◆シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
写真(右)1928年頃,アメリカ、水上滑走するシコルスキー(Sikorsky)S-36(XPS-1)飛行艇;垂直尾翼の青白赤はフランス国旗のようだがアメリカ国旗の三色である。アメリカ海軍はS-36,S-38をXPS-1と名付けてPS-1, PS-2, PS-3の3機を使用した。 写真はWikimedia Commons, Уголок неба. 2008 (Страница "Sikorsky S-36" Дата модификации: 12-12-2021引用。
写真(上)1927-1928年頃,アメリカ、シコルスキー(Sikorsky) S-36双発水陸両用飛行艇;S-36の後継機は、パン・アメリカン航空(PAA)の要請を受けて開発されたS-38で1928年5月25日に初飛行、100機が量産された。 写真はflicker, Самолеты (сортировка по:) Страна Конструктор Название Год Фото Текст Sikorsky S-36 / S-38引用。
写真(上)1927年,アメリカ、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky) S-36 双発水陸両用飛行艇(N3699); パンアメリカン航空は、S-36をすぐに改良型S-38飛行艇に更新した。
Igor Sikorsky’s S-36 gets an airing from Charles A. Lindbergh at Roosevelt Field on January 27, 1928. N3699 was leased to Pan Am for a brief period and is thought to have been dismantled by the factory upon completion of the S-38 prototype.
Sikorsky S-36 / S-38 - США - 1927
写真は, AviaDejaVu Aeroplane Monthly 1993-06引用。
アメリア・イアハート(Amelia Earhart)五部作
(1)アメリカ女性飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)
(2)1928:フォッカー(Fokker)F.VII三発水上機による女性初の大西洋横断飛行
(3)1931:ピトケアン(Pitcairn)PCA-2による女性初のオートジャイロ飛行と高度記録達成 (4)1932:ロッキード・ベガ(Lockheed Vega 5)による女性初の大西洋横断単独飛行
(5)1937:ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Electra)による世界一周飛行
⇒写真集Album:ライト・ベランカ (Wright-Bellanca WB-2)「コロンビア」の大西洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの大西洋横断飛行見る。
⇒写真集Album:ベランカCH-400「スカイロケット」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A-50「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W33「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。 ⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を見る。 ⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。 ⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
1.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-36双発飛行艇
写真(右)1927年12月以前,アメリカ、飛行場に駐機しているシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇と紳士たち:
Sikorsky S-36
Catalog #: 00070931
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-36 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070930引用。
シコルスキー飛行機製造は、創立されたばかりのパンアメリカン航空の注文を受けて、8人乗りの水陸両用飛行艇を設計・製造したが、これがシコルスキー飛行艇の初の代表作となるシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇である。S-36は、1927年に初飛行したが、海上での離着水も、陸上での離着陸も可能な水陸両用飛行艇であった。
写真(右)1927年12月以前,アメリカ、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇のコックピット操縦席に収まったチャールズ・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh :1902−1974):機外の男性は、飛行家のハリー・ホワイトー(Harry J.White)であろうか。
Image from an Album belonging to Harry White, 1919-1947, documenting his career as a Naval Aviator.
SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
Date 30 May 2014, 14:06
Source AL79-037 Charles Lindbergh and HJ White 9May28
Author SDASM Archives
写真はWikimedia Commons, Category:Charles Lindbergh in 1928 File:AL79-037 Charles Lindbergh and HJ White 9May28 (14121449857).jpg引用。
世界初の大西洋横断飛行は、イギリス空軍ビッカース ビミー (Vickers Vimy)双発爆撃機に搭乗したジョン・オールコックによるカナダのニューファンドランド島のからアイルランドのまでの大西洋無着陸横断飛行で、デイリー・ミラー紙はこの世界初の大西洋横断飛行に賞金£10,000を与えている。
写真(右)1928年,アメリカ、アメリカ海軍が採用を検討中のシコルスキー(Sikorsky)XPS-1 (S-36)水陸両用飛行艇(A-8005):機首と塔体後端には、水中に防水着を着た地上勤務員が飛行艇を移動させている。エンジンは停止している。垂直尾翼の三色旗は、青白赤のフランス国旗のようだがアメリカ国旗の三色である。 Description
English: Sikorsky XPS-1 (S-36) amphibian of the United States Navy.
Date circa 1928
Source www.flickr.com
Author Unknown author
Permission
(Reusing this file) PD-NAVY
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-36 Catalog #: 00070936引用。
アメリカ海軍航空隊は、シコルスキー(Sikorsky)S-36B飛行艇をベースにしたPS-1とP-38飛行艇をベースにしたPS-2, PS-3を購入、審査した。S-36B飛行艇(A8005)は、アメリカ海軍向けにライトJ-5エンジンを搭載し、1928年に1機のみ生産され、アメリカ海軍が購入したが、試用だったために、Xを付してXPS-1飛行艇(A8005)と命名された。
アメリカ海軍航空隊が使用したシコルスキー(Sikorsky)S-36B飛行艇、すなわちXPS-1水陸両用飛行艇(A8005)は、哨戒・輸送に使用された。
写真(右)1927年12月,アメリカ、海上を接岸しようとする開放式コックピット仕様のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇:コックピット操縦席は、密閉式のものと、開放式のものがあったようだ。1927年12月刊行の航空専門誌に掲載された写真。 Description
English: Sikorsky S-36 with open cockpit. Photo from Le Document aéronautique December,1927
Date 1 December 1927
Source gallica.bnf.fr/ark
Author Le Document aéronautique 写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-36 File:Sikorsky S-36 with open cockpit Le Document aéronautique December,1927.jpg引用。
XPS-1水陸両用飛行艇(A8005)はアメリカ海軍向けにライトJ-5エンジンを搭載し、1928年に1機生産された。
2.フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282)
写真(右)1927年12月以前,アメリカ、低空飛行する女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)個人所有のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3):右主翼に、登録コードNX-1282の数字部分だけが描かれている。垂直尾翼には、アメリカ国旗は描かれていない。女性事業家フランシス・グレイサン(Frances Grayson)で、このS-36水陸両用飛行艇「曙」で大西洋横断に出発したが、アメリカ東岸で行方不明になった。 Sikorsky S-36
Catalog #: 00070931
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-36 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070936引用。
1927年5月20日のチャールズ・リンドバーグのニューヨーク=パリ間無着陸横断飛行成功に触発され、女性による大西洋横断飛行がいくつか試みられた。アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)の姪で女性実業家フランシス・グレーソン(Frances Wilson Grayson:1890-1927)は、シコルスキー (Sikorsky) S-36水陸両用飛行艇(登録コードNX-1282; 製造番号 c/n 3)を購入し「ドーン」(The Dawn:曙)と命名し、大西洋横断飛行に挑んだ。当時の洋上飛行は、地形上の目標がないために、飛行機の速力と進行方向、風向と風力、天体と気象という条件から、高精度の時計クロノメーターと羅針盤コンパスを活用した推測航法がなされていたが、航法誤差、悪天候、機械故障のために洋上で不時着水する危険が高かかった。そこで、複数のエンジンを装備した飛行艇・水上機が洋上飛行に適していると考えられた。女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)はS-36水陸両用飛行艇「曙」で大西洋横断に出発したが、アメリカ東岸で行方不明になった。
写真(右)1927年12月以前」,アメリカ、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3):ロープを張って、見物人の立ち入りを制限している。垂直尾翼には、登録コードNX-1282が記入され、シコルスキーの大文字Sも描かれている、アメリカ国旗・ノルウェー国旗は描かれていない。女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)は、このS-36水陸両用飛行艇を購入し大西洋を無着陸横断飛行する初の女性を目指した。 The doomed Sikorsky S-36, NC1282 (c/n 3), named "Dawn".
Title: Louis E. ""Slim"" Gordon Special Collection Photo
Additional Information: Group in a field admiring unidentified aircraft, Louis Gordon was the co-pilot/ mechanic with Wilmer Stultz on the 1928 Transatlantic flight of the Fokker F7 ""Friendship"" which flew from Newfoundland to Wales in 1928. Amelia Earhart was a passenger on this flight and it is remembered as the first air crossing of the Atlantic by a female.
Tags: Louis E. ""Slim"" Gordon Special Collection Photo
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 09_01384引用。
1927年に初飛行したアメリカ製シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇は、乗客6-8人乗りの下主翼左右に浮舟フロートを装備した飛行艇だが、胴体中央部下左右側面にゴム車輪を装備し、陸上での離着陸も可能な水陸両用飛行艇である。S-36装備した発動機は、ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW)2基で、小型軽量で固定ピッチ2翅プロペラを駆動する。生産機数は6機のみ。
写真(右)1927年12月,アメリカ、飛行場に着陸しようとする女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)所有のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3):胴体後部に尾橇が装着されている。垂直尾翼にアメリカ国旗とノルウェー国旗を描いている。
Sikorsky S-36
Catalog #: 00070931
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-36 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070935引用。
1927年5月、アメリカ航空便輸送機パイロットチャールズ・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh)25歳が、アメリカからパリへの大西洋無着陸横断飛行にライアン単発機に単身搭乗して成功した。これに刺激されて、アメリカの女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)は、シコルスキー(Sikorsky)S-36双発飛行艇に搭乗して、女性初の大西洋横断飛行に成功する冒険にチャレンジした。
写真(右)1927年12月以前,アメリカ、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)所有のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3):垂直尾翼にアメリカ国旗とノルウェー国旗を描いている。友人で大西洋横断飛行の協力者のいるコペンハーゲンへの飛行を目指したためである。
Sikorsky S-36
Catalog #: 00070931
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-36 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070931引用。
1927年5月のチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)のニューヨーク・パリの大西洋横断飛行に触発され、アメリカの女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)は、シコルスキー(Sikorsky)S-36双発飛行艇を購入し、それに乗客として登場することで、世界初の女性大西洋横断飛行を目指した。
写真(右)1927年12月以前,アメリカ、女性事業家グレイソン(Frances Grayson)所有のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3):垂直尾翼にアメリカ国旗「星条旗」とデンマーク 国旗「ダンネブロ」(Dannebrog)、すなわち赤地に白 スカンディナヴィア十字を描いている。 Sikorsky S-36
Catalog #: 00070931
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-36 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070934引用。
チャールズ・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh::1902年2月4日 - 1974年8月26日)は、25歳の時、1927年5月20日5時52分、愛機ライアンNYP-1「スピリット・オブ・セントルイス」(Spirit of St. Louis)にただ一人乗り込み、ニューヨーク東部、ロングアイランドのカーチス飛行場(ルーズベルト飛行場)を離陸した。そして、アメリカから大西洋を横断し、フランス、パリに向かって大西洋無着陸横断飛行に出立った。
写真(右)1927年12月以前,アメリカ、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)所有のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)の正面:2翅プロペラで、エンジンカウリングはついていない。 Sikorsky S-36
Catalog #: 00070931
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-36 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070932引用。
チャールズ・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh:1902-1974)25歳は、1927年5月20日、5,810kmを33時間半飛行して、ニューヨーク−パリ間の大西洋横断無着陸飛行に成功した。そして、オルティーグ賞と賞金2万5,000ドルを得ただけではなく、世界的著名人になった。チャールズ・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh)に触発された女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Wilson Grayson:1892-1927)は、ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)大統領の姪(1892年生まれの37歳)でシコルスキー(Sikorsky)飛行艇(NX-1282)「曙」"The Dawn"に乗って女性初の大西洋横断飛行に成功する冒険にチャレンジした。
写真(右)1927年12月以前,アメリカ、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)所有のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3):右主翼に登録コードのNX-1282を描いている。下主翼の浮舟フロートが、未舗装滑走路にほぼ接しており、間隔がないように見える。
Sikorsky S-36
Catalog #: 00070931
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-36 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070933引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-36での大西洋横断無着陸飛行を目指したフランシス・グレイソン(Frances Wilson Grayson)は、女性飛行家、ジャーナリスト、歌手、不動産実業家として、社会進出を果たした有名人であり、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)の姪という血統である。
写真(右)1927年12月,アメリカ東岸、ニューヨーク州南東部、ロングアイランド(Long Island)、カーチス飛行場(ルーズベルト飛行場)、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3):女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)は、このS-36水陸両用飛行艇「曙」で12月23日、アメリカ大陸東端、ニューファンドランド(Newfoundland)で給油し、イギリスに向かう予定である。 Sikorsky S-36
Catalog #: 00070931
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-36 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070937引用。
アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)の姪で女性事業家のフランシス・グレイソン(Frances Wilson Grayson:1892-1927)の大西洋横断無着陸飛行は、パイロットをノルウェー海軍オスカー・オムダール(Oskar Omdal)が務めて、航法士ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough)、さらに無線士も搭乗したシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)が乗機である。
写真(右)1927年10月10日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) :浜辺に乗り上げたが、海は時化始めている。 'The Dawn' in surf, Old Orchard Beach, 1927
Title: 'The Dawn,' Old Orchard Beach, 1927
Creator: International Newsreel
Creation Date: 1927-10-10
Subject Date: 1927-10-10
Town: Old Orchard Beach
County: York
State: ME
Media: Photographic print
Dimensions: 16 cm x 24 cm
Local Code: HJScr3_p025_001
Collection: Harry Jones Scrapbook Collection
The airplane owned by Frances Wilson Grayson, called The Dawn, a Sikorski Amphibian, landing on the water coming toward the beach at Old Orchard.
