◆ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇 写真(上)1938年9月1日、第二次大戦勃発1面前に完成したドイツ、ベルリン郊外ミュッゲル湖ドルニエ(Dornier)Do 26 「ゼ-アドラー」"Seeadler"(海鷲)飛行艇 (民間登録コード: D-AGNT) 飛行艇:1938年5月21日に初飛行したDo-26飛行艇は、斬新な設計だったが、大戦勃発により民間での需要はなくなり; 生産数は6機のみにとどまった。飛行艇は、元来、海上で使用することを前提としているが、運用にあたっては、海水の上で使用すると金属腐食・塩害の問題があり、淡水湖で使用するほうが、都合が良かった。 Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl
Original title: info Flugzeug Do 26 auf dem Müggelsee
Archive title: Berlin.- Ganzmetall-Flugboot Dornier Do 26 "Seeadler" (Kennung: D-AGNT) auf dem Müggelsee
Dating: 1. September 1938
Photographer: Pahl, Georg
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 Signature: Bild 102-18146引用(他所引用不可)。
写真(上)ドイツ、ドルニエ(dornier)Do-26飛行艇:フリードリッヒスハーフェンのドルニエ飛行機工場で製造され、主翼に目印となる白線を引き、ボーデン湖(Bodensee)上空で、試験飛行中と思われる。ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)の大西洋横断郵便機として開発され、初飛行は1938年5月21日。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発したため、民間需要はなくなり、軍用飛行艇として、海上哨戒偵察、輸送に投入された。しかし、量産には至らず。生産は6機の試作のみで終わった。 Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Vliegboten, Vliegtuigen
Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift
Dornier vliegboot, DO 26, vliegend. Type
Foto 写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) Beeldbank.defensie.nl・Beeldnummer 115 引用。
写真(右)1942年6月28日、ドイツ、東プロイセンのラステンブルク総統大本営「狼の巣」から列車に乗ってドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥の下に到着したフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥:二人とも元帥で元帥杖を持って挨拶を交わしている。1941年6月22日、ドイツが独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に侵攻した。すると、それから4日後、6月27日には、フィンランドも、ソビエト連邦に侵攻した。これは、1939-1940年の対ソ連「冬戦争」で奪われた国土を取り返すということが名目だった。フィンランドは、枢軸国ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、対ソ連・反ボリシェビキの戦争協力を話し合った。マンネルハイムは、1942年6月時点で、ヨーロッパを支配するドイツ後押しを受け、ソ連に復習戦争を仕掛けることを大変に喜んだはずだ。フィンランドは、恨み重なるソ連打倒の好機として、継続戦争を自ら開始した。フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥は、1942年6月27日、ドイツ空軍の遣わしたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200コンドル C-3/U9輸送機に乗って、東プロイセン州ラステンブルク総統大本営「狼の巣」にナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー総統を訪問、作戦会議に出席した。そして、翌6月28日には、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)国家元帥の下にも参じて、対ソビエト連邦との戦争協力を話し合った。こうなれば、マンネルハイム元帥が、ソ連を明確な敵とし、領土の回復、ソ連ボリシェビキの弱体化を真剣に望んでいたのは明らかである。
Borchert, Christian: Empfang des Ministerpräsidenten Herrmann Göring am Hauptbahnhof (Szene aus dem Dokumentarfilm "Ministerpräsident Göring besucht Dresden"), 1935.02.09/1935.02.10
SLUB / Deutsche Fotothek ・sa-kuva-3233引用。
ヘルマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring)が国会議長に就任。 1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。 1935年3月の再軍備宣言によって新設された空軍の総司令官に就任。
1.ドルニエ(Dornier)Do-R ズーパーワール"Super-Wal"四発飛行艇
写真(右)1928年、ノルウェー、オスロフィヨルド、グレスホルムン島上空を飛ぶドルニエ Do-R ズーパーワール(Dornier Do R "Super-Wal")四発飛行艇;ドルニエDo-Jワール双発飛行艇を大型化し、エンジンを2基から4基に増やし、20人乗りの飛行艇となった。これがDo-Rスーパー・ワール"Super-Wal"飛行艇である。後方、岸壁に横付けしている帆船はスパインの練習船であろうか。 Creditline
Nationaal Archief/Collectie Spaarnestad/Het Leven/Fotograaf onbekend
Fotograaf display
Onbekend
Codec-plaatsing
2734-1
The largest flying boat in the world the four engined Dornier Napier with room for 20 passengers in full flight. 1928.
