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◆ユンカース(Junkers)G.31輸送機
写真(上)1927年以前、ドイツ・ユンカース(Junkers)G31輸送機
:ユンカースG24輸送機の発展型の全金属製低翼単葉機。全幅30.3 rn、全長16.2m、全高6.0m、主翼面積 94平方メートル、エンジン出力 3基合計1200馬力、搭載量 1115 kgから1355 kg、燃料(タンク6カ所)1300L(1050?)、キャビン容積21立方メートル、貨物室容積 8立方メートル、全備重量7700 kg
Description English: Junkers G.31 photos from NACA Aircraft Circular 54 Date 1 August 1927 Source https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19930094003.pdf Author NACA Aircraft Circulars
Wikimedia Commons, Category:Junkers G.31・File:Junkers G.31 left side photo NACA Aircraft Circular 54.jpg引用。



写真(上)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港、機首のエンジン前に踏み台を置いて、エンジン整備をしているドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen'
: G 31は、空港管制塔前で、タンクローリーから給油を受けている。今日の水準で言えば、小型の給油車だが、同時の飛行機にはこれで十分だった。ユンカースG31輸送機は、フランス製ノーム・エ・ローヌ(Gnome & Rhône)エンジンを搭載し1929年11月に飛行。これはJu-52の初飛行(1930年)の1年前である。
Collectie / Archief Fotocollectie Van de Poll Reportage / Serie Reportage Schiphol Beschrijving Een Junkers G31 wordt bijgetankt Datum 1933 Locatie Noord-Holland, Schiphol Trefwoorden luchtvaart, vliegtuigen, vliegvelden Instellingsnaam Schiphol Fotograaf Poll, Willem van de, [onbekend] Auteursrechthebbende Nationaal Archief
Wikimedia Commons, Category:Junkers G.31・"Nummer archiefinventaris bekijk toegang 2.24.14.02"引用引用。

◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。


1.ユンカース(Junkers)W33輸送機

写真(右)1928年,ユンカース(Junkers)F13輸送機:垂直尾翼は、鋭角の魚のひれ状になっているが、他のタイプもある。
Einmotoriges Verkehrsflugzeug D 282 Tiefdecker, Junkers F 13 auf dem Flugplatz Dresden-Heller.
Persons and corporations: Zusammenhang: Junkers und Co. GmbH .
Foto: Möbius, Walter, 1928 Aufn.-Nr.: df_ hauptkatalog_ 0006515.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0006515引用。


ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機キャビン(客室)は波板状ジェラルミンを使い外板を強化したために、胴体は鋼管フレームで直方体に仕上げることができた。そのため、搭載容積を増やし、客室底面を水平にするのが容易になった。 の内装は、高級感のある座席で、肩当付きのシートベルが装着されている。客室の大きなガラス窓は、視界が良く、遮光用のカーテンもついている。天井には、照明塔が備わっている。天井左右上方には、荷物棚はないが、機体後方に貨物室がある。

ユンカースが飛行機製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。

第一次世界大戦中の1915年、ドイツ帝国のヒューゴ・ユンカースは、主翼の新構造を打ち出した。それは、主翼を支柱や張金を張って主翼を支えるのではなく、それらを取り去り、空気抵抗を減少させた片持式主翼である。また、胴体の堅牢性を高めるために、内部骨格を減少させ重量軽減図る波型の金属外板を開発した。この片持式の低翼・単葉、波板の構造を活用し、戦後ユンカースが開発したのが、ユンカースF.13単発輸送機だった。

ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の胴体中央部のモノコック構造と主翼の付け根部分の骨組み:機体の構造・金属骨格がよくわかる。飛行機は、堅牢なだけでなく軽量化も必要で、フレーム・骨格には、重量軽減のためのの穴(ホール)が開けられている。右側が機首部分で、重量のあるエンジンを搭載するエンジン懸架の骨組みが強度を持たせてある。

ユンカースF.13旅客輸送機の生産機数は、ドイツ93機、ソ連49機、アメリカ26機、コロンビア17機、ポーランド16機、イタリア12機、日本・ボリビア各8機、フランス・フィンランド・オーストリア各7機、イギリス・ハンガリー・ペルシャ各6機、スウェーデン・スイス各5機、中国・トルコ各4機、ベルギー・スペイン・ラトビア・アルゼンチン各3機、ルーマニア・ブルガリア・オーストラリア・チリ各1機などと世界で300機以上生産・組み立てられている。

1920年、アメリカ、郵便輸送に使用されたユンカース・ラーセン( Junkers-Larsen)JL-6は、ユンカース・ラーセン社製造のユンカースF.13輸送機で、全部で8機生産された。

写真(右)1923年頃、ユンカース(Junkers)W.33輸送機(R-RDAH):登録コード:RR-DAHの ユンカースW.33輸送機は、製造番号c/n 658、一時期D-270、さらにR-RDAHとなり、 1923年8月、ソビエト連邦のドブロリョート(Dobrolet)航空に売却され、「フラシディウム」 'Prasidium WSNCh' となった。
Junkers, W.33 Catalog #: 01_00081556 Title: Junkers, W.33 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany ---Repository: San Diego Air and Space Museum
RR-DAH Junkers F13 658 D-270 R-RDAH Dobrolet 'Prasidium WSNCh' 00.08.23
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081556"引用。


アメリカのチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh:1928‐1974)は、1927年5月20日、スピリットオブセントルイス(ライアンNYP)を操縦し、アメリカのニューヨークを離陸し、5月21日、フランスのパリに着陸し、大都市間の大西洋単独無着陸飛行に成功した。彼が、大西洋を西から東に飛行したのは、地球の自転、偏西風の影響で、飛行にはプラスに作用するからである。他方、東から西ヘの大西洋横断は、遥かに困難が多かった。これに挑んだのが、ドイツのユンカースJunkers W 33輸送機「ブレーメン」”Bremen”である。

ユンカースJunkers W 33輸送機「ブレーメン」”Bremen”は、アイルランドのバルドネルを出発し、大西洋を西に向かって飛行し、カナダのグリー二ー島(51.38度、N 57.19度)まで、飛行することに成功した。これは、世界初の、大西洋の東から西への横断飛行である。現在、復元された機体が、ドイツのブレーメン空港に展示されている。

ユンカースJunkers W 33輸送機の諸元
初飛行:1926年
搭乗員: 2人
発動機:ユンカース(Junkers) L5エンジン228 kW(310馬力)1基
全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m
全高: 2,90 m
主翼面積 43平方メートル
最高速度: 197 km/h
重量:2100 kg

ユンカース(Junkers)F.13 輸送機は、ドイツ・ルフトハンザ航空のほかにも、ヨーロッパ、アメリカの航空会社で採用され、日本でもF.13輸送機2機を輸入して、双フロートの水上輸送機として大阪ー高松ー松山の航路に就役した。


2.ユンカース(Junkers)G 31輸送機


写真(右)1925年,ユンカース(Junkers)G31輸送機
:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備している。主翼の下面に夜間の滑走に使用するのか照明用ライトを装備している。機首エンジンには集合排気管がないが、主翼エンジンには、集合排気管が接続されている。
Title: Junkers G 31
Caption: Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug
Dating: ca. 1925
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories: Nose, View Collection, Junkers G 31, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft
Record Name: Ans_05338-02-158-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-158-AL-FL引用。


ユンカース(Junker)G 31輸送機は、1920年代に13機と少数生産されたユンカース社の当時の大型輸送機で初飛行は1926年で、ju-52の初飛行1930年より4年早い。しかし、機体の構造は、Ju-52と酷似しており、Ju-52に設計が引き継がれていることがわかる。

写真(右)1925年,飛行場を離陸するユンカース(Junkers)G31輸送機:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備している。機首から集合排気管が胴体の中ほどまで伸びているが、これは乗客の窓からの視界を排気煙で妨げないようにするためである。回転しているプロペラは、大きく歪んで見える。
Title: Junkers G 31 Caption: Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug
Dating: ca. 1925 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories: Reportage photography, View Collection, Unknown, Junkers G 31, Propeller-driven aircraft, Freight aircraft, Fuelling
Record Name: Ans_05338-02-156-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-156-AL-FL 引用。



写真(右)1929年5月,ユンカース(Junkers)G31ba輸送機(登録コード D-1073)の尾部
:尾翼は2枚ある双垂直尾翼式である。G38大型輸送機も3枚尾翼を採用しているが、後継のJu52三発輸送機は、単垂直尾翼に戻っている。この機体が装備したのは、BMW VI液冷V12型エンジン3基である。しかし、後の多くのG31三発輸送機は、空冷星形9気筒エンジンを装備している。
Photographer: Photographisches Institut der ETH Zürich Title: Junkers G31ba, D-1073, abklappbare Rumpfendspitze Caption: Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs
Dating: 5/1929  Format: 9 x 12 cm
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: 8,5 x 10 cm
License: CC BY-SA 4.0 Availability: Free download and use
Copyright Notice: ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv / Fotograf: Heim, Arnold / Dia_011-064 / CC BY-SA 4.0
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name: PI_29-B-0223 引用。