The plane was in Old Orchard to begin preparations for an upcoming Atlantic hop. It arrived October 10, 1927. Bad weather and engine problems prevented the plane from making the attempt out of Old Orchard.
Instead, the plane took off on Christmas Eve from Curtiss Field in New York and was never seen again.. 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man Item 20819引用。
女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)は、大西洋横断無着陸飛行を横断した世界初の女性になろうと、1928年5月25日に初飛行したシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇(NX-1282; c/n 3)を購入し「曙」"The Dawn" と命名した。コースは、アメリカ東岸メイン州ポートランド郊外からデンマークのコペンハーゲンを計画した。そこで、このシコルスキー(Sikorsky)飛行艇(NX-1282)「曙」"The Dawn"の垂直尾翼(双尾翼)にアメリカ国旗「星条旗」とデンマーク 国旗「ダンネブロ」(Dannebrog)、すなわち赤地に白 スカンディナヴィア十字を描いていた。
写真(右)1927年10月13日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) : 'The Dawn' in surf, Old Orchard Beach, 1927
Title: 'The Dawn' in surf, Old Orchard Beach, 1927
Creator: International News Corp.
Creation Date: 1927-10-13
Subject Date: 1927-10-13
Town: Old Orchard Beach
County: York
State: ME
Media: Photographic print
Dimensions: 16 cm x 24 cm
Local Code: HJScr3_p075_001
Collection: Harry Jones Scrapbook Collection
Mrs. Grayson, crew and her plane 'Dawn' at Old Orchard, ME
Monplane The Dawn, in the surf during a gale and high sea at Old Orchard Beach on October 13, 1927.
The plane, with Wilmer Stulz as pilot, attempted three times to take off from Old Orchard Beach for a transatlantic flight. Weather and mechanical problems halted all three attempts.
The plane later flew out of New York and was lost over the Atlantic Ocean. 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man Item 22194引用。
フランシス・グレイソン(Frances Grayson)は、愛機シコルスキー(Sikorsky)飛行艇(NX-1282)「曙」"The Dawn"に搭乗を購入し、アメリカからデンマークまで大西洋横断飛行に1927年10月に2回出立したが、2回ともすぐに引き返すことになった。そして、1927年12月23日に愛機シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇(NX-1282; c/n 3)「曙」"The Dawn"による3回目の大西洋横断無着陸飛行が決行されたが、燃料補給に立ち寄る予定だったカナダ東端ニューファウンドランドに到着することなく、行方不明になり遭難してしまった。
写真(右)1927年10月18日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) : The Dawn was the third plane to attempt a transatlantic flight from Old Orchard Beach.
The pilot was Elmer Stultz and the passengers were Frances Wilson Grayson, a niece of President Woodrow Wilson, and Brice Goldsborough.
This photo was taken at Old Orchard on October 18, 1927. The plane was guarded by Dan Mechum while it was on the beach between October 11 and October 19, 1927 before attempting to take off on its transatlantic flight to Copenhagen.
They turned back due to weather and mechanical problems. On October 23, they tried again, but turned back after 500 miles because of an engine problem. They then flew to Curtis Field in New York.
Their final attempt began on Christmas Eve. They were never seen again..Title: 'The Dawn,' Old Orchard Beach
Creation Date: 1927-10-18
Subject Date: 1927-10-18
Town: Old Orchard Beach
County: York
State: ME
Media: Photographic print
Dimensions: 21 cm x 26 cm
Local Code: HJScr3_p083_001
Collection: Harry Jones Scrapbook Collection
写真はBoston Public Library , Maine Historical Society Item 22199引用。
女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Wilson Grayson)は、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)の姪だが、シコルスキー(Sikorsky)S-36飛行艇 (NX-1282; c/n 3)を購入し、「曙」Dawnと名付け、女性初の大西洋横断無着陸飛行を企てた。そして、1927年12月23日、オスカー・オムダール(Oskar Omdal)の操縦で、彼女は、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)に搭乗して、イギリスのロンドンを目指して飛び立った。
写真(右)1927年12月,アメリカ東岸、ニューヨーク州南東部、ロングアイランド(Long Island)、カーチス飛行場(ルーズベルト飛行場)、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3):機首に腰かけているのが、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)で、このS-36水陸両用飛行艇「曙」の所有者である。 Mrs. Frances Grayson with her plane 'Dawn.' She was lost with craft and never foundDesignation: S-36 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070938引用。
写真(右)1927年10月頃,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)と彼女が所有するのシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) :コックピット左側の主操縦席の天蓋が開放されているが、ここが搭乗員の昇降口である。水陸両用飛行艇なので、ゴム車輪が装備されている。彼女は、ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),オスカー・オムダル(Oskar Omdal)とともに、女性初の大西洋横断飛行に挑戦したが、アメリカ東岸で行方不明になった。
Mrs. Grayson and crew, lost
Creator: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Date:
1928
Publisher: Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in
Collection: Leslie Jones Collection
Subject Series:
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Collection:
Leslie Jones Collection
Subject Series:
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002085引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇の発動機は、ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW)2基で、2翅プロペラ装備。
写真(右)1927年10月頃,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson):彼女は。自分のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)で大西洋横断飛行に挑戦したが、アメリカ東岸で行方不明になった。: Mrs. Grayson and crew, lost
Creator: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Date:
1927
Publisher: Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in
Collection: Leslie Jones Collection
Subject Series:
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Collection:
Leslie Jones Collection
Subject Series:
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002087引用。
フランシス・グレーソンは、1927年10月10日、メイン(Maine)州オールド・オーチャード・ビーチ(Old Orchard Beach)から、大西洋横断しデンマークのコペンハーゲンに飛行しようとシコルスキーS-36「ドーン」に搭乗、ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz : 1900-1929)の操縦、ブライス・ゴールズボロー(Brice Goldsborough: 1889-1927)の航法・通信で大西洋横断を計画したが、悪天候とエンジン不調で離水できなかった。10月13日の第2回目の出発も、高波で離水できなかった。10月23日の第3回目は、オールド・オーチャード・ビーチを離水し、500マイル飛行したところで、エンジン1基が不調になり引き返した。
その後、「ドーン」は水陸両用飛行艇(amphibian)の特性を活かし、ニューヨーク州ロードアイランド島ルーズベルト飛行場(Roosevelt Field)に移動し、そこからロンドンに飛行する計画に変更した。
写真(右)1927年10月頃,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)、女性事業家フランシス・グレイサン(Frances Grayson)と彼女が所有するのシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) と搭乗者:機首右側、右主翼前に並んだブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal): Mrs. Grayson and crew, lost
Creator: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Date:
1927
Publisher: Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in
Collection: Leslie Jones Collection
Subject Series:
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Collection:
Leslie Jones Collection
Subject Series:
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002088引用。
第一次世界大戦終了直後の1919年6月14日、イギリス空軍将校 ジョン・ウィリアム・オールコック (John William Alcock:1892-1919)は、アーサー・ブラウンとともに、イギリス空軍ビッカース・ビミー((Vickers Vimy)双発爆撃機特殊仕様に搭乗し、カナダ東端のニューファンドランド島セントジョンからアイルランド島クリフデンまで3186 kmを16時間12分で大西洋横断無着陸飛行に成功した。そして、イギリスのデイリー・メール紙の賞金1万ポンドを得、さらに騎士(ナイト)の称号を贈られた。
イギリス空軍将校 ジョン・ウィリアム・オールコック (John William Alcock)は、ビッカース・ヴィミーによる大西洋横断無着陸飛行に成功した後、ビッカース(Vickers)VC.1 水陸両用飛行艇バイキング(Viking)でパリに向かう途上で、悪天候により墜死した。
写真(右)1927年10-12月,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)と彼女が所有するのシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) の搭乗者ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),オスカー・オムダル(Oskar Omdal)と整備員の若者: Mrs. Grayson, crew and her plane 'Dawn' at Old Orchard, ME
Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Date:
1927
Publisher:
Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Grayson, Frances Wilson, ca. 1890-1927 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002090引用。
1927年5月20日、チャールズ・リンドバーグは、愛機ライアンNYP-1「スピリット・オブ・セントルイス」(Spirit of St. Louis)に単身搭乗して、アメリカのニューヨークから、フランスのパリまで、大西洋単独無着陸飛行に成功した。この都市間無着陸飛行には、レイモンド・オルティーグから賞金2万5,000ドルが与えられた。
写真(右)1927年10月27日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き上げられた女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)が所有するのシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) と搭乗者: Monplane The Dawn, in the surf during a gale and high sea at Old Orchard Beach on October 13, 1927.
The plane, with Wilmer Stulz as pilot, attempted three times to take off from Old Orchard Beach for a transatlantic flight. Weather and mechanical problems halted all three attempts.
The plane later flew out of New York and was lost over the Atlantic Ocean.
Mrs. Grayson and her plane 'Dawn'.
Title: 'The Dawn' in surf, Old Orchard Beach, 1927
Creator: International News Corp.