Kleur
Zwart-Wit
Opnamedatum vanaf (*)
1928 . 写真は2015 Spaarnestad Photo : beeldnummer SFA022812046引用。
写真(右)1928年6月、デンマーク、スピッツベルゲンで待機しているドルニエ Do-R ズーパーワール(Dornier R 4 Superwal)四発飛行艇 :エンジンは480馬力4基を搭載している。北極探検飛行中に行方不明になったイタリアのノビレ隊の飛行船「イタリア」"Italia"を捜索するために、スピッツベルゲンに向かった。 Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl
Signature: Bild 102-06004.
Original title: info Deutsche Hilfe für die Suche nach der verschollenen "Italia".
Das deutsche Dornier-Grossflugboot mit vier 480 P.S. Motoren, welches zur Hilfeleistung des verschollenen Nobile und seinem Luftschifff nach Spitzbergen entsandt wird. Archive title: Flugboot Dornier R 4 Superwal" der Società Anonima Navigazione Aerea (SANA), Kennung "I-RENE".
Dating: Juni 1928.
Photographer: o.Ang.
Origin: Bundesarchiv
. 写真はBundesarchiv: Signature: Bild 102-06004 引用。
写真(右)1930-1931年頃、ドイツ、ドルニエDo 18 飛行艇の機首銃座の7.92ミリMG15旋回機銃、主翼中央上部のユモJumo205ディーゼルエンジンを点検している整備員;7.92ミリMG15機銃は、7.92x57mmモーゼル弾使用、銃身595mm、鞍型ドラム弾倉75発、全長1,334mm、重量12.4kg、発射速度1,000発/分、銃口初速 800m/秒。 Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht
Objectnummer
2157-112-020
Beschrijving
Bovenaanzicht linksachter van een Dornier Do.18 vliegboot van de Luftwaffe tijdens de start voor een verkenningsvlucht naar de Engelse oostkust.
Plaats
Onbekend
Datering van
1940-01-11
Trefwoorden
Luftwaffe, Duitse strijdkrachten, vliegtuigstarts, vluchten, verkenningen, inzet, Tweede Wereldoorlog, conflicten, Dornier Do 18, vliegboten
Specifieke kenmerken
K
Vervaardiger
PK.-Tews (Weltbild)
Materiaalsoort
Ontwikkelgelatinezilverdruk
Kleur/Zwart-wit
Zwart-wit. 写真はBeeldbank ・Objectnummer
2157-112-020引用。
写真(右)1937年頃、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-24飛行艇;
Collectie
Fotoalbums voormalig Instituut voor Maritieme Historie
Beschrijving
Een Dornier Do 18 vliegboot ligt afgemeerd aan een boei.
