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◆ユンカース(Junkers)F.13輸送機/A 50スポーツ機"Junior"
写真(上)1923年,ユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機(登録コード:D-255)
:BMW132空冷星形9気筒エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。航空分輸送のほか、緊急物資の輸送・用務連絡などに使用されたものと思われる。
Aeronautin ensimmäinen Junkers.F13 D255 Tallinnassa 1923 Junkers.F13 D255 liikennöi Tallinnan - Helsingin välillä, lennot alkoivat 27. kesäkuuta 1923. Koneen moottorin suojapelti auki ja tankkaus kesken. Content Type ?Photo Organisation Finnish Aviation Museum Collection Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Measurements Vedos Photo info: 1923
写真は,Finna.fi・Inventory ID M016-17817引用。



写真(上)1942年5月21日,フィンランド中西部、カレリア地方、ティークシャルベン湖付近、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機(登録コード:JU-120)
:BMW132空冷星形9気筒エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。航空分輸送のほか、緊急物資の輸送・用務連絡などに使用されたものと思われる。
From the front line to the home front 1939-1945 Lentokone on Junkers F 13. Paikka: Joensuu  Joensuun-Tiiksjärven Junkers kuriirikone Joensuussa.
Lentokone on Junkers F 13 (tunnus JU-120). Kuorman purkamisen Author Sot.virk. Pärttyli Virkki
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 92838引用。

◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。


1.民間用のユンカース(Junkers)F.13輸送機

写真(右)1923年3月7日,ライプチッヒのユンカースJunkers F.13 旅客輸送機:乗員:2名、乗客数:4名。
全長:9.59 m、全幅:14.8 m、全高:3.50 m、翼面積:34.50平方メートル。
空虚重量:951 kg、ペイロード:320 kg、最大離陸重量:1,640 kg。出力荷重:14.05 kg/kW
エンジン:メルセデス D.IIIa、118 kW (160馬力)
最高速度:173 km/h (107 mph)、巡航速度:160 km/h (100 mph)。航続距離:1,400 km (870 miles)、巡航高度:5,000 m。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-00007 Original title: info Flugzeugreise des Reichspräsidenten zur Leipziger Messe am 7. März 1923. Start des Flugzeuges mit dem Reichspräsidenten auf dem Tempelhofer Feld. Archive title: Berlin-Tempelhof.- Flugzeug Junkers F-13 von Reichspräsident Friedrich Ebert Dating: 7. März 1923 Photographer: Pahl, Georg 撮影。 Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


写真(右)1920年(?)、ユンカース(Junkers)F.13 単発輸送機(方向舵:2):ユンカース(Junkers)F.13 輸送機は、北ヨーロッパでは、 エストニアアエロノート(Aeronaut)、 フィンランド航空(アエロ・オイ)、スウェーデン、アイスランド航空、リトアニア、ソ連アビアティカ(Aviaarktika)が採用している。
AL61A-210 Junkers, F-13 (JL-6) Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は,SDASM Archives: San Diego Air and Space Museum Archive. "PictionID: 40964623"引用。


第一次世界大戦中の1915年、ドイツ帝国のヒューゴ・ユンカースは、主翼の新構造を打ち出した。それは、主翼を支柱や張金を張って主翼を支えるのではなく、それらを取り去り、空気抵抗を減少させた片持式主翼である。また、胴体の堅牢性を高めるために、内部骨格を減少させ重量軽減図る波型の金属外板を開発した。この片持式の低翼・単葉、波板の構造を活用し、戦後ユンカースが開発したのが、ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機だった。

写真(右)1921年,ドイツ、デッサウのユンカース航空機製造所で生産中のユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機。格納庫の中に主翼を胴体左右にこれから取り付けるのか、奥には主翼が立てかけてある。右の機体の胴体と後方の主翼にある登録コードが D-272であれば、これは製造番号C/N:660「ジルバーメーヴェ」”Silbermowe”(セグロカモメ)で1921年7月23日完成、ドイツ・ルフトハンザ航空Deutsche Lufthansa)で使用された。しかし、1926年7月26日に墜落し、5名が死亡した。
Dresden, Wasserflugzeugbau Kaditz
Datensatz 80546690 Serie: Sarrasanis Sioux-Indianer - Junkers-Verkehrsflugzeug
Location: Dresden
Datensatz 70058761
写真は,SLUB / Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0305207引用。


写真(右)1919年10月10日,ドイツ、ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機のキャビン(客室):座席には、肩当付きのシートベルが装着されている。機体後方は、貨物室となっている。
Photographer: Junkers
Title: Flugzeug Junkers F-13
Caption: Passagierflugzeug, Passagierraum, 2 Einselsitze, Sitzbank im Fond, Deutschland
Dating: 10.10.1919
Special Size: 12 x 17 cm
Impressum: Physical Description:
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Categories: 1919, View Collection, Junkers, Junkers F 13, Product photography, Propeller-driven aircraft, Germany, Cabin
Record Name: Ans_05035-443.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05035-443引用。


ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機キャビン(客室)の内装は、高級感のある座席で、肩当付きのシートベルが装着されている。客室の大きなガラス窓は、視界が良く、遮光用のカーテンもついている。天井には、照明塔が備わっている。天井左右上方には、荷物棚はないが、機体後方に貨物室がある。

写真(右)1921年頃、ユンカース(Junkers)F.13 輸送機:波板状ジェラルミンを使い外板を強化したために、胴体は鋼管フレームで直方体に仕上げることができた。そのため、搭載容積を増やし、客室底面を水平にするのが容易になった。
Junkers F 13 Collection: Jim Hester Collection Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: JH1054
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: JH1054"引用。


ユンカース(Junkers)F.13輸送機の発動機
F.13a:BMW IIIa (185 hp)直列6気筒液冷エンジン ;原型は1917年開発、第一次大戦末期のドイツ軍のフォッカー D.VII複葉戦闘に装備され、優れた高高度飛行性能、格闘性能を発揮した。
F.13ba, ca, da, fa:ユンカース(Junkers)L2 (200 hp)液冷エンジン
F.13be, ce, de, fe:ユンカース(Junkers)L5 (310 hp)直列6気筒液冷エンジン;原型は1927年開発、シリンダーボア 160 mm、ストローク 190 mm、エンジン排気量 22,92L、全長 1750 mm、全幅 650 mm、全高 1265 mm、重量 334 kg
F.13dle, fle, ge, he:ユンカース(Junkers)L5 (310 hp)液冷エンジン
F.13bi, ci, di, fi: BMW IV (250 hp) 液冷エンジン
F.13co, fo:BMW Va (310 hp)液冷エンジン


写真(右)1929年5月,ユンカース(Junkers)G31輸送機(右)とF.13輸送機(左)の生産ライン
:右手前には、主翼が前縁を下にして二枚あわせて設置されている。主翼は、胴体の左右に別々の取り付ける構造である。F13輸送機のエンジンマウントは、機体構造と一体化されている。1926年初飛行、乗客15人名で13機生産された。1930年初飛行のju-52輸送機(乗客18名)の4年前に完成している。
Title: Montagehalle der Firma Junkers, mit Flugzeugen und Flugzeugteilen (Typ F 13 und Typs G 31)
Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs
Dating: 5/1929 Reproduction photography : glass-plate negative Format: 9 x 12 cm
Categories: Photographisches Institut der ETH Zürich, ETH, Photographical Institut, 1929, Junkers G 23[風防の形状からG31の誤り], Junkers F 13, Aircrafts, Aircraft construction, Product photography, Propeller-driven aircraft, Buildings of the machinery-, metalworking-, electical- and automotive industries Record Name: PI_29-B-0168.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・PI_29-B-0168引用。


ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の1919年から1929年までの生産機数は、ドイツ93機、ソ連49機、アメリカ26機、コロンビア17機、ポーランド16機、イタリア12機、日本・ボリビア各8機、フランス・フィンランド・オーストリア各7機、イギリス・ハンガリー・ペルシャ各6機、スウェーデン・スイス各5機、中国・トルコ各4機、ベルギー・スペイン・ラトビア・アルゼンチン各3機、ルーマニア・ブルガリア・オーストラリア・チリ各1機などと世界で300機以上生産・組み立てられている。

ユンカースF.13旅客輸送機の年間生産機数は、1919年2機、1920年26機、1921年26機、1922年21機、1923年47機、1924年39機、1925年68機、1926年13機、1927年25機、1928年29機、1929年18機と、11年間に合計314機が量産された。

図(上)1921年頃、ドイツ、ユンカース(Junkers)F.13 輸送機の図解:陸上機の車輪装備型だが、このほかに水上機の浮舟(フロート)2本を装備した方もあった。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081777Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_01_00081777"引用。


図(右)1919年,ユンカース(Junkers)F13L輸送機の三面図と内部スケッチ:全長9.590m、全幅17.750m、全高3.130m、水平時4.080m。垂直尾翼は、鋭角の魚のひれ状になっているが、他のタイプもある。
Title: Abbildungen und Typenzeichnungen von Junkers, F-13 (JL-6) (184) Dating: ca. 1919 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Categories: View Collection, Junkers F 13, Plans + Sketches, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft Record Name:Ans_05338-01-165-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-01-165-AL-FL 引用。



写真(右)1919年,完成直後のユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機(登録コード:D-291)胴体左側にある乗員・乗客搭乗口とキャビンの前方
:扉の外側に、把手があって、不慣れな乗客が主翼を上りやすいように配慮している。操縦席は、密閉式で、キャビンからコックピットに入る。液冷エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。
Title: Abbildungen und Typenzeichnungen von Junkers F 13 (184) Dating: ca. 1919 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Categories: View Collection, Junkers F 13, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft Record Name: Ans_05338-01-173-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-01-173-AL-FL 引用。


写真(上)1921年頃、ドイツ、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)F.13 水上輸送機(登録コード:D-207):陸上機の車輪に代わって、水上機として浮舟(フロート)二つを胴体中央に装着した。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081730
Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081730"引用。


写真(右)1921年頃、ドイツ・ルフトハンザ航空と思われるユンカース(Junkers)F.13 輸送機の給油作業:ドラム缶ではなく、専用の直方体型燃料槽を台車に乗せている。周囲には、手提げ型の金属製燃料タンクが3個置いてある。専用台車に乗せていて、そこからホース(給油管)を伸ばして燃料タンクに給油しているが、6人もの整備員が作業しているのは、人力ポンプと金属製燃料タンクを併用して給油しているからであろうか。そのご、大量の燃料供給を短時間で終わらせるために、電動ポンプを備えた給油車も登場するようになる。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_01_00081737
Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_01_00081737"引用。


1919年 6月25日に初飛行したユンカース(Junkers)F.13輸送機は、各種のエンジンを変換装備できた。当初は、メルセデス D.IIIa 液冷直列エンジン170馬力1基を装備していたが、その後の量産機は、BMW IIIa液冷直列エンジン185馬力1基を装備している。

しかし、ユンカース(Junkers)F.13輸送機は、各国の実情や発注者の要望に合わせて、液冷直列エンジンとしては、BMW、ユンカースを中心に、メルセデスも装備した機体もある。

少数だが、空冷星型エンジンとして、イギリスのアームストロング・シドレー ピューマ、フランスのノーム・エ・ローヌGnome et Rhône)ジュピター、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー Pratt & Whitney ) ホーネットを装備した機体もある。

写真(右)1921年頃、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機(登録コード:D-1):世界初の全金属製飛行機で、輸送機として世界中で使用されたベストセラーたなった。波板状ジェラルミンを使い外板を強化したために、胴体は鋼管フレームで直方体に仕上げることができた。そのため、搭載容積を増やし、客室底面を水平にするのが容易になった。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081763 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_01_00081763"引用。


写真(右)1921年頃、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の左主翼に設けられたステップを使って乗り込む婦人客:世界初の全金属製飛行機で、輸送機として世界中で使用されたベストセラーたなった。波板状ジェラルミンを使い外板を強化したために、胴体は鋼管フレームで直方体に仕上げることができた。そのため、搭載容積を増やし、客室底面を水平にするのが容易になった。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 00081761 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081761"引用。


