Search the TORIKAI LAB Network

Googleサイト内

◆アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車の北アフリカ戦 写真(上)1942年6日,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3Aスチュアート軽戦車:M3A 軽戦車は,重量32,400 lb (14.7トン)、全長14 ft 2.4 in (4.33 m)、全幅8 ft 1.2 in (2.47 m)、高さ7 ft 6 in (2.29 m)、乗員4人。
装甲13–51 mm、主砲37 mm M6、装弾数176発、0.30インチ-06 Browning M1919A4 MG 7,500発、エンジンContinental W-670-9A, 250馬力 (190 kW)。
Title: Light tanks, Fort Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35208 (digital file from original transparency) LC-USW361-173 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-173 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


1.アメリカ陸軍 M2A4 Stuart ( Honey )スチュアート(ハニー) 軽戦車―M3Aスチュアート軽戦車の原型

写真(右)1942年3月11日、アメリカ製M2A4 Stuart ( Honey ) 軽戦車light tank: 全長4.43 m、全幅2.47 m、全高2.65 m、重量11.6 t。 最高時速58 km/h、航続距離113 km、兵装37 mm M5戦車砲(砲弾搭載数103発)、加えて車体前面の車載機銃を3丁装備している。主砲の脇と砲塔上面にも車載機銃を装備しているので、合計M1919A4 7.62 mm 機銃5丁(8,470発)もある。
Catalogue number: MH 9293, Part of FIGHTING VEHICLE ESTABLISHMENT CHOBHAM, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: M2A4 Stuart ( Honey ) light tank.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (MH 9293)


1936年に開発さ、試作されたT2E1軽戦車が M2A1スチュアート軽戦車として制式になった。T2E1軽戦車は、サスペンションに(垂直コイルスプリング)方式を採用し、たんじゅんで故障しにくい構造としたが、これは後のアメリカの中戦車に継承されることになる。装甲は溶接ではなく、リベットで装着している。砲塔は動力式でなく人力旋回方式だった。

写真(右)1942年3月11日、イギリス軍のM2A4スチュアート Stuart ( Honey )ハニー 軽戦車light tank: 全長4.43 m、全幅2.47 m、全高2.65 m、重量11.6 t。 最高時速58 km/h、航続距離113 km、兵装37 mm M5戦車砲(砲弾搭載数103発)、加えて車体前面の車載機銃を3丁装備している。主砲の脇と砲塔上面にも車載機銃を装備しているので、合計M1919A4 7.62 mm 機銃5丁(8,470発)もある。
Catalogue number: H 17816, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Creator: War Office official photographer Spender (Lt), Object category: M2A4 Light Tank, 11 March 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17816)


M2A4スチュアート Stuart ( Honey )ハニー 軽戦車は、ソ連赤軍の開発した BT-5快速戦車、T-26軽戦車と同時代の戦車で、相互に影響しているために形状が類似している。

1939年9月1日,ドイツ軍はポーランドに侵攻し,9月3日,英仏がドイツに宣戦布告して第二次大戦が始まった。9月17日,ソ連軍は,ポーランドを保障占領するとして,ポーランド東部に武力進駐した。ソビエト連邦は,1939年8月23日、ドイツと独ソ不可侵条約秘密議定書に基づいてポーランドに進駐し、ドイツをポーランドと分割した。

独ソ不可侵条約THE NAZI-SOVIET NONAGRESSION PACT は,
?相互に相手の領土の不可侵,
?一方が第三国と交戦した場合、他方はこの第三国を援助しない
?相互間の紛争の平和的解決
を骨子とした,期限10年の条約である。

つまり、第二次大戦勃発直前、独ソ不可侵条約によって、ドイツとソ連は、東欧・バルト三国の勢力圏を策定したのである。ソ連はバルト三国とフィンランドへの優位を認めさせ、バルト三国に対して軍事力を背景に、赤軍の進駐を認めさせ、併合した。さらに、ソ連はフィンランドにカレリア地峡Karelian Isthmusの割譲を要求した。レニングラード近郊カレリア地峡で、フィンランドの国境を30km後退させること要求したのであるが、1939年9月、フィンランドは,このソ連からの領土要求を拒否した。

ソ連はフィンランドからの攻撃を口実に、1939年11月30日、対フィンランド宣戦を布告し、「冬戦争」が始まった。1938年のミュンヘン協定で、イギリス、フランスがドイツとの対決に躊躇している状況で、1939年になるとドイツは、チェコ全土を占領した。そして、9月にはポーランドに侵攻したが、両国はドイツ領内に軍を進めて対決することをしないまま、戦争は「座り込み」状態だった。

 そこで、ソ連は周辺国に侵略を始めても、イギリス、フランスと軍事的対立までは至らないと考えたようだった。こうして、1939年11月30日、フィンランド冬戦争をソ連は始めたが、1939年12月14日、国際連盟League of Nationsから除名された。

 このように、ソ連のポーランド進駐、フィンランド侵略にもかかわらず、
?イギリスもフランスも、ソ連と国境を接していない、
?ソ連はドイツの軍事力を引き付けておく外交手段として活用できる、
と考え、対ソ宣戦布告することはなかった。


ソ連赤軍のT-26戦車は,1930年代前半に開発され,BT快速戦車と同じような大型砲塔を備えていた。兵装は,長砲身37ミリ砲を装備し,重量9トン,8000台量産された。

1936年のスペイン内戦,1939年9月17日のポーランド武力進駐,1939年11月30日から1940年3月13日までのフィンランド冬戦争,1941年6月22日の独ソ戦開戦の時,ソ連の主力戦車だった。しかし、T-26戦車は,装甲が薄いために,対戦車戦闘能力は低かった。フィンランド冬戦争で,フィンランド軍は多数のT-26戦車を鹵獲,自軍の主力戦車とした。

T-26戦車諸元
全長 4.9メートル,全幅 3.4メートル,車高 2.4メートル,全備重量 9.4トン
最高速度 時速28キロ,航続距離175キロ
兵装: 45ミリM32 戦車砲(発射速度15-20 rpm、初速760 m/s 、射程4.4 km),7.62ミリ機銃1丁
砲塔前面装甲25ミリ,砲塔側面15ミリ,車体15ミリ
エンジン 90 馬力(66キロワット)ガソリン駆動
乗員 3 人

ソ連赤軍は,もとは帝政ロシアに反旗を翻した共産党が指導する革命軍であり、1930年代には共産党書記長(首相に相当)ヨシフ・スターリンソ連赤軍の近代化を推し進めた。

 1930年初頭,イギリスのビッカース6トン戦車を輸入し,これをベースにした戦車を開発した。これが,T-26戦車で,歩兵に随伴する歩兵戦車だった。

 1936-1937年,スペイン内戦に際して,ソ連は共和国側に軍事援助を行った。ソ連軍のT-26軽戦車も派遣された。

 他方、スペイン内戦には、ドイツ軍がI号戦車,イタリア軍がL3戦車を派遣した。しかし、これらのファシスト軍の戦車より、ソビエトの戦車のほうが装甲と攻撃力に優れていた。

1938年の朝鮮と満州を隔てる豆満江河口上流で張鼓峰事件(日本の朝鮮軍第19師団とソ連軍の戦い),1939年のモンゴル・満州国境のノモンハン事件に際しては,T-26戦車が投入され,日本軍を攻撃した。


2.アメリカ陸軍 M3A スチュアート Stuart 軽戦車―終戦まで使われた偵察戦車

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3Aスチュアート軽戦車:水壕を超える訓練をするM3A軽戦車。
Title: Light tank going through water obstacle, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35194 (digital file from original transparency) LC-USW361-154 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-154
写真はLibrary of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


M2軽戦車を若干大型化し、装甲を増強し防御力を向上させたのが、M3軽戦車である。アメリカ戦車の特徴として、車内空間が他国の戦車と比較して広く、居住性はよく、自動車生産を参考にしていたため、量産性も優れていた。

M3Aスチュアート軽戦車の主砲は37ミリM3対戦車砲を戦車用に改修した37ミリM6戦車砲で当時は有力な対戦車砲だった。 

 M3Aスチュアート軽戦車が搭載した機関は1934年に飛行機用に開発されたコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル230馬力)、あるいは星型空冷ディーゼルエンジンGuiberson Diesel T-1020 9気筒250馬力だった。スチュアート戦車は12.7トンの重量であるから、出力が大きいエンジンを搭載したことで、整地であれば最高速度(時速) 35マイル(58キロ)の高速で起動できた。航続距離 110kmだった。

1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3Aスチュアート軽戦車の車体前方についている操縦者ハッチ:搭乗員のための車内空間は狭く,砲塔も搭載した戦車も小さいので,重量は軽く、機動性がよい軽戦車だった。
Title: Light tank, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35213 (digital file from original transparency) LC-USW361-178 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-178 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


第二次大戦開戦当初、アメリカ陸軍が採用していた主力戦車はM3A軽戦車だった。1936年に始まったスペイン内戦時期に内戦に派遣されていたドイツ・イタリア・ソビエト製戦車と比較検討しながら、アメリカ陸軍は,M2軽戦車を完成させた。長砲身の37ミリ戦車砲を装備して、対戦車攻撃力をつけ、装甲も1.5インチ(38ミリ)と当時としては強力だった。

写真(右)1942年、ビルマ、第7女王直属軽騎兵隊所属のM3A スチュアートStuart軽戦車:砲塔には37ミリM3対戦車砲を戦車用に改修した37ミリM6戦車砲(砲弾搭載数103発)を搭載し、車体前面の車載機銃も装備している。砲塔や車体の側面に記される白い星の記章はペイントされていない。
Catalogue number: KF 286, Part of BRITISH FORCES IN BURMA, MALAYA AND HONG KONG, 1941 - 1942, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: An M3 Stuart tank of 7th Queen's Own Hussars in Burma, 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (KF 286)


写真(右)1941年8月17日、エジプトに到着したばかりの真新しいアメリカ製M3AスチュアートStuart軽戦車のサスペンションを点検するイギリス軍王室戦車連隊の兵士たち
Catalogue number: E 3443E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J, Object description: Men of the Royal Tank Regiment examining the tracks and suspension of the new American M3 Stuart tank at a training depot in Egypt, 17 August 1941.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3443E)