Plaats
Onbekend
Precisie start
Circa
Datering van
1936
Precisie eind
Circa
Datering tot
1940
Trefwoorden
Dornier Do 18, vliegboten
Vervaardiger
Onbekend
Materiaalsoort
Ontwikkel-gelatinezilverdruk
Kleur/Zwart-wit
Zwart-wit
写真はNIMH-beeldbank.defensie.nl・Objectnummer 2157-112-018 引用。
写真(右)1937年、オランダ海軍が製造権を取得して使用したドルニエ(Dornier)DO-24K-1哨戒偵察飛行艇;機首には銃座が備わっているのが確認できる。主翼はパラソル式で、その上に空冷星形エンジンが装備されている。そのため、プロパラの位置が、水面よりもかなり上になり、波浪や飛沫の影響を受けにくくしている。胴体中部には、水上安定性を保つためにバルジ式の浮きが設けられている。この浮きは、パラソル式の主翼を支える支柱の基盤にもなっている。オランダ海軍の発注になる軍用の偵察哨戒飛行艇だが、機首・胴体後方・尾部の銃座に、機銃は見えず、未装備のようだ。 Dornier Do-24
Catalog #: 00078585
Manufacturer: Dornier
Designation: Do-24
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) Beeldbank.defensie.nl・Objectnummer 2173-247-030 引用。
ドイツ空軍のドルニエ(Dornier)Do24飛行艇は、水上機基地から海難救助任務に、 Do 26飛行艇は水上機基地からの輸送任務に主に就役した。またDo24は、飛行艇母艦に乗せられたことはなく、Do26も飛行艇母艦運用試験のみで、実際の運用は行っていないようだ。
写真(上)1938年9月1日、第二次大戦勃発前に完成したドイツ、ベルリン郊外ミュッゲル湖の上空を飛行するドルニエ(Dornier)Do 26 「ゼ-アドラー」"Seeadler"(海鷲)飛行艇 (民間登録コード: D-AGNT) 飛行艇:1938年5月21日に初飛行したDo-26飛行艇は、大戦勃発前の国籍マーク、すなわち垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ卍十字)を描いている。斬新な設計の飛行艇だったが、大戦勃発により民間での需要はなくなり; 生産数は6機のみにとどまった。 Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl
Original title: info Flugzeug Do 26 auf dem Müggelsee
Archive title: Berlin.- Ganzmetall-Flugboot Dornier Do 26 "Seeadler" (Kennung: D-AGNT) auf dem Müggelsee
Dating: 1. September 1938
Photographer: Pahl, Georg
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Signature: Bild 102-18143 引用(他所引用不可)。
写真(右)ドイツ,飛行中のドルニエ(Dornier) Do 26 A V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT):初飛行は、1938年5月21日。肩翼上面にユンカース ユモ 205C ディーゼルエンジン600馬力2基を縦列串型タンデムで2セット配置し、四発42基を搭載。空気抵抗の少ない細長い流線型だが、輸送用飛行艇としては、容積が少なく、大型貨物も積み込み困難である。 Ett fly i lufta. Dornier Do. 26 D-AGNT
Fotografering: 1935 - 1945
Identifier: NL.03050036
Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum
Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum
Institution: Norsk Luftfartsmuseum
Date published: November 21, 2014
Date updated: December 18, 2014
DIMU-CODE: 021015548164
UUID: 9F31302E-D429-49B8-93EA-A6BD45EB08E7 写真はNorsk Luftfartsmuseum・Identifier: NL.03120010 引用。
写真(右)1938-1939年,第二次大戦勃発前、着水しようとするドルニエ(Dornier) Do 26 A V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT):主翼後縁のフラップが開いて下方に下がっている。ドルニエDo-26飛行艇の初飛行は、第二次大戦15カ月前の1938年5月21日で、大戦前のドイツの国籍識別マークは、垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ十字)。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46170329 - Catalog:16_007483 - Title:Dornier Do 26V-1 Nowarra Collection - Filename:16_007483.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46170329引用。
ドルニエ(Dornier) Do 26 四発飛行艇の主翼は上反角がついていて、海面との距離を開けて波しぶきがプロペラに当たりにくいようにしている。主翼上部に搭載されたユンカース ユモ Jumo205C ディーゼル・エンジンは、串型縦列タンデム配置で2機を1組に、合計2組エンジン4基が備わっている。プロペラは、前方が牽引式、後方が推進式に配置されている。主翼の上反角部分と水平部分の接合部に置かれた縦列のエンジンナセルに、Do-R飛行艇、Do18飛行艇と同じく、牽引式プロペラと推進式プロペラを組み合わせて取り付けていた。
写真(右)1939年,第二次大戦勃発前のドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)ドルニエ(Dornier) Do 26 V3試作3号機(登録コード: D-ASRA):民間輸送機として完成しDo 26 V3試作3号機は、ドイツ空軍仕様Do 26 B型の原型となった。ナチ党カギ十字のドイツ国籍マークを垂直尾翼に付けている。胴体前後に銃座を備えれば、容易に軍用に転換可能だった。飛行艇としては高性能だが、ロッキード・ハドソンのような同時代の陸上輸送機・哨戒機と比較すると、飛行性能は劣っていた。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46170368 - Catalog:16_007486 - Title:Do 26V-3 prototype of projected B series was taken over by Lufftwaffe Npwarra Coll - Filename:16_007486.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum . 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:38235915引用。
写真(右)1938年9月23日,第二次大戦勃発前、キール軍港で建造中のドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」"Graf Zeppelin":カタパルト2基を装備した近代的な大型艦橋を備えた空母として建造されたが,未完成に終わった。ドイツ軍は,空母を1隻も保有することができなかった。
ドイツ海軍は,大型戦艦「ビスマルク」型2隻,巡洋戦艦「シャルンホルスト」型2隻,ポケット戦艦「ドイッチュラント」型3隻を建造,就役させた。 Title
Flugzeugträger "Graf Zeppelin", Bau
Deutschlands erster Flugzeugträger
Am 8. Dezember läuft in Kiel der erste Flugzeugträger der deutschen Kriegsmarine vom Stapel.