写真(右)1921年頃、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の左主翼に設けられたステップを使って機体に入ろうとする婦人客と話す男性客:世界初の全金属製飛行機で、輸送機として世界中で使用されたベストセラーたなった。波板状ジェラルミンを使い外板を強化したために、胴体は鋼管フレームで直方体に仕上げることができた。そのため、搭載容積を増やし、客室底面を水平にするのが容易になった。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 00081762 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081762"引用。


写真(右)1921年頃、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機:世界初の全金属製飛行機で、輸送機として世界中で使用されたベストセラーたなった。波板状ジェラルミンを使い外板を強化したために、胴体は鋼管フレームで直方体に仕上げることができた。そのため、搭載容積を増やし、客室底面を水平にするのが容易になった。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081766 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081766"引用。


ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の装備した発動機の一つが、ユンカース L5直列6気筒液冷エンジンで、1925年からライセンス生産を始めたBMW ?をベーズに開発したユンカース L2の発展型である。ユモ L5G直列6気筒液冷エンジンのシリンダー・ボアは160 mm、ストローク(行程)190 mm、エンジン排気量1398立方インチ、全長1,780 mm、全幅 650 mm、全高1,215 mm、重量 342 kg、出力260 kW (350 hp)、圧縮比: 5.50:1である。この発動機を搭載した飛行機は、ユンカースF13以外にもハインケルHe 50、ユンカース A.35、ユンカース G.23、ユンカース G.24、ユンカース G.31、ユンカース W.33などがある。

写真(右)1921年頃、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機のコックピット:操縦桿は左側にしかなく、右側に移すこともできないので、複式操縦装置ではない。ドイツの複式操縦の機体は、左側が正操縦士、右が副操縦士。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081766 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081766"引用。


写真(右)1921年頃、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機(D-251):世界初の全金属製飛行機で、輸送機として世界中で使用されたベストセラーたなった。波板状ジェラルミンを使い外板を強化したために、胴体は鋼管フレームで直方体に仕上げることができた。そのため、搭載容積を増やし、客室底面を水平にするのが容易になった。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081769 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081769"引用。


写真(右)1921年頃、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機(D-251):ドラム缶2個を専用台車に乗せていて、そこからホース(給油管)を伸ばして燃料タンクに給油している。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081772 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081772"引用。


写真(右)1921年頃、ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の胴体中央部のモノコック構造と主翼の付け根部分の骨組み:機体の構造・金属骨格がよくわかる。飛行機は、堅牢なだけでなく軽量化も必要で、フレーム・骨格には、重量軽減のためのの穴(ホール)が開けられている。右側が機首部分で、重量のあるエンジンを搭載するエンジン懸架の骨組みが強度を持たせてある。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081726 Title: Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081726"引用。


写真(右)1921年頃、ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の胴体中央部のモノコック構造とジュラルミン製波板状外板:アメリカがユンカース・ラーセンJL-6として輸入した機体の構造を調べるために分解したときの写真かもしれない。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081773 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081773"引用。



写真(上)1921年頃、雲海を飛翔するドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機

Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 00081778 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081778"引用。


写真(上)1925年、ハンガリー、ブダペスト、ドナウ川に浮かぶハンガリー航空所属のユンカース(Junkers)F.13 水上輸送機(登録コード:D-207):1923年3月4日に完成、登録コード D-228 「シュタウシュ」"Strauß" 製造番号(Werknummer)640として,6月にハンガリー航空に「エドワルド」"Edward"として就役。 その後、1926年にポーランド航空(Polskie Linie Lotnicze:LOT)で運航、1935年末、退役。
Title: Junkers F 13 auf der Donau bei Budapest Caption: Brücke im Hintergrund: Ferencz József híd, Franz-Joseph-Brücke Dating: 1923-1925 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern Categories: Reportage photography, Hydroplanes, View Collection, Unknown, Junkers F 13, Danube River, Propeller-driven aircraft, Dating, photographer
写真は,ETH Library: "Ans_05338-01-234-AL-FL "引用。



写真(上)1925年,ドイツ、高度1000メートル、飛行するユンカース(Junkers)F.13 (登録コード:R-RECI)
:液冷エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。
Photographer: Mittelholzer, Walter Title: Junkers F.13 (R-RECI) über Teheran aus 1000 m Höhe
Dating: 1925 Is Part Of: Persienflug, 1924-1925. Reportage mit 249 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on paper Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: 12 x 17 cm
Categories: Persia flight 1924-1925, Tehran , Mittelholzer, Walter, low altitude (oblique), 1921-1930, Junkers F 13, Propeller-driven aircraft
Record Name: LBS_MH02-02-0089-AL-FL
写真は,ETH Library・LBS_MH02-02-0089-AL-FL引用。


写真(右)1935年(?),ドイツ、飛行するユンカース(Junkers)F13 bi 旅客輸送機(登録コード:D-558、製造番号:C/N 752)「マウアジーラー」 ”Mauersegler” (ヨーロッパアマツバメ) ドイツルフトハンザ航空(DLH)に1925年4月22日に就役、その後事故により破損。Aufn.-Nr.: df_bika100_0000709_ motivと同じ時期の撮影なら、1935年に撮影されたもの。
Junkers-verkehrsflugzeug im Flug
Datensatz 7004699
Keywords / Classification: Katalog: Technikgeschichte - Verkehr - Luft- und Raumfahrt - Motorflugzeuge - Hersteller - Junkers
Datensatz 70058761
写真は,SLUB / Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0018228引用。


写真(右)1925年8月10日、ドイツ東部、ザクセン州ドレスデン中心部ヨハンシュタットに面したエルベ川に待機するユンカース(Junkers)F13W水上旅客輸送機:チェコスロバキア国境のドレスデンは、古色蒼然とした古い町並みが魅力の古都だったが、1945年の第二次大戦末期、イギリス空軍の大空襲で灰燼に帰した。
Startvorbereitungen am Verkehrsflugzeug Junkers F 13 W vor Eröffnung der Elbe-Flugstrecke Dresden-Magdeburg-Hamburg, 1925.08.10
Location: Dresden, Johannstadt (Dresden)
Datierung: 1925-1926
写真は,SLUB / Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0305248引用。


写真(右)1925年、ドイツ東部、ザクセン州ドレスデン中心部ヨハンシュタットに面したエルベ川に待機するユンカース(Junkers)F13W水上旅客輸送機:チェコスロバキア国境のドレスデンは、古色蒼然とした古い町並みが魅力の古都だったが、1945年の第二次大戦末期、イギリス空軍の大空襲で灰燼に帰した。
Hahn, Walter: Dresden-Johannstadt, Wasserflugplatz, Junkers-Verkehrsflugzeug F 13 auf Schwimmern am Landesteg der Linie Dresden - Hamburg, 1925
Foto: Hahn, Walter, 1925 Location: Dresden, Johannstadt (Dresden)
Datierung: 1925-1926
写真は,SLUB / Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0305247引用。


1921年、ユンカース社は自ら開発したユンカース(Junkers)F.13 輸送機を就航させるユンカース航空を設立したが、1926年にドイツ・アエロ・ロイド社と合併して、ドイツ・ルフトハンザ航空となった。

写真(右)1922年、オランダ、ロッテルダム、「国際航空競争:ロッテルダム」 (ICAR) のデモ飛行にウィルヘルム・ツィンマーマン(Wilhelm Zimmermann)の操縦で飛来したユンカースF.13 輸送機 "Meise"(登録コード:D-192):1922年7月23日、ユンカース社のテストパイロット、ウィルヘルム・ツィンマーマン(Wilhelm Zimmermann)の操縦で、F13「Meise」D-192は、イタリアのナポリでデモ飛行を行った。メルセデス160馬力エンジン搭載。
Franz Schell Album Image PictionID: 56241248 - Catalog: AL253_000102.tif - Title: Junkers D-192 - Filename: AL253_000102.tif - Image from Album 253 which belonged to Franz Schell ---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 40964623"引用。


ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の1919年から1929年までの生産機数は、ドイツ93機、ソ連49機、アメリカ26機、コロンビア17機、ポーランド16機、イタリア12機、日本・ボリビア各8機、フランス・フィンランド・オーストリア各7機、イギリス・ハンガリー・ペルシャ各6機、スウェーデン・スイス各5機、中国・トルコ各4機、ベルギー・スペイン・ラトビア・アルゼンチン各3機、ルーマニア・ブルガリア・オーストラリア・チリ各1機などと世界で300機以上生産・組み立てられている。

写真(右)1922年、1922年、オランダ、ロッテルダム、「国際航空競争:ロッテルダム」 (ICAR) のデモ飛行にウィルヘルム・ツィンマーマン(Wilhelm Zimmermann)の操縦で飛来したユンカースF.13 輸送機 "Meise"(登録コード:D-192):左側に軍服の兵士(?)、右に民間人が集まっている中、扉を抑えてもらって、紳士が機内に乗り込んでいる。
Luchtvaartgeschiedenis. Het "Internationaal Concours Aviatique Rotterdam" of de I.C.A.R., Nederland 1922. Foto: De aankomst van de Duitse deelnemer Zimmermann in zijn metalen Junker-vliegtuig. Makerfotograaf: Fotograaf onbekend Vervaardigingsjaar 1922 Collectie Fotocollectie Het Leven (1906-
写真は,Geheugen van Nederland(San Diego Air and Space Museum): " Geheugen van Nederland:799400 beelden uit 132 collecties van 92 instellingen "引用。


ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の年間生産機数は、1919年2機、1920年26機、1921年26機、1922年21機、1923年47機、1924年39機、1925年68機、1926年13機、1927年25機、1928年29機、1929年18機と、11年間に合計314機が量産された。


写真(右)1928年2月24日,アルジェリア北部、ビスクラ、ユンカース(Junkers) F.13輸送機(登録コード:CH-94)
:液冷エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。
Photographer: Mittelholzer, Walter Title: Junkers F 13, CH-94 nach Landung in Biskra Caption: Publiziert in: Mittelholzer, W.: Mittelmeerflug, 1930, Bildlegende: Nach der Landung in Biskra Dating: ca. 24.2.1928 Is Part Of: Mittelmeerflug,17.2.1928-6.3.1928. Reportage mit 81 Bildern (alle digitalisiert) Photography : negative Special Size: 6 x 10,5 cm Categories: Junkers F 13, CH-94, Deserts + Oases, Reportage photography, Mediterranean flight 1928, Mittelholzer, Walter, 1921-1930, Beskra, Spectators, Propeller-driven aircraft Record Name: LBS_MH02-04-0173
写真は,ETH Library・LBS_MH02-04-0173引用。



写真(右)1928年2月24日,アルジェリア北部、ビスクラ、ユンカース(Junkers) F.13輸送機(登録コード:CH-94)
:液冷エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。
Title Junkers F 13, CH-94 nach Landung in Biskra Description Publiziert in: Mittelholzer, W.: Mittelmeerflug, 1930, Bildlegende: Nach der Landung in Biskra Depicted place Biskra Date ca. 24.2.1928 Medium Fotografie : Negativ Dimensions Spezialmass Photographer Walter Mittelholzer (1894ー1937) Blue pencil.svg Walter Mittelholzer wikidata:Q562310 Institution Library of the ETH Zurich Blue pencil.svg Accession number ETH-Bibliothek_LBS_MH02-04-0209 Notes Mittelmeerflug,17.2.1928-6.3.1928. Reportage mit 81 Bildern (alle digitalisiert). Source E-Pics Bildarchiv
写真は,ETH Library・LBS_MH02-04-0209 引用。


写真(右)1930年頃、南米、エクアドル、荷物を積み込んでいるユンカース(Junkers)F13w水上輸送機(登録コード:PP−CAO)
Ett fly pæ havet ved strandkanten. Junkers Ju F13w, PP-CAO. Noen personer med sekker ved flyet
Fly: Vingespenn: 17.75 m. Lengde: 10,50 m. Høyde: 3,50 m.
Giver/siste eier: Gyldendal Norsk Forlag sikker Avbildet sted: Ecuador Identifier: NL.03080059 Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published: November 21, 2014 Date updated: December 18, 2014 DIMU-CODE: 021015548237
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・"Identifier: NL.03080059 "引用。