写真(上)1927年,スウェーデン、 液冷V型12気筒エンジン3基を装備したドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機
:固定式の主輪。機首・主翼に装備したユンカースL5液冷V型12気筒エンジンあるいはBMW VI液冷12気筒エンジンには、2翅プロペラが回転している。
Junkersplan G 31, 1927. Creator: Okänd Creation date: 1927-01-01
Publisher: Tekniska museet Institution: Tekniska museet Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden First published in Europeana: 2019-04-26
Dataset: 916118_Ag_SE_Tekniskamuseet.
写真は,Tekniska museet・TEKA0121875引用。



写真(上)1925年,ユンカース(Junkers)G31輸送機
:機首と主翼にはユモ(Jumo)L 2液冷エンジンを合計3基装備している。機首から集合排気管が胴体の中ほどまで伸びているが、これは乗客の窓からの視界を排気煙で妨げないようにするためである。プロペラは、長大な2翅で、エンジンカウリングがついている。
Title: Junkers G 31 Caption: Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug Dating: ca. 1925 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Categories: Reportage photography, View Collection, Unknown, Junkers G 31, Propeller-driven aircraft, Freight aircraft, Fuelling Record Name: Ans_05338-02-155-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-155-AL-FL 引用。


写真(右)1925年,飛行するユンカース(Junkers)G31輸送機:機首と主翼にはユモL2液冷エンジンを合計3基装備している。双尾翼式なので、G24輸送機、Ju52輸送機との識別は容易である。機首エンジンには集合排気管がないが、主翼エンジンには、集合排気管が接続されている。
Title: Junkers G 31 Caption: Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug Dating: ca. 1925 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Categories: Junkers, View Collection, Junkers G 31, Reportage photography, Propeller-driven aircraft, low altitude (oblique) Record Name: Ans_05338-02-153-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-153-AL-FL 引用。



写真(右)1925年,ユンカース(Junkers)G31旅客輸送機のキャビン(客室)

Photographer: Unbekannt
Title: Junkers G 31, Kabineninnenansicht
Caption: Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug
Dating: ca. 1925
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Impressum: Physical Description:
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Vertical Format: Other size Special Size: ohne Angabe
Categories: View Collection, Junkers G 31, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Cabin
Record Name: Ans_05338-02-157-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-157-AL-FL引用。


ユンカース(Junkers)G31旅客輸送機は、ユンカースG24輸送機の後継機で、1926年にドイツルフトハンザ航空が採用している。G31ス早期のニックネームは、その豪華さを反映して、「空飛ぶダイニング・カー」('flying dining car':'fliegender Speisewagen')である。

G31旅客輸送機キャビン(客室)の内装は、クッションの聞いた座席は、革製かプラスチック製のようだが、いずれも大きな窓の際で、視界が良い。窓の近くには、喫煙者用に小型の灰皿も付けられている。ただし、主翼に近いので、下方の景観は良く見えないかもしれない。

ユンカース(Junkers)G31旅客輸送機のキャビン(客室)座席近くにはつり革や把手がないが、これは荷物棚の枠で代用されている。通路の左右上方には、ネット式の荷物棚が設けられている。キャビンの仕切りは、構造上、胴体に強度を持たせるためのもの。天井には、照明塔が備わっている。F13輸送機やG24輸送機よりもだいぶゆったりとした空間となっている。

写真(右)1931年,ドイツ、デッサウ、ユンカース航空機製造所、ユンカース(Junkers)G31輸送機の寝台キャビン:後年のアメリカ、ダグラスDC-3と同じく、G.31輸送機は、当初、寝台輸送機として開発、生産された。
Verkehrsflugzeug Junkers G-31. Kabine mit 10 Betten. Teilansicht in Richtung Flugzeuglängsachse
Datensatz 87705506
Urheber: Junkers Flugzeugwerk AG , Herstellerfirma
Foto: Unbekannter Fotograf, Techno-Photo Archiv Berlin, 1930
Reproduktionsnegativ (Glas, 9/12 cm)
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0017981 引用。


ユンカース(Junkers)G31旅客輸送機は、ユンカースG24輸送機と対照的に、G31輸送機は商業的には失敗で、僅か13機が販売できただけだった。G24輸送機が民間用に54機、軍用(輸出型)に 30機以上販売できたから、G31は、キャビン(客室)座席豪華さなど機体価格が高くなり、維持経費も嵩んでしまったらしい。そこで、ユンカースの次回作はG24輸送機を踏まえて、より経済性を追求したものとなった。

写真(右)1930年以降、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)のユンカース(Junker)G-31輸送機 の客室内部・寝台の二段ベット:天井脇には、ネット式の荷物棚。窓には換気可能な開閉扉、上空では大きく窓を開けることはないので、取り外し可能な窓枠が備わっている。窓枠には、取り外し・取り付けに使用する把手がついている。
Junkers, G.31 Catalog #: 01_00081553
Title: Junkers, G.31 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany 73F78
写真は,SDASM Archives登録・"Catalog #: 01_00081553"引用。


ユンカース(Junkers)G31旅客輸送機の客室内装は、現代の旅客機と基本的に同じである。しかし、決定的な差は、客室内の気圧にある。1930年代には、与圧室は実用化できておらず、高空を飛べば、気圧が下がるために、心身に負担がかかったしまう。

また、高空になるほど気温が低下して、摂氏10度を下回れば、暖房も必要になるが、このエアコン設備は、当時、十分ではなかった。

 さらに、飛行機のエンジン音は、自動車エンジン以上に大馬力である短目に、異常に大きく、プロペラが回転して空気を切る音も大きい。つまり、飛行中の爆音も乗客にとって悩みの種である。

写真(右)1930年以降、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)のユンカース(Junker)G-31輸送機 の客室内部・ソファーに腰掛ける婦人・寝台の二段ベットで休む乗客:天井脇には、ネット式の荷物棚。重量軽減のために配慮しているのであろう。
Junkers, G.31 Catalog #: 01_00081554
Title: Junkers, G.31 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany 73F78
写真は,SDASM Archives登録・"Catalog #: 01_00081554"引用。


 今日の旅客機では、客室内の気圧は、高度が上が手も低下しない。それは、客室が密閉され、室内に空気が注ぎ込まれているからで、これはジェットエンジンを使ってコンプレッサー(圧力器)を駆動させればよい。

しかし、ピストンエンジンのプロペラ機では、ジェットエンジンと異なりコンプレッサー(圧力器)を駆動するために別途動力を搭載するのが一般的だった。ドイツでは、第二次大戦中に与圧室を実現したものの、本格的に長時間高高度を飛行する偵察機・爆撃機の与圧室は、最後まで実用化が困難だった。コンプレッサー用のエンジンを別途装備すればよいが、これでは重量増加、飛行性能の低下が招来されてしまうのである。

また、高空になるほど室内と外気との気圧差が大きくなるため、密閉するとしても、圧力差に耐えられるだけの耐久性・堅牢性が必要となる。室内構造を頑丈にすれば、重量が嵩んでしまうので、簡単に与圧室を実用化することはできなかった。


写真(上)1925年,ドイツ、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機
:固定式の主輪のところには、作業をしている地上整備員が見えるが、それと比較すると車輪の直径は1.5mくらいあるようだ。機首は4翅プロペラ、主翼は4翅あるいは2翅プロペラを装備。
Title:Junkers G 31 Caption: Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug
Dating: ca. 1925
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Categories: Nose, Propellers, View Collection, Junkers G 31, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Lufthansa (DLH) Record Name: Ans_05338-02-163-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-163-AL-FL引用。



写真(右)1939年8月14日,アフリカ、ユンカース(Junkers)G31輸送機と機体に乗った上半身裸のアフリカ系黒人たち
:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備し、エンジンは集合排気管ではなく、各シリンダーから廃棄を直接排出する単排気管が採用されている。集合排気管では、排気管が高熱となり、熱帯地域での運航には適していなかったと考えられる。
Photographer: Heim, Arnold Title: Bulolo, Junkers G 31
Dating: 14.8.1939
Physical Description: Photography : glass-plate positive
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: 8,5 x 10 cm
License: CC BY-SA 4.0 Availability: Free download and use
Copyright Notice: ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv / Fotograf: Heim, Arnold / Dia_011-064 / CC BY-SA 4.0
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name: Dia_011-064 引用。


