◆ユンカース(Junkers)K43f水上機:
写真(上)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖付近を飛行するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コードJU-128)。負傷者を搬送するのに使用された。:主翼下面に二つもフロートがついているが、それを支えているフレームの数が多く、空気抵抗が大きそうに見える。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kuvassa on Junkers K 43fa. Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47720引用。
写真(上)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki:ムルマンスク南350キロ、レニングラード北800キロ)、負傷者を後方に移送する任務に就いたフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124):ナチ党と同じ逆卍は、反ユダヤ主義・反共産主義の象徴だった。ロシア革命に乗じて、フィンランドでも共産主義者の武力闘争が盛んになったが、これを鎮圧して成立した独立フィンランドは、ボリシェビキ赤色ソ連を開会していた。これが、フィンランド軍の国籍識別マークの由来であり、根源的には、ナチ党とそれ以前から存在した卍を採用したのである。ナチ党を引き継いだのが新フィンランド政権ではないのは当然だが、ナチ党の記章の背景にあった反共産主義は、共有していたのである。
Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähtee Tiiksjärveltä lentokoneilla.
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähtee Tiiksjärveltä lentokoneilla. Kuvassa on Junkers K 43fa (tunnus JU-128).
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-06
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 43672引用。
写真(上)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki:ムルマンスク南350キロ、レニングラード北800キロ)、担架に乗せた負傷者をフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)に搬入するフィンランド国防軍兵士たち。:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。
Kuvassa oleva vesilentokone on Junkers K 43fa, joka tuttavallisemmin tunnetaan nimellä ”Pikku-Junnu”.. Kuvaaja:Hedenström、 Paikka:Kiestinki
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 43672引用。
◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
1.スウェーデンのユンカースW34輸送機(軍用型Tp 2A患者輸送機、TPPA 2患者水上輸送機)
写真(右)1935年、スウェーデン中央、ミッドランダ(Midlanda:現スンズヴァル–ティムロ空港)、空冷星形9気筒エンジン1基を搭載したユンカースW34輸送機(登録コード:?-BYA):エンジン覆いカウリングが大型化され、シリンダー(気筒)は隠されており、集合排気管が出ているのが分かる。後期型なので密閉式のコックピットで、胴体後方は6名の乗客用座席があり、外を眺めるための窓がある。
Europas äldsta flygmaskin, Junker 1935, på Midlanda..
Creator: Norrlandsbild
Language: Swedish
Creation date: 1961-09-23
Publisher: Sundsvalls museum
Identifier: SuM-foto 024524
Institution: Sundsvalls museum
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
写真はeuropeana collectioms Sundsvalls museum ・Dataset: 91698_Ag_SE_ Swedish NationalHeritage_SuおよびSundsvalls museum ・Identifier:SuM-foto024524 引用。
スウェーデン空軍は、ユンカース(Junkers)W 33液冷エンジン単発機、W.34空冷エンジン単発機を、1933年に導入し、大戦後の1953年まで輸送機、患者輸送機・救急機(air ambulance)として使用した。このW.33は軍用仕様として、スウェーデンではTrp 2 輸送機、Trp 2A輸送機と命名されたが、のちに命名変更で、Tp 2 輸送機、Tp 2A輸送機へと改名された。このうちの1機は、民間機闘争とされ、登録コード SE-BYAを与えられている。
写真(右)1940-1945年、スウェーデン、カールスボルグ(?)、民間用のユンカース(Junkers)W 34 ho輸送機(登録コード:SE-AKI):主輪式の降着装置を備えた陸上機型だが、北欧では、第二次世界大戦時までは、海辺の自然条件を活かして水上機型が多用された。胴体左右、主翼に大きく登録コードSE-AKIを記入している。
Civilt flygplan Junkers W 34ho märkt SE-AKI tillhörande Svensk flygtjänst står i en hangar. .
Identifier: FVMF.003490
Institution: Flygvapenmuseum
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: SwedenFirst published in Europeana: 2017-09-04
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden
写真は,Flygvapenmuseum a>登録・Dataset: 916113_Ag_SE_FlygvapenmuseumあるいはFlygvapenmuseum Identifier:FVMF.003490 引用。
写真(上)1938年、スウェーデン、カールスボルグ第81格納庫前、民間用のユンカース(Junkers)W 34ho 輸送機(登録コード:SE-AKI):主輪式の降着装置を備えた陸上機型だが、北欧では、第二次世界大戦時までは、海辺の自然条件を活かして水上機型が多用された。胴体左右、主翼に大文字で登録コードSE-AKIを記入している。
Karlsborg 1938. Svensk flygtjänsts Junker W34 (SE-AK1). I bakgrunden hangar 81.
Creation date: 1938-01-01
Publisher: Karlsborgs fästningsmuseum
Institution: Karlsborgs fästningsmuseum
First published in Europeana: 2014-04-02
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden
写真は,Karlsborgs fästningsmuseum登録・Dataset: 1652_Ag_SE_SwedishNationalHeritage_KBG引用。
写真絵葉書(右):1935-1945年頃?、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34輸送機(赤十字マーク);軍用 K43のスウェーデン軍仕様Tp 2A 患者輸送機 :原典にはJunkers W33とあるがW34の誤りであろう。
Inglasat foto på Tp 2 Junkers W 33.
Type: Tavla , Object
Subject: Kulturhistoria ,
Kontor
Identifier: FVM.149950
Institution: Flygvapenmuseum
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden
First published in Europeana: 2016-05-13
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: 916113_Ag_SE_Flygvapenmuseum 引用。
スウェーデン軍は、フィンランド軍と同じく、ユンカース(Junkers) W34輸送機の実用性の高さ、運用コストの低さに注目して、W34の軍用型K43輸送機に注目した。ただし、任務は患者輸送用とされたために、武装を施しておらず赤十字社の記章を大きく描いているので、白色塗りの患者輸送機Tp 2Aとなった。つまり、民間輸送機ではなく、軍用の患者輸送機・救難機であり、軍事物資・兵力の輸送は行わず、運航も事前に相手国に届けを出しているので、秘密の運航はしない機体である。当然のことながら、敵との交戦は想定していないから、機関銃など武装も一切していない。
写真絵葉書(右):1933-1945年、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);軍用 K43のスウェーデン軍仕様Tp 2A 患者水上輸送機 :スウェーデン軍は、フィンランド軍と同じく、ユンカース(Junkers)W34輸送機の実用性の高さ、運用コストの低さに注目して、W34の軍用型K43輸送機に注目した。ただし、このユンカース(Junkers) W34任務は患者輸送機・救難機とされたために、武装を施しておらず赤十字社の記章を大きく描いているので、白色塗りの患者輸送機Tp 2Aとなった。
Inglasat foto på Tp 2A - Junkers Flugzeug-und Motorwerke JU W 34 1933-1945
Type: Tavla , Object
Subject: Kulturhistoria ,
Kontor ,
http://vocab.getty.edu/aat/300193782
Identifier: FVM.149835
Institution: Flygvapenmuseum
Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden
First published in Europeana: 2016-05-13
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: 16113_Ag_SE_Flygvapenmuseum
引用。
写真(上):1933-1953年、スウェーデン、湖面を滑走中のスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TP 2A 患者水上輸送機 :白色塗りではなく、明細塗装をしたまま軍用の正規患者輸送機として使用されたのであろうか。患者輸送機は、軍事物資・兵力の輸送は禁止され、機関銃など武装も許されない。
Flygplan TP 2A flygambulans vid landning på vatten vid F 2 Hägernäs.
Identifier: FVMF.002219
Avbildad - namn: Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974)
Avbildad, ort: Sverige Uppland Hägernäs
Fotografering 1933 - 1953
Ursprunglig fotografering
Institution: Flygvapenmuseum
Date published: December 2, 2014
Date updated: May 7, 2019
DIMU-CODE: 021015595419
UUID: BA931FC4-68BE-4691-A52B-7559B9886DA4
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: FVMF.002219 引用。
写真(右):1933-1953年、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2A患者水上輸送機 :白色塗りの患者輸送機Tp 2Aとなった。つまり、民間輸送機ではなく、軍用の正規患者輸送機であり、軍事物資・兵力の輸送は行わず、運航も事前に相手国に届けを出しているので、秘密の運航はしない機体である。当然のことながら、敵との交戦は想定していないから、機関銃など武装も一切していない。
Ambulansflygplan Junkers W34, TRP 2A, i luften med flottörer..
Identifier: FVMF.001436
Creator: Okänd fotograf
Creation date: 1933-01-01 - 1953-01-01
Institution: Flygvapenmuseum
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden
First published in Europeana: 2016-05-13
FVM.149950
Institution: Flygvapenmuseum
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden
First published in Europeana: 2016-05-13
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: 916113_Ag_SE_Flygvapenmuseum 引用。
写真(右):1933 - 1953年、スウェーデン、湖沼の上空を飛行するスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2 A患者水上輸送機5号機 :双フロートは、黒っぽい色で塗装されている。機体赤十字マークの後の「5」は機体番号。
Flygplan TP 2A flygambulans märkt nummer 5 flyger över kustlinje..
FVMF.002218
Fotograf: Okänd fotografFotografering 1933 - 1953
Institution: Flygvapenmuseum
Date published: December 2, 2014
k
DIMU-CODE: 021015595415
UUID: 33EA5BBD-3130-4F38-B0E1-34336A0FE5BB
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Identifier: FVMF.002218 引用。
写真(右):1934 - 1941年、スウェーデン、格納庫前でスウェーデン軍兵士と記念撮影したスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2 A患者水上輸送機5号機 :左端の兵士は、右の双フロートにまたがっている。黒っぽい色で塗装されたフロートは、陸上では車輪のついた台座に乗せられて、移動しやすくしている。機体赤十字マークの後の「5」は機体番号。
Flygplan Trp 2 framför hangar. Tre militärer vid flygplanet.
FVMF.002071
Fotograf: Okänd Fotografering 1934 - 1941
Date published: December 21, 2016
DIMU-CODE: 011015057848
UUID: 2D1F1CA5-01ED-447B-BBA5-6DBAFBB9641F
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Identifier: FVMF.002071 引用。
写真(右):1934 - 1948年、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2 A患者水上輸送機5号機 :着水に失敗したのか、横転事故を起こし、クレーンで回収されている。主翼上面の赤十字記章がよくわかる。
Ambulanslygplan TRP 2 A märkt nr. 5 bärgas av en kran på en pråm. Folksamling på bygga framför kranen.
