◆ユンカース(Junkers)G.31輸送機
写真(上)1927年以前、ドイツ・ユンカース(Junkers)G31輸送機:ユンカースG24輸送機の発展型の全金属製低翼単葉機。全幅30.3 rn、全長16.2m、全高6.0m、主翼面積 94平方メートル、エンジン出力 3基合計1200馬力、搭載量 1115 kgから1355 kg、燃料(タンク6カ所)1300L(1050?)、キャビン容積21立方メートル、貨物室容積 8立方メートル、全備重量7700 kg
Description
English: Junkers G.31 photos from NACA Aircraft Circular 54
Date 1 August 1927
Source https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19930094003.pdf
Author NACA Aircraft Circulars
Wikimedia Commons, Category:Junkers G.31・File:Junkers G.31 left side photo NACA Aircraft Circular 54.jpg引用。
写真(上)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港、機首のエンジン前に踏み台を置いて、エンジン整備をしているドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen': G 31は、空港管制塔前で、タンクローリーから給油を受けている。今日の水準で言えば、小型の給油車だが、同時の飛行機にはこれで十分だった。ユンカースG31輸送機は、フランス製ノーム・エ・ローヌ(Gnome & Rhône)エンジンを搭載し1929年11月に飛行。これはJu-52の初飛行(1930年)の1年前である。
Collectie / Archief Fotocollectie Van de Poll Reportage / Serie Reportage Schiphol Beschrijving Een Junkers G31 wordt bijgetankt Datum 1933 Locatie Noord-Holland, Schiphol Trefwoorden luchtvaart, vliegtuigen, vliegvelden Instellingsnaam Schiphol Fotograaf Poll, Willem van de, [onbekend] Auteursrechthebbende Nationaal Archief
Wikimedia Commons, Category:Junkers G.31・"Nummer archiefinventaris bekijk toegang 2.24.14.02"引用引用。
◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
1.ユンカース(Junkers)F.13/W33輸送機
写真(右)1928年,ユンカース(Junkers)F13輸送機:垂直尾翼は、鋭角の魚のひれ状になっているが、他のタイプもある。
Einmotoriges Verkehrsflugzeug D 282 Tiefdecker, Junkers F 13 auf dem Flugplatz Dresden-Heller.
Persons and corporations:
Zusammenhang: Junkers und Co. GmbH .
Foto: Möbius, Walter, 1928
Aufn.-Nr.: df_ hauptkatalog_ 0006515.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0006515引用。
ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機キャビン(客室)は波板状ジェラルミンを使い外板を強化したために、胴体は鋼管フレームで直方体に仕上げることができた。そのため、搭載容積を増やし、客室底面を水平にするのが容易になった。
の内装は、高級感のある座席で、肩当付きのシートベルが装着されている。客室の大きなガラス窓は、視界が良く、遮光用のカーテンもついている。天井には、照明塔が備わっている。天井左右上方には、荷物棚はないが、機体後方に貨物室がある。
ユンカースが飛行機製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。
第一次世界大戦中の1915年、ドイツ帝国のヒューゴ・ユンカースは、主翼の新構造を打ち出した。それは、主翼を支柱や張金を張って主翼を支えるのではなく、それらを取り去り、空気抵抗を減少させた片持式主翼である。また、胴体の堅牢性を高めるために、内部骨格を減少させ重量軽減図る波型の金属外板を開発した。この片持式の低翼・単葉、波板の構造を活用し、戦後ユンカースが開発したのが、ユンカースF.13単発輸送機だった。
ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の胴体中央部のモノコック構造と主翼の付け根部分の骨組み:機体の構造・金属骨格がよくわかる。飛行機は、堅牢なだけでなく軽量化も必要で、フレーム・骨格には、重量軽減のためのの穴(ホール)が開けられている。右側が機首部分で、重量のあるエンジンを搭載するエンジン懸架の骨組みが強度を持たせてある。
ユンカースF.13旅客輸送機の生産機数は、ドイツ93機、ソ連49機、アメリカ26機、コロンビア17機、ポーランド16機、イタリア12機、日本・ボリビア各8機、フランス・フィンランド・オーストリア各7機、イギリス・ハンガリー・ペルシャ各6機、スウェーデン・スイス各5機、中国・トルコ各4機、ベルギー・スペイン・ラトビア・アルゼンチン各3機、ルーマニア・ブルガリア・オーストラリア・チリ各1機などと世界で300機以上生産・組み立てられている。
1920年、アメリカ、郵便輸送に使用されたユンカース・ラーセン( Junkers-Larsen)JL-6は、ユンカース・ラーセン社製造のユンカースF.13輸送機で、全部で8機生産された。
写真(右)1923年頃、ユンカース(Junkers)W.33輸送機(R-RDAH):登録コード:RR-DAHの ユンカースW.33輸送機は、製造番号c/n 658、一時期D-270、さらにR-RDAHとなり、 1923年8月、ソビエト連邦のドブロリョート(Dobrolet)航空に売却され、「フラシディウム」 'Prasidium WSNCh' となった。
Junkers, W.33
Catalog #: 01_00081556
Title: Junkers, W.33
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
---Repository: San Diego Air and Space Museum
RR-DAH Junkers F13 658 D-270 R-RDAH Dobrolet 'Prasidium WSNCh' 00.08.23
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081556"引用。
アメリカのチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh:1928‐1974)は、1927年5月20日、スピリットオブセントルイス(ライアンNYP)を操縦し、アメリカのニューヨークを離陸し、5月21日、フランスのパリに着陸し、大都市間の大西洋単独無着陸飛行に成功した。彼が、大西洋を西から東に飛行したのは、地球の自転、偏西風の影響で、飛行にはプラスに作用するからである。他方、東から西ヘの大西洋横断は、遥かに困難が多かった。これに挑んだのが、ドイツのユンカースJunkers W 33輸送機「ブレーメン」”Bremen”である。
ユンカースJunkers W 33輸送機「ブレーメン」”Bremen”は、アイルランドのバルドネルを出発し、大西洋を西に向かって飛行し、カナダのグリー二ー島(51.38度、N 57.19度)まで、飛行することに成功した。これは、世界初の、大西洋の東から西への横断飛行である。現在、復元された機体が、ドイツのブレーメン空港に展示されている。
ユンカースJunkers W 33輸送機の諸元
初飛行:1926年
搭乗員: 2人
発動機:ユンカース(Junkers) L5エンジン228 kW(310馬力)1基
全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m
全高: 2,90 m
主翼面積 43平方メートル
最高速度: 197 km/h
重量:2100 kg
ユンカースF-13を大型化したユンカース(Junkers) W-34は,1920年代に完成し,ユンカース社で200機生産された。
ユンカース(Junkers) W-34は、機体の外板を薄くして重量を軽減しつつ,波板構造にして強度を高めるような設計だった。波板構造は,Ju-52輸送機に引き継がれた。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers) W-34を見る。
2.ユンカース(Junkers)G 31輸送機
写真(右)1925年,ユンカース(Junkers)G.31輸送機:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備している。主翼の下面に夜間の滑走に使用するのか照明用ライトを装備している。機首エンジンには集合排気管がないが、主翼エンジンには、集合排気管が接続されている。
Title:
Junkers G 31
Caption:
Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories:
Nose, View Collection, Junkers G 31, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft
Record Name:
Ans_05338-02-158-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-158-AL-FL引用。
ユンカース(Junker)G 31輸送機は、1920年代に13機と少数生産されたユンカース社の当時の大型輸送機で初飛行は1926年で、ju-52の初飛行1930年より4年早い。しかし、機体の構造は、Ju-52と酷似しており、Ju-52に設計が引き継がれていることがわかる。
写真(右)1925年,飛行場を離陸するユンカース(Junkers)G.31輸送機:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備している。機首から集合排気管が胴体の中ほどまで伸びているが、これは乗客の窓からの視界を排気煙で妨げないようにするためである。回転しているプロペラは、大きく歪んで見える。
Title:
Junkers G 31
Caption:
Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories:
Reportage photography, View Collection, Unknown, Junkers G 31, Propeller-driven aircraft, Freight aircraft, Fuelling
Record Name:
Ans_05338-02-156-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-156-AL-FL 引用。
写真(右)1928年6月16日,ドイツ東部、ザクセン州ドレスデン飛行場、ユンカース(Junkers)G.31輸送機:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備している。主翼の下面に夜間の滑走に使用するのか照明用ライトを装備している。機首エンジンには集合排気管がないが、主翼エンジンには、集合排気管が接続されている。
Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeug G 31
Datensatz 71912384
Hahn, Walter: Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeug G 31, 1928.06.16
LOCATION:
Dresden
.
写真は,Deutsche Fotothek・df_hauptkatalog_0304979引用。
写真(上)1925年5月,ドイツ東部、ザクセン州ドレスデン飛行場、ユンカース(Junkers)G.31輸送機:ユンカースF.13単発輸送機以来の機体の金属製波板コルゲート構造を引き継いでいる。胴体操縦席上面には小型風車式発電機を設置している。
Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeug G 31
Datensatz 71912380
Hahn, Walter: Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeug G 31, 1928.05
LOCATION:
Dresden
Google-Maps-Lokalisierung: Stadt: Dresden, Provinz: Sachsen, Land: Deutschland
.
写真は,Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0304966
Originalnegativ (Glas, 10 x 15 cm, schwarzweiß)引用。
写真(上)1925年5月,ドイツ東部、ザクセン州ドレスデン飛行場、ユンカース(Junkers)G31輸送機:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備している。主翼の下面に夜間の滑走に使用するのか照明用ライトを装備している。機首エンジンには集合排気管がないが、主翼エンジンには、集合排気管が接続されている。
Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeug G 31
Hahn, Walter: Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeug G 31, 1928.05
LOCATION:
Dresden
写真は,Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0304963
Originalnegativ (Glas, 10 x 15 cm, schwarzweiß)引用。
写真(右)1925年5月,ドイツ東部、ザクセン州ドレスデン飛行場、ユンカース(Junkers)G.31輸送機:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備している。主翼の下面に夜間の滑走に使用するのか照明用ライトを装備している。機首エンジンには集合排気管がないが、主翼エンジンには、集合排気管が接続されている。
Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeuge G 31 und F 13
Hahn, Walter: Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeuge G 31 und F 13, 1928.05
LOCATION:
Dresden
写真は,Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0304965
Originalnegativ (Glas, 10 x 15 cm, schwarzweiß)引用。
写真(右)1925年5月,ドイツ東部、ザクセン州ドレスデン飛行場、ユンカース(Junkers)G31輸送機:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備している。主翼の下面に夜間の滑走に使用するのか照明用ライトを装備している。機首エンジンには集合排気管がないが、主翼エンジンには、集合排気管が接続されている。
Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeug G 31
Hahn, Walter: Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeug G 31, 1928.05
LOCATION:
Dresden
写真は,Deutsche Fotothek・引用。
写真(右)1925年5月,ドイツ東部、ザクセン州ドレスデン飛行場、ユンカース(Junkers)G.31輸送機:
Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeuge G 31 und F 13
Hahn, Walter: Flughafen Dresden-Heller, Junkers-Verkehrsflugzeuge G 31 und F 13, 1928.05
LOCATION:
Dresden.
写真は,Deutsche Fotothek・df_hauptkatalog_0304965引用。
写真(右)1929年5月,ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G.31ba輸送機(登録コード D-1073)の尾部:尾翼は2枚ある双垂直尾翼式である。G38大型輸送機も3枚尾翼を採用しているが、後継のJu52三発輸送機は、単垂直尾翼に戻っている。この機体が装備したのは、BMW VI液冷V12型エンジン3基である。しかし、後の多くのG31三発輸送機は、空冷星形9気筒エンジンを装備している。
Photographer:
Photographisches Institut der ETH Zürich
Title:
Junkers G31ba, D-1073, abklappbare Rumpfendspitze
Caption:
Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs
Dating:
5/1929 Format: 9 x 12 cm
Colour:
black and white
Orientation:
Horizontal
Format:
8,5 x 10 cm
License:
CC BY-SA 4.0 Availability:
Free download and use
Copyright Notice:
ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv / Fotograf: Heim, Arnold / Dia_011-064 / CC BY-SA 4.0
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name: PI_29-B-0223 引用。
写真(上)1927年,スウェーデン、 液冷V型12気筒エンジン3基を装備したドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G.31輸送機:固定式の主輪。機首・主翼に装備したユンカースL5液冷V型12気筒エンジンあるいはBMW VI液冷12気筒エンジンには、2翅プロペラが回転している。
Junkersplan G 31, 1927.
