◆ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
写真(上)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元された枢軸国ルーマニア空軍所属のユンカースJu 88D-1/Trop [熱帯仕様]長距離偵察機:1943年7月、ルーマニア空軍の搭乗員が、飛行機ごとキプロスのイギリス空軍基地に着陸して、鹵獲された機体。イギリス軍は、Ju88爆撃機について既に十分な情報を得ており、新技術を用いてもおらず、高性能機でもなかったJu88をアメリカ軍に譲渡した。 The airplane on display, a Ju 88D-1/Trop (later designated Ju 88D-3), is a long-range photographic reconnaissance version modified for tropical use. Known as the Baksheesh, it was the best known Ju 88 of the 15,000 built. Completed in June 1943, this aircraft was delivered to Romania, an ally of Germany during WWII. 写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。
写真(上)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)の枢軸国ルーマニア空軍所属ユンカースJu 88D-1/Trop [熱帯仕様]長距離偵察機:胴体側面、主翼下面に描かれた黄色十字赤円青丸はルーマニア国旗からデザインされた国籍マーク。尾部の黄色の帯は、東部戦線従軍機の記章。 In July 1943, a disillusioned Romanian pilot flew the aircraft to Cyprus to defect to British forces there. The British Royal Air Force turned over Baksheesh to the U.S. Army Air Forces. After Wright Field test pilots flew the aircraft extensively, the USAAF stored it in the Arizona desert after the end of WWII. Shipped to the museum in January 1960, Baksheesh is painted in the Romanian Air Force markings it carried in July 1943. 写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。
◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真等は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
1.ユンカースJu-88A爆撃機/哨戒攻撃機
ユンカース社(Junkers & Co)は,フーゴー・ユンカース(Hugo Junkers)の下で,航空機用エンジンと飛行機を製造する工場を持つ巨大企業である。ナチス政権獲得の1933年,一族の株式持ち株率を51%以下にするように命じられた。フーゴー・
ユンカースが1935年2月に死亡した後,遺族に補償がなされた。
ユンカースの主要工場デッサウ(Dessau)には,4万人の従業員が雇われたが,空軍拡張に伴って,ハルバーシュタット,アッシェルスレーベン, シュタスフルト,ハレなどに工場が増設された。
ユンカーJu88爆撃機のユンカース・モーター(Junkers Motoren)の発動機ユモ(Jumo211液冷エンジンは、冷却に使う不凍液を冷やすために空冷の冷却器(ラジエーター)を備えている。同じエンジンを搭載したハインケルHe111爆撃機は、エンジン下面に開口部をエアインテークを設けてそこに冷却器(ラジエーター)を装備した。しかし、ユンカースJu88爆撃機は、エンジンの周囲に環状に冷却器(ラジエーター)を設けた。そこで、一見すると空冷星形エンジンのような形状になった。
ユンカースJu-88の諸元
全長 14.4メートル,全幅 20メートル 翼面積 54.5平方メートル
最高速力 470キロ,航続距離 2730キロ 兵装:7.92ミリMG17機銃6丁,爆弾 2トン 生産総数 15000機(爆撃機9000機,戦闘機6000機)
カラー図(上)1940年,ドイツ空軍第51爆撃航空団所属の軍ユンカース(Junkers)Ju 88爆撃機A-1型:明細塗装。 Description
English: Junkers Ju 88A-1 of the Stab/KG 51, June 1940
Čeština: Junkers Ju 88A-1 ze Stab/KG 51, červen 1940
Date 14 September 2016
Source Martin Čížek
Author Martin Čížek
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 A-1・File:Ju 88A-1 Stab KG 51.jpg引用。
ドイツ空軍では飛行小隊(シュタッフェル :Staffel)が複数合わさって飛行戦隊(グルッペ)、すなわちイギリス空軍(RAF)の飛行中隊(Squadron) となり、その上に航空団(ゲシュヴァーダー:Geschwader)が編成される。戦闘機は、戦闘航空団(Jagdgeschwader: JG)、爆撃機は、爆撃航空団(Kampfgeschwader: KG)、急降下爆撃機は、急降下爆撃航空団(Sturzkampfgeschwader:StG)を編成した。第二次世界大戦に参戦したドイツ空軍の爆撃航空団(Kampfgeschwader: KG)は、次の17爆撃航空団である。
第1爆撃航空団「ヒンデンブルク」Kampfgeschwader 2 " Holzhammer ";1944年解散
第3爆撃航空団「電撃」Kampfgeschwader 3 "Blitz"
第4爆撃航空団「ウェーバー将軍」Kampfgeschwader 4 "General Wever"
第6爆撃航空団:Kampfgeschwader 6;1944年解散
第26爆撃航空団「獅子」Kampfgeschwader 26 "Löwengeschwader"
第27爆撃航空団「ベルケ」WW1エース:Kampfgeschwader 27 "Boelcke"
第30爆撃航空団「鷲」Kampfgeschwader 30 "Adler" (eagle)
第40爆撃航空団:Kampfgeschwader 40;対艦船攻撃
第51爆撃航空団「エーデルワイス」Kampfgeschwader 51 "Edelweiss"
第53爆撃航空団「コンドル軍団」Kampfgeschwader 53 "Legion Condor"
第54爆撃航空団「髑髏」Kampfgeschwader 54 "Totenkopf"
第55爆撃航空団「グライフ」(グリフィン)Kampfgeschwader 55 "Greif"
第76爆撃航空団:Kampfgeschwader 76
第77爆撃航空団:Kampfgeschwader 77
第100爆撃航空団「ヴィーキング」Kampfgeschwader 100 ”Wiking”
第200爆撃航空団:Kampfgeschwader 200;特殊作戦
1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵は英国だけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言した。まだ、英国本土への大規模空襲は控えていた。英国の工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。
写真(右)1940年頃,ドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機の操縦席:計器盤のいくつもが欠損している。足元には、穴の開いた操縦ペダルも見える。並列式の座席席だが、操縦桿は1本で、左席でのみ操縦できる。つまり、ユンカースJu88爆撃機の機首コックピットには、並列席であるが、左の正操縦士席のみが操縦可能で、右の副操縦士の座席では、操縦できない。正操縦士の座席に比べて、副操縦士の座席は簡易型の丸型で、折り畳み式である。これは、爆撃手が機首に移動しやすい作りにしたためである。コックピット左側の正操縦席の操縦桿は1本だけで、ハインケルHe111爆撃機のように操縦桿を左右に傾け移動することはできない。操縦を交代するには、操縦士が左右の席を交代しなければならない。 Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081799
Title: Junkers Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081799引用。
ハインケルHe-111爆撃機諸元:全長16.4メートル,全幅 22.5メートル,翼面積 86.5平方メートル,全備重量 1.4トン,Jumo211F液冷エンジン(1200馬力)2基,最大速度 440キロ,航続距離 2800キロ,武装 7.92ミリMG15機関銃5丁 爆弾2トン。
1939年9月1日のポーランド侵攻時には,特別部隊(のちのアインザッツグルッペ)が投入され,公務員,教師,医師,聖職者,ユダヤ人,地主,商店主など,ポーランドの文化・国家の維持に有益な人物,インテリゲンツィアを処置していた。
ヒトラーにとって,ワルシャワ空爆に躊躇は一切なかった。
写真(右)1940年,ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88爆撃機A-1型:Jumo211液令エンジン1,000 kW (1,340 hp) の前面に環状冷却器(Annular radiator)を装備しているので、空冷星形エンジンと類似した形状になっている。3-翅直径3.60 mVDMプロペラを装備。 Photographer
Bachor
Englische Kanalinseln.- Flugzeug Junkers Ju 88 (Abzeichen: stilisierter Adler in Kreis) auf Feldflugplatz; KBK Lw 5
Title
Flugzeug Junkers Ju 88 Info non-talk.svg
Date 1940
Collection
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-402-0270-05A
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 undercarriages・File:Bundesarchiv Bild 101I-402-0270-05A, Flugzeug Junkers Ju 88.jpg引用。
1939年9月1日,ドイツ軍によるポーランド侵攻があり、そのの2日後の9月3日,ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスのネヴィル・チェンバレン(Neville Chamberlain)首相は、フランスとともに,対ドイツ宣戦布告をした。しかし,開戦から半年以上,フランス軍、イギリス軍はドイツへの攻撃を仕掛けず、西部戦線は静謐だった。そのため「まやかし戦争」(Phoney War)とも称されるほどだった。
ドイツ軍は、ビラを空中散布するなどしてポーランドに降伏勧告をした。しかし、果敢な抵抗を続けるポーランドは、黙殺した。降伏の機会を黙殺したポーランドに対して,ドイツ軍は,1939年9月25日、ワルシャワを大空襲した。これは,爆撃機400機を配備した3-4回の反復爆撃で通常爆弾560トン,焼夷弾72トンを投下した。9月27日,ポーランドは降伏した。
写真(右)1940年10月,フランス、イギリス本土航空決戦時、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88爆撃機A-1型のゴム主輪(降着装置): Photographer
Kahler
Frankreich.- Wartungsarbeiten am Fahrwerk einer Junkers Ju 88; KBK Lw 5
Title
Monteure am Fahrwerk einer Ju 88 Info non-talk.svg
Date October 1940
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-408-0829-17
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 undercarriages・File:Bundesarchiv Bild 101I-408-0829-17, Monteure am Fahrwerk einer Ju 88.jpg引用。
Ju88の発動機ユモJu211J液冷エンジンは、冷却液用の環状空冷冷却器(ラジエーター)を備えているので空冷エンジンのように見える。同じエンジンを搭載したハインケルHe111爆撃機は、エンジン下面に開口部をエアインテークを設けてそこに冷却器(ラジエーター)を装備した。
ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機の機首コックピットには、複式並列席がある。席の左が正操縦士、右が副操縦士の座席だが、正操縦士の座席に比べて、副操縦士の座席は簡易型の丸型で、折り畳み式である。これは、機首への移動がしやすい構造にしたためである。操縦桿は1本だけだが、ハインケルHe111爆撃機のように操縦桿を左右に傾けることはできない。操縦士を交代するには、操縦士が席を交代しなければならない。
機体の操縦を席を交代することなしに変更できるハインケルHe111爆撃機は、コックピット容積も大きく、居住性は遥かに良く、長距離飛行の差異も乗員の疲労を軽減できる。Ju88爆撃機とHe111爆撃機を比較すると、飛行性能は、Ju88爆撃機が優れているが、He111爆撃機が1944年になっても第一線で使用できた理由は、操縦のしやすさ、居住性の良さ、汎用性の高さから、飛行兵たちに使いやすかったからであろう。
双発だが操縦性の良いユンカース(Junkers)Ju-88は、急降下爆撃として9000機が生産された。さらに、重戦闘機、夜間戦闘機として兵装が強化され、戦闘機として6000機が生産された。つまり、Ju-88は、爆撃機(偵察機)・戦闘機として、1万5000機もが量産された。
ユンカースJu 88爆撃機A-5型は、A-3型の主翼スパンを若干延長したタイプで、本来はエンジン変換の予定だったが、それが間に合わず、ユンカース・モーター(Junkers Motoren)の発動機ユモJumo211B-1, G-1、H-1液冷エンジン(1200馬力)を搭載していた。A-4型では、主翼延長に加えて、エンジンを変換し、ユモJumo 211 J-1、J-2液冷エンジン (1410馬力) を搭載、出力を強化した。また、プロペラも、資源節約のために木製プロペラに変換している。つまり、A-5型は、A-4型の後継の形式だが、実際には、エンジン変換が間に合わなかったために、A-4型に先行する機体として、先に部隊配備された。コックピット後上方の銃座は7.92ミリMG15旋回機銃1丁のみ。
写真(右)1943年,夜間発進に備えてドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88爆撃機A-4型ゴム主輪の車輪止めを外す作業:Jumo211液令エンジン1,000 kW (1,340 hp) の前面に環状冷却器(Annular radiator)を装備しているので、空冷星形エンジンと類似した形状になっている。金属製3-翅直径3.60 mVDMプロペラを装備。 Photographer
Helmut Grosse (fl. 1941 / 1942 / 1943) Blue pencil.svg wikidata:Q88953607
Reichsgebiet.- Mechaniker Bremsklotz vom Fahrwerk eines startenden Nachtjagdflugzeugs wegziehend; PK Eins Kp Lw zbV
Title