写真(右)1930年9月,ドイツ、ベルリン、テンペルホーフ飛行場、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機「ドクター・コール」 "Dr Köhl”の機首:1928年に製造、15人乗り旅客機。エンジンから集合排気管が後方に伸びているが、これは排気煙がパイロットや乗客の視界を妨げないようにするためである。機首・主翼のプロペラは4翅を装備している。
Deutsche Luftfestspiele
Datensatz 90089203
Eschen, Fritz: Deutsche Luftfestspiele, 1930.09
Bauwerk: Flughafen Tempelhof (Flughafen Berlin-Tempelhof)
Beschreibung: Berlin-Tempelhof. Ein dreimotorige Junker G 31 (Baujahr 1928), ein Reiseflugzeug für 15 Passagiere, getauft auf den Namen Dr. Köhl
Location: Berlin-Tempelhof
Integrated Authority File (GND) Eschen, Fritz.
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_e_0005062引用。


ユンカース(Junkers)G31三発輸送機は、当初、ドイツのユンカースL5液冷V型12気筒エンジン、BMW VI液冷12気筒エンジンなど液冷V型12気筒エンジンを採用した。しかし、整備しやすさを優先したためか、後の生産型は、フランスのノーム・エ・ローヌ(Gnome et Rhone)、ドイツのジーメンス(Siemens)製造のブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter)、BMW製造のプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690「ホーネット」 Hornetなど空冷星形9気筒エンジンを装備するようになった。


写真(上)1925年,ユンカース(Junkers)G31輸送機「ヘルマン・コール」"Hermann Köhl"(登録コード:D 1310・製造番号Wnr.3002)の整備
:主翼根元に移動式階段を置いて、コックピットを外側から整備している。プロペラは、長大な2翅で、エンジンカウリングがないので、整備員が主翼の上でエンジン整備をしている。ヘルマン・コール(1888-1938)はユンカースW 33輸送機「ブレーメン」で、1928年4月12・13日に大西洋を東から西に初めて横断したパイロットで、機体名称はそれを冠している。
Title: Junkers G 31, D 1310 "Hermann Köhl" Dating: ca. 1925 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Categories: Reportage photography, View Collection, Unknown, Junkers G 31, Propeller-driven aircraft, Freight aircraft, Fuelling Record Name: Ans_05338-02-194-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-194-AL-FL引用。



写真(上)1926年以降,ドイツ、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機(登録コード:D 1310)「ヘルマン・コール」 "Hermann Köhl”(登録コード:D 1310・製造番号Wnr.3002)の機首
:機首エンジンから集合排気管が下方に、主翼エンジンナセルの上後方に伸びているが、これは排気煙がパイロットや乗客の視界を妨げないようにするためである。機首・主翼のプロペラは2翅を装備。
Verkehrs- und Frachtflugzeug Junkers G-31 de "Hermann Köhl" (Kennung D-1310, Werknummer 3002) auf einer Graspiste
Datensatz 70046994  Foto: Unbekannter Fotograf, nach 1926
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0018226引用。


写真(右)1929年5月,ユンカース(Junkers)G31輸送機(右)とF.13輸送機(左)の生産ライン:右手前には、主翼が前縁を下にして二枚あわせて設置されている。主翼は、胴体の左右に別々の取り付ける構造である。F13輸送機のエンジンマウントは、機体構造と一体化されている。
Title: Montagehalle der Firma Junkers, mit Flugzeugen und Flugzeugteilen (Typ F 13 und Typs G 31)
Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs
Dating: 5/1929 Reproduction photography : glass-plate negative Format: 9 x 12 cm
Categories: Photographisches Institut der ETH Zürich, ETH, Photographical Institut, 1929, Junkers G 23[風防の形状からG31の誤り], Junkers F 13, Aircrafts, Aircraft construction, Product photography, Propeller-driven aircraft, Buildings of the machinery-, metalworking-, electical- and automotive industries Record Name: PI_29-B-0168.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・PI_29-B-0168引用。


ユンカース(Junker)G 31輸送機は、1926年初飛行、乗客15人名で、1930年初飛行のju-52輸送機(乗客18名)の4年前に完成した原型ともいえる機体であ、G.31の設計・機体構造は、Ju-52にそのまま引き継がれている。

写真(右)1930年以前,ドイツ、ベルリン、テンペルホーフ飛行場、ドイツ製ユンカース(Junkers) G 31輸送機とハンガリーのバンヒディ(Lampich)L-2 ローマ(Róma)軽飛行機:バンヒディ(Lampich)L-2 ローマ(Róma)は、ハンガリー人の設計技師アンタル・バンヒディの設計になる。
Magyar: Bánhidy Antal Róma nevű repülőgépe a berlini repülőtéren Date before 1930 Source Pesti Napló 1850-1930 ajándék album Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Bánhidy Antal3.jpg"引用。


写真(右)1931年頃,ドイツ、ドレスデン飛行場、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機:幼い女の子を記念に撮影しているが、主翼の下では整備員が作業中で、主翼後方に圧搾空気を補充するタンク運搬車がみえる。プロペラは2翅。機首エンジンからは、集合排気管がエンジン側方からコックピット脇を通り、後方に伸びている。主翼エンジンの集合排気管が、主翼下面に伸びている。これは、エンジン排気煙が司会を妨げないための措置である。エンジンにはカウリング(覆い)がなく、剥き出しになっている。エンジン冷却効果が大きいが、エンジンが風雨にさらされるので、腐食しやすくなる。
Flugplatz Dresden-Heller, Verkehrsflugzeug Junkers G 31
Datensatz 70058765
Location: Dresden-Heller
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0304978引用。


写真(右)1931年,ドイツ、ベルリン、シュターケン、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機「ヴェストマルク」 "Westmark”(1930年製造)の機首エンジンの整備:エンジンにはカウリング(覆い)がなく、むき出しになっているが、この方がエンジン冷却効果が大きいからであろう。しかし、カウリングなしだとエンジンが風雨にさらされ、腐食しやすくなるという欠点がある。
Flugzeug-Sanatorium der Lufthansa
Datensatz 87705018
Eschen, Fritz: Flugzeug-Sanatorium der Lufthansa, 1931 Beschreibung: Ehemalige Zeppelinwerft bei Staaken. Ein Junkers G 31, Baujahr 1930 wird gewartet
Location: Standort: Staaken, Flugzeughalle
Foto: Eschen, Fritz, 1931
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_e_0006582引用。


ユンカースJunkers G 31輸送機諸元:
乗員:パイロット2人、航法・電信員各1人、乗客15人(夜間寝台は10人)
全長: 16.50 m (54 ft 1 in)、全幅: 30.50 m (100 ft in)、全高: 6.00 m (19 ft 8 in)、主翼面積: 102.0 平方メートル
空虚重量: 5,250 kg (11,590 lb) 全備重量: 8,500 kg (18,760 lb)
エンジン: 3 × BMW-built Pratt & Whitney Hornet, 386 kW (525 hp) 
最高速度: 210 km/h (131 mph)、巡航速度: 170 km/h (106 mph)
航続距離: 850 km (528 miles)、航続時間: 5 時間
実用上昇限度: 4400 m (14,400 ft)、上昇率: 3 m/秒 (10 ft/min)



写真(上)1930年以降,ドイツ、離陸するユンカース(Junkers)G31輸送機「ヴェストマルク」 "Westmark”(1930年製造)

Junkers-Verkehrsflugzeug G 31
Datensatz 70046999 Hahn, Walter: Junkers-Verkehrsflugzeug G 31
Foto: Hahn, Walter
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0307391引用。


ユンカースG31輸送機は、1926年初飛行、ju-52の初飛行(1930年)の4年前である。ただし、G31の構造は、Ju-52にそのまま引き継がれている。後年のアメリカ、ダグラスDC-3と同じく、G.31輸送機は、当初、寝台輸送機として開発、生産された。

写真(右)1930年頃、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)のユンカース(Junker)G-31輸送機(D-1310):右の小型装軌牽引車でG.31を所定の位置まで牽引するようだ。
Junkers, G.31 Catalog #: 01_00081552 Title: Junkers, G.31
Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: G.31 Tags: Junkers, G.31
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives引用。


ユンカース(Junkers) G 31輸送機諸元:
乗員:パイロット2人、航法・電信員各1人、乗客15人(夜間寝台は10人)
全長: 16.50 m、全幅: 30.50 m
全高: 6.00 m
主翼面積: 102.0 平方メートル
空虚重量: 5,250 kg
全備重量: 8,500 kg
エンジン: 3 × BMW-built Pratt & Whitney Hornet, 386 kW (525 hp) 
最高速度: 210 km/h
巡航速度: 170 km/h
航続距離: 850 km
航続時間: 5 時間
実用上昇限度: 4400 m
上昇率: 3 m/秒

