◆ナチスの障害者安楽死T4作戦:Aktion T4 Germany's Euthanasia programme
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区、ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の精神障害者たち;親衛隊SSの記録。ナチ党政権では、ドイツの州は解体され、自治権はなくなり、ナチ党から派遣された指導者を長とする「大党管区」が設置された。遺伝性疾患子孫防止法において、精神障害者の療養施設は、国家財政の無駄遣いであり、そのための資源・人材も無駄遣いであると見做した。科学を装って「いのち」・遺伝子に優劣をつけるニセ科学が優生学である。アメリカも日本も、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、個性や多様性を否定して、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」・遺伝子に優劣があると妄想し、障害者を保護・介護することは、財政的無駄遣い、国家・民族の恥であるとした。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化した歴史がある。ナチス・ドイツは、障害者を「生きるに値しない命」と見下して、抹殺するまで暴走した。
Heilanstalt Schönbrunn b./ Dachau. - SS-Foto, 16.2.1934
Aufnahmen von Idioten verschiedenen Alters zum Gesetz für Verhütung erbkranken Nachwuchses
Archive title:Heilanstalt Schönbrunn bei Dachau.- Gruppe geistig Behinderter
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-23:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の精神障害者;親衛隊SSの記録写真。科学を装って「いのち」・遺伝子に優劣をつけるニセ科学「優生学」を妄想し、障害者を断種、不妊化、そして最終的には「生きるに値しない命」として抹殺することがナチスの方針となる。
Heilanstalt Schönbrunn b./ Dachau. - SS-Foto, 16.2.1934
Aufnahmen von Idioten verschiedenen Alters zum Gesetz für Verhütung erbkranken Nachwuchses
Archive title:Heilanstalt Schönbrunn bei Dachau.- Gruppe geistig Behinderter
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-11:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
◆NKHwebNewsによれば、2016年7月26日午前2時、相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で元職員植松聖容疑者(26歳)が入所者19人を刺殺する悲惨な事件が起きた。
◆日本テレビニュース2016年7月28日17:39「「ヒトラーの思想が降りてきた」19人殺害」よれば、神奈川県相模原市の障害者福祉施設で19人が殺害された事件で、植松容疑者が今年2月、精神科の病院に措置入院していた際、医師に対し「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と話していたことがわかった。さらに治療中、「重複障害者がいなくなることで、国家的に経済的な負担が軽くなる。自身が抹殺事件を起こせば、法律が変わるきっかけにもなる」とも話していたという(引用終り)。
◆上記のニュースが発信された直後、2016年7月28日2300の日本テレビNEWS ZERO「19人刺殺「ヒトラー思想降りてきた」 心の闇ナゼ」、2016年7月30日0600フジテレビ「めざましどようび」「19人殺害「ヒトラー」影響か? 」に出演し、障害者殺戮にナチスT4作戦と同じ優生思想が見て取れることを解説した。
◆植松聖容疑者が衆議院議長あての手紙では、総理大臣に相談してほしいと訴え、障害者のように社会に貢献できない役立たずは、国家財政の無駄遣いだ、日本の恥だという人種衛生学や優生思想に基づく偏見をもち、抵抗できない入所者を殺害する「作戦」を実行したと述べている。
ヒトラーの発想は、戦時下の不安、焦燥感を拭い去るために、兵士や労働者として民族共同体に尽くすことができない障害者を抹殺して、障害者支援の国家予算を、戦争に充当せよというものだが、「日本軍の設立」の訴える容疑者の犯行には、ヒトラーの人権無視、人命軽視の歪んだ国家主義、人種衛生学の発想が見て取れる。社会的進化論・遺伝科学を恣意的に混ぜ合わせ、「いのち」・遺伝子に優劣をつけるニセ科学「優生学」に基づいて、障害者を断種、不妊化、そして最終的には抹殺することが、ナチスの方針となる。
◆重度の障害者は社会に負担にしかなっていない、働かない怠け者に生活保護を給付するのは怠け癖を助長するだけだ、勉強しない学生に教育補助金を使うのは税金の無駄遣いだ、財政はもっと効率的に使用すべきだ-----こういった優生学的発想を科学思考と妄信して差別を「事実だ」「真理だ」と平然として語るものは、自分や肉親が年をとって体が不自由になり、寝たきりになり、認知症にかかった時も、優生学的発想で、自分や肉親を貶めることができるのであろうか。人の痛みに思いを馳せれば、与えられた命に、人生になにか意味が、使命があるはずだと思い至れば、優生学に基づく差別が、全くの誤りであり、ノーマライゼーションとは異なる人権侵害の発想であることに気づくであろう。
◆読売新聞2013年7月30日「ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演」によれば、日本副総理麻生は7月29日、東京の講演会で憲法改正は「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」として、ドイツの「憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。国民が騒がないで、納得して変わっている。喧騒けんそうの中で決めないでほしい」と語った。これは、暴力肯定、国恥的人物の排除、独裁政権獲得という本音のようだ。
◆2011年9月2日・9日(金)NHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」の「ルドルフ・ヘス」「レニ・リーフェンシュタール」にゲスト出演。再放送は9/4(日)、9/7(水)、9/11(日)、9/13(水)。
◆2009年9月8日(火),9月12日(土),9月15日(火),NHKプレミアム8『世界史発掘!時空タイムス編集部 新証言・ヒトラー暗殺計画』にゲスト出演。
⇒ナチス優生学と障害者・人種民族差別
⇒ナチスのジプシー迫害
⇒日本のハンセン病患者の差別・断種・隔離
⇒キリスト教聖書のハンセン病の差別と救済
◆多様な文化や価値観を持った人々の共生が,持続可能な平和を構築するのに必要であり、多民族・多人種の共生の視点が重要になってきた。この概念は、人種民族差別,特定グループの迫害,優生学とは,真っ向から対立する。つまり,戦争と平和の問題は,サステイナビリティー(持続可能性)の議論と重なり合う部分が多い。この複合的な分野を扱う学問が環境平和学である。
1.優生学に基づく差別−似非科学のまやかし
20世紀前半、イタリア・ドイツのファシズム(全体主義)の独裁政治、軍備拡張、領土拡張が進み、世界秩序の再編成を唱え、既存の領土保全を主張する米英仏と対立するようになった。ナチ党総統(党首)ヒトラーは、東欧・ソ連にドイツの生存圏(Lebensraum)を獲得し、ドイツ民族の入植を進めることを、1925年の著作『わが闘争』で公言していた。ドイツを弱体化しようとするユダヤ人は,共産主義者,ペストであると主張した。ドイツ人(アーリア人)を支配者民族とし、アンチ・セミティズムAnti-Semitismを喧伝し,ユダヤ人への憎悪を広めた。
写真(右)1933年3月6日,ベルリンでナチ党の突撃隊SAに逮捕された共産党員:警察官に加えて,突撃隊が補助警察官に任命されて,国会議事堂の放火し,さらに全国テロを共謀した共産党員を逮捕した。愛国義勇軍,労働者,共産党など組織的な暴力が日常化していた時代,全国規模でのテロを企図している,という罪状で弾圧された。これが反ナチス勢力の動きを低迷させ,ナチス独裁に繋がった。
Original title: Verhaftung von Kommunisten durch SA in Berlin am 6.3.1933, am Tage nach den Reichstagswahlen
Dating: 6. März 1933
写真はBild 102-02920A:ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。
◆ナチ党は、人種民族差別を正当化する優生学を信奉し,ドイツ民族はアーリア人の血を受け継ぐ高貴な優秀な民族であり,他方、ユダヤ人は、ドイツ民族を人種汚染して,ドイツを滅ぼそうとする下等民族・劣等人種であって,排除しなけらばならないとした。もちろん,アーリア人という「人種」は,恣意的区分にしか過ぎず実在しない。科学を装って「いのち」・遺伝子に優劣をつけるニセ科学が優生学である。アメリカも日本も、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、個性や多様性を否定して、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち・遺伝子」に優劣があると妄想し、障害者を養護することは、国家の財政的損失であり、「生きるに値しない命」を存続させることは国家・民族の恥であると非常な判断を下した。こうして、障害者・ハンセン病患者は、断種・不妊化され、抹殺されることになる。
ポスター(右)1933-1939年,「ナチ党(NSDAP)がドイツ民族共同体を確保する:国民の連帯は、あなたの助けやアドバイスがあって可能になる。」
アメリカも日本も、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」や遺伝子に優劣があると妄想した。そして、障害者を保護・介護することは、財政的無駄遣い、国家・民族の恥であると冷酷に見下し、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化した歴史がある。ナチス・ドイツは、障害者を抹殺するまで暴走した。
Die NSDAP sichert die Volksgemeinschaft
Volksgenossen braucht Ihr Rat und Hilfe so wendet Euch an die Ortsgruppe
Dating:1933/1939
Designer:Ahrlé, René
Publisher:Carl v. der Linnepe, Lüdenscheid in Wesfalen発行。
画像はPlak 003-002-046:ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・引用。(他引用不許可)
◆社会的ダーヴィニズム(社会的進化論)では,下等人種・劣等民族は、自然淘汰されて当然であり、植民地支配が正当化された。社会的ダーヴィニズムの上では,優秀な人種・民族が興隆する一方,下等人種・劣等民族は,奴隷化され、あるいは排除された。
優生学では,下等な人間が繁殖力旺盛で、優秀な人間の繁栄を妨げるために、人為的に下等人間を排除することが必要であるとされた。人類の遺伝的素質に注目して,品種改良するには,悪性遺伝子を排除し,優良な遺伝子を残さなくてはならないと。1883年,イギリス人フランシス・ゴルトン(Sir Francis Galton:1822-1911)らが提唱した優生学は,帝国主義の時代、コーカソイド(白色人種)の優位性,植民地支配を正当化する論理として広まった。米国では,アジアからの移民排斥の根拠となった。
◆人種優生学研究センターは、ドイツの衛生・医療・福祉を扱う国家保健局の下にある機関である。そこでは、ヒト、人種には優劣があるという優生学に基づいて、ドイツ人(アーリア人)を人種汚染するようなユダヤ人、黒人、アラブ人、スラブ人、ジプシー(シンティ・ロマ)など下等民族・劣等人種、精神障害者を選別し、排除することを目指した。当時、優生学に基づく人種民族の選別と排除が、国家・国民の福祉に繋がると考えられていた。人種民族の共生、障害者・外国人の人権は否定された。
ポスター(右):1936/1937年,ドイツ民族共同体学校のアドルフ・ヒトラー・ユーゲント:総統に向かってナチ式(ドイツ式)敬礼をするアーリア人の青少年たち。ドイツ人は支配者民族であるとはいっても、総統には無条件に服従しなければならなかった。
Adolf Hitlers Jugend geht in die Gemeinschaftsschule
Dating:1936/1937
Designer:Bauer, F. F.
Publisher:Kunst im Druck, München発行。
画像はPlak 003-022-024:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ドイツ人は、支配者民族アーリア人とされたから、健康で優秀でなくてはならなかった。そこで、1931年10月,バルドゥール・フォン・シーラッハ(Baldur von Schirach:1907-1974)は、ドイツの青少年を鍛え上げるプログラム「ヒトラーユーゲント」をナチ党に導入した。これは、健康なドイツ人をメンバーとする青年団である。1936年12月、ヒトラーユーゲント法によって、国内の全ドイツ青少年がヒトラーユーゲントに加盟させられた。そして、人種民族差別を説く優生学を学び、肉体的、精神的道徳的に国家と共同体に奉仕する教育を受けた。そして、勤労奉仕、小銃射撃・グライダー訓練が施された。身体的・精神的障害者は、国家貢献できない下位の存在となった。
ヒトラーユーゲントHitler Jugendの1932年当時の団員数は5万5365人だったが、ナチ党政権が成立した1933年末,ヒトラーユーゲント団員は56万8288人と1年で10倍に増加した。これはヒトラーユーゲントが,財政資金を得て,活動範囲を拡大したためである。
Yahoo知恵袋2010/8/5に次のような主張がある:「優生学が間違いだと証明して下さい。」
私は優生学を正しいと思っています。
何故なら自然界には、淘汰圧という物が存在するからです。
だから出来損ない(支援や補助を受けなくては、自立した生活が出来ない(と予測できる)者)は、間引きするべきだと思います。それと多様性の御蔭で↑に定義する人間だけが、ウイルスに打ち勝ったとしても、人類が絶滅した事に変わり有りません。自立しては生きられないのだから。
それに私達が食べている牛や豚は、都合の良い個体を意図的に繁殖させているじゃないですか!! それってつまり、遺伝子がその個体の特性を左右することの証明じゃないですか? 似非科学とか言ってる人は何を根拠に否定しているのですか?
あらかじめ申し上げておきますが、哲学とか倫理学の考えは聞いていません。
【似非科学】と非難するって事は、【科学的に間違っている】と非難している事です。
だからどう科学的に間違っているのか?と、お聞きしているのです。
ベストアンサーに選ばれた回答
無理ですよ。貴方の主張は正しいのだから。無理に回答しようとすれば、下の人達の様に無人島とかヒトラーとか話をそらすしかないです。科学的に優生学が正しいか?との質問で、その上哲学とか倫理学の考えは聞いていませんと注意書きが有るのにね。馬鹿ばっかw
慶應義塾大学の安藤寿康教授によって、性格、能力、学力が、【遺伝子】に左右される事が証明されました。
哲学とか倫理学は置いといて、優生学が科学的に正しい事が証明されています。
優生学は正しいよ。
病気の人の遺伝子増やしてどうすんの?まあそれを言ったらキリが無いけど、重度の障害は淘汰されるべきだと思います。人間同士の優劣が倫理的に問題だとしても、優生学的に事実に違いは有りません。(Yahoo知恵袋:「優生学が間違いだと証明して下さい。」引用終わり)
写真(右)1936年8月12日,グリュネワルトのHJ(ヒトラーユーゲント)スポーツ大会:ナチス政権後,党の下部組織は政府組織となった。体力増強,規律の徹底,命令服従など,軍事訓練のような活動が多くなった。その意味で,HJは,ドイツ軍将兵の予備部隊と位置づけ,大規模な動員が求められるようになった。
Berlin.- Hitlerjugend beim Sport auf dem HJ-Sportplatz im Grunewald.
Dating: 12. August 1936
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
◆優生学が成り立つと誤解する人の特徴は、自分は優秀な人種・民族だと自負し過信していることだ。周りの連中は愚か者だと、生きるに値しないと人間以下の存在として見下していることだ。もしも自分が、脳、神経に損傷を受け障害者になっても、同じことを主張する?-----何も主張できない?
◆人権の確立と擁護の歴史、障害者、ハンセン病患者、ロマ(ジプシー)の断種・安楽死、さらにはユダヤ人ホロコースト、戦争中の大量殺戮(捕虜の殺戮、空襲、原爆)など人権蹂躙の犯罪史を学べば、優れた人種民族を興隆させるために、下等な人種民族、生きるに値しない命を排除すべきだという優生学的発想が、いかに危険なものかが理解できる。アメリカも日本も、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」・遺伝子に優劣があると誤った考えを抱き、障害者を保護・介護することは、財政的無駄遣い、国家・民族の恥であるとした。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化した歴史がある。ナチス・ドイツは、障害者を抹殺するまで暴走した。
◆人種は,生物学的特長によるヒトの区分,民族は言語文化的な特長による人間の区分であって,人種は遺伝・DNAが支配する先天的要因,民族は出自・家庭・教育・国籍が支配する後天的要因による区分とされる。しかし,実際には,人「種」はなく,たかだか「亜種」(Subspecies)を区分できるに過ぎない。人種・民族あるいは能力の差異は、遺伝子以上に、後天的な養育・教育に、個性に左右される。兄弟でも大きな違いがあるのはそのためだ。優生学は、人種・民族あるいは障害者を意図的に選別,差別することを正当化する似非(エセ)科学である。
優秀な人種・支配者民族と下等人種 (Untermenschen) ・劣等民族との存在という偏見の優生学は、差別を人々に植え付けた。
肌・目・髪の色,顔面角,鼻の形,体形は,個体差(個人差)が大きい。身体的能力・知能も後天的な教育の効果が大きく影響する。にもかかわらず,優生学では、生まれながらに優劣があると、遺伝子・表象によって、人種民族が意図的に選別されてきた。優生学をもとに,支配者の白人と奴隷の黒人、優秀なアーリア人と下等なユダヤ人・スラブ人、リーダーの大和民族と従うアジア人、健康な人間と欠陥のあるハンセン病患者・精神障害者など都合よく人種民族を選別し,優劣をつけた。下位の人々の人権を蹂躙し、自由を剥奪した。
ポスター(右):1939/1945年,「前線の兵士たちのためにもっと寄付をしよう」:健康なアーリア人男性は、兵士となり、ドイツに尽くすことが任務となった。ドイツ人は支配者民族であるが、厳しい自己鍛錬、自己犠牲の精神が求められた。
Für jeden Frontsoldaten ein Abzeichen mehr!
