◆アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機
写真(上):1947年6月以降、キューバ、アメリカ領グアンタナモ基地、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D 旅客輸送機(シリアルナンバー:56549) :主翼のフラップが下げられ、降着装置も主輪が引き出されている。アメリカで1944年に製造された機体。
SDASM Archives
Douglas R5D, 56549, NAS Guantanamo
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。
写真(上):1947年6月以降、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D 旅客輸送機(シリアルナンバー:56549) :
SDASM Archives
Douglas R5D, 56501
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。
写真(上):1947年6月以降、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D 旅客輸送機(シリアルナンバー:56549) :
Blue Angel 8 R5D Douglas
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。
写真(上):1950年代、アメリカ、カリフォルニア州オークランド飛行場、アメリカ海軍第7艦隊所属のダグラス(Douglas)R5D-3スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー:56508、製造番号:10692) :1945年、ダグラスC-54Dとして製造されたこの56508 USNは、1957年から1965年まではBlue Angels支援機として使用された。1968年に退役し、1974年に売却スクラップとなった。
Description R5DOAK
Date 15 July 2007, 08:47
Source R5DOAK
Author Bill Larkins
Photographer: William T. Larkins
写真は , Category:Douglas DC-4 File:Douglas C-54B Skymaster (DC-4), Millardair AN1307240.jpg引用。
1. ダグラス(Douglas)DC-4E 試作輸送機
写真(右)1937-1938年、アメリカ、着陸態勢に入ったダグラス(Douglas)DC-4E旅客輸送機;垂直尾翼が3枚あり、胴体は曲線来で設計されている。尾輪を持つ3点姿勢の離着陸が普通だった1930年代では、機首の首輪(前輪)と左右の主翼の主輪からなる引込み式降着装置は、まだ例外的な降着装置だった。生産機数は1機のみ。
SDASM Archives
Douglas : DC-4E
Manufacturer: Douglas
Designation: DC-4E
Official Nickname:
Notes: Original DC-4 - Triple verticals - exported to Japan – 1938
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00065793引用。
ダグラスのDC3輸送機は、実用性が高く性能も良かったためにアメリカの航空会社が競って採用したベストセラーとなった。しかし、実はDC-3が実用化される前の1935年、ダグラス社は、DC-3より大型で長距離飛行が可能な四発旅客輸送機を開発し、大西洋、太平洋を越える民間航路も開拓しようとした。これが、DC-4E旅客輸送機で、乗客42名、航続距離3000km以上を目指した。
DC-4E旅客輸送機 プロトタイプ(NX18100, s/n 1601)は、1938年6月7日、カリフォルニア州サンタモニカで初飛行した。そこで、ユナイテッド航空によるテストでは、乗客は最大52名が収容可能とされたが、総重量は29,484 kgと過大で、整備が困難であり、製造コストも高すぎるという評価だった。そのため、ダグラスDC-4Eは試作機1機の製造で開発は中止となり、新たなコンセプトのDC-4輸送機が開発されることになった。
⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)DC-4E試作機を見る。
2. 1942年2月、ダグラス(Douglas)DC-4輸送機が初飛行した。これは、DC-3双発輸送機を大型化し、エンジンを4基に増やし、前輪式を採用した斬新な設計の大型機である。しかし、すでに第二次世界大戦が勃発して2年半が経ち、1941年12月からは、太平洋戦争もはじまり、アメリカは日本、ドイツ、イタリアとも戦っていた。そこで、ダグラスDC-4輸送機は、アメリカ陸軍でC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機として採用された。
写真(右)1942年以降、アメリカ、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。
SDASM Archives
Douglas : C-54 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013459引用。
第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
写真(右)1942年11月20日、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ郊外、ハンマー・フィールド空港(?)、斜め正面から見たからダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:写真解説には、撮影日付が8-20-42、Consolidated(コンソリデーテット)Aircraft Model C-54 3-4 Front view Fuselage」とある。左後方には、滑走路に阻塞気球が置いてあるのが見える。
SDASM Archives
convair negative
pictionid58871546 - titledouglas c-54 42-32936 at lindbergh field - filename230000120.tif-Image from the General Dynamics/Convair Collection
.
写真はSDASM Archives・- catalog230000120.tif 引用。
1942年初飛行のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機は、プラット&ホイットニー R2000ツインワスプ空冷星形14気筒4基、最高時速442?の大型高速輸送機だったが、運航の経済効率や機体の保守・維持は、前型で1936年初飛行のDC-3双発輸送機のほうが優れていた。生産機数は、ダグラスDC-3輸送機、その軍用仕様C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機が1万機も大量生産されたのに対して、ダグラスDC-4輸送機、その軍用仕様C-54輸送機は、8分の1の1200機の生産しかされなかった。
写真(右)1942年春から1943年6月、雲海上を飛行する無塗装のアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-1スカイマスター(Skymaster)輸送機:
Douglas : R5D-1 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-1
Official Nickname: Skymaster.
写真はSan Diego Air & Space Museum ・Catalog #: 00031893引用。
アメリカ軍の国籍マークは、1943年前半まで採用された青丸と白星で、1943年6月以降は、白袖がつく「スターアンドストライプ」となる。1947年6月以降は、白袖に赤のストライプが入っていくる。
写真(右)1942年春から1943年6月、雲海上を飛行する無塗装のアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-1スカイマスター(Skymaster)輸送機:アメリカ軍の国籍マークは、1943年前半まで採用された青丸と白星で、1943年6月以降は、白袖がつく「スターアンドストライプ」となる。1947年6月以降は、白袖に赤のストライプが入っていくる。
Douglas : R5D-1 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-1
Official Nickname: Skymaster.
写真はSan Diego Air & Space Museum ・Catalog #: 00031894引用。
コンソリデーテッドは、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空軍(USAAF)向けにB-24「リベレーター」爆撃機を生産していたが、その主翼を流用して、C-87 リベレーター・エクスプレス(Consolidated C-87 Liberator Express)輸送機を生産した。ダグラスのフォートワース工場では、B-24爆撃機と並行してC-87 輸送機を生産したが、最終的には287機のC-87がフォートワースのコンソリデーテッド工場で生産された。アメリカ海軍もVIP輸送用のRY、イギリス空軍もVIP輸送用のリベレーター C.IXとして制式している。
⇒写真集Album:アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54輸送機を見る。
3. ダグラス(Douglas)DC-4四発輸送機は、アメリカが太平洋戦争に参戦中の1942年2月に初飛行した。そこで、民間向けダグラスDC-4輸送機の量産は中止になり、アメリカ陸軍でC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機として、さらにアメリカ海軍でR5Dスカイマスター輸送機として制式し、広範に使用されることになった。
写真(右)1943年6月以降1947年6月以前、飛行する無塗装のアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-2 (C-54P)スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー:90391):アメリカ軍の国籍マークは、1943年前半まで採用された青丸と白星で、1943年6月以降は、白袖がつく「スターアンドストライプ」となる。1947年6月以降は、白袖に赤のストライプが入っていくる。そして、1943年後半から星と袖(スターアンドストライプ)が採用される。当初は白袖の中に赤のストライプが入っていない。1947年6月に赤のストライプを引いている。
Douglas : R5D-2 (C-54P) : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-2 (C-54P)
.
写真はSan Diego Air & Space Museum ・Catalog #: 00031897引用。
写真(右)1943年9月から1947年6月以前、雲海上を飛行する無塗装のアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-1スカイマスター(Skymaster)輸送機:アメリカ軍の国籍マークは、1943年後半から採用された星と袖(スターアンドストライプ)だが、袖の中に赤のストライプが入っていないので、1947年6月までの撮影と判断できる。
Douglas : R5D-1 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-1
Official Nickname: Skymaster.
写真はSan Diego Air & Space Museum ・Catalog #: 00031887引用。
写真(右)1943年頃、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-1スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー:49045):胴体後方左側の扉を開けてラダーをかけているが、人員を搭乗させるのであろう。アメリカ軍の国籍マークは、1943年中頃まで使用された星と袖だが、袖の中に赤のストライプが入っていないので、1943年中頃までの撮影と判断できる。
Douglas : R5D-1 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-1
Official Nickname: Skymaster.
写真はNaval History and Heritage Command・Catalog #: 00031890引用。
アメリカ期の国籍マークの変遷
1939年9月の第二次世界大戦勃発時から1941年12月の太平洋戦争勃発・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
写真(右)1944年1月29日、アラスカ、アリューシャン列島、アダック島アダック飛行場、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機を背景にしたアメリカ南東太平洋域司令官フランシス・エリオット・メイナード(Francis E.M. Whiting)海軍少将(エンジン前)とアメリカ北西太平洋域司令官フランク・J・フレッチャー(Frank Jack Fletcher)海軍中将(中央帽子)
Naval Air Station, Adak, Alaska
Description:Rear Admiral Francis E.M. Whiting, Vice Admiral Frank Jack Fletcher and U.S. Representative Warren G. Magnuson (of Washington) at the airfield, upon the return of RAdm. Whiting to Adak, 29 January 1944. Wing and engine of a Douglas R5D transport plane is in the left background,. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the U.S. National Archives..
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-208653 Naval Air Station, Adak, Alaska引用。
写真(右)1944年12月、アメリカ本土とハワイを結ぶ定期便となったアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-1スカイマスター(Skymaster)輸送機:青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。そして、1943年春からは、白袖を追加し「スターアンドストライプ」の国籍マークとなった。周囲は当初は赤で縁取りされていたが、目立ちすぎると判断され、すぐに青色で縁取りするように変更された。
Title:Douglas R5D-1 transport (Bu# 50845)
Caption:Of the naval air transport service, flies over the Hawaiian Islands on a regular shuttle trip between the west coast and Pearl Harbor, December 1944.
Description:
Catalog #:80-G-377485
Copyright Owner:National Archives .
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-377485 Douglas R5D-1 transport (Bu# 50845) 引用。
ダグラス社カリフォルニア州サンタモニカ飛行機工場(Douglas Aircraft Santa Monica)製造のアメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー: 42-32936)の胴体側面ガラス窓は、小さく円形であり、これは折り畳み式ベンチを備えた貨物専用輸送型である。同じC-54スカイマスター(Skymaster)の人員輸送型では、大きなソファー式座席が並んでいる。
写真(右)1944-1945年、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島ヒッカム基地、アメリカ本土と結ぶ定期便となったアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-1スカイマスター(Skymaster)輸送機:青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。
Title:Douglas R5D-1 Skymaster Transport
Caption:BUNO 50865 warms up its engines at Hickam Field, Honolulu, Hawaii, circa 1944-45. Note ground power cart hooked to the plane's electrical system by the nose landing gear. The plane wears the insignia of the Naval Air Transport Service (NATS). A Martin JM target tug, painted yellow, speeds by in the background.
Description:
Catalog #:80-G-K-15995
Copyright Owner:National Archives
Original Creator:
After this Year:1939
Before this Year:1945 .
写真はNaval History and Heritage Command80-G-K-15995 Douglas R5D-1 Skymaster Transport 引用。
ダグラス(Douglas)R5D-5 スカイマスター(Skymaster)四発輸送機の性能Performance
最高速力Maximum speed: 280 mph (450 km/h, 240 kn) /14,000 ft (4,300 m)
巡航速力Cruise speed: 227 mph (365 km/h, 197 kn) 出力60% /10,000 ft (3,000 m)
最高巡航速力Maximum cruise speed 246 mph (214 kn; 396 km/h) /20,800 ft (6,300 m)
高速距離Range: 3,300 mi (5,300 km, 2,900 nmi)
本体空輸距離Ferry range: 4,250 mi (6,840 km, 3,690 nmi)
翼面荷重Wing loading: 50.1 lb/sq ft (245 kg/m2)
出力比Power/mass: 0.0787 hp/lb (0.1294 kW/kg)
写真(右)1944年12月、アメリカ本土とハワイを結ぶ定期便となったアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-1スカイマスター(Skymaster)輸送機:青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。そして、1943年春からは、白袖を追加し「スターアンドストライプ」の国籍マークとなった。周囲は当初は赤で縁取りされていたが、目立ちすぎると判断され、すぐに青色で縁取りするように変更された。
Title:Douglas R5D-1 transport (Bu# 50845)
Caption:Of the naval air transport service, flies over the Hawaiian Islands on a regular shuttle trip between the west coast and Pearl Harbor, December 1944.
Description:
Catalog 80-G-377487
Copyright Owner:National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-377487 Douglas R5D-1 transport (Bu# 50845)引用。
アメリカ軍機の国籍マーク(記章)の変遷
第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
写真(右)1944年11月25日、アメリカ、マリアナ諸島グアム島、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-1スカイマスター(Skymaster)輸送機:アメリカ本土とハワイを結ぶ定期便。青丸白星の中央に赤丸を付けたアメリカ軍の国籍マークは、1942年前半で、白星中央の赤丸を削除された。そして、1943年春からは、白袖を追加し「スターアンドストライプ」の国籍マークとなった。周囲は当初は赤で縁取りされていたが、目立ちすぎると判断され、すぐに青色で縁取りするように変更された。
Douglas R5D-1 Transport (Bu# 39180)
Caption:Takes off from a Guam airfield for an eastbound flight, 25 November 1944. Note R4D in background
Description:
Catalog #:80-G-302439
Copyright Owner:National Archives
Original Creator:
Original Date:Sat, Nov 25,1944.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-302439 Douglas R5D-1 Transport (Bu# 39180) 引用。
1942年春、アメリカ軍の国籍マークは、青丸白星となり、それまであった白星中央の赤丸は取り除かれた。そして、1943年6月以降に、青丸白星の両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”、あるいは1943年9月以降、赤縁を青縁に変えた改修型(青丸白星の両側に白色袖・青縁付き)”STAR AND BAR”、が記入されるようになった。第二次世界大戦後、1947年6月からは、青丸白星の両側に白色袖・青縁・赤ストライプ付き”STAR AND BAR”、に変更されている。
写真(右)1945年1月29日、マリアナ諸島グアム島、アメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・ウィリアム・ニミッツ・シニア(Chester William Nimitz)提督の乗機となったアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機「ピンクレディー」"Pink Lady" (シリアルナンバー:90392):星☆5個のエンブレム(5-star emblem)は元帥相当の軍人最高階級を表す記章である。
Fleet Admiral Chester W. Nimitz's Private Plane
Caption:A Douglas R5D, nicknamed the "Pink Lady," Guam, 29 January 1945, when Admiral Nimitz set up his HQ. View includes the plane's 5-star emblem.
Description:Courtesy of Fleet Admiral Nimitz
Catalog #:NH 62589
Copyright Owner:Naval History and Heritage Command
Original Creator:
Original Date:Mon, Jan 29, 1945 .
