◆カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
写真(上)1934年頃,イタリア、水上で待機するファシスト・イタリア空軍カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z. 501 ガビアーノ (Gabbiano)単発飛行艇;1937年3月初飛行、1939年5月より就役。コックピットのガラス風防を開けて、4名の搭乗員らしき人物が写っている。垂直尾翼の方向舵にイタリア三色旗を模した国籍記章が描かれているが、戦時になると派手な国籍記章では目立ちやすいので、中央の白色を十字にした形式に変更されている。胴体後上方に旋回機関銃の小型銃座が設けられている。
Questa è una fotografia pubblicata in territorio italiano o ivi realizzata senza essere mai stata pubblicata all'estero[1] ed è nel pubblico dominio poiché il copyright è scaduto[2]. Secondo la Legge 22 aprile 1941 n. 633 e successive modificazioni, le fotografie prive di carattere creativo e le riproduzioni di opere dell'arte figurativa[3] divengono di pubblico dominio a partire dall'inizio dell'anno solare seguente al compimento del ventesimo anno dalla data di produzione (articolo 92). In accordo al testo di legge, tali fotografie sono: «immagini di persone o di aspetti, elementi o fatti della vita naturale e sociale, ottenute col processo fotografico o con processo analogo, comprese le riproduzioni di opere dell'arte figurativa e i fotogrammi delle pellicole cinematografiche. Non sono comprese le fotografie di scritti, documenti, carte di affari, oggetti materiali, disegni tecnici e prodotti simili» (articolo 87).
Idrovolante CANT Z.501 in una foto del 1934 写真はNational Museum of U.S. Navy., Category:CANT Z.506 Airone File:Cant Z.506 a terra.png引用。
写真(上)1936-1940年頃,イタリア、水上で待機するファシスト・イタリア空軍カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z. 501 ガビアーノ (Gabbiano)単発飛行艇;1934年2月7日初飛行、コックピットのガラス風防は、当初は二つに分かれていたが、後期型では大型左右操縦席は一体化ガラス風防に変更された。垂直尾翼の方向舵にイタリア三色旗を模した国籍記章が描かれている。機首上面、エンジンナセル後上方、銃座が設置されている。
CANT (C.R.D.A.) Z 508
Manufacturer: CANT (C.R.D.A.)
Designation: Z 508(→Z.501)
写真は, SDASM Archives Catalog #: 00076592引用。
図(上)1937年,イタリア、カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z. 501 ガビアーノ (Gabbiano)飛行艇の正面図;1937年刊行のカタログ(C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA Catalogo Nomenclatore)の掲載図。 写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。
1.大戦前のカント(CANT) Z.501(Gabbiano)飛行艇
カント(CANT)とは、カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:CANT)の略称である。
写真(右)1935年10月12日ー28日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたイタリア空軍カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:機首側面に1934年10月10日、その下に1938年7月17日の二つの国際記録が描かれている。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta
Misure: 13 x 18
Note: In primo piano particolare dell'aereo idrovolante da ricognizione Cant Z-501 Gabbiano dei Cantieri riuniti dell'Adriatico
Genere: reportage
Soggetto: esposizioni internazionali; aeronautica; aerei; fiere
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_95引用。
カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のコックピットのガラス風防は、左右に分かれている小型分割式のもので、これは空気抵抗の減少に配慮した設計だった。
しかし、後期のカント(CANT) Z.501飛行艇では、コックピットの居住性、意思疎通、操作性の向上を優先して、コックピットを大型化し、左右の操縦席を一体化した大型のガラス風防で覆うように改変されている。
写真(右)1935年10月,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z.501(Gabbiano)飛行艇:側方より撮影。 Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 1935
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta
Misure: 13 x 18
Note: Lavori di allestimento della sezione italiana. In primo piano l'aereo idrovolante da ricognizione Cant Z-501 Gabbiano dei Cantieri Riuniti dell'Adriatico
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_92引用。
カントのフィリッポ・ザパタ(Filippo Zappata)技師は、1934年に小型飛行艇Z.501を重量軽減のために、木製羽布張りの構造として設計した。海上で滑走中に主翼に波浪の影響がないようにパラソル翼とし、その主翼の中央上面にイゾッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)アッソ(Asso)XI RC15液令12気筒エンジン 900 hpを搭載した。この発動機は、液令エンジンであるが、冷却器をエンジンの先端に環状に配置した環状冷却器であるために、空冷星形エンジンでと同じような形状となっている。
写真(右)1935年10月,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:側方より撮影。 Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta
Misure: 13 x 18
Note: Veduta della sezione italiana con, in primo piano, l'aereo idrovolante da ricognizione Cant Z-501 Gabbiano dei Cantieri Riuniti dell'Adriatico. In secondo piano la sezione tedesca
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_91引用。
ドイツもイタリアも油田がなく石油資源に不足していた。当時のリビアではまだ原油が発見されていなかったのである。そこでドイツは、石炭を液化して人造石油を合成したが、これは石油を燃焼して石炭から石油を化学合成するベッセマー法によるもので、大変不効率な合成方法だった。
石炭の液化の方法は、高分子有機化合物を低分子化することで、石炭液化とは、加熱することによって石炭分子の化学結合を切れ易い状態にし、次いで切断点に水素を添加して低分子化するプロセスである。
写真(右)1935年10月,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたナルディ(Nardi)FN.305練習機と後方のカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:カント(CANT)とは、航空機メーカーのカンティエリ・ナヴァレ・トリエスティーノ(Cantiere Navale Triestino)の略称である。 Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta
Misure: 18 x 24
Note: In primo piano l'aereo monoplano da addestramento FN 305 della società Fratelli Nardi
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1935_SA_64引用。
つまり、石炭液化は、炭素、水素、酸素で構成されている石炭の構成について、原子間結合力の弱い−CH2−結合部を切断し、六角形の芳香環2個から4個から構成される石炭液化油が合成される。CH2結合部を切断するための熱エネルギーは、石炭を燃焼することで得られるが、液化反応には摂氏400度以上が必要なので、かなりの石炭を燃焼して、残った石炭を液化するという非効率な方法になってしまう。高温の状態で石炭のCH2結合が切り離しやすくなり、分離した結合部は水素原子と結合して安定化する。
しかし、石炭液化のプロセスで、切断された結合部が水素と結合できない場合、結合部同志が再結合してしまい、六角形芳香環が巨大になる。この現象が、炭化あるいはコーキングである。つまり、石炭を用いた石炭液化、人造石油の合成には、石炭の低分子化による液化と同時に炭化という正反対の反応も同時に起こることになる。
写真(右)1940年6月以前,イタリア、飛行するイタリアのカント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇:イゾッタ・フラスキーニ・アッソ XI RC2C.15 液冷V型12気筒エンジンのエンジンナセルにも機首・胴体にも銃座は設置されていないので民間仕様であろうか。垂直尾翼には、1930年代のイタリア三色旗「緑白赤」トルコローレの国籍マークが描かれている。 Description
Italiano: Cant Z.501
Date before 1945
Source Monfalcone e le sue officine aeronautiche 1987
Author Tullio Cecconelli
写真はWikimedia Commons,Category:CANT Z.501 Gabbiano File:Cant Z.501.png引用。
ナルディ(Nardi) FN.305は1935年1月19日に初飛行したが、発動機は、当初はフィアット A.70S 空冷直列エンジン出力200hp (149kW)、その後、写真のようにヴァルター ボーラ 空冷星型エンジン200hp (149kW)を搭載した派生型が開発された。ナルディ(Nardi) FN.305の生産期間は1937-1943年で、試作機3機と量産機208機が生産された。
写真(右)1936年-1940年7月以前,イタリア、水上機基地に待機しているイタリア空軍の2機のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇(185-)と5機の双胴双尾翼式のサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti) S.55飛行艇:垂直尾翼の方向舵にイタリア三色旗を模した国籍記章が描かれているが、戦時になると派手な国籍記章では目立ちやすいので、中央の白色を十字にした形式に変更されている。 CANT (C.R.D.A.) Z 501
Manufacturer: CANT (C.R.D.A.)
