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◆ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88 A爆撃機
写真(上)1941年7月24日、イギリス、コリーウェストン、ドイツ空軍第30爆撃航空団(KG30)第3飛行隊所属のJu 88爆撃機A-4型
:1941年7月24日、イギリス、ブリストル近郊、西サセックス州ブロードフィールド飛行場に誤って着陸したドイツ空軍第30爆撃航空団(KG30)第3飛行隊所属のJu 88爆撃機A-4型は、イギリス軍に鹵獲された。1945年には敵国飛行隊に配属になり、11月に保管されることが決まった。
Junkers Ju 88A-4, EE205, of No. 1426 (Enemy Aircraft Circus) Flight is started up at Collyweston, Northamptonshire. Originally 4D-DL of 3/KG30, the aircraft landed by mistake at Broadfield Down airfield (Lulsgate Bottom), near Bristol, after a night raid on Birkenhead on 23/24 July 1941. It was taken on charge by the Royal Aircraft Establishment and, after tactical trials with the Air Fighting Development Unit, was flown to No. 1426 Flight, then at Duxford, on 28 August 1942. In 1945 EE205 was transferred to the Enemy Aircraft Flight of the Central Fighter Establishment at Tangmere, Sussex, and finally to No. 47 Maintenance Unit for storage in November 1945. German markings have been temporarily re-applied to EE205 for film work. CreatorGoodchild A (Fg Off) Royal Air Force official photographer Catalogue number:CH 15606
写真は,Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88R at RAF Museum London, CH 15606引用。



写真(上)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元された枢軸国ルーマニア空軍所属のユンカースJu 88D-1/Trop [熱帯仕様]長距離偵察機
:1943年7月、ルーマニア空軍の搭乗員が、飛行機ごとキプロスのイギリス空軍基地に着陸して、鹵獲された機体。イギリス軍は、Ju88爆撃機について既に十分な情報を得ており、新技術を用いてもおらず、高性能機でもなかったJu88をアメリカ軍に譲渡した。
The airplane on display, a Ju 88D-1/Trop (later designated Ju 88D-3), is a long-range photographic reconnaissance version modified for tropical use. Known as the Baksheesh, it was the best known Ju 88 of the 15,000 built. Completed in June 1943, this aircraft was delivered to Romania, an ally of Germany during WWII. In July 1943, a disillusioned Romanian pilot flew the aircraft to Cyprus to defect to British forces there. The British Royal Air Force turned over Baksheesh to the U.S. Army Air Forces. After Wright Field test pilots flew the aircraft extensively, the USAAF stored it in the Arizona desert after the end of WWII. Shipped to the museum in January 1960, Baksheesh is painted in the Romanian Air Force markings it carried in July 1943.
写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。



写真(上)1943年1月,イタリア戦線、シシリア島、ドイツ空軍第30爆撃航空団(KG30)所属のユンカース(Focke-Wulf)Ju88爆撃機A型:胴体下面にETC501ラックを装備し、300リットル入落下増槽や250キロまたは500キロ爆弾1発を搭載できる。A-3型では主翼内側には20ミリMG151/20機関銃、主翼外側には20ミリMGFF機関銃を装備しているはずだが、これらの機体は、主翼外側の機関銃は搭載していない。ハスキー作戦(Operation Husky)によって、1943年7月10日、イタリアのシチリア島西部に上陸した。ドイツ軍・イタリア軍は持久戦を戦いながら、8月11日、イタリア本土へ脱出した。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-418-1840-12 Archive title: Italien, Sizilien, Flughafen Comiso.- Tankwagen vor Flugzeug Junkers Ju 88 mit Geschwader-Kennzeichen / Staffelabzeichen Kampfgeschwader 30 (KG 30), Bodenpersonal beim Beladen und Betanken; KBK Lw 6 Dating: Januar 1943 Photographer: Lenk Origin: Bundesarchiv
写真は,
ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv, Bild101I-418-1840-12引用。


写真(上)1944年4月1日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ飛行場、フィンランド空軍第44爆撃中隊(PLe.Lv.44 )ユンカースJu88爆撃機A-4型 (JK-267)
:機首のダイヤモンド型風防の右半分には、黒のカバーがかかっている。機首上面のコックピットの側方にも黒のカバーがある。遮光のためのカーテンのようだ。主翼下面にカギ十字(スワスチカ)が見えるが、これは白地に青のハカリスティで、1928年にフィンランド空軍が独立する以前から用いられていた。Ju88はエンジン故障ではなく、燃料の節約の為か、エンジンを始動せずに、トラクターで牽引するために、ワイヤーが結ばれている。まだ、ワイヤーを牽引車に結んでいないので、手前の雪の上に、よれたワイヤーは垂れたままになっている。
Traktori vetää JK-konetta kiitoradalle. Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Traktori vetää JK-konetta kiitoradalle. Junkers Ju 88 A-4 Luonetjärven kentällä. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1944-04-01 Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja.
写真はMuseot Finne・sa-kuva-123243引用。

◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真等は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。

写真(右)1942年6月28日、ドイツ、東プロイセンのラステンブルク総統大本営「狼の巣」から列車に乗って到着したフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥をもてなすドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥:二人とも元帥で元帥杖を持って挨拶を交わしている。ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー総統のいる大本営ばかりか、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥の下にも参じて、対ソビエト連邦との戦争協力を話し合ったマンネルハイムが、ソ連を明確な敵とし、領土の回復、ソ連の弱体化を真剣に望んでいたのは確かであろう。1942年6月時点で、未だにドイツのヨーロッパ支配の状況は変わりはなく、イギリス、アメリカによるフィンランド攻撃の心配は、全くなかった。マンネルハイムだけでなく、フィンランド国民の多くは、いまこそ、ソ連弱体化の最大の機会であると考え、継続戦争を自らはじめ、善戦していた。
"Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym. Institution
写真は Museo Finna: sa-kuva-3329引用。


ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)が国会議長に就任。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月,ドイツ再軍備宣言German re-armament)によって新設された空軍の総司令官に就任。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。


1.ユンカースJu-88試作機

写真(右)1940年,軍ユンカースJu 88V-1爆撃機試作1号機:エンジンは、ユモJumo211液冷12気筒エンジン(1350馬力)搭載。量産型よりも機首のガラス風防が小さく狭い。機首上面も視界に考慮して傾斜が大きい。主翼スパンが短い。旋回機銃など防御用火器は装備していない。
Junkers Ju 88V-1 Nowarra collection PictionID:44219850 - Title:Junkers Ju 88V-1 Nowarra collection - Catalog:16_005408 - Filename: 16_005408. TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219850引用。


第二次大戦で使用されたユンカースの航空機は,1935年3月16日にヒトラーが、ヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し再軍備宣言をして以降、開発されている。

ヒトラーの再軍備宣言
1.義務兵役制を復活:兵力36個師団,50万人を動員
2.軍事組織の名称変更:陸海軍に加えて空軍Luftwaffeを新設し,国軍Reichswehrを伝統的な国防軍Wehrmachtに戻す。国防省を陸軍省(Ministry of War)と変更。陸軍参謀本部の復活。

写真(右)1940年,軍ユンカースJu 88V-3爆撃機試作3号機:エンジンは、ユモJumo211液冷12気筒エンジン(1350馬力)搭載。無武装だが、量産型では機首、コックピット上方、機首下面に旋回機銃を装備している。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44219863 - Catalog:16_005409 - Title:Junkers Ju 88V-3 Nowarra collection - Filename: 16_005409. TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219863引用。


ユンカース社Junkers & Co)は,フーゴー・ユンカースHugo Junkers)の下で,航空機用エンジンと飛行機を製造する工場を持つ巨大企業である。ナチス政権獲得の1933年,一族の株式持ち株率を51%以下にするように命じられた。フーゴー・ ユンカースが1935年2月に死亡した後,遺族に補償がなされた。

ユンカースの主要工場デッサウ(Dessau)には,4万人の従業員が雇われたが,空軍拡張に伴って,ハルバーシュタット,アッシェルスレーベン, シュタスフルト,ハレなどに工場が増設された。

写真(右)1940年,飛行中のユンカースJu 88V-4爆撃機試作4号機:エンジンは、ユモJumo211液冷12気筒エンジン(1350馬力)搭載。機首のダイヤモンド型ガラス風防、コックピットの風防など、量産されるA型と同時形状となっている。無武装で、国籍マークも記入していない。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44219876 - Catalog:16_005410 -
Title:Junkers Ju 88V-4 Nowarra collection - Filename:16_005410.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219876引用。


写真(右)1940年,飛行中のユンカースJu 88V-6爆撃機試作6号機D-ASCY:エンジンは、ユモJumo211液冷12気筒エンジン(1350馬力)搭載。機首のダイヤモンド型ガラス風防、コックピットの風防など、量産されるA型と同時形状となっている。機首から飛行テスト用の大型L字型ピトー管が伸びている。無武装だが、第二次大戦突入以前なので、垂直尾翼に赤帯に白丸背景のスワスチカ(ナチ党記章)の国籍マークを記入している。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44219900 - Catalog:16_005412 -
Title:Junkers Ju 88V-6 Nowarra collection - Filename:16_005412.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219900引用。


写真(右)1940年,飛行中のユンカースJu 88V-7爆撃機試作7号機:機首側面に「V7」と記載されている。機首のダイヤモンド型ガラス風防は廃止され、機首下面のゴンドラ膨らみも廃止して、空気抵抗の減少を計っている。量産されるA型とことなり、飛行テスト用に改修されている。エンジンは、ユモJumo211液冷12気筒エンジン(1350馬力)でことなるものの、大戦後半に登場するJu88高速爆撃機S型と類似性が見て取れる。胴体側面には、黒白の鉄十字の国籍マークを記入している。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44219900 - Catalog:16_005412 - Title:Junkers Ju 88V-6 Nowarra collection - Filename:16_005412.TIF
Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219900引用。



2.大戦中のユンカースJu-88爆撃機A型

写真(右)1940年頃,ドイツ、ドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-1型 'TL+AH'
GERMAN MILITARY AIRCRAFT 1939-1945
Object description Junkers Ju 88A-1 'TL+AH'..
Catalogue number MH 7514
Part of JUNKERS FLUGZEUGWERKE COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (MH 7514)引用。


ユンカーJu88爆撃機のユンカース・モーター(Junkers Motoren)の発動機ユモ(Jumo211液冷エンジンは、冷却に使う不凍液を冷やすために空冷の冷却器(ラジエーター)を備えている。同じエンジンを搭載したハインケルHe111爆撃機は、エンジン下面に開口部をエアインテークを設けてそこに冷却器(ラジエーター)を装備した。しかし、ユンカースJu88爆撃機は、エンジンの周囲に環状に冷却器(ラジエーター)を設けた。そこで、一見すると空冷星形エンジンのような形状になった。

写真(右)1940年,ドイツ、尾部を回転台で持ち上げ、機体を水平にして、方位測定機材の調整を行うドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-1型:降着装置を下ろして、ゴンドラ後方の昇降口を開けて、はしごをかけている。コックピットには、技師・整備員がいて、方位計器の微調整をしているのであろう。回転台に待機している整備員が、レバーで仰角を調整し、水平になったかを、機内にいる整備員に確認している様だ。
Junkers Ju 88A-1 Nowarra collection PictionID:44219937 - Title:Junkers Ju 88A-1 Nowarra collection - Catalog:16_005415 - Filename:16_005415.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219937引用。


ポーランド侵攻に参加したドイツ空軍機は,アルベルト・ケッセリング元帥の第1航空軍,アレクサンデル・レール第4航空軍で,あわせて1302機を保有していた。さらに,空軍総司令部直轄として,輸送機,偵察機など133機があり,陸軍にも偵察機,連絡機など288機が配備されていた。また,ドイツ本土防空部隊は,216機を保有していた。

したがって,ドイツ軍は,総計1929機をポーランド戦に投入したことになる。これはドイツ空軍兵力の三分の二に相当した。当時の主力爆撃機はドルニエDo-17とユンカースJu87だった。

対するポーランドの航空兵力は,自国設計・国内生産の機体も含めて、第一線機900機(爆撃機150機,戦闘機315機,偵察機325機,海軍機50機など)だった。これは、当時の小国としては、強力な空軍力であり、イギリス、フランスは、士気の低いソ連軍よりも、勇敢なポーランド軍の方を同盟相手として選ぶことになった。イギリスもフランスもポーランドの独立を保証する順次協定を結び、これを破ってポーランドに侵攻したドイツに対して最後通牒を告げ、宣戦布告をしたのである。

ポーランド軍機は,果敢に攻撃をかけてきたが,ドイツ軍に撃退された。部品,燃料に不足をきたし,稼動機数は急速に低下した。

ドイツ空軍は陸軍に協力しての対地直協を基本戦略としていたために、都市戦略爆撃を行うのに適した重爆撃機を保有していなかった。急降下爆撃機は、この対地直協のの主力となる単発急降下爆撃機だった。

写真(右)1940年頃、オラン ダ、アムステルダム郊外 スキポール空港(?)、ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A型:Ju-88の諸元:全長 14.4メートル,全幅 20メートル,翼面積 54.5平方メートル,最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ,7.92mm機銃6丁,爆弾 2トン。
Beeldnummer 182 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegvelden Bijschrift Formaties Junkers 88, op vliegveld. Junkers Ju 88. Type Foto.
Copyright NIMH.
写真は,Beeldbank WO2 Beeldnummer 182 引用。


ユンカースJu-88の諸元
全長 14.4メートル,全幅 20メートル,翼面積 54.5平方メートル
性能:最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ
兵装:7.92ミリMG17機銃6丁,爆弾 2トン
生産総数 15000機(爆撃機9000機,戦闘機6000機)

写真(右)1940年,フランス、飛行場で僚機と並んで待機整備中のドイツ空軍第53爆撃航空団(KG53)「コンドル軍団」"Legion Condor"所属のユンカースJu-88双発爆撃機A-1/A-3型:発動機のユモJu211液冷エンジンは、冷却に使う不凍液を冷やすために空冷の冷却器(ラジエーター)を備えている。同じエンジンを搭載したハインケルHe111爆撃機は、エンジン下面に開口部をエアインテークを設けてそこに冷却器(ラジエーター)を装備した。しかし、ユンカース Ju.88爆撃機は、エンジンの周囲に環状に冷却器(ラジエーター)を設けた。そこで、一見すると空冷星形エンジンのような形状に見えるのである。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-388-0968-33 Archive title: Frankreich.- Mechaniker bei der Wartung von Flugzeugen Junkers Ju.88 auf einem Flughafen; PK KBK Lw4 Dating: 1941 Photographer: Reinelt Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・"Bild 101I-388-0968-33"引用(他引用不許可)。


ドイツ空軍では飛行小隊(シュタッフェルStaffel)が複数合わさって飛行戦隊(グルッペ)、すなわちイギリス空軍(RAF)の飛行中隊(Squadron) となり、その上に航空団(ゲシュヴァーダーGeschwader)が編成される。戦闘機は、戦闘航空団(Jagdgeschwader: JG)、爆撃機は、爆撃航空団(Kampfgeschwader: KG)、急降下爆撃機は、急降下爆撃航空団(Sturzkampfgeschwader:StG)を編成した。第二次世界大戦に参戦したドイツ空軍の爆撃航空団(Kampfgeschwader: KG)は、次の17爆撃航空団である。
第1爆撃航空団「ヒンデンブルク」Kampfgeschwader 2 " Holzhammer ";1944年解散
第3爆撃航空団「電撃」Kampfgeschwader 3 "Blitz"
第4爆撃航空団「ウェーバー将軍」Kampfgeschwader 4 "General Wever"
第6爆撃航空団:Kampfgeschwader 6;1944年解散
第26爆撃航空団「獅子」Kampfgeschwader 26 "Löwengeschwader"
第27爆撃航空団「ベルケ」WW1エース:Kampfgeschwader 27 "Boelcke" 
第30爆撃航空団「鷲」Kampfgeschwader 30 "Adler" (eagle)
第40爆撃航空団:Kampfgeschwader 40;対艦船攻撃
第51爆撃航空団「エーデルワイス」Kampfgeschwader 51 "Edelweiss"
第53爆撃航空団「コンドル軍団」Kampfgeschwader 53 "Legion Condor"
第54爆撃航空団「髑髏」Kampfgeschwader 54 "Totenkopf"
第55爆撃航空団「グライフ」(グリフィン)Kampfgeschwader 55 "Greif"
第76爆撃航空団:Kampfgeschwader 76
第77爆撃航空団:Kampfgeschwader 77
第100爆撃航空団「ヴィーキング」Kampfgeschwader 100 ”Wiking”
第200爆撃航空団:Kampfgeschwader 200;特殊作戦

