Search the TORIKAI LAB Network

Googleサイト内

◆アラド(Arado)Ar196艦載水上偵察機
写真(上)1939年4月以前、ドイツ海軍装甲巡洋艦(ポケット戦艦)「アドミラル・グラーフ・シュペー」(Admiral Graf Spee)の後部カタパルトに搭載されたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機
装甲巡洋艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」は、1932年10月1日起工、1934年6月30日進水、1936年1月6日就役、28センチ (11 in)三連装砲塔3基、15センチ砲8門、 53.3センチ(21.0 in)四連装魚雷発射管2基、 搭載機2機。基準排水量1万2,100トン、満載排水量1万6,200トン、全長186 m、全幅21.6 m。 大西洋からインド洋で交通破壊戦に投入されたが、1939年12月13日、大西洋、アルゼンチン沖のラプラタ沖海戦でイギリス海軍巡洋艦「エグゼター」「アキリーズ」「エイジャックス」3隻の砲撃で損傷、中立国ウルグアイのモンテビデオ港に避難したが、イギリス軍による包囲を突破すのを諦めて、1939年12月17日。港外で自沈。
Admiral Graf Spee Description:(German Armored Ship, 1936) Underway in the English Channel. The original print is dated April 1939. Note the Arado Ar 196A-1 floatplane on her catapult, amidships, and the freighter passing by in the background U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
Naval History and Heritage Command・Catalog #:NH 80973引用。


写真(右)1939年9月以降、ドイツ、アラド(Arado)Ar-196A水上偵察機の戦列;1938年の試作機完成以降、ドイツ海軍艦艇の主力艦載機として第二次世界大戦に使用された。
Ardo Ar 196s PictionID:43932375 - Title:Ardo Ar 196s Filename:16_004994.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives - Catalog:16_004994 - 引用。



写真(上)1944年、アムステルダム郊外のシェリンブルデ(Schellingwoude)水上機基地、アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機(登録コード:6W+??)
乗組員は、1944年に5./BFlGr196所属のアラドAr 196の新しい機体が飛行し到着した。この部隊の場合、とりわけ、より大きなドイツ海軍艦艇に水上機が配属された。 これらの機体は、沖合にあったとき、航空機は艦船とともに行動した。 彼らが港に着いたときには、艦載機は水上機基地に展開した。Ar 196は飛行するのが容易だったため、乗組員にとても人気があった。
Een bemanning maakt zich in 1944 op voor een nieuwe vlucht met een Arado Ar 196 van de 5./BFlGr196. Bij onder meer deze eenheid waren de boordvliegtuigen van de grotere Duitse oorlogsbodems ingedeeld. Wanneer deze schepen buitengaats waren, namen zij deze toestellen mee. Lagen zij in een haven, dan werden de watervliegtuigen vanaf vliegkampen ingezet. De Arado Ar 196 was erg geliefd bij haar bemanningen, omdat het heel gemakkelijk te vliegen was.-
写真は  Schellingwoude引用。

1.アラド(Arado)Ar-196水上偵察機

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ本土海域、双フロート式のアラド(Ardo)Ar 196V-1 水上偵察機試作1号機(登録コード:D-IEHK):第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932288 - Catalog:16_004987 - Title:Ardo Ar 196V-1 original form NowArdo Arra photo - Filename:16_004987.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives- Catalog:16_004991引用。


1935年3月16日、ドイツ再軍備宣言後に、航空兵力を拡充するドイツ海軍は、艦載水上偵察機としてハインケル(Heinkel)He-60複葉水上偵察機が制式された。その後、後継機の開発が要請され、ハインケルは、後継機としてハインケルHe-114が開発された。

しかし、ドイツ海軍はHe-114水上機に満足せず、1936年にアラドとフォッケ・ウルフに対して、新規に水上偵察機の仕様を提出し、フォッケ・ウルフFw-62複葉水上機とアラド(Ardo)Ar 196が提出された。アラドAr-196は低翼単葉金属製の斬新な機体で、1937年には制式が決まった。しかし、降着装置には、双フロート式と単フロート式が比較審査されることになった。

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ本土海域、双フロート式のアラドAr-196V-2水上偵察機試作2号機機(登録コード:D-IHQI):アラドAr 196A試作機(Prototype)として1938年に完成した。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Arado AR-196A Catalog #: 00075053 Manufacturer: Arado Designation: AR-196A
写真は,Flickr, SDASM ArchivesCatalog #: 00075053引用。


ヒトラー 1933年1月30日、ドイツ大統領ヒンデンブルクによって首相に任命されたアドルフ・ヒトラー政権が誕生したが、この時も、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、ドイツ機の尾翼に描いて、国籍マークとしていた。

しかし、1935年3月、ヒトラーがドイツ再軍備宣言を宣言し、第一次世界大戦の撃墜王ヘルマン・ゲーリングの下、ドイツ空軍が設立されると、ドイツ軍機は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを採用した。

スワスチカは、ナチ党のイデオロギー、政治思想を軍人にまで浸透させることを反映したもので、軍人の忠誠宣言がドイツに対してでは、ヒトラーに対する忠誠を誓うものと変更されたのと同じ動機である。また、高速の機体の国籍、敵味方の認識をしやすくするため、機体・主翼の上下にも、白の縁取り付きの黒色バルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。

写真(右)1939年9月以前、ドイツ本土海域、単フロート式(両翼に補助フロート装着)のアラド(Ardo)Ar 196V-3水上偵察機試作3号機(登録コード:D-ILRE):試作機(Prototype)として単フロート(両翼に補助フロート装着)水上機Ar 196B試作機が完成した。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Ardo Ar 196V-3 NowArdo Arra photo PictionID:43932325 - Title:Ardo Ar 196V-3 NowArdo Arra photo - Catalog:16_004990 - Filename:16_004990.TIF - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM ArchivesCatalog #: 00075053引用。


アラド社の新鋭水上機の試作機(Prototype)として双フロート式水上機Ar 196A試作水上機が完成した。この双フロート式の水上機Ar 196Aが制式され、単フロート式水上機Ar 196B試作水上機は採用されなかった。

アラドAr 196水上偵察機は、ドイツ海軍(Kriegsmarine)艦艇に搭載する艦載水上偵察機としてアラド社(Arado)で開発された。双フロート式と単フロート式の比較審査が行われ、双フロート式が制式された。

写真(右)1939年9月以前、ドイツ本土海域、飛行中の単フロート式(両翼に補助フロート装着)のアラド(Ardo)Ar 196V-3水上偵察機試作3号機(登録コード:D-IPDB):アラドAr 196B試作機(Prototype)として双フロート水上機Ar 196A試作機と比較審査された。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Arado Ar-196V3 Prototype D IPDB Germany 1939-02Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
写真は Arado Ar 196 seaplane引用。


第二次大戦が始まる前、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークは、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いていた。しかし、1939年9月の第二次世界大戦勃発後は、赤帯白丸は廃止され、胴体に黒白枠の鉄十字を国籍記章として描くようになる。

写真(右)1939年、ドイツ本土海域、単フロート式(両翼に補助フロート装着)のアラド(Ardo)Ar 196V-3水上偵察機B0型試作3号機(登録コード:D-IPDB)の正面:アラドAr 196B試作機(Prototype)として双フロート水上機Ar 196A試作機と比較審査された。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Arado Ar-196V3 Prototype D OVMB WNr 2592 Germany 1939-01 Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
写真は Arado Ar 196 seaplane引用。


1936年、ドイツ航空省はハインケル(Heinkel)He 60複葉水上機の後継機をフォッケウルフ社とアラド社に開発することを命じた。アラド社は単葉水上機案を提示し、航空省は試作機5機を発注した。

アラド社の新鋭水上機の試作機(Prototype)として単フロート(両翼に補助フロート装着)水上機Ar 196B試作機が完成したが、双フロート式の水上機Ar 196A試作機が制式された。

写真(右)1939年、ドイツ本土海域、単フロート式(両翼に補助フロート装着)のアラド(Ardo)Ar 196V-4試作(Prototype)4号機B0型(登録コード:D-OVMB; 製造番号:WrkN-2592):第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932339 - Title:Ardo Ar 196V-4 NowArdo Arra photo - Filename:16_004991.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives- Catalog:16_004991引用。

第二次大戦が始まる前、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークは、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いていた。しかし、1939年9月の第二次世界大戦勃発後は、赤帯白丸は廃止され、胴体に黒白枠の鉄十字を国籍記章として描くようになる。

写真(右)1939年、ドイツ本土海域、3翅プロペラ装備の単フロート式(両翼に補助フロート装着)のアラド(Ardo)Ar 196V-5 水上偵察機試作5号機A2型(登録コード:D-IPDD;製造番号:Wrk-N1960090):尾翼の前に環状ループアンテナを装備している。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932351 - Title:Ardo Ar 196V-5 NowArdo Arra photo - Filename:16_004992.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives- Catalog:16_004992引用。


ドイツ帝国軍は、第一次大戦の敗戦後、ベルサイユ条約によって、陸軍は10万人規模に大幅に縮小され、参謀本部も廃止、戦争遺憾の保有禁止、航空兵力の保有禁止と束縛された。

ドイツ帝国軍人が引き継いだドイツ共和国軍は、密かにフライコール(義勇軍)を擁立して陸軍の拡充を図り、火砲や戦車を外国で子会社や外国企業と開発した。また、共和国時代から、スポーツ航空や民間航旅客・貨物・郵便・通信航空を隠れ蓑に、軍用機を開発していた。その時代は、プロシア以来のドイツ帝国軍伝統の黒白赤三色ストライプを尾翼に描いで国章としていた。

しかし、1933年1月末、ナチ党を首班とする連立政権が成立、アドルフ・ヒトラーは、貴族的なプロシア軍の伝統を軽蔑しており、ナチ党のイデオロギーを軍に浸透させるべきであると考えていた。そこで、ドイツ軍機の国章は、1935年3月の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、垂直尾翼尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸は目立ち敵からの標的にされやすかったので取りやめになり、白縁黒ハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)だけになった。

1935年3月のドイツ再軍備宣言によって、新生ドイツ海軍総司令官 (Oberbefehlshaber der Kriegsmarine) に就任したエーリヒ・ヨーハン・アルベルト・レーダーErich Johann Albert Raeder:1876-1960)は、1936年4月20日、海軍上級大将に昇進した。そして、1938年、イギリス海軍に対抗するドイツ大海艦隊を作るZ計画を提示し、戦艦10隻、装甲艦15隻、航空母艦4隻 、重巡洋艦5隻を基幹とする建造計画を推進することになった。

図(右)1939年、単フロート式(両翼に補助フロート装着)のアラド(Ardo)Ar 196V-3水上偵察機B0型試作3号機(登録コード:D-IPDB)の三面図:アラドAr 196B試作機(Prototype)として双フロート水上機Ar 196A試作機と比較審査された。
Arado Ar-196V3 Prototype blue print 0A Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
写真は Arado Ar 196 seaplane引用。


アラド(Arado)Ar 196水上機V-3試作3号機は、主翼両側下面に小型の補助フロート装着し、胴体下面に大型の主単フロートを装着したアラドAr 196 B0型試作機(Prototype)である。

単フロート式と同時に双フロート式のアラドAr 196 A0型試作機も開発され、二種類の降着装置を持ったA型とB型とが1939年前半、第二次世界大戦勃発直前に比較審査された。その結果、双フロート式のアラド(Ardo)Ar 196 A0型試作機が制式されることとなり、量産化が図られた。

アラド(Arado)Ar 196水上偵察機の試作は、1936年から開始され、1937年6月1日に初飛行、ドイツ海軍の競争試作機として他社を抑えて採用、制式されて、1938年11月から部隊配備が始まった。生産は、1938年10月から1944年8月までに、合計541機が生産された。

写真(右)1939年9月-1941年頃、双フロート式のアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機(登録コード:BB+YQ):Ar-196A(登録コード:Sktz BB+YQ)は、製造番号 Werk Nr. 013701、第二次大戦が始まると、垂直尾翼のドイツ国籍マークの赤帯白丸に黒のスワスチカは、目立ちすぎるために前線では廃止になり、白縁付き黒色スワスチカだけになった。双フロートの尾部には、水上滑走の方向を変更するために舵が取り付けられているのが分かる。
Arado AR-196A Catalog #: 00075053 Manufacturer: Arado Designation: AR-196A
写真は,Flickr, SDASM ArchivesCatalog #: 00075053引用。


Die Deutsche Kriegsmarine 1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、激しい航空戦が展開され、敵の空襲も予期する必要があったため、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)は敵から発見されやすいいとして、取りやめになった。その代わり、ナチ党のイデオロギーを示す国章として、尾翼に白縁取り黒色ナチ党のカギ十字(スワスチカ)卍を付け足した。

この当時普及していたドイツ海軍主力艦艇(軽巡洋艦以上)の艦載機だったのは、旧式複葉のハインケルHe 60 のような水上偵察機であり、既に第一線での偵察任務には適していなかった。しかし、ドイツ海軍航空隊は貧弱な装備だったために、He60のような古い機種についても国籍マークの変更を行って、艦載機として使用していた。

垂直尾翼の国籍マークは、1939年9月の第二次大戦勃発の後に、白縁が目立ちやすいとして、黒色鍵十字(スワスチカ)、ハーケンクロイツだけとなり、白色縁取りは廃された。

写真(右)1939-1944年,アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機の製造工場/格納庫:左側にメッサーシュミットBf-109戦闘機(F型?)が見える。この戦闘機は,メッサーシュミット以外にも生産が発注されていた。
Ar-196水上偵察機は,双フロートの水上偵察機で,ドイツ海軍の巡洋艦以上の艦艇の艦載機としても使用された。
機首のカウリングに7.92ミリMG17機銃2丁,主翼に20ミリMG-FF機銃2門を装備した。
Flugzeugproduktion/ -wartung.- Arado Ar 196 in einer Werkhalle/Hangar Dating: 1939/1945 ca. Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


アラドAr196B水上偵察機 1935年のドイツ再軍備宣言直後に、ドイツ空軍が創設され、それまでドイツ航空省(RLM)の大臣だったへルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)が空軍総司令官に任命された。

ゲーリングは、第一次大戦のエースパイロットで、ナチ党初期からの功労者であったため、航空兵力を一手に自分の配下に置こうとし、ドイツ海軍が航空隊を持つことを拒否した。しかし、海軍艦艇に搭載する艦載水上機の必要性は理解しており、艦艇には、ハインケルHe 60水上機を搭載し、それを海軍が指揮することを認めていた。