Creation Date: 1927-10-13
Subject Date: 1927-10-13
Town: Old Orchard Beach
County: York
State: ME
Media: Photographic print
Dimensions: 16 cm x 24 cm
Local Code: HJScr3_p075_001
Collection: Harry Jones Scrapbook Collection
Object Type: Image
写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man Item 22194引用。
写真(右)1927年10月27日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)胴体右主翼後方で記念撮影した女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson) :主翼後ろに並んだ操縦士ヴィルマー・シュルツ(Wilmer Stultz)、航法士ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),オスカー・オムダル(Oskar Omdal)と若者:On October 10, 1927, female aviator Frances Wilson Grayson, along with her crew, landed her Sikorsky S-36 amphibian plane the "Dawn" on Old Orchard Beach. Her goal was to set up base in Old Orchard for her transatlantic flight to Copenhagen. Her crew consisted of Wilmer Stultz, pilot, and Brice Goldsboro who was in charge of navigation. Grayson would do some of the flying as well. Frances Grayson and the crew of the "Dawn," Old Orchard Beach, 1927
Creation Date: 1927-10-27
Subject Date: 1927-10-27
Town: Old Orchard Beach
County: York
State: ME
Media: Glass Negative
Dimensions: 8.3 cm x 10.8 cm
Local Code: Coll. 1949, 2005.061.16428
Collection: Portland Press Herald glass negative collection 写真は, Maine Historical Society/MaineToday Media Item 103903引用。
1927年10月23日、グレーソンによる第3回目の太平洋横断飛行の挑戦は、オールド・オーチャード・ビーチを離水し、500マイル飛行したところで、エンジン1基が不調になり引き返した。その後、「ドーン」は水陸両用飛行艇(amphibian)の特性を活かし、ニューヨーク州ロードアイランド島ルーズベルト飛行場(Roosevelt Field)に移動し、そこからロンドンに飛行する計画に変更した。
写真(右)1927年10月27日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)あるいはオールド・オーチャード(Old Orchard)で会食する女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)と彼女が所有するのシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) の搭乗者ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),オスカー・オムダル(Oskar Omdal): Mrs. Grayson and two men that were lost at sea in plane 'Dawn'
Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Date:
1927
Publisher:
Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Grayson, Frances Wilson, ca. 1890-1927 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002092引用。
1927年12月23日、シコルスキーS-36「ドーン」はノルウェー海軍オスカー・オムダール(Oskar Omdal)が新たに操縦士となり、グレーソンとゴールドスボローが搭乗してルーズベルト飛行場を離陸、中継基地のカナダ東端ニューファウンドランド(Newfoundland)島ハーバー・グレース(Harbour Grace)に燃料補給に向かった。しかし、マサチューセッツ州ケープコッド(Cape Cod)沖で悪天候に遭遇し、「機体降下」の無電連絡後、全員が行方不明になってしまった。
写真(右)1927年10月27日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き上げられたシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)左前方で計量作業をする女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson) :主翼前に並んだブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal)は、大西洋を越えてデンマークのコペンハーゲン(Copenhagen)を目指した。: Mrs. Grayson
Creator:
Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Date:
1927
Publisher:
Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002094引用。
写真(右)1927年10月27日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き上げられたシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)左前方で体重計量作業をする女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson) :主翼前に並んだブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal):Miss Grayson landed in Maine to much fanfare and excitement. Poor weather hampered her attempts to make the flight from Maine; during the first attempt the plane turned around immediately due to high winds, and the second flight her pilot Wilmer Stultz made the decision to turn around after 500 miles due to dangerous weather. Frances Grayson weighing in for her transatlantic flight, Old Orchard Beach, 1927
Creation Date: 1927-10-27
Subject Date: 1927-10-27
Town: Old Orchard Beach
County: York
State: ME
Media: Glass Negative
Dimensions: 8.3 cm x 10.8 cm
Local Code: Coll. 1949, 2005.061.16429
Collection: Portland Press Herald glass negative collection 写真は, Maine Historical Society/MaineToday Media Item 103903引用。
資産家アメリカ婦人メイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)も、ライト・べランカ(Wright-Bellanca)WB-2単発機「コロンビア」(Columbia)を貸切り搭乗し、スタールズを操縦士に雇い、ニューヨークからキューバのハバナへカリブ海の横断無着陸飛行をした。そして、ボルンも女性初の大西洋横断飛行の栄誉を得ようとしたが、アメリアに先を越されてしまった。そこで1931年、ユンカース(Junkers)W.33単発輸送機「空の女王」(Queen of the Air)を使って、イギリスからアメリカにアメリアとは反対の西周りの大西洋横断飛行に挑戦したが、不時着、失敗している。
写真(右)1927年10月10-27日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に到着した女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) :フランシス・グレイソンは、アメリカからデンマークのコペンハーゲンに大西洋横断飛行し、世界初の大西洋横断をした女性になることを目指した。S-36アメリカからデンマーク:On October 10, 1927, famed female aviator Frances Wilson Grayson, niece of President Woodrow Wilson, landed her. Sikorsky S-36 amphibian plane "Dawn" on Old Orchard Beach. Her goal was to set up base in Old Orchard for her transatlantic flight to Copenhagen.
The flight was hampered, and eventually cancelled, by poor weather and visibility. Title: Crew member of the "Dawn," Old Orchard Beach, 1927
Creation Date: 1927-10-27
Subject Date: 1927-10-27
Town: Old Orchard Beach
County: York
State: ME
Media: Glass Negative
Dimensions: 8.3 cm x 10.8 cm
Local Code: Coll. 1949, 2005.061.16447
Collection: Portland Press Herald glass negative collection
写真は, Maine Historical Society/MaineToday Media Item 103899引用。
写真(右)1927年10月27日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き返してきた女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) :ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal): On October 10, 1927, Famed female aviator Frances Wilson Grayson, niece of President Woodrow Wilson, landed her Sikorsky S-36 amphibian plane on Old Orchard Beach. Her goal was to set up base in Old Orchard for her transatlantic flight to Copenhagen.
Poor weather hampered her attempts to make the flight from Maine; during the first attempt the plane turned around immediately due to high winds, and the second flight her pilot Wilmer Stultz made the decision to turn around after 500 miles due to dangerous weather. Creation Date: 1927-10-27
Subject Date: 1927-10-27
Town: Old Orchard Beach
County: York
State: ME
Media: Glass Negative
Dimensions: 8.3 cm x 10.8 cm
Local Code: Coll. 1949, 2005.061.16426
Collection: Portland Press Herald glass negative collection
写真は, Maine Historical Society/MaineToday Media Item 103899引用。
写真(右)1927年10月頃,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き返してきた女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) の稼働する右ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW):エンジンカウリングのない発動機(左)にカバーが掛けられている。ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal): Mrs. Grayson's airplane 'Dawn'
Creator:
Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Date:
1927
Publisher:
Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002095引用。
大統領の姪で、シンガー、ジャーナリスト、飛行家、不動産ディーラーのフランシス・グレイソン(1892-1927)は、大西洋横断無着陸飛行をした世界初の女性になることを目指し、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇(NX-1282; c/n 3)を購入し「曙」"The Dawn" と命名した。
写真(右)1927年10月頃,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き返してきた女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) の稼働する右発動機:ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW)2基装備だが、エンジンカウリングのない発動機(左)にはカバーが掛けられている。ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal): Plane Dawn Lewiston, ME.
Creator:
Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Date:
1917-1934 (approximate)
Publisher:
Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002096引用。
写真(右)1927年10月24日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸、荒天の波浪、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) の稼働する右発動機:ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW)2基装備だが、エンジンカウリングのない発動機(左)にはカバーが掛けられている。ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal): 'The Dawn' at surf in Old Orchard Beach, 1924
Plane Dawn Lewiston, ME.
Creator:
Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Date:
1917-1934 (approximate)
Publisher:
Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in The amphibian plan, The Dawn, in the surf at Old Orchard Beach during a gale and high sea.
This Sikorsky Amphibian was piloted by Mrs. Frances Grayson, Wilmer Stultz and Brice Goldsborough, who were attempting a transatlantic flight.
After 500 miles, one motor failed and they returned to Old Orchard..写真は, Maine Historical Society Item 22194引用。
ウィルソン大統領の姪で・飛行家・女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927)は、シコルスキー(Sikorsky)S-36 水陸両用飛行艇(NX-1282; c/n 3)を購入し「曙」"The Dawn" と命名した。大西洋横断無着陸飛行に成功した世界初の女性になることを目指したのである。彼女は、この機体で2回、大西洋横断無着陸飛行に出発したが、2回ともすぐに引き返してきた。これは、当時の期初予報や機械の信頼性を考えれば、慎重を期した安全策であり、当然のことだった。
写真(右)1927年10月27日,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き返してきた女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) :ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal): The 'Dawn' that tried 3 times to fly to Denmark and failed (NX-1282)
Creator:
Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Date:
1927-10-23
Publisher:
Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002097引用。
フランシス・グレイソン(Frances Grayson)は、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇に、アメリカ海軍出身のブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough:1891-1927)(36歳)、オスカー・オムダル(Oskar Omdal)とともに、乗り込んで、1927年12月23日、ニューヨーク州ロードアイランド島カーチス飛行場(Curtis Field: ルーズベルト飛行場)を出発し大西洋横断無着陸飛行を目指した。
しかし、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn"は、初めの目的地カナダ東端ニューファウンドランド(Newfoundland)、ハーバーグレース(Harbor Grace)で燃料補給を予定していたが、到着せず、そのまま連絡を絶った。アメリカ海軍らが、グレイソンらを捜索したが発見できず、行方不明になった。
写真(右)1927年12月,アメリカ東岸、ニューヨーク州南東部、ロングアイランド(Long Island)、カーチス飛行場(ルーズベルト飛行場)、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)と彼女が所有するのシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) と搭乗者:機首右側、右主翼前に並んだブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイサン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal): Historic Flight
Catalog #: 10_0014996
Title: Historic Flight
Date: 1920-1929
Additional Information: Transatlantic Flight Sikorsky S-38 Bruce Goldsborugh
Tags: Historic Flight, Transatlantic Flight Sikorsky S-38 Bruce Goldsborugh, 1920-1929
Next to the ill-fated Sikorsky S-36 named "The Dawn" (NX-1282; c/n 3), from left to right of the frame, Brice Goldsborough, Frances Grayson, and Oskar Omdal. All would disappear along with the aircraft in December 1927.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive. 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070959引用。
1927年5月のチャールズ・リンドバーグのニューヨーク=パリへの大西洋横断無着陸飛行の成功に続こうと、女性初の大西洋横断飛行を目指したのが、元ジャーナリストで女性事業家のフランシス・グレイソン(Frances Grayson)である。彼女は、1927年12月23日、アメリカ製シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) の乗り込み、アメリカから出発したが、ニューファンドランド(Newfoundland)付近で消息不明になった。
写真(右)1927年12月,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)右前方に並んだ女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)、ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイサン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal):グレイソンは自分のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)で大西洋横断飛行に挑戦したが、アメリカ東岸で行方不明になった。: Mrs. Grayson and crew, lost
Creator: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Date:
1917-1934 (approximate)
Publisher: Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in
Collection: Leslie Jones Collection
Subject Series:
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Collection:
Leslie Jones Collection
Subject Series:
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Air pilots
Amphibious vehicles
Seaplanes
Grayson, Frances Wilson, ca. 1890-1927 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002112引用。
1928年6月17日、女性飛行家アメリア・イアハートは、フォッカーFVII「フレンドシップ」に搭乗し20時間40分かけて、カナダ東端ニューファンドランドからイギリスに大西洋横断無着陸飛行に出発した。この時は、パイロットではなく、同乗者としての搭乗であり、操縦・航法はビル・シュルツ、ルイス・ゴードンにたよった。
写真(右)1927年12月,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に駐機しているシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)を見送りに来た紳士淑女たち:
The 'Dawn' before it was lost with Mrs. Grayson and two others.