Reichsgebiet, Nachtjäger, Mechaniker Info non-talk.svg
Depicted place Reichsgebiet
Date 1943
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-658-6356-13 写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 undercarriages・File:Bundesarchiv Bild 101I-658-6356-13, Reichsgebiet, Nachtjäger, Mechaniker.jpg引用。
1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵はイギリスだけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言した。まだ、イギリス本土への大規模空襲は控えていた。イギリスの航空機工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。
写真(右)2016年8月,イギリス、バーミンガム郊外、コスフォード・イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ユンカースJu88夜間戦闘機R-1型左主翼のエンジン取り付け部(防火壁)と降着装置ゴム主輪:夜戦R型の発動機2基は、Jumo211液令12気筒エンジンではなく、BMW811D空冷星形14気筒エンジンに換装されている。 Description
English: Junkers Ju 88 360043 - some maintenance going on
Date 18 August 2016, 13:01:52
Source Own work
Author Jonathan Cardy
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 undercarriages・File:Junkers Ju 88 360043 (right wing).jpg引用。
7.92ミリMG15機銃は、1935年のドイツ再軍備宣言が出される以前に密かに開発されていたドイツ軍の航空機搭載用旋回機銃。第二次世界大戦に使用された航空機のほぼすべての旋回機銃として搭載された。弾丸を入れる弾倉は75発入りサドルドラム式で、ドラムの半分は撃ち殻(空薬莢)入れになっている弾倉交換が容易で、ベルト給弾式とは異なり、バラの弾を装填しゼンマイ式スプリングで給弾する。
ユンカース社(Junkers & Co)は,フーゴー・ユンカース(Hugo Junkers)の下で,航空機用エンジンと飛行機を製造する工場を持つ巨大企業である。ナチス政権獲得の1933年,一族の株式持ち株率を51%以下にするように命じられた。フーゴー・
ユンカースが1935年2月に死亡した後,遺族に補償がなされた。
ユンカースの主要工場デッサウ(Dessau)には,4万人の従業員が雇われたが,空軍拡張に伴って,ハルバーシュタット,アッシェルスレーベン, シュタスフルト,ハレなどに工場が増設された。
写真(右)2012年3月,ドイツ連邦、ハンブルク西20km、ニーダーザクセン州シュターデ、技術・車両博物館に展示されているドイツ空軍ユンカースJu88C-6夜間戦闘機の降着装置ゴム主輪:博物館は、スウェーデンの湖に沈んでいたJu88も引き上げ、復元、展示している。 Description
English: Technikmuseum Stade, permanent collection, March 2012
Date 10 March 2012, 14:02:45
Source Own work
Author Morn
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 undercarriages・File:Technikmuseum Stade, 133.jpg引用。
7.92ミリMG15機銃は、1935年のドイツ再軍備宣言が出される以前に密かに開発されていたドイツ軍の航空機搭載用旋回機銃。第二次世界大戦に使用された航空機のほぼすべての旋回機銃として搭載された。弾丸を入れる弾倉は75発入りサドルドラム式で、ドラムの半分は撃ち殻(空薬莢)入れになっている弾倉交換が容易で、ベルト給弾式とは異なり、バラの弾を装填しゼンマイ式スプリングで給弾する。
1941年6月22日、ドイツ軍は、「バルバロッサ作戦」(Unternehmen Barbarossa)に基づいて、ソ連に侵攻した。ドイツ軍は、東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げ、3カ月程度でソビエト連邦に勝利するつもりだった。
ヒトラーは,英国がソ連を当てにして戦っていると考え,イデオロギー上の敵であるボリシェビキを殲滅し,東方ソ連にドイツ民族の生存圏を獲得しようとの本心をむき出しにして,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」を発動した。しかし,その直前の1941年4月,ユーゴスラビアで反ドイツのクーデターが勃発,急遽,ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した。
1941年6-7月、バルバロッサ作戦でソ連軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,1942年の東部戦線では,スターリングラード空輸作戦以外,大軍をまとめて投入することはなくなった。
1941年6-7月、バルバロッサ作戦でソ連軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,1942年の東部戦線では,スターリングラード空輸作戦以外,大軍をまとめて投入することはなくなった。
1942-1943年,スターリングラード攻防戦(Battle of Stalingrad )では、ドイツ空軍総司令官ゲーリング国家元帥は、包囲されたドイツ第6軍へ空輸することを約束したが、ソ連軍空軍の反撃と飛行場の喪失から、空輸に失敗し、ドイツ第6軍は1943年1-2月に降伏した。
ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-5型は、翼端を延長した新型主翼を装備していたが、装備していたエンジンはそれ以前の型と同じで、ユンカース・モーター(Junkers Motoren)ユモJumo 211B/G/H倒立V型12気筒液冷エンジンで、離昇出力は1,200馬力 hpだった。次のユンカースJu88爆撃機A-4型は、新型のユモJumo 211J倒立V型12気筒液冷エンジンを装備し、その離昇出力は1410 馬力に強化されていた。
主翼下面の爆弾懸架(ラック)は、胴体側(内側)は大型でSC1000のような1トン爆弾や900リットル入り落下タンクも搭載できる1トン懸架ラックで、エンジンナセル側(外側)は中型でPC500爆弾が搭載できる500キロ懸架ラックが装備されている。
ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型以前に部隊配属されたA-5型は、翼端延長型だったが、エンジン古いJumo 211B/G/H倒立V型12気筒液冷エンジンで離昇出力は1,200 hpだった。次のA-4型は、新型のユモJumo 211J 離昇出力1410 hpを装備した。このJu88A-4爆撃機を改修したのがJu88D-1偵察機で、A-4と同じ Jumo 211J倒立V型12気筒液冷エンジンを装備していた。
写真(右)1940年7月,イギリス南部、エセックス東岸、クラクトン=オン=シー郊外、イギリス空軍第56飛行隊ハリケーン戦闘機に撃墜されたドイツ空軍ユンカースJu88偵察機:発動機Jumo211液令12気筒エンジンと金属製3-翅直径3.60 mVDMプロペラが識別できる。 English: The Battle of Britain
RAF personnel inspecting the burnt-out wreckage of a Junkers Ju 88 reconnaissance aircraft of 4.(F)/122 on Cockett Wick Farm, St Osyth near Clacton-on-Sea in Essex. The aircraft was shot down on 20 July 1940 by No. 56 Squadron Hurricanes.
Date July 1940
HU 89068 from the collections of the Imperial War Museums.
Author Unknown author
Part of Ministry of Information Second World War Press Agency Print Collection
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 undercarriages・File:The Battle of Britain HU89068.jpg引用。
ドイツは、技術力を駆使して、対艦船用の魚雷や機雷に装備する磁力反応信管、音響反応信管を開発、実用化することに成功した。新型魚雷・新型機雷は、ドイツ海軍潜水艦Uボートに搭載された。しかし、新型の音響機雷、磁気機雷は、ドイツ空軍機から、敵船舶の航路上に空中投下され、敷設された。機雷の空中投下という新機軸の戦術は、ドイツ空軍が世界で初めて大々的に実戦で行った。1945年、日本本土を空襲したアメリカ陸軍航空隊も、関門海峡、津軽海峡、港湾出入り口などを機雷封鎖するために、B-29爆撃機によって、機雷の空中投下を行った。
1942年,ドイツ空軍爆撃機は,ソ連侵攻、東部戦線各地の個別の戦術的な地上支援に使用され,敵の工業地帯,発電所,交通中枢への戦略爆撃は、ほとんど行われなかった。1941年にはドイツ軍は、激しいモスクワ空襲が実施されたものの、1942年春以降には,少数機が散発的にモスクワ空襲をしただけだった。
1945年の戦争末期になって、Fw190戦闘機を使った爆装Ju88親子爆弾「ミステル」(Mistel:寄生木)によるソ連の工場地帯・発電所などへの戦略爆撃が企図されたが、あまりにも時期を失しており、実行不能だった。
1946年1月29日,戦後のニュルンベルク国際軍事法廷(Nuremberg Trials)で裁かれたドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)は,英本土上陸作戦ができなくなったことで非難を受けたことの確認を求められた。しかし,ゲーリングはそれを否定し,「私の4個師団の空挺部隊が欲しいという要求を,陸軍の他の要求のために,貫徹できなかった。もし,ダンケルクの戦いの時期に,この4個師団をもっていたら,直ちに英本土に進撃させたであろう」と述べた。しかし,ゲーリングは,英本土航空決戦について,多くを語ろうとしなかった。失敗した作戦について、尋問されたくなかったのである。
ドイツ空軍ユンカースJu-88A爆撃機は、最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ,7.92mm機銃6丁,爆弾 2トンは、1943年当時、敵戦闘機のカモになった。しかし、Ju88の信頼性、操縦性は高く、ドイツ爆撃機としては最多となる1万5000機が生産(夜間戦闘機型を含む)が生産れている。
ユンカースJu-88A爆撃機の前期の代表型はA-4型、後期の代表型はA-14型である。ユンカースJu 88爆撃機A-14型はA-4の改良型で、乗員に対する防弾版の充実、ゴンドラ前端への20ミリMG FF機関銃の搭載、 爆撃照準器の移動を行っている。1942年になると、ロンドン空襲のようなへの都市爆撃は行われておらず、水平爆撃による精密爆撃も事実上、放棄されていた。
当時、ドイツ空軍の爆撃航空団にとって対西側連合軍の戦いは、西部戦線ではなく、地中海方面であり、対ソビエト連邦の東部戦線が主な戦場となっていた。そこでは、艦船攻撃や地上支援が主な任務であり、地上・海上の目標を機銃掃射できる火力が必要だった。
従来のユンカースJu 88爆撃機A-4型も、機首のダイヤモンド型風防に20ミリMGFF旋回機関銃1丁を装備して、防御力向上、地上・艦船銃撃威力の向上を図っている。
写真(右)1944年6月、フィンランド、大型の掩体壕に待機するフィンランド空軍第44爆撃中隊(LeLv. 44)ユンカースJu88爆撃機A-14型JK-256の機首;ゴンドラ先端の爆撃照準窓を20ミリMGFF機関銃の銃座とし、対艦船機銃掃射、対空砲火を沈黙させ、対艦船攻撃を意図した。主翼の懸架ラックには、内側にSC 500キロ爆弾、外側にSC250キロ爆弾を搭載している。爆弾には、白ペイントで「ドクロと骨」落書きアートがしてある。このJu88は、元はA-4型でゴンドラに樹幹中を装備したA-14型に改修された。1943年4月30日にドイツ軍のJu88A4/A14爆撃機(登録コードGL+QM)が、フィンランド軍に譲渡され、登録コード JK-256を与えられた。1944年7月に、フィンランドはソ連と講和し、連合軍の一員として、ドイツと戦った。この機体は、1944年10月10日、ドイツ軍戦闘機によって撃墜された。 Syöksypommituskone Junkers Ju 88 (JK9, huomaa ``tatuoidut ? ? pommit. Kesäkuu 1944.
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Syöksypommituskone Junkers Ju 88 (JK9, huomaa ``tatuoidut ? ? pommit. Kesäkuu 1944. Lentokone on Junkers Ju 88 A-4.
Aineistotyyppi:
?Valokuva
Kuvaustiedot:
ajoittamaton Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja 写真はMuseot Finne・sa-kuva-121050引用。
飛行機用の掩体壕は、
(1)周囲に土手を築き、内側を木材で固めてあり、上空から地上に駐機する飛行機を発見できないようにする偽装の効果、 (2)
機銃掃射・爆弾などの空襲の被害を受けにくく防衛上の効果、
の2点が企図されている。
フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。
当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。
しかし、1944年、ソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、廃止された。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を忌避するために唱えられた方便である。
フィンランド空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型(フィンランド軍登録コード:JK-267、製造番号WerkNr. 3888、ドイツ軍登録コード DJ+TH)は、1943年4月11日に、ドイツ軍からフィンランド軍に譲渡された。機体の塗装は、ドイツ軍仕様だったので、ドイツの白の鉄十字国籍マークも薄く残っている。1942年5月3日設立の第44飛行中隊(LeLv. 44)に配属されたが、1944年7月29日、離陸に際して事故で損傷した。第44飛行戦隊[中隊:Squadron](LeLv. 44)は、1944年2月14日に、第44爆撃中隊(PLe.Lv.44)と名称を変更した。
写真(右)1944年6月、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ飛行場、フィンランド空軍第44爆撃中隊(LeLv. 44)ユンカースJu88爆撃機A-14型JK-256の機首;もとはドイツ軍のJu88爆撃機(登録コードGL+QM)で、1943年4月30日にフィンランド空軍に譲渡され、対ソビエト攻撃に使用された。ゴンドラ先端の爆撃照準窓を20ミリMGFF機関銃の銃座とし、対艦船機銃掃射、対空砲火を沈黙させ、対艦船攻撃を意図した。 Pommituskoneen nokka, edessä tykki
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Pommituskoneen nokka, edessä tykki. Tyyppi Junkers Ju 88 (JK). Kesäkuu 1944.
