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◆ピアッジョ(Piaggio)P.108重爆撃機 写真(右)1939年末-1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 四発重爆撃機;第二次世界大戦に実用化されたイタリア唯一の四発重爆撃機。1939年11月24日初飛行。
Piaggio, P.108 Title: Piaggio, P.108 Corporation Name: Piaggio Additional Information: Italy Designation: P.108 Tags: Piaggio, P.108
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00086766引用。


写真(右)1939年末-1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 四発重爆撃機;発動機はピアッジョP.12 RC35 空冷星型18気筒エンジン(1,350 hp)4基搭載、爆弾なしで最高速力475 km/h 、航続距離 3,295 km、爆弾搭載量 3,500 kg。垂直尾翼には、イタリア参戦前の三色旗の国籍記章を描いている。
写真は, kitchener.lord Italian aircraft:Piaggio P.108 early引用。


1.ピアッジョ(Piaggio) P.108 四発重爆撃機

写真(右)1939-1940年頃,イタリア、垂直尾翼に緑・白・赤のイタリア三色旗(Tricolore)の国籍マークを描いたイタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 四発重爆撃機;イタリアの第二次世界大戦の参戦は、1940年6月で、その時まで垂直尾翼に緑・白・赤のイタリア三色旗(Tricolore)の国籍マークを華麗に描いていた。しかし、参戦後は、目立ちすぎ、敵から発見されやすいこのような派手な国籍マークは、白十字に変更された。しかし、それでもイギリス、ドイツ、ソ連、日本と比較して、華麗な国籍マークであることには変わりがない。
Piaggio, P.108 Title: Piaggio, P.108 Corporation Name: Piaggio Additional Information: Italy Designation: P.108 Tags: Piaggio, P.108
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00086765引用。


アメリカが開発中の四発重爆撃機に刺激されたのか、アメリカに滞在していたイタリア人ジョヴァンニ・カシラギ(Giovanni Casiraghi)技師は、1937年に帰国後、ピアッジオで四発大型爆撃機ピアッジョ(Piaggio) P.108 Bの設計を担当することになった。これは、全金属製低翼、引込み脚の降着装置、重武装の防御用旋回機関銃を装備、爆弾搭載量3トンの大型機で、発動機は新型で高出力を発揮できるピアッジョP.12 RC35 空冷星型18気筒エンジン(1,350 hp)4基だった。

写真(右)1940-1943年頃,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機;第二次世界大戦に実用化されたイタリア唯一の四発重爆撃機。1939年11月24日初飛行。ピアッジョP.12 RC35 空冷星型18気筒エンジン(1,350 hp)4基搭載、最高速力475 km/h 、航続距離 3,295 km、爆弾搭載量 4,500 kg。
Piaggio, P.108 Title: Piaggio, P.108 Corporation Name: Piaggio Additional Information: Italy Designation: P.108 Tags: Piaggio, P.108
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00086767引用。


ピアッジョ(Piaggio) P.108試作1号機の初飛行は、第二次世界大戦勃発直後の1939年11月で、防御用旋回機関銃には、外側エンジンナセル上に12.7?ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃連装動力回転式銃塔を設けて、これを胴体中部の銃手が遠隔操作する方式を採用した。この他、機首と胴体後下方にも12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃各1丁を装備し、胴体後方左右側面に各1丁の7.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃を装備するという重武装だった。乗員は、銃手含め8人だった。

写真(右)1942年,イタリア、飛行中のイタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108B 四発重爆撃機
Bombardiere Regia Aeronautica Piaggio P.108B - In volo 1942 L’origine del Piaggio P.108 è voluta da un concorso ministeriale per un "apparecchio veloce da bombardamento diurno e notturno, a grande raggio d’azione" indetto nel 1937. Parteciparono i C.R.D.A. e la Piaggio, quest'ultima con il progetto dell’ing. Casiraghi, direttore tecnico con importanti esperienze di lavoro negli Stati Uniti d’America, di un monoplano metallico ad ala bassa a sbalzo, bicomando, quadrimotore con carrello retrattile. Il prototipo fu ultimato negli stabilimento di Finale Ligure nel novembre 1939 ed il primo volo avvenne il 24 novembre 1939 ai comandi del pilota collaudatore Nicolò Lana. Subito fu evidente la bontà del progetto. Seguirono una serie di voli di prova nell’ultimo dei quali si ebbe un incidente con gravi danni all’apparecchio e con conseguente rallentamento delle prove di sviluppo.
写真はWikimedia Commons, Category:Piaggio P.108 File:P108 in volo 3.jpg引用。


ピアッジョ(Piaggio) P.108 B四発重爆撃機は、爆弾2トン搭載時、航続距離は3,335 km (2,070 mi)で、最高速力 420 km/h (260 mph)/高度 4,300 mだった。この飛行性能は、同時期のアメリカボーイングB-17C四発重爆撃機の最高速力515 km/h (319 mph) /高度7,000 m (23,000 ft)、爆弾1.8トン搭載時の航続距離 3,220 km (2,000 mi)と比較して、若干劣っている。

写真(右)1943年,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機の機首;第二次世界大戦に実用化されたイタリア唯一の四発重爆撃機が搭載したピアッジョP.12 RC35 空冷星型18気筒エンジンは、18気筒という日本でもドイツでもまだ実用化できない大排気量のエンジンだった。
Description English: Piaggio P.108 Date circa 1943 Source www.finn.it/ regia/html/ seconda_guerra _mondiale04.htm - Transferred from en.wikipedia to Commons by EH101 using CommonsHelper. Author The original uploader was Ericg at English Wikipedia. Permission (Reusing this file) PD-ITALY; photo taken ca. 1943 in Italy.
写真はWikimedia Commons, Category:Piaggio P.108 File:Piaggio P.108 nose.jpg引用。


初飛行後のピアッジョ(Piaggio) P.108 B量産は、イタリアの工業力と統制の弱さから遅れとり、部隊配備が進み、実戦参加できたのは1942年6月以降となってしまった。また、ピアッジョ(Piaggio) P.108 B四発大型爆撃機の生産機数は、試作機1機と量産型36機のみで、この少数の機数では、飛行中隊の稼働率を維持しながら訓練をして機体に習熟するのは困難であった。

写真(右)1940年,イタリア中部、ローマ東、グイドニア(Guidonia)飛行場、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機;1,350 hp Piaggio P.XIIを装備した。
Piaggio P.108 Prototipo MM. 22001, Guidonia airfield 1940
Source: Aerei della Regia Aeronautica
写真は, Österreichische Nationalbibliothek 引用。


ベニート・ムッソリーニ三男ブルーノ・ムッソリーニ(Benito Mussolini:1918-1941)は、空軍将校として、新鋭機のピアッジョP.108四発重爆撃機の試験飛行をしている担当中に、1941年8月7日の飛行機墜落事故により殉職した。

写真(右)1940-1942年頃,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機を視察するイタリア空軍高官たち;機首の上段には、12.7ミリ機関銃回1丁が配備されている。機首の下段の先端にあるのは、二股に分かれたピトー管で、空気圧によって機体の速力を計測する速度計に繋がっている。3翅プロペラは、ピアッジョ(Piaggio) P.XII空冷18気筒エンジン1350hpによって駆動される。
The only unit of the Regia Aeronautica ever to fly the P.108B was the 274th Long-Range Bombardment Group (274a Squadriglia). This unit formed in May 1941 after the first aircraft that came off the assembly lines. The crew training lasted far longer than anticipated and in June 1942 the 274th became operational. The P.108B conducted bombing sorties in Gibraltar, Bône, Algiers, Blinda, Philippeville, Maison Blanche, Oran and Sicily..
写真はComando Supremo., Italian Piaggio P.108 Heavy Bomber引用。


ピアッジョ(Piaggio) P.108 B 四発大型爆撃機による第1回目のジブラルタルGibraltar)空襲は、1942年6月28日で、5機がサルジニア島南端デチモマンヌ(Decimomannu)基地を飛び立った。ここからジブラルタルGibraltar)基地までは最短でも1500km以上の距離がある。空襲を続行したP.108 B 爆撃機4機には、合計250キロ爆弾6発と100キロ爆弾66発が搭載されていた。

写真(右)1940-1942年頃,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機;外側エンジンナセルには、12.7ミリ連装機関銃回転銃座が埋め込まれていて、銃手は胴体後方の銃座から遠隔操作する。
Italian “Minikim” was a development of the earlier underpowered and wooden-structured P.50-II which was unable to take-off at its designed maximum weight. P.108 was all metal cantilever low-wing monoplane with an retractable undercarriage, driven by four Piaggio P.XII RC 35 18 cylinder radial engines, each producing 1350 hp. The first prototype was finished in October 1939 and had a very advanced defensive armament for its day. Not only had the Piaggio two 7,7 mm machine waist guns, a 12,7 mm machine gun in the lower turret and a similar weapon in the nose turret, but also two remotely-controlled twin gun turrets in outer engine nacelles.
写真は, Italian "piccola cosa" in the Luftwaffe service. Piaggio P.108 引用。


ピアッジョ(Piaggio) P.108 B 四発重爆撃機の爆弾搭載量は、250キロあるいは500キロ爆弾7発、100キロ爆弾34発、50キロ爆弾38発の中から選択できた。つまり、800キロ以上の大型爆弾を搭載することは、考慮されていなかった。イタリア空軍では、Giulio Douhet:1869-1930)により早くから戦略爆撃思想が唱えられていたが、これは第二次大戦後期の大型爆弾によるイギリス空軍による戦略爆撃とは、爆弾の種類が異なっていたようだ。

写真(右)1940-1942年頃,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 四発重爆撃機の正面;機首の形状は、二段式の初期型と一段の簡易型と2種類あるが、この機体の機首は二段の初期型である。
kitchener.lordFollow Piaggio P.108 crew, Guidonia airfield Source: Aerei della Regia Aeronautica
写真は, flickr引用。



写真(上)1940-1942年頃,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 四発重爆撃機とその搭乗員9名および地上勤務整備員の集合写真
;先頭に正副操縦士、続いて航法士・爆撃手・機関士・通信士など5名、最後尾の2名は左右の12.7ミリ連装機関銃動力回転銃座の銃手であろう。左側に燃料タンクローリー、右側に燃料トラックが並んでいる。
kitchener.lordFollow Piaggio P.108 crew, Guidonia airfield Source: Aerei della Regia Aeronautica
写真は, flickr引用。


イタリアが第二次世界大戦に1940年6月に参戦し、それから2年が経過した1942年6月に初めて実戦参加したピアッジョP.108重爆撃機の初出撃の攻撃目標は、地中海を制するイギリス軍の要衝ジブラルタル要塞だった。

