◆ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
写真(上)1938年、ドイツ,飛翔するドイツ空軍第255爆撃航空団(後の第54爆撃航空団)第1飛行隊第2中隊(機首アルペン。ローズ紋章)所属のドルニエ(Dornier)Do-17E爆撃機"54+B12";Do-17Eは発動機に当初ダイムラーベンツDB600液冷12気筒エンジン(1000馬力)を搭載し試作された。しかし、DB600液冷エンジンは戦闘機に優先配備されることとなり、BMW VI液冷V型12気筒エンジン750 PS(排気量46.9 L)に換装された。 Deutsch: Dornier Do 17 E mit (frühem) Luftwaffen-/Verbandskennzeichen "54+B12" ist ein Flugzeug der 2./KG 255 aus Landsberg/Lech (54 = KG (Kampfgeschwader) 255, B = 2. Flugzeug der Staffel, 1 = I. Gruppe, 2 = 2. Staffel; Propellerspinner in Staffelfarbe der 2. Staffel = "Rot"). Die rumpf- u. flügelseitigen Balkenkreuze wurden vor der Veröffentlichung dieses Postkartenfotos unkenntlich gemacht, oder aber im Rahmen eines Manövers mit schwarzen Kokarden übermalt, ca. 1937/38.
Date 16 March 2017, 14:22:07
Source Own work
Author Георги Н. Илиев
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Dornier Do 17 early (cropped).jpg引用。
写真(上)1940年5月,ドイツ,未舗装滑走路でエンジンを稼働しているドイツ空軍第2爆撃航空団(KG2)第1飛行隊所属のドルニエ(Dornier)Do-17 M 爆撃機;ブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)2基装備、機首コックピットに4名の搭乗員を集中配置している。後上方の大型銃座がM型の特徴である。 Description
Deutsch: Dornier Do 17 M-1 = Bomber mit 2x Bramo 323 A-1/A-2 "Fafnir" (900 PS) Sternmotoren. Do 17 P-1/P-2 = Aufklärer mit 2x BMW 132 N (865 PS) Sternmotoren. Mit dem Stand "19.09.1938" hatte die Luftwaffe 579 Dornier Do 17 der Ausführungen E, F, M und P in ihrem Bestand. Die Folge-Ausführung "Z" wurde zwischen 1939 und 1940 in 475 Exemplaren hergestellt. Dazu parallel >100 Exemplare Do 215 Fernaufklärer mit 2x DB 601 B-1 V12-Motoren mit je 1100 PS.
Die I. Gruppe des KG 2 (Kampfgeschwader 2, "Holzhammer-Geschwader") war vom 23. Februar bis 22. März 1940, und vom 23. April bis 10. Mai 1940 in Giebelstadt mit der Do 17 Z stationiert. Die vom 1. Nov. 1938 bis 1. Okt. 1939 genutzte Do 17 M besaß noch nicht die verglaste Vollsicht-Bugkanzel der Folgeausführung Z der Dornier Do 17, jedoch verfügten beide Typen über die neuen Bramo 323 A "Fafnir" Neunzylinder-Sternmotoren. [1]
Date 1 May 1940, 08:59:17
Source Own work
Author W-R-Hesse-Fotos
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Dornier Do 17 M-1 mit 2x Bramo 323A Sternmotoren (1).jpg引用。
写真(上)1939−1941年頃,ドイツ(?),ドイツ空軍主力爆撃機として就役したドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機;Z型は、ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kWを装備。「空飛ぶ鉛筆」Do-17は、1934年11月23日の初飛行、各型合計2,000機が生産され、1937年から就役した。 Dornier Do-17
Catalog #: 00078558
Manufacturer: Dornier
Designation: Do-17
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives 引用。
1.スペイン内戦に投入されたドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機
写真(上)1934年11月-1935年頃,無塗装のドイツ新鋭民間機ドルニエ(Dornier)Do 17 V-1 試作1号機(D-AYZE);単尾翼式の試作1号機は、1934年11月23日にBMW VI液令V型12気筒エンジン750 PS(排気量:46.9 L)2基を装備し初飛行した。高速郵便輸送機として、販売が企図されていたが、再軍備宣言後に大々的に復活を果たしたドイツ空軍の主力爆撃機としては、双尾翼式で、機首にガラス風防を設けたタイプが制式された。 Ray Wagner Collection Image
PictionID: 46169603 - Catalog: 16_007425 - Title: Dornier Do 17V-1 Nowarra Collection - Filename:16_007425.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation -Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は, SDASM Archives
引用。
ドイツ新鋭民間機ドルニエ(Dornier)Do 17 V-1 試作1号機は、軍用機として使用されることを視野に入れていたが、1934年11月23日に初飛行した時には、ドイツはナチ党政権下ではあったが、再軍備宣言前で、ドイツ空軍はヴェルサイユ条約で保有を禁止されており、公式的には存在していない。Do17試作機は、機首は尖っていてソリッド化されており、先端ガラス風防は設けられていない。ドルニエ(Dornier)Do 17Eは発動機にBMW VI液冷V型12気筒エンジン750 PS(排気量 46.9 L)2基を搭載している。
写真(右)1935-1936年頃,ドイツのドルニエ(Dornier)Do 17 V-2 試作2号機の機首; Ray Wagner Collection Image
PictionID: 46169842 - Catalog: 16_007444 - Title: Dornier Do 17RV-2 Dornier photo - Filename:
16_007444.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は, SDASM Archives
引用。
ドイツのドルニエ(Dornier)Do 17 V1試作1号機からV3試作3号機が完成したのは、1935年のドイツ再軍備宣言前であったため、ヴェルサイユ条約で保有を禁止された空軍兵力とみなされることのないように、民間機の登録コードを与えられ、国内外に販売する目的で開発されたとの建前をとった。Do17の民間用途は、商用の高速郵便輸送機である。
ドルニエ(Dornier)Do 17 試作1号機は、単尾翼で、尖った機首は、搭乗引用のコックピット空間はないし、機首先端にガラス風防もない。最高速力の速さは評価され、尖った機首と細い胴体から「空飛ぶ鉛筆 (Fliegender Bleistift)」として喧伝された。しかし、Do17は搭乗員のコックピット空間が狭く、居住性が劣悪だった上に胴体に民間旅客機としてのスペースが無かったため、民間機としては販売は成功しなかった。
写真(右)1935-1937年頃,ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 V-3 試作3号機; Ray Wagner Collection Image
PictionID: 46169615 - Catalog: 16_007426 - Title:Dornier Do 17V-3 Dornier photo - Filename: 16_007426.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は, SDASM Archives
引用。
第二次大戦で使用されたドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機は,1935年3月16日にヒトラーが、ヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し再軍備宣言をして以降、軍用機として量産され、第二次大戦勃発時に400機が配備され、ドイツ空軍主力爆撃機となった。
ヒトラーの再軍備宣言
1)義務兵役制を復活:兵力36個師団,50万人を動員
2)軍事組織の名称変更:陸海軍に加えて空軍Luftwaffeを新設し,国軍Reichswehrを伝統的な国防軍Wehrmachtに戻す。国防省を陸軍省(Ministry of War)と変更。陸軍参謀本部の復活。
写真(上)1937-1938年頃,ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 V-13 試作13号機(D-AYZE);試作13号機は、Do-17M爆撃機の原型となった機体である。 Ray Wagner Collection Image
PictionID: 46169791 - Catalog: 16_007440 - Title:Dornier Do 17 V-13 prototype of Do 17M series Peter Bowers Collection - Filename:16_007440.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation---Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は, SDASM Archives
引用。
写真(右)1938年頃,第二次大戦前のドイツ,離陸し上昇するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 E-1爆撃機右前方;機首は、丸い曲面ガラスの初期型でBMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)を装備。後の最終型Zは、ダイアモンド・カット型の大型ガラス風防に変更され、機首下面にバルジを設けている。垂直尾翼には、第二次世界大戦勃発前の国籍マークが描かれている。 Dornier Do 17z2 Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album
PictionID: 38235950 - Catalog: Array - Title: Array - Filename: 15_002315.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.----------SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive 写真は, SDASM Archives
引用。
1938年9月-12日,ドイツ、ニュルンベルクで最後のナチ党NSDAPヒトラー独裁政権の祭典が催された。その時にニュルンベルクに新設された「ルイトポルトホール」(Luitpoldhalle)スタジアム上空をドイツ空軍第255爆撃航空団のドルニエ(Dornier)Do 17 E 爆撃機が、編隊飛行して、国内外にドイツの強大さを見せつけた。
BMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量:46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)は、BMW IV液令V型6気筒エンジンの気筒数を2倍に増やし、排気量を2倍にした出力強化型で、1926年に開発された。その後、1933年にはBMW VIに燃料直接噴射を導入した。
BMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)は、ソ連と日本でライセンスを取得し国産化された。日本陸軍は、川崎にライセンス生産し、ベ式450馬力発動機BMW-6として制式した。ソ連は、ミクーリン(Mikulin)M-17エンジンとして制式し、1930年から1941年にかけて、ポリカルポフ(Polikarpov)R-5偵察爆撃機、ツポレフ(Tupolev)TB-3重爆撃機、BT-7快速戦車、T-28多砲塔戦車、KV-1重戦車などの搭載した発動機として、2万7,000台を量産している。
写真(右)1938年以降,第二次大戦前のドイツ,真新しいユーゴスラビア空軍向け輸出仕様のドルニエ(Dornier)Do 17 Ka-2爆撃機の機首右側; Ray Wagner Collection Image
PictionID: 46169727 - Catalog: 16_007435 - Title: Dornier Do 17Ka-2 Dornier photo - Filename: 16_007435.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive 写真は, SDASM Archives
引用。
ドルニエ(Dornier)Do 17は、1934年11月23日初飛行したが、3年後の1937年11月9日、ドイツはユーゴスラビアとDo17爆撃機20機の輸出契約を締結した。これが、ユーゴスラビア空軍向け輸出仕様のドルニエ(Dornier)Do 17 Ka-2爆撃機である。
ユーゴスラビア空軍向け輸出仕様のドルニエ(Dornier)Do 17 Ka-2爆撃機は、機首に爆撃手席を設け、空気抵抗を抑えるために、丸断面の小型ガラス風防を装着した。機首の周囲に突出部を作らず、飛行中の気流の流れをスムーズにする構造になっている。後に、平面ガラスを組み合わせたダイアモンド・カット型のガラス風防に改変された。
写真(上)1938年9月-1939年9月以前,ドイツ,完成したばかりの真新しいドイツ空軍主力爆撃機ドルニエ(Dornier)Do 17 P-2 爆撃機(RLM70/71の迷彩塗装);尾輪には、移動用のドリーが装着され、尾翼には赤帯白丸黒スワスチカの戦前の国籍マークが描かれている。 Ray Wagner Collection Image
PictionID: 46169817 - Catalog: 16_007442 - Title: Dornier Do 17P-1 Nowarra Collection - Filename: 16_007442.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Depository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。
ドルニエ(Dornier)Do 17は193年11月23日初飛行だが、Do17 Mは爆撃型で発動機にブラモ(Bramo)323A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)を採用した。他方、Do17 Pは偵察型で、発動機にBMW132N空冷星型9気筒エンジン865 PS (853 hp:636 kW) を採用し、1938年9月から生産開始、1939年12月生産終了、生産機数330機。
写真(右)1938年以前,ドイツ,未舗装飛行場に駐機しているドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 V-9 試作9号機;BMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)740 hp2基装備で、機首は、円筒形で、先端に局面丸型ガラス風防がついている。コックピット後上方に7.92mmMG15旋回機関銃の大型銃座が設けられている。 Ray Wagner Collection Image
PictionID: 46169741 - Catalog: 16_007436 - Title: Dornier Do 17V-9 Nowarra Collection - Filename:
16_007436.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives 引用。
Do 17 V-9 試作9号機は、BMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)2基装備で、機首は、円筒形で、先端に局面丸型ガラス風防がついている。コックピット後上方に7.92mmMG15旋回機関銃の大型銃座が設けられている。
ドルニエ(Dornier)Do 17 E爆撃機・F長距離偵察機の装備した発動機BMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)は、ハインケル He 59双発水上救難機、ハインケル He 60艦上水上偵察機、ハインケル He 70高速輸送機、ハインケル He 51複葉戦闘機、アラド Ar 68複葉戦闘機に採用された実用性の高いエンジンである。
実用性の高かったドイツのBMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW) はドルニエ(Dornier)Do 17の発動機だが、日本陸軍機用、ソ連赤軍機用に採用された。ただし、これらの日本やソ連の軍用機・車両には、日本あるいはソビエト連邦でライセンス生産されたBMW VI液冷V12気筒エンジンが搭載されている。ソビエトの戦前の主力BT-7快速戦車も500 hpのミクーリン(Mikulin)M-17T(BMW VI液冷V型12気筒エンジンのソ連ライセンス生産型)を搭載している。
BMW VI液冷V型12気筒エンジンのソ連ライセンス生産版
ミクーリン(Mikulin)M-17の諸元
筒径ボアBore: 160mm (6.30 in)
ストロークStroke: 190/199 mm (7.48/7.83 in)
排気量Displacement: 46.9 L (2,864 cuin)
全長Length: 1,810mm (71.26 in)
全幅Width: 859mm (33.82 in)
全高Height: 1,103mm (43.43 in)
乾燥重量Dry weight: 540-553 kg (1,190-1,219lb)
出力Power output:750 PS (740 hp; 552 kW)
圧力比Compression ratio: 6.0:1 又は 7.3:1
写真(右)1938年秋、ドイツ南部、バイエルン上空を飛行するドイツ空軍第255爆撃航空団(後の第54爆撃航空団)第9飛行隊(9./KG 255)所属のドルニエ(Dornier)Do-17 E 爆撃機(54+J39):胴体後方側面の白縁黒の鉄十字のドイツの国籍マークの上に訓練識別用なのか、赤丸を塗り重ねた。主翼両端上下にも「日の丸」が描かれているが、ともすると黒丸のスペイン・ファシスト反乱軍・コンドル軍団の黒丸識別マークのように見える。BMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)を駆動して3翅プロペラを回転している。塗装は、61ブラウン、62グリーン、63グレー(下面)の三色折れ線迷彩である。コックピットの後上方と下面昇降口付近の銃座に7.92mmMG15旋回機関銃各1丁を搭載。
Beeldnummer
485
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift
Do 17
'Het vliegende potlood' van de Duitsche Luchtmacht. Een Dornier. 写真はBEELDBANKWO2.NL
485引用。
BMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)の前作は、BMW V液冷直列6気筒エンジン(排気量 22.9 L)300 PS (240kw)、BMW IV液冷直列6気筒エンジン(排気量 22.9 L)300 PS (220 kW)は、インライン・エンジン(Inline-engine)すなわち直列型エンジンで、レシプロエンジンの形式として、1本のクランクシャフトに複数の気筒シリンダーを直列に並べた配置をとる。ソ連でもミクーリン(Mikulin)M-17Tとしてライセンス生産され、BT-7快速戦車に搭載された。
他方、BMW V液冷直列6気筒エンジン発展型のBMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)もDB601液冷V型12気筒エンジンも、V型エンジンである。レシプロエンジンの形式として、V型エンジンはインライン複数の気筒シリンダーを左右交互にV字型に傾けた配置をとる。
直列型エンジンよりV型エンジンは、設計が複雑で部ブラウンの数も多いために、コストも重量も増える反面、直列型エンジンよりもV型エンジンは全長が短縮でき、小型化なコンパクトな構造となるために、気筒シリンダーを増加したり、大型化したりして大排気量の高出力エンジンに向いている。
写真(上)1939年9月以前,ドイツ,未舗装飛行場に駐機しているドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 MV-3 爆撃機;M型試作3号機で、コックピット後上方に7.92mmMG15旋回機関銃の大型銃座が設けられている。 Ray Wagner Collection Image
PictionID: 46169765 - Catalog: 16_007438 - Title: Dornier Do 17MV-3 Nowarra Collection - Filename: 16_007438.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives 引用。
ドルニエ(Dornier)Do-17 E-1爆撃機は、爆弾倉に最大500kgまでの爆弾を搭載できるが、これはドイツ爆撃機としては軽爆撃機の部類である。また、このE型を原型としたドルニエ(Dornier)Do-17 F-1偵察機は、爆弾倉を改修し、補助燃料タンクを増設、大型航空写真機を設置した。この長距離写真偵察機は、スペイン内戦に派遣され、実戦で有効性が認められた。
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 M 爆撃機は、D017 E爆撃機の後継
改良型として1938年に開発された。発動機はブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW) 2基を装備しており、爆弾搭載量は、前作Do17E型爆撃機の500kgを倍増し、1000kgとなった。
写真(右)1938年冬,第二次大戦1年半前のドイツ,冠雪の山脈を背景に編隊するドイツ空軍第255爆撃航空団(KG 255)ドルニエ(Dornier)Do 17 E-1爆撃機右前方;機首は、丸い曲面ガラスの初期型でBMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)を装備。後の最終型Zは、ダイアモンド・カット型の大型ガラス風防に変更、機首下面にバルジを設けた。垂直尾翼には、第二次世界大戦勃発前の赤帯白丸黒鍵十字のナチ党独裁政権時代のドイツ国籍マークが描かれている。 Deutsch: Dornier Do 17 E-1 (54 + x11), 1. Staffel (weisse Prop-Spinner) des KG 255, Landsberg am Lech. Alpenüberflug vermutlich während oder nach dem sogen. "Anschluss Österreichs" im Frühjhar 1938.
