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◆イヤハート(Earhart)ピトケアン(Pitcairn)PCA-2オ―トジャイロ大陸横断
写真(上)大西洋横断を成し遂げたアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)搭乗機のピトケアンPCA-2オ―トジャイロ(Pitcairn PCA-2 Autogyro)
:アメリアは、1932年5月21日、カナダ東端ニューファウンドランドからイギリス、北アイルランドまで女性として初めて大西洋を単独横断飛行したが、その後1931年4月8日にPCA-2で高さ18,415フィート(5,615メートル)の高度記録を樹立、5月にはオートジャイロ2番目のアメリカ大陸横断に成功した。
Description EarhartAutogiro Date 30 March 2010, 08:10 Source EarhartAutogiro Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons,Category:Pitcairn PCA-2 File:EarhartAutogiro (4475868767).jpg引用。

写真(上)2015年、アメリカ、ウィスコンシン州、EAA航空博物館(旧EAAエアベンチャー博物館)に保管・展示されているピトケアンPCA-2オ―トジャイロ「ミス・チャンピオン」(Pitcairn PCA-2 Autogyro "Miss Champion")
:オハイオ州のチャンピオン点火栓社が1931-1932年に宣伝に使用し、1931年フォード・エアツアー(1931 Ford National Reliability Air Tour)と称して6,500マイル以上を飛行した機体。1981年にスティーブ・ピトケアン(Steve Pitcairn)によって復元され、2005年にEAAエアベンチャー博物館(EAA AirVenture Museum:空の冒険博物館)に寄贈された。
English: Pitcairn PCA-2 Miss Champion Date 22 July 2015 Source Own work Author FlugKerl2
写真はWikimedia Commons,Category:Pitcairn PCA-2 File:PCA-2 Miss Champion.jpg引用。

アメリア・イアハート(Amelia Earhart)五部作
(1)アメリカ女性飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)
(2)1928:フォッカー(Fokker)F.VII三発水上機による女性初の大西洋横断飛行
(3)1931:ピトケアン(Pitcairn)PCA-2による女性初のオートジャイロ飛行と高度記録達成
(4)1932:ロッキード・ベガ(Lockheed Vega 5)による女性初の大西洋横断単独飛行
(5)1937:ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Electra)による世界一周飛行


⇒写真集Album:ライト・ベランカ (Wright-Bellanca WB-2)「コロンビア」の大西洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの大西洋横断飛行見る。
⇒写真集Album:ベランカCH-400「スカイロケット」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A-50「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W33「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。
⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇

1.アメリア・イアハート(Amelia Earhart)の生い立ち

写真(右)1906年、アメリカ女性アメリア・イヤハート(Amelia Earhart):有名になってから新聞に掲載されたアメリアの紹介記事。
Amelia Earhart (1897-1937) took her first airplane ride in December 1920 and, from then on, devoted her life to aviation. She worked odd jobs to pay for flying lessons and earned her pilot's license in 1923 -- only the 16th woman to do so. Earhart set records, made headlines and became one of the world's most famous pilots, female or male. Artifact
Clipping (Information artifact) Subject Date circa 1906.
Material Paper (Fiber product) Technique Printing (Process)
Color Black-and-white (Colors) Dimensions Height: 4.5 in Width: 2.5 in Credit From the Collections of The Henry Ford.
写真はThe Henry Ford, Benson Ford Research Center THF256006 引用。


アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)は、1897年7月24日、アメリカ合衆国カンザス州アッチソン (Atchison) で、富裕な一族の家庭に生まれ、コロンビア大学医学部に入学した。しかし、1年で中退し、1918年第一次世界大戦末期に、カナダ東部でボランティアの看護助手となった。 医学に進まなかったにも拘わらず、看護婦としてのボランティアの道を選択したのは、彼女が生活資金を工面する必要がなく、やりたい仕事や将来の進路について、自問自答していたからであろう。自己発見、自己実現を求めた彼女は、当時の女性と比較することができないくらい恵まれた地位にあった。

アメリア・イアハートAmelia M. Earhart)は、1897年7月24日、アメリカ合衆国カンザス州アッチソン (Atchison) の裕福な一族の家系で、高校卒業後はコロンビア大学(Columbia University)で医学を学んだが、1年で退学して、第一次世界大戦中、カナダに設けられたアメリカ陸軍病院の看護助手となった。その後、1920年にカリフォルニア州ロサンゼルスのロングビーチで父と主に初めて10分間程度の遊覧飛行をしたが、この時、自ら空を飛ぶことが夢になった。

父と飛行機に乗ったことが契機になって、自ら飛行機を操縦したいと1921年にカリフォルニア州ロサンゼルスで、女流飛行家ネタ・スヌークに飛行機操縦を習った。そして、父の資産を使って、初めて自家飛行機を購入し、これを使って飛行機教習料金を浮かせて、訓練に励み、1923年5月16日に飛行機操縦資格を得た。

アメリア・イアハートは、1921年1月から、ロサンゼルスのロングビーチにあったキナー・フィールド(Kinner Field)で アメリカ人女性飛行士の先駆者"ネタ"・スヌーク・サザーンMary Anita "Neta" Snook Southern :1896-1991)から飛行機の操縦訓練を受けた。"ネタ"・スヌーク"Neta" Snook)は、1921年2月、ロサンゼルス・スピードウェー(Los Angeles Speedway)のエアレースに初めて参加した女性飛行士となった。

写真(右)1923年5月16日発行のアメリカ女性アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)の飛行機操縦ライセンス
Amelia Earhart’s pilot’s license Leather and paper Issued May 16, 1923
This is Amelia Earhart’s first pilot’s license. She was only the sixteenth woman to receive a pilot’s license from the Fédération Aéronautique Internationale, the governing body of sports aviation.
National Portrait Gallery, Smithsonian Institution; gift of George R. Rinhart, in memory of Joan Rinhart
写真はSmithsonian,National Portrait Gallery ONE LIFE: Amelia Earhart引用。


1923年5月16日、アメリカ女性アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)がアメリカで飛行機操縦ライセンスを取得した時、1905年設立の国際航空連盟(Fédération Aéronautique Internationale)が公認していた女性飛行士は16人しか登録されていなかった。

ジェンダー不平等Gender Inequality)、すなわち男性に比較して女性が、家庭・教育・経済・職場・政治などの分野で不利な状況に置かれているという女性差別が当たり前で、体力的・精神的に女性は男性にはるかに劣る、女性は感情的なので機械の扱いや論理的思考はできない、とされた20世紀初め、空への憧れたアメリアは、女性であっても、飛行士として自由に飛び回れること、男女にかかわりなく自分の夢を叶えたいという強い意志と弛まぬ努力が大きな成果・業績を生み出すことを、世界に実証した。女性にも知性、勇気、行動力、論理性、沈着さがあることを示し、強固な意志があれば、男性と同等に立ち振る舞うことができることを証明した。


2.1928年アメリア・イアハートのフォッカー F.VII「フレンドシップ」大西洋横断

フォッカー(Fokker) C-2 「アメリカ」 "AMERICA" (登録コード:NX206)は、オランダのフォッカー(Fokker)F.VII 三発輸送機をアメリカ陸軍用にアメリカが製造フォッカー(Foccker)F.9三発輸送機である。大西洋横断飛行用に航続距離を延長するために、フォッカー F.VIIb-3mに増設燃料タンクを設け、航続距離は3,800マイル (6,116 km)に伸びている。装備している発動機は、ライト(Wright) J-5 空冷星形9気筒エンジン220馬力3基で、尾翼には登録コード NX-206を描いている。

写真(右)1928年4月、大西洋横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を双フロートの水上機仕様に改造作業中のフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発輸送機(トライモーター)(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028):1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日「フレンドシップ」に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートだった。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015322 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真はflickr,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015322引用。


1928年4月、大西洋横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を双フロートの水上機仕様に改造作業がフォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター「フレンドシップ」"Friendship" 三発輸送機になされた。尾翼に黒字で登録コードNX-4204が記入された。つまり、大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造作業中の撮影と思われる。1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日フォッカー F.VII(F.VIIb/3m)「フレンドシップ」に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートだった。アメリアを乗せて大西洋を横断したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター「フレンドシップ」"Friendship"の操縦士は、ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)、副操縦士はルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)だった。

1924年4月11日、オランダで初飛行し、1928年にアメリア・イアハートAmelia M. Earhart)を大西洋横断飛行をした初の女性としたフォッカー F.VII(F.VIIb/3m)の諸元
搭乗員: 2名、乗客: 8名
全長: 14.60 m、全幅: 21.70 m、全高: 3.90 m
主翼面積:58.5平方メートル
空虚重量: 6,725 kg kg
総重量: 11,570 kg
エンジン: ライト(Wright)J-5 ヴィールウィンド(Whirlwind)空冷星型9気筒エンジン 164 kW (220 hp)3基
巡航速度:170 km/h
最高速力:185 km/h /1980 m
航続距離:1160 km
実用上昇限度:2600 m
生産期間:1925-1932年 283機

アメリアの搭乗したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター「フレンドシップ」 "Friendship" 三発輸送機は、大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造した。1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日フォッカー F.VII(F.VIIb/3m)「フレンドシップ」水上機に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートAmelia M. Earhart)だった。

写真(右)1932年6月4日、アメリカ、ボストン、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart:1897-1937):3年後に結婚相手になるジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)がフォッカーF.VIIb3m三発水上輸送機「フレンドシップ」によるカナダのニューファウンドランド島から、大西洋横断を超えてイギリスへの飛行に、彼女を誘った。出版社を経営していたジョージ・パットナム(George Putnam)は、グリーンランド探検をしたこともある活動的な人物で、女性で飛行操縦資格のあるアメリアを同乗させることで大西洋横断飛行した初の女性をプロモーションできると考えたのである。この場所では、飛行帽を被ったり、コートの前を開けたり、いくつかのポーズをとらせた写真が残っている。
Amelia Earhart Portrait with Press Release, "Boston Girl Seeks Fame in Air Dash to England," June 4, 1928 Amelia Earhart's successful flight across the Atlantic Ocean in 1928 brought instant fame. Her publicist (and eventual husband) George Putnam worked with Earhart to nurture that fame. Payments that Earhart received for speeches and product endorsements helped to fund further aviation endeavors. Her 1937 disappearance only added to Earhart's mystique. Arguably, she remains America's best-known female pilot even today. .
Amelia Earhart became the first woman to fly across the Atlantic Ocean in 1928, but only as a passenger. Wilmer Stultz and Louis Gordon did the actual piloting. The trio made their crossing in a Fokker F.VII Tri-Motor named Friendship. Their successful flight took them from Trepassey Harbour, Newfoundland, to Burry Port, South Wales, in 20 hours and 40 minutes.
Clipping (Information artifact) Subject Date 04 June 1928.
Height:8 in Width: 6 in Credit From the Collections of The Henry Ford.
写真はThe Henry Ford,Benson Ford Research Center THF255952引用。


