◆ソ連赤軍のT-34戦車:T-26,T-70,KB-1,KB-2 - тяжёлый танк 1942年夏,ロシア中部で撃破されたソ連軍の新鋭T-34戦車;ドイツ軍の戦車よりも,重装甲,強力な76.2ミリ長砲身カノン砲装備,大出力エンジンを搭載した機動性の高い戦車だった。T-34戦車は,1942年には大量投入されており,ドイツ軍がT-34に対抗できるティガー戦車を独ソ戦に実線投入したのは,1942年暮れ以降だった。それまで,ドイツ軍戦車は,T-34戦車を撃破することは困難だった。 Abgeschossene sowjet. Panzer
Archive title: Mittlerer russischer Panzer T-34
Dating: 1942 Sommer
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ Bundesarchiv写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しています。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
写真(上)2017年、ロシア共和国、モスクワ大祖国戦争博物館(Moscow Museum of the Great Patriotic War)に保管・展示されているソ連赤軍のT-34/76戦車(1941年型);当初の1940年型は、30.5口径76.2ミリ戦車砲L-11を搭載していたが、1941年型は41.6口径76.2ミリ戦車砲F-34に火力を強化している。
The turret inscription translates as “From the workers of Kazakhstan” On display in ‘Victory Park’, Museum of the Great Patriotic War, Poklonnaya Hill, Moscow, Russia.
26th August 2017
Date 26 August 2017, 12:45
Source T-34/76 Model 1941 ‘112’ “от рабочих казахстана” – Victory Park, Moscow
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はwikipedia-commons、Category:T-34-85 Model 1944 in the Bovington Tank Museum File:T-34-76 Model 1941 ‘112’ “от рабочих казахстана” – Victory Park, Moscow (37797245455).jpg引用。
写真(右)1942年8月,ソ連中部,降伏したソ連軍T-26軽戦車と搭乗員:Sowjetunion-Mitte.- russischer Panzersoldat in leichtem Panzer T-26 B ergibt sich mit erhobenen Händen in Kriegs-gefangenschaft; PK 697
Dating: August 1941
Photographer: Friedrich 撮影。 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。
BT-7快速戦車の諸元: 全長5.56 m、全幅2.29 m、全高2.42 m 重量13.8 t、クリスティー式懸架 最高速度52 km/h(路上)、航続距離350 km 兵装:45 mm M1934 (携行砲弾数188発)、7.62 mm DT機銃2丁(銃弾2394発)搭載 砲塔前面15 mmと軽装甲
写真(右)1941年6月,ソ連北部,ラトビア、リガ?、バルバロッサ作戦当初、ドイツ軍に破壊されたソ連赤軍BT-7快速戦車:手前のドイツ兵が射殺したソ連兵士を検分している。BTシリーズの最終型BT-7快速戦車は、1935年から生産開始、1940年までに4600輌が量産された。
全長5.56 m、全幅2.29 m、全高2.42 m、重量13.8 t、クリスティー式懸架、最高速度52 km/h(路上)、航続距離350 km。45 mm M1934 (携行砲弾数188発)、7.62 mm DT機銃2丁(銃弾2394発)搭載。砲塔前面15 mmと軽装甲。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-771-0356-01
Archive title: Sowjetunion, Lettland, [Riga?].- Zerstörter sowjetischer Panzer auf einer Brücke; PK Staffel Nord
Dating: 1941 Sommer
Photographer: Reichelt撮影。 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1942年夏,ドイツ軍東部戦線、ハリコフ北300キロ、ヴォロネジ西300キロのクルスク、撃破されたソ連軍KW-1重戦車の前を進むドイツ軍の歩兵部隊:砲塔のハッチから薄く硝煙が立ち上っている。 ソ連軍のKV-1(KB-1)重戦車の"KV"とは、当時のソ連共産党国防委員(資本主義国の国防大臣に相当)だったクリメント・ヴォロシーロフ(Климент Ворошилов)の名を冠したもので、英語表記はKV、ドイツ語表記はKWである。1939年の第二次世界大戦勃発前に開発され、第二次世界大戦初期から中期にかけてソ連軍に配備された。重装甲で3インチ76.2ミリ戦車砲を装備しており、出現当時、世界唯一の量産された45トン級の重戦車だった。
Archive title: Sowjetunion, Kursk.- Deutsche Infanterie auf dem Vormarsch, an einem abgeschossenen / brennenden sowjetischen Panzer KW-1 vorbeigehend; PK 670
Dating: 1942 Sommer
Photographer: Koch
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・wikipedia-commons;Bundesarchiv Bild 101I-078-3080-38引用(他引用不許可)。