Designation: Z 501 写真は,SDASM Archives Catalog #: 00076600引用。
1931年にスペインでは、総選挙の結果、王制から共和制へと移行し、スペイン第二共和国が樹立された。そして、1936年の総選挙で、マヌエル・アサーニャ大統領の人民戦線政府が成立すると、7月17日、エミリオ・モラ・ビダル(Emilio Mola Vidal)はスペイン領植民地モロッコで反乱を起こし、カナリア諸島に左遷されていたフランシスコ・フランコらも反乱に呼応し、国民戦線ファシスト政権を名乗り、スペインは内戦に陥った。ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)のイタリア・ファシスト政権は、スペイン内戦に際して、フランコ将軍のファシスト国民戦線を軍事援助するために、航空機・戦車を含む正規軍を「義勇兵」の名目で派兵した。その中に、サヴォイアSM-79爆撃機、カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機も含まれていた。
2.大戦中のカント(CANT) Z.501(Gabbiano)飛行艇
写真(右)1940年7月11日-24日,イタリア、水上機基地の沖合に停泊するイタリア空軍第146飛行中隊所属のカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇(146-4)と遠方のカント(CANT)Z.506 Aアイローネ(Airone:アオサギ)水上機:イタリアのカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇主翼上面にあるエンジンナセル後方銃座、胴体後上方銃座が明瞭に見て取れる。国籍マークは、第二次大戦参戦後なので、垂直尾翼に白い十字架、中央の王家紋章が描かれている。 Idrovolanti italiani in un braccio di mare lungo una costa montuosa; Time
Creation date: 11.07.1940-24.07.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana. Identifier: GuerraRG00002705 引用。
イタリア空軍
カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンナセル後上方銃座と胴体後上方銃座には、カントZ.506 B水上機の胴体下方銃座と同じく、7.7mmブレダ-SAFAT旋回機関銃1丁を装備している。ただし、カントZ.506 B水上機胴体後方上面には12.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁を搭載した人力回転銃塔(ターレット)がある。ドイツのハインケルHe111では、胴体下面にゴンドラを設けて銃座とした。
カントとは、航空機メーカーのカンティエリ・ナヴァレ・トリエスティーノ(Cantiere Navale Triestino)の略称である。
写真(右)1940年7月26日,イタリア、水上機基地のランプに近寄ったイタリア空軍第146飛行中隊所属のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇を(146-4):主翼上面にあるエンジンナセル後上方回転銃座、胴体後上方銃座には、各々7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁が搭載されている。 Idrovolanti italiani in mare: avieri impegnati nella manutenzione di un idrovolante Cant Z501, montagne sullo sfondo; Time
Creation date: Creation date: 26.07.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana. Identifier: GuerraGuerraIL0001001717-man0
引用。
1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相ネヴィル・チェンバレン(Neville Chamberlain)は,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」(Phoney War)とも称された。
しかし、この1939年にイタリアは、中立国として、第二次世界大戦には加わっておらず、イギリス・フランスからは、ドイツとの仲介役を期待されていた。
イタリアのファシスト独裁政権の首相ベニート・ムッソリーニは、1939年9月に勃発した第二次世界大戦に1940年6月8日に参戦し、フランスを攻撃した。イタリアは、1940年5月のドイツによるフランス侵攻で、フランスが降伏する直前の1940年6月8日にイタリアは参戦し、フランスに勝利した戦勝国として、フランスの占領の利益を確保しようとした。
写真(右)1940年7月26日,イタリア、水上機基地のランプに近寄ったイタリア空軍カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇を陸上にクレーンで引き揚げようとしている。:主翼上面にあるエンジンナセル近くには、3人の地上勤務整備員が乗っているが、これからクレーンをかけるのであろう。 Idrovolanti italiani in un golfo: si riconoscono un Cant Z-501 vicino a una barca e al molo e alcuni Cant Z-506; Time
Creation date: Creation date: 26.07.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana. Identifier: GuerraGuerraIL0001001717-man0
引用。
イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)は、フランス敗北後の領土要求をヒトラーに拒否され、地中海帝国イタリアの面目を施すことができなかった。ヒトラーは、戦争に寄与していなイタリアの領土要求を拒否して当然と考えたが、ムッソリーニは不名誉を被り、イタリア人の誇りを傷つけられた。ムッソリーニは、ヒトラーに対して仕返しをしようと、ドイツに相談することなく、併合していたアルバニアから16万のイタリア軍で、1940年10月28日、ギリシャに侵攻する。しかし、準備不足のイタリア軍は、勇敢なギリシャ軍の反撃を受け、かえってイタリア領アルバニアに押し返されてしまう。そして、ギリシャから、枢軸国に地中海東部を支配されないように、イギリス軍は、ギリシャ沖のクレタ島に進駐し、守備を固めた。
写真(右)1940年9月,イタリア、イタリア空軍カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇と搭乗員:機首上面に銃座が設けられ、コックピットのガラス風防も大型化されている。主翼を支える支柱にある懸架には、小型爆弾が搭載されている。3翅プロペラの付いた発動機は、液冷エンジンであるが、エンジン冷却液の冷却器がエンジン回りの環状に配置されているので、空冷星形エンジンのような外観となっている。 Avieri e piloti salgono su un idrovolante Cant Z501 attraccato nell'idrobase di Elmas
Providing institution Instituto Luce - Cinecittà (opens in new window)
Subject Aviazione militare italiana ; La Guerra nel Mediterraneo ;
Aereo Cant Z501 ;
Mare Mediterraneo Time
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22 写真は,European Union’s Connecting Europe Facility Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0001003783-man0 引用。
カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の諸元
全長:14.27 m
全幅:22.49 m
全高:4.43 m
全備重量:5,937 kg
発動機:イゾッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)アッソ(Asso)XI RC15液令12気筒エンジン 900 hp
最高速力:275 km/h
航続距離:2,397 km
武装 7.7mmブレダ機関銃3丁
爆弾搭載量: 640 kg
搭乗員 5名
写真(右)1940年9月,イタリア、イタリア空軍カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇と機首上面銃座を調整する搭乗員:主翼を支える支柱にある懸架には、小型爆弾が搭載されている。機首上面に銃座が設けられ、コックピットのガラス風防も大型化されている。機首先端には、岸とつなぐロープ(舫綱)が結ばれている。これは、海上に流されないようにするための縛りである。 Italiano: CRDA Cant. Cant Z.501 "Gabbiano" postazione mitragliere
Date before 1945
Source https://www.facebook.com/alieuominiit-385021521652120/
Author Unknown author 写真は,Category: CANT Z.501 Gabbiano
File:CRDA Cant. Cant Z.501 "Gabbiano".jpg引用。
1934年に初飛行したカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)は、単発の飛行艇のために燃料消費が少なくて済む利点があり、1号機は1934年5月、モンファルコーネ〜エリトリア間の4,130キロを26時間35分で飛行し、長距離飛行国際記録を樹立した。
イタリア空軍カント(CANT)Z.501ガッビアーノ飛行艇の発動機は、液冷エンジンを搭載しているが、エンジン冷却液の冷却器がエンジン回りの環状に配置されているので、空冷星形エンジンのような外観となっている。ただし、排気管の並び方が、星形と異なっているので区別できる。
写真(右)1940年9月,イタリア、沿岸を飛行中のイタリア空軍第188飛行中隊所属のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇: Un idrovolante Cant Z501 della 188^ Squadriglia sorvola una zona costiera
Providing institution Instituto Luce - Cinecittà (opens in new window)
Subject Aviazione militare italiana ;
La Guerra nel Mediterraneo ;
Aereo Cant Z501 ;
Mare Mediterraneo
Time
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana. Identifier: GuerraGuerraIL0001003774-man0 引用。
ヒトラーは、イギリス軍がバルカンで勢力を伸ばせば、同盟国ルーマニアの油田が脅かされ、イギリスとソ連との連携の可能性が高まると憂慮し、バルカン半島、北アフリカを確保することを決め、イタリア軍に加勢する準備を始めた。ヒトラーは、1941年4月6日、ギリシャ侵攻「マリータ作戦」(Unternehmen Marita)、ユーゴスラビア侵攻を発動し、同盟国ブルガリア、ハンガリーから司令官ヴィルヘルム・リスト元帥隷下のドイツ第12軍がギリシャに侵攻した。ユーゴスラビアは4月17日、ギリシャは4月30日に降伏した。しかし、ギリシャにあったイギリス軍は、4万2,000名は無事撤退することができた。
写真(右)1940年9月,イタリア、南地中海上空を飛行中のイタリア空軍第146飛行中隊所属のカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇(146-8):機首上面にある銃座には銃手がいるが、風防もなく風圧のために機関銃操作は容易ではなかったであろう。 Un idrovolante Cant Z501 della 146^ Squadriglia in volo sul Mediterraneo Providing institution Instituto Luce - Cinecittà (opens in new window)
Subject Aviazione militare
Type: photographs
Subject: Aviazione militare italiana ,
La Guerra nel Mediterraneo ,
Aereo Cant Z501 ,
Mare Mediterraneo
Time
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana. Identifier: GuerraGuerraIL0001003773-man0引用。
爆撃機の搭載した防御用の旋回機関銃は、迎撃してくる敵戦闘機を撃墜するというよりも、反撃して、敵戦闘機の戦意を挫くことに用いられた。しかし、防弾装甲板のない銃座で、大口径機関銃、多数の機関銃を装備し防弾装甲板・防弾ガラス風防に守られた敵戦闘機と対峙するには、強靭な神経が要求される。