Aineistotyyppi:
?Valokuva
Kuvaustiedot:
ajoittamaton Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
写真はMuseot Finne・sa-kuva-121050引用。
フィンランド空軍第44爆撃中隊(LeLv. 44)のユンカースJu-88爆撃機A-14型(フィンランド軍登録コードJK-256)は、元はA-4型でゴンドラに樹幹中を装備したA-14型に改修された。1943年4月30日にドイツ軍のJu88A4/A14爆撃機(ドイツ軍登録コードGL+QM)が、フィンランド軍に譲渡され、登録コード JK-256を与えられた。
1941年7月から1944年7月まで、フィンランドは、継承戦争(Continuation War)と称して、1939年の冬戦争に敗北して失ったカレリア地方を奪還しようとソ連赤軍と戦っていた。フィンランドは、アメリカ、イギリスとは戦うつもりがなかったが、ドイツ軍を一手に支えているソ連赤軍をドイツと同盟して攻撃した以上、西側連合国もフィンランドの対ソ戦は戦うが、対米英は中立だという詭弁を受け入れなかった。結局、フィンランドは、対ソ戦勝利が不可能である以上、大きな損害を蒙らないうちに、継承戦争(Continuation War)を打ち切って、ソ連と講和するしかなたった
このフィンランドの裏切り・転向を決断し、実行したのは1944年8月4日、フィンランド大統領に就任したフィンランド軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)元帥である。1944年7月に、フィンランドはソ連と休戦交渉していたが、新大統領カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)元帥は、それを進めて、1944年9月19日にモスクワ休戦協定を結んで講和した。これは、事実上、体面を保った降伏だったが、講和条件の一つが、ドイツ軍の排除であり、フィンランドは連合軍の一員として、ドイツと戦うことになった。このJu88爆撃機JK256は、1944年10月10日、ドイツ軍戦闘機によって撃墜された。
フィンランド軍にとっても、白丸に青の鍵十字を描いたカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、軍の国籍識別マークで、1917年のロシア革命に追随する赤軍に対抗する白軍以来のシンボルである。フィンランドの内戦では、反共産主義の赤軍に反対する、白軍が自由のシンボルとして、カギ十字(卍)を採用した。白軍を支援したスウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が鈎十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を譲渡した飛行機に描いたこともある。フィンランド軍は、1918年に採用したカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を、1944年の対ソ講和の時に廃止した。
⇒>写真集:フィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88 急降下爆撃機を見る。
写真(右)、ドイツ空軍ユンカースJu88A-15爆撃機: 既存のA-4型爆撃機を原型にし、バルジ"bulge"式大型木製爆弾倉を装備し、最大3トンの爆弾を懸架できる。機首下面のゴンドラは撤去されているが、防御用の7.92ミリ旋回機銃2丁装備。大型爆弾倉のために飛行性能が低下したため、量産はされなかった。 SDASM Aircraft Image
Junkers Ju 88A-15 Nowarra collection
PictionID:44220138 - Title:Junkers Ju 88A-15 Nowarra collection - Catalog:16_005431 - Filename:16_005431.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081806引用。
写真(右)1942-1943年頃,主翼下面左右に1本ずつ航空魚雷を搭載できるドイツ空軍ユンカースJu 88A-11雷撃機と二人の整備兵:爆撃には使用しない雷撃専用の機体のようで、爆撃照準器の置かれたゴンドラは撤去されている。ユンカース工場で生産された雷撃型で、機首側面の細長いバルジは、主翼に懸架した航空魚雷の調整を行う機材が通っている。地中海方面専用の白っぽい迷彩塗装が施されている。北海方面では、大戦末期、白色の渦波紋状の迷彩塗装を採用している。 SDASM Aircraft Image
Junkers Ju 88A-11 Nowarra collection
PictionID:44220151 - Title:Junkers Ju 88A-11 Nowarra collection - Catalog:16_005432 - Filename:16_005432.TIF
- 写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220151 引用。
写真(右)1944年,ドイツ空軍ユンカースJu-88 A-11雷撃機:2本の航空魚雷を搭載し、機首側面には魚雷調整機材を通すバルジがあるが、爆撃にも使用するためか、ゴンドラはそのままとされている。1944年、イギリス本土爆撃を「電撃戦」と称して再開したドイツ空軍だったが、イギリスの防空網に阻まれて戦果は乏しかった。英本土上空には阻塞(そさい)気球も揚げられていた。そこで、Ju188の機首には、阻塞(そさい)気球の繋留ケーブルを切断するケーブル・カッターが装備されている。 ユカースJu88のJumo211エンジンを大型大出力のJumo 213Aに変換した発展型がJu188爆撃機。液冷エンジンのJumo213は生産数に制約があったので、より大量生産された空冷エンジンのBMW 801を搭載したJu188Eも生産された。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-497-3502-20
Archive title: Westeuropa.- Besatzung eines Flugzeugs Junkers Ju 188 vor dem Start; PK Lw Kdo West
Dating: 1944
Photographer: Boger
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ユンカースJu-88爆撃機A-11雷撃型は、対艦船攻撃のためには、日本海軍航空隊、イタリア空軍、イギリス海軍航空隊の採用していた航空魚雷が有効であるとの示唆に基づいて、主翼内側に左右各1本の航空魚雷を搭できるようにしたタイプ。当初は、主に地中海方面と北大西洋の艦船・船団への攻撃を想定していた。ユンカースJu-88爆撃機A-11雷撃型の機首側面には、搭載した航空魚雷を調整する機材を通すバルジがあるので、判別しやすい。
現地改造のユンカースJu-88爆撃機A雷撃型は、工場で追加されるべき魚雷調整機材バルジは出ていない。また、ユンカースJu-88爆撃機A-11雷撃型は、爆撃機としても併用するために、ゴンドラはそのままとする場合、雷撃専用とするためにゴンドラを撤去する場合とがある。
写真(右)1944年,イタリア、ローマ郊外、ネットゥーノ、機首にFuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載したドイツ空軍第76爆撃航空団(KG77)(?)所属のユンカース(Junkers)Ju-88A洋上哨戒攻撃機:同一機らしい下の写真では、コックピット後上方には銃座1カ所で、13.1ミリMG131機関銃1丁を装備している。エンジン周囲に環状に並んでいるのは、単排気管であればBMW801空冷星形エンジン搭載だが、Jumo211液冷エンジン環状ラジエーターのカウルフラップのようだ。機首にFuG220リヒテンシュタイン空対空レーダーを装備している。Ju188の大型で四角い垂直尾翼を採用していれば、夜間戦闘機G型あるいはその改造型ということになる。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-476-2090-02A
Archive title: Italien, bei Nettuno.- Junkers Ju 88 (Kennung PN+M) mit Funkmeßgeät ("Hohentwiel"?); Lfl 2
Dating: 1944
Photographer: Brünning
Origin: Bundesarchiv
写真はWikimedia Commons,Bundesarchiv Bild 101I-471-1704-23A引用。
写真(右)1944年,イタリア、ローマ郊外、ネットゥーノ(?)、機首にFuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載したドイツ空軍第76爆撃航空団(KG77)(?)所属のユンカース(Junkers)Ju-88A洋上哨戒攻撃機:同一部隊らしい上の写真では、コックピット後上方には銃座1カ所で、13.1ミリMG131機関銃1丁を装備しており、機首下面にゴンドラはなく、胴体に乗員の昇降口がついている。Ju188の大型で四角い垂直尾翼を採用しているのかどうかはわからないが、ドイツ連邦アーカイブの解説では、”Junkers Ju 88G”としている。そうであれば、Ju88A型のJumo211Jエンジン(1470馬力)をより高出力のユモJumo213エンジン(1750馬力)に変換したJu88夜間戦闘機G後期型の改造機ということになる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-476-2090-02A
Archive title: Italien, Rom.- Flugzeug Junkers Ju 88G mit Radargerät ("Hohentwiel"?); Lfl 2
Dating: 1944
Photographer: Brünning
Origin: Bundesarchiv
写真はBundesarchiv登録・引用 (他引用不可)。
写真(右)1945年頃,連合軍が鹵獲したと思われるドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A洋上哨戒攻撃機:機首のダイヤモンド型風防ガラスの前にFuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載した海上哨戒用。白の波紋迷彩は、大戦末期の海上哨戒偵察機の標準的な塗装である。垂直尾翼のナチ党スワスチカの国籍識別マークは上塗りされ、胴体側面の白縁黒色の鉄十字も目立たないようになっている。機首下面の搭乗員の昇降口になっているので、そこに地上勤務らしい連合国将兵が集まっている。投降してきた機体なのであろうか。
SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081790
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers- 写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081790引用。
写真(右)1945年頃,連合軍が鹵獲したらしいドイツ空軍ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A洋上哨戒攻撃機(上の写真と同一機体を同一場所で撮影):機首下面のゴンドラは空気抵抗・重量を減少させ、飛行性能を向上させるために撤去されている様だ。大戦末期には、もはや、Ju88による水平爆撃の機会はなくなっていた。機首にFuG200レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載した海上哨戒偵察機。白の波紋迷彩は、大戦末期の海上哨戒偵察機の標準的な塗装である。垂直尾翼のナチ党スワスチカの国籍識別マークは上塗りされ、胴体側面の白縁黒色の鉄十字も目立たない。機首下面のにはゴンドラはなく、胴体に乗員の昇降口がついている。尾部には、自転車が2台とまっている。
SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081804
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers- 写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081804引用。
写真(右)1945年,西側連合軍が鹵獲しアメリカに運んだドイツ空軍ユンカースJu-88爆撃機(FE611?):主翼の両端の塗装は、主翼内側・胴体とは全く異なり、白系の単色であるが、これは黄色で飛行中に敵機と間違われないようにするための臨時措置であろう。この機体はJu88GとされたFE611のようだ。機首は、ダイヤモンド型風防ガラスで、ソリッド化された機首ではないので、夜間戦闘機型ではない。この写真では確認できない。他方、FuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーは未装備だが、撤去された可能性がある。
SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081781
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers- 写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081781引用。
写真(右)1945年,西側連合軍が鹵獲しアメリカに運んだドイツ空軍ユンカース海上哨戒対艦船攻撃用Ju-88爆撃機(FE611)?:この機体はJu88Gとされている。しかし、垂直尾翼はA型と同じ小型で、Ju188の四角の大型垂直尾翼ではない。機首のダイヤモンド型風防ガラスではなく、ソリッド化された機首なのか、この写真では確認できない。塗装を見ると、FuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載した海上哨戒偵察機のようにも見える。垂直尾翼の巨大なナチ党スワスチカも胴体側面の白の鉄十字の国籍識別マークも、アメリカ軍が塗りなおしたものでオリジナルではない。主翼の両端の塗装は、胴体とは全く異なり、白系の単色であるが、これは黄色で飛行中に敵機と間違われないようにするための臨時措置であろう。垂直尾翼のスワスチカも、胴体側面の白縁黒色の鉄十字も、オリジナルでは目立たない塗装だったはずだ。
SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081790
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers- 写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081790引用。
FE-611/T2-611 - Junkers Ju88G-6 - W.Nr. Unknown - surrendered to RAF and allocated USA 21. Fate unknown” ⇒However its vertical tail is not for a Ju 88 G but for a Ju 88 A. And two MG possitions located in the cockpit are for Ju 88 A-4, not for a night fighter or Ju 88 G.
写真(右)1945年8月2日、ドイツ、フレンスブルクの牧場、西側連合軍に鹵獲されプロペラを外されたユンカースJu-88爆撃機:これらの鹵獲された機体は、スクラップとして処分されるのを待っている。
Catalogue number: CL 3306,
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
Subject period: Second World War,
Alternative Namesobject category: Black and white,
Creator: Royal Air Force official photographer Saidman.
Object description: Cattle grazing amongst Junkers Ju.88 aircraft at Flensburg airfield where the machines await disposal. Label: Cattle grazing amongst Junkers Ju 88 bombers awaiting disposal at Flensburg airfield in Germany, 2 August 1945.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (CL 3306)
FE-611/T2-611 - Junkers Ju88G-6 - W.Nr. Unknown - surrendered to RAF and allocated USA 21. Fate unknown” ⇒However its vertical tail is not for a Ju 88 G but for a Ju 88 A. And two MG possitions located in the cockpit are for Ju 88 A-4, not for a night fighter or Ju 88 G.