写真(右)1942-1943年頃,イタリア、迷彩塗装を施したイタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機;スペイン南端のイギリス軍の重要拠点ジブラルタル基地の空襲に投入されたが、敵に被害を与えられないまま、次期の損失が増えていった。ただし、生産機数は36機のみで攻撃は少数機で行われた。
Piaggio, P.108 Title: Piaggio, P.108 Corporation Name: Piaggio Additional Information: Italy Designation: P.108 Tags: Piaggio, P.108
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00086769引用。


イタリア空軍の将兵たちは、長距離爆撃が可能なピアッジョ(Piaggio) P.108 B四発大型爆撃機を使って 大胆なスぺイン南端のイギリス軍要衝ジブラルタルGibraltar)空襲を1944年に4回実施し、延べ15機が出撃させている。これは、30機に満たない部隊にとって、旺盛な攻撃精神の表れである。

ピアッジョP108 1942年6月28日で、ジブラルタルGibraltar)空襲のためにサルジニア島を出撃したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機5機のうち3機は燃料不足に至り、途上、スペインに不時着した。そのうち1機は、スペイン西部のバレンシア(Valencia)飛行場に向かったが、近郊の海岸 に墜落した。もう1機は軽微な損傷でスペイン南西サン・ハビエル(San Javier)基地(ジブラルタルとバルセロナの中間に当たる)に緊急着陸した。そして、スペイン空軍に鹵獲されスペイン空軍でテストされている。

残るピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の1機は、ジブラルタルまで半分のスペイン領マヨルカ島(Majorca)パルマ(Palma)飛行場に緊急着陸した。パルマ飛行場は、1937年にイタリア軍が派兵されたスペイン市民戦争(Spanish Civil War)時代、イタリア空軍の基地だった場所である。同じファシスト友好国のスペインは、不時着したイタリア空軍のP.108大型機に気前よく給油をし、この機体は無事にイタリアに帰還することができた。

写真(右)1943年後半,イタリア南端、タラント(Taranto)郊外、グロッターリエ(Grottaglie)飛行場、イギリス、ヨーク出身L.ウィニ―中尉、オーストラリア、メルボルン出身の飛行中隊長ブライアン・イートン少佐、アデレード出身ハリス中尉と投降したイタリア空軍飛行士とその鹵獲されたイタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の尾部;アメリカ製のジープと鹵獲した巨人機を一緒に撮影したオーストラリア空軍将兵と投降したイタリア軍操縦士の記念写真。垂直尾翼の白十字はファシスト・イタリア空軍の国籍記章である。
Author Australian armed forces On Grottaglie airfield, Italy, pilots, Flight Lieutenant L. Wynne of Yorks, England, Squadron Leader Brian Eaton of Melbourne, Vic, Flight Lieutenant Harris DFC of Adelaide, SA, talk to an Italian pilot who has just brought his four engined Piaggio P.108 bomber aircraft from Northern Italy.
Permission (Reusing this file) Image copyright: Copyright expired - public domain Other versions frame cropped
写真はWikimedia Commons, Category: Piaggio P.108 File:Pilots with Piaggio P.108 at Grottaglie 1943.jpg引用。


イタリアは、1943年9月に連合国側に降伏し、10月、同盟国だったドイツに宣戦布告した。そして、イタリア空軍の古いファッシの国籍記章を廃止し、イタリア三色旗トルコローレを模した緑、白、赤の同心円を国籍マークとして採用した。

写真(右)1943年後半,イタリア南端、タラント(Taranto)郊外、グロッターリエ(Grottaglie)飛行場、投降したイタリア空軍飛行士のイタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機を0-ストラリア軍が鹵獲した。;アメリカ製のジープと鹵獲した巨人機を一緒に撮影したオーストラリア空軍将兵と投降したイタリア軍操縦士の記念写真。垂直尾翼の白十字はファシスト・イタリア空軍の国籍記章である。
Author Australian armed forces On Grottaglie airfield, Italy, pilots, Flight Lieutenant L. Wynne of Yorks, England, Squadron Leader Brian Eaton of Melbourne, Vic, Flight Lieutenant Harris DFC of Adelaide, SA, talk to an Italian pilot who has just brought his four engined Piaggio P.108 bomber aircraft from Northern Italy.
Permission (Reusing this file) Image copyright: Copyright expired - public domain Other versions frame cropped
TheAuthor of this page is Brendan Cowan Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真は, ADF-SERIALS Australian& New Zealand Military Aircraft Serials & History RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


図(右)1943年,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機の三面図
English: Piaggio P.108 Date 27 June 2013, 09:45:01 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons, Category:SVG aircraft 3-views File:Piaggio P.108.svg引用。


ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機の諸元
初飛行:1939年11月24日
実戦投入:1942年

乗員 6名
全長:22.92 m
全幅:32.00 m
全高:7.70 m
主翼面積:135.54 m2
全備重量:29,885 kg
エンジン:ピアッジョ(Piaggio) P.XII RC.35 空冷星型18気筒空冷エンジン 1,350 hp 4基
プロペラ:3翅 定速回転プロペラ
生産機数:37機
ピアッジョ(Piaggio) P.108 B の性能
最高速力:420 km/h/高度3,900m
航続距離:3,520 km
実用上限高度:6,000 m
上昇率:2,000 m/10'00”
武装 12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃6丁
7.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁
爆弾搭載量 3,500 kg


2.ピアッジョ P.108 爆撃機の試験飛行で殉職したブルーノ・ムッソリーニ

写真(右)1936年5月19日,イタリア、ローマ、父イタリア首相ベニート・ムッソリーニ、アビシニア(エチオピア)戦争から凱旋帰国したベニート次男ヴィットリオ・ムッソリーニ、オーストリア外務大臣シュターレンベルク、ベニート・ムッソリーニ三男ブルーノ・ムッソリーニ(Benito Mussolini);アビシニア(エチオピア)戦争から凱旋帰国した軍服姿の息子たちを迎える父ベニート・ムッソリーニ首相はスーツ姿で誇らしげである。オーストリアは、ドイツのヒトラーに対抗できる後ろ盾としてイタリアのムッソリーニを当てにしており、アビシニアへの侵略戦争をしたイタリアを支持する利己的な外交を進めていた。
Vittorio und Bruno Mussolini nach ihrer Heimkehr vom afrikanischen Kriegsschauplatz auf einer Tribüne mit Vater Benito Mussolini und dem österreichischen Außenminister Fürst Starhemberg, Stahemberg salutiert
Date 19.05.1936
Rights Holder ÖNB
Mussolini, Bruno, 1918-1941
写真は, Österreichische Nationalbibliothek 引用。


イタリア空軍ピアッジョ P.108 爆撃機の試験飛担当したのは、イタリア統領の二男で空軍士官のブルーノ・ムッソリーニ(Bruno Mussolini)だった。彼は、1941年8月7日、、P.108試験飛行中の事故で殉職した。

ピアッジョ(Piaggio) P.108B四発重爆撃機の派生型
ピアッジオ P.108 A 四発大型爆撃機:機首に102 mm (4 インチ)砲1門を搭載した対艦船砲撃仕様 生産機数1機
ピアッジオP.108C四発輸送機:民間航空仕様の乗客32人用の座席を備え機首形状を変更した輸送機。生産機数6機程度。後にP.108 T軍用輸送機として実用化され、12機生産された。

写真(右)1938年10月5日,イタリア、ローマ、ベイタリア統領ベニート・ムッソリーニの二男ブルーノ・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と妻のジーナ・ルベルティ (Gina Ruberti Mussolini:1916-1946)
Title Bruno Mussolini, Gina Ruberti, Porträt
Date 05.10.1938
Rights Holder ÖNB
Mussolini, Bruno, 1918-1941
写真は, Österreichische Nationalbibliothek 引用。


1918年4月23日、ミラノに生まれたジーナ・ルベルティは、1938年10月、19歳でベニート・ムッソリーニの二男ブルーノ・ムッソリーニ(Bruno Mussolini)と結婚し一人娘マリアナ(Marina)を設けたが、1941年8月7日、夫ブルーノはピアッジョ(Piaggio) P.108 B四発重爆撃機の試験飛行中に墜落事故で死亡未亡人となった。戦後1946年、未亡人ジーナ・ルベルティは29歳で死亡した。

写真(右)1941年8月7日以降,イタリア、ベニート・ムッソリーニの二男ブルーノ・ムッソリーニ(Bruno Mussolini)が操縦し試験飛行中に墜落事故を起こしたピアッジョP.108四発重爆撃機の残骸:右手前に主翼上面に設けられた12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃連装銃座が外れている。左に降着用のゴム主輪が横倒しになっている。
Piaggio P.108 crash On 7 August 1941, Bruno Mussolini, the son of Italian dictator Benito Mussolini and commander of 274 squadron, was piloting one of the prototypes of the "secret" bomber. He flew too low and crashed into a house. The cockpit section separated from the rest of the aircraft and although the aircraft did not catch fire, it was nevertheless totally destroyed in the impact. Bruno Mussolini died of his injuries.
Mussolini, Bruno, 1918-1941
Source: Aerei della Regia Aeronauticakitchener.lord 引用。


写真(右)1940年,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の試験飛行中に殉職したベニート・ムッソリーニ2男の空軍将校ブルーノ・ムッソリーニ(Benito Mussolini:1918-1941);1941年8月7日、空軍将校が新鋭機ピアッジョ(Piaggio)P.108 四発重爆撃機の試験飛行をしている最中に、飛行機が墜落し、ブルーノは事故で殉職した。
Bruno Mussolini 1940
Rights Holder ÖNB Description
Sohn von Benito Mussolini.
Mussolini, Bruno, 1918-1941
写真は, Österreichische Nationalbibliothek 引用。


イタリア首相ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)の二男ブルーノ・ムッソリーニ(Bruno Mussolini)は、イタリア空軍に入隊し、ピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の試験飛行を担当したテストパイロットだった。しかし、1941年8月7日、ブルーノは、ピアッジョ(Piaggio) P.108B爆撃機(製造番号:MM22003)の試験飛行中、イタリア北部のピサに墜落事故を起こした。 ブルーノ・ムッソリーニ(Bruno Mussolini)は、近くの病院に搬送され、父ベニート・ムッソリーニ首相も駆け付けたが、その日のうちに死亡した。まだ23歳だった。このピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の墜落で、搭乗員の3名が死亡し、5名が負傷している。

