◆アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
写真(上):1942年8月頃、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター輸送機(シリアルナンバー: 42-32936(?)):、アメリカ陸軍航空隊ダグラスC-54「スカイマスター」四発大型貨物輸送機:ダグラスDC-4輸送機の軍用仕様。胴体側面のガラス窓は、小さく円形である。折り畳み式ベンチを備えた貨物専用輸送型とソファー座席を備えた人員輸送型とがある。
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00013463引用。
写真(上):1945年7月15日,ドイツ、ベルリン飛行場、アメリカ陸軍航空隊ダグラスC-54四発大型輸送機「スカイマスター」:ポツダム会談に参加するアメリカ首脳陣はダグラスC-54スカイマスター輸送機(Douglas C-54 Skymaster:DC-4)に乗り、イギリス首脳陣も、ダグラスC-54に乗ってベルリンに到着した。
Description: C-54 transport planes line up after their arrival at Gatow Airport in Berlin, Germany. These planes brought President Harry S. Truman and other dignitaries to the Potsdam Conference. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
写真はHarry S. Truman Library & MuseumAccession Number: 63-1457-14引用。
写真(上):2016年、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館が保管しているフランクリン・ルーズベルト大統領専用機のダグラス(Douglas)VC-54C輸送機"Sacred Cow" :1945年2月のヤルタ会談に出席するときに使用された。
DAYTON, Ohio -- Douglas VC-54C "Sacred Cow" at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
The Sacred Cow carried President Roosevelt to the Yalta Conference in February 1945. Illustrating the high stakes associated with presidential airlift, the Sacred Cow’s serial number was changed for the flight as a special security measure. The trip to Yalta was Roosevelt’s only flight aboard the aircraft before his untimely death in April 1945.
写真は, National Museum of the United States Air Force Douglas VC-54C “Sacred Cow”引用。
1. ダグラス(Douglas)DC-4E 試作輸送機
写真(右)1937-1938年、アメリカ、ダグラス(Douglas)で製造最終段階に入ったDC-4E旅客輸送機;
SDASM Archives
Douglas : DC-4E
Catalog #: 00065808
Manufacturer: Douglas
Designation: DC-4E
Official Nickname:
Notes: Original DC-4 - Triple verticals - exported to Japan ? 1938
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00065808引用。
ダグラスのDC3輸送機は、実用性が高く性能も良かったためにアメリカの航空会社が競って採用したベストセラーとなった。しかし、実はDC-3が実用化される前の1935年、ダグラス社は、DC-3より大型で長距離飛行が可能な四発旅客輸送機を開発し、大西洋、太平洋を越える民間航路も開拓しようとした。これが、DC-4E旅客輸送機で、乗客42名、航続距離3000km以上を目指した。
DC-4E旅客輸送機 プロトタイプ(NX18100, s/n 1601)は、1938年6月7日、カリフォルニア州サンタモニカで初飛行した。そこで、ユナイテッド航空によるテストでは、乗客は最大52名が収容可能とされたが、総重量は29,484 kgと過大で、整備が困難であり、製造コストも高すぎるという評価だった。そのため、ダグラスDC-4Eは試作機1機の製造で開発は中止となり、新たなコンセプトのDC-4輸送機が開発されることになった。
⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)DC-4E試作機を見る。
2. 1942年2月、ダグラス(Douglas)DC-4四発輸送機が初飛行した。これは、ダグラス社前DC-3双発輸送機を大型化し、エンジンを4基に増やし、前輪式を採用した斬新な設計の大型輸送機である。しかし、すでに第二次世界大戦が勃発して2年半が経ち、1941年12月からは、太平洋戦争がはじまり、アメリカは日本、ドイツ、イタリアとも戦っていた。そこで、ダグラスDC-4輸送機は、主に軍用輸送機C-54「スカイマスター(Skymaster)」として採用された。
写真(右)1942年初頭、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年春からは、日本の日の丸と錯誤がないように、白星中央の赤丸を削除されている。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013462引用。
アメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)C-54輸送機は、カリフオルニア州サンタモニカのダグラス飛行機工場で試作され、初飛行は1942年で、これは原型のDC4E発展型というよりも、全くの新設計といってよかった。DC4Eは日本の中島飛行機が実機を輸入し、密かに日本海軍の依頼を受けて四発攻撃機「深山」の原型となった。しかし、失敗作の機体だったために、エンジン、燃料タンク、主翼形状、胴体は新たな設計である。
写真(右)1942年初頭、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、離陸するアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍記章なので、1942年春以前の撮影であろう。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00047045引用。
写真(右)1942年8月、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):
SDASM Archives
Douglas C-54, 42-32936, at Hammer Fld.
写真はSDASM Archives・Douglas C-54, 42-32936, at Hammer Fld_2引用。
プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2000ツインワスプ(Twin Wasp)空冷二重星型14気筒エンジン1300馬力は、1932年に開発されたプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1830 ツインワスプ(Twin Wasp)空冷二重星型14気筒エンジン1000馬力の排気量を増加、出力を向上させた発展型で、1942年に開発された。
写真(右)1942年8月、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):
SDASM Archives
Douglas C-54, 42-32936, at Hammer Fld.
写真はSDASM Archives・Douglas C-54, 42-32936, at Hammer Fld_3引用。
ダグラス社カリフォルニア州州サンタモニカ飛行機工場(Douglas Aircraft Santa Monica)製造のアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936)の胴体側面ガラス窓は、小さく円形であり、これは折り畳み式ベンチを備えた貨物専用輸送型である。同じC-54スカイマスター(Skymaster)の人員輸送型では、四角の大きなガラス窓がついている。
写真(右)1942年初期、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、トレーラーに牽引されて格納庫から引き出されるアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:エンジンは停止している。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013476引用。
ダグラス(Douglas)C-54輸送機の諸元
全長Length: 93 ft 10 in (28.60 m)
全幅Wingspan: 117 ft 6 in (35.81 m)
Height: 27 ft 6 in (8.38 m)
全高Wing area: 1,460 sq ft (136 m2)
空虚重量Empty weight: 43,300 lb (19,641 kg)
総重量Gross weight: 63,500 lb (28,803 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 73,000 lb (33,112 kg)
燃料搭載量: 最大2,868 US gal (2,388 imp gal; 10,860L) 通常 3,592 US gal (2,991 imp gal; 13,600 L)
発動機Powerplant: 4 × Pratt & Whitney R-2000-2SD13-G Twin Wasp空冷14気筒エンジン
離陸出力:1,450 hp (1,080 kW) 、高度14,000 ft (4,300 m)で1,100 hp (820 kW)
プロペラPropellers: 3翅ハミルトン(Hamilton-Standard)水圧調整ピッチ
恒速プロペラ 直径 13 ft 1 in (3.99 m)
写真(右)1942年初期、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、トレーラーに牽引されて格納庫に戻されるアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:後方には、ダグラスDC-3(C-47)双発輸送機が待機している。エンジンは停止している。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013475引用。
ダグラス(Douglas)C-54輸送機の性能Performance
最高速力Maximum speed: 280 mph (450 km/h, 240 kn) /14,000 ft (4,300 m)
巡航速力Cruise speed: 227 mph (365 km/h, 197 kn) 出力60% /10,000 ft (3,000 m)
最高巡航速力Maximum cruise speed 246 mph (214 kn; 396 km/h) /20,800 ft (6,300 m)
航続距離Range: 3,300 mi (5,300 km, 2,900 nmi)
空輸距離Ferry range: 4,250 mi (6,840 km, 3,690 nmi)
翼面荷重Wing loading: 50.1 lb/sq ft (245 kg/m2)
出力比Power/mass: 0.0787 hp/lb (0.1294 kW/kg)
写真(右)1942年初期、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013416引用。
ダグラス社のカリフオルニア州サンタモニカ飛行機工場(Douglas Aircraft Santa Monica)で試作されたアメリカ陸軍航空隊ダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機は、 プラット&ホイットニーR-2000ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン1300馬力4基を装備し、時速440km 以上の高速を誇る大型輸送機である。第二次世界大戦中の1942年2月14日に初飛行し、アメリカ軍陸軍航空隊ではダグラスC-54 スカイマスターとして、アメリカ海軍航空隊ではR5Dスカイマスター輸送機として制式された。
写真(右)1942年初期、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、離陸するアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):滑走路にはただ一人のカメラマンが立ち膝で、決定的瞬間の撮影チャンスを待っている。滑走路の向こう側には、ダグラスDC-3(C-47)輸送機が待機している。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013426引用。
写真(右)1942年初期、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、滑走路の外れで待機するアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):エンジンは停止している。エンジンナセルに引き込まれる主輪は、大重量を支えることができるようにダブル・タイヤ、2個のゴム輪が装備されている。他方、ドイツ空軍He177爆撃は、ダブルタイヤを採用せず、主輪の支柱を左右の主翼に巨大なゴム輪を備えている。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013425引用。
写真(右)1942年8月、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):右側に飛行格納庫があり、上空には、空襲を妨害する阻塞気球1個が係留されている。後方には、給油用の大型燃料運搬車が見えている。
SDASM Archives
Douglas C-54, 42-32936, at Hammer Fld.
写真はSDASM Archives・Douglas C-54, 42-32936, at Hammer Fld引用。
写真(右)1942年8月(?)、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):左上空には、空襲を妨害する阻塞気球1個が係留されている。機首右側面の扉は開いている。
SDASM Archives
Douglas C-54, 42-32936, at Hammer Fld.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00047044引用。
1938年6月7日、カリフォルニア州サンタモニカで初飛行したダグラス(Douglas)DC-4E旅客輸送機プロトタイプ(NX18100, s/n 1601)は、水平尾翼に3枚の垂直尾翼のある構造で、乗客42名分の座席のある大型四発輸送機である。この試作機は、重量過大で構造的にも失敗だったが、この失敗を踏まえて新たに量産性に配慮して設計したのが、ダグラス(Douglas)C-54スカイマスター輸送機である。1942-1946年に1050機が生産された。
写真(右)1942年春以降、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013417引用。
第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
写真(右)1942年春以降、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936)の側面:青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。
SDASM Archives
Skymaster Douglas C-54
- Title:Skymaster Douglas C-54 - Catalog:15_002781 - Filename:15_002781.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."----PLEASE TAG this image with any information you know about it, so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.----
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写真はSDASM Archives・PictionID:40972962引用。
写真(右)1942年春以降、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013452引用。
ダグラスの前作 DC-4E (Douglas DC-4E)四発輸送機は、1935年から設計が始まり、1938年6月7日に初飛行した。しかし、鈍重で、飛行安定性も悪く、輸送機として実用化されずに終わった。結局、試作機1機のみで開発計画は中止になったが、日本海軍は四発大型攻撃機の実用化のために、密かに本機を大日本航空に製造権と実機を購入させ、中島飛行機に十三試大型陸上攻撃機の開発を命じた。 DC-4EとDC-4と名称は似ているが、全くの別設計である。
写真(右)1942年以降、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)DC-54-DO (DC-4)スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):青丸白星のアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半以降の採用。
SDASM Archives
Douglas, C-54-DO, Skymaster
USA
Title: Douglas, C-54-DO, Skymaster
Corporation Name: Douglas
Designation: C-54-DO
Official Nickname: Skymaster
Additional Information: USA
Tags: Douglas, C-54-DO, Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00090724引用。
写真(右)1942年以降、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54, DWC(DC-4)スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):胴体機首右の昇降口に移動式ラッタルが掛けられ、乗客らしい民間人が乗り込んでいる。
SDASM Archives
, C-54, DWC, Skymaster, Douglas-World Cruiser
USA
Title: Douglas, C-54, DWC, Skymaster, Douglas-World Cruiser
Corporation Name: Douglas
Designation: C-54, DWC
Official Nickname: Skymaster, Douglas-World Cruiser
Additional Information: USA
Tags: Douglas, C-54, DWC, Skymaster, Douglas-World Cruiser
.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00090725引用。
写真(右)1942年以降、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54, DWC(DC-4)スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936)のコックピット中央部計器盤:スロットルレバーが並んでいる。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
写真はSDASM Archives・CatalogCatalog #: 00047036引用。
ダグラス(Douglas)C-54輸送機の諸元
搭乗員Crew: 4名
乗客Capacity: 座席44 名(寝台 22名)
軍用簡易ベンチ座席: 86名
写真(右)1942年11月20日、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、斜め正面から見たからダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:写真解説には、撮影日付が8-20-42、Consolidated(コンソリデーテット)Aircraft Model C-54 3-4 Front view Fuselage」とある。左後方には、滑走路に阻塞気球が置いてあるのが見える。
SDASM Archives
convair negative
pictionid58871546 - titledouglas c-54 42-32936 at lindbergh field - filename230000120.tif-Image from the General Dynamics/Convair Collection
.