Dating:1939/1945
Designer:Atelier Albrecht作成。
画像はPlak 003-016-082:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
どこの国でも、若くて健康な肉体は、兵士に最適である。社会の裏表を知らない純真な青少年は、愛国心に訴えるプロパガンダに最も影響される存在である。先天的な特性,遺伝的人格,生まれながらの生物学的な能力よりも,後天的な教育の力が強い影響を与えたようだ。
ユダヤ人に対する差別の法律的な基礎は、1935年9月15日に制定されたニュルンベルグ法である。この法律は、ドイツ人民族共同体からのユダヤ人排除の方針を打ち出した。1933年7月14日の遺伝病子孫予防法(優生断種法)は、「ドイツ民族共同体の純血性を危機に陥れる可能性を持つ」精神障害者(心身障害者)に対する予防措置(とりわけ断種)をとらせることになった。この法律は、安楽死のための法律的立場を確立するものである。(イル・サンジェルマンの散歩道『仏独共同教科書』引用)
ユダヤ人差別には,看板をぶら下げて市内を引き回す辱めやユダヤ人商店の打ち壊しもあるが,法律・規則の上でも,ユダヤ人の人権が制限され,進化論・遺伝学とナショナリズム、エスノセンタリズム(Ethnocentrism;自民族中心主義)を混ぜ合わせた似非科学に基づく迫害が行われた。
◆ドイツの一連の反ユダヤ法(ユダヤ人排除のための法律)は,1933年のヒトラー首相任命直後から制定された。1933年4月,官吏職再建法(ユダヤ人公職追放),7月,第一次大戦後移住したドイツ在住ユダヤ人の国籍の剥奪,10月,ユダヤ人著作禁止,1934年,ユダヤ人医師.薬剤師新規就労禁止,1935年7月,ユダヤ人兵籍剥奪,9月,ニュルンベルク法(ユダヤ人の定義と結婚制限),11月,ユダヤ人選挙権の剥奪,医師・教授・教員への就業禁止と続いた。
反ユダヤのポスター(右)1943年,「こいつが戦争を引き起こした張本人だ!」:ユダヤ人がソ連の共産主義者とイギリス・アメリカの資本家・メディアを牛耳って、優秀なドイツ民族、アーリア人に戦争をしかけていると。戦争を起こした責任はユダヤ人にあるとしたプロパガンダ。
Der ist Schuld am Kriege!
Dating:1943
Designer:Mjölnir; [Schweitzer, Hans]
Occasion:Antisemitismus, Kriegsschuld
画像はPlak 003-020-020:ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・引用。(他引用不許可)
親衛隊国家長官ハインリヒ・ヒムラー(Heinrich Himmler)は、1933年,ナチス政権の警察を支配し,反ナチス政治犯を拘禁する強制収容所を,オラニエンブルク,ダッハウに設置,親衛隊髑髏部隊に管理させた。これは,反ナチス的な人物のための保護拘禁施設だったが,後の強制収容所,絶滅収容所へと発展した。ユダヤ人は、アーリア人を人種汚染し、戦争を仕掛けてくる犯罪者団体・テロ集団とみなされた。
強制収容所としては、1936年ザクセンハウゼン,1937年ブーヘンワルト,1938年フロッセンブルク,併合したオーストリアのマウトハウゼン強制収容所が設置された。1938年6月15日,ユダヤ人1500名が強制収容所に送られた。1938年4月,ユダヤ人の基本的人権を制限する法律が次々出され,財産の登録義務を課し、登録証発行料を徴収するようになった。
第二次大戦勃発直前の1939年1月の国会演説において,ヒトラーは,次にユダヤ人によって戦争が仕掛けられれば,それはユダヤ人を殲滅する戦争となると予言した。ユダヤ人が攻撃してくるから、戦争にならざるを得なかったのだと。
ポーランド人によるポーランド在住ドイツ系住民の虐待、ドイツ側放送局の襲撃を理由に,1939年9月1日,ドイツはポーランドに侵攻した。そして、親衛隊国家長官ヒムラーに敵性民族(ユダヤ人、スラブ人など)の排除を求め、「ドイツ民族強化のための国家全権委員」に任命した。
民族再定住のために、親衛隊員以外にも、行政官、医師、看護婦、ソーシャルワーカー、大学教授、建築家などが動員された。
ヒトラーの戦争の本質は、生存圏の獲得と並んで、エセ科学の優生学に基づいて、下等人種・劣等民族を排除し、人種汚染を防止することである。そこで、財政負担を投じて、ユダヤ人、ジプシー、ドイツ人精神障害者を排除した。
1939年、第二次世界大戦が勃発、ドイツはポーランドに侵攻,西部のシュレジエンをドイツ帝国領に併合した。そして、ポーランド東部は、総督領として,ドイツ人総督ハンス・フランクの支配下に置いた。ユダヤ人は,住んでいた場所を追われ,都市一角に作られたユダヤ人居住区「ゲットー」に囲い込まれた。
<ユダヤ人抹殺の理由>
1.中世以来,市民権を持っていないユダヤ人は,土地所有権・貸借権もなかった。そこで,農民は少なく,都市の商業・教育・医療・金融などに就業せざるをえなかった。権利が制限されている人々が困難な状況を克服しようとする「マージナルマンの論理」を認めないナチスは,ユダヤ人の成功を卑怯な陰謀のためであると邪推した。
2.不況や敗戦などの国家的困難は,政治的,軍事的指導者の責任・無能さ・失敗が原因であり、事業の失敗は経営者の責任である。しかし,多数のドイツ人は,第一次大戦の敗北を、1918年ドイツ革命、それを仕組んだユダヤ人のせいにした。これは,少数派を選んで,責任を転嫁する「スケープ・ゴート(生贄のヤギ)の論理」である。
3.第一次大戦では、前線のドイツ軍兵士が勇戦していたのに,後方のユダヤ人政治家や共産主義者が1918年ドイツ革命を起こし,ドイツを敗戦に陥れたと考えたドイツ人は,ドイツ敗戦のトラウマから逃れるために,ユダヤ人・共産主義者による「背後からの匕首(アイクチ)の一突き」、すなわち敗戦の原因は、ユダヤ人の陰謀・裏切りにあると信じ込んでいた。
4.ナチスは,自分たちを至高のアーリア人であると妄想し,人種汚染を引き起こすユダヤ人や知的障害者を迫害した。これがアーリア人優位の裏返しの「下等人種民族(ウンターメンシュ)排除論」である。
5.ナチスは,ユダヤ人は,?優秀なドイツ民族を人種汚染し,?共産主義を広めて革命の混乱に落としいれ,?ソ連・アメリカ・イギリスを操って,反ドイツの戦争を起こし、世界支配をたくらんでいると考えた。共産主義者としてソ連を動かし,金融資本家・メディア経営者として民主主義=衆愚政治の米英を操っているユダヤ人は,ヨーロッパから排除しなくてならない。ヒトラーは、1939年1月の開戦直前の国会演説から,1945年4月の政治的遺書まで,ユダヤ人殲滅戦争の遂行を公言している。
6.ユダヤ人の共産主義者・金融資本家・メディアの陰謀によって、第一次大戦のように「背後の裏切り」によってドイツが敗北しないように,ヨーロッパ・ユダヤ人を排除すべきである。しかし,独ソ戦の戦局悪化,日米戦争の勃発で,アメリカ・ユダヤ人もドイツ人に戦争を仕掛けてくる。三国軍事同盟による参戦義務はなく、それまでポーランドやソ連に宣戦布告していないにも拘わらず、ヒトラーは国会で対米宣戦布告をした。その理由は、ユダヤ人殲滅の世界戦争開始という最終段階を知らせるためだった。
7.ヒトラーは,?ユダヤ人絶滅の崇高な使命をクリスチャンのドイツ人は理解できない、?ユダヤ人絶滅の実行が敵に知れ渡れば敵の攻撃力を高める、の2点に配慮し、ユダヤ人絶滅を公言はしても,実際に絶滅を開始したことは秘匿した。
8.ユダヤ人絶滅は,人種汚染を防ぎ,優秀なドイツ人の血を維持するためであり、労働力としてユダヤ人を活用する場合も,病死・過労死・虐待死するまで働かせた。
9.女子供まで殺害するユダヤ人虐殺は,名誉を重んじる軍の任務でも、キリスト教徒の仕事でもない。殺害は、親衛隊SSあるいは煽動されたウクライナやバルト諸国の反ユダヤ主義者に任された。
10.1943年2月末,ベルリンでユダヤ人配偶者(工場労働に徴用)1500名が逮捕されたとき,ドイツ婦人や親類数100名が抗議した。スターリングラード敗北,ベルリン空襲の状況で,首都のドイツ人反抗は,士気を乱すため、ヒトラーも武力排除はできなかった。1943年3月6日、啓蒙宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの日記に「このような危機的状況で,ユダヤ人移送を強行することはできない。私は,その旨指示した。」とある。結局、混血結婚したユダヤ人は釈放された。ヒトラーはドイツの世論が反ナチスに変化することを恐れた。1942年、障害者安楽死(T4)を表向き中断したのも,子供を殺された親類・宗教関係者の発言・世論を恐れたためだった。ドイツ一般市民が従順で,世論の反対がない場合,ユダヤ人殺戮は着実に遂行された。
講談社現代新書『優生学と人間社会 ― 生命科学の世紀はどこへ向かうのか』(米本昌平、鰓島次郎、松原洋子、市野川容孝)によれば,優生学に対して,ナチスやファシズムの専売特許だったかのように扱うのは間違いであり,社会主義者,自由主義者も,優生学が革命や社会の改良に科学的な正当化をしてくれるように錯覚していた。
「ドイツでは、ナチス以前のワイマール共和国の時代に、優生政策の素地が徐々に形成されていった。北欧のデンマークでは、ナチス・ドイツよりも早く断種法が制定され、またスウェーデンでも、最近の問題となったように、実質的には強制と言える、優生学的な不妊手術が1930年代以降、50年代に至るまで実施されていた。ワイマール期のドイツと30年代の北欧諸国に共通するものは、福祉国家の形成ということである。」
優生学と人種衛生学とは、エスノセンタリズム(ethnocentrism;自民族中心主義)、効率的な福祉、生物適者生存の論理に基づく淘汰を混ぜたもで、一見、科学的な装いをとっている。しかし、人種を定義し、区分することは困難であり、精神障害者の懐胎・出生を不可避であれば、遺伝子・生死の管理という人権侵害の強硬手段によっても、優秀で健康的な人種だけの完全福祉国家や民族共同体を形成することはできない。つまり、ナチスは、進化論・遺伝学を偽って、命・遺伝子に優劣をつける「優生学」を正しいと妄想・誤解させ、障害者を断種・不妊化、そして最終的には抹殺することを正当化した。
カイザー・ヴィルヘルム財団を含め、ナチ党シンパの専門家は、優生学・人種衛生学を信奉して、アーリア人・ゲルマン民族を人種汚染するユダヤ人、精神障害者、ジプシーを排除しようとした。しかし、完全な選別はできなかった。
◆優生学・人種衛生学にもとづく人種民族差別は、福祉国家も強固な軍事国家を形成するためとして、エスノセンタリズム(Ethnocentrism;自民族中心主義)の上から正当化された。しかし、もたらしたものは、ユダヤ人、シンティ・ロマ(ジプシー)、精神障害者の人権蹂躙であり、迫害だった。大量殺戮が引き起こされ、テロが支配する暴力独裁国家が出現した。
◆ナチスの医学者・科学者は、進化論・遺伝学とナショナリズム、エスノセンタリズム(Ethnocentrism;自民族中心主義)を恣意的に混ぜ合わせ、人間の「いのち」・遺伝子に優劣があるとする優生学を妄想して、障害者を養護することは、国家財政の無駄、国家の恥であると邪推した。アメリカでも日本でも障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化した歴史があるが、ナチス・ドイツは、障害者を抹殺するまで暴走した。
2.ドイツの精神障害者安楽死「T4作戦」:人種衛生学に基づく福祉政策
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)に隔離されている精神障害者:親衛隊SSの記録写真。ナチ党政権では、ドイツの州は解体され、自治権はなくなり、ナチ党から派遣された指導者を長とする「大党管区」が設置された。ナチスは、進化論・遺伝学を恣意的に混ぜ合わせ、科学を装った「優生学」によって、人間の「いのち」や遺伝子に優劣があると妄想し、障害者を養護・介護することは、財政的無駄遣いであるとした。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化、最終的には抹殺することを正当化した。
Heilanstalt Schönbrunn b./ Dachau. - SS-Foto, 16.2.1934
Aufnahmen von Idioten verschiedenen Alters zum Gesetz für Verhütung erbkranken Nachwuchses
Archive title:Heilanstalt Schönbrunn bei Dachau.- Gruppe geistig behinderter Kinder
Dating:16. Februar 1934
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-29:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
精神障害者・知的障害者とは、精神を病んでいる気の違った人、狂人と呼ばれてきたが、現在では、精神病も病気の一種であり、治療対象となっている。鬱病、ストレス性障害など様々な精神病にかかった人でも、会社勤めをしていることもあるし、一般市民の生活に順応していることもある。
しかし、精神障害者・知的障害者は、思いもかけない時に態度が急変したり、他人に危害を及ぼしたりする危険人物とみなされた。あるいは、精神障害・知的障害は、子孫に遺伝する危険があるとされた。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)に隔離されている精神障害者;1934年、ナチ党政権ドイツで、遺伝性疾患子孫防止法が制定された。国家に貢献できない「生きるに値しない命」を排除する法律である。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-31:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
◆歴史的にみて、精神障害者・知的障害者は、隔離・排除など差別の対象とされてきた経緯がある。ここでいう排除には、社会における一般人の差別もあるが、政府・政党など公的機関による公的差別も含まれる。意識の上の差別観や個人や私人による差別ではなく、公的機関が精神障害者・知的障害者を積極的に排除しようとした歴史がある。ドイツだけでなく、アメリカでも日本でも、医師・科学者・政治家は、進化論・遺伝学を恣意的に混淆して、人間の「いのち」・遺伝子に優劣があるとの似非(エセ)科学「優生学」を盲信した。そして、障害者やハンセン病患者養護・支援することは、財政的な無駄遣いであり、国家の恥、「生きるに値しない命」を無為に晒していると冷酷な判定を下した。そして、障害者・ハンセン病患者を隔離し、断種・不妊化した。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム);親衛隊SSの写真で、キリスト教会から人材・資金の支援を受けて運営されていたようだ。アメリカも日本も、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」や遺伝子に優劣があると妄想して、障害者を保護・支援・介護することは、財政的無駄遣い、国家・民族の恥であるとした歴史がある。これが、障害者・ハンセン病患者の隔離、断種・不妊化につながり、ナチス・ドイツでは、障害者の抹殺にまで暴走した。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-21:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
websiteYahoo上には、次のように障害者保護を非難する見解もある。
障害者って何で健常者よりいい暮らしが出来るのですか?路駐し放題だし。
websiteYahoo上には、次のように優生学に基づき障害者を断種すべきとの見解もある。
障害者でも子供をつくってる人たちいますけど、、、
正直な話、障害って遺伝する可能性が高いわけですよね。それなのに子供をつくるとか何を考えているんでしょうか。 同じ苦しみを子供に背負わせる可能性があるなら 私だったら子供をつくろうとは絶対思わないんですが、、、
websiteYahoo上には、次のように優生学に基づき障害者を抹殺すべきとの見解もある。
「なぜ重度の知的障害者・自閉症を安楽死させる所がないんでしょうか?
軽度ならともかく・・・重度だと人に迷惑かけるし犯罪だって犯しかねない。中には電車で痴漢や線路に突き飛ばしたりして殺害したなど、すべての重度自閉・知的がそうするとは限りませんが。大変なのは本人ではなく親ですよ。同じ質問を繰り返したり、物を壊したり人を叩いたりおかしいという自覚そのものがないからなおさら迷惑です。」
websiteYahoo上には、次のように反社会的な存在である障害者を抹殺せよとの見解もある。
発達障害とか単なる甘え。
原因は脳にあるのではなく心にあり、親のしつけの問題かと思います。発達障害の支援センターとかも「自分の障害を受け入れた方がいいよ」と偽善的なことをいう偽善者団体の集まり、自分のミスを棚にあげるのはいけないのです!発達障害者と呼ばれている人達は健常者と同じですでも、間違いを認めない片付けられない人、猫背であーあー言ってるのと狂った歌熱唱する障害者は失せるべきだとおもいます。この世界は間違ってると思いますがそうですよね?」
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)に隔離されている精神障害者の若者(正面);親衛隊SSの記録写真。遺伝性疾患子孫防止法の施行にあたって、隔離・断種の対象となるのは、もはや国家に貢献できないにも拘わらず、国家財政に基づく福祉負担を必要とする障害者である。
Heilanstalt Schönbrunn b./ Dachau. - SS-Foto, 16.2.1934
Aufnahmen von Idioten verschiedenen Alters zum Gesetz für Verhütung erbkranken Nachwuchses
Archive title:Heilanstalt Schönbrunn bei Dachau.- Gruppe geistig behinderter Kinder
Dating:16. Februar 1934
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
現在の日本人でも、自分は優秀な人物だとの暗黙の前提で「安楽死施設を導入すべき!」と主張する人々が後を絶たない。website「2ちゃんねる」投稿日:2012/04/06 17:09 ID:1t0kXJYM0にも次のようにある。
生きる権利があれば、死ぬ権利だってあります!安楽死施設を導入する事でこんなに利点が!