ピアッジョ(Piaggio) P.108四発重爆撃機は、第二次世界大戦に実用化されたイタリア唯一の四発重爆撃機である。ドイツ空軍は、四発爆撃機として、ハインケル(Heinkel)He177爆撃機、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル哨戒爆撃機、ユンカースJu290哨戒爆撃機を実用化し実戦に投入したが、西側連合国の四発重爆撃機と比較すると、性能も生産機数も大きく下回っていた。ただし、ピアッジョP.108爆撃機は、読ん発輸送機に改造した輸送機仕様も1942年9月7日初飛行している。発動機は、ピアッジョP.12 RC35 空冷星型18気筒エンジン(1,350 hp)4基を搭載した。


3.ピアッジョ P.108 B 管理マニュアル(1942年)

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が1942年刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアルのカバー(表)
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione ( Italian Language ) - 1942(Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione. )
Product Description: Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione ( Italian Language ) - 1942
Disclaimer: This item is sold for historical and reference Only. These are either ORIGINAL or COPIES of manuals and blueprints used when these aircraft were in active duty, now transferred into electronic format. This manuals and blueprints are not meant to be used for current update material for certification / repair, but make an excellent reference for the scholar, collector, modeler or aircraft buffs .... For proprietary reasons we generally only provide civil manuals and blueprints on obsolete Aircraft / Engines / Helicopter. The information is for reference only and we do not guarantee the completeness, accuracy or currency of any manuals.
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$14.85 (http://www.aircraft-reports.com/piaggio-p-108-b-aircraft-maintenance-manual-istruzione-montaggio-e-regolazione-italian-language-1942/)掲載ページ。イタリア語の原本をコピーしたDownload // Files Format : Adobe pdfがオンラインショップで14.5米ドルで入手可能。
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第1図・ ピアッジョP.108B爆撃機の側面
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第1図
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第2図・ ピアッジョP.108B爆撃機の正面
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第2図
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第3図・ ピアッジョP.108B爆撃機の斜め正面
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第3図
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。



図(上)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載・ ピアッジョP.108B爆撃機の側面構造図(1)

Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された構造図
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。



図(上)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載・ ピアッジョP.108B爆撃機の側面構造図(2)

Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された構造図。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


図(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載の ピアッジョP.108B爆撃機の右主翼の構造図;主翼の強度を保つために骨組の桁が多数設けられている。エンジンナセルの中間の主翼前縁には2個の照明塔が装着
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された図解。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機右主翼エンジンナセルの中間の前縁に照明塔2個が装着されている。主翼には容量2500L,2100L,1500Lの3個の燃料タンクがあり、片翼6200L、両翼合計6個1万2400の燃料を搭載できる。外側エンジンナセル中央部上面には、12.7mmブレダ-SAFAT機関銃連装動力回転銃塔が1機設置されており、胴体後部にある銃座から遠隔操作することができる。

図(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載の第19図・ ピアッジョP.108B爆撃機の燃料容量;キャパシティーがリットル表示された燃料タンクは、主翼に2500L,2100L,1500Lの3個合計6200L、両翼合計6個(1万2400L)がある。また、胴体中央には、爆弾倉に着脱式の燃料タンク1470L1個を搭載できる。したがって、燃料は合計1万3670Lとなる。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された図解。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 爆撃機は、主翼(片側)に燃料タンク3個があり、燃料容量(キャパシティー)は、打つ側より2500L,2100L,1500Lで、3個合計の燃料容量は6200Lとなる。そこで、左右主翼内燃料タンクは、合計計6個で燃料容量は、1万2400Lである。さらに、胴体中央には、爆弾倉に着脱式の燃料タンク1470L1個を搭載できる。したがって、 P.108 B爆撃機の燃料搭載量は最大1万3670Lとなる。

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載のコックピットと開閉可能な操縦席ガラス風防;左右に操縦桿のある複式操縦席で左が正操縦士、右が副操縦士。エンジンは4基あるのでメーターやレバーなど機器は同じものが4組ある。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された写真(第16図)。p.27
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載のコックピット操縦席計器盤;左右に操縦桿のある複式操縦席で左が正操縦士、右が副操縦士。エンジンは4基あるのでメーターやレバーなど機器は同じものが4組ある。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された写真(第50図)。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載のコックピット正操縦席;左右に操縦桿のある複式操縦席で左が正操縦士、右が副操縦士。エンジンは4基あるのでメーターやレバーなど機器は同じものが4組ある。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された写真(第14図)。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載のコックピット副操縦席;左右に操縦桿のある複式操縦席で左が正操縦士、右が副操縦士。エンジンは4基あるのでメーターやレバーなど機器は同じものが4組ある。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された写真(第15図)。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


図(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載の垂直尾翼の方向舵操作の操縦索配置図;機首のコックピットにある複式操縦席から、尾翼まで操縦索が伸びている。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された図III。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載の胴体下面の搭乗口と昇降用ラッタル;胴体中央下面に爆弾倉扉が開いている。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された写真(第17図)。p.27
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 爆撃機は、1939年11月に初飛行した後、機首に艦船攻撃用の102ミリカノン砲を搭載するA(Artigliere)型が試作されたが、これは、艦船攻撃用の雷撃と併用する計画だった。

同様の75ミリM4カノン砲による艦船砲撃は、アメリカ陸軍航空隊がノースアメリカン(North American)B-25ミッチェル(Mitchell)双発爆撃機G型,H型も同じ発想だった。

しかし、アメリカ陸軍航空隊ノースアメリカンB-25ミッチェル(Mitchell)の搭乗員は、艦船攻撃にはカノン砲ではなく、6-8-10丁の12.7ミリ(0.5インチ)ブローニング機関銃エクスカリバーによる銃撃を好んだため、次のノースアメリカン(North American)B-25ミッチェルJ型では、カノン砲は撤去され、機関銃搭載に変更された。

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載の胴体内部の通信装置と通信士座席;。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された写真(第18図)。p.27
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


運動性能の低いピアッジョ(Piaggio) P.108 のような四発重爆撃機による艦船砲撃は実戦向きではなかったため、計画通り爆撃機仕様のB(Bombardiere)型が開発された。しかし、火砲を装備したピアッジョ(Piaggio) P.108 A艦船攻撃機は、イタリア降伏後にドイツ軍が注目し開発を引き継いだ。

イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機は、1942年に、大西洋から地中海の出入り口にあたるイギリス領ジブラルタル空襲に初実戦参加した。イタリア空軍は戦略爆撃の思想もあったが、イタリア半島沖サルジニア島を出撃しジブラルタルを少数機で空襲するような長距離の空襲は、イタリア空軍の想定した使用法を超えていた。

このほか、ピアッジョ(Piaggio) P.108 C(Civile)民間輸送機型で、豪華な座席を配置していたが、戦時には不急不要の機体であり、座席を簡易化し、軍用輸送機仕様に改造された。これが.ピアッジョ(Piaggio) P.108 T(Trasporto)型輸送機である。

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載の機首にある爆撃主席の爆弾投下操作スイッチと爆弾投下照準装置;機首の先端にあるガラス風防によって、地面を観察し、爆弾投下目標に照準を合わせて、操縦主に爆撃進路を指示する。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第68図。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。



図(上)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載・ ピアッジョP.108B爆撃機の酸素ボンベからの酸素マスク配管配置図

Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された配置図。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第96図・ ピアッジョP.108B爆撃機の胴体中央内部の酸素ボンベ;爆弾倉の前後に搭乗員の空間に高空で搭乗員が使用する酸素ボンベが搭載されている。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第96図。p.202
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載の主翼内側のエンジンナセルに引き込む降着装置とゴム主輪;大型ゴム車輪がエンジンナセル後方に引き込まれるが、タイヤは左右合計二輪で、二連式のダブルタイヤではない。ハインケルHe177爆撃機と同じく、四発重爆撃機を左右ゴム輪2個で支えると、ゴム輪にかかる圧力はとてつもなく大きくなり、パンクや降着装置の呼称を起こしやすい。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された図解。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


ハインケルHe177爆撃機と同じく、ピアッジョ(Piaggio) P.108 B四発重爆撃機のような大型機を左右ゴム輪2個で支えると、ゴム輪1個あたりに圧力負荷は大きくなり、タイヤのパンクや降着装置の故障を引き起こしやすい。

そこで、アメリカ軍では、四発重爆撃機のゴムタイヤ1個当たりの圧力負荷を小さくするために、ダブルタイヤを採用した。これは、今日のジェット旅客機も同じで、降着装置には、小型のゴム輪をダブルタイヤ装備にするなど、ゴムタイヤを多重配置の装備として、ゴムタイヤ1個当たりの圧力負荷を小さくした。また、故障の際のゴム輪交換も容易に行えるようになった。

図(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載の主翼内側のエンジンナセルと降着装置(主輪);大型ゴム車輪がエンジンナセル後方に引き込まれる。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された図解。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


図(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108 B爆撃機の管理マニュアル掲載の主翼外側のエンジンナセルと12.7mmブレダ-SAFAT機関銃連装動力回転式銃塔;エンジンナセル中部上面に銃塔があるが、これは胴体中部に突出した銃座から遠隔操作することができる。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された図解。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第5図・ ピアッジョP.108B爆撃機の外側エンジンナセル上面の12.7mmブレダ-SAFAT機関連装動力回転銃塔・第5図・ ピアッジョP.108B爆撃機の胴体後方下面の引き込み式12.7mmブレダ-SAFAT機関銃塔
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第5図と第6図。p.15
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


第二次世界大戦勃発直後の1939年11月初飛行のピアッジョ(Piaggio) P.108は、外側エンジンナセル上に12.7mmブレダ-SAFAT(Breda-SAFAT)機関銃連装動力回転式銃塔を設けて、これを胴体中部の銃手が遠隔操作した。また、機首上部と胴体後下方にも12.7mmブレダ-SAFAT(Breda-SAFAT)機関銃各1丁を装備した。胴体後方左右側面には、各1丁の7.7mmブレダ-SAFAT(Breda-SAFAT)機関銃を装備した。乗員は、銃手含め8人となった。

12.7mmブレダSAFAT機関銃の諸元
開発時期 1935年
重量 29kg
弾丸 12.7x81mmSR弾(34.2g)
口径 12.7mm(0.50in)
発射速度 700発/分
575発/分(戦闘機機首のプロペラ同調機銃の場合)
初速 765m/s(12.7mm)

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第62図・ ピアッジョP.108B爆撃機の胴体後方下面の引き込み状態の12.7mmブレダ-SAFAT機関銃塔・第63図・ ピアッジョP.108B爆撃機の胴体後方下面の引き込み式12.7mmブレダ-SAFAT機関銃塔の引き込み操作スイッチ
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第62図と第63図。p.97
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機が装備したイタリアのブレダ(Breda)-SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃である後継には7.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃と12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃とがある。

12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃の原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第59図・ ピアッジョP.108B爆撃機の胴体上面の遠隔操作銃座(エンジンナセルに搭載された12.7mmブレダ-SAFAT機関銃連装動力回転銃塔の操作);12.7ミリ連装機関銃を搭載した動力回転銃塔を遠隔操作する胴体の銃座を胴体内部から見上げた写真。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第62図と第63図。p.92
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 B 重爆撃機の主翼外側エンジンナセル上面には、動力回転銃塔があり、12.7mmブレダ-SAFAT(Breda-SAFAT)機関銃2丁を搭載している。この動力回転銃塔は、胴体後部上面にある2か所の銃座から遠隔操作される。

それまでのイタリアでは、機関銃はフィアットが受注していたが、これ以後、ブレダ-SAFAT(Breda-SAFAT)でもイタリア軍の機関銃が量産されるようになった。

フィアット子会社のSAFATSocietà Anonima Fabbrica Armi Torino)が、ジョヴァンニ・アニェッリ(Giovanni Agnelli)によってブレダに売却されており、フィアットの技術や生産方式は、ブレダに引き継がれている。こうして、イタリアの機関銃は、フィアットではなく、ブレダ-SAFAT(Breda-SAFAT)が担うことになったのである。

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載のピアッジョP.108B爆撃機の胴体側方の搭乗員昇降口と側方7.7mmブレダ-SAFAT機関銃旋回銃座。12.7mmブレダ-SAFAT機関銃連装動力回転銃塔を遠隔操作する銃座2か所が胴体上部に設けられている。;胴体後方下方に12.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁搭載の引き込み式回転銃座がある。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第65図・ ピアッジョP.108B爆撃機の胴体側方の旋回機関銃座と7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁および弾帯;機関銃の下には撃ちガラ薬莢を回収する袋が大きな口を開けている。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第65図。p.99
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第89図・ ピアッジョP.108B爆撃機の胴体中央内部;爆弾倉の前後に搭乗員の空間がある。奥には、側方旋回機関銃銃座に7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁と弾帯が見える。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第89図。p.136
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第4図・ピアッジョP.108B爆撃機の爆弾倉扉;爆弾倉には爆弾が搭載されている。後方には、下部引き込まれた銃塔が見える。胴体左後方の搭乗員扉が開放されている。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第4図。p.14
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第19図・ ピアッジョP.108B爆撃機の爆弾倉扉;爆弾倉は空で爆弾は搭載されていない。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第19図。p.31
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108B爆撃機の管理マニュアル掲載の第72図・ ピアッジョP.108B爆撃機の爆弾倉に搭載準備中の250キロ爆弾;鉄製籠に乗せられた爆弾は、ケーブルで繋がれ、開放された爆弾倉扉を通って、爆弾倉内部の爆弾ラック(懸架)まで滑車で巻き上げられ、装着される。奥には左エンジンナセルに格納される主輪が見える。
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第72図。p.112
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


図(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第XIX図・ピアッジョP.108B爆撃機の爆弾倉における爆弾搭載方法
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第XIX図。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機(1939年11月初飛行)の爆弾倉への爆弾種類別の搭載方法
(1)50キロあるいは100キロ爆弾×34発
(2)160キロ爆弾×20発
(3)250キロあるいは500キロ爆弾×7発
最大爆弾搭載量:3.5トン

図(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第XV図・ピアッジョP.108B爆撃機の爆弾倉における50キロあるいは100キロ爆弾搭載方法(胴体断面);
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第XV図。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機(1939年11月初飛行)の爆弾倉には、小型爆弾の場合、50キロ爆弾あるいは100キロ爆弾を34発、最大限3400キロを搭載できる。

図(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第XIV図・ピアッジョP.108B爆撃機の爆弾倉における250キロあるいは500キロ爆弾搭載方法(胴体断面) ;
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第XIV図。
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 四発重爆撃機(1939年11月初飛行)の爆弾倉には、大型爆弾の場合、250キロ爆弾あるいは500キロ爆弾を7発、最大限3500キロを搭載できる。

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108B爆撃機の管理マニュアル掲載の第74図・ ピアッジョP.108B爆撃機の胴体中央部に装着された3組の航空魚雷用ラック(懸架)
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第74図。p.114
Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


イタリア海軍は、サヴォイア=マルケッティSM.79三発爆撃機による雷撃を実施したが、ピアッジョ(Piaggio) P.108B四発爆撃機を用いる長距離雷撃機の構想もあった。ピアッジョ(Piaggio) P.108B爆撃機の胴体中央毛面には、直径45センチの航空魚雷(1本800キロ)を最大3本まで搭載することが可能だった。

四発重爆撃機を使っての敵艦船への雷撃は、日本海軍の川西九七式飛行艇(1936年7月初飛行)や川西二式大艇(1941年1月初飛行)でも想定されており、航空魚雷2本を搭載する雷撃装備が可能だった。しかし、実際には鈍重な四発機や飛行艇による艦艇雷撃は被害が大きすぎると考えられ、実戦には使用されていない。アメリカ陸軍航空隊は、ボーイングB-17(1935年7月初飛行)四発爆撃機やコンソリデーテッドB-24(1939年12月初飛行)四発爆撃機の編隊による日本海軍艦船への水平爆撃を実施したが、戦果は上がらなかった。


4.ピアッジョ(Piaggio)P.108T 輸送機

写真(右)1942-1943年頃,イタリア、迷彩塗装を施したイタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108T 大型輸送機
Piaggio, P.108 Title: Piaggio, P.108 Corporation Name: Piaggio Additional Information: Italy Designation: P.108 Tags: Piaggio, P.108
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00086769引用。


1941年3月26日に発注されたのがピアッジョ(Piaggio) P.108の軍用輸送機仕様で、試作機の初飛行は1942年9月7日と、イタリア降伏の1年前だった。この輸送機は、ピアッジョP.108T と命名され、胴体貨物室の容積は77 m³ (2,700 ft³)、兵士60名を搭載することができた。ただし、生産機数は12機のみ。

写真(右)1942-1943年頃,イタリア、イタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108T 大型輸送機;第二次世界大戦に実用化されたイタリア唯一の四発重爆撃機P.108を輸送機に改造した。1942年9月7日初飛行。ピアッジョP.12 RC35 空冷星型18気筒エンジン(1,350 hp)4基搭載。
Piaggio, P.108 Title: Piaggio, P.108 Corporation Name: Piaggio Additional Information: Italy Designation: P.108 Tags: Piaggio, P.108
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00086764引用。


1943年9月のイタリア降伏後も、ピアッジョ(Piaggio) P.108は、ムッソリーニを元首とするイタリア社会共和国サロ政権とドイツ軍によって、残った機体は輸送機として用いられた。

写真(右)1943年後半,イタリア南端、タラント(Taranto)郊外、グロッターリエ(Grottaglie)飛行場、鹵獲したイタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 T大型輸送機をアメリカ軍の国籍マークに塗り替えた。;垂直尾翼の白十字はファシスト・イタリア空軍の国籍記章を流用したまま塗り替えているようだ。
The Piaggio P.108B of 274thSquadriglia seized by the USAAF soon after its arrival at Grottagliefrom Foligno and Apulia. In the this photo the aircraft has acquiredUSAAF markings and is not ready for its next (and final) flight becauseof problems with the hydraulic system.
The Author of this page is Brendan Cowan Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真は, ADF-SERIALS Australian& New Zealand Military Aircraft Serials & History RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)1943年後半,イタリア南端、タラント(Taranto)郊外、グロッターリエ(Grottaglie)飛行場、不時着したアメリカ軍の鹵獲したイタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 T大型輸送機;アメリカ軍の国籍マークに塗り替え飛行試験を行ったが、機械故障のために不時着し、機体は損傷した。
The same aircraft meets it's fate following a landingaccident due to the faulty hydraulic system while being flown by anAmerican pilot.
The Author of this page is Brendan Cowan Sources: Australian War Memorial, National Archives of Australia,
写真は, PIAGGIO P108 AIRCRAFT MANUAL ON CD ROM - RARE - RARE RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。



5.サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機

写真(右)1940年6月30日頃,中国、包頭飛行場、イタリア空軍所属サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.75 GA (RT)三発輸送機 (MM.60539):アルファロメオ(Alfa Romeo)128 RC.18空冷星形エンジン3基搭載の長距離飛行特別仕様で、SM.75 GA(Grande Autonomia : Long Range)の形式名称が与えられたが、 胴体後方側面に白帯で日の丸という日本の国籍記章を描いている。ローマ=東京のシベリア上空横断飛行を成功させた。
An image of the SM.75 GA in China..
The first SM.75 GA (serial-numbered RT MM.60537) was delivered on 17 March 1942, but it was decided to use it for a “symbolic” mission which consisted of dropping leaflets over Asmara, in the former Italian East African colonies. This mission took place on 7 May 1942 starting from Guidonia (Rome). After a refueling stop at Benghazi, the aircraft took off on 8 May 1942 at 1730 hrs to drop its leaflets over Asmara at 0300 on 9 May 1942 and then landing safely back at Roma-Ciampino on 2130 hrs on the 9 May 1942.
写真は,Comando Supremo Italy’s Secret Flight From Rome to Tokyo引用。


イタリア空軍は燃料タンクの増設など長距離飛行仕様に改造したサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)S M.75 GA RT(Grande Autonomia : Long Range)長距離輸送機(MM.60539)を準備して、第二次世界大戦初期の1942年6月9日、ローマから東京への連絡飛行に挑んだ。この機体は、SM.75 GA-RTと命名されたが、RTとは"Rome=Tokio"の意味である。

サヴォイア・マルケッティSM.75 GA-RTの機長は、操縦手アントニオ・モスカテッリ(Antonio Moscatelli)中佐で、イタリアが戦っていたソビエト連邦の上空を飛行して日本に飛ぶルートは、ソ連とは中立条約を維持して戦いを避けている日本にとって受け入れられないルートだった。

1942年6月29日 05:30、ローマ郊外グイドーニア基地を飛び立ったサヴォイア・マルケッティSM.75 GA RT輸送機は2,030 km (1,261マイル)飛行して、ドイツ占領下ウクライナのザポリージャ基地に到着した。ここからイタリアが対戦していたソ連上空を飛行し、中国まで一気に飛ぶために、燃料を満タンにして、離昇重量21,500 kgという荷重状態で未舗装滑走路を離陸した。

ソ連上空では、敵戦闘機や対空砲火に加えて、悪天候、航法ミス、機械故障などのリスクもあったが、SM.75 GA RTはアラル海、バイカル湖を地測目標にし、ゴビ砂漠を横断し、翌日6月30日 22:00に中国、黄河を確認することができた。こうして、ウクライナのザポリージャから6,000 km (3,728 マイル)飛行して、日本軍占領下の中国、包頭に到着したのは、1942年7月1日 15:30だった。ここから、日本の通訳・案内人を同乗させ、日本の国籍マークを応急塗装したSM.75 GA RTは、一気に東京まで2,700 km (1,678マイル)を飛行し、無事着陸した。

