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◆ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
写真(上)1938年9月1日、第二次大戦勃発1面前に完成したドイツ、ベルリン郊外ミュッゲル湖ドルニエ(Dornier)Do 26 「ゼ-アドラー」"Seeadler"(海鷲)飛行艇 (民間登録コード: D-AGNT) 飛行艇
:1938年5月21日に初飛行したDo-26飛行艇は、斬新な設計だったが、大戦勃発により民間での需要はなくなり; 生産数は6機のみにとどまった。飛行艇は、元来、海上で使用することを前提としているが、運用にあたっては、海水の上で使用すると金属腐食・塩害の問題があり、淡水湖で使用するほうが、都合が良かった。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Original title: info Flugzeug Do 26 auf dem Müggelsee Archive title: Berlin.- Ganzmetall-Flugboot Dornier Do 26 "Seeadler" (Kennung: D-AGNT) auf dem Müggelsee Dating: 1. September 1938 Photographer: Pahl, Georg Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 Signature: Bild 102-18146引用(他所引用不可)。



写真(上)ドイツ、ドルニエ(dornier)Do-26飛行艇
:フリードリッヒスハーフェンのドルニエ飛行機工場で製造され、主翼に目印となる白線を引き、ボーデン湖(Bodensee)上空で、試験飛行中と思われる。ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)の大西洋横断郵便機として開発され、初飛行は1938年5月21日。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発したため、民間需要はなくなり、軍用飛行艇として、海上哨戒偵察、輸送に投入された。しかし、量産には至らず。生産は6機の試作のみで終わった。
Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Vliegboten, Vliegtuigen Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany Bijschrift Dornier vliegboot, DO 26, vliegend. Type Foto
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) Beeldbank.defensie.nl・Beeldnummer 115 引用。

写真(右)1942年6月28日、ドイツ、東プロイセンのラステンブルク総統大本営「狼の巣」から列車に乗ってドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥の下に到着したフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥:二人とも元帥で元帥杖を持って挨拶を交わしている。1941年6月22日、ドイツが独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に侵攻した。すると、それから4日後、6月27日には、フィンランドも、ソビエト連邦に侵攻した。これは、1939-1940年の対ソ連「冬戦争」で奪われた国土を取り返すということが名目だった。フィンランドは、枢軸国ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、対ソ連・反ボリシェビキの戦争協力を話し合った。マンネルハイムは、1942年6月時点で、ヨーロッパを支配するドイツ後押しを受け、ソ連に復習戦争を仕掛けることを大変に喜んだはずだ。フィンランドは、恨み重なるソ連打倒の好機として、継続戦争を自ら開始した。フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥は、1942年6月27日、ドイツ空軍の遣わしたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200コンドル C-3/U9輸送機に乗って、東プロイセン州ラステンブルク総統大本営「狼の巣」にナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー総統を訪問、作戦会議に出席した。そして、翌6月28日には、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)国家元帥の下にも参じて、対ソビエト連邦との戦争協力を話し合った。こうなれば、マンネルハイム元帥が、ソ連を明確な敵とし、領土の回復、ソ連ボリシェビキの弱体化を真剣に望んでいたのは明らかである。
Borchert, Christian: Empfang des Ministerpräsidenten Herrmann Göring am Hauptbahnhof (Szene aus dem Dokumentarfilm "Ministerpräsident Göring besucht Dresden"), 1935.02.09/1935.02.10
SLUB / Deutsche Fotothek ・sa-kuva-3233引用。


ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)が国会議長に就任。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月の再軍備宣言によって新設された空軍の総司令官に就任。


1.ドルニエ(Dornier)Do-R ズーパーワール"Super-Wal"四発飛行艇

写真(右)1928年、ノルウェー、オスロフィヨルド、グレスホルムン島上空を飛ぶドルニエ Do-R ズーパーワール(Dornier Do R "Super-Wal")四発飛行艇;ドルニエDo-Jワール双発飛行艇を大型化し、エンジンを2基から4基に増やし、20人乗りの飛行艇となった。これがDo-Rスーパー・ワール"Super-Wal"飛行艇である。後方、岸壁に横付けしている帆船はスパインの練習船であろうか。
Creditline Nationaal Archief/Collectie Spaarnestad/Het Leven/Fotograaf onbekend Fotograaf display Onbekend Codec-plaatsing 2734-1 The largest flying boat in the world the four engined Dornier Napier with room for 20 passengers in full flight. 1928. Kleur Zwart-Wit Opnamedatum vanaf (*) 1928 .
写真は2015 Spaarnestad Photo : beeldnummer SFA022812046引用。


写真(右)1928年6月、デンマーク、スピッツベルゲンで待機しているドルニエ Do-R ズーパーワール(Dornier R 4 Superwal)四発飛行艇 :エンジンは480馬力4基を搭載している。北極探検飛行中に行方不明になったイタリアのノビレ隊の飛行船「イタリア」"Italia"を捜索するために、スピッツベルゲンに向かった。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-06004.
Original title: info Deutsche Hilfe für die Suche nach der verschollenen "Italia". Das deutsche Dornier-Grossflugboot mit vier 480 P.S. Motoren, welches zur Hilfeleistung des verschollenen Nobile und seinem Luftschifff nach Spitzbergen entsandt wird.
Archive title: Flugboot Dornier R 4 Superwal" der Società Anonima Navigazione Aerea (SANA), Kennung "I-RENE".
Dating: Juni 1928.
Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv .
写真はBundesarchiv: Signature: Bild 102-06004 引用。


ドルニエ(Dornier)Do-Rズーパーワール("Super-Wal")飛行艇は、Do-Jワール双発飛行艇を四発飛行艇に拡大した大型飛行艇。Do-Rでは、前方キャビン(11名)だけでなく、後方キャビン(8名)も拡充し、乗客19名を運ぶことができた。ドルニエ Do-R ズーパーワール試作1号機(D-1115)は、ロールス・ロイス コンドル-IIIエンジン650馬力2基を縦列串型のタンデム配置とし、前部の牽引式プロペラ、後部の推進式プロペラを駆動するのはDo-Jワール飛行艇と同じだが、エンジンは2組4基搭載している。ドルニエ(Dornier)Do-Rズーパーワール("Super-Wal")飛行艇の初飛行は、1926年9月30日だったが、生産機数は19機で、イタリアとドイツで合計250機生産されたDo-Jワール飛行艇の10分の1だった。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-R飛行艇を見る。


2.ドルニエ(Dornier)Do-18飛行艇

ドルニエ社は、ベストセラーになったドルニエDo.Jワール飛行艇の後継機として、形状を一回り大型化した輸送飛行艇を、ドイツ・ルフトハンザ航空のために開発した。この機体の構造は、Do.Jワール飛行艇を踏襲し、胴体支柱の上にエンジンとパラソル式の主翼を備えていた。そして、胴体左右に水上安定を確保する図る浮きを張り出させている。エンジン配置は、Do.Jワール飛行艇で採用したのと同じ串型で、主翼中央上面に、縦に置き、3翅の牽引式プロペラと推進式プロペラ(プロペラをエンジン後部に取付ける)を備えている。発動機は、ユンカース ユモJumo205ディーゼルエンジンで、燃費がいいために、航続距離の延長に寄与できた。

写真(右)1930-1931年頃、ドイツ、ドルニエDo 18 飛行艇の機首銃座の7.92ミリMG15旋回機銃、主翼中央上部のユモJumo205ディーゼルエンジンを点検している整備員;7.92ミリMG15機銃は、7.92x57mmモーゼル弾使用、銃身595mm、鞍型ドラム弾倉75発、全長1,334mm、重量12.4kg、発射速度1,000発/分、銃口初速 800m/秒。
Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157-112-020 Beschrijving Bovenaanzicht linksachter van een Dornier Do.18 vliegboot van de Luftwaffe tijdens de start voor een verkenningsvlucht naar de Engelse oostkust. Plaats Onbekend Datering van 1940-01-11 Trefwoorden Luftwaffe, Duitse strijdkrachten, vliegtuigstarts, vluchten, verkenningen, inzet, Tweede Wereldoorlog, conflicten, Dornier Do 18, vliegboten Specifieke kenmerken K Vervaardiger PK.-Tews (Weltbild) Materiaalsoort Ontwikkelgelatinezilverdruk Kleur/Zwart-wit Zwart-wit.
写真はBeeldbank ・Objectnummer 2157-112-020引用。


 ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)は、長距離の郵便航路と旅客航路に、ドルニエDo-Jワール”Wal”を投入し実績を上げていた。そこで、1920年代から大活躍していたDo-Jワールの発展型を、1934年に同じドルニエに開発を依頼した。つまり、Do-Jワール飛行艇の後継機としてDo-18飛行艇が設計された。そこで、成功作となったDo-Jワール双発飛行艇を引き継いで、
支柱を使って、胴体の上部に主翼を配置するパラソル翼、
牽引式・推進式のプロペラで飛行する2基のエンジンの串型縦列タンデム配置、
水上安定性を確保しながら、空気抵抗を減らし、燃料タンクの容積を確保する胴体下部のバルジ式スポンソンのフロート、
をそのまま採用した。発動機は、燃費のいいディーゼルエンジンを装備した。これはユンカースの開発したユモJumo205ディーゼルエンジンで、直列6気筒液冷だった。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-18飛行艇を詳しく見る。


3.ドルニエ(Dornier)Do-24 飛行艇

写真(右)1937年頃、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-24飛行艇
Collectie Fotoalbums voormalig Instituut voor Maritieme Historie Beschrijving Een Dornier Do 18 vliegboot ligt afgemeerd aan een boei. Plaats Onbekend Precisie start Circa Datering van 1936 Precisie eind Circa Datering tot 1940 Trefwoorden Dornier Do 18, vliegboten Vervaardiger Onbekend Materiaalsoort Ontwikkel-gelatinezilverdruk Kleur/Zwart-wit Zwart-wit
写真はNIMH-beeldbank.defensie.nl・Objectnummer 2157-112-018 引用。


ドルニエ(Dornier)社の開発したDo-24飛行艇の主翼はパラソル式で胴体の肩より上についていて、さらに、その上にエンジン3基が装備されている。高い位置にエンジンが置かれたために、離水・着水の水上滑走時に、プロパラの位置が水面よりもかなり上になり、波浪や飛沫の影響が小さくなる。また、Do-24飛行艇は、前作のDo-J、Do-18飛行艇と同じく、胴体中部には、水上安定性を保つためにバルジ・スポンンソン方式のフロート(浮き)が設けられている。このフロートは、パラソル式の主翼を支える支柱の基盤にもなっており、内部は、燃料タンクとして使われている。

写真(右)1937年、オランダ海軍が製造権を取得して使用したドルニエ(Dornier)DO-24K-1哨戒偵察飛行艇;機首には銃座が備わっているのが確認できる。主翼はパラソル式で、その上に空冷星形エンジンが装備されている。そのため、プロパラの位置が、水面よりもかなり上になり、波浪や飛沫の影響を受けにくくしている。胴体中部には、水上安定性を保つためにバルジ式の浮きが設けられている。この浮きは、パラソル式の主翼を支える支柱の基盤にもなっている。オランダ海軍の発注になる軍用の偵察哨戒飛行艇だが、機首・胴体後方・尾部の銃座に、機銃は見えず、未装備のようだ。
Dornier Do-24 Catalog #: 00078585 Manufacturer: Dornier Designation: Do-24 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) Beeldbank.defensie.nl・Objectnummer 2173-247-030 引用。


ドイツ空軍のドルニエ(Dornier)Do24飛行艇は、水上機基地から海難救助任務に、 Do 26飛行艇は水上機基地からの輸送任務に主に就役した。またDo24は、飛行艇母艦に乗せられたことはなく、Do26も飛行艇母艦運用試験のみで、実際の運用は行っていないようだ。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-24飛行艇を詳しく見る。


3.ドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇


写真(上)1938年9月1日、第二次大戦勃発前に完成したドイツ、ベルリン郊外ミュッゲル湖の上空を飛行するドルニエ(Dornier)Do 26 「ゼ-アドラー」"Seeadler"(海鷲)飛行艇 (民間登録コード: D-AGNT) 飛行艇
:1938年5月21日に初飛行したDo-26飛行艇は、大戦勃発前の国籍マーク、すなわち垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ卍十字)を描いている。斬新な設計の飛行艇だったが、大戦勃発により民間での需要はなくなり; 生産数は6機のみにとどまった。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Original title: info Flugzeug Do 26 auf dem Müggelsee Archive title: Berlin.- Ganzmetall-Flugboot Dornier Do 26 "Seeadler" (Kennung: D-AGNT) auf dem Müggelsee Dating: 1. September 1938 Photographer: Pahl, Georg Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Signature: Bild 102-18143 引用(他所引用不可)。


『日本航空學會誌』1939年 6 巻 52 号 p. 931-947 「新飛行機」(木村秀政, 北川義雄)
獨 逸〔5216〕 ドルニエ(Dornier) Do. 26型
― 大西洋横斷用郵便物・貨物輸送用飛 艇;肩翼單葉;乘員3;金屬製;引込式補助浮舟;ユンカース"ユモ205型"600馬力ヂーゼル發動機4臺. 本機はDo.18型及びDo.24型から更に發達したもので,近代的輸送機として普通の巡航速度と郵便物搭載量とを以て,強い向風に於て北大西洋を横斷し得るに足る航續性能を有すること,荒海上に於て着水し得ること,水上からの自力の離水は輕荷状態に於てのみ可能で,普通はカタパルト射出により出發すること等の要求により製作された.郵便物900kg,巡航速度300km/hを以て,無風状態で9,000kmの航續距離があり,リスボン・ニューヨーク間5,400kmに對し十分の餘裕がある.

