15機関銃5丁 爆弾2トン。

コックピットと機首が一体化した大型段なし風防を備えたハインケルHe111型爆撃機P型は、DB600エンジン装備で、エアインテークはエンジン正面右に開いている。他方、H型はユモJumo211液冷倒立12気筒エンジン装備で、エアインテークはエンジン正面左に開いている。

写真(右)1940年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機H型のユモJumo211液冷倒立V12気筒エンジンにカバーを掛ける整備員たち:He111爆撃機の胴体中部の爆弾倉は、50?小型爆弾用に分割され、爆弾倉扉も分割されており、爆弾は、その垂直尾翼を下にして縦置き姿勢で搭載された。そこで、500?以上の大型爆弾は、胴体中部下面の爆弾層の位置にラックを取り付け、そこに懸架した。専用の爆弾引揚げアームあるいはラックに着けてある滑車式の引揚げ装置を回転させて、爆弾を喧嘩する方式だった。しかし、多人数が揃えば、人海戦術で爆弾をケーブルで引っ張り上げるほうが手っ取り早い。
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081288
Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel
Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081288引用。


ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He111H型の装備したユンカース(Junkers)ユモJumo211液冷倒立V12気筒エンジンのエアインテーク(空気取入れ口)は、正面左側に開いている。ユモJumo211エンジンは6万8,000台も生産され、ユンカースJu-87 、Ju-88に装備された。

他方、He111P型の装備したダイムラーベンツDB600液冷倒立V12気筒エンジンのエアインテーク(空気取入れ口)は、正面右側に開いている。He 111爆撃機は、1936年から1944年まで量産され、総生産数は7,603機に達した。しかし、戦争中期以降は、旧式化し、飛行性能が相対的に低下し、夜間空襲、輸送、特殊任務に就いた。

写真(右)1940年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機H型の側方銃座と銃手
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081285 Title: Heinkel, He 111
Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081285引用。


ハインケルHe 111 H爆撃機の諸元
全長 16.4メートル,全幅 22.5メートル,翼面積 86.5平方メートル
全備重量: 1.2トン,液冷ユンカースJumo211エンジン1300馬力2基
最大時速 400キロ,航続距離 1200-2400キロ,上昇限度8000メートル
武装:7.92ミリMG15機関銃6丁,爆弾2.5トン
乗員5人(パイロット、航法手、爆撃手・機首銃手、銃手1-2人)
原型初飛行 1935年2月24日,総生産数 6000機。
生産工場は,ビスマール,オラニエンブルクのハインケル社のほか,ドルニエ社,アラド社でもライセンス生産。
生産期間は,1936年3月から1944年9月まで。

ドイツ空軍による1940年7月10日から10月31日のバトル・オブ・ブリテンBattle of Britain)の直前、北フランスのダンケルクからイギリス兵・フランス兵40万人がイギリスに脱出させる「ダイナモ作戦」が発動されたいる。この時、イギリスは海軍艦艇、民間船など多数の船舶を動員して、撤退に当たったが、ドイツ空軍機はこれらの船舶を空襲した。この時、イギリス本土にあったイギリス空軍戦闘中隊が、ダンケルクから撤退する船舶の上空援護に当たった。

写真(右)1940年頃、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機の機首、大型ガラス風防に囲まれた爆撃照準手:機首の先端には、7.92ミリMG15旋回機銃が搭載されていて、機首のハンドル(把手)を人力で回転させて、射界を確保できるようになっている。
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081286 Title: Heinkel, He 111
Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081286引用。


高空では気温が下がるため、飛行機搭乗員は厚手の飛行服を着用している。また、飛行服は狭い機内で機材の障害にならないようにオーバーオールで、航空地図などを身近におけるように飛行服のポケットなど収容スペースにも配慮されている。

写真(右)1941年,フランス,バトルオブブリテンの時期,ドイツ空軍主力爆撃機ハインケルHe-111H爆撃機コックピットの正・副操縦席:副操縦席では、分厚い飛行服を着込んだ搭乗者が、動画撮影用のムービーカメラを構えている。
Frankreich.- Verband von Bombern Heinkel He 111 H-2 der 7./KG 1 im Anflug über dem Kanal (vorne V4+IR); PK KBK Lw4
Dating: 1940 Sommer Photographer: Dahm撮影。
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


写真(右)1940年8月27日、バトル・オブ・ブリテンに参加したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機の機首銃座と搭乗員:搭載しているのは、7.92ミリMG15旋回機関銃。
Piloten, Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Luchtoorlog, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift He 111 In the turret of a German combating plane during a raid on the enemy. . ype Foto
Datum 27/08/1940
Datum type Opname Vervaardiger PK Weltbild.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 341 引用。


1940年後半のバトルオブブリテンの時期には、最高速度440キロのハインケルHe-111は高速爆撃機とはいえなくなった。しかし,信頼性のある機体と堅実なユンカース(Junkers)ユモJumo211エンジンのため,武装強化を図りながら、終戦まで爆撃機,雷撃機,V-1号発射機,輸送機などに使用された。ただし,生産は1944年に中止。

写真(右)1940年夏頃、イギリス本土航空決戦時期のドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機の編隊:ドイツ空軍のHe-111P型またはH型爆撃機。
THE BATTLE OF BRITAIN
Object description A formation of Heinkel He 111 bombers..
Catalogue number GER 530、Part ofMINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR FOREIGN OFFICIAL COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (GER 530)


イギリス戦時内閣ウィストン・チャーチル(Winston Churchill)首相は、1940年6月、フランス防衛に派遣していたイギリス遠征軍を北フランスのダンケルクから、イギリス本土に撤退させた。フランス敗北から4年もたった1944年6月になって、イギリス軍は大陸に遠征軍を再度派遣することができた。

1940年6月25日、フランスがドイツに降伏すると、ドイツ軍は占領した北フランスに航空基地を整備し、イギリス攻撃に備えた。

 しかし、ヒトラーは、ヨーロッパで孤立したイギリスは、早晩、ドイツに和平を乞うはずだと楽観しており、ドイツの国会やラジオ放送で、イギリスに対する講和を提案した。これは、イギリスが、ヨーロッパ大陸におけるドイツの覇権を認める代わりに、イギリス本土と植民地を認めるとの寛大な講和条件だった。

写真(右)1940年頃、イギリス本土航空決戦時のハインケルHe111爆撃機H/P型:機首の段なし大型ガラス風防のハインケル(Heinkel)He111爆撃機H/P型で、設計当初、飛行性能を重視した楕円翼は、生産性を重視して、似た形状の直線翼に変更された。
Beeldnummer 522 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Luchtaanvallen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift: He 111 Deutsches Kampfflugzeug &uumn;ber England. Heinkel.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 522 引用。


写真(右)1940年9月2日、イギリス本土航空決戦時、イギリス上空を飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機H/P型
Beeldnummer 11070 Collectie NIOD
Trefwoorden .
Bijschrift: Auf ihrem t&aumn;glich Einflug in England. Unser Luftbild zeigt einen 'Heinkel - Bomber' Typ 111 beim Einflug in England Datum 02/09/1940
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 11070 引用。


ドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機H/P型の形状特性は、
?機首の段なし大型ガラス風防(のちに、ユンカースJu88、ドルニエD0217も採用する)、?設計当初、飛行性能を重視した楕円翼の量産性向上を図った直線簡易構造の疑似楕円翼(イギリス空軍スピットファイアは楕円翼を維持)、
である。

写真(右)1940年9月7日、イギリス、ロンドン、蛇行するテームズ川上空を飛翔するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-111爆撃機:左はドイツ空軍He-111PまたはH型爆撃機。有名な写真などでIWM以外のアーカイブでも公開されている。9月7日、ドイツ空軍は、それまで続けてきた航空撃滅戦が効果が上がっていないと判断し、作戦を変更して、ロンドン爆撃・電撃(ブリッツ)が始まった初日となった。
THE BATTLE OF BRITAIN, JULY-OCTOBER 1940
Object description A German Heinkel He 111 bomber flying over the Isle of Dogs in the East End of London at the start of the Luftwaffe's evening raids on 7 September 1940, the first day of the Blitz.
Creator German Air Force photographer
Production date 1940-09-07
Catalogue number C 5422
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (C 5422)


 ヒトラーの和平提案に対して、イギリス戦時内閣ウィストン・チャーチル(Winston Churchill)首相は、このヒトラーによる和平提案を考だにせず、イギリスはドイツと戦い続けると宣言し、万が一のことがあっても、北アメリカ、カナダなどイギリスの自治領(ドミニオン)に移ってでさえも「決して降伏しない」と断言した。

We shall go on to the end, we shall fight in France, we shall fight on the seas and oceans, we shall fight with growing ... we shall fight in the fields and in the streets, we shall fight in the hills; we shall never surrender... .

写真(右)1940年9月25日、西部戦線、イギリス空軍第609戦闘飛行隊マッカーサー(J H G McArthur)中尉操縦のスーパーマリン・スピットファイアMk.I(Supermarine Spitfire Mark I)に銃撃されるドイツ空軍機第53爆撃航空団あるいは第55爆撃航空団「グライフ」"Greif"所属のハインケル(Heinkel)He111爆撃機:ブリストル、フィルトン基地を出撃して、ドイツ空軍爆撃機を迎撃した。
ROYAL AIR FORCE FIGHTER COMMAND, 1939-1945.,
Object description A still from camera gun film shows tracer ammunition from a Supermarine Spitfire Mark I of No. 609 Squadron RAF, flown by Flight Lieutenant J H G McArthur, hitting a Heinkel He 111 on its starboard quarter. These aircraft were part of a large formation from KG 53 and KG 55 which attacked the Bristol Aeroplane Company's works at Filton, Bristol, just before midday on 25 September 1940.
Creator No. 609 Squadron RAF
Catalogue number CH 1823.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (CH 1827)


写真(右)1940年9月25日、西部戦線、イギリス空軍第609戦闘飛行隊将校バイスディー(J D Bisdee)操縦のスーパーマリン・スピットファイアMk.I(Supermarine Spitfire Mark I)に銃撃されるドイツ空軍第55爆撃航空団「グライフ」"Greif" 所属のハインケル(Heinkel)He111爆撃機:イギリス、サウサンプトン、ウールストンのスピットファイア航空機工場を空襲したドイツ空軍爆撃機を迎撃した。
ROYAL AIR FORCE FIGHTER COMMAND, 1939-1945.
Object description A still from camera-gun film taken from a Supermarine Spitfire Mark I of No. 609 Squadron RAF, flown by by Pilot Officer J D Bisdee, as he dives on a formation of Heinkel He 111s of KG 55 which have just bombed the Supermarine aircraft works at Woolston, Southampton. The rearmost aircraft of the leading 'staffel' receives a burst of machine gun fire from Bisdee, as shown by the streaks of light from the tracer bullets. Its port engine is also on fire.
Creator No. 609 Squadron RAF Catalogue number CH1827.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (CH1827)


写真(右)1940年9月25日、西部戦線、イギリス空軍第609戦闘飛行隊飛行隊長ダルレー(H S Darley)操縦のスーパーマリン・スピットファイアMk.I(Supermarine Spitfire Mark I)に銃撃されるドイツ空軍第55爆撃航空団「グライフ」"Greif" 所属のハインケル(Heinkel)He111爆撃機:イギリス、サウサンプトン、ウールストンのスピットファイア航空機工場を空襲したドイツ空軍爆撃機を迎撃した。
ROYAL AIR FORCE FIGHTER COMMAND, 1939-1945.
Object description A still from camera-gun film taken from a Supermarine Spitfire Mark I flown by the Commanding Officer of No. 609 Squadron RAF, Squadron Leader H S Darley, as he opens fire amongst a formation of Heinkel He 111s of KG 55 which have just bombed the Supermarine aircraft works at Woolston, Southampton.
Creator No. 609 Squadron RAF
Catalogue number CH1829.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (CH1829)


1940年夏、イギリス本土に上陸をせず、イギリスの屈服を図ろうとして、ドイツ空軍は、イギリス本土を大空襲した。これが、イギリス戦時内閣ウィストン・チャーチル(Winston Churchill)首相のいうバトル・オブ・ブリテン(イギリス本土航空決戦)である。バトル・オブ・ブリテンの空中戦で、圧倒的に優勢なドイツ空軍を迎え撃ったイギリス空軍の主力戦闘機がスーパーマリン・スピットファイアMk.I(Supermarine Spitfire Mark I)である。流れるようなラインで、楕円形主翼の優雅さも備え、飛行性能もドイツ空軍のメッサーシュミットBf109戦闘機E型と対等に戦うことができた。

写真(右)1940年9月25日、西部戦線、イギリス空軍第609戦闘飛行隊将校ミラー(R F G Miller)操縦のスーパーマリン・スピットファイアMk.I(Supermarine Spitfire Mark I)に銃撃されるドイツ空軍第53爆撃航空団「コンドル軍団」 "Legion Condor" あるいは第55爆撃航空団「グライフ」"Greif" 所属のハインケル(Heinkel)He111爆撃機:イギリス、サウサンプトン、ウールストンのスピットファイア航空機工場を空襲したドイツ空軍爆撃機を迎撃した。
ROYAL AIR FORCE FIGHTER COMMAND, 1939-1945.
Object description A still from camera gun footage taken from a Supermarine Spitfire Mark I of No. 609 Squadron RAF flown by Pilot Officer R F G Miller, showing a Heinkel He 111 of KG 53 or KG 55 taking hits in the port engine from Miller's machine guns. The aircraft was one of a force which bombed the Bristol Aeroplane Company's factory at Filton, Bristol. Miller was killed two days later when he collided head on with a Messerschmitt Bf 110 of III/ZG 26 over Cheselbourne, Dorset.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (CH1829)


イギリス空軍(RAF)スーパーマリン・スピットファイアMk.Iの操縦席(キャノピー)は、初期には胴体と一体のラインのガラス風防だったが、後に視界、特に後方視界を向上した大型のバブル(気泡)型のもの変更されている。スコードロン (Squadron) とは、飛行戦隊あるいは飛行中隊と訳されるが、単一の機種で編成30-40機程度の航空部隊だった。