写真はSDASM Archives・- catalog230000120.tif 引用。
コンソリデーテッド(Consolidated Aircraft )は、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空軍(USAAF)向けにB-24「リベレーター」爆撃機を生産していたが、その主翼を流用して、C-87 リベレーター・エクスプレス(Consolidated C-87 Liberator Express)輸送機を生産した。ダグラスのフォートワース工場では、B-24爆撃機と並行してC-87 輸送機を生産したが、最終的には287機のC-87がフォートワースのコンソリデーテッド工場で生産された。アメリカ海軍もVIP輸送用のRY、イギリス空軍もVIP輸送用のリベレーター C.IXとして制式している。
写真(右)1943年以降、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00047048引用。
アメリカ軍機の国籍マーク(記章)の変遷
第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
写真(右)1942年以降、アメリカ、飛行する無塗装のアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013459引用。
1942年春、アメリカ軍の国籍マークは、青丸白星となり、それまであった白星中央の赤丸は取り除かれた。そして、1943年6月以降に、青丸白星の両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”、あるいは1943年9月以降、赤縁を青縁に変えた改修型(青丸白星の両側に白色袖・青縁付き)”STAR AND BAR”、が記入されるようになった。第二次世界大戦後、1947年6月からは、青丸白星の両側に白色袖・青縁・赤ストライプ付き”STAR AND BAR”、に変更されている。
写真(右)1942年以降、アメリカ、飛行する無塗装のアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013442引用。
1942年初飛行のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機は、プラット&ホイットニー R2000ツインワスプ空冷星形14気筒4基、最高時速442?の大型高速輸送機だったが、運航の経済効率や機体の保守・維持は、前型で1936年初飛行のDC-3双発輸送機のほうが優れていた。生産機数は、ダグラスDC-3輸送機、その軍用仕様C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機が1万機も大量生産されたのに対して、ダグラスDC-4輸送機、その軍用仕様C-54輸送機は、カリフオルニア州サンタモニカのダグラス飛行機工場(Douglas Aircraft Company, Inc. Santa Monica)で1200機、すなわちDC-3の8分の1しか生産されなかった。
写真(右)1945年以降(?)、アメリカ、飛行場で待機するアメリカ軍のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード(Registration):42-107453):工場の製造番号 c/n 7486、登録コード(Registration)42-107467、当初はアメリカ空軍(United States Air Force)に配備され、のちに南米ヴェネズエラ(Venezuela)の民間機として登録コード YV-AJAされた。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013469引用。
ダグラス(Douglas)C-54スカイマスター輸送機は、アメリカ陸軍航空隊の使用した命名で、ダグラスDC-4輸送機は、民間航空向けの名称,R5D輸送機は、アメリカ海軍航空隊・アメリカ海兵隊向けの名称である。しかし、いずれも愛称は、スカイマスター(Skymaster)と名付けられダグラス社カリフォルニア州州サンタモニカ飛行機工場(Douglas Aircraft Santa Monica)で生産された。
3. 1941年12月の太平洋戦争の勃発直後に初飛行したダグラスDC-4輸送機は、民間機DC-4としてはほとんど生産されず、ダグラス・サンタモニカ工場で主に軍用輸送機C-54「スカイマスター」として採用された。1947年8月までに、DC-4として80機、C-54として 1000機以上が製造された。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:写真解説には、C54、Produnctin Line、Douglas Aircraft、Santa Monica、CALIF, 1942とある。左方には、胴体の垂直尾翼取り付け部分が明瞭に映っている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00047041引用。
マサチューセッツ工科大学出身でマーチン社の技師だったドナルド・ダグラス(Donald W. Douglas)は、1920年に退社してカリフォルニア州サンタモニカに1921年7月にダグラス・エアクラフト社(Douglas Aircraft Company)を設立した。そして、カリフオルニア州サンタモニカ(Santa Monica)のクローバーフィールドへ大規模な飛行機工場を設置し、1933年に双発のダグラスDC-1輸送機、1934年に双発のダグラスDC-2輸送機を開発し、大型機製造の一流飛行機メーカーとなり、1936年にはベストセラーとなるダグラスDC-3輸送機を生み出している。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の主翼と発動機部:主輪が装備されていない状態で機体を支える専用の工作支柱が工場内に完備している。右側のエンジンナセルの降着装置の格納スペースが明瞭に映っている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00047040引用。
アメリカのダグラス・エアクラフト社(Douglas Aircraft Company)は、カリフオルニア州サンタモニカ(Santa Monica)飛行機工場を拠点にして、輸送機開発で名を挙げたが、アメリカ海軍航空隊では1935年のTBD デヴァステイター艦上雷撃機、1938年のSBD ドーントレス艦上爆撃機、アメリカ陸軍航空隊では1938年のA-20 ハヴォック(ボストン)攻撃機、1942年攻撃機A-26インベーダー攻撃機など多種類の航空機を開発・製造してきた大企業である。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場のダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の主翼と主翼内部のエンジン・降着装置・昇降舵、フラップなどの操縦・操作システムコード:写真上部は、発動機と引込み式降着装置を格納するエンジンナセル。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013376引用。
ダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の発動機はプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)が製造したR-2000 (32.84 L)ツインワスプ(Twin Wasp )空冷星形14気筒エンジン1,290hp4基で、別会社ので製造されたものである。カリフォルニア州サンタモニカでは、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)社から送られた完成した発動機を、C-54輸送機の主翼に据え付ける作業を行う。しかし、発動機を調整する油圧系統(hydraulic system)、電気回路から、エンジンナセルに取り付ける引込み式の降着装置主輪など飛行機の製造は非常に複雑である。
第二次大戦中に大量の軍需を背景に成長したダグラス(マクドネル・ダグラス)だったが、1997年には、ボーイング社に吸収され、「ダグラス」の名称は消えている。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場のダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2000ツインワスプ(Twin Wasp)エンジンとプロペラ:R-2000-3ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジンの出力:1,350 hp (1,010 kW)/回転数 2,700 rpm (海面上)、排気量Displacement: 2,004 in3 (32.84 L)、エンジン全長Length: 61.02 in (1,550 mm)、エンジン直径Diameter: 49.49 in (1,257 mm)、乾燥重量Dry weight: 1,570 lb (710 kg)
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013366引用。
人気作家稲葉稔(2003)『蒼海の盾 〈3〉サンフランシスコ占領作戦! 』(歴史群像新書)学習研究社 は、フィクション太平洋戦争日本正統論だが、サンフランシスコのアラメダ基地で、日本軍の米本土進攻を前に、アメリカ海チェスター・ニミッツ提督の下に、海軍作戦部長「キングを乗せた大型軍用機ダグラス C54 スカイマスターは、大空をゆっくり泳いでやってきた」との箇所がある。初飛行:1942年2月14日初飛行のダグラスDC-4旅客機を、アメリカ海陸軍はC-54スカイマスター輸送機と、海軍はR5Dスカイマスター輸送機と命名して使用した。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場のダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の主翼取り付け部分と発動機:胴体の窓は、円形である。備えた座席は、折り畳み式ベンチの簡便なものの場合は、普段は、壁側に折りたたまれていて、座席なしで貨物の収納スペースを大きくとっている。折り畳み式ベンチを備えた貨物専用輸送型である。他方、ソファー座席を備えているのが、民間仕様や要人輸送に使用された人員輸送である。
これが、
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013367引用。
プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)
R-2000-3ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン諸元
気筒直径ボアBore: 5.75 in (146 mm)
気筒行程Stroke: 5.5 in (140 mm)
排気量Displacement: 2,004 in3 (32.84 L)
エンジン全長Length: 61.02 in (1,550 mm)
エンジン直径Diameter: 49.49 in (1,257 mm)
乾燥重量Dry weight: 1,570 lb (710 kg)
燃料Fuel type: 100/130オクタン
冷却機構Cooling system: 空冷Air-cooled
ギアReduction gear: 2:1
性能Performance
出力Power output: 1,350 hp (1,010 kW)/回転数 2,700 rpm (海面上)
圧力比Compression ratio: 6.5:1
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の垂直尾翼と水平尾翼:専用の工作用足場が工場内に完備している。胴体の左の昇降用の扉取り付け部分(内側)が明瞭に映っている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00047040引用。
第二次世界大戦はアメリカのダグラス・エアクラフト社(Douglas Aircraft Company)に軍需景気を呼び起こし大きな成功をもたらした。飛行機工場は、カリフォルニア州サンタモニカのほか、ロングビーチにも拡張され、トーランス、タルサ、シカゴにも工場を増設している。第二次世界大戦のアメリカ参戦期間中の1942年から1945年には、飛行機3万機を製造し、従業員は16万人の規模に達している。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の垂直尾翼と水平尾翼:専用の工作用足場が工場内に完備している。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00047038引用。
ダグラス・エアクラフト社(Douglas Aircraft Company)が開発したダグラス DC-3(Douglas DC-3)双発輸送機は、引き込み脚、全金属製、低翼式の大型双発輸送機DC-2を改修した発展型1935年12月17日初飛行した。改修点、DC-2胴体を若干太くして、DC-2の2列配置の座席(14席)を3列配置にして21席に増員し、運用効率を大幅に向上させたことである。そこで、1936年6月にアメリカン航空が採用したほか、トランスワールド航空、イースタン航空など、アメリカ民間航空での採用が相次ぎ、ヨーロッパのイギリス海外航空(BOAC)、スイス航空なども導入したベストセラーになった。
ダグラス社カリフォルニア州サンタモニカ飛行機工場(Douglas Aircraft Santa Monica)で製造されるアメリカ陸軍航空隊C-54スカイマスター輸送機の水平尾翼の昇降舵は大きく、飛行中は風圧も加わるので、操作するには現在のパワーステアリングと同じように、油圧や電動など補助動力が必要になる。尾部の末端は、先端が尖っているが、これは飛行中の空気の流れを円滑にして、空気抵抗を減少させ、飛行性能を向上するのに寄与している。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の主翼桁:
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013487引用。
太い主翼、水平尾翼を支えるには、内部に仕切り桁を作り強度を高める必要がある。特に大型双発機、四発機では、主翼に重量のあるエンジンを装備するので、強度は胴体にエンジンを1基装備する単発機よりもはるかに頑丈な構造に作る必要がある。しかし、飛行性能を高めるには、軽量化することも必要であり、強度の維持と矛盾しないように、軽量化するには、桁に丸穴を開けて重量軽減を図ることもされる。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の胴体部の計器類:航法士・機関士が操作する電動スイッチと電線が張り巡らされている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013488引用。
飛行機の金属骨格の桁の重量軽減の穴は、工作の手間をかけるので量産性を低下させ機械価格を引き上げてしまう。日本の軍用機は量産性が低いが、それは重量軽減のために工作が複雑になり手間がかかるようになったことが一つの原因である。また、金属の質も、軽量で強度の高い金属を生み出せなければ、重量が嵩んでしまい、飛行性能は悪化する。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の胴体内部:油圧を伝える管、空気用のダクト、索と滑車が張り巡らされている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013401引用。
エンジンの動力を利用した油圧系統(hydraulic system)は,操縦系統や降着装置などを作動させる動力として、広範に使用される。エンジンではなく、電動モーターで油圧ポンプを駆動することもある。圧力のかかった作動油管を通して装置の側に伝達し、昇降舵、垂直尾翼、降着装置を作動させる。油圧ポンプは、エンジンなどの動力で駆動され,作動油に1センチ平方当たり100キロ以上の高圧をかけるために、管が貧弱であったり、加工が不適切だったりすると、油漏れが生じてしまう。日本機の車輪やエンジン部分に油漏れが多いのは、油圧システムの品質が低いためである。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の胴体内部:油圧を伝える管、空気用のダクト、索と滑車が多数張り巡らされている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013380引用。
電気配線の作業は、接続のあやまりなどを避けるために、電気コード系列別に配色の色を変えたり、コードの長短を変化させたりして、接続金具の形式を変えたりして、誤接続の起きないように配慮している。誤りが生じるのは、作業員のミスではなく、誤りを生じさせるように設計している点にあると考えることで、品質向上を図ることができるのである。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の胴体内部:油圧を伝える管、索と滑車が張り巡らされている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013372引用。
飛行機の油圧システムに使用する作動油は,
〈1〉 品質の安定性
〈2〉 引火しにくい難燃性
〈3〉 軽量性
〈4〉 金属を腐食しない防錆性・防食性
が要求される。透明なリン酸エステル系合成油の場合は、見分けやすいように染料を混ぜ着色する場合が多い。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機のコックピット:
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013381引用。
アメリカ陸軍航空隊が1942年に制式したダグラス(Douglas)C-54スカイマスター輸送機のコックピットは、複列式操縦装置がある。足元には昇降舵を操作するフット・ペダルがある。垂直尾翼を操作する回転式操縦桿にも索と滑車が張り巡らされているはずだ。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機のコックピット:複列式操縦装置