M2A軽戦車の後継としてM3A軽戦車として制式されたのは、1940年7月で、生産は、1941年3月から始まった。初期型のリベット接合砲塔は、すぐに溶接砲塔に改良され、後期型は、車体も溶接生産された。

写真(右)1941年8月17日、エジプトで、駐エジプト・アメリカ大使ワルター・カーク氏の検閲を受ける到着したばかりの真新しいアメリカ製M3A スチュアートStuart軽戦車:これはイギリス軍王室戦車連隊に配備された戦車。
Catalogue number: E 3450E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J, Object description: Men of the Royal Tank Regiment, training on the new American M3 Stuart tank, being inspected by Mr Kirk, American Minister to Egypt, 17 August 1941.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3450E)


 1940年7月制式のM3A スチュアート軽戦車は、1941年3月から量産されたが、初めての実戦投入は、北アフリカ、エジプトをドイツ軍・イタリア軍から防衛していたイギリス軍に対してである。

 1941年にエジプトに到着した真新しいアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車は、1941年8月17日に、1944年9月まで在エジプト・アメリカ大使だったアレクサンダー・カーク(Alexander Kirk)氏の検閲を受けている。

写真(右)1941年8月17日、エジプト、戦車訓練所でイギリス軍の王室戦車連隊の(RTR:Royal Tank Regiment)将兵が真新しいアメリカ製M3A スチュアートStuart軽戦車の説明を受けている。砲塔上部に大型の司令塔ハッチがあるので初期生産型である。手前と後方にあるのはイギリス製マチルダ戦車。
Catalogue number: E 3438E, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J  Object description: RTR tank crews being introduced to the new American M3 Stuart tank at a training depot in Egypt, 17 August 1941. Note the Matilda in the background.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3438E)


 アメリカが武器貸与法(Lend Lease Act)によって当初供給した戦車には、M3A スチュアート軽戦車、M3リー/グラント中戦車がある。これらの戦車の中には、ドイツ軍の攻勢を受けたエジプト、スエズ運河の危機に応じて、急遽、アメリカから直接エジプトに運ばれた車両があったのかもしれない。そうであれば、イギリス軍兵は、このM3スチュアート軽戦車、M3リー/グラント中戦車を初めて扱うことになり、訓練が必要不可欠であったろう。

写真(右)1941年8月19日、エジプト北部、揚陸されたイギリス軍向けのM3A スチュアートStuart軽戦車の試運転:重量 13.7トン、全長 4.53m、 装甲:車体前面38ミリ、防楯51ミリ、側面・後面25ミリ、53.5口径37ミリM6戦車砲(砲弾搭載数147発)、最高速度 58km/h(整地)、航続距離 110km、 生産数 1万2,574輌。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: New New American M3 Stuart tanks on test, 19 August 1941. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17828)


 スタンダード石油は、アメリカの世界最大の石油会社であるが、会長ティーグルはアメリカン・イー・ゲー(戦時中は GAF)の取締役だった。IGファルベン(イー・ゲー・ファルベン)は、ドイツ有数のメーカーで、第二次大戦勃発後も、スタンダード石油と取引し、協調関係にあった。スタンダード石油は系列会社を通じて、テトラエチレン鉛(アンチ-ノッキング剤)や合成ゴムをドイツに供給していた。

写真(右)1941年8月28日、エジプト、イギリス軍第8王室アイリッシュ騎兵隊所属、真新しいアメリカ製M3A スチュアートStuart軽戦車の隊列
Catalogue number: E 3467E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J, Object description: 8th King's Royal Irish Hussars training with their new Stuart tanks, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3467E)


写真(右)1941年8月28日、エジプト、イギリス軍第8王室アイリッシュ騎兵隊所属、真新しいアメリカ製M3A スチュアートStuart軽戦車の隊列
Catalogue number: E 3469E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J, Object description: 8th King's Royal Irish Hussars training with their new Stuart tanks, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3469E)


写真(右)1941年8月28日、エジプト、西砂漠でイギリス軍第8王室アイリッシュ騎兵隊が真新しいアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車を試している。
Catalogue number: E 5062, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Palmer F E (Lieut), Object description: The 8th Hussars testing their new American M3 Stuart tanks in the Western Desert, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 5062)


M3 スチュアート軽戦車
37ミリ砲を搭載した砲塔には、リベット接合式と溶接式との2種類があった。この砲塔上面には戦車長用の司令塔(キューポラ)があった。砲塔は手動旋回。エンジンにも、コンチネンタル社W-670-9A星型7気筒空冷ガソリンエンジン(出力262 hp)とギバースン社 T-1020-4 星型9気筒空冷ディーゼルエンジン(出力245 hp)の2種類があった。1942年3月から量産され、1943年2月までに、ガソリン型「スチュアートIII」4,410輌、ディーゼル型「スチュアートIV」211輌が生産された。

写真(右)1941年8月28日、エジプト、西砂漠でイギリス軍第8王室アイリッシュ騎兵隊が真新しいアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車を試している。右の乗員は、狭い車内でも支障が起きないようにオーバーオールのつなぎ服と皮革製クッション付きヘルメットを着用している。戦車長が砲塔上で、手旗信号による式訓練をしているのであろうか。ブローニング車載機銃には、防塵用のカバーが掛けてある。
Object description The 8th Hussars testing their new American M3 Stuart tanks in the Western Desert, 28 August 1941. Catalogue number: E 5086, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Palmer F E (Lieut), Object description: The 8th Hussars testing their new American M3 Stuart tanks in the Western Desert, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 5086)


M3 A1スチュアートStuart軽戦車
重量: 12,600 kg
エンジン出力 262 h.p
最高時速: 56.98 km/h
登攀最高傾斜:31度、最高横傾斜:25度
渡河可能水深:0.91m
超壕能力:1.83m
登攀可能障害高:0.61m
車体装甲:前面38ミリ/側面・後面25ミリ、上面12.7ミリ
砲塔装甲:前面50.8 ミリ、側面・後面31.8ミリ、上面12.7ミリ
37 mm Gun M6 (搭載砲弾数106発)
7.62 mmブローニングM1919A4機銃 (搭載銃弾数6,200発)
1942年4月より生産開始、1943年2月までに4,621輌を量産。

写真(右)1941年8月28日、エジプト、西砂漠でイギリス軍第8王室アイリッシュ騎兵隊が真新しいアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車を高速走行させている。
Catalogue number: E 5065, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Palmer F E (Lieut), Object description: The 8th Hussars testing their new American M3 Stuart tanks in the Western Desert, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 5065)


 イギリス軍は、アメリカ軍のブローニング.30口径7.62ミリM1919機銃M1919 Browning)の銃弾を自国仕様の0.303口径7.69ミリに合わせた型を輸入し、イギリス軍の歩兵だけでなく、M3スチュアート軽戦車や装甲車の車載機銃として、飛行機の固定機銃あるいは旋回機銃として広く使用した。

写真(右)1941年8月28日、エジプトに到着したばかりの第8王室アイリッシュ騎兵隊所属の、真新しいアメリカ製M3 AスチュアートStuart軽戦車司令塔に装備されたブローニング7.69ミリM1919車載機銃
Catalogue number: E 3476E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: Jarche J, Object description: A member of the 8th King's Royal Irish Hussars mans the turret-mounted .30-inch machine gun on one of the regiment's new Stuart tanks, 28 August 1941.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 3476E)


ブローニング.30口径7.62ミリM1919機銃M1919 Browning)は、アメリカのブローニング社が開発した水冷式のブローニング.30口径7.62ミリM1917機銃M1917 Browning)を放熱筒を使った空冷式に換えた重機関銃で、ブローニング.50口径12.7ミリM2重機関銃 M2 Browning)と同じく、世界中で使用された。

ブローニングM1919A4機銃の諸元
全長1,219mm 重量14kg(M1919A4)
発射速度:400-600発/分、初速:853.6m/秒、有効射程距離:1,370m

写真(右)1941年9月19日、エジプトのアレキサンドリア港に揚陸されるイギリス軍向けM3 AスチュアートStuart軽戦車:戦争への積み下ろしに便利なように、砲塔を後ろ向きに固定し、砲身突出部を車外に出さないように配慮している。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit, Palmer F E (Lieut), Object description: An American M3 Stuart tank being hoisted from a ship onto the quayside at Alexandria, 19 July 1941. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17828)


M3Aスチュアート軽戦車は、重量 13.7トン、全長 4.53m、 装甲:車体前面38ミリ、防楯51ミリ、側面・後面25ミリ、53.5口径37ミリM6戦車砲(砲弾搭載数103発)で、1941年に生産、部隊配備が始まった。当初は、ドイツ軍や日本軍の戦車と対等以上の強力な戦車だった。

 搭載した発動機は、1934年開発の航空機用空冷星形エンジンを改修したコンチネンタル社W-670-9A空冷星形ガソリンエンジンで250馬力 (190 kW)だったが、少数ながらギバースン社T-1020-4空冷ディーゼルエンジンを搭載した型もある。

写真(右)1941年12月10日、北アフリカ、西砂漠、戦車修理所で修理している最中のイギリス軍M3 AスチュアートStuart軽戦車
:Catalogue number: E 7008, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Cash (Lieut),  Object description: A Stuart tank undergoing repairs at a tank repair depot in the Western Desert, 10 December 1941. 写真は
イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 7008)

 ドイツ軍の場合、1944年の戦車大隊補給中隊には車両・武器整備班、戦車連隊には修理中隊があった。1944年の装甲師団の修理中隊は2個整備小隊、回収班、装備班、無線修理班、予備部品班から成っていた。現場の応急修理ができないほどの損傷を受けた車両は、軍車両廠に後送される。

