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◆ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
写真(上)1940年頃、ドイツ、部隊マーク「電光」を記入し実戦部隊に配備されたかのようなハインケル(Heinkel)He-100 D-1戦闘機の演出写真
;主翼に表面冷却器を装備し、空気抵抗減少を企図したが、取り扱いが困難で、液冷エンジンの冷却能力も不十分だったために、後に機首下面に冷却器空気取り入れ口を開口させた。生産は19機で実戦参加はしていない。
Ray Wagner Collection Image Catalog:16_005286 - Title:Heinkel He 100D-1 officially designated Heinkel He 113 Nowarra photo - Filename:16_005286.TIF- - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation-
写真は, SDASM Archives PictionID:43935926引用。

写真(上)1940年頃、ドイツ、部隊マーク「電光」を記入し実戦部隊に配備されたかのようなハインケル(Heinkel)He-113 D-1戦闘機12号機の演出写真
;生産は19機で試作のみに終わったが、実戦部隊に配備されたかのような演出写真が公開された。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935938 - Title:Heinkel He 113 Peter Bowers photo - Filename:16_005287.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation -
写真は, SDASM Archives Catalog:16_005287 -引用。

1.エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)

図(右)1982年作成、ドイツ、ハインケル(Heinkel)教授のポートレット画;スペイン内戦に活躍したハインケルHe-111爆撃機と第二次大戦末期に部隊配備されたハインケルHe-162ジェット戦闘機が背景に描かれているが、どちらも第二次世界大戦の軍用機である。
Heinkel, Dr. Ernst Hall of Fame Portrait 1982
Catalog #: BIOH00212 Last Name: Heinkel First Name: Dr. Ernst -
写真は,SDASM Archives Catalog #: BIOH00212引用。


エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)略歴
生誕日:1888年1月24日
生誕地:グルンバッハ(Grunbach)
死没日:1958年1月30日(70歳)
死没地:シュトゥットガルト(Stuttgart)

学歴:シュトゥットガルト工科大学(Technischen Hochschule Stuttgart)
専門:航空技術
学位・資格:博士・教授
勤務先:LVG社、アルバトロス社、ハインケル社

業績
世界初のロケット機He176の初飛行(1939年6月20日)
世界初のジェット機He178の飛行(1939年8月27日)

エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。
1958年1月30日、シュトゥットガルトで死去。
  写真(右)1931年、ドイツ北東部バルト海沿岸、ポンメルン州ヴァーネミュンデ (Warnemünde)、ハインケル航空機工場のエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel:1888-1958)と技師
Flugzeugbau Ernst Heinkel
Eschen, Fritz: Flugzeugbau Ernst Heinkel, 1931 Beschreibung: Rostock-Warnemünde. Ernst Heinkel Flugzeugwerke Warnemünde. Werkhalle. Ernst Heinke und ein Arbeiter beim Betrachten eines Flugzeugteiles
Darstellung: Heinkel, Ernst Zusammenhang: Ernst Heinkel Flugzeugwerke Warnemünde
Location: Rostock, Rostock-Warnemünde
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0006593引用。


第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel:1888年1月24日-1958年1月30日)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデ (Warnemünde) にハインケル航空機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。

ヴァーネミュンデのハインケル工場は、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで、秘密裏に軍用機でも開発できるという利点があった。この軍用機は、空軍を禁じられたドイツ向けというより、外国への輸出販売用だった。

写真(右)1938年10月11日、ドイツ、ベルリン郊外ポツダム、リリエンタール社で宴会中のドイツ航空省技術局長エルンスト・ウーデット少将、ドイツ航空省次官エアハルト・ミルヒ大将、エルンスト・ハインケル教授(左から):オットー・リリエンタール(Otto Lilienthal:1848-1896)は、アメリカのライト兄弟に先んじるドイツ航空界のパイオニアで、グライダーによる滑空飛行を実現させた。
Title Potsdam, Udet, Milch, Heinkel Info non-talk.svg
Eschen, Fritz: Flugzeugbau Ernst Heinkel, 1931 Beschreibung: Rostock-Warnemünde. Ernst Heinkel Flugzeugwerke Warnemünde. Werkhalle. Ernst Heinke und ein Arbeiter beim Betrachten eines Flugzeugteiles
Gentleman evening at the Lilienthal company in potsdam Depicted people Heinkel, Ernst Prof. Dr. Ing.: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Milch, Erhard: Generalfeldmarschall, Ritterkreuz (RK), Luftwaffe, Deutschland Udet, Ernst: Generalluftzeugmeister, Generaloberst, Ritterkreuz, Luftwaffe, Orden Pour le mérite, Deutschland
Depicted place Potsdam Date 11 October 1938
写真は,Category:Ernst Heinkel, File:Bundesarchiv Bild 183-H13535, Potsdam, Udet, Milch, Heinkel.jpg引用。


ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、1935年3月16日、ベルサイユ条約の軍事制限条項を破棄して、ドイツ再軍備宣言した。その直後の1933年5月、ドイツ国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルクは、第一次大戦と同様だった陸軍航空隊を1933年4月設立の航空省に移管し、それまで民間スポーツ機などの名目で保有していた航空機も併せてドイツ空軍(Luftwaffe)を設立した。

写真(右)1940年頃(?)、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel:1888-1958):エルンスト・ハインケル航空機工場のトップとして大活躍した。
Portraitserie Ernst Heinkel
Datensatz 70246185
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050035引用。


1935年3月16日のドイツ再軍備宣言から半年以上経過した1935年11月7日、第一次大戦勃発の時1914年生まれの成人男子に徴兵が開始され、それまで10万人だった共和国軍(ライヒスヴェア)は、50万人の国防軍(ヴェアマハト)へ拡張された。

ドイツ空軍は、航空大臣ヘルマン・ゲーリングの下、航空省次官エアハルト・ミルヒが編成・生産の実務を担当したが、航空省とドイツ空軍は事実上、一体化することになった。エルンスト・ウーデットが航空省技術局長に就任したのは、翌年1936年6月である。 1936年には、ラインラントの無武装地帯に武力進駐を強行し、同年に勃発したスペイン内戦に反乱側フランコ将軍支援の陸・空軍兵力を派兵している。

特に、1937年4月26日のゲルニカ空襲には、無差別爆撃として悪名高い。ドイツ・コンドル軍団によるゲルニカ爆撃には、主力ユンカースJu52爆撃機のほかに、ハインケル He111爆撃機、ハインケルHe51戦闘機も攻撃に投入されている。

写真(右)1940年頃(?)、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel:1888-1958):楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・郵便機として開発され、1932年12月1日に初飛行。楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかったが、飛行性能を向上させるとしてあえて採用された。
Datensatz 70246184 Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur. Foto: Eschen, Fritz
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050034引用。


1922年、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、ドイツ北部バルト海沿岸、ポンメルン州ヴァーネミュンデ (Warnemünde)に、ハインケル航空を設立した後、ベルサイユ条約の航空兵器保有禁止の条項をかいくぐるために、対岸のスウェーデンで軍用機の開発を行った。この高性能水上偵察機は、日本海軍の注目するところとなった。

エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)航空機工場は、1922年にドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデWarnemünde)に設立された。ここでは、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機を開発している。日本は、第一次大戦の戦勝国だったが、敗戦国ドイツから鹵獲した兵器・飛行機に注目して、再審議医術の取得に熱心だった。

当初、日本は、特許やライセンスに無頓着に、技術を模倣して取り入れていたが、そのうちライセンス料をようになった。のして、日本陸海軍が同じダイムラーベンツDB601液冷エンジンのライセンスを取得するのに、陸海軍が別個にライセンス料を支払うという無定見ぶりを発揮している。

写真(右)1940年頃、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel:1888-1958):孫娘と一緒の写真かと錯覚してしまう。
Portraitserie Ernst Heinkel
Datensatz 70246186
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050037引用。


1881年1月24日生まれのエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、二人兄弟、3回結婚し、連れ子2人を含め7人の子供をもつ。1938年ニュルンベルク開催のナチ党大会では、ハインケルに対して、国家芸術科学賞が授与されており、軍需生産に依存したハインケル航空工場の繁栄がもたらされた。
1958年1月30日、シュッツガルトで逝去。

 ハインケルは、1932年9月にHe70高速輸送機を初飛行させ、1935年のドイツ再軍備宣言後には、ドイツ空軍の創設に伴い高速輸送機として開発したハインケルHe111を爆撃機として採用させ、さらにハインケルHe51複葉戦闘機の量産をも受注することで、ドイツ有数の航空機メーカーに成長していった。

1933年1月末、ナチ党総統アドルフ・ヒトラーが、首相に任命され、1935年にドイツ再軍備を宣言して、ドイツ空軍を設立すると、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、政権獲得前から既存の飛行機を活かして、軍用機として開発したHe59双発水上機He60水上偵察機などを採用された。これらの軍用機は、特に斬新な設計ではなく、性能も平均的なものだったが、ドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデWarnemünde)のハインケル航空機工場は、軍需を得て航空機メーカーとして、順調に資本形成を進めることができた。そして、工場の拡張によって飛行機製造能力も高まったのである。

写真(右)1940年頃、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel:1888年1月24日-1958年1月30日):遊具に乗った娘とキスするハインケル博士(1888-1958)。
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,© SLUB / Deutsche Fotothek / Eschen, Fritz ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050039引用。


1936年7月、スペインでは、人民戦線政府に対して、モロッコ植民地に駐留していたフランシスコ・フランコらの反乱軍が蜂起した。このスペイン内乱に際して、ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、即座に支援を命令し、ドイツ・コンドル軍団をスペインに派遣することが決定した。

 ドイツは、形式上は、スペイン市民戦争に不干渉の立場にあると表明しながらも、義勇軍の形式をとったコンドル軍団を編成して、ドイツ正規軍の派兵を実装した。この時、コンドル軍団に配備されたハインケルHe51戦闘機、He111爆撃機、He70輸送機もスペイン内乱に反乱軍への援軍として実戦投入されている。