1928年6月17-18日、フォッカー F.VII(F.VIIb/3m)「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)に乗客として搭乗、カナダから北アイルランドまで大西洋を無着陸横断を女性として初めて達成した。これはリンドバーグの大西洋単独横断初飛行の快挙に次ぐものとされ、第30代アメリカ大統領カルビン・クーリッジは、面会し彼女を称賛した。アメリアは、このときフォッカー三発水上輸送機に同乗者として、事実上、乗客として大西洋横断飛行をしたが、女性にとって初めての快挙、アメリカ女性の勇気ある行動として称賛・喧伝された。これはリンドバーグの大西洋単独横断初飛行の快挙に次ぐものとされ、1928年7月19日のNEW YORK TIMES のトップ記事「AMELIA EARHART FLIES ATLANTIC, FIRST WOMAN 」にも彼女の写真が大きく掲載された。

1928年6月17-18日、アメリア・イアハートはフォッカー F.VII(F.VIIb-3m)「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)に乗客として搭乗、カナダから北アイルランドまで大西洋を女性として無着陸横断した。

1928年11月、北アイルランドから大西洋を横断しカナダに飛行したアメリアは、第30代アメリカ大統領カルビン・クーリッジに呼ばれ称賛された。アメリカのヒロインの誕生である。

1928年4月、飛行操縦のできたアメリア・イアハートAmelia Earhart)は、評論家で富豪のジョージ・パットナムの誘いを受け、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーターの大西洋横断飛行に同乗することとなった。これは、操縦士としてではなく乗客としてだったが、飛行訓練を受けた女性は緊急時に役に立つ上に、大西洋横断飛行をした初めての女性をアメリカ人とすることで、アメリカの国威発揚にも繋がると考えられたからである。ジョージ・パットナムが資金提供者パトロンとなって、フォッカー F.VII「フレンドシップ」三発水上輸送機によって、カナダのニューファンドランド島のトレパシー湾を離水、大西洋上を陸奥悪陸で横断し、21時間後にイギリスのウェールズ、バリー・ポートに着水した。この時のフォッカー(Fokker)F.VIIb3mトライモーター搭乗員は、主操縦士ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz: 1900-1929)、副操縦士兼機関士(エンジニア)ルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon: 1901-1964)で、アメリアは事実上乗客だった。

1928年6月17日に、アメリカ女性アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart:1897-1939)が同乗したフォッカー (Fokker)F.VIIb-3m三発水上旅客輸送機「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上旅客機は、カナダ東端、ニューファンドランド州、ニューファンドランド島トレパシー湾を離水した。1928年6月17日、大西洋を横断して、飛行時間21時間で、イギリスのにウェールズ、バリー・ポート沖に着水した。これが、女性による初の大西洋無着陸横断の記録である。この後、アメリアは飛行士として有名になるが、この大西洋横断はアメリカ女性アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart)は、乗客として同乗したのであって、操縦士・航法士・機関士として搭乗していたわけではない。

1928年6月18日、イギリス、ウェールズ南西海岸バリー・ポート沖合にもやってたフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m"Friendship" 三発水上輸送機のフロートに降りたアメリアたち搭乗員3人は、現地の手漕ぎボートにフロートに寄せてもらい、小舟でバリー・ポート(Burry Port)の突堤に上陸した。そこには、地元民が多数出迎えに来ていた。1928年6月17日、イギリス、ウェールズ南西海岸バリー・ポート(Burry Port)に到着したアメリア一行は、そこで1泊して、翌6月19日に、イングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)に向けて飛び立った。

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター「フレンドシップ」"Friendship"の操縦士はウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)、副操縦士はルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)で、アメリア・イアハートは飛行記録をつけていた。フォッカーF.VIIb-3m「フレンドシップ」は、1928年6月17日、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を無着水で横断し、1928年6月18日、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に着水、バリー・ポート(Burry Port)に上陸した。しかし、ここは寒村であり、最終目的地は130マイル離れたイングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)だった。ウェールズのバリー・ポートで一泊した一行は、翌19日、そこで、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター「フレンドシップ」"Friendship"で、イングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)まで飛行し、そこに上陸し歓迎を受けた。これによって、アメリアは、大西洋横断飛行を成功させた初めての女性の栄誉を得ることができた。

写真(右)1928年6月19日、大西洋横断飛行後、ウェールズ南西海岸バリー・ポート(Burry Port)に一旦停泊して、翌日にイングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)に到着したアメリア・イヤハート。「フレンドシップ」"Friendship"の正操縦士はウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz:アメリア左手)、副操縦士はルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon:アメリア右手)で、ハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)市長夫妻(写真右)が出迎えた。:後方に、フォッカー(Fokker)F.VIIb三発水上機が写っている。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015308 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真はflickr,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015308引用。


1928年6月19日、イングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)に到着したフォッカー(Fokker F.VIIb-3m)「フレンドシップ」"Friendship"三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)の搭乗員は、フロートに降りて、迎えに来た小型船に乗り移って、大きな桟橋まで移動し、上陸した。そこでは、サウサンプトン(Southampton)市長夫妻が出迎えをしている。

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)は、ボストンから、カナダ東端のニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)に飛行した。これは、ボストンより東にあり、ヨーロッパに向かう最短距離になる当たる地点であり、ここで、燃料を満タンにしたのである。1928年6月17日、カナダ東端ニューファウンドランド島トレパシー港を離水したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)は、大西洋を無着水で横断し、翌1928年6月18日、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に緊急着水し、大西洋横断飛行を女性として初めて成功させ、バリー・ポート(Burry Port)に上陸し住民の歓迎を受けた。そして、翌日140マイル離れたイングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)まで飛行し、そこでサウサンプトン市長夫妻などの大歓迎を受け、陸路ロンドンに向かった。

20世紀前半、ジェンダー不平等Gender Inequality )、すなわち社会的・文化的役割として女性差別が当然だった時代、アメリアの成し遂げた大西洋横断飛行にはインパクトがあった。

写真(右)1928年6月22日、イギリス、ロンドン、トインビー・ハウス(慈善院)を訪問して子供たちと記念撮影したアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart):フォッカーF.VIIb3m三発水上輸送機「フレンドシップ」の搭乗員の一人として、大西洋横断飛行を成功させ、イギリスで大歓迎された。
Amelia Earhart Visiting Children at Toynbee Hall Settlement, London's East End, June 22, 1928.
After her June 1928 transatlantic flight with Wilmer Stultz and Louis Gordon, in which she became the first woman to fly the Atlantic, Amelia Earhart was given a hero's welcome wherever she went. Receptions in Southampton and London, England, were followed by a ticker-tape parade through New York City and a visit with President Calvin Coolidge at the White House. Subject Date 22 June 1928.
Height: 8 in Width: 10 in Credit From the Collections of The Henry Ford.
写真はThe Henry Ford,Benson Ford Research Center THF255868 引用。


1928年6月17-18日、アメリアの同乗したフォッカー(Fokker F.VIIb-3m)「フレンドシップ」"Friendship" 三発水上輸送機トライモーター(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)は、ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)を正操縦士、ルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)を副操縦士・航法・機関士として、大西洋を横断しイギリス、ウェールズ南西海岸バリー・ポート(Burry Port)に到着した。アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は飛行ログを記入する係であり、事実上の乗客に過ぎなかったが、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)まで、フォッカー(Fokker)F.VIIb3mトライモーターで大西洋を無着陸横断することに成功した初めての女性となった。初の女性大西洋横断飛行が、アメリカ女性によって達成されたことで、アメリカの国威は大いに発揚した。アメリアの帰国を待って、大々的なイベントが政府によって開催され、アメリアは、搭乗員たちとともに大歓迎を受けた。

アメリアが1928年に大西洋横断飛行に使用したのは、フォッカー(Fokker)F.VIIb3mトライモーター三発水上輸送機「フレンドシップ」(登録コード:NX-4204)であるが、彼女たちは空路、帰国したのではない。イギリスから客船「ルーズベルト大統領」でアメリカ本土、ニューヨーク港に渡り、そこから指し迎えの(往路に使ってのとは異なる)フォッカー(Fokker)F.VIIb3mトライモーター三発陸上輸送機に乗り換えて、東ボストン飛行場に帰国した。これは、往復空路を使用したかのようなイメージを演出するための細工であり、往路の大西洋横断のフォッカー(Fokker)は水上機、復路のカナダ=アメリカ移動のフォッカーは陸上輸送機だった。空路でアメリカ東ボストン飛行場に帰国する演出は、大々的なイベントであり、飛行場には地元の知事・市長が出迎え、多数のメディアも押し寄せていた。

写真(右)1928年7月6日、アメリカ、ニューヨーク、イギリスから船でニューヨーク港に帰国したアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)ら大西洋横断飛行を成功させたフォッカーF.VIIb3m三発水上輸送機「フレンドシップ」の3人の搭乗員が自動車後部座席に乗って市内パレードした。:Parade in New York City for Amelia Earhart and the "Friendship" Crew, July 6, 1928
After her June 1928 transatlantic flight with Wilmer Stultz and Louis Gordon, in which she became the first woman to fly the Atlantic, Amelia Earhart was given a hero's welcome wherever she went. Receptions in Southampton and London, England, were followed by a ticker-tape parade through New York City and a visit with President Calvin Coolidge at the White House.
Clipping (Information artifact) Subject Date 06 July 1928.
Height: 5.5 in Width: 7.125 in Credit From the Collections of The Henry Ford.
写真はThe Henry Ford, Benson Ford Research Center THF255886 引用。


1928年6月17-18日、フォッカー(Fokker)F.VIIb3mトライモーター三発輸送機でカナダからイギリスまで大西洋を横断飛行を成功させた搭乗員一行3人は、7月6日に客船「ルーズベルト大統領」でイギリスからアメリカのニューヨーク港に帰国し、まずニューヨーク市で大歓迎された。それから、フォッカー(Fokker)F.VIIb3mトライモーター三発陸上輸送機(大西洋を横断したのとと同型だが別機)に乗り換えて空路でマサチューセッツ州(Massachusetts)、東ボストン飛行場に帰国するという演出をし、地元の知事・市長の出迎えを受け、市民に大歓迎された。さらに、アメリアの故郷であるマサチューセッツ州(Massachusetts)メッドフォードに向かい、そこで大歓迎された。

1928年11月、第30代アメリカ大統領カルビン・クーリッジCalvin Coolidge)も、アメリカ人女性がその名誉を得たことを誇りに思ってか、アメリアに直接会って、賛辞を述べた。

⇒写真集Album:アメリア・イアハートによる女性初の大西洋横断飛行を見る。


3.1931年アメリアとジョージ・パットナム(George Putnam)の結婚

写真(右)1932年6月4日、アメリカ、ボストン、大西洋横断についてアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)とジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)が書類を手にして打ち合わせている演出写真:資産家のプットマンは、フォッカーF.VIIb3m三発水上輸送機「フレンドシップ」によるカナダのニューファウンドランド島から、大西洋横断を超えてイギリスへの飛行に、女性で飛行操縦資格のあるアメリアを同乗させることを考えたが、これは女性初の大西洋横断飛行の栄冠を得るためであった。
Amelia Earhart and George Putnam Reviewing Plans for the Transatlantic Flight, June 1928 When publisher-publicist George Putnam searched for a female pilot eager to be the first to fly the Atlantic in 1928, he discovered Amelia Earhart. The two developed a close working relationship. Palmer promoted Earhart at every chance, and Earhart used her promotional earnings to finance further flights. In time, their professional relationship became romantic and the two married in 1931.
Amelia Earhart became the first woman to fly across the Atlantic Ocean in 1928, but only as a passenger. Wilmer Stultz and Louis Gordon did the actual piloting. The trio made their crossing in a Fokker F.VII Tri-Motor named Friendship. Their successful flight took them from Trepassey Harbour, Newfoundland, to Burry Port, South Wales, in 20 hours and 40 minutes.
Clipping (Information artifact) Subject Date June 1928.
Height:8 in Width: 10.125 in Credit From the Collections of The Henry Ford.
写真はThe Henry Ford, Benson Ford Research Center THF255934引用。