写真(右)1942年6月1-18日,日本、極東連絡飛行に成功したイタリア空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.75 GA RT長距離輸送機 (MM.60539)と日本出迎え側の陸軍10人、海軍3人:イタリアの威信をかけた戦時連絡飛行で、日本とヨーロッパの戦時唯一の連絡飛行成功例である。日本側からも連絡飛行に特殊仕様長距離機で向かったが、途中、インド周辺で行方不明になった。
English: Italian Savoia-Marchetti SM.75 GA RT long-range cargo aircraft and its crew photographed with Japanese officials during its flight to East Asia in July 1942 Date Sometime between 1 July 1942 and 18 July 1942 Source Scanned from Page 20 of Rosselli, Alberto, "In the Summer of 1942, a Savoia-Marchetti Cargo Plane Made a Secret Flight to Japan", Aviation History, January 2004, Author Unknown; credited to "Courtesy of DOTT Alberto Rosselli" Permission (Reusing this file) PD-Italy; photo taken in 1930s or 1940s in Italy .
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.75 File:Savoia-Marchetti SM.75 GA RT in East Asia.jpg引用。


しかし、日本は、このSM.75によるローマ=東京の連絡飛行の快挙を国際的に利用することに思い至らず、ソ連の領空侵犯の連絡飛行が、ソ連を怒らせることを恐れて、飛行記録を秘匿した。ドイツ・イタリアがソ連と戦っている以上、三国同盟自体がソ連にとって反発の材料なことに思い至らなかったのでり、そのために、はるばる日本に飛行してきた同盟国イタリア人たちを軟禁状態として冷遇した。

1942年7月16日にサヴォイア・マルケッティSM.75 GA RT輸送機は、帰路に就いた。まず東京から包頭に飛行し、そこで、イタリアの国籍マークに描き直し、1942年7月18日 21:45に包頭を離陸した。そして、ウクライナ、黒海北岸のオデッサに29時間25分、6,350 km (3,950マイル)を飛行して着陸した。そして、オデッサで給油、整備の上、ローマ郊外グイドーニア基地まで飛行し、無事に帰国した。イタリアは、このローマ=東京連絡飛行成功の快挙を1942年8月2日に発表したが、日本では、イタリアを日ソ関係を悪化させるとイタリアを非難するありさまだった。


6.カント(CANT)Z.1007アルシオーネ(Alcione)三発爆撃機


写真(上)1943年5月,イタリア(?)、ファシスト・イタリア空軍カント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z. 1007 Bisアルシオーネ (Alcione:カワセミ)三発爆撃機
;1937年3月初飛行、1939年5月より就役。全備重量 13,621 kg、発動機 ピアッジョP.10 RC40 空冷星型14気筒 1,000 hp 3基、最高速力 456 km/h、航続距離 2,000 km、兵装12.7ミリ機関銃 4丁、7.7ミリ機関銃 2丁、爆弾搭載量 1,200 kg。
Photograph Curator 80-G-64147: Italian bomber, Cant Z, 1007 Bis, May 1943. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives. (2016/09/13).
Author National Museum of the U.S. Navy
写真はNational Museum of U.S. Navy., Photograph Curator 80-G-64147引用。

カントとは、カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:CANT)の略称である。 カント Z.1007「アルシオーネ」 (かわせみ)三発爆撃機は、1937年3月初飛行、1939年5月に部隊配備された。サヴォイア・マルケッティ SM.79「スパルヴィエーロ」(ハイタカ)同様、強力なエンジンがなかったために、Z.1007アルシオーネ(カワセミ)もエンジンを3基搭載したため、機首に爆撃手を置くことができず、銃座も設けられなかった。しかし、胴体上部には回転銃座を設けて12.7ミリ口径イソッタ・フラスキーニ・スコッチ( Isotta-Fraschini Scotti)M1933機関銃を搭載している。1943年までに660機が量産された。

カント Z.1007
カント Z.1007「アルシオーネ」 (かわせみ)三発爆撃機(CANT Z.1007Alcyone/Alcione)の諸元
乗員: 5名
全長: 18.47 m
全幅: 24.80 m
全高: 3.15 m
翼面積: 70.00 m2
全備重量: 13,621 kg 発動機: ピアッジョ(Piaggio)P.XI R.2C 40空冷星型14気筒エンジン1,000hp3基
最高速力: 456 km/h
航続距離: 1,750 km
実用上昇限度: 8,100 m
兵装:12.7 ミリ イソッタ=スコッチ(Isotta-Fraschini Scotti)機関銃2丁、7.7ミリ ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁
爆弾 1,200 kg

カント Z.1007「アルシオーネ」 (かわせみ)三発爆撃機は、1937年3月初飛行、1939年5月に部隊配備された。1943年までに660機が量産された。

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.1007アルシオーネ(Alcione)爆撃機を見る。


7.サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79爆撃機

サボイアマルケッティSM-79三発爆撃機 イタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79Savoia Marchetti SM.79)三発爆撃機の原型は、三発高速旅客機で1934年10月に初飛行した。

SM-79の発動機は、競技用特別機ではピアッジョPIXRC2(1,000馬力)を搭載し、1935年、1000kmと2000kmのコースで世界最速記録を達成した。しかし、機首にエンジンがあることで、前方視界が制限され、爆撃手席も機首先端に設けることができなくなった。また、機首に防御用旋回機関銃を搭載することもできなかった。

イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機は、輸送機型にはなかった胴体前方上部のコックピット後半にバルジ(膨らみ)が設けられ、そこに前方固定機銃1丁と後方旋回機銃1丁とを搭載した。コックピット上部に前方固定機関銃を搭載した理由は、機首にエンジンがあるために、前方に対する防御用機関銃が設置できなかったためである。操縦席の後上方のバルジに設けられた前方固定機関銃は、SM-79三発機ならではである。また、胴体後下方にゴンドラが設けられたが、これはドイツの爆撃機でも試みられていた方法である。

サボイアマルケッティSM-79雷撃機 1937年に、スペイン内乱に投入されたサボイア・マルケッティSM-79Savoia Marchetti SM.79)三発爆撃機は、延べ5000回の出撃を行い、その機体の信頼性、実用性も高さを裏付けた。また、これと同時にレース機としての開発も行われ好成績をあげた。1939年9月に勃発した第二次世界大戦に、イタリアは1940年6月に参戦したが、その時のイタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機配備の爆撃飛行隊11個に及び、爆撃機の主力となっていた。サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機生産機数は1936年から1943年までで、合計1218機量産された。

1940年6月、イタリアが第二次世界大戦に参戦した時、サボイア・マルケッティSM-79三発爆撃機は11個の飛行隊に配備された主力爆撃機だった。1941年末から1942年初頭にかけて、太平洋戦争で日本海軍が雷撃で多大な効果を上げると、イタリア空軍は、イギリス艦船を相手に雷撃任務を可能にすべきだと考えられた。そこで、SM.79bisが、主に魚雷を搭載して雷撃を主任務とした雷撃機として量産された。

サボイア・マルケッティSM-79(Savoia Marchetti SM.79)三発爆撃機の諸元
初飛行:1934年9月28日
乗員Crew: 6名
全長Length: 16.2 m
全幅Wingspan: 20.2 m
全高Height: 4.1 m
主翼面積Wing area: 61.7 m2
空虚重量Empty weight: 7,700 kg (16,976 lb)
総重量Gross weight: 10,050 kg (22,156 lb)
発動機Powerplant: 空冷星形9気筒アルファロメオ(Alfa)128 R.C.18 エンジン 860馬力(642 kW)
プロペラPropellers: 3翅可変ピッチ

性能Performance
最高速力Maximum speed: 460 km/h (290 mph, 250 kn)/高度3,790 m (12,430 ft)
航続距離Range: 2,600 km (1,600 mi, 1,400 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,500 m (24,600 ft)
上昇率Rate of climb: 5.3 m/s (1,040 ft/min)
翼面過重Wing loading: 165 kg/m2 (34 lb/sq ft)
重量出力比Power/mass: 0.173 kW/kg (0.105 hp/lb)

兵装Armament
防御用火器Guns: 12.7 ミリ (0.5 in) ブレダ(Breda-SAFAT)前方固定機関銃1丁(コックピット上部)
12.7ミリ(0.5 in)ブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃2丁(後上方・後下方)
7.7 ミリ (0.303 in)機関銃2丁(胴体左右側方)
爆弾Bombs: 爆弾倉 1,200 kg (2,645 lb)
あるいは胴体下面: 45センチ航空魚雷1-2本

生産期間:1936-1943年
総生産機数: 1218機

⇒写真集Album:サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti )SM-79爆撃機を見る。


8.サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84快速爆撃機

写真(右)1941-1942年頃、イタリア、イタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84三発爆撃機:双尾翼式で、12.7mmスコッチ(Scotti)/イソッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)機関銃1丁装備の回転銃塔を装備しているので、SM.79との識別は容易である。
Captions Edit English Add a one-line explanation of what this file represents
写真は, SDASM Archives Catalog #: 01_00087256およびWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.84 File:Savoia-Marchetti SM.84.jpg引用。


サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84三発爆撃機はSM.79の後継機として開発された。両者の違いは、
1)SM.79のアルファ・ロメオ126 R.C.34空冷星形9気筒エンジン750hpからSM.84のピアッジョ P10 RC40 空冷14気筒エンジン1000 hpへの換装による出力強化
2)SM.79のコックピット後上方のバルジ銃座から、SM.84の12.7mmスコッチ(Scotti)/イソッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)機関銃1丁装備の回転銃塔(ターレット)「デルタ」への防御兵装の強化
3)SM.79の爆弾筒からSM.84の爆弾懸架への爆弾搭載方法の変更
4)SM.79の単尾翼から、SM.84の双尾翼に変更
が大きな変更点である。

⇒写真集Album:サボイアマルケッティSM.84快速爆撃機を見る。


9.フィアット(Fiat)BR.20爆撃機チコーニャ

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたフィアット(Fiat)BR.20爆撃機チコーニャ(Cicogna:コウノトリ):1936年2月10日初飛行。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: In primo piano l'aereo da bombardamento Fiat BR 20 con motore A 80 RC 41
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_211 引用。


1936年2月10日初飛行のフィアット(Fiat)BR.20爆撃機チコーニャ(Cicogna:コウノトリ)は、胴体後部が羽布張りであるものの、その他は金属製で、引き込み脚も備え、双尾翼式、コックピット後上方に銃座が設けられている。当時としては最新の技術を取り入れた機体だった。1939年から部隊配備され、生産機数は合計600機。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)BR.20爆撃機を見る。