イギリス空軍(RAF)第609戦闘飛行隊(No. 609 Squadron)が配備した戦闘機

1939年8月-1941年5月:スーパーマリン・スピットファイアMk.ISupermarine Spitfire I
1941年2月―5月: スピットファイアMk.IIA(Supermarine Spitfire IIA
1941年5月-1942年5月: スピットファイアMk.VB /Mk.VCSupermarine Spitfire VB / VC)
1942年4月-1945年9月: ホーカー・タイフーン IA/IBHawker Typhoon IA/IB

写真(右)1940年7月11日、イギリス南部、サセックス、セルジーの東海岸、イギリス空軍第145戦闘飛行隊の戦闘機に撃墜されたドイツ空軍ドイツ空軍第55爆撃航空団「グライフ」"Greif" 第2飛行隊(2./KG 55) 所属He-111H爆撃機(登録コード G1+LK)
THE BATTLE OF BRITAIN 1940,
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION,
Production date 1940-07,
Object description: The rear fuselage of Heinkel He 111H (G1+LK) of 2./KG 55 on East Beach, Selsey in Sussex. The bomber was shot down by P/O Wakeham and P/O Lord Shuttleworth of No. 145 Squadron, 11 July 1940....
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 72440)


写真(右)1940年7月11日、イギリス南部、サセックス、セルジーの東海岸、イギリス空軍第145戦闘飛行隊の戦闘機に撃墜されたドイツ空軍ドイツ空軍第55爆撃航空団「グライフ」"Greif" 第2飛行隊(2./KG 55)所属ハインケル(Heinkel)He-111H爆撃機(登録コード G1+LK)
THE BATTLE OF BRITAIN 1940,
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION,
Production date 1940-07,
Object description: RAF personnel examine the wreck of Heinkel He 111H (G1+LK) of 2./KG 55 on East Beach, Selsey in Sussex, shot down by P/O Wakeham and P/O Lord Shuttleworth of No. 145 Squadron, 11 July 1940.
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 72441)


ドイツ空軍は陸軍に協力しての対地直協を基本戦略としていたために、都市戦略爆撃を行うのに適した重爆撃機を保有していなかった。急降下爆撃機は、この対地直協の主力となる単発急降下爆撃機だった。

1940年7月10日、バトル・オブ・ブリテンBattle of Britain)の開始の時、ドイツ空軍の対イギリス空襲の戦力はハインケル(Heinkel)He111など爆撃機1100機、急降下爆撃機300機、単発戦闘機800機で、偵察機など含めて合計2500機以上あった。ヘルマン・ゲーリングは、対フランス戦勝によって元帥となったが、対イギリス攻撃の緒戦では、目標はイギリス空軍兵力と空軍基地・レーダーだった。バトルオブブリテンBattle of Britain)は、ドイツ空軍では「鷲の日」の攻撃に始まり、その後しばらくしてから、都市爆撃、夜間爆撃が行われるようになった。

写真(右)1940年7月11日、イギリス南部、ワージング郊外、サセックス、ハイ・ソルヴィントン、イギリス空軍第145戦闘飛行隊の戦闘機に撃墜されたドイツ空軍第55爆撃航空団「グライフ」"Greif"(KG55)所属ハインケル(Heinkel)He-111P爆撃機(製造番号 1582: G1+FR) :イギリス南部、ヒースロー郊外の西アエロドーム(Great West Aerodrome)基地を空襲したハインケルHe111爆撃機が撃墜され、ワージング郊外、サセックス、ハイ・ソルヴィントンに墜落した。
THE BATTLE OF BRITAIN 1940,
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION,
Production date 1940-08-16,
Object description: Troops guard the wreck of Heinkel He 111P (W.Nr 1582: G1+FR) of 7./KG 55, which was shot down during an attack on Great Western Aerodrome (now Heathrow) and crash-landed at High Salvington near Worthing, 16 August 1940..
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 72684)


写真(右)1940年7月12日、イギリス南部、イギリス空軍第43戦闘飛行隊の戦闘機にサザンプトン上空で迎撃され、ハンプシャー、ポーツマス郊外ハイプレー、に墜落したドイツ空軍第55爆撃航空団「グライフ」"Greif"(KG55)所属ハインケル(Heinkel)He-111P爆撃機
THE BATTLE OF BRITAIN 1940
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION,
Production date 1940-07,
Object description: A German Heinkel He 111P bomber of the Stab/KG 55 which crash-landed at Hipley in Hampshire on 12 July 1940. It was shot down by Hurricanes of 'B' Flight, No. 43 Squadron over Southampton Water...
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 90819)


写真(右)1940年7月12日、イギリス南部、ハンプシャー、ポーツマス郊外、ハイプレー、イギリス空軍第43戦闘飛行隊の戦闘機に撃墜されたドイツ空軍第55爆撃航空団「グライフ」"Greif" 所属ハインケル(Heinkel)He-111P爆撃機(登録コード G1+FA) :機体を偽装網で覆っているのは、ドイツ空軍機に発見されないように秘匿する目的がある。
THE BATTLE OF BRITAIN 1940
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION,
Production date 1940-07
Object description:RAF personnel inspecting Heinkel He 111P, (coded G1+FA) of Stab/KG 55 which was brought down at Hipley in Hampshire, 12 July 1940. It has been camouflaged to prevent the Luftwaffe attempting to destroy the remains. The bomber was shot down by 'B' Flight of No. 43 Squadron over Southampton Water...
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU72438)


写真(右)1940年10月10日、イギリス南東部、イギリス空軍第145戦闘飛行隊の戦闘機に撃墜されたドイツ空軍第55爆撃航空団(KG55)「グライフ」"Greif" 所属He-111H爆撃機(登録コード G1+LK)
THE BATTLE OF BRITAIN 1940
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION
Object description: Soldiers collecting for the Spitfire Fund use the fuselage of a Heinkel He 111 as a focus of interest for locals in a street 'somewhere in south east England', 10 October 1940.
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 72542)


写真(右)1940年10月、イギリス本土、イギリス空軍に撃墜されたドイツ空軍He-111爆撃機H/P型の胴体をトレーラーに乗せて運搬している。
THE BATTLE OF BRITAIN 1940
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION
Production date 1940-10,
Object description:The fuselage of a Heinkel He 111 bomber, being transported by road to a scrap yard, October 1940.
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 72439)


写真(右)1940年10月2日、撃墜されイギリス本土に墜落したドイツ空軍機からの金属回収。:左はドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-111PまたはH爆撃機、中央奥はユンカースJu-87B急降下爆撃機の胴体、右はメッサ―シュミットBf-109E戦闘機のコックピット
THE BATTLE OF BRITAIN 1940
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
object category: Black and white Alternative Namesobject category: Photography
Object description:Reporters examine the remains of a Heinkel He 111, Junkers Ju 87 and Messerschmitt Bf 109E, now resting in a scrapyard in Britain, 2nd October 1940.
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 104723)


写真(右)1942年2月24日、撃墜されイギリス本土に墜落したドイツ空軍機からの金属回収。:右手前から、メッサ―シュミットBf-109E戦闘機の胴体中央部、ハインケル(Heinkel)He111P/H爆撃機の胴体(2機)、ユンカースJu-88爆撃機の胴体(2機)が並べられている。
THE LUFTWAFFE 1939-45
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
object category: Black and white Alternative Namesobject category: Photography
Object description:The wrecks of Luftwaffe aircraft in a British scrapyard, 24 February 1942. Types visible are Junkers Ju 88, Heinkel He 111 and Messerschmitt Bf 109E..
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (E (MOS) 53)


写真(右)1940年頃、オランダ、不時着・損傷したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機H/P型の胴体を運搬する:主翼は取り外して、道路上をトレーラーに乗せて運んでいる。損傷率50%未満ということで、工場で修理して、戦線に復帰させる判断がなされた様だ。機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型を自転車にもって見物に来た地元のオランダ人が囲んでいる。
Beeldnummer 175383 Collectie Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbeek Trefwoorden Wrakken, Luftwaffe, Bommenwerpers, Burgerbevolking, Duitse strijdkrachten Locatie Naam: Noord-Brabant Land: Nederland Bijschrift Foto transport romp Heinkel He 111. Tekst: 'Transport per spoor van Heinkel He 111 op het station Eindhoven. Datum: september 1941'. Het zou echter in september 1940 gebeurd zijn. Type Foto Periode 1940/1941
写真はBeeldbank WO2: Beeldnumm175383 引用。


ドイツ空軍ハインケルHe 111H爆撃機の諸元
原型初飛行 1935年2月,生産機数 7000機以上
全長 16.4メートル,全幅 22.5メートル,翼面積 86.5平方メートル
全備重量: 1.2トン,ユンカース(Junkers)ユモJumo211液冷倒立12気筒エンジン1300馬力2基
最大時速 400キロ,航続距離 2800 キロ
兵装: 7.92ミリMG15機関銃6丁,爆弾2トン。

写真(右)1940-1941年頃、イギリス本土航空決戦の時期、夜間出撃をするドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機P型:夜間照明を受け ダイムラーベンツDB600液冷エンジンを回転させている。DB600液冷エンジンのエアインターク(空気取入れ口)は、正面の右側にあるので、写真に見えるエンジン左側にはエアインテークはない。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46168988 - Catalog:16_007376 - Title:Heinkel He-111 - Filename:16_007376.TIF - -
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_007376引用。


バトル・オブ・ブリテンBattle of Britain)の後半、ドイツ空軍爆撃機によるイギリス本土大空襲は、1940年9月7日から1941年5月10日まで、続けられたが、主目標のロンドンには、57日連続空襲が仕掛けられた。その期間のイギリス側の死者は、4万名以上というが、これは1945年3月10-11日の一夜で実施された東京大空襲の死者の半分程度である。ロンドンでは、地下鉄網が整備されており、住民は地下鉄を安全な防空壕にして退避することができた。

写真(右)1940年12月18日、北フランス、ロジェール=サンテール(Rosieres en Santerre)、イギリス中央部、コベントリー(Coventry)夜間爆撃に出撃するドイツ空軍第1爆撃航空団「ヒンデンブルク」 ”Hindenburg” 第3爆撃中隊(III/KG1)所属のハインケル(Heinkel)He111爆撃機P型:主翼、エンジン下面を黒の迷彩塗装をしている。胴体下面に大型爆弾用ラックを装備して、500キロ爆弾2発を懸架している。ただし、爆弾ラックを装備した場合、胴体内の小型爆弾用の爆弾倉は開閉不能になり、使用できなかった。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift He 111 Eine Maschine, die vom Engelandflug kommt, rollt über den Platz. Heinkel. Type Foto
Datum 18/12/1940
Datum type Opname
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 532 引用。



German propaganda film depicts Heinkel He 111 attack on British ships...HD Stock Footage

バトル・オブ・ブリテンBattle of Britain)後期の都市爆撃で、ロンドン以外の空襲目標は、バーミンガム、ブリストル、マンチェスター、ベルファスト、リヴァプール、サウサンプトン、コヴェントリーなどの大都市も対象になった。大空襲の目的は、イギリスの抗戦意思を叩き潰し、イギリスの降伏を誘うためだった。しかし、イギリス本土大空襲は、イギリス人の生命財産を奪い、ドイツ、ヒトラーに対する憎悪を一層強めることになった。

写真(右)1940年2月3日、北フランス(?)、迷彩網をかけて上空の敵機から発見されないように秘匿されたドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He111爆撃機
Trefwoorden Luftwaffe, Camouflage, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten .
Bijschrift: He 111 But they're specially good at verbal camouflage. A Nazi warplane under a camouflage not at an aerodrome behind the Siegfried Line. Heinkel.
Datum 03/02/1940
Datum type Opname
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 535 引用。


写真(右)1941年3月12日、北フランス(?)、迷彩網をかけて上空の敵機から発見されないように秘匿されたドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He111爆撃機:胴体下面に大型爆弾用ラックを装備して、500キロ爆弾2発を懸架できる。
Trefwoorden Luftwaffe, Camouflage, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten .
Bijschrift: A camouflage which locks like an artidtic drapery but is serving the purpose exceedingly well, namely to enable the brave Heinkel 111 to get out of sight of the enemy. In some minutes it will be starting.
Datum 12/03/1941
Datum type Opname
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 534 引用。



Entwicklung und Produktion des Heinkel Flugzeuges HE111


8.ノルウェー・フィンランドのハインケルHe111爆撃機

写真(右)1940年、ノルウェー、ドイツ空軍第26爆撃航空団(KG26)「獅子」"Lions' Wing"所属のハインケル(Heinkel) He111H-6爆撃機;機首には7.92ミリMG15旋回機関銃が装備されている。
BOMBEFLY AV TYPEN HENIKEL HE 111 FRA KG 26 "LØWEN-GESCHWADER"
Fotografering:1940 Produsent:Tysk Krigsfotograf sikker Eierskap Rettighetsinnehaver/eier av original:Bundesarkiv Koblenz Aksesjon: 1983 (0)Gitt til Saltdal kommune Eierskap: 1983Saltdal kommune sin fotosamling Eier: Saltdal Kommune
Copies: 1 Negativ, svart/hvitt Identifier: SBT.F.1983/014-08 Part of collection: Nordlandsmuseet Owner of collection: Nordlandsmuseet Institution: Nordlandsmuseet Date published: February 28, 2017 Date updated: February 28, 2017.
写真はNorsk Luftfartsmuseum・Identifier: SBT.F.1983/014-08引用。