ソ連軍KV-1重戦車の諸元
全長(砲身を含む)
6.89 m、車体長
6.75 m
全幅
3.32 m 全高
2.71 m
重量
45 t 懸架方式
トーションバー式 最高速力:35 km/h(整地)/17 km/h(不整地) 航続距離
335 km 兵装
41.5口径76.2ミリZIS-5戦車砲(携行砲弾数98発)
7.62ミリ車載機銃DT3丁(携行弾数3024発)
ソ連軍KV-1重戦車の装甲
防盾90 mm 砲塔前面75 mm 砲塔側面・後面75 mm、上面40 mm
車体前面75mm、前面傾斜40 mm
車体側面・後面75 mm 車体上・底面30-40 mm 発動機:12気筒液冷ディーゼルV-2K(550 馬力)
乗員:5 名
車長兼装填手・砲手・操縦手・
補助操縦手兼整備手・
通信手兼前方機銃手
KB-2重戦車の諸元
重量:52トン、乗員:6名
全長:6.95 m 、全幅: 3.32 m、全高3.25 m
装甲:60-110 mm
兵装:152mm榴弾砲M-10T(152 mm M1937
車載機銃 2丁×DT7,62mm-DP28軽機関銃(発射速度:500-600発/分、初速:840m/s、有効射程:800m、収容銃弾数2,079発)
エンジン:V2-K-12気筒ディーゼル550 hp
航続距離:140 km(整地)
最高時速:28 km/h (路上)
写真(右)1941年6-7月,対ソ連東部戦線、ロシア北部で撃破されたソ連軍KW-2重戦車:ソ連軍のKB-2(ドイツはKW-2,英国はKV-2と表記)重戦車は,全長 6.95メートル,全幅 3.32メートル,全高 3.24メートル,重量 52トン。 速度 34 キロ/時(整地)・15キロ(不整地),航続距離 180キロ,兵装 20口径152mm榴弾砲M10(弾数36発),1939年制式,弾頭50キロ,最大射程12000メートル。7.62ミリ機銃3丁,エンジン550馬力。乗員 6人。 Sowjetunion-Nord.- Defekter russischer Panzer KW-2 am Straßenrand wird von deutschen Soldaten untersucht; PK 694
Dating: 1941 Juni - Juli
Photographer: Nägele
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。
KB-2重戦車の搭載した20口径152mm榴弾砲M-10T(152 mm howitzer M1938 (M-10))は、第一次世界大戦のフランスのシュナイダー社の榴弾砲を原型としたM1909 152mm榴弾砲である。この改良型が152mm榴弾砲M-10Tである。1922年にラパッロ条約は、ソ連とヒトラー前のワイマール共和国のドイツと軍事協力の密約があった。ソ連は、ドイツ軍に兵器試作テスト場所や演習場を提供するかわりに、ドイツの軍事技術を伝えられた。そして、1930年代後半には、歩兵や砲兵の機械化、自動車化を進め、野砲の高速牽引が可能なように砲架の補強、ゴム車輪の採用が進んだ。152mm榴弾砲M-10T(152 mm howitzer M1938 (M-10))は、1937年に開発され、1939年に制式になった。
写真(右)1942年夏,対ソ連東部戦線、撃破されたソ連赤軍T-34/76戦車:この写真は、上に掲載した写真の「裏焼き」のため、車載機銃が車体左側に、車体前部運転手ハッチが右側と左右逆になってしまった。同一写真なのに色調も異なっており、実際の戦車の塗装・色彩がどのようなものか、当時のカラー写真から判断するのは容易ではない。
Original title: info Sowj. Panzer wurden beim Ausladen von der Bahn überrascht, Sommer 1942, an der Strecke Woroschilowka-Stalingrad, 6. Armee
Archive title: Bahnstrecke Woroschilowka-Stalingrad.- zerstörte sowjetische Panzer T-34
Dating: 1942 Sommer
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・wikipedia-commons;Bild 169-0894 引用(他引用不許可)。
写真(右)1942年10月,対ソ連東部戦線、撃破されたソ連軍T-34/76中戦車:ドイツ連邦アーカイブには,撃破された全く同じT-34のカラー写真が2台分6枚も保管されている。長砲身76.2ミリ砲を装備した頑丈なソ連軍戦車に感歎して撮影したようだ。T-34戦車に対抗できるドイツ軍戦車は,1942年夏はなかった。その後まもなく,ティーガーVI号戦車が実線投入されたが,数的不利は続いた。 他方、ティーガー重戦車は,1942年8月から1944年8月まで,僅か1300台しか生産されていない。 Abgeschossene sowjet. Panzer
Archive title: Mittlerer russischer Panzer T-34
Dating: 1942 Sommer
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
第二次大戦前から、ドイツ陸軍ハインツ・グデーリアン(Heinz Wilhelm Guderian)将軍は、攻撃速度を重視し、戦車の進撃速度に合わせた速攻をもって、敵陣に浸透、退路を断って包囲する戦術を提言していた。これが、後に「電撃戦:ブリッツ・クリーク(Blitzkrieg)」と称される戦術で、航空機と機械化部隊を組み合わせた立体攻撃にも繋がるようになる。
写真(右)1942年10月,対ソ連東部戦線、スターリングラード攻防戦でドイツ軍に撃破されたソ連軍T-34/76戦車:Zeugen schwerster Kämpfe in Stalingrad
Die Straßen von Stalingrad scheinen völlig ausgestorben. Zerschossene Panzer und Ruinen kennzeichnen das Bild. Doch hinter den Mauerresten hält sich der Feind verborgen, um in heimtückischer Kampfesweise immer wieder erneut herauszubrechen.
