◆ドイツのユンカースJu90輸送機/Ju290哨戒偵察機
写真(上)1943年、飛行中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-5型;機首にFuG 200「ホーエントヴィール」(Hohentwiel)対艦船捜索用レーダーを装備している。ゴンドラには、前方ゴンドラに20ミリMG 151/20 機関銃1丁、機首上面の動力銃座に20ミリMG 151/20 機関銃1丁を装備している。航続距離は6,100 km (3,790マイル) で、1943年後半から実戦投入され、大西洋上の輸送船団を捜索し、ドイツ潜水艦Uボートに連絡する役割を負っていた。自動防漏式燃料タンク、装甲板を搭載し、防御力も向上させた。Ju 290 A-5は10機生産された。より武装を強化したA-7型は、1944年の初めに実戦投入され、対艦船誘導ミサイルも搭載可能だった。
SDASM Archives
Junkers Ju 290A-5 Nowarra collection
PictionID:44220756 - Title:Junkers Ju 290A-5 Nowarra collection - Catalog:16_005481 - Filename:16_005481.TIF
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写真はSDASM Archives・PictionID:44220756引用。
写真(上)1944年1月11日、フィンランド、ヘルシンキ郊外、マルミ飛行場、発進準備中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 90 B-1 長距離輸送機;ドイツはラトガ湖東岸ヌーモイラ(Nurmoila)に無線送信所を建設した。そこへの補給物資と人員は、マルミ飛行場を経由してバルト海南岸のタリンから空輸された。
Saksalaiset rakentavat radiosuuntima-aseman Nurmoilaan. Kaikki tarvikkeet ja henkilökunta kuljetetaan lentoteitse Tallinnasta Malmin kautta. Kuvissa nelimoottorinen JU-90-tyyppinen kuljetuskone starttaa Malmin lentokentältä. Junkers Ju 90 B-1 starttaa.
Organisation
Military Museum
Photo info:
1944-01-11
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja .
写真はmuseot.finna・sa-kuva-137061引用。
写真(上)1946年、オハイオ州ライトフィールド飛行場で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt);機首下面に20ミリMG151/20 機関銃(模擬銃?)があり、機首上面にも動力銃座がついている。オリジナルの塗装が剥げて薄くなったため、アメリカ軍が塗装を塗りなおしているので、オリジナルの塗装ではない。赤字で「全て壊滅」号(Alles Kaputt)と落書きをした。機首の先端には、レーダー支柱とは異なるような支柱がみえる。移動中に風防衝突防止の緩衝材のようなものを取り付けたのであろうか。
SDASM Archives
Junkers Ju 290A-5 Nowarra collection
PictionID:44220756 - Title:Junkers Ju 290A-5 Nowarra collection - Catalog:16_005481 - Filename:16_005481.TIF
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写真はSDASM Archives・PictionID:44220756引用。
◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
写真(右)1942年6月28日、ドイツ、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥がヒトラー総統の元を訪問した後のフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥を見送っている。;
Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym. Valtakunnanmarsalkka Hermann Göring saattamassa Suomen marsalkka Mannerheimia tämän vierailtua metsästysmajalla Itä-Preussissa.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-3238引用。
対ソビエト戦争の戦意高揚を無視して、マンネルハイム元帥は、ヒトラーとの共闘を臨んでいなかった、1942年6月4日のヒトラーによる誕生日訪問を迷惑に思っていたなどというのは、全くの見当違いである。1917年のロシア革命後、ボリシェビキ勢力が伸長し、赤軍を組織して共産主義革命を進めたとき、フィンランドでは、ロシア共産党のボリシェビキに賛同したフィンランド共産主義者、共産党員、赤軍が政権奪取を図った。それに対して、反革命軍、白軍を組織して、革命派を武力鎮圧したのが、グスタフ・マンネルハイム将軍である。
フィンランドにおける反ボリシェビキの内戦の激しさを踏まえれば、マンネルハイムもヒトラーも、フィンランドもナチス・ドイツも、ともに反共産主義、反ボルシェビズムを奉じて、ソビエト連邦、ヨシフ・スターリン、ソ連赤軍を警戒し、チャンスがあれば、彼らを無害化、中立化したかったに違いない。ドイツのソ連侵攻という絶好のチャンス・好機を逃すほど、マンネルハイム将軍は愚かではない。
写真(右)1942年6月28日、ドイツ、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥がヒトラー総統の元を訪問した後のフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥をもてなした。;
Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym. .
写真はMuseot Finna・sa-kuva-13041引用。
1941年6月22日、ドイツが独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に侵攻した。すると、それから4日後、6月27日には、フィンランドも、ソビエト連邦に侵攻した。これは、1939-1940年の対ソ連「冬戦争」で奪われた国土を取り返すということが名目だった。フィンランドは、枢軸国ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、対ソ連・反ボリシェビキの戦争協力を話し合った。マンネルハイムは、1942年6月時点で、ヨーロッパを支配するドイツ後押しを受け、ソ連に復習戦争を仕掛けることを大変に喜んだはずだ。フィンランドは、恨み重なるソ連打倒の好機として、継続戦争を自ら開始した。
フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥は、1942年6月4日の誕生日にナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー総統のラステンブルク司令部をフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200 C輸送機に乗って訪問し、対ソ戦争について会談した。そして、6月27日、ドイツの東プロイセン州ラステンブルク総統大本営「狼の巣」を訪れ、そこで開かれていた最高指導作戦会議に出席した。マンネルハイムは、総統大本営のヒトラーを訪問しばかりではなく、引き続いて、列車でドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥の下にも馳せ参じて、彼の下で祝宴に参加している。
1.「ウラル・ボンバー」ユンカース(Junkers)Ju-89長距離四発重爆撃機
写真(右)1938年,ドイツ、飛行中のユンカース(Junkers)Ju 89長距離四発大型爆撃機試作1号機V1 :1937年4月11日、Ju89試作1号機D-AFIT (V1, c/n 4911)が、初飛行した。しかし、1937年4月29日、RLMにより長距離四発大型爆撃機の発注はキャンセルとなった。四発大型爆撃機は、製造に使用する資源もコストもかかりすぎる。他方、双発爆撃機は、多数生産ができて、爆弾命中率の高く、戦術爆撃のためには効果的であるとされた。
Inventory: Bild 141 - Sammlung Library of Congress
Signature: Bild 141-2409
Archive title: Flugzeug Junkers Ju 89 V1 im Flug
Dating: 1937/1938 ca.
Photographer: o.Ang.
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。
1933年のナチ党政権移行、ドイツ空軍を密かに再考する動きが活発化した。これは、第一次大戦敗戦後に成立したドイツ・ワイマール共和国で、国軍のほかに闇の国防軍が組織されたのと同様で、ヴァルター・ヴェーファー将軍(後の空軍参謀長)は、将来の戦争では戦略爆撃が重視されるできであり、そのための長距離大型爆撃機(Langstrecken-Grossbomber)の開発が不可欠であると考えていた。1935年のドイツ再軍備後、これがウラル爆撃機の構想となる。ヴァルター・ヴェーファー(Walther Wever)空軍参謀長は、ドルニエ社、ユンカース社に長距離大型四発爆撃機の開発を依頼し、ドルニエ Do 19、ユンカースJunkers Ju 89として、1935年中に、ドイツ航空省(RLM:Reichsluftfahrtministerium)が試作機2機を発注した。
写真(右)1938年頃,ドイツ、駐機中のユンカース(Junkers)Ju 89V-2長距離四発大型爆撃機試作2号機の機首:Ju89試作1号機D-AFIT (V1, c/n 4911)初飛行は、1937年4月11日だが、1937年4月29日、航空省(RLM)は長距離四発大型爆撃機の発注をキャンセルする。四発大型爆撃機は、製造に使用する資源もコストもかかりすぎる。他方、双発爆撃機は、多数生産ができて、爆弾命中率の高く、戦術爆撃のためには効果的であるとされた。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:44220669 - Catalog:16_005474 - Title:Junkers Ju 89 V-2 Nowarra collection - Filename:16_005474.TIF
写真は,SDASM Archives・Catalog:16_005474引用。
しかし、1936年6月3日、ヴェーファー将軍がハインケルHe70高速輸送機の事故で死亡すると、後継者の、1887年11月11日ー1936年6月3日も、空軍技術局長エルンスト・ウーデットも、大型四発爆撃機は、飛行場や地上支援ができず、爆弾の命中精度も低いために、より効果的な急降下爆撃を支持した。そこで、双発の戦術爆撃機がドイツ空軍の攻撃主力とされ、長距離四発大型爆撃機の戦備は中止されることとなった。そこで、ユンカースJunkers Ju 89大型四発爆撃機は、Junkers Ju 90大型四発輸送機として、ドイツルフトハンザ航空など、民間の航空輸送用に転換がはかられた。
写真(右)1938年,ドイツ、ユンカース(Junkers)Ju 89V-7(V-2?)長距離四発大型爆撃機試作7号機の側面:機首下面にあるのは、正確な速度を図るためのピトー管であろうか。発動機は、ダイムラー・ベンツ DB 600A(750 hp)4基で、当時の液冷エンジンとしては、最大出力の高性能エンジンだった。
Junkers Junkers Ju 89 V-7 Nowarra collection
PictionID:44220682 - Title:Junkers Ju 89V-7 Nowarra collection - Catalog:16_005475 - Filename:16_005475.TIF
写真は,SDASM Archives・Catalog:16_005474引用。
2.ユンカース(Junkers)Ju-90四発大型旅客輸送機
写真(右)1938年,ドイツ、デッサウのユンカース航空機工場で生産中のユンカースJu-90四発大型旅客輸送機:全備重量23トンもの大型機で、このような大型長距離輸送機を民間航空で使用するだけの技術力と、旅客輸送の需要があったことに驚かされる。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen
Signature: Bild 146-1980-003-31
Original title: info In den Dessauer-Junkers-Werken entsteht das grösste deutsche viermotorige Grossraum-Schnellverkehrs-Flugzeug für 40 Fluggäste. Fluggewicht-23 Tonnen. Reisegeschwindigkeit-rund 350 Std. -km. Bild zeigt Blick in eine der grossen Montagehallen, in der zwei Grossraum- Schnellverkehrs-Flugzeuge Junkers Ju 90 ihrer Fertigstellung entgegengehen.
Dating: 1938
Photographer: o.Ang.