写真(右)1940年,西部戦線、待機中のドイツ空軍第30爆撃航空団「アドラー(鷲)」(KG30;Kampf-geschwader 30 ”Adler” (eagle))所属のユンカースJu-88双発爆撃機A-1/A-3型:発動機のユモJu211液冷エンジンは、冷却液用の環状空冷冷却器(ラジエーター)を備えているので空冷エンジンのように見える。同じエンジンを搭載したハインケルHe111爆撃機は、エンジン下面に開口部をエアインテークを設けてそこに冷却器(ラジエーター)を装備した。
Inventory: Bild 205 - Sammlung Otto Munz Signature: Bild 205-015 Original title: info Greifswald Obgefr. Friedrich Lucht das ist die Ju 88 1940 Archive title: Greifswald.- Flugzeug Junkers Ju 88 auf einem Flugplatz stehend Dating: 1940 Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・"Bild 205-015"引用(他引用不許可)。


写真(右)1940年,西部戦線, 出撃準備中のドイツ空軍第30爆撃航空団「アドラー(鷲)」(KG30;Kampf-geschwader 30 ”Adler” (eagle))所属のユンカースJu-88双発爆撃機A-1/A-3型:偽装用迷彩網を掛けた駐機場に隠匿されている愛機に、飛行服を持った搭乗員が集まっている。
Inventory: Bild 183 - Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild Signature: Bild 183-L23174 Original title: info Krieg im Westen: Vom erfolgreichen Feindflug zurück. Die Maschine steht wieder geborgen im Hangar des Feldflughafens. PK-Sessler - Scherl Bilderdienst 10625-40 [Herausgabedatum] "Fr." OLF Archive title: Im Westen.- Flugzeug Junkers Ju 88 unter Tarnnetz auf Feldflugplatz Dating: 1940 Photographer: Sessler Agency: Scherl Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・"Bild 183-L23174"引用(他引用不許可)。


写真(右)1940年頃,ドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機の操縦席:並列式の操縦席だが、操縦桿は1本で、左右のどちらかに移動し操縦できるのか。計器盤のいくつもが欠損している。足元には、穴の開いた操縦ペダルも見える。
Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081799 Title: Junkers Ju.88 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081799引用。


写真(右)1940-1942年頃,雲上を飛行するドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A型:並列式の操縦席の前方に、7.92ミリMG15旋回機銃1丁、ゴンドラの後下方、コックピット後上方に防御用機銃を搭載している。
Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081794 Title: Junkers Ju.88 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081794引用。


1939年9月1日のポーランド侵攻時には,特別部隊(のちのアインザッツグルッペ)が投入され,公務員,教師,医師,聖職者,ユダヤ人,地主,商店主など,ポーランドの文化・国家の維持に有益な人物,インテリゲンツィアを処置していた。
ヒトラーにとって,ワルシャワ空爆に躊躇は一切なかったと考えられる。

写真(右)1940-1942年頃,未舗装の飛行場でエンジンを稼働しているドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-3以前の初期型:並列式の操縦席の前方に、7.92ミリMG15旋回機銃1丁、ゴンドラの後下方、コックピット後上方に防御用機銃を搭載している。
Junkers Ju.88 Catalog #: 01_00081794 Title: Junkers, Ju.88 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081794引用。


1939年9月1日,ドイツ軍によるポーランド侵攻があり、そのの2日後の9月3日,ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスのネヴィル・チェンバレンNeville Chamberlain)首相は、フランスとともに,対ドイツ宣戦布告をした。しかし,開戦から半年以上,フランス軍、イギリス軍はドイツへの攻撃を仕掛けず、西部戦線は静謐だった。そのため「まやかし戦争」(Phoney War)とも称されるほどだった。

写真(右)1940-1942年頃,ドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A型のコックピット後上方の左右の銃座には、7.92ミリMG15旋回機銃各1丁が装備されている。:並列式の操縦席の前方にも、7.92ミリMG15旋回機銃1丁、機首下面ゴンドラの後方にも下方を射撃する観測する7.92ミリMG15旋回機銃1丁がある。
Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081796 Title: Junkers Ju 88 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081796引用。


ドイツ軍は、ビラを空中散布するなどしてポーランドに降伏勧告をした。しかし、果敢な抵抗を続けるポーランドは、黙殺した。降伏の機会を黙殺したポーランドに対して,ドイツ軍は,1939年9月25日、ワルシャワを大空襲した。これは,爆撃機400機を配備した3-4回の反復爆撃で通常爆弾560トン,焼夷弾72トンを投下した。9月27日,ポーランドは降伏した。

イギリスの準備していたノルウェー進駐が始まる直前,1940年4月9日にドイツ軍はノルウェー侵攻を開始した。しかし,4月14日には,イギリス・フランス、ポーランド軍の連合軍1万2000名が、ノルウェーのフィヨルド、トロンハイムに上陸し、4月20日には、北部のナルヴィクNarvik)にも,連合軍3万名が上陸し、ドイツ軍は危機に陥った。

1940年5月10日,ドイツ軍は、中立を表明していたベルギー,オランダに侵攻、連合軍はナルヴィクを撤退し、フランス正面での戦いに集中した。この時、イギリス首相チェンバレンは,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任し、 1940年5月10日に戦時挙国一致内閣がウィンストン・チャーチルWinston Churchill)首相の下に組閣された。

写真(右)1940-1942年頃,ドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A型の機首ダイヤモンド型風防とゴンドラ先端の爆撃照準器の窓:並列式の操縦席の前方に、7.92ミリMG15旋回機銃1丁とそのドラム型弾倉が見える。ゴンドラの右にも下方を観測するガラス窓がある。主翼の付け根には大型の懸架ラックの覆い(カバー)がある。
Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081793 Title: Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081793引用。


1940年5月14日、ドイツ空軍ヘルマン・ゲーリング元帥隷下、第54,第57爆撃航空団(KG54)ハインケルHeinkel)He111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。当日,出撃した第54爆撃航空団のハインケルHeinkel)爆撃機に「交渉中のために爆撃延期」が打電されたが,ヘーネ中佐の部隊は,爆撃を中止できた編隊もあったが,ラックナー大佐の部隊は無電を傍受できず,爆撃を行った。
 こうして,爆撃機57機がロッテルダム中心街のマース川北岸にあったオランダ群防衛陣地を50キロ爆弾1150発,250キロ爆弾158発,合計97トンによって空襲した。

1940年5月14日2030,オランダ軍総司令官ウィンケルマン将軍は,ラジオ放送を通じて,オランダ軍に全面降伏を命じた。ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)のドイツ空軍機は,空挺作戦も展開したが、投入したJu-52タンテ輸送機430機の三分の二が破壊損傷した。

写真(右)1940年5月10-12日,北フランス、フランスのイギリス空軍飛行場を空襲している最中に墜落したドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A型の搭乗員を救出するイギリス軍将兵
THE BATTLE OF BRITAIN
ROYAL AIR FORCE: FRANCE, 1939-1940.
Object description Salvage crews dismantle a Junkers Ju 88, brou ght down during the the Luftwaffe's attacks on RAF airfields in France, between 10 and 12 May 1940.
Creator Hensser H (Mr) Royal Air Force official photographer Catalogue number C 1494
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (C 1494)引用。


1940年6月、フランスは降伏し、7月にフランス戦勝利の褒賞として、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進した。しかし、アメリカの支援を受けたイギリスは、1940年8月以降の本土航空決戦でドイツ空軍に大損害を与え敗退させた。ヒトラーは,ヨーロッパで孤立したイギリスが戦い続けるのは、東方ソ連がドイツを圧迫しているからだと考え、下等人種の土地をドイツの生存圏に組み込もうとしていた。

英国ウィストン・チャーチル首相は,米国の武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦を戦う覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日まで,ドイツ空軍は、英国本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。

空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング国家元帥は,1940年8月からの英本土航空「鷲」作戦に際して,ドイツ空軍がイギリス空軍機を駆逐し,イギリスを征服してみせると豪語した。しかし,ドイツ側の被害は甚大で,イギリス戦闘機の抵抗が続いたために,1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始した。

写真(右)1940年、オランダ、アムステルダム郊外 スキポール空港に胴体着陸したドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A型:降着装置の右側が折れてしまい、金属製3翅プロペラの羽根も曲がってしまっている。Ju-88の諸元:全長 14.4メートル,全幅 20メートル,翼面積 54.5平方メートル,最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ,7.92mm機銃6丁,爆弾 2トン。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001294
Beschrijving Noodlanding van een Junkers Ju 88 op vliegbasis Schiphol.
Plaats Schiphol, Noord-Holland, Nederland Datering van 1940
Trefwoorden Junkers, Junkers Ju 88 Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_008293 引用。


ドイツ陸軍参謀本部が立案したフランス侵攻作戦「ゲルブ」(黄)計画は,第一次大戦のシュリーフェン計画と同様であった。

しかし,1940年1月10日,ドイツ空軍第二航空軍所属の連絡機Me-108タイフーンが,悪天候によって,ベルギーに不時着する事故が発生した。この連絡機には,ドイツ軍参謀が搭乗しており,その携帯していた参謀本部のゲルブ計画書(フランス侵攻作戦計画)が,ベルギー軍にわたってしまった。本来,このような機密書類を携帯して空路を飛ぶことは禁止されていたが,連戦連勝の中,機密保持についておろそかになっていた。

ベルギー軍が入手したドイツ軍のフランス侵攻作戦計画は,当然,英仏軍に手渡されたことは疑うべくもなかった。飛行機事故で,ドイツのフランス侵攻ゲルフ計画が連合軍に明らかになってしまったために,ドイツ軍は,侵攻変更を余儀なくされた。

ドイツ軍の主力は,ファン・ルントシュテット総司令官が率いるA軍集団で,フォン・クライスト将軍が率いる装甲集団が,ルクセンブルク,セダンを突破して,マール川を超え,ソンム川北岸をダンケルクに向かって突進した。ベルギーにあった連合軍は,退路を遮断されるのを恐れて退却を開始したが,A軍集団の装甲軍集団は,「電撃戦」というに相応しい機動力を発揮して,連合軍がフランス本土,パリへ退却するのを阻止してしまった。そこで,連合軍は,英仏海峡に面したダンケルクへと追い詰められた。

1940年5月14日、ドイツの第54,第57爆撃航空団ハインケルHe111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。当日,出撃した第54爆撃航空団のハインメル爆撃機に「交渉中のために爆撃延期」が打電されたが,ヘーネ中佐の部隊は,爆撃を中止できた編隊もあったが,ラックナー大佐の部隊は無電を傍受できず,爆撃を行った。

こうして,爆撃機57機がロッテルダム中心街のマース川北岸にあったオランダ群防衛陣地を50キロ爆弾1150発,250キロ爆弾158発,合計97トンによって空襲した。

1940年5月14日2030,オランダ軍総司令官ウィンケルマン将軍は,ラジオ放送を通じて,オランダ軍に全面降伏を命じた。ドイツ軍は,空挺作戦などによって,投入したJu-52輸送機430機の三分の二が破壊損傷した。

写真(右)1940年、オランダ南部沿岸、ゼーラント州フリッシンゲンに不時着したドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A型:イギリス爆撃の際に敵戦闘機の迎撃あるいは対空砲火を受け損傷した後、オランダン海岸までたどり着き、直ぐに不時着した機体のようだ。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001293 Beschrijving Noodlanding van een Junkers Ju 88 te Vlissingen. De mannen behoren tot een demontageploeg van Fokker. Plaats Vlissingen, Zeeland, Nederland Datering van 1940
Trefwoorden Junkers, Junkers Ju88 Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_001293 引用。


1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵は英国だけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言した。まだ、英国本土への大規模空襲は控えていた。英国の工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。

写真(右)1940年、オランダ、アムステルダム郊外 スキポール空港に胴体着陸したドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A型:降着装置の右側が折れてしまい、金属製3翅プロペラの羽根も曲がってしまっている。
Collectie Losse Fotografische Objecten Objectnummer 2000-558-001 Beschrijving Noodlanding van een Junkers Ju 88 van de Kampfgeschwader 4 (KG 4) op Vliegveld Schiphol. Plaats
Schiphol, Noord-Holland, Nederland Datering van 1940-03-06 Datering tot 1940-03-06
Trefwoorden Junkers Ju88, noodlandingen, landingen, Vliegveld Schiphol, vliegvelden, Tweede Wereldoorlog, conflicten, Kampfgeschwader 4, Luftwaffe
Vervaardiger [Onbekend] Materiaalsoort Ontwikkelgelatinezilverdruk Kleur/Zwart-wit Zwart-wit.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2000-558-001 引用。


1940年7月のバトルオブブリテンの開始の時、ドイツ空軍の対イギリス船の戦力は爆撃機1100機、急降下爆撃機300機、単発戦闘機800機で、偵察機など含めて合計2500機以上あった。ヘルマン・ゲーリングは、対フランス戦勝によって元帥となったが、対イギリス攻撃の緒戦では、目標はイギリス空軍兵力と空軍基地・レーダーだった。バトルオブブリテンは、ドイツ空軍では「鷲の日」の攻撃に始まり、その後しばらくしてから、都市爆撃、夜間爆撃が行われるようになった。

写真(右)1940年3月6日、オランダ、アムステルダム郊外 スキポール空港で滑走路側溝に落ちたドイツ空軍第4爆撃航空団(KG4)所属のユンカースJu88爆撃機A型の救助作業:イギリス爆撃の際に敵戦闘機の迎撃あるいは対空砲火を受け損傷した後、オランダン海岸までたどり着き、直ぐに不時着した機体のようだ。
Collectie Losse Fotografische Objecten Objectnummer 2000-558-002
Beschrijving Noodlanding van een Junkers Ju 88 van de Kampfgeschwader 4 (KG 4) op Vliegveld Schiphol.
Plaats Schiphol, Noord-Holland, Nederland Datering van 1940-03-06 Datering tot 1940-03-06 Trefwoorden Junkers Ju88, noodlandingen, landingen, Vliegveld Schiphol, vliegvelden, Tweede Wereldoorlog, conflicten, Kampfgeschwader 4, Luftwaffe Vervaardiger [Onbekend] Materiaalsoort Ontwikkelgelatinezilverdruk.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_001292引用。


写真(右)1940年、オランダ、アムステルダム郊外 スキポール空港に胴体着陸したドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A型:イギリス爆撃の際に敵戦闘機の迎撃あるいは対空砲火を受け損傷した後、オランダン海岸までたどり着き、直ぐに不時着した機体のようだ。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001292
Beschrijving Noodlanding van een Junkers Ju 88 op vliegbasis Schiphol.
Plaats Schiphol, Noord-Holland, Nederland Datering van 1940
Trefwoorden Junkers, Junkers Ju88 Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_001292引用。


写真(右)1940-1941年頃、ドイツ西部戦線、農地上空を飛ぶ迷彩塗装を施したドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A初期型:コクピット後方の風防に機銃座の膨らみがないので、A-3型以前の初期型である。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_008330
Beschrijving Bovenaanzicht van een tweemotorige bommenwerper, vermoedelijk een Junkers Ju 88. De camouflagekleuren op de bovenzijde van de romp komen nagenoeg overeen met het landschap waarboven de bommenwerper vliegt.
Trefwoorden camouflage, strategie, Junkers, Junkers Ju88
Onbekend Copyright NIMH.
写真はオランダ国防省,Minister van Defensie2157_008330引用。


写真(右)1939年,ドイツ、ユンカース社デッサウ飛行機工場、製造中のドイツ空軍ユンカースJu-88双発爆撃機A-1/A-3型:発動機のユモJu211液冷エンジンは、冷却液用の環状空冷冷却器(ラジエーター)を備えているので空冷エンジンのように見える。同じエンジンを搭載したハインケルHe111爆撃機は、エンジン下面に開口部をエアインテークを設けてそこに冷却器(ラジエーター)を装備した。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-772-0472-42 Archive title: Reichsgebiet.- Produktion / Montage von Flugzeugen Junkers Ju 88; KBZ OKW Dating: 1939 Photographer: Grimm, Arthur Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・"Bild101I-772-0472-42"引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年9月3日、ドイツ、ユンカース社飛行機工場で製造されるユンカースJu88爆撃機の機首・胴体部分
Beeldnummer 44710 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany Bijschrift Wie wird hier am Beispiel des Rumpfbaues der neuen Junkers Ju 88 sehen, schafft die Heimatfront in unermüdlichem Fleiss der kämpfenden Truppe die Waffen. Junkers 88. Type Foto
Datum 03/09/1942 Datum type Vrijgegeven
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 44710 引用。