しかし、ハインケルHe 60複葉水上偵察機は、1935年の再軍備の過程で旧式化することは避けられず、1936年にドイツ航空省(RLM)は、フォケウルフ社とアラド社に新機種の開発を依頼した。試作要請を受けて、アラド社は、当時としては先進的な金属製単葉機を設計し、5機の試作機を受注することができた。

1937年から1938年に、2機が双フロート式アラド(Arado)Ar-196A水上偵察機3機が単フロート(両翼に補助フロート装着)水上機Ar 196Bとして試作機が完成した。そして、水上と飛行中の安定性のよさから、安定性に勝る双フロート式のアラドAr196Bが採用されることになった。胴体構造は、鋼管骨組、前部金属張り、後部羽布張り、主翼は金属張り(エルロンは羽布張)だった。

写真(右)1940年頃、飛行中のドイツ軍アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察(登録コード;GA+DX):水上偵察飛行機アラドArado Ar 196は、車輪式は着陸装置の代わりに水上用フロートが装備されている。 識別コードは、機体側面に白色の文字で塗られている。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Beschrijving Watervliegtuig Arado Ar 196 tijdens de vlucht. Het vliegtuig is voorzien van drijvers i.p.v. een landingsgestel. De identificatiecode is in witkleurige letters geschilderd op de zijkant van de romp en luidt: GA+DX. Trefwoorden watervliegtuigen, vliegtuigen, Arado Ar 196, verkenningsvliegtuigen Specifieke kenmerken GA+DX, 68967 Vervaardiger Onbekend Bijzonderheden Dit zelfde watervliegtuig wordt ook afgebeeld op het internet door de websites: "ww2db.com" en "commons.wikimedia.org". De laatste website vermeldt nog dat dit watervliegtuig akomstig is van de door de Amerikanen geconfisqeerde kruiser van de Kriegsmarine, "Prinz Eugen". In 1947 heeft de US Navy met dit watervliegtuig nog proeven gedaan. Sinds 1961 is dit vliegtuig tentoongesteld in Silver Hill, in de Amerikaanse staat Maryland. Het bij de identificatiecode behorende werknummer luidt: 68967. Materiaalsoort Ontwikkelgelatinezilverdruk Kleur/Zwart-wit Zwart-wit
写真はNational Institute of Mental Health (NIMH) Beeldbank.defensie.nl・Objectnummer 2157-018-001 引用。


アラドAr196水上偵察機 1933年1月末に、ヒンデンブルク大統領は、アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、ヒトラー政権が成立したが、ドイツ機の国籍マークは、1935年の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。

1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。

ドイツ軍人の忠誠宣言も、ドイツ国家に対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白縁取り付き黒色の鉄十字Eisernes Kreuz)の国籍マークを記入した。

写真(右)1940年頃、ドイツ軍のアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察の主翼下面のラックに50キロ爆弾を懸架するために裸で爆弾を運搬している整備員;双フロート水上機で、双フロート水上機で、水上運動性を確保するため、双フロート末端には可動式の方向舵が取り付けられている。
Arado Ar-196A being armed with 50kg bombs 02
Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
Foreign users: Bulgarian Air Force, Finnish Air Force, Romanian Air Force Produced: 1938-44 Number built: 541
写真は Arado Ar 196 seaplane引用。


アラドAr 196水上偵察機は、1938年10月から1944年8月までに541機が製造された。第二次世界大戦の全期間を通じて、ドイツ海軍の水上偵察機・艦載偵察機として活躍した。

写真(右)1940年,デンマーク、飛行中のアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機:ハインケルHe 60複葉水上機の後継機としてアラド社が開発した単葉金属製の水上機で、1937年に試作機が完成し、双フロート水上機、艦載偵察機として採用された。機体構造は、鋼管骨組の胴体に、前部は金属張り、後部は羽布張り、主翼は金属製だった。
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine Signature: Bild 101II-MN-1517-09 Archive title: Dänemark (?).- Wasserflugzeug Arado Ar 196 in (Kennung CK+EQ der Küstenfliegergruppe 706, stationiert in Aalborg-See) im Flug; PK Marine-Nord Dating: 1940 ca. Photographer: Eschenburg, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


アラド(Arado)Ar-196A-3水上偵察機の諸元

乗員: 2名
全幅:11.0m
全幅:12.4m
全高: 4.45 m
主翼面積: 28.4 m2
全備重量: 3,720 kg
発動機: BMW132K空冷星型9気筒エンジン960馬力
最高速力: 312km/h
航続距離: 1,080 km
兵装: 20ミリMG-FF機関銃2丁(前方固定)
コックピット7.92ミリMG17前方固定機銃1丁
7.92ミリMG15後方旋回機銃1丁
生産期間:1938年10月ー1944年8月
生産機数:530機

写真(右)1940年,ノルウェー、飛行中のアラド(Arado) Ar 196 水上偵察機と並んだハインケル(Heinkel)He 59 双発水上偵察機 (奥):ハインケルHe 59は、双発の偵察機/雷撃機で、当初は水上型と陸上型があったが、大半は双フロート付の水上機型である。第二次世界大戦にも投入され、白色塗装、赤十字マークを付けた海難救助機としても活躍した。
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine Signature: Bild 101II-MN-1533-07 Archive title: Norwegen, Seefliegerhafen.- Wasserflugzeuge Arado Ar 196 und Heinkel He 59 an einem Anleger; PK Marine-Nord Dating: 1940 ca. Photographer: Eschenburg, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


1935年までの旧ドイツ軍の黒白赤三色の国章を、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)の国章に変更し、その後に、機体にアイアンクロス(鉄十字)の国章を追加した。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は敵から発見されやすいことが分かり、取りやめになったが、垂直尾翼と主翼上下面に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。

写真(右)1940年4月以降、ボートに曳航されているドイツ空軍アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機(登録コード:OH-HT)と上空を低空飛行する3機編隊(ケッテ:Kette)の合成写真:ドイツ空軍の戦闘機隊の最小単位は2機編隊(ロッテ:Rotte)、2ロッテで4機編隊(シュワルム:Schwarm)となる。他方、爆撃機・偵察機などは3機編隊(ケッテ:Kette)が最小単位だった。Ar-196 A水上偵察機コックピット後方偵察員席には、7.92ミリMG-15旋回機関銃1挺が装備されている。1932年にラインメタルが開発した7.92ミリMG-15旋回機関銃は、75発入り鞍(サドル)型弾倉を装着、これは撃ちガラ薬莢回収ケースと一体化された弾倉だった。左右主翼に20ミリMG-FF機関銃1丁も装備し、艦船や敵機の銃撃も可能。
Ansichtskarte / Postkarte Borderkunder Arado Ar 196, Wasserflugzeug, Militärflugzeuge in Flugformation, Luftwaffe Zustand, siehe Scan, ungelaufen ca 9 cm X 14 cm
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten Nr. 10.494.186引用。


アラド(Arado) Ar 196水上偵察機が部隊配備されたのは、第二次世界大戦の勃発した1939年9月からである。その後、主翼の7.92mmMG17機関銃(左右合計2丁)を20mmMG-FF機関銃(合計2丁)に強化したA-2型が主力となった。活動海域は、主に大西洋、北海、バルト海だが、黒海、地中海方面でも使用されている。

アラド(Arado)Ar-196 水上偵察機は、アメリカのプラット・アンド・ホイットニーR-1690 ホーネット(Hornet))空冷星形9気筒エンジンをライセンス生産し発展させたBMW132K空冷星型9気筒エンジン960 hpを装備した。

 アラド(Arado)Ar-196 水上偵察機の兵装は、主翼に20ミリMG-FF2丁 、胴体右前方バルジに7.92ミリMG17前方固定機関銃1丁、コックピット後方偵察席に7.92ミリMG15旋回機銃1丁、主翼下面に50キロ爆2発搭載可能である。生産期間は、1938年10月-1944年8月の間で、主にアラド社で400機以上、フランス、オランダのメーカー合わせて合計541機が生産された。

写真(右)1940年4月以降、ドイツ海軍駆逐艦隊の上空を低空飛行するドイツ空軍アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機の下面:コックピット前方右脇のバルジ(流線形膨らみ)に7.92ミリMG-17前方固定機関銃1挺が装備されている。左右主翼に20ミリMG-FF機関銃1丁も装備し、艦船や敵機の銃撃も可能。
Ansichtskarte / Postkarte Arado Ar 196, Seemehrzweckflugzeug ungelaufen, sehr guter Zustand
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten Nr. 2.638.896引用。


アラドAr 196水上偵察機は、ドイツ海軍の巡洋艦以上の艦艇用の艦載水上偵察機として1937年にHe-60水上偵察機の後継機として開発され、BMW132空冷星型9気筒エンジン(880馬力)を装備した。双フロートのAr196A型、単フロートのAr196B型が試作され、1938年に、双フロート式のA型が採用された。

アラド(Arado) Ar 196水上機の原型は、双フロート式のAr 196Aが2機、単フロート式のAr 196Bが3機が試作された。2種の試作機は、飛行運用テストを行け、双フロート式の量産が決まった。アラドAr-196の胴体は、金属鋼管骨組に前部は金属張り、後部は羽布張りで、主翼は金属張りである。

アラド(Arado) Ar 196水上機は、1938年11月から生産開始、カタパルト射出可能な機体が量産された。アラド(Arado)Ar-196水上機は、占領下フランスのSNCASO、オランダのフォッカーでも行われ、1944年3月に生産終了するまで540機が量産された。また、アラド(Arado)Ar-196水上機は、ドイツ同盟国の枢軸国ルーマニア、枢軸国ブルガリアも購入し、採用している。

ドイツを中核とする枢軸同盟国は、連合国とは異なり、相互の外交・軍事を調整する機関はなかった。しかし、三国軍事同盟では、
1)領土拡大と軍事支配に基づく新秩序の建設、
2)ソビエト連邦を中核とするボルシェビキ共産主義の掃討、
を基本方針とした。

写真(右)1940年4月以降、海面上空を低空飛行するドイツ空軍アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機の上面:コックピット後方偵察員席には、7.92ミリMG-15旋回機関銃1挺が装備されている。
Ansichtskarte / Postkarte Erkundungsflugzeug Arado Ar 196, Luftwaffe
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten Nr. 10.390.626引用。


1932年にラインメタル(Rheinmetall)が開発した7.92-mm MG15旋回機関銃は、75発入り鞍(サドル)型弾倉を装着、これは撃ちガラ薬莢回収ケースと一体化された弾倉だった。左右主翼に20mmMG-FF機関銃1丁も装備し、艦船や敵機の銃撃も可能。


写真(右)1940-1942年頃、海面上を低空飛行するドイツ海軍アラド(Arado)Ar196 A水上偵察機
;前面風防の上にアンテナ支柱が立っている。
Arado Ar-196A profile view seen from above 01 Manufacturer: Arado Flugzeugwerke Manufactured: Warnemünde factory, Germany Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: KriegsmarineForeign users: Bulgarian Air Force, Finnish Air Force, Romanian Air Force Produced: 1938-1944 Number built: 541
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。


ドイツ軍アラド(Arado) Ar 196水上機は、1937年5月初飛行、1938年11月就役、1938年から1944年に541機が生産され、ドイツ海軍の軽巡洋艦以上の艦艇に搭載する艦載偵察隊(Bordfliegergruppe:BFGr.)の水上機となった。

また、沿岸に設けられた水上機基地に配備されたドイツ空軍沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe :KüFlGr.)、海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr.)のアラド(Arado) Ar 196水上機や飛行艇は、形式的にはドイツ空軍の指揮下にあった。しかし、大戦中は、実質的にはドイツ海軍の指揮の下で運用され、ドイツ潜水艦Uボートの狼群作戦、水上艦艇による船団攻撃などと連携した運用がなされた。

ドイツ空軍アラド(Arado)Ar-196 A-3水上偵察機の左右主翼には、20mmMG-FF機関銃各1丁合計2丁、コックピット胴体右脇のバルジ(膨らみ)に7.92mmMG-17前方固定機関銃1丁を装備し、また、コックピット偵察席後方には、7.92mmMG-15後方旋回機関銃1丁を装備している。このほか、対潜哨戒、船舶攻撃用に主翼下面(左右)には、50キロ爆弾用のラック(懸架)が装備されている。

写真(右)1940年4月以降、ノルウェーのフィヨルド上空を飛行するアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機の後方偵察席に装着されたラインメタル7.92ミリMG-15旋回機関銃:1932年にラインメタルが開発した7.92ミリMG-15旋回機関銃は、写真では取り外されている。
Arado Ar-196 rear gun position 01 Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
写真は Arado Ar 196 seaplane引用。


ラインメタル(Rheinmetall)7.92ミリMG-15旋回機関銃の諸元
口径:7.92mm
銃身長: 595mm
使用弾薬:7.92x57mmモーゼル弾
弾倉装弾数:75発入りサドル型ドラムマガジン
作動方式:ショートリコイル 回転ボルト式
全長:1,334mm
重量:12.4kg(照準器と弾薬装備時)
発射速度:1,000-1,050発/分、850発/分(地上用)
銃口初速:755-840m/秒

写真(右)1942年冬、ノルウェー水域のアラド(Arado)Ar-196 A艦上水上偵察機:主翼を90度回転させて折りたためるので、狭い艦船上での搭載・運用が容易になる。コックピット胴体右脇のバルジ(膨らみ)には、7.92mmMG17前方固定機関銃1挺搭載。主翼左右に20ミリMG-FF機関銃左右各1丁の銃口が見える。主翼下面(左右)には、50キロ爆弾用のラック(懸架)が装備されている。
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine Signature: Bild 101II-MW-6081-11 Archive title: Norwegen.- Verladen eines Wasserflugzeugs Arado Ar 196 Dating: 1942 Winter Photographer: Schöppe, Walter Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


アラド(Arado)Ar-196 A 水上偵察機は、艦上の小型格納庫に収容できるように、主翼を90度回転させて折りたぬことができる。これは、狭い艦船上でも露天ではなく、格納庫に収容することで、運用・保守を容易にするためである。

日本海軍では艦上水上機を多数開発したが、ドイツのハインケル(Heinkel)He 114、アラドAr196のように主翼を90度回転させて小さく主翼を折りたたむ金属製水上偵察機も艦上機も開発できなかった。結合部分の強度を維持できる金属部品を製造することができなかったためである。