Agency: Presse-Bericht Berlin
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1938-1940年頃,ユンカースJu90輸送機試作1号機V1「大デッサウアー」"Der Grosse Dessauer" (Wk-Nr 4913)D-AALU:1937年4月に、ドイツ航空省がキャンセルした「ウラルボンバー」ユンカース Ju 89長距離大型爆撃機は8月28日に初飛行した。ドイツ・ルフトハンザ航空(Deutsche Lufthansa)に輸送機として売り込む可能性が追及されたためである。Ju90試作1号機 V1(Wk-Nr 4913)"Der Grosse Dessauer" D-AALUは、エンジンをダイムラーベンツ(Daimler-Benz) DB 600C液冷倒立Vエンジン(1,100 hp)4基とし、Ju89爆撃機よりも高出力だった。
SDASM Archives
Junkers Ju 90
PictionID:38237395 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002355.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.-----------
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, PictionID:38237395引用。
写真(右)1938-1940年頃,ユンカースJu90輸送機 :1937年4月に、ドイツ航空省がキャンセルした「ウラルボンバー」ユンカースJu 89長距離大型爆撃機を流用した大型の長距離輸送機。ドイツ・ルフトハンザ航空(Deutsche Lufthansa)は、1933年から長距離旅客機の導入を計画していたため、ユンカース社は、1937年にキャンセルされたJu89の主翼と双尾翼を流用し、輸送に適したより大型化した胴体の旅客機への改造をおこなった。これがJunkers Ju 90輸送機である。
SDASM Archives
Junkers, Ju.90
Catalog #: 01_00081813
Title: Junkers, Ju.90
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, Catalog #: 01_00081813引用。
写真(右)ドイツ、ドイツルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju-90輸送機; 垂直尾翼には、ナチ党政権下ドイツの国籍マークとなった黒のカギ十字が白丸・赤帯の中に描かれている。
Beeldnummer
144434
Collectie
NIOD
Collectie
Nationaal Oorlogs- en Verzetsmuseum Overloon / Liberty Park
Trefwoorden
Duitsers, Luchtvaart, Vliegtuigen
Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift
' Junkers Ju-90 van de Duitsche Lufthansa. ' Type
Foto
Datum type
Opname
写真はBeeldbankWo2・Beeldnummer 144434 引用。
写真(右)1938-1940年頃,ユンカース(Junkers)Ju 90 V5輸送機試作5号機「プロイセン」 "Preussen" D-ANBS (ABNS ?)W.Nr. 4917 :BMW 132 M (970 HP)4基装備。
Lufthavn. 2 fly på bakken Junkers Ju-90 "Preussen" fra Lufthansa (stort fly). Bü 131 Jungmann (lite flu
Fotografering: 1930 - 1940
Aksesjon: 1967
Informant : Bodø Luftfartshistoriske Forening
Giver/siste eier: Olsen, Fred sikker
Formidler av gave eller kjøp : Sundby, Jon
Identifier: NL.98220116
Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum
Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum
Institution: Norsk Luftfartsmuseum
Date published: December 19, 2014
Date updated: December 19, 2014
DIMU-CODE: 021015697384
UUID: F4E37EAB-E7E9-4456-8096-C1F9EB095396
写真はNorsk Luftfartsmuseum ・Identifier: NL.98220116引用。
写真(右)1938-1940年頃,ユンカース(Junkers)Ju90V3輸送機試作3号機「ヴュルテンベルク」 Württemberg D-AURE(Werk-Nr. 900001) :後に「バイエルン」Bayernと名称変更した。1937年4月に、ドイツ航空省がキャンセルした「ウラルボンバー」ユンカース Ju 89長距離大型爆撃機を流用した大型の長距離輸送機。ドイツ・ルフトハンザ航空(Deutsche Lufthansa)は、1933年から長距離旅客機の導入を計画していたため、ユンカース社は、1937年にキャンセルされたJu89の主翼と尾翼を流用し、輸送に適したより大型化した胴体の旅客機への改造をおこなった。これがJu 90輸送機である。
SDASM Archives
Junkers, Ju.90
Catalog #: 01_00081816
Title: Junkers, Ju.90
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, Catalog #: 01_00081816引用。
写真(右)1938年8月-1940年頃,ユンカース(Junkers)Ju90輸送機(Wk-Nr 4915)試作3号機V3「バイエルン」Bayern, D-AURE:1937年4月に、ドイツ航空省がキャンセルした「ウラルボンバー」ユンカース Ju 89長距離大型爆撃機は8月28日に初飛行した。ドイツ・ルフトハンザ航空(Deutsche Lufthansa)に輸送機として売り込む可能性が追及されたためである。Ju90試作1号機 V1は、エンジンをダイムラーベンツ(Daimler-Benz) DB 600C液冷倒立Vエンジン(1,100 hp)4基とし、Ju89爆撃機よりも高出力だった。ユンカース Ju 90輸送機は、双尾翼、低翼単葉機で、主翼前縁のみ後退角が付き、主翼後縁は直線的である。主翼は、5本の管状桁で支えられ、圧延外皮で表面はなめらかで、ユンカースJu52輸送機のような波板構造は取り入れていない。
SDASM Archives
Junkers, Ju.90
Catalog #: 01_00081812
Title: Junkers, Ju.90
Corporation Name: Junkers
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, Catalog #: 01_00081812引用。
写真(右)1938年頃,ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)ユンカース(Junkers)Ju90輸送機:Ju 90輸送機のエンジンは、当初、高性能なダイムラーベンツ(Daimler-Benz) DB 600液冷倒立Vエンジン(1,100 hp)4基だったが、このエンジンが戦闘機に優先配備されることとなり、BMW 132 H (820 hp)4基を搭載した。双尾翼、低翼単葉機の大型輸送機で、大戦突入前なので、垂直尾翼に、赤帯に白丸、その中にナチ党カギ十字の国籍マークを描いている。
Beeldnummer
144434
Collectie
Nationaal Oorlogs- en Verzetsmuseum Overloon / Liberty Park
Trefwoorden
Duitsers, Luchtvaart, Vliegtuigen
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift
' Junkers Ju-90 van de Duitsche Lufthansa. '
写真はイメージバンクWW2 ,BeeldbankWo2.nl, Beeldnummer 144434引用。
3.ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-290大型軍用輸送機
写真(右)1942-1943年,長距離輸送偵察機(試作機)ユンカース(Junkers)Ju 290 V 1:四発輸送機のJu-90を改造した大型貨物輸送機で、機体後方下部にランプ(傾斜板)を設けて自動車のような大型貨物をそのまま機内に収容することができた。しかし、輸送機としての用途には,Me323のような大型輸送機で代替できたために、ju290は大出力のBMW801空冷エンジン(1700馬力)を搭載して、装甲,武装を施した長距離偵察機として使用された。機首下面には爆撃照準器を搭載したゴンドラが張り出している。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen
Signature: Bild 146-1976-092-21
Archive title: Transport- und Fernaufklärungs-flugzeug Junkers Ju 290 V 1 (Kennung BD+TX) im Flug
Dating: 1942/1944 ca.
Photographer: o.Ang.
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。
ユンカース(Junkers)Ju 90A四発大型旅客輸送機の諸元:
乗員:4名、乗客:40名
全長:26.30 m 、全幅:35.02 m、全高:7.50 m
翼面積:184 平方メートル
空虚重量:19,225 kg、全備重量:33,680 kg
最高速力:350 km/h
巡航高度:5,750 m
写真(右)1940年4-5月,ノルウェー侵攻「ウェーゼル演習作戦」、オスロに兵員を輸送した四発大型旅客輸送機ユンカースJu-90:Ju-90V1は、1,100馬力ののダイムラー・ベンツ社のDB600C倒立V型液冷エンジン4基搭載し、1937年8月28日に初飛行したが、それ以降の機体は、Ju-52輸送機と同型の830馬力のBMW 132 星型空冷エンジンを搭載している。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-757-0016N-32
Archive title: Norwegen, Flughafen Oslo-Fornebu.- "Unternehmen Weserübung". Landung deutscher Truppen, Flugzeug Junkers Ju 90; PK-Staffel Nord
Dating: 1940 April - Mai
Photographer: Kayser, Bruno v.
Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-757-0016N-32引用(他引用不許可)。
1940年4月9日、ドイツ軍はデンマークとノルウェーに侵攻、理由は、スウェーデンの鉄鉱石を不凍港ナルビク(Narvik)を通じて安定して輸入するためだったが、イギリスがノルウェーの機雷封鎖や保障占領を企図していることもあった。このノルウェー侵攻「ウェーゼル演習作戦」では、四発大型旅客輸送機ユンカースJu-90が、オスロに兵員を輸送した。デンマークは侵攻初日の4月9日、国王クリスチャン10世(Christian 10)、デンマーク政府が即座に降伏したが、ノルウェーは、イギリス軍の支援を受けて、激しく戦った。しかし、ドイツ軍のフランス侵攻で、5月下旬にはフランスの危機、イギリスの孤立化が確実になったため、ノルウェーの連合軍は6月に撤退した。ノルウェーには傀儡ヴィドクン・クヴィスリング(Vidkun Quisling)政権が樹立され、ドイツ潜水艦Uボートの基地となった。
写真(右)1940年4-5月,ノルウェー侵攻「ウェーゼル演習作戦」、オスロに兵員を輸送したユンカース(Junkers)Ju 90四発大型輸送機:
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-757-0016N-31
Archive title: Norwegen, Flughafen Oslo-Fornebu.- "Unternehmen Weserübung". Landung deutscher Truppen, Flugzeug Junkers Ju 90; PK-Staffel Nord
Dating: 1940 April - Mai
Photographer: Kayser, Bruno v.
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。
四発輸送機のJu-90試作機V1は、1,100馬力ののダイムラー・ベンツ社のDB600C倒立V型液冷エンジン4基搭載、1937年8月28日に初飛行した。試作2号機(V2)は1938年5月、ルフトハンザ航空で試験運用がなされたが、戦闘機用の高性能DBエンジンに代えて、Ju-52輸送機と同型の830馬力のBMW 132 星型空冷エンジンを搭載した。ルフトハンザ航空はユンカースJu-90A輸送機を合計7機購入し運用したが、第二次世界大戦が勃発し、Ju-90は民間輸送機としての任務を解かれて軍用機に改造されることになる。
写真(右)1938年8月-1940年頃,ユンカースJu290輸送機試作3号機V3、 GF+GH:1937年4月に、ドイツ航空省がキャンセルした「ウラルボンバー」ユンカース Ju 89長距離大型爆撃機は8月28日に初飛行した。ドイツ・ルフトハンザ航空(Deutsche Lufthansa)に輸送機として売り込む可能性が追及されたためである。Ju90試作1号機 V1は、エンジンをダイムラーベンツ(Daimler-Benz) DB 600C液冷倒立Vエンジン(1,100 hp)4基とし、Ju89爆撃機よりも高出力だった。ユンカース Ju 90輸送機は、双尾翼、低翼単葉機で、主翼前縁のみ後退角が付き、主翼後縁は直線的である。主翼は、5本の管状桁で支えられ、圧延外皮で表面はなめらかで、ユンカースJu52輸送機のような波板構造は取り入れていない。
SDASM Archives
, Ju.90: Ju 290V-3 GF+GH
Catalog #: 01_00081815
Title: Junkers, Ju.90
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.90 This is the Ju 290V-3 GF+GH during tests. It was a former Ju 90B-1 airframe
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, Catalog #: 01_00081815引用。
写真(右)1937年,ユンカース(Junkers)Ju 90四発大型旅客輸送機「グロース・デッサウアー」”Grosse Dessauer”の胴体貨物室内部:メルセデス・ベンツ(Mercedes Benz)エンジン 920馬力/1000馬力4基を装備した大型輸送機。
Categorie
Verkeer
Creditline
Nationaal Archief/Collectie Spaarnestad/Het Leven/Fotograaf onbekend
Fotograaf display
Onbekend
Codec-plaatsing
2706-4
Bijschrift EN
Aviation. Luggage compartment of the Junkers Ju 90 der grosse Dessauer of Lufthansa. The plane has four Mercedes Benz engines with a capacity of 920/1000 hp. 1937.
Collectie
Het Leven (LEVEN 022)
Publicatie 1 - naam - jrgng - nr - pag.