Creator: Okänd
Creation date: 1927-01-01
Publisher: Tekniska museet
Institution: Tekniska museet
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden First published in Europeana: 2019-04-26
Dataset: 916118_Ag_SE_Tekniskamuseet.
写真は,Tekniska museet・TEKA0121875引用。
写真(上)1925年,ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G.31輸送機:機首と主翼にはユモ(Jumo)L 2液冷エンジンを合計3基装備している。機首から集合排気管が胴体の中ほどまで伸びているが、これは乗客の窓からの視界を排気煙で妨げないようにするためである。プロペラは、長大な2翅で、エンジンカウリングがついている。
Title:
Junkers G 31
Caption:
Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories:
Reportage photography, View Collection, Unknown, Junkers G 31, Propeller-driven aircraft, Freight aircraft, Fuelling
Record Name:
Ans_05338-02-155-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-155-AL-FL 引用。
写真(右)1925年,飛行するユンカース(Junkers)G.31輸送機:機首と主翼にはユモL2液冷エンジンを合計3基装備している。双尾翼式なので、G24輸送機、Ju52輸送機との識別は容易である。機首エンジンには集合排気管がないが、主翼エンジンには、集合排気管が接続されている。
Title:
Junkers G 31
Caption:
Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories:
Junkers, View Collection, Junkers G 31, Reportage photography, Propeller-driven aircraft, low altitude (oblique)
Record Name:
Ans_05338-02-153-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-153-AL-FL 引用。
写真(右)1925年,ドイツ、ユンカース(Junkers)G.31旅客輸送機の客室キャビン:15名の客室座席が用意されているが、これは後継機のJu52/3m輸送機(乗客18名)よりも3名分少なかった。診断機としては、10名分の折り畳み式ベッドが用意されている。
Photographer:
Unbekannt
Title:
Junkers G 31, Kabineninnenansicht
Caption:
Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Impressum:
Physical Description:
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour:
black and white
Orientation:
Vertical
Format:
Other size
Special Size:
ohne Angabe
Categories:
View Collection, Junkers G 31, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Cabin
Record Name:
Ans_05338-02-157-AL-FL
.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-157-AL-FL引用。
ユンカース(Junkers)G31旅客輸送機は、ユンカースG24輸送機の後継機で、1926年にドイツルフトハンザ航空が採用している。G31ス早期のニックネームは、その豪華さを反映して、「空飛ぶダイニング・カー」('flying dining car':'fliegender Speisewagen')である。
G31旅客輸送機キャビン(客室)の内装は、クッションの聞いた座席は、革製かプラスチック製のようだが、いずれも大きな窓の際で、視界が良い。窓の近くには、喫煙者用に小型の灰皿も付けられている。ただし、主翼に近いので、下方の景観は良く見えないかもしれない。
ユンカース(Junkers)G.31輸送機の客室キャビン座席近くには、吊り皮や把手がないが、これは荷物棚の枠で代用されている。通路の左右上方には、ネット式の荷物棚が設けられている。客室キャビンの仕切りは、構造上、胴体に強度を持たせるためのもの。天井には、照明灯ユンカース(Junkers)F.13単発輸送機やユンカースG.24三発輸送機よりも、客室キャビンはだいぶゆったりとした空間となっている。
写真(右)1931年,ドイツ、デッサウ、ユンカース航空機製造所、ユンカース(Junkers)G31輸送機の寝台キャビン:後年のアメリカ、ダグラスDC-3と同じく、G.31輸送機は、当初、10名分のベッドを備えた寝台輸送機として開発、生産された。
Verkehrsflugzeug Junkers G-31. Kabine mit 10 Betten. Teilansicht in Richtung Flugzeuglängsachse
Datensatz 87705506
Urheber: Junkers Flugzeugwerk AG , Herstellerfirma
Foto: Unbekannter Fotograf, Techno-Photo Archiv Berlin, 1930
Reproduktionsnegativ (Glas, 9/12 cm)
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0017981
引用。
ユンカース(Junkers)G31旅客輸送機は、ユンカースG24輸送機と対照的に、G31輸送機は商業的には失敗で、僅か13機が販売できただけだった。G24輸送機が民間用に54機、軍用(輸出型)に 30機以上販売できたから、G31は、キャビン(客室)座席豪華さなど機体価格が高くなり、維持経費も嵩んでしまったらしい。そこで、ユンカースの次回作はG24輸送機を踏まえて、より経済性を追求したものとなった。
写真(右)1930年以降、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)のユンカース(Junker)G-31輸送機 の客室内部・寝台の二段ベット:寝台は10名分が用意されている。天井脇には、ネット式の荷物棚。窓には換気可能な開閉扉、上空では大きく窓を開けることはないので、取り外し可能な窓枠が備わっている。窓枠には、取り外し・取り付けに使用する把手がついている。
Junkers, G.31
Catalog #: 01_00081553
Title: Junkers, G.31
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
73F78
写真は,SDASM Archives登録・"Catalog #: 01_00081553"引用。
ユンカース(Junkers)G31旅客輸送機の客室内装は、現代の旅客機と基本的に同じである。しかし、決定的な差は、客室内の気圧にある。1930年代には、与圧室は実用化できておらず、高空を飛べば、気圧が下がるために、心身に負担がかかったしまう。
また、高空になるほど気温が低下して、摂氏10度を下回れば、暖房も必要になるが、このエアコン設備は、当時、十分ではなかった。
さらに、飛行機のエンジン音は、自動車エンジン以上に大馬力である短目に、異常に大きく、プロペラが回転して空気を切る音も大きい。つまり、飛行中の爆音も乗客にとって悩みの種である。
写真(右)1930年以降、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)のユンカース(Junker)G-31輸送機 の客室内部・ソファーに腰掛ける婦人・寝台の二段ベットで休む乗客:天井脇には、ネット式の荷物棚。重量軽減のために配慮しているのであろう。
Junkers, G.31
Catalog #: 01_00081554
Title: Junkers, G.31
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
73F78
写真は,SDASM Archives登録・"Catalog #: 01_00081554"引用。
今日の旅客機では、客室内の気圧は、高度が上が手も低下しない。それは、客室が密閉され、室内に空気が注ぎ込まれているからで、これはジェットエンジンを使ってコンプレッサー(圧力器)を駆動させればよい。
しかし、ピストンエンジンのプロペラ機では、ジェットエンジンと異なりコンプレッサー(圧力器)を駆動するために別途動力を搭載するのが一般的だった。ドイツでは、第二次大戦中に与圧室を実現したものの、本格的に長時間高高度を飛行する偵察機・爆撃機の与圧室は、最後まで実用化が困難だった。コンプレッサー用のエンジンを別途装備すればよいが、これでは重量増加、飛行性能の低下が招来されてしまうのである。
また、高空になるほど室内と外気との気圧差が大きくなるため、密閉するとしても、圧力差に耐えられるだけの耐久性・堅牢性が必要となる。室内構造を頑丈にすれば、重量が嵩んでしまうので、簡単に与圧室を実用化することはできなかった。
写真(上)1925年,ドイツ、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機:固定式の主輪のところには、作業をしている地上整備員が見えるが、それと比較すると車輪の直径は1.5mくらいあるようだ。機首は4翅プロペラ、主翼は4翅あるいは2翅プロペラを装備。
Title:Junkers G 31
Caption:
Tiefdecker, Verkehrs- und Frachtflugzeug
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour:
black and white
Categories:
Nose, Propellers, View Collection, Junkers G 31, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Lufthansa (DLH)
Record Name:
Ans_05338-02-163-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-163-AL-FL引用。
写真(右)1930年9月,ドイツ、ベルリン、テンペルホーフ飛行場、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機「ドクター・コール」 "Dr Köhl”の機首:1928年に製造、15人乗り旅客機。エンジンから集合排気管が後方に伸びているが、これは排気煙がパイロットや乗客の視界を妨げないようにするためである。機首・主翼のプロペラは4翅を装備している。
Deutsche Luftfestspiele
Datensatz 90089203
Eschen, Fritz: Deutsche Luftfestspiele, 1930.09
Bauwerk: Flughafen Tempelhof (Flughafen Berlin-Tempelhof)
Beschreibung: Berlin-Tempelhof. Ein dreimotorige Junker G 31 (Baujahr 1928), ein Reiseflugzeug für 15 Passagiere, getauft auf den Namen Dr. Köhl
Location:
Berlin-Tempelhof
Integrated Authority File (GND)
Eschen, Fritz.
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_e_0005062引用。
ユンカース(Junkers)G31三発輸送機は、当初、ドイツのユンカースL5液冷V型12気筒エンジン、BMW VI液冷12気筒エンジンなど液冷V型12気筒エンジンを採用した。しかし、整備しやすさを優先したためか、後の生産型は、フランスのノーム・エ・ローヌ(Gnome et Rhone)、ドイツのジーメンス(Siemens)製造のブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter)、BMW製造のプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690「ホーネット」 Hornetなど空冷星形9気筒エンジンを装備するようになった。
写真(上)1925年,ユンカース(Junkers)G31輸送機「ヘルマン・コール」"Hermann Köhl"(登録コード:D 1310・製造番号Wnr.3002)の整備 :主翼根元に移動式階段を置いて、コックピットを外側から整備している。プロペラは、長大な2翅で、エンジンカウリングがないので、整備員が主翼の上でエンジン整備をしている。ヘルマン・コール(1888-1938)はユンカースW 33輸送機「ブレーメン」で、1928年4月12・13日に大西洋を東から西に初めて横断したパイロットで、機体名称はそれを冠している。
Title:
Junkers G 31, D 1310 "Hermann Köhl"
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories:
Reportage photography, View Collection, Unknown, Junkers G 31, Propeller-driven aircraft, Freight aircraft, Fuelling
Record Name:
Ans_05338-02-194-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-194-AL-FL引用。
写真(上)1926年以降,ドイツ、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機(登録コード:D 1310)「ヘルマン・コール」 "Hermann Köhl”(登録コード:D 1310・製造番号Wnr.3002)の機首:機首エンジンから集合排気管が下方に、主翼エンジンナセルの上後方に伸びているが、これは排気煙がパイロットや乗客の視界を妨げないようにするためである。機首・主翼のプロペラは2翅を装備。
Verkehrs- und Frachtflugzeug Junkers G-31 de "Hermann Köhl" (Kennung D-1310, Werknummer 3002) auf einer Graspiste
Datensatz 70046994 Foto: Unbekannter Fotograf, nach 1926
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0018226引用。
写真(右)1929年5月,ユンカース(Junkers)G31輸送機(右)とF.13輸送機(左)の生産ライン:右手前には、主翼が前縁を下にして二枚あわせて設置されている。主翼は、胴体の左右に別々の取り付ける構造である。F13輸送機のエンジンマウントは、機体構造と一体化されている。
Title:
Montagehalle der Firma Junkers, mit Flugzeugen und Flugzeugteilen (Typ F 13 und Typs G 31)
Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs
Dating:
5/1929
Reproduction photography : glass-plate negative
Format:
9 x 12 cm
Categories:
Photographisches Institut der ETH Zürich, ETH, Photographical Institut, 1929, Junkers G 23[風防の形状からG31の誤り], Junkers F 13, Aircrafts, Aircraft construction, Product photography, Propeller-driven aircraft, Buildings of the machinery-, metalworking-, electical- and automotive industries
Record Name:
PI_29-B-0168.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・PI_29-B-0168引用。
ユンカース(Junker)G 31輸送機は、1926年初飛行、乗客15人名で、1930年初飛行のju-52輸送機(乗客18名)の4年前に完成した原型ともいえる機体であ、G.31の設計・機体構造は、Ju-52にそのまま引き継がれている。
写真(右)1930年以前,ドイツ、ベルリン、テンペルホーフ飛行場、ドイツ製ユンカース(Junkers) G 31輸送機とハンガリーのバンヒディ(Lampich)L-2 ローマ(Róma)軽飛行機:バンヒディ(Lampich)L-2 ローマ(Róma)は、ハンガリー人の設計技師アンタル・バンヒディの設計になる。
Magyar: Bánhidy Antal Róma nevű repülőgépe a berlini repülőtéren
Date before 1930
Source Pesti Napló 1850-1930 ajándék album
Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Bánhidy Antal3.jpg"引用。
写真(右)1931年頃,ドイツ、ドレスデン飛行場、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機:幼い女の子を記念に撮影しているが、主翼の下では整備員が作業中で、主翼後方に圧搾空気を補充するタンク運搬車がみえる。プロペラは2翅。機首エンジンからは、集合排気管がエンジン側方からコックピット脇を通り、後方に伸びている。主翼エンジンの集合排気管が、主翼下面に伸びている。これは、エンジン排気煙が司会を妨げないための措置である。エンジンにはカウリング(覆い)がなく、剥き出しになっている。エンジン冷却効果が大きいが、エンジンが風雨にさらされるので、腐食しやすくなる。
Flugplatz Dresden-Heller, Verkehrsflugzeug Junkers G 31
Datensatz 70058765
Location:
Dresden-Heller
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0304978引用。