・飛び込みや飛び降り等による巻き添え、死体回収の手間等の自殺による社会問題が解決される。
・死刑目的の大量殺人を減らせる。
・いつでも死ねると思えば、ギリギリまで頑張れる。
・容姿、身体・精神障害、疾患、引き篭もり、リストラ等で人生に絶望した人達の救済。
・22歳以上でニート・無職等のキャリア構築に失敗した、社会復帰の見込みのない人の救済。
・国や自治体も大幅に福祉予算を削れる。
・狭すぎる国土に過剰な人口というアンバランスさが解決される。
・劣等遺伝子が淘汰される事で治安が良くなり、また人類の質が上がる。
このスレのアンチは低脳馬鹿とクズだけだから、安楽死という崇高な思想には付いてこれないんだよ。議論の余地無し。終了。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)に隔離されている精神障害者の若者(側面);親衛隊SSの記録写真。ナチスは、進化論・遺伝学を恣意的に混ぜ合わせたニセ科学「優生学」を喧伝し、人間の「いのち」・遺伝子に優劣があると妄想した。そして、障害者を養護することは、財政的無駄遣いであり、国家の恥・生きる屍を晒すことであると冷酷に判断した。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化、最終的には抹殺することを正当化した。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-34:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
精神病の原因は、外傷など外因性、メンタルな心因性とに区分されるが、その原因は不明確である場合が多い。分類上は。精神病の半分が分裂病と躁うつ病であり、脳炎・頭部損傷・高熱による脳障害から、アルコール、一酸化炭素、有機水銀など毒物による中毒も精神病を引き起こす。
◆優生学は,人間の性格,能力が生まれながらの遺伝子的特性に支配されているという前提に立っている。そこで,人間の性格,能力に差異があれば,それは生物学的なもので,教育や生活環境など,後天的な影響はほとんど受けないことになる。
◆優生学の立場では,人間の価値自体が,生まれながらにして,生物学的基礎によって決まっていることになる。生存競争に勝ち残った,社会的優位性を保っている人間・人種民族が,指導者,支配者となって,劣った人間・人種民族を指導し,服従させることを正当化する。この人間の優位・劣位の段階的枠組みの中では,人種,民族のほかに,女性,障害者,病弱者なども劣位に置かれる。
つまり,社会的な弱者,少数民族に対する差別が,科学の名の下に正当化される。これはエセ(似非)科学である。換言すれば、権威主義的な医師・科学者・政治家は、進化論・遺伝学を盲信し、科学を装う「優生学」を生み出して、人間の「いのち」や遺伝子に優劣があり、「生きるに値しない命」を保護する必要はないと主張した。換言すれば、障害者の養護は、財政的損失、国家の恥であるとして、、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化、最終的には抹殺することを正当化した。
生命倫理学資料関西医科大学法医学講座/関西医科大学大学院法医学生命倫理学研究室「優生学の錯綜」によれば,第二次大戦前、優生学思想に基づく精神障害者の排除、そのための断種など優生手術は,ドイツ、スウェーデンなどの西欧、アメリカ、日本でなど世界各地で行なわれていた。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)に隔離されている精神障害者の若者(正面);遺伝性疾患子孫防止法の制定された1934年、親衛隊SSは、精神障害者の頭部、全身など特徴を把握するために記録写真を撮影した。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-36:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
1907年アメリカ合衆国インディアナ州で断種法が制定。1923年までに優生手術(断種・妊娠中絶・堕胎)を実施する断種法は、全米32州で制定 された。カリフォルニア州などでは梅毒患者、性犯罪者も、反社会的人物として、優生手術(断種・妊娠中絶・堕胎)の対象とされた。
ナチスドイツは政権を得た1933年にカリフォルニア州を参考にした遺伝性疾患子孫予防法(遺伝病子孫予防法:Prevention of Progeny with Hereditary Diseases)を公布。これは、精神障害者を支援するための経済・国家財政の負担軽減が目的だった。
◆1939年10月、ヒトラーは、精神障害者安楽死計画の実行を指示したが、この文書の日付は(開戦と同時、9月1日付とされた。1936年に総統官房長官フィリプ・ボーラー(Philippp Bouhler)は、国家健康保険局の連絡担当官にヴィクトル・ブラック(Viktor Brack
)を任命した。
ブラックは、1939年12月、自分のベルリン、ティアガルテン4番地にある事務所を、精神障害者安楽死計画の本部とした。国家保健局本庁舎内ではなく、ブラックの事務所を使ったのは、政府が精神障害者を抹殺していることを秘匿するためである。
障害者安楽死計画は、「T4作戦」の秘匿名称でようになり、終戦までに、27万5,000人の障害者をガス殺、投薬注射などによって殺害した。
写真右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)に隔離されている精神障害者の若者(側面);親衛隊SSの記録写真。1934年遺伝性疾患子孫防止法の隔離・断種手術の必要性を検証するために、同じ精神障害者の頭部、全身など角度を変えて撮影している。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-37:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
◆スウェーデン
では福祉国家の確立を訴えたハンソン社民党政権下で優生学
基づいて、1935年に「特定の精神病患者、精神薄弱者、その他の精神的無能力者の不妊化に関する法律」、すなわち断種法が制定された。第一条では、精神疾患、精神薄弱、その他の精神機能の障害によって、子どもを養育する能力がない場合、もしくはその遺伝的資質によって精神疾患ないし精神薄弱が次世代に伝達されると判断される場合、その者に対し不妊手術を実施できる、とした。
断種法の制定理由は、生まれてくる「生きるに値しない命」を人為的に淘汰することによって、彼らを扶養する福祉財政の負担を軽減し、健康な児童の福祉・社会貢献した老人の年金などに充当するためである。つまり、福祉国家を形成する財政基盤を強化し、国力を向上するために、財政負担のかかる「不要な人間」「生きるに値しない命」を減らすという優生学的発想である。
◆断種手術(優生手術)は、「生きるに値しない命」を排除するという優生学的な出生の差別化・選別によって、福祉国家を作ろうとする国家的戦略の一環だった。つまり、権威主義的政府は、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」に優劣があると主張し、障害者を保護・支援・介護することは、財政的無駄遣い、国家・民族の恥であるとした。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化、最終的には抹殺することを正当化した。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の精神障害者たち;親衛隊SSの記録写真。ドイツだけでなく、アメリカも日本も、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」に優劣があると主張し、障害者を養護することは、財政の無駄、国家の損失であると断定した。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化した歴史がある。
Heilanstalt Schönbrunn b./ Dachau. - SS-Foto, 16.2.1934
Aufnahmen von Idioten verschiedenen Alters zum Gesetz für Verhütung erbkranken Nachwuchses
Archive title:Heilanstalt Schönbrunn bei Dachau.- Gruppe geistig Behinderter
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-44:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)に隔離されている精神障害者の男の子:親衛隊SSの記録写真。アメリカも日本も、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」に優劣があると主張し、障害者を保護・支援・介護することは、財政的無駄遣い、国家・民族の恥であるとした。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化した歴史がある。ナチス・ドイツは、障害者を抹殺するまで暴走した。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-04:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
スウェーデンでは、1941年に断種手術の同意を必要とするが対象者を反社会的生活者まで拡大したが、実情は半強制的な優生手術(断種、場合によっては妊娠中絶・堕胎)だった。
スウェーデンの断種法は、1935年から1975年まで施行され、合計計6万2,888件の優生手術(断種)が実施された。手術対象は、米独と異なり女性が多い。1990年代後半に賠償問題に発展した。
日本では東京帝国大学教授・日本性学会会長永井潜医学博士がスウェーデン
を視察後、1930年に日本民俗衛生學會を設立。永井潜を委員長とする委員会が建議案を内閣に提出し、1940年に国民優生法が成立、任意申請による断種が合法化。1941〜1945年で435件実施。ただし優生学が本格化するのは戦後の優生保護法成立後。(「優生学の錯綜」引用終わり)
『年頭、国運振興の詔書(新日本建設に関する詔書)』:昭和天皇による人間宣言(部分);昭和21年(1946年)1月1日
惟フニ長キニ亙レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦燥ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ
然レドモ朕ハ爾等臣民ト共ニアリ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ(『年頭、国運振興の詔書(新日本建設に関する詔書)』(部分)引用終わり)
Süddeutsche Zeitung Digitale Medien GmbH(2011/03/14)、DER SPIEGEL 26/2010(2010/06/28)、Daily Mail, Associated Newspapers Ltd(2008/05/26)によれば、当サイトで掲載しているシェーンブルン療養施設(サナトリウム)などで精神障害者安楽死計画に参加したハンス・ヨアヒム・ゼーヴェリング(Hans Joachim Sewering)医師は、ナチス時代の1933年、17歳の時から親衛隊SSのメンバーで、のちにナチ党にも加盟した。そして、ダッハウ近郊のシェーンブルンの療養所の医師として、障害児殺害のための安楽死計画に1942年から参加していた。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の精神障害者;親衛隊SSの記録写真。シェーンブルンの入所施設で働いていたハンス・ヨアヒム・ゼーヴェリング医師も、このような「生きるに値しない命」や劣った命を養護するのは、財政の無駄遣いであると考えたのであろうか。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-15:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ハンス・ヨアヒム・ゼーヴェリング(Hans Joachim Sewering)は、1942年からバイエルンのシェーンブルン病院で医師として働いていた。そこに、14歳の精神障害者が収容され、1943年に殺害されているが、当時のぜーヴェリングの移送命令書が残っている。ゼーヴェリングは、精神障害者安楽死計画を遂行した医師であり、合計900人の障害児の殺害に関わっている。
現在でもユダヤ人虐殺などナチ戦犯を捜索しているイスラエル首都エルサレムのサイモン·ウィーゼンタール·センターによると、ハンス・ヨアヒム・ゼーヴェリング(Hans Joachim Sewering)医師はミュンヘンのダッハウの近くのシェーンブルン精神病院(療養施設)で、戦時中に、何人かの精神障害の患者を持っていた。そのうちの3人は、医師によってそこに殺害された。
戦後、ハンス・ヨアヒム・ゼーヴェリング(Hans Joachim Sewering)を起訴するための捜査は中止された。
ハンス・ヨアヒム・ゼーヴェリング(Hans Joachim Sewering)医師は、1973年から1978年までドイツ医師会会長だった。バイエルン医師協会でも、1972年から1992年にも会長だった。
ハンス・ヨアヒム・ゼーヴェリングは、ミュンヘン工科大学医学部で名誉博士号と名誉教授を授与され、ドイツの医師会からも、名誉会員ギュンター・ブデルマンメダル(金メダル)とバイエルン自由州の功労十字章を授与されている。
ハンス・ヨアヒム・ゼーヴェリングは、2010年6月18日に死亡した。94歳だった。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の精神障害者;この施設には、キリスト教会のシスターもいたので、祈りのジェスチャーをしているのであろうか。神の前の平等、生死をつかさどるのは神のみとの信仰があれば、精神障害者を「生きるに値しない命」と断定するのは、思い上がった、高慢で不遜な行為である。ハンス・ヨアヒム・ゼーヴェリング医師は、シェーンブルン療養院で働いていた。
Heilanstalt Schönbrunn b./ Dachau. - SS-Foto, 16.2.1934
Aufnahmen von Idioten verschiedenen Alters zum Gesetz für Verhütung erbkranken Nachwuchses
Archive title:Heilanstalt Schönbrunn bei Dachau.- Gruppe geistig Behinderter
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-14:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
松原洋子(2000)「優生学」『現代思想』(臨時増刊:現代思想のキーワード)によれば,優生学とは次のようなものである。
優生学は、きわめて政治的な概念である。
第一に、繁殖が望ましい人間とそうではない人間の区別。あるいは、出生が望ましい人間とそうではない人間の区別であり、基本的に特定の性質が子孫に伝達されることが望ましいか否かで判断される。ただし、それは必ずしも遺伝子を媒介とした伝達に限らない。「遺伝性」とみなされた性質(疾患、障害、犯罪性向、体質など)ばかりでなく、感染症(梅毒、ハンセン病など)、中毒(アルコール、麻薬など)、生育環境(貧困など)もまた、優生学における子孫の適否の判断基準となりえた。
これらの身体的条件には、-----選別の優先順位がつけられていった。-----最近では、選別に際して親の個人的な要望が重視されるようになり、それは近未来における生殖細胞系列の遺伝子治療の方向性を左右するとみられている。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の精神障害者;親衛隊SSの記録写真。ナチスは、進化論・遺伝学を恣意的に混在させ、科学を装ってた「優生学」によって、人間の「いのち」に優劣があると盲信し、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化、最終的には抹殺することを正当化した。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-18:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ナチズムと優生学の線引き問題は、すでに一九三〇年代から浮上していた。ナチス政権における人種政策と「正しい優生学的プログラム」を区別する努力----が、イギリスやアメリカの優生学支持者の間で行われていたのである。第二次世界大戦後は、ナチズムと優生学を同一視する風潮が一般的になり優生学の評判はますます失墜したが、一九六〇年代頃までは、科学万能主義と近未来の遺伝子操作への期待を背景に、科学者や医師の間で「優生学」を公然と支持する声は珍しくなかった。
しかし、六〇年代末から七〇年代----科学技術批判運動や反人種差別運動、女性解放運動、患者の権利運動、性革命は、新たな人権意識を喚起し、人々の生殖の自律性(reproductive autonomy)への意識を高めた。こうして、公共の利益を優先し、科学や医学の権威において個人に生殖の規範を押しつけるような従来の優生学的言説は、時代になじまなくなっていった。さらに、IQ論争や社会生物学論争における遺伝決定論・生物学的決定論批判では、歴史上の負の教訓として優生学が反面教師の役割を果たした。その結果、「優生学」という言葉は、「ナチズム」だけでなく「疑似科学」、「国家による強制」、「人種差別」、「階級差別」という負の概念と強く結びつけられて、普及していった。(松原洋子(2000)「優生学」『現代思想』引用終わり)
写真(右)1930年4月,「大都市ベルリンの子供たちの楽園!ベルリン市の新生児病院でのケアでは数ヶ月の愛情のある養育下に置かれる。天気の良い日には、日光浴をする。庭で春の暖かな日差しに照らされている。シスターの愛情のこもったケアの下で昼食を取る!」(写真オリジナル解説):第一次大戦後のドイツ・ワイマール共和国の時代、社会民主党が政権に参画する時期が続き、福祉政策が重視された。
Ein Kinder-Paradies in der Grosstadt Berlin! In dem Berliner städtischen Krankenhaus für Säuglingspflege werden die neugeborenen Grosstadtkinder unter der liebevollen Pflege von Schwestern über die ersten Wochen und Monate hinweggebracht. Bei schönem Wetter werden die kleinen Erdenbürger nach ärztlicher Anordnung im Garten des Heims den wärmenden Strahlen der Frühlingssonne ausgesetzt. Einnehmen der Mittagsmahlzeit unter liebevoller Betreuung der Schwestern.
Dating:April 1930
Photographer:Pahl, Georg.
写真はBild 102-01604A:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1931年7月,「ベルリン、街の子供たちの楽園。ベルリン·シャルロッテンブルクでは、乳幼児死亡率引下げのために、国立研究所皇后アウグスタ・ビクトリア・ハウスでは将来のドイツを担う子供たちに、医学的管理と愛情のこもったケアを行っている。」(写真オリジナル解説):第一次大戦後のドイツ・ワイマール共和国の時代(1933年1月末まで)で、ドイツ人新生児のための福祉は重視された。しかし、1933年ナチ党政権樹立以降、恥ずべき障害者は、無駄な存在であり、国家財政節約のためにも排除すべきだとの優生学が公式見解となる。
Ein Kinderparadies in der Großstadt Berlin. In der Reichsanstalt zur Bekämpfung der Säuglings- und Kindersterblichkeit in Berlin-Charlottenburg werden kleine Grossstadtkinder über die ersten Wochen und Monate hinweggebracht. Unter ärztlicher Leitung und liebevoller Pflege der Schwestern werden die zukünftigen deutschen Staatsbürger betreut.
Morgenvisite des Arztes bei einem viertelstündigen Sonnenbad im Garten der Reichsanstalt zur Bekämpfung der Säuglings- und Kindersterblichkeit in Berlin-Charlottenburg.
Archive title:Berlin.- Kaiserin Auguste Victoria-Haus, Reichsanstalt zur Bekämpfung der Säuglings- und Kindersterblichkeit, Schwestern und Arzt mit Säuglingen.
Dating:Juni 1931
Photographer:Pahl, Georg
写真はBild 102-15681:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1935年12月,「これこそ社会主義だ。ベルリン·ウェディング保健局、主治医によるドイツ同胞の乳幼児の診断。健康で幸せな若々しい都市を形成する。日光浴は母親の心がけ。」:写真オリジナル解説):Sozialismus der Tat! Höhensonnebestrahlung für Kleinkinder minderbemittelter Volksgenossen im Gesundheitsamt Berlin-Wedding, um einen gesunden und frohen Großstadtnachwuchs heranwachsen zu lassen.
Na wo fehlts denn! Der leitende Arzt des Gesundheitsamtes in Berlin-Wedding bei der Untersuchung der kleinen Großstadtkinder für die Höhensonnenbestrahlung unter Beisein der Mütter.