1928年、アメリカの出版実業家・富豪ジョージ・パットナムGeorge Palmer Putnam :1887-1950)は、当時としては巨人機といえるフォッカーF.VIIb3m三発水上輸送機「フレンドシップ」を使って、カナダ東端のニューファウンドランド島から、イギリスまで、大西洋を無着陸横断飛行する冒険飛行に、アメリカ女性で飛行操縦資格を所持するアメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)を同乗させ、女性の大西洋初横断飛行を成功させ、名声を得ようと考えた。ジョージ・パットナムGeorge Putnam)は、電話でアメリアに連絡し、大西洋横断に加わらないかと誘いをかけた。そして、これが契機で、二人は1931年に結婚することになるが、当時、プットマンには妻があったし、アメリアに婚約者サムがいた。

ジョージ・パットナムGeorge Putnam)は身長6フィート、180センチ以上でグリーンランド探検にも参加したことがある活動的なビジネスマンの資産家であり、アメリア・イアハートAmelia Earhart)も180センチ近くある長身で、自分の飛行機を保有できるほどの財産があった。お似合いの二人の男女の親密さは、周囲でも噂になっていた。

写真(右)1928年6月8日、アメリカ、マサチューセッツ州(Massachusetts)ボストン(Boston)、大西洋横断飛行直前のフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)乗り込んだアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と正操縦士ウィルマー・スタールズ(Wilmer Stultz)が、フロート上のパトロンのジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)から見送りを受けている。
Amelia Earhart and Wilmer Stultz in the "Friendship" with George Putnam, before the Transatlantic Flight, June 8, 1928/ Amelia Earhart became the first woman to fly across the Atlantic Ocean in 1928, but only as a passenger. Wilmer Stultz and Louis Gordon did the actual piloting. The trio made their crossing in a Fokker F.VII Tri-Motor named Friendship. Their successful flight took them from Trepassey Harbour, Newfoundland, to Burry Port, South Wales, in 20 hours and 40 minutes. Subject Date 08 June 1928 .Dimensions Height: 8 in Width: 10 in
写真はCollections of The Henry Ford THF255793 引用。


1932年6月8日、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)に搭乗するアメリア・イヤハート、主操縦士ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz: 1900-1929)、副操縦士兼機関士(エンジニア)ルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon: 1901-1964)は、パトロンで出版業を営むジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)の最後の見送りを受けた。

1928年、出版業を営む富豪ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)は、フォッカーF.VIIb3m三発水上輸送機「フレンドシップ」によるカナダのニューファウンドランド島から、大西洋横断を超えてイギリスへの飛行に同乗するように、アメリア・イアハートAmelia Earhart)を誘った。ジョージ・パットナム(George Putnam)は、グリーンランド探検をしたこともある活動的な人物で、女性で飛行操縦資格のあるアメリアを同乗させることで大西洋横断飛行した初の女性をプロモーションできると考えたのである。3年後の1931年に、アメリアとジョージ・パットナム(George Putnam)は、各々の過去を清算して、正式に結婚する。

写真(右)1928年7-8月頃、ニューヨーク州、 ロング・アイランド湾に面したライの砂浜海岸で海水浴に興じるジョージ・パットナム(George Palmer Putnam:1887-1950)の長男デイビッド・パットナム(David Binney Putnam:1913–1992)15歳, 女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart:1897-1937)31歳、 ジョージ夫人ドロシー・パットナム(Dorothy Binney Putnam:1888–1982)40歳:19世紀から20世紀初めにかけて、ニューヨーク州、 ロング・アイランド湾に面したライは、風光明媚な砂浜海岸があり、近場ということで、富裕なマンハッタン住民(Manhattanites)にとって手ごろなレジャーの場となっていた。
Amelia Earhart (1897-1937) took her first airplane ride in December 1920 and, from then on, devoted her life to aviation. She worked odd jobs to pay for flying lessons and earned her pilot's license in 1923 -- only the 16th woman to do so. Earhart set records, made headlines and became one of the world's most famous pilots, female or male. / David Binney Putnam, Amelia Earhart and Dorothy Binney Putnam, Rye, New York, 1928.
Clipping (Information artifact) Subject Date 1928.
Height:8 in Width: 10 in Credit From the Collections of The Henry Ford.
写真はThe Henry Ford,Benson Ford Research Center THF255992 引用。


1927年のチャールズ・リンドバーグの大西洋横断単独飛行成功に次ぎ、1928年6月に女性の大西洋横断飛行を成功させたアメリア・イアハートAmelia Earhart)は、「ミス・リンディ」として有名になり、アメリカの威信を世界に誇示し、大歓迎された。この快挙が世界的な話題になったり理由は、アメリアが若くスタイルが良くインテリだったこともあるが、同時に彼女の大西洋横断飛行のパトロンとなった出版実業家で、1931年に正式に結婚し夫となる富豪ジョージ・パットナムの後押しによるところも大きかった。独身だったアメリア・イヤハートは婚約者はいたものの、ジョージ・パットナムと彼の家族と親しい付き合いをしており、個人的にも好感を抱かれていた。

写真(右)1929年、ピッツバーグの飛行クラブを辞去するアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と事実上の夫で出版実業家の富豪ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam):33歳になっていたアメリアは独身(ミス)だったが、久しく婚約者がいた。二人は過去の自らの関係を清算して、1931年に正式に結婚した。
Amelia Earhart and George Putnam Leaving the Aero Club of Pittsburgh, 1929.
In 1928, publisher and publicist George Palmer Putnam began to heavily promote aviatrix Amelia Earhart through a book, lecture tours, and product endorsements. These activities not only provided Earhart's chief source of income, but also enhanced her fame. Putman and Earhart's partnership flourished, both professionally and personally--in February 1931, they married.
Clipping (Information artifact) Subject Date 1929.
Height:9.875 in Width: 8 in Credit From the Collections of The Henry Ford.
写真はThe Henry Ford, Benson Ford Research Center THF121572引用。


1928年6月、大西洋横断飛行をした初の女性アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)は、当時、31歳独身(ミス)だったが、久しく婚約者がいた。アメリアを大西洋横断飛行に誘った実業家ジョージ・パットナム(George Putnam:1887-1950)は41歳で妻ドロシー(40歳)との間に、2人の息子がいた。しかし、アメリアとパットナムの二人は、1928年の段階で惹かれあっており、1929年末にはカップルとなっていたようだ。

写真(右)1932年6月22日、乗客として大西洋横断飛行したアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Mary Earhart:1897-1937)と1931年に結婚したジョージ・パットナム(George Palmer Putnam:1887-1950)
Earhart and George Palmer Putnam
Exhibition Label Amelia Earhart and George PutnamEarhart first met George Putnam (1887–1950death.
Description Photo of Amelia Earhart and her husband, George Putnam. Date April 2, 1931-copyright stamp on back Source eBay front back Author International News Photos .
写真は Wikimedia Commons,National Portrait Gallery, Smithsonian Institution  File:Amelia Earhart and husband George Putnam 1931.jpg引用。


女流飛行家アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)とジョージ・パットナム(George Putnam)は、1928年の大西洋横断飛行の計画を共に進める中で、急速に仲が進展し、大西洋横断成功後も、二人の親密な県警は続いた。アメリアとの結婚を決意したのか、実業家ジョージ・パットナム(George Putnam)は1929年に妻ドロシーと離婚し、過去を清算し、アメリアと事実上の夫婦となった。そして、1931年には、アメリアと正式に結婚したのである。

写真(右)1932年6月22日、乗客として大西洋横断飛行したアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Mary Earhart:1897-1937)と1931年に結婚したジョージ・パットナム(George Palmer Putnam:1887-1950)
Earhart and George Palmer Putnam
ArtistUnderwood & Underwood, active 1880 - c. 1950 Sitter、Amelia Mary Earhart, 24 Jul 1897 - c. 2 Jul 1937、George Palmer Putnam, 1887 - 1950
Date:Jun 22, 1932 Medium Gelatin silver print
DimensionsImage: 23.8 x 18.6 cm (9 3/8 x 7 5/16")Sheet: 24.9 x 19.5 cm (9 13/16 x 7 11/16")Mat: 45.7 x 35.6 cm (18 x 14")
Credit Line National Portrait Gallery, Smithsonian Institution; gift of George R. Rinhart, in memory of Joan Rinhart
Exhibition Label Amelia Earhart and George PutnamEarhart first met George Putnam (1887–1950) in 1928, prior to her transatlantic flight. Born into a prominent New York publishing family, Putnam made a name for himself as an Arctic explorer before returning to the publishing industry. He later recalled his first meeting with Earhart: "When she appeared at my office I was busy, so she had to cool her heels—and didn’t like it much." Invited by wealthy American expatriate Amy Guest to publicize the 1928 flight, Putnam helped to orchestrate it and the lecture tour that followed. The following year he divorced his wife and began a relationship with Earhart, who was ten years younger. Although she refused his marriage proposal on six different occasions, she ultimately agreed, and the two married in 1931. Putnam remained her chief publicist until her death.
Data Source National Portrait Gallery See more items inNational Portrait Gallery Collection Place United States District of Columbia Washington.
写真は,National Portrait Gallery, Smithsonian Institution  Object number NPG.2011.77.4引用。


ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam:1887-1950)は、ニューヨークの出版実業家の名家に生まれ、極地探検にも自ら参加した富豪である。1928年、アメリア・イヤハート(Amelia Mary Earhart)と大西洋横断飛行計画の件で話し合ったが、これが初対面だった。

写真(右)1932年、乗客として大西洋横断飛行したアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart:1897-1937)と1931年に結婚した出版実業家で富豪のジョージ・パットナム(George Palmer Putnam:1887-1950):34歳のアメリアは、10歳年上の44歳のパットナムと1931年に正式に結婚した。
Earhart and George Palmer Putnam
Amelia Earhart and George Palmer Putnam. After Earhart’s transatlantic passenger flight, publisher and public relations wizard Putnam became her manager. In 1931 she married him—hesitantly—on the condition that they would separate in a year if unhappy. Though some called it a marriage of convenience, they remained together.
Credit: National Air and Space Museum, Smithsonian Institution.
写真は, National Air and Space Museum, Smithsonian Institution Photo Number: SI 82-8669 引用。


大西洋横断飛行の計画は、出版実業家ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)の用意した飛行機に、女性を搭乗させ、
1)世界史上初の女性の大西洋横断飛行をアメリカ人にさせること、
2)女性の大西洋横断飛行を大々的にメディアに報じて、自らの出版事業を興隆させること、
が企図されていた。しかし、ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)は、アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)の冒険への熱情や飛行機操縦の体験を知り、大西洋横断飛行を通じて、彼女に深い共感を得る。そして、大西洋横断飛行後に有名になったアメリアの講演旅行やメディア登場を企画する中で、10歳若い彼女にほれ込んだようだ。アメリアは、当初、パットナムのプロポーズを断ったが、6回目の求婚に根負けして、1931年に結婚した。