Het Leven;1937;39;1258
Kleur
Zwart-Wit
Opnamedatum vanaf (*)
1937
写真は,2015 Spaarnestad Photo, SFA022811676引用。
ユンカースJu90輸送機V1試作機1号機は、ダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz) DB 600C 倒立V型12気筒液冷エンジン1000馬力4基装備しており、「グロース・デッサウアー(Grosse Dessauer)」と命名された。Ju90輸送機V1試作機1号機は、ダイムラー・ベンツ DB 600C 倒立V型12気筒液冷エンジン1000馬力4基装備しており、「グロース・デッサウアー(Grosse Dessauer)」は1937年8月28日に初飛行し、ドイツ・ルフトハンザ航空でテストされた。しかし、1938年2月6日、この試作機は試験飛行中に墜落、失われた。
ユンカースJu90輸送機V2試作2号機は、試作1号機の9か月後の1938年5月、テストのためにルフトハンザ航空に納入された。全ての民間型生産機のJu 90と同様に、この機には620 kW (830 hp) のBMW 132 星型エンジンが装着された。
写真(右)1938年8月-1940年頃,ユンカース(Junkers)Ju290輸送機試作3号機V3、 GF+GH:Ju 90V-7試作7号機 V1は、それまでのエンジンをダイムラーベンツ(Daimler-Benz) DB 600C液冷倒立Vエンジン(1,100 hp)4基から、 BMW 801空冷星形14気筒エンジン(1700hp)に強化した型で、Ju90では初めて BMW 801を搭載し、Ju290輸送機の原型となった。Ju90輸送機の双尾翼、低翼単葉機は引き継いでいる。Ju 90 V5の初飛行は、1939年12月5日で、胴体後部下面に、大型貨物搭載用のランプ(Trapoklappe ramp)を装備して、大型貨物の積み下ろしを容易にしている。
Junkers Ju 90V-7 (first Junkers Ju 90 with BMW 801) forerunner of Junkers Ju 290V-1 Nowarra collection
PictionID:44220707 - Title:Junkers Ju 90V-7 (first Junkers Ju 90 with BMW 801) forerunner of Junkers Ju 290V-1 Nowarra collection - Catalog:16_005477 - Filename:16_005477.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, Catalog: 16_005477引用。
写真(右)1938年8月-1940年頃,ユンカース(Junkers)Ju 90輸送機試作8号機V8(W.Nr. 4920) DJ+YE, LTS 290(Ju290輸送機試作3号機V3、QJ-YE):Ju 90V-7試作7号機 V1は、それまでのエンジンをダイムラーベンツ(Daimler-Benz) DB 600C 液冷倒立Vエンジン(1,100 hp)4基から、 BMW 801空冷星形14気筒エンジン(1700hp)に強化した型で、Ju90では初めてBMW 801を搭載し、Ju290輸送機の原型となった。Ju90輸送機の双尾翼、低翼単葉機は引き継いでいる。Ju 90 V5の初飛行は、1939年12月5日で、胴体後部下面に、大型貨物搭載用のランプ(Trapoklappe ramp)を装備して、大型貨物の積み下ろしを容易にしている。
SDASM Archives
Junkers, Ju.290
Catalog #: 01_00081822
Title: Junkers, Ju.290
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, Catalog #: 01_00081822引用。
写真(右)1940-1942年頃,飛行中のユンカース(Junkers)Ju 90四発大型輸送機V8試作8号機 DJ+YE(Ju290哨戒偵察機):Ju 90V-8試作8号機は、V7と同様、BMW 801空冷星形14気筒エンジン(1700hp)を搭載したJu90最終型で、Ju 290長距離哨戒偵察に改修された。兵装は、機首上面に動力銃座20ミリMG 151/20機関銃機1丁、ゴンドラ前後、両側方、尾部に13.1ミリMG131機関銃を装備している。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:44220656 - Catalog:16_005473 - Title:Junkers Ju 90V-8 became Junkers Ju 290V-1 Junkers files - Filename:16_005473.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, PictionID: 44220656引用。
写真(右)1938年8月-1940年頃,ユンカース(Junkers)Ju 290四発大型輸送機V8試作8号機:Ju 90V-7試作7号機はエンジンをそれ以前のダイムラーベンツ(Daimler-Benz) DB 600C液冷倒立Vエンジン(1,100 hp)4基から、 BMW 801空冷星形14気筒エンジン(1700hp)に強化した型で、Ju90では初めてBMW 801を搭載し、Ju290輸送機の原型となった。Ju90輸送機の双尾翼、低翼単葉機は引き継いでいる。Ju 90 V5の初飛行は、1939年12月5日で、胴体後部下面に、大型貨物搭載用のランプ(Trapoklappe ramp)を装備して、大型貨物の積み下ろしを容易にしている。
Junkers Ju 90V-8 Nowarra collection
PictionID:44220732 - Title:Junkers Ju 90V-8 Nowarra collection - Catalog:16_005479 - Filename:16_005479.TIF -
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, SFA022811676引用。
写真(右)1943年3-4月,イタリア戦線のメッサーシュミットMe 323 ギガント"Gigant"巨人六発輸送機:翼下には、ユンカース(Junkers)Ju 290四発大型輸送機が映っている。Me321大型グライダーにフランスで鹵獲したノームローンGnome-Rhône 14Nエンジンを6発装備して自力飛行可能な輸送機としたメッサーシュミットMe 343 ギガント"Gigant"。機首が観音開きになるために、大型車両、戦車もそのまま貨物室に搬入し空輸することができた。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-561-1130-33A
Archive title: Italien, Grosseto.- Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant" auf Flugplatz, drei Gnôme-Rhône-Motoren an der Backbord-Tragfläche, im Hintergrund Junkers Ju 290 (Kennung SB+OB?); PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943 März - April
Photographer: Seeger, Erwin
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
メッサーシュミットMe 323"Gigant"巨人輸送機の諸元:
乗員:5名
全長:28.2m、翼幅:55.2m、全高:9.6m
空虚重量:27,330kg、全備重量:29,500kg
エンジン:6×ノーム・エ・ローヌ 14N:950hp×6
最高速度:270km/h、航続距離:800km
兵装:18丁×7.92ミリMG15機銃
輸送力:兵員120名あるいは貨物20t
4.ドイツ空軍ユンカースJu-290哨戒偵察機
写真(右)1942年,北大西洋上の海上哨戒に使用されたドイツ空軍ユンカースJu 290哨戒偵察機 :BMW 801 (1700 HP)ではなくBMW132空冷星形エンジン4基を装備しているようだ。
Fly parkert på Gardermoen. Beskyttelsestrekk over motorene. Bildet viser en Focke Wulf FW200 Condor [wrong:Ju 290] fra Luftwaffe. Mannen i forgrunnen har Luftwaffeuniform, og er trolig en underoffiser.
Avbildet sted: Akershus Ullensaker Gardermoen
Fotografering: 1942 (CA)
Aksesjon: 1985 (ANT)
Identifier: 0235-038:0034
Part of collection: Akershus fylkesmuseum
Owner of collection: Akershusmuseet
Institution: Akershusbasen
Date published: March 12, 2014
Date updated: June 14, 2017
DIMU-CODE: 011012563753
UUID: C010A4FF-7826-4B69-B099-98F3EC1111EC
写真はNorsk Luftfartsmuseum ・Identifier: 0235-038:0034 引用。
写真(右)1943年4-5月,イタリア、トスカーナ州グロッセート、ユンカースJu-90V7長距離哨戒偵察機:Ju90輸送機の改修型であるJu 290長距離哨戒偵察機は、合計47機が生産された。胴体後上方の銃塔、機首下面ゴンドラ前方には、防御用の20ミリMG151/20機関銃1丁が装備されているのが見える。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-561-1130-39A
Archive title: Italien, Grosseto.- Zwei Flugzeuge Junkers Ju 90 V7 als Schleppflugzeuge(hintere Maschine Kennung BJ+?) auf Flugplatz stehend; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943 März - April
Photographer: Seeger, Erwin
Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1942-1943年,長距離偵察機Ju 290 A-3:四発輸送機のJu-90を改造した大型偵察機。全幅: 42.00m、全長: 28m、全高: 6.83m。主翼面積: 203.6平方メートル、 空虚重量: 33,005 kg、最大重量(Ju 290A-5): 44,970kg、(Ju 290A-7): 45,400kg。最高速度: 440kph (273 mph)、実用上昇限度:6000 m、航続距離: 3,700 マイル (5950 km)。兵(装290A-2):5× 20mm MG 151/20、6× 13mm MG 131。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen
Signature: Bild 146-1989-039-19A
Original title: info Junkers Ju 290 A-3, Fernaufklärer
Werkfoto Junkers (MBB)
290/8
Archive title: Flugzeug Junkers Ju 290 A 3 auf einem Flugplatz stehend
Dating: 1942/1945 ca.
Photographer: o.Ang.
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1943年、飛行中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-5型KR-LA;1944年2月、このJu 290 A-5(KR+LA)は、燃料他45トン搭載し、長距離連絡飛行により、日本の保護国満州帝国に連絡飛行をする計画が立てられた。しかし、ソビエト連邦の中立を重視する日本は、ソ連上空侵犯を認めず、計画は中止になった。
SDASM Archives
Junkers, Ju.290
Catalog #: 01_00081825
Title: Junkers, Ju.290
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081825引用。
写真(右)1945年5月以降、ドイツ、進駐したアメリカ陸軍航空隊が飛行場で接取したドイツ空軍メッサ―シュミットBf 109戦闘機G型とユンカースJu-290A-3四発哨戒偵察機:Bf109はスピナーに渦巻きを描き、機首に13.1ミリ機関銃のバルジがあるのでG-6、G-14型と思われる。Ju 290 A-3は四発輸送機のJu-90を改造した哨戒偵察機。全幅: 42.00m、全長: 28m、全高: 6.83m。主翼面積: 203.6平方メートル、 空虚重量: 33,005 kg、最大重量(Ju 290A-5): 44,970kg、(Ju 290A-7): 45,400kg。最高速度: 440kph (273 mph)、実用上昇限度:6000 m、航続距離: 3,700 マイル (5950 km)。兵(装290A-2):5× 20mm MG 151/20、6× 13mm MG 131。
on
English: US Servicemen with a captured Junkers Ju 290 Transport and a Messerschmitt Bf 109 fighter at an unknown location.
Date 27 March 2017
Source From a personal collection found in a shoe box in a deceased relative's closet.
Author Unsure, an unknown friend of the relative actually took the photograph. All are deceased
写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Bf 109G File:Junkers Ju 290 Transport and Messerschmitt Bf 109 Fighter.jpg
引用。
写真(右)1946年、イギリス南部、ハンプシャー州、ファーンボロー(Farnborough)基地、イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-5型;1944年2月、このJu 290 A-5は、燃料他45トン搭載し、長距離連絡飛行により、日本の保護国満州帝国に連絡飛行をする計画が立てられた。しかし、ソビエト連邦の中立を重視する日本は、ソ連上空侵犯を認めず、計画は中止になった。
SDASM Archives
Junkers Ju 290A-5 Farnborough 1946
PictionID:44220744 - Title:Junkers Ju 290A-5 Farnborough 1946 - Catalog:16_005480 - Filename:16_005480.TIF
Additional Information: Germany.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081825引用。
写真(右)1942-1943年頃、地中海、ティレニア海、コルシカ島沖、チュニジアの基地を発進したイギリス空軍第14飛行中隊のマーチン・マローダー爆撃機の襲撃を受けるドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 290 長距離哨戒偵察機/輸送機;この後、コルシカ島の対空砲で撃墜され、墜落、爆発した。BMW801空冷星形14気筒エンジン1700馬力4基を装備した。胴体後方下面の大型貨物積み下ろし用ランプを装着。超長距離哨戒偵察機としても使用された。
ROYAL AIR FORCE OPERATIONS IN MALTA, GIBRALTAR AND THE MEDITERRANEAN, 1940-1945.
Object description
A Junkers Ju 90 of Lufttransportstaffel 290 turns for the land as it comes under cannon attack from a Martin Marauder piloted by Wing Commander W S G Maydwell, the Commanding Officer of No. 14 Squadron RAF, off Bastia, Corsica. Maydwell and his crew, who had taken off from Protville, Tunisia, on a low-level reconnaissance sortie over the Tyrrhenian Sea, continued to attack the Ju 290 until they were shot at by the Corsican coastal defences and forced to break off. The Ju 290 crashed in Bastia and exploded shortly afterwards...
Creator No. 14 Squadron RAF
Catalogue number CNA 1084
写真はImperial War Museums・IWM (CNA 1084)引用。
Ju290長距離哨戒偵察機A-5型は、胴体前方下面のゴンドラに、前方ゴンドラに20ミリMG 151/20 機関銃1丁、機首上面の動力銃座2基に20ミリMG 151/20 機関銃を各々1丁を装備している。航続距離は6,100 km (3,790マイル) で、機首にFuG 200「ホーエントヴィール」(Hohentwiel)対艦船捜索用レーダーを装備している。
Ju290長距離哨戒偵察機A-5型は、1943年後半から実戦投入され、大西洋上の輸送船団を捜索し、ドイツ潜水艦Uボートに連絡する役割を負っていた。自動防漏式燃料タンク、装甲板を搭載し、防御力も向上させた。Ju 290 A-5は、10機生産された。
写真(右)1945年5月以降、ミュンヘン-ライン(Munich-Riem)空港(?)アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400);塗装はオリジナルだが、機首上面の動力銃座はついていないように見える。
SDASM Archives
Junkers, Ju.290
Catalog #: 01_00081830
Title: Junkers, Ju.290
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081830引用。
写真(右)1945年5月以降、ミュンヘン-ライン(Munich-Riem)空港(?)アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400);塗装はオリジナルだが、機首上面の動力銃座はついていないように見える。
SDASM Archives
Junkers, Ju.290
Catalog #: 01_00081821
Title: Junkers, Ju.290
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081821引用。
アメリカ陸軍航空隊ハロルド・ワトソン(Harold E. Watson)大佐は,技術情報部(Army Air Forces’ Air Technical Intelligence Group)を指揮しており, ドイツのジェット戦闘機機Me 262のような先端技術の情報収集に熱心だった。1945年5月8日、ドイツ軍パイロットの乗ったユンカース(Junkers)Ju 290長距離哨戒偵察機A7型が、ミュンヘン-ライン(Munich-Riem)空港に不時着し、搭乗員が投降した時、このJu290の電子装置も含め、技術的価値を認めて鹵獲し、アメリカに運ぶことを決心した。これが、Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)である。
写真(上)1945年9月10日,アメリカ、ライトフィールド基地(?)、アメリカ軍に鹵獲されたドツ空軍Ju-290A-5哨戒偵察機 「全て壊滅号」"Alles Kaput" :BMW801空冷星形14気筒エンジン4基を装備した輸送機だったが、改造されて大型哨戒機となった。ドイツ降伏後にアメリカ軍が鹵獲し「全て壊滅号」"Alles Kaput"と命名された。戦後、アメリカ本土に輸送され、戦利品として展示されていた。
Description
Wright Field October 1945.