(x = Platzhalter für die Iindividualkennbuchstaben 'A' bis 'N' der 12 Flugzeuge einer Staffel; die Buchstaben 'I' und 'J' fanden i.d.R. keine Verwendung, so daß das Kennzeichen des 12. Flugzeuges lautet: 54 + N11).
Date 23 January 2022, 08:17:11
Source Own work
Author W-R-Hesse-Fotos 写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Do 17 E-1 '54+x11' 1. KG 255 (404kb).jpg
引用。
ドルニエ(Dornier)Do-17 Z爆撃機M型の発動機は、ブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)だったが、これをより普及し信頼性のあったたBMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)に換装したのが、長距離偵察型P型である。これは前作Do17偵察機F型の改良型である。ドルニエDo17P長距離偵察機は、スペイン内戦に派遣され、フランコ将軍ら反乱軍国民戦線の側で、政府共和国軍と対峙した。
写真(右)1939年9月以前,第二次大戦前のドイツ,待機する真新しいドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-2爆撃機右前方;機首を、ダイアモンド・カット型の大型ガラス風防で多い、機首下面にバルジを設けている。垂直尾翼に、第二次世界大戦勃発前の赤帯白丸黒鍵十字のヒトラー政権ドイツ国籍マークが描かれている。 Dornier Do 17z2 Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album
PictionID: 38235950 - Catalog: Array - Title:Array - Filename:15_002315.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.--------SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive 写真は, SDASM Archives
引用。
ドルニエ(Dornier)Do 17試作1号機は、1934年11月23日に初飛行、各型合計1,994機量産された。1937年から就役し、スペイン内戦、第二次世界大戦初戦に大量投入された。
ドルニエ(Dornier)Do 17 E爆撃機は、BMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)2基装備で1936年9月生産開始、1937年9月生産終了、300機量産。
Do 17 M爆撃機は、ブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)2基を装備し、1938年5月生産開始、1939年2月生産終了、200機が量産された。
Do17 P偵察機は、BMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)装備、1938年9月から生産開始、1939年12月生産終了、330機が量産された。
写真(右)1943月9月29日(?)、編隊飛行するBMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)装備のドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 E爆撃機/F偵察機:尾部下面に固定式尾輪が見えるる。機首が胴体と同じ断面で狭いために、コックピットに乗員は3名であって、後のような4名配置ではない。胴体後方側面の白縁黒の鉄十字のドイツの国籍マークは、大戦初期の華麗なマークのまま塗り替えていないので、1943年撮影とすれば練習航空団の所属であろう。
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift
Ein Bild von imposanter Schönheit. Do 17 (Dornier) im Staffelverbandflug.
Datum
29/09/1943
Datum type
Opname. 写真はBEELDBANKWO2.NL
480引用。
1939年9月1日、ドイツ空軍は、ボーランドを空爆したが、このポーランド侵攻に、ドイツ空軍第2、第3、第76、第77爆撃航空団(KG 2,KG3,KG76,KG77)のドルニエDo 17 M/Z 爆撃機370機、Do 17 P偵察機262機が投入された。ここで、爆撃型Do17MとDo17Zとはブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)、偵察型Do17PはBMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)搭載で、発動機は似ているが異なっている。
Do17の配備機数は、爆撃機:偵察機の比率が5.9:4.1と思いのほか偵察機が多い。これは、爆弾搭載量がDo17までは500キロ、Do17Zでも1000キロと、ドイツでは軽爆撃機だったためである。同時期のユンカースJu88、ハインケルHe111の爆弾搭載量は、通常でも1500キロ、過重では2000キロはあったので、爆弾搭載量の少ないDo17では開戦時Do17P偵察型がDo17M/Z爆撃機の71%相当配備されていた。
写真(右):1939年9月24日,ポーランド、ワルシャワ、ドイツ軍による空襲・砲撃のためか火災が発生し黒煙が上がっている。: Smoke Clouds Over Warsaw
Description: Enormous smoke clouds hover over the heavily bombarded city of Warsaw, Poland. From a series of captured German photographs.
Date: September 24, 1939
Related Collection: John M. Redding Papers
ARC Keywords: Battles; Cities and towns; World War, 1939-1945
HST Keywords: Poland, Warsaw; World War II - General File 写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-578引用。
1939年9月,ポーランドに降伏勧告をして拒否されたドイツ軍は,9月25日にワルシャワを,爆撃機400機によって空襲、通常爆弾560トン,焼夷弾72トンを投下した。二日後日,ポーランドは降伏した。 ドイツでは、ワルシャワ爆撃の目標は、ワルシャワの軍事施設であって、一般市民を対象としたテロ爆撃ではないとも主張される。しかし、当時の水平爆撃の技術では、目標に爆弾を命中させることは困難であった。
ドイツ空軍は第1航空群(東)が北部からワルシャワ方面を、第4航空軍(南東)が南東からウッジ、クラコウ方面を攻撃した。ワルシャワ、ポーゼン、ウッジ、クラコウなどポーランドの大都市周辺には航空基地があり、そこのポーランド空軍を排除することが求められた。つまり、ドイツ空軍は、都市にはポーランド軍が駐屯しているとして、当初から都市爆撃を躊躇せずに実行したのである。ワルシャワなど大都市には、ビラを空中散布するなどしてポーランドに降伏勧告をしたが、勧告を無視して、ポーランドが果敢に抵抗したとして、無差別爆撃も実行している。
1939年9月1日、ドイツ空軍の損失は、Do17P偵察機5機、Do17爆撃機損失はKG2は2機、KG3は2機、KG77は6機、KG76は損失なし、すなわちDo17爆撃機は合計8機損失である。Do17損失の原因は、対空砲火である。また、1939年9月1日から15日までの15日の間のDo17の損害原因は、いずれも対空砲火、地上からの銃撃によるとされているが、これはDo17が低空攻撃を用いていたためである。
ドイツに対するポーランドの航空兵力は,自国設計・国内生産の機体も含めて、第一線機900機(爆撃機150機,戦闘機315機,偵察機325機,海軍機50機など)だった。これは、当時の小国としては、強力な空軍力であり、イギリス、フランスは、士気の低いソ連軍よりも、勇敢なポーランド軍の方を同盟相手として選ぶことになった。イギリスもフランスもポーランドの独立を保証する不可侵条約を結んでいた。
1939年9月1日にポーランドに軍事侵攻したドイツに対して、英仏はポーランドとの協定にしたがって、ドイツに最後通牒を告げたが、無視されたために、1939年9月3日、ドイツに宣戦布告をした。この英仏参戦で、ドイツ西部戦線が開かれ、ポーランドの東部戦線は安泰になるとポーランド国民は、考えた。しかし、英仏によるドイツ攻撃は行われず、9月17日にはソ連軍が東部に進駐し、ポーランドは見殺しにされた。
ポーランド軍機は,侵略者ドイツに果敢に攻撃をかけたが,ドイツ軍に撃退された。ポーランド空軍は、輸入機と国産機からなっていたが、部品,燃料に不足をきたし,稼動機数は急速に低下し、ドイツ空軍に制空権を掌握されてしまう。
ドイツ空軍は陸軍に協力しての対地直協を基本戦略としていたために、都市戦略爆撃を行うのに適した重爆撃機を保有していなかった。急降下爆撃機は、この対地直協の主力となる単発のユンカース(Junkers)Ju 87が主力となった。
ポーランド侵攻に参加したドイツ空軍機は,アルベルト・ケッセリング(Albert Kesselring: 1881-1960)元帥の第1航空軍,アレクサンデル・レール第4航空軍で,あわせて1302機を保有していた。さらに,空軍総司令部直轄として,輸送機,偵察機など133機があり,陸軍にも偵察機,連絡機など288機が配備されていた。また,ドイツ本土防空部隊は,216機を保有していた。
したがって,ドイツ軍は,総計1929機をポーランド戦に投入したことになる。これはドイツ空軍兵力の三分の二に相当した。当時の主力爆撃機はドルニエDo-17とユンカースJu87だった。
ドイツ軍は,1939年9月25日、降伏勧告の機会を黙殺したことを口実に、ポーランドの首都ワルシャワに無差別爆撃をかけた。これは,爆撃機400機を配備した3-4回の反復爆撃で通常爆弾560トン,焼夷弾72トンを投下した。
写真(右)1938−1939年頃、ドルニエ航空機工場で生産されているドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z爆撃機偵察機:機首コックピットは、操縦席周囲のガラス風防は張り終わっているが、機首のガラス風防はまだ未装備である。コックピット後方に主翼の取り付け部分があり、接続部分がわかる。塗装は、機体上半分がグレー、下半分がブラウンとグリーンで塗り分けられた迷彩塗装である。
Beeldnummer
508
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen
Bijschrift
Dornier 215, in de motagehal, seriebouw.. 写真はBEELDBANKWO2.NL
508引用。
1939年9月17日には、ドイツ同盟国ソビエト連邦が、ポーランドは壊滅しポーランド東部に住むウクライナ人が危険に晒られているとの口実で、ポーランド東部にソ連赤軍を進駐させた。ドイツとソ連に分割され、1939年9月27日,ポーランドは降伏した。劣等民族の排除を開戦時の国会演説で表明していたヒトラーは、占領地ポーランドにワルシャワ・ゲットー(Warsaw Ghetto)、ウッジ・ゲットーなどユダヤ人隔離地を設定し、差別政策を実行に移し始めた。
写真(右)1939年10月26日、オランダ、第二次大戦の初頭「まやかし戦争」の時期、撃墜されたドイツ空軍第122偵察飛行隊(Aufklärungsgruppe 122 :AufklGr122)第4分隊所属のドルニエ(Dornier)Do-17 P偵察機と警戒・検分するオランダ軍兵士:左が操縦席、右には機首偵察席への通路があるが、正面から見ると並列複式操縦席のように見える。 Beeldnummer
62813
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Crashes, Bommenwerpers, Militairen, Vooroorlogse periode, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam Nederland
Land Nederland
Bijschrift
Groningen.
Betreft een Do 17P, Werknummer: 4052 (Dornier).
Onderdeel: 4.(F)/122, neergestort op 39-10-26, tijd:17.45 uur
Bemanning:Fw. R.Diensterweg en Uffz. Wendt.
Periode
oktober 1939
写真はBEELDBANKWO2.NL
62813引用。
オランダは第一次世界大戦では中立で、敗退したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の亡命も受け入れている。第二次世界大戦が1939年9月に勃発しても、オランダ、ベルギーはポーランドとの同盟関係にはなかったため、武装中立を維持しようとし、軍備を増強してはいたが、イギリス・フランス連合軍の進駐を最後まで拒否し、ドイツに非友好的な行為はとらなかった。
しかし、1940年5月10日、ドイツは「ファル・ゲルプ(Fall Gelb:黄色の事例)」を発動し、中立国ベルギーとオランダを経由して、ドイツ・フランス国境のマジノ線を迂回する大攻勢をかけた。フランス・ドイツ国境地帯においては、フランスが地下トンネルで結ばれたマジノ要塞を構築していたため、ドイツ軍は塹壕戦の再来を望まずに、フランス軍の防御が手薄だったアルデンヌの森を装甲師団で突破して、奇襲攻撃をかけた。そして、ドイツ空軍は、アムステルダム、ロッテルダムなど交通要衝と架橋を確保するため、降下猟兵空挺部隊を進出させ、航空基地を空襲した。
写真(右)1939年10月26日、オランダ、第二次大戦の初頭「まやかし戦争」の時期、撃墜されたドイツ空軍第122偵察飛行隊(Aufklärungsgruppe 122 :AufklGr122)第4分隊所属のドルニエ(Dornier)Do-17 P偵察機と警戒・検分するオランダ軍兵士:BMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)装備のDo17 P偵察機は、ドイツ空軍長距離偵察機の主力で、1938年9月から1939年12月までに330機が量産されている。 Beeldnummer
62814
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Crashes, Bommenwerpers, Vooroorlogse periode, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam Nederland
Land Nederland
Bijschrift
Nederland, Groningen. Duits neergestort vliegtuig.
Betreft een Do 17P, Werknummer: 4052 (Dornier).
Onderdeel: 4.(F)/122, neergestort op 39-10-26, tijd:17.45 uur
Bemanning:Fw. R.Diensterweg en Uffz. Wendt.
Een bezoeker van onze beeldbank schrijft:
'Neergestort bij Usquert na een poging tot een noodlanding. De bemanning werd geïnterneerd in Fort Spijkerboor en in mei 1940 afgevoerd naar Engeland.'
