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◆ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機 写真(上)1943年1月,イタリア戦線、シシリア島、ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機A-3型:胴体下面にETC501ラックを装備し、300リットル入落下増槽や250キロまたは500キロ爆弾1発を搭載できる。A-3型では主翼内側には20ミリMG151/20機関銃、主翼外側には20ミリMGFF機関銃を装備しているはずだが、これらの機体は、主翼外側の機関銃は搭載していない。ハスキー作戦(Operation Husky)によって、1943年7月10日、イタリアのシチリア島西部に上陸した。ドイツ軍・イタリア軍は持久戦を戦いながら、8月11日、イタリア本土へ脱出した。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-418-1846-15A Archive title: Italien, Sizilien.- Flugplatz, Bodenpersonal bei der Arbeit an Jagdflugzeugen; KBK Lw 6 Dating: Januar 1943 Photographer: Ketelhohn, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,
ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv , 101I-418-1846-15A引用。

写真(上)2013年、アメリカ、ワシントン州エバレット、フライング・ヘリテージ・コレクション(Flying Heritage Collection :FHC)で復元されたドイツ空軍第54戦闘航空団第4飛行中隊(4./JG54 )所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190A-5/U3:1990年にロシア、レニングラード近郊で回収、復元された「白A」号機。2012年にロシアからアメリカのフライング・ヘリテージ・コレクションに売却され、飛行可能な状態にある。
English: The Focke-wulf Fw 190A-5/U3 (W.Nr. 0151227) was in service with the German Luftwaffe as "DG+HO" of 4./JG54 ("White A"). It was recovered in the St. Petersburg area, Russia, in 1990. Later it was sold to the Flying Heritage Collection, Everett, Washington (USA), and is (as of 2012) in flying condition (civil registration "N19027"). Date 20 July 2013, 12:01 Source Focke-Wulf FW190 Author Clemens Vasters from Viersen, Germany
写真はFlickr, a Yahoo company, Category:Focke-Wulf Fw 190A (Flying Heritage Collection), File:Focke-Wulf FW190 (9340603770).jpg引用。


写真(上)1944年、フランス、林の中で対空偽装されたドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190A-8戦闘機:機体下面に300リットルの落下式増加タンクを装備している。駐機場に整備員たちが押し戻しているので出撃が中止あるいは延期になったのであろうか。全長:9.06m、全幅:8.95 m、全幅:10.51 m、全高:3.95 m、 翼面積:18.3平方メートル、全備重量:4,750kg、エンジン:BMW 801 D-2空冷星形14気筒エンジン1,700馬力(離昇)、最高速力:653 km/h (6,400m)、航続距離:1,035 km、1,450 km (300L増槽装備)、 兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数各475発)、20ミリMG151/20機関銃4丁(2丁各250発、2丁各140発)。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-493-3352-28 Archive title: Frankreich.- Luftwaffensoldaten schieben Flugzeug Focke-Wulf Fw 190 an Waldrand, (23.6.1944 [?]); PK Lfl 3 Dating: 1944 Photographer: Engelmann Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv , 101I-493-3352-28引用。

◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
読売新聞2013年7月30日「ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演」によれば、日本副総理麻生は7月29日、東京の講演会で憲法改正は「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」として、ドイツの「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。国民が騒がないで、納得して変わっている。喧騒けんそうの中で決めないでほしい」と語った。これは、徴兵復活、軍備強化、独裁政権獲得という本音のようだ。

1.第二次大戦直前に初飛行したフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190戦闘機試作機

1934年,バイエルン航空機Bayerische Flugzeugwerke:BF)は、単葉、全金属製、モノコック構造、密閉式のガラス風防、引込脚といった当時の先端技術をすべて取入れ、強力なエンジンで、小さく軽い機体を引っ張る高速戦闘機の開発を、Bf 108連絡機・小型輸送機を設計したロベルト・ルッサー技師の主導で開始した。その後,バイエルン航空機Bayerische Flugzeugwerke:BF)は、メッサーシュミット社となったため、MEの略称も併用され、Bf109戦闘機は、Me109戦闘機とも呼ばれる。

他方、ドイツ空軍は、フォッケウルフ社に対して、主力のBf109戦闘機を補助する予備的な戦闘機の開発を依頼した。そこで、技師クルト・タンクKurt Waldemar Tank)の主導で,Fw-190戦闘機の試作機は、1939年6月1日に初飛行した。このFw-190は、過酷な戦場で耐久性があり、膠着装置も頑丈で安定性がよく、未熟練パイロットでも操縦できるように配慮されていた。wikipediaは「強力な武装」というがこれは誤解で、余裕ある設計のために、当初の軽武装の試作機も、兵装強化が可能だったということである。当時、ドイツ空軍は、第一線の軍用機のエンジンには、ダイムラーベンツやユンカースの液冷エンジンを搭載していたが、予備的戦闘機のFw-190ではあえて例外的な空冷星形エンジンを搭載することが指示された。Fw-190戦闘機は当時唯一搭載可能な大出力空冷星形エンジンとして、BMW 139(離昇出力1,550馬力)を搭載した。

写真(右)1939年、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機試作1号機V1:第二次大戦勃発直前にドイツ空軍主力戦闘機メッサーシュミットBf 109の補助戦闘機として、Fw-190戦闘機の原型が完成した。巨大なスピナーを装備し、前面空気抵抗の減少を企図したが、エンジンの冷却不良に悩まされ、巨大なスピナーは小型化された。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934161 - Catalog:16_005143 - Title:Focke-Wuf 190V-1 original form Nowarra photo - Filename:16_005143.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934161引用。


1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章がドイツ軍では用いられたが、1935年にドイツ再軍備宣言German re-armament)、ドイツ空軍にヘルマン・ゲーリングが総司令官として着任、ナチ化が推進された。その際に、ドイツ空軍機の垂直尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)を描いた国章が決められた。その後、1939年9月に第二次世界大戦の勃発以降は、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(スワスチカ)は、戦場では目立ちすぎるために、敵から発見されやす支障があった。そこで、垂直尾翼の赤と白の背景を消して、黒に白縁のスワスチカだけを記章とするようになった。

写真(右)1939年、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機試作1号機V1改修型:第二次大戦勃発直前にドイツ空軍主力戦闘機メッサーシュミットBf 109の補助戦闘機として、Fw-190戦闘機の原型が完成した。1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を国籍マークとして描いている。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のスワスチカ (Swastika:ハーケンクロイツ)は、敵にも目立ってしまうために廃止になり、ハーケンクロイツだけなった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934173 - Catalog:16_005144 - Title:Focke-Wuf 190V-1 after modification Nowarra photo - Filename:16_005144.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934173引用。


Bf109の発動機は、ダイムラー・ベンツDB601液冷エンジン(後期型はDB605エンジン)で、シリンダーは高圧で駆動するために構造上精度・素材品質も高く保つ必要があった。また、燃料噴射ポンプが装備されたが、これは気化器を通さず直接シリンダーに燃料噴射をするポンプで、飛行機の態勢いかんにかかわらず、安定的なエンジン駆動ができた。バトル・オブ・ブリテンにあって、気化器を装備したスピットファイア戦闘機は、マイナスGが強くかかるとシリンダーへの燃料供給が停止する欠点があったが、Bf109戦闘機は、燃料直接噴射ポンプがあったために、その欠点はなかった。

 さらに、ダイムラー・ベンツDB601液冷エンジンは、倒立V型シリンダーであったため、エンジンを貫通して胴体内機関砲をプロペラスピナ先端から発射することも可能だった。このよう複雑な機構は、生産効率や整備性の上で困難があったが、技術的優位を活かす自信があったダイムラーベンツは、あえて複雑な機構のエンジンを開発したのである。

写真(右)1939年、試験飛行中のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機試作2号機V2型:第二次大戦勃発直前に完成したFw-190戦闘機の原型の試作2号機。量産型と比べると、パイロットの座席位置が高く、風防が突出している。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934185 - Catalog:16_005145 - Title:Focke-Wuf 190V-2 Nowarra photo - Filename:16_005145.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934185引用。


 他方、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機は液冷エンジン中心のドイツ空軍の唯一の空冷エンジン単座戦闘機となった。しかし、エンジンは高馬力で、カウリングの直径を絞って空気抵抗の減少に配慮し、オイルクーラー、オイルタンクをエンジンの前面に環状に搭載、さらに単排気管による排気推力を活用して、境界面の空気の流れを良好にするとともに、速度向上に寄与させた。量産型のFw-190戦闘機では、搭載エンジンをBMWのより強力な新型空冷星形エンジンBMW 801に変更している。

フォッケウルフhttp://wiki.wargaming.net/en/Plane:Fw-190a5(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機は、戦闘機型は13,300機、戦闘爆撃機型は6,600機、合計2万機が生産された。

写真(右)1938年,メッサーシュミットBf109戦闘機D-1型:プロペラの羽根は、D型以降は3翅に増えた。しかし、水平尾翼を下支えする支柱の存在、期初側面の円筒型のエアインテークなど、Fw-190戦闘機と比較すると、空力学的に見て洗練さが欠けている部分が残っている。
ドイツ機の国籍マーキングは、1935年3月のドイツ再軍備宣言ヘルマン・ゲーリングのドイツ空軍司令官就任以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。水平尾翼は支柱で固定されている。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:44219128 - Catalog:16_005499 - Title:Messerschmitt Bf 109D-1 Nowarra collection - Filename:16_005499.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085167引用。


1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ (Swastika:ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のスワスチカ (Swastika:ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。1936年-1938年のスペイン内戦にドイツ義勇軍コンドル軍団の戦闘部隊としては、最新鋭メッサーシュミットBf109戦闘機E-1型も派遣された。当時のドイツ空軍の国籍マークは、胴体の黒丸と垂直尾翼の黒の×十字でファシストのファランヘ党、フランコ将軍の反乱軍側に立って参戦した。

写真(右)1939年、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機V-5K小型翼試験機:第二次大戦勃発直前に完成したFw-190戦闘機。Bf-109戦闘機の影響を受け、小型K翼を試したが、最終的には、量産機は大型G翼を採用した。
SDASM Archives PictionID:43934197 - Catalog:16_005146 - Title:Focke-Wuf 190V-5K Nowarra photo - Filename:16_005146.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_005146引用。


ドイツ最優秀のDB601液冷エンジンは,Bf-109戦闘機,Bf-110戦闘機(駆逐機)に優先配備されていた。そこで、このDB601液冷エンジンを装備できなかった弱小メーカーのフォッケウルフ社は,爆撃機用だった空冷BMW801空冷星型エンジンを搭載した戦闘機を開発せざるを得なかった。

こうして開発されたのがフォッケウルフFw-190戦闘機で,対戦闘機,対爆撃機の戦闘を念頭に、小型で速力が速く、操縦も容易な方針で設計された。

緒戦では、イギリス空軍のスーパーマリン・スピットファイア戦闘機に対して,有利に戦いを進めることができた。頑丈で,装甲板も施された機体は,爆弾搭載能力,被弾・防弾能力も高く,戦闘爆撃機としても活躍した。

フォッケウルフFw-190A:戦闘機の最大の特徴は,エンジン調整に自動制御システムのコマンド・ゲレート(kommandogerät)を装備した点である。これは,プロペラ可変ピッチ、2段スーパーチャージャー,シリンダーに注入する混合気濃度をスロットル操作だけで自動制御するシステムだった。操作が簡便なために,操縦者が熟練していなくとも,運動性能を発揮できた。

1939年9月1日、ポーランド侵攻時には,特別部隊(のちのアインザッツグルッペ)が投入され,公務員,教師,医師,聖職者,ユダヤ人,地主,商店主など,ポーランドの文化・国家の維持に有益な人物,インテリゲンツィアを処置していた。
総統(Führer)アドルフ・ヒトラーにも空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)元帥にとても、ワルシャワ空爆に躊躇は一切なかったと考えられる。

1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年にドイツ再軍備宣言German re-armament)、ドイツ空軍にヘルマン・ゲーリングが総司令官として着任、ナチ化が推進された。尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。

写真(右)ドイツ空軍フォッケウルフFw-190A戦闘機の搭載したBMW801空冷星形エンジン:主翼内側にも機銃穴がなく、機銃も装備されていないので、試作機のように見える。第二次大戦末期に登場したD型は、A型のBMW801空冷星形エンジンをJumo213液冷倒立エンジンに変換し、高高度性能を向上させた改良型。実戦に投入されたのは、1944年夏以降で、A-8型と並行生産されたため、主力とはならなかった。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079333 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: Fw 190 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079333引用。


フォッケウルフFw-190A:戦闘機の最大の特徴は,エンジン調整に自動制御システムのコマンド・ゲレート(kommandogerät)を装備した点である。これは,プロペラ可変ピッチ、2段スーパーチャージャー,シリンダーに注入する混合気濃度をスロットル操作だけで自動制御するシステムだった。操作が簡便なために,操縦者が熟練していなくとも,運動性能を発揮できた。

ドイツの工業技術は、素材、規格に優れていたために、左右の主翼wing)を機体にボルトで結合して製造した。このような構造であれば、陸上を自動車や列車で、海上を船舶で運搬するときでも、主翼を外してコンパクトにまとめることができる。他方、日本軍機は、左右の主翼を一体化し、それを胴体に固定した。若干の重量軽減には役に立ったが、輸送には不便だった。左右一体化の主翼を大きく損傷した場合、両翼全てを交換しなければならず、これができない以上、日本機の修理、整備は困難となり、稼働率の低下を招いた。


2.フォッケウルフFw 190戦闘機A初期型:A-0型からA-1型

写真(右)1940-1941年頃,ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190戦闘機A-0型
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934209 - Catalog:16_005147 - Title:Focke-Wuf 190A-0 Nowarra photo - Filename:16_005147.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934209引用。


1939年9月1日,ドイツ軍によるポーランド侵攻があり、そのの2日後の9月3日,ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスのネヴィル・チェンバレンNeville Chamberlain)首相は、フランスとともに,対ドイツ宣戦布告をした。しかし,開戦から半年以上,フランス軍、イギリス軍はドイツへの攻撃を仕掛けず、西部戦線は静謐だった。そのため「まやかし戦争」(Phoney War)とも称されるほどだった。

写真(右)1940-1941年頃,ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190戦闘機A-0型
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934221 - Catalog:16_005148 - Title:Focke-Wuf 190A-0 (or A-1) Pete Bowers photo - Filename:16_005148.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934221引用。


イギリスの準備していたノルウェー進駐が始まる直前,1940年4月9日にドイツ軍はノルウェー侵攻を開始した。しかし,4月14日には,イギリス・フランス、ポーランド軍の連合軍1万2000名が、ノルウェーのフィヨルド、トロンハイムに上陸し、4月20日には、北部のナルヴィクNarvik)にも,連合軍3万名が上陸し、ドイツ軍は危機に陥った。

 しかし、1940年5月10日,ドイツ軍は、中立を表明していたベルギー,オランダに侵攻、連合軍はナルヴィクを撤退し、フランス正面での戦いに集中した。この時、イギリス首相チェンバレンは,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任し、 1940年5月10日に戦時挙国一致内閣がウィンストン・チャーチルWinston Churchill)首相の下に組閣された。

写真(右)1940-1941年頃,フォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190戦闘機A-1型と整備員たち:兵装は、主翼の付け根とエンジン上部に7.92ミリMG17機関銃各2丁、合計4丁と、大戦の標準から見れば軽武装すぎたために、A-3型以降は、主翼の機関銃は20ミリMG151/20 機関銃に変換、強化された。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934234 - Catalog:16_005149 - Title:Focke-Wuf 190A-1 Nowarra photo - Filename:16_005149.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934234引用。


1940年6月、フランスは降伏し、7月にフランス戦勝利の褒賞として、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進した。

写真(右)1940-1941年頃,ドイツ空軍の前線塗装を施したフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190戦闘機A-1型:胴体側面の点検ハッチが開いているが、強度を保つために、丸い窪み形状となっている。兵装は、主翼の付け根とエンジン上部に7.92ミリMG17機関銃各2丁、合計4丁。後に、主翼の機関銃は20ミリMG151/20 機関銃に変換、強化された。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934247 - Catalog:16_005150 - Title:Focke-Wuf 190A-1 (or A-0) Pete Bowers photo - Filename:16_005150.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934234引用。


1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を描いた国籍マークだった。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のスワスチカ (Swastika:ハーケンクロイツ)は敵から発見されやすかったために廃止になり、ハーケンクロイツだけなった。

