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◆VI号タイガーTiger重戦車/フェルジナンド(エレファント)駆逐戦車 写真(上)イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ティーゲル重戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger);高射砲を改造した56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を搭載した重装甲の戦車。全長8.45 m、車体長6.3 m、全幅3.7 m、 全高3 m、重量57 t。 Panzerkampfwagen VI in the Bovington Tank Museum
解説 Photo ref; Nikon-D80-2013-DSC_1313 (Edited) 日付 2006年12月6日, 02:14 原典 Tiger Tank, The Tank Museum, Bovington. 作者 Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はFile:Tiger Tank, The Tank Museum, Bovington. (11484286863).jpg引用


1.第二次大戦前半のドイツ陸軍III号/IV号戦車とソ連赤軍T-34戦車

1940年5月,ドイツ軍がフランスを攻撃したのは,装甲師団の展開に不利なアルデンヌ林のルートだった。ソ連侵攻バルバロッサ作戦にあっても,ヒトラーは,沼沢地,河川が多く,ソ連軍が攻撃を予期しない中部地域に大軍を投入した。

1941年6月22日,ドイツ軍は,独ソ不可侵条約を反故にして,突如,ソ連を攻撃した。これがバルバロッサ作戦で、対ソビエト連邦侵攻のドイツ陸軍兵力は,三軍集団あった。ドイツ国防軍の南方軍集団(フォン・ルントシュテット元帥)は、3個軍,1個装甲集団を率いてガリチア,ウクライナ西部からキエフ攻略に向かった。

⇒ドイツ軍 III号戦車(PzKpfw III)を読む。

ドイツ軍によるソ連攻撃バルバロッサBarbarossa作戦が実行されたのは,次のような理由からだった。

?バルバロッサとは,神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)のことである。ナチスは,ハプスブルク家の皇帝標章をオーストリアからドイツに持ち帰り,第三帝国を設立し,帝国以来の伝統を引継いだとした。そして,東方ソ連を植民化するために,ソ連を攻撃した。そして,ドイツ人,民族ドイツ人が東方ソ連に入植して土地と現地住民を支配し,石油・鉄鉱石,農作物など資源エネルギー・食料を略奪することで,大ドイツ繁栄の基礎を固めようとした。

?ボリシェビキが支配する東方ソ連は,ドイツ反英の脅威であり,イデオロギー上も,ソビエトを攻撃,壊滅する必要があった。ただし,東方に向かうドイツ軍兵士は,独ソ不可侵条約の下で,スターリンがウクライナをヒトラーに貸与するという噂があった。

?フランス降伏後も,ヨーロッパで孤立しても英国が戦っている理由は,米国とソ連がドイツを威嚇しているからだった。そこで,ヒトラーは,英国の士気を高めているソ連軍を壊滅させ,英国の希望を砕こうとした。ただし,バルバロッサ作戦の準備は,英本土上陸作戦の意図を隠蔽する目的で行われる陽動だとされた。実際,ドイツ海軍軍令部は,2月18日の作戦日誌で,陽動作戦のことを記している。

ソ連侵攻バルバロッサ作戦用のドイツ陸軍兵力は,三個の軍集団,320万人,戦車3500両,火砲7000門が投入された。独ソ戦バルバロッサ作戦は,電撃戦の大成功の事例に挙げられる。しかし,東部戦線で6月22日から6月30日の間に,ドイツ軍は8886人が死亡している。

写真(右)1941-1942年,ギリシャ,アテネを行進するドイツ陸軍IV号戦車F型:43口径長砲身7.5センチ砲を装備した新鋭戦車で,北アフリカ戦線に送られる車両かもしれない。
Griechenland, Athen.- Kolonne von Panzer IV passieren eine Straße; PK 690 Dating: 1941/1942 Photographer: Teschendorf撮影。 Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


対戦車戦闘能力を強化するためにPanzer IV (Sd. Kfz. 161)の7.5センチ砲は、短砲身24口径7.5cmセンチ戦車砲(7.5cm KwK 37 L/24)から43口径、長砲身48口7.5cmセンチ戦車砲(7.5cm KwK 40 L/48)と長砲身となった。ソ連軍との戦いで経験を積んだドイツ軍はソ連軍の利点を取り入れた。白色の冬季迷彩服もそうだが、T-34戦車を真似た中戦車、長口径3インチ相当の大型戦車砲・対戦車砲の採用など、ソ連軍を参考にしている。

IV号戦車Panzer IV (Sd. Kfz. 161)がはじめに装備した火砲は,短砲身24口径7.5cm砲(7.5cm KwK 37 L/24)だったが,これでは,火力支援はできても,対戦車戦闘能力は低かった。24口径7.5cm砲の貫通力は,500メートルで39ミリ,1000メートルで30ミリと,敵戦車の正面装甲貫通は困難だったためである。

1941年初頭,ヒトラーは強力な60口径5cm砲の搭載を命じていたが,保守的な陸軍将官は,機動性を重視して,重量の増える長砲身を搭載しなかった。

しかし,独ソ戦で直面したソ連赤軍のT-34は,37口径75ミリ砲を装備して,避弾に優れた装甲であり,ドイツ軍の対戦車砲では貫通できなかった。このため長砲身7.5センチ砲装備のF型が急遽開発された。 

写真(右):1944年3月,ソ連東部戦線、IV号自走対戦車砲 Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisseの前部:戦闘室から71口径8.8センチ対戦車砲が伸びている。車体前部には操縦席があるので、出入りに使用できるハッチで視界を確保している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-279-0950-08 Archive title: Sowjetunion, bei Witebsk.- Panzerjäger Nashorn/Hornisse. Im Vordergrund Kradfahrer auf Motorrad; PK 697 Dating: März 1944 Photographer: Bergmann, Johannes Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-279-0950-08"引用(他引用不許可)。


IV号自走対戦車砲 Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisse諸元:

全長8.44 m、車体長7.26 m、全幅2.95 m、全高2.65 m
重量24 t
航続距離235 km(整地)
主砲:71口径8.8cm PaK 43/1(40発) 、7.92mm MG-34機銃 1丁
装甲:戦闘室全周・車体前面上部10 mm、車体前面下部30 mm
エンジン:マイバッハ HL 120 TRMガソリンエンジン 300 馬力
乗員4名

71口径8.8cm PaK 43は、1940年にドイツ国防軍が8.8 cm FlaK 18/36/37に代わる高射砲開発を進めたことが契機になり、1943年に戦車砲型が8.8 cm KwK 43と、対戦車砲型が71口径8.8cm PaK 43として採用された。これらは71口径の長砲身で、狭い戦闘室内での争点を考慮して、垂直鎖栓式の閉鎖機、ボタン式の電気撃発装置を備えていた。砲尾の閉鎖機を開くと薬莢が排出されるが、砲弾の装填は手動であり、現在の戦車のような自動装填式の戦車砲はなかった。
 ナースホルンと同じ71口径8.8cm PaK 43はエレファント駆逐戦車、ヤークトパンター駆逐戦車、ティーガー?にも装備されている。

対ソ戦の緒戦でドイツ陸軍は、ソ連赤軍のT-34、KV-1など重防御、76.2ミリF-34 戦車砲F-34 tank gun)を装備する戦車に苦戦した。そこで、対戦車戦能力を向上させるために、急遽、防御力は犠牲にしても、強力な戦車砲を装備して、ソ連赤軍戦車を撃破できる車両が望まれた。

ヒトラーも、このような対戦車戦闘車両を望んであり、新型の71口径8.8センチ対戦車砲を搭載し対戦車戦を戦う車両としてホルニッセ(スズメバチ)、後にナースホルン(サイ)と呼ばれる対戦車自走砲が開発された。しかし、この車両が実戦に投入された時期は、1943年の夏からであり、遅かった。

装甲師団や機械化された歩兵に随伴する砲兵としてIV号戦車の車台をベースに1942年から1943年にかけて開発されたのがIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"。砲塔を撤去して、開放式の戦闘室を設け、20ミリの薄い乗員防御版で覆った。

戦車の車体後方に搭載していたエンジンはフンメル自走榴弾砲では中央に移され、30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲を搭載した。初の実戦投入は、1943年7月、東部戦線、クルスク戦車戦。

IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の生産台数は、1943年368輌、1944年 289輌、1945年57輌、合計714輌。

30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲は、第1次世界大戦の17口径15cm重榴弾砲sFH13の改良型で、1920年代から1930年代初めまで開発され、1933年に制式採用された。15cm重榴弾砲sFH13は重量2,270kgだったが、sFH18の重量は5,512kgと大幅に増加したため機動力が低下した。そこで、牽引車や自走砲が利用されるようになったのである。

1941年9月、ベルリンのアルケット社(Altmörkische Kettenwerke GmbH)がサイズの近いIV号戦車をベースにIII号戦車の転輪などを取り入れた自走砲専用車体(III/IV号火砲搭載車輌)を開発した。この車体は、全長を延長し、エンジンを後部から中央部に移動して、大型砲を搭載する場合の重量バランスや戦闘敷く空間の確保に考慮している。

1942年7月、アルケット社(Altmörkische Kettenwerke GmbH)の車体に15cm榴弾砲を搭載するフンメルの開発が始まったが、ヒトラーは対戦車戦闘を有利にするために8.8センチ高射砲を改造した8.8 cm PaK 43を搭載した対戦車自走砲の開発を指示した。

対ソ戦の緒戦でドイツ陸軍は、ソ連赤軍のT-34、KV-1など重防御、76.2ミリ長砲身戦車砲を装備する戦車に苦戦した。そこで、対戦車戦能力を向上させるために、急遽、防御力は犠牲にしても、強力な戦車砲を装備して、ソ連赤軍戦車を撃破できる車両が望まれた。

ヒトラーも、このような対戦車戦闘車両を望んであり、新型の71口径8.8センチ対戦車砲を搭載し対戦車戦を戦う車両としてホルニッセ(スズメバチ)、後にナースホルン(サイ)と呼ばれる対戦車自走砲が開発された。しかし、この車両が実戦に投入された時期は、1943年の夏からであり、遅かった。

⇒ドイツ軍の主力 IV号戦車 (PzKpfw IV)を読む。

写真(右)1942年夏,スターリングラード近郊で撃破されたソ連軍KW-1重戦車:ソ連軍のKB-1(ドイツはKW-1,英国はKV-1と表記)重戦車は,第二次大戦が始まった1939年から生産開始,戦車の名前は,国防相クリメント・ボロシロフ元帥にちなんだもの。
KB-1重戦車の30口径76.2ミリ砲は,当時の全てのドイツ軍戦車を撃破できるものだった。
Sowjetunion, bei Stalingrad.- Zerstörter sowjetischer Panzer KW-1 Dating: August 1942.写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ソ連軍の KB-1(ドイツはKW-1,英国は KV-1と表記)重戦車は,1939年開発,T-34中戦車と類似の76.2ミリZIS-5戦車砲76mm ZIS-5)を装備していた。重装甲で重かったが,ディーゼルエンジンも550馬力あった。独ソ戦当初、最強の戦車で,1942年までに3000両生産。砲塔装甲は前面90ミリ,側面75ミリと厚く,ドイツの37ミリ対戦車砲を問題としなかった。
しかし,重量45トンという重さのため,トランスミッションの不具合が生じやすかった。

ソ連軍は KV-1重戦車を秘密兵器扱いし,フィンランド冬戦争には,T-34と同じく投入していない。フィンランドとの国境に近いレニングラードの工業で KV-1重戦車を製造していたにもかかわらずである。
1941年6月22日,ソ連に侵攻したドイツ軍は,国境近くでKB-1重戦車に直面し苦戦した。ドイツ軍がティーガー重戦車を投入したのは,これから2年後と遅い。

写真(右)1941年6-7月,ロシア北部で撃破されたソ連軍KW-2重戦車:ソ連軍のKB-2(ドイツはKW-2,英国はKV-2と表記)重戦車は,全長 6.95メートル,全幅 3.32メートル,全高 3.24メートル,重量 52トン。 速度 34 キロ/時(整地)・15キロ(不整地),航続距離 180キロ,兵装 20口径152mm榴弾砲M10(弾数36発),1939年制式,弾頭50キロ,最大射程12000メートル。7.62ミリ機銃3丁,エンジン550馬力。乗員 6人。
Sowjetunion-Nord.- Defekter russischer Panzer KW-2 am Straßenrand wird von deutschen Soldaten untersucht; PK 694 Dating: 1941 Juni - Juli Photographer: Nägele 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ソ連軍のKB-2(ドイツはKW-2,英国はKV-2と表記)重戦車は,全長 6.95メートル,全幅 3.32メートル,全高 3.24メートル,重量 52トン。 速度 34 キロ/時(整地)・15キロ(不整地),航続距離 180キロ,兵装, 20口径152mm榴弾砲M10(弾数36発),1939年制式,弾頭50キロ,最大射程12000メートル。7.62ミリ機銃3丁,エンジン550馬力。乗員 6人。

KB-2(ドイツはKW-2,英国はKV-2と表記)重戦車は,1939年開発,20口径 152ミリM10榴弾砲を装備。152mm榴弾砲は,弾頭50キロで,薬莢は分離していたので,装填手は2人,乗員は6人だった。全長7メートル,装甲は砲塔前面110ミリ,側面75ミリでもあった。重量52トンでディーゼルエンジン550馬力は力不足だった。

KV-2は独ソ戦当初、最大級の重戦車だったが,砲弾の装填,路外走行に難点があり,1940-41年に200台が生産されたに過ぎない。

1941年当時,ソ連軍は命令を厳格に実行しようとするあまり,迅速な撤退ができなかったり,撤退時に施設・物資の破壊が不徹底なだったりした。第二次大戦前,1937年のソ連軍内部のトハチェフスキ粛清によって,ソ連軍の軍事専門家の指導力は低下し,共産党による軍の管理,政治委員(政治将校)コミサールCommissarsによる介入が強まった。

党の支配する軍隊となったソ連軍では,命令服従が第一となり,臨機応変な措置,軍司令官の裁量の余地は小さくなった。この戦術的な失敗の事例が,1941年8-9月のハリコフKharkov包囲の殲滅戦である。

写真(右)1942年10月,撃破されたソ連軍T-34中戦車:ドイツ連邦アーカイブには,撃破された全く同じT-34のカラー写真が2台分6枚も保管されている。長砲身76.2ミリ砲を装備した頑丈なソ連軍戦車に感歎して撮影したようだ。T-34戦車に対抗できるドイツ軍戦車は,1942年夏はなかった。その後まもなく,ティーガーVI号戦車が実線投入されたが,数的不利は続いた。ティーガー重戦車は,1942年8月から1944年8月まで,僅か1300台しか生産されていない。
Abgeschossene sowjet. Panzer Archive title: Mittlerer russischer Panzer T-34 Dating: 1942 Sommer 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild_169-0014引用


T-34戦車は,BT快速戦車を引き継ぐもので,クリスティー戦車方式のサスペンションだった。1939年に試作車が完成,12月に制式となり,1940年から量産開始。大戦中,76.2ミリ砲装備T-34戦車は3万台,85ミリ砲装備T-34/85戦車は2万台以上が生量された。

ソ連の新鋭T-34中戦車は,全長6メートル,全幅3メートル,重量26トンで,長砲身30口径76.2ミリ(3インチ)砲を装備,車体前面装甲45mmだった。T-34戦車は,BT快速戦車を引き継ぐもので,クリスティー戦車方式のサスペンションだった。1939年に試作車が完成,12月に制式となり,1940年から量産開始。大戦中,76.2ミリ砲装備T-34戦車は3万台,85ミリ砲装備T-34/85戦車は2万台以上が生量された。

ソ連赤軍の重戦車:KW-1重戦車、KV-2自走砲を読む。
⇒1941年6月22日ソ連侵攻バルバロッサ作戦を読む。

ヒトラー総統は,大戦直前,1939年1月30日のドイツ国会演説で、国際金融界のユダヤ人が、諸国民を再び大戦に引き込めば、その結果は、ボルシュビキとユダヤ人の勝利ではなく、欧州ユダヤ人の絶滅である,と予言していた。
 最高機密のユダヤ人絶滅は口頭命令だったが,ヒトラー総統は,1939年1月の国会演説,1941年12年11日の対米宣戦布告、1945年4月の政治的遺書など,ユダヤ人,ボリシェビキへの殲滅戦争を公言している。
これは過激な表現のプロパガンダではなく,本心だった。

ドイツのソ連侵攻2ヶ月後の1941年9月1日,ドイツ・ユダヤ人がユダヤの星をつけることについての警察条令が発令。(ドイツ占領地では1940年からユダヤの星をつけさせていた)

ニュルンベルク法が,ユダヤ人を宗教による分別したとの俗説があるが,宗教や国籍ではなく,人種的特長,歴史を踏まえて,祖先がユダヤ人だったことを基準にしている。このような恣意的な区分は,ドイツの敵となりうる人間,潜在的な敵性住民,人種汚染を排除するため定められた。敵を排除し,ドイツ人の種族保全のために,ユダヤ人を排除したのである。

ユダヤ人絶滅の方針は,最高機密とされたが,それは,殺戮を行っていることが知れれば次のような支障が生じるからである。

1)ユダヤ人が殺害されると知れば,反乱を起こす。そこで,ユダヤ人の積極的な抵抗を防止するために,東方への移送,収容所での労働を偽りの名目として,絶滅収容所へ移送した。

29ユダヤ人絶滅のような残虐行為は,連合国の戦争遂行理由を正当化する。そこで,ユダヤ人虐殺は,連合国にも秘匿する必要があった。

3)後方・前線のドイツ人にとって,ユダヤ人殲滅戦争は,士気を低下させる恐れがあった。そこで,ドイツ人にもユダヤ人殺戮を秘匿する必要があった。
 

ヒトラー卓上談話(ヒトラーのテーブル・トーク)
ナチ党官房長官マルチン・ボルマンは,ヒトラーが側近に語りかけた会話を,ナチ党員・下級将校・速記者のハインリヒ・ハイムに記録をとらせた。そして,これを元にボルマンの速記者たちは口述筆記し,タイプ原稿を作成した。ボルマンは原稿に訂正・解説を加えて『ボルマン覚書』として保管した。これがHitler's Table Talk である。

