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◆ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
写真(右)1942-1944年、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )Bv 222C-9大型六発輸送機「ヴィーキング」"Wiking"
;ブラモBMW323Rファニール( Fafnir )空冷星型9気筒エンジン(1,000馬力)6基を装備したBV 222試作1号機は、1940年9月7日に初飛行した。しかし、戦局は、このような大型四発飛行艇を量産することを許さなかった。生産機数は、試作機を合わせて合計13機のみ。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932915 - Catalog:16_005041 - Title:Blohm & Voss Bv 222C-09 Nowarra photo - Filename:16_005041.TIF
写真はFlikers, SDASM Archives PictionID:43932915 引用。

写真(右)1942-1944年、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )Bv 222V-7 (C-07)六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking".試作7号機(TB+QL)
;ユンカース ユモJumo207Cディーゼルエンジン(1,000馬力)6基を装備したV7試作7号 (TB+QL)は、1943年4月1日に初飛行を行ったが、C型の原型となった。離陸最大重量50,000 kg、航続距離6,100 km。BV222飛行艇の量産型はC型で、量産型はC-09、C-010、C-011、C-12、C-13の4機のみ。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932903 - Catalog:16_005040 - Title:Blohm & Voss Bv 222V-7 Nowarra photo - Filename:16_005040.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlikers, SDASM Archives Catalog: 16_005040引用。

ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)が国会議長に就任。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月,ドイツ再軍備宣言German re-armament)によって新設された空軍の総司令官に就任。

写真(右)1944年8月3日、ドイツ、東プロイセン、タンネンベルク(Tannenberg)のタンネンベルク記念碑(ヒンデンブルク大統領埋葬地)におけるドイツ空軍参謀長ギュンター・コルテン大将(Günter Korten)の葬儀に出席した空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥:ドイツ空軍参謀長ギュンター・コルテン大将は、1944年7月20日、ラステンブルク大本営にシュタウフェンベルク大佐がヒトラー暗殺を狙って仕掛けた時限爆弾で重傷を負い、1944年7月22日に死亡した。空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングは、1893年、ドイツ帝国外交官を父とする上流階級に誕生、恵まれたな子供時代を過ごし、1905年、カールスルーエの幼年士官学校に入学、卒業後、1909年に士官学校Staff College)に入学して、第一次大戦の始まる1914年に陸軍少尉として歩兵部隊に配属。第一次世界大戦の緒戦では 歩兵として戦ったが、10月からドイツ陸軍航空隊へ移動、当初は偵察員、1915年からは、戦闘機パイロットとして西部戦線で戦った。1918年6月の敗戦の年に最高勲章のプール・ル・メリット勲章Pour-le-Merite)を授与された。ヘルマン・ゲーリングは、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンManfred von Richthofen)が率いていた戦闘機大隊指揮官として敗戦を迎えた。1922年から1923年に、ミュンヘン大学で学んでいるときに、ナチ党総統ヒトラーに出会い、入党する。第一次大戦のエースとしてナチ党の看板となり、突撃隊司令官として、上流階級とナチ党との仲を取り持つことになった。しかし、1923年11月、ヒトラー主導の武装蜂起「ミュンヘン一揆」(Beer Hall Putsch)は失敗し、銃弾を受けたゲーリングは、外亡したものの、治療のために投与したモルヒネの中毒となった。
1911年5月13日、士官候補生、1914年1月20日、少尉、1916年8月18日、中尉、1920年6月8日、名誉階級大尉、1933年8月30日、名誉階級歩兵大将、1935年5月21日、空軍大将、1936年4月20日、上級大将、1938年2月4日、元帥、1940年7月19日、国家元帥 1923年3月1日、SA最高指導者、1931年12月18日、SA中将、1933年1月1日、SA大将。
Berlin, Internationale Jagdausstellung Eröffnung der internationalen Jagdausstellung 1937 in den Ausstellungshallen des Kaiserdamm Nach der Eröffnung unternahm Ministerpräsident Göring einen Rundgang durch die Ausstellung. Unser Bild zeigt ihn in der polnischen Abteilung.Date 1937 Photographer Unknown Institution German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
写真は Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-676-7968-35A, Beerdigung von Generaloberst Günter Korten.jpg引用。


⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。

1.ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV222「ヴィーキング」"Wiking"六発大型飛行艇

写真(右)1940年、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-1六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"試作1号機(登録コード:D-ANTE);BV 222試作1号機は、ブラモ BMW Bramo 323R ファニール(Fafnir)空冷星型9気筒エンジン(1,000馬力)6基を装備、民間登録記号D-ANTEをつけて、1940年9月7日に初飛行したが、戦局は、このような六発大型飛行艇を量産することを許さなかった。生産機数は、事実上試作機として合計13機のみ。
Beeldnummer 109 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Transportvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift: Blohm & Voss Bv 222 'Wicking', neues leutsches Grossflugboot. Das neue deutsche Grossraumflugboot 'Wicking' ist derzeit das grösste Flugboot der deutschen Lufwaffe. Das zweistöckige Boot ist 37 m lang und 5,6 hoch, die Spannweite der Tragfläche beträgt 46 m.
写真はFlikers, BeeldbankWo2 Beeldnummer 109引用。


1930年代後半、ドイツ・ルフトハンザ航空Deutsche Luft Hansa)は、大西洋航路で使用可能な長距離大型旅客輸送機を求めていたが、大重量、大量の燃料を積んで離陸する巨大な滑走路が不必要で、非常時には海上に不時着可能な安全性の高い飛行艇式の旅客輸送機が有利ではないかと目されていた。そこで、巨大旅客飛行艇の開発を、リヒャルト・フォークト博士に依頼し、BV 222飛行艇3機を発注した。試作機V1号機の製造は1938年1月から開始し、第二次大戦勃発1年後の1940年9月7日に、初飛行を実施した。ペイロードは、乗客92名あるいは救急担架72基で、最高速力は385 km/hで早いとはいえなかった。

写真(右)1940-1944年、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-1六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"試作1号機;BV 222試作1号機は、リヒャルト・フォークトRichard Vogt)設計のブラモ BMW Bramo 323R 博士の主導で、ファニール(Fafnir)空冷星型9気筒エンジン(1,000馬力)6基を装備、1940年9月7日に初飛行したが、戦局は、このような六発大型飛行艇を量産することを許さなかった。生産機数は、事実上試作機として合計13機のみ。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932940 - Catalog:16_005043 - Title:Blohm & Voss Bv 222 V-1 D-ANTE Nowarra photo - Filename:16_005043.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlikers, SDASM Archives Catalog: 16_005043引用。


ドイツ・ルフトハンザ航空は、ドイツ〜アメリカ間を横断できる長距離旅客飛行艇を求めており、旅客16名、飛行時間20時間の要望を出していた。これにブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)社が応じて開発したのが、リヒャルト・フォークトRichard Vogt)設計のBv 222大型輸送飛行艇だったが、試作機完成前の1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、民間の長距離旅客機としての需要は途絶えてしまった。

写真(右)1940-1943年頃、停泊するブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-1六発輸送飛行艇「ヴィーキング」"Wiking".試作1号機;BV 222試作1号機は、1940年9月7日に初飛行したが、実用化するために改良を施した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932952 - Catalog:16_005044 - Title:Blohm & Voss Bv 222V-1 2nd marking Nowarra photo - Filename:16_005044.TIF
写真はFlikers, SDASM Archives Catalog:16_005044引用。


大戦勃発に伴って、ブローム・ウント・フォス BV222大型飛行艇は、軍用への転換が期待され、試作機は1940年9月に初飛行に成功、軍用輸送機として実験的に配備されることとなった。軍隊輸送用に、機体に大型扉を設け、ノルウェー方面への輸送任務に投入されたのである。結果は良好だったが、試作2号機以降は、戦時であることを配慮して、防御兵装として、機関銃を装備するようになった。また、輸送任務だけではなく、長い航続距離を活かして、遠距離哨戒偵察機としても採用され、1943年には、BV222飛行艇に対艦船用レーダーのFuG200ホーエンツベル捜索レーダーを搭載した。

写真(右)1940-1944年、ブラモ(Bramo)323空冷星形エンジン6基を装備したブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-1六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking".試作1号機;BV 222試作1号機は、1940年9月7日に初飛行したが、戦局は、このような大型四発飛行艇を量産することを許さなかった。着水時に事故を起こしたのか、進水して機体前部が沈下した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932977 - Catalog:16_005046 - Title:The end of Blohm & Voss Bv 222V-1 - Filename:16_005046.TIF
写真はFlikers, SDASM Archives Catalog:16_005046引用。


 飛行機設計者リヒャルト・フォークトRichard Vogt)は、1894年12月19日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴェービッシュ・グミュントこ生まれた。第一次大戦に参加、復員後、シュトゥットガルト工科大学で、航空工学を学んだ。その後、1923年にリヒャルト・フォークトRichard Vogt)博士は、日本の川崎航空に招聘され、神戸でライセンス生産されていたドルニエ設計の機体をベースに、日本陸軍用に九二式複葉戦闘機、八八式複葉偵察機などを開発した。

1933年にナチ党政権下のドイツに帰国したリヒャルト・フォークトRichard Vogt)博士は、ブローム・ウント・フォス社の主任設計技師に就任した。ここで、ブローム・ウント・フォスBV 138飛行艇、Ha140水上雷撃機、 BV141偵察機(非対称機)、BV 222大型飛行艇 ヴィーキング、BV238巨人飛行艇などを開発した。第二次大戦でドイツが降伏した後は、アメリカ軍が枢軸国の高度技術取得のために行ったペーパークリップ作戦Operation Paperclip)の恩恵に浴し、アメリカに移住して、アメリカ軍の下で軍事研究に従事した。

写真(右)1940-1943年、飛翔するブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-1六発輸送飛行艇「ヴィーキング」"Wiking".試作1号機の正面;BV 222試作1号機は、1940年9月7日にブラモ BMW Bramo 323R ファニール(Fafnir)空冷星型9気筒エンジン(1,000馬力)6基を装備して初飛行した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43933148 - Catalog:16_005060 - Title:Blohm & Voss Bv 222V-1 - Filename:16_005060.TIF
写真はFlikers, SDASM Archives PictionID: 43933148引用。


1937年、第二次大戦勃発2年前、ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーErich Raeder)提督は、国防軍総司令官ブロンベルク元帥に対して、沿岸防衛の範囲に関して、ドイツ海軍とドイツ空軍との分担の取り決めを依頼したが、実際に海軍と空軍の責任範囲について協定文書がまとまったのは、戦争直前の1939年2月3日だった。これは、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)を置き、戦時には海軍司令部空軍代表を海軍総司令官の指揮下に行動するというものである。しかし、ドイツ近海を離れた海上は、ドイツ空軍の責任範囲で、ドイツ海軍が作戦行動を行う場合のみ、ドイツ海軍が哨戒偵察の責任を負うとした。また、水上艦艇同士の海戦、航空機による機雷敷設については、海軍と空軍の合意のもとに、実施するとした。

しかし、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(Befehlshaber der U-Boote: BdUカール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督の指揮する潜水艦Uボートは、当時、レーダーを搭載しておらず、船団攻撃のためには、空中哨戒偵察が効果的であると考えられ、1941年1月になって、潜水艦の交通破壊戦を支援するための長距離海上偵察部隊として、フォッケウルフFw200コンドルCondor)を配備した第40爆撃航空団の一部をドイツ海軍総司令官の指揮下に置くことが提言された。しかし、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)国家元帥は、航空兵力は全て空軍に所属するとの原則を強硬に主張し 海上哨戒偵察部隊は、ドイツ空軍が大西洋航空司令部の隷下として、潜水艦Uボート部司令部と協力することとなった。こうして、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)は、指揮権のない空軍の連絡絡官・副官のような存在となった。1941年12月、ドイツ海軍は艦載水上偵察機を除いた航空兵力の指揮も行ったが、形式的な指揮権は空軍の指揮下に入れ、海上作戦における航空兵力の指揮権は、ドイツ空軍が独占する形となった。