PK-Aufnahme: Kriegsberichter Herber (Sch)
8.10.42 [Herausgabedatum]
Archive title: Sowjetunion.- Schlacht um Stalingrad.- Abgeschossener sowjetischer Panzer T-34
Dating: Oktober 1942
Photographer: Herber撮影。写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他所引用不許可)。
写真(右)1942年夏,対ソ連東部戦線、ドン=スターリングラード方面で撃破されたソ連赤軍T-34戦車とドイツ国防軍歩兵の迫撃砲(右下):後方の路上には装甲車Sd.Kfz. 250が走り,路肩には撃破されたソ連軍T-34中戦車が傾いている。 Sowjetunion, Süd.- Don/Stalingrad.- deutsche Infanteristen in Graben oder Trichter mit Granatwerfer neben zerstörtem sowjetischen Panzer, dahinter leichter Schützenpanzer (Sd.Kfz. 250); PK 694
Dating: 1942 Sommer
Photographer: Thiede撮影。
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1943年6月,ドイツ、軍需大臣アルベルト・シュペールがソ連赤軍から鹵獲した新型の85ミリ戦車砲を搭載したT-34-76戦車を検分している。 Original title: info Der Reichsminister für Bewaffnung und Munition [Albert] Speer bei der Besichtigung eines sowjetischen Panzers vom Muster T 34.
Achtung PK-Aufnahme!
Bei Abdruck nennen: OT Kriegsberichter Kobierowski (Sch) 25.6.1943
Zur Beachtung!
Dieses Bild darf erst ab 28. Juni 1943 und nur in Verbindung mit den Textveröffentlichungen über Feindpanzer gebracht werden.
Dating: Juni 1943
Photographer: Kobierowski, Willi撮影。
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・wikipedia-commons;Bundesarchiv Bild 183-J14589引用(他引用不許可)。
ベルトルト・アルベルト・シュペーア(Berthold Albert Speer:1905年3月19日 - 1981年9月1日)は、ミュンヘンのビアホールにおけるアドルフ・ヒトラー演説に共鳴し、その後、ヒトラー政権獲得後にゲッベルス大臣の率いる国民啓蒙宣伝省の近代化工事を担当し、その活躍から有名になった。そして、ヒトラーにも気に入られて、ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)やヒトラーの建築物を次々に改修・建築するようになった。1937年にはベルリンを世界の首都とする壮大な改造計画を任された。第二次大戦中の1942年2月に兵器弾薬大臣フリッツ・トート博士が飛行機事故で死亡すると、その後任として軍需大臣として活躍した。飛行機、戦車、Uボートの新型兵器の導入を率先して実行し、奴隷労働者を大量投入して飛行爆弾V-1,弾道ミサイルV-2の量産も行った。ドイツ敗戦後のニュルンベルク戦犯裁判で有罪となり、懲役20年の判決を受けた。1966年10月1日に釈放。
フィンランド大使館「最近の出来事・お知らせ, 2012/06/07:フィンランド国防軍の記念日を祝って」によれば、「フィンランドでは、第二次世界大戦時の戦死者や犠牲者を追悼するために、カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)元帥の誕生日をフラッグ・デーと定め、軍事パレードが行われている。マンネルヘイム元帥は、冬戦争や第二次世界大戦時にフィンランド国防軍総司令官、戦後に第6代大統領を務めた。70回目となる今年のパレードは、フィンランドの首都ヘルシンキで開催された」とある。フィンランドがソビエト連邦に侵攻して、第二次大戦を始めたこと、ソ連と講和して、ドイツとの同盟を破棄して、攻撃したことについて、触れていない。重要なのは、フィンランドは、フィンランド国防軍総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)元帥の下、ソ連への侵略戦争を始めたのではなく、「国土防衛」「民主主義」「自由」を貫いたということか。
写真(右)1943年11月5日,グロスドイチュラント"Großdeutschland"擲弾兵師団がソ連赤軍T-34戦車に見立てた模造戦車を使った演習:車体側面に破壊爆弾を装着する訓練のようだが、効果を上げるために模擬戦車は発煙筒を利用した煙が上がっている。
Original title: info Scherl Bilderdienst
Ausbildung bei der Panzergrenadier-Division "Großdeutschland", die sich überwiegend aus Freiwilligen aus allen Gauen des Reiches zusammensetzt und die im Verlaufe dieses Krieges unsterblichen Ruhm an ihre Fahnen geheftet hat. Besonders sorgfältig und vielseitig ist die Ausbildung des Ersatzes für diese Kerntruppe, die bei der Ersatzbrigade "Großdeutschland", dem Heimattruppenteil der ruhmreichen Division, erfolgt.
