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◆飛行機設計家エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授;鳥飼行博研究室
写真(上)1940年初後半、フランス(?)、英国本土航空決戦時期のドイツ空軍第26爆撃航空団(Kampfgeschwader)のハインケル(Heinkel)He-111爆撃機H型
;機首の航空団エンブレムは"Lions' Wing"で1939年5月創立。1935年2月24日に初飛行したHe-111爆撃機は、旅客機としても少数が使用された。世界大戦末期の1944年に生産が中止されるまで、6,508機もが量産されたが、これはハインケル社の最多生産機種である。
Heinkel, He 111 Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111 Tags: Heinkel, He 111 -
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081289引用。



写真(上)2017年4月、イギリス、ロンドン郊外、イギリス空軍博物館に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行隊のハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機
;BMW003ターボジェット1基を搭載、1944年12月6日初飛行し戦局悪化の急速増産が始まっていた国民戦闘機。最高速力850 km/h、162機が量産されたが、実戦参加はしていない。
Delivered to II/JG1 at Leck Airfield in April 1945. Surrendered to the RAF Regiment and brought back to Farnborough. Given the Air Ministry No 65 and allocated the British Military serial VN679, although did not fly in the UK. Survived by briefly being allocated to the Air Historical Branch and used for displays. Preserved at RAF Colerne by 1958. Moved to RAF St Athan when Colerne closed in 1976, finally moving to Hendon in 1989 where it remains on display in the Bomber Command Hall. RAF Museum, Hendon, London, UK. 28th May 2016IMG_9812.jpg Date 20 April 2017, 11:53 Source IMG_9812.jpg Author Clemens Vasters from Viersen, Germany, Germany -
写真は, Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162A (120227) at RAF Museum London File:Royal Air Force Museum IMG 9812 (34045741131).jpg引用。

1.エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)

図(右)1982年作成、ドイツ、ハインケル(Heinkel)教授のポートレット画;スペイン内戦に活躍したハインケルHe-111爆撃機と第二次大戦末期に部隊配備されたHe-162ジェット戦闘機が背景に描かれているが、どちらも第二次世界大戦の軍用機である。
Heinkel, Dr. Ernst Hall of Fame Portrait 1982
Catalog #: BIOH00212 Last Name: Heinkel First Name: Dr. Ernst -
写真は,SDASM Archives Catalog #: BIOH00212引用。


エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)略歴
生誕日:1888年1月24日
生誕地:グルンバッハ(Grunbach)
死没日:1958年1月30日(70歳)
死没地:シュトゥットガルト(Stuttgart)

学歴:シュトゥットガルト工科大学(Technischen Hochschule Stuttgart)
専門:航空技術
学位・資格:博士・教授
勤務先:LVG社、アルバトロス社、ハインケル社

業績
世界初のロケット機He176の初飛行(1939年6月20日)
世界初のジェット機He178の飛行(1939年8月27日)

エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

  写真(右)1931年、ドイツ北東部バルト海沿岸、ポンメルン州ヴァーネミュンデ (Warnemünde)、ハインケル航空機工場のエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)と技師
Flugzeugbau Ernst Heinkel
Eschen, Fritz: Flugzeugbau Ernst Heinkel, 1931 Beschreibung: Rostock-Warnemünde. Ernst Heinkel Flugzeugwerke Warnemünde. Werkhalle. Ernst Heinke und ein Arbeiter beim Betrachten eines Flugzeugteiles
Darstellung: Heinkel, Ernst Zusammenhang: Ernst Heinkel Flugzeugwerke Warnemünde
Location: Rostock, Rostock-Warnemünde
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0006593引用。


第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデ (Warnemünde) にハインケル航空機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。

ヴァーネミュンデのハインケル工場は、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで、秘密裏に軍用機でも開発できるという利点があった。この軍用機は、空軍を禁じられたドイツ向けというより、外国への輸出販売用だった。

写真(右)1938年10月11日、ドイツ、ベルリン郊外ポツダム、リリエンタール社で宴会中のドイツ航空省技術局長エルンスト・ウーデット少将、ドイツ航空省次官エアハルト・ミルヒ大将、ドイツ芸術科学国家賞(Deutscher Nationalpreis für Kunst und Wissenschaft)を飾ったエルンスト・ハインケル教授(左から):オットー・リリエンタール(Otto Lilienthal:1848-1896)は、アメリカのライト兄弟に先んじるドイツ航空界のパイオニアで、グライダーによる滑空飛行を実現させた。
Title Potsdam, Udet, Milch, Heinkel Info non-talk.svg
Eschen, Fritz: Flugzeugbau Ernst Heinkel, 1931 Beschreibung: Rostock-Warnemünde. Ernst Heinkel Flugzeugwerke Warnemünde. Werkhalle. Ernst Heinke und ein Arbeiter beim Betrachten eines Flugzeugteiles
Gentleman evening at the Lilienthal company in potsdam Depicted people Heinkel, Ernst Prof. Dr. Ing.: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Milch, Erhard: Generalfeldmarschall, Ritterkreuz (RK), Luftwaffe, Deutschland Udet, Ernst: Generalluftzeugmeister, Generaloberst, Ritterkreuz, Luftwaffe, Orden Pour le mérite, Deutschland
Depicted place Potsdam Date 11 October 1938
写真は,Category:Ernst Heinkel, File:Bundesarchiv Bild 183-H13535, Potsdam, Udet, Milch, Heinkel.jpg引用。


ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、1935年3月16日、ベルサイユ条約の軍事制限条項を破棄して、ドイツ再軍備宣言した。その直後の1933年5月、ドイツ国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルクは、第一次大戦と同様だった陸軍航空隊を1933年4月設立の航空省に移管し、それまで民間スポーツ機などの名目で保有していた航空機も併せてドイツ空軍(Luftwaffe)を設立した。

写真(右)1940年頃(?)、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel):エルンスト・ハインケル航空機工場のトップとして大活躍した。
Portraitserie Ernst Heinkel
Datensatz 70246185
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050035引用。


1935年3月16日のドイツ再軍備宣言から半年以上経過した1935年11月7日、第一次大戦勃発の時1914年生まれの成人男子に徴兵が開始され、それまで10万人だった共和国軍(ライヒスヴェア)は、50万人の国防軍(ヴェアマハト)へ拡張された。

ドイツ空軍は、航空大臣ヘルマン・ゲーリングの下、航空省次官エアハルト・ミルヒが編成・生産の実務を担当したが、航空省とドイツ空軍は事実上、一体化することになった。エルンスト・ウーデットが航空省技術局長に就任したのは、翌年1936年6月である。 1936年には、ラインラントの無武装地帯に武力進駐を強行し、同年に勃発したスペイン内戦に反乱側フランコ将軍支援の陸・空軍兵力を派兵している。

特に、1937年4月26日のゲルニカ空襲には、無差別爆撃として悪名高い。ドイツ・コンドル軍団によるゲルニカ爆撃には、主力ユンカースJu52爆撃機のほかに、ハインケル He111爆撃機、ハインケルHe51戦闘機も攻撃に投入されている。

写真(右)1940年頃(?)、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授:楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・郵便機として開発され、1932年12月1日に初飛行。楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかったが、飛行性能を向上させるとしてあえて採用された。
Datensatz 70246184 Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur. Foto: Eschen, Fritz
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050034引用。


1922年、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、ドイツ北部バルト海沿岸、ポンメルン州ヴァーネミュンデ (Warnemünde)に、ハインケル航空を設立した後、ベルサイユ条約の航空兵器保有禁止の条項をかいくぐるために、対岸のスウェーデンで軍用機の開発を行った。この高性能水上偵察機は、日本海軍の注目するところとなった。

エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)航空機工場は、1922年にドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデWarnemünde)に設立された。ここでは、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機を開発している。日本は、第一次大戦の戦勝国だったが、敗戦国ドイツから鹵獲した兵器・飛行機に注目して、再審議医術の取得に熱心だった。

当初、日本は、特許やライセンスに無頓着に、技術を模倣して取り入れていたが、そのうちライセンス料をようになった。のして、日本陸海軍が同じダイムラーベンツDB601液冷エンジンのライセンスを取得するのに、陸海軍が別個にライセンス料を支払うという無定見ぶりを発揮している。

写真(右)1941年7月5日、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel:1888-1958),妻リサ(Lisa)、息子アウグスト(August):孫と娘としても不思議でない。
Ernst Heinkel, Sohn und Ehefrau Image type photograph Format portrait format
Signature Bild 183-2009-0317-501
Original title 2650/13. Professor Heinkel mit seiner Gattin und seinem jüngsten Söhnchen.
5. Juli 1941 [Herausgabedatum]
Archive title Ernst Heinkel, Sohn Ernst August Heinkel und Ehefrau Lisa Heinkel (geborene Lisa Nürnberger) vor PKW Tatra 87 posierend Date Juli 1941
Dimensions 2646x4053 Pixel File type image/jpeg File size 2.5 MB
Lebensdaten : 1888-1958
Printable at 300 dpi until 22.40 x 34.32 cm Positive yes Positive format 13 x 18 cm
写真は, ETH-Bibliothek Zürich, Bild 183-2009-0317-501.引用。


1881年1月24日生まれのエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、二人兄弟、3回結婚し、連れ子2人を含め7人の子供をもつ。1938年ニュルンベルク開催のナチ党大会では、ハインケルに対して、国家芸術科学賞が授与されており、軍需生産に依存したハインケル航空工場の繁栄がもたらされた。
1958年1月30日逝去。

 ハインケルは、1932年9月にHe70高速輸送機を初飛行させ、1935年のドイツ再軍備宣言後には、ドイツ空軍の創設に伴い高速輸送機として開発したハインケルHe111を爆撃機として採用させ、さらにハインケルHe51複葉戦闘機の量産をも受注することで、ドイツ有数の航空機メーカーに成長していった。

1933年1月末、ナチ党総統アドルフ・ヒトラーが、首相に任命され、1935年にドイツ再軍備を宣言して、ドイツ空軍を設立すると、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、政権獲得前から既存の飛行機を活かして、軍用機として開発したHe59双発水上機He60水上偵察機などを採用された。これらの軍用機は、特に斬新な設計ではなく、性能も平均的なものだった。

写真(右)1941年7月頃、ドイツ、乗用車運転席のエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)と娘:孫娘と一緒の写真かと錯覚してしまう。
Portraitserie Ernst Heinkel
Datensatz 70246186
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050037引用。


しかし、ドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデWarnemünde)のハインケル航空機工場は、軍需を得て航空機メーカーとして、順調に資本形成を進めることができた。そして、工場の拡張によって飛行機製造能力も高まったのである。

1936年7月、スペインでは、人民戦線政府に対して、モロッコ植民地に駐留していたフランシスコ・フランコらの反乱軍が蜂起した。このスペイン内乱に際して、ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、即座に支援を命令し、ドイツ・コンドル軍団をスペインに派遣することが決定した。

 ドイツは、形式上は、スペイン市民戦争に不干渉の立場にあると表明しながらも、義勇軍の形式をとったコンドル軍団を編成して、ドイツ正規軍の派兵を実装した。この時、コンドル軍団に配備されたハインケルHe51戦闘機、He111爆撃機、He70輸送機もスペイン内乱に反乱軍への援軍として実戦投入されている。

写真(右)1941年7月頃、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel):遊具に乗った娘とキスするハインケル博士(1888-1958)。
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,© SLUB / Deutsche Fotothek / Eschen, Fritz ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050039引用。


第二次大戦前に、ハインケルHe112戦闘機を開発したが、Bf109戦闘機との競争試作に敗れた。この理由は、飛行性能的に若干劣っていたこと、量産性に難点があったことであるが、エルンスト・ハインケルがナチ党やヒトラーとの相性が悪かったことも指摘されている。ただし、このようなハインケルの自由闊達な性格がもたらしたナチ党全体主義・反ユダヤ主義への嫌悪といったものは、戦後になって自著で述べられてはいるが、当時のハインケルは、ナチ党への追随的行動をとっていた。

写真(右)1940-1941年頃、自ら設計した新品のハインケルHe111爆撃機H/P型を背景にしたエルンスト・ハインケル教授は、スーツ左襟のフラワーホールにスワスチカ卍のナチ党徽章(党員バッチ)を付けている。右は、カール・シュヴァルツァー(Karl Schwärzler)でハインケル社で飛行機開発に携わった。:エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士の後方には、機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型が控えている。
Beeldnummer 44748 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Formatie Heinkel 111, gevechtsvliegtuigen.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 44748 引用。


エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士は、1888年、ドイツ南部、シュトゥットガルト生まれ、第一次大戦で飛行機設計に加わった。戦後の1922年に、北ドイツのヴァーネミュンデにハインケル飛行機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。アドルフ・ヒトラーの唱える国家社会主義に共鳴し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党:NSDAP)に入党した。ハインケルは、自伝によればスピード感に陶酔しており、スピードへの追及に熱心で、He70高速輸送機のような凝った設計の高速機を開発した。He70高速輸送機は、1932年にドイツ・ルフトハンザ航空に採用されている。

写真(右)1941年7月11日、ドイツ、ハインケル航空機工場(?)、背広左襟フラワーホールにスワスチカ卍のナチ党員バッチを付けたエルンスト・ハインケル教授と技師のジークフリート・ギュンター(Siegfried Günter: 1899-1969):ヴァルター・ギュンター(Walter Günter:1899-1937年9月21日)は双子の兄弟でやはりハインケルの技師だった。
Title Ernst Heinkel, Siegfried Günter Info non-talk.svg
II. Weltkrieg 1939-45 Rüstungsindustrie im faschistischen Deutschland, Juli 1941 Der Flugzeugkonstrukteur Prof. Ernst Heinkel (r.) überprüft und verändert die Konstruktionszeichnung eines Mitarbeiters.
Depicted people Heinkel, Ernst Prof. Dr. Ing.: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Günter, Siegfried: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Date July 1941
写真は,Category:Ernst Heinkel, File:Bundesarchiv Bild 183-1982-1022-509, Flugzeugkonstrukteur Prof. Ernst Heinkel.jpg引用。