1941年12月25日のアドルフ・ヒトラー卓上談話:「(1939年1月30日の)帝国議会の演壇で私はユダヤ人に予言した。戦争が不可避であるからには,ユダヤ人はヨーロッパから消え去れなくてはならない。この罪の人種には,第一次大戦の死者200万人と現在の死者数十万人の責任がある。ロシアの湿地帯にユダヤ人の奴等を置き去りにはできないなどと言ってくれるな。わが部隊の心配を誰がするというのか。われわれがユダヤ人絶滅を計画しているという噂は,悪くない。恐怖はなかなかいいものだ。ユダヤ人国家を作る試みは失敗に終わるであろう。
-----ユダヤ人に関しては,まだ十分でないと思っている。現時点でいたずらに問題を増やしても意味はない。時節到来を待っている人間は,行動にいっそう磨きがかかるものだ。------こちらに力があればこそ,マルクス主義に最終決戦を仕掛けたのだから。

1941年11月5日:「善良な国民が(東部の)最前線で戦死しているこの時,(人権に配慮した刑罰制度によって)犯罪者ばかりを保護すれば社会のバランスは崩れ,国家の健全さは打撃を受けるだろう。これは,衆愚政治だ。国家が窮地に陥っている時には,このような手厚い保護の下に置かれている一握りの犯罪者どもに,最前線の兵士たちの犠牲によって得た賜物を簒奪する恐れが高い。これは1918年(第一次大戦の敗北)に経験済みだ。この対策としては,この種の犯罪者は直ちに死刑に処す,これしかない。
-----こんな屑どもに団結する機会を与えるのは非常に危険だ。
」(『ヒトラーのテーブル・トーク1941-1944(上)』三交社,1994年 参照)

アドルフ・ヒトラーは,戦線後方の下等人種・劣等民族が団結すれば,反ドイツの動きを開始し,ドイツ人にとって有害である,敵に連帯し団結する契機を与えてはならないというのが,ヒトラーの考えである。したがって,ウクライナ人,チェチェン人,ロシア人に,自治や独立を与えることは,絶対にありえない。バルバロッサ作戦,ブラウ作戦も,現地のスラブ人,チェチェン人にとって,決してボリシェビキからの解放やスターリン圧政からの自由に繋がることはなかった。

1941年11月5日,アドルフ・ヒトラー卓上談話:「----この戦争の終結は,ユダヤ民族の絶滅を意味する。ユダヤ人というのは,エゴイズムそのものだ。
---ユダヤ人は精神的なものに全く関心を持たない。------ユダヤ人の最大の誤魔化しは,宗教でもなんでもないユダヤ教を,宗教のごとく偽っていることだ。簡単に言えば,ユダヤ人は自分たちの人種思想に宗教的カモフラージュを施したのだ。奴らのやることなすことすべて,嘘に立脚している。ギリシャ・ローマ世界の崩壊の責任は,ユダヤ人が負うべきである。
----ユダヤ人は有能だというが,奴らの能力は,他人のものを弄び騙し取ることだけだ。
----とにかく私が言いたかったのは,-------ユダヤ人には音楽家も思想かもいない。奴らは無,いやそれ以下だ。嘘つき,詐欺師,ペテン師!やつらが成功したのは,騙された人間がいたからだ。----」

◆ドイツ軍は,ボリシェビキ圧制に反発していたソ連軍捕虜を厚遇して,反ソ宣伝,親ドイツ軍を編成することが可能だった。しかし,スラブ人を下等人種・劣等民族として見下したドイツは,ソ連軍捕虜を虐待した。
ソ連の肥沃な大地は,ドイツ人,民族ドイツ人の植民地となり,スラブの住民は農奴として使役されることになった。ウクライナや自由ロシアの自立と強化を目指す活動をドイツ軍は組織化できなかった。

◆人種汚染・人種民族差別に,独ソの過酷な殲滅戦、占領地における治安悪化が結びつき,さらに日米開戦を契機とした対ユダヤ人世界戦争の開始が,アドルフ・ヒトラーに,本格的なヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅政策を強行させた。

◆1942年7月14日,総統大本営「狼の巣」で,ヒトラーからユダヤ人問題の最終解決を命令された親衛隊国家長官ヒムラーは,運輸省に,停滞気味を鉄道運行を正常化し,ユダヤ人を迅速に輸送することを求めた。7月17日、ヒムラー長官は,アウシュビッツ収容所を視察し,オランダ・ユダヤ人のガス殺に立ち会った。


2.VI号重戦車「ティーガー」(ティーゲル) Panzer VI "Tiger I"

wikipediaでは、T-34の登場とティーゲル重戦車の直接関連は、時系列的にありえないとの記事を載せている。しかし、これは歴史を後からのみしているものの陥りやすい誤りで、ドイツ軍がソ連赤軍の新鋭T-34に直面し苦戦したことで、ティーゲル重戦車の開発が優先し早急に進めることになった。戦争当時から、戦車の開発が、一介のヒトラーの一言ですんなりと決まるのではなく、彼をとりまくドイツ軍高級将校、大企業の経営者・技術者が推進力を発揮したのは、ソ連軍T-34戦車にドイツ軍が直面してからだった。

写真(右)1943年3月27日,就役したばかりの新鋭VI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :オリジナル写真解説にいは「"タイガー" 、敵の恐怖の的となった我がタイガー。ターレットの司令官は、高い位置で視界を確保している」とある。大口径砲を搭載した新型戦車として、ドイツのプロパガンダに利用されたが、実戦投入は遅れた。
Inventory: Bild 183 - Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild
Signature: Bild 183-J05741 Original title: info "Der Tiger", der Schrecken unserer Feinde.
Einen weiten Überblick über das Gelände gewährleistet der hohe Sitz des Kommandanten im Panzerturm.
Fot. Schwahn 27.3.43
Dating: März 1943
Photographer: Schwahn, Ernst撮影。
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


ティーガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)は、ドイツ陸軍が第二次大戦勃発前の1937年に開発を企図した重戦車が原型である。当初は、重装甲を活かして敵陣地の正面攻撃、突破をすることを企図していた。しかし、重戦車に依らずとも、重砲による遠距離砲撃、爆撃機、特に急降下爆撃機による精密爆撃を用いれば、重戦車による陣地攻撃は必ずしも必要ではない。また、このような重戦車を運用するには、鉄道や舗装道路などの交通網が充実していることが求められるが、それは前線にあっては必ずしも望むことのできない条件である。

ヘンシェル・ゾーン社は、陸軍の要請でティーガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger)の原型となるVK 3001(H)を開発したが、ドイツ陸軍は、第二次大戦勃発、1940年の対フランス侵攻作戦の勝利によって、このような重戦車の必要性に疑問をもったようだ。1941年には、ヘンシェル社、ポルシェ社が重量35トン、7.5センチ砲搭載の重戦車を再び設計したが、これでは当時実用化された新型の43口径7.5センチ戦車砲(7.5 cm KwK 40 L/43)搭載のIV号戦車F2型と大差ない。ヒトラーは、圧倒的な攻撃力をもつ8.8センチ高射砲を搭載する重戦車を要求し、これが重量45トンのVK 4501(H)と呼称されるようになる。

写真(右)1942-44年,カッセルのヘンシェル社で生産中のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :過重量の戦車は、軟弱な地盤では行動が制限された。また、生産コストが高く,量産のための配慮が少ない設計だったために,1300台しか生産されていない。
Panzer VI "Tiger I" beim Verladen auf einen Eisenbahn-Waggon im Henschel-Werk Kassel Dating: 1942/1944 ca. 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


1941年5月26日、ヒトラーの大本営の一つ鷲の巣の戦争会議で、重戦車VK 4501(H)の基本設計が採用され、本格的に開発がはじまった。実は、これはヒトラーが当初予定していた「バルバロッサ作戦」によるソ連攻撃開始日と重なっており、フランスを降伏させたヒトラーは、対ソ戦を念頭にこの重戦車を開発しようとしたと考えられる。

もちろん、ヒトラーは、数カ月でソ連を降伏に追い込むつもりでいたが、直観的により長期にわたった場合に備えて、VK 4501(H)の開発を進めさせたようだ。アルベルト・シュペーアは、回顧録で、ソ連赤軍のT-34中戦車が登場し、その長砲身76.2ミリ砲の攻撃力、重装甲による防御力の高さから、ドイツ軍戦車に対して優勢であるとの報告を得たとき、大喜びした。ドイツの士官学校で教育を受けた高級将校、将軍たちは、長砲身の大口径砲を搭載した重戦車の必要性を理解できなかったが、ヒトラーは自らこのような戦車の必要性を直観的に理解できる天賦の才能があったことが証明されたというわけである。

写真(右)1942年夏,ロシア東部戦線の新鋭VI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)の砲身を掃除している。
Sowjetunion.- Panzersoldaten beim Reinigen des Rohrs eines Panzer VI "Tiger I"; PK Lfl 1 Dating: 1942 Photographer: Zwirner撮影。 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ティーガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)とは,英語のタイガーだが,?号戦車は「パンテル」(パンサー:豹)だった。7.5センチ砲あるいは76.2ミリ砲を搭載した対戦車自走砲は「マーダー」(テン),15センチ砲搭載の対戦車自走砲は「ナースホルン」(サイ),8.8センチ砲搭載の駆逐戦車は「エレファント」(象),7.5センチ砲搭載の駆逐戦車は「ヘッツァー」(勢子)など動物,狩猟に関する愛称をつけた。

写真(右)1942年,ソ連中部,ドイツ陸軍VI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :雪解け時期なのか,白色明細の上に,フィールドグレーのような塗装を施している。56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を真横から捉えた写真で,戦車搭乗員は黒色の制服を着用している。
Sowjetunion-Mitte.- Panzersoldaten auf einem Panzer VI "Tiger I" (Turmnummer 323) in einer Ortschaft; PK Lfl 1 Dating: 1942 Photographer: Kamm, Richard撮影。
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ソ連はすでに重戦車を実用化していたのに対して、ドイツは重戦車の開発に数年遅れをとっていた。そこで、ドイツは,ソ連のT-34に直面すると、それを模倣したパンテル戦車の開発を始めた。それと並んでし、既存の重装甲VK 4501(H)(のちのティーガー戦車)の開発も優先して進めることになった。しかし、ティーガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)の開発は順調には進まず、結局、初の実線参加は,1942年9-12月のレニングラード戦と遅れてしまった。その上,少数しか部隊配備されておらず、訓練が行き届かず,重量過大と機械的故障のためか,ソ連軍陣地からの火砲によって撃破されている。

写真(右)北フランス、ヴィエルヴィル=シュル=メール、Dデイ博物館が保管・展示しているドイツ軍のに保管・展示されているのドイツ軍の8.8センチ高射砲(8.8 cm Flak 18/36/37/41)と前後に外された移動用のゴム輪砲架の一部が映っている。ヴィエルヴィル=シュル=メールは、ノルマンディー、バイユー北西20キロの集落。この Route de Grandcamp, 14710 Vierville-sur-Merに1944年6月のノルマンディー侵攻(オマハ・ビーチ)を記念したDデイ・オマハビーチ博物館Museum D-Day Omaha(電話: +33 2 31 21 71 80)。
解説 Vierville-sur-Mer; D-day museum; Frankreich English: 88 mm german anti-aircraft gun. Français : Canon anti-aérien allemand de 88 mm. 日付 2008年8月 原典 投稿者自身による作品 作者 Kamel15
写真はWikimedia Commons, Category: 8.8 cm FlaK 37 File: Vierville-sur-Mer d-day museum 2008 PD 23.JPG引用。


 ティーゲルI重戦車は、8.8センチ高射法(8.8 cm Flak 18/36/37/41)を改修した56口径8.8センチ戦車砲を重装甲の砲塔に搭載した。後に、71口径8.8 cm Pak 43/2 L/71(携行砲弾数50発)を装備したテーゲルIIが完成する。

写真(右)アメリカ、メリーランド州アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館に保管・展示されているのドイツ軍の8.8センチ高射砲(8.8 cm Flak 18/36/37/41) :ドイツ軍VI号戦車ティーゲルの搭載した56口径36式8.8センチ戦車砲(8.8 cm KwK 36)の原型といえる高射砲。
解説 Picture taken by myself, Mark Pellegrini, at the United States Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground, MD) on August 14, 2007. 日付 2007年8月14日 原典 投稿者自身による作品 作者 Mark Pellegrini
写真はWikimedia Commons, Category: 8.8 cm FlaK 37 File:8.8 cm Flak 18-36-37 1.jpg引用。


 8.8センチ高射砲(8.8 cm Flak 18/36/37/41)は、移動用のゴム車輪を砲架の前後に取り付け、8トン牽引車で高速移動できる。これは、ゴム車輪のためで、鉄輪や木製車輪の砲架の場合は、不整地での振動や衝撃が砲を破損させるため、高速移動できなかった。

 1920年代、ドイツはヴェルサイユ条約にって軍事を大幅に制限され、新規の火砲の開発が禁止されていた。そこで、クルップ社は、密かにドイツ軍日の拡充を図るドイツ軍の意向を受けて、1928年に8.8センチ高射砲(8.8 cm FlaK 18)を開発、直ちに旧式火砲の再現という名目で生産に入った。1933年のヒトラーによる政権掌握、1935年の再軍備宣言後、ドイツ国防軍の高射砲として制式になった。

写真(右)カナダ、オンタリオ州、ボーデン基地軍事博物館に保管・展示されているドイツ軍VI号戦車ティーガーIの搭載した56口径36式8.8センチ戦車砲(8.8 cm KwK 36)の砲尾:ティーゲルI重戦車は8.8センチ高射砲(8.8 cm Flak 18/36/37/41)を戦車の狭い砲塔で使用できるように改良して搭載している。砲弾は高射砲と同一で汎用性がある。
Description English: 8.8 cm KwK 36 at Base Borden Military Museum. Date 9 August 2015 Source Own work Author JustSomePics
写真はWikimedia Commons, Category: 8.8 cm KwK 36 File:8.8 cm KwK 36 Base Borden Military Museum 2.jpg引用。


 8.8センチ高射砲(8.8-cm Flugabwehrkanone 18 )は、視界の良い北アフリカ戦線で、1941年春、対戦車砲として使用され、その後、1941年夏の独ソ戦におけるソ連軍のKW-1重戦車やT-34中戦車に苦戦した時も、緊急に対戦車戦闘に投入された。

写真(右)カナダ、オンタリオ州、ボーデン基地軍事博物館に保管・展示されているドイツ軍VI号戦車ティーゲルの搭載した56口径36式8.8センチ戦車砲(8.8 cm KwK 36)の砲尾 8.8センチ高射砲(8.8 cm Flak 18/36/37/41)を原型にティーゲルI重戦車の砲塔で使用しやすいように改良して戦車砲を開発した。後のエレファント駆逐戦車は、より強力な71口径8.8 cm Pak 43/2 L/71(携行砲弾数50発)を装備した駆逐戦車。前面200ミリ厚の重装甲だが、曲面構造で避弾径始に配慮したものではなく、直線を取り入れた構造になっている。
Description English: 8.8 cm KwK 36 at Base Borden Military Museum. Date 9 August 2015 Source Own work Author JustSomePics
写真はWikimedia Commons, Category: 8.8 cm KwK 36 File:8.8 cm KwK 36 Base Borden Military Museum 4.jpg引用。


ティーガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)の搭載した56口径8.8センチ砲は、8.8センチ高射砲(8.8-cm Flugabwehrkanone 18 )をベースにしてはいるが、かなり修正されている。しかし、使用する砲弾は同一であり、その意味で、タイガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)が8.8センチ高射砲を採用したといえる。8.8センチ高射砲(8.8 cm FlaK 18)には、高い装甲貫徹力、破壊力があり、この強力な火砲を搭載すれば、最強の戦車となる想像できたが、ドイツ軍はその必要性を感じておらず、実際にタイガー戦車の開発が本格化したのは、ドイツ軍戦車が1941年に連合軍の戦車に苦戦してからだった。56口径8.8 cm KwK 36戦車砲を搭載したティーガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)は、1942年に北アフリカ戦線ンに派遣される重戦車大隊に配備され、引き続き1943年夏のソ連東部戦線、クルスクにおけるシタデル(城塞)作戦に多数が投入された。

写真(右)カナダ、オンタリオ州、ボーデン基地軍事博物館に保管・展示されているドイツ軍VI号戦車ティーゲルIの搭載した56口径36式8.8センチ戦車砲(8.8 cm KwK 36)のマルズブレーキ
Description English: 8.8 cm KwK 36 at Base Borden Military Museum. Date 9 August 2015 Source Own work Author JustSomePics
写真はWikimedia Commons, Category: 8.8 cm KwK 36 File:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:8.8_cm_KwK_36_Base_Borden_Military_Museum_1.jpg引用。


8.8cm FlaK 18の諸元
重量 7,407 kg
全長 5.791 m
砲身長 4.938 m L/56
全高 2.10 m
砲弾 88 × 571 mm. R(リムド薬莢)
徹甲弾重量9.5kg、初速 810m/s
貫通力は射程100mで装甲厚(60度角)97mm
500mで93mm
1000mで87mm
1,500mで80mm
2,000mで72mm

写真(右)1943年初め,北アフリカ、チュニジア、ドイツ軍第504重戦車大隊VI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)に俯角を掲げている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-562-1164-26A Archive title: Nordafrika, Tunesien.- Panzersoldaten bei Rast auf Panzer VI "Tiger I" vor Kaktussträuchern, dahinter Zivilisten; XI Fliegerkorps Dating: 1943 Anfang
解説 Schwere Panzer-Abteilung 504 (Size and style of number on turret, located in Tunisia)[1] Depicted place Tunesien 日付 1943年1月 写真家 Appe [Arppe]撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-562-1164-26A, Tunesien, Panzer VI (Tiger I) in Ruhestellung.jpg引用。


1942年6月、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトとイギリス首相ウィストン・チャーチルはワシントン会談によって、北アフリカにアメリカ軍を派兵することで合意した。アメリカ軍は、指揮官ドワイト・D・アイゼンハワーDwight David Eisenhower)中将の下、トーチ作戦Operation Torch)を発動、1942年11月8日にモロッコ、アルジェリアのオランへ上陸部隊を送った。そして、フランス植民地アルジェリアの親ドイツ・ヴィシー政権Vichy France)のフランソワ・ダルランFrançois Darlan)提督に強いて、11月10日、停戦に合意させた。

西側連合国軍が1942年11月8日、トーチ作戦Operation Torch)でフランス領のモロッコとアルジェリアに上陸したことで、エル・アラメインのドイツ・アフリカ軍団は、エジプトの西側連合軍と挟撃される恐れが出てきた。そこで、エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメルErwin Rommel)将軍率いるドイツ・アフリカ軍団Deutsches Afrika-Korps :DAK)は、エジプトから撤退、山岳地があり、港湾にも恵まれているチュニジアに撤退した。