写真(右)1931年,ドイツ、ベルリン、シュターケン、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機「ヴェストマルク」 "Westmark”(1930年製造)の機首エンジンの整備:エンジンにはカウリング(覆い)がなく、むき出しになっているが、この方がエンジン冷却効果が大きいからであろう。しかし、カウリングなしだとエンジンが風雨にさらされ、腐食しやすくなるという欠点がある。
Flugzeug-Sanatorium der Lufthansa
Datensatz 87705018
Eschen, Fritz: Flugzeug-Sanatorium der Lufthansa, 1931
Beschreibung: Ehemalige Zeppelinwerft bei Staaken. Ein Junkers G 31, Baujahr 1930 wird gewartet
Location: Standort: Staaken, Flugzeughalle
Foto: Eschen, Fritz, 1931
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_e_0006582引用。
ユンカースJunkers G 31輸送機諸元:
乗員:パイロット2人、航法・電信員各1人、乗客15人(夜間寝台は10人)
全長: 16.50 m (54 ft 1 in)、全幅: 30.50 m (100 ft in)、全高: 6.00 m (19 ft 8 in)、主翼面積: 102.0 平方メートル
空虚重量: 5,250 kg (11,590 lb)
全備重量: 8,500 kg (18,760 lb)
エンジン: 3 × BMW-built Pratt & Whitney Hornet, 386 kW (525 hp)
最高速度: 210 km/h (131 mph)、巡航速度: 170 km/h (106 mph)
航続距離: 850 km (528 miles)、航続時間: 5 時間
実用上昇限度: 4400 m (14,400 ft)、上昇率: 3 m/秒 (10 ft/min)
写真(上)1931年,ドイツ、着陸態勢に入ったユンカース(Junkers)G31輸送機「ヴェストマルク」 "Westmark”(1930年製造):
Hahn, Walter: Junkers-Verkehrsflugzeug G 31 bei der Landung, 1931
LOCATION:
Deutschland
Google-Maps-Lokalisierung: Land: Deutschland
Foto: Hahn, Walter, 1931
写真は,Deutsche Fotothek ・
Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0307391引用。
写真(右)1932年6月,ドイツ、ザクセン州ドレスデン(Dresden)上空を低空飛行するドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機:エルベ川に沿って広がるドイツの古都ドレスデンには、壮麗なバロック様式の歴史建造物が残っていた。アウグスト強王(1670ー1733)の治世の下で最盛期を迎え、産業の振興と相まって、バロック様式の都市建設や文化芸術の発展がみられた。宋の白磁と同等の白磁(マイセン)の製作にも成功した。周囲の美しい自然景観と相まって、文豪ゲーテをして「エルベのフィレンツェ」と言わしめた。
Junkers-Verkehrsflugzeug G 31 über Dresden, Luftbild
Foto: Hahn, Walter, 1932.06
Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0307437
Originalnegativ (Glas, 10 x 15 cm, schwarzweiß)
Eigentümer: Deutsche Fotothek
Datensatz 71913334
Hahn, Walter: Junkers-Verkehrsflugzeug G 31 über Dresden, Luftbild, 1932.06
LOCATION:
Dresden
Google-Maps-Lokalisierung: Stadt: Dresden, Provinz: Sachsen, Land: Deutschland
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_e_0006582引用。
写真(右)1932年6月,ドイツ、ザクセン州ドレスデン(Dresden)上空を低空飛行するドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空のユンカース(Junkers)G31輸送機:ドレスデンには大戦末期まで目立った空襲を受けたことがなく、ドイツ人も歴史的建造物の残る古都を連合軍が見逃してくれると期待していた。しかし、1945年2月13日から15日にかけて、ドレスデンは英米軍の重爆撃機延べ1300機、爆弾3900トンの空襲を受け、灰燼に帰した。軍事拠点というよりも、東部からの難民が押し寄せていたドレスデンだったが、イギリス情報部は、ドイツ軍が東部戦線補強のために地上軍をドレスデン経由で移送する計画をしていること、石油などの後方補給基地を破壊する必要があることを主張し、東部戦線のソ連軍の進撃を支援することで戦争が終結が早まると考えた。しかし、ドレスデンへの無差別爆撃によって、2万5000人の民間人が殺害された。
Junkers-Verkehrsflugzeug G 31 über Dresden, Luftbild
Foto: Hahn, Walter, 1932.06
Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0307440
Originalnegativ (Glas, 10 x 15 cm, schwarzweiß)
Eigentümer: Deutsche Fotothek
Datensatz 71913335
Hahn, Walter: Junkers-Verkehrsflugzeug G 31 über Dresden, Luftbild, 1932.06
Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0307437
Originalnegativ (Glas, 10 x 15 cm, schwarzweiß)
Eigentümer: Deutsche Fotothek
Datensatz 71913334
Hahn, Walter: Junkers-Verkehrsflugzeug G 31 über Dresden, Luftbild, 1932.06
LOCATION:
Dresden
Google-Maps-Lokalisierung: Stadt: Dresden, Provinz: Sachsen, Land: Deutschland
写真は,Deutsche Fotothek ・Aufn.-Nr.: df_e_0006582引用。
ユンカースG31輸送機は、1926年初飛行、ju-52の初飛行(1930年)の4年前である。ただし、G31の構造は、Ju-52にそのまま引き継がれている。後年のアメリカ、ダグラスDC-3と同じく、G.31輸送機は、当初、寝台輸送機として開発、生産された。
写真(右)1930年頃、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)のユンカース(Junker)G-31輸送機(D-1310):右の小型装軌牽引車でG.31を所定の位置まで牽引するようだ。
Junkers, G.31
Catalog #: 01_00081552
Title: Junkers, G.31
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: G.31
Tags: Junkers, G.31
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives引用。
ユンカース(Junkers) G 31輸送機諸元:
乗員:パイロット2人、航法・電信員各1人、乗客15人(夜間寝台は10人)
全長: 16.50 m、全幅: 30.50 m
全高: 6.00 m
主翼面積: 102.0 平方メートル
空虚重量: 5,250 kg
全備重量: 8,500 kg
エンジン: 3 × BMW製プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星型9気筒(排気量27.7L)エンジンで386 kW (525 hp)
最高速度: 210 km/h
巡航速度: 170 km/h
航続距離: 850 km
航続時間: 5 時間
実用上昇限度: 4400 m
上昇率: 3 m/秒
写真(右)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen' :ユンカースG31輸送機は、ノーム・エ・ローヌ(Gnome & Rhône)社のエンジンを搭載し、機首は3翅プロペラ、主翼は2翅プロペラを装備している。1929年11月に飛行したので、ju-52の初飛行(1930年)の1年前である。集合排気管で、排気煙を胴体後方まで送り、操縦席や客室に排気煙の影響が出ないようにしている。
Collectie / Archief
Fotocollectie Van de Poll
Reportage / Serie
Reportage Schiphol
Beschrijving
Een Junkers G 31, D-1770 'Preussen' van de Deutsche Luft Hansa AG.
Annotatie
De Gnome & Rhône-motoren zijn duidelijk zichtbaar. Het toestel werd in november 1929 in gebruik genomen.
Datum
1933
Locatie
Noord-Holland, Schiphol
Trefwoorden
luchtvaart, luchtvaartmaatschappijen, vliegtuigen, vliegvelden
Instellingsnaam
Schiphol
Fotograaf
Poll, Willem van de, [onbekend]
Auteursrechthebbende
Nationaal Archief
写真は,Nationaal Archief "Nummer archiefinventaris
bekijk toegang 2.24.14.02"引用。
ユンカース(Junker)G 31輸送機は、発動機は、フランスのノーム・エ・ローヌ(Gnome & Rhône)社のエンジンを搭載し、Ju-52の初飛行(1930年)の1年前、1929年11月に飛行した。
写真(右)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港、荷物移動用カートを胴体脇において荷物を下ろしているドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa:DLH)航空ユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen' :1933年1月30日のヒトラー首相就任以来、ドイツ航空機の国籍マークには、ナチ党逆卍カギ十字(スワスチカ)が描かれることになった。これは、垂直尾翼に赤帯に白丸、その中にスワスチカを記入したものである。
Collectie / Archief
Fotocollectie Van de Poll
Reportage / Serie
Reportage Schiphol
Beschrijving
Junkers G 31 D-1770 Preussen van Lufthansa met een hakenkruis op de staart op Schiphol
Datum
1933
Locatie
Noord-Holland, Schiphol
Trefwoorden
luchtvaart, luchtvaartmaatschappijen, vliegtuigen, vliegvelden
Instellingsnaam
Schiphol
Fotograaf
Poll, Willem van de, [onbekend]
Auteursrechthebbende
Nationaal Archief
写真は,Nationaal Archief "Bestanddeelnummer 189-0846"引用。
写真(右)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港、荷物移動用カートを胴体脇において荷物を下ろしているドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen' :1933年1月30日のヒトラー首相就任以来、ドイツ航空機の国籍マークには、ナチ党逆卍カギ十字(スワスチカ)が描かれることになった。これは、垂直尾翼に赤帯に白丸、その中にスワスチカを記入したものである。
Collectie / Archief
Fotocollectie Van de Poll
Reportage / Serie
Reportage Schiphol
Beschrijving
Junkers G 31 D-1770 Preussen van Lufthansa met een hakenkruis op de staart op Schiphol
Datum
1933
Locatie
Noord-Holland, Schiphol
Trefwoorden
luchtvaart, luchtvaartmaatschappijen, vliegtuigen, vliegvelden
Instellingsnaam
Schiphol
Fotograaf
Poll, Willem van de, [onbekend]
Auteursrechthebbende
Nationaal Archief
写真は,Nationaal Archief "Bestanddeelnummer 189-0846"引用。
写真(右)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港の管制塔の前に駐機して、スタンダード・オイル社の給油車から航空燃料を補給しているドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen' :今日の水準では、小型の給油車であるが、当時の航続距離・飛行機重量を考えると、これで十分だったのであろう。
Een Junkers G31 wordt bijgetanktFotocollectie Van de Poll
Collectie / Archief Fotocollectie Van de Poll
Reportage / Serie Reporta
Beschrijving Een Junkers
Datum 1933
Locatie Noord-Holland, Schiphol
Trefwoorden luchtvaart, vlie
Instellingsnamen Schiphol
Fotograaf Poll, Willem van de, [onbekend]
Auteursrechthebbende Nationaal Archief, CC0
Materiaalsoort
Nummer toegang 2.24.14.02
Bestanddeelnummer 189-0848
写真は,Nationaal Archief "Bestanddeelnummer 189-0848"引用。
1870年にジョン・ロックフェラー(John Davison Rockefeller: 1839-1937)がアメリカに設立したスタンダード・オイル(Standard Oil Company)は、石油精製の標準化を目指し、石油の流通を支配した巨大企業である。20世紀初頭には、石油を小分けするために、容積55ガロン(204リットル)のドラム缶が普及した。1911年、連邦高裁の反トラスト法違反の判決を受け、スタンダード・オイルは分割されたが モービル、シェブロン、エッソを含めスタンダード系企業の市場支配力は大きかった。
写真(右)1933年,オランダ北部、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港、格納庫(ハンガー)で待機中のドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers) G 31輸送機(登録コード: D-1770)「プロイセン」 'Preussen' :機首に踏み台を置いて、エンジンの整備をしている様だ。
Collectie / Archief
Fotocollectie Van de Poll
Reportage / Serie
Reportage Schiphol
Beschrijving
Hangar op Schiphol met Junker-vliegtuigen
Datum
1933
Locatie
Noord-Holland, Schiphol
Trefwoorden
luchtvaart, luchtvaartmaatschappijen, vliegtuigen, vliegvelden
Instellingsnaam
Schiphol
Fotograaf
Poll, Willem van de, [onbekend]
Auteursrechthebbende
Nationaal Archief
写真は,Nationaal Archief "Bestanddeelnummer 189-0376"引用。
ユンカース(Junker)G 31輸送機の装備したエンジンは、当初は、ユンカースL5液冷エンジンあるいはBMW VII液冷エンジンのような液冷V型12気筒エンジンだった。しかし、エンジンの普及度合い、整備のしやすさ、輸出の都合を考慮して、フランスのノーム・エ・ローヌ(Gnome & Rhône)社のエンジンであり、Ju-52のBMW ホーネット(Hornet / BMW 132 )やプラット・アンド・ホイットニー R-1690(P&W Hornet)空冷星形9気筒エンジンを装備するユンカース(Junker)G 31輸送機も開発された。生産機数で言えば、空冷エンジン搭載のユンカース(Junker)G 31輸送機のほうが多い。
写真(右)1932年7月,ベルリン、ユンカース(Junkers)G 31輸送機から登場したサンタクロース:Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl
Signature: Bild 102-14104
Original title: info Wer will mit dem Weihnachtsmann mitfliegen! Berliner Kindern wurde Gelegenheit gegeben, auf dem Flughafen in Berlin für 2,50 Mark einen Rundflug mit dem Weihnachtsmann zu machen.