写真(右)1940-1944年、正面から撮影されたブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V2大型輸送機「ヴィーキング」"Wiking"試作2号機の6基のブラモ(Bramo)323空冷星形エンジン(1000馬力)
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932965 - Catalog:16_005045 - Title:Blohm & Voss Bv 222V-2 Nowarra photo - Filename:16_005045.TIF
写真はFlikers, SDASM Archives PictionID: 43932965引用。


ドイツ語「U-Boot(ウーボート:Unterseeboot)」とは、水面下の艦船の意味で、狭義には、ドイツ海軍の潜水艦を意味する。英語でもU-Boat(ユーボート)といわれるが、これも第一次世界大戦および第二次世界大戦でイギリス本土を封鎖しようとした敵国ドイツ海軍の潜水艦を指示している。Uボートは、ハンブルクを中心としたブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)など造船所で建造され、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(Befehlshaber der U-Boote: BdUカール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督の指揮下に置かれた。第二次大戦当初、レーダーを搭載しておらず、目標とする敵艦船を目視によって発見するしかなかった。また、海面上5メートルもない潜水艦艦橋からの視界は限られており、敵発見は天候・気象にも依存した困難な任務だった。

 敵艦船発見を容易にするため、潜水艦の目となるような航空機によって、洋上哨戒偵察をすることが考えられた。しかし、ドイツでは空飛ぶ兵器、軍用機はみなドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)の指揮下に置くという原則があった。そのため、ドイツ海軍航空隊は、海軍艦艇に搭載する偵察用艦載水上機程度しか保有を許されなかった。その後、1941年3月にはドイツ空軍第三航空軍の下に、大西洋司令部(Fl.F.Atlantic) が置かれ、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(Befehlshaber der U-Boote: BdU)と連携して、水上基地航空部隊や洋上航空部隊の作戦が展開されるようになった。特に、フォッケウルフFw200コンドル長距離偵察哨戒機を配備した第40爆撃航空団第1飛行隊(I/KG40)は、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl D6ouml;nitz)提督隷下の潜水艦Uボートと連携した交通破壊戦に参加し、大きな戦果を挙げた。

写真(右)1941-1943年、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-3六発輸送飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"試作3号機の胴体全部上方;動力銃座には、15ミリMG151機関銃1丁が搭載されている。V3 (当初の登録コード:DM+SD)は、1941年11月28日に初飛行し、1941年12月9日に、登録コードをLTS 222に変更した。V1が喪失したため、V3はドイツハンブルクで防御用の火器を搭載した。1943年6月20日、 Bv 222V3大型輸送飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"試作3号機は、南フランス大西洋岸のビスカロッス (Biscarrosse)で、Bv 222V‐5飛行艇試作5号機とともに、イギリス空軍(RAF)第264戦闘飛行隊(No. 264 Squadron)所属の デハビラント・モスキート(de Havilland Mosquitos)によって破壊された。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43933037 - Catalog:16_005051 - Title:New MG 157 turret on Blohm & Voss Bv 222V-3 after modification Nowarra photo - Filename:16_005051.TIF
写真はFlikers, SDASM ArchivesPictionID:43932965引用。


写真(右)1940-1944年、側面から撮影されたブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V‐5六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"試作5号機の主翼上面動力銃座(20ミリMG 151機関銃1丁);1943年6月20日、 南フランス大西洋岸のビスカロッス (Biscarrosse)で、Bv 222V‐5六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"試作5号機は、Bv 222V‐3飛行艇試作3号機とともに、イギリス空軍(RAF)第264戦闘飛行隊(No. 264 Squadron)所属の デハビラント・モスキート(de Havilland Mosquitos)によって破壊された。<
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932879 - Catalog:16_005038 - Title:Wing MG of Blohm & Voss Bv 222 V-5 after modification Nowarra photo - Filename:16_005038.TIF
写真はFlikers, SDASM Archives PictionID:43932879 引用。


ブローム・ウント・フォス Blohm & Voss Bv 222C-0飛行艇は、偵察用として、防御用火器を搭載した。
機首銃座:13ミリMG 131旋回機銃1丁
胴体側方銃座:13ミリMG 131旋回機銃4丁
胴体後上方動力銃座:20ミリMG 151機関銃1丁
主翼上面動力銃座:20ミリMG 151機関銃1丁2基


写真(上)1940年、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-1六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"試作1号機(登録コード:D-ANTE)
;BV 222試作1号機は、ブラモ BMW Bramo 323R ファニール(Fafnir)空冷星形エンジン(1000馬力)6基を装備、民間登録記号D-ANTEをつけて、1940年9月7日に初飛行したが、戦局は、このような六発大型飛行艇を量産することを許さなかった。生産機数は、事実上試作機として合計13機のみ。
Beeldnummer 110 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Transportvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Das Grossraumflugboot Blohm & Voss Bv 222 'Wicking'. Die Maschine ist das grösste Flugzeug der deutschen Lufwaffe. Die sechs Motoren arbeiten mit einer Stärke von 7000 PS und geben dem Grossflugboot eine hohe Geschwindigkeit und eine grosse Reichweite, so dass die BV 222 an allen Fronten eingesetzt werden kann. Die Spannweite beträgt 46, die Länge des Bootes 37 Meter. Platz für hundert Mann feldmarschmässig ausgerüsteter Infanterie. Die Fassungskraft der riesigen Maschine ist gewaltig. Tausende von Verwundeten und mehrere Divisionen hat sie shon während ihres Einsatzes im Osten, Süden und Westen der Front transportiert. An Güter würden bis zu sechs vollständige Triebswerke auf einem einzigen Fluge in dem zweistöckigen Grossraumflugboot überführt.
写真はFlikers, BeeldbankWo2 Beeldnummer 110 引用。


写真(右)1940-1942年、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )Bv 222V-8六発輸送飛行艇「ヴィーキング」"Wiking".試作8号機;BV-222 V-8試作8号機は、1942年8月21日、イタリア半島タラントから北アフリカ、リビア、トリポリに輸送任務に就いているときに、イギリス空軍ブリストル(Bristol)ボーファイター(Beaufighter)双発戦闘機に襲撃され、V-6とともに撃墜された。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932867 - Catalog:16_005037 - Title:Blohm & Voss Bv 222 V-8 Nowarra photo - Filename:16_005037.TIF
写真はFlikers, SDASM Archives Catalog: 16_005037引用。


ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-8試作8号機は、1942年8月21日、イタリア半島タラントから北アフリカ、リビア、トリポリに物資輸送の任務に就いたが、地中海上で、イギリス空軍(RAF)双発戦闘機ブリストル(Bristol)ボーファイターに迎撃され、BV-222 V-6とともに撃墜された。

写真(右)1940-1944年、側面から撮影されたブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-8大型輸送機「ヴィーキング」"Wiking"試作8号機;ブラモ BMW Bramo 323 ファニール(Fafnir)空冷星形エンジン(1000馬力)6基装備。飛行艇用の浅い海面に、機体を支える車輪台の上に置かれている。機体の後方の傾斜ランプは、胴体尾部と接近しており、整備や貨物の出し入れに便利なように配慮されている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932891 - Catalog:16_005039 - Title:Blohm & Voss Bv 222 V-8 with military markings Nowarra photo - Filename:16_005039.TIF
写真はFlikers, SDASM Archives PictionID:43932891 引用。


ブローム・ウント・フォス Blohm & Voss Bv 222 Wiking C六発大型飛行艇は、初期に生産された8機は、試作機としてV1からV8と命名された。BV-222飛行艇の後期生産型は量産機で、V-9が Bv 222C-0とされ、C-09からC-013までの形式で呼ばれることになる。

写真(右)1940-1944年、飛翔するブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )Bv 222C六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking";Bv 222 V-9は、量産機Bv 222 C-0となったが、固有機はC-09からC-013までの名称が与えられた。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932928 - Catalog:16_005042 - Title: Blohm & Voss Bv 222 C-010 Nowarra photo - Filename:16_005042.TIF
写真はFlikers, SDASM Archives Catalog:16_005042引用。


ブローム・ウント・フォス Blohm & Voss Bv 222 Wiking「ヴィーキング」飛行艇の発動機は、ブラモ BMW Bramo 323 ファニール空冷星型エンジン(1000馬力)6基だが、後に航続距離を延長するために、ユンカース ユモ Jumo207Cディーゼルエンジン(1000馬力)6基に換装された。ディーゼルエンジンのため、共同作戦行動をとるドイツ海軍潜水艦Uボートと同じディーゼル油(軽油)を使用したため、潜水艦による洋上での燃料補給・給油が受けやすくなった。C-013は、ユモJumo205C6基を装備している。

ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss) Bv 222の発動機は、当初、ブラモ 323 ファニール 空冷星型エンジン6基を装備していたが、後にユンカース ユモ 207ディーゼルエンジン6基に換装された。燃費のいいディーゼルエンジンで航続距離を延長し、さらにUボートの搭載した同じディーゼル燃料を洋上給油することができる利点がある。

写真(右)1940-1943年,輸送任務に就くドイツ空軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222大型輸送飛行艇(登録コード: X4+AH):飛行艇は、全長37m、全幅46m、全高5.6m、6基のブラモ BMW Bramo 323 ファニール( Fafnir )空冷星型9気筒エンジン(1,000馬力)で合計7000PSを発揮した。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1978-061-09
Original title: info BV 222 "Wiking" - neues deutsches Großflugboot Das neue deutsche Großraumflugboot der Blohm und Voss Werke BV 222 "Wiking", ist derzeit das größte Flugboot der deutschen Luftwaffe. Das zweistö&ckige Boot ist 37 Meter lang und 5,6 Meter hoch, die Spannweite der Tragflächen beträgt 46 Meter. Die sechs Motoren arbeiten mit einer Stärke von 7000 PS und geben ihm eine hohe Geschwindigkeit und große Reichweite. Starke Bewaffnung an Kanonen und Maschinengewehren gewä&hrleisten ihre Sicherheit und Luftü&berlegenheit bei feindlichen Luftangriffen.
S6355
Archive title: Flugboot Blohm & Voss Bv 222 V1 (Kennung X4+AH ?) im Flug Dating: 1940/1943 ca. Photographer: o.Ang. Agency: Transocean-Europapress Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録:Bundesarchiv Bild 146-1978-061-09, Großflugboot BV 222 "Wiking".jpg引用。


ブローム・ウント・フォス Blohm & Voss Bv 222六発大型飛行艇C-09は、1945年4月24日、ドイツ、ブレーメン北東40キロの湖、ゼードルフ(Seedorf)で、イギリス空軍第439戦闘飛行隊(No. 439 Squadron)所属のホーカー・テンペスト(Hawker Typhoon)によって破壊された。BV 222 C-011, C-012、C-013の3機は、連合軍によって鹵獲された。 C-012は、ノルウェー北部、ナルビク北100キロソレイサで鹵獲された。C-011、C-013は、アメリカ軍に鹵獲された。

