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◆アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車の北アフリカ戦 写真(上):1942年6月、アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地で演習中のM3リー/グラント中戦車:1941年末までは、ドイツ軍の戦車よりも,重装甲,強力な戦車砲を装備,大出力ガソリンエンジンを搭載した強力な戦車だった。M3中戦車は,75mm砲1門,37mm砲1門装備,重量30トン,340馬力ガソリンエンジン装備,乗員6名。後継戦車のM4シャーマン戦車は、M3グラント戦車と同じ車体をベースに開発された。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35219 (digital file from original transparency) LC-USW361-184 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-184 [P&P]
写真はLibrary of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


1.アメリカ陸軍 M2A4 Stuart ( Honey )スチュアート(ハニー) 軽戦車―M3Aスチュアート軽戦車の原型

写真(右)1942年3月11日、アメリカ製M2A4 Stuart ( Honey ) 軽戦車light tank: 全長4.43 m、全幅2.47 m、全高2.65 m、重量11.6 t。 最高時速58 km/h、航続距離113 km、兵装37 mm M5戦車砲(砲弾搭載数103発)、加えて車体前面の車載機銃を3丁装備している。主砲の脇と砲塔上面にも車載機銃を装備しているので、合計M1919A4 7.62 mm 機銃5丁(8,470発)もある。
Catalogue number: MH 9293, Part of FIGHTING VEHICLE ESTABLISHMENT CHOBHAM, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: M2A4 Stuart ( Honey ) light tank.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (MH 9293)


1936年に開発さ、試作されたT2E1軽戦車が M2A1スチュアート軽戦車として制式になった。T2E1軽戦車は、サスペンションに(垂直コイルスプリング)方式を採用し、たんじゅんで故障しにくい構造としたが、これは後のアメリカの中戦車に継承されることになる。装甲は溶接ではなく、リベットで装着している。砲塔は動力式でなく人力旋回方式だった。

写真(右)1942年3月11日、イギリス軍のM2A4スチュアート Stuart ( Honey )ハニー 軽戦車light tank: 全長4.43 m、全幅2.47 m、全高2.65 m、重量11.6 t。 最高時速58 km/h、航続距離113 km、兵装37 mm M5戦車砲(砲弾搭載数103発)、加えて車体前面の車載機銃を3丁装備している。主砲の脇と砲塔上面にも車載機銃を装備しているので、合計M1919A4 7.62 mm 機銃5丁(8,470発)もある。
Catalogue number: H 17816, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creator: War Office official photographer Spender (Lt), Object category: M2A4 Light Tank, 11 March 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17816)


M2A4スチュアート Stuart ( Honey )ハニー 軽戦車は、ソ連赤軍の開発した BT-5快速戦車、T-26軽戦車と同時代の戦車で、相互に影響しているために形状が類似している。

1939年9月1日,ドイツ軍はポーランドに侵攻し,9月3日,英仏がドイツに宣戦布告して第二次大戦が始まった。9月17日,ソ連軍は,ポーランドを保障占領するとして,ポーランド東部に武力進駐した。ソビエト連邦は,1939年8月23日、ドイツと独ソ不可侵条約秘密議定書に基づいてポーランドに進駐し、ドイツをポーランドと分割した。

独ソ不可侵条約THE NAZI-SOVIET NONAGRESSION PACT は,
?相互に相手の領土の不可侵,
?一方が第三国と交戦した場合、他方はこの第三国を援助しない
?相互間の紛争の平和的解決
を骨子とした,期限10年の条約である。

つまり、第二次大戦勃発直前、独ソ不可侵条約によって、ドイツとソ連は、東欧・バルト三国の勢力圏を策定したのである。ソ連はバルト三国とフィンランドへの優位を認めさせ、バルト三国に対して軍事力を背景に、赤軍の進駐を認めさせ、併合した。さらに、ソ連はフィンランドにカレリア地峡Karelian Isthmusの割譲を要求した。レニングラード近郊カレリア地峡で、フィンランドの国境を30km後退させること要求したのであるが、1939年9月、フィンランドは,このソ連からの領土要求を拒否した。

ソ連はフィンランドからの攻撃を口実に、1939年11月30日、対フィンランド宣戦を布告し、「冬戦争」が始まった。1938年のミュンヘン協定で、イギリス、フランスがドイツとの対決に躊躇している状況で、1939年になるとドイツは、チェコ全土を占領した。そして、9月にはポーランドに侵攻したが、両国はドイツ領内に軍を進めて対決することをしないまま、戦争は「座り込み」状態だった。

 そこで、ソ連は周辺国に侵略を始めても、イギリス、フランスと軍事的対立までは至らないと考えたようだった。こうして、1939年11月30日、フィンランド冬戦争をソ連は始めたが、1939年12月14日、国際連盟League of Nationsから除名された。

 このように、ソ連のポーランド進駐、フィンランド侵略にもかかわらず、
?イギリスもフランスも、ソ連と国境を接していない、
?ソ連はドイツの軍事力を引き付けておく外交手段として活用できる、
と考え、対ソ宣戦布告することはなかった。


ソ連赤軍のT-26戦車は,1930年代前半に開発され,BT快速戦車と同じような大型砲塔を備えていた。兵装は,長砲身37ミリ砲を装備し,重量9トン,8000台量産された。

1936年のスペイン内戦,1939年9月17日のポーランド武力進駐,1939年11月30日から1940年3月13日までのフィンランド冬戦争,1941年6月22日の独ソ戦開戦の時,ソ連の主力戦車だった。しかし、T-26戦車は,装甲が薄いために,対戦車戦闘能力は低かった。フィンランド冬戦争で,フィンランド軍は多数のT-26戦車を鹵獲,自軍の主力戦車とした。

T-26戦車諸元
全長 4.9メートル,全幅 3.4メートル,車高 2.4メートル,全備重量 9.4トン
最高速度 時速28キロ,航続距離175キロ
兵装: 45ミリM32 戦車砲(発射速度15-20 rpm、初速760 m/s 、射程4.4 km),7.62ミリ機銃1丁
砲塔前面装甲25ミリ,砲塔側面15ミリ,車体15ミリ
エンジン 90 馬力(66キロワット)ガソリン駆動
乗員 3 人

ソ連赤軍は,もとは帝政ロシアに反旗を翻した共産党が指導する革命軍であり、1930年代には共産党書記長(首相に相当)ヨシフ・スターリンソ連赤軍の近代化を推し進めた。

 1930年初頭,イギリスのビッカース6トン戦車を輸入し,これをベースにした戦車を開発した。これが,T-26戦車で,歩兵に随伴する歩兵戦車だった。

 1936-1937年,スペイン内戦に際して,ソ連は共和国側に軍事援助を行った。ソ連軍のT-26軽戦車も派遣された。

 他方、スペイン内戦には、ドイツ軍がI号戦車,イタリア軍がL3戦車を派遣した。しかし、これらのファシスト軍の戦車より、ソビエトの戦車のほうが装甲と攻撃力に優れていた。

1938年の朝鮮と満州を隔てる豆満江河口上流で張鼓峰事件(日本の朝鮮軍第19師団とソ連軍の戦い),1939年のモンゴル・満州国境のノモンハン事件に際しては,T-26戦車が投入され,日本軍を攻撃した。




2.アメリカ陸軍 M3A スチュアート Stuart 軽戦車―終戦まで使われた偵察戦車

写真(右)1942年6日,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3Aスチュアート軽戦車:M3A 軽戦車は,重量32,400 lb (14.7トン)、全長14 ft 2.4 in (4.33 m)、全幅8 ft 1.2 in (2.47 m)、高さ7 ft 6 in (2.29 m)、乗員4人。
装甲13–51 mm、主砲37 mm M6、装弾数176発、0.30インチ-06 Browning M1919A4 MG 7,500発、エンジンContinental W-670-9A, 250馬力 (190 kW)。
Title: Light tanks, Fort Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35208 (digital file from original transparency) LC-USW361-173 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-173 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3Aスチュアート軽戦車:水壕を超える訓練をするM3A軽戦車。
Title: Light tank going through water obstacle, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35194 (digital file from original transparency) LC-USW361-154 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-154
写真はLibrary of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


M2軽戦車を若干大型化し、装甲を増強し防御力を向上させたのが、M3軽戦車である。アメリカ戦車の特徴として、車内空間が他国の戦車と比較して広く、居住性はよく、自動車生産を参考にしていたため、量産性も優れていた。

M3Aスチュアート軽戦車の主砲は37ミリM3対戦車砲を戦車用に改修した37ミリM6戦車砲で当時は有力な対戦車砲だった。 

 M3Aスチュアート軽戦車が搭載した機関は1934年に飛行機用に開発されたコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル230馬力)、あるいは星型空冷ディーゼルエンジンGuiberson Diesel T-1020 9気筒250馬力だった。スチュアート戦車は12.7トンの重量であるから、出力が大きいエンジンを搭載したことで、整地であれば最高速度(時速) 35マイル(58キロ)の高速で起動できた。航続距離 110kmだった。

1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3Aスチュアート軽戦車の車体前方についている操縦者ハッチ:搭乗員のための車内空間は狭く,砲塔も搭載した戦車も小さいので,重量は軽く、機動性がよい軽戦車だった。
Title: Light tank, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35213 (digital file from original transparency) LC-USW361-178 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-178 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


第二次大戦開戦当初、アメリカ陸軍が採用していた主力戦車はM3A軽戦車だった。1936年に始まったスペイン内戦時期に内戦に派遣されていたドイツ・イタリア・ソビエト製戦車と比較検討しながら、アメリカ陸軍は,M2軽戦車を完成させた。長砲身の37ミリ戦車砲を装備して、対戦車攻撃力をつけ、装甲も1.5インチ(38ミリ)と当時としては強力だった。

写真(右)1942年、ビルマ、第7女王直属軽騎兵隊所属のM3A スチュアートStuart軽戦車:砲塔には37ミリM3対戦車砲を戦車用に改修した37ミリM6戦車砲(砲弾搭載数103発)を搭載し、車体前面の車載機銃も装備している。砲塔や車体の側面に記される白い星の記章はペイントされていない。
Catalogue number: KF 286, Part of BRITISH FORCES IN BURMA, MALAYA AND HONG KONG, 1941 - 1942, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: An M3 Stuart tank of 7th Queen's Own Hussars in Burma, 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (KF 286)


写真(右)1941年8月17日、エジプトに到着したばかりの真新しいアメリカ製M3AスチュアートStuart軽戦車のサスペンションを点検するイギリス軍王室戦車連隊の兵士たち
Catalogue number: E 3443E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J, Object description: Men of the Royal Tank Regiment examining the tracks and suspension of the new American M3 Stuart tank at a training depot in Egypt, 17 August 1941.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3443E)


M2A軽戦車の後継としてM3A軽戦車として制式されたのは、1940年7月で、生産は、1941年3月から始まった。初期型のリベット接合砲塔は、すぐに溶接砲塔に改良され、後期型は、車体も溶接生産された。

写真(右)1941年8月17日、エジプトで、駐エジプト・アメリカ大使ワルター・カーク氏の検閲を受ける到着したばかりの真新しいアメリカ製M3A スチュアートStuart軽戦車:これはイギリス軍王室戦車連隊に配備された戦車。
Catalogue number: E 3450E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J, Object description: Men of the Royal Tank Regiment, training on the new American M3 Stuart tank, being inspected by Mr Kirk, American Minister to Egypt, 17 August 1941.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3450E)


 1940年7月制式のM3A スチュアート軽戦車は、1941年3月から量産されたが、初めての実戦投入は、北アフリカ、エジプトをドイツ軍・イタリア軍から防衛していたイギリス軍に対してである。

 1941年にエジプトに到着した真新しいアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車は、1941年8月17日に、1944年9月まで在エジプト・アメリカ大使だったアレクサンダー・カーク(Alexander Kirk)氏の検閲を受けている。

写真(右)1941年8月17日、エジプト、戦車訓練所でイギリス軍の王室戦車連隊の(RTR:Royal Tank Regiment)将兵が真新しいアメリカ製M3A スチュアートStuart軽戦車の説明を受けている。砲塔上部に大型の司令塔ハッチがあるので初期生産型である。手前と後方にあるのはイギリス製マチルダ戦車。
Catalogue number: E 3438E, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J  Object description: RTR tank crews being introduced to the new American M3 Stuart tank at a training depot in Egypt, 17 August 1941. Note the Matilda in the background.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3438E)


 アメリカが武器貸与法(Lend Lease Act)によって当初供給した戦車には、M3A スチュアート軽戦車、M3リー/グラント中戦車がある。これらの戦車の中には、ドイツ軍の攻勢を受けたエジプト、スエズ運河の危機に応じて、急遽、アメリカから直接エジプトに運ばれた車両があったのかもしれない。そうであれば、イギリス軍兵は、このM3スチュアート軽戦車、M3リー/グラント中戦車を初めて扱うことになり、訓練が必要不可欠であったろう。

写真(右)1941年8月19日、エジプト北部、揚陸されたイギリス軍向けのM3A スチュアートStuart軽戦車の試運転:重量 13.7トン、全長 4.53m、 装甲:車体前面38ミリ、防楯51ミリ、側面・後面25ミリ、53.5口径37ミリM6戦車砲(砲弾搭載数147発)、最高速度 58km/h(整地)、航続距離 110km、 生産数 1万2,574輌。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: New New American M3 Stuart tanks on test, 19 August 1941. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17828)


 スタンダード石油は、アメリカの世界最大の石油会社であるが、会長ティーグルはアメリカン・イー・ゲー(戦時中は GAF)の取締役だった。IGファルベン(イー・ゲー・ファルベン)は、ドイツ有数のメーカーで、第二次大戦勃発後も、スタンダード石油と取引し、協調関係にあった。スタンダード石油は系列会社を通じて、テトラエチレン鉛(アンチ-ノッキング剤)や合成ゴムをドイツに供給していた。

写真(右)1941年8月28日、エジプト、イギリス軍第8王室アイリッシュ騎兵隊所属、真新しいアメリカ製M3A スチュアートStuart軽戦車の隊列
Catalogue number: E 3467E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J, Object description: 8th King's Royal Irish Hussars training with their new Stuart tanks, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3467E)


写真(右)1941年8月28日、エジプト、イギリス軍第8王室アイリッシュ騎兵隊所属、真新しいアメリカ製M3A スチュアートStuart軽戦車の隊列
Catalogue number: E 3469E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J, Object description: 8th King's Royal Irish Hussars training with their new Stuart tanks, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3469E)


写真(右)1941年8月28日、エジプト、西砂漠でイギリス軍第8王室アイリッシュ騎兵隊が真新しいアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車を試している。
Catalogue number: E 5062, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Palmer F E (Lieut), Object description: The 8th Hussars testing their new American M3 Stuart tanks in the Western Desert, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 5062)