双子の兄弟ヴァルター・ギュンター(Walter Günter:1899-1937年9月21日)もドイツ航空省の飛行技師だった。1931年にエルンスト・ハインケル航空機工場に入社したギュンター兄弟は、ドイツ北東部バルト海沿岸ロストック、ヴァーネミュンデWarnemünde)のハインケル工場で、He51複葉戦闘機、He70高速輸送機、He111旅客輸送機、He112戦闘機などハインケルの代表的な飛行機を設計した。

写真(右)1941年頃、ドイツ、ハインケル社を担った設計技師ギュンター兄弟とカール・シュヴァルツァー(Karl Schwärzler):ヴァルター・ギュンター(Walter Günter :1899–1937)とジークフリート・ギュンター(Siegfried Günter:1899-1969)の双子兄弟で、同じハインケル社の飛行機設計に携わった。
Heinkel, Dr. Ernst Catalog #: BIOH00216 Last Name: Heinkel First Name: Dr. Ernst Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SmugMug+Flickr., SDASM Archives引用。


ヴァルターは、1937年9月21日に交通事故で死亡。その後、ジークフリート・ギュンター(Siegfried Günter)は、He100戦闘機、He176ロケット機、He178ジェット機、He280ジェット機の設計に加わっているが、いずれも試作実験機のみである。また大量生産が決まった国民戦闘機He162ジェット戦闘機も、戦局悪化、終戦によって少数の量産に終わっている。

  写真(右)1941年8月9日、ハインケルHe111爆撃機の模型を子供に見せているエルンスト・ハインケル教授:機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型の模型。
Beeldnummer 44741 Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Trefwoorden Duitsers, Luftwaffe, Kinderen, Vliegtuigen, Speelgoed
Personen Heinkel, Ernst
Bijschrift Model He 111 Ein grosser und zwei kleine Heinkel. Doch dies und das gibt's zu erkunden, (Für manches ist die Hand zu klein). 'Ach wer das Flugzeug hat erfunden, Der muss doch schrecklich tüchtig sein!'
Datum 09/08/1941
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 44741 引用。


1933年1月末、ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)アドルフ・ヒトラー総統がドイツ首相に任命され、その後の国会議事堂放火事件、大統領緊急令、全権委任法の成立によって、ナチ党独裁政治が始まった。密かにドイツ再軍備が実行に移され、ドイツ向けの軍用機を開発するようになった。

  写真(右)1942年4月24日、ドイツ、自ら開発したハインケルHe115 水上偵察機をバックにした教授エルンスト・ハインケル博士(Professor Dr. Ernst Heinkel);He115の搭載したBMW132空冷星形9気筒エンジンと3翅プロペラが背後に見える。
Collectie NIOD
Trefwoorden Duitsers, Luftwaffe, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen, Portretten
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Personen Heinkel, Ernst
Bijschrift Professor Heinkel zum Pionier der Arbeit ernannt. Auf Grund seiner hervorragenden Leistungen auf den Gebiet des deutschen Flugzeugbaues wurde Professor Ernst Heinkel, der Schöpfer zahlreicher unübertroffener Flugzeugtypen vom Führer zum Pionier der Arbeit ernannt. Professor Dr. h.c. Ernst Heinkel vor einen seiner Kampfflugzeuge, der He 115.
Type Foto
Datum 24/04/1942 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 29482引用。


1935年にドイツ再軍備宣言が出され、その直後にドイツ空軍が設立されてからは、ハインケルは、He 59複葉戦闘機、ハインケルHe-115双発水上偵察攻撃機、ハインケルHe111双発爆撃機などを開発し量産した。そして、これらの期待は、スウェーデン、スペインなどでも採用され、輸出や外国製造ライセンス料の収入をもたらした。

エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、振動力のジェット・エンジンにも注目し、世界初となるターボジェット搭載のジェット実験機ハインケル He178を完成させ、1939年8月27日にジェット初飛行に成功した。これは、エルンスト・ハインケル博士によれば、スピードへの陶酔の発露であるが、高度の軍事技術への関心の大いにあったはずだ。

実際、ハインケルの開発した世界初のジェット機ハインケル He178の初飛行は、第二次世界大戦の始まる5日前だった。しかし、ドイツ空軍は、ジェットエンジン無しでも戦争は勝利できると過信しており、このハインケルHe178には実用性がないと考え注目しなかった。ジェットが実用化されたのは、1943年末だったが、実際にハインケルにジェット戦闘機He162の量産が始まったのは、1945年に入ってからだった。

写真(右)1941年頃、ドイツ、自ら設計したハインケルHe111Hを飛行士とともに視察するエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士[中央](1888-1958):エンジンの左側に空気取り入れ口インテイクがあるので装備した発動機はユモJumo211液冷エンジンでHe111H型が装備した。他方、ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB601液冷エンジンはインテークが右側にあり、これを装備したのがHe111P型である。
Perma_000757 Permann Collection Image
Ernst Heinkel, Famous Nazi Plane Designer --Perman Collection Image
Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SmugMug+Flickr., SDASM Archives引用。


ハインケル(Heinkel)He111P爆撃機の発動機は、単発のメッサーシュミットBf109戦闘機、双発のBf110駆逐戦闘機と同じダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB601液冷エンジンを搭載した。

しかし、ダイムラーベンツDB601液冷エンジンは、戦闘機専用として優先配備することになり、代替策として、より大型で重いユモ(Jumo)211液冷エンジンに換装したHe111H爆撃が開発、量産された。

ハインケル(Heinkel)He111Pでは、DB601エンジンの左側に空気取り入れ口インテイクがあるのに対して、He111Hでは、ユモJumo211エンジンの右側にインテークがあるので、両者の区別は可能である。


Ernst Heinkel - Ein Pionier der Luftfahrt - Aufnahmen der Typen He 70, 100, 111, 178, 28
2,756 回視聴 •2018/09/26

 第二次大戦中のハインケルは、、ヴァーネミュンデWarnemünde)で旧式化したHe111爆撃機を量産し続け、失敗作となったHe177四発重爆撃機を制式させ量産を開始し、さらに国民戦闘機He162ジェット戦闘機の第量産の準備を進めるなど、ドイツ政府、空軍との関係は終始良好だったのである。他方、空軍幹部の無理解で採用されなかったHe280ジェット戦闘機、ミルヒの横やりで200機の生産に留まったHe219夜間戦闘、など不遇な傑作機といえる機体もあり、ハインケルの評価は難しいことも確かである。


2.第一次大戦直前、ハインケル(Heinkel)が設計に関わったアルバトロス(Albatros)機

写真(右)1913年、第一次世界大戦直前、ドイツ、アルバトロス・競技用単葉水上機(Albatros Racing Monoplane);複葉機が当たり前だった当時、単葉機は斬新なデザインだった。陸上も移動できるように滑車(ドリー)が装着されているが、降着装置は箱型の双フロート(浮舟)である。しかし、エンジン出力は低く、ハインケルが「スピード狂」の革新的設計者というのは、自伝で述べた表現ではあっても、たかだかHe70高速輸送機以降に当てはまるだけである。
Albatros Racing Monoplane (1913) - Amphibian construction (Ernst Heinkel design)
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00088753引用。
ハインケルは、ベルリン郊外のドイツ飛行機工場(Luftverkehrsgesellschaft m.b.H. :LVG) に入社したが、この工場が、ファルマン(Farman)機の製造を始めたのは入社時の1912年だった。その後すぐにアルバトロス航空機工場(Albatros Flugzeugwerke)に移り、アルバトロス(Albatros)B.II複葉偵察機の設計にかかわったが、これは1913年の第一次大戦勃発前年のことだった。1914年の第一次世界大戦のときは、アルバトロスを出て、ハンザ・ブランデンブルク(Hansa-Brandenburg)で、水上機などを設計した。

写真(右)1913年、第一次世界大戦直前、ドイツ、アルバトロス・競技用単葉機(Albatros Racing Monoplane)陸水上機型;.
Albatros Racing Monoplane (1913) - Amphibian construction (Ernst Heinkel design)
This is the floatplane only version of the Albatros Renn-Eindecker - Racing monoplane of 1913. A seperate version was realized which was floats only, no way that it could start and land on land. Clearly visible that the float construction only has fewer struts to the fuselage, making it lighter
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00088754引用。


写真(右)2009年、ニュージーランド南島北東端、ブレナム(Blenheim)郊外、オマカ航空業績センター(Omaka Aviation Heritage Centre)第一次世界大戦直前、ドイツ、アルバトロス(Albatros) B.II複葉偵察機;.1913年当時アルバトロスに入社していた技師ハインケルが設計に携わった。ニュージーランドは、大英帝国ドミニオン(自治領)として、第一次大戦では協商側に立ち、欧州に派兵し、ドイツ・オーストリアなど同盟軍と戦った。
The Albatros B.II was a reconnaissance biplane used in the early years of the First World War, particularly on the German side. The product of design of one Ernst Heinkel, a name that would appear on a variety of aircraft types in the Second World War as well, the system was a respected aircraft platform. Though phased out after several months in the reconnaissance role (such was the case with aircraft designs in the First World War), the B.II would live on throughout the war and even some years later as a trainer elsewhere. The B.II would also be the one aircraft to solidify Albatros Flugzeugwerke in Germany as a prominent brand in the industry.
5 October 2009, 13:14 Source Albatros B. 11. Author Bernard Spragg. NZ
写真は,Wikimedia Commons, Category:Albatros B.II File:Albatros B.II (14223416307).jpg引用。


写真(右)2010年、オーストリア、ウィーン軍事史博物館(Heeres-geschicht-liches Museum)に保管中の第一次世界大戦時のドイツ、アルバトロス(Albatros) B.II複葉複葉偵察機;1913年当時アルバトロスに入社していた技師ハインケルが設計に携わった。
Deutsch: Schul- und Aufklärungsflugzeug der k.u.k. Luftfahrtruppen Albatros B.II im Heeres-geschicht-lichen Museum in Wien .
Date 15 June 2010 Source selbst erstllt Author Pappenheim
写真は,Wikimedia Commons, Category:Albatros B.II File:Albatros im HGM.jpg引用。



2.1922年創業のハインケル社(Heinkel)が生産したHD機

写真(右)1924年以降、ドイツ、迷彩塗装を施した開放式複座コックピットのハインケル(Heinkel)HD-14複葉水上偵察機;イタリアのフィアット(Fiat)A.14 液冷W-12ガソリンエンジン 450 kW (600 hp)1基を装備して1925年9月13日、初飛行した。乗員2名、総重量5,600 kg、最高速力は175 km/h。スウェーデン軍用に開発されたが、性能不足で量産には至らなかった。ハインケルが「スピード狂」の革新的設計者というのは、自伝で述べた表現だが、たかだかHe70高速輸送機以降に浸透しはじめた方針であり、当初から天才的才能があったというのは自画自賛であろう。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_007310 - Title:Heinkel HD 14 Nowarra collection - Filename:16_007310.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168148引用。


ハインケルHeinkel He 70 G-1 Blitz 1930年までのハインケルが設計・開発した飛行機は、ヨーロッパでは、決して革新的でも、最先端技術を体現したものではなかったようだ。日本のような後進国には喜ばれたが、ヨーロッパ内では大量生産された機体がないことが、それを示している。

ハインケルの飛行機が、高性能、高速機、高技術として讃えられるようになったのは、He70輸送機の開発意向であろう。空力学的に抵抗の少ないデザインを研究し、1932年12月にハインケルHe 70を初飛行させた。ハインケルHe 70輸送機は、最高速力377km/hで、世界スピード記録を書き換え、アメリカの高速輸送機独占を崩すことになった。これは、1933年1月に首相に任命されたアドルフ・ヒトラーにとっても誇らしいことで、ドイツの国威発揚、アーリア人の人種的優秀性のプロパガンダに使用された。

写真(右)1924年以降、ドイツ、迷彩塗装を施した開放式複座コックピットのハインケル(Heinkel)HD-17複葉偵察機;ネピア・ライオン(Napier Lion)W-12液冷エンジン 340 kW (450 hp)1基装備して1924年、初飛行した。最高速力は240 km/h、当時としては標準的な速力だった。ハインケルが「スピード狂」の革新的設計者というのは、自伝で述べた表現だが、たかだかHe70高速輸送機以降に浸透しはじめた方針であり、当初から天才的才能があったというのは自画自賛であろう。
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Heinkel HD-17 - Title:Heinkel HD-17- Catalog:16_003710 - Filename:16_003710.TIF - - - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43102081 引用。


日本海軍は、1920年(大正10年)にイギリス人ハーバート・スミス技師に依頼し、三菱・十年式艦上雷撃機を試作し、1923年には初飛行に成功したものの、実用化はできなかった。そこで、三菱から複葉に改めた艦上攻撃機(雷撃機)の設計を再度依頼した。こうして、1923年(大正12年)1月に試作機が完成、1924年(大正13年)に三菱・一三式艦上攻撃機として制式されている。日本海軍の一三式艦上攻撃機は、1923年から1933年まで、444機もが量産されている。

写真(右)1928年以降、スウェーデン、45センチ800キロ魚雷を搭載したスウェーデン空軍のハインケル(Heinkel)HD-16複葉雷撃機;垂直未翼は、スウェーデン金十字国旗を模した青色と黄色の縦縞。アーム・スロング・レオパルド(Armstrong Siddeley Leopard)497 kW (666 hp)1基装備して初飛行した。最高速力は196 km/h、乗員3名、総重量4,570 kg、生産機数2機のみ。スウェーデンではJ4と命名された。
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Heinkel, HD 16 Catalog #: 01_00081272 Title: Heinkel, HD 16 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: HD 16 .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43102045 引用。


ハインケル(Heinkel)HD-16複葉雷撃機は、イギリスのアーム・スロング・レオパルド(Armstrong Siddeley Leopard)497 kW (666 hp)1基を装備して1928年、初飛行した。最高速力は196 km/h、乗員3名、総重量4,570 kg。ドイツ軍は、ベルサイユ条約の軍備制限条項で、空軍兵力を保有できなかったため、ハインケルは、スウェーデン軍のために開発した機体である。生産機数は2機のみで終わっているが、スウェーデン軍でも、1920年代に航空機からの雷撃を実施しようとしたことには驚かされる。