Identifier: FVMF.001436
Avbildad - namn: Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974)
Avbildad, ort: Sverige Uppland Hägernäs
Fotografering 1934 - 1948
Institution: Flygvapenmuseum
Date published: March 20, 2014
k
DIMU-CODE: 011013013377
UUID: 6C532D73-FAD4-49C8-8546-184AB84610D5
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Identifier: FVMF.001436 引用。
スウェーデンは、第一次世界大戦、第二次世界大戦にも加わらずに、その後も非同盟中立を堅持し続けた。他方、1926年には、航空兵力の重要性を認識し、それまでスウェーデン陸軍航空隊と海軍航空隊に分かれていた航空兵力を、あらたにスウェーデン空軍(Flygvapnet)を創設して、統合した。また、北欧スカンジナビアの平和に配慮して、中立を前提としながら、ロシアから独立したフィンランドへの支援、フィンランド内戦での反共産主義青軍の支援に義勇兵を派遣している。スウェーデンには、19世紀末から反共産主義の動きが活発で、政治的にも自由主義を擁護してきた伝統がある。
2.ユンカース(Junkers)K43水上輸送機(W34輸送機の軍用型)
フィンランド国防軍(Finnish Defence Forces)は、総司令官
カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)元帥の下、数的に遥かに勝るソ連赤軍相手に善戦したが、ドイツからも、スカンジナビア諸国からも、英仏からも軍事援助を受けることができず、孤軍奮闘だったために、1940年3月12日に、ソ連の領土要求を受け入れて講和した。
1939年9月1日、ドイツがポーランドに突如侵攻、3日には、ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリス・フランスがドイツに参戦して、第二次世界大戦が勃発した。その混乱に乗じたソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、既に傘下に収めていたバルト諸国同様に、フィンランドにも領土要求をし、併合する構えを見せた。しかし、フィンランドは、この要求を断固拒否、そこで、ソ連赤軍は、1939年11月30日、フィンランド南部に攻撃を加えた。こうして、フィンランド冬戦争が始まった。
写真(右)1941年8月21日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki:ムルマンスク南350キロ、レニングラード北800キロ)、担架に乗せた負傷者をフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)に搬入するフィンランド国防軍兵士:K43水上機はW34輸送機の軍用型。フィンランドでは、患者。負傷者の空輸に使われた機体の写真が多数残されている。胴体右側の扉は、担架のまま負傷者を搬出入するには小さすぎるようだ。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kuvassa oleva vesilentokone on Junkers K 43fa , joka tuttavallisemmin tunnetaan nimellä ”Pikku-Junnu”.
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 43673引用。
フィンランド国防軍(Puolustusvoimat)の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランド国防軍(Puolustusvoimat)では、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。
当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。
写真(右)1941年8月21日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki:ムルマンスク南350キロ、レニングラード北800キロ)、担架に乗せた負傷者をフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)に搬入するフィンランド国防軍兵士:胴体右側の扉は、担架のまま負傷者を搬出入するには小さすぎるようだ。Junkers W-34のコックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している水上患者輸送機。
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan. Koska pikainen apu on tarpeen ja satojen kilometrien taival maitse huonoilla teillä vie paljon aikaa.
Vähemmän
?
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-06
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。
ドイツのソビエト連邦侵攻は、1941年6月22日だが、
フィンランド国防軍(Puolustusvoimat)は、1939年11月30日から1940年3月12日の対ソビエト冬戦争に敗北しており、その報復として、1941年6月26日から1944年9月19日にかけて、ドイツとともに対ソビエト継続戦争(Continuation War)を戦った。冬戦争の際に、イギリスもフランスも連合国として、ドイツと第二次世界大戦を戦っていたが、ソ連とは戦っておらず、あえてフィンランドを助けるために、ソ連と会戦するはずがなかった。1941年7月、総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)元帥の指揮の下、フィンランド軍は、フィンランド南東部、ソ連に割譲させられていたカレリア地方を攻撃し、再占領し、冬戦争で奪われた領土を取り戻した。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖付近を飛行するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コードJU-8)。負傷者を搬送するのに使用された。:主翼下面に二つフロートがついているが、それを支えているフレームの数が多く、空気抵抗が大きそうに見える。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kuvassa on Junkers K 43fa. Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47720引用
フィンランド国防軍(Puolustusvoimat)が継続戦争(Continuation War)を開始すると、同盟国ソ連への攻撃を侵略と見なしたイギリスは、フィンランドをドイツ同盟国とみなして宣戦布告した。ソ連の対ドイツ戦を支えるために、アメリカの武器貸与法に基づく援助を行っていたイギリスとしては当然の行動だった。第二次世界大戦のさなかであり、ソビエト連邦からは、継続戦争は、枢軸国フィンランドに対する大祖国戦争の一環である。
しかし、1944年、ソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、廃止された。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継続戦争(Continuation War)を、ナチ党の残虐性を想起させるのを忌避する方便であろう。
写真(上)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43fa水上機(登録コードJU-128)と出撃を見送るフィンランド軍兵士たち:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しているが、患者・負傷者搬送する水上輸送機で、負傷者空輸の宣伝写真がたくさん残されている。
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan. Koska pikainen apu on tarpeen ja satojen kilometrien taival maitse huonoilla teillä vie paljon aikaa. Kuvassa on Junkers K 43fa vesilentokone (tunnus JU-128), joka on haavoittuneiden kuljetustehtävässä).
Lisää ?
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-06
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。
1930年にフィンランド国防軍(Puolustusvoimat)は、ドイツからユンカースW 34輸送機1機を購入し、さらにW43輸送機の水上機型のK 43水上機6機をスウェーデン空軍から購入した。1941年7月に、ソビエト連邦との継承戦争を戦うに際しては、長距離偵察・哨戒機として前線に送られたが、前線から傷病兵を後方に搬送する患者輸送機としての任務にも就役した。1944年春、フィンランド空軍は、さらに5機のユンカースW 34輸送機を購入したが、これらは訓練用の練習機として使用されたようだ。戦後にこれらユンカースW34/K43輸送機は、フィンランド国境警備隊で1950年まで使用された。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機で負傷者を空輸しようと、担架で負傷兵を運んできたフィンランド国防軍兵士:
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin.
H.Tollet, valokuvaaja
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin. Vesilentokone on Junkers K 43fa (Junkers W 34).
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-09
H.Tollet, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。
1930年にフィンランド国防軍(Puolustusvoimat)は、ドイツから1機のユンカース(Junkers)W 33液冷エンジン単発輸送機(JU-122)を輸入し、海上任務(maritime operations)に就かせ、6機のユンカース K 43s 偵察爆撃機(JU-123 から JU-128) を輸入して、軽爆撃機、輸送機、患者輸送機として、1941年6月からの対ソ連「継続戦争」に投入した。また、ソ連領内への隠密偵察部隊・スパイへの物資輸送にも使用された。実績があったためか、フィンランドは、大戦末期の1944年に、ドイツの余剰となっていた5機のユンカース(Junkers)W 33輸送機(JU-131 – 135) を再度輸入し、無線広報練習機(radio navigation training)として使用した。そして、戦後も、これらの機体は、国境警備隊(Finnish Border Guard)に残され、1950年まで使用された。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機で空輸するために、湖岸まで運ばれてきたフィrンランド国防軍負傷兵。:湖岸の林の中なので、ソビエト空軍の空襲からぎそうするにぎそうするのに都合がよい。
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin.
H.Tollet, valokuvaaja
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin. Vesilentokone on Junkers K 43fa (Junkers W 34).
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-09
H.Tollet, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。
ユンカースK 43fa輸送機の諸元:
搭乗員: 2名、 乗客: 3-6名
全直:11,13m、全幅i: 17,75m
全高: 3,90m、主翼面積:44平方メートル
空虚重量: 1885kg、全備重量: 3200kg
発動機: 1× BMW 132
最高速力: 220km/h
巡航速力: 180km/h
航続距離: 1700km
上昇限度: 5300m
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、負傷兵の後方空輸に任務にあたったフィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:JU-127)の搭乗員と現地のフィンランド国防軍兵士。:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähdössä Tiiksjärvellä. Kuvan vesilentokone sotilaisjoukon takana on Junkers K 43 fa (tunnus JU-127).
Aineistotyyppi ?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-06
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Aiheet
1941-09-06
写真は,Museot Finna引用。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、負傷兵の後方空輸に任務にあたったフィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:JU-127)の搭乗員と現地のフィンランド国防軍兵士。:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähdössä Tiiksjärvellä. Kuvan vesilentokone sotilaisjoukon takana on Junkers K 43 fa (tunnus JU-127).
Aineistotyyppi ?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-06
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Aiheet
1941-09-06
写真は,Museot Finna引用。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、負傷兵・傷病兵の後方空輸に任務にあたったフィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:JU-127)の搭乗員と現地のフィンランド国防軍兵士:
Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähdössä Tiiksjärvellä. Kuvan vesilentokone sotilaisjoukon takana on Junkers K 43 fa (tunnus JU-127).
Aineistotyyppi ?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-06
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Aiheet
1941-09-06
写真は,Museot Finna引用。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43fa水上機(登録コードJU-128)に負傷者を搬送するフィンランド国防軍兵士たち
Description
Suomi: Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähtee Tiiksjärveltä lentokoneilla. (Kuvassa on Junkers K 43fa, tunnus JU-128). Kuvauspaikka: Tiiksjärvi
Date 6 September 1941
Source http://sa-kuva.fi/
Author Kapteeni E.J.Paavilainen
Date 6 September 1941
Source http://sa-kuva.fi/
写真は,Museot Finna引用。
継続戦争(Continuation War)は、1941年6月25日から1944年9月19日にかけて3年2カ月の間、フィンランドがソ連と戦った戦争である。戦争当事国の一方であるソ連は、フィンランドの侵入を受け、それを防いだ「大祖国戦争」の一環であり、すなわち第二次世界大戦の一部である。フィンランドは、国土を奪ったソ連とは戦うが、イギリスとは戦わないという釈明をした。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機。負傷者を担架で搬送している。:湖の水深が浅いために、岸辺に座礁してしまうので、少し沖合まで木材で簡単な桟橋を作ったようだ。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin.
H.Tollet, valokuvaaja
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin. Vesilentokone on Junkers K 43fa (Junkers W 34).