M3 スチュアート軽戦車
37ミリ砲を搭載した砲塔には、リベット接合式と溶接式との2種類があった。この砲塔上面には戦車長用の司令塔(キューポラ)があった。砲塔は手動旋回。エンジンにも、コンチネンタル社W-670-9A星型7気筒空冷ガソリンエンジン(出力262 hp)とギバースン社 T-1020-4 星型9気筒空冷ディーゼルエンジン(出力245 hp)の2種類があった。1942年3月から量産され、1943年2月までに、ガソリン型「スチュアートIII」4,410輌、ディーゼル型「スチュアートIV」211輌が生産された。

写真(右)1941年8月28日、エジプト、西砂漠でイギリス軍第8王室アイリッシュ騎兵隊が真新しいアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車を試している。右の乗員は、狭い車内でも支障が起きないようにオーバーオールのつなぎ服と皮革製クッション付きヘルメットを着用している。戦車長が砲塔上で、手旗信号による式訓練をしているのであろうか。ブローニング車載機銃には、防塵用のカバーが掛けてある。
Catalogue number: E 5086, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Palmer F E (Lieut), Object description: The 8th Hussars testing their new American M3 Stuart tanks in the Western Desert, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 5086)


M3 A1スチュアートStuart軽戦車
重量: 12,600 kg
エンジン出力 262 h.p
最高時速: 56.98 km/h
登攀最高傾斜:31度、最高横傾斜:25度
渡河可能水深:0.91m
超壕能力:1.83m
登攀可能障害高:0.61m
車体装甲:前面38ミリ/側面・後面25ミリ、上面12.7ミリ
砲塔装甲:前面50.8 ミリ、側面・後面31.8ミリ、上面12.7ミリ
37 mm Gun M6 (搭載砲弾数106発)
7.62 mmブローニングM1919A4機銃 (搭載銃弾数6,200発)
1942年4月より生産開始、1943年2月までに4,621輌を量産。

写真(右)1941年8月28日、エジプト、西砂漠でイギリス軍第8王室アイリッシュ騎兵隊が真新しいアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車を高速走行させている。
Catalogue number: E 5065, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Palmer F E (Lieut), Object description: The 8th Hussars testing their new American M3 Stuart tanks in the Western Desert, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 5065)


 イギリス軍は、アメリカ軍のブローニング.30口径7.62ミリM1919機銃M1919 Browning)の銃弾を自国仕様の0.303口径7.69ミリに合わせた型を輸入し、イギリス軍の歩兵だけでなく、M3スチュアート軽戦車や装甲車の車載機銃として、飛行機の固定機銃あるいは旋回機銃として広く使用した。

写真(右)1941年8月28日、エジプトに到着したばかりの第8王室アイリッシュ騎兵隊所属の、真新しいアメリカ製M3 AスチュアートStuart軽戦車司令塔に装備されたブローニング7.69ミリM1919車載機銃
Catalogue number: E 3476E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J, Object description: A member of the 8th King's Royal Irish Hussars mans the turret-mounted .30-inch machine gun on one of the regiment's new Stuart tanks, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3476E)


ブローニング.30口径7.62ミリM1919機銃M1919 Browning)は、アメリカのブローニング社が開発した水冷式のブローニング.30口径7.62ミリM1917機銃M1917 Browning)を放熱筒を使った空冷式に換えた重機関銃で、ブローニング.50口径12.7ミリM2重機関銃 M2 Browning)と同じく、世界中で使用された。

ブローニングM1919A4機銃の諸元
全長1,219mm 重量14kg(M1919A4)
発射速度:400-600発/分、初速:853.6m/秒、有効射程距離:1,370m

写真(右)1941年9月19日、エジプトのアレキサンドリア港に揚陸されるイギリス軍向けM3 AスチュアートStuart軽戦車:戦争への積み下ろしに便利なように、砲塔を後ろ向きに固定し、砲身突出部を車外に出さないように配慮している。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit, Palmer F E (Lieut), Object description: An American M3 Stuart tank being hoisted from a ship onto the quayside at Alexandria, 19 July 1941. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17828)


M3Aスチュアート軽戦車は、重量 13.7トン、全長 4.53m、 装甲:車体前面38ミリ、防楯51ミリ、側面・後面25ミリ、53.5口径37ミリM6戦車砲(砲弾搭載数103発)で、1941年に生産、部隊配備が始まった。当初は、ドイツ軍や日本軍の戦車と対等以上の強力な戦車だった。

 搭載した発動機は、1934年開発の航空機用空冷星形エンジンを改修したコンチネンタル社W-670-9A空冷星形ガソリンエンジンで250馬力 (190 kW)だったが、少数ながらギバースン社T-1020-4空冷ディーゼルエンジンを搭載した型もある。

写真(右)1941年12月10日、北アフリカ、西砂漠、戦車修理所で修理している最中のイギリス軍M3 AスチュアートStuart軽戦車
:Catalogue number: E 7008, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Cash (Lieut),  Object description: A Stuart tank undergoing repairs at a tank repair depot in the Western Desert, 10 December 1941. 写真は
イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 7008)

 ドイツ軍の場合、1944年の戦車大隊補給中隊には車両・武器整備班、戦車連隊には修理中隊があった。1944年の装甲師団の修理中隊は2個整備小隊、回収班、装備班、無線修理班、予備部品班から成っていた。現場の応急修理ができないほどの損傷を受けた車両は、軍車両廠に後送される。

写真(右)1941年12月15日、北アフリカ、トブルク近郊で破壊されたイギリス軍第7装甲師団第8騎兵隊所属のM3 AスチュアートStuart軽戦車
:車体側面のキャタピラ多いが破壊されている。車体前面の操縦者用ハッチも、砲塔上面の司令塔ハッチも開放されている。司令塔ハッチには、車載機関銃が装備されているが、大きな損傷は見えない。
Catalogue number: E 7044, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit,  Object description: 'Bellman', an M3 Stuart tank of 8th Hussars, 7th Armoured Division, knocked out near Tobruk, 15 December 1941. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 7044)


  1940 年12 月末に、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトFDR)は、「国の安全に関する炉辺談話」と称して、アメリカは民主主義の兵器廠(Arsenal of Democracy)となる」とイギリスへの武器貸与の方針を表明した。

1941年3月 11日に制定された武器貸与法Lend-Lease)にのっとって、アメリカはイギリスに飛行機・戦車から燃料・被服まで大量の軍事物資を貸与した。M3A軽戦車「スチュアート」は1942年8月までにアメリカで5800輌生産され、武器貸与法に基づいて、北アフリカ戦線で戦うイギリス陸軍に大量に供給されている。

写真(右)1941年12月、北アフリカ、エジプト、操縦席のハッチを開けて外を見ているイギリス第8軍第7装甲師団「砂漠の鼠」のM3 AスチュアートStuart軽戦車戦車兵:スチュアートStuart軽戦車は、第二次世界大戦前にアメリカが開発したM2軽戦車を改修し、16ミリの軽装甲の車体を38.1 ミリ(1.5インチ)まで強化し、1944年まで量産された軽戦車で、小型ではあったが、居住性は悪くないようだ。
Catalogue number: E 7284, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Clayton (Lieut), Object description: An RTR crewman in the driving position of an M3 Stuart tank at a training depot in Egypt, 17 August 1941.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 7284)


1941年2月、エルヴィン・ロンメル大将隷下、ドイツアフリカ軍団が編成されて、イタリア領リビアに派遣された。4月、アフリカ軍団はイギリス軍を駆逐してベンガジを奪回し、トブルクを包囲した。しかし、トブルクを陥落させることはできず、イギリス軍は港湾都市トブルクを固守していた。1942年5月、アドイツ・アフリカ軍団は、ガザラに防衛線を築いたイギリス軍を攻撃し、6月21日にはトブルクを陥落させた。


写真(右)1942年3月2日、北アフリカ、エジプト、アッバシア近郊、新たに支給された真新しいイギリス軍王室装甲軍団アメリカ製M3 AスチュアートStuart軽戦車(手前2両目)とイギリス製バレンタイン歩兵戦車(一番手前)とクルーセーダー巡航戦車(奥)
: バレンタイン歩兵戦車は、1939年4月に設計され、1940年5月には施策が完成した。ダンケルク敗走の時期だったため、イギリス本土防衛のためにすぐにバレンタイン歩兵戦車と命名され量産が開始された。1944年4月まで、ヴィッカース社を初めイギリスで6,855輌、カナダでも1,420輌が量産された。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War、 Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Gladstone (Sgt)、 Alternative Names: object category: Newly-arrived Royal Armoured Corps troops working on a variety of tank types at a training camp near Abbasia in Egypt, 2 March 1943. In the foreground are a Valentine and Stuart tank, with Crusaders and more Valentines behind. On the right is a Covenanter tank, perhaps the only example of its kind to have arrived in North Africa.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17828)


バレンタイン歩兵戦車の諸元
全長:5.4 m、全幅:2.6 m、全高:2.2 m
最大装甲厚:65mm
重量:17 t
最高時速:15 km/h(整地)、8 km/h(不整地)
主砲はMk.I-VII:50口径2ポンド戦車砲(砲弾搭載数60発)、ただし、Mk.VII-X:6ポンド砲

写真(右)1942年3月29日、北アフリカ、補給を受けた缶詰を配備されたばかり:真新しいM3 AスチュアートStuart軽戦車の車体前方上面に置いているイギリス軍兵士: アメリカでは、1861年の南北戦争以来、ブリキ缶の食糧缶詰が普及したが、第一次大戦の頃には世界の軍隊が缶詰食品を広く採用していた。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: Crewmen loading supplies of tinned food into their newly-delivered Stuart tank, 29 March 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17828)


1804年、フランスのナポレオンは、戦争に従事する前線の兵sの食糧問題に対処するために、食糧を新鮮に保存できるような発明に懸賞金をかけた。この懸賞で表彰されたのが、フランス人ニコラ・アペールの発明になるガラスの瓶詰だった。その後、割れやすいガラスに変わって、ブリキ缶に入れた缶詰が1810年にイギリスでピーター・デュラントにより開発された。そして、アメリカの南北戦争では、ブリキ缶の食糧缶詰が戦争に使用され、第一次大戦の頃には世界の軍隊に広く普及した。

写真(右)1942年3月29日、イギリス軍のM3AスチュアートStuart軽戦車の乗員が監軍検閲を受けている。
Catalogue number: E 9900, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Sheridan (Sgt), Hansbury (Sgt),  Object description: Stuart tanks and crews lined up for inspection, 29 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (E 9900)引用。


 「監軍」は、軍事監察の官で前漢の武帝が監軍使者を設けていたが、後漢も武帝に倣った。監軍とは、軍師あるいは軍司が当る職で、大尉軍司が重んじられた。日本では慶長2年(1597年)に始まった慶長の役で、毛利秀元と共に監軍として渡海する。陸軍では、参謀本部の監軍本部条例で「監軍」と称する高級将校による検閲があったが、これは軍隊の教育・軍紀・風紀などの監視指導を企図している。

写真(右)1942年3月25日、イラク、バグダッド、二人のイギリスインド軍偽装部隊、ターバンを巻いたシークの兵士とダミーのM3AスチュアートStuart軽戦車
Catalogue number: E 9697, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit D'Eyncourt (Capt), Object description: Two Sikh members of an Indian camouflage unit in Baghdad, with a dummy Stuart tank mounted on a car chassis, 25 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 9697)引用。


 敵の航空機や地上偵察部隊・斥候の目から味方の兵力を隠すことを偽装というが、敵に偽物・ダミーの兵器や施設を見せて、そこに兵力を集結している、あるいは後方に大量の補給物資な軍備されていると見せかけることもある。北アフリカ戦線では、ドイツ軍もイギリス軍もこのようなダミーの兵力を準備して、本当の時刻兵力の集結地点を偽ったり、自国の少ない補給を多く見せかけたりする偽装作戦を仕掛けていた。

写真(右)1942年4月3日、エジプト北部、イギリス軍が設置しているダミーのM3AスチュアートStuart軽戦車:木製合板にペイントで車輪を描いているようだ。軽量なため、数人で組み立て設置することができる。主砲37ミリ砲の偽砲だけでなく、車載機銃のダミーも拵えている。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Groom (Sgt), Object description: A dummy Stuart tank being assembled in the Western Desert, 3 April 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 17828)引用。


 ダミーのM3 スチュアートStuart軽戦車の写真を見ると、キャタピラ部分は木製合板にペイントで車輪を描いているようだ。軽量なため、数人で組み立て設置することができる。主砲37ミリ砲の偽砲を備えているのは当然だが、手間のかかりそうな砲塔上の対空用車載機銃のダミーも拵えている。

  写真(右)1942年4月3日、エジプト北部、イギリス軍が軽々と移動しているのはダミーのM3AスチュアートStuart軽戦車:木製合板にペイントで車輪を描いているようだが、軽量なため、数人で組み立て設置することができる。戦車が集結しているように見せかけ陽動攻撃を仕掛けると敵のドイツ軍、イタリア軍に錯覚させることもできる。
Catalogue number: E 10147, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Groom (Sgt), Object description: Troops carrying a dummy Stuart tank, 3 April 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (E 10147)引用。


写真(右)1942年4月28日、北アフリカ、イギリス軍第4装甲旅団第5王室戦車連隊のM3AスチュアートStuart軽戦車を撮影するイギリス軍の写真撮影班。:戦車長が砲塔の司令塔ハッチを開けてポーズをとっており、操縦手も操縦室のハッチを全開にして中の様子を見せているところを、手前のカメラマンが撮影している。
Catalogue number: E 11074, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Vanderson (Lieut), Murray (Lieut), Smith (Lieut), Object description: An official photographer takes shots of a Stuart tank of 5th Royal Tank Regiment, 4th Armoured Brigade, 28 April 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 11074)


写真(右)1942年4月-5月(?)、北アフリカ、破壊されたイギリス軍のアメリカ製M3スチュアートStuart軽戦車:オリジナル解説には、アフリカ軍団のPK(宣伝中隊)が1941年4月-5月に撮影あるが、この時期では完成したばかりのスチュアート戦車は、北アフリカには配備が完了していなかったと思われる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-783-0107-14A Archive title: Nordafrika.- von englischen Truppen eingesetzter amerikanischer Panzer M3 "Stuart"; PK "Afrika" Dating: 1941 April - Mai Photographer: Dorsen.
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) およびBundesarchiv> Picture database >Bild 101I-783-0107-14A引用


写真(右)1942年4月、北アフリカ、破壊されたイギリス軍のM3スチュアートStuart軽戦車を検分するドイツ・アフリカ軍団指揮官エルヴィン・ロンメル元帥(自動車車内で立っている)と幹部たち:破壊されたスチュアート戦車の砲塔には「HQ」とありHead Quarters(司令部)所属の偵察用の戦車かもしれない。車体後方下面に、機関点検用の観音開きの扉があいている。砲塔の司令塔ハッチの後端に、車載機銃も備えてある。
Catalogue number: MH 5875, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: German official photographer, Object description: Field Marshal Erwin Rommel and staff officers inspecting a knocked-out British M3 Stuart tank in the desert, April 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (MH 5875)