写真(右)ドイツ,飛行中のドルニエ(Dornier) Do 26 A V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT):初飛行は、1938年5月21日。肩翼上面にユンカース ユモ 205C ディーゼルエンジン600馬力2基を縦列串型タンデムで2セット配置し、四発42基を搭載。空気抵抗の少ない細長い流線型だが、輸送用飛行艇としては、容積が少なく、大型貨物も積み込み困難である。
Ett fly i lufta. Dornier Do. 26 D-AGNT Fotografering: 1935 - 1945 Identifier: NL.03050036 Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published: November 21, 2014 Date updated: December 18, 2014 DIMU-CODE: 021015548164 UUID: 9F31302E-D429-49B8-93EA-A6BD45EB08E7
写真はNorsk Luftfartsmuseum・Identifier: NL.03120010 引用。


Do.18型に比し,利用 荷重も,全重量も,全馬力も夫々2倍になつてゐるが,それでゐて巡航速度が90km/hも増してゐるのは,空氣力學的な改良による.その最 も主なるものは,Do.18型が半片持高翼型で鰭付艇體を有してゐたのに反し,本機が片持高翼型で引込式補助浮舟を有する點である.翼上に裝備されたプロペラの水面間隔を十分に取るため,翼はなだらかな鴎型になつてゐる.發動機は左右2個づ ゝ串型に配置されてゐるが,離水の際に水沫がかゝらぬやう,後方發動機は10°(プロペラ軸で40cm)上方に傾けられるやうになつてゐる.

写真(右)1939年頃,第二次大戦勃発前のドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)ドルニエ(Dornier) Do 26 V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT):民間輸送機として就航したので、武装のための銃座はない。垂直尾翼に赤帯白丸黒ナチ党カギ十字スワスチカのドイツ国籍マークを描いている。絵葉書ポストカード。
Ansichtskarte / Postkarte Dornier Do 26, D AGNT, Militärflugzeug, Luftwaffe  Zustand, siehe Scan.
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten , Nr. 10.390.614引用。


翼荷重はDo.18型の102kg/mm2に 對し166・7kg/mm2,主翼縱横比ばDo.18型の6・2に對し7・5.ドルニエの特長であつた艇體鰭は,水力學的に優秀だと空氣抵抗大く,幅の廣い艇體艇でないと用ひ得ぬが,本機は之を廢し,極めて幅の狹い艇體を用ひてゐる.主要隔壁の幅で全重量を割つた値は滑水底面積荷重の見當を與へるものであるが,之が本機では約80kg/cmで,ショート・エンパイア飛行艇はこの値が60・4kg/cmとなつてゐる.この20トンの飛行艇で80kg/cmと云ふやうな値は,カタパルト用でなければ用ひ得ぬ値である.各部を空氣力學的に注意深く設計した結果.本飛行艇全體のF・Cw(翼面積と抗力係數との積)は,1928年のシューパーワール艇の動力裝置だけのそれより僅か大きいに過ぎないのである. (『日本航空學會誌』1939年 6 巻 52 号 p. 931-947 「新飛行機」(木村秀政, 北川義雄) 引用)

写真(右)1938-1939年,第二次大戦勃発前、着水しようとするドルニエ(Dornier) Do 26 A V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT):主翼後縁のフラップが開いて下方に下がっている。ドルニエDo-26飛行艇の初飛行は、第二次大戦15カ月前の1938年5月21日で、大戦前のドイツの国籍識別マークは、垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ十字)。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46170329 - Catalog:16_007483 - Title:Dornier Do 26V-1 Nowarra Collection - Filename:16_007483.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46170329引用。


1938年5月21日に初飛行したドルニエ(Dornier)Do-26飛行艇は、大戦勃発前の国籍マーク、すなわち垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ卍十字)を描いていた。斬新な設計の飛行艇だったが、大戦勃発により民間での需要はなくなり; 生産数は6機のみにとどまった。飛行艇は、元来、海上で使用することを前提としているが、運用にあたっては、海水の上で使用すると金属腐食・塩害の問題があり、淡水湖で使用するほうが、都合が良かった。1939年9月の大戦勃発後は、垂直尾翼の赤帯白丸は、敵機からも目立ちすぎるために廃止され、単に白縁付きのカギ十字を描いた。

写真(右)1939年,第二次大戦勃発前のドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)ドルニエ(Dornier) Do 26 V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT):民間輸送機として完成したため、銃座などはない。しかし、ナチ党カギ十字のドイツ国籍マークを垂直尾翼に着けていると、いかにも軍用に転用することを前提に製造されたように思えてくる。
SDASM Archives Dornier Do 26 Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID:38235915 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002314.TIF - --Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:38235915引用。


『日本航空學會誌』1939年6巻52号 p.931-947 「新飛行機」(木村秀政, 北川義雄)
獨 逸〔5216〕 ドルニエ(Dornier) Do. 26型
本機の構造は全金屬(ヂュラルミン)製.主翼は2桁式(桁の構造は第19圖參照),外板は平滑で水密鋲により取付けられ,主翼に水上浮力を與へてゐる.前方發動機は主翼前縁に,後方發動機は前後桁の間に配置され,後方發動機は長い傳動軸により推進プ ロペラを驅動する(第20圖).この後方の發動機と長軸とプロペラとを包括する構造は前述の如く,離水時の水沫を避けるため,その重心の周りに囘轉出來る.この囘轉軸は後桁の上方にあり,電氣的に操作される.この特殊な構造による重量増加は,各部の重量輕減や,特に艇體と浮舟の有害抗力面積減少で十分補はれてゐる.發動機が串型に配置され,しかもその搭載法が工夫されてゐるので,飛行中にも發動機まで達することが出來る.

写真(右)1938-1939年,第二次大戦勃発前、ドルニエ(Dornier)Do 26 A V2試作2号機「ゼーファルケ」(Seefalke:海鷹)(登録コード:D-AWDS):大戦前のドイツの国籍識別マークは、垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ十字)
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46170354 - Catalog:16_007485 - Title:Dornier Do 26 V-2 Nowarra Collection - Filename:16_007485.TIF - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr,a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46170354 引用。


導管類はすべて一目瞭然と,手の届き易いやう配置されてゐる.引込式補助浮舟の構造は第22圖に示す.艇體は後のステップまで貫通する2本のワグナー梁型の龍骨と8個の水密隔壁とを有つ.艇體の前後桁の中間に當る部分は,艇體自身で燃料タンクを形成,1,840l×4の燃料を容れ得る.之により重量輕減のみならず,タンク・艇體間の無用な隙間がないのでスペースの節約にもなる.この重量輕減は,全燃料搭載で着水するとき,水面衝撃力と燃料に對する慣性力とが艇體構造物に影響なく直接釣合ふことにも因る.又燃料の搭載位置が重心に近いので飛行中餘りトリムの狂ふ心配がない.(木 村)
『日本航空學會誌』1939年6巻52号 p.931-947 「新飛行機」(木村秀政, 北川義雄)引用)

写真(右)1939年9月以前,海岸近くをゆっくり水上滑走する無塗装のドルニエ(Dornier) Do 26 飛行艇:銀色の外板のリベットがよくわかる。タンデム配置後方のユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205D液令12気筒ディーゼルエンジン880 PS (647 kW)2基が上方に傾けられている。
写真は,WW2AIRCRAFT.NET, Forums World War II - Aviation Aircraft Pictures Dornier Do-26引用。


1938年5月21日に初飛行したドルニエ(Dornier)Do 26四発飛行艇は、民間機として使われるはずだったが、1939年9月に第二次世界大戦が勃発、ドイツ空軍の哨戒偵察機として使用されるることになった。ただし、Do 26飛行艇の生産数は試作機6機のみ。

写真(右)1939年頃,第二次大戦勃発前のドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)ドルニエ(Dornier) Do 26 V2飛行艇試作2号機「ゼーファルケ」(Seefalke:海鷹)(登録コード: D-AWDS)への荷物積み込み作業:自動車の屋根に積んだ段ボール箱の荷物を降ろして、水上機基地の滑走台ランプに停泊するDo26飛行艇機首上に搭乗用の梯子をかけて積み込み作業をしている。民間輸送機として就航したので、武装のための銃座はない。垂直尾翼に赤帯白丸黒ナチ党カギ十字スワスチカのドイツ国籍マークを描いている。絵葉書ポストカード。
Foto Hoffmann, Dornier Do 26 Seefalke Flugboot, Lufthansa, Hilfsgüter für chilenische Erdbebenopfer - Photo Hoffmann 39 Zustand, siehe Scan, ungelaufen ca 15 cm X 10 cm.
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten , Nr. 10.531.556引用。


飛行艇は、元来、海上で使用することを前提としているが、運用にあたっては、海水の上で使用すると金属腐食・塩害の問題があり、淡水湖で使用するほうが、都合が良かった。

写真(右)1939年9月以前,砂浜海岸から海上に押し出されるドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)ドルニエ(Dornier) Do 26 V2飛行艇試作2号機「ゼーファルケ」(Seefalke:海鷹)(登録コード: D-AWDS):船体が砂浜に乗り上げ接岸したのは、搭乗員の昇降、上陸あるいは搭乗のためであろう。しかし、海岸が岩場であれば船体が損傷するので接岸することはできない。
写真は,WW2AIRCRAFT.NET, Forums World War II - Aviation Aircraft Pictures Dornier Do-26引用。


ドルニエ(Dornier) Do 26 四発飛行艇の主翼は上反角がついていて、海面との距離を開けて波しぶきがプロペラに当たりにくいようにしている。主翼上部に搭載されたユンカース ユモ Jumo205C ディーゼル・エンジンは、串型縦列タンデム配置で2機を1組に、合計2組エンジン4基が備わっている。プロペラは、前方が牽引式、後方が推進式に配置されている。主翼の上反角部分と水平部分の接合部に置かれた縦列のエンジンナセルに、Do-R飛行艇、Do18飛行艇と同じく、牽引式プロペラと推進式プロペラを組み合わせて取り付けていた。

写真(右)1939年,第二次大戦勃発前のドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)ドルニエ(Dornier) Do 26 V3試作3号機(登録コード: D-ASRA):民間輸送機として完成しDo 26 V3試作3号機は、ドイツ空軍仕様Do 26 B型の原型となった。ナチ党カギ十字のドイツ国籍マークを垂直尾翼に付けている。胴体前後に銃座を備えれば、容易に軍用に転換可能だった。飛行艇としては高性能だが、ロッキード・ハドソンのような同時代の陸上輸送機・哨戒機と比較すると、飛行性能は劣っていた。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46170368 - Catalog:16_007486 - Title:Do 26V-3 prototype of projected B series was taken over by Lufftwaffe Npwarra Coll - Filename:16_007486.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:38235915引用。