UBz.: Panzer-Nahbekämpfung am fahrenden Modell. Ganz systematisch folgt der Ausbildung am stehenden Modell das Üben am fahrenden. Die Sprengladung wird am durch Nebelhandgranaten geblendeten Panzer-Modell angebracht
Foto: Schwahn 5.11.43
5558-43
Archive title: Deutschland, Ausbildung bei der Ersatzbrigade der Panzergrenadier-Division
"Großdeutschland", Panzerbekämpfung
Dating: 5. November 1943
Photographer: Schwahn, Ernst
Agency: Scherl
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・wikipedia-commons;Bild 183-J08362引用(他引用不許可)。
IV号戦車Panzer IV (Sd. Kfz. 161)がはじめに装備した火砲は,短砲身24口径7.5cm砲(7.5cm KwK 37 L/24)だったが,これでは,火力支援はできても,対戦車戦闘能力は低かった。24口径7.5cm砲の貫通力は,500メートルで39ミリ,1000メートルで30ミリと,敵戦車の正面装甲貫通は困難だったためである。
写真(右)1944年11月9日,対ソ戦、東プロシア、橋梁が崩れて転落したソ連赤軍T-34/85戦車のドイツ陸軍による回収作業:上記の写真では横転していたT-34戦車が半回転させられて、キャタピラーが地面に接するようになった。ソ連赤軍のT-34戦車を鹵獲し、ドイツ軍戦車として使用するために回収作業を実施している。
Original title: info Bei Nemmersdorf nach dem Rückzug der Sowjets.
Dieser sowjetische Panzer fiel dem überhasteten Rückzug seiner eigenen Truppen bei Nemmersdorf zum Opfer. Die Sowjets hatten übereilt die Brücke über die Angerapp in die Luft gesprengt, und der Panzer, dessen Besatzung von der Sprengung nicht in Kenntnis gesetzt war, stürzte in der Dunkelheit ab.
PK-Kriegsberichte Brütting, Scherl, 9.11.44 [Herausgabedatum]
ADN-ZB/Archiv
II.Weltkrieg 1939-45, Kämpfe in Ostpreußen, Oktober 1944. Von einer Brückeüber die Angerapp bei Nemmersdorf stürzte während der Dunkelheit ein sowjetischer Panzer ab.
Archive title: Bei Nemmersdorf.- Abgestürzter sowjetischer Panzer T-34/85
Dating: Oktober 1944
Photographer: Brütting
Agency: Scherl
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・wikipedia-commons;Bundesarchiv Bild 183-J28092引用(他引用不許可)。
写真(右)1945
年5月3日、ソ連赤軍のT-34/85戦車の前で握手するソ連赤軍兵士とイギリス陸軍第6空挺師団の兵士たち:東西両連合軍がバルト海沿岸、ヴィスマールで出会った。
THE BRITISH ARMY IN NORTH-WEST EUROPE 1944-45, Catalogue number: BU 5230,
Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION,
Subject period: Second World War,
Alternative Namesobject category: Black and white, Creator:
No 5 Army Film & Photographic Unit
Oakes (Sgt),
Object description: Men of 6th Airborne Division greet the crew of a Russian T-34/85 tank during the link-up of British and Soviet forces near Wismar on the Baltic coast, 3 May 1945.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (Art.IWM PST 6138)
写真(右)1941年、ソ連軍の多砲塔T-35重戦車とともにドイツ軍を壊滅することを訴えるソ連の戦意高揚ポスター:T-35重戦車は重量45トン、主砲塔に16.5口径76.2 mm戦車砲を、副砲塔2基に42口径45 mm戦車砲各1門、合計2門を装備している。
Catalogue number: Art.IWM PST 4708,
Production date: 1941, Place made: Russia ,
Subject period: Second World War,
Materialsmedium: lithograph,
support: paper,
DimensionsSupport: Support: Height 598 mm、Support: Width 877 mm,
Alternative Namesobject category: Poster,
Creator: Kukryniksic Group (artist)
Moscow-Leningrad Iskusstvo (printer)
Moscow-Leningrad Iskusstvo (publisher/sponsor),
Object description: whole: The image fills the whole design with text in red incorporated in the bottom left corner. image: Russian historical leaders, depicted in red, line up above Second World War Red Army troops and tanks to defend their country. text:
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (BU 5230)
写真(右)1945
年、ソ連軍のT-34戦車を量産しドイツ軍を壊滅することを訴えるソ連の戦意高揚ポスター: Catalogue number: Art.IWM PST 6138,
Production date: 1945, Place made: Russia ,
Subject period: Second World War,
Materialsmedium: lithograph,
support: paper,
DimensionsSupport: Height 495 mm,,Support: Width 893 mm,
Alternative Namesobject category: Poster,
Creator: Gordon, M A & Orekhov, L H & Petrov, A G (artist),
Moscow-Leningrad Iskusstvo (printer),
Moscow-Leningrad Iskusstvo (publisher/sponsor),
Categoryposters ),
Object description: whole: The image fills the majority of the design, with text in white incorporated within it at the top. Text in red is positioned below the image, set against a white background. image: In the foreground a female tank worker holds a bouquet of flowers and rests her hand on the gun barrel of a completed Soviet T-34 tank. In the background workers construct two other T-34 tanks. text: [cyrillic Russian].