写真(右)1943年初め,北アフリカ、チュニジア、ドイツ軍第504重戦車大隊のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" (後ろ向き)とその脇を反航するサイドカー(側車)付き二輪自動車
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-557-1018-30A Archive title: Tunesien.- Panzer VI "Tiger I" neben Fallschirmjäger auf Motorrad mit Beiwagen (Krad); PK XI. Fliegerkorps Dating: 1943 Anfang Photographer: Appel
Schwere Panzer-Abteilung 504 (Size and style of number on turret, located in Tunisia)[1] Depicted place Tunesien 日付 1943年1月
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-557-1018-30A, Tunesien, Panzer VI (Tiger I) und Krad.jpg引用。


1943年1月末、エジプトのエル・アラメインから2000キロ西方のチュニジアまで撤退したドイツ軍は、2月にカセリーヌ峠で反撃に転じたものの、3月には戦線は押し返された。援軍要請のためにドイツに赴いたロンメルは、敗北、捕虜となることを恐れるヒトラーによってそのままドイツに留まることを余儀なくされた。北アフリカ戦線の指揮を委ねられたハンス=ユルゲン・テオドール・フォン・アルニムHans-Jürgen Theodor von Arnim)将軍のドイツ・アフリカ軍団Deutsches Afrika-Korps :DAK)は、新鋭タイガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)の補充を受けて戦ったが、5月にはチュニスなど補給港を奪され、5月13日に降伏した。この北アフリカでの敗北で捕虜となった枢軸国軍兵士は 27万5000人で、これは4ヶ月前にスターリングラードでソ連軍に捕虜となった兵士の2倍である。

写真(右)1943年,北アフリカ、チュニジア、ドイツ軍第504重戦車大隊VI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)と巨大な車体の周りに物見高いチュニジアの住民が集まっている。
Schwere Panzer-Abteilung 504 (Size and style of number on turret, located in Tunisia) Depicted place Tunesien 日付 1943年 写真家 Linke 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-420-2033-20A, Tunesien, Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


北アフリカ戦線で、1942年11月8日、トーチ作戦によって西側連合軍が、アルジェリアに上陸したため、ドイツ軍はエジプトからチュニジアに撤退したが、ドイツ軍は、1942年11月後半以降、チュニジアにタイガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)を派遣した。 このティーガーI重戦車は、第501重戦車大隊501st Heavy Panzer Battalion)、第504重戦車大隊504st Heavy Panzer Battalion)から各々1コ中隊分、各20両で、これが初の実戦投入だった。

写真(右)1943年,北アフリカ、チュニジア、ドイツ軍第504重戦車大隊VI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)に俯角を掲げている。
Schwere Panzer-Abteilung 504 (Size and style of number on turret, located in Tunisia) Depicted place Tunesien 日付 1943年 写真家 Dullin 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-788-0017-02, Tunesien, Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


ドイツアフリカ軍団のフォン・アルニムHans-Jürgen Theodor von Arnim)大将は、アメリカ軍の進撃阻止する目的でタイガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)を投入し、1943年2月にはアメリカ第1機甲師団を撃破することができた。しかし、イタリアからの軍事物資を補給するためのチュニスが西側連合軍の攻撃にさらされ、タイガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)の補充はなく、5月12日、北アフリカの枢軸軍は全面降伏した。

写真(右)1943年4-5月,北アフリカ、チュニジア西部戦線、ドイツ軍第504重戦車大隊VI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)に俯角を掲げている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-788-0017-03 Archive title: Nordafrika, bei Tunis (Westfront).- Panzer VI "Tiger I", Sanitätssoldat, rechts Schützenpanzer; PK Afrika Dating: 1943 April - Mai
解説 Schwere Panzer-Abteilung 504 (Size and style of number on turret, located in Tunisia)[1] Depicted place 北アフリカ 日付 1943年 写真家 Dullin 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-788-0017-03, Nordafrika, Panzer VI (Tiger I) und Sch?・tzenpanzer.jpg引用。


写真(右)1943年5月―6月,ロシア、ブリャンスクの新鋭VI号重戦車「ティーガー」 Panzer VI "Tiger I" ブリャンスクは、ベラルーシとウクライナとの国境の街なので、スターリンの農業集団化・農地私有廃止に反対する親ドイツ派のウクライナ女性たちなのか、タイガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)の車体に上って、ドイツ軍の戦車兵たちと交歓している。8,8センチ砲は長大で、当時最高の対戦車戦闘能力を備えていたが、戦車の重量が過大で燃費が悪く、機動性も低いのが欠点だった。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-199-1444-33 Archive title: Rußland bei Brjansk.- Panzer VI "Tiger I". Einheimische Frauen und M?・nner in Tracht mit deutschen Panzersoldaten auf dem Panzer; PK 693 Dating: 1943 Mai - Juni Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-199-1444-33引用(他引用不許可)


写真(右) 1943年6-7月,ソ連東部戦線、シタデル(城塞)作戦時期、18トン牽引車(SdKfz 9(Sonder-kraftfahrzeug ))2両で牽引されるVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I":SdKfz 9 は、第二次世界大戦でドイツ軍が使用した牽引力18トンのハーフトラック。
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle". Panzer VI ("Tiger I"; Turmnummer 114) wird von 18 t Zugkraftwagen abgeschleppt; PK 637 Depicted place ロシア 日付 1943年6月 写真家 Altvater
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-199-1444-33引用(他引用不許可)


1943年中旬「シタデル」(城砦)作戦には,?号戦車「パンテル」とともに投入されたタイガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E: Sd. Kfz. 181)だが,作戦は失敗している。ドイツ装甲師団は,戦車の質・量でソ連軍に不利になり,作戦・用兵にあっても必ずしも優れているとはいえなくなった。

写真(右)1943年夏,東部戦線の修理工場で整備中のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :デリックで56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)装備のまま砲塔を外して整備終了後、元の位置にはめ込んでいる。

Sowjetunion.- Reparatur eines Panzers VI "Tiger I" (Turmreparatur) mit Kran (Frieskran / Strabokran); PK 637 Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日 写真家 Kipper撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File: Bundesarchiv Bild 101I-022-2923-05A, Russland, Reparatur Panzer VI "Tiger I".jpg引用。


トーションバーサスペンションtorsion bar spring)は、棒ばねの弾性を利用して起動時の衝撃を緩和し、転輪(直径80cm)も接地圧を分散するために千鳥式配置zigzag arrangement )を採用した。しかし、転輪と転輪が重複して、間隔が狭くなったために、隙間に泥が付着し、凍結して起動困難になることがあった。また、損傷した転輪の交換にも、損傷していない転輪を外す必要があり、急速整備が困難であった。ソ連戦車は千鳥足配置を採用せず、単純に大型転輪を並べただけで済ませていた。生産性もこの方式が優れている。

写真(右)1943年夏,東部戦線の修理工場で整備中のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :デリックで56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)装備のまま砲塔を外して整備終了後、元の位置にはめ込んでいる。
Sowjetunion.- Reparatur eines Panzers VI "Tiger I" (Turmreparatur) mit Kran (Frieskran / Strabokran); PK 637 Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日 写真家 Kipper撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2923-06A, Russland, Reparatur Panzer VI "Tiger I".jpg引用。


写真(右)1943年6月-7月,東部戦線のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" 323号車:前面100 mm、側面・後面80 mmの重装甲を施した砲塔に高射砲を改造した56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を搭載した。
Archive title: Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle", Soldaten auf Panzer VI "Tiger I" (Turmnummer 323); PK 637 Dating: 1943 Juni - Juli Photographer: Wolff/Altvater Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild101I-022-2935-10A引用(他引用不許可)


1943年初頭、マンシュタイン将軍は、ソ連東部戦線のハリコフ防衛線で戦局悪化を食い止め、春のうちに反撃に移ることを提言した。これがシタデレ(城塞)作戦Unternehmen Zitadelle )の期限であるが、攻撃時期は、新鋭戦車の整備が終わる夏まで遅れてしまった。ソ連軍の諜報網は、マンシュタインの反撃計画を探知しており、ドイツ軍のクルスク突出部での反撃に備え、防衛陣地の構築を急いでいた。ドイツ側もソ連軍のクルスク陣地構築を始めたことを知り、攻撃計画を再検討する動きもあった。しかし、ヒトラーは東部戦線の挽回を命じており、新鋭戦車がそろった1943年7月4日にシタデレ(城塞)作戦Unternehmen Zitadelle )を決行することが決まった。

写真(右)1943年6月21日,ロシア東部戦線、クルスク、シタデル(城塞)作戦、ドイツ軍兵士が、左側の弾薬運搬トラックから第503重戦車大隊第1中隊所属のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" への8,8センチ砲弾の搭載作業に従事している。
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle". neue Granaten für Panzer VI "Tiger I"; PK 637 解説 Information added by Wikimedia users. Mid 1943, 1st company, sPzAbt.503, Russia Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日 写真家 Wolff, Paul Dr. 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2948-27, Russland, Panzer VI (Tiger I), Munition.jpg引用。


写真(右)1943年6月21日,ロシア東部戦線、クルスク、シタデル(城塞)作戦、ドイツ軍第503重戦車大隊所属のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" への8,8センチ砲弾搭載作業:56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)の砲弾は92発を携行できる。
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle". neue Granaten für Panzer VI "Tiger I"; PK 637 解説 Information added by Wikimedia users. Mid 1943, 1st company, sPzAbt.503, Russia Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日 写真家 Wolff, Paul Dr.撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2948-22, Russland, Panzer VI (Tiger I), Munition.jpg引用。


 しかし、なんとドイツ軍が南北から装甲師団8個と歩兵師団を投入して攻撃しようとした前夜、ソ連軍の一斉砲火がドイツ軍を襲った。ソ連軍はドイツ軍の攻撃日時を探知し、そのまえに先制攻撃を仕掛けてきたのである。にもかかわらずドイツ軍はタイガー戦車(Pz.Kpfw VI Tiger SdKfz 181)入してクルスク突出部での攻勢を開始した。ドイツ軍は、ソ連軍のトーチカ、対戦車砲、そして戦車によって防衛された陣地のため進撃速度は低下した。この時点で、シタデレ(城塞)作戦Unternehmen Zitadelle )の失敗は決まったようなものだった。

写真(右)1943年6月21日,ロシア東部戦線、クルスク、シタデル(城塞)作戦時のドイツ国防軍第503重戦車大隊のVI号重戦車「ティーガー」 Panzer VI "Tiger I" への8,8センチ砲弾搭載作業
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle".- neue Granaten für Panzer VI "Tiger I"; PK 637 解説 Information added by Wikimedia users. Mid 1943, 1st company, sPzAbt.503, Russia Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日 写真家 Wolff, Paul Dr.撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2948-27, Russland, Panzer VI (Tiger I), Munition.jpg引用。


タイガー戦車(Pz.Kpfw VI Tiger SdKfz 181)は56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)の砲弾を92発を携行できる。 砲弾には何種類もある。
一般的な88 mm 39型徹甲弾(Panzergranate 39 :PzGr. 39)の場合、重量 10.20 kg 、初速 773 m/s、爆薬 0.059 kg (0.13 lb)。

垂直から30度傾けた装甲板に対する貫通能力(mm)は目標までの距離(m)に応じて以下の通り。
100 m 132 mm
500 m 110 mm
1000 m 99 mm
1500 m 91 mm
2000 m 83 mm
3000 m n/a

より強力な88 mm 40型徹甲弾(Panzergranate 40 :PzGr. 40)の場合、重量 7.30 kg 、初速 930 m/s 。

垂直から30度傾けた装甲板に対する貫通能力(mm)は目標までの距離(m)に応じて以下の通り。
100 m 171 mm
500 m 156 mm
1000 m 138 mm
1500 m 123 mm
2000 m 110 mm

写真(右)1943年6月21日,ロシア東部戦線、クルスク、シタデル(城塞)作戦、ドイツ軍第503重戦車大隊のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"が車体上面前方ハッチから8,8センチ砲弾を搭載している。:56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56の砲弾は92発を携行できる。
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle".- neue Granaten für Panzer VI "Tiger I"; PK 637 解説 Mid 1943, Tiger 123, 1st Company sPzabt.503 Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2948-28, Russland, Panzer VI (Tiger I), Munition.jpg引用。


写真(右)1943年6月21日,ロシア東部戦線、クルスク、シタデル(城塞)作戦時のドイツ軍第503重戦車大隊のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" への8,8センチ砲弾搭載作業:56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56の砲弾は92発を携行できる。
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle".- neue Granaten für Panzer VI "Tiger I"; PK 637 解説 Mid 1943, Tiger 123, 1st Company sPzabt.503 Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2948-36, Russland, Panzer VI "Tiger I".jpg引用。


写真(右)1943年6月21日,ソビエト連邦、東部戦線、クルスク、シタデル(城塞)作戦、ドイツ軍第503重戦車大隊のVI号重戦車「ティーガー」 Panzer VI "Tiger I"がエンジンルームに通じる車体上面後方ハッチから点検している。Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle".- Soldat bei Wartung seines Panzers VI "Tiger I" (Turmnummer 323); PK 637 Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日 写真家 Wolff/Altvater 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2948-36, Russland, Panzer VI "Tiger I".jpg引用。


タイガー戦車(Pz.Kpfw VI Tiger SdKfz 181)の動力は、ガソリン機関であり、ソ連T-34戦車のようなディーゼル機関ではない。エンジン排気量は2万1000cc、V12液冷マイバッハ製で出力550馬力である。後期型は、出力を700馬力の強化している。しかし、ガソリンエンジンは、ディーゼルエンジンに比べて燃費が悪く、補給輸送距離の長く、燃料不足のドイツ軍にとって、マイナス要因となった。

写真(右)1943年6月21日,ソビエト連邦、東部戦線、クルスク、シタデル(城塞)作戦、ドイツ軍第503重戦車大隊のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"の砲弾搭載作業終了。
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle".- Soldat bei Wartung seines Panzers VI "Tiger I" (Turmnummer 323); PK 637 Depicted place ロシア Mid 1943, 1st Company, sPzAbt.503 Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日 写真家 Mittelstaedt, Heinz 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2949-05, Russland, Soldaten auf Panzer VI "Tiger I".jpg引用。


写真(右)1943年6月21日,ロシア東部戦線、クルスク、シタデル(城塞)作戦、ドイツ軍第503重戦車大隊のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"が車体前方内部
解説 Sowjetunion.- Reparatur eines Panzers VI "Tiger I" (Turmreparatur) mit Kran (Frieskran / Strabokran); PK 637 Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日 写真家 Kipper 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2949-19, Russland.- Panzerinnenraum.jpg引用。


写真(右)1943年夏,ロシア東部戦線、クルスク、シタデル(城塞)作戦、ドイツ軍第503重戦車大隊のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"の砲塔を外しての修理・整備作業
解説 Sowjetunion.- Unternehmen "Zitadelle". Soldat im Inneren eines Panzers (VI "Tiger I"?); PK 637 日付 1943年6月21日 写真家 Mittelstaedt, Heinz 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2923-07A, Russland, Reparatur Panzer VI "Tiger I".jpg引用。


写真(右)1943年夏,ロシア東部戦線、クルスク、シタデル(城塞)作戦、ドイツ軍第503重戦車大隊のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"の砲塔を外しての修理・整備作業
解説 Sowjetunion.- Unternehmen "Zitadelle". Soldat im Inneren eines Panzers (VI "Tiger I"?); PK 637 日付 1943年6月21日 写真家 Mittelstaedt, Heinz 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2923-08A, Russland, Reparatur Panzer VI "Tiger I".jpg引用。


第二次大戦最大の戦車作戦となった「シタデレ(砦)作戦」には、8.8センチ高射砲(8.8 cm FlaK 18)改良の強力な戦車砲を装備したタイガー戦車(Pz.Kpfw VI Tiger SdKfz 181)が参戦した。1943年7月4日、ドイツ軍の「シタデレ(Zitadelle)作戦」が開始され、クルスクの突出部を南北両方向から攻撃した。この作戦で、ドイツ軍はソ連赤軍に大損害を与えたが、戦線は突破できず、地中海方面で、アメリカ・イギリス軍が1943年7月10日にイタリア、シチリア島への上陸作戦「ハスキー作戦」を開始した。結局、ドイツ軍のシタデレ作戦は、8月に失敗に終わった。

写真(右)1943年夏,ソビエト連邦、東部戦線、被弾したVI号重戦車「ティーガー」 Panzer VI "Tiger I" 車体側面を指し示すドイツ兵士:76.2ミリ砲クラスの砲撃を受けたが、分厚い装甲のために貫通していない。
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle".- Zwei Soldaten beim Betrachten eines Treffers an einem Panzer VI "Tiger I"; PK 637 Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日 写真家 Wolff/Altvater 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2935-25A, Russland, Treffer an Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


写真(右)1943年夏,ソビエト連邦、東部戦線、被弾したVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" 車体側面を指し示すドイツ兵士:76.2ミリ砲クラスの砲撃を受けたが、分厚い装甲のために貫通していない。
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle".- Zwei Soldaten beim Betrachten eines Treffers an einem Panzer VI "Tiger I"; PK 637 Depicted place ロシア 日付 1943年6月21日 写真家 Wolff/Altvater 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-022-2935-25A, Russland, Treffer an Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


写真(右):1943年7月,ソ連東部戦線、ベルゴルド、クルスク戦車戦、ドイツ軍VI号ティーゲル重戦車に8,8センチ砲弾を搭載する兵士たち:搭載している56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)は、8.8センチ高射砲(8.8 cm FlaK 18)を原型とした高初速の火砲で、破壊力が大きく、対戦車戦闘能力の高さが期待されていた。
Inventory: Bild 183 - Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild Signature: Bild 183-J14931 Original title: info ADN-Bildarchiv II. Weltkrieg 1939-45 An der Front in der Sowjetunion; Ende Juli 1943 Die Besatzung eines schweren Panzers der deutschen Waffen-SS übernimmt w?・hrend der Schlacht im Kursker Bogen Granaten vor einem neuen Einsatz im Raum Bjelgorod. Aufnahme: Rottensteiner 3787-43 [Scherl Bilderdienst] Archive title: Sowjetunion, bei Belgorod.- Kampf um Kursk / "Unternehmen Zitadelle".- Versorgung eines Panzer VI "Tiger I" mit 8,8-cm Granaten Dating: Juli 1943 Photographer: Rottensteiner撮影。写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
 

写真(右)1943年12月,ロシア東部戦線、ドイツ軍武装親衛隊SS装甲師団「ダスライヒ」(帝国)所属のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"がIV号戦車の隊列に続いている
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle".- neue Granaten für Panzer VI "Tiger I"; PK 637 解説 Sowjetunion-Nord, bei Kirowograd.- Kolonne von Panzer IV, dahinter zwei Panzer VI "Tiger I" des II. SS-Pz-Korps "Das Reich" bei Fahrt auf einem Weg in verschneitem Wald; PK Fs AOK Depicted place ロシア 日付 1943年12月 写真家 Schnitzer 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Bundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-571-1721-26, Russland, Panzer IV, Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