写真(右)1928年7月以降、ドイツ、開放式複座コックピットのハインケル(Heinkel)HD-19L複葉複座機;1928年7月、ブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter) VI空冷 9気筒エンジン 310 kW (420 hp)、2翅プロペラを装備して初飛行した。最高速力は215 km/h 、生産機数6機のみ。
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Title:Heinkel HD-17- - Catalog:16_007313 - Title:Heinkel HD 19L, 1928 Nowarra collection - Filename:16_007313.TIF - - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168186 引用。


ハインケル(Heinkel)HD-19L複葉複座機は、イギリスのブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter) VI空冷 9気筒エンジン420馬力(排気量28.7L)を搭載、1928年7月に初飛行に成功した。全長9.26 m (30 ft 5 in)、全幅 11 m (36 ft 1 in)、全高 3.91 m、最高速力は215 km/h 、巡航速力182 km/h、実用上昇限度 6,400 m。生産は6機のみで終わっている。

写真(右)1928年7月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)HD-19A複葉複座水上機(製造番号:WNr 296 );1928年7月、ブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter) VI空冷 9気筒エンジン 310 kW (420 hp)、排気量28.7L1基装備して初飛行した。最高速力は215 km/h 、生産機数6機のみ。
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Heinkel HD 19a WNr 296 for Sweden Nowarra photo - Title:Heinkel HD 19a WNr 296 for Sweden Nowarra photo - Catalog: 16_003709 - Filename: 16_003709 .TIF - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43102069 引用。



写真(右)1925年、ドイツ、ハインケル(Heinkel)HD 21複葉練習機の絵葉書ポストカード
:1924年初飛行、乗員2名、全長: 7.25 m (23 ft 9 in)、全幅: 10.60 m (34 ft 9 in)、全高: 3.05 m (10 ft)、主翼面積: 27.8 m2 (299 sq ft)、空虚重量: 680 kg (1,500 lb)、総重量: 980 kg (2,160 lb)、発動機:メルセデス(Mercedes) D.I 液令エンジン75 kW (100 hp)、最高速力: 135 km/h 。Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Seefliegerstaffel Heinkel He 42, Wasserflugzeuge. Zustand, siehe Scan ca 14 cm X 9 cm
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel Schulflugzeug H D 21, Deutscher Rundflug 1925引用。


写真(右)1925年以降、ドイツ、開放式複座コックピットのハインケル(Heinkel)HD-25愛知二式水上偵察機;イギリスのネピア・ライオン 水冷W型12気筒450hpエンジン1基装備を装備して1926年、初飛行した。乗員2名、全備重量2,570kg、最高速力203km/h、日本海軍も購入し愛知で二式水上偵察機として組み立てた。生産機数は16機。
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Heinkel, HD 25 Title: Heinkel, HD 25 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: HD 25 Tags: Heinkel, HD 25.
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081253引用。


日本海軍HD25国産型愛知 二式水上偵察機の諸元
全長:9.70m、全幅:14.88m、全高:4.27m
自重:1,700kg、全備重量:2,570kg
最高速度:203km/h 乗員:2名
発動機:ネピア ライオン 水冷W型12気筒 450馬力
航続距離:910km
兵装:7.7ミリ旋回機関銃1丁

ドイツ北部バルト沿岸のワルネミュンデにあるハインケル工場で完成したHD25の試作機は、1926年初飛行に成功し、軍用機開発を始めていた日本海軍が注目するところとなり、2機が輸出された。日本海軍では、実用審査を行い、1928年(昭和3年)3月に愛知・二式水上偵察機として制式した。生産機数は16機で、時計生産から発展した愛知航空機で行われたが、これは部品を輸入してのノックダウン生産であろう。しかし、日本ではこれを「国産」と称して、自国でも飛行機が生産できる技術があることを誇っていた。大型艦艇用の艦載機として実用化が図られたが、実際には、試験的運用にとどまったようだ。

写真(右)1928年7月以降、スウェーデン、スウェーデン海軍海防艦「ドリスティキータ」(Dristigheten)後甲板に艦載されたハインケル(Heinkel)HD-19A水上偵察機(右)とHe-16水上雷撃機(左:最後尾甲板、デリック近く)
Heinkel HD 19a WNr 296 for Sweden Nowarra photo English: Postcard picture of the Swedish coastal defence ship HMS Dristigheten. Svenska: Vykortsbild av det svenska pansarskeppet HMS Dristigheten..
No. DO14939:208 from the Naval Museum of Sweden (Marinmuseum) collections.
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel HD 19 File:HMS Dristigheten.jpg引用。


スウェーデン海軍海防艦「ドリスティキータ」(Dristigheten)は、乗員427名、排水量3445 トン、210ミリ砲2門、152ミリ砲6門、57ミリ砲10門の重兵装だが、最高速力16.5ノット(30.6 km/h)、航続距離 2,040マイルと機動力は非常に低く、沿岸防備用の艦艇である。このような近距離の沿岸で運用する火力重視の海防艦は、フィンランド、スウェーデンのような内海の防衛を優先する北欧諸国が建造している。

写真(右)1926年以降、ドイツ、開放式コックピットのハインケル(Heinkel)HD-28三座水上偵察機;水上滑走用の双フロート(浮舟)の下に、陸上移動用のドリー(滑車台)を取り付けている。
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- Catalog:16_007314 - Title:Heinkel HD 28 Nowarra collection - Filename: 16_007314.TIF.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 46168199引用。


ハインケル(Heinkel)HD-28三座水上偵察機は、フランスのロレーヌ・ディートリヒ(Lorraine Dietrich)18K水冷W型18気筒エンジン485 kW (650 hp)1基を装備して、1926年に初飛行した。乗員3名、総重量3,850 kgkg、最高速力199 km/h、巡航速力150 km/h、実用上昇限度4,500m。日本海軍が購入し愛知でノックダウン方式で組み立てたハインケルHD-28は、二式三座水上偵察機と命名された。ただし生産機数は1機のみ。航空黎明期であるため、僅か1機の輸入で、国内量産をしていないに機体を制式している。


写真(右)1933年1月以降(?)、ドイツ、海上で待機するハインケル(Heinkel)He 42水上偵察機の戦列の絵葉書ポストカード
:垂直尾翼には、ドイツ三色旗を模した国籍記章ではなく、赤帯白丸黒鍵十字のナチ党式国籍記章が描かれている。Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Seefliegerstaffel Heinkel He 42, Wasserflugzeuge. Zustand, siehe Scan ca 14 cm X 9 cm
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Seefliegerstaffel Heinkel He 42, Wasserflugzeuge引用。



写真(右)1933年1月、ナチ党ヒトラー連立政権誕生以降(?)、ドイツ、編隊飛行するハインケル(Heinkel)He 42水上偵察機(EMES)の絵葉書ポストカード
:垂直尾翼には、ドイツ三色旗を模した国籍記章ではなく、赤帯白丸黒鍵十字のナチ党式国籍記章が描かれている。Zustand, siehe Scan, ungelaufen ca 14 cm X 9 cm.
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Deutsches Kampfflugzeug, Heinkel He 42, Wasserflugzeug, EMES, Warnemünde引用。



4.新生ドイツ空軍初の制式戦闘機ハインケルHe-51複葉機


写真(上)1933年5月以降、ドイツ、開放式コックピットのハインケル(Heinkel)He-51戦闘機試作1号機(登録コード:D-ILGY)
;1933年5月に初飛行。既に1月末にヒトラー政権が成立していたので、国籍マークは、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のナチ党のカギ十字スワスチカを付けている。
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- Catalog:16_007348 - Title:Heinkel He 51 First prototype Nowarra Collection - Filename:16_007348.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168630引用。


第一次世界大戦に敗北し、ベルサイユ条約の軍備制限の下に置かれたドイツ共和国では、軍用機の保有を禁じられており、空軍兵力は持つことができなかった。しかし、ドイツの航空機メーカーは、ユンカース、ハインケル、ドルニエともに、輸送機やスポーツ機といった民間機を開発しており、それを軍事転用することも可能だった。ハインケルHe-51も宙返りやアクロバット飛行するスポーツ機として航空省に採用されている。

写真(右)1933年5月以降、ドイツ、開放式コックピットのハインケル(Heinkel)He-51戦闘機試作2号機(登録コード:D-IRAA?);1933年5月にHe70と同一のBMW VI V型12気筒液冷ガソリンエンジン(750馬力)1基装備して初飛行した。既に1月末にヒトラー政権が成立していたので、国籍マークは、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のナチ党のカギ十字スワスチカを付けている。He-70輸送機とは異なる堅実な設計で、斬新なデザインを取り入れていない。ハインケルが「スピード狂」の革新的設計者というのは、自伝で述べた表現だが、たかだかHe70高速輸送機以降に浸透しはじめた方針であり、当初から天才的才能があったというのは自画自賛であろう。
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- Catalog:16_007349 - Title:Heinkel He 51 Second prototype, not accepted Nowarra Collection - Filename:16_007349.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168642引用。


ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、1935年3月1日、ドイツの再軍備宣言をし、その後、ドイツ空軍も再建した。この新生ドイツ空軍の最初の制式戦闘機が、1933年5月初飛行のハインケルHe51戦闘機である。 ハインケルHe51は、複葉機で胴体も羽布張り、固定脚であったから、後のHe70輸送機、He112戦闘機のような全金属製単葉低翼の高速機とは全く異なる旧式機だった。

写真(右)1933年5月以降、ドイツ、BMW VI 73Z液冷V型12気筒エンジン 750馬力)装備のハインケル(Heinkel)He-51C戦闘機の3機の列機(登録コード:D-IRKO 他);1933年5月に初飛行した。既に1月末にヒトラー政権が成立していたので、国籍マークは、垂直尾翼に黒のナチ党卍カギ十字スワスチカを赤帯白丸に付けている。He-70輸送機やHe112戦闘機とは異なって、古風な羽布張り胴体に複葉、固定脚の第一次大戦以来の古風な設計である。目新しさはない
Ray Wagner Collection Image Heinkel 51 C
PictionID:46168667 - Catalog:16_007351 - Title: Heinkel 51 C Nowarra Collection - Filename:16_007351.TIF- Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168642引用。


ハインケルHe51戦闘機は、He70と同様のBMW VI 液冷V型12気筒エンジン(750馬力)1基を搭載しているが、設計方針はHe70輸送機とは全く異なる。エルンスト・ハインケルが「スピード狂」の革新的設計者というのは、自伝で述べた表現だが、He70高速輸送機には当てはまっても、He51戦闘機は堅実というより時代遅れの設計である。複葉、固定脚、羽布張の構造は、単葉、引込み脚、全金属製の飛行機が搭乗していた時期には、旧式すぎする。ハインケルが当初から天才的才能があったというのは自画自賛で、アメリカのロッキードなど斬新な設計に着想を得てから、発展した思考であろう。

写真(右)1936年5月以降、スペイン(?)、スペイン内戦でドイツが派遣したコンドル軍団のハインケル(Heinkel)He-51C戦闘機;ファシスト反乱軍の国籍マークは、胴体に黒丸、垂直尾翼に白地に黒のX印である。1936年7月〜1939年3月にスペイン人民戦線政府と反乱軍の内戦が続いた。ヒトラーとムッソリーニは、ファシスト反乱軍のフランシスコ・フランコを援助するために義従軍を派遣した。ソ連は人民戦線内閣に義勇軍を派遣した。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_007352 - Title:Heinkel He 51c in Spain - Filename:16_007352.TIF- Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168680引用。


ハインケルが、斬新な高性能機を開発しまくったというのは、He70高速輸送機の斬新なデザインが一般的となったかのような過大評価に基づくプロパガンダ、俗説である。当時、すでにソ連のポリカルポフI-16戦闘機は単葉・引込み脚で、ドイツのハインケルHe51戦闘機より100km/h近く速い高速戦闘機だった。

1938年9月29日から30日にかけて、ドイツ南部、ミュンヘンにおいて、イギリス首相チェンバレン、フランス首相ダラディエ、イタリア統領ムッソリーニ、ドイツ首相アドルフ・ヒトラー総統が会談し、チェコスロバキアの北部で、多数のドイツ系住民が居住していたズデーテン地方のドイツ割譲を決定した。イギリスとフランスは、ドイツがこれ以上の領土割譲要求をしないとの条件で、1938年9月29日にミュンヘン協定に署名し、平和が守られたと宣言した。このミュンヘン会談は、第二次世界大戦前のイギリス・フランスの対ドイツ宥和の頂点にして、最後の機会だった。この時、ゲーリングは、ドイツ空軍がチェコ空襲をいつでも始める覚悟があると威嚇のポーズをとっていたのである。

⇒写真集:ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機を見る。


5.ハインケル(Heinkel)He 59水上偵察機

写真(右)1935年頃,ドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 59L偵察機の陸上機型:1931年9月、2基を装備して初飛行したハインケル(Heinkel)He 59偵察機は、陸上型と水上型があったが、結局、142機が量産されたが、ほとんどは水上型だった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46168732 - Catalog:16_007356 - Title:Heinkel He 59L Nowarra Collection - Filename:16_007356.TIF -
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, PictionID: 46168732引用。


第一次世界大戦に敗北し、ベルサイユ条約の軍備制限の下に置かれたドイツ共和国では、軍用機の保有を禁じられており、空軍兵力は持つことができなかった。しかし、ドイツの航空機メーカーは、ユンカース、ハインケル、ドルニエともに、輸送機やスポーツ機といった民間機を開発しており、それを軍事転用することも可能だった。ハインケルHe-51も宙返りやアクロバット飛行するスポーツ機として航空省に採用されている。

He 59双発水上救難機は、双発の偵察機/雷撃機で、ラインホルト・メーヴェス(Reinhold Mewes)設計になる。当初のHe 59には、水上型と陸上型があったが、大半は双フロート付の水上機型である。第二次世界大戦にも投入され、白色塗装、赤十字マークを付けた海難救助機として活躍した。