写真(右)1940年9月,イタリア、水上機基地のランプ近くで整備中のイタリア空軍カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:胴体上に乗った地上整備員が、液令エンジンを整備している。3翅プロペラ装備だが、スピナーはついていない。機首上面にある銃座にから、整備員が上半身を乗り出している。 Avieri e marinai lavorano alla manutenzione di un idrovolante Cant Z501 sistemato sulla piattaforma dell'Aeroporto di Elmas;
Subject Aviazione militare
Type: photographs
Subject: Aviazione militare italiana ,
La Guerra nel Mediterraneo ,
Aereo Cant Z501 ,
Mare Mediterraneo
Time
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana. Identifier: GuerraGuerraIL0001003784-man0 引用。
イタリア軍の制式したブレダ(Breda)-SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃で、口径は、7.7ミリと12.7ミリとがある。原型は、アメリカの有名な12.7ミリ0.50口径ブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7mmホ103航空機関銃と同じく、ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃実包は、ブローニングM1919重機関銃の7.62x63mmより短く軽量で7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされた。また、ブローニングM2重機関銃の実包12.7x99mmは、ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃では12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化された。したがって、イタリアと日本の7.7ミリ弾。12.7ミリ弾は、原型となったアメリカのブローニング機関銃の同口径の実包よりも射程、弾道安定性、破壊力に劣っていた。
写真(右)1940年9月,イタリア、地中海方面の水上機基地沖に停泊するイタリア空軍第146飛行中隊所属のカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇(146-4):機首上面にある銃座とエンジンナセル後方、胴体後方の銃座には、機関銃が装備されている。もやい綱でブイに繋がれている。 Meccanici e avieri lavorano alla manutenzione di un idrovolante Cant Z01 mentre un Cant Z506 viene calato in mare da una gruSubject Aviazione militare
Time
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana. Identifier: GuerraGuerraIL0001003793-man0 引用。
写真(右)1940年9月,イタリア、地中海方面の水上機基地沖に停泊するイタリア空軍第146飛行中隊所属のカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇(146-4):胴体上面に3名の搭乗員(?)が上がって、エンジンを点検しているようだ。胴体後方の回転銃座に、腰かけている上院も見える。もやい綱でブイに繋がれている。 Meccanici e avieri lavorano alla manutenzione di un idrovolante Cant Z01 mentre un Cant Z506 viene calato in mare da una gruSubject Aviazione militare
Time
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana. Identifier: GuerraGuerraIL0001003793-man0 引用。
1940年6月、イタリアが第二次世界大戦に参戦した時期には、イタリア空軍カント(CANT)Z.501飛行艇は、旧式で低速になったしまったため、長距離偵察には不向きだったが、使いやすい機体で信頼性もあったために、1943年9月のイタリア敗戦まで多数が使用されていた。そして、海上に不時着した航空機や難破・撃沈された艦船の漂流者の救命作業に使われた。これは、カント(CANT)Z.506水上機と同じである。
写真(右)1940年頃,イタリア、イタリア空軍カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇コックピットの並列複式の操縦士用計器盤と操縦桿:イタリア軍将兵が港湾で飛込、水泳をしている。カント(Cant)Z.506 S救難水上機は、白色塗装に赤十字を描いて、敵国に行動を通知したうえで、国際赤十字の保護の下、攻撃対象外の認定を受けている。
Italiano: CANT-Z. 501 Gabbiano pannello comandi
Date before 1945
Source http://www.archeologiaindustriale.it/sez_produzione_it.php?&content_type=aereo&goto_id=2158
Author Unknown author
写真はWikimedia Commons,Category:CANT Z.501 Gabbiano File:CANT-Z. 501 GABBIANO pannello comandi.png引用。
飛行機の操縦席の計器盤は、機体の姿勢を表示する水平儀、高度計(気圧によって計測)、速力計(ピトー管に流入する空気圧力で計測)、方位計(磁気コンパスあるいはジャイロ・コンパス)、燃料計、エンジン回転計などがある。カント(CANT)Z.506 B アイローネ(Airone:アオサギ)水上機の正副操縦席は、胴体の左側によっているが、複式操縦装置で、前後の正副操縦士席の計器盤もほぼ同様である。
写真(右)1940年頃,イタリア、飛行するイタリア空軍第148飛行中隊所属カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇(148-2):銃座は、機首上面、胴体後方上面、イゾッタ・フラスキーニ・アッソ XI RC2C.15 液冷V型12気筒エンジンのナセル後方上面の3か所に銃座が設けられている。コックピットのガラス風防も大型化されている。 CANT (C.R.D.A.) Z 501
Manufacturer: CANT (C.R.D.A.)
Designation: Z 501 写真は,SDASM Archives Catalog #: 00076599引用。
イタリアは、1940年6月8日に南フランスに侵攻し第二次世界大戦に参戦したが、フランス降伏の後の1940年9月7日、イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)は、イタリア植民地リビアから進軍しエジプトへ侵攻することを決心した。エジプロはイギリスが外交権・軍事権を掌握した保護国だったので、事実上、イギリス植民地だった。
写真(右)1942年11月,イタリア、イタリア海軍艦艇脇を通過するイタリア空軍カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:側面より撮影。
Un idrovolante Cant Z501 sorvola un'unità della squadra navale italianaStabilimento Fotografico CrimellaAutore: Stabilimento Fotografico Creation date: 01.11.1942-31.11.1942
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Last updated in Europeana: 2020-11-22 写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0010036853-man0
引用。
1940年9月13日、エジプト侵攻を開始したイタリア軍は、グラッツィアーニ元帥隷下の8万人のイタリア第10軍で、5個師団を基幹としており、エジプト守備隊のイギリス軍より2倍以上優位な兵員を擁していた。優勢なイタリア軍はエジプトに100キロ侵攻したが、自動車化されていない部隊の補給は停滞した。
写真(右)1940年7月以降,イタリア、水上機基地のランプで待機するイタリア空軍カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:イゾッタ・フラスキーニ・アッソ XI RC2C.15 液冷V型12気筒エンジンの3翅プロペラは停止している。機首上面銃座には空気抵抗を減少させるカバーが設けられている。垂直尾翼には、参戦後のイタリア国籍マークの白十字、主翼にはファッシの国籍マークが描かれている。 Description English: CANT Z.501
Source http://www.finn.it/regia/html/seconda_guerra_mondiale04.htm
写真はWikimedia Commons,Category:CANT Z.501 Gabbiano File:Cant Z.501 beached.jpg 引用。
1940年12月9日、イギリス陸軍オコンナー将軍隷下のイギリス西砂漠軍 (機甲師団と英印軍[イギリス=インド軍])3万人は「コンパス作戦」を発動、イタリア軍への攻撃を開始した。オコンナー将軍隷下のイギリス西砂漠軍3万人は優位に戦いを進めて、1941年2月までに、リビアのトブルク、キレナイカを占領し、イタリア軍に大打撃を与えた。
写真(右)1940年頃,イタリア、海面で整備作業中のイタリア空軍カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:手前は、カント(CANT)Z.506 B アイローネ(Airone:アオサギ)水上機の胴体下面銃座と浮舟フロート機首上面、胴体後方上面、イゾッタ・フラスキーニ・アッソ XI RC2C.15 液冷V型12気筒エンジンのナセル後方上面の3か所に銃座が設けられている。コックピットのガラス風防も大型化されている。 Idrovolanti italiani ormeggiati in un porto nel MediterraneoDesignation: Z 501
Creation date: 26.07.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22 写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0001001732-man0 引用。
しかし、イタリア軍には、1941年2月にドイツからエルヴィン・ロンメル将軍隷下のアフリカ軍団がリビアに派遣され、3月の攻勢によって、4月にはベンガジを攻略してオコンナー将軍を捕虜にした。しかし、イギリス軍は、1942年8月にエル・アラメイン防衛のために、バーナード・モントゴメリー将軍隷下のたイギリス第8軍を充て、11月まで頑強に抵抗した。そして、アメリカからの戦車、航空機の軍事援助を得て、11月1日に「スーパーチャージ作戦」を発動して、ドイツ・イタリアの枢軸軍をリビアに撤退させた。
写真(右)1940年頃,イタリア、海面でイゾッタ・フラスキーニ・アッソ XI RC2C.15 液冷V型12気筒エンジンの整備作業中のイタリア空軍カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:主翼を支える支柱にある爆弾ラック(懸架)には小型爆弾1個が搭載されている。コックピットのガラス風防も大型化されている。 CANT (C.R.D.A.) Z 501
Manufacturer: CANT (C.R.D.A.)
Designation: Z 501 写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0010036853-man0
引用。
地中海、アドリア海、イオニア海を擁する地中海帝国イタリアでは、水上機や飛行艇が広く使用されていた。
イタリア空軍カント(CANT)Z.501飛行艇は、機首上面、胴体後方上面、イゾッタ・フラスキーニ・アッソ XI RC2C.15 液冷V型12気筒エンジンのナセル後方上面の3か所に銃座を設けているが、装備されているのは7.7mmブレダ機関銃1丁であり、第二次大戦時には、防御用火力としては弱すぎた。
写真(右)1940年頃,イタリア、海面でイゾッタ・フラスキーニ・アッソ XI RC2C.15 液冷V型12気筒エンジンを整備するイタリア空軍カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇:銃座は、機首上面、胴体後方上面、イゾッタ・フラスキーニ・アッソ XI RC2C.15 液冷V型12気筒エンジンのナセル後方上面の3か所に設けられている。 CANT (C.R.D.A.) Z 501
Manufacturer: CANT (C.R.D.A.)