Periode
Oktober 1939
写真はBEELDBANKWO2.NL
62814引用。
1940年5月14日、ドイツ空軍はロッテルダムに無差別爆撃を実施すべく第54爆撃航空団(KG 54)He-111爆撃機54機が空爆し、ロッテルダムは降伏勧告を受け入れた。この5月14日、オランダはドイツに降伏したのである。他方、イギリス空軍は、ドイツ空軍のよるロッテルダム無差別爆撃の報復として、、5月15日から、ドイツ本土の都市夜間無差別爆撃を開始した。
写真(右)1939年12月、フランスで撃墜されたドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機を精査・検分するために残骸を持ち帰るイギリス空軍の回収部隊:尾翼部分を待ちあげて運んでいるが、後方には主翼、胴体も見える。イギリス空軍は、敵機の性能や弱点を調べるために、撃墜された敵機をできるだけ完全な状態のままで回収することに努めた。
Catalogue number: C 113,
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION,
Subject period: Second World War,
Alternative Names object category: Black and white,
Creator: Royal Air Force official photographer,
Object description: Ground staff personnel of the R.A.F. perform valuable work. They rush out to enemy aircraft that have been forced down in our territory and bring them back to the base in as complete a condition as possible. The aircraft are thoroughly inspected by experts to see if the Germans have improved on the fighting equipment of their aircraft. Dornier bomber shot down in France. Dornier DO 17 twin-engined reconnaissance aircraft from the salvage shed for examination by technical experts. This aircraft was one of the first to be secured in a fairly undamaged condition and yielded, among other things, valuable information regarding aircraft equipment. Label: RAF salvage crews with the remains of a shot-down German Dornier bomber in France, December 1939.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (C 113)
ドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機は、1934年11月23日の初飛行し、水平爆撃を行う機体だったために、後継機のドルニエ(Dornier)Do 217のように、双尾翼式の尾部末端に、急降下爆撃用の傘状ダイブブレーキを装着したことはない。スペイン内戦にも派遣されたドルニエ(Dornier)Do 17は、第二次世界大戦の勃発時のドイツ空軍主力双発爆撃機である。
写真(右)1939年10月−1940年4月,オランダあるいはフランス(?)、農地に不時着したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 M 爆撃機の正面と検分・警備にあたるドイツ軍将兵;このDo-17は、ブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)2基装備、爆弾最大搭載量1000kgのDo17M爆撃機であろう。第二次世界大戦緒戦に被弾して、何とか草原にたどり着いて不時着した時のようだ。 Perma_000412 Permann Collection Image
Dornier Do 217 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum 写真はSDASM Archives 引用。
写真(右)1939年10月−1940年4月,オランダあるいはフランス(?)、農地に不時着したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 M 爆撃機の正面と検分・警備にあたるドイツ軍将兵;このDo-17は、ブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)装備、爆弾最大搭載量1000kgのM型であろう。第二次世界大戦緒戦に被弾して、何とか草原にたどり着いて不時着したようだ。 Perma_000414 Permann Collection Image
Dornier Do 217 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。
写真(右)1940年初め頃、フランス、農場に不時着したドイツ空軍第22長距離偵察航空隊所属のドルニエ(Dornier)Do 17 P 長距離偵察機(4N + FH)と見聞・警備にあたるイギリス遠征軍の将兵;このDo-17Pは、BMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)を搭載した長距離偵察型で、原型となったM型は、ブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)を搭載した、爆弾搭載量1000kgの爆撃型である。 English: The British Expeditionary Force (bef) in France 1939-1940
The Royal Air Force in France 1939 - 1940: An RAF officer examines the wreckage of a crashed German Dornier Do 17 bomber which crashed in a French field. Note: It's a Dornier Do 17 P reconnaissance aircraft, Luftwaffe code (Verbandskennzeichen) 4N + FH (white F), 1.(F)/22 (1st squadron of 22nd Fernaufklärungsgruppe/strategic recce group.[1]
Deutsch: Dornier Do 17 P Fernaufklärer; das vervollständigte Verbandskennzeichen lautet: 4N + FH (weisses F), die zugehörige Aufklärungseinheit ist die 1.(F)/22 (1. Staffel der Fernaufklärungsgruppe 22), welche vom Juli 1940 bis Nov. 1940 mit Do 17 P und Bf 110 C vom Stützpunkt St. Omer aus Aufklärungsflüge über der Nordsee und der Ostküste Englands geflogen hat. Die 1.(F)/22 lag im Mai 1939 auf dem Fliegerhorst Kassel-Rothwesten, und verfügte über eine Staffelstärke von 12 Dornier Do 17 P Aufklärer.[2]
Date between 1939 and 1940
Catalogue number C 1712
Database number 205195167
Transferred by Fæ
Author
Stanley Arthur Devon (1907–1995)
Royal Air Force official photographerm 写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:The British Expeditionary Force (bef) in France 1939-1940 C1712.jpg引用。
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 M は、発動機にブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)を装備した爆撃機で、最高速力420 km/h、航続距離爆1,570 kmである。ドルニエ(Dornier)Do 17Mの爆弾搭載量は。それまでのDo17Eの500kgから2倍の1000kgに増加し、50キロ爆弾20個あるいは250キロ爆弾4発を搭載できた。
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17M爆撃機のコックピット後上方ルジ式銃座には、7.92mmMG15旋回機関銃1丁が装備されており、コックピット上面には、長いアンテナ支柱、環状ループ方位アンテナが備わっている。
写真(右)1939年10月−1940年4月,フランス(?)、不時着したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 M 爆撃機と見聞する3名の兵士たち:Do-17 M は1938年から生産されたブラモ(Bramo)323A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)装備、爆弾最大搭載量1000kgの爆撃機。発動機をBMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)に換装したのがDo17P長距離偵察機である。Do17M/Pのコックピット後上方部には、大型の張出しバルジの銃座があって、7.92mmMG15旋回機関銃1丁を搭載。コックピット上面に、長いアンテナ支柱、環状ループ方位アンテナが備わっている。
Perma_000407 Permann Collection Image
Dornier Do 17/ Do 215 after mishap --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は、Nationaal Archief, San Diego Air and Space Museum・引用。
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 M爆撃機の発動機ブラモ(Bramo)323A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)をBMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)に換装した偵察型がドルニエ(Dornier)Do17 P長距離偵察機である。胴体に大型航空写真機Rb 20/30 と Rb 50/30、あるいはRb 20/18 と Rb 50/18を装備している。
写真(右)1940年頃、北フランス、ドイツ空軍野戦高射砲部隊の上空を飛翔するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 M 爆撃機: Perma_000409 Permann Collection Image
Dornier Do 217 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum. 写真はSDASM Archives
写真(右)1940年頃、北フランス、ドイツ空軍野戦高射砲部隊の上空を飛翔するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 M 爆撃機:原典解説にはDo217とあるが、一連の写真とみれば、Do17M爆撃機でブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)を搭載。 Perma_000410 Permann Collection Image
Dornier Do 217 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum 写真はSDASM Archives
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do17M/Pのコックピット後上方には、大型の張出しバルジ式銃座があって、7.92mmMG15旋回機関銃1丁を備えている。そして、Do17M/Pのコックピット上面に、長いアンテナ支柱、環状ループ方位アンテナが備わっている。
写真(右)1939年10月−1940年4月,フランス(?)、不時着したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機と検分する4名の兵士たち:発動機はブラモ(Bramo)323Aエンジン900 PS(888 hp; 662 kW)を改良、出力を向上したブラモ(Bramo)323Pエンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)を装備している。4名の将兵は、Do17爆撃機の搭乗員クルーだったのであろうか。着陸時に主翼後縁フラップをいっぱいに下げた状態が確認できる。コックピット上部には、アンテナ支柱、環状ループ方位アンテナ、後上方7.92mmMG15旋回機関銃1丁が見える。 Perma_000411 Permann Collection Image
Dornier Do 217 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.--Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は、Nationaal Archief, San Diego Air and Space Museum・引用。
ドルニエ(Dornier)Do 17 M爆撃機のブラモ(Bramo)323A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン900 PS(888 hp; 662 kW)を改良し出力を向上したブラモ(Bramo)323P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を2基を装備したのがドルニエ(Dornier)Do 17 Z爆撃機で、Do17最終型である。Do17Zは爆撃型が大半だが、夜戦型も生産されている。
写真(右)1940年5月、オランダ、ロッテルダム南20キロ、フクセ・ワールト(Hoeksche Waard)、ドイツのフランス侵攻前後、畑に不時着したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z爆撃機と警戒・検分するオランダ軍兵士:左が操縦席、右には機首偵察席への通路があるが、正面から見ると並列複式操縦席のように見える。 Beeldnummer
173695
Collectie
Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbeek
Trefwoorden
Luftwaffe, Wrakken, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten, Nederlandse strijdkrachten
Locatie
Locatie
Naam Hoekse Waard
Land Nederland
Bijschrift
Foto vliegtuig wrak Dornier Do 17. Tekst: 'Wrak van de Dornier Do-17, neergekomen bij Westmaas in de Hoekse Waard in mei 1940. Het vliegtuig was afkomstig van de Aufklärungsgruppe 10 'Tannenberg'' ..
Periode
mei 1940
写真はBEELDBANKWO2.NL
173695引用。
写真(右)1940年5月、オランダ、ロッテルダム南20キロ、フクセ・ワールト(Hoeksche Waard)、ドイツのフランス侵攻前後、畑に不時着したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z爆撃機の双尾翼:垂直尾翼前下側に国籍マーク黒スワスチカ(ハーケンクロイツ)が描かれているので、第二次大戦初期だが、緒戦ではない。緒戦の時は、垂直尾翼の中央にスワスチカが描かれていた。 Beeldnummer
1173364
Collectie
Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbeek
Trefwoorden
Luftwaffe, Wrakken, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam Hoekse Waard
Land Nederland
Bijschrift
Foto Nederlandse militair bij motor van vliegtuig wrak Dornier Do 17. Tekst: 'Wrak van de Dornier Do-17, neergekomen bij Westmaas in de Hoekse Waad in mei 1940. Het vliegtuig was afkomstig van de Aufklärungsgruppe 10 'Tannenberg'' ..
Periode
mei 1940
写真はBEELDBANKWO2.NL
173364引用。
ドイツ空軍によるワルシャワ爆撃は、ワルシャワの軍事施設を目標としており、無差別爆撃ではないと主張される。しかし、当時の水平爆撃の技術では、目標に爆弾を命中させることは困難であった。この低い命中率を前提に、命中しないで目標をそれて着弾した爆弾が、敵に被害を与えるように爆撃あ計画された。目標付近に、民間施設や一般市民がいて、空襲で被害を受けることを当然のように考えていた。これが軍と民間市民を区別しない「無差別」爆撃で、1940年9月のドイツ空軍によるイギリス都市爆撃が大規模な事例であるが、1937年後半から、日本海軍航空隊が中国の南京、成都、重慶など都市爆撃を実施しており、これがドイツ軍コンドル軍団の爆撃機によるゲルニカ空襲後、初の連続的な大規模都市空襲である。
写真(右)1940年8月頃、イギリス海峡、チャンネル諸島ガーンジー島(Guernsey)沿岸を低空飛行するドイツ空軍第76爆撃航空団(KG 76)白帯の第I飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z爆撃機の左側面:垂直尾翼のスワスチカが、前下方に小さく描かれている。チャンネル諸島は、フランス海岸から40キロ沖にあり、イギリス領ではあるが、イギリス本土から200キロ近く離れている。第76爆撃航空団の後方胴体バンド帯は、白帯なら第1飛行隊、黄帯なら第3飛行隊である。 Beeldnummer
11040
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Slag om Engeland, Bombardementen, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam Channel Islands
Land Guernsey
Bijschrift
Do 17
Een Duitsch gevechtsvliegtuig passeert op weg naar Engeland het Britsche Kanaaleiland Guernsey. 写真はBEELDBANKWO2.NL
11040引用。
1939年末からドルニエDo17 の生産は大幅に縮小され、1940年10月には生産中止になった。しかし、1940年夏までにドルニエ(Dornier)Do 17 Z爆撃機 Z-1.Z-2,Z-3は合計500機が生産され、Do17は偵察型など全形式合わせて2139機が生産されている。
写真(右)1940年8月24日、イギリス海峡、チャンネル諸島ガーンジー島(Guernsey)沿岸を低空飛行するドイツ空軍第76爆撃航空団(KG 76)ドルニエ(Dornier)Do-17 Z爆撃機の右側面:第76爆撃航空団の後方胴体バンド帯は、白帯なら第1飛行隊、黄帯なら第3飛行隊である。垂直尾翼のスワスチカが、中央部に大きく描かれている。チャンネル諸島は、フランス沖にあったため、第二次世界大戦緒戦で、ドイツはチャネル諸島を占領し、終戦まで駐屯していた。 Gegevens
Close
Beeldnummer
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Piloten, Fotografie, Luchtmacht, Oorlogscorrespondenten, Vliegtuigen
Bijschrift
Do 17 of Do 215
Duitse oorlogsberichtgever. Het nemen van foto's.
Datum
07/02/1942
Datum type
Opname. 写真はBEELDBANKWO2.NL
11041引用。
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機を配備した第76爆撃航空団(KG 76)は、主翼後方胴体にバンド帯を巻いていて、白帯は第I飛行隊、赤帯は第II飛行隊、黄帯は第III飛行隊である
写真(右)1940年夏頃,ドイツ、燃料運搬車から燃料を補給中のドイツ空軍第2爆撃航空団第2飛行隊ドルニエ Do 17 Z-2 爆撃機:第2飛行隊は機首バンドは赤、第1飛行隊は白、第3飛行隊は黄である。Do17Zの発動機はブラモ323空冷900馬力エンジン2基で、プロペラ先端も第2飛行隊の赤塗装をしている。乗員:4名 (パイロット、爆弾手兼射手、射手2名)
全幅:18m、全長:16.25m、全高:4.6m、全備重量:7650kg、最高速力:427km/h、航続距離:1,160km、実用上昇限度:8,200m
武、兵装:7.92ミリMG 15 機関銃6丁、爆弾搭載量:1トン。 7401
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Brandstoffen, Oostfront, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam Union of Soviet Socialist Republics
Bijschrift
Do 17
Brandstof voor de Duitse vliegtuigen 写真はBeeldBankWo2 Beeldnummer 17401引用。
ドイツ空軍第2爆撃航空団は、機首に斜めバンド帯を巻いていて、白帯は第I飛行隊、赤帯は第II飛行隊、黄帯は第III飛行隊である。
写真(右)1940年夏頃,ドイツ、編隊飛行中のドイツ空軍第3爆撃航空団ドルニエ Do 17 Z-2 爆撃機: Beeldnummer
503
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Luchtaanvallen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift
Do 17
Eine Xette Kampfmaschinen im Anflug auf London (Dornier).
Datum
25/09/1940
Datum type
Opname 写真はBeeldBankWo2 Beeldnummer 503引用。
ドルニエ社が大戦前に開発したドルニエ(Dornier)Do 17双発爆撃機は、第二次世界大戦がはじまった1939年9月には量産中だったが、次第に生産は縮小されて、1940年10月には生産中止となった。しかし、1940年夏までにDo17爆撃機 Z-1.Z-2,Z-3は合計500機が生産され、Do17は偵察型など全形式合わせて2139機が生産されている。
写真(右)1942年2月7日、欧州西部、飛行中のドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z爆撃機のコックピット前部:左が操縦席、右には偵察員が航空カメラを構えて撮影の準備をしている。搭乗員たちは、海上に不時着した場合に備えてガポック式救命胴衣ライフジャケットを着用している。て救命胴衣垂直尾翼のスワスチカが、中央部に大きく描かれている。チャンネル諸島は、フランス沖にあったため、第二次世界大戦緒戦で、ドイツはチャネル諸島を占領し、終戦まで駐屯していた。 Beeldnummer
43372
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Piloten, Fotografie, Luchtmacht, Oorlogscorrespondenten, Vliegtuigen
Bijschrift
Do 17 of Do 215
Duitse oorlogsberichtgever. Het nemen van foto's.
Datum
07/02/1942
Datum type
Opname 写真はBEELDBANKWO2.NL
43372引用。
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の諸元
初飛行 1934年11月23日
全長 16.3メートル 全幅 18メートル 翼面積 86.5平方メートル 全備重量7650キロ エンジン:ブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L) 900 PS(888 hp; 662 kW)2基 最高速力: 420km/h 巡行速力: 300 km/h/8,837 kg/高度 4,000 m 戦闘航続距離(Combat range): 660 km / 燃料 1,540 L 爆弾1,000 kg 搭載 1,010 km / 燃料 2,435 L / 爆弾500 kg 実用上昇限度: 8,200 m 兵装 7.92ミリMG15機関銃5丁 爆弾搭載量:最大1トン
乗員4人(操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4人) 生産機数:2,139機
写真(右):1940年夏,フランス,50キロ爆弾を投下するドイツ空軍第2爆撃航空団第2飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機:ポーランド侵攻時のドイツ軍の主力双発爆撃機で,ワルシャワ空襲も行った。 Dornier Do 17 Z爆撃機:
全幅18メートル,全長16.25メートル,全備重量7650キロ、ブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)2基,最高速度427キロ,航続距離1160キロ,武装7.92ミリ機銃4丁,爆弾1トン,乗員4人,1937-1940年に1100機生産。 &Frankreich.- Bomber Dornier Do 17 Z im Flug beim Bombenabwurf; Luftwaffe (Lw) 3 "Polen" und Kriegsberichter Kompanie (KBK) Luftwaffe (Lw) 3
Dating: 1940 Sommer
Photographer: Spieth撮影。 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild_101I-341-0489-13引用(他引用不許可)。
ドイツ空軍第2爆撃航空団は、機首に斜めバンド帯を巻いていて、白帯は第1飛行隊、赤帯は第2飛行隊、黄帯は第3飛行隊である。他方、第76爆撃航空団は、主翼後方胴体にバンド帯を巻いていて、白帯は第1飛行隊、赤帯は第2飛行隊、黄帯は第3飛行隊である。
写真(上)1940年5月、ドイツ西部,フランクフルト・アム・マイン南東30km、ツェルハウゼン飛行場、BMW VI液冷V型12気筒エンジン(750 PS)を駆動しているドイツ空軍第3爆撃航空団(KG 3)「電光」"Blitz" 所属のドルニエ(Dornier)Do 17 Z-2/Z-3爆撃機"5K+AL"; English: Dornier Do 17 Z-2/Z-3, 5K + AL, 3./KG 3 "Blitz" (3rd Squadron of 3rd Bomber Wing "Blitz"/"Lightning") in Zellhausen (10,4 Km N-W-W Aschaffenburg), April-June 1940. On the right in the background another Do 17 Z and a Junkers Ju 52 with engine cowls marked in yellow all round. From 18 May to 21 June 1940, Heinkel He 111s of the II Group of Kampfgeschwader 53 were also stationed in Zellhausen. Combat missions were flown from here during the French campaign over Belgium and France. The I Group of KG 3 (with squadrons 1 to 3) was established in Burg near Magdeburg on 1 March 1940. Coming from Elbing and Heiligenbeil in East Prussia, the staff and III Group of KG 3 were stationed in Würzburg (Galgenberg) from Oct. 1939 to June 1940, while the II Group/KG 3 was accommodated at Schweinfurt airfield at the same time. The mountain ranges of the nearby Hahnenkamm (Vorspessart) can be recognised dimly on the horizon to the east.
Date
1 May 1940 写真はWikimedia Commons, Category:Kampfgeschwader 3 File:Dornier Do 17 Z (5K+AL), 3. KG 3, Zellhausen b. Aschaffenburg, Mai 1940.jpg引用。
ドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機は、1934年11月23日の初飛行し、水平爆撃を行う機体だったために、後継機のドルニエDo217爆撃機のように、双尾翼式の尾部末端に、急降下爆撃用の傘状ダイブブレーキを装着したことはない。スペイン内戦にも派遣されたドルニエ(Dornier)Do 17は、第二次世界大戦の勃発時のドイツ空軍主力双発爆撃機である。
写真(右)1940年8月5日,フランス、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z爆撃機:原典解説にはユンカースJu88爆撃機とあるが、双尾翼で空冷星型エンジン装備、コックピット後上方銃座の形状からドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機が正しい。
Fotocollectie Spaarnestad Onderwerpen
Reportage / Serie
Luchtoorlog Duitsers.