ドイツ空軍では飛行小隊(シュタッフェルStaffel)が複数合わさって飛行戦隊(グルッペ)、すなわちイギリス空軍(RAF)の飛行中隊(Squadron) となり、その上に航空団(ゲシュヴァーダーGeschwader)が編成される。戦闘機は、戦闘航空団(Jagdgeschwader: JG)、爆撃機は、爆撃航空団(Kampfgeschwader: KG)、急降下爆撃機は、急降下爆撃航空団(Sturzkampfgeschwader:StG)を編成した。第二次世界大戦に参戦したドイツ空軍の爆撃航空団(Kampfgeschwader: KG)は、次の17爆撃航空団である。
第1爆撃航空団「ヒンデンブルク」Kampfgeschwader 2 " Holzhammer ";1944年解散
第3爆撃航空団「電撃」Kampfgeschwader 3 "Blitz"
第4爆撃航空団「ウェーバー将軍」Kampfgeschwader 4 "General Wever"
第6爆撃航空団:Kampfgeschwader 6;1944年解散
第26爆撃航空団「獅子」Kampfgeschwader 26 "Löwengeschwader"
第27爆撃航空団「ベルケ」WW1エース:Kampfgeschwader 27 "Boelcke" 
第30爆撃航空団「鷲」Kampfgeschwader 30 "Adler" (eagle)
第40爆撃航空団:Kampfgeschwader 40;対艦船攻撃
第51爆撃航空団「エーデルワイス」Kampfgeschwader 51 "Edelweiss"
第53爆撃航空団「コンドル軍団」Kampfgeschwader 53 "Legion Condor"
第54爆撃航空団「髑髏」Kampfgeschwader 54 "Totenkopf"
第55爆撃航空団「グライフ」(グリフィン)Kampfgeschwader 55 "Greif"
第76爆撃航空団:Kampfgeschwader 76
第77爆撃航空団:Kampfgeschwader 77
第100爆撃航空団「ヴィーキング」Kampfgeschwader 100 ”Wiking”
第200爆撃航空団:Kampfgeschwader 200;特殊作戦

写真(右)1940年頃、ノルウェー、オスロ、ノルウェーを攻撃して、破損したらしいドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111P爆撃機
Flykirkegård, ødelagte tyske fly av typen Heinkel 111. Avbildet sted: Norge Oslo Oslo Fornebu flyplass
Avbildet sted: Norge Oslo Oslo Fornebu flyplass
Tilhører samling av fotografier tatt av ukjente tyske soladater under 2.verdenskrig. Bildene var sendt inn til framkalling og kopiering hos Harald Renbjørs fotoforretning i Levanger. Familen Renbjør dobbeltkopierte noen av fotografiene og beholdt en kopi selv. Dette var strengt ulovlig. Mest sannsynlig gjorde de dette av etterretningsgrunner for motstandsbevegelsen eller på eget initiativ.
Fotografering:1940 Bildet tatt av ukjent tysk soldat.
写真はNorsk Luftfartsmuseum・Identifier: LEM.018.07.07 引用。


写真(右)1940年頃、ノルウェー、オスロ、ノルウェーを攻撃して、破損したらしいドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111H-6爆撃機;主翼の上でドイツ軍兵士が仰向けになって昼寝をしている。
Tyske soldater hviler på og rundt vraket av et bombefly av typen Heinkel 111.
Tilhører samling av fotografier tatt av ukjente tyske soladater under 2.verdenskrig. Bildene var sendt inn til framkalling og kopiering hos Harald Renbjørs fotoforretning i Levanger. Familen Renbjør dobbeltkopierte noen av fotografiene og beholdt en kopi selv. Dette var strengt ulovlig. Mest sannsynlig gjorde de dette av etterretningsgrunner for motstandsbevegelsen eller på eget initiativ.
Fotografering:1940 Bildet tatt av ukjent tysk soldat.
Avbildet sted: Norge Oslo Oslo Fornebu flyplass Institution: Levanger Fotomuseum Date published: October 9, 2014 Date updated:March 16, 2018 DIMU-CODE:011015420563.
写真はNorsk Luftfartsmuseum・Identifier: LEM.018.07.08 引用。


写真(右)1940年頃、ノルウェー、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111H-6爆撃機;左側には、木製の板で遮蔽されており、手前には監視塔のようなものも写っている。飛行場防衛・膨張の目的で、周囲のノルウェー住民を警戒して遠ざけておくための措置のように思われる。右手前には、搭乗員を運ぶためか、バスが駐車している。
Russiske krigsfanger ble brukt som slavearbeider på Værnes lufthavn. Tilhører samling av fotografier tatt av ukjente tyske soladater under 2.verdenskrig. Bildene var sendt inn til framkalling og kopiering hos Harald Renbjørs fotoforretning i Levanger. Familen Renbjør dobbeltkopierte noen av fotografiene og beholdt en kopi selv. Dette var strengt ulovlig. Mest sannsynlig gjorde de dette av etterretningsgrunner for motstandsbevegelsen eller på eget initiativ. Fotografering: 1940ukjent tysk soldat.
Owner of collection: Levanger Fotomuseum Date updated: March 16, 2018.
写真はNorsk Luftfartsmuseum・Identifier: NL.05120018 引用。


写真(右)1940-1942年頃、ノルウェー上空を飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111H-6爆撃機;機首(A)銃座、胴体後上方(B)銃座、胴体下面ゴンドラ前後の銃座には7.92ミリMG15旋回機関銃が装備されている。
Tysk krigsfly. Innkommet info: Flyet er en: Heinkel 111 Skrevet av: Jo-Olav Bakken
Fotografering:1940 - 1945 Aksesjon:1978 - 1979
Identifier: EB.2VK 21-03 Part of collection: Eidsvoll Museum - fotosamling Owner of collection: Akershusmuseet Date updated: June 12, 2015
写真はNorsk Luftfartsmuseum・Identifier: EB.2VK 21-03 引用。


写真(右)1940-1943年頃、ノルウェー、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111H-6爆撃機;手前にはSC500(500キロ爆弾)が2個準備されているが、これは胴体下面のラックに懸架する。後方には、燃料補給の為かドラム缶が見える。
Ett fly på bakken. Heinkel He 111. Noen bomber ligger under flyet. Heinkel He 111 før innsats
Eierskap Giver/siste eier:Korsnes, Egil sikker Fotografering:1940 - 1945
Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum Date published: November 21, 2014
写真はNorsk Luftfartsmuseum・Identifier: NL.05120018 引用。


写真(右)1941-1943年頃、ノルウェー上空を飛翔するドイツ空軍第26爆撃航空団(KG26)「獅子」 "Löwen-geschwader" 所属のハインケル(Heinkel)He111H-16爆撃機(登録コード:1H+EN);機首側面に「獅子」のエンブレムがついている。胴体後上方(B)銃座、胴体下面ゴンドラ前後の銃座に7.92ミリMG15旋回機関銃が装備されているのが分かる。
Luftfoto. Et fly i luften. Heinkel He 111 H-16. Reg.nr.: 1H+EN. Produsentland: Tyskland. Motor: 2x 1350 hk Junkers Jumo 211-2. Maks hast.: 330 km/t. Maks TO vekt: 14000 kg. Vingespenn: 22,6 m. Lengde: 16,4 m. Høyde: 3,4 m. Mannskap: 5
Bruk:1940 - 1945 Bruker:KG 26 sikker Fotografering:1940 - 1945 Annet Informant :Bodø Luftfartshistoriske Forening
Identifier:NL.03010036 Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:November 21, 2014 Date updated:December 18, 2014.
写真はNorsk Luftfartsmuseum・Identifier: NL.03010036引用。


ハインケル(Heinkel)He111H-16爆撃機の諸元
全長 16.40m、全高 4.00m、全幅 22.60m
主翼面積 86.50平方メートル
自重 8,680 kg、 最大重量 14,000 kg
最高速力 440km/h(高度6000m)、実用上昇限度 8500m
航続距離 1,950km、巡航速力 360km/h
発動機 ユンカース・ユモ211F2 液冷倒立V12気筒エンジン 1,350馬力2基
乗員数 4-5名
総生産機数 7,300機
兵装:機首:20ミリ機関銃1丁、胴体ゴンドラ:機首7.92ミリ機銃3〜7丁、胴体後上方:13.1ミリ機銃1丁
爆弾搭載量2500 kg(胴体下面ラック2,000 kg+爆弾倉500kgまたは爆弾倉2,000kg)

写真(右)1942年6月4日、フィンランド、イマトラ空港、フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥の75歳の誕生日を祝うために、フィンランドを訪問したドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)に随伴したドイツ空軍ハンス=ユルゲン・シュトゥムプフ上級大将(左2人目)と出迎えたナチス同盟国フィンランド空軍司令官ヤール・ルンドクヴィスト中将(左端);写真後方の2機は、ハインケル(Heinkel)He111爆撃機。ヒトラー乗機のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドル輸送機C-3/U9の予備機と囮機の役割をもっていた。
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Vasemmalta (etualalla): Kenraaliluutnantti Jarl Lundqvist, Generaloberst Stumpff ja kenraaliluutnantti Väinö Valve.
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Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-15999引用。


1941年6月22日に、ドイツは、1939年8月23日独ソ不可侵条約を保護にして、共産主義のソビエト連邦に侵略を開始した。すると、フィンランドは、ナチスと同盟を組んで、1939年11月30日に始まった冬戦争で敗北して失ったカレリア地方を奪回し、ソ連ボリシェビキに報復しようと、ドイツと同盟を結んで、1941年7月からソ連に侵攻を開始した。

写真(右)1942年6月4日、フィンランド、イマトラ空港、フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥の75歳の誕生日を祝うために、フィンランドを訪問したドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)に随伴したドイツ空軍ハンス=ユルゲン・シュトゥムプフ上級大将(中央)と出迎えたナチス同盟国フィンランド空軍司令官ヤール・ルンドクヴィスト中将(左);写真後方のハインケル(Heinkel)He111爆撃機H-6型は、ヒトラー乗機のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドル輸送機C-3/U9随伴に随伴した予備機と囮機の役割をもっていた。
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Vasemmalta (etualalla): Kenraaliluutnantti Jarl Lundqvist, Generaloberst Stumpff ja kenraaliluutnantti Väinö Valve.
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Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-16000引用。


フィンランド国防軍は、総司令官カール・マンネルハイムCarl Gustaf Emi lMannerheim)元帥の指揮の下、ソ連相手に善戦し、レニングラードを包囲し、住民を疲弊させ、北部の不凍港ムルマンスクを攻撃して、西側連合軍の補給物資がソ連に届かないようにする作戦を展開していた。つまり、ナチスとフィンランドは、連携して共産主義・ボリシェビキのソ連を屈服させるために共闘しており、密接な軍事同盟関係にあった。

写真(右)1942年6月4日、フィンランド、イマトラ空港、He111爆撃機H-6型に搭乗して、フィンランドに到着したドイツ空軍ハンス=ユルゲン・シュトゥムプフ上級大将(中央)と出迎えのナチス同盟国フィンランド空軍司令官ヤール・ルンドクヴィスト中将(左);写真後方のハインケル(Heinkel)He111爆撃機H-6型は、ヒトラーの乗機Fw200に随伴した予備機と囮機の役割をもっていた。
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Vasemmalta (etualalla): Kenraaliluutnantti Jarl Lundqvist, Generaloberst Stumpff ja kenraaliluutnantti Väinö Valve.
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Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-16001引用。


1942年6月4日、、ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドル輸送機C-3/U9でドイツ総統アドルフ・ヒトラーが、フィンランドのイマトラ空港に到着した。目的は、フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の75歳の誕生日を祝うためにということだったが、実際は、対ソビエト連邦ボルシェビズム(bolshevism)戦争を同盟国として推進するためだった。ヒトラーは、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti:1889‐1956)の出迎えを受け、フィンランド国防軍総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Emil Mannerheim)元帥など、フィンランド指導者らと会談を行った。当時、ナチスとフィンランドは、共産主義・ボリシェビキの支配するソ連と戦う枢軸同盟国として軍事同盟を結んでいた。ヒトラーは、フィンランドに対して、ソ連に対する一層激しい攻勢をかけるように要望した。枢軸国が勝利するのは確実で、ヨーロッパ支配をする日も遠くないというのである。

写真(右)1942年6月4日、フィンランド、イマトラ空港、フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥の75歳の誕生日に訪問するため、ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)に随行したドイツ空軍ハンス=ユルゲン・シュトゥムプフ上級大将(右2人目)を出迎えたナチス同盟国フィンランド空軍司令官ヤール・ルンドクヴィスト中将(左端);写真後方は、乗機のハインケル(Heinkel)He111爆撃機H-6型。ヒトラーの乗機のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドル輸送機C-3/U9で、パイロットは、ヒトラー専属操縦士のバウアー。
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Vasemmalta (etualalla): Kenraaliluutnantti Jarl Lundqvist, Generaloberst Stumpff ja kenraaliluutnantti Väinö Valve.
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Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-16002引用。


ヒトラーの搭乗したFw200は、ヒトラー専属パイロットの"ハンス"・バウア”Hans" Baur)が操縦していたが、着陸時に、主輪のブレーキをかけすぎて右側主輪が発火し、タイヤが焦げて、煙が上がった。しかし、ヒトラーは何事もなかったかのような態度で、降りてきて、フィンランド側の出迎えを受けた。

写真(右)1942年6月4日、フィンランド、イマトラ空港、He111爆撃機H-6型に搭乗して、フィンランドに到着したドイツ空軍ハンス=ユルゲン・シュトゥムプフ上級大将(中央)と出迎えたナチス同盟国フィンランド空軍司令官ヤール・ルンドクヴィスト中将(左2人目);写真後方の2機He111爆撃機は、ヒトラーの乗機のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドル輸送機C-3/U9随伴し、予備機と囮機の役割をもっていた。ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)は、フィンランド国防軍総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の75歳の誕生日に訪問するため、1942年6月4日にフィンランドを訪問した。
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Vasemmalta (etualalla): Kenraaliluutnantti Jarl Lundqvist, Generaloberst Stumpff ja kenraaliluutnantti Väinö Valve.
Aineistotyyppi?Valokuva
Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-16003引用。


写真(右)1942年6月4日、フィンランド、フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥75歳の誕生日にフィンランドを訪問したドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)と合流しようと、フィンランド派遣ドイツ軍指揮官エドアルドゥ・ディートル将軍(右端)もイマトラ飛行場にハインケル(Heinkel)He111爆撃機H-6型で到着した。それを出迎えるナチス同盟国フィンランドのアクセル・アイロ中将(後ろ向き)。;後方のHe111爆撃機は、最前線で使用するには、飛行性能が低かったために、輸送機としても多用された。
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Kuvassa kenraalieversti Eduard Dietl.
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Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-16004引用。


フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥やフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)は、チャーチルと同じく、反ボリシェビキ(Anti-bolshevism)の立場で、ソ連を憎んでいたが、それはソ連による国土侵害の中で、ナチス・ドイツ以上に嫌悪していたのである。