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (BU 5230)
写真(右)1953年6月17日、東ベルリンに向かうソ連赤軍のT-34/85戦車:ヨシフ・スターリンが1953年6月16日に死亡すると、共産主義体制が破壊されて統制が緩むと期待した東ベルリン市民の自由を求める抵抗運動がおこった。それは、東ドイツの共産主義政府からみて暴動であり、ソ連赤軍の介入を要請し、6月17日に収束した。写真は、東ベルリンで発生した民衆暴動に鎮圧に向かうT-34/85中戦車。
17. Juni 1953
Aufstand im Sowjet-Sektor von Berlin
Nach dem Tode Stalins griff der Wille zur Selbstbestimmung über das staatliche und persönliche Leben und über die Freiheit der Persönlichkeit auf die Menschen des gesamten sowjetzonalen Sektors Deutschlands über. Die Bevölkerung im Sowjetsektor Berlins glaubte die Stunde der Freiheit sei für sie gekommen. Man ging auf die Straßen und proklamierte das Recht auf Freiheit und Selbstbestimmung. Der Aufstand wurde durch sowjetische Truppen zusammengeschlagen
Von der sowjetischen Besatzungsmacht eingesetzte Panzer zur Niederschlagung der Unruhen in der Schützenstrasse.
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・wikipedia-commons;Bundesarchiv B 145 Bild-F005191-0040引用(他引用不許可)。
写真(右)1987年7月4日、東ドイツ、ベルリンを行進するソ連赤軍のT-34/85戦車:ソ連赤軍の戦車兵と強制収容所から解放された囚人に扮した囚人服の人物が戦車の上に載っている。戦車兵が手にしているのは、トカレフ7.62ミリ拳銃弾71発入りドラム形弾倉を備えたPPSh-41(ペーペーシャ)短機関銃。東ドイツでは、ファシズムの桎梏から解放したソ連赤軍を称賛していたから、ベルリン誕生750年祭でもソ連軍の行進が行われた。
Original title: info ADN-ZB Mittelstädt 4.7.87 Berlin: Jubiläum-Festumzug. Mit einem legendären Panzer T 34 vollzogen am Festumzug zum 750jährigen Bestehen Berlins teilnehmende Sowjetsoldaten den historischen Akt der Befreiung vom Faschismus in den Maitagen 1945 nach.
Dating: 4. Juli 1987
Photographer: Mittelstädt, Rainer
Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・wikipedia-commons;Bundesarchiv Bild 183-1987-0704-032 引用(他引用不許可)。
写真(右)2017年、ロシア共和国、モスクワ中央装甲車両博物館(Moscow Central Armed Forces Museum)ソ連赤軍のT-34/76戦車(1941年型);初期型は76.2ミリ砲を搭載していたが、1944年に登場した後期型は、砲塔を大型化し54.6口径85ミリ戦車砲ZiS-S-53(携行弾数56発)を搭載し、火力を強化された。奥には、T-28多砲塔戦車が見える。
Soviet WW2 era Medium Tank Also known as the T-34/76B, the 1941 model introduced the long barrelled F-34 gun, but was otherwise similar to the previous 1940 model. It still had a cramped interior and reliability issues. It was, however, still better than any opposing armour at the time and much more suited to dealing with the harsh conditions it fought in. On display at the Central Armed Forces Museum, Moscow, Russia.