Designation: Z 501 写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0010036853-man0 引用。
写真(右)1940年7月以降,イタリア、待機するイタリア空軍カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇(185-6)とカント(Cant)Z.506 S救難水上機 :イタリア軍将兵が港湾で飛込、水泳をしている。カント(Cant)Z.506 S救難水上機は、白色塗装に赤十字を描いて、敵国に行動を通知したうえで、国際赤十字の保護の下、攻撃対象外の認定を受けている。
Italiano: RDA Cant.Z.501 Gabbiano, dietro Cant.Z.506S (ex C) della sezione soccorso
Date before 1945
Source https://www.facebook.com/alieuominiit-385021521652120/ Author Unknown author
写真はWikimedia Commons,Category:CANT Z.501 Gabbiano File:CRDA Cant.Z.501 Gabbiano, dietro Cant.Z.506S (ex C) della sezione soccorso.jpg引用。
国際法で、病院船と同じく攻撃対象外とされたのが、救難機、患者輸送機だった。非武装で、指定の国際赤十字記章、白書塗装が義務付けられ、対戦相手に事前照会をする規定があった。
写真(右)1943年7月19日,ギリシャ、シシリー島東岸、アウガスタ港に停泊するイタリア空軍カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇と攻撃中のイギリス空軍第252飛行中隊のブリストル ボーファイター (Bristol Beaufighters) : イギリス空軍第252飛行中隊のブリストル ボーフォートは、北アフリカ、リビアのエル・マグルン(El Magrun)から飛来し低空攻撃を加えた。
English: Bristol Beaufighters of No. 252 Squadron RAF based at El Magrun, Libya, sweep in at low level to attack the Italian seaplane base at Preveza, Greece. In the foreground a CANT Z.501 flying boat is moored.
Date Taken on 19 July 1943
Author No. 252 Squadron RAF 写真はWikimedia Commons,Category:CANT Z.501 Gabbiano File:Cant Z501 at Preveza under attack 1943.jpg引用。
ボーファイター(Bristol Beaufighter)の諸元
全幅: 17.65 m
全長: 17.65 m
全高: 4.84 m 全備重量: 11,521 kg
発動機: ブリストル ハーキュリーズ 空冷14気筒エンジン1,200 kW (1,600 hp)2基
最高速力: 515 km/h
実用上昇限度: 5,795 m
航続距離: 2,816 km
武装 イスパノ・スイザ HS.404 20 mm 機関砲 4門(各60発)
爆弾搭載量:RP-3 ロケット 8発 または 1000 ポンド爆弾 2発 搭乗員: 2名
写真(右)1943年9月,イタリア、シシリー島東岸、アウガスタ港に待機するイタリア空軍カント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇にボートで向かうオーストラリア空軍将校パイロットのジョン・ホーク(John Hooke):鹵獲されたイタリアのカント(CANT) Z.501は、オーストラリア空軍で使用された。 Pilot Officer John Hooke from Melbourne, Victoria, of No. 3 Squadron RAAF, an all Australian Fighter Bomber Squadron, rowing out to an Italian CANT Z.501 Gabbiano seaplane which was captured intact when the port of Augusta, Sicily (Italy), was occupied by Allied Forces. This aircraft was flown by the squadron.
Date circa September 1943
写真はWikimedia Commons,Category:CANT Z.501 Gabbiano File:RAAF pilot with captured CANT Z.501 at Augusta 1943.jpg引用。
燃費が良好なカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)は、イタリア軍でも、哨戒、偵察、船団護衛、海上救難などの地中海方面のも任務に重宝された。そして、454機も量産されて、木製羽布張りの旧式機ながらイタリアの降伏する1943年7月まで現役で活躍した。
3.カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ
写真(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ:発行地;パレルモ C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の陸上に待機するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面:垂直尾翼には、第二次世界大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍記章が描かれている。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の陸上に待機するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面:垂直尾翼には、第二次世界大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍記章が描かれている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の陸上に駐機するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面:垂直尾翼には、第二次世界大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレを模した国籍記章が描かれている。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1941年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の海上に停泊するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面:垂直尾翼には、第二次世界大戦参戦後のイタリア三色旗トルコローレの中央の白色十字架の国籍記章が描かれている。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1941年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の海上に停泊するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の胴体中央部と主翼:エンジンナセル後上方と胴体後上方に回転式機関銃座が設けられている。浮舟フロートは2本ついているが、これは機体左右の安定性を確保するもので、機体を浮かせるためのものではない。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1941年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の海上に停泊するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇機首のガラス風防:機首の機関銃座は撤去され、機首から出入りできる扉と観測用の窓が追加されている。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1941年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の海上に停泊するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇機首のガラス風防と機種の観測席内部:機首の機関銃座は撤去され、観測用の窓が追加されている。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の正面: C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。 写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1941年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の正面: C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。 写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
図(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇正面図: C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。 写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
図(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面図: C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。 写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
図(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇上面図:機首上面とエンジンナセル上面にある円形は、7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁を搭載したブレダ人力回転銃座AZターレットのある位置を示しているようだが、側面図には銃座は描かれていない。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。 写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の機首前上方の7.7mmブレダ-SAFAT機関銃旋回銃座:開放式の旋回機関銃座に7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁が装備されている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンナセル後上方のブレダ人力回転銃座AZターレット:機関銃座に7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁が装備されている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の胴体後上方のブレダ人力回転銃座AZターレット:回転銃座に7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁が装備されている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(上)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の機首と機首ブレダ人力回転銃座AZターレット:7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁とドラム弾倉が見える。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンナセル後上方のブレダ人力回転銃座AZターレット:半開放式の人力回転銃座に7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁が装備されている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンナセル後上方の機関銃座:半開放式のブレダ人力回転銃座AZターレットに7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁があり、照準器・照星がついている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の胴体後上方の半開放式のブレダ人力回転銃座AZターレット:7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁が搭載されている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の胴体後上方の機関銃座:半開放式の人力回転銃座に7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁があり、照準器・照星がついている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の機首前上方のブレダ機関銃回転銃塔AZ1ターレット:半開放式の人力回転銃座に7.7mmブレダ機関銃1丁が装備されている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンナセル後上方あるいは胴体後上方のブレダ機関銃回転銃塔AZ2ターレット:半開放式の人力回転銃座に7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁が装備されている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の胴体後上方あるいはエンジンナセル後上方、7.7mmブレダ-SAFAT機関銃を装備した回転銃塔AZ5ターレット:半開放式の人力回転銃座に7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁が装備されている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の主翼上面のエンジンとクレーンによる吊り上げ方法:7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁装備の回転式銃座が見える。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の主翼上面のエンジンと機首前方上面コックピットのガラス風防:エンジンの両脇には、エンジン調整・整備のために足場が特設されている。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
図(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇胴体の側面構造図と上面構造図: C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
図(右)1938年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のパラソル翼を支える支柱構造図(機体正面): C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
図(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のパラソル翼から吊り下げられている浮舟フロートの構造図(機体正面):フロートは、機体を水上に浮かせるだけでなく、離水・着水をする際の水上滑走にも使用されるので、造波抵抗を抑えて、安定した水上姿勢を保たせる必要がある。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