写真(右)1942年3月12日、イタリア領リビア植民地、トリポリを偵察した西側連合勲偵察機によって、港湾に停泊待機中のドイツ空軍ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"4機が写真撮影された。;ファニール(Fafnir)空冷星型9気筒エンジン(1,000馬力)6基を装備して、1940年9月7日に初飛行したBV222飛行艇は、合計13機が生産された。其の内の少なくとも4機が地中海方面、北アフリカに戸入された。
Title:80-G-350011 Tripoli Harbor, Libya
Caption:Aerial reconnaissance photograph dated 12 March 1942, with arrows marking the positions of four large German BV-222 transport flying boats. This is a halftoned image. Copyright Owner:National Archives
Original Creator: Original Date:Thu, Mar 12, 1942
After this Year:1939 Before this Year:1945
Original Medium:BW Photo
写真は, Naval History and Heritage Command Description: Catalog #:80-G-350011 109引用。


アメリカ、イギリス、オランダ、日本、イタリアの海軍は、航空隊として、飛行艇や水上機を多数配備されていたが、ドイツ軍では、これらの飛行艇・水上機の大半も、空軍の所属だった。あらゆる飛行機は、空軍の英雄ヘルマン・ゲーリング司令官が所轄するとされたため、ドイツ海軍の基地航空隊はほぼ皆無で、若干の艦載水上偵察機を保有するだけだった。空軍の隷下に置かれた飛行艇、水上機は、ドイツ海軍の指揮下にある艦艇、潜水艦との連携、通信には不都合な面があったようだ。

ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222飛行艇試作機V1は、1941年8月19日までの7回の運航で、ハンブルクとノルウェー北部のヒルケネス間を合計65トンの貨物、負傷者221名をの負傷兵を運んだ。総飛行距離は3万キロに達した。1940年4月9日、ドイツのノルウェー侵攻に呼応して、ノルウェーの政治家ヴィドクン・クヴィスリングVidkun Quisling)は、自らを首班とする臨時政府を樹立し、1942年2月には、アドルフ・ヒトラーの下で、クヴィスリングは首相に任命され、ノルウェーは親ドイツ傀儡政権が支配するようになった。また、BV222飛行艇は、地球海方面面では、1941年10月16日から11月6日の17回の運航で、北アフリカに派遣されたドイツ・アフリカ軍団に対する物資を補給した。

写真(右)1942年12月,北アフリカ、チュニジア海岸で輸送任務に就くドイツ空軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222飛行艇:発動機はブラモ BMW Bramo 323 ファニール(Fafnir)6基を搭載、この6基ものエンジンを調整するために、BV222には機関士2名が搭乗した。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-446-1929-07
Archive title: Nordafrika, Tunesien.- Flugboot Blohm & Voss Bv 222; KBK Lw 7 Dating: Dezember 1942 Photographer: Bauer Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )Bv 222大型輸送飛行艇機「ヴィーキング」"Wiking"は、胴体は最上階が平坦な床板の大型貨物室で、貨物は主翼の後方右側に大型扉を装備しており、ここから出し入れした。

写真(右)1942-943年,フランス、輸送任務に就くドイツ空軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222飛行艇:6基のブラモ BMW Bramo 323 ファニール(Fafnir)を調整するために、BV222には機関士2名が搭乗した。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-618-2646-39 Archive title: Frankreich.- Nachschub, Transport. Landung eines Flugbootes Blohm & Voss Bv 222 Wiking, am Ufer wartende Soldaten, Treibstofffässer; KBK Lw zbV Dating: 1942/1943 Photographer: Beer Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


 ブローム・ウント・フォスBV 238飛行艇は、BV222飛行艇よりスケールが大きく、6基のディーゼルエンジンを搭載、より長距離飛行が可能だったが、試作1機だけが製造された。ヨーロッパからアメリカまでの飛行が可能な軍用機として、戦争末期にもかかわらず、試作が行われ、実機が完成、飛行試験をしている。

写真(右)1945年5月以降、ドイツ敗戦後、迷彩塗装をして隠匿されていたドイツ軍のブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss) Bv 222C-09六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking";年後になってアメリカ軍が鹵獲した機体。
Description A captured German Blohm & Voss BV 222 seaplane at Trondheim, Norway, undergoing tests by the U.S. Navy, probably 1945-46. Date between 1945 and 1946 Source U.S. Navy Naval Aviation News September 1948 [1] Author USN
写真はFlikers, Wikimedia Commons, File:BV222 USN Trondheim NAN9-48.jpg引用。



Blohm Voss BV 222 Wiking y Blohm Voss BV 238


2.ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 238大型飛行艇

写真(右)1944年中頃,ドイツ、ドイツ空軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 238 V1飛行艇(登録コード:RO+EZ)
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-667-7143-02 Archive title: Flugboot Blohm & Voss BV 238V1 (Kennung RO+EZ) auf einem See wassernd; PK Eins Kp Lw zbV Dating: 1944 Mitte Photographer: Hoffmann Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 ・Bundesarchiv Bild 101I-667-7143-02, Flugzeug Blohm - Voß BV 238 V1.jpg引用。


1941年、ドイツ航空省は、ブローム・ウント・フォスに長距離飛行可能な大型飛行艇の開発を依頼し、チェコで4分の1のサイズの実験機が製造された。

ドイツ、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)が開発したBV 238飛行艇は、全幅60.17 m、全長43.36 m、ダイムラー・ベンツDB 603液冷倒立V12気筒エンジン(1750 hp)6基を装備し、第2次世界大戦末期、1944年3月11日に飛行した世界最大級の飛行機である。ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss BV 238V1の記録は、1947年11月2日にアメリカ、ヒューズが開発した H-4 ハーキュリーズHughes H-4 Hercules)試作機(全幅97.51 m、全長 66.65 )が海面を離れるまで、破られていない。

写真(右)1944年中頃,ドイツ、ドイツ空軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 238 V1飛行艇(登録コード:RO+EZ)
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-667-7142-24 Archive title: Flugboot Blohm & Voss BV 238V1 (Kennung RO+EZ) auf einem See wassernd; PK Eins Kp Lw zbV Dating: 1944 Mitte Photographer: Hoffmann Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 ・Bundesarchiv Bild 101I-667-7142-24, Flugzeug Blohm - Voß BV 238 V1.jpg引用。


ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 238 V1飛行艇(登録コード:RO+EZ) の諸元
搭乗員:12名
全長:43.36 m、全幅:60.17 m 、全高:12.80 m
翼面積:360平方メートル
空虚重量:5万4,700 kg
総重量:9万0,000 kg
発動機:ダイムラー・ベンツDB 603G 12気筒液冷エンジン1,900 馬力6基
最高速力:425 km/h、巡行速度:350 km/h
着水速度:143 km/h
実用常用限度:7,300 m
航続距離: 6,620 km

写真(右)1944年中頃,ドイツ、ドイツ空軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 238 V1飛行艇(登録コード:RO+EZ)
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-667-7143-06 Archive title: Flugboot Blohm & Voss BV 238 V1 (Kennung RO+EZ) im Flug über einem See; PK Eins Kp Lw zbV Dating: 1944 Mitte Photographer: Hoffmann Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 ・Bundesarchiv Bild 101I-667-7143-06, Flugzeug Blohm - Voß BV 238 V1.jpg引用。


ブローム・ウント・フォス(Blohm & VossBV 238 V飛行艇 は、すなわち試作1号機の実しか完成していなかったが、1944年9月、ドイツ北部のシャール(Schaal)湖に待機中に、アメリカ陸軍航空隊第361戦闘飛行隊P-51ムスタング戦闘機の襲撃を受け、破壊さら、湖に沈んだ。


Blohm & Voss BV238 Flying Boat


3.ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 偵察飛行艇

ドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138飛行艇は、海上の哨戒偵察のために、燃費の良いユンカース ユモ 205ディーゼルエンジン3基搭載していた。軽油(ディーゼル油)は燃費がいいだけでなく、ドイツ海軍で普及していたディーゼル機関搭載の艦船と同じ燃料を使うことも都合が良かった。特に、ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138飛行艇は、海上で密かにドイツ海軍潜水艦Uボート(ディーゼル機関搭載)と会合し、同じ軽油の燃料をゴムホースをつないで給油することができ。これによって、陸上の水上機・飛行艇基地に帰還することなく、長距離索敵飛行をすることができるようになった。

写真(右)1943年秋,ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合したブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:ブローム・ウント・フォス社として、BV 138V1試作1号機が初飛行したのは、第二次大戦半年前の1939年2月と遅れたために、民間航空での使用されることはなく、軍用に回された。1941年、BV 138Cが登場し、実用に耐えると判断され、偵察飛行艇として採用された。BV138飛行艇は、227機生産され、大西洋、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。
Inventory:Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0111-12 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss BV 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ドイツ語「U-Boot(ウーボート:Unterseeboot)」とは、水面下の艦船の意味で、狭義には、ドイツ海軍の潜水艦を意味する。英語でもU-boat(ユーボート)といわれるが、これも第一次世界大戦および第二次世界大戦でイギリス本土を封鎖しようとした敵国ドイツ海軍の潜水艦を指示している。Uボートは、第二次大戦当初、レーダーを搭載しておらず、目標とする敵艦船を目視によって発見するしかなかった。しかし、海面上5メートルもない潜水艦の艦橋上からの視界は限られており、敵発見は天候・気象にも依存した困難な任務だった。

 敵艦船発見を容易にするため、潜水艦の目となるような航空機によって、洋上哨戒偵察をすることが考えられた。しかし、ドイツでは空飛ぶ兵器、軍用機はみなドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングの指揮下に置くという原則があった。そのため、ドイツ海軍航空隊は、海軍艦艇に搭載する偵察用艦載水上機程度しか保有できなかった。その後、ドイツ海軍にも水上基地航空部隊が補強された、潜水艦と連携する水上偵察機、偵察用飛行艇が配備されるようになった。

写真(右)1943年秋、ノルウェー沖で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合したブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:手前では、潜水艦Uボート艦橋で隊員たちが話し込んでいる。同期生でもいれば、話が弾んだであろう。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0103-03 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 飛行艇の原型は、ハンブルク航空機 (Hamburger Flugzeugbau)の企画になる中型長距離旅客機として計画された機体である。しかし、ブローム・ウント・フォッス社は、ドルニエ Do 18と同じく燃費の良いユンカース ユモ 205ディーゼルエンジン3基搭載することとして、長距離飛行を可能にした。1937年に完成したHa 138飛行艇は、双ビーム構造で太い胴体の為か、空中でも海上でも安定性が悪く、強度不足だった。そこで、その欠点を直すための大規模な改修作業が行われ、ブローム・ウント・フォス社が、BV 138V1試作1号機を初飛行させたのは、第二次大戦半年前の1939年2月にまでずれ込んでしまった。そのため、当初の目的だった民間旅客飛行艇として使用されることはなく、軍用に回された。

1941年に改良型のブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138C型が登場し、実用に耐えると判断され、偵察飛行艇として採用された。BV138飛行艇は、227機生産され、大西洋、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。

IMG src="https://archive.is/eJZdQ/81bddd40b3eeeb0e6e03421cf088bc72c4e4a847.jpg" width="605" Hspace="12" Vspace="12" Align="right">写真(右)1943年秋、ノルウェー北部、ベルゲン沖、ドイツ軍基地を発進するブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:基地で燃料の軽油を満たして、ノルウェー沖の連合軍輸送船団の偵察任務に就く様だ。手前では、基地の隊員たちが見送っているのであろう。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0104-25A Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss BV 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


Bv 138 MS飛行艇は、磁力感応機雷を掃海する直径14.3メートルもある磁場コイルElectromagnetic coil)を、機体周囲に水平に搭載している。直径14.3mの円形リング状パイプ(磁場コイルガウス・リング)は、メルセデス・ニュルンベルク8気筒液冷エンジン(55馬力)を使って15kWのジェネレーター(発電気)を駆動して、電磁誘導によって、磁力線を生み出している。ジェネレーター(発電気)用の冷却器は、胴体下面にある箱型バルジに取り付けられている。