写真(右)1942年6月1日、北アフリカ、西砂漠、イギリス軍のM3AスチュアートStuart軽戦車が撃破されたドイツ軍III号戦車(PzKpfw III)を遮蔽物にしている。
Catalogue number: E 13537, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Photographic Unit Berman (Sgt), Travis (Sgt), Morris G (Sgt), Murray (Lieut),  Creator: The commander of a Stuart tank uses a knocked-out PzKpfw III tank as cover while observing the enemy, 1 June 1942.  写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 13537)


M3 スチュアートStuart 軽戦車は、重量14.7トン、全長 4.53m 装甲13-51ミリ、(0.52-2 インチ)、53.5口径37ミリ(1.45インチ) M5/M6戦車砲。1934年に飛行機用に開発されたコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル250馬力)あるいは星型空冷ディーゼルエンジンGuiberson Diesel T-1020 (9気筒250馬力)を搭載、最高速度 58km/h(36 mph)、航続距離 120km(74.5 mi)、 生産数 1万3,860輌。

写真(右)1942年6月18日、北アフリカ、西砂漠、イギリス軍の王室戦車連隊のM3AスチュアートStuart軽戦車がダイムラー偵察車から命令を受けている。:灼熱の太陽に照り付けられ、鉄板に囲まれた車内は高温で過ごしにくい。しかし、強い紫外線のために乗員たち長袖を着ている。
Catalogue number: E 13537, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Flack (Sgt), Ackland A W (Sgt),  Object description: An officer of the Royal Tank Regiment gives orders from his Daimler scout car to the commander of a Stuart tank in the Western Desert, 18 June 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 13537)


 1942年8月、イギリス軍はエル・アラメインの防衛線でエジプトを防衛するために、イギリス第8軍の指揮官にバーナード・モントゴメリー大将を任命した。イギリス軍は、アメリカの武器貸与法による戦車、航空機、燃料の補給を受けて戦力を拡充し、1942年10月23日からドイツ軍に攻勢をかけた。11月には、枢軸軍をリビアにまで撤退させたのである。

写真(右)1942年9月6日、北アフリカ、逆光の中にシルエットが美しいイギリス軍M3AスチュアートStuart軽戦車:砲塔の後方にブローニングM1919重機関銃を据え付け、車体後上面の乗員が空に向けて機銃を構えている。この戦車は、車体の前方にも後方にも荷物を積載している。
Catalogue number: E 16455, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Flack (Sgt), Ackland A W (Sgt),  Object description: A Stuart tank is silhouetted against the setting sun as its commander scans the horizon, 6 September 1942. Label: The commander of a British Stuart tank scans the horizon, silhouetted against the setting sun, 6 September 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 16455)


写真(右)1942年9月6日、北アフリカ、チュニジア、M3スチュアートStuart軽戦車改造の指揮車の傍らで話すイギリス軍近衛擲弾兵のクライブ中佐と第2軍団指揮官モントゴメリー大将:砲塔を撤去して軽量化し、車体上面に車載対空用機関銃を据え付けた。軽量になった分だけ機動力を向上している。この指揮車に搭乗しているのは、第2軍団指揮官のバーナード・モントゴメリー大将。
Catalogue number: NA 1168, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 2 Army Film & Photographic Unit Lansdown (Sgt),  Object description: General Montgomery with Lt-Col A C Clive of the Grenadier Guards in a turretless Stuart command tank, 8 March 1943. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (NA 1168)


 1942年11月8日、西側連合国軍はトーチ作戦によりモロッコ、アルジェリアのオラン、アルジェに地上軍を揚陸し、西から北アフリカの枢軸軍を攻撃し、東のエジプト方面からの攻撃と連携して、枢軸軍を挟撃した。
 エジプトのエル・アラメインでイギリス第2軍団は、ドイツアフリカ軍団を中核とする枢軸軍を撃破し、1942年11月12日にトブルクを再占領し、枢軸軍は12月にはチュニジアに撤退した。

写真(右)1942年11月5日、北アフリカ、M3AスチュアートStuart軽戦車が破壊されたドイツ陸軍III号戦車PzKpfw III 傍らを通過する。砲塔の後方半分が吹き飛ばされたドイツ軍のIII号戦車PzKpfw III を遮蔽物に利用してイギリス軍兵士が砲兵隊との連絡を取っている。
Catalogue number: E 19014, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Martin (Sgt),  Object description: A Stuart tank passes by a knocked out German PzKpfw III tank which is being used as a shelter for an artillery listening post, 5 November 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 19014)


 1942年11月8日、西側連合軍は、トーチ作戦Operation Torch)に基づいて、モロッコとアルジェリアに上陸し、1943年初頭、には北アフリカのドイツ軍をチュニジアに退却させた。1943年 1月14日から10日間、連合国首脳はモロッコでカサブランカ会談Casablanca Conference)を開いて、枢軸国に対する無条件降伏の要求を基本方針とした。

  1943年5月13日、西側連合軍は、チュニジアTunisia)の枢軸国軍25万人を降伏させ、ドイツ軍、イタリア軍は北アフリカから完全に駆逐された。

写真(右)1943年5月6日、北アフリカ、チュニジア、ドイツ軍捕虜を護送するイギリス軍のアメリカ製M3AスチュアートStuart軽戦車:これから1週間後の1943年5月13日、チュニジアの枢軸国軍が連合国軍に降伏し、ドイツ軍、タリア軍は北アフリカから完全に駆逐されることになった。
Catalogue number: NA 2514, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 2 Army Film & Photographic Unit Keating, Geoffrey (Major),
Object description: German troops surrender to the crew of a Stuart tank near Frendj, 6 May 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (NA 2514)


 1943年7月10日、アメリカ軍とイギリス軍は、イタリア南部、シチリア島に上陸した。この時、アメリカ軍のドワイト・D・アイゼンハワー中将とともに、イギリス軍のバーナード・モントゴメリーBernard Law Montgomery)大将は、1943年7月、イタリア、シチリア島進攻、ハスキー作戦Operation Husky)に参加した。連合軍は、8月中旬までシチリアを支配、解放した。

  M3A軽戦車は、1934年に飛行機用に開発されたコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル230馬力)あるいはGuiberson Diesel T-1020 空冷エンジン(9気筒250馬力)を搭載し最高時速36マイル(55キロ)の機動性の高い戦車で、太平洋戦争開始以前に、フィリピンのアメリカ軍にも配備されていた。

1942年のフィリピン戦では、日本軍もアメリカ軍も、戦車を集団的に使用することはなかったため、戦車決戦は起らなかったが、ルソン島バターン半島に撤退して抵抗を続けるアメリカ軍に日本軍は苦戦した。最終的に、フィリピンのアメリカ軍は降伏することになるが、日本軍は、捕虜とともに残存するM3軽戦車を捕獲し、自軍に配備した。一部のM3軽戦車は、ビルマ戦線に運ばれ、そこで使用されている。

写真(右)1944年6月7日、北フランス、ノルマンディーのゴールドビーチに上陸したイギリス軍第7装甲師団第22装甲旅団のクルーセーダーCrusader III AA Mk III巡航戦車に先導されているアメリカ製M3A3スチュアート Stuart Mk V軽戦車:車体前面が傾斜装甲板1枚(傾斜角20度)に簡易化されたM3A3スチュアート Stuart Mk.V軽戦車。重量 13.7トン、全幅2.55 m、全高2.57 m、重量14.5 t、砲塔装甲:防楯51ミリ、前面38ミリ、側・後面32ミリ、車体前面・側面25ミリ(1インチ)、53.5口径37ミリ(砲弾搭載数174発)、ディーゼルエンジンあるいはガソリン空冷エンジンを搭載、最高時速は整地で50キロ。クルーセーダーCrusader III AA Mk III巡航戦車は、43口径6ポンド(57ミリ)Mk.III戦車砲を装備、車体前面装甲51mmの強化型のクルーセーダー最終型のイギリス軍の独自設計の戦車。
Catalogue number: B 5124, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Flack (Lt), Object description: A Crusader III AA Mk III tank, 'Skyraker' (aka 'The Princess') of 22nd Armoured Brigade, 7th Armoured Division, leads a column of Stuart Mk V tanks moving off from Gold area, 7 June 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 5124)


  写真(右)1944年6月15日、北フランス、カーン南部、イギリス軍第7装甲師団第8王室アイリッシュ騎兵のアメリカ製M3A3スチュアート Stuart Mk.V軽戦車:車体前面が傾斜装甲板1枚(傾斜角20度)に簡易化されたM3A3スチュアート Stuart Mk.V軽戦車。重量 13.7トン、全幅2.55 m、全高2.57 m、重量14.5 t、砲塔装甲:防楯51ミリ、前面38ミリ、側・後面32ミリ、車体前面・側面25ミリ(1インチ)、53.5口径37ミリ(砲弾搭載数174発)、ディーゼルエンジンあるいはガソリン空冷エンジンを搭載、最高時速は整地で50キロ。イギリス軍は独自設計の戦車以上に、アメリカ製のM4シャーマン中戦車を多数装備した。スチャート軽戦車は、終戦まで改修されながら使用され続け、1944-1945年の対ドイツ戦にも投入されている。
Catalogue number: B 5608, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt), Object description: Stuart Mk V tanks of 8th King's Royal Irish Hussars, 7th Armoured Division, 15 June 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 5608)


M3A3スチュアート軽戦車
溶接式の車体で、車体前面は傾斜20度の装甲1枚で単純化した形状になった。搭載した37ミリ砲は同一だが、搭載砲弾は車内が若干広くなったため、従来の103発から174発に増加した。量産は1943年10月までに3,427輌が生産された。イギリス軍ではM3A3スチュアート軽戦車を Stuart Mk.Vと命名している。

写真(右)1944年7月頃、北フランス、ノルマンディ、厳重に偽装を施して進軍するイギリス軍第6近衛戦車連隊のチャーチル歩兵戦車とアメリカ製M3スチュアートStuart軽戦車:アメリカで1万2,574輌も生産されたスチャート軽戦車は、多数がイギリス軍に貸与され、終戦まで使用され続けた。
Catalogue number: B 5608, Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Production date: 1944-07,  Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt), Object description: Heavily camouflaged Churchill tanks of 6th Guards Tank Brigade in a cornfield in Normandy, July/August 1944. Note the censored brigade marking on the front of the nearest Churchill. The turret of a M3 Stuart light tank can also be seen midway along the line of vehicles. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 5608)


1944年6月6日,西側連合軍がフランス、ノルマンディー海岸に上陸。その直後の6月13日、ノルマンディーのカーン南西15キロメートルで、ヴィレル・ボカージュの戦いBattle of Villers-Bocage)が起きた。これは、内陸に侵攻してきたイギリス軍がドイツ軍と衝突した戦闘で、イギリス第7装甲師団第8王室ロイヤル・アイリッシュ騎兵連隊(スチュアート軽戦車配備)、第7女王ロイヤル連隊、第5王立戦車連隊(シャーマン中戦車配備)などは、ドイツ武装SS第101重戦車大隊と装甲教導師団と衝突した。

M3A3スチュアート Stuart Mk.V 軽戦車諸元
全幅2.55 m、全高2.57 m
重量14.5 t
砲塔装甲:防楯51ミリ、前面38ミリ、側・後面32ミリ
車体装甲:前面・側面・後面25ミリ(1インチ)
53.5口径37ミリ(砲弾搭載数174発)
動力:コンチネンタル社 W-670-9A空冷星型7気筒ガソリン(262 馬力/2,400 rpm)搭載
乗員:4名

 同じアメリカ製のM4シャーマン中戦車と比較すると、戦車砲も装甲も弱く、旧式と思えるスチャート軽戦車だが、構造を単純化したり、エンジンを強化したりしながら、アメリカでは1万2,574輌も生産された。スチャート軽戦車は、イギリス軍にも多数貸与され、1945年のドイツ敗戦まで第一線で偵察任務に従事していた。

写真(右)1944年7月8日、北フランス、カーン攻略を目指すチャーンウッド(ビクトリア女王の避暑地)作戦中のイギリス軍第33装甲旅団のアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車とM4シャーマン中戦車:イギリス軍は独自設計のクロムウェル巡航戦車やチャーチル歩兵戦車よりもアメリカ製のM4シャーマン中戦車を多数配備した。
Catalogue number: B 6659, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt), Object description: A Stuart and Sherman tanks of 33rd Armoured Brigade during Operation 'Charnwood', the attack on Caen, 8 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 6659)


37ミリ砲装備、軽装甲のM3 スチャート軽戦車は、1941年に部隊配備された旧世代の戦車で、1944年当時、37ミリ砲では対戦車戦闘も歩兵支援に不適であった。しかし、重量14.5トンの軽量車体に、強力な航空機発動機を改修したコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル230馬力)あるいはGuiberson Diesel T-1020 空冷ディーゼルエンジン(星形9気筒250馬力)を搭載していたため、機動性が高く、改修されながらアメリカで1万2,574輌も生産された続けた。スチャート軽戦車は、多数がイギリス軍に貸与され、終戦まで主に偵察任務に使用され、1944年から1945年5月の西部戦線にも投入されている。

写真(右)1944年7月16日、イタリア中部トスカーナ州、フィレンツェ南東50キロメートル旧市街地を移動中のイギリス軍第6装甲師団のM3 A3スチュアート偵察戦車(砲塔を撤去)とアメリカ製M4シャーマンSherman戦車(後方):偵察戦車の車体に身を乗り出した乗員が4名みえる。
Catalogue number: NA 16939, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit McConville, W. E. (Sergeant), Object description: A Stuart reconnaissance tank and a Sherman of 6th Armoured Division in Arezzo, 16 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (NA 16939)


 M3 スチュアート軽戦車の37ミリ戦車砲は、1944年になると破壊力が小さすぎて役に立つ局面は少なかった。そこで、砲塔を撤去して軽量化し、機動性を向上させ、対歩兵防御用の車載機銃を装備した偵察戦車に改修された。

写真(右)1944年7月18日、北フランス、ノルマンディ、グッドウッド作戦中、カーン西方10キロのエスコヴィルに向かうイギリス軍のアメリカ製M3 AスチュアートStuart軽戦車の隊列:制空権を確保している自信があったためか、連合軍の戦車は対空偽装に心を砕く必要はなかった。対空標識として、砲塔上面に大きな白色の星の記章を描いているようだ。イギリス軍の偽装は主にドイツ軍地上部隊に対する配慮からだった。それに対して、ドイツ軍地上部隊は、連合軍の偵察機や戦闘爆撃機(ヤーボ)を警戒して、厳重な対空偽装を施す必要があった。
Catalogue number: B 7560, Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Production date: 1944-07,  Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt), Object description: Stuart tanks moving up towards Escoville during Operation 'Goodwood', 18 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 7560)


 1944年7月9日、イギリス軍はカーンを占領し、7月17日にカーンの南方向に進撃するグッドウッド作戦を開始した。、これに対応するアメリカ軍の攻撃計画がは7月25日に始まったコブラ作戦である。この作戦でドイツ軍の防衛線を突破し、ドイツ軍をファレーズのポケット地帯に包囲することができた。