写真(右)1935年、ドイツ、ロストック、海上を滑走するドイツ海軍ハインケル(Heinkel)HE 59 双発水上偵察機;白色の塗装を施しているので、救難機として使用されている様だ。
Collectie Foto Technische Dienst Luchtvaartafdeeling Beschrijving Duitse Heinkel He 59 (drijvervliegtuig) tijdens de start. Ontworpen als torpedobommenwerper en verkenner. Plaats Rostock, Duitsland Datering van 1935 Datering tot 1935 Trefwoorden Foto Technische Dienst Luchtvaartafdeeling, Luchtvaartafdeeling, torpedobommenwerpers, bommenwerpers, verkenningsvliegtuigen, vliegtuigen, watervliegtuigen, vliegtuigen, Heinkel He 59, bommenwerpers Copyright CC-BY-4.0
写真は, Nederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Bijzonderheden K22-403 引用。


ハインケルHeinkel He 59双発水上救難機諸元
全長: 17.40 m、全幅: 23.70 m 全高: 7.10 m、全備重量: 9,100 kg
発動機: BMW VI 6.0 ZU 水冷 1気筒660hp2基
最高速力: 209 km/h、実用上限高度: 3,500 m
航続距離: 1,750 km
兵装 7.92ミリ旋回機銃 2丁、搭載量:爆弾 700 kg
乗員: 4名。


写真(右)1940-1941年頃、ノルウェー、トロンヘイム、ドイツ空軍ハインケルHe59救難機E型(登録コード:6J+ZK)
;第76駆逐戦闘団は、ノルウェーからイギリス北部の空襲をする爆撃機部隊の長距離護衛Bf110戦闘機部隊である。その洋上進出際に不時着しても、搭乗者を救出できるように、水上救難機が配備されている。浅瀬の砂浜海岸にフロートで接岸しているが、機体後方に多数のドイツ軍将兵が集まっている。この機体に乗って輸送してもらうのか。
Soldater og fly, muligens et Henkel 59, Trondheim, 1940-1945.Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum Avbildet sted: Trondheim Fotografering: 1940 - 1945 Identifier: NTRMF39-06122 Part of collection: Nord-Troms Museum Owner of collection: Nord-Troms museum Institution: Nord-Troms Museum Date published: August 11, 2014 Date updated: October 31, 2014 DIMU-CODE: 011014213736 UUID: E807DFB8-6FEA-4289-A8F3-49B00766D8D2
写真はNord-Troms Museum・Identifier: NTRMF39-06122 引用。


ドイツ機の国籍記章は、1933年1月末、ナチ党政権となってから、当初は、黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年以降、再軍備宣言がなされ、ドイツ空軍が創立されると、赤帯に白丸とハーケンクロイツを描いた国章が決まった。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸は目立つために敵からの標的にされやすかった。そこで、黒色のハーケンクロイツのみが小さく描かれるように変更された。

⇒写真集:ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He59双発水上救難機を見る。


6.ハインケル(Heinkel)He 60艦載水上偵察機

写真(右)1935年頃,ドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 60艦載水上偵察機試作機V1(Heinkel He 60a (V-1) First Prototype) :陸上木型と水上機型が同時に試作されたが、採用されたのは水上機型だけだった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46168808 - Catalog:16_007362 - Title:Heinkel He 60 a (V-1) First Prototype Nowarra Collection - Filename:16_007362.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168808引用。


 ハインケルHe 60は、He 59と同じラインホルト・メーヴェス設計になる木材/金属混合構造、羽布張りの単発複葉水上機で、当時の標準的な保守的スタイルだった。試作機はBMW液冷エンジン660馬力を搭載、1933年初飛行した。

ハインケルHe 60水上艦載偵察機がドイツ海軍に試験的に配備されたのは1933年のヒトラー政権下で、1934年からHe 60がドイツ海軍艦隊の艦載水上偵察機として配備された。1936年のスペイン内戦にも実戦投入されたが、1939年の第二次世界大戦時には、後続の艦載水上偵察機アラド Ar 196に代替されていた。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、激しい航空戦が展開され、敵の空襲も予期する必要があったため、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)は敵から発見されやすいいとして、取りやめになった。その代わり、ナチ党のイデオロギーを示す国章として、尾翼に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。ハインケルHe 60 のような旧式水上偵察機は、第一線で活動してはいないはずだが、このような古い機種についても国政マークの変更を行っている。後に、白渕が目立ちやすいとして、黒のバルカンクロス(スワスチカ)、ハーケンクロイツの白の縁取りは廃されている。

⇒写真集Album:ハインケルHe-60水上偵察機を見る。



7.ハインケルHe70高速輸送機ブリッツ

ドイツ航空省は、1934年、見るからに精悍なHe 70(Heinkel He 70 "Blitz")単発高速輸送機を完成させていたハインケル社に爆弾搭載量1,000kg、航続距離1,000km、最大速度350km/hの性能の爆家機を密かに発注した。当時のドイツは、ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)アドルフ・ヒトラー政権の下にあったが、1929年6月のヴェルサイユ条約の軍事制限条項の下にあり、空軍の保有はできなかった。

 しかし、ハインケル社のジークフリート・ギュンターとヴァルター・ギュンターの兄弟は、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士は、1888年、ドイツ南部、シュトゥットガルト生まれ、第一次大戦で飛行機設計に加わった。戦後の1922年に、北ドイツのヴァーネミュンデにハインケル飛行機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。の指導の下で、He 70の設計思想をもとに、He 111試作機にBMW VI.液冷エンジン(660馬力)2基を装備し、最高速力348km/hの当時としては高速の爆撃機を飛行させた。


写真(上)1933年6月23日、ドイツ・ルフトハンザ航空のハインケル(Heinkel)He 70「ブリッツ」(電撃)高速輸送機(登録コード:D-3)の原型
:楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・郵便機として開発され、1932年12月1日に初飛行。楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかったが、飛行性能を向上させるとしてあえて採用された。
Photographer: Wild, H.
Title: Heinkel He 70 Verkehrsflugzeug D-3 (367 Std.-Km.)
Caption: Flugzeug, Tiefdecker, Immatrikulation D-3, Lufthansa Emblem auf Seitensteuer, Flugplatz Dübendorf. Der zweite Prototyp der He 70, die He 70b, war die Mustermaschine für die Lufthansa und flog unter dem Kennzeichen D-3. Sie hatte zwei Mann Besatzung und Platz für vier Passagiere. Das Einziehfahrwerk hatte Klappen, welche den Fahrwerksschacht im Flug verschlossen. Als Antrieb kam ein flüssigkeitsgekühlter BMW VI 6,0 Z mit 637 PS Startleistung zum Einsatz.
Dating: 23.6.1933
Impressum: Oerlikon-Zürich : Photo & Verlag H. Wild Photography : paper print
Orientation: Horizontal Format: 9 x 14 cm
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Record Name: Ans_05035-492 引用。


ハインケル He.70「ブリッツ」(電撃)高速輸送機は、1930年代初め、ドイツ・ルフトハンザ航空の輸送機として開発された。運搬物は、当初の計画では郵便だったが、のちに高速旅客輸送機としても使用された。当時の高速単発輸送機は、アメリカのロッキード輸送機ベガ、ロッキード輸送機L-9 オリオンなどの小型輸送機である。ハインケルHe 70が、このロッキード輸送機と大きく異なるのは、主翼の形状で、楕円翼を採用している。この楕円翼はギュンター兄弟が発案したもので、併せて、皿リベットによって、機体表面の平滑性を高め、空気抵抗を小さくすることに成功していた。またそれまで、固定脚だった降着装置を、引込み式降着装置とした。

ハインケル He.70の機首に搭載した発動機は、BMW VI V型12気筒液冷ガソリンエンジンで、正面面積を抑えた代わりに、冷却力を維持するために、不凍液を混入した液冷ラジエターを装備した。旅客機として使用する場合、コックピットにパイロットと無線士が着席し、機体中央の客室に乗客4名分の座席を設けている。

ハインケル(Heinkel)He-70高速輸送機「ブリッツ」(電撃)の試作1号機は、1932年12月1日に初飛行した。そして、最高速力377 km/hと当時の戦闘機を上回る高速で、この高性能を活かして、高速飛行など世界新記録を樹立した。

1934年から1937年まで、ドイツ・ルフトハンザ航空のハインケル(Heinkel)He-70高速輸送機「ブリッツ」(電撃)は、ケルン=ハンブルク間に就航し、さらにベルリン、フランクフルト、ハンブルクなどドイツの大都市を結ぶ高速ビジネス路線を担当した。ルフトハンザ航空の国際線としては、He 70は1934年から1936年に、ヨーロッパ内のドイツ・シュトゥットガルトとスペインのセビリアの間に就航した。1932年12月1日初飛行のハインケルHe 70高速輸送機は、総生産機数324機で、1933年から使用が始まり、少数が終戦の1945年まで運用された。

ハインケル He 70輸送機の諸元
全長:11.70 m、全幅:14.78 m、全高:3.10 m
翼面積:36.50 平方メートル
空虚重量:2,300 kg、運用重量:3,420 kg
プロペラ:金属製2翅
発動機:BMW VI 7.3 z 液冷V型12気筒液冷エンジン 750馬力1基
最大速度:360 km/h
上昇限度:6000 m
航続距離:1400〜1820 km

帝政が崩壊し、第一次大戦敗戦後に成立したドイツ共和国(ワイマール共和国)では、ドイツの飛行機の国籍マークは、垂直尾翼に、上から黒白赤のドイツ共和国の三色旗を付けた。しかし、1933年1月にヒンデンブルク大統領が、ナチ党総統アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、全権委任法によって、ナチ党独裁政権が樹立される頃には、ナチ党卍カギ十字がドイツの国籍マークとなり、ドイツ機の垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを付けた。ただし、再軍備宣言、その後のドイツ空軍設立までは、正規のドイツ軍用機はなかったので、全てのドイツ機は民間機だった。


写真(上)1934年6月、ドイツ東部、ザクセン州、ドレスデン飛行場、ハインケル(Heinkel)He 70「ブリッツ」Blitz(電撃)高速輸送機(登録コード:D-3)の原型と後方のユンカース(Junkers)G-38大型旅客輸送機
:エンジン出力が低かった時代、プロペラは3翅ではなく、2翅のみだった。ユンカースG-38輸送機は、デッサウ工場で製造され、1929年11月6日に初飛行した。乗員:5-7名、乗客13-34名、全長: 21.45m、全幅: 44/00 m、全高:6.85m、主翼面積: 290 平方メートル、空虚重量: 16,850 kg、全備重量: 24,100 kg。最高速力:200 km/h、航続距離 775 km。
Verkehrsflugzeug He-70 Blitz
Datensatz 70047174 Hahn, Walter: Flugplatz Dresden-Heller, Heinkel He 70 "Blitz", einmotoriger Tiefdecke, Schnellverkehrsflugzeug, 1934
Location: Dresden, Heller Keywords / Classification: Flugzeug, Verkehrsflugzeug, Flugplatz
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0309796引用。


ハインケル He.70「ブリッツ」(Blitz:電撃)高速輸送機は、工作に手間のかかる楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・郵便機として開発された。初飛行は、1932年12月1日で、まだヒトラーが首相に任命される1年前だった。楕円主翼は曲線構造で、製造コストが嵩んだ一方で、空気の流れによる抵抗が少なく、飛行性能の向上に寄与できた。このような主翼は、ハインケル(Heinkel)He111輸送機/爆撃機にも採用されている。

ハインケルにとって、画期的な高速機となったHe-70は、斬新な楕円翼、空気抵抗の少ない胴体をもっていた。そして、それ以前に世界最速を誇っていたアメリカのロッキード、ダグラスなどの高性能輸送機と対抗できるようになった。ハインケルが1931年に開発を始めた時、ユンカースに代表されるドイツ輸送機の最高速力280?/hであり、これはアメリカのロッキード・オリオン輸送機最高速力360?/hを遥かに下回っていた。ハインケルは、アメリカ機に追いつくといった消極姿勢ではなく、はるかに引き離すような技術革新を追求していた。このような航空技術開発の促進は、ドイツ・ルフトハンザ航空社長エアハルト・ミルヒも求めているところでもあった。

  エアハルト・ミルヒは、1933年1月からナチ党政権の下で設立された航空省初代次官に就任する。そして、航空省を基盤にドイツ空軍を創立するのである。第二次世界大戦初期、フランスを降伏させた後の1940年7月、エアハルト・ミルヒは元帥に昇進、翌1941年からは航空機総監に就任し、飛行機の装備開発・生産を統括している。

空力学的にく抵抗の小さな形状を研究し、早くも1932年12月にはHe 70が初飛行させている。He 70輸送機は、最高速力377?/hで、世界スピード記録を書着かえ、アメリカの高速輸送機独占の神話を崩すことになった。これは、1933年1月に首相に任命されたアドルフ・ヒトラーにとっても誇らしいことで、ドイツの国威発揚、アーリア人の人種的優秀性のプロパガンダに使用された。

1933年1月末に、ヒンデンブルク大統領は、アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、ヒトラー政権が成立したが、ドイツ機の国籍マークは、1935年の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。

ドイツ機の国籍マークは、垂直尾翼に1933年1月末以前は、黒白赤三色のドイツ共和国三色の国章をつけていた。しかし、1933年1月末に、ヒンデンブルク大統領が、次期首相にアドルフ・ヒトラーはを任命し、その後、国会議事堂放火事件、大統領による国家緊急時代宣言、全権委任法とナチ党独裁政府となり、ドイツの国籍マークは、ナチ党の卍(スワスチカ)をそのままドイツ国章に付け替えられた。その後、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)の国章が、ドイツ空軍時の国籍マークとなった。その後、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色バルカンクロス(鉄十字)の国籍マークを記入した。