第二次大戦前に、ハインケルHe112戦闘機を開発したが、Bf109戦闘機との競争試作に敗れた。この理由は、飛行性能的に若干劣っていたこと、量産性に難点があったことであるが、エルンスト・ハインケルがナチ党やヒトラーとの相性が悪かったことも指摘されている。ただし、このようなハインケルの自由闊達な性格がもたらしたナチ党全体主義・反ユダヤ主義への嫌悪といったものは、戦後になって自著で述べられてはいるが、当時のハインケルは、ナチ党への追随的行動をとっていた。

写真(右)1940年頃、自ら設計した新品のハインケルHe111爆撃機H/P型を背景にしたエルンスト・ハインケル教授は、スーツ左襟のフラワーホールにスワスチカ卍のナチ党徽章(党員バッチ)を付けている。エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士の後方には、機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型が控えている。
Beeldnummer 44748 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Formatie Heinkel 111, gevechtsvliegtuigen.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 44748 引用。


エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士は、1888年、ドイツ南部、シュトゥットガルト生まれ、第一次大戦で飛行機設計に加わった。戦後の1922年に、北ドイツのヴァーネミュンデにハインケル飛行機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。アドルフ・ヒトラーの唱える国家社会主義に共鳴し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党:NSDAP)に入党した。ハインケルは、自伝によればスピード感に陶酔しており、スピードへの追及に熱心で、He70高速輸送機のような凝った設計の高速機を開発した。He70高速輸送機は、1932年にドイツ・ルフトハンザ航空に採用されている。

写真(右)1941年7月11日、ドイツ、ハインケル航空機工場(?)、背広左襟フラワーホールにスワスチカ卍のナチ党員バッチを付けたエルンスト・ハインケル教授と技師のジークフリート・ギュンター(Siegfried Günter: 1899-1969):ヴァルター・ギュンター(Walter Günter:1899-1937年9月21日)は双子の兄弟でやはりハインケルの技師だった。
Title Ernst Heinkel, Siegfried Günter Info non-talk.svg
II. Weltkrieg 1939-45 Rüstungsindustrie im faschistischen Deutschland, Juli 1941 Der Flugzeugkonstrukteur Prof. Ernst Heinkel (r.) überprüft und verändert die Konstruktionszeichnung eines Mitarbeiters.
Depicted people Heinkel, Ernst Prof. Dr. Ing.: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Günter, Siegfried: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Date July 1941
写真は,Category:Ernst Heinkel, File:Bundesarchiv Bild 183-1982-1022-509, Flugzeugkonstrukteur Prof. Ernst Heinkel.jpg引用。


双子の兄弟ヴァルター・ギュンター(Walter Günter:1899-1937年9月21日)もドイツ航空省の飛行技師だった。1931年にエルンスト・ハインケル航空機工場に入社したギュンター兄弟は、ドイツ北東部バルト海沿岸ロストック、ヴァーネミュンデWarnemünde)のハインケル工場で、He51複葉戦闘機、He70高速輸送機、He111旅客輸送機、He112戦闘機などハインケルの代表的な飛行機を設計した。

ヴァルターは、1937年9月21日に交通事故で死亡。その後、ジークフリート・ギュンター(Siegfried Günter)は、He100戦闘機、He176ロケット機、He178ジェット機、He280ジェット機の設計に加わっているが、いずれも試作実験機のみである。また大量生産が決まった国民戦闘機He162ジェット戦闘機も、戦局悪化、終戦によって少数の量産に終わっている。

  写真(右)1941年8月9日、ハインケルHe111爆撃機の模型を子供に見せているエルンスト・ハインケル教授:機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型の模型。
Beeldnummer 44741 Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Trefwoorden Duitsers, Luftwaffe, Kinderen, Vliegtuigen, Speelgoed
Personen Heinkel, Ernst
Bijschrift Model He 111 Ein grosser und zwei kleine Heinkel. Doch dies und das gibt's zu erkunden, (Für manches ist die Hand zu klein). 'Ach wer das Flugzeug hat erfunden, Der muss doch schrecklich tüchtig sein!'
Datum 09/08/1941
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 44741 引用。


1933年1月末、ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)アドルフ・ヒトラー総統がドイツ首相に任命され、その後の国会議事堂放火事件、大統領緊急令、全権委任法の成立によって、ナチ党独裁政治が始まった。密かにドイツ再軍備が実行に移され、ドイツ向けの軍用機を開発するようになった。

  写真(右)1942年4月24日、ドイツ、自ら開発したハインケルHe115 水上偵察機をバックにした教授エルンスト・ハインケル博士(Professor Dr. Ernst Heinkel);He115の搭載したBMW132空冷星形9気筒エンジンと3翅プロペラが背後に見える。
Collectie NIOD
Trefwoorden Duitsers, Luftwaffe, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen, Portretten
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Personen Heinkel, Ernst
Bijschrift Professor Heinkel zum Pionier der Arbeit ernannt. Auf Grund seiner hervorragenden Leistungen auf den Gebiet des deutschen Flugzeugbaues wurde Professor Ernst Heinkel, der Schöpfer zahlreicher unübertroffener Flugzeugtypen vom Führer zum Pionier der Arbeit ernannt. Professor Dr. h.c. Ernst Heinkel vor einen seiner Kampfflugzeuge, der He 115.
Type Foto
Datum 24/04/1942 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 29482引用。


1935年にドイツ再軍備宣言が出され、その直後にドイツ空軍が設立されてからは、ハインケルは、He 59複葉戦闘機、ハインケルHe-115双発水上偵察攻撃機、ハインケルHe111双発爆撃機などを開発し量産した。そして、これらの期待は、スウェーデン、スペインなどでも採用され、輸出や外国製造ライセンス料の収入をもたらした。

エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、振動力のジェット・エンジンにも注目し、世界初となるターボジェット搭載のジェット実験機ハインケル He178を完成させ、1939年8月27日にジェット初飛行に成功した。これは、エルンスト・ハインケル博士によれば、スピードへの陶酔の発露であるが、高度の軍事技術への関心の大いにあったはずだ。

実際、ハインケルの開発した世界初のジェット機ハインケル He178の初飛行は、第二次世界大戦の始まる5日前だった。しかし、ドイツ空軍は、ジェットエンジン無しでも戦争は勝利できると過信しており、このハインケルHe178には実用性がないと考え注目しなかった。ジェットが実用化されたのは、1943年末だったが、実際にハインケルにジェット戦闘機He162の量産が始まったのは、1945年に入ってからだった。

ハインケルは、ベルリン郊外のドイツ飛行機工場(Luftverkehrsgesellschaft m.b.H. :LVG) に入社したが、この工場が、ファルマン(Farman)機の製造を始めたのは入社時の1912年だった。その後すぐにアルバトロス航空機工場(Albatros Flugzeugwerke)に移り、アルバトロス(Albatros)B.II複葉偵察機の設計にかかわったが、これは1913年の第一次大戦勃発前年のことだった。1914年の第一次世界大戦のときは、アルバトロスを出て、ハンザ・ブランデンブルク(Hansa-Brandenburg)で、水上機などを設計した。


Ernst Heinkel - Ein Pionier der Luftfahrt - Aufnahmen der Typen He 70, 100, 111, 178, 28
2,756 回視聴 •2018/09/26

 第二次大戦中のハインケルは、ヴァーネミュンデWarnemünde)で旧式化したHe111爆撃機を量産し続け、失敗作となったHe177四発重爆撃機を制式させ量産を開始し、さらに国民戦闘機He162ジェット戦闘機の第量産の準備を進めるなど、ドイツ政府、空軍との関係は終始良好だったのである。他方、空軍幹部の無理解で採用されなかったHe280ジェット戦闘機、ミルヒの横やりで200機の生産に留まったHe219夜間戦闘、など不遇な傑作機といえる機体もあり、ハインケルの評価は難しいことも確かである。

⇒写真集(Album)エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel) を見る。


2.新生ドイツ空軍初の制式ハインケルHe-51複葉戦闘機

写真(右)1933年5月以降、ドイツ、開放式コックピットのハインケル(Heinkel)He-51戦闘機試作2号機(登録コード:D-IRAA?);1933年5月にHe70と同一のBMW VI V型12気筒液冷ガソリンエンジン(750馬力)1基装備して初飛行した。既に1月末にヒトラー政権が成立していたので、国籍マークは、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のナチ党のカギ十字スワスチカを付けている。He-70輸送機とは異なる堅実な設計で、斬新なデザインを取り入れていない。ハインケルが「スピード狂」の革新的設計者というのは、自伝で述べた表現だが、たかだかHe70高速輸送機以降に浸透しはじめた方針であり、当初から天才的才能があったというのは自画自賛であろう。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_007349 - Title:Heinkel He 51 Second prototype, not accepted Nowarra Collection - Filename:16_007349.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168642引用。


ハインケル(Heinkel)He-51 ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、1935年3月1日、ドイツの再軍備宣言をし、その後、ドイツ空軍も再建した。この新生ドイツ空軍の最初の制式戦闘機が、1933年5月初飛行のハインケルHe51戦闘機である。 ハインケルHe51は、複葉機で胴体も羽布張り、固定脚であったから、後のHe70輸送機、He112戦闘機のような全金属製単葉低翼の高速機とは全く異なる旧式機だった。

1933年5月に初飛行した。既に1月末にヒトラー政権が成立してから、ドイツの国籍マークは、垂直尾翼に黒のナチ党卍カギ十字スワスチカを赤帯白丸に付けている。He-70輸送機やHe112戦闘機とは異なって、ハインケル(Heinkel)He-51は古風な羽布張り胴体に複葉、固定脚の第一次大戦以来の古風な設計である。目新しさはない。

ハインケルHe51戦闘機は、He70と同様のBMW VI 液冷V型12気筒エンジン(750馬力)1基を搭載しているが、設計方針はHe70輸送機とは全く異なる。エルンスト・ハインケルが「スピード狂」の革新的設計者というのは、自伝で述べた表現だが、He70高速輸送機には当てはまっても、He51戦闘機は堅実というより時代遅れの設計である。複葉、固定脚、羽布張の構造は、単葉、引込み脚、全金属製の飛行機が搭乗していた時期には、旧式すぎする。ハインケルが当初から天才的才能があったというのは自画自賛で、アメリカのロッキードなど斬新な設計に着想を得てから、発展した思考であろう。