2.ユンカースJu-88長距離偵察機D型
写真(右)1941-1943年頃,ドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型:爆撃機A型の武装を撤去し、胴体後部下面の爆弾倉に、大型カメラ3基を搭載した。エンジンの排気で、主翼下面に黒いススがついている。主翼下面には、爆弾ではなく大型の落下式増加燃料タンクを懸架できる。 SDASM Aircraft Image
PictionID:44220187 - Title:Junkers Ju 88D-1 Nowarra collection - Catalog:16_005435 - Filename:16_005435.TIF - 写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220175 引用。
イギリスの準備していたノルウェー進駐が始まる直前,1940年4月9日にドイツ軍はノルウェー侵攻を開始した。しかし,4月14日には,イギリス・フランス、ポーランド軍の連合軍1万2000名が、ノルウェーのフィヨルド、トロンハイムに上陸し、4月20日には、北部のナルヴィク(Narvik)にも,連合軍3万名が上陸し、ドイツ軍は危機に陥った。
1940年5月10日,ドイツ軍は、中立を表明していたベルギー,オランダに侵攻、連合軍はナルヴィクを撤退し、フランス正面での戦いに集中した。この時、イギリス首相チェンバレンは,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任し、 1940年5月10日に戦時挙国一致内閣がウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)首相の下に組閣された。
写真(右)1940-1943年頃,主翼下面に900リットル入大型増加タンクを懸架したドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-2型:爆撃機A型の武装を撤去し、胴体後部下面の爆弾倉の部分にカメラのレンズ穴が3個開いているのが明瞭にわかる。主翼下面には、左右に懸架ラック2基があり、それで1個の900リットル増加燃料タンクを吊るしている。 SDASM Aircraft Image-
Junkers Ju 88D-2 with two 900 liter tanks-
PictionID:44220200 - Title:Junkers Ju 88D-2 with two 900 liter tanks - Catalog:16_005436 - Filename:16_005436.TIF
- 写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220175 引用。
1940年5月14日、ドイツ空軍ヘルマン・ゲーリング元帥隷下、第54,第57爆撃航空団(KG54)ハインケル(Heinkel)He111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。当日,出撃した第54爆撃航空団のハインケル(Heinkel)爆撃機に「交渉中のために爆撃延期」が打電されたが,ヘーネ中佐の部隊は,爆撃を中止できた編隊もあったが,ラックナー大佐の部隊は無電を傍受できず,爆撃を行った。 こうして,爆撃機57機がロッテルダム中心街のマース川北岸にあったオランダ群防衛陣地を50キロ爆弾1150発,250キロ爆弾158発,合計97トンによって空襲した。
1940年5月14日2030,オランダ軍総司令官ウィンケルマン将軍は,ラジオ放送を通じて,オランダ軍に全面降伏を命じた。ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)のドイツ空軍機は,空挺作戦も展開したが、投入したJu-52タンテ輸送機430機の三分の二が破壊損傷した。
ハインケルHe 111 H爆撃機の諸元
全長 16.4メートル,全幅 22.5メートル,翼面積 86.5平方メートル 全備重量: 1.2トン,液冷ユンカースJumo211エンジン1300馬力2基 最大時速 400キロ,航続距離 1200-2400キロ,上昇限度8000メートル 武装:7.92ミリMG15機関銃6丁,爆弾2.5トン 乗員5人(パイロット、航法手、爆撃手・機首銃手、銃手1-2人) 原型初飛行 1935年2月24日,総生産数 6000機。 生産工場は,ビスマール,オラニエンブルクのハインケル社のほか,ドルニエ社,アラド社でもライセンス生産。 生産期間は,1936年3月から1944年9月まで。
写真(右)1940-1943年頃,主翼下面に900リットル入大型増加タンクを懸架したドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-5偵察型:爆撃機A型だが、爆撃手席にカメラを搭載したのかもしれない。主翼下面には、左右に懸架ラック2基があるが、内側の大型懸架ラックに1個の900リットル増加燃料タンクを吊るしている。このタンクは、Bf110長距離戦闘機D型の搭載した900リットル増加タンクと同じで、後端にフィン(ヒレ)がついている。風雨からエンジンを守るためか、環状ラジエーターの周囲を覆う専用カバーを掛けている。 SDASM Aircraft Image
Junkers Ju 88A-5 with two additional 900 liter tanks Nowarra collection
PictionID:44219976 - Title:Junkers Ju 88A-5 with two additional 900 liter tanks Nowarra collection - Catalog:16_005418 - Filename:16_005418.TIF
- 写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219976 引用。
1940年6月、フランスは降伏し、7月にフランス戦勝利の褒賞として、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進した。しかし、アメリカの支援を受けたイギリスは、1940年8月以降の本土航空決戦でドイツ空軍に大損害を与え敗退させた。ヒトラーは,ヨーロッパで孤立したイギリスが戦い続けるのは、東方ソ連がドイツを圧迫しているからだと考え、下等人種の土地をドイツの生存圏に組み込もうとしていた。
写真(右)1941-1943年頃,ロシア東部戦線、ドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型と防寒服を着た二人の地上勤務員:胴体下面にカメラの撮影用丸窓が見える。偵察用D型は、爆撃用A型の武装を撤去し、胴体後部下面の爆弾倉に、大型カメラ3基を搭載した。エンジンの排気で、主翼下面に黒いススがついている。主翼下面には、爆弾ではなく大型の落下式増加燃料タンクを懸架できる。 SDASM Aircraft Image
Ray Wagner Collection Image
PictionID:44220359 - Catalog:16_005449 - Title:Junkers Ju 88 in Russia - Filename:16_005449.TIF- 写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220359引用。
英国ウィストン・チャーチル首相は,米国の武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦を戦う覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日まで,ドイツ空軍は、英国本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。
空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング国家元帥は,1940年8月からの英本土航空「鷲」作戦に際して,ドイツ空軍がイギリス空軍機を駆逐し,イギリスを征服してみせると豪語した。しかし,ドイツ側の被害は甚大で,イギリス戦闘機の抵抗が続いたために,1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始した。
写真(右)1941年11月3日、フィンランド、不時着したドイツ空軍第22ユンカースJu88長距離偵察機D-1型(登録コード4N+PL :製造番号WNr.1355).;主翼下面の増槽懸架ラックは1カ所の実確認できる。コックピット後方、胴体上のカバーが外されている。搭載しているのは、Ju88A-4爆撃機と小那比ユンカース・モーター(Junkers Motoren)のユモJumo211J倒立V型12気筒液冷エンジン2基。
Kone lentuetunnuksineen (ruutuässä).
Olavi Linnus, valokuvaaja
Kone lentuetunnuksineen (ruutuässä). Kone Ju 88 D-1, yksikkö 3.(F)/22 ja tunnus 4N+PL (WNr.1355). Tunnuksen pohjana Saksan palkkiristi negatiivikuvana, johon keskelle lisätty punainen korttipakan ruutu. It-osuman seurauksena kone joutui tekemään pakkolaskun Viitanaan 3.11.1941.
Aineistotyyppi:
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-11-03
Olavi Linnus, valokuvaaja 写真はForsvarets museer ・sa-kuva-78170引用。
1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(Hakaristi)が描かれている。ドイツでも、カギ十字(卍)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、夏党政権獲得後、この鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。そして、再軍備宣言後、ドイツ空軍が創設されると、ナチ党の採用したカギ十字をドイツの国籍マークとした。
ドイツ空軍ユンカースJu-88長距離偵察機D-1型(登録コード4N+PL :製造番号WNr.1355:Serial 088 1203)は、 Unit: 1(F)/22は、1943年2月17日、左エンジンに対空砲火を受けてノルウェー北、バレンツ海ビュルネイ島南部に不時着した。このJu88長距離偵察機D-1型(4N+PL :WNr.1355:Serial 088 1203)は、スクラップとなってノルウェー北端の街メハムンに引き取られていたが、1998年にノルウェー航空博物館(Norwegian Aviation Museum)が展示のために買い取った。
写真(右)1941年11月3日、ノルウェー南西岸、スタバンゲル、ドイツ空軍第22飛行隊ユンカースJu88長距離偵察機D-1型(登録コード4N+PL :製造番号WNr.1355).;主翼下面の増槽懸架ラックは1カ所の実確認できる。コックピット後方、胴体上のカバーが外されている。搭載しているのは、Ju88A-4爆撃機とユンカース・モーター(Junkers Motoren)のユモJumo211J倒立V型12気筒液冷エンジン2基。
Kone lentuetunnuksineen (ruutuässä).
Olavi Linnus, valokuvaaja
Kone lentuetunnuksineen (ruutuässä). Kone Ju 88 D-1, yksikkö 3.(F)/22 ja tunnus 4N+PL (WNr.1355). Tunnuksen pohjana Saksan palkkiristi negatiivikuvana, johon keskelle lisätty punainen korttipakan ruutu. It-osuman seurauksena kone joutui tekemään pakkolaskun Viitanaan 3.11.1941.
Aineistotyyppi:
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-11-03
Olavi Linnus, valokuvaaja 写真はForsvarets museer ・sa-kuva-78170引用。
1940年5月14日、ドイツの第54,第57爆撃航空団ハインケルHe111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。当日,出撃した第54爆撃航空団のハインメル爆撃機に「交渉中のために爆撃延期」が打電されたが,ヘーネ中佐の部隊は,爆撃を中止できた編隊もあったが,ラックナー大佐の部隊は無電を傍受できず,爆撃を行った。
こうして,爆撃機57機がロッテルダム中心街のマース川北岸にあったオランダ群防衛陣地を50キロ爆弾1150発,250キロ爆弾158発,合計97トンによって空襲した。
1940年5月14日2030,オランダ軍総司令官ウィンケルマン将軍は,ラジオ放送を通じて,オランダ軍に全面降伏を命じた。ドイツ軍は,空挺作戦などによって,投入したJu-52輸送機430機の三分の二が破壊損傷した。
1941年6月21日,バルバロッサ作戦開始の前日のドイツ軍東部戦線配備兵力
兵員300万人,戦車3580両,火砲7184門,車両60万台,ウマ75万頭。航空機1830機.
対峙するソ連軍は,兵員450万人,10個軍だった。
ソ連軍は,北方には30個師団,8個機甲旅団,中部に45個師団,14個機甲旅団,南部に64個師団,14個機甲旅団を配備
ソ連空軍は白ロシア(ベラルーシ)に6000機を配置。
ドイツ空軍は,東部戦線に四個航空軍を配備,第一線機1280機を揃えた。内訳は,ハインケルHe-111,ユンカースJu-88など双発爆撃機510機,ユンカースJu87など急降下爆撃機290機,メッサーシュミットMe109単発戦闘機440機,Me110双発駆逐機40機,長距離偵察機120機である。
ソ連空軍は,その2倍の飛行機を保有していると予測された。
バルバロッサ作戦では,今までの空軍,陸軍の関係が逆転している。1940年5月のベルギー・フランス侵攻では,グライダー空挺部隊によるエバン・エマール要塞を奇襲攻略するために,空軍が陸軍よりも先に出撃する必要があった。攻撃開始時間は,陽光が不可欠だった。
他方,ソ連侵攻バルバロッサ作戦の攻撃時間は,6月22日0315で,ドイツ陸軍は早暁に行動を起こして奇襲効果を高めた。
写真(右)1941-1943年、フランス北西、ブルターニュ地方ディナール (Dinard)、イギリス本土や大西洋哨戒偵察に投入されたドイツ空軍第121長距離飛行偵察部隊(Aufkl.Gr (F) 121)第2中隊所属のユンカースJu88長距離偵察機D型;Aufklärungsgruppe 121(英訳:21st Reconnaissance Group)は、第121偵察部隊(長距離)。F:Fern(Long range)は長距離を意味する。他方、H :Heeres(Army)は、陸軍で、近距離を意味する。飛行中隊(Staffel)は、飛行戦隊、飛行隊とも訳されるが、大型機は12機(3機編隊)、小型機は16機(2機あるいは4機編隊)程度。
Pz:Panzerstaffel(antitank squadron)は、対戦車部隊を意味する。主翼下面に大型900L入り増加燃料タンクを懸架している。 3 STAFFEL FERNAUFKARUNGSGRUPPE 121 1939-1943.
Object description
The commander of 3 Staffel Aufkl.Gr (F) 121 salutes one of the unit's Junkers Ju 88 bombers as it prepares to leave the airfield at Dinard.
Catalogue number HU 94629
Part of NASH DAVID (MR) 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum 登録・HU 94629引用。
ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-5型は、翼端を延長した新型主翼を装備していたが、装備していたエンジンはそれ以前の型と同じで、ユモJumo 211 B/G/H倒立V型12気筒液冷エンジンで、離昇出力は1,200馬力 hpだった。次のユンカースJu88爆撃機A-4型は、新型のユモ Jumo 211J 倒立V型12気筒液冷エンジンを装備し、その離昇出力は1410 馬力に強化されていた。
ドイツ空軍ユンカースJu 88D-4偵察機は、Ju 88A-5爆撃機をベースにした長距離高速写真偵察機である。ドイツ空軍は、高速の戦闘機を近距離写真偵察機として、双発爆撃機を遠距離写真偵察機として活用しており、偵察専用の機体は、近距離の対地支援用、飛行艇・水上機のような海洋作戦の機種に限られた。
写真(上)1941-1943年、フランス北西、ブルターニュ地方ディナール (Dinard)、イギリス本土や大西洋哨戒偵察に投入されたドイツ空軍第121長距離飛行偵察部隊(Aufkl.Gr (F) 121)第2中隊所属のユンカースJu88長距離偵察機D型;Aufklärungsgruppe 121(英訳で21st Reconnaissance Group)は、第121偵察部隊(長距離)。F:Fern(Long range)は長距離を意味する。他方、H :Heeres(Army)は、陸軍で、近距離を意味する。
Pz:Panzerstaffel(antitank squadron)は、対戦車部隊を意味する。主翼下面に大型900L入り増加燃料タンクを懸架している。 3 STAFFEL FERNAUFKARUNGSGRUPPE 121 1939-1943.
Object description
The commander of 3 Staffel Aufkl.Gr (F) 121 salutes one of the unit's Junkers Ju 88 bombers as it prepares to leave the airfield at Dinard.