Archive title: Berlin.- Weihnachtsmann vor Backbordtür eines Flugzeugs Junkers G 31, Kinder
Dating: Dezember 1932
Photographer: Pahl, Georg
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 102-14104"引用。
ユンカース(Junker)G 31輸送機の諸元
乗員 4名、乗客 16名
全幅(スパン) 17,30 m、全長 30,30 m、全高 6,00 m
巡航速力 180 km/h、最高速力 211 km/h
航続距離 1.050 km
発動機 BMW ホーネット(Hornet)9気筒空冷星形エンジン(523 馬力)
写真(右)1933年以降、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)のユンカース(Junker)G-31輸送機 (登録コード:D-1310):垂直尾翼に赤帯、白丸、黒の逆卍は、ドイツの国籍指標である。
1 fly på bakken, Junkers Ju G 31, D-1310 fra Lufthansa. Står ute på åpen gresskledt plass, ant. lufthavn.
Fotografering: 1930 (a)
Produsent: Olsen, Fred sikker
Aksesjon: 1997
Identifier: NL.98220009
Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum
Date published: December 19, 2014
Date updated: December 19, 2014
DIMU-CODE: 021015697279
UUID: A1C26CF3-20D5-4E37-AE34-50994A47CE67
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・"Identifier: NL.98220009 "引用。
写真(右)1935年,ドイツ・ルフトハンザが就役させているユンカース(Junkers)G31輸送機(登録コード:D-1310)の飛行中の姿:このG31輸送機は、BMW132空冷星形エンジン3基を装備してマウントは、機体構造と一体化されている。
Photographer:
Atelier Nolte (Berlin)
Title:
Deutsche Luft Hansa A.G., Grossflugzeug "Junkers G-31" im Fluge
Immatrikulation D-1310
Dating:
ca. 1935
Physical Description:
Photography : paper print
Colour:
black and white
Special Size:
9,5 x 14,5 cm, Ausschnitt 8,5 x 11,5 cm
Categories:
Atelier Nolte (Berlin), View Collection, Junkers G 31, Product photography, Propeller-driven aircraft, 1931-1940
Record Name:
Ans_05035-493.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05035-493引用。
写真(右)1939年8月14日,1938年以前,ニューギニア島東部、ラエ、オーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)と機体に乗った上半身裸のメラネシア系の現地労働者たち:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備し、エンジンは集合排気管ではなく、各シリンダーから廃棄を直接排出する単排気管が採用されている。集合排気管では、排気管が高熱となり、熱帯地域での運航には適していなかったと考えられる。
Photographer:
Heim, Arnold
Title:
Bulolo, Junkers G 31
Dating:
14.8.1939
Physical Description:
Photography : glass-plate positive
Colour:
black and white
Orientation:
Horizontal
Format:
8,5 x 10 cm
License:
CC BY-SA 4.0 Availability:
Free download and use
Copyright Notice:
ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv / Fotograf: Heim, Arnold / Dia_011-064 / CC BY-SA 4.0
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name:
Dia_011-064 引用。
ユンカース(Junkers) G 31輸送機は、イギリスのドミニオン(自治領)オーストラリアにも輸出され、パプア・ニューギニア(Papua New Guinea)島の鉱山開発のために使用された。これは、ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)と呼ばれ、機材や自動車などを空輸できる三発大型輸送機としての用途が見込まれたためである。1920年代にニューギニア東部内陸標高1000mのワウ(Wau)で金鉱山が発見されると、海岸部のサラモア(Salamaua)にゴールドラッシュの鉱山労働者が上陸したが、ワウ(Lae)には金鉱からの積出し用の港湾が整備された。
写真(右)1931年5月-1938年以前,ニューギニア島東部、ラエ、オーストラリアのギニア航空(Guinea Airways)所属ドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)::オーストラリアの飛行家(Charles Raymond Gurney:1906-1942/5/2)の撮影になる。線路上の大型クレーンを使用して胴体上部の大型貨物出し入れ口から自動車を吊上げている。
The photos above and below show the Guinea Airways-owned VH-UOW. The upper shot is probably at Wau and the lower is at Lae. This aircraft was registered new to Guinea Airways on 10 June 1931 and served for a decade until impressed by the RAAF on 30 January 1942 as A44-1.
写真はWikimedia Commons, Junkers G31go VH-UOW - Guinea Airways 引用。
写真(右)1931年5月-1938年以前,ニューギニア島東部、ラエ、オースチン・クレーン車(Austin 7)で胴体上面貨物ハッチから乗用車を吊上げ積み下ろしているドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)::オーストラリアの飛行家(Charles Raymond Gurney:1906-1942/5/2)の撮影になる。線路上の大型クレーンを使用して胴体上部の大型貨物出し入れ口から自動車を吊上げている。
The aircraft survived a Japanese air raid on Bulolo on 21 January 1942 which destroyed its three sister-ships as it was flying at the time. It was later evacuated to the Australian mainland and served on heavy transport duties until suffering an engine failure on takeoff at RAAF Laverton, Vic, on 31 October 1942 and crashing irreparably into the Minister of Air's car.They were powered by three 500hp Pratt & Whitney Hornets (except VH-URQ which had 525hp engines).
写真はWikimedia Commons, Junkers G31go VH-UOW - Guinea Airways 引用。
1941年12月に勃発した太平洋戦争では、日本軍はパプア・ニューギニア(Papua New Guinea)島南岸の要港ポートモレスビー(Port Moresby)を攻略すべく、ニューギニア島東部北岸に侵攻した。これは、1942年3月8日のサラモア(Salamaua)への日本陸軍南海支隊上陸、ラエへの海軍陸戦隊の上陸であるが、ともに連合国軍は撤退した後で無欠占領だった。
写真(上)1931年5月-1938年以前,ニューギニア島(Papua New Guinea)東部、ラエ、オースチン・クレーン車(Austin 7)で貨物の積み下ろしをしているオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)::オーストラリアの飛行家(Charles Raymond Gurney:1906-1942/5/2)の撮影になる。線路上の大型クレーンを使用している。
Title: Het lossen van een Junkers G31 vrachtvilegtuig, de Bulolo 1, in de Territory of Papua
Shelfmark: KITLV 1404230
Subject (topical): Aircraft
Transport
Subject (geographic): Papua New Guinea
Language: No linguistic content
Country: No place, unknown, or undetermined
Published: [Between 1931 and 1939]
Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:856538
Extent: Digital image
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Het laden van een stoomketel voor de Bulolo goudmijn in een vliegtuig in Australisch Nieuw-Guinea, KITLV 402580.tiff"引用。
1942年5月、日本軍は、パプア・ニューギニア(Papua New Guinea)南東岸ポートモレスビー(Port Moresby)攻略のためのBattle of the Coral Sea)では、アメリカ海軍空母「レキシントン」「ヨークタウン」と日本海軍の空母「瑞鶴」「翔鶴」が対峙して、艦上機による戦闘が起きた。攻撃を アメリカ・オーストラリアの航空兵力が激突することになる。
写真(右)1931年5月-1938年以前,ニューギニア島東部、ラエ、オースチン・クレーン車(Austin 7)で乗用車積み下ろし作業中のオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW):オーストラリア委任統治領のニューギニアの鉱山会社が使用した貨物機で、開放型コックピット(open cockpit)で、胴体中央上面に3.60 m × 1.50 m (11 ft 10 in × 5 ft) の貨物ハッチを設置。線路上の大型クレーンを使用している。
Title: Het lossen van een Junkers G31 vrachtvilegtuig, de Bulolo 1, in de Territory of Papua
Shelfmark: KITLV 1404231
Subject (topical): Aircraft
Transport
Subject (geographic): Papua New Guinea
Language: No linguistic content
Country: No place, unknown, or undetermined
Published: [Between 1931 and 1939]
Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:856023
Extent: Digital image
Date Unknown
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Het lossen van een Junkers G31 vrachtvilegtuig, de Bulolo 1, in de Territory of Papua, KITLV 1404231.tiff"引用。
ユンカース(Junkers) G 31輸送機の各型式
G 31.1 – 試作機prototype ユンカース(Junkers)L5 エンジン3基搭載
G 31.2 – G 31.1の中央の発動機を BMW VI液冷エンジンに換装
G 31ba – G 31.2の量産型
G 31de – 発動機をグローム・ローン(Gnome et Rhone)製ブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter) VI エンジン搭載、密閉式コックピット採用
G 31fi – 発動機をジーメンス(Siemens)製ブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter)エンジン搭載、主翼と胴体を大型化した。
G 31fo – BMW製プラット・ホイットニー(Pratt & Whitney)ホーネット(Hornet)空冷星形エンジン3基搭載
G 31ho – G 31foの中央発動機をプラット・ホイットニー(Pratt & Whitney)ホーネット(Hornet)空冷星形エンジンとした。
G 31go – ニューギニア(New Guinea)で使用する貨物機で、開放型コックピット(open cockpit)で、胴体中央上面に3.60 m × 1.50 m (11 ft 10 in × 5 ft) の貨物ハッチを設置
写真(右)1931年5月-1938年以前,ニューギニア島(Papua New Guinea)東部、ラエ(Lae)、オースチン・クレーン車(Austin 7)で胴体上面貨物ハッチから貨物を吊上げ中のオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW):オーストラリアの飛行家(Charles Raymond Gurney:1906-1942/5/2)の撮影になる。線路上の大型クレーンを使用して、タンクを吊上げている。ニューギニア島では、金鉱など鉱物資源の採掘がはじまっていた。
Title: Het lossen van een Junkers G31 vrachtvilegtuig, de Bulolo 1, in de Territory of Papua
Shelfmark: KITLV 1404231
Subject (topical): Aircraft
Transport
Subject (geographic): Papua New Guinea
Language: No linguistic content
Country: No place, unknown, or undetermined
Published: [Between 1931 and 1939]
Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:856023
Extent: Digital image
Date Unknown
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Het lossen van een Junkers G31 vrachtvilegtuig, de Bulolo 1, in de Territory of Papua, KITLV 1404230.tiff"引用。
オーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)は、オーストラリア委任統治領のニューギニアの鉱山会社が使用した貨物機で、開放型コックピット(open cockpit)で、胴体中央上面に3.60 m × 1.50 m (11 ft 10 in × 5 ft) の貨物ハッチを設置。
写真(上)1931年5月-1938年以前,ニューギニア島(Papua New Guinea)東部、ラエ(Lae)、オースチン・クレーン車(Austin 7)で木製荷台に入れた家畜の牛を積み下ろしているニューギニア航空のオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW):開放型コックピット(open cockpit)で、胴体中央上面に3.60 m × 1.50 m (11 ft 10 in × 5 ft) の貨物ハッチを設置。
English:
Title: Uitladen van vee uit een driemotorige vliegtuig van Maatschappij Guinea Airways te Lae op Nieuw-Guinea
Author/creator: Downing.