写真(右)1942年9月3日、ドイツ、ユンカース社飛行機工場で製造されるユンカースJu88爆撃機の機首・胴体部分
Beeldnummer 44700 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen
Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Bijschrift Gross-Serie JU 88. Blick in eine der gewaltigen Montage-Hallen in denen der JU 88 - Rumpf serienmässig gebaut wird. Junkers 88.
Type Foto
Datum 03/09/1942 Datum type Vrijgegeven
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 44700 引用。


写真(右)1942年頃、ドイツ、ユンカース社飛行機工場で最終組み立てラインに入ったユンカースJu88爆撃機;作業員の乗る移動式専用作業台が機体の前に4台準備されていて、その上と主翼に作業員が乗って組み立てに従事している。
Beeldnummer 194
Collectie NIOD
Trefwoorden Gevechtsvliegtuigen, Oorlogsindustrie, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Bouwen van de Junker 88. Junkers 88. Type Foto
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 194 引用。


写真(右)ドイツ、ユンカース社飛行機工場で作業員によって運ばれるユンカースJu88爆撃機の機首コックピット・上面ガラス風防の取り付け作業; 機首の下には、爆撃照準器の地上目標覗き窓が突出している。
Beeldnummer 44701 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift Das Kanzeldach einer Ju 88 wird aufgesetzt. Junkers 88. Land: Germany
Bijschrift Gross-Serie JU 88. Blick in eine der gewaltigen Montage-Hallen in denen der JU 88 - Rumpf serienmässig gebaut wird. Junkers 88.
Type Foto Datum type Vrijgegeven
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 44701 引用。


写真(右)ドイツ、ユンカース社飛行機工場で組み立て中のドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機の機首コックピット・上面ガラス風防がこれから取り付けられる。; 操縦席は、左の正操縦士の座席はしっかり作られているが、右の副操縦士の席は簡易型である。操縦桿を左右に傾けることはできないようだが、席を交代して、操縦を代わることができる。機首の前方のダイヤモンド型ガラス窓が見えるが視界は良さそうだ。
Beeldnummer 44702 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift In endlosen Reihen entstehen unter den Händen erstklassiger deutscher Facharbeiter die neuen Junkers Ju 88 - Bomber bereit zum Einsatz gegen England. Junkers 88.
Type Foto Datum type Vrijgegeven
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 44701 引用。


ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機の機首コックピットには、複式並列操縦席がある。席の左が正操縦士、右が副操縦士の座席だが、正操縦士の座席に比べて、副操縦士の座席は簡易型の丸型で、折り畳み式である。これは、機首への移動がしやすい構造にしたためである。操縦桿は1本だけだが、ハインケルHe111爆撃機のように操縦桿を左右に傾けることはできない。操縦士を交代するには、操縦士が席を交代しなければならない。

機体の操縦を席を交代することなしに変更できるハインケルHe111爆撃機は、コックピット容積も大きく、居住性は遥かに良く、長距離飛行の差異も乗員の疲労を軽減できる。Ju88爆撃機とHe111爆撃機を比較すると、飛行性能は、Ju88爆撃機が優れているが、He111爆撃機が1944年になっても第一線で使用できた理由は、操縦のしやすさ、居住性の良さ、汎用性の高さから、飛行兵たちに使いやすかったからであろう。

写真(右)ドイツ、ユンカース社飛行機工場で作業員によって運ばれるユンカースJu88爆撃機のエンジンナセルと引込み式主輪の取り付け作業;作業に便利なように、施設の床は窪みを付けて低い位置に作業員が立てるようになっている。主輪は車軸が90度回転して、車輪が扁平になった位置でエンジンナセルの後部にある空間に引き込まれ、カバーが掛けられる。
Beeldnummer 44703 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Arbeiders, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Bijschrift Das Fahrwerk einer Ju 88 im Fahrwerkprüfstand. Junkers 88.
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 44703 引用。


双発だが操縦性の良いユンカース(Junkers)Ju-88は、急降下爆撃として9000機が生産された。さらに、重戦闘機、夜間戦闘機として兵装が強化され、戦闘機として6000機が生産された。つまり、Ju-88は、爆撃機(偵察機)・戦闘機として、1万5000機もが量産された。

写真(右)1940-1941年頃,未舗装の飛行場に待機しているドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-1/A-3型:手前は、Ju88爆撃機の降着装置・主輪と左側には、機首下面のゴンドラ後端昇降口が開けられた状態になっている。この状態でも1.5メートル以上の高さがあるので、機内に入るには梯子が必要である。を下ろして、ゴンドラ後方の昇降口を開けて、はしごをかけている。ゴンドラ後方の昇降口には、防御用の7.92ミリMG15旋回機関銃1丁、ドラム型弾倉が装備されているだ。
Junkers Ju 88 Catalog #: 01_00081298 Title: Junkers JU-88 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081298引用。


写真(右)1940-1942年頃,飛行場に待機しているドイツ空軍第51爆撃航空団(KG 51:Kampf-geschwader 51 "Edelweiß")A-5型:主翼エンジンナセル外側には、過重離陸を可能にするロケットが搭載されている。これは、離陸後に投下し、パラシュートで降下したものを地上で回収し、再使用可能。副操縦席前方には、7.92ミリM17旋回機関銃1丁が見える。コックピット上にはアンテナ線を尾翼にまで張るアンテナ支柱が立っている。ユモ211液冷エンジンの排気がエンジンナセルを黒く汚している。
Junkers Ju 88A-5 KG57 with PictionID:44219989 - Title:Junkers Ju 88A-5 KG57 with - Catalog:16_005419 - Filename:16_005419.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220088引用。


写真(右)1940年10月16日、北フランスあるいはオランダ、イギリス本土航空決戦当時のドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A型;機首の後方コックピットに7.92ミリMG15旋回機銃1丁あるいは7.92ミリMG81旋回機関銃2丁のどちらかを装備しているようだ。
Beeldnummer 182 Collectie NIOD
Trefwoorden Personeel, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Neues deutsches Kampfflugzeug gegen England. Junkers 'Ju 88', die modernsten Kampfflugzeuge unserer Luftwaffe, auf einem Feldflughafen vor ihrem Einsatz gegen England. Junkers 88. . Datum 16/10/1940
Bijschrift Gross-Serie JU 88. Blick in eine der gewaltigen Montage-Hallen in denen der JU 88 - Rumpf serienmässig gebaut wird. Junkers 88.
Datum type Vrijgegeven
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 182 引用。


写真(右)1941年6月16日、北フランスあるいはオランダ、イギリス本土航空決戦当時のドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型の戦列;手前の車輪は、Ju88のユモJumo211液冷12気筒エンジンのナセル下面に90度回転して、タイヤを平面にして収納される。機首の後方コックピットの銃座は、A-5 型では7.92ミリMG15旋回機銃1丁だったが、A-4 型では7.92ミリMG81旋回機関銃2丁に強化されている。
Beeldnummer 183 Collectie NIOD
Trefwoorden Bommenwerpers, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift In Riesenserien stehen die berühmten Junkers Ju 88 zum Einsatz gegen England bereit. Ju 88 bommenwerpers Junkers 88.. Datum 16/06/1941
Bijschrift Gross-Serie JU 88. Blick in eine der gewaltigen Montage-Hallen in denen der JU 88 - Rumpf serienmässig gebaut wird. Junkers 88.
Datum type Vrijgegeven
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 183 引用。


ユンカースJu 88爆撃機A-5型は、A-3型の主翼スパンを若干延長したタイプで、本来はエンジン変換の予定だったが、それが間に合わず、ユンカース・モーター(Junkers Motoren)の発動機ユモJumo211B-1, G-1、H-1液冷エンジン(1200馬力)を搭載していた。A-4型では、主翼延長に加えて、エンジンを変換し、ユモJumo 211 J-1、J-2液冷エンジン (1410馬力) を搭載、出力を強化した。また、プロペラも、資源節約のために木製プロペラに変換している。つまり、A-5型は、A-4型の後継の形式だが、実際には、エンジン変換が間に合わなかったために、A-4型に先行する機体として、先に部隊配備された。コックピット後上方の銃座は7.92ミリMG15旋回機銃1丁のみ。

写真(右)1940-1941年、ドイツ、ユモJumo211液冷エンジンを整備中のドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A型;機首下面のゴンドラ先端部には、爆撃照準器の筒状のぞき窓がある。
Beeldnummer 4402 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen . Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Bijschrift In endlosen Reihen entstehen unter den Händen erstklassiger deutscher Facharbeiter die neuen Junkers Ju 88 - Bomber bereit zum Einsatz gegen England. Junkers 88.
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 4402引用。


ユンカースJu-88の諸元
全長 14.4メートル,全幅 20メートル
翼面積 54.5平方メートル
発動機ユモJumo211離昇出力1410 hp2基
最高速力 470キロ
航続距離 2730キロ
兵装:7.92ミリMG17機銃6丁
搭載爆弾量:爆弾 2トン
生産総数 15000機(爆撃機9000機,戦闘機6000機)

写真(右)1941-1942年、地中海方面、対空偽装用のカモフラージュ網をかけて隠匿されているドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A型
Beeldnummer 361 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Camouflage, Gevechtsvliegtuigen, Duitse strijdkrachten . Locatie Naam: Mediterranean Sea
Bijschrift Gut getarnt von feindlichter Fliegersicht erwarten unsere Ju 88-Stukas im Mittelmeerraum den Marschbefehl zu neuem Einsatz. Camouflagenet verbergt de Ju-88. Junkers 88.
Type Foto
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 361 引用。


写真(右)1941-1942年頃、ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型の機首と顔を出す副操縦士;副操縦士の前には、7.92ミリMG81旋回機銃が装備されているが、筒状の照準器を特別装備している様だ。機首の後方コックピットの銃座は、A-5 型では7.92ミリMG15旋回機銃1丁だったが、A-4 型では7.92ミリMG81旋回機関銃2丁に強化している。
Beeldnummer 118538 Collectie Verzetsmuseum Friesland
Trefwoorden Piloten, Luftwaffe
Bijschrift In Riesenserien stehen die berühmten Junkers Ju 88 zum Einsatz gegen England bereit. Ju 88 bommenwerpers Junkers 88.
Bijschrift Een Duitse vlieger vraagt aan het grondpersoneel wanneer zijn Junkers Ju 88 startklaar is. Junkers 88.
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 118538 引用。


写真(右)1940年8月11日,イギリス南、ポートランド港上空で撃墜されたドイツ空軍空軍第54爆撃航空団第2飛行隊(II/KG 54)のユンカースJu 88爆撃機A-1型と警備するイギリス軍兵士:第213戦闘機中隊のハリーケーンに迎撃され、撃墜された、裏焼き写真で左右が逆になっている。
THE BATTLE OF BRITAIN 1940
Object description Soldiers guarding a crash-landed Junkers Ju 88A-1 of Stab II/KG 54 at Portland Head in Dorset, shot down by a No. 213 Squadron Hurricane over Portland Harbour, 11 August 1940. The censor has obscured the background.
Catalogue number HU 104714 
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (HU 104714)引用。


写真(右)1940年8月21日,イギリス南岸、チチェスター、アーンリーに撃墜されたドイツ空軍第54爆撃航空団第4飛行隊(4./KG 54)のユンカースJu 88爆撃機A-1型(B3+BM) :第17戦闘機中隊のハリーケーンに迎撃され、撃墜された。
THE BATTLE OF BRITAIN
Object description Troops and civilians pose with Junkers Ju 88A-1 (B3+BM) of 4./KG 54, which belly-landed on Marsh Farm, Earnley, Sussex, on the evening of 21 August 1940. It had been intercepted by No. 17 Squadron Hurricanes during an attack on RAF Brize Norton.
CreatorPress Agency photographer Production date 1940-08
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (HU 73745)引用。


写真(右)1940年8月25日,イギリス中部東岸、スカボロー、撃墜されたドイツ空軍第30爆撃航空団のユンカースJu 88爆撃機A-4型:ヨークシャーの飛行場攻撃に飛来し、第616戦闘機中隊のスピットファイア、第73戦闘機中隊のハリーケーンに迎撃され、撃墜された。
THE BATTLE OF BRITAIN, JULY-OCTOBER 1940
Object description Troops guard the burning remains of a Junkers Ju 88 of the KG 30, one of seven aircraft shot down during attacks on airfields in Yorkshire on 15 August 1940. Spitfires of No. 616 Squadron and Hurricanes of No. 73 Squadron intercepted the enemy formation as it approached the coast near Scarborough.
Creator Press Agency photographer Production date 1940-08-15 Catalogue number HU 63859
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (HU 63859)引用。


写真(右)1940年8月31日,イギリス南、ロンドンのウッドグリーンで戦利品として展示されたドイツ空軍のユンカースJu 88爆撃機A型と機体に搭載されていた緊急用救命用ゴムボート:垂直尾翼のナチ党カギ十字が卍で逆回転しているので、裏焼き写真で左右が逆になっている。
THE BATTLE OF BRITAIN
Object description Air cadets and civilians examine the dinghy from a shot-down Junkers Ju 88 on display at Wood Green in London, 31 August 1940.
CreatorPress Agency photographer Production date 1940-08
Part of FOREIGN OFFICE POLITICAL INTELLIGENCE DEPARTMENT (PID) SECOND WORLD WAR PHOTOGRAPH LIBRARY: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (HU 104731)引用。


写真(右)1940年10月2日,イギリス、鹵獲したドイツ空軍第51爆撃航空団「エーデルワイス」(KG 51:Kampf-geschwader 51 "Edelweiß")所属のユンカースJu 88爆撃機A型を検分するイギリス人技術者たち
THE BATTLE OF BRITAIN Object description A captured Junkers Ju 88 undergoing examination, 2 October 1940. Note the 'Edelweiss' badge of KG 51.
Creator Press Agency photographer Catalogue number HU 104725
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (HU 104725)引用。


写真(右)1940年10月2日,イギリス、鹵獲したドイツ空軍第51爆撃航空団「エーデルワイス」(KG 51:Kampf-geschwader 51 "Edelweiß")のユンカースJu 88爆撃機A型を検分するイギリス人技術者たち
THE BATTLE OF BRITAIN Object description A captured Junkers Ju 88 undergoing examination, 2 October 1940. Note the 'Edelweiss' badge of KG 51.
Creator Press Agency photographer Catalogue number HU 104730
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (HU 104730)引用。


写真(右)1940年10月10日,イギリス南部、ロンドン、プリムローズ・ヒルに展示されるためトラックで輸送されるドイツ空軍第77爆撃航空団第2飛行隊(2./KG 77)のユンカースJu 88爆撃機A-1型(W.Nr. 2142: 3Z+DK) の残骸:9月30日に、イギリス軍の対空砲火で迎撃され、ガトウィック競馬場近くに墜落した。
THE BATTLE OF BRITAIN Object description The remains of Junkers Ju 88A-1 (W.Nr. 2142: 3Z+DK) of 2./KG 77 on public display at Primrose Hill in London, 10 October 1940. The bomber had been hit by AA fire and crash-landed on Gatwick race course on 30 September.
Creator Press Agency photographer Production date 1940-10-10 Catalogue number HU 73444
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR PRESS AGENCY PRINT COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (HU 73444)引用。


写真(右)1940年11月,イギリス、撃墜されたドイツ空軍第30爆撃航空団第1飛行隊(I/KG 30)のユンカースJu 88爆撃機A型にラインアップしたスピットファイア戦闘機部隊訓練兵たち:エンブレム(Insignia)は、白地に急降下する黒い鷲が第30爆撃航空団第1飛行隊、赤地に黒鷲が第30爆撃航空団第2飛行隊(II/KG 30)。
THE BATTLE OF BRITAIN Object description Trainee Spitfire pilots line up for a photograph on the fuselage of a shot-down Junkers Ju 88 of KG 30, November 1940..
CreatorRoyal Air Force official photographer Catalogue number CH 1758
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (CH 1758)引用。