26th August 2017
Date 26 August 2017, 14:43
Source T-34/76 Model 1941 - Central Armed Forces Museum, Moscow
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はwikipedia-commons、Category:T-34 Model 1941/42 File:T-34-76 Model 1941 - Central Armed Forces Museum, Moscow (38829236742).jpg引用。
写真(右)1946年5月8日、ドイツ,ベルリン中心部、ティーアガルテンのソビエト戦争記念碑(Soviet War Memorial、Tiergarten)に展示してあるソ連軍のT-34戦車:ドイツを解放したソ連赤軍の象徴とみなされた。 タイトル Alliierten-Parade am 8. Mai 1946
日付 1946.05.08
写真家
Abraham Pisarek (1901?1983)
wikidata:Q330503
Institution
Deutsche Fotothek Link back to Museum infobox template wikidata:Q655507
Deutsche Fotothek Logo 2012.svg
Link to OpenStreetMapLink to Google Maps
wikidata:Q655507
台帳番号 df_pk_0000178_007
原典 Deutsche Fotothek
写真は、ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File: Sowjetisches Ehrenmal (Berlin-Tiergarten) Panzer.jpg引用。
写真(右)2007年、ドイツ連邦共和国、ベルリン、ティアガルテン広場、社会主義勝利を記念し展示されていたソ連赤軍のT-34/76戦車(1942年型);1945年4月に、初めてベルリンに突入したソ連T-34中戦車の1台が、社会主義によるファシズム解放を記念してベルリンに展示された。それを東ドイツ崩壊後のドイツ連邦も引き継いでいる。 Description
A T-34 Model 1942 monument in Berlin. One of the first two T-34 tanks to reach Berlin in 1945.
Date 13 May 2007, 13:40
Source The Soviet War Memorial in the Tiergarten
Author Luis Villa del Campo from Madrid, Spain
写真はwikipedia-commons、Category:T-34 Model 1943 File:A T-34 Model 1942 monument in Berlin.jpg引用。
写真(右)2015年、ドイツ連邦共和国、ベルリン、ティアガルテン、社会主義勝利を記念し展示されていたソ連赤軍のT-34/76戦車(1943年型);初期型は76.2ミリ砲を搭載していたが、1944年に登場した後期型は、砲塔を大型化し54.6口径85ミリ戦車砲ZiS-S-53(携行弾数56発)を搭載し、火力を強化された。 Description
English: A tank at the Soviet army cenotaph at Tiergarten. Berlin, Germany
Date 19 June 2015, 18:53:00
Source Own work
Author LBM1948
写真はwikipedia-commons、Category:T-34 Model 1943 File:Berlín, monumento al Ejército Soviético 4.jpg引用。
写真(右)2017年、ロシア連邦南部、クラスノダール(Краснода́р:Krasnodar)、戦勝兵器展示されているいるソ連赤軍のT-34/76戦車(1943年型);初期型は76.2ミリ砲を搭載していたが、1944年に登場した後期型は、砲塔を大型化し54.6口径85ミリ戦車砲ZiS-S-53(携行弾数56発)を搭載し、火力を強化された。 Description
Музей военной техники "Оружие Победы". Парк культуры и отдыха имени 30-летия Победы, Краснодар.
4 June 2012, 05:06:18
Source Own work
Author Yuriy75 写真はwikipedia-commons、Category:T-34 Model 1943 File:Музей военной техники Оружие Победы, Краснодар (70).jpg引用。
写真(右)1961年5月22日、東ドイツ、ポツダムに展示されたソ連赤軍のT-34/85戦車とSu-76自走砲:東ドイツでは、ファシズムの桎梏の下にあったドイツをソ連赤軍が解放したとされ、ソ連軍が解放者として讃えられた。そこで、敗戦国であるにもかかわらず、ソ連軍の勝利、共産主義政権の樹立を讃えるように、ヨシフ・スターリンが崇拝され、ソ連製T-34戦車やSu-76自走砲が誇らしげに展示されていた。
Original title: info Zentralbild-Mittelstädt-bgm-Gr 22.5.1967 Potsdam: Auf der Terrasse des Armeemuseums... erwecken besonders der Panzer T 34 und die Selbstfahrlafette Su 76 das Interesse der Besucher. Im Hintergrund sind Geschütze und Haubitzen aus dem 2. Weltkrieg zu sehen.