写真(右)1929-1932年、南アメリカ、 シンジゲート・コンドル( Sindicato Condor)の ユンカースF.13 輸送機/登録コード:P-BAJA: このF.13 輸送機(P-BAJA)は、1929年に就航し、1932年まで就役し、廃棄された。
Henry Cord Meyer Collection F13 P-BAJA pictionid 61652266 - titlemeyer 0417.tif - catalogmeyer0417 - filenamemeye r0417.tif---Image from the Henry Cord Meyer Collection
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 61652266"引用。


写真(右)1930年代初頭、コロンビア、コロンビア・ドイツ航空(SCADTA:Sociedad Colombo Alemana de Transporte Aereo)のユンカースF.13 輸送機(▼29):コロンビア・ドイツ航空(SCADTA:Sociedad Colombo Alemana de Transporte Aereo)は、コロンビアに1919年に設立されたドイツとの合弁企業で、新大陸では2番目に古い航空会社である。当時、航空輸送は始まったばかりで、陸上に大きな滑走路を備えた飛行場を作るほど、航空便は多くなかった。そこで、静かな海面、湖沼、大河を利用した水上機輸送が普及した。コロンビア・ドイツ航空は、マグダレナ川を滑走路として用いて、ユンカースF.13水上輸送機を就航させたのである。現在あるコロンビアのアビアンカ航空の下となった航空会社である。
avianca scadta junkers f-13 barranquilla - ernesto cortissoz international colombia early 1930s pictionid 6057090 - title avianca scadta junkers f-13 barranquilla - ernesto cortissoz international colombia early 1930s - catalog25 - filename avianca scadta junkers f-13 barranquilla - ernesto cortissoz international colombia early 1930s
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 40962974"引用。


写真(右)1921年頃、ソビエト連邦、ソ連が組み立てたドイツのユンカースF-13輸送機(アメリカではJL-6と呼称):CCCPとはソビエト共産党の略称。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081731 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081731引用。


ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の生産機数は、ドイツ93機、ソ連49機、アメリカ26機、コロンビア17機、ポーランド16機、イタリア12機、日本・ボリビア各8機、フランス・フィンランド・オーストリア各7機、イギリス・ハンガリー・ペルシャ各6機、スウェーデン・スイス各5機、中国・トルコ各4機、ベルギー・スペイン・ラトビア・アルゼンチン各3機、ルーマニア・ブルガリア・オーストラリア・チリ各1機などと世界で300機以上生産・組み立てられている。


2.ユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6輸送機(アメリカ製造のユンカースF.13)

写真(右)1920年、ドイツのユンカース(Junkers)F.12単発輸送機;初期型のようで、エンジンから集合式排気管が伸びているが、夜間飛行の時に排気炎で搭乗員が幻惑されないためなのであろうか。コックピットの並列座席から二つの正面窓を開けて(外して?)二人が顔を出して記念撮影をした。機体が濃い色に塗装されているのも珍しい。20世紀初めの飛行場滑走路は、飛行機の機体が軽く、発着頻度も僅かなために、コンクリート舗装の滑走路は少なかった。アメリカ議会図書館(Library of Congress )所蔵の写真なので、機体はアメリカ製のF13輸送機、すなわちユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6の可能性が高い。
Description English: Title: Airplane Abstract/medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller Date 1920 Source Library of Congress Collection Harris & Ewing Collection
写真は Wikimedia Commons, Nasjonalbiblioteket Category:Junkers F 13 File:Airplane LCCN2016890803.tif引用。


写真(右)1920年、アメリカ、郵便輸送に使用されたユンカース・ラーセン( Junkers-Larsen)JL-6(アメリカ版ユンカースF.13 輸送機):ユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6は、ユンカース・ラーセン社製造のユンカースF.13輸送機で、全部で8機生産された。
AL-123 PictionID: 40964623 - Catalog:Array - Title:Array - Filename: AL123-A_094.tif - ---Image from Album 123 which belonged to W.F. Schmitt which shows civilian and military aviation circa 1920
写真はSDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 40964623"引用。


1919年、第一次世界大戦敗戦後のドイツが結んだヴェルサイユ条約の締結の年、ユンカースのオットー・ロイター技師は、片持式の低翼・単葉、波板の構造を活用し、J-13を開発、それがF.13と名付けられ生産された。ユンカース(Junkers)F.13輸送機は、全金属製旅客機としては世界で最初であり、先進的な設計・構造を誇っていたため、ユンカースにとって、ドイツ国内だけでなく、世界各国に輸出できるベストセラーになった。

写真(右)1920年、アメリカ、郵便輸送に使用されたユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(アメリカ版ユンカースF.13 輸送機):主翼の上に乗って、F13の機内に郵便袋を搭載しようとしている。
AL-123 PictionID: 40962313 - Catalog:Array - Title:Array - Filename: AL123-A_098.tif- ---Image from Album 123 which belonged to W.F. Schmitt which shows civilian and military aviation circa 1920
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 40964623"引用。


 ユンカース社は,第一次大戦中の1917年に,当時有名飛行機メーカーだったフォッカー社と提携して,本格的な航空機生産に乗り出し,1919年6月初飛行のユンカース(Junkers)F-13で独自設計の航空機の量産を開始した。このユンカース(Junkers)F.13は,世界初の全金属製民間機で,斬新な単発(エンジン1基)の低翼単葉機で、乗客4人の輸送機として使用された。

写真(右)1920年4月、アメリカ、クリーブ(Cleave)メールの郵便輸送に使用されたユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(アメリカ版ユンカースF.13 輸送機)の低空飛行:クリーブ空港(Cleve Field)を離陸したJL-6の後ろ姿だが、このような写真は珍しい。ユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6は、ユンカース・ラーセン社製造のユンカースF.13輸送機で、全部で8機生産された。
AL-123 PictionID: 40963805 - Catalog:Array - Title:Array - Filename: AL123-A_095.tif - ---Image from Album 123 which belonged to W.F. Schmitt which shows civilian and military aviation circa 1920
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 40963805"引用。


写真(右)1920年、アメリカ、不時着したアメリカ陸軍航空隊ハロルド・ハートニー(Harold Evans Hartney)大佐のユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(アメリカ版ユンカースF.13 輸送機)::木製の2翅プロペラは、接触して折れている。アメリカ陸軍航空隊ハロルド・ハートニー(Harold Hartney:1888-1945.10)大佐は、カナダ生まれ、第一次世界大戦で7機撃墜(確実)、1機不確実撃墜のエース。1919年に殊勲十字章(Distinguished Service Cross )を受賞している。
Crack up Col Hartney 1920
AL-123 PictionID: 40962974 - Catalog:Array - Title:Array - Filename: AL123-A_093.tif - ---Image from Album 123 which belonged to W.F. Schmitt which shows civilian and military aviation circa 1920
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 40962974"引用。


写真(右)1920年、アメリカで使用されたユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(アメリカ版ユンカースF.13 輸送機)
AL-123 PictionID: 40965623 - Catalog:Array - Title:Array - Filename: AL123-A_099.tif - ---Image from Album 123 which belonged to W.F. Schmitt which shows civilian and military aviation circa 1920 ---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 40965623"引用。


ドイツのユンカース社は、1919年、ドイツ敗戦直後に全金属製旅客機ユンカースF-13を開発したが、この構造は、鋼製パイプの骨格(フレーム)に波板形状のにジュラルミン外板を張り付けたもので、大戦末期のユンカースの軍用機と同じ構造だった。波板形状の外板の強度が高いので、骨格を簡易化し、重量軽減と胴体容積の拡大が可能だった。 ユンカース(Junkers)F.13旅客機は、全長9.6メートル、全幅17.8メートルの単発だが、乗客4名を乗せ、巡行速度は140km/h、航続距離は800kmの性能を発揮した。

写真(右)1920年、アメリカで使用されたユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(アメリカ版ユンカースF.13 輸送機)::
AL-123 PictionID: 40964457 - Catalog:Array - Title:Array - Filename: AL123-A_238.tif ---Image from Album 123 which belonged to W.F. Schmitt which shows civilian and military aviation circa 1920
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 40964457"引用。


写真(右)1920年頃、アメリカで使用されたユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(アメリカ版ユンカースF.13 輸送機)
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081738 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081738"引用。


ユンカース(Junkers)F-13は、全長9.59 m、全幅4.8 m、全高3.50 m、 翼面積34.5平方メートル、全備重量1,640 kg、 170馬力のメルセデス D.IIIa 液冷エンジン1基を装備して、1919年 6月に初飛行した。F.13輸送機の飛行性能は、最高速力173 km/h、巡航速力160 km/h、航続距離1,400 kmで、搭乗員は2名、乗客は4名を乗せることのできる軽輸送機である。ユンカース(Junkers)F-13輸送機は、堅牢で簡便な構造、整備の容易さ、使い勝手の良さから、ユンカースのベルトセラーになった。

写真(右)1920年10月からアメリカ陸軍航空隊に就役したユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(アメリカ版ユンカースF.13 輸送機):アメリカはメートル法ではないので、速度・距離はマイル、高度はフィートを使っていた。
AL-123 PictionID:46169026 - Catalog:16_007379 - Title: Junkers JL6 (F-13) U.S. Army Air Service October 1920, USAF Photo - Filename: 16_007379.TIF ---Image from Album 123 which belonged to W.F. Schmitt which shows civilian and military aviation circa 1920
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID:40964457"引用。


写真(右)1921年頃、アメリカ、ユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(アメリカ版ユンカースF.13 輸送機):機首に大きくJU&と記入しているが、これはアメリカが自国生産した機体であることを強調している。
-Larsen : JL-6 Catalog #: 00067794 Manufacturer: Junkers-Larsen Designation: JL-6 Official Nickname: Notes: Don. E.M.Benedict
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 46169038 "引用。


アメリカは、ユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)を設立して、ドイツ・ユンカース社から部品を輸入しノックダウン方式で組み立て,ユンカース(Junkers)F-13輸送機を自国製造した。20世紀、外国から自動車を輸入することを国の恥として、国内生産を進めた日本も同じで、貿易により購入したほうが安上がりである。しかし、高度な技術を吸収するためには、自国生産を経験することが大きな飛躍につながる可能性もある。需要を重視するか、供給を重視するかであるが、国家は供給を重視し、消費者よりも生産者を保護・育成しようとするものだ。

写真(右)1921年4月5日、アメリカ、ワシントンDC、アメリカ海軍航空隊基地(U.S. Naval Air Station:NAS)アナコスチア(Anacostia)、ユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(アメリカ版ユンカースF.13 輸送機):アメリカは、ドイツ生まれのユンカースF.13をユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6の名称で自国生産したが、このことでアメリカの誇りを感じ、機体にも親しみを持ったと思われる。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 46169038 - Catalog: 16_007380 - Title: Junkers, F-13 (JL-6) Anacostia April 5, 1921 USN photo Lawson Collection - Filename:16_007380.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "PictionID: 46169038 "引用。


写真(右)1921年頃、アメリカ、アメリカ版ユンカースF.13 輸送機のユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(登録コード:S-AAAC):天井から吊下げて、機体下面も良く見えるように展示されている。ドイツ人設計になるドイツ起源のF13輸送機だが、アメリカはユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6の名称で自国製造したことで、アメリカ機の愛着を感じたようだ。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081736 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081736 "引用。


写真(右)1921年頃、アメリカ、アメリカ版ユンカースF.13 輸送機のユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(登録コード:S-AAAC)の胴体後方下面:胴体の主翼付近に期待客室キャビンへの出入り口があったために、主翼への昇降用に足掛けが1段取り付けられている。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081744 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081744"引用。


写真(右)1921年頃、アメリカ、アメリカ版ユンカースF.13 輸送機のユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(登録コード:S-AAAC)の胴体尾部下面:尾輪ではなく、空気抵抗の小さい小型の橇を装備している。重量が軽い当初の飛行機の尾輪は橇が多かった。格納庫の壁には、換気扇が取り付けられている。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081755 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081755引用。