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-302439 Douglas R5D-1 Transport (Bu# 39180) 引用。
写真(右)1945年6月18日、マリアナ諸島グアム島、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機「ピンクレディー」"Pink Lady"(シリアルナンバー:90392)を背景にしたアメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・ウィリアム・ニミッツ・シニア(Chester William Nimitz)提督(中央帽子)とスタッフ
Commander in Chief, Pacific Fleet and Pacific Ocean Areas, (standing, 4th from left) With a party of visiting Congressmen, at Guam on 18 July 1945. Those present include (kneeling, left to right): Representative Cecil W. Bishop (Illinois); and Representative Herbert C. Bonner (North Carolina). (standing, left to right) Representative Andrew J. Biemiller (Wisconsin); Representative Albert A. Gore (Tennessee); Representative Edouard V.M. Izac (California); Fleet Admiral Nimitz; Representative Henry M. Jackson (Washington); Representative Ellis E. Patterson (California); Delegate Joseph R. Farrington (Territory of Hawaii); and Major General Henry L. Larsen, USMC, Island Commander on Guam. The aircraft in the background is a R5D/C-54 type. Collection of Fleet Admiral Chester W. Nimitz. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.星☆5個のエンブレム(5-star emblem)は元帥相当の軍人最高階級を表す記章である。
Fleet Admiral Chester W. Nimitz, USN
Commander in Chief, Pacific Fleet and Pacific Ocean Areas, (standing, 4th from left) With a party of visiting Congressmen, at Guam on 18 July 1945. Those present include (kneeling, left to right): Representative Cecil W. Bishop (Illinois); and Representative Herbert C. Bonner (North Carolina). (standing, left to right) Representative Andrew J. Biemiller (Wisconsin); Representative Albert A. Gore (Tennessee); Representative Edouard V.M. Izac (California); Fleet Admiral Nimitz; Representative Henry M. Jackson (Washington); Representative Ellis E. Patterson (California); Delegate Joseph R. Farrington (Territory of Hawaii); and Major General Henry L. Larsen, USMC, Island Commander on Guam. The aircraft in the background is a R5D/C-54 type. Collection of Fleet Admiral Chester W. Nimitz. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
写真はNaval History and Heritage Command・NH 58053 Fleet Admiral Chester W. Nimitz, USN 引用。
写真(右)1944-1945年前半、太平洋戦域、クレーン車を使って航空機用空冷星形エンジンをアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機に積み込もうとしている。R5D輸送機は、胴体後方左側面に、貨物を出し入れする大きな観音開き式のドアがついている。
Aircraft engines
Caption:Are unloaded from a truck, by crane, for reloading in a Douglas R5D transport aircraft, during World War II.
Description:
Catalog #:80-G-K-15355
Copyright Owner:National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-15355 Aircraft engines 引用。
写真(右)1944-1945年、アメリカ、上空から俯瞰したハワイ諸島オアフ島ヒッカム基地、アメリカ海軍航空隊の2機のダグラス(Douglas)R5D-4スカイマスター(Skymaster)輸送機:アメリカ本土とハワイを結ぶ定期便となった。
Title:Naval Air Transport Service Terminal, Hickam Field, Honolulu, Hawaii
Caption:Two Naval Air Transport Service (NATS) Douglas R5D Skymaster transports unloading outside the terminal, circa 1944-45. Plane at left is an R5D-1 (BUNO 39155) and the one on the right is an R5D-3 (BUNO 56506). Note baggage carts, jeeps, and automobiles in the vicinity.
Description:
Catalog #:80-G-K-15992
Copyright Owner:National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-15992 Naval Air Transport Service Terminal, Hickam Field, Honolulu, Hawaii 引用。
写真(右)1944-1945年、アメリカ、上空から俯瞰したハワイ諸島オアフ島ヒッカム基地、アメリカ海軍航空隊の2機のダグラス(Douglas)R5D-4スカイマスター(Skymaster)輸送機:アメリカ本土とハワイを結ぶ定期便となった。
Description:WAVES aircraft mechanics working on the port outboard engine (a Pratt & Whitney R-2000) of a Naval Air Transport Service R5D, circa mid-1945. They are (left to right): Seaman 1st Class Gene Reinhold, Seaman 1st Class Lorraine Taylor and Seaman 1st Class Mary Harrison. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.color .
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-5663 Naval Air Station, Oakland, California引用。
写真(右)1945年、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島ヒッカム基地、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-5スカイマスター(Skymaster)輸送機(BUNO 90413):アメリカ本土とハワイを結ぶ定期便となったR5D輸送機、C-47輸送機のほかB-29爆撃機, B-24爆撃機, B-17爆撃機が写っている。
Title:Hickam Field, Honolulu, Hawaii
Caption:Ground crewmen unload a Naval Air Transport Service R5D-5 Skymaster aircraft (BUNO 90413) in 1945. Another R5D has just landed, in center, and is taxiing off the runway. Planes in the distance include: B-29, B-24, B-17, C-47, and PBY-5A types.
Description:
Catalog #:80-G-K-16000
Copyright Owner:National Archives
Original Creator:
After this Year:1939
Before this Year:1945.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-16000 Hickam Field, Honolulu, Hawaii 引用。
写真(右)1945年、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島ヒッカム基地、アメリカ海軍空輸部隊(Naval Air Transport Service :NATS)のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機(BUNO 90413):滑走路には着陸態勢に入った民間のダグラスDC-4輸送機/アメリカ陸軍C-54スカイマスター輸送機/アメリカ海軍R5Dスカイマスター輸送機が見える。
Title:Hickam Field, Honolulu, Oahu, Hawaii
Caption:A Douglas R5D Skymaster transport of the Naval Air Transport Service (NATS) lands at Hickam Field, circa 1944-45. Another NATS R5D is parked in the foreground. Note several U.S. Army Air Force Boeing B-29s parked in the right distance.
Description:
Catalog #:80-G-K-15993Copyright Owner:National Archives
Original Creator:
After this Year:1939
Before this Year:1945.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-15993 Hickam Field, Honolulu, Oahu, Hawaii 引用。
写真(右)1945年、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島ヒッカム基地、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-4スカイマスター(Skymaster)輸送機:アメリカ本土とハワイを結ぶ定期便となった)R5D-4は、完全に舗装された滑走をを使い、現代的な航空管制棟の指示を受けることで、安全で効率的な離着陸ができた。尾輪式ではなく、主輪式(前輪式)の降着装置を備えているが、貨物の搭載状態では尾部が重くなり、バランスを崩して「尻もちをつく」のを防止するために、尾部には店頭用の支柱がそなえ付けられている。
Title:Douglas R5D-4 Skymaster Transport Plane
Caption: BUNO 90413 on the apron near the control tower at Hickam Field, Honolulu, Hawaii in 1945.
Description:
Catalog #:80-G-K-16001
Copyright Owner:National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-16001 Douglas R5D-4 Skymaster Transport Plane 引用。
1945年中頃、アメリカ、カリフォルニア州オークランド(Oakland)海軍基地、アメリカ海軍航空隊の海軍空輸第4飛行中隊(Naval Air Transport Squadron Four)ダグラス(Douglas)R5D-4スカイマスター(Skymaster)輸送機:支援するのは、海軍女子補助部隊WAVESの隊員たち。
Description:Seaman 1st Class Billy Ikard (left) and Seaman 1st Class Barbara A. Patterson move a battery cart into position next to a Naval Air Transport Service R5D-1 (Bureau # 39170), circa mid-1945. Both WAVES are assigned to Naval Air Transport Squadron Four. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.color .
Description:
Catalog #:80-G-K-15992
Copyright Owner:National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-5659 Naval Air Station, Oakland, California引用。
ダグラスC-54スカイマスター輸送機(Douglas C-54 Skymaster:DC-4)諸元
最高速度:450 km/h、巡航速度:365 km/h
航続距離:6,800 km
全長:28.6 m、全幅:35.8 m、全高:8.38 m
翼面積:135.6 平方メートル
自重:16,783 kg、全備重量:28,123 kg
プラット&ホイットニー空冷星形エンジンR-2000(1,290馬力)4基搭載
座席数:50名
ダグラス(Douglas)C-54輸送機の諸元
搭乗員Crew: 4名
乗客Capacity: 座席44 名(寝台 22名)
軍用簡易ベンチ座席: 86名
1945年中頃、アメリカ、カリフォルニア州オークランド(Oakland)海軍基地、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-4スカイマスター(Skymaster)輸送機のプラット&ホイットニー>R-2000ツインワスプ空冷星形エンジンを整備する海軍女子補助部隊WAVESの隊員たち:R5D輸送機は、海軍空輸第4飛行中隊(Naval Air Transport Squadron Four)所属と思われる。
Description:Seaman 1st Class Lorrain Taylor (right) and Seaman 1st Class Martha Harrison working on the # 1 engine (a Pratt & Whitney R-2000) of a Naval Air Transport Service R5D, circa mid-1945. Both WAVES are assigned to Naval Air Transport Squadron Four. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.color .
Description:
Catalog #:80-G-K-15992
Copyright Owner:National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-5659 Naval Air Station, Oakland, California引用。
ダグラス(Douglas)R5D-5 スカイマスター(Skymaster)四発輸送機の発動機
プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)
R-2000-3ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン諸元
気筒直径ボアBore: 5.75 in (146 mm)
気筒行程Stroke: 5.5 in (140 mm)
排気量Displacement: 2,004 in3 (32.84 L)
エンジン全長Length: 61.02 in (1,550 mm)
エンジン直径Diameter: 49.49 in (1,257 mm)
乾燥重量Dry weight: 1,570 lb (710 kg)
写真(右)1945年中頃、アメリカ、カリフォルニア州オークランド(Oakland)海軍基地、アメリカ海軍航空隊の海軍空輸第4飛行中隊(Naval Air Transport Squadron Four)ダグラス(Douglas)R5D-4スカイマスター(Skymaster)輸送機:支援するのは、海軍女子補助部隊WAVESの隊員たち。
Description:Seaman 1st Class Billy Ikard (left) and Seaman 1st Class Barbara A. Patterson move a battery cart into position next to a Naval Air Transport Service R5D-1 (Bureau # 39170), circa mid-1945. Both WAVES are assigned to Naval Air Transport Squadron Four. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.color .
Description:
Catalog #:80-G-K-15992
Copyright Owner:National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-5663 Naval Air Station, Oakland, California引用。
プラット&ホイットニーR-2000-3ツインワスプ用燃料Fuel type: 100/130オクタン
冷却機構Cooling system: 空冷Air-cooled
ギアReduction gear: 2:1
性能Performance
出力Power output: 1,350 hp (1,010 kW)/回転数 2,700 rpm (海面上)
圧力比Compression ratio: 6.5:1
写真(右)1945年、アメリカ海軍海軍空輸部隊(Naval Air Transport Service)のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機のキャビンであたたかな食事を摂るアメリカ海軍ウィリー・ブルー(Willie Blue)一等水兵(SM1c):カリフォルニア州オークランド(Oakland)基地からニューヨーク州ブルックリン海軍病院(Brooklyn Naval Hospital)に輸送機で移送されている。最高速力450kmのアメリカ海軍R5Dスカイマスター輸送機は、高速救急飛行便 (Hospital Express Flights)として使用された。アメリカ海軍の兵士の階級SM1cとは海軍1等水兵(Seaman Firs Class)のこと。
Title:SM1c Willie Blue, USNR .
Caption:Eats a hot meal on board one of the Naval Air Transport Service's R5D Hospital Express Flights, while en route to the Brooklyn Naval Hospital, N.Y., for medical treatment, circa 1945. These transcontinental flights carry patients from Oakland, Calif., to NAS Patuxent River, MD., VIA NAS Olathe, Kansas, on a four round trips weekly schedule. .
Description:
80-G-K-14592
Copyright Owner:NARA.
After this Year:1940.
Before this Year:1949.
Original Medium:Color.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-5277 Navy Flight Nurse Jane -Candy- Kendeigh 引用。
アメリカ海軍は、本土西岸カリフォルニア州オークランド(Oakland)基地から本土東岸ニューヨーク州ブルックリン海軍病院(Brooklyn Naval Hospital)に患者を輸送する高速患者輸送機として、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2000-3ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン4基を装備したアメリカ海軍R5Dスカイマスター輸送機を使用した。R5Dスカイマスター輸送機は、最高速力450 km/h、巡航速力365 km/hで、50名を6800km空輸可能である。したがって、R5Dスカイマスター輸送機は、5000kmの大陸横断する高速救急飛行便 (Hospital Express Flight)というにふさわしかった。
写真(右)1945年6月、大西洋上、ポルトガル領アゾレス諸島、テルセイラ島 (Terceira)、ラジェス航空基地を中継したアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機:フランス、パリとメリーランド州、パタクセント・リバー海軍基地を結ぶ空路を飛んだ定期便は、アゾレス諸島を中継していた。アゾレス諸島、テルセイラ島 (Terceira)、ラジェス航空基地は、1941年にポルトガルが航空基地を整備したが、大西洋上のシーレーンを保護するため、1943年にイギリス軍とアメリカ軍がアゾレス諸島の基地使用権を得て、主に海上哨戒の航空部隊、アメリカとイギリスを結ぶ空輸フェリーの航空機が基地を利用した。
Douglas R5D-1 "Skymaster" Transport (Bu #39150)
Caption:At Lagens Airfield, Terceira Island, Azores, on its second stop between NAS Patuxent River, Maryland, and Paris, France, June 1945. The Naval Air transport service scheduled daily flights to carry mail, cargo and priority passengers across the Atlantic.
Description:
Catalog #:80-G-343165
Copyright Owner:National Archives
Original Creator:Lieutenant Swope, photographer.
写真はWikimedia Commons, Category:Jane Kendeigh・80-G-343165 Douglas R5D-1 "Skymaster" Transport (Bu #39150) 引用。
アメリカは、1945年にはドイツ占領下から解放されたフランス、パリとメリーランド州パタクセント・リバー海軍基地を結ぶ空路を開設し、定期便を大西洋上のアゾレス諸島、テルセイラ島 (Terceira)、ラジェス航空基地(Lajes Field)を中継して運航していた。
アゾレス諸島、テルセイラ島 (Terceira)、ラジェス航空基地は、1941年にポルトガルが航空基地を整備したが、大西洋上のシーレーンを保護するため、1943年10月にイギリス軍がアゾレス諸島の基地使用権を得て、主に海上対潜水艦哨戒の航空部隊を展開した。そして1943年中に、アメリカ軍も進駐し、アメリカとイギリスを結ぶ空路を開設し、主に空輸フェリーの航空機が基地を利用した。
写真(右)1945年春、アメリカ西岸、カリフォルニア州サンタクララ郡、モフェット海軍飛行場(モフェット・フェデラル飛行場)、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー:39151):モフェット海軍飛行場(モフェット・フェデラル飛行場)は、1930年に4平方キロの飛行場として建設され、1931年に海軍基地となった。
Moffet Field Collection
Caption:Collection photo # UA 48.01.01 - mechanical maintenance on a Douglas R5D at Moffett Field
Description:Collection of 24 images related to NAS Moffett Field and the Douglas R5D aircraft (on the runway, undergoing mechanical work, in flight, etc.) during 1945. Also included are photos of the opening of the officers club (building 300), classroom trainings, aerial views of the base, various base staff (mostly unidentified), and groups of aviators.
Accession #:UA 48
Catalog #:UA 48.01 .