Unser Bild zeigt die Backbordseite des neuen Flugzeugträgers.
Bei Abdruck nennen: Scherl Bilderdienst, Berlin
Date 23 September 1938 Bild 146-1982-145-29A 写真は Wikimedia Commons,Category:Graf Zeppelin (ship, 1938),File:Bundesarchiv Bild 146-1982-145-29A, Flugzeugträger "Graf Zeppelin", Bau.jpg引用。
写真(右)1933年、大西洋上、飛行艇母船が艦尾から海上にシート・マットを流して、波を静かにし、ドルニエ Do-J ワール(Dornier Do R "Wal")双発飛行艇を引き上げようとしている。;ドルニエDo-Jワール双発飛行艇では、無着陸で大西洋横断はできない。しかし、大西洋上に飛行艇母船を配置し、そこで整備・補給を行えば、大西洋を横断可能である。この飛行艇母船には、「ヴェストファーレン」SS Westfalenが知られており、この母船も「ヴェストファーレン」であろう。 Creditline
Nationaal Archief/Collectie Spaarnestad/Het Leven/Fotograaf onbekend
Fotograaf display
Onbekend
Codec-plaatsing
2734-1
Flying boats. A German Dornier flying boat on the towsail of a German ship (Westfalen?) 1933.
Kleur
Zwart-Wit
Opnamedatum vanaf (*)
1933. 写真はNationaal Archief: beeldnummer SFA022812043引用。
しかし、Do-Jワール飛行艇の航続力を以てしても、無着陸で大西洋横断はできなかったため、ルフトハンザ航空は大西洋上に飛行艇母艦を待機させ、その近くにドルニエDo-Jワール飛行艇(Dornier Do J "Wal")を着水させ補給を行った。飛行艇母艦のデリックで、Do-J飛行艇を船上に引き上げて整備と燃料などの補給を行い、カタパルトを使って射出し、大重量の飛行艇を確実に安全に飛行させた。大西洋横断には、4日間で1万2000キロを飛び、ヨーロッパ大陸と南米大陸とを連絡した。Do-Jによる大西洋横断航空便輸送は、約300回実施された。
ドルニエ(Dornier)の開発したDo 26 A V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT)は、エーリッヒ・グンダーマン(Erich Gundermann)操縦で、1938年5月21日に初飛行し、Do 26 A V2試作2号機「ゼーファルケ」(Seefalke:海鷹)(登録コード:D-AWDS)はエゴン・ファス(Egon Fath)操縦で1938年11月23日に飛行している。この2機は、大西洋横断航路に投入される予定で、1939年にドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)に引き渡され、南アフリカ共和国のバサースト(Bathurst)から大西洋を横断し、ブラジルのナタル(Natal)に至る大西洋郵便輸送に投入された。
写真(右)1940-1944年頃、ノルウェー、飛行艇母艦「フリースラント」(Friesenland)の18トン射出ハインケル・カタパルト上に船尾右寄に大型20トンクレーンを使い搭載されようとしているブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138 B飛行艇;船尾には、飛行艇を艦船に持ち上げるための大型20トンクレーンが装備されている。 A German Blohm & Voss BV 138 float plane being lifted aboard the German aircraft tender Friesenland, in Norwegian waters, during the Second World War.