Shelfmark: KITLV 377657
Subject (topical): Aircraft
Subject (geographic): New Guinea
Language: No linguistic content
Country: No place, unknown, or undetermined
Published/created: [Circa 1935]
Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:742474
: 2006.
Part of
Title: KITLV A498
Date Unknown date
Author Downing.
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:KITLV A498 - Uitladen van vee uit een driemotorige vliegtuig van Maatschappij Guinea Airways te Lae op Nieuw-Guinea, KITLV 377657.tiff"引用。
写真(右)1941年12月8日以降ー1942年1月24日以前、ニューギニア島東部、サラモア(Salamaua)から日本軍の侵攻を前に避難するオーストラリア人婦女子を乗せたオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)と後方のユンカースG.24輸送機:1941年12月,太平洋線脳の勃発オーストラリアの飛行か家(Charles Raymond Gurney:1906-1942/5/2)の撮影になる。線路上の大型クレーンを使用している。
Description A crowd stands on the airfield watching women and children board the tri-motor Junkers G.31 aircraft VH-UOV owned by Bulol Gold Dredging Ltd at Salamaua, New Guinea. This aircraft evacuated women and children to Australia, following the Japanese raid on Pearl Harbour. The final evacuation of the remaining inhabitants of Salamaua took place on 24 January 1942. In the background sits a single engine Guinea Airways Junkers W 34 aircraft.
Date December 1941 Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: P02107.003
Author Australian armed forces
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Evacuation of civilians from Salamaua 1941.jpg"引用。
1941年12月,太平洋戦争の勃発で、イギリス・ドミニオン(自治領)オーストラリアは、イギリスに倣って日本と開戦した。しかし、フィリピンが日本海軍機により空襲され、オランダ領東インド(インドネシア)も危うくなると、ニューギニア島東半分のオーストラリア委任統治領も日本軍侵攻の危機に晒された。1942年1月後半には、ニューギニア島東部からオーストラリア本土への民間人撤退が始まっている。
写真(右)1941年12月8日以降ー1942年1月24日以前、ニューギニア島東部、サラモア(Salamaua)から日本軍の侵攻を前に避難するオーストラリア人婦女子を乗せたオーストラリアのドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)と後方のユンカースG.24輸送機:
Description . A crowd stands on the airfield watching women and children board the tri-motor Junkers G.31 aircraft VH-UOV owned by Bulol Gold Dredging Ltd at Salamaua, New Guinea, in December 1941. This aircraft evacuated women and children to Australia, following the Japanese raid on Pearl Harbour. The final evacuation of the remaining inhabitants of Salamaua took place on 24 January 1942.
Date December 1941
Source
This image is available from the Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: P02107.008
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Evacuation of civilians from Salamaua 1941.jpg"引用。
1942年1月24日、ニューギニア島東部、サラモア(Salamaua)から日本軍の侵攻を前に最後のオーストラリア人民間避難民が飛行機でオーストラリアに飛び立った。
図(上)1927年11月刊行, L'Aérophile掲載のユンカース(Junkers)G31輸送機の三面図:寝台は畳むと向かい合わせのソファーになった。機体胴体は四角形で床板を大きくとることができた。風車式加賀田自家発電機は、胴体コックピット上面に前後に並んで設けられているが、実機では風力発電機の間隔は描かれているよりも狭く接近している。
Description
English: Junkers G.31 3-view drawing from L'Aérophile November,1927
Date 1 November 1927
Source https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6553815x/f364.item
Author L'Aérophile magazine.
写真は,Category:Junkers G.31・File:Junkers G.31 3-view L'Aérophile November,1927.png引用。
3.ユンカース(Junkers)G23/G24輸送機
写真(右)1925年,ドイツ、ベルリン、スイス航空所属のユンカース(Junkers)G24輸送機(登録コード:CH-132):3基のユンカース(Junkers)L 2液冷エンジンを装備。F13輸送機の登録コードは、左からD-232、D-347,D-372,D-454。
Photographer:
Junkers
Title:
Vom ersten Einsatz der G 24 mit 3 Junkers L 2 Motoren und der anschliessenden Sonderflugerprobung. Otto Brauer u. Reginald Schinzinger
Dating:
1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle
Junkers G 24, Junkers, View Collection, Reportage photography, Propeller-driven aircraft Record Name:
Ans_05338-02-079-AL-FL
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-080-AL-FL引用。
ヨーロッパでは第一大戦の戦火が癒えた1920年代から、民間航空輸送が盛んになり、航空便・新聞・雑誌などメディア文書の発送、旅客・貨物輸送が興隆した。こうした中で、ユンカースは成功作でベストセラーになった前作ユンカースF-13輸送機をベースに、より大型化したユンカース(Junkers)G. 24を開発した。設計主務はエルンスト・ツィンデル(Ernst Zindel)で、試作当初は単発機だった。当時の敗戦国ドイツには、ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)条約の制約があり、空軍力の保有は禁止、航空兵力につながる飛行機開発も制限された。そこで、低出力のエンジンしか搭載できないが、小型機では、限界があるため、単発大型機の開発が企図された。ユンカースG24も、単発機として開発されたのである。
そこで、ユンカースは、基本設計は同じだが、民間仕様を強調したユンカース(Junkers)G23輸送機を試作し、民間航路専門の航空機として喧伝した。こうして、合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)は、ユンカース(Junkers)G. 24輸送機はG23として、単発機として生産することが認められたのである。
ベルサイユ条約の軍備制限の下、ドイツでは、軍用ではなく民間用に限定して航空機を開発した。そして、ユンカースG23輸送機は、G24輸送機として、生産、輸出された。本来、強力なエンジンであれば、単発機で十分なパワーがあるが、エンジンの故障や余剰出力に配慮すれば、双発機以上に、三発機の信頼性は高かった。乗客にとっても、エンジンが多いことは安心感を抱かせたに違いない。
写真(右)1926-1935年,フィンランド、ヘルシンキ、水上機基地で待機しているフィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj)、ユンカース(Junkers)G24 水上輸送機「スオミ」"Suomi"[フィンランド](登録コード:K-SALC):G 24 K-SALC "Suomi"は、1926年6月4日就役、1935年6月11日退役で、9年間の間、フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj )で使用された。
Aero Oy:n Junkers G 24 "Suomi" K-SALC Katajanokalla. Aero sai 9-paikkaisen Junkers G 24:n kesäkuussa 1926...
Aineistotyyppi
Valokuva
Organisaatio
Suomen Ilmailumuseo
Kokoelma
Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Inventaarionro
SIM VK 230:35
Mitat
Kuvatiedosto
Kuvaustiedot:
1926-1935
Katajanokka, Helsinki
写真はMuseot Finna, MUSEOT FINNA SIM VK 230:35引用。
ドイツのユンカース(Junkers)G23輸送機の試作機(プロトタイプ)は、1924年9月18日に初飛行した。操縦席は、密閉式で、液冷エンジンを機首・主翼に合計3基搭載。単発のユンカースF-13輸送機を大型化し、エンジンを左右主翼に各々1基追加した機体構造になっている。
ユンカース(Junkers)G. 23輸送機は、3基のユンカース(Junkers)L2エンジン(195馬力:145 kW)を搭載していた。しかし、第一次大戦後のベルサイユ条約の軍備制限を受けていたドイツに対して、ユンカースG23輸送機は高性能であり、軍用機として使用される恐れがあるとして圧力がかかり、G23輸送機のエンジン馬力を低下させることが求められた。こうして、民間輸送機としてG23のエンジン出力を低下させた性能低下型がユンカースG24輸送機である。
ユンカース(Junkers)G. 24輸送機試作機(prototype)は、180馬力BMW IIIa空冷エンジン1基と100馬力メルセデス(Mercedes) D.Iエンジン2基を装備し、1924年に完成した。
その後、ユンカースG 24輸送機は、195馬力ユンカースL2 エンジン1基と160馬力メルセデスD.IIIa エンジン2基を装備し、1925年に完成した。ユンカースG 24輸送機は、195馬力ユンカース L2エンジンを3基装備した。ただし、一部の機体は、機首エンジンを310馬力のユンカース L5エンジンに変換した。
ユンカース(Junkers)G. 24輸送機の諸元
乗員 2名、乗客 9名
全長 15,70 m
全幅 29,90 m
全高 4,15 m
主翼面積 97,8 平方メートル
全備重量 6500 kg
最高速力 197 km/h
発動機 ユンカース(Junkers) L 5 液冷直列6気筒エンジン310馬力3基。
写真(右)1930年,フィンランド、ヘルシンキ、水上機基地格納庫前で待機しているフィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj)、ユンカース(Junkers)G 24W 水上輸送機「スオミ」"Suomi"[フィンランド](登録コード:K-SALC):G 24 K-SALC "Suomi"は、1926年6月4日就役、1935年6月11日退役で、9年間の間、フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj )で使用された。
Aero rakennutti 1920-luvun lopulla Helsingin Ruoholahden edustalle Kellosaareen lentokonehangaarin. Hankkeella ennakoitiin lentoliikenteen kasvua ja saarelle oli tarkoitus keskittää ennen pitkää niin Tallinnan, Tukholman, Kuopion kuin Travemundenkin liikenne, kuten piirustuksissa luki. Aeron liikennöi pidempään ja vakituisesti Katajanokan lentosatamasta (1924-1936). Kellosaaren hallin edessä Aero Oy:n Junkers G 24 "Suomi" K-SALC keväällä 1930. Kone tulossa talviteloiltaan hallista jossa kone oli talven aikana täydellisesti korjattu ja maalattu..
Organisaatio
Suomen Ilmailumuseo
Kokoelma
Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Mitat
Vedos
Kuvaustiedot:
1930
Helsinki, Kellosaari
写真はMuseot Finna, MUSEOT FINNA Inventaarionro SIM VK 533:74引用。
ルフトハンザ航空(Deutsche Luft Hansa)は、1926年1月、ドイツ政府が出資1/4を賄って、ユンカース系航空会社(Junkers Luftverkehr)を中核に、各種ドイツの航空会社が統合されて生まれた国営航空である。ユンカースJu−52旅客輸送機を中核に、ドイツ国内のみならず、ヨーロッパ全土に航空網を築き、のちにはフォッケウルフFw-200、ユンカースJu‐90のような四発大型旅客機を導入して、南北アメリカにまで航路を拡張した。
写真(右)1930年,スウェーデン南端、マルメ、クレーンで引き上げられたスウェーデン航空前身のAB航空輸送(AB Aerotransport)所属のユンカース(Junkers)G 24水上旅客輸送機「ウプランド」"Uppland"(登録コード:SE-ABG):機体の垂直尾翼には、白色時に青十字の小さなフィンランド国旗が描かれている。
flygplan, lyftkran, sjäflygplan
Description
Lyftkran(クレーン) som lyfter ett flygplan, en Junkers G 24, SE-ABG "Uppland"
Time
Date: First half of the 20th century
Creation date: 1930 - 1930
Publisher: Malmö museer
Identifier:
EH 001929
Institution: Malmö museer
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden
First published in Europeana: 2014-08-22
Last updated in Europeana: 2017-09-07
Creation date: 1930 - 1930
写真はEuropeana Malmö museer・Identifier: EH 001929 引用。
スウェーデン航空(AB Aerotransport)は1924年3月27日設立のスウェーデン国営企業で、6月から、ストックホルム、フィンランドのヘルシンキ間の運行を開始した。1930年代には、スウェーデン航空(AB Aerotransport)は、スウェーデンのマルメ(Malmö)オランダのアムステルダム、イギリスのロンドン、ソビエト連邦のモスクワへの旅客輸送も実施している。
1924年設立のスウェーデンのAB航空輸送(AB Aerotransport)が採用したドイツのユンカースG. 24「ウプランド」"Uppland"は、登録コードはS-AABGだった。その後、 1935年に国営化されることとなったため、非公式にこの会社はスウェーデン航空とも呼称される。この時期のユンカースG. 24「ウプランド」"Uppland"登録コードはSE-ABGに変更されている。1948年に、AB航空輸送(AB Aerotransport:ABA)は、スェーデン国際航空(Swedish Intercontinental Airlines:SILA)に吸収された。
写真(右):ドイツのユンカース(Junkers)G24旅客輸送機の客室:乗客12名分の座席が用意されているが、重量軽減のために軽量化された座席のようだ。
Dreimotoriges Verkehrsflugzeug, Kabine der G 24 (Junkers, Dessau)
Zusammenhang: Junkers und Co. GmbH
写真はDeutsche Fotothek / Stoedtner, Franz ・ Aufn.-Nr.: df_st_0163343引用。
ユンカース(Junkers)G24旅客輸送機が、三発エンジンなのは、大出力のエンジンを装備すると、軍用機と判断され、ベルサイユ条約違反となってしまうためである。ユンカースの採用した波板式の金属外板は、円筒形でなく旅客・貨物搭載に便利な箱型胴体でも強度を保つのに役に立った。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)G.24輸送機を見る。
4.輸出されたユンカース(Junkers)K30爆撃機/G24の軍用仕様
写真(右)1927年、スウェーデン、マルメ、ユンカース(Junkers)G23W水上輸送機 "Severa":1924年9月19日に初飛行したG24輸送機に、双フロートを装備して水上機とした。機体は、ユンカースF.13以来の波板状の機体外板が採用されている。
Flygplan på vattnet, Junkers G 23 W "Severa".