写真(右)1936年5月以降、スペイン(?)、スペイン内戦でドイツが派遣したコンドル軍団のハインケル(Heinkel)He-51C戦闘機;ファシスト反乱軍の国籍マークは、胴体に黒丸、垂直尾翼に白地に黒のX印である。1936年7月〜1939年3月にスペイン人民戦線政府と反乱軍の内戦が続いた。ヒトラーとムッソリーニは、ファシスト反乱軍のフランシスコ・フランコを援助するために義従軍を派遣した。ソ連は人民戦線内閣に義勇軍を派遣した。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_007352 - Title:Heinkel He 51c in Spain - Filename:16_007352.TIF- Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168680引用。


ハインケルが、斬新な高性能機を開発しまくったというのは、He70高速輸送機の斬新なデザインが一般的となったかのような過大評価に基づくプロパガンダ、俗説である。当時、すでにソ連のI-153複葉戦闘機は引込み式降着装置を装備、I-16戦闘機は単葉・引込み脚で、ドイツのハインケルHe51戦闘機より100km/h近く速い高速戦闘機だった。

⇒写真集(Album)ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機を見る。


2.Bf109に敗れたハインケル(Heinkel)He 112戦闘機

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 112V-1 戦闘機の試作1号機(登録コード:D-IADO);He 112V-1 戦闘機のコックピットは、開放式で、He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1935年9月に初飛行した。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_005280 - Title:Heinkel He 112V-1 Nowarra photo - Filename:16_005280.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43935836引用。


1933年1月末に首相に任命されたヒトラーは、ベルサイユ条約を反古にして航空省を空軍省に軍事化すべく、旧式化するのが明白だったハインケルHe51複葉戦闘機を、金属製で単発単葉、引込み式降着装置の高速戦闘機に更新しようと、新戦闘機の開発をドイツの航空機工場に要請した。この試作要請に応えて完成した有力候補が、1935年に完成した低翼のハインケルHe112とメッサーシュミットBf109だった。He112は、He70単発高速輸送機から引き継いだ逆ガル楕円翼を採用していた。Bf109よりも主脚の感覚を広くとり、地上安定性が良かった。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 112V-2戦闘機の試作2号機(登録コード:D-IHGE);He 112V-2戦闘機のコックピットは、開放式で、He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1935年9月に初飛行した。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:43935728 - Catalog:16_005270 - Title:Heinkel He 112V-2 Nowarra photo - Filename: 16_005270 .TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43935728 引用。


新戦闘機の試作審査には、アラドAr80、フォッケウルフFw159も開発され、審査に参加したが、パラソル翼で低速だったために、最終候補はハインケルHe112とメッサーシュミットBf109の2機種になった。He-70が搭載したBMW液冷エンジン500馬力よりも高出力の同じユモJumo210液冷エンジン650馬力を装備したハインケル(Heinkel)He-112戦闘機とメッサーシュミットBf109だったが、1935年10月に行われた比較審査では、ハインケルHe112の最高速力は440 km/h、メッサーシュミットBf109の最高速力は467 km/hで、ハインケルHe112は30 km/h以上低速だったうえに、上昇能力も低かったため。また、He112の楕円翼は、量産性に問題があったため。結局、ハインケルHe112は、ドイツ空軍の戦闘機としては制式されずに終わった。

1933年のドイツ航空省による新型戦闘機の競争試作には、1935年9月初飛行のハインケルHe112と1935年5月28日初飛行のメッサーシュミットBf109とが最終候補に残った。この2機の比較審査で、最高速力、上昇性能、量産性の観点で劣るとされ、He112のドイツ空軍での制式は見送られた。

ハインケル He 112 A-0 V4戦闘機の諸元
乗員Crew: 1名
全長Length: 9 m (29 ft 6 in)、全幅Wingspan: 11.5 m (37 ft 9 in)、全高Height: 3.7 m (12 ft 2 in)
主翼面積Wing area: 23.2 m2 (250 sq ft)
空虚重量Empty weight: 1,680 kg (3,704 lb)
最大離昇重量Max takeoff weight: 2,230 kg (4,916 lb)
発動機Powerplant: 1 × Junkers Jumo 210Da V-12液冷」ガソリンエンジン 514 kW (689 hp)
プロペラPropellers: 3翅(bladed)可変ピッチ(variable-pitch)

性能Performance
最高速力Maximum speed: 488 km/h (303 mph, 263 kn) /3,500 m (11,483 ft)
航続距離Range: 1,100 km (680 mi, 590 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 8,000 m (26,000 ft)
翼面過重Wing loading: 102.5 kg/m2 (21.0 lb/sq ft)

兵装Armament
2 × 7.92 mm (.312 in) MG 17機関銃(機首)
2 × 20mm エリコン(Oerlikon)MG FF機関砲(主翼)

ハインケル(Heinkel)He-112戦闘機は、He-70のBMW液冷ガソリンエンジン500馬力よりも高出力のJumo210液冷エンジン650馬力を装備した。しかし、1935年10月の比較審査では、最高速力は440 km/hで、同じエンジンを搭載したメッサーシュミットBf109試作機の最高職力467 km/hより30 km/h以上も低速で、上昇力も劣っていた上に、量産性に問題があったためにドイツ空軍の戦闘機としては制式されずに終わった。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、密閉式のコックピットに改良されたハインケル(Heinkel)He 112V-6戦闘機試作6号機;1933年1月に成立したヒトラー政権下の国籍マークは、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のナチ党のカギ十字スワスチカを付けた。He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用した。
Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_005279 - Title:Heinkel He 112V-6 Nowarra photo - Filename: 16_005279 .TIF - -- Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43935851引用。


1933年1月末に首相に任命されたヒトラーは、ベルサイユ条約を反古にして航空省を空軍省に軍事化すべく動き出した。そこで、ドイツ航空省は、旧式化するのが明白だったハインケルHe51複葉戦闘機を、金属製で単発単葉、引込み式降着装置の高速戦闘機に更新しようと、新戦闘機の開発をドイツの航空機工場に要請した。この試作要請に応えて完成した有力候補が、1935年に完成した低翼のハインケルHe112とメッサーシュミットBf109だった。He112は、He70単発高速輸送機から引き継いだ逆ガル楕円翼を採用していた。Bf109よりも主脚の感覚を広くとり、地上安定性が良かった。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、半開放式コックピットのハインケル(Heinkel)He 112V-7戦闘機試作7号機(登録コード:D-IKIK);試作機は無塗装だが、このほうが空気抵抗か少なくなる。しかし、海風や砂埃などで機体表面が損傷しやすくなる。また、地上に待機しているときに、銀色なので光を反射し地表に混じることができないので、上空から発見されい。したがって、軍用機は、戦地の制空を掌握していない場合、迷彩塗装を施すのがふつうである。
Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_005273 - Title:Heinkel He 112V-7 Nowarra photo - Filename: 16_005273 .TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43935764引用。


1938年9月29日から30日にかけて、ドイツ南部、ミュンヘンにおいて、イギリス首相チェンバレン、フランス首相ダラディエ、イタリア統領ムッソリーニ、ドイツ首相アドルフ・ヒトラー総統が会談し、チェコスロバキアの北部で、多数のドイツ系住民が居住していたズデーテン地方のドイツ割譲を決定した。イギリスとフランスは、ドイツがこれ以上の領土割譲要求をしないとの条件で、1938年9月29日にミュンヘン協定に署名し、平和が守られたと宣言した。このミュンヘン会談は、第二次世界大戦前のイギリス・フランスの対ドイツ宥和の頂点にして、最後の機会だった。この時、ゲーリングは、ドイツ空軍がチェコ空襲をいつでも始める覚悟があると威嚇のポーズをとっていたのである。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、無塗装のハインケル(Heinkel)He 112V-12戦闘機の試作12号機(登録コード:D-IRXS);He-112V-12戦闘機のコックピットは、密閉式に改良されている。He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1935年9月に初飛行した。
Ray Wagner Collection Image
Catalog:16_005284 - Title:Heinkel He 112V-12 Nowarra photo - Filename: 16_005284 .TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43935901 -引用。


ハインケルHe70を引き継いだ楕円型の曲面主翼「楕円翼」を採用したハインケルHe112戦闘機は、試作1号機が1935年9月に初飛行した。競争試作相手のメッサーシュミットBf109戦闘機よりも一回り大きく、将来のエンジン換装、武装強化、航続距離延長には有利だった。

 ハインケルHe112の楕円主翼は、曲線構造で、製造の手間がかかったが、飛行性能を向上させるとしてあえて採用されたが、これが量産性を低下させると判断された。こうして、量産性が低いこと、さらにドイツ空軍の幕僚たちとの政治的コネクションの観点から、ハインケルHe112はドイツ空軍では不採用となり、Bf109が制式された。

しかし、高性能のハインケルHe112戦闘機には、世界各国の軍隊が注目した。そして、日本、ハンガリー、ルーマニア、スペインは、最新技術を誇ったHe112戦闘機を購入・輸入した。そのため、He112戦闘機は、ドイツ空軍の制式ではないが、1939年までに100機が量産された。

⇒写真集(Album)ハインケル(Heinkel)He112戦闘機を見る。


3.Bf109に敗れたハインケル(Heinkel)He 100(He-113)戦闘機

写真(右)1938年、ドイツ北部バルト海沿岸、ロストック(Rostock)郊外、ハインケル社マリーエンエーエ(Marienehe)社用飛行場、1938年1月22日に初飛行した無塗装のハインケル(Heinkel)He 100V1戦闘機試作1号;主翼に表面冷却器を装備し、空気抵抗減少を企図したが、取り扱いが困難で、液冷エンジンの冷却能力も不十分だったために、後に機首下面に冷却器空気取り入れ口を開口させた。生産は19機で実戦参加はしていない。
Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_005285 - Title:Heinkel He 100V-1 before its first flight on January 22, 1938 Nowarra photo - Filename:16_005285.TIF - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation-
写真は, SDASM Archives PictionID:43935914引用。


ハインケル(Heinkel)He-100戦闘機は、ハインケルHe-70輸送機のような楕円翼はやめて、直線テーパー翼としたが、整備が不慣れな主翼表面冷却器を採用して1938年1月22日に初飛行した。前作He-112よりも小型の機体として、速力を向上させた。また、水冷エンジンのラジエーター(冷却機)を主翼前面に内蔵する「表面冷却器」という新機軸を取り入れていた。