写真は, Naval History and Heritage Command・80-G-K-5446 U .S. Navy Flight Nurses 引用。
写真(上)1943年-1946年6月、イギリス、イギリス空軍で1年間要人輸送に使用されたダグラス(Douglas)C-54Gスカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード:KL980):周囲には、デハビランド・モスキート高速爆撃機が駐機している。
1942年にダグラス工場でアメリカ陸軍航空隊向けにC-54G(シリアルナンバー:42-72532)として製造された後、イギリス空軍に貸与されKL980として要人輸送に使用された。1946年7月、アメリカ海軍に変換された。垂直尾翼の前縁、機首操縦席の前方は、日光の反射除けのために塗装されているが、あとは無塗装の銀色の機体が輝いている。1946年6月にアメリカに返還された R5D-3輸送機(登録コード: BN 91996:)として曲芸飛行隊「ブルーインパルス」の支援に使用された。
Douglas, C-54G, Skymaster
Title: Douglas, C-54G, Skymaster
Corporation Name: Douglas Aircraft
Designation: C-54G
Official Nickname: Skymaster
Additional Information: USA, Originally built in 1942 for USAAF as 42-72532 . To RAF as KL980. Operated as R5D-3, BN 91996 as Blue Angels support aircraft 8 1966-67.It served with the RAF VIP-flight for about one year and went back to the US (Navy) in July 1946.
写真はSan Diego Air & Space Museum SDASM Archives・Catalog #: 01_00091394引用。
5. 1945年第二次世界大戦の太平洋戦争末期、2月の硫黄島攻略戦、4月の沖縄攻略戦には、多数のアメリカ海軍C-54スカイマスター輸送機が患者輸送、人員・物資輸送に活躍している。C-54患者輸送機には、海軍飛行看護士(Navy Flight Nurse)の女性隊員も勤務している。アメリカ女性が、戦時中の硫黄島、沖縄で空中勤務者として活躍していたのである。
写真(右)1945年5月頃、沖縄本島、読谷飛行場、胴体右前方の昇降口から貨物を搬出入しているアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機:後方では、炎上した飛行機から煙が上がっている。読谷基地には、アメリカ海兵隊・アメリカ海軍の傷病兵を救護、後方の病院に空輸するアメリカ海軍飛行看護士(Navy Flight Nurse)と女性隊員たちも活動している。C-54キャビンは、貨物輸送型であれば、傷病兵は、三段式担架と、床に担架で並べられて、飛行看護婦が世話にあたる。
【原文】 Pictured against a pall of smoke from a burning plane are two Douglas C-54s of the AAF Air Transport Command's Pacific Division. The planes are preparing to take-off from Yontan airstrip, Okinawa, with a load of wounded.
【和訳】 陸軍航空隊空輸部隊太平洋地区所属の2機のダグラスC-54輸送機の後方で炎上した飛行機から煙が上がる。この2機は多数の傷病者を乗せて、読谷飛行場から離陸準備をしている。
撮影地: 読谷
撮影日: 1945年
資料コード: 0000112234
写真は, 沖縄公文書館・写真番号: 13-57-3引用。
写真(右)1945年3月3日、硫黄島、硫黄島攻略負傷したアメリカ海兵隊・アメリカ海軍将兵を救護するために硫黄島に到着した海軍飛行看護士(Navy Flight Nurse)と唯一の女性隊員ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh ):彼女の周囲にいるのが、看護部隊、飛行看護師あるいは衛生兵のようだが、到着早々、唯一の女性飛行看護師に注目が集まり、アメリカの総力戦・リバティーボンド(自由公債)販売キャンペーンなどプロパガンダに使用されている。迷彩服・迷彩ヘルメットを被った海兵隊員は写っていない。アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)が患者輸送機として使用された。キャビンは、貨物輸送型だが、傷病兵は、三段式担架と、床に担架で並べられて、飛行看護婦が世話にあたる。
English: Flight nurse Jane Kendeigh, US Navy, caring for wounded Marine, William J Wycoff on Iwo Jima, March 3, 1945.
Date 1945
Source US Department of the Navy, Bureau of Medicine and Surgery.
Author US Navy
.
写真はWikimedia Commons, Category:Jane Kendeigh・File:Flight nurse Jane Kendeigh caring for wounded soldier on Iwo Jima--1945.jpg引用。
写真(右)1945年3月3日、硫黄島攻略戦で負傷したアメリカ海兵隊あるいはアメリカ海軍将兵を救護する海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh ):後方には、迷彩服・迷彩ヘルメットを被った海兵隊員が座っている。傷病兵を空輸するのは、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機である。そのキャビンは、貨物輸送型なので、座席は折り畳み式ベンチが並んでいる。傷病兵は、三段式担架と、床に担架で並べられて、飛行看護婦が世話にあたる。
English: Flight nurse Jane Kendeigh, US Navy, caring for wounded Marine, William J Wycoff on Iwo Jima, March 3, 1945.
Date 1945
Source US Department of the Navy, Bureau of Medicine and Surgery.
Author US Navy
.
Wikimedia Commons, Category:Jane Kendeigh・File:Flight nurse Jane Kendeigh caring for wounded soldier on Iwo Jima--1945.jpg引用。
写真(右)1945年3月、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機のキャビンで、硫黄島から海軍将兵・海兵隊員の空輸救護に当たる海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh ):キャビンは、貨物輸送型なので、座席は折り畳み式ベンチが並んでいる。傷病兵は、胴体背ぽく面の三段式担架と、床に担架で並べられているが、彼らを飛行看護婦が世話をしている。後方のベンチには、腕を負傷した兵士が座っている。
Description
English: Navy Flight Nurse Jane Kendiegh, trip from Iwo Jima, March 1945 .
Date 1945
Source US Department of the Navy, Bureau of Medicine and Surgery.
Author US Navy
.
写真はWikimedia Commons, Category:Jane Kendeigh・File:Jane Kendeigh USN Flight Nurse 1945 a.jpg 引用。
写真(右)1945年3月、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機のキャビンで、硫黄島から海軍将兵・海兵隊員の空輸救護に当たる海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh ):キャビンは、貨物輸送型なので、座席は折り畳み式ベンチが並んでいる。傷病兵は、胴体側面の三段式担架と、床に担架で並べられているが、彼らを飛行看護婦が世話をしている。後方のベンチには、腕を負傷した兵士が座っている。
Description
English: Navy Flight Nurse Jane Kendiegh, trip from Iwo Jima, March 1945 .
Date 1945
Source US Department of the Navy, Bureau of Medicine and Surgery.
Author US Navy
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写真はWikimedia Commons, Category:Jane Kendeigh・File:Jane Kendeigh USN Flight Nurse 1945 c.jpg引用。
写真(右)1945年3月、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機のキャビンで、硫黄島から海軍将兵・海兵隊員の空輸救護に当たる海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh )が休息している。:
Description English: Navy Flight Nurse Jane Kendiegh, trip from Iwo Jima, March 1945 .
Date 1945
Source US Department of the Navy, Bureau of Medicine and Surgery.
Author US Navy
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写真はWikimedia Commons, Category:Jane Kendeigh・File:Jane Kendeigh USN Flight Nurse 1945 c.jpg引用。
1945年にアメリカ海軍航空隊は、太平洋戦域で海軍・海兵隊の傷病兵の救護空輸にダグラスR5D スカイマスター(Skymaster)輸送機を使用した。この機体のキャビンキャビンは、ソファー式座席の旅客型ではなく、折りたたみ式ベンチの並んだ貨物型輸送機であり、傷病兵用の担架を胴体側面に三段に並べることができた。傷病兵は、この胴体側面三段式担架、床の担架に収容され、空輸されることになる。軽傷の場合は、担架ではなく、折り畳み式ベンチで移動したこともあったようだ。
空輸中の看護業務には、飛行看護師も参加した。初めて、硫黄島と沖縄で飛行看護に活躍した女性看護師が、ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh )である。22歳の彼女は、硫黄島・沖縄と戦闘地域で活躍した初めての女性飛行看護婦だったので、ダグラスR5D スカイマスター(Skymaster)輸送機で任務に赴いたとき、メディアで喧伝された。
写真(右)1945年3月、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機のキャビンで、硫黄島から海軍将兵・海兵隊員の空輸救護に当たる海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh )が休息している。:キャビンは、貨物輸送型なので、座席は折り畳み式ベンチが並んでいる。傷病兵は、胴体側面の三段式担架と、床に担架で並べられているが、彼らを飛行看護婦が世話をしている。後方のベンチには、腕を負傷した兵士が座っている。
Description
English: Navy Flight Nurse Jane Kendiegh, trip from Iwo Jima, March 1945 .
Date 1945
Source US Department of the Navy, Bureau of Medicine and Surgery.
Author US Navy
.
写真はWikimedia Commons, Category:Jane Kendeigh・File:Jane Kendeigh USN Flight Nurse 1945 c.jpg引用。
写真(右)1945年4月、沖縄、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機の主翼上の海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh ):主翼の上でポーズをとった飛行看護婦ジェーン・キャディー・ケンデイの後方には、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2000-3ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジンのナセル上部が見える。海軍女子補助部隊WAVESの中にも看護部隊があった。
Title:Navy Flight Nurse Jane -Candy- Kendeigh.
Caption:Photographed on the wing of a Naval air transport service evacuation aircraft, on Okinawa, April 1945. Plane appears to be an R5D. According to original caption, she was the first flight nurse to land on both Iwo Jima and Okinawa.
Description:
Catalog #:80-G-K-5277
Copyright Owner:NARA.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-5277 Navy Flight Nurse Jane -Candy- Kendeigh 引用。
アメリカ海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane Candy Kendeigh )は、オハイオ州ヘンリエッタタウン(Henrietta Township)出身の22歳の女性で1945年3月には、ダグラス(Douglas)R5D-5 スカイマスター(Skymaster)四発患者輸送機に乗って、硫黄島に赴いている。任務は、ダグラスR5D スカイマスター(Skymaster)輸送機による硫黄島からの傷病兵の空輸で、これから15日間で、彼女は海軍将兵・海兵隊員2,393名の空輸に付き添った。女性が戦場にいることについて、彼女は「ほかの土地と同じこと、みんな口笛を吹いていたわ」 ‘The same as other places, they whistled.’”と答えた。彼女はその後、沖縄からの傷病への救援空輸の任務にも就いている。
写真(右):1945年4月17日、沖縄本島中部、読谷飛行場(日本陸軍の沖縄北飛行場)アメリカ軍が鹵獲したばかりの日本海軍の特攻兵器・横須賀空技廠人間爆弾「桜花」(移動用台車に乗せられている):飛行場には、手前にあるような小さな木箱が多数残されているが、これは桜花部隊用に部品や信管などを梱包して本土から沖縄に海路送られた様だ。「桜花」機首の桜花マークは、「桜花」特攻のオリジナルである。その後、アメリカ軍は「桜花」の個別機体に「I-18」のように異なったの登録記号を記入した。奥には、日本軍の梱包木箱が積まれている。
【原文】 Okinawa, Ryukyu Retto - 3/4 right front elevation of a Jap Baka plane. The insignia that appears on the nose of the ship is that of the Cherry Blossom Unit of the Kamikaze or suicide squadron.
【和訳】 斜め右前から見た日本軍特攻機。機首のマークは神風特攻隊または自爆中隊「桜花」を表す。沖縄。
撮影日: 1945年 資料コード: 0000112235 アルバム名: アルバム名: 米空軍コレクション 第二次大戦シリーズ 02
写真は, 沖縄県公文書館 写真番号:14-16-4引用。
沖縄戦のころの特攻隊は,中古戦闘機,練習機,水上偵察機など旧式な航空機の寄せ集め部隊が多く,搭乗員も実戦経験のない未熟練新米パイロットが大半であった。戦闘機隊343空司令源田実大佐は,特攻隊,特に有人爆弾「桜花」(Yokosuka MXY7 Ohka)の開発・部隊編成に関与したにもかかわらず,戦後は特攻について語らなかった。特攻隊とは雲泥の差がある最新戦闘機「紫電改」装備のエリート部隊343空を率いてたことを誇りにしていた。
写真(右):1945年4月17日、沖縄本島中部、読谷飛行場(日本陸軍の沖縄北飛行場)アメリカ軍が鹵獲したばかりの日本海軍の特攻兵器・横須賀空技廠人間爆弾「桜花」(移動用台車に乗せられている):飛行場には、手前にあるような小さな木箱が多数残されているが、これは桜花部隊用に部品や信管などを梱包して本土から沖縄に海路送られた様だ。「桜花」機首の桜花マークは、「桜花」特攻のオリジナルである。その後、アメリカ軍は「桜花」の個別機体に「I-18」のように異なったの登録記号を記入した。奥には、日本軍の梱包木箱が積まれている。
【原文】 Okinawa, Ryukyu Retto - 3/4 left front elevation of a Jap Baka plane. The insignia that appears on the nose of the ship is that of the Cherry Blossom Unit of the Kamikaze or suicide squadron.
【和訳】 斜め左前から見た日本軍特攻機。機首のマークは神風特攻隊または自爆中隊「桜花」を表す。沖縄。
撮影日: 1945年 資料コード: 0000112235 アルバム名: アルバム名: 米空軍コレクション 第二次大戦シリーズ 02
写真は, 沖縄県公文書館 写真番号:14-17-1引用。
横須賀空技廠人間爆弾「桜花」は、1944年8月に、日本海軍航空本部が試作要求をし、1944年11月20日に投下試験が成功、1945年3月21日、神雷部隊として初の実戦投入がされたばかりである。桜花は、秘密兵器なはずだが、1945年4月1日、沖縄本島に上陸したアメリカ軍に、読谷飛行場であっさりと無傷で鹵獲されてしまった。これは、日本軍の組織管理能力の低さを物語っている。1945年の敗戦は、アメリカの物量に負けたというのは方便で、実際の敗因は、日本軍のもつ根本的な欠陥にあったようだ。
写真(右):1945年4月17日、沖縄本島中部、読谷飛行場(日本陸軍の沖縄北飛行場)アメリカ海兵隊と陸軍の兵士が無傷で鹵獲した日本海軍の特攻兵器・横須賀空技廠人間爆弾「桜花」を検分している。:桜のマークは、「桜花」特攻のオリジナルであるが、その前の「I-18」はアメリカ軍が記入した「桜花」の個別機体の登録記号であり、日本軍の記入したものではない。
【原文】 A Jap suicide plane captured shortly after Marines and soldiers landed on Okinawa attracts attention on Yontan airfield. Leathernecks and soldiers look it over. Several of the planes were found on the island in original crates straight from the factory in Japan, and were rushed to the U.S. for examination by technical experts.
【和訳】 海兵隊と陸軍兵が沖縄に上陸した直後に鹵獲(ろかく)された日本軍特攻機。読谷飛行場で注目を浴びている。それを調べる海兵隊員と陸軍兵。特攻機のうち数機は、日本本土の工場から出荷された箱に入ったままの状態で発見され、技術者による解析のため急ぎ米国へ送られた。
撮影日: 1945年 4月17日
資料コード: 0000112287 アルバム名: 米海兵隊写真資料44
写真は, 沖縄県公文書館 写真番号: 94-37-1 引用。
1945年3月21日の桜花の実戦投入初日、第一回神雷桜花特別攻撃隊が、海軍一式陸攻18機(桜花搭載機15機)、護衛戦闘機50機が、沖縄方面のアメリカ海軍空母任務部隊への攻撃に向かった。しかし、援護のゼロ戦は故障その他で半数の30機に激減し、アメリカ戦闘機の迎撃を受けて、一式陸攻・桜花は全機撃墜され、護衛のゼロ戦も1機撃墜されたものの、戦果は全く上がらなかった。
写真(右):1945年4月17日、沖縄本島中部、読谷飛行場(日本陸軍の沖縄北飛行場)アメリカ海兵隊と陸軍の兵士が無傷で鹵獲した日本海軍の特攻兵器・横須賀空技廠人間爆弾「桜花」:桜花は、木製の固定台に置かれているが、これは移動用滑車はついていない。桜のマークは、「桜花」特攻のオリジナルであるが、その前の「I-18」はアメリカ軍が記入した「桜花」の個別機体の登録記号であり、日本軍の記入したものではない。 奥には、アメリカ軍の天幕があり、敷設された通信用のケーブルが、架線されている。
【原文】 Buzz bomb, Yontan.