4.1931年アメリアのオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2

写真(右)1931-1932年、アメリカ、滞空時間飛行のためにハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2(登録コード:X760W)に乗り込もうとするアメリア・イアハート(Amelia Earhart):スペイン人フアン・デ・ラ・シエルバは、世界初のオートジャイロ(Autogiro)C.1を1920年に開発した。
Amelia Earhart in Front of her Autogiro.
Amelia Earhart was the first woman to fly an autogiro, which featured rotating blades to increase lift and allow short field landings.
Source: Purdue University Libraries, Karnes Archives and Special Collections
写真は,Purdue University Libraries ID #: b12f6i5引用。


ヘリコプターは、4枚の回転翼が動力で高速回転するが、オートジャイロ(Autogiro)は機首に装備した2翅プロペラを回転させ、回転翼は自然回転させているだけである。このオートジャイロは、スペイン人フアン・デ・ラ・シエルバが1920年に開発したオートジャイロC.1が世界史上初である。そして、1920年代は、ライト(Wright)「ヴィールウィンド」(Whirlwind)J-5空冷エンジン220馬力エンジン1基を装備した二人乗りのCierva C.8W (C.8L Mk. IV)を完成させている。シルヴァC8オートジャイロは、僅か100フィート(30メートル)で離陸することができた。これに着目したのが、ハロルド・フレデリック・ピトケアンで、1928年に試験的に1機のシルヴァ(Cierva)C.8sオートジャイロを購入した。

写真(右)1931年、アメリカ、ハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2 (Beech-Nut 製造番号r/n: NC-10780)に乗り込んだアメリア・イアハート(Amelia Earhart)
Pitcairn PCA-2 Autogiro; Earhart, Amelia Mary, 1930s.
Amelia Earhart poses sitting on rear cockpit cowling of Pitcairn PCA-2 Autogiro (r/n NC-10780) operated for Beech-Nut Gum; Glendale, California, circa 1931..
Data Source: National Air and Space Museum Archives
Date: Circa 1931
写真はSmithsonian Institution, ,National Air and Space Museum Local number NASM-A-4798-B引用。


アメリカ人ハロルド・フレデリック・ピトケアン(Harold Frederick Pitcairn: 1897-1960)は、飛行機開発を進めるために、飛行機と合わせて、航空郵便や旅客・貨物輸送のための航空会社を興そうとした。

ハロルド・ピトケアンは、オートジャイロの設計・開発にも力を注ぎ、1928年、スペイン人フアン・デ・ラ・シエルバの発明したオートジャイロ C.8W (C.8 Mk.IV)を輸入し、その特許使用権を購入し、それをベースに新たなオートジャイロを開発した。

写真(右)1932年、ハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2とアメリカ女性飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart)
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits.
写真はflickr,SDASM Archives :Catalog #: BIOE00028引用。


アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)は、1931年にオートジャイロ(Autogiro)で最高高度記録1万8,415 フィート(5613m)を達成。1932年5月、大西洋横断無着単独飛行に成功(史上初の女性・2番目の単独飛行・大西洋を2回横断飛行した初の人物)。同じ1932年8月、アメリカ大陸を始めて無着陸横断に成功。

1932年8月24日、アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)は、アメリカ東岸ニュージャージー州ニューアークから、飛行19時間で、8月25日、西岸カリフォルニア州ロスアンゼルスに到着し、アメリカ大陸無着陸横断飛行に成功した。1935年1月11日、太平洋上のハワイからカリフォルニア州まで東太平洋の単独横断飛行に成功した。

アメリカは、ライト兄弟による飛行機の発明の栄誉を得たが、第一次大戦中にヨーロッパの航空技術は躍進したため、第一次大戦後は、飛行機の設計・開発をヨーロッパに依存していた。しかし、ハロルド・フレデリック・ピトケアンは、飛行機オートジャイロの新技術の開発に注目し、オートジャイロの国産化を企図し、スペイン人フアン・デ・ラ・シエルバの発明したオートジャイロの特許使用権を購入した。そして、それをベースに1931年にオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2を開発した。

写真(右)1932年、アメリカ、胴体に大きく"Beech Nut"と描いたオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2:スポンサーのビーチナッツ(Beech-Nut) は、オートジャイロによる全米ツアーによって、企業広告を宣伝することを企画した。空飛ぶ広告塔として、緑と白で塗装されたオートジャイロの胴体側面には、大きく"Beech Nut"と企業CMが記入されている。
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro Manufacturer: Pitcairn Designation: PCA-2 Official Nickname: Autogiro Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A Notes: Alone, w/ Planes and Portraits .
写真は,SDASM Archives :Catalog #: 00070163引用。


写真(右)1932年、アメリカ、ハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2に乗り込こんだアメリア・イアハート(Amelia Earhart):アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、スポンサーのビーチナッツ(Beech-Nut) ガムの広告宣伝を兼ねて、オートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2を使って全米ツアーに出かけた。オートジャイロ胴体側面には、は大きく"Beech Nut Gum"とCMが記入されている。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits.
写真はflickr,SDASM Archives :Catalog #: BIOE00178引用。


写真(右)1932年、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス郊外、グランドセントラルターミナル(Grand Central Air Terminal :GCAT)、オートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2の前に立ったアメリア・イアハート(Amelia Earhart):グランドセントラルターミナル(Grand Central Air Terminal :GCAT)は、1928年に設置され、現在でも、ウォルト・ディズニー社が保有しこの建物が残っているほか、滑走路は車道として利用されている。
AL-84 Vanowsky Album Image Amelia Earhart - Catalog:Array - Title:Array - Filename:AL-84 Album Image _00002.TIF - Images from an Album donated to the Museum by aviation artist John Vanowsky .
写真はAmazon/com,Home & Kitchen› Wall Art > The McMahan Photo Archive  Amelia Earhart and PCA-2 Autogiro 16x20 Silver Halide Photo Print 引用。


写真(右)1932年、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス郊外、グランドセントラルターミナル(Grand Central Air Terminal :GCAT)(?)、オートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2に乗り込込もうとするアメリア・イアハート(Amelia Earhart):後方の建物は、グランドセントラルターミナル(Grand Central Air Terminal :GCAT)の管制塔のように見える。アメリアは、1931年、オートジャイロで飛行した最初の女性となり、同1931年中にオートジャイロの上昇限度記録を1万8,415フィート(5613m)に塗り替えた。
AL-84 Vanowsky Album Image Amelia Earhart - Catalog:Array - Title:Array - Filename:AL-84 Album Image _00002.TIF - Images from an Album donated to the Museum by aviation artist John Vanowsky .
写真はflickr,SDASM Archives PictionID:38068989 引用。


1931年、アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)は、世界史上で初めてオートジャイロを飛行させた女性となり、同1931年中にオートジャイロの上昇限度記録を1万8,415フィート(5613m)に塗り替えた。

写真(右)1932年、アメリカ、ワイオミング州(Wyoming)、パルコ(Parco)、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、胴体に大きく"Beech Nut Gum"と描いたオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2を使って全米ツアーに出かけた。:オートジャイロ・ツアーは、スポンサーのビーチナッツ(Beech-Nut) ガムの広告宣伝を兼ねていた。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: BIOE00033引用。


1931年4月、アメリカ大統領フーヴァーは、ハロルド・ピトケアンをホワイトハウスに招待し功をねぎらったが、その時に,ピトケアンPCA-2 (製造番号r/n NC 10761; c/n B-7)が、ホワイトハウスに着陸、離陸するという派手なパーフォーマンスを披露している。

スペイン人フアン・デ・ラ・シエルバJuan de la Cierva)の開発したオートジャイロは、一部が試験的に使用されただけで、第二次世界大戦の時まで、多数が実用化されることはなかった。ヘリコプターは、1940年前半になって試作機が登場し、第二次世界大戦後になって実用化された。

写真(右)1932年、アメリカ、ワイオミング州(Wyoming)、パルコ(Parco)、ハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2に乗り込もうとするアメリア・イアハート(Amelia Earhart):1932年、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、オートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2を使って全米ツアーに出かけた。:オートジャイロ・ツアーは、スポンサーのビーチナッツ(Beech-Nut) ガムの広告宣伝を兼ねていたので、機体には大きく"Beech Nut Gum"と描かれている。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits .
写真はflickr,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: BIOE00035引用。


ハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2の諸元
搭乗員: 1人、同乗者: 2 人
全長: 23 ft 1 in (7.04 m)
全幅: 30 ft 0 in (9.14 m)
空虚重量: 2,233 lb (1,013 kg)
総重量: 3,000 lb (1,361 kg)
発動機(Powerplant):ライト(Wright) R-975 (J6-9)空冷星形9気筒エンジン 330 hp (250 kW)
回転翼ローター直径(rotor diameter): 45 ft 0 in (13.72 m)
回転面積(rotor area): 1,580 sq ft (147 m2) 回転翼数: 4翅ワーヤー制御ローター
エンジン用プロペラ: 2翅固定ピッチ木製プロペラ
最高速力: 120 mph (190 km/h, 100 kn)
航続距離: 290 mi (470 km, 250 nmi)
実用上昇限度: 15,010 ft (4,575 m)
滑空比率(Maximum glide ratio): 4.8

写真(右)1932年、アメリカ、ワイオミング州(Wyoming)、パルコ(Parco)、胴体に大きく"Beech Nut Gum"と描いたオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2の飛行に臨むアメリア・イアハート(Amelia Earhart):アメリア・イアハートは、1931年にオートジャイロ(Autogiro)で最高高度記録1万8,415 フィート(5613m)を達成。この飛行記録のパトロンは、幼児食メーカーの「ビーチ ナッツBeech Nut)」だったようだ。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits.
写真はflickr,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: BIOE00032引用。


1932年、アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)は、オートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2のを使って全米ツアーに出かけた。機体に描かれた「ビーチ ナッツBeech Nut)」とは本来はベビーフードメーカで、その宣伝のためにオートジャイロに資金を投じ、飛行を手助けする条件で、機体側面に会社名を大きく描かせて空飛ぶ広告塔とした。

写真(右)1932年、ハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2に乗り込こんだアメリア・イアハート(Amelia Earhart):1932年、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、胴体に大きく"Beech Nut Gum"とCMを描いたオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2オートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2を使って全米ツアーに出かけた。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits.
写真はflickr,SDASM Archives :Catalog #: BIOE00162引用。


ピトケアン(Pitcairn)PCA-2は、フアン・デ・ラ・シエルバJuan de la Cierva)からパテントを購入したとはいえ、アメリカではじめて製造されたオートジャイロで.機首は溶接金属鋼管でできていて、そこに羽布とアルミ二ウムの外板を張った構造である。全長は23フィート1インチ(7.036 meters)、低翼式の翼幅は30フィート(9.144 meters)、全高 11フィート(3.353 meters)、ローターを含んだ全高は13フィート7インチ(4.140 meters)である。空虚重量(empty weight)は2,233ポンド (1,013 kg)、総重量(gross weight)3,000ポンド(1,361 kg)である。