写真(右)1938年、ドイツ北部バルト海沿岸、ロストック(Rostock)郊外、ハインケル社マリーエンエーエ(Marienehe)社用飛行場、無塗装のハインケル(Heinkel)He 100V1戦闘機試作1号機;前作He112試作は、He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用したが、He100では採用していない。しかし、空気抵抗は少ない主翼表面冷却器を採用して、1938年1月22日に初飛行した。
Русский: He 100 V1 на аэродроме Росток-Мариенех
Date 1938 Source Heinkel He 100 // Война в воздухе ?140 - 2005 год Transferred from ru.wikipedia to Commons by ceminarist.  D .
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 File:He 100 V1 на аэродроме Росток-Мариенех.JPG引用。


主翼に表面冷却器を装備し、空気抵抗減少を企図したハインケル(Heinkel)He 100V1戦闘機は、それまでになかった方式だったので、取り扱いが困難で、液冷エンジンの冷却能力も不十分だったようだ。実戦部隊に配備するには課題が残されており、結局、機首下面に冷却器空気取り入れ口を開口さる従来の冷却方式に戻されてしまった。ハインケル(Heinkel)He 100 D戦闘機の生産数は19機で実戦参加はしていない。

写真(右)1938年、ドイツ北部バルト海沿岸、ロストック(Rostock)郊外、ハインケル社マリーエンエーエ(Marienehe)社用飛行場、舗装滑走路上の無塗装のハインケル(Heinkel)He 100V-2戦闘機試作2号(登録コード:D-UOS);後方には、BMW132空冷星形エンジンを搭載したハインケルHe114水上偵察機がドリー(滑車台)の上に載せられ、コンクリート滑走路に待機している。ここから、バルト海岸近くロストック郊外のハインケル航空機工場マリーエンエーエ(Marienehe)社用飛行場で撮影されたと推測できる。
Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_005281 - Title:Heinkel He 100V-2 Nowarra photo - Filename:16_005281.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation-
写真は, SDASM Archives PictionID:43935864 引用。


写真(右)1938-1939年頃、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He-100V-3戦闘機試作3号機(登録コード:D-ISVR);ハインケル(Heinkel)He 100は、He 100 V試作機が6機、He 100 D増加試作機が19機の合計25機が生産されてただけで、制式されることなく、実戦にも投入されることなく退役している。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935876 - Catalog:16_005282 - Title:Heinkel He 100V-3 before fixed to attempt to beat world speed record Nowarra photo - Filename:16_005282.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation-
写真は, SDASM Archives PictionID:43935876引用。


ハインケル(Heinkel)He-100V-3戦闘機試作3号機(登録コード:D-ISVR)はDB601液冷エンジン(1,175hpエンジン)を搭載、1938年6月5日、第一次大戦のエースでドイツ航空省技術局長のエルンスト・ウーデット大佐が搭乗して、最高速力634.32km/hを記録した。ドイツ航空省は、この大成功を大々的に宣伝し、このHe 100を前作He112の発展型He 112Uと呼称で世界中に広めた。

写真(右)1938-1939年頃、ドイツ、飛行場に待機するハインケル(Heinkel)He-100V戦闘機試作機;ハインケル(Heinkel)He 100は、He 100 V試作機が6機、He 100 D増加試作機が19機の合計25機が生産されてただけで、制式されることなく、実戦にも投入されることなく退役している。
Perma_000552 Permann Collection Image Heinkel He 112 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum-
写真は, SDASM Archives PictionID:43935876引用。


ハインケル(Heinkel)He-100V-1戦闘機試作1号機は、1938年1月22日に初飛行した。前作He-112よりも小型の機体として、速力を向上させた。また、水冷エンジンのラジエーター(冷却機)を主翼前面に内蔵する「表面冷却器」という新機軸を取り入れていた。4か月半後の1938年6月5日、第一次世界大戦のエースだった航空省技術局長エルンスト・ウーデット大佐が操縦するHe100V-3試作3号機は、100km周回航路で世界最速録634.32km/hを記録する快挙を達成した。


写真(上)1938年2月以降、ドイツ、密閉式のコックピットのハインケル(Heinkel)He-100 V-8戦闘機試作8号機(登録コード:D-IDGH)
;レーサー機のような局面ガラス1枚の空気抵抗が少ない風防であるが、視界が歪んでしまい、スピード記録用にはいいが、空中戦には不向きである。
Stephen Greensted Heinkel, He 100 Title: Heinkel, He 100 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 100 Tags: Heinkel, He 100 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081276引用。


写真(右)1939年、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 100 戦闘機とエルンスト・ハインケル教授;試作1号機は、He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1938年1月22日に初飛行した。また、それまでの初期試作機は、、失速に陥りやすく、表面冷却装置も十分なエンジン冷却ができなかったため、
Русский: Истребитель He 100 в НИИ ВВС, 1940.
Date 26 March 2011 (original upload date).
Source http://base13.glasnet.ru/text/nem_sled/2-09.htm.
Transferred from ru.wikipedia; transfer was stated to be made by User:cemenarist.
Author Unknown author Original uploader was Cemenarist at ru.wikipedia .
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 File:800px-Истребитель He 100 в НИИ ВВС 1940.jpg引用。


ハインケル(Heinkel)He 113 1938年6月5日のハインケル(Heinkel)He 100 V-3戦闘機試作3号機(登録コード:D-ISVR)によるは最高速力634.32km/hを記録してから半年以上たった1939年3月10日、ハインケル(Heinkel)He-100V-8戦闘機試作8号機は、DB601液冷エンジンに水メタノール噴射装置を追加し、短時間緊急出力増強を可能にしたうえ、さらに空気抵抗削減のために全幅を短く切り詰めた特別仕様として、最高速力746.606km/hの公認記録を達成した。ドイツ空軍省は、この世界最速記録もハインケルHe 112U による成果として世界に喧伝した。 この時、ハインケルは大成功したHe100がドイツ空軍制式戦闘機になることを疑わなかったであろう。

写真(右)1939年,ハインケルHe100戦闘機試作機を背景にしたドイツ航空省技術局長エルンスト・ウーデット(Ernst Udet:1896-1941年11月17日自殺)大将(中央)、エルンスト・ハインケル教授(右3人目)と設計チーム;試作1号機は、He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1938年1月22日に初飛行した。また、それまでの初期試作機は、失速に陥りやすく、表面冷却装置も十分なエンジン冷却ができなかったたが、短時間の高速記録のためであれば有効に機能した(右の眼鏡)。エルンスト・ウーデット大将は 1938年に自らHe 100 戦闘機試作2号機V2に搭乗し、時速 634 km で 100 km を超える指定コース巡回速度世界記録を樹立した。
Description Русский: Удет и Хейнкель на фоне He 100 Date photo is taken in 1939 Source Heinkel He 100 // Война в воздухе ?140 - 2005 год. Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Ernst Udet ・FileFile:Удет и Хейнкель на фоне He 100.jpg 引用。


ハインケル(Heinkel)He 100 戦闘機の高性能は、プロパガンダで広められたために、ドイツの友好国だった日本・ソ連は、ともに、第二次世界大戦勃発から3カ月もたっていない1939年10月30日にドイツ北部北海沿岸のロストック、ハインケル航空機工場を視察し、ハインケル(Heinkel)He 100 戦闘機の表面冷却器などから技術的インパクトを受けた。

そこで、ソ連は、技術導入を図ろうと、6機の ハインケル(Heinkel)He 100 戦闘機(V1, V2, V4, V5, V6 , V7)6機を購入する。日本も世界大戦に備えて、He 100 D-0 戦闘機3機を購入することを決めた。2-3機のHe100 D-0は、1940年5月に日本に到着し、茨城県の霞ケ浦航空隊で組み立てられ、審査を受けた。

写真(右)1940年春、ドイツ、部隊配備されているかのようなハインケル(Heinkel)He 100 D戦闘機;機首の部隊エンブレムは、鋭い剣で黒のシルクハットを貫いているが、剣はドイツ軍を、シルクハットはイギリスを意味していることが分かる。機首の下面に、箱型冷却装置が装着されていないので、写真の機体は、1938年1月22日に初飛行したHe100の初期型である。
Русский: Не 100 из несуществующей эскадрильи, весна 1940 года
Date photo is taken at spring in 1940
Source Heinkel He 100 // Война в воздухе ?140 - 2005 год. Author Unknown author .
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 File:Не 100 из несуществующей эскадрильи, весна 1940 года.JPG引用。


ハインケル(Heinkel)He 112がメッサーシュミットBf109との競争試作に敗れたため、ハインケルは、捲土重来を期して、ドイツ航空省からの要請のない状態で、独自の高速戦闘機を開発した。これが、主翼外板を表面冷却器とする新技術を採用したハインケル(Heinkel)He-100戦闘機である。

写真(右)1940年春、ドイツ、部隊配備されているかのようなハインケル(Heinkel)He 100 D戦闘機;機首の部隊エンブレムは、鋭い電光で、車輪止めを外す用意をして待機している整備士も、いかにも実戦戦闘機部隊のように見える。主翼前方下面に、箱型冷却装置が装着されている。
Русский: Не 100 из несуществующей эскадрильи Blitzgeschwader
Date photo is taken at spring in 1940 Source Heinkel He 100 // Война в воздухе ?140 - 2005 год. Author Unknown author .
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 File:Не 100 из несуществующей эскадрильи Blitzgeschwader.JPG引用。


ハインケル(Heinkel)He 112がメッサーシュミットBf109との競争試作に敗れたため、ハインケルは、捲土重来を期して、ドイツ航空省からの要請のない状態で、独自の高速戦闘機を開発した。これが、主翼外板を表面冷却器とする新技術を採用したハインケル(Heinkel)He-100戦闘機である。

しかし、主翼に表面冷却器は、整備困難で信頼性が低く、空気抵抗減少には有効であっても、実用戦闘機としては不適切だった。そこで、整備員も取り扱いに慣れていて、液冷エンジンの冷却能力も十分に立証されていた従来型の冷却器が、主翼中央前方に取り付けられた。ラジエーターは、空気取り入れ口を開口させ、取り込んだ飛行冷気で加熱した液体を冷却する。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、大気中にエンジン上部に装着した機関銃を点検しているハインケル(Heinkel)He 100 D(He113)戦闘機(演出);He100 Dの生産は19機で制式されなかったために、戦闘機部隊に配備されてはいない。
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Heinkel, He 100 Title: Heinkel, He 100 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 100 Tags: Heinkel, He 100.
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081278引用。