写真(右)1941年12月15日、北アフリカ、トブルク近郊で破壊されたイギリス軍第7装甲師団第8騎兵隊所属のM3 AスチュアートStuart軽戦車
:車体側面のキャタピラ多いが破壊されている。車体前面の操縦者用ハッチも、砲塔上面の司令塔ハッチも開放されている。司令塔ハッチには、車載機関銃が装備されているが、大きな損傷は見えない。
Catalogue number: E 7044, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit,  Object description: 'Bellman', an M3 Stuart tank of 8th Hussars, 7th Armoured Division, knocked out near Tobruk, 15 December 1941. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 7044)


  1940 年12 月末に、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトFDR)は、「国の安全に関する炉辺談話」と称して、アメリカは民主主義の兵器廠(Arsenal of Democracy)となる」とイギリスへの武器貸与の方針を表明した。

1941年3月 11日に制定された武器貸与法Lend-Lease)にのっとって、アメリカはイギリスに飛行機・戦車から燃料・被服まで大量の軍事物資を貸与した。M3A軽戦車「スチュアート」は1942年8月までにアメリカで5800輌生産され、武器貸与法に基づいて、北アフリカ戦線で戦うイギリス陸軍に大量に供給されている。

写真(右)1941年12月、北アフリカ、エジプト、操縦席のハッチを開けて外を見ているイギリス第8軍第7装甲師団「砂漠の鼠」のM3 AスチュアートStuart軽戦車戦車兵:スチュアートStuart軽戦車は、第二次世界大戦前にアメリカが開発したM2軽戦車を改修し、16ミリの軽装甲の車体を38.1 ミリ(1.5インチ)まで強化し、1944年まで量産された軽戦車で、小型ではあったが、居住性は悪くないようだ。
Catalogue number: E 7284, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Clayton (Lieut), Object description: An RTR crewman in the driving position of an M3 Stuart tank at a training depot in Egypt, 17 August 1941.写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 7284)


1941年2月、エルヴィン・ロンメル大将隷下、ドイツアフリカ軍団が編成されて、イタリア領リビアに派遣された。4月、アフリカ軍団はイギリス軍を駆逐してベンガジを奪回し、トブルクを包囲した。しかし、トブルクを陥落させることはできず、イギリス軍は港湾都市トブルクを固守していた。1942年5月、アドイツ・アフリカ軍団は、ガザラに防衛線を築いたイギリス軍を攻撃し、6月21日にはトブルクを陥落させた。


写真(右)1942年3月2日、北アフリカ、エジプト、アッバシア近郊、新たに支給された真新しいイギリス軍王室装甲軍団アメリカ製M3 AスチュアートStuart軽戦車(手前2両目)とイギリス製バレンタイン歩兵戦車(一番手前)とクルーセーダー巡航戦車(奥)
: バレンタイン歩兵戦車は、1939年4月に設計され、1940年5月には施策が完成した。ダンケルク敗走の時期だったため、イギリス本土防衛のためにすぐにバレンタイン歩兵戦車と命名され量産が開始された。1944年4月まで、ヴィッカース社を初めイギリスで6,855輌、カナダでも1,420輌が量産された。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War、 Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Gladstone (Sgt)、 Alternative Names: object category: Newly-arrived Royal Armoured Corps troops working on a variety of tank types at a training camp near Abbasia in Egypt, 2 March 1943. In the foreground are a Valentine and Stuart tank, with Crusaders and more Valentines behind. On the right is a Covenanter tank, perhaps the only example of its kind to have arrived in North Africa.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17828)


バレンタイン歩兵戦車の諸元
全長:5.4 m、全幅:2.6 m、全高:2.2 m
最大装甲厚:65mm
重量:17 t
最高時速:15 km/h(整地)、8 km/h(不整地)
主砲はMk.I-VII:50口径2ポンド戦車砲(砲弾搭載数60発)、ただし、Mk.VII-X:6ポンド砲

写真(右)1942年3月29日、北アフリカ、補給を受けた缶詰を配備されたばかり:真新しいM3 AスチュアートStuart軽戦車の車体前方上面に置いているイギリス軍兵士: アメリカでは、1861年の南北戦争以来、ブリキ缶の食糧缶詰が普及したが、第一次大戦の頃には世界の軍隊が缶詰食品を広く採用していた。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Object description: Crewmen loading supplies of tinned food into their newly-delivered Stuart tank, 29 March 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17828)


1804年、フランスのナポレオンは、戦争に従事する前線の兵士の食糧問題に対処するために、食糧を新鮮に保存できるような発明に懸賞金をかけた。この懸賞で表彰されたのが、フランス人ニコラ・アペールの発明になるガラスの瓶詰だった。その後、割れやすいガラスに変わって、ブリキ缶に入れた缶詰が1810年にイギリスでピーター・デュラントにより開発された。そして、アメリカの南北戦争では、ブリキ缶の食糧缶詰が戦争に使用され、第一次大戦の頃には世界の軍隊に広く普及した。

写真(右)1942年3月29日、イギリス軍のM3AスチュアートStuart軽戦車の乗員が監軍検閲を受けている。
Catalogue number: E 9900, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Sheridan (Sgt), Hansbury (Sgt),  Object description: Stuart tanks and crews lined up for inspection, 29 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (E 9900)引用。


 「監軍」は、軍事監察の官で前漢の武帝が監軍使者を設けていたが、後漢も武帝に倣った。監軍とは、軍師あるいは軍司が当る職で、大尉軍司が重んじられた。日本では慶長2年(1597年)に始まった慶長の役で、毛利秀元と共に監軍として渡海する。陸軍では、参謀本部の監軍本部条例で「監軍」と称する高級将校による検閲があったが、これは軍隊の教育・軍紀・風紀などの監視指導を企図している。

写真(右)1942年3月25日、イラク、バグダッド、二人のイギリスインド軍偽装部隊、ターバンを巻いたシークの兵士とダミーのM3AスチュアートStuart軽戦車
Catalogue number: E 9697, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit D'Eyncourt (Capt), Object description: Two Sikh members of an Indian camouflage unit in Baghdad, with a dummy Stuart tank mounted on a car chassis, 25 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 9697)引用。


 敵の航空機や地上偵察部隊・斥候の目から味方の兵力を隠すことを偽装というが、敵に偽物・ダミーの兵器や施設を見せて、そこに兵力を集結している、あるいは後方に大量の補給物資な軍備されていると見せかけることもある。北アフリカ戦線では、ドイツ軍もイギリス軍もこのようなダミーの兵力を準備して、本当の時刻兵力の集結地点を偽ったり、自国の少ない補給を多く見せかけたりする偽装作戦を仕掛けていた。

写真(右)1942年4月3日、エジプト北部、イギリス軍が設置しているダミーのM3AスチュアートStuart軽戦車:木製合板にペイントで車輪を描いているようだ。軽量なため、数人で組み立て設置することができる。主砲37ミリ砲の偽砲だけでなく、車載機銃のダミーも拵えている。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Groom (Sgt), Object description: A dummy Stuart tank being assembled in the Western Desert, 3 April 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 17828)引用。


 ダミーのM3 スチュアートStuart軽戦車の写真を見ると、キャタピラ部分は木製合板にペイントで車輪を描いているようだ。軽量なため、数人で組み立て設置することができる。主砲37ミリ砲の偽砲を備えているのは当然だが、手間のかかりそうな砲塔上の対空用車載機銃のダミーも拵えている。

  写真(右)1942年4月3日、エジプト北部、イギリス軍が軽々と移動しているのはダミーのM3AスチュアートStuart軽戦車:木製合板にペイントで車輪を描いているようだが、軽量なため、数人で組み立て設置することができる。戦車が集結しているように見せかけ陽動攻撃を仕掛けると敵のドイツ軍、イタリア軍に錯覚させることもできる。
Catalogue number: E 10147, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Groom (Sgt), Object description: Troops carrying a dummy Stuart tank, 3 April 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (E 10147)引用。


写真(右)1942年4月28日、北アフリカ、イギリス軍第4装甲旅団第5王室戦車連隊のM3AスチュアートStuart軽戦車を撮影するイギリス軍の写真撮影班。:戦車長が砲塔の司令塔ハッチを開けてポーズをとっており、操縦手も操縦室のハッチを全開にして中の様子を見せているところを、手前のカメラマンが撮影している。
Catalogue number: E 11074, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Vanderson (Lieut), Murray (Lieut), Smith (Lieut), Object description: An official photographer takes shots of a Stuart tank of 5th Royal Tank Regiment, 4th Armoured Brigade, 28 April 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 11074)


写真(右)1942年4月-5月(?)、北アフリカ、破壊されたイギリス軍のアメリカ製M3スチュアートStuart軽戦車:オリジナル解説には、アフリカ軍団のPK(宣伝中隊)が1941年4月-5月に撮影あるが、この時期では完成したばかりのスチュアート戦車は、北アフリカには配備が完了していなかったと思われる。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-783-0107-14A Archive title: Nordafrika.- von englischen Truppen eingesetzter amerikanischer Panzer M3 "Stuart"; PK "Afrika" Dating: 1941 April - Mai Photographer: Dorsen.
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) およびBundesarchiv> Picture database >Bild 101I-783-0107-14A引用


写真(右)1942年4月、北アフリカ、破壊されたイギリス軍のM3スチュアートStuart軽戦車を検分するドイツ・アフリカ軍団指揮官エルヴィン・ロンメル元帥(自動車車内で立っている)と幹部たち:破壊されたスチュアート戦車の砲塔には「HQ」とありHead Quarters(司令部)所属の偵察用の戦車かもしれない。車体後方下面に、機関点検用の観音開きの扉があいている。砲塔の司令塔ハッチの後端に、車載機銃も備えてある。
Catalogue number: MH 5875, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: German official photographer, Object description: Field Marshal Erwin Rommel and staff officers inspecting a knocked-out British M3 Stuart tank in the desert, April 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (MH 5875)


写真(右)1942年6月1日、北アフリカ、西砂漠、イギリス軍のM3AスチュアートStuart軽戦車が撃破されたドイツ軍III号戦車(PzKpfw III)を遮蔽物にしている。
Catalogue number: E 13537, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Photographic Unit Berman (Sgt), Travis (Sgt), Morris G (Sgt), Murray (Lieut),  Creator: The commander of a Stuart tank uses a knocked-out PzKpfw III tank as cover while observing the enemy, 1 June 1942.  写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 13537)