写真(右)1921年4月5日、アメリカ、ワシントンDC、アメリカ海軍航空隊基地(U.S. Naval Air Station:NAS)アナコスチア(Anacostia)、アメリカ版ユンカースF.13 輸送機のユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(登録コード:S-AAAC)の胴体後方下面:アメリカはメートル法ではないので、速度・距離はマイル、高度はフィートを使っていた。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081745 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081745引用。


写真(右)1921年頃、アメリカ、アメリカ版ユンカースF.13 輸送機のユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(登録コード:S-AAAC)の右降着装置・主輪と取り付け部:ゴムの付いた主輪は、緩衝装置の付いた支柱に取り付けられているが、左右の主輪を結ぶ支柱も張られており、強度を高めている。胴体下面もユンカース独特の波板構造で、主輪と機内を結ぶ電線のような配線がついている。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081750 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081750引用。


写真(右)1921年頃、アメリカ、アメリカ版ユンカースF.13 輸送機のユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(登録コード:S-AAAC)の右降着装置・主輪と取り付け部:ユンカースF13の降着装置は、陸上用にはゴム車輪式、雪原用・氷上用にはスキー式があり、湖沼・海面など水上用には双フロート式があった。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081751 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081751引用。


1919年から1929年までに、ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機は、ドイツで93機、ソ連で49機、アメリカで26機、コロンビアで17機、ポーランドで16機、イタリアで12機、日本・ボリビアで各8機、フランス・フィンランド・オーストリアで各7機、イギリス・ハンガリー・ペルシャ(イラン)で各6機、スウェーデン・スイスで各5機、中国・トルコで各4機、ベルギー・スペイン・ラトビア・アルゼンチンで各3機、ルーマニア・ブルガリア・オーストラリア・チリで各1機が生産され、世界中合わせて300機以上が生産・組み立てられている。

写真(右)1921年頃、アメリカ、アメリカ版ユンカースF.13 輸送機のユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(登録コード:S-AAAC)の胴体中央部下面:F13の降着装置は、陸上用には主輪式、スキー式が、水上用には双フロート式があったが、アメリカでは陸上用の主輪式のみが生産されたようだ。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081756 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081756引用。


ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の年間生産機数は、1919年2機、1920年26機、1921年26機、1922年21機、1923年47機、1924年39機、1925年68機、1926年13機、1927年25機、1928年29機、1929年18機と、11年間に合計314機が量産された。

写真(右)1921年頃、アメリカ、アメリカ版ユンカースF.13 輸送機のユンカース・ラーセン(Junkers-Larsen)JL-6(登録コード:S-AAAC)の胴体前部下面:アメリカはメートル法ではないので、速度・距離はマイル、高度はフィートを使っていた。
Junkers, F-13 (JL-6) Catalog #: 01_00081759 Title: Junkers, F-13 (JL-6) Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: F-13 (JL-6)
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081759引用。


ユンカース(Junkers)F.13 輸送機は、ドイツ・ルフトハンザ航空のほかにも、ヨーロッパ、アメリカの航空会社で採用され、日本でもユンカース(Junkers)F.13輸送機2機を輸入して、双フロートの水上輸送機として大阪ー高松ー松山の航路に就役した。>


3.北欧で使用されたユンカース(Junkers)F.13輸送機

写真絵葉書(右)1930年前後,スウェーデン、白色塗装のスウェーデン空軍所属ユンカース(Junkers)F.13赤十字患者輸送機:国際法で保護されるべき機体だが、軍需輸送の禁止、非武装・航行予定事前開示の義務がある。スウェーデン空軍では、ユンカースW34輸送機も同様の目的に使用しているが、これはF13輸送機の優秀性が認められたからであろう。
Inglasat foto på Tp 1 Junkers F 13
Title: Flugzeug Junkers F-13
Caption: Passagierflugzeug, Passagierraum, 2 Einselsitze, Sitzbank im Fond, Deutschland
Dating: 10.10.1919
Special Size: 12 x 17 cm
FVM.149943 Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden First published in Europeana: 2016-05-13
Language: Swedish.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05035-443引用。


ユンカースF13の降着装置は、陸上用にはゴム車輪式、雪原用・氷上用にはスキー式があり、湖沼・海面など水上用には双フロート式があった。フィヨルドや湖沼など、波の穏やかな海面・水面が確保しやすい北欧諸国では、双フロートを付けた水上機が普及した。これらの降着装置は、相互互換性があったようで、同一機体でも時期によって降着装置が変化している場合もある。

写真(右)1923年5-6月、アラスカ、ノルウェー・アムンゼン(Roald Amundsen)隊のユンカースF.13 輸送機水上機型「エリザベス」"Elisabeth":アラスカから北極点を通過して北極圏スバーバル諸島にまで飛行する計画だった。実際には、
Flere uidentifiserte personer i arbeid med understellet til flyet "Elisabeth", 1923 Beskrivelse / Description: Roald Amundsen hadde tenkt å fly fra Alaska over Nordpolen til Svalbard med det. Under en prøveflyvning gikk imidlertid understellet i stykker og ekspedisjonen ble avsluttet. Dato / Date: mai-juni 1923 Sted / Place: USA, Alaska, Wainwright Fotograf / Photographer: ukjent / unknown Digital kopi av original / Digital copy of original: s/h negativ, plast Eier / Owner Institution: Nasjonalbiblioteket / National Library of Norway Lenke / Link: www.nb.no Bildesignatur / Image Number: bldsa_SURA0821
写真は,Nasjonalbiblioteket(National Library of Norway )・"Identifier: NL.97010132 "引用。


1911年12月に南極点発到達を達成したロアール・アムンセン(Roald Amundsen) は、1925年、ドルニエDo-Jワール(Wal)飛行艇で北極点到達を目指すも失敗、1926年5月12日、イタリア人ウンベルト・ノビレUmberto Nobile)の開発した飛行船ノルゲ(Norge:ノルウェー)で、彼とともに北極点を飛行することに成功した。ただし、1926年5月9日、アメリカ人リチャード・バードRichard Byrd)がフォッカー(Fokker) F.VII三発機「ジョセフィン・フォード」で、スピッツベルゲン島から北極点まで飛行したのが北極点世界初飛行である。

写真(右)1922 - 1940年、ノルウェー、オスロから北東15キロ、ケジェラー空港、ノルウェー航空(DNL)のユンカースF.13 輸送機(C-RBIM)
Åpen plass, lufthavn, ett fly på bakken, rumensk , C-RBIM. trepersoner ved flyet. en bygning med 12 i røstet bak.
Kjeller lufthavn en Junkers F.13 ser no. 800. Tekn data.Motor: 1X 280/310 hk Junkers L-5. Vingespenn: 17.75 m. Lengde: 10.5 m. Høyde: 3.5 m. Maks T O vekt: 2400 kg. Maks hast: 203 km/t.
Fotografering: 1922 - 1940 Produsent: Toen, Jess
Giver/siste eier: Toen, Kari Identifier: NL.97010132
Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum
Date published: December 18, 2014 Date updated: December 23, 2016
DIMU-CODE: 021015695659 UUID: FA50BB83-801A-4733-A88E-FB4C0CD4F10B
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・"Identifier: NL.97010132 "引用。



写真(右)1920年代、フィンランド、ノルウェー航空のユンカース(Junkers)F.12単発輸送機

Description Suomi: Yhtiön ensimmäinen konetyyppi: Aero Oy:n Junkers F.13 -matkustajakoneita suksivarustuksessa 1920-luvulla. Date 1920s Source Aeron ensimmäinen konetyyppi Author Finnair / Suomen Ilmailumuseo
写真は Wikimedia Commons, Category:Junkers F 13 File:Aeron ensimmäinen konetyyppi (32618985153).jpg引用。


ユンカースF-13諸元
全長 9.6メートル,全幅(スパン) 14.8メートル,翼面積 34.5平方メートル
自量 1075キロ,全備重量 1800キロ
エンジン 液冷6気筒BMW185馬力
最大時速 170キロ,巡航速度 140キロ
上昇限度 4600メートル,航続距離 1200キロ


写真(右)1921年7月、フィンランド、フィンランド航空がスウェーデン航空(Svenska Lufttrafik AB)からチャーターしたユンカース(Junkers)F.12単発輸送機
;タリン-ストックホルムルートの最初の航空輸送に使用された。スウェーデンからチャーターしたフィンランド航空輸送は、 1920年の夏と1921年の夏に、フィンランド航空のパロサリからヘルシンキタリンまでと、タリンへの二つのチャーター便を運航した。
Svenska Lufttrafik AB:n ensimmäinen Junkers F.13 Ensimmäinen ruotsalainen lentokone linjalla Tallinna-Tukholma. Suomen Ilmailu Liikenne vuokrasi koneen Svenska Lufttrafik AB:lta. Suomen Ilmailu Liikenne lensi Palosaaresta Helsinki-Tallinna -reittiä kesällä 1920 ja kesällä 1921 Luodon saarelta yleisölennätyksiä ja 2 charter-lentoa Tallinnaan. Kuva heinäkuulta 1921. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Inventaarionro SIM VK 533:9 Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1921 Viro, Tallinna, Lennusadam Junkers.F13 D255 liikennöi Tallinnan - Helsingin välillä, lennot alkoivat 27. kesäkuuta 1923. Koneen moottorin suojapelti auki ja tankkaus kesken. Content Type Photo Organisation Finnish Aviation Museum Collection Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Measurements Vedos Photo info: 1923
写真は, Finna M016-17818:SIM VK 533:9引用。


写真(右)1923年,エストニア、フィンランド湾に面するタリンの水上機格納庫前に駐機しているフィンランド航空(Finnair Oyj)所属のユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機(登録コード:D-255):スウェーデン航空からチャーターした機体と思われる。BMW132空冷星形9気筒エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。航空分輸送のほか、緊急物資の輸送・用務連絡などに使用されたものと思われる。
Aeronautin käyttämä sotilaslentosatama Tallinnassa. Kuvassa luultavasti A/S. Aeronautin Junkers F.13. Aineistotyyppi ?Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1923 Viro, Tallinna
写真は,Finna.fi・Inventaarionro SIM VK 533:20引用。



写真(右)1924年,フィンランド、ヘルシンキ、水上機基地に駐機しているフィンランド航空(Finnair Oyj)所属ユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機
:BMW132空冷星形9気筒エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。航空分輸送のほか、緊急物資の輸送・要務連絡などに使用されたものと思われる。
Rosenberg Harald, Valokuvaaja 1924 negatiivi vedos, filmi paperi, mv Aineistotyyppi ?Valokuva Aiheen paikka Helsinki, Aiheen aika 1924 Organisaatio Helsingin kaupunginmuseo Inventaarionro N35050 Mitat 9x12 18x24 Kuvaustiedot: 1924 Helsinki, Rosenberg Harald, Valokuvaaja
写真は,Finna.fi・Inventaarionro N35050 引用。


写真(右)1934年、ノルウェー、オスロから北東15キロ、ケジェラー空港、ノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)F.13W. I水上輸送機(登録コード:LN - ABH)
F.13 var Junkers gjennombrudd med lettmetall transportfly og hadde plass til fire personer i en lukket kabin. De to flyverne satt i en åpen cockpit foran. Motoren var en 385Hk Junkers L.5 og flyet ble produsert fra 1919.Den eneste F.13 i Norge var N-44 som allerede i 1919 hadde vært på Svalbard og i Tromsø som D-260 i forbindelse med den tyske Eisvogel -ekspedisjonen.Senere fløy den rutetraffikk for Deutsce Luft Hansa og deres partnere i Tyskland, Baltikum og Russland før den kom tilbake til Norge som D-260 i 1930, importert for Nordenfjeldske Flyveruter. I 1932 omregistrert LN-ABH og solgt til Gidsken Jakobsen (Nord-Norges Aero) som fløy den frem til 1934. Giver/siste eier: Nordby, Laila Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:November 21, 2014
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・ Identifier: NL.04090003 引用。