ドイツ航空省技術局長エルンスト・ウーデット大佐は、この機体の革新性を評価し1938年6月5日、He-100V3試作3号機を自ら操縦し、100km周回区間の世界速度記録634.32km/hをマークした。ドイツは、この新型機を実用化しているかのようなプロパガンダを展開し、He100をHe112Uの名称で喧伝した。1939年3月10日には、ハインケル(Heinkel)He-100の高出力エンジン搭載型が、746.6km/hの最高速力を記録している。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、部隊配備されて緊急発進する演出のハインケル(Heinkel)He 100 D(He113)戦闘機;整備員が、パイロットが装着する落下傘(パラシュート)を準備し、受け渡しするのを待っているいる。
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Heinkel, He 100 Title: Heinkel, He 100 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 100 Tags: Heinkel, He 100.
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081275-引用。


しかし、ハインケル(Heinkel)He 100戦闘機初期試作機は信頼性が低かったために、ハインケルは実用戦闘機として、表面冷却器を通常の空気を取り入れる埋込み式冷却器に変更したHe-100Dを増加試作として12機生産した。しかし、実用性を高めたために、最高速力は低下し、Bf-109とあまり変わり映えのしない性能となってしまった。ハインケル(Heinkel)He 100は、He 100 Dが19機、V試作機が6機の合計25機が生産されてただけで、制式されることなく終わった。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、未舗装滑走路、部隊配備されたハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機の戦列(演出);20機の増加試作機が生産されたために、正規の塗装を施して、部隊配備された実用戦闘機としてプロパガンダに使われた。
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Heinkel, He 100 Title: Heinkel, He 100 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 100 Tags: Heinkel, He 100 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081275-引用。


ハインケル(Heinkel)He 100 D戦闘機は、空気抵抗を大幅に減少させるために、搭載したDB601液冷エンジンの冷却器を主翼表面に装備した。これは、不凍液を混ぜた水を使って過熱したエンジンを冷やすものだが、これを効果的に行うために、加圧蒸発冷却装置を搭載して、主翼の表面で飛行中に冷却しようという「表面冷却器」だった。空気抵抗は大幅に削減されたために、He100V2試作2号機は、1938年6月6日、100km周回航路で、最速記録を更新し、ドイツ戦闘機の技術力の高さを立証した。当時、ハインケルは、不採用になったHe112戦闘機を日本とスペインに輸出しており、その実績を高めるためにも、こHe100戦闘機は、He112の発展型のHe112Uのと命名された。そして、He100V8は、1939年3月30日、747?/hの世界最高速を発揮した。

図(右)1940年3月発行、イギリス空軍省の発行したドイツ識別表、ハインケル(Heinkel)He 113(He-100)戦闘機(DB601エンジン搭載);単発・戦闘機、全幅30フィート11インチ、全長26フィート7インチ。最高速力と巡航速力はマイル表示だが、ブランクになったままである。He-100の冷却器は主翼下面前方にあるが、この図解では主翼下面中央に描かれている。国籍マークの位置も胴体によりすぎている。しかし、機体の形状は程正確に描かれている。
Description Views of Heinkel 113
Date March 1940 Source Air Publication 1764, pub. 1940-03 Author UK Government Air Ministry .
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 File:AP1764.pdf引用。


空中戦では遠方から敵を発見し、機首を識別することが重要である。敵機か、味方機か。戦闘機か、偵察機か。接近しているのか、遠ざかっているのか。このような事態に備えて、様々な方向から機体を見て、機首を識別する手助けとしたのが、識別表である。日陸海軍は航空機用のこのような冊子を用意していたようだが、ごく一部でしか使用されていないようだ。

ハインケル(Heinkel)He 100 D(He113)戦闘機は、ドイツが国家的規模で大々的に実施したプロパガンダ写真に多数登場し、新型戦闘機He-113として実戦配備されていると喧伝されていたために、連合軍もこの機種が実用化されたものと錯覚して、He113を目撃した、会敵したとの報告が上がっていたほどだった。しかし、実際のハインケル(Heinkel)He 100戦闘機は、He 100 V試作機6機、He 100 D増加試作機19機、合計25機が生産されてただけで、制式されていない。また、He100戦闘機は、1度も実戦にも投入されることなく退役している。

図(右)1940年3月発行、イギリス空軍省の発行したドイツ識別表、ハインケル(Heinkel)He 113(He-100)戦闘機(DB601エンジン搭載);単発・戦闘機、全幅30フィート11インチ、全長26フィート7インチ、全高8フィート2インチ。He-100の冷却器は、実際には主翼下面前方にあるが、この図解では主翼下面中央に描かれている。ただし、正面図には冷却器が突出しておらず、主翼前縁の表面冷却装置が採用されたことを考慮しているのかもしれない。アンテナ市中の位置は、公開された演出写真と同じである。
Description Heinkel 113 silhouette for use by aircraft spotters Date March 1940 Source Air Publication AP1480 section B (German Aircraft), pub. 1940-03 Author UK Government Air Ministry .
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 File:AP1480B.pdf引用。


ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 113(He-100)戦闘機は、制式ではなく、部隊配備も実戦参加もしていない。しかし、多数の演出用写真のプロパガンダが行われ、写真も公開されたために、それが功を奏して、イギリス空軍航空兵は、ハインケルHe113も目撃した、攻撃したとの報告がもたらされた。形状も大きさもドイツ空軍主力戦闘機Bf109に類似していたから、遠方や突発的な遭遇に際して、見間違えるのも無理はない。三面図にして比較すれば、差異は明瞭だが、実戦では余裕をもって観察できないからである。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、前線近くの掩体壕で待機するハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機(演出);20機の増加試作機が生産されたために、正規の塗装を施して、部隊配備された実用戦闘機としてプロパガンダに使われた。
Ray Wagner Collection Image
Permann_20 063 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--It was actually a very successful PR-coup The British reported/claimed countless Heinkel fighters in combat, but called them He 113 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081279引用。


日本海軍はハインケル(Heinkel)He 112に継いで、1941年、ハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機2機、He 119高速偵察機2機を輸入した。そして、ハインケルのクルト・シュミット技師の助けを得て、試験飛行を行った。審査の結果、最高速力が600キロ以上で高く評価された反面、旋回性に劣り、失速しやすいなど、機体安定性に問題があるとされた。

wikipedia日本語版(英語版も同様)ではハインケル(Heinkel)He 100 D-0(He113)戦闘機を輸入した日本海軍には、「ハインケル100型戦闘機(略符号AXHe1)の名称で、日立航空機千葉工場による国産化を前提に評価試験がなされた」として、あたかも国内生産の計画があったように記述しているが、発動機ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 601は1939年6月にライセンス契約(100万ライヒマルク)で、日本陸海軍が別々に二重契約・二重払いで締結したが、生産開始は1941年以降の予定で、それまでは輸入に頼るしかない。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、電光マークを描いた実戦部隊の印象を放って飛翔するハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機12号機;19機の増加試作機が生産され、正規の迷彩塗装を施して、部隊配備された実用戦闘機、であるかのようなプロパガンダに使われた。
Ray Wagner Collection Image
Myhra_00330 David Myhra Collection Image German-Heinkel-He-113 Single Seat Fighter Airplane In Flight-- Please do not use this photo without permission. --Repository: San Diego Air and Space Museum .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081279引用。


ハインケルHe 100 D-0用の工作機械は準備できず、部品や工具の作業位置を指定する治具(ジグ:jig)もない状況では、He100の国産化は不可能であり、単なる机上の空論に過ぎない。爆撃機迎撃用の局地戦闘機を前提にすれば、航続距離の不足は問題にならないので、「操縦が困難で航続力に劣ること」「緒戦の快進撃の最中で防空思想が薄れていたこと」が不採用の理由ということは、十四試局戦「雷電」の開発から見ても誤解である。He 100 D-0採用したくとも、国内生産が不可能なのでは制式できず、量産は諦めざるをえない。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、海岸上空を飛翔するハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機;19機の増加試作機が生産され、正規の迷彩塗装を施して、部隊配備された実用戦闘機、であるかのようなプロパガンダに使われた。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel, He 100 Title: Heinkel, He 100 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 100 Tags: Heinkel, He 100 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081279引用。


十二試艦戦ゼロ戦の量産準備中に、実機も到着していないHe100を生産するなど、部品を輸入してのノックダウン方式でも非常に困難である。ハインケル(Heinkel)He 100の採用した新技術を日本が再現できるだけの基礎工業力、品質管理能力はなかった。つまり、元来、ライセンス生産とは、同類のものを模倣して、さらなる発展の土台とする技術導入の意味であり、ドイツの先端技術を駆使した航空機をそのまま量産化できるほど日本の航空業界は柔軟性も資本力もなかったのである。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、電光マークを描いた実戦部隊の印象を放って雲の上を飛行するハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機12号機;19機の増加試作機が生産され、正規の迷彩塗装を施して、部隊配備された実用戦闘機、であるかのようなプロパガンダに使われた。
Perma_000558 Permann Collection Image Heinkel He 112 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum .
写真は,Flickr, SDASM Archives


日本海軍が、ハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機2機を購入した目的は、この戦闘機の国産化・国内生産のためではなく、技術導入用のサンプル戦闘機としてであろう。ハインケル側に量産も検討するといったのは、技術パートナー(先生)に対する交渉術である。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、部隊配備されているかのような2機編隊のハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機;スペイン内戦での実戦経験を活かして、ドイツ空軍の戦闘機部隊は、それまでの3機編隊を2機編隊、これを2組で4機編隊を基本とするようになった。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel, He 100 Title: Heinkel, He 100 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 100 Tags: Heinkel, He 100 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081280-引用。


写真(右)1935年9月以降、ドイツ、飛行中のハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機(演出);夜間戦闘用の部隊マーク「煙草を吸う三日月」を付けて夜間出撃の準備をするプロパガンダに使われた。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel, He 100 Title: Heinkel, He 100 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 100 Tags: Heinkel, He 100
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081273引用。