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-09
H.Tollet, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。
他方、イギリスのウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)首相は、1941年6月の独ソ戦開始前から、ソ連にドイツがソ連攻撃を計画していることを事前に連絡し、独ソ戦開始後も、直ぐにソ連邦への軍事援助を表明しているが、これはドイツ打倒を最優先し「ヒトラーを倒すためには、悪魔とも手を結ぶ」と公言していたウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)首相にとって、当然のことだった。したがって、イギリスは、フィンランドがソ連とのみ領土奪回の目的で、1939年の第二次大戦開始直前の「冬戦争」を継承しているのであって、イギリスと戦火を交えるつもりはないという方便を認めていない。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43fa水上機(登録コードJU-128)と出撃を見送るフィンランド軍兵士たち:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している水上偵察爆撃機型だが、負傷者空輸の写真がたくさん残されている。
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan. Koska pikainen apu on tarpeen ja satojen kilometrien taival maitse huonoilla teillä vie paljon aikaa. Kuvassa on Junkers K 43fa vesilentokone (tunnus JU-128), joka on haavoittuneiden kuljetustehtävässä).
Lisää ?
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-06
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
写真は,Museot FinnaMuseot Finna引用。
写真(右)1941年9月9日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機。負傷者を担架で搬送している。:湖の水深が浅いために、岸辺に座礁、乗り上げて担架の患者を運搬している。
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin.
H.Tollet, valokuvaaja
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin. Vesilentokone on Junkers K 43fa (Junkers W 34).
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-09-09
H.Tollet, valokuvaaja
写真は,Museot FinnaMuseot Finna引用。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、担架に乗せた負傷者を搬送する準備をするフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-128):手前の砂浜には、負傷者が横たわった担架が置かれている。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。
Kuvassa on Junkers K 43fa vesilentokone (tunnus JU-128), joka on haavoittuneiden kuljetustehtävässä). Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真はThe Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47733引用。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ‐ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、担架に乗せた負傷者を搬送する準備をするフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-128):手前の砂浜には、負傷者が横たわった担架が置かれている。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。
Kuvassa on Junkers K 43fa vesilentokone (tunnus JU-128), joka on haavoittuneiden kuljetustehtävässä). Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47734引用。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、発進するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)を見送る地上勤務の隊員たち。手を振る婦人も軍服を着ており、フィンランド軍のK43水上機は負傷者搬送に使用されたので、従軍看護婦あるいは女性兵士のようだ。:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。
Kuvassa on Junkers K 43fa. Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47725引用。
写真(右)1941年11月2日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上患者輸送機(登録コード:JU-124)。負傷者を搬送している。:
Lääkintähuoltoa(医療), sairaskuljetus lentoteitse
Vilho Uomala, valokuvaaja
Lääkintähuoltoa, sairaskuljetus lentoteitse. Elo-Syyskuu 1941. Lentokone on Junkers K 43f.
写真は,Museot Finna引用。
水上機は、フロートで浮いているので、機体の姿勢は、機首と尾部が水平になるので、人員輸送にはやりやすい面もある。当時の陸上機の多くは、尾輪式で、地上姿勢では、機首が上方を向いており、尾翼部分は地面に近くにある。そこで、地上で機体に乗り込むと、坂の上にあるように、姿勢が斜めになった。
写真(右)1941年11月2日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コードJU-12?)。負傷者を搬送している。:主翼下面に二つもフロートがついているが、それを支えているフレームの数が多く、空気抵抗が大きそうに見える。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Sairaskuljetusta lentokoneella.
Uomala, valokuvaaja
Sairaskuljetusta lentokoneella. Lentokone on Junkers W 43fa, ``Pikku-Junnu ? ?.
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1941-11-02
Uomala, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。
写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コードJU-128)。負傷者を搬送している。:主翼下面に二つもフロートがついているが、それを支えているフレームの数が多く、空気抵抗が大きそうに見える。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kuvassa on Junkers K 43fa. Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces: Kuvan numero 47720引用。
写真(右)1941 - 1944年,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上患者輸送機「ピッコ・ユノ」``Pikku-Junnu ? ?(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)。負傷者を搬送している。:胴体上部の前方銃座には、旋回機銃が装着されているが、中部の銃座には旋回機関銃が装着されていない。
haavoittunutta nostetaan Junkers kujetuskoneeseen
haavoittunutta nostetaan Junkers kujetuskoneeseen(負傷者は担架でユンカースに乗せられる)
, Kyseinen Junkers K 43fa (OH-MVF) kuljetuskoneen on ilmavoimat luovuttanut Merivartiolaitokselle (myöh. Rajavartiosto) ennen vuotta 1944.(ユンカース K 43fa(OH-MVF)輸送機は、1944年までフィンランド空軍によって沿岸警備隊(後の国境警備隊)に配属された。)
Aineistotyyppi
?Kuva
Aiheen aika
1941 - 1944
Organisaatio
Museovirasto - Musketti
Kokoelma
Historian kuvakokoelma
Inventaarionro
HK19850130:205
Kuvaustiedot:
1941 - 1944
Lääkintähuoltoa(医療) , sairaskuljetus lentoteitse
Vilho Uomala, valokuvaaja
Lääkintähuoltoa(医療), , sairaskuljetus lentoteitse. Elo-Syyskuu 1941. Lentokone(航空機) on Junkers K 43f.
Aineistotyyppi:Valokuva (写真)
写真は,Museot Finna HK19850130:205引用。
写真(右)1941年7月30日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上患者輸送機「ピッコ・ユノ」``Pikku-Junnu ? ?(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)。負傷者を搬送している。:
Lääkintähuoltoa(医療) , sairaskuljetus lentoteitse
Vilho Uomala, valokuvaaja
Lääkintähuoltoa(医療), , sairaskuljetus lentoteitse. Elo-Syyskuu 1941. Lentokone(航空機) on Junkers K 43f.
Aineistotyyppi:Valokuva (写真)
写真は,Museot Finna引用。
写真(右)1941年11月2日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上患者輸送機「ピッコ・ユノ」 ”Pikku-Junnu”(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)。負傷者を後方に搬送するのに使用された。:
Sairaskuljetusta lentokoneella.
Uomala, valokuvaaja
Sairaskuljetusta lentokoneella. Lentokone on Junkers W 43fa, ``Pikku-Junnu ? ?.
Aineistotyyppi:Valokuva (写真)
写真は,Museot Finna引用。
写真(右)1942年5月28日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(キエスチンキ:Kiestinki)、カナナイネン(Kananainen:カナダ村)と称された水上機地に待機するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-123;奥)に搬入するフィンランド国防軍兵士:手前は K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-125)。
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä.
U. Laukka, valokuvaaja
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. Junkers K 43fa lentokoneita.
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1942-05-28
U. Laukka, valokuvaaja
写真は,The Finnish Defence Forces引用。
写真(右)1942年5月28日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(キエスチンキ:Kiestinki)、カナナイネン(Kananainen:カナダ村)と称された水上機地に待機するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) するK 43 fa水上機「ピッコ・ユノ」 ”Pikku-Junnu”(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)と水上滑走するK 43 fa水上機:奥の丘陵の上には、農家の木造家屋が4件あるが、湖畔の建物は、農家に見せかけた水上機基地の施設であろうか。
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä.
U. Laukka, valokuvaaja
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. Junkers K 43fa lentokoneita.
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1942-05-28
U. Laukka, valokuvaaja
写真は,The Finnish Defence Forces: Kuvan numero 101880引用。
1918年以来、、
フィンランド国防軍(Puolustusvoimat)の空軍機や陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(Hakaristi?Swastika)が描かれている。ドイツでも、カギ十字卍(スワスチカ:Swastika)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、夏党政権獲得後、この鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。そして、再軍備宣言後、ドイツ空軍が創設されると、ナチ党の採用したカギ十字をドイツの国籍マークとした。
写真(右)1942年5月28日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(キエスチンキ:Kiestinki)、カナナイネン(Kananainen:カナダ村)と称された水上機地に待機するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-123;奥)に搬入するフィンランド国防軍兵士:手前は K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-125)。
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä.
U. Laukka, valokuvaaja
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. Junkers K 43fa lentokoneita.
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1942-05-28
U. Laukka, valokuvaaja
写真は,The Finnish Defence Forces: Kuvan numero 101880引用。
写真(右)1942年7月30日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki)(?)、担架に乗せた負傷者をフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)に搬入するフィンランド国防軍兵士:胴体右側の扉は、担架のまま負傷者を搬出入するには小さすぎるようだ。
Kuvaaja(撮影監督):Vänrikki H.Harrivirta(ハリヴィルタ)
Lentokone on Junkers K 43fa, ``Pikku-Junnu´´.
nimellä ”Pikku-Junnu”.
写真は,The Finnish Defence Forces: Kuvan numero 101880引用。
写真(右)1942年7月30日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上患者輸送機「ピッコ・ユノ」 ”Pikku-Junnu”(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)。負傷者を搬送している。:
Lentokone tuo tarvikkeita(航空機用具) ja vie haavoittuneita(負傷者を搬送する).
Vänrikki H.Harrivirta, valokuvaaja
Lentokone tuo tarvikkeita ja vie haavoittuneita. Lentokone on Junkers K 43fa, ``Pikku-Junnu ? ?(リトル・ジェンヌ).
Aineistotyyppi:Valokuva (写真)
Kuvaustiedot: 1942-07-30.
写真は,Museot Finna引用。
第二次世界大戦中の1941年6月22日、ドイツはバルバロッサ作戦(Operation Barbarossa)を発動し、独ソ不可侵条約を反故にして、ソビエト連邦に攻め込んだ。それから3日後、1941年6月25日、
フィンランド国防軍(Puolustusvoimat)もソ連に侵攻した。これは、1939年の冬戦争でソ連に奪われた国土(カレリア)を奪回するための継続戦争(Continuation War)だったが、ソ連は、イギリス・アメリカの軍事支援を受けていた連合国側になっていた。
写真(右)1943年8月21日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、レニングラード北600キロ、キマソゼロ(Kiimasjärvi
)(?)、フィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機に負傷者を運搬するフィンランド国防軍兵士:担架で負傷者を機内に運び入れるには、胴体の扉は狭いようだ。コックピット後上方7.92ミリ旋回機関銃の銃座がある。
Haavoittunut nostetaan varovasti koneeseen, jolla matka jatkuu kenttäsairaalaan.
Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
Haavoittunut nostetaan varovasti koneeseen, jolla matka jatkuu kenttäsairaalaan. Lentokone on Junkers W 43 fa.