写真(右)1942年6月4日、フィンランド、イマトラ空港、フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥75歳の誕生日を祝うためにフィンランドを訪問したドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)に随伴するために、ハインケル(Heinkel)He111爆撃機H-6型で到着したドイツ空軍主計総監ハンス=ゲオルグ・フォン・ザイデル(Hans-Georg von Seidel)将軍(左2人目)と、彼を出迎えたナチス同盟国フィンランド空軍司令官ヤール・ルンドクヴィスト(Jarl Frithiof Lundqvist )中将(右2人目)とエルンスト・ルーベン・ラガス(Ruben Lagus)少将(右端):主計とは、軍需品の補給を担当する将校で、食料、被服、燃料、運輸などを統括する重要な部署である。しかし、日本陸軍の輜重や日本海軍の主計は、日本軍内部で作戦指揮権を持たない後方の弱小将校と見なされており、軽視されていた。
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Saksalaisten saapuminen Suomeen. Lentokone on Heinkel He 111 H-6. Vasemmalta: Saksan ilmavoimien pää majoitusmestari Hans-Georg von Seidel, ilmavoimien komentaja kenraaliluutnantti Jarl Frithiof Lundqvist ja kenraalimajuri Ruben Lagus.
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Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-15977引用。


写真(右)1942年6月4日、フィンランド、イマトラ空港にHe111爆撃機H-6型で到着したドイツ空軍主計総監ハンス=ゲオルグ・フォン・ザイデル(Hans-Georg von Seidel)将軍(左2人目)と、彼を出迎えたナチス同盟国フィンランド空軍司令官ヤール・ルンドクヴィスト(Jarl Frithiof Lundqvist )中将(右2人目)とエルンスト・ルーベン・ラガス(Ruben Lagus)少将(右端):ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)は、フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥の75歳の誕生日に訪問するため、1942年6月4日にフィンランドを訪問した。ハインケル(Heinkel)He111爆撃機は、ヒトラーの乗機のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドル輸送機C-3/U9の予備機と囮機の役割をもっていた。
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Saksalaisten saapuminen Suomeen. Lentokone on Heinkel He 111 H-6. Vasemmalta: Saksan ilmavoimien pää majoitusmestari Hans-Georg von Seidel, ilmavoimien komentaja kenraaliluutnantti Jarl Frithiof Lundqvist ja kenraalimajuri Ruben Lagus.
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Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-15978引用。


1939年の冬戦争で失ったカレリア地方を奪還するために、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻をチャンスととらえたフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)は、7月には、ナチスと同盟して、ソ連ボリシェビキ(1940年9月27日)を敵として、攻撃を開始した。これは、事実上、フィンランドが1940年9月27日に成立した枢軸日独伊三国軍事同盟国 Axis powers)の一員として、第二次世界大戦に参加することを意味した。フィンランドは、ナチスと組んで軍事作戦を展開し、レニングラードを包囲し住民を餓死させ、不凍港ムルマンスクを攻略し、ソ連への西側連合国の輸送船団を途絶させる作戦を展開した。

写真(右)1942年6月4日、フィンランド、イマトラ空港、フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥75歳の誕生日を祝うためにフィンランドを訪問したドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)に随伴するために、He111爆撃機で到着したフィンランド派遣ドイツ軍指揮官のエドアルドゥ・ディートル将軍(右2人目)と、彼を出迎えたナチス同盟国フィンランドのアクセル・アイロ中将(右端):ヒトラーの乗機は、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドル輸送機C-3/U9だった。
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Vasemmalta (etualalla): Kenraaliluutnantti Jarl Lundqvist, Generaloberst Stumpff ja kenraaliluutnantti Väinö Valve.
Aineistotyyppi?Valokuva
Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-16007引用。


フィンランド国防軍総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥は、1917年、ロシア革命の時期にフィンランド独立のためにロシア人・フィンランド人から成る赤軍を粉砕した経験があり、反共産主義のためならナチスとも同盟を厭わない、ナチスのイデオロギーについて批判しない人物だった。マンネルハイム元帥の反ボリシェビキ(Bolshevik)の心情をのぞかせるのが、彼のヒトラー大本営「狼の巣」訪問というナチスへの軍事作戦協力の姿である。フィンランドは、事実上、日独伊三国軍事同盟国Axis powers)に加盟して、対ソビエト戦争を戦った。

 しかし、フィンランド側は、イギリス、アメリカには戦争を仕掛けたいとは思っていなかった。そこで、あくまで、ソ連に対して1939年の冬戦争で奪われた国土の回復を求めた防衛戦争であるとの立場を主張した。しかし、ソ連がドイツの攻勢を一国で受け止めている状況で、イギリスもアメリカも、フィンランド側の言う「継続戦争」であり、イギリス・アメリカと戦う第二次大戦への参戦ではないという身勝手な論理は受けつけなかった。これを梃子にして、ヒトラーはフィンランドに対して、ソ連への軍事的攻勢を強化するように強く要請した。

写真(右)1942年6月4日、フィンランド、イマトラ空港、フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥の75歳の誕生日を祝うために、フィンランドに来訪したドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)と、ヒトラーを見送るナチス同盟国フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti);写真後方は、ヒトラーの乗機のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドル輸送機C-3/U9で、パイロットは、ヒトラー専属操縦士の"ヨハン・"ハンス"・ペーター・バウアJohann "Hans" Peter Baur)。
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Saksalaisten saapuminen Suomeen. Tasavallan presidentti Risto Ryti ja valtakunnankansleri Adolf Hitler.
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Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-15988引用。



写真(上)1942年7月3日、フィンランド、不時着した第53爆撃航空団「コンドル軍団」"Legion Condor" 第1爆撃中隊(I/KG 53)所属フリッツ・ポクラント少佐のHe111爆撃機H-6型 A1+EK (WNr. 4810)

Tuhoutunut lentokone rannalla. Kuvassa I/KG 53:n He 111 H-6, A1+EK (WNr. 4810) sai venäläisten laivailmatorjunnasta kaksi osumaa ohjaamoonsa 3.7.1942. Kone teki pakkolaskun Seivästölle. Koneen miehistöön kuuluivat Maj. Fritz Pockrandt, Ofw. Arnold Huckels, Fw. Röfer ja Uffz. Daum.
Valokuva
Kuvaustiedot: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-7890引用。


民間高速双発輸送機として開発され、密かに爆撃機としても活躍できるハインケルHe111は、1935年に原型He111aが完成。その後、爆撃型のHe111A型が開発されたが、BMW VI液冷エンジンの出力不足により飛行性能が低く、採用されなかった。しかし、エンジン出力を向上し1,000馬力級を装備したハインケルHe111爆撃機B型は、採用され、量産された。第二次大戦前に、機首を段なしの大型ガラス風防としたハインケルHe111爆撃機P型が生産されたが、搭載したDB600液冷エンジンは戦闘機専用となったため、ユンカースJumo210液冷エンジンを装備したH型が開発、量産された。最多生産を誇ったH型は、初期型H-0から最終型H-23まで多くのタイプが開発された。ハインケルHe111の総生産数は7,000機余。


写真(上)1942年7月3日、フィンランド、不時着した第53爆撃航空団「コンドル軍団」"Legion Condor" 第1爆撃中隊(I/KG 53)所属フリッツ・ポクラント少佐のHe111爆撃機H-6型 A1+EK (WNr. 4810)

Tuhoutunut lentokone rannalla. Kuvassa I/KG 53:n He 111 H-6, A1+EK (WNr. 4810) sai venäläisten laivailmatorjunnasta kaksi osumaa ohjaamoonsa 3.7.1942. Kone teki pakkolaskun Seivästölle. Koneen miehistöön kuuluivat Maj. Fritz Pockrandt, Ofw. Arnold Huckels, Fw. Röfer ja Uffz. Daum.
Aineistotyyppi ?Valokuva
写真はMuseot Finna・sa-kuva-7891引用。


He111爆撃機H-6型の諸元
乗員:5-6名
全幅:22.6m、全長:16.6m、全高:4.2m
エンジン:ユンカース ユモJumo211F(1,340hp)2基
最大速度:435km/h(高度5,200m)
航続距離:2,800km
武装:7.9mm 機銃6丁、20mmMGFF機関銃1丁
爆弾搭載量:2,500kgまたは航空魚雷2本


写真(上)1942年7月3日、フィンランド、不時着したした第53爆撃航空団「コンドル軍団」"Legion Condor" 第1爆撃中隊(I/KG 53)所属フリッツ・ポクラント少佐のHe111爆撃機H-6型 A1+EK (WNr. 4810)
:1941年初めにドイツ・アフリカ軍団司令官エルヴィン・ロンメル大将の専用機となったのも、He 111 H-6型(VG+ES)だった。
Tuhoutunut lentokone rannalla. Kuvassa I/KG 53:n He 111 H-6, A1+EK (WNr. 4810) sai venäläisten laivailmatorjunnasta kaksi osumaa ohjaamoonsa 3.7.1942. Kone teki pakkolaskun Seivästölle. Koneen miehistöön kuuluivat Maj. Fritz Pockrandt, Ofw. Arnold Huckels, Fw. Röfer ja Uffz. Daum.
Aineistotyyppi ?Valokuva
写真はMuseot Finna・sa-kuva-7892引用。



写真(上)1942年7月3日、フィンランド、不時着した第53爆撃航空団「コンドル軍団」"Legion Condor" 第1爆撃中隊(I/KG 53)フリッツ・ポクラント少佐のHe111爆撃機H-6型 A1+EK (WNr. 4810)

Tuhoutunut lentokone rannalla. Kuvassa I/KG 53:n He 111 H-6, A1+EK (WNr. 4810) sai venäläisten laivailmatorjunnasta kaksi osumaa ohjaamoonsa 3.7.1942. Kone teki pakkolaskun Seivästölle. Koneen miehistöön kuuluivat Maj. Fritz Pockrandt, Ofw. Arnold Huckels, Fw. Röfer ja Uffz. Daum.
Aineistotyyppi ?Valokuva
写真はMuseot Finna・sa-kuva-7893引用。


写真(右)1942年8月13日、フィンランド、北方戦線を支援するためにHe111爆撃機(DL+OC)に搭乗してフィンランドを訪問したドイツ空軍第1航空軍(Luftflotte 1)司令官アルフレート・ケラー(Alfred Keller)上級大将、副官ハウプトマン・シュルツ中佐、出迎えたナチス同盟国フィンランドのゴッツ大佐・ポルヴィアンダー中佐(右端)
Everstiluutnantti(中佐) Siebelin adjutantti Hauptmann Schoulz, kapteeni Z. See Leissner, Generaloberst Keller, Oberlt Götz ja yhdysupseeri luutnantti Polviander. Taustalla Heinkel He 111, tunnus DL+OC.
Aineistotyyppi ?Valokuva
Kuvaustiedot: 1942-08-13.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-18864引用。


ドイツ空軍第1航空軍(Luftflotte 1)司令官アルフレート・ケラーAlfred Keller)上級大将は、1943年8月、司令官を解任させられ、新たにギュンター・コルテン大将が後任の第1航空軍司令官に任命された。

写真(右)1942年8月13日、フィンランド北部、北方戦線を支援するためにHe111爆撃機(DL+OC)に搭乗してフィンランドを訪問したドイツ空軍第1航空軍(Luftflotte 1)司令官アルフレート・ケラー(Alfred Keller)上級大将:wipipedia日本語版は、第1航空軍(Luftflotte 1)を「第一航空艦隊」と訳しているが、これはlottenあるいは日本海軍の航空艦隊にひかれたる誤訳である。海軍航空隊が貧弱なドイツ軍にあって、「航空艦隊」の語句は全く適さない言葉である。
Luftflotte 1: n komentaja, kenraalieversti Alfred Keller saapuu Mensuvaaran lentokentälle tarkastamaan saksalaisten tykkilauttoja. Takana Heinkel He-111 lentokone. Samasta tilanteesta Carl Rosenqvistin mustavalkoinen(白黒) SA-kuva 104625. Samassa kuvasarjassa myös tykkilauttojen tarkastusta.
Kuvaustiedot: 1942-08-13.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-166388引用。


ドイツ空軍の部隊編成上、航空軍(Luftflotte)について、wipipedia日本語版は、「航空艦隊」と訳しているが、これはlottenの意味を日本海軍の航空艦隊を念頭において訳した結果で、完全に誤りである。その理由は以下の通り。
?ドイツ空軍は陸軍からも海軍からも独立した軍である。
?ドイツ海軍の海軍航空隊は貧弱であり、海軍に航空艦隊といえるほど大規模な部隊はなかった。
?「航空艦隊」とは、日本海軍航空隊の編成であり、ドイツ空軍に海軍式の命名方法はない。
以上の理由から、”Luftflotte 2”とあれば、第二航空軍と訳すべきであり、wipipedia日本語版「第二航空艦隊」という海軍仕様の編成名称は、海軍との共同作戦も海洋航空戦もを重視しなかったドイツ空軍の本質を理解していない誤訳である。


写真(上)1942年10月5日、フィンランド北部、湖面上を低空飛行するHe111爆撃機H型:胴体下面左のPVC1006ラックに500キロ爆弾を懸架している。
Heinkel He 111 pommikone(爆撃機) toimii lauttojen ilmavarmistuksessa.
Kuvaustiedot: 1942-10-05 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja(写真家)
写真はMuseot Finna・sa-kuva-34011引用。


1944年6月のノルマンディ侵攻で、西側連合軍地上軍が西ヨーロッパでドイツ軍を圧倒し、ドイツの敗戦が確実になる中、1944年8月8日、日独伊三国軍事同盟国Tripartite Pact)の一翼を担うフィンランドのエドウィン・リンコミエス首相(日本の勲一等旭日大綬章佩用)は辞任、後任首相には、アンッティ・ハックゼル(Antti Hackzell)が就いた。そして、フィンランド大統領フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)も辞職し、8月4日にフィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥が後継の大統領に就任したした。


写真(上)1942年10月5日、フィンランド北部、飛翔するHe111爆撃機H型:エンジンの向かって左側に空気取入れ口(エアインテーク)が開いているので発動機は、ユモJumo211液冷12気筒エンジン。本来は、完全な美しい楕円翼だが、量産性を向上するために、前縁を曲線化している。胴体下面左のPVC1006ラックに500キロ爆弾を懸架している。
Heinkel He 111 pommikone(爆撃機) toimii lauttojen ilmavarmistuksessa.
Kuvaustiedot: 1942-10-05 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-34012引用。


