写真(上)1941年9月5日、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「継承戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28E中戦車1939/1940年型:フィンランド国防軍の兵士が戦車を点検している。。主砲は26口径76.2ミリ戦車砲L-10で、歩兵支援用である。車体前部の小型銃塔2基には、7.62ミリDT機関銃各1丁を装備し、接近戦の敵歩兵を排除する。 Hyökkäysvaunu kuvattu sivusta. Näitä keskiraskaita hyökkäysvaunuja on tuhottu kaksi ja vallattu yksi sekä kevyitä hyökkäysvaunuja tuhottu 5 kappaletta.
Nuosjärvi 1941.09.05
Kuvassa on T-28 panssarivaunu kuvattuna sivusta.
SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
写真(上)2013年5月、フィンランド、ヘルシンキ北100キロ、パロラ戦車博物館(Parola Tank Museum)に保管展示されているフィンランド軍の鹵獲したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型:(側方より撮影):反ボルシェビキの卍のフィンランド軍記章ハカリスティ(Hakaristi)は、継承戦争敗北後に廃止されたために、この鹵獲戦車からも消去されている。中央の砲塔には26口径76.2ミリ戦車砲L-10を1門搭載、車体前部の2基の小型砲塔に7.62ミリ機関銃1丁を搭載する多砲塔戦車。写真の展示している車両には、機関銃は未装備で、銃口のみ開いている。1939-1940年のソ連・フィンランド冬戦争において、ソ連軍が使用したT-28戦車を、フィンランド軍が鹵獲した。 Description 157 - T-28 m 1938
Date 5 July 2017, 12:21
Source 157 - T-28 m 1938
Author Richard Allen from Nottingham, UK
写真は,Category:T-28 in the Parola Tank Museum File:Parola Tank Museum 157 - T-28 m 1938 (26793855639).jpg引用。
写真(右)1930年代、ソビエト連邦、市内パレードに参加したソ連赤軍T-28中戦車M1934型。主砲には、短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲を採用。:中央の砲塔には16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲1門、車体前部の小型銃塔2基に7.62ミリDT(Degtyaryov:デグチャレフ)1928年型機関銃各々1丁を装備している。短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲は、1936-1938年に生産されたBT-7快速戦車(14.5トン)の主砲と同じである。 Russian tank T-28, before WW2
Source originally uploaded to English Wikipedia
Author Unknown author
写真は,Category:T-28 File:Parad v Orle 1930.jpg引用。
写真(右)1930年代、ソビエト連邦、市内パレードに参加したソ連赤軍T-28中戦車M1934型:中央の砲塔には16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲1門を装備している。中央の砲塔に搭載した主砲は、当初T-28M1932年型は45ミリ20K戦車砲M1932型、初期T-28M1934型は短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲、中期T-28M1938型と後期T28E1939/1940型は26口径76.2ミリL-10戦車砲と、順次火力が強化されている。 Description
Русский: Парад военной техники в Орле в конце 1930-х
. Date конец 1930-х Source личный архив Author Unknown author 写真は,Category:T-28 File:Parad v Orle 1930.jpg引用。
図(右)、ソビエト連邦、量産された26口径76.2ミリL-10戦車砲搭載のソ連赤軍多砲塔T-28中戦車試作車:中央の砲塔に搭載した主砲は、当初T-28M1932年型は45ミリ20K戦車砲M1932型、初期T-28M1934型は短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲、中期T-28M1938型と後期T28E1939/1940型は26口径76.2ミリL-10戦車砲。前部の銃塔2基には各々7.62ミリDT(Degtyaryov:デグチャレフ)1928年型機関銃1丁を搭載している。 Deutsch: Bleistiftzeichnung nach einer Fotografie, angefertigt für eine Propaganda-Wandzeitung anlässlich des Tages der Sowjetarmee 1978 durch den Gefr.Treudler Date 1978
Source selbsterstellt (laut Bildbeschreibung) Author Tobias Treudler
Other versions thumb|left .