【和訳】 バズ爆弾。読谷にて。
撮影日: 1945年備考: sucideをsuicideに訂正。
資料コード: 0000112287
アルバム名: 米海兵隊写真資料44
写真は, 沖縄県公文書館 写真番号: 94-38-1 引用。
日本海軍の人間爆弾「桜花」の大規模攻撃は、第1回神雷部隊の時だけで、以後第9回までの8回にわたる桜花特攻攻撃は、3機から8機という小規模な隠密攻撃だけが実施されたが、戦果はほとんどなく、被害は多かった。
4月1日 第2回神雷桜花特別攻撃隊は一式陸攻6機(桜花6機)、4月12日 第3回神雷部隊は一式陸攻8機(桜花8機)で、桜花唯一の軍艦(アメリカ海軍駆逐艦「マンナート・L・アブル」)撃沈の戦果を挙げた。4月14日 第4回神雷部隊は一式陸攻7機(桜花7機)、4月16日 第5回神雷部隊は、一式陸攻6機(桜花6機)、4月28日 第6回神雷部隊は、一式陸攻4機(桜花4機)、5月4日、第7回神雷部隊は一式陸攻7機(桜花7機)、5月11日 第8回神雷部隊は一式陸攻4機(桜花4機)、5月25日 第9回神雷部隊は一式陸攻3機(桜花3機)である。
写真(右):1945年4月17日、沖縄本島中部、読谷飛行場(日本陸軍の沖縄北飛行場)アメリカ軍が鹵獲した日本海軍の特攻兵器・人間爆弾「桜花」と後方に駐機する無塗装銀色のダグラスR5D(C-54)四発輸送機:アメリカ海兵隊と陸軍の兵士が無傷で鹵獲した日本海軍の特攻兵器・横須賀空技廠人間爆弾「桜花」を検分している。傷病兵の患者輸送に四発発新鋭輸送機を投入し、女性飛行看護師も要請していたアメリカ軍から見れば、有人爆弾による自己犠牲的特攻は、人間性を無視した所業と軽蔑され、かつ恐れられた。
後方には、天幕が張られている。
【原文】 A Jap suicide plane captured shortly after Marines and soldiers landed on Okinawa attracts attention on Yontan airfield. Leathernecks and soldiers look it over.
【和訳】 海兵隊と陸軍兵が沖縄に上陸した直後に鹵獲(ろかく)された日本軍特攻機。読谷飛行場で注目を浴びている。それを調べる海兵隊員と陸軍兵。
撮影日: 1945年 4月17日
資料コード: 0000112287 アルバム名: 米海兵隊写真資料44
写真は, 沖縄県公文書館 写真番号: 94-40-4引用。
日本海軍は,特攻隊は前線部隊の自己犠牲的攻撃精神の発露であるとかたったが、実際は、1944年3月に,人間爆弾「桜花」,人間魚雷「回天」,特攻艇「震洋」の開発を決定し,特攻必至兵器の試作を命じている。1944年6月、日本陸軍も突撃艇「マルレ」の設計を開始した。これらの特攻兵器は,1944年10月20日の神風特攻隊(航空機による体当たり自爆攻撃)よりも,半年も前に計画されていたのであり、日本軍の最高統帥部(海軍軍令部・陸軍参謀本部・大本営)が深く関与していた。
日本の特攻と自爆テロと関連性について、日本人の視点からは、戦争中の自己犠牲的英雄行為は自爆テロとは異なると判断できるが、特攻攻撃を受けたアメリカ側の見方は、人間性を無視した愚かで恐ろしい行為とみなされている場合が多い。自爆攻撃・自爆テロを受けた被害者は、実行者を実行犯と、命がけの戦士・英雄を非人道的な敵と判断する。攻撃対象が、戦闘員か、輸送船か、大使館か、盛り場かといった区別より、「命」人命を標的にした攻撃事態に同情できない。「大切な人の命を守る」自己犠牲であったとしても、自らの命を軽んじ、敵人を怪物・野獣・非人として、その命を軽んじる攻撃は、テロであり、肯定的評価できないのである。
写真(右)1945年5月20日、沖縄本島、読谷飛行場(Yontan Airfield)、アメリカ海兵隊・アメリカ海軍将兵を後方の病院まで運搬するアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機に勤務する女性海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)オーバーストリート(Madge Overstreet)中尉は、パラシュートの紐や機内のレバーなどが掛からないように、ボタンや繋ぎなどがないオーバーオールの飛行服を着用している。:沖縄住民が被るクバの葉で作ったクバ笠と彩色された器・椀を戦利品としたオーバーストリート中尉は、ほかの男性看護兵が、鉄帽・ヘルメットを被っている中で、彼女たちはファッションを重視したのか、飛行機内勤務であるからか、帽子を認められている。後方には、土砂で盛土したコンクリート製の飛行機掩体壕が見えるが、これは日本軍が構築したもの。アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)が患者輸送機として使用された。キャビンは、貨物輸送型だが、傷病兵は、三段式担架と、床に担架で並べられて、飛行看護婦が世話にあたる。
写真解説: 【原文】 US Army nurses arrive at Okinawa. The girls, waiting here for transportation after arriving at the Yonton airstrip, will be assigned to US hospitals on the Okinawa beachhead.
【和訳】 沖縄に着任した陸軍看護兵。読谷飛行場に到着し、搬送を待っている。彼女たちは海岸堡におかれた各病院に配属される予定である。
撮影日: 1945年 5月20日
備考: hereforをhere forに訂正。 Yontan。
資料コード: 0000112298
資料では、陸軍看護婦(U.S. Army nurse)というが、服装、海兵隊員との写っていること、5月という日本軍が頑強に抵抗している段階で飛行場にのみ展開していること、から判断して女性海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)と思われる。
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号:100-21-3 引用。
写真(右)1945年5月頃、沖縄本島、読谷飛行場、アメリカ海軍飛行看護士(Navy Flight Nurse)と女性隊員たち:担架で運ばれたアメリカ海兵隊・アメリカ海軍将兵をアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)に搬入する、女性隊員の周囲にいる看護部隊、飛行看護師あるいは衛生兵は鉄帽・ヘルメットを被っているが、彼女たちはファッションを重視したのか、飛行機内勤務であるからか、帽子である。アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)が患者輸送機として使用された。キャビンは、貨物輸送型だが、傷病兵は、三段式担架と、床に担架で並べられて、飛行看護婦が世話にあたる。
Signal Corps Archive
At the Jap Yontan airfield on Okinawa, wounded Marines and soldiers are loaded into a hospital transport plane for evacuation to rear base hospitals
資料では、陸軍看護婦(U.S. Army nurse)というが、服装、海兵隊員との写っていること、5月という日本軍が頑強に抵抗している段階で飛行場にのみ展開していること、から判断して女性海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)と思われる。
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号: 100-21-4引用。
写真(右)1945年5月20日、沖縄本島、読谷飛行場(Yontan Airfield)、アメリカ海兵隊・アメリカ海軍将兵を後方の病院まで運搬するアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機に勤務する女性海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)は、レインコートを羽織っている。:パラシュートの紐や機内のレバーなどが掛からないように、ボタンや繋ぎなどがないオーバーオールの飛行服を着用している。女性看護婦の中には、ヘルメットを被っている隊員もいる。
【原文】 OKINAWAN SCENE--U.S. Army nurses, arriving for duty at the Yonton airstrip on Okinawa, gather around Marine Private First Class Johnnie Gallagher, son of Mr. Edward M. Gallagher, Sr., 21 Oak Square Avenue, Brighton, Massachusetts, who shows them a captured Japanese sword.
【和訳】 沖縄での光景--任務のため読谷飛行場に到着した陸軍看護兵が海兵隊のギャラガー1等兵(マサチューセッツ州出身)をとり囲む。彼は、戦利品である日本刀を見せている。
撮影日: 1945年 5月20日
備考: Yontan。
資料コード: 0000112298.
資料では、陸軍看護婦(U.S. Army nurse)というが、服装、海兵隊員との写っていること、5月という日本軍が頑強に抵抗している段階で飛行場にのみ展開していること、から判断して女性海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)と思われる。
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号: 100-19-4引用。
写真(右)1945年4月、太平洋、マリアナ諸島グアム島、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機(登録コード:39174)を背景にした6名のアメリカ海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)のリディア・マセリーナ(Lydia Masserine)中尉,ステラ・メイカー(Stella Makar)中尉,ドロシー・ウッズ(Dorothy Wood)中尉,ホープ・トーン(Hope Toone)中尉,メイ・ハンソン(Mae Hanson)中尉、ウィニフレッド・ジェニングス(Winnifred Jennings)中尉:飛行看護婦は、みな空中勤務者用のフライトジャンプスーツ(つなぎオールインワン)を着用している。
U .S. Navy Flight Nurses
Caption:Walk away from a NATS DOUGLAS R5D evacuation transport aircraft, on a Pacific Airfield, circa spring 1945. They are -Left-right- Lt. JG Lydia Masserine, Lt. Stella Makar, Lt. JG Dorothy Wood, Lt. JG Hope Toone, Lt. JG Mae Hanson Ens. Winnifred Jennings all are wearing flight jump suits.
Description:
Catalog #:80-G-K-5446
Copyright Owner:NARA
.
写真は, Naval History and Heritage Command・80-G-K-5446 U .S. Navy Flight Nurses 引用。
写真(右)1945年4月、太平洋、マリアナ諸島グアム島、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機(登録コード:39174)を背景にしたアメリカ海軍飛行看護婦の(Navy Flight Nurse)のリディア・マセリーナ(Lydia Masserine)中尉,ステラ・メイカー(Stella Makar)中尉,ドロシー・ウッズ(Dorothy Wood)中尉,ホープ・トーン(Hope Toone)中尉,メイ・ハンソン(Mae Hanson)中尉、ウィニフレッド・ジェニングス(Winnifred Jennings)中尉:6名の飛行看護婦は、空中勤務者用のフライトジャンプスーツ(つなぎオールインワン)を着用している。
War History Online
A group of US Navy flight nurses walking away from a Douglas R5D Skymaster aircraft, Guam, Marianas, April 1945..
写真は, War History Online・80-G-K-5446 U .S. Navy Flight Nurses 引用。
5. アメリカ軍は、1945年1月にフィリピン群島ルソン島、4月に沖縄本島に上陸し、日本本土進攻を目指した。沖縄のアメリカ軍は、読谷、嘉手納、那覇、伊江島、金武などに航空基地を拡張整備し、に、B-32新鋭重爆撃機、リパブリックP-47Nサンダーボルト戦闘機、ノースロップP-61夜間戦闘機、グラマンF7F夜間戦闘機、C-54スカイマスター輸送機など最新鋭機を実戦配備して、日本本土、九州攻略の準備を進めていた。
写真(上):1945年5月、フィリピン、ルソン島クラーク・フィールド基地(?)、コンソリデーデット・B-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機:ボーイングB-29爆撃機と同時期に試作されたが、与圧室を装備していないので、B-24爆撃機の性能向上型といえ、1945年5月にフィrピン方面に少数配備された。
Consolidated Dominator B-32 Bomber arrives on Philippines in May 1945
This aircraft is misidentified in the collection as a C-54 Skymaster.
写真は, George Lane www.fold3.com引用。
写真(上):1945年5月、フィリピン、ルソン島クラーク・フィールド基地(Clark Field )、コンソリデーデット・B-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機:フィリピンへのボーイングB-29の配備が拒否された第5空軍ジョージ・ケニー司令官が、旧式化していたB-24爆撃機の後継機として、B-32爆撃機の配備を要請した。
Front view of Consolidated Dominator B-32 bomber at Clark Field, Philippines - 1945
Source of Photograph: University of Pittsburgh; Harold Corsini Photographs. [original can be downloaded from the Library System of the Univ. of Pittsburgh; however, Corsini family holds the copy right. Use of the image requires written permission.]
.]
写真は, George Lane引用。
写真(右):1945年5月、フィリピン、ルソン島クラーク・フィールド基地(Clark Field )、コンソリデーデット・B-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機の機首動力銃座の12.7ミリ連装機関銃:1942年9月7日初飛行のB-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機が、運用開始されたのは1945年に入ってからで、フィリピンへのボーイングB-29の配備が拒否された第5空軍ジョージ・ケニー司令官が、旧式化していたB-24爆撃機の後継機として、B-32爆撃機の配備を要請した。アメリカ統合参謀本部も、実地テストと日本軍への威嚇・情報攪乱の目的で、少数の機体をフィリピンに派遣したと思われる。
Consolidated B-32 Dominator at Clark Field, Philippines May 1945
One of three B-32s shipped to Clark Field in May, 1945
Source of Photograph: University of Pittsburgh; Harold Corsini Photographs. [original can be downloaded from the Library System of the Univ. of Pittsburgh; however, Corsini family holds the copy right. Use of the image requires written permission.]
写真は, George Lane引用。
1942年9月7日初飛行のB-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機が、運用開始されたのは1945年5月に入ってからで、フィリピンへ送られた。これは、ボーイングB-29の配備がマリアナ諸島に優先され、フィリピン方面への配備を拒否された第5空軍ジョージ・ケニー司令官が、旧式化していたB-24爆撃機の後継機として、B-32爆撃機の配備を要請した。アメリカ統合参謀本部も、実地テストと日本軍への威嚇・情報攪乱の目的で、少数の機体をフィリピンに派遣したと思われる。総生産機数は118機のみ。
写真(上):1945年8月29日、沖縄本島嘉手納飛行場、アメリカ軍第187降下部隊C-54D スカイマスター(Skymaster)輸送機:このC-54D は、日本本土への物資の空輸を担っていた。10年後、ニュージーランドのクライストチャーチから南極マクマード(McMurdo)基地氷河飛行場までの飛行をすることになる。
Douglas C-54 at Kadena Field preparing to transfer 187th Para-glider troops to Japan Aug. 29, 1945 NARA A
This Douglas C-54D transport plane was used to ferry USA Occupation Forces and equipment to mainland Japan. Ten years later she was the first freighter to make regular flights from Christchurch NZ to the McMurdo Ice Runway on Antarctica. In 1958 the VX-6 Deep Freeze Squadron was formed and this aircraft O-272569 was one of two Skymasters allocated.