 1944年8月7日夜、イギリス空軍のランカスター四発重爆撃機による地上支援爆撃の後、装甲歩兵が進撃し、クルト・マイヤーKurt Meyer:1910-1961)准将が指揮する第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」と戦った。「ヒトラーユーゲント」装甲師団は1926年生まれ、1943年時点で16歳あるいは17歳のドイツの少年を徴収した少年戦車師団だった。

M5A1 スチュアートStuart軽戦車
重量: 15615 kg
エンジン出力 296 h.p.、最高時速: 54.68 km/h
車体装甲:前面28.5ミリ/側面28.5ミリ・後面25.4 ミリ、上面12.7ミリ
砲塔装甲:前面50.8 ミリ、側面・後面31.8ミリ、上面12.7ミリ
37 mm Gun M6 戦車砲(搭載砲弾数147発)
7.62 mmブローニングM1919A4機銃 (搭載銃弾数6,000発)
1942年5月より生産開始
1944年6月までにM5の2075輌を含めて、6,810 輌を量産。

写真(右)1944年7月31日、北フランス、ノルマンディ、ルーアン郊外のコーモン南を進軍するイギリス軍第近衛装甲師団第2アイリッシュ近衛兵のアメリカ製M3A3スチュアートStuart軽戦車が率いるM4シャーマン中戦車:対空標識として、砲塔上面に大きな白色の星の記章を描いている。
Catalogue number: B 8275, Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt), Object description: A Stuart and a column of Sherman tanks of 2nd Irish Guards, Guards Armoured Division, move across country during the advance south of Caumont, 31 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 8275)


写真(右)1944年8月23日、北フランス、カーン南西55キロのガセの住民に歓迎されているイギリス軍のアメリカ製M3 Aスチュアート軽戦車の隊列:写真には、車体上に仮設兵舎あるいは戦車保護カバーとするような大きな天幕など荷物を積載したスチュアート軽戦車が3両が映っている。
Catalogue number: B 9634, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Midgley (Sgt), Object description: The inhabitants of Gace line the streets as Stuart tanks enter their town, 23 August 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 9634)


 制空権を確保している連合軍は、地上部隊が対空偽装を心配する必要がなく、解放した街を堂々と更新して住民の士気を鼓舞することもできた。他方、解放した住民たちに対する食糧や燃焼の補給を行わなくてはならなくなると、その文、前線部隊への補給が滞ってきた。連合軍の進撃は、解放地区が拡大し、ドイツ本土に近くづくにつれて遅くなってきた。

写真(右)1944年9月3日、獲得したドイツ軍捕虜の前をブリュッセルを目指して前進するイギリス軍近衛装甲師団のアメリカ製M3A3スチュアート軽戦車(右)とA27MクロムウェルCromwell巡航戦車(左)
Catalogue number: BU 546, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Hewitt (Sgt), Object description: Cromwell and Stuart tanks of Guards Armoured Division passing German POWs during the advance to Brussels, 3 September 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (BU 546)


 イギリス軍は独自設計のクロムウェル巡航戦車やチャーチル歩兵戦車を配備していた。1943年から開発されたクロムウェル巡航戦車は、既にアメリカから貸与されたM4中戦車が主力となっていたため、巡航戦車としてスチュアート軽戦車と同じく偵察部隊に配備された。当初、Mk.IからMk.IIIまではクルセーダー戦車と同様のオードナンス6ポンド(57ミリ)砲を搭載したが、のちに75ミリ砲に変換された。装甲は最大76ミリで重防御である。

写真(右)1944年9月9日、北フランス、カーンを指して突進するイギリス軍のアメリカ製M3スチュアート軽戦車:対空標識として、砲塔上面に大きな白色の星の記章を描いている。
Catalogue number: B 6748, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Christie (Sgt), Object description: Stuart tank during the assault on Caen, 9 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 6748)


 ファレーズポケットに包囲されたドイツ軍の一部は撤退できたが、連合軍は、1944年8月21日までにファレーズを占領し、ドイツ軍に大打撃を与えることができた。

 西側連合軍は、パリ解放に兵力を投入し、1944年8月25日のパリ解放Liberation of Paris)後には、市民生活回復のために大量の補給物資を必要とするようになった。こうして、連合軍のドイツ本土への攻撃力は分散され、鈍ってしまった。それでも、9月4日にベルギーの要衝アントワープの解放Liberation of Antwerp)を達成し、ベルギー・オランダからドイツ本土を侵攻を目指すマーケットガーデン作戦Operation Market Garden)を、9月17日から開始した。

 空挺降下作戦を基軸とするマーケットガーデン作戦Operation Market Garden)の指揮を執ったのは、1944年9月1日に元帥Field Marshal)に昇進したバーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)である。

写真(右)1945年5月2日、ドイツ北部、リューベックに向かうイギリス軍第11装甲師団第3王室戦車連隊のM3スチュアート軽戦車(砲塔をそのまま使用):スチュアート軽戦車が走っているのは、高速道路アウトバーンのようだ。1945年5月の第二次欧州大戦の終戦まで、改良を施した旧式の軽戦車が第一線で活躍していた。信頼性が高く、燃費も良かったために長く使用されたのであろう。
Catalogue number: BU 3421, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt), Object description: Stuart tanks of 3rd Royal Tank Regiment, 11th Armoured Division, drive along an autobahn towards Lubeck, 2 May 1945.  写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (BU 3421)


 イギリス軍には、独自設計で自国で量産していたマチルダ戦車、クルーセイダー巡航戦車(Crusader Cruiser Tank)、チャーチル歩兵戦車、クロムウェル巡航戦車があったが、アメリカから貸与されたM4シャーマン中戦車の方が数的に多かったようだ。また、M3 Aスチャート軽戦車は、37ミリ砲装備の軽装甲で機動性の高い軽戦車であったが、対戦車戦闘にも火力支援にも向いていなかった。

 しかし、アメリカ軍はM3Aスチャート軽戦車の機動力・居住性・防御力を向上させるために、キャデラック社4ストロークV型8気筒液冷ガソリンエンジン2基を搭載し、車体も若干大型化したM5スチュアート軽戦車(M5 Stuart Light Tank)を開発し1942年2月に制式とした。

 アメリカ製のM3Aスチャート軽戦車は、アメリカの武器貸与法によってイギリス軍に貸与され、スチュアートVI(Stuart VI)軽戦車と命名され、1944年のヨーロッパ大陸反攻、ドイツ侵攻の際にも、偵察部隊(騎兵隊)に配備され使用され続けた。

写真(右)1945年5月2日、ドイツ中部、エルベ川に向かうイギリス軍第15スコットランド師団のM5 スチュアートStuart VI 軽戦車(M3Aの砲塔をそのまま使用):M3Aスチュアート軽戦車の改良型M5 Stuart (Light Tank, M5) (Stuart VI) 。
Catalogue number: BU 4972, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Morris (Sergeant), Object description: Stuart VI tanks advance past half-tracks and other vehicles of 15th (Scottish) Division during the advance to the River Elbe, 13 April 1945. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (BU 4972)


M5スチュアート軽戦車
M3 軽戦車の車体を若干拡大して、より強力なキャデラック社4ストロークV型8気筒液冷ガソリンエンジン2基Twin Cadillac(296hp)搭載し、溶接式車体形状を簡易化して傾斜装甲板を採用した。1942年3月から1942年12月までに2,074両が量産された。M5A1軽戦車は、M3A3に採用した新型砲塔を搭載したもので、1943年1月から1944年6月までに6,810両が量産された。これらのスチュアート軽戦車はイギリス軍では「スチュアートVI」であり、M5とM5A1とを区別しているわけではない。

写真(右)1945年5月4日、ドイツ北部、バルト海に面したヴィスマール(リューベック東方50キロ)のイギリス軍第4装甲連隊ロイヤル・スコットランド・グレーズのM3A3(M5?)スチュアート軽戦車:1945年5月の第二次欧州大戦の終戦まで第一線で偵察任務に活躍していたスチャート軽戦車。
Catalogue number: BU 5302, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Oakes (Sgt), Object description: A Stuart tank of the Royal Scots Greys, 4th Armoured Brigade in Wismar, 4 May 1945. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (BU 5302)


 M5スチュアート軽戦車(Stuart VI)は、エンジン2基を収容する大型のエンジンルームのために、車体が高くなった。また、車体内部スペースが大きくなったために、乗員の居住性はM3軽戦車より改善され、37ミリ戦車砲の砲弾搭載数、搭載燃料も増えている。他方、車体の形状を単純化し、車体前面に傾斜装甲板を装備して、坊膂力を強化している。M5スチュアート軽戦車の量産は、1942年3月から12月までに2,074両、その他合計8,884輌も生産された。

写真(右)1944年2月-1945年8月、北東ビルマのレド公路、中国軍に貸与されたM3A3スチュアート軽戦車
Catalogue number: CBI 53293, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: US official photographer, Object description: The Campaign in North and Central Burma February 1944 - August 1945: US Stuart tanks manned by Chinese troops on the Ledo road. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (CBI 53293)


 CBIとは中国・ビルマ・インド戦線(China Burma India Theater)のことで、日本軍は、1942年からビルマを占領して、中国への西側連合軍からの補給をを遮断しようとしていた。

 日本軍は、九七式中戦車九五式軽戦車、さらに一式戦車を投入したが、M4シャーマン戦車には圧倒され、M3Aスチュアート軽戦車にも対抗できなかった。西側連合軍は、インド・ビルマから重慶を臨時首都とした中華民国の蒋介石総統への陸路・空路による補給を行っていた。1944年になると、米軍式装備の中国軍部隊は、日本軍を圧迫し、ビルマに南下した。

 アメリカで1万2,574輌も生産されたスチャート軽戦車は、多数がイギリス軍に貸与され、終戦まで使用され続けた。
アメリカ製M3 スチュアートStuart Mk V軽戦車は、重量 13.7トン、全長 4.53m、 装甲:車体前面38ミリ、防楯51ミリ、側面・後面25ミリ、53.5口径37ミリM6戦車砲(砲弾搭載数147発)、Guiberson Diesel T-1020 空冷エンジン(星形9気筒250馬力)、最高速度 58km/h(整地)、航続距離 110km、 生産数 1万2,574輌。


写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A1スチュアート軽戦車(シリアルナンアー7073)
:M3A1 Stuart, serial number 7073, was built in September 1942 by American Car & Foundry Company (ACF) in Berwick, Pennsylvania or by ACF in St. Charles, Missouri. This tank is a good candidate for a cosmetic restoration. The wheels and tracks are serviceable. The driver's controls and instrument panel are complete and appear to function normally. The ammunition racks appear to be complete. All seats are present. A tow cable and some pioneer tools are included. 写真はAuctions America引用。

写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A1スチュアート軽戦車(シリアルナンアー7073)の砲塔後部側面の覗き穴と正面から見たキャタピラー
:Weight: 14.2-tons (12,927-kg) Length: 14' 10” (4.52-m) Width: 7' 4” (2.23-m) Height: 7' 10” (2.38-m) Crew: 4 Armor: Hull front: 1.5” (38-mm) Turret front: 1.5” (38-mm) Weapons: -Primary 37-mm Gun M6 -Secondary 3x .30-cal machine gun M1919A4 -Ammunition 106x 37-mm 7,220x .30-cal Engine: Continental W-670-9A, 7-cylinder radial, 250-hp Power/weight: 17.5-hp/ton Fuel Capacity: Internally 54-USG (204-l) + 2x 25-gallon jettison tanks (189-l) Range: 70-miles (112-km) or 135-miles (217-km) with jettison tanks Speed: 36-mph (58-km/h) 写真はAuctions America引用。

写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A1スチュアート軽戦車のサスペンション:左は転輪、右は動輪。Production began at ACF in May 1942. When production ended in February 1943, 4,621 M3A1's had been completed, including 211 powered by a Guiberson T-1020 diesel engine. The M3A1 was exported to the British who designated it the Stuart III and Stuart IV (diesel). The Soviet Union also received several hundred of them. 写真はAuctions America引用。

写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A1スチュアート軽戦車の砲塔のバスケットと車体前面ハッチから覗いた車内(左がバスケット)。オークションで$178,250で落札:The M3A1 first saw service with the U.S. Army in North Africa during late 1942 and continued service until the M5/M5A1 Stuarts replaced them in 1943. The British used them in Europe until the end of the war. In the Pacific, the USMC and U.S. Army used them throughout 1943 and 1944 at which time they were replaced by the M5A1 Stuart or M4 series of medium tanks.
上記の写真8点はAuctions America引用。



写真(上)2014年7月12日、オークションで31万500ドルの落札価格で取引されたM5スチュアート軽戦車:1942年9月にデトロイトのキャデラックで生産されたM5スチュアート軽戦車(シリアルナンアー610);オークションで$310,500で落札
。燃料を入れれば走行可能。すべてのハッチは開閉可能。運転手、砲手の座席、運転操作盤、砲塔のバスケット(回転駕籠)、砲塔旋回装置現行の物を完備。2014年1月に走行済み。
M5 Stuart, serial number 610, was built in September 1942 by Cadillac in Detroit, Michigan. The exterior has been cosmetically restored. It has been re-engined with an Oldsmobile V-8 and a General Motors automatic transmission. The wheels and tracks are serviceable. It runs and drives very well using fuel from one of its gas tanks. All hatches open and close. The driver's controls and instruments are present and function normally. Both the driver and bow gunner’s seats are present. The turret basket is present and has the crew seats mounted. The turret traverse controls are present on the turret ring. It was run as recently as January 2014, and has received a fresh cosmetic restoration.
With the production of the M4 medium tank starting in February 1942, the M4 light tank was changed to the M5 in order to prevent confusion. M5 production began in April 1942 at the Cadillac Division of the General Motors Corporation in Detroit. 1,470 M5's were built there until production ceased in December 1942. A further 354 were built at the GM plant in Southgate, CA between August and December 1942. The Massey Harris Company between July and December 1942 built a further 250. This gave a total production run of 2,074.
The M5 first saw combat with U.S. Forces in North Africa in late 1942. They remained in service throughout 1943 and into early 1944 when the later M5A1 light tank mostly replaced them. Some were brought out of storage in late 1944 and early 1945 to make up for the heavy losses occurred during the Battle of the Bulge that took place in December 1944/January 1945.
写真はAuctions America引用。





3.アメリカ軍M3リーLee/グラントGrant中戦車

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー(グラント)中戦車と小銃を構える戦車兵:アメリカ市民に向けて、勇ましいアメリカ軍の姿を伝えるカラー写真がたくさん残っている。これらは公開されていないものもある。インパクトのあるカラー写真はたくさんの国民に見せようとした。そして、戦争に協力するために、生産労働に勤しみ、戦費調達のための戦時国債を購入し、資源節約のための屑鉄・金属を回収した。
Title: M-3 tank and crew using small arms, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35195 (digital file from original transparency) LC-USW361-155 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-155 [P&P] 写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


