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◆サヴォイア・マルケッティSM.79スパルヴィエーロ(Sparviero)爆撃機
写真(上)1934-1935年頃,イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti )SM.79スパルヴィエーロ(Sparviero)輸送機試作機(I-MAGO )
;1940年8月10日初飛行、1941年6月より部隊配備。ファシスト独裁独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。後に、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、降伏すると、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。
Italiano: Savoia Marchetti SM.79 prototipo I-MAGO Date before 1950 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.79 Catalog #: 01_00082281引用。


写真(上)1940年頃,イタリア、飛行中のサヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti )SM.79スパルヴィエーロ(Sparviero)爆撃機(215-7)
;胴体後上方に12.7ミリブレダ旋回機関銃1丁が装備されている。1934年9月28日初飛行、1936年より部隊配備。ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、主翼上面と下面に描かれた3本んぽファッシ(束ねた武器)である。生産機数は合計1,240機で、第二次世界大戦中のイタリア空軍爆撃機の主力となった。
Italiano: Aereo Savoia Marchetti SM 79 Sparviero in volo Date before 1960 Source https://www.facebook.com/Regia.Aeronautica.1923.46/photos Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM 79 Sparviero in volo.jpg引用。


写真(上)1934-1935年頃,イタリア、イタリア空軍第12航空団所属のサヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti )SM.79スパルヴィエーロ(Sparviero)爆撃機
;1934年9月28日初飛行、1936年より部隊配備。ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)の部隊マークが機首描かれている。後に、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、降伏すると、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。
Italiano: Savoia Marchetti SM.79 SM.79 XII stormo Date before 1950 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.79 Catalog #: 01_00082281引用。

◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。


1.世界大戦直前のサヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79


写真(右)1926年頃,イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti )SM.79スパルヴィエーロ(Sparviero)爆撃機試作機
;ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。後に、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、降伏すると、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。
Italiano: Savoia Marchetti SM.79 1939 cupolino in vetro Date before 1950 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79 1939 cupolino in vetro.png引用。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクション、サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 79輸送機
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand della Società italiana aeroplani idrovolanti "Savoia Marchetti" (SIAI) Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Al centro dello stand l'aereo da bombardamento e ricognizione S 79
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_220引用。


写真(右)1936年頃,イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79B双発型輸送機試作機(B I-AIRE );SM.79輸送機は、発動機の数で三発型と双発型が試作された。最終的には、高出力エンジンの不足から、三発型が制式され、大量量産された。
Italiano: Savoia Marchetti SM.79 B I-AIRE
Date before 1950 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79 B I-AIRE.png引用。


写真(上)1936年頃,イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79B双発型輸送機試作機
;ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。
Italiano: Savoia Marchetti SM.79 B prototipo Date before 1950
Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79 1939 cupolino in vetro.png引用。

写真(右)1940年頃,イタリア、迷彩塗装を施したイタリア空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79B双発型爆撃機試作機;SM.79輸送機は、発動機の数で三発型と双発型が試作された。最終的には、高出力エンジンの不足から、三発型が制式され、大量量産された。
Savoia Marchetti SM.79 Rumeno di lato Date before 1950
Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79 B Rumeno a Guidonia.png引用。

写真(右)1940年頃,イタリア、迷彩塗装を施したイタリア空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79B双発型爆撃機試作機;SM.79輸送機は、発動機の数で三発型と双発型が試作された。双発型が3機並んでいるが、部隊配備されているかのようなプロパガンダ写真である。最終的には、高出力エンジンの不足から、三発型が制式され、大量量産された。
Italiano: Savoia Marchetti SM.79B Date before 1945
Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79B.png引用。

サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti )SM.79B双発型爆撃機は、機首のエンジンを取り除き、機首にガラス風防で覆われた爆撃手席を設けた双発機型で、ルーマニアに輸出されたり、ルーマニア国内ライセンス生産されたりしている。

写真(右)1940年頃,イタリア、迷彩塗装を施したイタリア空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79B双発型爆撃機試作機;SM.79輸送機は、発動機の数で三発型と双発型が試作された。最終的には、高出力エンジンの不足から、三発型が制式され、大量量産された。
Savoia Marchetti SM.79 B Rumeno a Guidonia Date before 1950 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79 B Rumeno a Guidonia.png引用。

写真(右)1937-1939年頃半,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発輸送機:胴体上方、下方、側面には銃座はなく、空気抵抗を少なくしている。垂直尾翼には、イタリア三色国旗トルコローレの緑白赤の葉れいな国籍マークが描かれている。この当時、引込み脚の降着装置は、斬新な設計だった。
Description Italiano: Savoia Marchetti SM.79 CS Date before 1950 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author ..
写真はWikimedia Commons.,San Diego Air and Space Museum Archive File:Savoia-Marchetti SM.79 in formation.jpg引用。


サボイアマルケッティSM79爆撃機 サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79Bは、双発型で、機首に爆撃手席を設けることができた。 SM.79が搭載した発動機は空冷星形エンジン3基で、そのうち1基は機首に搭載されたために、機首に爆撃手の視界を確保することができなかったが、双発であれば、他国の場双発爆撃機と同じく、機首に爆撃手や操縦手の座席を設け、コックピット内の乗員の意思疎通も容易になる。しかし、双発にするには、発動機2基で十分な馬力を得て飛行することが条件になるが、イタリア国内でこのようなエンジンを量産機用に準備することはできなかったのである。

写真(右)1937年頃半,スペイン、スペイン内戦にフランコ将軍率いる反乱軍・国民戦線を軍事支援するために派兵されたイタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機(Savoia-Marchetti SM.79):胴体後方側面に黒丸、垂直尾翼に×のファシスト側の国籍記章を描いている。
Savoia-Marchetti, SM.79, Sparviero (Sparrow Hawk)Manufacturer: Savoia-Marchetti Designation: SM.79 Official Nickname: Sparviero (Sparrow Hawk) Notes: Italy..
写真はWikimedia Commons.,San Diego Air and Space Museum Archive File:Savoia-Marchetti SM.79 in formation.jpg引用。


サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の試作機は、1934年9月28日初飛行と早い時期に既に、全金属製、引込み式降着装置を備えた近代的な高速機だった。部隊配備も、1936年からで、スパイン内戦にもフランコ将軍の反乱軍側を援助するために派兵され、実戦経験を積んでいる。

写真(右)1937-1938年頃半,スペイン、スペイン内戦にフランコ将軍率いる反乱軍・国民戦線を軍事支援するために派兵されたイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機(28-1)と僚機:胴体後方側面に黒丸、垂直尾翼に×のファシスト側の国籍記章を描いている。
Bombardieri Savoia Marchetti S.79 del 111º Stormo Bombardamento Veloce "Sparvieri" in volo. Description Italiano: Savoia Marchetti SM..79 P.XI 111 stormo in Spagna Date before 1938 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author ..
写真はWikimedia Commons.,San Diego Air and Space Museum Archive File:Savoia Marchetti SM..79 P.XI 111 stormo in Spagna.png引用。


1937年に、スペイン内乱に投入されたサボイア・マルケッティSM-79Savoia Marchetti SM.79)三発爆撃機は、延べ5000回の出撃を行い、その機体の信頼性、実用性も高さを裏付けた。また、これと同時にレース機としての開発も行われ好成績をあげた。1939年9月に勃発した第二次世界大戦に、イタリアは1940年6月に参戦したが、その時のイタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機配備の爆撃飛行隊11個に及び、爆撃機の主力となっていた。サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機の生産は1936年から1943年までで、合計1218機量産された。

写真(右)1937年,スペイン、スペイン内戦にフランコ将軍率いる反乱軍・国民戦線を軍事支援するために派兵されたイタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機(Savoia-Marchetti SM.79):垂直尾翼に×のファシスト側の記章を描いている。
Savoia Русский: Савоя-Маркетти SM.79 Date 1937 Source [1] Author Unknown author ..
写真はWikimedia Commons.,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia-Marchetti SM.79 in formation.jpg引用。


サボイアマルケッティSM-79三発爆撃機 イタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機は、民間輸送機型から発展させた機体ではあるが、輸送機型とは大きく異なり、胴体中央部下面には、爆弾搭載用の爆弾倉が設けられ、防御用の機関銃を配備する銃座を設置された。構造の上では、高速機として十分な強度があったようで、機体の強化は特になされていないようである。

SM.79の爆撃型は、輸送機型にはなかった胴体前方上部のコックピット後半にバルジ(膨らみ)が設けられ、そこに前方固定機銃1丁と後方旋回機銃1丁とが装備された。機首にエンジンがあるために、前方に対する防御用機関銃が、操縦席の後上方のバルジに設けられたのは、三発機ならではならではである。また、胴体後下方に爆撃手用のゴンドラが設けられたが、これはドイツの爆撃機でも試みられていた方法である。

写真(右)1938-1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機:ファシスト独裁国家イタリアの国籍マークは、主翼上面と下面にファッシ(束ねた武器)、垂直尾翼にイタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗を描いた。SM-79は雷撃機として、胴体下面に航空魚雷を搭載するもできた。性能は芳しくなかったが、実用性が高く、艦船攻撃にも成果を上げた。
Savoia-Marchetti, SM.79, Sparviero (Sparrow Hawk) Manufacturer: Savoia-Marchetti
Designation: SM.79
- Official Nickname: Sparviero (Sparrow Hawk) Notes: Italy
写真はÖsterreichische Nationalbibliothek,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00087245引用。


イタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79Savoia Marchetti SM.79)三発爆撃機の原型は、三発高速旅客機で1934年10月に初飛行した。発動機は、競技用特別機ではピアッジョPIXRC2(1,000馬力)を搭載し、1935年、1000kmと2000kmのコースで世界最速記録を達成した。ここで三発のは、1000馬力級のエンジンがなく、双発機ではエンジンの馬力不足で飛行性能が低下してしまうためである。しかし、機首にエンジンがあることで、前方視界が制限され、爆撃手席も機首先端に設けることができなくなった。また、機首に防御用旋回機関銃を搭載することもできなかった。

写真(右)1937-1940年6月以前,イタリア、迷彩塗装を施したイタリア空軍第9航空団所属のサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機(205-1):胴体後方左側面の昇降口は、開けるとそれが昇降ステップに代用できる。コクピット後上方に、前方固定12.7ミリ機関銃が装備されているが、これは機首にエンジンがあって、銃座が設けられないためである。しかし、この前方固定機関銃は、射撃振動が大きかったのか、有効な防御にならなかったのか、工作簡易化のためか、後期型では設けられていない。垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレを模した緑白赤の国籍マークが描かれているが、これは軍用機としては華麗で目立ちすぎる。
Description Italiano: Savoia Marchetti SM.79 P.XI a Guidonia 02
Date before 1950 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071
Author Unknown author
写真はWikimedia Commons.,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79 P.XI a Guidonia 02.png引用。


写真(右)1937-1940年6月以前,イタリア、迷彩塗装を施したイタリア空軍第9航空団所属のサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機(13-7):垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレを模した緑白赤の国籍マークが描かれているが、これは軍用機としては華麗で目立ちすぎる。
Savoia Description Italiano: Savoia Marchetti SM.79 IX stormo
Date before 1950 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons.,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79 IX stormo.png引用。


サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機(Savoia-Marchetti SM.79)は、元来はスピードレース参加用する旅客輸送機機として開発され、原型機は1934年10月に初飛行した。その高性能からイタリア空軍はSM.79輸送機を爆撃機として使用することを考えたが、これはドイツで民間機のハインケルHe-111輸送機、ユンカースJu-86輸送機、Do-17郵便機がいずれも双発爆撃機に転換されたのと同じである。サボイア・マルケッティSM-79爆撃機試作機が初飛行は、1936年7月に初飛行したが、1937年のスペイン内戦に実験的に実戦使用に投入され、その高い飛行性能と信頼性が高く評価された。

この高性能に注目したイタリア空軍は、爆撃機型の開発をサボイア・マルケッティに指示し、SM-79三発爆撃機試作機は、1936年7月に初飛行した。飛行性能は良好で、イタリア空軍では爆撃機として改装することを要請し、爆撃機が1936年に初飛行した。

1936年7月17日、スペイン内戦が勃発し、イタリアは、フランコ将軍の国民戦線側に遠征軍を派遣したが、この時の空軍兵力の中に高速の爆撃機サボイア・マルケッティSM-79が含まれていた。イタリア空軍にとって、これは実戦試験の一環としての意味があった。

写真(右)1938年,イタリア、不時着した斑迷彩塗装を施したイタリア空軍第11航空団所属のサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機:垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレを模した緑白赤の国籍マークが描かれているが、これは軍用機としては華麗で目立ちすぎる。
Description Italiano: Savoia Marchetti SM.79 1938 XI stormo Date before 1950 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons.,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79 1938 XI stormo.png引用。