写真(右)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen' :ユンカースG31輸送機は、ノーム・エ・ローヌ(Gnome & Rhône)社のエンジンを搭載し、機首は3翅プロペラ、主翼は2翅プロペラを装備している。1929年11月に飛行したので、ju-52の初飛行(1930年)の1年前である。集合排気管で、排気煙を胴体後方まで送り、操縦席や客室に排気煙の影響が出ないようにしている。
Collectie / Archief Fotocollectie Van de Poll Reportage / Serie Reportage Schiphol Beschrijving
Een Junkers G 31, D-1770 'Preussen' van de Deutsche Luft Hansa AG. Annotatie
De Gnome & Rhône-motoren zijn duidelijk zichtbaar. Het toestel werd in november 1929 in gebruik genomen.
Datum 1933
Locatie Noord-Holland, Schiphol
Trefwoorden luchtvaart, luchtvaartmaatschappijen, vliegtuigen, vliegvelden Instellingsnaam Schiphol Fotograaf Poll, Willem van de, [onbekend] Auteursrechthebbende Nationaal Archief
写真は,Nationaal Archief "Nummer archiefinventaris bekijk toegang 2.24.14.02"引用。


ユンカース(Junker)G 31輸送機は、発動機は、フランスのノーム・エ・ローヌ(Gnome & Rhône)社のエンジンを搭載し、Ju-52の初飛行(1930年)の1年前、1929年11月に飛行した。

写真(右)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港、荷物移動用カートを胴体脇において荷物を下ろしているドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen' :1933年1月30日のヒトラー首相就任以来、ドイツ航空機の国籍マークには、ナチ党逆卍カギ十字(スワスチカ)が描かれることになった。これは、垂直尾翼に赤帯に白丸、その中にスワスチカを記入したものである。
Collectie / Archief Fotocollectie Van de Poll Reportage / Serie Reportage Schiphol Beschrijving Junkers G 31 D-1770 Preussen van Lufthansa met een hakenkruis op de staart op Schiphol Datum 1933 Locatie Noord-Holland, Schiphol Trefwoorden luchtvaart, luchtvaartmaatschappijen, vliegtuigen, vliegvelden Instellingsnaam Schiphol Fotograaf Poll, Willem van de, [onbekend] Auteursrechthebbende Nationaal Archief
写真は,Nationaal Archief "Bestanddeelnummer 189-0846"引用。


写真(右)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港、荷物移動用カートを胴体脇において荷物を下ろしているドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen' :1933年1月30日のヒトラー首相就任以来、ドイツ航空機の国籍マークには、ナチ党逆卍カギ十字(スワスチカ)が描かれることになった。これは、垂直尾翼に赤帯に白丸、その中にスワスチカを記入したものである。
Collectie / Archief Fotocollectie Van de Poll Reportage / Serie Reportage Schiphol Beschrijving Junkers G 31 D-1770 Preussen van Lufthansa met een hakenkruis op de staart op Schiphol Datum 1933 Locatie Noord-Holland, Schiphol Trefwoorden luchtvaart, luchtvaartmaatschappijen, vliegtuigen, vliegvelden Instellingsnaam Schiphol Fotograaf Poll, Willem van de, [onbekend] Auteursrechthebbende Nationaal Archief
写真は,Nationaal Archief "Bestanddeelnummer 189-0846"引用。


写真(右)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港の管制塔の前に駐機して、スタンダード・オイル社の給油車から航空燃料を補給しているドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen' :今日の水準では、小型の給油車であるが、当時の航続距離・飛行機重量を考えると、これで十分だったのであろう。
Een Junkers G31 wordt bijgetanktFotocollectie Van de Poll Collectie / Archief Fotocollectie Van de Poll Reportage / Serie Reporta Beschrijving Een Junkers Datum 1933 Locatie Noord-Holland, Schiphol Trefwoorden luchtvaart, vlie Instellingsnamen Schiphol Fotograaf Poll, Willem van de, [onbekend] Auteursrechthebbende Nationaal Archief, CC0 Materiaalsoort Nummer toegang 2.24.14.02 Bestanddeelnummer 189-0848
写真は,Nationaal Archief "Bestanddeelnummer 189-0848"引用。


1870年にジョン・ロックフェラー(John Davison Rockefeller: 1839-1937)がアメリカに設立したスタンダード・オイル(Standard Oil Company)は、石油精製の標準化を目指し、石油の流通を支配した巨大企業である。20世紀初頭には、石油を小分けするために、容積55ガロン(204リットル)のドラム缶が普及した。1911年、連邦高裁の反トラスト法違反の判決を受け、スタンダード・オイルは分割されたが モービル、シェブロン、エッソを含めスタンダード系企業の市場支配力は大きかった。

写真(右)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港、格納庫(ハンガー)で待機中のドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen' :機首に踏み台を置いて、エンジンの整備をしている様だ。
Collectie / Archief Fotocollectie Van de Poll Reportage / Serie Reportage Schiphol Beschrijving Hangar op Schiphol met Junker-vliegtuigen Datum 1933 Locatie Noord-Holland, Schiphol Trefwoorden luchtvaart, luchtvaartmaatschappijen, vliegtuigen, vliegvelden Instellingsnaam Schiphol Fotograaf Poll, Willem van de, [onbekend] Auteursrechthebbende Nationaal Archief
写真は,Nationaal Archief "Bestanddeelnummer 189-0376"引用。


ユンカース(Junker)G 31輸送機の装備したエンジンは、当初は、ユンカースL5液冷エンジンあるいはBMW VII液冷エンジンのような液冷V型12気筒エンジンだった。しかし、エンジンの普及度合い、整備のしやすさ、輸出の都合を考慮して、フランスのノーム・エ・ローヌ(Gnome & Rhône)社のエンジンであり、Ju-52のBMW ホーネット(Hornet / BMW 132 )やプラット・アンド・ホイットニー R-1690(P&W Hornet)空冷星形9気筒エンジンを装備するユンカース(Junker)G 31輸送機も開発された。生産機数で言えば、空冷エンジン搭載のユンカース(Junker)G 31輸送機のほうが多い。

写真(右)1932年7月,ベルリン、ユンカースJunkers G 31輸送機から登場したサンタクロース:Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-14104 Original title: info Wer will mit dem Weihnachtsmann mitfliegen! Berliner Kindern wurde Gelegenheit gegeben, auf dem Flughafen in Berlin für 2,50 Mark einen Rundflug mit dem Weihnachtsmann zu machen. Archive title: Berlin.- Weihnachtsmann vor Backbordtür eines Flugzeugs Junkers G 31, Kinder Dating: Dezember 1932 Photographer: Pahl, Georg Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 102-14104"引用。


 ユンカース(Junker)G 31輸送機の諸元
乗員 4名、乗客 16名
全幅(スパン) 17,30 m、全長 30,30 m、全高 6,00 m
巡航速力 180 km/h、最高速力 211 km/h
航続距離 1.050 km
発動機 BMW ホーネット(Hornet)9気筒空冷星形エンジン(523 馬力)

写真(右)1933年以降、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)のユンカース(Junker)G-31輸送機 (登録コード:D-1310):垂直尾翼に赤帯、白丸、黒の逆卍は、ドイツの国籍指標である。
1 fly på bakken, Junkers Ju G 31, D-1310 fra Lufthansa. Står ute på åpen gresskledt plass, ant. lufthavn. Fotografering: 1930 (a) Produsent: Olsen, Fred sikker Aksesjon: 1997 Identifier: NL.98220009 Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum Date published: December 19, 2014 Date updated: December 19, 2014 DIMU-CODE: 021015697279 UUID: A1C26CF3-20D5-4E37-AE34-50994A47CE67
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・"Identifier: NL.98220009 "引用。


写真(右)1935年,ドイツ・ルフトハンザが就役させているユンカース(Junkers)G31輸送機(登録コード:D-1310)の飛行中の姿:このG31輸送機は、BMW132空冷星形エンジン3基を装備してマウントは、機体構造と一体化されている。
Photographer: Atelier Nolte (Berlin) Title: Deutsche Luft Hansa A.G., Grossflugzeug "Junkers G-31" im Fluge Immatrikulation D-1310 Dating: ca. 1935 Physical Description: Photography : paper print Colour: black and white Special Size: 9,5 x 14,5 cm, Ausschnitt 8,5 x 11,5 cm Categories: Atelier Nolte (Berlin), View Collection, Junkers G 31, Product photography, Propeller-driven aircraft, 1931-1940 Record Name: Ans_05035-493.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05035-493引用。


写真(右)1938年以前,ニューギニア島東部、ラエ、オースチン・クレーン車(Austin 7)で胴体上面貨物ハッチから乗用車を吊上げ積み下ろしているドイツ製ユンカース(Junkers) G 31輸送機(VH-UOW)::オーストラリアの飛行家(Charles Raymond Gurney:1906-1942/5/2)の撮影になる。線路上の大型クレーンを使用して胴体上部の大型貨物出し入れ口から自動車を吊上げている。
Description English: Title: Het laden van een stoomketel voor de Bulolo goudmijn in een vliegtuig in Australisch Nieuw-Guinea Shelfmark: KITLV 402580 Subject (topical): Aircraft Gold Mining Subject (geographic): Papua New Guinea Language: No linguistic content Country: No place, unknown, or undetermined Published: [Circa 1938] Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:846686 Extent: Digital image Date Unknown date
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Austin 7 car being loaded in Junkers G 31 at Lae - 1933 (C R Gurney).jpg"引用。