1930年初頭、既にドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)は、大西洋上に飛行艇母船を配置し、そこを中継基地として、アフリカから南アメリカに大西洋を横断する郵便航路を開いていた。使用していたのは、ドルニエDo-Jワール飛行艇、Do-Rズーパーワール四発飛行艇で、飛行艇母船にデリックで引き上げて、そこで、機体の燃料補給・整備、搭乗員の休息を行い、天候に左右されないように、船上の大型カタパルトから射出発進するというシステムである。これをより高速化・安全性を高めようと、1937年にドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)は、ドルニエ社に新飛行艇を発注した。これに答えてドルニエ社が開発したのが、斬新な設計のDo-26四発飛行艇である。

写真(右)1938年9月23日,第二次大戦勃発前、キール軍港で建造中のドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」"Graf Zeppelin":カタパルト2基を装備した近代的な大型艦橋を備えた空母として建造されたが,未完成に終わった。ドイツ軍は,空母を1隻も保有することができなかった。 ドイツ海軍は,大型戦艦「ビスマルク」型2隻,巡洋戦艦「シャルンホルスト」型2隻,ポケット戦艦「ドイッチュラント」型3隻を建造,就役させた。
Title Flugzeugträger "Graf Zeppelin", Bau Deutschlands erster Flugzeugträger Am 8. Dezember läuft in Kiel der erste Flugzeugträger der deutschen Kriegsmarine vom Stapel. Unser Bild zeigt die Backbordseite des neuen Flugzeugträgers. Bei Abdruck nennen: Scherl Bilderdienst, Berlin Date 23 September 1938 Bild 146-1982-145-29A
写真は Wikimedia Commons,Category:Graf Zeppelin (ship, 1938),File:Bundesarchiv Bild 146-1982-145-29A, Flugzeugträger "Graf Zeppelin", Bau.jpg引用。


ドイツ海軍 航空母艦 グラーフ・ツェッペリン ドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」Graf Zeppelin)の諸元

発注 1935年11月16日
起工 1936年12月28日
進水 1938年12月8日
排水量 33 550 t
全長 262.5 m
全幅 31.5 m
吃水 7.6 m
機関 タービン2基4軸、20万馬力
最高速力 35 kt
航続距離 19ノット/8,000マイル
建造中断 1940年6月
建造中止 1943年
1945年4月25日 自沈

ドイツ海軍は、航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」Graf Zeppelin)の建造を開始したものの、竣工させることができなかったために、ドイツ空軍(Luftwaffe)は、海軍に代わって自らカタパルト装備飛行艇母艦(Catapult vessels)を保有し、第二次世界大戦中に7隻を使用している。

写真(右)1933年、大西洋上、飛行艇母船が艦尾から海上にシート・マットを流して、波を静かにし、ドルニエ Do-J ワール(Dornier Do R "Wal")双発飛行艇を引き上げようとしている。;ドルニエDo-Jワール双発飛行艇では、無着陸で大西洋横断はできない。しかし、大西洋上に飛行艇母船を配置し、そこで整備・補給を行えば、大西洋を横断可能である。この飛行艇母船には、「ヴェストファーレン」SS Westfalenが知られており、この母船も「ヴェストファーレン」であろう。
Creditline Nationaal Archief/Collectie Spaarnestad/Het Leven/Fotograaf onbekend Fotograaf display Onbekend Codec-plaatsing 2734-1 Flying boats. A German Dornier flying boat on the towsail of a German ship (Westfalen?) 1933. Kleur Zwart-Wit Opnamedatum vanaf (*) 1933.
写真はNationaal Archief: beeldnummer SFA022812043引用。


飛行船や水上機を荒れた海上に置いたままにはできない。そこで、大西洋上に静かな海面が確保できない以上、飛行船や水上機を母船の甲板に引揚げてから、整備・点検し、燃料その他を補給することが考えられる。

 飛行船を母船甲板に引揚げるには、母船にデリック(クレーン)を取り付け、それで持ち上げればよいが、荒れた海上では飛行艇が動揺しており、クレーンの先端のフックを飛行艇に引っ掛けるのは難しい。そこで、海上に母船艦尾からシート・マットを流して、海上の波を打ち消し、母船の船体を利用して波を弱めながら、船尾からデリックで飛行船を収容した。

このような母船からシート・マットを流して、波を打ち消し、水上機をデリックで収容する方法は、日本海軍が艦艇に搭載した艦載機(水上偵察機機)の収容するときにも一時的だが、採用している。

写真(右)1933年6月6日、大西洋、飛行艇母船「ヴェストファーレン」SS Westfalenのデリックで吊り上げられ、カタパルトに据え付けられようとするルフトハンザ航空航ドルニエDo-J 10tワール(Whale)飛行艇(D-2069?);デリックの右側にカタパルトがある。
Ray Wagner pictionid61646385 - catalogdornier wal seaplane stopping over at base-ship westfalen to be serviced and relaunched by catapult. 6 jun 1933. - titlearray - filenamemeyer0021.tif
Image from the Henry Cord Meyer Collection-Please tag these photos so that the information will be kept with our Digital Asset Management System
写真はSDASM Archives: 61646385引用。


1934年、ドイツのルフトハンザ航空による世界初の大西洋横断大陸間連絡定期航路を開拓し、ドルニエDo-Jワール飛行艇(Dornier Do J "Wal")によって、ドイツのベルリン−ブラジルのリオデジャネイロ間の郵便貨物専用路線に就航させた。

しかし、Do-Jワール飛行艇の航続力を以てしても、無着陸で大西洋横断はできなかったため、ルフトハンザ航空は大西洋上に飛行艇母艦を待機させ、その近くにドルニエDo-Jワール飛行艇(Dornier Do J "Wal")を着水させ補給を行った。飛行艇母艦のデリックで、Do-J飛行艇を船上に引き上げて整備と燃料などの補給を行い、カタパルトを使って射出し、大重量の飛行艇を確実に安全に飛行させた。大西洋横断には、4日間で1万2000キロを飛び、ヨーロッパ大陸と南米大陸とを連絡した。Do-Jによる大西洋横断航空便輸送は、約300回実施された。

写真(右)1938-1939年,第二次大戦勃発前、大西洋上で飛行艇母船「ヴェストファーレン」(?)にデリックで吊り上げられているドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)ドルニエ(Dornier) Do 26 V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT):主翼は上反角がついていて、海面との距離を開けて波しぶきがプロペラに当たりにくいようにしている。主翼上部に、ユンカース ユモ Jumo205C ディーゼル・エンジンを串型縦列タンデム配置で2機を1組に、合計2組配置した四発飛行艇。、主翼の上反角部分と水平部分の接合部に置かれた縦列のエンジンナセルに牽引/推進式に取り付けられていた。
Title:German Plane aboard vessel, in South Atlantic. Lufthansa Description:German Aircraft: Misc. Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year: Before this Year: Original Medium:BW Photo
写真は,Naval History and Heritage Command,Catalog #:NH 112967引用。


ドイツ空軍(Luftwaffe)のカタパルト装備飛行艇母艦(Catapult vessels

日本海軍 水上機母艦 秋津洲 スペルベル (Sperber:ハイタカ;SP 11):ハンブルクで1938年11月26日進水、排水量 1086トン、全長70.25m, 全幅 14.55m、吃水1.8m、18tクレーン1基、18tカタパルト1基。

ブッシュラント(Bussard ;SP 21):ケーニヒスベルクで1940年進水、1942年5月1日竣工、排水量 2040 トン、全長 98,3m、全幅14.0 m 吃水1.8m、20tクレーン1基、20tカタパルト1基。

ファルケ(Falke :鷹;SP 22):ケーニヒスベルクで1940年7月29日進水、1942年11月22日竣工、総トン数 2040トン、全長 98.3m、全幅14.0 m、吃水2.33m、20tクレーン1基、20tカタパルト1基。

ヴェストファーレン(Westfalen):ゲーシュテミュンデ(ブレーメン北30km)で1905年11月14日進水、1906年12月30日竣工、排水量 1万700トン、全長130.54m、全幅16.08m、吃水 8.52 m、3000馬力、1軸、最高速力12ノット。

シュワーベンラント(Schwabenland):キールで1925年3月14日進水、1925年7月16日竣工, 排水量1万6200トン、全長 147.0m、全幅 18.41 m、吃水 9.95m、3600馬力、燃料:ディーゼル1600トン搭載、2軸、最高速力 11ノット、15tクレーン1基、14tカタパルト1基。

オストマルク(Ostmark):キールで1936年4月15日進水、5月16日竣工、排水量 2500トン、全長79.8m、全幅11.25m、吃水4.72m、15tクレーン1基、14tカタパルト1基。

フリースラント(Friesenland):キールで、1937年3月23日進水、5月13日竣工、排水量 1万1500トン、全長 140.5m、全幅 15.56m 、吃水8.42m、20tクレーン1基、18tカタパルト1基。

写真(右)1938-1939年,第二次大戦勃発前、大西洋上で飛行艇母船飛行艇母船「ヴェストファーレン」(?)の大型カタパルトに搭載されたドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)ドルニエ(Dornier) Do 26 V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT):主翼は上反角がついていて、海面との距離を開けて波しぶきがプロペラに当たりにくいようにしている。主翼上部に、ユンカース ユモ Jumo205C ディーゼル・エンジンを串型縦列タンデム配置で2機を1組に、合計2組配置した四発飛行艇。、主翼の上反角部分と水平部分の接合部に置かれた縦列のエンジンナセルに牽引/推進式に取り付けられていた)
Title:German Plane aboard vessel, in South Atlantic. Lufthansa Description:German Aircraft: Misc. Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year: Before this Year: Original Medium:BW Photo
写真は,Naval History and Heritage Command,Catalog #:NH 112968引用。


ドルニエ(Dornier)の開発したDo 26 A V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT)は、エーリッヒ・グンダーマンErich Gundermann)操縦で、1938年5月21日に初飛行し、Do 26 A V2試作2号機「ゼーファルケ」(Seefalke:海鷹)(登録コード:D-AWDS)はエゴン・ファス(Egon Fath)操縦で1938年11月23日に飛行している。この2機は、大西洋横断航路に投入される予定で、1939年にドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)に引き渡され、南アフリカ共和国のバサースト(Bathurst)から大西洋を横断し、ブラジルのナタル(Natal)に至る大西洋郵便輸送に投入された。

しかし、このような長距離民間輸送に新鋭機を投入する必要性は、第二次大戦の勃発によって低下してしまった。新たに完成していた試作3号機も含め、Do-26飛行艇は、軍用に転用され、登録コードも各々、P5+AH, P5+BH、P5+CHへと変更された。

写真(右)1940-1944年頃、ノルウェー、飛行艇母艦「フリースラント」(Friesenland)の18トン射出ハインケル・カタパルト上に船尾右寄に大型20トンクレーンを使い搭載されようとしているブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138 B飛行艇;船尾には、飛行艇を艦船に持ち上げるための大型20トンクレーンが装備されている。
A German Blohm & Voss BV 138 float plane being lifted aboard the German aircraft tender Friesenland, in Norwegian waters, during the Second World War. Date between 1940 and 1945 Source U.S. Navy photo NH 71350 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command Author Unknown author
The depot ship Friesenland could carry two of these aircraft and she was launched at Kiel on 23 March 1937 and completed later that year. She operated in France and Norway as a seaplane tender/depot ship, and was also used as a repair ship at Trondheim. After the war, Friesenland was taken over by the Royal Navy and continued to be used as a seaplane depot. (Naval History and Heritage Command)
写真は, Category:Friesenland (ship, 1937) File:BV 138 float plane being lifted aboard the German aircraft tender Friesenland during World War II.jpg引用。


ドイツ空軍(Luftwaffe)は、ドイツ海軍(Kriegsmarine)に代わって自らカタパルト装備飛行艇母艦(Catapult vessels)を保有し、第二次世界大戦中に7隻を使用している。このうち4隻は、既にドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)が使用していた飛行艇母船を徴用したもので、3隻がドイツ空軍の発注になる。BV 138と同様にドルニエ(Dornier) Do 26も、このカタパルト装備飛行艇母船に搭載、運用される予定だった。

ドイツの飛行艇母艦7隻のうち、4隻は、既にドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)が使用していた飛行艇母船を徴用したもので、3隻がドイツ空軍の発注になる。ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV-138飛行艇も、このカタパルト装備飛行艇母艦に搭載、海上哨戒任務に使われた。

ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇は、水上機基地から海難救助任務に、 Do 26飛行艇は水上機基地からの輸送任務に主に就役した。Do24は、飛行艇母艦に乗せられたことはなく、Do26も飛行艇母艦運用試験のみで、実際の運用は行っていないようだ。

図(右)1939年、ドイツ飛行艇母艦フリースラント」(Friesenland)(北海沿岸);船尾には、飛行艇を艦船に持ち上げる大型20トンクレーンが船尾右寄りに装備されている。左舷に18トン射出ハインケル社カタパルトに搭載されているのはブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)子会社のハンブルク航空Ha 139水上機 「ノルドスターン"Nordstern":北極星」 (D-ASTA)
Description Lot-2275-4: German Warships, WWII. Plans for German catapult seaplane tender, Friesenland, 1939. Halftone image from Division of Naval Intelligence, Identification and Characteristics Section, June 1943. Courtesy of the Library of Congress. (2016/05/06). Date 6 May 2016, 09:46 Source Lot-2275-4 Author National Museum of the U.S. Navy
写真は, Category:Friesenland (ship, 1937) File:Plans for German catapult seaplane tender, Friesenland, 1939 (26760763932).jpg引用。


日本海軍 水上機母艦 秋津洲 ドイツ飛行艇母艦「フリースラント」(Friesenland)(北海沿岸)の諸元
1937年3月23日、ドイツ、キール進水、1937年5月13日、ブレーメン竣工
1万1500総トン
全長:140.5m、全幅:15.56m、喫水:8.24m
燃料:1620トン
ディーゼル機関5800hp、2軸
最高速力:16ノット
装備:20tクレーン1基
18トン射出ハインケル社カタパルト1基
兵装:20mm対空機関銃4挺
乗員:49名、航空関連搭乗員:34名。

写真(右)1940-1942年頃,ドイツ海軍飛行艇母艦に大型20トンクレーンで吊り上げられて、艦後甲板の左舷18トン射出ハインケル社カタパルトに据え付けられようとしているドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138C-1偵察飛行艇の正面 :燃費の良いユモJumo 205Dディーゼルエンジン3基搭載して長距離飛行を可能にした。プロペラは、左右主翼上のエンジンでは3翅だが、胴体中央のエンジンは、クリアランスが狭いために、4翅で直径を小さく抑えている。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43932695 - Catalog:16_005023 - Title: Blohm & Voss Bv 138 C-1 - Filename:16_005023.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43932695引用。


日本海軍 水上機母艦 秋津洲  ドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇は、ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138偵察飛行艇と同じユンカース(Junkers)ユモ(Jumo) 205液令6気筒ディーゼルエンジンを装備した。ただし、Bv138偵察飛行艇は3基で、中央の胴体上の発動機は、3翅ではなく4翅プロペラに変更された。プロペラは、左右主翼上のエンジンでは3翅だが、胴体中央のエンジンは、クリアランスが狭いために、4翅で直径を小さく抑えたのである。これによって、水上と飛行中の安定性が改善された。

ドイツ空軍(Luftwaffe)のカタパルト装備飛行艇母艦(Catapult vessels)「ブッシュラント」(Bussard;SP 21)と「ファルケ」(Bussard;SP 22)は、同型のカタパルト装備飛行艇母艦で、ともに1942年竣工、排水量 2040トン、全長 98.3m、全幅14.0 mで、大型20トンクレーンが船尾右寄り装備し、ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV-138飛行艇2機を搭載し、左舷の18トン射出ハインケル・カタパルトに射出可能だった 。

写真(右)1944年5月26日、ノルウェー沖、カタパルト装備の飛行艇母艦「ブッシュラント」あるいは「ファルケ」 に搭載された2機のブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138発飛行艇;ブッシュラント(Bussard;SP 21)とファルケ(Falk:SP 22)は同型のカタパルト装備の飛行艇母艦で、ともに1942年竣工、排水量 2040トン、全長 98.3m、全幅14.0 mで、飛行艇を2機まで搭載することが可能 。飛行艇母艦は、飛行艇の整備、燃料補給、飛行艇搭乗員の休養などを任務とする。船尾右寄に大型20トンクレーン、左舷寄に18トン射出ハインケル・カタパルト各1基を装備。
Beeldnummer 43451 Collectie NIOD
Trefwoorden Marine, Oorlogsschepen, Vliegdekschepen, Vliegtuigen
Locatie Naam: Kingdom of Norway Land: Norway Bijschrift Sie sichern Norwegens Küste. Das Katapultschiff. Von ihm werden unsere bewährten Flugboote "BV 138" abgeschleudert, um ihre Reise über See anzutreten.
Datum 26/05/1944
写真は, BeeldbankWo2 Beeldnummer 43451 引用。


ドイツ空軍(Luftwaffe)のカタパルト装備飛行艇母艦にブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138 C-1飛行艇は搭載されたが、艦上に船尾右寄りに設けた大型20トンクレーンで 。またBv138C飛行艇には、ワルター(Walter)109-501補助ロケット推力500kg2基を搭載し、42.5秒間、推力1000kgのロケット噴射で短距離離水が可能だった。

ドイツのワルター(Walter)109-502補助ロケットの場合は、推力750kgのものをBV-138 C-1飛行艇に2基を搭載し、30秒間、推力1500kgのロケット噴射で短距離離陸することも可能だった。いずれも、使用後のワルター・ロケットは、切り離されパラシュートで降下、回収し再使用することができた。

写真(右)1940-1944年頃、ノルウェー、飛行艇母艦の巨大なカタパルト上に搭載されている2機のブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138飛行艇;船尾右寄には、飛行艇を艦船に持ち上げるための大型20トンクレーン、左舷寄には18トン射出ハインケル・カタパルト各1基を装備。船体の大半は、1本煙突の煙突以外、扁平で、船上での飛行機搭載に障害物はない。
Title:German aircraft tender Caption:At Tromso, Norway, during World war II. Her planes are BV-138 seaplanes. Description: Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1939 Before this Year:1945
写真は, Naval History and Heritage Command Catalog #:NH 71351引用。


写真(右)1940年頃,ノルウェーの海岸(?)、ドルニエ(Dornier)Do 26四発飛行艇試作機4号機(V 4):ドルニエDo 26四発飛行艇は、試作機6機のみしか生産されなかった。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1985-017-02 Original title: info Flugboot Dornier Do 26 Archive title: Zweiter Weltkrieg.- Flugboot Dornier Do 26 V 4 während des Fluges. Dating: 1940/1945 ca. Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真はBundesarchiv,Bild 146-1985-017-02引用。


ドルニエ(Dornier)Do 18双発飛行艇の主翼は片翼式、Do24飛行艇の主翼はパラソル式だったが、新鋭Do26四発飛行艇の主翼は、それまでにドルニエが採用していなかった逆ガル式である。主翼は胴体の片部分化伸びているが、海面から少しでも引き離したように、上側に折れ曲がっている。そこで、主翼上面に取り付けたエンジンやプロペラには、水上滑走中に、海面からの波飛沫が当たりにくい構造になっている。つまり、プロペラやエンジンの海水飛沫による損傷と錆びが生じにくい構造になっているのが、逆ガル式主翼である。

写真(右)1939-1940年頃,第二次大戦勃発後、ドイツ南端、ヴュルテンベルク州、フリードリヒスハーフェン(Friedrichshafen)、ボーデン湖畔上空を低空飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier) Do 26 C 飛行艇試作6号機V-6(登録コード: P5-DF ):民間輸送機として完成し、ドイツ空軍仕様のB型の原型となった。銃座はない。垂直尾翼の赤帯白丸を廃止して、黒ナチ党カギ十字スワスチカだけのドイツ国籍マークを付けている。絵葉書ポストカード。
Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Seefernaufklärer Flugboot Dornier Do 26 C, P5DF - Sonderstempel Friedrichshafen 1984, Festakt 100. Geburtstag Claude Dornier  Zustand, siehe Scan, ungelaufen ca 14 cm X 9 cm.
写真は,Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten , Nr. 10.510.034引用。


『日本航空學會誌』1939年6巻52号 p.931-947 「新飛行機」(木村秀政, 北川義雄)
獨 逸〔5216〕 ドルニエ(Dornier) Do. 26型
〔要目〕 翼幅300m,全 長24・5m,主 翼面積120・0mm2,自 重10,200kg,搭 載量9,800kg,全 備重量20,000 kg,翼 荷重166・7kg/mm2,馬 力荷重8・33kg/HP,翼 馬力20HP/mm2. 〔性能〕 最大速度335km/h,巡 航速度310km/h,降 着速度110km/h,航 續距離9,000km

写真(右)1939-1943年,飛行中の迷彩塗装をほどこしたドイツ空軍 Do 26 C 飛行艇試作6号機V-6(登録コード: P5-DF ):主翼後上方には機銃スポンソンを設けているが、機首の15.1ミリMG151動力式銃塔は未装備。飛行艇が地上を低空飛行しているが、迷彩塗装の硬化が窺われる。ドイツの国籍識別マークは、戦前は垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ十字)だったが、戦時中は黒のスワスチカだけになった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46170380 - Catalog:16_007487 - Title: Do 26V-6 front MG 151 turret not yet installed Dornier photo - Filename:16_007487.TIF .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46170380 引用。


写真(右)1939-1942年、ドイツ、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-26飛行艇;主翼両側に取り付けられたフロートは、引込み式で、主翼の内側に折りたたむことができる。これによって、飛行中の空気抵抗を減少させて、速力を向上することができる。パラソル翼で、翼を位置を高くして、水上滑走時の波の影響を受けないように配慮している。エンジンは、翼よりも高い位置に置いて、プロペラにも波が被らないように配慮した設計になっている。
Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Vliegboten, Vliegtuigen
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Bijschrift Dornier vliegboot, DO 26 Type Foto
写真はBeeldbankWo2.nl・Beeldnummer 117引用。


ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-26飛行艇は、機首動力銃塔に20ミリモーゼル MG 151/20 機関銃1挺、主翼後方胴体左右スポンソン銃座にラインメタル7.92ミリMG 15機関銃各1挺を搭載している。ドイツの国籍識別マークは、戦前は垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ十字)だったが、戦時中は黒のスワスチカだけになった。

写真(右)1939-1943年,飛行中の迷彩塗装をほどこしたドイツ空軍ドルニエ(Dornier) Do 26飛行艇C型試作6号機V-6(登録コード: P5-DF )::試作2号機V-2を改修してドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇C型とした。機首にモーゼル15.1ミリMG151機関銃動力式銃塔を搭載し、主翼後上方にも機銃スポンソンを設けている。ドイツの国籍識別マークは、戦前は垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ十字)だったが、戦時中は黒のスワスチカだけになった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46170342 - Catalog:16_007484 - Title: Dornier Do 26 V-2 after conversion to C version Nowarra Collection - Filename:16_007484.TIF.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46170354 引用。


写真(右)1940-1943年,海上に待機する迷彩塗装をほどこしたドイツ空軍ドルニエ(Dornier) Do 26飛行艇C型('Seeadler':'Sea Eagle')(P5-AH)胴体シダ利息方の搭乗員昇降口:試作2号機V-2を改修してドルニエ(Dornier。機首にモーゼル15.1ミリMG151機関銃動力式銃塔を搭載し、主翼後上方にも機銃スポンソンを設けている。民間機だったドルニエ(Dornier) Do 26 V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT)を軍用仕様とした機体。
写真は,WW2AIRCRAFT.NET, Forums World War II - Aviation Aircraft Pictures Dornier Do-26引用。


写真(右)1940-1943年,海上に待機する迷彩塗装をほどこしたドイツ空軍ドルニエ(Dornier) Do 26飛行艇C型('Seeadler':'Sea Eagle')(P5-AH)胴体シダ利息方の搭乗員昇降口:試作2号機V-2を改修してドルニエ(Dornier。機首にモーゼル15.1ミリMG151機関銃動力式銃塔を搭載し、主翼後上方にも機銃スポンソンを設けている。民間機だったドルニエ(Dornier) Do 26 V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT)を軍用仕様とした機体。
写真は,WW2AIRCRAFT.NET, Forums World War II - Aviation Aircraft Pictures Dornier Do-26引用。