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013385引用。
アメリカ陸軍航空隊が1942年に制式したダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機は、ダグラス社カリフォルニア州州サンタモニカ飛行機工場(Douglas - Santa Monica California )で1942年から1946年に量産された。のコックピットは、左に正パイロット、右に副パイロットの座る並列式複操縦装置で、長時間飛行を順次交代勤務するのに優れている。足元には昇降舵を操作するフット・ペダルがある。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州、ダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機のコックピット:正面のガラス風防の上下に操縦者の使用する計器、メーターが多数並んでいる。下方左右には、ハンドル式の操縦桿が見える。操作は電動式が多いようだ。左席が主操縦士、右席が副操縦士である。
正面ガラス風防の外には、工場のガラス窓と窓枠が見えている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013351引用。
1942年2月に初飛行したダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)四発輸送機は、正面のガラス風防の上下に操縦者の使用する計器、メーターが多数並んでいる。複式操縦席のため、景気の大半は左右対称で、下方左右にあるハンドル式の操縦桿は、左が正操縦士、右が副操縦士ようであるが、差異はないように見える。操作は、大型機であるために、電動式が多いようだ。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の尾部:
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013396引用。
1942年2月14日初飛行のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の厚く頑丈な水平尾翼は、尾部を貫通しているが、これは強度を高めるためである。昇降舵、垂直尾翼も大きく、空気抵抗も大きいため、操縦操作する索と滑車には油圧や電動の補助動力が作動するように設計されている。これは、自動車のパワーステアリングと同様の発想である。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の胴体内部の操縦索:太い円筒状の胴体座席の下面や天井裏には、昇降舵、フラップ、垂直尾翼などの操縦用の柵やエンジンや機関を操作する電線が走っている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013423引用。
ダグラス(Douglas)社カリフォルニア州サンタモニカ飛行機工場(Douglas - Santa Monica California )で製造されたダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の円筒状の胴体座席の下面や天井裏には、昇降舵、フラップ、垂直尾翼などの操縦用の柵やエンジンや機関を操作する電線が走っている。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるC-54スカイマスター輸送機の貨物室:太い円筒状の胴体に折り畳み式ベンチを備えた貨物専用輸送型。座席は簡易型で、貨物輸送を主たる目的にしている。窓の形状は円形でカーテンがついていない。天井には照明灯がある。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013343引用。
1942年2月14日初飛行のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)軍用輸送機は、太い円筒状の胴体に折りたたみ式ベンチが並べられている。貨物輸送を主たる任務にするタイプは、座席は簡易ベンチ形式で、貨物搭載空間を広くとれるように配慮している。また、旅客しようとは違って、胴体の窓の形状は円形でカーテンはつけられていない。しかし、天井には照明灯がある。
首輪式のために、地上待機中も機体が地面と水平になるために、貨物室内部での貨物の移動は容易である。ただし、貨物室の底面は、地面とは離れているので、地面から貨物室に運搬するには、傾斜版やエレベーターが必要となる。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機客室キャビンの座席:太い円筒状の胴体に3席と2席の列、あるいは2席2列が並んでいる。座席後方には収納スペースがある。窓の部分(内側)にはカーテンが明瞭に映っている。天井には照明灯がある。座席の上部には、手荷物を収納する網棚はついていない。br>SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013371引用。
アメリカ陸軍航空隊が1942年に制式したダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の旅客用キャビンは、円筒状で、3席と2席の座席5列、あるいは2席2列の座席が並んでいる。座席後方には、カバー式の収納スペースがある。四角のガラス窓内側には、遮光用のカーテンが取り付けられていて、開閉可能である。天井には照明灯がある。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機客室キャビンの座席:太い胴体に3席と2席の列が並んでいる。座席の上部には、手荷物を収納する網棚が設けられている。窓の部分(内側)にはカーテンが明瞭に映っている。天井には照明灯がある。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013422引用。
ダグラス社カリフォルニア州サンタモニカ飛行機工場(Douglas - Santa Monica California )で製造されたダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機が備えた座席は、2種類ある。折り畳み式ベンチは、普段は、壁側に折りたたまれていて、座席なしで貨物の収納スペースを大きくとることができ、貨物輸送型である。他方、ソファー座席を備えているのが、民間仕様や要人輸送に使用された人員輸送である。
写真(右)1942年以降、アメリカ、ダグラス(Douglas)DC-4旅客輸送機の乗客席;ゆったりとしたソファー、、モダンなひじ掛け、天井に機内照明、手荷物棚にはピロー(枕)・機内毛布が束ねられている。現代の旅客機の客室の原型といえる。
Douglas : DC-4
Catalog #: 00065739
Manufacturer: Douglas
Designation: DC-4.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00065739引用。
ダグラスC-54スカイマスター輸送機(Douglas C-54 Skymaster:DC-4)諸元
最高速度:450 km/h、巡航速度:365 km/h
航続距離:6,800 km
全長:28.6 m、全幅:35.8 m、全高:8.38 m
翼面積:135.6 平方メートル
自重:16,783 kg、全備重量:28,123 kg
プラット&ホイットニー空冷星形エンジンR-2000(1,290馬力)4基搭載
座席数:50名
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場のダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機エンジンナセル下面の降着装置の主輪:機首下面の前輪(首輪)上げ下げする支柱が中央に斜めにあり、引っ張ると、タイヤが前方に持ち上げられる。移っている。そこから主輪を支える支柱が伸びている。収納スペースはエンジンナセルの後端部分にある。ゴムタイヤは、ソリッドではなく空気圧で膨らませ、滑り止めの溝も彫られている。車輪止めは、専用のもので、取っ手がついている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013350引用。
1930年代初頭、航空機の降着装置は、機体に固定された着陸装置、すなわち地上にあっては固定脚であり、水上・海上にあっては浮舟(フロート)が用いられていたが、これは飛行中の空気抵抗を大きくし、高速化、旋回性能、上昇率向上にとって大きな障害うとなった。そこで、飛行機の飛行性能向上のために、空気抵抗を減少し、機動性、空力特性を高めるために、固定脚を引き込み式(格納式)に改める設計が生まれた。飛行機の引き込み式(格納式)脚は、主輪と支柱とを格納するスペースが必要で、それは主翼、胴体であるが、双発機の場合は、主翼に装備したエンジンの後方に余裕があり、ここにエンジンナセルを着降着装置の格納スペースとする発想が生まれた。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場のダグラスC-54スカイマスター輸送機の機首下面の前輪(首輪)収納スペース:前輪を上げ下げする支柱が中央に写っている。そこから主輪を支える支柱が、伸びている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013350引用。
引込み式降着装置の配置には、尾輪式と前輪式との2種類がある。1930年代までの飛行機の大半の降着装置は、機体後部・尾部に橇や小型車輪を備えた尾輪式(Tail-dragger)である。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場のダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機,機首下面の前輪(首輪)収納スペース:前輪式あるいは主輪式と呼ばれ、DC-3輸送機までの尾輪式の旧タイプの降着装置とは異なる。胴体機首下面にはすでに、ピトー管を張り出す支柱が、伸びている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013397引用。
長距離を飛行する輸送機では、飛行時間長く、この時に固定脚をやめ、引込み脚とすることで、空気抵抗を減らして、飛行性能だけでなく、燃料消費の低減にもつなげることができる。つまり、引込み脚を採用すれば、経済効率も向上する。
他方、固定脚の降着装置は、空気抵抗が増えるものの、格納するスペースを考慮する必要がなく、複雑な引込み式機構・油圧装置・電動システムを必要とせず軽量である。また、引込み脚の故障による事故を防ぐこともできる。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州、ダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機機首下面の前輪(首輪)収納スペース:胴体機首下面にはすでに、ピトー管を張り出す支柱が、伸びている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013352引用。
降着装置が尾輪式では機体重心が着地時には前方にかたよるために、エンジンの回転トルクも加わって、走行方向が安定せず、方向修正の制御困難、グラウンドループに陥りやすい。また、離着陸時に、3点姿勢となり、機首が上方に上がり、操縦士の地上視界が悪くなるために、離着陸が前輪式に比べて難しくなる。
尾輪式の欠点を克服した前輪式だったが、出現当初は、ヨーロッパでは「アメリカ式」と揶揄し、腕前の低いパイロットが扱う幼稚な機体であるかのように扱われた。
現在の飛行機は、大半が前輪式降着装置(nose-wheel landing gear)となった。これは、離着陸を容易にして、事故発生確率を低くするだけではなく、前輪式であれば、地上でも機体が地面に水兵となり、乗客や貨物の移動・積み下ろしが容易である、ジェット・エンジンの場合、尾輪式の3点姿勢であれば、噴流が地面を覆い、滑走路を損傷したり、地上勤務員の事故が発生するといった欠点があるためでもある。ただし、前輪式の降着装置は、機首の荷重を支えるため頑丈で大きな機構が求められ、重量が嵩む上に、その格納スペースも大きくならざるを得ない。つまり、首輪式降着装置(nose-wheel landing gear)は、機体の軽量化を阻害し、航空機設計の制約を大きくする傾向がある。
写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場のダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の最終生産ライン:胴体にはすでにアメリカの国籍マークがついているが、青丸白星の中央に赤丸の1942年初頭まで使用された旧式の記章である。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013460引用。
1961年8月、ベルリンを東西に分断する壁が建設され、西ベルリンは孤立したが、東ドイツと西ベルリンの境界線を空輸作戦で越えて、西ベルリンへの物資輸送が大々的に行われた。この時にも、ダグラスDC-4輸送機は西ベルリンのテンペルホープ空港への空輸に大活躍している。
写真(右)1942年以降、貨物を積み込むアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):トレーラーで貨物を輸送機の下に運搬してきた。青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013412引用。
1944年には、ダグラス(Douglas)C-54A スカイマスター輸送機うち一機がVC-54C、アメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt).専用機として選ばれ、VC-54Cの形式を与えられ愛称「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)が1944年6月に生産された。同機は、アメリカ初の大統領専用機であり、今日の「エアフォース・ワン」" (Sacred Cow "に当たる。ルーズベルト大統領が亡くなった後は、ハリー・トルーマン大統領( Harry Truman )が使用した。
写真(右)1938-1945年、飛行中のアメリカン航空(American Airlines )のダグラス(Douglas)C-54Bスカイマスター(Skymaster)旅客輸送機;本機は1943年にアメリカ陸軍航空隊の軍用輸送機C-54Bスカイマスター(Skymaster)(登録コード43-17192)として生産された後、1945年にアメリカン航空に払い下げられて民間航路で活躍した。その後、1973年までコロンビアのアビアンカ航空で使用されていた。
SDASM Archives
Douglas, C-54B, Skymaster
Catalog #: 01_00091391
Corporation Name: Douglas Aircraft
Designation: C-54B
Official Nickname: Skymaster
Additional Information: USA, Originally built in 1943 for USAAF as 43-17192. To American Airlines in 1945. Eventually written off in Columbia in 1973 flying for Avianca.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00065796引用。
ダグラス(Douglas)DC-4四発輸送機は、第二次世界大戦勃発、アメリカ参戦直後の1942年2月14日に初飛行の四発大型長距離旅客輸送機。戦時を反映して、直ぐにアメリカ陸軍の軍用輸送機・C-54 スカイマスター、海軍用のR5Dとして制式され、ダグラス社カリフォルニア州サンタモニカ飛行機工場(Douglas - Santa Monica California )で量産され、世界大戦終結翌年の1946年までに1,134機もが大量生産された。
3. 1944年には、ダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機うち一機(42-107451)がVC-54C、アメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機として選ばれ、VC-54Cの形式を与えられ愛称「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)が1944年6月に生産された。同機は、アメリカ初の大統領専用機であり、今日の「エアフォース・ワン」" (Sacred Cow "に当たる。ルーズベルト大統領が亡くなった後は、ハリー・トルーマン大統領( Harry Truman )が使用した。
写真(右)1945年2月、ソ連黒海北岸、ヤルタでの首脳会談に使用されたアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)(42-107451);アメリカ初の大統領専用機Air Force Oneの国籍マークは、1943年9月以降に採用された青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR。
The Sacred Cow carried President Roosevelt to the Yalta Conference in February 1945. Illustrating the high stakes associated with presidential airlift, the Sacred Cow’s serial number was changed for the flight as a special security measure. The trip to Yalta was Roosevelt’s only flight aboard the aircraft before his untimely death in April 1945.