Catalogue number HU 94630
Part of NASH DAVID (MR) 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum 登録・HU 94630引用。
ドイツ空軍のAufklärungsgruppe (21st Reconnaissance Group)は、偵察部隊を意味し、Aufkl.Grと短縮表記される。Aufkl.Gr (F) とあれば、FはFern(Long range)で長距離を意味する。他方、Aufkl.Gr (F) とあれば、HはHeeres(Army)で、陸軍、近距離を意味する。Pzは、Panzerstaffel(antitank squadron)で、対戦車部隊を意味する。
飛行中隊(Staffel)は、3隊集まって、飛行戦隊あるいは飛行隊(Gruppen)を編成し、飛行戦隊・飛行隊(Gruppen)が、3隊あつまって、航空団(Geschwader)を編成する。飛行中隊(Staffel)は、大型機は12機(3機編隊)、小型機は16機(2機あるいは4機編隊)程度。爆撃部隊、戦闘機部隊は、航空団、飛行戦隊F:Fern(Long range)は長距離を意味する。
写真(上)1941-1943年、フランス北西、ブルターニュ地方ディナール (Dinard)、対空偽装網で覆われた掩体壕に隠されているドイツ空軍第121長距離飛行偵察部隊(Aufkl.Gr (F) 121)第2中隊所属のユンカースJu88長距離偵察機D型;主翼下面に増加燃料タンクはない。 3 STAFFEL FERNAUFKARUNGSGRUPPE 121 1939-1943.
Object description
One of the Junkers Ju 88 bombers of 3 Staffel Aufkl.Gr (F) 121parked in a sandbagged and camouflaged dispersal bay on the airfield at Dinard..
Catalogue number HU 94631
Part of NASH DAVID (MR) 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum 登録・HU 94631引用。
Ju 88 D-1:Ju 88A-4をベースにした長距離写真偵察機。
Ju 88 D-2:Ju 88A-5をベースにした長距離写真偵察機。
Ju 88 D-3:熱帯仕様のD-1。
Ju 88 D-4:熱帯仕様のD-2。
Ju 88 D-5:D-1の木製ユンカース3翅プロペラを金属製VDM3翅プロペラに換装
熱帯仕様(Trop)とは、ひたある理科や地中海方面の亜熱帯の気候・地理的条件に適した改装を施した機体のこと。熱帯仕様では、空中や飛行場では砂塵が舞い上がっているが、航空機が砂塵をエンジン過給機の空気取入れ口から吸い込んでしまうと、エンジン内部の故障、不調の原因になる。そこで、飛行場や低空で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着、その円筒側面から空気を取り入れた。ただし、高空では砂塵の心配はなく、エンジンの全力可動のためには、エアインテークの正面から空気を取り込むほうが都合がよい。そのために、インテーク前面は、開閉式となっていた。低空では閉鎖し、フィルター円筒の側面から吸気し、高空ではインテーク正面の取入れ口から空気を取り込むのである。
写真(上)1941-1943年、フランス北西、ブルターニュ地方ディナール (Dinard)、ドイツ空軍第121長距離飛行偵察部隊(Aufkl.Gr (F) 121)第2中隊所属の3機のユンカースJu88長距離偵察機D型が並んでいる。;Aufklärungsgruppe 121(21st Reconnaissance Group)は、第121偵察部隊(長距離)。F:Fern(Long range)は長距離を意味する。他方、H :Heeres(Army)は、陸軍で、近距離を意味する。
Pz:Panzerstaffel(antitank squadron)は、対戦車部隊を意味する。主翼下面に増加燃料タンクはないようだ。 3 STAFFEL FERNAUFKARUNGSGRUPPE 121 1939-1943.
Object description
Three of the Junkers Ju 88 bombers of 3 Staffel Aufkl.Gr (F) 121 parked on the airfield at Dinard.
Catalogue number HU 94632
Part of NASH DAVID (MR) 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum 登録・HU 94632引用。
1941年6月22日、ドイツはソ連に侵攻した。そして、1941年6月25日、1939年にソ連と冬戦争を戦ったフィンランドが、ソ連に併合されたカレリア地方を取り戻すために、「継承戦争」と称して、ソ連を攻撃した。
当初、ドイツ軍は快進撃を続け、前線にあったソ連赤軍を壊滅し、包囲戦により多数の捕虜も得ていたが、バルバロッサ作戦では3カ月以内にソ連を打倒するが、半年たっても、モスクワ前面で、予備軍の動員を強行したソ連赤軍の粘り強い抵抗を受けていた。1941年11月末、モスクワ前面に迫っていたドイツ軍は、予備軍も燃料・弾薬も不足しており、この厳冬期を迎えてソ連軍は大反攻を開始した。
写真(右)1942年11月13日,北アフリカ、エジプト、フーカ、墜落したドイツ空軍第120偵察隊所属のユンカースJu 88D-4偵察機(7A-GH)の残骸:砂漠戦用の機体なのでカーキ色の地に茶色の雲形明細を施している。尾輪は破損したためか、引込んだままなのか確認できない。 Description A damaged German Junkers Ju 88D reconnaissance plane from AufklGr(F) 120 (120th Reconnaissance Group) at Fuka, Egypt.
Date 13 November 1942
Australian War Memorial under the ID Number: 025284
Author Australian armed forces 写真はCategory:Junkers Ju 88 destroyed in combat File: Damaged_Ju_88D_at_Fuka_1942.jpgA引用。
写真(右)1942年11月13日,北アフリカ、エジプト、フカ、オーストラリア軍に鹵獲されたドイツ空軍ユンカースJu 88D-4偵察機(A-GH)の残骸(後方1/3からの撮影):エンジン、降着用主輪が失われている。砂漠専用の迷彩塗装を施している。
Places
Africa: Egypt
Africa: North Africa, Western Desert, Western Desert (Egypt), Fuka
Accession Number
025286
Collection type
Photograph
Object type
Black & white
Description:
FUKA, EGYPT. 1942-11-13. TWO GERMAN JUNKERS JU88 BOMBERS ABANDONED ON FUKA AERODROME.
写真はAustralian War Memorial Accession Number
025286引用。
1942年11月8日、西側連合軍は、トーチ作戦(Operation Torch)を発動、モロッコとアルジェリアへアメリカ軍、イギリス軍を中核とする地上部隊が上陸した。1941年6月22日、ドイツはバルバロッサ作戦を発動して、独ソ不可侵条約を保護にして、ソ連に侵攻した。イギリスもアメリカも、直ぐに反ドイツ、反ヒトラーのために、ソビエト連邦への軍事支援を約束した。
ところが、独ソ戦が始まっても、ドイツ軍の主力は、ソ連軍が一手に引き受けるのみで、ドイツ軍にソ連の肥沃な穀倉地帯のウクライナも占領され、ソ連軍も大損害を被っていた。ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、イギリス首相ウィンストン・チャーチルに第二線、すなわち西ヨーロッパへの上陸作戦を早急に実施することをもとめたが、チャーチルはイギリスは苦しい状況で、犯行は時期総称だと応じなかった。実は、チャーチルは、ナチス、ヒトラーも憎悪していたが、同時に共産主義、ボリシェビキにも大いに反感を抱いていた。そこで、ヒトラーとスターリンが戦って、双方が損害を増やし、苦しい戦いを続ければ、それはイギリスにとって有利であると考えていた。
しかし、イギリス・アメリカがソ連へ援助をしても、第二線ができない以上、スターリンは、チャーチルの真意を推し量って、共産主義が苦しむのを歓迎していると正確に推測していた。つまり、ソ連スターリンがドイツのヒトラーと単独講和する可能性は残っていた。
写真(右)1942年11月13日,北アフリカ、エジプト、フカ、オーストラリア軍に鹵獲されたドイツ空軍ユンカースJu 88D-4偵察機(7A-GH)の残骸(前方1/3からの撮影):エンジン、降着用主輪が失われている。砂漠専用の迷彩塗装を施している。
Places
Africa: Egypt
Africa: North Africa, Western Desert, Western Desert (Egypt), Fuka
Accession Number
025285
Collection type
Photograph
Object type
Black & white
Description:
FUKA, EGYPT. 1942-11-13. TWO GERMAN JUNKERS JU88 BOMBERS ABANDONED ON FUKA AERODROME.
写真はAustralian War Memorial Accession Number
025285 引用。
ドイツ空軍ユンカースJu-88D高速長距離偵察機は、Ju-88A型爆撃機の胴体後方の爆弾倉に3台の大型カメラを搭載、前部の爆弾倉には追加燃料タンクを装備し、遠距離偵察が可能のなった。急降下は行う必要がないため、ダイブブレーキは撤去され、軽量化が図られている。Ju 88D-2偵察機は標準型で、 D-4型には、砂漠戦用Trop仕様があった。
ソ連の指導者ヨシフ・スターリンとしては、ヨーロッパに第二戦線をイギリスが開かないのであれば、単独講和することも選択肢の一つだった。そこで、独ソ単独講和を阻止するためにも、イギリス首相ウィンストン・チャーチルもアメリカも反ヒトラー戦争に、新たな戦線を開く負担を覚悟した。これが、1942年11月8日、西側連合軍イギリス軍・アメリカ軍の北アフリカ上陸作「トーチ作戦(Operation Torch)」である。チュニジアに新たな北アフリカ戦線を開いたことで、イタリア軍だけでなく、枢軸国の援軍としてドイツ軍が派遣された。ドイツ軍が北アフリカに派兵し、その分だけ、東部戦線で戦うソ連への軍事的資源が減少し、ソ連への間接支援となったのである。
写真(右)1943年12月7日、ノルウェー、ソグネフィヨルド50マイル西方、イギリス空軍第333飛行中隊モスキート戦闘爆撃機に襲撃されるドイツ空軍ユンカースJu88長距離偵察機D型;高解像度の原版を拡大すると、主翼右側に大型増加燃料タンクを懸架していることが分かる。 En Junkers Ju 88 blir skutt ned av major Wenger i en Mosquito fra 333 skvadronen, 7. desember 1943, 50 mil vest for Sognefjorden.
Identifier: FMU.402462
Part of collection: FMU
Owner of collection: Forsvarsmuseet
Institution: Forsvarets museer
Date published: March 17, 2014
Date updated: March 17, 2014
DIMU-CODE: 011012731308
UUID: B9BF553C-3A81-4806-AFB1-24DAB5A07C2C
写真はForsvarets museer ・Identifier: FMU.402462 引用。
ヒトラーは,英国がソ連を当てにして戦っていると考え,イデオロギー上の敵であるボリシェビキを殲滅し,東方ソ連にドイツ民族の生存圏を獲得しようとの本心をむき出しにして,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」を発動した。しかし,1940年9月7日、ドイツの同盟国イタリアは、リビア植民地から、イギリス属国エジプトへの攻撃を掛けていたが、1941年には反撃を受けて苦戦していた。そこで、ヒトラーは、リビアに敗退してきたイタリア陸軍グラッツィアーニ元帥を支援するために、1941年2月に、エルヴィン・ロンメル指揮のドイツ・アフリカ軍団をリビアに派遣した。さらに、その直後、1941年4月,ユーゴスラビアで反ドイツのクーデターが勃発,急遽,ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した。
ヒトラーが、西部戦線とイギリスを屈服させられないうちに、東部戦線を開いて、ソビエト連邦との二正面作戦を展開したといわれることが多いが、実は、バルカン。北アフリカなど地中海方面での大規模な戦闘を開始したのが、二正面作戦の始まりで、東部戦線のソ連侵攻で、三正面作戦になったのである。
写真(右)1943年12月7日、ノルウェー、ソグネフィヨルド50マイル西方、北緯61度17分、東経3度21分、イギリス空軍第333飛行中隊モスキート戦闘爆撃機に襲撃され、左右のエンジンから煙をはいて遁走するドイツ空軍ユンカースJu88長距離偵察機D型;高解像度の原版を拡大すると、主翼左側に大型増加燃料タンクを懸架していることが分かる。 En Junkers Ju 88 blir skutt ned av major Wenger i en Mosquito fra 333 skvadronen, 7. desember 1943, 50 mil vest for Sognefjorden...
Identifier: FMU.402473
Part of collection: FMU
Owner of collection: Forsvarsmuseet
Institution: Forsvarets museer
Date published: March 17, 2014
Date updated: March 17, 2014
DIMU-CODE: 011012731330
UUID: D9A9854C-8B12-407A-9161-F2AEEB9D458C 写真はForsvarets museer ・Identifier: FMU.402473引用。
写真(右)1945年4月21日、ノルウェー、北緯57度20分、東経3度30分、イギリス空軍第248飛行中隊モスキート戦闘爆撃機に襲撃され、左エンジンから薄い煙をはいているドイツ空軍ユンカースJu88長距離偵察機D型;高解像度の原版を拡大すると、主翼左側に大型増加燃料タンクを懸架していることが分かる。 En Junkers Ju 88 blir angrepet av fly fra 248 skvadronen, 21. april 1945.
Identifier: FMU.402501
Part of collection: FMU
Owner of collection: Forsvarsmuseet
Institution: Forsvarets museer
Date published: March 17, 2014
Date updated: March 17, 2014
DIMU-CODE: 011012731382
UUID: 742C42E0-B7D3-4F52-8D72-5E968770A8D6 写真はForsvarets museer ・Identifier: FMU.402478引用。
写真(右)1945年4月21日、ノルウェー、北緯57度20分、東経3度30分、イギリス空軍第248飛行中隊モスキート戦闘爆撃機に襲撃され、左エンジンから薄い煙をはいているドイツ空軍ユンカースJu88長距離偵察機D型;高解像度の原版を拡大すると、主翼左側に大型増加燃料タンクを懸架していることが分かる。 En Junkers Ju 88 blir angrepet av fly fra 248 skvadronen, 21. april 1945..