Author FOTO:Fortepan — ID 31653: Home pagePictureInformation page. 写真は,Category:T-28 File:T28-Tank.jpg引用。
写真(上)1940年9月、ソビエト連邦、対フィンランド冬戦争時期、第92工場で長砲身85ミリ戦車砲F-30を搭載したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型:(側方より撮影):T-28中戦車の主砲は16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲あるいは26口径76.2ミリ戦車砲L-101門だった。しかし、砲口初速792m/sで対戦車戦闘能力の高い1939年開発の55口径85ミリ高射砲を改造した85ミリF-30戦車砲1門を搭載した試験車両も製造された。これはT-34/85中戦車の52口径85ミリZiS-53戦車砲の原型となった戦車砲である。車体前部の2基の砲塔には、従来と同じく7.62ミリDT(Degtyaryov:デグチャレフ)1928年型機関銃1丁を搭載している。 T-28 armed with F-34 gun Plant 92 October 1939 写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-28 photo gallery引用。
写真(右)1940年9月、ソビエト連邦、対フィンランド冬戦争時期、第92工場で長砲身85ミリ戦車砲F-30を搭載したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型:(側方より撮影):T-28中戦車の主砲は16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲あるいは26口径76.2ミリ戦車砲L-101門だったが、対戦車戦闘能力の高い85ミリ戦車砲F-30砲1門を搭載した試験車両も製造された。これはT-34/85中戦車と同じ戦車砲である。車体前部の2基の砲塔には、従来と同じく7.62ミリDT(Degtyaryov:デグチャレフ)1928年型機関銃1丁を搭載している。 TT-28 with F-30 gun September 1940 写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-28 photo gallery引用。
写真(右)1941年6月22日以降、独ソ戦の緒戦で、ドイツ軍に撃破された短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲搭載のソ連赤軍T-28中戦車M1934年型:周囲には、戦利品に気をよくしたドイツ軍兵士たちが集まって見物している。砲塔最上部司令塔ハッチには、対空戦闘用の7.62ミリDT(Degtyaryov:デグチャレフ)1928年型機関銃を装備している。T-28中戦車は、1939年11月30日から1940年3月13日のフィンランドとの冬戦争に初めて実戦投入された。
Deutsch: Zerstörter russischer Panzer T 28 nach den Kämpfen bei Kowno . Date 1941
Source Scans alter Fotos. Author Der Grossvater von Ra Boe
Permission
(Reusing this file)
--Ra Boe (talk) 21:17, 25 April 2009 (UTC) . 写真は,Category:T-28 in Finnish service File:Captured Russian Tank.jpg引用。
写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破したソ連赤軍T-28中戦車M1934年型の砲塔を検分するドイツ軍兵士:主砲は16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲で、貫通力は、距離500メートルで31ミリ、1000メートルで28ミリだが、対戦車戦ではなく歩兵支援の援護射撃をする目的には十分だった。左の車体前部上面には7.62ミリDT機関銃1丁を搭載する銃塔があり、その上面の出入り口ハッチが開いている。砲塔前面には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が見える。砲塔上面の司令官用はっちが開放状態で止まっているのは、搭乗員が脱出したからであろう。砲塔の周囲は、リベットでアップリケ・アーマー(追加装甲版)が創設されて防御力を向上している。 soviet tank T-28 15 写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-28 photo gallery引用。
写真(右)1942年、ソビエト連邦、枢軸国ハンガリー軍の使用している鹵獲したソ連赤軍T-28中戦車M1934年型:中央の砲塔には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲1門を装備している。ハンガリー軍の撮影になるようだ。 Magyar: a Magyar hadsereg által zsákmányolt T-28-as közepes harckocsi, mögötte egy Polski Fiat 618-as rádiós gépkocsi. Location: Russia
Tags: second World War, eastern front, Soviet Union, tank, Soviet brand, military, Polski Fiat-brand Title: a Magyar hadsereg által zsákmányolt T-28-as közepes harckocsi, mögötte egy Polski Fiat 618-as rádiós gépkocsi. Date 1942
Source http:// www.fortepan.hu/ _photo/download/ fortepan_20345.jpg archive copy
Author FOTO:Fortepan — ID 12186: Home pagePictureInformation page
Adományozó/Donor: Unknown. archive copy
Permission
(Reusing this file) The release at fortepan.hu is CC-BY-SA-3.0. As the photographer is unknown or pseudonymous, and the photograph is 78 years old, it is considered public domain both in the country of publication, Hungary, and the USA where Wikimedia Commons is hosted. See Fortepan.HU for more information on related uploads.
写真は,Category:T-28 File:A Magyar hadsereg által zsákmányolt T-28-as közepes harckocsi, mögötte egy Polski Fiat 618-as rádiós gépkocsi. Fortepan 12186.jpg引用。
写真(右)1942年,枢軸国ハンガリー(マジャール)、首都ブダペスト(Budapest)に展示された、鹵獲されたソ連赤軍T-28中戦車M1934年型:ドイツ軍の戦車よりも,重装甲で,車体中央に強力な短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲1門装備の砲塔1基,車体前部に7.62ミリDT(Degtyaryov:デグチャレフ)1928年型機関銃1丁装備の小型銃塔2基を搭載していた。装甲は10ミリから30ミリで、当時のドイツ戦車と同等以上の防御力があった。他方、発展型の重戦車KV-1の砲塔装甲は前面90mm、側面75mm、後に砲塔は全周120mmに強化ている。 Description
Magyar: zsákmányolt szovjet gyártmányú T-28 közepes harckocsi az 1942. évi Nemzetközi Vásáron. Location: Hungary, Budapest XIV. Tags: tank, military, Soviet brand, international fair, Budapest Title: zsákmányolt szovjet gyártmányú T-28 közepes harckocsi az 1942. évi Nemzetközi Vásáron. Date 1942 Source http:// www.fortepan.hu/ _photo/download /fortepan _54161.jpg Author FOTO:Fortepan — ID 54161: Home pagePictureInformation page Adományozó/Donor: Nagy Gyula. 写真は,Category:1942 events in Budapest: File:Zsákmányolt szovjet gyártmányú T-28 közepes harckocsi az 1942. évi Nemzetközi Vásáron. Fortepan 54161.jpg引用。
写真(上)1942年,枢軸国ハンガリー(マジャール)、首都ブダペスト(Budapest)、枢軸国のソ連侵攻の緒戦、快進撃を続けた枢軸軍が鹵獲したソ連赤軍T-28中戦車M1934年型:複数の砲塔を持つ陸上戦艦T-28は、500馬力のミルーキンM-17 液冷ガソリンエンジンを装備、重量28トン、乗員6名で、路上最高速力37キロ、を撃破して、戦利品として、首都ブタペストに持ち帰って一般公開したのであろう。
Magyar: zsákmányolt szovjet gyártmányú T-28 közepes harckocsi az 1942. évi Nemzetközi Vásáron.