写真(右)1943-1944年頃,ドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv 138 MS機雷掃海用飛行艇:機体の周囲に大直径の電磁誘導コイルを搭載したBv138飛行艇は、磁力感応式の機雷を誘爆、掃海することができる。掃海機としては、同じ電磁誘導コイルを使った磁力機雷掃海機は、ユンカースJu53/3m輸送機にも搭載されている。
SDASM Archives PictionID:43932657 - Catalog:16_005020 - Title:Blohm & Voss Bv 138 MS rebuilt from C-0 Nowarra photo - Filename:16_005020.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43932695引用。


ドイツのブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv 138 MS飛行艇は、機首下面、主翼下面、胴体下面に円形パイプの電磁コイルを装備しているのが外観上の大きな特徴である。これは、直径14.3mの円形リング状のパイプ(ガウス・リング)で、電磁誘導によって電磁力を発生させ、磁力線によって、海底に仕掛けられた磁気感応式機雷を感応、起爆(誘爆)させる機雷掃海装置である。磁場コイルElectromagnetic coil)の電磁力は、機体に搭載したメルセデス・ニュルンベルク8気筒液冷エンジン(55馬力)を駆動して、15kWのジェネレーター(発電気)のよって電気エネルギーを作り、作動させる。このジェネレーター(発電気)に必要な冷却器は、胴体下面に突出したバルジに収められている。これは、飛行中の空冷効果を求めた設計である。

磁場コイルElectromagnetic coil)は大型で、機首・主翼。尾部の下面には取り付け具があるが、主翼後方に飛び出した、磁場コイルガウス・リング)、には、張線が繋がれていて、後上方にある支柱と繋いで、固定されている。Ju52輸送機を改造した機雷敷設機は、磁場コイルElectromagnetic coil)、ジェネレーター、冷却器などを装備したために、輸送機型に比較して1150キロ重量が増加した。

ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138C飛行艇の諸元
全長: 19.85 m、全幅: 27.00 m
全高: 5.90 m
全備重量: 15,480 kg
発動機: ユンカース ユモJumo205Dディーゼルエンジン(880 馬力)3基
最高速力: 290 km/h
航続距離: 4,023 km
兵装:機首動力銃座 20ミリMG151/20 機関銃1丁、胴体後上方動力銃座 20ミリMG151/20 機関銃1丁、中央エンジンナセル後上方銃座:13.1ミリMG131旋回機関銃 1丁
搭載量:150キロ爆雷 4発
乗員: 6名

⇒写真集Album:ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV-138飛行艇を見る。


4.ドルニエ(Dornier)Do-24飛行艇

写真(右)1941年、オランダ領インドシナ(蘭印:インドネシア)、スラバヤの飛行艇基地に陸揚げされたオランダ海軍航空隊所属のドルニエ(Dornier)Do 24K-1 三発飛行艇X-7;機首、胴体に銃座が設けられている。1940年5月にオランダがドイツに侵攻され、占領されると、オランダの飛行機工場で製造していたDo-24飛行艇は、ドイツ空軍に引き渡され、工場ではドイツ軍のためにDo-24飛行艇を引き続き生産することになった。
Fotoafdrukken Koninklijke Marine
Beschrijving Dornier Do-24K-1 maritieme patrouillevliegboot X-7 (1938-1942) op de boei in de Saleh Baai (eiland Soembawa) met op de achtergrond torpedobootjager Hr.Ms. Banckert (1930-1942).
Plaats Soembawa, Nederlands-Indië Datering van 1938 Datering tot 1942
Trefwoorden Dornier Do 24, vliegboten, Banckert, Hr.Ms. (1930-1942), Admiralenklasse
Specifieke kenmerken
X-7 Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH Kleur/Zwart-wit Zwart-wit
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) Beeldbank.defensie.nl・Objectnummer 2158_012916引用。


⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-24飛行艇を見る。


5.ドルニエ(Dornier)Do-26飛行艇

写真(右)1939-1943年,飛行中の迷彩塗装をほどこしたドイツ空軍ドルニエ(Dornier) Do 26飛行艇C型:試作2号機V-2を改修してドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇C型とした。機首に15.1ミリMG151動力式銃塔を搭載し、主翼後上方にも機銃スポンソンを設けている。ドイツの国籍識別マークは、戦前は垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ十字)だったが、戦時中は黒のスワスチカだけになった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46170342 - Catalog:16_007484 - Title: Dornier Do 26 V-2 after conversion to C version Nowarra Collection - Filename:16_007484.TIF.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46170354 引用。


⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-26飛行艇を詳しく見る。


6.ドルニエ(Dornier)Do-X大型飛行艇

写真(右)1929年7月、ドイツ,ドルニエ社の格納庫、完成したばかりのドルニエDo-X 飛行艇(登録コード:D-1929);Do-Jワール、Do-18飛行艇と同じく、水上安定性を確保するために、胴体中央部左右に浮きを張り出し、胴体上部に主翼をパラソル式に配備し、その上にエンジンを縦列縦型に配置している。正面から見ると、主翼上面にエンジンナセル6基が見えるが、これは前後2基のエンジンを縦列串型にエンジン12基を配置したため。エンジンは、シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)9気筒空冷星型エンジン525馬力で、流線型ナセルに縦列串型配置、12基の合計出力は6600馬力となる。
Original title: info Das grösste Flugboot der Welt "Do X" ein Wunderwerk deutscher Technik! Das grösste 12 Motoren-Flugboot der Welt "Do X" wurde in den Dornier-Werken in Altenrhein/Schweiz nach anderthalbjähriger Arbeit fertiggestellt. "Do X" , genannt das fliegende Hotelschiff, kann hundert Passagiere aufnehmen und 12 Motoren von insgesamt 6000 P.S. treiben das fliegende Hotel zu einer Höchstgeschwindigkeit von ca. 250 km. in der Stunde an. Höchster Komfort, wie Passagier-Deck, Tanzsaal, Salon, sind in dem Riesen-Flugboot vorhanden. Die Tragflächen des Flugbootes haben eines Länge von insgeamt 42 m. Eigens durch die Maschinen-zentrale werden unter dem Kommando eines Ingenieurs die 12 Motoren bedient. Blick in das grösste Flugboot der Welt "Do X" in den Dornier-Werken in Altenrhein/Schweiz.
Archive title: Altenrhein / Bodensee.- Flugboot Dornier X (D-1929) im Hangar Photographer Unknown Institution German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl (Bild 102) Accession number Bild 102-01224.
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do X: File:Bundesarchiv Bild 102-08048, Flugschiff Do X im Hangar.jpg引用。


ドルニエDo-X飛行艇Dornire DO-X)は、合計3機が試作されたが、ドイツ・ルフトハンザで就航したのは1機のみ、その他2機はイタリアに売却され、技術習得、試験飛行に使用されて終った。ユンカースG38巨人輸送機も、2機のみの試作で終わっている。1929年に初飛行したドルニエとユンカースの初頭の巨人機は、大型機のために機構が複雑で、整備が困難であり、部品の管理も手間がかかったために、実用性・信頼性が低く、量産されずに終わった。そこで、ルフトハンザ航空は、ドルニエDo-X飛行艇Dornire DO-X)を「世界に誇るドイツの巨人旅客機」として宣伝材料として使用した。

写真:1929年12月20日、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do-X輸送飛行艇;ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV-222六発大型飛行艇より12年も古いドルニエDo-X 12発巨人型飛行艇は、シーメンス社のジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)エンジン525馬力12基を流線型ナセルに縦列串型(タンデム)配置し合計 6600馬力を発揮できた。
Photographer: Photographisches Institut der ETH Zürich
Title: Flugschiff Dornier Do. X
Caption: Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs
Dating: 20.12.1929
Physical Description: Reproduction photography : glass-plate negative Format: 9 x 12 cm
Categories: ETH, Photographical Institut, Photographisches Institut der ETH Zürich, Plans + Sketches, 1929, Airships, Dornier DO X, Product photography
Record Name: PI_29-B-0278.
写真はETH-Bibliothek Zürich・PI_29-B-0278引用。


ドルニエ(Dornie)Do X飛行艇飛行艇(登録コード:D-1929)は、前作のDo-Jワール、Do-18飛行艇と同じく、水上安定性を維持する胴体中央部左右の張出式の浮き(フロート)、胴体上部のパラソル式主翼、主翼上面の縦列串型エンジン配置を踏襲している。ドルニエDo-X飛行艇Dornire DO-X)は、エンジンナセルは6カ所で、前後2基のエンジンを縦列串型に配置しているために、空気抵抗が半減できる。プロペラの回転は、前部が牽引式、後部が推進式である。

写真(右)1930 年8月、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇(登録コード:D-1929)の乗客用ラウンジ
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-10251
Original title: info Das deutsche Riesenflugboot "Do X" rüstet für den Amerika-Flug ! Die ersten Probeflüge mit den neuen amerikanischen Curtis- Wright-Motoren sind vollendet. Blick in das Innere des mit allem Comfort ausgestatteten Riesen-Flugboots.
Dating: August 1930 Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv .
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do X・File:Bundesarchiv Bild 102-10251, Flugschiff Dornier Do X, Innenraum.jpg引用。


1929年10月、ドイツ南部で、クラウディウス・ドルニエ技師(Claude Dornier)が開発したドルニエDo-X飛行艇Dornire DO-X)(登録コード:D-1929)の大型客室に乗客169名が搭乗し、世界最多乗客の飛行記録が樹立された。この偉業を達成した開発者のクラウディウス・ドルニエ(Claudius Dornier)工学博士を讃えるドイツ技術栄冠記念ブロンズメダル(Medal, Dr. Dornier and the Triumph of German Technology )が発行され、次のように記名されている
"DR. ING. C. DORNIER ERBUAER DES Do. X 1929" - "Doctor (of Engineering) C. Dornier, creator of the Do X"; Reverse: relief of the Dornier Do. X depicted flying over the ocean depicted, embossed text "TRIUMPH DEUTSCHER TECHNIK START DES DO.X. MIT 169 MANN" - "Triumph of German technology - takeoff of the Do X with 169 people."