写真(右)1943年12月,ロシア東部戦線、ドイツ軍武装親衛隊SS装甲師団「ダスライヒ」(帝国)所属のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"がIV号戦車の隊列に続いている
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle".- neue Granaten für Panzer VI "Tiger I"; PK 637 解説 Sowjetunion-Nord, bei Kirowograd.- Kolonne von Panzer IV, dahinter zwei Panzer VI "Tiger I" des II. SS-Pz-Korps "Das Reich" bei Fahrt auf einem Weg in verschneitem Wald; PK Fs AOK Depicted place ロシア 日付 1943年12月 写真家 Schnitzer 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Bundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-571-1721-26A, Russland, Panzer IV, Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


 弾丸と薬莢とからなるカートリッジCartridge)が砲弾である。カートリッジCartridge)は、日本では、実包(じっぽう)あるいは弾薬筒(だんやくとう)と呼ばれる。

 弾丸は、古来、球形の鉛製であり、これと火薬を銃身に仕込んで、火薬を燃焼させて、発射していた。これが500年間も続いた銃(gun)である。19世紀になると、第一に、銃身の内側に螺旋状の溝、すなわちライフルRifling)が採用された。ライフルは、日本では施条(しじょう)あるいは腔綫(こうせん)と呼ばれる。発射された弾丸を、回転させて弾道を安定化させ、飛翔距離を長くすることができた。第二に、弾丸が球形から円錐形・紡錘形のミニエー弾(ミニ弾)がフランスで開発された。南北戦争のゲッチスバークの戦いで、ライフル銃とミニ弾が使用され、南軍に1万名の死傷者を出した。第三が、金属製薬莢によって、弾丸と薬莢が一体化されたことである、南北戦争後、弾丸と金属製薬莢を一体化したカートリッジの採用が一般化した。第四に、1880年代に黒色火薬から無煙火薬に転換したことである。ニトログリセリンを使った無煙火薬によって、弾丸の砲口初速は秒速300メートルから、600メートルに高速化した。無煙火薬で発射された弾丸は、煙が出ないので、弾道が視認できなかったので、マグネシウムを仕込んだ曳光弾を5発に1発混ぜて弾道を目視確認できるようになった。弾丸のサイズが大きくなれば、発射に必要な火薬も多く必要で、破壊力も大きくなる。

写真(右)1943年12月,ロシア東部戦線、ドイツ軍武装親衛隊SS装甲師団「ダスライヒ」(帝国)所属のVI号重戦車「ティーガー」 Panzer VI "Tiger I"がIV号戦車の隊列に続いている
Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle".- neue Granaten für Panzer VI "Tiger I"; PK 637 解説 Sowjetunion-Nord, bei Kirowograd.- Kolonne von Panzer IV, dahinter zwei Panzer VI "Tiger I" des II. SS-Pz-Korps "Das Reich" bei Fahrt auf einem Weg in verschneitem Wald; PK Fs AOK Depicted place ロシア 日付 1943年12月 写真家 Schnitzer 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Bundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-571-1721-29, Russland, Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


 ティーガー戦車の動力は、ガソリン機関であり、ソ連T-34戦車のようなディーゼル機関ではない。エンジン排気量は2万1000cc、V12液冷のマイバッハ製で出力550馬力である。後期型は、出力を700馬力の強化している。しかし、ガソリンエンジンは、ディーゼルエンジンに比べて燃費が悪く、補給輸送距離の長く、燃料不足のドイツ軍にとって、マイナス要因となった。

写真(右)1944年1-2月,ソ連東部戦線、VI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"の砲塔を外して整備終了後、元の位置にはめ込んでいる。: 戦前から重戦車の構想はあったが、重戦車として基本方針が定まったのは、1941年5月のヒトラーの命令による。その直後、6月22日にバルバロッサ作戦にのっとって対ソ戦が始まり、重防御と大きな攻撃力(火力)を持つソ連赤軍のT-34戦車やKB-1,KB-2 重戦車に直面すると、それらを上回る最強戦車を目指すことになった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-278-0875-25A Archive title: Sowjetunion.- Instandsetzung eines Panzers VI "Tiger I" unter Einsatz eines Strabokrans. Ausbau des Turms; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer 撮影。
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-278-0875-25A引用。


1942年6月3日,ドイツ軍は,クリミアの要衝セワストポリをロケット弾,クルップ16口径42センチ「ガンマ」臼砲(重量140トン,射程14キロ),モーゼル60センチ「カール」臼砲(重量124トン,10キロ),クルップ80センチ「ドーラ」列車砲(重量1350トン,射程38キロ)を含む1300門の火砲で砲撃した。

マンシュタイン将軍は,5日間も砲撃を加え,リヒトフォーヘンの空軍は連日延べ1000-2000機を投入した。パウル・カレル『バルバロッサ作戦』は,マンシュタイン将軍の戦術を高く評価しているが,ドイツ軍は制空権を把握し物量を誇っていた。

写真(右)1944年1月-2月,東部戦線の修理工場で整備を受けるVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :デリックで砲塔を外して整備終了後、元の位置にはめ込んでいる。
重装甲のティーガーI の車体前面は100mm、側面は60mmの装甲で、鋳造砲塔前面は120mm、側面および後方は80mmの装甲で覆われている。上面と底部の装甲は25mmと薄く、機銃弾や砲弾の破片を防げる程度である。戦争末期には、航空機による対地攻撃に備えるために上面装甲は40mm厚に強化された。
 しかし、ティーガーの装甲は、T-34戦車のように湾曲した避弾形状でなかく、垂直に切り立ったものであった。これは、圧延鋼板を溶接して装甲したためであり、砲塔を一挙に鋳造することができないでいたための措置ともいえる。また、重装甲は大重量となり、機動性を大きく低下させた。これは、未舗装道路や野外走行を主とする戦車の機動性を大きく低下させた。
Signature: Bild 101I-278-0875-30 Archive title: Sowjetunion.- Instandsetzung eines Panzers VI "Tiger I" unter Einsatz eines Strabokrans. Ausbau des Turms; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


◆ヒトラー総統は,ソ連に侵攻,領土を拡張したのであって,ウクライナの独立・自治を認めるつもりはなかった。プロパガンダとして,ウクライナ独立を期待させ,協力させる武装親衛隊を編成することに譲歩しただけだった。
したがって,占領した東方ソ連の肥沃な大地に,ユダヤ人を追放することは考えられない。

ナチスは,ゲットーに囲い込み管理できるようになったユダヤ人を,東方ソ連に追放,移住すれば,ドイツにとっての災いの種になることを知っていた。そこで,ナチスは,ゲットーに集めたユダヤ人を,困窮するに任せた。物資不足の中で,貧しく病弱なユダヤ人から,順次,死んでいった。

1942年初頭,援軍,航空支援を得ることができなかったソ連軍は,ハリコフ方面を攻撃をする予定だった。ケルチ半島への上陸は,その陽動作戦だったのかもしれない。クリミア半島先端のセワストポリ要塞は,ドイツ軍を拘束するための捨石とも言える。1年経たないうちに,スターリングラード「要塞」ドイツ第六軍も壊滅するが,それはA軍集団を撤退させる時間稼ぎに,ソ連軍拘束という捨石の意味を持つのかもしれない。

写真(右)1944年1月-2月,東部戦線の修理工場で整備を受けるVI号重戦車「ティーガー」 Panzer VI "Tiger I" :デリックで56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を搭載した砲塔を外して整備してから、元の位置にはめ込んだ。
ドイツ陸軍には従来の5センチ戦車砲を上回る強力な戦車砲がなかったために、新型重戦車には、急遽、対航空機撃墜用に使用されていた8.8センチ高射砲(8.8 cm FlaK 18)を改造して戦車砲とし、あらゆる戦車を撃破できる攻撃力(火力)を有することになった。したがって、大口径砲を搭載する砲塔、それを載せる車体も大型化した。
Signature: Bild 101I-278-0875-30 Archive title: Sowjetunion.- Instandsetzung eines Panzers VI "Tiger I" unter Einsatz eines Strabokrans. Ausbau des Turms; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


東部戦線膠着の責任は,A軍集団司令官リスト元帥にあるとされ,1942年9月7日,総統大本営から国防軍総司令部統帥部長ヨードル大将がA軍集団に派遣され,リスト元帥に説明を求めた。

ヨードル大将はリスト元帥の攻撃停滞を納得したが,ヒトラーは,ヨードル大将の説明に憤慨し,将軍たちが自分の出した命令を遵守していない,と非難した。こうして,9月9日にA軍集団司令官リスト元帥が,9月25日にはハルダー参謀総長が解任された。A軍集団の後任司令官は,11月22日,クライスト大将が就任するまで,ヒトラーが直接指揮した。

1942年,ドイツ軍は黒海と黒海北東岸の都市の制圧,カフカス油田の攻略という二つの目標をブラウ作戦でおっていた。しかし,ソ連軍の抵抗のために目標は達成不可能になった。

1942年夏,ブラウ作戦では,副次的目標だったスターリングラード付近での比較的順調だった。8月24日,スターリングラード北端の工場街スパルタコフカを,ドイツ地上軍と空軍部隊は攻撃。

写真(右)1944年1月-2月,東部戦線の修理工場で整備を受けるVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :デリックで砲塔を外して整備終了後、元の位置にはめ込んでいる。
Signature: Bild 101I-278-0875-30 Archive title: Sowjetunion.- Instandsetzung eines Panzers VI "Tiger I" unter Einsatz eines Strabokrans. Ausbau des Turms; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


フォン・ボック元帥は、1941年6月のソ連侵攻バルバロッサ作戦では,主力となった中央軍集団司令官に就任,当初は大戦果を挙げたが,1941年12月17日,モスクワの戦いで敗北,後任はクルーゲだった。

しかし,1942年1月18日,死亡したフォン・ライヘナウ元帥後任として南方軍集団司令官にボック元帥は再び就任したのである。ただし,7月14日,南方軍集団を分割するヒトラーに反対して再び解任。日本軍では行わないような大幅な人事変更は,ドイツ軍,ソ連軍,米軍でも頻繁にあった。

◆電撃戦に必要なこのような兵器を開発,量産したドイツの技術は高度なものである。同時に,その軍事技術を何のために,誰が用いようとしたのかが問われなくてはならない。技術を開発し,それを体化させた兵器を作り出し,その兵器を運用するのは人間である。そして,その兵器のために破壊される財産や殺害される人間がいる。となれば,大量破壊,大量殺戮をもたらす技術を開発することが正当化どうかということにもなる。

フォン・ボック元帥(1885-1945)は,中央軍集団の北方軍集団司令官として1939年ポーランド戦参加,B軍集団司令官として1940年フランス戦に参加し,軍功をあげて,元帥に昇格した。

ハリコフ挟撃を企図するソ連軍チモシェンコ元帥の攻撃を受けて,1942年6月28日,フォン・ボック元帥は,ソ連軍を逆包囲し,1942年4月5日の極秘命令・総統指令41号に則って,スターリングラード,カフカスを目指すブラウ作戦を開始した。ハリコフ北方で,ドイツ軍の反撃が開始され,激戦の結果,ソ連軍は逆包囲され敗北した。

南方軍集団(司令官フォン・ボック元帥)は,アゾフ海に注ぐドン川の渡河地点を確保し,スターリングラード方面に進撃することになった。ソ連軍は後退し,ヒトラーはこれをソ連軍の士気阻喪,崩壊と考えた。そこで,7月13日,南方軍集団(司令官フォン・ボック元帥)を二分して,A軍集団(ヴィルヘルム・リスト元帥)とB軍集団(フォン・ヴァイクス大将)に分けた。

この時ボック元帥は南方軍集団の分割に反対し,解任させられた。A軍集団は,カフカスに向かうことになり,B軍集団だけがスターリングラードに進撃することになった。

写真(右)1944年1月-2月,東部戦線の修理工場で整備中のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :デリックで56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)装備のまま砲塔を外して整備終了後、元の位置にはめ込んでいる。
Sowjetunion.- Instandsetzung eines Panzers VI "Tiger I" unter Einsatz eines Strabokrans. Ausbau des Turms; PK 697 Depicted place ロシア 日付 1944年1月 写真家 Wehmeyer 撮影。 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-278-0875-17A, Russland, Reparatur eines Panzers VI (Tiger I).jpg引用。


写真(右)1944年1月-2月,東部戦線の修理工場で整備中のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :デリックで56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)装備のまま砲塔を外して整備終了後、元の位置にはめ込んでいる。
Sowjetunion.- Instandsetzung eines Panzers VI "Tiger I" unter Einsatz eines Strabokrans. Ausbau des Turms; PK 697 Depicted place ロシア 日付 1944年1月 写真家 Wehmeyer 撮影。 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-278-0875-31A, Russland, Reparatur eines Panzers VI (Tiger I).jpg引用。


写真(右)1944年1月-2月,対ソビエト連邦、東部戦線の修理工場で整備中のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :デリックで56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56)装備のまま砲塔を外して整備終了後、元の位置にはめ込んでいる。
Signature: Bild 101I-278-0875-30 Archive title: Sowjetunion.- Instandsetzung eines Panzers VI "Tiger I" unter Einsatz eines Strabokrans. Ausbau des Turms; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


トーションバーサスペンションは、棒ばねの男性を利用して起動時の衝撃を緩和し、転輪(直径80cm)も接地圧を分散するために千鳥足式配置を採用した。しかし、の転輪と転輪が重複して、間隔が狭くなったために、隙間に泥が付着し、凍結して起動困難になることがあった。また、損傷した転輪の交換にも、損傷していない転輪を外す必要があり、急速整備が困難であった。ソ連戦車は、千鳥足配置を採用せず、単純に大型転輪を並べただけで済ませていた。生産性もこの方式が優れている。

写真(右)1944年1月-2月,東部戦線のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" :冬季の白色迷彩塗装が施されている。
Archive title: Sowjetunion.- Zwei Panzer VI "Tiger I" mit Besatzung auf verschneiter Straße; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Jacob Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


ヒトラーのスターリングラード攻略命令に対して,スターリンは,イェレメンコ大将と政治委員コミサールのニキータ・フルシチョフ(後のソ連首相)は,スターリングラードの防備を固めて陣地を死守した。スターリングラード・トラクター工場(ジェルジンスキー工場)からは,完成したばかりのT-34戦車が出動した。

ソ連軍は米軍の武器貸与法に基づく軍事物資を,北海を越える輸送船団あるいはイランを抜けるトラック輸送によって,受け取っていた。米国製のM3Aスチュアート軽戦車は米国製で武器貸与法(レントアンドリース)によって,米国からソ連に軍事援助された。米英からソ連への援助ルートは,ペルシャ湾・黒海からからロシア南部に入るルートと,ノルウェー北岸から,ロシア北部に入るルートがあった。

ヒトラーは,A軍集団のカフカスの戦いが膠着している時期だったので,B軍集団のスターリングラード突入を喜んだ。ボルガ川の交通を遮断し,米国からソ連への軍事物資ルートや,カフカスの石油などの輸送ルートを寸断し,爾後のカフカス攻撃の側面防壁にしようと,ヒトラーは,「スターリン」の名前を冠したスターリングラードの攻略に高い優先順位を与えた。

スターリングラード攻防戦の時期、ソ連北部では新型VI号戦車ティーガーが、ソ連軍に対して投入された。重装甲,8.8センチ高射砲(8.8 cm FlaK 18)の改造型を装備,大出力エンジンを搭載した防御力,攻撃力の高い重戦車だった。

ソ連軍のT-34戦車は,1942年には大量投入されており,ドイツ軍がT-34に対抗できるティガー戦車を独ソ戦に実線投入したのは,1942年暮れ以降だった。それまで,ドイツ軍戦車は,T-34戦車を撃破することは困難だった。ティーガー戦車は,1942年当時,ソ連軍KW-1重戦車に勝っていた数少ない重戦車だったが,前線配備されるのは1942年後半からで,数も少なかった。ソ連南部ではスターリングラードの戦いに、ティーガー戦車は投入されていない。

1942年5月12日,ハリコフ南方で突出していたソ連軍は,チモシェンコ元帥の指揮の下で,ハリコフのドイツ第六軍を挟撃する攻撃を仕掛けた。これは,ドイツ軍が「フレデリック」作戦によって,ハリコフ正面の敵を挟撃しようとしたのを諜報機関が察知して,「フレデリック」作戦発動前に奇襲攻撃を仕掛けたのかもしれない。

写真(右)1944年3月,イタリア戦線、ドイツ軍第508重戦車大隊のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"と12口径15センチ臼砲(15cm StuH 43(/1) L/12)を搭載した「ブルムベア」突撃砲 :IV号戦車の砲塔を撤去し戦闘室に12口径15センチ砲を搭載した「ブルムベア」突撃砲は、全長5.9 m、全幅2.9 m、全高2.5 m、重量28.2 t、乗員5名、 マイバッハ HL120TRM1-4ストロークV型12気筒液冷ガソリンエンジン300 馬力搭載。
解説 Information added by Wikimedia users. Tiger is of Schwere Panzer-Abteilung 508 (only Tiger unit that was near Nettuno at this date)[1] Depicted place Nettuno 日付 1944年3月 写真家 Vack撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-311-0903-23, Bei Nettuno, Sturmpanzer "Brummbär", "Tiger I".jpg引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年3月,イタリア戦線、ドイツ軍第508重戦車大隊所属のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"の後方、排気関連の修理・整備中のようだ。:ティーガーIのキャタピラ履帯)の幅は725mmある。
解説 Schwere Panzer-Abteilung 508 (only Tiger unit that was near Nettuno at this time)[1] Depicted place Nettuno 日付 1944年3月 写真家 Vack 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-311-0904-39, Italien, Panzer VI (Tiger I), Reparatur.jpg引用。


ティーゲルIの重戦車の動力は、マイバッハMaybach HL230 P45水冷4ストロークV型12気筒ガソリンエンジンで、 690馬力、515 kWである。ティーガーI重戦車の車体後部の機関室にはエンジン、燃料タンク、エンジン冷却のためのラジエータおよびファンが搭載されている。このMaybach HL230 P45水冷ガソリンエンジンの排気量21リットルだった。

ティーガーI重戦車は、重量57トンもあったため、自動車道路に掛かる橋梁の荷重制限外の課題重量だった。そこで、ティーガーI重戦車は、機関室後部に高さ3メートルの伸縮性吸気筒(シュノーケル)を装備し、水密性を確保するゴムを使った防水構造を採用し、水深4メートルまで水中を走行できた。しかし、このよう潜水機能は、製造コストの負担を重くし、量産性も低下させたために、潜水構造は直ぐに廃止された。