M3 スチュアートStuart 軽戦車は、重量14.7トン、全長 4.53m 装甲13-51ミリ、(0.52-2 インチ)、53.5口径37ミリ(1.45インチ) M5/M6戦車砲。1934年に飛行機用に開発されたコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル250馬力)あるいは星型空冷ディーゼルエンジンGuiberson Diesel T-1020 (9気筒250馬力)を搭載、最高速度 58km/h(36 mph)、航続距離 120km(74.5 mi)、 生産数 1万3,860輌。

写真(右)1942年6月18日、北アフリカ、西砂漠、イギリス軍の王室戦車連隊のM3AスチュアートStuart軽戦車がダイムラー偵察車から命令を受けている。:灼熱の太陽に照り付けられ、鉄板に囲まれた車内は高温で過ごしにくい。しかし、強い紫外線のために乗員たち長袖を着ている。
Catalogue number: E 13537, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Flack (Sgt), Ackland A W (Sgt),  Object description: An officer of the Royal Tank Regiment gives orders from his Daimler scout car to the commander of a Stuart tank in the Western Desert, 18 June 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 13537)


 1942年8月、イギリス軍はエル・アラメインの防衛線でエジプトを防衛するために、イギリス第8軍の指揮官にバーナード・モントゴメリー大将を任命した。イギリス軍は、アメリカの武器貸与法による戦車、航空機、燃料の補給を受けて戦力を拡充し、1942年10月23日からドイツ軍に攻勢をかけた。11月には、枢軸軍をリビアにまで撤退させたのである。

写真(右)1942年9月6日、北アフリカ、逆光の中にシルエットが美しいイギリス軍M3AスチュアートStuart軽戦車:砲塔の後方にブローニングM1919重機関銃を据え付け、車体後上面の乗員が空に向けて機銃を構えている。この戦車は、車体の前方にも後方にも荷物を積載している。
Catalogue number: E 16455, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Flack (Sgt), Ackland A W (Sgt),  Object description: A Stuart tank is silhouetted against the setting sun as its commander scans the horizon, 6 September 1942. Label: The commander of a British Stuart tank scans the horizon, silhouetted against the setting sun, 6 September 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 16455)


写真(右)1942年9月6日、北アフリカ、チュニジア、M3スチュアートStuart軽戦車改造の指揮車の傍らで話すイギリス軍近衛擲弾兵のクライブ中佐と第2軍団指揮官モントゴメリー大将:砲塔を撤去して軽量化し、車体上面に車載対空用機関銃を据え付けた。軽量になった分だけ機動力を向上している。この指揮車に搭乗しているのは、第2軍団指揮官のバーナード・モントゴメリー大将。
Catalogue number: NA 1168, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 2 Army Film & Photographic Unit Lansdown (Sgt),  Object description: General Montgomery with Lt-Col A C Clive of the Grenadier Guards in a turretless Stuart command tank, 8 March 1943. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (NA 1168)


 1942年11月8日、西側連合国軍はトーチ作戦によりモロッコ、アルジェリアのオラン、アルジェに地上軍を揚陸し、西から北アフリカの枢軸軍を攻撃し、東のエジプト方面からの攻撃と連携して、枢軸軍を挟撃した。
 エジプトのエル・アラメインでイギリス第2軍団は、ドイツアフリカ軍団を中核とする枢軸軍を撃破し、1942年11月12日にトブルクを再占領し、枢軸軍は12月にはチュニジアに撤退した。

写真(右)1942年11月5日、北アフリカ、M3AスチュアートStuart軽戦車が破壊されたドイツ陸軍III号戦車PzKpfw III 傍らを通過する。砲塔の後方半分が吹き飛ばされたドイツ軍のIII号戦車PzKpfw III を遮蔽物に利用してイギリス軍兵士が砲兵隊との連絡を取っている。
Catalogue number: E 19014, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Martin (Sgt),  Object description: A Stuart tank passes by a knocked out German PzKpfw III tank which is being used as a shelter for an artillery listening post, 5 November 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 19014)


 1942年11月8日、西側連合軍は、トーチ作戦Operation Torch)に基づいて、モロッコとアルジェリアに上陸し、1943年初頭、には北アフリカのドイツ軍をチュニジアに退却させた。1943年 1月14日から10日間、連合国首脳はモロッコでカサブランカ会談Casablanca Conference)を開いて、枢軸国に対する無条件降伏の要求を基本方針とした。

  1943年5月13日、西側連合軍は、チュニジアTunisia)の枢軸国軍25万人を降伏させ、ドイツ軍、イタリア軍は北アフリカから完全に駆逐された。

写真(右)1943年5月6日、北アフリカ、チュニジア、ドイツ軍捕虜を護送するイギリス軍のアメリカ製M3AスチュアートStuart軽戦車:これから1週間後の1943年5月13日、チュニジアの枢軸国軍が連合国軍に降伏し、ドイツ軍、タリア軍は北アフリカから完全に駆逐されることになった。
Catalogue number: NA 2514, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 2 Army Film & Photographic Unit Keating, Geoffrey (Major),
Object description: German troops surrender to the crew of a Stuart tank near Frendj, 6 May 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (NA 2514)


 1943年7月10日、アメリカ軍とイギリス軍は、イタリア南部、シチリア島に上陸した。この時、アメリカ軍のドワイト・D・アイゼンハワー中将とともに、イギリス軍のバーナード・モントゴメリーBernard Law Montgomery)大将は、1943年7月、イタリア、シチリア島進攻、ハスキー作戦Operation Husky)に参加した。連合軍は、8月中旬までシチリアを支配、解放した。

  M3A軽戦車は、1934年に飛行機用に開発されたコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル230馬力)あるいはGuiberson Diesel T-1020 空冷エンジン(9気筒250馬力)を搭載し最高時速36マイル(55キロ)の機動性の高い戦車で、太平洋戦争開始以前に、フィリピンのアメリカ軍にも配備されていた。

1942年のフィリピン戦では、日本軍もアメリカ軍も、戦車を集団的に使用することはなかったため、戦車決戦は起らなかったが、ルソン島バターン半島に撤退して抵抗を続けるアメリカ軍に日本軍は苦戦した。最終的に、フィリピンのアメリカ軍は降伏することになるが、日本軍は、捕虜とともに残存するM3軽戦車を捕獲し、自軍に配備した。一部のM3軽戦車は、ビルマ戦線に運ばれ、そこで使用されている。

写真(右)1944年6月7日、北フランス、ノルマンディーのゴールドビーチに上陸したイギリス軍第7装甲師団第22装甲旅団のクルーセーダーCrusader III AA Mk III巡航戦車に先導されているアメリカ製M3A3スチュアート Stuart Mk V軽戦車:車体前面が傾斜装甲板1枚(傾斜角20度)に簡易化されたM3A3スチュアート Stuart Mk.V軽戦車。重量 13.7トン、全幅2.55 m、全高2.57 m、重量14.5 t、砲塔装甲:防楯51ミリ、前面38ミリ、側・後面32ミリ、車体前面・側面25ミリ(1インチ)、53.5口径37ミリ(砲弾搭載数174発)、ディーゼルエンジンあるいはガソリン空冷エンジンを搭載、最高時速は整地で50キロ。クルーセーダーCrusader III AA Mk III巡航戦車は、43口径6ポンド(57ミリ)Mk.III戦車砲を装備、車体前面装甲51mmの強化型のクルーセーダー最終型のイギリス軍の独自設計の戦車。
Catalogue number: B 5124, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Flack (Lt), Object description: A Crusader III AA Mk III tank, 'Skyraker' (aka 'The Princess') of 22nd Armoured Brigade, 7th Armoured Division, leads a column of Stuart Mk V tanks moving off from Gold area, 7 June 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 5124)


  写真(右)1944年6月15日、北フランス、カーン南部、イギリス軍第7装甲師団第8王室アイリッシュ騎兵のアメリカ製M3A3スチュアート Stuart Mk.V軽戦車:車体前面が傾斜装甲板1枚(傾斜角20度)に簡易化されたM3A3スチュアート Stuart Mk.V軽戦車。重量 13.7トン、全幅2.55 m、全高2.57 m、重量14.5 t、砲塔装甲:防楯51ミリ、前面38ミリ、側・後面32ミリ、車体前面・側面25ミリ(1インチ)、53.5口径37ミリ(砲弾搭載数174発)、ディーゼルエンジンあるいはガソリン空冷エンジンを搭載、最高時速は整地で50キロ。イギリス軍は独自設計の戦車以上に、アメリカ製のM4シャーマン中戦車を多数装備した。スチャート軽戦車は、終戦まで改修されながら使用され続け、1944-1945年の対ドイツ戦にも投入されている。
Catalogue number: B 5608, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt), Object description: Stuart Mk V tanks of 8th King's Royal Irish Hussars, 7th Armoured Division, 15 June 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 5608)


M3A3スチュアート軽戦車
溶接式の車体で、車体前面は傾斜20度の装甲1枚で単純化した形状になった。搭載した37ミリ砲は同一だが、搭載砲弾は車内が若干広くなったため、従来の103発から174発に増加した。量産は1943年10月までに3,427輌が生産された。イギリス軍ではM3A3スチュアート軽戦車を Stuart Mk.Vと命名している。

写真(右)1944年7月頃、北フランス、ノルマンディ、厳重に偽装を施して進軍するイギリス軍第6近衛戦車連隊のチャーチル歩兵戦車とアメリカ製M3スチュアートStuart軽戦車:アメリカで1万2,574輌も生産されたスチャート軽戦車は、多数がイギリス軍に貸与され、終戦まで使用され続けた。
Catalogue number: B 5608, Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Production date: 1944-07,  Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt), Object description: Heavily camouflaged Churchill tanks of 6th Guards Tank Brigade in a cornfield in Normandy, July/August 1944. Note the censored brigade marking on the front of the nearest Churchill. The turret of a M3 Stuart light tank can also be seen midway along the line of vehicles. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 5608)