ドルニエ(Dornier)Do X飛行艇(登録コード:D-1929)は、Do-Jワール、Do-18飛行艇と同じく、水上安定性を確保するために、胴体中央部左右に浮きを張り出し、胴体上部に主翼をパラソル式に配備し、その上にエンジンを縦列串型に配置している。正面から見ると、主翼上面にエンジン6基が見えるが、これは前後2基のエンジンを縦列串型に配置しているためで、エンジンは12基ある。エンジンは、当初、1930年前半までは、シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)エンジン525馬力12基を流線型ナセルに縦列串型配置で12基を装備した。

写真(右)1929年10月、ドイツ、ドルニエDo-X 飛行艇(登録コード:D-1929)の機内客室の乗客たち;記録更新のための短時間の飛行であるため、乗客169名を乗せて飛んだ。最後尾に立っているのは、クラウディウス・ドルニエ技師(Claude Dornier)自身であろうか。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-01224
Original title: info Der Weltrecordflug des Dornier-Riesenflugbootes "Do X" mit 169 Passagieren in Altenrhein a/Bodensee. Es ist das erste Mal, dass 169 Personen mit einem Luftfahrzeug beffördert wurden; ausser dem mitgeff&:uuml;hrten Betriebsstoff für 1200 km. was einem Gesamtgewicht von ca. 300 Passagieren entspricht.
Blick in den Passagierraum des Flugbootes "Do X" mit den Passagieren während des Recordfluges.
Dating: Oktober 1929 Photographer: Pahl, Georg.
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do X・Bild 102-01224引用。


 1929年10月、世界最多169名搭乗飛行の成功を記念するドルニエDo-X飛行艇Dornire DO-X)記念ブロンズメダルの大きさは、直径6cm厚み 0.5cmである。 表には、ドルニエの肖像、裏には、肩翼式の主翼上面に、エンジンを縦列串型に12基もタンデム配置したドルニエDo-X 飛行艇(登録コード:D-1929)が描かれ、169名を乗せて飛行し世界記録を更新したことを謳っている。この飛行艇が搭載したエンジンは、当初、シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)エンジン525馬力12基で、これを流線型ナセルに装備した。しかし、出力不足だったために、エンジンを換装し、カーチス社コンカラー(Curtiss Conqueror) V型12気筒液冷エンジン610馬力を箱型ナセルに2基ずつ、合計12基(7200馬力)に強化した。

写真(右)1929年、ドイツ、シーメンス(Siemens)社ジュピター "Jupiterエンジン520馬力2基を一組として、縦列串型タンデム配置12基を装備して飛翔する巨人機ドルニエ(Dornier)Do X大型旅客飛行艇(登録コード:D-1929):エンジン換装前。
Verkehrsflugboot Dornier Do X auf einer Wasserfläche. Ansicht von oben Datensatz 87705510 Erstflug : 1929
Persons and corporations: Urheber: Dornier-Metallbauten GmbH , Herstellerfirma Verkehrsflugboot Dornier Do X im Flug über einer Wasserfläche. Ansicht von oben
Datensatz 90030716 Foto: Unbekannter Fotograf, Techno-Photo Archiv Berlin, 1929/1930
写真はEuropeana Collections Deutsche Fotothek Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0017983引用。


ドルニエ(Dornier)Do X飛行艇(登録コード:D-1929)は、パラソル式主翼の上面にエンジンナセル6個を置いて、離着水時、波や飛沫をエンジンやプロペラが被ることがないように配置している。これらエンジンは前後の串型に装備されているので、エンジンは12基ある。これだけの数のエンジンの出力を同一出力に調整するのは難しい作業で、それが本機の稼働率を低くした一員である。

写真(右)1929年10月21日、ドイツ南部、スイス国境のボーデン湖畔、アルテンルハイン(Altenrhein)、ドルニエDo-X 巨人飛行艇(登録コード:D-1929)。シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)9気筒空冷星型エンジン525馬力を流線型ナセルに縦列串型配置で12基装備、合計6600馬力。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-09321 Old signature: Bild 102-08579
Original title: info Der Weltrecord-Flug des Dornier-Riesenflugbootes "Do X" mit 169 Passagieren in Altenrhein a/Bodensee! (Neueste Aufnahmen unseres nach dort entsandten Sonder-Bild-Bericht-Erstatters!) Es ist das erste Mal, dass 169 Personen mit einem Luftfahrzeug befördert wurden; ausser dem mitgeführten Betriebsstoff für 1200 km, was einem Gesamtgewicht von ca. 300 Passagieren entspricht. Die riesigen 12 Motoren des Flugbootes "Do X" mit seiner Gesamtstärke von 6000 P.S. welche den Recordflug ermöglichten. Die Passagiere sind alle an Bord udn das Flugboot ist zum Start fertig.
Archive title: Altenrhein / Bodensee.- Flugboot Dornier Do X (D-1929), Weltrekord-Flug am 21.10.1929 Photographer: Pahl, Georg Origin: Bundesarchiv .
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do X・File:Bundesarchiv Bild 102-09321, Flugschiff Dornier "Do X".jpg引用。


ドルニエ(Dornier)Do X飛行艇(登録コード:D-1929)のエンジンナセルは6個あるが、エンジンは前後の縦列串型(タンデム)に装備しているので、エンジンは12基ある。これだけの数のエンジンを同一出力に調整するのは難しい作業で、それが本機の稼働率を低くした一員である。1933年のナチ党政権獲得前なので、尾翼には、ナチ党のスワスチカ(鍵十字)の国籍マークは描かれていない。

ドイツのドルニエ(Dornier)Do X飛行艇(登録コード:D-1929)は、1929年7月に完成した。これは、エンジン12基を縦列前後に串型配置し、乗客100名を乗せて飛行可能な重量70トンの巨人飛行艇である。1929年の完成時には、シーメンス社のジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)エンジン525馬力12基を流線型ナセルに縦列串型配置で12機装備していた。これで合計出力は最大で 6600馬力だった。

 しかし、総重量5トンに達するドルニエ(Dornier)Do X飛行艇(登録コード:D-1929)には馬力不足で、飛行性能が悪かったために、1930年8月には、エンジン変換、強化した。このエンジン変換後は、カーチス社コンカラー(Curtiss Conqueror) V型12気筒液冷エンジン610馬力12基を2機ずつ箱型ナセルに縦列串型タンデム配置で搭載している。これで、合計出力は最大7680馬力を発揮できるようになった。

写真(右)1930年11月、ドイツ南部、スイス国境のボーデン湖畔、ドルニエDo-X 旅客飛行艇(登録コード:D-1929)。エンジン換装後で、カーチス社コンカラー(Curtiss Conqueror) V型12気筒液冷エンジン610馬力を箱型ナセルに2基ずつ、合計12基(7200馬力)に強化した。それ以前は、シーメンス社のジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)エンジン525馬力12基を流線型ナセルに縦列串型(タンデム)配置で12機装備して合計 6600馬力だった。コックピの外側に”DO-X”と記入していない。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-10659 Original title: info
Das Riesenflugboot "Do X" startet zum ersten Europa- und Amerika-Flug! Die riesige Motorenanlage des Flugbootes "Do X" mit den 12 Jupiter-Curtis-Wright-Motoren in einer Gesamtstärke von 6.600 P.S., welche dem Flugzeug eine Stundengeschwindkeit von über 200 km. geben. Archive title: Tatsächlich betrug die Gesamtleistung der Motoren 5640 kW (7680 PS) Dating: November 1930 Photographer: Pahl, Georg Origin: Bundesarchiv .
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do X・File:Bundesarchiv Bild 102-10659, Flugschiff Dornier "Do X", Motorenanlage.jpg引用。


1931年1月31日、ドルニエDo-X巨人飛行艇は、大西洋横断を再開し、ポルトガルのリスボン(Lissabon)を出発、スペイン領カナリア諸島ラス・パルマス(Las Palmas)に到着。スペイン領サハラのリオデオロ、ポルトガル領ギニアビサウ(Guinea-Bissau)のブバケ(Bubaque)などアフリカ中西部を訪問。その後、5月30日、アフリカのポルトガル領ギニアビサウのボラマ(Bolama)を出発、 大西洋上、ポルトガル領カーボベルデ諸島プライア(Praia)に到着。6月4日、カーボベルデ諸島プライアを離水し、ブラジル東端沖のフェルナンド・デ・ノローニャ(Fernando de Noronha)島に到着。1931年6月5日、そこを発って、南米大陸ブラジル東岸ナタール(Natal)に到着した。ナタールを6月18日に出発し、バイア(Bahia)、ラゴアドアラムアマ(Lagoa do Araruama)を経由して、6月20日にリオデジャネイロに到着した。

写真(右)1930年8月、ドイツ南部、スイス国境のボーデン湖畔、カーチス社コンカラー(Curtiss Conqueror) V型12気筒液冷エンジン610馬力を箱型ナセルに2基ずつ、合計12基(7680馬力)に強化したドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇(登録コード:D-1929)正面;機首は、海面上で波切の抵抗が少ないように鋭利な角度で組み合わされている。1929年の完成時にドルニエDo-X飛行艇Dornire DO-X)は、シーメンス社のジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)エンジン525馬力12基を流線型ナセルに縦列串型(タンデム)配置で12基装備して合計 6600馬力だった。しかし、これでは50トンもある巨人飛行艇としてがアンダーパワーだった。そこで、エンジン変換がなされたのである。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-10271 Original title: info Das deutsche Dornier-Riesen-Flugschiff "Do X" startete mit seinen neuen Motoren in einer Gesamtstärke von 7.000 PS in Altenrhein am Bodensee! Der Bug des deutschen Riesen-Flugbootes "Do X" mit den dahinterliegenden Motoren. Archive title: Tatsächlich betrug die Gesamtleistung der Motoren 5640 kW (7680 PS) Dating: August 1930 Photographer: Pahl, Georg Origin: Bundesarchiv .
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do X・File:Bundesarchiv Bild 102-10271, Flugschiff Dornier Do X.jpg引用。


リオデジャネイロを出発したのは、1931年8月5日になってからで、バイア、ナタール等を経由して、8月8日にパラ(Para)に到着した。ブラジルのパラの出発は、8月18日で、オランダ領スリナムのパラナリボ(Paramaribo)、プエルトリコ(アメリカ領)サン・フアン(San Juan)、キューバ東部アンティヤ(Antilla)を経由して、アメリカのフロリダ州マイアミ(Miami)に8月22日に到着した。マイアミを8月25日に発って、チャールストン(Charleston )を経由し、8月26日に、バージニア州ノーフォーク(Norfolk )に到着。翌1931年8月27日、ニューヨーク(New York)に到着した。

ニューヨークを出発したのは、1932年5月19日になってで、カナダ東岸ニューファウンドランドを経由して, 5月21日、大西洋のアゾレス諸島(ポルトガル領)オルタ(Holta)に到着。翌5月22日に出発し、スペインのビゴ(Vigo)に到着。翌5月24日、イギリス南部ニューハンプシャー州カルショット到着。翌5月24日、カルショットを出発し、ベルリン(Berlin)郊外ミュッゲル湖(Müggelsee) に到着した。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇を見る。


7.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇

写真(右)1931年11月以降,アメリカ、水上を高速で滑走するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇
Sikorsky S-40 Manufacturer: Sikorsky Designation: S-40
写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070997引用。


1928年10月に開発が始まったシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、38 人の乗客を運ぶことができたが、これは前作のS-38飛行艇の乗客8人を大幅に上回った。シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、1931年8月7日に初飛行し、1931年10月12日、アメリカ大統領ハーバート・フーバー夫人ルー・ヘンリー・フーバーによって「アメリカン クリッパー」と命名された。

38 人の乗客を乗せることのできるシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、パンアメリカン航空の最初の大型飛行艇で、 Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン575 hp4基を搭載、最高速力217km/h、航続距離1,400 kmで「アメリカン クリッパー」として、パンナム・クリッパーの旗艦として使用された。3機が就役したシコルスキー(Sikorsky)S-40は、合計 1,000 万マイル以上を飛行し1940年に退役するまで、合計 1,000 万マイル以上の運航実績を上げた。

写真(右)1935年11月以降,アメリカ、海面から離水しようとするパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇
Sikorsky S-40 Manufacturer: Sikorsky Designation: S-40
写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070998引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇の諸元
初飛行:1931年8月7日初飛行
搭乗員 6名、乗客 38名
全長 76 ft 0 in (23.16 m)
全幅 114 ft 0 in (34.75 m)
主翼面積 1,740 sq ft (162 m2)、空虚重量 23,000 ポンド(10,433 kg)、総重量 34,000 ポンド(15,422 kg)
燃料搭載量 1,066 US gal (4,040 L)
発動機Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷9気筒星形エンジン 575 hp (429 kW)4基
最高速力 117 kn (135 mph, 217 km/h)
巡行速力 97 kn (112 mph, 180 km/h)
航続距離 780 nmi (900 mi, 1,400 km)
生産機数:3機

図(右)1935年頃,海面から離水しようとするパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇:1931年8月7日初飛行で、パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇である。
English: Poster from the Don Thomas Collection. Mr. Thomas was a collector of aircraft memorabilia who donated several posters to the San Diego Air and Space Museum. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 6 July 2015, 15:07:59 Author San Diego Air & Space Museum Archives Flickr sets Don Thomas Poster Collection
写真はWikimedia Commons, Categories:Sikorsky S-40 of Pan American Airways File:Air Transport Hall of Fame Poster (19471599902).jpg引用。