写真(右)1944年3月,イタリア戦線、ドイツ軍第508重戦車大隊のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"の前方でキャタピラ(覆帯)を交換・修理するドイツ兵士
解説 Schwere Panzer-Abteilung 508 (only Tiger unit that was near Nettuno at this time Depicted place Nettuno 日付 1944年3月 写真家 Vack 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-311-0904-21, Italien, Panzer VI (Tiger I), Reparatur.jpg引用。


ティーガーIは、54トンの過大な重量があるため、不整地での行動、機動性に配慮して、接地圧を低くする必要があった。そこで、ティーガーIのキャタピラ履帯)の幅は、72.5センチと非常に幅が広い。他方、この幅広キャタピラ履帯)は、それ自体の重量も重く、鋼管や修理に手間がかかったため、稼働率の維持に負担がかかった。

写真(右)1944年6月18日、中部イタリア、ローマ北、破損し横倒しになったドイツ軍ティーゲル重戦車:カーキ色ではなく、ジャーマングレーと呼ばれた灰褐色で塗装され、車体前面には、対戦車吸着爆雷が付かないように、磁気を遮断するプラスチックのコーティングが施されている。アメリカ軍のトラックがティーゲル重戦車の脇を走り去っている。
Catalogue number:TR 1920, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date: 1944-06-18、 Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, War Office official photographer: Tanner (Capt) (Photographer), Object description: A German Tiger tank on its side in a ditch, north of Rome, and an American lorry in the background driving past, 18 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (TR 1920)


写真(右)1944年春,北フランス、ドイツ武装親衛隊装甲師団「ライプシュタンダルテ・アドルフヒトラー」所属のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" 砲塔番号 Trmnummer)131号車 :
Nordfrankreich.- Panzer VI (Tiger I, Turmnummer 131) des 1. SS-Pz.-Korps "Leibstandarte Adolf Hitler" in Ortschaft vor einer Kirche, rechts Schwimmk?・bel; PK 698 Depicted place フランス 日付 1944年3月21日 写真家 Scheck撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-299-1804-04, Frankreich, Panzer VI (Tiger I) in Ortschaft.jpg引用。


写真(右)1944年春,北フランス、ドイツ武装親衛隊装甲師団「ライプシュタンダルテ・アドルフヒトラー」所属のVI号重戦車「ティーゲル」 砲塔番号311号(Turmnummer 311) 車 Panzer VI "Tiger I" :
Nordfrankreich.- Soldaten vor Panzer VI "Tiger I" (Turmnummer 311) des SS-Pz-Korps "Leibstandarte Adolf Hitler"; PK 698 Depicted place Nordfrankreich 日付 1944年3月21日 写真家 Scheck 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-299-1805-03, Nordfrankreich, Soldaten vor Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


写真(右)1944年春,北フランス、ドイツ武装親衛隊装甲師団「ライプシュタンダルテ・アドルフヒトラー」所属のVI号重戦車「ティーゲル」311号車 Panzer VI "Tiger I"
:Nordfrankreich.- Soldaten vor Panzer VI "Tiger I" (Turmnummer 311) des SS-Pz-Korps "Leibstandarte Adolf Hitler"; PK 698 Depicted place Nordfrankreich 日付 1944年3月21日 写真家 Scheck 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-299-1805-02, Nordfrankreich, Soldaten vor Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


写真(右)1944年春,北フランス、ドイツ武装親衛隊装甲師団「ライプシュタンダルテ・アドルフヒトラー」所属のVI号重戦車「ティーゲル」232号車 Panzer VI "Tiger I" (Turmnummer 232)
:Nordfrankreich.- Soldaten vor Panzer VI "Tiger I" (Turmnummer 311) des SS-Pz-Korps "Leibstandarte Adolf Hitler"; PK 698 Depicted place Nordfrankreich 日付 1944年3月21日 写真家 Scheck 撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-299-1805-21, Nordfrankreich, Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


写真(右)1944年6月,北フランス、ノルマンディ、カーン南方ヴィレル・ボカージュ、偽装したドイツ軍武装親衛隊SS「ライプシュタンダルテ・アドルフヒトラー」所属のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" (Sd.Kfz. 181) :SS第101重戦車大隊第2中隊長ミハエル・ヴィットマンは、1944年6月13日、ヴィレル・ボカージュでイギリス陸軍第7機甲師団のシャーマン ファイアフライ、クロムウェル戦車などを撃破し、ティーガー戦車の強さを西側連合軍にも知らしめた。
Frankreich, bei Villers-Bocage.- zwei Panzer VI "Tiger I" (Sd.Kfz. 181; hinterer Panzer mit Turmnummer 231) der SS-Leibstandarte "Adolf Hitler" auf einer Landstraße; PK Signal-Einsatz Depicted place Bei Villers-Bocage 日付 1944年6月 写真家 Grimm, Arthur撮影。 Origin: Bundesarchiv
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-738-0275-10A, Bei Villers-Bocage, Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


写真(右)1944年7-8月,北フランス、ノルマンディ、カーン南方ヴィレル・ボカージュ、偽装したドイツ軍のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I" (Sd.Kfz. 181)
Frankreich, bei Villers-Bocage.- Panzersoldaten vor stark getarntem Panzer VI "Tiger I" (Sd.Kfz. 181) der SS-Leibstandarte "Adolf Hitler"; PK Signal-Einsatz Depicted place Bei Villers-Bocage Date June 1944 Photographer Grimm, Arthur 撮影。Origin: Bundesarchiv
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-738-0275-10, Bei Villers-Bocage, getarnter Panzer VI (Tiger I).jpg引用。


写真(右)1944年6月,西部戦線, 北フランスでドイツ軍に撃破されたクロムウェル戦車:イギリス軍の対戦車用戦車といえるが、タイガーVI号重戦車を参考にしたのか、避弾径始(ひだんけいし: Glacis plate)は採用されておらず垂直に切り立った装甲板が施されている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-494-3376-20A Archive title: Frankreich, Villers-Bocage.- Zerstörter britischer Panzer Cruiser tank VIII Cromwell; Lfl 3 Dating: Juni 1944 Photographer: Zwirner Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-494-3376-20A引用(他引用不許可)


写真(右)1944年7月18日,フランス、ノルマンディー地方、連合軍重爆撃機の爆撃で転覆したドイツ陸軍第503重戦車大隊第3中隊所属のVI号戦車テーゲルTiger I:連合軍は重爆撃機による地上支援爆撃「グッドウッド」作戦(Operation 'Goodwood')を1944年7月18日に実施したが、その大型爆弾が至近弾となったのか、車体は転覆して、キャタピラも、前部の大型車輪も吹き飛ばされている。場所は、ルアーンとルアーブルの間にあるティル=マンヌヴィルManneville)で進駐したイギリス第5軍の映像写真班が撮影。
Catalogue number B 8032, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Namesobject category: Photograph Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Connolly (Sgt), Object description: German Tiger I tank of 3./s.Pz.Abt. 503 (3rd Company 503rd Heavy Tank Battalion) which was overturned at Manneville during the Allied heavy bombing at the start of Operation 'Goodwood', 18 July 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・B 8032引用



Battle Stations: Tiger Attack (HQ with Extras)


Legend: Panzerkampfwagen VI - Tiger I Documentary WWII


現在、保管展示中のVI号重戦車「ティーガー」(ティーゲル) Panzer VI "Tiger I"



写真(右)ドイツ連邦、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に展示してあるドイツ軍のVI号ティーゲル戦車:56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を搭載。
Vimoutiers Tiger Tank;解説 English: Panzer VI Tiger, Deutsches Panzermuseum Munster 日付 2014年5月11日, 15:41:16 原典 投稿者自身による作品 作者 Veppar
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Panzer VI Tiger Munster.jpg引用


ソ連スターリンは,1942年7月12日,チモシェンコ元帥にスターリングラード正面軍の編成を明示,スターリングラードを死守することを命じた。予備兵力を投入し,防備を固めようとしたが,問題は時間が足りないことだった。

重装甲のティーガーI の鋳造砲塔前面は120mm、側面および後方は80mmの装甲で覆われている。車体前面は100mm、側面は60mmの装甲。ただし、上面と底部の装甲は25mmと薄く、機銃弾や砲弾の破片を防げる程度。高射砲を改造した56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を搭載。

写真(右)北フランス、ノルマンディー、ヴィムティエに展示してあるドイツ軍のVI号ティーゲル戦車:前面100 mm、側面・後面80 mmの重装甲を施した砲塔に高射砲を改造した56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を搭載した。Vimoutiers Tiger Tank;解説 Fran?・ais : Vue 3/4 arrière du char Tigre de 日付 2013年2月23日, 14:21:46 原典 投稿者自身による作品 作者 TCY
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Tiger Ausf E vimoutiers 0021.jpg引用


1942年7月23日,総統大本営(総司令部)の一つでウクライナに設置された「ヴェアヴォルフ」で,陸軍参謀総長ハルダー大将は,ヒトラーにソ連軍は計画的に退却しているとの推論を伝えたが,ヒトラーはソ連軍は崩壊一歩手前にあると確信していた。

カスピ海に注ぐボルガ川河畔スターリングラードに向かう第六軍用の燃料は,カフカス戦線に回された。そのため,第六軍のスターリングラード進撃は停滞してしまった。ソ連軍はこの時間を利用して,ドン川西岸カラーチに防衛線を張り,スターリングラードのへの兵力集中が可能になった。

写真(右)イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ティーゲル戦車:56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を装備。
Panzer-kampfwagen VI in the Bovington Tank Museum
解説 English: Panzer-kampfwagen VI in the Bovington Tank Museum 日付 2016年8月21日, 14:29:32 原典 投稿者自身による作品 作者 Jonathan Cardy
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Panzer-kampfwagen VI in the Bovington Tank Museum 04.jpg引用


重装甲のティーガーI の装甲
車体前面100mm、側面60mm 砲塔前面120mm、側面および後方は80mm
上面・底部25mm

写真(右)イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ティーゲル戦車:。
Panzerkampfwagen VI in the Bovington Tank Museum
解説 English: Photo by Michael Garlick 日付 2014年9月20日, 14:29:51 原典 投稿者自身による作品 作者 HART-LEPOOLMARINA-2014
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Category:Panzer-kampfwagen VI in the Bovington Tank MuseumFile:Bovington Tank Museum German Tiger tank.JPG引用。


写真(右)イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ティーゲル戦車:56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を装備した鋳造砲塔前面装甲は120mm、側面および後方は80mm。Panzer-kampfwagen VI in the Bovington Tank Museum
解説 English: Photo by Michael Garlick 日付 2014年9月20日, 14:30:23 原典 投稿者自身による作品 作者 HART-LEPOOLMARINA 2014
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Bovington Tank Museum German WWII Tiger tank.JPG引用


ソ連軍は,スターリングラード手前のカラーチでは敗れたが,その間,スターリングラードの防衛を固めることができた。カラーチ戦を戦い抜いたドイツB軍集団の第六軍は,1942年8月末になって,スターリングラード正面に到着したのである。

写真(右)イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ティーゲル戦車:56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を装備。
Panzer-kampfwagen VI in the Bovington Tank Museum
解説 English: Tiger Tank at Bovington tank museum, Dorset. 日付 2006年2月25日, 14:03:17
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Tiger Tank, Bovington tank museum.jpg引用


他方,リスト元帥率いるA軍集団は,1942年7月25日,黒海北のアゾフ海入口にあるロストフを占領した。この日,ヒトラーの「総統指令45号」がA・B軍集団に届いたが,ここではドイツ軍の包囲を逃れドン川に達したのは,ソ連のチモシェンコ軍の一部に過ぎず,A軍集団に黒海沿岸の諸港を占領し,カスピ海沿いのバクーを占領すること,B軍集団はスターリングラードを占領,ボルガ川沿いにカスピ海のアストラハニにまで前進することを命じた。

これは,まずスターリングラードを攻略,その後,カフカスに進出し,油田地帯を押さえるという「ブラウ」作戦を大修正するものだった。スターリングラード,カフカスを同時に攻撃目標としてしまったのである。

写真(右)イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ティーゲル戦車: 56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を重装甲を施した砲塔に搭載した。Panzerkampfwagen VI in the Bovington Tank Museum
解説 Photo ref; Nikon-D80-2013-DSC_1315 (Edited) 日付 2006年12月6日, 02:17 原典 Tiger, The Tank Museum, Bovington. 作者 Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Tiger, The Tank Museum, Bovington. (11484194504).jpg引用


写真(右)イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ティーゲル戦車: 56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を重装甲を施した砲塔に搭載した。Panzerkampfwagen VI in the Bovington Tank Museum April 2010 in Dorset
解説 Sd Kfz 181 Panzerkampfwagen VI Ausf E (Tiger 131) 日付 2010年4月18日, 14:25 原典 Sd Kfz 181 Panzerkampfwagen VI Ausf E (Tiger 131) Uploaded by tm 作者 Simon Q from United Kingdom
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Tiger, The Tank Museum, Bovington. (11484194504).jpg引用


ドイツA軍集団は,1942年8月末,黒海に臨むノボロシスクを攻撃し,9月10日には,それを占領した。しかし,9月に入ると,補給能力不足からカフカス山脈北西のクバニ,北東のチェレクの間で,戦線は膠着した。

写真(右)2017年、イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ティーゲル戦車(Tiger I):56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を装備。
Panzer-kampfwagen VI in the Bovington Tank Museum
解説 English: Tiger I is the common name of a German heavy tank developed in 1942 and used in World War II. 日付 2011年7月19日, 12:51:44 原典 Flickr: Tiger 1 Tank, Bovington Tank Museum - Dorset. 作者 Jim
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Tiger 1 Tank, Bovington Tank Museum - Dorset..jpg引用


ドイツ軍の戦車は,決して強力な攻撃力・防御力を持っていたわけではないが,戦車の集団用法,強力な砲兵部隊と地上支援空軍を組み合わせた電撃によって大きな成功を収めてきた。1940年夏以降,長砲身60口径5センチ砲が装備された。しかし,実線に参加するのが遅れた上に,重装甲,76.2ミリ砲装備のT-34戦車には苦戦し,早期に退役を迫られた。ただし,突撃砲として車体生産は続行されている。

マイコープの精油施設は破壊されたため,ドイツ軍は油田で燃料不足に悩まされたことをカレル『バルバロッサ作戦』は指摘し,補給路が伸びきってしまい,攻撃速度が低下したと説明する。


3.フェルジナンド(エレファント)駆逐戦車 Panzerjäger Tiger (P) Elefant Sd.Kfz.184

写真(右)1944年3月-4月,イタリア戦線、撃破・放棄されたエレファント駆逐戦車Panzerjäger Tiger (P) Elefant Sd.Kfz.184:100輌のみ先行生産されたフェルジナンド・ポルシェの開発したタイガー重戦車(P)ポルシェ型の車体を流用して開発された。71口径8.8センチ砲 Pak 43/2 L/71(50発)装備、重量65トン、装甲は、前面200 mm、マイバッハV12液冷ガソリン装備、乗員6 名

Archive title:Italien.- Beschädigter Panzerjäger Tiger (P) "Elefant" (Sd.Kfz. 184) (8,8cm); PK 699 Dating: 1944 April - Mai Photographer: Vack Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bundesarchiv Bild 101I-313-1004-25引用。


駆逐戦車とは、対戦車用の突撃砲で、砲塔は回転できないが、重装甲、大火力を備えている。駆逐戦車フェルジナンドPanzerjäger Ferdinand: Sd.Kfz.184)は、フェルジナンド・ポルシェの開発したタイガー重戦車(P)ポルシェ型をベースにした駆逐戦車である。フェルジナンド・ポルシェの開発したタイガー重戦車(P)ポルシェ型は、100輌のみ先行生産されたが、機構の欠陥から、それ以上の量産は見送りになった。そこで、そのポルシェ型タイガー戦車は、フェルジナンド駆逐戦車に転換された。

動力伝達のトランスミッションとして、信頼性のある機構がなかったため、フェルジナンド・ポルシェ博士は戦車の電動駆動を考えた。つまり、ガソリンエンジンによって発電機を駆動し、そこで発生した電気でモーターを作動するので、エンジンに必要なトランスミッションは不要になる。しかし、ガソリンエンジンで直接駆動する場合よりエネルギー転換を必要とするため、エネルギー効率が低下する上に、機構が複雑化して故障の発生が頻発になる欠点がある。

写真(右):カナダ、オンタリオ州、ボーデン、ボーデン基地軍事博物館が保管・展示しているドイツ軍の71口径の8.8センチ対戦車砲(8.8 cm PaK 43 ):フェルジナンド(エレファント)重駆逐戦車に搭載され、1943年夏、ソビエト連邦、クルスク、シタデル作戦に実戦投入された。71口径の8.8センチ対戦車砲(8.8 cm PaK 43 )は、エレファント駆逐戦車についで、IV号対戦車自走砲ナースホルン(犀)、ヤークトパンター駆逐戦車、ティガーII重戦車に搭載された。
Description German PaK 43/41 88 mm anti-tank gun, displayed on the grounds of CFB Borden (Base Borden Military Museum). Photo taken on August 12, 2006. Source: Photo by me, User:Balcer. Date 12 August 2006 (according to Exif data) Source No machine-readable source provided. Own work assumed (based on copyright claims). Author No machine-readable author provided. Balcer~commonswiki assumed (based on copyright claims).
写真はWikimedia Commons,Category: Artillery in the Base Borden Military MuseumFile:PaK43-41 base borden military museum 1.jpg引用。


写真(右):カナダ、オンタリオ州、トロント北方、ボーデン基地軍事博物館が保管・展示しているドイツ軍の71口径の8.8センチ対戦車砲(8.8 cm PaK 43/41 ):フェルジナンド(エレファント)重駆逐戦車に搭載され、1943年夏、ソビエト連邦、クルスク、シタデル作戦に実戦投入された。
Description German PaK 43/41 88 mm anti-tank gun, displayed on the grounds of CFB Borden (Base Borden Military Museum). Photo taken on August 12, 2006. Source: Photo by me, User:Balcer. Date 12 August 2006 (according to Exif data) Source No machine-readable source provided. Own work assumed (based on copyright claims). Author No machine-readable author provided. Balcer~commonswiki assumed (based on copyright claims).
写真はWikimedia Commons,Category: Artillery in the Base Borden Military MuseumFile:PaK43-41 base borden military museum 1.jpg引用。