Location: Hungary, Budapest XIV.
Tags: camouflage pattern, international fair, colorful, tank, combat vehicle, Soviet brand, Red Star, Budapest
Title: zsákmányolt szovjet gyártmányú T-28 közepes harckocsi az 1942. évi Nemzetközi Vásáron.
Date 1942
Source http://www.fortepan.hu/_photo/download/fortepan_61683.jpg
Author FOTO:Fortepan — ID 61683: Home pagePictureInformation page
Adományozó/Donor: Szőke Annamária/Anonime. 写真は,Category:1942 events in Budapest: File:Zsákmányolt szovjet gyártmányú T-28 közepes harckocsi az 1942. évi Nemzetközi Vásáron. Fortepan 61683.jpg引用。
写真(右)1942年、ソビエト連邦、独ソ線初期に破壊されたソ連赤軍T-28中戦車:中央の砲塔には45ミリM27/32カノン砲1門あるいは16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲1門を装備していたはずだが、完全に砲塔は吹き飛んでいる。ドイツの同盟国ハンガリー軍が撃破したのかもしれない。 Description
Magyar: Kilőtt szovjet T-28-as harckocsi. Tags: wreck, tank, Soviet brand, second World War, eastern front
Title: Kilőtt szovjet T-28-as harckocsi.
Date 1942
Source http:// www.fortepan.hu/ _photo/download/ fortepan_46809.jpg
Author FOTO:Fortepan — ID 31653: Home pagePictureInformation page.
Adományozó/Donor: Csorba Dániel.
. 写真は,Category:T-28 File:Kilőtt szovjet T-28-as harckocsi. Fortepan 31653.jpg引用。
ソ連赤軍の多砲塔戦車T-28は、ドイツのBMW VI 航空機用V-12液冷ガソリン・エンジンをライセンス国内生産したミクーリンM-17M V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(500 馬力)を搭載した。M-17M V型12気筒4ストローク液冷ガソリンは、ソ連で1930年から1941年まで2万7000台が生産された。ミクーリンM-17エンジンは、元来航空機用だったので、1万9000台がソ連空軍機に搭載され、8000台が戦闘車両には搭載された。
フィンランドは1939年3月にソ連から、領土割譲、軍地基地提供、駐留軍派遣の強硬な要求を受けた。しかし、フィンランド首相アイモ・カールロ・カヤンデル(Aimo Kaarlo Cajander)は、不当なソ連の要求を拒否し、フィンランドの尊厳維持を支持する国民の期待に応えた。しかし、ポーランドの東半分を、ヒトラードイツとの合意の下、保障占領していたスターリンは、バルト三国への圧力を強めており、ソ連の威信を失わせるような領土交換拒否というフィンランドを許さなかった、1939年11月30日、ソビエト連邦はフィンランドに侵攻、「冬戦争」(talvisota)が勃発し、12月1日に就任した新首相リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)の下で戦いうことになった。
1939年11月28日、ソ連はフィンランドと1932年に締結した不可侵条約を破棄し、2日後の11月30日、ソ連赤軍レニングラード方面軍司令官キリル・メレツコフ(Kirill Meretskov)大将隷下の兵力23個師団45万名、火砲1800門、戦車2300輌、飛行機700機がフィンランドを攻撃した。これが、フィンランドの言う冬戦争の始まりであり、対するフィンランド国防軍は、当初12個師団18万名で、総動員によって30万名以上の兵士を確保たものの、火砲700門、戦車20輌、飛行機130機で劣勢であった。カヤンデル首相は親ソ的とされ、1939年12月1日、カヤンデル内閣は総辞職し、後継にリスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)首相が任命され、ソ連と対決することとなった。
写真(上)1940年4月頃、フィンランド、フィンランド軍が対ソ連戦「冬戦争」で鹵獲し使用したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型:中央砲塔16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲1門を26口径76.2ミリ戦車砲L-10に変換し攻撃力を強化した。車体前部の小型銃塔2基には、7.62ミリDT(Degtyaryov:デグチャレフ)1928年型機関銃各1丁を装備。次の写真と同一の戦車のようだ。
English: Russian tank captured by the Finns in Varkaus at the end of the Winter War.
Svenska: En rysk pansarvagn som erövrats av finnarna i slutet av vinterkriget.
Suomi: Vallattu hyökkäysvaunu Varkaudessa sodan päätyttyä.
Date 1940
Source MTV3
Author SA-kuva. SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces Etulinjasta kotirintamalle 1939-1945引用。
写真(右)1939年11月30-1940年3月13日、冬戦争の時期、フィンランド、ソ連赤軍の多砲塔搭載T-28戦車を鹵獲したフィンランド国防軍の兵士たち:Life誌の写真家がフィンランド陸軍戦車について読者に説明するために取材している。 Life-lehden valokuvaaja kuvaa suomalaisten sotasaaliiksi saamaa panssarivaunua
vaaka, mustavalkoinen, kiinnitetty kartongille, jonka koko 34 x 24 cm Subject date
30.11.1939 - 13.3.1940
Organisation
National Board of Antiquities - Musketti Collection
Historian kuvakokoelma
Inventory ID
HK19700410:129 Measurements
11 x 16 cm
Photo info:
30.11.1939 - 13.3.1940 写真は,Museot Finna M012:HK19700410:129引用。
写真(右)1940年4月、フィンランド軍が対ソ連戦「冬戦争」で鹵獲し使用したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型:中央の主砲塔には26口径76.2ミリL-10戦車砲1門を、車体前部の砲塔2基には、7.62ミリDT機関銃各1丁を装備している。1939-1940年のソ連・フィンランド冬戦争の時期にソ連赤軍が使用したT-28戦車を、フィンランド軍が鹵獲し使用したものと思われる。 Description
English: Soviet T-28 tank captured by Finland.