パンアメリカン航空のチャイナ・クリッパー機によって処女航空路が開拓されたニューヨーク、香港間の太平洋横断定期郵便飛行、イギリス本土と南アフリカのケープタウン航路、シンガポール、香港までのアジア航路など、1930年代には、フランスのサイゴン線、ドイツのアテネ線、オランダのジャワ線、ソビエトのウラジオストーク線など地球を周回するような航路が実現しつつあった。これらの長距離航路に就役したのが、大型飛行艇である。

⇒写真集Album:シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇を見る。


8.アメリカのマーチン(Martin)M-130飛行艇

写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper":1934年12月30日初飛行、全長27.7m、全幅39.7m、翼面積330 m2、プラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1830ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン830 hp (708 kW)4基搭載。全備重量:23,701 kg、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Catalog #: 00068814 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 7 May 2010, 12:09 Source Martin : 130 : Clipper Uploaded by Rybec Author SDASM Archives
写真は,Category:Martin 130 of Pan American Airways File:Martin 130 Clipper (4589906869).jpg引用。


即ち最近汎アメリカ会社のチャイナ・クリッパー機によって処女航空路が開拓されたニューヨーク、香港間の定期郵便飛行をはじめ英国は本国と各植民地間の連絡のためロンドンより南阿ケープタウン線をシンガポールまで延長し、更にこれを香港、上海まで延長して完全に本国と東亜との連絡を完成せんとしている、フランスはパリ、サイゴン線をハノイまで延長し、更にこれを広東を経て上海に延長の計画をもっている、ドイツはベルリン−アテネ線をサイゴン−広東−上海に延長し、更にこれを東京まで延長の計画を持ちオランダはアムステルダムよりジャワ島のスラバヤに至る極東線を付近の蘭領諸島を経てマニラに延長する線の経営に著手し、ソヴィエトはモスクワ浦塩幹線から北平への支線を出し、またアラスカのノームまで延長してアメリカと連結せんとし、また浦塩より日本への延長をさえ望んでいる。


写真(上)1935年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"
:1935年10月に「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)が太平洋フィリピン航路に初就役。
Martin M-130 China Clipper 003cropped.tif---Lithograph of The Martin M-130 "China Clipper"; 1935; framed with an original piece of mail on the first Trans-Pacific Air Mail Service; Artist: Witkoff--- - -Image from the SDASM Curatorial Collection.Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives pictionid58086450 -引用。


飛行艇 今各国が経営しつつある定期航空路の総延長及び飛行場の数を示すと(一九三六年五月現在)
世界の定期航空路の総延長及び飛行場の数(1936年5月現在)
       航空路     飛行場
イギリス  7万3419km 395か所
ドイツ   5万6km    231か所
フランス  4万9069km 112か所
イタリリア 1万5561km  67か所
ソヴィエト 4万8982km
アメリカ 10万2290km 2334か所
日本     5840km    20か所

右の表は空軍の第二陣であり補充母体であるわが民間航空の現状が世界の重要国に比し如何に劣勢の状態にあるかを示している、しかも、各国の飛行機製造会社はそれぞれ優秀なる機体或はエンジンの特許権を有しその海外輸出を行っているが、わが国の飛行機会社はこれ等の優秀機を高価に買入れて研究し模倣するか或は特許を買って製造するという情ない有様である、世界に対してこれが日本産の優秀機なりとして外国へ輸出し得るようなものは未だない

東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)引用。

写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー:1935年10月に「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)が太平洋フィリピン航路に初就役し、1945年1月に最後の1機。「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)が事故で失われるまで使用された。全長27.7m、全幅39.7m、、全備重量:23,701 kg、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Catalog #: 00068825 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 7 May 2010, 12:10 Source Martin : 130 : Clipper Uploaded by Rybec Author SDASM Archives
写真はCategory:Martin 130 of Pan American Airways File:Martin 130 Clipper (4589907269).jpg引用。


マーチン M-130(Martin model 130)四発旅客飛行艇は、1934年12月30日に初飛行しサンフランシスコ、ハワイ諸島ホノルル、ミッドウェー島、ウェーク島、グアムを経由してアメリカ植民地フィリピンのマニラとの航路を開拓したが3機しか生産されていない。マーチン M-130「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)、「ハワイ・クリッパー」(NC14714)、「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)があった。

写真(右)1935年11月以降,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇フィリピン・クリッパー"Philippine Clipper"(NC14715):1941年12月の1943年1月21日にカリフォルニア州サン・フランシスコ近郊で墜落、同乗者18名が死亡。
Martin : 130 : Clipper Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives Catalog #: 00068811引用。


1941年12月8日に日米開戦と同時に、アメリカ領ウェーク島は攻撃をうけた。ウェーク島には、海兵隊を中心とした守備兵500名のほかに、パンアメリカン航空の民間人70名、飛行場維持・整備員など民間作業員1100名であった。そこを12月8日早朝5時10分、クェゼリン環礁ルオット島を出撃した日本海軍第24航空戦隊九六式陸上攻撃機34機が空襲した。パンアメリカン航空マーチン M-130「フィリピン・クリッパー」は、ウェーク島からハワイ諸島に避難し、無事だった。

1941年12月10日、日本海軍第四艦隊司令長官井上成美中将隷下の第六水雷戦隊司令官梶岡定道少将指揮するウェーク島攻略部隊が到着した。ウェーク島攻略部隊は、第六水雷戦隊の軽巡洋艦「夕張」、旧式駆逐艦「追風」「疾風」「睦月」「如月」「弥生」「望月」を中核とし、第二十七潜水隊「呂65潜水艦」「呂号66潜水艦」「呂67潜水艦」、舞鶴特別陸戦隊も加わっている。そして、12月10日夜、ウェーク島夜間上陸が敢行されたが失敗した。そこで、翌12月11日3時半、軽巡3隻(夕張、天龍、龍田)と駆逐隊がウェーク島を艦砲射撃したが、アメリカ軍の51口径5インチ(127 mm)海岸砲台6門、50口径3インチ(76 mm)対空砲12門、 .50インチ (12.7 mm) ブローニング(Browning)重機関銃18丁などの反撃を受けて退避せざるを得なくなった。

日本海軍は、ハワイ攻撃を終えた阿部弘毅少将隷下の第八戦隊の重巡洋艦「利根」「筑摩」、空母「蒼龍」「飛龍」、駆逐艦「谷風」「浦風」を分離して、ウェーク島攻略の増援部隊として派遣し、12月21日4時半から、第二次ウェーク島攻略作戦が始まった。陸海空の攻撃を受けたアメリカ軍ウェーク島守備隊は12月23日、降伏した。

幸運だったM-130「フィリピン・クリッパー」だが、1943年1月オアフ島ホノルルを離水した後、21日にカリフォルニア州サン・フランシスコ近郊で墜落、同乗者18名が死亡した。

パンアメリカン航空マーチン M-130「チャイナ・クリッパー」は、今後のキャンシャサから、ブラジル経由で、1945年1月8日にトリニダード・トバコ島(Trinidad and Tobago)のポート・スペインで着水する際、事故を起こし同乗者23が死亡、機体も喪失した。

写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"(NC14716):1945年1月に「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)は。サンフランシスコ郊外に墜落し失われた。全長27.7m、全幅39.7m、、全備重量:23,701 kg、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Bilstein_00088 Martin 130 NC14716 Pan American Airlines Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives Bilstein_00088 Martin 130 NC14716 Pan American Airlines引用。


マーチン M-130(Martin model 130)四発旅客飛行艇の諸元
乗員:6-7名
乗客:座席36名/寝台18名
全長27.7m、全幅39.7m、全高7.5 m
主翼面積330 m2

発動機:プラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1830ツインワスプ(Twin Wasp)S2A5G空冷星形14気筒エンジン830 hp (708 kW)4基
最大離昇重量:23,701 kg
最高速力290 km/h
航続距離:5150km
巡航高度:10,000 ft (3,048 m)
就役:Hawaii Clipper 1935年10月9日
Philippine Clipper 1935年11月14日
China Clipper 1936年3月3日
生産機数:3機


9.アメリカのボーイング(Boeing)314四発飛行艇

図(右)1934年12月30日初飛行パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"と1938年6月7日初飛行のボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパーの同縮尺比較図:就役時期は3年以上異なるが、マーチンM-130飛行艇に比べてボーイング314飛行艇は大型化し、航続力が2000km伸び、乗客数も2倍に増えたうえに、最高速力・巡行速力も60?/h以上向上している。
M-130 - B-314 Comparison China Clipper - Dixie Clipper comparison Source: Pan AM an Airline and It's People, by R.E.G.Davis
写真は,Jamie Dodson M-130 - B-314 Comparison引用。


マーチン(Martin)M130ボーイング(Boeing)314の諸元比較
全長: 27.7m  32.31 m
全幅: 39.7m  46.33 m
高さ: 7.5m   8.41 m
発動機:M;プラット・アンド・ホイットニーR-1830空冷星形14気筒30Lエンジン830hp4基
B;ライト709Cツインサイクロン30L空冷星形空冷星形14気筒42.7 Lエンジン1,600hp4基
最大離昇重量: 52,252ポンド (23,701 kg) 84,000 ポンド(38,102 kg)
最高速力: 180 mph (290 km/h)  210 mph (340 km/h)
巡航速力: 130 mph (209 km/h)  188 mph (303 km/h)
航続距離: 3,200 mi (5,150 km) 4,900 mi (7,886 km)
M;搭乗員: 6-9名、乗客 36-41名(寝台18台)
B;搭乗員 11名、乗客 68名(寝台36台)

写真(右)1938-1939年頃、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ湾、トレジャーアイランド(Treasure Island)のボーイング(Boeing)314四発飛行艇;1938年6月7日初飛行。12機が生産された。 三尾翼式のために、高さを抑えながら、垂直尾翼の面積を確保することができた。トレジャーアイランドは、長さ5,520 フィート、幅3,410 フィートの人工島で、1936–37年に造成された。 ゴールデンゲート国際展覧会(Golden Gate International Exposition :GGIE)が1939年と1940年に開催されている。後方の架橋は、サンフランシスコ=オークランド湾大橋(San Francisco-Oakland Bay Bridge)で、1936年11月12日に、鉄道・道路併用の架橋として竣工した。
Boeing314An18602april39 copyXX Date 31 October 2007, 13:07 Source Boeing314An18602april39 copyXX Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Boeing 314 of Pan American Airways File: Boeing314 An18602april39 copyXX (4454794075).jpg引用。


ボーイング(Boeing)314は、3枚の垂直尾翼を持つ大型四発飛行艇で、最大座席数74席(寝台仕様の場合50席)で、出現時は最大級巨人旅客輸送機だった。

写真(右)1939年、ボーイング(Boeing)314四発飛行艇;1938年6月7日初飛行。1938–1941年に12機が生産された。同時期に開発されたマーチン M-156(Martin model 156)四発飛行艇を抑えて、パンアメリカン航空に採用された。
Collins, Tudor Washington, 1898-1970, photographer Title (Seaplane on the water beside a gangplank) Description English: A Boeing 314 flying boat is moored in a harbour. There two boats alos in the harbour. One of the boats have two life-savers with "Lady VI Auckland" written on each of them. Three men are visible on a boat. A man is walking along the gangplank, towards the flying boat. A jetty, and an island, is visible in the far background. Date 1939 Medium Silver gelatin dry plate Collection Auckland War Memorial Museum Accession number 81422 (object number) Source/Photographer API data Catalogue record Photo Permission (Reusing this file) This image has been released as "CCBY" by Auckland Museum.
写真はWikimedia Commons, Category:Boeing 314 of Pan American Airways File:Seaplane on the water beside a gangplank (AM 81422-1).jpg引用。