Aineistotyyppi
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1943-08-21
写真は,Museot Finna引用。
フィンランド国防軍(Puolustusvoimat)は、イギリス・アメリカの反共産主義勢力を過大評価し、ソ連に対する軍事支援が、実際に大規模に行われるとは予測していなかったのかもしれない。あるいは、イギリスを孤立に追い込んでいたドイツの戦力を過大評価し、あえてソ連に戦いを挑む好機が到来したと読み誤ったようだ。日本ですら、関東軍を増強して特別大演習を実施し、ソ連を威嚇したものの、対ソ連戦争は開始しなかった。これは、中国と日中戦争を戦い続け、さらに南方を攻略してアメリカに対抗するという目的があったからだが、フィンランド国防軍(Puolustusvoimat)にとっては、ソ連だけが仮想敵国だった。
写真(右)1941-1943年頃,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、レニングラード北600キロ、キマソゼロ(Kiimasjärvi
)(?)、負傷者を運搬していたフィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機:コックピット後上方7.92ミリ旋回機関銃の銃座があり、そこから搭乗員が上半身を出している。
Haavoittuneita kuljetetaan karjalan korpimailta myös lentokoneilla
Luutnantti M.Rossi, valokuvaaja
Haavoittuneita kuljetetaan karjalan korpimailta myös lentokoneilla. Paareilla lepäävää potilasta nostetaan kuljetuslentokoneeseen. Kuvassa oleva vesilentokone on Junkers W 43f.
写真は,Museot Finna引用。
戦時にあっても、万国共通の攻撃対象外の機体として、戦争法規では、無武装で白色塗装の上に大きな赤十字を描いた患者輸送機・救難機を認めていた。これは、機体を白色塗装とし、大きな赤十字マークうを描くこと、無武装であること、兵員・軍事物資を搭載しないこと、前もって、航路を敵に知らせることを条件として認められた。
しかし、敵の戦力を削減するには、このような患者・負傷者の輸送であっても阻止すべきである。また、患者・負傷者の輸送を偽って、軍事物資や要人・兵員輸送をしている違法行為かもしれない。1940年のバトルオブブリテンで必死の本土決戦を戦っているイギリス空軍も、ドイツ空軍の救難機を攻撃対象外とはしなかった。 ...コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。
写真(右)1943年8月21日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、レニングラード北600キロ、キマソゼロ(Kiimasjärvi
)(?)、負傷者を運搬していたフィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機:コックピット後上方7.92ミリ旋回機関銃の銃座があり、そこから搭乗員が上半身を出している。
Junkers-vesikone Tiiksjärven rannassa.
Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
Aineistotyyppi
?Valokuva.
写真は,Museot Finna: Kuvan numero 135289引用。
1941年6月25日から1944年9月19日にかけて3年2カ月の間、フィンランド国防軍(Puolustusvoimat)は、結果を知っているものの視点で見れば、無謀な対ソビエト連邦戦争を開始した。しかし、当時は、民主主義国イギリス・アメリカの軍事力を過小評価しており、第二次世界大戦に参戦したのではなく、冬戦争で失った国土を奪還するという目的で、イギリス(当時は中立国のアメリカ)と戦うのではないという言い訳が国際的に通用すると錯覚していた。結果から見れば、これはフィンランド外交の大失敗だった。
写真(右)1950年3月31日–4月1日、フィンランド、フィンランド空軍ユンカース(Junkers)W.33水上輸送機:第二次大戦中から患者救難用に使用された機体。
Retkikunta Junkers W 34:n edessä keväällä 1950, Utista käsin suoritettiin matka kahdella Junkersilla Pallas-Ounastuntureille 31.3 – 1.4.1950. ORGANISAATIO
Suomen Ilmailumuseo
KOKOELMA
Tuomikoski, Kauko
TUNNISTE
SIM VK 32:1
MITAT
9x6
Vedos
VALMISTUS
31.3 – 1.4.1950
Valkeala, Utti, Utin lentoasema (EFUT)
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・M016-20047 引用。
3.ユンカース(Junkers)W34輸送機
写真(右)1930年代,カナダ、カナダが購入したドイツ製ユンカース(Junkers)W.34輸送機水上機仕様(J-ARI):この機体は1940年1月25日、離陸中に事故を起こしてカナダ西部、アルバータ州ウォーターワェイズに墜落、大破した。既存のユンカースW33輸送機をベースにした発展型が、1926年7月7日に初飛行したW34輸送機である。
English: Junkers W-34
Source
Canadian Force
Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago.
写真は Wikimedia Commons, Category:CF-ARI (aircraft) ・File:Junkers W34 ExCC.jpg引用。
ドイツのユンカース社(Junkers Motorenbau GmbH)は、ユンカースF13単発輸送機をベースに、大型化したユンカース(Junkers)W 33単発輸送機を開発したが、この機体はユンカースL5液冷エンジン1基を装備していた。しかし、このユンカース液冷エンジンよりも、当時世界各国で普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換した輸出仕様ユンカース(Junkers)W 33単発輸送機が、ユンカース社で開発された。これが、輸出仕様のユンカースW34単発輸送機で、空冷星形9気筒エンジン1基を機首に装備しているが、その他の仕様は、ユンカース(Junkers)W 33単発輸送機とほぼ同様である。
写真(右)1940年1月25日、てカナダ西部、アルバータ州ウォーターワェイズ、離陸中に事故を起こし墜落、大破したドイツ製ユンカース(Junkers)W.34輸送機水上機仕様(J-ARI):既存のユンカースW33輸送機をベースにし1926年7月7日に初飛行したW34輸送機、この軍用仕様がK.43偵察爆撃機である。2翅固定ピッチプロペラ装備の空冷星形エンジン1基搭載、胴体には旋回機関銃座が設けられている。
Description This Junkers plane crashed in Waterways, Alberta shortly after take-off on January 25, 1940. The status of the pilot is unknown. From the Charles Eymundson fonds, PR2012.0927/172.
Date 13 November 2013, 11:45
Source Crash site of CF-ARI
Author Provincial Archives of Alberta
Permission
(Reusing this file) Provincial Archives of Alberta @ Flickr Commons
写真は Wikimedia Commons, Category:CF-ARI (aircraft) ・File:Crash site of CF-ARI (10841405645).jpg引用。
ユンカースJunkers W34輸送機の諸元
発動機:BMW -132空冷星形エンジン650馬力
金属製プロペラ 直径3.1m
総重量 3200 kg、空虚重量 1700kg
全長: 10.3 m、全高: 3.5 m、全幅: 18.5 m
最高速力:265km/h、巡航速力230km/h
航続距離:900km、実用上昇限度6300m
乗員・乗客: 6席
写真(右)1940年1月25日、離陸中に事故を起こしてカナダ西部、アルバータ州ウォーターワェイズに墜落、大破したドイツ製ユンカース(Junkers)W.34輸送機水上機仕様(J-ARI):既存のユンカースW33輸送機をベースにし1926年7月7日に初飛行したW34輸送機、この軍用仕様がK.43偵察爆撃機である。2翅固定ピッチプロペラ装備の空冷星形エンジン1基搭載、胴体には旋回機関銃座が設けられている。
Description This Junkers plane crashed in Waterways, Alberta shortly after take-off on January 25, 1940. The status of the pilot is unknown. From the Charles Eymundson fonds, PR2012.0927/172.
Date 13 November 2013, 11:45
Source Crash site of CF-ARI
Author Provincial Archives of Alberta
Permission
(Reusing this file) Provincial Archives of Alberta @ Flickr Commons
写真は Wikimedia Commons, Category:CF-ARI (aircraft) ・File:Crash site of CF-ARI (10841405645).jpg引用。
ユンカース(Junkers) W-33輸送機もユンカース(Junkers) W34も、機体の外板を薄くして重量を軽減しつつ,波板構造にして強度を高めるような設計だった。この独特の波板外板構造は,Ju-52輸送機に引き継がれた。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)W 34 単発輸送機を見る。
1930年頃,ドイツ、ユンカース(Junkers)K.43偵察爆撃機:既存のユンカースW33輸送機をベースにし1926年7月7日に初飛行したW34輸送機、この軍用仕様がK.43偵察爆撃機である。2翅固定ピッチプロペラ装備の空冷星形エンジン1基搭載、胴体には旋回機関銃座が設けられている。
This Junkers plane crashed in Waterways, Alberta shortly after take-off on January 25, 1940. The status of the pilot is unknown. From the Charles Eymundson fonds, PR2012.0927/170.
Date 13 November 2013, 11:45
Source Crash site of CF-ARI
Author Provincial Archives of Alberta
Permission
(Reusing this file) Provincial Archives of Alberta @ Flickr Commons
写真は Wikimedia Commons, Category:CF-ARI (aircraft) ・File:Crash site of CF-ARI (10841470356).jpg引用。
写真(右)1928年,ドイツ、ユンカース(Junkers)K.43偵察爆撃機:既存のユンカースW33輸送機をベースにし1926年7月7日に初飛行したW34輸送機、この軍用仕様がK.43偵察爆撃機である。2翅固定ピッチプロペラ装備の空冷星形エンジン1基搭載、胴体には旋回機関銃座が設けられている。
Junkers, K.43
Catalog #: 01_00081577
Title: Junkers, K.43
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: K.43
Tags: Junkers, K.43
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives ・File:Crash site of CF-ARI (10841456786).jpg引用。
写真(右)1928年,ドイツ、ユンカース(Junkers)K.43偵察爆撃機:既存のユンカースW33輸送機をベースにし1926年7月7日に初飛行したW34輸送機、この軍用仕様がK.43偵察爆撃機である。2翅固定ピッチプロペラ装備の空冷星形エンジン1基搭載、胴体には旋回機関銃座が設けられている。
Junkers K43 1928
PictionID:43099303 - Title:Junkers K43 1928 - Catalog:16_003738 - Filename:16_003738.TIF - - - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives ・引用。
写真(右)1930-1935年頃、ブラジル、コンドル・シンジゲート・ブラジル航空のユンカースW34輸送機(PP-CAR) :この機体は、当初は陸上機型だったが、後に水上機型に変更された。
henry cord meyer image
pictionid61652184 - catalogjunkers w 34 brazilian airline condor syndicate. - titlearray - filenamemeyer0411.tif---Image from the Henry Cord Meyer Collection-Please tag these photos so that the information will be kept with our Digital Asset Management System---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives・"pictionid 61652184"引用。
写真(右)1930-1935年頃、ブラジル、コンドル・シンジゲート・ブラジル航空のユンカースW34輸送機(PP-CAR):この機体は、当初は陸上機型だったが、後に水上機型に変更された。
SDASM Archives
henry cord meyer image
pictionid 61652159 - catalogcondor syndicate airline junkers w 34. - titlearray - filenamemeyer 0409.tifv
写真は,SDASM Archives・"pictionid 61652159"引用。
ユンカースW-34輸送機の諸元
全長 10.3メートル
全幅 17.8メートル
自量 1,700キロ
全備重量 3,200キロ
エンジン 650馬力1基
最高時速 265キロ
巡航速度 230キロ
航続距離 900キロ
上昇限度 6,300メートル
乗客6人
1926年に完成
生産機数1800機
原型となったユンカースL液冷エンジン装備のユンカースW33の生産機数は199機。
写真(右)1920年代,コロンビア、SCADTA、ユンカースJunkers W 34 水上輸送機:ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。
Three-quarter left front view of SCADTA Junkers W-34 "Magdalena" pulled up to a riverbank probably somewhere in Colombia; a small crowd watches from left foreground; a canoe is seen in the river at right midground; circa 1920s.