写真は, George Lane www.fold3.com引用。
アメリカ軍の嘉手納基地は、1944年9月完成の旧日本陸軍の中飛行場を拡張した飛行場で、1945年6月には、全長2,200mの舗装滑走路が完成している。
写真(上):1945年8月12日、沖縄嘉手納基地で大型トロリーにより燃料給油を受けるコンソリデーデット・B-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機:フィリピン、ルソン島クラーク・フィールド基地(Clark Field )から沖縄に進出した機体。もはや、フィリピンでは日本軍が無力化されており、最新鋭の四発重爆撃機は不要だった。
Consolidated Dominator B-32 Bomber being refueled on Okinawa Aug 12, 1945 NARA
Source: USAF WW-II photos from NARA and available from www.fold3.com
.]
写真は, George Lane引用。
B-32は1942年9月7日初飛行で、1945年8月に沖縄から日本上空に侵入したようだが、対日戦に投入されたのは、1945年5月にフィリピンに対してで、ここでは日本軍はすでに排除されていて役に立つ場面はなかった、日本本土空襲をしようと思えば、マリアナ諸島にはすでにB-29爆撃機が大量配備されており、沖縄から九州方面を攻撃するしかなかった。フィリピン・沖縄方面の第5空軍ジョージ・ケニー司令官は、ボーイングB-29の配備を拒否されており、かわりにB-24爆撃機の後継機B-32ドミネーター(Dominator)爆撃機を配備されていたのである。しかし、このB-32爆撃機は、僅か118機の生産で終わっており、実績を残すことはできなかった。
写真(右):1945年8月12日、沖縄読谷飛行場、タキキングするコンソリデーデット・B-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機:1945年11月の日本の九州上陸「オリンピック作戦」のために、沖縄方面には十分な航空兵力が配備されていた。
Consolidated B-32 taxiing at Yontan Airfield, Okinawa Aug. 25, 1945 NARA
The Consolidated B-32 Dominator (Consolidated Model 34) was a heavy bomber made for United States Army Air Forces during World War II.
Source: USAF WW-II photos from NARA and available from www.fold3.com
写真は, George Lane引用。
アメリカなど西側連合軍は、占領した沖縄を足場にして、1945年11月には、日本本土九州へ上陸する「オリンピック作戦」を準備していた。これは、九州南部の志布志湾や吹上浜への上陸作戦である。このために、事前に沖縄方面に嘉手納、読谷、伊江島と大規模な航空基地を整備し、十分な攻撃用航空兵力を配備している。
写真(右):1945年5月、フィリピン、ルソン島クラーク・フィールド基地(Clark Field )、コンソリデーデット・B-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機:1942年9月7日初飛行のB-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機が、運用開始されたのは1945年に入ってからで、フィリピンへのボーイングB-29の配備が拒否された第5空軍ジョージ・ケニー司令官が、旧式化していたB-24爆撃機の後継機として、B-32爆撃機の配備を要請した。日本の防空戦闘機部隊の中には、B-32爆撃機を目撃したとの報告も上がっていたが、B-32爆撃機が日本本土空襲をしたことは一度もなかった。。
Nose turret on Consolidated B-32 Dominator Bomber - 1945Source of Photograph: University of Pittsburgh; Harold Corsini Photographs. [original can be downloaded from the Library System of the Univ. of Pittsburgh.]
写真は, George Lane引用。
対する日本軍は、「決号作戦」と称して、日本各地に方面軍を設け、万が一、東京あるいは松代の新大本営と連絡が取れなくなっても、独自に徹底抗戦をする体制を作り、特攻を中核として軍民一体の戦闘をする「一億玉砕」を決めていた。連合軍は、九州制圧後、関東平野に上陸する「コロネット作戦」を進めていた。
しかし、西側連合軍よりも早く、1945年8月9日未明、ソビエト連邦が対日参戦し、中国東北地方の満州、南樺太、千島列島への攻撃を仕掛けてきた。対米戦の準備に大わらわであった日本軍は、対ソ戦用の兵力を整えておらず、敗戦は必至だった。
写真(上):1945年7月10日、沖縄本島読谷飛行場、グアム島から飛来したと思われるダグラスDC-4軍用仕様C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:グアム島から沖縄本島迄、飛行時間は6時間かかる。遠方、滑走路の向こう側には、ダグラスDC-3双発輸送機の軍用仕様C-47ダコタ輸送機が駐機している。
C-54 Douglas Skymaster landing at Yontan Airfield July 10, 1945 NARA
写真は, George Lane www.fold3.com引用。
マサチューセッツ工科大学出身でマーチン社の技師だったドナルド・ダグラス(Donald W. Douglas)は、1920年に退社してカリフォルニア州サンタモニカに1921年7月にダグラス・エアクラフト社(Douglas Aircraft Company)を設立した。そして、カリフオルニア州サンタモニカ(Santa Monica)のクローバーフィールドへ大規模な飛行機工場を設置し、1933年に双発のダグラスDC-1輸送機、1934年に双発のダグラスDC-2輸送機を開発し、大型機製造の一流飛行機メーカーとなり、1936年にはベストセラーとなるダグラスDC-3輸送機を生み出している。
ダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の発動機はプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)が製造したプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)
R-2000(32.84 L)ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン1,290hp4基である。カリフォルニア州サンタモニカとシカゴ工場では、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)社から送られた発動機完成品を、C-54輸送機の主翼に据え付ける作業を行う。
第二次大戦中に大量の軍需を背景に成長したダグラス(マクドネル・ダグラス)だったが、1997年には、ボーイング社に吸収され、「ダグラス」の名称は消えている。
写真(上):1945年8月頃 アメリカが占領している伊江島に駐屯しているアメリカ陸軍航空隊第318戦闘航空団(Fighter Group)第19戦闘飛行中隊(Fighter Squadron)所属のリパブリックP-47Nサンダーボルト戦闘機:後方には、海抜172メートルの城山(伊江島タッチュー)が聳えている。1945年8月19日,大本営参謀次長河辺虎四郎中将率いる日本降伏使節団16名は、ダグラス54スカイマスター輸送機に乗り換えて、ルソン島マニラ郊外ニコルス飛行場に向かった。日本降伏使節団が伊江島に帰還したら、再び東京に一式陸攻を操縦して帰ることになる。
P-47N of the 19th Ftr Sq, 318th FG taxies out for another mission from Ie Shima. 1945 NARA
A ground crewman rides the wing of a Republic P-47 Thunderbolt as it taxis, to direct the pilot.
写真は、George Lane引用。
写真(右):1945年7-8月頃(?)、沖縄本島中北部沖、伊江島飛行場の舗装誘導路、アメリカ陸軍航空隊(USAAF)第318戦闘航空団(Fighter Group)第19戦闘飛行中隊(Fighter Squadron)所属のリパブリックP-47Nサンダーボルト戦闘機の戦列:日本本土を空襲できるように、主翼下面に大型の増加燃料タンクを搭載している。日本にによる空襲の危険がないので、掩体壕はなく、機体も銀色・無塗装のままである。
P-47s at airstrip on Ie Shima 1945 - A
Source: USAF WW-II photos from NARA and available from www.fold3.com
写真は, George Lane www.fold3.com引用。
アメリカのダグラス・エアクラフト社(Douglas Aircraft Company)は、カリフオルニア州サンタモニカ(Santa Monica)飛行機工場を拠点にして、輸送機開発で名を挙げたが、アメリカ海軍航空隊では1935年のTBD デヴァステイター艦上雷撃機、1938年のSBD ドーントレス艦上爆撃機、アメリカ陸軍航空隊では1938年のA-20 ハヴォック(ボストン)攻撃機、1942年攻撃機A-26インベーダー攻撃機など多種類の航空機を開発・製造してきた大企業である。
写真(右):1945年7-8月頃(?)、沖縄本島中北部沖、伊江島飛行場、アメリカ陸軍航空隊(USAAF)第318戦闘航空団(Fighter Group)第19戦闘飛行中隊(Fighter Squadron)所属のリパブリックP-47Nサンダーボルト戦闘機による編隊低空飛行と警戒するハーフトラック:1945年5月24日、アメリカの嘉手納基地と読谷基地を襲撃した義烈空挺隊のような日本軍の降下部隊の侵入を警戒して、ハーフトラックに対空機関銃を搭載している。義烈空挺隊は、アメリカ海軍R5D四発輸送機(C-54海軍仕様)などを地上で破壊している。
P-47's of the 318th buzzing their airfield flying low over an Anti-Paratroop Half Track 1945 NARA
Source: USAF WW-II photos from NARA and available from www.fold3.com
写真は, George Lane www.fold3.com引用。
写真(右):1945年8月20日頃、沖縄、アメリカ陸軍航空隊のノースロップ(Northrop)P-61ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機機:機首のドームには、空対空レーダーを装備。第71戦術偵察部隊の隊員の撮影になる。1942年5月26日初飛行のP-61ブラックウィドウは、1944年以降、実戦配備され、1945年には沖縄に投入された。
Title: Charles M. Daniels Collection Photo
Title: Charles M. Daniels Collection Photo
Aircraft/Subject: Northrop P-61 Black Widow
Daniels Album Name: 71st Tactical Reconnaisance Group Reunion, 10/1990 Houston, TX
Notes From Album: Northrop P-61s on Okinawa, 1945
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000038引用。
アメリカ陸軍航空隊ノースロップP-61Bブラックウィドウ夜間戦闘機の諸元
全長:15.12m、
全高:4.34m、
全幅:20.12m
翼面積:61.53平方メートル
自重:9,979kg、全備重量:12,610kg
発動機:P&W R-2800-65 空冷星型18気筒 2,250hp ×2
最高速力:589 km/h
航続距離:4,828km
実用上昇限度:10,090m
乗員:3名
武装: 12.7mm機関銃4連装動力銃座、胴体下面20ミリ機関銃4丁
写真(右):1945年8月20日頃、沖縄、アメリカ陸軍航空隊のノースロップ(Northrop)P-61ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機機:機首のドームには、空対空レーダーを装備。第71戦術偵察部隊の隊員の撮影になる。1942年5月26日初飛行のP-61ブラックウィドウは、1944年以降、実戦配備され、1945年には沖縄に投入された。
Title: Charles M. Daniels Collection Photo
Title: Charles M. Daniels Collection Photo
Aircraft/Subject: Northrop P-61 Black Widow
Daniels Album Name: 71st Tactical Reconnaisance Group Reunion, 10/1990 Houston, TX
Notes From Album: Northrop P-61s on Okinawa, 1945
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000039引用。
アメリカ海兵隊は、F4Uコルセア、F6Fヘルキャットなどを改修した単発夜間戦闘機はあったが、双発以上の本格的な夜間戦闘機がなかった。そこで、ノースロップP-61Bブラックウィドウの配備を要求したが、陸軍航空隊への配備が優先されたために、双発艦上機として試作されたF7Fを夜間戦闘機として改修して使用した。
写真(右):1945年8月20日頃、沖縄本島中部、国頭郡金武(キン)町、金武飛行場(Chimu Airfield)、アメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)に配備されたグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機:主翼下面は肩翼4発分のロケット弾懸架ラックが装備されている。機首のドームには、空対空レーダーを装備。
Title: Charles M. Daniels Collection Photo
Aircraft/Subject: Grumman F7F Tigercat
Daniels Album Name: 71st Tactical Reconnaisance Group Reunion, 10/1990 Houston, TX
Notes From Album: F7F Tigercats, Okinawa
br>写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000036引用。
グラマンF7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機は、アメリカ海軍が発注した正規空母用の艦上戦闘機が原型である。しかし、ロッキードP-38双発戦闘機と同じく、前輪式(首輪式)降着装置を装備した双発戦闘機である。1943年11月2日に初飛行したが、1946年までに360機が生産されただけで終わった。諸元は、発動機ライト(Wright)R-2800空冷星形18気筒エンジン2,100 hp2基装備で、乗員 2名、全長 13.83m、全幅15.70m、重量 21,720ポンド (9,852kg)、最高速力435mph (700km/h)/22,200ft、航続距離1,490マイル(2,398km)と飛行性能は高い。
写真(右):1945年8月23日頃、沖縄本島中部、国頭郡金武(キン)町、金武飛行場(Chimu Airfield)、アメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)に配備されたグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機:国頭郡金武(キン)町は、2020年現在でもアメリカ海兵隊基地キャンプ・ハンセン(Camp Hansen)が置かれている。
写真解説: 【原文】 On a Marine airstrip at Okinawa maintenance crews check up on the F7F, Grumman's new Tigercat fighterbomber. Fastest, most powerful, of Pacific nightfighters, the Tigercats are being flown on security patrol over the Ryukyus by Marine night fighter pilots.
【和訳】 グラマンF7Fタイガーキャット戦闘爆撃機を点検する整備チーム。太平洋地区夜間用戦闘機の中で最速にして最も威力があり、海兵隊夜間戦闘部隊が行う沖縄上空の安全パトロールにも使われる
撮影日: 1945年 8月23日
備考:
資料コード: 0000112245
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号: 73-14-1 引用。
第二次大戦末期の1945年8月に、沖縄本島中部、国頭郡金武(キン)町の金武飛行場(Chimu Airfield)に駐屯したアメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)に実戦配備された。高速夜戦で、夜間パトロール任務に出撃したものの、会敵し撃墜戦果を挙げたことはなかったようだ。しかし、初飛行が1942年5月26日、生産数700機のノースロップ(Northrop)ノースロップP-61ブラックウィドウ夜間戦闘機ほどでないにしても、より新しい実験的なB-32爆撃機、F7F夜間戦闘機を沖縄方面に実戦配備したアメリカ軍の実力には驚かされる。その技術力、経済力、組織力は、日本軍とは比較にならないほど高かった。
写真(右):1945年8月20日頃、沖縄本島中部、国頭郡金武(キン)町、金武飛行場(Chimu Airfield)、アメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)副飛行長ビービー少佐(ミネソタ州出身)のグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機への燃料給油作業:長距離進攻するために、大型増槽を主翼下面に懸架している。戦争で2回目のパトロールというが、すでに日本機の飛行は禁止されており、それを確認し、停戦に違反して攻撃を仕掛けてくる日本機を排除する任務を担っていたようだ。
写真解説: 【原文】 Executive officer of the new Tigercat squadron (VMF (n) 533) of Marine night fighters, Major John W. Beebe, 27, of 31 Lake Avenue, White Bear Lake, Minn., is on his second tour of Pacific duty. His plane, one of the hard-hitting new Tigercats (F7F) is shown being readied for night patrol.