写真(右)1938年夏、フィンランド北部、ラップランド(Lapissa)、フィンランド航空ユンカース(Junkers)F.13 水上輸送機(登録コード:LK 3):トナカイの遊牧で有名なサーミ人(ラップ人)が物珍しそうに集まってきたのでユンカース(Junkers)F.13と記念撮影をしたようだ。
SIM_256_182 Merivartiolaitoksen Junkers F.13 -kone (LK 3) rantautuneena Lapissa kesällä 1938. Julkaistaessa mainittava lähde: Osmo Malisen kokoelma / Suomen Ilmailumuseo.
写真は,Finnish Aviation Museum: "PictionID: 40964623"引用。


ユンカース(Junkers)F.13 輸送機は、北ヨーロッパでは、 エストニアアエロノート(Aeronaut)、 フィンランド航空(アエロ・オイ)、スウェーデン、アイスランド航空、リトアニア、ソ連アビアティカ(Aviaarktika)が採用している。


4.戦争に投入されたユンカース(Junkers)F.13輸送機

写真(右)1940年、フィンランド,スウェーデン義勇軍F 19部隊のユンカースF.13 輸送機(登録コード:OH-SUO)が応急整備場で修理を受けている。:雪原の中で白いカバーを掛けて、エンジン整備用の仮設避難所も白い迷彩が施されている。
Reparation av flygplan Jun kers F-13 märkt OH-SUO i skyddshus vid F 19, Svenska frivilligkåren i Finland. Bjuggren.Fotografering 1940 Fotograf: Okänd fotograf Identifier: FVMF.003784 Part of collection: Flygvapenmuseums arkivsamling Owner of collection: Flygvapenmuseum Institution: Flygvapenmuseum Date published: September 26, 2018
写真は,Flygvapenmuseum ・Identifier:FVMF.003784 引用。



写真(上)1940年、フィンランド,スウェーデン義勇軍F 19部隊のユンカースF.13 輸送機(登録コード:OH-SUO)が雪原の灌木脇で待機している。
:雪原の中で白いカバーを掛けて、対空偽装迷彩が施されている。
Flygplan Junkers F-13 märkt OH-SUO står i värn vid F 19, Svenska frivilligkåren i Finland. Vy snett från sidan. Finland. Bjuggren.Fotografering 1940 Fotograf: Okänd fotograf Identifier: FVMF.003786 Part of collection: Flygvapenmuseums arkivsamling Owner of collection: Flygvapenmuseum Institution: Flygvapenmuseum Date published: September 26, 2018
写真は,Flygvapenmuseum ・Identifier:FVMF.003786 引用。


写真(右)1940年、フィンランド,スウェーデン義勇軍F 19部隊のユンカースF.13 輸送機(登録コード:OH-SUO)への燃料補給作業:F-13 の主翼のメカニックがパイプで主翼前縁内部の燃料タンクに給油している。コックピットには、飛行士のビョルン・ビュグレンが立っている。
Tankning av flygplan Junkers F-13 OH-SUO vid F 19, Svenska frivilligkåren i Finland. En mekaniker tankar vid vingen. I förarsits står flygförare Björn Bjuggren. Fotografering 1940 Fotograf: Okänd fotograf Identifier : FVMF.003781 Part of collection: Flygvapenmuseums arkivsamling Owner of collection: Flygvapenmuseum Institution: Flygvapenmuseum Date published: September 26, 2018
写真は,Flygvapenmuseum ・Identifier:FVMF.003781 引用。


写真(右)1940年、フィンランド,スウェーデン義勇軍F 19部隊のユンカースF.13 輸送機の機首エンジンのクローズアップ:メカニックが立って、F13輸送機の主翼からクランクを取り付けている。1939年末から1940年初め、フィンランドはソ連と「冬戦争」を戦ったが、その時、中立だったスウェーデンから数千名の義勇軍がフィンランド軍支援に参戦した。
Motorarbete på flygplan Junkers F-13 vid F 19, Svenska frivilligkåren i Finland. Mekaniker Sture Krook står på en stege vid motorn.Beskrivelse / Description: Roald Amundsen hadde tenkt å fly fra Alaska over Nordpolen til Svalbard med det. Under en prøveflyvning gikk imidlertid understellet i stykker og ekspedisjonen ble avsluttet. Fotografering 1940 Fotograf: Okänd fotograf Identifier :FVMF.003780 Part of collection: Flygvapenmuseums arkivsamling Owner of collection: Flygvapenmuseum Institution: Flygvapenmuseum Date published: September 26, 2018
写真は,Flygvapenmuseum ・Identifier: FVMF.003780 引用。


写真(右)1940年、フィンランド, スウェーデン義勇軍F 19部隊のユンカースF.13 輸送機(登録コード:OH-SUO):雪原の飛行場、その脇にある灌木に隠しておかれたF13のエンジンには、白色名冬季迷彩カバーが掛けられている。1939年末から1940年初め、フィンランドはソ連と「冬戦争」を戦ったが、その時、中立だったスウェーデンから数千名の義勇軍がフィンランド軍支援に参戦した。
Flygplan Junkers F-13 startas med handvev vid F 19, Svenska frivilligkåren i Finland. En mekaniker står och vevar på vingen på flygplanet. Beskrivelse / Description: Roald Amundsen hadde tenkt å fly fra Alaska over Nordpolen til Svalbard med det. Under en prøveflyvning gikk imidlertid understellet i stykker og ekspedisjonen ble avsluttet. Identifier: FVMF.003767 Part of collection: Flygvapenmuseums arkivsamling Owner of collection: Flygvapenmuseum Institution: Flygvapenmuseum Date published:November 4, 2017
写真は,Flygvapenmuseum・Identifier: FVMF.003767引用。


写真(右)1940年、フィンランド, スウェーデン義勇軍F 19部隊のユンカースF.13 輸送機(登録コード:OH-SUO)の発動機クランクを回してエンジンを始動する。:メカニックが立って、F13輸送機の主翼からクランクを取り付けている。1939年末から1940年初め、フィンランドはソ連と「冬戦争」を戦ったが、その時、中立だったスウェーデンから数千名の義勇軍がフィンランド軍支援に参戦した。
Underhåll av flygplan Junkers F-13 märkt OH-SUO vid F 19, Svenska frivilligkåren i Finland. Tre personer i arbete. Beskrivelse / Description: Roald Amundsen hadde tenkt å fly fra Alaska over Nordpolen til Svalbard med det. Under en prøveflyvning gikk imidlertid understellet i stykker og ekspedisjonen ble avsluttet. Fotografering 1940 Fotograf: Okänd fotograf Identifier: FVMF.003782 Part of collection: Flygvapenmuseums arkivsamling Owner of collection: Flygvapenmuseum Institution: Flygvapenmuseum Date published: September 26, 2018
写真は,Flygvapenmuseum (National Library of Norway)・Identifier:FVMF.003782 引用。


写真(右)1940年、フィンランド, スウェーデン義勇軍F 19部隊のユンカースF.13 輸送機(登録コード:OH-SUO)の駆動したエンジンと回転するプロペラ:兵士のグループが航空機の横に立っているのは、出撃する機体の見送りであろうか。1939年末から1940年初め、フィンランドはソ連と「冬戦争」を戦ったが、その時、中立だったスウェーデンから数千名の義勇軍がフィンランド軍支援に参戦した。
Varmkörning av motor på flygplan Junkers F-13 vid F 19, Svenska frivilligkåren i Finland. En grupp militärer står vid sidan om flygplanet. Beskrivelse / Description: Roald Amundsen hadde tenkt å fly fra Alaska over Nordpolen til Svalbard med det. Under en prøveflyvning gikk imidlertid understellet i stykker og ekspedisjonen ble avsluttet. Fotografering 1940 Fotograf: Okänd fotograf Identifier: FVMF.003785 Part of collection: Flygvapenmuseums arkivsamling Owner of collection: Flygvapenmuseum Institution: Flygvapenmuseum Date published:November 4, 2017
写真は,Flygvapenmuseum (National Library of Norway )・Identifier:FVMF.003785 引用。


写真(右)1940年、フィンランド, 灌木の待機所から雪原の飛行滑走路にタキシングするスウェーデン義勇軍F 19部隊のユンカースF.13 輸送機(登録コード:OH-SUO):降着装置は、スキー式である。そこで、車輪も不以上フロートもついていない。
Varmkörning av motor på flygplan Junkers F-13 vid F 19, Svenska frivilligkåren i Finland. En grupp militärer står vid sidan om flygplanet. Beskrivelse / Description: Roald Amundsen hadde tenkt å fly fra Alaska over Nordpolen til Svalbard med det. Under en prøveflyvning gikk imidlertid understellet i stykker og ekspedisjonen ble avsluttet. Fotografering 1940 Fotograf: Okänd fotograf Identifier: FVMF.003765 Part of collection: Flygvapenmuseums arkivsamling Owner of collection: Flygvapenmuseum Institution: Flygvapenmuseum Date published: September 26, 2018
写真は,Flygvapenmuseum (National Library of Norway )・Identifier:FVMF.003765 引用。



写真(右)1942年5月21日,フィンランド中西部、カレリア地方、ティークシャルベン湖付近、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機(登録コード:JU-120)
:BMW132空冷星形9気筒エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。航空分輸送のほか、緊急物資の輸送・用務連絡などに使用されたものと思われる。
From the front line to the home front 1939-1945 Lentokone on Junkers F 13. Paikka: Joensuu  Joensuun-Tiiksjärven Junkers kuriirikone Joensuussa.
Lentokone on Junkers F 13 (tunnus JU-120). Kuorman purkamisen Author Sot.virk. Pärttyli Virkki
写真は,The Finnish Defence Forces・sa-kuva-10070引用。



写真(右)1942年5月21日,フィンランド中西部、カレリア地方、ティークシャルベン湖付近、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) F.13輸送機(登録コード:JU-120)と記念撮影をしたフィンランド国防軍兵士
:兵士たちの服装は、飛行服でも整備服でもないので、陸軍の兵士であろうか。BMW132空冷星形9気筒エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。
Kuriirikoneen tähystäjä vänr Sot.virk. Pärttyli Virkki, valokuvaaja Sotamuseo Kuriirikoneen tähystäjä vänr. Seitz, keskellä matkustajia ja oik. koneenohjaaja, vänr. Nousiainen. Lentokone on Junkers F 13.
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 92826引用。


フィンランド軍は、国籍識別マークとして、1918年から1944年7−9月まで、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)を採用していた。色彩は、白丸に青のカギ十字を描いていて、ナチ党のカギ十字(逆卍)と類似している。採用の起源は、1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字用いられた。この反共産主義衣戦争・反革命戦争の時期、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼンEric von Rosen)伯爵が、反革命軍の白軍を支持して、鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)を用いた。

つまり、当時から、ヨーロッパにおける共産主義者との内戦では、反共産主義、反革命、自由のシンボルとして、卍が使用されていた。フィンランドでも、ソ連・ロシアからの独立の意味も込めて、1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、フィンランド軍の国籍マークとして採用し、フィンランド軍のユンカース(Junkers)F.13輸送機にも国籍記章の標識として描いている。


写真(右)1942年5月21日,フィンランド中西部、カレリア地方、ティークシャルベン湖付近、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) F.13輸送機(登録コード:JU-120)と地上勤務の3名のフィンランド国防軍兵士
:BMW132空冷星形9気筒エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。
Kuriirikoneen tähystäjä vänr Sot.virk. Pärttyli Virkki, valokuvaaja Kuriirikoneen tähystäjä vänr. Seitz, keskellä matkustajia ja oik. koneenohjaaja, vänr. Nousiainen. Lentokone on Junkers F 13. Kuorman purkamisen helpottamiseksi oikeaan siipeen on asennettu laskukouru. Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1942-05-21 .
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 92836引用。


フィンランドは、1939年11月30日から1940年3月12日の冬戦争でソ連と戦い、敗北した。しかし、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の直後、1941年6月26日から、1944年9月19日までふたたび、ソ連と「継続戦争」を戦い、ふたたび敗北した。そして、それまでの同盟国ドイツを裏切り、対ドイツ「ラップランド戦争」を開始したが、その時にフィンランド軍は、カギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を廃止した。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を忌避するために唱えられた完全な誤解である。ハーケンクロイツは、反共産主義、反ボリシェビキの象徴として、ナチ党が使用する以前から、ドイツその他で使用されていた。