10.カプローニ(Caproni)Ca.311/Ca.313軽爆撃機シリーズ


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)胴体の側面構造図
;胴体コックピット側面には、大きな四角のガラス窓が並んでいて、偵察機としての視界を確保している。機首下面に前方固定銃座、コックピット後上方に回転銃塔がある。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


⇒写真集Album:カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機を見る。

第二次世界大戦勃発3か月後、1939年12月22日初飛行のカプローニ(Caproni)CA 313(スウェーデン空軍 S 16)軽爆撃機。イソッタ(Isotta Fraschini)デルタ(Delta)R.C.35 I-DS空冷倒立エンジン 545 kW (730 hp)2基搭載、最高速力430 km/h (268 mph, 233 kn)、航続距離 1,700 km (1,050 mi, 910 nmi)、実用上昇限度 8,500 m (27,880 ft)、7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁、爆弾搭載量 400 kg (882 lb)。機体後上方に銃座のように2本のアンテナ支柱が装備されている。

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)CA 313偵察爆撃機を見る。


11.満州日日新聞 1937.3.26(昭和12)「目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦」

写真(右)エジプト(?)、エジプト航空デハビラント(De Havilland)DH 84 ドラゴン(Dragon)複葉輸送機(SU-ABJ:製造番号C/n 6051):乗客:8名、全長10.5 m、全幅14.6 m、高さ3.1 m、翼面積32 m²、空虚重量1,460 kg、全備重量2,490 kg、発動機ジプシークイン エンジン 200 hp(150 kW)2基、最高速力253 km/h、航続距離920 km、上昇限界5,090 m。1938年6月製造のようだが、第二次大戦後もしばらく使用されている。
Hilda Jarmuth Collection Photo Catalog:Array - Title:Array - Filename:Hilda Jarmuth Collection Photo_00013.TIF - Image from the Hilda Jarmuth Personal Papers. Little is known about Hilda Jarmuth, an early aviatrix who was born on November 22, 1900. She may have been a member of the Ninety-Nines Club, which was founded on November 2, 1929, for the mutual support and advancement of women pilots. She was married to Charles F. Jarmuth in Cook County, Illinois, on June 12, 1923. She was widowed in 1927 when Charles drowned while attempting to rescue her from an undertow. Around 1949, she remarried to his first cousin, Louis T. Jarmuth. While little more is known about her other than she traveled extensively, she passed away in Los Angeles, CA, on July 1, 1976.--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives PictionID:40983859 - 引用。


飛行機は科学の尖端を行く最新兵器である。これを製造する技術の優劣は、飛行機の性能を左右するものであるから、列強は競って航空技術の進歩に努力している。元来航空工業は、重工業中機械工業の部門に属し、就中航空用発動機製作は、精密工業に属すべきものであるが、その円満なる発達のためには単に航空工業の進展を期すれば可なりというものではなく、その関聯するところ甚だ広汎にして、重工業全般特に材料を供給する金属工業の進展に俟つもの甚だ多いのである。例えば優秀機のパテントを外国から購入し、これを模作することが出来るとしても、材料そのものに欠陥があれば、同一の性能は勿論求め得られないばかりでなく各部の亀裂又は折損を生ずること少くないのである。而して列強の航空工業は、ソ聯邦を除きては、殆ど大戦以来二十有余年の歴史を有しているのであって決して一朝一夕の間に培養されたものではなく、大戦以来今日まで巨額の国費を投入して漸く今日の進運を来したものであることを思えば、航空技術なり、航空工業の躍進を求むることは尋常一様の方法では至難であるといわねばならぬ。最近における列強の技術及航空工業を概術すれば次の如くである。

写真(右)1940年7月25日、イギリス、第25爆撃飛行隊のブリストル(Bristol)ブレニム (Blenheim)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1935年4月12日。全幅 17.17 m、全長 12.12m、翼面積 84.0 m2、自重4,441 kg、総重量 6,532 kg 発動機ブリストル(Bristol) マーキュリー (Mercury)空冷星形9気筒エンジン840 hp2基、 最高速力 418 km/h、航続距離 1810 km、乗員3名、兵装 7.7 mm 機関銃2丁、爆弾搭載量454 kg。
English: RAF Fighter Command 1940 Blenheim Mk IFs of No. 25 Squadron at Martlesham Heath, 25 July 1940. The foreground aircraft is equipped with AI Mk III radar. The squadron was used for night fighter operations. Date 25 July 1940 (Second World War)
Author Press Agency photographer Part of Ministry of Information Second World War Press Agency Print HU 104652 Imperial War Museums.
.
写真はWikimedia Commons Category:Bristol Blenheim Mk.I of the Royal Air Force File:Bristol Blenheim - Martlesham - RAF Fighter Command 1940 HU104652.jpg引用。


写真(右)1939年-1944年、イギリス、イギリス空軍第14爆撃飛行隊ショート(Vickers)S.29 スターリング (Wellesley)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1935年7月19日、胴体形状は。円筒形の大圏構造を採用した。1936–1938年に177機生産。全幅 22.66 m 、全長11.96 m、翼面積 59m2、空虚重量3,066 kg、総重量5,67kg、発動機 ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)空冷星型9気筒エンジン925 hp 排気量28 L (690 kW)1基、最高速力 367 km/h,、航続距離 1,960 km、乗員3名、兵装 7.7 mmビッカース(Vickers)機関銃2丁、爆弾搭載量 2,000 ポンド (910 kg)。
English: AIRCRAFT OF THE ROYAL AIR FORCE 1919-1939 The pilot of a Vickers Wellesley of 14 Squadron, Royal Air Force, is assisted with his harness prior to take off from RAF Amman in Transjordan H(AM) 379 Imperial War Museums Royal Air Force official photographer
写真はWikimedia Commons Category:Vickers Wellesley File:AIRCRAFT OF THE ROYAL AIR FORCE 1919-1939 H(AM)379.jpg引用。


写真(右)1937-1938年、イギリス東部、ケンブリッジ州アップウッド(Upwood9基地、イギリス空軍第52爆撃飛行隊ハンドレページ (Fairey)ハンプデン(Battle)Mk.I 爆撃機:初飛行は1936年3月10日、全長: 12.90 m、全幅:16.46 m、翼面積: 39.2m2、空虚重量: 3,015 kg、最大離昇重量: 4,895kg、ロールスロイス(Rolls-Royce)マーリン(Merlin) II V-12 )液令V12気筒1,030 hp (770 kW)1基、最高速力:414 km/h、航続距離:1,600 km、7.7mm機関銃2丁、爆弾搭載量は最大4,000 lb (1,800 kg)、1937-1940年に2,201機量産、乗員 3名。
English: IWM caption : A Fairey Battle Mk.I of 52 Squadron, Royal Air Force, at RAF Upwood. Date between 1937 and 1938 H(AM) 179 the Imperial War Museums. . Author assumed RAF .
写真はWikimedia Commons Category:Fairey Battle File:52 Squadron RAF Fairey Battle at Upwood IWM H(AM) 179.jpg引用。


写真(右)1940年8月、イギリス、田園地帯を低空編隊飛行するイギリス空軍第149爆撃飛行隊ビッカース(Vickers)ウェリントン(Wellington)爆撃機:初飛行は1936年6月15日、全長: 19.68 m、全幅: 25.26 m、翼面積: 、空虚重量: 19,278 kg、最大離昇重量: 29,484 kg、ブリストル(Bristol)ブリストル・ペガサス17 空冷9気筒 1000 hp2基、最高速力:378km/h、航続距離:2,000km、爆弾搭載量は最大 2.041kg。
English: RAF Bomber Command 1940 Vickers Wellington Mk IC bombers of No. 149 Squadron in flight, circa August 1940. Date between 1939 and 1945.
Author Press Agency photographer HU 107812 Imperial War Museums.
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Vickers Wellington - RAF Bomber Command 1940 HU107812.jpg引用。


写真(右)1941年11月21日、イギリス東部、リンカン州ワディントン田園地帯を低空編隊飛行するイギリス空軍第44爆撃飛行隊ハンドレページ (Handley Page)ハンプデン(Hampden)爆撃機:初飛行は1936年7月21日、全長: 17.32 m、全幅:21.08 m、翼面積: 63.9 m2、空虚重量: 5,790 kgkg、最大離昇重量: 10,206 kg、ブリストル(Bristol)ブリストル・ペガサス17 空冷9気筒1,000 hp (750 kW) 2基、最高速力:398 km/h、航続距離:2,770 km、爆弾搭載量は最大4,000 lb (1,800 kg)。
English: Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Handley Page Hp.52 Hampden and Hereford. Hampden Mark Is, AE257 ‘KM-X’ and AE202 ‘KM-K’, of No. 44 Squadron RAF based at Waddington, Lincolnshire, in flight. Both aircraft were lost on raids over Germany, AE257 on the night of 21/22 October 1941 flying to Bremen, and AE202 over Hamburg on 26/27 July 1942.CH 3478 Imperial War Museums. Air Ministry Second World War Official Collection Subjects Associated people and organisations Royal Air Force, 44 Squadron Associated places Bremen, Bremen, Germany, Hamburg, Hamburg, Germany, Waddington, Lincolnshire, England, UK .
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Vickers Wellington - RAF Bomber Command 1940 HU107812.jpg引用。


英国

航空技術及航空工業は、空軍省内補給研究局において主宰し、統制指導機関として多くの委員会を組織している。工業技術進歩改善のためには科学産業委員会を設け、官民の全研究機関を連繋せしむる制度を採り、航空技術は航空研究委員会において統制し、これが進展を図っている。又空軍における研究機関と審議機関とを完全に分離し、前者は文官を主とし、後者は武官を主とし、各々一流の権威者を集中していることは、制度上の特徴と認むべきである。現在飛行機工場としては、大小を合し三七会社があるが、空軍が利用しているのは、大製造能力を有する一流の一五会社にして、その他は戦時これを利用する程度であろう。発動機工場は一八会社であって、大規模のものは五個に過ぎない。而してこれ等工場の製作能力は年産四〇〇〇−五〇〇〇機といわれている。

写真(右)1939年-1944年、イギリス、イギリス空軍第7爆撃飛行隊ショート(Short)S.29 スターリング (Stirling)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1939年5月14日、1945年までに2,371機生産。全幅 30.20 m 、全長26.59 、翼面積 136m2、自重22,498 kg、総重量26,943 kg、発動機ハーキュリーズ Mk.XI空冷星型14気筒1,500hp4基、 最高速力 454 km/h、航続距離 3.755 km 、乗員7名、兵装 7.7 mm M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,350kg。
English: Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.29 Stirling. Stirling Mark I, N3641 ‘MG-D’, of No. 7 Squadron RAF, running up its engines on the ground at Oakington, Cambridgeshire. Date between 1939 and 1945 CH 3138 Imperial War Museums Royal Air Force official photographer Part of Air Ministry Second World War Official Collection Subjects Associated people and organisations Royal Air Force, 7 Squadron.
写真はWikimedia Commons Category:Short Stirling File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.29 Stirling. CH3138.jpg引用。