写真(右)1940-1941年頃,フォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190戦闘機A-1型の戦列:兵装は、主翼の付け根とエンジン上部に7.92ミリMG17機関銃各2丁、合計4丁と、大戦の標準から見れば軽武装すぎたために、A-3型以降は、主翼の機関銃は20ミリMG151/20 機関銃に変換、強化された。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934379 - Catalog:16_005161 - Title:Focke-Wuf-190A Salo print Oct 31, 1961 - Filename:16_005161.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934379引用。


1938年,メッサーシュミットBf109戦闘機のプロペラの羽根は、D型以降は3翅に増えた。1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年3月のドイツ再軍備宣言ヘルマン・ゲーリングのドイツ空軍司令官就任以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。

写真(右)1940-1941年頃,飛行中のドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190戦闘機A-1型:兵装は、主翼の付け根とエンジン上部に7.92ミリMG17機関銃各2丁、合計4丁と、大戦の標準から見れば軽武装すぎたために、A-3型以降は、主翼の機関銃は20ミリMG151/20 機関銃に変換、強化された。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934283 - Catalog:16_005153 - Title:Focke-Wuf 190A-3 Focke-Wulf Werkfoto - Filename:16_005153.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_005153引用。


写真(右)1940-1941年,ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190戦闘機A-0・A-1型:主翼と胴体側面にバルカンクロス(鉄十字)の国籍マーク、垂直尾翼に大きな白丸に黒のスワスチカ(卍)を描いている。ダークグリーン系の二色迷彩塗装を施している。
サンジエゴ航空宇宙博物館(SDASM:San Diego Air & Space Museum )のオリジナル解説には、A-3型とあるが、主翼に搭載しているのは20ミリ機関銃ではなく、7.92ミリMG17機関銃のようなので、A-0あるいはA-1型であろう。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934271 - Catalog:16_005152 - Title: Focke-Wuf Fw-190 A-3 Pete Bowers photo - Filename:16_005152.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: Catalog:16_005152引用。


フォッケウルフFocke-Wuf Fw-190戦闘機は、メッサーシュミットBf-109戦闘機の予備戦闘機というのは、ドイツ空軍の立場であって、開発したフォッケウルフ社もタンク技師も、メッサーシュミットBf-109戦闘機を凌駕するような新鋭戦闘機を開発しようと力を尽くした。命名の上でもメッサーシュミットBf-109「アインヌルナハト」と類似したフォッケウルフFocke-Wuf Fw-190「アインナハトヌル」の名称も、匹敵する性能の戦闘機を表している。Fw-190戦闘機は、Bf-109のエンジン(DB601水冷1175馬力)より高出力のBMW801空冷1550馬力を搭載し、空冷星形の前面面積が大きく空気抵抗が大きいという欠点を、カウリングの処理でカバーし、同等以上の最高速力を発揮することができた。BMW801空冷1550馬力は、初期には冷却不良による過熱、エンジンの燃料注入・プロペラピッチ変換の自動制御装置の不具合が視られたが、1941年の時点では、これらの欠点は改善された。

ドイツ空軍メッサーシュミットBf-109戦闘機は、計画では新型のダイムラー・ベンツDaimler-Benz DB601Aエンジンを搭載する予定だったが、完成せず,ユンカースJumo211エンジンを搭載。
Messerschmitt Me 109 Bは,1937年のスペイン内乱 (Spanish Civil War)において,ドイツのコンドル軍団 (Legion Condor)に配備,派遣された。二機編隊ロッテを2組合わせた四機編隊シュワルムによる集団一撃離脱戦術を生み出した。

兵装は7.92ミリMG17機銃4丁と貧弱に見えるが、これは当時の標準(2丁)以上の装備である。第二次欧州世界大戦にBf109DあるいはE型に改良された。航続距離が短いことや主脚幅が狭くエンジンが強力なために,未舗装滑走路における地上安定性は良くなかった。

写真(右)1941-1942年、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190A-1戦闘爆撃機:アンテナ線が垂直尾翼の最上部前端に繋がれているので、Focke-Wuf Fw-190A-3 型以前のタイプ。第二次大戦勃発直前に完成したFw-190戦闘機は、1940年夏のイギリス本土航空決戦には間に合わなかった。しかし、ドイツ空軍主力Bf-109戦闘機よりも、堅牢で、強度・出力の余裕があったため、搭載量も大きく、地上襲撃機、長距離戦闘爆撃機にも多数が改修されている。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934259 - Catalog:16_005151 - Title:Focke-Wuf 190A-4 (or A-1) Pete Bowers photo - Filename:16_005151.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_005151引用。


1940年1月10日,ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)隷下の第二航空軍所属の連絡機Me-108タイフーン (Me 108 Taifun)が,悪天候によって,ベルギーに不時着する事故が起きた。連絡機に乗っていたドイツ軍参謀は、ゲルブ計画書(フランス侵攻作戦計画)を保持しており、それがベルギー軍に鹵獲された。連合軍は、これを謀略、陽動作戦と疑ったために、適切な対応をとらなかったが、ドイツ軍は,ゲルフ計画を変更した。


3.戦争中期のフォッケウルフFw 190戦闘機:A-2型からA-6型

写真(右)1942年,フランス、西部戦線、ドイツ空軍第2戦闘航空団(JG2)所属のフォッケウルフFw-190 戦闘機A-2/A-3型:A-2/A-3型は、主翼内側に20ミリMG151/20機関銃を搭載した。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934795 - Catalog:16_005195 - Title: Focke-Wuf Fw-190A- Filename:16_005195.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44217305引用。


エンジンをBMW801D-2に更新したのが、フォッケウルフFw-190 戦闘機A-3型だが、A-2との外見上の差異は識別困難である。垂直尾翼の上端前方にアンテナ線と取り付け部があるのは、A-3型までで、A-4型以降は、垂直尾翼中央に突出部を設けて、アンテナ線を繋いでいる。機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁でそれ以前の型と同一だが、主翼付け根のプロペラ圏内の機関銃を、モーゼル20ミリMG151/20機関銃左右合計2丁に強化している。

ウィンストン・チャーチル (Winston Spencer- Churchill)英首相は,アメリカの武器貸与法に基づく軍事援助を受け、徹底抗戦を決意していたが、1940年7月10日から10月31日まで,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)ドイツ空軍総司令官は、イギリス本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。イギリス空軍戦闘機は,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を迎撃する「バトルオブブリテン」にかろうじて勝利した。

空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング (Hermann Goering)国家元帥は,1940年8月からの「鷲」作戦では、イギリス空軍戦闘機の排除、制空権の確保を目的に空襲を仕掛けたが、1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始し、市民へのテロ爆撃を主にするように戦略を変更した。これによって、敗北寸前だったイギリス空軍戦闘機部隊は、機材、パイロットの補充の余裕が生まれ、戦力を持ち直すことができた。

Me109戦闘機E型(Emil:エーミール)は、発動機はダイムラー・ベンツ (DB601A) で、E-1は機首上面・左右主翼に7.92ミリMG17機関銃4丁を搭載しただけで、兵装は軽微だった。E-2型は、当初の計画通り、エンジンを貫通し、プロペラ軸から発射する20ミリ機関銃 (MG FF)を搭載するモーターカノン装備型となるはずだったが、大口径機関砲の振動のために、モーターカノンは搭載できなかった。

しかし、生産が始まっていたために、Bf 109戦闘機 E型のプロペラスピナ先端には、20ミリ機関砲の砲口があいたままとなった。E-3型は、武装強化のために主翼に20ミリMG FF機関砲を搭載した。Bf 109戦闘機E-4型には、同口径の20ミリMG FF/Mをが装備し、榴弾を使用することが可能になった。

ドイツ軍の主力は,ゲルト・フォン・ルントシュテット総司令官が率いるA軍集団で,エヴァルト・フォン・クライスト将軍が率いる装甲集団が,ルクセンブルク,セダンを突破して,マール川を超え,ソンム川北岸をダンケルクに向かって突進した。ベルギーにあった連合軍は,退路を遮断されるのを恐れて退却を開始したが,A軍集団の装甲軍集団は,「電撃戦」というに相応しい機動力を発揮して,連合軍がフランス本土,パリへ退却するのを阻止してしまった。そこで,連合軍は,英仏海峡に面したダンケルクへと追い詰められた。

写真(右)1942年,オランダ西部、アムステルダム近くのカトウェイク、スキポール飛行場、西部戦線のドイツ空軍第1戦闘航空団第5飛行隊所属のフォッケウルフFw-190 A-3戦闘機:A-3型では主翼内側には20ミリMG151/20機関銃、主翼外側には20ミリMGFF機関銃を、機首上面に7.92ミリMG17機関銃2丁を装備している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-361-2193-28 Archive title: Im Westen.- Jagdflugzeug Focke-Wuf Fw-190A mit laufendem Motor auf einem Flugplatz [Katwyk oder Schippol (Amsterdam)]; PK KBK Lw 3 Dating: 1942 Photographer: Doelfs Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


1916年、当時のスキポール要塞に面した土地を、軍用飛行場の建設が決まり、1916年8月、16ヘクタールの飛行場が整備されたが、その後、76ヘクタールまで拡張された。1926年には、アムステルダム近郊の主要飛行場として、オランダの民間空港として整備され、1935年にはスキポール空港は180ヘクタールに拡張され、夜間の離着陸用の照明装置も備えた、舗装された滑走路4本を有するオランダの主要空港となった。1940年5月、ドイツ軍の占領によって、スキポール空港は、ドイツの軍用飛行場となった。

Bf 109戦闘機の操縦席(コックピット)のガラス風防は、枠を少なくし、さらに平面ガラスを採用して、パイロットの視界向上を図っている。また、ガラス風防の窓枠は堅牢な構造で、強度を向上させており、機体転覆や不時着時のパイロットの安全性を高めている。パイロットが操縦席に乗り込む際には、ガラス風防をヒンジ式の番で開く。これと比較すると、日本戦闘機の風防は、軽量なスライド式で一見便利だが、強度不足の問題があった。

Bf 109戦闘機F型(Messerschmitt Me 109 F)の兵装は、機首上面の機関銃は、E型までと同じ7.92ミリMG17機関銃2丁だが、胴体エンジン後方にマウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃または20ミリMG151/20 機関銃1丁をモーターカノンとして装備した。そして、15.1ミリ機関銃は、プロペラ軸を通じて弾丸をスピナー先端の銃口から発射するのである。これは、プロペラ越しの射撃ではないので同調装置はいらず、弾丸の発射速度を低下させないで済む。さらに、飛行中は、機体が動揺し、様々なベクトルでGがかかるが、モーターカノンは、機関銃が機体胴体中央で重心近くにあるために、弾道が安定しており、命中率も高いと考えられる。

1940年6月のフランス降伏で,ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げた。

写真(右)1942-1944年、オランダ北部、ドラハテン、不時着したのか破損したドイツ空軍ドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行中隊、機首に黒白チェッカー塗装を施したフォッケウルフFw-190戦闘機A-6型(主翼外側にも20ミリMG151/20機関銃を装備)と警備するドイツ軍将兵:第1戦闘航空団のFw190の機首の配色は、第1戦闘航空団第1飛行中隊は黒・白チェッカー塗装、第1戦闘航空団第2飛行中隊は黒・赤チェッカー塗装、第1戦闘航空団第3飛行中隊は黒・黄チェッカー塗装と区別されている。さらに、第1戦闘航空団第1飛行中隊、第4飛行中隊は、雲の上の巨大な悪魔のエンブレムを採用しているなど、派手なマーキングが目立つ。故障が原因なのか、不時着したFw190戦闘機を警護する兵士たちだが、表情は、珍しい機体をまじかにして楽しんでいるように見える。
Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001219 Beschrijving Verongelukte Focke-Wuf Fw-190 jager met vier Duitse militairen. Plaats Drachten, Friesland, Nederland Datering van 1940 Datering tot 1945
Trefwoorden Luftwaffe, Duitse strijdkrachten, FW190, gevechtsvliegtuigen, vliegtuigen, vliegtuigongelukken, Tweede Wereldoorlog, conflicten, Duitse strijdkrachten, strijdkrachten. Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_001219引用。


 そのまま連合軍敗残部隊の集結したダンケルクに、ドイツ軍装甲軍を突入させれば、イギリス軍、フランス軍とも壊滅していたと思われるが、進撃を停止させ、ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)のドイツ空軍部隊だけが、ダンケルクの連合軍を空襲攻撃した。イギリス軍は、ダイナモ作戦と称して、大小各種船舶を大動員に、ダンケルクからイギリス本土に地上部隊を運搬、救出してしまった。

写真(右)1941−1943年、オランダ西部、アムステルダム近くのカトウェイク、ドイツ空軍のフォッケウルフFw-190戦闘機A‐2/A-3型:機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼付け根のプロペラ圏内にモーゼル20ミリMG151/20機関銃左右合計2丁を装備。ただし、A-4型以降とは異なって、主翼外側には機銃を装備していない。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_019413
Beschrijving Foto uit de bezettingsjaren van een Duitse piloot die in de cockpit zit van een Focke-Wuf Fw-190 op het vliegpark Woensdrecht. Om het vliegtuig heen staan drie mannen van het grondpersoneel. Plaats Katwijk, Zuid-Holland, Nederland Datering van 1940-1945
Trefwoorden vuurmond van 6-veld, veldgeschut Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH Bijzonderheden Op de fotokaart staat vermeld dat de foto is genomen op Woensdrecht of Katwijk.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie


 フォッケウルフFw-190戦闘機A初期型は、機首BMW801空冷エンジン上部に7.92ミリMG17機銃 2丁,主翼根元に20ミリMG151/20機関銃機銃2丁を装備、離昇出力1700馬力BMW801空冷エンジンを搭載、最大速度660キロ, 航続距離 1200キロ。1941年から1945年まで,総生産数2万機で,ドイツ空軍では主力戦闘機のBf109の3万3000機に次ぐ生産機数を誇っている。

ドイツのヒトラー総統は、1934年1月26日、ドイツ・ポーランド不可侵条約を締結していたが、それを1939年4月28日に一方的に破棄して、1939年9月1日、ポーランドに侵攻した。空襲に参加したヘルマン・ゲーリングHermann Göring)総司令官のドイツ空軍機はアルベルト・ケッセルリング (Albert Kesselring)元帥の第1航空軍,アレクサンデル・レール第4航空軍で,あわせて1302機を保有していた。さらに,空軍総司令部直轄として,輸送機,偵察機など133機があり,陸軍にも偵察機,連絡機など288機が配備されていた。また,ドイツ本土防空部隊は,216機を保有していた。

したがって,ドイツ軍は,総計1929機をポーランド戦に投入したことになる。これはドイツ空軍兵力の三分の二に相当した。当時の主力爆撃機はドルニエDo-17とユンカースJu87だった。

対するポーランドの航空兵力は,自国設計・国内生産の機体も含めて、第一線機900機(爆撃機150機,戦闘機315機,偵察機325機,海軍機50機など)だった。これは、当時の小国としては、強力な空軍力であり、イギリス、フランスは、士気の低いソ連軍よりも、勇敢なポーランド軍の方を同盟相手として選ぶことになった。イギリスもフランスもポーランドの独立を保証する順次協定を結び、これを破ってポーランドに侵攻したドイツに対して最後通牒を告げ、宣戦布告をしたのである。

ポーランド軍機は,果敢に攻撃をかけてきたが,ドイツ空軍Messerschmitt Me 109 B戦闘機に撃退された。部品,燃料に不足をきたし,稼動機数は急速に低下した。

写真(右)1942-1943年冬、オランダ、ドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行中隊あるいは第4飛行中隊所属のフォッケウルフFw-190戦闘機A‐4型:機首に描かれた「雲の上の巨大な悪魔」エンブレムは、第1戦闘航空団第1飛行中隊あるいは第4飛行中隊の所属機。飛行場には、雪が積もっている。A-4型では、機首に7.92ミリ機銃2丁、主翼内側に20ミリMG151/20機関銃、外側に20ミリMG-FF機関銃、合計4丁の20桐機関銃を搭載している。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_022470
Beschrijving Focke-Wuf Fw-190 van 4./JG 1 op Deelen. Op de motorkap is het embleem van de Gruppe zichtbaar: "Teufel in den Wolken". Plaats Deelen, Gelderland, Nederland Datering van 1942 Datering tot 1943
Trefwoorden Luftwaffe, Duitse strijdkrachten, emblemen, heraldiek, FW190, Tweede Wereldoorlog, conflicten, Jagdgeschwader 1, Luftwaffe, Vliegbasis Deelen, vliegvelden, Duitse strijdkrachten, strijdkrachten Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH Kleur/Zwart-wit Zwart-wi. 写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_022470 引用。