Suomi: Vallattu vih. Hv. Varkaudessa. Varkaus 1940.04.01 Kyseessä keskiraskas T-28 panssarivaunu, joka tunnettiin Suomessa myös nimellä ””postijuna””.
Date 1 April 1940
Source http://sa-kuva.fi/ id: 7827
Author SA-kuva. 写真は,Category:T-28 in Finnish service File:T-28 SA-Kuva-7827.jpg引用。
写真(右)1940年初頭から1944年初頭、フィンランド軍が鹵獲し使用したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型:中央砲塔16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲1門を26口径76.2ミリ戦車砲L-10に変換し攻撃力を強化した。車体前部の小型銃塔2基には、7.62ミリDT1928年型機関銃各1丁を装備している。1939年11月30日から1940年3月13日のフィンランドとの冬戦争あるいは1941年6月末以降のソ連⁼フィンランド継承戦争の時期にソ連赤軍が使用したT-28戦車を、フィンランド軍が鹵獲し使用したものと思われる。次の写真と同一の戦車のようだ。主砲塔の16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲も26口径76.2ミリ戦車砲L-10は、対戦車戦闘用ではない。車体前部の小型銃塔2基には、7.62ミリDT(Degtyaryov:デグチャレフ)1928年型機関銃各1丁を装備しているが、これは接近してくる敵歩兵を掃射するためのものである。 Description
Suomi: Neuvostoliittolainen T-28-panssarivaunu Date before 1945
Source Itsenäisyyden puolustajat, Sodan taisteluja II Weilin-Göös 2005
Author ei tiedossa. 写真は,Category:T-28 in Finnish service File:T 28.jpg引用。
写真(右)1940年4月、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「冬戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型(前半部分):フィンランド国防軍の兵士が戦車を点検している。主砲は26口径76.2ミリ戦車砲L-10で、歩兵支援用である。車体前部の小型銃塔2基には、7.62ミリDT(Degtyaryov:デグチャレフ)1928年型機関銃各1丁を装備し、接近戦の敵歩兵を排除する。 Vallattu hyökkäysvaunu Varkaudessa.
Varkaus 1940.04.01 Kyseessä T-28 panssarivaunu, jonka pääaseena 76,2 mm:n tykki.
SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
フィンランドは、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日、ボリシェヴィキのソ連の侵略を受けて、冬戦争(talvisota)を戦った。フィンランド軍総司令官、カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)元帥は、数的に遥かに勝るソ連赤軍を翻弄したが、スカンジナビア諸国からも、英仏からも軍事援助はなかった。1940年3月12日、フィンランドはソ連の領土要求を受け入れて降伏し冬戦争で敗北し、領土割譲を余儀なくされた。この「冬戦争」の復讐戦が、1941年6月25日にフィンランドがソ連に侵攻した「継承戦争」である。
写真(右)1940年4月、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「冬戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型(前半部分):フィンランド国防軍の兵士が戦車を運転している。主砲は歩兵支援用26口径76.2ミリ戦車砲L-10である。車体前部の操縦席のハッチと銃塔上面のハッチから周囲を見渡すことができる。 Kyseessä keskiraskas T-28 panssarivaunu, joka tunnettiin Suomessa myös nimellä ?postijuna?.
Vallattu hyökkäysvaunu Varkaudessa. Varkaus 1940.04.01
SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
フィンランドは、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日、ソ連の攻撃を受けた。これが冬戦争(talvisota)である。フィンランド軍は、カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)隷下、ソ連赤軍の大兵力相手に善戦したが、ドイツからも、スカンジナビア諸国からも、英仏からも軍事援助はこなかった。孤軍奮闘のため、1940年3月12日、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は、ソ連の領土要求を受け入れて、講和した。フィンランドは、冬戦争に敗北し、領土割譲を余儀なくされた。これは、日露戦争後の三国干渉を臥薪嘗胆した日本と同じ状況である。フィンランドは、ソ連に対する復讐戦争を当然のこととして準備した。
写真(上)1940年4月、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「冬戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型(前半部分):フィンランド国防軍の兵士が戦車を点検している。主砲は26口径76.2ミリ戦車砲L-10で、歩兵支援用である。フィンランド軍は、反ボルシェビキの卍の記章ハカリスティ(Hakaristi)をソ連鹵獲戦車に付けて、部隊配備した。 Korjatulla T-28 sotasaalispanssarivaunulla ajetaan Varkaudessa.
Varkaus 1940.04.01
Korjatulla T-28 sotasaalispanssarivaunulla ajetaan Varkaudessa.
SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
写真(上)1940年4月、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「冬戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型(前半部分):フィンランド国防軍の兵士が戦車を点検している。主砲は26口径76.2ミリ戦車砲L-10で、歩兵支援用である。車体前部の小型銃塔2基には、7.62ミリDT(Degtyaryov:デグチャレフ)1928年型機関銃各1丁を装備し、接近戦の敵歩兵を排除する。 Korjatulla T-28 sotasaalispanssarivaunulla ajetaan Varkaudessa.
Vallattu hyökkäysvaunu Varkaudessa.
Varkaus 1940.04.01 Kyseessä T-28 panssarivaunu, jonka pääaseena 76,2 mm:n tykki.
SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
写真(右)1941年6月以降、ソビエト連邦、撃破されドイツ陸軍第12装甲師団に道路指標を書き込まれたソ連赤軍T-28中戦車M1938年型:胴体後上方に白色ペイントでサインが記入されており、ドイツ軍兵士が車体前にいて記念撮影を受けている。中央の砲塔には26口径76.2ミリL-10戦車砲1門を搭載。車体前部の2基の砲塔には、従来と同じく、7.62ミリDT機関銃1丁を搭載している。 T-28. German troops of the 12. Panzer-Division have painted their insignia on the tank as a road sign for the location of their encampment.
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-28 photo gallery引用。
写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、 独ソ戦「バルバロッサ作戦」開始直後、侵攻したドイツ国防軍兵士が撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型で記念写真を撮影した。カバーが外れているので、懸架の構造が明瞭にわかる。戦利品となったT-28が、搭載していた発動機は、ドイツ製の航空機用発動機BMW VI液冷V型12気筒ガソリンエンジンをライセンス生産したミクーリンM-17M V型12気筒液冷ガソリンエンジン500 馬力だった。ソ連撮影の写真よりも、鹵獲したドイツ軍・フィンラン軍によって撮影された写真のほうが一般に出回っている。当時のソ連軍の戦場写真アーカイブは、日本軍と同じく、まったく整っていない。これは、政府・国民・企業が、戦争情報をどこまで重要と考えているかの差異を反映している。 German troops pose next to a captured and damaged T-28 写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-28 photo gallery引用。
T-28中戦車の車体後方に搭載された発動機は、ドイツのBMW VI 航空機用V-12液冷ガソリン・エンジンをライセンス生産したミクーリン M-17 M V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(500 馬力)である。車体下方側面のトランスミッションは破壊されている。T-28E中戦車は、1939年から1940年に工場に送られて、追加装甲(アップリケ・アーマー)を追加装備した。
ドイツを訪問したフィンランド軍参謀総長へインリクスは, ドイツ軍に対し、1941年6月10日にフィンランドの動員が、6月28日には作戦準備が完了する伝えたがと通告した。他方、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は、 19416月14日に外交委員会を召集し、ドイツとの軍事的協力を承認している。反ボルシェビキの卍ハカリスティ(Hakaristi)がフィンランド軍の国籍マークだった。フィンランドは対ソ連戦の準備万端の中で、日本同様、フィンランドも6月17日、ドイツによる対ソ侵攻が19416月22日に開始されることを暗示された。まさに、対ソ戦争の開始を固唾をのんで見守っていた。
ドイツは「バルバロッサ作戦」を発動、1941年6月22日、ソ連に侵攻した。この時、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は形勢を見るためにも、ドイツと同時にソ連を攻撃することを躊躇した。しかし、フィンランドの独ソ戦中立の表明にもかかわらず、フィンランドの親ドイツの立場は明らかであり、ドイツ軍がフィンランド領内に駐留していることも、ソ連側はスパイ情報によっても明らかに知っていた。フィンランドには、冬戦争で認めたソ連赤軍駐留軍とその同盟国ではあるが内心反目しあっているドイツ軍とがともに駐留していた。
しかし、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は、占領地の拡大は、フィンランドの領土と国境を守るための正当な外延的防御線の移動であり、防衛的な行動であると弁明した。1941年8月21日、フィンランド外務大臣ヴィッティングは、アメリカ公使に対して、フィン ランド政府は,東カレリア地方の占領地拡大は、軍事戦略上、ドイツ軍によるレニングラード占領に重なるものであること、その時に、フィンランドは,ソ連と単独和平をすることはなく,1918年から1921年にかけてのロシア革命と反革命の時代と同じように、武装平和を維持する必要があること、を説いた。換言すれば、ドイツが対ソ戦争で、ポリシェヴイズムに勝利を収めれば、ソビエト連邦が崩壊し、共産主義ボリシェビキも壊滅させられるのであって、この将来構想を前提に、フィンランドの独立は、確固たる基盤を持つに至ると予言したのである。
たしかに、1941年夏の継続戦争勃発当時、アメリカの軍事指導者の多くもソ連に侵攻したドイツ軍の進撃速度、100万をこえる捕虜の獲得、ソ連軍の壊滅的損害に目を奪われ、ソ連の崩壊は間近であると予測していたのであるから、フィンランドが同様に継続戦争に勝利するまで、戦争を闘い続けることは、十分予測できたのである。楽観視していたフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は、対ソ連戦争勝利の後に、イギリス、その後参戦したアメリカと講和すればよいと考えており,ソ連との戦争途中の休戦や講和は問題外であるとし、強気の姿勢で外交に臨んでいたのである。
当時のフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti), 首相ランゲル(J. W. Rangell),外相ヴイツティング(R.J. Witting)は、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻を歓迎したようだ。1943年にリュティ大統領の下で首相に就任したリユノコミエスは,回顧録の中で,独ソ戦争の第一報を受けた6月22日について、次のように述べている。「その時すぐに私は,フィンランドが戦争の埒外に留まることはない, と結論した。----私にとって、この成行きを拒否する態度はありえなかった。ドイツが比較的短期間にソ連を打ちのめし,それに伴って,あらゆる権利を踏みにじり、フィンランドから暴力でもぎ取ったカレリアを奪回する機会がフィンランドに訪れるのは礎実と思われた。」
写真(右)1941年9月8日、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「継承戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28E中戦車1939/1940年型(26口径76.2ミリ戦車砲L-10搭載):フィンランド国防軍は、自国で戦車を製造できなかったので、ソ連から鹵獲した戦車に、反ボルシェビキの卍ハカリスティ(Hakaristi)を付けて使用した。 Kolme päivää sitten ryssiltä vallattu 33 tonnin hyökkäysvaunu matkalla tulittamaan entisiä isäntiään.