写真(右)1940-1942年頃,雲上を飛行するドイツ空軍第51爆撃航空団(KG 51:Kampfgeschwader 51 "Edelweiß")所属のユンカースJu 88爆撃機A-4型:機首には、優雅なエーデルワイス( ウスバユキワリソウ)のエンブレムを付けた。並列式の操縦席の右(副操縦席)前方、後上方左右に防御用7.92ミリMG15旋回機銃各1丁を搭載。さらに、機首下面ゴンドラの後下方にも防御用7.92ミリMG15旋回機銃1丁を搭載。
Junkers Ju 88A-4 Nowarra collection PictionID:44220026 - Title:Junkers Ju 88A-4 Nowarra collection - Catalog:16_005422 - Filename:16_005422.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220026引用。


写真(右)1940-1942年頃,駐機しているユンカースJu 88爆撃機A-4型。機首下方ゴンドラの昇降口に梯子がかかっている。:機首並列式の操縦席の右(副操縦席)前方、機首下面ゴンドラの後下方にも防御用7.92ミリMG15旋回機銃1丁が見える。
Junkers Ju 88A-4 Nowarra collection PictionID:44220038 - Title:Junkers Ju 88A-4 Nowarra collection - Catalog:16_005423 - Filename:16_005423.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220038引用。


写真(右)1940-1942年頃,飛行中のユンカースJu 88爆撃機A-4型:機首並列式の操縦席の右(副操縦席)前方と、機首前方ダイヤモンド型風防右側にも防御用7.92ミリMG15旋回機銃1丁が見える。主翼には250キロ爆弾を懸架している。手前は、僚機のコックピット後方にある防御用7.92ミリMG15旋回機銃の照準器。
Junkers Ju 88A-4 Nowarra collection PictionID:44220062 - Title:Junkers Ju 88A-4 Nowarra collection - Catalog:16_005425 - Filename:16_005425.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220062引用。


双発だが操縦性の良いドイツ空軍ユンカースJu-88爆撃機は、急降下爆撃・雷撃も可能な万能攻撃機として9000機が生産された。さらに、敵東部戦線の対地上攻撃機、連合軍の爆撃機を昼間に迎撃する重戦闘機、夜間に都市空襲を行う連合軍爆撃機を夜間迎撃する夜間戦闘機としても6000機生産された。

写真(右)1940-1942年頃,ドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-4型のコックピット後上方の防弾ガラス・装甲板付き銃座の7.92ミリMG81旋回機銃:7.92ミリMG81機関銃は、7.92ミリMG15機銃よりも銃身が短かく、発射速度が速い。中央にはアンテナ線を尾翼にまで張るためのアンテナ支柱で、揺れ防止のための鋼線が左右に張ってある。
Junkers Ju 88A-4 dorsal MG 81s Nowarra collection PictionID:44220088 - Title:Junkers Ju 88A-4 dorsal MG 81s Nowarra collection - Catalog:16_005427 - Filename:16_005427.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220088引用。


1941年6月21日,バルバロッサ作戦開始の前日のドイツ軍東部戦線配備兵力

兵員300万人,戦車3580両,火砲7184門,車両60万台,ウマ75万頭。航空機1830機.

対峙するソ連軍は,兵員450万人,10個軍だった。

ソ連軍は,北方には30個師団,8個機甲旅団,中部に45個師団,14個機甲旅団,南部に64個師団,14個機甲旅団を配備

ソ連空軍は白ロシア(ベラルーシ)に6000機を配置。

ドイツ空軍は,東部戦線に四個航空軍を配備,第一線機1280機を揃えた。内訳は,ハインケルHe-111,ユンカースJu-88など双発爆撃機510機,ユンカースJu87など急降下爆撃機290機,メッサーシュミットMe109単発戦闘機440機,Me110双発駆逐機40機,長距離偵察機120機である。
ソ連空軍は,その2倍の飛行機を保有していると予測された。

写真(右)1940-1942年頃,洋上を飛行するドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-4型:副操縦席前方には、7.92ミリMG81旋回機関銃1丁が見える。7.92ミリMG15機銃よりも銃身が短かく、発射速度が速いので防御用としては優れていた。コックピット上にはアンテナ線を尾翼にまで張るアンテナ支柱が立っている。ユモ211液冷エンジンの排気がエンジンナセルを黒く汚している。
Junkers Ju 88A-5 Nowarra collection PictionID:44219964 - Title:Junkers Ju 88A-5 Nowarra collection - Catalog:16_005417 - Filename:16_005417.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID: 44219964引用。


バルバロッサ作戦では,今までの空軍,陸軍の関係が逆転している。1940年5月のベルギー・フランス侵攻では,グライダー空挺部隊によるエバン・エマール要塞を奇襲攻略するために,空軍が陸軍よりも先に出撃する必要があった。攻撃開始時間は,陽光が不可欠だった。

他方,ソ連侵攻バルバロッサ作戦の攻撃時間は,6月22日0315で,ドイツ陸軍は早暁に行動を起こして奇襲効果を高めた。

写真(右)1940-1942年頃,飛行場でユモ211液冷エンジンを駆動し木製三翅プロペラを回転させているドイツ空軍第30爆撃航空団「アドラー(鷲)」(KG30;Kampf-geschwader 30 ”Adler” (eagle))ユンカースJu 88爆撃機A-5型:A-5型はA-4型のエンジン変換が間に合わなかったために、A-4型に先行する機体として、先に部隊配備された。コックピット後上方の銃座は7.92ミリMG15旋回機銃1丁のみ。副操縦席前方には、7.92ミリM81旋回機関銃1丁、機首下のゴンドラ後下方には7.92ミリMG15旋回機銃1丁が見える。コックピット上にはアンテナ線を尾翼にまで張るアンテナ支柱が立っている。ユモ211液冷エンジンの排気がエンジンナセルを黒く汚している。
PictionID:44219964 - Title:Junkers Ju 88A-5 Nowarra collection - Catalog:16_005417 - Filename:16_005417.TIF -
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog: 16_005417引用。


写真(右)1941年,ドイツ空軍第30爆撃航空団「アドラー(鷲)」(KG30;Kampf-geschwader 30 ”Adler” (eagle))ユンカースJu-88双発爆撃機:イギリス本土夜間爆撃に従事するようになると、機体を黒色で塗装するようになった。スツーカ(Stuka)とは,急降下爆撃機で,単発のJu-87が有名だが,双発のJu-88も急降下爆撃ができた。
Stukas noch und noch. Teile einer im Bau befindlichen Serie der Ju 88. In riesigen Fabrikhallen entstehen diese Maschinen, die sich im Kampf gegen Russland aufs Neue bewähren. Fr.OKW. 41.6.25. Sammlung Seiler, Berlin Dating: 1941 Photographer: Seiler
ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。


第二次大戦で使用されたユンカースの航空機は,1935年3月16日にヒトラーが、ヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し再軍備宣言をして以降、開発されている。

ヒトラーの再軍備宣言
?義務兵役制を復活:兵力36個師団,50万人を動員
?軍事組織の名称変更:陸海軍に加えて空軍Luftwaffeを新設し,国軍Reichswehrを伝統的な国防軍Wehrmachtに戻す。国防省を陸軍省(Ministry of War)と変更。陸軍参謀本部の復活。

写真(右)1941年、フランス、飛行場で発進準備なったドイツ空軍第1爆撃航空団(KG1)「ヒンデンブルク」 ”Hindenburg”; 所属のユンカースJu-88爆撃機A型:ユモJumo 211B液冷エンジン(1000馬力)強化して1350馬力としたユモJumo 211Jを搭載したが、最高速度は500キロ近い爆撃機。高速爆撃機として登場したが、イギリス本土航空決戦では、もはや「高速」とはいえず、昼間爆撃は決死攻撃となった。
Frankreich.- Zwei Flugzeuge Junkers Ju 88 (Kennung V4+?) des Kampfgeschwader 1 (KG 1) auf Flugplatz beim Start; KBK Lw 4
Date 1941 Photographer Marten Institution German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 wikidata:Q685753
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-388-0952-15
写真はBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-388-0952-15, Flugzeuge Junkers Ju 88.jpg引用。


1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵はイギリスだけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言した。まだ、イギリス本土への大規模空襲は控えていた。イギリスの航空機工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。

写真(右)1941年6月25日、ノルウェー、ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A型;コックピット前方に7.92ミリMG15旋回機関銃。
J.U. 88 lähtövalmiina Sjöblom, valokuvaaja Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-06-25 Sjöblom, valokuvaaja Tämän aineiston tarjoaa Sotamuseo Ota yhteyttä
写真はForsvarets museer ・sa-kuva-78179引用。


7.92ミリMG15機銃は、1935年のドイツ再軍備宣言が出される以前に密かに開発されていたドイツ軍の航空機搭載用旋回機銃。第二次世界大戦に使用された航空機のほぼすべての旋回機銃として搭載された。弾丸を入れる弾倉は75発入りサドルドラム式で、ドラムの半分は撃ち殻(空薬莢)入れになっている弾倉交換が容易で、ベルト給弾式とは異なり、バラの弾を装填しゼンマイ式スプリングで給弾する。

ユンカース社Junkers & Co)は,フーゴー・ユンカースHugo Junkers)の下で,航空機用エンジンと飛行機を製造する工場を持つ巨大企業である。ナチス政権獲得の1933年,一族の株式持ち株率を51%以下にするように命じられた。フーゴー・ ユンカースが1935年2月に死亡した後,遺族に補償がなされた。

ユンカースの主要工場デッサウ(Dessau)には,4万人の従業員が雇われたが,空軍拡張に伴って,ハルバーシュタット,アッシェルスレーベン, シュタスフルト,ハレなどに工場が増設された。

写真(右)1941年6月25日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ飛行場(?)、ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A型;搭載しているのは、ユンカース・モーター(Junkers Motoren)のユモJumo 211倒立V型12気筒液冷エンジン2基を装備。Ju88爆撃機A-4型以前に部隊配属されたA-5型は、翼端延長型だったが、エンジン古い.ユモJumo 211B/G/Hで離昇出力は1,200 hpだった。次のA-4型は、新型のユモJumo 211J 離昇出力1410 hpを装備した
Syöksypommittaja J.U. 88 Sjöblom, valokuvaaja Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-06-25 Sjöblom, valokuvaaja
写真はForsvarets museer ・sa-kuva-78170引用。


ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-5型は、翼端を延長した新型主翼を装備していたが、装備していたエンジンはそれ以前の型と同じで、ユンカース・モーター(Junkers Motoren)ユモJumo 211B/G/H倒立V型12気筒液冷エンジンで、離昇出力は1,200馬力 hpだった。次のユンカースJu88爆撃機A-4型は、新型のユモJumo 211J倒立V型12気筒液冷エンジンを装備し、その離昇出力は1410 馬力に強化されていた。

1941年6月22日、ドイツはソ連に侵攻した。そして、1941年6月25日、1939年にソ連と冬戦争を戦ったフィンランドが、ソ連に併合されたカレリア地方を取り戻すために、「継承戦争」と称して、ソ連を攻撃した。

当初、ドイツ軍は快進撃を続け、前線にあったソ連赤軍を壊滅し、包囲戦により多数の捕虜も得ていたが、バルバロッサ作戦では3カ月以内にソ連を打倒するが、半年たっても、モスクワ前面で、予備軍の動員を強行したソ連赤軍の粘り強い抵抗を受けていた。1941年11月末、モスクワ前面に迫っていたドイツ軍は、予備軍も燃料・弾薬も不足しており、この厳冬期を迎えてソ連軍は大反攻を開始した。

写真(右)1941年6月25日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ飛行場(?)、ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型;機首のダイヤモンド型風防には、黒色のカバーがぴったりかけられている。手前にいる8名の兵士は、フィンランド軍の兵士なのかもしれない。ゴンドラの先端は、爆撃手の照準器のガラス窓があるがの内部まで見える。
Lentäjäpojat. Lentäjäpojat. Lentokone on Junkers Ju-88 A-4.
写真はForsvarets museer ・sa-kuva-121554引用。


主翼下面の爆弾懸架(ラック)は、胴体側(内側)は大型でSC1000のような1トン爆弾や900リットル入り落下タンクも搭載できる1トン懸架ラックで、エンジンナセル側(外側)は中型でPC500爆弾が搭載できる500キロ懸架ラックが装備されている。

ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型以前に部隊配属されたA-5型は、翼端延長型だったが、エンジン古いJumo 211B/G/H倒立V型12気筒液冷エンジンで離昇出力は1,200 hpだった。次のA-4型は、新型のユモJumo 211J 離昇出力1410 hpを装備した。このJu88A-4爆撃機を改修したのがJu88D-1偵察機で、A-4と同じ Jumo 211J倒立V型12気筒液冷エンジンを装備していた。

写真(右)1942年春,フランス、ユンカースJu-88A-4双発急降下爆撃機:コックピット後方の膨らみ(バルジ)に銃座が2カ所あり、各々7.92ミリMG81旋回機銃1丁、合計2丁が装備されている。大型爆弾を人力で曳航しJu-88主翼下面に搭載中。白色の鉄十字マークが黒で薄められており、夜間爆撃機仕様の塗装を施されている。乗員4名が勢揃いしているが、黄色の救命胴衣を装着しているのは3名。救命胴衣の正面左側脇には、海上で空気を吹き込むためのパイプがついている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-371-2568-33 Archive title: Frankreich.- Pilot und Besatzung einer Junkers Ju 88 auf einem Feldflugplatz vor Flugzeug stehend, Frühjahr 1942; KBK Lw 3 Dating: 1942 Frühling Photographer: Röder Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・"Bild 101I-371-2568-33引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年夏,ドイツ空軍ユンカースJu-88A爆撃機とその前でトランプをしながら待機する搭乗員たち:機首下面のゴンドラ後方の昇降口にはしごを掛けて、コックピットに出入りできる。ゴンドラ後端には、後下方銃座に7.92ミリMG81Z連装機関銃が装備されているのが分かる。副操縦手の座席前にも、7.92ミリMG15旋回機銃が装備されている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-359-2003-05 Archive title: Im Westen.- Flugzeug Junkers Ju 88 auf Feldflugplatz. Piloten und Bordschützen vor Maschine sitzend und Karten spielend; KBK Lw 3 Dating: 1942 Sommer Photographer: Röder Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録:Signature: Bild 101I-359-2003-05 引用(他引用不許可)。


写真(右)1941-1943年、北アフリカ、チュニジア、ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機の垂直尾翼(手前)とユンカースJu52/3m輸送機の垂直尾翼などの残骸;戦闘終了後に、ドイツ軍基地を占領したイギリス軍が見つめたドイツ機の残骸。
ROYAL AIR FORCE OPERATIONS IN THE MIDDLE EAST AND NORTH AFRICA, 1939-1943.
Object description Members of the RAF Regiment inspect wrecked Junkers Ju 52s and other German aircraft in a scrap heap on El Aouina airfield, North-east of Tunis.
Catalogue number CNA 710
Part of JUNKERS FLUGZEUGWERKE COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum ・IWM (CNA 710)引用。


ヒトラーは,英国がソ連を当てにして戦っていると考え,イデオロギー上の敵であるボリシェビキを殲滅し,東方ソ連にドイツ民族の生存圏を獲得しようとの本心をむき出しにして,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」を発動した。しかし,1940年9月7日、ドイツの同盟国イタリアは、リビア植民地から、イギリス属国エジプトへの攻撃を掛けていたが、1941年には反撃を受けて苦戦していた。そこで、ヒトラーは、リビアに敗退してきたイタリア陸軍グラッツィアーニ元帥を支援するために、1941年2月に、エルヴィン・ロンメル指揮のドイツ・アフリカ軍団をリビアに派遣した。さらに、その直後、1941年4月,ユーゴスラビアで反ドイツのクーデターが勃発,急遽,ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した。

ヒトラーが、西部戦線とイギリスを屈服させられないうちに、東部戦線を開いて、ソビエト連邦との二正面作戦を展開したといわれることが多いが、実は、バルカン。北アフリカなど地中海方面での大規模な戦闘を開始したのが、二正面作戦の始まりで、東部戦線のソ連侵攻で、三正面作戦になったのである。