 Me109E戦闘機は、ダイムラー・ベンツDB601Aエンジン (1100馬力)を搭載、最大速度570キロ, 機首に7.92ミリMG17機銃 2丁,主翼エリコン社の20ミリMGFF機関銃2丁装備で、イギリス空軍のスピットファイアMkIIと同等の性能だったが、攻撃する側としては、航続距離 660キロというのは短すぎて、爆撃機の護衛も、空中戦も十分に行う時間がなかった。

生産機数(1935-1945年)3万3000機のMe109戦闘機の補助戦闘機として登場したFw-190戦闘機は、生産機数2万機で、中高度(6000m)迄の性能は、Bf109戦闘機を上回っており、堅牢な構造で、戦闘爆撃機、地上襲撃機としても、広く使用された。

写真(右)1942-1943年、オランダ中部、アルンヘム北20キロ、デーレン、ドイツ空軍第1戦闘航空団第4飛行隊所属のフォッケウルフFw-190戦闘機A‐4型と寛ぐパイロット:A-4型では、機首に7.92ミリ機銃2丁、主翼内側に20ミリMG151/20機関銃、外側に20ミリMG-FF機関銃、合計4丁の20桐機関銃を搭載している。
Collectie Vliegvelden in oorlogstijd Objectnummer 2189-004-006-002 Beschrijving Focke-Wulf Fw 190's van IV./JG1 opgelijnd op Deelen. Plaats Deelen, Gelderland, Nederland Datering van 1942 Datering tot 1943
Trefwoorden Luftwaffe, Duitse strijdkrachten, FW190, Tweede Wereldoorlog, conflicten, Vliegbasis Deelen, vliegvelden, Duitse strijdkrachten, strijdkrachten Kleur/Zwart-wit Zwart-wit.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie2189-004-006-002 引用。


写真(右)1942-1943年、オランダ中部、アルンヘム北20キロ、デーレン、ドイツ空軍第1戦闘航空団第4飛行隊所属のフォッケウルフFw-190戦闘機A‐4型の戦列:A-4型では、機首に7.92ミリ機銃2丁、主翼内側に20ミリMG151/20機関銃、外側に20ミリMG-FF機関銃、合計4丁の20桐機関銃を搭載している。
Collectie Vliegvelden in oorlogstijd Objectnummer 2189-004-006-001
Beschrijving Focke-Wulf Fw 190's van IV./JG1 keurig opgelijnd op Deelen. Plaats Deelen, Gelderland, Nederland Datering van 1942 Datering tot 1943
Trefwoorden Luftwaffe, Duitse strijdkrachten, FW190, Tweede Wereldoorlog, conflicten, Vliegbasis Deelen, vliegvelden, Duitse strijdkrachten, strijdkrachten Kleur/Zwart-wit Zwart-wit.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2189-004-006-001 引用。


写真(右)1942-1943年、オランダ南部、ベルギーアントウェルペン南20キロ、ウーンスドレヒト、飛行場上空を編隊を組んだドイツ空軍のフォッケウルフFw-190戦闘機A‐4型:A-4型では、機首に7.92ミリ機銃2丁、主翼内側に20ミリMG151/20機関銃、外側に20ミリMG-FF機関銃、合計4丁の20桐機関銃を搭載している。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_019415
Beschrijving Twee Duitse Focke-Wulf Fw 190's naderen op lage hoogte het vliegpark Woensdrecht. Plaats Woensdrecht, Noord-Brabant, Nederland Datering van 1940-1945. Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_019415 引用。


写真(右)1942-1943年、オランダ南部、ベルギーアントウェルペン南20キロ、ウーンスドレヒト、飛行場上空を編隊を組んだドイツ空軍のフォッケウルフFw-190戦闘機A‐4型:A-4型では、機首に7.92ミリ機銃2丁、主翼内側に20ミリMG151/20機関銃、外側に20ミリMGFF機関砲、合計4丁の20桐機関銃を搭載している。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_019416
Beschrijving Twee Duitse Focke-Wulf Fw 190's vliegen over hangars op het vliegpark Woensdrecht. Plaats Woensdrecht, Noord-Brabant, Nederland Datering van 1940 Datering tot 1945
Trefwoorden FW190, hangars, gebouwen, Vliegbasis Woensdrecht, vliegvelden, Tweede Wereldoorlog, conflicten Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_019416 引用。


写真(右)1943年3月30日から25日以内、オランダ、ドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行中隊のフォッケウルフFw-190戦闘機A‐4型と第27戦闘航空団第2飛行隊のBf-109戦闘機の戦列:Fw-190A-3型までは、アンテナ線が垂直尾翼の上部前端に張られていたが、A-4型からは、垂直尾翼の最上端の突起に張られているので、識別は容易である。左側には、飛行場に駐機している飛行機を空襲から保護する掩体壕がある。
Tussen 25 en 30 maart 1943 verbleef de II./JG 1 met haar FW 190's enkele dagen op Leeuwarden. Op de achtergrond enkele BF 109's van de 2./JG 27. Beeld: NIMH. 写真はオランダ国防省,Minister van Defensie


写真(右)1943年、オランダ、ドイツ空軍第2戦闘航空団(JG 2 Richthofen)所属のフォッケウルフFw-190戦闘機A‐4型:黒い大きな鷲を機体側面に大胆に描いているが、これはエンジンカウリングに埋め込まれた排気管から出る黒煙で機体側面が汚れて黒くなる部分に塗装してある。救命胴衣を着用した戦闘機パイロット7人が集まっている。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_008297
Beschrijving Zeven Duitse piloten staan met zwemvesten voor een Focke-Wulf Fw 90 jachtvliegtuig. Voor het hakenkruis staat de identificatiecode "1". Trefwoorden piloten, beroepen Specifieke kenmerken 1 Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH
Bijzonderheden Bij de fotokaart is de volgende tekst bijgevoegd: "Duitse vliegers voor een Focke-Wulf Fw 190. Ze dragen zwemvesten. (G.J. Zwanenburg, Baarn).
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie


フォッケウルフFw-190A-4諸元
全長: 9.0メート
全幅 10.5メートル
空虚重量 3060?、全備重量 4865?
BMW801Dエンジン1,800hp、MW50水メタノール噴射緊急出力 2,100hp
最高速力 緊急出力 669 km/h、通常出力 615km/h
航続距離 880キロ
300リットル落下タンク装備時1500キロ
武装 7.92ミリMG15機銃2丁,20ミリMG151/20機関銃2挺,20ミリMG FF/M 機関銃 2挺
クルト・タンク設計
第二次大戦直前の1939年6月初飛行。フォッケウルフFw-190の生産機数は2万機。

写真(右)1942-1943年冬、オランダ、ドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行中隊あるいは第4飛行中隊所属のフォッケウルフFw-190戦闘機A‐4型:A-4型では、機首に7.92ミリMG17機銃2丁、主翼内側に20ミリMG151/20機関銃、外側に20ミリMGFF機関砲、合計4丁の20桐機関銃を搭載している。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_008296
Beschrijving Een Focke-Wulf Fw 190 op een onbekende locatie. De verticale balk achter op de romp geeft aan dat het toestel behoorde tot de III.Gruppe van een onbekend Geschwader. Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_008296 引用。


Bf 109戦闘機E-2型は、モーターカノンとしてスイスのエリコン社の開発したを搭載した。しかし、20ミリ機関砲の発射時の振動が大きく、機種上面のと共振し大きな振動を起こしてしまう。

そこで、Bf 109戦闘機E-3/E-4型は、機首プロペラ軸の機関銃(モーターカノン)の搭載を諦めて、主翼内に20ミリMGFF機関砲を搭載した。E-5型とE-6型はE-4を改造し、小型カメラを搭載した偵察機である。

 また、爆撃機に随伴、護衛するには、航続距離の延長が不可欠だったため、E-7型では、胴体下面に金属製300L入り落下増槽を懸架可能にした。部隊配備は、1940年夏だった。

ドイツ空軍Bf 109 E-1戦闘機の機首上面に2丁の7.92ミリMG17機銃が搭載されていて、プロペラ・スピナーには、20ミリ機関銃発射口が儲けられている。しかし、機首プロペラ軸の機関銃(モーターカノン)は、振動が大きく実用に適さないと判断されたため、E型での搭載は見送られた。したがって、兵装の上では、Bf109戦闘機よりもFw190戦闘機のほうが遥かに強力で、爆撃機の迎撃に有利だった。

写真(右)1942-1943年、オランダ海岸部、アムステルダム北50キロ、ベルゲン、ドイツ空軍第1戦闘航空団第4飛行中隊所属のフォッケウルフFw-190戦闘機A‐3型(?):雲の上の巨大な悪魔のエンブレムが描かれているので、第1戦闘航空団第1飛行中隊あるいは第4飛行中隊の所属。掩体壕の上には、専用の迷彩偽装ネットが張られていて、上空から発見されにくいように配慮されている。1942年4月にはBMW 801 D2空冷星形エンジン(離昇出力1,700馬力)を搭載し最高速力660km/hのFw 190 A-3量産機が登場した。A-3/A-4型では、機首に7.92ミリ機銃2丁、主翼内側に20ミリMG151/20機関銃、外側に20ミリMG-FF機関銃、合計4丁の20桐機関銃を搭載しているはずだが、外側に20ミリMG-FF機関銃を取り外した機体も少なくない。また、胴体に大型カメラを搭載した偵察型も、武装を軽減している。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_102188
Beschrijving Voorzijde Focke-Wulf Fw 190 van 4./JG 1 op vliegveld Bergen. Op de motorkap is duidelijk het embleem van de Gruppe zichtbaar: "Teufel in den Wolken". Plaats Bergen Plaats Geonames Bergen, Gemeente Bergen, Netherlands Datering van 1942 Datering tot 1943
Trefwoorden emblemen, heraldiek, FW190, Tweede Wereldoorlog, conflicten, Vliegveld Bergen, vliegvelden, Jagdgeschwader 1, Luftwaffe Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH Kleur/Zwart-wit Zwart-wit.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie2157_102188 引用。


Tropとは熱帯仕様の略称で、空中や飛行場では砂塵が待っていることが多く、エンジン過給機の空気取入れ口から砂塵がエンジンに侵入すると故障、不調の原因になった。そこで、飛行場や空中で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着した。このフィルターの分だけ、過給機が長く伸びているのが分かる。

メッサーシュミットBf 109戦闘機E型 /Trop(熱帯仕様)は、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着したために、過給機が長く伸びている。また、コックピットが地上で日射によって加熱しないように、待機時に使用する日よけ傘を取り付ける差込口、砂漠での不時着に備え狩猟用のモーゼル小銃なども装備した。この過給機エアインテークのフィルターは、ソ連東部戦線の未整備飛行場でも有効とされ、東部戦線に配備された戦闘機にも装着されている。

フォッケウルフFocke-Wulf Fw 190 戦闘機A-5型は、1700馬力BMW 801D2空冷星形エンジン搭載したが、A-2型同様、主翼内側に20ミリMG151/20をプロペラ圏内同調式に装備、MW50水メタノール噴射緊急出力向上装置を装備した。機首に13.1ミリMG131機関銃2丁を装備可能なようにエンジン取付架を15センチ延長し重心位置を修正した。Fw 190 A-5は日本陸軍が購入し、空中性能をテストしている。1943年5月から登場したFw 190 A-6は、A-5型の主翼外翼MG FF 20mm機関を同口径ながらより高初速の20ミリMG 151/20機関銃(弾数各140発)に強化している。1943年11月から登場したFw 190 A-7は、機首上面の7.92ミリMG17機関銃を13.1ミリMG131機関銃に火力強化している。

写真(右)1942-1943年頃,ドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-5型:後方に見える飛行機格納庫の屋根には、偽装ネットが被せられており、丘陵に見えるように対空欺瞞がなされている。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934367 - Catalog:16_005160 - Title:Focke-Wuf 190A-5 JG 26 Pete Bowers photo - Filename:16_005160.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,03920001引用。


Bf-109戦闘機F型は、E型と異なって、機首左の過給機空気取入れ口が、機首から離れた位置にまで伸びているが、これは機体表面の境界層を、突出物によって乱さないように配慮したためである。水平尾翼を支える支柱も撤去され、空気抵抗の減少につながった。

舗装されていない滑走路が一般的だった地中海方面や東部戦線では、エンジン内部に砂塵が吸い込まれて、エンジンが故障するリスクが高まった。そこで、砂塵がエンジン内部に入らないように、エンジンのエアインテークには砂塵除けのフィルターが装着されるようになった。先端部にあるの開閉式吸入口は開いている。低空でなければ、砂塵は少ないので、吸入口の扉は開けているが、地上では砂塵が多いので、口を閉じて円筒状のフィルター越しに空気を吸入する。

高速を出せば、風圧によりエアインテークに流れる空気は、十分にあるが、風圧を効率的に利用するためには、胴体突出して開口部を境界層の外に設けている。これは、境界面での空気の流れを妨げない工夫で、空気抵抗を減らす効果もある。P-51 ムスタングのエアインテークも、機体下部の中央部にあるが、境界層を乱さないように突出した形状になっている。他方、Bf109 戦闘機E形までは、エアインテークを境界層に設けており、境界層から離して吸入口を設けたのはF型以降である。日本陸軍川崎三式戦闘機のエアインテークは、最後まで境界層に設けられていた。

写真(右)1943年1月,イタリア戦線、シチリア島、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190戦闘機A-3型の戦列:胴体下面にETC501ラックを装備し、300リットル入落下増槽や250キロまたは500キロ爆弾1発を搭載できる。A-3型では主翼内側には20ミリMG151/20機関銃、主翼外側には20ミリMGFF機関銃を装備しているはずだが、爆弾を搭載する場合、重量過大になり、航続力も低下することから、主翼外側の機関銃は搭載しないのが一般的になった。A-2型までは、20ミリ機関銃を装備しておらず、エンジン上部の7.92ミリ機関銃2丁、主翼の7.92ミリ機関銃2丁という貧弱な武装だったので、爆撃機はおろか戦闘機に対する迎撃戦にも火力不足だった。そこで、A-3型以降は、主翼内側の機銃は20ミリMG151/20に強化され、それ以降、変更はなかった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-418-1846-18A Archive title: Italien, Sizilien.- Flugplatz, Bodenpersonal bei der Arbeit an Jagdflugzeugen; KBK Lw 6 Dating: Januar 1943 Photographer: Ketelhohn, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


写真(右)1943年1月,イタリア戦線、シチリア島、ETC501ラックを装備を装備したドイツ空軍フォッケウルフFw-190 A-3戦闘機の戦列:胴体下面のETC501ラックには、300リットル入落下増槽、250キロまたは500キロ爆弾1発を搭載できるために、戦闘爆撃機として地上支援にも投入された。A-3型戦闘機は主翼内側に20ミリMG151/20機関銃、主翼外側に20ミリMGFF機関銃を装備していたが、爆弾を搭載する場合、重量軽減のために、主翼外側の機関銃は撤去した。しかし、A-2型までは、20ミリ機関銃を装備しておらず、エンジン上部の7.92ミリ機関銃2丁、主翼の7.92ミリ機関銃2丁という貧弱な武装だったので、A-2型より火力は強力である。

Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-418-1846-20A Archive title: Italien, Sizilien.- Flugplatz, Bodenpersonal bei der Arbeit an Jagdflugzeugen; KBK Lw 6 Dating: Januar 1943 Photographer: Ketelhohn, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ドイツ空軍フォッケウルフFocke-Wulf Fw 190 A-3戦闘機は、胴体下面にETC501ラックを装備し、300リットル入落下増槽や250キロまたは500キロ爆弾1発を搭載できる。A-3型では主翼内側には20ミリMG151/20機関銃、主翼外側には20ミリMGFF機関銃を装備しているはずだが、爆弾を搭載する場合、重量過大になり、航続力も低下することから、主翼外側の機関銃は搭載しないのが一般的になった。