Creator: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Date: 1927
Publisher: Boston Public Library, Print Department
Genre: Glass negative
Extent: 4 x 5 in
Collection: Leslie Jones Collection
Subject Series: Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Collection: Leslie Jones Collection
Subject Series: Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Air pilots
Amphibious vehicles
Seaplanes
Grayson, Frances Wilson, ca. 1890-1927 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002113引用。
アメリア・イアハートは、フォッカーFVII「フレンドシップ」は、1928年6月18日、20時間40分後、イングランドのサウスウェールズに着陸した。イアハートは、操縦も航法も担当しない搭乗者に過ぎなかったが、女性初の大西洋横断もアメリカ人が勝ち得たことにアメリカ中が喚起し、マスメディアは、彼女をチャールズ・リンドバーグに因んで「レディ・リンディ」と呼び人気を煽った。
写真(右)1927年12月23日、アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き返してきた女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) :ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal): The 'Dawn' as she looked before her fatal flight. Old Orchard, Maine.
Creator: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Date: 1927Publisher:
Boston Public Library, Print Department
Genre: Glass negative
Extent: 4 x 5 in 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002114引用。
1927年12月23日、女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson:1892-1927)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3)は、アメリカのカーティス飛行場を17時に離陸しイギリスのロンドンを目指した。アメリカ大陸東端のニューファンドランド(Newfoundland)で給油する計画だったが、連絡が取れなくなり、行方不明となった。1928年に、アメリア・イアハートは、フォッカーF.VII三発機に同乗し女性初の大西洋横断飛行に成功した。
図(上)1927年,アメリカ、シコルスキー(Sikorsky) S-36B双発水陸両用飛行艇三面構造図;S-36は、6機が生産された。1927年9月刊行の航空専門誌掲載。 English: Sikorsky S-36B 3-view drawing from Aero Digest September 1927
Date 1 September 1927
Source archive.org/stream
Author Aero Digest Magazine 写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-36Sikorsky S-36B 3-view drawing from Aero Digest September 1927引用。
シコルスキーSikorsky S-36の諸元
乗員Crew: 2名
乗客Capacity: 6名
全長Length: 34 ft 0 in (10.36 m)
全幅Wingspan: 62 ft 0 in (18.9 m)
全高Height: 12 ft 0 in (3.66 m)
主翼面積Wing area: 585 sq ft (54.35 m2)
空虚重量Empty weight: 3,950 lb (1,792 kg)
総重量Gross weight: 6,000 lb (2,722 kg)
発動機Powerplant: ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW) 2基
性能Performance
最高速力Maximum speed: 120 mph (193 km/h, 100 kn)
実用上昇限度Service ceiling: 15,000 ft (4,572 m)
上昇率Rate of climb: 600 ft/min (3.05 m/s)
初飛行:1927年 生産機数:5機
シコルスキー(Sikorsky)S-36 水陸両用飛行艇は、1927年に初飛行したが、当初のS-36は、半開放式コックピットだったが、長距離飛行と悪天候にも備えて、密閉式のコックピットに変更された。生産機数は、民間、軍用合わせて僅か5機しか生産されていない。アンデス国営社とパンアメリカン航空が各1機、アメリカ海軍が1機、富豪フランシス・グレーソンが大西洋横断飛行用に1機を購入している。
シコルスキー(Sikorsky)S-36 水陸両用飛行艇は成功作といえたが、S-36の改良が進められた。これは、主翼より大型化し、胴体中部の左右張り出し翼に先から降ろしている浮舟フロートの形状が変更の余地があるとされた。さらに、主翼下面のエンジン取付位置が下方に下げられた。これが、改良型のS-36改良型シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇で、1928年6月25日に初飛行し、1932年までに120機が量産されている。
3.S-36改良型シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇は、1928年5月25日初飛行、これは世界大恐慌を翌年に控えたアメリカの第一次大戦後の黄金時代で、ハワイ、カリブ海への飛行機を利用した海外旅行が始まろうとしていた時期だった。それまでの船舶利用の船旅に比較して、10倍も速い速力で移動できる飛行機旅行は、空から眺める、豪華な空の旅という常人の理解を超えたものだったために、富豪たちは、飛行機事故への不安を感じながらも、空の旅にこぞって楽しんだ。
写真(右)1929年,アメリカ、アメリカ陸軍航空隊(USAAC)所属のシコルスキー(Sikorsky)C-6A水陸両用飛行艇(S-38のアメリカ陸軍仕様):主翼の青丸白星赤丸と尾翼の赤白帯は、アメリカ国旗の星条旗を模していて、アメリカ軍の国籍マークである。 Sikorsky : S-38A : Amphibion
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-38A
Official Nickname: Amphibion
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive. 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00012528引用。
シコルスキー(Sikorsky) S-38A飛行艇の主翼の青丸白星赤丸と尾翼の赤白帯は、アメリカ国旗の星条旗を模していて、アメリカ軍の国籍マークである。飛行艇であっても水陸両用だったために、アメリカ陸軍航空隊も使用している。
1927年、シコルスキー飛行機と同時期に、ジュアン・トリップが設立したのがパン・アメリカン航空(PAA)で、フロリダ州キーウエストとキューバ、ハバナ−間の航空郵便輸送をアメリカ郵政省から委託されることになった。カリブ海方面の航空輸送に進出に使用したのがシコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇である。前作シコルスキー(Sikorsky)S-36も浮舟フロートを装備し、水上での離着陸が可能な飛行艇であるが、同時に胴体中央側下面にゴム車輪を付けた陸上用降着装置を装備しており、陸上での離着陸も可能だった。
アメリカで誕生してたばかりのパン・アメリカン航空(PAA)は、シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇に引き続いて、その改良型のシコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇を39機も購入した。パン・アメリカン航空は、S-39水陸両用飛行艇を多数そろえて、同一機種による運航をしたので、整備、部品交換、搭乗員の訓練などの経費負担を軽減することができた。効率的な経営によって、収益率を高めたパン・アメリカン航空(PAA)は、20世紀初頭に設立され、航空路線を拡大し、20世紀の中ごろには、アメリカ有数の航空会社に成長することになる。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇は、全長12.3メートル、全幅21.8メートル、発動機はプラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1340 ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒420 hp2基搭載、巡航速力は時速165キロ、航続距離960キロで、8-10名の乗客を乗せることができる。
写真(右)1929年,アメリカ、格納庫前に待機しているアメリカ陸軍航空隊(USAAC)所属のシコルスキー(Sikorsky) S-38A水陸両用飛行艇(アメリカ陸軍仕様C-6A):胴体後方に小型尾橇(尾輪?)が設けられている。大型尾輪ではない。主翼の青丸白星赤丸と尾翼の赤白帯は、アメリカ国旗の星条旗を模していて、アメリカ軍の国籍マークである。飛行艇であっても水陸両用だったために、アメリカ陸軍航空隊も使用している。 Sikorsky : S-38A : Amphibion
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-38A
Official Nickname: Amphibion
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive. 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00012530引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇は、胴体中央下面に引込み式ゴム輪を装備していたので、陸上での運行も可能だった。飛行中、着水・離水の時、水上滑走の時は、車輪を引上げした主翼の下にセットした。水陸両用飛行艇は汎用性が高かったが、飛行性能を低下させるというデメリットがあった。
写真(右)1930年代,アメリカ、水上で係留中のシコルスキー(Sikorsky)S-38飛行艇:上主翼の上に2人の男性が乗って、ゴムホースで主翼上面の燃料タンクに給油作業をしている。 AL231 Davis Album Photo_000142
Image from a photo album (AL-231) showing San Diego during the 1930s and the Canal Zone in Panama. Unknown Donor. 写真はflicker, SDASM Archives AL231 Davis Album Photo_000142引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇の発動機プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジン415馬力にエンジンカウリングはない。そのため、エンジン・シリンダーがむき出しになっている。
エンジンカウリングがないシコルスキー(Sikorsky)S-38飛行艇のエンジンには、砂塵・降水が降りかかり、飛行艇では、波浪や潮風の影響で、エンジン故障や金属劣化が進みやすかった。また、エンジンカウリングがないために、エンジンの整備・保守には天候や砂塵の影響で時間がかかったと思われる。
プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1340ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジンの諸元
シリンダー直径: 5.75 in (146 mm)
ストローク: 5.75 in (146 mm)
体積: 1,344 in³ (22.02 l)
全長: 44.06 in (1,119 mm)
直径: 51.38 in (1,305 mm)
重量: 805 lb (365 kg) 出力: 542 hp (404 kW)
1928年5月25日に初飛行したシコルスキー(Sikorsky)S-38双発旅客水陸両用飛行艇は8名から10名の乗客を運ぶことができる全幅21.8m、全長12.3mの当時では大型飛行艇で、これは前作1927年初飛行のS-36飛行艇の乗客6人を上回った。同時代のヨーロッパでは、ドイツがドルニエ(Dornier)Do-Jワール(鯨)飛行艇を使用していたが、同クラスの飛行艇をアメリカも国産化したのである。
写真(右)1935年11月以降,アメリカ、沿岸を離水したパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-38双発旅客飛行艇:胴体側方下面の築城用ゴム主輪は胴体側方に引き上げられている。プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジン415馬力2基搭載の双発複葉機であるが、上主翼よりも下主翼の全幅は半分しかない小型のものである。 Sikorsky S-38
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-38 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070960引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-38飛行艇は、胴体とフロートを適正に設計したために、実際の離水・着水の時に、水面からの飛沫が最小化され、飛沫がプロペラにかかることはなかった。また、操縦席にも乗客にも飛沫の影響はなかった。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇は、前々作のS-34飛行艇を引き継ぎ、6機のみ生産されたS-36試作飛行艇とほぼ同型である。実は、シコルスキーS-36飛行艇は、5機が生産される予定だったが、それを改良して、新規飛行艇のように登場したのがS-38双発水陸両用飛行艇だった。
本来、シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇は、単様機とするはずだったが、下主翼を設けて複葉とすれば、下主翼に構造上、水上安定用の浮舟フロートを装着できて便利である。これは、ドイツのドルニエDo-Jでは、張出し式スポンソンの構造をとったものだったが、浮力と水上安定性を確保する目的は同じである。
写真(右)1935年11月以降,アメリカ、2基のプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジン415馬力を駆動し飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-38双発旅客飛行艇:
Sikorsky S-38
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-38 写真はSikorsky Product History, SIKORSKY PRODUCT HISTORY Sikorsky S-38引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇の尾部は、双ビーム式で、海面上から離れた高い位置ある。これは水上滑走中に巻き上がえう飛沫の影響を受けないためである。中心軸から下主翼の浮舟フロートまでの間隔は141インチ(inches)、フロート1本の通常浮力は, 500ポンド(pounds:1ポンドは0.453kg)、総浮力は, 1400ポンドである。 したがって、胴体の浮力と合わせれば、S-38飛行艇が総重量9900ポンドあって、旋回して片側に重心が移動したとしても、その4倍の抗力を発揮でき、客室キャビンは安定を保つことができる。