1944年6月6日,西側連合軍がフランス、ノルマンディー海岸に上陸。その直後の6月13日、ノルマンディーのカーン南西15キロメートルで、ヴィレル・ボカージュの戦いBattle of Villers-Bocage)が起きた。これは、内陸に侵攻してきたイギリス軍がドイツ軍と衝突した戦闘で、イギリス第7装甲師団第8王室ロイヤル・アイリッシュ騎兵連隊(スチュアート軽戦車配備)、第7女王ロイヤル連隊、第5王立戦車連隊(シャーマン中戦車配備)などは、ドイツ武装SS第101重戦車大隊と装甲教導師団と衝突した。

M3A3スチュアート Stuart Mk.V 軽戦車諸元
全幅2.55 m、全高2.57 m
重量14.5 t
砲塔装甲:防楯51ミリ、前面38ミリ、側・後面32ミリ
車体装甲:前面・側面・後面25ミリ(1インチ)
53.5口径37ミリ(砲弾搭載数174発)
動力:コンチネンタル社 W-670-9A空冷星型7気筒ガソリン(262 馬力/2,400 rpm)搭載
乗員:4名

 同じアメリカ製のM4シャーマン中戦車と比較すると、戦車砲も装甲も弱く、旧式と思えるスチャート軽戦車だが、構造を単純化したり、エンジンを強化したりしながら、アメリカでは1万2,574輌も生産された。スチャート軽戦車は、イギリス軍にも多数貸与され、1945年のドイツ敗戦まで第一線で偵察任務に従事していた。

写真(右)1944年7月8日、北フランス、カーン攻略を目指すチャーンウッド(ビクトリア女王の避暑地)作戦中のイギリス軍第33装甲旅団のアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車とM4シャーマン中戦車:イギリス軍は独自設計のクロムウェル巡航戦車やチャーチル歩兵戦車よりもアメリカ製のM4シャーマン中戦車を多数配備した。
Catalogue number: B 6659, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt), Object description: A Stuart and Sherman tanks of 33rd Armoured Brigade during Operation 'Charnwood', the attack on Caen, 8 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 6659)


37ミリ砲装備、軽装甲のM3 スチャート軽戦車は、1941年に部隊配備された旧世代の戦車で、1944年当時、37ミリ砲では対戦車戦闘も歩兵支援に不適であった。しかし、重量14.5トンの軽量車体に、強力な航空機発動機を改修したコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル230馬力)あるいはGuiberson Diesel T-1020 空冷ディーゼルエンジン(星形9気筒250馬力)を搭載していたため、機動性が高く、改修されながらアメリカで1万2,574輌も生産された続けた。スチャート軽戦車は、多数がイギリス軍に貸与され、終戦まで主に偵察任務に使用され、1944年から1945年5月の西部戦線にも投入されている。

写真(右)1944年7月16日、イタリア中部トスカーナ州、フィレンツェ南東50キロメートル旧市街地を移動中のイギリス軍第6装甲師団のM3 A3スチュアート偵察戦車(砲塔を撤去)とアメリカ製M4シャーマンSherman戦車(後方):偵察戦車の車体に身を乗り出した乗員が4名みえる。
Catalogue number: NA 16939, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit McConville, W. E. (Sergeant), Object description: A Stuart reconnaissance tank and a Sherman of 6th Armoured Division in Arezzo, 16 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (NA 16939)

 M3 スチュアート軽戦車の37ミリ戦車砲は、1944年になると破壊力が小さすぎて役に立つ局面は少なかった。そこで、砲塔を撤去して軽量化し、機動性を向上させ、対歩兵防御用の車載機銃を装備した偵察戦車に改修された。

写真(右)1944年7月18日、北フランス、ノルマンディ、グッドウッド作戦中、カーン西方10キロのエスコヴィルに向かうイギリス軍のアメリカ製M3 AスチュアートStuart軽戦車の隊列:制空権を確保している自信があったためか、連合軍の戦車は対空偽装に心を砕く必要はなかった。対空標識として、砲塔上面に大きな白色の星の記章を描いているようだ。イギリス軍の偽装は主にドイツ軍地上部隊に対する配慮からだった。それに対して、ドイツ軍地上部隊は、連合軍の偵察機や戦闘爆撃機(ヤーボ)を警戒して、厳重な対空偽装を施す必要があった。
Catalogue number: B 7560, Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Production date: 1944-07,  Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Christie (Sgt), Object description: Stuart tanks moving up towards Escoville during Operation 'Goodwood', 18 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 7560)


 1944年7月9日、イギリス軍はカーンを占領し、7月17日にカーンの南方向に進撃するグッドウッド作戦を開始した。、これに対応するアメリカ軍の攻撃計画がは7月25日に始まったコブラ作戦である。この作戦でドイツ軍の防衛線を突破し、ドイツ軍をファレーズのポケット地帯に包囲することができた。

 1944年8月7日夜、イギリス空軍のランカスター四発重爆撃機による地上支援爆撃の後、装甲歩兵が進撃し、クルト・マイヤーKurt Meyer:1910-1961)准将が指揮する第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」と戦った。「ヒトラーユーゲント」装甲師団は1926年生まれ、1943年時点で16歳あるいは17歳のドイツの少年を徴収した少年戦車師団だった。

M5A1 スチュアートStuart軽戦車
重量: 15615 kg
エンジン出力 296 h.p.、最高時速: 54.68 km/h
車体装甲:前面28.5ミリ/側面28.5ミリ・後面25.4 ミリ、上面12.7ミリ
砲塔装甲:前面50.8 ミリ、側面・後面31.8ミリ、上面12.7ミリ
37 mm Gun M6 戦車砲(搭載砲弾数147発)
7.62 mmブローニングM1919A4機銃 (搭載銃弾数6,000発)
1942年5月より生産開始
1944年6月までにM5の2075輌を含めて、6,810 輌を量産。

写真(右)1944年7月31日、北フランス、ノルマンディ、ルーアン郊外のコーモン南を進軍するイギリス軍第近衛装甲師団第2アイリッシュ近衛兵のアメリカ製M3A3スチュアートStuart軽戦車が率いるM4シャーマン中戦車:対空標識として、砲塔上面に大きな白色の星の記章を描いている。
Catalogue number: B 8275, Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit, Laing (Sgt), Object description: A Stuart and a column of Sherman tanks of 2nd Irish Guards, Guards Armoured Division, move across country during the advance south of Caumont, 31 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 8275)


写真(右)1944年8月23日、北フランス、カーン南西55キロのガセの住民に歓迎されているイギリス軍のアメリカ製M3 Aスチュアート軽戦車の隊列:写真には、車体上に仮設兵舎あるいは戦車保護カバーとするような大きな天幕など荷物を積載したスチュアート軽戦車が3両が映っている。
Catalogue number: B 9634, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Midgley (Sgt), Object description: The inhabitants of Gace line the streets as Stuart tanks enter their town, 23 August 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 9634)


 制空権を確保している連合軍は、地上部隊が対空偽装を心配する必要がなく、解放した街を堂々と更新して住民の士気を鼓舞することもできた。他方、解放した住民たちに対する食糧や燃焼の補給を行わなくてはならなくなると、その文、前線部隊への補給が滞ってきた。連合軍の進撃は、解放地区が拡大し、ドイツ本土に近くづくにつれて遅くなってきた。

写真(右)1944年9月3日、獲得したドイツ軍捕虜の前をブリュッセルを目指して前進するイギリス軍近衛装甲師団のアメリカ製M3A3スチュアート軽戦車(右)とA27MクロムウェルCromwell巡航戦車(左)
Catalogue number: BU 546, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Hewitt (Sgt), Object description: Cromwell and Stuart tanks of Guards Armoured Division passing German POWs during the advance to Brussels, 3 September 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (BU 546)


 イギリス軍は独自設計のクロムウェル巡航戦車やチャーチル歩兵戦車を配備していた。1943年から開発されたクロムウェル巡航戦車は、既にアメリカから貸与されたM4中戦車が主力となっていたため、巡航戦車としてスチュアート軽戦車と同じく偵察部隊に配備された。当初、Mk.IからMk.IIIまではクルセーダー戦車と同様のオードナンス6ポンド(57ミリ)砲を搭載したが、のちに75ミリ砲に変換された。装甲は最大76ミリで重防御である。

写真(右http)1944年9月9日、北フランス、カーンを指して突進するイギリス軍のアメリカ製M3スチュアート軽戦車:対空標識として、砲塔上面に大きな白色の星の記章を描いている。
Catalogue number: B 6748, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Christie (Sgt), Object description: Stuart tank during the assault on Caen, 9 July 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (B 6748)


 ファレーズポケットに包囲されたドイツ軍の一部は撤退できたが、連合軍は、1944年8月21日までにファレーズを占領し、ドイツ軍に大打撃を与えることができた。

 西側連合軍は、パリ解放に兵力を投入し、1944年8月25日のパリ解放Liberation of Paris)後には、市民生活回復のために大量の補給物資を必要とするようになった。こうして、連合軍のドイツ本土への攻撃力は分散され、鈍ってしまった。それでも、9月4日にベルギーの要衝アントワープの解放Liberation of Antwerp)を達成し、ベルギー・オランダからドイツ本土を侵攻を目指すマーケットガーデン作戦Operation Market Garden)を、9月17日から開始した。

 空挺降下作戦を基軸とするマーケットガーデン作戦Operation Market Garden)の指揮を執ったのは、1944年9月1日に元帥Field Marshal)に昇進したバーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)である。

写真(右)1945年5月2日、ドイツ北部、リューベックに向かうイギリス軍第11装甲師団第3王室戦車連隊のM3スチュアート軽戦車(砲塔をそのまま使用):スチュアート軽戦車が走っているのは、高速道路アウトバーンのようだ。1945年5月の第二次欧州大戦の終戦まで、改良を施した旧式の軽戦車が第一線で活躍していた。信頼性が高く、燃費も良かったために長く使用されたのであろう。
Catalogue number: BU 3421, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt), Object description: Stuart tanks of 3rd Royal Tank Regiment, 11th Armoured Division, drive along an autobahn towards Lubeck, 2 May 1945.  写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (BU 3421)