1935年版写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の機首方向から胴体中央の内部:機首前方上面に、7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁搭載の人力回転式銃塔が見える。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の胴体中央から機首方向の内部:機首前方上面に、7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁搭載の人力回転式銃塔が見える。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の胴体後部から尾翼方向の内部:胴体後上方の7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁搭載の人力回転式銃塔が見える。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の胴体中央から尾翼方向の内部:機体の強度を保つための三角形・円形の金属骨格が明瞭に見て取れる。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇コックピットの計器盤:機体の水平を保つための水平儀や各種メーターが並んでいる。この上部にガラス風防がある。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(上)1941年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の操縦席(複式操縦)の計器盤:操縦装置は、主翼後縁の昇降舵、尾翼の方向舵などと連動している。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇コックピットの並列式複式操縦席:左席が正操縦士で、右席が副操縦士で、その上部にガラス風防が見える。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇コックピットの左側の正操縦士席(並列式複式操縦席):左席が正操縦士で、右席が副操縦士で、その上部にガラス風防が見える。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇コックピットの右側の副操縦士席(並列式複式操縦席):左席が正操縦士で、右席が副操縦士で、その上部にガラス風防が見える。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(上)1941年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の操縦桿(複式操縦)・操縦ペダルと胴体の機関士席の計器:操縦装置は、主翼後縁の昇降舵、尾翼の方向舵などと連動している。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇コックピットのガラス風防(並列式複式操縦席):左席が正操縦士で、右席が副操縦士で、その上部にガラス風防が見える。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
図(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンから電源を供給する電線と航空偵察用写真機の断面図と側面図:液令エンジンのから電気をもらって、大型の航空偵察用写真機を駆動する。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
図(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンの燃料配管断面図と燃料タンク:燃料タンクは、胴体中央部に2個、主翼エンジンナセル近傍に4個、左右主翼に8個がある。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
図(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンの燃料配管側面図と燃料タンク:燃料タンクは、胴体中央部に2個、主翼エンジンナセル近傍に4個、左右主翼に8個がある。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
カント(CANT)Z.501飛行艇は、長距離飛行できるように、胴体中央部に燃料タンク2個、主翼エンジンナセル近傍に燃料タンク4個、左右主翼に8個の燃料タンクを搭載している。これらの燃料タンクは、金属製であるが、防御用の措置として、防弾板や漏れ防止のゴムで覆われているわけではない。したがって、戦時には、敵機の銃撃などによって、簡単に引火し、撃墜される恐れがあった。
図(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンの燃料配管と燃料タンク:燃料タンクは、胴体中央部に2個、主翼エンジンナセル近傍に4個、左右主翼に8個がある。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(上)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンの胴体燃料タンク(左)と主翼内の燃料タンク(右2個):胴体燃料タンクは2個、主翼内燃料タンク4個、左右主翼合計8個の翼内燃料タンクがある。これらの金属製燃料タンクには、防弾板や漏れ防止のゴムなど防御用の措置は施されてはいない。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。 写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇のエンジンの燃料タンク:燃料タンクは、胴体中央部に2個、主翼エンジンナセル近傍に4個、左右主翼に8個があり、機関士が燃料消費やエンジン回転数などエンジンの調整をする。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の航法士・機関士・通信士の空間:燃料タンク10個の燃料補給、エンジン調整など長距離飛行操縦士以外の搭乗員が不可欠である。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1935年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇コックピット下の航法士・機関士・通信士の空間:燃料タンク10個の燃料補給、エンジン調整など長距離飛行操縦士以外の搭乗員が不可欠である。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の水平尾翼: C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
空気には形状に沿って流れるが、主翼の後縁が下方に傾斜していると、その空気の流れが下向きに曲げられる。主翼で空気を下方に向けられた。この作用で押し下げられた空気の反作用で、揚力が発生する。つまり、揚力は、主翼上面の空気の流れが下向きに曲げらた反作用で発生しますたのである。空気は力の作用がなければ直進すすが、主翼で空気が下方で流れたからには、どこからか力が働いたといえる。空気の流れが曲げられると曲がった流線の内側と外側に圧力差が発生し、向心力が働くのである。
図(上)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の左右の主翼構造図: C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
つまり、主翼上面の曲がっているところを流れる気流の流線の内側は低圧となる。他方、翼下面では、気流は直進するので、圧力が上昇し高圧となる。空気の流れが下向きに曲げられた翼上面では圧力が低下し、空気が直進する翼下面では圧力が上昇する。このように空気の流れを曲げた反作用は翼上面・下面の圧力差として翼に揚力として働くのである。
飛行機は揚力を得るために、主翼の上面と下面では形状が異なる。上面の空気が下面より早く流れれば、気圧の差から揚力が働き、機体は上に持ち上げられる。しかし、主翼は付け根から先端まで捩じりがあったり、形状が異なったりと複雑で、それを支える桁も最新の注意が必要である。
写真(右)カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の主翼支柱にある爆弾ラック(懸架):大型の250キロ爆弾1発を搭載。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の主翼支柱にある爆弾ラック(懸架):小型の陸用50キロ爆弾2発を搭載。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の主翼支柱にある爆弾ラック(懸架):小型の艦船攻撃用50キロ爆弾2発を搭載。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇の主翼支柱にある爆弾ラック(懸架)の懸架方式:小型の艦船攻撃用50キロ爆弾2発、球形の小型機雷(?)、大型爆弾の搭載状態を示している。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
4.カント(CANT)Z.506 Aアイローネ(Airone:アオサギ)水上機
写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションを見学し、説明を受けているイタリア国王王太子ウンベルト2世(Piemonte Umberto II)(中央高身長)と後方の、カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z.506アイローネ(Airone:アオサギ)水上機:1935年8月19日初飛行のカントZ.506は、国民へのイタリア航空機の優秀さの誇示、諸外国への輸出という目的で展示された。 Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Visita del principe di Piemonte Umberto II di Savoia
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta
Misure: 13 x 18 Note: Il principe di Piemonte Umberto II di Savoia è accompagnato dal presidente della Fiera Piero Puricelli, dal generale Felice Porro e da altre personalità 写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_26
引用。
カント(CANT:Cantiere Navale Triestino)Z.506水上機は、1935年8月19日の初飛行で、全長:19.25m、全幅:26.50m、全高:7.40m、総重量:12.3t、
アルファロメオ AR126RC34 空冷9気筒エンジン(750hp)3基搭載、最高速力 365km/h(高度3000m)、航続距離 2745km、乗員:4名。
カント(CANT)Z.506水上機は、フィリッポ・ザパタ(Filippo Zappata)技師の設計になり、1935年8月19日に初飛行した三発機である。1937年10月2-17日に北イタリア、ミラノで開催された航空展示会に出品された。カント(CANT)Z.506の生産機数は、試作2機、量産機314機と1930年代の大型水上機にしては多数生産されている。
写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカント(CANT)Z. 506 B アイローネ(Airone:アオサギ)水上機:斜め前方より撮影。 Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Lavori di allestimento
Stabilimento
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 1937
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta
Misure: 18 x 24
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_563引用。
写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z. 506 B アイローネ(Airone:アオサギ)水上機:側面より撮影。 Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand dei Cantieri riuniti dell'Adriatico
Stabilimento Fotografico CrimellaAutore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta
Misure: 18 x 24
Note: In primo piano l'aereo trimotore idrovolante CANT Z 506 B "Airone" (versione da bombardamento)
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_248引用。
カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機の初飛行は1935年8月19日で、この試作機をベースに高出力のアルファロメオ液令エンジンを搭載した特別仕様のZ.506水上機は、1936年から1938年に、国際飛行記録を樹立した。ピアッジオ ステラ P.IX空冷星形エンジンを装備したカントZ.506Aは、1936年からイタリア航空(Ala Littoria)に就航しており、民間旅客輸送機として使用された。1940年の保有機数は、14機である。
カンティエリ・ナヴァレ・トリエスティーノ(Cantiere Navale Triestino))Z.506アイローネ(Airone:アオサギ)水上機は、登場した1936年から1938年にかけて,次のような国際記録を更新しイタリア航空技術の優秀性を世界に示している。
平均速力308.25 km/h (191.539 mph)で航続距離 5000 km (3,107 miles)以上を飛行
平均速力 319.78 km/h (198.7 mph) で、航続距離 2000 km (1,243 miles)以上を飛行
平均速力322.06 km/h (200.118 mph) で、航続距離 1000 km (621 miles)以上を飛行
航続距離 5383.6 km (3,345.225 miles)を周回ルート(風速や気流による影響を相殺するという意味で)で飛行
ペイロード 2000 kg (4,409 lb) を搭載して、高度7810 m (25,623 ft)に上昇
ペイロード 5000 kg (11,023 lb)を搭載して、高度 6917 m (22,693 ft)に上昇
写真(右)1938年-1941年頃,イタリア、水上機基地の舗装滑走ランプ(傾斜台)から水面に移動したイタリア民間輸送機カント(CANT)Z.506 Aアイローネ(Airone)水上輸送機:胴体後半の客室キャビンには、乗客12人分(2列6席)の座席が確保されている。胴体後半にある。民間機であっても、イタリア・ファシスト党政権をたたえる意味で、ファッシ(武器の束)が機首に描かれている。 Description
Italiano: Cant Z.506 vista anteriore
Date before 1945
Source http://www.airwar.ru/enc/sww2/z506.html
Author Unknown author 写真はWikimedia Commons, Category:CANT Z.506 Airone File:Cant Z.506 alla fonda 02.png引用。
イタリア王国空軍カント(CANT)Z.506水上機(登録コード:I-ALAL)は、第二次世界大戦が勃発すると、イタリア領北アフリカ・リビア植民地北東岸にある要衝ベンガジ(Benghazi)基地の第614a中隊に、登録コード I-DAIM, I-DUCO, I-DODOの3機のカント(CANT)Z.506とともに配備され、海上救難の任務にあたった。
写真(右)1941-1943年7月以前,イタリア、水上機基地のクレーンで釣り上げられた国際赤十字マークを付けた白色塗装のイタリア王室空軍カント(CANT)Z.506 C アイローネ(Airone:アオサギ)水上救難機:下の写真はトリミングしたことで、飛行機に集中することはできるが、戦時の情報を削減してしまっている。
CANT (C.R.D.A.) Z 506
Manufacturer: CANT (C.R.D.A.)