写真はTripAdvisor LLC・Douglas VC-54C “Sacred Cow”引用。
第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
写真(右)1945年12月25日、アメリカ、フロリダ州キーウエスト、アメリカ大統領ハリー・トルーマン専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)のキャビン;手前の雪かきをした滑走路には、乗客の昇降用階段(移動式)がある。乗用車が昇降口近くに3台待っている。
U.S. President Harry S. Truman's Douglas VC-54C Sacred Cow airplane on the runway at Washington's National Airport before it departed to carry Truman home to Independence, Missouri (USA), for holidays.
Date 25 December 1945
Source Harry S. Truman Library photo 73-2130
Author Abbie Rowe, U.S. National Park Service
写真はHarry S. Truman Library (NLHST), Harry S. Truman Library photo 73-2130引用。
ダグラスC-54スカイマスター輸送機(Douglas C-54 Skymaster:DC-4)諸元
最高速度:450 km/h、巡航速度:365 km/h
航続距離:6,800 km
全長:28.6 m、全幅:35.8 m、全高:8.38 m
翼面積:135.6 平方メートル
自重:16,783 kg、全備重量:28,123 kg
プラット&ホイットニー空冷星形エンジンR-2000(1,290馬力)4基搭載
座席数:50名
写真(右)1945年12 月25日、アメリカ、ワシントンDC飛行場、滑走路に待機しているアメリカ大統領ハリー・トルーマン専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)(中央奥)とダグラスDC-3の軍用仕様C-47双発輸送機;FDRの死去で副大統領だったトルーマンが大統領に昇格、世界ビッグスリーの一員として、ドイツ降伏後のポツダムで、イギリス首相チャーチル、ソ連首相スターリンと戦後構想を話し合った。これがポツダム会談である。
Author
Abbie Rowe, 1905-1967, Photographer (NARA record: 8451352)
Record creator National Archives and Records Administration. Office of Presidential Libraries. Harry S. Truman Library. (04/01/1985 - )
Title
Photograph of the President's airplane on the snowy runway of Washington's National Airport, before its departure for Independence, Missouri.
Date 25 December 1945
Collection
National Archives and Records Administration Blue pencil.svg wikidata:Q518155
写真はHarry S. Truman Library (NLHST), National Archives and Records Administration File:Photograph of the President's airplane on the snowy runway of Washington's National Airport, before its departure for... - NARA - 199283.jpg引用。
写真(右)1948年2月20日、アメリカ、フロリダ州キーウエスト、アメリカ大統領ハリー・トルーマン専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)のキャビン;FDRは、ポリオで体を悪くし、1回しか使っていないので、トルーマンのほうが使用頻度は高い。
Author
Unknown author or not provided
Record creator National Archives and Records Administration. Office of Presidential Libraries. Harry S. Truman Library. (04/01/1985 - ) Title
Photograph of President Truman's airplane, a C-54 nicknamed "the Sacred Cow," shortly after arrival at Boca Chica, near Key West, Florida.
Date 20 February 1948
写真はHarry S. Truman Library (NLHST), National Archives and Records Administration NAIL Control Number: NLT-AVC-PHT-(77)1901引用。
フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt:FDR)大統領の死去で副大統領だったトルーマンが大統領に昇格、世界ビッグスリーの一員として、ドイツ降伏後のポツダムで、イギリス首相チャーチル、ソ連首相スターリンと戦後構想を話し合うこととなった。これがポツダム会談である。この会談に参加するときに、トルーマン大統領は、往路アントワープからベルリンへの空路移動、復路ベルリンからイギリスへの移動に、ダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)大統領専用機を使用している。
写真(右)2016年4月、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が保管するアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)(42-107451);本機はアメリカ初の大統領専用機”Air Force One”は、無塗装の銀色の輝く機体に、1943年9月以降に採用された国籍マーク、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BARである。
DAYTON, Ohio -- Douglas VC-54C "Sacred Cow" at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)DAYTON, Ohio -- Douglas VC-54C "Sacred Cow" at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
The First Presidential Aircraft
The Douglas VC-54C Skymaster is the first aircraft purpose-built to fly the President of the United States. Carrying the staff transport “VC” designation, the aircraft was officially named The Flying White House. However, the aircraft became better known by its unofficial nickname, Sacred Cow, a reference to the high security surrounding the aircraft and its special status.
写真はNational Museum of the United States Air Force・Douglas VC-54C “Sacred Cow”引用。
ダグラスDC-2輸送機、DC-3輸送機は、ともに双発で尾輪式降着装置だったのに対して、ダグラスDC-4E、ダグラスDC-4輸送機は、四発で首輪式降着装置だった。飛行機の離着陸は、視界を確保する、揚げ角の微調整が不要であるという点で、尾輪式よりも主輪式のほうが操縦が容易である。ただし、降着装置を簡略化するには、首輪式よりも尾輪式のほうが軽量化できる。そこで、現在では首輪式降着装置が常識となっているが、1930年代では尾輪式が常識だった。したがって、大型四発輸送機に首輪式を導入したのは、画期的なことであった。フォッケウルフFW200もユンカースJu90も四発輸送機でありながら、尾輪式降着装置であり、大型機のゆえに、離着陸の操縦が一層困難になった。
写真(右)2018年6月、ソ連黒海北岸、ヤルタでの首脳会談に使用されたアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow);アメリカ初の大統領専用機Air Force One。
Photo: Sacred Cow the Douglas VC-54C which President Roosevelt used. The first Air Force One
National Museum of the US Air Force 1100 Spaatz St, Wright-Patterson Air Force Base, Dayton, OH 45433-7102
写真はFlugzeuge im
U.S. Air Force Museum
Dayton / Ohio・This photo of National Museum of the US Air Force is courtesy of Tripadvisor。
尾輪式降着装置の一つの欠点は、大重量の機体であれば、尾輪も頑丈に大きくする必要が生まれるが、それが尾部の重量を重くして、重心が後方に下がってしまう。つまり、主翼中央部に重心があることが飛行性能向上のために望ましいが、尾輪式降着装置では、大型機の重心位置が後方に下がりすぎる傾向が生まれてしまう。その点、機首に降着装置を設ける首輪式は、重心バランスの点で有利である。
写真(右)2016年、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が保管するアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)(42-107451);本機はアメリカ初の大統領専用機である。
DAYTON, Ohio -- Douglas VC-54C "Sacred Cow" at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)Designation: C-54B
The Sacred Cow carried President Roosevelt to the Yalta Conference in February 1945. Illustrating the high stakes associated with presidential airlift, the Sacred Cow’s serial number was changed for the flight as a special security measure. The trip to Yalta was Roosevelt’s only flight aboard the aircraft before his untimely death in April 1945..
写真はNational Museum of the United States Air Force・Douglas VC-54C “Sacred Cow”引用。
写真(右)2016年4月9日、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が保管するアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow);本機はアメリカ初の大統領専用機である。
DAYTON, Ohio -- The VC-54C Sacred Cow at the National Museum of the United States Air Force on April 9, 2016. (U.S. Air Force photo by Ken LaRock)
The Sacred Cow carried President Roosevelt to the Yalta Conference in February 1945. Illustrating the high stakes associated with presidential airlift, the Sacred Cow’s serial number was changed for the flight as a special security measure. The trip to Yalta was Roosevelt’s only flight aboard the aircraft before his untimely death in April 1945..
写真はNational Museum of the United States Air Force・Douglas VC-54C “Sacred Cow”引用。
写真(右)2016年、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が保管するアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)機種部分;本機はアメリカ初の大統領専用機である。
DAYTON, Ohio -- The Douglas VC-54C “Sacred Cow” on display in the Presidential Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo by Ken LaRock)
In 1943, President Franklin D. Roosevelt became the first US president to fly in an airplane while in office when the Navy-owned, but civilian-operated Boeing 314 Clipper flying boat, Dixie Clipper, transported the president to the Casablanca Conference. Preferring that the president be flown by an Army Air Forces aircraft and crew, Gen “Hap” Arnold, Commander of the USAAF, ordered that a Consolidated C-87, a transport version of the famous B-24 bomber, be converted to fly the Commander in Chief. When the Secret Service expressed doubts about the safety of the C-87, the USAAF turned to the Douglas Aircraft Company to build a military transport specifically to accommodate the special needs of the president.
写真はNational Museum of the United States Air Force・Douglas VC-54C “Sacred Cow”引用。
写真(右)2016年、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が保管するアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)機種部分;本機はアメリカ初の大統領専用機である。
DAYTON, Ohio -- The Douglas VC-54C “Sacred Cow” on display in the Presidential Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo by Ken LaRock)
The Sacred Cow carried President Roosevelt to the Yalta Conference in February 1945. Illustrating the high stakes associated with presidential airlift, the Sacred Cow’s serial number was changed for the flight as a special security measure. The trip to Yalta was Roosevelt’s only flight aboard the aircraft before his untimely death in April 1945..
写真はNational Museum of the United States Air Force・Douglas VC-54C “Sacred Cow”引用。
写真(右)1938-2016年4月9日、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が保管するアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)のコックピット;複式並列操縦装置なために、計器盤も左右対称に配置されている。
DAYTON, Ohio -- Douglas VC-54C “Sacred Cow” cockpit in the Presidential Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
Roosevelt’s successor, Harry S. Truman, used the aircraft extensively during the first 27 months of his administration. On July 26, 1947, President Truman signed the National Security Act of 1947 on board the Sacred Cow. This act, which became effective on Sept. 18, 1947, established the US Air Force as an independent service, making the Sacred Cow the “birthplace” of the US Air Force.
写真はNational Museum of the United States Air Force・Douglas VC-54C “Sacred Cow”引用。
写真(右)2016年、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が保管するアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)で使用した車椅子;FDRは、ポリオで体を悪くし、下半身が不自由だった。メディアには、車椅子姿を伝えることを禁止していた。
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DAYTON, Ohio -- "Sacred Cow" elevator on display in the Presidential Gallery at the National Museum of the United States Air Force. This elevator enabled President Franklin D. Roosevelt to enter the aircraft easily. A victim of polio and unable to walk, President Roosevelt could remain in his wheelchair and be lifted into his airplane comfortably, rather than being carried up the stairs. (U.S. Air Force photo)
As the only VC-54C built, the aircraft was heavily modified on the assembly line. A C-54A fuselage was fitted with wings from a C-54B which offered greater fuel capacity. The unpressurized cabin included an executive conference room with a large desk and a rectangular bulletproof window. For additional comfort, a private lavatory was installed next to the president’s seat, and a fold down bed was concealed behind the sofa. An electric refrigerator in the galley added an uncommon luxury for 1945. A battery-powered elevator was installed at the rear of the aircraft which allowed President Roosevelt to board the aircraft easily while in his wheelchair.