Dating:Dezember 1935
Photographer:Pahl, Georg.写真はBild 102-17299:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の女性精神障害者:親衛隊SSの記録写真。ナチスは、進化論・遺伝学を恣意的に混在させ、科学を装ってた「優生学」によって、人間の「いのち」に優劣があると喧伝し、障害者を保護することは、財政的無駄遣いであると断定した。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化、最終的には抹殺することを正当化した。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-09:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
八藤後忠夫・水谷徹(2005)「障害者の生存権と優生思想―障害児教育への示唆と展望」(『教育学部紀要』文教大学教育学部、第39集)に依拠すれば、ナチ党が政権獲得直後の1933年7月14日に公布した断種法(遺伝病子孫予防法)は,次のような優生学が背景にある。
当時のドイツで優生学は人種衛生学とも呼ばれ、生物種の生存闘争と淘汰が、人種・社会にも当てはまる原則であると考えられた。人種民族の生存は、一人の人間の生存よりも価値がある、すなわち国家は個人を超える思考の存在である。アーリア人の優秀さを引き継いだドイツ民族共同体は、個人を超えた存在であり、個人主義・民主主義にとって代わって、全体主義・指導者原理が信奉された。これは、優秀なアーリア人だからこそ機能するというわけである。
したがって、ドイツ民族共同体にあって、精神障害者はアーリア人の恥であり、排除すべき存在である。そこで、精神障害者を排除するために、遺伝性疾患子孫防止法(Prevention of Progeny with Hereditary Diseases)を制定し、個々人が劣等遺伝子を保有することがないように、人種民族とその生殖を管理しようとした。
たとえアーリア人(ゲルマン人)であっても、生まれながらの精神障害者の劣等遺伝子は排除しなければならない。精神障害者は、生殖不能にするために、不妊手術=断種を強要されたのである。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の精神障害の少女;親衛隊SSの記録写真。ドイツでも、日本でも、アメリカでも権威主義的政府は、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」に優劣があると主張し、障害者を保護・支援・介護することは、財政的無駄遣い、国家の恥であるとした。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化、最終的には抹殺することを正当化した。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-03:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
第一次世界大戦に敗北したドイツでは、戦争賠償支払、世界恐慌と困難に直面したが、このような逼迫した財政状況の下で、社会に貢献できないような生きるに値しない命を、財政負担の養い続けることは、国家財政上の無駄である。したがって、精神障碍者の生命維持に配分する予算は無駄であり、その無駄を省くためには、障害者を抹殺することが望ましい。少なくと、そのような精神障害者が増えないようにすべきである。
ヒトラーが政権を握った1933年の遺伝病子孫予防法は、本人の同意内に障害者への不妊手術を実施することを認めるものであり、ドイツ国家保健局の下で、専門家・行政官・医師の協力によって、財政支援を受けて進められた。その主な対象は,先天性精神薄弱・精神分裂病・躁鬱病・遺伝性てんかん・遺伝性舞踏病を患っている精神障害者である。不妊手術は、40万件に達すると推測される。
同じ時期、大日本帝国でも人種民族と兵士としての健康維持を背景に、優生学が信奉されており、1940年に国民優生法が成立し、優生学に基づいて、国家奉仕、社会貢献できないような精神障害者・ハンセン病患者の断種を強制するようになった。国民優生法は、日中戦争が続く中で、戦争遂行のために国家の資源、財政が必要とされているのに、国家奉仕できない精神障害者を養っておくことはできないという、冷徹な国家判断の反映である。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区、ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の精神障害者たちが施設の女性養護員(扉前)に誘導されて建物に入ろうとしている。親衛隊SSの記録写真。
Heilanstalt Schönbrunn b./ Dachau. - SS-Foto, 16.2.1934
Aufnahmen von Idioten verschiedenen Alters zum Gesetz für Verhütung erbkranken Nachwuchses
Archive title:Heilanstalt Schönbrunn bei Dachau.- Gruppe geistig Behinderter
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-27:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区、ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設の精神障害者。親衛隊SSの写真。アメリカでも、ドイツでも、日本でも権威主義的政府は、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」に優劣があると主張し、障害者を保護・支援・介護することは、財政的無駄遣い、国家の損失であるとした。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化、最終的には抹殺することを正当化した。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-07:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
「優生学とは何か」によれば,ナチ党が政権獲得直後の1933年7月14日に公布した断種法は,次のようなものである。
ドイツの1933年遺伝性疾患子孫防止法: Prevention of Progeny with Hereditary Diseases
第1条
1 遺伝病者は、医学的な経験に照らして大きな確度をもって、その子孫が重度の肉体的・精神的な遺伝疾患に悩まされることが予想できるときは、外科的不妊手術(断種)を受けることができる。
2 本法にいう遺伝病とは以下の疾病の一つに患った場合をいう。
?先天性知的障害
?精神分裂病
?周期性精神異常(そううつ病)
?遺伝性てんかん
?遺伝性舞踏病(ハンチントン舞踏病)
?遺伝性全盲
?遺伝性ろうあ
?重度の遺伝性身体奇形
3 また、重度のアルコール依存症である場合も断種できる。
写真(左)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設の精神障害の少女;親衛隊SSの写真。アメリカも日本も、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」に優劣があると主張し、障害者を保護・支援・介護することは、財政的無駄遣い、国家・民族の恥であるとした。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化した歴史がある。ナチス・ドイツは、障害者を抹殺するまで暴走した。
写真はBild 152-04-06:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
日本の1940年国民優生法
第一条 本法ハ悪質ナル遺伝性疾患ノ素質ヲ有スル者ノ増加ヲ防遏スルト共ニ健全ナル素質ヲ有スル者ノ増加ヲ図リ以テ国民素質ノ向上ヲ期スルコトヲ目的トス
第二条 本法ニ於テ優生手術ト称スルハ生殖ヲ不能ナラシムル手術又ハ処置ニシテ命令ヲ以テ定ムルモノヲ謂フ
第三条 左ノ各号ノ一ニ該当スル疾患ニ罹レル者ハ其ノ子又ハ孫医学的経験上同一ノ疾患ニ罹ル虞特ニ著シキトキハ本法ニ依リ優生手術ヲ受クルコトヲ得但シ其ノ者特ニ優秀ナル素質ヲ併セ有スト認メラルルトキハ此ノ限ニ在ラズ
一 遺伝性精神病
二 遺伝性精神薄弱
三 強度且悪質ナル遺伝性病的性格
四 強度且悪質ナル遺伝性身体疾患
五 強度ナル遺伝性畸形
2 四親等以内ノ血族中ニ前項各号ノ一ニ該当スル疾患ニ罹レル者ヲ各自有シ又ハ有シタル者ハ相互ニ婚姻シタル場合(届出ヲ為サザルモ事実上婚姻関係ト同様ノ事情ニ在ル場合ヲ含ム)ニ於テ将来出生スベキ子医学的経験上同一ノ疾患ニ罹ル虞特ニ著シキトキ亦前項ニ同ジ
3 第一項各号ノ一ニ該当スル疾患ニ罹レル子ヲ有シ又ハ有シタル者ハ将来出生スベキ子医学的経験上同一ノ疾患ニ罹ル虞特ニ著シキトキハ亦第一項ニ同ジ
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の男性精神障害者たちと養育係のシスター(後方);親衛隊SSの記録写真。遺伝性疾患子孫防止法において、精神障害者の介護・治療が、国家財政の無駄遣いであり、障害者養護員は人的資源の無駄遣いであると見做した。eilanstalt Schönbrunn b./ Dachau. - SS-Foto, 16.2.1934
写真はBild 152-04-38:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
◆ドイツの1933年7月14日公布の断種法(遺伝病子孫予防法)の背景は、1)優生学に基づく差別、2)財政負担の軽減、の2点があげられる。
優秀であるはずのアーリア人・ドイツ民族にとって、精神障害者は恥であり、同時に、健常者を人種汚染する恐怖の存在である。
また、世界恐慌の中で、1932年1月、プロシア州議会で「遺伝による身体的もしくは精神的な障害をもつ者のために財政が圧迫されているとの認識から、福祉コストを削減できる何らかの措置を早急に講ずることが必要」と決議されたが、福祉予算を充実するためにも、無駄な障害者治療・養護の予算は削減するという意図もあった。
第一次世界大戦後の1920年、法学者カール・ビンディング(Karl Binding)と精神科医アルフレート・ホッヘ(Alfred Hoche)は著作『生きるに値しない命の抹消の解禁』の中で、優生学に基づいて「?病気や負傷などで救済の見込みのない者、?不治の白痴、?重い病が原因で無意識状態に陥っているか快復してもその不幸に悩む者に対する安楽死」を求めているがこの当時は、まだそこまで実施できる状況にはなかった。
◆1933年遺伝病子孫予防法「断種法」の制定後、1937年、遺伝病患者に対する鑑定審査をする秘密組織として、帝国委員会が組織された。その後、1939年、子供の安楽死計画が開始されるとともに、断種から安楽死へと措置権限が強化・拡充された。
精神障害者安楽死計画は、総統官房の「重度遺伝性・先天性患者の学問的把握のための国家委員会」が担当したが、これは学問的な研究を装いつつ、障害者大量殺戮を進める部署である。
写真(右)1939年9月1日付,ヒトラーが国家長官ボーラーと医師ブラントの二人に、精神障害者を安楽死させる医師の選定を認めた命令書:権威主義的政府は、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」に優劣があると主張し、障害者を保護・支援・介護することは、財政的無駄遣い、国家の損失であるした。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化、最終的には抹殺することを正当化した。
Adolf Hitler 1.Sept.1939
Reichsleiter Bouhler und Dr. med. Brandt sind unter Verantwortung beauftragt, die Befugnisse namentlich zu bestimmender Ärzte so zu erweitern, dass nach menschlichem Ermessen unheilbar Kranken bei kritischster Beurteilung ihres Krankheitszustandes der Gnadentod gewährt werden kann.
-- A. Hitler
"given to me by Bouhler on 27.8. [August] [19]40; Dr. Gürtner".写真はFile:Aktion brand.jpg:Wikimedia Commons引用。
「1939年9月1日付 総統指令
国家長官ボーラーと医師ブラントに、
治癒の見込みがないほど病状が重い(不治の病の)と判断される場合、その患者に病状に関して厳格に鑑定をした上で、特別に指名した医者に、恩寵の死(Gnadentod:安楽死)の措置を許可する権限を与える。
A.ヒトラー 39年10月[自署]
[メモ]1940年8月27日にボーラーから手交、[法務大臣]ギュルトナー([Franz] Gürtner)博士」
◆T4作戦の運用については、全国保健局長官フィリップ・ボーラー(Philipp Bouhler)の連絡担当官ヴィクトル・ブラック(Viktor Brack)の事務所が使われた。この事務所が、ベルリンのティアガルテン4番地(Tiergartenstr.4)にあったため、精神障害者安楽死計画は、T4作戦と呼ばれた。
写真(左)1934年2月16日,バイエルン大党管区、ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の精神障害者:親衛隊SSの記録写真。写真はBild 102-15661:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
「安楽死」とは、慢性的な苦しみや末期症状の症状の患者に、苦痛のない死をもたらすことを意味する。しかし、ナチ党政権下のドイツでは、「安楽死」とは、ドイツおよびドイツに併合された領土(オーストリア、ズテーテンラント、チェコなど)における精神障害者を政府が組織的に殺害する極秘殺人プログラムの隠語であった。
安楽死計画は、ホロコースト、ショアーと呼ばれるヨーロッパのユダヤ人の殺戮が本格化する約2年前、実施された。そのガス殺、秘密保持の在り方は、従事した専門家たちを通じて、ユダヤ人殺戮ホロコーストに引き継がれてゆく。
ドイツ帝国のアーリア人(ゲルマン人、ドイツ人)を世界で最も優れた人種民族とすれば、精神障害を負ったアーリア人は、国家的恥、民族の敵であり、排除すべきである。アーリア人の純血を守るためには、精神障害者の遺伝子を取り除くべきであるとの優生学が作用した。
ナチ党が政権を獲得する1933年以前から、優生学者とそれを支持した医師・学者・行政官は、重度の精神障害者、身体障害者を、「生きるに値しない命」をと考えた。障害者排除は、国家財政にとって余分な経済的負担となり、人種汚染を引き起こす害毒であり、障害者の排除は、国民福祉にとって正しいこととされた。
写真(右)1936年,総統官房長官フィリップ・ボーラー(Philipp Bouhler):第一次大戦後の1919年、ミュンヘン大学で文学を学び、1922年7月にナチ党に入党した古参党員。ナチ党政権獲得直後の1933年4月、親衛隊に入隊、1934年からナチ党総統官房長官に就任。1939年9月1日付、すなわち第二次世界大戦が勃発したときに、ヒトラーから極秘命令を受け、治癒の見込みのない障害者に対して、「人道的見地から慈悲死を与える権限」を医師に与えることを認められた。これが、精神障碍者安楽死のT4作戦になる。Porträt Philipp Bouhler
Dating:1936 ca.
Photographer:o.Ang.
写真はBild 146-1983-094-01:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
アメリカホロコースト記念博物館(United States Holocaust Memorial Museum)のホロコースト百科事典によれば、「安楽死プログラム」は次のように解説されている。
「1939年の春と夏、ヒトラーの官邸長官であったフィリップ・ボーラーPhilipp Bouhler,と、ヒトラーの主治医カール・ブラントKarl Brandtが率いる多くの立案者が、障害を持つ子供を対象とする秘密の虐殺作戦の準備を開始しました。 1939年8月18日、国家内務省は、すべての医師、看護婦、助産婦に対し、重度の精神的または身体的障害の兆候がある新生児および3歳未満の子供の報告を強制する布告を出しました。 1939年10月からは、公衆衛生当局は障害を持つ子供たちの保護者に対し、ドイツとオーストリア国内に特別指定された小児診療所に子供を入院させることを奨励し始めました。 実際には、これらの診療所は特別に採用された医療担当員が子供たちに致死量の薬剤を過剰投与したり、子供たちを餓死させたりした子供の虐殺病棟でした。」
「当初、医療専門家や臨床管理者は乳児と幼児だけをこの作戦の対象にしていましたが、この政策の範囲が広がるにつれ、17歳までの年少者が含まれるようになりました。 控えめに見積もっても最低5,000人の心身障害を持つドイツの子供たちが、戦争中の子供「安楽死」プログラムの結果として殺害されました。」
写真(右)1942年8月27日,精神障害者安楽死計画の中心人物の二人、左は国家保険局長官レオナルド・コンティ博士(Leonardo Conti:1900/8/24-1945/10/6収監中に自殺)、右はヒトラーの侍医カール・ブラント(Karl Brandt:1904/1/8-1948/6/2処刑 )博士:コンティは、フンボルト大学で医学を学び1923年、ナチ党突撃隊SA入隊、1927年にナチ党医師協会を組織。
Dr. [Leonardo] Conti und Professor Dr. [Karl] Brandt
Durch den Erlaß des Führers über das Sanitäts- und Gesundheitswesen wurde der Staatssekretär im Reichsministerium des Innern, Reichsgesundheitsführer Dr. Conti, für alle einheitlich zu treffenden Maßnahmen im Bereich des zivilen Gesundheitswesens verantwortlich gemacht und ihm hierfür die zuständigen Abteilungen der obersten Reichsbehörden und ihre nachgeordneten Dienststellen zur Verfügung gestellt.
Für Sonderaufgaben und Verhandlungen zum Ausgleich des Bedarfs an Aerzten, Krankenhäusern, Medikamenten usw. zwischen dem militärischen und zivilen Sektor des Sanitäts- und Gesundheitswesens hat der Führer nach demselben Erlaß Professor Dr. Karl Brandt bevollmächtigt. Er ist dem Führer persönlich unterstellt und erhält von ihm unmittelbar Weisungen.-
Unser Bild zeigt Dr. Conti (links) und Professor Dr. Brandt (rechts) im Gespräch.
Scherl-Bilderdienst (Reichsgesundheitsverlag)
27.8.42 [Herausgabedatum]
Dr. Leonardo Conti, Staatssekretär im Reichsministerium des Innern und Reichsgesundheitsführer (links)
Professor Dr. Karl Brandt, Leibarzt Adolf Hitlers (rechts)
Dating:August 1942
Photographer:o.Ang.
写真はBild 183-B21967:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1938年12月3日,ベルリン、パリ広場、"国民連帯の日"、航空機乗務員ために寄付を集めている医師カール・ブラント(Karl Brandt)博士。親衛隊SS中佐の制服を着用。ブラントは、1932年1月、ナチ党入党、1934年7月、親衛隊SSに入隊、ヒトラーの侍医となるとともに遺伝性疾患子孫防止法制定に関与。1939年9月1日、T4作戦の障害者安楽死の権限を医師に付与した。
Berlin, Pariser Platz.- "Tag der nationalen Solidarität", Sammlung für Flugzeugbesatzung u.a. durch Dr. Karl Brandt in Uniform (Sturmbannführer der SS)
Dating:3. Dezember 1938
Photographer:o.Ang.
写真はBild 183-19000-0722:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1947年5月14日,医師の戦争犯罪裁判で発言するヴィクトル・ブラック(Viktor Hermann Brack:1904年11月9日生まれ−1948年6月2日処刑 ):1929年、ナチ党に入党、親衛隊SSに入隊。1936年に総統官房長官フィリプ・ボーラーを国家健康保険局につなぐ連絡担当官に任命された。1939年12月、ヴィクトル・ブラックの事務所は、精神障害者安楽死計画T4作戦の本部となった。全国保健局本庁舎内ではなく、ブラックの事務所を使ったのは、精神障害者抹殺を政府が推進していることを秘匿するためである。
December 1939, Brack gave August Becker the task of arranging gas killing operations of mental patients and other people that the Nazis deemed "life unworthy of life." This operation later became known as Action T4.