写真(右)1941 -1942年頃,対ソビエト連邦侵攻時、雲上を飛行するドイツ空軍ドイツ空軍第3爆撃航空団(Kampfgeschwader 3 :KG 3)「ブリッツ」(電光)のユンカースJu 88爆撃機A-4型:並列式の操縦席の右(副操縦席)前方、後上方左右に防御用7.92ミリMG15旋回機銃各1丁が搭載されている。さらに、機首下面ゴンドラの後下方にも防御用7.92ミリMG81Z旋回機銃を搭載している。
Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081807 Title: Junkers, Ju.88 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081807引用。


1941年6月22日、ドイツ軍は、「バルバロッサ作戦」(Unternehmen Barbarossa)に基づいて、ソ連に侵攻した。ドイツ軍は、東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げ、3カ月程度でソビエト連邦に勝利するつもりだった。

写真(右)1942年9-10月,対ソビエト侵攻、東部戦線、飛行中のドイツ空軍第3爆撃航空団(Kampfgeschwader 3 :KG 3)「ブリッツ」(電光)所属のユンカースJu-88爆撃機A型
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-325-2780-10 Archive title: Sowjetunion.- Flugzeug Junkers Ju 88 des Kampfgeschwader 3 (KG 3) im Flug; KBK Lw 1 Polen Dating: 1942 September - Oktober Photographer: Lengwennings Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録:Signature: Bild 101I-359-2003-05 引用(他引用不許可)。


ヒトラーは,英国がソ連を当てにして戦っていると考え,イデオロギー上の敵であるボリシェビキを殲滅し,東方ソ連にドイツ民族の生存圏を獲得しようとの本心をむき出しにして,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」を発動した。しかし,その直前の1941年4月,ユーゴスラビアで反ドイツのクーデターが勃発,急遽,ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した。

写真(右)1942年,北アフリカ・イタリア戦線、ドイツ空軍第77爆撃航空団第1飛行隊所属のユンカースJu-88A双発急降下爆撃機:ゴンドラの先端には、爆撃照準器が置かれていたが、それを移動して、20ミリMG151/20機関銃1丁を搭載した。地中海方面で、対艦船攻撃の際に、機銃掃射を行い、対空砲火を沈黙させる狙いから、前方に固定機関銃を搭載するようになった。エンジンナセル下半分、ゴンドラ前半、尾部下面にスポットの迷彩塗装を施している。車輪は90度回転してからJumo211エンジンナセルに引き込まれる。当時の日本の軍用機ではこのような複雑な降着装置の機構を安定して起動させることはできなかった。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-417-1766-03A Archive title: Nordafrika / Italien.- Flugzeug Junkers Ju 88 (Kennung 3Z+H) des Kampfgeschwader 77 (I./KG 77) mit gefleckten Motorunterseiten im Flug; KBK Lw 6 Dating: 1942 ca. Photographer: Ellerbrock, Werner Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1941年3月1日、ドイツ、ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機の主翼下面に装備したETCラックに500キロ爆弾を搭載している整備員たち。;懸架作業に便利なように、油圧式の主導爆弾持ち上げ装置に爆弾を乗せている。胴体中央下面の爆弾倉には、50キロあるいは250キロ爆弾が搭載可能だが、500キロ以上の大型爆弾は、外部に懸架している。これは、He111爆撃機でも同じである。
Beeldnummer 14 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Vliegvelden, Bommen
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Bijschrift Ju 88 Het originele bijschrift luidt: 'Hängt sie richtig?' Duits luchtmachtpersoneel bij het laden van de Heinkel bommenwerpers.. Datum 01/03/1941
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 44703 引用。


1941年6-7月、バルバロッサ作戦でソ連軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,1942年の東部戦線では,スターリングラード空輸作戦以外,大軍をまとめて投入することはなくなった。

1942-1943年,スターリングラード攻防戦Battle of Stalingrad )では、ドイツ空軍総司令官 ゲーリング国家元帥は、包囲されたドイツ第6軍へ空輸することを約束したが、ソ連軍空軍の反撃と飛行場の喪失から、空輸に失敗し、ドイツ第6軍は1943年1-2月に降伏した。

ドイツ空軍ハインケルHe 111H爆撃機の諸元
原型初飛行 1935年2月,生産機数 7000機以上
全長 16.4メートル,全幅 22.5メートル,翼面積 86.5平方メートル
全備重量: 1.2トン,JunkersエンジンJumo2111300馬力2基
最大時速 400キロ,航続距離 2800 キロ
兵装: 7.92ミリMG15機関銃6丁,爆弾2トン。

写真(右)1942-1943年,フランス、西部戦線、ドイツ空軍ユンカースJu-88爆撃機A型と搭載する1トン爆弾SC1000を木製橇に乗せて運搬するトラック
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-356-1804-10 Archive title: Frankreich.- Beladen von Flugzeugen Junkers Ju 88 auf Flugplatz mit Bomben; KBK Lw 3 Dating: 1942/1943 Photographer: Rompel, Johannes Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録:Signature: Bild 101I-359-2003-05 引用(他引用不許可)。


写真(右)1942/1943 年,フランス、1トンの重量のあるSC1000爆弾を人力でユンカースJu-88A爆撃機に搭載する地上勤務整備員たち:ETCラックには爆弾を地上から引き揚げる滑車がついているが、それを回転させて爆弾を引き上げるには、時間がかかる。それよりも、多数の人員を動員して、ロープで爆弾を直接滑車から引き揚げたほうが、時間を短縮して、爆弾を搭載できる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-356-1804-18 Archive title: Frankreich.- Beladen einer Junkers Ju 88 mit Bomben; KBK Lw 3 Dating: 1942/1943 Photographer: Rompel, Johannes Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録: Bild 101I-375-2710-32 引用。


写真(右)1943年,機雷を主翼付け根のラックに懸架するユンカースJu-88A爆撃機:対艦船の磁力反応信管、音響反応信管などを備えた新鋭の機雷を、敵船舶の航路上に飛行機により投下する。このような機雷の空中投下を世界で初めて大々的に行ったのは、ドイツ空軍だった。機首ゴンドラ先端にエリコン20ミリMG-FF機銃,ゴンドラ後端(搭乗口)に7.92ミリMG81二連装機銃を装備している。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-375-2710-32 Archive title: Im Westen (Niederlande).- Flugzeug Junkers Ju 88 auf Feldflugplatz.- Beladen mit Bomben; Lw PK 3 Dating: 1943 Photographer: Luben, W. O. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・ Bild 101I-375-2710-32引用(他引用不許可)。


ドイツは、技術力を駆使して、対艦船用の魚雷や機雷に装備する磁力反応信管、音響反応信管を開発、実用化することに成功した。新型魚雷・新型機雷は、ドイツ海軍潜水艦Uボートに搭載された。しかし、新型の音響機雷、磁力感応式機雷は、ドイツ空軍機から、敵船舶の航路上に空中投下され、敷設された。1944年6月の西側連合国軍のフランス侵攻「オーバーロード作戦」でも敷設されたドイツ軍の機雷が、上陸部隊や補給部隊の行動を妨げ、脅威になった。

機雷の空中投下という新機軸の戦術は、ドイツ空軍が世界で初めて大々的に実戦で行った。

1944年末から1945年8月、日本本土を空襲したアメリカ陸軍航空隊も、関門海峡、津軽海峡、瀬戸内海、港湾出入り口などを機雷封鎖するために、B-29爆撃機によって、磁力感応式機雷の空中投下を行った。アメリカ軍の機雷処理は、戦後、日本の旧海軍軍人が掃海を担ったが、安全な海上交通のためには、少数の機雷でも残すわけにはいかなかったのである。

機雷は、「機械式水雷」の略称だが、現在ではそのまま通用する極である。予め海上あるいは海底に設置された機雷は、隠密的な存在であり、爆発力が大きく大型艦船でも大破、撃沈させる破壊力を秘めている。そこで、水上艦艇も水中にある潜水艦にも機雷はその存在が不確実であっても脅威となった。

写真(右)1943年,オランダ、北海に敷設する機雷をユンカースJu-88A爆撃機に搭載するためにドリー(運搬台)に乗せて運搬している。:これらは、対艦船の磁力反応信管、音響反応信管で、ユンカースJu-88爆撃機により敵船舶の航路上に飛行機により投下、敷設される。このような機雷の空中投下を世界で初めて大々的に行ったのは、ドイツ空軍だった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-375-2710-32 Archive title: Im Westen (Niederlande).- Flugzeug Junkers Ju 88 auf Feldflugplatz.- Beladen mit Bomben; Lw PK 3 Dating: 1943 Photographer: Luben, W. O. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録: Bild 101I-375-2710-32 引用。


機雷 日露戦争や第一次世界大戦で使用された触発機雷は、第二次世界大戦中もドイツ海軍 EMC typeII 機雷がある。これは、球形の爆薬に、触発式信管、ヘルツ式触角を装備した機雷で、上部の機雷本体と下部の海底固定部(碇)をワイヤーで結んだ構造で、敷設艦に搭載し、航行しながら艦尾から海中に投下して敷設する。水中に投下された機雷は一旦海底に鎮座するが、固定部分から機雷が分離し浮上し、事前に設定された深度に達すると、係留ケーブルによって固定される。機雷は、起爆方式の上で、触発機雷、感応機雷がある。また、敷設方式の上で、沈底機雷、係維機雷、浮遊機雷とがある。

第二次世界大戦において初期に多用されたのは、敷設艦にから敷設された係維式の触発機雷で、自国の港湾や海峡を敵潜水艦から防御するために「機雷原」として敷設された防御用兵器だった。しかし、潜水艦や水上艦艇を用いて、敵船舶が航行する海域や敵港湾を封鎖する機雷封鎖ようの攻撃兵器として敷設される「機雷原」もある。

敷設艦 他方、第二次世界大戦初期に初めて登場したのが、ドイツの開発した感応式機雷で、潜水艦から放出され、そのまま海底に機雷が鎮座する。信管は、艦船が衝突して起爆する触発式信管ではなく、鋼鉄船体の磁気感応式、スクリューの立てる音響感応式、水圧変化による水圧感応式の機雷が開発され、実用化された。

これらの感応式機雷は、敷設艦や潜水艦からだけではなく、飛行機から投下して敷設することも可能だった。触発式機雷とは違って、係留ケーブルも海面近くの触発信管も必要ないために、水中に存在するこれらの感応式機雷を発見するのは非常に困難だった。掃海方法も、係留式機雷とは異なる磁気、音響、水圧を利用した方法が考案された。

写真(右)1943年,ドイツ西部戦線、オランダ、北海に敷設する機雷をユンカースJu-88A爆撃機に搭載するためにドリー(運搬台)に乗せて運搬している。:これらは、対艦船の磁力反応信管、音響反応信管で、ユンカースJu-88爆撃機により敵船舶の航路上に飛行機により投下、敷設される。このような機雷の空中投下を世界で初めて大々的に行ったのは、ドイツ空軍だった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-375--2710-30 Archive title: Im Westen (Niederlande).- Flugzeug Junkers Ju 88 auf Feldflugplatz.- Wagen / Anhänger mit Fliegerbomben, Soldat auf Bombe sitzend; Lw PK 3 Dating: 1943 Photographer: Luben, W. O. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録: Bild 101I-375--2710-30引用。


機雷 現代でも、スコット・C・トゥルーヴァー(2012)「機雷の脅威を検討する−中国「近海」における機雷戦」『海幹校戦略研究』 2012 年 5月で、「機雷は、恐ろしい待ち受け兵器である。機雷敷設は、簡単である。同時に、どのような船舶でも掃海艇たり得る。これは、過去の実績に基づいている。米海軍にとって、機雷戦及び対機雷戦の必要性は、共和国建国以来、不変である。」
「北朝鮮の東岸沖において、3,000個以上の機雷(僅か数週間で敷設された)が、250隻の国連両用戦任務部隊による 1950 年 10 月の元山(Wonsan)強襲を完全に失敗させたのである。指揮官であるスミス少将(Rear Admiral Allen E. Smith)は、「我々は、第 1 次世界大戦以前の兵器の使用―それは、キリストが生まれた頃 に使われていた船でまかれた―によって、海軍を持たない国家に対する制海権(control of the seas)をを失った」と嘆いた」
「機雷や水中簡易爆弾は、入手や製造が容易かつ安価であるが、低コストと危害力とは裏腹の関係にある。数百から数千ドルに至るコストを考えれば、それらは「貧者の海軍(poor man's navy)」にとって最上の兵器であり、優れた費用対効果―低コストかつ効果的―をもたらす」と認識されている。

写真(右)1943年1月,イタリア、シシリア島、ドイツ空軍第30爆撃航空団「アドラー(鷲)」(KG30;Kampf-geschwader 30 ”Adler” (eagle))所属のユンカースJu-88爆撃機A-4型の主翼の懸架ラックに500キロ爆弾を搭載している。
Ju-88の諸元:全長 14.4メートル,全幅 20メートル,翼面積 54.5平方メートル,最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ,7.92mm機銃6丁,爆弾 2トン。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-418-1840-08 Archive title: Italien, Sizilien, Flughafen Comiso.- Flugzeug Junkers Ju 88 mit Geschwader-Kennzeichen / Staffelabzeichen Kampfgeschwader 30 (KG 30), Bodenpersonal beim Beladen mit Bombe; KBK Lw 6 Dating: Januar 1943 Photographer: Lenk Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild101I-418-1840-08引用


写真(右)1943年1月,イタリア、シシリア島、ドイツ空軍第30爆撃航空団「アドラー(鷲)」(KG30;Kampf-geschwader 30 ”Adler” (eagle)所属のユンカースJu-88爆撃機A-4型の主翼下面ETCラックに500キロ爆弾を懸架している。1943年7月10日、米英を中核とする西側連合軍は、イタリア、シシリア島上陸「ハスキー作戦」を発動し、イギリス陸軍バーナード・モントゴメリー大将隷下のイギリス第8軍は、艦隊艦砲射撃の支援の下、シシリア島の東南岸の古都シラクザ近郊に上陸、イタリア半島つま先のメッシーナ海峡を目指して進撃を開始した。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-418-1840-09 Archive title: Italien, Sizilien, Flughafen Comiso.- Flugzeug Junkers Ju 88 mit Geschwader-Kennzeichen / Staffelabzeichen Kampfgeschwader 30 (KG 30), Bodenpersonal beim Beladen mit Bombe; KBK Lw 6 Dating: Januar 1943 Photographer: Lenk Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild101I-418-1840-09引用


写真(右)1942-1943年頃,主翼下面左右に1個ずつWB81コンテナ(武器ポッド)を懸架したドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-4型:WB81コンテナ(武器ポッド)の内部には6丁の7.92ミリMG 81機関銃が搭載されていて、地上を機銃掃射する。対地上襲撃機として使用された。機首下面ゴンドラ後下方には、将校用の梯子が欠けられているが、7.92ミリMG 81Z連装旋回機銃が搭載されているのが分かる。
SDASM Aircraft Image Ray Wagner Collection Image PictionID: 44220001 - Catalog:16_005420 - Title:Junkers Ju 88A-4 with 2 WB81 containers with 6 MG 81s each Nowarra collection - Filename:16_005420.TIF -
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220001 引用。


写真(右)1942-1943年,ソ連,スモレンスク・クルスク,ドイツ空軍ユンカースJu-88A爆撃機:機首にエリコン20ミリMG-FF機銃,操縦席前方に7.92ミリMG17機銃を装備。白色の冬季迷彩を施している。急降下爆撃もできる双発機で,大戦後半にはハインケルHe-111を上回る配備数を誇り,ドイツの主力爆撃機となった。
Sowjetuion (Smolensk/Kursk).- Flugzeug des Typs Junkers Ju 88; KBK Lw8 Dating: Februar 1942 Photographer: Heidrich撮影。
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1943年1月,ユンカースJu-88A爆撃機の乗員ペットのテリア犬:機首コックピットに装備した照明灯、機器、風防窓枠に描かれた降下角度指標がよくわかる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-375-2710-32 Archive title: Im Westen (Niederlande).- Flugzeug Junkers Ju 88 auf Feldflugplatz.- Beladen mit Bomben; Lw PK 3 Dating: 1943 Photographer: Luben, W. O. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


1942年,ドイツ空軍爆撃機は,ソ連侵攻、東部戦線各地の個別の戦術的な地上支援に使用され,敵の工業地帯,発電所,交通中枢への戦略爆撃は、ほとんど行われなかった。1941年にはドイツ軍は、激しいモスクワ空襲が実施されたものの、1942年春以降には,少数機が散発的にモスクワ空襲をしただけだった。