日本海軍で、主翼を小さく折りたむことのできた近代的水上機は、例外な少数生産で終わった潜水艦搭載艦載機の空技廠零式小型水偵と愛知「晴嵐」特殊攻撃機を除くと、三菱零式水上観測機だけだった。

第一次大戦までのドイツ帝国の国旗は、帝政の「黒・白・赤」の横縞三色国旗である。しかし、第一次世界大戦の末期に皇帝は中立国オランダに亡命し、ドイツ敗戦後に、帝政が崩壊し、新たにドイツ(ワイマール)共和国が樹立された。共和制の下で、「黒・赤・金」の横縞三国旗が採用された。

しかし、1933年1月30日に樹立されたヒトラー政権では、共和国を否定し、事実上「ドイツ第三帝国」を復活したために、帝政の「黒・白・赤」の横縞三色国旗に再度改められた。したかって、ベルサイユ条約で認められたドイツ民間機の国籍マークは、1933年1月のヒトラー政権では、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、帝政の「黒・白・赤」の横縞三色国旗を模したものが垂直尾翼に描かれている。

1935年のヒトラーによるドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。


写真(右)1940-1941年頃、ノルウェー、トロンヘイム、停泊中のドイツ海軍軽巡洋艦「ニュルンベルク」に搭載されたアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機
;波の静かなフィヨルドに停泊している。
Lett krysser Nürenberg, med obesrvasjonsflyet Arado 196, sted ukjent.
Tilhører samling av fotografier tatt av ukjente tyske soladater under 2.verdenskrig. Bildene var sendt inn til framkalling og kopiering hos Harald Renbjørs fotoforretning i Levanger. Familen Renbjør dobbeltkopierte noen av fotografiene og beholdt en kopi selv. Dette var strengt ulovlig. Mest sannsynlig gjorde de dette av etterretningsgrunner for motstandsbevegelsen eller på eget initiativ.
Fotografering:1940 - 1945Ukjent tysk soldat.
Part of collection:Levanger Fotomuseum Owner of collection:Levanger Fotomuseum Institution: Levanger Fotomuseum Date published:October 15, 2014 Date updated:March 16, 2018 DIMU-CODE:011015437707
写真はLevanger Fotomuseum ・Identifier:LEM.018.19.06 引用。


ドイツ海軍ライプツィヒ(Leipzig)級軽巡洋艦2番艦「ニュルンベルク」(Nürnberg) の諸元
1933年11月4日ドイチェ・ヴェルケ起工
1934年12月8日進水
1935年11月2日就役
排水量 9,040 トン
全長 181.3 m
全幅 16.30 m
吃水 5.74 m
乗員:士官 25名、下士官・兵 648名
機関:重油専焼缶6基、ギヤード・タービン2基2軸 6万6,000馬力 (45 MW)
MAN・M7Z 32/44 7気筒2サイクル複動ディーゼルエンジン4基1軸計3軸推進 12,400 hp (9.3 MW)
航続距離 10ノットで3,900マイル
兵装:15センチ60口径 SK C/25 三連装3基
8.8センチ76口径連装高射砲4基8門
53センチ(21インチ)三連装魚雷発射管4基
機雷:120個搭載
装甲 水線部: 50 mm、甲板:30 mm、司令塔: 100 mm
艦載機:アラド(Arado)Ar-196水上偵察機2機。

写真(右)1939年中頃、西欧、ドイツ海軍装甲巡洋艦「グラーフ・シュペー」のカタパルトに乗せられたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機
Title:Admiral Graf Spee Description:(German Armored Ship, 1936) In European waters in mid-1939, prior to her departure for the south Atlantic. An Arado Ar 196A-1 floatplane, one of the first of its type to enter German Navy service, is visible on Admiral Graf Spee's catapult, just forward of the ship's after main battery rangefinder. Note the triple eleven-inch gun turret. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
写真は Naval History and Heritage Command: NH 80897 Admiral Graf Spee引用。


軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色の鉄十字Eisernes Kreuz)の国籍マークを記入した。

写真(右)1939年中頃、西欧、ドイツ海軍装甲巡洋艦「グラーフ・シュペー」のカタパルトに乗せられたアラド(Arado)Ar-196 A 艦載水上偵察機
Title:Admiral Graf Spee Description:(German Armored Ship, 1936) Seen from astern, while underway in the English Channel. The original print is dated April 1939. Note the armored torpedo tubes on her after deck, triple 28cm gun turret and the Arado Ar 196A-1 floatplane on her catapult, amidships. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph. Catalog #:NH 80974
写真は Naval History and Heritage Command: NH 80974 Admiral Graf Spee 引用。


1937年、第二次大戦勃発2年前、ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーErich Raeder)提督は、国防軍総司令官ブロンベルク元帥に対して、沿岸防衛の範囲に関して、ドイツ海軍とドイツ空軍との分担の取り決めを依頼した。

ドイツ海軍とドイツ空軍へルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)司令官の責任範囲についての協定が合意されたのは、第二次世界大戦勃発直前の1939年2月3日だった。これは、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)を置き、戦時には海軍司令部空軍代表を海軍総司令官の指揮下に行動するというものである。

しかし、ドイツ近海を離れた海上は、ドイツ空軍の責任範囲で、ドイツ海軍が作戦行動を行う場合のみ、ドイツ海軍が哨戒偵察の責任を負うとした。
また、水上艦艇同士の海戦、航空機による機雷敷設については、海軍と空軍の合意のもとに、実施するとした。

ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督の指揮する潜水艦Uボートは、当時、レーダーを搭載しておらず、船団攻撃のためには、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200のような長距離機による空中哨戒偵察が効果的であると考えられた。

そこで、1941年1月になって、潜水艦の交通破壊戦を支援するための長距離海上偵察部隊として、フォッケウルフFw200コンドルCondor)を配備した第40爆撃航空団(KG40)の一部をドイツ海軍総司令官の指揮下に置くことが提言された。

写真(右)1944年,爆弾搭載作業中のドイツ空軍第6爆撃航空団(Kampfgeschwader 6)所属ユンカース(Junkers)Ju 188A-3 爆撃機:1944年、イギリス本土爆撃を「電撃戦」と称して再開したドイツ空軍だったが、イギリスの防空網に阻まれて戦果は乏しかった。英本土上空には阻塞(そさい)気球も揚げられていた。そこで、Ju188の機首には、阻塞(そさい)気球の繋留ケーブルを切断するケーブル・カッターが装備されている。機首に海上偵察用レーダFuG 200 Hohentwielを装備。
ユカースJu88のJumo211エンジンを大型大出力のユモJumo213に変換した発展型がJu188爆撃機。液冷エンジンのJumo213は生産数に制約があったので、より大量生産された空冷エンジンのBMW 801を搭載したJu188Eも生産された。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-497-3502-20 Archive title: Westeuropa.- Besatzung eines Flugzeugs Junkers Ju 188 vor dem Start; PK Lw Kdo West Dating: 1944 Photographer: Boger Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ドイツ空軍の偵察部隊(Aufklärungsgruppe: Reconnaissance Group)は、Aufkl.Grと短縮表記される。Aufkl.Gr (F) とあれば、FはFern(Long range)で長距離を意味し、Aufkl.Gr (F) とあれば、HはHeeres(Army)で、陸軍、近距離を意味する。Pzは、Panzerstaffel(antitank squadron)で、対戦車部隊を意味する。

飛行中隊(Staffel)は、3隊集まって、飛行隊(Gruppen)を編成し、飛行隊(Gruppen)が、3隊あつまって、航空団(Geschwader)を編成する。

飛行中隊(Staffel)は、大型機は12機(3機編隊)、小型機は16機(2機あるいは4機編隊)程度で編成されている。爆撃部隊、戦闘機部隊は、航空団、飛行戦隊F:Fern(Long range)は長距離を意味する。

1943-1944年、ドイツ空軍の北極海方面における海上偵察・艦船攻撃に使用されたユンカース(Junkers)Ju-188A爆撃機の諸元
乗員: 4名
全長 14.9 メートル、全幅 22.0 メートル、全高 4.4 メートル
主翼面積:56平方メートル
全備重量: 14,491キロ
発動機:ユモ(Jumo)213A液令倒立12気筒エンジン2基
最高速度:525 km/h
上限高度: 1,1000メートル
航続距離: 1,950 km
武装; 20 mm MG 151/20 機関砲× 1、13 mm MG 131 機関銃× 3
爆弾最大搭載量: 3,000 kg
搭載レーダー:海上偵察用レーダFuG 200 Hohentwiel

写真(右)1939年9月-1941年頃、双フロート式のアラドAr-196 A-2 水上偵察機:第二次大戦が始まると、垂直尾翼のドイツ国籍マークの赤帯白丸に黒のスワスチカは、目立ちすぎるために前線では廃止になり、白縁付き黒色鍵十字に変更された。コックピット胴体右脇のバルジ(膨らみ)は、7.92mmMG17前ぽ固定機関銃1挺装備。主翼左右に20ミリMG-FF機関銃左右各1丁は撤去されて銃口が整形されている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932388 - Title:Ardo Ar 196A-2 NowArdo Arra photo - Filename:16_004995.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives - Catalog:16_004995 引用。


写真(右)1939年12月、ドイツ海軍装甲巡洋艦「アドミラル・シュペー」のカタパルトで火災を起こし焼け崩れたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機
Title:Admiral Graf Spee Description:(German Armored Ship, 1936) View of the ship's port side, amidships, taken while she was at anchor in Montevideo harbor, Uruguay in mid-December 1939, following the Battle of the River Plate. Note the burned-out remains of an Arado Ar 196A-1 floatplane atop the ship's catapult, 15cm broadside guns, boat and aircraft crane, secondary gun battery director (at left), and damage to her side plating from shell fragments. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph. Catalog #:NH 59661
写真は Naval History and Heritage Command: NH 59661 Admiral Graf Spee 引用。


ドイツ語「U-Boot(ウーボート:Unterseeboot)」とは、水面下の艦船の意味で、狭義には、ドイツ海軍の潜水艦を意味する。英語でもU-boat(ユーボート)といわれるが、これも第一次世界大戦および第二次世界大戦でイギリス本土を封鎖しようとした敵国ドイツ海軍の潜水艦を指示している。Uボートは、ハンブルクを中心としたブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)など造船所で建造され、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督の指揮下に置かれた。第二次大戦当初、レーダーを搭載しておらず、目標とする敵艦船を目視によって発見するしかなかった。また、海面上5メートルもない潜水艦艦橋からの視界は限られており、敵発見は天候・気象にも依存した困難な任務だった。

 敵艦船発見を容易にするため、潜水艦の目となるような航空機によって、洋上哨戒偵察をすることが考えられた。しかし、ドイツでは空飛ぶ兵器、軍用機はみなドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)の指揮下に置くという原則があった。そのため、ドイツ海軍航空隊は、海軍艦艇に搭載するアラド(Arado) Ar 196水上機のような水上機程度しか保有を許されなかった。

その後、ドイツ海軍大西洋司令部の下に、水上基地航空部隊や洋上航空部隊の指揮が任されるようになり、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl Dönitz)提督隷下の潜水艦Uボートと連携した交通破壊戦をするために、水上偵察機、偵察用飛行艇が配備されるようになった。

写真(右)1939年12月、ドイツ海軍装甲巡洋艦「アドミラル・シュペー」のカタパルトで火災を起こし焼け崩れたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機;後方マスト上には、大きなドイツ海軍旗が誇らしげに掲げられている。
Title:Admiral Graf Spee Description:(German Armored Ship, 1936) View of the after part of the ship's superstructure, port side, taken while she was in Montevideo harbor, Uruguay in mid-December 1939, following the Battle of the River Plate. Note the burned-out remains of an Arado Ar 196A-1 floatplane on the ship's catapult and the German naval ensign flying from the mast mounted atop the after rangefinder. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph. Catalog #:NH 80976
写真は Naval History and Heritage Command: NH 71324 German ARADO 196 float plane 引用。


ドイツ海軍装甲巡洋艦「グラーフ・シュペー」諸元
起工1932年10月1日
進水1934年6月30日
就役1936年1月6日
基準排水量:1万2,100トン
満載排水量:1万6,200トン
全長186 m
全幅21.6 m
吃水7.4 m
最高速力:28.5 ノット (53 km/h)
航続距離:20ノット/8,900マイル
兵装:52口径28.3cm3連装砲2基
15cm単装砲8基8門
10.5cm連装砲3基6門
53cm魚雷発射管2基8門
搭載機:アラド(Arado)Ar 196水上機2基, 射出用カタパルト1基

装甲巡洋艦「グラーフ・シュペー」艦長ハンス・ラングスドルフ (Hans Wilhelm Langsdorff)大佐の指揮で大西洋・インド洋における通商破壊戦を展開、ウルグアイ沖でイギリス巡洋艦隊とのラプラタ沖海戦を戦った後、中立国ウルグアイ、モンテビデオ港に逃げ込んだが、包囲されたとの謀略にはまり、出撃することなく、1939年12月17日に沖合で自沈。

写真(右)1939-1941年頃、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」 (DKM Scharnhorst)煙突後方の後部艦橋前のカタパルトと最後尾C砲塔のカタパルトに載せられたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機;主砲の28.3cm(54.5口径)3連装砲は前甲板2基、後甲板1基あり、カタパルト(catapult)は、最後尾のC砲塔上と後部艦橋前の2か所に設置されている。
Русский: «Шарнхорст» (нем. Scharnhorst), линкор ВМС Германии во Второй мировой войне. Date 1939-1945 Author Министерство обороны России
写真はWikimedia Commons, Category:Scharnhorst (ship, 1936): File:«Шарнхорст» (нем. Scharnhorst), линкор ВМС Германии во Второй мировой войне.jpg 引用。


ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」 (DKM Scharnhorst)は、起工 1935年6月15日、進水 1936年10月3日、就役 1939年1月7日の満載排水量3万8,100tの大型巡洋戦艦で28.3cm(54.5口径)3連装砲3基、15cm(55口径)連装砲4基を搭載の高速艦艇である。
艦載機はアラドAr196水上機 3機、射出機(カタパルト:catapult) は、煙突後方の後部艦橋前、および最後尾C砲塔上の各1基を備えている。