1941年6月22日にドイツがソ連を攻撃すると,それまで反共産主義の立場を表明していたイギリス,アメリカは即座にソ連支援を公言した。それまでのチャーチル英首相の関心は,英本土航空決戦大西洋の対潜水艦戦争,そして米国の参戦を引き出すことだった。しかし,独ソ戦の勃発に,イギリスの危機は遠のいたと大喜びした。

1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車 :砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。
 M3は,車体前方に36口径M2-75 mm 戦車砲(砲身長 2,700mm)1門搭載砲弾数50発)を固定し,上部砲塔に53.5口径M3 37mm砲(砲身長 1,980mm)1門(搭載砲弾数178発)を装備。重量30トン,340馬力ガソリンエンジン装備,乗員6名。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35204 (digital file from original transparency) LC-USW361-167 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-167 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


 M3リー/グラント中戦車は、車体右側に75mm砲1門(搭載砲弾数50発),車体上の砲塔に37mm砲1門装備(搭載砲弾数178発),重量30トン,発動機は、340馬力ガソリンエンジンを搭載、乗員6名。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月までも、6258輛が量産され、北アフリカ、イタリアで実戦に投入され、イギリス軍にも配備された。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: An M-3 tank in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35203 (digital file from original transparency) LC-USW361-165 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-165 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: 左下は、車体前面にある操縦手用の大型ハッチ。M3リー/グラント中戦車は、砲塔式に53.5口径37 mm M6戦車砲を装備している。 第二次世界大戦では北アフリカ戦線やイタリア戦線に投入された。37mm口径の対戦車砲としては砲弾重量が重く、砲弾の初速も高く、優秀な貫通性能を持っていた。
Title: Tank commander, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35198 (digital file from original transparency) LC-USW361-158 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-158 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


M3グラント中戦車が砲塔に搭載した53.5口径37 mm M6戦車砲(搭載砲弾数178発)の原型は、1940年に実用化された53.5口径37mmM3対戦車砲で、初速 884m/秒、傾斜30度の装甲板に対する貫通力は、500ヤード / 457mで53mm、1,000ヤード/914mで46mm、 1,500ヤード/1,371mで40mm、2,000ヤード/1,828mで35mmだった。この威力は、日本軍が実戦に使用した全ての戦車に対して有効であり、ドイツ軍の?号戦車にも近距離であれば有効だった。

砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。

 M3リー/グラント中戦車が小型砲塔に搭載した37mm砲は重い砲弾で、高初速のため、当時は高い貫通性能を持っていたが、ドイツ軍の新型のティーゲル重戦車、パンター中戦車の装甲を撃ち抜くのは困難だった。そこで、wikipediaは37ミリ砲が「ドアノッカー」と化してしまったというが、実際は、3号戦車、4号戦車の側面であれば十分に貫通できた。そのため1943年には生産を終了し、イギリス製オードナンス6ポンド砲をライセンス生産したM1 57mm砲が配備されることになっても、37ミリ砲を前線で使用しつづけた部隊も少なくなかった。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: The crew of an M-3 tank learn all the ways of causing trouble for the Axis with a 75-mm. gun, a 37-mm. gun and four machine guns, Fort Knox, Ky. The Fort Knox School for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the enemy on our far flung battle lines -- and on more than equal terms. [Tank] commander Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35200 (digital file from original transparency) LC-USW361-160 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-160 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


53.5口径37ミリM3対戦車砲の生産量は、1940年340門、1941年2,252門、1942年1万1,812門、1943年4,298門、合計 1万8,702門が生産された。 1940年から部隊配備された。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: 砲塔上面に大型の司令塔ハッチが確認できるアメリカ仕様「リー中戦車」。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: Tank commander, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35191 (digital file from original transparency) LC-USW361-151 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-151 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー戦車: 砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: Tank commander, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35228 (digital file from original transparency) LC-USW361-370 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-370 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年3月11日、イギリスに貸与されたアメリカ製M3リー中戦車(M3 Medium Tank :Lee Mk I):砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるので、後にイギリス軍に供与された「グラント中戦車」とは異なるアメリカ仕様「リー中戦車」。75ミリM3戦車砲を車体に搭載し、車体上面の砲塔には37ミリM6砲を装備した。イギリス南岸ドーセット、ラルワースの装甲戦闘車両学校(Armoured Fighting Vehicle School)における撮影と思われる。
Catalogue number: H 17821, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: War Office official photographer, Spender (Lt), Object description: M3 Medium Tank (Lee Mk I), 11 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17821)


 M3グラント中戦車には、当初、37ミリ砲塔の上部に戦車長用司令塔(キューポラ)が装備されていたが、あまりにも全高が高くなり、敵に派遣されやすいために廃止された。
 イギリス軍では、アメリカから貸与されたアメリカ製M3中戦車を、1861年のアメリカ南北戦争当時の将軍の名称で故障した。

つまり、イギリス軍向けのM3グラント中戦車は、北軍の陸軍総司令官ユリシース・S・グラント(Ulysses S. Grant:1822 - 1885)中将に因んでおり、アメリカ軍向けのM3リー中戦車は、南軍の陸軍総司令官ロバート・E・リー(Robert Edward Lee :1807 - 1870)大将に因んでいる。南北戦争当時のライバルだった将軍の名称を付けたことで、歴史を学んだものであれば、直感的にほぼ同一の戦車であることが理解できた。

写真(右)1942年3月11日、イギリス軍に配備されたM3グラント中戦車(M3 Medium Tank : Grant Mk I):砲塔上面に大型の司令塔ハッチの無いイギリス軍仕様。車体右に搭載した75ミリ戦車砲の射界は、左右、上下とも狭かった。車体上面の砲塔の37ミリ砲は、当時、砲身長 1,980mm、53.5口径の有力な対戦車砲だった。ただし、M3リー中戦車の車高は高く、対戦車戦闘には向いていない。イギリス南岸ドーセット、ラルワースの装甲戦闘車両学校(AFV Gunnery School Tank - Lulworth Camp)での撮影と思われる。
Catalogue number: H 17825, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: War Office official photographer, Spender (Lt), Object description: M3 Medium Tank (Grant Mk I), 11 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17825)


 1940年5月にドイツ軍の装甲師団を中核にした電撃戦の奇襲をかけ、フランスが2カ月も経たずに降伏したが、これはアメリカ陸軍にとっても衝撃的な事件だった。陸軍ではドイツ軍の電撃戦を参考に戦車部隊を整備し始めた。アメリカ連邦議会は、新たに中戦車1500輌分の軍事予算を承認したが、既存のM2A中戦車は旧式化していたために、クライスラー(Chrysler)社は新型のM3中戦車を1000輌を量産する契約を結んだ。

写真(右)1942年3月11日、イギリス南岸ドーセット、ラルワースの装甲戦闘車両学校のテストを受けているアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):装甲戦闘車両学校(Armoured Fighting Vehicle School)における不整地訓練では、車体右に搭載した75ミリ戦車砲の仰角が上方に向けられている。キャタピラの上方にカバーが装着されている。
Catalogue number: H 17825, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: War Office official photographer, Spender (Lt), Object description: M3 Grant tank on test at the AFV Gunnery School at Lulworth in Dorset, 10 June 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17825)


写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車(手前3両)とM4シャーマン中戦車(左奥1両): 砲塔上面に司令塔ハッチの無いイギリス軍仕様も「M3リー中戦車」は、司令塔の付いたアメリカ仕様「M3グラント中戦車」と合わせて1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: M-3 and M4 tank company at bivouac, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35193 (digital file from original transparency) LC-USW361-153 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-153 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年6月,アメリカ本土、ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: M3リー/グラント中戦車の車体に搭載したM2-75ミリ戦車砲の砲口には、砂塵が入るのを防ぐカバーで覆われている。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35218 (digital file from original transparency) LC-USW361-183 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-183 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


M3リー/グラント中戦車の車体に搭載した28.5口径M2-75 mm 戦車砲は、原型はフランスの砲兵工廠が開発した駐退復座機で緩和する新式火砲だった。しかし、M1897 75mm野砲は、1914年に勃発した第一次世界大戦で活躍した野砲であり、M3中戦車の開発された1930年代後半には旧式化していたが、依然として各国で使用され続けていた有力な野砲だった。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州、フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車:砲塔上面に司令塔ハッチの付いたアメリカ仕様「M3グラント中戦車」。足回り(サスペンション)やエンジンは、後継のM4シャーマン中戦車と同じである。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35219 (digital file from original transparency) LC-USW361-184 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-184 [P&P]
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28.5口径M2-75 mm 戦車砲の砲身長は28.5口径で、砲口初速は567m/秒であったが、M3中戦車の後期型では、M4シャーマン中戦車と同じ37.5口径M3 75mm戦車砲に変換されている。75mmM3戦車砲は初速620m/秒、徹甲弾を使えば距離1,000mで55mm厚の装甲板を貫徹できた。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車:車体前方にヘッドライト2個を付けている。砲塔上に大きな司令塔ハッチがあるのでアメリカ仕様「M3グラント中戦車」である。サスペンションや発動機、後継中戦車のM4シャーマンと同一である。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35221 (digital file from original transparency) LC-USW361-186 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-186 [P&P] Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA http://hdl.loc.gov/loc.pnp/pp.print
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M3リー/グラント中戦車は、75ミリ砲を装備できる大型砲塔搭載戦車の先行型として計画され、車体前面右側に、フランスのシュナイダー社75ミリ野砲を原型とする、36口径M2-75ミリ戦車砲(砲身長 2,700ミリ)1門を搭載した。車体上部砲塔には、53.5口径M3 37ミリ砲1門(砲身長 1,980ミリ)を搭載し、対戦車能力も備えていた。

 つまり、M3リー/グラント中戦車の車体右側の半固定式の75ミリ軽榴弾砲は、視界も狭く対戦車戦というより、歩兵支援火砲として使用することを意図していた。他方、車体上部にの37 ミリ砲は、速射砲であり、全周回式の砲塔に装備して、敵の歩兵だけでなく、自動車や戦車を攻撃することが可能だった。

写真(右)1942年6月,フォートノックスのM3グラント戦車:車体前方にヘッドライト2個が装備されている。大きな司令塔ハッチが砲塔上面に突出しており、全高が高く、敵から発見されやすい。サスペンションや発動機、後継中戦車のM4シャーマンと同一である。
Abgeschossene sowjet. Panzer Archive title: Mittlerer russischer Panzer T-34 Dating: 1942 Sommer
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 1941年6月から1942年8月まで量産。クライスラー・デトロイト工廠、アメリカン・ロコモーティブ社で3,923輌、プレスド・スティールカー社とプルマン・スタンダードカー社で1,001輌が生産された。他方、有名なティーガー重戦車は,1942年8月から1944年8月まで,僅か1300台しか生産されていない。

1940 年12 月末に、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトFDR)は、「国の安全に関する炉辺談話」と称して、アメリカは民主主義の兵器廠(Arsenal of Democracy)となる」とイギリスへの武器貸与の方針を表明した。

 1941 年1月6日、新年のフランクリン・デラノ・ルーズベルトFranklin Delano Roosevelt: FDR)の発表した年頭教書State of the Union :Four Freedoms)では、
?アメリカの国防圏は、西半球だけでなくイギリスおよび大英帝国を含む領域に拡大した。
?ナチス・ドイツとの宥和を否定し、和平があり得ないことを表明した。
戦時経済への移行し国防を充実するため、軍事費を増額する。
これは、アメリカの孤立主義から逸脱したもので、民主主義の兵器廠(Arsenal of Democracy)を超えて世界の警察官としての役割として活動し始める。

1941年3月11日、武器貸与法(Lend-Lease Act)の制定し、その当日には、イギリス・ギリシャへの武器貸与を決定している。

 M3グラント中戦車の試作完成は1941年1月で、量産は1941年4月から開始された。アメリカは、1941年12月まで第二次世界大戦参戦せず、中立だったが、フランクリン・デラノ・ルーズベルトFranklin Delano Roosevelt)の意向を受けて武器貸与法Lend-Lease Act 1941)により、量産したM3など軍事物資をイギリスに供与していた。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車:軟弱な地盤でも幅の広いキャタピラと強力なガソリンエンジンのために機動性が高かった。生産コストに配慮して,量産性もあっために,1942年にはアメリカ陸軍の主力戦車となった。
Title: Crewman of an M-3 tank, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35201 (digital file from original transparency) LC-USW361-161 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-161 [P&P] Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA http://hdl.loc.gov/loc.pnp/pp.print
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3グラント戦車の車体前面にある操縦者ハッチ:M2-75 mm 戦車砲を装備した攻撃力,機動力,防御力のバランスのとれた戦車だった。ただし,搭乗員のための車内空間は狭く,砲塔も小さいので,居住性や砲塔操作性は良くなかった。
Title: Crewman of an M-3 tank, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35202 (digital file from original transparency) LC-USW361-164 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-164 [P&P] Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA http://hdl.loc.gov/loc.pnp/pp.print
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


 アメリカ製M3中戦車は、砲塔上面に司令塔ハッチが突出しているアメリカ軍仕様の「M3 Lee」と、砲塔上面に司令塔がないイギリス軍仕様「M3 Grant」とがあった。リーは、南北戦争当時の南軍の将軍、グラントは、北軍の将軍で同時代のライバルだった。
 M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月までに6258輛が量産された。

写真(右)1942年、北アフリカ、チュニジア、アメリカから貸与されたアメリカ製M3グラント中戦車の操縦席に収まったイギリス軍兵士セシル・ビートンCecil Beaton:ハッチを開け閉めする頑丈そうな操作棒、ハッチの閉鎖口前縁の様子がよくわかる。砂漠用のゴーグルをして、貸与されたM3グラント戦車で活躍することを期待させるようなポートレット写真が撮影された。
Catalogue number: CBM 1781, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 2 Army Film & Photographic Unit Keating, Geoffrey (Major),
Object description: The Axis Offensive 1941 - 1942: A British tank driver wearing sand goggles and peering out of his Grant tank.  Label: Cecil Beaton portrait of a British tank driver peering out of his Grant tank in North Africa, 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (CBM 1781)


  写真(右)1942年2月17日、北アフリカ、イギリス軍第5王室戦車連隊のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):37ミリ砲を搭載する砲塔上面に、司令塔ハッチが突出していないイギリス軍仕様の「グラント戦車」。
Catalogue number: E 8467, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Travis (Sgt), Keating, Geoffrey (Major), Smith (Sgt), Clements (Lieut), McAndrew (Sgt), Object description: Grant tanks of 5th Royal Tank Regiment display for the camera, 17 February 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 8467)