写真(右)1937-1940年6月以前,イタリア、迷彩塗装を施したイタリア空軍第11航空団所属のサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機(13-7):垂コックピット後上方には、前方固定12.7ミリブレダ機関銃の銃身が突出している。これは、機首にエンジンがあり、銃座が設けられないための苦肉の策である。直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレを模した緑白赤の国籍マークが描かれているが、これは軍用機としては華麗で目立ちすぎる。
Description Italiano: Savoia Marchetti SM.79 XI livrea standard Date before 1950 Source R. Gentili Savoia Marchetti S.79 in action. 1989 - SSP 1071 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons.,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79 IX stormo.png引用。


写真(右)1937-1940年6月以前,イタリア、迷彩塗装を施したイタリア空軍第9航空団所属のサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機(205-1):胴体後方左側面の昇降口は、開けるとそれが昇降ステップに代用できる。コクピット後上方に、前方固定12.7ミリ機関銃が装備されているが、これは機首にエンジンがあって、銃座が設けられないためである。しかし、この前方固定機関銃は、射撃振動が大きかったのか、有効な防御にならなかったのか、工作簡易化のためか、後期型では設けられていない。垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレを模した緑白赤の国籍マークが描かれているが、これは軍用機としては華麗で目立ちすぎる。
Description Italiano: Savoia-Marchetti S.79
Date before 1950 Source /www.facebook.com/Regia.Aeronautica.1923.46/photos Author Unknown author
写真はWikimedia Commons.,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM.79 IX stormo.png引用。


写真(右)1940年3月28日,イタリア第二次大戦参戦3か月前、イタリア、シシリア島南端、コミソ(Comiso) 基地、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の戦列:第二次大戦に参戦前なので、垂直尾翼のイタリア王国空軍国籍マークは、華麗なイタリア三色旗トルコローレを模した緑白赤の三色塗分けだが、これは戦時では目立ちすぎるとして、白十字に変更されている。
Ciampino Aeroplani Savoia-Marchetti SM-83 schierati nell'aeroporto di Ciampino 
Location: Italy Aeroporto di Ciampino
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 28.03.1940
写真は,Europeana experience Identifier: AttualitaA40-122819引用。


第二次世界大戦は、1939年9月に勃発したが、イタリアは参戦せず、中立国だった。中立国の時期、イタリア王国空軍は、垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレを模した緑白赤の三色塗分けの国籍マークを描いていた。しかし、イタリアの1940年6月の大戦参戦後は、戦時では目立ちすぎる垂直尾翼の華麗なトルコローレを廃止して、白十字に国籍マークを変更している。

写真(右)1939-1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機(Savoia-Marchetti SM.79):ファシスト独裁国家イタリアの国籍マークは、主翼上面と下面にファッシ(束ねた武器)、垂直尾翼にイタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗を描いた。
Savoia-Marchetti SM.79 PictionID: 42002960 - Title: Savoia-Marchetti SM.79 - - Filename: 15_003032.TIF -
Image from the Charles Daniel's Collection Italian Aircraft
写真はÖsterreichische Nationalbibliothek,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog: 15_003032 引用。



2.第二次大戦のサヴォイア・マルケッティSM.79爆撃機

写真(右)1940年6月直後(?),イタリア、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機:ファシスト独裁国家イタリアの国籍マークは、主翼上面と下面にファッシ(束ねた武器)、垂直尾翼にイタリア軍の国籍マークは、イタリアの第二次世界大戦参戦前には緑・白・赤の三色旗の三色旗を描いていたが、参戦後に白十字に塗り替えている様だ。SM-79は雷撃機として、胴体下面に航空魚雷を搭載するもできた。性能は芳しくなかったが、実用性が高く、艦船攻撃にも成果を上げた。
Savoia-Marchetti SM.79 PictionID: 45646756 - - Title: Savoia-Marchetti SM.79 II Salo print - Filename: 16_006970.TIF - ---Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog: 16_006970 引用。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機(Savoia-Marchetti SM.79 II):ファシスト独裁国家イタリアの国籍マークは、主翼上面と下面にファッシ(束ねた武器)、垂直尾翼にイタリア王国空軍の国籍マークは、参戦前の緑・白・赤の三色旗の三色旗を描いていたが、参戦後は白十字に変更された。ただし、参戦前の三色トルコローレの塗り分けはそのまま残っている様だ。
Savoia-Marchetti, SM.79, Sparviero (Sparrow Hawk) Manufacturer: Savoia-Marchetti Designation: SM.79 Official Nickname: Sparviero (Sparrow Hawk) Notes: Italy
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00087243引用。


サボイアマルケッティSM-79雷撃機 ファシスト独裁国家イタリアの国籍マークは、主翼上面と下面にファッシ(束ねた武器)、垂直尾翼にイタリア軍の国籍マークは、1940年6月の第二次世界大戦に参戦前までは、緑・白・赤の三色旗トルコローレを派手に描いた。しかし、1940年6月にイタリアが第二次世界大戦に参戦すると、敵から発見されやすい派手な三色旗の国籍マークは廃止され、白十字に塗り直された。ただし、当初は三色のトルコローレ塗分けが残されたまま、白十字に変更されていたようだ。

1941年12月に太平洋戦争が勃発すると、日本海軍攻撃機による雷撃が多大の戦果を挙げたことにより、イタリア空軍もサボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機の良好な運動性と実用性の高さに注目して、多数を45センチ航空魚雷を搭載する雷撃機として地中海方面の艦船攻撃に投入するようになった。

サヴォイア・マルケッティSM79魚雷装備 1940年6月、イタリアが第二次世界大戦に参戦した時、サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機は11個の飛行隊に配備された主力爆撃機だった。しかし、これら初期のSM.79は、地中海方面で連合国の艦船を相手に活躍したが、攻撃は爆撃によっており、魚雷攻撃という雷撃機はなかった。

地中海に囲まれたイタリア空軍は、1941年末から1942年初頭にかけて、太平洋戦争で日本海軍が雷撃で多大な効果を上げると、イギリス艦船を相手に雷撃任務を可能にすべきだと考えられた。そこで、SM.79bisが、主に魚雷を搭載して雷撃を主任務とした雷撃機として量産されたのである。

イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79は雷撃機として、胴体下面に航空魚雷を搭載するもできた。性能は芳しくなかったが、実用性が高く、艦船攻撃にも成果を上げた。

写真(右)1940年6月,イタリア領リビア、手動ポンプでドラム缶から燃料を補給しているファシスト・イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機 :胴体後方下面の搭乗員昇降口と下方銃座の張り出しバルジの形状がよくわかる。コックピット後方のカバーが開けられて整備しているようだ。
Libia Un pilota sale nella cabina di pilotaggio mentre gli avieri mettono a punto il bombardiere
Creation date: 06.1940
Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana experience Identifier: Guerrag01-000938 引用。


イタリアは、1940年6月8日に南フランスに侵攻し第二次世界大戦に参戦したが、そフランス降伏の後の1940年9月7日、イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)は、イタリア植民地リビアから進軍しエジプトへ侵攻することを決心した。エジプロはイギリスが外交権・軍事権を掌握した保護国だったので、事実上、イギリス植民地だった。

1940年9月13日、エジプト侵攻を開始したイタリア軍は、グラッツィアーニ元帥隷下の8万人のイタリア第10軍で、5個師団を基幹としており、エジプト守備隊のイギリス軍より2倍以上優位な兵員を擁していた。優勢なイタリア軍はエジプトに100キロ侵攻したが、自動車化されていない部隊の補給は停滞した。

写真(右)1940年6月28日,イタリア、第二次世界大戦参戦直後、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機への爆弾搭載作業:胴体下面では、爆弾の弾頭を上にして爆弾層に搭載しようとしている。小型の50キロ爆弾4発、大型の100キロ爆弾7発が見えるが、合計で900キロとなる。SM.79爆撃機の爆弾搭載量は1250キロあるいは45センチ(800キロ)航空魚雷2本である。 だが
Italia Avieri preparano un SM-79 alla missione
Location: Italy
Identifier: GuerraRG00002741
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 28.06.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-001198 引用。


イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)は、フランス敗北後の領土要求をヒトラーに拒否され、地中海帝国イタリアの面目を施すことができなかった。ヒトラーは、戦争に寄与していなイタリアの領土要求を拒否して当然と考えたが、ムッソリーニは不名誉を被り、イタリア人の誇りを傷つけられた。ムッソリーニは、ヒトラーに対して仕返しをしようと、ドイツに相談することなく、併合していたアルバニアから16万のイタリア軍で、1940年10月28日、ギリシャに侵攻する。しかし、準備不足のイタリア軍は、勇敢なギリシャ軍の反撃を受け、かえってイタリア領アルバニアに押し返されてしまう。そして、ギリシャから、枢軸国に地中海東部を支配されないように、イギリス軍は、ギリシャ沖のクレタ島に進駐し、守備を固めた。

写真(右)1940年6月28日,イタリア、50キロ小型爆弾を搭載しているファシスト・イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機:胴体後方下面の搭乗員昇降口は見えるが、下方銃座の張り出しバルジは見えていない。爆弾倉のドアを開けて、爆弾を搭載している。地上勤務整備員たちの服装は、白の上下が基本のようだが、制服で統一されているわけではない。右端に、高い位置で作業するときの脚立が写っている。
Italia Avieri preparano le bombe per la missione e le caricano nella stiva del bombardiere SM-79
Creation date: 28.06.1940
Location: Italy
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-001199 引用。


1940年12月9日、イギリス陸軍オコンナー将軍隷下のイギリス西砂漠軍 (機甲師団と英印軍[イギリス=インド軍])3万人は「コンパス作戦」を発動、イタリア軍への攻撃を開始した。オコンナー将軍隷下のイギリス西砂漠軍3万人は優位に戦いを進めて、1941年2月までに、リビアのトブルク、キレナイカを占領し、イタリア軍に大打撃を与えた。

写真(右)1940年6月28日,イタリア、爆弾搭載中のファシスト・イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機 :胴体右側方の昇降口の扉が開いているが、扉の裏(内側)には、昇降に便利なように梯子式階段がついている。爆弾倉の扉も開放されている。
Italia Avieri caricano le bombe nella stiva del SM-79
Creation date: 28.06.1940
Location: Italy
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-001204 引用。


イタリアは、北アフリカのイギリス軍に手古摺らされていたのに、宣戦を広げすぎたため、イタリアの経済力、軍事力では対処できるはずがなかった。これは、日本が中国一国にも手古摺っていたのに、アメリカ、イギリスとの戦争を始めたのに比べれば、落ち度としては軽いかもしれない。

写真(右)1940年6月,イタリア領リビア、胴体下面の爆弾倉に50キロ爆弾を搭載中のファシスト・イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機 :胴体後方下面の爆弾倉の扉が左右に開いている。爆弾懸架には、ケーブルを爆弾先端に繋げて持ち上げてセットする。爆弾倉扉の後ろには、下方銃座の張り出しバルジが見える。その後ろには、搭乗員昇降扉が開放され、羽板となって昇降ランプとして使用されている。
Libia Un aviere prepara le bombe per la missione
Creation date: 06.1940
Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana experience Identifier: Guerrag01-000938 引用。


1941年の初め、イタリア軍は植民地のリビアからイギリス属領エジプトへの攻撃を始めたが、イギリス軍の反撃を受けて敗退した。そこで、イタリア軍の救援のために、北アフリカにもドイツ軍が派遣されこととなった。これが、ドイツアフリカ軍団である。バルカン半島、北アフリカに進出したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機は、1940年の西方電撃戦の時と同様に、地上攻撃に当たると共に、地中海を遊弋するイギリス艦隊を空襲した。海上での大規模攻撃は、この時がJu87にとって初めてであったが、練度の高い急降下爆撃部隊(突撃航空団)は、連合軍艦艇・船舶を急降下爆撃で多数撃沈、大破させた。バルカン半島、地中海、北アフリカでもユンカースJu87急降下爆撃機は敵の艦船と地上軍の攻撃に大活躍した。

写真(右)1940年6月,イタリア領リビア、胴体下面の爆弾倉に50キロ爆弾を搭載中のファシスト・イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機 :胴体後方下面の爆弾倉の扉が左右に開いている。爆弾懸架には、ケーブルを爆弾先端に繋げて持ち上げてセットする。胴体後方下面の搭乗員昇降口と下方銃座の張り出しバルジの形状がよくわかる。
Libia Avieri caricano le bombe nella carlinga di un S-79
Creation date: 06.1940
Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-000947 引用。