ハインケル(Heinkel)He 100 D(He113)戦闘機の諸元 乗員: 1名 全長: 8.20 m、全幅: 9.40 m、全高:3.60 m
翼面積: 14.5平方メートル
全備重量: 2,500 kg
発動機: ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 601M液冷12気筒エンジン1175馬力 (865 kW) 1基
最高速力: 670 km/h
実用上限高度: 11.000 m
航続距離:1000 km 搭載予定の兵装 20ミリMG FF 機関銃 1丁 (モーターカノン:実際にはモーターカノンは1941年まで実用化できていない)、 7.92ミリMG 17機関銃 2丁 (機首上面)

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、飛行中のハインケル(Heinkel)He 100 D(He113)戦闘機の戦列(演出);電光の戦闘部隊マークを付け、機体別の番号を記入して、いかにも実戦配備されているようなプロパガンダが行われた。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Heinkel He 100 Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002345.TIF - ---Image from the Charles Daniels Photo Collection.---Album: German Aircraft.--Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.------PLEASE TAG these images with any information you know about them so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:38237038 引用。


出現当初、高性能を示したハインケル(Heinkel)He 100戦闘機だったが、表面冷却器は実用化できず、飛行性能が低下し、機関銃の搭載にも制約が多かったため、He 100 V試作機は6機が、He 100 D増加試作機は19機が生産されものの、実用性が低く制式されなかった。He100戦闘機は、総生産機数は僅か25機だけでおわっいるが、当時のDB601液冷エンジンのモーターカノンは実用化できておらず、スピナー先端に銃口はあるが、機関銃の搭載はしていないと考えられる。したがって、機首上面のモーゼル7.92mmMG17機関銃2丁では、火力不足で制式にはできない。つまり、He100は1度も実戦で活躍したことはないが、高性能を喧伝したために、日本に3機、ソ連に6機を輸出することに成功している。

写真(右)1940年頃、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 113(He-100)D戦闘機9機の戦列;Bf109戦闘機と同じDB601エンジンを搭載し、高性能機であることを示したHe100は、He113としてドイツ空軍が制式した戦闘機であるかのようにプロパガンダが行われた。実際には、He100 D戦闘機は19機しか製造されていないが、この写真のように、前線部隊と同じような塗装を施し、10機近くを並べると、いかにも実戦部隊に配備されているように思えてくる。
English: Heinkel He 100D Luftwaffe propaganda photo Original image found on: airwar.hihome.com/ gwp/he100/he100.htm.
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 File:He 100D colour.jpg引用。


ハインケル(Heinkel)He 100D戦闘機は、DB601液冷エンジンを主翼を利用した加圧蒸発冷却装置によって冷却し、空気抵抗減少によって拘束を発揮したが、この主翼表面冷却器は実用性が低く、戦闘機としては被弾にも脆弱であり、結局、主翼前方下面に空気取り入れ口を開口した従来型の冷却器(ラジエーター)を装備した。これが、He100 Dである。

写真(右)1940年頃、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 113(He-100)D戦闘機の上空援護を受けるハインケルHe111爆撃機H型;Bf109戦闘機と同じダイムラーベンツDB 601 A液冷エンジンを搭載したHe111 P型爆撃機は、少数の生産で終わり、H型ではユモJumo211液冷エンジン搭載に変更された。DB601エンジンは、高性能の戦闘機専用にされたためである。Bf109と同じDB601エンジン搭載のHe100は、He113としてドイツ空軍が制式した戦闘機であるかのようにプロパガンダが行われた。実際には、He100 D戦闘機は19機しか製造されていないが、この写真のように、爆撃機部隊と連携しての攻撃に使用されたかのように喧伝された。
Description Nederlands: Heinkel He113 and He111. Date circa 1940 Source Self-scanned Author Ad Meskens
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 File:Heinkel He113 and He111.png 引用。


ハインケル(Heinkel)He 100 夜間戦闘機として使用しているかのようなHe113戦闘機のプロパガンダ写真には、主翼下面前方の冷却器開口部が明瞭に映っている。表面冷却器の構想が放棄され、He113戦闘機の最高速力は大きく低下してしまった。それでも空力学的に洗練された設計だったために、同じDB601液冷エンジンを搭載したBf109戦闘機よりも、若干飛行性能は上回っていたようだが、実際に機関銃を取り付けていれば、性能はさらに低下したであろう。

wikipediaではハインケルHe100戦闘機は、機首のプロペラ軸に20ミリモーターカノンを装備したように記述されているが、これは誤りである。このモーターカノンが実用化されるのは、1941年に登場したBf109F戦闘機からで、1940年代には、実戦部隊の戦闘機でモーターカノンは実用化されていない。ハインケルHe100の主翼に翼内機関銃は装備されていないので、He100が搭載できるのは、機首上面の7.92ミリMG17機関銃2丁ということになる。これでは、1940年代の戦闘機としては、火力不足で戦力とならない。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、夜間出撃の待機中のハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機(演出);夜間戦闘用の部隊マーク「煙草を吸う三日月」を付けて夜間出撃の準備をするプロパガンダに使われた。このHe113戦闘機の主翼下面前方には、冷却器の開口部が明瞭に映っているので、表面冷却器は既に取りやめになっている。
Ray Wagner Collection Image
Permann_20 064 AI Gadgets Album Heinkel 100 D Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)-- .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081279引用。


飛行機による夜間戦闘は、視界が悪いために大きな制約を受ける。そこで、暗視装置やレーダーが飛行機に搭載され、地上の大型レーダーとの無線通信システムを組み合わせて、夜間迎撃態勢を整えるようになった。ドイツ空軍ヨーゼフ・カムフーバー夜間戦闘機兵監は、「ヒンメルベッド」(Himmelbett :天蓋ベッド)と名付けた双発夜間戦闘機と地上管制を組み合わせた夜間迎撃戦体制(カムフーバーライン)を構築したのである。小型の単発戦闘機では、双発夜間戦闘機が装備しているような通信システムは、機内空間の上から搭載できなかったが、Bf110戦闘機、Ju88C夜間戦闘機のような双発機であれば、このシステムを利用することができた。

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、夜間出撃の待機中のハインケル(Heinkel)He 100D(He113)戦闘機(正面);Bf109よりも降着装置の主輪の感覚が広く、地上での安定性は高い。胴体主翼前方下面にダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 601液冷12気筒エンジン1175馬力の冷却器が見えるが、これではエンジン出力に対して空気取り入れ口が小さく、冷却不足になりそうだ。
Ray Wagner Collection Image
Permann_20 065 AI Gadgets Album Heinkel 100 D Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)-- .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081279引用。


しかし、数百機の爆撃機が編隊を組んで空襲に飛来すると、このヒンメルベッドでは、処理しきれなくなった。また、イギリス空軍は、地上レーダー、機上レーダーを攪乱させる妨害電波やダミー・デコイ・電波攪乱アルミ箔を用いて、ドイツの夜間戦闘システムを無効化してきた。他方、敵が大規模に夜間空襲を行うようになると、その火事場明かりで、爆撃機の陰影が浮かび上がり、それにサーチライト(探照灯)の光も加えれば、夜間でも肉眼で敵爆撃機を目視できることが分かった。そこで、ドイツ空軍では、単発戦闘機を都市上空で待機させ、探照燈や火事に照らされた敵爆撃機のシルエットを迎撃する「ヴィルデ・ザウ」(Wilde Sau:イノシシ)戦法を採用した。


4.現存するハインケル(Heinkel)He 100(He-113)戦闘機

写真(右)2016年2月,プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Air Museum)、アメリカ西岸、カリフォルニア州チノ、ドイツのハインケル(Heinkel)He 100 戦闘機「7」試作機 :手前にあるのは、Me163ロケット戦闘機を真似て日本海軍が開発した「秋水」ロケット戦闘機のロケットエンジン。
Description On display in the ‘Foreign’ hangar at the Planes of Fame Museum, Chino, California, USA. 28-2-2016 Date 28 February 2016, 13:07 Source Heinkel He100D-1 (full size mock-up) ‘white 7’ Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 ・File:Heinkel He-100D-1 (full size mock-up) ‘white 7’ (26251744894).jpg 引用。


写真(右)2019年9月,プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Air Museum)、アメリカ西岸、カリフォルニア州チノ、ドイツのハインケル(Heinkel)He 100 戦闘機「7」試作機 :奥は、Me163ロケット戦闘機を真似て日本海軍が開発した「秋水」ロケット戦闘機で、試作機なので橙色の塗装を施している。
Description English: c/n Unknown. It is now on display at Planes of Fame Air Museum, Chino, California, USA. 20th September 2019 Date 20 September 2019, 13:46:14 Source Own work Author 先従隗始
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 ・File:Heinkel He 100D-1 (full size mock-up) ‘white 7’ (26251744894).jpg 引用。



5.ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機


写真(右)1942年後半以降、ドイツ、離陸するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280V-1ジェット戦闘機試作1号機
;ハインケル HeS 8 (Heinkel Strahltriebwerk 8)ジェットエンジン2基を装備しているが、不慣れなジェットエンジンの整備に手間がかかるためか、エンジンナセルは、撤去されている。機首には、20ミリ機関銃3丁を搭載できるが、この機体は無武装。
SDASM Archives - Catalog:16_005314 - Title:Heinkel He 280V-1 Nowarra photo - Filename:16_005314.TIF - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はSDASM Archives・PictionID:43936269 引用。


ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機 世界初のジェット推進機ハインケル He 178試作機は、ハインケルHeS 3ターボジェットエンジン1基を搭載し1939年8月に初飛行に成功していた。その戦闘機型のHe280は、HeS 3エンジンを改良したハインケル HeS 8 (Heinkel Strahltriebwerk 8)ジェットエンジンを2基、主翼に取り下げて取り付けた。試作戦闘機 He 280 が初飛行したのは、1941年3月31日で、4月に実施されたフォッケウルフFw-190A戦闘機との模擬空戦審査では、高速と上昇力を生かして、Fw 190に勝る性能を発揮した。