写真(右)1942年2月17日、北アフリカ、イギリス軍第5王室戦車連隊のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):司令塔ハッチが砲塔上面に突出していないM3グラント中戦車が隊列を組んで行進しているが、写真撮影用に演出したもののようだ。キャタピラカバーの先端が濃い色で塗装されている。
Catalogue number: E 8487, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Travis (Sgt), Keating, Geoffrey (Major), Smith (Sgt), Clements (Lieut), McAndrew (Sgt), Object description: Grant tanks of 5th Royal Tank Regiment display for the camera, 17 February 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 8487)


ドイツのエニグマ暗号を解読していたイギリスは,アメリカとともにソ連をドイツに対抗させたがった。そこで,1941年春,ドイツのソ連攻撃が迫っていることを告げた。しかし,ソ連は,この情報を信じなかった。イギリスが,ソ連とドイツw離反させたがっていることは明白だったから,謀略によって独ソ戦を誘発しようとしていると疑っていたのである。

 ドイツ軍のフランス侵攻は1940年5月に開始されたが,電撃戦の戦術は,ソ連軍にも大きな影響を与え,快速で攻撃力ある重装甲の戦車の有効性が認識された。ドイツ軍の戦車は,居住性・操作性は優れていたが,実際には,攻撃力も防御力も弱かった。ソ連軍はドイツ軍戦車の威力を過大評価したのかもしれない。

写真(右)1942年2月17日、北アフリカで射撃訓練中のイギリス軍第5王室戦車連隊のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):識別用らしい三角旗を旗竿の先端に付けている。キャタピラカバーの側面を濃い色で塗装している。
Catalogue number: E 8476, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Travis (Sgt), Keating, Geoffrey (Major), Smith (Sgt), Clements (Lieut), McAndrew (Sgt), Object description: A Grant tank engaging a practice target in the Western Desert, 17 February 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 8476)


 クルード・オーキンレックClaude Auchinleck)大将は、第二次世界大戦緒戦のノルウェー戦で戦ったが、ドイツ軍に敗北し、インド勤務を経て、1941年7月に中東方面の連合軍総司令官に就任した。其の隷下のイギリス軍第4装甲旅団は、第2スコットランド近衛連隊、第3王室戦車連隊、第5王室戦車連隊、第8軽騎兵連隊から編成され、北アフリカのビル・ハケイムて、トブルクへ向かうドイツ軍第15装甲師団の前進を止めようと防御線を構築した。配備されていた戦車は、第8軽騎兵連隊が偵察用のM3Aスチュワート軽戦車、第5王室戦車連隊は、M3グラント中戦車を装備されていたが、これらはアメリカから武器貸与法によって供与されたアメリカ製戦車である。

写真(右)1942年2月17日、北アフリカで射撃訓練中のイギリス軍第5王室戦車連隊のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):砲塔上に司令塔ハッチが突出していないM3グラント中戦車が隊列を組んでおり、識別用か砲塔に旗竿を立てて三角旗をたなびかせている。

Catalogue number: E 9613, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Keating, Geoffrey (Major), Object description: Grant tanks of 3rd Royal Tank Regiment in the Western Desert, 24 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 9613)引用。


 M3グラント中戦車が完成した頃、ソ連赤軍はT-34戦車を装備しており、その搭載砲は,76.2ミリ(3インチ)砲で,アメリカの75ミリ砲と同等だった。T-34の砲塔は当初は,圧延鋼板溶接構造だったが,生産性の高い鋳造構造に変更された。また,砲塔は,ピロシキ形状で,傾斜装甲を全面採用し,車体周囲も傾斜装甲だった。T-34戦車は,全面的に避弾径始に配慮し,命中弾を横滑りさせて,貫通力を弱めることに成功した。装甲の厚さ以上に,防弾性能が優れていたといえる。

写真(右)1942年2月17日、北アフリカ、イギリス軍第3王室戦車連隊の兵士2人がアメリカ製M3グラント中戦車の75ミリ砲を槊杖(さくじょう)と呼ばれる清掃棒を砲口から差し込んで掃除している。キャタピラカバーの先端だけ、濃い色で塗装されている。
Catalogue number: E 8580, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit
Keating, Geoffrey (Major), Object description: The crew of a 3rd Royal Tank Regiment Grant tank clean the vehicle's sponson-mounted 75mm gun, 20 February 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 8580)引用。


槊杖(さくじょう:Ramrod)は、火砲や小銃の腔内(砲身内側)の手入れや清掃に用いる長い金属棒。槊杖(さくじょう::Ramrod)の長さは、銃身・砲身の長さとほぼ同じ長さが必要で、組み立て接続式のものもある。

写真(右)1942年3月29日、北アフリカ、鉄道で前線に運搬する途上のイギリス軍第7装甲師団第3王室戦車連隊C中隊本部のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):重量30トンの戦車を鉄道貨車に乗せるために、ランプ(登攀可能な坂道)が貨車と同じ高さにまで設けられ、戦車はここを自力で登攀して、貨車に積載されることになる。車体、砲塔、キャタピラカバーは、同一のパターンの迷彩塗装を施している。
Catalogue number: E 9915, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Travis (Sgt), Keating, Geoffrey (Major), Smith (Sgt), Clements (Lieut), McAndrew (Sgt), Object description: A Grant tank of 'C' Squadron HQ, 3rd Royal Tank Regiment, 7th Armoured Division, being loaded aboard a railway flatcar to be transported to the desert, 29 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 9915)引用。


写真(右)1942年6月6日、北アフリカ、イギリス軍のM3グラント中戦車が撃破されたドイツ軍I号戦車(PzKpfw I)の傍で停車している。I号戦車(PzKpfw I)は、全長4.02 m、全幅2.06 m、全高1.72 m、重量5.4 t、懸架方式:リーフスプリング方式、最高時速37 km/h、航続距離145 km、兵装 7.92mm MG13 機関銃2丁、装甲13 mm、エンジン M305水平対向4気筒空冷ガソリン・57馬力/2500 rpm、乗員2名。これはスチャート軽戦車の半分、グラント中戦車の5分の1の大きさである。このような無力な戦車を北アフリカにまで輸送、投入していたドイツ軍には驚かされる。
Catalogue number: E 12919, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Photographic Unit No 1 Army Film & Photographic Unit,  Creator: A Grant tank stops alongside the burning wreck of a German PzKpfw I, 6 June 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 12919)引用。


写真(右)1942年6月18日、北アフリカ、西砂漠を前進するイギリス軍のM3グラント中戦車(M3 Grant):砂漠の砂塵が車内や砲に入らないように、主砲の取り付け部にカバーをかけて覆っている。車体前面のヘッドランプは、ガラスが破損しやすいために、ヘルメットでカバーしている。車体、砲塔、キャタピラカバーは、同一の単一色で塗装されている。
Catalogue number: E 13533, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Flack (Sgt), Ackland A W (Sgt), Object description: A Grant tank advancing in the Western Desert, 18 June 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 13533)引用。


M3グラント中戦車は、乗員6人、全長 5,90 m、全幅 2,75 m、全高 3,02 m、重量 28トン、装甲 12,7-76,2 mm、 主砲 31口径7,5 cm砲、副砲56口径3,7 cm砲、発動機は、コンチネンタル・ライトContinental Wright Whirlwind R975 Radial Engine (9気筒420馬力)、ゼネラルモーターGeneral Motors 6046(12気筒410馬力)、ギバーソンGuiberson T-1400-2ディーゼルエンジンなど各種発動機の搭載が可能だった。コンチネンタル社(Continental)だけでも、5万3,000基のR-975 エンジンをM3リー、M4シャーマン戦車やその他戦闘車両用に生産し、ライト社はそれ以上の数のエンジンを生産している。

写真(右)1942年6月29日、イギリスの港湾から北アフリカに向けて船積みされるイギリス軍のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):重量30トンの戦車を持ち上げて船に積み上げるのは大型のクレーン。船積みを待っている2台のM3グラント戦車は、木製枠の上に載っていて、キャタピラの下に移動用の支柱を出し入れしやすいようになっている。
Catalogue number: H 21034, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Taylor (Lt), Object description: American M3 Grant tanks being unloaded from ships at a British port, 29 June 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 21034)引用。


 アメリカ合衆国の1941年3月武器貸与法(レントリース法:Lend-Lease Acts)を成立させ、軍事物資を友好国に貸与することができるようになった。

 1941年7月に中東方面の連合軍総司令官に就任したクルード・オーキンレックClaude Auchinleck)大将は、アメリカの武器貸与法Lend-Lease Acts)によって、アメリカ製のM3Aスチュアート軽戦車、M3グラント中戦車を貸与されている。

他方、ソ連のヨシフ・スターリンJoseph Stalin)は、ドイツが西部戦線でイギリスと対峙している以上、ソ連を攻撃する東部戦線を開いてくるとは考えなかった。しかし、1941年6月、バルバロッサ作戦に基づいて独ソ戦争が始まると,アメリカの武器や軍需物資が武器貸与法Lend-Lease Acts)に基づいて、ソ連にも即座に貸与されるようになった。

 アメリカの軍事物資は、北海を越える輸送船団あるいはイランを抜けるトラック輸送によって,ソ連にも貸与されるようになった。。米英からソ連への援助ルートは,ペルシャ湾・黒海からからロシア南部に入るルートと,ノルウェー北岸から,ロシア北部に入るルートがあった。

写真(右)1942年7月7日、エジプト、エル=アラメイン、イギリス軍第2装甲連隊第4女王騎兵隊C大隊のM3グラント/リー中戦車:砂漠の砂塵が車内や砲に入らないように、主砲の取り付け部にカバーをかけて覆っている。砲塔上面の司令塔の形状が異なっている。
Catalogue number: E 13533, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit  Object description: Grant and Lee tanks of 'C' Squadron, 4th (Queen's Own) Hussars, 2nd Armoured Brigade, El Alamein position, Egypt, 7 July 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 13533)引用。


 アメリカ製M3スチュアート軽戦車やM3グラント中戦車が,武器貸与法Lend-Lease Acts)によって,アメリカからイギリスに大量に貸与されており、イギリスの主力戦車となった。

M3中戦車は、アメリカ軍仕様のM33リー中戦車」は、37ミリ砲塔上面に司令塔ハッチが突出しているが、イギリス軍仕様の「グラント中戦車」は、37ミリ砲塔上面のハッチはあっても司令塔は突出しておらず、その分、全高が低くなっている。

写真(右)1942年7月7日、エジプト、エル=アラメイン、イギリス軍第2装甲連隊第4女王騎兵隊C大隊のM3グラント・リー中戦車:砂漠の砂塵が車内や砲に入らないように、主砲の取り付け部にカバーをかけて覆っている。砲塔上面の司令塔の形状が異なっている。車体前面のヘッドランプは、ガラスが汚れやすいためか、カバーをかけてある。車体、砲塔、キャタピラカバーは、同一の単一色で塗装されている。
Catalogue number: E 14053, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit  Object description: Grant and Lee tanks of 'C' Squadron, 4th (Queen's Own) Hussars, 2nd Armoured Brigade, El Alamein position, Egypt, 7 July 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 14053)引用。


アメリカ軍仕様の「M3リー中戦車」は、37ミリ砲塔上面に司令塔ハッチが突出しているが、イギリス軍仕様の「グラント中戦車」は、37ミリ砲塔上面に司令塔は突出していないとされる。しかし、実際には、どちらのタイプもイギリス軍に貸与されていたようだ。

写真(右)1942年9月9日、北アフリカ、イギリス軍迷彩塗装を施した訓練中のM3グラント(M3 Grant)中戦車:M3グラント戦車の迷彩塗装は、茶色と薄い褐色のようだが、明細を施した戦車の写真は多くないので、普及していたわけではないようだ。戦車砲の取り付け位置には、砂漠の砂塵が車内や砲に入らないように、カバーをかけて覆っている。新米の戦車兵はみな略帽(フィールドキャップ)を被り、半ズボンだが、上着の袖は日除け用・車内保護用の長袖を捲くって半袖にしている。
Catalogue number: E 14120, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Windows (Sgt), Object description: A Grant, Lee and Stuart tank, El Alamein position, Egypt, 9 July 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 14120)引用。


写真(右)1942年9月9日、北アフリカ、イギリス軍の兵士がアメリカ製M3グラント(M3 Grant)中戦車(左2両)とアメリカ製M3Aスチュアート軽戦車(右1両)で訓練を受ける新米の戦車兵たち:3両の戦車を使って新兵を訓練しているというが、実際の訓練よりも宣伝用写真プロパガンダとして利用するために撮影したようにも思われる。
Catalogue number: E 16625, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Martin (Sgt), Object description: Tank crews receiving instruction on the Grant tank, 9 September 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 16625)引用。


写真(右)1942年9月10日、北アフリカ、イギリス軍グロスタシャー近衛騎兵隊のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):砲塔周囲に'Atlanta II' の愛称がペイントされ、砲塔上には車載旋回機銃も装備されている。車体側面には、荷物の詰まったリュックサックや巻いた天幕が掛けられている。荷物を車内に格納すると、車内スペースが手狭になり、操作に不便が生じる。そこで、戦車兵は、私物を車外に置いて車内スペースを確保している。
Catalogue number: E 16711, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Ackland A W (Sgt), Object description: A British Grant tank 'Atlanta II' of A Squadron, Royal Gloucestershire Hussars, 10 September 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (E 16711)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス軍のアメリカ製M3グラントGrant CDL中戦車の記録写真
Catalogue number: H 41966, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: War Office official photographer Gladstone (Lt),
Object description: Grant CDL (Canal Defence Light) with searchlight and dummy gun mounted in turret.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 41966)


 イギリス軍は夜間戦闘を行うM3グラント夜間行動戦車(Grant CDL :Canal Defence Light)を開発した。これは、37ミリ砲塔を撤去し、そこに夜間行動用の照射サーチライト付きの特別砲塔(ターレット)を装備したもので、CDLの特別砲塔には、防御用の機銃と企図を艤装するためのニセの砲身(ダミー)をつけている。

写真(右)1942年11月5日、北アフリカ、エルアラメイン、イギリス軍のアメリカ製M3グラントGrant 中戦車の司令塔のイギリス第8軍総司令官バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)中将:この写真を撮影するには、砲塔正面の上の位置ににカメラを持ってくる必要があり、モントゴメリーがカメラマンの真正面を見据えていることになる。この演出のために、モントゴメリーが砂漠を双眼鏡で観察している姿が滑稽にも思えてくる。戦場プロパガンダ写真とは、その実態を知ると「実戦の迫力」とは縁遠い。
Catalogue number: E 18980, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Keating, Geoffrey (Major),
Object description: Lieutenant General B L Montgomery, General Officer Commanding Eighth Army, watches the beginning of the German retreat from El Alamein from the turret of his Grant Tank. He is wearing his famous tank beret. Label: Lieutenant General Bernard Montgomery, commanding the British Eighth Army in North Africa, in the turret of his Grant command tank at El Alamein, 5 November 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 18980)引用。


  バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)将軍は、イギリス軍第3師団の指揮官としてイギリス遠征軍(BEF)に参加したが、ドイツのフランス侵攻を防ぐことができず、敗退。しかし、1940年5月、第2軍団指揮官に任命され、イギリス軍の英本土撤退ダイナモ作戦Operation Dynamo)を成功させ、「ダンケルクの奇跡」を演出した。