Data Source
National Air and Space Museum Archives
Restrictions & Rights
Material is subject to Smithsonian Terms of Use. Should you wish to use Smithsonian National Air and Space Museum (NASM) material in any medium, please submit an Application for Permission to Reproduce NASM Material, available at http://airandspace.si.edu/permissions
photographer
Unknown
See more items in
R. E. G. (Ron) Davies Air Transport Collection
Date
Circa 1920s
Repository Loc.
National Air and Space Museum, Archives Division, MRC 322, Washington, DC, 20560
Local number
NASM-9A08076
写真はSmithsonian Institution・NASM-9A08076引用。
写真(右)1980年頃(?),コロンビア、コロンビアが購入したドイツ製ユンカース(Junkers)K.43偵察爆撃機:既存のユンカースW33輸送機をベースにし1926年7月7日に初飛行したW34輸送機、この軍用仕様がK.43偵察爆撃機である。2翅固定ピッチプロペラ装備の空冷星形エンジン1基搭載。胴体上面の旋回機関銃座は撤去されている。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album
Junkers K 43 Colombian Air Force
:38237925 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002370.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.-----------PLEASE TAG these images with any information you know about them so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.-----------------SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives 引用。
飛行場整備の必要性が少ない水上機は、開発途上国では陸上機よりも利用範囲が遥かに広かったため普及してた。ただし、大きなフロートを二つも装着しているので、空気抵抗が大きくなり、飛行性能が低下する。世界各地に飛行場が整備され出した20世紀後半には、水上機よりも陸上機のほうがより多く長距離輸送に使用されるようになった。
写真(右)1930年以降、ノルウェー、トロンヘイム、ノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)W34hi水上輸送機"Ternen" (登録コード:LN-DAB、 製造番号: cn. 2832):この機体は1935年6月1日にオスロで登録され、1940年6月にドイツ軍侵攻により、ノルウェーからドイツに奪われた。しかし1946年7月13日に除籍。F13輸送機をベースに、大型化したのがW33輸送機であり、原型はユンカースL5液冷エンジン1基を装備していたが、輸出向けには、普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプが開発されている。
Subject: Data. LN-DAB Junkers W.34 hi cn. 2832. Reg:01.06.35 DNL A/S Oslo "Ternen" 06.40 beslaglagt av tyskerne. Slettet av register 13.07.46.
Tekn data . Motor: 1x 650 hk BMW -132. Maks T O vekt: 3200 kg. Lengde: 10.3 m. Høyde: 3.5 m. Vingespenn: 18.5 m. Ant seter: 6.
Fotografering 1930 - 1950 (ANT)
Avbildet sted: Trondheim Sør-Trøndelag
Institution: Norsk Luftfartsmuseum
Date published:December 18, 2014
写真はNorsk Luftfartsmuseum ・NL.97010431 引用。
ユンカース(Junkers)W33輸送機のユンカースL2(後にL5)液冷エンジンを空冷星形エンジンに変換したのが、ユンカースJunkers W34輸送機である。ユンカース(Junkers) W34輸送機の搭載した発動機は、ノーム エ ローヌ(Gnome et Rhône)9A ジュピター(Jupiter)空冷星形9気筒エンジン、ブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)VII空冷星形9気筒エンジン400 hp (300 kW)、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690ホーネット(Hornet )空冷星形9気筒エンジン 525 hp (392 kW)、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340 ワスプ(Wasp)空冷星形9気筒エンジン425 hp (317 kW)など各種ある。
写真(右)1935年、スウェーデン、マルメ、空冷星形9気筒エンジン1基を搭載したノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)W34hi水上輸送機"Ternen" (登録コード:LN-DAB、 製造番号: cn. 2832):垂直尾翼に、国旗が描かれている。エンジン覆いカウリングの後半から排気管が合わさった集合排気管となっている。後期型なので密閉式のコックピットで、胴体後方は6名の乗客用座席があり、外を眺めるための窓がある。
Junkers W 34, LN -DAB flygplan i Limhamns hamn.
Foto: Okänd fotograf / Malmö Museer
Creation date: 1935 - 1935
Publisher: Malmö museer
Identifier: http://kulturarvsdata.se/MM/foto/613292 ,
EH 001997
Institution: Malmö museer
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden
First published in Europeana: 2019-05-20
写真はeuropeana collectioms Malmö museer ・Dataset: 91672_Ag_SE_SwedishNationalHeritage_malmo_foto 引用。
写真(右)1935-1940年、ノルウェー、格納庫前に駐機して記念撮影したノルウェー航空(DNL)のユンカースW34水上輸送機(LN-DAB) (製造番号 W.Nr 5429) :二つのフロートは、機体とは異なって黒っぽい色に塗装されているが、海水による錆止めのためであろう。垂直尾翼には、青地に白縁赤十字のノルウェー国旗を描いている。
Ant. sjøflyhavn. ett fly på bakken, Junkers Ju W 34 "Ternen", LN-DAB, foran en hangarbygning. To personer sitter på den ene vingen.
Specific subject terms: Sjøflyhavn Sjøfly DNL Propellfly Fotografering 1935 - 1940
Owner of collection:Norsk Luftfartsmuseum
Institution: Norsk Luftfartsmuseum
Date published:December 18, 2014
UUID:D525E6EE-7659-4727-8880-9B9C63793619
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・Identifier:NL.97010452 引用。
写真(右)1930-1935年頃、ノルウェー、トロンハイム、ノルウェー航空(DNL)のユンカースW34水上輸送機(LN-DAB) (製造番号 W.Nr 5429) :垂直尾翼には、青地に白縁赤十字のノルウェー国旗を描いている。
Ett fly på bakken, Junkers Ju W 34 LN-DAB "Ternen".Flere personer ved flyet. Brygger - bygninger i bakgrunnen
Fotografering 1930 - 1950
Avbildet sted: Trondheim Sør-Trøndelag
Owner of collection:Norsk Luftfartsmuseum
Institution: Norsk Luftfartsmuseum
Date published:December 18, 2014
UUID:6F113B62-DA5B-4482-B857-0E3E68E98A66
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・Identifier:NL.97010432引用。
写真(右)1930-1935年頃、ノルウェー、ノルウェー航空(DNL)のユンカースW34水上輸送機(LN-DAB) (製造番号 W.Nr 5429) :垂直尾翼には、青地に白縁赤十字のノルウェー国旗を描いている。解説ではJu 52としているが誤り。
LN-DAB Junker 52
Specific subject terms: Fly Luftfart - Tyskland Junkers Ju 52 Junkers Luftfart
Identifier: NTM C 4280
Part of collection: NTM
Owner of collection: Norsk Teknisk Museum
Institution: Norsk Teknisk Museum
Date published: August 11, 2014
Date updated: April 1, 2015
DIMU-CODE: 011014273546
UUID: FBEF9277-A8ED-4FBA-B36E-94CA4CABFCE6
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・"NTM MFF 651"引用。
転載写真(右)1936年、ノルウェー、ベルゲン空港、ノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)JU52水上輸送機とユンカース(Junkers)W34hi水上輸送機"Ternen" (登録コード:LN-DAB、 製造番号: cn. 2832):
Tre sjøfly på vannet ved Bergen Lufthavn; Junkers W 34 "Ternen" tilhørende DNL Fred. Olsen & Bergenske A/S med reg.nr. LN-DAB (rute Bergen-Sogn) i forgrunnen, Junkers Ju 52 "Najaden" tilhørende Det norske Luftfarselskap A/S (DNL) med reg.nr. LN-DAF (rute Oslo-Bergen) bak denne og Junkers Ju-52 3m "Falken" tilhørende Det norske Luftfartselskap A/S (DNL) med reg.nr. LN-DAH (rute Bergen-Tromsø) et stykke ut på fjorden
Date: start=1936-01-01
写真はEuropeana ・
Dataset: 2048418_Ag_DE_DDB_SLUB-Sub10 引用。
1930年以降,ノルウェー中部、ソール・トロンデラーグ、トロンハイム(?)の水面に待機中のノルウェー航空のユンカース(Junkers)W34水上輸送機"Ternen"(登録コード: LN-DAB):原型は単発エンジンだったが、強力なエンジンを搭載することが軍用に転用可能と判断された。そこで、小出力の三発エンジンに変換された。ユンカースの採用した波板式の金属外板は、強度を保つのに役に立った。フロートの間に木製板を渡して足場を確保している。
Sjøflyhavn - brygge, to personer står foran motoren til ett fly, Junkers Ju W 34 "Ternen", LN-DAB.