写真(右)1933年頃,ニューギニア島東部、ラエ、オースチン・クレーン車(Austin 7)で乗用車積み下ろし作業中のオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW):オーストラリア委任統治領のニューギニアの鉱山会社が使用した貨物機で、開放型コックピット(open cockpit)で、胴体中央上面に3.60 m × 1.50 m (11 ft 10 in × 5 ft) の貨物ハッチを設置。線路上の大型クレーンを使用している。
Title: Het lossen van een Junkers G31 vrachtvilegtuig, de Bulolo 1, in de Territory of Papua Shelfmark: KITLV 1404231 Subject (topical): Aircraft Transport Subject (geographic): Papua New Guinea Language: No linguistic content Country: No place, unknown, or undetermined Published: [Between 1931 and 1939] Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:856023 Extent: Digital image Date Unknown
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Het lossen van een Junkers G31 vrachtvilegtuig, de Bulolo 1, in de Territory of Papua, KITLV 1404231.tiff"引用。


ユンカース(Junkers) G 31輸送機の各型式
G 31.1 – 試作機prototype ユンカース(Junkers)L5 エンジン3基搭載
G 31.2 – G 31.1の中央の発動機を BMW VI液冷エンジンに換装
G 31ba – G 31.2の量産型
G 31de – 発動機をグローム・ローン(Gnome et Rhone)製ブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter) VI エンジン搭載、密閉式コックピット採用
G 31fi – 発動機をジーメンス(Siemens)製ブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter)エンジン搭載、主翼と胴体を大型化した。
G 31fo – BMW製プラット・ホイットニー(Pratt & Whitney)ホーネット(Hornet)空冷星形エンジン3基搭載
G 31ho – G 31foの中央発動機をプラット・ホイットニー(Pratt & Whitney)ホーネット(Hornet)空冷星形エンジンとした。
G 31go – ニューギニア(New Guinea)で使用する貨物機で、開放型コックピット(open cockpit)で、胴体中央上面に3.60 m × 1.50 m (11 ft 10 in × 5 ft) の貨物ハッチを設置


写真(上)1933年,ニューギニア島(Papua New Guinea)東部、ラエ、オースチン・クレーン車(Austin 7)で貨物の積み下ろしをしているオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)
::オーストラリアの飛行家(Charles Raymond Gurney:1906-1942/5/2)の撮影になる。線路上の大型クレーンを使用している。
Title: Het lossen van een Junkers G31 vrachtvilegtuig, de Bulolo 1, in de Territory of Papua Shelfmark: KITLV 1404230 Subject (topical): Aircraft Transport Subject (geographic): Papua New Guinea Language: No linguistic content Country: No place, unknown, or undetermined Published: [Between 1931 and 1939] Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:856538 Extent: Digital image
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Het laden van een stoomketel voor de Bulolo goudmijn in een vliegtuig in Australisch Nieuw-Guinea, KITLV 402580.tiff"引用。


写真(右)1933年,ニューギニア島(Papua New Guinea)東部、ラエ(Lae)、オースチン・クレーン車(Austin 7)で胴体上面貨物ハッチから貨物を吊上げ中のオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW):オーストラリアの飛行家(Charles Raymond Gurney:1906-1942/5/2)の撮影になる。線路上の大型クレーンを使用して、タンクを吊上げている。ニューギニア島では、金鉱など鉱物資源の採掘がはじまっていた。
Title: Het lossen van een Junkers G31 vrachtvilegtuig, de Bulolo 1, in de Territory of Papua Shelfmark: KITLV 1404231 Subject (topical): Aircraft Transport Subject (geographic): Papua New Guinea Language: No linguistic content Country: No place, unknown, or undetermined Published: [Between 1931 and 1939] Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:856023 Extent: Digital image Date Unknown
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Het lossen van een Junkers G31 vrachtvilegtuig, de Bulolo 1, in de Territory of Papua, KITLV 1404230.tiff"引用。


オーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)は、オーストラリア委任統治領のニューギニアの鉱山会社が使用した貨物機で、開放型コックピット(open cockpit)で、胴体中央上面に3.60 m × 1.50 m (11 ft 10 in × 5 ft) の貨物ハッチを設置。


写真(上)1935年,ニューギニア島(Papua New Guinea)東部、ラエ(Lae)、オースチン・クレーン車(Austin 7)で木製荷台に入れた家畜の牛を積み下ろしているニューギニア航空のオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)
:開放型コックピット(open cockpit)で、胴体中央上面に3.60 m × 1.50 m (11 ft 10 in × 5 ft) の貨物ハッチを設置。
English: Title: Uitladen van vee uit een driemotorige vliegtuig van Maatschappij Guinea Airways te Lae op Nieuw-Guinea Author/creator: Downing. Shelfmark: KITLV 377657 Subject (topical): Aircraft Subject (geographic): New Guinea Language: No linguistic content Country: No place, unknown, or undetermined Published/created: [Circa 1935] Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:742474 : 2006. Part of Title: KITLV A498 Date Unknown date Author Downing.
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:KITLV A498 - Uitladen van vee uit een driemotorige vliegtuig van Maatschappij Guinea Airways te Lae op Nieuw-Guinea, KITLV 377657.tiff"引用。


写真(右)1941年12月8日以降ー1942年1月24日以前、ニューギニア島東部、サラモア(Salamaua)から日本軍の侵攻を前に避難するオーストラリア人婦女子を乗せたオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)と後方のユンカースG.24輸送機:1941年12月,太平洋線脳の勃発オーストラリアの飛行か家(Charles Raymond Gurney:1906-1942/5/2)の撮影になる。線路上の大型クレーンを使用している。
Description A crowd stands on the airfield watching women and children board the tri-motor Junkers G.31 aircraft VH-UOV owned by Bulol Gold Dredging Ltd at Salamaua, New Guinea. This aircraft evacuated women and children to Australia, following the Japanese raid on Pearl Harbour. The final evacuation of the remaining inhabitants of Salamaua took place on 24 January 1942. In the background sits a single engine Guinea Airways Junkers W 34 aircraft. Date December 1941 Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: P02107.003 Author Australian armed forces 
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Evacuation of civilians from Salamaua 1941.jpg"引用。


1941年12月,太平洋戦争の勃発で、イギリス・ドミニオン(自治領)オーストラリアは、イギリスに倣って日本と開戦した。しかし、フィリピンが日本海軍機により空襲され、オランダ領東インド(インドネシア)も危うくなると、ニューギニア島東半分のオーストラリア委任統治領も日本軍侵攻の危機に晒された。1942年1月後半には、ニューギニア島東部からオーストラリア本土への民間人撤退が始まっている。

写真(右)1941年12月8日以降ー1942年1月24日以前、ニューギニア島東部、サラモア(Salamaua)から日本軍の侵攻を前に避難するオーストラリア人婦女子を乗せたオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)と後方のユンカースG.24輸送機
Description . A crowd stands on the airfield watching women and children board the tri-motor Junkers G.31 aircraft VH-UOV owned by Bulol Gold Dredging Ltd at Salamaua, New Guinea, in December 1941. This aircraft evacuated women and children to Australia, following the Japanese raid on Pearl Harbour. The final evacuation of the remaining inhabitants of Salamaua took place on 24 January 1942. Date December 1941 Source This image is available from the Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: P02107.008
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Evacuation of civilians from Salamaua 1941.jpg"引用。


1942年1月24日、ニューギニア島東部、サラモア(Salamaua)から日本軍の侵攻を前に最後のオーストラリア人民間避難民が飛行機でオーストラリアに飛び立った。


3.ユンカース(Junkers)G23/G24輸送機

ドイツのユンカース(Junkers)G23輸送機の試作機(プロトタイプ)は、1924年9月18日に初飛行した。操縦席は、密閉式で、液冷エンジンを機首・主翼に合計3基搭載。単発のユンカースF-13輸送機を大型化し、エンジンを左右主翼に各々1基追加した機体構造になっている。


写真(上):1924年、ドイツのユンカース(Junkers)G23輸送機の試作機(プロトタイプ)
:発動機はユンカース Junkers L2液冷6気筒エンジン(145 kW)3基を装備している。
Typenzeichnung und Abbildungen von Junkers G 23 Dating: ca. 1924
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe
Categories: Junkers G 23, View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ Record Name: Ans_05338-01-244-AL-FL 引用。


ユンカース G23輸送機1号機 (製造番号:c/n 831)は、1924年9月18日に、ウィルヘルム・ツィンマーマン(Wilhelm Zimmermann)によって初飛行したが、不時着して破損してしまった。