第二次大戦がはじまると、垂直尾翼の赤帯白丸は廃止され、スワスチカ卍だけになり、機体側面に鉄十字が、初めは黒と白縁で、後に白の縁のみで大きく描かれるようになった。

1936年にスペイン内戦が勃発し、ドイツは、スペイン反乱軍に味方して派兵した。1935年3月16日、ヒトラーは、ベルサイユ条約の軍事事項を破棄してドイツ再軍備宣言をし、その後で、ドイツ空軍を再建した。その際に、軍事化が急速に進んだ航空界にあって、ドイツルフトハンザ航空のハインケルHe70輸送機は、ドイツ空軍に譲渡された。ハインケル He.70輸送機28機も、スペインに派兵されたドイツ・コンドル軍団に配属された、スペイン内戦では、輸送機、偵察機として投入された。


写真(右)1933年1月-1939年初頭、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 70c 高速輸送機ブリッツ(D-UHYS)
;コックピットにパイロットが乗り込もうとしている。国籍マークには、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを付けた。
Stephen Greensted Heinkel 70 at AST, Hamble
Strapping in the pilot. .
写真は,Flickr, Stephen Greensted PictionID:43935591引用。


アドルフ・ヒトラー政権になっても、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、ドイツ機の尾翼に描いて、国籍マークとしていた。

しかし、1935年、ヒトラーが再軍備を宣言し、第一次世界大戦の撃墜王ヘルマン・ゲーリングの下、ドイツ空軍が設立されると、ドイツ軍機は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを採用した。

スワスチカは、ナチ党のイデオロギー、政治思想を軍人にまで浸透させることを反映したもので、軍人の忠誠宣言がドイツに対してでは、ヒトラーに対する忠誠を誓うものと変更されたのと同じ動機である。また、高速の機体の国籍、敵味方の認識をしやすくするため、機体・主翼の上下にも、白の縁取り付きの黒色バルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。

ハインケル(Heinkel)He.70輸送機を民間機として輸入したのは、日本・満州国の1機、スイスの数機、イギリスの1機である。
ハインケル(Heinkel)He.70を軍用機として使用したのは、ドイツ空軍(Luftwaffe)、ハンガリー空軍(He 170A)の20機、スペイン空軍(Ejército del Aire)の11機である。

ハンガーリーのハインケル(Heinkel)He-70Kは、フランスの星形空冷エンジンのノーム・エ・ローヌGnome et Rhône)14K ミストラル・メジャーを国内ライセンス生産した WM-K-14 星型空冷エンジン746 kW (1,000馬力)を装備した。この機体を、ハンガリー空軍では、第二次世界大戦中の独ソ戦最中、1941年から1942年に使用した。

>第一次大戦に敗北し、ベルサイユ条約の頸木に繋がれたドイツ航空界にとって、民間に認められた航空学校用飛行機、長距離輸送用飛行艇、超大型飛行機などの民間機の開発を進めたことは、設計・量産の上で、ドイツ国内の民需航空需要を満たし、航空機輸出を盛んにし、技術開発と資本蓄積に大いに貢献した。ドイツ航空界は、ヒトラーが政権獲得前に、すでに十分な航空機開発の実績を達成し、後の第三帝国における軍用機開発にも繋がるのである。


写真(上)1934年6月、ドイツ東部、ザクセン州(Sachsen)、ドレスデン(Dresden)飛行場、ハインケル(Heinkel)He-70高速輸送機「ブリッツ」(登録コード:D-UBIN)
;楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・郵便機として開発され、1932年12月1日に初飛行。楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかったが、飛行性能を向上させるとしてあえて採用された。
Flugplatz Dresden-Heller Foto: Hahn, Walter, 1934.06
Negativ Eigentümer: SLUB / Deutsche Fotothek
Integrated Authority File (GND) Hahn, Walter
Location: Dresden-Heller
SLUB / Deutsche Fotothek / Hahn, Walter License: Free access - rights reserved.
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0309797引用。


1935年の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色バルカンクロス(鉄十字)の国籍マークを記入した。

1933年1月末、ナチ党を首班とする連立政権が成立、アドルフ・ヒトラーは、貴族的なプロシア軍の伝統を軽蔑しており、ナチ党のイデオロギーを軍に浸透させるべきであると考えていた。そこで、ドイツ軍機の国章は、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、垂直尾翼尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。

1935年までの旧ドイツ軍の黒白赤三色の国章を、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)の国章に変更し、その後に、機体にバルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は敵から発見されやすいことが分かり、取りやめになったが、垂直尾翼と主翼上下面に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。

第一次世界大戦が敗北した時点で、ハインケルは飛行機の研究・開発・製造・運用経験を積んでおり、戦後も、ベルサイユ条約の制限をかいくぐるように、航空機開発に邁進した。1922年、ハインケルは、ドイツ北部バルト海沿岸ヴァルネミュンデにエルンスト・ハインケル飛行機工場(Ernst Heinkel Flugzeugwerke AG)を設立し、ここを本拠地として航空機開発と生産に乗り出し、1943年には従業員5万人の大企業となっていた。

 ハインケル工場(Ernst Heinkel AG)は戦時需要に拡張を続け、ベルリン近くに位置するロストック(マリーエンエーエ)、オラーニエンブルク、ヴァルタースドルフに飛行機工場を、またオストマルク(オーストリア)にも、ウィーンに工場を設けた。ハインケル工場(Ernst Heinkel AG)は、イェンバッハの鉱業・製錬所、シュツットガルトのヒルト発動機、て合同東部工場(Vereinigte Ostwerke)を保有する大企業コングロマリットとなったのである。

こうして、ハインケル工場(Ernst Heinkel AG)は、第二次大戦に敗北する1945年までに、軍用機を中心に飛行機100種類以上を開発している。特にハインケルは、最高速力というスピードを重視したが、この最初の成功作がHe-70高速輸送機である。その後も、ロケット飛行機He-176実験機、ジェット飛行機He-178実験機,He-280戦闘機を飛行させ、高速夜間戦闘機He-219ウーフー、量産型ジェット戦闘機He-162を量産した。

ドイツ空軍ハインケルHeinkel He 70F-2高速偵察機の諸元
乗員Crew: 3名 (操縦士, 無線士,銃手)
全長Length: 11.7 m (38 ft 5 in)
全幅Wingspan: 14.8 m (48 ft 7 in)
全高Height: 3.1 m (10 ft 2 in)
主翼面積Wing area: 36.5 m2 (393 sq ft)
空虚重量Empty weight: 2,360 kg (5,203 lb)
全備重量Gross weight: 3,386 kg (7,465 lb)
最大離昇重量Max takeoff weight: 3,500 kg (7,716 lb)
発動機Powerplant: 1 × BMW VI 7.3 Z V-12液冷エンジン(liquid-cooled piston engine)750 PS (740 hp; 550 kW)
プロペラPropellers: 2-翅可変ピッチ(variable-pitch)金属プロペラ(metal propeller)

性能Performance
最高速力Maximum speed: 360 km/h (220 mph, 190 kn) at sea level
巡航速力Cruise speed: 295 km/h (183 mph, 159 kn)
着陸速度Landing speed: 105 km/h (65 mph; 57 kn)
航続距離Range: 1,820 km (1,130 mi, 980 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 6,000 m (20,000 ft)
上昇時間Time to altitude:
1,000 m (3,281 ft)/2分30秒
4,000 m (13,123 ft)/15分
兵装Armament
機銃 1丁 × 7.92 mm (.312 in) MG 15旋回機関銃(コックピット後方 rear cockpit)
爆弾Bombs: 6 × 50 kg (110 lb) 又は 24 x 10 kg (22 lb) 爆弾bombs

ハインケルHeinkel He.70高速輸送機は、仮面を脱いだドイツ空軍に配備されることとなり、輸送機以外の用途も模索された。試作4号機を使って、軍用仕様の開発が始められ、爆撃機のE型、高速偵察機のF型が開発された。そして、既にルフトハンザに就役していたハインケルHe70輸送機は、民間機だったが、ドイツ空軍に譲渡された。しかし、He70は、ドイツ空軍幕僚の専用輸送機など、贅沢な用途に充当されている。他方、He70F高速偵察機は、スペイン内戦に派兵されたドイツ・コンドル軍団に配備され、実戦使用されている。

ハインケル(Heinkel)He.70輸送機を民間機として輸入したのは、日本・満州国の1機、スイスの数機、イギリスの1機である。
ハインケル(Heinkel)He.70を軍用機として使用したのは、ドイツ空軍(Luftwaffe)、ハンガリー空軍(He 170A)の20機、スペイン空軍(Ejército del Aire)の11機である。

スペイン内戦 ハインケル社では、ドイツ空軍最初の全金属製の単葉低翼戦闘機として、ハインケルHe112を開発したが、競争試作相手のメッサーシュミットBf109戦闘機に敗れた。このハインケルHe 112戦闘機の主翼形状も、He70高速輸送機を引き継いだ楕円翼だった。日本もこの高性能のハインケルHe70輸送機をドイツから輸入し、引込み式降着装置、楕円翼などの設計の参考にしたようだ。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、激しい航空戦が展開され、敵の空襲も予期する必要があったため、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)は敵から発見されやすいいとして、取りやめになった。その代わり、ナチ党のイデオロギーを示す国章として、尾翼に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。

ハインケルHe 60 のような旧式水上偵察機は、第一線で活動してはいないはずだが、このような古い機種についても国籍マークの変更を行っている。戦争中期以降になり、ドイツ空軍の優位が崩れると、白縁が目立ちやすいとして、黒のバルカンクロス(スワスチカ)、ハーケンクロイツの白の縁取りも廃されている。

切手(右)1979年4月5日発行、ドイツ連邦共和国 (Bundesrepublik Deutschland)ユーゲント記念切手、50 + 25 Pf(ペニッヒ:1/100マルク)、ドイツ連邦共和国(BRD)、1932年初飛行のハインケル(Heinkel)He 70「ブリッツ」(Blitz:電撃)高速輸送機(登録コード:D-3);発行枚数572万5000枚、ヒトラー政権になる前のドイツ・ワイマール共和国時代のハインケルHe70輸送機を切手にして讃えている。1999年1月1日以降は、ドイツ・マルクは廃止され、ユーロが欧州16カ国で導入された。
Bezeichnung: Für die Jugend, Flugzeuge
Motiv der Briefmarke: Heinkel He 70
Text auf der Briefmarke: Heinkel He 70 1932, Für die Jugend, Deutsche Bundespost
Entwurf: Haase Ausgabewert: 50 + 25 Pf:ドイツの通貨単位で1/100 mark; 記号 pf
Ausgabetag: 05.04.1979
Auflage: 5725000
English: For the youth, Aviation Deutsch: Für die Jugend, Luftfahrt
Graphics by Haase Ausgabepreis: 50+25 Pfennig First Day of Issue / Erstausgabetag: 5. April 1979
Michel-Katalog-Nr: 1006 日付 2010年8月17日
原典 scanned by NobbiP 作者 Deutsche Bundespost
写真は,Category:Heinkel He 70, File:DBP 1979 1006 Jugendmarke Heinkel HE 70 1932.jpg引用。


ドイツ帝国軍は、第一次大戦の敗戦後、ベルサイユ条約によって、陸軍は10万人規模に大幅に縮小され、参謀本部も廃止、戦争遺憾の保有禁止、航空兵力の保有禁止と束縛された。しかし、ドイツ帝国軍人が引き継いだドイツ共和国軍は、密かにフライコール(義勇軍)を擁立して陸軍の拡充を図り、火砲や戦車を外国で子会社や外国企業と開発した。また、共和国時代から、スポーツ航空や民間航旅客・貨物・郵便・通信航空を隠れ蓑に、軍用機を開発していた。その時代は、プロシア以来のドイツ伝統の黒白赤三色ストライプを尾翼に描いで国章としていた。

⇒写真集Album:ハインケルHe-70輸送機を見る。

ハインケル(Heinkel)He-70Lは、He-170とも呼称されれる。He-170-V1試作1号機(登録コード:D-OASA)は、1937年に完成し、原型He-70輸送機の搭載したBMW液冷ガソリンエンジンを空冷エンジンに変換した輸出向け軍用仕様である。ドイツでは量産はされず、試作機のみに終わった。しかし、ハンガリー空軍がフランスのノーム・ローンGnome et Rhône)WM-14K空冷星形14気筒エンジン装備の偵察機として20機をノックダウン生産した。

ハンガリー空軍のハインケル(Heinkel)He-70K偵察機は、ドイツのハインケルHe-70輸送機のBMW液冷エンジンを、ハンガリーでライセンス生産されていたフランスのノーム・ローンGnome et Rhône)WM-14K空冷星形14気筒エンジンに変換したハンガリー空軍仕様の偵察機。He-70Kは、He-170とも呼称された。He-170は、1937年4月17日に初飛行し、1937-1938年の間に試作機2機を含めて総数20機がハンガリーで国内ノックダウン生産された。プロペラは、エンジン出力向上に合わせて、従来の2翅から3翅に増やされている。

⇒写真集Album:ハインケルHe170 (He-70K)偵察機を見る。


8.戦前の民間航空ハインケルHe-111輸送機 

ベルサイユ条約の軍備規制下にあったドイツでは、ヒトラー政権の1934年にハインケルとユンカースに双発爆撃機の開発を密かに依頼し、ハインケルHe111とユンカースJu86という2種類の爆撃機が試作された。He-111は楕円翼の斬新な設計、Ju-86は強いテーパー翼の堅実な設計でどちらも世界を欺くために旅客輸送機仕様の機体も開発された。

写真(右)1935年、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 111 爆撃機V-1試作1号(D-ADUM):楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・爆撃機として開発された。プロペラは、エンジン出力の低さを反映して2翅で、後に3翅となった。
楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかり、工作の簡易化には逆行した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46168960 - Catalog:16_007374 - Title:He 111V-1 Peter Bowers Collection - Filename:16_007374.TIF
Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005215 引用。


He-111 V-1試作機
1929年6月のヴェルサイユ条約の軍備制限条項の下で爆撃機として1934年に密かに開発
乗員員(Crew): 5名
発動機(Engine): BMW VI 6.0Z 液冷12気筒エンジン(600 馬力)
全長(Length): 16.40 m | 全幅(Width): 22.60 m | 全高(Height): 4 m
最高速力(Max. Speed): 310 km/h