写真(右)1940-1943年,海上に待機する迷彩塗装をほどこしたドイツ空軍ドルニエ(Dornier) Do 26飛行艇C型('Seeadler' :'Sea Eagle')(P5-AH):試作2号機V-2を改修して製造されたのがDo 26 C 飛行艇。機首にモーゼル15.1ミリMG151機関銃動力式銃塔を搭載し、主翼後上方にも機銃スポンソンを設けている。民間機だったドルニエ(Dornier) Do 26 V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler:海鷲)(登録コード: D-AGNT)を軍用仕様とした機体。
写真は,WW2AIRCRAFT.NET, Forums World War II - Aviation Aircraft Pictures Dornier Do-26引用。



写真(上)1939年,ドイツ空軍 Do 26 飛行艇の左側面・上中央部構造図と胴体断面図
:主翼後上方の機銃スポンソンも機首銃塔もないも民間輸送機型。後部エンジンは情報に傾けることができるが、これは離着水時の高速水上滑走中の波飛沫を避け、プロペラを保護する工夫である。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46170380 - Catalog:16_007487 - Title: Do 26V-6 front MG 151 turret not yet installed Dornier photo - Filename:16_007487.TIF .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, 引用。



写真(上)1939-1943年,ドイツ空軍 Do 26 飛行艇の正面構造図
:左右の主翼にある補助浮舟フロートは、主翼内側に引込み可能。エンジンに取り付けられた三翅プロパラの中心軸は、小後方の水平尾翼の位置と同じで、気流の流れ、プロペラ後流の撹乱を抑制している。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46170380 - Catalog:16_007487 - Title: Do 26V-6 front MG 151 turret not yet installed Dornier photo - Filename:16_007487.TIF .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive, 引用。


写真(右)1940年,ドイツ空軍ドルニエ(Dornier) Do 26飛行艇の民間仕様と軍用仕様の三面図:軍用仕様は、試作2号機V-2を改修して製造された。機首にモーゼル15.1ミリMG151機関銃動力式銃塔を搭載、主翼後上方にも機銃スポンソンを設けている。民間機ドルニエ(Dornier) Do 26 V1試作1号機「ゼーアドラー」(Seeadler)(登録コード: D-AGNT)も軍用仕様に改造された。
写真は,WW2AIRCRAFT.NET, Forums World War II - Aviation Aircraft Pictures Dornier Do-26引用。


ドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇の諸元
全長: 24.50m
全幅: 30.0m
全高: 6.90m
翼面積: 120 平方メートル
空虚重量: 10,200 kg
搭載量: 500 kg
全備重量: 20,000kg
発動機: ユンカース ユモ 205C 600馬力 4基
最高速力: 335km/h
巡航速度: 310km/h
航続距離: 9,000km
巡航高度: 4,600 m


1940年5月28日にノルウェー、ナルビク(Narvik)沖で撃沈されたDo-26V-1飛行艇「ゼ-アドラー」が水深20m地点でダイバーにより発見された。


1940年5月28日にノルウェー、ナルビク(Narvik)沖で撃沈されたDo-26飛行艇「ゼ-アドラー」発見 ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇、その後に登場したスーパーマリン・ストランラー(Stranraer)飛行艇は、斬新な技術を実用化した優れた飛行性能の飛行艇だった。

しかし、すぐに第二次世界大戦が勃発し、民間輸送のための発注は見込みがなくなり、高性能の飛行艇を新規に量産するには、経費と労力がかかりすぎることは明らかだった。新鋭機ドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇は生産中止となり、部隊配属された機体も損傷しても補充されなかった。

他方、性能は劣るが、既にオランダで量産が開始されていたドルニエ(Dornier)Do 24飛行艇は、引き続きオランダの工場の資本を活用するために生産が続けられ、合計279機が量産され部隊に配備された。旧式だった前作ドルニエ(Dornier)Do 24飛行艇のほうが、新式のDo 26飛行艇飛行艇よりも生産機数・就役機数が多く、就役期間も長くなったのである。


4.ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 偵察飛行艇

写真(右)1943年秋,ノルウェー沖の氷の海で、ドイツ海軍潜水艦Uボートと会合して、軽油燃料の補給を受けようとするブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:中央エンジンには4翅細プロペラ、左右主翼のエンジンには3翅幅広プロペラを装備している。手前の鉄棒は、Uボート艦橋後部の機銃台の手摺。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0111-09 Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss Bv 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


海軍提督レーダー ドイツ海軍提督エーリヒ・レーダーErich Raeder: 1876-1960)総司令官は、大戦1年前の1938年、イギリス海軍に対抗できるドイツ海軍のZ計画を提示し、戦艦10隻(ビスマルク級戦艦の大型化)、装甲艦15隻(ドイッチュラント級装甲艦の大型化) 、空母4隻(グラーフ・ツェッペリン級)を主軸とする大海艦隊拡充の方針を打ち出したが、大戦勃発によって、そのほぼすべての建艦計画が中止されてしまう。そこで、ドイツ海軍は、索敵、哨戒など交通破壊戦に特化した空海立体作戦を進めようと企図し、海上航空兵力の充実を臨んだ。

例えば、ブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)Bv138飛行艇のようなは、海上の哨戒偵察のために、燃費の良いユンカース(Junkers)ユモ(Jumo) 205液令6気筒ディーゼルエンジン880hp3基を搭載していた。軽油(ディーゼル油)は燃費がいいだけでなく、ドイツ海軍で普及していたディーゼル機関搭載の艦船と同じ燃料を使うことも都合が良かった。

ブローム・ウント・フォス社として、BV 138V1試作1号機が初飛行したのは、第二次大戦半年前の1939年2月と遅れたために、民間航空での使用されることはなく、軍用に回された。1941年に改良型のBV 138Cが登場し、実用に耐えると判断され、偵察飛行艇として採用された。Blohm & Voss Bv 138飛行艇は、227機生産され、大西洋、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。

ドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138飛行艇は、海上の哨戒偵察のために、燃費の良いユンカース ユモ 205ディーゼルエンジン3基搭載していた。軽油(ディーゼル油)は燃費がいいだけでなく、ドイツ海軍で普及していたディーゼル機関搭載の艦船と同じ燃料を使うことも都合が良かった。特に、ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv138飛行艇は、海上で密かにドイツ海軍潜水艦Uボート(ディーゼル機関搭載)と会合し、同じ軽油の燃料をゴムホースをつないで給油することができ。これによって、陸上の水上機・飛行艇基地に帰還することなく、長距離索敵飛行をすることができるようになった。

1941年に改良型のブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138C型が登場し、実用に耐えると判断され、偵察飛行艇として採用された。BV138飛行艇は、227機生産され、大西洋、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。

ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138C飛行艇の諸元
全長: 19.85 m、全幅: 27.00 m
全高: 5.90 m
全備重量: 15,480 kg
発動機: ユンカース ユモJumo205Dディーゼルエンジン(880 馬力)3基
最高速力: 290 km/h
航続距離: 4,023 km
兵装:機首動力銃座 20ミリMG151/20 機関銃1丁、胴体後上方動力銃座 20ミリMG151/20 機関銃1丁、中央エンジンナセル後上方銃座:13.1ミリMG131旋回機関銃 1丁
搭載量:150キロ爆雷 4発
乗員: 6名

⇒写真集Album:ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV-138飛行艇を見る。


5.ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV222「ヴィーキング」"Wiking"六発大型飛行艇

写真(右)1940年、ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V-2 六発大型飛行艇「ヴィーキング」"Wiking"試作2号機(CC+ER) ;BV 222試作1号機は、ブラモ BMW Bramo 323R ファニール(Fafnir)空冷星形エンジン(1000馬力)6基を装備、民間登録記号D-ANTEをつけて、1940年9月7日に初飛行したが、戦局は、このような六発大型飛行艇を量産することを許さなかった。V2号機 (CC+ER) は1941年8月7日に初飛行し、1942年8月に登録コードX4+ABとして長距離巣用部隊に配備された。兵装は強化され、主翼上面に13.1ミリMG 131 動力機関銃を備えた。生産機数は、事実上試作機として合計13機のみ。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932965 - Catalog:16_005045 - Title:Blohm & Voss Bv 222V-2 Nowarra photo - Filename:16_005045.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlikers, SDASM Archives Catalog:16_005045引用。


大戦勃発に伴って、ブローム・ウント・フォス BV222大型飛行艇は、軍用への転換が期待され、試作機は1940年9月に初飛行に成功、軍用輸送機として実験的に配備されることとなった。軍隊輸送用に、機体に大型扉を設け、ノルウェー方面への輸送任務に投入されたのである。結果は良好だったが、試作2号機以降は、戦時であることを配慮して、防御兵装として、機関銃を装備するようになった。また、輸送任務だけではなく、長い航続距離を活かして、遠距離哨戒偵察機としても採用され、1943年には、BV222飛行艇に対艦船用レーダーのFuG200ホーエンツベル捜索レーダーを搭載した。

⇒写真集Album:ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV222「ヴィーキング」飛行艇を見る。


6.ドルニエ(Dornier)Do-X大型飛行艇

写真(右)1930-1931年頃、海上を離水したドイツのドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇(登録コード:D-1929);Do-Jワール、Do-18飛行艇と同じく、水上安定性を確保するために、胴体中央部左右に浮きを張り出し、胴体上部に主翼をパラソル式に配備し、主翼中央上面にカーチス社コンカラー(Curtiss Conqueror) V型12気筒液冷エンジン610馬力12基を2機ずつ箱型ナセルに縦列串タンデム式に搭載している。
SDASM Archives Dornier Do-X PictionID:38275467 - Catalog:AL-135B 141 Dornier Do-X D-1929 - Filename:AL-135B 141 Dornier Do-X D-1929.tif - This image is from a photo album donated to the Museum by JL Highfill which includes images taken in the Pacific during the Second World War .
写真はSDASM Archives・PictionID:38275467 引用。


Do-Jワール、Do-18飛行艇と同じく、ドルニエDo-X 12発巨人型飛行艇は、(登録コード:D-1929)水上安定性を確保するために、胴体中央部左右に浮きを張り出し、胴体上部に主翼をパラソル式に配備し、その上にエンジンを縦列縦型に配置している。正面から見ると、主翼上面にエンジンナセル6基が見えるが、これは前後2基のエンジンを縦列串型にエンジン12基を配置したため。エンジンは、シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)9気筒空冷星型エンジン525馬力で、流線型ナセルに縦列串型配置、12基の合計出力は6600馬力となる。プロペラは4翅木製一体構造である。

⇒写真集Album:巨人機ドルニエ(Dornier)Do-X輸送飛行艇を見る。


7.クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士の飛行艇

写真(右)1927年,ドルニ エ金属加工有限会社社長クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士
Inventory: Bild 183 - Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild Signature: Bild 183-R02094 Original title: info Zentralbild Prof. Dr.-Ing. h.c. Claude Dornier, Flugzeugkonstrukteur, geb. 14.5.1884 in Kempten/Allgäu; Chef der Dornier-Metallbauten GmbH in Friedrichshafen a.B.; er baute 1922 den Dornier-Wal, 1926 das Dornier-Superwal-Flugzeug und 1929 die "Do X". Aufnahme 1927 12301-27 Archive title: Claude Dornier am Schreibtisch sitzend Dating: 1927 Photographer: o.Ang. Agency: Scherl Origin: Bundesarchiv
写真はBundesarchiv,File:Bundesarchiv Bild 183-R02094, Claudius Dornier.jpg引用。


写真(右)1930年3月,ドルニエ金属加工有限会社社長クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士:1929年、世界最大の巨人機ドルニエDo-X飛行艇を完成させ、乗客169名を乗せて飛行性世界記録を樹立した。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-09496 Original title: info Dr. Dornier, der geniale Construkteur und Schöpfer des größten deutschen Flugbootes Do X, wird dasselbe bei seiner Fahrt nach Amerika begleiten Archive title: Porträt Claude Dornier Dating: März 1930 Photographer: Pahl, Georg Origin: Bundesarchiv
写真はBundesarchiv,File:Bundesarchiv Bild 102-09496, Claude Dornier.jpg引用。