Viktor Brack als Zeuge bei dem Nürnberger Ärzteprozess - Mai 1947
Das Eingeständnis, an der Durchführung des "Euthanasie-Programms" beteiligt gewesen zu sein, machte am 14.5.1947 in der Verhandlung des Ärtzeprozesses in Nürnberg der Angeklagte Viktor Brack, der als Zeuge in eigener Sache vernommen wurde. Durch dieses Programm wurden insgesamt 50.000 bis 60.000 unheilbar geisteskranke Patienten in deutschen Heil- und Pflegeanstalten vom 4.12.1939 an bis zur Einstellung des Programms im Augsut 1941 getätigt.
U.B.z.: Unser Bild zeigt den Angeklagten Viktor Brack im Zeugenstand in Nürnberg.
Archive title:Viktor Brack im Zeugenstand
Dating:14. Mai 1947
Photographer:o.Ang.
写真はBild 183-H25145:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
「安楽死立案者は、殺戮プログラムを施設に入所している成人障害患者まで拡大する構想を短期間のうちに立てました。 1939年秋、アドルフ・ヒトラーは、このプログラムに参加する医師、医療担当者、および管理者を起訴から保護するための秘密の権限付与に署名しました。この権限付与は、1939年9月1日に遡って発効され、同プログラムの取り組みは戦時中の政策に関連するものだと示唆しました。
総統官邸は外部から孤立していて規模が小さく、国家組織、政府組織、またはナチ党組織とは分離しているため、ヒトラーは総統官邸を「安楽死」作戦の原動力としました。 官邸職員はその秘密の企てを「T4」と呼びました。 この名称は、ベルリンにあった同プログラム本部の所在地住所、 Tiergartenstrasse 4(ティーアガルテン通り4番地)から付けられました。
ヒトラーの指示に従い、総統官邸長官(総統官房長官)のフィリップ・ボーラーPhilipp Bouhlerと医師のカール・ブラント(Karl Brandt)が虐殺作戦の指揮官を務めました。 彼らの指揮下で、T4作戦員は「安楽死」作戦の一環として、 ベルリン近郊ハーフェル川沿いのブランデンブルク、ドイツ南西部のグラーフェネック、サクソニーにあるベルンブルクとゾネンシュタイン、オーストリアのドナウ川沿いリンツ近郊ハルトハイム、およびヘッセンのハーダマーに、6つのガス施設を設置しました。」
「質問票の悪質な目的が暗示されているのは、患者の就労能力に重点が置かれていること、また医療当局に 統合失調症、てんかん、認知症、脳炎、およびその他の慢性的な精神疾患や神経疾患を患う個人、ドイツ人またはドイツ人に「関連する」血統を持たない個人、精神に異常のある犯罪者、または犯罪を犯した個人、および5年を超えて療養施設に監禁されていた個人を特定することが義務付けられている点のみでした。
秘密裏に採用された定評の高い数多くの「医療専門家」や医師が3人1組で質問票を評価しました。 1940年1月の初め、これらの医師たちの決定に基づき、T4作戦員は「安楽死」プログラムに選ばれた患者を自宅や療養施設から連行し、バスまたは列車で殺害のため集中ガス施設に移送しました。」
「これらの施設に到着後数時間以内に、被害者はシャワー室だと偽られ、特別に設計されたガス室内で純粋な一酸化炭素ガスを使って殺害されました。 その後、T4作戦員はガス施設に隣接する遺体焼却炉で遺体を焼却しました。 その他の職員は一緒にされた遺灰の山から火葬された犠牲者の遺灰を骨壷に入れ、犠牲者の遺族に送りました。 犠牲者の遺族や後見人は、その骨壷と共に架空の死因と死亡日が記載された死亡証明書やその他の書類を受けとったのです。」
(ホロコースト百科事典「安楽死プログラム」 引用終わり)
写真(右)1947年8月,ニュルンベルクの戦犯裁判の被告となったヒトラー主治医カール・ブラント医師(Karl Brandt):ドイツ敗戦後の国際戦犯裁判で死刑。ドイツだけでなく、アメリカも日本も、進化論・遺伝学を恣意的に混在し、科学を装う「優生学」によって、人間の「いのち」に優劣があると主張し、障害者を保護・支援・介護することは、財政的無駄遣い、国家の損失であるした。そして、障害者・ハンセン病患者を断種・不妊化した歴史がある。
Sieben Todesurteile im Nürnberger Ärzteprozeß
UBz: Karl Brandt, Hitlers Begleitarzt, ehem. Generalkommissar für das Sanitäts- und Gesundheitswesen, Angeklagter Nr. 1 im Nürnberger Ärzteprozeß, wurde am 20.8.47 zum Tode durch Erhängen verurteilt.
Archive title:Nürnberger Ärzteprozess.- Angeklagter Karl Brandt stehend, mit Kopfhörer
Dating:August 1947
Photographer:o.Ang.
写真はBild 183-19000-0722:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
佐野 誠(1998)「ナチス「安楽死」計画への道程
− 法史的・思想史的一考察」浜松医大、および佐野 誠(2001)「ドイツ・ナチズム期のユダヤ人立法と安楽死法草案の研究」奈良教育大学、によれば、障害者安楽死計画は、次のように検証されている。
ナチスの障害者安楽死計画(Euthanasia in Nazi Germany - The T4 Programme)は、1939年、ライブツイッヒ大学の児童病院の身体と精神に障害のある子供の殺害から始まった。1939年7月(第二次大戦勃発直前)、ヒトラーは、障害児の安楽死を同様に遂行することを総統官房長官フィリップ・ボーラー(Philipp Bouhler)と自分の主治医カール・プラント(Karl Brandt)博士とに次のように命令した。
「1939年9月1日付 総統指令
国家長官ボーラーと医師ブラントに、
治癒の見込みがないほど病状が重い(不治の病の)と判断される場合、その患者に病状に関して厳格に鑑定をした上で、特別に指名した医者に、恩寵の死(Gnadentod:安楽死)の措置を許可する権限を与える。
A.ヒトラー 39年10月[自署]
[メモ]1940年8月27日にボーラーから手交、[法務大臣]ギュルトナー([Franz] Gürtner)博士」
このアドルフ・ヒトラーによる口頭での障害者安楽死命令を受けて、国家的事業として「安楽死計画」が発動し、1939年8月18日、手始めに「奇形児などの新生児に対する申告義務」が課され、障害者の氏名・生年月日・住所などの情報が集められた。そして、その障害者情報をもとに安楽死対象を選定するために、ドイツの小児科医や精神科医を中心に「重度の遺伝性および先天性疾患の患者の学問上の把握のための国家委員会」が設置された。
「重度の遺伝性および先天性疾患の患者の学問上の把握のための国家委員会」の任務は、障害者登録に基づき安楽死させるべき子供の選別することであり、後年のユダヤ人絶滅収容所における労働不可能な移送者(主に障害者、老人、子供、は乳呑児を抱えた母親)を選別し、ガス殺した方法の先駆・さきがけとなった。
1939年9月1日、ドイツがポーランド侵攻し、イギリス・フランスが同盟国ポーランドのために、ドイツに宣戦布告して、第二次欧州大戦がはじまった。その中で、治癒の見込みのない障害児の安楽死、さらに成人障害者の安楽死が実行されることになったが、その理由は、
?優秀なアーリア人が兵士として出征し血を流しているのに、国家に貢献しない障害者を無益に生きながらえさせれば、アーリア人が遺伝子汚染され、国力が低下する、
?障害者が国防上に必要なカネ・モノ・ヒト・ワザ、すなわち物資・資金・人材・技術を食いつぶしており、これは、戦時中の無駄な行為である、
という2つの優生学的な判断である。
◆総力戦の遂行に必要な資源エネルギーや資金を、障害者のために投入することをいっさい拒否し、無駄をなくすために、障害者を優生学の上、「生きるに値しない命」とみなし、ガス殺、致死注射により抹殺・排除した。この精神障害者安楽死計画は、障害者に対する財政負担を軽減し、それによって戦争遂行に寄与する立派な兵士を養育するという国防上の目的もあった。
◆第二次世界大戦は、総力戦であり、ドイツが勝利するために、カネ・モノ・ヒト・ワザを円滑に総動員しようとし、さらに戦時の財政基盤を安定化させるために、障害者安楽死計画T4作戦を採用して財政負担を切り詰めた。この秘密作戦は、財政の最優先順位を戦争遂行、国防とし、戦争遂行に寄与できない障害者の福祉をガス殺、致死注射により完全に切り捨てた。
それと同時に、優生学に基づいて、精神障害者を、優秀なアーリア人・ドイツ民族の恥部とみなし、抹殺することで、人種汚染を防止しようとした。これは、人種民族差別の延長線上にある非人道的措置である。
写真(右)1935年,親衛隊医師カール・フランツ・ゲルプハルト(Karl Franz Gebhardt):、1897年11月23日生まれ‐1948年6月2日処刑。ハインリヒ・ヒムラーの父ゲープハルト・ヒムラー校長のランツフート・ギムナジウム卒、第一次大戦に歩兵として出征、1919年ミュンヘン大学医学部入学、1933年5月ナチ党入党、ヒムラー率いる親衛隊SSに入隊。1936年ベルリンオリンピックの医長、1937年ベルリン大教授、、1938年ヒムラー侍医、戦時中は、強制収容所の囚人を使った医学実験・解剖を行う。戦後の国際軍事裁判で死刑。
Dr. Gebhardt, der bekannte Leiter der Klinik für Sport- und Arbeitsschäden in den Heilstätten Hohenlychen. Bekannt sind auch seine Schulungskurse für Körperbehinderte
Karl Gebhardt, Prof. Dr. med. geb. 23.11.1897
Ordinarius für orthopädische Chirurgie an der Charié in Berlin, Leiter der Madizinischen Abteilung der Reichsakademie für Leibesübungen, Chefarzt der Heilanstalt Hohenlychen, Oberster Kliniker beim Reichsarzt der SS, SS-Brigadeführer, Generalmajor der Waffen-SS. Er war u.a. verantwortlich für die Sulfonamidversuche im KZ Ravensbrück. Gebhardt wurde am 20.8.1947 durch den I. Amerikanischen Militärgerichtshof in Nürnberg wegen Verbrechens gegen die Menschlichkeit zum Tode verurteilt und am 2.6.1948 hingerichtet.
Gebhardt 1935 in Hohenlychen.
Archive title:Heilanstalt Hohenlychen.- Dr. Karl Gebhardt im Arztkittel
Dating:1935.
写真はBild 183-1986-0428-502:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
◆1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発するが、その直前、成人重症心身障害者に対する「安楽死」がヒトラーの命令により検討され始める。ナチスの安楽死は「優生思想と経済負担の軽減」をモットーに計画された。これは「国家が、(障害者という)無能な人々を余計な苦労をしてまで生かしておくために莫大な費用を投下し、そのため健康者の医療が貧弱になりかえって多くの犠牲者が生まれている」との考えがはたらいていた。
写真(右)1935年,「世界的に有名なベルリンのホルスト・ヴェッセル病院で治療する患者は「歓喜力行団」の訪問を喜んでいる。笑いは、みなさんを健康にする!」(写真オリジナル解説):「歓喜力行団」の道化師ミュージシャンが入院患者たちを慰問し楽しませている。ホルスト・ヴェッセルは、ベルリンの突撃隊SAで、ナチ党歌「旗を高く掲げよ」の作詞者。1930年に共産党員との戦いで死亡し、ナチ党は英雄扱いした。
Die Weltberühmten drei Fratellinis geben eine "Kraft durch Freude" Vorstellung vor den Kranken im Horst-Wessel-Krankenhaus in Berlin.
Lachen macht gesund! Kranke des Horst-Wessel-Krankenhauses während der Vorstellung der drei Fratellinis.
Dating:August 1935
Photographer:Pahl, Georg.
写真はBild 102-04671:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ヴィクトール・クレンペラー(原著1995、訳1999年)『私は証言する―ナチ時代の日記 1933-1945年』大月書店には、次の記述がある。
1941年8月22日、LTI(第三帝国の言語)−電撃戦、殲滅戦。いずれも最大級の言葉だ。「戦争」だけでは足りぬらしい。加えて誇大妄想狂的な数字上の誇張。
2番目か3番目かの夫がユダヤ人とかのパウル夫人は、3番目か4番目の離婚手続きにかかっているが、89歳の母親が、痴呆(認知症)の兆候を示し始めた、と途方に暮れて話していた。「どこの病院にも連れていけなくて。殺されますから。」病院、その他の施設での精神病患者の殺害については、今やどこでも話されていることだ。(引用終わり)
写真(右)1935年,「世界的に有名なベルリンのホルスト・ヴェッセル病院で治療する患者は「歓喜力行団」の訪問を喜んでいる。笑いは、みなさんを健康にする!」(写真オリジナル解説):精神障害者を排除する理由は、健康で優秀なアーリア人を残すためである。
Die Weltberühmten drei Fratellinis geben eine "Kraft durch Freude" Vorstellung vor den Kranken im Horst-Wessel-Krankenhaus in Berlin.
Photographer:Pahl, Georg.
写真はBild 102-15662:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ポスター(右)1938年,精神障害者の財政負担が過大であることを訴えるナチ党の宣伝ポスター:6万マルクがこんな障害者を一生養護するのにドイツ民族共同体に負担になる。よく考えよ、新しきドイツ国民よ、これは皆さんの税金だ。月刊『ナチ党人種政策』
60000 RM (Reichsmark)
kostet dieser Erbkranke die Volksgemeinschaft auf Lebenszeit
Volksgenosse das ist auch Dein Geld
Lesen Sie Neues Volk
Die Monatshefte des Rassenpolitischen Amtes der NSDAP
画像は、DHM, BerlinLeMO: Lebendiges Museum Online引用(他引用不許可)。
◆国家、善意の市民、キリスト教会が持つカネ・モノ・ワザを、生きるに値しない命の精神障害者に投じることは非効率な無駄遣いであり、そのカネ、モノ、ワザを治癒の見込みのある病人・負傷者、健康児童の教育、公共事業、国防に充てるべきである。このように人権・基本的権利の平等を認めず国家主義的、全体主義的に考えれば、精神障害者(知的障害者)も身体障害者も、無用の存在であり、戦時であればなおさら、彼らへの物資・資金・人材の投入は無駄使いとみなされる。
◆国家財政の余分な負担として、「5000人の痴呆者(認知症)は、一人当たり年間2000ライヒスマルクの経費負担となる。経費は合計すれば、年間1000万マルクとなり、これは2億マルクの貯蓄の5パーセントの利息収入に相当する」と計算された。財政上の非人道的な効率主義によって、国家に貢献できず、物資・資金・人材・技術を食いつぶすだけの障害者は排除すべきだとの結論に至った。換言すれば、生きるに値しない、財政上も無駄な障害者は、安楽死、抹殺されるべきであり、それが福祉財政上も合理的な措置であると極論された。
ナチス優生学に依拠した安楽死計画は、まさに第二次世界大戦と同日(1939年9月1日)、秘密裏に開始された。精神障害者安楽死には、国家保健局がかかわっていたが、作戦本部は、ベルリンの全国保健局本庁舎内ではなく、ベルリン・ティアガルテン通り(Tiergartenstraße)4番地に置かれた。そこで、精神障害者計画は、秘匿名称で「T4作戦」と呼ばれた。
1941年8月3日、グラフ・フォン・ガーレン司教は、生きるに値しない命の安楽死を批判し、後に逮捕されるがT4作戦にも同月24日中止命令が出される。しかしこれも表向きに過ぎず、T4作戦は戦争末期まで続けられた。戦後のニュールンベルグ国際軍事裁判によればT4作戦(Action T4 [Aktion T4] )によって虐殺された人々の数は27万5千人とされている。(「優生学とは何か」引用)
精神障害者安楽死計画(Euthanasia Program)は、ベルリン・ティアガルテン通り(Tiergartenstraße)4番地に本部を置いたことからT4作戦と呼ばれた。基盤となったのは優生学的は発想で、医師、行政官が賛同し、国家戦略の一環として国家保健局を中心に進められたが、これは決してナチス、ヒトラーの時代にしか起こらない不祥事である、と短絡化することは危険である。
◆優秀な民族、誇りある国家、優れた人種のような優生学を過度に主張すれば、障害者、特に精神障害者は、その範疇に収まらず、国家の恥、下等人種として隠すべき存在である。このような者たちが増えないように、断種(生殖能力を絶つ)べきである。さらに、治癒する見込みがなく、国家に奉仕し、社会貢献できないガス殺を養うことは、財政上の無駄である。福祉財政を進めるためには、かえって生きるに値しない命や致死量の薬剤注射・投与によって、障害者の安楽死を促進すべきである、との極論になりかねない。
クリスチアン・クリスチアン・プロス/ゲッツ・アリ(1989)『人間の価値−1918年から1945年までのドイツの医学』によれば、重度の遺伝性および先天性疾患の患者の学問上の把握のための帝国委員会には、医師のハインツェ、ヴェンツラーが名を連ね、民族衛生学(ナチス優生学)の権威フリッツ・レンツ、安楽死障害者の脳神経実験を行ったハイデルベルク大学精神医学教授カール・シュナイダー、親衛隊SS保安諜報部長官ラインハルト・ハイドリヒも参加している。国家政策として、優秀な医学・警察の頭脳が、障害者安楽死のために動員されたのである。
第二次世界大戦勃発とともに本格化した障害者安楽死計画(Euthanasia Program)は、ベルリン・ティアガルテン通り(Tiergartenstraße)4番地に本部を置いたことから「T4作戦」と呼ばれた。これは、ポーランド・ユダヤ人、フランス・ユダヤ人、オランダ・ユダヤ人、ソ連在住ユダヤ人、ソ連赤軍捕虜、ジプシーの大量殺戮、絶滅収容所のガス殺につながってゆく。
つまり、障害者・ユダヤ人・ジプシーの殺害は、同一論理に則っており、人種民族差別の行き着く先は、排除・殺戮であるといえる。
写真(右)1935年3月,ベルリン、カイザーダム、「生命の奇跡」大博覧会のパネル;「そうやって、終わることになる! 生命の奇跡について興味深い統計がある」「優秀性の弱い遺伝によってに、劣等者の人口が定常的に増加する。(優秀な子と劣等な子が同数いたとすれば、劣等な人間の繁殖力は強いので、年がたつにつれて、劣等な人間の人口が、優秀な人間の人口を遥かに上回るようになる。)劣る4人の子供と、優秀な2人の子供を持っているとき、そういうことが起こる。」
優生学の立場から、障害児がいれば、その繁殖力が旺盛なために、優秀な人間が呑み込まれてしまうと、危機感を煽っている。
Die große Ausstellung "Das Wunder des Lebens" am Kaiserdamm in Berlin!