【和訳】 夜間戦闘部隊の新生タイガーキャット飛行中隊(VMF(n)533)の副隊長、ビービー少佐(ミネソタ州出身)。彼は太平洋戦での2回目の遠征である。彼の強力な新生タイガーキャット(F7F)は、夜間パトロールの準備をしている【和訳】 グラマンF7Fタイガーキャット戦闘爆撃機を点検する整備チーム。太平洋地区夜間用戦闘機の中で最速にして最も威力があり、海兵隊夜間戦闘部隊が行う沖縄上空の安全パトロールにも使われる
撮影地: 金武滑走路
撮影日: 1945年 8月20日
資料コード: 0000112245
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号: 94-34-2 引用。
写真(右):1945年8月20日頃、沖縄本島上空(?)、アメリカ海兵隊のグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機:2機編隊のF7F双発戦闘機は、コミュニティの防風林・薪炭源の里山に囲まれた集落、畦道で囲まれた不等辺不当変な形状の農地田園が見える。第71戦術偵察部隊の隊員の撮影になる。
Charles M. Daniels Collection PhotoNotes From Album: F7F Tigercats, Okinawa
Title: Charles M. Daniels Collection Photo
Aircraft/Subject: Grumman F7F Tigercat
Daniels Album Name: 71st Tactical Reconnaisance Group Reunion, 10/1990 Houston, TX
Notes From Album: F7F Tigercats, Okinawa
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000037引用。
アメリカ海軍の要求に応えて、グラマン社は前輪式(首輪式)を採用した初めての双発艦上戦闘機としてF7Fを試作し、1943年11月に初飛行させた。小型の機体に、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800(排気量45.9L)ダブルワスプ(Double Wasp)空冷18気筒エンジン2基を搭載したが、この発動機はF4Uコルセア、P-47サンダーボルト、F6Fヘルキャットに装備されていた信頼性があり、量産されていたものである。機体は、斬新な設計だが、発動機は既存のタイプだったため、順調に開発が進み、第二次大戦末期とはいえ、ギリギリ実戦配備に間に合ったのである。1944年4月にアメリカ海兵隊に納入され、艦上機としてではなく、主に夜間戦闘機として使用することになった。複座として、後席にはレーダー操作員が登場し、機首にはレーダーを搭載し、機首の機銃は撤去されたが、それでも主翼に20ミリ機銃4丁を搭載していた。
6. 1945年第二次世界大戦に勝利で終えたアメリカ軍は、戦時中に大量生産し余剰となった軍用仕様のダグラス(Douglas)DC-4輸送機を民間にい払い下げたが、それでも使いやすく信頼性の高いC-54/R5D輸送機は、多数が軍に在籍して使用され続けた。
写真(右)1945-1946年、第二次大戦終了後、アメリカ西岸、アメリカ海軍ロイヤル・E・インガソル(Royal Eason Ingersoll)提督が乗機ダグラス(Douglas)R5D-3 スカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード:BUNO 56511)の前でスタッフと記念撮影した。:ロイヤル・イーソン・インガーソル提督(1883–1976) は、1942年1月1日から1944年後半まで、アメリカ大西洋艦隊司令官を務め、 1944年後半から1945年後半にかけて、アメリカ艦隊副司令官兼海軍作戦副部長を務めた。米国海軍の4つ星☆提督の記章が胴体に描かれている。
Title:Admiral Royal Eason Ingersoll
Caption:Admiral Ingersoll, Commander Western Sea Frontier, with the crew of his command aircraft, a Douglas R5D-3 (BUNO 56511), circa 1945-46. Those present are (left to right, as deciphered from the autographed photo): Aviation Machinist's Mate First Class G.H. French; Lieutenant Commander E.P. Drake, USNR; Lieutenant Junior Grade A.S.W. Ward, Jr. (?); Admiral Ingersoll; Lieutenant Junior Grade R.L. Schumaker, USNR (?), Ship's Cook First Class V.P. Gittinge; Seaman First Class V.R. Hester. One of those present did not sign the photo.
Description:Courtesy of Mrs. Arthur C. Nagle
Catalog #:NH 90999
Copyright Owner:Naval History and Heritage Command
写真はNaval History and Heritage Command・NH 90999 Admiral Royal Eason Ingersoll引用。
写真(右)1945-1946年、第二次大戦終了後、アメリカ西岸、アメリカ海軍ロイヤル・E・インガソル(Royal Eason Ingersoll)提督乗機のダグラス(Douglas)R5D-3 スカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード:BUNO 56511):ロイヤル・イーソン・インガーソル提督(1883–1976) は、1942年1月1日から1944年後半まで、アメリカ大西洋艦隊司令官を務め、 1944年後半から1945年後半にかけて、アメリカ艦隊副司令官兼海軍作戦副部長を務めた。米国海軍の4つ星☆提督の記章が胴体に描かれている。
Title:Douglas R5D-3
Caption:Flag aircraft (BUNO 56511) of Admiral Royal Eason Ingersoll, Commander Western Sea Frontier, circa 1945-46. Note four-star flag under the cockpit.
Description:Courtesy of Mrs. Arthur C. Nagle
Catalog #:NH 91003
Copyright Owner:Naval History and Heritage Command .
写真はNaval History and Heritage Command・NH 91003 Douglas R5D-3 引用。
写真(右)1946年2月、第二次大戦終了後、アメリカ西岸、ワシントン州マウント・レーニエ(Mount Rainier)上空を飛翔するアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機:スターアンドバーの国籍マークは、1943年後半から採用されたもの。
Douglas R5D Transport
Caption:In flight over Mount Rainier Washington, during World War II.
Description:From US Naval Institute Proceedings, February 1946
Catalog #:NH 44275
Copyright Owner:Naval History and Heritage Command
Original Creator:
After this Year:1940
Before this Year:1949.
写真はNaval History and Heritage Command・NH 44275 Douglas R5D Transport 引用。
写真(右)1946年12月、第二次大戦終了後、アメリカ西岸、カリフォルニア州サンフランシスコ、ゴーデンゲートブリッジ(Golden Gate Bridge)上空を飛翔するアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機:スターアンドバーの国籍マークは、1943年後半から採用されたもの。
Title:R5D "Skymaster"
Caption:Aircraft in flight over Golden Gate Bridge, San Francisco, California. Photo received December 1946.
Description:
Catalog #:80-G-396677
Copyright Owner:National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-396677 R5D "Skymaster"引用。
写真(右)1947年後半以降、海岸上空を飛翔するアメリカ海軍輸送サービス部隊のダグラス(Douglas)R5D-3 (C-54Q)スカイマスター(Skymaster)輸送機:垂直尾翼の前縁、機首操縦席の前方は、日光の反射除けのために塗装されているが、そのほかは無塗装の銀色の機体が輝いている。アメリカ軍の国籍マークは、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BARなので、1947年後半以降の撮影と判断できる。
Douglas : R5D-3 (C-54Q) : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-3 (C-54Q)
Official Nickname: Skymaster
写真はSan Diego Air & Space Museum ・Catalog #: 00031904引用。
写真(右)1947年後半以降、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5D-3 (C-54Q)スカイマスター(Skymaster)輸送機と両脇のマーティン(Martin)PBM マリナー(Mariner)双発飛行艇:アメリカ海軍PBM マリナー飛行艇は、1937年にXPBM-1としてマーティン社に発注され、1939年2月18日に試作1号機が初飛行、1940年に量産が開始された。ライト(Wright) R-2600 サイクロン(Cyclone)空冷星形14気筒エンジン1600馬力2基を装備 、最高速力330km/hで、生産機数は1,285機に達した。R5D輸送機の胴体後方左側の扉を開けてラダーをかけているが、人員を搭乗させるのであろう。アメリカ軍の国籍マークは、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BARなので、1947年後半以降の撮影と判断できる。
Douglas : R5D-3 (C-54Q) : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-3 (C-54Q)
Official Nickname: Skymaster
写真はSan Diego Air & Space Museum ・Catalog #: 00031908引用。
写真(右)1945年-1950年代、アメリカ海軍のダグラス(Douglas)R5D-2 (C-54P) スカイマスター(Skymaster)輸送機:垂直尾翼の前縁、機首操縦席の前方は、日差しの反射除けのために塗装されている。胴体上面は白色、胴体下面は無塗装の銀色の機体が輝いている。プロペラが回転しているので、離陸か着陸の時撮影したのであろうか。
Douglas : R5D-2 (C-54P) : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-2 (C-54P)
Official Nickname: Skymaster
写真はSan Diego Air & Space Museum SDASM Archives・Catalog #: 00031896引用。
写真(右)1948年6月-1950年代、日本、東京羽田空港(?)、軍用航空サービス(MATS)のランプが掛けられたダグラス(Douglas)R5D-2 (C-54P) スカイマスター(Skymaster)輸送機(シリアルナンバー:39118):垂直尾翼の前縁は、保護用の塗装がなされている。胴体上面は白色、胴体下面は無塗装の銀色の機体が輝いている。尾部が重心移動で落下しないように、支えの金属管が装着されている。胴体左後方の昇降ドアには移動用ランプが掛けられ、その階段上で記念撮影をした。ランプの脇には、TOKYO、MATS(Military Air Transport Service )と書かれている。軍用航空サービス(MATS)は、1948年6月から1966年まで運航している。
Douglas : R5D-2 (C-54P) : Skymaster
frank sarris collection image MATS
- catalogsarris0024.tif - title-frank sarris collection image - filenamesarris0024.tif.--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)
写真はSan Diego Air & Space Museum SDASM Archives・pictionid71468849引用。
写真(右)1940年代末から1950年代、アメリカ、飛行するアメリカ軍の軍用空輸サービス(Military Air Transport Service:MATS)のダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード:NC88814、製造番号18353):1944年製造の機体。胴体には軍用空輸サービス(Military Air Transport Service)のMATSロゴが描かれている。この機体は、1947年5月30日、イースタン航空(Eastern Air Lines:EAL)国内線605便として、ニューアーク(Newark)空港を飛び立ち、マイアミ空港に向かったが、途上でメリーランド州ベインブリッジ(Bainbridge)に墜落し、乗客49名、搭乗員4名の合計53名が死亡した。
Description An USAF C-54 Skymaster
Date 30 December 2007
Author en:User:Signaleer first uploaded to English WP, User:Alaniaris re-uploaded it here .
写真は Wikimedia Commons, Category:44-9093 (aircraft)・File:Douglas C-54 Eastern Air Lines (4590434096).jpg引用。
アメリカ軍の軍用空輸サービス(Military Air Transport Service)は、1948年6月に設立され、メリーランド州(Maryland)アンドリュー空軍基地(Andrews AFB)に司令部が置かれた。これは、1947年9月の独立したアメリカ空軍の設立の直後である。軍用空輸サービス(MATS) は、当初、ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)双発輸送機、C-54 スカイマスター輸送機, 次いでロッキードC-121スーパーコンステレーション(Super Constellation), ダグラスDC-6の軍用仕様C-118リフトマスター(Liftmaster)輸送機などを保有した。そして、1948–1949年のベルリン封鎖時のベルリン空輸(Berlin Airlift)、?950-1953年の朝鮮戦争(Korean War)では大活躍を見せた。
写真(右)1949年10月5日、ドイツ、ベルリン、テンペルホーフ飛行場、ベルリン封鎖の時期のベルリン空輸に使用されたアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機:機体番号537他合計3機が並んでいる。スターアンドバーの国籍マークは、1943年後半から採用されたもの。
Title:R5D 'Skymasters'
Caption:Flown by navy fliers participating in the Berlin Airlift, are unloaded at the Templehof Airfield, 5 October 1949.
Description: Catalog #:80-G-407564
Copyright Owner:National Archives
Original Creator:
Original Date:Wed, Oct 05, 1949.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-407564 R5D 'Skymasters'引用。
写真(右)1950年代、アメリカ海軍航空隊のダグラスR5D-3スカイマスター(Douglas R5D-3 Skymaster)輸送機(シリアルナンバー 56547 、製造番号c/n 22199):ダグラス社シカゴ工場で1943年にC-54D-15-DCとして製造され、アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Force)にシリアルナンバー s/n 43-17249として就役した。その後、アメリカ海軍航空隊(United States Navy)にシリアルナンバーs/n 43-17249(BuNo 56547)の R5D-3輸送機として就役した。1990年3月にはアメリカ空軍N74AFにC54D-DC(シリアルナンバー 22199)として就役した。
Douglas R5D, 56547, NAS Pensacola
TVL1970
US Navy Douglas R5D-3 Skymaster, BuNo 56547 (c/n 22199). This aircraft would eventually enter commercial service, initially as N96450, before being registered as N74AF. As per
Leased and then bought by West Indies Air Transport. While taxiing at Aguadilla-Borinquen Airport in Puerto Rico Feb 3, 1992, suffered a hydraulics failure and struck the right wing of parked Super Constellation HI-542CT and ran into a ditch. A fire broke out and N74AF was [Damaged Beyond economical Repair ("DBR")]..
写真はSDASM Archives・15 Daniels Album Irumagawa Johnson AFB (2)引用。
写真(右)1950年代、アメリカ海軍航空隊のダグラスR5D-3スカイマスター(Douglas R5D-3 Skymaster)輸送機(シリアルナンバー 56547 、製造番号c/n 22199)の前に勢ぞろいしたアメリカ海軍婦人部隊ウエーブス(WAVES;Women Accepted for Volunteer Emergency Service):ダグラス社シカゴ工場で1943年にC-54D-15-DCとして製造され、アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Force)にシリアルナンバー s/n 43-17249として就役した。その後、アメリカ海軍航空隊(United States Navy)にシリアルナンバーs/n 43-17249(BuNo 56547)の R5D-3輸送機として就役した。1990年3月にはアメリカ空軍N74AFにC54D-DC(シリアルナンバー 22199)として就役した。
Waves and Airplane
Collection: Zilda Decarlo Collection
US Navy Douglas R5D-3 Skymaster, BuNo 56547 (c/n 22199). This aircraft would eventually enter commercial service, initially as N96450, before being registered as N74AF.
Reased and then bought by West Indies Air Transport. While taxiing at Aguadilla-Borinquen Airport in Puerto Rico Feb 3, 1992, suffered a hydraulics failure and struck the right wing of parked Super Constellation HI-542CT and ran into a ditch. A fire broke out and N74AF was [Damaged Beyond economical Repair ("DBR")].
写真はSDASM Archives・15 Daniels Album Irumagawa Johnson AFB (2)引用。
アメリカ海軍女性補助部隊ウェーブズ(WAVES:Women Accepted for Volunteer Emergency Service)は、太平洋戦争勃発から半年以上たった1942年8月に創設が決まり、10月から徴募されたアメリカ白人女性からなる義勇兵・志願兵である。当初は、アメリカ海軍の正規の男子兵士を補助する位置づけでスタートし、1年内に2万7000人が採用された。しかし、1944年後半には、ウェーブズ(WAVES)は事実上、正規の兵士と同様の勤務で、装備も正式なものを備えていた。また、黒人女性の採用も1944年末から認めるようになり、白人女性36人に対してアフリカ系黒人1人を採用する枠を認めた。そして、ウェーブズ(WAVES)は、戦争終了までに10万人が配置に着いた。アメリカ海軍で初めて士官となり、WAVESの初代司令官になった ミルドレッド・H・マカフィー少佐
アメリカ陸軍も同時期の1942年5月、陸軍婦人補助部隊(WAAC:Women’s Army Auxiliary Corps)を創設し、1943年7月には陸軍婦人部隊(WAC:Women’s Army Corps)に名称変更している。叱り、」トルーマン大統領は、1948年7月30日,女性兵役統合法に署名し、アメリカ女性は、補助部隊としてではなく、正規の陸海軍兵士として禁句することができるようになった。それに伴って、WAVES、WACは事実上廃止されたが、その果たした枠割を尊重して、女性隊員のことを1970年までWAVES、WACと呼称することもあった。
写真(右)1950年、朝鮮半島、物資を搬送するアメリカ海兵隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機:大型の貨物扉は、胴体左側面についている。
United States Marines unload medical supplies and food from a Douglas R5D-2 Skymaster (after 1962 C-54P) cargo plane assigned to Marine transport squadron VMR-152 at Chunchon, Korea, in 1950.