写真(上)1942年5月21日,フィンランド中西部、カレリア地方(?)、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) F.13輸送機
:空冷星形エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。
Joensuun-Tiiksjärven Junkers kuriirikone Joensuussa. Sot.virk. Pärttyli Virkki, valokuvaaja Joensuun-Tiiksjärven Junkers kuriirikone Joensuussa. Lentokone on Junkers F 13. Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1942-05-21 a.
写真は,finna.fi引用。



5.現存するユンカース(Junkers)F.13輸送機

写真(右)1996年、ドイツ、バイエルン州ミュンヘン、ドイツ博物館(Deutsches Museum)で展示されたユンカース(Junkers)F.13輸送機:ドイツ博物館は、ドイツ技術の高さを歴史的に示すことを目的に自動車、航空機、機関車・鉄道列車、艦船などの実物・精巧な模型が展示されている。博物館の規模は、東京ドームと同じ面積で、展示物は1万7千点に及ぶ。
SDASM Archives Charles M. Daniels Collection Photo
Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Junkers F 13 Daniels Album Name: Deutsches Museum '96
Album Page #: 88 Notes From Album: Junkers F-13, D-366
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000505引用。


写真(右)1996年、ドイツ、バイエルン州ミュンヘン、ドイツ博物館(Deutsches Museum)で展示されたユンカース(Junkers)F.13輸送機(登録コード:D-366):東京ドームと同面積のドイツ博物館には、飛行機・自動車・船舶など1万7千点の実物や模型が所蔵・展示されている。 入場料金は、大人11ユーロ、6〜15歳4ユーロ、5歳以下無料、9時〜17時オープン。
SDASM Archives Charles M. Daniels Collection Photo
Title: Charles M. Daniels Collection Photo
Aircraft/Subject: Junkers F 13 Daniels Album Name: Deutsches Museum '96
Album Page #: 90 Notes From Album: Junkers F-13, D-366
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000506引用。



写真(上)2018年、ドイツ、フリードリヒハーフェン航空ショー(AERO Friedrichshafen 2018)で展示されたユンカース(Junkers)F.13輸送機(登録コード:HB-RIM)
:AERO Friedrichshafen 2018 Date 18 April 2018 09:11:44.00 Source Own work Author Matti Blume
Category:Junkers F 13 File:AERO Friedrichshafen 2018, Friedrichshafen (1X7A4209).jpg引用。



写真(上)2018年、ドイツ、フリードリヒハーフェン航空ショー(AERO Friedrichshafen 2018)で展示されたユンカース(Junkers)F.12輸送機(登録コード:HB-RIM)

English: AERO Friedrichshafen 2018 Date 18 April 2018 09:11:44.00 Source Own work Author Matti Blume
写真は、Category:Junkers F 13 File: AERO Friedrichshafen 2018, Friedrichshafen (1X7A4209).jpg引用。


写真(右)1970-1980年頃、スウェーデン、ストックホルムで復元・展示されたユンカース(Junkers)F.13輸送機(登録コ―ド:SE-AAC):
SDASM Archives Junkers F.13, SE-AAC, Stockholm, Sweden 03790010 Jack D. Canary Special Collection Photo br>Jack Canary was a Tech Rep with North American Aviation in China during World War Two. After the War, he continued to work with NAA and also built and restored aircraft. He worked as a consultant on the film “Tora, Tora, Tora” and was killed while flying a PT-22 for the film in 1968.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Junkers F.13, SE-AAC引用。


フォッカー(Fokker) F.VII三発機の諸元
1924年11月に初飛行。乗員: 2名、乗客: 8名、全長: 14.60 m、全幅: 21.70 m、全高: 3.90 m、空虚重量: 3,050 kg、総重量: 5,200 kg、 発動機 ライト(Wright)R-790 :9気筒空冷エンジン(200馬力)3基、巡航速度:170 km/h。


6.ユンカース(Junkers)K43f水上機(W34輸送機の軍用仕様)と長距離記録用のW33輸送機

ユンカース(Junkers) W-34は、機体の外板を薄くして重量を軽減しつつ,波板構造にして強度を高めるような設計だった。ユンカースF-13を大型化したユンカース(Junkers) W-34は,1920年代に完成し,ユンカース社で200機生産された。波板構造は,Ju-52輸送機に引き継がれた。


写真(右)1942年5月28日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(キエスチンキ:Kiestinki)、カナナイネン(Kananainen:カナダ村)と称された水上機地に待機するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) するK 43 fa水上機「ピッコ・ユノ」 ”Pikku-Junnu”(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)と水上滑走するK 43 fa水上機
:奥の丘陵の上には、農家の木造家屋が4件あるが、湖畔の建物は、農家に見せかけた水上機基地の施設であろうか。
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. U. Laukka, valokuvaaja
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. Junkers K 43fa lentokoneita.
Aineistotyyppi ?Valokuva
Kuvaustiedot: 1942-05-28 U. Laukka, valokuvaaja
写真は,The Finnish Defence Forces: Kuvan numero 101880引用。


ユンカースW-34諸元
1926年に完成し,1800機生産された。
全長 10.3メートル,全幅 17.8メートル
自量 1,700キロ,全備重量 3,200キロ
エンジン 650馬力1基
最高時速 265キロ,巡航速度 230キロ,航続距離 900キロ
上昇限度 6,300メートル,乗客6人

1939年9月1日、ドイツがポーランドに突如侵攻、3日には、ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリス・フランスがドイツに参戦して、第二次世界大戦が勃発した。その混乱に乗じたソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、既に傘下に収めていたバルト諸国同様に、フィンランドにも領土要求をし、併合する構えを見せた。しかし、フィンランドは、この要求を断固拒否、そこで、ソ連赤軍は、1939年11月30日、フィンランド南部に攻撃を加えた。こうして、フィンランド冬戦争が始まった。

写真(右)1941年8月21日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki:ムルマンスク南350キロ、レニングラード北800キロ)、担架に乗せた負傷者をフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)に搬入するフィンランド国防軍兵士:K43水上機はW34輸送機の軍用型。フィンランドでは、患者。負傷者の空輸に使われた機体の写真が多数残されている。胴体右側の扉は、担架のまま負傷者を搬出入するには小さすぎるようだ。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kuvassa oleva vesilentokone on Junkers K 43fa , joka tuttavallisemmin tunnetaan nimellä ”Pikku-Junnu”.
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 43673引用。


フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。

当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。

ドイツのソビエト連邦侵攻は、1941年6月22日だが、フィンランドは、1939年11月30日から1940年3月12日の対ソビエト冬戦争に敗北しており、その報復として、1941年6月26日から1944年9月19日にかけて、ドイツとともに対ソビエト継続戦争を戦った。冬戦争の際に、イギリスもフランスも連合国として、ドイツと第二次世界大戦を戦っていたが、ソ連とは戦っておらず、あえてフィンランドを助けるために、ソ連と会戦するはずがなかった。1941年7月、総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の指揮の下、フィンランド軍は、フィンランド南東部、ソ連に割譲させられていたカレリア地方を攻撃し、再占領し、冬戦争で奪われた領土を取り戻した。

1930年にフィンランド空軍は、ドイツからユンカースW 34輸送機1機を購入し、さらにW43輸送機の水上機型のK 43水上機6機をスウェーデン空軍から購入した。1941年7月に、ソビエト連邦との継承戦争を戦うに際しては、長距離偵察・哨戒機として前線に送られたが、前線から傷病兵を後方に搬送する患者輸送機としての任務にも就役した。1944年春、フィンランド空軍は、さらに5機のユンカースW 34輸送機を購入したが、これらは訓練用の練習機として使用されたようだ。戦後にこれらユンカースW34/K43輸送機は、フィンランド国境警備隊で1950年まで使用された。

ユンカースK 43fa輸送機の諸元:
搭乗員: 2名、 乗客: 3-6名
全直:11,13m、全幅i: 17,75m
全高: 3,90m、主翼面積:44平方メートル
空虚重量: 1885kg、全備重量: 3200kg
発動機: 1× BMW 132
最高速力: 220km/h  巡航速力: 180km/h
航続距離: 1700km 上昇限度: 5300m

第二次世界大戦中の1941年6月22日、ドイツは、バルバロッサ作戦を発動し、独ソ不可侵条約を保護にして、ソビエト連邦に攻め込んだ。それから3日後、1941年6月25日、フィンランドもソ連に侵攻した。これは、1939年の冬戦争でソ連に奪われた国土 (カレリア)を奪回するための戦争だったが、ソ連は、イギリス・アメリカの軍事支援を受けていた連合国側になっていた。

⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W34輸送機/K 43 fa水上機を詳しく見る。 ユンカースが飛行機製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。

ユンカースJunkers W 33輸送機の諸元
初飛行:1926年
搭乗員: 2人
発動機:ユンカース(Junkers) L5エンジン228 kW(310馬力)1基
全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m
全高: 2,90 m
主翼面積 43平方メートル
最高速度: 197 km/h
重量:2100 kg

写真(右)1928年、大西洋横断した女性一番乗りを目指したユンカース(Junkers)W.33輸送機「クィーンオブエア」:1927年にチャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功すると、メイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行をした最初の女性を目指したが、1928年6月17日アメリア・イアハートは女性初の大西洋横断飛行を成し遂げた。しかし、1928年中に、メイベル・ボルは、チャールズ・レヴァインの購入したユンカースW33「クィーンオブエア」に同乗して、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てた。しかし、計画は実現せず、終わった。ただし、この機体は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発し、途中で不時着水している。
Junkers, W.33 Catalog #: 01_00081555 Title: Junkers, W.33
Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
Slideshow of the first Plane wich crossed the Atlantic Ocean in 1928 westwards. Restored and shown at the Airport in Bremen/Germany. Flewn by Hermann Köhl, Ehrenfried Freiherr von Hünefeld and James Fitzmaurice from Baldonnel/Irland to Greenly Island/Canada.
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081555"引用。


アメリカのチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh:1928‐1974)は、1927年5月20日、スピリットオブセントルイス(ライアンNYP)を操縦し、アメリカのニューヨークを離陸し、5月21日、フランスのパリに着陸し、大都市間の大西洋単独無着陸飛行に成功した。彼が、大西洋を西から東に飛行したのは、地球の自転、偏西風の影響で、飛行にはプラスに作用するからである。他方、東から西ヘの大西洋横断は、遥かに困難が多かった。これに挑んだのが、ドイツのユンカースW.33輸送機「ブレーメン」”Bremen”である。

アメリカのチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh:1928‐1974)は、1927年5月20日、スピリットオブセントルイス(ライアンNYP)を操縦し、アメリカのニューヨークを離陸し、5月21日、フランスのパリに着陸し、大都市間の大西洋単独無着陸飛行に成功した。彼が、大西洋を西から東に飛行したのは、地球の自転、偏西風の影響で、飛行にはプラスに作用するからである。他方、東から西ヘの大西洋横断は、遥かに困難が多かった。これに挑んだのが、ドイツのユンカースW.33輸送機「ブレーメン」”Bremen”である。

ユンカースW.33輸送機「ブレーメン」”Bremen”は、アイルランドのバルドネルを出発し、大西洋を西に向かって飛行し、カナダのグリー二ー島(51.38度、N 57.19度)まで、飛行することに成功した。これは、世界初の、大西洋の東から西への横断飛行である。こので、現在、復元された機体が、ドイツのブレーメン空港に展示されている。