Designation: Z 506; 写真は Wikimedia Commons, Category: CANT Z.506 Airone File:Cant Z.506C.png引用。
カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z.506アイローネ(Airone:アオサギ)水上機は、イタリア空軍で水上偵察機、水上雷撃機として就役し、1936年に勃発していたスペイン内戦にも派遣された。しかし、第二次世界大戦が1939年に勃発すると、戦時における救難任務も重視され、カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機が、海上救難飛行隊に配備された。これは、試作機や民間機だった機体を含め、イタリア北部ラ・スペツィア郊外スタグノニ(Stagnoni)基地の第612a中隊に登録コードI-BUIE, I-CANT (Z.506試作機), I-DAMB, I-GORO, I-POLAの5機, イタリア領北アフリカ・リビア植民地北東岸ベンガジ(Benghazi)基地の第614a中隊に登録コードI-ALAL, I-DAIM, I-DUCO, I-DODOの4機は配備された。
また、その他のカント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)救難水上機は、北イタリアのトスカナ地方ルッカ西トッレ・デル・ラーゴ・プッチーニ(Torre del Lago in Tuscany)基地に2機、エーゲ海レロス(Leros)島基地(のちにトルコ南西岸ロードス(Rhodes)島)に2機が配備された。
イタリアのカント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機は、Z.506 B軍用仕様が試作機2機と量産型314機が、Z.506 C民間輸送機仕様40機が生産されている。
カント(CANT)Z.506 B アイローネ(Airone:アオサギ)水上機のコックピットは、胴体上面にあるが、双発機の胴体は太いので操縦席は胴体左側によっている。正面ガラス風防の左側、最前列に正操縦席があり、その後ろが副操縦席である。正副操縦席は、胴体の左側によっているが、複式操縦装置があり、操縦桿は、前後の正副操縦士席る。そして、計器盤も正副操縦席はほぼ同様である。
⇒写真集Album:カント(CANT)Z.506 B アイローネ(Airone)爆撃機を見る。
5.フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro水上戦闘機
写真(右)1932年頃,イタリア、水上機基地、移動式クレーンで吊り下げられたイタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro 水上戦闘機:ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。写真はWikimedia Commons、Modellismo Italia Fiat C.R.20 引用。
イタリア王国空軍は、1926年6月19日に固定脚の複葉戦闘機フィアット(Fiat) CR.20を初飛行させた。リビアの反イタリア勢力との戦闘、第二次エチオピア戦争の初めに地上支援航空機としてフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機を投入した。このフィアットCR.20の水上戦闘機仕様が、フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro である。
写真(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の左側面構造図(図53);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。 Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante -
a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA
selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。
1935-1936年、イタリアのエチオピア(Abyssinia)侵攻に、イタリア空軍はフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機、その水上機仕様であるフィアットC.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機を投入した。
⇒写真集Album:フィアット(Fiat)C.R. 20idro複葉水上戦闘機を見る。
6.カプローニ(Caproni)Ca. 316 水上機
写真(右)1942年,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機;1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備の
Ca.310(生産数 312機)の水上機化したCA.316水上偵察機は、1940年8月14日初飛行した。 1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載写真と同じ場所・同じ機体の写真。 写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA Coletti’s Combat Aircraft ANNO 1942 - XX F. E.引用。
カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機は、ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.16/35空冷星形9気筒(cylinder)エンジン350 kW (470 hp)2基装備で、最大離昇重量 4,650 kg (10,251 lb)、最高速力365 km/h (227 mph, 197 kn)、航続距離 1,690 km (1,050 mi, 910 nmi)の性能だった。
原型のカプローニ(Caproni)Ca.310陸上機は、1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備。生産機数 312機。このCa.310の水上機仕様Ca.310 Idroを原型として、CA.316は1940年8月14日初飛行した。しかし、戦局悪化の中で、低性能の水上機は制式されず、生産機数は14機のみで終わった。
⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca. 316 水上機を見る。
7.カプローニ(Caproni)Ca.310シリーズ軽爆撃機
カプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機
乗員 3名
全長 11,74 m
全幅 16,20 m
全高 3,69 m
主翼面積 38,40 m²
発動機 (343 kW)2基
自量 3460 kg
総重量 4822 kg
最高速力 347 km/h
実用上昇限度 7400 m
航続距離 1600 km 兵装 7.7ミリ機関銃3丁 爆弾搭載量 400 kg
⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca.310軽爆撃機を見る。
⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca.311偵察爆撃機を見る。
⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca.313偵察爆撃機を見る。
⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca.314爆撃機を見る。
8.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇
写真(右)1931年11月以降,アメリカ、水上を高速で滑走するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇:
Sikorsky S-40
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-40 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070997引用。
1928年10月に開発が始まったシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、38 人の乗客を運ぶことができたが、これは前作のS-38飛行艇の乗客8人を大幅に上回った。シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、1931年8月7日に初飛行し、1931年10月12日、アメリカ大統領ハーバート・フーバー夫人ルー・ヘンリー・フーバーによって「アメリカン クリッパー」と命名された。
写真(右)1931年11月以降,アメリカ、水上を高速で滑走するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇:
Sikorsky S-40
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-40 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070991引用。
38 人の乗客を乗せることのできるシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、パンアメリカン航空の最初の大型飛行艇で、 Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン575 hp4基を搭載、最高速力217km/h、航続距離1,400 kmで「アメリカン クリッパー」として、パンナム・クリッパーの旗艦として使用された。3機が就役したシコルスキー(Sikorsky)S-40は、合計 1,000 万マイル以上を飛行し1940年に退役するまで、合計 1,000 万マイル以上の運航実績を上げた。
写真(右)1935年11月以降,アメリカ、海面から離水しようとするパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇:
Sikorsky S-40
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-40 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070998引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇の諸元
初飛行:1931年8月7日初飛行
搭乗員 6名、乗客 38名 全長 76 ft 0 in (23.16 m) 全幅 114 ft 0 in (34.75 m) 主翼面積 1,740 sq ft (162 m2)、空虚重量 23,000 ポンド(10,433 kg)、総重量 34,000 ポンド(15,422 kg) 燃料搭載量 1,066 US gal (4,040 L) 発動機Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷9気筒星形エンジン 575 hp (429 kW)4基 最高速力 117 kn (135 mph, 217 km/h) 巡行速力 97 kn (112 mph, 180 km/h) 航続距離 780 nmi (900 mi, 1,400 km) 生産機数:3機
写真(右)1934年,アメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコの建設途上の金門橋(Golden Gate Bridge)上空を飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇"West Indies Clipper"(NC823M):シコルスキー(Sikorsky)S-40の初飛行は1931年8月7日だが、この機体は1934年12月から、1944年8月4日にキューバ沖に沈むまで就航した「西インド諸島クリッパー」"West Indies Clipper"(NC823M){ただし1937年に"Hong Kong Clipper" (NC823M)に改名}である。パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇である。ゴールデン・ゲート・ブリッジ(Golden Gate Bridge)、すなわち金門橋は、サンフランシスコ湾ゴールデン・ゲート海峡に架かる赤色の吊橋で、 全長2,737メートル、支柱の高さ227メートル、支柱間の長さ1,280メートル、1933年に起工、1937年に竣工。
English: One-quarter left front view of Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201) in flight over San Francisco Bay on its way to Hawaii. San Francisco-Oakland Bay Bridge construction is visible; circa 1934.
Date 1934
Source http://airandspace.si.edu/explore-and-learn/multimedia/detail.cfm?id=7120
Author United Technologies Corporation
写真はWikimedia Commons, Categories:Sikorsky S-40 of Pan American Airways File:Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" in flight over the under-construction San Francisco-Oakland Bay Bridge.jpg引用。
図(右)1935年頃,海面から離水しようとするパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇:1931年8月7日初飛行で、パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇である。
English: Poster from the Don Thomas Collection. Mr. Thomas was a collector of aircraft memorabilia who donated several posters to the San Diego Air and Space Museum.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Date 6 July 2015, 15:07:59
Author San Diego Air & Space Museum Archives
Flickr sets
Don Thomas Poster Collection 写真はWikimedia Commons, Categories:Sikorsky S-40 of Pan American Airways File:Air Transport Hall of Fame Poster (19471599902).jpg引用。
パンアメリカン航空のチャイナ・クリッパー機によって処女航空路が開拓されたニューヨーク、香港間の太平洋横断定期郵便飛行、イギリス本土と南アフリカのケープタウン航路、シンガポール、香港までのアジア航路など、1930年代には、フランスのサイゴン線、ドイツのアテネ線、オランダのジャワ線、ソビエトのウラジオストーク線など地球を周回するような航路が実現しつつあった。これらの長距離航路に就役したのが、大型飛行艇である。
写真(右)1935年11月以降,アメリカ南西部、フロリダ州マイアミ(Miami)中心部沿岸、ディナー・キー(Dinner Key)マリーナ、パンナム・ターミナル上空を飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40 Sikorsky)S-40飛行艇と停泊するパンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇:
Title: [Dinner Key seaplane base: Miami, Florida]
Physical descrip: 1 photoprint: b&w; 8 x 10 in.
General note: From Dinner Key in 1930, Pan American inaugurated flying boat service to Latin America. PAA sold Dinner Key to the City of Miami in 1946.
Date captured: After 1930.
Corporate subject: Pan American World Airways, Inc.