Date 10 September 2010, 20:19
Source Junkers Ju-290A-5 "Alles Kaput"
Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 290 File:Junkers Ju-290A-5 "Alles Kaput" (4978679276).jpg引用。
写真(右)1945年8月2日、アメリカ、フロリダ州(?)、アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400);塗装はオリジナルだが、機首上面の動力銃座はついていないように見える。
SDASM Archives
Junkers, Ju.290
Catalog #: 01_00081824
Title: Junkers, Ju.290
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081824引用。
写真(右)1945年9月24日、アメリカ、フロリダ州(?)、アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400);4基のBMW801空冷星形14気筒エンジンは、Fw190戦闘機A型の搭載したのと同一のエンジンだが、機体が大きいのでエンジンもプロペラも小さく見える。
SDASM Archives
Junkers, Ju.290
Catalog #: 01_00081829
Title: Junkers, Ju.290
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081829引用。
ユンカースJu-290A-7諸元
全長: 28.6メートル,全幅:42.0メートル, 翼面積:203平方メートル
自量:3.3トン,全備重量: 4.5トン
エンジン: BMW 801D 空冷14気筒 1700馬力4基
最大時速:420キロ,航続距離:6000キロ,上昇限度:6500メートル
原型Ju90輸送機は1938年8月初飛行,Ju-290試作機1942年7月初飛行,就役1942年8月,生産数:52機
写真(右)1945年9月24日、アメリカ、フロリダ州(?)、アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍コード.FE3400);上と同一の写真をデジタル補正したようだ。
SDASM Archives
Junkers, Ju.290
Catalog #: 01_00081823
Title: Junkers, Ju.290
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
br>写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081823引用。
アメリカ軍は、ボーイングB-29スーパーフォートレスのようなより高性能の重爆撃機を量産しており、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型のような重量過大で低速な哨戒偵察機をわざわざアメリカ本土まで運搬した理由が問われよう。飛行機の設計・エンジン・電子機材など技術よりも、大戦に勝利した最大(大きさ)の戦利品として、自国に記念に持ち帰ったというのが真相ではないか。この機体には、「全て壊滅」(Alles Kaputt)との固有名称が付けられた。
写真(右)1945年暮れ-1946年,アメリカ、オハイオ州上空を飛行するアメリカ軍が鹵獲し、ドイツ空軍仕様に復元したユンカースJu-290長距離偵察爆撃機A-7型(アメリカ軍コート:FE 3400):四発輸送機のJu-90を改造して,装甲,武装を施して,偵察爆撃機とした。機首,後上方,機首下方ゴンドラ,尾部に20ミリMG151/20機関銃を装備。
大西洋方面の哨戒,ドイツ潜水艦Uボートとの協力に投入が計画されたが,投入時期が遅く,活躍できなかった。燃料不足のため,大型の長期距離偵察機の運用は制限された。
Flugzeug ユンカースJu-290A-7 (Leitwerkskennung FE 3400) im Flug
Dating: 1941/1945 ca.
Photographer: o.Ang.
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。
ユンカースJu-290長距離偵察爆撃機A-7型(アメリカ軍コート:FE 3400)は、1945年9月にはイギリスにあったが、その後、アメリカに運ばれBMW 801エンジンを駆動し飛行可能な状態に整備された。
1946年、オハイオ州デイトンに位置するライトフィールド基地で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭に出展された。ライトフィールド(飛行場)とは、1903年に有人動力飛行に世界で初めて成し遂げたライト兄弟(Wright Brothers)に因んだ命名である。ライト兄弟が世界初飛行したのはノースカロライナ州キティホークだが、その後、銀行家トレンス・ハフマンがデイトンの草地ハフマンプレーリーを提供し、ここを飛行場として、ライト兄弟は飛行を続けた。現在では、ライト・パターソン空軍基地(Wright-Patterson Air Force Base)として、 空軍の研究所も置かれている。
写真(右)1946年、オハイオ州ライトフィールド基地(?)、アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt)が滑走路上で飛行準備をしている。;オリジナルの塗装が剥げて薄くなり、アメリカ軍が赤字で「全て壊滅」号(Alles Kaputt)と落書きをした。機首の先端に風防の衝突防止の緩衝材のようなものが取り付けられている。
SDASM Archives
Junkers, Ju.290
Catalog #: 01_00081826
Title: Junkers, Ju.290
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081826引用。
写真(右)1946年、オハイオ州ライトフィールド飛行場で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt);オリジナルの塗装が剥げて薄くなり、アメリカ軍が赤字で「全て壊滅」号(Alles Kaputt)と落書きをした。機首の先端には、風防衝突防止の緩衝材のようなものが取り付けられている。
SDASM Archives
Junkers, Ju.290
Catalog #: 01_00081827
Title: Junkers, Ju.290
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081827引用。
写真(右)1946年、オハイオ州ライトフィールド飛行場で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt);オリジナルの塗装を塗りなおしたように見える。赤字で「全て壊滅」号(Alles Kaputt)と落書きをした。機首の風防の衝突防止緩衝材は、取り払われている。
SDASM Archives
Junkers, Ju.290
Catalog #: 01_00081828
Title: Junkers, Ju.290
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。
ユンカースJu-90輸送機は,胴体の荷物の積み下ろしに際しては,大型貨物を搬出入しやすいように胴体後部ランプを備えていた。これは,胴体後部が下に開いて坂道(ランプ)となり,その開口部分から,大型貨物を出し入れする装備である。Ju-290もJu-90も胴体下方ランプをそのまま引き継いだが,偵察爆撃機としては必要のない装備だった。
写真(右)1946年、オハイオ州ライトフィールド飛行場で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt);Ju290四発機の前には、右にメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機、左に双発のユンカースJu388高高度偵察機L-1型、左端には、ハインケルHe162ジェット戦闘機(双尾翼)、横須賀人間爆弾「桜花」バカ(双尾翼)、左手前には日本海軍三菱ゼロ戦52型、右奥にはリパブリックP-47サンダーボルト戦闘機が確認できる。
SDASM Archives
Army Air Forces Fair 031 Junkers 290 Alles Kaput
Charles Daniels Collection Photo
Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。
写真(右)1946年、オハイオ州ライトフィールド飛行場で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt)とハインケルHe162ジェット戦闘機。塗装はどちらもオリジナルの復元を試みている。;Ju290四発機の前には、右にメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機、左に双発のユンカースJu388高高度偵察機L-1型、左端には、ハインケルHe162ジェット戦闘機(双尾翼)、横須賀人間爆弾「桜花」バカ(双尾翼)、左手前には日本海軍三菱ゼロ戦52型、右奥にはリパブリックP-47サンダーボルト戦闘機が並べられている。
SDASM Archives
Army Air Forces Fair 031 Junkers 290 Alles Kaput
Charles Daniels Collection Photo
Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。
写真(右)1946年、オハイオ州ライトフィールド飛行場で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt);オリジナルの塗装を塗りなおしたように見える。赤字で「全て壊滅」号(Alles Kaputt)と落書きをした。機首の風防の衝突防止緩衝材は、取り払われている。
SDASM Archives
Army Air Forces Fair 011 Junkers 290
Charles Daniels Collection Photo
Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum
.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。
5.ユンカースJu390輸送機/哨戒偵察機
写真(右)1943年、飛行中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 390 長距離哨戒偵察機;オリジナルのJu290の主翼、胴体をスケールアップし、エンジンを4基から6基に増発してぱわーあぷした。胴体後方下面の大型貨物積み下ろし用ランプを装備しているが、大型輸送機として使用されたことはないようだ。超長距離哨戒偵察機として試用された。
SDASM Archives
Junkers Ju 390 Nowarra collection
PictionID:44220793 - Title:Junkers Ju 390 Nowarra collection - Catalog:16_005484 - Filename:16_005484.TIF .
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。
原型のユンカースJu90とJu 290輸送機の主翼の内側を延長し、片翼に装備するエンジンを2基から3基に増やし、合計六発とし、胴体を延長して、大型化したのが、Ju390輸送機で、合計2機が生産された。Ju390試作1号機V1(登録コード GH+UK)は、Ju 90試作6号機 V6(Wk.Nr. J4918)を改造した機体で、1940年7月に民間登録コードD-AOKDとして、1941年4月から1942年4月までは、ドイツ空軍コードKH+XCとして使用された。しかし、その後、大型のJu 390輸送機試作1号機 V1に改造されることが決まり、Ju 90 V6はドイツのデッサウにあるユンカース工場で改造されることになった。
写真(右)1945年5月以降、大戦終了後、西側連合軍に鹵獲されたドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 390 長距離哨戒偵察機/輸送機;BMW801空冷星形14気筒エンジン1700馬力6基を装備した。胴体後方下面の大型貨物積み下ろし用ランプを装着。超長距離哨戒偵察機としても試用された。
GERMANY'S RECENT AIRCRAFT AND AIRCRAFT ENGINES
Object description
Ju 390 transport with six B.M.W. 801 engines. Pictured abandoned on a German airfield, the propellers have been removed to disable the aircraft..
写真はImperial War Museums・IWM (CH 15687)引用。
Ju90を改造したJu 390試作1号機V1は、1943年10月20日に初飛行をし、Ju 290はベルンブルクで改造され、Ju 390試作2号機 V2も同月初飛行を行った。Ju390は長大な航続距離を活かして海上哨戒偵察機、あるいは大型貨物を出し入れできるランプを活かした大型輸送機として採用することが決まった。しかし、戦局悪化のために、戦闘機生産を優先することが決まり、Ju390の発注は1944年6月にキャンセルされた。
6.アメリカのダグラス(Douglas)DC-4E四発旅客輸送機
写真(右)1937-1938年、アメリカ、ダグラス(Douglas)で製造最終段階に入ったDC-4E旅客輸送機;
SDASM Archives
Douglas : DC-4E
Catalog #: 00065808
Manufacturer: Douglas
Designation: DC-4E
Official Nickname:
Notes: Original DC-4 - Triple verticals - exported to Japan ? 1938
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00065808引用。
ダグラスの双発DC3輸送機は、実用性が高く性能も良かったためにアメリカの航空会社が競って採用したベストセラーとなった。しかし、実はDC-3が実用化される前の1935年、ダグラス社は、DC-3より大型で長距離飛行が可能な四発旅客輸送機を開発し、大西洋、太平洋を越える民間航路も開拓しようとした。これが、DC-4E旅客輸送機で、乗客42名、航続距離3000km以上を目指した。
DC-4E旅客輸送機 プロトタイプ(NX18100, s/n 1601)は、1938年6月7日、カリフォルニア州サンタモニカで初飛行した。そこで、ユナイテッド航空によるテストでは、乗客は最大52名が収容可能とされたが、総重量は29,484 kgと過大で、整備が困難であり、製造コストも高すぎるという評価だった。そのため、ダグラスDC-4Eは試作機1機の製造で開発は中止となり、新たなコンセプトのDC-4輸送機が開発されることになった。
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客輸送機
搭乗員: 3名、乗客: 42名
全長: 29.83 m、全幅: 42.16 m
全高: 7.40 m、翼面積: 200.2 平方メートル
自重: 19,308 kg、最大離陸重量: 30,164 kg
発動機: プラット&ホイットニー R-2180ツインホーネット空冷星形エンジン(1,450馬力)4基
最高速力: 394 km/h
航続距離: 3,540 km
実用上昇限度: 6,980 m
写真(右)1938年、アメリカ、ダグラス(Douglas)DC-4E旅客輸送機の乗客席;ゆったりとしたソファー、ヘアドライヤー形状の個人読書灯、モダンなひじ掛け、天井には開閉式の手荷物収納庫など、現代の旅客機の客室の原型といえる。
Inflight view of the Prototype Douglas DC-4E. This airplane was originally built to the specifications of American, Eastern, Pan American, TWA and United airlines. Before completion Pan American and TWA pulled out. First flight was June 7, 1938, this photo was taken July 9, 1938. United later flew this airplane on route proving flights. Considered to0 complex and expensive for the time, it was later sold to Japan. Douglas serial number 1601, registered NX18100, later NC18100 when it received group 2 approval 2-551 on May 5, 1939. .