Date 1950
Source U.S. DefenseImagery [1] photo VIRIN: HM-SN-98-06698/127-GK-1-A157412 [2]; U.S. National Archives [3] file no. 127-GK-1-A157412
Author Photographer's Name: Cpl. J. N. Valle
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas C-54 Skymaster (United States Navy)・File:Jane Kendeigh USN Flight Nurse 1945 c.jpg引用。
写真(右)1951年7月11日、朝鮮半島、ソウル郊外、金浦飛行場、朝鮮戦争休戦協定のためにアメリカ本土からダグラス(Douglas)R5D-3 スカイマスター(Skymaster)輸送機で到着した海軍軍令部長C・ターナー・ジョイ (C. Turner Joy)海軍大将と出迎えた極東艦隊参謀副長アーレイ・バーク( Arleigh A. Burke)海軍少将(右):ともに国連軍休戦会談代表団として交渉に当たった。
Korean War Armistice Negotiations
United Nations' delegates Vice Admiral C. Turner Joy, USN (right), and Rear Admiral Arleigh A. Burke, USN, at Kimpo airfield, Korea, while en route to the U.N. Armistice negotiating team's advanced camp at Munsan-Ni. Photo is dated 11 July 1951, the day after the start of formal negotiations. A C-54 transport plane is behind the two men. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
80-G-432004
Copyright Owner:National Archives
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-432004 Korean War Armistice Negotiations引用。
1951年から国連軍休戦会談代表団として交渉に当たったアメリカ海軍作戦部長(Chief of Naval Operations)C・ターナー・ジョイ(C. Turner Joy)海軍大将は、太平洋戦争中、1942年9月から1943年6月まで、重巡洋艦「ルイスビル」(USS Louisville (CA-28))艦長を務め アリューシャン方面、のちに南太平洋方面で戦った。朝鮮戦争では、極東艦隊の指揮官として活躍した。
1951年から国連軍休戦会談代表団として交渉に当たったアーレイ・アルバート・バーク(Arleigh Albert Burke:1901-1996)海軍大将は、太平洋戦争中、水雷戦隊指揮官として1943年11月にブーゲンビル島上陸作戦に参加している。このとき命令順守の向こう見ずな突進から、31ノット・バークという呼ばれることになった。1955年8月、海軍作戦部長に就任。
写真(右)1951年7月20日、フランス、パリ・オルリー空港(Orly Airfield)にアメリカ本土からダグラス(Douglas)R5D-3 スカイマスター(Skymaster)輸送機で到着した海軍軍令部長フォレスト・パーシヴァル・シャーマン(Forrest Percival Sherman)海軍大将(右):フォレスト・シャーマン海軍大将は、北大西洋条約機構(NATO)への西ドイツ加盟問題を討議するためにヨーロッパに派遣された。フランスは、ドイツによって1940年に侵略され、占領されたことを忘れず、西ドイツのNATO加盟には賛意を示していなかった。しかし、東西冷戦における隊共産圏の軍事力強化を図るためには、西ドイツのNATO加盟は必須だった。
Admiral Forrest Sherman, USN
View taken of his arrival at Orly Airfield Paris, France, in July 1951. Admiral Sherman was CNO at the time.
Description:Courtesy of Captain H.H. Smith-Hutton, USN ret., via Captain Paul Ryan USN, 1975 .
Catalog #:NH 81910
Copyright Owner:Naval History and Heritage Command
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-431945 ADM Forrest P. Sherman, Chief of Naval Operations引用。
アメリカ海軍作戦部長(Chief of Naval Operations)
フォレスト・パーシヴァル・シャーマン(Forrest Sherman)海軍大将は、太平洋戦争中の1942年5月、正規空母空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) の艦長(大佐)としてガダルカナル島攻略戦に参加したが、1942年10月には中将に昇格し真珠湾に設けられた太平洋航空隊司令官に就任した。第二次大戦後、アメリカ艦隊司令長官・海軍作戦部長(Chief of Naval Operations)アーネスト・キング大将が退任した後、新作戦部長ニミッツ提督の下で、海軍作戦部次長に就任した。そして、1949年11月、シャーマン大将は、アメリカ史上、最年少の海軍作戦部長(Chief of Naval Operations)に就任した。そして、1951年7月、シャーマンは1949年北大西洋条約により創設された北大西洋条約機構(NATO)への西ドイツ加盟問題を討議中の7月22日、イタリアのナポリで心臓発作で急死した。54歳だった。
写真(右)1951年7月20日、イタリア、ナポリ、アメリカ本土からダグラス(Douglas)R5D-3 スカイマスター(Skymaster)輸送機で到着した海軍軍令部長フォレスト・パーシヴァル・シャーマン(Forrest Percival Sherman)海軍大将と出迎えた南ヨーロッパ方面NATO軍司令官ロバート・カーニー(Robert B. Carney )提督(右):フォレスト・シャーマン海軍大将は、北大西洋条約機構(NATO)への西ドイツ加盟問題を討議するためにヨーロッパに派遣されたが、イタリアで心臓疾患で急死した。
ADM Forrest P. Sherman, Chief of Naval Operations
Talks with Admiral Robert B. Carney, CinC Allied Forces, Southern Europe, shortly after his arrival in Naples, circa 20 July 1951. Sherman died in Naples on 22 July 1951. Note pierced steel mat aircraft parking area.
Catalog #:80-G-431945
Copyright Owner:National Archives
Original Creator:
Original Date:Fri, Jul 20, 1951
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-431945 ADM Forrest P. Sherman, Chief of Naval Operations引用。
1951年7月20日イタリアのナポリ空港にR5D-3 スカイマスター(Skymaster)輸送機で到着したアメリカ海軍作戦部長(Chief of Naval Operations)フォレスト・シャーマン(Forrest Sherman)海軍大将を出迎えたのは、南ヨーロッパ方面NATO軍司令官ロバート・カーニー(Robert B. Carney:1895-1990)提督で、1953年まではイタリア、ギリシャおよびトルコNATO軍統括する南ヨーロッパ方面NAT軍司令官と地中海方面のアメリカ第6艦隊司令長官を兼任していた。1951年7月20日にナポリにR5D輸送機で到着したフォレスト・シャーマン海軍大将を出迎えたが、7月22日に彼の死をみとることになる。カーニー提督は、1953年5月、アイゼンハワー大統領によって海軍作戦部長(Chief of Naval Operations)に任命された。
写真(右)1951年7月24日、モロッコ、ケニトラ、ポール・リョーテ(Port Lyautey)海軍飛行場、アメリカ本土にイタリアで急死した海軍軍令部長フォレスト・パーシヴァル・シャーマン(Forrest Percival Sherman)海軍大将の遺骸を運搬するダグラス(Douglas)R5D-3 スカイマスター(Skymaster)輸送機と周囲の儀仗兵:フォレスト・シャーマン海軍大将は、北大西洋条約機構(NATO)への西ドイツ加盟問題を討議するためにヨーロッパに派遣されたが、イタリアで心臓疾患で急死した。
Title:Death of ADM Forrest P. Sherman, Chief of Naval Operations, 22 July 1951.
The R5D transport plane carrying Admiral Sherman's remains taxis out past all hands, at Naval Air Station Port Lyautey, Morocco, en route to the U.S. from Naples, 24 July 1951.
Catalog #:80-G-431711
Copyright Owner:National Archives
Original Creator:
Original Date:Tue, Jul 24, 1951
写真はNaval History and Heritage Command・NH 90999 Admiral Royal Eason Ingersoll引用。
写真(右)1952年3月18日、カナダ東岸、ニューファウンドランド、アルゼンチーナ、大西洋連合軍最高司令官(SACLANT)のアメリカ海軍リンド・D・マコーミック(Lynde D. McCormick)提督が乗機ダグラス(Douglas)R5D-3 スカイマスター(Skymaster)輸送機(機首にSACLANTの記入)の前でスタッフと記念撮影した。:
アメリカ海軍リンド・D・マコーミック提督は、第一次・第二次世界大戦に参戦、1951年から1954年にはアメリカ大西洋艦隊司令長官を務め、大西洋戦域の北大西洋条約機構NATO軍最高司令官となった。
Title:Admiral Lynde D. McCormick, USN, Supreme Allied Commander, Atlantic (SACLANT), with his staff and party
Upon arrival at Naval Air Station Argentia, Newfoundland, 18 March 1952. Plane behind them is a Douglas R5D, wearing the SACLANT flag. Present are (L-R, front): SHLH J. Harrison; Lieutenant Commander D.C. Plate; Commander R.C. Morton; Captain Herbert D. Riley; Vice Admiral Sir William G. Andrews, Royal Navy; Admiral McCormick; Captain H.A. Gross (Medical Corps); Lieutenant Commander E.G. Meade; Lieutenant Commander J. Durnford, Royal Navy; Lieutenant R.S. Hyes. In the back row are (L-R, all U.S. Marine Corps personnel): Technical Sergeant C.M. Stark, First Lieutenant B.N. Slenning, Major L.N. Kelso, Captain C.T. Corcoran, Master Sergeant J.C. McCoy, Master Sergeant W.P. Hall, Technical Sergeant W.J. Partin, Master Sergeant W.H. Warren. Two others in the back row appear not to be listed.
Catalog #:80-G-440234
Copyright Owner:National Archives
Original Creator:
Original Date:Tue, Mar 18, 1952
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-440234 Admiral Lynde D. McCormick, USN, Supreme Allied Commander, Atlantic (SACLANT), with his staff and party 引用。
東西冷戦時における対ソビエト・反共産主義軍事機構であるNATO軍の傘下に1952年設置されたのが、大西洋連合軍(Allied Command Atlantic:ACLANT)で、これは大西洋方面のアメリカを中核とする西側連合軍であり、アメリカ合衆国バージニア州ノーフォークに司令部を置いた。大西洋連合軍最高司令官(SACLANT)の初代最高司令官は、アメリカ海軍リンド・D・マコーミック(Lynde D. McCormick)提督(1895-1956)である。
写真(右)1953年3月以降、アメリカ海軍航空隊のダグラスR5D-3スカイマスター(Douglas R5D-3 Skymaster)輸送機"ACTRU":
SDASM Archives
Douglas R5D-3
US Navy Douglas R5D-3 Skymaster, BuNo 56547 (c/n 22199). This aircraft would eventually enter commercial service, initially as N96450, before being registered as N74AF. As per
Leased and then bought by West Indies Air Transport. While taxiing at Aguadilla-Borinquen Airport in Puerto Rico Feb 3, 1992, suffered a hydraulics failure and struck the right wing of parked Super Constellation HI-542CT and ran into a ditch. A fire broke out and N74AF was [Damaged Beyond economical Repair ("DBR")]..
写真はSDASM Archives・15 Daniels Album Irumagawa Johnson AFB (2)引用。
ダグラス R5D-3 輸送機"ACTRU"は、1953年3月にアメリカ海軍が導入した。ダグラス社シカゴ工場で1943年にC-54D-15-DCとして製造され、アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Force)にシリアルナンバー s/n 43-17249として就役した。その後、アメリカ海軍航空隊(United States Navy)”ACTRU”(BuNo 56547)の R5D-3輸送機として就役した。1990年3月にはアメリカ空軍N74AFにC54D-DC(シリアルナンバー 22199)として就役した。
写真(右)1954年8月7日、アメリカ合衆国テキサス州ダラス、ダラス・ラブフィールド空港、アメリカ空軍のダグラス(Douglas)DC-54G輸送機(登録コード: 45-510):ダラス・ラブフィールドは、ダラス・フォートワース国際空港開港以前の空港。
SDASM Archives
DouDouglas C-54G, 45-510, Dallas Love Fld, 7Aug54.
写真はSDASM Archives・Douglas C-54G, 45-510, Dallas Love Fld, 7Aug5428Oct51引用。
ダグラスDC-2輸送機、DC-3輸送機は、ともに双発で尾輪式降着装置だったのに対して、ダグラスDC-4E、ダグラスDC-4輸送機は、四発で首輪式降着装置だった。飛行機の離着陸は、視界を確保する、揚げ角の微調整が不要であるという点で、尾輪式よりも主輪式のほうが操縦が容易である。ただし、降着装置を簡略化するには、首輪式よりも尾輪式のほうが軽量化できる。そこで、現在では首輪式降着装置が常識となっているが、1930年代では尾輪式が常識だった。したがって、大型四発輸送機に首輪式を導入したのは、画期的なことであった。フォッケウルフFW200もユンカースJu90も四発輸送機でありながら、尾輪式降着装置であり、大型機のゆえに、離着陸の操縦が一層困難になった。
写真(右)1955年6月11日、イギリス、マンチェスター空港、アメリカ海軍のダグラス(Douglas) R5D-1スカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード:N5288N):1944年製造の機体。民間会社のトランス航空(Transocean Airlines)からリースして使用しているため、機体には社名を塗りつぶし”AIRWORK LTD”と記入されており、尾翼にもアメリカの星条旗が描かれている。しかし、尾翼にはTALORと民間機の塗装を施している。
English: Douglas R5D-1 Skymaster at Manchester (Ringway) Airport leased from Transocean Airlines operating an Airwork Ltd all-freight scheduled service from London via Manchester to New York Idlewild.
Date 11 June 1955
Source Own work
Author RuthAS
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写真はSDASM Archives・File:Douglas R5D-1 N5288N Airwork Ringway 11.06.55 edited-2.jpg引用。
写真(右)1950-1959年頃、アメリカ西部、ネヴァダ州、原爆実験に参加する海兵隊員を空輸したアメリカ海兵隊のダグラス(Douglas) R5D-1スカイマスター(Skymaster)輸送機(?):
Douglas : R5D-1 : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-1
Official Nickname: Skymaster
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写真はSDASM Archives・Catalog #: 00031885引用。
尾輪式降着装置の一つの欠点は、大重量の機体であれば、尾輪も頑丈に大きくする必要が生まれるが、それが尾部の重量を重くして、重心が後方に下がってしまう。つまり、主翼中央部に重心があることが飛行性能向上のために望ましいが、尾輪式降着装置では、大型機の重心位置が後方に下がりすぎる傾向が生まれてしまう。その点、機首に降着装置を設ける首輪式は、重心バランスの点で有利である。
写真(右)1950-1959年、アメリカ西部、ネヴァダ州、原爆実験に参加する海兵隊員を空輸したアメリカ海兵隊のダグラス(Douglas) R5Dスカイマスター(Skymaster)四発輸送機:迷彩塗装をしたヘルメットカバーをしたジャケット姿の海兵隊員24人2列なら48人が行進している。
Marines in Nevada Atomic Test
Title: Marines in Nevada Atomic Test
Date: 1950-1959
Additional Information: Atomic Test
Tags: Marines in Nevada Atomic Test, Atomic Test, 1950-1959.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 10_0016129引用。
ネヴァダ州の原爆実験場は、1951年に砂漠地帯に設置されたもので、翌1951年1月27日に、当地で初めての核爆発実験が実施された。そして、1951年から1992年まで、900回以上の核実験が実施されたが、そのうち800回以上は、地下核実験として実施されている。アメリカは、ネヴァダ州以外にも、マーシャル諸島などで核実験を行っているが、ネヴァダ州核実験場の実験回数が圧倒的に多い。大気圏内の核実験は、1962年の部分的核実験禁止条約によって実施されなくなった。地下核実験は、1992年包括的核実験禁止条約によって行われなくなった。残ったのは、シュミレーションによる核実験である。
写真(右)1958年1月18日、アメリカ東岸、メリーランド州、パタクセント・リバー上空を飛行するイリノイ州グレンビューを基地としたのアメリカ海軍第724飛行中隊所属のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機(Bu# 91999) :胴体には、UNITED STATES NAVY(アメリカ海軍)と記入されている。パタクセント・リバー海軍航空基地を飛び立ったのであろうか。
Title:Douglas R5D-3 Transport (Bu# 91999)
Caption:In flight over Patuxent River, Maryland, 18 January 1958. Plane belongs to VR-724, based at NAS Glenview, Illinois.