写真(右)1939-1941年頃、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」 (DKM Scharnhorst)最後尾C砲塔のカタパルト;主砲の28.3cm(54.5口径)3連装砲は前甲板2基、後甲板1基あり、カタパルトは、最後尾のC砲塔上および煙突後方の後部艦橋前のカタパルトと合計2か所に2基のカタパルトが設置されている。
Русский: «Шарнхорст» (нем. Scharnhorst), линкор ВМС Германии во Второй мировой войне. Date 1939-1945 Author Министерство обороны России
写真はWikimedia Commons, Category:Scharnhorst (ship, 1936): File:«Шарнхорст» (нем. Scharnhorst), линкор ВМС Германии во Второй мировой войне.jpg 引用。


ドイツ海軍航空隊は、ドイツ空軍より劣位にあったが、海軍艦艇に搭載する偵察用艦載水上機の保有と指揮権を認められていた。そこで、1939年後半、第二次世界大戦勃発時に、アラド(Arado)Ar196A-1水上偵察機が初めて配備されたのは第196艦載偵察隊(Bordfliegergruppe 196:BFGr.196)第5飛行中隊(5./BFGr.196)で、1940年春のノルウェー侵攻に参加している。

1943年12月26日、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」Scharnhorst) は、イギリスからソ連への輸送船団JW55Bを襲撃するために、ノルウェーから北極海に出動した。しかし、輸送船団JW55Bの護衛・支援にあたっていたイギリス海軍戦艦「デューク・オブ・ヨーク」他、優勢なイギリス水上艦艇の砲撃と雷撃を受けて、満身創痍となって北岬沖海戦(Battle of the North Cape)で撃沈した。

写真(右)1940年頃、ドイツ海軍巡洋戦艦「クナイゼナウ」のカタパルトに乗せられたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機;1938-1944年に541機が生産された。
Title:German ARADO 196 float plane Caption:On the catapult of a German warship, during World War II. Note Nazi ensign flying from mast. Description: Catalog #:NH 71324 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1939 Before this Year:1945
写真は Naval History and Heritage Command: NH 71324 German ARADO 196 float plane 引用。


ドイツ戦艦シャルンホルスト ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」(Scharnhorst)は、1935年6月15日 起工、1936年10月3日進水、 第二次大戦直前1939年1月7日 に就役した。全長 235.4m、水線長:226m、満載排水量 3万8,100トン、ドイツ大海艦隊最速31ノットの高速巡洋戦艦だった。当初は、ハインケルHe60水上機を搭載したが、第二次世界大戦が勃発して1年後には、新鋭アラドAr196水上機を搭載した。

しかし、巡洋戦艦「シャルンホルスト」搭載の主砲は、28.3cm(54.5口径)3連装砲3基で、イギリス戦艦の36?砲より口径が小さく、長射程ではあったものの、破壊力は小さかった。つまり、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」級は、イギリス戦艦との砲撃戦は想定していなかった。そこで、船団攻撃に際しても、イギリス戦艦の護衛がある場合は、積極的な攻撃に出ることができなくなってしまった。

ドイツ戦艦シャルンホルスト ドイツ海軍シャルンホルスト級巡洋戦艦2番艦「クナイゼナウ」(Gneisenau)は、1934年12月8日ドイチェヴェルケ社起工、1936年12月8日進水、1938年5月21日竣工。重油専焼高圧缶12基タービン3基3軸推進16万3,400hp、最高速力 31ノット、航続距離 17ノット/10,000マイル、19ノット/8,800マイル。

1939年11月23日、巡洋戦艦「クナイゼナウ」と巡洋戦艦「シャルンホルスト」(Scharnhorst)フェロー諸島沖海戦に参加しイギリス海軍仮装巡洋艦「ラワルピンディ」(15.2cm単装砲8門装備)を共同で撃沈する戦果を挙げた。

1940年4月9日、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」(Scharnhorst)巡洋戦艦「クナイゼナウ」(Gneisenau)ノルウェー侵攻に加わった。1941年6月8日、ノルウェー沖でイギリス空母「グローリアス」を砲撃で撃沈した。6月20日、ノルウェーのトロンハイム沖で、イギリス海軍潜水艦「クライド」で雷撃よって損傷、修理。


写真(上)1939-1941年頃、艦艇の脇に着水しようとするドイツ海軍アラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機
;手前に見えているのは、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」 (DKM Scharnhorst)の原則に取り付けられたデリックのようだ。
Arado Ar-196 making a perfect tight landing 01Manufacturer: Arado Flugzeugwerke
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。



写真(上)1939-1941年頃、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」 (DKM Scharnhorst)煙突後方の後部艦橋前付近のデリックで艦上に引き上げられるアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機
;「シャルンホルスト」のカタパルトは、煙突後方の後部艦橋前付近と最後尾28.3cm(54.5口径)3連装砲C砲塔上の2か所に2基が設置されている。コックピット後方偵察席に7.92mmMG15後方旋回機関銃1挺が見える。1932年にラインメタルが開発した7.92ミリMG-15旋回機関銃は、75発入り鞍(サドル)型弾倉を装着、これは撃ちガラ薬莢回収ケースと一体化された弾倉だった。
Arado Ar 196 seaplane Role: Reconnaissance aircraft Manufacturer: Arado Flugzeugwerke Arado Ar-196A being retrieved by the crew of the Scharnhorst 01
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。


デリックDerrick)とは、ブーム(腕)先端にワイヤーが張られ、そのワイヤーをマストを経由して、ブームと離れた場所に設置されたウインチ(巻揚げ回転式動力装置)で巻きあるいは緩めて上げ下げ起伏する。他方、クレーンCrane)は、マストがなく、本体に油圧シリンダーやウインチ(巻揚げ回転式動力装置)を備え、直接ブームを上げ下げ起伏させる。現在の日本では、クレーン・デリック運転士資格免許などに関わる法律で区分されているが、これは日本限定の狭い了見である。


写真(右)1939-1941年頃、艦艇上のカタパルト(射出機)に据え付けられたドイツ海軍アラド(Arado)Ar-196 A 艦載水上偵察機
;後方のマストにはドイツ海軍旗がはためいている。これは巡洋戦艦「シャルンホルスト」級であろうか。
Arado Ar-196A being readied for a catapult launch 03 Manufacturer: Arado Flugzeugwerke
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。


ドイツ海軍戦艦「ビスマルク」が就役したのは、1940年8月24日で、「ビスマルク」級戦艦2番艦「ティルピッツ」(Tirpitz)が就役するのは、1941年2月25日と第二次大戦勃発1年半後と遅かった。

ドイツ戦艦ビスマルク 第二次大戦勃発の年の1939年末までに、アラド(Arado)Ar196A-1水上偵察機は、ドイツ海軍の1万トン以上の装甲巡洋艦「グラーフ・シュペー」 (Graf Spee)、「リュッツォウ」(Lützow)、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)、巡洋戦艦「シャルンホルスト」(Scharnhorst)の艦載機として就役した。そして、戦艦「ティルピッツ」「ビスマルク」にも同様に就役したようだ。

1940年に登場したアラド(Arado)Ar 196 A-3水上偵察機は、左右主翼に20mmMG-FF機関銃各1挺合計2挺、コックピット操縦席右先にラインメタル7.92mmMG17前方固定機関銃1挺、偵察席に7.92mmMG15後方旋回機関銃1挺を搭載し、左右主翼下面に50キロ小型爆弾1発合計2発を搭載できるようになった。

ドイツ戦艦テルピッツ アラド(Arado)Ar196A水上偵察機の生産は、主にアラド社が当たったが、フランス北岸のサン=ナゼール(St Nazaire)にあるSNCAも1942年に13機、1943年に10機を製造している。このほか、オランダのフォッカーも少数のアラド(Arado)Ar196 A-5水上偵察機の生産にあたった。アラド(Arado)Ar196A水上偵察機の生産は、1938年10月から1944年8月までに、ドイツのアラドで401機、フランスのSCAN、オランダのフォッカー含めて593機が量産されたようだ。


写真(右)1939-1941年頃、艦艇の後甲板の28センチ三連装砲塔上のカタパルト(射出機)に据え付けられたドイツ海軍アラド(Arado)Ar196 艦載水上偵察機
;砲塔の周囲には遮蔽物がないので、カタパルトの旋回、飛行機の射出には便利だが、砲塔上に飛行機を置いたままで28センチ砲を発射すると、爆風で飛行機を破壊してしまうので、主砲発射のためには、カタパルト上に飛行機を置くことはできない。これは巡洋戦艦「シャルンホルスト」級であろう。
Arado Ar-196A being readied for a catapult launch 02 Manufacturer: Arado Flugzeugwerke
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。


アラド(Arado)Ar 196 A-3水上偵察機をはじめて部隊配備されたのは第706沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe 706:KüFlGr 706)で、1941年までに、地中海方面、アドリア海方面にも配備され、機関銃や小型爆弾による対潜攻撃にもや艦船攻撃にも従事している。

大西洋方面のイギリス海峡では、アラド(Arado)Ar 196 A-3水上偵察機は、北フランス沿岸の軍港から出撃しあるいは帰還するドイツ海軍潜水艦Uボートに対する護衛任務として、イギリス空軍の洋上哨戒機を攻撃する任務にも従事した。これは、第906沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe 906:KüFlGr 906)を母体として編成された第196艦載偵察隊(Bordfliegergruppe 196:BFGr.196)第1飛行中隊(1./BFGr.196)である。

アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機は、さらに水上機基地航空隊として地祇の部隊に配備された。
第126海上飛行隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr.)第2飛行中隊、第3飛行中隊、第4飛行中隊、第5飛行中隊(5./SAGr.126)
第127海上飛行隊本部中隊
第129海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe 128:SAGr.128)第1飛行中隊、第2飛行中隊(2./SAGr.128)
第130海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe 130:SAGr.130)第1飛行中隊、第2飛行中隊
第131海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe 131:SAGr.131)第2飛行中隊
第132海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe 132:SAGr.132)第2飛行中隊(2./SAGr.132)

ドイツ空軍海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr.)、沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe:KüFlGr.)に配属されたアラド(Arado)Ar196A水上偵察機は、水上機基地から離水し、主に3機編隊(ケッテ)で作戦にあたった。


写真(右)1939-1941年頃、艦艇の煙突後方の後部艦橋前付近のカタパルト(射出機)に据え付けられたドイツ海軍アラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機
;後部艦橋のマストと後甲板の28センチ三連装砲塔1基とその測距儀がみえる。手前左下には、高角砲用の射撃管制装置、手前右下には、大型探照灯の上半分が写っている。この艦艇は、たぶん装甲巡洋戦艦「ドイッチュラント」級であろう。
Arado Ar-196A being readied for a catapult launch 01 Manufacturer: Arado Flugzeugwerke
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。


ドイツ戦艦テルピッツ ドイツ海軍の巡洋戦艦、装甲巡洋艦は、28センチ三連装砲塔を3基あるいは2基搭載しており、巡洋戦艦は、後甲板の最後尾の三連装砲の上にアラド(Arado)Ar-196 Aなど艦載機の射出用のカタパルト1基を設置している。砲塔の周囲には遮蔽物がない上に、砲塔を回転することで、飛行機の射出位置も風向きに合わせて調整できるので便利である。

しかし、カタパルト(catapult) の旋回、飛行機の射出には便利な反面、砲塔上に飛行機を置いたままで主砲を発射すると、爆風で飛行機を破壊してしまうので、主砲発射のためには、アラド(Arado) Ar 196カタパルト(catapult) 上に飛行機を置くことはできない。

そこで、1941年2月25日就役のドイツ海軍戦艦「ティルピッツ」Tirpitz)のように基準排水量4万2,900トンもある戦艦では、船体中央部に固定式カタパルト2基を装備し、その近くに主翼を後方に折り畳んだAr196水上機1機を収納可能な飛行機格納庫を煙突左右各1基と後部艦橋左右各1基、合計4基を設けている。あらかじめAr196水上機2機をカタパルトに露天係留すれば合計6機の艦載水上機の搭載能力があると思われるが、実際には荒天時も保守管理可能な格納庫に収容した艦載水上機4機が正規の搭載機数である。

日本海軍戦艦「大和」「武蔵」も、艦載機を露天繋留すると、主砲発射の爆風で損傷してしまうために、飛行機格納庫が設置された。山菜水上機の飛行機格納庫は、後部第三砲塔から艦尾にかけての最上甲板下、上甲板と中甲板の二層にわたり、零式水上観測機5機あるいは6機で、この他、カタパルト上に零式水上機2機を露天係留(主砲射撃前に索敵に使用)すれば、合計7-8機が搭載可能だった。


写真(右)1939-1941年頃、艦艇の煙突後方の後部艦橋前付近のカタパルト(射出機)に据え付けられたドイツ海軍アラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機とエンジン付近で整備作業中の二人の兵士
;後部艦橋のマストには、ドイツ海軍の鍵十字をあしらった軍艦旗がはためいている。
Arado Ar-196A being readied for a catapult launch 01 Manufacturer: Arado Flugzeugwerke
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。


第一次大戦中のドイツ海軍は、帝政の縦縞赤白黒の帝政三色旗であったが、1919年のドイツ敗戦後のベルサイユ条約順守時代には、ドイツ海軍は、縦縞赤白金の共和制三色旗を採用した。

しかし、1933年1月30日のナチ党ヒトラー政権では、帝政赤白黒三色旗が復活した。そして、1935年3月、ドイツ再軍備宣言後は、新たにナチ党鍵十字スワスチカ(ハーケンクロイツ)を取り入れたドイツ国旗が制式されたために、ドイツ海軍旗も、それに倣って、赤地黒鉄十字中央に白丸黒ナチ党鍵十字を大きく描いている。

写真(右)1940年4月以降、艦艇上のカタパルトに搭載されたドイツ空軍アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機と上空を低空飛行する2機のアラドAr-196 A水上偵察機:艦艇上の艦尾の旗竿にドイツ海軍機が見える。これは、赤字に鉄十字、中央にナチ党鍵十字(スワスチカ)を描いたもので、1935年3月以降のドイツ再軍備宣言から採用された。第一次大戦敗戦後のドイツ海軍では、帝政時代の縦縞赤白黒の帝政三色旗を廃止し、縦縞赤白金の共和制三色旗を採用した。しかし、1933年1月30日のナチ党ヒトラー政権では、帝政三色旗が復活した。そして、1935年3月、ドイツ再軍備宣言後は、新たにナチ党鍵十字を取り入れたドイツ国旗が制式され、ドイツ海軍旗もそれに倣っている。
Ansichtskarte / Postkarte Erkundungsflugzeug Arado Ar 196, Luftwaffe
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten Nr. 10.390.626引用。