写真はPropeller Driven Transport: Aircraft Photo Page by Larry Westin・Interior Cabin view of the Douglas DC-4E引用。
DC-4E旅客輸送機 プロトタイプ(NX18100, s/n 1601)は開発中止になったものの、1939年10月、大日本航空が購入した。これは、民間航空用途という名目だったが、実際は日本海軍が、長距離飛行可能な対艦船用哨戒攻撃機を考案中で、その原型としてDCV-4Eを選んだのである。大日本高空が購入したDC-4Eは、中島飛行機において日本海軍向け十三試大型陸上攻撃機「深山」の原型となった。
写真(右)1938-1939年、飛行中のアメリカ、ダグラス(Douglas)DC-4E旅客輸送機;
SDASM Archives
Douglas : DC-4E
Catalog #: 00065797
Manufacturer: Douglas
Designation: DC-4E
Official Nickname:
Notes: Original DC-4 - Triple verticals - exported to Japan ? 1938
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 000657972引用。
ダグラスDC-2、DC-3輸送機は、双発で尾輪式だったのに対して、ダグラスDC-4E、DC-4輸送機は、四発で首輪式だった。飛行機の離着陸は、視界を確保する、揚げ角の微調整が不要であるという点で、尾輪式よりも主輪式のほうが操縦が容易である。ただし、降着装置を簡略化するには、首輪式よりも尾輪式のほうが軽量化できる。そこで、現在では首輪式が常識となっているが、1930年代では尾輪式が常識だった。
写真(右)1938-1939年、飛行中のアメリカ、ダグラス(Douglas)DC-4E旅客輸送機;飛行機格納庫の前のハンガーには、ダグラスDC-2輸送機(?)、DC-3輸送機など尾輪式の双発輸送機が多数並んでいて、そのなかで首輪式のDC-4E四発輸送機の巨体は軍を抜いている。
SDASM Archives
Douglas : DC-4E
Catalog #: 00065796
Manufacturer: Douglas
Designation: DC-4E
Official Nickname:
Notes: Original DC-4 - Triple verticals - exported to Japan ? 1938
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00065796引用。
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客輸送機は、首輪式降着装置を導入したことで、着陸時に機首を持ち上げる必要がなく、地上視界が良好だったため、離着陸が容易になった。この画期的な首輪式降着装置は、単発戦闘機P-39エアコブラ、P-69キングコブラ、双発戦闘機P-38ライトニング、P-61ブラックウィドウ、双発爆撃機B-25ミッチェル、B-26マローダー、A-20ハボック、A-26インベーダー、四発爆撃機B-24リベレーター、B-29スーパーフォートレスにも採用されている。他方、ドイツの四発輸送機は、フォッケウルフFW200もユンカースJu90も大型機でありながら、尾輪式降着装置であり、大型機のゆえに、着陸進入時に機首を上げなくてはならず、離着陸の操縦が一層困難になった。
⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)DC-4E試作機を見る。
7.アメリカのダグラス(Douglas)DC-4四発旅客輸送機
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ポツダム会談のためにベルリン、ガトー飛行場、アメリカから貸与されたダグラスC-54四発大型輸送機「スカイマスター」で到着したイギリス首相ウィンストン・チャーチル(1874-1965)が出迎えのガトー空港警備部隊のイギリス陸海空軍将兵を閲兵している。
Description: Distance view of British Prime Minister Winston Churchill inspecting the honor guard at Gatow Airport in Berlin, Germany. The Guard was composed of men from the Royal Navy, Canadians, Royal Air Force, and a battalion of Grenadier Guards. Prime Minister Churchill has just arrived in Berlin to attend the Potsdam Conference. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
People Pictured: Churchill, Winston, Sir,
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1455-63引用。
ダグラス(Douglas)DC-4は、第二次世界大戦勃発、アメリカ参戦直後の1942年2月14日に初飛行の四発大型長距離旅客輸送機。戦時を撥ねいして、直ぐにアメリカ陸軍の軍用輸送機・C-54 スカイマスター、海軍用のR5Dとして制式された。大戦終結翌年の1946年までに1,134機もが大量生産された。
1944年には、C-54は、アメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルトの専用機となり、「セイクリッド・カウ」の固有名詞が与えられた。また、アメリカ陸軍ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥の専用機もC-54 輸送機で、1945年8月30日、厚木海軍飛行場に降り立った。マッカーサー専用機は、「バターン」で、これは太平洋戦争緒戦、1942年、フィリピンのバターン半島での戦いを記念しての固有名称である。
写真(右):1945年7月15日、ドイツ、ポツダム会談のためにベルリン、ガトー飛行場にアメリカ陸軍航空隊ダグラスC-54四発大型輸送機「スカイマスター」で到着したアメリカのヘンリー・スチムソン陸軍長官とアメリカ陸軍フロイド・パークス中将(前列右端):フロイド・パークス中将は、 イェール大学、 米国陸軍戦略大学で学び、9月からはベルリン地区の軍政長官に就任する。
Description: Secretary of War Henry L. Stimson (foreground, second from right) walks with General Floyd L. Parks at Gatow Airport in Berlin, Germany where Mr. Stimson has just arrived to attend the Potsdam Conference. From Potsdam album, 1945.
Date: July 15, 1945
People Pictured: Parks, Floyd Lavinius, 1896-1959; Stimson, Henry Lewis, 1867-1950
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-1456-12引用。
ダグラスC-54四発大型輸送機(Douglas C-54 Skymaster)諸元
プラット&ホイットニー空冷ラジアルエンジンR-2000(1,290馬力)4基
最高速度:450 km/h
巡航速度:365 km/h
座席数:50名
航続距離:6,800 km
全長:28.6 m
全幅:35.8 m
全高:8.38 m
翼面積:135.6 平方メートル
自重:16,783 kg
全備重量:28,123 kg
座席数:50名
ダグラスC-54スカイマスター輸送機(Douglas C-54 Skymaster:DC-4)は、1942年から1947年までに1200機生産された。アメリカ海軍仕様C-54(DC-4)は、R5Dと呼ばれた。
アメリカ陸軍ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥の専用機もC-54 輸送機で、1945年8月30日、厚木海軍飛行場に降り立った。マッカーサー専用機は、「バターン」で、これは太平洋戦争緒戦、1942年、フィリピンのバターン半島での戦いを記念しての固有名称である。
写真(右)1938年、アメリカ、ダグラス(Douglas)DC-4旅客輸送機の乗客席;ゆったりとしたソファー、モダンなひじ掛け、天井に機内照明、手荷物棚にはピロー(枕)・機内毛布が束ねられている。現代の旅客機の客室の原型といえる。
Douglas : DC-4
Catalog #: 00065739
Manufacturer: Douglas
Designation: DC-4.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00065739引用。
ダグラスC-54スカイマスター輸送機(Douglas C-54 Skymaster:DC-4)諸元
最高速度:450 km/h、巡航速度:365 km/h
航続距離:6,800 km
全長:28.6 m、全幅:35.8 m、全高:8.38 m
翼面積:135.6 平方メートル
自重:16,783 kg、全備重量:28,123 kg
プラット&ホイットニー空冷星形エンジンR-2000(1,290馬力)4基搭載
座席数:50名
埼玉県狭山市稲荷山の豊岡陸軍飛行場は、1940年1月に、造成された新しい飛行場だが、1945年9月、日本敗戦により、アメリカ陸軍航空軍第五航空軍が進駐してきた。そして、1946年に陸軍のエース・ジェラルド・R・ジョンソン陸軍中佐に因んで「ジョンソン基地」と命名された。日本独立後に航空自衛隊が創設されると、入間基地として、1961年から 日米共同使用が始まる。日本に全面返還されたのは、1978年である。
⇒写真集Album:アメリカのダグラス(Douglas)C-54輸送機を見る。
写真(右)1947年、アメリカ、飛行するアメリカ航空(American Airlines)のダグラス(Douglas)C-54A スカイマスター(Skymaster)輸送機(登録コード:NC90435、製造番号 10409):1943年、アメリカ陸軍航空隊向けに製造されたC-54B輸送機で1945年にアメリカン航空に譲渡された。その後、1973年には、コロンビアのアビアテカ航空に移転された。胴体にはアメリカン航空のロゴが描かれている。
English: Catalog #: 01_00091391
Title: Douglas, C-54B, Skymaster Corporation Name: Douglas Aircraft Designation: C-54B Official Nickname: Skymaster Tags: Douglas, C-54B, Skymaster Additional Information: USA, Originally built in 1943 for USAAF as 43-17192. To American Airlines in 1945. Eventually written off in Columbia in 1973 flying for Avianca.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Date 10 June 2014, 20:19:55
Author SDASM .
写真は Wikimedia Commons, Category:Douglas DC-4 of American Airlines・File:Douglas C-54B.jpg引用。
1942年初飛行のダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機は、プラット&ホイットニー R2000ツインワスプ空冷星形14気筒4基、最高時速44kmの大型高速輸送機だったが、運航の経済効率や機体の保守・維持は、前型で1936年初飛行のDC-3双発輸送機のほうが優れていた。生産機数は、ダグラスDC-3輸送機、その軍用仕様C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機が1万機も大量生産されたのに対して、ダグラスDC-4輸送機、その軍用仕様C-54輸送機は、カリフオルニア州サンタモニカのダグラス飛行機工場(Douglas Aircraft Company, Inc. Santa Monica)で1200機、すなわちDC-3の8分の1しか生産されなかった。しかし、第二次世界大戦終了後、軍用仕様C-54輸送機は、民間航空に払い下げられ、民間仕様に変換され世界の空路を開拓した。
⇒写真集Album:世界大戦後のダグラス(Douglas)DC-4輸送機を見る。
8.1929年初飛行のユンカースG38 大型輸送機
ユンカースG.38旅客輸送機は、大きな主翼を多鋼管桁の片持ち式に支えており、機体表面は、ユンカース社が開発した軽量で堅牢な波状ジュラルミン板でできている。尾翼は、大型の方向舵を採用すると、その抗力が大きくなりすぎて、人力操舵できなくなるため、複数の方向舵で抗力を分散させている。巨人機の大重量を支えるために、降着装置は大型で堅牢である必要があり、引込み式にするには、困難であるため、固定式の大型主輪4コとした。
写真(右)1932年9月4日、航空記念日(NS-Flugtag)、ドイツ中部、ザクセン州ドレスデン飛行場、ユンカース(Junkers)G38 旅客輸送機(登録コード:D-2500)後の「ヒンデンブルク」:翌1933年の命名式には飛行場には、航空大臣のヘルマン・ゲーリングも含めたくさんの人々が式典に参列している。このような絶好の機会に、空撮をして、巨人機G28、ユンカース社、ドイツ第三帝国を喧伝した。
Flugplatz Dresden-Heller, Junkers G 38
Datensatz 70058753
Location:
Dresden-Heller
SLUB / Deutsche Fotothek
License: Free access - rights reserved.
写真はEuropeana Collections, SLUB / Deutsche Fotothek Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_ 0310193引用。
世界最大の巨人機・ユンカースG.38旅客輸送機は、試作1号機(登録コードD-2000)が、L55型 V型12気筒エンジン2基とL8型 6気筒エンジン2基の合計4基(1970馬力)を搭載して、1929年11月6日に初飛行した。ドイツ航空省がこのG.38旅客輸送機は、試作1号機(登録コードD-2000)1機を購入し、飛行性能をテストした。そして、このユンカースG.38輸送機で、ペイロード5トンの飛行を行い、高性能を確認した。そこで、1930年5月2日、ドイツ・ルフトハンザ航空で、ユンカースG.38旅客輸送機(D-2000)が使用されることとなった。
しかし、ユンカースG.38旅客輸送機は出力不足だったために、エンジンを強化することとなり、1931年2月、D-2000のエンジンをL8型エンジン2基とL88型 エンジン2基の合計2360馬力に換装された。1931年7月1日、ルフトハンザ航空のユンカースG.38旅客輸送機は、乗客13名のベルリン=ロンドン間の定期便を就航させた。
その後、乗客数増加のために胴体の客室が拡張され、乗客は最大30名までに増員された。重量の増加に対しては、エンジンをL88型4基に変更、強化して、合計3150馬力となった。
ユンカース(Junkers)G38 旅客輸送機の諸元
;D-2000は1号機、D-2500は2号機、総生産数2機。
乗員:7名
乗客:30名(D-2000/D-AZUR)/34名(D-2500/D-APIS)
全長:23.21 m、全幅:44 m
全高:7.2 m、翼面積:290 平方メートル
空虚重量:14,920 kg
全備重量:24,000 kg
最高速力:225 km/h、巡航速力:175 km/h
航続距離:3,460 km、巡航高度:3,690 m
⇒写真集Album:ドイツ巨人機ユンカースG38輸送機/ドルニエDo-X飛行艇 を見る。
9.フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドル輸送機
写真(右)1942年6月28日、ドイツ、ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)を表敬訪問したフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥がドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドルC3/U9輸送機 (登録コード:KE+IX)に搭乗してフィンランド、マルミ空港に帰国する。;フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥は、1942年6月4日、フィンランドに飛来したドイツ総統アドルフ・ヒトラー訪問に答礼するために、1942年6月27日、フィンランド、ヘルシンキ(Helsinki)のマルミ(Malmi)空港からドイツ空軍差し回しのフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドルC3/U9輸送機 (登録コード:KE+IX)に搭乗してドイツに到着した。そして、6月27日、ドイツの東プロイセン州ラステンブルク総統大本営「狼の巣」を訪れ、そこで開かれていた最高指導作戦会議に出席した。マンネルハイムは、総統大本営のヒトラーを訪問しばかりではなく、引き続いて、列車でドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥の下にも馳せ参じて、彼の下で祝宴に参加している。
Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym.