Beschrijving
Gevechten bij de Maginotlinie. Een Duitse Junker Ju-88 gaat tot de aanval over
Datum
5 augustus 1940
Locatie
Frankrijk 写真は、Nationaal Archief, het Het Genootschap voor het Nationaal Archief・
Inventarisnummer
28034
Bestanddeelnummer
28034_040引用。
ドルニエ(Dornier)Do 17 Eの発動機は、BMW VI液令V型12気筒エンジン750 PS(排気量46.9 L) Do17Mの発動機はブラモ(Bramo)323 A「ファフニール"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)2基、Do17Zの発動機はブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)。
写真(右)1940年9−10月,フランス或いはべルギー、飛行場に待機しているドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機;Do 17 M爆撃機のブラモ(Bramo)323A空冷エンジン900 PS(888 hp; 662 kW)を改良し出力を向上したブラモ(Bramo)323P空冷エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)を2基を装備したのがDo 17 Z爆撃機で、Do17最終型である。機首コックピット後上方銃座には7.92mmMG15旋回機関銃1丁が搭載されている。 Photographer
Gentsch
Im Westen (Belgien/ Frankreich). Luftwaffen-personal bei Instandhaltung des Flugfelds. Im Hintergrund Flugzeug Dornier Do 17; KBK Lw3
Title
Belgien/ Frankreich, Instandhaltung eines Flugplatzes Info non-talk.svg
Depicted place Belgien/ Frankreich
Date September 1940
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-343-0663-19
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Bundesarchiv Bild 101I-343-0663-19, Belgien-Frankreich, Instandhaltung eines Flugplatzes.jpg引用。
1940年7月10日時点のドイツ空軍にあった、純粋にドルニエ(Dornier)Do 17を配備していた部隊は、第2爆撃航空団KG2、第3爆撃航空団KG3、第77爆撃航空団KG77、第76爆撃航空団第Iおよび第III飛行隊のみであった。
また第76爆撃航空団第II飛行隊は、Do-17からユンカースJu-88に機首転換中で、8月には第77爆撃航空団でのJu-88に機首転換を始めている。Do-17の生産は、1940年10月で終了しているが、この時までにDo-17Z約500機が生産されている。Do-17全形式の生産総数は2139機である。
イギリス・フランス地区でのドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17の損害・撃墜は、1940年7月3日、Zは8機、Pは1機、1940年7月4日、Zは3機、1940年7月5日、Pは1機、1940年7月6日、Zは1機、Pは1機、1940年7月7日、Zは2機、Pは4機、1940年7月8日、Zは2機、1940年7月9日、Zは2機、1940年7月10日、Zは6機、Pは2機、1940年7月11日、Zは2機、Pは1機、不明2機、1940年7月12日、Zは2機、1940年7月13日、Pは1機、Mは1機、1940年7月16日、Zは2機、Pは1機、1940年7月18日、Zは2機、Pは1機、1940年7月19日、Pは1機、1940年7月20日、Zは1機、Mは1機、Pは2機、1940年7月21日、Mは1機、1940年7月22日、Mは1機、Pは1機、となっている。
写真(右)1940年9月,フランス或いはべルギー、飛行場から発進するドイツ空軍第3爆撃航空団(KG3)ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機;6機以上が飛行場の発進準備を終えて、順番を待っている。上空で編隊を組んで、防御を固めて、イギリス本土空襲に向かう。機首コックピットガラス風防先端、後上方銃座には7.92mmMG15旋回機関銃1丁が搭載されている。 Photographer
Gentsch
Belgien/ Frankreich.- ein Verband Bomber Dornier Do 17 des Kampf-geschwader 3 (KG 3) beim Start vom Feldflugplatz; KBK Lw3
Title
Belgien/ Frankreich, Flugzeuge Dornier Do 17
Depicted place Belgien/Frankreich
Date September 1940
Collection
German Federal Archives Current location
Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-343-0692-29A 写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Bundesarchiv Bild 101I-343-0692-29A, Belgien-Frankreich, Flugzeuge Dornier Do 17.jpg
引用。
イギリス・フランス地区でのドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17の損害・撃墜は、1940年8月13日、Zは12機、1940年8月15日、Zは10機、Pは1機、1940年8月16日、Zは4機、1940年8月18日、Zは18機、1940年8月19日、Zは1機、1940年8月20日、Zは3機、1940年8月21日、Zは6機、1940年8月22日、Zは1機、1940年8月23日、Zは2機、1940年8月25日、Zは1機、1940年8月26日、Zは17機、1940年8月27日、Zは3機、Pは3機、1940年8月28日、Zは16機、1940年8月29日、Zは10機、1940年8月30日、Zは8機、Pは3機、1940年8月31日、Zは35機、Pは3機、1940年9月1日、Zは5機となっている。
写真(右)1940年夏のイギリス本土航空決戦の時期,フランス駐留ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機の4人の搭乗員: Im Westen, Frankreich.- Luftschlacht um England, Do 17. Piloten und Besatzungen beim Kartenstudium. Dornier Do 17 im Hintergrund; KBK Lw.3
Dating: 1940 Sommer
Photographer: Spieth 撮影。 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild_101I-341-0481-39A引用(他引用不許可)。
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z爆撃機の搭乗員は、操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4名で、それ以前のドルニエ(Dornier)Do 17 M/P の3名より1名増員されているが、これはコックピットが改良され拡大されたためである。改良型Do 17 Z の機首コックピット形状は好評だったようで、後継機のDo215、Do217でも踏襲されている。
写真(右)1940年夏,フランス上空、飛行中のドイツ空軍第76爆撃航空団(KG76)第2飛行隊(赤バンド)所属のドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機:Dornier Do 17が飛行中。機首に乗員(操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4名)が集中して搭乗したので,相互の連絡がとりやすかった。機首と操縦席から7.92ミリMG17機銃が装備されている。 Frankreich.- Bomber Dornier Do 17 des KG 76 im Flug; Lw.Polen und KBK Lw.3
Datierung: 1940 Sommer
Fotograf: Spieth
Quelle: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。
ドイツ空軍の第2爆撃航空団(KG 2)は、機首に斜めバンド帯を巻いていて、白帯は第I飛行隊、赤帯は第II飛行隊、黄帯は第III飛行隊である。他方、第76爆撃航空団(KG 76)は、主翼後方胴体にバンド帯を巻いていて、白帯は第I飛行隊、赤帯は第II飛行隊、黄帯は第III飛行隊である。
写真(右)1940年夏、イギリス本土航空決戦の時期、ドイツ空軍第2爆撃航空団(KG2)第2飛行隊所属のドルニエ(Dornier)Do17 Z 爆撃機(U5-DM)ほかの編隊飛行:このDo17 Z 爆撃機(U5-DM)は1940年10月2日、対空砲火で被害を受け、搭乗員はパリ近郊上空からパラシュート降下して脱出した。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-342-0603-25
Archive title: Belgien/ Frankreich.- Ein Verband Bomber Dornier Do 17 Z im Flug während eines England-Einsatzes; KBK Lw 3
Dating: 1940 ca.
Photographer: Ketelhohn [Kettelhohn]
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
1940年9月7日、ドイツ空軍は、イギリス空軍相手の制空権争奪のための航空撃滅戦を諦めて、ロンドンなど都市とする無差別爆撃を主たる戦術に変更した。この爆撃目標変更のおかげで、壊滅的被害を受けつつ抵抗していたイギリス空軍戦闘機部隊は、小康状態をむかえ、暫時、戦力を回復することができた。イギリス本土都市爆撃の初日、1940年9月4日は、市民の苦難の始まりだったが、イギリス空軍には天祐だった。
写真(右)1940年9月頃,フランス(?)、編隊低空飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機の尾翼と後続機の正面;Do 17 Zは、Do17最終型である。 Perma_000403 Permann Collection Image
Do 17s early in WWII --Perman Collection Image--Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。
ドルニエ(Dornier)Do 17 の発動機には、初期のDo17 E爆撃機は、BMW VI液冷V型12気筒エンジン750 PS(排気量:46.9 L)2基装備だった。しかし、改良型のDo17 M爆撃機は、ブラモ(Bramo)323「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン900 PS(888 hp; 662 kW)に、最終型Do17 Z爆撃機はブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基と出力は次第に増強されている。
写真(上)1940年6月21日,フランス、編隊低空飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機の尾翼と後続機の正面;Do 17 M爆撃機のブラモ(Bramo)323Aを改良し出力を向上したブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を2基を装備したDo 17 Zは、Do17最終型である。 Photographer
Folkerts
Frankreich.- Verband Bomber Dornier Do 17 Z-1 im Flug; PK Lw 3 Polen und KBK Lw 3
Title
Frankreich, Flugzeuge Dornier Do 17 Info non-talk.svg
Depicted place France
Date 21 June 1940
Current location
Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-341-0456-03
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Bundesarchiv Bild 101I-341-0456-03, Frankreich, Flugzeuge Dornier Do 17.jpg引用。
ドルニエ(Dornier)Do 17 Z (最終生産型)諸元 全長115.6メートル,全幅18メートル,翼面積 55平方メートル 全備重量8600キロ,最高速度 410キロ,航続距離 1160キロ
発動機 ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基 武装;7.92ミリMG15旋回機関銃7丁,爆弾1トン搭載
写真(上)1940年6月21日,フランス、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機の編隊飛行;ブラモ(Bramo)323P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を2基を装備したのがDo 17 Z爆撃機で、Do17最終型である。2基装備、機首コックピットに4名の搭乗員を集中配置している。 Photographer
Folkerts
Frankreich.- Verband Bomber Dornier Do 17 Z-1 im Flug; PK Lw 3 Polen und KBK Lw 3
Title
Frankreich, Flugzeuge Dornier Do 17
Depicted place France
Date 21 June 1940
Current location
Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-341-0456-04
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Bundesarchiv Bild 101I-341-0456-04, Frankreich, Flugzeuge Dornier Do 17.jpg引用。
写真(右)1940年6月21日,フランスあるいはベルギー、編隊飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機;機首コックピット左側方ガラス風防から左主翼越しに撮影。コックピット後方左右には7.92mmMG15旋回機関銃各1丁が搭載されているが、後方左機関銃座の機銃制御棒が見えている。 Photographer
Gentsch
Belgien /Frankreich.- Verband Bomber Dornier Do 17 Z des Kampfgeschwader 3 (KG 3) im Flug; KBK Lw 3
Title
Belgien/Frankreich, Flugzeug Dornier Do 17
Depicted place Belgien/Frankreich
Date 1940
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-343-0679-06A
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Bundesarchiv Bild 101I-343-0679-06A, Belgien-Frankreich, Flugzeug Dornier Do 17.jpg引用。
Do 17 M/Z爆撃機の発動機ブラモ(Bramo)323「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)は、イギリスのブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)エンジン (排気量 28.7 L)440 hp (330 kW)を原型にした発動機である。
彩色写真(右)1940年9月,フランスあるいはベルギーの上空を編隊飛行するドイツ空軍第3爆撃航空団ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機(5K+FA);機首コックピットに4名の搭乗員を集中配置している。 Photographer
Gentsch
Belgien/ Frankreich.- ein Verband Bomber Dornier Do 17 Z des Kampfgeschwader 3 (Stab/KG 3; Kennung der vorderen Maschine 5K+FA) im Flug; KBK Lw 3
Title
Belgien/Frankreich, Flugzeug Dornier Do 17 Z Info non-talk.svg
Depicted place Belgien/Frankreich
Date September 1940
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-343-0679-14A
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Bundesarchiv Bild 101I-343-0679-14A, Belgien-Frankreich, Flugzeug Dornier Do 17 Z Recolored.jpg引用。
写真(右)1940年9月7日、イギリス本土、ロンドン東、プラムステッドのテムズ川上空を飛翔するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機:右主翼端の白色チップ(白帯)は、編隊飛行用のマーキングである。
1940年9月7日、ドイツ空軍は、それまで続けてきた航空撃滅戦が成果が十分でなかったと判断し、空爆対象をロンドンなど都市とする無差別爆撃を開始した。このイギリス本土都市爆撃の初日が、9月4日である。 Catalogue number: C 5424,
Subject period: Second World War,
Alternative Names object category: Black and white,
Creator: German Air Force photographer
Object description:Two Dornier Do 217 bombers flying over the Plumstead sewer bank, Crossness pumping station and the Royal Arsenal butts on Saturday 7 September 1940, the first day of the sustained Blitz on London. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (C 5424)
写真(右)1940年9月7日,イギリス、ロンドン上空を飛行する2機のドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機:右主翼端には白帯が描かれているが、これは編隊飛行を組む時の目印である。双尾翼で、搭載したブラも323空冷星形エンジン、コックピットの後上方7.92mm銃座の形状が確認できる。 Description
English: German Dornier Do 17 bombers over London, 7 September 1940.
Operations: Two Dornier 17 bombers over West Ham, London.
Date between 1939 and 1945
IWM London C 5423 from the collections of the Imperial War Museums.
Author Royal Air Force official photographer 写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 ・File:German Dornier Do 17 bombers over London, 7 September 1940. C5423.jpg引用。
ドイツは、技術力を駆使して、対艦船用の魚雷や機雷に装備する磁力反応信管、音響反応信管を開発、実用化することに成功した。新型魚雷・新型機雷は、ドイツ海軍潜水艦Uボートに搭載された。しかし、新型の音響機雷、磁気機雷は、ドイツ空軍機から、敵船舶の航路上に空中投下され、敷設された。機雷の空中投下という新機軸の戦術は、ドイツ空軍が世界で初めて大々的に実戦で行った。1945年、日本本土を空襲したアメリカ陸軍航空隊も、関門海峡、津軽海峡、港湾出入り口などを機雷封鎖するために、B-29爆撃機によって、機雷の空中投下を行った。
写真(右)1940年,フランス、編隊飛行用の白帯を右垂直尾翼外側に記入したドイツ空軍第3爆撃航空団(KG3)ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機(5K+EA);機首コックピット左側方ガラス風防から左右主翼先端上面にも編隊飛行用の白帯が記入されていると思われる。コックピット後方左右、機首ガラス風防先端には7.92mmMG15旋回機関銃各1丁が搭載されている。 Photographer
Gentsch
Frankreich, im Westen.- Flugzeug Dornier Do 17 auf einem Feldflugplatz; LwPK3
Title
Frankreich, Do 17 Info non-talk.svg
A German Dornier Do 17 Z '5K+EA' of Stab/KG 3 (staff squadron of the 3rd Bomber Wing / Stabsschwarm des Kampfgeschwaders 3) during the battle of Britain, 1940. Note the Stab/KG 3 emblem on the nose.
Depicted place France
Date 1940
Collection
German Federal Archives
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-345-0784-14A
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Bundesarchiv Bild 101I-345-0784-14A, Frankreich, Do 17.jpg引用。
写真(右)1940年9-10月、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機:格納庫内でブラモ(Bramo)323P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)の調整・整備の作業中。
Inventory: Bild 101 I - Propagandaーkompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-343-0663-17
Archive title: Belgien/ Frankreich.- Instandhaltung eines Flugzeugs Dornier Do 17; KBK Lw 3
Dating: 1940 September - Oktober
Photographer: Gentsch
Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵は英国だけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言し、イギリスが和平交渉を申し出るものと確信していた。
つまり、ヒトラーは、英国の降伏はまぢかだと考え、反ドイツ感情を高めないように、イギリス本土への大規模空襲は控えていたのである。英国の工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。
写真(右)1940年10月‐1941年3月頃、ドイツ、ドイツ空軍第3爆撃航空団第7飛行隊(7./KG 3)所属のドルニエ(Dornier)Do 17 Z-2/Z-3爆撃機(登録コードは5K+AR" から"5K+NR): Description
Deutsch: Dornier Do 17 Z-2/Z-3, 7./KG 3 "Blitz-Geschwader". Die Kennzeichen der 7. Staffel des KG 3 lauten bei einer Sollstärke von 12 Flugzeugen pro Staffel: "5K+AR" bis "5K+NR", wobei die Individual-Kennbuchstaben I und J (innerhalb A bis N) i.d.R. keine Verwendung fanden. Die Individual-Kennbuchstaben A bis N waren i.d.R. in den Staffelfarben "Weiss" für 1. Staffel, "Rot" für 2. Staffel und "Gelb" für 3. Staffel jeweils innerhalb der I. bis III. Gruppe eines Kampfgeschwaders ausgeführt. Die III. Gruppe (= 7. bis 9. Staffel) des KG 3 war vom Okt. 1939 bis Juni 1940 in Würzburg-Galgenberg stationiert. Ab Nov. 1941 (bis Mai 1942) erfolgte in Gütersloh die Umrüstung der III. Gruppe auf die Junkers Ju 88 A-5/A-4 mit einer geschätzten Sollstärke von 36 Staffelflugzeugen und 3-4 Maschinen des Stabsschwarms der III./KG3.
Die I.Gruppe des KG 2 "Holzhammer-Geschwader" war vom 23. Februar bis 22. März 1940, und vom 23. April bis zum 10. Mai 1940 in Giebelstadt mit der Do 17 Z stationiert. Die vorhergehende Ausführung "M" besaß noch nicht die verglaste Vollsicht-Bugkanzel der "Z" Variante der Dornier Do 17, jedoch verfügten beide Typen bereits über die neuen Bramo 323 A "Fafnir" Neunzylinder-Sternmotoren. [1]
Es folgte die I./KG 76 mit Do 17 Z-2/Z-3 von Okt. 1940 bis März 1941. Die Umrüstung der I./KG 76 auf die neue Junkers Ju 88 A-1/A-5, sowie die Einschulung der Flugzeugführer, Beobachter, Bordfunker, Bord- u. Flugzeugmechaniker erfolgte sehr wahrscheinlich bis Ende März 1941 ebenfalls in Giebelstadt.