Amelia Mary Earhart)は、1931年、オートジャイロautogyro / autogiro)で飛行した最初の女性となり、で高度記録を作り、1932年にオートジャイロ初のアメリカ横断を達成した。これは、胴体に大きく"Beech Nut Gum"とCMを描いたオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2オートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2を使って商品宣伝CMを兼ねたものだったが、パトロン"Beech Nut"社の資金支援を得ていたためで、全米宣伝ツアーを兼ねていた。

写真(右)1932年、滞空時間飛行のためにハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2に乗り込こんだアメリア・イアハート(Amelia Earhart)が地上スタッフと飛行の打ち合わせをしている。:アメリアは、革製の飛行帽子に風よけゴーグルをかけている。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits.
写真はflickr,SDASM Archives :Catalog #: BIOE00161引用。


フーバート・パシュモア(Hubert M. Pasmore)は、第一次大戦中にイギリス空軍将兵としてカナダのオンタリオ州とアメリカのテキサス州で飛行訓練を受けていた。パシュモアは、カナダで最も腕のたつパイロットとなり、航空便輸送パイロットとして働き、1927年10月27日、ケベック州リムースキ(Rimouski)からオンタリオ州オタワ(Ottawa)への郵便飛行を始めて成功させた。

フーバート・パシュモア(Hubert Pasmore)のピトケアン(Pitcairn)PCA-2(CF-ARO;B-15)オートジャイロは、アメリカ商務省(United States Department of Commerce)飛行局(Aeronautics Branch)にNC10786で登録された。

オートジャイロautogyro / autogiro)は、回転翼を備えているのでヘリコプターのように見えるが、これは動力で高速回転するわけではなく、自由回転するだけ揚力を得ている。そこで、垂直離陸や空中一時停止(ホバリング)はできない。動力は、機首に備えた発動機でプロペラを回転させるもので、これはレシプロ機と同じである。1923年1月17日、スペイン人のフアン・デ・ラ・シエルバが開発した最初のオートジャイロが初飛行に成功した。

写真(右)1932年、不時着して破損したオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2:機体に描かれた「ビーチ ナッツ(Beech Nut)」とは本来はベビーフードメーカで、その宣伝のためにオートジャイロに資金を投じ、飛行を手助けする条件で、機体側面に会社名を大きく描かせて空飛ぶ広告塔とした。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits.
写真はflickr,SDASM Archives :Catalog #: BIOE00154引用。


アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)は、1931年,オートジャイロで飛行した最初の女性となり、同1931年中にオートジャイロの上昇限度記録を1万8,415フィート(5613m)に塗り替えた。しかし、残された写真を見ると、事故を起こして破損したオートジャイロが残っており、オートジャイロの操縦には彼女も困難を感じたようだ。

写真(右)1932年、アメリカ、不時着して破損したオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2ハロルド・フレデリック・ピトケアン設計のオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2:アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、1931年、オートジャイロで飛行した最初の女性となり、同1931年中にオートジャイロの上昇限度記録を1万8,415フィート(5613m)に塗り替えた。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits .
写真はflickr,SDASM Archives Catalog #: BIOE00054引用。




Rare Amelia Earhart Film Footage - Famous Pilot in 1931 Tulsa OK



5.ピトケアン(Pitcairn)PCA-2オートジャイロ

写真(右)1930年頃、アメリカ、オートジャイロ(Autogiro)・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro
Manufacturer: Pitcairn Designation: PCA-2
Official Nickname: Autogiro Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A.
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00070177引用。


1903年、アメリカのライト兄弟が飛行機を開発し、人類初の飛行に成功した。そして、1911年にはスペインのフアン・デ・ラ・シェルバJuan de la Cierva :1895-1936)が、オートジャイロAutogiro)を開発し、1923年1月17日に史上初の飛行に成功した。

写真(右)1930年頃、アメリカ、胴体にLiverbrookと記入したオートジャイロ(Autogiro)・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro
Manufacturer: Pitcairn Designation: PCA-2
Official Nickname: Autogiro Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A.
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00070168引用。


フアン・デ・ラ・シエルバが発明したオートジャイロの回転翼は、発動機とは繋がっていないので、回転は気流を受けて可能になる。つまり、オートジャイロが、機首に付けたプロペラで前進する際に、回転翼に下方から当たる空気の流れが、回転翼を回転させる。換言すれば、下向き気流が回転翼に当たり、回転翼が回転することで揚力が発生する。こうして、オートジャイロは、全身に伴う回転翼の下面から上面への気流により揚力を得て、飛行できるのである。

写真(右)1930年頃、アメリカ、ピトケアン(Pitcairn)PCA-2 オートジャイロ(Autogiro):胴体に濃い塗装を施した。
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro
Manufacturer: Pitcairn Designation: PCA-2
Official Nickname: Autogiro Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A.
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00070175引用。


オートジャイロの回転翼は動力駆動できず、全身に伴う自然回転だけであるから、ヘリコプターとは次のような点で異なっている。
(1)空中停止・ホバリングはできない、
(2)垂直離着陸はできない、
しかし、普通の飛行機(固定翼機)に比較すれば、知着陸距離は非常に短く、空中での低速飛行も可能である。

写真(右)1930年頃、アメリカ、複葉機と随伴して上昇飛行するピトケアン(Pitcairn)PCA-2 オートジャイロ(Autogiro):飛行機と異なって速力は遅いが、上昇角は大きく、子息せずに低速飛行することができる。
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro
Manufacturer: Pitcairn Designation: PCA-2
Official Nickname: Autogiro Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A.
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00070174引用。


シェルバは、イギリスでシェルバ社を設立し、オートジャイロを開発、製造することになる。さらに、イギリスのアヴロ社やアメリカのピトケイアン社、ケレット社がオートジャイロを開発した。しかし、オートジャイロの操縦の困難さ、天候・気流の影響を受けやすさと不安定性、空中停止・垂直離着陸の可能なヘリコプターの登場、からオートジャイロの開発は下火になってしまう。

写真(右)1930年頃、アメリカ、飛行場で編隊を組んで待機するピトケアン(Pitcairn)PCA-2 オートジャイロ(Autogiro):胴体側面にSOCONY、その下にTEST PLANE(試作機)と記入したオートジャイロは、CM広告用に使用されるのであろうか。
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro
Manufacturer: Pitcairn
Designation: PCA-2 Official Nickname: Autogiro
Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A.
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00070171引用。


シカゴ生まれの飛行家ルイス・ヤンシーLewis Yancey:1895-1940)は、1911年にアメリカ海軍に入隊し、1925年4月には沿岸警備隊(United States Coast Guard)に入り、飛行任務に関心を持ち、1927年には飛行機操縦資格を得た。1932年9月25日にピトケアン(Pitcairn)PCA-2を操縦して、高度2万1,500 フィート (6,600 m)というオートジャイロ(Autogiro)の世界最高上昇記録を作った。

写真(右)1930年頃、アメリカ、3機編隊を組んで飛行するオートジャイロ(Autogiro)・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro
Manufacturer: Pitcairn
Designation: PCA-2 Official Nickname: Autogiro
Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A.
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00070179引用。


オートジャイロ(Autogiro)・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2は、アメリカではじめて成功したオートジャイロで、ホワイトハウスへの離着陸、女流飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart)によるアメリカ大陸横断飛行などで、有名になった。後者は、ベビーフードメーカーのビーチナッツ(Beech-Nut)社の広告塔としての全米ツアーであった。実際には、ジョン・ミラー(John M. Miller)がアメリアの実行する9日前、1931年5月28日に「ミッシング・リンク」"Missing Link"と名付けたピトケアン(Pitcairn)PCA-2でアメリカ大陸横断飛行を成功させていたのである。彼のオートジャイロがカリフォルニア州に到着した時点で、アメリアが変わって搭乗し、西から東へのアメリカ横断飛行に飛び立った。しかし、彼女は3回もオートジャイロの事故を起こして、アメリカ横断飛行を諦めた。

1931年4月8日、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)がオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2を操縦して、高度1万8,415フィート (5,615 m)の最高高度記録を達成している。この最高高度記録は、翌1932年9月25日、ルイス・ヤンシーLewis Yancey)がピトケアン(Pitcairn)PCA-2を操縦して2万1,500 フィート (6,600 m)にまで上昇したことで破られた。

写真(右)1930-1931年、アメリカ東岸、ニューヨーク市マンハッタン上空を飛行するオートジャイロ(Autogiro)・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2 :後方には、埠頭バッテリーと停泊している船舶が見える。左手前の尖塔は、241mのウールワースビル 57階、1913年完成、左手奥の尖塔は、283mのバンク・オブ・マンハッタン・トラスト・ビルディング70階、1930年完成、中央の建設中の319 mのクライスラービル77階は1930年完成、中央の381mのエンパイア・ステート・ビルディング102階、1931年完成、290 mのアメリカン・インターナショナル・ビルディング66階、1932年完成がスカイランをなして並んでいる。
Description: A Pitcairn autogiro flies over Manhattan Island. The brainchild of Spanish aeronautical engineer Juan de la Cierva, the autogiro was developed in the early 1920s. The National Archives' file relates to proposals within the Great Western Railway company to build what would now be called helipads at railway stations. Date: c.1931 Our Catalogue Reference: RAIL 257/76 .
写真はWikimedia Commons, The National Archives UK File:A Pitcairn autogiro flies over Manhattan Island (c. 1931).jpg引用。


写真(右)1930-1931年頃、アメリカ東岸、ニューヨーク市マンハッタン上空を編隊飛行するオートジャイロ(Autogiro)・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2 :左手前の尖塔は、241mのウールワースビル 57階、1913年完成、左手奥の尖塔は、283mのバンク・オブ・マンハッタン・トラスト・ビルディング70階、1930年完成、中央の建設中の319 mのクライスラービル77階は1930年完成、中央の381mのエンパイア・ステート・ビルディング102階、1931年完成、290 mのアメリカン・インターナショナル・ビルディング66階、1932年完成がスカイランをなして並んでいる。
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro Manufacturer: Pitcairn Designation: PCA-2 Official Nickname: Autogiro Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A.
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00070160引用。


1929年の世界大恐慌は、アメリカのニューヨーク市マンハッタンにある証券取引所における株価大暴落に端を発している。しかし、それにもかかわらず1930年代初頭には、マンハッタンにはスカイクレーパーと呼ばれる高層ビルが次々と完成していた。241mのウールワースビル 57階は、1913年完成、 283mのバンク・オブ・マンハッタン・トラスト・ビルディング70階は、1930年完成、319 mのクライスラービル77階は1930年完成、 381mのエンパイア・ステート・ビルディング102階は、1931年完成、290 mのアメリカン・インターナショナル・ビルディング66階は、1932年完成と、1932年までに、五つの巨大建築がニューヨークにスカイランをなして並んでいる。ここを悠然と飛行したのが、シェルバの開発したオートジャイロをベースにアメリカで製造されたピトケアン(Pitcairn)PCA-2オートジャイロである。

写真(右)1930-1931年頃、アメリカ東岸、ニューヨーク州マンハッタン島、バッテリーパーク(Battery Park)上空を編隊飛行するオートジャイロ(Autogiro)・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2 :バッテリーにある25エーカー(10ヘクタール)洒落た公園は、元は砲台で、クリントン城が残っている。埠頭には、ガーデンズ・レストランや沿岸警備隊庁舎がある。
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro Manufacturer: Pitcairn Designation: PCA-2 Official Nickname: Autogiro Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A.
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00070158引用。