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-13181引用。
Fw 200輸送機は、アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、カール・デーニッツなどの要人輸送専用とされた。
写真(右)1942年6月28日、フィンランド、ヘルシンキ(Helsinki)郊外、マルミ(Malmi)空港、フィンランド、ヘルシンキ(Helsinki)郊外、マルミ(Malmi)空港、ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)を表敬訪問して、ドイツからフィンランドに帰国したフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥と乗機となったドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドルC3/U9輸送機 (登録コード:KE+IX);;出迎えているのはフィンランド国防軍兵士のようだ。;
Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym. Kättelemässä harmaassa pitkässä takissa marsalkka Carl Gustaf Emil Mannerheim. Taustalla oleva lentokone on Focke-Wulf Fw 200 C-3 (tunnus KE+IX)..
写真はMuseot Finna・sa-kuva-13182引用。
1942年6月4日、フィンランド軍総司令官カール・マンネルハイム元帥の75歳の誕生日に、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは、フィンランドにFw200コンドル輸送機で出かけ、マンネルハイムを祝福し、鉄十字章を授けた。
これは、日帰りの旅行だったが、マンネルハイム元帥は、その答礼として、1942年6月27日、ヘルシンキのマルミ飛行場からドイツの派遣したFw200コンドルに乗ってドイツ、東プロイセン州ラステンブルクにある総統大本営「狼の巣」にドイツ総統アドルフ・ヒトラーを訪問した。その後、ドイツ空軍総司令官ゲーリング国家元帥のもてなしを受けている。
1944年8月4日、新たにフィンランド大統領に就任したカール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥は、1944年9月19日、モスクワ休戦協定を結んで、事実上、ソ連に降伏した。講和条件は、カレリア地峡・ペッツァモの譲渡、戦争賠償金の支払い、フィンランド国内におけるソ連軍の基地使用、ドイツ軍のフィンランドからの排除(事実上の対ドイツ戦争)である。
⇒写真集Album:ドイツフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機/哨戒偵察機を見る。
10.ハインケル(Heinkel)He-177グライフ四発爆撃機
写真(右)1944年秋,ハインケル(Heinkel)He-177グライフ四発爆撃機:フランスの基地に展開するハインケルの部隊。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7969A-25
Archive title: Reichsgebiet.- Bomber Heinkel He 177 auf Flugplatz mit Besatzung; PK Eins Kp Lw zbV
Dating: 1944 Herbst
Photographer: Schroeder
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7969A-25引用(他引用不許可)。
ハインケルHe-177四発重爆撃機は、プロペラが2基なので、小さな主翼テーパー比(縦横の比率:細長い主翼ほど大きくなる)と相まって、緩効果を続けると、時速600キロを上回る高速になったという。しかし、4台の発動機(液冷エンジン)を冷却する困難があり、エンジントラブルが頻発した。機体の信頼性が低下した。また、戦争後半には、ドイツはガソリンなど石油燃料の不足に悩まされていた。こうした理由で、ハインケルHE-177「グライフ(英語ではグリフォン)」爆撃機は1000機も量産された割には大きな活躍ができなかった。
ハインケルHe-177四発重爆撃機の諸元
全長: 22.00 m
全幅: 31.44 m
全高: 6.7 m
全備重量: 31,000 kg
エンジン: ダイムラー・ベンツ DB 610 液冷24気筒 2,950馬力× 2
最大速度: 565 km/h (6,100m)
上限高度: 9,400 m
航続距離: 5,600 km
⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He-177グライフ爆撃機を見る。
11.イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108 重爆撃機
写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第3図・ ピアッジョP.108B爆撃機の斜め正面;
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第3図
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。
アメリカが開発中の四発重爆撃機に刺激されたのか、アメリカに滞在していたイタリア人ジョヴァンニ・カシラギ(Giovanni Casiraghi)技師は、1937年に帰国後、ピアッジオで四発大型爆撃機ピアッジョ(Piaggio) P.108 Bの設計を担当することになった。これは、全金属製低翼、引込み脚の降着装置、重武装の防御用旋回機関銃を装備、爆弾搭載量3トンの大型機で、発動機は新型で高出力を発揮できるピアッジョP.12 RC35 空冷星型18気筒エンジン(1,350 hp)4基だった。
図(上)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載・ ピアッジョP.108B爆撃機の側面構造図(2);
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された構造図。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。
ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機の諸元
初飛行:1939年11月24日、実戦投入:1942年
乗員 6名
全長:22.92 m
全幅:32.00 m
全高:7.70 m
主翼面積:135.54 m2
全備重量:29,885 kg
エンジン:ピアッジョ(Piaggio) P.XII RC.35 空冷星型18気筒空冷エンジン 1,350 hp 4基
最高速力:420 km/h/高度3,900m
航続距離:3,520 km
実用上限高度:6,000 m
上昇率:2,000 m/10'00”
武装 12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃6丁
7.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁
爆弾搭載量 3,500 kg
生産機数:37機
⇒写真集Album:ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 爆撃機を見る。
12.日本海軍の中島飛行機「深山」G5N1 "LIZ"
写真(上)1942年、日本、日本海軍の中島飛行機十三試大型陸上攻撃機「深山」攻撃機試作機G5N1 "LIZ";中島「深山」輸送機の諸元は、全長:29.46m、全幅:42.14m、主翼面積:201.8平方メートル、全備重量:32,500kg、過荷重量:36,800kg、最高速力:392km/h 、航続距離:3,528km。
Description
Nakajima G5N bomber prototype
Date 1942
Source R. J. Francillon. Japanese aircraft of the Pacific War. Putnam & Company Ltd, 1970. ISBN 0-37000-033-1
Author Unknown
Second World War, 1939-1945.
写真はWikimedia Commons、Nakajima G5N Shinzan・File:G5N.jpg引用。
1935年、ダグラス社は、大型で長距離飛行が可能な四発旅客輸送機を開発し、大西洋、太平洋を越える民間航路も開拓しようとした。これが、DC-4E旅客輸送機で、乗客42名、航続距離3000km以上を目指した。日本海軍は、このDC-4E旅客輸送機の航続距離と搭載量を活かした大型陸上攻撃機の開発を目指し、1937年、日中戦争勃発の時に、この機体を大日本航空に輸入させ、民間用と偽って製造権を入手した。日本海軍は、この機体を流用して「十三試大型陸上攻撃機」を試作することを、中島飛行機に命じた。
写真(右)1944年、日本、日本海軍の中島飛行機「深山」輸送機G5N1 "LIZ"とその前を通る三菱「零式艦上戦闘機」五二型;
Place
Asia: Japan
Accession Number
129725
Collection type
Photograph
Object type
Black & white
Conflict
Second World War, 1939-1945.
Description :
JAPAN. 1945. JAPANESE AIRCRAFT, MITSUBISHI A6M5 "ZEKE" (ZERO) FIGHTER, AT AN AIRFIELD. SINGLE ENGINE, SINGLE SEATER, LOW WING MONOPLANE. IN BACKGROUND ARE NAKAJIMA G5N1 "LIZ" HEAVY BOMBER, TRANSPORT, FOUR ENGINE, MID WING MONOPLANE. (DONOR: MR PETER SELINGER).
写真は, Australian War Memorial・Accession Number
129725 引用。
中島十三試大型陸上攻撃機試作第1号機が完成したのは、1941年2月で、初飛行は4月である。垂直尾翼は、DC-4Eは3枚だったが、これを2枚の双尾翼式に改修、低翼式だった主翼を中翼式に変更し、胴体内には爆弾倉を設けて、尾部銃座を装備した。搭載した発動機は、「護」空冷星型14気筒エンジンの予定だったが、完成していなかったため、三菱「火星」空冷星型14気筒エンジンに変更された。
1943年、中島十三試大型陸上攻撃機は「深山」と名付けられたが、降着装置、油圧装置、エンジンの故障や不具合が多く、エンジン出力も不足していたため、攻撃機としては採用にならず、試作輸送機として扱われた。総生産機数は試作6機のみで、実戦では、1944年2月からサイパン島への空輸に投入されたほかは、寄与できずに終わった。
⇒写真集Album:日本海軍「深山」輸送機を見る。
13.親子飛行機爆弾ミステル
四発大型長距離重爆撃機の開発に失敗したドイツだったが、大戦末期に、連合国の工場・造船所・港湾・発電所などインフラを攻撃し、一撃で破壊する兵器として誘導爆装機「ミステル」を開発した。これは、単発戦闘機を親機として、下方に大型爆薬あるいはホローチャージ爆弾を装備した双発爆撃機を繋げて、目標近くまで誘導し、そこから切り離して目標に体当たり自爆させるものである。
写真(右)1945年5月以降,敗戦後のドイツ、ドイツ空軍の親子飛行機爆弾ミステル2(Mistel:宿り木)に使用された親のフォッケウルフFw190戦闘機A型と飛行爆弾ユンカースJu88爆撃機G型:無人のJu88の機体には爆弾を仕掛けており、親のFw190戦闘機に誘導されて目標近くまで飛行する。目標が視認できる地点で、切り離されて飛行爆弾のJu 88爆撃機だけが目標に体当たりする。1944年中に開発が終了し部隊配備された。初の実戦投入は、1944年6月6日、西側連合軍のノルマンディー上陸直後、フランス沖の敵艦船への夜間攻撃である。この時、急造桟橋マルベリーを補強するために使用されたフランス海軍旧式戦艦「クールベ」を攻撃し、戦果を報告した。しかし、これは旧式戦艦を自沈させ、桟橋の補強に使用するという連合軍の作戦の一環だった。その後、1944年6月21日、フランス沖でイギリス海軍護衛艦「ニス」を攻撃した。
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift
Pick-A-Back Plane - Pictured is the German Pick-A-Back-Plane captured by the 1st U.S. Army in Merseburg Airport, Germany. The pilot supposedly controlled the bomb laden JU 83 by remote control from a FW 190 atteched above. When over the target, the JU 88 is released and the pilot directs it by radio upon its target. Junkers 88.
写真はBeeldBankWo2 Beeldnummer 188引用。
写真(右)1945年5月以降,敗戦後のドイツ、ドイツ空軍の親子飛行機爆弾ミステル2(Mistel:宿り木)に使用された親のフォッケウルフFw190戦闘機A型と飛行爆弾ユンカースJu88爆撃機G型:無人飛行爆弾のJu88Gも親のFw190A戦闘機も同じBMW801空冷エンジンを装備しているので、遠隔操作はしやすかったのではないかと思われる。しかし、制空権を奪われた状況での攻撃は困難で、夜間攻撃も目標の確認ができず、燃料不足もあったために、終戦まで実戦投入はされていない。
Collectie
Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbeek
Trefwoorden
Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift
Foto Duitse Mistel FW 190 en Ju 88 van voren gezien. Tekst: 'Duitse z.g. 'Mistel' waarvan er ongeveer 250 stuks zijn gebouwd en ingezet. Gebruik werd gemaakt van een met explosieven geladen Ju 88, bestuurd door een Focke Wulf Fw 190'.
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写真はBeeldBankWo2 Beeldnummer 173497引用。
写真(右)1945年5月以降,敗戦後のドイツ、ドイツ空軍の3基の親子飛行機爆弾ミステル2(Mistel:宿り木):無人飛行爆弾のJu88Gには、親機Fw190戦闘機を乗せるための取り付け支柱が装備されている。ただし、手前の機体には、親のFw190A戦闘機は据え付けられていない。Fw190とJu88Gは同じBMW801空冷エンジンを装備している。制空権を奪われた状況での攻撃は、夜間攻撃しかないが、艦船のような小型目標は視認困難だった。そこで、東部戦線で、ソ連の発電所や工場のような大型インフラを攻撃する計画が練られていた。
Trefwoorden
Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift
Pick-a-back planes captured at Bernburg. This air photo shows pick-a-back aircraft captured by troops of the First U.S. Army April 16, 1945, when the airfield at Bernburg, Germany, was taken. The pick-a-back aircraft consisted of a Ju-88 witrh a FW-190 fighter mounted on its back. The combination was one of numerous desperate measures taken by the Germans to stall off defeat. The Ju-88 in the foreground has had the FW-190 removed from the mounting. The small planes were carried as far as possible to save fuel and give the lighter plane wider flight range. Ju-88 gecombineerd met FW-190. Junkers 88.