Nuosjärvi 1941.09.08
Kolme päivää sitten ryssiltä vallattu 33 tonnin hyökkäysvaunu matkalla tulittamaan entisiä isäntiään. Kuvan panssarivaunu on T-28.
SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
写真(上)1941年9月8日、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「継承戦争」時に鹵獲し部隊配属したソ連赤軍T-28E中戦車1939/1940年型(横方向より撮影):反ボルシェビキの卍のフィンランド軍記章ハカリスティ(Hakaristi)を大きく描いている。これは、ナチ党と関係ないという英語・日本語の開設は、当時のフィンランドの反共産主義を強さを認識できていないようだ。フィンランド独立時の内戦では、反共の白衛軍(青衛軍)がロシアのボリシェビキと連携したフィンランド赤軍の武力闘争を鎮圧したのは、1920年代で、当時の記憶は生々しいものだった。 Kolme päivää sitten ryssiltä vallattu 33 tonnin hyökkäysvaunu matkalla tulittamaan entisiä isäntiään.
Nuosjärvi 1941.09.08 Kolme päivää sitten ryssiltä vallattu 33 tonnin hyökkäysvaunu matkalla tulittamaan entisiä isäntiään.SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
ソ連赤軍のT-28中戦車は、車体後方にドイツBMW VI 航空機用V-12液冷ガソリン・エンジンをライセンス生産したミクーリンM-17M V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(500 馬力)を搭載していた。M-17M V型12気筒4ストローク液冷ガソリンは、ソ連で1930年から1941年まで2万7000台が生産された。ミクーリンM-17M液冷ガソリンエンジンは、本来航空機用だったので、ソ連空軍機に1万9000台が搭載され、戦闘車両には8000台が搭載された。
写真(上)1941年10月18日、フィンランド、フィンランド軍が撃破したソ連赤軍T-28E中戦車1939/1940年型:反共産主義カギ十字ハカリスティ(Hakaristi)はフィンランド国軍の国籍記章で、ナチ党支配下ドイツと同盟して、対ソビエト連邦「継承戦争」を始めた。そして、冬戦争の失地を回復し、さらに領土を拡張しようと侵攻をつづけた。 53 tonnin hyökkäysvaunu, joka oli ajanut omaan miinaan Äänislinnan esikaupungissa.
Äänislinna 1941.10.18
Kuvassa T-28 panssarivaunu.
.SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
フィンランド軍の使用したT-28中戦車:Russian T-28 Medium Tank 2020/8/22末15,692 回視聴(•2011/03/13掲載)
写真(右)1941年12月6日、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「継承戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28E中戦車1939/1940年型:反共産主義卍十字のフィンランド軍記章ハカリスティ(Hakaristi)は、ナチ党と同じ形状なので、継承戦争後には廃止された。これは、ドイツとの同盟関係から、ドイツとの戦争状態に寝返ったからである。 Raskaita hyökkäysvaunujamme Karhumäessä.
Karhumäki 1941.12.06
Sotilaiden takana on T-28 panssarivaunu.
JR 25 Karhumäen pohjoiskaistalla, Karhumäki ja Poventsa.
Sot.virk. Hans O. Lindh
SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は,レニングラードへの積極的な攻撃は、フィンランド国民からの支持を得られるとは考えておらず、なによりドイツ軍が独力でレニングラードを陥落させ、フィンランドはソ連崩壊の利益を享受できると予測していた。そこで、マンネルへイム元帥も、その意向を組んで、1941年8月28日、フィンランド軍によるレニングラード(Leningrad)攻撃は実施できないことをドイツ側に伝えた。しかし、このことは、フィンランド軍をカレリア地峡に展開し、間接的にレニングラード包囲網を構築することを放棄したものではない。
写真(右)1941年12月7日、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「継承戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28E中戦車1939/1940年型:
Iso leveä katu, jonka varrella pieniä rakennuksia on Leninin katu. Karhumäen katutaisteluista. Hyökkäysvaunun ohjaaja V. Heino. Kuva otettu 7.12.1941 -37 -40° pakkasessa.
JR 25 Karhumäen pohjoiskaistalla, Karhumäki ja Poventsa. 1941.12.07
Sotilaiden takana on T-28 panssarivaunu.
JR 25 Karhumäen pohjoiskaistalla, Karhumäki ja Poventsa.