Date between 1940 and 1945
Source U.S. Navy photo NH 71350 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command
Author Unknown author The depot ship Friesenland could carry two of these aircraft and she was launched at Kiel on 23 March 1937 and completed later that year. She operated in France and Norway as a seaplane tender/depot ship, and was also used as a repair ship at Trondheim. After the war, Friesenland was taken over by the Royal Navy and continued to be used as a seaplane depot. (Naval History and Heritage Command) 写真は, Category:Friesenland (ship, 1937)
File:BV 138 float plane being lifted aboard the German aircraft tender Friesenland during World War II.jpg引用。
ドイツ空軍(Luftwaffe)は、ドイツ海軍(Kriegsmarine)に代わって自らカタパルト装備飛行艇母艦(Catapult vessels)を保有し、第二次世界大戦中に7隻を使用している。このうち4隻は、既にドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)が使用していた飛行艇母船を徴用したもので、3隻がドイツ空軍の発注になる。BV 138と同様にドルニエ(Dornier) Do 26も、このカタパルト装備飛行艇母船に搭載、運用される予定だった。
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇は、水上機基地から海難救助任務に、 Do 26飛行艇は水上機基地からの輸送任務に主に就役した。Do24は、飛行艇母艦に乗せられたことはなく、Do26も飛行艇母艦運用試験のみで、実際の運用は行っていないようだ。
図(右)1939年、ドイツ飛行艇母艦フリースラント」(Friesenland)(北海沿岸);船尾には、飛行艇を艦船に持ち上げる大型20トンクレーンが船尾右寄りに装備されている。左舷に18トン射出ハインケル社カタパルトに搭載されているのはブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)子会社のハンブルク航空Ha 139水上機 「ノルドスターン"Nordstern":北極星」 (D-ASTA) Description Lot-2275-4: German Warships, WWII. Plans for German catapult seaplane tender, Friesenland, 1939. Halftone image from Division of Naval Intelligence, Identification and Characteristics Section, June 1943. Courtesy of the Library of Congress. (2016/05/06).
Date 6 May 2016, 09:46
Source Lot-2275-4
Author National Museum of the U.S. Navy 写真は, Category:Friesenland (ship, 1937)
File:Plans for German catapult seaplane tender, Friesenland, 1939 (26760763932).jpg引用。
写真(右)1940-1944年頃、ノルウェー、飛行艇母艦の巨大なカタパルト上に搭載されている2機のブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138飛行艇;船尾右寄には、飛行艇を艦船に持ち上げるための大型20トンクレーン、左舷寄には18トン射出ハインケル・カタパルト各1基を装備。船体の大半は、1本煙突の煙突以外、扁平で、船上での飛行機搭載に障害物はない。
Title:German aircraft tender
Caption:At Tromso, Norway, during World war II. Her planes are BV-138 seaplanes.
Description:
Copyright Owner:Naval History and Heritage Command
Original Creator:
After this Year:1939
Before this Year:1945
写真は, Naval History and Heritage Command Catalog #:NH 71351引用。
写真(右)1940年頃,ノルウェーの海岸(?)、ドルニエ(Dornier)Do 26四発飛行艇試作機4号機(V 4):ドルニエDo 26四発飛行艇は、試作機6機のみしか生産されなかった。 Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen
Signature: Bild 146-1985-017-02
Original title: info Flugboot Dornier Do 26
Archive title: Zweiter Weltkrieg.- Flugboot Dornier Do 26 V 4 während des Fluges.
Dating: 1940/1945 ca.
Photographer: o.Ang.