しかし、ハインケルHe 280ジェット戦闘機のターボ・ジェットエンジンの信頼性が低く、推力増強も難しかったうえに、ドイツ航空省のジェットエンジンへの無理解から、He280の量産化はなされなかった。ハインケルHe 280ジェット戦闘機は、9機が試作されただけで、最終試作機He 280 V9試作9号機(登録コード:NU+ED)が1943年8月31日に初飛行したものの、He 280の開発は放棄されてしまった。

ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機 ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機は、左右主翼下面にジェットエンジンを搭載、首輪(前輪)式の降着装置のため、地上では地面に水平の位置で駐機しているので、離着陸は尾輪式よりも容易である。また、双発のエンジン排気のために地面や滑走路が傷むことは少ない。他方、本機より1年遅れのメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機は、尾輪式だったために、その後、首輪(前輪)式の降着装置に改装されている。

ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機の尾翼は、双尾翼式で、これは後年のハインケルHe162ジェット戦闘機にも引き継がれている。ただし、He280の場合、単座で後方旋回機銃の射界確保には双尾翼でする必要はなく、全高を低くして格納や偽装を容易にするためだったのか。1枚の垂直尾翼のほうが空気抵抗削減・重量軽減できて飛行性能は向上したと思われる。


写真(右)1942年後半以降、ドイツ、飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280Vジェット戦闘機試作機
;楕円翼を採用しており、ジェット機に普及する後退翼の発想はまだ生まれていない。この機体は無武装だが、エンジンナセルは装着されている。
SDASM Archives Heinkel, He 280 Title: Heinkel, He 280 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 280 Tags: Heinkel, He 280 .
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081342引用。


ハインケル(Heinkel)He 280V6ジェット戦闘機の諸元
乗員Crew: 1 全長Length: 10.198 m (33 ft 5.5 in)、全幅Wingspan: 11.99726 m (39 ft 4.333 in)、全高Height: 3.1941 m (10 ft 5.75 in)
翌面積Wing area: 21.51平方メートル(231.5 sq ft)
総重量 Gross weight: 5,205 kg (11,475 lb)
発動機Powerplant: ユンカース(Junkers)Jumo109-004Aターボジェットエンジン2基
性能 Performance
最高速力Maximum speed: 751.5 km/h (467.0 mph, 405.8 kn) /海面上
817.5 km/h (508.0 mph; 441.4 kn)/6,000 m (19,685 ft)
809.5 km/h (503.0 mph; 437.1 kn)/8,501 m (27,890 ft)
航続距離Range: 615 km (382 mi, 332 nmi)/9,010 m (29,560 ft)
314 km (195 mi; 170 nmi)/海面上
実用上昇限度Service ceiling: 11,400 m (37,390 ft)
上昇率Rate of climb: 21.2 m/s (4,170 ft/min)
兵装 Armament
20ミリMG 151/20機関銃3丁

⇒写真集(Album)ハインケル(Heinkel)He-280ジェット戦闘機を見る。



6.実戦に間に合わなかったハインケルHe 162ジェット戦闘機

写真(右)2018年11月、イギリス、ロンドン郊外、イギリス空軍博物館に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行隊のハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機
RAF Museum London, Hendon Date 1 November 2018, 13:27 Source 20181101_132749 Author Irid Escent
写真は,Flickr, Category:Heinkel He 162A (120227) at RAF Museum London File:RAF Museum London – 20181101 132749 (31793220538).jpg引用。


ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機胴体前方下面に、2丁の20ミリ機関銃を装備しているが、この程度では、1945年の戦闘機としては火力不足だった。しかし、軽量・小型のHe162戦闘機では、この程度の兵装しか搭載することはできなかった。火力不足は、機数の増加によって相殺できるはずだったが、実際には、戦局悪化で大量生産の実績を上げることはできなかった。

ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘は、小型・軽量なので、Hw280やMe262とは違って、エンジンは1機で出力を確保できた。胴体背面にBMW003ターボジェット1基を搭載したが、このような配置は、整備の上からは不都合で、エンジンの変換にも手間が語った。当時のジェットエンジンは、信頼性が低く、整備を頻繁に行う必要があり、さらに耐用時間も短いので、エンジン換装も必要になった。1944年12月6日初飛行し戦局悪化の急速増産が始まっていた国民戦闘機。最高速力850 km/h、162機が量産されたが、実戦参加はしていない。


写真(上)2017年4月、ドイツ、ベルリン、ドイツ技術博物館 (Deutsches Technikmuseum)に保管されているドイツ空軍国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)
;胴体背面に新型のBMW003ターボジェット1基を搭載、1944年12月6日初飛行した。戦局悪化の中、試作機完成前に量産体制の整備が進んでいたが、大戦末期の混乱と連合軍の攻撃によって、162機しか生産できていないまま、敗戦となった。
English: Heinkel He 162 at the Deutsches Technikmuseum, Berlin. It was taken to Great Britain and later to Canada for testing. It was bought from a collector. Date 21 April 2017, 10:20:24 Source Own work Author Ad Meskens
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162 at Deutsches Technikmuseum Berlin File:Berlin technikmuseum Heinkel 162 03.jpg引用。


He-162ジェット ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機の諸元
乗員:1名
全長:9.05 m
全幅:7.2 m
全高:2.6 m
翼面積:14.5平方メートル
空虚重量:1,660 kg
最大離陸重量:2,800 kg
発動機:BMW 003Eターボジェットエンジン(推力7.85 kN)1基
最高速力:905 km/時/6,000 m
航続距離:975 km
上昇限度:12,000 m
上昇率:1,405 m/分
兵装:20ミリMG 151/20機関銃2丁

⇒写真集(Album)ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機を見る。


7.スペイン内戦とドイツ・コンドル軍団(Legion Condor)

写真(右)1938年6月25日,ドイツ航空省技術局長エルンスト・ウーデット(Ernst Udet:1896-1941年11月17日自殺)大将と対面するドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥(Hermann Göring)(右):エルンスト・ウーデット大将は 1938年に自らHe 100 戦闘機試作2号機V2に搭乗し、時速 634 km で 100 km を超える指定コース巡回速度世界記録を樹立した。
Scherl: Generalfeldmarschall Göring im Gespräch mit Generalmajor Udet. 25.6.1938 Depicted people Göring, Hermann: Reichsmarschall, Oberbefehlshaber der Luftwaffe, Ministerpräsident von Preußen, Deutschland Udet, Ernst: Generalluftzeugmeister, Generaloberst, Ritterkreuz, Luftwaffe, Orden Pour le mérite, Deutschland (GND 118624997) Date 25 June 1938 Collection German Federal Archives Accession number Bild 183-H08192 Origin: Bundesarchiv
写真はWikimedia Commons, Category:Ernst Udet ・File:Bundesarchiv Bild 183-H08192, Hermann Göring und Ernst Udet.jpg 引用。


ドイツ空軍エルンスト・ウーデット(Ernst Udet:1896-1941年11月17日自殺)大将は 1938年に自らHe 100 戦闘機試作2号機V2に搭乗し、時速 634 km で 100 km を超える指定コース巡回速度世界記録を樹立した。ウーデットは、第一次世界大戦末期,ドイツ軍エースパイロットのマンフレート・フォン・リヒトホーフェン男爵の部下のウーデットも同僚のヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)も撃墜王だった。

ナチ党政権掌握直後の1933年5月1日にナチ党入党、ゲーリングの引き立てにより1933年9月に渡米。ウーデットは、アメリカの急降下爆撃機の発展に驚き、カーチス・ライト社の急降下爆撃機2機をドイツでの研究試験用に購入を図った。1934年6月、航空省に入省し、中佐として、ナチ党航空軍団(NSFK)指揮官を拝命、1935年のドイツ再軍備で空軍が樹立されると、大佐として入隊した。翌1936年2月、戦闘機総監に、6月には航空省技術局長(Direktor des Technischen Amts der Luftwaffe im Reichsluftfahrtministerium )に任命された。

写真(右)1940年4月20日,ドイツ, メッサーシュミット飛行機工場、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)元帥と話をする航空省技術局長エルンスト・ウーデット(Ernst Udet:1896-1941年11月17日自殺)大将、ウィルヘルム・メッサーシュミット(Wilhelm Messerschmitt)教授(右):後方左側カール=ハインリヒ・ボーデンシャッツ(Karl-Heinrich Bodenschatz:1890–1979)大将は、 第一次世界大戦の後半、1917年2月に、撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェン伯爵の副官となり、ゲーリング、ウーデットとも古くからの戦友となった。ドイツ航空省官房長に就任し、1944年7月20日、ドイツ国内予備軍参謀長クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐が仕掛けたヒトラー暗殺用の事件爆弾の爆発で重傷を負った。
English: Reich Marshal Hermann Goring (in the center) watches sketches with General Ernest Udet (first on the left), Karl Bodenschatz (second on the left) and Professor Wilhelm Messerschmitt (on the right). Polski: Marszałek Rzeszy Hermann Goring (w środku) ogląda szkice z generałem Ernestem Udetem (pierwszy z lewej), Karlem Bodenschatzem (drugi z lewej) i profesorem Wilhelmem Messerschmittem (z prawej). Date 20 February 1941 Author Thiele Permission (Reusing this file) Collections p.11 Signature 2-13860
写真はWikimedia Commons, Category:Ernst Udet ・File:Hermann Goring visits the Messerschmitt factory.jpg 引用。


ウーデット技術局長は、急降下爆撃機、双発爆撃機、単発戦闘機を主力とした近接戦闘主体の戦術空軍を創設しようと、名パイロットの腕を活かして、自ら新型試作機に乗りこんで飛行試験を行った。他方、航空省次官エアハルト・ミルヒは、ルフトハンザ航空経営の手腕を活かして、ウーデットのライバルとなった。ゲーリングの盟友としてのウーデットの地位は昇進し、第二次大戦直前にの1939年2月1日、航空機生産管理を担う航空機総監(Generalluftzeugmeister)に就任している。

フランコ 1936年にスペイン市民戦争Spanish Civil War)が勃発すると,ヒトラーは、間髪をいれずに, フランシス・フランコFrancisco Franco:1892-1975) 将軍の反乱軍(国民戦線)に軍事援助を行った。これは,ドイツ義勇軍との建前をとったが、実際はドイツ空軍,ドイツ陸軍の正規部隊から成るコンドル軍団Legion Condor)の派遣である。