イタリア軍には、1941年2月にドイツからエルヴィン・ロンメル将軍隷下のアフリカ軍団がリビアに派遣され、3月の攻勢によって、4月にはベンガジを攻略してオコンナー将軍を捕虜にした。しかし、イギリス軍は、1942年8月にエル・アラメイン防衛のために、バーナード・モントゴメリー将軍隷下のたイギリス第8軍を充て、11月まで頑強に抵抗した。そして、アメリカからの戦車、航空機の軍事援助を得て、11月1日に「スーパーチャージ作戦」を発動して、ドイツ・イタリアの枢軸軍をリビアに撤退させた。

写真(右)1940年6月,イタリア領リビア、胴体下面の爆弾倉に50キロ爆弾を搭載中のファシスト・イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機 :胴体後方下面の爆弾倉の扉が左右に開いている。爆弾懸架には、ケーブルを爆弾先端に繋げて持ち上げてセットする。胴体後方下面の搭乗員昇降口と下方銃座の張り出しバルジの形状がよくわかる。
Libia Avieri caricano le bombe nella carlinga di un S-79
Creation date: 06.1940
Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-000948 引用。


ヒトラーは、イギリス軍がバルカンで勢力を伸ばせば、同盟国ルーマニアの油田が脅かされ、イギリスとソ連との連携の可能性が高まると憂慮し、バルカン半島、北アフリカを確保することを決め、イタリア軍に加勢する準備を始めた。ヒトラーは、1941年4月6日、ギリシャ侵攻「マリータ作戦」(Unternehmen Marita)、ユーゴスラビア侵攻を発動し、同盟国ブルガリア、ハンガリーから司令官ヴィルヘルム・リスト元帥隷下のドイツ第12軍がギリシャに侵攻した。ユーゴスラビアは1941年4月17日、ギリシャは1941年4月30日に降伏した。しかし、ギリシャにあったイギリス軍は、4万2,000名は無事撤退することができた。

写真(右)1940年7月11-24日,イタリア、サルジニア島、ファシスト・イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機 :胴体下面の爆弾倉ハッチが開いているが、ここに250キロ爆弾を積み込む。コックピットの後方に爆弾巻き上げ機があり、そのハッチを開けて、そこから胴体下面の爆弾倉に爆弾を鋼索を使って引き上げて懸架にセットするのであろう。地上には大型の250キロ爆弾2発が搭載されるのを待っている、胴体側面には敵襲を受けた時の銃弾の穴があり、白丸で囲われているが、軽微な損傷のために修理は後回しになったのであろうか。
Dettaglio di un bombardiere: una parte della carlinga e del carrello, bombe a terra, la carlinga ha dei fori di proiettile
Creation date: 06.1940
Italy Sardinia
Subject: Aviazione militare italiana , La Guerra nel Mediterraneo , Savoia Marchetti SM 79 , Sardegna , Alghero
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 11.07.1940-24.07.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraRG00002734 引用。


サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の諸元
乗員Crew: 6名
全長Length: 16.2 m (53 ft 2 in)
全幅Wingspan: 20.2 m (66 ft 3 in)
全高Height: 4.1 m (13 ft 5 in)
主翼面積Wing area: 61.7 m2 (664 sq ft)
空虚重量Empty weight: 7,700 kg (16,976 lb)
総重量Gross weight: 10,050 kg (22,156 lb)
発動機Powerplant: アルファロメオ(Alfa Romeo)AR128 R.C.18空冷星形9気筒エンジン642 kW (861 hp)排気量28.6 L (1,745.28 cu in) 3基

サボイアマルケッティSM-79爆撃機 サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の性能
最高速力Maximum speed: 460 km/h (290 mph, 250 kn) at 3,790 m (12,430 ft)
航続距離Range: 2,600 km (1,600 mi, 1,400 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,500 m (24,600 ft)
上昇率Rate of climb: 5.3 m/s (1,040 ft/min)
翼面荷重Wing loading: 165 kg/m2 (34 lb/sq ft)
出力重量比Power/mass: 0.173 kW/kg (0.105 hp/lb)
兵装Armament
前方12.7 mm (0.5 in)ブレダ(Breda-SAFAT)固定機関銃1丁
後上方12.7 mm (0.5 in) ブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃1丁
後下方12.7 mm (0.5 in) ブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃1丁
胴体左右側面7.7 mm (0.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃各1丁"
爆弾搭載量Bombs: 1,200 kg (2,645 lb)

写真(右)1940年6月以降,イタリア、編隊飛行するファシスト・イタリア空軍記章を描いたサヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の編隊飛行:ファシスト独裁国家イタリアの国籍マークは、主翼上面と下面にファッシ(束ねた武器)。垂直尾翼には、第二次大戦参戦前のイタリア軍の国籍マーク(緑・白・赤の三色旗の三色旗トルコローレ)ではなく、白十字を描いている。SM-79は雷撃機として、胴体下面に航空魚雷を搭載するもできた。性能は芳しくなかったが、実用性が高く、艦船攻撃にも成果を上げた。
Savoia-Marchetti, SM.79, Sparviero (Sparrow Hawk) Manufacturer: Savoia-Marchetti
Designation: SM.79 Official Nickname: Sparviero (Sparrow Hawk) Notes: Italy
写真はÖsterreichische Nationalbibliothek,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00087240 引用。


ユーゴスラビア摂政パヴレ・カラジョルジェヴィチPrince Paul of Yugoslavia)は、1941年3月25日、フランスを敗北させ西ヨーロッパの支配者となっていたヒトラーのドイツと同盟条約を締結した。

しかし、1941年3月27日、ドイツの同盟国だったユーゴスラビアで親ロシア派セルビア人将校によるクーデターが起こり、親ドイツを放逐して、親ソビエト派が実権を握った。この裏切りに激怒したヒトラーは、1941年4月6日、ユーゴスラビア侵攻を指令し、ユーゴの首都ベオグラードを破壊することを命じた。

写真(右)1940年6月28日,イタリアの第二次大戦参戦1か月後、イタリア、爆弾を搭載しているイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機:胴体コックピット後方の上部銃座の後ろのパネルが開放されているが、銃座の切り欠きがよくわかる。未舗装で草地の滑走路駐機場には、燃料用のドラム缶、爆弾が並んでいる。
italia Avieri preparano un SM-79 alla missione rifornendolo di carburante e di bombe
Location: Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 28.06.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-001205 引用。


1942年、エジプト国境、エル・アラメインの戦いで負けたドイツ・イタリア枢軸軍は、1942年11月8日アメリカ・イギリス連合軍によるモロッコ、アルジェリア上陸「トーチ作戦」によって、退路を塞がれ包囲された。また、1943年1月23日、イギリス軍バーナード・モントゴメリー大将隷下の第8軍は、枢軸軍の拠点トリポリを攻略、枢軸軍はリビアを抜けて、補給しやすいチュニジアに撤退した。しかし、イギリス軍がチュニジアに最も近いマルタ島の空軍基地によって、イタリアからチュニジアへの補給が遮断された。枢軸軍は、チュニジアに孤立化させられた。

写真(右)1940年6月28日,イタリアの第二次大戦参戦1か月後、イタリア、爆弾を搭載しているイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機:左エンジンの前に踏み台があるので、エンジン整備も行っている様だ。胴体コックピット後方の上部銃座の後ろのパネルが開放され、銃座の切り欠きがあるが、この内部の胴体燃料タンクに給油しようとしているのであろう。未舗装で草地の滑走路駐機場には、燃料用のドラム缶、爆弾が並んでいる。
Italia Avieri preparano un SM-79 alla missione
Location: Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 28.06.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-001207引用。


1942年11月、フランスのヴィシー政府の植民地アルジェリアに、ドワイト・アイゼンハワー将軍隷下のイギリス軍とアメリカ軍が「トーチ作戦」に従って上陸し、ドイツ・イタリア軍を東西から挟み撃ちにし、チュニジアに追い詰めた。

写真(右)1940年6月,北アフリカ、リビア上空、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の胴体爆弾倉の12発搭載用爆弾筒:爆弾の弾頭を上にして搭載しているが、爆弾投下後なのか、空の爆弾搭載筒が11本、爆弾は2発のみ残っている。
Libia Un aviere carica le bombe nella stiva del bombardiere
Creation date: 06.1940
Identifier: GuerraRG00002741 Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-000065 引用。


サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機は、コックピット後方の胴体中央部全体か爆弾倉になっている。爆弾搭載方法は、弾頭を上にして、胴体下面の爆弾倉扉を開いて、鋼索を爆弾鼻先に繋いで、胴体上部にある巻上げ機で引き上げる。爆弾巻上げ機の胴体上部には大きなハッチがあって、爆弾を真下において引き上げることができる。

このような縦型の爆弾筒を使った爆弾搭載方法は、ドイツのハインケルHe111バクで危機も採用している方法で、小型爆弾を爆弾倉に多数搭載するのには爆弾倉の容積を確保し、爆弾投下を1発ずつ円滑に行ううえで優れている。しかし、大型爆弾を搭載するには、爆弾巻上げ機の能力不足であり、爆弾懸架装置も大型になるので、縦型搭載では不可能である。

ハインケルHe111も、後期型になると、500キロ爆弾以上は、爆弾倉を使わずに、胴体中央下面に、1トン爆弾も搭載可能な大型爆弾懸架装置(爆弾搭載ラック)を2個装備して、大型爆弾搭載を可能にしている。

写真(右)1940年6月,北アフリカ、リビア上空、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の胴体爆弾倉の12発搭載用爆弾筒:爆弾の弾頭を上にして搭載しているが、爆弾投下後なのか、空の爆弾搭載筒が11本、爆弾は2発のみ残っている。
Un aviere punta la mitragliatrice di bordo di un bombardiere in missione verso il cielo
Creation date: 06.1940
Identifier: GuerraRG00002741 Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-000065 引用。


イタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機は雷撃機として、胴体下面に航空魚雷を搭載することもできた。性能は芳しくなかったが、実用性が高く、艦船攻撃にも成果を上げた。

写真(右)1940年7月11-24日,北アフリカ、リビア上空、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の胴体後上方12.7ミリブレダ旋回機関銃と銃手
Un aviere punta la mitragliatrice di bordo di un bombardiere in missione verso il cielo
Creation date: 11.07.1940-24.07.1940
Identifier: GuerraRG00002741 Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001001172-man0 引用。


写真(右)1940年7月11-24日,イタリアの第二次大戦参戦1か月後、ベルギー(?)、シエーヴル(Chievres) 基地、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の戦列:イギリス本土爆撃に参加した爆撃機はBR.20だが、数少ないSM.79の部隊もあったのか。
Avieri spingono dei fusti di carburante verso un Sm 79
Location: Italy Chievres
Identifier: GuerraRG00002741 Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 11.07.1940-24.07.1940
写真は,Europeana experience Identifier: AttualitaA40-122819 引用。


1942年5月20日の地中海、クレタ島攻略「メルクール作戦」で、ドイツの精鋭部隊だった降下猟兵に大きな損害を被ったことで、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングは、自分の軍隊が損なわれることを危惧して、マルタ島攻略のための大規模空挺作戦を取り止めた。第二次大戦中、ドイツ降下猟兵は二度と大規模な空挺作戦を実施するとがなく、歩兵として、戦闘に投入された。

写真(右)1940年7月11-24日,イタリアの第二次大戦参戦1か月後、イタリア、サルジニア島上空を飛行するイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の編隊:主翼には、黒縁白円にファッシを3本描いたファシスト・イタリア王国空軍の国籍記章が描かれている。また、垂直尾翼には、白十字のファシスト・イタリア王国空軍の国籍記章が描かれている。これは、上下と側方からの味方識別のためである。
Due SM 79 in volo ripresi da un terzo velivolo
Location: Italy Location: Italy Sardinia
Identifier: Guerra Guerra IL0001002441-man0 Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 11.07.1940-24.07.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraRG00002719 引用。


写真(右)1940年7月11-24日,イタリアの第二次大戦参戦1か月後、イタリア、サルジニア島上空を飛行するイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機のコックピット:左席が正操縦席、右席が副操縦席だが、副操縦席には航法手なのか、大きな地図をもって航法を確認している。操縦席ガラス風防の上部に照準器がついているが、これはコックピット後上方に装備された前方固定式12.7ミリブレダ機関銃の射撃照準器であろう。SM-79は、急降下爆撃はしないので、爆撃照準器ではない。
Due piloti e un aviere in cabina di pilotaggio durante la missione
Location: Italy Location: Italy Sardinia
Identifier: Guerra Guerra IL0001002441-man0 Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 11.07.1940-24.07.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraRG00002718 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリアの第二次大戦参戦2か月後、北アフリカ、イタリア領リビア(ジャマーヒリーヤ:Jamahiriya) 、爆弾を搭載しているイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機:胴体コックピット後方の上部銃座の後ろのパネルが開放されているが、銃座の切り欠きがよくわかる。砂漠では、エンジンや電気・油圧系統に砂塵が混入して、稼働率が低下したり、故障・自己の原因になったりした。しかし、砂漠・乾燥地域を植民地として、空軍も配置していたイタリアでは、砂塵対策は常識だったであろう。
Militari in divisa coloniale spingono delle bombe verso un bombardiere SM 79, altri avieri preparano l'aeroplano alla missione
Location: Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
Institution: Instituto Luce - Cinecittà

Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 02.08.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001001833-man0 引用。


ムッソリーニは、第二次世界大戦勃発8か月遅れの1940年6月参戦し、フランスを攻め、ギリシアに侵攻した。しかし、ドイツに相談なしにギリシャに侵攻するも敗退し、ドイツの援軍を得て、1941年4月30日に勝利できた。しかし、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻にも同盟軍としてイタリア軍を派遣している。ドイツのソ連侵攻に合わせて、イタリア軍部隊を東部戦線に派兵し、ムッソリーニも東部戦線のイタリア軍を視察している。

写真(右)1940年8月2日,イタリアの第二次大戦参戦2か月後、イタリア、シシリア島南端、コミソ(Comiso) 基地、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の戦列:機首エンジンの集合排気管が、機首下面に排気口を持ってきている。胴体下面にバルジがあり、爆撃手用の爆撃照準器が装備されているはずである。機首には、ファッシの束をモチーフにした部隊マークが描かれている。
Un bombardiere SM 79 nell'aeroporto di Comiso
Location: Italy Aeroporto di Ciampino
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 02.08.1940
写真は,Europeana experience Identifier: AttualitaA40-122819引用。


オーストリア帝国の支配の下にあったユーゴスラビアのセルビア人は、支配者と見られたドイツ系を憎悪しおり、セルビア人政治家や高級軍人は、1941年3月27日にクーデターによって摂政パヴルを始めとするぢ親ドイツ政権を倒して、国王ペータル2世を担ぎ出して、親スラブ政権を樹立した。 国だったユーゴスラビアでクーデターが起こり、親ドイツを放逐して、親ソビエト派が実権を握った。新政権はドイツとの武力衝突を望んではいなかったが、ヒトラーは、ドイツを裏切ったユーゴスラビアの激怒し、直ちに1941年4月6日、ユーゴスラビアにドイツ軍を侵攻させ、ユーゴの首都ベオグラードBeograd)を空襲することを命じた。

写真(右)1940年8月2日,イタリア、地中海上空を飛行するイタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機(Savoia-Marchetti SM.79)の編隊
Bombardieri SM 79 della 10^ squadriglia in volo sul Mediterraneo
Location: Italy Aeroporto di Ciampino
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 02.08.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001002513-man0引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、エーゲ海上空を飛行するイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の編隊
Bombardieri Siai Marchetti S-79 in volo scortati da alcuni caccia
Location: Italy Mare Mediterraneo
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 02.08.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001002426-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、エーゲ海上空を飛行するイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の戦列
Bombardieri S-79 sorvolano il Mediterraneo
Location: Italy Mare Egeo
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 02.08.1940
写真は,Europeana experience GuerraGuerraIL0001002425-man0引用。


写真(右)1940年8月2日,エジプト上空を飛行中のイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機のコックピット:正面は、操縦席のガラス風防と右座席の副操縦手。
Bombardamento di Sidi El Barrani: il co-pilota visto dal retro della cabina
Location: Arab Republic of Egypt Italy Sidi Barrani
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway

Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 02.08.1940
写真は,Europeana experience GuerraGuerraIL0001001759-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリアの第二次大戦参戦2か月後、北アフリカ、イタリア植民地リビア、サハラ砂漠上空を飛翔するイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の戦列
Un bombardiere SM 79 nell'aeroporto di Comiso
Location: Italy Deserto del Sahara
Identifier: GuerraGuerraIL0001002508-man0
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 02.08.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001002508-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリアの第二次大戦参戦2か月後、北アフリカ、イタリア植民地リビア、サハラ砂漠上空を飛翔するイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の戦列
Un bombardieri SM 79 della 10^ squadriglia vola a bassa quota su una zona desertica
Location: Italy Deserto del Sahara
Identifier: GuerraGuerraIL0001002508-man0
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 02.08.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001002514-man0引用。


写真(右)1940年9月,イタリアの第二次大戦参戦3か月後、イタリア、サルジニア島南端、デチモマンヌ (Decimomannu) 基地、ドラム缶から手動ポンプで燃料を補給しているイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の戦列:機首エンジンの集合排気管が、機首下面に排気口を持ってきている。胴体下面にバルジがあり、爆撃手用の爆撃照準器が装備されているはずである。機首には、ファッシの束をモチーフにした部隊マークが描かれている。
Sardegna Avieri riempiono di carburante i serbatoi di un bombardiere S-79
Location: Italy Aeroporto militare di Decimomannu
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001004283-man0 引用。


ドイツ空軍戦闘機の型式であるTropとは熱帯の略称で、空中や飛行場では砂塵が舞い上がっているが、航空機が砂塵をエンジン過給機の空気取入れ口から吸い込んでしまうと、エンジン内部の故障、不調の原因になる。そこで、飛行場や低空で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着、その円筒側面から空気を取り入れた。ただし、高空では砂塵の心配はなく、エンジンの全力可動のためには、エアインテークの正面から空気を取り込むほうが都合がよい。そのために、インテーク前面は、開閉式となっていた。低空では閉鎖し、フィルター円筒の側面から吸気し、高空ではインテーク正面の取入れ口から空気を取り込むのである。

ユンカースJu87に搭載されたユモJumo211液冷エンジンも、砂漠の砂塵で不調になるリスクが高いと思われるが、JU87の場合は、形式上Trop熱帯仕様が明示されていない。

写真(右)1940年9月,北アフリカ、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機の胴体右側面銃座から身を乗り出しての胴体表面を磨く地上勤務整備員:胴体後方左右側面には、7.7mmブレダ旋回機関銃各1丁が装備されている。機体を磨くのは空気抵抗を減少させるためで、飛行機搭乗員自らが生き残りをかけて、少しでも速力を高めようと自ら作業しているのかもしれない。「Vado e Ritorno」とは「行って、帰る」の意味なので、出撃して無事帰還するという武運長久の願いである。
Un aviere si sporge dal finestrino di un bombardiere S-79 e indica un foro sulla fiancata dell'aeroplano
Location: Arab Republic of Egypt
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway

Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001003601-man0 引用。


写真(右)1940年9月、イタリアの第二次大戦参戦3か月後、地中海沿岸を飛行するイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の編隊:コクピット後上方の12.7mmブレダ機関銃座が上を向いているが、低空飛行で上空からの襲撃に備えているのであろう。
Due bombardieri s-79 della 229^ Squadriglia in volo sul Mediterraneo
Location: Italy Mare Mediterraneo
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001003765-man0 引用。


写真(右)1940年9月,イタリア植民地リビア、爆弾搭載中のファシスト・イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機 :コックピット後方のカバーを開けているが、これは胴体上部にある爆弾搭載用の懸架と搭載用ケーブルを操作するためである。胴体右側方の昇降口の扉が開いているが、扉の裏(内側)には、昇降に便利なように梯子式階段がついている。爆弾倉の扉も開放されている。
Avieri e meccanici preparano un bombardiere Siai-Marchetti S-79
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001004180-man0 引用。


写真(右)1940年9月,イタリア、作戦準備のためのイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の準備をする搭乗員と地上勤務整備員:燃料の入ったドラム缶を転がしながら運んでいるが、給油は地上勤務整備員が手動ポンプで行っている様だ。
Sardegna Piloti e avieri preparano dei bombardieri Siai-Marchetti S-79 per una missione
Location: Italy Aeroporto militare di Decimomannu
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001004279-man0 引用。


写真(右)1940年9月,イタリア、作戦出撃前のエンジン始動点検中のイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機と機体が動かないように車輪止め抑えている地上勤務整備員:機体下方と後方には爆弾が並べられているので、これから爆弾を搭載する前に、エンジンの点検をしているのであろう。燃料用ドラム缶も見える。
Sardegna Due bombardieri S-79 col motore acceso ai bordi delle piste dell'aeroporto di Decimomannu
Location: Italy Aeroporto militare di Decimomannu
Identifier: Guerra GuerraIL 0001002441-man0 Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001004289-man0 引用。


サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 79爆撃機のように、イタリアでは三発機が第二次大戦時まで代表的な爆撃機として現役でつかわれていた上に、戦後になっても、民間航空に三発輸送機が就役している。三発機は日本では珍しいので、イタリアには良いエンジンがないために三発にしたとの俗説が広まっている。しかし、1920年代から1930年代にかけて、世界ではフォッカー F.VIIb3mトライモーターが大活躍し、ドイツのユンカースG.24、G.31、Ju52/3mタンテのような三発輸送機が多数就役していたのである。こうした三発輸送機の伝統と歴史を、イタリア三発輸送機が引き継いでいるのであって、決してイタリアにおけるエンジン制約のためではないであろう。イタリアには高出力の適当なエンジンがないので三発機を採用したというのは、三発飛行機の興隆の歴史に無知なためではないか。しかし、三発輸送機ではなく、三発爆撃機の場合、機首に搭載するエンジンのために、機首をガラス風防で覆って視界の良い爆撃手席が持てなかったことは事実である。

写真(右)1940年9月,イタリア、サルジニア島南端、デチモマンヌ (Decimomannu) 基地、作戦準備のためイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の前で飛行計画を確認する空軍将兵たち:機体の上には、エンジンや後上方銃座を点検している整備員たちがこちらを注目している。プロパガンダ用の宣伝写真であろう。
Sardegna Avieri e piloti si preparano a una missione nei pressi di un bombardiere S-79: i piloti controllano delle carte mentre gli avieri sistemano l'aeroplano
Location: Italy Aeroporto militare di Decimomannu
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001004294-man0 引用。


写真(右)1940年9月,イタリア、地中海上空を飛行するイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の胴体側方7.7ミリブレダ旋回機関銃と銃手:下から天井に伸び、そこから機関銃右側に糾弾している弾薬ベルト、重左側に射撃後に排出される空薬莢(撃ち空)を回収するパイプがついている。銃手は皮の飛行帽子とゴーグルをつけ、寒さ除けの飛行服を着用している。
Due bombardieri S-79 si avvicinano a un isolotto nel Mediterraneo
Location: Italy Mare Mediterraneo
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940 Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: Identifier: GuerraGuerraIL0001003248-man0 引用。


写真(右)1940年9月,エジプト上空、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79爆撃機のコックピット:フィアット(Fiat)BR.20チコーニャ(Cicogna:コウノトリ)爆撃機のコックピットか?
Avieri e piloti a bordo di un bombardiere guardano verso il fotografo e dicono qualcosa
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940 Location: Italy Arab Republic of Egypt
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Arab Republic of Egypt
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001003597-man0 引用。


写真(右)1940年9月,イタリア、エーゲ海上空を飛行するイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の戦列
Due bombardieri S-79 si avvicinano a un isolotto nel Mediterraneo
Location: Italy Mare Egeo
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001003582-man0 引用。


写真(右)1940年9月、イタリアの第二次大戦参戦3か月後、地中海沿岸を飛行するイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機:コクピット後上方の12.7ミリブレダ機関銃座が情報を向いているが、低空飛行で上空からの襲撃に備えているのであろう。
Un bombardiere s-79 in volo sul Mediterraneo
Location: Italy Mare Mediterraneo
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001003764-man0 引用。


イタリアのブレダ SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃である後継には7.7ミリと12.7ミリとがある。原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103​航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。

写真(右)1940年9月,イタリア、地中海上空を飛行するイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の戦列
Sardegna Un bombardiere S-79 in volo ad alta quota
Location: Italy Mare Mediterraneo
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001004265-man0 引用。


それまでのイタリアでは、機関銃はフィアットが受注していたが、これ以後、ブレダでもイタリア軍の機関銃が量産されるようになった。ただし、フィアット子会社のSAFAT(Società Anonima-Fabbricazione Armi Torino)が、ジョヴァンニ・アニェッリ(Giovanni Agnelli)によってブレダに売却されており、フィアットの技術や生産方式は、ブレダに引き継がれている。こうして、イタリアの機関銃は、フィアットではなく、ブレダ-SAFATが担うことになったのである。

写真(右)1940年9月、イタリアの第二次大戦参戦3か月後、地中海沿岸を飛行するイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機の爆撃手席:下方ガラス風防から地上を見ることができ、爆撃照準器も装着されているはずだ。爆弾は、50キロや100キロの小型爆弾を多数搭載できるので、別個に投下するための投下スイッチが12個並んでいる。飛行中、高空では機内室温が氷点下に下がることも多いので、爆撃手は、革製飛行帽とゴーグルを装着し、機械操作が便利なように薄手の手袋を着用している。
Un aviere si appresta a sganciare le bombe da un bombardiere S.M.79
Location: Italy Mare Mediterraneo
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001003244-man0 引用。