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写真はNational Museum of the United States Air Force・Douglas VC-54C “Sacred Cow”引用。
写真(右)1995年7月、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が保管するアメリカ大統領ルーズベルト・トルーマン専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)のキャビン;FDRは、ポリオで体を悪くし、1943年カイロ・テヘラン会談、1945年ヤルタ会談の2回の外国出張にしか使っていないので、トルーマンのほうが使用頻度は高いはずだ。
Bilstein_00001 Douglas VC-54C Sacred Cow presidential aircraft interior US Air Force Museum Jul95
Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSan Diego Air and Space Museum Bilstein_00001 Douglas VC-54C Sacred Cow 引用。
写真(右)1995年7月、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が保管するアメリカ大統領ルーズベルト・トルーマン専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)のキャビン;FDRは、ポリオで体を悪くし、1回しか使っていないので、トルーマンのほうが使用頻度は高いはずだ。
Bilstein_00002 Douglas VC-54C Sacred Cow presidential aircraft interior US Air Force Museum Jul95
Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSan Diego Air and Space Museum Bilstein_00001 Douglas VC-54C Sacred Cow 引用。
4. 1945年5月にドイツが降伏し、第二次世界大戦の帰趨が決した時、ベルリン郊外のポツダムで、連合国首脳が一堂に会して、戦後構想を話し合った。これが、ポツダム会談であるが、ここに出席する西側首脳陣を運んだのが、ダグラスDC-4四発輸送機である。ダグラスDC-4によるアメリカからヨーロッパへの大西洋横断飛行は、リスクがあるために、巡洋艦「オーガスタ」で行われなかったが、ベルギーからベルリン、あるいはイギリスからベルリンへの輸送には、ダグラスDC-4輸送機の軍用仕様C-54輸送機が使用された。
写真(右)1945年頃、フランス、パリ中心街、全高312メートルのエッフェル塔上空を飛行するアメリカ軍のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター輸送機(シリアルナンバー: 42-32936):青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013470引用。
1889年のフランス革命100周年を記念してパリで、第4回万国博覧会が開催が決まり、この象徴として、フランス・エッフェル社の技師モーリス・ケクランとエミール・ヌーギエは、1884年5月に、高さ300mのシンボルとなる鉄塔を建てる案を提言した。コンペで選ばれたこの案をもとに、1887年1月28日にシャン・ド・マルス公園でエッフェル塔起工式が行われ、1889年3月30日に全高312メートルの鉄塔が竣工した。1900年に再度パリで万国博覧会が開催された時、エッフェル塔には再び多数の観光客が訪れた。1940年6月にフランスがドイツに降伏し、パリがドイツ軍によって占領されるとエッフェル塔は閉鎖された。1944年8月にパリが西側連合軍によって解放されたのち、エッフェル塔は一般公開を再開した。
写真(右):1945年7月、ベルギー、アントワープ港、ポツダム会談に出席するアメリカ大統領トルーマン、国務大臣バーンズ、アメリカ海軍参謀総長ウィリアム・レーヒ提督を、アントワープ港に送り届けたアメリカ海軍重巡洋艦「オーガスタ」:アメリカ海軍ノーザンプトン級重巡洋艦「オーガスタ」 (USS Augusta: CA-31)は、1928年7月2日ニューポート・ニューズ造船所起工、1930年2月1日進水、1931年1月30日ノーフォーク海軍工廠で就役。1933年11月9日上海着、アジア艦隊旗艦となる。1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、ルーズベルト大統領の「御召艦」としての任務が加わり、近代化改装工事が行われる。1941年8月9日、大西洋会談に際して、イギリス首相チャーチルの御召艦・戦艦プリンス・オブ・ウェールズとニューファウンドランド島沖アルゼンチア海軍基地で会合。1943年10月、北アフリカへのアメリカ軍上陸「トーチ作戦」にアメリカ第34任務部隊旗艦として参加。1944年6月、ノルマンディー上陸作戦には、アメリカ第1軍司令官オマール・ブラッドレー中将の乗艦となる。1945年7月、ポツダム会談(Potsdam Conference)に出席するハリー・トルーマン大統領、ジェームズ・バーンズ国務長官、海軍参謀総長ウィリアム・リーヒ元帥を乗せアントワープに向かった。The U. S. S. Augusta moored at the Municipal Pier, Antwerp, Belgium. The ship has just carried President Truman and his party to attend the Potsdam Conference. Sailors are visible in foreground. From the album: President's Trip to the Berlin Conference.
Date: ca. July 1945
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1380-42引用。
1945年7月16日、アメリカ、ニューメキシコ州ロスアラモスで、アラモゴード、世界初の核実験コードネームトリニティ(TRINITY)が行われ、爆発実験は大成功だった。での原子爆弾の爆発実験「トリニティ」の成功まで、アメリカはポツダム会談(Potsdam Conference)開催を引き延ばしていた。翌7月17日(この写真では19日となるがトルーマンの場所では17日)、アメリカ大統領ハリー・トルーマン( Harry S. Truman)は、ソ連指導者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)に、驚異的な破壊力の爆弾を開発したと、次のように告げ、優越感を楽しんだ。
"In which I tell Stalin we expect to drop the most powerful explosive ever made on the Japanese. He smiled and said he appreciated my telling him--but he did not know what I was talking about--the Atomic Bomb! HST”
この(ポツダム会場)の中で、私(トルーマン大統領)は、(7月17日)日本に対して最大級の爆発力を持つ爆弾を投下するだろうと、スターリン(ソ連首相)に話した。彼は、笑って私が隠さず言ってくれて感謝するといった------しかし彼は何について話したのか、それは原子爆弾なのだが、分からなかったようだ!ハリー・S・トルーマン。
写真(右)1945年7月15日、ドイツ、ベルリン郊外、ガトー空港に降り立つアメリカ大統領ハリー・トルーマン専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)のキャビン;FDRの死去で副大統領だったトルーマンが大統領に昇格、世界ビッグスリーの一員として、ドイツ降伏後のポツダムで、イギリス首相チャーチル、ソ連首相スターリンと戦後構想を話し合った。これがポツダム会談である。
Author
Unknown author or not provided
Record creator National Archives and Records Administration. Office of Presidential Libraries. Harry S. Truman Library. (04/01/1985 - )
Title
President Harry S. Truman descending the steps from his airplane, "The Sacred Cow," at Gatow Airport in Berlin, Germany where he will attend the Potsdam Conference. In doorway of plane is Adm. William Leahy.
Date 15 July 1945
Collection
National Archives and Records Administration Blue pencil.svg wikidata:Q518155
写真はHarry S. Truman Library (NLHST), National Archives and Records Administration NAIL Control Number: NLT-AVC-PHT-(77)1901引用。
ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)大統領は、バーンズ国務長官とともに、アメリカ東岸からアメリカ海軍重巡洋艦「オーガスタ」で出航し、大西洋を横断、1945年7月15日、ベルギーのアントワープ港に到着した。ここから、大統領専用機ダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)に乗り、ベルリン郊外のガトー(テンペルホーフ)飛行場まで飛んだ。そして、ポツダム宮殿で、チャーチル首相、のちにアトリー首相、ソ連のスターリン首相と戦後構想を話し合った。ポツダム会談開始前日。世界初の原子爆弾爆発実験「トリニティ―」の成功の報がトルーマンに暗号で伝えられた。ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)は、エースのツーペアーになったとソ連への優越感で一杯になった。ソ連の対日戦争に大きな代価をかけることなく、戦後構想をアメリカ中心で進めることを決意した。
写真(右)1945年7月15日、ドイツ、ベルリン郊外、ガトー空港に降り立つアメリカ大統領ハリー・トルーマン専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)のキャビン:FDRの死去で副大統領だったトルーマンが大統領に昇格、世界ビッグスリーの一員として、ドイツ降伏後のポツダムで、イギリス首相チャーチル、ソ連首相スターリンと戦後構想を話し合った。これがポツダム会談である。
Author
Unknown author or not provided
Record creator National Archives and Records Administration. Office of Presidential Libraries. Harry S. Truman Library. (04/01/1985 - )
Title
President Truman steps down from his airplane, the "Sacred Cow," at Gatow Airport in Berlin, Germany where he has just arrived to attend the Potsdam Conference.
Date 15 July 1945
写真はWikimedia Commons, National Archives and Records Administration File:President Truman steps down from his airplane, the "Sacred Cow," at Gatow Airport in Berlin, Germany where he has... - NARA - 198857.jpg引用。
大統領専用機ダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)は、フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)大統領のために製造されたが、FDRは、1943年11月22日から11月26日のカイロ会談、引き続き1943年11月28日から12月1日のテヘラン会談の時に使用し、1945年2月4日から2月11日のクリミア半島ヤルタ会談の時と外国旅行に2回使用しただけだった。ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)大統領は、アントワープからベルリンへ、ベルリンからイギリスへの移動にダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」を使用した。
写真(右)1945年7月15日、ドイツ、ベルリン郊外、ガトー空港からイギリスに飛び立つアメリカ大統領専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)のキャビンに収まったハリー・トルーマン;アメリカ大統領専用機は、エアフォースワン(Air Force One)と呼ばれるが、その第1号機がダグラスDC-4四発輸送機の特別仕様VC-54C輸送機「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)だった。「ワン」(One)とは、1953年以降のアメリカ大統領が搭乗する軍用機のコールサイン(呼出し符号)で、長距離の飛行機での移動をするときにはアメリカ空軍機を使用するので、コールサイン(呼出し符号)がエアフォースワン(Air Force One)であるが、事実上、アメリカ大統領専用機の名称となっている。副大統領の搭乗するアメリカ空軍機のコールサインは「エアフォースツー」である。大統領が空路長距離移動する場合は、アメリカ空軍機に搭乗するので、外遊など話題性のあるニュースでは、エアフォースワンを事実上、アメリカ大統領専用機と見なしている。しかし、大統領が、短距離空路移動にアメリカ陸軍機(ヘリコプター)に搭乗すればコールサインは「アーミーワン」(Army One)、海兵隊基地を空路訪問する場合、アメリカ海兵隊機(ヘリコプター)を使用すればコールサインは「マリーンワン」(Marine One)である。また、陸上基地から空母に空路移動する場合、アメリカ海軍艦載機を使用すれば、コールサインは「ネイビーワン」( Navy One) である。大統領が民間機を使用する場合は、エグゼクティブワン(Executive One) である。
GERMANY UNDER ALLIED OCCUPATION
President Truman arrives at Gatow airfield, Berlin, for the 'Big Three' conference at Potsdam.
Creator No. 5 Army Production date 1945-07-15
Lockeyear, W. T. (Captain)
Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は, Imperial War Museums IWM (BU 8879)引用。
アメリカ、イギリス、ソ連の首脳(ビッグスリー)が一堂に会した初めての会談は、1943年11月28日から12月1日にかけてイランの首都テヘランで開かれたテヘラン会談である。その時の議題は、ヨーロッパ大陸でドイツと地上戦を戦っているソ連に対する支援として、ヨーロッパ大陸に第二戦線として西部戦線を開く時期についてであり、これは西側連合軍の上陸作戦が求められた。このとき、フランクリン・ルーズベルト大統領もウィスストン・チャーチル首相も、移動するのに、ダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機を使用していなかった。
1945年7月、ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)大統領は、国務長官のバーンズとともに、アメリカ海軍巡洋艦「オーガスタ」に乗って、アメリカ東岸からベルギーのアントワープ港に到着した。アントワープから、ベルリンまでは、アメリカが用意しておいた大統領専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)に乗ってそれを移動した。このフランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)大統領のために製造されたが、彼は1944年のヤルタ会談の時に、この機体を使用しただけだった。
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ベルリン、ポツダム会談に参加するためにガトー飛行場に到着したイギリス首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)と娘のマリー(Mary:15 September 1922-31 May 2014):乗機のダグラスC-54スカイマスター輸送機(Douglas C-54 Skymaster:DC-4)は、イギリスの記章をつけているが、アメリカから貸与された機体。
Prime Minister Winston Churchill, surrounded by cameramen and dignitaries, leaves the airplane which brought him to Gatow Airport in Berlin, Germany for the Potsdam Conference. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
People Pictured: Churchill, Winston, Sir, 1874-1965
Rights: Public Domain - This item is in the public domain and can be used freely without further permission.