ボーイング(Boeing)314四発飛行艇は、サンフランシスコ=ニュージーランドのオークランド間の定期航路にも就役している。
アメリカのパンアメリカン航空がボーイング(Boeing)314飛行艇6機の発注を行い、生産が開始された。1939年より引渡しが開始され、6機の追加を含めて、1938–1941年に12機が生産された。

図(右)ボーイング(Boeing)314四発飛行艇の三面図
English: Boeing 314 American Clipper Date 13 October 2015 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons, Category:Boeing 314 of Pan American Airways File:Boeing B 314 Clipper.svg引用。


ボーイング(Boeing)314四発飛行艇の諸元
乗員Crew: 11名(客室乗務スチュワード2名を含む)
乗客Capacity: 68名(昼間飛行)/ 36名(夜間寝台飛行)/ 貨物・郵便4,536 kg
全長Length: 106 ft (32 m)
全幅Wingspan: 152 ft (46 m)
全高Height: 20 ft 4.5 in (6.210 m)
空虚重量Empty weight: 48,400 lb (21,954 kg)
総重量Gross weight: 84,000 lb (38,102 kg)
燃料Fuel capacity: 5,408 US gal (4,503 imp gal; 20,470 L)
発動機Powerplant: 4 × ライト(Wright) 709C-14AC1ツインサイクロン(Twin Cyclone)空冷14気筒エンジン1,600 hp (1,200 kW)
プロペラPropellers: 3-羽ハミルトンスタンダード(Hamilton Standard)フル・フェザー定速回転プロペラ
最高速力Maximum speed: 210 mph (340 km/h, 180 kn)/ 6,200 ft (1,890 m)
巡行速力Cruise speed: 188 mph (303 km/h, 163 kn) / 66.5% 出力/ 11,000 ft (3,353 m)
航続距離Range: 3,685 mi (5,930 km, 3,202 nmi) /過重状態 4,900 mi (4,258 nmi; 7,886 km)

⇒写真集Album:ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"を見る。


10.イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇

写真(右)1920年末、イギリス、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)R.B.1B アイリス(Iris Mk III)飛行艇(S1263):機首コックピットは開放式の並列操縦席である。ロールスロイス(Rolls-Royce)コンドル(Condor)IIIB V-12型液令エンジン675 hp (503 kW)3基装備。
English: The Blackburn Iris Mk III, S1263, before conversion to a Mk V. Flight - picture scanned by me Ian Dunster 14:25, 5 January 2006 (UTC) from the 1263 - The Story Of A Blackburn Iris article in the December 1973 issue of Aeroplane Monthly and credited to: Flight.
写真はWikimedia Commons, Category:Blackburn Iris File:Blackburn Iris Mk III S1263.jpg引用。


イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)三発飛行艇は、1926年6月18日初飛行で、総生産機数5機、1934年に退役し、後継機のブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)飛行艇が変わって就役した。

写真(右)1932年、イギリス、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇:ロールスロイス(Rolls-Royce)コンドル(Condor)IIIB V-12型液令エンジン675 hp (503 kW)3基装備。機首コックピットの開放式並列操縦席には、革製飛行暴徒飛行服姿の操縦士・副操縦士が見える。
Blackburn Iris, Three Engined Flying Boat. 1926 Considerable interest was given to the Iris in October 1926, the latest seaplane acquired by the Royal Air Force. The Iris, a Rolls-Royce engined Blackburn seaplane, was the largest and fastest of its type in the world in 1926. It was fitted with three Condor engines of 650 Hp each, carried a crew of five composed of first and second pilot, wireless operator, and two gunner engineers. With a full load she could fly at over 100mph, and, if needs be, she could stay in the air for a full day..
写真は, Grace's Guide File:Im19321117FL-Iris5.jpg引用。


イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇は、全ての形式で機首コックピットは、正面ガラス風防があるだけの開放式コックピットで、操縦士・副操縦士が並列して着席する。しかし、気温の低い、北海上空、特に厳冬期や荒天時に長時間哨戒飛行することは困難であったと思われる。

写真(右)1927年、イギリス、水上機基地の陸上で待機しているイギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris Mk 5)飛行艇の左側面:アイリスの最終型で、ロールスロイス(Rolls-Royce)バザード(Buzzard:ノスリ)IIMS 排気量2,239.3 in³(36.7 L)V-12型液令エンジン出力825 hp (615 kW)3基装備。ただし、このバザードIIMS(H.XIIMS)は、1932-1933年に69基が生産されたに過ぎない。
November 1932. Iris Mk 5. (Flight 1932/11/17). R.B.1D / Iris V This was the final variant. Three Iris Mk IIIs were fitted with 825 hp (615 kW) Rolls-Royce Buzzard IIMS piston engines..
写真は, Grace's Guide File:Im19321117FL-Iris5.jpg引用。


イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇は、1926年6月18日初飛行し1934年に退役した。総生産機数は僅か5機で、アイリス(Iris)Mk 5が最終型である。搭載した発動機は、ロールスロイス(Rolls-Royce)バザード(Buzzard:ノスリ)IIMS 排気量2,239.3 in³(36.7 L)V-12型液令エンジン出力825 hp (615 kW)3基で、これは、後継機ブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)飛行艇でも引き継がれている。しかし、このロールスロイス(Rolls-Royce)バザードIIMS(H.XIIMS)12気筒液令エンジンは、1932-1933年の間に僅か69基が生産されただけで、成功作とは言えなかったようだ。

写真ポスター(右)1927年11月、イギリス、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇:ロールスロイス(Rolls-Royce)コンドル(Condor)IIIB V-12型液令エンジン675 hp (503 kW)3基装備。
Blackburn Iris, Three Engined Flying Boat. 1926 Considerable interest was given to the Iris in October 1926, the latest seaplane acquired by the Royal Air Force. The Iris, a Rolls-Royce engined Blackburn seaplane, was the largest and fastest of its type in the world in 1926. It was fitted with three Condor engines of 650 Hp each, carried a crew of five composed of first and second pilot, wireless operator, and two gunner engineers. With a full load she could fly at over 100mph, and, if needs be, she could stay in the air for a full day..
写真は, Grace's Guide  File:Im19271124Fl-Blackburn.jpg引用。


ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)三発飛行艇の諸元
乗員Crew: 5名
全長Length: 67 ft 4.75 in (20.5423 m)
全幅Wingspan: 97 ft 0 in (29.57 m)
全高Height: 25 ft 6 in (7.77 m)
主翼面積Wing area: 2,461 sq ft (228.6 m2)
空虚重量Empty weight: 19,301 lb (8,755 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 29,489 lb (13,376 kg)
発動機:ロールスロイス(Rolls-Royce)コンドル(Condor)IIIB V-12型液令エンジン675 hp (503 kW)3基
最高速力Maximum speed: 118 mph (190 km/h, 103 kn)
航続時間Endurance: 4時間 54分
実用上昇限度Service ceiling: 10,600 ft (3,200 m)

⇒写真集Album:ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇を見る。


11.イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)飛行艇

写真(右)1935年、イギリス、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)三発飛行艇
English: Blackburn Perth Date 1935 Source Imperial War Museum Collections MH3012 Author British official photographer
写真はWikimedia Commons, Category:Blackburn Perth  File:MH 003012.jpg引用。


イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)R.B.3A パース(Perth)三発飛行艇は、1933年10月11日初飛行で、総生産機数4機、1938年に退役し、後継機のブラックバーン(Blackburn)R.B.3A パース(Perth)飛行艇が変わって就役した。

写真(右)1932年11月、イギリス、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)R.B.3A パース(Perth)飛行艇:1933–1934年の期間に4機が生産された。1934年に就役し、1938年に退役。発動機はアイリスの最終型と同じで、ロールスロイス(Rolls-Royce)(Buzzard)IIMS 排気量2,239.3 in³(36.7 L)V-12型液令エンジン出力825 hp (615 kW)3基装備。ただし、このBuzzard IIMS(H.XIIMS)は、1932-1933年に69基が生産されたに過ぎない。
November 1932. Iris Mk 5. (Flight 1932/11/17). R.B.1D / Iris V This was the final variant. Three Iris Mk IIIs were fitted with 825 hp (615 kW) Rolls-Royce Buzzard IIMS piston engines..
写真は, Grace's Guide File:Im19321117FL-Iris5.jpg引用。


ブラックバーン(Blackburn)R.B.3A パース(Perth)飛行艇の諸元
乗員Crew: 5名
全長Length: 70 ft 0 in (21.34 m)
全幅Wingspan: 97 ft 0 in (29.57 m)
全高Height: 26 ft 5.5 in (8.065 m)
主翼面積Wing area: 2,461 sq ft (228.6 m2)
空虚重量Empty weight: 20,927 lb (9,492 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 32,500 lb (14,742 kg)
発動機:ロールスロイス(Rolls-Royce)バザード(Buzzard:ノスリ)II MS V-12型液令エンジン675 hp (503 kW)3基
最高速力Maximum speed: 132 mph (212 km/h, 115 kn)
航続距離Range: 1,300 mi (2,100 km, 1,100 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 11,500 ft (3,500 m)


12.読売新聞 1940.11.19 (昭和15)「南太平洋を四角に結ぶ新航空路横浜−淡水(台湾)−パラオ処女空の開拓へ」

川西九七式大型飛行艇 川西九七式大型飛行艇 試験機『綾波号』二十二日に出発
一万余キロに及ぶ太平洋の銀翼制覇を夢みるアメリカが桑港−香港間パン・アメリカン太平洋航空路をシンガポールまで延長して極東空路に翼の攻勢を伝えられるとき南進日本の前進基地、横浜−淡水(台湾)−パラオの処女空五〇五七粁を翼に結ぶ南進国策航空路が大日本航空によって開拓され、その第一回開拓試験飛行が二十二日横浜を飛び立ち二十五日パン・アメリカン空路を真二つに縦断してパラオ−淡水間無着陸翔破の壮挙を敢行する、新コースは今春三月開設された横浜−サイパン−パラオ間四一八〇粁を繋ぐ南洋定期と連絡するのでここに南方生命圏を鵬翼に連ねる堂々一万粁の南太平洋循環航空路が出現するわけである

川西九七式大型飛行艇 南海に雄々しく羽搏く誉れの第一回開拓機は南洋定期航空に既に定評のある純国産十七人乗り川西式四発大飛行艇「綾波」(J−BFOZ)号、乗員は一等操縦士、一等航空士中野政一氏を機長として一等操縦士、二等航空士大堀修一氏、一等航空士斧和夫氏、機関士に鈴木秋太郎、石橋熊次、中山健次郎の三氏、通信士に楠田敬助、立松正の両氏が晴れの大役を担当する、試験飛行コース間距離は横浜−淡水間二二五七粁、淡水−パラオ間二八〇〇粁で片道五〇五七粁、綾波号は二十二日横浜発南太平洋を堂々一万粁翔破しパラオに機翼を二日休めて二十七日凱旋の予定である、

横浜−淡水間は洋上飛行艇にとって処女飛行だし淡水−パラオ無着陸翔破こそはわが航空路の最長距離で全然の処女空だ、この間の飛翔時間十一時間四十分、孤島の影ひと紺青の水面には未だ世界の航空機がかって機影を映したことのないつとどめぬ未知の世界を快翔してフィリッピン諸島の遥か東方洋上上空で宿命の国の銀翼と交錯するわけである、