Creation date: 1927 - 1927
Publisher: Malmö museer
EH 002001
Institution: Malmö museer
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden
First published in Europeana: 2019-05-20
Location: Kingdom of Sweden 62.0° North, 15.0° East
Sverige 60.37888° North, 10.75128° East
Malmö, Limhamn
写真はEuropeana,Malmö museer ・EH 002000引用。
ユンカース(Junkers)G23W水上輸送機は、大出力のエンジンを搭載すると、軍用機に転用可能と判断され、ベルサイユ条約違反とされてしまう恐れがあった。そこで、小出力のエンジンを搭載したのがユンカースG24輸送機だった。しかし、ドイツ以外の国に、ベルサイユ条約の軍備制限条項は関係がない。そこで、スウェーデンもソビエト連邦も、民間限定とされたドイツのユンカースG23輸送機を堂々と軍用型として制式した。軍用仕様なので、機関銃座や爆弾懸架装置を備えているのは当然だった。
1926年、ユンカース社はソビエト軍のためにユンカース(Junkers)G23輸送機の軍用仕様ユンカース(Junkers)K30を開発し、ソ連に23機を輸出した。また、同様の機体をスウェーデン軍にも販売した。さらに、実現しなかったが、ユンカース(Junkers)G23三発輸送機の単発使用ユンカースF24輸送機の軍用仕様K30doの開発も手掛けている。
写真(右)1927年,垂直尾翼方向舵に国旗を描いたスウェーデン軍ユンカース(Junkers)K30偵察爆撃機(登録コード:S-AABF):ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の軍用仕様。ソ連軍もG24輸送機の軍用仕様であるK30を水上偵察爆撃機として27機採用した。
Title:
Junkers K30/R42
Caption:
Junkers K30/R42, S-AABF, (militärische Variante der G24. K30 und R42 praktisch baugleich. R42 für den Export nach Russland bestimmt) (S-AABF AB Flygindustri, Feb. 1927. April 1928 as CCCP-991 to Russia). (Flugzeug wurde in Schweden für Vorführungen eingesetzt)
Dating:
ca. 1927
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour:
black and white
Orientation:
Horizontal
Format:
Other size
Special Size:
ohne Angabe
Categories:
View Collection, Unknown, Reportage photography, Junkers, Propeller-driven aircraft
Record Name:
Ans_05338-02-297-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-297-AL-FL 引用。
ヨーロッパでは第一大戦の戦火が癒えた1920年代から、民間航空輸送が盛んになり、航空便・新聞・雑誌などメディア文書の発送、旅客・貨物輸送が興隆した。こうした中で、ユンカーすは成功作でベストセラーになった前作ユンカースF-13輸送機をベースに、より大型化したユンカース(Junkers)G. 24を開発した。設計主務はエルンスト・ツィンデル(Ernst Zindel)で、試作当初は単発機だった。当時の敗戦国ドイツには、ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)条約の制約があり、空軍力の保有は禁止、航空兵力につながる飛行機開発も制限された。そこで、低出力のエンジンしか搭載できないが、小型機では、限界があるため、単発大型機の開発が企図された。ユンカースG24も、単発機として開発されたのである。
ユンカース(Junkers)G. 24は、大型化し、搭載量が増えたため、単発では出力不足であり、かといって強力なエンジンの搭載は、ベルサイユ条約に抵触する危険があるため、低出力エンジンを3基搭載することになった。
他方、ドイツ以外の国では、このようなエンジン出力の制約は課されないために、輸出向けには、単発機でより強力なエンジン、たとえば450馬力のネーピア(Napier)ライオン(Lion)エンジン1基を機首にに装備するタイプである。 しかし、ドイツを監視していた連合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)は、ユンカースG24輸送機は、軍用に転用可能であると警告した。
写真(右)1926-1927年,海面を滑走、離水したソ連軍用のK30(R42)水上偵察爆撃機:ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の軍用仕様"Kriegsflugzeug"。また、長距離飛行できるように機首と主翼にはユンカースL2液冷エンジンを合計3基装備している。ソ連軍はユンカースK30偵察爆撃機を27機採用した。
Title:
Junkers G 31
Caption:
Junkers K 30 (R42) ab 1926/27 in Betrieb
Dating:
1926-1927
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Categories:
Reportage photography, Junkers K 30, Hydroplanes, View Collection, 1921-1930, Unknown, Propeller-driven aircraft
Record Name:
Ans_05338-02-152-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-152-AL-FL引用。
ユンカースK.30は1929年にフィンランドを訪問した。1930年代初頭、スウェーデンAB飛行機産業(AB Flygindustri:ABA)がヴァイノ・ブレマー(Wäinö Bremer )の下で、ユンカース機を製造した。ヨーロッパ、トルコへの輸出が目的だった。1929年3月、ユンカースK 30偵察爆撃機は、フィンランドに飛来し、ブレマーは、導入を検討した。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)K30(R42)水上偵察爆撃機を見る。
5.ユンカース(Junkers)F 24輸送機/G24の単発仕様
写真(上)1925年,正面から見たユンカース(Junkers)F 24輸送機/G24の単発仕様:ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の単発用仕様でBMWVI Uエンジン (551 kW / 750 PS)あるいはBMW VII AUエンジン (507 kW / 690 PS)1基装備で、プロペラは4翅。
Title:
Junkers F 24 mit dem ersten Junkers-Flug-Dieselmotor Jumbo 4
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour:
black and white Orientation:
Horizontal Format:
Other size
Special Size:
ohne Angabe
Categories:
View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers F 24.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-279-AL-FL 引用。
ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の単発用仕様ユンカース(Junkers)F. 24輸送機の装備したBMW VI 液冷式V型12気筒エンジンは、BMW(Bayrische Motorenwerke)社が1924年に開発した航空機用発動機で 重量546 kg、出力は当初420hp、後に 530 hp を発揮した。そしてBMWは、1928年にはより大型化、出力向上を図ったBMW VII液冷式V型12気筒エンジンを開発した。これは、同じV型12気筒だが、気筒は160x190 mmに大型化し、重量は615kg、出力は750 hpに達した。
ユンカース(Junkers)F. 24単発輸送機(ユンカース(Junkers)G24三発機の単発型)の諸元
全幅: 25,98 m、全長: 15,63 m
主翼面積:79,20 平方メートル
重量:4700 kg
発動機: BMW VIaエンジン690馬力1基
最高速力:185 km/h
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)F.24輸送機を見る。
6.ユンカース(Junkers)W34水上輸送機/軍用仕様K43
写真(右)1940年6月,民間仕様のユンカース(Junkers)W 34hi水上輸送機:
Description
Deutsch: Junkers W 34hi mit Schwimmern, unbekannte zivile Zulassung, ca. 1940 - Foto digital nachgeschärft.
Date
1 June 1940
Source
Familien-/family album Kraft - never published by name of a photographer
Author
Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers W 34 floatplanes File:Junkers W 34hi mit Schwimmern, zivile Zulassung (S).jpg引用。
1926年に初飛行したユンカース(Junkers)W.34は単発旅客輸送機は、ユンカースF.13以来の特徴である波形ジュラルミン金属外皮の機体で、多くの国に輸出された。生産機数は3,000機以上(うち軍用2,000機で、ドイツ空軍でも終戦まで輸送任務や搭乗員の練習機として使用された。ユンカース(Junkers)W.34は各種エンジンを搭載したが、BMW132空冷星型9気筒エンジンを搭載したのがユンカース(Junkers)W.34hiである。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43fa水上機(登録コードJU-128)と出撃を見送るフィンランド軍兵士たち:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している水上偵察爆撃機型だが、負傷者空輸の写真がたくさん残されている。
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan. Koska pikainen apu on tarpeen ja satojen kilometrien taival maitse huonoilla teillä vie paljon aikaa. Kuvassa on Junkers K 43fa vesilentokone (tunnus JU-128), joka on haavoittuneiden kuljetustehtävässä).
Lisää ?
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-06
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
写真は,Museot FinnaMuseot Finna引用。
1930年にフィンランド空軍は、ドイツからユンカースW 34輸送機1機を購入し、さらにW43輸送機の水上機型のK 43水上機6機をスウェーデン空軍から購入した。1941年7月に、ソビエト連邦との継承戦争を戦うに際しては、長距離偵察・哨戒機として前線に送られたが、前線から傷病兵を後方に搬送する患者輸送機としての任務にも就役した。1944年春、フィンランド空軍は、さらに5機のユンカースW 34輸送機を購入したが、これらは訓練用の練習機として使用されたようだ。戦後にこれらユンカースW34/K43輸送機は、フィンランド国境警備隊で1950年まで使用された。
ユンカースK 43fa輸送機の諸元:
搭乗員: 2名、 乗客: 3-6名
全直:11,13m、全幅i: 17,75m
全高: 3,90m、主翼面積:44平方メートル
空虚重量: 1885kg、全備重量: 3200kg
発動機: 1× BMW 132
最高速力: 220km/h
巡航速力: 180km/h
航続距離: 1700km
上昇限度: 5300m
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)K43f水上機を見る。
1939年9月1日、ドイツがポーランドに突如侵攻、3日には、ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリス・フランスがドイツに参戦して、第二次世界大戦が勃発した。その混乱に乗じたソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、既に傘下に収めていたバルト諸国同様に、フィンランドにも領土要求をし、併合する構えを見せた。しかし、フィンランドは、この要求を断固拒否、そこで、ソ連赤軍は、1939年11月30日、フィンランド南部に攻撃を加えた。こうして、フィンランド軍総司令官
カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)は冬戦争を戦った。
1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(Hakaristi:Swastika)が描かれている。ドイツでも、カギ十字卍(スワスチカ:Swastika)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、ヒトラー政権獲得後、鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。
当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。そして、1941年6月のドイツのソ連侵攻に合わせて、総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)元帥の指揮の下、フィンランドはソ連と継続戦争を開始した。
しかし、1944年9月19日、フィンランドは降伏し、ソ連の側に立って対ドイツ戦争を開始することともるが、この時フィンランド軍のカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は廃止された。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を想起させるのを忌避する方便であろう。
7.ユンカース(Junkers)Ju-52輸送機
写真絵葉書(右)1934‐1939年前半,ドイツ、ザクセン州ドレスデン=クロッチェ飛行場(Dresden Klotzsche Airport)を離陸するドイツ・ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju 52輸送機“Rudolf Berthold”(D-AJAN):
Photo Walter Hahn, Junkers Ju 52 Lufthansa aircraft, D-AJAN, Dresden Klotzsche Airport No 10.326.327 Foto, ca. 13 x 18 cm, excellent condition
写真はonline shop for old postcards,akpool・G-23 Flugzeug der Lufthansa, Rudolf Berthold, Flughafen Dresden Klotzsche引用。
ユンカース(Junkers)Ju 52/3m輸送機は、搭乗員3名、乗客18名、全長18.9m、全幅29.25m、総重量11000kg、発動機BMW132空冷星型9気筒エンジン670hp3基、最高速力270km/h、巡航速度210km/h、航続距離870km。
写真絵葉書(右)1934‐1939年前半,ドイツ、ザクセン州ドレスデン=クロッチェ飛行場(Dresden Klotzsche Airport)上空を旋回するドイツ・ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju 52輸送機“Rudolf Berthold”(D-AJAN):1933年11月17日に初飛行した機体で、当初の登録コードはD-2624だった。1939年9月の第二次大戦勃発でドイツ空軍に徴用され1941年のエーゲ海クレタ島侵攻作戦で墜落、喪失した。First flown on 17 november 1933. First registration D-2624. Requisitioned by the Luftwaffe September 1939. Crashed Crete 1941 and struck from the Lufthansa inventory as a total loss.