1945年の戦争末期になって、Fw190戦闘機を使った爆装Ju88親子爆弾「ミステル」(Mistel:寄生木)によるソ連の工場地帯・発電所などへの戦略爆撃が企図されたが、時期を失していた。

1946年1月29日,戦後のニュルンベルク国際軍事法廷(Nuremberg Trials)で裁かれたドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は,英本土上陸作戦ができなくなったことで非難を受けたことの確認を求められた。しかし,ゲーリングはそれを否定し,「私の4個師団の空挺部隊が欲しいという要求を,陸軍の他の要求のために,貫徹できなかった。もし,ダンケルクの戦いの時期に,この4個師団をもっていたら,直ちに英本土に進撃させたであろう」と述べた。しかし,ゲーリングは,英本土航空決戦について,多くを語ろうとしなかった。失敗した作戦について、尋問されたくなかったのである。

写真(右)1943年1月,ユンカースJu-88A爆撃機の後部銃座に乗り込んだ乗員ペットのテリア犬:銃座には、円形作型の装甲板に防弾ガラスが張られており、機銃手の防弾を考慮している。7.92ミリMG81機関銃の銃床、握り(グリップ)、引き金(トリガー)、下に抜けているゴム製の薬莢排出パイプ(左)がよくわかる貴重な写真。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-375-2710-32 Archive title: Im Westen (Niederlande).- Flugzeug Junkers Ju 88 auf Feldflugplatz.- Beladen mit Bomben; Lw PK 3 Dating: 1943 Photographer: Luben, W. O. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1943年1月,ユンカースJu-88A爆撃機の乗員ペットのテリア犬がコックピット後部銃座の7.92ミリMG81機銃を操作している、と乗員が感激して撮影した。:7.92ミリMG81単装機関銃の銃床、握り(グリップ)、引き金(トリガー)、下に抜けているゴム製の薬莢排出パイプ(左)がよくわかる。銃座には、円形枠の装甲板があり、防弾ガラスが張られており、機銃手の防弾に配慮されている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-375-2710-32 Archive title: Im Westen (Niederlande).- Flugzeug Junkers Ju 88 auf Feldflugplatz.- Beladen mit Bomben; Lw PK 3 Dating: 1943 Photographer: Luben, W. O. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年頃,イタリア(Italien)領リビアあるいはシシリア(Sizilien)島、飛行機格納庫で整備中のドイツ空軍第30爆撃航空団 (KG 30)所属のユンカースJu-88A爆撃機と第2爆撃航空団のドルニエDo-17爆撃機:左側正操縦席のパイロットが、風防窓を開けて、手を握って幸運を祈る地上勤務員と言葉を交わしている。ゴンドラ後方の搭乗員昇降口が開いていて梯子がかかっているので、まだ全員が搭乗しているわけではないようだ。
Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-421-2068-38
Archive title: Mittelmeerraum, Italien / Nordafrika, Tunesien / Libyen.- Flugzeughalle mit Tragflächen und Flugzeugen zur Reparatur bzw. Wartung. Mechaniker / Soldaten bei Wartung / Reparatur von Flugzeugen Dornier Do 17 (Kennung U5+NK, Kampfgeschwader 2 / KG 2; mit Aufschrift "Pick As ist Trumpf") und Junkers Ju 88 (Kennung 4D+, Kampfgeschwader 30 / KG 30); KBK Lw 6
Dating: 1942/1943 ca.
Photographer: Ketelhohn, Karl Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-373-2619-24A引用


写真(右)1942-1943年,北アフリカ、チュニジア、ドイツ空軍ユンカースJu-88A爆撃機
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-419-1886-22 Archive title: Nordafrika, Tunesien.- Major Werner Baumbach beim Anlegen der Fliegerkombi vor einer Junkers Ju 88; KBK Lw 6 Dating: 1942/1943 ca. Photographer: Marnowitz Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-419-1886-22 引用


写真(右)1942-1943年,北アフリカ、チュニジア、ドイツ空軍ユンカースJu-88A爆撃機
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-419-1886-22 Archive title: Nordafrika, Tunesien.- Major Werner Baumbach beim Anlegen der Fliegerkombi vor einer Junkers Ju 88; KBK Lw 6 Dating: 1942/1943 ca. Photographer: Marnowitz Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-373-2619-24A引用


1942年11月8日、西側連合軍は、トーチ作戦(Operation Torch)を発動、モロッコとアルジェリアへアメリカ軍、イギリス軍を中核とする地上部隊が上陸した。1941年6月22日、ドイツはバルバロッサ作戦を発動して、独ソ不可侵条約を保護にして、ソ連に侵攻した。イギリスもアメリカも、直ぐに反ドイツ、反ヒトラーのために、ソビエト連邦への軍事支援を約束した。

ところが、独ソ戦が始まっても、ドイツ軍の主力は、ソ連軍が一手に引き受けるのみで、ドイツ軍にソ連の肥沃な穀倉地帯のウクライナも占領され、ソ連軍も大損害を被っていた。ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、イギリス首相ウィンストン・チャーチルに第二線、すなわち西ヨーロッパへの上陸作戦を早急に実施することをもとめたが、チャーチルはイギリスは苦しい状況で、犯行は時期総称だと応じなかった。実は、チャーチルは、ナチス、ヒトラーも憎悪していたが、同時に共産主義、ボリシェビキにも大いに反感を抱いていた。そこで、ヒトラーとスターリンが戦って、双方が損害を増やし、苦しい戦いを続ければ、それはイギリスにとって有利であると考えていた。

しかし、イギリス・アメリカがソ連へ援助をしても、第二線ができない以上、スターリンは、チャーチルの真意を推し量って、共産主義が苦しむのを歓迎していると正確に推測していた。つまり、ソ連スターリンがドイツのヒトラーと単独講和する可能性は残っていた。

写真(右)1943年1月,イタリア、シシリア島、ドイツ空軍ユンカースJu-88A爆撃機:1400馬力のユモ(Jumo)211D液冷エンジン2基搭載、最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ,7.92mm機銃6丁,爆弾 2トンは、1942年当時、必ずしも高性能とは言い難い。しかし、Ju88の信頼性、操縦性は高く、ドイツ爆撃機としては最多となる1万5000機が生産(夜間戦闘機型を含む)が生産された。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-419-1886-23 Archive title: Nordafrika, Tunesien.- Major Werner Baumbach beim Anlegen der Fliegerkombi vor einer Junkers Ju 88; KBK Lw 6 Dating: 1942/1943 ca. Photographer: Marnowitz Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild101I-419-1886-23引用


写真(右)1943年1月,イタリア、シシリア島、ドイツ空軍ユンカースJu-88A爆撃機
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-418-1848-30 Archive title: Italien, Sizilien, Flughafen Comiso.- Start einer Junkers Ju 88, grüßende Soldaten; KBK Lw 6 Dating: Januar 1943 Photographer: Wahner Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-418-1848-30引用


写真(右)1943年1月,イタリア(Italien)、シシリア(Sizilien)島、ドイツ空軍第30爆撃航空団 (KG 30)所属のユンカースJu-88A爆撃機:左側正操縦席のパイロットが、風防窓を開けて、手を握って幸運を祈る地上勤務員と言葉を交わしている。ゴンドラ後方の搭乗員昇降口が開いていて梯子がかかっているので、まだ全員が搭乗しているわけではないようだ。
Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-418-1845-24A
Archive title: Italien, Sizilien.- Bodenpersonal bei Begrüßung / Verabschiedung eines Piloten in der Kanzel einer Junkers Ju 88 mit Geschwader-Kennzeichen /
Staffelabzeichen Kampfgeschwader 30 (KG 30); KBK Lw 6
Dating: Januar 1943
Photographer: Wahner
Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-373-2619-24A引用


ソ連の指導者ヨシフ・スターリンとしては、ヨーロッパに第二戦線をイギリスが開かないのであれば、単独講和することも選択肢の一つだった。そこで、独ソ単独講和を阻止するためにも、イギリス首相ウィンストン・チャーチルもアメリカも反ヒトラー戦争に、新たな戦線を開く負担を覚悟した。これが、1942年11月8日、西側連合軍イギリス軍・アメリカ軍の北アフリカ上陸作「トーチ作戦(Operation Torch)」である。チュニジアに新たな北アフリカ戦線を開いたことで、イタリア軍だけでなく、枢軸国の援軍としてドイツ軍が派遣された。ドイツ軍が北アフリカに派兵し、その分だけ、東部戦線で戦うソ連への軍事的資源が減少し、ソ連への間接支援となったのである。

ドイツ空軍ユンカースJu-88A爆撃機は、最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ,7.92mm機銃6丁,爆弾 2トンは、1943年当時、敵戦闘機のカモになった。しかし、Ju88の信頼性、操縦性は高く、ドイツ爆撃機としては最多となる1万5000機が生産(夜間戦闘機型を含む)が生産れている。

写真(右)1942-1944年頃,機首に20ミリMGFF旋回機関銃1丁を装備したドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-4型:機首のダイヤモンド型風防ガラスの奥には、既に乗り込んでいる飛行服姿の搭乗員が見える。コックピットの天蓋を開放して乗り出している乗員は、六分儀を使って天測をしている様だ。
Junkers Ju 88A-4 with additional FG/FF Nowarra collection
PictionID: 44220050 - Title: Junkers Ju 88A-4 with additional FG/FF Nowarra collection - Catalog:16_005424 - Filename:16_005424.TIF
SDASM Aircraft Image Junkers Ju 88A-4 with additional FG/FF Nowarra collection PictionID:44220050 - Title:Junkers Ju 88A-4 with additional FG/FF Nowarra collection - Catalog:16_005424 - Filename:16_005424.TIF -
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220125 引用。


ユンカースJu-88A爆撃機の前期の代表型はA-4型、後期の代表型はA-14型である。ユンカースJu 88爆撃機A-14型はA-4の改良型で、乗員に対する防弾版の充実、ゴンドラ前端への20ミリMG FF機関銃の搭載、 爆撃照準器の移動を行っている。1942年になると、ロンドン空襲のようなへの都市爆撃は行われておらず、水平爆撃による精密爆撃も事実上、放棄されていた。

 当時、ドイツ空軍の爆撃航空団にとって対西側連合軍の戦いは、西部戦線ではなく、地中海方面であり、対ソビエト連邦の東部戦線が主な戦場となっていた。そこでは、艦船攻撃や地上支援が主な任務であり、地上・海上の目標を機銃掃射できる火力が必要だった。

 従来のユンカースJu 88爆撃機A-4型も、機首のダイヤモンド型風防に20ミリMGFF旋回機関銃1丁を装備して、防御力向上、地上・艦船銃撃威力の向上を図っている。

写真(右)1942-1944年,ゴンドラ先端に20ミリMGFF機関銃1丁を装備したドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-14型:ゴンドラ後端(搭乗口)が開いてた状態。主翼内側下面には、250キロあるいは500キロ爆弾を搭載できる懸架ラックが左右各2カ所設けられている。ユンカースJu 88爆撃機の前期の代表型はA-4型、後期の代表型はA-14型である。機首のダイヤモンド型風防は、そのままで、爆撃照準器のあったゴンドラ先端に地上や海上を機銃掃射できるように20ミリMGFF機関銃1丁を装備し火力を強化している。
SDASM Aircraft Image Junkers Ju 88A-14 Nowarra collection PictionID:44220125 - Title:Junkers Ju 88A-14 Nowarra collection - Catalog:16_005430 - Filename:16_005430.TIF -
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220125 引用。


フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。

当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。

しかし、1944年、ソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、廃止された。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を忌避するために唱えられた方便であろう。

写真(右)1944年4月1日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ飛行場、フィンランド空軍第44爆撃中隊(PLe.Lv.44 )ユンカースJu88爆撃機A-4型 (JK-267);エンジン故障か、燃料の節約の為か、エンジンを始動せずに、トラクターで牽引されて移動する爆撃機。
Traktori vetää JK-konetta kiitoradalle. Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Traktori vetää JK-konetta kiitoradalle. Junkers Ju 88 A-4 Luonetjärven kentällä. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1944-04-01 Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja.
写真はMuseot Finne・sa-kuva-123244引用。


写真(右)1944年4月1日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ飛行場を発進するフィンランド空軍第44爆撃中隊(PLe.Lv.44 )所属のユンカースJu88爆撃機A-4型(フィンランド軍登録コード:JK-267、製造番号WerkNr. 3888、ドイツ軍登録コード DJ+TH ) ;胴体後方側面には、鈎十字「ハカリスティ」(Hakaristi)が描かれているが、これは白丸に青の鍵十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークで、1917年のロシア革命に追随する赤軍に対抗する白軍以来のシンボルである。フィンランドの内戦では、反共産主義の赤軍に反対する、白軍が自由のシンボルとして、カギ十字(卍)を採用した。白軍を支援したスウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が鈎十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を譲渡した飛行機に描いたこともある。フィンランド軍は、1918年に採用したカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を、1944年の対ソ講和の時に廃止した。
Jk-kone ennen lähtöä. Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Jk-kone ennen lähtöä. Junkers Ju 88 A-4 Luonetjärven kentällä. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1944-04-01 Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja .
写真はMuseot Finne・sa-kuva-123245引用。


フィンランド空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型(フィンランド軍登録コード:JK-267、製造番号WerkNr. 3888、ドイツ軍登録コード DJ+TH)は、1943年4月11日に、ドイツ軍からフィンランド軍に譲渡された。機体の塗装は、ドイツ軍仕様だったので、ドイツの白の鉄十字国籍マークも薄く残っている。1942年5月3日設立の第44飛行中隊(LeLv. 44)に配属されたが、1944年7月29日、離陸に際して事故で損傷した。第44飛行戦隊[中隊:Squadron](LeLv. 44)は、1944年2月14日に、第44爆撃中隊(PLe.Lv.44 )と名称を変更した。

写真(右)1944年4月1日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ飛行場、フィンランド空軍ユンカースJu88爆撃機第44爆撃中隊(PLe.Lv.44 )所属A-4型;エンジンを駆動し、プロペラが回転しているが、記念撮影のために、コックピットにある操縦士の窓は開放されている。日本軍の爆撃機には、このような開閉窓は、重量軽減を優勢して採用されていなかった。
Jk-kone ennen lä.htöä. Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Jk-kone ennen lähtöä. Junkers Ju 88 A-4 Luonetjärven kentällä. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1944-04-01 Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Lentäjäpojat. Lentäjäpojat. Lentokone on Junkers Ju-88 A-4.
写真はMuseot Finne・sa-kuva-123248引用。


写真(右)1944年4月1日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ飛行場、フィンランド空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型;ユモ(Jumo)211D液冷エンジン2基を駆動し、プロペラを回転させ、雪の飛行場をエンジンを最大出力の離昇出力で滑走し離陸する。第44爆撃中隊(PLe.Lv.44 )と思われる。
Jk-kone ennen lä.htöä. Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Jk-kone ennen lähtöä. Junkers Ju 88 A-4 Luonetjärven kentällä. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1944-04-01 Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Lentäjäpojat. Lentäjäpojat. Lentokone on Junkers Ju-88 A-4.
写真はMuseot Finne・sa-kuva-123249引用。


1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(Hakaristi)が描かれている。ドイツでも、カギ十字(卍)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、夏党政権獲得後、この鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。そして、再軍備宣言後、ドイツ空軍が創設されると、ナチ党の採用したカギ十字をドイツの国籍マークとした。

写真(右)1944年6月、フィンランド、大型の掩体壕に待機するフィンランド空軍第44爆撃中隊(LeLv. 44)ユンカースJu88爆撃機A-14型JK-256の機首;ゴンドラ先端の爆撃照準窓を20ミリMGFF機関銃の銃座とし、対艦船機銃掃射、対空砲火を沈黙させ、対艦船攻撃を意図した。主翼の懸架ラックには、内側にSC 500キロ爆弾、外側にSC250キロ爆弾を搭載している。爆弾には、白ペイントで「ドクロと骨」落書きアートがしてある。このJu88は、元はA-4型でゴンドラに樹幹中を装備したA-14型に改修された。1943年4月30日にドイツ軍のJu88A4/A14爆撃機(登録コードGL+QM)が、フィンランド軍に譲渡され、登録コード JK-256を与えられた。1944年7月に、フィンランドはソ連と講和し、連合軍の一員として、ドイツと戦った。この機体は、1944年10月10日、ドイツ軍戦闘機によって撃墜された。
Syöksypommituskone Junkers Ju 88 (JK9, huomaa ``tatuoidut ? ? pommit. Kesäkuu 1944. Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Syöksypommituskone Junkers Ju 88 (JK9, huomaa ``tatuoidut ? ? pommit. Kesäkuu 1944. Lentokone on Junkers Ju 88 A-4. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: ajoittamaton Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
写真はMuseot Finne・sa-kuva-121050引用。