川西九七式大型飛行艇 第二次、第三次とひきつづき試験飛行の結果、新南方空路も定期航空化される予定だが、これで”南の生命線”南洋諸島には横浜−サイパン−パラオを結ぶ南洋定期、今夏八月開始されたパラオ−ヤルート間諸島を飛石伝いに繋ぐ南洋島内空路準備飛行と相俟ってわが南方航空圏にはたえず力強い爆音が轟くこととなった

川西九七式大型飛行艇試作1号機は、1936年(昭和11年)7月14日、テストパイロット近藤勝次によって初飛行した。細長いアスペクト比の大きな主翼の前縁の4基の発動機は、九七式艦上攻撃機と同じ中島「光」空冷星形9気筒エンジン770hpで4機が試作され、1936年(皇紀2597年)に制式されたため、川西九七式大型飛行艇と命名された。生産期間は1943年まで215機が生産されたが、大日本航空の民間機は次のように命名された登録コードを持つ18機である。

川西九七式大型飛行艇 J-BFOR "黒潮"   J-BFOS "朝潮"  J-BFOT "曙" J-BFOX "潮" J-BFOY "漣(さざなみ)" J-BFOZ "綾波" J-BGOA "磯波"  J-BGOB "浦波" J-BGOC "叢雲(むらくも)"   J-BGOD "白雲" J-BGOE "巻雲"  J-BGOF "夕雲"  J-BGOG "東雲"  J-BGOH "朝凪"

川西九七式大型飛行艇の諸元
全長: 25.6 m
全幅: 40.0 m
全高: 6.27 m
翼面積: 170.0 m2
全備重量: 17.5 t
発動機:三菱「金星」空冷星形14気筒エンジン1,000 hp4基
最高速力 340 km/h (210 mph, 180 kn)/高度4,000 m
巡行速力 222 km/h (138 mph, 120 kn)
航続距離 4,797 km (2,981 mi, 2,590 nmi)


11.日本海軍川西二式大型飛行艇

写真(右):1944年3月31日、パラオ諸島から連合艦隊司令部を空輸した二式大型飛行艇;22型 H8k3; 全幅38.328m 全長28.12m、自重18,570kg、発動機 三菱火星22型 1850馬力4基、最高速度 470km/h 航続距離 偵察時 7153km(一二型) 8223km(二二型)。二式大艇は開戦直後の1942年3月、大航続力を生かして3機が真珠湾を爆撃(K作戦)。2004年4月末からここ鹿児島県鹿屋市にある海上自衛隊鹿屋航空基地資料館で保管されている。

古賀峰一大将は、前年山本五十六大将がアメリカ陸軍航空隊の襲撃で戦死した後を継いで、1943年4月に連合艦隊司令長官に就任しており、アメリカ機動部隊のパラオ空襲を受けて、怖気づいて脱出したわけではない。しかし、1944年3月31日、事前に計画されていた司令部の移転を、米軍の攻撃を前に、あわてて実行したために、悲劇を生んだ。連合艦隊司令長官古賀峰一大将の乗機(一番機)の乗員の全員が死亡、参謀長福留繁中将の乗機(二番機)の乗員救出は、1年前のブーゲンビル島における連合艦隊司令長官山本五十六提督と参謀長宇垣纏中将の「海軍甲事件」の時と全く同じである。

写真(右):航続力を生かして、偵察・爆撃に活躍した川西二式大型飛行艇H8K;1942年3月2日、二式大艇2機はK作戦として、マーシャル群島ウオッゼ島に進出、フレンチフリゲート礁に進出した潜水艦伊15、伊19から3月4日に燃料補給を受けハワイへ向かった。そして、ハワイのオアフ島に各機250キロ爆弾4発を投下、無事帰還した。5月30日、第二次K作戦が開始されたが、フレンチフリゲート礁はアメリカ艦艇の警戒下にあったため、第二次K作戦は中止された。戦後、米軍に鹵獲されていた二式大艇が返還され、1980年代から東京湾の「船の科学館」に展示された。その後2004年4月末からここ鹿児島県の海上自衛隊鹿屋航空基地資料館に移され保管・展示されている。

出発後、激しい風雨に見舞われ、二式大艇1番機は行方不明、2番機はフィリピン群島ビサヤ地方セブ島に不時着。二式大艇は2機とも遭難、連合艦隊司令長官古賀峰一提督の乗機(一番機)は行方不明、連合艦隊参謀長福留繁海軍中将の乗機(二番機)は不時着し、福留参謀長たちはフィリピンゲリラの捕虜となる。

写真(右):日本海軍川西・二式大型飛行艇(H8K);川西飛行機が、前作の九七式大型飛行艇(九七式大艇)の経験をもとに設計、量産した。日本が量産した戦前・戦時中の最大級の航空機。連合軍のコードネームは「エミリー」。1942年3月2日、二式大型飛行艇(二式大艇)2機はK作戦として、マーシャル群島ウオッゼ島に進出、フレンチフリゲート礁に進出した潜水艦伊15、伊19から3月4日に燃料補給を受けハワイへ向かった。そして、ハワイのオアフ島に各機250キロ爆弾4発を投下、無事帰還した。5月30日、第二次K作戦が開始されたが、フレンチフリゲート礁はアメリカ艦艇の警戒下にあったため、第二次K作戦は中止された。戦後、米軍に鹵獲されていた二式大艇が返還され、1980年代から東京湾の「船の科学館」に展示された。その後2004年4月末からここ鹿児島県の海上自衛隊鹿屋航空基地資料館に移され保管・展示されている。

連合艦隊参謀長福留繁海軍中将、作戦参謀山本祐二中佐は、Z作戦計画の関連書類と艦隊司令部用信号書(暗号書)を携行していたから、証言はどうであれ、Z作戦計画書は敵に奪取され、高級将校は厳しい尋問を受けたと考えられる。連合艦隊将官を含む最高級の捕虜9名は,フィリピンゲリラのマルセリーノ・エレディアノ大尉は、日本語で尋問をし、セブ市西方トパス山中のクッシング中佐の根拠地に収容された。一連の事件を「海軍乙事件」と称し秘匿した。

日本海軍川西二式大艇 しかし、フィリピンでゲリラ討伐を行っていた大西中佐率いる陸軍独立混成第31旅団独立歩兵第173大隊は、クッシング中佐らゲリラ幹部を包囲した。そこで、クッシング中佐は、捕虜にしていた岡村中尉を派遣し、日本軍の包囲網を解けば、捕虜交換に応じて,高級将校たちを引き渡すと約束した。取引の合意がなり福留繁中将たち日本軍捕虜全員が引き渡された。こうして「海軍乙事件」は終わったようにもみえるが、実は、その後のZ作戦機密漏えいの審理がいっそう重要である。

福留繁中将は、本名を名乗らず、将官であることも隠していたが、捕虜交換後も、本名は隠しとおしていた。そして、ゲリラ討伐の陸軍部隊から、海軍のセブ派遣隊に引き取られた。

海軍では連行艦隊司令長官古賀峯一遭難、連合艦隊中枢の拉致、機密書類の紛ということの重大さを認識しており、「海軍乙事件」として、第三南遣艦隊は、参謀山本繁一少佐を派遣し、捕虜から解放された連合艦隊参謀長福留繁中将に対して、Z作戦計画に関して問いただした。福留中将は、第三南遣艦隊参謀山本繁一少佐に対して、機密書類を納めた書類カバンを軍服を現地人に奪われたが、ゲリラは書類内容には関心を抱いていなかったようだと答えた。(吉村昭『海軍乙事件』引用)

日本海軍川西二式大艇 しかし、連合艦隊より格下の第三南遣艦隊参謀山本繁一少佐が、連合隊参謀長福留繁中将を「尋問」できるわけがない。一介の少佐による中将にたいする厳格な調査は不可能である。

福留中将、山本中佐はセブから羽田へ空輸され、海軍大臣官邸で海軍次官沢本頼雄中将らが事情を聴取する。しかし、連合艦隊参謀長という実戦部隊の最高の要職の海軍中将を同じ海軍中将が事情聴取しても、組織内の庇い立てに終始してしまう。

福留繁中将、山本中佐はセブから東京の羽田へ空輸され、海軍大臣官邸で海軍次官沢本中将などが、事情聴取をするが、連合艦隊参謀長という実戦部隊の最高の要職(司令長官の古賀大将は行方不明)の中将を同じ中将が事情聴取しても、組織内のかばい立てに終始してしまったようだ。

名誉ある連合隊参謀長福留繁中将らが、Z作戦計画の遺漏は無いと証言すれば、それを信じるしかない。また、国内にいた日本軍指導部の軍人(俗に言うお偉方)は、フィリピン人ゲリラの有能さを最後まで理解できなかったから、文盲のゲリラは、Z作戦計画が重要であることが認識できず、米軍の手に渡すほど、機転も利かないと誤解していた。

連合隊参謀長福留繁中将が、Z作戦計画の遺漏は無いと宣誓すれば、それを信じるしかない。また、日本軍高級指揮官は、フィリピン人ゲリラの有能さを最後まで理解できなかったから、Z作戦計画を手にしたとしても、何もわからず、捨ててしまったはずだと甘く考えた。

日本海軍川西二式大艇 海軍乙事件で、フィリピンゲリラを通じてアメリカ軍にわたった「Z作戦計画」は、連合艦隊司令長官古賀峯一大将の下で作成され、軍令部により承認された作戦計画である。当初、1943年のZ計画では、クエジェリン基地、ルオット基地などが点在するマーシャル諸島を決戦海面としていたが、マーシャル諸島が陥落した1944年には、サイパン島などマリアナ諸島・トラック諸島・ビアク島など西部ニューギニアを絶対国防圏として、その線で海軍の艦隊と基地航空兵力の総力を挙げて来寇するアメリカ艦隊の撃滅する作戦を立てた。しかし、艦隊決戦の思想に囚われてしたため、優先するのは敵空母艦隊(高速空母任務部隊)とされ、ついで輸送船団や敵上陸部隊に対して攻撃することになっていた。

Z作戦要領関係」書類を入手したアメリカ軍は、1)日本軍による積極的攻撃のリスクは低く、ニューギニアやマーシャル諸島に高速空母を配置する必要がない、2)マリアナ諸島攻略に高速空母任務部隊位を集中し、出撃してくる日本の機動部隊を迎撃できる、3)上陸したサイパン島への日本の空襲をあまり危惧せず、日本の空母機動部隊の捜索と迎撃に専念できる、という有利な状況を手に入れた。

日本軍は、海軍乙事件に関して,Z作戦計画の遺漏よりも、高級将校が捕虜となり、生還したことを問題にしていたのである。虜囚の辱めを受けた将官をどのように処遇するかという問題である。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ハンセン病Leprosy差別
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答

ポーランド侵攻:Invasion of Poland
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)

自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」

日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
ソ連赤軍T-34戦車ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov

フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車/Sd.Kfz. 231-6Rad六輪装甲車
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
ドイツ陸軍2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
VI号ティーガー重戦車
ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
V号パンター戦車
ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車

イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
イギリス陸軍コメット巡航戦車

アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機

ユンカース(Junkers)F.13輸送機
ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
ユンカース(Junkers)K43f水上機
巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
ユンカース(Junkers)G.31輸送機
ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
ハインケル(Heinkel)He111輸送機
ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機

フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"

フィンランド内戦:Finnish Civil War
フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
フィンランド軍の防空監視哨

ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇

ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 C/R/G夜間戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」

サヴォイア=マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機
サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
サヴォイア・マルケッティSM.82カングロ輸送機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.12/G.212三発輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
フィアット(Fiat)BR.20/イ式重爆撃機
サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84爆撃機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
ピアジオP.108重爆撃機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機

2018年8月30日開設の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
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〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 
東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程
鳥飼 行博 TORIKAI Yukihiro
HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka
Kanagawa,Japan259-1292
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