日独伊三国軍事同盟国Tripartite Pact)の一員として、共産主義ソビエト連邦に侵攻したマンネルハイム大統領は、1944年9月19日、モスクワ休戦協定を結んで、事実上、ソ連に降伏した。講和条件は、カレリア地峡・ペッツァモの譲渡、戦争賠償金の支払い、フィンランド国内におけるソ連軍の基地使用、ドイツ軍のフィンランドからの排除(事実上の対ドイツ戦争)である。


9.第二次大戦中期以降も使用されたハインケルHe111爆撃機H型 

写真(右)1941年2月10日、ノルウェー、ドイツ空軍第26爆撃航空団(KG26)「獅子」 "Löwen-geschwader" 所属ハインケル(Heinkel)He111爆撃機H型と、手前に置いてある500キロ爆弾(右)、トロリーで運搬される1トン爆弾:機首下面には、カールツアイス社ロトフェ 7爆撃照準器の平面ガラス窓があり、流線型のフェアリングが突出している。真下鉛直方向を観測する射爆用ロトフェ 7筒状照準器が伸び、機首の下方に突出している。その突出部の先端には、照準用の平面ガラス窓がはめ込まれ、周囲は空気抵抗を少なくするフェアリングで覆われていた。エンジン側面(正面右)にエアインテークが見えているので、ユモJumo211液冷エンジンを装備したH型である。
Locatie Naam: Kingdom of Norway Bijschrift Het originele bijschrift luidt: 'Heinkel HE III - Verband in Norwegen. HE III wird mit Bomben beladen'. Duits luchtmachtpersoneel bij het laden van de bommenwerpers. ype Foto Datum 10/02/1941 Datum type Opname Vervaardiger PK Weltbild.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 4引用。


ドイツ空軍のロトフェ 7(Lotfernrohr 7)は鉛直方向を観測する射爆用筒状照準器Iron sights:ミラーチューブ)である。先端は、照準用の平面ガラス窓があり、周囲を空気抵抗を減少させるフェアリングで整形していた。

写真(右)1942年頃、1トン爆弾(SD1000)爆弾を胴体下面PVC1006ラックに懸架するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-15爆撃機:左側では、圧搾ボンベから酸素を機内に注入している。機首下面には、カールツアイス社ロトフェ 7爆撃照準器の平面ガラス窓があり、流線型のフェアリングが突出している。段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防としたH型は、ユモJumo211エンジン2基を装備、エアインテークはエンジン正面左に開いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935529 - Catalog:16_005254 - Title:Heinkel He 111H-15 Nowarra photo - Filename:16_005254.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005254引用。


写真(右)1941年2月10日、ノルウェー、ドイツ空軍第1爆撃航空団「ヒンデンブルク」”Hindenburg”所属のハインケルHe111爆撃機H-3型のESAC250/IX爆弾倉に250キロのSC250爆弾を搭載しようとしている。手前の地面には、50キロ爆弾が並んでいる。:エンジン側面(正面右)にエアインテークが見えているので、ユモJumo211液冷エンジンを装備したH型である。
Locatie Naam: Kingdom of Norway
Bijschrift Het originele bijschrift luidt: 'Heinkel HE III - Verband in Norwegen. HE III wird mit Bomben beladen'. Duits luchtmachtpersoneel bij het laden van de bommenwerpers.
Datum 10/02/1941
Datum type Opname Vervaardiger PK Weltbild.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 13引用。


機首下面の正面左にカール・ツァイスCarl Zeiss)社のロトフェ 7爆撃照準器Lotfernrohr 7)の覗き窓が突出している。ロトフェ 7は、真下鉛直方向を観測する筒状照準器(ミラーチューブ)が伸びており、機首の下方に突出していた。機首の突出部の先端には、照準用の平面ガラス窓がはめ込まれ、周囲は空気抵抗を少なくするフェアリングで覆われていた。使用方法は、照準器に投下目標を捕捉し、視野に入れながらダイアルを調節して、目標が静止する状態に合わせる。この時、空気の流れ・偏流を調整して対地速度を考慮した投下が可能になる。ロトフェ 7爆撃照準器Lotfernrohr 7)は、原則的に垂直鉛直方向90度を基準に、視界は機体の前方40度、左右20度までの視認することができる。

ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111爆撃機は、胴体中央のESAC250/IX爆弾倉には胴体中央下面に四角の分割式扉がある。ここに、50キロ爆弾か250キロ爆弾の尾翼を下にして、爆弾を搭載した。

He 111爆撃機の爆弾搭載量は、ESAC250/IX爆弾倉を使用する場合、32個 x 50 kg SC50爆弾あるいは8個 x 250 kg SC250爆弾。

He 111爆撃機は、胴体下面に爆弾用ラックを装備すれば、2個 x 1000 kg SC1000爆弾、2本 x 936 kg F5W 航空魚雷、 1個 x 1400 kg PC 1400 (Fritz)爆弾のいずれかを搭載可能。

写真(右)1941年1月25日、ドイツ、イギリス本土爆撃のために、ドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機ESAC250/IX爆弾倉に250キロ爆弾を縦置きで搭載する整備員:He111爆撃機機内で、ESAC250/IX爆弾倉から露出している250キロ爆弾や50キロ爆弾の先端の信管を調整し、起爆時間などを調節することができた。他のドイツ空軍の爆撃機は、爆弾を横にしてラックに懸架した。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Vliegvelden, Bommen Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Bijschrift He 111 Het originele bijschrift luidt: 'Eiserne Grüsse für England.' Duits luchtmachtpersoneel bij het laden van de bommenwerpers.
Datum 25/01/1941 Datum type Opname.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 12引用。


写真(右)1941年3月10日、ドイツ、イギリス本土夜間爆撃のために、ドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機に搭載する1000キロSC1000「ヘルマン」(Herman)爆弾をトラックに曳かせて運搬している。:他のドイツ空軍の爆撃機と同様に、主翼付近の胴体下面に大型爆弾用ラックを装備すれば、500キロ/1トン爆弾や850キロ航空魚雷を懸架することができ。しかし、ラックを装備した場合、胴体内の小型爆弾用の爆弾倉は使用できなかった。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Transport, Vliegtuigen, Vliegvelden, Bommen
Naam: Federal Republic of Germany
Bijschrift Unsere Luftwaffe setzte ihre Vergeltungsschläe in verstärkten Umfange fort, meldet täglich der Bericht des O.K.W. Unaufhölicht prasseln die Bomben auf die befohlenen Ziele - Tod und Verderben bringend. Schier endlos ist die Reihe der Bomben, die unsere Heinkel Kampfflugzeuge He III nach England bringen.
Datum 10/03/1941
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 225 引用。


SC1000「ヘルマン」(Herman)爆弾は、重量1000キロ、直径652ミリ、長さ2720ミリ、爆薬582キロ。大型爆弾は、主に、港湾施設、造船所、巨大ビルのような大規模インフラや大型艦船のような軍事目標に使用された。

コンテナ式250キロクラスター爆弾AB 250)は、主に対人用、地上駐機中の飛行攻撃など、対地上襲撃に使用された。

写真(右)1944年6月24日、ドイツ、再度のイギリス本土夜間爆撃[小電撃と呼ばれた]のために、ドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機に1000キロSC1000「ヘルマン」(Herman)爆弾(?)をの搭載作業:当初の爆弾の形状は、落下特性を高めるため涙滴型紡錘形状だったが、大戦中期以降、生産性を向上させた簡易型の円筒形状の爆弾構造が主流になった。主翼付近の胴体下面に大型爆弾用ETCラックを装備し、500キロ/1トン爆弾や850キロ航空魚雷を懸架するした。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Vliegvelden, Bommen, Duitse strijdkrachten
Naam: Federal Republic of Germany
Bijschrift Munition aus der Luft in der Normandie. Munitionsbehälter, die über einem eingeschlossenen Widerstandsnest deutscher Heerestruppen im anglo-amerikanischen Brückenkopf an der normannischen Kste al geworfen werden sollen, werden von Bodenpersonal eines deutschen Heinkel He 111-Verbandes zu den Maschinen gebracht. Diese gewichtigen 'Bomben' enthalten die vorn dringend benötigte Munition.
Land: France Type Foto
Datum 23/06/1944
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 8194 引用。


ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機は、胴体中央下面に爆弾倉の分割式扉がある。ここに、爆弾の尾翼を下にして、爆弾を搭載した。爆弾倉の搭載量は、32個 x 50 kg SC50爆弾、8個 x 250 kg SC250爆弾。

He 111爆撃機は、胴体下面にPVC1006ラックを装備すれば、2個 x 1000 kg SC1000爆弾、2本 x 936 kg F5W 航空魚雷が搭載可能。
ETC2000/ XIIラックを装備すれば、1個 x 1400 kg PC 1400 (Fritz)爆弾の搭載が可能。

ドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機が装備したESAC250/IX爆弾倉は、縦置きに250キロ爆弾/50キロ爆弾の先端を上にして、搭載した。機内ではESAC250/IX爆弾倉の上に爆弾の先端が露出し、通路の両側に並んでいた。そこで、He111爆撃機の機内で、ESAC250/IX爆弾倉から露出している爆弾先端に埋め込まれた起爆信管を調整することが可能だった。爆弾の起爆時間などを、出撃中、爆弾投下直前にも調節することができたので便利だった。

写真(右)1944年6月24日,フランス,イギリス本土を夜間爆撃に向かうために、250キロ爆弾を搭載しようとしているドイツ空軍のハインケルHe-111H爆撃機:胴体下面の爆弾倉の四角の扉が半分開いている。250キロ爆弾の形状は、戦争中期以降、弾道性能の良い涙滴型ではなく、量産性の高い円筒型となっている。
Beeldnummer 44354 Collectie NIOD Trefwoorden D-Day, Luftwaffe, Bommenwerpers, Invasie, Vliegtuigen, Bommen, Duitse strijdkrachten
Naam: Republic of France
Bijschrift Munition aus der Luft für den Kampf an der Invasionsfront. Der nächtliche Flugauftrag für den Heinkel He 111-Verband lautet; Abwurf von Munitionsbehältern über einem eingeschlossenen Widerstandsnest unserer Heerestruppen im anglo-amerikanische Brücken an der normannischen Küste. Das Bodenpersonal beladet die Maschinen mit den gewichtigen 'Bomben' welche die vorn dringend benötigte Munition enthalten. Datum 24/06/1944
写真はBeeldbankWo2 Beeldnummer 44354 引用。


AB 250には、対人馬攻撃用あるいは地上に駐機している飛行機攻撃用の爆弾であり、コンテナの内部には多数の小型爆弾が入っている。ドイツ空軍の爆弾は、徹甲弾はPCあるいはSD、通常弾はSC、クラスター爆弾はABの符号をつけ、その後に重量(kg)を表す50、250、500、1000などの数字をつけた。

AB 250には、SD1(重量1kg)224発あるいはSD2(重量2kg)108発が収容されている。コンテナは投下されしばらくすると空中で開放され、小型爆弾のSD2を散布する。

2008年12月、オスロにて署名されたクラスター爆弾禁止条約は、2010年2月に30カ国が批准したことで、2010年8月1日に発効した。「クラスター爆弾」とは、複数の子弾を内蔵し、当該複数の子弾を散布するように設計された砲弾、ロケット弾、爆弾その他の弾薬であって、クラスター爆弾禁止条約は、このクラスター爆弾の製造・保有・使用などを全面禁止にする条約であり、西ヨーロッパ諸国、日本、カナダ、オーストラリア、サブサハラのアフリカ諸国、中米諸国が加盟しているが、アメリカ、ロシア、中国は加盟していない。

写真(右)1941年3月10日頃、ドイツ、イギリス本土夜間爆撃のために、ドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機に500キロ爆弾を搭載する作業:他のドイツ空軍の爆撃機と同様に、主翼付近の胴体下面に大型爆弾用ラックを装備すれば、500キロ/1トン爆弾や850キロ航空魚雷を懸架することができ。しかし、ラックを装備した場合、胴体内の小型爆弾用の爆弾倉は使用できなかった。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Vliegvelden, Bommen Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Bijschrift Nachtangriff gegen England. Die Besatzung eines deutschen Kampfflugzeuges Heinkel He 111 geht an Bord.
Type Foto
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 530 引用。


写真(右)1941年3月12日、ドイツ、イギリス本土夜間爆撃のために、出撃するドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機:主翼付近の胴体下面に大型爆弾用ラックを装備して、500キロ爆弾2発を懸架している。ただし、爆弾ラックを装備した場合、胴体内の小型爆弾用の爆弾倉は開閉不能になり、使用できなかった。
Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Luchtaanvallen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Deutsche Kampfflugzeuge im Nachteinsatz gegen England. Die letzten Handgriffe vor dem Start eines Heinkel Kampfflugzeuges He 111 zum Nachtflug.
Type Foto
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 533 引用。


写真(右)1941年頃、ドイツ、イギリス本土夜間爆撃のためか、エンジン排気管からの発行を防ぐために、夜間排気管消炎ダンパーを装備したドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機:主翼付近の胴体下面に大型爆弾用ETCラックを装備して、500キロ爆弾2発を懸架できる。ただし、爆弾ラックを装備した場合、胴体内の小型爆弾用の爆弾倉は開閉不能になり、使用できなかった。
Collectie NIOD
Trefwoorden Personeel, Piloten, Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Vliegvelden, Duitse strijdkrachten
Locatie Naam: Federal Republic of Germany.
Type Foto
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 44682 引用。


ハインケルHe-111爆撃機の諸元:
全長16.4メートル,全幅22.6メートル,翼面積86.5平方メートル,重量14000キロ,最高速度440キロ,航続距離2000キロ,ユンカースJumo211液冷倒立12気筒エンジン1350馬力2基,乗員5名,武装7.92mm機銃5丁,爆弾2.5トン。グライダーを曳航するなど輸送任務にも使用された。

写真(右)1942年頃、ロシア上空を飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-6爆撃機の編隊:液冷エンジンから吐き出される排気煙で、主翼の下面に黒い煤が付着しているのが分かる。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935417 - Catalog:16_005245 - Title:Heinkel He 111H-6 over Russia - Filename: 16_005245.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005245引用。


1941年6月21日,バルバロッサ作戦開始の前日のドイツ軍東部戦線配備兵力
兵員300万人,戦車3580両,火砲7184門,車両60万台,ウマ75万頭。航空機1830機.