クロード・ドルニエClaude Dornier)は、フランス人の父とドイツ人の母の子として、1884年5月14日にドイツ帝国バイエルン王国で生まれ、ミュンヘン工科大学で機械工学を学んだ。卒業後、1910年に、ツェッペリン飛行船(Luftschiffbau Zeppelin)に入社し、社長のツェッペリン伯爵に引き立てられて、1913年にドイツ国籍を取ることができた。ドルニエを、クロード(Claude)とフランス語風にではなく、クラウディウス (Claudius) とドイツ語風に呼び習わすのは、そのためである。 クラウディウス・ドルニエClaudius Dornier)は、ドイツ南部、ボーデン湖畔リンダウに設立されたツェッペリン・リンダウ製作所で飛行機の開発を行った。

 1914年8月、第一次世界大戦が勃発すると、航空兵力の重要性が高まったため、クラウディウス・ドルニエClaudius Dornier)にも才能を発揮する機会が訪れた。1916年、設計事務所をフリードリヒスハーフェンFriedrichshafen)に設けた。1917年、ドルニエの部署は、ツェッペリン・コンツェルンの中 リンダウ・ツェッペリン工場有限会社(Zeppelin Werk Lindau GmbH)ととして独立し、ドルニエが社長に就任した。こうして、ドルニエは、ツェッペリン‐リンダウ(Zeppelin-Lindau)CL.I複葉機、とドルニエ・ツェッペリン(Dornier-Zeppelin)D.I戦闘機を設計、開発した。これら複葉機は、金属応力外皮の堅牢な機体で、片持翼で支柱のない洗練された主翼を持っていた。

写真(右)1931年,Do K-3輸送機の前に立ったドルニ エ金属加工有限会社社長クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士:ドルニエ Do K‐1(Dornier Do K)は、クラウディウス・ドルニエにより開発された、乗客8名の旅客輸送機で、1929年5月7日に初飛行をした。しかし、パワー不足の為、300馬力のワルター空冷星形エンジン4基に強化したDo K-3輸送機が作られたが、性能はあまり改善せず、結局、3機試作されただけで終わった。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-03504A Original title: info Flugzeugkonstrukteur Dornier Archive title: Prof. Dr. Claude Dornier vor Flugzeug Dornier Do K-3 (Kennung D-2183; Erstflug August 1931) Dating: 1931 ca.
写真はBundesarchiv,File:Bundesarchiv Bild 102-03504A, Claudius Dornier.jpg引用。


第一次世界大戦でドイツが破れ、1919年11月に、ベルサイユ条約が結ばれると、ドイツは戦車・潜水艦の保有は禁止され、航空兵力も事実上禁止されるなど、大幅な軍備制限を受けることとなった。しかし、敗戦後のドイツ・ワイマール共和国でも、航空機の重要性は認識されており、クラウディウス・ドルニエClaudius Dornier)らは、ベルサイユ条約による妨害を受けずに飛行機を開発しようと、ベルサイユ条約の制限のない国外に飛行機の設計・開発・製造の拠点を移した。フリードリヒスハーフェンFriedrichshafen)航空会社を維持しつつ、ドイツ南部、ボーデン湖畔のスイス側のロールシャッハに工場を設け、1921年8月には、3座の小型飛行艇「リベレ」“Libelle“を初飛行させた。

 Do A小型飛行艇「リベレ」“Libelle“は、のちのDo-Jワールの小型版といった形だった。即ち、パラソル式高翼、主翼上のエンジン、胴体中央部の張出し式フロートが、備わっている。

Do-A小型飛行艇「リベレ」“Libelle“の諸元
ヴュルテンベルク州ボーデン湖畔、フリードリヒスハーフェンFriedrichshafen)工場で製造
全長: 7.18 m、全幅: 8.5 m、全高: 2.27 m
翼面積: 14 平方メートル
空虚重量: 420 kg、総重量: 640 kg
シーメンス(Siemens-Halske Sh 4)5気筒空冷星形エンジン (60馬力)1基搭載
最高速力:120 km/h、巡行速力: 100 km/h、
航続距離: 300 km、実用上昇限度(Service ceiling): 1,600 m

写真(右)1930−1940年頃,ドルニ エ金属加工有限会社社長クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士:、1884年5月14日 - 1969年12月5日)は、ドイツの航空技術者。バイエルンで生まれ。
Dornier, Claude Catalog #: BIOD00316 Last Name: Dornier First Name: Claude Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives,Catalog #: BIOD00316引用。


 クラウディウス・ドルニエClaudius Dornier)は、1922年、イタリア、ピサ海岸(Marina di Pisa)に(CMASACostruzioni Mechaniche Aeronautiche S.A.)を設立したが、ここではドルニエの世界的傑作機Do.J ワール飛行艇が開発され、1922年11月に初飛行させている。べルサイユ条約の航空兵力禁止により、ドイツ国内では大型の飛行艇の製造が事実上できなかったため、ドルニエは、1922年、イタリアのマリーナ・ディ・ ピサ海岸(Marina di Pisa)の飛行機修理工場を買い取り、子会社とし、Do‐Jワール“Wal”飛行艇の組み立てを行ったのである。

ドルニエDo-J飛行艇の成功のおかげで、1922年、クラウディウス・ドルニエClaudius Dornier)は、リンダウ・ツェッペリン工場有限会社の共同出資者に昇格し、これをドルニエ金属加工有限会社(Dornier Metallbauten GmbH)と改称して、ボーデン湖畔のドルニエ・ボーデン湖畔、フリードリヒスハーフェンFriedrichshafen)を充実させた。こうして、ドルニエは飛行機製造者として独立したのである。


写真(上)1942年、ドイツ、コンスタンツ湖、アルテンハインのドルニエ(Dornier)工場の飛行艇滑走路、空港ターミナル;シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)9気筒空冷星型エンジン525馬力を流線型ナセルに縦列串型配置で12基装備、合計6600馬力。プロペラは4翅木製一体構造ガラスの丸窓もきれいに並んでいる。
Title: Altenrhein, Dornier Werke
Caption: Im Vordergrund: Staad/SG mit der Eisenbahnlinie Staad-Rheineck Dating: 1942 Photography : gelatine silver print
Special Size: 12,5 x 17,5 cm Categories: Airport buildings + Airport terminals, Views of locations and cities, Runway, Places, View Collection, Unknown, Lake of Constance, Altenrhein
写真はETH-Bibliothek Zürich・Record Name: Ans_13644引用。


写真(右)1930−1940年頃,飛行技師クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士:1884年5月14日生まれ、- 1969年12月5日死去。
SDASM Archives Dornier, Claude Dornier, Claude Catalog #: BIOD00317 Last Name: Dornier First Name: Claude Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives,Catalog #: BIOD00317引用。


永岑三千輝(2016) 「ヴェルサイユ体制下ドイツ航空機産業と秘密再軍備(4)」 「『横浜市立大学論叢』Vol.67、No.1・2 には、次のようにある。

ナチスの政権掌握(1933年1月)とともに始まった大々的な秘密再軍備 (公然化は1935年)の中で、航空機産業の軍用機生産はとりわけ急速に拡 大した。その前提となったのは、ワイマール期、ヴェルサイユ条約履行体 制下の民需用飛行機の開発であった。既述のハインケルとユンカースがナ チス期再軍備の中核に位置付けられたことは言うまでもないが、ドルニエ 社も、1934−35年のミルヒの航空機秘密再軍備の計画の中で、計画の筆 頭にあげられ、重要な位置を占めていた1。いやむしろ、爆撃機においては、生産者の筆頭にあげられ、ユンカースが副次的役割(補助的爆撃機の 生産)に置かれている。そのことは、下記の表4−1が示すとおりであり、 ドルニエ社の陸上爆撃機320機は、ユンカースの陸上爆撃機450機に次ぐ 大量の製造計画となっている。水上機タイプでも21機、実験的新型爆撃機 シリーズを含むその他各種の機種のなかにも、ハインケル111機、ユンカー ス86機と並んで、ドルニエ17機が含まれている。

写真(右)1930−1940年頃,飛行技師クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士:1884年5月14日生まれ、- 1969年12月5日死去。
SDASM Archives Myhra_00300 David Myhra Collection Image Claudius Dornier (1884)-Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives,Myhra_00300引用。


このミルヒ計画が拡大された1934年1月1日の緊急計画(ラインラント 計画)においても、爆撃機としてのドルニエ機(Do11,Do13/Do23)の生 産計画は総数400機で、ユンカース450機とほぼ並び、ハインケルの各機 種の合計693機についできわめて大きな役割を与えられていることは明確である。 それでは、このドルニエ社は、ヴェルサイユ体制下においては、どのよ うに開発・活動実績を上げ評価されていたのであろうか。

結論的に言えば、 民間航空機開発で世界的に注目を集める開発を次々に成功させ、その実績 が世界的にも認められていたということである。ドルニエは、飛行機にお ける軍需から民需への転回においてユンカースとともに当時の世界の最先 端を走ったということである。
その当時の名声のもと、外国の顧客の要望 に応じて軍用機需要にも対応し、自社の軍用機生産の技術・ノウハウも蓄 積し人員を養成して行った。

  1933年1月末のナチ政権誕生直後からの航空戦力における秘密再軍備の 規模と迅速さの意味合いを確認するために、まず、1920年から32年の民 間機と軍用機の生産の統計を確認しておこう。

写真(右)1950−1960年頃,飛行技師クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士:1884年5月14日生まれ、- 1969年12月5日死去。
Dornier, Claude Catalog #: BIOD00315 Last Name: Dornier First Name: Claude Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives,Catalog #: BIOD00315引用。


表4−3から明らかなように、1920−32年の間の軍用機生産が合計でわ ずかに343機であり、飛行機生産の一割程度であることがわかる。

民間機 から軍用機への改造はこの程度の機数があれば経験を蓄積でき、最低限必 要な設計変更を行ったということであろう。ともあれ、この統計でヴェル サイユ体制下・空軍力禁止下の軍用機生産規模を確認することが出来る。

ヴェルサイユ体制下13年間の総生産機数は3284機である。ミルヒ計画 はわずか2年間に4千機を超える大々的な計画となっている。いかにナチ 政権とともに軍用機生産の飛躍的拡大が目指されたかがわかるであろう。 そして、それが可能であったのは、非常にポピュラーなユンカース52、あ るいはドルニエ機、例えば周知のドルニエ「クジラ」が特別の困難もなく長距離偵察機に転換できたからであった。当時の飛行機の発達段階からして、民間旅客機と軍用機との相互転用関係、用途・機能の転回は非常に 容易なレベルにあったといえよう。

写真(右)1950−1960年頃,飛行技師クロード・ドルニエ(Claude Dornier)博士:1884年5月14日生まれ、- 1969年12月5日死去。
Dornier, Claude Catalog #: BIOD00319 Last Name: Dornier First Name: Claude Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives, Catalog #: BIOD00319引用。


もう一つ確認できることは、この秘密再軍備計画において主要な実戦用 ないし作戦用軍用機は、ドルニエ、ハインケル、ユンカースの三社が担っ ていたということであり、他の機種ではアラドが一部戦闘機に食い込んでいるだけであった。その他のワイマール期の多数の航空機生産企業は、パ イロット訓練用の練習機中心であり、語の厳密な意味からは軍用機とは必 ずしも言えない類の機種の生産を託されただけである。

したがって、ハイ ンケル、ユンカース、そしてドルニエに焦点を当てることは、ヴェルサイ ユ体制下ドイツ航空機産業の発達、生産と市場の軍需用から民需用への転 回、さらには民需用から軍需用への再転回、秘密再軍備の実態を考える上 では妥当な選択ではないだろうか。 ナチ政権初期の秘密再軍備政策以降、軍用機は、ワイマール期航空機生 産企業のうち旅客機等の民間機で最先端の実績を上げ、それを国内外で提 供し、世界的な評価を確立した優良企業に託された、ということであろう。