Tauno Norjavirta
SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
写真(右)1941年12月15日、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「継承戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28E中戦車1939/1940年型:主砲の26口径76.2ミリ戦車砲L-10は取り外されているが、この装着部分を、車体に乗ったフィンランド国軍兵士が検分している。車体前部の小型銃塔2基の7.62ミリDT機関銃各1丁も外されている。ソ連戦車兵は、火砲・機関銃を取り外して持ち帰ったのか。 Äänislinnaan vievällä tiellä on ``sotamuistomerkit´´ peittyneet lumella. Äänislinna 1941.12.15 Kuvassa panssarivaunu T-28. josta on poistettu aseistus.
Äänislinnaan vievällä tiellä on ``sotamuistomerkit´´ SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
写真(右)1941年12月15日、フィンランド、フィンランド軍兵士が対ソビエト連邦「継承戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28E中戦車1939/1940年型を検分している。:主砲の26口径76.2ミリ戦車砲L-10は取り外されている。車体前部の小型銃塔2基の7.62ミリDT機関銃各1丁も外されている。ソ連戦車兵は、火砲・機関銃を取り外して持ち帰ったのか。 Äänislinnaan vievällä tiellä on ``sotamuistomerkit´´ peittyneet lumella.
Äänislinna 1941.12.15
Kuvassa panssarivaunu T-28. josta on poistettu aseistus.
Äänislinnaan vievällä tiellä on ``sotamuistomerkit´SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
写真(右)1944年1月、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「継承戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28E中戦車1939/1940年型(斜め後方より撮影):後方の建物の屋根にはもはや雪はほとんど残っていないので、雪解け時期と思われる。主砲塔の26口径76.2ミリ戦車砲L-10は、対戦車戦闘用ではない。車体前部の小型銃塔2基の7.62ミリDT機関銃と同じく、歩兵支援用だった。砲塔側面、車体前面に反共産主義の卍ハカリスティ(Hakaristi)をフィンランド軍の国籍記章として描いている。
Yksikkö 9438 (E/Ps.Koul.K). Everstiluutnantti K.
Kuvan panssarivaunu on T-28.
Yksikkö 9438 (E/Ps.Koul.K). Everstiluutnantti K. J. Haatajan pyynnöstä kuvattu sotasaalis ps-vaunuja. Opetuskuvia lähitorjuntaa varten.
Äänislinna 1944.01.30
SA-kuva. 写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。
写真(右)2013年5月、フィンランド、ヘルシンキ北100キロ、パロラ戦車博物館(Parola Tank Museum)に保管展示されているフィンランド軍の鹵獲したソ連赤軍T-28中戦車初期型:主砲は、45ミリM1932カノン砲なので、これは初期型である。後に1938年になってから、主砲は、短砲身とはいえ大口径で破壊力のある16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲に換装された。1939-1940年のソ連・フィンランド冬戦争において、ソ連軍が使用したT-28戦車を、フィンランド軍が鹵獲した。 English: A T-28 tank in the Karkialampi barracks area in Mikkeli, Finland.
Suomi: T-28-panssarivaunu Mikkelissä Karkialammen varuskunta-alueen Panssarikumpareella. Date 31 May 2013
Source Own work Author Methem (Mikko J. Putkonen) 写真は,Category:T-28 in the Karkialampi barracks File:T-28 tank in Mikkeli 20130531 001.jpg引用。
Испытание танка Т-28 в реставрационной мастерской Арьергард / Test T-28 tank in the workshop: It may not be entirely original components, but it's the only functional T-28 in the world. Instead of the old M-17 gasoline engine, this tank uses a modern YaMZ diesel engine.
写真(右)2017年8月、ロシア連邦、モスクワ、中央軍事博物館(Central Armed Forces Museum, Moscow )に保管展示されている短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲装備のT-28中戦車M1934年型/多砲塔戦車: Soviet WW2 era Multi-turreted medium Tank Manufacturer:- Kirov Factory, Leningrad Built:- 1932 to 1941 Total Production:- 503 Main Armament:- 76.2mm KT-28 Howitzer A similar design to the single British Vickers A1E1 Independent tank built in 1926, the T-28 was originally designed as an infantry support tank to complement the heavier T-35, which was also multi-turreted. The T-28 was not a great success in combat, however, but did prove useful as a development project. Many solutions that were tested on the T-28 became part of later tank designs. On display at the Central Armed Forces Museum, Moscow, Russia.
26th August 2017
Date 26 August 2017, 14:42
Source T-28 - Central Armed Forces Museum, Moscow
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真は,Category:T-28 in the Moscow Central Armed Forces Museum File:T-28 - Central Armed Forces Museum, Moscow (38829241592).jpg引用。
Labels: modern, T-28 Поисковый Клуб Арьергард
Подъем корпуса танка Т-28 для дальнейшей реставрации в мастерской Арьергард
ソ連赤軍BT-7快速戦車M1935型の諸元 全長5.56 m 、全幅2.29 m 、全高2.42 m 重量13.8 t 主砲 45ミリ20K戦車砲M1934 乗員 3名 発動機ミルーキンM-17T V型12気筒水冷ガソリンエンジン(450馬力) 最高速力 路上装軌52 km/h、路上装輪72 km/h
写真(右)2013年5月、フィンランド、ヘルシンキ北100キロ、パロラ戦車博物館(Parola Tank Museum)に保管展示されているフィンランド軍の鹵獲したソ連赤軍T-28E中戦車1939/1940年型(後方):中央の砲塔には16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲を1門搭載、砲塔の後部背面にも7.62ミリ機関銃1丁を搭載する。車体後方背面には、ドイツ製の航空機用発動機BMW VI液冷V型12気筒ガソリンエンジンをライセンス生産したミクーリンM-17M V型12気筒液冷ガソリンエンジン(500馬力/372kW)が搭載されているために、冷却換気用の開閉式スリットが設けられている。開放して、V型12気筒M-17Lガソリンエンジンの換装にも使用される。写真の展示している車両には、機関銃は未装備で、銃身を出す銃口のみ開いている。反ボルシェビキの卍のフィンランド軍記章ハカリスティ(Hakaristi)は、継承戦争敗北後に廃止されたために、この鹵獲戦車からも消去されている。 Description
Soviet T-28 tank, displayed in Finnish Tank Museum (Panssarimuseo) in Parola. Photo taken on July 14, 2006. Source: Photo by me, User:Balcer.