アメリカ東岸ニューヨーク州のニューヨーク市中心街マンハッタン島の最南端が、海に面したバッテリー(埠頭地区)で、ここのバッテリーパークは、25エーカー(10ヘクタール)の広さの公園で、ガーデンズ・レストランや沿岸警備隊庁舎がある憩いの場である。その上空を悠然と編隊飛行したオートジャイロ(Autogiro)・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2は、市民の注目の的だった。

写真(右)1930-1931年頃、アメリカ東岸、ニューヨーク港、自由の女神像の上空を編隊飛行するオートジャイロ(Autogiro)・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro Manufacturer: Pitcairn Designation: PCA-2 Official Nickname: Autogiro Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A.
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00070178引用。


アメリカ人フアン・デ・ラ・シエルバ(Juan de la Cierva: 1895-1936)が1920年に開発したオートジャイロC.1が世界史上初である。ハロルド・フレデリック・ピトケアン(Harold Frederick Pitcairn: 1897-1960)は、飛行機開発を進めるために、飛行機と合わせて、航空郵便や旅客・貨物輸送のための航空会社を興そうとした。

ハロルド・ピトケアンは、オートジャイロの設計・開発にも力を注ぎ、1928年、スペイン人フアン・デ・ラ・シエルバ(Juan de la Cierva: 1895-1936)の発明したオートジャイロ C.8W (C.8 Mk.IV)を輸入し、その特許使用権を購入し、それをベースに新たなオートジャイロを開発した。

写真(右)1931年4月22日、アメリカ、ワシントンDC、ホワイトハウスに待機するハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2(Pitcairn)PCA-2-30 :アメリカの開発したオートジャイロを喧伝するために、ホワイトハウス南の庭を使って離着した。
Pitcairn : PCA-2-30 : Autogiro Manufacturer: Pitcairn Designation: PCA-2-30 Official Nickname: Autogiro Notes: PA-11, 1930, Heraclio Alfaro,.
写真は,SDASM Archives :Catalog #: 00070184 引用。


アメリカは、ライト兄弟による飛行機の発明の栄誉を得たが、第一次大戦中にヨーロッパの航空技術は躍進したため、第一次大戦後は、飛行機の設計・開発をヨーロッパに依存していた。しかし、ハロルド・フレデリック・ピトケアンは、飛行機オートジャイロの新技術の開発に注目し、オートジャイロの国産化を企図し、スペイン人フアン・デ・ラ・シエルバ(Juan de la Cierva: 1895-1936)の発明したオートジャイロの特許使用権を購入した。そして、それをベースに1931年にオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2を開発した。

写真(右)1931年4月22日、アメリカ、ワシントンDC、ホワイトハウスから離陸するハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2 (製造番号r/n NC 10761; c/n B-7):アメリア・イアハートは、1931年にオートジャイロ(Autogiro)で最高高度記録1万8,415 フィート(5613m)を達成。この飛行記録のパトロンは、幼児食メーカーの「ビーチ ナッツBeech Nut)」だったようだ。
Pitcairn : PCA-2 : Autogiro Manufacturer: Pitcairn Designation: PCA-2 Official Nickname: Autogiro Notes: includes PCA-1B and Boeing 80-A.
写真はflickr,SDASM Archives :Catalog #: 00070166引用。


1974年、共和党アメリカ大統領リチャード・ニクソンRichard Nixon:1913-1994)は、ウォーターゲート・ビル(ワシントンD.C.)にある民主党本部への不法侵入と盗聴を指示したとして、ウォーターゲート事件の責任を追及され、国民・議会から辞任要求を突き付けられた。観念した大統領は、罷免されるより史上初の辞任を選択した。しかし、ホワイトハウスの周囲は、大統領を追い詰めようとする市民が押し寄せていたため、ホワイトハウスからアメリカ陸軍機差し回しの大統領専用機アーミーワンArmy One)、すなわちシコルスキーVH-3Aシーキング "Sea King" ヘリコプター(登録コード:150617)で退去したが、これは事実上、ホワイトハウスからの脱出撃だった。ニクソンは、9月8日に特別恩赦された。


写真(上)1931年4月22日、アメリカ、ワシントンDC、ホワイトハウスから離陸するハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2 (製造番号r/n NC 10761; c/n B-7)
: 1931年4月、当時のアメリカ大統領フーヴァーは、ホワイトハウスにハロルド・ピトケアンを招待し功をねぎらった。この時に,ピトケアンPCA-2(がホワイトハウスに着陸するというパーフォーマンスが披露された。
PCA-2 Autogiro at White House
One-half left front view from slightly below of Pitcairn PCA-2 Autogiro (r/n NC 10761; c/n B-7) taking off from the South Lawn of the White House in Washington, D.C..
Data Source: National Air and Space Museum Archives
Created: 04/22/1931
写真はSmithsonian Institution,National Air and Space Museum Local number NASM-A-4798-B引用。


写真(右)1932年4月19日、カナダ、ケベック州モントリオール郊外、セント・ヒューバート、ピトケアンPCA-2オ―トジャイロ(Pitcairn PCA-2 Autogyro)登録コード;NC-12681: 発動機にはライト(Wright)R-975 (J6-9) 空冷星型9気筒エンジン330 hp (250 kW)を装備し、シャフトを使って回転翼を稼働することで、短距離着陸が可能だった。
English: Pitcairn autogyro NC-12681 at St. Hubert, Quebec. Aug. 19, 1932 Date 19 August 1932 Source Scan from B&W photo. Photo inherited from my father, A. E. (Ted) Hill. John E. Hill (talk) Author A. E. (Ted) Hill
写真はWikimedia Commons,Category:Pitcairn PCA-2 File:Pitcairn autogyro NC-12681 at St. Hubert, Quebec. Aug. 19, 1932.jpg引用。


写真(右)2007年、アメリカ、ミシガン州デトロイト、ヘンリー・フォード博物館ピトケアンPCA-2オ―トジャイロ「デトロイトニューズ」(Pitcairn PCA-2 Autogyro "Detroit News"): 発動機は機首にライト(Wright)R-975 (J6-9) 空冷星型9気筒エンジン330 hp (250 kW)を装備。デトロイト州のデトロイトニューズが宣伝に使用し、デトロイトで発展したフォード博物館( Henry Ford Museum)に寄贈された。
English: Pitcairn PCA-2 Autogyro NC799W of the Detroit News preserved at the Henry Ford Museum in Dearborn Michigan. Date July 2007 Source Own work Author RuthAS
写真はWikimedia Commons,Category:Pitcairn PCA-2 File:Pitcairn PCA-2 NC799W Dearborn 07.07R edited-3.jpg引用。


航空郵便や旅客・貨物輸送のための航空会社を興そうとしたハロルド・ピトケアンは、オートジャイロの設計・開発に力を注ぎ,スペイン人フアン・デ・ラ・シエルバJuan de la Cierva:1895-1936/12)の発明したオートジャイロの特許使用権を購入し、それをベースに類似のオートジャイロを開発した。しかし、操縦が難しかったのか、構造的に信頼性が低かったのか、広く使用されることなく終わってしまった。

⇒写真集Album:シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)オートジャイロを見る。


6.1932年アメリア・イアハートのロッキード・ベガ(Lockheed Vega)"Little Red Bus"大西洋横断

写真(右)1929年、アメリカ、カリフォルニア州サンジエゴ、チャールズ・リンドバーグの愛機となったロッキード・ベガ(Lockheed Vega)旅客輸送機。女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)が愛機とする前に、女性の世界飛行記録保持者ルース・ニコラス(Ruth Nichols)、チャールズ・リンドバーグがロッキード・ベガ(Lockheed Vega)旅客輸送機を愛機としていた。:1927年のリンドバークの大西洋単独横断初飛行のあと、1932年アメリア・イアハートはこのベガ同型機で女性初の大西洋単独横断飛行に成功している。
SDASM Archives Morrow_0538 Charles Lindbergh landing his Lockheed Vega at San Diego 1929 ----Image from the H. Edwin Morrow Collection. Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はflickr,SDASM Archives・BIOE00068引用。


アメリカのロッキード ベガ(Lockheed Vega)は、ジョン・ノースロップ(John Knudsen Northrop)の設計になる単発肩翼・木金混交構造の6人乗り旅客輸送機である。 1927年7月4日に初飛行し、直ぐに最高速力持続135 マイル (217 km/h)を達成した。しかし、客室は商用には4席で運用するだけのスペースしかなく、ユンカースF.13輸送機と比較して、経済性に乏しかったために、民間旅客輸送機としての運航は制限された。

しかし、ロッキード・ベガ 5BLockheed Vega 5B)の飛行性能は良かったために、同型機は、女性飛行士アメリア・イアハートAmelia Earhart)による女性初の大西洋横断飛行、ウィリー・ポストによる世界一周飛行など、記録飛行用に多数が使用された。また、資産家や有名人の専用機として使用されることも多かった。


写真(上)1932年5月21日、北アイルランド北部沿岸のロンドンデリーのアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(amelia earhart)と搭乗機のロッキード・ベガ(Lockheed Vega)"Little Red Bus".(Lockheed L-10 Electra)(登録コード:NR16020)
:アメリアは、1927年のリンドバーク同様、1932年アメリア・イアハートはベガで女性初の大西洋単独横断飛行に成功した。
On Saturday, 21 May 1932, Amelia Earhart was on her second Atlantic crossing when she was forced to land in a field near Derry (Londonderry) in her "Little Red Bus". Ireland of the Welcomes was to the fore in the Irish Independent account on Monday, 23 May 1932: "... the hospitality she had received after making her forced descent, for two minutes later she was in the cottage of Mr and Mrs Peter McCallion, who put their home at her disposal. Almost at the same time Mr Gallagher arrived and persuaded Miss Earhart to accompany him to his home, where Mrs Gallagher had tea already prepared." There was no account of how the McCallions took to having the Gallaghers scoop them in what must have been the tea party of their lives! Amelia Earhart's Lockheed Vega 5B is now preserved at the National Air and Space Museum in Washington DC. Date 21 May 1932 Source Amelia Earhart at Derry Author National Library of Ireland on The Commons
写真はWikimedia Commons,National Library of Ireland ・NLI Ref.: INDH2848 File:Amelia Earhart at Derry.jpg引用。


アメリカ女性飛行家アメリア・イアハートAmelia Earhart)が特別仕様ロッキード・ベガ5B (Lockheed Model 5B Vega :登録コードr/n NR7952)は、1928年にメイベル・ボル(Mabel Boll)のライト・ベランカ WB-2「コロンビア」の大西洋横断時に整備されたカナダ、ニューファウンドランド州(Newfoundland)ハーバーグレース(Harbour Grace)の飛行場を1932年5月20日に離陸した。そして、大西洋上を単身操縦し、単独横断飛行してフランスのパリを目指したが、機体不調のために、途中、イギリス連合王国、北アイルランド北岸のロンドンデリー州(Londonderry) ロンドンデリー(現在はデリーとも)カルモア (Culmore)の牧場に無事に不時着した。

この航空史・女性史上記念すべきロッキード・ベガ 5BLockheed Vega 5B)「リトル・レッドバス」"Little Red Bus"(登録コード:NR-7852)は、1933年にアメリカのペンシルベニア州フェラデルフィア(Philadelphia)にあるフランクリン研究所(Franklin Institute)に売却され、彼女は新しい飛行機ロッキード・ベガ5型C(Lockheed 5C Vega)を購入した。