1935年5月の再軍備宣言で新設されたドイツ空軍は、ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)総司令官の下に、航空兵力は全て独立空軍に所属するとの原則を強硬に主張した。そのために、第一次大戦中のドイツ海軍航空隊は復活せず、沿岸飛行隊や海上偵察隊のような哨戒偵察部隊は、ドイツ空軍の隷下となった。ドイツ海軍の指揮下に置かれたのはドイツ海軍艦艇に搭載されたアラド(Arado) Ar 196のような艦載水上機程度に限定されたのである。

第二次世界大戦緒戦には、海上における艦艇と航空機の連携の必要性が明白になり、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)が設置された。しかし、これは、指揮権のない空軍の連絡絡官・副官のような存在だった。その後、太平洋戦争がはじまり、日本海軍航空隊の大活躍がドイツに伝わると、1941年12月、ドイツ海軍は艦載水上偵察機を除いた航空兵力の指揮も可能になった。それでも、形式的な指揮権は空軍の指揮下に入れ、海上作戦におけるアラド(Arado) Ar 196のような航空兵力の指揮権も、ドイツ空軍が独占する形が維持された。


写真(右)1939-1941年頃、艦艇の煙突後方の後部艦橋前付近のカタパルトから射出されたドイツ海軍アラド(Arado)Ar196 A艦載水上偵察機
;艦艇の側方、右舷側に向かって射出されたアラドAr-196は水面下から高い位置にあるために、射出後の飛行には有利だった。この艦艇は、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」級あるいは、装甲巡洋艦「ドイッチュラント」級のどちらかであろう。
Arado Ar-196A being readied for a catapult launch 01 Manufacturer: Arado Flugzeugwerke
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。



写真(右)1939-1941年頃、カタパルトから射出されたドイツ海軍アラド(Arado)Ar196 A艦載水上偵察機
;艦艇の側方、右舷側に向かって射出されたアラドAr-196は水面下から高い位置にあるために、射出後の飛行には有利だった。この艦艇は、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」「グナウゼナウ」あるいは、装甲巡洋艦「ドイッチュラント」級のどちらかであろう。
A German Arado Ar 196 float plane is catapulted from a German warship during the Second World War. Date between 1939 and 1945 Source U.S. Navy photo NH 71325 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Arado Ar 196: File:Arado Ar 196 is catapulted from a German warship during World War II.jpg引用。


写真(右)1939-1941年頃、ドイツ海軍巡洋戦艦「クナイゼナウ」(?)のカタパルトから射出されたアラド(Arado)Ar-196 A 艦載水上偵察機;カタパルトの先端には、機体を乗せていた移動台車が残っている。ここに機体を乗せるが、射出する際は、台車に機体を固定せず、カタパルト先端に来た時に、台車から機体が離れるようになっている。
Title:ARADO 196 float plane Caption:Catapulted from a German warship during World War II.
Description: Catalog #:NH 71325 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command
Original Creator: After this Year:1939 Before this Year:1945
写真は Naval History and Heritage Command: NH 71324 German ARADO 196 float plane 引用。


写真(右)1941年9月30日、ドイツ海軍巡洋戦艦「グナウゼナウ」にデリックで吊り上げられたアラド(Arado)Ar196 A艦載水上偵察機;28.3cm(54.5口径)三連装砲の装甲は、前面 360mm、側方200mm、後方180mm、天蓋180mmだった。28cm砲は、商船を攻撃するには十分な威力、発射速度、射程があったが、イギリス海軍戦艦と砲撃戦には威力不足で苦戦することになる。
Collectie NIOD Trefwoorden Geschut, Marine, Oorlogsschepen, Vliegdekschepen, Vliegtuigen Locatie Naam: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland Land: United Kingdom
Bijschrift Arado 196 Blockade um England. Schwerer Kreuzer schlägt zu in uebersee. Enorm Grosses leistete uns unser Bordflugzeug, das nach mancher Erkundungsflug mit der Meldung zurückkam 'feindlicher grosser Frachter in so und so viel Grad gesichtet'. Einsetzen des Bordflugzeuges.
Type Foto Datum 30/09/1941 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 43437 引用。


ビスマルク ドイツ海軍戦艦「グナウゼナウ」 (Gneisenau)の主砲は、28.3cm(54.5口径)三連装砲3基で、防御装甲板は、砲塔前面 360mm、側方200mm、後方180mm、天蓋180mmだった。 アラド(Arado) Ar 196を2基搭載可能。

ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」級は、3万トンの排水量にしては小口径の28cm砲を搭載していたが、この艦砲は、戦艦を砲撃するには威力不足だったが、商船・巡洋艦を攻撃するには十分な威力、発射速度、長射程があった。しかし、高速で振り切れるはずだったイギリス海軍戦艦と砲撃戦に遭遇してしまうと、攻撃力の不足で苦戦することになる。やはり、戦艦「ビスマルク」級と同じく当初から大口径38cm砲を連装3基6門搭載すべきだったろう。


写真(右)1940年4月8日、ドイツ北部、ブレーメン北60キロ、北海に面したクックスハーフェン(Cuxhaven)、ドイツ海軍重巡洋艦「ヒッパー」(Admiral Hipper)艦体中央部カタパルトに搭載されたアラド(Arado)Ar196 A艦載水上偵察機
;艦艇の側方、右舷側に向かって射出されたアラドAr-196は水面下から高い位置にあるために、射出後の飛行には有利だった。この艦艇は、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」級あるいは、装甲巡洋艦「ドイッチュラント」級のどちらかであろう。
German troops embarking on the German heavy cruiser Admiral Hipper at Cuxhaven, Germany, for the invasion of Norway, in 1940. Note the Arado Ar 196 floatplane. Date 8 April 1940 Source This image is available from the Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: 042625 Author Schroeder via Australian armed forces
写真はWikimedia Commons, Category:Arado Ar 196:File:Arado Ar 196 is catapulted from a German warship during World War II.jpg引用。


写真(右)1940年、ドイツ海軍巡洋戦艦「クナイゼナウ」のカタパルトに乗せられたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機;左に、測距儀、その上のマストには、ドイツ海軍旗が掲げられている。右には、艦載機の吊り上げ・吊り下げに使用するデリックの基部が見える。
Title:German ARADO 196 float plane Caption:View of the catapult; amidships section, in about 1940. Note details of crane; catapult; gun director; and Arado 196 seaplane on catapult. Description: Catalog #:NH 83610 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command After this Year:1940 Before this Year:1949
写真は Naval History and Heritage Command: NH 83610 GNEISENAU (German BB, 1936) 引用。


シャルンホルスト

1941年1月から3月まで、ドイツ海軍巡洋戦艦「クナイゼナウ」(Gneisenau)は、僚艦巡洋戦艦「シャルンホルスト」(Scharnhorst)と通商破壊戦に出撃、2月8日、HX106船団を発見したが、護衛に当たっていたイギリス海軍戦艦「ラミリーズ」のために退避、3月8日、SL67船団を発見したが、護衛に当たっていたイギリス戦艦「マレーヤ」のために退避した。

ドイツ海軍は、優勢なイギリス艦隊に対して、正面からの攻撃を掛けることをせず、通商破壊戦による商船、輸送船団の攻撃に専念した。しかし、イギリス海軍が船団護衛に戦艦・巡洋艦を投入していたために、船団を発見しても攻撃をかけないままに終わったのである。もしもドイツ海軍が洋上航空隊を持っていたならば、ドイツ海軍の主力艦隊は、積極的に攻勢に出ることができたであろうか。

写真(右)1940年、ドイツ海軍巡洋戦艦「クナイゼナウ」のカタパルトに乗せられ、射出準備のなったアラド(Arado)Ar-196 A 艦載水上偵察機;射出方向の舷側左舷に、カタパルトは回転している。機内コックピットには搭乗員2名が見える。
Title:GNEISENAU (German BB, 1936) Caption:View taken circa 1940, showing a catapult launch of an Arado 196 seaplane. Description: Catalog #:NH 83611 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1940 Before this Year:1949
写真は Naval History and Heritage Command:NH 83611 GNEISENAU (German BB, 1936) 引用。


1940年4月9日、ドイツ軍はデンマークとノルウェーに侵攻、理由は、スウェーデンの鉄鉱石を不凍港ナルビクNarvik)を通じて安定して輸入するためだったが、イギリスがノルウェーの機雷封鎖や保障占領を企図していることもあった。

このノルウェー侵攻「ウェーゼル演習作戦」では、四発大型旅客輸送機ユンカースJu-90が、オスロに兵員を輸送した。デンマークは侵攻初日の1940年4月9日、国王クリスチャン10世Christian 10)、デンマーク政府が即座に降伏したが、ノルウェー政府は、北部のナルビクに上陸したイギリス軍の支援も受けて、激しく戦った。

しかし、ドイツ軍のフランス侵攻で、1940年5月下旬にはフランスの危機、イギリスの孤立化が確実になったため、ノルウェーの連合軍は6月に撤退した。ノルウェーには、傀儡ヴィドクン・クヴィスリングVidkun Quisling)政権が樹立され、ドイツ海軍潜水艦Uボートの基地となった。


写真(上)1945刊行アメリカ軍「ドイツ海ハンドブック」に掲載された1940年のドイツ軍アラド(Arado)Ar196A-2水上偵察機 (登録コード:OU+AR)
;1938-1944年に541機が生産された。
Description A German Arado Ar 196A-2 (OU+AR) seaplane taxiing. Date 1940
Source U.S. War Department publication TM-E 30-451: Handbook of German Military Forces (1945); Chapter X: German Air Force photo [1] Author Unknown
写真は TM-E 30-451 Handbook on German Military Forces 1945 by United States. War Dept , CHAPTER X German Air Forceより引用。


潜水艦 1941年3月にはドイツ空軍第三航空軍の下に、大西洋司令部(Fl.F.Atlantic) が置かれ、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(Befehlshaber der U-Boote: BdU)と連携して、水上基地をもつ海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr.)が活動範囲を広げるようになった。この海上偵察隊とドイツ海軍潜水艦Uボートとの共同作戦が展開できれば、効果的な敵輸送船団攻撃、交通破壊戦が可能になったかもしれない。

写真(右)1940-1942年頃、アムステルダム郊外,シェリンブルデ(Schellingwoude)水上機基地のアラド(Arado)Ar196 A水上偵察機;フロートの先端をぶつけないように目立つ赤で塗っている。BMW132空冷星形9気筒エンジンと3翅プロペラを装備。ドイツのAR 196は、ドイツ海軍(Kriegsmarine)の艦船が沖合を航行したときに機体は艦船に乗っていた。
Een Duitse AR 196. Als de grote oppervlakteschepen van de Kriegsmarine zich buitengaats waagden, bevonden deze watervliegtuigen zich aan boord. Wanneer de oorlogsbodems in de haven lagen, opereerden de Arado's onder meer vanaf vliegkamp Schellingwoude.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Schellingwoude 引用。


BMW132空冷星形9気筒エンジンの原型は、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)が1926年に開発したR-1690 ホーネット(Hornet))空冷星形9気筒エンジンである。
プラット・アンド・ホイットニーR-1690 ホーネット(Hornet))空冷星形9気筒エンジンの諸元は次の通り。
気筒ボア×ストローク: 6+1⁄8 in (155.6 mm)×6+3⁄8 in (161.9 mm)
排気量:1,690.5立方インチ (27.7 L)
全長:50.98 in (1,295 mm)
直径:54.41 in (1,382 mm)
乾燥重量:1,014 ポンド (460 kg)
離昇出力:789 hp (588 kW) / 2,300 rpm(毎分回転数)
出力:740 hp (550 kW) / 2,250 rpm /高度 7,000 ft (2,100 m)
圧縮比:6.0:1

写真(右)1941年頃、圧搾空気ボンベをゴムボートで運んだ整備員と背後のアラド(Arado)Ar196 A水上偵察機;BMW132空冷星形9気筒エンジンと3翅プロペラを整備するのに、金属製フレームの台を置いて整備している。圧搾空気ボンベは、救命用ゴムボート用ではなく、カタパルト射出のための圧搾空気補充用であろうか。
Collectie NIOD Trefwoorden Waterwegen, Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Bommen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Arado 196 Laden van watervliegtuig bommenwerper.
Type Foto Vervaardiger Stapf Bilderdienst
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 43437 引用。


ドイツのBMW(Bayerische Motoren Werke AG:バイエルンモーター製造所)は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)が1926年に開発したR-1690 ホーネット(Hornet))空冷星形9気筒エンジンのライセンス生産権を取得し、1933年からドイツでライセンス生産を開始したが、これがBMW132空冷星形9気筒エンジンで、ユンカース(Junkers) W34輸送機、ユンカース(Junkers)Ju-52/3m輸送機、ハインケル(Heinkel)He 114水上機などに搭載されていた。この実績と信頼性のある発動機をアラドAr198水上機も搭載した。


写真(右)1939-1941年頃、水上機基地、3人の整備員からエンジン調整を受けているドイツ海軍アラド(Arado)Ar196 A水上偵察機
;1937年5月初飛行、1938年11月就役、主にドイツ海軍で使用されたが、形式的にドイツ空軍の隷下に配備された水上機も多い。
Arado Ar-196A field maintenence work 01 Manufacturer: Arado Flugzeugwerke Manufactured: Warnemünde factory, Germany Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: KriegsmarineForeign users: Bulgarian Air Force, Finnish Air Force, Romanian Air Force Produced: 1938-1944 Number built: 541
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。



写真(右)1939-1941年頃、水上機基地の格納庫で3人の整備員から胴体下面の整備を受けているドイツ海軍アラド(Arado)Ar196 A水上偵察機
;1937年5月初飛行、1938年11月就役、主にドイツ海軍で使用されたが、同盟国のブルガリア、フィンランド、ルーマニアもアラド(Arado)Ar-196水上機を導入、配備している。
Arado Ar-196A hangar maintenence 01 Manufacturer: Arado Flugzeugwerke
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。


アラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機の発動機は、信頼性に定評のあるBMW132K空冷星型9気筒エンジン960 HP (716 KW)1基である。

BMW 132K 空冷星形9気筒エンジンは、1928年1月にドイツのBMWがアメリカのプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690 ホーネット空冷星形9気筒エンジンのライセンスを買い取り、国内生産された。