71口径8.8センチ対戦車砲8.8cm PaK 43)の諸元
口径 88 mm
全長 9.2 mm、砲身長 6.35 m L/71
全幅 2.225 m、全高 1.7 m
重量 3,650 kg 、操作人員数 5名
砲弾 88mm x 822 R 、砲弾重量 10.2 kg
仰俯角 -8度から40度、旋回角 360度
発射速度 6-10発/分、砲口初速 1000 m/s
最大射程 15,150 m、有効射程 1,000-2000m

写真(右)1943年頃(?),ドイツ陸軍「フェルジナンド」(エレファント)駆逐戦車(Panzerjäger Tiger (P) Elefant Sd.Kfz.184):100輌生産されたフェルジナンド・ポルシェ開発のティーガー重戦車(P)を流用して90輌だけ生産された。迷彩舗装を施しているが、左側のキャタピラは外れており、ハッチも開放状態となっており、ソ連軍に撃破された状態。ソ連が撮影した写真をイギリス軍が入手したものと思われる。
Catalogue number: STT 4851, Part ofSCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION, Subject period Second World War, Alternative Namesobject category: Black and white, Object description: Ferdinand / Elefant
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (STT 4851)


エレファント/フェルジナンド駆逐戦車 Panzerjäger Tiger (P) “Ferdinand/Elefant”)諸元
全長:8.14 m, 車体長:6.8 m
全幅:3.38 m, 全高:2.97 m
重量: 65 t、 乗員:6 名
最高速度:20 km/h(整地)、15 km/h(不整地)
航続距離:150 km
兵装:71口径8.8 cm Pak 43/2 L/71(携行砲弾数50発)、7.92 mm MG34機関銃
装甲:80-200 mm
動力:Maybach HL 120 4ストロークV型12気筒液冷ガソリンエンジン2基、ジーメンス・シュッケルト AGV発電機 1基/D1495a 電動機2基
530 馬力(エンジン) 500 VA(発電機)/230 kW (312.7 馬力)(電動機)2基

写真(右)1943年頃(?),ドイツ陸軍「フェルジナンド」(エレファント)駆逐戦車(Panzerjäger Tiger (P) Elefant Sd.Kfz.184)の側面:100輌のみ先行生産されたフェルジナンド・ポルシェ型ティーガー重戦車(P)の車体を流用して90両のみ生産された。迷彩舗装を施しているが、左側の戦闘室に弾痕があり、ソ連軍が撃破した車両を資料として作成したものと思われる。その写真をイギリス軍が入手したようだ。
Catalogue number STT 4851, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION, Subject period: Second World War, Alternative Namesobject category: Black and white, Object description: Ferdinand / Elefant
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用?・ IWM (STT 5620)


 Karlheinz Munch(2005)The Combat History of German Heavy Anti-Tank Unit 653 in World War II Paperback によれば、フランス侵攻が勝利に終わった後の1940年11月に、III号戦車Panzerkampfwagen III)の車体(シャーシ)を流用したIII号突撃砲Sturmgeschütz III:StuG III)を第192突撃砲大隊、第197突撃砲大隊が第7砲兵連隊に配備することが決まり、ベルリン南50キロのユーターボークで準備が始まった。当時のIII号突撃砲は、短砲身24口径7.5cm戦車砲StuK 37 L/24)を装備しており、対戦車戦闘ではなく、歩兵の火力支援を目的としていた。突撃砲1個小隊は突撃砲2輌と半装軌装甲車2輌で、3個小隊で突撃砲1個中隊(突撃砲6両配備)だった。突撃砲1個大隊は3個中隊で、合計24輌の突撃砲が配備された。

突撃砲大隊の本格的訓練は、1941年1月から始まり、3月のバルカン・ユーゴスラビア侵攻に投入される予定だったが、輸送機関、特に鉄道の準備が間に合わず、バルカン侵攻作戦に参加したのは、4月初旬からだった。その後、5月には突撃砲大隊は、ポーランドに移転し、1941年6月22日のソ連侵攻バルバロッサ作戦に投入された。早朝0530、第197突撃砲大隊はブーク川を越えた。

 その後III号突撃砲StuG III))は、1942年以降,ソ連軍T-34に対抗するために,長砲身43口径7.5センチ戦車砲StuK40L/43)を搭載,装甲を厚くし、対戦車戦を重視す量になった。第197突撃砲大隊では、1942年8月には 43口径7.5センチ戦車砲StuK40 L/43)を装備したIII号突撃砲F/G型 (StuG III)が配備されている。

III号突撃砲StuG III))は、1940年から生産が始まり、短砲身24口径7.5cm戦車砲(StuK 37 L/24)搭載のIII号突撃砲C/D型(Sd.Kfz.142)が1941年4月から9月まで200輌生産されたのに続いて、各型合計で1945年の敗戦までに1万輌もが生産されている。

写真(右)1943年頃(?),ドイツ陸軍「フェルジナンド」(エレファント)駆逐戦車(Panzerjäger Tiger (P) Elefant Sd.Kfz.184)の正面:ティーガーI重戦車(P)ポルシェ型(生産は100両で打切り)の車体を流用して90両のみ生産された。車体正面にはリベットで分厚い装甲を装着している。
Catalogue number STT 5621, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION, Subject period: Second World War, Alternative Namesobject category: Black and white, Object description: Ferdinand / Elefant
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (STT 5621)


 Karlheinz Munch(2005)The Combat History of German Heavy Anti-Tank Unit 653 in World War II Paperback によれば、強力な対戦車戦闘車輛が求められる状況で、1943年4月1日、第197突撃砲大隊は、重駆逐戦車フェルジナンドPanzerjäger Ferdinand: Sd.Kfz.184)を配備する第653駆逐戦車大隊653rd Heavy Panzerjäger Battalion)に再編成された。第653駆逐戦車大隊が実際に重駆逐戦車フェルジナンドPanzerjäger Ferdinand: Sd.Kfz.184)を受領したのは、1943年5月になってからだった。1943年5月7日時点で、第653駆逐戦車大隊の「フェルジナンド(エレファント)」駆逐戦車(Sd.Kfz.184)の定数は45輌とされたが、実際に配備されたのは僅か8両だった。

 シタデル作戦の開始直前、1943年7月4日、第653駆逐戦車大隊653rd Heavy Panzerjäger Battalion)、654重駆逐戦車大隊から成る第656駆逐戦車連隊656rd Heavy Panzerjäger Regiment)83輌が配備されている。重駆逐戦車フェルジナンドPanzerjäger Ferdinand: Sd.Kfz.184)の生産は90輌、最終は1943年5月8日でニーベルンゲン工場で完成した車体番号150100である。全ての重駆逐戦車フェルジナンドPanzerjäger Ferdinand: Sd.Kfz.184)が、第656駆逐戦車連隊656rd Heavy Panzerjäger Regiment)に配属され、クルスク攻防戦への投入する準備がなされていたのである。

写真(右)アメリカ、リーランド州アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館に保管・展示されているドイツ軍「フェルジナンド」(エレファント)駆逐戦車(Panzerjäger Tiger (P) Elefant Sd.Kfz.184):100輌のみ生産されただけのフェルジナンド・ポルシェ型ティーガー重戦車(P)の砲塔を取り除いて、巨大な戦闘室を設けた重駆逐戦車。90両のみ生産された。71口径8.8 cm Pak 43/1 L/71(携行砲弾数55発)を装備、戦闘室前面装甲200ミリ、車体前面100ミリの重装甲。Panzerjäger Tiger (P) Elefant at the United States Army Ordnance Museum
全長: 8.14 m 車体長: 6.8 m 全幅: 3.38 m 全高: 2.97 m 重量: 65 t
Description English: Panzerjäger Tiger Elefant tank destroyer used by German Wehrmacht in WWII. Restored by and on display at US Army Ordnance Museum, Aberdeen, Maryland. Photograph taken by Scott Dunham, April 23, 2009. Date 23 April 2009 Source Own work Author Scott Dunham
写真はWikimedia Commons File:Elefant USAOM-02.jpg引用。


 Karlheinz Munch(2005)The Combat History of German Heavy Anti-Tank Unit 653 in World War II Paperback によれば、 1943年5月までにフェルジナンドと命名され100輌生産されたフェルジナンド・ポルシェ開発のティーガー重戦車(P)を流用して90輌だけ生産された。実戦では1943年7月のシタデレ作戦に89両が初めて投入された。重装甲は前面だけであったため、機関室など上部に命中した榴弾によって大きな損害を受けた。

 1943年8月1日には、投入した89輌のエレファント/フェルジナンド駆逐戦車 Panzerjäger Tiger (P) “Ferdinand/Elefant”)のうち稼働は26輌、修理中は24輌となった。

 重駆逐戦車フェルジナンドPanzerjäger Ferdinand: Sd.Kfz.184)初期型89両は重駆逐戦車大隊に配備されツィタデレ作戦に投入された結果、39両が失われたとされており、残った50両は戦訓を元に全て後期型に改修された。 改修後重駆逐戦車フェルジナンドPanzerjäger Ferdinand: Sd.Kfz.184)は重駆逐戦車大隊に引き続き配備されて東部戦線とイタリア戦線に投入された。このため、東部戦線ではソ連軍、イタリア戦線では連合軍と対峙している。

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍「エレファント」(フェルジナンド)駆逐戦車Panzerjäger Tiger (P) Ferdinand:ティーガーI重戦車(P)ポルシェ型(生産は100両のみで打切り)の砲塔を撤去し戦闘室に71口径8.8 cm Pak 43/2 L/71(携行砲弾数50発)を装備した。駆逐戦車として前面200ミリ厚の重装甲だが、曲面構造で避弾径始に配慮したものではなく、直線を取り入れた構造になっている。
右側は、ドイツ軍の試作車VK3001(H) 12.8cm自走砲「シュタール・エミール」Sturer Emil
全長:9.7 m (砲身を含む)、全幅:3.16 m、全高:2.7 m
重量:35 t、乗員:5名
最高速度:25 km/h
兵装:12.8cm PaK40 L/61、7.92mm MG34
装甲:15 - 50 mm
動力:マイバッハ HL116 水冷V型6気筒300 馬力エンジン
Panzerjäger Tiger (P) Ferdinand in the Kubinka Museum
Description Русский: Противотанковая самоходная установка ?Фердинанд? (SdKfz 184) в Центральном музее бронетанкового вооружения и техники в Кубинке. Date 8 June 2013, 11:57:34 Source Own work Author Mike1979 Russia
写真はWikimedia Commons File:Ferdinand in the Kubinka Museum 01.jpg引用。


ドイツ軍「エレファント」(フェルジナンド)重駆逐戦車(Panzerjäger Tiger (P) Ferdinand:Sd.Kfz.184)の原型は砲塔を装備予定の場所に、巨大な戦闘室を設け、大口径砲を搭載した。具体的には、廃案となったボルシェ型ティーゲルI重戦車(8.8センチ戦車砲装備)の砲塔を搭載しないで、巨大な戦闘室を設けた構造で、71口径8.8 cm Pak 43/2 L/71(携行砲弾数50発)を装備した駆逐戦車。前面200ミリ厚の重装甲である。しかし、曲面構造で避弾径始に配慮した装甲ではなく、量産や改装を容易にするため、直線的な形状の装甲、車体形状となっている。

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ陸軍「エレファント」(フェルジナンド)駆逐戦車Panzerjäger Tiger (P) Ferdinand:第654(重)戦車駆逐大隊カール・ハインツ・ノアク大尉のマーキングがある。装甲は、大きなリベットを用いて固定されている。71口径8.8 cm Pak 43/2 L/71(携行砲弾数50発)は、後にテーゲルII型重戦車が搭載したのと同じ強力な対戦車用火砲である。重量は65トンもあり、軟弱なソ連東部戦線の野戦で使用するには大きな制約があったと思われる。
右側は、ドイツ軍の試作車12.8 cm Selbstfahrlafette auf VK30.01(H) "Sturer Emil"「シュタール・エミール」自走砲で、1942年5月、第521戦車駆逐大隊に2輌配備、1942年7月に東部戦線南部で実戦投入されている。
Description Deutsch: Tank Museum, Kubinka Date 1 September 2013, 10:57:10 Source Own work Author Hornet Driver
写真はWikimedia Commons File:Tank Museum, KubinkaDSC02335.JPG引用。


独軍「フェルジナンド」型自走砲の弱点と之が戦闘法(国防人民委員部軍事出版部)(ソ連軍から鹵獲した文書を1944年に日本陸軍兵器行政本部が翻訳し作成した資料)
[国立公文書館アジア歴史資料センター、レファレンスコードA03032092700]
ドイツ陸軍「フェルジナンド」(1944年からはエレファントに名称変更)駆逐戦車Sd.Kfz.184を撃破するために、次の弱点を破甲弾、小口径弾、75ミリ野砲、85ミリ高射砲などで攻撃、射撃することを勧めている。
1.車体上部および後壁
2.操縦手席の窓・無線種の窓・電動機上部の窓
3.自走砲の底部
4.覗視孔(てんしこう:覗き穴)および潜望具(ペリスコープ)
5.自走砲の武装・火砲

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ陸軍「フェルジナンド」(エレファント)駆逐戦車(Panzerjäger Tiger (P) Elefant Sd.Kfz.184)の足回り:第654(重)戦車駆逐大隊カール・ハインツ・ノアク大尉の車両を復元。懸架方式は、外装型ボギー式縦置きトーションバー。
解説 Русский: Противотанковая самоходная установка Фердинанд (SdKfz 184) в Центральном музее бронетанкового вооружения и техники в Кубинке. Ходовая. 日付 2013年6月8日, 11:57:24 原典 投稿者自身による作品 作者 Mike1979 Russia
写真はWikimedia Commons File: Ferdinand in the Kubinka Museum 02.jpg引用。


フェルジナンド重駆逐戦車 Panzerjäger “Ferdinand”)(Sd.Kfz.184)諸元
全長:8.14 m(砲身を含む),車体長:6.97 m
全幅:3.38 m, 全高:2.97 m
空虚重量: 65 t、 戦闘重量:70t
最高速度:35 km/h(整地)、15 km/h(不整地)
航続距離:整地150 km、不整地 90 km
兵装:71口径8.8センチ対戦車砲(8.8 cm Pak 43/1 L/71)携行砲弾数:55発
7.92 mm MG34機関銃(携行銃弾数:600発)
装甲:80-200 mm
動力:Maybach HL120 ガソリンエンジン2基、Siemens 発電機 1基/電動機2基
乗員:6 名
生産台数:90輌

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館、正面から見上げたドイツ陸軍「フェルジナンド」(エレファント)駆逐戦車(Panzerjäger Tiger (P) Elefant Sd.Kfz.184):1943年に8.8センチ高射砲を改良して開発された対戦車砲が8.8 cm PaK 43で、閉鎖栓を水平型から狭い砲塔内で操作しやすくした垂直式に修正した戦車砲が8.8 cm KwK 43である。これは、後の1944年にティーゲルII型戦車が搭載した。
右側は、ドイツ軍の試作車VK3001(H) 12.8cm自走砲「シュタール・エミール」Sturer Emil
解説 Sau "Ferndinand" 1943-"Elefant" 日付 2010年4月29日, 14:38 原典 Sau "Ferndinand" 1943-"Elefant" 作者 English: Aleksandr Markin
写真はWikimedia Commons File:Sau "Ferndinand" 1943-"Elefant" (4581674226).jpg引用。


 Karlheinz Munch(2005)The Combat History of German Heavy Anti-Tank Unit 653 in World War II Paperback によれば、フェルジナンド重駆逐戦車 Panzerjäger “Ferdinand”:Sd.Kfz.184)が配備された第653重駆逐戦車大隊、654重駆逐戦車大隊から成る第656駆逐戦車連隊656rd Heavy Panzerjäger Regiment)が、1943年7月5日のシタデル作戦の攻勢から1943年11月5日の後方防衛戦の間に挙げた戦果は、ソ連赤軍の戦車582輌、対戦車砲344門、火砲133門、対戦車ライフル銃103門、航空機3機、装甲車3輌、突撃砲3台を破壊した。

その後、最前線に投入された大半のフェルジナンド駆逐戦車 Panzerjäger “Ferdinand”:Sd.Kfz.184)は修理が必要な状態となり、第653重駆逐戦車大隊では1943年6月30日の段階でフェルジナンド駆逐戦車は修理要3輌に対して作戦可能は41輌あったが、8月30日の段階で修理要38輌に対して作戦可能は12輌、1943年11月30日で修理要35輌に対して7輌に低下している。

他方、第654重駆逐戦車大隊では1943年6月30日の段階でフェルジナンド駆逐戦車 Panzerjäger “Ferdinand”:Sd.Kfz.184)は修理要3輌に対して作戦可能は43輌あったが、7月29日の段階で修理要6輌に対して作戦可能は13輌に低下している。

しかし、1943年11月24日の東部戦線での戦闘では、フェルジナンド駆逐戦車 Panzerjäger “Ferdinand”:Sd.Kfz.184)3輌がソ連軍T-34戦車70輌の攻撃を受けたが、負傷者なしにソ連軍戦車47輌を撃破した。


4.VI号ティーガー突撃戦車 Sturmtiger

写真(右)ドイツ連邦、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館(Deutsches Panzermuseum Munster)に保管展示中のドイツ陸軍VI号ティーゲル突撃戦車(シュトルムティーガー:Sturmtiger)モーゼル38センチロケット臼砲(38cm RW61)を搭載した市街戦用の重突撃戦車。手前は直径38センチロケット臼砲弾。
解説 Deutsch: Sturmtiger im Deutschen Panzermuseum Munster. Davor eines der Raketengeschosse. Date October 2006 Source Own work Author Werner Willmann Permission (Reusing this file) WerWil
写真は Wikimedia Commons, "Sturmtiger at the Panzermuseum Munster" File: Sturmtiger frontal.jpg引用。


 1943年3月、スターリングラード敗戦後にドイツ陸軍兵器局は、市街戦用の戦車として重戦車の構想をヒトラーに提案した。そして、VI号ティーガー重戦車を利用して、アルケット社で重突撃砲が計画された。

 重突撃砲を開発、生産することは、主力戦車の生産に混乱を及ぼすとして、装甲総監ハインツ・グデーリアン将軍は、市街戦用突撃戦車に懸念を示した。そこで、ティーガー重戦車を改造したの試作車が1943年10月20日にヒトラーに示されたものの、生産は少数のみとし、前線から修理・故障で回収されたティーガーIを改造して、重突撃戦車シュトルムティーガー"Sturmtiger")が生産されることとなった。

 突撃戦車シュトルムティーガー"Sturmtiger")の生産は、1943年9月15日に第1号車が完成し、9月中にアルケット社Alkett)で10輌が生産された。その後の生産を合わせても、1944年末までに18輌の完成にとどまっている。