 1942年8月から9月、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery "Monty" )の下に、エジプト西国境のエル・アラメインを起点に地雷と火砲で守られた堅固なボックス陣地を構築し、ドイツアフリカ軍団のエジプト侵攻を食い止めた。そして、密かに部隊を前線に集結させ、1942年10月23日、一斉攻勢を開始した。

写真(右)1943年1月15日、北アフリカ、リビアの沿岸道路をダイアモンドT980戦車運搬車に乗せられて進むイギリス軍のM3グラントGrant 中戦車
Catalogue number: E 21272, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Mapham J (Sgt),
Object description:Grant tanks being carried on Diamond T 980 tank transporters along the coast road in Libya, 15 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21272)引用。


ダイアモンドT980戦車運搬車Diamond T 980 tank transporters
1941〜1945年に6,554両
重量12.2トン、全長7.11 m、全幅2.54 m、全高2.54 m。 
エンジン:Hercules DFXE ディーゼル185馬力(138 kW)、サスペンション: リーフスプリング式
航続距離480km、最高時速37km/h

写真(右)1943年1月19日、北アフリカ、王室電気機械工兵隊がイギリス軍のM3グラントGrant 中戦車を軽修理のために戦車移動車両に運搬しようと指揮している。
Catalogue number: E 21450, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Gladstone (Sgt),
Object description: Men of the Royal Electrical and Mechanical Engineers guide a Grant tank onto a Scammell tank transporter to take it to a light repair workshop, 19 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21450)引用。


 アメリカ軍が北アフリカ戦に加わったのは、1942年11月8日のトーチ作戦Operation Torch)で、ドワイト・アイゼンハワーDwight D. Eisenhower)中将(大将昇格は1944年3月)指揮下の部隊が参戦してからである。ただし、それ以前からイギリス軍はアメリカ製の戦車を大量に北アフリカに投入していた。また、イギリス連邦(英自治領コモンウェルスBritish Commonwealth)・植民地の兵士として、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、インドの兵士も投入されている。

 1931年、ウェストミンスター憲章Statute of Westminster 1931)で、イギリス本国と自治領(Dominion:ドミニオン)とが対等でイギリス国王を元首とする共同体(コモンウェルス)を作ることが謳われた。ここで生まれたのが、英自治領コモンウェルスBritish Commonwealth)で、アメリカ参戦に遥かに先んじて、対ドイツ戦に参加し、派兵したり、軍需物資を供給したりして、イギリスを軍事的に援助した。

写真(右)1943年1月19日、北アフリカ、王室電気機械工兵隊がイギリス軍のM3グラントGrant 中戦車を軽修理のために戦車移動車両に積載した。
Catalogue number: E 21407, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Gladstone (Sgt),
Object description:Men of the Royal Electrical and Mechanical Engineers secure a Grant tank onto a Scammell tank transporter before taking it to a light repair workshop, 19 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21407)引用。


スキャメル戦車運搬トレーラーScammell Tank Transporter)では、イギリスのスキャメル社が開発し、第二次世界大戦中に活躍したイギリス軍のトラクターで、戦車運搬車だけではなく、砲兵トラクター、軍用回収車としても運用された。重量物を運搬するスキャメル戦車運搬トレーラーScammell Tank Transporter)は、頑丈で大きく長い車体に、ダブルタイヤ8輪のトレーラーを牽引できる強力なトラクターである。

写真(右)1942年11月5日、北アフリカ、エルアラメイン、イギリス軍のアメリカ製M3グラントGrant 中戦車の正面に立ったイギリス第8軍総司令官バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)中将の記念写真:モントゴメリーが大将に昇格する直前の撮影。
Catalogue number: E 18982, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Keating, Geoffrey (Major),
Object description: Lt General Bernard Montgomery, GOC 8th Army, standing in front of his personal Grant tank, 5 November 1942. 
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 18982)引用。


  バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)将軍は、イギリス軍第3師団の指揮官としてイギリス遠征軍(BEF)に参加したが、ドイツのフランス侵攻を防ぐことができず、敗退。しかし、1940年5月、第2軍団指揮官に任命され、イギリス軍の英本土撤退ダイナモ作戦Operation Dynamo)を成功させ、「ダンケルクの奇跡」を演出した。

写真(右)1943年1月22日、北アフリカ、トリポリ近郊、イギリス軍のアメリカ製M3グラントGrant 中戦車の脇に立つイギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)大将
Catalogue number: E 21405, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Poston (Capt),
Label: General Montgomery with other officers planning the final assault on Tripoli beside a Humber Mk II armoured car, 22 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21405)引用。


 1942年8月18日、クルード・オーキンレックClaude Auchinleck)大将の後任として北アフリカ・エジプトのイギリス第8軍を指揮していたバーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)は、エルウィン・ロンメルErwin Rommel)元帥隷下のドイツ・アフリカ軍団Deutsches Afrikakorps)をエル=アラメインの戦いで敗退させた。そして、1942年11月に55歳で大将に昇進している。

写真(右)1943年1月27日、北アフリカ、トリポリ近郊、イギリス軍の装甲車両の脇に立つイギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)大将
Catalogue number: E 21701, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Silverside, John (Sgt),
Label: General Montgomery stands beside a Grant command tank near Tripoli, 27 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21701)引用。


 1942年10月23日、エジプト・アレクサンドリアの西方、エル=アラメインで、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery "Monty" )中将は、エルヴィン・ロンメルErwin Rommel)のドイツドイツ・アフリカ軍団Deutsches Afrikakorps)・イタリア軍への攻撃を開始した。

 エジプトのイギリス軍は、アメリカの武器貸与法(1941年3月31日成立)による戦車・飛行機からトラック・燃料、被服までの補給を受けて、北アフリカの枢軸軍の2倍、すなわち戦車1000輌両(強力なM3グラント、M4シャーマン中戦車は500輌)で、火力、航空支援の下で、1942年10月23日、攻勢を開始したのである。

 西側連合軍はエル=アラメインでの攻勢から2週間後の1942年11月8日、トーチ作戦を発動し、アメリカ軍とイギリス軍は、フランス領モロッコ、仏領アルジェリアの海岸に上陸した。北アフリカ、フランス領アルジェリアFrench Algeria)は、フランスのフィリップ・ペタン 元帥の下にあるヴィシー政権Vichy France)に忠誠を表明していた。しかし、ドイツの支配には反感を抱くフランス兵士が多く、侵攻してきたイギリス軍、アメリカ軍との大規模な衝突は起きなかった。

 フランス領アルジェリアFrench Algeria)を拠点にしたイギリス軍、アメリカ軍は、西側から、エジプトを拠点としたイギリス軍は東から、エルヴィン・ロンメルErwin Rommel)元帥率いるドイツ軍とイタリア軍を挟撃した。

 1943年1月23日、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリー大将は、トリポリを占領、エルヴィン・ロンメル元帥隷下のアフリカ軍団をリビアへ、そしてさらにチュニジア、チュニスに追いつめた。

写真(右)1943年9月2日、中近東、イギリス軍第6装甲師団の訓練生がアメリカ製M3グラントGrant 中戦車、イギリス製クルセイダー巡航戦車、アメリカ製M4シャーマン中戦車の戦列を見学する。
Catalogue number: E 4211E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Object description: Trainee crews practising gun cleaning on Grant, Crusader and Sherman tanks.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (E 4211E)引用。


 アメリカ軍が北アフリカ戦に加わったのは、1942年11月8日、トーチ作戦から。アメリカ軍とイギリス軍は、フランス領モロッコ、仏領アルジェリアの海岸に上陸しドイツ軍とイタリア軍を挟撃した。

  写真(右)1943年9月2日、中近東、アメリカ製M3グラントGrant 中戦車に集まったイギリス軍第6装甲師団の訓練生たち:6TH SOUTH AFRICAN ARMOURED DIVISION IN TRAINING IN THE MIDDLE EAST, 2 SEPTEMBER 1943
Catalogue number: E 4210E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Object description: Trainee crews receiving instruction on the Grant tank.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 4210E)引用。


 アメリカ軍ドワイト・D・アイゼンハワー中将とともに、バーナード・モントゴメリーBernard Law Montgomery)大将は、1943年7月9日、ハスキー作戦Operation Husky)に基づくイタリア、シチリア島進攻に参加、島の東岸シラクサに上陸、北方に枢軸軍を追い詰めていった。

 1943年7月24日、久しく開かれていなかったファシズム大評議会Grand Council of Fascism)が招集されたが、ここでファシスト党幹部グランディらは、総帥ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini )首相を罷免し、政権を国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世に返還することを決めた。翌日25日、ムッソリーニはサボイア朝ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世Vittorio Emanuele III di Savoia)国王に解任された。

 1943年9月8日、イタリアの ピエトロ・バドリオPietro Badoglio)将軍率いる新政権は、連合国と密約を交わしていた休戦協定を公表したが、ドイツ軍は即座にイタリアを占領、イタリア軍兵士を武装解除した。翌日9月9日、イタリア新政府は国王とともに首都ローマを脱出した。同日、連合軍は、アバランチ作戦を発動しイタリア半島サレルノに上陸した。

写真(右)1944年9月27日、北イタリア、イギリス第8軍団司令部護衛中隊のアメリカ製M3グラントGrant 中戦車:このM3戦車は、元は第8軍団司令官モントゴメリー大将がエルアラメインで使用していた車両だった。車体前面にも戦車の愛称を付けている。
THE BRITISH ARMY IN ITALY 1944
Catalogue number: NA 19106, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Gade, Richard Felix (Captain
Object description: The Grant tank of 8th Army Tac HQ's Defence Company, 27 September 1944. This was General Montgomery's command tank at El Alamein and was a permanent feature of 8th Army Tac HQ.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 19106)引用。


写真(右)1944年3月-7月、中国・ビルマ・インド(CBI)戦線、インパール北部で渡河するイギリス第9軍のアメリカ製M3リー中戦車(M3 Lee ):日本軍の対戦車砲、戦車、RPGなど対戦車兵器は弱体だったため、ヨーロッパ方面では使用されなくなった旧式のM3リー中戦車でも十分に戦力となると判断され、インド防衛コヒマ・インパール攻防戦に投入されている。
Catalogue number: IND 3468, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 9 Army Film & Photographic Unit
Object description: The Battle of Imphal-Kohima March - July 1944: An M3 Lee tank crosses a river north of Imphal to meet the Japanese advance. Label: A British Lee tank crosses a river north of Imphal to meet the Japanese advance in Burma, 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (IND 3468)引用。


写真(右)1944年3月-7月、中国・ビルマ・インド(CBI)戦線、インパール=コヒマ道路を前進する、イギリス第9軍のアメリカ製M3リー中戦車(M3 Lee )、ウェストヨークシャ連隊と第10グルカ歩兵連隊。インド・ネパールの山岳民族のグルカは、勇猛果敢なことで知られる。山村での農業を営んでいるが、大英帝国のインド植民地で、植民地兵として徴用され、傭兵ともなった。
Catalogue number: IND 3469, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 9 Army Film & Photographic Unit
Object description: The Battle of Imphal-Kohima March - July 1944: Men of the West Yorkshire Regiment and 10th Gurkha Rifles advance along the Imphal-Kohima road behind Lee-Grant tanks.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (IND 3469)引用。


 1944年(昭和19年)3月、ビルマの日本陸軍第15軍は、インパール攻略「ウ号作戦」を発動し、インドに侵攻して、イギリス植民地を混乱に陥れ、合わせて西側連合軍から中国への補給路「援蒋ルート」を遮断しようとした。第15軍司令官牟田口廉也中将の隷下、3個師団4万人以上、その他補給部隊(輜重)など3万人、合計8万人が攻勢に投入された。

写真(右)1944年3月20日、中国・ビルマ・インド(CBI)戦線、ビルマ中部、マンダレー南を前進するイギリス第9軍のアメリカ製M3リー中戦車(M3 Lee )、乗員たちは日本軍兵士が出征祝いとして大切にしていた日章旗を戦利品として略奪した。
Catalogue number: SE 3497, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 9 Army Film & Photographic Unit Taylor E A (Capt),
Object description: The crew of a Lee tank pose with a captured Japanese flag during the advance south of Mandalay, 20 March 1945.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (SE 3497)引用。


 攻勢に出た日本軍は、一時、インパール西方、コヒマを占領し、インド本土からのインパールへの陸路を遮断することに成功した。しかし、航空機、戦車・火砲の攻撃力に勝るイギリス軍は、インパールを固守し、補給が滞った日本軍の攻勢は完全に頓挫した。

写真(右)1945年4月4日、中国・ビルマ・インド(CBI)戦線、ビルマ中部、タングップ郊外でアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant)のキャタピラーを修理しているイギリス王室装甲軍団第146聯隊の乗員たち:鉄棒を使ってキャタピラとなる鉄板1枚1枚の間隔を調整している。
Catalogue number: SE 3747, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 9 Army Film & Photographic Unit Wackett, Frederick (Sergeant),
Object description: A Grant tank crew of 146th Regiment, Royal Armoured Corps repair one of the tracks of their vehicle on the outskirts of Taungup, 4 April 1945.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (SE 3747)引用。


写真(右)1945年6月以降、オーストリア、ウィーン郊外、シェーンブルク宮殿で展示されたイギリス第8軍司令官バーナード・モントゴメリー元帥の乗機になったイギリス軍のM3グラント中戦車(Grant Tank):北アフリカ戦線で活躍したグランド中戦車は、モントゴメリー大将の乗車戦車にもなって写真にも多数残されている。現在この記念すべきM3グラント中戦車は、ロンドンにある帝国戦争博物館(Imperial War Museum)に展示されている。戦争に関心ある日本人の中では、「エルアラメインでも勝因は物量だと揶揄されてます。しかし、物量でドイツを圧倒したのは、なにもモントゴメリーだけじゃありません。パットン・ジューコフも基本は同じことです。 落ち目の帝国イギリスに必要だったのは、ひらめきで猛進する将軍よりも、勝つ要素を積み上げてから実行に移す司令官でした」と物量があれば勝って当然とするがいかがなものか。犠牲を少なくして、できるだけ「楽して」勝つのが最良の将軍であるとの視点が未だに欠けている。」
BRITISH FORCES OF OCCUPATION IN AUSTRIA 1945 - 1947、 Catalogue number: VIE 1717, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: All Periods
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Hatfield (Sergeant),
Object description: Field Marshal Montgomery's Grant Tank on display outside the Schonbrunn Palace, British Forces headquarters in Austria. This vehicle is now on display in the Imperial War Museum, London.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (VIE 1717)引用。