Date: start=1930-01-01;end=1950-01-01
Provenance
Identifier: LMU/NL.97010451
Institution: Norsk Luftfartsmuseum
Provider: Arts Council Norway
Providing country: Norway
First published in Europeana: 2014-03-26
Last updated in Europeana: 2016-04-30
References and relations
Is part of: Norsk Luftfartsmuseum
Dataset: 2022608_Ag_NO_ELocal_DiMu
References: 97010451 (Foto-nummer)
写真はNational Archives of The Netherlands:Norsk Luftfartsmuseum ・Identifier: LMU/NL.97010451 引用。
ユンカースJunkers W34輸送機の諸元
発動機:BMW -132空冷星形エンジン650馬力
金属製プロペラ 直径3.1m
総重量 3200 kg
空虚重量 1700kg
全長: 10.3 m
全高: 3.5 m
全幅: 18.5 m
最高速力:265km/h、巡航速力230km/h
航続距離:900km
実用上昇限度6300m
乗員・乗客: 6席
写真(右):1930年以降,ノルウェー中部、ソール・トロンデラーグ、トロンハイム(?)の水面に待機中のノルウェー航空のユンカース(Junkers)W34水上輸送機"Ternen"(登録コード: LN-DAB):ユンカースの採用した波板式の金属外板は、強度を保つのに役に立った。フロートの間に木製板を渡した足場で、2翅プロペラに手をかけて記念撮影をしている。
Ett fly i vannkanten, Junkers Ju W 34 DNL "Ternen", ved kai. Nærbilde av den ene motoren. en person foran flyet, holder i propellen. Language: Norwegian
Identifier: LMU/NL.97010437
Institution: Norsk Luftfartsmuseum
Provider: Arts Council Norway
Providing country: Norway
First published in Europeana: 2014-03-26
Date: start=1930-01-01;end=1950-01-01
Is part of: Norsk Luftfartsmuseum
Dataset: 2022608_Ag_NO_ELocal_DiMu
Location: Sør-Trøndelag
写真はNational Archives of The Netherlands:Norsk Luftfartsmuseum ・Identifier: LMU/NL.97010437引用。
ユンカース(Junkers)W34輸送機は、原型となったユンカースW33輸送機が初飛行した同じ1926年7月に初飛行した。両機の差異は、発動機であり、ユンカースW33輸送機がユンカース L5 液冷エンジンを搭載したに対して、ユンカースW34輸送機はフランス製グロノーム(Gnome et Rhone)ジュピター(Jupiter) VI 空冷星形エンジンやBMW132空冷星形エンジンなど、空冷星形9気筒エンジンを搭載した。スウェーデンではユンカース(Junkers)W34輸送機の軍用型であるK43が製造され、フィンランドに6機、アルゼンチンに5機、ポルトガルに5機合計18機が生産された。
写真(右)1933年,ユンカース(Junkers)W34輸送機の胴体下面に取付けられた偵察用写真機:客室は容積に余裕があり、6名分の座席を確保できる。
Verkehrsflugzeug vom Typ Junkers (sehr wahrscheinlich Junkers W-34). Innenansicht mit Reihenbildkamera
Foto: Unbekannter Fotograf, vor 1933
Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0020393
SLUB / Deutsche Fotothek
Eigentümer: SLUB / Deutsche Fotothek
Record Name: Ans_05338-02-167-AL-FL.
写真は,Deutsche Fotothek・df_hauptkatalog_0020393引用。
写真(右)1930-1940年代(?)、カナダ、カナダ航空の使用したユンカースW34水上輸送機:1929年に初購入、その後、1933年と1934年に合計6機のW34(Ju-34)を購入した。当初は、ドイツ製BMW6気筒エンジンを搭載していたが、整備の上でより容易なアメリカ製プラットアンドホイットニーのワスプ(Wasp) P&W R1340エンジンに変換され、ブリティシュコロンビア州で活躍した。
The first Junkers (CF-ABK) brought to Canada by Western Canada Airways, later Canadian Airways, headed by James A. Richardson, was purchased in 1929. It was delivered with the German engine, a BMW six-cylinder inline engine. At the first opportunity an H Wasp P&W R1340 was installed. In 1933 and 1934 six more JU-34’s were purchased and finally a JU-52, the famous Flying Boxcar.
写真は,Royal Aviation Museum of Western Canada引用。
4.ユンカース(Junkers)W33輸送機
写真(右)1940-1953年、ユンカースW33輸送機:F13輸送機をベースに、大型化したのがW33輸送機であり、これらの機体は量産性を考慮して共通部品が多かったようだ。
Ilmavoimien Junkers W 34 ja henkilö
Ilmavoimien kalustoa ja henkilö, tuntematon.
ORGANISAATIO
Suomen Ilmailumuseo
KOKOELMA
Jäppinen, Matti
TUNNISTE
SIM VK 158:6
MITAT
Vedos
VALMISTUS
1940-1953
写真はNational Archives of The Netherlands:
ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Record Name PI_29-B-0275 引用。
ユンカースのベストセラーになったF13単発輸送機をベースに、大型化したのがユンカース(Junkers)W.33輸送機であり、原型はユンカースL5液冷エンジン1基を装備し1926年6月17日に初飛行している。しかし、輸出向けには、普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換したユンカース(Junkers)W.34が開発されている。
写真(右)1926年、ドイツ、湖沼に着水寸前のユンカース(Junkers)W.33水上輸送機:水上機は、二つのフロートで空気抵抗が大きく、飛行安定性も悪くなる。このW.33水上輸送機には登録コードは記入されていないが、次の2枚の写真と同じ場所で、同じ機体(D-927)と思われる。
Title:
Junkers W 33 auf Schwimmern
Dating:ca. 1926
Is Part Of:
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour:
black and white
Orientation:
Horizontal
Categories:
View Collection, Unknown, Reportage photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33, Hydroplanes
Record Name:
Ans_05338-02-307-AL-FL
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-307-AL-FL引用。
ユンカースF-13を大型化したユンカース(Junkers) W-34は,W-33輸送機のユンカースL5液冷エンジンを空冷星形に変換した客席6人乗りの旅客輸送機として、1920年代に完成した。ユンカースW33の生産機数は199機であるが、ユンカースW34輸送機は1800機もが生産され、1940年代まで現役機として世界各地で使用された。
ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。
写真(右)1926年、ドイツ、ユンカース(Junkers)W.33水上輸送機(登録コード:D 921):水上機は、二つのフロートで空気抵抗が大きく、飛行安定性も悪くなる。他方、尾輪の必要がなく、機体が水面上で水平になる。そのために、垂直尾翼が下方に延長され、左右の安定性を保つようになっている。
Title:
Junkers W 33 auf Schwimmern
Dating:
ca. 1926
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour:
black and white
Orientation:
Horizontal
Categories:
View Collection, Unknown, Reportage photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33, Hydroplanes
Record Name:
Ans_05338-02-306-AL-FL
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-306-AL-FL 引用。
ユンカース(Junkers)W33輸送機が後に搭載したユンカース(Junkers)L2液冷エンジンは、ユンカース社が初めて実用化した液冷エンジンで6気筒、で200馬力、ユンカース F 13輸送機、ユンカース G 23輸送機、ユンカース G 24輸送機、ユンカース W 33輸送機が装備している。58台が生産されたにとどまったが、これは後継のユンカースL5が開発されたためである。
ユンカース(Junkers)L2液冷エンジン諸元
ボア(Bore): 150 mm
ストローク(Stroke): 180 mm
排気量(Displacement): 19.1 L
全長(Length): 1.58 m
全幅(Width): 0.555 m
全高(Height): 1.085 m
乾燥重量(Dry weight): 310 kg
出力(Power output): 巡航時 195 hp (145 kW)/回転数1,550 rpm
離昇出力(take-off) 230 hp (171 kW)
写真(右)1929-1935年、ユンカース(Junkers)W.33 水上輸送機の客室内部:ジュラルミン製波板外板は1枚のみで、内側に張っていないので、外板の内側が波板壁になっている。ドアの奥には、コックピットで、操縦桿(ハンドル式)と計器盤が確認できる。天井にも四角のガラス窓があるが、これは明り取りの窓である。床板は外されているが、このスペースに荷物を積み込む。
Junkers W.33:n lisäpolttoainesäiliöt
Junkers W.33:n lisäpolttoainesäiliöt pitkän matkan lentoa varten.
Aineistotyyppi
Valokuva
Organisaatio
Suomen Ilmailumuseo
Kokoelma
Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Inventaarionro
SIM VK 533:159
Mitat
Vedos
Kuvaustiedot:
1929-1935
IFA
写真は,Museot Finna: "M016-19809"引用。
今日の旅客機では、客室内の気圧は、高度が上が手も低下しない。それは、客室が密閉され、室内に空気が注ぎ込まれているからで、これはジェットエンジンを使ってコンプレッサー(圧力器)を駆動させればよい。
しかし、ピストンエンジンのプロペラ機では、ジェットエンジンと異なりコンプレッサー(圧力器)を駆動するために別途動力を搭載するのが一般的だった。ドイツでは、第二次大戦中に与圧室を実現したものの、本格的に長時間高高度を飛行する偵察機・爆撃機の与圧室は、最後まで実用化が困難だった。コンプレッサー用のエンジンを別途装備すればよいが、これでは重量増加、飛行性能の低下が招来されてしまうのである。
また、高空になるほど室内と外気との気圧差が大きくなるため、密閉するとしても、圧力差に耐えられるだけの耐久性・堅牢性が必要となる。室内構造を頑丈にすれば、重量が嵩んでしまうので、簡単に与圧室を実用化することはできなかった。
ユンカース(Junkers)W.33製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。
ユンカース(Junkers)W 33 (Junkers)W 33輸送機の諸元
発動機(Triebwerk): Junkers L 5
出力(Leistung:kW): 228 kW
初飛行(Baujahr): 1926年
全幅(Spannweite): 17,75 m
全長(Länge): 10,50 m
全高(Höhe): 2,90 m
翌面積(Flügelfläche): 43,00 qm(平方メートル)
総重量(Startmasse): 2100 kg
最高速力(Höchstgeschwindigkeit): 197 km/h
搭乗員(Besatzung): 2名
ドイツのユンカースW33輸送機は、発動機としてユンカース(Junkers)L5液冷エンジン(340馬力)を装備した。しかし、輸出促進を考慮すれば、他国で普及している空冷エンジンを装備した機体のほうが、販売機数が多くなり、商業的にも好ましい。そこで、ユンカースW33輸送機の装備していたユンカースL%液冷エンジンに代えて、ジーメンス(Siemens)Sh 20空冷星形エンジン(540馬力)を装備した機体が製造された様だ。この空冷エンジン装備のユンカースW33輸送機は、ユンカースW34輸送機との名称を与えられる。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)W 33 単発輸送機を見る。
アメリカのチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh:1928‐1974)は、1927年5月20日、スピリットオブセントルイス(ライアンNYP)を操縦し、アメリカのニューヨークを離陸し、5月21日、フランスのパリに着陸し、大都市間の大西洋単独無着陸飛行に成功した。彼が、大西洋を西から東に飛行したのは、地球の自転、偏西風の影響で、飛行にはプラスに作用するからである。他方、東から西ヘの大西洋横断は、遥かに困難が多かった。これに挑んだのが、ドイツのユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」Bremenで、1928年4が十18日に、アイルランドからカナダまで無着陸飛行に成功した。
ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」Bremen(登録コード:D 1167)は、ノンストップでヨーロッパ大陸からアメリカ大陸に東から西への大西洋横断飛行(Transatlantic flight)を成功させた初めての飛行機である。この時のユンカース(Junkers)W.33搭乗員は、ドイツ人ヘルマン・コール(Hermann Koehl)、エレンフリート・キュンター・フォン・ヒューネフェルト(Ehrenfried Guenther von Huenefeld)、アイルランド人ジェイムス・フィッツモーリス(James Fitzmaurice)で1928年4月12日にアイルランド、ダブリン郊外のバルドネル(Baldonnel)飛行場を飛び立ち、36時間半かけて大西洋を横断し、翌日、カナダ、ニューファウンドランド島沖のグリンリー(Greenly)島に着陸した。
前年1927年5月20日に大西洋を西から東に、ニューヨーク〜パリ単独無着陸飛行をアメリカ人にチャールズ・オーガスタス・リンドバーグ(Charles Lindbergh:1902年2月4日 - 1974年8月26日)がライアンNYP-1「スピリット・オブ・セントルイス」で成功させているが、1928年4月12日、ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの行った東から西への大西洋横断は偏西風の影響で遥かに困難である。
ユンカースが飛行機製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。
写真(右)1928年10月、ドイツ、ベルリン、カイザーダム、第2回国際航空展のホールに展示された大西洋を横断したユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167):ヘルマン・コール(Hermann Koehl)機長の下で、エレンフリート・キュンター・フォン・ヒューネフェルト(Ehrenfried Guenther von Huenefeld)、アイルランド人ジェイムス・フィッツモーリス(James Fitzmaurice)少佐が、大西洋で最初の東西飛行を行った。機体の前には、アメリカ国旗、「W33」のプレートを掲げて展示され、太平洋横断飛行を成功させた搭乗員3名の写真が花輪で飾られている。
Title
Luftfahrtausstellung, Flugzeug Junkers W 33 Info non-talk.svg
Die Eröffnung der II. Internationalen Luftfahrt-Ausstellung in den Ausstellungshallen am Kaiserdamm in Berlin 1. Das Junkers-Flugzeug "Bremen", mit welchem Hauptmann Köhl, von Hünefeld und Major Fitzmaurice den ersten Ost-West-Flug über den Ozean ausführten. Vor der Maschine das geschmückte Bild der drei erfolgreichen Ozeanflieger.