写真は Harry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1456-21引用。
ダグラスC-54「スカイマスター」四発大型輸送機(Douglas C-54 Skymaster)諸元
プラット&ホイットニー空冷ラジアルエンジンR-2000(1,290馬力)4基
最高速度:450 km/h、巡航速度:365 km/h
座席数:50名
航続距離:6,800 km
全長:28.6 m、全幅:35.8 m、全高:8.38 m
翼面積:135.6 平方メートル
自重:16,783 kg、全備重量:28,123 kg
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ベルリン、ポツダム会談に参加するためにガトー飛行場に到着したイギリス首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)。後ろに続くのは四女のマリー(Mary:15 September 1922-31 May 2014):ベルリンにチャーチルを運んだ輸送機は、イギリスの記章をつけているが、アメリカから貸与されたダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(Douglas C-54 Skymaster)である。
Prime Minister Winston Churchill steps off his airplane at Gatow Airport in Berlin. He is en route to the Potsdam Conference. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
Related Collection:
ARC Keywords: Military aircraft; Potsdam Conference, 1945; Prime ministers
HST Keywords: Airports - Gatow; Potsdam - General file; Truman - Potsdam - Berlin
People Pictured: Churchill, Winston, Sir, 1874-1965
写真は、 Harry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1456-14引用。
ダグラス(Douglas)DC-4 スカイマスター(Skymaster)輸送機の試作機は、戦時中の1942年2月14日に初飛行した輸送機だったために、民間航空向けには74機生産されただけで、軍用には1134機が生産された四発大型輸送機である。最終的には、1947年8月に生産中止になっているが、これは後継機として、ダグラス(Douglas)DC-6四発輸送機が実用化されたためである。
1944年には、C-54は、アメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルトの専用機となり、「セイクリッド・カウ」の固有名詞が与えられた。FDRは、1943年のカイロ会談・テヘラン会談、1945年のヤルタ会談の2回の外国出張に使用した。また、アメリカ陸軍ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥の専用機もC-54 輸送機で、1945年8月30日、厚木海軍飛行場に降り立った。マッカーサー専用機は、「バターン」で、これは太平洋戦争緒戦、1942年、フィリピンのバターン半島での戦いを記念しての固有名称である。
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ベルリン、ガトー飛行場、ポツダム会談に参加するイギリス首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)と出迎えるバーナード・モントゴメリー元帥(Bernard Law Montgomery):後方に、イギリス首相チャーチルを、イギリスからドイツに空輸したダグラスC-54輸送機が見える。
Description: British Prime Minister Winston Churchill (center) is greeted by Field Marshall Bernard Montgomery at Gatow Airport in Berlin, Germany where Mr. Churchill has just arrived to attend the Potsdam Conference. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
People Pictured: Churchill, Winston, Sir, 1874-1965; Montgomery of Alamein, Bernard Law Montgomery, Viscount, 1887-1976
写真はHarry S. Truman Library & MuseumAccession Number: 63-1456-58引用。
チャーチル夫妻には5子ある。1909年生まれ長女ダイアナ、1911年生まれ長男ランドルフ、1914年生まれ二女サラ、1918年生まれ三女マリーゴールド、1922年生まれ四女メアリー である。メアリーは、1941年からロンドンの対空部隊に配属されたが、後にベルギー、ドイツでも任務に就いている。ポツダム会談には、父に同行し、トルーマン大統領、スターリン首相とも会っている。夫は、保守党政治家クリストファー・ゾームズ(Christopher Soames)男爵で、彼は最後の南ローデシア総督となった。
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ポツダム会談のためにベルリン、ガトー飛行場、アメリカから貸与されたダグラスC-54四発大型輸送機「スカイマスター」で到着したイギリス首相ウィンストン・チャーチル(1874-1965)が出迎えのガトー空港警備部隊のイギリス陸海空軍将兵を閲兵している。
Description: Distance view of British Prime Minister Winston Churchill inspecting the honor guard at Gatow Airport in Berlin, Germany. The Guard was composed of men from the Royal Navy, Canadians, Royal Air Force, and a battalion of Grenadier Guards. Prime Minister Churchill has just arrived in Berlin to attend the Potsdam Conference. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
People Pictured: Churchill, Winston, Sir,
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1455-63引用。
ダグラスDC-4スカイマスター(Skymaster)輸送機は、民間仕様であり、アメリカ陸軍航空隊ではC-54輸送機、アメリカ海軍航空隊ではR5D輸送機の名称で制式している。しかし、1945年5月にドイツが降伏、8月に日本が降伏すると、軍用輸送機は大量の余剰を抱えることとなり、軍用仕様C-54/R5D輸送機500機が民間に払い下げられ、主に民間航空旅客機として再使用された。
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ポツダム会談のためにベルリン、ガトー飛行場、アメリカから貸与されたダグラスC-54四発大型輸送機「スカイマスター」で到着したイギリス労働党クレメント・アトリー(Clement Attlee:1883-1967) 。左から二人目。首相のウィンストン・チャーチル(1874-1965)も同じ日にガトー空港に到着しているが、別の機だったのか。
Description: Clement Attlee (fourth from left) arrives at Gatow Airport in Berlin en route to the Potsdam Conference. Others are unidentified. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
Related Collection:
People Pictured: Attlee, C. R. (Clement Richard), 1883-1967
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1456-25引用。
ダグラスDC-4スカイマスター(Skymaster)四発輸送機の第一の特徴は、従来までの双発輸送機ではなく、発動機を4基搭載した四発の大型輸送機であることで、これは搭載量の増加、航続距離の延長に貢献した。
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ポツダム会談のためにベルリン、ガトー飛行場にアメリカ陸軍航空隊ダグラスC-54四発大型輸送機「スカイマスター」で到着したアメリカのヘンリー・スチムソン陸軍長官とアメリカ陸軍フロイド・パークス中将(前列右端):フロイド・パークス中将は、 イェール大学、 米国陸軍戦略大学で学び、9月からはベルリン地区の軍政長官に就任する。
Description: Secretary of War Henry L. Stimson (foreground, second from right) walks with General Floyd L. Parks at Gatow Airport in Berlin, Germany where Mr. Stimson has just arrived to attend the Potsdam Conference. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
People Pictured: Parks, Floyd Lavinius, 1896-1959; Stimson, Henry Lewis, 1867-1950
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1456-12引用。
ダグラス(Douglas)DC-4 スカイマスター(Skymaster)輸送機の第二の特徴は、降着装置が主輪式なことである。それまでの輸送機は、左右主翼のエンジンカウリングに設けた主輪2個と胴体尾部の下方に設けた尾輪によって、地上では3点姿勢で離着陸・待機していたのに対して、胴体前下方に機首に首輪を設けて、左右主翼のエンジンカウリングに設けた主輪2個と合わせて、離着陸・待機するように変更になったkとである。首輪を設けたことで、待機中も機体は水平になり、貨物や旅客の移動や積み込みは容易になった。ただし、重量は若干増加し、離着陸に必要な滑走距離も長くなったが、これは飛行場整備によって対処できることだった。
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ポツダム会談のためにベルリン、ガトー飛行場にアメリカ陸軍航空隊ダグラスC-54四発大型輸送機「スカイマスター」で到着したアメリカのヘンリー・スチムソン陸軍長官とアメリカ国務大臣ジェームズ・バーンズ(前列右端):フロイド・パークス中将は、 イェール大学、 米国陸軍戦略大学で学び、9月からはベルリン地区の軍政長官に就任する。
Description: Secretary of War Henry L. Stimson (foreground, left) talks with Secretary of State James F. Byrnes (right), upon their arrival at Gatow airport, Berlin, Germany, to attend the Potsdam Conference. From Potsdam album, 1945
Date: July 15, 1945
People Pictured: Byrnes, James F. (James Francis), 1882-1972; Stimson, Henry Lewis, 1867-1950
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1456-1引用。
1931年9月18日、中国奉天郊外で南満洲鉄道爆破の柳条湖事件、関東軍による中国東北三省の占領という満洲事変(九一八事変)が勃発した。これに対して、1932年1月7日、アメリカの国務長官ヘンリー・スティムソン(Henry Stimson)は、日本の満洲占領を中国の領土侵犯と見なし、パリ不戦条約違反となる領土変更を認めないと勧告した。このスティムソン・ドクトリン(Stimson Doctrine)で、アメリカは、中国における権利侵害を認めず、中国の門戸開放政策・機会均等の方針を順守すべきであるとの主張である。ルーズベルト新大統領の就任により、スチムソンは1933年3月4日に国務長官の座を失ったが、第二次大戦が始まり、ルーズベルト大統領は戦争準備促進のために、1940年7月、ヘンリー・スティムソン(Henry Stimson)を陸軍長官の復帰させた。
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ベルリン、ガトー飛行場に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンは、国務長官ジェームズ・バーンズとともにポツダムに向かった。トルーマンの周囲には、ヨーロッパ遠征の終了後、ベルギーにいたアメリカ軍首脳。後方は、アメリカ陸軍航空隊ダグラスC-54四発大型輸送機「スカイマスター」。
Description: A crowd gathers around a caravan of automobiles carrying the presidential party as it leaves an airport in the Potsdam, Germany area. The planes in the background brought President Harry S. Truman and members of his advisory staff from Belgium to Potsdam for the Potsdam Conference. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1457-49引用。
ダグラスC-54スカイマスター輸送機は、1942年から1947年までに1200機生産された。アメリカ海軍仕様C-54(DC-4)は、R5Dと呼ばれた。
アメリカ陸軍ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥の専用機もC-54 輸送機で、1945年8月30日、厚木海軍飛行場に降り立った。マッカーサー専用機は、「バターン」で、これは太平洋戦争緒戦、1942年、フィリピンのバターン半島での戦いを記念しての固有名称である。
イギリス首脳陣も、アメリカが貸与したダグラスC-54スカイマスター輸送機(Douglas C-54 Skymaster:DC-4)に乗り、ダグラスC-54に乗ってベルリンに到着し,ポツダム会談に列席した。1951年になり、戦後の日本も航空輸送への参入が認められ、日本航空株式会社が設立された。日本航空が定期航路に投入したのは、6機のアメリカ機だけだったが、そのうちの1機はダグラスDC-4輸送機だった。このDC-4輸送機の固有名称は、「てんおう星」で、1951年11月から、東京 - 札幌(千歳空港)路線に就航した。
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ポツダム会談のためにベルリン、ガトー飛行場に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンが、出迎えたアメリカ陸軍第二機甲師団を閲兵する。大統領のジープには、後方を警戒する護衛隊員がいる。この後、大統領は、国務長官ジェームズ・バーンズとともにポツダムに向かった。遠方に1942年に開発され1947年までに1200機生産されたアメリカ陸軍航空隊ダグラスC-54四発大型輸送機「スカイマスター」が3機ある。:
ダグラスC-54
Description: President Harry S. Truman stands at attention during the playing of the National Anthem as the honor guard from the 2nd Armored Division presents arms, after his arrival at Gatow Airport in Berlin. He is on the way to the Potsdam Conference. Secretary of State James Byrnes is at the President's left. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1456-04引用。
アメリカ大統領専用機は、エアフォースワン(Air Force One)と呼ばれるが、その第1号機がダグラスDC-4四発輸送機の特別仕様VC-54C輸送機「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)だった。「ワン」(One)とは、1953年以降のアメリカ大統領が搭乗する軍用機のコールサイン(呼出し符号)で、長距離の飛行機での移動をするときにはアメリカ空軍機を使用するので、コールサイン(呼出し符号)がエアフォースワン(Air Force One)であるが、事実上、アメリカ大統領専用機の名称となっている。副大統領の搭乗するアメリカ空軍機のコールサインは「エアフォースツー」である。大統領が空路長距離移動する場合は、アメリカ空軍機に搭乗するので、外遊など話題性のあるニュースでは、エアフォースワンを事実上、アメリカ大統領専用機と見なしている。
しかし、大統領が、短距離空路移動にアメリカ陸軍機(ヘリコプター)に搭乗すればコールサインは「アーミーワン」(Army One)、海兵隊基地を空路訪問する場合、アメリカ海兵隊機(ヘリコプター)を使用すればコールサインは「マリーンワン」(Marine One)である。また、陸上基地から空母に空路移動する場合、アメリカ海軍艦載機を使用すれば、コールサインは「ネイビーワン」( Navy One) である。大統領が民間機を使用する場合は、エグゼクティブワン(Executive One) である。
写真(右):1945年7月17日、ドイツ、ポツダム、ツェツィーリエンホーフ宮殿、アメリカ大統領ハリー・トルーマンの乗用車と二輪車に乗ったアメリカ軍の警備兵:第二次世界大戦の戦後処理を話し合ったポツダム会談(Potsdam Conference)開催の前、アメリカ大統領はフランクリン・ルーズベルトは死去、副大統領ハリー・トルーマンが継いだ。開催最中、1945年イギリス総選挙(1945 UK General Election )で保守党がまさかの敗北、イギリス首相ウィンストン・チャーチルは地位を失い、労働党クレメント・アトリーが後を継いだ。ソ連のヨシフ・スターリンだけが戦前から一貫して権力を握っている。
Description: President Harry S. Truman (not visible) in his car preparing to leave the Cecilienhof Palace, site of the Potsdam Conference in Potsdam, Germany. From Potsdam album, 1945.