So würde es enden! Ein interessantes statistisches Anschauungsobjekt auf der Ausstellung "Wunder des Lebens".
Archive title:Berlin.- Ausstellung "Wunder des Lebens". Ausstellungstafel mit Grafik und Text "Qualitativer Bev
ölkerungsanstieg bei zu schwacher Fortpflanzung der Höherwertigen. So wird es kommen, wenn Minderwertige 4 Kinder und Höherwertige 2 Kinder haben."
Dating:März 1935
Photographer:Pahl, Georg
写真はBild 102-16748:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1937年,ベルリン、献血者、医師による採血:専門医(次に掲載したポスターと同一の医師)が患者に静脈穿刺する。国家貢献できず国家予算の無駄遣いでしかない精神障害者を排除し、それにかわって健康で優良なアーリア人の人口を増やすべきだとされた。これは、現在の少子高齢化への中で労働者が減少し社会保障を維持するために人口増加(出生率回復)が国策とされている日本と類似した枠組みである。
Berlin, Blutspender, Blutabnahme durch einen Arzt
Archive title:Berlin.- Arzt bei der Blutabnahme bei einer Patientin.
Dating:1937 ca.
Photographer:Weinrother, Carl
写真はB 145 Bild-P056062:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
◆「個々の施設で措置もしくは消毒されたもの」との婉曲的表題の報告書が、1942年に出された。ここでは、精神障害者安楽死計画として、ハダマール精神病院、ハルトハイム城、ブランデンブルク刑務所、グラーフェンエック、ピルナ、ベルンブルクのガス室などで、「生きるに値しない命」を抹消し、国家財政に8億ライヒスマルクも寄与したとされる。
◆T4作戦は、第一段階が終了した1941年8月までに、精神病患者7万273人を消毒(=殺戮)し、ジャガイモ、肉、パン、バター、チーズ、パスタ、コーヒー、砂糖など食費が1日当たり24万5955.5ライヒスマルク節約となり、これは1年で8854万3980ライヒスマルク、10年で8億8543万9800ライヒスマルクの財政負担軽減に繋がると1942年報告書は推計している。
1942年春、第二次大戦勃発から二年半たったころ、ドイツ小児科病院協会が設立された。目的は、住民1万人当たり小児科の児童ベット数を現行3.9床から8床に引き上げることである。ドイツ国家保健局長官レオナルド・コンティ(Leonard Conti)は、ドイツ小児科病院協会を講演し、協会設立総会には、総統官房を代表してビクトア・ブラックが出席した。総統官房長官フィリップ・ボーラー(Philipp BouhlerConti)は、1939年9月、ヒトラーの主治医ブラントとともに、障害者安楽死計画を遂行するよう命じられた人物で、ブラックはその代理である。
ナチ党政権下の母子保健ポスター(右)1940年‐1944年,「あなたの子供を守る。 母親は医師を信頼し、カウンセリングを受けよう。」:前に掲載した写真と同一の医師がモデルになっている。精神障害者、ユダヤ人などは排除されたが、優秀なアーリア人の子供は、ドイツの国力を向上させるために、人口増加が求められた。人口が減少すると大変だとの概念は、常に人口増加が経済力、政治力など国力を低下させるという国家主義をはらんでいる。
Schütze dein Kind
Vertraue dem Arzt
Komm zur Mütterberatungsstunde
Dating:1940/1944
Designer:o.Ang.
Publisher:Straßburger Neueste Nachrichten, Straßburg
写真はPlak 003-015-012:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
当時のドイツでは、巨大な児童施設はあったが、そこでは治療の中で、児童の心理・教育的看護が軽視されおり、それを改めることが、主張されている。専門医師が、児童に実際に面談するためには、児童が来院するのを待つのではなく、自ら児童のところへ出かけるべきであるとした。「指導的医師は、個々の児童の全人格に責任を負わなければならない」とされたのである。(クリスチアン・クリスチアン・プロス/ゲッツ・アリ(1989)『人間の価値−1918年から1945年までのドイツの医学』pp.75-95参照)
ナチ党政権下のドイツでは、戦時中、画期的な児童福祉の取り組みが行われたが、その裏では、精神障害者、特に精神障害児童が何万人も安楽死させられていた。ドイツの財政を健全化するために「生きるに値しない命」とされた精神障害者の福祉的、医療的措置が削減・停止される一方で、そこで余裕の生じた資金・資源・人材・技術を、将来、兵士となり、ドイツに奉仕できる健康な児童に充填することが企図された。
精神障害者への無駄な財政支出を、障害者をガス殺、致死注射により切り詰め、代わりに健康なアーリア人を兵士と労働者に養育することが選択されたのである。
◆ブランデンブルグの安楽死施設では、9,772人がガス殺されたというが、殺害された障害者の公式記録には、「急性統合失調症の発作」により部屋で死亡した、というように真相は隠されていた。障害者の安楽死は、障害者の苦しみや社会的な介護負担を取り除くという意味でガス殺、致死注射による「恩寵の死」(安楽死)とみなされたが、優生学の上の「生きるに値しない命」を国家政策として、施設・資金・人材・技術を投じて抹殺した「正反対の福祉政策」を意味していた。
T4作戦本部のあった首都ベルリンのティアガルテン4番地(Tiergartenstraße.4)は、現在、世界的な楽団ベルリン・フィルハーモニーの玄関である。このベルリン・フィルハーモニーの玄関前の道沿いには、T4作戦で抹殺された精神障害者を追悼するために、たくさんの花が捧げられている。
写真(右)1940年9月,ドイツ帝国ウィーン警察病院。新生児病棟が完成し、アーリア人の赤ちゃんを抱く母親と看護婦。1938年にオーストリアは、ドイツに併合され、オストマルクという一つの州となっていた。多数のオーストリア人が、ドイツ併合によって、新しい時代が始まると期待して喜んだ。しかし、ユダヤ人はすぐに迫害の対象となった。1940年当時、アメリカ、ソ連は参戦しておらず、ドイツはヨーロッパの覇権を掌握していた。
Polizei-Krankenhaus Wien
Archive title:Wien.- Einweihung des Polizei-Krankenhauses; Neugeborenenstation, Mütter mit Baby und Krankenschwester
Dating:September 1940
Photographer:o.Ang.
写真はBild 102-04672:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1934年3月,ドイツ帝国の精神障害者による劣等遺伝子蔓延防止・人種汚染阻止を訴えるプロパガンダ写真:「遺伝!遺伝的に健康な子孫について教育するために興味深い展示会がベルリンの公衆衛生サービス国家委員会で開催!精神病患者を養護すれば、恐ろしい遺伝病を蔓延させる」(写真のオリジナル解説)
Erbkrank! Eine interessante Ausstellung zur Aufklärung des Volkes über erbgesunden Nachwuchs wurde vom Reichsausschuss für Volksgesundheitsdienst in Berlin eröffnet! Ein erschreckendes Bild von Erbkranken in einer Idioten-Anstalt. Dating:März 1934 Photographer:o.Ang.
写真はBild 102-15663:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
市野川容孝(1999?)「優生学の時代としての二十世紀―ドイツ、北欧、日本」(『福祉労働』第83号、130-135頁には、次のようなドイツの精神障害者安楽死計画の被迫害者の事例が紹介されている。
ナチス優生学に基づく精神障害者安楽死計画T4作戦の犠牲者フリッツ・N氏は、1915年生まれで、1934年に19歳でドイツ海軍に入隊した。
しかし、フリッツは、ドイツ海軍で心身が不調になり、上官によって、除隊処分され、精神科治療に送られ、強制入院となった。フリッツは、1936年6月に精神分裂症と診断され、強制不妊手術を受けさせられた。その根拠になったのは、1933年7月制定の遺伝病子孫予防法「断種法」である。
1944年1月、ドイツ占領下ポーランド、メーゼリッツの安楽死施設に送られたフリッツは、精神障害者を餓死させていた施設で、苦しい生活を過ごしながら生き残った。1945年1月、侵攻してきたソ連赤軍を前に、安楽死施設のドイツ人は逃げ出したため、フリッツは、他の収容者、患者とともに施設から脱出できた。そして、厳冬のポーランドを、寒さに凍えながら、歩き、電車に隠れて乗り込み、1945年2月に故郷に戻ることができた。
戦後1953年、西ドイツは、ナチスの迫害を受けた犠牲者に対する補償を定めた連邦補償法を制定した。ここで補償対象となった被迫害者は、「政治的敵対関係」「人種、信仰、世界観」を理由にナチスに迫害された人々であり、精神障害者は除外されていた。ナチ党独裁政権下の断種法は、ナチ党固有の立法ではなく、スウェーデン、日本でも同様であり、精神障害者として診断された以上は、断種もやむを得ないとされ、フリッツの補償申請は却下された。
西ドイツは、連邦補償法の対象から除外された被迫害者の救済を図るために、1957年に制定の一般戦争帰結法を適用しつつ、断種(強制不妊手術)、安楽死計画の対象となった障害者に対する補償を開始した。補償額は、一時金5000マルクの支給で、その後、月100マルク以上の年金の支給も開始された。 (市野川容孝(1999?)「優生学の時代としての二十世紀―ドイツ、北欧、日本」参照。)
写真(右)1934年3月,「遺伝!遺伝的に健康な子孫について教育するために興味深い展示会がベルリンの公衆衛生サービス国家委員会で開催!精神病患者を養護すれば、恐ろしい遺伝病を蔓延させる」(写真のオリジナル解説);優生学を奉じる専門家や行政官は、遺伝性疾患子孫防止法によって遺伝的な病気の子孫の増加を防止することが図られ、これが福祉の充実につながると確信していた。第二次大戦が始まると直ちに、精神障害者を抹殺するT4作戦が発動された。健全なアーリア人が戦死しているのに、遺伝子汚染の源である障害者を養護することは許されないとされた。
Erbkrank! Eine interessante Ausstellung zur Aufklärung des Volkes über erbgesunden Nachwuchs wurde vom Reichsausschuss für Volksgesundheitsdienst in Berlin eröffnet!
写真はBild 102-15662:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
障害者安楽死計画は、ドイツのヒトラー総統の下で、法的根拠なしに秘密裏にガス殺、致死注射が実施されたのであるが、この計画が実施できた理由は、総統官房の行政官、一流の精神科医、優生学者(民族遺伝学者)の協力、国家財政の負担と施設の設置、物資の投入があったためである。
遺伝的な病気の子孫を排除し、健康で優秀なアーリア人に対する福祉を充実させることで、ドイツの人口増加、国力向上を図った。決して、個人の幸福を追求する目的ではなく、ドイツ民族共同体という全体に奉仕するためである。個人主義・民主主義は、弱者の安楽追求として放棄され、国家の強化を図る全体主義・ファシズムが信奉された。
ナチ犠牲者はユダヤ人に加え、スラブ人、ポーランド人、ジプシー(シンティ・ロマ)、精神障害者、さらに同性愛者など反ドイツ的みなされた人々にも及んでいる。戦後もこれらの犠牲を出したことは、国家の恥であり、国民も忘れたいとの気持ちも強かった。しかし、1980年代以降、「忘れ去られた犠牲者」の記憶が公の場にも登場している。第二次大戦が1945年に終戦して40年ほどたってから、忘れ去られたナチ犠牲者の記憶として、ドイツの安楽死・ジプシー殺戮の歴史追悼記念碑が建設されるようになった。「忘れようとし忘れかかった記憶の記念碑」ともいえよう。
写真(右)1941年,現メクレンブルク=フォアポンメルン州シュテルンベルガー湖、精神障害者安楽死計画に加わった専門家たち:運転手エーリヒ・バウアー(Erich Fritz Erhard Fuchs:1900—1980)、ルドルフ・ロナウェル(Rudolf Lonauer:1907-1945自殺) 博士、ビクトル・ラッカ(Victor Ratka:1885-1966)博士、フリードリヒ・メネック(Friedrich Mennecke:1904-1947獄中自殺)博士、教授パウル・ニーチェ(Paul Nitsche:1876-1948処刑)博士、ゲルハルト・ヴィッシャー(Gerhard Wischer:1903-1950)博士。
エーリヒ・バウアーは1933年ナチ党入党、1940年にT4作戦に加わり当初運転手として活動、1942年にユダヤ人殺戮のためゾビブル絶滅収容所のガス殺に関与。
ルドルフ・ロナウェルは1940年にT4作戦に参加、その後、マウトハウゼン、グーセン、ダッハウ、ブーヘンワルトの強制収容所で囚人の生死の選別任務に就く。
フリードリヒ・メネックは、1932年ナチ党入党、1942年に14f13作戦、すなわちポーランド人、ユダヤ人、ジプシーなど囚人殺害任務に就く。
ビクトル・ラッカは、大戦初期、ポーランド人捕虜の殺害に加わり、T4作戦では生死の選別に関与。1943年にナチ党入党。
パウル・ニーチェは、1933年ナチ党入党、1940年にT4作戦本部の次長、戦後の戦犯裁判で処刑。
ゲルハルト・ヴィッシャーは、1937年ナチ党入党、1941年にT4作戦に参加。
Sternberger See.- Fahrer Erich Bauer, dann die Gutachter Dr. Rudolf Lonauer, Dr. Victor Ratka, Dr. Friedrich Mennecke, Prof. Dr. Paul Nitsche und Dr. Gerhard Wischer
Dating:September 1941 Anfang
Photographer:o.Ang.