Depicted place Luftfahrtausstellung
Date October 1928
写真はWikimedia Commons,Bremen (Junkers W 33) File:Bundesarchiv Bild 102-06642, Luftfahrtausstellung, Flugzeug Junkers W 33.jpg引用。
ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」”Bremen”は、アイルランドのバルドネルを出発し、大西洋を西に向かって飛行し、カナダのグリー二ー島(51.38度、N 57.19度)まで、飛行することに成功した。これは、世界初の、大西洋の東から西への横断飛行である。現在、復元されたユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」が、ドイツのブレーメン空港に展示されている。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W33「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行を見る。
写真(右)1927-1935年、フィンランド航空(Finnair Oyj)のユンカース(Junkers)W.33輸送機(D-291):
Junkers W 33
Junkers W 33 oli Junkersin valmistama yksimoottorinen kuljetuslentokone, tuotannossa vv. 1927-1934.
Aineistotyyppi
?Valokuva
Organisaatio
Suomen Ilmailumuseo
Kokoelma
Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Inventaarionro
SIM VK 533:147
Mitat
Vedos
Kuvaustiedot:
1925-1935
IFA.
写真は,Museot Finna: "M016-19797"引用。
ユンカースJunkers W 33輸送機の諸元
初飛行:1926年
搭乗員: 2人
発動機:ユンカース(Junkers) L5エンジン228 kW(310馬力)1基
全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m
全高: 2,90 m
主翼面積 43平方メートル
最高速度: 197 km/h
重量:2100 kg
1927年にチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)が飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功すると、メイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行をした最初の女性を目指したが実現せず、1928年6月17日アメリア・イアハートは女性初の大西洋横断飛行を成し遂げた。しかし、1928年中に、メイベル・ボル(Mabel Boll)は、チャールズ・レヴァインの購入したユンカース(Junkers)W.33「クィーンオブエア」に同乗して、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てた。しかし、計画は実現せず、終わった。ただし、この機体は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発し、途中で不時着水している。
女性による大西洋無着陸飛行の計画は、ブレーメンの大西洋横断の時期にあった。アメリカ婦人メイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行を成功させようとした。1928年中に、メイベル・ボルは、チャールズ・レヴァインの購入したユンカース(Junkers)W.33単発輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”を使って、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てたのである。しかし、大西洋横断の計画は実現できなかった。実際に女性初の大西洋無着陸横断飛行は、1928年6月17日、アメリカ婦人アメリア・イアハート(Amelia Earhart:1897-1937)の搭乗した三発輸送機フォッカー (Fokker)F.VII「フレンドシップ」によるものである。その後、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発しているが、途中で不時着水している。
写真(上)1929年、スウェーデン、ベルゲン、アーレンバーグ・ドックに着いたユンカースL5液冷エンジン装備のユンカースW33輸送機(登録コード:SE−ADY):大西洋横断飛行に臨む直前、コックピットで待ち受けるスタッフと、主翼付け根からコックピットに乗り込む搭乗員。開放式ではなく密閉式のガラス風防コックピットで、胴体後方は貨物室には扉がついているが、客室ではないために窓はない。長距離飛行のためには、燃料タンクを増設していたはずである。
Ahrenberg (på bryggan) anländer till Bergen vid sitt Atlantflygningsförsök 1929.
Fotograf: Okänd
Accession 1944
Säljare till museet: Martin, Harald, samling
Avbildad - namn: Ahrenberg, Albin
Avbildad, ort: Norge Bergen
Publisher: Tekniska museet
Identifier: TEKA0121936
Institution: Tekniska Museet
Date published:March 19, 2016
DIMU-CODE:021016341295
UUID:1E16B868-85B1-452F-BA3F-0DD2A17BEC7B
写真はTekniska museet ・Identifier: TEKA0121936およびSwedish Open Cultural Heritage | K-samsök Identifier: TEKA0121936 引用。
ユンカースJunkers W 33輸送機の諸元
初飛行:1926年
搭乗員: 2人
発動機:ユンカース(Junkers) L5エンジン228 kW(310馬力)1基
全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m
全高: 2,90 m
主翼面積 43平方メートル
最高速度: 197 km/h
重量:2100 kg
生産機数:199機
初の太平洋横断無着陸飛行に成功したベランカ(Bellanca)J-300「ミス・ビードル」Miss Veedolは、全幅14.8m、全長8.5m、発動機はにブラッド&ホイットニ「ワスプ」425馬力エンジン1基装備で、機内食として、サンドイッチ、鶏の揚げ物、りんご「紅玉」20個を搭載したという。1931年10月4日、青森県三沢市淋代海岸を発進したベランカ(Bellanca)「ミス・ビードル」Miss Veedolは、北アメリカ大陸アメリカ、ワシントン州ウェナッチ市まで、7982kmを41時間13分かけて飛行し、初の太平洋無着陸横断を成功させている。
写真(右)1932年、日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB):1932年(昭和7年)9月24日、青森県三沢市の淋代海岸を飛び立って、太平洋を無着陸横断飛行をしてアメリカ大陸北岸の到着を目指した。搭乗者は、海軍兵学校出身の本間清中佐を機長に、馬場英一郎操縦士,井下知義通信士の3名である。機首は、光の反射を避けるために、黒色で塗装されている。機体後方には客室の窓があるが、長距離飛行用の燃料タンクや食糧・飲料水も搭載されたはずである。
写真は,Уголок неба - Большая авиационная энциклопедия Index of /image/idop/cw1/w33引用。
1932年(昭和7年)9月24日、午前5時37分、機長本間清海軍中佐、馬場英一操縦士、井上智義機関士の3名が搭乗するユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)は、青森県三沢市淋代海岸を離陸して、アメリカの本土を目指して、太平洋横断無着陸飛行に発進した。
ユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)の発動機は、ユンカースL5液冷エンジン(310馬力)で、燃料満タンで全重量4.5トンで、離陸速度160kmだった。午前11時過ぎ「エトロフ島南方を通過」の無線が入ったあと、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」は消息を絶った。それから捜索が行われたが機体は見つからないままだった。帝国飛行協会は、1932年12月、「横断飛行断念」の声明を出した。
1928年9月18日にドイツのデッサウ飛行場を離陸したユンカースW33「オイローパ」"Europa"(D-1197 :c/n 2505.)は,1928年10月18日、日本の立川飛行場を目指していたが、天候不順で多摩川の河原に不時着、破損した。このユンカースW33「オイローパ」は、ドイツ人搭乗員ヒューネフェルト男爵など3名が搭乗し,ベルリンから、12日間、90時間の飛行時間で東京まで1万4250kmを飛翔した。途中、燃料補給のために、10回着陸している。河原に不時着破損したユンカースW33「オイローパ」"Europa"(D-1197 :c/n 2505.)は三菱飛行機で修理されたうえで,1929年に、帝国飛行協会に譲渡された。帝国飛行協会でもオイローパ(EUROPA)の機名を引き継いでいる。1929年2月、帝国飛行協会は、日本学生航空連盟にユンカースW33「オイローパ」EUROPA(登録記号:J-BAWG)を貸与した。しかし、搭載していたユンカースL5水冷エンジンは、日本では部品で整備困難となり、実際にはほとんど使用さずに終わったという。
報知新聞 1931.5.5-1931.6.16 (昭和6)
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)W33「報知日米号」を見る。
5.ユンカース(Junkers)G.23/G 24 三発輸送機
写真(上)1925年,ドイツ、ベルリン、スイス航空所属のユンカース(Junkers)G24輸送機(登録コード:CH-132):ユンカース(Junkers)L2液冷エンジン3基を装備した。
Photographer:
Klinke, Fritz
Title:
Vom ersten Einsatz der G 24 mit 3 Junkers L 2 Motoren und der anschliessenden Sonderflugerprobung. Otto Brauer u. Reginald Schinzinger und Bordwarte
Caption:
Zentralflughafen Berlin
Dating:
1925
Junkers G 24, View Collection, Product photography, Klinke, Fritz, Propeller-driven aircraft
Record Name:
Ans_05338-02-080-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-080-AL-FL引用。
ユンカース(Junkers)G. 24輸送機は、1925年から1929年まで72機が生産されたが、そのうちドイツ・ルフトハンザ航空(Deutsche Luft Hansa)には 26機が供与されたが、搭載したエンジンにはいくつかの種類があったようだ。ユンカースG 24輸送機の樹立した世界記録は、飛行距離2,020 km (1,560 マイル)をペイロード 1,000 kg で14時間 23分で飛行し、平均速力140 km/hを達成したことがある。
ユンカース(Junkers)G. 24輸送機はF13輸送機の大型発展型で、1924年9月19日初飛行の発展型の全金属製低翼単葉機
全幅29.37 m、全長15.8 m、全高29.37 m
主翼面積 99平方メートル
ユンカースL5エンジン(310馬力)3基
乗員: 2名、乗客:14名
空虚重量: 4,330 kg、総重量: 7,200 kg
最高速力: 210 km/h、巡航速力: 170 km/h
航続距離: 660 km
実用上昇限度: 4,000 m、
上昇率: 2.47 m/s、上昇性能: 2,000 m/13.5分。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)G 24 三発輸送機を見る。
6.ユンカース(Junkers)F.13輸送機
写真(右)1929年以前,スロベニア、ユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機と見物人たち:スロベニアで発行された絵葉書(Postcards Of Cerknica)。発動機には、ユンカース L5 水冷直列6気筒水冷エンジンあるいはBMW III 水冷直列6気筒エンジンを搭載している。
Slovenščina: Razglednica Cerknice.