写真(右)ドイツ連邦、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管展示中のドイツ陸軍VI号ティーゲル突撃戦車(シュトルムティーガー:Sturmtiger)の正面:モーゼル社の5.4口径380ミリ61式ロケット臼砲("38cm RW 61 L/5.4")を搭載。車体前面装甲150mm、車体側面装甲80mmの重防御を誇るが、重量65トンで機動力が劣っていた。
解説 English: German Tank Museum Date 7 July 2010 Source Own work Author Banznerfahrer
写真は"Sturmtiger at the Panzermuseum Munster" File: Panzermuseum Munster 2010 0317.JPG引用。


VI号"シュトルムティーガー""Sturmmörserwagen":モーゼル突撃戦車)は、第二次世界大戦後期になってドイツ軍が使用した重装甲突撃自走砲である。原型は、VI号ティーガーI重戦車で、修理のために回収された車両をもとに生産された。搭載した火砲は、大口径38センチロケット臼砲で、1944年9月までに17輌がアルケット社写真(右)ドイツ連邦、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館(Deutsches Panzermuseum Munster)に保管展示中のドイツ陸軍VI号ティーゲル突撃戦車(シュトルムティーガー:Sturmtiger)の側面:市街戦で、鉄筋コンクリートの構造物も破壊できるモーゼル社の5.4口径380ミリ61式ロケット臼砲("38cm RW 61 L/5.4")を搭載。
解説 English: German Tank Museum Date 7 July 2010 Source Own work Author Banznerfahrer
写真は Wikimedia Commons, "Sturmtiger at the Panzermuseum Munster" File: Panzermuseum Munster 2010 0318.JPG引用。


シュトルムティーガー"Sturmtiger")諸元

全長 6.28 m
全幅 3.57 m
全高 2.85 m
重量 65 t
サスペンション トーションバースプリング式
最高速度 整地45 km/h、不整地24 km/h
航続距離 整地 100 km、不整地 60 km
搭載火器 38cm StuM61 L/5.4 ロケット臼砲(携行砲弾数14発)7.92ミリMG34機関銃
装甲:車体前面150 mm、側面80 mm、後面80 mm
発動機 マイバッハ HL 210 4ストロークV型12気筒液冷ガソリンエンジン650 馬力
乗員 5 名

写真(右)ドイツ連邦、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管展示中のドイツ陸軍VI号ティーゲル突撃戦車(シュトルムティーガー:Sturmtiger)のモーゼル社の5.4口径380ミリ61式ロケット臼砲の砲身内側のライフル(旋条)
解説 Deutschen Panzermuseum Munster Date October 2006 Source Own work Author Werner Willmann Permission (Reusing this file) WerWil
写真は Wikimedia Commons, "Sturmtiger at the Panzermuseum Munster" File :Sturmtiger Rohrinneres.jpg引用。


 "シュトルムティーガー""Sturmtiger")の5.4口径380ミリ61式ロケット臼砲("38cm RW 61 L/5.4")は、ロケット弾の発射煙を処理するために、砲身を内筒と外筒の二重筒構造として、環状換気装置を内筒に装備した。そして、ここに集まった排気は砲口周囲の排気孔から排出される仕組みである。排気孔30カ所から40カ所で製造時期により差異がある。ロケット弾の弾道を安定させるために、発射したロケット弾が回転して弾道が安定するように砲身内側には"ライフル"(旋条)が刻まれている。

 "ライフル""Rifle")とは、火器砲身内側に刻まれた螺旋状の溝で、施条(しじょう)、腔線(こうせん)、腔綫(こうせん)とも呼ばれる。発射される弾丸を回転させ、ジャイロ効果により弾道を安定させるための樒である。ロケット臼砲の射角は、左右に10度、俯角0度から仰角65度までで、防楯が設けられている。

写真(右)ドイツ連邦、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館(Deutsches Panzermuseum Munster)に保管展示中のドイツ陸軍VI号ティーゲル突撃戦車(シュトルムティーガー:Sturmtiger)の後方:モーゼル社製造の38センチ臼砲(38cm RW61)を搭載した固定大型戦闘室の背面に丸井ハッチがある。
解説 English: German Tank Museum Date 7 July 2010 Source Own work Author Banznerfahrer
写真は Wikimedia Commons, "Sturmtiger at the Panzermuseum Munster" File: Panzermuseum Munster 2010 0318.JPG引用。


1943年に完成した"シュトルムティーガー"("Sturmtiger")の搭載した5.4口径380ミリ61式ロケット臼砲("38cm Raketenwerfer 61 L/5.4")のロケット弾の全長1.5メートル、重量350キロ、そのうち爆薬は125キロ、推進剤は40キロで、砲口初速240m/sで発射される。のロケット弾を発射する。最大射程距離5,600メートル。ロケット弾の全備重量は1発345-351kg。大口径にもかかわらず砲尾装填式、砲弾には強固な2メートル厚のコンクリート構造物を破壊できる。

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ陸軍VI号ティーゲル突撃戦車(モーゼル突撃戦車:Sturm-mörserwagen):搭載した38cmロケット臼砲(38cm RW61)で、市街戦などで敵のコンクリート製陣地を破壊することを目的としている。
解説 English: German assault gun Sturmgier in Kubinka Date 28 May 2010 (original upload date) Source Transferred from ru.wikipedia to Commons by Kubanczyk using CommonsHelper. Author Галин Владимир Петрович at Russian Wikipedia
写真はWikimedia Commons,Wikimedia Commons File: Немецкая САУ Sturmtiger.JPG引用。


ドイツ陸軍VI号"シュトルムティーガー""Sturmmörserwagen":モーゼル突撃戦車)の装甲は、前面150 mm、側面80 mm、後面80 mmの重装甲で、市街戦に投入される予定だった。モーゼル社の開発した38cmロケット臼砲(38cm RW61)は、低初速だが、ライフルで回転して安定した弾道で飛翔し、敵の立て籠る鉄筋コンクリート構造物を破壊できる。

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ陸軍VI号ティーゲル突撃戦車(モーゼル突撃戦車:Sturm-mörserwagen)正面:モーゼル38センチロケット臼砲(38cm RW61)を装備した市街戦用の突撃戦車だったが、実践参加はドイツ軍の敗退時期だったために、防御戦闘に投入されることが多かったようだ。
解説 Русский: Самоходная установка "Штурмтигр" (Sturm-mörserwagen 606/4 mit 38 cm RW 61) в Центральном музее бронетанкового вооружения и техники в Кубинке. Date 8 June 2013, 12:01:00 Source Own work Author Mike1979 Russia
写真はWikimedia Commons,Wikimedia Commons File: Sturmtiger in the Kubinka Museum.jpg引用。



4.V号戦車パンテルPanzer V "Panther" Sd.Kfz.171

写真(右)1944年,イタリア戦線に配備されたV号戦車パンテル(Panzer V "Panther"):1941年6月、バルバロッサ作戦によってドイツはソ連に侵攻したが、赤軍のT-34戦車に対峙したドイツ軍のIII号/IV号戦車はなすすべがなかった。そこで、ソ連赤軍T-34を参考にし、避弾経始を取り入れた装甲を施し、76.2ミリ砲(3インチ砲)以上の大口径戦車砲を装備するは次世代型戦車をドイツ軍も計画することになった。当初の、この「中戦車」の形状は、T-34に酷似していたが、砲塔を鋳造生産ではなく溶接で仕上げるしかないため、直線を多用する形状に変更された。
:Archive title: Italien, bei Florenz/Ravenna.- Panzer V "Panther" in Fahrt in hügeligem Gelände; PK Lfl 2 Dating: 1944 Photographer: Bayer Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


パンテル戦車Panzerkampfwagen V Panther :Sd.Kfz.171諸元
全長 8.66 m、車体長 6.87 m、全幅 3.27 m、全高 2.85 m
重量 44.8 t、ダブルトーションバー式懸架懸架
最高速度 50 km/h(整地)、30 km/h(不整地)
航続距離 170 - 250 km
兵装 70口径7.5センチ戦車砲(7,5 cm KwK 42 L/70)、携行砲弾数79発
7.92ミリMG34機関銃2丁、携行銃弾数4,200発
装甲:砲塔前面110 mm、 砲塔側後面45mm、車体前面80mm、車体側後面40mm
マイバッハMaybach HL230P30 水冷4ストロークV型12気筒ガソリンエンジン 700馬力 (520 kW)
乗員 5 名

70口径7.5センチ戦車砲(7,5 cm KwK 42 L/70:携行砲弾数79発)を装備した新型パンター戦車が初めて実戦に投入されたのは、1943年7月、東部戦線のクルクス突出部を挟撃するシタデレ作戦の時だった。しかし、クルスク攻防戦では、パンテル戦車は過剰重量のためにトランスミッション系統の故障に苦しめられ、稼働率が低くなった。

また、ヒトラーの命令で、ソ連赤軍の反抗に苦しめられたドイツ軍兵士は、臆病になっているとみなされ、新型パンテル戦車は、実戦経験のない新兵の戦車部隊に配備された。そのため、シタデレ作戦に参加したパンテル部隊は、士気は高かったものの、実戦経験がなく、戦車運用の熟練度が低く、パンテル戦車の新機軸も十分に活用することができなかった。結局、パンター戦車は、クルスク攻防戦では十分な活躍はできないまま敗退した。

⇒V号戦車パンテル戦車(Sd Kfz 171):Panzerkampfwagen V Panther を読む。

写真(右)イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のV号ヤークトパンター駆逐戦車 Jagdpanther (Sd. Kfz. 173):パンター戦車の砲塔を取り除いて、巨大な戦闘室を設け、そこにティーゲルII重戦車と同じ71口径8.8センチ戦車砲を装備した駆逐戦車。戦車砲の射角は左右各10度、俯角は7度、仰角は15度まで運用可能。Jagdpanther in the Bovington Tank Museum
解説 Bovington Tank Museum 241 88m panzerjager jagdpanther,sdkfz 173 日付 2010年7月7日, 14:25 原典 Bovington Tank Museum 241 88m panzerjager jagdpanther,sdkfz 173 作者 DAVID HOLT from London, England
写真はWikimedia Commons File:Flickr - davehighbury - Bovington Tank Museum 241 88m panzerjager jagdpanther,sdkfz 173.jpg引用。


V号駆逐戦車ヤークトパンターの装甲:
正面装甲は80mm(傾斜35度)、砲身付根は135mm(傾斜35度)、車体前面下部50ミリ(傾斜35度)
車体側面上部50mm、車体後面および車体側面下部40mm
車体下面前部25mm、戦闘室上面と車体下面後部が16mm。
1943年1月に開発がスタート、実物大モックアップが完成し1943年10月20日にヒトラーに提示された。ヤークトパンター駆逐戦車の生産は、MIAG社が担当し、1944年1月に最初の生産型5両が引き渡されたが、その後の生産台数は1944年2月7両、3月8両、4月10両、5月10両、6月6両と、米英軍のノルマンディー侵攻までに戦力化することはできなかった。

ヤークトパンター駆逐戦車の生産台数は1944年7月15両、8月14両、9月21両、10月8両、11月20両、12月44両、1945年1月30両であり、空襲や熟練工の不足のために量産ははかどらなかった。ヤークトパンター駆逐戦車は、攻撃、防御のバランスの取れた最良の駆逐戦車として高く評価されているが、1945年4月の生産終了までに合計415両が完成したに過ぎず、戦局を好転させることには寄与していない。

⇒V号駆逐戦車ヤークトパンター: Jagdpanther (Sd. Kfz. 173)を読む。


6. VI号重戦車ティーガーII「キンググタイガー」Panzer VI "Tiger II" Königstiger (Sd.Kfz. 182)

写真(右)1944年6月,北フランス、演習中の4両のVI号重戦車ティーガーII(Panzer VI "Tiger II" Königstiger; Sd.Kfz. 182)A型ポルシェ砲塔型が、異なった仰角に71口径8.8センチ戦車砲を掲げて、砂埃を巻き上げながら走行している。:Panzer VI "Tiger II" (Königstiger)。
Frankreich.- Panzer VI "Tiger II" (Königstiger) mit Porscheturm bei Fahrt in im ebenen Gelände; KBZ Ob. West
解説 Frankreich, Park von Château Canteloup.- Panzer VI "Tiger II" (Königstiger) mit Porscheturm der schweren Panzerabteilung 503 (1./s.Pz.Abt.503) unter Bäumen stehend; KBZ Ob. West Depicted place フランス 日付 1944年6月 写真家 Wagner
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ティーガーII「キングタイガー」重戦車Panzer VI "Tiger II" (Königstiger)基本方針はティーガーIの防御力と攻撃力を向上させるものである。装甲は、パンテルと同様に傾斜が強くなり、車体にもその影響が窺われるが、重量は70トン近く、パンテルの45トン、ティガー?の60トンよりも遥かに重いため、トランスミッションはティーガーを高性能化したものである。

ティーガーII「キングタイガー」重戦車Panzer VI "Tiger II" (Königstiger)の 搭載した動力は、パンテル、ティーガーI に装備されたエンジンと同じにマイバッハHL230-P30水冷ガソリンエンジンで、700馬力であるが、重量が70トンもあるために機動性は低い。トランスミッションは重量過多のために負荷が大きく、故障しやすかった。また、動力は、軽量のパンタテルと同じマイバッハ700馬力であるため、全開運転をせざるを得ない場合が多くなり、オーバーヒートが頻発した。

写真(右)1944-1945年7月,隊列を組んで行進するVI号重戦車ティーガーII(Panzer VI "Tiger II" Königstiger; Sd.Kfz. 182)B型ヘンシェル型砲塔:プロパガンダ用に勇ましいキングタイガーの写真を公開しているが、実際には100両の単位で実戦参加したことはないようだ。
Original title: info ... und nun der "Königstiger". Ein Wunderwerk deutscher Technik entstand in dem neuen Panzertyp "Königstiger". Aus seinem möchtigen schwergepanzerten Stahlleib ragt drohend das riesige Rohr eines tausendfach bewährten Flakgeschützes. In endloser Kette rollen die "Königstiger" zum Einsatz. Foto: Hamann Dating: Juni 1944 日付 1944年 写真家 Hamann
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ティーガーII「キングタイガー」重戦車Panzer VI "Tiger II" (Königstiger)はティーガーI搭載の8,8センチ砲を56口径から71口径に長砲身化し、砲弾の初速を高速化し、貫通力を強化した。装甲も、傾斜を多用して防御力を強化した。

重防御のティーガーII の砲塔前面装甲は180 mm で、車体前面も150 mmある。側面は砲塔・車体とも80mmである。搭載しているのは、71口径8.8cm戦車砲(KwK43/2 L71)である。ティーガーII生産は、1943年9月の試作から1945年3月の生産終了までに492両で少ない。

写真(右)1944年10月15日頃,ハンガリーの首都ブダペストを制圧したVI号重戦車ティーガーII「キンググタイガー」Panzer VI "Tiger II" Königstiger (Sd.Kfz. 182) :矢の十字党によるクーデターでハンガリー指導者ホルティ摂政は追放され、ハンガリーは連合国と和平することなく、ドイツ側に立って戦い続けることになった。
タイトル Budapest, marschierende Pfeilkreuzler und Panzer VI Info non-talk.svg 解説 Ungarn, Budapest. - Ungarische Pfeilkreuzler marschieren an einem deutschen Panzer VI (Königstiger) vorbei; PK Eins Kp Lw zbV Magyar: Magyar nyilaskeresztesek vonulnak egy német Királytigris mellett, 1944. október 15 után, Budai Vár, Szent Gy¨rgy tér Depicted place ブダペスト 日付 1944年10月 写真家 Faupel
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用File:Bundesarchiv Bild 101I-680-8283A-12A, Budapest, marschierende Pfeilkreuzler und Panzer VI.jpg(他引用不許可)。


ハンガリーでも、1935年にナチ党の影響を受けた政党が生まれたが、第二次大戦の勃発する1939年の第二次大戦前に、矢の十字党Arrow Cross Party)が、サーラシ・フェレンツFerenc Szá lasi)によって創設された。これは、国家主義のファシズム政党で、ナチ党のハーケンクロイツがアーリア人の民族的な純潔を表したことの受けて、ハンガリー人(マジャール)の民族的純血を示すシンボルとして矢の十字を党の記章とした。

 しかし、矢の十字党Arrow Cross Party)は、直接行動により政権奪取を図っていたために、第二次世界大戦が勃発すると、ハンガリー指導者・摂政ホルティ・ミクローシュMiklós Horthy)により解体された。ドイツも、親ハンガリーの立場から体制側の摂政ホルティを支持したのである。指導者のサーラシは、ドイツに亡命を余儀なくされた。

 ハンガリーの指導者ホルティ・ミクローシュMiklós Horthy)提督によって矢十字党は解体されたものの、ナチ党および親独派の駐独大使ストーヤイ・デメの支持を得ていたため、ドイツでサーラシ・フェレンツFerenc Szá lasi)らが亡命組織を維持していた。1944年になるとドイツ敗色が濃厚となったと正確に予期したハンガリー摂政ホルティ・ミクローシュMiklós Horthy)提督は、連合国との講和を企図した。そこで、ドイツは、戦争継続を図るために、1944年3月22日、摂政ホルティに強いて、親ドイツ派の駐独大使ストーヤイ・デメを首相に就任させた。これが、ハンガリー制圧「マルガレーテ作戦」の発動である。ストーヤイ新首相は、禁止されていた矢十字党を復活させた。

 1944年後半、ソ連軍がハンガリー国境に迫り、6月には西側連合軍が北フランスのノルマンディーに上陸、ヨーロッパ大陸反攻が始まった。ハンガリー摂政ホルティ・ミクローシュMiklós Horthy)提督は、ハンガリーを戦禍から救うため、1944年8月29日、親独ストーヤイ首相を解任、親米英派のラカトシュ・ゲーザ陸軍大将を首相に任命して、連合軍との休戦を企図した。そこで、ドイツはハンガリーを枢軸国にとどめて、戦争を継続させるために、1944年10月15日、ハンガリー摂政ホルティ・ミクローシュMiklós Horthy)提督を追放し、傀儡政権を樹立するために、「パンツァーファウスト作戦」を発動、ホルティの息子ら要人を誘拐し、ドイツ軍と矢十字党員の兵士ががブダペストを支配した。こうして矢の十字党Arrow Cross Party)に政権を掌握させ、新首相には、矢の十字党首サーラシ・フェレンツFerenc Szálasi)を就任させ、ハンガリーは引き続き、1945年までドイツとともに戦うことになった。