Origin: Bundesarchiv
写真はBundesarchiv,Bild 146-1985-017-02引用。
写真(右)1939-1943年,飛行中の迷彩塗装をほどこしたドイツ空軍 Do 26 C 飛行艇試作6号機V-6(登録コード: P5-DF ):主翼後上方には機銃スポンソンを設けているが、機首の15.1ミリMG151動力式銃塔は未装備。飛行艇が地上を低空飛行しているが、迷彩塗装の硬化が窺われる。ドイツの国籍識別マークは、戦前は垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ十字)だったが、戦時中は黒のスワスチカだけになった。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46170380 - Catalog:16_007487 - Title: Do 26V-6 front MG 151 turret not yet installed Dornier photo - Filename:16_007487.TIF .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46170380 引用。
写真(右)1939-1942年、ドイツ、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-26飛行艇;主翼両側に取り付けられたフロートは、引込み式で、主翼の内側に折りたたむことができる。これによって、飛行中の空気抵抗を減少させて、速力を向上することができる。パラソル翼で、翼を位置を高くして、水上滑走時の波の影響を受けないように配慮している。エンジンは、翼よりも高い位置に置いて、プロペラにも波が被らないように配慮した設計になっている。 Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Vliegboten, Vliegtuigen
Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift
Dornier vliegboot, DO 26
Type
Foto
写真はBeeldbankWo2.nl・Beeldnummer 117引用。
写真(上)1939年,ドイツ空軍 Do 26 飛行艇の左側面・上中央部構造図と胴体断面図:主翼後上方の機銃スポンソンも機首銃塔もないも民間輸送機型。後部エンジンは情報に傾けることができるが、これは離着水時の高速水上滑走中の波飛沫を避け、プロペラを保護する工夫である。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46170380 - Catalog:16_007487 - Title: Do 26V-6 front MG 151 turret not yet installed Dornier photo - Filename:16_007487.TIF .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, 引用。
写真(上)1939-1943年,ドイツ空軍 Do 26 飛行艇の正面構造図:左右の主翼にある補助浮舟フロートは、主翼内側に引込み可能。エンジンに取り付けられた三翅プロパラの中心軸は、小後方の水平尾翼の位置と同じで、気流の流れ、プロペラ後流の撹乱を抑制している。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46170380 - Catalog:16_007487 - Title: Do 26V-6 front MG 151 turret not yet installed Dornier photo - Filename:16_007487.TIF .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, 引用。
写真(右)1940年,ドイツ空軍ドルニエ(Dornier) Do 26飛行艇の民間仕様と軍用仕様の三面図:軍用仕様は、試作2号機V-2を改修して製造された。機首にモーゼル15.1ミリMG151機関銃動力式銃塔を搭載、主翼後上方にも機銃スポンソンを設けている。民間機ドルニエ(Dornier) Do 26 V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler)(登録コード: D-AGNT)も軍用仕様に改造された。 写真は,WW2AIRCRAFT.NET, Forums World War II - Aviation Aircraft Pictures Dornier Do-26引用。
写真(右)1940年、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-2 六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"試作2号機(CC+ER) ;BV 222試作1号機は、ブラモ BMW Bramo 323R ファニール(Fafnir)空冷星形エンジン(1000馬力)6基を装備、民間登録記号D-ANTEをつけて、1940年9月7日に初飛行したが、戦局は、このような六発大型飛行艇を量産することを許さなかった。V2号機 (CC+ER) は1941年8月7日に初飛行し、1942年8月に登録コードX4+ABとして長距離巣用部隊に配備された。兵装は強化され、主翼上面に13.1ミリMG 131 動力機関銃を備えた。生産機数は、事実上試作機として合計13機のみ。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:43932965 - Catalog:16_005045 - Title:Blohm & Voss Bv 222V-2 Nowarra photo - Filename:16_005045.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 写真はFlikers, SDASM Archives Catalog:16_005045引用。
写真(右)1930-1931年頃、海上を離水したドイツのドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇(登録コード:D-1929);Do-Jワール、Do-18飛行艇と同じく、水上安定性を確保するために、胴体中央部左右に浮きを張り出し、胴体上部に主翼をパラソル式に配備し、主翼中央上面にカーチス社コンカラー(Curtiss Conqueror) V型12気筒液冷エンジン610馬力12基を2機ずつ箱型ナセルに縦列串タンデム式に搭載している。
SDASM Archives
Dornier Do-X
PictionID:38275467 - Catalog:AL-135B 141 Dornier Do-X D-1929 - Filename:AL-135B 141 Dornier Do-X D-1929.tif - This image is from a photo album donated to the Museum by JL Highfill which includes images taken in the Pacific during the Second World War
. 写真はSDASM Archives・PictionID:38275467 引用。
写真(右)1927年,ドルニ エ金属加工有限会社社長クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士: Inventory: Bild 183 - Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild
Signature: Bild 183-R02094
Original title: info Zentralbild
Prof. Dr.-Ing. h.c. Claude Dornier, Flugzeugkonstrukteur,
geb. 14.5.1884 in Kempten/Allgäu;
Chef der Dornier-Metallbauten GmbH in Friedrichshafen a.B.; er baute 1922 den Dornier-Wal, 1926 das Dornier-Superwal-Flugzeug und 1929 die "Do X".