Date: July 17, 1945
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1456-32引用。
1945年7月、アメリカ合衆国大統領ハリー・トルーマン、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、ソ連首相ヨシフ・スターリンという米英ソのビッグスリーがツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhoff)に勢揃いし、ポツダム(Potsdam)会談が始まったが、この時はすでにドイツ総統アドルフ・ヒトラーは自殺し、ドイツは降伏していた。ドイツに勝利した連合軍は、ポーランドの国境画定、ドイツの占領統治などヨーロッパの戦後処理を話し合ったが、対日戦についてもソ連の参戦が話題になった。
ドイツ第三帝国は、1939年9月に第二次大戦をポーランド侵攻で始めたが、1945年5月にアメリカ、イギリスなど西側連合軍に、次いでソ連など東側連合軍に降伏した。その首都ベルリン郊外のポツダムのツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhoff)で、1945年7月、米英ソのビッグスリーが勢揃いしてポツダム会談が始まった。
1945年7月17日,ドイツ・ベルリン郊外のポツダム会談において、米大統領ハリー・トルーマン(Harry S. Truman:4月12日就任),イギリス首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)((後日、新首相アトリーに変更)、ソ連首相スターリンの三巨頭は,ドイツ敗北後の欧州戦後処理を話しあった。その際,日本に対する降伏勧告も検討された。ポツダム会談(Potsdam Conference)前日,1945年7月16日、米ニューメキシコ州で初の原子爆弾(プルトニウム型)の爆破実験に成功した。米国は,ソ連に対して強硬な態度に出た。日本に対する降伏勧告から国体護持を認める可能性は、一切排除された。
ソ連首相ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)は、ロスアラモスやイギリスにいたソ連のスパイから、アメリカ軍の原爆開発が完成まじかなことを知っていた。実際、ソ連でも原爆も開発が徐々に進んでいたのである。
1945年7月17日から8月2日,ドイツ降伏後のベルリン郊外ポツダム会談には、ソビエト連邦首相ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)、アメリカ大統領ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)、ソビエト連邦駐アメリカ大使アンドレイ・グロムイコ(Andrei Gromyko)、アメリカ国務長官ジェームズ・バーンズ(James F. Byrnes)、ソビエト外務大臣ヴャチェスラフ・ミハイロヴィチ・モロトフ(Vyacheslav Molotov):アメリカ海軍参謀総長レーヒ(William D. Leahy)提督, イギリス外務大臣アーネスト・ベヴィン(Ernest Bevin)も参加した。
写真(右):1945年7月19日、ポツダム会談時の三首脳。左からアメリカ大統領ハリー・トルーマン、アメリカ国務長官ジェームズ・バーンズ(James F. Byrnes)、アメリカ海軍参謀総長レーヒ(William D. Leahy)提督, その右にイギリス首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)、イギリス首相クレメント・アトリー、ソ連元首ヨシフ・スターリン、ソ連外務大臣ヴャチェスラフ・ミハイロヴィチ・モロトフ(Vyacheslav Molotov):7月26日、日本への無条件降伏を求めるポツダム宣言(Potsdam Declaration)が表明された。
Description: Delegates seated for Potsdam Conference at the conference table at Cecilienhof Palace. President Harry S. Truman, left foreground (facing the American flag on the table), James F. Byrnes and Admiral William Leahy to his right; British Prime Minister Winston Churchill, upper left (facing the British flag on the table) with Clement Attlee two to the right of Mr. Churchill. Premier Josef Stalin (facing the Russian flag on the table, gesturing with his right arm) and Vyascheslav Molotov at right. Averell Harriman at extreme left. Others are unidentified. From Potsdam album, 1945
Date: July 19, 1945
People Pictured: Attlee, C. R. (Clement Richard), 1883-1967; Byrnes, James F. (James Francis), 1882-1972; Churchill, Winston, Sir, 1874-1965; Harriman, W. Averell (William Averell), 1891-1986; Leahy, William D. (William Daniel), 1875-1959; Molotov, Vyacheslav Mikhaylovich, 1890-; Stalin, Joseph, 1879-1953; Truman, Harry S., 1884-1972
写真はNaval History and Heritage Command Accession Number: 63-1456-42引用。
ポツダム会談(Potsdam Conference)の最中に行われた1945年7月イギリス総選挙(UK general election)は、前回の1935年の総選挙以来、10年ぶりだった。第二次大戦で、対ドイツ戦に勝利したチャーチル首相の保守党は、国民から大きな支持を得ていたため、この総選挙でも保守党の優位が伝えられていた。しかし、1945年7月5日から19日のイギリス総選挙(1945 UK General Election)の投票結果は、投票総数3324万391票、投票率72.8%で、労働党 1155万7,821票、投票率48.0%、保守党 871万6,211票、投票率 36.2%、 自由党 217万7,938票、投票率 9.0% という結果で、戦後復興、福祉充実を訴えた労働党が勝利を収めた。ここにイギリス史上初の労働党単独内閣が誕生した。
第二次世界大戦の戦後処理を話し合ったポツダム会談(Potsdam Conference)開催の前、アメリカ大統領はフランクリン・ルーズベルトは死去、副大統領ハリー・トルーマンが継いだ。開催最中、イギリス総選挙で保守党がまさかの敗北、イギリス首相ウィンストン・チャーチルは地位を失い、労働党クレメント・アトリーが後を継いだ。ソ連のヨシフ・スターリンだけが戦前から一貫して権力を握っている。
写真(右):1945年7月28-8月1日,ポツダム会談終了後の三巨頭 "Big Three":英首相アトリーBritish Prime Minister Clement Atlee;
米大統領トルーマンU.S. President Harry S. Truman;
ソ連首相スターリンSoviet Premier Joseph Stalin。後方は,米海軍参謀長レーヒ提督Fleet Admiral William D. Leahy, USN, Truman's Chief of Staff(日本軍兵士の心理研究書を執筆し,日本人ガールフレンドもいた。国体護持の条件を提示すれば日本は降伏すると主張。);
英外相ベヴィンBritish Foreign Minister Ernest Bevin;
米国務長官バーンズU.S. Secretary of State James F. Byrnes(対ソ外交を有利にするために原爆投下を主張した反共主義者。トルーマンの政治先導者);
ソ連外相モロトフSoviet Foreign Minister Vyacheslav Molotov(独ソ不可侵条約,日ソ中立条約締結)。1945年7月26日に,米英中の名前で,日本の無条件降伏を求め,連合国による日本の戦後処置を定めるポツダム宣言が公表された。
ポツダム宣言(Potsdam Declaration)は,アメリカ大統領ハリー・S・トルーマン,イギリス首相チャーチル,中国主席蒋介石が署名した(とされた),日本への無条件降伏勧告であり,概略は次の通り。
1 米大統領、中華民国政府主席,英首相ハ 数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上,日本国ニ対シ 今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フル。
2 米英中ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ 数倍ノ増強ヲ受ケ 日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ。
3 世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ 日本国国民ニ対スル先例ヲ明白ニ示スモノナリ。---吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ 日本国軍隊ノ不可避 且完全ナル壊滅ヲ意味スベク 必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破滅ヲ意味スベシ。
4 日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル 我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ 日本国ガ引続キ統御セラルベキカ 又ハ理性ノ経路ヲ日本国ガ履(ふ)ムベキカヲ 日本国ガ決定スベキ時期ハ到来セリ。
5 吾等ノ条件ハ以下ノ如シ。右ニ代ル条件存在セズ。遅延ヲ認ムルヲ得ズ。
6 吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ 平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルヲ以テ 日本国国民ヲ欺瞞シ 之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ 永久ニ除去セラレザルベカラズ。
There must be eliminated for all time the authority and influence of those who have deceived and misled the people of Japan into embarking on world conquest, for we insist that a new order of peace, security and justice will be impossible until irresponsible militarism is driven from the world.
7 新秩序ガ建設セラレ 且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ 連合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ --占領セラルベシ。
8 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク 又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ。(1943年11月27日のカイロ宣言では,日本は,第一次世界大戦で奪った太平洋諸島の放棄、中国から奪った満州・台湾・占領地の中国返還、朝鮮独立など「大西洋憲章」領土不拡大の原則が引き継がれた。)
9 日本国軍隊ハ 完全ニ武装ヲ解除セラレタル後 各自ノ家庭ニ復帰シ 平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ。
The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives.
10 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ 奴隷化セントシ 又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ 吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ 厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ。日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル 民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ。言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ。
We do not intend that the Japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners. The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.
11 日本国ハ 経済ヲ支持シ 実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ 許サルベシ。但シ 日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ 此ノ限ニ在ラズ。右目的ノ為原料ノ入手ヲ許可サルベシ。日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ。
Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those which would enable her to re-arm for war. To this end, access to, as distinguished from control of, raw materials shall be permitted. Eventual Japanese, participation in world trade relations shall be permitted.
12 前記目的ガ達成セラレ 日本国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ 平和的傾向ヲ有シ 責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ 連合国ノ占領軍ハ 直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ。
13 日本国政府ガ 直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ 政府ノ誠意ニ付 保障ヲ提供センコトヲ 同政府ニ対シ要求ス。 右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス。
We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utter destruction.
(⇒「ポツダム宣言」(米英中三国宣言)およびUCLA Asia Institute;Potsdam Declaration引用)。
写真(右)1945年8月2日、ドイツ、ベルリン郊外、ガトー空港からイギリスに飛び立つアメリカ大統領専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)のキャビンに収まったハリー・トルーマン;アメリカ大統領専用機は、エアフォースワン(Air Force One)と呼ばれるが、その第1号機がダグラスDC-4四発輸送機の特別仕様VC-54C輸送機「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)だった。「ワン」(One)とは、1953年以降のアメリカ大統領が搭乗する軍用機のコールサイン(呼出し符号)で、長距離の飛行機での移動をするときにはアメリカ空軍機を使用するので、コールサイン(呼出し符号)がエアフォースワン(Air Force One)であるが、事実上、アメリカ大統領専用機の名称となっている。副大統領の搭乗するアメリカ空軍機のコールサインは「エアフォースツー」である。大統領が空路長距離移動する場合は、アメリカ空軍機に搭乗するので、外遊など話題性のあるニュースでは、エアフォースワンを事実上、アメリカ大統領専用機と見なしている。しかし、大統領が、短距離空路移動にアメリカ陸軍機(ヘリコプター)に搭乗すればコールサインは「アーミーワン」(Army One)、海兵隊基地を空路訪問する場合、アメリカ海兵隊機(ヘリコプター)を使用すればコールサインは「マリーンワン」(Marine One)である。また、陸上基地から空母に空路移動する場合、アメリカ海軍艦載機を使用すれば、コールサインは「ネイビーワン」( Navy One) である。大統領が民間機を使用する場合は、エグゼクティブワン(Executive One) である。
Author
Unknown author or not provided
Record creator National Archives and Records Administration. Office of Presidential Libraries. Harry S. Truman Library. (04/01/1985 - )
Title
President Truman at the window of his airplane "The Sacred Cow," leaving Gatow Airport in Berlin for England. President Truman has just completed attending the Potsdam Conference in Germany.
Date 2 August 1945
Collection National Archives and Records Administration
写真は Wikimedia Commons, Category:Douglas VC-54C Sacred Cow File:President Truman at the window of his airplane "The Sacred Cow," leaving Gatow Airport in Berlin for England.... - NARA - 198710.jpg引用。
アメリカ、イギリス、ソ連の首脳(ビッグスリー)が一堂に会した初めての会談は、1943年11月28日から12月1日にかけてイランの首都テヘランで開かれたテヘラン会談である。その時の議題は、ヨーロッパ大陸でドイツと地上戦を戦っているソ連に対する支援として、ヨーロッパ大陸に第二戦線として西部戦線を開く時期についてであり、これは西側連合軍の上陸作戦が求められた。このとき、フランクリン・ルーズベルト大統領もウィスストン・チャーチル首相も、移動するのに、ダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機を使用していなかった。
1945年7月、ハリー・トルーマン大統領は、国務長官のバーンズとともに、アメリカ海軍巡洋艦「オーガスタ」に乗って、アメリカ東岸からベルギーのアントワープ港に到着した。アントワープから、ベルリンまでは、アメリカが用意しておいた大統領専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)に乗ってそれを移動した。このフランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)大統領のために製造されたが、彼は1944年のヤルタ会談の時に、この機体を使用しただけだった。
写真(右):1945年8月7日、ポツダム会談を終えて、アメリカ東岸、首都ワシントンD.C.東、チョサピーク湾に帰還したたアメリカ海軍ノーザンプトン級重巡洋艦6番艦「オーガスタ」 USS Augusta (CA-31)の主砲8インチ (20.3cm)55口径三連装砲塔の前のアメリカ大統領トルーマン、国務大臣バーンズ、アメリカ海軍参謀総長ウィリアム・レーヒ、報道官・ジャーナリストのチャールズ・ロス(Charlie Ross:1885-1950)、政治顧問・法律家ジェームズ・ヴァルドマン(James K. Vardaman Jr:1894-1972)海軍大尉ほかアメリカ代表団:1945年7月、重巡洋艦「オーガスタ」はポツダム会談に出席するハリー・トルーマン大統領、ジェームズ・バーンズ国務長官、海軍参謀総長ウィリアム・リーヒ元帥の乗艦として、アメリカからベルギー、アントワープに出航、7月14日に到着。1945年8月2日、イギリス、プリマスでポツダム会談から帰ってきたトルーマン大統領を乗せ、8月7日、アメリカ、ニューポートに到着。
President Truman and members of his party aboard the U. S. S. Augusta as the ship entered Chesapeke Bay, returning President Truman from the Potsdam Conference in Germany. Captain James Vardaman is sixth from the left; to his left is Press Secretary Charles Ross; to his left is Secretary of State James Byrnes; to his left is President Truman; and to his left is Adm. William Leahy. Others are unidentified. From the album, Number 2: "President Truman's Trip to Potsdam."