写真(右)1935-1936年、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 111輸送機A型V-4試作4号(製造番号 W.Nr. 1968、登録コード D-AHAO):プロペラは、2翅から3翅となった。
楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかり、工作の簡易化には逆行した。
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081302 Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 111
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081302引用。


1935年末に,ハインケル(Heinkel)He 111輸送機試作2号機V2と試作4号機V4が製造され、民間登録コードのD-ALIX, D-ALESおよびD-AHAOが与えられた。これが、He 111 A-1輸送機の初めての試作機で、1936年1月10日に完成した。当時は、世界最速の高速輸送機とされ、最高速力は時速402 km/h (250 mph)以上を発揮した。

設計は、1,000 馬力ダイムラー・ベンツ DB 600液冷倒立V12気筒エンジン2基を装備したが、これはメッサーシュミット(Messerschitt)Bf 109戦闘機の試作10号機から13号機が搭載したのと同じエンジンである。ハインケル社は、戦闘機用のダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB600エンジンをHe111に装備することは認められず、より非力な 650馬力BMW VI "upright"液冷倒立V12気筒エンジンを装備することを強いられた。民間輸送機よりも戦闘機に優秀なエンジンを優先して搭載するのは、ドイツ再軍備(German Rearmament)・空軍の創設を進めたヒトラーとしては当然の帰結だった。

写真(右)1935年9月8日、フィンランド南西、ヘルシンキ西150km、トゥルク、ドイツ・ルフトハンザ(Lufthansa)航空のハインケル(Heinkel)He111輸送機C型「ロストック」"Rostock" (W.Nr. 715:D-ALIX):原型はHe-111旅客機試作2号機V-2で、Rostock"として1936年1月に 初飛行したともいわれる。民間輸送機として使用されたが、1937年3月12日、ガンビアのバンジュール(Banjul)に着陸する前に事故で喪失,搭乗員4名死亡。
Lufthansa -lentoyhtiän Heinkel Turun lentoaseman avajaisissa Heinkel He 111 D-ALIX Artukaisten avajaisissa 8/9.1935.
Aineistotyyppi ?Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Inventaarionro SIM VK 533:329 Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1935-09-08 Foto Turku
写真はMuseot Finna・sa-kuva-18864引用。


ハインケル社は、ドイツ航空省Reichsluftfahrtministerium:RLM)の密命を受けて、ハインケルHe70の技術を活用して大型高速爆撃機の開発を始めた。ベルサイユ条約の軍事制限条項を掻い潜るために、開発の名目は高速旅客機とされた。ハインケルHe111は、1935年2月に試作1号機が初飛行した。この試作機は、民間輸送機としてドイツ・ルフトハンザ航空に採用された。こうして、民間輸送機としてHe111は採用され、量産されることになったため、ハインケル社は、この民間機He111をベースにして、ドイツ再軍備(German Rearmament)によって創設されたドイツ空軍のために爆撃機の開発を進めた。

ヒトラーの再軍備宣言
1)義務兵役制を復活:兵力36個師団,50万人を動員
2)軍事組織の名称変更:陸海軍に加えて空軍Luftwaffeを新設し,国軍Reichswehrを伝統的な国防軍Wehrmachtに戻す。3)国防省を陸軍省(Ministry of War)と変更。陸軍参謀本部の復活。

写真(右)1937-1938年、日中戦争の最中、ドイツで不採用になり、中華民国に輸出されて使用されたハインケル(Heinkel)He 111 A-0爆撃機:エンジンは、普及していたアメリカのライト R-1820 サイクロン 9(Wright R-1820 Cyclone 9 )空冷9気筒星形エンジン(1000馬力)を装備している。胴体後方に、四角のガラス窓が開いていて、機首もソリッド化していて、爆撃手席がみえないので、中国では爆撃機としてでではなく、輸送機として使用されたようだ。
Heinkel, He 111 Catalog #: 01_00081303
Title: Heinkel, He 111 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081303引用。


 ハインケル(Heinkel)He111の軍用爆撃機は、A型として完成したが、爆撃機としての飛行性能が不十分だった。これは、搭載したエンジンの馬力不足のためだった。そこで、He111Aは、中国に民間機として中華民国に売却された。爆撃機として、実用化されたのは、He111Bが初めてである。新生ドイツ空軍の新鋭爆撃機ハインケルHe111爆撃機B型は、新鋭ダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB600エンジン2基を装備し、1936年に勃発したスペイン内戦に送られ、1937年4月26日、市民への無差別空襲として悪名高いゲルニカ空襲Bombing of Guernica)にも投入された。

⇒写真集Album:ルフトハンザ航空ハインケル(Heinkel)He111輸送機を見る。


9.戦前のハインケルHe-111爆撃機の試作機・初期型 

写真(右)1935年、ドイツ、ドイツ空軍のハインケル(Heinkel)He 111 J-1爆撃機V-18試作18号(D-ADUM):楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・爆撃機として開発された。:ハインケルHe 111 V-18 (D-ADUM)は、魚雷攻撃をする雷撃機(Torpedobomber)として開発され、ドイツ空軍(Luftwaffe)は 90機を発注した。K.Gr. 806に配属され、特殊部隊として J-1 の形式を与えられた。楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかり、工作の簡易化には逆行した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935041 - Catalog:16_005215 - Title:Heinkel He 111V-18 Nowarra photo - Filename:16_005215. TIF
Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_005215 引用。


1919年のヴェルサイユ条約Treaty of Versailles)の軍備制限条項のために、敗戦後のドイツは、軍用機の開発・保有が禁止されたが、輸送やスポーツを目的とした民間機で、軍用機に転換できないのであれば、開発・保有も可能だった。そこで、ドイツでは民間機の開発が、ユンカース、ハインケル、ドルニエDornier)など有力な航空機メーカーの下で行われた。しかし、1933年1月にドイツの政権を握ったナチ党は、アドルフ・ヒトラーの独裁体制を確立し、軍事力を今まで以上に強化しようと、密かに画策していた。ナチ党政権樹立前から、外国における兵器開発や軍事訓練は行われていたが、ナチ党ヒトラーも下では、この軍事化の動きが強力に推進されたのである。

 ハインケルの開発したHe 111輸送機も、高速民間旅客輸送機として登場し、He-111Cが生産されたが、これは単発機のハインケルHe-70高速郵便輸送機と同様、楕円翼の全金属製、引き込み客の機体で、軍用機に転用することも視野に入れていた。

He111試作1号機V1(製造No.713) が初飛行したのは、1935年2月24日で、 発動機のBMW VI液冷12気筒エンジン(650馬力)が出力不足で低速だったものの、飛行特性、離着陸性能はよかった。1935年に2機の試作機V2V1(製造No.715)とV4は、民間機として登録コードD-ALIX,(D-ALES)と D-AHAOを与えられた。

ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機


10.ハインケル(Heinkel)He 112戦闘機


写真(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 112V-2戦闘機の試作2号機(登録コード:D-IHGE)
;He 112V-2戦闘機のコックピットは、開放式で、He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1935年9月に初飛行した。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:43935728 - Catalog:16_005270 - Title:Heinkel He 112V-2 Nowarra photo - Filename: 16_005270 .TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43935728 引用。


ハインケル He 112 A-0 V4戦闘機の諸元
 コンドル 乗員Crew: 1名
全長Length: 9 m (29 ft 6 in)、全幅Wingspan: 11.5 m (37 ft 9 in)、全高Height: 3.7 m (12 ft 2 in)
主翼面積Wing area: 23.2 m2 (250 sq ft)
空虚重量Empty weight: 1,680 kg (3,704 lb)
最大離昇重量Max takeoff weight: 2,230 kg (4,916 lb)
発動機Powerplant: 1 × Junkers Jumo 210Da V-12液冷」ガソリンエンジン 514 kW (689 hp)
プロペラPropellers: 3翅(bladed)可変ピッチ(variable-pitch)

性能Performance
最高速力Maximum speed: 488 km/h (303 mph, 263 kn) /3,500 m (11,483 ft)
航続距離Range: 1,100 km (680 mi, 590 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 8,000 m (26,000 ft)
翼面過重Wing loading: 102.5 kg/m2 (21.0 lb/sq ft)

兵装Armament
2 × 7.92 mm (.312 in) MG 17機関銃(機首)
2 × 20mm エリコン(Oerlikon)MG FF機関砲(主翼)

ハインケル(Heinkel)He-112戦闘機は、He-70のBMW液冷ガソリンエンジン500馬力よりも高出力のJumo210液冷エンジン650馬力を装備した。しかし、1935年10月の比較審査では、最高速力は440 km/hで、同じエンジンを搭載したメッサーシュミットBf109試作機の最高職力467 km/hより30 km/h以上も低速で、上昇力も劣っていた上に、量産性に問題があったためにドイツ空軍の戦闘機としては制式されずに終わった。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、無塗装のハインケル(Heinkel)He 112V-12戦闘機の試作12号機(登録コード:D-IRXS);He-112V-12戦闘機のコックピットは、密閉式に改良されている。He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1935年9月に初飛行した。
Ray Wagner Collection Image
Catalog:16_005284 - Title:Heinkel He 112V-12 Nowarra photo - Filename: 16_005284 .TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43935901 -引用。


ハインケルHe70を引き継いだ楕円型の曲面主翼「楕円翼」を採用したハインケルHe112戦闘機は、試作1号機が1935年9月に初飛行した。競争試作相手のメッサーシュミットBf109戦闘機よりも一回り大きく、将来のエンジン換装、武装強化、航続距離延長には有利だった。

 ハインケルHe112の楕円主翼は、曲線構造で、製造の手間がかかったが、飛行性能を向上させるとしてあえて採用されたが、これが量産性を低下させると判断された。こうして、量産性が低いこと、さらにドイツ空軍の幕僚たちとの政治的コネクションの観点から、ハインケルHe112はドイツ空軍では不採用となり、Bf109が制式された。。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He112戦闘機を見る。


11.ハインケル(Heinkel)He 100(He-113)戦闘機

写真(右)1938年、ドイツ、無塗装のハインケル(Heinkel)He 100V1戦闘機試作1号機;試作1号機は、He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼、空気抵抗は少ないが、視界にゆがみが生じる急傾斜の曲面ガラス風防を採用して、1938年1月22日に初飛行した。
Русский: He 100 V1 на аэродроме Росток-Мариенех
Date 1938 Source Heinkel He 100 // Война в воздухе ?140 - 2005 год Transferred from ru.wikipedia to Commons by ceminarist. .
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 File:He 100 V1 на аэродроме Росток-Мариенех.JPG引用。


ハインケル(Heinkel)He-100戦闘機は、1938年1月22日に初飛行した。前作He-112よりも小型の機体として、速力を向上させた。また、水冷エンジンのラジエーター(冷却機)を主翼前面に内蔵する「表面冷却器」という新機軸を取り入れていた。

密閉式のコックピットのハインケル(Heinkel)He-100V8戦闘機試作8号機(登録コード:D-IDGH)は、レーサー機のような局面ガラス1枚で、空気傾向を極力抑えるようにした風防であるが、視界が歪んでしまい、スピード記録用にはいいが、空中戦には不向きである。

ハインケル(Heinkel)He 112がメッサーシュミットBf109との競争試作に敗れたため、ハインケルは、捲土重来を期して、ドイツ航空省からの要請のない状態で、独自の高速戦闘機を開発した。これが、主翼外板を表面冷却器とする新技術を採用したハインケル(Heinkel)He-100戦闘機である。

ドイツ航空省技術局長エルンスト・ウーデット大佐は、この機体の革新性を評価し1938年6月5日、He-100V3試作3号機を自ら操縦し、100km周回区間の世界速度記録634.32km/hをマークした。ドイツは、この新型機を実用化しているかのようなプロパガンダを展開し、He100をHe112Uの名称で喧伝した。1939年3月10日には、ハインケル(Heinkel)He-100の高出力エンジン搭載型が、746.6km/hの最高速力を記録している。

しかし、ハインケル(Heinkel)He 100戦闘機初期試作機は信頼性が低かったために、ハインケルは実用戦闘機として、表面冷却器を通常の空気を取り入れる埋込み式冷却器に変更したHe-100Dを増加試作として12機生産した。しかし、実用性を高めたために、最高速力は低下し、Bf-109とあまり変わり映えのしない性能となってしまった。ハインケル(Heinkel)He 100は、制式されることなく終わった。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、夜間出撃の待機中のハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機(演出);夜間戦闘用の部隊マーク「煙草を吸う三日月」を付けて夜間出撃の準備をするプロパガンダに使われた。
Ray Wagner Collection Image
Permann_20 064 AI Gadgets Album Heinkel 100 D Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)-- .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081279引用。


ハインケル(Heinkel)He 100 D(He113)戦闘機の諸元 乗員: 1名 全長: 8.20 m、全幅: 9.40 m、全高:3.60 m
翼面積: 14.5平方メートル
全備重量: 2,500 kg
発動機: ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 601M液冷12気筒エンジン1175馬力 (865 kW) 1基
最高速力: 670 km/h
実用上限高度: 11.000 m
航続距離:1000 km 兵装 20ミリMG FF 機関銃 1丁 (モーターカノン)、 7.92ミリMG 17機関銃 2丁 (機首上面)

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He110戦闘機を見る。



12.ハインケルHe-114艦載水上偵察機

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、ユモJumo210液冷倒立V型12気筒エンジン装備のハインケルHe 114V-2水上偵察機試作2号機(G-UGAT) :フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている。試作機(Prototype)として1938年に完成した。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081316 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081316引用。


ハインケルHe 114水上偵察機は、成功作とはいえず、前作のHe60水上偵察機と代わり映えしない飛行性能で、安定性が悪かったために、生産機数は98機と少なかった。前作のHe60水上偵察機は、飛行性能は低かったが、使いやすいために、前線では長い期間、使用された。他方。1939年に搭乗したアラドAr-196単葉機は、成功作だったため、艦載水上偵察機として普及したこともあって、ドイツにおけるHe114水上偵察機の使用期間は短かった。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 114水上偵察機を見る。