 イギリス軍には、独自設計で自国で量産していたマチルダ戦車、クルーセイダー巡航戦車(Crusader Cruiser Tank)、チャーチル歩兵戦車、クロムウェル巡航戦車があったが、アメリカから貸与されたM4シャーマン中戦車の方が数的に多かったようだ。また、M3 Aスチャート軽戦車は、37ミリ砲装備の軽装甲で機動性の高い軽戦車であったが、対戦車戦闘にも火力支援にも向いていなかった。

 しかし、アメリカ軍はM3Aスチャート軽戦車の機動力・居住性・防御力を向上させるために、キャデラック社4ストロークV型8気筒液冷ガソリンエンジン2基を搭載し、車体も若干大型化したM5スチュアート軽戦車(M5 Stuart Light Tank)を開発し1942年2月に制式とした。

 アメリカ製のM3Aスチャート軽戦車は、アメリカの武器貸与法によってイギリス軍に貸与され、スチュアートVI(Stuart VI)軽戦車と命名され、1944年のヨーロッパ大陸反攻、ドイツ侵攻の際にも、偵察部隊(騎兵隊)に配備され使用され続けた。

写真(右)1945年5月2日、ドイツ中部、エルベ川に向かうイギリス軍第15スコットランド師団のM5 スチュアートStuart VI 軽戦車(M3Aの砲塔をそのまま使用):M3Aスチュアート軽戦車の改良型M5 Stuart (Light Tank, M5) (Stuart VI) 。
Catalogue number: BU 4972, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Morris (Sergeant), Object description: Stuart VI tanks advance past half-tracks and other vehicles of 15th (Scottish) Division during the advance to the River Elbe, 13 April 1945. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (BU 4972)


M5スチュアート軽戦車
M3 軽戦車の車体を若干拡大して、より強力なキャデラック社4ストロークV型8気筒液冷ガソリンエンジン2基Twin Cadillac(296hp)搭載し、溶接式車体形状を簡易化して傾斜装甲板を採用した。1942年3月から1942年12月までに2,074両が量産された。M5A1軽戦車は、M3A3に採用した新型砲塔を搭載したもので、1943年1月から1944年6月までに6,810両が量産された。これらのスチュアート軽戦車はイギリス軍では「スチュアートVI」であり、M5とM5A1とを区別しているわけではない。

写真(右)1945年5月4日、ドイツ北部、バルト海に面したヴィスマール(リューベック東方50キロ)のイギリス軍第4装甲連隊ロイヤル・スコットランド・グレーズのM3A3(M5?)スチュアート軽戦車:1945年5月の第二次欧州大戦の終戦まで第一線で偵察任務に活躍していたスチャート軽戦車。
Catalogue number: BU 5302, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Oakes (Sgt), Object description: A Stuart tank of the Royal Scots Greys, 4th Armoured Brigade in Wismar, 4 May 1945. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (BU 5302)


 M5スチュアート軽戦車(Stuart VI)は、エンジン2基を収容する大型のエンジンルームのために、車体が高くなった。また、車体内部スペースが大きくなったために、乗員の居住性はM3軽戦車より改善され、37ミリ戦車砲の砲弾搭載数、搭載燃料も増えている。他方、車体の形状を単純化し、車体前面に傾斜装甲板を装備して、坊膂力を強化している。M5スチュアート軽戦車の量産は、1942年3月から12月までに2,074両、その他合計8,884輌も生産された。

写真(右)1944年2月-1945年8月、北東ビルマのレド公路、中国軍に貸与されたM3A3スチュアート軽戦車
Catalogue number: CBI 53293, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: US official photographer, Object description: The Campaign in North and Central Burma February 1944 - August 1945: US Stuart tanks manned by Chinese troops on the Ledo road. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (CBI 53293)


 CBIとは中国・ビルマ・インド戦線(China Burma India Theater)のことで、日本軍は、1942年からビルマを占領して、中国への西側連合軍からの補給をを遮断しようとしていた。

 日本軍は、九七式中戦車九五式軽戦車、さらに一式戦車を投入したが、M4シャーマン戦車には圧倒され、M3Aスチュアート軽戦車にも対抗できなかった。西側連合軍は、インド・ビルマから重慶を臨時首都とした中華民国の蒋介石総統への陸路・空路による補給を行っていた。1944年になると、米軍式装備の中国軍部隊は、日本軍を圧迫し、ビルマに南下した。

 アメリカで1万2,574輌も生産されたスチャート軽戦車は、多数がイギリス軍に貸与され、終戦まで使用され続けた。
アメリカ製M3 スチュアートStuart Mk V軽戦車は、重量 13.7トン、全長 4.53m、 装甲:車体前面38ミリ、防楯51ミリ、側面・後面25ミリ、53.5口径37ミリM6戦車砲(砲弾搭載数147発)、Guiberson Diesel T-1020 空冷エンジン(星形9気筒250馬力)、最高速度 58km/h(整地)、航続距離 110km、 生産数 1万2,574輌。


写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A1スチュアート軽戦車(シリアルナンアー7073)
:M3A1 Stuart, serial number 7073, was built in September 1942 by American Car & Foundry Company (ACF) in Berwick, Pennsylvania or by ACF in St. Charles, Missouri. This tank is a good candidate for a cosmetic restoration. The wheels and tracks are serviceable. The driver's controls and instrument panel are complete and appear to function normally. The ammunition racks appear to be complete. All seats are present. A tow cable and some pioneer tools are included. 写真はAuctions America引用。

写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A1スチュアート軽戦車(シリアルナンアー7073)の砲塔後部側面の覗き穴と正面から見たキャタピラー
:Weight: 14.2-tons (12,927-kg) Length: 14' 10” (4.52-m) Width: 7' 4” (2.23-m) Height: 7' 10” (2.38-m) Crew: 4 Armor: Hull front: 1.5” (38-mm) Turret front: 1.5” (38-mm) Weapons: -Primary 37-mm Gun M6 -Secondary 3x .30-cal machine gun M1919A4 -Ammunition 106x 37-mm 7,220x .30-cal Engine: Continental W-670-9A, 7-cylinder radial, 250-hp Power/weight: 17.5-hp/ton Fuel Capacity: Internally 54-USG (204-l) + 2x 25-gallon jettison tanks (189-l) Range: 70-miles (112-km) or 135-miles (217-km) with jettison tanks Speed: 36-mph (58-km/h) 写真はAuctions America引用。

写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A1スチュアート軽戦車のサスペンション:左は転輪、右は動輪。Production began at ACF in May 1942. When production ended in February 1943, 4,621 M3A1's had been completed, including 211 powered by a Guiberson T-1020 diesel engine. The M3A1 was exported to the British who designated it the Stuart III and Stuart IV (diesel). The Soviet Union also received several hundred of them. 写真はAuctions America引用。

写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A1スチュアート軽戦車の砲塔のバスケットと車体前面ハッチから覗いた車内(左がバスケット)。オークションで$178,250で落札:The M3A1 first saw service with the U.S. Army in North Africa during late 1942 and continued service until the M5/M5A1 Stuarts replaced them in 1943. The British used them in Europe until the end of the war. In the Pacific, the USMC and U.S. Army used them throughout 1943 and 1944 at which time they were replaced by the M5A1 Stuart or M4 series of medium tanks.
上記の写真8点はAuctions America引用。



写真(上)2014年7月12日、オークションで31万500ドルの落札価格で取引されたM5スチュアート軽戦車:1942年9月にデトロイトのキャデラックで生産されたM5スチュアート軽戦車(シリアルナンアー610);オークションで$310,500で落札
。燃料を入れれば走行可能。すべてのハッチは開閉可能。運転手、砲手の座席、運転操作盤、砲塔のバスケット(回転駕籠)、砲塔旋回装置現行の物を完備。2014年1月に走行済み。
M5 Stuart, serial number 610, was built in September 1942 by Cadillac in Detroit, Michigan. The exterior has been cosmetically restored. It has been re-engined with an Oldsmobile V-8 and a General Motors automatic transmission. The wheels and tracks are serviceable. It runs and drives very well using fuel from one of its gas tanks. All hatches open and close. The driver's controls and instruments are present and function normally. Both the driver and bow gunner’s seats are present. The turret basket is present and has the crew seats mounted. The turret traverse controls are present on the turret ring. It was run as recently as January 2014, and has received a fresh cosmetic restoration.
With the production of the M4 medium tank starting in February 1942, the M4 light tank was changed to the M5 in order to prevent confusion. M5 production began in April 1942 at the Cadillac Division of the General Motors Corporation in Detroit. 1,470 M5's were built there until production ceased in December 1942. A further 354 were built at the GM plant in Southgate, CA between August and December 1942. The Massey Harris Company between July and December 1942 built a further 250. This gave a total production run of 2,074.
The M5 first saw combat with U.S. Forces in North Africa in late 1942. They remained in service throughout 1943 and into early 1944 when the later M5A1 light tank mostly replaced them. Some were brought out of storage in late 1944 and early 1945 to make up for the heavy losses occurred during the Battle of the Bulge that took place in December 1944/January 1945.
写真はAuctions America引用。



3.アメリカ軍M3リーLee/グラントGrant中戦車

1941年6月22日にドイツがソ連を攻撃すると,それまで反共産主義の立場を表明していたイギリス,アメリカは即座にソ連支援を公言した。それまでのチャーチル英首相の関心は,英本土航空決戦大西洋の対潜水艦戦争,そして米国の参戦を引き出すことだった。しかし,独ソ戦の勃発に,イギリスの危機は遠のいたと大喜びした。

1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車 :砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。
 M3は,車体前方に36口径M2-75 mm 戦車砲(砲身長 2,700mm)1門搭載砲弾数50発)を固定し,上部砲塔に53.5口径M3 37mm砲(砲身長 1,980mm)1門(搭載砲弾数178発)を装備。重量30トン,340馬力ガソリンエンジン装備,乗員6名。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35204 (digital file from original transparency) LC-USW361-167 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-167 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