メッサ―シュミットBf 109戦闘機F型は、枢軸軍では初めてモーターカノンを搭載した戦闘機で、マウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃あるいは20ミリMG151/20 機関銃1丁を操縦席足元に搭載し、プロペラ軸を通して、プロペラスピナ先端の銃口から発射した。連合軍機では、アメリカのベルP-39エアコブラがモーターカノンの37ミリ機関砲を備えていた。

写真(右)1943年1月,イタリア戦線、シチリア島、ETC501ラックを装備を装備したドイツ空軍フォッケウルフFw-190 A-3戦闘機の戦列:Bf109戦闘機F型の兵装は、モーターカノンの20ミリ機関銃、エンジン上部の7.92ミリ機関銃2丁で、この貧弱な武装だったので、爆撃機の迎撃には20ミリ機関銃4丁を搭載した火力の強力なFw-190が適していた。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-418-1846-21A Archive title: Italien, Sizilien.- Flugplatz, Bodenpersonal bei der Arbeit an Jagdflugzeugen; KBK Lw 6 Dating: Januar 1943 Photographer: Ketelhohn, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


第54戦闘航空団Jagdgeschwader 54 )第1飛行戦隊は、第70戦闘航空団第1飛行隊として、1939年7月、ニュルンベルクで編成されたたため、エンブレムは、ニュルンベルクの紋章に由来する「緑のハート」となった。第54戦闘航空団第1飛行戦隊が成立したのは、第二次大戦勃発直後の1939年9月15日だった。

第54戦闘航空団Jagdgeschwader 54 )第2飛行戦隊は、第138戦闘航空団第1飛行戦隊として、1938年のアンシュルス以降に、オーストリアで編成され、1940年4月に第54戦闘航空団第2飛行戦隊となった。

第54戦闘航空団Jagdgeschwader 54 )第3飛行戦隊は、プロイセンの第21戦闘航空団第1飛行戦隊が起源で、第二次大戦直前の1939年7月15日に成立した。1939年9月のポーランド侵攻には、第54戦闘航空団の第2飛行戦隊、第3飛行戦隊が参加している。

写真(右)1943年1月,イタリア戦線、シチリア島、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190戦闘機A-3型の戦列:モーターカノンの20ミリ機関銃、エンジン上部の7.92ミリ機関銃2丁は、貧弱な武装だったので、爆撃機の迎撃には火力不足だった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-418-1846-17A Archive title: Italien, Sizilien.- Flugplatz, Bodenpersonal bei der Arbeit an Jagdflugzeugen; KBK Lw 6 Dating: Januar 1943 Photographer: Ketelhohn, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


 ヘルマン・ゲーリングのドイツ空軍Bf 109戦闘機F型では、機首の機関銃を、それまでの7.92ミリMG17機関銃2丁としながらも、大口径のマウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃あるいは20ミリMG151/20 機関銃1丁を操縦席足元に搭載し、プロペラ軸を通して、プロペラスピナ先端の銃口から発射した。連合軍機では、アメリカのベルP-39エアコブラがモーターカノンの37ミリ機関砲を備えていた。Bf 109戦闘機G型では、機首の7.92ミリMG17機関銃2丁から、より大口径の13.1ミリMG131機関銃2丁に強化した。そこで、この13.1ミリ弾の薬莢を排出する排出パイプのバルジ(突出部)がある。

写真(右)1943年1月,イタリア戦線、シチリア島、ドイツ空軍メッサーシュミットBf-109F戦闘機とフォッケウルフFw-190 A戦闘機の戦列
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-418-1846-14A Archive title: Italien, Sizilien.- Flugplatz, Bodenpersonal bei der Arbeit an Jagdflugzeug Messerschmitt Me 109 des Jagdgeschwader 53 (Jg 53 "Pik As"). Im Hintergrund Focke-Wulf FW 190; KBK Lw 6 Dating: Januar 1943 Photographer: Ketelhohn, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


フォッケウルフFw-190戦闘機A型初期は、主翼内側にマウザー(Mauser)20ミリMG 151/20機関銃を搭載、重量42kg、全長1710mm、初速790m/s、発射速度750rpm、装弾数250発(1丁当たり)。最大速度630キロ, 航続距離 880キロ。

写真(右)ロシア、東部戦線、ドイツ空軍第54戦闘航空団(Jagdgeschwader 54)Green Heart のフォッケウルフ(Focke-Wuf)Fw-190戦闘機A-5型:第二次大戦初期に登場したA-1/A-2型の武装を強化したのがA-4型以降で、搭載しているBMW801空冷星形エンジンは同じだった。垂直尾翼の上端に突起があり、そこと操縦室後方の無線機の間をアンテナ線を張っている。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: Fw 190 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, Catalog #: 00079312引用。


写真(右)飛行機格納庫内部のドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wuf)Fw-190戦闘機A-5型:1942年に完成したFw190A-3は、飛行試験をした際に、武装強化、防御強化などによって、機体の重力中心が移ってしまったため、それを修正するために、機体を若干延長した。Fw190A-5型戦闘機は、1942年11月に実戦に参加した。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934502 - Catalog:16_005171 - Title: Focke-Wulf Fw 190A-5 Nowarra photo - Filename:16_005171.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934502引用。


フォッケウルフFw-190A諸元
全長: 9.0メート,全幅 10.5メートル
全備重量 4.8トン
最高時速 653キロ
航続距離 880キロ(300リットル落下タンク装備時には1500キロ)
武装 7.92ミリMG15機銃2丁,20ミリMG151/20機関砲2挺,20ミリMG FF/M 機関砲2門
エンジン BMW801:1800馬力
クルト・タンク設計,第二次大戦直前の1939年6月初飛行。

アメリカから軍事援助を受けていたイギリスは、1940年8月以降の本土航空決戦でドイツ空軍に大損害を与え敗退させた。ヒトラーは,ヨーロッパで孤立したイギリスが戦い続けるのは、東方ソ連がドイツを圧迫しているからだと考え、下等人種の土地をドイツの生存圏に組み込むためにも、1941年6月22日、「バルバロッサ作戦」(Unternehmen Barbarossa)に基づいて、ソ連に侵攻した。ドイツ軍は、東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げ、3カ月程度でソビエト連邦に勝利するつもりだった。

1941年6月21日,バルバロッサ作戦開始の前日のドイツ軍東部戦線配備兵力

兵員300万人,戦車3580両,火砲7184門,車両60万台,ウマ75万頭。航空機1830機.

対峙するソ連軍は,兵員450万人,10個軍だった。

ソ連軍は,北方には30個師団,8個機甲旅団,中部に45個師団,14個機甲旅団,南部に64個師団,14個機甲旅団を配備。
ソ連空軍は白ロシア(ベラルーシ)に6000機を配置。

写真(右)1942年,ロシア、東部戦線、整備中のドイツ空軍フォッケウルフFw-190 A-5戦闘機:A-5型戦闘機は、当初A-4型と同じ兵装で、主翼内側に20ミリMG151/20機関銃、主翼外側に20ミリMGFF機関銃、機首上面の7.92ミリMG17機関銃2丁を装備。ただし、機首上面の機銃を13.2ミリMG131機関銃2丁に強化する予定で、エンジンの取り付け部分を15 cm延長したために、全長は9.10 mへと延長されている。A-5型の生産は、1942年11月から開始された。
Focke-Wulf Fw 190 A-5, Wartung Info non-talk.svg Archive description Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-515-0026-20A Russland.- Monteure warten ein Jagdflugzeug Focke-Wulf Fw 190 A-5; KBK Luftflotte 6 Depicted place Focke-Wulf Fw 190 A-5 Date 1942 Photographer Siedel
写真はWikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-515-0026-20A, Focke-Wulf Fw 190 A-5, Wartung.jpg引用。
ドイツのソ連侵攻バルバロッサ作戦では、1941年6月22日早朝に攻撃が始まったが、北方軍集団の目標は、レニングラード攻略だった。レニングラードは、ソ連海軍バルト艦隊の基地であり、フィンランド湾、バルト海にあったソ連海軍潜水艦は脅威だった。また、ナチ党の反共産主義のイデオロギーの上で、ボルシェビキの本拠地と見なされ、ヒトラーは当初より、レニングラードの徹底的壊滅を指示していた。北方軍集団司令官レープ元帥隷下、第16軍司令官ブッシュ将軍、第18軍司令官キュッヒラー将軍ともにナチ党イデオロギーに心酔していた軍人だった。

ソ連軍は、予備軍の動員を強行し、粘り強く戦い、1941年11月末には、モスクワ前面で反攻を開始した。翌年、1942-1943年,スターリングラード攻防戦Battle of Stalingrad )では、ドイツ空軍総司令官ゲーリング国家元帥は、包囲されたドイツ第6軍へ空輸することを約束したが、ソ連軍空軍の反撃と飛行場の喪失から、空輸に失敗し、ドイツ第6軍は1943年1-2月に降伏した。


4.戦時中に連合国に鹵獲されたフォッケウルフFw 190戦闘機

写真(右)1942年8月,イギリス空軍に鹵獲された飛行中のドイツ空軍ドイツ空軍第2戦闘航空団ファーベル大尉の操縦するFw 190A-3型:ドイツ軍基地と誤認してイギリス軍基地に着陸しようとしたFw-190戦闘機を、飛行場のイギリス兵士たちは射撃するを控えて、生け捕りにした。これは、冷静な判断を下した飛行場の指揮官と、双系な行動をとらなかった飛行場の警備兵・整備員たちの臨機応変な態度による。
Object description Focke Wulf Fw 190A-3, Werk Nr. 313, at RAF Pembrey, Carmarthenshire, after being mistakenly landed there by its German pilot, Oberleutnant Armin Faber, the Gruppenadjutant of III/JG2, on 23 June 1942. This was the first Fw 190 to fall intact into Allied hands, and was immediately sent to the Royal Aircraft Establishment, Farnborough, where initial flight trials were conducted, and where it was also repainted in British markings and given the RAF serial number MP499. In July, MP499 was flown to the Air Fighting Development Unit at Duxford, Cambridgeshire, where its performance was extensively tested in comparative trials with Allied aircraft. The aircraft was then passed to No. 1426 (Enemy Aircraft Circus) Flight, who continued flying it from Duxford and Collyweston, Northamptonshire, before it was finally struck off charge on 18 September 1943..
写真はImperial War Museums,MH 4191引用。


1942年、ドイツ空軍新鋭Focke-Wulf Fw 190 戦闘機の優位の前に焦燥したイギリス軍は、この機体を奪い、調査する事を決め、フランスにイギリス特殊部隊を派遣し、ドイツ軍基地のFw 190に搭乗し、空路イギリスに盗み出すエアシーフ(空の泥棒)作戦を決行することとなった。しかし、結構前の6月23日、ドイツ空軍第2戦闘航空団ファーベル大尉の操縦するFw 190A-3戦闘機がイギリス本土のイギリス空軍基地をドイツ軍基地と誤認して着陸した。こうして、無傷の機体を手に入れたイギリス空軍は、Fw 190を調査し、飛行性能の調査、連合軍機とも模擬空戦比較を実施し、Fw-190戦闘機の長所と短所を探り出した。Focke-Wulf Fw 190 戦闘機A-3型は、飛行中な良好な視界で、スピットファイアMk. Vよりも高度7000mまでは速力、上昇性能、降下性能の何れも勝っていること、特に、加速力、ロール(横転)が容易であることが判明した。

写真(右)1942年8月,イギリス空軍に鹵獲された飛行中のドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-3型:味方から誤射されないように、イギリス空軍の記章を付け、塗装もイギリス空軍機のように塗りなおしている。機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼付け根のプロペラ圏内にモーゼル20ミリMG151/20機関銃左右合計2丁を装備している。
Object description: Captured Focke Wulf Fw 190A-3, MP499, taxying at the Royal Aircraft Establishment, Farnborough, Hampshire, with the RAE's chief test pilot, Wing Commander H J "Willie" Wilson at the controls. Although formally transferred to the Air Fighting Development Unit in July 1942, MP499, was retained by the RAE, undergoing extensive evaluation by flying and technical staff, including a programme of trials with contemporary Allied fighters.
Label:A captured Focke Wulf Fw 190A-3 at the Royal Aircraft Establishment, Farnborough, with the RAE's chief test pilot, Wing Commander H J "Willie" Wilson at the controls, August 1942.
写真はImperial War Museums,CH 6411引用。


写真(右)1942年-1943年,イギリス空軍に鹵獲された飛行中のドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-3型:味方から誤射されないように、イギリス空軍の記章を付け、塗装もイギリス空軍機のように塗りなおしている。機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼付け根のプロペラ圏内にモーゼル20ミリMG151/20機関銃左右合計2丁を撤去して、正確に速度を測定するために、大型のピトー管を相違している。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079308
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079308引用。


写真(右)1942年-1943年,イギリス空軍が鹵獲したドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-3型がエンジンをかけプロペラを回している。:機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼付け根のプロペラ圏内にモーゼル20ミリMG151/20機関銃左右合計2丁を搭載して、実戦場面を想定して飛行試験を行ったようだ。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw-190 Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID:38235420 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002300.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:38235420引用。


写真(右)1942年-1943年,イギリス空軍に鹵獲された飛行中のドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-3型:味方から誤射されないように、イギリス空軍の記章を付け、塗装もイギリス空軍機のように塗りなおしている。機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼付け根のプロペラ圏内にモーゼル20ミリMG151/20機関銃左右合計2丁を装備している。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: Fw 190 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, Catalog #: 00079330引用。


写真(右)1942年-1943年,イギリス空軍に鹵獲された飛行中のドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-3型:Fw-190A-3型までは、アンテナ線がコックピット後方から垂直尾翼の上部前端に張られている。その後のA-4型からは、垂直尾翼の最上端の突起に張られているので、識別は容易である。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079310 Manufacturer: Focke-Wulf
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079310引用。


写真(右)1943-1944年,ドイツ空軍フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機をアメリカ軍が鹵獲して両翼の増加燃料タンクと懸吊架を撤去してFw-190戦闘機A-4/A-5型のように改修しテストした機体:機体の武装は全て撤去されているが、両翼に、増加燃料タンクを取り付ける懸吊架の跡が残っており、そこが平滑に成形されていることが分かる。アメリカ軍は、Fw-190長距離戦闘爆撃機G-3型を鹵獲し、Fw-190戦闘機の性能評価のために、増加燃料タンク懸吊架を撤去し整形し、飛行中のFw-190戦闘機として、様々なアングルから識別写真を撮影した。そこで、今日でも、Fw-190の優良写真として有名である。しかし、アメリカ軍が、Fw-190戦闘爆撃機G-3型を戦闘機A型に改修したという事情が知られていないために、写真判定だけで、A-4/A-5型であると断定している場合が少なくない。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079323 Taken on July 27, 2010
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079323引用。


1943年9月に西側連合軍は、ドイツ空軍第10戦闘爆撃航空団第3飛行隊所属フォッケウルフFw190長距離戦闘爆撃機G-3型(Werk number 160016)を鹵獲した。ドイツ軍によって放棄される前に破壊されていたが、飛行可能と判断され、アメリカ軍はFw-190戦闘機A型仕様に改修して、飛行テストを行った。また、ドイツ機の識別資料とするために、ドイツ空軍の塗装に復元してた同じ機体(Werk number 160016)を様々なアングルから写真撮影した。

Fw190長距離戦闘爆撃機G-3型(Werk number 160016)の写真は、プロの撮影になる公式写真のために、写りがよく、また保管も適正になされたために、今日でも多数の書籍やウェッブに掲載されている。しかし、写真の由来、経歴に気が付かないと、無料辞書のようにこの改修された機体をFw-190戦闘機A型のオリジナルと誤解してしまうので注意が必要である。

写真(右)1943-1944年,アメリカ軍が鹵獲して改修を施したドイツ空軍フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機:アメリカが鹵獲した際に両翼の300L入増加燃料タンクとその懸吊架を撤去して整形したために、外観はFw-190戦闘機A-5型と同様にみえる。ただし、搭載していた機関銃は全て撤去してある。ドイツ空軍機の飛行中の識別資料とするために、ドイツ空軍風に塗装をし直した。しかし、機体垂直尾翼にある白黒のスワスチカ(卍)はドイツ空軍の規格よりも遥かに大きくを描いている。機体側面の鉄十字(バルカンクロス)もオリジナルとは異なり、白枠が太すぎている。あるいは、戦争末期であれば、オリジナルの機体は、目立ちすぎないように黒あるいは白の一色の縁取りだけのバルカンクロスだった可能性もある。
SDASM Archives Follow Ray Wagner Collection Image PictionID:43934758 - Catalog:16_005192 - Title: Focke-Wulf Fw 190 - Filename:16_005192.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934758引用。