写真(右)2011年、青森県三沢基地で展示中の初の太平洋横断機のベランカ(Bellanca)CH-400 スカイロケットSkyrocket「ミス・ビードル」Miss Veedol (replica):1931年10月4日早朝、青森県三沢村の淋代海岸に杉板を敷きつめてつくられた特設飛行場から離陸したミス・ビードルは、北太平洋を横断して、アメリカ、ウェナッチ市まで7982kmを41時間13分で飛行することに成功した。
Toshi Aoki - JP Spotters Location Misawa (MSJ / RJSM), Japan Aircraft type Bellanca CH-400 Skyrocket (replica) Operator Pangborn World Flight Company / Tydol Registration NR796W Type Photograph Description English: 80th anniversary first to fly non-stop across the Pacific Ocean. Miss Veedol Japan tour 2011. "Misawa Air Fest 2011" Date 4 September 2011
写真はeuropiana collections,Airliners Bellanca CH-400 Skyrocket (replica) - Pangborn World Flight Company / あるいはWikimedia Commons, Category:Miss Veedol File:Bellanca CH-400 Skyrocket (replica), Pangborn World Flight Company - Tydol AN1983554.jpg引用。


初の太平洋横断無着陸飛行に成功したベランカ(Bellanca)J-300「ミス・ビードル」Miss Veedolは、全幅14.8m、全長8.5m、発動機はにブラッド&ホイットニ「ワスプ」425馬力エンジン1基装備で、機内食として、サンドイッチ、鶏の揚げ物、りんご「紅玉」20個を搭載したという。1931年10月4日、青森県三沢市淋代海岸を発進したベランカ(Bellanca)「ミス・ビードル」Miss Veedolは、北アメリカ大陸アメリカ、ワシントン州ウェナッチ市まで、7982kmを41時間13分かけて飛行し、初の太平洋無着陸横断を成功させている。

写真(右)1932年、日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB):1932年(昭和7年)9月24日、青森県三沢市の淋代海岸を飛び立って、太平洋を無着陸横断飛行をしてアメリカ大陸北岸の到着を目指した。搭乗者は、海軍兵学校出身の本間清中佐を機長に、馬場英一郎操縦士,井下知義通信士の3名である。機首は、光の反射を避けるために、黒色で塗装されている。機体後方には客室の窓があるが、長距離飛行用の燃料タンクや食糧・飲料水も搭載されたはずである。
写真は,Уголок неба - Большая авиационная энциклопедия Index of /image/idop/cw1/w33引用。


1932年(昭和7年)9月24日、本間清海軍中佐を機長に馬場英一操縦士、井上智義機関士の3名の搭乗する日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)は、羽田を出発し青森県三沢市の淋代海岸に着陸し燃料を補給した。青森県三沢市の淋代海岸は、前年1931年に周辺住民が杉板を敷いて飛行場を建設し、10月4日、アメリカ人クライド・パングボーン(Clyde Edward Pangborn)、ヒュー・ハーンドンの2人が搭乗したベランカ(Bellanca)J-300「ミス・ビードル」Miss Veedolが太平洋横断飛行に飛び立った海岸である。

1932年(昭和7年)9月24日、午前5時37分、機長本間清海軍中佐、馬場英一操縦士、井上智義機関士の3名が搭乗するユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)は、青森県三沢市淋代海岸を離陸して、アメリカの本土を目指して、太平洋横断無着陸飛行に発進した。

ユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)の発動機は、ユンカースL5液冷エンジン(310馬力)で、燃料満タンで全重量4.5トンで、離陸速度160kmだった。午前11時過ぎ「エトロフ島南方を通過」の無線が入ったあと、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」は消息を絶った。それから捜索が行われたが機体は見つからないままだった。帝国飛行協会は、1932年12月、「横断飛行断念」の声明を出した。

写真(右)1932年、太平洋横断飛行に挑戦した日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB):本間清機長、馬場英一郎操縦士,井下知義通信士の搭乗で羽田飛行場を出発,淋代で燃料を満載して離陸した。
2 Fantastic RARE ORIGINAL 1932 B/W ( THESE ARE NOT COPIES OR REPRODUCTIONS OF ANY TYPE-THEY ARE 100% ORIGINAL PERIOD DEVELOPED PHOTOGRAPHS ) ACME Newspictures news photographs showing the Japanese crew of Junkers W33 f registration number J-BFUB named the No.3 Hochi - Nichi - Bei before their ill-fated non-stop trans-pacific flight of September 1932. While Clyde Pangborn and Hugh Herndon Jr. had made the first non-stop trans-pacific flight in 1931 flying their Bellanca monoplane " Miss Veedol ", it had always been a dream of the Japanese to successfully fly a trans-pacific flight. I have been unable to ascertain any information regarding the flight of the Hochi other than it was lost somew near Sabishiro Beach during the flight on or about September 24th 1932.
写真はDiscover Worth, Worthopedia引用。


1932年9月10日に羽田飛行場において、報知新聞社が購入したユンカースW33「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)の太平洋横断飛行出発式が開催された。この時は、帝国飛行協会のユンカースW33「オイローパ」EUROPA(登録記号:J-BAWG)も参加している。それから2週間後の1932年9月24日に、ユンカースW33「第三報知日米号」(登録記号:J-BFUB)は、淋代を出発したが、千島列島付近で行方不明となった。

1928年9月18日にドイツのデッサウ飛行場を離陸したユンカースW33「オイローパ」"Europa"(D-1197 :c/n 2505.)は,1928年10月18日、日本の立川飛行場を目指していたが、天候不順で多摩川の河原に不時着、破損した。このユンカースW33「オイローパ」は、ドイツ人搭乗員ヒューネフェルト男爵など3名が搭乗し,ベルリンから、12日間、90時間の飛行時間で東京まで1万4250kmを飛翔した。途中、燃料補給のために、10回着陸している。河原に不時着破損したユンカースW33「オイローパ」"Europa"(D-1197 :c/n 2505.)は三菱飛行機で修理されたうえで,1929年に、帝国飛行協会に譲渡された。帝国飛行協会でもオイローパ(EUROPA)の機名を引き継いでいる。1929年2月、帝国飛行協会は、日本学生航空連盟にユンカースW33「オイローパ」EUROPA(登録記号:J-BAWG)を貸与した。しかし、搭載していたユンカースL5水冷エンジンは、日本では部品で整備困難となり、実際にはほとんど使用さずに終わったという。

写真(右)1932年、太平洋横断飛行に挑戦した日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)搭乗員の本間清機長、馬場英一郎操縦士,井下知義通信士:右翼に日章旗、左翼に星条旗が描かれたという。
2 Fantastic RARE ORIGINAL 1932 B/W ( THESE ARE NOT COPIES OR REPRODUCTIONS OF ANY TYPE-THEY ARE 100% ORIGINAL PERIOD DEVELOPED PHOTOGRAPHS ) ACME I found information about the Junkers on a German web site that gave the aircraft type and registration number but nothing else. Photos show the crew & aircraft at Haneda Airport prior to the attempted flight and show Kiyoshi Honma (navigator), Eiichiri Baba (pilot) and Tomoyoshi (radio operator). Other photo lists Homna as the Chief Pilot and Baba as the co-pilot. Great research possibilities and RARE photos of this event. Photos measure 9" x 7" and are in near mint condition with attached flimsy captions (please read scans for text) and ACME newspictures credit stamp .
写真はDiscover Worth, Worthopedia引用。


報知新聞 1931.5.5-1931.6.16 (昭和6)

新聞(右)1931年、「太北太平洋飛行記念号:北太平洋征空の途にきょう報知日米号出発;春空に恵まれ観衆三十万以上 元気一杯の吉原飛行士」:ユンカースW33「第三報知日米号」より前に、報知新聞は2回、太平洋横断飛行を試みている。第1回目の太平洋横断の試みが、吉原清治飛行士のユンカース(Junkers)A50水上機によるものだった。1930年8月30日、吉原清治操縦は、ベルリン〜東京間11404kmを79時間58分で飛行、1931年5月14日にユンカース(Junkers)A50水上機「日米号」で、太平洋横断飛行をめざして羽田を出発したが、失敗した。1931年、吉原清治は、報知新聞社主催の飛行機による北太平洋横断飛行に、5月14日と7月5日に挑んだが、いずれも失敗した。そして、1932年5月、飛行艇での北太平洋逆横断飛行に挑んだが、アメリカのオークランドで試験飛行中、高波により機体が大破、機関士とともに負傷し飛行を断念した。
写真は神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 航空(2-014) 報知新聞 1931.5.5-1931.6.16 (昭和6)引用。


⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W-33輸送機を詳しく見る。


7.長距離記録に挑んだユンカース(Junkers)A50 ユニオール(Junior)軽飛行機

写真(右)1996年、ドイツ、ミュンヘンのドイツ博物館(Deutsches Museum)で展示されたユンカース(Junkers)A50ci「ユニオール」(Junior:青年)スポーツ機/軽飛行機(登録コード:D-2054)(製造番号:C/N 3575):上は、1934年4月27日初飛行したビューッカー(Bücker)Bü 「ユングマン」Jungmann練習機。全幅: 7.40 m 全長: 6.60 m 全高:2.25 m 翼面積: 13.50 m2 自重: 390 kg 最大離陸重量: 680 kg エンジン:ヒルト HM 504A-2 空冷列型4気筒105馬力(78 kW) 最高速力: 183 km/h 巡航速力: 170 km/h 上昇限度: 3,000 m 航続距離: 650 km。
Charles M. Daniels Collection Photo Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Junkers A 50 Junior Daniels Album Name: Deutsches Museum '96
Album Page #: 63 Additional Information: With a Bücker Bü 131 Jungmann suspended above.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive SDASM Archives Catalog #: 15_000476引用。


ヘルマン・ポールマン設計になるドイツのユンカース(Junkers)A 50「ユニオール」(Junior)は、1929年2月13日に初飛行した。世界初の全金属製スポーツ機となったが、当初の量産計画は見送りとなり、1937年までに69機だけが生産された。フィンランドは、1931年にユンカースA50を2機購入している。ヴァイノ・ブレマーWäinö Elias Bremer:1899 - 1964) は、ユンカース(Junkers)A 50ce「ユニオール」(Junior)を1機購入し、1931年2月23日にもう1機ユンカース(Junkers)A 50"Junior"を購入した。この機体は、1931年3月6日に、登録コードをOH-ABB与えられ、民間登録された。1931年、ヴァイノ・ブレマー(Wäinö Bremer) はユンカースA50でヨーロッパ・ツアーに出発し、11か国を訪問した。1932年、ヴァイノ・ブレマー(Väinö (Wäinö) Bremer) は、ユンカース(Junkers)A 50ce(OH-ABB)スポーツ機で、南アフリカ共和国ケープタウンの往復飛行に成功した。そして、ヴァイノ・ブレマーWäinö (Väinö) Bremer) は、1933年に世界一周飛行の地球周回を試みたが、1939年にフィンランドとソビエト連邦との冬戦争が始まったために、ユンカースA 50ce(Junior:OH-ABB)はフィンランド空軍に徴用された。このユンカースA 50(Junior)は破損し、1943年6月26日に変換された。

ドイツのユンカース(Junkers)A50Junior軽輸送機が搭載したジーメンスSiemens-Halske Sh 13空冷星形エンジンは、1928年完成、シリンダー・ボア 105 mm、ストローク 120 mm、エンジン排気量H 5,2L (5200 cm³)、圧縮比 5.2 : 1で、出力は56 kW (75 hp)、回転数(毎分)1,850 rpmの小型エンジンである。

写真(右)1929年11月、ドイツ、ユンカース・デッサウ飛行機製造所で完成したばかりのユンカース(Junkers)G38 大型旅客輸送機(登録コード:D-2000)とユンカース(Junkers)A50 「ユニオール」(Junior:青年)スポーツ機/軽飛行機(登録コード:D-1999):国籍マークはなし、登録コードD-2000のユンカースG38超大型輸送機のプロペラのブレードは、主翼内側は4翅、主翼外側は2翅。D-2000は1号機で、G38の総生産数は2機のみ。 Collection / Archive Het Leven (LEVEN 022) Description Luchtvaart. In 1929 ontwikkelt de ghlight">Junkers vliegtuigfabriek in Dessau/Duitsland de ghlight">Junkers G - 38. Het is het grootste landvliegtuig ooit vervaardigd. Het heeft 4 motoren, die 2400 pk voortbrengen. Er kan 3000 kg vracht mee worden vervoerd en het is vervaardigd van duraluminium. Foto: een van de enorme vleugels van de luchtreus. Date 1929 Location Dessau Photographer Onbekend..
写真はSDASM Archives Nationaal Archief 2010-2018 引用。 00081579引用。