写真(右)1928年,アメリカ、陸上のパン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇:アメリカン航空写真 1928 ポスタープリント (18 x 24) Sikorsky S-38 飛行機/Na Sikorsky S-38 水陸両用フライングボート。2つのプラット・ホイットニーホーネットエンジン。アメリカン航空で運営。 1928年の写真は、オリジナルの鮮やかな色とディテールをすべて捉えたプレミアムヘビーストックペーパーに印刷されたライセンス複製品です。 全体の用紙サイズは18.00×24.00インチです。 このプリントは、フレーム又は壁掛けで準備しており、貴方の家やオフィスの室内装飾に良くする。
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商品重量 1 ポンド 写真は, Amazon.co.jpホーム&キッチン›インテリア›アートフレーム・ポスター引用。
シコルスキー・エアクラフト(Sikorsky Aircraft Corporation)は、1923年3月5日、アメリカ東部ニューヨーク州ロングアイランドのルーズベルト飛行場近くに設立されたアメリカの飛行機メーカーで、ロシア帝国ウクライナ出身のイゴール・シコルスキー技師が中核となって飛行機開発を進めた。
イゴール・シコルスキー技師は、第一次世界大戦前にいち早く世界初の四発機を開発している。1926年のシコルスキー(Sikorsky)S-34飛行艇の開発以降、1930年代までに、シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇、S-39、S-40、S-42などの各種飛行艇を開発し、主にアメリカの航空会社に供給している。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇は、発動機として信頼性のあるプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジン400 hp2基を搭載し、2翅金属製プロペラを装着している。双発の10人乗りの飛行艇だったので、ゴム車輪を装備して、陸上からの離陸も可能だった。
しかし、シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇は、飛行中は、ゴム車輪による空気抵抗増加が懸念されたために、胴体側面に引き上げ、ゴムタイヤは主翼下面に固定される構造になっていた。これは、着水時も同じで、水中にゴム車輪が降りていると水上滑走時の水中抵抗が増加するので、主輪は胴体脇に引き上げられている。
べストセラーの発動機プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジンは、1929年制式のアメリカ海軍ボーイング(Boeing)F4B艦上戦闘機、アメリカ陸軍P-12追撃機(戦闘機)、1932年制式アメリカ陸軍P-26追撃機、オーストラリア空軍CAC ワイラウェイ(Wirraway)練習機、1925年制式カーチス(Curtiss)ファルコン(Falcon)偵察爆撃機、1935年制式カーチス SOCシーガル(Seagull)艦上観測機、1930年採用ダグラス(Douglas)ドルフィン(Dolphin)飛行艇、フォード(Ford)トライモーター(Trimotor)三発輸送機、ユンカース(Junkers)W 34輸送機、Ju 52三発輸送機、1927年採用ロッキード(Lockheed)ベガ (Vega)輸送機、1935年採用ロッキード・モデル(Model)10 エレクトラ(Electra)双発輸送機から、1950年制式のシコルスキー S-55ヘリコプターが搭載している。
写真(右)1929年,アメリカ、シコルスキー飛行機工場で製造中のシコルスキー(Sikorsky)S-38双発飛行艇の上面主翼:主翼は、小型ソリッドゴム写真の付いた作業台に置かれている。これは、一作業の終わった主翼を、次の作業場に移動するのに便利である。天井の高い工場は、大きなガラス窓で覆われており、採光に恵まれている。
Sikorsky S-38
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-38 写真はflicker, SDASM Archives - Catalog #: 00070949引用。
飛行機の主翼(補助翼)と水平尾翼(昇降舵)・垂直尾翼(方向舵)を多数の金属製桁で支え、飛行中の空気抵抗、飛行操縦操作するときの抗力・強度を維持している。
シコルスキー・エアクラフト(Sikorsky Aircraft Corporation)は、第二次世界大戦後は、シングルローター実用化した優秀な固定翼機ヘリコプター(helicopter)の開発・生産で有名になった。しかし、2015年、ロッキード・マーチンに買収された。
第一次世界大戦の終戦後、軍需が低迷する中で、軍用機の払い下げも行われた。そして、民間航空機の技術進歩は、交戦国の戦勝国フランス、イギリスは多額の戦費負担、戦時公債の借金によって、財政破綻が危惧された。
第一次大戦戦勝国のイギリス、フランスは、財政破綻に陥り、航空機開発に投資できる状況になかった。他方、敗戦国のドイツは、べルサイユ条約によって軍用機の開発・生産・保有を禁じられたが、民間航空機の開発に転じた。また、戦勝国で経済的余裕のあるアメリカは、ドイツのユンカースF13輸送機、オランダのフォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機などを国産化して、飛行機開発の技術も習得した。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇は、登場し公開されて8週間で、初期生産型10機が、アメリカ政府、エアライン、個人宛に売却された。そこで、1928年10月3日、正式にシコルスキー航空(Sikorsky Aviation Corporation)が設立された。
シコルスキー(Sikorsky)S-38双発飛行艇は、世界初といっていい地球上どこへでも乗客と郵便を空輸できる飛行機として喧伝され、2500万マイル、すなわち世界一周の1000回相当を飛行したといわれる。1929年7月30日、シコルスキー航空(Sikorsky Aviation Corporation)は、ユーナイテッド航空(United Aircraft and Transport Corporation, Inc.)に買収された。
写真(右)1934年以前,オランダ、アムステルダム郊外、スキポール空港(Schiphol)で待機しているオランダ領インド航空(Koninklijke Nederlandsch-Indische Luchtvaart Maatschappij: KNILM)シコルスキー(Sikorsky) S-38双発旅客飛行艇;S-38は、100機が量産され、オランダにも売却された。
Title: Sikorsky op Schiphol
Shelfmark: KITLV 98645
Subject (topical): Aircraft
Airports
Subject (geographic): Netherlands
Language: No linguistic content
Country: No place, unknown, or undetermined
Published: 1934.
Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:819933
Extent: Digital image
Author Anonymous
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-38 File:Sikorsky op Schiphol, KITLV 98644.tiff引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-38双発飛行艇の販売価格55,000ドルで、陸上からも水上からも飛び立つことが可能な水陸両用飛行艇である。満載時でも1分当たり 1,000 フィート(feet)の上昇が可能で、巡行録力は時速 110マイル、最高速力は130マイルであり、片発飛行も可能である。当時は世界最高の性能を誇る水陸両用飛行艇だった。
次作のシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、1931年8月7日に初飛行し、「アメリカン クリッパー」と命名されている。
飛行機の操縦は、垂直尾翼とその後縁の方向舵、水平尾翼とその後縁の昇降舵という尾翼の操作翼を使用するが、これはコックピット操縦席の操縦桿と操縦ペダルによって操作される。
写真(右)1935年,アメリカ、未舗装滑走路のパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-38双発旅客飛行艇左側面:
飛行機の操縦席の計器盤は、機体の姿勢を表示する水平儀、高度計(気圧によって計測)、速力計(ピトー管に流入する空気圧力で計測)、方位計(磁気コンパスあるいはジャイロ・コンパス)、燃料計、エンジン回転計などがある。S-38飛行艇は、並列式の複式操縦装置を備えている。左側に正操縦士席があるので、計器は左側重視である。
Bilstein_00993 Sikorsky S-38 Pan American Airlines
Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は, SDASM Archives Bilstein_00993 Sikorsky S-38 Pan American Airlines引用。
写真(右)1935年11月以降,アメリカ、パンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-38双発旅客飛行艇コックピット左側の主操縦席と左右可動式の操縦桿:
飛行機の操縦席の計器盤は、機体の姿勢を表示する水平儀、高度計(気圧によって計測)、速力計(ピトー管に流入する空気圧力で計測)、方位計(磁気コンパスあるいはジャイロ・コンパス)、燃料計、エンジン回転計などがある。S-38飛行艇は、並列式の複式操縦装置を備えている。左側に正操縦士席があるので、計器は左側重視である。
写真は, PAN AMERICAN-GRACE SIKORSKY S-38 GALLERY引用。
コックピットの左ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は右に動き、重心より後方の尾部を左に、機首を右にふるモーメントが作用することによって、飛行機は右に旋回する。
方向舵(ラダー:rudder)とは、機首を左右にふり、方向の姿勢を制御する操縦翼で、垂直尾翼の後縁に取り付けられている。方向舵の操作は,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御する。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。
写真(右)1929年,アメリカ、シコルスキー飛行機工場で製造中のシコルスキー(Sikorsky)S-38双発旅客飛行艇の客室ラウンジ:奥には、コックピット正副操縦席と操縦桿(左)が見える。中央には魔法瓶があってコーヒーとスナックが用意されている。ソファーと調度品がそろっているが、飛行中の揺れ・振動、エンジン騒音は、乗客にとって当たり前だったのであろうか。両脇の窓ガラスは大きく、視界を重視していることがわかる
Sikorsky S-38
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-38 写真はflicker, SDASM Archives - Catalog #: 00070955引用。
アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇の客室キャビンには、天井換気扇2個、魔法瓶があってコーヒーとスナックが準備されてている。また、座席は、ソファーと調度品を揃えて豪華さを演出している。しかし、飛行機の移動中は、客室キャビンが飛行中の揺れや気流の乱れ、エンジンの振動と騒音が、乗客にとって迷惑だったと思われる。客室キャビン両脇は、大きな窓ガラスが並んでいて、視界が十分に確保される。
写真(右)1928年8月以降,アメリカ、シコルスキー(Sikorsky) S-38双発旅客飛行艇の客室キャビン:籐製の座席は重量軽減に役立った。両脇の窓ガラスは大きく、視界を重視していることがわかる。床にはカーペットが敷かれている。奥には、胴体上に上がるためのステップが備わっている。天井に観音開きのガラス扉に取っ手がついている。 English: Sikorsky S-38 interior photo NACA Aircraft Circular No.79
Date 1 August 1928
Author NACA Aircraft Circular 写真は Wikimedia Commons, Category:Sikorsky S-38 File:Sikorsky S-38 interior photo NACA Aircraft Circular No.79.jpg引用。
第一次世界大戦では、飛行機の主な活躍は、ヨーロッパ西部が主な地域であり、戦時中の航続距離の延長、最高速力の向上など、新たな航空航路のフロンティアとして、太平洋、大西洋の横断航路の開拓が進んだ。
1919年6月,イギリスのオールコック、ブラウンは、ビッカース・ヴィミーによって、アメリカ大陸東岸沖のニューファウンドランド島とアイルランドと間の航路、3000kmの大西洋無着陸横断飛行に世界ではじめて成功した。そして、1927年5月、アメリカのリンドバーグが、ライアンNYP単葉輸送機で、アメリカ東岸ニューヨーク=パリ間の大西洋横断無着陸飛行5809kmに成功し、賞金をせしめただけでなく、世界的大ニュースとなった。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇は、1928年5月25日の初飛行以来10年以上が経過しても、使いやすく、経済的で、信頼性があったために、1940年代になっても現役で使用されていた。100機以上が量産され、21世紀になってもレプリカとして再生産された機体が飛行している。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇の発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney:P&W)ワスプ(Wasp)SC1 空冷星型9気筒エンジン415馬力2基だが、当時の大半の飛行機と同様に、空冷エンジンのシリンダーはむき出しで、寄港中の気流によるエンジンと潤滑油の冷却の弁を図っていた。その後、1930年代初めに開発された飛行機では、冷却器が発達し、エンジンを金属カバーで覆うエンジン・カウリングが装着されるようになった。
シコルスキー(Sikorsky)S-38双発飛行艇 の諸元
乗員Crew: 2
乗客Capacity: 8 - 10 pax / 4,480 lb (2,030 kg) payload
全長Length: 40 ft 5 in (12.32 m)
全幅Upper wingspan: 71 ft 8 in (21.84 m)
下主翼幅Lower wingspan: 36 ft 0 in (10.97 m)
全高Height: 13 ft 10 in (4.22 m)
上下主翼間隔Gap 95.3in
上主翼面積Wing area: 574 sq ft
下主翼面積Wing area: 146 sq ft
主翼面積Wing area: 720 sq ft (67 m2)
空虚重量Empty weight: 6,548 lb (2,970 kg)
乗員Crew(2): 340 lb
乗客9 passeng: 1530 lb
潤滑油Oi1- gallons: 125 lb
総重量Gross weight: 10,479 lb (4,753 kg)
発動機Powerplant: プラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1340 ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒420 hp (310 kW) 2基
プロペラPropellers: 2翅地上調整金属プロペラ
写真(右)1928年,シコルスキー(Sikorsky) S-38双発飛行艇の三面縮尺図:1928年5月25日初飛行のシコルスキー(Sikorsky) S-38双発旅客飛行艇島の東側に水上機基地が設けられ、水上機・飛行艇を陸上に引き上げるランプ(舗装傾斜誘導路)が設けられた。
AIRCRAFT CIRCULARS
NATIOITAL ADVISORY COM1ITTEE FOR AERONAUTICS THE SIKORSKY TWIN-ENGINED A1PHIBIAN
TYPE S-38 MODEL 1928
English: Sikorsky S-38 3-view drawing from NACA Aircraft Circular No.79
Date 1 August 1928
Author NACA Aircraft Circular The S-38, model 28 is a nine passenger Sesquiplane powered by two Pratt and Whitney Wasp 410 HP engines and is intended for routes where the ability to take off and land from both land and water is essential.