Date 1 November 2021, 23:25:36
Source Own work
Author W-R-Hesse-Fotos 写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Dornier Do 17 Z-2, 7. KG 3, 1939-40 (1).jpg引用。
ドルニエ(Dornier)Do 17 Z(最終生産型)諸元 全長115.6メートル,全幅18メートル,翼面積 55平方メートル 全備重量8600キロ
ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基 最高速度 410キロ 航続距離 1160キロ 兵装;7.92ミリ機銃7丁,爆弾1トン搭載
写真(右)1940年頃,欧州西部,川の土手近くを低空飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機;全幅が小さいために、機動性がよく、低空爆撃による敵飛行場、物資補給所の襲撃に威力を発揮したようだが、1941年には低速、防御力の弱さからドイツ空軍主力爆撃機の座からは後退していた。 Perma_000406 Permann Collection Image
Tiefflieger Do 17 making a high speed pass --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。
1940年9月7日、ドイツ空軍は、ドルニエ(Dornier)Do 17などを使って、イギリスの戦闘機用飛行場、レーダー監視装置、港湾・船舶爆撃など、航空撃滅戦を展開していた。しかし、イギリス空軍戦闘機体の粘り強い抵抗が続いたために、航空撃滅戦を続けても、イギリス本土上空の制空権を奪えないと判断した。そこで、成果が不十分の軍事目標空爆をやめて、確実に爆撃目標をとらえることのできる都市爆撃を主な攻撃手段とする変更を行った。つまり、空爆対象を作戦を変更して、ロンドンなど都市爆撃を開始した。このイギリス本土都市爆撃の初日が、1940年9月4日である。
写真(右)1940年9-10月、ベルギーあるいはフランス、偽装した待避所に隠されているドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17Z爆撃機:イギリス空軍による空襲を警戒してか、対空偽装を念入りに行った待避所が作られている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-343-0684-31
Archive title: Belgien/ Frankreich.- stark getarntes Flugzeug Dornier Do 17; KBK Lw3
Dating: 1940 September - Oktober
Photographer: Gentsch
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-343-0684-31"引用(他引用不許可)。
イギリス空軍爆撃隊は、本来、飛行場、港湾、鉄道ターミナルなど運輸インフラ空襲を重視していた。しかし、防備の堅い施設を空襲することによる被害の大きさを憂慮して、防空能力の低い都市への夜間爆撃を主な任務とするようになった。ただし、イギリス空軍は、ドイツ空軍よりも早く四発重爆撃機の実用化と量産化を進めており、その実戦投入による戦訓を取り入れて、夜間爆撃の航法、防空対処方法、空爆用空対地レーダーの開発が進んでいた。
写真(右)1940年9月、ベルギーあるいはフランス、西部戦線、偽装した強固な掩体壕に隠されたドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機:バトルオブブリテンでのロンドン爆撃の契機は、それ以前に行われたイギリス空軍によるベルリン爆撃だった。イギリス機の攻撃から身を隠すように、念入りな対空偽装を取り入れている。
Photographer
Gentsch
Im Westen, Belgien/Frankreich.- mit Plane abgedecktes Flugzeug Dornier Do 17Z auf Flugplatz; KBK Lw3
Title
Belgien/ Frankreich, abgedecktes Flugzeug Info non-talk.svg
Depicted place Belgien/ Frankreich
Date September 1940
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-343-0663-18 写真はCategory:Dornier Do 17 File:Bundesarchiv Bild 101I-343-0663-18, Belgien-Frankreich, abgedecktes Flugzeug.jpg
引用。
ドイツは、1940年6月末のフランス降伏後、1940年7月、バトルオブブリテンを開始した。
ドイツ空軍の対イギリス戦の航空機戦力は爆撃機1100機、急降下爆撃機300機、単発戦闘機800機で、偵察機など含めて合計2500機以上あった。対フランス戦勝によって「国家元帥」に昇格したヘルマン・ゲーリング空軍司令官は、対イギリス攻撃の緒戦では、目標はイギリス空軍兵力と空軍基地・レーダーとし、対戦闘機戦闘、爆撃機迎撃施設の破壊を企図した。
しかし、「バトルオブブリテン」では、ドイツ空軍は「鷲の日」の攻撃に始まり、その後しばらくしてから、ロンドン、バーミンガムなど都市爆撃が主流となり、それも昼間爆撃から、夜間爆撃に変更されたが、その理由は、イギリス空軍戦闘機、防空体制が強靭だったためである。
写真(右)1940年夏,ドイツ、爆弾搭載準備中のドイツ空軍第3爆撃航空団(KG3)所属と思われるドルニエDo17爆撃機Z型:ブラモ(Bramo)323 A (900 PS)の改良型ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基を搭載。乗員:4名 (パイロット、爆弾手兼射手、射手2名)
全幅:18m、全長:16.25m、全高:4.6m、全備重量:7650kg、最高速力:427km/h、航続距離:1,160km、実用上昇限度:8,200m
武、兵装:7.92ミリMG 15 機関銃6丁、爆弾搭載量:1トン。
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Vliegvelden, Bommen
Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift Do 217. 写真はBeeldBankWo2 Beeldnummer 197引用。
英国ウィストン・チャーチル首相は,米国の武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦を戦う覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日まで,ドイツ空軍は、英国本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。
これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。
空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング国家元帥は,1940年8月からの英本土航空「鷲」作戦に際して,ドイツ空軍がイギリス空軍機を駆逐し,イギリスを征服してみせると豪語した。しかし,ドイツ側の被害は甚大で,イギリス戦闘機の根強い抵抗が続いたために,1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始した。
写真(右)1941年,ドイツ,騎士鉄十字章授与式用に並べられたドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z爆撃機を前に叙勲される爆撃飛行隊の搭乗員たち;発動機は、エンジンナセル、エンジン内の冷却ファンの形状から、BMW801空冷エンジンではなく、Bramo321空冷エンジンである。手前のテーブルには、ドイツ旗が掲げられ、勲章が盆に置かれている。叙勲理由を伝えている将校がある。右に並んだ搭乗員がそれを聞いている。
Bestandsinformationen in Invenio
Signatur
Bild 101I-595-0336-19
Archivtitel
Frankreich.- Verleihung von Orden / Auszeichnung (?) von Soldaten der Luftwaffe auf einem Flugplatz. Im Hintergrund eine Dornier Do 17 / Do 217; KBK Lw zbV
Datierung
1941/1942
Fotograf/in
Kühn
Quelle
Bundesarchiv
Klassifikation
Ed 520 {Flugplätze, Bodenorganisation, Tarnung}
Ed 531 {Flugzeugtypen - Dornier} 写真はドイツ連邦アーカイブ,
Bild 101I-595-0336-19
引用。
写真(右)1941年,ドイツ占領下フランス,ドイツ空軍基地、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機をバックに騎士十字章を授与されたドイツ空軍将校; Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Inventory information (BASYS-Invenio)
Signature
Bild 101I-595-0336-24
Archivtitel
Frankreich.- Verleihung von Orden / Auszeichnung (?) von Soldaten der Luftwaffe auf einem Flugplatz. Links Hauptmann der Luftwaffe mit Ritterkreuz zum Eisernen Kreuz. Im Hintergrund eine Dornier Do 17 / Do 217; KBK Lw zbV
Datierung
1941/1942
Fotograf/in
Kühn
Quelle
Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブ, Bundesarchiv Bild 101I-357-1858-24引用。
写真(右)1940年,イギリス本土空襲中に、イギリス空軍スピットファイア戦闘機に迎撃を受けるドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機;ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)搭載。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:46169916 - Catalog:16_007450 - Title:Dornier Do 17 (BMW 132) in fight against Spitfire over British soil Nowarra Collection - Filename:16_007450.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は, SDASM Archives
引用。
当時の水平爆撃の技術では、目標に爆弾を命中させることは困難であった。この低い命中率を前提に、命中しないで目標をそれて着弾した爆弾が、敵に被害を与えるように爆撃あ計画された。目標付近に、民間施設や一般市民がいて、空襲で被害を受けることを当然のように考えていた。これが軍と民間市民を区別しない「無差別」爆撃である。
写真(右)1940年7−10月、イギリス、イギリス本土空襲に来て撃墜されたドイツ空軍第73爆撃航空団第7飛行隊(7./KG 76)所属のドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機(F1 + DR, white D):尾翼部分を待ちあげて運んでいるが、後方には主翼、胴体も見える。イギリス空軍は、敵機の性能や弱点を調べるために、撃墜された敵機をできるだけ完全な状態のままで回収することに努めた。 Description
English: The Battle of Britain, Dornier Do 17 Z (F1 + DR, white D), 7./KG 76 (7th squadron, 76th bomberwing; 7. Staffel/Kampfgeschwader 76), ca 1940).
Deutsch: Dornier Do 17 Z (F1 + DR, weisses D), 7./KG 76 (7. Staffel des Kampfgeschwader 76), Bruch- bzw. Notlandung in England, ca. 1940.
Date between 1939 and 1945
IWM HU 70021 from the collections of the Imperial War Museums
写真はWikimedia Commons, イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (HU 70021)引用。
ドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機は、1934年11月23日の初飛行し、水平爆撃を行う機体だったために、後継機のドルニエDo217爆撃機のように、双尾翼式の尾部末端に、急降下爆撃用の傘状ダイブブレーキを装着したことはない。スペイン内戦にも派遣されたドルニエ(Dornier)Do 17は、第二次世界大戦の勃発時のドイツ空軍主力双発爆撃機である。
写真(右)1940年8月31日、イギリス本土、プリンス・ゴルフクラブに不時着した第3爆撃航空団第4飛行隊所属ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-3爆撃機:ホルンチャーチで攻撃され、ラムスゲイト近郊に不時着し、その後炎上した。Do 17爆撃機の搭乗員は、操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4名である。 Catalogue number: FX 68707,
Subject period: Second World War,
Alternative Names object category: Black and white,
Object description: Dornier Do 17Z-3 W.Nr. 2669 of 4./KG3 burning itself out after crash-landing at Princes Golf Club on Sandwich Flats, near Ramsgate, following an attack on Hornchurch, 31 August 1940. 写真はCategory:Dornier Do 17および IWM (FX 68707)
写真(右)1940−1941年頃,イギリス(?),墜落したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機と見物に来たイギリス軍将兵・警察官・近隣住民たち;Do-17は、1934年11月23日の初飛行し、1,994機も量産された。1937年から就役し、スペイン内戦、第二次世界大戦初戦に大量投入された。 Perma_000400 Permann Collection Image
Dornier Do 17 "Flying Pencil" --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z爆撃機の発動機はブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基で、これは前作Do17M爆撃機のブラモ(Bramo)323A「ファフニール」"Fafnir"900 PS(888 hp; 662 kW)を改良し出力を900PSから1000PSに向上したタイプであるが、外見上の際はほとんどない。
写真(右)1941年4-5月,ギリシャ、アテネ、アクロポリスのパルテノン神殿上空を飛行するドイツ空軍第2爆撃航空団(KG2)第3飛行隊所属ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-2爆撃機登録コードU5−AD、U5-GTなど3機編隊;機首の斜め帯ラインは第2爆撃航空団のマークで、白帯は第1飛行隊、赤は第2飛行隊、バルカン侵攻「マリータ作戦」が1941年4月に発動された後の撮影。手前は垂直尾翼鍵十字卍(スワスチカ:Swastika)の位置が中央部で、これは初期の位置にある国籍マーク、後方のスワスチカは垂直尾翼下方で中期の位置にある国籍マークが描かれている。エンジンカウリング、垂直尾翼方向舵は黄色塗装で、黄色はバルカン方面従軍を意味する。 Perma_000420 Permann Collection Image
Dornier Do 215s over Athens --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は, SDASM Archives
引用。
1941年4月初頭、クーデターを起こし親ドイツ政権を倒したユーゴスラビアに激怒したヒトラーは、1941年4月6日、ドイツ空軍にベオグラードを空襲させ、地上部隊もバルカン侵攻(Balkans Campaign)を実施した。そして、4月13日,1週間でユーゴは降伏した。
この時期、1941年4月9日に、ドイツ軍はギリシア北部にも侵攻を開始した。当時、ギリシャにはイギリス軍が駐屯しており、バルカン方面での戦線安定のためには、イギリス軍の排除が必要だったからである。ドイツ軍は侵攻を開始した。4月27日、アテネに侵入したドイツ軍は、5月末までに、ギリシア領からイギリス軍を排除し、バルカン半島の戦いで勝利を得た。
写真(右)1940−1941年頃,ドイツ(?)、木陰に引き込まれているドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機;発動機はブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)装備。コックピット後上方バルジとアンテナ支柱の形状から、最終型Z型と思われる。初期のE型、P型の発動機は、BMWVI液冷エンジンとすれば、E型かP型である。1941年冬の東部戦線にただ1機で使用されているとすれば、爆撃型E型ではなくて偵察型P型である。垂直尾翼のカギ十字は、白縁黒の大戦初期型である。 Perma_000397 Permann Collection Image
Dornier Do 217 P-O late variant of Do 17 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum 写真はWikimedia Commons, SDASM Archives
引用。
写真(右)1939−1940年頃,ドイツ、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 217 E 爆撃機用の傘状ダイブブレーキの飛行試験をするドルニエDo 17 M 爆撃機;尾部後端の傘状ダイブブレーキが開いている。発動機はブラモ323空冷星型9気筒エンジンで、コックピット後上方バルジとアンテナ支柱が残されているが、武装は撤去されているようだ。Do17初期のM型、P型は、最終生産型Z型が退役した後も、少数がグライダー曳航、テストベット試験機として使用されている。垂直尾翼のカギ十字は、白縁黒の大戦初期型である。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:46169803 - Catalog:16_007441 - Title:Dornier Do 17M experimentally fitted with parachute-brake for Do 217 Dornier photo - Filename:16_007441.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ---Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は SDASM Archives 引用。
写真(右)1941年末頃,ソビエト連邦(?),雪で覆われた飛行場から発進するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 P 長距離偵察機;M型のブラモ321空冷星型エンジンをBMW132空冷星型9気筒エンジンに換装している。Do17爆撃機M型と同じくコックピット後上方に7.92mmMG15旋回機関銃の大型銃座が設けられている。 Perma_000415 Permann Collection Image
Dornier Do 217 --Perman Collection Image-Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。
写真(右)1942−1943年,ドイツ(?)、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 M 爆撃機の原型となるDo17V20試作20号機(あるいはV21試作21号機)、Do217C-0の原型となるDo217V4試作4号機、Do217K原型となるDo217RV-2爆撃機:Do17M、Do217E、Do217Kと古いタイプを手前に時代順に勢ぞろいした。双尾翼だが、Do17E、Do217C、Do217Mは、発動機に空冷星形エンジではなく、BMWVI液令エンジン、DB601液令エンジン、大型発展型DB603液令エンジンを装備している。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:43933612 - Catalog:16_005098 - Title:Dornier Do 17M in front, Dornier Do 217C-0 and Dornier Do 217RV-2 Nowarra photo - Filename:16_005098.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 写真は、Nationaal Archief, San Diego Air and Space Museum・
Inventarisnummer
28034
Bestanddeelnummer
28034_040引用。
ドルニエ(Dornier)Do217C爆撃機は、高性能のダイムラーベンツDB 601B液冷V12気筒エンジンを搭載したが、DB601は戦闘機専用のエンジンとされたために、4機のみ試作に終わった。
写真(右)1941年末,ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻緒戦、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 P 偵察機と思われる。;機首コックピットと発動機に保護カバーをかけて覆っている。コックピット後上方バルジとアンテナ支柱の形状から、初期のE型、P型、M型である。発動機はBMWVI液冷エンジンとすれば、E型かP型である。1941年冬の東部戦線にただ1機で使用されているとすれば、爆撃型E型ではなくて偵察型P型である。垂直尾翼のカギ十字は、白縁黒の大戦初期型である。 Description
English: DO 17, winter 1941, Sowjetunion
Deutsch: DO 17, Winter 1941 Sowjetunion
Date Winter 1941 , Sowjetunion
Source Josef Gierse, my dead uncle, I am the heir of the pic
Author Josef Gierse 写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Do-17-2.jpg引用。
Do 17 E爆撃機は、BMW VI液冷V型12気筒エンジン750 PS(排気量:46.9 L)装備で1936年9月生産開始、1937年9月生産終了、300機量産。 Do 17 M爆撃機は、ブラモ(Bramo)323A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン 900 PS (662 kW) (排気量: 26.8 L)装備で1938年5月生産開始、1939年2月生産終了、200機量産。 Do17 P偵察機は、BMW132N空冷星型9気筒エンジン865 PS (853 hp, 636 kW)(排気量:27.7 L)装備、1938年9月から生産開始、1939年12月生産終了、330機量産。
Do 17 Z爆撃機は、イギリスのブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter)空冷星形9気筒エンジンを原型とするブラモ(Bramo)323P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)装備で、1939年3月から生産開始、1940年2月生産終了、720機量産。最終型でDo17Z-5夜間戦闘機に40機が改修された。
写真(右)1942年7月15日,クロアチア、ザグレブ(Zagreb) 、飛行場に整列したドイツ空軍第53爆撃航空団第15クロアチア飛行隊のドルニエ(Dornier)Do 17 Z-2/Z-3 爆撃機;機首コックピット後上方銃座には7.92mmMG15旋回機関銃1丁が搭載されている。 Description
Deutsch: Dornier Do 17 Z-2/Z-3, 15.(kroat.)/KG 53 'Kroatenstaffel', bei der Flugzeugübergabe vermutlich in Agram (Zagreb) , Juli 1942. Zuvor, ab Mai 1942, war die 15.(kroat)/KG 53 in Ansbach (Katterbach) in die Do 17 Z eingewiesen worden.