飛行機用の掩体壕は、 (1)周囲に土手を築き、内側を木材で固めてあり、上空から地上に駐機する飛行機を発見できないようにする偽装の効果、
(2) 機銃掃射・爆弾などの空襲の被害を受けにくく防衛上の効果、
の2点が企図されている。

写真(右)1944年6月、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ飛行場、フィンランド空軍第44爆撃中隊(LeLv. 44)ユンカースJu88爆撃機A-14型JK-256の機首;もとはドイツ軍のJu88爆撃機(登録コードGL+QM)で、1943年4月30日にフィンランド空軍に譲渡され、対ソビエト攻撃に使用された。ゴンドラ先端の爆撃照準窓を20ミリMGFF機関銃の銃座とし、対艦船機銃掃射、対空砲火を沈黙させ、対艦船攻撃を意図した。
Pommituskoneen nokka, edessä tykki Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Pommituskoneen nokka, edessä tykki. Tyyppi Junkers Ju 88 (JK). Kesäkuu 1944. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: ajoittamaton Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
写真はMuseot Finne・sa-kuva-121050引用。


フィンランド空軍第44爆撃中隊(LeLv. 44)のユンカースJu-88爆撃機A-14型(フィンランド軍登録コードJK-256)は、元はA-4型でゴンドラに樹幹中を装備したA-14型に改修された。1943年4月30日にドイツ軍のJu88A4/A14爆撃機(ドイツ軍登録コードGL+QM)が、フィンランド軍に譲渡され、登録コード JK-256を与えられた。

1941年7月から1944年7月まで、フィンランドは、継承戦争Continuation War)と称して、1939年の冬戦争に敗北して失ったカレリア地方を奪還しようとソ連赤軍と戦っていた。フィンランドは、アメリカ、イギリスとは戦うつもりがなかったが、ドイツ軍を一手に支えているソ連赤軍をドイツと同盟して攻撃した以上、西側連合国もフィンランドの対ソ戦は戦うが、対米英は中立だという詭弁を受け入れなかった。結局、フィンランドは、対ソ戦勝利が不可能である以上、大きな損害を蒙らないうちに、継承戦争Continuation War)を打ち切って、ソ連と講和するしかなたった

このフィンランドの裏切り・転向を決断し、実行したのは1944年8月4日、フィンランド大統領に就任したフィンランド軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥である。1944年7月に、フィンランドはソ連と休戦交渉していたが、新大統領カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥は、それを進めて、1944年9月19日にモスクワ休戦協定を結んで講和した。これは、事実上、体面を保った降伏だったが、講和条件の一つが、ドイツ軍の排除であり、フィンランドは連合軍の一員として、ドイツと戦うことになった。このJu88爆撃機JK256は、1944年10月10日、ドイツ軍戦闘機によって撃墜された。

写真(右)1944年6月12日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ飛行場、簡易舗装した駐機場でフィンランド空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型;ユモ(Jumo)211D液冷エンジン2基を駆動し、プロペラを回転させ、夜間出撃するのか。1トン爆弾懸架ラック、500キロ爆弾懸架ラックが明瞭に写っている。
JK-kone lähtövalmiina. Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja JK-kone löhtövalmiina. Pommituslentolaivue 44:n 3. lentueen Junkers Ju 88 A-4. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1944-06-12 Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
写真はMuseot Finne・sa-kuva-120805引用。


フィンランド軍にとっても、白丸に青の鍵十字を描いたカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、軍の国籍識別マークで、1917年のロシア革命に追随する赤軍に対抗する白軍以来のシンボルである。フィンランドの内戦では、反共産主義の赤軍に反対する、白軍が自由のシンボルとして、カギ十字(卍)を採用した。白軍を支援したスウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が鈎十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を譲渡した飛行機に描いたこともある。フィンランド軍は、1918年に採用したカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を、1944年の対ソ講和の時に廃止した。

⇒>写真集:フィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88 急降下爆撃機を見る。

写真(右)、ドイツ空軍ユンカースJu88A-15爆撃機: 既存のA-4型爆撃機を原型にし、バルジ"bulge"式大型木製爆弾倉を装備し、最大3トンの爆弾を懸架できる。機首下面のゴンドラは撤去されているが、防御用の7.92ミリ旋回機銃2丁装備。大型爆弾倉のために飛行性能が低下したため、量産はされなかった。
SDASM Aircraft Image Junkers Ju 88A-15 Nowarra collection PictionID:44220138 - Title:Junkers Ju 88A-15 Nowarra collection - Catalog:16_005431 - Filename:16_005431.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081806引用。


写真(右)1942-1943年頃,主翼下面左右に1本ずつ航空魚雷を搭載できるドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-11雷撃型と二人の整備兵:爆撃には使用しない雷撃専用の機体のようで、爆撃照準器の置かれたゴンドラは撤去されている。ユンカース工場で生産された雷撃型で、機首側面の細長いバルジは、主翼に懸架した航空魚雷の調整を行う機材が通っている。地中海方面専用の白っぽい迷彩塗装が施されている。北海方面では、大戦末期、白色の渦波紋状の迷彩塗装を採用している。
SDASM Aircraft Image Junkers Ju 88A-11 Nowarra collection PictionID:44220151 - Title:Junkers Ju 88A-11 Nowarra collection - Catalog:16_005432 - Filename:16_005432.TIF -
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220151 引用。


写真(右)1944年,ドイツ空軍ユンカースJu-88爆撃機A-11雷撃型:2本の航空魚雷を搭載し、機首側面には魚雷調整機材を通すバルジがあるが、爆撃にも使用するためか、ゴンドラはそのままとされている。1944年、イギリス本土爆撃を「電撃戦」と称して再開したドイツ空軍だったが、イギリスの防空網に阻まれて戦果は乏しかった。英本土上空には阻塞(そさい)気球も揚げられていた。そこで、Ju188の機首には、阻塞(そさい)気球の繋留ケーブルを切断するケーブル・カッターが装備されている。
ユカースJu88のJumo211エンジンを大型大出力のJumo 213Aに変換した発展型がJu188爆撃機。液冷エンジンのJumo213は生産数に制約があったので、より大量生産された空冷エンジンのBMW 801を搭載したJu188Eも生産された。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-497-3502-20 Archive title: Westeuropa.- Besatzung eines Flugzeugs Junkers Ju 188 vor dem Start; PK Lw Kdo West Dating: 1944 Photographer: Boger Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ユンカースJu-88爆撃機A-11雷撃型は、対艦船攻撃のためには、日本海軍航空隊、イタリア空軍、イギリス海軍航空隊の採用していた航空魚雷が有効であるとの示唆に基づいて、主翼内側に左右各1本の航空魚雷を搭できるようにしたタイプ。当初は、主に地中海方面と北大西洋の艦船・船団への攻撃を想定していた。ユンカースJu-88爆撃機A-11雷撃型の機首側面には、搭載した航空魚雷を調整する機材を通すバルジがあるので、判別しやすい。

現地改造のユンカースJu-88爆撃機A雷撃型は、工場で追加されるべき魚雷調整機材バルジは出ていない。また、ユンカースJu-88爆撃機A-11雷撃型は、爆撃機としても併用するために、ゴンドラはそのままとする場合、雷撃専用とするためにゴンドラを撤去する場合とがある。

写真(右)1944年,イタリア、ローマ郊外、ネットゥーノ、機首にFuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載したドイツ空軍第76爆撃航空団(KG77)(?)所属の海上哨戒対艦船攻撃用ユンカースJu-88爆撃機:同一機らしい下の写真では、コックピット後上方には銃座1カ所で、13.1ミリMG131機関銃1丁を装備している。エンジン周囲に環状に並んでいるのは、単排気管であればBMW801空冷星形エンジン搭載だが、Jumo211液冷エンジン環状ラジエーターのカウルフラップのようだ。機首にFuG220リヒテンシュタイン空対空レーダーを装備している。Ju188の大型で四角い垂直尾翼を採用していれば、夜間戦闘機G型あるいはその改造型ということになる。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-476-2090-02A Archive title: Italien, bei Nettuno.- Junkers Ju 88 (Kennung PN+M) mit Funkmeßgeät ("Hohentwiel"?); Lfl 2 Dating: 1944 Photographer: Brünning Origin: Bundesarchiv 写真はWikimedia Commons,Bundesarchiv Bild 101I-471-1704-23A引用。


写真(右)1944年,イタリア、ローマ郊外、ネットゥーノ(?)、機首にFuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載したドイツ空軍第76爆撃航空団(KG77)(?)所属の海上哨戒対艦船攻撃用ユンカースJu-88爆撃機:同一部隊らしい上の写真では、コックピット後上方には銃座1カ所で、13.1ミリMG131機関銃1丁を装備しており、機首下面にゴンドラはなく、胴体に乗員の昇降口がついている。Ju188の大型で四角い垂直尾翼を採用しているのかどうかはわからないが、ドイツ連邦アーカイブの解説では、”Junkers Ju 88G”としている。そうであれば、Ju88A型のJumo211Jエンジン(1470馬力)をより高出力のユモJumo213エンジン(1750馬力)に変換したJu88夜間戦闘機G後期型の改造機ということになる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-476-2090-02A Archive title: Italien, Rom.- Flugzeug Junkers Ju 88G mit Radargerät ("Hohentwiel"?); Lfl 2 Dating: 1944 Photographer: Brünning Origin: Bundesarchiv 写真はBundesarchiv登録・引用 (他引用不可)。


写真(右)1945年頃,連合軍が鹵獲したらしいドイツ空軍ユンカース海上哨戒対艦船攻撃用ユンカースJu-88爆撃機:機首のダイヤモンド型風防ガラスの前にFuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載した海上哨戒偵察機。白の波紋迷彩は、大戦末期の海上哨戒偵察機の標準的な塗装である。垂直尾翼のナチ党スワスチカの国籍識別マークは上塗りされ、胴体側面の白縁黒色の鉄十字も目立たないようになっている。機首下面の搭乗員の昇降口になっているので、そこに地上勤務らしい連合国将兵が集まっている。投降してきた機体なのであろうか。
SDASM Aircraft Image Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081790 Title: Junkers, Ju.88 Corporation Name: Junkers-
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081790引用。


写真(右)1945年頃,連合軍が鹵獲したらしいドイツ空軍ユンカース海上哨戒対艦船攻撃用ユンカースJu-88爆撃機(上の写真と同一機体を同一場所で撮影):機首下面のゴンドラは空気抵抗・重量を減少させ、飛行性能を向上させるために撤去されている様だ。大戦末期には、もはや、Ju88による水平爆撃の機会はなくなっていた。機首にFuG200レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載した海上哨戒偵察機。白の波紋迷彩は、大戦末期の海上哨戒偵察機の標準的な塗装である。垂直尾翼のナチ党スワスチカの国籍識別マークは上塗りされ、胴体側面の白縁黒色の鉄十字も目立たない。機首下面のにはゴンドラはなく、胴体に乗員の昇降口がついている。尾部には、自転車が2台とまっている。
SDASM Aircraft Image Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081804 Title: Junkers, Ju.88 Corporation Name: Junkers-
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081804引用。


写真(右)1945年,西側連合軍が鹵獲しアメリカに運んだドイツ空軍ユンカースJu-88爆撃機(FE611?):主翼の両端の塗装は、主翼内側・胴体とは全く異なり、白系の単色であるが、これは黄色で飛行中に敵機と間違われないようにするための臨時措置であろう。この機体はJu88GとされたFE611のようだ。機首は、ダイヤモンド型風防ガラスで、ソリッド化された機首ではないので、夜間戦闘機型ではない。この写真では確認できない。他方、FuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーは未装備だが、撤去された可能性がある。
SDASM Aircraft Image Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081781 Title: Junkers, Ju.88 Corporation Name: Junkers-
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081781引用。


写真(右)1945年,西側連合軍が鹵獲しアメリカに運んだドイツ空軍ユンカース海上哨戒対艦船攻撃用Ju-88爆撃機(FE611)?:この機体はJu88Gとされている。しかし、垂直尾翼はA型と同じ小型で、Ju188の四角の大型垂直尾翼ではない。機首のダイヤモンド型風防ガラスではなく、ソリッド化された機首なのか、この写真では確認できない。塗装を見ると、FuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載した海上哨戒偵察機のようにも見える。垂直尾翼の巨大なナチ党スワスチカも胴体側面の白の鉄十字の国籍識別マークも、アメリカ軍が塗りなおしたものでオリジナルではない。主翼の両端の塗装は、胴体とは全く異なり、白系の単色であるが、これは黄色で飛行中に敵機と間違われないようにするための臨時措置であろう。垂直尾翼のスワスチカも、胴体側面の白縁黒色の鉄十字も、オリジナルでは目立たない塗装だったはずだ。
SDASM Aircraft Image Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081790 Title: Junkers, Ju.88 Corporation Name: Junkers-
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081790引用。


FE-611/T2-611 - Junkers Ju88G-6 - W.Nr. Unknown - surrendered to RAF and allocated USA 21. Fate unknown” ⇒However its vertical tail is not for a Ju 88 G but for a Ju 88 A. And two MG possitions located in the cockpit are for Ju 88 A-4, not for a night fighter or Ju 88 G.

写真(右)1945年8月2日、ドイツ、フレンスブルクの牧場、西側連合軍に鹵獲されプロペラを外されたユンカースJu-88爆撃機:これらの鹵獲された機体は、スクラップとして処分されるのを待っている。
Catalogue number: CL 3306, Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION Subject period: Second World War, Alternative Namesobject category: Black and white, Creator: Royal Air Force official photographer Saidman. Object description: Cattle grazing amongst Junkers Ju.88 aircraft at Flensburg airfield where the machines await disposal. Label: Cattle grazing amongst Junkers Ju 88 bombers awaiting disposal at Flensburg airfield in Germany, 2 August 1945. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (CL 3306)


FE-611/T2-611 - Junkers Ju88G-6 - W.Nr. Unknown - surrendered to RAF and allocated USA 21. Fate unknown” ⇒However its vertical tail is not for a Ju 88 G but for a Ju 88 A. And two MG possitions located in the cockpit are for Ju 88 A-4, not for a night fighter or Ju 88 G.