  1936年7月から1939年3月まで2年半も続いたスペイン内戦Spanish Civil War)の契機は、1936年の総選挙でスペイン人民戦線が勝利したことに対して、 フランシス・フランコFrancisco Franco) 将軍らに率いられてた植民地軍が反乱を起こしたことである。

フランコ将軍率いる反乱軍は、ファランヘ党と組んで、ファシズム政権を樹立しようとし、人民戦線・共和国政府と内戦状態に入った。イギリス、フランス、アメリカは、内政不干渉の立場に立ったが、ドイツとイタリアは、ファシスト反乱軍を軍事援助した。このとき派遣されたドイツ義勇軍(実際は正規軍)が、コンドル軍団Legion Condor)である。コンドル軍団は、当初は空軍部隊だったが、その後、戦車、高射砲を有する地上部隊をも受け入れるようになった。

写真(右)1939年5月31日,ハンブルク、スペイン内戦から凱旋したドイツ「コンドル軍団」司令官ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン少将とともにコンドル軍団を閲兵する空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥:1936年4月20日に上級大将 (Generaloberst)になったゲーリングは、第二次大戦1年半前、1938年2月4日に、元帥 (Generalfeldmarschall)に昇進した。
Inventory: Bild 183 - Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild Signature: Bild 183-E06857 Original title: info ADN-ZB Legion Condor- in Hamburg Generalfeldmarschall Göring schreitet die Front, der in einem riesigen Viereck auf der Moorweide angetretenen Legionäre ab. Neben ihm Generalmajor Freiherr von Richthofen, ferner der kommandierende General des 10. Armeekorps Knochenhauer, General der Flieger Sperrle, Generaloberst Milch, Generaladmiral Albrecht und General der Flieger Volkmann. 31.5.39 ADN-ZB Die Legion Condor war eine im November 1936 gebildete Luftwaffeneinheit der faschistischen deutschen Interventionstruppen zur Unterstützung des Franco-Putsches in Spanien. Das Personal (etwa 6000 Mann) wurde ständig ausgewechselt, um kriegserfahrene Manschaften und Offiziere heranzubilden. Ende Mai 1939 kehrte die Legion Condor nach Deutschand zurück. UBz: Generalfeldmarschall Göring schreitet die Front der auf der Moorweide in Hamburg am 31.5.1939 angetretenen Legionäre ab. Neben ihm Generalmajor Wolfram Freiherr von Richthofen, der kommandierende General des X. Armeekorps Knochenhauer, General der Flieger Hugo Sperrle, Generaloberst Milch, Generaladmiral Albrecht und General der Flieger Volkmann. 7058-39 Archive title: Hamburg.- Rückkehr der "Legion Condor".- Wolfram Freiherr von Richthofen und Hermann Göring beim Händeschütteln Dating: 31. Mai 1939 Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。


ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンWolfram von Richthofen)は、1936年に中佐としてドイツ義勇軍・コンドル軍団Condor Legion)の指揮官としてスペイン内戦Spanish Civil War)に参戦し、1937年4月のゲルニカ空襲を実行したコンドル軍団の参謀となった。

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring): 第一次世界大戦末期, ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は英雄だった。1914年から志願兵となり第一次大戦に参加し,空軍に入隊し航空兵となった。1916年からは戦闘機パーロットとして活躍,22機を撃墜。大戦末期の1918年6月2日,皇帝ヴィルヘルム2世から最高勲章プール・ル・メリット授与,「リヒトーホーフェン大隊」指揮官に就任。しかし,半年後に敗戦。

スペインでは、ゲルニカ空襲Bombing of Guernica)ゲルニカのような都市爆撃から、エルンスト・ウーデットErnst Udet)らが重視したHs123,Ju87急降下爆撃を使った襲撃戦術が実戦で試された。

1936年に勃発したスペイン内戦に、ドイツは、正規軍を義勇軍コンドル軍団としては派兵したが、ハインケル(Heinkel)He46 C偵察爆撃機は、スペイン内戦勃発直後1936年9月に28機が投入され、実戦テストに供されている。また、1939年9月のドイツ軍ポーランド侵攻を契機とする第二次大戦にも、ドイツ軍は2個飛行隊のハインケル(Heinkel)He46偵察爆撃機を配備していた。

1937年4月26日、バスク地方ゲルニカGuernica)が、反乱軍フランコ将軍を支援するドイツ軍コンドル軍団Condor Legion)のJu52、He111爆撃機など約40機によって空襲された。これが、世界初の都市無差別爆撃「ゲルニカ爆撃」である。

スペイン市民戦争Spanish Civil War)で人民戦線側の共和国軍,国際旅団と戦闘を交えるという実戦訓練によって,ドイツ軍は,航空支援の有効性,機動力を活かした電撃戦の着想を得た。

ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンは、1936年に中佐としてスペイン内戦に「コンドル軍団」の義勇兵として参戦し、1937年4月のゲルニカ空襲を指揮したコンドル軍団の参謀となった。1937年10月、スペインから帰還するも、1938年11月に少将として、コンドル軍団長として再度スペイン内戦に参戦。1939年5月、コンドル軍団は、ドイツに凱旋した。

ネヴィル・チェンバレン ポーランド空軍の反撃は、あまりなかったようだが、ドイツ空軍機は、初戦から敵機に発見されないように、対空用カモフラージュした場所に隠匿されていた。1943年以降、西側連合軍がドイツ本土、占領地に空襲を掛ける時期には、この対空偽装はより厳重に徹底されることになる。13.1ミリ機銃2丁の兵装は,爆撃機を迎撃するには貧弱だった。連合軍の護衛戦闘機に対抗するには,性能はともかく,機数や燃料が足りなかった上に,パイロットも未熟練で戦力は劣っていた。

1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相ネヴィル・チェンバレンNeville Chamberlain:1869–1940)は,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」とも称された。

1940年4月9日,英軍に先んじて,ドイツ軍がノルウェーに侵攻,その後,4月14日,トロンヘイムに英仏軍,ポーランド軍の連合軍1万2000名を上陸させた。ナルヴィクにも,4月20日に連合軍3万名を上陸させた。1940年5月10日,ドイツ軍のベルギー,オランダに侵攻に直面して,連合軍はナルヴィクを撤退。ネヴィル・チェンバレンNeville Chamberlain)は,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任。 戦時挙国一致内閣として,1940年5月10日に、チャーチル(Winston Churchill)がイギリス首相に就任した。

メッサーシュミットBf109 ドイツ空軍は,フランス侵攻には、アルベルト・ケッセリング将軍の第二航空軍,フーゴー・シュペルレ将軍の第三航空軍をあて,そこに双発爆撃機1120機,単発Ju-87急降下爆撃機シュツーカ342機,複葉Hs-123襲撃機42機,単発Me-109戦闘機1016機,双発Me-110戦闘機248機を配備した。

1940年5月10日0430,ケルン郊外の航空基地をユンカースJu-52輸送機41機が離陸,輸送機は各々1機のDFS-230グライダーを曳航していた。グライダーには,1機当たり8-12人の降下猟兵(空挺隊員)が搭乗していた。このドイツ空軍の空挺部隊が,ベルギーのマース川の要衝マーストリヒト近くのエバン・エマール要塞に降下し,ベルギー兵士1200人の守備していた近代的な要塞を,その日のうちに攻略した。

ムッソリーニ 1940年5月14日、ドイツの第54,第57爆撃航空団ハインケルHe111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。ウィストン・チャーチル首相は、1940年5月26日1857,大陸よりの英軍救出命令ダイナモ作戦(Operation Dynamo)を発動した。

ダイナモ作戦第一日の夕方まで,連合軍将兵7669名が救出され,5月28日だけで,1万7804人が救出された。5月29日には,4万7310名が後送,5月30日には5万3823人が大陸を去った。うちフランス兵は1万4874人だった。5月31日は,6万8014人が,6月1日には6万4429人が英本土に戻ることができた。敗退するフランス軍を前に、フランス政府では和平派(終戦派)が主導権をにぎった。

1940年5月20日,フランスでは、レノー内閣が改造され、副首相に第一次世界大戦の英雄フィリップ・ペタン元帥が就任した。1940年5月15日オランダ降伏、5月28日ベルギー降伏と続き、6月10日にはパリが無防備都市を宣言した。このとき、イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ統領の指導するイタリアも、南フランスを攻撃した。6月14日、パリにドイツ軍が無血入城した。 独仏戦では,フランス軍は、死者10万人、負傷者12万人、捕虜150万人の損害を出した。他方,ドイツ軍は,死者4万人,負傷者15万人だった。

フランス休戦の場所として、アドルフ・ヒトラーは、第一次大戦のドイツ休戦が調印されたのと同じコンピエーニュの森を指定した。コンピエーニュには、ドイツ降伏調印を行ったのと同じ食堂列車をフランスの博物館から引き出し据え付けて、そこで行った。フランス勝利の記念碑もコンピエーニュにあったが、それも爆破された。第一次世界大戦の敗戦の雪辱を晴らした思いは、第一次大戦の戦闘機エースのヘルマン・ゲーリングも同じであったろう。

ヒトラー ドイツのアドルフ・ヒトラーは、降伏後のフランス休戦の条件として、
1.フランス国土の北部5分の3をドイツ軍政下に置く、
2.フランス軍の武装解除、
3大西洋側の港湾をドイツに引き渡す、
4.フランス艦船の行動停止、
5亡命者の引渡し、
6.フランスによる占領経費の負担、
という思いのほか寛大な講和条件を認めた。

ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は,フランス降伏後の戦勝報償として、元帥以上の階級として特別に定められた国家元帥に昇進した。
1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会演説でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説、その後の1941年6月29日の法令を根拠に,自らを後継者として自認していた。これを元に,大戦末期、1945年4月23日のベルリン攻防戦の最中に、ゲーリングはヒトラーに対して、連絡が取れなくなった場合、自分がドイツの最高指導者の地位を引き継ぎたいと電文を発した。しかし、ヒトラーは、これをゲーリングンの裏切りと感じ、激怒してゲーリングの公職追放・監禁を命じた。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ハワイ真珠湾攻撃の写真集

沖縄特攻戦の戦果データ
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
アンネの日記とユダヤ人
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機

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