写真はB 162 Bild-00680:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
日本は、戦後1948年の優生保護法においても、優生学の立場を堅持し、第一条で「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性
の生命健康を保護することを目的とする」としている。
そして、優生保護法第三条「医師の認定による優生手術」では優生手術、すなわち生殖腺を除去せず生殖を不能にする手術で、精管あるいは卵管の結紮(けつさつ)による断種・避妊手術を、次の場合に行うとした。
第一号 本人若しくは配偶者が遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患若しくは遺伝性奇形を有し、又は配偶者が精神病若しくは精神薄弱を有しているもの
第二号 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性畸形を有しているもの
第三号 本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの
第四号 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼす虞れのあるもの
第五号 現に数人の子を有し、且つ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下する虞れのあるもの
第十一条 前条の規定によつて行う優生手術に関する費用は、政令の定めるところによつて、国庫の負担とする。
1996年(平成8年)6月26日「法律第105号 優生保護法の一部を改正する法律」によって、優生保護法(昭和二十三年法律第百五十六号)は、母体保護法と改称され、らい予防法廃止と同時に、優生保護法から優生学的条項を除き、次のように条文を変更した。
第一条中「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに」を「不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定めること等により」に改める。
第二条第一項中「優生手術」を「不妊手術」に改める。
「第二章 優生手術」を「第二章 不妊手術」に改める。
第三条の見出しを削り、「優生手術」を「不妊手術」に改め、「精神病者又は精神薄弱者」を削り、同項第一号及び第二号を削除した。
◆1993年11月30日、オランダで、世界初の安楽死を許容する法律(改正遺体埋葬法)が成立した。
病院以外の場所で変死した人が出た場合、遺体埋葬法の改正に基づいて、医師は死亡証明書を発行、検視官の承認を経て埋葬を許可することになった。つまり、医師が患者を安楽死させた後、?検視官への届け出・報告書提出、?検視官から検察への所見提出、?検察による医師の不起訴 という手続きで、末期患者の安楽死が認められる。この改正遺体埋葬法によって、安楽死は刑法犯罪ではあるが、この手続きを経れば違法性がないとされ、検察は起訴をせず、「安楽死」が公認されることになる。
◆1994年、アメリカ合衆国オレゴン州で尊厳死法 (Death with Dignity Act)が住民投票により、法制化された。
オレゴン州尊厳死法でも、末期患者が苦しんでいるために医師が注射などによって積極的に安楽死をさせたり、患者が要請もしないのに「苦しんでいるのを見るに堪えられない」と第三者が判断して末期患者を死に至らしめる「慈悲殺」は、禁じられている。しかし、死にたいと思う患者が自発的に医師に懇請して、致死量の薬物の処方箋を書いてもらうことを法的に認めている。つまり、末期患者が、その致死量の薬物を服用する自由を認め、医師が処方箋を与えたことを処罰しないのである。
そこで、オレゴン州尊厳死法の下で、薬剤師が、自殺幇助のための薬剤の処方箋で薬剤を出すときには「この薬剤は、生命を終焉させる」と明記する決議をしている。これは、末期患者の死亡について、オレゴン州尊厳死法による免責を確実にするための措置である。
◆2001年4月、オランダで医師による安楽死を認める刑法改正を盛り込んだ終末期自殺幇助法(Termination of Life on Request and Assisted Suicide)、2002年、ベルギーで安楽死法、2008年、ルクセンブルクで安楽死法、1994年、アメリカ合衆国ワシントン州で尊厳死法 (Death with Dignity Act)が成立している。
苦しい治療を続けるよりも、安楽死を望む者が、安楽死が合法化されたオランダやオレゴン州に出かけること、つまり自殺ツアーが始まっているともいわれる。日本の自殺者は年3万人で、なかでも健康・医療の問題から、年1万人近い人が自殺している。自殺の方法は多くが縊首・窒息(首つり自殺)である。
しかし、(1)不治の病、(2)激しい苦痛、(3)苦痛緩和手段の限界、(4)本人の自殺の明確な意思表示、という条件が満たされれば、医師が密かに薬物や生命維持装置を止めることで、「安楽死」が行われているともいわれる。
◆本人の意思に基づいて第三者の医師が安楽死させれば、嘱託殺人である。しかし、終末医療による苦しい延命措置を拒否して安楽死を望むことは、生前の意思が明確に遺言書のような形式をもって表示されている場合、暗黙裡に「尊厳死」として認められているようである。これは、実際は安楽死と同じであるが、法的には自殺と同様である。
「安楽死できなければ、苦しんで生き続けなければいけないのか?」との末期患者の疑問に答える形で、2001年4月、オランダで安楽死が認められた。治癒不可能な耐え難い苦しみある患者が、死ぬ意思を明確に表示できれば、医師が患者を安楽死させても、嘱託殺人に問わないと認められたからである。これを「病気や障害で苦しむ人々に安楽死の権利が認められた」と解釈する人々が増えている。しかし、これは同時に、ターミナルケア(末期治療)を放棄して、生きていても苦しむだけだと感じる人に対して、すなわち自殺志願者に対して、安楽死が可能になることに繋がる。
◆精神的・肉体的苦痛に耐えかねて安楽死を希望する自殺志願者に「安楽死する権利」を認めることは、一見すると、自らの意思で自らの人生を終わりにする尊厳死の権利のように見えてくる。超高齢社会、福祉財政の肥大化、財政赤字の状況で、「すべての人々が生きる権利を持っているのであれば、各人の生を強制することはできない、したがって、安楽死する権利を持っている」といえるのであろうか。
◆苦痛と恐怖しか人生には残っていないと考えて、あるいは大きな責任を生きうけて、自らを裁くために、自らの手で人生を終わりにする自殺は古くから行なわれてきた。しかし、自殺・安楽死が、人間の尊厳を認めた「尊厳死」だと言われれば、納得はできない。苦しい、耐え難い人生も与えられることがあるのではないかと。苦しい闘病生活、大きな障害、ハンセン病、ユダヤ人虐殺、ジプシー迫害、精神障害者安楽死、戦争、このような中で、何としても生き残ると強く決意した人々の人生には感銘を受ける。生きること、生命に価値があると。
写真(右)1941年,ベルリン、「東部建設計画」展示会;副総統ルドルフ・ヘスによる検閲。
ベルリン、ハルデンベルク通で開催。左から親衛隊全国長官ハインリヒ・ヒムラー、その後方に国家保健局長官フィリップ・ブーラー、副総統ルドルフ・ヘス、背後に秩序警察長官クルト・ダーリュケ、ドイツ民族性強化国家委員事務局の局長ウルリッヒ・グレイフェルト、兵器弾薬大臣・建築家フリッツ・トート、ベルリン大学教授農学者コンラート・マイヤー。
Ausstellung in Berlin, 1941
Planung u. Aufbau im Osten, Besichtigung durch Rudolf Hess
Fotograf: Zeymer
Archive title:Berlin, Hardenbergstraße.- Ausstellung "Planung und Aufbau im deutschen Osten" in der Staatlichen Hochschule für bildende Künste. V.l.n.r. Heinrich Himmler (hinter Himmler Philipp Bouhler), Rudolf Heß (hinter Heß etwas verdeckt Ulrich Greifelt links im Gespräch mit Kurt Daluege), ?, Fritz Todt, Konrad Meyer
Dating:1941
Photographer:Zeymer
写真はR 49 Bild-0023:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
◆精神障害者の排除については、人権を認める必要のない胎児の段階で排除することが一般化しつつある。妊婦子宮内の胎児のダウン症候群については、妊婦の血液検査をすることによって、胎児がダウン症候群があるかどうかを診断できる。このダウン症の検査によって、胎児がダウン症候群である確率が高ければ、出産ではなく堕胎を選択することができる。こうして、比較的簡単な血液検査を通して、ダウン症候群患者を人工妊娠中絶という「命の選別」によって、社会に出さない、排除すること家族も増えてきた。
ヒトゲノム解析研究というバイオテクノロジーは,疾病の診断、予防、治療法の開発を目指すが、これも優生学に通じるものがある。生物学的に人間の全遺伝子構造を調べるヒトゲノム研究は、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターなどで推進されているが、ここは「医学・生物学研究の将来にとって欠くべからざるプロジェクトを推進していくためのわが国の中心拠点」であるという。ヒト悪性腫瘍治療、乳癌・腎癌・膀胱癌・軟部組織腫瘍の発癌メカニズムの解明、ワクチン療法・抗体療法のための標的遺伝子のスクリーニングは、健康増進につながるものの、同時に、悪性遺伝子を排除することになる。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,
ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)に隔離されている精神障害児;親衛隊SSの記録写真。優秀なアーリア人、ドイツ民族にとって、遺伝子汚染を引き起こす精神障害者は、排除、断種すべきだとされ、さらに第二次世界大戦が勃発すると、優秀なドイツ兵士が血を流しているのに、ただ飯喰いの障害者に余分な財政負担は必要ないと、障害者の抹殺が決まった。
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-12:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
◆ドイツのT4安楽死計画(The T-4 Euthanasia Program)は、家族の出産の意思決定、福祉財政負担の許容範囲医療負担の許容範囲、障害者の人権・ベーシックニューマンニーズの充足、生死の自己決定権(尊厳死)、遺伝子研究、断種、人工妊娠中絶の正当化という点で、現代的な課題も内包している。法律上、医学上の問題だけでなく、教養ある市民としてどのように障害者の人権、安楽死を捉えるかが問われている。
◆厚生労働省『障害者白書』によれば、2005-2008年現在、日本には、知的障害者は合計54.7万人(人口比0.4%)、うち在宅が41.9万人(0.3%)、施設入所が12.8万人(0.1%)おり、精神障害者は合計323.3万人(2.5%)、在宅が290.0万人(2.3%)、入院が33.3万人(0.3%)いる。これに老人を中心とした身体障害者351.6万人を加えると、複数の障害者も含め、日本人の5%は障害者である。
ただし、精神障害者は、身体障害者や知的障害者とは異なり、実態調査がなされておらず、厚生労働省の統計は、病院利用者から精神障害者人数を推計しており、一時的な患者も含んでいる。
◆障害者が安穏として生きながらえている、それも生産的な活動することなしに、福祉財政の負担によって遊んでいるという状況に、憤りを感じる人がいるかもしれない。戦時であれば、負傷し、身体障害を負ったり、戦死したりした命と比べて「生きるに値しない命」とみなしてしまうかもしれない。礼儀知らずで治安を悪化させる繁殖力旺盛な外国人が祖国を跋扈しているのをみて、外国人は排除すべきだ、自分の国に帰れと憤る人もいる。
安定した定職に就けず、福祉予算が削減される中で、働く気もない怠け者を生活保護で賄い、フリーターやすぐ転職するようなやる気のない若者の職業訓練を行い、出社できない引きこもりに医療・治療を行う、勉強もしない学生・留学生に奨学金を給付するなど、財政負担がかかり過ぎる、税金の無駄遣いだ、と憤りを感じるものも少なくない。
他人を自分よりも劣った存在と見做している点で、このような発想は、優生学に通じるものがある。自分は優秀で勤勉で学力もあるが、それに比べて、あいつらはダメな連中だ、このような差別・偏見が、優生学を受け入れる背景として指摘できる。
写真(右)1934年2月16日,バイエルン大党管区,ミュンヘン北、ダッハウ近郊シェーンブルン療養施設(サナトリウム)の精神障害の子どもたち;親衛隊SSの記録写真。
Heilanstalt Schönbrunn b./ Dachau. - SS-Foto, 16.2.1934
Photographer:Bauer, Friedrich Franz
写真はBild 152-04-09:ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
◆精神障害者や特定の人種民族を差別・排除しようとする思想は、?優生学的偏見、?財政負担軽減、?治安回復、などを正当化の根拠としている。そして、現在、人間を生殖細胞、遺伝子レベルで詳細に分析し、生命力や治癒力の優劣を区分するという恣意的な研究も進んでいる。ヒトゲノムの解読、バイオテクノロジーの進化は、再び先端技術を装って、似非(えせ)科学の優生学を蔓延させる危険がある。 「生きるに値しない命」を選別するような優生学思想は、特定グループが自分たちの利益を損なうと考える都合の悪いグループを選別するために、恣意的に用いられるに違いない。科学的な装いの下に、自分勝手な傲慢な意図を隠して、気に入らない人間を排除することを許してはならない。
◆現段階で、末期患者の安楽死は、優生学的発想に基づいて、行われているわけではない。高齢社会にあって、苦しみ、家族に迷惑をかけるのであれば、自ら安楽死を願う、といった「尊厳死」である。しかし、安楽死を尊厳死として公認すれば、医療費、社会保障など福祉財政負担を軽減することにつながる。老人・患者など意見表明が困難な人間にとって、専門家の医師が「肉体的な激しい苦痛の連続」「不治の病」といった恫喝をしているように思うかもしれない。安楽死=尊厳死、と簡単に見做すことはできない。
◆優生学の側面から下等人種・劣等民族の排除、経済的側面から国家財政負担の軽減、福祉国家の側面から、優良な人間への国家財政の一層の充当、富国強兵の側面から人口増加による国力向上という発送は、現在でも放棄されたわけではない。再び「生きるに値しない命」の選別が正当化される危険が残っている。
◆重度の障害者は、社会に負担にしかなっていない、働かない怠け者に生活保護を給付するのは逆差別だ、勉強しない学生に教育補助金を使うのは税金の無駄遣いだ、自閉症など就職できないような学生は学校から追放すべきだ-----こういった優生学的発想を科学思考と妄信して、財政資金を公正に効率的に使用すべきだと主張が広まりつつある。差別であるにもかかわらず、「事実だ」「真理だ」として平然として優生学を信奉するものは、自分や肉親が年をとって体が不自由になり、寝たきりになり、認知症にかかった時も、優生学的発想で、自分や肉親を貶めることができるのであろうか。人の痛みに思いを馳せれば、与えられた命にも、人生にも何か意味がある、どんな人にも使命があるはずだと思い至れば、優生学に基づく差別が、全くの誤りであり、ノーマライゼーションとは正反対の人権侵害であることに気づくであろう。
◆Ohne Angst verschieden(異なることを恐れるな:ドイツ語)はインクルージョン(„Inklusion“、Inclusion)の標語である。つまり、学校と社会・地域における教育にあって、障害を持った人々と健常者がともに学ぶ多様性のある教育を目指す状況であり、ノーマライゼーション(Normalization)、すなわち障害者や多民族を含めたあらゆる多様な人々が支障なく暮らせる社会の一要素である。換言すれば、障害者を含めたあらゆる人々にとっての人権として認められるべきものである。
インクルージョン教育は、男女を問わず、社会的、文化的な起源、性、才能、障害など、全ての人々が、社会の中で平等な参加の機会を与えることを求めている。障害の有無にかかわらず、子どもたちが一緒に学ぶことができることが望まれる。
3.障害者の権利に関する条約:Convention on the Rights of Persons with Disabilities
2007年12月13日、第61回国連総会本会議で次の障害者権利条約が全会一致で採択された。
前文:Preamble
(a) 国際連合憲章において宣明された原則が、人類社会human family のすべての構成員の固有の尊厳及び価値並びに平等のかつ奪い得ない権利が世界における自由、正義及び平和の基礎を成すものであると認めていることを想起し、
(b) 国際連合が、世界人権宣言Universal Declaration of Human Rights及び国際人権規約International Covenants on Human Rightsにおいて、すべての人はいかなる差別もなしに同宣言及びこれらの規約に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明し、及び合意したことを認め、
(c) すべての人権及び基本的自由が普遍的であり、不可分のものであり、相互に依存し、かつ、相互に関連を有すること並びに障害者がすべての人権及び基本的自由を差別なしに完全に享有することを保障することが必要であることを再確認し、
(d) 経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、市民的及び政治的権利に関する国際規約、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約、女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約、拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約、児童の権利に関する条約及びすべての移住労働者及びその家族の構成員の権利の保護に関する国際条約を想起し、
(e) 障害が、発展する概念であり、並びに障害者と障害者に対する態度及び環境による障壁との間の相互作用であって、障害者が他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものによって生ずることを認め、
(f) 障害者に関する世界行動計画及び障害者の機会均等化に関する標準規則に定める原則及び政策上の指針が、障害者の機会均等を更に促進するための国内的、地域的及び国際的な政策、計画及び行動の促進、作成及び評価に影響を及ぼす上で重要であることを認め、
(g) 持続可能な開発の関連戦略の不可分の一部として障害に関する問題を主流に組み入れることが重要であることを強調し、
(h) また、いかなる者に対する障害を理由とする差別も、人間の固有の尊厳及び価値を侵害するものであることを認め、
(i) さらに、障害者の多様性を認め、
(j) すべての障害者(より多くの支援を必要とする障害者を含む。)の人権を促進し、及び保護することが必要であることを認め、
(k) これらの種々の文書及び約束にもかかわらず、障害者が、世界のすべての地域において、社会の平等な構成員としての参加を妨げる障壁及び人権侵害に依然として直面していることを憂慮し、
(l) あらゆる国(特に開発途上国)における障害者の生活条件を改善するための国際協力が重要であることを認め、
(m) 障害者が地域社会における全般的な福祉及び多様性に対して既に又は潜在的に貢献していることを認め、また、障害者による人権及び基本的自由の完全な享有並びに完全な参加を促進することにより、その帰属意識が高められること並びに社会の人的、社会的及び経済的開発並びに貧困の撲滅に大きな前進がもたらされることを認め、
(n) 障害者にとって、個人の自律individual autonomy(自ら選択する自由を含む。)及び自立independenceが重要であることを認め、
(o) 障害者が、政策及び計画(障害者に直接関連する政策及び計画を含む。)に係る意思決定の過程に積極的に関与する機会を有すべきであることを考慮し、
(p) 人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的な、種族的な、原住民としての若しくは社会的な出身、財産、出生、年齢又は他の地位に基づく複合的又は加重的な形態の差別を受けている障害者が直面する困難な状況を憂慮し、
(q) 障害のある女子が、家庭の内外で暴力、傷害若しくは虐待、放置若しくは怠慢な取扱い、不当な取扱い又は搾取を受ける一層大きな危険にしばしばさらされていることを認め、
(r) 障害のある児童が、他の児童と平等にすべての人権及び基本的自由を完全に享有すべきであることを認め、また、このため児童の権利に関する条約の締約国が負う義務を想起し、
(s) 障害者による人権及び基本的自由の完全な享有を促進するためのあらゆる努力に性別の視点を組み込む必要があることを強調し、
(t) 障害者の大多数が貧困の状況下で生活している事実を強調し、また、この点に関し、貧困が障害者に及ぼす悪影響に対処することが真に必要であることを認め、
(u) 国際連合憲章に定める目的及び原則の十分な尊重並びに人権に関する適用可能な文書の遵守に基づく平和で安全な状況が、特に武力紛争及び外国による占領の期間中における障害者の十分な保護に不可欠であることに留意し、
(v) 障害者がすべての人権及び基本的自由を完全に享有することを可能とするに当たっては、物理的、社会的、経済的及び文化的な環境、健康及び教育並びに情報及び通信についての機会が提供されることが重要であることを認め、
(w) 個人が、他人に対し及びその属する地域社会に対して義務を負うこと並びに人権に関する国際的な文書において認められる権利の増進及び擁護のために努力する責任を有することを認識し、
(x) 家族が、社会の自然かつ基礎的な単位であること並びに社会及び国家による保護を受ける権利を有することを確信し、また、障害者及びその家族の構成員が、障害者の権利の完全かつ平等な享有に向けて家族が貢献することを可能とするために必要な保護及び支援を受けるべきであることを確信し、
(y)障害者の権利及び尊厳を促進し、及び保護するための包括的かつ総合的な国際条約が、開発途上国及び先進国において、障害者の社会的に著しく不利な立場を是正することに重要な貢献を行うこと並びに障害者が市民的、政治的、経済的、社会的及び文化的分野に均等な機会により参加することを促進することを確信して、次のとおり協定した。
第一条 目的:Article 1 - Purpose
この条約は、すべての障害者(all persons with disabilities)によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進することを目的とする。
障害者(Persons with disabilities)には、長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な障害を有する者であって、様々な障壁との相互作用により他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げられることのあるものを含む。
第二条 定義
この条約の適用上、