Description:
Catalog #:USN 1099091
Copyright Owner:National Archives
Original Creator:
Original Date:Sat, Jan 18, 1958.
写真はNaval History and Heritage Command・USN 1099091 Douglas R5D-3 Transport (Bu# 91999) 引用。
写真(右)1958年頃、アメリカ、メリーランド州パタクセント・リバー(?)、飛行するアメリカ海軍第7艦隊所属のダグラス(Douglas)R5D-3 (C-54Q)スカイマスター(Skymaster)輸送機(Bu# 91999) :胴体には、UNITED STATES NAVY(アメリカ海軍)と記入されている。パタクセント・リバー海軍航空基地を飛び立った上の写真と同一機と思われるが、出所が異なるためか、機体形式が異なっているとされる。
Douglas : R5D-3 (C-54Q): Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-3 (C-54Q)Official Nickname: Skymaster
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00031903 引用。
写真(右)1958年1月、アメリカ東岸、メリーランド州、パタクセント・リバー上空(?)、飛翔するイリノイ州グレンビューを基地としたのアメリカ海軍第724飛行中隊所属のダグラス(Douglas)R5D-3スカイマスター(Skymaster)輸送機(Bu# 91999) :胴体には、UNITED STATES NAVY(アメリカ海軍)と記入されている。パタクセント・リバー海軍航空基地を飛び立ったのであろうか。
Title:Douglas R5D-3 transport
Caption:Of VR-724, in flight in January 1958.
Description:
Catalog #:80-G-1033157
Copyright Owner:National Archives
Original Creator:
After this Year:1950
Before this Year:1959 .
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-1033157 Douglas R5D-3 transport 引用。
ダグラス(Douglas)DC-4輸送機の陸軍仕様がC-54"Skymaster" 、海軍仕様が R5D"Skymaster" で、機体構造上の大きな差異はない。前作ダグラスDC-3双発輸送機は、1938年初飛行で、これを四発装備の大型輸送機としたのがDC-4輸送機である。
写真(右)1958年頃、アメリカ、メリーランド州パタクセント・リバー(?)、飛行するアメリカ海軍第7艦隊所属のダグラス(Douglas)R5D-2 (C-54P)スカイマスター(Skymaster)輸送機(Bu# 91999) :胴体には、UNITED STATES NAVY(アメリカ海軍)と記入されている。パタクセント・リバー海軍航空基地を飛び立ったのであろうか。
Douglas : R5D-2 (C-54P) : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-2 (C-54P)
Official Nickname: Skymaster
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00031895 引用。
ダグラス(Douglas)DC-4四発輸送機は、第二次大戦の最中の1942年初飛行だったために、多くは軍用仕様、陸軍C-54あるいは海軍R5Dとして生産された。しかし、大戦終了後の1946年からは民間航空会社に払い下げられ、広く活躍した。生産機数は、1,241機という。
写真(右)1950-1960年頃、アメリカ、アメリカ海軍所属のダグラス(Douglas)R5D-3 (C-54Q)スカイマスター(Skymaster)輸送機
Douglas : R5D-3 (C-54Q) : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-3 (C-54Q)
Official Nickname: Skymaster
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00031906引用。
アメリカ海軍は、南極観測プロジェクト「オペーション・ディープ・フリーズ」を実施したが、それに参加したのが海軍のダグラスR5D-3スカイマスター四発輸送機「パッカードペンギン」を装備した南極開発部隊VX-6である。垂直尾翼や主翼両端は、オレンジ色で塗装され、胴体上面は黒色で塗装されている。機首には、ペンギンのイラストが描かれた。
写真(右)1950-1960年頃、アメリカ、アメリカ海軍所属のダグラス(Douglas)R5D-3 (C-54Q)スカイマスター(Skymaster)輸送機:尾部には、重心バランスが崩れても尻もち鵜をつかないように、つっかえ棒が装着されている。
Douglas : R5D-3 (C-54Q) : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-3 (C-54Q)
Official Nickname: Skymaster
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00031909引用。
1942年初飛行のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機は、プラット&ホイットニー R2000ツインワスプ空冷星形14気筒4基、最高時速44kmの大型高速輸送機だったが、運航の経済効率や機体の保守・維持は、前型で1936年初飛行のDC-3双発輸送機のほうが優れていた。
写真(右)1950-1960年頃、アメリカ、飛行するアメリカ海軍第7艦隊所属のダグラス(Douglas)R5D-2 (C-54P)スカイマスター(Skymaster)輸送機(Blue Angel 8) :胴体上面は白色、垂直尾翼・主翼の先端、胴体中央のラインは黄色で塗装され、胴体下半分はネービーブルーの塗装を施されている。このアメリカ海兵隊「ブルーエンジェルス」Blue Angelとは、曲芸飛行戦闘隊のことで、その支援機という意味であろうか。
Blue Angel 8 R5D Douglas
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives・引用。
ダグラスDC-3輸送機の生産機数は、その軍用仕様C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機が1万機も大量生産されたのに対して、ダグラスDC-4輸送機、その軍用仕様C-54輸送機は、カリフオルニア州サンタモニカのダグラス飛行機工場(Douglas Aircraft Company, Inc. Santa Monica)で1200機、すなわちDC-3の8分の1しか生産されなかった。しかし、第二次世界大戦終了後、軍用仕様C-54輸送機は、民間航空に払い下げられ、民間仕様に変換され世界の空路を開拓した。
写真(右)1950-1960年頃、アメリカ、アメリカ海軍所属のダグラス(Douglas)R5D-2 (C-54P)スカイマスター(Skymaster)輸送機:尾部には、重心バランスが崩れても尻もち鵜をつかないように、つっかえ棒が装着されている。
Douglas : R5D-2 (C-54P) : Skymaster
Manufacturer: Douglas
Designation: R5D-2 (C-54P)
Official Nickname: Skymaster
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00031901引用。
ダグラスDC-4輸送機は、1947年に生産が終了しているが、1200生産されたために、その後も長く現役で輸送機として活躍をつづけた。軍用のC-54やR5Dは、多数が民間航空会社に売却され、国内外の路線で使用された。
しかし、1947年に搭乗したDC-6四発輸送機は、より大型化し搭載量を増し、より強力なエンジンを装備して航続距離も伸びた。そして、高高度でも室内気圧が低下しないように、与圧キャビンを備えたのである。このDC-6が登場したことで、1950年代から、DC-4は後継機DC-6にとって代わられることになる。
⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)C-54軍用輸送機を見る。
7. 1942年、第二次世界大戦中に初飛行したダグラスDC-4四発輸送機は、第二次世界大戦中は民間機としてはほとんど使用されず、主に軍用C-54/R5D「スカイマスター」輸送機として運航された。、生産機数は、1947年8月までに、DC-4として80機、C-54/R5Dとして1000機以上である。そして、第二次世界大戦終了後、アメリカ、ヨーロッパの航空会社に払い下げられたR5Dスカイマスター輸送機は、ダグラスDC-4旅客輸送機として世界中で活躍することになる。
写真(右)1942年以降、アメリカ、ダグラス(Douglas)DC-4旅客輸送機の乗客席;ゆったりとしたソファー、、モダンなひじ掛け、天井に機内照明、手荷物棚にはピロー(枕)・機内毛布が束ねられている。現代の旅客機の客室の原型といえる。
Douglas : DC-4
Catalog #: 00065739
Manufacturer: Douglas
Designation: DC-4.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00065739引用。
第二次世界大戦はアメリカのダグラス・エアクラフト社(Douglas Aircraft Company)に軍需景気を呼び起こし大きな成功をもたらした。飛行機工場は、カリフォルニア州サンタモニカのほか、ロングビーチにも拡張され、トーランス、タルサ、シカゴにも工場を増設している。第二次世界大戦のアメリカ参戦期間中の1942年から1945年には、飛行機3万機を製造し、従業員は16万人の規模に達している。
写真(右)1953年、アメリカ、イリノイ州シカゴ・ミッドウェー飛行場(Chicago Midway Airport)、キャピタル航空(Capital Airlines)のダグラス(Douglas)DC-4(元R5D)スカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード:N53487):アメリカ海軍R5D輸送機として製造され、戦後、民間に払い下げられた。1963年、コンゴでスクラップにされた機体。奥には、デルタ航空のダグラスDC-3双発旅客機が駐機している。
Chicago Midway Airport - Capital Airlines - Douglas DC-4 (R5D-1)
(1953) (N53487) 'Capitaliner Canton' This aircraft was scrapped in the Congo in 1963. Nice Delta DC-3.
写真は, Midway Airport (Pat B.) ・引用。
写真(右)1954年、アメリカ、イリノイ州シカゴ・ミッドウェー飛行場(Chicago Midway Airport)、キャピタル航空(Capital Airlines)のダグラス(Douglas)DC-4(元R5D-1)スカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード:N91067):N91067は、アメリカ海軍R5D-1輸送機として、ダグラスのサンタモニカ工場で製造され、戦後、1946年ペンシルバニア中央航空(Pennsylvania Central Airlines)に払い下げられた。1955年、不定期便を運航するリッドル航空(Riddle Airlines)、社名変更後のキャピタル航空の貨物輸送機となり、1958年に運航変更になり、定期便も運航を始めた。
Chicago Midway Airport - Capital Airlines - DC-4
(1954) (N91067) N91067 had been built as a US Navy R5D-1 and converted to DC-4 standard after
WW II by Douglas at Santa Monica. It was delivered to Pennsylvania Central Airlines (which was re-named Capital Airlines) in 1946. It was sold to Riddle Airlines (non-sked) in 1955 who converted it to all cargo
configuration. Reeve Airlines (non-sked) acquired it, as a freighter, in 1958.
写真は , Midway Airport (Pat B.) ・引用。
キャピタル航空(Capital Airlines)の前身は不定期便を運航していたリッドル航空(Riddle Airlines)で、1955年に社名をキャピタル航空に変更、貨物輸送を中心に運航したが、1958年以降は、運航変更になり、旅客定期便も運航を始めた。
写真(上)1954年、アメリカ、イリノイ州シカゴ・ミッドウェー飛行場(Chicago Midway Airport)、キャピタル航空(Capital Airlines)のダグラス(Douglas)DC-4(元R5D-1)スカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード:(N67067):胴体左後方に昇降ドアがあり、そこに乗り降りする移動式ランプが掛けられている。この昇降口は、ドアが左右に開閉する観音開きであるが、乗客の搭乗には片側だけを開放して済ますようにしている。左右にドアを開ければ、大型貨物の積載に便利である。N67067は、アメリカ海軍R5D-1輸送機として、ダグラスの飛行機工場で製造され、戦後、民間のノースウェスト航空(Northwest Airlines)に払い下げられた。
Chicago Midway Airport - Northwest Airlines - DC-4 (R5D1)
(1958) (N67067) Lots of action on the field.
写真は , Midway Airport (Pat B.)
・引用。
写真(右)1959年、アメリカ、イリノイ州シカゴ・ミッドウェー飛行場(Chicago Midway Airport)、キャピタル航空(Capital Airlines)のダグラス(Douglas)DC-4(元R5D-1)スカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード:N91067):N91067は、アメリカ海軍R5D-1輸送機として、ダグラスのサンタモニカ工場で製造され、戦後、1946年ペンシルバニア中央航空(Pennsylvania Central Airlines)に払い下げられた。1955年、不定期便を運航するリッドル航空(Riddle Airlines)、社名変更後のキャピタル航空の貨物輸送機となり、1958年に運航変更になり、定期便も運航を始めた。
Chicago Midway Airport - Northwest Airlines - DC-4 (C-54A)
(1959) (N67067) Ex-Navy R5D-1
写真は , Midway Airport (Pat B.)
・引用。
ノースウェスト航空は、1926年創立で、「北西」の社名通り、アメリカの北西地域の運航をした。1970年には東京への運航を始めたが、2008年にデルタ航空と合併、2010年にノースウエスト便名は全て消滅し、デルタ航空との経営統合を完了した。
⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)DC-4旅客輸送機を見る。
8.ハンドレページ(Handley Page)ヘースティングス(Hastings)軍用輸送機
写真(右)1948年11月4日、ドイツ、キール飛行場、空輸作業中のイギリス空軍ハンドレページ(Handley Page)ヘースティングス(Hastings)輸送機:第二次世界大戦中の1943年、ハンドレページは、アブロ ヨーク輸送機の後継機の開発に着手し、第二次世界大戦終了後の1945年12月に民間旅客仕様ハーミーズを、1946年5月には軍用輸送仕様ヘースティングスを初飛行させた。1947–1952年に合計151機が生産された。手前では、オランダ人労働者が飛行場の整備作業をしている。
Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Anefo
Reportage / Serie : [ onbekend ]
Beschrijving : "Hasting" op vliegveld bij Kiel. Luchtbrug
Datum : 4 november 1948
Locatie : Kiel
Trefwoorden : vliegvelden
Fotograaf : Fotograaf Onbekend / Anefo
Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Glasnegatief
Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.01.09
Bestanddeelnummer : 903-0856
Date Taken on 4 November 1948
Author Nationaal Archief
写真はWikimedia Commons, Category:Handley Page Hastings File:Hasting op vliegveld bij Kiel. Luchtbrug, Bestanddeelnr 903-0856.jpg引用。
ハンドレページ(Handley Page)C.2 ヘースティングス(Hastings) の諸元
全長: 81 ft 8 in (24.89 m)
全幅: 113 ft 0 in (34.44 m)
全高: 22 ft 6 in (6.86 m)
主翼面積:1,408 sq ft (130.8 m2)
全装備重量: 34,010 kg
乗員: 5名 兵員50名
発動機: ブリストル(Bristol)ハーキュリーズ(Hercules)106 空冷星型14気筒エンジン1,675 hp (1,249 kW)4基
最高速度: 348 mph (560 km/h) 高度22,200 ft (6,800 m)
航続距離: 1,690 マイル (2,720 km) (最大搭載量)
4,250 マイル (6,840 km) (最大燃料搭載量)7,400 ポンド (3,400 kg)
実用上昇限度: 8,140 m
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
2020年3月31日公開の当サイトへのご訪問ありがとうございます。写真,データなどを引用する際は,URLなど出所を明記してください。
◆毎日新聞2008年8月24日「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月青弓社刊行,368頁,2100円)が紹介されました。
◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただけますお方のご協力をいただきたく,お願い申し上げます。
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