Repository: State Library and Archives of Florida
Source
Dinner Key seaplane base: Miami, Florida
Uploaded by Rybec
Author Florida Memory 写真はWikimedia Commons, Categories: Martin 130 of Pan American Airways File:Dinner Key seaplane base Miami, Florida (4202781209).jpg引用。
マーチン(Martin)M-130四発飛行艇 の一世代前のシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇飛行艇は、1931年8月7日初飛行で、パンナムが採用した大型旅客機である。
9.イタリア空軍大臣/リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥
写真(右)1931年5月29日、イタリア、ローマ南40キロ、アンツィオ近郊、ネットゥ(Nettuno)、イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍大将の操縦したサボイア・マルケッティSM.62飛行艇とバルボ夫人エマヌエラ・フロリオ(Emanuela Florio):ファシスト四天王の有力者バルボは、ムッソリーニの盟友として1928年8月19日、空軍大将に任じられ、空軍大臣にもなるが、その後も、飛行家・探検家として、イタリア航空界の名声を高めた。 Nettuno Italo Balbo e la principessa Ileana di Romania, ripresi a bordo di un idrovolante Savoia Marchetti S.62 ormeggiato nelle acque di Nettuno, si preparano a partire
Creation Date: 29.05.1931
Leaflet | OpenStreetMap contributors
Location:
Italy
Nettuno: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
. 写真は,Europeana experience
Identifier: AttualitaAttualitaIL0010026430-man0引用。
サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti),S.62 飛行艇は、1926年に開発され、イソッタ(Isotta Fraschini)アッソ(Asso)750 空冷倒立6気筒エンジン(559 kW)750 hpを搭載、総重量3,000 kg、最高速力200キロ、民間輸送や連絡にも活躍した。
写真(右)1933年7月1日、イタリア東岸、ローマ北100キロのオルベテッロ(Orbetello)からアメリカ、シカゴに飛び立ったイタリア空軍大臣イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥率いるがサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)S.55飛行艇:
Italo Balbo 写真は,Europeana experience
Identifier: Attualita Attualita IL 0010033081-man0引用。
1926年11月6日、イタリア空軍大臣として、ムッソリーニからイタリア空軍を任されたイタロ・バルボは、1928年8月19日に空軍大将の地位を得た。そして、空軍元帥となって、1933年7月1日、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55飛行艇24機の編隊を率いてイタリア半島東岸のオルベテッロから、アメリカのシカゴまで48時間の長距離高速遠征飛行を成功させた。そして、シカゴ万国博覧会に参加し、イタリア航空機の優秀さを世界に示した。
サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55の諸元
搭乗員:6名 全長:16.75m、全幅:24.00m、全高:5.00m 主翼面積:93.0m2 空虚重量:5,750kg、最大離陸重量:8,260kg 発動機:イソッタ(Isotta-Fraschini)アッソ(Asso)液令12気筒エンジン656kW(880hp)2基 最高速力:279km/h 続距離:3,500km
サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55飛行艇は、1924年8月初飛行で243機が量産されたが、第一線での活躍は1930年代までで、第二次世界大戦には第二線の予備的機体としてしか残っていなかったが、イタリア飛行艇の優秀さを世界に印象付けることになった。
写真(右)1937年、アメリカ、アラスカ航空の保有したサボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM-55双胴飛行艇:1933年に、イタリア空軍大臣イタロ・バルボ将軍率いる24機のSM-55飛行艇が、編隊飛行でイタリアのオルベテッロからアメリカのシカゴまでの北大西洋横断飛行(North Atlantic Ocean crossing)し、名声を得ている。
English: Savoia-Marchetti S.55P of the short-lived Alaska Airways of 1937.
Savoia-Marchetti, S-55,
Catalog #: 01_00087192
Manufacturer: Savoia-Marchetti
Designation: S-55
Notes: Italy
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Date 1937
. 写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55 File:Savoia-Marchetti S.55 Alaska Airways (5955748287) (1k version, grayscale, brightness).jpg引用。
1926年11月6日、イタリア空軍大臣として、ムッソリーニからイタリア空軍を任されたイタロ・バルボは、1928年8月19日に空軍大将の地位を得た。そして、空軍元帥となって、1933年7月1日、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55飛行艇24機の編隊を率いてイタリア半島東岸のオルベテッロから、アメリカのシカゴまで48時間の長距離高速遠征飛行を成功させた。そして、シカゴ万国博覧会に参加し、イタリア航空機の優秀さを世界に示した。
サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55S.55飛行艇は、1924年8月初飛行で243機が量産されたが、第一線での活躍は1930年代までで、第二次世界大戦には第二線の予備的機体としてしか残っていなかった。
写真(右)1937年3月13日、イタリア領植民地リビア、イタリア・統領ベニート・ムッソリーニとリビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥が現地リビアの植民地住民たちに歓迎されている。:
Creation Date: 13.03.1937
Location:
Italy
Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22 写真は,Europeana experience Identifier: Attualita Attualita IL 0010033048-man0引用。
イータロ・バルボ(Italo Balbo:1896-1940年6月28日)は、ムッソリーニ率いるファシスト党の代表ファシスト四天王の一人で「黒シャツ隊」の指導者だった。ファシスト・イタリア政権では、ムッソリーニの盟友として、1928年8月に陸海軍から独立したイタリア空軍の大将になり、1929年9月に空軍大臣に就任した。
写真(右)1937年3月13日、イタリア領植民地リビア、イタリア・統領ベニート・ムッソリーニとリビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥が現地リビアの植民地住民たちに歓迎されている。: Cirenaica Mussolini e Italo Balbo si soffermano lungo una via davanti a un gruppo di madri con bambini in costumi tradizionali Creation Date: 13.03.1937
Location:
Italy
Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
. 写真は,Europeana experience
Identifier: Attualita Attualita IL 0010033081-man0引用。
イタリア空軍大臣イータロ・バルボ(Italo Balbo、1896-1940年6月28日)自身は、飛行家アビエイターであり、1930年、自らサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55双発飛行艇12機を率いて大西洋を越えてブラジルのリオデジャネイロまでの大西洋巡回飛行をした。
また、1933年7月にはアイスランド経由でカナダのモントリオール、アメリカのニューヨークまでの飛行に成功し、アメリカ大統領ルーズベルト(Franklin Roosevelt)からもホワイト・ハウスに招待されていいる。彼は、イタリアの名声をアメリカ大陸全土に響かせ、1933年6月26日号“Time”の表紙を肖像で飾った。
写真(右)1937年3月13日、イタリア領植民地リビア、トリポリ、イタリア・統領ベニート・ムッソリーニとイタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥がイスラム戦士シッド・ラファ(SidiRafa)の墓の前で説明する現地案内の話に耳を傾ける。: Cirenaica Mussolini, Italo Balbo e folto gruppo di personalità politiche e militari ascoltano il cadì di Apollonia che tiene un discorso davanti alla tomba del mugiàhid Sidi Rafa a Beda Littoria
Creation Date: 13.03.1937
Location:
Italy
Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22. 写真は,Europeana experience
Identifier: Attualita Attualita IL 0010033075-man0引用。
写真(右)1938年11月7日、イタリア領植民地リビア、イスラム教徒の植民者を視察するイタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍大将:ジャーナリストのグループがバルボに同行し、植民地の平和で活気ある様子を喧伝した。 Libia Libia Il governatore della Libia Italo Balbo consegna un oggetto a un colono italiano in partenza per il villaggio rurale Crispi
Creation Date: 07.11.1938 Foto Attualità / I 20.000 Coloni in Libia - Il governatore della Libia Italo Balbo e un gruppo di giornalisti visitano i villaggi musulmani in costruzione nei pressi di Derna, fra cui El-Glaa; campo di coloni (Barce); lo sbarco di 8000 rurali a Bengasi; la colonna degli autocarri in viaggio; casa del villaggio D'Annunzio; vita colonica
Balbo ripreso accanto a un autocarro del regio esercito segnato "Crispi 10" porge sorridente un oggetto a un colono che si sporge dall'automezzo. Gruppo di personalità e giornalisti accompagna Balbo.
Location:
Italy
Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
. 写真は,Archivio Storico Istituto Luce e codice foto: A00087033引用。
イタリア植民地リビアには、2万人の入植者があった。リビア総督イターロバルボが、ジャーナリストのグループを引き連れて、エルグラなどデルナ近郊で建設中のイスラム教徒の村を訪問した。入植者キャンプ(バルス)に向かうベンガジに8000人の農村の人々が上陸した。ここからトラックに乗せられて入植地に向かう。愛国詩人に因んだ「ダヌンツィオ村」を建設する入植者は、「クリスピ(Crispi)10」と記されたイタリア王立軍のトラックに乗っていて、バルボ総督に、車から身を乗り出して贈り物を受け取っている。
写真(右)1938年8月9日、ドイツ、ドイツ飛行クラブで、イタリア空軍大臣イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥が出迎えたクラブメンバーと話をし、脇にドイツ航空省次官エアハルト・アルフレート・ミルヒ(Erhard Alfred Milch:1892-1972)大将(右)が控えている。:ゲーリングは、手にした元帥杖を振って歓迎に答えている。 Marschall Balbo als Gast des Aeroc-Clubs von Deutschland Marschall Balbo (Mitte) im Gespräch mit General Milch (rechts) und dem italienischen Botschafter Attolico.
Creation Date: 1938-08-09
Institution: Österreichische Nationalbibliothek - Austrian National Library
.
Providing country: Austria
First published in Europeana: 2016-11-08
Last updated in Europeana: 2016-11-08
写真は,Europeana experience
Österreichische Nationalbibliothek 引用。
1939年9月1日のドイツによるポーランド侵攻、9月3日のイギリス・フランスのドイツへの宣戦布告によって、第二次世界大戦が勃発すると、リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo、1896-1940年6月28日)は、イギリスとフランスとの戦争に躊躇しなかったと同時に、ヒトラー・ドイツのイタリアを無視した外交・戦争に対して嫌悪感を示した。これは外務大臣ガレアッツォ・チアーノと共通していたが、北アフリカ、エジプトの防備手薄なイギリス軍を攻撃しなかったことは、イギリスにとって僥倖だった。
リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥もガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)外相も、地中海世界の覇者となる古代ローマ帝国の再来、大イタリア帝国を夢想していたので、ヨーロッパ西部・東部での戦いには戦力を割きたくなかった。この消極的姿勢が、イタリアの外交、戦略にも反映していた。戦うことで勇ましい国民性を体得すべきという統領ムッソリーニの英雄・戦士の思想は、巧妙に立ち回り、最小の努力で最大の成果を手にすることを旨とするイタリアの政治体質には当てはまらなかったようだ。
写真(右)1939年4月11日、イタリア領植民地リビア、トリポリ、オープンカーの後席に乗ったイタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥とドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥:ゲーリングは、手にした元帥杖を振って歓迎に答えている。 Göring und in Tripolis Creation date: 1939-04-11 Institution: Österreichische Nationalbibliothek - Austrian National Library Providing country: Austria
First published in Europeana: 2016-11-08
Last updated in Europeana: 2016-11-08
写真は,Europeana experience
Österreichische Nationalbibliothek 引用。
写真(右)1929年、アメリカ東部、ニューヨーク州、マンハセット湾を飛び立つイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.55双胴飛行艇:ファシスト四天王の有力者バルボ空軍大将は、飛行家・探検家として、イタリアからアメリカのニューヨークまで編隊飛行しイタリア飛行術の名声を高めた。 English: A nice picture of a Savoia Marchetti S.55 Taking Off From Manhasset Bay in 1929.