写真(右)1941年1月6-10日,イタリア領アルバニア、シュコダル、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機(253-5)に搭載する爆弾にふざけて「メリークリスマス」と書き込んだイタリア空軍搭乗員8名:地上勤務整備員ではなく、搭乗員たちが雪原に爆弾を立て記念撮影したようだ。
Scutari In una piana di Scutari, un gruppetto di avieri italiani sistema le bombe in piedi nel terreno nevoso in modo da potervi applicare la dicitura "buon Natale" Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 06.01.1941-10.01.1941
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001002829-man0 引用。


写真(右)1941年1月6-10日,イタリア領アルバニア、シュコダル、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機(253-5)に搭載する爆弾にふざけて「メリークリスマス」と書き込んである。名:コックピットには、雪避け用にカバーがかかっている。雪原に爆弾を立て記念撮影用に配置した。燃料用ドラム缶が、左右に1個ずつ写っている。
Scutari In una piana di Scutari, alcune bombe aeree sono infisse sul terreno nevoso in modo da stare in piedi e potervi applicare la dicitura buon Natale; poco discosto un bombardiere SM. Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 06.01.1941-10.01.1941
写真は,Europeana experience GuerraGuerraIL0001002830-man0 引用。


写真(右)1941年1月6-10日,イタリア、エンジンを停止しているイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機 :地上で機体を牽引するためのトラクター(車輪式)が準備されている。
Un SM79 ripreso frontalmente, a terra; movimento di militari tutt'intorno
Location: Italy
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 06.01.1941-10.01.1941 br>写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001004522-man0 引用。


写真(右)1941年1月6-10日,イタリア、トラクター(車輪式)で牽引されて地上を移動中のイタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機(Savoia-Marchetti SM.79):地上で機体を牽引しているので、エンジンは停止している。周囲の随伴している兵士は、搭乗員なのであろうか。
Un SM79 ed un automezzo militare ripresi frontalmente; movimento di militari tutt'intorno
Location: Italy
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 06.01.1941-10.01.1941
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001004523-man0 引用。


写真(右)1941年7月23日,地中海上空、地上対空砲火の弾幕を飛行するイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機
Mare Mediterraneo Un Savoia Marchetti in volo durante l'attacco
Location: Italy
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 23.07.1941
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-024930 引用。


写真(右)1941年1月,北アフリカ(?)、野外で地上勤務員によって機首エンジン整備を受けるイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機:高い位置のエンジンの整備や調整しやすいように整備用梯子式専用踏み台が用意されている。
Militari italiani, in una base aerea in Africa settentrionale, sono intenti alla manutenzione di un SM 79
Location: Italy
Identifier: GuerraGuerraIL0001002441-man0 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 01.01.1941-31.01.1941 br>写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001003832-man0 引用。


写真(右)1940年9月,イタリア、ティレニア海を横断してコルシカ島の爆撃から帰還したイタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機(Savoia-Marchetti SM.79)の搭乗員と出迎えたイタリア外務大臣ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)とアレッサンドロ・パヴォリーニ(Alessandro Pavolini):中央のSM79指揮官将校出迎えの左から3人目が軍服・軍帽姿のガレアッツォ・チャーノ外務大臣、中央の右最前列が飛行ジャケットを着たアレッサンドロ・パヴォリーニ(Alessandro Pavolini)が帽子をとって挨拶している。背景のS.79爆撃機の胴体上銃座は銃眼が開いているが、機銃は取り去られている。胴体上銃座(銃眼)の後ろにある棒は、機銃が自機の尾翼を誤射しないよう配置した射界制御棒で、アンテナ支柱を兼ねているのであろう。
Italia Ciano e Pavolini con gli equipaggi degli aerei che hanno partecipato ai bombardamenti sulla Corsicao
Location: Italy Mar Tirreno
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 14.06.1941
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-000009 引用。


写真(右)1940年9月,イタリア、ティレニア海を横断してコルシカ島の爆撃から帰還したイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機のSM79指揮官将校を出迎えて祝福する軍服・軍帽姿のイタリア外務大臣ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano):中央のSM79指揮官将校の右後ろにジャケットにネクタイのアレッサンドロ・パヴォリーニ(Alessandro Pavolini)が写っている。
Italia Un alto ufficiale dell'aviazione si congratula con Ciano dopo la missione
Location: Italy Mar Tirreno
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway

Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Creation date: 14.06.1941
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-000007 引用。


アレッサンドロ・パヴォリーニ(Alessandro Pavolini)は、1903年9月27日生まれ、フィレンツェ大学卒業、戦闘的ファッシに加わり、1922年のローマ進軍にムッソリーニとともに参加し、イタリア国王の承認のもと政権を奪取した。ジャーナリストとして活躍したが、1945年4月28日処刑後、ミラノのガソリンスタンドの梁に、ムッソリーニらの死体と並んで吊るし晒された。

ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)は、1903年3月18日生まれ、1925年にローマ大学法学部を卒業、外務省職員となる。その後、親ファシストの父を通じて、1930年4月24日にムッソリーニの長女エッダ・ムッソリーニと結婚した。その後、中国の上海総領事を経て、1936年に33歳の若さで外務大臣に就任した。

チャーノは、ヒトラーを嫌っており、ドイツとの同盟には懐疑的だったが、フランスを敗北させたドイツには一目置かざるを得ず、岳父ムッソリーニに従い、ドイツとの同盟を進めた。

イタリアは、1940年9月27日にベルリンで日独伊三国間条約を結び、その直後の6月、ドイツの側に立って第二次世界大戦に参戦した。当初、ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)外務大臣は、バルカン侵攻に積極的であり、アルバニア侵攻、ギリシャ侵攻と戦争参加を主導したが、イタリア軍の戦備と士気では、世界大戦を戦うには、準備不足だった。

イタリア外務大臣ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)は、ヒトラーを嫌っていたが、ムッソリーニはヒトラーに対抗意識を燃やして戦争をはじめ、チャーノはムッソリーニに追従してしまい、侵略政策を推進し、戦局悪化に直面して、後悔することになった。

1943年に入って、枢軸国軍が北アフリカで、次いでシシリア島で敗北すると、1943年7月25日のファシスト党大評議会でガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)は、ムッソリーニの首相解任に賛同し、岳父を裏切った。しかし、ムッソリーニに近しいチャーノは、新たなバドリア元帥のイタリア政府では相手にされず、チャーノはドイツ軍によって逮捕された。

ファシスト党大評議会が開かれたのと同じヴェローナ宮殿で、裏切り者の裁判が始まり、ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)ムッソリーニ、国家反逆罪で死刑が宣告された。チャーノ夫人ムッソリーニ長女エッダの助命の嘆願もむなしく、チャーノは、1944年1月11日、40歳の若さで、ヴェローナで銃殺処刑された。

写真(右)1940年6月以降,イタリア、沿岸都市上空を飛翔するイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機(登録コード:278):操縦席後上方に前方固定式の12.7ミリ機関銃があるが、これは機首にエンジンがあり、そこに機関銃座を設けることができなかったための苦肉の策である。その後ろには、後上方を射撃する12.7ミリ旋回機関銃が、胴体後方側面に7.7ミリ旋回機関銃が装備されている。
Description Italiano: Aereo Savoia Marchetti SM 79 Sparviero
Date before 1960
Source www.facebook.com /Regia.Aeronautica .1923.46/photos Author Unknown author
写真はWikimedia Commons,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM 79 Sparviero in volo da dx.jpg 引用。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、不時着したイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機:操縦席後上方に前方固定式の12.7ミリ機関銃があるが、これは機首にエンジンがあり、そこに機関銃座を設けることができなかったため。。その後ろには、後上方を射撃する12.7ミリ旋回機関銃が装備されている。胴体エンジンの金属プロペラの先端は、不時着したために、先端が曲がっているが、機首のプロペラに損傷は見受けられない。操縦席外側に風力発電用のプロペラがついている。
Description Italiano: Bombardiere della Seconda Guerra Mondiale. Foto proveniente dall'Archivio privato della famiglia Riggio. English: WWII bombardier. From the private archive of Riggio family.
Date circa 1940 Source Italiano: Archivio privato della famiglia Riggio. English: Private collection of Riggio family.
写真はWikimedia Commons,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Bombardiere.jpg引用。


1943年5月13日、北アフリカのチュニジアでドイツ・イタリア軍が降伏し、西側連合軍は、チュニジア・マルタから、チュニジア⁼シチリア島の中間にあるパンテッレリア島を空襲し、さらに艦砲射撃も実施して、6月11日にイタリア軍守備隊を降伏させた。

写真(右)1940年6月以降,イタリア、飛行するイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機(登録コード:215):操縦席後上方の前方固定機関銃はない。操縦席の後ろには、後上方を射撃する12.7ミリ旋回機関銃が、胴体後方側面に7.7ミリ旋回機関銃が装備されている。
Italiano: Aerei Seconda Guerra Mondiale English: WWII Italian airplanes
Date circa 1940
Source Italiano: Archivio di Famiglia English: Family collection.
Italiano: sconociuto English: unknown
写真はWikimedia Commons,Category:Savoia-Marchetti SM.79 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Aereo_s79.jpg引用。


そして、1943年7月10日、西側連合軍は、イタリアのシシリー島攻略「ハスキー作戦」を発動、グライダー140機、空挺部隊3000人をシチリア島南部に降下させた。そして、シシリー島南岸に艦砲射撃の援護の下に、地上軍を上陸させた。

写真(右)1940年6月以降,イタリア、飛行するイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機(登録コード:193-6)と僚機の編隊:尾輪は、半引込み式で車輪株が露出している。操縦席後上方の前方固定機関銃はない。操縦席の後ろには、後上方を射撃する12.7ミリ旋回機関銃が、胴体後方側面に7.7ミリ旋回機関銃が装備されている。
Italiano: Aereo Savoia Marchetti SM 79 Sparviero in formazione
Date before 1960 Source www.facebook.com /Regia. Aeronautica. 1923.46/photos Author Unknown author
写真はWikimedia Commons,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Savoia Marchetti SM 79 Sparviero in formazione.jpg引用。


写真(右)1942年5月15-16日,イタリア、サルジニア島南端、カリャリ=エルマス (Cagliari-Elmas) 基地を訪問した革製の飛行帽を被っているイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と右遠方のSM.79爆撃機:革製の飛行帽を被っているムッソリーニは、飛行機の操縦も習ったことがあった。右後方には、サボイア・マルケッティSM.79三発爆撃機が見える。サルジニア南端から、北アフリカ、チュニジアまで200キロの距離だった。しかし、連合国は戦略的により重要なイタリア本土進攻を進めるために、1943年、シシリー島に侵攻した。は国際空港となっている。
Il Duce sulla pista dell'aeroporto di Elmas in tenuta da pilota
Creation date: 15.05.1942-16.05.1942
Institution: Instituto Luce Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy aeroporto di Cagliari
写真は,Europeana experience Identifier: AttualitaA141696 引用。


1943年7月10日、「ハスキー作戦」に基づいてシシリー島に上陸したイギリス・アメリカ軍は、シシリー島北東端、イタリア本土にメッシーナ海峡を隔てて面したメッシーナを目指して進撃した。シシリー島上陸から1か月後、8月11日、シチリアのドイツ・イタリア軍守備隊は、イタリア半島に脱出した。シシリー島に住んでいたイタリア国民の中には、西側連合軍の占領を歓迎する動きが目立った。シシリー島が陥落したことで、イタリア国民の多くは、イタリアが世界大戦から離脱し、講和すべきであると考えるようになった。

図(右)イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機の三面図:操縦席後上方の前方固定12.7ミリ機関銃、操縦席の後上方を12.7ミリ旋回機関銃が、胴体後方側面に7.7ミリ旋回機関銃を装備したタイプ。
Description English: Savoia-Marchetti SM.79
Date 20 June 2013, 21:28:19 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Aereo s79.jpg引用。


サボイア・マルケッティSM-79(Savoia Marchetti SM.79)三発爆撃機の諸元
初飛行:1934年9月28日
乗員Crew: 6名
全長Length: 16.2 m
全幅Wingspan: 20.2 m
全高Height: 4.1 m
主翼面積Wing area: 61.7 m2
空虚重量Empty weight: 7,700 kg (16,976 lb)
総重量Gross weight: 10,050 kg (22,156 lb)
発動機Powerplant: 空冷星形9気筒アルファロメオ(Alfa)128 R.C.18 エンジン 860馬力(642 kW)
プロペラPropellers: 3翅可変ピッチ

性能Performance
最高速力Maximum speed: 460 km/h (290 mph, 250 kn)/高度3,790 m (12,430 ft)
航続距離Range: 2,600 km (1,600 mi, 1,400 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,500 m (24,600 ft)
上昇率Rate of climb: 5.3 m/s (1,040 ft/min)
翼面過重Wing loading: 165 kg/m2 (34 lb/sq ft)
重量出力比Power/mass: 0.173 kW/kg (0.105 hp/lb)