Document ID
19930090672
Document Type
Other
Date Acquired
September 6, 2013
Publication Date
August 1, 1928
Report/Patent Number
NACA-AC-79
Copyright
Work of the US Gov. Public Use Permitted. 写真は Wikimedia Commons, Category:Sikorsky S-38 File:Sikorsky S-38 3-view drawing NACA Aircraft Circular No.79.jpg引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-38双発飛行艇The Sikorsky Twin Engined Amphibian, Type S-38, Model 1928 の飛行試験から得た性能Performance
総重量:9200-9900 lb
最高速力:128-124.5 mph
巡行速力:112-110 mph
失速Stalling speed: 52.5-55 mph
航続力Range: 使用可能余裕400ポンド;500マイル
航続力Range: 使用可能余裕4000ポンド;750マイル
初期上昇率:940-880 ft/min
上昇高度(10分):7650-7250 ft
実用上昇限度:20100-19400 ft
離陸距離:8-10秒
離水距離:11-16秒
3.復元されたシコルスキー(Sikorsky)S-38 B 飛行艇(Osa's Ark : N28V)
写真(右)2012年8月15日,イギリス、ロンドン北70キロ、ケンブリッジシャー、ダックスフォード航空ショーに登場したシコルスキー(Sikorsky) S-38B 双発飛行艇復元機(Osa's Ark :
N28V);S-38は、100機が生産されたが、この機体は2001年のレプリカで、製造番号C/N:B414-20。 Nederlands: Sikorsky S-38B (Replica) N28V (cn B414-20) geschilderd als Osa's Ark. Met Osa's Ark maakten de filmmakers Martin en Osa Johnson talrijke natuurfilms in Afrika.
15 August 2012, 14:40:03
Source Own work
Author Ad Meskens
写真はWikimedia Commons, Category:Osa's Ark (S-38B N28V) File:Malle Osa's Ark 02.JPG引用。
シコルスキー(Sikorsky) S-38B 水陸両用飛行艇は、合計100機が生産された。戦後になって、P-38飛行艇は、2001年に製造番号C/N B414-20のレプリカが製造された。発動機はプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジン400 hp2基を装備している。
シコルスキー(Sikorsky) S-38双発旅客飛行艇の発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney:P&W)ワスプ(Wasp)SC1 空冷星型9気筒エンジン415馬力2基だが、当時の大半の飛行機と同様に、空冷エンジンのシリンダーはむき出しで、寄港中の気流によるエンジンと潤滑油の冷却の弁を図っていた。その後、1930年代初めに開発された飛行機では、冷却器が発達し、エンジンを金属カバーで覆うエンジン・カウリングが装着されるようになった。
写真(右)2012年5月27日,フランス、パリ南50キロ、ラ・フェルテ=アレ(La Ferté-Alais)、シコルスキー(Sikorsky) S-38B 双発飛行艇復元機(Osa's Ark : N28V);2001年のレプリカ、製造番号C/N:B414-20、発動機はプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジン400 hp2基装備。 Aircraft N28V Photo
N28V, 2001 Sikorsky S-38B (Replica), C/N: B414-20
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Photo ID: AC1621729
Photographer: Yves-Q
Shot Date: 2012-05-27
Airport: LFFQ
La Ferté-Alais Airport, La Ferté-Alais France
Upload Date: 2021-03-03 写真はWikimedia Commons, Airport-Data.com Aircraft N28V Photo N28V, 2001 Sikorsky S-38B (Replica), C/N: B414-20引用。
4.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇
写真(右)1931年11月以降,アメリカ、水上を高速で滑走するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"(登録コード:NC-80V)(左後方より):1931年8月7日初飛行、1931年10月12日就役、1942年4月にアメリカ海軍が徴用、1943年4月3日、大破・修理不能。
Sikorsky S-40
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-40 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070991引用。
シコルスキー・エアクラフト(Sikorsky Aircraft Corporation)の開発したS-40生産機数はわずか3機の飛行艇で、決して大量量産されていたわけではながい。しかし、第1号機の竣工に際して、アメリカ大統領フーバー夫人自ら「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"の命名をしたことは、シコルスキー社にとってもパンアメリカン航空にとっても名誉なことで、長距離洋上旅客輸送の集客にも大いに寄与したであろう。
パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)が少数機数でも大型飛行艇を自ら開発し、保有・運行していることは、アメリカにとって、ヨーロッパ諸国への経済的・文化的な優位性を見せつけることにもつながった。
38 人の乗客を乗せることのできるシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、パンアメリカン航空の最初の大型飛行艇で、 Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン575 hp4基を搭載、最高速力217km/h、航続距離1,400 kmで「アメリカン クリッパー」として、パンナム・クリッパーの旗艦として使用された。3機が就役したシコルスキー(Sikorsky)S-40は、合計 1,000 万マイル以上を飛行し1940年に退役するまで、合計 1,000 万マイル以上の運航実績を上げた。
パンアメリカン航空の最初の大型飛行艇は、38 人乗りシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇で、 Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン575 hp4基を搭載、最高速力217km/h、航続距離1,400 kmで、総生産機数は3機のみ。
パン・アメリカン航空(Pan American)のクリッパー(Clippers)は、地球上のあらゆる場所に行くことができる世界初の長距離飛行艇として喧伝された。 この第1号といえるのが1931年8月7日初飛行のシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇である。そして、より長距離を多数の乗客を運ぶことのできるシコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇が開発され、その後継機として洗練されたマーチン 130飛行艇が1934年12月30日に初飛行している。
写真(右)1931年,アメリカ南部 フロリダ州マイアミ、パンアメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇の客室キャビンと寛ぐ乗客:宣伝用の写真とはいえ、ゆったりと豪華な演出だが、当時の長距離洋上飛行は安全性が求められ、飛行艇はいざというときに不時着水可能なので安全性が高いとみられていた。 Local call number: Rc12775
Title: [Interior view of Sikorsky S-40 plane: Miami, Florida]
Publication info: 1931
Physical descrip: 1 photoprint: b&w; 8 x 10 in.
Series Title: (Reference collection)
General Note: The Sikorsky S-40 was placed in operation by Pan American World Airways in 1931. The S-40s were the first four-engine aircrafts to be regularly used in commercial air service.
Repository: State Library and Archives of Florida, 500 S. Bronough St., Tallahassee, FL 32399-0250 USA. Contact: 850.245.6700. Archives@dos.state.fl.us
Source
Interior view of Sikorsky S-40 plane: Miami, Florida
Uploaded by LongLiveRock
Author Florida Memory 写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-40 of Pan American Airways File:Interior view of Sikorsky S-40 plane Miami, Florida (3992276127).jpg引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇の初飛行は、1931年8月7日
マーチン 130飛行艇の初飛行は、1934年12月30日に初飛行
マーチン(Martin)M-130四発飛行艇 の一世代前のシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇飛行艇は、1931年8月7日初飛行で、パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)が採用した大型旅客機である。
⇒写真集Album:シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇を見る。
5.シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper"
写真(右)1934年,アメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコの建設途上の金門橋(Golden Gate Bridge)上空を飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201):パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇シコルスキー(Sikorsky)S-40の初飛行は1931年8月7日だが、この機体は1934年12月から、1944年8月4日にキューバ沖に沈むまで就航した「西インド諸島クリッパー」"West Indies Clipper"(NC823M){ただし1937年に"Hong Kong Clipper" (NC823M)に改名}である。 English: One-quarter left front view of Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201) in flight over San Francisco Bay on its way to Hawaii. San Francisco-Oakland Bay Bridge construction is visible; circa 1934.