写真(右)1943-1944年頃、イギリス、イギリス空軍ハンドレページ(Handley Page)ハリファックス(Halifax)重爆撃機:初飛行は1939年9月24日、全長: 29.59 m、全高: 8.0 m、翼面積: 330.2 m2、空虚重量: 19,278 kg、最大離昇重量: 29,484 kg、ブリストル(Bristol)ハーキュリーズ(Hercules )Mk VI 空冷星形14気筒ロエンジン1204 kW (1615 hp)4基、最高速力:454 km/h、航続距離:爆弾搭載量は最大5897 kg(13,000ポンド)、生産機数6,176機。
English: Halifax Bomber Source Canadian Forces Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago.
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Halifax Bomber 7 ExCC.jpg引用。


写真(右)1944年2月10日、イギリス南東部、ロンドン北90キロ、ハンティンドン(Huntingdon)、イギリス空軍第156爆撃飛行隊アブロ(Short)ランカスター (Lancaster)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1941年1月9日、1945年までに7,377機生産。全幅 31.09m 、全長21.18m 、翼面積 120m2、自重16,783 kg、総重量28,576 kg、発動機 ロールス・ロイス マーリン XX V型12気筒レシプロエンジン 1,280hp(954 kW)4基、 最高速力 450 km/h、航続距離 4,300 km、乗員7名、兵装 7.62mm ブローニング(Browning)M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,400 kg、生産機数7,377機。
English: Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command King George VI and Queen Elizabeth visited three Pathfinder stations on 10 February 1944. Here they are seen talking to ground crew of No 156 Squadron at Warboys, Huntingdonshire, beneath the imposing bulk of one of the squadron's Lancasters protruding from a T2 hangar. Date 10 February 1944.
CH 12153 Imperial War Museums
Associated people and organisations Elizabeth, Queen, George VI, King, Royal Air Force, 156 Squadron Associated places Warboys, Huntingdonshire, England, UK
写真はWikimedia Commons Category:Avro Lancaster File:Avro Lancaster - RAF Warboys - Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH12153.jpg引用。



写真(右)1945年2月9日、イギリス南東部、ロンドン北90キロ、ケンブリッジ(Cambridgeshire)、メパール (Mepal)、エンジン整備中のイギリス空軍第75ニュージーランド爆撃飛行隊アブロ(Short)ランカスター (Lancaster)Mk.I型爆撃機
:胴体下面の爆弾倉は長大で爆弾倉扉は開放状態にある。爆弾搭載量は最大6,400 kg、。
Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command Mechanics working on the port-outer Merlin engine of a No 75 (New Zealand) Squadron Lancaster at Mepal, Cambridgeshire, 9 February 1945. Date 9 February 1945 Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command Mechanics working on the port-outer Merlin engine of a No 75 (New Zealand) Squadron Lancaster at Date 9 February 1945
写真はWikimedia Commons Category:Avro Lancaster File:Avro Lancaster - Mepal - Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH14681.jpg引用。


仏国

航空省内に、技術及び製造工業全般の指導に任ずる航空製造局があって、技術及び科学研究所、製造部契約部、各地実験所を統轄している。航空技術は、昭和三−七年(一九二八−三二年)間航空省当時の技術局長カッコー氏の広汎なる奨励指導政策に依り、放漫の避難を受けてはいるが、著しく進歩し、特に金属機製作技術の向上には観るべきものがあった。殊にその優秀機試作奨励政策は後年における性能優秀なる軍用機多量生産の根柢をなしたのである。併しながらこれがため大小製作会社が簇出して五〇個以上に達し、これが統制を行うの必要に迫られ、ドナン航空相は、昭和九−一〇年(一九三四−三五年)に八個の群に統合して会社の強化を図ったのであるが、なお充分に目的を達成するに至らず、昨年七月ブルム内閣に依り、軍需工業国営を行うことに依って、初めてこの問題が解決したのであった。


写真(右)1945年2月9日、フランス、フランス空軍ブロシュ(Bloch)MB.210 双発爆撃機
:1935年7月初飛行、全長:18.82 m、全幅:22.80m、全高:6.70 m、全備重量:10,190 kg、発動機:ノームローン14N10 空冷14気筒エンジン 950 hp基、最高速力:310 km/h、航続距離:1,300km、爆弾1,600kg、兵装:7.5mm機関銃3丁、乗員5名。生産機数は、1935-19378年に298機。
Polski: Samolot Amiot 143 podczas lotu Date 1 January 1937 Source Narodowe Archiwum Cyfrowe Author Autor nieznany
写真はWikimedia Commons Category:Amiot 143 File:Amiot 143 1.jpg引用。


写真(右)1938年以降、フランス、フランス空軍アミオ(Amiot)350双発爆撃機("Grandpappy" 登録番号:35-277): 1934年から開発が始まり1937年12月6日にイスパノスイザ12Y28エンジンを搭載して初飛行。全幅 22.83 m、全長14.50 m、翼面積 258.4 m2、自重 37,709 lb (17,141 kg)、全備重量 11,285 kg)、発動機 発動機をノームローン 14N38空冷星形14気筒エンジン850 hp(634 kW)2基、最高速力479 km/h、航続距離 2,500 km、乗員4名。20 mm (0.79 in)イスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲1門、7.5 mm (.295 in) MAC1934機関銃2丁、爆弾 1200kg。生産機数84機。
Amiot 350 Manufacturer: Amiot French medium bomber 2 x Gnome & Rhone 14N/48 1060 Hp each Top speed: 480 Km/h at 4000m Cruise speed: 350 Km/h Range: 2500 Km Crew:4
写真はSDASM Archives Catalog #: 00074864引用。


写真(上)1930年5月1日メーデー、ソ連、モスクワ赤の広場で披露されたソ連ツポレフ(Tupolev)ANT-9大型輸送機:初飛行は、1929年5月5日。全幅 23.80 m、全長 16.65 m、翼面積 84.0 m2、自重 3,680 kg、離昇重量 5.690 kg、発動機:ライト(Wright)ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン300 hp (224 kW)3基、最高速力 205 km/h、航続距離 700 km、乗員2名、乗客9名。
Description English: Tupolev ANT-9 photo from Aero Digest May,1930 Date 1 May 1930 Source https://archive.org/details/aerodigest1617unse/page/n147 Author Aero Digest magazine
写真はWikimedia Commons Category:Tupolev ANT-9 File:Tupolev ANT-9 Aero Digest May,1930.jpg引用。


ソ聯

航空工業は重工業省の統轄するところで、航空技術は昭和三年(一九二八年)までは漸く外国製に模倣する程度であったが、第一次五ケ年計画の遂行に依り急速なる進展を遂げ、その製造工場も百数十に達し、更に第二次五年計画の実行過程にあるので、その製造能力は飛躍的進展をなすものと思われる従来航空技術方面に於ては創造的特色に乏しいようであったが、航空技術研究機関として大規模の施設を有する中央飛行科学研究所を設け、世界的に有名なるア・エヌ・トボレフ技師をその長とし多くの優秀技術者を集中して、統一せる研究を行うとともに、高級技術者の養成を企図し、又技術大学を多数設立して技術員の養成に努力しているので、その将来は刮目して睹るべきものがあると思う

写真(上)1930年12月以降、ソ連、ソ連空軍ツポレフ(Tupolev) TB-3(ANT-6)大型爆撃機:胴体に共産党(CCCP)H-の符号を記入している。ツポレフTB-3重爆撃機は、1930年12月22日に初飛行、1937年までに818機量産された。全幅 39.5m、全長 24.4m、翼面積 84.0 m2、自重 3,680 kg、離昇重量 17,200kg 発動機 :ドイツのB.M.Wを国産化したミクーリン(Mikulin)M-17F液冷12気筒V型 715hp4基、最高速力 197 km/h、航続距離1,350km、乗員8名、兵装 7.62mm機関銃6-8丁、爆弾2,000kg。
Tupolev, TB-3 Manufacturer: Tupolev Designation: TB-3 Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, TB-3, USSR
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00088930引用。


写真(上)1935年以降、ソ連、ソ連空軍ツポレフ(Tupolev) TB-3(ANT-6)大型爆撃機と両翼に懸架されたポリカルポフ(Polikarpov)I-16-5戦闘機(250キロ爆弾2発搭載)の親子飛行機ズヴェノー(Zveno)Z-6:親子飛行機ズヴェノーZ-6は、1935年8月に初飛行。子機ポリカルポフI-16戦闘機は、1933年12月30日初飛行、全幅9m、全長6.13 m、翼面積 14.5 m2、総重量 1,941 kgあったので、ツポレフTB-3重爆撃機(爆弾2,000kg)に2機懸架すると子機の揚力はあるとはいっても、過重量だったはずだ。しかし、1941年の独ソ戦では、ルーマニア爆撃、ドニエプル川架橋爆破に出撃し戦果を挙げたという。
Tupolev, TB-3 Manufacturer: Tupolev Designation: TB-3 Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, TB-3, USSR
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00088935引用。


写真(右)1939年頃、ソ連、ソ連空軍ツポレフ (De Havilland)SB 2M爆撃機:1934年10月7日に初飛行、乗客:8名、全長12,27m、全幅20,33 m、翼面積51,95m²、空虚重量4,768kg、全備重量6,308 kgkg、発動機クリーモフ(Klimov) M-103 液冷V12気筒エンジン960 hp (716 kW)2基、最高速力450 km、航続距離2,300km、上昇限度9500 m、7.62mm ShKAS機関銃4丁、爆弾搭載量500 kg。1936年 - 1941年に6,945機製造。独ソ戦の初期の主力爆撃機だったが、1942年には退役。中国空軍が1937年の日中戦争勃発時にSB-2M爆撃機60機を貸与し、その後の中国空軍主力爆撃機となった。チェコスロバキア空軍は、ドイツとの戦争を意識し1938年にSB爆撃機60機を購入した。フィンランド空軍は、1939-1940年の対ソ連冬戦争でSB爆撃機8機を鹵獲し使用した。
Tupolev, SB Manufacturer: Tupolev Designation: SB Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, SB, USSR
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00089058 引用。