永岑三千輝(2016) 「ヴェルサイユ体制下ドイツ航空機産業と秘密再軍備(4)」 「『横浜市立大学論叢』Vol.67、No.1・2 引用終わり。


Die Anfänge von Claude Dornier :クロード・ドルニエの映像


Claude Dornier :クロード・ドルニエ伝記映像


8.カント(CANT) Z.501(Gabbiano)飛行艇

写真(右)1935年10月12日ー28日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたイタリア空軍カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:機首側面に1934年10月10日、その下に1938年7月17日の二つの国際記録が描かれている。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta
Misure: 13 x 18
Note: In primo piano particolare dell'aereo idrovolante da ricognizione Cant Z-501 Gabbiano dei Cantieri riuniti dell'Adriatico
Genere: reportage Soggetto: esposizioni internazionali; aeronautica; aerei; fiere
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_95引用。


カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のコックピットのガラス風防は、左右に分かれている小型分割式のもので、これは空気抵抗の減少に配慮した設計だった。

しかし、後期のカント(CANT) Z.501飛行艇では、コックピットの居住性、意思疎通、操作性の向上を優先して、コックピットを大型化し、左右の操縦席を一体化した大型のガラス風防で覆うように改変されている。

写真(右)1935年10月,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z.501(Gabbiano)飛行艇:側方より撮影。
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 1935 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 13 x 18 Note: Lavori di allestimento della sezione italiana. In primo piano l'aereo idrovolante da ricognizione Cant Z-501 Gabbiano dei Cantieri Riuniti dell'Adriatico
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_92引用。


カントのフィリッポ・ザパタ(Filippo Zappata)技師は、1934年に小型飛行艇Z.501を重量軽減のために、木製羽布張りの構造として設計した。海上で滑走中に主翼に波浪の影響がないようにパラソル翼とし、その主翼の中央上面にイゾッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)アッソ(Asso)XI RC15液令12気筒エンジン 900 hpを搭載した。この発動機は、液令エンジンであるが、冷却器をエンジンの先端に環状に配置した環状冷却器であるために、空冷星形エンジンでと同じような形状となっている。

写真(右)1935年10月,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:側方より撮影。
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 13 x 18 Note: Veduta della sezione italiana con, in primo piano, l'aereo idrovolante da ricognizione Cant Z-501 Gabbiano dei Cantieri Riuniti dell'Adriatico. In secondo piano la sezione tedesca
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_91引用。


カント(CANT)とは、カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:CANT)の略称である。

写真(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の陸上に待機するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面:垂直尾翼には、第二次世界大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍記章が描かれている。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore C.R.D.A. Cant. Z. 501 serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。


写真(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の陸上に駐機するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面:垂直尾翼には、第二次世界大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレを模した国籍記章が描かれている。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501 serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。


⇒写真集Album:カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇を見る。


9.カント(CANT) Z.501(Gabbiano)飛行艇

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションを見学し、説明を受けているイタリア国王王太子ウンベルト2世(Piemonte Umberto II)(中央高身長)と後方の、カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z.506アイローネ(Airone:アオサギ)水上機:1935年8月19日初飛行のカントZ.506は、国民へのイタリア航空機の優秀さの誇示、諸外国への輸出という目的で展示された。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Visita del principe di Piemonte Umberto II di Savoia
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 13 x 18
Note: Il principe di Piemonte Umberto II di Savoia è accompagnato dal presidente della Fiera Piero Puricelli, dal generale Felice Porro e da altre personalità
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_26 引用。


カント(CANT)Z.506水上機は、フィリッポ・ザパタ(Filippo Zappata)技師の設計になり、1935年8月19日に初飛行した三発機である。1937年10月2-17日に北イタリア、ミラノで開催された航空展示会に出品された。カント(CANT)Z.506の生産機数は、試作2機、量産機314機と1930年代の大型水上機にしては多数生産されている。

カントとは、航空機メーカーのカンティエリ・ナヴァレ・トリエスティーノ(Cantiere Navale Triestino)の略称である。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z. 506 B アイローネ(Airone:アオサギ)水上偵察爆撃機:正面より撮影。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand dei Cantieri Riuniti dell'Adriatico Stabilimento Fotografico CrimellaDate 1994 Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24 Note: Al centro dello stand l'aereo trimotore idrovolante CANT Z 506 B "Airone" (versione da bombardamento)
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_221引用。


写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z. 506 B アイローネ(Airone:アオサギ)水上偵察爆撃機:斜め前方より撮影。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand dei Cantieri riuniti dell'Adriatico Stabilimento Fotografico Crimella. Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24 Note: In primo piano l'aereo trimotore idrovolante CANT Z 506 B "Airone" (versione da bombardamento)
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_225 引用。


カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機の初飛行は1935年8月19日で、この試作機をベースに高出力のアルファロメオ液令エンジンを搭載した特別仕様のZ.506水上機は、1936年から1938年に、国際飛行記録を樹立した。ピアッジオ ステラ P.IX空冷星形エンジンを装備したカントZ.506Aは、1936年からイタリア航空(Ala Littoria)に就航しており、民間旅客輸送機として使用された。1940年の保有機数は、14機である。

カント(CANT:Cantiere Navale Triestino)Z.506水上機は、1935年8月19日の初飛行で、全長:19.25m、全幅:26.50m、全高:7.40m、総重量:12.3t、 アルファロメオ AR126RC34 空冷9気筒エンジン(750hp)3基搭載、最高速力 365km/h(高度3000m)、航続距離 2745km、乗員:4名。

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機を見る。


10.東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)「比較にならぬ劣勢」

「情ない」の一語に尽きる我が民間航空陣
最近欧米漫遊から帰朝する人は異口同音に欧米に比しわが国の軍器特に航空機の著しき劣勢を説く、近代的戦争が機械化し立体化して来た今日飛行機の軍事上における重要性は頗る大なるものがあり制空権の獲得は即ち戦いの勝敗を決するとさえいわれる、フランスがドイツやイタリーの感情を無視してまでもロシアと相互援助協定を結んだのは世界無比と称せられるロシア空軍の偉力に頼らんとしたためといわれている、近代的戦闘におけるその重要性の増大が即ち各国をして飛行機の発達と空軍の充実に狂奔せしめる所以である

然し空軍はその性質上戦端開始後短時間に消耗される、従って間断なくこれを補充する能力、即ち飛行機の新造と操縦士とを養成する能力の大小が即ち各国の空軍勢力の優劣を決めるのである、そこでまず飛行機製造工業の確立が必要であると共に如何に製造設備が充実していてもその設備を平時遊ばせて置く訳にはいかぬから平時間断なく製造される飛行機を消化する方法が考えられねばならない、各国が競って商業航空路の拡張に熱狂しつつあるのは即ち平時において製造される飛行機の消化を考えているからである

最近欧米各国は競って民間航空を国防上の観点から見ようとしている、即ち民間航空を国防の一部門として兵力量の一斑としての考慮を払いつつある、民間航空は即ち空軍第二陣であるから世界各国はその第二陣の発達を促すために必死の拡張戦を演じ殊に最近その触手は極東に向けられつつある

写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper":1934年12月30日初飛行、全長27.7m、全幅39.7m、翼面積330 m2、プラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1830ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン830 hp (708 kW)4基搭載。全備重量:23,701 kg、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Catalog #: 00068814 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 7 May 2010, 12:09 Source Martin : 130 : Clipper Uploaded by Rybec Author SDASM Archives
写真は,Category:Martin 130 of Pan American Airways File:Martin 130 Clipper (4589906869).jpg引用。


即ち最近汎アメリカ会社のチャイナ・クリッパー機によって処女航空路が開拓されたニューヨーク、香港間の定期郵便飛行をはじめ英国は本国と各植民地間の連絡のためロンドンより南阿ケープタウン線をシンガポールまで延長し、更にこれを香港、上海まで延長して完全に本国と東亜との連絡を完成せんとしている、フランスはパリ、サイゴン線をハノイまで延長し、更にこれを広東を経て上海に延長の計画をもっている、ドイツはベルリン−アテネ線をサイゴン−広東−上海に延長し、更にこれを東京まで延長の計画を持ちオランダはアムステルダムよりジャワ島のスラバヤに至る極東線を付近の蘭領諸島を経てマニラに延長する線の経営に著手し、ソヴィエトはモスクワ浦塩幹線から北平への支線を出し、またアラスカのノームまで延長してアメリカと連結せんとし、また浦塩より日本への延長をさえ望んでいる。


写真(上)1935年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"
:1935年10月に「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)が太平洋フィリピン航路に初就役。
Martin M-130 China Clipper 003cropped.tif---Lithograph of The Martin M-130 "China Clipper"; 1935; framed with an original piece of mail on the first Trans-Pacific Air Mail Service; Artist: Witkoff--- - -Image from the SDASM Curatorial Collection.Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives pictionid58086450 -引用。


かくの如く今や欧米列強の空の触手はすべて東亜に向って集中し、日本はこれ等の航空路によって四面より包囲される体形である、これに対してわが民間航空は情ないほど貧弱である、今各国が経営しつつある定期航空路の総延長及び飛行場の数を示すと(一九三六年五月現在)

世界の定期航空路の総延長及び飛行場の数(1936年5月現在)
       航空路     飛行場
イギリス  7万3419km 395か所
ドイツ   5万6km    231か所
フランス  4万9069km 112か所
イタリリア 1万5561km  67か所
ソヴィエト 4万8982km
アメリカ 10万2290km 2334か所
日本     5840km    20か所

右の表は空軍の第二陣であり補充母体であるわが民間航空の現状が世界の重要国に比し如何に劣勢の状態にあるかを示している、しかも、各国の飛行機製造会社はそれぞれ優秀なる機体或はエンジンの特許権を有しその海外輸出を行っているが、わが国の飛行機会社はこれ等の優秀機を高価に買入れて研究し模倣するか或は特許を買って製造するという情ない有様である、世界に対してこれが日本産の優秀機なりとして外国へ輸出し得るようなものは未だない

東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)引用。

写真(右)1934年,ソ連、ツポレフ(Tupolev)ANT-22 六発飛行艇:ANTとは、設計技師のA.N.Tupolevの頭文字である。長距離哨戒爆撃機として、ANT-22 (MK-1)試作機は1934年8月8日初飛行、双胴式で、二つの胴体は主翼中央部で連結されている。全長24.1 m、全幅51.0 m、翼面積304.5 m2、発動機ミクーリン(Mikulin) M-34R 液令12気筒エンジン820 hp (612 kW)を串型タンデム配置で6基搭載、空虚重量21,663 kg、全備重量33,560 kg、最高速力233 km/h、航続距離1,350 km、兵装は20 mmエリコン機関銃2丁、7.62mm ShKAS機関銃4丁。銃座は、胴体、機首、尾部、主翼後端に設けられていた。爆弾搭載量6000kg、乗員11名。波高1.5mまで運用可能。しかし、性能は悪くなかったが、試作で終わり、制式されなかった。
Catalog #: 00068825 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes: 27 December 2010 (original upload date) Source Transferred from ru.wikipedia to Commons. Author .The original uploader was Капитан Немо at Russian Wikipedia. Permission (Reusing this file) PD-OLD-70; PD-OLD-70/Алгоритм решения проблемы.
写真は,Category:Tupolev ANT-22 File:Tupolev ANT-22.jpg引用。


民間航空の発達は優秀にして廉価な飛行機を大量に作り料金を安くして誰でも手軽に乗れるようにしなければならない、米国や英国では四、五千ドルで優秀な軽飛行機が買えるという、最近航空国策が叫ばれ政府も航空事業の発達に対して稍力を入れるようになり一千万円の研究費を投じて航空機検査所、航空機試験所等を新設することとなり、他面内地、台湾線をシンガポールまで延長し更に台北−香港−ハノイ−バンコック線を新設してヨーロッパからの三定期空路と握手せんとする計画をもっているがこれが十年計画だというから情ない、わが内地−台湾空路に使用している十四人乗の優秀機だがこれはアメリカから買入れたものだ、アメリカの太平洋空路に就航するチャイナ・クリッパーは乗組七名、乗客四十三名の寝台設備を有しフランスの誇りラテコール五二一型機は客席七十を有する豪華さである

写真(右)1936年3月,フランス、ラテコエール 521(Latécoère 521)六発旅客飛行艇:初飛行は1935年1月10日で、大西洋横断旅客飛行艇として登場した大型機で、発動機6基を搭載、内側2基は串形タンデム式の搭載のために、一見すると四発機に見える。1機のみしか生産されていない。全長31.62 m、全幅49.31 m、翼面積330 m2、全備重量:37,933 kg、最高速力247 km/h、航続距離3,900 km。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana Non identificato
Description English: Latécoère 521 photo from NACA-AC-202 Date 1 March 1936 Source https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19930090517.pdf Author NACA Aircraft Circular
写真は,Category:Latécoère 521 File:Latécoère 521 NACA-AC-202.jpg引用。