Dating: 22. Mai 1967
Photographer: Mittelstädt, Rainer
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・wikipedia-commons; Bundesarchiv Bild 183-F0522-0014-001引用(他引用不許可)。
Su 76自走砲の諸元
全長:4.97 m、全幅:2.72 m、全高:2.10 m
重量:11.2 t、乗員:4名
最高時速:整地 45 km/h、航続距離: 250 km
兵装:76.2mm ZiS-3Sh野砲、車載機銃7.62mm DT機関銃
装甲:戦闘室面:25 mm、側面10mm、車体前面:25 mm
エンジン:GAZ-203水冷ガソリンエンジン(140馬力)
写真(右)ドイツ連邦共和国、ニーダーザクセン州、ハイデクライス郡、ミュンスター博物館で保管展示されているソ連製T-34/85戦車:76.2ミリ砲を搭載していたT-34/76戦車の砲塔を大型化し、54.6口径85ミリ砲を搭載。携行弾数は、56発。搭載した発動機は4ストロークV型12気筒液冷ディーゼルエンジン500馬力。重量32トン。
Soldaten
Gewicht: 32,0 Tonnen
Motorleistung: 368 kW (500 PS)
Bewaffnung: 1 BK 85 mm L/51 M-44 sowie 1 Bug- u. 1 Turm - MG DTM, Kaliber: 7,62 mm x 54
Baujahr: 1944 - 1961
Stückzahl NVA: 1.346 (Gesammt T 34/76 u. T34/85 ca. 50.000)
原画像データの生成日時
2008年8月29日 (金) 11:02
原典 投稿者自身による作品
作者 Huhu at de.wikipedia。 写真はCategory:T-34-85 tank at the Panzermuseum Munster、File: Kampfpanzer T 34 85.JPG引用。
写真(右)2010年、イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているソ連赤軍のT-34/85戦車412号車車体後方;搭載した4ストロークV型12気筒500 馬力水冷ディーゼルエンジンの排気管は、アメリカやドイツ戦車であれば煙が立って発見されないようにろ過装置マフラーが装備されるが、T-34戦車は装備していない。広範囲に高性能ディーゼル・エンジンを戦車に搭載したのは、実はソ連軍だけで、アメリカもドイツもガソリンエンジンを搭載していた。 Bovington Tank Museum 097 T34
Date 7 July 2010, 12:07
Source Bovington Tank Museum 097 T34
Author DAVID HOLT from London, England
写真はwikipedia-commons、Category:T-34-85 Model 1944 in the Bovington Tank Museum File:Flickr - davehighbury - Bovington Tank Museum 097 T34.jpg引用。
ソ連赤軍のT-34/85戦車(1944年)は、全長
8.15 m、車体長
6.10 m 、全幅
3.00 m 、全高
2.72 m 、重量
32 トン。
T-34/85中戦車の諸元
全長 8.15 m
車体長 6.10 m
全幅 3.00 m
全高 2.72 m
重量 32 t
速度 55 km/h(整地)、30 km/h(不整地)
搭載火砲 85 mm ZiS-S-53(携行砲弾数56発)
車載機銃 7.62mmDT機関銃2丁 砲塔装甲 前面90 mm(曲面) 側面75 mm 傾斜20度 後面52 mm 傾斜10° 車体装甲 前面45 mm 傾斜60度 側面45 mm 傾斜50度 後面45 mm 傾斜47度 上面20 mm
写真(右) 1949年、第四回対日戦勝記念日、ドイツのベルリンを行進するヨシフ・スターリンIS-3 重戦車 :1945年の戦争最終年の対ドイツ戦に投入された重戦車で、重量45.8 - 46.5トン、最高時速40 km/h(整地)、19 km/h(不整地)、航続距離190 km、兵装は122 mm D-25T L/43戦車砲を搭載。122ミリ戦車砲は、半自動の鎖栓式だったが、砲弾は、薬莢と弾頭が分離しており、狭い砲塔内部での装填は容易ではなく、発射速度は遅くなった。
GERMANY UNDER ALLIED OCCUPATION.,
Catalogue number: BU 10257,
Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION,
Subject period: 1945-1989、
Alternative Names: object category: Black and white
Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit
Christie J (Sergeant)、 Object description: Soviet IS-3 Heavy Tanks pass the saluting base on the Charlottenburg Chaussee in Berlin during the Four Nations VJ Day parade..
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 14786)引用。
絵画(右)「ロシアへ積み出される戦車(Loading Tanks for Russia)」: 1942年、イギリスの港からソ連への武器貸与のためマチルダ Matilda Mark II 歩兵戦車を船積みしている。輸送船でソ連ムルマンスク港にまで輸送されるのであろう。 Loading Tanks for Russia.,
Catalogue number: Art.IWM ART LD 1922, Production date: 1941,
Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION,
Subject period: Second World War,
Materialsmedium: oil, Dimensions, Support: Height 482 mm,
Support: Width 412 mm,
Alternative Names: object category: painting
Creator: Cole, Leslie, Category: art
Object description: image: A Matilda tank is being lowered by a crane onto the deck of a merchant ship. Six merchant seamen stand on the deck watching the tank being lowered whilst a soldier stands on the tank. On the deck on the right is another Matilda tank that has already been lowered, with a British Army officer in a red cap and a British soldier standing to the right.