兵装Armament
防御用火器Guns: 12.7 ミリ (0.5 in) ブレダ(Breda-SAFAT)前方固定機関銃1丁(コックピット上部)
12.7ミリ(0.5 in)ブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃2丁(後上方・後下方)
7.7 ミリ (0.303 in)機関銃2丁(胴体左右側方)
爆弾Bombs: 爆弾倉 1,200 kg (2,645 lb)
あるいは胴体下面: 45センチ航空魚雷1-2本

生産期間:1936-1943年
総生産機数: 1218機


3.サヴォイア・マルケッティSM.79カタログ

写真(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機カタログのカバー:SM.82輸送機は、1937年11月3日初飛行の民間長距離旅客機、フィアット(Fiat) G.12は、1940年10月15日初飛行の民間輸送機だが、1940年6月に第二次世界大戦に参戦し、戦時体制にあったイタリア空軍で乗客24名の輸送機として採用された。
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


写真(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機:胴体後下面のバルジは、銃座がある場所である。
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の側面図:エンジンナセルに引き込み可能な主輪降着装置と尾輪。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


イタリア降伏時の1943年後半に残っていたサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機は61機程度で、ドイツ同盟国ファシスト・イタリア空軍が27機、連合国に下って枢軸国に宣戦布告したバドリオのイタリア王国が34機を保有することになった。SM.79は枢軸国軍では、雷撃機として、連合国軍では輸送機として使用された。終戦後は、生き残った機体が、再び後方勤務に使用され、イタリアでは1952年まで現役にあった。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の上面図:SM.82輸送機は、1937年11月3日初飛行の民間長距離旅客機、フィアット(Fiat) G.12は、1940年10月15日初飛行の民間輸送機だが、1940年6月に第二次世界大戦に参戦し、戦時体制にあったイタリア空軍で乗客24名の輸送機として採用された。
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の金属鋼管枠組みの機体構造図:主翼部分には大きな切り欠きがあるが、胴体中央下面は、爆弾を搭載する爆弾倉が設けられる。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


鋼管溶接構造によって製造された鋼管胴体(steel tube fuselage)は、鋼管溶接胴体(welded steel tube fuselage)であり、それ以前の木製枠組式胴体よりも堅牢で同じ強度を軽量で達成することができる。また、鋼管溶接胴体の外板は、ジュラルミンなどの軽金属製である。以前は、翼や機体の表面には幅 1m 当り抗張力1000kg 以上の強度を有する木綿や麻製の羽布が貼らていたが、これは軽量であり、その表面にはニス,ラック類の混合塗料による塗装が施されたので、低速な飛行機には十分だった。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の金属製の主翼構造図:左右一体型の主翼を胴体にボルトで取り付ける。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


飛行機の主翼は、飛行機が空を飛ぶた揚力(機体を上方に向ける)を発生させるものだが、主翼には、エンジンを搭載する、燃料タンクを収納するという役割も重要である。主翼は飛行機の重心に位置しているために、そこに重量のあるエンジンと燃料タンクを設けることは、長距離飛行で燃料が消費されても重心位置が変化しないで済むので、飛行機の操縦に好都合である。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の機首のエンジン取付け架(金属鋼管製)の構造図
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の装備したアルファロメオ126 RC 34 型空冷星型9気筒エンジンは毎分2,185回転で離昇出力780 馬力,正規出力は高度3,400 m, 2,300回転で750 馬力, 最大出力は高度3,500 m, 2,415回転で780 馬力である。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の3翅プロペラとプロペラ・スピナー内部の変速機構造:プロペラ回転数に合わせて最適なプロぺラ・ピッチに調整する可変ピッチプロペラが装備されている。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


アルファロメオ126 RC 34 はイギリスのブリストル・ペガサスが原型で、このを3基搭載し、金属製3翅可變ピッチ・プペラペラ3基を駆動する。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の左右主翼後縁に取り付けられる補助翼と補助翼先端に取り付けられたマス・バランス(mass balance)の構造図:プロペラ回転数に合わせて最適なプロぺラ・ピッチに調整する可変ピッチプロペラが装備されている。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


翼端近くの補助翼下面にマスバランスが突出型重りとなって取り付けられているが、これは翼が振動するフラッターを防止する役割がある。

主翼や胴体に用いられた羽布は、下塗りハケ 1 回・吹付 2 回,中塗り吹付 1 回,上塗り吹付 2 回,仕上研磨などの工程があった。但し,この木製枠組式胴体の時でも、接合金具に軽金属が使用されていた。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の左右主翼エンジンナセル下部に設置された引込み式降着装置とゴム主輪の構造図:着地の時の衝撃を和らげる緩衝装置が支柱に取り付けられている。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


飛行機が空から地上に着地するときに、ゴム主輪が接地時に大きな衝撃を受けるので、衝撃を緩和する装置がついている。ゴム主輪のついた脚を支える支柱もカバーで覆って空気抵抗の減少を企図している。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の左右主翼エンジンナセル下部に設置された引込み式ゴム主輪の構造図:着地の時の衝撃を和らげる緩衝装置が支柱に取り付けられている。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.73輸送機、S.M.81ピピストレッロ (Pipistrello:蝙蝠)、SM.79 スパルヴィエーロ爆撃機は、尾輪式降着装置だったのに対して、アメリカのノースアメリカンB-25爆撃機、ダグラスDC-4E、DC-4輸送機は、首輪式(前輪式)降着装置だった。飛行機の離着陸は、視界を確保する、揚げ角の微調整が不要であるという点で、尾輪式よりも主輪式のほうが操縦が容易である。ただし、降着装置を簡略化するには、首輪式よりも尾輪式のほうが軽量化できる。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピットに取り付けられた左右の並列複式操縦桿と操縦ペダルの部品図解:左が正操縦士、右が副操縦士であるが、操縦を左右切り替えるので、左右の違いはない。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピットには、正副操縦士が座る並列複式操縦装置が備わっている。左右の操縦桿は切り替えかのだが、操縦士の位置は動かないので、左右の操縦士の計器は原則として同じ配置である。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の各種燃料タンクとバルブの部品図解解:左右も主翼に搭載する念慮タンクは、左右対になっている。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


飛行機の主翼は、飛行機が空を飛ぶた揚力(機体を上方に向ける)を発生させるものだが、主翼には、エンジンを搭載する、燃料タンクを収納するという役割も重要である。主翼は飛行機の重心に位置しているために、そこに重量のあるエンジンと燃料タンクを設けることは、長距離飛行で燃料が消費されても重心位置が変化しないで済むので、飛行機の操縦に好都合である。


図(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の銃座構造図
:コックピット後上部に前方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA固定機関銃、胴体中部に後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT旋回機関銃、胴体後下方バルジに12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT旋回機関銃が各々1丁ずつ配備されている。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


写真(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の胴体後方の下方12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT旋回機関銃の銃座:コックピット後上部に前方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA固定機関銃、胴体中部に後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT旋回機関銃、胴体後下方バルジに12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT旋回機関銃が各々1丁ずつ配備されている。
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


写真(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の胴体前下方の爆撃手席と下方ガラス窓
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO S. 79 DA BOMBARDAMENTO ROMA 1938・A.XVI引用。


機首にエンジンを搭載した三発機のSM.79爆撃機は、機首先端に爆撃手席を設けることができないために、コックピット前下面に張り出しバルジを設けて、そこに爆撃手席を置いた。したがって、視界は限定されてしまった。


4.サヴォイア・マルケッティSM.79爆撃機マニュアル

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機マニュアルの表紙
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


マニュアル(manual)とは、
1) 飛行機・機械から道具・アプリケーションまでの使用説明書であり、取扱や手引きとして用いられる。
2) 操作・生産工程など作業手順を説明するが、写真・図解などを多用して、理解を円滑に進める。
という二つの目的がある。

他方、カタログは、取引相手・購入者などに対する飛行機・機械から道具・アプリケーションまで、機能を説明し、商品の性能を誇示する説明書である。

しかし、マニュアルとカタログを厳格に区別することはできない。マニュアルがカタログの役割を担い、マニュアルがカタログの役割を担うことがあるからである。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の側面図と正面図
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機は、引き込み式降着装置を装備しており、主輪はエンジンナセル後方に完全に収納されるが、尾輪は固定式で尾部カバーから半分露出している。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の上面図
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の主翼と尾翼は、前作のSM.73輸送機の形状と酷似している。ただし、エンジンの出力強化し、固定式ではなく引込み式の降着装置を採用した。


図・写真(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の尾輪構造図と尾輪収納部

図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。



図・写真(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の主輪構造図と主輪収納部の構造図

図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット操縦ペダルと方向舵の配線操作図:コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)は、方向舵(ラダー:rudder)を制御する操縦装置である。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


方向舵(ラダー:rudder)とは、機首を左右にふり、方向の姿勢を制御する操縦翼で、垂直尾翼の後縁に取り付けられている。方向舵の操作は,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御する。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット操縦ペダルの詳細図:コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)は、方向舵(ラダー:rudder)を制御する操縦装置である。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


コックピットの左ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は右に動き、重心より後方の尾部を左に、機首を右にふるモーメントが作用することによって、飛行機は右に旋回する。

飛行機の尾翼にある昇降舵を上げると、水平尾翼が下がり、機首が下向きになり、上昇する。飛行機を操縦するのに操作する方向舵や昇降舵を操舵翼と呼ぶ。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット操縦桿と昇降舵の配線操作図
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


飛行機の尾翼にある昇降舵を下げると、水平尾翼に上向きの揚力がが発生する。飛行機の尾部に上向きの揚力が発生する。つまり、飛行機の重心より後方で上向きの力が作用して、飛行機は機首下げ方向に動く。したがって、水平尾翼が上がることで、機首が下向きになり、下降する。


写真(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の主翼前縁スロット(slot:隙間翼)の開閉図

写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


飛行機主翼の前縁部に翼に設けられた溝の隙間をスロット(slot)あるいは隙間翼とよぶ。これは、着陸時など、正面からの気流の迎え角(翼型の基準線と翼に当たる気流との相対角度)が大きくなったとき、スロット(slot)を通して、翼下面から上面へ空気が流れ、翼上面の気流の剥離を抑制し、揚力を維持して、失速を防止するための仕組みである。したがって、スロット(slot)高揚力装置といえる。ただし、普通に飛行する場合は、スロットを閉じておかなければならないので、隙間を油圧などによって開閉できる仕組みが必要で、これは補助翼(フラップ)と連動して作動するように配置されている場合が多い。 他方、主翼前縁部を可動式にして、迎え角が大きくなったとき、空気力学的あるいは油圧を利用して前下方へ張り出して隙間を設けることもできるが、この可動式の部分は、スラット(slat)という。

写真(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の主翼前縁部に設置されたスロットを生むためのスラット:イギリス飛行機メーカーのハンドレページ(Handlay-Page)式をうたっているが、1940年6月以前、イタリアは、ドイツ同盟国ではあったが、非参戦国だった。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


高速飛行中に翼面または舵面の圧力中心が後方に移ると、翼面や舵面が曲がったり、捩れたりするが、これによって振動が生じて、翼が震えるフラッター(flutter)現象が生じる。そこで、舵面のフラッターを防止するために、補助翼のヒンジ(留め金)前方にマス・バランスとして釣り合い重りを装着して、補助翼面の重心とヒンジが一致するように配慮する。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の12.7mmブレダ(Breda)-SAFA機関銃の弾薬装填用の圧搾空気の供給ライン配置図
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


機銃弾薬を機関銃の薬室に装填するには、大型機関銃の場合、人力で弾薬を送り出すスプリングを圧縮することは困難である。そこで、操縦席後方に搭載した圧搾空気ボンベから圧搾空気を注入して、機関銃のスプリングを圧縮して、機関銃の薬室に弾薬を装填する。

写真(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃と後方旋回機関銃の配置図
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


1938年という早い段階では口径7.62mm、7.7mm、7.92mmクラス機関銃が主流であり、12.7mmブレダ(Breda)-SAFA機関銃を装備したサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の防御力は、強力だった。 ただし、機首にエンジンを搭載したために、コックピット後上方に12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃を装備したが、このような前方固定機関銃の装備方法は、SM.79だけであり、その後も踏襲されずに終わった。


写真(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃と後方旋回機関銃の閉鎖・開放状態比較図:
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。



写真(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット操縦席計器盤と12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃用の環状射撃照準器の閉鎖・開放状態比較図:操縦席前方に照準器を降ろして使用するが、飛行中は視界を妨げるので、上にあげて置いた。
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット後上方には12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃1丁が装備されているが、その照準は操縦席前方に環状照準器を降ろして行う。ただし、環状照準器を常時降ろしておくと飛行中の視界を妨げることになるので、使用するとき以外は、照準器は上にあげてよけて置いてあった。