Date 1934
Author United Technologies Corporation 写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" in flight over the under-construction San Francisco-Oakland Bay Bridge.jpg引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、胴体から支柱で支えたパラソル式主翼(単葉)で、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン 700hp (520kW)4基を備えた四発大型飛行艇である。 パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)は、S-42飛行艇を、主にアメリカ南部とカリブ諸国の間の長距離洋上旅客航路に就役させた。初飛行は1934年の3月30日で、総生産機数は10機である。
パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、アメリカ南部とカリブ海諸国間を運航する長距離洋上飛行ルートに就航し、さらに1935年4月、ハワイ諸島オアフ島ホノルルとアメリカ東岸サンフランシスコ沖アラメダ(Alameda)を結ぶ太平洋航路に就航した。
1939年3月、マイアミを0730に出発したパン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、カリブ海、アメリカ領プエルトリコ島サン・フアン、小アンティル諸島トリニダード島ポート・スペイン、ブラジルのベレンを経由して、リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)に5日目の1530に到着した。
1934年3月29日初飛行シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇の後継機は、1937年に登場したパン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)新鋭マーチン(Martin)M-130飛行艇が、ハワイ諸島オアフ島ホノルルとアラメダ(Alameda)を結ぶ太平洋航路に就航した。
1940年、パン・アメリカン航空(PAA)ボーイング(Boeing)314飛行艇は、サンフランシスコ-ホノルル-ミッドウェー-ウェーク島-グアム-マニラ-香港線に就航した。
1934年3月に初飛行したパン・アメリカン航空(Pan Am Terminal)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、プラット&ホイットニー・ホーネット・エンジン750hp4基装備で、最高速力300 km/h、航続距離3,000 km、乗客座席数32席あるいは寝台席14席の旅客飛行艇である。1935年4月から、アメリカ東岸サンフランシスコとハワイ諸島オアフ島ホノルル間の太平洋横断航路に就役した。しかし、旅行需要の上では、主にアメリカ南部マイアミとキューバ・トリニダード島などカリブ海航路が、主な路線だった。
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇の諸元
搭乗員Crew: 4名
乗客数Capacity: 昼間37名/寝台14名
全長Length: 67 ft 8 in (20.62 m)
全幅Wingspan: 114 ft 2 in (34.80 m)
全高Height: 21 ft 9 in (6.63 m)
主翼面積Wing area: 1,330 sq ft (124 m2)
空虚重量Empty weight: 19,764 lb (8,965 kg)
総重量Gross weight: 38,000 lb (17,237 kg)
発動機Powerplant: プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン 700hp (520kW)4基
プロペラPropellers: 3-翅ハミルトン・スタンダード(Hamilton Standard)可変ピッチ(variable-pitch)プロペラ
パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇性能Performance
最高速力Maximum speed: 182 mph (293 km/h, 158 kn) at 5,000 ft (1,500 m) at 38,000 lb (17,000 kg)
157 mph (136 kn; 253 km/h) at sea level on three engines
巡行速力Cruise speed: 160 mph (260 km/h, 140 kn) /75%出力/海面上
170 mph (150 kn; 270 km/h) /70%出力/高度12,000 ft (3,700 m)
170 mph (150 kn; 270 km/h) /75%出力/海面上/エンジン3基
失速Stall speed: 65 mph (105 km/h, 56 kn)
航続距離Range: 1,200 mi (1,900 km, 1,000 nmi)
移動距離Ferry range: 3,000 mi (4,800 km, 2,600 nmi) with 800 lb (360 kg) payload at 12,000 ft (3,700 m) at 170 mph (150 kn; 270 km/h)
実用上昇限度Service ceiling: 15,704 ft (4,787 m)
上昇率Rate of climb: 1,000 ft/min (5.1 m/s)
440 ft/min (130 m/min) /エンジン3基
6.マーチン(Martin)M-130飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"
写真(右)1936年11月以降、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ湾、トレジャーアイランド(Treasure Island)で整備作業を受けるマーチン(Martin)M-130「チャイナクリッパー」"China Clippers" 四発大型飛行艇 (NC14716);太平洋横断飛行を記念して、機首にアメリカ国旗「星条旗」を描いている。トレジャーアイランドは、長さ5,520 フィート、幅3,410 フィートの人工島で、1936–37年に造成された。 ゴールデンゲート国際展覧会(Golden Gate International Exposition :GGIE)が1939年と1940年に開催されている。後方の架橋は、サンフランシスコ=オークランド湾大橋(San Francisco-Oakland Bay Bridge)で、1936年11月12日に、鉄道・道路併用の架橋として竣工した。 ChinaClipperatTreasureIsland
Date 22 March 2010, 14:40
Source ChinaClipperatTreasureIsland
Author Bill Larkins 写真はWikimedia Commons, Categories: Martin 130 of Pan American Airways File:ChinaClipperatTreasureIsland (4454794157).jpg引用。
複葉機全盛だった1934年12月、アメリカのマーチンM-130大型飛行艇が初飛行した。この飛行艇は、パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)の要請を受けて、太平洋横断可能な四発旅客飛行艇として開発されたもので、全長27.6メートル、全幅39.7メートルの片翼式単葉機で、胴体両側の張り出しは浮舟と燃料タンクを兼ねていた。発動機は信頼性のあるプラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1830ツインワスプ空冷星形エンジン840馬力4基を搭載し、巡航速力は266km/h、乗客12-14名を5150km運ぶことができる。また、短距離であれば、乗客48名を運ぶことができた。
「チャイナ・クリッパー」(China Clipper)とは19世紀、ヨーロッパ、イギリスと中国を結ぶお茶・旅客などの交易に従事した快速帆船のことである。このクリッパーは、高速で当初は木製だったが、木金混合の帆船が登場した。また、 スエズ運河が1869年に完成すると、ヨーロッパとアジアの距離は格段に短縮され「快速」のイメージが膨らんだ。
⇒写真集Album:マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパーを見る。
マーチン社は、マーチン(Model)M-130飛行艇をパンナムに1935年に引き渡し、チャイナ・クリッパー(China Clipper)と根付けられた1号機,フィリピン・クリッパー(Philippine Clipper)と呼ばれた2号機、ハワイ・クリッパー(Hawaii Clipper)と呼ばれた3号機が就航した。
1937年に、サンフランシスコ(San Francisco)から香港(Hong Kong )への航路をより充実させるために、より航続距離の長い機体を求めたため、マーチン社はM-130飛行艇の主翼を延長し、尾翼を双尾翼式とした大型飛行艇マーチン(Martin)M-156を開発した。他方、ライバルのボーイング社(Boeing)はボーイング 314飛行艇を開発し、パンアメリカン航空は、マーチンM-156ではなく、ボーイング314飛行艇を採用した。
7.イギリスのスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
写真(右)1933-1939年頃、イギリス、イギリス海軍巡洋艦ヨーク(HMS York)搭載のスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇(K8341);1933年6月21日初飛行。740機が生産された。 AL61A-419 Supermarine Walrus K8341 off HMS York
Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflicker, San Diego Air and Space Museum Archive >AL61A-419 Supermarine Walrus K8341 off HMS York引用。
写真(右)1938年8月、アメリカ西海岸、サンフランシスコ、イギリス海軍重巡洋艦ヨーク(HMS York)搭載のカタパルトに搭載されたスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇;主翼を後方に折り畳んだ状態でカタパルトに搭載されている。重巡洋艦ヨーク(HMS York)は、起工1927年5月18日、進水1928年7月17日、就役1930年5月1日、基準排水量8,250トン、全長 575 ft (175.25 m)、全幅57 ft (17.58 m)最高速力32.25ノット、乗員623名。兵装は、主砲兵装 6インチ(20.3 cm)連装砲3基6門、4インチ (102 mm)単装速射砲4門(高角砲兼用)、21インチ(533 mm)魚雷発射管6門。
艦載機:スーパーマリン ウォーラス1機。ただし、1939年に撤去。 San Francisco August 1938. Note the top left wing bashed in by hitting the side of the ship while swinging back and forth on the crane. This was common on the pre-war catapult aircraft from retrieval at sea when the ship was rolling back and forth.
Date 3 August 2010, 16:16
Source Supermarine Walrus K8341on the HMS York
Author Bill Larkins 写真はWikimedia Commons, Supermarine Walrus >File:Supermarine Walrus K8341on the HMS York (4926980540).jpg引用。
写真(右)1933-1939年頃、イギリス、オーストラリア海軍軽巡洋艦ホバート(HMAS Hobart)のカタパルトに搭載されたスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇(A2-7);オーストラリア海軍軽巡洋艦ホバート(HMAS Hobart)は、起工 1933年8月15日、進水1934年10月9日、就役1936年1月13日、基準排水量7,105トン、最高速力32.5ノット、乗員570名。兵装は、主砲兵装 6インチ(152 mm)連装砲4基8門、4インチ (102 mm)単装速射砲8門(高角砲兼用)、21インチ(533 mm)魚雷発射管8門。
艦載機:スーパーマリン ウォーラス1機。 A Supermarine Seagull V amphibian aircraft, serial number A2-7, of No. 9 (Fleet Cooperation) Squadron RAAF embarked on the modified Leander class cruiser HMAS Hobart of the RAN being positioned on the catapult fitted to the ship and used for launching the aircraft. 1939.
Australian War Memorial under the ID Number: 044443 写真はWikimedia Commons, Supermarine Walrus >File:9 Sqn (AWM 044443).jpg引用。
写真(右)1939年頃、イギリス、イギリス海軍軽巡洋艦モーリシャス (HMS Mauritius) のカタパルトに搭載されたスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇;イギリス海軍軽巡洋艦モーリシャス (HMS Mauritius)は、起工1938年3月31日、進水1939年7月19日、就役1941年1月4日、全長169.3 m (555.5 ft)、全幅18.9 m (62 ft)、基準排水量8,530トン、最高速力33ノット、乗員907名。兵装は、主砲兵装 6インチ(152 mm)三装砲4基12門、4インチ (102 mm)単装速射砲4門(高角砲兼用)、21インチ(533 mm)魚雷発射管三連装9門。艦載機:スーパーマリン ウォーラス1機。ただし、1943年に撤去。 English: The Royal Navy during the Second World War
A Supermarine Walrus amphibious aircraft at the end of its catapult, about to be launched from HMS MAURITIUS.
Date between 1939 and 1945 Part of Admiralty Official Collection
Subjects
Associated people and organisations
Royal Navy, MAURITIUS (HMS) 写真はWikimedia Commons, Supermarine Walrus >File:The Royal Navy during the Second World War A9272.jpg引用。
写真(右)1942年9月、イギリス、スコットランド、ノース・エアーシア(North Ayrshire)、アラン(Arran)島、オーストラリア海軍水上機母艦「ペガサス」(HMS Pegasus)に引き上げられようとするスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇(A2-7);水上機母艦「ペガサス」(HMS Pegasus)は、起工1913年11月7日
進水1914年9月5日、就役1914年12月の防護巡洋艦として完成したが1940年にカタパルトを設置し水上機母艦に改装された。基準排水量7,450トン、最高速力11ノット、乗員180名。兵装は、12ポンド砲4門。艦載機:スーパーマリン ウォーラス1機。引き上げるためのデリックと、海上にある飛行艇の下に敷いて引き上げに使う回収ネットを装備しているのがわかる。戦局の好転により、旧式化していたために1944年2月に退役。 Catapult Training For Fleet Air Arm Pilots. HMS Pegasus, Originally Named HMS Ark Royal, Is Now USED As a Catapult Training Ship For Fleet Air Arm Personnel. Lamlash, Scotland, September 1942.
A Supermarine Walrus being hoisted after letting the net go.