Photo Walter Hahn, Junkers Ju 52 Lufthansa aircraft, D-AJAN, Dresden Klotzsche AirportNo 10.326.327 Foto, ca. 13 x 18 cm, excellent condition
写真はonline shop for old postcards,akpool・引用。
ドイツ・ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju 52輸送機“Rudolf Berthold”(D-AJAN)工場製造番号C/n 40261933で、1933年11月17日に初飛行した。この機体は、当初の登録コードはD-2624の民間機だった。しかし、1939年9月の第二次大戦勃発でドイツ空軍に徴用され1941年のエーゲ海クレタ島侵攻作戦で墜落、喪失した。
写真(右):1945年5月−1946年、スイス、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ(Dübendorf)空港、チェコスロバキア航空のユンカース(Junkers)Ju 53/3m輸送機(OK-??):第二次世界大戦でドイツが敗北すると、チェコスロバキアは独立国としてスロバキアを併合して復活した。ドイツ空軍が使用していたJu52輸送機を鹵獲あるいは譲渡されて、運用した。
LBS_SR01-02901
Photographer:
Swissair
Title:
Junkers Ju-52/3m of the Czech-Slovak airline
Original title:
Ohne Titel
Caption:
Dating:
1945-1946
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ 引用。
ユンカース(Junkers)Ju 52輸送機の試作1号機はJu 52/1mで、1930年にユンカースJ2液冷エンジン1基を装備していたが、出力不足で、1932年にエンジン左右主翼にも装備して、三発輸送機に改良された。三発トライモーターのJu 52/3mが有名になり、三発の信頼性の高い旅客機として世界中に認められた。
写真(右)1945年5月−1946年、スイス、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ(Dübendorf)空港、待機しているチェコスロバキア航空のユンカース(Junkers)Ju 52/3m輸送機(OK-??)の右側面:第二次大戦後も21世紀まで使用されていた。
LBS_SR01-02913
Photographer:
Swissair
Title:
Czech Junkers Ju-52/3m on the ground in Dübendorf
Original title:
Ohne Titel
Caption:
Dating:
1945-1946
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv引用。
写真(上):1935年2月12日、スイス、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ(Dübendorf)空港、スイス航空のダグラス(Douglas)DC-2輸送機[右]とドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa)航空ユンカース(Junkers)Ju 53/3m輸送機[奥左]:1934年5月11日初飛行のアメリカ製ダグラスDC-2は、乗客14名の双発機である。1934–1939年に198機が生産された。
LBS_SR02-10680
Photographer:
Swissair
Title:
Douglas DC-2 and Junkers Ju-52 in front of the station building in Dübendorf
Original title:
DC-2 und JU-52 vor Stationsgebäude in Dübendorf
Dating:
12.02.1935
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ 引用。
Ju52単発輸送機は BMW VIIaU液冷星型12気筒エンジンを装備し1930年10月13日初飛行、Ju52/3m三発輸送機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340(排気量22.02 L) ワスプ(Wasp)410 kW (550 hp)3基を装備し、1932年3月7日初飛行した。
写真(上):1937-1939年、スイス、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ(Dübendorf)空港、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa)航空ユンカース(Junkers)Ju 53/3m輸送機とスイス航空のダグラス(Douglas)DC-2輸送機:
Record Name:
LBS_SR01-01999-21
Photographer:
Swissair
Title:
Douglas DC-2 of Swissair and Junkers Ju-52/3m of Lufthansa on the apron in Dübendorf
Original title:
Ohne Titel
Dating:
1937-1939
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ 引用。
写真(右)1930年代−1941年6月以前(?),フィンランド、ヘルシンキ郊外、マルミ飛行場、ドイツ・ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju 52/3m輸送機から降り立った賓客:ヘルシンキ郊外のカタヤノッカ水上機飛行場は、1924年に創設されたが、これはヘルシンキ・マルミ空港が拡充された1936年12月まで使用されていた。Taiteilija Grothe vastaanottajineen Malmin lentokentällä.
Sot.virk. Esko Manninen, valokuvaaja
Taiteilija Grothe vastaanottajineen Malmin lentokentällä. Lufthansan Junkers Ju 52.
写真は,Musseo Finna登録 HK 19670603: 10487引用。
フィリランド航空(フィンエアー:Aero Oyj)のユンカースJu 52/3m輸送機「サンポ」"Sampo"(OH-ALK) 水上輸送機は、1940年にフロートを車輪に変換して、水上機から陸上機に改造された。1941年6月、ドイツによるソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の直後、フィンランドはドイツ側に立ってソ連に侵攻した。フィンランドは中立を捨てて、ソ連との継続戦争を闘ったが、これはイギリスの対フィンランド宣戦布告を呼び起こし、第二次大戦に巻き込まれることになった。
写真(右):1972年6月1日、スイス、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ(Dübendorf)空港、スイス航空のユンカース(Junkers)Ju 53/3m輸送機の左前方:
LBS_SR03-10167-31
Photographer:
Swissair
Title:
Junkers Ju-52 on the ground
Original title:
Reportage: Ju-52, 50 Jahre Luftpost
Caption:
50 years of international airmail traffic on 01.06.1972. The first flight, Geneva - Zurich - Nuremberg from 1922 is repeated with a Ju-52.
Dating:
01.06.1972
Is part of:
Ju-52, 50 years of airmail, 1972. Report with 31 pictures (selection digitized, no additional motifs available)
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ 引用。
1922年にスイスのジュネーブ(Geneva)-チューリッヒ(Zurich)-ドイツのニュルンベルク(Nuremberg)間の航空便輸送が開始されたが、1939年9月にスイスがドイツから輸入したJu52は、これを引き継いで、50年間も航空便輸送に使用された。
スイス空軍は、第二次世界大戦勃発1か月後の1939年10月、ドイツからユンカースJu 52/3m-g4e輸送機を3機購入し、チューリッヒ郊外デューネドルフ飛行場に空輸された。この3機のJu52 の登録コードと機体番号は、HB-HOS / A-701, HB-HOT / A-702 、HB-HOP / A-703である。
写真(右)1981年8月,スイス、飛行中のスイス空軍ユンカース(Junkers)Ju Ju 52/3m-g4e 輸送機(A-702)下面:第二次大戦後も21世紀まで使用されていた。
Com_L30-0401-0001-0005
Photographer:
Comet Photo AG (Zürich)
Title:
Worben (BE), air meeting, transport aircraft Ju-52, A-702 of the Swiss Air Force
Original title:
Flugmeeting in Worben (BE)
Dating:
8/1981
Is part of:
Flight meeting in Worben, 1981, report with 18 pictures (selection digitized, no additional motifs available).
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv引用。
1968年の戦争映画「荒鷲の要塞」("Where Eagles Dare")では、リチャード・バートン(Richard Burton)、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)も出演したが、ユンカースJu 52/3m-g4e輸送機は、ドイツ空軍機の迷彩塗装を施して、映画に登場している。そして、2007年には,Ju52(A-702)は、トム・クルーズ(Tom Cruise)主演のヒトラー暗殺を描いた戦争映画「ワルキューレ」("Valkyrie")に再び登場している。
しかし、2018年8月4日, Juエア遊覧飛行事故で、このユンカースJu 52/3m-g4e輸送機(HB-HOT)は、墜落し乗員3人と乗客17人の全員が死亡した。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。
8.ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
写真(右):1937-1939年、スイス、オーバーアイベルグ上空を飛翔するドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa)航空ユンカース(Junkers)Ju 53/3m輸送機とスイス航空のダグラス(Douglas)DC-2輸送機(115-B, HB-ITI):1936年6月28日に着陸事故を起こして大破した。
Photographer:
Unbekannt
Title:
Douglas DC-2 115-B, HB-ITI, flying over snowy landscape near Oberiberg, looking west-northwest (WNW)
Original title:
Douglas DC-2 115-B, HB-ITI, Flugaufnahme über Schneelandschaft
Caption:
Below center: Hill Guggeren, left half below: Oberiberg, top left: Kleiner Mythen, top right of center: Gschwändstock. From Feb. 1935 to 28.2.1936 with Swissair, on 28.2.1936 crash landing at Gfenn Dübendorf
Dating:
ca. 1936
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ Ans_05035-585引用。
ダグラスDC-2双発旅客機は、当時の新技術だった引込み式降着装置、全金属製、低翼単葉を採用し、発動機はライト(Wright)GR-1820-Fサイクロン(Cyclone)空冷星型9気筒エンジン730 hp(540 kW)2基で強力だった。
写真(右):1935-1948年、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港、スイス航空ダグラスDC-2輸送機と見物する家族連れ:
Photographer:
Swissair
Title:
Spectators look at a Douglas DC-2 of Swissair in Dèbendorf
Original title:
Ohne Titel
Caption:
Dating:
1935-1948
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ LBS_SR01-01031引用。
1931年にアド・アストラ・エアロとバルエアの合併で設立されたスイス航空は、1933年には客室サービス要員としてスチュワーデスを配備し、1934年にはアメリカの新鋭双発機ダグラスDC-2を採用するなど先取りの気風に飛んでいた。
写真(右):1938年、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港、スイス航空ダグラスDC-2輸送機とパイロットのハンス・エルンスト(Hans Ernst):
Photographer:
Swissair
Title:
Swissair line pilot Hans Ernst in front of a Douglas DC-2 in Dübendorf
Original title:
Dübendorf DC-2 Pilot
Caption:
Dating:
1938
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ LBS_SR01-00533引用。
ダグラス(Douglas DC-2)の諸元
乗員Crew: 2-3名
搭載乗客数Capacity: 14名
全長Length: 61 ft 11.75 in (18.8913 m)
全幅Wingspan: 85 ft 0 in (25.91 m)
全高Height: 16 ft 3.75 in (4.9721 m)
主翼面積Wing area: 939 sq ft (87.2 m2)
空虚重量Empty weight: 12,408 lb (5,628 kg)
総重量Gross weight: 18,560 lb (8,419 kg)
発動機Powerplant: ライト(Wright)GR-1820-F52 サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン2基
プロペラPropellers: 3翅可変ピッチ金属製プロペラ(3-bladed variable-pitch metal propellers)
写真(上):1937-1939年、スイス、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ(Dübendorf)空港、スイス航空のダグラス(Douglas)DC-2輸送機(115-B, HB-ITO)とDC-3(216, HB-IRA)輸送機(左):DC-3は、DC-2と同じ発動機を搭載したが、胴体を拡大して、客室を2列14座席から1.5倍の3列21座席に増加させている。
Photographer:
Swissair
Title:
Douglas DC-2 115-B, HB-ITO and Douglas DC-3-216, HB-IRA on the ground in Dübendorf
Original title:
DC-2 HB-ITO
Caption:
Dating:
1937-1948
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ LBS_SR01-00807引用。
写真(上):1937-1939年、スイス、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ(Dübendorf)空港、スイス航空のダグラス(Douglas)DC-2輸送機(115-B, HB-ITO)とDC-3(216, HB-IRA)輸送機(中央奥)、フォッカー(Fokker)F.VII a単発輸送機(機体コード CH-157、登録コード HB-LBO):スイス航空の保有したフォッカー(Fokker)F.VII aはこの機体コード CH-157、登録コード HB-LBOの1機のみ。
Photographer:
Swissair
Title:
Douglas DC-2 115-B, HB-ITO and Douglas DC-3-216, HB-IRA on the ground in Dübendorf
Original title:
DC-2 HB-ITO
Caption:
Dating:
1937-1948
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・LBS_SR01-00808引用。
写真(右):1945年、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港、スイス航空ダグラスDC-2輸送機のエンジン整備作業:発動機はライト(Wright)GR-1820-Fサイクロン(Cyclone)空冷星型9気筒エンジン730 hp(540 kW)2基を装備している。
Photographer:
Swissair
Title:
Working on the engine of a Douglas DC-2 of Swissair in Dübendorf
Original title:
Mechaniker an Motoren
Caption:
Dating:
ca. 1945
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ LBS_SR01-03263引用。
ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジンの諸元
ボア 6 1⁄8 in (155.6 mm)
ストローク 6 7⁄8 in (174.6 mm)
全長 47.76 in (1,213 mm)
直径 4.25 in (1,378 mm)
排気量 29.87L (1,823in³)
乾燥重量 1,184 lb (537 kg)
出力 1,000 hp (746 kW)
⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)DC-2輸送機を見る。
写真(右)1940年後半代−1950年代(?),オーストラリアのギニア航空輸送ダグラス(Douglas)C-39輸送機:Taiteilija Grothe vastaanottajineen Malmin lentokentällä.