History note: War Artists Advisory Committee commission.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 14786)引用。
マチルダ Matilda Mark II 歩兵戦車の諸元:
全長:5.61m、全幅:2.59m 、全高:2.52m
重量:27.0t 、乗員:4名
最高時速:整地24km/h、航続距離:257km
オードナンス52口径2ポンド40ミリ速射砲(QF 2 pounder 40 mm:収容砲弾数 93発) 同軸機銃7.92ミリBESAベサ機関銃(7.92 mm Besa machine gun:銃弾2925発)
砲塔装甲:75 mm 装甲:車体前面75 mm、車体側面70 mm 搭載エンジン:液冷V型6気筒ディーゼル2基174馬力
写真(右) 1941年、イギリス、リバプール港、「ロシア戦車週間、秒読み開始」と書いたソ連への武器貸与されるバレンタインValentine歩兵戦車。輸送船でソ連ムルマンスク港にまで輸送される。 TANKS FOR RUSSIA, SMETHWICK, STAFFORDSHIRE, ENGLAND, UK, 1941.,
Catalogue number: P 231,
Part of MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION,
Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white
Creator: Ministry of Information official photographer、 Object description: Factory workers ride on Valentine tanks as they leave a factory in Smethwick. The notice on the front of the tanks reads "Tanks for Russia Week. Every Second Counts!". Chalked on the side of the tank (on the left hand side of the photograph) are the words "From Smethwick to Smolensk". The worker sitting on the turret of the tank in the foreground is holding a Russian flag.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (P 231)引用。
歩兵戦車(Infantry Tank)は歩兵に随伴して、歩兵の楯となって火力支援する戦車であるため、高速を発揮する機動性はなくてもよいが、標的になりやすいために重装甲が必要である。つまり、歩兵部隊を守る重戦車といえる。ただし、マチルダ Matilda Mark II 歩兵戦車の装備したオードナンス52口径2ポンド40ミリ速射砲(QF 2 pounder 40 mm:収容砲弾数 93発)は、1942年当時としては、ドイツ、日本の戦車と同様の口径で、取り立てて協力というわけではない。
写真(右)1941年6-7月,ソ連,指導者ヨセフ・スターリンのポスターがあるゲートを潜るドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Joseph Stalin( 1878年12月18日-1953年3月5日)は,独ソ戦の開始直後から,ソ連人民のドイツ軍への利敵行為を危惧していた。そこで,ウクライナ人,チェチェン人,タタール人をシベリア,中央アジアへ強制移住させた。彼らの分離独立,反共産主義が、侵略者のはずのドイツ軍を,同盟軍としてしまうことを心配したのである。このような圧制には,内務人民委員(NKVD)が活躍した。 Sowjetunion.- Panzer 38 (t) vor dem Eingang eines mit Porträts sowjetischer Politiker (links Josef Stalin) geschmückten Lagers; PK 697
Dating: 1941 Juni - Juli
Photographer: Bieling 撮影。写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右) 1942年夏 ,ソビエト連邦の南,ドン地方、スターリングラードに進撃するドイツ陸軍III号戦車の縦隊:未舗装道路を進撃する戦車の前面には,予備のキャタピラが置かれている。この鉄製の帯は,装甲版を増強したのと同じ効果があったため,敵の砲弾が命中しやすい車体前面に装着された。 III号戦車は,1941年から本格的な主力戦車配備され,3.7センチ砲を搭載していた。開発当初は,42口径5センチ砲を搭載していたが,ヒトラーは対戦車戦闘能力を重視し,さらに長砲身の60口径砲を搭載するように指示した。しかし,陸軍当局は,重量増加による機動性低下を嫌い,42口径砲のまま量産してしまう。60口径砲への転換が始まったのは,1941年4月にヒトラーが命令無視を知って以降である。
Sowjetunion-Süd (Don,Stalingrad).- Panzer III in Fahrt auf unbefestigter Straße; PK 694
Dating: 1942 Sommer
Photographer: Geller撮影。
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1941-1942年,ドイツ陸軍IV号戦車 KwK L/24:24口径7,5センチ短砲身砲を装備した,当時の最新鋭戦車。ドイツの工場で,記録用に撮影された側面写真。
Panzer IV Ausf. F 1 mit 7,5 cm KwK L/24 ohne Hoheitsabzeichen; ca. 1941/1942
Dating: 1941/1942 ca.
Photographer: o.Ang.
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
IV号戦車E型(PzKpfw IV Ausf.E)諸元 全備重量21トン,全長5.9メートル,全幅2.8メートル,車高2.7メートル
時速42キロ(整地),航続距離200キロ,乗員5人
兵装:7.5センチ24口径砲(KwK 37 L/24),7.92ミリMG34機銃2丁
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