BMW132K空冷星型9気筒エンジンを搭載したドイツ機は、ブローム・ウント・ホスBV 141偵察機、ハインケルHe 114水上偵察機、ハインケルHe 115偵察爆撃機、ヘンシェルHs 123地上襲撃複葉機、ユンカースJu 52輸送機、Ju 86輸送機、 ユンカース W34小型輸送機などである。特に、ユンカースJu 52輸送機3mは、このBMW 132K 空冷星形9気筒エンジン650hp 3基を搭載し、抜群の実用性を証明した。


写真(上)1939-1941年頃、水上機基地を台車ドリーに載せられてトラクターSS1008に牽引されているアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機
;後方のトタン屋根の倉庫には煙突がついているので居住区と併設されているようだ。台車ドリー手前には、圧搾ボンベがあるが、これは台車ドリーのゴム車輪に空気を注入するのに使用されるようだ。
Arado Ar 196 seaplane Role: Reconnaissance aircraft Manufacturer: Arado Flugzeugwerke Arado Ar-196A3 floatplane is being moved on a wheeled dolly and towed by a tractor SS1008
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。



写真(上)1942年、ギリシャ、地中海、クレタ島付近を編隊飛行するドイツ軍アラド(Arado)Ar196 A 水上偵察機
;尾部付近に戦域識別用の黄色(?)帯を巻いている。右手前には、両機の左主翼先後縁が写っている。
Arado Ar 196 seaplane Role: Reconnaissance aircraft Manufacturer: Arado Flugzeugwerke Arado Ar-196A SAGr Crete 1942-01
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。



写真(上)1942年、ギリシャ、地中海、クレタ島上空を編隊飛行するドイツ軍アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機
;尾部付近に戦域識別用の黄色(?)帯を巻いている。左手前には、両機の左主翼前縁の鉄十字白枠国籍記章が写っている。
Arado Ar 196 seaplane Role: Reconnaissance aircraft Manufacturer: Arado Flugzeugwerke Arado Ar-196A SAGr Crete 1942-02
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。



写真(上)1942年、ギリシャ、地中海、クレタ島沿岸を編隊飛行するドイツ軍アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機
;尾部付近に戦域識別用の黄色(?)帯を巻いている。br>Arado Ar 196 seaplane Role: Reconnaissance aircraft Manufacturer: Arado Flugzeugwerke Arado Ar-196A SAGr Crete 1942-03
写真は, Arado Ar 196 main list:引用。


写真(右)1941年頃、ドイツ海軍巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」のカタパルト台車上のアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機;フロートの下、カタパルトの脇には大きなボンベ(圧搾タンク)があるが、これはカタパルト射出する際に噴き出す圧搾空気ボンベである。
Frankreich.- Kreuzer "Admiral Hipper", Bordflugzeug Arado Ar 196 auf Katapult
Date 1941 Photographer Hipper
Institution German Federal Archives Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine (Bild 101 II)
Accession number Bild 101II-MW-1949-03
写真は Wikimedia Commons, Bundesarchiv: Accession number Bild 101II-MW-1949-03 引用。


ヒッパー ドイツ海軍巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」Admiral Hipper)諸元
起工1935年7月6日、進水1937年2月6日 、就役1939年4月29日
全長202.8m、全幅21.3m
基準排水量1万4050トン
常備排水量1万6170トン
満載排水量 1万8500トン
兵装: 60口径20.3センチ連装砲4基8門、10.5センチ高角砲連装6基12門
53.3センチ三連装魚雷発射管4基12門。
アラド(Arado) Ar 196水上機2機搭載可能。

写真(右)1941年、ドイツ占領下ポーランド、グダニア、ドイツ海軍巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」のカタパルトに搭載されたBMW132空冷星形9気筒エンジン装備のアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機;フロートの下、カタパルトの脇には大きなボンベ(圧搾タンク)があるが、これはカタパルト(catapult) 射出する際に開放される圧搾空気ボンベである。
Description GDYNIA, POLAND, 1941. "6 W" THE ARADO 196, A TWO SEATER RECONNAISSANCE FLOAT PLANE BEING LOADED ONTO THE CATAPULT LANDING GEAR ABOARD THE 10,000 TON GERMAN HEAVY CRUISER "ADMIRAL HIPPER". Unit Cruiser Admiral Hipper Place Europe: Poland Collection type Photograph Object type Black & white Physical description Black & white Maker Schroeder Conflict Second World War, 1939-1945
写真は Australian War Memorial: Accession Number 042676 引用。


写真(右)1941年、ドイツ占領下ノルウェー、海上を滑走するドイツ海軍巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」のアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機; 写真右上に、ドイツ海軍巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」の艤装が写っている。
Description NORWAY, 1941. THE ARADO 196, A TWO SEATER RECONNAISSANCE FLOAT PLANE, LANDS ON THE WATER NEAR THE 10,000 TON GERMAN HEAVY CRUISER "ADMIRAL HIPPER" AFTER COMPLETING A RECONNAISSANCE FLIGHT. IN THE FOREGROUND CAN BE SEEN A SECTION OF THE CRANE USED TO HOIST THE AIRCRAFT ABOARD THE VESSEL. Unit Cruiser Admiral Hipper Place Europe: Norway Object type Black & white Physical description Black & white Maker Schroeder Conflict Second World War, 1939-1945
写真は Australian War Memorial: Accession Number 042677 引用。


写真(右)1941年頃、ドイツ海軍巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」のカタパルトから射出される台車上のアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機;BMW132空冷星形9気筒エンジンが始動し、3翅プロペラが回転している。コックピット偵察員が使う後方防御用の7.92ミリMG15旋回機銃1丁。1938-1944年に541機が生産された。
German Heavy Cruiser ADMIRAL HIPPER (Admiral Hipper Class). Photo circa 1942 Caption:German Heavy Cruiser ADMIRAL HIPPER (Admiral Hipper Class). Photo circa 1942. Description:German Ships: ADMIRAL HIPPER - ADMIRAL SCHEER Catalog #:NH 110796 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1940 Before this Year:1949
写真はNaval History and Heritage Command: NH 110796 German Heavy Cruiser ADMIRAL HIPPER (Admiral Hipper Class). Photo circa 1942 引用。


ニュルンベルク

ドイツ海軍軽巡洋艦「ニュルンベルク」Nürnberg )の諸元
1933年11月4日にドイチェ・ヴェルケで起工、1934年12月8日進水
1935年11月2日就役
基準排水量 9,040 トン
全長 181.3 m、全幅 16.30 m、吃水 5.74 m
航続距離 10ノットで3,900マイル
兵装:15センチ60口径三連装3基9門
8.8センチ76口径連装高射砲4基8門
53.3センチ(21インチ)三連装魚雷発射管4基12門
艦載機:アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機2機

写真(右)1941-1943年頃、ノルウェー、トロンヘイム、停泊中のドイツ海軍戦艦「ティルピッツ」のデリックで吊り上げられてカタパルトに乗せられようとするアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機;15センチ55口径連装砲、10.5センチ65口径連装高射砲が見える。
Slagskipet Tirpitz i Fættenfjorden fotografert fra taubåt, Flyet i kranen er et Arado 196 oppklaringsfly..
Slagskipet Tirpitz og søsterskipet Bismarck var de største slagskipene i den tyske krigsmarinen, Kriegsmarine, under andre verdenskrig. Skipet var oppkalt etter den tyske marineminister og storadmiral Alfred Freiherr von Tirpitz.
Skipet lå i en periode i Fættenfjord i Nord-Trøndelag.
,Tirpitz ble til slutt senket ved Håkøya utenfor Tromsø den 12. november 1944. Avro Lancaster bombefly fra RAF 617. og 9. skvadron, utrustet med Barnes Wallis' tallboy-bomber, utførte bombingen. 916 av mannskapet omkom. Av dem som overlevde, ble 87 reddet ved at redningsmannskapene skar seg inn gjennom skutesiden. ( Kilde: Wikipedia)
Tilhører samling av fotografier tatt av ukjente tyske soladater under 2.verdenskrig. Bildene var sendt inn til framkalling og kopiering hos Harald Renbjørs fotoforretning i Levanger. Familen Renbjør dobbeltkopierte noen av fotografiene og beholdt en kopi selv. Dette var strengt ulovlig. Mest sannsynlig gjorde de dette av etterretningsgrunner for motstandsbevegelsen eller på eget initiativ.
Fotografering:1940 - 1945Ukjent tysk soldat.
Part of collection:Levanger Fotomuseum Owner of collection:Levanger Fotomuseum Institution: Levanger Fotomuseum Date published:October 15, 2014 Date updated:March 16, 2018 DIMU-CODE:011015437707
写真はLevanger Fotomuseum ・Identifier:LEM.018.18.02 引用。


ドイツ戦艦テルピッツ ドイツ海軍ビスマルク級戦艦の1番艦「ビスマルク」は、1940年8月24日に就役し、2番艦戦艦「ティルピッツ」(Tirpitz)は、1940年2月25日に就役した。しかし、僚艦の訓練と出撃準備は一致せず、「ビスマルク」は重巡「プリンツオイゲン」とともに通商破壊作戦に出撃、途中分離し、潜水艦Uボートの支援もなく単艦行動中、1941年5月27日にイギリス海軍戦艦・巡洋艦・駆逐艦との砲雷撃戦で撃沈された。

1944年4月3日、戦艦「ティルピッツ」はイギリス海軍空母「ヴィクトリアス」「フューリアス」の艦上機の空襲で、命中弾による損傷、9月15日のイギリス空軍重爆撃機ランカスターの空襲で5トン爆弾トールボーイ1発が命中し、大破した。そこで、海上砲台とすることになったが、11月12日に再度ランカスター爆撃機の投下したトールボーイ3発が命中し、横転し撃沈された。没着底した。

ドイツ海軍戦艦「ティルピッツ」(Tirpitz)の諸元
「ビスマルク」級戦艦2番艦
起工 1936年11月2日
進水 1939年4月1日
就役 1941年2月25日
基準排水量:4万2,900トン
満載排水量:5万3,500トン
全長 253.6m
水線長241.7m
全幅 36.0m
最高速力:30.8ノット
兵装:38センチ48.5口径連装砲4基
15センチ55口径連装砲6基
10.5センチ65口径連装高射砲8基
アラド(Arado) Ar 196水上機3-4機搭載可能。


写真(上)1941年、デンマーク、ユトランド半島北部、オールボー(Aalborg)水上機基地からゴムボートで搭乗機に向かうドイツ軍飛行士とアラド(Ardo)Ar 196A3水上偵察機の戦列

Arado Ar-196A Aalborg Denmark 1941-02 Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
写真は Arado Ar 196 seaplane引用。


デンマーク、ユトランド半島北部に位置するオールボー(Aalborg)は、半島内部にあるが、リムフィヨルド(Limfjord)の細長い水路を通じて海に繋がっており、内水面と同じように波が静かなために、港湾都市として発展した。そこで、アラド(Arado)Ar-196 Aの水上機基地もこのオールボーの細長いリムフィヨルド海面を用いて設置された。

写真(右)1940-1943年、ノルウェー、フィヨルド沿岸に停泊、待機するドイツ海軍アラド(Ardo)Ar 196A水上偵察機と奥のハインケル(Heinkel)He-115双発水上偵察機
Arado Ar-196A I.406 with He 155 moored in the background Norway 01 Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine Foreign users: Bulgarian Air Force, Finnish Air Force, Romanian Air Force Produced: 1938-1944 Number built: 541
写真は Arado Ar 196 seaplane引用。


ハインケル(Heinkel)He 115双発水上機は、全長: 17.30 m、全幅: 22.27 m、全高: 6.60 m、主翼面積: 87.5 m2、翼面荷重: 103.8 kg/m2、空虚重量: 5,290 kg、全備重量: 10,400 kg kg、発動機 BMW 132K空冷星形9気筒エンジン 960 hp2基、最高速力: 327 km/h、航続距離: 2,100 km。

写真(右)1940-1943年、ノルウェー、フィヨルド沿岸をドイツ海軍内火艇(小型動力船)に曳航されているアラド(Ardo)Ar 196A水上偵察機
Arado Ar-196A being toed back to its mooring 01 Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
写真は Arado Ar 196 seaplane引用。


ドイツ海軍航空隊は、艦船に乗せて運用するアラド(Arado)Ar-196 Aのような水上機を指揮下に置いたものの、それ以外の航空兵力は、沿岸部に基地を設けた水上機や飛行艇ですらも直接指揮する権限がなかった。つまり、ドイツ空軍総司令ヘルマン・ゲーリング元帥の空軍優先のために、ドイツ海軍航空隊は、攻撃、偵察、哨戒のための有効な航空支援を得ることが困難になった。

写真(右)1943年、地中海、アドリア海沿岸をドイツ軍舟艇と飛行するアラド(Ardo)Ar 196A3水上偵察機
Arado Ar-196A3 2.BoFlGr196 Adriatic Sea 1943-01 Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
写真は Arado Ar 196 seaplane引用。


このように、ドイツ海軍航空隊が微力であったために、そのため、海軍艦艇、特に潜水艦Uボートとの連携支援が疎遠になる傾向があった。


写真(上)1944年7月、ドイツ海軍の哨戒艇上空を飛行するアラド(Ardo)196A-3 水上偵察機
;この哨戒艇は、イタリア海軍の哨戒艇を鹵獲して使用している様だ。
Description Polski: Niemiecki wodnosamolot Arado Ar 196A-3 w czasie zabezpieczania torpedowca na morzu na froncie włoskim. Date July 1944 Source https://audiovis.nac.gov.pl/obraz/2390/ (ze zbiorów Narodowego Archiwum Cyfrowego) Author Unknown
写真は Wikimedia Commons, File:Arado Ar 196 Italy 1944.jpgおよび Narodowego Archiwum Cyfrowego:Sygnatura: 2-2450 引用。



写真(右)1944年、アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機(登録コード:6W+??)
;機体コックピット後方には部隊のペットの牧羊犬シェパードが乗っている。後席に7.92ミリMG15旋回機銃1丁とそのドラム弾倉が見える。コックピットに登るための足掛けには白線でマークがしてあり、前方操縦席用と後席偵察員用途の2カ所ある。蓋がついていて足を退けると閉鎖する構造になっている。座席にいるドイツシェパードが実際に戦闘飛行中に飛行機に乗ったかどうかは問題だ。
Vliegers lopen vanaf het Zeeburgereiland over de steiger naar hun toestel. militairen en een Duitse herdershond in de Arado Ar 196. Nog een detailopname van de cockpitsectie van de Arado Ar 196. Of de Duitse Herder op de zitplaats van de waarnemer-luchtschutter ook daadwerkelijk mee de lucht is gegaan tijdens de gevechtsvlucht in is maar de vraag.
写真は Nederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Schellingwoude 引用。