アメリア・イアハートAmelia Earhart)は、チャールズ・リンドバーグのパリへの単独飛行を女性として再現しようと、1932年5月20日、カナダのニューファンドランド島グレース湾からロッキード ベガで出発し、アイルランドのロンドンデリー近郊の牧場に不時着した。これで、大西洋単独横断をした初の女性飛行士となったアメリアは、ハーバート・フーヴァー大統領からのアメリカ地理学ドメダルを授与された。 1932年8月24日には、アメリカ東岸のニュージャージー州ニューアークから19時間かけてカリフォルニア州ロスアンゼルスにまで飛行し、女性で初のアメリカ大陸単独横断無着陸飛行を成功させた。

写真(右)1935年、アメリカ、愛機ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C(登録コード:NR-965-Y)の操縦席上でポーズをとるアメリア・イアハート(Amelia Earhart):1932年5月に大西洋を無着陸横断単独飛行した初めての女性となり、その機体を売却後、中古機ではあるがロッキード・ベガの新型を購入し、ハワイ=アメリカ本土間の東太平洋無着陸横断飛行に成功した。
Old Identification Number V.D.1.l Purdue Identification Number b10f5i12 Title Amelia reclining against the wing of her plane Description Amelia Earhart reclining against the wing of her Lockheed Vega, ca. 1935 Date of Original 1935 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Airplanes Lockheed Vega Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : sepia ; 21 x 17 cm. Orientation Portrait Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers .
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections CD Number AECD_95 引用。


アメリア・イヤハートAmelia Earhart:1897-1937)は、1932年に女性初の単独無着陸大西洋横断飛行を達成したアメリカ人飛行家である。1927年6月14日から6月15日に、アメリカ人飛行家チャールズ・リンドバーグCharles Lindbergh)は、ライアン(Ryan)NYP単発肩翼機 「スピリット・オブ・セントルイス」The Spirit of St. Louis:登録コード N-X-211)ニューヨーク−パリ間の大西洋単独飛行を飛行時間33時間半でに成功させ、世界中で称賛され。アメリアは、女性飛行士として、ロッキード・ベガで1932年5月20日から5月21日、リンドバークのライアン(Ryan)NYPと同じ航路で女性初の大西洋単独横断飛行を再考させようとした。そして、実際の飛行では、カナダから出発し、パリ手前の北アイルランド、ロンドンデリー郊外までの飛行に成功した。


写真(上)アメリカ東部、ワシントンDC、スミソニアン国立航空宇宙博物館、バロン・ヒルトン飛行パイオニアギャラリー(Barron Hilton Pioneers of Flight Gallery)に展示されている、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)が大西洋横断飛行を成功させた愛機初代ロッキード・ベガ5型B(Lockheed Vega 5B)「リトル・レッドバス」"Little Red Bus"(登録コード:NR-7852)のレプリカ

実機は、アメリアが使った2代目のロッキード・ベガ5型Cはフランクリン研究所に売却されたが、それが1966年にスミソニアン博物館に寄贈された。解説には「NR7952. High-speed cabin monoplane with cantilever wings and streamlined design. On May 20-21, 1932, Amelia Earhart flew this Vega across the Atlantic Ocean becoming the first woman to fly, and only the second person to solo, the Atlantic. Vegas were highly prized as racing and record-setting aircraft, and as seven-place airliners.」と初代ロッキード・ベガ5型Bの経歴が記述されている。 全幅Wingspan: 12.49 m (41ft.) 全長Length: 8.38 m (27ft. 6in.) 全高Height: 2.49 m (8ft. 2in.) 空虚重量Weight: Empty 748kg. (1,650lbs.) 総重量Gross: 1,315-1,450kg. (2,900-3,200lbs.)
Amelia Earhart's Lockheed Vega 5B: This object is not on display at the National Air and Space Museum. It is either on loan or in storage.
Amelia Earhart's Records 1922-Feminine altitude record of 14,000 feet. 1928-First woman to fly across the Atlantic as a passenger in the Fokker F.VII Friendship. 1929-Feminine speed record. 1930-Feminine speed record. 1931-First woman to fly an autogiro. 1931-Autogiro altitude record of 18,415 feet. 1932-First woman (and only the second person) to fly solo and nonstop across the Atlantic. Also first person to cross the Atlantic twice by air. 1932-First woman to fly solo and nonstop across the United States. 1933-Reset her transcontinental record. 1935-First person to fly solo from Honolulu, Hawaii, to the U.S. mainland (Oakland, California). 1935-Speed record between Mexico City and Washington, D.C. 1935-First person to fly solo from Mexico City to Newark, New Jersey.
写真は,National Air and Space Museum - Smithsonian Institution・Amelia Earhart's Lockheed Vega 5B用。


⇒写真集Album:アメリア・イアハートのロッキード・ベガ(Lockheed Vega)"Little Red Bus"大西洋横断単独飛行を見る。


7.1928-1934年アメリア・イアハートのファッション・ブランド


写真(上)1928年7月11日、大西洋横断を成し遂げたアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)とクライスラー社からプレゼントされた新型オープンカー
:アメリアは、1928年6月17-18日、大西洋を横断飛行した飛行機パイロットだったので、もちろん自動車運転もできた。クライスラー社の広告塔として乗用車を贈答された。
Amelia Earhart with the Automobile Received from Chrysler Corporation, July 11, 1928 Skilled aviatrix Amelia Earhart came to national attention in 1928, when she was invited to become the first woman to fly the Atlantic--as a passenger. Wilmer Stutz flew the plane, with Louis Gordon as co-pilot, as the trio made their challenging--and successful--journey from Newfoundland to Wales. Upon her return, Earhart received this sporty automobile from Chrysler Corporation. Height: 6 in Width: 8 in
写真はThe Henry Ford, Benson Ford Research Center THF121575引用。


ジェンダー不平等・女性差別が当たり前で、体力的・精神的に女性は男性にはるかに劣る、女性は感情的なので機械の扱いや論理的思考はできない、とされた20世紀初め、空への憧れたアメリアは、女性であっても、飛行士として自由に飛び回れること、男女にかかわりなく自分の夢を叶えたいという強い意志と弛まぬ努力が大きな成果・業績を生み出すことを、世界に実証した。女性にも知性、勇気、行動力、論理性、沈着さがあることを示し、強固な意志があれば、男性と同等に立ち振る舞うことができることを証明した。

写真(右)1932-1933年、アメリカ、大西洋横断女流飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart)と彼女がデザインしたコート、軽量旅行用トランクなどのプロモーション服装のデザインも凝っていて、パラシュート用のシルクを使用したり、ナットを利用したボタン、ボールベアグを使ったベルトのバックルなども開発した。
Amelia Earhart Models Fashion Line
Amelia Earhart launched her our fashion line called "Amelia Fashions," designed for active women. Earhart initially used her own sewing machine, dress form, and seamstress to create her clothing. She even modeled her own designs for promotional spreads like this one. .
Copyright/Owner: Smithsonian Institution .
写真はSmithsonian Institution.Smithsonian's National Air and Space Museum ID #: SI-A-44451引用。


写真(右)1932-1933年、アメリカ、大西洋横断女流飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart)と彼女がデザインしたコート、軽量旅行用トランクなどのプロモーション服装のデザインも凝っていて、パラシュート用のシルクを使用したり、ナットを利用したボタン、ボールベアグを使ったベルトのバックルなども開発した。
Amelia Earhart luggage Unidentified photographer Gelatin silver print, c. 1932–33
Earhart demonstrated an entrepreneurial streak throughout her life, in part because she recognized that financial resources were necessary to maintain her flying career. Capitalizing on her popularity, Earhart began designing sportswear and lightweight luggage for women in the early 1930s. This product line was aimed at active women and featured shirts made of parachute silk.
Having made her own clothes prior to her fame, she enjoyed this venture. As she said at the time, she “had a grand time adapting a lot of airplane gadgets to my clothes,” including buttons made of wing nuts and belt buckles made of ball bearings.
When her clothing debuted in 1934, Earhart told reporters that it was designed in part with the tall woman in mind, since she had difficulty finding clothing that fit her: “You know, I’m taller than everyone except Mrs. Roosevelt.” ..
写真はSmithsonian Institution.National Portrait Gallery, ONE LIFE: Amelia Earhart 引用。


大西洋横断女流飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、飛行機を維持するために、知名度を利用してスポーツウェア、軽量旅行トランクなどをデザインし、活動的な女性たちに人気ブランド商品を生み出した。服装のデザインは、機能性を重視しつつ、飛行機やメカニックへのこだわりもあって、凝っていいる。パラシュート用のシルクを使用し、ナットを利用したボタン、ボールベアグを使ったベルトのバックルなども開発したのである。

アメリアは身長180センチ近くある背の高いモデルのような女性だったので、アメリカ女性飛行士の中でも特にもてはやされた。1932年5月20日に女性飛行士として初めてロッキード・ベガに単身搭乗、自ら全行程を操縦して大西洋を横断したことは、男性のチャールズ・リンドバークに匹敵するとされ、ヒロインとして喧伝された。こうした中で、「大西洋・太平洋飛行制覇」(大西洋・太平洋横断世界一周飛行)の企画が立ち上がり、アメリカ地理学会の企画も含め官学民の三社が共同でアメリアの世界一周飛行を支援することになる。



写真(右)1932-1933年、アメリカ、ワシントンDC、ホワイトハウス、初の大西洋単独横断飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と集まったアメリカ要人の夫人たち:アメリアは身長180センチ近くある背の高い女性だった。1932年5月20日に女性飛行士として初めてロッキード・ベガに単身搭乗、自ら全行程を操縦して大西洋を横断した。 その後、「大西洋・太平洋飛行制覇」(大西洋・太平洋横断世界一周飛行)の企画が立ち上がり、アメリカ地理学会の企画を官民学で支援することになった。
Title: [Amelia Earhart, center. White House, Washington, D.C.] Creator(s): Harris & Ewing, photographer Date Created/Published: [1932 or 1933]
Medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller Reproduction Number: LC-DIG-hec-36968
Call Number: LC-H2- B-5381 [P&P]
Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540
写真は,Library of Congress Reproduction Number: LC-DIG-hec-36968引用。


写真(右)1932-1935年頃、アメリカ、ロッキード・ベガで大西洋初の女性横断者の名誉を讃えられた時期のアメリア・イヤハート(Amelia Earhart:1897-1937):1928年6月17-18日、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)に乗客として搭乗、カナダから北アイルランドまで大西洋を無着陸横断した。これは女性初の大西洋横断飛行達成であり、リンドバーグによるニューヨーク=パリ間の大西洋単独横断初飛行に次ぐアメリカ人の二度目の快挙とされた。
Amelia Earhart Famous Women by her Lockheed "Vega" Picture on Mouse Pad mousepad Computer Desktop Supplies Amelia Earhart Available from these sellers. • Women in Aviation • Amelia Earhart • Fly around the World • Lockheed Aircraft flown by Amelia Earhart • Woman Adventurer .Product description This is a 9.25" x 7.75" Mouse Pad with cloth top and rubber non-skid bottom. Lifetime guarantee on image.
写真は,Amazon 引用。