Fw 190戦闘機の操縦上の特徴は、補助翼を操作するために一般的な鋼索(ワイヤー)に代えて、槓桿(ロッド)を使用したことである。補助翼には、飛行中前方から強い風圧がかかるが、飛行速力によってその風圧が操縦操作の妨げにならないよう、風圧の強弱に応じて、接合部(リンク)に梃子の原理を使って、操縦桿の操作には、大きな風圧変化が緩和できるようになっていた。また、ドイツ機の特徴として、主翼の燃料タンクは、被弾しやすく引火の可能性が高いために廃止し、胴体の重心近くに大型の防弾式胴体燃料タンクを搭載した。したがって、燃料の減少に伴う重心移動も僅かであり、トリム調整も頻繁に行う必要はなく、操縦者の負担を軽減できる。

写真(右)1943-1944年,ドイツ空軍フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機をアメリカ軍が鹵獲して両翼の増加燃料タンクと懸吊架を撤去してFw-190戦闘機A-5型と同様に改造しテストした機体:機体の武装は全て撤去されているが、両翼に、増加燃料タンクを取り付ける懸吊架の跡が残っており、そこが平滑に成形されていることが分かる。アメリカ空軍は、Fw-190長距離戦闘爆撃機G-5型を鹵獲し、Fw-190戦闘機の性能評価のために、余分な増加燃料タンク懸吊架を撤去した。さらに飛行中のFw-190戦闘機の識別写真として明瞭に撮影されたため、今日でも、Fw-190の写真として広く掲載されている。しかし、アメリカ軍が、Fw-190戦闘爆撃機G-3型を改修したためA-4/A-5型に見える、という経緯を知らずに掲載している場合が多い。写真判定には、写真自体だけでなく、その写真が撮られた経緯を知ることも必要となる。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934770 - Catalog:16_005193 - Title: Focke-Wulf Fw 190G-3 bombracks removed US Army Air Force recognition section - Filename:16_005193.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934770引用。


写真(右)1943-1944年,アメリカ軍が鹵獲・回収したドイツ空軍フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機:機体の武装は全て撤去されているが、両翼に、増加燃料タンクを取り付ける懸吊架の跡が残っている。これは、アメリカ空軍が鹵獲して両翼の増加燃料タンクと懸吊架を撤去してFw-190戦闘機A-5型と同様に改造し、飛行テストした機体である。アメリカ空軍は、Fw-190長距離戦闘爆撃機G-5型よりも、Fw-190戦闘機A型に関心があり、その性能評価のために、空気抵抗の大きい増加燃料タンクもその懸吊架を撤去した。また、前線のパイロットにFw-190戦闘機の特徴が分かるように、アングルを変えて、飛行中のFw-190を写真を撮影し、前線での敵味方識別写真として利用した。このような明瞭に撮影された写真が多数残っているのはそのためであるが、事情を知らないままに、今日、Fw-190A-4/A-5型戦闘機の写真と誤解しているものが少なくない。アメリカ空軍がFw-190戦闘爆撃機G-3型を戦闘機A型に改修したために、オリジナルが不明瞭となってしまった。
SDASM Archives PictionID:43934490 - Catalog:16_005170 - Title: Focke-Wulf Fw 190G-3 Pete Bowers photo - Filename:16_005170.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934490引用。


 Fw-190戦闘機の操縦性能の上で、最大の特徴は、BMW801空冷エンジンに搭載されたコマンドゲレート(Kommandogerat)と称される電気駆動の自動エンジン制御装置で、速度や高度に応じて、操縦者がBMW801エンジンを調整する必要がなく、スロットルの操作と連動して、プロペラピッチ、2段スーパーチャージャーの切り替え、燃料・気化器の混合気濃度、燃料吸入などが自動制御可能なことである。これは、熟練を要するエンジン調整を自動制御できることを意味し、熟練パイロットでなくとも、エンジン操作・調整が容易になり、その分だけ操縦者の負担が軽減でき、空中機動に集中できる。

写真(右)1943-1944年,ドイツ空軍フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機をアメリカ軍が鹵獲して両翼の増加燃料タンクと懸吊架を撤去してFw-190戦闘機A型と同様に改造しテストした機体:フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機は、機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼付け根のプロペラ圏内にモーゼル20ミリMG151/20機関銃左右合計2丁を装備可能。ただし、この機体の武装は全て撤去されている。この写真を見る限り、この機体がFw-190戦闘機A-4型以降のタイプであり、フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機であることはわからない。Fw-190戦闘機の性能評価と飛行中の識別写真資料とし、鹵獲した機体から、増加燃料タンク懸吊架を撤去し整形し、ドイツ空軍のFw-190戦闘機のような闘争に塗り替えて写真撮影をした。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934770 - Catalog:16_005193 - Title: Focke-Wulf Fw 190G-3 bombracks removed US Army Air Force recognition section - Filename:16_005193.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934770引用。


ドイツ空軍の主力メッサーシュミットBf 109戦闘機は、小さく軽量の機体に大馬力のエンジンを搭載し、膠着装置も胴体に装備し、主輪の引込み脚は、主翼側から胴体側に内向きに引き下ろすために、主輪の間隔が狭く、大馬力のエンジンを搭載する機体で、降着時の不安定性が問題だった。特に、未熟練パイロットでは、離着陸時の横転や事故のリスクが高かった。

写真(右)1943-1944年,ドイツ空軍フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機をアメリカ軍が鹵獲して両翼の増加燃料タンクと懸吊架を撤去してFw-190戦闘機A型と同様に改造しテストした機体:フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機は、機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼付け根のプロペラ圏内にモーゼル20ミリMG151/20機関銃左右合計2丁を装備可能。ただし、この機体の武装は全て撤去されている。この写真を見る限り、この機体がFw-190戦闘機A-4型以降のタイプであり、フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機であることはわからない。Fw-190戦闘機の性能評価と飛行中の識別写真資料とし、鹵獲した機体から、増加燃料タンク懸吊架を撤去し整形し、ドイツ空軍のFw-190戦闘機のような闘争に塗り替えて写真撮影をした。
SDASM Archives PictionID:43934782 - Catalog:16_005194 - Title: Focke-Wulf Fw 190 - Filename:16_005194.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934782引用。


 他方、Fw-190戦闘機は、日本の陸海軍戦闘機と同様、主翼の外側に引込み脚を展開するために、主輪間隔が広く、地上での安定性が確保されていた。Fw 190戦闘機の主脚の間隔は3.5mと安定性を確保するのに十分だった。また、未熟な操作で、急速に加工した場合に降着装置への衝撃が大きくなったが、Fw-190戦闘機の降着装置の堅牢性は高く、着地の衝撃にも十分耐えるような構造だった。そのために、戦闘爆撃機、地上襲撃機など、大重量の爆弾や燃料タンクを装備しても問題は起きなかった。

 Fw-190戦闘機の操縦者席後方頭上の防御用装甲板は12mm、操縦席両脇にも5mmの防弾装甲板が装備された。風防前面の防弾ガラスの厚さは50mmある。BMW801空冷エンジン最前面の円形オイル冷却も同様に装甲板が張られている。

1943-1944年,ドイツ空軍フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機をアメリカ軍が鹵獲して両翼の増加燃料タンクと懸吊架を撤去してFw-190戦闘機A-5型と同様に改造しテストした機体:機体側面の鉄十字(バルカンクロス)は、オリジナルとは異なり、白枠が太すぎている。あるいは、戦争末期であれば、オリジナルの機体は、目立ちすぎないように黒あるいは白の一色の縁取りだけのバルカンクロスだった可能性もある。垂直尾翼のスワスチカ(卍)は、オリジナル規格よりも二回り以上拡大し描いているので、当時のドイツ空軍機の塗装とは異なっている。フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機は、機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼付け根のプロペラ圏内にモーゼル20ミリMG151/20機関銃左右合計2丁を装備。ただし、この機体の武装は全て撤去されている。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934746 - Catalog:16_005191 - Title: Focke-Wulf Fw 190G-3 in USA Nowarra photo - Filename:16_005191.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934746引用。


写真(右)1943-1944年,ドイツ空軍フォッケウルフFw190G-3長距離戦闘爆撃機をアメリカ軍が鹵獲しFw-190戦闘機A-5型と同様に改造しテストした機体の真正面:エンジン前面に装備した強制冷却ファンの風車が見えている。降着装置の主輪の間隔は広く、地上における安定性もよいので、強力なエンジンのトルクがあっても、地上操作がしやすかった。これは降着装置の主輪の間隔が狭く、地上における不安定さが指摘されたBf-109戦闘機とは対照的な特徴である。ただし、風防が切り込まれているために、地上におけるパイロットの前方向の視界は悪い。両翼の増加燃料タンクと懸吊架を撤去し整形した跡が写っている。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079338 Manufacturer: Focke-Wulf
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079338引用。


写真(右)1944年3月,鹵獲されてアメリカ海軍塗装を施されたドイツ空軍フォッケウルフFw 190戦闘機A-4型あるいはA-5型(Werk-Nr. 6005:US?)側面:垂直尾翼には「6005」とあるが、これはドイツ空軍のオリジナル製造番号6桁あるいは7桁ではない。1943年にシシリー島で鹵獲したFw-190長距離戦闘爆撃機G-3型はWerk-Nr. 160 016だが、下面には増槽懸架の修正跡はなくG-3型の改修機ではない。胴体下面にも爆弾架(ETC-501)がない。胴体には無線ラジオ用の整備ハッチがある。機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼のモーゼル20ミリMG151/20機関銃の銃身を出す穴もきれいに整形されている。A-4型あるいはA-5型と思われる。
Title: German FW. 190A Würger Caption: Side recognition view of Focke-Wulf FW. 190A Würger (Werk-Nr. 6005), World War II German fighter in U.S. markings and with armament apparently removed, circa March 1944. Description: Catalog #: 80-G-225140 Copyright Owner: National Archives
写真はNaval History and Heritage Command,80-G-225140 German FW. 190A引用。


写真(右)1944年3月,鹵獲されてアメリカ海軍塗装を施されたドイツ空軍フォッケウルフFw 190戦闘機A-4型あるいはA-5型(Werk-Nr. 6005:US?)斜め下:1943年にシシリー島で鹵獲したFw-190長距離戦闘爆撃機G-3型はWerk-Nr. 160 016だが、下面には増槽懸架の修正跡はなくG-3型の改修機ではないし、胴体下面には爆弾架(ETC-501)も装備していない。主翼のモーゼル20ミリ機関銃も取り外してあり、主翼前縁はきれいに整形してある。
Title: German FW. 190A Würger Caption: Side recognition view of Focke-Wulf FW. 190A Würger (Werk-Nr. 6005), World War II German fighter in U.S. markings and with armament apparently removed, circa March 1944. Description: Catalog #: 80-G-225134 Copyright Owner: National Archives Original Creator: After this Year: 1939 Before this Year: 1945
写真はNaval History and Heritage Command,80-G-225134 German FW. 190A引用。


アメリカ海軍仕様の塗装を施したFw-190戦闘機の写真のオリジナル解説には、製造番号(Werk-Nr.)6005とあり、高解像度の写真を見ると、垂直尾翼には「6005」とある。しかし、ドイツ空軍のオリジナル製造番号は6桁あるいは7桁で、Fw-190戦闘機には製造番号(Werk-Nr.)6005はない。1943年にシシリー島で鹵獲したFw-190長距離戦闘爆撃機G-3型はWerk-Nr. 160 016だが、アメリカ軍が戦闘機仕様に改修した時に、下面に増槽懸架の修正跡が残った。

しかし、Fw-190戦闘機(Werk-Nr.)6005とされた機体には、G-3型の主翼増槽ラック改修跡がないので、G-3型改修機機(Werk-Nr. 160 016)ではないと判断できる。機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼のモーゼル20ミリMG151/20機関銃の銃身を出す穴もきれいに整形されている。そのため、主翼内側の20ミリMG151/20機関銃搭載は、主翼上面の長方形の膨らみ(バルジ)で確認できるだけである。1944年3月に撮影されているので、Fw-190戦闘機A-4型あるいはA-5型と思われる。

写真(右)1944年4月1日,鹵獲されてアメリカ海軍塗装を施されたドイツ空軍フォッケウルフFw 190A-4型あるいはA-5戦闘機(Werk-Nr. 6005:US?)下面:1943年にシシリー島で鹵獲したFw-190長距離戦闘爆撃機G-3型はWerk-Nr. 160 016だが、下面には増槽懸架の修正跡はなくG-3型の改修機ではない。胴体下面には爆弾架(ETC-501)はない。機首上面7.92ミリMG17機関銃、主翼内側モーゼル20ミリMG151/20機関銃用の穴も整形している。
Title: German FW. 190A Würger Caption: Side recognition view of Focke-Wulf FW. 190A Würger (Werk-Nr. 6005), World War II German fighter in U.S. markings and with armament apparently removed, circa March 1944. Description: Catalog #: 80-G-224686 Copyright Owner: National Archives Original Date: Sat, Apr 01, 1944
写真はNaval History and Heritage Command,80-G-224686 German FW. 190A引用。


写真(右)1944年3月,鹵獲されてアメリカ海軍塗装を施されたドイツ空軍フォッケウルフFw 190戦闘機A-4型あるいはA-5型(Werk-Nr. 6005:US?)斜め上:胴体下面には爆弾架(ETC-501)はない。機首上面の7.92ミリMG17機関銃、主翼のモーゼル20ミリ機関銃も取り外してあり、主翼前縁はきれいに整形している。
Title: German FW. 190A Würger Caption: Side recognition view of Focke-Wulf FW. 190A Würger (Werk-Nr. 6005), World War II German fighter in U.S. markings and with armament apparently removed, circa March 1944. Description: Catalog #: 80-G-224683 Copyright Owner: National Archives Original Creator: Original Date: Sat, Apr 01, 1944 After this Year: 1939 Before this Year: 1945 Original Medium: BW Photo
写真はNaval History and Heritage Command,80-G-224683German FW. 190A引用。


写真(右)1944年3月,鹵獲されてアメリカ海軍塗装を施されたドイツ空軍フォッケウルフFw 190A-5戦闘機(Werknummer 150 051?):胴体下面には爆弾架(ETC-501)はない。機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼のモーゼル20ミリMG151/20機関銃も取り外している様だ。
SDASM Archives Follow Focke-Wulf Fw-190 Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID:38235489 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002302.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44217305引用。



5.大戦後半のフォッケウルフFw 190戦闘機/長距離戦闘爆撃機/地上襲撃機

写真(右)1942-1943年、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190A-4/U8長距離戦闘爆撃機:第二次大戦勃発直前に完成したFw-190戦闘機は、Bf-109戦闘機よりも、堅牢で、強度・出力の余裕があったため、搭載量も大きく、汎用性が高かった。そこで、Ju87急降下爆撃機の代用となる戦闘爆撃機あるいは地上襲撃機としても回収が施された。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934514 - Catalog:16_005172 - Title: Focke-Wulf Fw 190A-4/U8 Nowarra photo - Filename:16_005172.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934514引用。


写真(右)1942-1943年、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190190A-5/U2 夜間戦闘爆撃機:エンジン排気管から出る火焔で、夜間にパイロットの目を幻惑しないように、エンジン排気管上部に幻惑防止の覆い(突出部)が設置されている。主翼下面に300L増加燃料タンクを搭載し、胴体下面のETC501ラックには、250キロまたは500キロ爆弾1発が搭載可能だが、爆弾は装備されていない。航続距離は1200キロ以上で、夜間の航法の困難さに配慮している。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934427 - Catalog:16_005165 - Title:Focke-Wuf 190A-5/U2 Night assault Nowarra photo - Filename:16_005165.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_005165引用。


写真(右)1942-1943年、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190G-2長距離戦闘爆撃機:主翼下面に300L増加燃料タンクを搭載し、胴体下面のETC501ラックに250キロまたは500キロ爆弾1発を搭載し、1200キロ以上の航続力を誇った。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934636 - Catalog:16_005182 - Title: Focke-Wulf Fw 190G-2 Nowarra photo - Filename:16_005182.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_005182引用。