こんな優秀機をわが国産機として見出し得るのは果していつの日か? 各国はこういう大旅客機を競争的に建造しつつあるが他面機体と別にガソリン発動機に対しディゼル航空発動機の研究競争が行われドイツの如き旅客機は勿論軍用機にもすでにディゼル発動機が装置されて実用化している、フランスにおいてはディゼルエンジンによる一万キロ無著陸飛行機完成に対して政府は一千万フランの懸賞を賭けて奨励している、然るに日本においては漸く最近ディゼル航空発動機を買入れて研究を始めたという万事に立遅れの状態である

図(右)1936年3月,フランス、ラテコエール 521(Latécoère 521)六発旅客飛行艇の胴体内部構造三面図:ラテコエール 521は最大乗客数72名、下層デッキにサロンとしてテーブル席20名分、客席はバスルーム付きツインルームと22席、上層デッキに客席18名分、さらに機関士室があった。フランス航空の長距離輸送機として、1939年5月から7月の間にフランス=ニューヨーク間を4回の往復している。
English: Latécoère 521 interior layout drawing from NACA-AC-202 Date 1 March 1936 Author NACA Aircraft Circular
写真は,Category:Latécoère 521 File:Latécoère 521 interior layout NACA-AC-202.png引用。


これ等の情報を耳にするとしみじみ日本の航空界の劣勢が痛感される、日本の科学者の頭脳が彼等に劣る結果だとは考えたくない、一九三五年度において、民間航空事業に対してドイツは一億三千三百万円、フランスは四千万円の補助奨励金を支出しているがわが国は僅かに五百万円前後にすぎない、この国家の力の入方の相違が発達の差の原因をなしている、この全面的立遅れを取戻すためには科学者の動員と政府の熱意と民間の協力が可欠の要件である
東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)引用終わり。

写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー:1935年10月に「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)が太平洋フィリピン航路に初就役し、1945年1月に最後の1機。「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)が事故で失われるまで使用された。全長27.7m、全幅39.7m、、全備重量:23,701 kg、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Catalog #: 00068825 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 7 May 2010, 12:10 Source Martin : 130 : Clipper Uploaded by Rybec Author SDASM Archives
写真はCategory:Martin 130 of Pan American Airways File:Martin 130 Clipper (4589907269).jpg引用。


マーチン M-130(Martin model 130)四発旅客飛行艇は、1934年12月30日に初飛行しサンフランシスコ、ハワイ諸島ホノルル、ミッドウェー島、ウェーク島、グアムを経由してアメリカ植民地フィリピンのマニラとの航路を開拓したが3機しか生産されていない。マーチン M-130「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)、「ハワイ・クリッパー」(NC14714)、「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)があった。

写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇ハワイ・クリッパー"Hawaii Clipper"(NC14714):1936年3月3日に就役、アジア太平洋航路に就役したが、1938年1月28日、グアム=ハワイ間を飛行中に行方不明となった。乗員9人と乗客6人が死亡。
Catalog #: 00068826 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 7 May 2010, 12:10 Source Martin : 130 : Clipper Uploaded by Rybec Author SDASM Archives
写真は, SDASM Archives Catalog #: 00068826引用。


パンアメリカン航空マーチン M-130「ハワイ・クリッパー」は、1936年10月にサンフランシスコを離水し、ハワイ諸島ホノルル、ミッドウェー島、ウェーク島、グアム島を経由して、フィリピンのマニラに着いた。その後、「ハワイ・クリッパー」は、シコルスキー(Sikorsky) S-42四発旅客用飛行艇に替わってマニラ=香港間の航路に就役した。しかし、1938年7月28日、グアム=ハワイ間で行方不明になり、乗員9人と乗客6人が死亡した。

写真(右)1935年11月以降,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇フィリピン・クリッパー"Philippine Clipper"(NC14715):1941年12月の1943年1月21日にカリフォルニア州サン・フランシスコ近郊で墜落、同乗者18名が死亡。
Martin : 130 : Clipper Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives Catalog #: 00068811引用。


1941年12月8日に日米開戦と同時に、アメリカ領ウェーク島は攻撃をうけた。ウェーク島には、海兵隊を中心とした守備兵500名のほかに、パンアメリカン航空の民間人70名、飛行場維持・整備員など民間作業員1100名であった。そこを12月8日早朝5時10分、クェゼリン環礁ルオット島を出撃した日本海軍第24航空戦隊九六式陸上攻撃機34機が空襲した。パンアメリカン航空マーチン M-130「フィリピン・クリッパー」は、ウェーク島からハワイ諸島に避難し、無事だった。

1941年12月10日、日本海軍第四艦隊司令長官井上成美中将隷下の第六水雷戦隊司令官梶岡定道少将指揮するウェーク島攻略部隊が到着した。ウェーク島攻略部隊は、第六水雷戦隊の軽巡洋艦「夕張」、旧式駆逐艦「追風」「疾風」「睦月」「如月」「弥生」「望月」を中核とし、第二十七潜水隊「呂65潜水艦」「呂号66潜水艦」「呂67潜水艦」、舞鶴特別陸戦隊も加わっている。そして、12月10日夜、ウェーク島夜間上陸が敢行されたが失敗した。そこで、翌12月11日3時半、軽巡3隻(夕張、天龍、龍田)と駆逐隊がウェーク島を艦砲射撃したが、アメリカ軍の51口径5インチ(127 mm)海岸砲台6門、50口径3インチ(76 mm)対空砲12門、 .50インチ (12.7 mm) ブローニング(Browning)重機関銃18丁などの反撃を受けて退避せざるを得なくなった。

日本海軍は、ハワイ攻撃を終えた阿部弘毅少将隷下の第八戦隊の重巡洋艦「利根」「筑摩」、空母「蒼龍」「飛龍」、駆逐艦「谷風」「浦風」を分離して、ウェーク島攻略の増援部隊として派遣し、12月21日4時半から、第二次ウェーク島攻略作戦が始まった。陸海空の攻撃を受けたアメリカ軍ウェーク島守備隊は12月23日、降伏した。

幸運だったM-130「フィリピン・クリッパー」だが、1943年1月オアフ島ホノルルを離水した後、21日にカリフォルニア州サン・フランシスコ近郊で墜落、同乗者18名が死亡した。

パンアメリカン航空マーチン M-130「チャイナ・クリッパー」は、今後のキャンシャサから、ブラジル経由で、1945年1月8日にトリニダード・トバコ島(Trinidad and Tobago)のポート・スペインで着水する際、事故を起こし同乗者23が死亡、機体も喪失した。

写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"(NC14716):1945年1月に「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)は。サンフランシスコ郊外に墜落し失われた。全長27.7m、全幅39.7m、、全備重量:23,701 kg、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Bilstein_00088 Martin 130 NC14716 Pan American Airlines Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives Bilstein_00088 Martin 130 NC14716 Pan American Airlines引用。


マーチン M-130(Martin model 130)四発旅客飛行艇の諸元
乗員:6-7名
乗客:座席36名/寝台18名
全長27.7m、全幅39.7m、全高7.5 m
主翼面積330 m2

発動機:プラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1830ツインワスプ(Twin Wasp)S2A5G空冷星形14気筒エンジン830 hp (708 kW)4基
最大離昇重量:23,701 kg
最高速力290 km/h
航続距離:5150km
巡航高度:10,000 ft (3,048 m)
就役:Hawaii Clipper 1935年10月9日
Philippine Clipper 1935年11月14日
China Clipper 1936年3月3日
生産機数:3機


11.読売新聞 1940.11.19 (昭和15)「南太平洋を四角に結ぶ新航空路横浜−淡水(台湾)−パラオ処女空の開拓へ」

川西九七式大型飛行艇 川西九七式大型飛行艇 試験機『綾波号』二十二日に出発
一万余キロに及ぶ太平洋の銀翼制覇を夢みるアメリカが桑港−香港間パン・アメリカン太平洋航空路をシンガポールまで延長して極東空路に翼の攻勢を伝えられるとき南進日本の前進基地、横浜−淡水(台湾)−パラオの処女空五〇五七粁を翼に結ぶ南進国策航空路が大日本航空によって開拓され、その第一回開拓試験飛行が二十二日横浜を飛び立ち二十五日パン・アメリカン空路を真二つに縦断してパラオ−淡水間無着陸翔破の壮挙を敢行する、新コースは今春三月開設された横浜−サイパン−パラオ間四一八〇粁を繋ぐ南洋定期と連絡するのでここに南方生命圏を鵬翼に連ねる堂々一万粁の南太平洋循環航空路が出現するわけである

川西九七式大型飛行艇 南海に雄々しく羽搏く誉れの第一回開拓機は南洋定期航空に既に定評のある純国産十七人乗り川西式四発大飛行艇「綾波」(J−BFOZ)号、乗員は一等操縦士、一等航空士中野政一氏を機長として一等操縦士、二等航空士大堀修一氏、一等航空士斧和夫氏、機関士に鈴木秋太郎、石橋熊次、中山健次郎の三氏、通信士に楠田敬助、立松正の両氏が晴れの大役を担当する、試験飛行コース間距離は横浜−淡水間二二五七粁、淡水−パラオ間二八〇〇粁で片道五〇五七粁、綾波号は二十二日横浜発南太平洋を堂々一万粁翔破しパラオに機翼を二日休めて二十七日凱旋の予定である、

横浜−淡水間は洋上飛行艇にとって処女飛行だし淡水−パラオ無着陸翔破こそはわが航空路の最長距離で全然の処女空だ、この間の飛翔時間十一時間四十分、孤島の影ひと紺青の水面には未だ世界の航空機がかって機影を映したことのないつとどめぬ未知の世界を快翔してフィリッピン諸島の遥か東方洋上上空で宿命の国の銀翼と交錯するわけである、

川西九七式大型飛行艇 第二次、第三次とひきつづき試験飛行の結果、新南方空路も定期航空化される予定だが、これで”南の生命線”南洋諸島には横浜−サイパン−パラオを結ぶ南洋定期、今夏八月開始されたパラオ−ヤルート間諸島を飛石伝いに繋ぐ南洋島内空路準備飛行と相俟ってわが南方航空圏にはたえず力強い爆音が轟くこととなった

川西九七式大型飛行艇試作1号機は、1936年(昭和11年)7月14日、テストパイロット近藤勝次によって初飛行した。細長いアスペクト比の大きな主翼の前縁の4基の発動機は、九七式艦上攻撃機と同じ中島「光」空冷星形9気筒エンジン770hpで4機が試作され、1936年(皇紀2597年)に制式されたため、川西九七式大型飛行艇と命名された。生産期間は1943年まで215機が生産されたが、大日本航空の民間機は次のように命名された登録コードを持つ18機である。

川西九七式大型飛行艇 J-BFOR "黒潮"   J-BFOS "朝潮"  J-BFOT "曙" J-BFOX "潮" J-BFOY "漣(さざなみ)" J-BFOZ "綾波" J-BGOA "磯波"  J-BGOB "浦波" J-BGOC "叢雲(むらくも)"   J-BGOD "白雲" J-BGOE "巻雲"  J-BGOF "夕雲"  J-BGOG "東雲"  J-BGOH "朝凪"

川西九七式大型飛行艇の諸元
全長: 25.6 m
全幅: 40.0 m
全高: 6.27 m
翼面積: 170.0 m2
全備重量: 17.5 t
発動機:三菱「金星」空冷星形14気筒エンジン1,000 hp4基
最高速力 340 km/h (210 mph, 180 kn)/高度4,000 m
巡行速力 222 km/h (138 mph, 120 kn)
航続距離 4,797 km (2,981 mi, 2,590 nmi)


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊 Uボート
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

2018年9月9日開設の鳥飼研究室「ドルニエ(Dornier)Do-18/Do-24/Do-26飛行艇」、2021年11月20日再設定「ドルニエ(Dornier)Do 26飛行艇」へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
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東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
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Fax: 0463-50-2078
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