Date 15 July 1942
Source Own work
Author W-R-Hesse-Fotos
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Dornier Do 17 Z-2, 15. KG 53 'Kroatenstaffel', 1942.jpg引用。
クロアチアの国章は、少なくとも10世紀のクロアチア王国(Kraljevina Hrvatska)以来の伝統があり、ハプスブルク帝国時代も残っていたもので、スペイン式盾(エスカッシャン)に、赤白のチェス盤(シャホヴニツァ)を描いている。1940年5月のドイツによる軍事侵攻でユーゴスラビアが解体され、親ドイツ傀儡国家クロアチア(Ante Pavelić:1889-1959)がファシスト団体ウスタシャのアンテ・パヴェリッチ(Ante Pavelić:1889-1959)を元首に成立すると、クロアチア軍に制式された。
ドルニエ(Dornier)Do 17 Z (最終生産型)諸元 全長115.6メートル,全幅18メートル,翼面積 55平方メートル 全備重量8600キロ,最高速度 410キロ,航続距離 1160キロ
ブラモ(Bramo)323P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基装備 武装;7.92ミリ機銃7丁,爆弾1トン搭載
写真(右)1943年、イタリア、ドイツ空軍第1練習航空団(LLG1:Lehrgeschwader)第1飛行隊所属のドルニエDo17E双発機(BMW VI液令V型12気筒エンジン750 PS(排気量46.9 L)搭載)とドイツ滑空機研究所DFS230グライダー:旧式化して第一線を引退したDo17初期爆撃型E型を、降下部隊の乗ったDFS230グライダー曳航に使用したが、このグライダー曳航用の飛行隊は、1944年8月時点で、Do17曳航機48機、DFS230グライダー66機を有していたが、1944年9月に部隊は解体されている。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-565-1407-35A
Archive title: Italien, Sizilien.- Dornier Do 17 E stehen zum Schlepp des Lastenseglers DFS 230 bereit; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943
Photographer: Macioszek
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ドイツ空軍第1練習航空団(LLG1)第1飛行隊は、旧式化して第一線を引退したBMW VI液冷V型12気筒エンジン装備のDo17E爆撃機を、双発機練習機。特に機上作業練習機、として使用していたが、ドイツ滑空機研究所DFS230グライダー曳航にも用いている。活動は北イタリア、フランスで、降下部隊や物資を空輸した。このグライダー曳航用の第1練習航空団(LLG1)第1飛行隊は、1944年8月時点で、Do17曳航機48機、DFS230グライダー66機を有していたが、1944年9月に部隊は解体されている。
ドルニエ(Dornier)Do-17試作1号機は、1934年11月23日に初飛行、各型合計1,994機量産された。1937年から就役し、スペイン内戦、第二次世界大戦初戦に大量投入されたが、1944年後半になっても、部隊配備されているのには驚かされる。
写真(右)1943年、イタリア、シシリー島、ドイツ空軍第1練習航空団(LLG1:Lehrgeschwader)第1飛行隊所属のドルニエDo17E双発機(BMW VI液令V型12気筒エンジン750 PS(排気量46.9 L)搭載)とDFS230グライダー:旧式化して第一線を引退したDo17初期爆撃型E型を、降下部隊の乗ったドイツ滑空機研究所DFS230グライダー曳航に使用したが、このグライダー曳航用の飛行隊は、1944年8月時点で、Do17曳航機48機、DFS230グライダー66機を有していたが、1944年9月に部隊は解体されている。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-565-1407-35A
Archive title: Italien, Sizilien.- Dornier Do 17 E stehen zum Schlepp des Lastenseglers DFS 230 bereit; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943
Photographer: Macioszek
Origin: Bundesarchiv 写真は Wikimedia Commons, Category:DFS 230
File:Bundesarchiv Bild 101I-565-1407-17A, Italien, Lastensegler DFS 230 im Schlepp einer Do 17.jpg引用。
ドイツ滑空機研究所DFS230グライダーの諸元; 初飛行:1937年 初の実戦参加:1940年5月10日、べルギーのエバン・エマール要塞攻略 全長: 11.3m、全高: 2.8m、全幅: 21.1m 主翼面積: 38.1m2 最大離陸重量: 2100kg 乗員: 2人 輸送定員: 10人 胴体構造:角型断面、鋼管羽布張り 主翼構造:テーパー翼前面合板、後部羽布張り 車輪:離陸後、投下。着地には固定式木製橇を使用。
2.フィンランド空軍のドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機
1942年1月にフィンランドは、ドイツから、すでに旧式化し生産中止となり第一線から退役していた中古 ドルニエ Do17 Z-2 爆撃機15機を購入し部隊配備した。そして、Do17Zをフィンランド空軍に配備し、対ソビエト連邦との継続戦争に投入した。
写真(右)1941−1944年初頭,フィンランド,ドルニエ(Dornier)Do-17Z爆撃機:森林の雪原に適した迷彩塗装を施している。機首に乗員が集中して搭乗したので,相互の連絡がとりやすかった。機首と操縦席から7.92ミリMG17機銃が装備されている。 Frankreich.- Bomber Dornier Do 17 I received the picture from my friend via MSN Messenger.
Finnish Dornier Do 17. 写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Dornier Do 17Z.jpg引用。
1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(Hakaristi?Swastika)が描かれている。ドイツでも、カギ十字卍(スワスチカ:Swastika)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、夏党政権獲得後、この鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。そして、再軍備宣言後、ドイツ空軍が創設されると、ナチ党の採用したカギ十字スワスチカをドイツの国籍マークとした。
写真(右)1941-1942年冬、フィンランド南東部、ヨエンスー郊外、オントラン飛行場、雪の森林の中で整備中のドイツから購入したフィンランド空軍第48飛行隊所属のドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の機首右側面:ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)には、防寒・雪よけのために厳重にカバーがかけられている。右発動機下、降着装置主輪の前にある円筒は、発動機に温風を送りこむためのパイプである。奥に暖房用の温風を発生させる移動式ストーブが見える。フィンランド軍の国籍マークは、白地に青のカギ十字である。
entolaivue 44:ään kuulunut Dornier Do 17-pommikone lähtövalmiina Onttolan kentällä
Jänis, Pauli, kuvaaja 1941–1942
sisällön kuvaus: Dornier Do 17 Z runkotunnuksella DN-64 kuului ajankohdasta riippuen joko LeLv 46:n tai valokuvauslentueeseen LeLv 48:n alaisuuteen. mustavalkoinen
Collection
Historian kuvakokoelma
Valokuvaamo Jäniksen kokoelma
Organisation
Finnish Heritage Agency
Identifier
HK7744:428
Measurements
6,0 x 6,0 cm
Photo info
valmistusaika: 1941-1942
Suomi, Kontiolahti, Onttola
Jänis, Pauli, kuvaaja
Subject place
Suomi, Kontiolahti, Onttola; Kontiolahti, Onttola
Subject date
1941-1942
写真はMuseot.finna 引用。
フィンランド国防軍カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)将軍は、ソビエト連邦を相手に1939年11月30日に冬戦争(talvisota)を、1941年7月から第二次世界大戦時の継続戦争(talvisota)では、ヒトラー(Hitler)と同盟して、フィンランド国防軍総司令官としてソビエト連邦に攻め入った。
1941年1月4日にフィンランド首相となったヨハン・ウィルヘルム・ランゲル(Johan Wilhelm Rangell)は、1941年6月22日、ドイツのソ連侵攻を契機として、ソ連に攻め入った。これは、1939年の冬戦争(talvisota)で敗れ失った国土カレリア地方を奪還するという国土回復が目的だったが、共産主義者の反乱を鎮圧して独立したフィンランドは、当初から共産主義ボリシェビキのソビエト連邦を警戒、仮想敵としていたから、これは、脅威となっているソ連に対する弱体化の戦争とも考えられる。
1942年1月にフィンランドは、ドイツから、旧式化していた中古のドルニエ Do17Z-2爆撃機15機を購入し部隊配備した。フィンランド空軍は、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z爆撃機を対ソビエト連邦との継続戦争に投入した。
写真(右)1941-1944年、フィンランド南東部、ヨエンスー郊外、オントラン飛行場、ドイツから購入したフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の右側引込み式降着装置とその前に右発動機ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)下に置かれた温風送付バーナーのパイプ円筒の据え付け作業。:右発動機下、降着装置主輪の前から円筒パイプがあり、そこに蛇腹式のボース上のダクトが垂れ下がっている。ここに移動式ストーブからの排気を吸入するために、下から温風を送りこむパイプを連結する。
Dornier Do 17Z pommikonetta huolletaan lähtökuntoon Tiiksjärven kenttä
Jänis, Pauli, kuvaaja 1941–1944
mustavalkoinen
Collection
Historian kuvakokoelma
Valokuvaamo Jäniksen kokoelma
Organisation
Finnish Heritage Agency
Identifier
HK7744:721
Measurements
6,0 x 6,0 cm
Photo info
valmistusaika: 1941-1944
Jänis, Pauli, kuvaaja
Subject place
Vienan Karjala, Tiiksjärvi
Subject date
1941-1944
写真はMuseot.finna 引用。
1941年夏の対ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では、ドイツは同盟国の反ボリシェビキ白衛軍を母体とするフィンランド国防軍とソ連と戦った。その緒戦で、ドイツ空軍第54爆撃航空団「髑髏」第1II飛行隊(III./KG54)で編成された第806戦隊(Kampfgruppe 806 :KGr. 806)は、バルト海における空中投下機雷敷設、レニングラードのソ連海軍の封鎖作戦に従事した。
ドイツ空軍第54爆撃航空団「髑髏」第1II飛行隊(III./KG54)を母体にして編成され、第806戦隊(Kampfgruppe 806 :KGr. 806)は、1941年6月22日、ドイツがソ連に侵攻すると、1週間たたないうちに、フィンランドに派遣された。フィンランド国防軍総司令官マンネルハイムは、同盟国ドイツと並んでソ連に侵攻した。これは、1939−1941年の対ソ連「冬戦争」でカレリア地峡などソ連に奪われた領土を取り返し、フィンランドの安全保障を確保するための反共産主義の報復戦争である。
1941年6月、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では、フィンランドは,ルーマニア同様、積極的攻勢をかけることが期待されていた。ドイツは、フィンランド北部、北極海に面したぺツァモと近郊の希少資源ニッケル鉱床を保持するだけでなく、カレリア地峡南端のソ連レニングラードと北極海の不凍港ムルマンスクを結ぶ鉄道を遮断する作戦を実行に移した。
つまり、ドイツは、既に全土を占領したノルウェー北部から、フィンランド北部にドイツ第21軍北方軍団を進駐させ、そこからムルマンスク方面を攻撃する計画だった。この極北でのソ連侵攻に、ドイツ軍とフィンラ ンド軍が参加し、さらにカレリア地峡のすべてを占領し、レニングラードを攻略するために、ラドガ湖周辺にもフィンランド軍が侵攻する計画だった。
写真(右)1941-1944年、フィンランド南東部、ヨエンスー郊外、オントラン飛行場、ドイツから購入したフィンランド空軍第46飛行隊所属のドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機のブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW):1942年1月、フィンランドは、同盟国ドイツから、旧式化し生産中止となっていた旧式のDo17Z爆撃機15機を購入し部隊配備した。そして、この輸入したDo17Zをフィンランド空軍に配備し、対ソビエト連邦との継続戦争に投入した。 Lentolaivue 46:n Dornier Do 17 Z pommikoneen miehistö valmistautuu lähtöön
Jänis, Pauli, kuvaaja 1941–1944
mustavalkoinen
Historian kuvakokoelma
Valokuvaamo Jäniksen kokoelma
Organisation
Finnish Heritage Agency
Identifier
HK7744:720
Measurements
6,0 x 6,0 cm
Photo info
valmistusaika: 1941-1944
Jänis, Pauli, kuvaaja
Subject place
Vienan Karjala, Tiiksjärvi
Subject date
1941-1944
写真はMuseot.finna 引用。
ブラモ(Bramo)323J 空冷星形9気筒エンジン「ファフニール」Fafnirの諸元
気筒直径ボアBore: 154 mm (6.06 in)
気筒行程ストロークStroke: 160 mm (6.30 in)
排気量Displacement: 26.82 L1(1,636.7 cu in) 全長Length: 1,417 mm (55.8 in)
直径Diameter: 1,388 mm (54.6 in)
乾燥重量Dry weight: 545 kg (1,202 lb) unequipped
乾燥重量562 kg (1,239 lb) equipped
燃料システムFuel system: 燃料直接噴射Fuel injection
燃料タイプFuel type: 87 オクタン(Octane)ガソリン
発動機Power output:
1,000 PS (986 hp; 735 kW) / 2,800 rpm (max) at 3,100 m (10,171 ft)
900 PS (888 hp; 662 kW) / takeoff at 2,500 rpm (1 minute)海面上
730 PS (720 hp; 537 kW) / 2,350 rpm (5 minutes)海面上
660 PS (651 hp; 485 kW) / 2,250 rpm (30 minutes)海面上
585 PS (577 hp; 430 kW) / 2,100 rpm (max. continuous) 海面上
巡航出力515 PS (508 hp; 379 kW) / 2,000 rpm (cruise)海面上
圧縮比Compression ratio: 6.4:1
燃費消費率fuel consumption: 0.348 kg/PS/h (0.778 lb/hp/h; 0.473 kg/kW/h) at max continuous
出力重量比Power-to-weight ratio: 1.33 PS/kg (0.60 hp/lb; 0.98 kW/kg)
写真(右)1942年1月12日、フィンランド南東部、ヨエンスー郊外、オントラン飛行場、ドイツから購入したフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機(登録コード:DN-64)の機首右側:ドイツ空軍の旧式化した爆撃機を購入し部隊配備したフィンランド空軍は、15機のDo17Z爆撃機を対ソビエト連邦との戦いに投入した。白丸青スワスチカが白衛軍の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。
Pommittajaa valmistetaan matkalle.
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
Pommittajaa valmistetaan matkalle. Dornier Do 17 Z, tunnus DN-64.
Organisation
Military Museum
Photo info
1942-01-12
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
Subjects
1942-01-12
写真はMuseot.finna 引用。
ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の発動機は、1936年に開発され普及していたブラモ(Bramo)323空冷星形9気筒エンジン「ファフニール」(Fafnir)で、このエンジンは、1918年にイギリスで開発されたブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter)空冷星形9気筒エンジンが原型である。
ドイツ機では、ブラモ(Bramo)323空冷星形9気筒エンジンをアラド(Arado)Ar 196艦上水上偵察機、ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV 222大型飛行艇、ドルニエ(Dornier) Do 24三発飛行艇、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200コンドル四発輸送機、ヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機が装備している。
写真(右)1942年1月12日、フィンランド南東部、ヨエンスー郊外、オントラン飛行場、ドイツから購入したフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機(登録コード:DN-64)の機首右側:1942年1月、フィンランドは、同盟国ドイツから、旧式化し生産中止となっていた旧式のDo17Z爆撃機15機を購入し部隊配備した。そして、この輸入したDo17Zをフィンランド空軍に配備し、対ソビエト連邦との継続戦争に投入した。白丸青スワスチカ「ハカリスティ」(Hakaristi)が反共産主義の白衛軍の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。
Hävittäjäkoneet lähdössä kentälle.
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
Hävittäjäkoneet lähdössä kentälle. Dornier Do 17 Z, tunnus DN-64.
Organisation
Military Museum
Photo info
1942-01-12
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
Subjects
1942-01-12
写真はMuseot.finna 引用。
対ソビエト連邦との戦いがあった東部戦線のドイツ空軍機は,1941年6月22日から8月8日までは喪失1023機,破壊657機,1941年8月3日から9月27日までは喪失580機,破壊371機だった。1941年6月22日から1942年4月8日までの10ヶ月間の合計で,喪失2951機,破壊1997機の損害で,これは同時期の航空機生産の三分の一に相当した。
1941年8月,モスクワまで100キロと迫ったドイツ国防軍の中央軍集団に対して,主力となる装甲師団を南下させた。この目的は,
1)南方のソ連軍から中央軍集団の側面を防備し,ハリコフでソ連軍を包囲撃滅すること,
2)ソ連の戦争経済に必要なウクライナの穀物地帯,鉄鉱石鉱山,工業地帯を占領し,カフカスの油田からの石油輸送を停止させること,
3)クリミア半島を占領し,ルーマニアに対する黒海を利用した航空攻撃,海軍の策動を抑えること, の3点だった。
写真(右)1942年1月12日、フィンランド南東部、ヨエンスー郊外、オントラン飛行場、ドイツから購入したフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機(登録コード:DN-64):ソ連との継続戦争が勃発して半年後の1942年1月、フィンランドは、同盟国のヒトラー・ドイツから、生産中止となり、第二線機となっていた15機のドルニエDo17Z爆撃機を輸入した。そして、そのDo17Z爆撃機をフィンランド空軍に配備して、対ソビエト連邦「継続戦争」に使用した。白丸青スワスチカ「ハカリスティ」(Hakaristi)が反共産主義の白衛軍の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。
Pommittaja valmistautuu taipaleelle.