13.ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機

写真(右)1940年、西部戦線、オランダ、アムステルダム、ドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機;胴体後方側面の白色の鉄十字、垂直尾翼のスワスチカ(カギ十字:卍)は目立ちすぎるためか、塗りつぶされている。
Collectie NIOD Trefwoorden Kriegsmarine, Legerbases, Luftwaffe, Vliegtuigen
Locatie Naam: Gemeente Amsterdam Land: Nederland
Bijschrift Deze foto maakt onderdeel uit van een collectie originele negatieven gemaakt door Karl Rauscher, beroepsfotograaf in dienst van de Luftwaffe. De divisie van Rauscher is in 1940 enkele maanden gestationeerd op de Fliegerhorst Schellingwoude, Amsterdam.
Het originele bijschrift luidt: 'Flugzueg aufnamen'. Een watervliegtuig He 115 bij Fliegerhorst Schellingwoude. Tijdens de bezetting was in Schellingwoude een steunpunt voor watervliegtuigen van de Duitse Kriegsmarine voor het leggen van zeemijnen en het redden van neergestorte piloten. Het in de IJmond gelegen kunstmatige eiland Zeeburg ten oosten van Amsterdam is tot 1945 als een kleine gecamoufleerde vesting ingericht. Deze zogenaamde Fliegerhorst Schellingwoude werd uitgebouwd tot de grootste basis voor watervliegtuigen en -boten in Nederland.
Periode 1940 Negatiefsoort Origineel Vervaardiger Karl Rauscher
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 152175引用。


枢軸軍の双フロート双発以上の水上機には、ハインケルHe115のほかハインケルHe59救難機、イタリア軍のフィアットCMASA RS.C14水上偵察機、カントZ.506 水上偵察爆撃機 などがあり、いずれも飛行性能は、秀でているわけではないが、堅牢な構造で、使いやすい機体だった。

ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、1937年8月に初飛行した機体で、海上の哨戒偵察以外にも、船団への魚雷攻撃、機雷敷設、輸送などにも投入された多用途機だった。ヘルマン・ゲーリング総司令官のドイツ空軍に飛行機を集中させられたため、ドイツ海軍航空隊は貧弱であり、ハイケルHe115水上偵察機は、艦艇に搭載することは想定されておらず、水上機基地をベースに活動することを前提としていた。そのため、He115水上偵察機の総生産機数は138機のみであった。しかし、北大西洋、地中海方面では、水上機の特性を生かして、海上哨戒偵察、対艦船攻撃(爆弾・航空魚雷・機雷)に有効な働きをしている。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機を見る。


14.ハインケル(Heinkel)He 119高速偵察機

ハインケル(Heinkel)He 119V-1(登録コード:D-IHGE)は、He70と同様の楕円翼を装備し空気抵抗の減少のために、エンジン2基を並列に搭載し、延長軸で機首のプロペラ1基を回す高速偵察機として開発された、He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1937年7月に初飛行した。搭載したダイムラー・ベンツDB606A液冷24気筒エンジン(2,350 HP)は、1935年に完成したダイムラー・ベンツDB 601液冷12気筒エンジン(1,175HP)を並列に2基連結した複合エンジンであり、主翼に並列してエンジンを配置するよりも、空気抵抗を半減することが可能になった。他方、エンジン冷却方法と長いプロペラ延長軸の振動に問題が発生した。


写真(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 119V-2高速偵察機の試作2号機
;エンジン2基を並列に搭載し、延長軸で機首のプロペラ1基を回す高速偵察機として開発された。、He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1937年7月に初飛行した。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_005307 - Title:Heinkel He 119V-2 Nowarra photo - Filename:16_005307.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43936182引用。


ハインケル(Heinkel)He 119高速偵察爆撃機の胴体前部には1935年に完成したダイムラー・ベンツDB 601液冷12気筒エンジン(1,175HP)2基を並列繋ぎにした新形式の複合エンジンダイムラー・ベンツDB606A液冷24気筒エンジン(2,350 HP)を搭載した。エンジンからは、延長軸を伸ばして機首に装備した3翅プロペラ1基を回すので、正面面積は小さく、空気抵抗もその分小さくなるので、拘束が発揮可能である、と理論上考えられた。しかし、胴体前半部分にはエンジン2台を搭載し、その発熱、騒音、廃棄、油漏れを考えると、搭乗員の居住性は最悪であろう。また、延長軸は、高速回転させた場合振動が大きくなり、これが事故のリスクを高め、飛行性能を悪化させることにもつながる。


写真(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 119V-2高速偵察機の試作4号機の機首と3翅プロペラ、機首下面の大型冷却ラジエーター
;胴体中部と機首にエンジン2基を並列に搭載しているのがわかる。胴体の中心軸に、延長軸を伸ばしてプロペラ1基を回すので、胴体前半部分には搭乗員に狭い空間しか残されていない上に、騒音やエンジンからの排出ガスもあって、居住性は悪かったであろう。1937年7月に初飛行した。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_005306 - Title:Heinkel He 119V-4 Nowarra photo - Filename:16_005306.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43936169引用。


ハインケル(Heinkel)He 119高速偵察機は胴体中部に液冷エンジン2基を並列搭載したため、エンジン冷却の不足とプロペラ延長軸の振動の問題があったようだが、基本的には複雑すぎる発動機のメカニズム事態が非実用的だった。この後も同様の複合エンジン連結がHe177重爆撃機で行われた、量産に移行されたものの、部隊ではエンジン発火、故障頻発、整備困難、そして戦局悪化後は燃料不足で、十分活躍はできないままに終わっている。また、胴体の中心軸に、延長軸を伸ばしてプロペラ1基を回すので、胴体前半部分には搭乗員に狭い空間しか残されていない上に、騒音やエンジンからの排出ガスもあって、居住性は悪かったであろう。

図解(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 119V-4高速偵察機試作4号機(登録コード:D-IHGE)の三面図;エンジン2基を並列に搭載し、延長軸で機首のプロペラ1基を回す高速偵察機として開発された。He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1937年7月に初飛行した。
Italiano: Tavole prospettiche del prototipo tedesco da alta velocità degli anni 1930 Heinkel He 119 V4. Date 14 June 2012 Source Own work Author MLWatts.
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 119 File:Heinkel He 119 V4 3-view.svg引用。


ハインケル(Heinkel)He 119水上偵察機試作機V-7とV-8の2機は、日本海軍に売却され、太平洋戦争勃発半年前の1941年5月に日本に到着した。輸入した日本海軍は、He119の試験飛行をしたが、2機とも事故で破壊され失われた。しかし、2台のエンジンを繋ぐメカニズムは理解できたために、海軍では並列にエンジンを繋いだ一八試陸上偵察機「景雲」を海軍航空技術廠で試作した。空技廠一八試陸上偵察機「景雲」は、愛知航空機(愛知)がライセンス生産していたダイムラーベンツDB601液冷エンジンの国産版であるアツタ(熱田)三〇型発動機を胴体に並列に搭載し、この複合式のハ40発動機で1本の4mものプロペラ延長軸を駆動させる方式である。「ハ70」搭載の高速陸上偵察機「景雲」は、1945年5月に初飛行したが、エンジン不調で試験は中止となった。


写真(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 119V-5水上偵察爆撃機の試作5号機(登録コード:D-ADRO)
;胴体中部と機首にエンジン2基を搭載している。胴体の中心軸に、延長軸を伸ばしてプロペラ1基を回すので、胴体前半部分には搭乗員に狭い空間しか残されていない上に、騒音やエンジンからの排出ガスもあって、居住性は悪かったであろう。1937年7月に初飛行した。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_005304 - Title:Heinkel He 119V-5 Nowarra photo - Filename:16_005304.TIF -- Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43936145引用。


ハインケル(Heinkel)He 119水上偵察爆撃機の諸元
全長: 14.79 m、 全幅: 15.89 m、 全高: 5.40 m
全備重量: 7,665 kg
エンジン: ダイムラー・ベンツDB606A液冷24気筒エンジン(2,350 HP)
最高速力: 590 km/h
上限高度: 8,500 m
航続距離: 3,120 km
兵装 7.92ミリMG15旋回機関銃1丁
爆弾搭載量 750 kg(250キロ爆弾3発)
乗員: 3名


15.ハインケル(Heinkel)He 177重爆撃機グライフ


写真(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 177 V-5重爆撃機試作5号機(登録コード:PM-OD)
;エンジン2基を並列に搭載し、延長軸で機首のプロペラ1基を回すことで、急降下爆撃も可能な重爆撃機として開発された。しかし、エンジン冷却の不足、降着装置の構造に問題があり、発火事故が頻発し、稼働率も低くなった。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_005319 - Title:Heinkel He 177V-5 Nowarra photo - Filename:16_005319.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43936329 引用。


ハインケルHe177重爆撃機は、1936年6月にドイツ航空省の提議した急降下可能な高速爆撃機「A爆撃機」の要求に応じた機体だった。ここでは、最高速度540km、急降下爆撃が可能であることが求められたため、2基のエンジンを連結して1軸の大型プロペラを駆動する連結エンジンが採用された。これは、既に実機が完成していたHe 119高速偵察と同じ発動機スタイルである。また、機体構造の強化が図られ、機体表面の蒸発冷却機構、遠隔操作の銃塔の新機軸も採用された。

大西洋方面の哨戒,ドイツ潜水艦Uボートとの協力にも投入が計画された。1943年のイギリス本土爆撃にも投入された。しかし、エンジン冷却が不十分であったために加熱によるエンジン不調が頻発した。

ハインケルHe 177は、1936年ドイツ航空省(RLM)が提案した重爆撃機構想に沿って設計された。ハインケルプロジェクト(P.1041)は、ウラル爆撃機(爆弾1トン搭載、航続距離6000キロ以上)として使用できるものとされた。同様のウラル爆撃機としてはドルニエDo 19、ユンカースJu 89よりも遥かに高性能を求められた。

写真(右)1944年秋,四発重爆撃機ハインケルHe-177:フランスの基地に展開するハインケルの部隊。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-676-7969A-25 Archive title: Reichsgebiet.- Bomber Heinkel He 177 auf Flugplatz mit Besatzung; PK Eins Kp Lw zbV Dating: 1944 Herbst Photographer: Schroeder Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7969A-25引用(他引用不許可)。


ハインケルHe-177(Heinkel)グライフ諸元
搭乗員: 5名
全長: 22.00 m、全幅: 31.44 m、全高: 6.7 m
全備重量: 31,000 kg
エンジン: ダイムラー・ベンツ DB 610 液冷24気筒 2,950 hp × 2
最大速度: 565 km/h (6,100m)
上限高度: 9,400 m
航続距離: 5,600 km (最大)
武装 20mm MG 151/20機関砲 × 2 (尾部・下部前方)、13mm MG 131機関銃 × 3 (背部)、7.92 MG 81機関銃 × 3 (機首に1、下部後方)
爆弾 6,000 kg もしくは ミサイル×3(ヘンシェル Hs 293 又は フリッツX)


Heinkel He 177 Greif
38,462 回視聴 2013/10/11

ハインケル社は、他社に先駆けて首輪のついた軍用機、たとえばHe-219夜間戦闘機ウーフー、He280ジェット戦闘機を設計、試作している。ドイツ空軍は、首輪をもつ機体を「アメリカ式」と揶揄したが、離着陸は尾輪式よりもはるかに容易だった。現在の飛行機は、小型機でさえも尾輪式を排して、首輪式になっている。しかし、降着装置の重量軽減、抵抗減少に効果的なダブルタイヤを使えなかったのは、大きなマイナスだった。

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16.ハインケル(Heinkel)He 176ロケット機

図(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 176ロッケト推進実験機;第二次大戦勃発3カ月前の1939年6月20日に初飛行した世界初のロケット推進機がHe176だった。ロケット弾のように、火薬(固形燃料)を燃焼させることで推力を得るのではなく、薬品による化学反応を利用したワルター式液体ロケットを搭載していたのである。同じロケットを搭載したメッサーシュミットMe163ロケット戦闘機は、1941年に初飛行し、1944年末までに350機が量産された。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel, He 176 Title: Heinkel, He 176 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 176 Tags: Heinkel, He 176 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081328引用。


第二次大戦勃発3カ月前、1939年6月20日、エーリッヒ・ヴァルシッツ(Erich Warsitz)によって世界初のロケット推進器の飛行に成功した。これは、日本海軍の艦載機が使用した加速用ロケットや人間爆弾「桜花」が装備した火薬式(固形燃料)ロケットとは異なり、薬品を利用したワルター式液体ロケットだった。

ワルター式ロケットとは、1937年、ワルター社総帥ヘルムート・ワルター発明したもので、主に過酸化水素からなるT液とヒドラジンとメチルアルコールからなるC液を混合させて、自然燃料させ推進力を得るもので、化学反応を起こす発火のために、点火装置は必要ない。ただし、薬品は猛毒で腐食性があったために、取り扱いには特段の注意が必要だった。

1941年9月1日、第二次大戦勃発2年目には、ワルター式ロケットHWK 109-509Aを装備したメッサーシュミットMe163ロケット戦闘機が初飛行に成功している。Me163ロケット戦闘機は、 自量1,905 kg、離昇最大重量 4,309 kg、30ミリMK108 機関砲2門搭載、最高速力1,130 km/hに達した。1944年5月には、少数のHe163ロケット戦闘機が、ドイツ本土に来襲したアメリカ爆撃機の迎撃戦闘に実戦投入されている。

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17.ハインケル(Heinkel)He 178ジェット機

写真(右)1939年8月27日以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機;第二次大戦勃発3カ月前の1939年6月20日に初飛行した世界初のロケット推進機がHe176だった。ロケット弾のように、火薬(固形燃料)を燃焼させることで推力を得るのではなく、薬品による化学反応を利用したワルター式液体ロケットを搭載していたのである。同じロケットを搭載したメッサーシュミットMe163ロケット戦闘機は、1941年に初飛行し、1944年末までに350機が量産された。
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Heinkel, He 178 Title: Heinkel, He 178 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 178 Tags: Heinkel, He 178 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081334引用。