対峙するソ連軍は,兵員450万人,10個軍だった。
1942年6月、バルバロッサ作戦時期のソ連軍は,北方には30個師団,8個機甲旅団,中部に45個師団,14個機甲旅団,南部に64個師団,14個機甲旅団を配備
ソ連空軍は白ロシア(ベラルーシ)に6000機を配置。

写真(右)1941年頃、対ソビエト連邦、ロシア東部戦線(?)、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-10爆撃機 (T5-AU):段なしの機首・コックピット一体型の大型ガラス風防とし、視界を向上させ、その先端に20ミリ(Oerlikon)MG FF機関銃1丁を装備し、武装意を強化した。これが、P型のDB600液冷エンジンは、メッサーシュミットBf109戦闘機、Bf110双発戦闘機に回されることとなり、H型では、ユモJumo211エンジンを2基搭載した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935393 - Catalog:16_005243 - Title:Heinkel He 111H-10 Nowarra photo - Filename:16_005243.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005243引用。


ドイツ空軍は,ソ連侵攻のために東部戦線に四個航空軍を配備,第一線機1280機を揃えた。内訳は,ハインケルHe-111,ユンカースJu-88など双発爆撃機510機,ユンカースJu87など急降下爆撃機290機,メッサーシュミットMe109単発戦闘機440機,Me110双発駆逐機40機,長距離偵察機120機である。
ソ連空軍は,その2倍の飛行機を保有していると予測された。

写真(右)1941年後半、ソビエト連邦、東部戦線、イギリス本土夜間爆撃用の紐型迷彩を施したドイツ空軍第55爆撃航空団(KG55)「グライフ」"Greif"所属のハインケル(Heinkel)He 111H爆撃機:手前は、僚機の7.92ミリMG15旋回機銃と照準環。第55爆撃航空団は、1940年から1941年の前半、イギリス本土夜間爆撃の任務を1941年に終えて、対ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」に従軍するため、東部戦線に移動した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46168973 - Catalog:16_007375 - Title:Heinkel He-111 - Filename:16_007375.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_007375引用。


ドイツ空軍第55爆撃航空団Kampfgeschwader 55:KG55)は、第二次大戦勃発4カ月前の1939年5月、爆撃機部隊として設立され、エンブレムは、赤のグリフィン (グライフ "Greif")だった。配備されたのは、ハインケルHe111爆撃機で、1940年から1941年の前半、イギリス本土空襲を行った。期間の後半は、夜間爆撃が主な任務だった。しかし、第55爆撃航空団Kampfgeschwader 55:KG55)1941年中頃に、イギリス本土空襲の任務を解かれて、対ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」に従軍するため、東部戦線に移動した。

写真(右)1942-1943年頃、東部戦線、ハンガリー、ドイツ空軍主力爆撃機ハインケルHe-111爆撃機コックピットの正・副操縦席
Trefwoorden: Hongaarse strijdkrachten, Piloten, Luchtmacht, Oostfront, Vliegtuigen
Locatie Naam: Hungary
Bijschrift He 111 Ungarische Fernaufklärer im Osten. Flugzeugführer und Beobachter im H&oml;henflug. Der Fernaufklärer dringt ohne Jagdschutz tief in das feindliche Land ein und sucht, J&aumml;gern und der Flak zu entgehen, möglichst grosse H&oml;hen auf. In diesem Falle wird das Sauerstoff-Gerät benutzt. Oft verlegt der Beobachter seinen Platz nach vorn in die Kanzerl und greift zu der Waffe.
Datum 08/05/1943
Vervaardiger PK Ulmer / Prins Archief .
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 45134 引用。


写真(右)1943年,ソビエト連邦南部上空を飛翔するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-111爆撃機H-16型の編隊:後方2機の胴体には、黄色帯の東部戦線の記章が撒いてあるが、戦闘の機体にはない。機首に20ミリMG-FF機関銃、胴体後上方に13.1ミリMG131機関銃を装備しているので、He111爆撃機H型の後期型で、H-16型と思われる。後方2機の胴体には、黄色帯の東部戦線の記章が撒いてあるが、戦闘の機体にはない。機首に20ミリMG-FF機関銃、胴体後上方に13.1ミリMG131機関銃を装備しているので、He111爆撃機H型の後期型で、H-16型と思われる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-641-4548-24 Archive title: Sowjetunion, Süd.- Drei Flugzeuge Heinkel He 111 im Flug; Einsatzkompanie Luftwaffe zbV Dating: 1943 Photographer: Wanderer, W. Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 Signature: Bild 101I-641-4548-24 引用。(他引用不可)


写真(右)1943年5月8日、東部戦線、ハンガリー、ドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機の機首銃座7.92ミリMG15旋回機関銃と銃手:ドラム型の弾倉には、片側に銃弾が反対側に打ち終わったガンベルトが収納される。撃ち終った薬莢は銃下方の球状の薬莢ケースに収納する。
Trefwoorden: Geschut, Hongaarse strijdkrachten, Piloten, Luchtmacht, Oostfront, Vliegtuigen
Locatie Naam: Hungary
Bijschrift He 111 Honved-Flieger im Osten. In der Glaskanzel liegend, überwacht der Beobachter den feindlichen Kolonenverkehr. Er kennt das Land gründlich, denn seit 1941 fliegt er im Osten Einsatz.
Datum 08/05/1943
Vervaardiger PK Ulmer / Prins Archief .
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 45165 引用。


7.92ミリMG15機銃は、再軍備宣言が出される以前に密かに開発されていたドイツ軍の航空機搭載用旋回機銃。第二次世界大戦に使用された航空機のほぼすべての旋回機銃として搭載された。弾丸を入れる弾倉は75発入りサドルドラム式で、ドラムの半分は撃ち殻(空薬莢)入れになっている弾倉交換が容易で、ベルト給弾式とは異なり、バラの弾を装填しゼンマイ式スプリングで給弾する。

1941年6月22日開進のバルバロッサ作戦では,今までの空軍,陸軍の関係が逆転している。1940年5月のベルギー・フランス侵攻では,グライダー空挺部隊によるエバン・エマール要塞を奇襲攻略するために,空軍が陸軍よりも先に出撃する必要があった。攻撃開始時間は,陽光が不可欠だった。

他方,ソ連侵攻バルバロッサ作戦の攻撃時間は,6月22日0315で,ドイツ陸軍は早暁に行動を起こして奇襲効果を高めた。

写真(右)1941-1942年頃、大戦中期、機首に20ミリMGFF機関銃1丁、胴体後上方の動力銃座に13.1ミリMG131機関銃を設けたドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-11爆撃機 (登録コード: ??-D?)
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935369 - Catalog:16_005241 - Title: Heinkel He 111H-11 - Filename: 16_005241.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005240 引用。


1941年以降、ドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機は、機首の7.92ミリMG15機銃を20ミリ(Oerlikon)MG FF機関銃(重量26.3 kg、全長 1.37m、初速 600m/s、発射速度 520発/分、弾丸重量 134g)に変換した武装強化型。ハインケルHe111のほかにも、Ju88爆撃機、ドルニエDo217爆撃機の機首銃座も同様に強化されている。

写真(右)1941-1942年頃、大戦中期、尾部銃座に遠隔操作可能な7.92ミリMG17機関銃を設けたドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-6 爆撃機:1942年以降には、13.1ミリMG 131機関銃を備えた動力銃座が導入され、ハインケルHe111のほかにも、He177爆撃機、ドルニエDo217爆撃機、Fw200哨戒偵察機にも搭載された。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935542 - Catalog:16_005255 - Title:MG 17 installation in tail of He 111H-6 Nowarra photo - Filename:16_005255.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005255引用。


敵機の接近頻度が高く、視界の広い尾部銃座手Tail gunner)の必要性は理解されていたが、
?尾部に有人銃座を設けるスペースがない、
?尾部に銃身が偏り飛行機の前後バランスが悪化する、
という理由のために、双発機の尾部銃座を設けることは困難だった。

写真(右)1941年頃、ドイツ、ハンブルク北東130キロ、バルト海沿岸、グローセンブローデ(Grossenbrode)、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-4/H-5爆撃機雷撃型(BK+CD)のPVC1006Bラックに搭載準備中のLTF5b航空魚雷:艦船攻撃の為には、爆撃と並んで魚雷攻撃が効果的だったが、ドイツ空軍は、日本海軍が太平洋戦争で雷撃による大戦果を挙げてから、本格的な雷撃部隊を編成する。本来、イタリア空軍の雷撃部隊を参考にすれば、もっと早くから雷撃部隊を編成することができたはずだ。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935296 - Catalog:16_005235 - Title: Heinkel He 111H-4 Nowarra photo - Filename: 16_005235.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005235引用。


写真(右)1941-1942年頃、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-12爆撃機雷撃型:胴体中央下面にPVC1006Bラック2基を装備して、そこに850?のLTF5b航空魚雷各1本、合計2本を懸吊することができた。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935272 - Catalog:16_005233 - Title: Heinkel He 111H-12 Nowarra photo - Filename: 16_005233.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005233引用。


1930年代末から1940年代前半の日本海軍、イギリス海軍の双発雷撃機は、搭載する航空魚雷は1本だったが、ドイツ空軍、イタリア空軍の場合は、搭載する航空魚雷は2本が標準だった。魚雷を2本搭載する理由は、
?ドイツ空軍機の搭載量が大きいこと、
?沿岸部の商船攻撃のため航続距離は短くてもよいこと、
?配備された雷撃機数が少ないこと、
?攻撃目標が大型商船で対空火器の反撃が小さいこと、
が指摘できる。 

写真(右)1942年頃、大戦中期、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-16爆撃機
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935554 - Catalog: 16_005256 - Title:Heinkel He 111H-16 Salo print August 18, 1961 - Filename: 16_005256.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005256引用。


ハインケル(Heinkel)He 111H-16爆撃機の諸元
全長 16.4m、全高 4.0m、全幅 22.6m
主翼面積 86.5平方メートル
自重 8680?、 全備重量 1400?
最高速力 440km/h(高度6000m)、巡航速度 360km/h
実用上昇限度 8500m
航続距離 1950km
発動機 ユンカース社ユモJumo211F倒立V12気筒液冷エンジン1350馬力2基
乗員数 5名

写真(右)1942年頃、大戦中期、機首に20ミリMGFF機関銃1丁、胴体後上方(防弾ガラス付き)13.1ミリMG131機関銃を設けたドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-16/U1爆撃機 (登録コード: ??-AC):出現当初1930年代の高速爆撃機だったが、1940年代には鈍足となり、武装の強化が図られた。ユモJumo 211 F-2液冷V12気筒エンジンを装備、胴体後上方に13.1ミリMG 131機関銃動力回転銃座を装備、胴体側方(左右)に7.92ミリMG81Z連装機関銃を、機首には,20ミリ(Oerlikon)MG FF機関銃を装備
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935356 - Catalog:16_005240 - Title: Heinkel He 111H-16/U1 Nowarra photo - Filename: 16_005240.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005240 引用。


写真(右)1942年頃、大戦中期、機首に20ミリMGFF機関銃1丁を備え、胴体下面の大型ラックに1.4トン徹甲弾(PC 1400)を搭載して飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-6爆撃機:ユモJumo 211 F-2液冷V12気筒エンジンを装備、胴体後上方に13.1ミリMG 131機関銃動力回転銃座を装備、胴体側方(左右)に7.92ミリMG81Z連装機関銃を、機首には20ミリ(Oerlikon)MG FF機関銃(重量26.3 kg、全長 1.37m、初速 600m/s、発射速度 520発/分、弾丸重量 134g)を装備。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935381 - Catalog:16_005242 - Title: Heinkel He 111H-6 with PC 1400 bomb Nowarra photo - Filename: 16_005242.TIF -
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005240 引用。


ドイツ空軍のPC1400(1400kg)徹甲爆弾は、1941年1月17-18日、スワンシー・ドック(Swansea Docks)に投下されたが、不発だったため、イギリス側が検分した。10トンの石炭トラックを4インチ半(1インチ=2.54cm)甲板を貫通、25フィート(7.62 m)の深さに達した。この不発弾回収には、イギリス海軍将兵が担当したが、掘り出すのに10週間もかかった。

写真(右)1941-1942年頃、大戦中期、機首に20ミリMGFF機関銃1丁、胴体後上方の動力銃座に13.1ミリMG131機関銃を設けたドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-16/R1爆撃機 (登録コード: CI-IF):1942年以降には、13.1ミリMG131機銃を備えた動力銃座が導入され、ハインケルHe111のほかにも、He177爆撃機、ドルニエDo217爆撃機、Fw200哨戒偵察機にも搭載された。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935344 - Catalog: 16_005239 - Title: Heinkel He 111H-16/R1 Nowarra photo - Filename:16_005239.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005240 引用。


1944年7月20日,ラステンブルクにあったヒトラーの総統本営ヴォルフスシャンツェ (Wolfsschanze)を爆破して,ラステンブルク飛行場からベルリン飛行場まで,シュタウフェンベルクが搭乗したのもハインケルHe-111爆撃機だった。

しかし,このヒトラー暗殺未遂事件を題材にしたハリウッド映画「ワルキューレ」や2009年のZDFドキュメント「シュタンフェンベルク」では,この空中移動を,ユンカースJunkers Ju-52/3m輸送機で行ったことにしている。これは,飛行可能なJu-52をロケに使用したからである。