写真(右)1925年,ドイツ、ユンカース飛行機製造工場'Junkers Flugzeugwerke AG' で生産中のユンカース(Junkers)G. 24三発輸送機:軍用機と見なされないように、ベルサイユ条約の軍備制限条項内の非力な航空機と見えるようにユンカースは配慮した。実際には、ドイツ以外の国に、ベルサイユ条約の軍備制限条項は適用されず、外国での改修、エンジン強化も可能なように設計されていたようだ。
軍用機と見なされないように、ベルサイユ条約の軍備制限条項内の非力な航空機と見えるようにユンカースは配慮した。実際には、ドイツ以外の国に、ベルサイユ条約の軍備制限条項は適用されず、外国での改修、エンジン強化も可能なように設計されていたようだ。
Junkers, G.24 Catalog #: 01_00081545 Title: Junkers, G.24 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
写真はSDASM Archives・ Catalog #: 01_00081545およびETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・ Ans_05338-02-073-AL-FL引用。


ユンカース(Junkers)G. 23輸送機は、3基のユンカース(Junkers)L2エンジン(195馬力:145 kW)を搭載していた。しかし、第一次大戦後のベルサイユ条約の軍備制限を受けていたドイツに対して、ユンカースG23輸送機は高性能であり、軍用機として使用される恐れがあるとして圧力がかかり、G23輸送機のエンジン馬力を低下させることが求められた。こうして、民間輸送機としてG23のエンジン出力を低下させた性能低下型がユンカースG24輸送機である。

ユンカース(Junkers)G. 24輸送機試作機(prototype)は、180馬力BMW IIIa空冷エンジン1基と100馬力メルセデス(Mercedes) D.Iエンジン2基を装備し、1924年に完成した。 その後、ユンカースG 24輸送機は、195馬力ユンカースL2 エンジン1基と160馬力メルセデスD.IIIa エンジン2基を装備し、1925年に完成した。ユンカースG 24輸送機は、195馬力ユンカース L2エンジンを3基装備した。ただし、一部の機体は、機首エンジンを310馬力のユンカース L5エンジンに変換した。

写真(右)1925年,ドイツ、ベルリン、スイス航空所属のユンカース(Junkers)G24輸送機(登録コード:CH-132):3基のユンカース(Junkers)L 2液冷エンジンを装備。F13輸送機の登録コードは、左からD-232、D-347,D-372,D-454。
Photographer: Junkers Title: Vom ersten Einsatz der G 24 mit 3 Junkers L 2 Motoren und der anschliessenden Sonderflugerprobung. Otto Brauer u. Reginald Schinzinger Dating: 1925 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle Junkers G 24, Junkers, View Collection, Reportage photography, Propeller-driven aircraft Record Name: Ans_05338-02-079-AL-FL
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-080-AL-FL引用。


ヨーロッパでは第一大戦の戦火が癒えた1920年代から、民間航空輸送が盛んになり、航空便・新聞・雑誌などメディア文書の発送、旅客・貨物輸送が興隆した。こうした中で、ユンカースは成功作でベストセラーになった前作ユンカースF-13輸送機をベースに、より大型化したユンカース(Junkers)G. 24を開発した。設計主務はエルンスト・ツィンデル(Ernst Zindel)で、試作当初は単発機だった。当時の敗戦国ドイツには、ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)条約の制約があり、空軍力の保有は禁止、航空兵力につながる飛行機開発も制限された。そこで、低出力のエンジンしか搭載できないが、小型機では、限界があるため、単発大型機の開発が企図された。ユンカースG24も、単発機として開発されたのである。

写真(右)1920-1930年代初頭(?),ドイツ、ユンカース工場で製造中のユンカース(Junkers)G. 24三発輸送機:未舗装らしい飛行場に駐機するG24輸送機の機首のエンジンカバーを開けて、整備士が点検している。機首には、強弱なのか、多数の紳士が集まっている。、ベルサイユ条約の軍備制限条項内の非力な航空機と見えるようにユンカースは配慮した。実際には、ドイツ以外の国に、ベルサイユ条約の軍備制限条項は適用されず、外国での改修、エンジン強化も可能なように設計されていたようだ。
Junkers, G.24 Catalog #: 01_00081544 Title: Junkers, G.24
Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
写真はSDASM Archives・ Catalog #: 01_00081544引用。


 そこで、ユンカースは、基本設計は同じだが、民間仕様を強調したユンカース(Junkers)G23輸送機を試作し、民間航路専門の航空機として喧伝した。こうして、合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)は、ユンカース(Junkers)G. 24輸送機はG23として、単発機として生産することが認められたのである。

ベルサイユ条約の軍備制限の下、ドイツでは、軍用ではなく民間用に限定して航空機を開発した。そして、ユンカースG23輸送機は、G24輸送機として、生産、輸出された。本来、強力なエンジンであれば、単発機で十分なパワーがあるが、エンジンの故障や余剰出力に配慮すれば、双発機以上に、三発機の信頼性は高かった。乗客にとっても、エンジンが多いことは安心感を抱かせたに違いない。

1926年に、フーゴー・ユンカースの築いたユンカース飛行機は、ルフトハンザドイツ航空と協力し、グローバルな航空路線の開拓に臨み、シベリア鉄道の沿線への航空路を開いて、中国との連絡を開こうとした。そして、この目的でユンカース G 24輸送機2機が中国までの2.5万キロの空路に投入され、試験飛行を行った。ベルリン=北京の空路がユンカースの機体によって実用化のめどがついたのである。また、ユンカース社は,北京―天津―済南―南京―上海の定期運航を、単発小型輸送機のユンカース F13と若干大型のユンカースG24で実施した場合の比較検討をしたが、中国の内戦、すなわち国民党軍による地方軍閥の壊滅作戦「北伐」のために、ユンカース輸送機が売れたわけではなかった。ユンカース飛行機では、中国のナショナリズムの興隆を評価し、国防を充実するためにも、航空機の導入が有利であることを説いた。

写真(右)1926-1935年,フィンランド、ヘルシンキ、水上機基地で待機しているフィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj)、ユンカース(Junkers)G24 水上輸送機「スオミ」"Suomi"[フィンランド](登録コード:K-SALC):G 24 K-SALC "Suomi"は、1926年6月4日就役、1935年6月11日退役で、9年間の間、フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj )で使用された。
Aero Oy:n Junkers G 24 "Suomi" K-SALC Katajanokalla. Aero sai 9-paikkaisen Junkers G 24:n kesäkuussa 1926...
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo
Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Inventaarionro SIM VK 230:35
Mitat Kuvatiedosto Kuvaustiedot: 1926-1935 Katajanokka, Helsinki
写真はMuseot Finna, MUSEOT FINNA SIM VK 230:35引用。


ユンカース(Junkers)G. 24輸送機の諸元
乗員 2名、乗客 9名
全長 15,70 m
全幅 29,90 m
全高 4,15 m
主翼面積 97,8 平方メートル
全備重量 6500 kg
最高速力 197 km/h
発動機 ユンカース(Junkers) L 5 液冷直列6気筒エンジン310馬力3基。

写真(右)1928年、ノルウェー北部、ナルヴィク、ノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)G. 24/W水上輸送機(登録コード:S-AABG):垂直尾翼には、白地に帯で、ノルウェー国旗が描かれている。
Svensk sjøfly Junkers G24 S-AABG i Narvik
Time Date: start=1928-01-01;end=1928-01-01 Provenance Identifier: NJB/JMF018037 Institution: Norsk jernbanemuseum Provider: Arts Council Norway Providing country: Norway First published in Europeana: 2014-03-26 Last updated in Europeana: 2016-04-30
Is part of: Norsk Jernbanemuseums fotosamling Dataset: 2022608_Ag_NO_ELocal_DiMu
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・Identifier: NJB/JMF018037 引用。


1923年設立のフィリランド航空(フィンエアー:Aero Oyj)のユンカースJu 52/3m輸送機「サンポ」"Sampo"(OH-ALK) 水上輸送機は、1932年6月にドイツから導入した当初は、双フロート付きの水上輸送機だった。フィンランド首都ヘルシンキ郊外、カタヤノッカ水上機飛行場は、1924年に創設され、フィンランド各地に湖沼やフィヨルドを利用した水上機基地が設けられ、民間航空網が形成されるようになった。しかし、フィンランド各地に陸上飛行場が整備されるに伴い、大きなフロートを装備した飛行性能の低い水上機よりも、フロートを取り去って主輪に変換した陸上機が望まれるようになった。ヘルシンキでも、ヘルシンキ郊外のマルミ陸上空港が拡充されたたために、カタヤノッカ水上機飛行場も1936年一杯で使用されなくなった。