Aufnahme 1927
12301-27
Archive title: Claude Dornier am Schreibtisch sitzend
Dating: 1927
Photographer: o.Ang.
Agency: Scherl
Origin: Bundesarchiv
写真はBundesarchiv,File:Bundesarchiv Bild 183-R02094, Claudius Dornier.jpg引用。
写真(右)1930年3月,ドルニエ金属加工有限会社社長クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士:1929年、世界最大の巨人機ドルニエDo-X飛行艇を完成させ、乗客169名を乗せて飛行性世界記録を樹立した。 Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl
Signature: Bild 102-09496
Original title: info Dr. Dornier, der geniale Construkteur und Schöpfer des größten deutschen Flugbootes Do X, wird dasselbe bei seiner Fahrt nach Amerika begleiten
Archive title: Porträt Claude Dornier
Dating: März 1930
Photographer: Pahl, Georg
Origin: Bundesarchiv
写真はBundesarchiv,File:Bundesarchiv Bild 102-09496, Claude Dornier.jpg引用。
1914年8月、第一次世界大戦が勃発すると、航空兵力の重要性が高まったため、クラウディウス・ドルニエ(Claudius Dornier)にも才能を発揮する機会が訪れた。1916年、設計事務所をフリードリヒスハーフェン(Friedrichshafen)に設けた。1917年、ドルニエの部署は、ツェッペリン・コンツェルンの中 リンダウ・ツェッペリン工場有限会社(Zeppelin Werk Lindau GmbH)ととして独立し、ドルニエが社長に就任した。こうして、ドルニエは、ツェッペリン‐リンダウ(Zeppelin-Lindau)CL.I複葉機、とドルニエ・ツェッペリン(Dornier-Zeppelin)D.I戦闘機を設計、開発した。これら複葉機は、金属応力外皮の堅牢な機体で、片持翼で支柱のない洗練された主翼を持っていた。
写真(右)1931年,Do K-3輸送機の前に立ったドルニ エ金属加工有限会社社長クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士:ドルニエ Do K‐1(Dornier Do K)は、クラウディウス・ドルニエにより開発された、乗客8名の旅客輸送機で、1929年5月7日に初飛行をした。しかし、パワー不足の為、300馬力のワルター空冷星形エンジン4基に強化したDo K-3輸送機が作られたが、性能はあまり改善せず、結局、3機試作されただけで終わった。 Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl
Signature: Bild 102-03504A
Original title: info Flugzeugkonstrukteur Dornier
Archive title: Prof. Dr. Claude Dornier vor Flugzeug Dornier Do K-3 (Kennung D-2183; Erstflug August 1931)
Dating: 1931 ca. 写真はBundesarchiv,File:Bundesarchiv Bild 102-03504A, Claudius Dornier.jpg引用。
写真(上)1942年、ドイツ、コンスタンツ湖、アルテンハインのドルニエ(Dornier)工場の飛行艇滑走路、空港ターミナル;シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)9気筒空冷星型エンジン525馬力を流線型ナセルに縦列串型配置で12基装備、合計6600馬力。プロペラは4翅木製一体構造ガラスの丸窓もきれいに並んでいる。 Title:
Altenrhein, Dornier Werke
Caption:
Im Vordergrund: Staad/SG mit der Eisenbahnlinie Staad-Rheineck
Dating:
1942
Photography : gelatine silver print
Special Size:
12,5 x 17,5 cm
Categories:
Airport buildings + Airport terminals, Views of locations and cities, Runway, Places, View Collection, Unknown, Lake of Constance, Altenrhein 写真はETH-Bibliothek Zürich・Record Name: Ans_13644引用。
写真(右)1930−1940年頃,飛行技師クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士:1884年5月14日生まれ、- 1969年12月5日死去。 SDASM Archives
Dornier, Claude
Dornier, Claude
Catalog #: BIOD00317
Last Name: Dornier
First Name: Claude
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives,Catalog #: BIOD00317引用。