 M3リー/グラント中戦車は、車体右側に75mm砲1門(搭載砲弾数50発),車体上の砲塔に37mm砲1門装備(搭載砲弾数178発),重量30トン,発動機は、340馬力ガソリンエンジンを搭載、乗員6名。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月までも、6258輛が量産され、北アフリカ、イタリアで実戦に投入され、イギリス軍にも配備された。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: 左下は、車体前面にある操縦手用の大型ハッチ。M3リー/グラント中戦車は、砲塔式に53.5口径37 mm M6戦車砲を装備している。 第二次世界大戦では北アフリカ戦線やイタリア戦線に投入された。37mm口径の対戦車砲としては砲弾重量が重く、砲弾の初速も高く、優秀な貫通性能を持っていた。
Title: Tank commander, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35198 (digital file from original transparency) LC-USW361-158 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-158 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


M3グラント中戦車が砲塔に搭載した53.5口径37 mm M6戦車砲(搭載砲弾数178発)の原型は、1940年に実用化された53.5口径37mmM3対戦車砲で、初速 884m/秒、傾斜30度の装甲板に対する貫通力は、500ヤード / 457mで53mm、1,000ヤード/914mで46mm、 1,500ヤード/1,371mで40mm、2,000ヤード/1,828mで35mmだった。この威力は、日本軍が実戦に使用した全ての戦車に対して有効であり、ドイツ軍の?号戦車にも近距離であれば有効だった。

砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。

 M3リー/グラント中戦車が小型砲塔に搭載した37mm砲は重い砲弾で、高初速のため、当時は高い貫通性能を持っていたが、ドイツ軍の新型のティーゲル重戦車、パンター中戦車の装甲を撃ち抜くのは困難だった。そこで、wikipediaは37ミリ砲が「ドアノッカー」と化してしまったというが、実際は、3号戦車、4号戦車の側面であれば十分に貫通できた。そのため1943年には生産を終了し、イギリス製オードナンス6ポンド砲をライセンス生産したM1 57mm砲が配備されることになっても、37ミリ砲を前線で使用しつづけた部隊も少なくなかった。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: The crew of an M-3 tank learn all the ways of causing trouble for the Axis with a 75-mm. gun, a 37-mm. gun and four machine guns, Fort Knox, Ky. The Fort Knox School for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the enemy on our far flung battle lines -- and on more than equal terms. [Tank] commander Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35200 (digital file from original transparency) LC-USW361-160 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-160 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


53.5口径37ミリM3対戦車砲の生産量は、1940年340門、1941年2,252門、1942年1万1,812門、1943年4,298門、合計 1万8,702門が生産された。 1940年から部隊配備された。

M3リー/グラント中戦車の車体に搭載した28.5口径M2-75 mm 戦車砲は、原型はフランスの砲兵工廠が開発した駐退復座機で緩和する新式火砲だった。しかし、M1897 75mm野砲は、1914年に勃発した第一次世界大戦で活躍した野砲であり、M3中戦車の開発された1930年代後半には旧式化していたが、依然として各国で使用され続けていた有力な野砲だった。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州、フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車:砲塔上面に司令塔ハッチの付いたアメリカ仕様「M3グラント中戦車」。足回り(サスペンション)やエンジンは、後継のM4シャーマン中戦車と同じである。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35219 (digital file from original transparency) LC-USW361-184 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-184 [P&P]
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


28.5口径M2-75 mm 戦車砲の砲身長は28.5口径で、砲口初速は567m/秒であったが、M3中戦車の後期型では、M4シャーマン中戦車と同じ37.5口径M3 75mm戦車砲に変換されている。75mmM3戦車砲は初速620m/秒、徹甲弾を使えば距離1,000mで55mm厚の装甲板を貫徹できた。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車:車体前方にヘッドライト2個を付けている。砲塔上に大きな司令塔ハッチがあるのでアメリカ仕様「M3グラント中戦車」である。サスペンションや発動機、後継中戦車のM4シャーマンと同一である。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35221 (digital file from original transparency) LC-USW361-186 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-186 [P&P] Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA http://hdl.loc.gov/loc.pnp/pp.print
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


M3リー/グラント中戦車は、75ミリ砲を装備できる大型砲塔搭載戦車の先行型として計画され、車体前面右側に、フランスのシュナイダー社75ミリ野砲を原型とする、36口径M2-75ミリ戦車砲(砲身長 2,700ミリ)1門を搭載した。車体上部砲塔には、53.5口径M3 37ミリ砲1門(砲身長 1,980ミリ)を搭載し、対戦車能力も備えていた。

 つまり、M3リー/グラント中戦車の車体右側の半固定式の75ミリ軽榴弾砲は、視界も狭く対戦車戦というより、歩兵支援火砲として使用することを意図していた。他方、車体上部にの37 ミリ砲は、速射砲であり、全周回式の砲塔に装備して、敵の歩兵だけでなく、自動車や戦車を攻撃することが可能だった。



 1941年6月から1942年8月まで量産。クライスラー・デトロイト工廠、アメリカン・ロコモーティブ社で3,923輌、プレスド・スティールカー社とプルマン・スタンダードカー社で1,001輌が生産された。他方、有名なティーガー重戦車は,1942年8月から1944年8月まで,僅か1300台しか生産されていない。

1940 年12 月末に、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトFDR)は、「国の安全に関する炉辺談話」と称して、アメリカは民主主義の兵器廠(Arsenal of Democracy)となる」とイギリスへの武器貸与の方針を表明した。

 1941 年1月6日、新年のフランクリン・デラノ・ルーズベルトFranklin Delano Roosevelt: FDR)の発表した年頭教書State of the Union :Four Freedoms)では、
?アメリカの国防圏は、西半球だけでなくイギリスおよび大英帝国を含む領域に拡大した。
?ナチス・ドイツとの宥和を否定し、和平があり得ないことを表明した。
戦時経済への移行し国防を充実するため、軍事費を増額する。
これは、アメリカの孤立主義から逸脱したもので、民主主義の兵器廠(Arsenal of Democracy)を超えて世界の警察官としての役割として活動し始める。

1941年3月11日、武器貸与法(Lend-Lease Act)の制定し、その当日には、イギリス・ギリシャへの武器貸与を決定している。

 M3グラント中戦車の試作完成は1941年1月で、量産は1941年4月から開始された。アメリカは、1941年12月まで第二次世界大戦参戦せず、中立だったが、フランクリン・デラノ・ルーズベルトFranklin Delano Roosevelt)の意向を受けて武器貸与法Lend-Lease Act 1941)により、量産したM3など軍事物資をイギリスに供与していた。

 アメリカ軍が北アフリカ戦に加わったのは、1942年11月8日のトーチ作戦Operation Torch)で、ドワイト・アイゼンハワーDwight D. Eisenhower)中将(大将昇格は1944年3月)指揮下の部隊が参戦してからである。ただし、それ以前からイギリス軍はアメリカ製の戦車を大量に北アフリカに投入していた。また、イギリス連邦(英自治領コモンウェルスBritish Commonwealth)・植民地の兵士として、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、インドの兵士も投入されている。

 1931年、ウェストミンスター憲章Statute of Westminster 1931)で、イギリス本国と自治領(Dominion:ドミニオン)とが対等でイギリス国王を元首とする共同体(コモンウェルス)を作ることが謳われた。ここで生まれたのが、英自治領コモンウェルスBritish Commonwealth)で、アメリカ参戦に遥かに先んじて、対ドイツ戦に参加し、派兵したり、軍需物資を供給したりして、イギリスを軍事的に援助した。

写真(右)1943年1月22日、北アフリカ、トリポリ近郊、イギリス軍のアメリカ製M3グラントGrant 中戦車の脇に立つイギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)大将
Catalogue number: E 21405, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Poston (Capt),
Label: General Montgomery with other officers planning the final assault on Tripoli beside a Humber Mk II armoured car, 22 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21405)引用。


 1942年8月18日、クルード・オーキンレックClaude Auchinleck)大将の後任として北アフリカ・エジプトのイギリス第8軍を指揮していたバーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)は、エルウィン・ロンメルErwin Rommel)元帥隷下のドイツ・アフリカ軍団Deutsches Afrikakorps)をエル=アラメインの戦いで敗退させた。そして、1942年11月に55歳で大将に昇進している。

 1942年10月23日、エジプト・アレクサンドリアの西方、エル=アラメインで、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery "Monty" )中将は、エルヴィン・ロンメルErwin Rommel)のドイツドイツ・アフリカ軍団Deutsches Afrikakorps)・イタリア軍への攻撃を開始した。

 エジプトのイギリス軍は、アメリカの武器貸与法(1941年3月31日成立)による戦車・飛行機からトラック・燃料、被服までの補給を受けて、北アフリカの枢軸軍の2倍、すなわち戦車1000輌両(強力なM3グラント、M4シャーマン中戦車は500輌)で、火力、航空支援の下で、1942年10月23日、攻勢を開始したのである。

 西側連合軍はエル=アラメインでの攻勢から2週間後の1942年11月8日、トーチ作戦を発動し、アメリカ軍とイギリス軍は、フランス領モロッコ、仏領アルジェリアの海岸に上陸した。北アフリカ、フランス領アルジェリアFrench Algeria)は、フランスのフィリップ・ペタン 元帥の下にあるヴィシー政権Vichy France)に忠誠を表明していた。しかし、ドイツの支配には反感を抱くフランス兵士が多く、侵攻してきたイギリス軍、アメリカ軍との大規模な衝突は起きなかった。

 フランス領アルジェリアFrench Algeria)を拠点にしたイギリス軍、アメリカ軍は、西側から、エジプトを拠点としたイギリス軍は東から、エルヴィン・ロンメルErwin Rommel)元帥率いるドイツ軍とイタリア軍を挟撃した。

 1943年1月23日、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリー大将は、トリポリを占領、エルヴィン・ロンメル元帥隷下のアフリカ軍団をリビアへ、そしてさらにチュニジア、チュニスに追いつめた。