写真(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の胴体後下面ゴンドラ(ナセル)に装備された12.7mmブレダ(Breda)-SAFA旋回機関銃の配置図
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機が装備したイタリアのブレダ(Breda)-SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃である後継には7.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃と12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃とがある。

写真(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃と胴体後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA旋回機関銃および胴体後方左右側面の7.7mmブレダ(Breda)-SAFA旋回機関銃とその弾倉の配置図
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


12.7mmブレダSAFAT機関銃の諸元
開発時期 1935年
重量 29kg
弾丸 12.7x81mmSR弾(34.2g)
口径 12.7mm(0.50in)
発射速度 700発/分
575発/分(戦闘機機首のプロペラ同調機銃の場合)
初速 765m/s(12.7mm)


写真(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット後上方銃座の内部と胴体後方下面・側面銃座の外観:
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃の原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。

写真(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の胴体後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA旋回機関銃および胴体後方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA旋回機関銃とその照準器の図解
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の防御用機関銃には、環状照準器によって、敵機を狙ったので、複雑な動きをする飛行機から敵機を狙い撃つのは非常に難しかった。


写真(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の胴体後方側面の7.7mmブレダ(Breda)-SAFA旋回機関銃銃座の内部と胴体後方下面・側面銃座の外観:
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


写真(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機は、機首にエンジンを搭載したために、コックピット後上方に12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃を装備し、機種エンジンのプロペラ圏外の上から前方をパイロットが狙って射撃することができた。しかし、このような前方固定機関銃の装備方法は、SM.79の一部だけであり、その後も踏襲されずに終わっている。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の胴体後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA旋回機関銃の右側面配置図解:パネルを開放した状態で、機関銃の整備を行うことができる。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 B 重爆撃機の主翼外側エンジンナセル上面には、動力回転銃塔があり、12.7mmブレダ-SAFAT(Breda-SAFAT)機関銃2丁を搭載し、胴体後部上面にある2か所の銃座から遠隔操作される。このような動力回転銃塔は、第二次大戦のイタリア機ではピアッジョ(Piaggio) P.108 が搭載しただけで、それ以外の機体は、手動回転銃塔にとどまっている。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃および胴体後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA旋回機関銃の右側面配置図解
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


イタリアでは、7.7mm/12.7mmブレダ(Breda)-SAFA機関銃の開発以前は、フィアットが機関銃生産を独占的に受注していたが、これ以後、ブレダ-SAFAT(Breda-SAFAT)でもイタリア軍の機関銃が量産されるようになった。

図(右)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピット後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃および胴体後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA旋回機関銃の左側面配置図解
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


フィアット子会社のSAFATSocietà Anonima Fabbrica Armi Torino)が、ジョヴァンニ・アニェッリ(Giovanni Agnelli)によってブレダに売却されており、フィアットの技術や生産方式は、ブレダに引き継がれている。こうして、イタリアの機関銃は、フィアットではなく、ブレダ-SAFAT(Breda-SAFAT)が担うことになった。


図(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の胴体左側面および上面の構造図解
:コックピット後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA前方固定機関銃および胴体後上方12.7mmブレダ(Breda)-SAFA旋回機関銃の銃身
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。



写真(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の胴体中央部の爆弾搭載筒と爆弾引上げ用滑車式懸架装置:爆弾搭載筒には、爆弾が、頭部を下にして縦型に搭載される。筒の上部には、爆弾を引き上げる滑車と鋼索がついている。
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。



図(上)1937-1938年頃,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の胴体中央部の500キロ爆弾2発搭載方法と250キロ爆弾5発搭載方法:爆弾搭載筒には、爆弾が、頭部を下にして縦型に搭載される。筒の上部には、爆弾を引き上げる滑車と鋼索がついている。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA MARCHETTI" Tipo S. 79 ROMA引用。


サヴォイア・マルケッティでレース参加目的で設計開発されたSM.79は、1934年9月初飛行で、出現時には、引込み式降着装置の機体の高性能が際立っていたため、イタリア空軍は爆撃機仕様の開発を指示した。SM.79爆撃機は、1936年に初飛行し、すぐに制式され量産が始まったが、その年に勃発したスペイン内戦に、フランコ将軍の国民戦線・反乱軍に援軍として派遣され、実戦投入された。


5.サヴォイア・マルケッティSM.79bisカタログ

写真(右)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機カタログのカバー:ALFA 126 R.C.34
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis は、SM.79-IIIの別名で、1943年になって前線で活躍した最終型で、主に雷撃機として使用された。発動機は、公式カタログMINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI(ファシスト暦21年刊行)によれば、アルファロメオALFA 126 R.C.34を装備しており、発動機は従来のSM.79と同じである。

しかし、wikipediaでは、アルファ・ロメオ126 R.C.34(離昇750馬力)ではなく、アルファ・ロメオ128 R.C.18(離昇860馬力)に換装され出力を向上を図ったとしている。そこで、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bisは、最高速力も430km/hから460 km/hに, 上昇時間も5,000 m (16,000 ft)まで16分 7秒に向上したとされる。また、胴体下方にあったバルジを撤去し、爆弾倉に1,000 Lの燃料タンクを増設して航続力を延長できたという。


写真(上)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の側面
:ALFA 126 R.C.34
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。



写真(上)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の側面
:ALFA 126 R.C.34
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。



写真(上)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の胴体側面図
:アルファ(ALFA)126 R.C.34空冷星形エンジンを左右主翼に搭載するのでその切り欠きがある・中央は胴体の切り欠きである。
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。



図(右)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の上面構造図
:アルファ(ALFA)126 R.C.34空冷星形エンジンを左右主翼に搭載している。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。



図(上)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の金属製鋼管骨組み

図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。



写真(上)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の左右一体型の主翼
:アルファ(ALFA)126 R.C.34空冷星形エンジンを左右主翼に搭載するのでその切り欠きがある・中央は胴体の切り欠きである。
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。



写真(上)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の主翼後縁の補助翼とマスバランス部品図
:アルファ(ALFA)126 R.C.34空冷星形エンジンを左右主翼に2基搭載するのでその切り欠きがある・中央は胴体の切り欠きである。
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。



図(右)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の複式操縦桿・操縦ペダル、操縦索を繋ぐ金具の図解

図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のコックピットは複式操縦席で、左が正操縦士、右が副操縦士である。操縦席では、アルファ(ALFA)126 R.C.34空冷星形エンジンをスロットルで調整し、補助翼・昇降舵・方向舵を操縦席から動かして、飛行機を操縦する。


図(右)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の引込み式降着装置の構造図

図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の降着に使用する主輪はゴム車輪で、支柱は両側から支え、着地するときの緩衝装置が支柱に組み込まれている。引込み式の降着装置は、エンジンナセル後方に完全に収容される。


図(右)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機のエンジンナセルと引込み式降着装置の構造図
:アルファ(ALFA)126 R.C.34空冷星形エンジンを左右主翼に搭載している。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。



図(右)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の引込み式降着装置の構造図

図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の降着に使用する尾輪はゴム車輪で、支柱は一本で、着地するときの緩衝装置が支柱に組み込まれている。固定式の降着装置であるが、尾部カバーの中に主要部は収まっており、ゴムタイヤの下半分が露出している。


図(右)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の垂直尾翼と方向舵の構造図

図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。


方向の姿勢を制御する操縦翼の方向舵(ラダー:rudder)は、垂直尾翼の後縁にあって,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御される。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。反対に、左ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は右に操作され、機首を右にふるモーメントにより、飛行機は右に旋回する。


図(右)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の水平尾翼と昇降舵の構造図

図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。


飛行機の操縦桿を押して尾翼後縁の昇降舵を下げると、水平尾翼に上向きの揚力がが発生する。こうして、飛行機の尾部に上向きの揚力が発生すれば、飛行機の重心より後方が上向きとなり、機首が下がって下降する。


6.サヴォイア・マルケッティSM.83輸送機

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア空軍ブレダ(Breda)Ba 65(Nibbio)(左単発機)とサヴォイア・マルケッティSM-83三発輸送機試作機(登録コード:I-LUCE)(左端、機体前半分):展示ドームの下には、企業別のボードが吊下げられている。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: Veduta di vari stand del settore italiano. Fra gli stand: Savoia Marchetti (Società italiana aeroplani idrovolanti-SIAI), Caproni Vizzola e Piaggio
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_238引用。


サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機(Savoia-Marchetti SM.79)は、元来はスピードレース参加用する旅客輸送機機として開発され、原型機は1934年10月に初飛行した。その高性能からイタリア空軍はSM.79輸送機を爆撃機として使用することを考えたが、これはドイツで民間機のハインケルHe-111輸送機、ユンカースJu-86輸送機、Do-17郵便機がいずれも双発爆撃機に転換されたのと同じである。サボイア・マルケッティSM-79爆撃機試作機が初飛行は、1936年7月に初飛行したが、1937年のスペイン内戦に実験的に実戦使用に投入され、その高い飛行性能と信頼性が高く評価された。

イタリア空軍ブレダ(Breda)Ba 65(Nibbio)地上攻撃機は、フィアット(Fiat)A.80 R.C.41空冷星形18気筒エンジン1基搭載、1935年9月初飛行、最高速力430 km/h (270 mph, 230 kn)、航続距離 550 km (340 mi, 300 nmi)、12.7 mm ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、7.7 mm ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、爆弾 500 kg (1,102 lb) 搭載。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.83三発輸送機試作機(登録コード:I-LUCE):右端にブレダ(Breda)Ba 65(Nibbio)の左翼と機首。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Visitatori Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_181引用。


イタリアのSM.79輸送機は、イタリア軍の要請で軍用爆撃機として改造され、好成績をあげて、量産された。その後、サボイア・マルケッティ社は、高性能のSM.79を再び輸送機仕様に改造し、SM.83三発輸送機を開発した。この機体は、大量生産されなかったが、要人輸送機として使われた。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ SM.83 輸送機:民間輸送機SM.79は軍用機に改造され量産されたが、これを再び輸送機仕様にしたのが、SM.83三発輸送機である。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Visitatori
Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937

Misure: 13 x 18
Note: In primo piano l'aereo Savoia Marchetti SM 83 (Società italiana aeroplani idrovolanti-SIAI).
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_266 引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-83は、全く新しい機体のように、形式名称は新規だが、主翼・尾翼の構造は原型のSM.79を流用して、発動機も同じアルファ・ロメオ126RC34(750馬力)3基である。イタリアにおける民間空路の需要は大きくなかったため、乗客数を増やすよりも、室内居住性の向上と高速化に重きを置いた高速輸送機として、小改造によって、イタリアの航空技術の優秀性を世界に喧伝すことを選んだのである。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.83輸送機(登録コード:I-LUCE)と手前の推進式プロペラを搭載したエンテ型のアンプロシー二(SAI Ambrosini)S.S.3(SCAMM372)実験機
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Visitatori Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: In primo piano alcuni visitatori nel settore italiano del Salone. Sullo sfondo l'aereo Savoia Marchetti SM 83 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI).
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_170 引用。


アンプロシー二(SAI Ambrosini)S.S.3(SCAMM372)実験機は胴体先頭機首でなく胴体後端機尾にエンジンを搭載し、推進式プロペラを装備し、水平尾翼は胴体前方に設けたエンテ型・搭載したエンテ型=カナード型(canard)の前翼飛行機で1937年初飛行。プロペラを機首に設けると、胴体・主翼・尾翼を速い速度で空気が流れ、空気抵抗が生じたり、機体の安定が損なわれたりするが、プロペラを機尾の胴体後方に設けた推力式であれば、プロペラ効率が向上する。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.83輸送機(登録コード:I-LUCEと手前のアンプロシー二(SAI Ambrosini)S.S.3(SCAMM372)実験機 :後者はエンテ(Ente)型あるいは飛行機で、尾翼ではなく、主翼の前方に前翼(カナード)があり、機尾に搭載したエンジンで推進プロペラを駆動する。1937年初飛行。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Visitatori Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: In primo piano l'aereo SS3 "Anitra" della SAI (Società aeronautica italiana). Sulla destra particolare dell'aereo Caproni Ca 100 Caproncino.
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_245 引用。