写真(右)1930年,フィンランド、ヘルシンキ、水上機基地格納庫前で待機しているフィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj)、ユンカース(Junkers)G 24W 水上輸送機「スオミ」"Suomi"[フィンランド](登録コード:K-SALC):G 24 K-SALC "Suomi"は、1926年6月4日就役、1935年6月11日退役で、9年間の間、フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj )で使用された。
Aero rakennutti 1920-luvun lopulla Helsingin Ruoholahden edustalle Kellosaareen lentokonehangaarin. Hankkeella ennakoitiin lentoliikenteen kasvua ja saarelle oli tarkoitus keskittää ennen pitkää niin Tallinnan, Tukholman, Kuopion kuin Travemundenkin liikenne, kuten piirustuksissa luki. Aeron liikennöi pidempään ja vakituisesti Katajanokan lentosatamasta (1924-1936). Kellosaaren hallin edessä Aero Oy:n Junkers G 24 "Suomi" K-SALC keväällä 1930. Kone tulossa talviteloiltaan hallista jossa kone oli talven aikana täydellisesti korjattu ja maalattu..
Organisaatio Suomen Ilmailumuseo Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1930 Helsinki, Kellosaari
写真はMuseot Finna, MUSEOT FINNA Inventaarionro SIM VK 533:74引用。


ルフトハンザ航空Deutsche Luft Hansa)は、1926年1月、ドイツ政府が出資1/4を賄って、ユンカース系航空会社(Junkers Luftverkehr)を中核に、各種ドイツの航空会社が統合されて生まれた国営航空である。ユンカースJu−52旅客輸送機を中核に、ドイツ国内のみならず、ヨーロッパ全土に航空網を築き、のちにはフォッケウルフFw-200、ユンカースJu‐90のような四発大型旅客機を導入して、南北アメリカにまで航路を拡張した。

1924年設立のスウェーデンのAB航空輸送(AB Aerotransport)が採用したドイツのユンカースG. 24「ウプランド」"Uppland"は、登録コードはS-AABGだった。その後、 1935年に国営化されることとなったため、非公式にこの会社はスウェーデン航空とも呼称される。この時期のユンカースG. 24「ウプランド」"Uppland"登録コードはSE-ABGに変更されている。1948年に、AB航空輸送(AB Aerotransport:ABA)は、スェーデン国際航空(Swedish Intercontinental Airlines:SILA)に吸収された。1946年、スウェーデンは、デンマーク、ノルウェーと合同して、三国で,スカンジナビア航空Scandinavian Airlines System:SAS)を設立した。 1950年にスェーデン国際航空(SILA)は、スカンジナビア航空(SAS)に吸収された。

写真(右)1930年,スウェーデン南端、マルメ、クレーンで引き上げられたスウェーデン航空前身のAB航空輸送(AB Aerotransport)所属のユンカース(Junkers)G 24水上旅客輸送機「ウプランド」"Uppland"(登録コード:SE-ABG):機体の垂直尾翼には、白色時に青十字の小さなフィンランド国旗が描かれている。
flygplan, lyftkran, sjäflygplan Description Lyftkran(クレーン) som lyfter ett flygplan, en Junkers G 24, SE-ABG "Uppland"
Time Date: First half of the 20th century Creation date: 1930 - 1930
Publisher: Malmö museer Identifier: EH 001929
Institution: Malmö museer
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden First published in Europeana: 2014-08-22 Last updated in Europeana: 2017-09-07
Creation date: 1930 - 1930
写真はEuropeana Malmö museer・Identifier: EH 001929 引用。


スウェーデン航空(AB Aerotransport)は1924年3月27日設立のスウェーデン国営企業で、6月から、ストックホルム、フィンランドのヘルシンキ間の運行を開始した。1930年代には、スウェーデン航空(AB Aerotransport)は、スウェーデンのマルメ(Malmö)オランダのアムステルダム、イギリスのロンドン、ソビエト連邦のモスクワへの旅客輸送も実施している。

写真(右)1930-1931年,夜間に飛行場に到着し、乗客を降ろすスウェーデン航空(AB Aerotransport)所属のユンカース(Junkers)Junkers/AB G-24輸送機(登録コード:S-AAA)
ABA-lentoyhtiön Junkers G-24, rekisteri S-AAA. Aineistotyyppi Valokuva
Organisaatio Suomen Ilmailumuseo Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Inventaarionro SIM VK 533:166 Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1930-1931
写真は,Museot.Finna・Inventaarionro SIM VK 533:166 引用。


フーゴー・ユンカースのユンカース(Junkers)G24旅客輸送機(乗客12人)は、航空機用ガソリン液冷エンジンを装備した。しかし、ユンカース社では、より燃費のいいディーセル航空機用エンジンを開発していた。W24輸送機には間に合わなかったが、この後、ユンカースJumo205ディーゼルエンジンが開発され、Ju80輸送機、BV138飛行艇、BV222大型飛行艇に搭載された。これは、長距離飛行を可能とするためである。ただし、エンジン自体の重量は、同馬力のガソリンエンジンよりも重たくなる。

写真(右):ドイツのユンカース(Junkers)G24旅客輸送機の客室:乗客12名分の座席が用意されているが、重量軽減のために軽量化された座席のようだ。
Dreimotoriges Verkehrsflugzeug, Kabine der G 24 (Junkers, Dessau)
Zusammenhang: Junkers und Co. GmbH
写真はDeutsche Fotothek / Stoedtner, Franz ・ Aufn.-Nr.: df_st_0163343引用。


ユンカース(Junkers)G24旅客輸送機が、三発エンジンなのは、大出力のエンジンを装備すると、軍用機と判断され、ベルサイユ条約違反となってしまうためである。ユンカースの採用した波板式の金属外板は、円筒形でなく旅客・貨物搭載に便利な箱型胴体でも強度を保つのに役に立った。

⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)G.24輸送機を見る。


4.輸出されたユンカース(Junkers)K30爆撃機/G24の軍用仕様

写真(右)1927年、スウェーデン、マルメ、ユンカース(Junkers)G23W水上輸送機 "Severa":1924年9月19日に初飛行したG24輸送機に、双フロートを装備して水上機とした。機体は、ユンカースF.13以来の波板状の機体外板が採用されている。
Flygplan på vattnet, Junkers G 23 W "Severa".
Creation date: 1927 - 1927 Publisher: Malmö museer EH 002001
Institution: Malmö museer Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden First published in Europeana: 2019-05-20
Location: Kingdom of Sweden 62.0° North, 15.0° East Sverige 60.37888° North, 10.75128° East Malmö, Limhamn
写真はEuropeana,Malmö museer ・EH 002000引用。


ユンカース(Junkers)G23W水上輸送機は、大出力のエンジンを搭載すると、軍用機に転用可能と判断され、ベルサイユ条約違反とされてしまう恐れがあった。そこで、小出力のエンジンを搭載したのがユンカースG24輸送機だった。しかし、ドイツ以外の国に、ベルサイユ条約の軍備制限条項は関係がない。そこで、スウェーデンもソビエト連邦も、民間限定とされたドイツのユンカースG23輸送機を堂々と軍用型として制式した。軍用仕様なので、機関銃座や爆弾懸架装置を備えているのは当然だった。

 1926年、ユンカース社はソビエト軍のためにユンカース(Junkers)G23輸送機の軍用仕様ユンカース(Junkers)K30を開発し、ソ連に23機を輸出した。また、同様の機体をスウェーデン軍にも販売した。さらに、実現しなかったが、ユンカース(Junkers)G23三発輸送機の単発使用ユンカースF24輸送機の軍用仕様K30doの開発も手掛けている。

写真(右)1927年,垂直尾翼方向舵に国旗を描いたスウェーデン軍ユンカース(Junkers)K30偵察爆撃機(登録コード:S-AABF):ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の軍用仕様。ソ連軍もG24輸送機の軍用仕様であるK30を水上偵察爆撃機として27機採用した。
Title: Junkers K30/R42 Caption: Junkers K30/R42, S-AABF, (militärische Variante der G24. K30 und R42 praktisch baugleich. R42 für den Export nach Russland bestimmt) (S-AABF AB Flygindustri, Feb. 1927. April 1928 as CCCP-991 to Russia). (Flugzeug wurde in Schweden für Vorführungen eingesetzt)
Dating: ca. 1927 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe
Categories: View Collection, Unknown, Reportage photography, Junkers, Propeller-driven aircraft Record Name: Ans_05338-02-297-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-297-AL-FL 引用。


ヨーロッパでは第一大戦の戦火が癒えた1920年代から、民間航空輸送が盛んになり、航空便・新聞・雑誌などメディア文書の発送、旅客・貨物輸送が興隆した。こうした中で、ユンカーすは成功作でベストセラーになった前作ユンカースF-13輸送機をベースに、より大型化したユンカース(Junkers)G. 24を開発した。設計主務はエルンスト・ツィンデル(Ernst Zindel)で、試作当初は単発機だった。当時の敗戦国ドイツには、ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)条約の制約があり、空軍力の保有は禁止、航空兵力につながる飛行機開発も制限された。そこで、低出力のエンジンしか搭載できないが、小型機では、限界があるため、単発大型機の開発が企図された。ユンカースG24も、単発機として開発されたのである。

ユンカース(Junkers)G. 24は、大型化し、搭載量が増えたため、単発では出力不足であり、かといって強力なエンジンの搭載は、ベルサイユ条約に抵触する危険があるため、低出力エンジンを3基搭載することになった。