写真はBeeldBankWo2 Beeldnummer 187引用。
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring): 第一次世界大戦末期,
ヘルマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring)は英雄だった。1914年から志願兵となり第一次大戦に参加し,空軍に入隊し航空兵となった。1916年からは戦闘機パーロットとして活躍,22機を撃墜。大戦末期の1918年6月2日,皇帝ヴィルヘルム2世から最高勲章プール・ル・メリット授与,「リヒトーホーフェン大隊」指揮官に就任。しかし,半年後に敗戦。ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンは、1938年11月、少将として、コンドル軍団長としてスペイン内戦に二度目の派兵。1939年5月に、コンドル軍団は凱旋、ドイツに帰国した。 1911年5月13日、士官候補生、1914年1月20日、少尉、1916年8月18日、中尉、1920年6月8日、名誉階級大尉、1933年8月30日、名誉階級歩兵大将、1935年5月21日、空軍大将、1936年4月20日、上級大将、1938年2月4日、元帥、1940年7月19日、国家元帥
1923年3月1日、SA最高指導者、1931年12月18日、SA中将、1933年1月1日、SA大将
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◆ヘルマン・ゲーリングの経歴:1893年、ドイツ帝国外交官を父とする上流階級に誕生、恵まれたな子供時代を過ごし、1905年、カールスルーエの幼年士官学校に入学、卒業後、1909年に士官学校(Staff College)に入学して、第一次大戦の始まる1914年に陸軍少尉として歩兵部隊に配属。第一次世界大戦の緒戦では 歩兵として戦ったが、10月からドイツ陸軍航空隊へ移動、当初は偵察員、1915年からは、戦闘機パイロットとして西部戦線で戦った。1918年6月の敗戦の年に最高勲章のプール・ル・メリット勲章(Pour-le-Merite)を授与された。ヘルマン・ゲーリングは、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(Manfred von Richthofen)が率いていた戦闘機大隊指揮官として敗戦を迎えた。
ヘルマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring:1893-1946)は、1922年から1923年に、ミュンヘン大学で学んでいるときに、ナチ党総統ヒトラーに出会い、入党する。第一次大戦のエースとしてナチ党の看板となり、突撃隊司令官として、上流階級とナチ党との仲を取り持つことになった。しかし、1923年11月、ヒトラー主導の武装蜂起「ミュンヘン一揆」(Beer Hall Putsch)は失敗し、銃弾を受けたゲーリングは、外亡したものの、治療のために投与したモルヒネの中毒となった。
ヘルマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)が国会議長に就任。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月の再軍備宣言によって新設された空軍の総司令官に就任。
1940年6月のフランス降伏で,ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げた。
1942-1943年冬,スターリングラード空輸を請合ったが,失敗。1944年以降のドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。
1940年6月にフランスを降伏させ勝利したという大功績によって、元帥より上の国家元帥の称号を得たゲーリング空軍総司令官だったが、イギリス本土航空決戦で,痛手を被った。1941年6月22日、ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」のために,東部戦線に兵力を集中させて時期だった。
ゲーリングは,1942年冬のスターリングラード空輸を請合って失敗し,1943年からのドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。ゲーリングの成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。緒戦でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説を根拠に,自らを後継者として自認していたとすれば,状況は大きく変わっていた。
ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)の成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。
1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会演説でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説、その後の1941年6月29日の法令を根拠に,自らを後継者として自認していた。これを元に,1945年4月23日のベルリン攻防戦の最中に、ゲーリングはヒトラーに対して、連絡が取れなくなった場合、自分がドイツの最高指導者の地位を引き継ぎたいと電文を発した。しかし、ヒトラーは、これをゲーリングンの裏切りと感じ、激怒してゲーリングの公職追放・監禁を命じた。
ニュルンベルグ国際軍事裁判では、犯罪組織(犯罪集団)に所属していると訴追対象となったが、これは、ナチ党指導部、内閣(政府)、親衛隊(SS)、突撃隊(SA)、親衛隊保安本部(ゲシュタポ・SD)、参謀本部・国防軍最高司令部の6組織である。また、ニュルンベルグ国際軍事裁判の事犯としては、ユダヤ人大量殺戮、ホロコーストが未曽有の殺戮と認識され、C級戦犯の「人道に対する罪」として裁かれた。死刑対象者は、1946年10月16日に絞首刑にされ、有期刑対象者はベルリン郊外のシュパンダウ刑務所に収監された。
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)元帥を見る。
14.満州日日新聞 1937.3.26(昭和12)「目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦」
飛行機は科学の尖端を行く最新兵器である。これを製造する技術の優劣は、飛行機の性能を左右するものであるから、列強は競って航空技術の進歩に努力している。元来航空工業は、重工業中機械工業の部門に属し、就中航空用発動機製作は、精密工業に属すべきものであるが、その円満なる発達のためには単に航空工業の進展を期すれば可なりというものではなく、その関聯するところ甚だ広汎にして、重工業全般特に材料を供給する金属工業の進展に俟つもの甚だ多いのである。例えば優秀機のパテントを外国から購入し、これを模作することが出来るとしても、材料そのものに欠陥があれば、同一の性能は勿論求め得られないばかりでなく各部の亀裂又は折損を生ずること少くないのである。而して列強の航空工業は、ソ聯邦を除きては、殆ど大戦以来二十有余年の歴史を有しているのであって決して一朝一夕の間に培養されたものではなく、大戦以来今日まで巨額の国費を投入して漸く今日の進運を来したものであることを思えば、航空技術なり、航空工業の躍進を求むることは尋常一様の方法では至難であるといわねばならぬ。最近における列強の技術及航空工業を概術すれば次の如くである。
写真(右)1939年-1944年、イギリス、イギリス空軍第7爆撃飛行隊ショート(Short)S.29 スターリング (Stirling)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1939年5月14日、1945年までに2,371機生産。全幅 30.20 m 、全長26.59 、翼面積 136m2、自重22,498 kg、総重量26,943 kg、発動機ハーキュリーズ Mk.XI空冷星型14気筒1,500hp4基、
最高速力 454 km/h、航続距離 3.755 km 、乗員7名、兵装 7.7 mm M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,350kg。
English: Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.29 Stirling.
Stirling Mark I, N3641 MG-D, of No. 7 Squadron RAF, running up its engines on the ground at Oakington, Cambridgeshire.
Date between 1939 and 1945
CH 3138 Imperial War Museums
Royal Air Force official photographer
Part of Air Ministry Second World War Official Collection
Subjects Associated people and organisations Royal Air Force, 7 Squadron.
写真はWikimedia Commons Category:Short Stirling File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.29 Stirling. CH3138.jpg引用。
英国
航空技術及航空工業は、空軍省内補給研究局において主宰し、統制指導機関として多くの委員会を組織している。工業技術進歩改善のためには科学産業委員会を設け、官民の全研究機関を連繋せしむる制度を採り、航空技術は航空研究委員会において統制し、これが進展を図っている。又空軍における研究機関と審議機関とを完全に分離し、前者は文官を主とし、後者は武官を主とし、各々一流の権威者を集中していることは、制度上の特徴と認むべきである。現在飛行機工場としては、大小を合し三七会社があるが、空軍が利用しているのは、大製造能力を有する一流の一五会社にして、その他は戦時これを利用する程度であろう。発動機工場は一八会社であって、大規模のものは五個に過ぎない。而してこれ等工場の製作能力は年産四〇〇〇−五〇〇〇機といわれている。
写真(右)1944年2月10日、イギリス南東部、ロンドン北90キロ、ハンティンドン(Huntingdon)、イギリス空軍第156爆撃飛行隊アブロ(Short)ランカスター (Lancaster)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1941年1月9日、1945年までに7,377機生産。全幅 31.09m 、全長21.18m 、翼面積 120m2、自重16,783 kg、総重量28,576 kg、発動機 ロールス・ロイス マーリン XX V型12気筒レシプロエンジン 1,280hp(954 kW)4基、
最高速力 450 km/h、航続距離 4,300 km、乗員7名、兵装 7.62mm ブローニング(Browning)M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,400 kg、生産機数7,377機。
English: Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command
King George VI and Queen Elizabeth visited three Pathfinder stations on 10 February 1944. Here they are seen talking to ground crew of No 156 Squadron at Warboys, Huntingdonshire, beneath the imposing bulk of one of the squadron's Lancasters protruding from a T2 hangar.
Date 10 February 1944.
CH 12153 Imperial War Museums
Associated people and organisations
Elizabeth, Queen, George VI, King, Royal Air Force, 156 Squadron
Associated places
Warboys, Huntingdonshire, England, UK
写真はWikimedia Commons Category:Avro Lancaster File:Avro Lancaster - RAF Warboys - Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH12153.jpg引用。
写真(右)1945年2月9日、イギリス南東部、ロンドン北90キロ、ケンブリッジ(Cambridgeshire)、メパール (Mepal)、エンジン整備中のイギリス空軍第75ニュージーランド爆撃飛行隊アブロ(Short)ランカスター (Lancaster)Mk.I型爆撃機:胴体下面の爆弾倉は長大で爆弾倉扉は開放状態にある。爆弾搭載量は最大6,400 kg、。
Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command
Mechanics working on the port-outer Merlin engine of a No 75 (New Zealand) Squadron Lancaster at Mepal, Cambridgeshire, 9 February 1945.