Date 1929
Author Unknown author. 写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55File:Savoia-Marchetti S.55 felszállás közben.jpg引用。
サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55双胴飛行艇の諸元
搭乗員:6名 全長:16.75m、全幅:24.00m、全高:5.00m 主翼面積:93.0m2 空虚重量:5,750kg、最大離陸重量:8,260kg 発動機:イソッタ(Isotta-Fraschini)アッソ(Asso)液令12気筒エンジン656kW(880hp)2基 最高速力:279km/h 続距離:3,500km
サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55飛行艇は、1924年8月初飛行で243機が量産されたが、第一線での活躍は1930年代までで、第二次世界大戦には第二線の予備的機体としてしか残っていなかった。
イタリアのアフリカ植民地をエチオピアにまで拡張し帝国化したファシスト党ムッソリーニを信頼して、軍事大権、いわゆる統帥権を認めた。こうして、独裁者となったムッソリーニは、この時期、ドイツの対フランス勝利、ドイツ・ソ連の不可侵条約に幻惑され、自ら第二次世界大戦に参戦した。
しかし、イタリアのファシスト党がナチ党よりファシズムを先輩であるにもかかわらず、イタリアよりも優れているような振る舞いをすること、ヒトラーのムッソリーリに対する指導的地位に対して反感を抱いており、ヒトラーとの外交・軍事的関係を緊密化することには反対していた。しかし、義父ムッソリーニの国民的人気を背景にした指導性には服従するしかなく、独伊軍事同盟への交渉を担い、1938年ミュンヘン会談でも活躍している。
写真(右)1940年6月、イタリア領植民地リビア、リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥が飛行服を着て飛行帽子を被ったイタリア空軍搭乗員と話している。:バルボ総督は、リビア駐屯イタリア軍の総司令官でもあった。 Libia Balbo e altri ufficiali a colloquio con dei piloti
Creation Date: 06.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà. Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing Country: Italy
First Published In Europeana: 2020-11-22
Location:
Italy
Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya写真は,Europeana experience
Identifier: GuerraG01-000066引用。
1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、兵力撤退の要請が無視されたイギリス・フランスは、9月3日、ドイツに対して宣戦を布告した。こうして、これから6年近くの第二次世界大戦がはじまったが、イタリアはドイツとの軍事同盟があったが、参戦せず中立を保った。リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo、1896-1940年6月28日)は、イギリスとフランスとの戦争を始めることに躊躇しなかったが、同時に、ヒトラー・ドイツがイタリアを無視して独自の外交・戦略を進めることに反感を感じており、これは外務大臣ガレアッツォ・チアーノと共通していた。彼らは、地中海世界を制する大ローマ帝国を夢見ていたのであって、北ヨーロッパでの戦いには、意義を見出していなかった。そこで、北アフリカ、バルカン半島へのイタリア勢力拡張を望んでいたのである。
写真(右)1940年6月、イタリア領植民地リビア、トリポリ飛行場(?)、イタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥エマヌエラ・フロリオ(Emanuela Florio)リビア伯爵夫人がイタリア軍兵士に慰問用の贈答品を配布している。: Libia La contessa Florio distribuisce doni ai soldati
Creation date: 06.1940
Location:
Italy
Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya:
Identifier: GuerraG01-000885
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22. 写真は,Europeana experience
Identifier: Attualita Attualita IL0010034537 -man0引用。
写真(右)1940年6月、イタリア領植民地リビア、トリポリ飛行場(?)、イタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥エマヌエラ・フロリオ(Emanuela Florio)リビア伯爵夫人がイタリア軍兵士に慰問用の贈答品を配布している。: Libia La contessa Florio distribuisce doni ai soldati Creation Date: 06.1940
ocation:
Great Socialist People’s Libyan Arab JamahiriyaInstitution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
. 写真は,Europeana experience
Identifier: GuerraG01-000885引用。
しかし、1940年5月、ドイツ軍フランス侵攻「黄色の事例」が発動し、6月にフランスの敗退が決定すると、イタリア統領ムッソリーニは、第二次世界大戦がドイツの勝利で終わる前に参戦し、威信を確保する必要性を痛感した。そこで、中立という戦略的優位性を投げ出し、ドイツ側に立って参戦し、南フランス、エジプトの攻撃を命じた。
写真(右)1940年6月、イタリア領植民地リビア、トリポリ飛行場(?)、イタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥エマヌエラ・フロリオ(Emanuela Florio)リビア伯爵夫人がイタリア軍兵士に慰問用の贈答品を配布している。: Libia La contessa Florio distribuisce doni ai soldati
Creation Date: 06.1940
ocation:
Great Socialist People’s Libyan Arab JamahiriyaInstitution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
. 写真は,Europeana experience
Identifier: GuerraG01-000886引用。
リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)は、リビアからのエジプト侵攻を優柔不断で回避し、優勢なイタリア軍を準備していたにもかかわらず、手薄なエジプト駐留イギリス軍を攻撃できなかった。この絶好の機会を逃したのは、バルボ将軍の決定的な判断ミスだった。このバルボ将軍は、第二次世界大戦の参戦に際して、ムッソリーニに次ぐ政治・軍事指導者と見なされていたから、ムッソリーニが二人の空軍士官となった息子や娘婿のチャーノ外務大臣を差し置いて、バルボがムッソリーニの後継者として、イタリア統領になることを心良しとしなかったとも考えられる。そこで、バルボ総督搭乗のSM.79爆撃機が、北アフリカ、トリポリ港で友軍艦艇の誤射で撃墜された事件は、ムッソリーニの陰謀であるとの噂がたった。
写真(右)1940年6月、イタリア領植民地リビア、トリポリ飛行場(?)、イタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥エマヌエラ・フロリオ(Emanuela Florio)リビア伯爵夫人がイタリア軍兵士に慰問用の贈答品を配布している。: Libia La contessa Florio distribuisce i doni aiutata da un civile e da un militare Creation Date: 06.1940
ocation:
Great Socialist People’s Libyan Arab JamahiriyaInstitution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
. 写真は,Europeana experience
Identifier: GuerraG01-000889引用。
1940年6月28日、リビア首都トリポリ(Tobruk)飛行場に着陸しようと低空飛行していたバルボ将軍のサボイア・マルケッティSM.79三発爆撃機は、イギリス空軍ブリストル・ブレンハイム(Bristol Blenheims)の空襲と誤解したイタリア海軍1万トン級旧式装甲巡洋艦「サン・ジョルジョ」(San Giorgio)が対空攻撃を始めた。旧式装甲巡洋艦「サン・ジョルジョ」は、巡洋艦というよりもトリポリ港の在泊防空艦として使用されていたのである。バルボ将軍の同乗したSM.79爆撃機は、味方の誤射で撃墜され、同士討ちでバルボは死亡した。しかし、バルボの家族は、ムッソリーニの指示で暗殺されたとの噂が広まった。
写真(右)1940年6月、イタリア領植民地リビア、トリポリ飛行場(?)、イタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥エマヌエラ・フロリオ(Emanuela Florio)リビア伯爵夫人がイタリア軍兵士に慰問用の贈答品を配布している。: Libia La contessa Florio con un militare e un civile durante la distribuzione dei doni Creation Date: 06.1940
Location:
Great Socialist People’s Libyan Arab JamahiriyaInstitution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22 写真は,Europeana experience
Identifier: GuerraG01-000890引用。
イタリアのアフリカ植民地をエチオピアにまで拡張し帝国化したファシスト党ムッソリーニを信頼して、軍事大権、いわゆる統帥権を認めた。こうして、独裁者となったムッソリーニは、この時期、ドイツの対フランス勝利、ドイツ・ソ連の不可侵条約に幻惑され、自ら第二次世界大戦に参戦した。
⇒写真集Album:ムッソリーニ(Mussolini)を見る。
⇒ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
⇒ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism ⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics ⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck ⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発 ⇒ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto ⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏 ⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1) ⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz ⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
⇒ヒトラー:Hitler
⇒ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler ⇒ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
⇒アンネの日記とユダヤ人 ⇒与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機 ⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇 ⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機 ⇒ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
⇒ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
⇒マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
⇒ボーイング(Boeing)247旅客機
⇒ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
⇒マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
⇒ボーイング(Boeing)247旅客機
⇒ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
⇒サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
⇒カント(CANT)Z.501飛行艇
⇒カント(CANT)Z.506水上機
⇒カント(CANT)Z.1007爆撃機
⇒フィアット(Fiat)G.18V輸送機
⇒フィアット(Fiat)G.212輸送機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
⇒サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機 ⇒サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.82輸送機
⇒ピアジオP.108重爆撃機
⇒ムッソリーニ救出作戦
⇒イタリア独裁者ムッソリーニ
⇒独裁者ムッソリーニ処刑
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