Date: August 7, 1945
People Pictured: Truman, Harry S., 1884-1972; Byrnes, James F. (James Francis), 1882-1972; Leahy, William D. (William Daniel), 1875-1959; Ross, Charles G. (Charles Griffith), 1885-1950; Vardaman, James K. (James Kimble), 1894-1972
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1453-49引用。
8インチ (20.3cm)55口径砲9門(三連装3基)を搭載したアメリカ海軍ノーザンプトン級重巡洋艦6番艦「オーガスタ」 USS Augusta (CA-31)は、1941年8月9日、大西洋会談に際して、イギリス首相チャーチルの御召艦・戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」とニューファウンドランド島沖アルゼンチア海軍基地で会合。1943年10月、北アフリカへのアメリカ軍上陸「トーチ作戦」にアメリカ第34任務部隊旗艦として参加。1944年6月、ノルマンディー上陸作戦には、アメリカ第1軍司令官オマール・ブラッドレー中将の乗艦となる。
1945年7月、アメリカ海軍重巡洋艦「オーガスタ」 USS Augusta (CA-31)は、ドイツのポツダム会談に向かうトルーマン大統領らを乗せて、ベルギーに向けて出航、大西洋を横断して、7月14日にアントワープ港に到着。1945年8月2日、イギリス、プリマス港でポツダム会談から帰ってきたトルーマン大統領を乗せ、8月7日、アメリカ東部、ワシントンDC東のチェサピーク湾に到着。
3.1945年7月26日に,米英中のポツダム宣言が通告されても,終戦を決断することはできなかった大元帥昭和天皇だったが、本土決戦の勝算がないこと、ソビエト連邦の参戦で日本敗北が決定したことを受けて、8月15日に終戦の詔を出すことに同意した。これは休戦宣言ではあるが、大日本帝国の国軍にとって、事実上の降伏命令だった。そこで、その休戦命令を伝えるため、日本陸軍参謀本部・日本海軍軍令部から、天皇の命令を伝える使節団が、南方を守備する日本軍部隊に送られることとなった。早急に日本を降伏させ、武装解除すべく、アメリカは日本の降伏命令を伝え使者を、ダグラスC-54四発輸送機でマニラに派遣することとした。そこで、日本の降伏命令伝達施設は、白色で緑十字を付した一式陸上攻撃機で、東京から沖縄本島北岸の伊江島に飛んで、そこからダグラスC-54でマニラに飛び立つこととなった。この降伏命令伝達使節団は無事任務を果たしたが、帰国時、乗り換えた伊江島から一式陸上攻撃機で飛び立った後、途中、機械故障で不時着、機体を損失するという大失態をしでかしている。
木戸幸一『木戸幸一日記』二〇・七・三一(「カマヤンの虚業日記」引用)
〔昭和二十年〕八月九日(木)晴
----ソ連が我が国に対し宣戦し、本日より交戦状態に入れり。就ては戦局の収拾につき急速に研究決定の要ありと思ふ-----。(略)
十時十分、鈴木首相来室、依って聖旨を伝え、この際速に「ポツダム宣言」(米・英・支「三國」宣言)を利用して戦争を終結に導くの必要を力説----。
一時半、鈴木首相来室、最高戦争指導会議に於ては、一、皇室の確認、二、自主的撤兵、三、戦争責任者の自国に於ての処理、四、保障占領せざることの条件を以てポツダム宣言を受諾することに決せり---。(引用終わり)
写真(右):1945年8月19日 一式陸上攻撃機2機でアメリカが占領していた沖縄諸島伊江島に到着した日本降伏使節団がマニラに飛ぶために、アメリカ陸軍航空隊差し回しのダグラスC-54 スカイマスター四発輸送機に乗りこむ日本軍降伏使節団の一行:1945年8月19日,降伏使節団16名は沖縄伊江島に着いたが,飛行場は見物の米兵でいっぱいだった。
world war two image
pictionid68339020 - title---world war ii pacific theater japanese surrender.--- - filename100023469.tifPlease tag this image so that info can be stored with our metadata. This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は、San Diego Air and Space Museum- - catalog100023469引用。
河辺虎四郎(1979)『河辺虎四郎回想録』毎日新聞社
マニラへの使節
八月十六日米国政府からつぎの要旨の通告が電報された。
A 直ちに連合国最高司令官の許に使者(複数)を派遣せよ。この使者はつぎの諸要件を備えなければならぬ。
a 日本軍隊および司令官(複数)の配置に関する情報を持つこと。
b 連合国最高司令官およびその同行する軍隊が、正式降伏受理のため、連合国最高司令官の指示する地点に到着し得るよう、連合国最高司令官の指令する打ち合わせをなすべき十分の権限が与えられてあること。
B 降伏の受理およびこれが実施のため、ダグラス・マッカーサー元帥が連合国最高司令官に任命せられた。
同元帥は正式降伏の時、場所およびその他詳細事項に関して、日本政府に通報するであろう。
降伏文書を受領した日本降伏使節団は、1945年8月20日1300,マニラを出発、伊江島飛行場でダグラスC-54輸送機から一式陸攻に乗り換えて、東京に向かった。しかし、この一式陸攻は帰路途上に故障し、浜松海岸に不時着水した。使節団一行は、そこで住民に救助され浜松飛行場に着き、故障中の陸軍四式重爆を深夜に修理し、翌朝8月21日0700に浜松飛行場を離陸、0830に調布飛行場に着陸した。そこから、東久邇宮首相の待つ総理官邸に急行し、任務完了を報告した。
⇒写真集Album:日本降伏軍使を運んだ日本海軍一式陸攻を見る。
写真(右)1945年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラス・マッカーサー将軍専用のダグラスVC-54E (C-54E-1-DO) スカイマスター(Skymaster)輸送機「バターン」(シリアルナンバー:Ser. No. 44-9027;製造番号 c/n 27253 )のコックピットに収まった工員のグレッグ・ワズマン(Greg Wasmann)と整備台の上に立った若い女性:マッカーサーの乗機になるので機首に「Bataan」とある。これは、1942年にマッカーサーが守備していたフィリピンのルソン島バターン半島を失陥し、オーストラリアにまで追いやられた復讐戦の記念した命名である。並列複座操縦席のあるコックピットの側面ガラス窓は開閉可能だった。
SDASM Archives
Douglas C-54 Bataan factory 1945
Photos belonging to a Special Collection belonging to Greg Wasmann who worked at Douglas Aircraft
Douglas VC-54E (C-54E-1-DO) Skymaster, USAAF Ser. No. 44-9027 (c/n 27253), "Bataan," Gen. Douglas MacArthur's (USA) personal aircraft.
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写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013422引用。
1945年8月28日、日本占領のアメリカ軍先遣隊150名がフィリピンから神奈川県厚木飛行場に到着した。日本占領統治を任された連合軍最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers:SCAP)ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥は、新たな専用機ダグラス(Douglas)C-54 (VC-54E)スカイマスター(Skymaster)輸送機「バターンII」“Bataan II"に乗って、8月29日、マニラから沖縄読谷飛行場に飛来し、8月30日に厚木に降り立った。
⇒写真集Album:マッカーサー専用機C-54輸送機「バターン」Bataamを見る。
4. 1945年、第二次世界大戦が連合国の勝利のうちに終わったことで、軍用機ダグラス(Douglas)C-54 四発輸送機は、一部は軍用に残されたが、多くは民間に払い下げられ、ダグラスDC-4四発輸送機として、世界中を飛び回った。戦時中、ダグラスDC-4輸送機は、民間機DC-4としてはほとんど使用されず、主に軍用輸送機C-54「スカイマスター」として採用され、1947年8月までに、DC-4として80機、C-54として 1000機以上が製造された。しかし、戦後には、民間航空で大活躍した。
写真(右)1945年3月、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機のキャビンで、硫黄島から海軍将兵・海兵隊員の空輸救護に当たる海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh ):キャビンは、貨物輸送型なので、座席は折り畳み式ベンチが並んでいる。傷病兵は、胴体側面の三段式担架と、床に担架で並べられているが、彼らを飛行看護婦が世話をしている。後方のベンチには、腕を負傷した兵士が座っている。
Description
English: Navy Flight Nurse Jane Kendiegh, trip from Iwo Jima, March 1945 .
Date 1945
Source US Department of the Navy, Bureau of Medicine and Surgery.
Author US Navy
.
写真はWikimedia Commons, Category:Jane Kendeigh・File:Jane Kendeigh USN Flight Nurse 1945 a.jpg 引用。
⇒写真集Album:アメリカ海軍R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機を見る。
写真(右)1947年11月30日、アメリカ、イリノイ州シカゴ・ミッドウェー(Chicago Midway)空港、デルタ航空(Delta Air Lines)のダグラス(Douglas)DC-4輸送機(登録コードN88818、製造番号18353):滑走路上に駐車している荷物運搬車にもデルタ航空のロゴが入っている。デルタ航空は、1929年にルイジアナ州モンロー、デルタ・エア・サービスとして設立、1941年にアトランタ市に本社を移転しデルタ航空と名称変更。
Photographer
Bill Proctor
Location Chicago Midway Airport - KMDW, USA - Illinois
Aircraft type Douglas DC-4
Operator Delta Air Lines
Registration N88818
Type Photograph.
Date 30 November 1947
Construction number 18353.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00065732引用。
⇒写真集Album:民間航空のダグラス(Douglas)DC-4旅客輸送機を見る。
5. 第二次大戦中のダグラス(Douglas)DC-4輸送機のライバルは、B-29爆撃機と同じエンジンを搭載したロッキード(Lockheed) L-049コンステレーション(Lockheed Constellation)輸送機で、高高度でも気圧が低下しない与圧客室キャビンを備えていた。
写真(右):1972年12月19日、日本、本州、名古屋空港、アメリカ時代の塗装を残したロッキード(Lockheed) L-049コンステレーション(Lockheed Constellation)輸送機 (L-1679A):1956年10月に就役、退役後の1972年12月15日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス、バーバンクから空路で名古屋空港に移送され到着。これは、旧名古屋空港で、2005年以降は、中部新空港が新設されている。日本にも飛来した最後の国際航路レシプロ旅客機であろう。1972年12月19日、新潟空港へ空路で移送、内部解体。新潟県三条市「レストラン信濃」でマッカーサー乗機での食事との触れ込みで営業利用。1972年〜1979年、千葉県習志野市に移送され、京成谷津遊園で展示。
不明 Lockheed Constellation(L-1679A) (N1102)航空フォト
撮影日
1972/12/19
撮影場所
名古屋飛行場 - Nagoya Airport [NKM/RJNA]
航空会社
不明
機材・機種
Lockheed Lockheed Constellation(L-1679A)
機体記号
N1102
製造番号(cn)
1001
写真は航空フォト, ハミングバードさん Lockheed Constellation(L-1679A) 引用。
⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed)コンステレーション(Constellation)輸送機を見る。
6.ハンドレページ(Handley Page)ヘースティングス(Hastings)の形式
写真(右)1956年8月15日、南太平洋、キリバス(Kiribati)クリスマス島、胴体左後方の貨物扉を開放したイギリス空軍ハンドレページ(Handley Page)ヘースティングス(Hastings)TG582輸送機:第二次世界大戦中の1943年、ハンドレページは、アブロ ヨーク輸送機の後継機の開発に着手し、第二次世界大戦終了後の1945年12月に民間旅客仕様ハーミーズを、1946年5月には軍用輸送仕様ヘースティングスを初飛行させた。1947–1952年に合計151機が生産された。
English: 1-An RAF Handley Page (TG582) Hastings just arrived at Kiribati (Christmas island).
Date Taken on 15 August 1956
Português: tirada a 15 de Agosto de 1956
Source Own work
Author Stavros1
写真はWikimedia Commons, Category:Handley Page Hastings File:-1956-08-15 Handley Page Hastings (TG582), Christmas Island.JPG引用。
ハンドレページ(Handley Page)C.2 ヘースティングス(Hastings) の諸元
全長: 81 ft 8 in (24.89 m)
全幅: 113 ft 0 in (34.44 m)
全高: 22 ft 6 in (6.86 m)
主翼面積:1,408 sq ft (130.8 m2)
全装備重量: 34,010 kg
乗員: 5名 兵員50名
発動機: ブリストル(Bristol)ハーキュリーズ(Hercules)106 空冷星型14気筒エンジン1,675 hp (1,249 kW)4基
最高速度: 348 mph (560 km/h) 高度22,200 ft (6,800 m)
航続距離: 1,690 マイル (2,720 km) (最大搭載量)
4,250 マイル (6,840 km) (最大燃料搭載量)7,400 ポンド (3,400 kg)
実用上昇限度: 8,140 m
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
2020年3月28日作成の当サイトへのご訪問ありがとうございます。写真,データなどを引用する際は,URLなど出所を明記してください。
◆毎日新聞2008年8月24日「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月青弓社刊行,368頁,2100円)が紹介されました。
◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただけますお方のご協力をいただきたく,お願い申し上げます。
ご意見等をお寄せ下さる際はご氏名,ご連絡先を明記してくださいますようお願い申し上げます。
連絡先:
torikai@tokai-u.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1
東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
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