Sot.virk. Esko Manninen, valokuvaaja
Taiteilija Grothe vastaanottajineen Malmin lentokentällä. Lufthansan Junkers Ju 52.
写真は,Index of /australian-aviation/dc-2/ C-39-ARB-Eagle-Farm-c48-Gus-Gruelke-KOM引用。
ダグラス(Douglas)C-39輸送機は、ダグラス(Douglas)DC-2輸送機の軍用仕様で、DC-2輸送機よりも強度を向上している。第二次世界大戦とその終了後も長く使用された。
9.東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)「比較にならぬ劣勢」
「情ない」の一語に尽きる我が民間航空陣
最近欧米漫遊から帰朝する人は異口同音に欧米に比しわが国の軍器特に航空機の著しき劣勢を説く、近代的戦争が機械化し立体化して来た今日飛行機の軍事上における重要性は頗る大なるものがあり制空権の獲得は即ち戦いの勝敗を決するとさえいわれる、フランスがドイツやイタリーの感情を無視してまでもロシアと相互援助協定を結んだのは世界無比と称せられるロシア空軍の偉力に頼らんとしたためといわれている、近代的戦闘におけるその重要性の増大が即ち各国をして飛行機の発達と空軍の充実に狂奔せしめる所以である
然し空軍はその性質上戦端開始後短時間に消耗される、従って間断なくこれを補充する能力、即ち飛行機の新造と操縦士とを養成する能力の大小が即ち各国の空軍勢力の優劣を決めるのである、そこでまず飛行機製造工業の確立が必要であると共に如何に製造設備が充実していてもその設備を平時遊ばせて置く訳にはいかぬから平時間断なく製造される飛行機を消化する方法が考えられねばならない、各国が競って商業航空路の拡張に熱狂しつつあるのは即ち平時において製造される飛行機の消化を考えているからである
最近欧米各国は競って民間航空を国防上の観点から見ようとしている、即ち民間航空を国防の一部門として兵力量の一斑としての考慮を払いつつある、民間航空は即ち空軍第二陣であるから世界各国はその第二陣の発達を促すために必死の拡張戦を演じ殊に最近その触手は極東に向けられつつある
写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー:1934年12月30日に初飛行しサンフランシスコ、ハワイ諸島ホノルル、ミッドウェー島、ウェーク島、グアムを経由してアメリカ植民地フィリピンのマニラとの航路を開拓したが3機しか生産されていない。「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)、「ハワイ・クリッパー」(NC14714)、「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)があった。
Catalog #: 00068814 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Date 7 May 2010, 12:09
Source
Martin : 130 : Clipper
Uploaded by Rybec
Author SDASM Archives
写真は,Category:Martin 130 of Pan American Airways File:Martin 130 Clipper (4589906869).jpg引用。
即ち最近汎アメリカ会社のチャイナ・クリッパー機によって処女航空路が開拓されたニューヨーク、香港間の定期郵便飛行をはじめ英国は本国と各植民地間の連絡のためロンドンより南阿ケープタウン線をシンガポールまで延長し、更にこれを香港、上海まで延長して完全に本国と東亜との連絡を完成せんとしている、フランスはパリ、サイゴン線をハノイまで延長し、更にこれを広東を経て上海に延長の計画をもっている、ドイツはベルリン−アテネ線をサイゴン−広東−上海に延長し、更にこれを東京まで延長の計画を持ちオランダはアムステルダムよりジャワ島のスラバヤに至る極東線を付近の蘭領諸島を経てマニラに延長する線の経営に著手し、ソヴィエトはモスクワ浦塩幹線から北平への支線を出し、またアラスカのノームまで延長してアメリカと連結せんとし、また浦塩より日本への延長をさえ望んでいる。
かくの如く今や欧米列強の空の触手はすべて東亜に向って集中し、日本はこれ等の航空路によって四面より包囲される体形である、これに対してわが民間航空は情ないほど貧弱である、今各国が経営しつつある定期航空路の総延長及び飛行場の数を示すと(一九三六年五月現在)
世界の定期航空路の総延長及び飛行場の数(1936年5月現在)
航空路 飛行場
イギリス 7万3419km 395か所
ドイツ 5万6km 231か所
フランス 4万9069km 112か所
イタリリア 1万5561km 67か所
ソヴィエト 4万8982km
アメリカ 10万2290km 2334か所
日本 5840km 20か所
右の表は空軍の第二陣であり補充母体であるわが民間航空の現状が世界の重要国に比し如何に劣勢の状態にあるかを示している、しかも、各国の飛行機製造会社はそれぞれ優秀なる機体或はエンジンの特許権を有しその海外輸出を行っているが、わが国の飛行機会社はこれ等の優秀機を高価に買入れて研究し模倣するか或は特許を買って製造するという情ない有様である、世界に対してこれが日本産の優秀機なりとして外国へ輸出し得るようなものは未だない
東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)引用。
写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー:1935年10月に「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)が太平洋フィリピン航路に初就役し、1945年1月に最後の1機。「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)が事故で失われるまで使用された。全長27.7m、全幅39.7m、翼面積330 m2、プラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1830ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン830 hp (708 kW)4基搭載。全備重量:23,701 kg、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Catalog #: 00068825 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Date 7 May 2010, 12:10
Source
Martin : 130 : Clipper
Uploaded by Rybec
Author SDASM Archives
写真は,Category:Martin 130 of Pan American Airways File:Martin 130 Clipper (4589907269).jpg引用。
民間航空の発達は優秀にして廉価な飛行機を大量に作り料金を安くして誰でも手軽に乗れるようにしなければならない、米国や英国では四、五千ドルで優秀な軽飛行機が買えるという、最近航空国策が叫ばれ政府も航空事業の発達に対して稍力を入れるようになり一千万円の研究費を投じて航空機検査所、航空機試験所等を新設することとなり、他面内地、台湾線をシンガポールまで延長し更に台北−香港−ハノイ−バンコック線を新設してヨーロッパからの三定期空路と握手せんとする計画をもっているがこれが十年計画だというから情ない、わが内地−台湾空路に使用している十四人乗の優秀機だがこれはアメリカから買入れたものだ、アメリカの太平洋空路に就航するチャイナ・クリッパーは乗組七名、乗客四十三名の寝台設備を有しフランスの誇りラテコール五二一型機は客席七十を有する豪華さである
写真(右)1936年3月,イタリア、ラテコエール 521(Latécoère 521)六発旅客飛行艇:初飛行は1935年1月10日で、大西洋横断旅客飛行艇として登場した大型機で、発動機6基を搭載、内側2基は串形タンデム式の搭載のために、一見すると四発機に見える。1機のみしか生産されていない。全長31.62 m、全幅49.31 m、翼面積330 m2、全備重量:37,933 kg、最高速力247 km/h、航続距離3,900 km。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana
Non identificato
Description
English: Latécoère 521 photo from NACA-AC-202
Date 1 March 1936
Source https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19930090517.pdf
Author NACA Aircraft Circular
写真は,Category:Latécoère 521 File:Latécoère 521 NACA-AC-202.jpg引用。
こんな優秀機をわが国産機として見出し得るのは果していつの日か? 各国はこういう大旅客機を競争的に建造しつつあるが他面機体と別にガソリン発動機に対しディゼル航空発動機の研究競争が行われドイツの如き旅客機は勿論軍用機にもすでにディゼル発動機が装置されて実用化している、フランスにおいてはディゼルエンジンによる一万キロ無著陸飛行機完成に対して政府は一千万フランの懸賞を賭けて奨励している、然るに日本においては漸く最近ディゼル航空発動機を買入れて研究を始めたという万事に立遅れの状態である
図(右)1936年3月,イタリア、ラテコエール 521(Latécoère 521)六発旅客飛行艇の胴体内部構造三面図:ラテコエール 521は最大乗客数72名、下層デッキにサロンとしてテーブル席20名分、客席はバスルーム付きツインルームと22席、上層デッキに客席18名分、さらに機関士室があった。フランス航空の長距離輸送機として、1939年5月から7月の間にフランス=ニューヨーク間を4回の往復している。
English: Latécoère 521 interior layout drawing from NACA-AC-202
Date 1 March 1936
Author NACA Aircraft Circular
写真は,Category:Latécoère 521 File:Latécoère 521 interior layout NACA-AC-202.png引用。
これ等の情報を耳にするとしみじみ日本の航空界の劣勢が痛感される、日本の科学者の頭脳が彼等に劣る結果だとは考えたくない、一九三五年度において、民間航空事業に対してドイツは一億三千三百万円、フランスは四千万円の補助奨励金を支出しているがわが国は僅かに五百万円前後にすぎない、この国家の力の入方の相違が発達の差の原因をなしている、この全面的立遅れを取戻すためには科学者の動員と政府の熱意と民間の協力が可欠の要件である
東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)引用終わり。
⇒写真集Album:マーチン(Martin)M-130四発飛行艇 を見る。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
⇒ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
⇒ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
⇒ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
⇒ハンセン病Leprosy差別
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
⇒ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
⇒与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
⇒石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
⇒魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
⇒文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
⇒戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
⇒統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland
⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
⇒ハワイ真珠湾奇襲攻撃
⇒ハワイ真珠湾攻撃の写真集
⇒開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
⇒サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
⇒沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
⇒沖縄特攻戦の戦果データ
⇒戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
⇒海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
⇒フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
⇒ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov
⇒フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
⇒ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車/Sd.Kfz. 231-6Rad六輪装甲車
⇒ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
⇒ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
⇒ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
⇒ドイツ陸軍2号戦車
⇒ドイツ陸軍3号戦車
⇒ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
⇒ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
⇒ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
⇒ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
⇒ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
⇒ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
⇒VI号ティーガー重戦車
⇒ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
⇒V号パンター戦車
⇒ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車
⇒イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
⇒イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
⇒イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
⇒イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
⇒M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
⇒イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
⇒イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
⇒英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
⇒イギリス陸軍コメット巡航戦車
⇒アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
⇒アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
⇒アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
⇒シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
⇒フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
⇒シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
⇒ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
⇒ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
⇒ボーイング(Boeing)247旅客機
⇒ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
⇒ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
⇒ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
⇒アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
⇒アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機
⇒ユンカース(Junkers)F.13輸送機
⇒ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
⇒ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
⇒ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
⇒ユンカース(Junkers)K43f水上機
⇒巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)G.31輸送機
⇒ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
⇒ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
⇒ハインケル(Heinkel)He111輸送機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
⇒カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
⇒NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
⇒軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
⇒NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
⇒サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
⇒ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
⇒ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
⇒マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
⇒ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"
⇒フィンランド内戦:Finnish Civil War
⇒フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
⇒ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
⇒フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
⇒第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
⇒第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
⇒ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
⇒ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
⇒フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
⇒フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
⇒フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
⇒フィンランド軍の防空監視哨
⇒ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
⇒ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
⇒ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
⇒ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
⇒ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
⇒ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
⇒ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
⇒ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
⇒ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
⇒フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
⇒ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
⇒ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
⇒メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
⇒メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
⇒ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
⇒ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju88 C/R/G夜間戦闘機
⇒ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
⇒エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
⇒ムッソリーニ救出作戦
⇒イタリア独裁者ムッソリーニ
⇒独裁者ムッソリーニ処刑
⇒ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
⇒マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」
⇒サヴォイア=マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
⇒カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
⇒カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機
⇒サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
⇒サヴォイア・マルケッティSM.82カングロ輸送機
⇒フィアット(Fiat)G.18V輸送機
⇒フィアット(Fiat)G.12/G.212三発輸送機
⇒サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
⇒フィアット(Fiat)BR.20/イ式重爆撃機
⇒サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84爆撃機
⇒カント(CANT)Z.1007爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
⇒ピアジオP.108重爆撃機
⇒マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
⇒マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
⇒マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機
2018年5月20日公開2022年9月15日改定の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
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