写真(右)1943年頃、ソ連南部、クリミア半島、バゲロヴォ(Bagerowo)、機首に20ミリMGFF機関銃1丁、胴体後上方の動力銃座に13.1ミリMG131機関銃を設けたドイツ空軍空挺航空団(LLG)のハインケル(Heinkel)He 111H-16/R2グライダー曳航機 (登録コード: ??-A?)と新型の固定曳航器で繋がれたドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug ; DFS)DFS230グライダー:固定式曳航器によれば、グライダーを飛翔させるための滑走距離を短縮することができた。1943年1-2月、スターリングラードが陥落、空輸作戦が終了した時期に実戦配備された。He 111H-16/R2は、ユモJumo 211 F-2液冷V12気筒エンジンを装備、胴体後上方に13.1ミリMG 131機関銃動力回転銃座を装備、胴体側方(左右)に7.92ミリMG81Z連装機関銃を、機首には20ミリMG FF機関銃を装備したグライダー曳航機。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935503 - Catalog:16_005252 - Title:Heinkel He 111H-16/R2 Nowarra photo - Filename:16_005252.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005240 引用。


グライダーを曳航するには、ケーブルを用いるのが一般的だった。しかし、
?曳航索によるグライダーの曳航には、地上滑走に十分な長さの滑走路が不可欠だった。
?曳航索で繋がれたグライダーは、空中での方向転換など機動性が大きく制限された。
そこで、ドイツ空軍は、1942年に固定式曳航器を開発した。この固定式曳航器によれば、グライダーを飛翔させるための滑走距離を短縮することができた。1943年1-2月、スターリングラードが陥落、空輸作戦が終了した時期に固定式曳航器装備のハインケルHe 111H-16/R2爆撃機がドイツ空軍第1/2空挺航空団Luftlandegeschwader:LLG)に実戦配備された。

1937年初飛行のDFS230グライダーは、第二次大戦緒戦で空挺部隊が使用した乗員 2人、定員 10人の小型グライダーで、全長 11.3m、全高 2.8m、全幅 21.1m、翼面積 38.1平方メートル、全備重量 2100kg。

写真(右)1941-1942年頃、大戦中期、機首に20ミリMGFF機関銃1丁、胴体後上方の動力銃座に13.1ミリMG131機関銃を設けたドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111H-16/R3爆撃機 :ユモJumo 211 F-2液冷V12気筒エンジンを装備、胴体後上方に13.1ミリMG 131機関銃動力回転銃座を装備、胴体側方(左右)に7.92ミリMG81Z連装機関銃を、機首には20ミリMG FF機関銃を装備した爆撃機編隊を煽動する教導パスファインダー(pathfinder)。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935356 - Catalog:16_005240 - Title:Heinkel He 111H-16/U1 Nowarra photo - Filename:16_005240.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog: 16_005240 引用。


ドイツ空軍ハインケルHe 111 H-16の武装は、機首A銃座に20ミリMG FF機関銃、胴体後上方B銃座に13.1ミリMG 131機関銃動力回転銃座、胴体下面ゴンドラ後下方C銃座と胴体側方(左右)に7.92ミリMG81Z連装機関銃を装備した。 He 111 H-16爆撃機は、ユモJumo 211 F-2液冷V12気筒エンジン2基を装備、機首A銃座には,20ミリMG FF機関銃(携行弾数180発)、胴体後上方B銃座(動力回転)に13.1ミリMG 131機関銃(1000発)を装備、胴体下面ゴンドラC銃座と側方(左右)に7.92ミリMG81Z連装機関銃(各1000発)を装備した。
He 111 H-16/R1は、胴体後上方銃座を13.1ミリMG 131機関銃装備の動力回転銃座に変更。
He 111 H-16/R2は、グライダー曳航用。He 111 H-16/R3は、爆撃教導のパスファインダー(pathfinder)。


写真(上)1943年春、ソ連南東部、ドイツ空軍第1空挺航空団(LLG1)のハインケル(Heinkel)He 111Z型ツヴィリング(Zwilling)大型グライダー曳航機
:He111爆撃機2機を合体させたHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)は、主翼のつなぎ部分にユモJumo211エンジン1基を追加し、発動機を5発機とした。Z(ツヴィリング:Zwilling)とは、ツイン「双子」の意味である。胴体下面のETC2000/XIIラックに900L増加燃料大型タンクを懸架している。
PictionID:43935308 - Catalog:16_005236 - Title:Heinkel He 111Z Nowarra photo - Filename:16_005236.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081285引用。


写真(右)1942年頃、ドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111大型グライダー曳航機Z型ツヴィリング(Zwilling: 双子)に曳航されるメッサーシュミットMe-321Bギガント・グライダー :He111爆撃機2機を合体させ、主翼のつなぎ部分にユモJumo211エンジン1基を追加し、5発機としたのがHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)。
メッサーシュミットMe-321ギガント・グライダー は、1941年2月25日初飛行、乗員 2名、兵員搭載人数 130名、全長:28.15 m 、全幅:55 m 、全高:10.15 m、空虚重量:12,400 kg、全備重量:34,400 kg、最高速力 160 km/h 、生産数150機。
Messerschmitt, Me 321 Catalog #: 01_00085187
Title: Messerschmitt, Me 321 Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Additional Information: Germany Me-321 being towed by a He-111Z
Designation: Me 321
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081285引用。


ハインケル(Heinkel)He 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)は、He111H-6爆撃機を2機繋ぎ、中央主翼に発動機ユモJumo211F1350馬力エンジン1350馬力1基を追加し、5発機としたもので、1941年に開発が始まり、1941年秋には初飛行に成功した。全幅32.5m、最高速力437km/h(高度6000m)。ETC2000/XIIラックを胴体下面に2基、合計4基を装備。600L増加燃料タンク4個を含め、燃料搭載量は1万220リットルで、航続距離4000km。空虚重量受領21300?、全備重量29600?。グライダーはG0242であれば2機、Me321であれば1機基を時速225km/hで曳航できる。

ハインケルHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)の 生産開始は、1942年8月1機、9月1機、10月2機、11月3機、12月3機。1943年から1944年初頭まで、東部戦線、ソビエトのチトミール、クバン方面と地中海、シシリー島方面で輸送用に散発的に使用された。He 111Z-2型は、誘導グライダー爆弾Hs293を4発搭載する艦船攻撃機、あるいは増加燃料タンクを装備した長距離哨戒偵察機として計画されたが、飛行性能が低いためにキャンセルされた。

写真(右)1943年秋、スロバキア中部、バンスカー・ビストリツァ(Banska Bystrica)、ドイツ同盟国スロバキア空軍のハインケル(Heinkel)He 111H-3爆撃機輸送機仕様に乗り込むパラシュートを背負った降下猟兵 :訓練中の姿。しかし、戦争後期に降下猟兵がパラシュート降下する戦場があったのであろうか。あるいは、包囲されたポケット地帯への兵員の緊急輸送用であろうか。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935516 - Catalog:16_005253 - Title:Heinkel He 111H-23 of Heinkel He Slovak Air Force - Filename:16_005253.TIF -
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005253引用。


ドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機の年別生産数は、1939年 452機、1940年 756機、1941年 950機、1942年 1,337機、1943年 1,405機、1944年 756機で、総生産機数は 5,656機に達している。

写真(右)1944年後半、ドイツ北西部、ヴィルヘルムスハーフェン(Wilhelmshaven)南25キロ、ブレーメンバート・ツヴィッシェンアーン(Bad Zwischenahn)、飛行爆弾V-1号 (Fi 103, FZG 76)1基を搭載し空中発射する世界初の巡行ミサイル攻撃機となったドイツ空軍第53爆撃航空団(KG53)のハインケル(Heinkel)He 111H-22/H-20 爆撃機(A1+GA):ユモJumo 211 F-2液冷V12気筒エンジンを装備、胴体後上方に13.1ミリMG 131機関銃を搭載した大型動力回転銃座を装備。一般も動力銃座より大きく空気抵抗が大きいが、夜間飛行の時の天測や敵夜間戦闘機の警戒に便利なように天井を高くして視界を向上させている様だ。胴体側方(左右)に7.92ミリMG81Z連装機関銃を装備、その下は、V-1飛行爆弾のパルスジェットエンジンの始動装置のコード、機首には20ミリMG FF機関銃を装備。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935566 - Catalog:16_005257 - Title:He 111H-22 and FZG76 V.1 to be launched by He 111H-20 Nowarra photo - Filename:16_005257.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005253引用。


ドイツ空軍は、1944年後半、ハインケルHe 111H-16あるいはH-20爆撃機は、R2使用の爆撃先導パスファインダ―(pathfinder)があったが、この機体に飛行爆弾V-1(今日の巡航ミサイル)1発を搭載して、ロンドンを再度空襲しようとした。1944年6月の西側連合軍ノルマンディー侵攻の前に、ドイツ空軍の飛行爆弾V-1は、北フランスに展開中で、侵攻直後から、イギリス本土、特にロンドンを目標に発射された。最終的にはV-1飛行爆弾は2,000発が発射され、50%近くがイギリス本土に到達したが、イギリス空軍や防空組織はV-1飛行爆弾を661基、空中で撃墜したと主張している。

 V-1飛行爆弾は、当初は、固定式のカタパルト発射装置から発射されたが、これは空中偵察によって、発見され、攻撃目標となった。そこで、ドイツ軍は、移動式カタパルトによる発射に切り替えたがが、西側連合軍の第21軍(イギリス・カナダ軍)が北フランス、ベルギー、オランダを占領すると、もはやV-1の航続距離では、イギリス本土まで到達できなくなった。

そこで、1944年末期、ドイツ空軍は、ハインケルHe-111H-21あるいはH-22の胴体下面にV-1飛行爆弾を懸架し、夜間、密かに空中発射する新方式を採用した。これに対して、イギリス空軍は、AI Mk IVレーダーを搭載したデハビラント・モスキート(Mosquito)のような夜間戦闘機で迎撃したが、He111爆撃機は北海の海面上を低空を低速で飛行して、レーダー探知を困難にし、後上方からの夜間戦闘機の接近を防いだために、撃墜されることはあまりなかったようだ。しかし、海面の低空飛行は、波浪や目測誤認などでリスクが高く、事故による損傷率が高くなってしまった。

写真(右)1945年,ドイツ中部、ノルトハウゼン近郊ニーダーサクスヴェルフェンのコーンシュタインに作られたV1飛行爆弾(巡航ミサイル)ロケット弾道弾の地下生産工場:ユダヤ人や捕虜などブーヘンワルト強制収容所の囚人を奴隷労働者として酷使してトンネル式の地下工場を建設し、そこで最先端技術の秘密兵器を、奴隷労働者を使って生産させた。地下パルスジェットを装備したV1飛行爆弾の尾翼は固定式だが、主翼は格納に便利なように取り外すことができる。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1991-076-02A Original title: info G8501 A 206 Archive title: Kohnstein bei Niedersachswerfen.- Fabrikationsanlage für die Produktion von Marschflugkörpern " V 1" und Raketen "A 4 / V2" nach Einnahme durch die Alliierten, V-1 auf dem Fließband Dating: 1945 ca.
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchivが譲渡したWikimedia Commonsから"File:Bundesarchiv Bild 146-1991-076-02A, Niedersachswerfen, Produktion von V1 - V2.jpg"引用。


第二次世界大戦末期に登場したドイツ軍の秘密兵器としては、世界初の巡航ミサイルV-1号,弾道ミサイルV-2号が有名である。Vとは,Vergeltungs-waffe(報復兵器)の略号で, V-1号はパルスジェットエンジンを使った巡航ミサイル,V-2号はロケットエンジン装備の弾道ミサイルだった。ともに,ドイツの最新科学技術を体化させた画期的な兵器であり,連合軍も後にこれらの兵器を模倣し,発展させたほどだった。

V1はパルスジェットエンジンを装備し,爆音を立てながら飛翔する。そこで、その飛行音から爆音爆弾(バズ・ボム)とも呼ばれた。巡航速度は600-650キロ、目標上空までジャイロコンパスを使って飛行、エンジンへの燃料供給を停止して、落下、爆発する。無線誘導装置はなかった。

V1巡航ミサイル(飛行爆弾)を警戒したイギリス軍は、クロスボー(石弓)作戦によってV1巡航ミサイルの実験場、発射基地などを空襲した。あわせて、対空砲火、迎撃戦闘機を配備して、飛来するV-1巡航ミサイルを打ち落とした。

メディアでは、宇宙旅行の起源となったV2ロケット開発を称賛する声が溢れているが、フォン・ブラウン博士の実用化したロケットの原型は、ナチスドイツの弾道ミサイル(弾道弾)であり、それを生産したのは、親衛隊の管理するドーラ=ミッテルバウ強制収容所(KZ-Gedenkstätte-Mittelbau-Dora)に捕えられていた捕虜やユダヤ人など奴隷労働者だった。生産が行われたトンネル式地下工場を作らされたのも、奴隷労働者だった。戦時中、ドイツが先端技術を実用化できたのは、人権を完全に無視した奴隷労働者を大量投入し、彼らの犠牲を厭わなかった。

他方、V2弾道ミサイルは,成層圏から超音速で落下し、これを迎撃することは不可能だった。V-2弾道ミサイルは、1944年9月から7ヶ月、ロンドン、アントワープなど連合軍の都市・港湾に向けて発射された。

写真(右)1943年秋頃、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 111 e 111V-32試作機(He111 H-23型の原型):He111H-23は、従来のユモJumo 211液冷エンジンの大型改良型であるユモ Jumo213液冷エンジンを装備。このエンジンの冷却器は、エンジン先端に環状に装備されているために、一見すると、空冷星形エンジンのように見える。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935320 - Catalog:16_005237 - Title:Heinkel He 111V-32 Nowarra photo - Filename:16_005237.TIF -
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005253引用。


ハインケル(Heinkel)He 111 H-23爆撃機は、従来のlユモ Jumo211F液冷V12気筒エンジンのシリンダー(気筒)を、ボア150ミリ、ストローク165ミリ、排気量35Lはそのままで、加圧冷却の採用、シリンダーブロックの小型化、過給圧の向上を図ったユモ Jumo213液冷V12気筒エンジンを装備、出力を1400馬力から1700馬力に向上させた。ユモJumo213液冷エンジンの冷却器は、エンジン先端に環状に装備されているために、一見すると、空冷星形エンジンのように見える

ハインケル(Heinkel)He 111 H-23爆撃機は、エンジン強化に伴って、全備重量での最高速力は、H-16型の405km/hから、H-23型の480km/hへと向上した。このH-23がHe111の最終型となったが、性能は不十分だったため、少数の生産に留まり、実戦では、包囲陣地への緊急医薬品・弾薬輸送・患者・負傷兵搬送、敵地へのスパイ降下に若干が使用されただけで終わったようだ。