写真(右)1942-1943年、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190G-2長距離戦闘爆撃機:主翼下面に300L増加燃料タンクを搭載し、胴体下面のETC501ラックに250キロまたは500キロ爆弾1発を搭載し、1200キロ以上の航続力を誇った。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079319 Manufacturer: Focke-Wulf
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079319引用。


ドイツ軍はモスクワに次ぐソ連第2大都市レニングラードを900日近く包囲し、空襲、砲撃により破壊され、包囲された人々からは死傷者100万名がでたが、レニングラードは陥落しなかった。独ソ戦の緒戦で、ソ連軍は大敗北を続けたが、その士気は衰えなかった理由は、ソビエト人の意識や大ロシア意識といったアイデンティティー、共産党・スターリンによる鉄の規律、ソ連軍兵器の優秀性、極東配備のソ連軍の西方派遣も指摘できるが、レニングラードが包囲されても抵抗し続けたことは、ソ連の人々を勇気づけ、モスクワ陥落もあり得ないとの地震を付けさせることになった。1945年、スターリンは、レニングラードに英雄都市の称号を与えた。

写真(右)1943-1943年、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190F-3/R1地上襲撃機:Fw190F-1は、A-4から20ミリ機関銃2丁を撤去、胴体下にETC501爆弾架を装備した地上襲撃。Fw190F-2は、A-3ベースで武装はF-1と同じ。F w190F-3はA-6ベースで武装はF-1と同じ。Fw190F-3/R1は、F-3の主翼にETC50爆弾架を装備、Fw190F-3/R3はF-3の主翼下面にポッド式の30ミリ機関砲2門を装備した地上襲撃機。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934598 - Catalog:16_005179 - Title: Focke-Wulf Fw 190F-3/R1 Nowarra photo - Filename:16_005179.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934598引用。


写真(右)1944-1945年、ETC501ラックに300L増加タンクを搭載したフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190F-8/R3地上襲撃機:Fw190F-8は、A-8から20ミリ機関銃2丁を撤去、胴体下にETC501爆弾架を装備した地上襲撃で主翼両翼に50キロ爆弾各2発、合計4発を搭載できる。Fw190F-3/R1は、F-3の主翼にETC50爆弾架を装備、Fw190F-8/R3はF-8の主翼下面にポッド式の30ミリ機関砲2門を装備した地上襲撃機。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934610 - Catalog:16_005180 - Title: Focke-Wulf Fw 190F-8/R1 Nowarra photo - Filename:16_005180.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934610引用。


写真(右)1944年、ポッド式の30ミリ機関砲2門を装備したフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190-8/R3地上襲撃機:Fw190F-8は、A-8から20ミリ機関銃2丁を撤去、胴体下にETC501爆弾架を装備した地上襲撃。Fw190F-2は、A-3ベースで武装はF-1と同じ。F w190F-3はA-6ベースで武装はF-1と同じ。Fw190F-3/R1は、F-3の主翼にETC50爆弾架を装備、Fw190F-8/R3はF-8の主翼下面にポッド式の30ミリ機関砲2門を装備した地上襲撃機。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934623 - Catalog:16_005181 - Title: Focke-Wulf Fw 190F-8/R3 Nowarra photo - Filename:16_005181.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_005181引用。


メッサーシュミットMe109戦闘機G型は、F型同様、機首プロペラシャフトにモーターカノンとして、20ミリMG151/20機銃1丁、機首上面に13.1ミリMG131機銃2丁を装備。Me109Fは,機首上面に7.92ミリMG17機銃2丁だったが、機首上面に搭載した固定機銃が大型になったことでG標準型の機首には突出部(バルジ)がある。ダイムラー・ベンツDB601(Daimler-Benz DB 601)エンジン (1475馬力),最大速度630キロ, 航続距離 580キロ。

写真(右)1944年3月,エストニア、東部戦線、冬季迷彩塗装のドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 A戦闘機
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-726-0223-20 Archive title: Estland, Dorpat (?).- Schlachtgeschwader 3, Focke-Wulf Fw 190 mit weißem Tarnanstrich auf verschneitem Flugplatz, vor dem Start; KBZ Lw 24 Dating: 9. März 1944 Photographer: Droege Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


写真(右)1944年夏,フランス、西部戦線、対空偽装を施した駐機場から出撃準備するドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 G長距離戦闘爆撃機:両翼には300Lの増加燃料タンクを懸架し、BMW801Dエンジンを駆動、プロペラが回転している。付近には、偽装用の樹木の枝が取り払われている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda‐kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-496-3463-22A Archive title: Frankreich.- getarntes Flugzeug Focke-Wulf Fw 190 mit Zusatztanks unter Bäumen; Lw Kdo West Dating: 1944 Sommer Photographer: Gehm Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


写真(右)1944年夏,フランス、西部戦線、爆弾を搭載中のドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 G型長距離戦闘爆撃機:主翼下面には300L入りの増加タンクを搭載しているので、戦闘爆撃型のG型のように思われる。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-496-3463-24A Archive title: Frankreich.- Flugzeug Focke-Wulf Fw 190 auf Feldflugplatz; Lw Kdo West Dating: 1944 Sommer Photographer: Gehm Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


写真(右)1943年,イタリア南部、シシリア島、地中海方面で戦うドイツ空軍戦闘機の300リットル入り増加燃料タンク:Bf-109戦闘機F型以降、Fw-190戦闘機A型は、胴体下面に300リットル入り増加燃料タンクを搭載できた。Fw-190戦闘爆撃機は、主翼左右下面に300L増加タンク各1個、合計2個を搭載することができた。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-468-1416-02 Archive title: Italien-Süd, Sizilien, bei Comiso (?).- Soldat der Luftwaffe beim Transport von Zusatztanks für Flugzeuge; PK Lfl 2 Dating: 1943 März - April Photographer: Ketelhohn, Karl Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


メッサーシュミット(Messerschmitt) Me 109戦闘機 Gは、マウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃あるいは20ミリMG151/20 機関銃1丁を操縦席足元にモーターカノンとして搭載し、プロペラ軸を通して、プロペラスピナ先端の銃口から発射した。連合軍機では、アメリカのベルP-39エアコブラがモーターカノンの37ミリ機関砲を備えていた。

ドイツ軍のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」開始の時期,今までの空軍,陸軍の攻撃順序が逆転している。1940年5月のベルギー・フランス侵攻では,グライダー空挺部隊によるエバン・エマール要塞を奇襲攻略するために,空軍が陸軍よりも先に出撃する必要があった。攻撃開始時間は,陽光が不可欠だった。

他方,1941年6月22日,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の攻撃時間は,6月22日0315で,ドイツ陸軍は早暁に行動を起こして奇襲効果を高めた。

ドイツ空軍(総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring))は,対ソ侵攻の東部戦線に、4個の航空軍を配備,第一線機1280機を揃えた。内訳は,ハインケルHe-111,ユンカースJu-88など双発爆撃機510機,ユンカースJu87など急降下爆撃機290機,メッサーシュミットMe109単発戦闘機440機,Me110双発駆逐機40機,長距離偵察機120機である。
ソ連空軍は,その2倍の飛行機を保有していると予測された。

1942-1943年冬、ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)はスターリングラード空輸を請合ったが,失敗。1944年以降のドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。

写真(右)1943-1944年、フィンランド、ドイツ空軍第54戦闘航空団第2飛行隊所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 A-6戦闘機:機首上面には7.92ミリMG 17機関銃2丁、主翼に4丁装備したMauser20ミリMG 151/20機関銃は、重量42kg、全長1710mm、初速790m/s、発射速度750rpm、装弾数120発(外側)あるいは250発(内側)。A-8型では、武装強化、防弾強化によって重量、抵抗増加があり、飛行性能は若干低下した。
MTSaksalainen Focke-Wulf Fw 190 Immolassa. Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Military Museum Saksalainen Focke-Wulf Fw 190 Immolassa. Kuvan lentokone on II/JG 54:n komentajan, majuri Erich Rudorfferin, Focke-Wulf Fw 190 A-6.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)のドイツ空軍第一航空軍Luftflotte 1)に属していたJG54は、1941年6月21日、バルバロッサ作戦初日,ヴィルヘルム・リッター・フォン・レープWilhelm Ritter von Leeb)元帥を司令官とする北方軍集団(レープ元帥)を支援し、フィンランド、バルチック海周辺、レニングラードで戦った。1941年から1943年には、JG54は、レニングラード包囲戦、イイリメニ湖周辺のソ連軍攻撃のために、フィンランドにも駐屯した。

写真(右)1943- 1944年、フィンランド、フィンランド、ドイツ空軍第54戦闘航空団第2飛行隊所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 A-6戦闘機:機首上面には7.92ミリMG 17機関銃2丁、主翼付け根に20ミリMG 151機関銃各2丁を装備。速力、加速性、上昇力など性能と堅牢性のバランスが取れた戦闘機。A-6型は1943年7月から1943年11月末までに、合計569機が生産された。
MTSaksalainen Focke-Wulf Fw 190 Immolassa. Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Military Museum Saksalainen Focke-Wulf Fw 190 Immolassa. Kuvan lentokone on II/JG 54:n komentajan, majuri Erich Rudorfferin, Focke-Wulf Fw 190 A-6..
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


第54戦闘航空団Jagdgeschwader 54 )「緑のハート」(グリュン・ヘルツ)は、それまでBf109戦闘機を装備していたが、1943年2月からは、JG54にもフォッケウルフ Fw190が配備されることになった。1943年の時点で、JG54第1飛行戦隊には、ヴァルター・ノヴォトニー大尉(257機撃墜)、ルドルフ・ラーデマッハ少尉(126機)などのトップクラスのエースを擁していた。

写真(右)1943年4月24日、フィンランド、ドイツ空軍第54戦闘航空団第2飛行隊所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 A-6戦闘機:機首上面には7.92ミリMG 17機関銃2丁、主翼付け根に20ミリMG 151機関銃各2丁合計4丁を装備。速力、加速性、上昇力など性能と堅牢性のバランスが取れた戦闘機。G型では、長距離飛行可能なように、主翼下面に300L落下式増加タンク2個を懸架し、胴体下面ETC501ラック(ETC 501 Rack ) に250キロあるいは500キロ爆弾を1発搭載可能。
MTSaksalainen Focke-Wulf Fw 190 Immolassa. Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Military Museum Saksalainen Focke-Wulf Fw 190 Immolassa. Kuvan lentokone on II/JG 54:n komentajan, majuri Erich Rudorfferin, Focke-Wulf Fw 190 A-6.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年6月27日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘爆撃機:尾翼には地上からの対空砲火の弾丸が上につきむけた損傷個所が写っている。
Pommittushävittäjä (FW 190, Jabo) on ilmataistelussa saanut pahoja vaurioita, mutta päässyt kotikentälle. Sot.virk. Olavi Linnus, valokuvaaja Sotamuseo Pommittushävittäjä (FW 190, Jabo) on ilmataistelussa saanut pahoja vaurioita, mutta päässyt kotikentälle. Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1944-06-27
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年6月27日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘爆撃機:日光浴がてらに半分裸で飛行場で談笑するドイツ空軍の整備員たち。右遠方では、戦闘爆撃機が離陸を始めている。
Kuvan käyttöoikeudet: CC BY 4.0 SA-kuvat ovat lisensoitu Nimeö 4.0 Kansainvälinen (CC BY 4.0) -lisenssillä ja ne ovat vapaasti käytettävissä ja julkaistavissa. Kuvat ovat nähtävissä myös www.sa-kuva.fi -palvelussa. QR-koodi Tämän aineiston tarjoaa Sotamuseo ? Ota yhteyttä Sot.virk. Olavi Linnus, valokuvaaja Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-06-27 Sot.virk. Olavi Linnus, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 A-6戦闘機と上空を飛行するJu-87スツーカ急降下爆撃機:機首上面には7.92ミリMG 17機関銃2丁、主翼付け根に20ミリMG 151機関銃各2丁を装備。速力、加速性、上昇力など性能と堅牢性のバランスが取れた戦闘機。G型では、長距離飛行可能なように、主翼下面に300L落下式増加タンク2個を懸架し、胴体下面ETC501ラック(ETC 501 Rack ) に250キロあるいは500キロ爆弾を1発搭載可能。
Maataistelukoneen mekanikko hoitaa isäntänsä lintua ``Stukien ? ? saapuessa pommitusretkeltä. Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Maataistelukoneen mekanikko hoitaa isäntänsä lintua``Stukien ? ? saapuessa pommitusretkeltä. Lentokone on Focke-Wulf Fw 190 A-6, taivaalla on Stuka -lentokoneita.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、整備作業中のドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型:上空には、ユンカースJu-87スツーカD型急降下爆撃機の編隊が飛行中である。A-6型は1943年7月から1943年11月末までに、合計569機が生産された。
Stuka-syöksypommittajalentue ottaa korkeutta ja maataistelukoneet valmistautuvat seuraamaan niitä. Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Stuka-syöksypommittajalentue ottaa korkeutta ja maataistelukoneet valmistautuvat seuraamaan niitä. Kuvassa Stuka-osasto on palaamassa Talista ja Fw 190 A-6 -hävittäjällä on menossa radiotaajuuden viritys. Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型に搭乗したパイロットの身の回りの世話をする整備員:A-6型は、主翼の外側も20ミリMG151/20機関銃に変換し、合計4丁に武装を強化した。
Ryssän pommituslaivue on päässyt yllättämään, maataistelukone yrittää startata viime hetkessä, mutta tuhoutuu muutaman sekunnin kuluttua. Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja Ryssän pommituslaivue on päässyt yllättämään, maataistelukone yrittää startata viime hetkessä, mutta tuhoutuu muutaman sekunnin kuluttua. Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型に搭乗しようとするパイロット:整備員は下着姿で主翼に乗り、パイロットを待っている。A-6型は1943年7月から1943年11月末までに、合計569機が生産された。
Hälytyksen tapahduttua ohjaaja kiirehtii koneeseensa mekanikkonsa avustamana ja sitoo vyöt kiinni. Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型、下着姿の整備員が足掛けにつま先を入れて、コックピットを整えている。
Hälytyksen tapahduttua ohjaaja kiirehtii koneeseensa mekanikkonsa avustamana ja sitoo vyöt kiinni. Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型に搭乗するパイロットと手助けする整備員:A-6型は、主翼の外側も20ミリMG151/20機関銃に変換し、合計4丁に武装を強化した。
Hätämerkki on annettu, maataistelukoneen ohjaaja kiirehtii ohjaamoonsa mekanikon avustamana Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Hätämerkki on annettu, maataistelukoneen ohjaaja kiirehtii ohjaamoonsa mekanikon avustamana. Ryssän laivue hyökkää parhaillaan yllättäen kentälle ja tämä maataistelukone, joka toimii myöskin hävittäjänä ei ehdi ilmaan, vaan tuhoutuu lentäjineen kentällä. Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型に乗り込んだパイロットと薪に控える下着姿の整備員。
Mekaanikko seisoo lentokoneen tasolla ja keskustelee isäntänsä, ohjajan kanssa lähtökäskyä odotellessaan. Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja Mekaanikko seisoo lentokoneen tasolla ja keskustelee isäntänsä, ohjajan kanssa lähtökäskyä odotellessaan. Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型に乗り込んだパイロットと脇に控える下着姿の整備員。
Hälytyksen tapahduttua ohjaaja kiirehtii koneeseensa mekanikkonsa avustamana ja sitoo vyöt kiinni. Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型に乗り込んだパイロットと脇に控える下着姿の整備員。
Hätämerkki on annettu, maataistelukoneen ohjaaja kiirehtii ohjaamoonsa mekanikon avustamana Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Hätämerkki on annettu, maataistelukoneen ohjaaja kiirehtii ohjaamoonsa mekanikon avustamana. Ryssän laivue hyökkää parhaillaan yllättäen kentälle ja tämä maataistelukone, joka toimii myöskin hävittäjänä ei ehdi ilmaan, vaan tuhoutuu lentäjineen kentällä. Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 A-6戦闘機:機首上面には7.92ミリMG 17機関銃2丁、主翼付け根に,20ミリMG 151/20機関銃各2丁合計4丁を装備。
Hälytyksen tapahduttua ohjaaja kiirehtii koneeseensa mekanikkonsa avustamana ja sitoo vyöt kiinni. Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