Date between 1939 and 1945
IWMLondonThumbnail.jpg This is photograph A 12053 from the collections of the Imperial War Museums. 写真はWikimedia Commons, Supermarine Walrus >File:Catapult Training For Fleet Air Arm Pilots. HMS Pegasus, Originally Named HMS Ark Royal, Is Now USED As a Catapult Training Ship For Fleet Air Arm Personnel. Lamlash, Scotland, September 1942. A12053.jpg引用。
写真(右)1933-1939年頃、ソビエト連邦、スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇;複葉機のために、上下の主翼の中間にブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)VI 空冷9気筒エンジン680 HP を搭載し、4翅木製プロペラを推進式に装備している。 Supermarine, Walrus
Manufacturer: Supermarine
Official Nickname: Walrus
写真はflicker, San Diego Air and Space Museum Archive >Catalog #: 01_00088710引用。
シュナイダー・トロフィーに出場したスーパーマリン水上機を制作したレジナルド・J・ミッチェルは、スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Wairus)水陸両用飛行艇を設計、1933年6月21日に初飛行させた。彼は、スーパーマリン(Supermarine)スピットファイア戦闘機の設計者となる。
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇の諸元
乗員:3-4名
全長:10.2 m
全幅:14.0 m
全高:4.6 m
主翼面積:56.7 m2
空虚重量:2,220 kg
運用時重量:3,265 kg
発動機:ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)VI 空冷9気筒エンジン680 HP 出力:
最高速力:215 km/h
航続距離:965 km
上昇限度:5,650 m
上昇率:360 m/分
翼面荷重:57.6 kg/m2
兵装:ビッカース K 7.7 mm 機関銃 機首1挺、後方1挺
爆弾搭載量:345 kg
生産数:740機
運用開始:1935年
退役:1947年
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇は、イギリス海軍のほか、ソ連海軍、アルゼンチン海軍、オーストラリア空軍、カナダ海軍、ニュージーランド空軍、アイルランド空軍、イギリス空軍でも使用された。
カラー写真(右)1970年頃(?)、博物館に保管されているイギリス海軍スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇(L230);中央のブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)VI 空冷9気筒エンジン680 HP の外側から後方に上下主翼が折り畳まれている。4翅木製プロペラを推進式に装備。 Supermarine, Walrus
Manufacturer: Supermarine
Official Nickname: Walrus
写真はflicker, San Diego Air and Space Museum Archive >Catalog #: 01_00088707引用。
イギリス海軍スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇は、艦載機としても使用できるように、巡洋艦に搭載するのに便利なように、主翼を後方に後ろに折り畳むことができる。
8.サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)S.55飛行艇
写真(右)1927年以降、イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.55双胴飛行艇:ファシスト四天王の有力者バルボは、ムッソリーニの盟友として1928年8月19日、空軍大将に任じられ、空軍大臣にもなるが、その後も、飛行家・探検家として、イタリア航空界の名声を高めた。手前には、ルノー (Renault)FT-17 軽戦車(Faible Tonnage)で、第一次世界大戦中の1917年にフランス陸軍制式となった。全長5.00 m、全幅1.74 m、全高2.14 m、重量6.5 t、速力20 km/h(整地)/7.6 km/h(不整地)、航続距離65 km、主砲 ピュトー SA18 21口径 37 mm 戦車砲、装甲最大16 mm。
Italiano: Savoia Marchetti S.55
Date before 1950
Author Unknown author. 写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55 File:Savoia Marchetti S.55.jpg引用。
イタリアのサヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti S.55双胴飛行艇は、1924年4月に初飛行し、イタリア空軍に長距離哨戒機、爆撃機として制式された。
写真(右)1929年、アメリカ東部、ニューヨーク州、マンハセット湾を飛び立つイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.55双胴飛行艇:ファシスト四天王の有力者バルボ空軍大将は、飛行家・探検家として、イタリアからアメリカのニューヨークまで編隊飛行しイタリア飛行術の名声を高めた。 English: A nice picture of a Savoia Marchetti S.55 Taking Off From Manhasset Bay in 1929.
Date 1929
Author Unknown author. 写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55File:Savoia-Marchetti S.55 felszállás közben.jpg引用。
写真(右)1927年以降、イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.55双胴飛行艇:ファシスト四天王の有力者バルボは、ムッソリーニの盟友として1928年8月19日、空軍大将に任じられ、空軍大臣にもなるが、その後も、飛行家・探検家として、イタリア航空界の名声を高めた。 Italiano: Savoia Marchetti S.55
Date before 1950
Author Unknown author. 写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55 File:Savoia Marchetti S.55 02.jpg引用。
1924年4月に初飛行したイタリアのサヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti S.55双胴飛行艇は、イタリア空軍に長距離哨戒機、爆撃機として制式された。
写真(右)1933年7月1日、イタリア東岸、ローマ北100キロのオルベテッロ(Orbetello)からアメリカ、シカゴに飛び立ったイタリア空軍大臣イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥率いるがサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)S.55双胴飛行艇:
Italo Balbo 写真は,Europeana experience
Identifier: Attualita Attualita IL 0010033081-man0引用。
ファシスト四天王の有力者バルボは、ムッソリーニの盟友として1928年8月19日、空軍大将に任じられ、空軍大臣にもなるが、その後も、飛行家・探検家として、イタリア航空界の名声を高めた。1940年6月にイタリアが第二次大戦に参戦したときリビア総督だったが、搭乗したサボイア・マルケッティS-79爆撃機が、トリポリ港に飛来したとき、友軍イタリア海軍艦艇の誤射にあって、撃墜、死亡した。
写真(右)1920年末、イタリア王国、サルデーニャ島、イタリア地中海航空サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM-55双胴飛行艇:1933年に、イタリア空軍大臣イタロ・バルボ将軍率いる24機のSM-55飛行艇が、編隊飛行でイタリアのオルベテッロからアメリカのシカゴまでの北大西洋横断飛行(North Atlantic Ocean crossing)し、名声を得ている。
English: Savoia-Marchetti S.55 of the Italian airline Società Aerea Mediterranea, taking off. "Roma-Cagliari" is inscribed on the front of the right fuselage; possibly this aircraft flew the route between Rome and Cagliari, the capital of Sardinia.
Savoia-Marchetti, S-55,
Catalog #: 01_00087193
Manufacturer: Savoia-Marchetti
Designation: S-55
Notes: Italy
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Date late 1920s
Source
Savoia-Marchetti, S-55. 写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55 File:Savoia-Marchetti S.55 taking off (5956308806) (1k version, grayscale, brightness).jpg引用。
写真(右)1937年、アメリカ、アラスカ航空の保有したサボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM-55双胴飛行艇:1933年に、イタリア空軍大臣イタロ・バルボ将軍率いる24機のSM-55飛行艇が、編隊飛行でイタリアのオルベテッロからアメリカのシカゴまでの北大西洋横断飛行(North Atlantic Ocean crossing)し、名声を得ている。
English: Savoia-Marchetti S.55P of the short-lived Alaska Airways of 1937.
Savoia-Marchetti, S-55,
Catalog #: 01_00087192
Manufacturer: Savoia-Marchetti
Designation: S-55
Notes: Italy
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Date 1937. 写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55 File:Savoia-Marchetti S.55 Alaska Airways (5955748287) (1k version, grayscale, brightness).jpg引用。
1926年11月6日、イタリア空軍大臣として、ムッソリーニからイタリア空軍を任されたイタロ・バルボは、1928年8月19日に空軍大将の地位を得た。そして、空軍元帥となって、1933年7月1日、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55飛行艇24機の編隊を率いてイタリア半島東岸のオルベテッロから、アメリカのシカゴまで48時間の長距離高速遠征飛行を成功させた。そして、シカゴ万国博覧会に参加し、イタリア航空機の優秀さを世界に示した。
サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55双胴飛行艇の諸元
搭乗員:6名 全長:16.75m、全幅:24.00m、全高:5.00m 主翼面積:93.0m2 空虚重量:5,750kg、最大離陸重量:8,260kg 発動機:イソッタ(Isotta-Fraschini)アッソ(Asso)液令12気筒エンジン656kW(880hp)2基 最高速力:279km/h 続距離:3,500km
サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55飛行艇は、1924年8月初飛行で243機が量産されたが、第一線での活躍は1930年代までで、第二次世界大戦には第二線の予備的機体としてしか残っていなかった。
9.フィリックストウ (Felixstowe)F.2/F.3/F.5 双発飛行艇
写真(右)1919年、イギリス、沿岸を2機編隊で低空飛行するイギリス空軍(RAF)フィーリックストウ (Felixstowe)F5L 双発飛行艇(N4407);シェトランド諸島にあるキャットファース水上機地は、第一次世界大戦の水上飛行場で、当初はイギリス海軍航空隊、後にイギリス空軍の管轄となった。 Photograph of Felixstowe F5 flying boats in flight
Date circa 1919
Source
Original publication: Unknown
Immediate source: rafmuseum
Author
Unknown 写真はWikimedia Commons, Category:Felixstowe F5L >File:Felixstowe F5s in flight.jpg引用。
フィリックストウ (Felixstowe)F.2双発飛行艇は、1914年7月23日、第一次世界大戦の勃発直前に初飛行したアメリカのカーチス(Curtiss)H-12双発飛行艇を原型にイギリスで開発された。イギリス海軍で再設計されたフィーリックストウ (Felixstowe)F.2A 双発飛行艇の名称は、開発したフィリックストウ (Felixstowe)海軍工廠の地名から来ている。
フィーリックストウ (Felixstowe)F.2A 双発飛行艇の開発の場所は、イギリス本土南東岸の港町フェリックストウで、そこのイギリス海軍工廠で、北海での悪天候にも飛行できるように配慮し開発され、フィーリックストウ (Felixstowe)F.2 双発飛行艇と命名された。
カーチス(Curtiss)H-12双発飛行艇は、派生型H-16飛行艇も含めて478機も量産され、アメリカ、イギリスのほかにも、オランダ、カナダ、ブラジルでも使用された名機だった。そこで、これを原型としたフィーリックストウ (Felixstowe)F.2A 飛行艇が1917年に就役、合計175機が量産された。
最終型フィーリックストウ (Felixstowe) F.5飛行艇は、第一次世界大戦後になって就役し、初期のフィーリックストウ (Felixstowe)F.2A やカーチス(Curtiss)H-12双発飛行艇に取って代わった。しかし、フィーリックストウ (Felixstowe)双発飛行艇は、1925年に後継機のスーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton) 双発飛行艇に活躍の場を譲っている。
⇒写真集Album:フィリックストウ (Felixstowe)F.2/F.3/F.5 双発飛行艇を見る。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。 バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
⇒ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
⇒ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism ⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism ⇒ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics ⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck ⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発 ⇒ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto ⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏 ⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1) ⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz ⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
⇒ヒトラー:Hitler
⇒ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
⇒ハワイ真珠湾奇襲攻撃
⇒ハワイ真珠湾攻撃の写真集
⇒開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
⇒サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
⇒沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
⇒沖縄特攻戦の戦果データ ⇒戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
⇒海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
⇒ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒VI号ティーガー重戦車 ⇒V号パンター戦車
⇒ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
⇒ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
⇒ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
⇒イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
⇒イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
⇒イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車 ⇒イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
⇒アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車 ⇒アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank ⇒イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
⇒シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail ⇒英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
⇒アンネの日記とユダヤ人
⇒与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇 ⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機 ⇒ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
⇒ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
⇒ハンセン病Leprosy差別
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