アンプロシー二(SAI Ambrosini)S.S.3(SCAMM372)実験機は、前翼(カナード)式で胴体後方のエンジンで推進プロペラを回転させ、1937年に飛行に成功した。そこで、この高効率の推進式プロペラをもつ戦闘機として、アンプロシー二(SAI Ambrosini)S.S.4が試作機され、1939年3月7日に初飛行した。日本、アメリカも前翼式飛行機を試作したが、飛行は4年以上遅いので、イタリアの航空技術の高さが示されたといえる。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ SM 79爆撃機(Sparviero)と奥のSM.79を流用したSM.83輸送機:イタリアのセクターのさまざまなスタンドが設けられている。右から左へ:、サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)、イタリアの水上飛行機会社(SIAI)、その奥にSM 79(Sparviero)が展示されている。アドリア海の造船所。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: Veduta di vari stand del settore italiano. Da destra a sinistra gli stand: Savoia Marchetti (Società italiana aeroplani idrovolanti-SIAI), con in mostra l'aereo SM 79 Sparviero; Aeronautica Lombarda; Cantieri Riuniti dell'Adriatico.
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_227引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79は、乗客席8席の高速旅客輸送機で、第二次大戦前から爆撃機として量産されていた。そこで、このSM.79を原型に、再度、乗客10席の高速旅客機としたのが、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-83旅客輸送機で、1937年10月2-17日に開催された,ミラノ・航空展示会で展示され、世界に向けてイタリアの航空技術の優秀性を誇示した。しかし、実際に、SM.83が初飛行したのは、ミラノ航空展示会終了後の1937年11月19日である。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.83三発輸送:イタリアのセクターのさまざまなスタンドが設けられている。右から左へ:、サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)、イタリアの水上飛行機会社(SIAI)、その奥にSM 79(Sparviero)が展示されている。アドリア海の造船所。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: Veduta di vari stand del settore italiano. Da destra a sinistra gli stand: Savoia Marchetti (Società italiana aeroplani idrovolanti-SIAI), con in mostra l'aereo SM 79 Sparviero; Aeronautica Lombarda; Cantieri Riuniti dell'Adriatico.
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_230引用。


写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ SM.83輸送機:民間輸送機SM.79は軍用機に改造され量産されたが、これを再び輸送機仕様にしたのが、SM.83三発輸送機である。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano Non identificato
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: In primo piano alcuni visitatori nel settore italiano del Salone. Sullo sfondo l'aereo Savoia Marchetti SM 83 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI).
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_175引用。


したがって、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-83輸送機の量産は、大戦前に43機であり、これにはイタリア空軍の発注13機も含まれる。しかし、イタリア以外にも、ベルギーのサベナ国際航空が4機を購入、ベルギー本土とアフリカ植民地領コンゴとの輸送用に使用した。また、ルーマニアも、民家航空用に3機を購入した。

写真(右)1938-1939年頃,イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.83三発輸送試作機(登録コード:I-LUCE; 製造番号 c/n 34001):1937年11月3日初飛行の民間長距離旅客機として開発されたが、当初は、外務大臣チアーノの専用機として使われた。その後、大戦中期、イタリア降伏の1943年まで、軍用輸送機として使用された。
Savoia-Marchetti SM.83 Savoia-Marchetti SM.83 (I-LUCE c/n 34001). The SM.83 long range civil transport stemmed directly from the famous bomber SM.79. The photograph depicts the prototype, registered as I-LUCE it was first flown on November 3, 1937. As I-E
-PictionID: 42002948 - Title: Savoia-Marchetti SM.83 Savoia-Marchetti SM.83 (I-LUCE c/n 34001). The SM.83 long range civil transport stemmed directly from the famous bomber SM.79. The photograph depicts the prototype, registered as I-LUCE it was first flown on November 3, 1937. As I-ESTE (from June 13 to August 8, 1939) this aircraft was used by Galeazzo Ciano (son-in-law of Benito Mussolini). Then, with the registration I-ESTO (from April 20, 1940) this aircraft was pressed in military service and was used until 1943 for special transport missions. - Catalog:15_003031 - Filename:15_003031.TIF - Image from the Charles Daniel's Collection Italian Aircraft Album.
写真はÖsterreichische Nationalbibliothek,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog:15_003031 引用。


1940年6月に、イタリアが第二次世界大戦に参戦すると、民間航路も軍の管理統制の下に置かれ、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-83三発輸送機は、政府専用機とイタリア空軍輸送飛行中隊に編入され、高速人員輸送機としてしようされた。イタリア外務大臣チャーノの専用機は、SM-83三発輸送機(登録コード:I-LUCE; 製造番号 c/n 34001)である。


7.サヴォイア・マルケッティSM.84快速爆撃


図(上)1941年,イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84快速爆撃機/偵察機の胴体内部構造の側面図;
イタリア航空省公式マニュアル Savoia Marchetti S.M. 84 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio掲載。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA-MARCHETTI" TIPO S.M.84 TRIMOTOE VELOCHE DA BOMBERDAMENT VELOCHE E RICOGNIZIONE SAVOIA-MARCHETTI引用。


サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84三発爆撃機はSM.79の後継機として開発された。両者の違いは、
1)SM.79のアルファ・ロメオ126 R.C.34空冷星形9気筒エンジン750hpからSM.84のピアッジョ P10 RC40 空冷14気筒エンジン1000 hpへの換装による出力強化
2)SM.79のコックピット後上方のバルジ銃座から、SM.84の12.7mmスコッチ(Scotti)/イソッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)機関銃1丁装備の回転銃塔(ターレット)「デルタ」への防御兵装の強化
3)SM.79の爆弾筒からSM.84の爆弾懸架への爆弾搭載方法の変更
4)SM.79の単尾翼から、SM.84の双尾翼に変更
が大きな変更点である。

1934年9月28日初飛行のSM.79スパルヴィエーロ(Sparviero)爆撃機の発展型が、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84は、1940年6月5日初飛行した。1941年から部隊配備されたSM.84の生産機数は約300機で、原型SM.79の1,240機に比して四分の一以下である。

⇒写真集Album:サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84快速爆撃機を見る。


8.サヴォイア・マルケッティSM.75三発輸送機

写真(右)1939年頃,イタリア半島南端、タラント=グロッターリエ飛行場(Taranto Grottaglie Airport )未舗装滑走路で待機するイタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機(HA-SMA):後方には、かまぼこ型の飛行機格納庫がある。
Magyar: Olaszország Grottaglie repülőtér, a Malert Savoia - Marchetti SM-75 utasszállító repülőgépe 1939
Date 1939 Source FOTO:Fortepan — ID 39327: Home pagePictureInformation page Author Hídvégi Zoltán.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.75 File:Savoia-Marchetti S.M.75.jpg引用。


サヴォイア・マルケッティSM 73輸送機の後継機が、同じ会社のサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機であり、旅客と貨物の双方に利用する民間機として、イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)の要望に応えた機体で、設計はアレッサンドロ・マルケッティ技師である。前作のSM.73は、固定脚だったが、後継機SM.75では空気抵抗を減少させ、より高出力のエンジンを搭載して、引込み脚の降着装置を備えた。しかし、機体の基本構造は、SM.73と同じく軽量化を優先し、SM.75でも金属鋼管フレームの骨格に羽布張り、合板の胴体・主翼表面のつくりとした。

サヴォイア・マルケッティ Savoia Marchetti SM 75 三発輸送機の諸元
乗員Crew: 4名+銃手1名
乗客: 24 名
全長Length: 21.594763 m (70 ft 10.1875 in)
全幅Wingspan: 29.69 m (97 ft 5 in)
全高Height: 5.0991 m (16 ft 8.75 in)
主翼面積Wing area: 118.55 m2 (1,276.1 sq ft)
空虚重量Empty weight: 9,480 kg (20,900 lb) ** (with Piaggio engines 9,779.5 kg (21,560 lb))
堂銃床Gross weight: 14,470 kg (31,900 lb) ** (with Piaggio engines 14,769 kg (32,560 lb))
発動機:アルファロメオ(Alfa Romeo)126 R.C.34空冷星形9気筒エンジン560 kW (750 hp)3基
ピアッジョ(Piaggio) P.XI R.C.40空冷星形14気筒エンジン(1000hp)3基
性能Performance
最高速力Maximum speed: 369 km/h (229 mph, 199 kn)
2基稼働 245 km/h (152 mph)
巡航速力Cruise speed: 325 km/h (202 mph, 176 kn)
航続距離Range: 2,279 km (1,416 mi, 1,230 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,000 m (22,960 ft)
上昇率Rate of climb: 3.7 m/s (730 ft/min)
上昇時間Time to altitude: 4,000 m (13,123 ft) /17分42秒

⇒写真集Album:サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75輸送機を見る。


9.フィアット(Fiat)BR.20爆撃機チコーニャ

写真(右)1940年6月28日,イタリアの第二次世界大戦参戦直後、イタリア、飛行場滑走路に人力で移動、燃料補給準備中のイタリア空軍フィアット(Fiat)BR.20チコーニャ(Cicogna:コウノトリ)爆撃機の戦列
Avieri lavorano alla manutenzione di un bombardiere BR-20
Creation date: 28.06.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy Location: Italy Sardinia First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraG01-001206 引用。


⇒写真集Album:フィアット(Fiat)BR.20爆撃機を見る。


10.カント(CANT)Z.1007アルシオーネ爆撃機

カント Z.1007 カント Z.1007「アルシオーネ」 (かわせみ)三発爆撃機(CANT Z.1007Alcyone/Alcione)の諸元
全長: 18.47 m
全幅: 24.80 m
全高: 3.15 m
翼面積: 70.00 m2
全備重量: 13,621 kg 発動機: ピアッジョ(Piaggio)P.XI R.2C 40空冷星型14気筒エンジン1,000hp3基
最高速力: 456 km/h
航続距離: 1,750 km
実用上昇限度: 8,100 m
兵装:12.7 ミリ Isotta-Fraschini Scotti機関銃2丁、7.7ミリ Breda-SAFAT機関銃2丁
爆弾 1,200 kg
乗員: 5名

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.1007 爆撃機を見る。


11.ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発爆撃機

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第3図・ ピアッジョP.108B爆撃機の斜め正面
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第3図
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


イタリア空軍の将兵たちは、長距離爆撃が可能なピアッジョ(Piaggio) P.108 B四発大型爆撃機を使って 大胆なスぺイン南端のイギリス軍要衝ジブラルタルGibraltar)空襲を1944年に4回実施し、延べ15機が出撃させている。これは、30機に満たない部隊にとって、旺盛な攻撃精神の表れである。

⇒写真集Album:ピアッジョ(Piaggio) P.108 爆撃機を見る。


12.カプローニ(Caproni) Ca310リベッチオ小型爆撃機

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカプローニ(Caproni)CA 310 リベッチオ小型爆撃機
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand Aeroplani Caproni S.A. Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: Al centro l'aereo Caproni CA 310
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_243 引用。


イタリア空軍カプローニ(Caproni) Ca311小型偵察爆撃機の諸元
1939年4月1日初飛行
Ca.310/Ca311/Ca312/Ca313の一連のカプローニ小型偵察爆撃機発展型がある。 生産機数:1943年までに335機を量産
発動機:ピアッジオ・ステラ(Piaggio Stella)P.VII C.35空冷星形9気筒エンジン470hp2基
最高速力:307 km/h
航続距離:1600km
爆弾搭載量:400kg
クロアチア、ハンガリー、ユーゴスラビアに輸出された。

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni) Ca311偵察爆撃機を見る。


13.ムッソリーニの第二次世界大戦

ユンカースJu52輸送機 イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)の後継首相にイタリア軍総司令官ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)元帥を任命した。バドリオ政権は、ドイツの武力介入に名目を与えないように、引き続きドイツとともに戦うと表明しながらも、裏では西側連合国との降伏交渉を進めていた。

1943年7月24日の西側連合軍のシシリー島上陸「ハスキー作戦」で、枢軸国の勝利の希望が持てなくなった状況で、7月25日開催のファシスト大評議会で、クーデーター的にムッソリーニ首相退任要求の決議が採択された。その直後、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によってベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は首相を解任され、逮捕され、アペニン山脈山中のホテルに幽閉された。

ドイツ空軍ハラルト・モルス少佐を指揮官とする降下猟兵とSS武装親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐率いるSS武装親衛隊16人からなるコマンド部隊は、DFS230グライダー12機に分乗し出撃しムッソリーニを無事救出した。

⇒写真集Album:グランサッソからのムッソリーニ救出作戦を詳しく見る。

イタリアレジアーネ 1943年9月3日、連合国に降伏したイタリア首相ピエトロ・バドリオ元帥は、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 (Vittorio Emanuele III )とともに、1943年9月9日にローマから逃亡した。

ムッソリーニはヒトラーの支持を得て、傀儡イタリア・ファシズム政権を樹立した。これが、1943年9月23日に独立を宣言した「イタリア社会共和国(Repubblica Sociale Italiana:RSI)」である。

ムッソリーニを元首とするイタリア社会共和国Repubblica Sociale Italiana:RSI)は、1943年9月にファシスト党独裁国家として成立したが、これに対峙するイタリア王国は、10月13日、ドイツに宣戦布告をしている。

⇒写真集Album:ムッソリーニの処刑(Mussolini Execution)を見る。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇 サヴォイア・マルケッティSM79
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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