ヘルシンキ・マルミ空港(Helsinki-Malmi Airport)は、1930年代から首都ヘルシンキの国際空港として使用され、国内路線としても、極地のペツァモ(Petsamo)まで結ばれていた。1939年、ソ連との冬戦争が勃発すると、マルミ空港は、フィンランド空軍が接収し、軍飛行場となった。また、1941年6月からのソ連との継続戦争でも軍飛行場として、ドイツ空軍機も駐留した。しかし、1944年9月にフィンランドがソ連と休戦すると、ヘルシンキ・マルミ空港(Helsinki-Malmi Airport)はソ連軍の管理下に置かれることになった。

写真(右)1944年7月2日、フィンランド、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型:A-4型までは主翼の内側にMauser20ミリMG 151/20機関銃各1、外側に20ミリFF機関銃各1丁合計4丁を装備していたが、A-6型では、主翼の外側も20ミリMG151/20機関銃に変換し、合計4丁に武装を強化した。プロペラには対空砲火避けの御守りとして渦巻が描かれている。
Maataistelukone starttaa taistelulennolle. Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Maataistelukone starttaa taistelulennolle. Kuvan lentokone on Focke-Wulf Fw 190 A-6. Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Aiheet:1944-07-02.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、発進するドイツ空軍のフォッケウルフFocke-Wulf Fw 190 戦闘機A-6型:A-6型は、主翼の外側も20ミリMG151/20機関銃に変換し、合計4丁に武装を強化した。
Hälytyksen tapahduttua ohjaaja kiirehtii koneeseensa mekanikkonsa avustamana ja sitoo vyöt kiinni. Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、発進し始めたドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型:A-6型は、主翼の外側も20ミリMG151/20機関銃に変換し、合計4丁に武装を強化した。
Hälytys on annettu, maataistelukone starttaa. Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja Hälytys on annettu, maataistelukone starttaa. Lentokone on Focke-Wulf -maataistelukone. Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、発進し始めたドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A-6型:A-6型は、主翼の外側も20ミリMG151/20機関銃に変換し、合計4丁に武装を強化した。
Maataistelukone starttaa ja tuhoutuu muutaman sekunnin kuluttua hävittäjineen. Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Aineistotyyppi:Valokuva Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、飛行場を離陸したドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 A-6戦闘機:降着装置の引込み式脚は、まだ引き込んでいない状態のままである。機首上面には7.92ミリMG 17機関銃2丁、主翼にMauser20ミリMG 151/20機関銃2丁合計4丁を装備。胴体下面には、ETC 501爆弾懸吊(ラック)を装備、300リットル落下式増加タンク、250キロ-500キロ爆弾1発を搭載可能。
Focke-Wulf hävittäjä nousee ilmaan turvaamaan syöksypommittajien taitelulentoa vihollishävittäjien yllätysten varalta. Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Focke-Wulf hävittäjä nousee ilmaan turvaamaan syöksypommittajien taitelulentoa vihollishävittäjien yllätysten varalta. Focke-Wulf Fw 190 A-6. Format:・Photo Photo info:1944-07-02 Kuvaustiedot:1944-07-02 Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja
写真はフィンランド国防省,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、飛行中のドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 A-6戦闘機:機首上面には7.92ミリMG 17機関銃2丁、主翼付け根に20ミリMG 151機関銃各2丁合計4丁を装備。Fw 190A-6/R6では、主翼下面に口径21センチ時限信管付き対空ロケット弾を発射するW.Gr. 21ランチャー装備した。
Focke-Wulf hävittäjä nousee ilmaan turvaamaan syöksypommittajien taitelulentoa vihollishävittäjien yllätysten varalta. Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Focke-Wulf hävittäjä nousee ilmaan turvaamaan syöksypommittajien taitelulentoa vihollishävittäjien yllätysten varalta. Focke-Wulf Fw 190 A-6. Format:?Photo Photo info:1944-07-02 Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、飛行中のドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 A-6戦闘機:機首上面には7.92ミリMG 17機関銃2丁、主翼付け根に20ミリMG 151機関銃各2丁合計4丁を装備。 A-6型は1943年7月から1943年11月末までに、合計569機が生産された。
Focke-Wulf hävittäjä nousee ilmaan turvaamaan syöksypommittajien taitelulentoa vihollishävittäjien yllätysten varalta. Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Focke-Wulf hävittäjä nousee ilmaan turvaamaan syöksypommittajien taitelulentoa vihollishävittäjien yllätysten varalta. Focke-Wulf Fw 190 A-6. Format:・Photo Photo info:1944-07-02 Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja
写真はフィンランド国防省,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、エンジンカバーを取り払って、BMW801空冷星形エンジンを整備作業中のドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A型:プロペラには対空砲火避けの御守りとして渦巻が描かれている。さらに、レジプロ機を正面から識別する方法として、スピナーの渦巻回転で判断することもできる。また、アイドリング状態で地上で待機している場合、プロペラが高速回転していることが、スピナーの渦巻の様子を見れば識別しやすくなり、プロペラ圏内に誤って立ち入ってしまうリスクを軽減できる。
Mekanikot ovat alituisessa huoltotyössä, kun lentokoneet ovat kentällä. Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja Mekanikot ovat alituisessa huoltotyössä, kun lentokoneet ovat kentällä. Focke Wulff Fw 190 A. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1944-07-02 Sot.virk. Riku Sarkola, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


写真(右)1944年7月2日、フィンランド、BMW801空冷星形エンジンを整備作業中のドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機A6型
Stuka-syöksypommittajalentue ottaa korkeutta ja maataistelukoneet valmistautuvat seuraamaan niitä. Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja Stuka-syöksypommittajalentue ottaa korkeutta ja maataistelukoneet valmistautuvat seuraamaan niitä. Kuvassa Stuka-osasto on palaamassa Talista ja Fw 190 A-6 -hävittäjällä on menossa radiotaajuuden viritys. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1944-07-02 Sot.virk. Kauko Kivi, valokuvaaja.
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


ドイツ空軍戦闘機のプロペラには対空砲火避けの御守りとして渦巻が描かれている。さらに、レジプロ機を正面から識別する方法として、スピナーの渦巻回転で判断することもできる。また、アイドリング状態で地上で待機している場合、プロペラが高速回転していることが、スピナーの渦巻の様子を見れば識別しやすくなり、プロペラ圏内に誤って立ち入ってしまうリスクを軽減できる。

ドイツ軍の迎撃戦闘機は、敵連合軍機に発見されないように、対空用偽装網でカモフラージュし隠匿された場所に駐機しており、出撃時には、そこから滑走路に向かう。しかし、1944年には、燃料不足の為に、地上でのタキシングは禁止あるいは制限されていた。燃料不足は、パイロットの訓練飛行時間の短縮にもつながり、熟練パイロットの減少に対処するため、爆撃機、偵察機から戦闘機への操縦転換も計画された。

写真(右)1944年夏,対ソビエト連邦戦線、フィンランド南東部、ソ連国境から9kmのイモラ(Immola)飛行場、ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 A戦闘機を整備するドイツイ軍整備員とフィンランド軍整備員:A-3型では主翼内側には20ミリMG151/20機関銃、主翼外側には20ミリMGFF機関銃を、機首上面に7.92ミリMG17機関銃2丁を装備している。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-727-0297-32A Archive title: Sowjetunion.- Wartung eines Jagdflugzeugs Focke-Wulf Fw 190 durch finnische Soldaten; KBZ Lw 24 Dating: 1944 Sommer Photographer: Doege Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-727-0297-32A, Russland, Wartung einer Fw 190.jpg引用。


1933年に王立陸軍参謀総に就任したイオン・アントネスクIon Antonescu)将軍は、1937年には国防大臣を務めたが、国家主義的武装団体の鉄衛団と連携しようとして、反政府活動の容疑で投獄された。すぐに釈放されたが、今度は、ソ連の領土割譲要求を拒否すべきであるとの国家主義的立場をとり、国王カロル2世と対立し、再度投獄された。しかし、ドイツの働きかけで、イオン・アントネスクIon Antonescu)は、1940年に釈放されると、反ソ連の立場を明確にして、カロル2世を退位させ、自らが政府首班となった。ヒトラーを真似て、国民投票を行い、「国家指導者」という独裁的地位に就任した。

ルーマニアの国家指導者イオン・アントネスクIon Antonescu)将軍は、三国軍事同盟に加わり、1941年6月、ドイツのソ連侵攻に際して、枢軸国側に立って参戦した。そして、ソ連南部のオデッサ、スターリングラード、カフカスへ侵攻したが、1942年冬、イオン・アントネスクIon Antonescu)でソ連軍の反撃を受け壊滅的打撃を受けた。1944年夏、ルーマニア東部にソ連軍が迫ると、ルーマニア国内は動揺し、1944年8月23日、ルーマニア国王ミハイ1世は反アントネスクのクーデターを起こし、政権を奪取し、枢軸国側より離脱、ソ連と和睦して、ソ連軍側に立って、対ドイツ戦争に加わった。

写真(右)1944年6月21日,ロシア、フィンランド南東部、ソ連国境から9kmのイモラ(Immola)飛行場、ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 A戦闘機の後ろで空戦の話をするパイロットと聞いている整備員(後方):A-3型までは、操縦席後方から張られたアンテナ線が垂直尾翼の最上部前縁に繋がれているが、A-4型以降は、垂直尾翼上端の突起に繋がれているので容易に識別できる。主翼内側の武装は、20ミリMG151/20機関銃で同一。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-727-0285-23 Rußland.- Piloten im Gespräch, im Hintergrund Flugzeug Fw 190; KBZ Lw 24 Depicted place Russia Date 21 June 1944 Photographer Doege Institution German Federal Archives
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-727-0297-32A, Russland, Wartung einer Fw 190.jpg引用。


1943年8月のハンブルクの大空襲、1943年8月17日の秘密兵器実験場ペーネミュンデへの空襲でショックを受けたドイツ空軍参謀総長ハンス・イエショネク(Hans Jeschonnek)大将は、ラステンブルク(Rastenburg)の総統大本営(狼の巣)で自殺した。ただし、ペーネミュンデとの関連性を秘匿するために、イェショネク大将の死亡日は、その前日の1943年8月19日として公表された。

 後任の参謀総長に任命されたのはギュンター・コルテン大将だが、彼も1年たたない1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件に巻き込まれ、総統大本営で爆死した。

ドイツ空軍参謀総長の初代ヴェーフェル、2代ケッセルリンク、3代シュトゥンプ、4代イェショネク、5代コルテン、6代クライプ、7代コラーと続くが、権力の永続化を狙う総司令官ゲーリングとの信頼関係を気づくことは難しかったようだ。

写真(右)1944年,フランス、西部戦線、ドイツ空軍戦闘機の300リットル入り増加燃料タンク:Bf-109戦闘機F型以降、Fw-190戦闘機A型は、胴体下面に300リットル入り増加燃料タンクを搭載できた。Fw-190戦闘爆撃機は、主翼左右下面に300L増加タンク各1個、合計2個を搭載することができた。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-493-3362-16A Archive title: Frankreich.- Flugzeugwarte beim Beladen eines Flugzeugs Focke-Wulf 190 mit einer Bombe; Lfl 3 Dating: 1944 Photographer: Stöpfgeshoff Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ドイツ本土は,1943年前半から,昼間は米陸軍航空隊B-17「フライング・フォートレス」,B-24「リベレーター」重爆撃機に,夜間は英空軍「ランカスター」「ハリファックス」重爆撃機による戦略爆撃に晒された。

ドイツ本土爆撃に際し、アメリカ陸軍航空隊は、軍需工場など軍事施設を爆撃目標として狙う昼間精密爆撃を行った。これは、
?操縦に連動する精密なノルデン爆撃照準器に信頼を置いた、
?爆撃機に12.7ミリ機銃を多数装備し防御に地震があった、
という理由である。

他方、イギリス空軍は、中型爆撃機による昼間爆撃を行った際に大きな損害を受けており、四発の重爆撃機は米軍爆撃機より低速であったため、夜間の絨毯爆撃、都市爆撃を行った。

 こうして、米英二つの航空兵力が行ったドイツ本土空襲によって,ドイツの産業,交通,市民生活は,次第に困難な状況に陥った。

ドイツ空軍戦闘機部隊は,1943年前半までは,連合軍爆撃部隊を迎撃し,大きな戦果をあげていた。
 しかし,1944年後半には,熟練搭乗員と燃料の不足,数的劣勢,性能の相対的低下のために,連合軍の爆撃機部隊に,有効な反撃を加えることができなくなっていた。

制空権が失われた以上,連合軍による欧州侵攻を防衛することは,ドイツ軍にとって不可能なことになった。

実際,1944年6月に,米英加を中心とする連合軍がノルマンディーに上陸すると,ドイツ軍はカーンで包囲され,大損害を被った。ドイツ陸軍地上部隊だけで,連合軍に反撃を加えることは,困難だった。

ドイツ空軍メッサーシュミットBf109戦闘機F型初期までは、発動機ダイムラーベンツDaimler-Benz DB601Aのボア(シリンダ内径)は150mmであったが、F型後期型、G型以降では154mmのボア(シリンダ内径)のDB605を搭載した。発動機は、同じ12気筒でシリンダ数は同じだが、エンジン排気量は、33.9Lから35.7Lへと増加し、出力が向上した。

他方、エンジンを強化したBf109戦闘機のG型など後期型では、E型など初期型と比較してエンジン出力の増加、重量の増加で、燃費が悪化し、航続距離は短縮してしまった。

写真(右)1944年頃,ドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-7/R1型:機首のBMW801空冷星形エンジンはそのままに、主翼両下面に20ミリMG151/20機関銃2丁を入れたポッドを吊り下げ、主翼内側と合わせて、合計6丁もの20ミリMG151/20機関銃を装備した重爆撃機迎撃専用機。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079326 Manufacturer: Focke-Wulf
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079326引用。


ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190A-8戦闘機は,後期のドイツ空軍の主力戦闘機で,最高速度650キロ,20ミリMG151/20機銃4丁,13.1ミリMG131機銃2丁の重武装。生産開始は1944年2月からで8000機以上作られた。連合軍爆撃機に大きな被害を与えた重装甲・重武装(20ミリ機銃4門,30ミリ機関砲2門)の「突撃戦闘機」も作られた。

連合軍の護衛戦闘機の数的・質的優勢が確実になった1944年後半,欧州・はもちろんドイツ本土上空の制空権まで連合軍に侵されるようになっていた。

写真(右)1944年頃,ドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-7/R1型:機首のBMW801空冷星形エンジンはそのままに、主翼両下面に20ミリMG151/20機関銃2丁を入れたポッドを吊り下げ、主翼内側と合わせて、合計6丁もの20ミリMG151/20機関銃を装備した重爆撃機迎撃専用機。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934466 - Catalog:16_005168 - Title: Focke-Wulf Fw 190A-7/R1 Nowarra photo - Filename:16_005168.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934466引用。


写真(右)1942-1943年、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190A-8/U1複座練習戦闘機:1944年に生産されたFw-190A-8/U1は、前後2座席ある練習機で、戦争末期に未熟練パイロットの操縦訓練、爆撃機・偵察機から戦闘機パイロットへの転換訓練に少数が使用された。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934586 - Catalog:16_005178 - Title: Focke-Wulf Fw-190A-8/U1 Nowarra photo - Filename:16_005178.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934586引用。


写真(右)1944年,西部戦線、ベルギー、ブリュッセル北東、イギリス軍が発見した放棄されたドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 戦闘機A-8型:風防は外れ、エンジンパネルも開いたままになっている。胴体下面には、ETC501ラックを装備している。
Object description: A German Focke-Wulf Fw 190A-8 fighter lies abandoned on an airfield liberated by British troops at Steen Okkerzeel, north east of Brussels, Belgium.
Creator:Royal Air Force official photographer、Catalogue number:CL 1104.
写真はImperial War Museums,CL 1104引用。


ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)の成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。
1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会演説でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説、その後の1941年6月29日の法令を根拠に,自らを後継者として自認していた。これを元に,1945年4月23日のベルリン攻防戦の最中に、ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)国家元帥はヒトラーに対して、連絡が取れなくなった場合、自分がドイツの最高指導者の地位を引き継ぎたいと電文を発した。しかし、ヒトラーは、これをヘルマン・ゲーリングHermann Göring)の裏切りと感じ、激怒してゲーリングの公職追放・監禁を命じた。