「意思疎通」(Communication)とは、言語、文字表記、点字、触覚を使った意思疎通、拡大文字、利用可能なマルチメディア並びに筆記、聴覚、平易な言葉及び朗読者による意思疎通の形態、手段及び様式並びに補助的及び代替的な意思疎通の形態、手段及び様式(利用可能な情報通信技術を含む。)をいう。
「言語」"Language"とは、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう。
「障害を理由とする差別」(Discrimination on the basis of disability)とは、障害を理由とするあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。障害を理由とする差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。
「合理的配慮」(Reasonable accommodation)とは、障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。
「ユニバーサルデザイン」(Universal design)とは、調整又は特別な設計を必要とすることなく、最大限可能な範囲ですべての人が使用することのできる製品、環境、計画及びサービスの設計をいう。ユニバーサルデザインは、特定の障害者の集団のための支援装置が必要な場合には、これを排除するものではない。
第三条 一般原則:Article 3 - General principles
この条約の原則は、次のとおりとする。
(a) 固有の尊厳inherent dignity、個人の自律individual autonomy(自ら選択する自由を含む。)及び個人の自立(independence of persons)を尊重すること。
(b) 差別されないこと(Non-discrimination)
(c) 社会に完全かつ効果的に参加(participation)し、及び社会に受け入れられること。inclusion in society
(d) 人間の多様性(human diversitydiscrimination)及び人間性(humanity)の一部として、障害者の差異differenceを尊重し、及び障害者を受け入れること。
(e) 機会の均等(Equality of opportunity)
(f) 施設及びサービスの利用を可能にすること(Accessibility)
(g) 男女の平等(Equality between men and women)
(h) 障害のある児童の発達しつつある能力を尊重し、及び障害のある児童がその同一性を保持する権利を尊重すること。
第四条 一般的義務:Article 4 - General obligations
1 締約国は、障害を理由とするいかなる差別もなしに、すべての障害者のあらゆる人権及び基本的自由を完全に実現することを確保し、及び促進することを約束する。このため、締約国は、次のことを約束する。
(a) この条約において認められる権利の実現のため、すべての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとること。
(b) 障害者に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し、又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。
(c) すべての政策及び計画において障害者の人権の保護及び促進を考慮に入れること。
(d) この条約と両立しないいかなる行為又は慣行も差し控え、かつ、公の当局及び機関がこの条約に従って行動することを確保すること。
(e) 個人、団体又は民間企業による障害を理由とする差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとること。
(f) 障害者による利用可能性及び使用を促進し、並びに基準及び指針の整備に当たりユニバーサルデザインを促進するため、第二条に定めるすべての人が使用することのできる製品、サービス、設備及び施設であって、障害者に特有のニーズを満たすために可能な限り最低限の調整及び最小限の費用を要するものについての研究及び開発を約束し、又は促進すること。
(g) 障害者に適した新たな技術(情報通信技術、移動補助具、装置及び支援技術を含む。)であって、妥当な費用であることを優先させたものについての研究及び開発を約束し、又は促進し、並びにその新たな技術の利用可能性及び使用を促進すること。
(h) 移動補助具、装置及び支援技術(新たな技術を含む。)並びに他の形態の援助、支援サービス及び施設に関する情報であって、障害者にとって利用可能なものを提供すること。
(i) この条約において認められる権利によって保障される支援及びサービスをより良く提供するため、障害者と共に行動する専門家及び職員に対する研修を促進すること。
2 締約国は、経済的、社会的及び文化的権利(economic, social and cultural rights)に関しては、これらの権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、また、必要な場合には国際協力の枠内で、措置をとることを約束する。ただし、この条約に定める義務であって、国際法に従って直ちに適用可能なものに影響を及ぼすものではない。
3 締約国は、この条約を実施するための法令及び政策の作成及び実施に当たり、並びにその他の障害者に関する問題についての意思決定過程において、障害者(障害のある児童を含む。)を代表する団体を通じ、障害者と緊密に協議し、及び障害者を積極的に関与させる。
4 この条約のいかなる規定も、締約国の法律又は締約国について効力を有する国際法に含まれる規定であって障害者の権利の実現に一層貢献するものに影響を及ぼすものではない。この条約のいずれかの締約国において法律、条約、規則又は慣習によって認められ、又は存する人権及び基本的自由については、この条約がそれらの権利若しくは自由を認めていないこと又はその認める範囲がより狭いことを理由として、それらの権利及び自由を制限し、又は侵してはならない。
5 この条約は、いかなる制限又は例外もなしに、連邦国家のすべての地域について適用する。
第五条 平等及び差別されないこと(Equality and non-discrimination)
1 締約国は、すべての者が、法律の前に又は法律に基づいて平等であり、並びにいかなる差別もなしに法律による平等の保護及び利益を受ける権利を有することを認める。
2 締約国は、障害を理由とするあらゆる差別を禁止するものとし、いかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な法的保護を障害者に保障する。
3 締約国は、平等を促進し、及び差別を撤廃することを目的として、合理的配慮が提供されることを確保するためのすべての適当な措置をとる。
4 障害者の事実上の平等を促進し、又は達成するために必要な特別の措置は、この条約に規定する差別と解してはならない。
第十二条 法律の前に等しく認められる権利(Equal recognition before the law)
1 締約国は、障害者がすべての場所において法律の前に人として認められる権利を有することを再確認する。
2 締約国は、障害者が生活のあらゆる側面において他の者と平等に法的能力を享有することを認める。
3 締約国は、障害者がその法的能力の行使に当たって必要とする支援を利用することができるようにするための適当な措置をとる。
4 締約国は、法的能力の行使に関連するすべての措置において、濫用を防止するための適当かつ効果的な保護を国際人権法に従って定めることを確保する。当該保護は、法的能力の行使に関連する措置が、障害者の権利、意思及び選好を尊重すること、利益相反を生じさせず、及び不当な影響を及ぼさないこと、障害者の状況に応じ、かつ、適合すること、可能な限り短い期間に適用すること並びに権限のある、独立の、かつ、公平な当局又は司法機関による定期的な審査の対象とすることを確保するものとする。当該保護は、当該措置が障害者の権利及び利益に及ぼす影響の程度に応じたものとする。
5 締約国は、この条の規定に従うことを条件として、障害者が財産を所有にし、又は相続し、自己の会計を管理し、及び銀行貸付け、抵当その他の形態の金融上の信用について均等な機会を有することについての平等の権利を確保するためのすべての適当かつ効果的な措置をとるものとし、障害者がその財産を恣意的に奪われないことを確保する。
第十四条 身体の自由及び安全(Liberty and security of the person)
1 締約国は、障害者に対し、他の者と平等に次のことを確保する。
(a) 身体の自由及び安全についての権利を享有すること。
(b) 不法に又は恣意的に自由を奪われないこと、いかなる自由のはく奪も法律に従って行われること及びいかなる場合においても自由の剥奪が障害の存在によって正当化されないこと。
2 締約国は、障害者がいずれの手続を通じて自由を奪われた場合であっても、当該障害者が、他の者と平等に国際人権法による保障を受ける権利を有すること並びにこの条約の目的及び原則に従って取り扱われること(合理的配慮の提供によるものを含む。)を確保する。
第十九条 自立した生活及び地域社会に受け入れられること
この条約の締約国は、すべての障害者が他の者と平等の選択の機会をもって地域社会で生活する平等の権利を認めるものとし、障害者が、この権利を完全に享受し、並びに地域社会に完全に受け入れられ、及び参加することを容易にするための効果的かつ適当な措置をとる。この措置には、次のことを確保することによるものを含む。
(a) 障害者が、他の者と平等に、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の居住施設で生活する義務を負わないこと。
(b) 地域社会における生活及び地域社会への受入れを支援し、並びに地域社会からの孤立及び隔離を防止するために必要な在宅サービス、居住サービスその他の地域社会支援サービス(人的支援を含む。)を障害者が利用することができること。
(c) 一般住民向けの地域社会サービス及び施設が、障害者にとって他の者と平等に利用可能であり、かつ、障害者のニーズに対応していること。
第二十三条 家庭及び家族の尊重(Respect for home and the family)
1 締約国は、他の者と平等に、婚姻、家族及び親子関係に係るすべての事項に関し、障害者に対する差別を撤廃するための効果的かつ適当な措置をとる。この措置は、次のことを確保することを目的とする。
(a) 婚姻をすることができる年齢のすべての障害者が、両当事者の自由かつ完全な合意に基づいて婚姻をし、かつ、家族を形成する権利を認めること。
(b) 障害者が子の数及び出産の間隔を自由にかつ責任をもって決定する権利並びに障害者が年齢に適した情報、生殖及び家族計画に係る教育を享受する権利を認め、並びに障害者がこれらの権利を行使することを可能とするために必要な手段を提供されること。
(c) 障害者(児童を含む。)が、他の者と平等に生殖能力を保持すること。
2 締約国は、子の後見、養子縁組又はこれらに類する制度が国内法令に存在する場合には、それらの制度に係る障害者の権利及び責任を確保する。あらゆる場合において、子の最善の利益は至上である。締約国は、障害者が子の養育についての責任を遂行するに当たり、当該障害者に対して適当な援助を与える。
3 締約国は、障害のある児童が家庭生活について平等の権利を有することを確保する。締約国は、この権利を実現し、並びに障害のある児童の隠匿、遺棄、放置及び隔離を防止するため、障害のある児童及びその家族に対し、包括的な情報、サービス及び支援を早期に提供することを約束する。
4 締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として適用のある法律及び手続に従いその分離が児童の最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りでない。いかなる場合にも、児童は、自己が障害を有すること又は父母の一方若しくは双方が障害を有することを理由として父母から分離されない。
5 締約国は、近親の家族が障害のある児童を監護することができない場合には、一層広い範囲の家族の中で代替的な監護を提供し、及びこれが不可能なときは、地域社会の中で家庭的な環境により代替的な監護を提供するようあらゆる努力を払うことを約束する。
第二十四条 教育
1 締約国は、教育についての障害者の権利を認める。締約国は、この権利を差別なしに、かつ、機会の均等を基礎として実現するため、次のことを目的とするあらゆる段階における障害者を包容する教育制度及び生涯学習を確保する。
(a) 人間の潜在能力並びに尊厳及び自己の価値についての意識を十分に発達させ、並びに人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重を強化すること。
(b) 障害者が、その人格、才能及び創造力並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。
(c) 障害者が自由な社会に効果的に参加することを可能とすること。
2 締約国は、1の権利の実現に当たり、次のことを確保する。
(a) 障害者が障害を理由として教育制度一般から排除されないこと及び障害のある児童が障害を理由として無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されないこと。
(b) 障害者が、他の者と平等に、自己の生活する地域社会において、包容され、質が高く、かつ、無償の初等教育の機会及び中等教育の機会を与えられること。
(c) 個人に必要とされる合理的配慮が提供されること。
(d) 障害者が、その効果的な教育を容易にするために必要な支援を教育制度一般の下で受けること。
(e) 学問的及び社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられることを確保すること。
3 締約国は、障害者が地域社会の構成員として教育に完全かつ平等に参加することを容易にするため、障害者が生活する上での技能及び社会的な発達のための技能を習得することを可能とする。このため、締約国は、次のことを含む適当な措置をとる。
(a) 点字、代替的な文字、意思疎通の補助的及び代替的な形態、手段及び様式並びに適応及び移動のための技能の習得並びに障害者相互による支援及び助言を容易にすること。
(b) 手話の習得及び聴覚障害者の社会の言語的な同一性の促進を容易にすること。
(c) 視覚障害若しくは聴覚障害又はこれらの重複障害のある者(特に児童)の教育が、その個人にとって最も適当な言語並びに意思疎通の形態及び手段で、かつ、学問的及び社会的な発達を最大にする環境において行われることを確保すること。
4 締約国は、1の権利の実現の確保を助長することを目的として、手話又は点字について能力を有する教員(障害のある教員を含む。)を雇用し、並びに教育のすべての段階に従事する専門家及び職員に対する研修を行うための適当な措置をとる。この研修には、障害についての意識の向上を組み入れ、また、適当な意思疎通の補助的及び代替的な形態、手段及び様式の使用並びに障害者を支援するための教育技法及び教材の使用を組み入れるものとする。
5 締約国は、障害者が、差別なしに、かつ、他の者と平等に高等教育一般、職業訓練、成人教育及び生涯学習の機会を与えられることを確保する。このため、締約国は、合理的配慮が障害者に提供されることを確保する。
第二十七条 労働及び雇用 Work and employment
1 締約国は、障害者が他の者と平等に労働についての権利を有することを認める。この権利には、障害者に対して開放され、障害者を受け入れ、及び障害者に利用可能な労働市場及び労働環境において、障害者が自由に選択し、又は承諾する労働によって生計を立てる機会を有する権利を含む。締約国は、特に次のことのための適当な措置(立法によるものを含む。)をとることにより、労働についての障害者(雇用の過程で障害を有することとなった者を含む。)の権利が実現されることを保障し、及び促進する。
第二十八条 相当な生活水準及び社会的な保障 Adequate standard of living and social protection
1 締約国は、障害者及びその家族の相当な生活水準(相当な食糧、衣類及び住居を含む。)についての障害者の権利並びに生活条件の不断の改善についての障害者の権利を認めるものとし、障害を理由とする差別なしにこの権利を実現することを保障し、及び促進するための適当な措置をとる。
◆ J-CASTテレビウォッチヒトラーに傾倒していた植松聖・・・「T4作戦」を真似た?障害者を大虐殺(2016/7/29)によれば、「神奈川・相模原市の「津久井やまゆり園」を襲って45人を殺傷した元職員・植松聖容疑者は犯行前から「ヒトラーの思想が降りてきた」と話していたというが、ナチスを研究している東海大・鳥飼行博教授は植松の犯行とヒトラーの思想には「類似点がある」という。
“「一番気になるのは(植松が衆院議長に届けた手紙にある)『安楽死できる世界』という部分です。この言葉はまさにヒトラーが使った言葉です。ヒトラーは障害者に税金を使うことを無駄遣いと考えていたんです」
大学でも「ヒトラー研究の講座」受講: ヒトラーは「T4作戦」と称し、知的障害者や精神障害者を安楽死と称して虐殺した。これをマネたのか、植松の手紙にも「作戦」の文字が出てくる。大学時代の友人によると、植松はヒトラーを取り上げた講義を受けていた。講義では障害者や人種差別を取り上げたディスカッションも行われた。そうしたことを通じて、植松はヒトラーの思想に傾倒していったのだろうか」
◆日本テレビNEWS ZERO(2016年7月28日放送23:00)と日本テレビ「スッキリ!!」(同年7月29日8:00放送)
19人が刺殺された津久井やまゆり園の前に設置された献花台には多くの花が手向けられ、訪れた人は哀悼の意を表す一方、事件への怒りを示した。また発達障害のある元利用者は悲嘆に暮れ、犠牲者へ涙を流していた。殺人などの疑いで逮捕された同施設の元職員は今年に入ってから言動の異常さがエスカレートし、2月19日には他人を傷つける恐れがあるとして措置入院させられた。その際に独裁者・ヒトラーに傾倒する発言をし、友人には障害者を殺害すると口にしていたという。ナチスを研究する東海大学の鳥飼行博教授は容疑者が今年2月に衆議院議長に宛てた手紙に着目し、安楽死という言葉がヒトラーの思想に通ずると指摘。容疑者は障害者に税金を使うことは無駄遣いで、国にとっては無用な存在と考え、ヒトラーもT4作戦において知的障害者、精神障害者を安楽死と称して虐殺したとされる。弱者は無用という考えは戦争中に広がりやすいといい、今月上旬に配信された動画内で容疑者は今は戦時下にあるなどと力説していた。容疑者は大学時代にヒトラーを取り入れた講義を受講したことがあり、障害者や人種差別のディスカッションを通してヒトラーを崇めるようになっていったという。津久井やまゆり園の園長は容疑者の口ぶりから、ナチス・ドイツの考え方を感じたという。また措置入院の際に容疑者からは大麻の陽性反応が出て、昨日の家宅捜索によって植物片が発見された(NEWS ZERO引用終り)。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
⇒ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
⇒ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
⇒ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
⇒ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
⇒ヒトラー:Hitler
⇒ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
⇒ハワイ真珠湾奇襲攻撃
⇒ハワイ真珠湾攻撃の写真集
⇒開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
⇒サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
⇒沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
⇒沖縄特攻戦の戦果データ
⇒戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
⇒海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
⇒ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒VI号ティーガー重戦車
⇒V号パンター戦車
⇒ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
⇒ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
⇒ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
⇒イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
⇒イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
⇒イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
⇒イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
⇒アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
⇒アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
⇒イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
⇒シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
⇒英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
⇒アンネの日記とユダヤ人
⇒与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
⇒ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
⇒ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
⇒ハンセン病Leprosy差別
2016年7月開設の鳥飼行博研究室当サイトへのご訪問ありがとうございます。写真,データなどを引用する際は,URLなど出所を明記してください。
連絡先:
torikai007@yahoo.co.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
Fax: 0463-50-2078
東海大への行き方|How to go
Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 6000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials
from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the
URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai
Yukihiro, who is web archive maintainer.
Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2016 All Rights Reserved.