写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A5 Grantグラント中戦車(シリアルナンアーT-23876)
:M3A5 Grant Medium Tank, serial number T374, British WD number, T-23877, was built in May 1942 by Baldwin Locomotive Works. It is the 374th Grant that Baldwin produced. It was shipped directly to Australia from the U.S. in the Summer of 1942 and most likely would have been kept in service with Australian reserve units until the early 1950s. Its sister tank, T373, WD number T-23876, is currently on display at the Puckapunyal Tank Museum in Australia. This vehicle has been cosmetically restored with fresh paint inside and out, the addition of new front fenders, serviceable tracks and roadwheels. It is currently non-operational. The interior has had various ammunition racks installed with inert/dummy 37-mm and 75-mm rounds added. A radio set has been installed in the turret. The driver's dashboard has had all instruments replaced. A N.O.S. “Little Joe” auxiliary generator has been installed in the hull. New fuel gauges for the twin GM diesels have been installed. N.O.S. periscopes for both the 37-mm and 75-mm guns have been installed. 写真はAuctions America引用。

写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A5 Grantグラント中戦車の車体上面の砲塔(37ミリ砲搭載)と前輪サスペンション: Pioneer tools and a machine gun tripod have been added to the hull exterior. Original World War II track clamps have been fitted to the hull of the tank. Deactivated main armament has been installed in the turret and hull. Various other crew equipment has also been included. The original, unrestored turret basket and exterior stowage bins will be provided with this tank. And finally, a spare GM 6046 power pack will also be included with this tank. To meet British needs, a new, larger turret for the 37-mm was designed. Unlike the American M3 which had the radio located in the hull, the British M3 had the radio located in the bustle of the new turret. This allowed for it to be closer and more accessible for the tank commander. To differentiate between the two types, the British named the American M3 the Lee and their M3, the Grant. The British Commonwealth received 2,887 Grants and Lees of various types during WW II. Production of the Lee/Grant ended in December 1942.写真はAuctions America引用。

写真(上)写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A5 Grantグラント中戦車の覗き穴と車内の操縦手席。オークションで$276,000 で落札
: The Grant first saw action with the British 8th Army in North Africa during May 1942 at the Battle of Gazala. At the time of its introduction, the Grant finally provided the 8th Army with a tank that outgunned the majority of the tanks in service with the German Afrika Korps. Prior to the introduction of the Grant, the tanks of the 8th Army were equipped with the puny 2-pdr (40-mm) cannon or the U.S. manufactured 37-mm cannon. The 2-pdr lacked a high explosive (HE) round which was all so valuable in combating enemy anti-tank guns. Although the 37-mm gun did have a HE round, it was quite small and of limited effect. The lack of suitable HE rounds forced British tankers to have to rely on field artillery to knock out the guns or they would have to close to suicidal close ranges and attempt to engage the enemy guns with their tank-mounted machine guns.

写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A5 Grantグラント中戦車の車内側壁の砲弾ラックと車内床の砲弾収容箱。オークションで$276,000 で落札
:The Grant's 75-mm M2 and later 75-mm M3 gun with their powerful HE rounds, allowed the British to engage German anti-tank guns effectively from relatively safe ranges. The armor piercing capability of the heavier 75-mm round also allowed them to engage any of the German panzers with a good chance of success. Sadly for the British tankers, this technological advantage was nullified by the inferior tactics used by the 8th Army during this time. By the time British tactics were changed, the Grant was beginning to be replaced by the M4 Sherman series. As a gun tank, all Grants were replaced in 8th Army service by early 1943. Some were kept and used as command vehicles during the invasions of Sicily and Italy. With their main armament removed, the roomy hull of the Grant provided an ideal space for use by senior officers. Other Grants were shipped during the war to Australia and India. Those in India eventually saw service against the Japanese and served until the fall of Rangoon in Burma. Australia never deployed their Grants overseas and maintained them for home defense. They kept some of them in reserve service until 1955.
上記の写真8点はAuctions America引用。



写真(上)2016年5月、eBayインターネットオークションでarmytankguyがWWII Tank, M3 Grant Turretと称して競売入札にかけたM3グラント中戦車の鋳造砲塔
:左写真にある正面四角の切欠きは37ミリ砲の防楯装着場所。右写真の砲塔後方側面には、砲塔内部から外の様子を覗く観察窓、すなわち覗視孔(てんしこう)がある。販売場所は、College Station, テキサス州(Texas), アメリカ合衆国(United States)。2016年3月後半のM4A2E8シャーマン中戦車eBayオークションの即決価格は55万ドル(約6100万円:$550,000)だったが、このM3グラント中戦車eBayオークションの砲塔外板の即決価格3万5,000ドル(371万7,472円)というのは歴史的価値を考えても高価である。 写真はeBay Motors引用。


写真(上)2016年5月、インターネットオークションeBayでWWII Tank, M3 Grant Turretとして競売入札にかけられたM3グラント中戦車の鋳造砲塔の外板:砲塔上面後ろ寄りには、出入りに利用できる司令塔ハッチがあるが、ペリスコープの観測窓はついていない。砲塔の側面には、周囲の様子を覗くための細長い覗視孔(てんしこう)がある。重量は6000ポンド(2700キログラム)。Price:US $35,000 Buy it now
Original turret for the M3 Grant medium tank. Early model with the factory welded up loader's hatch. Includes most of the M24 gun mount for the front and a reproduction 37MM mantlet. Has only 1/2 of the door for the commanders hatch. The commanders coupla rotates freely. I will help load but shipping is the responsibility of the buyer. Weighs approx. 6000 lbs.
写真はeBay Motors引用。





4.アメリカ陸軍 M7 105ミリ自走榴弾砲 GMC (Gun Motor Carriage)

写真(右)1944年6月6日、ノルマンディ海岸エルマンヴィル=シュル=メール近くのイギリス軍王室近衛砲兵隊第33野戦砲兵大隊のアメリカ製 M7プリエスト105ミリ自走榴弾砲 GMC (Gun Motor Carriage) : ノルマンディ海岸の上陸地点は、ソード・ビーチ、ジュノー・ビーチ、ゴールド・ビーチ、オマハ・ビーチ、ユタ・ビーチの5カ所だったが、後方への空挺部隊降下も行われている。
Catalogue number: B 5032, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Mapham J (Sgt),  Object description: A battery of M7 Priest 105mm self-propelled guns from 33rd Field Regiment, Royal Artillery, near Hermanville-sur-Mer, 6 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5032)引用。


M7プリースト105ミリ自走榴弾砲105mm SP M7 Priest)は、M3中戦車の車台をベースにした機械化部隊随伴の 自走砲で、1941年6月に開発された。105mm砲弾を69発搭載。1942年中に2,000両が生産され、その後1944年10月までにさらに1100両が生産された。M12 155ミリ自走加農砲も開発された。

 M7プリースト105mm自走榴弾砲は、M3中戦車の車台をベースにした機械化部隊随伴の自走砲で、1941年6月に開発された。105mm砲弾を69発搭載。1942年中に2,000両が生産され、その後1944年10月までにさらに1100両が生産された。M12 155ミリ自走加農砲も開発された。

⇒アメリカ軍M7 105ミリ自走榴弾砲 GMC


5.アメリカ陸軍 M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage)

写真(右)1944年6月7日、ノルマンディのゴールドビーチに上陸したイギリス軍のアメリカ製M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage) :1944年9月、オランダ中部への空挺部隊降下(マーケット・ガーデン作戦)が不調だったこともあって、ドイツ本土への西側連合軍の本格的な侵攻は、1945年に入ってからとなった。
Catalogue number: BU 3514, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt),  Object description: American M12 155mm GMC (Gun Motor Carriage) self-propelled guns coming ashore, Gold area, 7 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (BU 3514)引用。


M12 155ミリ自走加濃砲 GMC諸元
全長:6.73 m、全幅:2.67 m、全高:2.7 m
重量: 26トン
装甲:車体前面50mm
兵装:38.2口径M1917 155mmカノン砲、 搭載弾薬 10発
ライトコンチネンタル R975 EC2 空冷星形9気筒ガソリンエンジン(340馬力)
行動距離:220 km

写真(右)1944年6月10日、ノルマンディ、バイユー近くのイギリス軍第987野戦砲兵大隊のアメリカ製 M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage)
Catalogue number: B 5413, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt),  Object description: An American M12 GMC 155mm self-propelled gun of 987th Field Artillery Battalion near Bayeux, 10 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5413)引用。


 1941年6月に開発開始、1942年2月に試作車が完成したM12 155ミリ自走加濃砲 GMCは、フランス設計の38.2口径155mm加農砲M1918M1を、M3リー中戦車の車台に搭載した自走砲。 四角形の戦闘室は、、前面、左右側面を垂直な0.5インチ(12.7mm)厚の装甲板で囲んでいる。
 M12 155ミリ加農砲M1918M1は、左右旋回角左右各15度、仰角−3〜30度で、射会は広い。42キロの榴弾は、最大射程1万8,000メートルに達する。しかし、大型砲弾のために、車載可能な弾丸は10発分に過ぎない。また、弾頭と薬莢が一体化していない分離装薬式であったために、装填に手間がかかり、発射速度は毎分4発程度に制限された。

⇒アメリカ軍M12 155ミリ自走榴弾砲 GMC


6. グラント回収車 (Grant Armoured Recovery Vehicle: ARV )

http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib/21/media-21671/large.jpg?action=d&cat=photographs写真(右)1943-1944年頃、イギリス(?)、M3グラント戦車の砲塔と主砲を取り除き重量を軽減したうえで、牽引装備を施したグラント回収車 :ブレン機銃を二連装にして車体上面に装備したのは、対空機銃としてであろう。車体側面に牽引に使用するワイヤー、斧などの工具を付け正規装備をしているので記録写真と思われる。
THE BRITISH ARMY IN THE UNITED KINGDOM 1939-45
Catalogue number: H 27559, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Harrison (Sgt), 
Object description: Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) with twin Bren AA mount.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 27559)引用。


 M4シャーマン戦車と同じサスペンション・エンジンを備えているM3グラントは、信頼性、機動性に優れていたが、M4シャーマン戦車の登場で旧式化してしまった。そこで、戦車回収車に改修して前線位投入された。M4シャーマン戦車との車体を活用した IWM グラント回収車(TRV:Tank Recovery Vehicle)は、汎用性に富んでいて、旧式化しても前線で、壕にはまったり、砲撃で破損したりした戦車を有効に回収することができたと思われる。

http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib/21/media-21671/large.jpg?action=d&cat=photographs写真(右)1943-1944年頃、イギリス(?)、M3グラント戦車の砲塔と主砲を取り除き重量を軽減したうえで、ブレン機銃を二連装にして装備したグラント回収車 :ブレン機銃は、チェコZB26機銃をほぼコピーしたイギリスのガス駆動軽機関銃で、弾薬はイギリス軍制式小銃エンフィールドMk.4と同じ0.303口径7.69ミリ弾である。発射速度は毎分500発。車体後方には、壕を超えたり、軟弱地盤から脱出したりするときに使用できる木板と角材、長い牽引用のワイヤーが整然と搭載されている。
THE BRITISH ARMY IN THE UNITED KINGDOM 1939-45
Catalogue number: H 27562, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Wooldridge (Sgt), 
Object description: Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) with twin Bren AA mount.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 27562)引用。


 当時のイギリス軍歩兵が使用した小銃は、1895年制式リー・エンフィールド0.303口径7.69mmボルトアクションライフル(Rifle )Lee Enfield No.4 Mk Iが主流だった。このエンフィールド小銃は長年に渡りイギリス軍の制式小銃として配備されていた。

http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib/21/media-21671/large.jpg?action=d&cat=photographs写真(右)1943-1944年頃、イギリス(?)、車体前面にクレーンを装備したグラント回収車 :車載機銃など防御兵器は搭載していないようだが、連合軍は制空権を確保している地域で作戦行動をとる場合が多かったので、機銃の搭載は、乗員の精神的な面を保持する程度であり、実効性がないために不要と判断されたのかもしれない。
THE BRITISH ARMY IN THE UNITED KINGDOM 1939-45
Catalogue number: H 27569, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Wooldridge (Sgt), 
Object description: Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) with jib fitted.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 27569)引用。


 戦場で戦車が壕に埋まったり、軟弱地盤に足をとられたりした場合、車体を若干持ち上げて、牽引することで、脱出できる場合が多い。戦場で動けなくなった戦車を素早く改修、修理して前線に復帰させることで、兵力の維持は、新兵や新しい戦車の供給を待つよりも早期に回復できる。そこで、走行を施して、敵の攻撃を予期しつつ、戦車を回収、牽引できる装甲回収車が開発、部隊配備されるようになった。

写真(右)1944年5月16日、北イタリア、ドイツ軍防衛線グスタフ・ラインを攻撃し動けなくなったM4シャーマン戦車を牽引するグラント回収車 :M3グラント戦車はM4シャーマン戦車と同じサスペンション・エンジンを備えているので、砲塔を撤去し、主砲を除去すれば、重量は大幅に軽くなり、牽引能力は強化された。砲塔ないが、司令塔にニセの37ミリ偽砲を装着して偽装を施し、攻撃を受けにくくしている。
Catalogue number: B 8910, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit, Fox (Sgt), 
Object description: A Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) Mk I tows a disabled Sherman tank during the assault on the Gustav Line, 16 May 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 8910)引用。


写真(右)1944年頃、イギリス(?)、M4シャーマン戦車をロッドを使って牽引しようと準備しているグラント回収車 :M3グラント戦車の砲塔、火砲を除去し簡易型の戦車牽引車ではあるが、M4シャーマン戦車の動力部をそのまま生かして、牽引能力を発揮できた。しかし、M4シャーマン戦車をベースにしたシャーマン回収車が量産されたために、グラント回収車はそれほど前線の部隊には配備されていないようだ。
Catalogue number: H 27580, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Wooldridge (Sgt), 
Object description: Sherman tank being hooked up to the rear of a Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle). 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (H 27580)引用。


⇒イギリス陸軍クル―セイダーCrusader 巡航戦車
⇒イギリス軍クロムウェル Cromwell 巡航戦車
⇒イギリス陸軍マチルダ II Mark II Matilda歩兵戦車
⇒イギリス軍チャーチルChurchil歩兵戦車



7.アメリカ軍 M4中戦車 シャーマン Sherman−M3リー戦車の後継戦車

M4シャーマン戦車は、M3グラント戦車の車体を利用し、そこに砲塔に75mm砲を搭載するスタイルで設計された。M4シャーマン戦車が制式になったのは、1941年10月、これは日米開戦の直前だった。大量生産するために、鋳造生産の車体としたM4A1、板金溶接車体のM4の2種類が同時に量産された。M4A1はアメリカ参戦直後の1942年2月から量産開始、M4は1942年7月から量産開始。

⇒アメリカ陸軍M4シャーマン戦車
⇒アメリカ製イギリス軍シャーマン・ファイアフライ戦車Sherman Firefly
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒ドイツ陸軍III号戦車・IV号戦車・ティーゲル重戦車



◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを扱い、ポーランド侵攻、ソ連侵攻バルバロッサ作戦、ノルマンディ侵攻、ラインの守り作戦も解説しました。


ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。


サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車

VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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