1943年10月20日、ロンドンで17カ国が集まる国際会議において、連合国戦争犯罪委員会(UNWCC)の設置が決まり、ドイツ指導者の裁判は、国際戦争犯罪裁判で裁くことを申し合わせた。1945年8月8日、米英仏ソの四大国はロンドンで国際軍事裁判所憲章に署名、国際軍事裁判所の構成や役割について合意し、戦争犯罪を「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」「共同謀議」の4点とし、ニュルンベルグ国際軍事裁判で裁くことが決まった。

アメリカ・イギリスを中核とする西側連合軍の護衛戦闘機の数的・質的優勢が確実になった1944年後半,欧州・はもちろんドイツ本土上空の制空権まで連合軍に侵された。その時に搭乗したのが、フォッケウルフFw-190A-8戦闘機で,後期のドイツ空軍の主力戦闘機となった。

フォッケウルフFw-190戦闘機A-8型の最高速度は653キロ,20ミリMG151/20機銃4丁,13.1ミリMG131機銃2丁の重武装で、生産開始は1944年2月からで8000機以上作られた。連合軍爆撃機に大きな被害を与えた重装甲・重武装(20ミリ機銃4門,30ミリ機関砲2門)の「突撃戦闘機」も作られた。また、西部戦線でも西側連合軍がドイツに侵入しており、地上支援の必要性が高まると、Fw-190戦闘機A-8型を流用した地上襲撃機F-8型が量産された。

フォッケウルフFw-190A戦闘機は,ノルマンディーに上陸した連合軍地上部隊に対しては,ETC501ラックに250キロあるいは500キロ爆弾1発を、両翼に各々50キロ爆弾2発、合計4発を搭載して,地上襲撃機としても使用された。

写真(右)1945年、オランダ、西側連合軍戦闘機のガンカメラに移された、攻撃され、片方の降着装置が出たまま撃墜されるドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機A型:Fw-190戦闘機のパイロットが脱出しているのが写っている。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_008293 Beschrijving Acht opnamen van een zogenaamde guncamera met een Focke-Wulf Fw 190 die in brand wordt geschoten tijdens een luchtgevecht. Op de foto rechtsboven is te zien hoe de piloot zijn toestel verlaat met de parachute. Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH. 写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_008293 引用。


写真(右)1945年、オランダ、破損し兵装も撤去されたドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機A-8型で記念撮影をする西側連合軍兵士:戦場で戦った記念に戦利品を漁ったり、敵の兵器を鹵獲して記念撮影をしたりする兵士が多いので、今日でも、個人保管の未公開写真が多数残っている。
Vliegbasis Twenthe Objectnummer 0744_006050 Beschrijving Focke-Wulf Fw 190 achtergelaten op Twenthe met poserend luchtmachtpersoneel. Plaats Twenthe, oostcomplex, H-1 Datering van 1945 Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH Bijzonderheden Personeel LSK poseert op een Fw 190 in H-1. Foto van L. Boxstart. 写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 0744_006050 引用。


写真(右)1945年、オランダ、破損し胴体も折れ曲がったドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機A-8型で記念撮影をする西側連合軍兵士:戦場で戦った記念に戦利品を漁ったり、敵の兵器を鹵獲して記念撮影をしたりする兵士が多いので、今日でも、個人保管の未公開写真が多数残っている。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001218 Beschrijving Twee door de Duitsers achtergelaten en vernielde Focke-Wulf Fw 190 jagers. Datering van 1945 Datering tot 1945 Trefwoorden Luftwaffe, Duitse strijdkrachten, FW190, gevechtsvliegtuigen, vliegtuigen, Tweede Wereldoorlog, conflicten Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH Bijzonderheden Vier Engelse militairen bekijken de brokstukken. Kleur/Zwart-wit Zwart-wit 写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_001218引用。


写真(右)1945年,西部戦線、アメリカ陸軍歩兵第94師団の兵士が不時着、損傷したドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機F-8あるいはA-8型を発見して、記念撮影した。:BMW801D2エンジンの排気管から黒煙が出て、機体側面を汚しているので、エンジントラブルであろうか。風防が失われたのは、飛行中に投棄したのかもしれない。大戦末期の機体なので、国籍マークは、黒あるいは白一色でシンプルである。垂直尾翼のスワスチカも黒の縁取りのみで目立たない塗装となっている。主翼の20ミリ機関銃は、外側のものが初めから撤去されていたのであろうか。銃身を出す穴だけが残っている。
SDASM Archives AL-32 Hatchard Album Photo_00288 Image from an Album (AL-32) which belonged to James Hatchard. The album contains images showing Hatchard's experiences in the Second World War. Hatchard was a liason officer in the 94th Infantry Division.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,AL-32 Hatchard Album Photo_00288引用。


写真(右)1945年,西部戦線、アメリカ陸軍歩兵第94師団の兵士が不時着、損傷したドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機F-8あるいはA-8型を発見して、記念撮影した。:大戦末期の機体の国籍マークは、黒あるいは白一色で簡単化され、目立たない。垂直尾翼のスワスチカは、黒の縁取りのみで飛行標識としては役に立たないであろうが、ナチ党の威光=ドイツ帝国の栄光、の考えから、戦争末期まで省略されることはなかった。
SDASM Archives AL-32 Hatchard Album Photo_00294 Image from an Album (AL-32) which belonged to James Hatchard. The album contains images showing Hatchard's experiences in the Second World War. Hatchard was a liason officer in the 94th Infantry Division.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,AL-32 Hatchard Album Photo_00294引用。


写真(右)1944年末-1945年初頭,上下さかさまになり、降着装置の主輪も外れたドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 戦闘機A-8型(?):森林の縁にある灌木に衝突しているが、コックピットは開放された状態で破損しているので、パイロットが不時着を試みたようだ。
SDASM Archives Focke Wulf FW-190 PictionID:43101561 - Title:Focke Wulf FW-190- Catalog:16_003667 - Filename:16_003667.TIF - - - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,03920001引用。


写真(右)1944年末-1945年初頭,不時着したのか墜落したのか、主翼が折れ胴体後方も大きく破損したドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 戦闘機A-8型(?):ヘルメットを被ったアメリカ軍兵士がのぞき込んでいる。現地遠征した兵士たちが写した写真は、保存状態がよくない者も多いが、戦場の雰囲気をよく伝えている。敵の戦闘機を近くで興味津々に検分しているのであろう。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079317 Manufacturer: Focke-Wulf
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,03920001引用。


ニュルンベルグ国際軍事裁判において、ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は被告人第1号とされ、最も指導的な地位についていた戦争犯罪容疑者と見なされ、当初から注目を浴びた。


6.液冷エンジンに変換したフォッケウルフFw 190戦闘機D型「ドーラ」Dora

写真(右)1944-1945年,アメリカ空軍が鹵獲したドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 戦闘機V-13型:機首のBMW801空冷星形エンジンを、ユモJu213あるいはDB603のような液冷エンジンに変換し、 Fw 190Aの高空性能を画期的に向上させる計画は、当初からあった。Fw 190 V13は、液冷化の最初の試作タイプである。既存のFw 190A-0を改修し、ダイムラー・ベンツDB 603液冷エンジンに変換し、GM1エンジン出力増加装置を搭載して、Fw-190C型戦闘機の原型となった。GM-1は、亜酸化窒素ガスをエンジンに吹き込んで吸気の温度を引き下げてエンジンの過熱・異常燃焼(ノッキング)を防止しながら、エンジンへの燃料吸入を増やして高出力を発揮できるようにするもので、臨時、一時的な措置であるが、緊急出力を向上させることができた。しかし、Fw 190 V13は重量過大となり、燃料・GM1のパイプラインの不具合によって成功しなかった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934648 - Catalog:16_005183 - Title: Focke-Wulf Fw 190V-13 Nowarra photo - Filename:16_005183.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934648引用。


写真(右)1944年末-1945年、ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190D-9戦闘機:国籍識別記号は、戦争末期のシンプルな黒一色。国籍マークは、黒一色のシンプルなもので、大戦末期には、国籍マークもあまり目立たないように、そして資源節約のためシンプルになった。胴体下面のETC501ラックに、300リットル入落下式増加燃料タンクを装備している。工場で生産されたばかりの新しい機体。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934574 - Catalog:16_005177 - Title: Focke-Wulf Fw Fu 190D-9 Pete Bowers photo - Filename:16_005177..TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934574 引用。


高空性能を向上し、高速化するために、フォッケウルフFw-190 A型の空冷14気筒BWW801(1750馬力)エンジンを、12気筒Jumo 213(1776馬力)液冷エンジンに変換したフォッケウルフFw190D-9戦闘機が開発された。

Fw190D-9戦闘機の実戦投入は、1944年夏から、主に西部戦線に配備された。第二次大戦末期のFw-190 D-9型は、A-8型の後継機の意味で「9」から始まっているが、A型が搭載していたBMW801空冷星形エンジンをJumo213液冷倒立エンジンに変換し、最高速度を向上させた。実戦に投入されたのは、1944年夏以降で、液冷エンジンJumo 213の不足から、Fw-190戦闘機A-8型と並行生産するしかない状態で、Fw-190戦闘機D-9型は主力とはならなかった。

⇒Album:ドイツ空軍(Luftwaffe)フォッケウルフFw190D-9戦闘機を見る。



7.液冷エンジンを搭載したフォッケウルフTa 152高高度戦闘機

写真(右)ドイツ空軍第26戦闘航空団(JG26)のフォッケウルフ(Focke-Wuf)Ta-152高高度戦闘機C型:第二次大戦末期に、Fw-190A型戦闘機の空冷エンジンを、過給器つきDB603液冷V型12気筒エンジン2,100馬力に変換した。コクピットは与圧室ではないが、主翼全幅を10.8mから11mに延長し、エンジンをBMW801空冷星形エンジンからダイムラーベンツDB603に変換、高高度性能を大幅に向上したした。従来のFwではなくクルト・タンクKurt Tank)技師の頭文字Taを命名したのは、タンク技師の貢献度合いの評価と政治力の為である。Ta-152H型はユンカースJumo213E液冷エンジンを搭載したので、エアインテークの位置はDB603と反対側にある。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934734 - Catalog:16_005190 - Title:Focke-Wulf TA 152C - Filename:16_005190.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934734 引用。


Ta-152高高度戦闘機C型諸元
全長 10.82 m、全幅 11.00m、全高 3.6m
翼面積 19.50平方メートル
自重量 4,010 kg , 全備重量 4,250 kg
最高速力 730 km/h (10400m)
兵装:30ミリMk108機関砲1門、20ミリMG151/20機関銃4丁。

⇒Album:ドイツ空軍(Luftwaffe)フォッケウルフTa-152高高度戦闘機を見る。


8.現在、復元・展示されているフォッケウルフFw 190A戦闘機

写真(右)2016年、アメリカ、オレゴン州、エバーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-4型以降:機首、主翼に装備されていた機関銃は撤去され、代わりに模型の銃身を装着している。
Description English: A replica FW-190 at Evergreen Date 1 July 2016, 10:30:09 Source Own work Author Articseahorse
写真はWikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190A at RAF Museum Cosford, File:Evergreen FW190 side.jpg引用。


写真(上)2016年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-4型以降:機首、主翼に装備されていた機関銃はみな撤去されている。
Description Focker Wolfe 190A Date 2 November 2013, 13:36 Source Focker Wolfe 190A Author ozz13x
写真はWikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190A at RAF Museum Cosford, File:Focke Wulf Fw 190A (10629675696).jpg引用。


写真(右)2016年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-4型以降:機首、主翼に装備されていた機関銃はみな撤去されている。
Description Focke-Wulf Fw-190 Date 28 June 2016, 14:50 Source Focke-Wulf Fw-190 Author Clemens Vasters from Viersen, Germany, Germany
写真はWikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190A at RAF Museum Cosford, File:Focke Wulf Fw 190A (10629675696).jpg引用。


ニュルンベルグ国際軍事裁判では、犯罪組織(犯罪集団)に所属していると訴追対象となったが、これは、ナチ党指導部、内閣(政府)、親衛隊(SS)、突撃隊(SA)、親衛隊保安本部(ゲシュタポ・SD)、参謀本部・国防軍最高司令部の6組織である。また、ニュルンベルグ国際軍事裁判の事犯としては、ユダヤ人大量殺戮、ホロコーストが未曽有の殺戮と認識され、C級戦犯の「人道に対する罪」として裁かれた。死刑対象者は、1946年10月16日に絞首刑にされ、有期刑対象者はベルリン郊外のシュパンダウ刑務所に収監された。

写真(右)2014年、ドイツ連邦共和国、ニーダーザクセン州ハノーバー・ラッツェン航空博物館(Aviation Museum Hannover-Laatzen)、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190戦闘機A-8型:機首、主翼に装備されている機関銃も搭載されている。手前には、飛行服と救命胴衣を着た当時のパイロットの人形が展示されている。
Description Fw 190 A8, Luftfahrtmuseum Hannover-Laatzen Date 22 September 2014, 14:34 (UTC) Source I (MisterBee1966) created this work entirely by myself. Author MisterBee1966
写真はWikimedia Commons, Category:Aviation Museum Hannover-Laatzen, File:Fw 190 A8 2, Luftfahrtmuseum Hannover-Laatzen.JPG引用。


写真(上)2007年、アメリカ、オレゴン州、スミソニアン国立航空宇宙博物館 スティーブン F. ユードバー ハジーセンター(Steven F. Udvar-Hazy Center)、ドイツ空軍フォッケウルフFW190F-8地上襲撃機:標準的な爆弾搭載量は、胴体下面に500キロ爆弾、主翼下面左右に各々50キロ爆弾2発、合計4発を搭載する。機首、主翼に装備されていた機関銃は撤去され、代わりに模型の重心を装着している。
Description English: Focke Wulf FW190F-8 in the National Air and Space Museum, Steven F. Udvar-Hazy Center, Washington DC.
写真はWikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190 F in the Steven F. Udvar-Hazy Center, File:Focke Wulf FW190-2.jpg引用。


写真(右)2007年、アメリカ、オレゴン州、スミソニアン国立航空宇宙博物館 スティーブン F. ユードバー ハジーセンター(Steven F. Udvar-Hazy Center)、ドイツ空軍フォッケウルフFW190F-8地上襲撃機:標準的な爆弾搭載量は、胴体下面に500キロ爆弾、主翼下面左右に各々50キロ爆弾2発、合計4発を搭載する。機首、主翼に装備されていた機関銃は撤去され、代わりに模型の重心を装着している。
Description English: Focke Wulf FW190F-8 in the National Air and Space Museum, Steven F. Udvar-Hazy Center, Washington DC. The Focke-Wulf Fw 190 W;ürger, was a single-seat, single-engine fighter aircraft of Germany's Luftwaffe. Used extensively during the Second World War, over 20,000 were manufactured, including around 6,000 fighter-bomber models. Its later versions retained qualitative parity with Allied fighter aircraft, but Germany was not able to produce the aircraft in enough numbers to affect the outcome of the war. Compared to the Bf 109, the Fw 190 was a "workhorse", employed in and proved suitable for a wide variety of roles, including air superiority fighter, ground attack, fighter-bomber, long-range bomber escort, and night fighter.
Date July 2007 Source Own work Author Ad Meskens, zie ook:vliegtuigen
写真はWikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190 F in the Steven F. Udvar-Hazy Center, File:Focke Wulf FW190-2.jpg引用。


Trop型とは熱帯仕様の略称で、空中や飛行場では砂塵が舞い上がっているが、航空機が砂塵をエンジン過給機の空気取入れ口から吸い込んでしまうと、エンジン内部の故障、不調の原因になる。そこで、飛行場や低空で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着、その円筒側面から空気を取り入れた。ただし、高空では砂塵の心配はなく、エンジンの全力可動のためには、エアインテークの正面から空気を取り込むほうが都合がよい。そのために、インテーク前面は、開閉式となっていた。低空では閉鎖し、フィルター円筒の側面から吸気し、高空ではインテーク正面の取入れ口から空気を取り込むのである。


Original Fw-190A-5 - BMW-801 - Only Flying Original in the world:飛行可能なフォッケウルフFw-190A-5戦闘機


FW-190 and BF-110 FIGHTER KILLS GUN CAMERA FILMS 1944 :フォッケウルフFw-190戦闘機による西側連合軍爆撃機撃墜



ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
ソ連赤軍T-34戦車

VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
アンネの日記とユダヤ人
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機

◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
2018年3月12日開設の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
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