ソ連軍は1943年1月10日から29日までに,ドイツ軍兵士1万6800人を捕虜とし,それから2月3日までにさらに,9万1000人を捕虜とした。

1942年11月中旬,第六軍には23万3000人のドイツ兵士,同盟国兵士がいたが,降伏時は10万7800人だった。1963年までに故国に戻ったのは6000人という。

写真(右):1944年12月,ドイツ軍最後のアルデンヌ攻勢によってバルジの戦いに参加したVI号重戦車ティーガーII(Panzer VI "Tiger II" Königstiger; Sd.Kfz. 182)B型ヘンシェル型砲塔。車体には、ドイツ空軍所属の降下猟兵が歩兵部隊として乗車しているようだ。
Description:Unidentified American prisoners are marched down the side of a road while a tank and and two motorcycles drive past. All others are unidentified. Somewhere in Belgium. From a group of captured German photographs. Date: ca. 1944 Related Collection: John M. Redding Papers ARC Keywords: Prisoners of war; Roads; Soldiers; Tanks (Military science); World War, 1939-1945; Motorcycles HST Keywords: Belgium; World War II - General File 写真は Harry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-680引用。



写真(上左):1944年末、ベルギーからのアルデンヌ攻勢に参加したドイツ軍VI号重戦車ティーガーII(Panzer VI "Tiger II" Königstiger; Sd.Kfz. 182)B型ヘンシェル型砲塔と車体後方に乗車するドイツ空軍の降下猟兵(空挺部隊)
:大戦後期になると、ドイツ空軍の降下猟兵の本来の任務である空挺作戦は全く行われなくなり、地上戦闘に陸路で投入されていた。

Description: A group of Luftwaffe Fallschirmjager sit on the back of a Tiger II tank heading toward Ligneuville, Belgium. All are unidentified. From a group of captured German photographs. Date: ca. 1944 Related Collection: John M. Redding Papers ARC Keywords: Soldiers; Tanks (Military science); World War, 1939-1945 HST Keywords: Belgium; World War II - General File 写真はHarry S. Truman Library & MuseumAccession Number: 63-688引用。
写真(上右):1944年末、ベルギーからのアルデンヌ攻勢に参加したドイツ軍ティーガーII重戦車ヘンシェル砲塔と車体後方に乗車するドイツ軍兵士
Description: Unidentified members of the German Luftwaffe ride on a German Tiger II tnak. Another unidentified German soldier offered a light from his motorcycle. Belgium. From a group of captured German photographs. Date: ca. 1944 Related Collection: John M. Redding Papers ARC Keywords: Soldiers; Tanks (Military science); World War, 1939-1945 HST Keywords: Belgium; World War II - General File People Pictured: Rights: As far as the Library is aware, this item can be used freely without further permission. 写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-615引用。


写真(右)イギリス、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ティーゲルII戦車A型(ポルシェ型砲塔)と71口径8,8センチ戦車砲: Panzerkampfwagen VI in the Bovington Tank Museum
解説 Photo ref;Nikon-D80-2013-DSC_1352 (Edited) 日付 2006年12月6日, 03:10 原典 King Tiger, The Tank Museum, Bovington. 作者 Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons File:King Tiger, The Tank Museum, Bovington. (11633652923).jpg引用。


ティーガーII「キンググタイガー」Panzer VI "Tiger II" Königstiger(Sd.Kfz. 182) を読む。




7.VI 号重駆逐戦車 ヤークトティーガー Jagdpanzer VI Jagdtiger(Sd.Kfz.186)

写真(右)1945年,西側連合軍が鹵獲した、放棄されていたドイツ陸軍VI 号重駆逐戦車 ヤークトティーガー Jagdpanzer VI Jagdtiger (Sd.Kfz. 182)と17センチ砲搭載自走砲試作車Gesch?・tzwagen Tiger f?・r 17cm K72 (Sf):右に一部分が映っているのが17センチ砲搭載自走砲試作車。このほかVI号重戦車ティーガーII「キングタイガー」Panzer VI "Tiger II"(Königstiger)も一緒に鹵獲されている。
Catalogue number: STT 9110, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION Subject period Second World War, Alternative Namesobject category: Black and white, Object description: Jagdtiger. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 9110引用


ヤークト=ティーゲル重駆逐戦車諸元:
全長10.654 m、車体長7.62 m、全幅3.625 m、全高2.945 m
重量75 t
速度:41.5 km/h(整地)、20 km/h(路外)、航続距離170 km(整地)、120 km(路外)
主砲:55口径12,8 cm Pak44 L/55(搭載砲弾数40発)
7.92mm MG34機関銃 1丁
装甲:戦闘室前面250 mm、 側面・後面80 mm、 上面40mm 車体前面上部150 mm、車体前面下部100 mm、側面80 mm、 底面25 mm
エンジン:マイバッハHL230P30V型12気筒液冷ガソリン700 hp/3,000 rpm (520 kW)
乗員6名

写真(右)イギリス南部、ドーセット州、クビンカ戦車ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ヤークトティーゲル駆逐戦車Tiger Ausf. B Jagdtiger (Sd. Kfz. 186):Jagdtiger in the Bovington Tank Museum
解説 English: Panzerjäger Tiger Ausf. B Jagdtiger (Sd. Kfz. 186) was a World War II German tank destroyer (self-propelled anti tank gun or Jagdpanzer) based on the chassis of the Tiger II (“King Tiger”) tank. It was in service from late 1944 to the end of the war. This photo was taken at the US Army Ordnance Museum, Aberdeen Proving Ground, MD. 解説 English: Jagdtiger in the Bovington Tank Museum 日付 2016年8月21日, 15:03:06 原典 投稿者自身による作品 作者 Jonathan Cardy
写真はWikimedia Commons File:Jagdtiger in the Bovington Tank Museum (front).jpg引用。


ヤークト=ティーガー重駆逐戦車は、ティーガーII重戦車の71口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm Pak43 L/71)装備の砲塔を取り除いて、巨大な戦闘室を設け、そこに55口径12.8センチ砲(12,8 cm Pak44 L/55:携行砲弾数40発)を装備した駆逐戦車。戦車砲の射角は左右各10度、俯角は7度、仰角は15度まで運用可能。装甲は厚いが、曲面構造で避弾径始を考慮したものではなく、量産性を高めるために、直線を取り入れた構造になっている。動力源は、マイバッハHL230P30 4ストロークV型12気筒液冷ガソリンエンジンで、700 馬力/3,000 rpm (520 kW)。しかし、大重量の車体を起動するには、ガソリン消費が課題になりすぎた。燃費が悪いために、燃料不足のドイツ軍では、訓練でも実戦でも行動に制約が多かった。

ヤークト=ティーガー(Jagdtiger)重駆逐戦車を読む。

V号パンテル戦車・ヤークトパンター駆逐戦車を読む。


8.VIII 号重戦車 マウス Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205) Maus

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVIII 号重戦車 マウス Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205)の前部:大戦末期、ドイツ軍の試作した最大級の巨大戦車「マウス」。巨大な戦車にネズミと秘匿呼称を付けた。「マウス」はVI号ヤークトティーゲル駆逐戦車Tiger Ausf. B Jagdtiger (Sd. Kfz. 186)と同じ55口径 12.8cm KwK44戦車砲と37口径 7.5cm KwK44戦車砲の各1門を回転式砲塔に装備した。
全長10.085 m、車体長9.034 m、全幅3.67 m、全高3.63 m、重量188 t、乗員6名。
English: Pz.Kpfw VIII <Мaus> at the Kubinka tank museum. English: Processed with Fusion F.3 (HDR; Mode 1) 日付 2016年8月16日, 12:54:15 原典 投稿者自身による作品 作者 Alf van Beem
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Panzerkampfwagen Maus in the Kubinka Museum File:0641 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka (26308163302).jpg引用。


 マウス試作車1号車は車体のみで、1943年12月末に完成、走行試験を行った。砲塔を搭載した試作車が感染したのは、1944年6月でこれが試作2号車となる。走行試験の結果、重量過大で機動性が悪く、トランスミッション・エンジンの不調から信頼性も低かった。結局、1944年11月にはマウスの開発計画は中止された。

 しかし、1945年、ソ連赤軍のベルリン侵攻が間近に迫っており、試作車も戦力化し、実戦投入する方針が打ち出された。マウス試作2号車は、動力をダイムラー・ベンツの液冷ディーゼルエンジンに変換し、4月にベルリン防衛のために出撃したものの、起工不調で行動不能となってしまい、爆破処分された。ソ連軍は、後に試作1号車を無傷で、試作2号車を破壊された状態で鹵獲しており、技術的資料とするために、本国に送った。

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVIII 号重戦車 マウス Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205):巨大戦車「マウス」はVI号ヤークトティーゲル駆逐戦車Tiger Ausf. B Jagdtiger (Sd. Kfz. 186)と同じ55口径 12.8cm KwK44戦車砲に加えて、37口径 7.5cm KwK44戦車砲を同軸で回転式砲塔に装備。装甲は、砲塔前面220 mm、砲塔側・後面200 mm、砲塔上面60 mm。車体前面200 mm、車体側面180 mm、車体側面下部100 mm、車体後面160 mm、車体上面前部100 mm、車体上面中部・後部60 mm、底面50 mm。車体砲塔ともに平面構造で、前面は傾斜装甲となっており、曲面部分は少ない簡易な構造を採用している。
0630 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka 日付 2015年10月1日, 11:52 原典 0630 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka 作者 Uwe Brodrecht
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Panzerkampfwagen Maus in the Kubinka Museum File:0630 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka (26374542786).jpg引用。


VIII 号重戦車 マウス Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205)の諸元
全長10.085 m、車体長9.034 m
全幅3.67 m、全高3.63 m
重量188 t、乗員6名。
兵装:55口径12.8cm KwK44戦車砲1門、37口径7.5cm KwK44戦車砲1門
装甲: 砲塔前面220 mm、砲塔側・後面200 mm、砲塔上面60 mm
車体前面200 mm、車体側面180 mm、車体側面下部・上面前部100 mm
車体後面160 mm、車体上面中部・後部60 mm
底部50 mm

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVIII 号重戦車 マウス Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205):左は、1940年制式の60cmカール自走臼砲(きゅうほう:Mörser Karl、Karl-Gerät)で重量124t、全長11.15m、全幅3.16m、全高4.38m。
0651 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka 日付 2015年10月1日, 12:06 原典 0651 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka 作者 Uwe Brodrecht
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Panzerkampfwagen Maus in the Kubinka Museum File:0651 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka (26334341241).jpg引用。


1940年制式の60cmカール自走臼砲(きゅうほう:Mörser Karl、Karl-Gerät)で重量124t、全長11.15m、全幅3.16m、全高4.38m。ダイムラー・ベンツ MB503A V型12気筒液冷ガソリンエンジン(580 馬力)を搭載した自走砲。二次世界大戦時にドイツで開発・製造された、60cmもしくは54cmという超大口径の臼砲を搭載する自走砲である。

 1942年6月3日,ドイツ軍は,クリミアの要衝セワストポリをロケット弾,クルップ16口径42センチ「ガンマ」臼砲(重量140トン,射程14キロ),モーゼル60センチ「カール」臼砲(重量124トン,10キロ),クルップ80センチ「ドーラ」列車砲(重量1350トン,射程38キロ)を含む1300門の火砲で砲撃した。

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVIII 号重戦車 マウス Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205)の前部:「ネズミ」の秘匿呼称が付けられた巨大戦車の200ミリ装甲の砲塔にはVI号ヤークトティーゲル駆逐戦車と同じ55口径 12.8cm KwK44戦車砲に加えて、37口径 7.5cm KwK44戦車砲まで搭載したため、機動力、防御力から、信頼性、量産性まで低下させた。
0641 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka 日付 2015年10月1日, 11:59 原典 0630 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka 作者 Uwe Brodrecht
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Panzerkampfwagen Maus in the Kubinka Museum File:0641 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka (26308163302).jpg引用。


VIII 号重戦車マウス(Panzer VIII Maus)の200ミリ装甲の重い砲塔にはVI号ヤークトティーゲル駆逐戦車と同じ55口径12.8センチ戦車砲12.8cm KwK44)に加えて、37口径 7.5cm KwK44戦車砲まで搭載し、重量過大となった。大戦末期のドイツ陸軍が、機動力、防御力から量産性まで低下させる副砲を装備したのには、理解に苦しむ。日本軍の大戦中の最新鋭試作車五式戦車も同じく無用の副砲(37ミリ速射砲)を搭載していた。このような副砲は、重量の負担を大きくし、機動力を低下させ、装甲の上から防御力も犠牲にすることになる。構造が複雑なだけに、量産性も低くなる。副砲をなくして、砲塔を回転させる動力負担を軽減し砲塔内の空間を有効利用したほうが遥かに攻撃力にとってプラスである。

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVIII 号重戦車 マウス Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205)の前部:最大級の巨大戦車「マウス」はVI号ヤークトティーゲル駆逐戦車Tiger Ausf. B Jagdtiger (Sd. Kfz. 186)と同じ55口径 12.8cm KwK44戦車砲を回転式砲塔に装備した。装甲は、砲塔前面220 mm、砲塔側・後面200 mm、砲塔上面60 mm。車体前面200 mm、車体側面180 mm、車体側面下部100 mm、車体後面160 mm、車体上面前部100 mm、車体上面中部・後部60 mm、底面50 mm。
English: Pz.Kpfw VIII <Мaus> at the Kubinka tank museum. 日付 2016年8月16日, 12:56:35 原典 投稿者自身による作品 作者 Alf van Beem
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Panzerkampfwagen Maus in the Kubinka Museum File:0641 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka (26308163302).jpg引用。


写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVIII 号重戦車 マウス Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205)の斜め後方:重量188 トンの巨大戦車「マウス」の動力は、水冷V型12気筒 MB509 ガソリンエンジン1,080hpあるいは液冷V型12気筒 MB517 過給器付きディーゼルエンジン1,200hp 。
English: Pz.Kpfw VIII <Мaus> at the Kubinka tank museum. 日付 2016年8月16日, 12:52:52 原典 投稿者自身による作品 作者 Alf van Beem
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Panzerkampfwagen Maus in the Kubinka MuseumFile:Pz.Kpfw VIII Maus in the Kubinka Museum.JPG引用。


VIII 号重戦車マウスPanzer VIII Maus)の動力は、水冷V型12気筒 MB509 ガソリンエンジン1,080hpあるいは液冷V型12気筒 MB517 過給器付きディーゼルエンジン1,200hp だったが、重量は188 トンもある上に、サスペンション、トランスミッションと構造的な負荷が大きくなり、機関や機構の信頼性も十分ではなかった。動力機構の問題で、VIII 号重戦車マウスは実用化できなかった。

写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVIII 号重戦車 マウス Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205)の後部:動力は、水冷V型12気筒 MB509 ガソリンエンジン1,080hpあるいは液冷V型12気筒 MB517 過給器付きディーゼルエンジン1,200hp だったが、重量は188 トンもある上に、サスペンション、トランスミッションと構造的な負荷が大きくなり、機関や機構の信頼性も十分ではなかった。動力機構の問題で、VIII 号重戦車 マウスPanzer VIII Maus)は実用化できなかった。
0634 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka 日付 2015年10月1日, 11:55 原典 0630 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka 作者 Uwe Brodrecht
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Panzerkampfwagen Maus in the Kubinka Museum File:0641 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka (26308163302).jpg引用。


写真(右)ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVIII 号重戦車 マウス Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205)の底部 :底部でも装甲は50ミリある。脱出や点検に使用する底部ハッチが見える。マウスの装甲は、砲塔前面220 mm、砲塔側・後面・車体前面200 mm、車体側面180 mm、車体側面下部・車体上面前部100 mm、車体後面160 mm、車体上面中部・後部60 mm、砲塔上面・底部50 mm。
English: Pz.Kpfw VIII Maus at the Kubinka tank museum. 日付 2016年8月16日, 13:16:36 原典 投稿者自身による作品 作者 Alf van Beem
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Panzerkampfwagen Maus in the Kubinka Museum File:Pz.Kpfw VIII Мaus bottom and tracks at the Kubinka pic2.JPG引用。


◆ヒトラーは,スターリングラードの敗北で,多数のドイツ兵士が死亡し捕虜になった時期,ゲットーや収容所でユダヤ人やソ連軍捕虜が生きながらえていることに,耐えられなかったに違いない。親衛隊ヒムラー長官に,全ユダヤ人を殲滅する口頭命令を下した。

ユダヤ人・パルチザン・ソ連軍捕虜の虐殺・虐待は,秘匿されてきたが,それは,殺戮を行っていることが知れ渡れば次のような支障が生じるからである。

?敵は殺害されると知れば,抵抗をやめない。そこで,抵抗を弱めるために,姦計を弄して,処刑した。
?残虐行為は,連合国の戦争遂行理由を正当化する。そこで,ユダヤ人,パルチザン,ソ連軍捕虜の虐殺は,連合国にも秘匿する必要があった。
?後方・前線のドイツ人にとって,非人間的な虐殺・虐待は,士気を低下させる恐れがあった。そこで,ドイツ人にも虐殺・虐待を秘匿する必要があった。
 

虐殺・虐待という忌むべき行為は,人々にとって,歓迎される情報ではない。人間とは,自分に都合のよい情報を知りたがり,信じたがるものである。バルバロッサ作戦,スターリングラード攻防戦の背後には,ユダヤ人,パルチザン,捕虜の組織的な虐殺の問題があった。たくさんのいのちが非人間的に失われたことを,激戦の一環として済ませるわけにはいけないであろう。

ナチスは,人種民族的偏見は,人種民族差別を正当化し,ドイツ民族はアーリア人の血を受け継ぐ優秀な民族であり,世界の覇権を握るべきである。他方,人種汚染して,ドイツを滅ぼそうとするユダヤ人,スラブ人は下等人種・劣等民族であり,排除しなければならないとした。

◆人種は,生物学的特長によるヒトの区分,民族は言語文化的な特長による人間の区分であって,人種は遺伝・DNAが支配する先天的要因,民族は出自・家庭・教育・国籍が支配する後天的要因による区分とされる。しかし,実際には,人種も民族も,区分は,実は明確ではない。生物学的にも,人類は連続的に変化し,DNAを踏まえれば,人「種」ではなく,亜種Subspeciesを区分できるに過ぎない。

人種民族差別は,為政者の裁量を基準に行われており,似非科学な偏見,恣意的なご都合主義,プロパガンダに基づいている。為政者とは,人種・民族を自分の意図に都合よく定義,特定の人種民族を差別,迫害するものである。

◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールにゲスト出演。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊

サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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