1939年8月27日、ハインケルHe 178は、テストパイロットのエーリッヒ・ワルシッツ (Erich Warsitz) によって初飛行に成功した。その1年半後、イギリスのホイットルが開発したグロスター E.28/39ジェット機も初飛行に成功したが、ドイツ軍はジェット機の実用化によって、制空権確保に有利になると思われた。しかし、ジェットエンジンの信頼性は低く、故障も頻発した上に、整備の取り扱いも難しかった。なによりHe178ジェット機は、燃料消費が大きく航続距離が短く、最高速力は600 km/hでしかなく、これでは、現用戦闘機よりも50?/h速いだけであり、兵装を搭載し重量が増加すれば、それほどの高速は期待できなかった。

1939年11月1日、ハインケルは、ドイツ空軍技術局長エルンスト・ウーデット (Ernst Udet)、航空省次官エアハルト・ミルヒ (Erhard Milch) 中将らを招待して、ハインケルHe 176ロケット機, He 178ジェット機の閲覧飛行をした。しかし、最新の航空技術に通じておらず、戦争の前途にも楽観していたこれらのドイツ空軍高官は、ロケット機、ジェット機の開発には熱意を示さなかった。


Heinkel he 178 the First Jet Powered Airplane
49,933 回視聴 2016/11/13

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18.ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機


写真(右)1942年後半以降、ドイツ、離陸するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280V-1ジェット戦闘機試作1号機
;ハインケル HeS 8 (Heinkel Strahltriebwerk 8)ジェットエンジン2基を装備しているが、不慣れなジェットエンジンの整備に手間がかかるためか、エンジンナセルは、撤去されている。機首には、20ミリ機関銃3丁を搭載できるが、この機体は無武装。
SDASM Archives - Catalog:16_005314 - Title:Heinkel He 280V-1 Nowarra photo - Filename:16_005314.TIF - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はSDASM Archives・PictionID:43936269 引用。


世界初のジェット推進機ハインケル He 178試作機は、ハインケルHeS 3ターボジェットエンジン1基を搭載し1939年8月に初飛行に成功していた。その戦闘機型のHe280は、HeS 3エンジンを改良したハインケル HeS 8 (Heinkel Strahltriebwerk 8)ジェットエンジンを2基、主翼に取り下げて取り付けた。試作戦闘機 He 280 が初飛行したのは、1941年3月31日で、4月に実施されたフォッケウルフFw-190A戦闘機との模擬空戦審査では、高速と上昇力を生かして、Fw 190に勝る性能を発揮した。しかし、エンジンの信頼性が低く、ドイツ航空省のジェットエンジンへの無理解から、He280の量産化はなされず、9機が試作されただけで、最終試作機ハインケルHe 280 V9試作9号機(登録コード:NU+ED)が1943年8月31日に初飛行したものの、He 280の開発は放棄されてしまった。

ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機は、左右主翼下面にジェットエンジンを搭載、首輪(前輪)式の降着装置のため、地上では地面に水平の位置で駐機しているので、離着陸は尾輪式よりも容易である。また、双発のエンジン排気のために地面や滑走路が傷むことは少ない。他方、本機より1年遅れのメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機は、尾輪式だったために、その後、首輪(前輪)式の降着装置に改装されている。

ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機の尾翼は、双尾翼式で、これは後年のハインケルHe162ジェット戦闘機にも引き継がれている。ただし、He280の場合、単座で後方旋回機銃の射界確保には双尾翼でする必要はなく、全高を低くして格納や偽装を容易にするためだったのか。1枚の垂直尾翼のほうが空気抵抗削減・重量軽減できて飛行性能は向上したと思われる。

ハインケル(Heinkel)He 280V6ジェット戦闘機の諸元
乗員Crew: 1 全長Length: 10.198 m (33 ft 5.5 in)、全幅Wingspan: 11.99726 m (39 ft 4.333 in)、全高Height: 3.1941 m (10 ft 5.75 in)
翌面積Wing area: 21.51平方メートル(231.5 sq ft)
総重量 Gross weight: 5,205 kg (11,475 lb)
発動機Powerplant: ユンカース(Junkers)Jumo109-004Aターボジェットエンジン2基
性能 Performance
最高速力Maximum speed: 751.5 km/h (467.0 mph, 405.8 kn) /海面上
817.5 km/h (508.0 mph; 441.4 kn)/6,000 m (19,685 ft)
809.5 km/h (503.0 mph; 437.1 kn)/8,501 m (27,890 ft)
航続距離Range: 615 km (382 mi, 332 nmi)/9,010 m (29,560 ft)
314 km (195 mi; 170 nmi)/海面上
実用上昇限度Service ceiling: 11,400 m (37,390 ft)
上昇率Rate of climb: 21.2 m/s (4,170 ft/min)
兵装 Armament
20ミリMG 151/20機関銃3丁


Heinkel He 280 Bau und Montage des Heinkel Strahltriebwerks
39,368 回視聴 •2016/12/27

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19.ハインケル(Heinkel)He 219夜間戦闘機ウーフー


写真(右)1943-1944年、 リヒテンシュタイン"Lichtenstein"対空レーダーを装備したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 219A-0/R6 (V-16) 夜間戦闘機(Uhu:フクロウ)
;He 219A-0はダイムラーベンツDB 603A液冷エンジン(1,750 ps)搭載の最初の量産型で、1944年11月末までに、104機が生産された。
SDASM Archives - Catalog:16_005336 - Title:He 219A-0/R6 (V-16) Nowarra photo - Filename:16_005336.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真はSDASM Archives・PictionID:43936536引用。


設計当初より夜間戦闘機として開発されたハインケル(Heinkel)He 夜間戦闘機ウーフーは、大型のダイムラー・ベンツダイムラーベンツDB 603A倒立V型12気筒液冷エンジン1,750PS(排気量44.52 L)を2基搭載し、1942年11月6日に初飛行した。最高速力は615 km/hで、これは従来の昼間戦闘機改造のメッサーシュミットBf110F夜間戦闘機、爆撃機街道のユンカースJu 88C夜間戦闘機よりも50キロ高速で、兵装も最も強力だった。


写真(右)1944年、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 219A-7/R3夜間戦闘機(Uhu:フクロウ)
;右主翼下面を黒色に、左主翼下面を灰褐色に塗装しているが、双発のエンジン排気のためにエンジンナセル両側は黒く汚れている。機体下面のバルジには、20ミリ機関銃4丁が搭載され、左右主翼付根には30ミリ機関砲1門、合計2門が搭載されている。機首には、対空レーダーが装備されている。
SDASM Archives - Catalog:16_005334 - Title:Heinkel He 219A-7/R3 Nowarra photo - Filename:16_005334.TIF- - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真はSDASM Archives・PictionID:43936511 引用。


先行生産型のハインケルHe 219 A-0夜間戦闘機は、ダイムラーベンツDB 603A倒立V型12気筒液冷エンジン1,750PS(排気量44.52 L)搭載の最初の量産型で、1944年11月末までに、104機が第1夜間戦闘航空団(NJG1)に配備され、第1飛行隊長ヴェルナー・シュトライプ少佐によって、1943年6月1日の夜、デュッセルドルフを空襲したイギリス空軍ランカスター重爆撃機を撃墜したが、これがHe219夜間戦闘機の初陣となった。その後も、高速と強力な火力を活かしてイギリス空軍デ・ハビランド高速爆撃機を迎撃、撃墜する戦果を挙げている。しかし、既に昼間戦闘機から転用されたメッサーシュミットBf110F夜間戦闘機、爆撃機を改造したユンカースJu88C夜間戦闘機が実用化され、舞台で活躍していたために、新規にHe219を大量生産することはなされず、夜間戦闘機はこれらの発展型にゆだねられることになった。これは主に、安価な大量生産を優先していた航空省次官エアハルト・ミルヒ中将の意向である。


写真(右)1945年後半以降、アメリカ、ドイツ敗戦後に鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 219A-5/R1 夜間戦闘機ウーフー(Uhu:フクロウ)
(正面);機首のレーダーは、本体は撤去され、レーダー取り付け支柱のみが残されている。右主翼下面を黒色に、左主翼下面を灰褐色に塗装しているが、双発のエンジン排気のためにエンジンナセル両側は黒く汚れている。機体下面のバルジには、20ミリ機関銃4丁が搭載され、左右主翼付根には30ミリ機関砲1門、合計2門が搭載されている。機首には、対空レーダーが装備されている。
SDASM Archives Heinkel, He 219, Uhu Title: Heinkel, He 219, Uhu Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Uhu Additional Information: Germany Designation: He 219 Tags: Heinkel, He 219, Uhu .
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081338引用。


ハインケルHe 219夜間戦闘機は、夜間の離着陸のしやすさを優先して、地上で機体の姿勢が地面と平行になる前輪(首輪)式降着装置っを備えたが、これはアメリカのベルP-39戦闘機、ロッキードP-38双発戦闘機、ノースアメリカンB-25爆撃機、コンソリデーテッドB-24重爆撃機でも採用されていた降着用ゴムタイヤ配置方式だった。しかし、ドイツでは尾輪式が当たり前だったので、前輪式のような素人パイロット向けの降着装置は、アメリカ式として蔑視されていた。また、実用機に装着した世界初の圧搾空気式射出座席を備えている。


写真(右)1945年後半以降、アメリカ、ドイツ敗戦後に鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 219A-5/R1 夜間戦闘機ウーフー(Uhu:フクロウ)
;右主翼下面を黒色に、左主翼下面を灰褐色に塗装しているが、双発のエンジン排気のためにエンジンナセル両側は黒く汚れている。機体下面のバルジには、20ミリ機関銃4丁が搭載され、左右主翼付根には30ミリ機関砲1門、合計2門が搭載されている。機首には、対空レーダー支柱が装備されたままだが、レーダー・アンテナ自体は撤去されている。
SDASM Archives Heinkel, He 219, Uhu Title: Heinkel, He 219, Uhu Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Uhu Additional Information: Germany Designation: He 219 Tags: Heinkel, He 219, Uhu .
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081341引用。


ハインケルHe 219A-7/R1夜間戦闘機の諸元
乗員:2名
全長:16.34 m、 全幅:18.50 m、 全高:4.1 m
最大離昇重量:15,100 kg
発動機:ダイムラー・ベンツDB 603E 液冷倒立V型12気筒エンジン1,800 ps (1,324 kW)2基
最高速度:585 km/h/6,000 m(レーダーアンテナとエンジン消炎排気管装着)
航続距離:2,520 km(最大)
実用上昇限度:9,300 m
兵装: 20ミリMG 151/20機関銃 4丁 (胴体下面バルジ)、 30 ミリMK 108機関砲2門 (主翼付根)、 30 ミリMK 108機関砲2門 (胴体上面斜銃)


Heinkel He 219 Bomber, Taxiing, Taking Off & Landing
26,731 回視聴 •2018/09/05


20.ハインケル(Heinkel)He 162ジェット戦闘機


写真(右)1946年、オハイオ州ライトフィールド飛行場で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケルHe162ジェット戦闘機。後方の大型機は、ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt)
;と塗装はどちらもオリジナルの復元を試みている。Ju290四発機の前には、右にメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機、左に双発のユンカースJu388高高度偵察機L-1型、左端には、ハインケルHe162ジェット戦闘機(双尾翼)、横須賀人間爆弾「桜花」バカ(双尾翼)、左手前には日本海軍三菱ゼロ戦52型、右奥にはリパブリックP-47サンダーボルト戦闘機が並べられている。
SDASM Archives Army Air Forces Fair 031 Junkers 290 Alles Kaput Charles Daniels Collection Photo Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。


ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機胴体前方下面に、2丁の20ミリ機関銃を装備しているが、この程度では、1945年の戦闘機としては火力不足だった。しかし、軽量・小型のHe162戦闘機では、この程度の兵装しか搭載することはできなかった。火力不足は、機数の増加によって相殺できるはずだったが、実際には、戦局悪化で大量生産の実績を上げることはできなかった。

写真(右)2017年4月、イギリス、ロンドン郊外、イギリス空軍博物館に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行隊のハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機の正面
Delivered to II/JG1 at Leck Airfield in April 1945. Surrendered to the RAF RAF Museum London, Hendon Date 15 March 2018, 12:10 Source 20180315_121039 Author Irid Escent -
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162A (120227) at RAF Museum London File:RAF Museum London – 20180315 121039 (25997598347).jpg引用。


ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘は、小型・軽量なので、Hw280やMe262とは違って、エンジンは1機で出力を確保できた。胴体背面にBMW003ターボジェット1基を搭載したが、このような配置は、整備の上からは不都合で、エンジンの変換にも手間が語った。当時のジェットエンジンは、信頼性が低く、整備を頻繁に行う必要があり、さらに耐用時間も短いので、エンジン換装も必要になった。1944年12月6日初飛行し戦局悪化の急速増産が始まっていた国民戦闘機。最高速力850 km/h、162機が量産されたが、実戦参加はしていない。

ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘は、肩翼式で、双垂直尾翼だったが、これは胴体背面のジェットエンジンの噴流が後方に排出されるためで、このジェット噴流を妨害しないように、垂直尾翼を中心線から離して二つ配置した。しかし、強度の上からは、脆弱ではなかったのか。また、金属節約のために、木製主翼を採用したが、この接合強度なども問題があったようだ。これらの課題は、本来は試作審査の中で改良されるはずだが、その時間的余裕がなかった。そのため、戦時中のドイツでも戦後に使用したイギリスでも本機に空中分解事故が起こっている。

ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機の諸元
乗員:1名
全長:9.05 m、全幅:7.2 m、全高:2.6 m
翼面積:14.5平方メートル
空虚重量:1,660 kg
最大離陸重量:2,800 kg
発動機:BMW 003Eターボジェットエンジン(推力7.85 kN)1基
最高速力:905 km/時/6,000 m
航続距離:975 km
上昇限度:12,000 m
上昇率:1,405 m/分
兵装:20ミリMG 151/20機関銃2丁

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 162 国民戦闘機(Volksjäger)を見る。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ハワイ真珠湾攻撃の写真集

沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ハンセン病Leprosy差別

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