ドイツ軍機の国籍マークは、「鉄十字」で、白枠のある黒の十字が描か主翼左右先端の表裏に描かれている。垂直尾翼には、白枠黒で、ナチ党の鍵十字卍が描かれている。

写真(右)1945年戦争末期あるいは戦後直後、陸上に引揚げられたアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機:Arado AR-196A Catalog #: 00075054 Manufacturer: Arado Designation: AR-196A
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 00075054引用。


ドイツ海軍航空隊は、イギリス、アメリカ、日本のような充実した航空兵力を保有できなかった。これはドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)元帥が、飛行機と航空兵力は全て自分の隷下に置くことを主張したためである。そこで、イギリス本土の潜水艦Uボートによる海上交通破壊戦や海上封鎖に、航空機による索敵、偵察、攻撃が十分に行えないという欠点が露呈した。また、爆撃偏重で、魚雷配備が遅れてしまい、艦船の雷撃についても十分な理解が得られていなかった。

写真(上)1945年4月戦争直後、陸上に引揚げられたアラド(Arado)Ar-196A水上偵察機;1938年の試作機完成以降、ドイツ海軍艦艇の主力艦載機として第二次世界大戦に使用された。後方は、メッサーシュミットMe-262複座ジェット練習戦闘機。
Ardo Ar 196A-3 PictionID:43932425 - Title:Ardo Ar 196A-3 - Filename:16_005001.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives - Catalog:16_005001引用。


第二次大戦の後半には、ドイツ空軍は本土の制空権も連合国軍に置かされるほど守勢に回っており、爆撃機、偵察機のような攻撃的な航空兵力ではなく、ドイツ本土防空の迎撃的な守勢航空兵力を充実させる必要があった。また、油田を持たないドイツは、石炭液化による人造石油の生産を行ったが、燃料不足の為に、大型爆撃機の燃料供給は制限され、訓練用の燃料にも不足していた。

つまり、1944年には、ドイツ本土空襲をする敵重爆撃機を迎撃する戦闘機の増産のため、爆撃機、偵察機、輸送機の生産は大幅縮小、中止せざるを得なくなった。しかし、生き残ったアラド(Arado)Ar-196 A水上機は、大戦末期まで、ドイツ軍の水上偵察機として活躍した。

写真(右)1945年1月10日、ドイツ海軍巡洋戦艦「グナウゼナウ」(?)にデリックで吊り上げられたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機;Arado 196水上偵察機は、艦船から周囲の偵察に飛び立ち、帰還後、艦船にデリックで吊り上げられる。原典に1945年1月10日とあるのは、写真を鹵獲した日付であろうか。
Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Vliegboten, Vliegtuigen Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany Bijschrift Arado 196 Von Aufklärungsflug zurück. Das Wasserflugzeug wird, nachdem es die weitere Umgebung des Schiffes aufgeklärt hat, wieder an Bord genommen. Heinkel. Type Foto Datum 10/01/1945 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 43437 引用。


アラド(Arado) Ar196水上偵察機 枢軸軍の双フロート双発以上の水上機には、ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機のほかハインケル(Heinkel)He59救難機、イタリア軍のフィアットCMASA RS.C14水上偵察機、カントZ.506 水上偵察爆撃機などがあり、いずれも飛行性能は、秀でているわけではないが、堅牢な構造で、使いやすい機体だった。

他方、アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機は、単発の艦載水上機として、巡洋艦上のカタパルトからの射出発進もでき、堅牢な構造で、極北地域でも使用できた信頼性のある飛行機だった。

写真(右)1945年5月、敗戦直後、ドイツ海軍重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」のカタパルトに乗せられたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機
Title:PRINZ EUGEN (German CA, 1938) Caption:View of the after port superstructure, looking aft from alongside, soon after V-E Day. Note 105mm anti-aircraft guns and their directors, torpedo tubes, tripod mainmast and AR-196 aircraft. Description: Catalog #:NH 96478 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1939 Before this Year:1945
写真は Naval History and Heritage Command: NH 96478 PRINZ EUGEN (German CA, 1938) 引用。


ドイツ重巡プリンツオイゲン ドイツ海軍重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)の諸元
1936年4月23日起工、1938年8月22日進水、第二次大戦最中の1940年8月1日就役
基準排水量:1万5,000トン、満載排水量:1万8,400トン
全長212.5m、全幅21.8m、吃水7.2m
機関出力13万6,000shp(98MW)
最高速力:33.5ノット(62km/h)
航続距離7,200マイル・20ノット
乗員:1,600名
兵装:20.3cm砲連装砲塔4基8門、10.5cm高角砲連装砲塔6基12門、53.3cm魚雷発射管12門
艦載機: アラド(Arado) Ar 196水上機3機

ドイツ海軍重巡「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、ヒッパー級重巡と同じく、排水量の割に火力は大きくはない。ドイツ本土空襲にもかかわらず、重巡「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、第二次大戦末期まで撃沈されずに残ったが、戦後1946年7月25日のビキニ環礁の原爆実験「クロスロード作戦」の標的にされた。

写真(右)1945年5月、敗戦直後、ドイツ北西部、ヴィルヘルムス・ハーフェンの浮きドックに収容されたドイツ海軍重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」のカタパルトに乗せられたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機;左側は、艦橋、煙突と続き、右側には円筒状の高角砲射撃用の測距儀が見える。左はドックに装備された大型のクレーンで、右には、巡洋艦の船体に装備された小型クレーン(デリック)の上部が見える。
Title:PRINZ EUGEN (German CA, 1938) Caption:In floating drydock at Wilhelmshaven, soon after V-E day, showing AR-196 seaplane and other midships details. Description: Catalog #:NH 96437 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は Naval History and Heritage Command: NH 96437 PRINZ EUGEN (German CA, 1938) 引用。


1946年7月、ビキニ環礁の核爆発実験では、ドイツ海軍重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、アメリカ、日本などの艦艇70隻の一環として、標的となった。これは、7月1日の空中爆発「エイブル」(ABLE)と7月25日の海中爆発「ベーカー」(BAKER)の2回核爆発実験であった。ビキニ環礁の原爆実験「クロスロード作戦」に連合国・枢軸国の艦船71隻が標的となった。

OPERATION CROSSROADS ABLE & BAKER ATOMIC BOMB TESTS BIKINI ATOLL 1946 83144


1946年7月、ビキニ環礁の原爆実験で、ドイツ海軍重巡「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、日本海軍戦艦「長門」と同じく、2回の爆発でも撃沈しなかった。水爆の空中爆発・爆風の威力は、水上艦艇の撃沈に至るほどには強力ではなかったのである。

そこで、核爆発でも沈没しなかった重巡「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、核爆発対艦船調査のために、クェゼリン環礁に運ばれたが、その後、浸水による転覆、放棄された。核爆発を受けた日本海軍戦艦「長門」も同様の末路だった。核爆発は、鋼鉄の艦船には浸水の被害を与え、補修なければ、沈没に至るが、よほどの近距離でないと即座に爆破・撃沈することは少なかったようだ。

写真(右)1945年5月、敗戦直後、ドイツ海軍重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」の前部から俯瞰した煙突(手前)、カタパルトに乗せられたアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機、舷側両側に10.5センチ連装高角砲塔、後部メインマストと両脇の高角砲射撃用の測距儀と53.3センチ三連装魚雷発射管
Title:PRINZ EUGEN (German CA, 1938)
Caption:Arrangement aft, showing Ar-196 floatplane stowage, radar, A. A. directors and torpedo tubes. Taken in floating drydock, probably at Bremen, soon after V-E Day.
Description: Catalog #:NH 96369
Copyright Owner:Naval History and Heritage Command
Original Creator: After this Year:1939
Before this Year:1945
写真は Naval History and Heritage Command:NH 96369 PRINZ EUGEN (German CA, 1938) 引用。


ドイツ海軍重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、1941年4月23日のイギリス軍磁力機雷の損傷を修理した後、5月18日、ドイツ北部ゴーテンハーフェンを出撃、スカゲラク海峡を通過して北海に出て、占領下ノルウェーのベルゲン港で給油を受け、新鋭戦艦「ビスマルク」(Bismarck)と共に通商破壊「ライン演習作戦」(Operation Rheinübung)に出撃した。このときは同行する予定だった巡洋戦艦「シャルンホルスト」(Scharnhorst)は修理中であり、駆逐艦は、航続距離の不足から1隻も護衛についておらず、2隻のみの長距離通商破壊戦だった。

イギリス巡洋戦艦フッド 1941年5月24日、ドイツ海軍戦艦「ビスマルク」(Bismarck)重巡「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、イギリス海軍巡洋戦艦「フッド」、新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」(HMS Prince of Wales)と交戦し、戦艦「ビスマルク」は38センチ砲撃で「フッド」を爆沈した。

またドイツ重巡「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)もイギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」(HMS Prince of Wales)に20.3センチ砲を命中させ、重油燃料タンクを破損させて、イギリス戦艦の長期行動を不可能に指せる殊勲を上げた。

デンマーク海峡開戦後、イギリス艦隊の包囲網に捕まったと不安になったドイツ艦隊司令長官ギュンター・リュッチェンス(Günther Lütjens)中将は、乗艦していた戦艦「ビスマルク」(Bismarck)から重巡「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)を分離し、作戦を実行しようとした。

ビスマルク ドイツ海軍重巡「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、単艦で通商破壊作戦を続行すべきだったが、僚艦だった戦艦「ビスマルク」がイギリス艦隊に包囲、撃沈されると、恐怖で通商破壊「ライン演習作戦」(Operation Rheinübung)の続行を断念し、作戦を中止し、帰還する決定をした。

僚艦「ビスマルク」と別れたドイツ海軍重巡「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、1941年6月1日、ドイツ海軍駆逐艦「フリードリヒ・イン」「ブルーノ・ハイネマン」「エーリッヒ・シュタインブリンク」と会合し、その護衛の下に、フランス北岸の良港ブレストに無事遁走することができた。

しかし、入港した重巡「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、イギリス空軍の爆撃を受け、1941年7月2日に命中弾を受け、破損してしまった。

写真(右)1945年5月、敗戦直後、ドイツ海軍重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」後部から俯瞰したカタパルト上のアラド(Arado)Ar-196 A艦載水上偵察機、煙突と両脇銃座の20ミリ四連装機関銃、その奥の球状の高角砲射撃用の測距儀、艦橋トップ
Title:PRINZ EUGEN (German CA, 1938) Caption:Arrangement looking forward form the mainmast, while ship was in a floating drydock, probably at Bremen, soon after V-E Day. Note Ar-196 seaplane.
Description: Catalog #:NH 96371
Copyright Owner:Naval History and Heritage Command
Original Creator: After this Year:1939
Before this Year:1945
写真は Naval History and Heritage Command:NH 96371 PRINZ EUGEN (German CA, 1938) 引用。


ドイツのソビエト連邦侵攻は、1941年6月22日だが、フィンランドは、1939年11月30日から1940年3月12日の対ソビエト冬戦争に敗北していた。冬戦争に敗北したフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)は、今度は、その報復として、1941年6月26日から1944年9月19日にかけて、ドイツとともに対ソビエト冬戦争を戦った。対ソビエト継続戦争の2カ月前から、イギリスもフランスも連合国として、ドイツと第二次世界大戦を戦っていたが、ソ連とは戦っておらず、あえてフィンランドを助けるために、ソ連と会戦するはずがなかった。

1941年7月、フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の指揮の下、フィンランド軍は、ハカリスティ(Hakaristi)を再び掲げて、フィンランド南東部、ソ連に割譲させられていたカレリア地方を攻撃し、再占領し、冬戦争で奪われた領土を取り戻しつつあった。

写真(右)1947年、アメリカ、ペンシルベニア州フィラデルフィアに運ばれたドイツ海軍重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」のアラド(Arado) Ar 196A-5 艦載水上偵察機(登録コード:GA+DX 、製造番号:Werk-No. 68967)
Description A German Arado Ar 196A-5 seaplane being catapulted in 1947 at the Naval Air Materiel Center in Philadelphia, Pennsylvania (USA). The plane and the catapult were saved from the German heavy cruiser Prinz Eugen which was expended at the Bikini Atoll nucelar tests. The plane is now on display at the U.S. National Air and Space Museum (Smithonian Institution). NASM description of the plane: "When the US Navy took custody of Prinz Eugen, they were more interested in the catapult system used to launch the floatplane rather than the Ar 196 but they saved two aircraft anyway. The NASM airplane has only 14 hours of operational flying time and U. S. Navy pilots added just four more hours during testing and evaluation at the Naval Air Materiel Center in Philadelphia, Pennsylvania. The '196 Werk-Nummer (serial number) is 623167 however the Navy evidently repainted the airplane with markings copied from a different aircraft. That floatplane bore the Stammkennzeichen code letters GA+DX and Werk-Nummer 68967. Today, the National Air and Space Museum's Ar 196A-5 still carries the bogus paint and markings of GA+DX. After years in storage, the Navy transferred the airplane to the Museum in 1961. It is now on display at the Paul E. Garber Facility in Silver Hill, Maryland." Official (illiterate) U.S. Navy description: "Institute members watch a German Arada seaplane being launched from a catapult Nazi's Prinz Eugen." Date 1947 Source U.S. Naval Aviation News August 1947 [1] (PDF) Author USN Permission (Reusing this file) U.S. Navy photograph
写真は Category:Arado Ar 196: File:Ar 196 catapult test 1947 NAN8-47.jpg引用。


ドイツ海軍重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」(Prinz Eugen)は、1946年7月1日と25日のアメリカによるマーシャル諸島ビキニ環礁の2回の核爆発実験の標的に使用されたが、アラド(Arado)Ar 196艦載水上機は残され,1961年にアメリカ海軍博物館に保管された。

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)元帥は、1946年9月30日にニュルンベルク裁判で絞首刑を宣告されたが、1946年10月15日に密かに持ち込まれた青酸カリで自殺した。

ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、1937年8月に初飛行した機体で、海上の哨戒偵察以外にも、船団への魚雷攻撃、機雷敷設、輸送などにも投入された多用途機だった。

ドイツ空軍総司令ヘルマン・ゲーリング元帥の指揮下に航空兵力を集中させられたため、ドイツ海軍航空隊は貧弱であり、ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、艦艇に搭載することは想定されておらず、水上機基地をベースに活動することを前提としていた。そのためハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機の総生産機数は138機のみであった。しかし、北大西洋、地中海方面では、水上機の特性を生かして、海上哨戒偵察、対艦船攻撃(爆弾・航空魚雷・機雷)に有効な働きをしている。