独逸

軍用機の製作は一昨年の空軍再建以来の事実であるから、列強の水準に達し居るやは疑問であるが、工業技術の発達、特に民用機の製造技術より観るとき、列強を凌駕するの日遠からざるを想わしむるものがある。而して飛行製作会社は大小合せて二十四個であって、特にハインケル、ユンカース、ドルニエー等は最も大規模のものである。その生産力は米国側の観測に従えば、月製一〇〇〇機以上で、戦時二五〇〇機に拡張し得る設備ありとしている。

写真(右)1936年、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do 19V-1重爆撃機試作1号機:1936年10月28日に初飛行し1938年には輸送機に改造された。生産機数3機のみ。全幅35.0m、全長 25.4 m、翼面積 162 m2、自重 11,865kg、全備重量 18,500 kg、発動機 BMW 132空冷倒立9気筒エンジン604 kW (810 hp)4基、最高速力 315 km/h、航続距離1,600 km、乗員10名。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46170090 - Title:Dornier Do 19V-1 with 4 BMW 132 1936 Nowarra Collection - Filename:16_007464.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives Catalog:16_007464 -引用。


写真(右)1938年、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do 19V-1重爆撃機試作1号機:初代ドイツ空軍参謀長ヴァルター・ヴェーファー(Walther Wever)中将の推進した長距離戦略爆撃機「ウラル爆撃機」として開発され、1936年10月28日に初飛行した。しかし、ヴェーファー空軍参謀長は、1936年6月3日、ハインケルHe 70高速輸送機の操縦中に墜落死したため、ドイツ空軍は、従来の第一線で活躍する戦術爆撃機の開発に専念することになった。生産機数3機み。
The German Dornier Do 19 bomber prototype in flight, circa in 1938. Date circa 1938 Source Strategy for Defeat: The Luftwaffe 1933-1945 photo [1] Author Unknown author
写真はCategory:Dornier Do 19He 70の設計を流用し File:Dornier Do 19 bomber in flight c1938.jpg引用。


写真(右)1939年9月の第二次大戦勃発後、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 116偵察機:He 70の設計を流用し1936年12月9日に初飛行し1938年までに郵便輸送機として14機が生産された。全幅 22,00 m、全長 13,70 m、翼面積 62,90 m2、自重 4220kg、全備重量 7046 kg、発動機 ヒルト(Hirth) HM 508空冷倒立8気筒エンジン240 PS (177 kW) 排気量7.97L 4基、最高速力 325 km/h、航続距離 4,100 km、乗員4名。第二次大戦中は、ドイツ空軍で偵察機として使用された。
Deutsch: He 116 Date 18 April 2013 Source Image rights owned by the San Diego Air & Space Museum, which has released the image with no known copyright restrictions. Author San Diego Air & Space Museum
写真はWikimedia Commons Category:Heinkel He 116 File:He 116 2013.jpg引用。


写真(右)1930年代、イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti) S.M.73輸送機:1934年7月4日に初飛行し48機が生産された。全幅 24,00m、全長 18,37 m、翼面積 92,20 m2、自重 7300 kg、全備重量 10.800 kg、発動機 ヒルト(Alfa Romeo ) 126 RC.10空冷星形8気筒エンジン800 PS (ca. 590 kW) 3基、最高速力 325 km/h、航続距離 1000km、乗員4名、乗客18名。
Description Italiano: Savoia-Marchetti SM.73 Date before 1950 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons Category:Savoia-Marchetti S.73 File:Savoia-Marchetti SM.73.jpg引用。


伊国

空軍省に研究実験局があって、航空技術及び航空工業を統轄指導している。航空器材は空軍大臣監督の下に民間会社に製造せしむるとともに、一方国家総動員の見地より国防最高会議隷下にある工業監察官をしてこれが製作を監察せしめている。昭和八年(一九三三年)一月ムッソリーニ首相空軍大臣を兼摂するや、航空器材の自給自足は国防上における最重要事項であると為し、優秀なる自国発動機を産出せんが為め、航空総監督部を創設するとともに、各種の方面に奨励保護を行ったので、現今に於ては国産発動機として優秀なるものを産出するに至った。研究機関としては研究実験局があって、理論実験のみならず試作研究をも実施している。飛行機製作会社は十五個あり、中カプローニ、サボイア、フィアット、ブレダ等は大規模であって、社名機は伊国を代表している優秀機に属するものである。

米国

陸、海、商務各省に航空局があって各々技術関係事項を統轄し、飛行機は民間会社に注文する制度である。米国の航空工業は民間航空工業の飛躍的進展により急速なる発達を遂げ、世界に覇を唱えている状態である。飛行機会社は大小を合して八三個あり、中マーチン、ボーイング、ベランカ、フェヤチャイルド、ダグラス、カーチス等は代表的なものである。年製機数は民用機のみにても次の如くである

▲大正八年(一九一九年)六六二機
▲昭和四年(一九二九年)六一九三機
▲昭和五年(一九三〇年)三四三七機(世界不況のため減少)
▲昭和八年(一九三三年)一三二四機


写真(上)1935年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第25爆撃戦隊マーチン(Martin)B-10双発輸送機
:初飛行は、1932年2月16日。全幅 70 ft 6 in (21.49 m)、全長 44 ft 9 in (13.64 m)、翼面積 70 ft 6 in (21.49 m) m2、自重 9,681 lb (4,391 kg)、離昇重量 14,700 lb (6,668 kg)、 発動機ライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒775 hp (578 kW)2基、最高速力 213 mph (343 km/h, 185 kn)、航続距離 1,240 mi (2,000 km, 1,080 nmi)、乗員3名。 0.30 in (7.62 mm) ブローニング機関銃3丁、爆弾 2,260 lb (1,025 kg)。1940年までに348機量産。
English: 25th Bombardment Squadron B-10s Date 1935 Source USAF Author US Air Force Museum
写真はWikimedia Commons Category:Martin B-10 File:25th Bombardment Squadron B-10s.jpg引用。


写真(右)1936-1940年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第88偵察戦隊ダグラス(Douglas)B-18 ボロ(Bolo)双発爆撃機:初飛行は、1936年4月。全幅 89 ft 6 in (27.28 m)、全長 57 ft 10 in (17.63 m)、翼面積 89.1 m2、自重 16,320 lb (7,403 kg)、総重量 24,000 lb (10,886 kg)、 発動機 ライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒1,000 hp (750 kW)2基、最高速力 216 mph (348 km/h, 188 kn)、航続距離 900 mi (1,400 km, 780 nmi)、乗員6名。 0.30 in (7.62 mm) ブローニング機関銃3丁、爆弾 2,000 lb (910 kg) 。1939年までに351機量産。
English: Douglas B-18 of the 88th Reconnaissance Squadron Source US Goverment
写真はWikimedia Commons Category:Douglas B-18 Bolo File:Douglas B-18 061128-F-1234S-010.jpg引用。


飛行機の輸出は大戦間欧洲列強に対し実施したのを始めとし、大正五年(一九一六年)には二六九機昭和八年(一九三三年)四〇六機の多きに達した。航空技術は航空事業が殷盛となるに従い著しく進歩し、昭和九年(一九三四年)にはソ聯邦航空視察団が渡米して米国軍用機多数を購入し、昭和十年(一九三五年)には仏国よりも技術者渡米し軍用機を購入する等今や米国の製作技術は列強をリードしあるの観があって、特に豊富なる資力を以てする多量製産は勢い実験的研究の歩を進め、逐年性能優秀なる飛行機を製作しある状況である。

写真(右)1937年10月以降、アメリカ、1937年10月15日に初飛行したメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26戦闘機: 全幅 149 ft 0 in (45.43 m)、全長87 ft 7 in (26.70 m)、翼面積 258.4 m2、自重 37,709 lb (17,141 kg)、離昇重量 70,706 lb (32,139 kg)、発動機 Pratt & Whitney R-1830空冷星形14気筒エンジン850 hp(634 kW)4基、最高速力 197 mph (317 km/h, 171 kn)、航続距離 5,130 mi (8,260 km, 4,460 nmi)、乗員10名。 0.30 in (7.62 mm) M1919ブローニング機関銃3丁、0.50 in (12.7 mm) M2 ブローニング3機関銃2丁、爆弾 12,000 lb (5,400 kg)。試作機1機のみ。XB-15の厚い主翼の中には通路があり、エンジン点検が可能だった。また、自動操縦装置を搭載し長距離飛行を容易にした。
Boeing XB-15 with Boeing P-26 From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives 引用。



写真(上)1937年10月以降、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26ピーシューター(Peashooter)戦闘機
: XB-15 (Boeing 294)は、1934年から開発が始まり1937年10月15日に初飛行。ボーイングP-26の初飛行は1932年3月20日、プラット・アンド・ホイットニー P&W R1340空冷星形9気筒エンジン542 hp (404 kW)、最高速力377 km/h、7.62 mm ブローニング M1918機関銃2丁、生産数162機。
Boeing XB-15 with P-26 PictionID:40972044 - Title:Boeing XB-15 with P-26 - Filename:15_002709.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."----PLEASE TAG this image with any information you know about it, so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives Catalog:15_002709 -引用。


之を要するに列強の航空技術は各々特徴を有し直に優劣を論することは困難であるが、これが進歩向上を図るため、官民一致努力を傾注しあることは、列強その軌を一にしている。併し乍らこれが方法としては

1、理論、実験共に大規模の中央研究機関を設け、技術の研究進歩を図ると共に、優秀なる技術者を養成するに努めあること。
2、軍民需要数並に外国輸出の増加を図り、多量製産、機種更新に因り、又は多額の研究試作費を投じ、以て製造会社の自発的研究を促進すること。
3、研究機関と審査機関とを分離し一流の権威技術の向上を図ること。

等であって、何れも国情により適切なる方策を採用している。

航空工業においては、製作会社の数が必ずしもその実勢力を現しているものではない。仏国の例に観るも必要以上に増加したものはこれを合同統制するのでなければ、これが培養強化を困難ならしむるものであって、小会社を多数簇生せしむることは、財政豊でない国家にあって、却て有害無益であって、寧ろ必要最小限度の大規模の会社に限定し、これを強化する方が有利であるとされている。又航空工業の製産能力を国家総動員の見地から戦時の要求に合致せしむるため、民用航空の進展により飛行機の需要を促進し、戦時能力を保持せしめることが極めて重要であって、列強が大戦後採用した航空政策の基調は此処に存しているのである。

満州日日新聞 1937.3.26(昭和12)「目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦」引用おわり。


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ダグラス(Douglas)DC-3輸送機 イタリア空軍マッキ MC205
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
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カント(CANT)Z.501飛行艇
カント(CANT)Z.506水上機
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フィアット(Fiat)G.18V輸送機
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カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.82輸送機
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イタリア独裁者ムッソリーニ
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