 他方、ドイツ以外の国では、このようなエンジン出力の制約は課されないために、輸出向けには、単発機でより強力なエンジン、たとえば450馬力のネーピア(Napier)ライオン(Lion)エンジン1基を機首にに装備するタイプである。 しかし、ドイツを監視していた連合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)は、ユンカースG24輸送機は、軍用に転用可能であると警告した。


写真(右)1926-1927年,海面を滑走、離水したソ連軍用のK30(R42)水上偵察爆撃機
:ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の軍用仕様"Kriegsflugzeug"。また、長距離飛行できるように機首と主翼にはユンカースL2液冷エンジンを合計3基装備している。ソ連軍はユンカースK30偵察爆撃機を27機採用した。
Title: Junkers G 31 Caption: Junkers K 30 (R42) ab 1926/27 in Betrieb
Dating: 1926-1927
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Categories: Reportage photography, Junkers K 30, Hydroplanes, View Collection, 1921-1930, Unknown, Propeller-driven aircraft
Record Name: Ans_05338-02-152-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-152-AL-FL引用。

ユンカースK.30は1929年にフィンランドを訪問した。1930年代初頭、スウェーデンのAB飛行機産業(AB Flygindustri:ABA)がヴァイノ・ブレマー(Wäinö Bremer )の下で、ユンカース機を製造した。ヨーロッパ、トルコへの輸出が目的だった。1929年3月、ユンカースK 30偵察爆撃機は、フィンランドに飛来し、ブレマーは、導入を検討した。

⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)K30(R42)水上偵察爆撃機を見る。


5.ユンカース(Junkers)F 24輸送機/G24の単発仕様


写真(上)1925年,正面から見たユンカース(Junkers)F 24輸送機/G24の単発仕様
:ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の単発用仕様でBMWVI Uエンジン (551 kW / 750 PS)あるいはBMW VII AUエンジン (507 kW / 690 PS)1基装備で、プロペラは4翅。
Title: Junkers F 24 mit dem ersten Junkers-Flug-Dieselmotor Jumbo 4 Dating: ca. 1925 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers F 24.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-279-AL-FL 引用。


ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の単発用仕様ユンカース(Junkers)F. 24輸送機の装備したBMW VI 液冷式V型12気筒エンジンは、BMW(Bayrische Motorenwerke)社が1924年に開発した航空機用発動機で 重量546 kg、出力は当初420hp、後に 530 hp を発揮した。そしてBMWは、1928年にはより大型化、出力向上を図ったBMW VII液冷式V型12気筒エンジンを開発した。これは、同じV型12気筒だが、気筒は160x190 mmに大型化し、重量は615kg、出力は750 hpに達した。

ユンカース(Junkers)F. 24単発輸送機(ユンカース(Junkers)G31三発機の単発型)の諸元
全幅: 25,98 m、全長: 15,63 m
主翼面積:79,20 平方メートル
重量:4700 kg
発動機: BMW VIaエンジン690馬力1基
最高速力:185 km/h

⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)G.24輸送機を見る。


6.ユンカース(Junkers)W34水上輸送機/軍用仕様K43

ユンカースF-13を大型化したユンカース(Junkers) W-34は,1920年代に完成し,ユンカース社で200機生産された。

ユンカース(Junkers) W-34は、機体の外板を薄くして重量を軽減しつつ,波板構造にして強度を高めるような設計だった。波板構造は,Ju-52輸送機に引き継がれた。

写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43fa水上機(登録コードJU-128)と出撃を見送るフィンランド軍兵士たち:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している水上偵察爆撃機型だが、負傷者空輸の写真がたくさん残されている。
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan. Koska pikainen apu on tarpeen ja satojen kilometrien taival maitse huonoilla teillä vie paljon aikaa. Kuvassa on Junkers K 43fa vesilentokone (tunnus JU-128), joka on haavoittuneiden kuljetustehtävässä).
Lisää ? Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-06 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
写真は,Museot FinnaMuseot Finna引用。


1930年にフィンランド空軍は、ドイツからユンカースW 34輸送機1機を購入し、さらにW43輸送機の水上機型のK 43水上機6機をスウェーデン空軍から購入した。1941年7月に、ソビエト連邦との継承戦争を戦うに際しては、長距離偵察・哨戒機として前線に送られたが、前線から傷病兵を後方に搬送する患者輸送機としての任務にも就役した。1944年春、フィンランド空軍は、さらに5機のユンカースW 34輸送機を購入したが、これらは訓練用の練習機として使用されたようだ。戦後にこれらユンカースW34/K43輸送機は、フィンランド国境警備隊で1950年まで使用された。

ユンカースK 43fa輸送機の諸元:
搭乗員: 2名、 乗客: 3-6名
全直:11,13m、全幅i: 17,75m
全高: 3,90m、主翼面積:44平方メートル
空虚重量: 1885kg、全備重量: 3200kg
発動機: 1× BMW 132
最高速力: 220km/h  巡航速力: 180km/h
航続距離: 1700km 上昇限度: 5300m

1939年9月1日、ドイツがポーランドに突如侵攻、3日には、ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリス・フランスがドイツに参戦して、第二次世界大戦が勃発した。その混乱に乗じたソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、既に傘下に収めていたバルト諸国同様に、フィンランドにも領土要求をし、併合する構えを見せた。しかし、フィンランドは、この要求を断固拒否、そこで、ソ連赤軍は、1939年11月30日、フィンランド南部に攻撃を加えた。こうして、フィンランド軍総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)は冬戦争を戦った。

1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(Hakaristi?Swastika)が描かれている。ドイツでも、カギ十字卍(スワスチカ:Swastika)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、夏党政権獲得後、この鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。そして、再軍備宣言後、ドイツ空軍が創設されると、ナチ党の採用したカギ十字をドイツの国籍マークとした。

当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。

しかし、1944年、ソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、廃止された。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を想起させるのを忌避する方便であろう。

ドイツのソビエト連邦侵攻は、1941年6月22日だが、フィンランドは、1939年11月30日から1940年3月12日の対ソビエト冬戦争に敗北しており、その報復として、1941年6月26日から1944年9月19日にかけて、ドイツとともに対ソビエト継続戦争を戦った。1941年7月、総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の指揮の下、フィンランド軍は、フィンランド南東部、ソ連に割譲させられていたカレリア地方を攻撃し、再占領し、冬戦争で奪われた領土を取り戻した。

1941年6月25日から1944年9月19日にかけて3年2カ月の間、フィンランドは、結果を知っているものの視点で見れば、無謀な対ソビエト連邦戦争を開始した。しかし、当時は、民主主義国イギリス・アメリカの軍事力を過小評価しており、第二次世界大戦に参戦したのではなく、冬戦争で失った国土を奪還するという目的で、イギリス(当時は中立国のアメリカ)と戦うのではないという言い訳が国際的に通用すると錯覚していた。結果から見れば、これはフィンランド外交の大失敗だった。

⇒写真集Album:ユンカース(junkers)K 43水上機を見る。


7.ユンカース(Junkers)Ju-52輸送機

ユンカースJu52輸送機の原型はJu 52/1mで、1930年にユンカースJ2液冷エンジンを装備していた。そして、出力不足のため、1932年にエンジン左右主翼にも装備して、三発輸送機に改良された。そして、三発のJu 52/3mが有名になり、三発の信頼性の高い旅客機として世界中に認められた。

写真(右)1932年6月,フィンランド、ヘルシンキ郊外、マルミ飛行場、ドイツルフトハンザ航空ユンカースJu 52/3m輸送機から降り立った賓客:ヘルシンキ郊外のカタヤノッカ水上機飛行場は、1924年に創設されたが、これはヘルシンキ・マルミ空港が拡充された1936年12月まで使用されていた。Taiteilija Grothe vastaanottajineen Malmin lentokentällä. Sot.virk. Esko Manninen, valokuvaaja Taiteilija Grothe vastaanottajineen Malmin lentokentällä. Lufthansan Junkers Ju 52.
写真は,Musseo Finna登録 HK 19670603: 10487引用。


Ju52輸送機は、搭乗員3名、乗客18名、全長18.9m、全幅29.25m、総重量11000kg、発動機BMW132空冷星型9気筒670馬力3基、最高速力270km/h、巡航速度210km/h、航続距離870km。

フィリランド航空(フィンエアー:Aero Oyj)のユンカースJu 52/3m輸送機「サンポ」"Sampo"(OH-ALK) 水上輸送機は、1940年にフロートを車輪に変換して、水上機から陸上機に改造された。1941年6月、ドイツによるソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の直後、フィンランドはドイツ側に立ってソ連に侵攻した。フィンランドは中立を捨てて、ソ連との継続戦争を闘ったが、これはイギリスの対フィンランド宣戦布告を呼び起こし、第二次大戦に巻き込まれることになった。



⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。


ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
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