写真(右)1945年5月以降、第二次大戦欧州戦線終戦後、陸上で保管された4機のアメリカ軍が鹵獲したアラド(Arado)Ar-196A水上偵察機:風雨を避けるためのカバーが風防付近に掛けられている。
Arado Ar-196A Travemunde Germany 1945-01 Role: Reconnaissance aircraft Manufactured: Warnemünde factory, Germany_Arado Flugzeugwerke Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
写真は,Arado Ar 196 seaplane引用。


1945年5月のドイツ敗北後、戦勝国アメリカにとって、大多数のドイツ軍飛行機の性能は注目に値しなかったであろうが、ドイツ軍の武装解除のために、兵器は回収、廃棄された。そして、アメリカ軍兵士たちは、ドイツ軍兵士の保持していた勲章、拳銃、記章など戦利品・記念品として母国に持ち帰った。またアメリカ軍も、ドイツ軍機を展示用として鹵獲、活用された機体もあったであろうが、保管経費の負担を踏まえると、ほとんどすべては廃棄されたり、スクラップにされたりした。

アラドArado Ar 196 水上偵察機は、第二次大戦中に、ドイツ海軍で広範囲に使用された、低翼単葉、双フロートの艦載機。BMW132K空冷星型エンジン960馬力搭載、機首と後部座席の7.92mm機銃2挺、主翼内に20ミリMG-FF機関銃2挺、主翼下面に50kg爆弾2発搭載可能。第二次世界大戦の始まった1939年に部隊配備開始、戦艦ビスマルク、重巡洋艦「ヒッパー」など大型水上艦艇に搭載。沿岸水上機部隊にも配備された。

写真(右)第二次大戦後、保管・展示されたアラドAr-196A水上偵察機:胴体は鋼管骨組、前部は金属張り、後部は羽布張り、主翼は金属張り。艦載機としてカタパルトからの射出が可能。
Arado AR-196A Catalog #:00075051 Manufacturer: Arado Designation: AR-196A
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 00075051引用。


アラド(Arado)Ar-196A水上偵察機の構造は、胴体は鋼管骨組、前部は金属張り、後部は羽布張り、主翼は金属張りで、軽量化に配慮しているが、カタパルト射出するには、フロート支柱も含め、堅牢な構造でないといけない。


アラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機諸元
乗員:2名
全長: 11.0メートル,全幅: 12.5メートル
主翼面積: 28.4平方メートル
自量: 2トン,全備重量: 3.7トン
エンジン: BMW132 空冷 960馬力1基
最高速力: 320キロ
航続距離: 1000キロ,上昇限度: 7,000メートル
武装: 20ミリMG-FF機関砲2門,7.92ミリMG17機銃2丁
50キロ爆弾2発
初飛行1937年5月
生産開始:1938年11月から1944年3月までに540機も量産された。

写真(右)第二次大戦後、アメリカで保管・展示されたアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機のカラースライド:胴体は鋼管骨組、前部は金属張り、後部は羽布張り、主翼は金属張り。
35mm slide image pictionid72664218 - titlearado ar 196 reads ar 196a-3 willow-grove nas va. aug. 1958. - filename07.01.a- 00412.jpg -00456.jpg- Image scanned from a 35mm Slide--Please tag this photo so that the data can be stored with our Digital Asset Management System.
写真は,Flickr, SDASM Archives catalog07.01.a-00412 -引用。


アラド(Arado)Ar-196A水上偵察機は、制式後、艦載用のカタパルト射出可能なように改修され、ドイツ海軍の軽巡洋艦以上の大型艦船に搭載された。そして、偵察任務に就かされたが、沿岸に設けられた水上機基地からの哨戒・救難・対潜哨戒の任務にあたり、第二次大戦終戦まで使用された。

写真(右)第二次大戦後、アメリカで保管・展示されたアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機のカラースライド:胴体は鋼管骨組、前部は金属張り、後部は羽布張り、主翼は金属張り。
35mm slide image pictionid72662802 - titlearado ar 196 reads ar 196a-3 062473. will gr. willove grove. - filename07.01.a-00410.jpg -Image scanned from a 35mm Slide--Please tag this photo so that the data can be stored with our Digital Asset Management System..
写真は,Flickr, SDASM Archives - catalog07.01.a-00410 引用。


ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)のドイツ空軍第一航空軍Luftflotte 1)に属していたJG54は、1941年6月22日、バルバロッサ作戦初日,ヴィルヘルム・リッター・フォン・レープWilhelm Ritter von Leeb)元帥を司令官とする北方軍集団(レープ元帥)を支援し、フィンランド、バルチック海周辺、レニングラードで戦った。1941年から1943年には、JG54は、レニングラード包囲戦、イイリメニ湖周辺のソ連軍攻撃のために、フィンランドにも駐屯した。


図(上)ドイツ軍のアラド(Arado)Ar-196 A-3 艦載水上偵察機の上面図と正面図および下面図と右側面図

Arado Ar-196A Travemunde Germany 1945-01 Role: Reconnaissance aircraft Manufacturer: Arado Flugzeugwerke Manufactured: Warnemünde factory, Germany Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
写真は,Arado Ar 196 seaplane引用。


図(上)ドイツ軍のアラド(Arado)Ar-196 A-3 艦載水上偵察機の右側面図と上面図
Aircraft blue print of Arado Ar-196A3 in 1.72 scale by Michal Bradac 0B Manufacturer: Arado Flugzeugwerke Manufactured: Warnemünde factory, Germany Designer: Walter Blume First flight: May 1937 Introduction: November, 1938 Primary user: Kriegsmarine
写真は,Arado Ar 196 seaplane引用。


アラドArado Ar 196水上偵察機の諸元
乗員:2名
全長: 11.00 m
全幅: 12.47 m
全高: 4.42 m
主翼面積: 28.40 m2
空虚重量: 2,090 kg
全備重量: 3,720 kg
発動機: BMW 132K 空冷星形9気筒エンジン 960 hp (716 kW)
最高速力: 310 km/h 高度 4.000 m
巡航速力:267 km/h
航続距離: 1,072 km
最高到達高度: 7,010 m
兵装: 20mm MG FF機関銃(左右主翼)2挺
7.92mm MG17機銃(機首)1挺
7.92mm MG15旋回機関銃1挺
爆弾搭載量:50kg爆弾2発
生産期間:1938年10月-1944年8月
生産機数:541機
任務:偵察、観測、哨戒
使用国:ドイツ、ルーマニア、ブルガリア


2.ハインケル(Heinkel)He-60艦載水上偵察機

写真(右)1935年以降,ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 :1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46168846 - Catalog:16_007365 - Title::Heinkel He 60(V-8) with DB 600 Nowarra Collection - Filename:16_007365.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168846引用。


 ハインケル(Heinkel)He 60は、He 59と同じラインホルト・メーヴェス設計になる木材/金属混合構造、羽布張りの単発複葉水上機で、当時の標準的な保守的スタイルだった。試作機はBMW液冷エンジン660馬力を搭載、1933年初飛行した。

写真(右)1933-1939年頃,ジブラルタル海峡でイギリス軍によって撮影されたドイツ海軍装甲巡洋艦「ドイッチュラント」(Deutschland)艦体中央のカタパルトに搭載されたドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機
Title:DEUTSCHLAND (German Battleship, 1931) Caption:View taken at Gibraltar, circa 1937-1939. Close-up view shows plane (HEINKELHE.60), bridge, and forward 11' gun turret. Note eagle marking on turret, and red/white/black stripes as well. These were neutrality markings adopted during the Spanish Civil War period. Also note crew sunbathing on deck abaft the turret. Description: Catalog #:NH 50230 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は,Naval History and Heritage Command,NH 50230 DEUTSCHLAND (German Battleship, 1931) 引用。


シャルンホルスト ドイツ海軍装甲巡洋艦「ドイッチィエラント」は、1929年2月5日 起工、1931年5月19日進水、1933年4月1日就役、主砲:28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ砲(55口径)8基、 53.3センチ(21.0 in)四連装魚雷発射管2基、 搭載機2機。基準排水量1万2,100トン、満載排水量1万6,200トン、全長186 m、全幅21.6 m。 大西洋方面の交通破壊戦に投入された。第二次世界大戦勃発翌年の1940年に、ヒトラーは、ドイツを意味する「ドイッチュラント」の撃沈が面子を失うことを危惧して、艦名を「リュッツォウ」に変更した。

写真(右)1933-1939年頃,装甲巡洋艦「アドミラル・シェーア」(ADMIRAL SCHEER)艦体中央のカタパルトに搭載されたドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60艦載水上偵察機:装甲巡洋艦「ドイッチィエラント」は、1931年6月25日 起工、1933年4月1日 進水、1934年11月12日 就役、28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ連装砲6基12門、10.5センチ(65口径)連装高角砲7基14門、 搭載機3機。基準排水量:3万1,850トン、満載排水量:3万8,900トン、全長234.9m、全幅30.0m。 大西洋方面の交通破壊戦、1942年末のバレンツ海海戦に投入された。
Title:ADMIRAL SCHEER German Armored Ship, 1933-45 Caption:Detail view amidships of aircraft catapult, Heinkel He 60 aircraft, and one 15 cm gun, photographed 1935-38. Description: Catalog #:NH 45564 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は,Naval History and Heritage Command,NH 45564 ADMIRAL SCHEER German Armored Ship, 1933-45 引用。


ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機がドイツ海軍に試験的に配備されたのは1933年のヒトラー政権下で、1934年からHe 60がドイツ海軍艦隊の艦載水上偵察機として配備された。1936年のスペイン内戦にも実戦投入されたが、1939年の第二次世界大戦時には、後続の艦載水上偵察機アラド Ar 196に代替されていた。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 60複葉水上機を見る。


3.ハインケルHe-114艦載水上偵察機

写真(右)1939年9月-1941年頃、ドイツ本土海域、ハインケルHe 114A-1 水上偵察機(登録コード:IY-YF):第二次大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークの黒色スワスチカ鍵十字は残されたが、赤帯白丸は、敵に目立ちやすいために廃止された。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081312 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081312引用。


ハインケルHe 114水上偵察機は、ドイツの外貨獲得のため、ルーマニアに24機が輸出された。そして、ルーマニアでは8機が1960年5月まで部隊で使用されていた。スペインに対しても、1943年7月に、12機のA型、C型が輸出され、1954年まで部隊で使用されていた。

写真(右)1939年9月-1941年頃、ドイツ本土海域、ハインケルHe 114A-1 水上偵察機:3翅ではなく2翅プロペラ装備のBMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載している。第二次大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークの黒色スワスチカは残されたが、赤帯白丸は、敵に目立ちやすいために廃止された。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081313 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive -
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081313 引用。


ハインケル He 114A-2水上偵察機の諸元
搭乗員: 2名
全長: 11.65 m、全高: 5.23 m、全幅: 13.60 m
翼面積: 42.3平方メートル
空虚重量: 2,300 kg 、全備重量: 3,670 kg
発動機: BMW 132K 空冷 星型エンジン(960 hp)
最高速力: 335 km/h
航続距離: 920 km
実用上昇限度: 4,900 m
兵装: 7.92ミリMG15旋回機銃1丁
搭載爆弾:50キロ爆弾2発

ハインケルHe 114水上偵察機は、成功作とはいえず、前作のHe60水上偵察機と代わり映えしない飛行性能で、安定性が悪かったために、生産機数は98機と少なかった。前作アラド(Arado)Ar-196水上偵察機が、1937年5月に初飛行し、1938年11月に部隊配備されると、ハインケル(Heinkel)He 114 水上偵察機は、艦載機から、順次、代替されていった。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 114水上偵察機を見る。


4.ハインケル(Heinkel)He 115 水上偵察機

He-115は,水上からの発進・降着用にフロート(浮舟:ふしゅう)を2本を装備した大型双発水上偵察機で,雷撃装備も可能だった。機首の下に20ミリ機銃を搭載した銃撃型もある。戦前,スウェーデン,フィンランド,ノルウェーにも輸出された。

ハインケル(Heinkel)He-115水上偵察機の諸元
全長 17.3メートル,全幅 22.3メートル
搭載量 1トン
全備重量 1.1トン
発動機: BMW132空冷星形9気筒エンジン 960馬力2基
最高速力 320キロ
航続距離 2800キロ
兵装:7.92ミリMG17機銃4丁,爆弾 1トンあるいは航空魚雷1本
搭乗員: 3名

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 115 双発水上偵察機を見る。


5.ドイツ空軍アラド(Arado)Ar 68 複葉戦闘機

アラド(Arado)Ar 68 E 複葉戦闘機:ユンカース・ユモJumo210倒立V型12気筒液冷エンジンを搭載しているので、Ar 68 Eの機首はプロペラスピナまでエンジンナセルが流線型になっている、アラドAr 68 FとハインケルHe-51戦闘機は,同じBMW VI12気筒V型液冷エンジン492 kW (660馬力)を装備しているので、機首の形状が箱型のエンジンナセルで類似している。

アラド(Arado)Ar 68 E 戦闘機は、空力学的に洗練されており、ハインケルHe-51戦闘機を若干上回る性能だったが、ソ連空軍I-16戦闘機に劣っていた。そこで、1935年5月28日に試作機が初飛行していたメッサーシュミット(Messerschmitt)Bf109が高性能を発揮していたため、アラド Ar 68 (Arado Ar 68) 戦闘機は、ハインケルHe51戦闘機と並行的に使用され、生産機数も同程度の511機の量産にとどまっている。

アラド(Arado)Ar 68 Eは、ユンカース・ユモJumo210倒立V型12気筒液冷エンジン(610馬力)を装備し、ドイツ空軍の制式戦闘機となった。1936年はスペイン内戦が勃発した年で、アラドAr68戦闘機もスペイン内戦に投入され、国民戦線側のコンドル軍団に配備され、共和国政府人民戦線側のソ連ポリカルポフ(Polikarpov)I-16戦闘機と戦った。

⇒写真集Album:アラド(Arado)Ar 68 複葉戦闘機を見る。



2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

2018年9月3日開設、2021年11月20日増補の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
連絡先: torikai@tokai-u.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
Fax: 0463-50-2078
東海大への行き方|How to go
Flag Counter


Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 10,000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai Yukihiro, who is web archive maintainer.
Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2018 All Rights Reserved.