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
Pommittaja valmistautuu taipaleelle. Dornier Do 17 Z, tunnus DN-64.
Content Type
Photo
Organisation
Military Museum
Photo info
1942-01-12
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
写真はMuseot.finna 引用。
フィンランドは、ロシア革命時期にその独立が定まった反面、その後のソビエト連邦の共産主義には、強い警戒感を抱いていた。フィンランド国内での共産主義革命の動きがあったからである。そこで、反共産主義の象徴として、白丸に青の鍵十字を描いたカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を用いるようになった。1917年のロシア革命に追随する赤軍に対抗する白軍以来のシンボルとしてである。フィンランドの内戦では、反共産主義の赤軍に反対する、白軍が自由のシンボルとして、カギ十字(卍)を採用した。白軍を支援したスウェーデン人エリック・フォン・ローゼン(Eric von Rosen)伯爵が鈎十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を譲渡した飛行機に描いたこともある。フィンランド軍は、1918年に採用したカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を、1944年の対ソ講和の時に廃止した。 このスワスチカが、対ソビエト連邦の戦い、すなわち1939年の冬戦争、1941年の継承戦争でも採用され,ドルニエ(Dornier)Do 17 Zの国籍マークとされた。
写真(右)1942年1月12日、フィンランド南東部、ヨエンスー郊外、オントラン飛行場、ドイツから購入したフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機(登録コード:DN-64):白丸青スワスチカ「ハカリスティ」(Hakaristi)が反共産主義の白衛軍の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。1942年1月、対ソ連「継続戦争」勃発から6か月後、フィンランドは、同盟国ヒトラー・ドイツから、すでに旧式化し生産中止となっていたドルニエDo17Z爆撃機15機を輸入した。そして、それを、対ソビエト連邦「継続戦争」に使用した。 Pommittaja valmistautuu taipaleelle.
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
Pommittaja valmistautuu taipaleelle. Dornier Do 17 Z, tunnus DN-64.
Content Type
Photo
Organisation
Military Museum
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1942-01-12
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
写真はMuseot.finna 引用。
1918年、フィンランドの共産主義革命派はフィンランド白衛軍に鎮圧されたが、この反革命の白衛軍の象徴が、青色「ハカリスティ」(Hakaristi)で、独立フィンランド国防軍の国籍マークとして採用された。当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン(Eric von Rosen)伯爵が、白衛軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。
つまり、ドイツの「スワスチカ」と同じルーツで、反ボリシャビキ・反共産主義を意味したのが鍵十字である。しかし、フィンランドが、ドイツのような大規模なユダヤ人差別・迫害に手を染めなかったのは救いである。
写真(右)1942年1月12日、フィンランド南東部、ヨエンスー郊外、オントラン飛行場、ドイツから購入したフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機(登録コード:DN-64)の右側面:雪の掩体壕の中で、周囲の森林と相まって、対空偽装の効果を高めている。このように配備されているフィンランド空軍機をソ連空軍機が偵察で発見するのは困難を伴ったであろう。
Pommikonetta valmistellaan lentokuntoon.
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
SHOW OTHER VERSIONS (1)
Pommikonetta valmistellaan lentokuntoon. Dornier Do 17 Z, tunnus DN-64.
Content Type
Photo
Organisation
Military Museum
Photo info
1942-01-12
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
写真はMuseot.finna 引用。
1944年、リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)はフィンランド大統領を辞職、新大統領カール・グスタフ・マンネルヘイム元帥の下で、ソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、廃止された。wikipedia「「ハカリスティ」(Hakaristi)は本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を忌避するために唱えられた方便か、カギ十字を好む人物の誤解に基づく思い込みである。
写真(右)1942年1月12日、フィンランド南部、雪原の飛行場で、出撃準備のなったフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の機首左先端とフィンランド空軍の飛行服姿の搭乗員:ドイツ空軍の制式した7.92mmMG15旋回機関銃が、機首ダイヤモンドカットガラス風防前面に1丁装備され、ガラス風防越しにサドル(鞍)型弾倉が見えている。さらに、コックピット副操縦席前面と後上方にも7.92mmMG15旋回機関銃が各々1丁ずつ装備されている。 Suomalainen pommituslentäjä matkalle lähdössä.
Suomalainen pommituslentäjä matkalle lähdössä. Konetyyppi Dornier Do.
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Military Museum
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Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
CONTENT TYPE
Photo
ORGANISATION
Military Museum
PHOTO INFO
1942-01-12
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
Raskaan tykin ammus matkalle lähdössä.
写真はMuseot.finna 引用。
ラインメタル(Rheinmetall) MG 15 機関銃(Maschinengewehr)の諸元
口径 7.92mm
銃身長 595mm
弾薬 7.92x57mmモーゼル弾
装弾数 75発入りサドル型ドラムマガジン
作動方式 ショートリコイル 回転ボルト式
全長 1,334mm(アタッチメント有り)、1,078mm(アタッチメント無し)
重量 12.4kg(照準器と弾薬装備時)
発射速度 1,000-1,050発/分、850発/分(地上用)
銃口初速 755-840m/s
写真(右)1942年11月25日、フィンランド南部、ドイツから購入したフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の5機編隊飛行:ドイツ空軍の旧式化した爆撃機を購入し部隊配備したフィンランド空軍は、Do17Z爆撃機を対ソビエト連邦との戦いに投入した。白丸青卍スワスチカ「ハカリスティ」(Hakaristi)が白衛軍の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。
Dornier-tyyppisiä pommituskoneita pommituslennolla.
Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
SHOW OTHER VERSIONS (1)
Content Type
Photo
Organisation
Military Museum
Photo info
1942-11-25
Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
写真はMuseot.finna 引用。
1942年初頭のドイツ側は,ソビエト連邦南部ウクライナでの大攻勢目指し,1942年4月,「ブラウ」(青)作戦が決まった。この目標は,南方軍集団(司令官フォン・ボック(Fedor von Bock)元帥)によって,ソ連軍の防衛力を打ち砕き,スターリングラードを制圧,ついでカフカスの油田など戦争経済資源を奪取することとされた。
写真(右)1942年11月25日、フィンランド南部、低空飛行する4機のフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機:ドイツ空軍の旧式化したDo-17爆撃機15機を1942年1月に購入し配備したフィンランド空軍は、Do17 Z 爆撃機を対ソビエト連邦との戦い「継続戦争」に投入した。白丸青卍スワスチカ「ハカリスティ」(Hakaristi)が反ボリシェビキ白衛軍の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。
Dornier-tyyppisiä pommituskoneita pommituslennolla.
Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
SHOW OTHER VERSIONS (1)
Content Type
Photo
Organisation
Military Museum
Photo info
1942-11-25
Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
写真はMuseot.finna 引用。
ブラウ作戦は、モスクワ攻略に失敗したドイツ軍には、欲張った目標だった。その上,カフカスとスーリングラードのニ目標を追うことになり,軍集団を二分するという失策を犯してしまう。戦力を分散投入してしまったために,どちらの目標も達成できなかった。
写真(右)1942年11月25日、フィンランド南部、ドイツから購入したフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機とブリストル(Bristol)・ブレニム (Blenheim)爆撃機:湖沼の上空を2機が飛行しているが、Do-17はドイツ空軍機、ブレニムはイギリス空軍機で、敵同士の軍用機であるが、フィンランドはドイツ・イギリスの双方の軍用機を同時に使用していた。 Kaksi suomalaista pommituskonetta matkalla pommittamaan
Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
Kaksi suomalaista pommituskonetta matkalla pommittamaan. Ylempänä Dornier ja alempana Bristol Blenheim.
Content Type
Photo
Organisation
Military Museum
Photo info
1942-11-25
Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
写真は 引用。
イギリス空軍ブリストル(Bristol)・ブレニム (Blenheim)
爆撃機は、初飛行1935年4月12日、イギリス空軍大戦初期の主力爆撃機である。1935年9月から生産が始まり、4,422機が大量生産された。運用開始は、1937年3月10日なので、使用時期はドイツのドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機と同時期である。フィンランド空軍も輸入し、対ソビエト継続戦争に実戦投入している。
ブリストル(Bristol)・ブレニム (Blenheim)
爆撃機の諸元
乗員: 3名
全幅: 17.17 m
全長: 12.12 m
全高: 2.99m
機体重量: 5670 kg
発動機: ブリストル マーキュリー (Bristol Mercury)Mk.8空冷9気筒エンジン 離昇出力 840馬力×2
最高速力: 418 km/h
航続距離: 1810 km
武装
7.7 mm 機関銃 × 2
爆弾 454 kg
写真(右)1942年11月25日、フィンランド北部、ラップランド、ドイツから購入したフィンランド空軍ラップランド飛行隊所属のドルニエ(Dornier)Do-17 P 偵察爆撃機:地上部隊上空を低空飛行して、通信連絡筒(書類や写真が入った軽量で頑丈な筒)を投下した。ドイツ空軍の旧式化した爆撃機を購入し部隊配備したフィンランド空軍は、当初、Do17P偵察爆撃機、後にDo17Z爆撃機を購入して、対ソビエト連邦との戦いに投入した。白丸青スワスチカというナチ党と同じ反共産主義の旗印が白衛軍(赤衛軍と戦闘)の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。
Taistelukone pudottaa viestin käytyään ryssän puolella tiedustelemassa.
Uuno Laukka, valokuvaaja
Taistelukone pudottaa viestin käytyään ryssän puolella tiedustelemassa. AKe. (F) Finnlandin (Kette Lapplandin) kone Dornier Do 17 P.
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Military Museum
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Uuno Laukka, valokuvaaja
写真はMuseot.finna 引用。
1942年6月時点で、未だにドイツのヨーロッパ支配の状況は変わりはなく、イギリス、アメリカによるフィンランド攻撃の心配は、全くなかった。フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)元帥も、フィンランド国民の多くは、いまこそ、1939-1940年の冬戦争で領土を奪った仇敵ソビエト連邦・共産主義者・ボリシェビキたちを弱体化する最大の機会であると考え、1941年6月のドイツのソ連侵攻の直後に継続戦争を自らはじめ、善戦し、失地回復を果たしたことを大喜びしていた。
写真(右)1941-1944年日、対ソビエト連邦継続戦争の時期、フィンランド、ドイツから購入したフィンランド空軍第46飛行隊のドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機(登録コード DN-59):ドイツ空軍の旧式化したDo17爆撃機を15機を1942年1月に購入し部隊配備したフィンランド空軍は、Do17Z爆撃機を対ソビエト連邦と「継承戦争」に投入した。白丸青卍スワスチカ「ハカリスティ」(Hakaristi)が反ボリシェビキ白衛軍の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。ドルニエDo17Z爆撃機は、砂利の敷かれた飛行場で、兵士・整備員に囲まれている。 entolaivue 46:n keskiraskas Dornier 17Z -tyyppinen pommikone jatkosodan aikaisessa maalauksessa jollain sorapintaisella lentokentällä, Lympärillä miehiä., Lentokone
Collection
Forum Marinumin kuvakokoelma
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Forum Marinum
Identifier
FMV50:41
Measurements
1384 pixel
2120 pixel
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vaaka (suunta)
Used
1996 - 2014 omistusaika
1937 - 1996 omistusaika
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Subject date
1941 - 1944
Subjects
sotavoimat ilmavoimat
1941 - 1944
写真はMuseot.finna 引用。
ドイツでは、第一次大戦末期のドイツ革命に反発するフライコール(Freikorps :自由義勇軍団)、すなわち民間義勇兵「エアハルト旅団」などが鉄兜にスワスチカを描いていた。ヒトラーのナチ党もこのスワスチカを党の記章とし、政権獲得後は、事実上、ドイツ共和国三色旗に代えて、カギ十字をドイツの国旗として航空機にもスワスチカを国籍マークとして記入した。フィンランド軍は、1917年のロシア革命後に独立したが、国内では共産主義・ボリシェビキ派の武装蜂起が起きた。
写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の木陰で、出撃準備のための右ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を整備しているフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機と周囲の地上勤務整備士:機首コックピットは、カバーでおおわれているが、これは雪よけとガラス風防の反射光による察知を防ぐ目的がある。 Lentomekaanikot (DN-pommituskoneen) moottorin huoltotehtävissä.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
SHOW OTHER VERSIONS (2)
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1944-01-07
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaajaa 写真はMuseot.finna 引用。
フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)元帥は、対ソビエト連邦との二回目の戦争、継続戦争を1941年6月26日に初めた指導者の一人だが、自ら開戦した以上、何としてもソビエト連邦ボリシェビキの軍事力を削いで、1939年-1940年の冬戦争で失った固有の領土回復を果たしたかった。そして、失地回復をした後、国土防衛のための対ソ連緩衝地帯の確保に邁進した。
写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の木陰で、出撃準備のための右主翼のブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)を整備しているフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機と周囲の地上勤務整備士:機首コックピットは、保護カバーでおおわれているが、これは雪よけとガラス風防の反射光による察知を防ぐ目的がある。 Lentomekaanikot (DN-pommituskoneen) moottorin huoltotehtävissä.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
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1944-01-07
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaajaa 写真はMuseot.finna 引用。
1942年のフィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)元帥のナチス訪問は、ちょうど、継続戦争開始1周年であり、フィンランドはソ連を明確な敵とし、枢軸国ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、ソ連領に攻め入っていた。マンエルハイム元帥が、フィンランドの領土の回復、ソ連の弱体化を真剣に望んでいたのは確かであろう。1942年6月時点で、未だにドイツのヨーロッパ支配の状況は変わりはなく、イギリス、アメリカによるフィンランド攻撃の心配は、全くなかった。マンネルハイムだけでなく、フィンランド国民の多くは、いまこそ、ソ連ボリシェビキ弱体化の最大の機会であると考え、継続戦争を自らはじめ、善戦していた。
写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の木陰で、出撃準備のための右ブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)を整備しているフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機と周囲の地上勤務整備士:降着装置は、エンジンナセル下面の格納庫に引き込まれる。ゴム主輪には、エンジン潤滑油が垂れて汚れが付かないようにカバーがかけられている。これは、車輪カバーではなく、エンジン整備中の一時的な仮カバーである。エンジンにまで届く移動式脚立も堅牢で使いやすそうである。厳冬のなかで厚着をした整備士たちの服装に注意。 Lentomekaanikot (DN-pommituskoneen) moottorin huoltotehtävissä.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
SHOW OTHER VERSIONS (2)
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1944-01-07
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja 写真はMuseot.finna 引用。
共産主義者ボリシェビキとの過酷な内戦を経験したフィンランドにおける対ソビエト戦争の戦意高揚を無視して、「マンネルハイム元帥は、ヒトラーとの共闘を臨んでいなかった」「ヒトラーによる誕生日訪問を迷惑に思っていた」などと邪推するのは、見当違いである。1917年のロシア革命後、ボリシェビキ勢力が伸長し、赤軍を組織して共産主義革命を進めたとき、フィンランドでは、ロシア共産党のボリシェビキに賛同したフィンランド共産主義者、共産党員、赤軍が政権奪取を図った。それに対して、ドイツのと同様、フライコール(Freikorps :自由義勇軍団)反革命の白軍を組織して、革命派を武力鎮圧した将軍が、マンネルハイムである。
フィンランドの反ボリシェビキ白衛軍指揮官だったマンネルハイムは、ヒトラー同様、反共産主義者として、ソビエト連邦ヨシフ・スターリンを警戒し、チャンスを得て、ドイツの対ソ侵攻パルチザン (Unternehmen Barbarossa)に便乗して、ソ連を弱体化、無害化することを望んでいた。
写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の木陰で、出撃準備のため右側のブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を整備しているフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機と周囲の地上勤務整備士:を整備中に、エンジン暖気用温風ヒーターを流用して、暖をとるフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の地上勤務整備士と飛行部隊長:手前には、外されたエンジンナセルのカバー、後方にはブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン整備用の移動式脚立が見える。危険防止のために、プロペラ先端は回転時の警戒職として黄色あるいは赤色で塗装されているのが確認できる。厳冬の中での野外作業に従事するための外套、ブーツ、帽子など服装に注意。 Lentokonemoottorin huolto on kylmää hommaa pakkassäällä ja on välillä lämmitettävä käsiään kaminan ääressä.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
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1944-01-07
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja 写真はMuseot.finna 引用。
フィンランドでは、夏でも冬でも、濃霧など気象条件の急変が珍しいことではない。1940年代までの飛行機は、レーダを使用できた機体はわずかで、目測や天測にと寄った航法を行っていた。そこで、夜間、暴風雨、濃霧など悪天候では、飛行が制限され、場合によっては、位置を失ったり、目測を誤ったりして行方不明や事故を頻繁に起こしていた。そこで、天候の急変するフィンランドでは、大編隊を擁する大規模な航空戦は不向きだった。フィンランド空軍は、ソ連空軍よりも二桁劣勢だったが、天候や気象条件の悪い戦線での航空戦に、気象観測と地上誘導を大幅に充実させていた。
しかし、このような観測や誘導があっても、大編隊の航空活動を迅速に天候気象に対応させるのは至難の業だった。そこで、多数の航空機を擁するソ連空軍に対して、少数の飛行機しか有しないフィンランド空軍は、悪天候、飛行困難な気象条件のなかで、少数機を有効に誘導して多数の敵機に有効に立ち向かったのである。フィンランド戦線には、多数機の航空戦の困難な条件があったためにで、少数精鋭のフィンランド空軍に活躍の素地があった。フィンランド空軍の対ソビエト連邦との強靭さは、フィンランドの気象天候条件が大いに寄与していたといえる。
写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の飛行場で、出撃準備のなったフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の機首右側:ドイツ空軍の制式した7.92mmMG15旋回機関銃が、コックピット副操縦席前面と機首ダイヤモンドカットガラス風防前面に各々1丁ずつ装備されているのが確認できる。濃霧など気象条件の悪い戦線での飛行には、気象観測と地上誘導が欠かせないので、多数機の出撃は困難で、少数精鋭のフィンランド空軍に活躍の素地があった。フィンランド空軍は、Do17Z爆撃機を対ソビエト連邦との戦いに投入した。白丸青スワスチカが白衛軍の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。
Pommituskone valmiina lähtöön
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Pommituskone valmiina lähtöön. (DN ohjaamo) Lentolaivue 46:n lentokone Dornier Do 17 Z.