写真(右)1932-1935年頃、アメリカ、ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C(登録コード:NR-965-Y)のエンジン・2翅プロペラ前でポーズをとったているアメリア・イアハート(Amelia Earhart):発動機は、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)空冷星形9気筒エンジン「ワスプC」(Wasp C) R-1340(排気量22L): 420-450 hpで信頼性が高かった。初期の低馬力エンジンでは2翅プロペラが普通だったが、出力向上に伴って3翅プロパラが普及し、第二次世界大戦末期には4翅プロペラが実用化された。
Amelia Earhart sitting outside the cockpit of her Vega Old Identification XV.C.5.e Purdue Identification Number b12f9i28 Title Amelia Earhart sitting outside the cockpit of her Vega Description Amelia Earhart sitting outside the cockpit of her Lockheed Vega airplane, ca. 1930s Date of Original 1930; 1931; 1932; 1933; 1934; 1935; 1936; 1937 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Lockheed Vega Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : sepia ; 20 x 25 cm. . Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections CD Number AECD_95 引用。



写真(上)1933年7月、大西洋横断を成し遂げたアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)とハドソン社からプレゼントされた1933年型クーペ・テラプレーン
:アメリアは、1933年5月、大西洋を単独横断飛行した飛行機パイロットだったので、もちろん自動車運転もできた。ハドソン社の広告塔として乗用車を贈答された。
Amelia Earhart with 1933 Hudson Terraplane Hudson introduced the inexpensive Terraplane in 1932, hoping to reverse sales declines caused by the Depression. For a car with an aviation-inspired name, there was no better endorsement than that of Amelia Earhart. The famed pilot christened the first Terraplane with a bottle of gasoline in a ceremony on July 22, 1932. Hudson gave Earhart a Terraplane coupe in appreciation. Dimensions Height: 8 in Width: 10 in
写真はThe Henry Ford, Benson Ford Research Center THF255743引用。


⇒写真集Album:アメリア・イアハート(Amelia Earhart)を見る。


8.1935年アメリア・イアハートのロッキード・ベガ5Cによるハワイ=本土の東太平洋横断

写真(右)1935年、アメリカ、愛機ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C(登録コード:NR-965-Y)のエンジン・2翅プロペラ前でポーズをとったているアメリア・イアハート(Amelia Earhart):発動機は、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)空冷星形9気筒エンジン「ワスプC」(Wasp C) R-1340(排気量22L): 420-450 hpで信頼性が高かった。初期の低馬力エンジンでは2翅プロペラが普通だったが、出力向上に伴って3翅プロパラが普及し、第二次世界大戦末期には4翅プロペラが実用化された。
Old Identification Number V.D.1.j Purdue Identification Number V.d.2.A Purdue Identification Number b10f5i15 Title Amelia Earhart in front of the propellers Description Amelia Earhart smiling in front of the propellers on her Lockheed Vega, ca. 1935 Date of Original 1935 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Lockheed Vega Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : b&w ; 20 x 25 cm. Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers .
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections CD Number AECD_95 引用。


アメリア・イアハート(Amelia Earhart)愛機ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C(登録コード:NR-965-Y)は、1935年初頭、カリフォルニア州ウィルミントン(Wilmington)港で、大型貨客船(総トン数1万8,163トン)「ルーライン」(SS Lurline)に積み込まれ、ハワイ諸島オアフ島ホノルルまで海上輸送されたた。この大型船「ルーライン」(SS Lurline)は、1882年設立のマトソン・ラインの運営する大型貨客船で、総トン数1万8,163トン、全長632 ft (193 m)、全幅 79 ft (24 m)、巡航速力 19 、姉妹船は3隻ある。

アメリアは、1935年1月に、ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C(登録コード:NR-965-Y)を操縦して、ハワイ諸島オアフ島ホノルルから、アメリカ本土西岸カリフォルニア州まで、東太平洋横断飛行を成功させた。

1935年1月11日―12日には、アメリア・イヤハートAmelia Earhart)は二代目愛機ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C (登録コードr/n NR-965Y)を単身操縦士、ハワイ諸島オアフ島(Oahu)ホノルルのウィーラー飛行場(Wheeler Field)から、アメリカ本土カリファルニア州オークランドまで東太平洋を越える単独横断飛行に成功した。アメリアのロッキード・ベガ5C(Lockheed Model 5C Vega:登録コードNX965Y)は、現地時間で1935年1月11日16時40分、ハワイ諸島オアフ島ホノルルのウィーラー飛行場(Wheeler Field)を発進、飛行時間18時間15分で、翌12日13時31分にカリフォルニア州オークランド(Oakland)に無事着陸した。これは、男女かかわらず、世界初のハワイ=アメリカ本土間の単独横断飛行だった。

⇒写真集Album:アメリア・イアハートのロッキード・ベガ(Lockheed Vega)"Little Red Bus"大西洋横断単独飛行を見る。


9.1936年イアハートのステアマン=ハモンド Y-1試験飛行

アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart)は、1931年にオートジャイロ(Autogiro)で最高高度記録1万8,415 フィート(5613m)を達成し、1932年5月、大西洋横断無着単独飛行に成功(史上初の女性・2番目の単独飛行・大西洋を2回横断した初の人物)。同じ1932年8月、アメリカ大陸を始めて無着陸横断に成功。1932年8月24日、アメリカ東岸ニュージャージー州ニューアークから、飛行19時間で、8月25日、西岸カリフォルニア州ロスアンゼルスに到着し、アメリカ大陸無着陸横断飛行に成功した。1935年1月11日、アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart)は太平洋上のハワイからカリフォルニア州まで東太平洋の単独横断飛行に成功した。

写真(右)1936年、アメリカ、アメリカ商務省商業飛行局のマークの入っているステアマン=ハモンド Y-1(Stearman-Hammond Y-1)を試験飛行するアメリア・イヤハート(Amelia Earhart):双胴ツインブーム低翼単葉機ステアマン=ハモンド Y-1Stearman-Hammond Y-1)は、エンジン125 hp (93 kW)が機体後方に装備され、プロペラは推進式だった。尾輪式では、プロペラが地面に接触してしまうので、機首下面に主輪を配置し、機体後方の2個の車輪で3点姿勢としたため、地上では水平な姿勢で駐機できた。アメリカ商務省商業飛行局のマークの入っている機体をアメリアは試乗している。

Title: [Amelia Earhart in airplane] Creator(s): Harris & Ewing, photographer Date Created/Published: [1936] Medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller Reproduction Number: LC-DIG-hec-40747 (digital file from original negative)
Call Number: LC-H2- B-10065 [P&P] [P&P] Medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller
写真は, Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA Library of Congress Reproduction Number: LC-DIG-hec-40747 引用。


ツインブーム低翼単葉機ステアマン=ハモンド Y-1Stearman-Hammond Y-1)の諸元
乗員: 1人 乗客: 1人
全長: 8.20 m (26 ft 11 in)
全高: 2.31 m (7 ft 7 in)
翼幅: 12.19 m(40 ft 0 in)
空虚重量: 635 kg (1,400 lb)
運用時重量: 975 kg (2,150 lb)
動力: メナスコ C-4S 空冷 倒立直列4気筒エンジン、110 kW (150 hp)1基
最高速力: 209 km/h (113 ノット) 130 マイル/高度3000 ft (915 m)
生産機数:20機


写真(上)1938年、アメリカ、ステアマン=ハモンド Y-1(Stearman-Hammond Y-1)
:双胴ツインブーム低翼単葉機ステアマン=ハモンド Y-1Stearman-Hammond Y-1)は、エンジン125 hp (93 kW)が機体後方に装備され、プロペラは推進式だった。
Description R. P. Bowman's new demonstrator at Alameda in 1938. Date 27 April 2010, 13:46 Source Stearman-Hammond Y-1S (NC15525) Author Bill Larkins
写真は Wikimedia Commons Category:Stearman-Hammond Y-1 File: Stearman-Hammond Y-1S (NC15525) (4558919232).jpg引用。


ステアマン=ハモンド Y-1(Stearman-Hammond Y-1)試作1号機の発動機は、メナスコ C-4エンジン125馬力(93 kW)で、推進式プロペラを装備したが、出力部族だったために、発動機はメナスコ C-4Sエンジン150馬力 (112 kW) に換装され、ステアマン=ハモンド Y-1S(Stearman-Hammond Y-1S)となった。アメリカ商務省商業飛行局は、安価で安全性の高い軽飛行機"Safe Aircraft" を望んでいたが、結果として、推進式プロペラの実験機的側面が強くなり、アメリカ海軍、アメリカ沿岸警備隊が試作的に使用した。


10.1937年アメリアのロッキード・エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra)による地球一周飛行


写真(上)1937年6月2日、南米ベネズエラ、カリピト(Caripito)飛行場、スタンダード石油の格納庫で給油を受けているアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)が愛機ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 :登録コード:NR16020)
:マイアミから、南米に飛翔し、ブラジルまで行きそこから大西洋を横断してアフリカ大陸に渡った。愛機の垂直尾翼には、登録コード:NR16020が記入されている。右手前には、双発飛行艇が待機している。
Old Identification Number xi.b.5.kk Purdue Identification Number b11f3i26 Title Amelia Earhart's 'flying laboratory' Description Amelia Earhart’s “flying laboratory” (Lockheed Electra) being pushed into Standard Oil Company’s hangar at Caripito Airport, June 2, 1937 Date of Original 1937-06-02 Subjects Lockheed Electra Caripito (Venezuela) Venezuela Hangars Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : b&w ; 18 x 24 cm. Date Digitized 01/16/2006 Resolution 600 ppi Color Depth 24 bit Color Management Monaco EZcolor using an IT8 target CD Number AECD_175
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・Purdue Identification Number b11f4i23 AECD_175 引用。

写真(右)1937年6月初旬、アフリカ東端、イタリア植民地エリトリア(Eritrea)、マサワ(Massawa)、ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)に乗り込むアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と見送る現地のイタリア軍将兵(短パン)らしい人物:コックピット上には最新式の方位航法装置ループアンテナがあり、機首には夜間照明2個が設置され、エンジンからは、集合排気管が1本伸びているのが見える。ここからアラビア海を降壇して、インド(パキスタン)のカラチに向かう。
Old Identification Number XI.B.15.f Purdue Identification Number Number XI.B.15.g Purdue Identification Number b11f5i82 Title Amelia Earhart entering the cockpit of her plane Description Amelia Earhart entering the cockpit of her plane with four people looking on, Massawa, Eritrea, ca. June 1937 [small photograph] Date of Original 1937-06 Lockheed Electra Extent of Original 1 photograph : b&w ; 8 x 6 cm. Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers Rights Statement Rights held by Purdue University Libraries Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/10/2006
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・AECD_176 Purdue Identification Number b11f5i81 引用。

 アメリア・イヤハートAmelia Earhart)は、1935年1月に、二代目愛機ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C (登録コードr/n NR-965Y)を単身操縦して、ハワイ諸島オアフ島からアメリカ本土カリフォルニア州オークランドまで、初の東太平洋横断単独飛行を成功させた。そして、1937年中に、世界一周赤道飛行に飛び立って、行け不明になった。

⇒写真集Album:アメリア・イアハートのロッキード・エレクトラ世界一周飛行を見る。



2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

⇒写真集Album:ライト・ベランカ (Wright-Bellanca WB-2)「コロンビア」の大西洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの大西洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ベランカCH-400「スカイロケット」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A-50「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W33「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇


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