3.ユンカースJu-88長距離偵察機D型

写真(右)1940-1941年頃,主翼下面に900リットル入大型増加タンクを懸架したドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-5偵察型:爆撃機A型だが、爆撃手席にカメラを搭載したのかもしれない。主翼下面には、左右に懸架ラック2基があるが、内側の大型懸架ラックに1個の900リットル増加燃料タンクを吊るしている。このタンクは、Bf110長距離戦闘機D型の搭載した900リットル増加タンクと同じで、後端にフィン(ヒレ)がついている。風雨からエンジンを守るためか、環状ラジエーターの周囲を覆う専用カバーを掛けている。
SDASM Aircraft Image Junkers Ju 88A-5 with two additional 900 liter tanks Nowarra collection PictionID:44219976 - Title:Junkers Ju 88A-5 with two additional 900 liter tanks Nowarra collection - Catalog:16_005418 - Filename:16_005418.TIF -
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219976 引用。


ドイツ空軍ユンカースJu 88D-4偵察機は、Ju 88A-5爆撃機をベースにした長距離高速写真偵察機である。ドイツ空軍は、高速の戦闘機を近距離写真偵察機として、双発爆撃機を遠距離写真偵察機として活用しており、偵察専用の機体は、近距離の対地支援用、飛行艇・水上機のような海洋作戦の機種に限られた。

ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-5型は、翼端を延長したが、エンジンはそれ以前の型と同じユモJumo 211 B/G/H倒立V型12気筒液冷エンジン(離昇出力1,200馬力)だった。次のユンカースJu88爆撃機A-4型は、新型のユモ Jumo 211J 倒立V型12気筒液冷エンジン(離昇出力1410 馬力)に強化されている。

写真(右)1945年以降,アメリカ、オハイオ州デイトン、ライトパターソン基地(?)、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍がドイツ軍時代の識別マークを再現したドイツ空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(FE-1598):エンジンナセルに「1F1A」とある。爆撃機A型の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した。アメリカ軍は、北アフリカでJu88偵察機D型を鹵獲した。1943年7月.ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体は、現在、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されている。
FE-1598 - Junkers Ju88D-1/trop - W.Nr.430650 - ex HK959 of RAF Middle East - on static display in US
SDASM Aircraft Image Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081791 Title: Junkers, Ju.88 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081791引用。


ドイツ空軍ユンカースJu-88爆撃機として、アメリカが現在も保管している機体は、もとはルーマニア空軍ユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(FE1598)である。ユンカースJu 88D型長距離偵察機はJu-88A型爆撃機の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した機体である。アメリカ軍は、北アフリカでJu88D型偵察機を鹵獲した。1943年7月.ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体はイギリスからアメリカに譲渡され、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)に展示されている。

⇒写真集:ユンカースJu-88D偵察機を見る。


4.ユンカースJu-88重戦闘機/夜間戦闘機C型

写真(右)1941-1943年頃,ユンカースJu 88爆撃機A型を改修したJu88重戦闘機C型の試作機Z19:機首のガラス風防のガラスを撤去して、金属板でソリッド化し、20ミリMG151/20 機関銃1丁、その他7.92ミリMG17機関銃を搭載、機首下面ゴンドラ先端部にも、爆撃照準器を撤去した後に、20ミリMG151/20 機関銃1丁を搭載した。発動機は、ユモJumo211液冷エンジンのままで変更はない。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44220470 - Catalog:16_005458 - Title:Junkers Ju 88Z-19 Nowarra collection - Filename:16_005458.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220470引用。


ユンカースJu-88重戦闘機 C-1型は、ユモJumo211B 液冷エンジン(1200馬力)を搭載したJu88A-1爆撃機を改修して20機が生産された。同じく, ユンカースJu 88重戦闘機 C-2型は、ユモJumo211B 液冷エンジン(12000馬力)を搭載したJu88A-5爆撃機を改修して20機が生産された。大量生産されたのは、夜間戦闘機にもなったJu 88 C-6型で、ユモJumo211J液冷エンジン(1420馬力)を搭載したJu88A-4爆撃機を改修して900機が生産された。

⇒写真集:ドイツ空軍ユンカースJu-88重戦闘機を見る。


5.ユンカースJu-88派生型の地上襲撃機P型

写真(右)1943年頃,ユンカースJu 88爆撃機A型を改修したJu88対戦車襲撃機P-1型の試作機:機首のガラス風防のガラスを撤去して、金属板で覆って、胴体下面に巨大なポッドを設けて、7.57センチ機関砲1門を搭載した。発射速度は、遅かったが、上空から戦車の防御力の弱い車体上面を砲撃する。しかし、エンジンは、ユモJumo211液冷12気筒エンジン(1350馬力)だったために、重量超過と空気抵抗の増大によって、飛行性能は大幅に低下した。
Junkers Ju 88P-4 Nowarra collection PictionID:44220249 - Title:Junkers Ju 88P-4 Nowarra collection - Catalog:16_005440 - Filename:16_005440.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220249引用。


⇒写真集:ドイツ空軍ユンカースJu-88P地上襲撃機を見る。


6.大戦末期のユンカースJu-88高速爆撃機S型/T型

写真(右)1943年頃,ドイツ空軍ユンカースJu88高速爆撃機/偵察機S-1型:エンジンは、BMW 801 G-2空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)に強化して、機首前面のダイヤモンド型平面ガラス風防を曲面ガラスの小型のものと、コックピット後方の銃座を1カ所として、風防の突出部を平滑化して、空気抵抗を減らした。しかし、機首下面のゴンドラも撤去した。最高速力はA型の470km/hから610km/hに100キロも向上したが、出現した1944年には、決して高速とはいえなくなっていた。爆撃機として数をそろえることもできず、高速長距離写真偵察機として活躍した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44220286 - Catalog:16_005443 - Title:Junkers Ju 88S-1 Nowarra collection - Filename:16_005443.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220286引用。


ユンカースJu88高速偵察機S-3型は、ユモJumo 213A液冷倒立12気筒エンジンに緊急出力増幅装置GM-1を使用して、短時間なら最大 2,240馬力を発揮できた。Ju88爆撃機A-4型のようなコクピット後方の風防に機銃座の膨らみは、空気抵抗を増加させるために、平滑化された。発動機強化にも拘わらず、最高速力は630km/h程度で、イギリス空軍デハビラント「モスキート」偵察爆撃機に比較すると40km/h以上も遅かった。

Trop型とは熱帯仕様の略称で、空中や飛行場では砂塵が舞い上がっているが、航空機が砂塵をエンジン過給機の空気取入れ口から吸い込んでしまうと、エンジン内部の故障、不調の原因になる。そこで、飛行場や低空で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着、その円筒側面から空気を取り入れた。ただし、高空では砂塵の心配はなく、エンジンの全力可動のためには、エアインテークの正面から空気を取り込むほうが都合がよい。そのために、インテーク前面は、開閉式となっていた。低空では閉鎖し、フィルター円筒の側面から吸気し、高空ではインテーク正面の取入れ口から空気を取り込むのである。

⇒写真集:ユンカースJu-88S高速偵察機を見る。


7.Ju88発展型のユンカースJu188爆撃機

写真(右)1943年頃,飛行中のドイツ空軍ユンカースJu188爆撃機E-1型:胴体の主翼後縁に当たる部分に、爆弾倉の開閉扉がみえる。エンジンは、BMW801空冷星形14気筒エンジン(1500馬力)を装備し、コックピットは下方のゴンドラと一体化し容積が増した。さらに、高高度性能向上のために、主翼のスパンが22メートルまで延長された。コックピット前方に20ミリMG151/20旋回機関銃1丁が見える。主翼にはテスト飛行用に、大型のピトー管が取り付けられている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44220482 - Catalog:16_005459 - Title:Junkers Ju 188E-1 Nowarra collection - Filename:16_005459.TIF - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives's photos・PictionID:44220555引用。


ユンカースJu88爆撃機の改良型Ju 88 B試作1号機V1(D-AUVS)は、Ju88A爆撃機のJumo211液冷エンジンをBMW 801A/B空冷エンジンに変換し、出力を強化した。Ju88爆撃機A型の胴体はそのまま流用し、発動機をBMW 801空冷星形14気筒エンジンは1,500馬力に変換された。初飛行は、1940年前半で、この試作機の胴体はという高出力の為、かなりの重量物を搭載して飛行が可能だったが、Ju88爆撃機は、胴体爆弾倉がもとから小さく、主翼に大型爆弾を搭載していたため、主翼のエンジン外側にも爆弾ラックを取り付けることが考慮された。

⇒写真集Album:ユンカースJu188爆撃機/偵察機を参照。


8.BMW801空冷エンジン装備のユンカースJu88夜間戦闘機R型

写真(右)1945年5月以降、イギリス、鹵獲されたドイツ空軍ユンカース第3夜間戦闘機航空団第4飛行隊所属のユンカースJu 88R-1夜間戦闘機( D5+EV ):1943年5月、ノルウェーを出撃したものの、帰路を誤り、イギリス本土スコットランドに誤着し、イギリス軍に鹵獲された。Jumo211液冷12気筒エンジン(1470馬力)を装備した爆撃型の発動機を、BMW801空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)に変換して、最高速力を500キロ以上に向上させた。兵装は、3丁x20ミリMGFF、3丁×7.92ミリMG171丁。 FuG 202空対空レーダーを装備している。イギリス軍はJu88の機体には興味がなかったが、装備していたレーダーによって、その性能、周波数を知り、対抗措置をとる事ができた。
THE GERMAN AIR FORCE IN THE SECOND WORLD WAR
Object description Junkers Ju 88R-1 D5+EV of IV/NJG 3 fitted with FuG 202 AI radar. The crew of this aircraft defected from Norway to Britain in May 1943, landing at Dyce in Scotland, and delivering their aircraft and its hitherto secret radar into the hands of the RAF. The photo shows the aircraft post-war, after a period of restoration..
Catalogue number HU 108219 
Part of SCUTTS JEREMY C (MR)
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・Catalogue number HU 108219引用。


⇒写真集Album:ドイツ空軍(ルフトバッフェ)ユンカースJu88夜間戦闘機R型を参照。


9.ユモJumo213液冷エンジン装備のユンカースJu88夜間戦闘機G型

写真(右)1944年末以降,ドイツ空軍のユンカースJu 88夜間戦闘機G-6型:対空レーダーは1944年後半から実用化されたFuG 220 リヒテンシュタイン SN-2dを装備している。それ以前のFuG 220 リヒテンシュタイン SN-2cと比較すると、ビーム幅が縮小され、レーダー撹乱用の錫箔(ウィンドウ)による妨害を受けにくくした。また、アンテナ支柱から出るダイポールアンテナを地表から45度傾けて取り付けている。機体後方から接近するモスキート夜間戦闘機を見張るために、機尾に後方警戒レーダーを装備することもあった。
SDASM Archives Junkers Ju 88G-6 Nowarra collection PictionID: 44220445 - Title:Junkers Ju 88G-6 Nowarra collection - Catalog:16_005456 - Filename: 16_005456. TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID: 44220445 引用。


1943年夏の夜間戦闘機では、80%がFuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cを装備していた。また1943年6月にはFuG 202 リヒテンシュタイン B/C型を改良し軽量化したFuG 212 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)C-1リヒテンシュタイン が登場した。その後、探知角を120度の拡大したFuG 212 リヒテンシュタイン (Lichtenstein)C-1W ができたが、最大探知距離が2,000mと短かったために、より探知距離の長いFuG 220 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)SN-2b が追加装備された。

⇒写真集Album:ドイツ空軍(ルフトバッフェ)ユンカースJu88夜間戦闘機G型を参照。


10.現在、復元・展示されているユンカースJu88

写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたドイツ空軍第54戦闘航空団第4飛行中隊(4./JG54 )所属のユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機:1943年7月、ルーマニア空軍の搭乗員が、飛行機ごとキプロスのイギリス空軍基地に着陸して、鹵獲された機体。イギリス軍は、Ju88爆撃機について既に十分な情報を得ており、新技術を用いてもおらず、高性能機でもなかったJu88をアメリカ軍に譲渡した。
Description SONY DSC Date 25 September 2009, 15:13 Source Junkers_Ju-88D-1_HeadOn_Airpower_NMUSAF_25Sep09 Author Valder137
写真はFlickr, a Yahoo company, Category:Focke-Wulf Fw 190A (Flying Heritage Collection), File:Junkers Ju-88D-1 HeadOn Airpower NMUSAF 25Sep09 (14413390817).jpg引用。


写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースJu 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機:1943年7月、枢軸国だったルーマニア空軍の搭乗員が、飛行機ごとキプロスのイギリス空軍基地に着陸して、鹵獲された機体。イギリス軍は、Ju88爆撃機について既に十分な情報を得ており、新技術を用いてもおらず、高性能機でもなかったJu88をアメリカ軍に譲渡した。
The airplane on display, a Ju 88D-1/Trop (later designated Ju 88D-3), is a long-range photographic reconnaissance version modified for tropical use. Known as the Baksheesh, it was the best known Ju 88 of the 15,000 built. Completed in June 1943, this aircraft was delivered to Romania, an ally of Germany during WWII. In July 1943, a disillusioned Romanian pilot flew the aircraft to Cyprus to defect to British forces there. The British Royal Air Force turned over Baksheesh to the U.S. Army Air Forces. After Wright Field test pilots flew the aircraft extensively, the USAAF stored it in the Arizona desert after the end of WWII. Shipped to the museum in January 1960, Baksheesh is painted in the Romanian Air Force markings it carried in July 1943.
写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。


写真(右)ノルウェー、ボードー、ノルウェー航空博物館(Norsk Luftfartmuseum)、戦時中、ノルウェーに駐留していたドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型搭載のユモJumo 211 F 12気筒液冷エンジン(1400馬力);垂直尾翼・水平尾翼には、被弾跡らしい開口部がいくつか開いている。胴体後上方のハッチの中を覗き込んでいある。エンジンも主翼も写っていない。
Flymotor, Jumo 211 F Lengde: 174.5 cm Bredde: 80.4 cm Vekt: 640 kg Lengde: 174.5 cm Other information: Motortypen ble bl a brukt Junkers Ju-88 A-4. Serienummer: 9-211.106-034.2 Identifier: LMU.501019 Part of collection: LMU Owner of collection: Luftforsvarsmuseet Institution: Forsvarets museer Date published: December 11, 2014 Date updated: December 11, 2014 DIMU-CODE: 021025644327 UUID: E0A8D840-6B98-4B60-9E5B-83100C441CEC
写真はForsvarets museer ・Identifier: LMU.501019 引用。


写真(右)ノルウェー、ボードー、ノルウェー航空博物館(Norsk Luftfartmuseum)、ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型の装備していたFlymotor, Jumo 211 D 12気筒液冷エンジン(製造番号:37267)のシリンダー(気筒)部分;1941年、ライプチヒのユンカース航空発動機で製造。
Flymotor, Jumo 211 D 12 sylinders V-motor. Vekt: 720 kg Motortypen ble brukt i bl a tyske fly av typene Heinkel He-111 og Junkers Ju-88. Total produksjon var omlag 85000 motorer. Motoren ytet maksimalt 2600 omdreininger. Motorfabrikk Junkers Flugmotor, Leipzig. .Serienummer: 37267 fabrikk nr Identifier: LMU.501020 Part of collection: LMU Owner of collection: Luftforsvarsmuseet Institution: Forsvarets museer Date published: December 11, 2014 Date updated: December 11, 2014 DIMU-CODE: 021025644334 UUID: 6AB5C2A6-51C2-4548-AB6B-1FF23299634A
写真はForsvarets museer ・Identifier:LMU.501020 引用。


ニュルンベルグ国際軍事裁判では、犯罪組織(犯罪集団)に所属していると訴追対象となったが、これは、ナチ党指導部、内閣(政府)、親衛隊(SS)、突撃隊(SA)、親衛隊保安本部(ゲシュタポ・SD)、参謀本部・国防軍最高司令部の6組織である。また、ニュルンベルグ国際軍事裁判の事犯としては、ユダヤ人大量殺戮、ホロコーストが未曽有の殺戮と認識され、C級戦犯の「人道に対する罪」として裁かれた。死刑対象者は、1946年10月16日に絞首刑にされ、有期刑対象者はベルリン郊外のシュパンダウ刑務所に収監された。


11.ハインケル(Heinkel)He111爆撃機

写真(右)1940年頃,バトル・オブ・ブリテンで、イギリス軍に無傷で鹵獲されたドイツ空軍第26爆撃航空団のハインケル(Heinkel)He-111爆撃機H初期型:胴体には、イギリス空軍の国籍マークに塗り替えられているが、機首左・操縦席側の黒のライオンのエンブレムは、オリジナルのドイツ空軍第26爆撃航空団の記章である。機首下面 のガラス窓にはいたがはめこまはめこまれているが、不時着時に破損したためか。それとも、遮光板が取り付けられているのか。
Object description ENEMY AIRCRAFT FORCED DOWN IN BRITAIN RECONDITIONED FOR RAF INSTRUCTION For story see CH 5096 A Heinkel III which landed undamaged.
写真はIWM (CH 5099) Catalogue number:CH 5099引用。


イギリス首相ウィストン・チャーチルは,アメリカの支援を受けながら,ドイツと徹底抗戦する覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日、バトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)の期間、ドイツ空軍は、イギリス本土を空襲し、軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯に大きな被害を与えた。これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。

⇒写真集Album:ドイツ空軍(ルフトバッフェ)ハインケルHe111爆撃機を参照。


12. ドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機

写真(右)1938-1939年頃,ドイツ空軍ドルニエDo-17爆撃機:引込み脚の高速爆撃機として採用されたが、第二次大戦勃発時には旧式化していたために、1940年のバトルオブブリテンを最後に退役している。第二次大戦前なので、垂直尾翼には赤帯・白丸に黒のナチ党スワスチカ卍十字を国籍マークとして描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46169904 - Catalog:16_007449 - Title:Dornier Do 172-1 Nowarra Collection - Filename:16_007449.TIF -
写真はSDASM Archives Catalog:16_007449引用。


⇒写真集Album:ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機を参照。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥

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