10.現在、復元・展示されているハインケル(Heinkel)He111爆撃機

写真(右)2013年、ノルウェー、オスロ航空に保管されているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He.111P-1爆撃機(5J+CN )
English: At Oslo Gardermoen
Date 14 August 2013, 10:41:55
Source Flickr
Author Aeroprints.com
写真は,Wikimedia Commons, File:5J+CN Heinkel He.111P-1 Luftwaffe (9547396054).jpg引用。


Nils Mosberg(Heinkel He 111P-1 "5J+CN")によれば、ノルウェーのオスロ空港に保管・展示されているドイツ空軍(Luftwaffe)ハインケル(Heinkel)He 111爆撃機P-1型 "5J+CN" (Werknummer 1526)は、第4爆撃航空団第5飛行隊(5./KG 4 "General Wever")所属の機体である。

写真(右)2012年、ノルウェー、オスロ空港に保管されているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He.111P2爆撃機(Wk Nr 1526):胴体中央下面に爆弾倉の分割式扉がある。ここに、爆弾の尾翼を下にして、爆弾を搭載した。爆弾倉の搭載量は、32個 x 50 kg SC50爆弾、8個 x 250 kg SC250爆弾。胴体下面にラックを装備すれば、2個 x 1000 kg SC1000爆弾、2本 x 936 kg F5W 航空魚雷、 1個 x 1400 kg PC 1400 (Fritz)爆弾。
Description Heinkel He 111 P-2 (Wk Nr 1526)
Date 22 April 2012, 02:50
Source Heinkel He 111 P-2 (Wk Nr 1526)
Author Clemens Vasters from Viersen, Germany
写真は,Wikimedia Commons, File:Heinkel He 111 P-2 (Wk Nr 1526) (6956321550) (5).jpg引用。


1940年4月23日、第4爆撃航空団(KG 4)は、ドイツ北部のファスブルク(Fassberg)から、ノルウェー南部のオスロ(Oslo/Fornebu)に移動した。そして、翌4月24日、第四爆撃航空団のハインケルHe111爆撃機P-1型"5J+CN"は、ノルウェー中部、トロンヘイム北東130kmのナムソス(Namsos)に出撃した。

写真(右)2012年、ノルウェー、オスロ空港に保管されているドイツ空軍第4爆撃航空団(KG4)「ウェーバー将軍」"General Wever"のエンブレムを付けたハインケル(Heinkel)He.111爆撃機P2型(Wk Nr 1526)の機首:機首先端に7.92ミリMG15旋回機関銃、機首先端下方に爆撃照準器の張出し窓、風防内部には、垂直尾翼を操作するペダルなどが見える。
Description Heinkel He 111 P-2 (Wk Nr 1526)
Date 22 April 2012, 02:50
Source Heinkel He 111 P-2 (Wk Nr 1526)
Author Clemens Vasters from Viersen, Germany
写真は,Wikimedia Commons, File:Heinkel He 111 P-2 (Wk Nr 1526) (6956321550) (5).jpg引用。


1940年4月26日、He111爆撃機"5J+CN"と僚機は、オスロから北方500kmのオンダルスネスを爆撃した。その際に、イギリス海軍航空隊第801飛行戦隊(No. 801 Squadron)ブラックバーン スクア(Blackburn Skuas:トウゾクカモメ)急降下爆撃機に襲撃され、ドンボース西30km地点に撃墜された。この機体の残骸が、1976年に発見、発掘され、オスロ郊外に運搬されて復元された。これが、ハインケルHe 111P爆撃機、”5J+CN" として保管展示されている機体である。

写真(右)2012年、ノルウェー、オスロ空港に保管されているドイツ空軍第4爆撃航空団(KG4)「ウェーバー将軍」"General Wever"のエンブレムを付けたハインケル(Heinkel)He.111P2爆撃機(Wk Nr 1526)も腹部ゴンドラと後下方銃座の7.92ミリMG15旋回機関銃:銃手はゴンドラに腹ばいになって、7.92ミリMG15旋回機関銃を操作するが、ゴンドラを攻撃してくる敵機のために大きな痛手を被った。このゴンドラは防御力が弱かったために、攻撃にさらされやすく「死人のベッド」とも呼ばれるようになった。
Description Heinkel He 111 P-2 (Wk Nr 1526)
Date 22 April 2012, 02:51
Source Heinkel He 111 P-2 (Wk Nr 1526)
Author Clemens Vasters from Viersen, Germany
写真は,Wikimedia Commons, File:Heinkel He 111 P-2 (Wk Nr 1526) (6956329404) (5).jpg引用。


写真(上)2015年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ハインケルHe111H-20/R1爆撃機16人乗り輸送機仕様(1944年製造 Wk Nr 701152):ユモJumo211液冷12気筒エンジンのエアインテーク(空気取入れ魏口)は正面から見て左側にある。機首先端の銃座には蓋がされている。この輸送機仕様の機体はアメリカ陸軍航空隊第56戦闘グループがドイツで鹵獲し1945年11月にイギリス空軍ファンボロー基地にまで空輸したもので、1947年、博物館で保管されることになった。その後各地を回ったが、1978年から現在のイギリス空軍博物館で「イギリス本土航空決戦」の時期のものとして展示されている。
The RAF Museum chose to celebrate the 100th Anniversary of the service by dismantling and closing the museum dedicated to its finest hour, the Battle of Britain Museum. Every cloud has a silver lining, however, and during May 2016 the aircraft were in a part dismantled state, allowing for some interesting photos.
Built in 1944, this was a transport variant with seats for 16 paratroops. Recovered in airworthy condition at the end of the war, it was allocated to the USAAF for evaluation in the United States. It remained in Europe, however, and joined the 56th Fighter Group at Boxted as a mascot / transport aircraft. During this time it was painted in full 56FG markings. When the unit returned to the US in September 1945 the aircraft was flown to Heston, and then to Farnborough in November 1945. In 1947 it was selected for museum use and stored. It remained in store at various locations (including Biggin Hill) except for a couple of brief public appearances. At this time it was painted overall black. In 1967 it was used to assist with the making of the ‘Battle of Britain’ film at RAF Henlow, and then moved to RAF St Athan where some restoration work was carried out and the aircraft painted into a factory colour scheme. In 1978 it went on permanent display in the Battle of Britain Hall, where it remained until 2016. RAF Museum, Hendon, London, UK. 28th May 2016
Date 28 May 2016, 09:44 Source Heinkel He111H-20/R1 ‘701152’ Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真は,Wikimedia Commons, Heinkel He 111H at RAF Museum London File: Heinkel He111H-20-R1 ‘701152’ (33117187136).jpg引用。


写真(右)2015年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機H-20/R1型16人乗り輸送機仕様(1944年製造 Wk Nr 701152):ユモJumo211液冷12気筒エンジンのエアインテーク(空気取入れ魏口)は正面から見て左側にある。機首先端の銃座には蓋がされている。この輸送機仕様の機体はアメリカ陸軍航空隊第56戦闘グループがドイツで鹵獲し1945年11月にイギリス空軍ファンボロー基地にまで空輸したもので、1947年、博物館で保管されることになった。その後各地を回ったが、1978年から現在のイギリス空軍博物館で「イギリス本土航空決戦」の時期のものとして展示されている。
Photo ref; Nikon-D80-2015-DSC_0864 (Edited) Date 17 October 2015, 12:34 Source Heinkel He 111H-20, Royal Air Force Museum, Hendon. (Edited) Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真は,Wikimedia Commons, Heinkel He 111H at RAF Museum London File: Heinkel He 111H-20, Royal Air Force Museum, Hendon. (Edited) (24193566615).jpg引用。


写真(右)2007年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機H-20/R1型16人乗り輸送機仕様の胴体内部前方部分(1944年製造 Wk Nr 701152):上部の円形は銃座。
Description Inside Wk Nr 701152. The upper gunners position was removed to create more room for the Paratroops. Date 1 July 2007 (original upload date) Source Originally from en.wikipedia; description page is/was here. Author Original uploader and author was Dapi89 at en.wikipedia
写真は,Wikimedia Commons, Heinkel He 111H at RAF Museum London File:Heinkel He 111 interior.JPG引用。



写真(上)2018年、ドイツ、ベルリン、ドイツ空軍ベルリン・ガトウ軍博物館、ドイツ空軍第55爆撃航空団(KG55)「グライフ」"Greif"のエンブレムを付けたハインケルHe111爆撃機を模したスペイン製Casa 2.111.爆撃機
:映画「バトルオブブリテン」に、ドイツ空軍部隊として飛行中の様子も撮影された。発動機は、ドイツ製ユモJu211液冷エンジンに代えて、イギリス製ロールス・ロイス マーリン500-29液冷エンジンを装備している。胴体中央下面の爆弾倉の扉が、分割されているのが明瞭にわかる。ここに、爆弾の尾翼を下にして、爆弾を搭載した。爆弾倉の搭載量は、32個 x 50 kg SC50爆弾、8個 x 250 kg SC250爆弾。胴体下面にラックを装備すれば、2個 x 1000 kg SC1000爆弾、2本 x 936 kg F5W 航空魚雷、 1個 x 1400 kg PC 1400 (Fritz)爆弾。
Description Umbau auf Heinkel 111 von Casa 2.111. MHM Gatow Date 29 April 2018, 14:41:41 Source Own work Author Dirk1981
写真は,Wikimedia Commons, Category:CASA 2.111 at the Luftwaffenmuseum Berlin-Gatow File: Heinkel 111 Hangar 3 2018 nah.jpg引用。


スペイン空軍CASA 2.111は、スペインのCASA社でハインケルHe111爆撃機をライセンス生産したものである。CASA 2.111Aは、原型のHe 111爆撃機H-16型と同様の機体で、当初の発動機はユモJumo211を装備した。しかし、第二次大戦でドイツの敗北が決定的になる中で、イギリスのロールス・ロイス社マーリン エンジンに変換したCASA2.111Bが生産されることになった。CASA2.111Bは、He111爆撃機H型とは、エンジンナセルの形状が全く異なる。

写真(右)2011年、アメリカ、テキサス州、キャヴァナー航空博物館(Cavanaugh Flight Museum)の展示されているスペイン製CASA 2.111E爆撃機(ドイツ空軍第51爆撃航空団所属ハインケルHe111爆撃機H型使用の塗装):正面から段なし機首大型ガラス風防を見ると、複式並列操縦席の左の正パイロット(向かって右側)席の視界を良くするために、機首先端が正面から見て左に偏っているのが分かる。
Description SONY DSC Date 7 October 2011, 13:21 Source CASA_2.111E_Heinkel_He_111H-16_KG.51_HeadOn_CFM_7Oct2011 Author Valder137
写真は,Wikimedia Commons, Category:CASA 2.111E at Cavanaugh Flight Museum File: CASA 2.111E Heinkel He 111H-16 KG.51 HeadOn CFM 7Oct2011 (15138629697).jpg引用。


スペイン空軍CASA 2.111Bは、1960年代まで主に輸送機として使用されたが、ドイツ空軍のハインケル He111と似ているために、1969年の映画”Battle of Britain”(日本名『空軍大戦略』)では飛行中の様子が映し出されている。


11.第二次大戦初期に消えたドルニエDo-17爆撃機 

写真(右):1939-1940年頃、飛行中のドルニエ(Dornier)Do 17 Z爆撃機:第二次大戦中は、緒戦のポーランド侵攻、フランス侵攻、イギリス本土航空決戦に大量投入されたが、He111爆撃機、Ju88爆撃機に比べて飛行性能が劣ったために、1940年末には退役していた。しかし、空冷の1700馬力 BMW 801エンジンを搭載し、Do17Zの出力を強化した発展型のDo 217 爆撃機K型がDo-17に代わって部隊配備された。
Dornier Do-17 Catalog #: 00078558 Manufacturer: Dornier
写真はSDASM Archives ・Catalog #: 00078558引用。


ドイツ空軍ドルニエDornier Do 17 Z爆撃機の諸元
初飛行 1934年11月
全長 16.3メートル,全幅 18メートル,翼面積 86.5平方メートル
全備重量7650キロ,エンジン:BMW ブラモ323 空冷星型 9気筒1000馬力2基
最大時速 420キロ,航続距離 1160キロ
兵装 7.92ミリMG15機関銃5丁,爆弾1トン。
乗員4人(操縦手,爆撃手,航法・偵察員兼機銃射手2名)


12.第二次大戦の最多生産爆撃機ユンカースJu-88

写真(右)1940年9月7日、イギリス、イギリス軍に鹵獲され、イギリス上空を飛行するドイツ空軍ユンカース(Junkers) Ju 88A-5爆撃機:1941年9月7日、ドイツ空軍は、それまで続けてきた航空撃滅戦が効果が上がっていないと判断し、作戦を変更して、ロンドン爆撃・電撃(ブリッツ)が始まった初日となった。
ROYAL AIR FORCE FIGHTER COMMAND, 1939-1945
Object description Junkers Ju 88A-5, HM509, of No. 1426 (Enemy Aircraft Circus) Flight base at Collyweston, Northamptonshire, in flight over the English countryside with Flying Officer D G M Gough at the controls..
Catalogue number HU 93021 Part of IMPERIAL WAR MUSEUM PHOTOGRAPH ARCHIVE COLLECTION
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 93021)引用。


Ju88爆撃機は、最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ,7.92mm機銃6丁,爆弾 2トン。手前には、コックピット後上方銃座の7.92ミリ旋回機関銃の照準器が写っている。Ju88は、信頼性、操縦性は高く、ドイツ爆撃機としては最多となる1万5000機が生産(夜間戦闘機型を含む)が生産れている。

ユンカースJu-88の諸元
全長 14.4メートル,全幅 20メートル,翼面積 54.5平方メートル
性能:最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ
兵装:7.92ミリMG17機銃6丁,爆弾 2トン
双発だが操縦性の良いJu-88は、急降下爆撃として9000機が生産されたが、後に重戦闘機、夜間戦闘機としての改良がくわえられ、戦闘機として6000機生産された。

ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機を見る。



ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別


◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
2018年7月13日開設の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
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