Identifier: FMU.402478
Part of collection: FMU
Owner of collection: Forsvarsmuseet
Institution: Forsvarets museer
Date published: March 17, 2014
Date updated: March 17, 2014
DIMU-CODE: 011012731338
UUID: 9E3BB804-5F2E-4FF6-B4CB-0C3F5E36F08A
写真はForsvarets museer ・Identifier: FMU.402478引用。
3.現存するユンカースJu88D偵察機
写真(右)1945年9月14日,アメリカ、オハイオ州、ライト・パターソン基地(?)、1943年7月にキプロス島に投降してきたルーマニア軍のJu88長距離偵察機D-1型:イギリス軍が1943年7月に鹵獲したルーマニア軍Ju88D-1をアメリカ軍に譲渡し、アメリカ軍が本土に運搬した。アメリカ軍の国籍マークを描いていた。その後、ドイツ空軍の国籍マークに塗りなおされた。胴体後方は白色系単色塗装だが、機体前半は白波浪模様のオリジナルの海上迷彩色で塗られている。垂直尾翼には、赤白ストライプの星条旗が描かれている。胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。また、主翼下面には、爆弾ではなく大型の落下式増加燃料タンクを懸架できる。 SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081806
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081806引用。
写真(右)1945年9月頃,アメリカ、オハイオ州、ライト・パターソン基地(?)、1943年7月にキプロス島に投降してきたルーマニア軍のJu88長距離偵察機D-1型:イギリス軍が1943年7月鹵獲したルーマニア軍Ju88D-1をアメリカ軍に譲渡し、アメリカ軍が本土に運搬した。アメリカ軍の国籍マークを描いていたが、その後、ドイツ空軍の国籍マークに塗りなおされた。胴体後方は白色系単色塗装だが、機体前半は白波浪模様のオリジナルの海上迷彩色で塗られている。胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。また、主翼下面には、爆弾ではなく大型の落下式増加燃料タンクを懸架できる。 SDASM Aircraft Image
Ray Wagner Collection Image
PictionID:44220113 - Catalog:16_005429 - Title:Junkers Ju 88A-13 captured aircraft in USA - Filename:16_005429.TIF
The captured USAAF Ju 88D-1/Trop was a long-range photographic reconnaissance version modified for tropical use. It was assigned to the Romania Air Force and flown to Cyprus after the Romanian pilot defected to the British. The RAF turned the aircraft over to the USAAF and it was tested at Wright Field. At the end of WWII, it was stored in the Arizona desert and in January 1960, it was shipped to the USAF museum. 写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220113引用。
1943年7月、枢軸国ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体はイギリスが鹵獲したが、イギリス軍はすでに飛行可能なJu88を保有しており、技術的にも興味があまりなかった。そこで、イギリス軍は、この投降してきたJu88D-1をアメリカに譲渡した。アメリカ軍は、譲渡されたルーマニア軍のJu88D-1をアメリカ軍の国籍マークに塗り替え、戦利品としてアメリカ本土に運搬した。この機体は、オハイオ州ライトパターソン基地に到着し、テスト飛行された。
アメリカの戦利品となったルーマニア軍Ju 88D-1/Trop偵察機は、その後は1960年まで、長らく、アリゾナ州の砂漠に放置・保管されていた。それを再び修復して、現在、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元、展示している。
写真(右)1944-1945年頃,アメリカ、オハイオ州デイトン、ライトパターソン基地、アメリカ軍が北アフリカで鹵獲しアメリカ軍の識別マークを描いたドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型:垂直尾翼には、赤白ストライプの星条旗を描いている。爆撃機A型の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。また、主翼下面には、爆弾ではなく大型の落下式増加燃料タンクを懸架できる。 SDASM Aircraft Image
PictionID:48347165 - Catalog:01_00093943 - Title:Junkers Ju88D-1 trop Wright Field [USAF 12572] Filename:01_00093943.tif
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:48347165 引用。
写真(右)1945年頃,アメリカ、オハイオ州(?)、アメリカ軍が鹵獲、アメリカ軍の国籍マークを描いて飛行させたドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型:垂直尾翼、主翼下面には、赤白ストライプの星条旗が描かれている。胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。また、主翼下面には、爆弾ではなく大型の落下式増加燃料タンクを懸架できる。 SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081782
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081782引用。
写真(右)1945年頃,アメリカ、オハイオ州上空(?)、アメリカ軍が鹵獲、アメリカ軍の国籍マークを描いて飛行させたドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(?)(米軍コードFE-1598?):垂直尾翼には、赤白ストライプの星条旗が描かれている。 SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081811
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081811引用。
写真(右)1945-1946年頃,アメリカ、オハイオ州デイトン、ライトパターソン基地、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍の識別マークを描いたドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(米軍コードFE-1598):ユンカース・モーター(Junkers Motoren)のユモJumo211J 離昇出力1410 hpのエンジンナセルに「1F1A」とある。爆撃機A型の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。また、主翼下面には、爆弾ではなく大型の落下式増加燃料タンクを懸架できる。 SDASM Aircraft Image
Junkers Ju 88D-1
PictionID:44220175 - Title:Junkers Ju 88D-1 - Catalog:16_005434 - Filename:16_005434.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220175 引用。
写真(右)1946年、アメリカ、オハイオ州、ライトフィールド基地、アメリカ陸軍航空祭(Army Air Forces Fair)に展示されたアメリカ軍が鹵獲しユンカースJu 88長距離偵察機D-1型FE-1598:エンジンカバーを外して、内部機構を見学にきたアメリカ海軍水兵やアメリカ市民に見させている。アメリカ軍の識別マークを描いているが、もとは1943年7月に、キプロス島のイギリス軍基地に飛来、投降してきたルーマニア軍所属のJu88D-1偵察機で、イギリスが鹵獲して、アメリカに譲渡した機体。 SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081800
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081800 引用。
写真(右)1945年以降,アメリカ、オハイオ州デイトン、ライトパターソン基地(?)、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍がドイツ軍時代の識別マークを再現したドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(FE1598):エンジンナセルに「1F1A」とある。爆撃機A型の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。アメリカ軍は、北アフリカでJu88偵察機D型を鹵獲した。1943年7月.ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体はイギリスからアメリカに譲渡され、アメリカ本土に運ばれた。現在、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元、展示されている機体である。 FE-1598 - Junkers Ju88D-1/trop - W.Nr.430650 - ex HK959 of RAF Middle East - on static display in US SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081789
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany 写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081789引用。
写真(右)1945年以降,アメリカ、オハイオ州デイトン、ライトパターソン基地(?)、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍がドイツ軍時代の識別マークを再現したドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(FE1598):
FE-1598 - Junkers Ju88D-1/trop - W.Nr.430650 - ex HK959 of RAF Middle East - on static display in US SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081788
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany 写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081788引用。
このドイツ空軍ユンカースJu-88爆撃機は、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍がドイツ軍時代の識別マークを再現した機体で、もとはユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(FE1598)である。もとはユンカースJu 88D型長距離偵察機はJu-88A型爆撃機の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した機体である。また、左右の主翼下面には、爆弾ではなく大型の落下式増加燃料タンクを懸架できる。アメリカ軍は、北アフリカでJu88D型偵察機を鹵獲した。1943年7月.ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体はイギリスからアメリカに譲渡され、アメリカ本土に運ばれた。現在、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元、展示されている機体である。
写真(右)1945年以降,アメリカ、オハイオ州デイトン、ライトパターソン基地(?)、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍がドイツ軍時代の識別マークを再現したドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(FE-1598):エンジンナセルに「1F1A」とある。 FE-1598 - Junkers Ju88D-1/trop - W.Nr.430650 - ex HK959 of RAF Middle East - on static display in US SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081798
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany 写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081798引用。
ユンカースJu88爆撃機A型の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。アメリカ軍は、北アフリカでJu88偵察機D型を鹵獲した。1943年7月.ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体はイギリスからアメリカに譲渡され、アメリカ本土に運ばれた。現在、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元、展示されている機体である。
写真(右)1945年以降,アメリカ、オハイオ州デイトン、ライトパターソン基地(?)、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍がドイツ軍時代の識別マークを再現したドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(FE-1598):エンジンナセルに「1F1A」とある。爆撃機A型の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。アメリカ軍は、北アフリカでJu88偵察機D型を鹵獲した。1943年7月.ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体はイギリスからアメリカに譲渡され、アメリカ本土に運ばれた。現在、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元、展示されている機体である。 FE-1598 - Junkers Ju88D-1/trop - W.Nr.430650 - ex HK959 of RAF Middle East - on static display in US SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081791
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany 写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081791引用。
写真(右):1945年以降,アメリカ、オハイオ州デイトン、ライトパターソン基地(?)、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍がドイツ軍時代の識別マークを再現したドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(?):SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081809
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany 写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081809引用。
写真(右)1945年以降,アメリカ、オハイオ州デイトン、ライトパターソン基地(?)、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍がドイツ軍時代の識別マークを再現したドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(?):エンジンナセルに「1F1A」とある。爆撃機A型の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。アメリカ軍は、北アフリカでJu88偵察機D型を鹵獲した。1943年7月.ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体はイギリスからアメリカに譲渡され、アメリカ本土に運ばれた。現在、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元、展示されている機体である。 SDASM Aircraft Image
Junkers, Ju.88
Catalog #: 01_00081797
Title: Junkers, Ju.88
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany 写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081797引用。
戦後、アメリカ、オハイオ州デイトン、ライトパターソン基地に、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍がドイツ軍時代の識別マークを再現して、ドイツ空軍ユンカースJu-88長距離偵察機D-1型が復活した。この機体のエンジンナセルに「1F1A」とある。爆撃機A型の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。アメリカ軍は、北アフリカでJu88偵察機D型を鹵獲した。1943年7月.ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体が、イギリスからアメリカに譲渡され、アメリカ本土に運ばれたのである。現在では、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元、展示されている。
カラー写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機:1943年7月、枢軸国ルーマニア空軍の搭乗員が、Ju88を操縦して、キプロスのイギリス空軍基地に着陸、投降した。このJu88はイギリス軍にとって旧式機に過ぎなかったために、稼働機体を欲しがったアメリカ軍に譲渡され、アメリカ本土にまで運ばれた。この機体が現存する唯一のJu88D偵察機である。 写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。
Trop型とは熱帯仕様の略称で、空中や飛行場では砂塵が舞い上がっているが、航空機が砂塵をエンジン過給機の空気取入れ口から吸い込んでしまうと、エンジン内部の故障、不調の原因になる。そこで、飛行場や低空で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着、その円筒側面から空気を取り入れた。ただし、高空では砂塵の心配はなく、エンジンの全力可動のためには、エアインテークの正面から空気を取り込むほうが都合がよい。そのために、インテーク前面は、開閉式となっていた。低空では閉鎖し、フィルター円筒の側面から吸気し、高空ではインテーク正面の取入れ口から空気を取り込むのである。
カラー写真(上)2015年7月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機の機首正面:後方には(Messerschmitt)Me 163Bコメット(Komet)ロケット戦闘機、。
Description
日本語: Junkers Ju 88D-1/Trop / National Museum of the U.S. Air Force / 2015年7月26日撮影
Date 26 July 2015
Source Own work
Author Goshimini 写真は Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88D at National Museum USAF,File:Junkers Ju 88D-1 Trop National Museum of USAF 20150726 2.jpg引用。
カラー写真(上)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)の枢軸国ルーマニア空軍所属ユンカースJu 88D-1/Trop [熱帯仕様]長距離偵察機右前方のユンカースJumo211液冷エンジン:下には、フリッツX(Fritz X)誘導爆弾が置かれているが、これを使用したのはドイツ空軍ドルニエDo-217爆撃機であって、Ju-88爆撃機では使用していない。 Junkers Ju 88 D-1/Trop, Werk Nr. 430650
Date 26 September 2007
Source Own work
Author Kogo. 写真はCategory:Junkers Ju 88D at National Museum USAF
・File:Ju-88 D-1 Trop 3.jpg引用。
1943年からドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機は、フリッツX(Fritz X)誘導爆弾、ヘンシェル(Henschel)Hs 293滑空誘導爆弾を搭載し、洋上での艦船攻撃に使用されて、大きな戦果を挙げた。特に1943年9月9日、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do217爆撃機は、フリッツX(Fritz X)の初の実戦投入だった。当時、イタリア艦隊の上空援護はなく、イタリア海軍のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦「ローマ」にフリッツXを見事に命中させ、火薬庫爆発で撃沈した。また同級戦艦「イタリア」にもフリッツXを命中させ大破させている。
カラー写真(上)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)の枢軸国ルーマニア空軍所属ユンカースJu 88D-1/Trop [熱帯仕様]長距離偵察機<:胴体側面、主翼下面に描かれた黄色十字赤円青丸はルーマニア国旗からデザインされた国籍マーク。尾部の黄色の帯は、東部戦線従軍機の記章。 English: Junkers Ju 88D-1 at the National Museum of the United States Air Force.