写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー:1935年10月に「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)が太平洋フィリピン航路に初就役し、1945年1月に最後の1機。「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)が事故で失われるまで使用された。全長27.7m、全幅39.7m、、全備重量:23,701 kg、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Catalog #: 00068825 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Date 7 May 2010, 12:10
Source
Martin : 130 : Clipper
Uploaded by Rybec
Author SDASM Archives 写真はCategory:Martin 130 of Pan American Airways File:Martin 130 Clipper (4589907269).jpg引用。
マーチン M-130(Martin model 130)四発旅客飛行艇は、1934年12月30日に初飛行しサンフランシスコ、ハワイ諸島ホノルル、ミッドウェー島、ウェーク島、グアムを経由してアメリカ植民地フィリピンのマニラとの航路を開拓したが3機しか生産されていない。マーチン M-130「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)、「ハワイ・クリッパー」(NC14714)、「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)があった。
写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇ハワイ・クリッパー"Hawaii Clipper"(NC14714):1936年3月3日に就役、アジア太平洋航路に就役したが、1938年1月28日、グアム=ハワイ間を飛行中に行方不明となった。乗員9人と乗客6人が死亡。
Catalog #: 00068826 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Date 7 May 2010, 12:10
Source
Martin : 130 : Clipper
Uploaded by Rybec
Author SDASM Archives 写真は, SDASM Archives Catalog #: 00068826引用。
パンアメリカン航空マーチン M-130「チャイナ・クリッパー」は、今後のキャンシャサから、ブラジル経由で、1945年1月8日にトリニダード・トバコ島(Trinidad and Tobago)のポート・スペインで着水する際、事故を起こし同乗者23が死亡、機体も喪失した。
写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"(NC14716):1945年1月に「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)は。サンフランシスコ郊外に墜落し失われた。全長27.7m、全幅39.7m、、全備重量:23,701 kg、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Bilstein_00088 Martin 130 NC14716 Pan American Airlines
Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum 写真はSDASM Archives Bilstein_00088 Martin 130 NC14716 Pan American Airlines引用。
発動機:プラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1830ツインワスプ(Twin Wasp)S2A5G空冷星形14気筒エンジン830 hp (708 kW)4基
最大離昇重量:23,701 kg 最高速力290 km/h
航続距離:5150km
巡航高度:10,000 ft (3,048 m)
就役:Hawaii Clipper 1935年10月9日
Philippine Clipper 1935年11月14日
China Clipper 1936年3月3日
生産機数:3機
川西九七式大型飛行艇の諸元
全長: 25.6 m
全幅: 40.0 m
全高: 6.27 m
翼面積: 170.0 m2
全備重量: 17.5 t 発動機:三菱「金星」空冷星形14気筒エンジン1,000 hp4基 最高速力 340 km/h (210 mph, 180 kn)/高度4,000 m 巡行速力 222 km/h (138 mph, 120 kn) 航続距離 4,797 km (2,981 mi, 2,590 nmi)
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2018年9月9日開設の鳥飼研究室「ドルニエ(Dornier)Do-18/Do-24/Do-26飛行艇」、2021年11月20日再設定「ドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇」へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
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