Date 9 February 1945
Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command
Mechanics working on the port-outer Merlin engine of a No 75 (New Zealand) Squadron Lancaster at
Date 9 February 1945
写真はWikimedia Commons Category:Avro Lancaster File:Avro Lancaster - Mepal - Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH14681.jpg引用。
仏国
航空省内に、技術及び製造工業全般の指導に任ずる航空製造局があって、技術及び科学研究所、製造部契約部、各地実験所を統轄している。航空技術は、昭和三−七年(一九二八−三二年)間航空省当時の技術局長カッコー氏の広汎なる奨励指導政策に依り、放漫の避難を受けてはいるが、著しく進歩し、特に金属機製作技術の向上には観るべきものがあった。殊にその優秀機試作奨励政策は後年における性能優秀なる軍用機多量生産の根柢をなしたのである。併しながらこれがため大小製作会社が簇出して五〇個以上に達し、これが統制を行うの必要に迫られ、ドナン航空相は、昭和九−一〇年(一九三四−三五年)に八個の群に統合して会社の強化を図ったのであるが、なお充分に目的を達成するに至らず、昨年七月ブルム内閣に依り、軍需工業国営を行うことに依って、初めてこの問題が解決したのであった。
写真(上)1930年5月1日メーデー、ソ連、モスクワ赤の広場で披露されたソ連ツポレフ(Tupolev)ANT-9大型輸送機:初飛行は、1929年5月5日。全幅 23.80 m、全長 16.65 m、翼面積 84.0 m2、自重 3,680 kg、離昇重量 5.690 kg、発動機:ライト(Wright)ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン300 hp (224 kW)3基、最高速力 205 km/h、航続距離 700 km、乗員2名、乗客9名。
Description
English: Tupolev ANT-9 photo from Aero Digest May,1930
Date 1 May 1930
Source https://archive.org/details/aerodigest1617unse/page/n147
Author Aero Digest magazine
写真はWikimedia Commons Category:Tupolev ANT-9 File:Tupolev ANT-9 Aero Digest May,1930.jpg引用。
ソ聯
航空工業は重工業省の統轄するところで、航空技術は昭和三年(一九二八年)までは漸く外国製に模倣する程度であったが、第一次五ケ年計画の遂行に依り急速なる進展を遂げ、その製造工場も百数十に達し、更に第二次五年計画の実行過程にあるので、その製造能力は飛躍的進展をなすものと思われる従来航空技術方面に於ては創造的特色に乏しいようであったが、航空技術研究機関として大規模の施設を有する中央飛行科学研究所を設け、世界的に有名なるア・エヌ・トボレフ技師をその長とし多くの優秀技術者を集中して、統一せる研究を行うとともに、高級技術者の養成を企図し、又技術大学を多数設立して技術員の養成に努力しているので、その将来は刮目して睹るべきものがあると思う
写真(上)1930年12月以降、ソ連、ソ連空軍ツポレフ(Tupolev) TB-3(ANT-6)大型爆撃機:胴体に共産党(CCCP)H-の符号を記入している。ツポレフTB-3重爆撃機は、1930年12月22日に初飛行、1937年までに818機量産された。全幅 39.5m、全長 24.4m、翼面積 84.0 m2、自重 3,680 kg、離昇重量 17,200kg
発動機 :ドイツのB.M.Wを国産化したミクーリン(Mikulin)M-17F液冷12気筒V型 715hp4基、最高速力 197 km/h、航続距離1,350km、乗員8名、兵装 7.62mm機関銃6-8丁、爆弾2,000kg。
Tupolev, TB-3
Manufacturer: Tupolev
Designation: TB-3
Notes: USSR
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Tags: Tupolev, TB-3, USSR
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00088930引用。
写真(上)1935年以降、ソ連、ソ連空軍ツポレフ(Tupolev) TB-3(ANT-6)大型爆撃機と両翼に懸架されたポリカルポフ(Polikarpov)I-16-5戦闘機(250キロ爆弾2発搭載)の親子飛行機ズヴェノー(Zveno)Z-6:親子飛行機ズヴェノーZ-6は、1935年8月に初飛行。子機ポリカルポフI-16戦闘機は、1933年12月30日初飛行、全幅9m、全長6.13 m、翼面積 14.5 m2、総重量 1,941 kgあったので、ツポレフTB-3重爆撃機(爆弾2,000kg)に2機懸架すると子機の揚力はあるとはいっても、過重量だったはずだ。しかし、1941年の独ソ戦では、ルーマニア爆撃、ドニエプル川架橋爆破に出撃し戦果を挙げたという。
Tupolev, TB-3
Manufacturer: Tupolev
Designation: TB-3
Notes: USSR
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Tags: Tupolev, TB-3, USSR
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00088935引用。
独逸
軍用機の製作は一昨年の空軍再建以来の事実であるから、列強の水準に達し居るやは疑問であるが、工業技術の発達、特に民用機の製造技術より観るとき、列強を凌駕するの日遠からざるを想わしむるものがある。而して飛行製作会社は大小合せて二十四個であって、特にハインケル、ユンカース、ドルニエー等は最も大規模のものである。その生産力は米国側の観測に従えば、月製一〇〇〇機以上で、戦時二五〇〇機に拡張し得る設備ありとしている。
写真(右)1936年、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do 19V-1重爆撃機試作1号機:1936年10月28日に初飛行し1938年には輸送機に改造された。生産機数3機のみ。全幅35.0m、全長 25.4 m、翼面積 162 m2、自重 11,865kg、全備重量 18,500 kg、発動機 BMW 132空冷倒立9気筒エンジン604 kW (810 hp)4基、最高速力 315 km/h、航続距離1,600 km、乗員10名。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46170090 - Title:Dornier Do 19V-1 with 4 BMW 132 1936 Nowarra Collection - Filename:16_007464.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives Catalog:16_007464 -引用。
写真(右)1938年、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do 19V-1重爆撃機試作1号機:初代ドイツ空軍参謀長ヴァルター・ヴェーファー(Walther Wever)中将の推進した長距離戦略爆撃機「ウラル爆撃機」として開発され、1936年10月28日に初飛行した。しかし、ヴェーファー空軍参謀長は、1936年6月3日、ハインケルHe 70高速輸送機の操縦中に墜落死したため、ドイツ空軍は、従来の第一線で活躍する戦術爆撃機の開発に専念することになった。生産機数3機み。
The German Dornier Do 19 bomber prototype in flight, circa in 1938.
Date circa 1938
Source Strategy for Defeat: The Luftwaffe 1933-1945 photo [1]
Author Unknown author
写真はCategory:Dornier Do 19He 70の設計を流用し File:Dornier Do 19 bomber in flight c1938.jpg引用。
写真(右)1930年代、イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti) S.M.73輸送機:1934年7月4日に初飛行し48機が生産された。全幅 24,00m、全長 18,37 m、翼面積 92,20 m2、自重 7300 kg、全備重量 10.800 kg、発動機 ヒルト(Alfa Romeo ) 126 RC.10空冷星形8気筒エンジン800 PS (ca. 590 kW) 3基、最高速力 325 km/h、航続距離 1000km、乗員4名、乗客18名。
Description
Italiano: Savoia-Marchetti SM.73
Date before 1950
Author Unknown author
写真はWikimedia Commons Category:Savoia-Marchetti S.73 File:Savoia-Marchetti SM.73.jpg引用。
伊国
空軍省に研究実験局があって、航空技術及び航空工業を統轄指導している。航空器材は空軍大臣監督の下に民間会社に製造せしむるとともに、一方国家総動員の見地より国防最高会議隷下にある工業監察官をしてこれが製作を監察せしめている。昭和八年(一九三三年)一月ムッソリーニ首相空軍大臣を兼摂するや、航空器材の自給自足は国防上における最重要事項であると為し、優秀なる自国発動機を産出せんが為め、航空総監督部を創設するとともに、各種の方面に奨励保護を行ったので、現今に於ては国産発動機として優秀なるものを産出するに至った。研究機関としては研究実験局があって、理論実験のみならず試作研究をも実施している。飛行機製作会社は十五個あり、中カプローニ、サボイア、フィアット、ブレダ等は大規模であって、社名機は伊国を代表している優秀機に属するものである。
写真(右)1937年10月以降、アメリカ、1937年10月15日に初飛行したメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26戦闘機: 全幅 149 ft 0 in (45.43 m)、全長87 ft 7 in (26.70 m)、翼面積 258.4 m2、自重 37,709 lb (17,141 kg)、離昇重量 70,706 lb (32,139 kg)、発動機 Pratt & Whitney R-1830空冷星形14気筒エンジン850 hp(634 kW)4基、最高速力 197 mph (317 km/h, 171 kn)、航続距離 5,130 mi (8,260 km, 4,460 nmi)、乗員10名。 0.30 in (7.62 mm) M1919ブローニング機関銃3丁、0.50 in (12.7 mm) M2 ブローニング3機関銃2丁、爆弾 12,000 lb (5,400 kg)。試作機1機のみ。XB-15の厚い主翼の中には通路があり、エンジン点検が可能だった。また、自動操縦装置を搭載し長距離飛行を容易にした。
Boeing XB-15 with Boeing P-26
From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives 引用。
米国
陸、海、商務各省に航空局があって各々技術関係事項を統轄し、飛行機は民間会社に注文する制度である。米国の航空工業は民間航空工業の飛躍的進展により急速なる発達を遂げ、世界に覇を唱えている状態である。飛行機会社は大小を合して八三個あり、中マーチン、ボーイング、ベランカ、フェヤチャイルド、ダグラス、カーチス等は代表的なものである。年製機数は民用機のみにても次の如くである
▲大正八年(一九一九年)六六二機
▲昭和四年(一九二九年)六一九三機
▲昭和五年(一九三〇年)三四三七機(世界不況のため減少)
▲昭和八年(一九三三年)一三二四機
飛行機の輸出は大戦間欧洲列強に対し実施したのを始めとし、大正五年(一九一六年)には二六九機昭和八年(一九三三年)四〇六機の多きに達した。航空技術は航空事業が殷盛となるに従い著しく進歩し、昭和九年(一九三四年)にはソ聯邦航空視察団が渡米して米国軍用機多数を購入し、昭和十年(一九三五年)には仏国よりも技術者渡米し軍用機を購入する等今や米国の製作技術は列強をリードしあるの観があって、特に豊富なる資力を以てする多量製産は勢い実験的研究の歩を進め、逐年性能優秀なる飛行機を製作しある状況である。
写真(上)1937年10月以降、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26ピーシューター(Peashooter)戦闘機: XB-15 (Boeing 294)は、1934年から開発が始まり1937年10月15日に初飛行。ボーイングP-26の初飛行は1932年3月20日、プラット・アンド・ホイットニー P&W R1340空冷星形9気筒エンジン542 hp (404 kW)、最高速力377 km/h、7.62 mm ブローニング M1918機関銃2丁、生産数162機。
Boeing XB-15 with P-26
PictionID:40972044 - Title:Boeing XB-15 with P-26 - Filename:15_002709.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."----PLEASE TAG this image with any information you know about it, so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives Catalog:15_002709 -引用。
之を要するに列強の航空技術は各々特徴を有し直に優劣を論することは困難であるが、これが進歩向上を図るため、官民一致努力を傾注しあることは、列強その軌を一にしている。併し乍らこれが方法としては
1、理論、実験共に大規模の中央研究機関を設け、技術の研究進歩を図ると共に、優秀なる技術者を養成するに努めあること。
2、軍民需要数並に外国輸出の増加を図り、多量製産、機種更新に因り、又は多額の研究試作費を投じ、以て製造会社の自発的研究を促進すること。
3、研究機関と審査機関とを分離し一流の権威技術の向上を図ること。
等であって、何れも国情により適切なる方策を採用している。
航空工業においては、製作会社の数が必ずしもその実勢力を現しているものではない。仏国の例に観るも必要以上に増加したものはこれを合同統制するのでなければ、これが培養強化を困難ならしむるものであって、小会社を多数簇生せしむることは、財政豊でない国家にあって、却て有害無益であって、寧ろ必要最小限度の大規模の会社に限定し、これを強化する方が有利であるとされている。又航空工業の製産能力を国家総動員の見地から戦時の要求に合致せしむるため、民用航空の進展により飛行機の需要を促進し、戦時能力を保持せしめることが極めて重要であって、列強が大戦後採用した航空政策の基調は此処に存しているのである。
満州日日新聞 1937.3.26(昭和12)「目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦」引用おわり。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
⇒ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
⇒ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
⇒ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
⇒ハンセン病Leprosy差別
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
⇒ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
⇒与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
⇒石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
⇒魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
⇒文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
⇒戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
⇒統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland
⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
⇒ハワイ真珠湾奇襲攻撃
⇒ハワイ真珠湾攻撃の写真集
⇒開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
⇒サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
⇒沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
⇒沖縄特攻戦の戦果データ
⇒戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
⇒海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
⇒フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
⇒ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov
⇒フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
⇒ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車/Sd.Kfz. 231-6Rad六輪装甲車
⇒ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
⇒ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
⇒ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
⇒ドイツ陸軍2号戦車
⇒ドイツ陸軍3号戦車
⇒ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
⇒ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
⇒ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
⇒ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
⇒ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
⇒ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
⇒VI号ティーガー重戦車
⇒ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
⇒V号パンター戦車
⇒ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車
⇒イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
⇒イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
⇒イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
⇒イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
⇒M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
⇒イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
⇒イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
⇒英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
⇒イギリス陸軍コメット巡航戦車
⇒アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
⇒アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
⇒アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
⇒シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
⇒フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
⇒シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
⇒ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
⇒ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
⇒ボーイング(Boeing)247旅客機
⇒ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
⇒ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
⇒ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
⇒アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
⇒アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機
⇒ユンカース(Junkers)F.13輸送機
⇒ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
⇒ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
⇒ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
⇒ユンカース(Junkers)K43f水上機
⇒巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)G.31輸送機
⇒ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
⇒ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
⇒ハインケル(Heinkel)He111輸送機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
⇒カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
⇒NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
⇒軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
⇒NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
⇒サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
⇒ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
⇒ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
⇒マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
⇒ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"
⇒フィンランド内戦:Finnish Civil War
⇒フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
⇒ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
⇒フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
⇒第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
⇒第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
⇒ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
⇒ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
⇒フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
⇒フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
⇒フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
⇒フィンランド軍の防空監視哨
⇒ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
⇒ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
⇒ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
⇒ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
⇒ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
⇒ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
⇒ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
⇒ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
⇒ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
⇒フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
⇒ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
⇒ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
⇒メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
⇒メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
⇒ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
⇒ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju88 C/R/G夜間戦闘機
⇒ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
⇒エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
⇒ムッソリーニ救出作戦
⇒イタリア独裁者ムッソリーニ
⇒独裁者ムッソリーニ処刑
⇒ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
⇒マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」
⇒サヴォイア=マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
⇒カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
⇒カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機
⇒サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
⇒サヴォイア・マルケッティSM.82カングロ輸送機
⇒フィアット(Fiat)G.18V輸送機
⇒フィアット(Fiat)G.12/G.212三発輸送機
⇒サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
⇒フィアット(Fiat)BR.20/イ式重爆撃機
⇒サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84爆撃機
⇒カント(CANT)Z.1007爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
⇒ピアジオP.108重爆撃機
⇒マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
⇒マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
⇒マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機
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