Date 19 May 2022
Source Own work
Author ZLEA. 写真はCategory:Junkers Ju 88D at National Museum USAF
・File:Junkers Ju 88D-1 (5-19-2022).jpg引用。
カラー写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたドイツ空軍第54戦闘航空団第4飛行中隊(4./JG54 )所属のユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機: Description
SONY DSC
Date 25 September 2009, 15:13
Author Valder137
写真はFlickr, a Yahoo company, Category:Focke-Wulf Fw 190A (Flying Heritage Collection), File:Junkers Ju-88D-1 HeadOn Airpower NMUSAF 25Sep09 (14413390817).jpg引用。
カラー写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機:1936年12月21日に試作機が初飛行して以来、1945年5月まで現役で活躍したJu88爆撃機は、長距離偵察機、夜間戦闘機などと様々な使用に改造されて長寿を誇った。総生産機数1万5000機は、ドイツ空軍爆撃機の中で最多生産数を誇る。この機体は、枢軸国だったルーマニア空軍の搭乗員が、飛行機ごとキプロスのイギリス空軍基地に着陸して、鹵獲された機体。イギリス軍は、Ju88爆撃機について既に十分な情報を得ており、新技術を用いてもおらず、高性能機でもなかったJu88をアメリカ軍に譲渡した。 The German Ju 88 was one of the most versatile airplanes of World War II. It operated in nearly every kind of combat role, including dive bomber, level bomber, night fighter, day interceptor, photographic reconnaissance, tank destroyer and even as an unpiloted missile. The Ju 88 made its first flight on Dec. 21, 1936, and hundreds remained in use when the war ended in 1945. 写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。
カラー写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機機首の偵察員席ガラス風防:良好な視界が確保されている。爆撃照準器はゴンドラ先端に取り付けられている. The airplane on display, a Ju 88D-1/Trop (later designated Ju 88D-3), is a long-range photographic reconnaissance version modified for tropical use. Known as the Baksheesh, it was the best known Ju 88 of the 15,000 built. Completed in June 1943, this aircraft was delivered to Romania, an ally of Germany during WWII. In July 1943, a disillusioned Romanian pilot flew the aircraft to Cyprus to defect to British forces there. The British Royal Air Force turned over Baksheesh to the U.S. Army Air Forces. After Wright Field test pilots flew the aircraft extensively, the USAAF stored it in the Arizona desert after the end of WWII. Shipped to the museum in January 1960, Baksheesh is painted in the Romanian Air Force markings it carried in July 1943. 写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。
カラー写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機コックピット操縦席:左が正操縦士、右が副操縦士で、操縦桿は左右に半回転して移動可能。 写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。
ニュルンベルグ国際軍事裁判では、犯罪組織(犯罪集団)に所属していると訴追対象となったが、これは、ナチ党指導部、内閣(政府)、親衛隊(SS)、突撃隊(SA)、親衛隊保安本部(ゲシュタポ・SD)、参謀本部・国防軍最高司令部の6組織である。また際軍事裁判の事犯としては、ユダヤ人大量殺戮、ホロコーストが未曽有の殺戮と認識され、C級戦犯の「人道に対する罪、ニュルンベルグ国際軍事法廷」として裁かれた。死刑対象者は、1946年10月16日に絞首刑にされ、有期刑対象者はベルリン郊外のシュパンダウ刑務所に収監された。
カラー写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機コックピット左の正操縦席と操縦桿:左が正操縦士、右が副操縦士で、操縦桿は左右に半回転して移動可能。 写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88爆撃機は、1936年12月21日に試作機が初飛行した古い機会だったが、1939年9月の第二次世界大戦勃発緒戦から1945年5月のドイツ敗北まで第一線で現役で活躍しつづけた爆撃機で、長距離偵察機、夜間戦闘機などと様々な使用に改造されて長寿を誇った。Ju88の総生産機数は1万5000機で、ドイツ空軍爆撃機の中で最多生産数を誇る。この機体は、枢軸国だったルーマニア空軍にも貸与された。しかし、1943年7月、枢軸国ルーマニア空軍のJu88D
偵察機がキプロスのイギリス空軍基地に着陸して、鹵獲された。これは、航法の誤りではなく、ルーマニア搭乗員が投降するためにイギリス領に着陸したのである。この機体は、搭乗員、飛行機ともにキプロスのイギリス空軍に鹵獲された。イギリス軍は、既にJu88爆撃機について既に十分な情報を得ており、新たに注目すべき技術もないことから、旧式機Ju88をいまだ稼働するドイツ爆撃機を入手していないアメリカ軍に譲渡した。
カラー写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機コックピット操縦席側部のスロットルレバー:ユンカースJumo211液令エンジンの回転数、出力を調整するレバー。The German Ju 88 was one of the most versatile airplanes of World War II. It operated in nearly every kind of combat role, including dive bomber, level bomber, night fighter, day interceptor, photographic reconnaissance, tank destroyer and even as an unpiloted missile. The Ju 88 made its first flight on Dec. 21, 1936, and hundreds remained in use when the war ended in 1945. 写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。
カラー写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機コックピット右の副操縦席の計器盤:良好な視界が確保されている。爆撃照準器はゴンドラ先端に取り付けられている.TECHNICAL NOTES:
Armament: Six 7.92mm machine guns
Engines: Two Junkers Jumo 211s of 1,200 hp each
Maximum speed: 295 mph
Cruising speed: 225 mph
Range: 1,553 mph
Ceiling: 27,880 ft.
Span: 65 ft. 10 in.
Length: 47 ft. 1 in.
Height: 15 ft. 11 in.
Weight: 26,700 lbs.
写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。
カラー写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機コックピット後方の通信士席の銃座:後上方には、7.92mmMG81機関銃各1挺を装備可能。銃座は円形防弾ガラス・装甲板に囲まれている。Ju88A-4後上方銃座は、7.92mmMG81連装機関銃ではなく、単装機関銃2丁装備である。 写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。
7.92mm MG 81機関銃は、第二次世界大戦時にドイツのモーゼル(マウザー)社で開発された高い発射速度を誇る新型の航空機用旋回機関銃である。弾薬は7.92 × 57 mm、ベルト式給弾式であり、それ以前のラインメタル社7.92mmMG15機関銃のようなドラムマガジン弾倉式ではない。開発が始まったのは、1939年で、大戦の最中に、制式され、量産は1940年からで、部隊配備が始まったのは、大戦の最中だった。陸戦用のモーゼル7.92mmMG 34機関銃と同様のショートリコイル反動利用方式で、全長は短く軽量なのが特徴である。また、MG 81Z(Zwilling:二連装)は、1942年から部隊配備され、発射速度は3,200発/分と高く、軽量・小型で高い連射能力を活かした航空機用の旋回機関銃として広く使用された。
カラー写真(右)2018年3月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機の機首正面とゴンドラ:機首上方には、7.92mmMG81機関銃1挺を装備する銃座ガラス風防内側には、操縦席のフットペダルと偵察カメラ用・爆撃手用の簡易機体調整操縦桿が見える。
Description Photo ref; Nikon-D80-2018-DSC_0253 (Edited)
Date 3 May 2018, 15:16
Source Junkers Ju 88D-1 Trop. nose detail, National Museum of the US Air Force, Dayton, Ohio, USA.
Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain 写真は Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88D at National Museum USAF,File:Junkers Ju 88D-1 Trop. nose detail, National Museum of the US Air Force, Dayton, Ohio, USA. (44121013314).jpg引用。
アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)のルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機の機首上方には、7.92mmMG81機関銃1挺を装備する銃座がある。。ゴンドラの先端にある楕円形ガラスは、本来は爆撃照準器のためのガラス窓に当たる。Ju88D偵察機では、照準器は撤去されたが、ゴンドラ先端のガラス窓は残されたが、これでは小さく視界が限られるので、ゴンドラ前部下面に四角のガラス窓を新設して、そこに偵察写真撮影用のカメラを装備したようだ。
MG 81機関銃の諸元
重量:6.5kg
全長:915mm
銃口初速:705m/s
発射速度:1,400-1,600rpm
MG 81Z連装機関銃の諸元
重量:12.9kg
全長:915mm
銃口初速:705m/s
発射速度:2,800-3,200rpm
4.大戦末期のユンカースJu-88高速爆撃機(Schnellbomber)S型/T型
写真(右)1943年頃,ドイツ空軍ユンカースJu88高速爆撃機/偵察機S-1型:エンジンは、BMW 801 G-2空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)に強化して、機首前面のダイヤモンド型平面ガラス風防を曲面ガラスの小型のものと、コックピット後方の銃座を1カ所として、風防の突出部を平滑化して、空気抵抗を減らした。しかし、機首下面のゴンドラも撤去した。最高速力はA型の470km/hから610km/hに100キロも向上したが、出現した1944年には、決して高速爆撃機(Schnellbomber)とはいえなくなっていた。爆撃機として数をそろえることもできず、高速長距離写真偵察機として活躍した。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:44220286 - Catalog:16_005443 - Title:Junkers Ju 88S-1 Nowarra collection - Filename:16_005443.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220286引用。
写真(右)1944年頃、ドイツ西部戦線、ドイツ空軍第66爆撃航空団(KG56)第1飛行隊所属の迷彩塗装を施したユンカースJu88高速偵察機S-3型:ユモJumo 213A液冷倒立12気筒エンジンに緊急出力増幅装置GM-1を使用して、短時間なら最大 2,240馬力を発揮できた。Ju88爆撃機A-4型のようなコクピット後方の風防に機銃座の膨らみは、空気抵抗を増加させるために、平滑化された。発動機強化にも拘わらず、最高速力は630km/h程度で、イギリス空軍デハビラント「モスキート」偵察爆撃機に比較すると40km/h以上も遅かった。 Collectie
Losse Fotografische Objecten
Objectnummer
2000-644-001
Beschrijving
Een Junkers Ju 88 van I./Kampfgeschwader 66 (KG 66) taxiet naar de startbaan op Vliegveld Welschap.
Plaats
Welschap
Plaats Geonames
Welschap, Gemeente Eindhoven, Netherlands
Datering van
1944-08-30
Datering tot
1944-09-05
Trefwoorden
Junkers Ju88, Kampfgeschwader 66, Luftwaffe, Vliegbasis Eindhoven, vliegvelden, bezetting 1940-1945, Tweede Wereldoorlog
Materiaalsoort
Ontwikkelgelatinezilverdruk.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie,2000-644-001引用。
写真(右)1944-1945年頃,西部戦線(?)、ドイツ空軍ユンカースJu-88高速偵察機:オリジナル解説ではJu 88複座練習機A-12型というが、機種前面風防が曲面化され、コックピット後方にも機銃座のバルジがないので、A-4型以降の後期型ではない。搭載しているが ユモJumo 213A液冷倒立12気筒エンジンであれば、ユンカースJu88 S-3高速偵察機である。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID:44220101 - Catalog:16_005428 - Title:Junkers Ju 88A-12 Nowarra collection - Filename:16_005428.TIF
写真は,SDASM Archives・PictionID:44220101引用。
写真(右)1943年頃,ドイツ空軍ユンカースJu88高速長距離偵察機T-1型:エンジンは、BMW 801G-2空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)に強化したS型は乗員4名だったが、それを乗員3名に減らして重量軽減を図ったのが、Ju 88高速長距離偵察機T型。Ju 88 T-1は、Ju 88 S-1の三座型だが、爆弾倉は燃料タンクと緊急出力用のGM-1の燃料タンクに改修されている。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:44220286 - Catalog:16_005443 - Title:Junkers Ju 88S-1 Nowarra collection - Filename:16_005443.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220286引用。
ポーランド侵攻に参加したドイツ空軍機は,アルベルト・ケッセリング元帥の第1航空軍,アレクサンデル・レール第4航空軍で,あわせて1302機を保有していた。さらに,空軍総司令部直轄として,輸送機,偵察機など133機があり,陸軍にも偵察機,連絡機など288機が配備されていた。また,ドイツ本土防空部隊は,216機を保有していた。
したがって,ドイツ軍は,総計1929機をポーランド戦に投入したことになる。これはドイツ空軍兵力の三分の二に相当した。当時の主力爆撃機はドルニエDo-17とユンカースJu87だった。
対するポーランドの航空兵力は,自国設計・国内生産の機体も含めて、第一線機900機(爆撃機150機,戦闘機315機,偵察機325機,海軍機50機など)だった。これは、当時の小国としては、強力な空軍力であり、イギリス、フランスは、士気の低いソ連軍よりも、勇敢なポーランド軍の方を同盟相手として選ぶことになった。イギリスもフランスもポーランドの独立を保証する順次協定を結び、これを破ってポーランドに侵攻したドイツに対して最後通牒を告げ、宣戦布告をしたのである。
ポーランド軍機は,果敢に攻撃をかけてきたが,ドイツ軍に撃退された。部品,燃料に不足をきたし,稼動機数は急速に低下した。
ドイツ空軍は陸軍に協力しての対地直協を基本戦略としていたために、都市戦略爆撃を行うのに適した重爆撃機を保有していなかった。急降下爆撃機は、この対地直協のの主力となる単発急降下爆撃機だった。
写真(右)1943年11月22日、ノルウェー、イギリス空軍第333飛行中隊に襲撃され、海面に落ちてゆくイツ空軍ユンカースJu88高速偵察機S型。;高解像度の原版を拡大すると、ユモJumo211F 12気筒液冷エンジン(1400馬力)でなく、BMW801空冷星形12気筒エンジン(1700馬力)を搭載し、機首のガラス風防は、ダイヤモンド型ではなく、丸みを帯びた曲面ガラスであることが分かる。 En Junkers Ju 88 er blitt angrepet og truffet av 333 skvadronen med fenrik Eriksrud bak spakene, og er i ferd med å nødlande i sjøen, 22. november 1943.