1929年2月13日初飛行のユンカース(Junkers)A 50"Junior"の諸元
全長7.12 m、全幅 10 m、全高 2.39 m
主翼面積 13.7 平方メートル
空虚重量 340 kg、総重量 590 kg
発動機 アームストロング(Armstrong)Siddeley Genet II)空冷星形5気筒エンジン65 kW (87 hp)
最高速力164 km/h、巡航速力 140 km/h
航続距離 600 km、航続時間 5時間
実用上昇限度 4,200 m
上昇時間 3,000 m/21分
離陸距離 250 m、着陸距離 187 m


北太平洋飛行記念号

北太平洋征空の途にきょう報知日米号出発[1931年5月4日] 春空に恵まれ観衆三十万以上 元気一杯の吉原飛行士

爽快なる初夏の空を破る爆音、地に満ちる歓声、『報知日米号』は白銀に輝きながら翔け上った、正に四日午前十時十分、世を挙げて期待したその時刻、吉原飛行士は日米親善新航空路開拓の使命を担って、ユンケルスA五〇型水上機を操縦して単身北太平洋征空の壮途に上った、この晴れの出発を見送るべく、羽田東京飛行場を中心として海陸を埋めた観衆は三十万と註され、飛行場内の式場には幣原[喜重郎]外相、小泉[又次郎]逓相、南[次郎]陸相の各閣僚の他朝野の名士約四千五百名参集、吉原飛行士の母堂も列席して盛大なる出発式が挙げられた

天に轟く万歳に送られ吉原飛行士愛機に搭乗 空に舞う千羽の鳩と歓送機 見事、羽田飛行場を離水

かくて飛行の完成を祈念しつつ吉原飛行士は明治神宮御下賜の神酒を頂き、杯をほしたが、その面上には流石に一脈の悲壮なる緊張が現れていた、式場内の空気は高潮し、並いる人々の胸に血脈は躍った、花束は次々に捧げられ期せずして、北太平洋横断歌の合唱となり、戸山学校軍楽隊がこれを演奏すれば、吉原飛行士は野間社長に同伴され、再び両宮家御使の前に進んでいよいよ出発の時にいたった挨拶を申上げた、式まさに終ろうとして野間社長は感激に声を振るわせ皇室の万歳を高唱して総員これに唱和し、小泉[又次郎]逓信大臣は『報知日米号』の万歳を叫び、これまた一同唱和し羽田海上にこだまする万歳の声は天地をとどろかした,戸山学校軍楽隊は重ねて国歌を吹奏し、壮重なる厳粛なる、しかも悲壮なる告別の時は過ぎゆき、この間に国旗はマストより引降ろされ、野間社長よりこの栄光にかがやく国旗は吉原飛行士に授与された、式は終ったそれより吉原飛行士は母堂の席に近づいて『行って来ます』と唯一言の悲壮極まる告別をなし、大臣と固く握手して飛行の完成を誓った吉原飛行士は新井航空官等に守られつつ仮桟橋より『報知日米号』に搭乗した、出発の時は近づいた、午前十時九分沖合に進んだ『報知日米号』のプロペラは勢いよく回転を始めた、かくて『報知日米号』は白銀の翼を初夏の陽にかがやかしつつ、軽快極まる滑走約六百メートルを以て羽田海上さして離水した、出発と同時に放たれた千羽の伝書鳩が鳩笛をならして青空を祝福する中を場を一周し第一日の着水地沼崎をさして霞ケ浦八号飛行船初め十余機の歓迎飛行機にかこまれながら、重き使命をもつユンケルスA五〇型の軽快なる姿は青空の中に遠く没した時正に十時十二分であった

以上は、新聞記事文庫 航空(2-014) 報知新聞 1931.5.5-1931.6.16 (昭和6)引用。

1927年、アメリカ人リンドバーグは、ニューヨークからパリまで、5800kmの大西洋無着陸横断飛行に成功した。その4年後、1931年年、アメリカ人2人の搭乗する機体が、青森県三沢市の淋代海岸を離陸し、空気抵抗減少のために車輪を投下し、41時間後に、8000km彼方のアメリカ・ワシントン州ウエナッチに胴体着陸した。これが世界初の太平洋無着陸横断飛行である。

⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A50“Junior”軽飛行機を詳しく見る。


8.ユンカース(Junkers)G24/W輸送機

ヨーロッパでは第一大戦の戦火が癒えた1920年代から、民間航空輸送が盛んになり、航空便・新聞・雑誌などメディア文書の発送、旅客・貨物輸送が興隆した。こうした中で、ユンカーすは成功作でベストセラーになった前作ユンカースF-13輸送機をベースに、より大型化したユンカース(Junkers)G. 24を開発した。設計主務はエルンスト・ツィンデル(Ernst Zindel)で、試作当初は単発機だった。当時の敗戦国ドイツには、ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)条約の制約があり、空軍力の保有は禁止、航空兵力につながる飛行機開発も制限された。そこで、低出力のエンジンしか搭載できないが、小型機では、限界があるため、単発大型機の開発が企図された。ユンカースG24も、単発機として開発されたのである。

写真(右)1931年,スウェーデン空軍のユンカース(Junkers)G. 23輸送機(D-4):大出力のエンジンでは、軍用機に転用可能と判断され、ベルサイユ条約違反とされてしまうため、小型のエンジンを搭載するのがユンカースの方針だった。しかし、実際には、ドイツ以外の国に、ベルサイユ条約の軍備制限条項は関係がない。そこで、スウェーデンは、民間機のユンカースG23輸送機を堂々と軍用型K30として採用した。波板式の金属外板は、強度を保つのに役に立った。
Franz Schell Album Image PictionID:56241260 - Catalog: AL253_000103.tif - Title: Junkers G-23 S-505 Swedish Air Force c1931 - Filename: AL253_000103.tif - Image from Album 253 which belonged to Franz Schell
Ray Wagner Collection Image PictionID: 46169051 - Catalog:16_007381 - Title: Junkers G24/K30 prototype Nowarra Collection - Filename:16_007381.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives・ PictionID:46169051引用。


ユンカース(Junkers)G. 24は、大型化し、搭載量が増えたため、単発では出力不足であり、かといって強力なエンジンの搭載は、ベルサイユ条約に抵触する危険があるため、低出力エンジンを3基搭載することになった。

 他方、ドイツ以外の国では、このようなエンジン出力の制約は課されないために、輸出向けには、単発機でより強力なエンジン、たとえば450馬力のネーピア(Napier)ライオン(Lion)エンジン1基を機首にに装備するタイプである。 しかし、ドイツを監視していた連合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)は、ユンカースG24輸送機は、軍用に転用可能であると警告した。

ユンカース(Junkers)G. 24輸送機の諸元
乗員 2名、乗客 9名
全長 15,70 m
全幅 29,90 m
全高 4,15 m
主翼面積 97,8 平方メートル
全備重量 6500 kg
最高速力 197 km/h
発動機 ユンカース(Junkers) L 5 液冷直列6気筒エンジン310馬力3基。

 そこで、ユンカースは、基本設計は同じだが、民間仕様を強調したユンカースG23を試作し、民間航路専門の航空機として喧伝した。こうして、合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)は、ユンカース(Junkers)G. 24輸送機はG23として、単発機として生産することが認められたのである。

ベルサイユ条約の軍備制限の下、ドイツでは、軍用ではなく民間用に限定して航空機を開発した。そして、ユンカースG23輸送機は、G24輸送機として、生産、輸出された。本来、強力なエンジンであれば、単発機で十分なパワーがあるが、エンジンの故障や余剰出力に配慮すれば、双発機以上に、三発機の信頼性は高かった。乗客にとっても、エンジンが多いことは安心感を抱かせたに違いない。

⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を詳しく見る。


9.ユンカース(Junkers)G 31輸送機

ユンカースG31輸送機は、1926年初飛行、乗客15人名で、1930年初飛行のju-52輸送機(乗客18名)の4年前に完成した原型ともいえる機体で、1920年代に13機と少数生産されたのみ。 G.31の設計・機体構造は、Ju-52にそのまま引き継がれている。

写真(右)1933年以降、ドイツ・ルフトハンザ航空(DLH)のユンカース(Junker)G-31輸送機 :垂直尾翼に赤帯、白丸、黒の逆卍は、ドイツの国籍指標である。
1 fly på bakken, Junkers Ju G 31, D-1310 fra Lufthansa. Står ute på åpen gresskledt plass, ant. lufthavn. Fotografering: 1930 (a) Produsent: Olsen, Fred sikker Aksesjon: 1997 Identifier: NL.98220009 Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum Date published: December 19, 2014 Date updated: December 19, 2014 DIMU-CODE: 021015697279 UUID: A1C26CF3-20D5-4E37-AE34-50994A47CE67
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・"Identifier: NL.98220009 "引用。


ユンカースJunkers G 31輸送機諸元:
乗員:パイロット2人、航法・電信員各1人、乗客15人(夜間寝台は10人)
全長: 16.50 m (54 ft 1 in)、全幅: 30.50 m (100 ft in)、全高: 6.00 m (19 ft 8 in)、主翼面積: 102.0 平方メートル
空虚重量: 5,250 kg (11,590 lb) 全備重量: 8,500 kg (18,760 lb)
エンジン: 3 × BMW-built Pratt & Whitney Hornet, 386 kW (525 hp) 
最高速度: 210 km/h (131 mph)、巡航速度: 170 km/h (106 mph)
航続距離: 850 km (528 miles)、航続時間: 5 時間
実用上昇限度: 4400 m (14,400 ft)、上昇率: 3 m/秒 (10 ft/min)

 今日の旅客機では、客室内の気圧は、高度が上が手も低下しない。それは、客室が密閉され、室内に空気が注ぎ込まれているからで、これはジェットエンジンを使ってコンプレッサー(圧力器)を駆動させればよい。

しかし、ピストンエンジンのプロペラ機では、ジェットエンジンと異なりコンプレッサー(圧力器)を駆動するために別途動力を搭載するのが一般的だった。ドイツでは、第二次大戦中に与圧室を実現したものの、本格的に長時間高高度を飛行する偵察機・爆撃機の与圧室は、最後まで実用化が困難だった。コンプレッサー用のエンジンを別途装備すればよいが、これでは重量増加、飛行性能の低下が招来されてしまうのである。

また、高空になるほど室内と外気との気圧差が大きくなるため、密閉するとしても、圧力差に耐えられるだけの耐久性・堅牢性が必要となる。室内構造を頑丈にすれば、重量が嵩んでしまうので、簡単に与圧室を実用化することはできなかった。

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10.ユンカースJu-52輸送機

ルフトハンザ航空Deutsche Luft Hansa)は、1926年1月、ドイツ政府が出資1/4を賄って、ユンカース系航空会社(Junkers Luftverkehr)を中核に、各種ドイツの航空会社が統合されて生まれた国営航空である。ユンカースJu−52旅客輸送機を中核に、ドイツ国内のみならず、ヨーロッパ全土に航空網を築き、のちにはフォッケウルフFw-200、ユンカースJu‐90のような四発大型旅客機を導入して、南北アメリカにまで航路を拡張した。

写真(右)1932年6月,フィンランド、ヘルシンキ郊外、マルミ飛行場、ドイツルフトハンザ航空のユンカースJu 52/3m「ハインリヒ・クロル」輸送機(D-AHUS):フィンランド航空(Finnair Oyj)のユンカースJu 52/3m水上輸送機「サンポ」"は、1936年に双フロートを撤去して、車輪と変更して陸上機に改造された。
Malmin lentokentän lentokonehallissa Lufthansan Junkers Ju 52 Aarne Pietinen Oy, kuvaaja 1938 Museovirasto - Musketti Malmin lentokentän lentokonehallissa Lufthansan Junkers Ju-52, teksti kuvapussissa: Lufthansan Ju 52/3m D-A HUS Heinrich Kroll, taustalla Aeron samanniminen OH-ALL Kaleva.
写真は,Musseo Finna登録・"HK19670603:10487"引用。


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2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥

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