Date 14 July 2006 (according to Exif data)
Source Own work Author Balcer~commonswiki
写真は,Category:T-28 in the Parola Tank Museum File:T28 parola 3.jpg引用。
Soviet Tank T-28 (Red Army) The T-28 was the first Soviet medium tank to enter mass production. Designed between 1931 -- 1932. It's principal battlefield role was to support infantry and other ground troops against enemy strong points. The armament was housed in three turrets, following the then prevailing views amongst tank designers of the time, which favored the multi-turret concept. The main turret was armed with the KT-28 (76.2 mm) gun, which was specifically designed for this tank to devastate enemy strong points and armor. The two remaining small turrets were each armed with a DT (7.62 mm) machine-gun which was used mainly against infantry and light-armor.
The production line was located in the Kirov factory, Leningrad and the tank was produced in several series from 1938 onwards. The new L-10 (76.2 mm) long barrel gun became the standard armament later. All in all, a total of 503 tanks were built between 1938 -- 1940.
写真(上)2017年8月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35A重戦車:ドイツ軍の戦車よりも,重装甲,強力な76.2ミリ短砲身榴弾砲1門装備の大型砲塔1基,長砲身45ミリK20戦車砲1門装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃1丁装備の小型砲塔2基を装備していた。重装甲とは言えないが、当時としては防御力は平均以上あり、ドイツ戦車と同等以上の装甲があった。他方、発展型の重戦車KV-1の砲塔装甲は前面90mm、側面75mm、後に砲塔は全周120mmに強化ている。
Designer:- OKMO Tank Design Bureau Manufacturer:- KhPZ Built:- 1933-1938 In service:- 1935-1941 Total production:- 61 Main armament:- 76.2mm gun model 27/32. The T-35 was the only five-turreted heavy tank ever to reach production, but was expensive, slow and mechanically unreliable. Already obsolete by 1941, they did see action during Operation Barbarossa, with the last recorded action being during the early stages of the Battle of Moscow. This is the only remaining example and survives because it was one four used for training and therefore never saw frontline service. On display in what is best known as Hall1 of the Kubinka Tank Museum, although its official title is now Pavilion 1 in Area 2 of the Park Patriot museum. Kubinka, Moscow Oblast, Russia. 24th August 2017. Date 24 August 2017, 12:22
Source T-35A Heavy Tank Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK 写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum: File:T-35 in the Kubinka Museum.jpg引用。
写真(右)1939年6月,ソ連赤軍T-100重戦車の試作車:T-35重戦車の後継戦車T-35は、同時に開発されたSMK重戦車試作車と比較された。しかし、ともにKV-1重戦車と比較すると、機動性に劣っており、防御性能にも問題があったためか、量産には至らなかった。
English: T-100 prototype multiturret heavy tank Date 1 June 1939
Source https:// www.yaplakal.com/ forum2/ topic1360058.html Author Unknown USSR personnel
写真(上)1939年12月,ソ連赤軍SMK (セルゲイ・ミロノヴィッチ・キーロフ) 重戦車の試作車:T-35重戦車の後継戦車SMKは、1939年のソ連・フィンランド冬戦争に実戦投入されたが、防御力・攻撃力は実証されたものの、雪原での機動性が制約された。しかし、試作重戦車を鹵獲されたら、司令官としては粛清対象になる。ソ連赤軍は、再攻勢をかけて、行動不能になっていたSMKを回収した。 English: photography profile smk Français : photographie de profil du smk Date 1939/12/xx
Source http://ww2armor.jexiste.fr/Files/Allies/Allies/1-Vehicles/USSR/4-HeavyTanks/SMK/SMK.htm
Author ussr 写真は,wikipedia-commons File:SMK, August 1939.jpg引用。
写真(右)1939年8月,ソ連赤軍SMK (セルゲイ・ミロノヴィッチ・キーロフ) 重戦車の試作車:T-35重戦車の後継戦車SMKは、同時に開発されたT-100重戦車試作車と比較されたが、機動性に劣っていたこと、KV-1重戦車の優位性のために、量産には至らなかった。
SMK (Sergei Mironovich Kirov) heavy tank, August 1939
Русский: Тяжелый танк СМК (Сергей Миронович Киров). Август 1939 г.
Date August 1939 Source Тяжелый танк СМК in Энциклопедия бронетехники РККА Author Unknown author 写真は,wikipedia-commons File:SMK, August 1939.jpg引用。