アメリカ製M3グラントGrant 中戦車を見る。


4.アメリカ陸軍 M7 105ミリ自走榴弾砲 GMC (Gun Motor Carriage)

写真(右)1944年6月6日、ノルマンディ海岸エルマンヴィル=シュル=メール近くのイギリス軍王室近衛砲兵隊第33野戦砲兵大隊のアメリカ製 M7プリエスト105ミリ自走榴弾砲 GMC (Gun Motor Carriage) : ノルマンディ海岸の上陸地点は、ソード・ビーチ、ジュノー・ビーチ、ゴールド・ビーチ、オマハ・ビーチ、ユタ・ビーチの5カ所だったが、後方への空挺部隊降下も行われている。
Catalogue number: B 5032, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Mapham J (Sgt),  Object description: A battery of M7 Priest 105mm self-propelled guns from 33rd Field Regiment, Royal Artillery, near Hermanville-sur-Mer, 6 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5032)引用。


M7プリースト105ミリ自走榴弾砲105mm SP M7 Priest)は、M3中戦車の車台をベースにした機械化部隊随伴の 自走砲で、1941年6月に開発された。105mm砲弾を69発搭載。1942年中に2,000両が生産され、その後1944年10月までにさらに1100両が生産された。M12 155ミリ自走加農砲も開発された。

 M7プリースト105mm自走榴弾砲は、M3中戦車の車台をベースにした機械化部隊随伴の自走砲で、1941年6月に開発された。105mm砲弾を69発搭載。1942年中に2,000両が生産され、その後1944年10月までにさらに1100両が生産された。M12 155ミリ自走加農砲も開発された。

⇒アメリカ軍M7 105ミリ自走榴弾砲 GMC


5.アメリカ陸軍 M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage)

写真(右)1944年6月7日、ノルマンディのゴールドビーチに上陸したイギリス軍のアメリカ製M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage) :1944年9月、オランダ中部への空挺部隊降下(マーケット・ガーデン作戦)が不調だったこともあって、ドイツ本土への西側連合軍の本格的な侵攻は、1945年に入ってからとなった。
Catalogue number: BU 3514, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt),  Object description: American M12 155mm GMC (Gun Motor Carriage) self-propelled guns coming ashore, Gold area, 7 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (BU 3514)引用。


M12 155ミリ自走加濃砲 GMC諸元
全長:6.73 m、全幅:2.67 m、全高:2.7 m
重量: 26トン
装甲:車体前面50mm
兵装:38.2口径M1917 155mmカノン砲、 搭載弾薬 10発
ライトコンチネンタル R975 EC2 空冷星形9気筒ガソリンエンジン(340馬力)
行動距離:220 km

写真(右)1944年6月10日、ノルマンディ、バイユー近くのイギリス軍第987野戦砲兵大隊のアメリカ製 M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage)
Catalogue number: B 5413, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt),  Object description: An American M12 GMC 155mm self-propelled gun of 987th Field Artillery Battalion near Bayeux, 10 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5413)引用。


 1941年6月に開発開始、1942年2月に試作車が完成したM12 155ミリ自走加濃砲 GMCは、フランス設計の38.2口径155mm加農砲M1918M1を、M3リー中戦車の車台に搭載した自走砲。 四角形の戦闘室は、、前面、左右側面を垂直な0.5インチ(12.7mm)厚の装甲板で囲んでいる。
 M12 155ミリ加農砲M1918M1は、左右旋回角左右各15度、仰角−3〜30度で、射会は広い。42キロの榴弾は、最大射程1万8,000メートルに達する。しかし、大型砲弾のために、車載可能な弾丸は10発分に過ぎない。また、弾頭と薬莢が一体化していない分離装薬式であったために、装填に手間がかかり、発射速度は毎分4発程度に制限された。

⇒アメリカ軍M12 155ミリ自走榴弾砲 GMC


6. グラント回収車 (Grant Armoured Recovery Vehicle: ARV )

http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib/21/media-21671/large.jpg?action=d&cat=photographs写真(右)1943-1944年頃、イギリス(?)、M3グラント戦車の砲塔と主砲を取り除き重量を軽減したうえで、牽引装備を施したグラント回収車 :ブレン機銃を二連装にして車体上面に装備したのは、対空機銃としてであろう。車体側面に牽引に使用するワイヤー、斧などの工具を付け正規装備をしているので記録写真と思われる。
THE BRITISH ARMY IN THE UNITED KINGDOM 1939-45
Catalogue number: H 27559, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Harrison (Sgt), 
Object description: Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) with twin Bren AA mount.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 27559)引用。


 M4シャーマン戦車と同じサスペンション・エンジンを備えているM3グラントは、信頼性、機動性に優れていたが、M4シャーマン戦車の登場で旧式化してしまった。そこで、戦車回収車に改修して前線位投入された。M4シャーマン戦車との車体を活用した IWM グラント回収車(TRV:Tank Recovery Vehicle)は、汎用性に富んでいて、旧式化しても前線で、壕にはまったり、砲撃で破損したりした戦車を有効に回収することができたと思われる。

http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib/21/media-21671/large.jpg?action=d&cat=photographs写真(右)1943-1944年頃、イギリス(?)、M3グラント戦車の砲塔と主砲を取り除き重量を軽減したうえで、ブレン機銃を二連装にして装備したグラント回収車 :ブレン機銃は、チェコZB26機銃をほぼコピーしたイギリスのガス駆動軽機関銃で、弾薬はイギリス軍制式小銃エンフィールドMk.4と同じ0.303口径7.69ミリ弾である。発射速度は毎分500発。車体後方には、壕を超えたり、軟弱地盤から脱出したりするときに使用できる木板と角材、長い牽引用のワイヤーが整然と搭載されている。
THE BRITISH ARMY IN THE UNITED KINGDOM 1939-45
Catalogue number: H 27562, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Wooldridge (Sgt), 
Object description: Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) with twin Bren AA mount.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 27562)引用。


 当時のイギリス軍歩兵が使用した小銃は、1895年制式リー・エンフィールド0.303口径7.69mmボルトアクションライフル(Rifle )Lee Enfield No.4 Mk Iが主流だった。このエンフィールド小銃は長年に渡りイギリス軍の制式小銃として配備されていた。

http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib/21/media-21671/large.jpg?action=d&cat=photographs写真(右)1943-1944年頃、イギリス(?)、車体前面にクレーンを装備したグラント回収車 :車載機銃など防御兵器は搭載していないようだが、連合軍は制空権を確保している地域で作戦行動をとる場合が多かったので、機銃の搭載は、乗員の精神的な面を保持する程度であり、実効性がないために不要と判断されたのかもしれない。
THE BRITISH ARMY IN THE UNITED KINGDOM 1939-45
Catalogue number: H 27569, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Wooldridge (Sgt), 
Object description: Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) with jib fitted.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 27569)引用。


 戦場で戦車が壕に埋まったり、軟弱地盤に足をとられたりした場合、車体を若干持ち上げて、牽引することで、脱出できる場合が多い。戦場で動けなくなった戦車を素早く改修、修理して前線に復帰させることで、兵力の維持は、新兵や新しい戦車の供給を待つよりも早期に回復できる。そこで、走行を施して、敵の攻撃を予期しつつ、戦車を回収、牽引できる装甲回収車が開発、部隊配備されるようになった。

写真(右)1944年5月16日、北イタリア、ドイツ軍防衛線グスタフ・ラインを攻撃し動けなくなったM4シャーマン戦車を牽引するグラント回収車 :M3グラント戦車はM4シャーマン戦車と同じサスペンション・エンジンを備えているので、砲塔を撤去し、主砲を除去すれば、重量は大幅に軽くなり、牽引能力は強化された。砲塔ないが、司令塔にニセの37ミリ偽砲を装着して偽装を施し、攻撃を受けにくくしている。
Catalogue number: B 8910, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit, Fox (Sgt), 
Object description: A Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) Mk I tows a disabled Sherman tank during the assault on the Gustav Line, 16 May 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 8910)引用。


写真(右)1944年頃、イギリス(?)、M4シャーマン戦車をロッドを使って牽引しようと準備しているグラント回収車 :M3グラント戦車の砲塔、火砲を除去し簡易型の戦車牽引車ではあるが、M4シャーマン戦車の動力部をそのまま生かして、牽引能力を発揮できた。しかし、M4シャーマン戦車をベースにしたシャーマン回収車が量産されたために、グラント回収車はそれほど前線の部隊には配備されていないようだ。
Catalogue number: H 27580, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Wooldridge (Sgt), 
Object description: Sherman tank being hooked up to the rear of a Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle). 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (H 27580)引用。


⇒イギリス陸軍クル―セイダーCrusader 巡航戦車
⇒イギリス軍クロムウェル Cromwell 巡航戦車
⇒イギリス陸軍マチルダ II Mark II Matilda歩兵戦車
⇒イギリス軍チャーチルChurchil歩兵戦車



7.アメリカ軍 M4中戦車 シャーマン Sherman−M3リー戦車の後継戦車

M4シャーマン戦車は、M3グラント戦車の車体を利用し、そこに砲塔に75mm砲を搭載するスタイルで設計された。M4シャーマン戦車が制式になったのは、1941年10月、これは日米開戦の直前だった。大量生産するために、鋳造生産の車体としたM4A1、板金溶接車体のM4の2種類が同時に量産された。M4A1はアメリカ参戦直後の1942年2月から量産開始、M4は1942年7月から量産開始。

⇒アメリカ陸軍M4シャーマン戦車
⇒アメリカ製イギリス軍シャーマン・ファイアフライ戦車Sherman Firefly
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒ドイツ陸軍III号戦車・IV号戦車・ティーゲル重戦車



◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを扱い、ポーランド侵攻、ソ連侵攻バルバロッサ作戦、ノルマンディ侵攻、ラインの守り作戦も解説しました。
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ソ連赤軍T-34戦車

VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

2016年5月開設、2022年8月28日改変の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
連絡先: torikai007@yahoo.co.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
Fax: 0463-50-2078
Flag Counter
Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 6000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai Yukihiro, who is web archive maintainer.


Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2016/5/12 All Rights Reserved.