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1944-01-10
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
写真はMuseot.finna 引用。
フィンランドは、ドイツの対ソ戦争バルバロッサ作戦(Unternehmen Barbarossa)に組み込まれいた。特に、1941年1月には、ノルウェー派遣ドイツ軍は、極北戦線で「銀狐作戦」(Silberfuchs)によって、コラ半島のソ連軍を撃滅し,ムルマンスク鉄道に沿って、白海とフィンランド湾の間にあるカレリア地峡まで進出する計画を立てていた。
フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルヘイム(Carl Mannerheim)元帥は、対ソビエト連邦との二回目の戦争、継続戦争を1941年6月26日に初めた指導者の一人だが、自ら開戦した以上、ソビエト連邦の弱体化を図り、1939年-1940年の対ソビエト連邦「冬戦争」の敗北によって失った領土を回復しようとした。
1942年のカール・マンネルヘイム(Carl Mannerheim)元帥のドイツ訪問、ヒトラー総統との大本営での会談は、ちょうど継続戦争開始1周年であり、フィンランドはソ連を明確な敵とし、枢軸国ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、ソ連領と戦った。
写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の飛行場で、出撃準備のなったフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の右側、機首の前で出撃前のブリーフィングを行う地上勤務部隊長と4名の搭乗員たち:Do 17の搭乗員は、操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4名。7.92mmMG15旋回機関銃1丁が、機首先端ガラス風防下先端に見える。副操縦席前面、後上方後端・左・右、コックピット下面ゴンドラ後端に各々1丁ずつ、合計6丁の7.92mmMG15 旋回機関銃が装備されている。フィンランド空軍は、Do17Z爆撃機を対ソビエト連邦との戦いに投入した。 Lentäjät valmiina lähtöön ja lentueen johtaja antaa heille viimeiset ohjeet. Lentolaivue 46. Konetyyppi Dornier.
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1944-01-07
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja 写真はMuseot.finna 引用。
フィンランド政府は、第二次大戦へ枢軸国(ドイツ)側として参戦したのではないとの形式論を主張したが、イギリスはドイツ軍の兵力のほとんどを相手に地上戦を戦うソ連を軍事支援しており、ソ連に対する政略の上からも、フィンランドがイギリス、アメリカとは戦うつもりがないとの一方的な宣言を認めなかった。
写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の飛行場で、出撃準備のなったフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の左側の降着装置ゴム主輪の車輪止めを外そうとする地上勤務整備士:ドイツ空軍の制式した7.92mmMG15旋回機関銃が、コックピット下面ゴンドラ後端に見え¥る。副操縦席前面と機首ダイヤモンドカット式ガラス風防前面に各々1丁ずつ7.92mmMG15 旋回機関銃を装備。フィンランド空軍Do17Z爆撃機は、白丸青スワスチカが白衛軍の伝統を引き継ぐ国籍マークがついている。
Lähdön hetki
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Lähdön hetki. Apumekaanikko irroittaa pyörätuen.
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1944-01-07
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja 写真はMuseot.finna 引用。
1944年1月、ドイツ軍を排除してレニングラード包囲を解いたソ連軍は、カレリア地峡を経てフィンランドへの圧力を強めた。この時期、イタリアは脱落し,ドイツの劣勢は明白で、フィンランドはソ連との講和を考えていた。しかし、カレリア地峡の割譲、駐留するドイツ軍の排除という講和条件をフィンランドが受諾するのは困難だった。イタリアは1943年に連合国に降伏したが、その直後に駐留ドイツ軍によって武力占領されていたからである。
写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の飛行場で、出撃準備のなったフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の機首下面のゴンドラ後部の昇降扉を下げて機内に乗り込もうとする搭乗員と話す地上勤務整備士:Do 17爆撃機の搭乗員は、操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4名である。7.92mm MG15旋回機関銃が、コックピット下面ゴンドラ後端に見える。コックピット後方左右側面に7.92mm MG15 旋回機関銃1丁が確認できる。
Lentäjät kiipeävät koneeseen. Konetyyppi Dornier. Lentolaivue 46.
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1944-01-07
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja 写真はMuseot.finna 引用。
1944年6月9日、西側連合軍が、北フランス、ノルマンディー海岸に上陸して大陸反攻が本格化すると、ソ連軍も攻勢を開始し、レニングラードからカレリア地峡への侵攻を開始した。フィンランド軍のカレリア地峡の防衛戦は突破されたが、フィンランドに6月22日に赴いたドイツ外相ウルリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(Ulrich Friedrich Wilhelm Joachim von Ribbentrop)は、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)の対ソ戦争継続の言質をとり、クールマイ率いる空軍部隊、第303突撃砲旅団を増援部隊としてフィンランドに派遣した。
写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の飛行場で、出撃準備のなったフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の機首下面のゴンドラ後部の昇降扉を下げて梯子を上り機内に乗り込む搭乗員:Do 17爆撃機の搭乗員は、操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4名である。飛行士は、白色迷彩塗装の飛行服を着ているが、これは地上にいるとき、不時着した時の対空迷彩で、上空の敵機から見つかりにくい。7.92mm MG15旋回機関銃を備えたコックピット下面ゴンドラ、その左右にガラス風防がある。
Lentäjät kiipeävät koneeseen. Konetyyppi Dornier. Lentolaivue 46.
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1944-01-07
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja 写真はMuseot.finna 引用。
1944年6月のノルマンディ侵攻で、西側連合軍地上軍が西ヨーロッパでドイツ軍を圧倒し、ドイツの敗戦が確実になる中、1944年8月8日にエドウィン・リンコミエス首相(日本の勲一等旭日大綬章佩用)は辞任、後任首相には、アンッティ・ハックゼル(Antti Hackzell)が就いた。そして、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)も辞職し、8月4日にフィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)元帥が後継の大統領に就任した。
写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の飛行場で、出撃準備のなったフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の右ブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)の前で出撃の握手を交わす機長と地上勤務飛行部隊長:飛行士は、白色迷彩塗装の飛行服を着ているが、これは地上にいるとき、不時着した時の対空迷彩で、上空の敵機から見つけにくいように配慮したものであろう。ドイツ空軍の制式した7.92mmMG15旋回機関銃を備えたコックピット後方左右のガラス風防が確認できる。
Ohjaaja kiittää mekaanikkoa moottorin hyvästä huollosta. Kuvassa Reino Lampelto. Lentolaivue 46. Konetyyppi Dornier.
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1944-01-07
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja 写真はMuseot.finna 引用。
1944年8月4日、新たにフィンランド大統領に就任した軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)元帥は、1944年9月19日、モスクワ休戦協定を結んで、事実上、ソ連に降伏した。講和条件は、カレリア地峡・ペッツァモの譲渡、戦争賠償金の支払い、フィンランド国内におけるソ連軍の基地使用、ドイツ軍のフィンランドからの排除(事実上の対ドイツ戦争)である。
1941年6月26日にソ連侵攻「継続戦争」を指揮したフィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)元帥のだったが、戦局悪化の中、1944年8月4日、第6代フィンランド大統領に就任した。そして、1944年9月19日、ソ連と講和し、それまでの同盟国ドイツを裏切った。
写真(右)ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-2 爆撃機の三面図; Description
English: Dornier Do-17Z-2 bomber
Date 17 October 2015
Source Own work
Author Kaboldy 写真は Wikimedia Commons, Category:Dornier Do 17
File:Dornier Do-17Z-2.svg引用。
ドルニエDornier Do 17 Z-2の諸元
搭乗員Crew: 4人(操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4人)
全長Length: 15.8 m 全幅Wingspan: 18 m
全高Height: 4.56 m
空虚重量Empty weight: 5,210 kg
空虚重量(装備付き)Empty equipped: 5,888 から 5,963 kg 離陸最大重量Max takeoff weight: 8,837 kg 燃料容積Fuel capacity: 標準燃料 1,540 L 爆弾倉前部搭載の補助燃料タンク(aux tank)2,435 L 発動機Powerplant: ブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)/離陸
プロペラPropellers: 3-翅可変ピッチ(variable-pitch) 最高速力Maximum speed: 350 km/h (220 mph, 190 kn) / 8,040 kg /海面上sea level
410 km/h (255 mph) / 8,040 kg /高度 5,000 m
巡行速力Cruise speed: 300 km/h (190 mph, 160 kn) / 8,837 kg / 4,000 m
戦闘航続距離Combat range: 660 km (410 mi, 360 nmi) / 燃料1,540 L / 爆弾 1,000 kg 航続距離:1,010 km (628 mi) with 2,435 l (536 imp gal) fuel and 500 kg
実用上昇限度Service ceiling: 8,200 m
翼面荷重Wing loading: 156 kg/m2 Power/mass: 0.170 kW/kg
火器Guns: 6 × 7.92 mm MG 15 機関銃6挺(コックピット前方上・下, 後上方・下方、側方左右の機首6カ所)
爆弾Bombs: 1,000 kg (2,205 lb) /爆弾倉;20 x 50 kg or 4 x 250 kg
3.ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 夜間戦闘機カウツ
写真(右)1940年後半頃,オランダ(?)、偽装網で覆われた掩体壕に待機しているドイツ空軍第2夜間戦闘航空団ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)I 夜間戦闘機:夜間戦闘用の全面黒色塗装を施している。機首には、20mmMG-FF機関銃、7.92mmMG17機関銃3挺を装備している。Z-10は、機首に赤外線ライト、コクピット(前部風防)に「シュパナー」と呼ばれる赤外線暗視装置の一種が装備された。また、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) 空対空レーダー装備のZ-10が1機テストされた。 Permann_20 069 AI Gadgets Album
Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum 写真はSDASM Archives 引用。
イギリス空軍によるドイツ本土空襲は、戦前から警戒されていたことで、イギリスの夜間爆撃に対抗するため、対空砲火、夜間戦闘機が準備されていた。ドイツ空軍は、Bf110 双発戦闘機と並んで、ユンカースJu 88A爆撃機改造のJu88C夜間戦闘機、Do17Z爆撃機改造のドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7夜間戦闘機を開発していた。
ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7は、新規製造ではなく既存のDo17Z爆撃機の機首に前方固定機関銃を装備した改造機である。まず3機が改造され、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)Iと命名された。その武装強化型がドルニエ Do17Z-10 カウツII夜間戦闘機だが、発動機は、爆撃機Z型と変わらずブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)だが、乗員は1名減の3名である。
ブラモ(Bramo)323 P ファフニール"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1000 PS装備のドルニエ(Dornier)Do-17Z爆撃機は、1940年末には旧式化して、退役したが、その機首をソリッド化し20mmMGーFF機関銃1挺、7.92mmMG17機関銃3丁を搭載したドルニエDo17Z-10 夜間戦闘機「カウツ」が開発された。
ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)I もDo 17 Z-10夜間戦闘機「カウツ」IIも発動機は原型のDo17Z爆撃機と同じブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)で、最高速力は敵爆撃機と大差なかった。
1機のドルニエ Do17Z-10 Kauz「カウツ」II(CD+PV)は、ドイツ機で初めて空対空レーダーのリヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cレーダーを装備、1941年末から1942年にテストを受けた。Do 17 Z-10 カウツ(Kauz)IIの生産機数は14機で、すべて既存のZ型爆撃機の改造機である。
⇒写真集Album:ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z カウツ(Kauz)夜間戦闘機を見る。
4.DB601液冷エンジン搭載のドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
写真(右)1940年頃,ドイツ,待機するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215偵察機(PK-EH)の右側面; Perma_000401 Permann Collection Image
Dornier Do 217 P-O late variant of Do 17 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は、SDASM Archives 引用。
1937年、ドルニエが輸出も視野に入れて、前量産型Do 17 Z-0を開発し、民間の登録記号D-AAIVを得て初飛行した。しかし、ドイツ航空省(RLM)は、改造機ではなく新鋭機として輸出を促進するために、新たにDo 215の形式名を割り当てた。
ドイツ航空省(RLM)は、既存のDo17改造型を新鋭機のイメージで輸出するために、新形式Do 215と命名した。つまり、Do17Z改造のDo-215試作機1号機V1は、Do-17Zと同じブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基を装備した。その後、ダイムラー・ベンツ DB 601Ba液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)に換装したドルニエDo-215試作3号機V3が完成した。
ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS搭載の新鋭機ドルニエ(Dornier)Do-215は、高性能DB601エンジンがメッサーシュミットBf109単発戦闘機、Bf110駆逐戦闘機に優先配備することが決まり、1941年までに105機の生産にとどまった。
⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機を見る。
5.BMW801空冷エンジン搭載のドルニエ(Dornier)Do-217E爆撃機
写真(右)1941−1943年頃,ドイツ,テスト飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217E-1爆撃機(登録コード DD-LF 製造番号 WNr 1006)の前方下面;ゴンドラは機首右下面に設けられた。双尾翼式で、尾部に急降下爆撃用の傘状ダイブブレーキを収納していたが、実用化できずに、格納部分を縮小、成形された。 Permann_20 073 AI Gadgets Album Dornier 217E-1 WNr 1006 DD+LF
Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
Dornier 217E-1 WNr 1006 DD+LF on a test flight
Stig 写真は, SDASM Archives
引用。
ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機は、「空飛ぶ鉛筆」Do 17爆撃機の後継機である。しかし、Do17が水平爆撃を行う軽爆撃機だったのに対して、ドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機は、より大型で「重」爆撃機とされた。Do217は、急降下時に降下速度を抑えるダイブブレーキを装備した。ユンカースJu87、Ju 88爆撃機は主翼下面にダイブブレーキを装備したが、ドルニエ(Dornier)Do-217は、尾部に傘状に開くダイブブレーキを設けている。
ドルニエDornier Do 217 爆撃機諸元: 初飛行:1938年10月4日 就役開始:1940年
全長: 18.19 m 全幅: 19.00 m 全高: 5.03 m 全備重量: 14,980 kg エンジン: BMW 801MA 空冷14気筒 1,580 hp × 2 最高速力: 515 km/h 航続距離: 2,300 km 武装 7.92ミリMG 15機関銃 × 5, 15ミリMG 151機関砲 × 1 爆弾 2トン 乗員: 4名。 生産期間:1940−1944年 総生産機数:1925機
ドルニエ社が大戦前に開発したDo 17爆撃機の後継機がDornier Do 217 爆撃機K型で、Do 17の機首、主翼など外見の類似点が多い。当初、ドルニエ(Dornier)Do 217は急降下爆撃機だったが、尾部の傘状ダイブブレーキが実用化に至らず、水平爆撃機となった。
1943年からドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機は、誘導爆弾Hs293、フリッツXを搭載し、艦船攻撃で大戦果を挙げた。他方、ドルニエ(Dornier)Do-217は、東部戦線にはほどんど配備されなかった。
ドルニエ(Dornier)Do-217は、1940年11月から量産され、1943年末には生産中止が決まったが、工場に残っていた機体・部品を使っての生産は1944年5月まで続いた。ドルニエ(Dornier)Do-217は、3か所の飛行機工場で合計1,925機が生産された。
⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-217を見る。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。 バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics ⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck ⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser ⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz ⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
⇒ハワイ真珠湾攻撃の写真集 ⇒沖縄特攻戦の戦果データ
⇒戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
⇒海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇 ⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
⇒ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
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