Identifier: FMU.402467
Part of collection: FMU
Owner of collection: Forsvarsmuseet
Institution: Forsvarets museer
Date published: March 17, 2014
Date updated: March 17, 2014
DIMU-CODE: 011012731318
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写真はForsvarets museer ・Identifier: FMU.402467 引用。
1940年7月のバトルオブブリテンの開始の時、ドイツ空軍の対イギリス船の戦力は爆撃機1100機、急降下爆撃機300機、単発戦闘機800機で、偵察機など含めて合計2500機以上あった。ヘルマン・ゲーリングは、対フランス戦勝によって元帥となったが、対イギリス攻撃の緒戦では、目標はイギリス空軍兵力と空軍基地・レーダーだった。バトルオブブリテンは、ドイツ空軍では「鷲の日」の攻撃に始まり、その後しばらくしてから、都市爆撃、夜間爆撃が行われるようになった。もはや、最高s速力470kmのJu88Aは高速爆撃機ではなくなっており、速力580km/hの敵戦闘機ハリケーン、スピットファイアの迎撃に大きな被害を受けていた。
写真(右)1945年2月22日、イギリス、ノースハンプシャー、イギリス軍に鹵獲されているドイツ空軍ユンカースJu-88S-1高速爆撃機と第10高速爆撃航空団第1飛行隊(I/SKG10)所属だったフォッケウルフ(Focke Wulf)Fw 190A-5/U8戦闘爆撃機:このフォッケウルフFw 190A-5/U8戦闘爆撃機は、1943年6月20日、ロンドン夜間空襲に向かった第10高速爆撃航空団第1飛行隊(I/SKG10)の所属で、方位を見失ってケント州(Kent)マンストン(Manston)に誤着陸して,イギリス軍に鹵獲された。このユンカースJu-88S-1高速爆撃機(TS472)は、1944年9月、フランス、パリ北14キロのヴェリジー=ヴィラクブレー(Villacoublay)で鹵獲された機体。 ROYAL AIR FORCE FIGHTER COMMAND, 1939-1945.
Object description
Aircraft of No. 1426 (Enemy Aircraft) Flight at Collyweston, Northamptonshire, 22 February 1945. Focke Wulf Fw 190A-5/U8, PN999, undergoes an engine service while airmen re-paint the wings of Junkers JU 88S-1, TS472. PN999 was formerly WNr. 152596 'White 6' of I/SKG10, flown by Uffz. Werner Ohne who became lost while flying a night fighter-bomber operation to London and landed by mistake at Manston, Kent, on 20 June 1943. No. 1426 Flight collected PN999 from the Royal Aircraft Establishment at Farnborough, on 29 June 1943, after it had undergone tests at the Aeroplane and Armament Experimental Establishment,Boscombe Down, Wiltshire. TS472 was captured intact at Villacoublay near Paris in September 1944 and was delivered directly to No. 1426 Flight, with whom it undertook some local flying in January 1945. Both aircraft were eventually passed to No. 47 Maintenance Unit at Sealand for storage in November 1945.
Label
A Focke Wulf Fw 190 and Junkers Ju 88S of No. 1426 (Enemy Aircraft) Flight RAF at Collyweston, Northamptonshire, 22 February 1945.
Creator Goodchild A (Fg Off)
Royal Air Force official photographer Catalogue number CH 15610
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (CH 15610)引用。
ユンカースJu88を再び高速機にしようと、ダイアモンド型機首ガラス風防を、流線型曲面ガラス風防に改修し、機首下面ゴンドラを撤去して、空気抵抗の減少を図ったのがJu88Sである。そして、Ju88Sの爆撃搭載装備を撤去し、爆弾層に偵察用カメラを搭載、燃料タンクを増設したのが、高速偵察機型のJu88Tである。
Ju88S-1高速爆撃機/T-1高速偵察機の発動機は、BMW810空冷星形14気筒エンジンであり、Ju88R夜間戦闘機と同じである。機体の塗装は、昼間機ではあるが、大戦末期特有のグリーン系スプリッター迷彩が施された。Ju88T-1は、第123長距離偵察飛行隊に配属され、地中海・ギリシャ方面で、1944年に配備されている。
5.ユンカースJu-88重戦闘機/夜間戦闘機C型
ユンカースJu 88A型を改修したJu88重戦闘機C型:機首のガラス風防のガラスを撤去して、金属板でソリッド化し、20ミリMG151/20 機関銃1丁、その他7.92ミリMG17機関銃を搭載、機首下面ゴンドラ先端部にも、爆撃照準器を撤去した後に、20ミリMG151/20 機関銃1丁を搭載した。発動機は、ユモJumo211液冷エンジンのままで変更はない。
ユンカースJu-88重戦闘機 C-1型は、ユモJumo211B 液冷エンジン(12000馬力)を搭載したJu88A-1爆撃機を改修して20機が生産された。同じく, ユンカースJu 88重戦闘機 C-2型は、ユモJumo211B 液冷エンジン(12000馬力)を搭載したJu88A-5爆撃機を改修して20機が生産された。大量生産されたのは、夜間戦闘機にもなったJu 88 C-6型で、ユモJumo211J液冷エンジン(1420馬力)を搭載したJu88A-4爆撃機を改修して900機が生産された。
⇒写真集:ドイツ空軍ユンカースJu-88重戦闘機を見る。
6.BMW801空冷エンジン装備のユンカースJu88夜間戦闘機R型
写真(右)1945年5月以降、イギリス、鹵獲されたドイツ空軍ユンカース第3夜間戦闘機航空団第4飛行隊所属のユンカースJu 88R-1夜間戦闘機( D5+EV ):1943年5月、ノルウェーを出撃したものの、帰路を誤り、イギリス本土スコットランドに誤着し、イギリス軍に鹵獲された。Jumo211液冷12気筒エンジン(1470馬力)を装備した爆撃型の発動機を、BMW801空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)に変換して、最高速力を500キロ以上に向上させた。兵装は、3丁x20ミリMGFF、3丁×7.92ミリMG171丁。 FuG 202空対空レーダーを装備している。イギリス軍はJu88の機体には興味がなかったが、装備していたレーダーによって、その性能、周波数を知り、対抗措置をとる事ができた。
THE GERMAN AIR FORCE IN THE SECOND WORLD WAR
Object description
Junkers Ju 88R-1 D5+EV of IV/NJG 3 fitted with FuG 202 AI radar. The crew of this aircraft defected from Norway to Britain in May 1943, landing at Dyce in Scotland, and delivering their aircraft and its hitherto secret radar into the hands of the RAF. The photo shows the aircraft post-war, after a period of restoration..
Catalogue number HU 108219 Part of SCUTTS JEREMY C (MR)
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・Catalogue number HU 108219引用。
⇒写真集Album:ユンカースJu88夜間戦闘機R型を参照。
7.ユモJumo213液冷エンジン装備のユンカースJu88夜間戦闘機G型
1944年末以降,ドイツ空軍のユンカースJu 88夜間戦闘機G-6型:対空レーダーは1944年後半から実用化されたFuG 220 リヒテンシュタイン SN-2dを装備している。それ以前のFuG 220 リヒテンシュタイン SN-2cと比較すると、ビーム幅が縮小され、レーダー撹乱用の錫箔(ウィンドウ)による妨害を受けにくくした。また、アンテナ支柱から出るダイポールアンテナを地表から45度傾けて取り付けている。機体後方から接近するモスキート夜間戦闘機を見張るために、機尾に後方警戒レーダーを装備することもあった。
1943年夏の夜間戦闘機では、80%がFuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cを装備していた。また1943年6月にはFuG 202 リヒテンシュタイン B/C型を改良し軽量化したFuG 212 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)C-1リヒテンシュタイン が登場した。その後、探知角を120度の拡大したFuG 212 リヒテンシュタイン (Lichtenstein)C-1W ができたが、最大探知距離が2,000mと短かったために、より探知距離の長いFuG 220 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)SN-2b が追加装備された。
⇒写真集Album:ドイツ空軍(ルフトバッフェ)ユンカースJu88夜間戦闘機G型を参照。
8.Ju88発展型のユンカースJu188爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88爆撃機の改良型Ju 88 B試作1号機V1(D-AUVS)は、Ju88A爆撃機のJumo211液冷エンジンをBMW 801A/B空冷エンジンに変換し、出力を強化した。
Ju88爆撃機A型の胴体はそのまま流用したユンカース(Junkers)Ju 188爆撃機は、発動機としてユモJumo211液令エンジンより強力なBMW 801空冷星形14気筒エンジン1,500馬力を搭載し、飛行性能を向上させた。Ju 188爆撃機のエンジンは、BMW801空冷星形14気筒エンジン(1500馬力)を装備し、コックピットは下方のゴンドラと一体化し容積が増した。
さらに、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88爆撃機は、高高度性能向上のために、主翼のスパンが22メートルまで延長された。初飛行は、1940年前半で、この試作機の胴体はという高出力の為、かなりの重量物を搭載して飛行が可能だった。
⇒写真集Album:ドイツ空軍(ルフトバッフェ)ユンカースJu188爆撃機/偵察機を参照。
9.排気タービン過給機装備のユンカースJu388高高度爆撃機/偵察機
ドイツ空軍ユンカースJu 388は、BMW801空冷星形エンジン(1700馬力)に排気タービン過給機を搭載し、主翼スパンを延長して、与圧型のコックピットを備えた高高度爆撃機で、胴体下面に張り出しバルジが設けられており、爆弾倉開閉扉も備えている。主翼下面の懸架ラックは、空気抵抗減少のために撤去された。尾部銃座は、操縦席後方のペリスコープを見て遠隔操作する動力銃座で13.1ミリMG131機関銃2丁を搭載していた。
Ju88爆撃機は、胴体爆弾倉がもとから小さく、主翼に大型爆弾を搭載していたため、主翼のエンジン外側にも爆弾ラックを取り付けることが考慮された。そこで、ユンカース(Junkers)Ju 188爆撃機もJu 88同様に爆弾を主翼内側下面に懸架できるように爆弾ラックが装備されている。他方、Ju388は、空気抵抗減少のためによくした面への爆弾搭載装備はすべて撤去し、胴体下面に張り出しバルジ式の大型爆弾倉を設けた。爆弾倉には、大型の爆弾倉扉が付いている。
ドイツ空軍ユンカースJu 388高高度偵察L-1型は、BMW801空冷星形エンジン(1700馬力)に排気タービン過給機を搭載し、Ju388高高度偵察機の動力とした。胴体下面の木製大型爆弾倉は、増加燃料タンクを収納して、航続距離を伸ばした。
⇒写真集Album:ドイツ空軍(ルフトバッフェ)ユンカースJu388高高度爆撃機/偵察機を参照。
10.ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
イギリス首相ウィストン・チャーチル(Winston Leonard Spencer Churchill)は,アメリカの支援を受けながら,ドイツと徹底抗戦する覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日、バトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)の期間、ドイツ空軍は、イギリス本土を空襲し、軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯に大きな被害を与えた。
これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。
ハインケルHe 111H爆撃機の諸元
原型初飛行 1935年2月,生産機数 7000機以上
全長 16.4メートル,全幅 22.5メートル,翼面積 86.5平方メートル
全備重量: 1.2トン,JunkersエンジンJumo2111300馬力2基 最大時速 400キロ,航続距離 2800 キロ
兵装: 7.92ミリMG15機関銃6丁,爆弾2トン。
⇒写真集Album:ハインケルHe111爆撃機を参照。
11. ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機は、引込み脚の高速爆撃機だが、郵便機として1934年11月23日に初飛行した。そして、1937年に量産化され、1940年までに1,994機が生産されている。しかし、第二次大戦緒戦で旧式化したために、エンジンをDB601液令エンジンに換装したDo215が開発された。
ドルニエ(Dornier)Do 215 B-5カウツ(Kauz)III夜間戦闘機は、前作ドルニエ Do 17 Z-10 "カウツ II"の機首部を引き継いで20機が生産された。ドルニエ(Dornier)Do 215 B-5夜間戦闘機カウツ(Kauz)IIIは、ソリッド化した機首に4丁の7.92 mm MG 17 機関銃、2丁の20 mm MG FF 機関銃を搭載した。
そして、ドルニエ(Dornier)Do 215 B-5夜間戦闘機カウツ(Kauz)IIIは、1942年半ばから、ドイツ軍機として初めて空冷空レーダーのFuG 202 リヒテンシュタインB/Cを搭載した。
⇒写真集Album:ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215偵察機を参照。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏 ⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1) ⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz ⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
⇒ヒトラー:Hitler
⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
⇒アンネの日記とユダヤ人
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇 ⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機 ⇒ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
⇒ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
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