Date 1929
Source stareslike. cerknica.org
Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:1929 postcards of Slovenia
・File:Razglednica Cerknice 1929.jpg引用。
第一次世界大戦中の1915年、ドイツ帝国のヒューゴ・ユンカースは、主翼の新構造を打ち出した。それは、主翼を支柱や張金を張って主翼を支えるのではなく、それらを取り去り、空気抵抗を減少させた片持式主翼である。また、胴体の堅牢性を高めるために、内部骨格を減少させ重量軽減図る波型の金属外板を開発した。この片持式の低翼・単葉、波板の構造を活用し、戦後ユンカースが開発したのが、ユンカースF.13単発輸送機だった。これをベースに、ユンカースは、W.33、W34輸送機を開発し、軍用仕様のK.43も輸出している。
写真(右)1920年代,ルーマニア、ウユンカース社が輸出したと思われるユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機「ラレース」LARESと見物人たち:機体の固有名称「ラレース」LARESは、古代ローマの守護神で、ローマ帝国の末裔を継承したルーマニアにふさわしい命名である。発動機には、ユンカース L5 水冷直列6気筒水冷エンジンあるいはBMW III 水冷直列6気筒エンジンを搭載している。
Description
Română: LARES
Date 18 November 2014
Source Own work
Author Fygo1973
写真はWikimedia Commons, Category:1929 postcards of Slovenia
・File:Junkers F.13 -.jpg引用。
ユンカースJunkers F.13 旅客輸送機
乗員:2名、乗客数:4名。
全長:9.59 m、全幅:14.8 m、全高:3.50 m
翼面積:34.50平方メートル
空虚重量:951 kg、ペイロード:320 kg、最大離陸重量:1,640 kg
出力荷重:14.05 kg/kW
エンジン:BMW IIIa、118 kW (160馬力)
最高速度:173 km/h (107 mph)、巡航速度:160 km/h (100 mph)
航続距離:1,400 km (870 miles)
巡航高度:5,000 m。
ユンカースF.13旅客輸送機の1919年から1929年までの生産機数は、ドイツ93機、ソ連49機、アメリカ26機、コロンビア17機、ポーランド16機、イタリア12機、日本・ボリビア各8機、フランス・フィンランド・オーストリア各7機、イギリス・ハンガリー・ペルシャ各6機、スウェーデン・スイス各5機、中国・トルコ各4機、ベルギー・スペイン・ラトビア・アルゼンチン各3機、ルーマニア・ブルガリア・オーストラリア・チリ各1機などと世界で300機以上生産・組み立てられている。
ユンカースF.13旅客輸送機の年間生産機数は、1919年2機、1920年26機、1921年26機、1922年21機、1923年47機、1924年39機、1925年68機、1926年13機、1927年25機、1928年29機、1929年18機と、11年間に合計314機が量産された。
写真(右)1924年から1938年まで、スウェーデン、ストックホルム、イギリスのロンドンとの間を夜間航空便輸送したAB航空輸送(AB Aerotransport )のユンカース(Junkers) F.13輸送機「ダルスラント」(Dalsland)(登録コード S-AAAC):
Description Cargo. ABA - AB Aerotransport begin to fly June 18th 1928, night air mail flights between Stockholm - London. Junkers F13 Dalsland S-AAAC, Today in Stockholm Tekniska Museet.
Date 1920s /1930s
Source images.flysas.com
Author SAS Scandinavian Airlines
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13
・File:Junker W 33 (1).jpg引用。
AB航空輸送は、1924年3月設立のスウェーデンの国営航空で、ユンカース F.13 10機(1924−1938)、ユンカース G.24輸送機 5機(1925ー1932)、ユンカースW 33輸送機2機(1929-1931)、ユンカースs Ju 52輸送機8機(1932−1948)、ダグラスDC-3輸送機10機(1937-1948)、ユンカースW 34輸送機2機(1935-1940)、ユンカースJu86輸送機1機(1938-1940)などを有する大航空会社である。
写真(右)1920年代,フィンランド南部、ヘルシンキ、ユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機の正面:降着装置は車輪式ではなく、スキー式に変更されている。発動機は、ユンカース L5 水冷直列6気筒水冷エンジンあるいはBMW III 水冷直列6気筒エンジンを搭載している。しかし、フィンランドでは、BMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載したF.13も使用している。
Photographer
Foto Roos
Title
Suomi: Vesitaso Junkers suksilla Merisataman jäällä, takana vas Depicted place Helsinki,
Date 1920 -luku
Dimensions 9x12 18x24
Collection
Helsinki City Museum
Accession number
N35036
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13
・File:Razglednica Cerknice 1929.jpg引用。
1919年 6月25日に初飛行したユンカース(Junkers)F.13 輸送機は、各種のエンジンを変換装備できた。当初は、メルセデス D.IIIa 液冷直列エンジン170馬力1基を装備していたが、その後の量産機は、BMW IIIa液冷直列エンジン185馬力1基を装備している。
しかし、各国の実情や発注者の要望に合わせて、液冷直列エンジンとしては、BMW、ユンカースを中心に、メルセデスも装備した機体もある。
写真(右)1924−1927年,フィンランド南部、ヘルシンキ、雪原の中のユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機2機(登録コード:K-SALB と B - LATA):降着装置は車輪式ではなく、スキー式に変更されている。
Photographer
Foto Roos Blue pencil.svg wikidata:Q104576203
Title
Suomi: Junkers -vesitasoja jäällä, K - SALB ja B - LATA
Depicted place Helsinki,
Date between 1924 and 1927
Dimensions 9x12 18x24
Collection
Helsinki City Museum
Accession number
N35031
Source Finna: hkm.HKMS000005:km003lez
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13
・File:Junkers -vesitasoja jäällä, K - SALB ja B - LATA - N35031 - hkm.HKMS000005-km003lez.jpg引用。
F.13輸送機は、少数だが、空冷星型エンジンとして、イギリスのアームストロング・シドレー ピューマ、フランスのノーム・エ・ローヌ ジュピター、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー ホーネットを装備した機体もある。
写真(上)1925年,バルト海沿岸、エストニア、タリン近郊、ラスナマエ飛行場(Lasnamäe Airfield)、飛行機格納庫前に並んだユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機3機とサブラトニヒ(Sablatnig)P III肩翼機2機 :
English: Aeronaut hangar with Junkers F.13 and Sablatnig P III aircraft at Lasnamäe Airfield in Tallinn, Estonia.
Date circa 1925
Source http://www.ronaldv.nl/abandoned/airfields/EN/harju.html
Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13
・File:Razglednica Cerknice 1929.jpg引用。
ドイツのサブラトニヒSablatnig P IIIは、1919年初飛行、乗員 2名、乗客 6名、全長 8.94 m、全幅 16 m 、主翼面積 45.1 m2 空虚重量 1,400 kg 、総重量 3,080 kg、発動機マイバッハ(Maybach) Mb.IVa 液冷6気筒エンジン 190 kW (260 hp)、最高速力 170 km/h、航続距離 900 km。1930年頃まで使用され、生産機数30−40機。
写真(右)1923−1924年、イラン、テヘラン、ユンカース社が売り込みのために派遣したユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機と騎乗のイラン軍アフマッド・カーン大佐:北洋軍閥は、山西省を中心に割拠した半独立政府的な軍事集団、軍閥で、閻錫山、傅作義など有力な将軍を輩出している。軍閥は独自の指定的軍隊を保有していたので、飛行機も購入していた。発動機は、ユンカース L5 水冷直列6気筒水冷エンジンあるいはBMW III 水冷直列6気筒エンジンを搭載している。
Description
the Exhibition of 2 F13 sent to Tehran(Ghale Morghi Air Field), Iran. these Junkers bought at 1921 from Germany. standing man was Colonel Ahmad Khan Nakhjavan (Breguet -19).
Date between 1923 and 1924
Source different version but with content of this image: http://asemanfars.ir/Main/IranianAviationHistory.aspxr
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13
・File:Junkers F13 in Tehran.jpg引用。
F.13a:BMW IIIa (185 hp)液冷エンジン
F.13ba, ca, da, fa:ユンカース(Junkers)L2 (200 hp)液冷エンジン
F.13be, ce, de, fe: ユンカース(Junkers)L5 (310 hp)液冷エンジン
F.13dle, fle, ge, he:ユンカース(Junkers)L5 (310 hp)液冷エンジン
F.13bi, ci, di, fi: BMW IV (250 hp) 液冷エンジン
F.13co, fo:BMW Va (310 hp)液冷エンジン
写真(右)1920年代,中華民国北部、山西省、ユンカース社が売り込みのために派遣したと思われるユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機と軍閥の兵士たち:北洋軍閥は、山西省を中心に割拠した半独立政府的な軍事集団、軍閥で、閻錫山、傅作義など有力な将軍を輩出している。軍閥は独自の私兵的軍隊を保有していたので、飛行機も購入したかもしれない。発動機は、ユンカース L5 水冷直列6気筒水冷エンジンあるいはBMW III 水冷直列6気筒エンジンを搭載している。
Description
日本語: 山西派軍閥のF13
Date circa 1920
Source 군벌전쟁[군벌의 시대 북양군벌 시절의 중국 공군과 항공기]
Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13
・File:F13 at Shanxi clicle.jpg引用。
ユンカースF.13旅客輸送機の年間生産機数は、1919年2機、1920年26機、1921年26機、1922年21機、1923年47機、1924年39機、1925年68機、1926年13機、1927年25機、1928年29機、1929年18機と、11年間に合計314機が量産された。
1921年、ユンカース社は自ら開発したユンカース(Junkers)F.13 輸送機を就航させるユンカース航空を設立したが、1926年にドイツ・アエロ・ロイド社と合併して、ドイツ・ルフトハンザ航空となった。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)F.13輸送機を見る。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
⇒ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
⇒ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
⇒ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
⇒ハンセン病Leprosy差別
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
⇒ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
⇒与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
⇒石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
⇒魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
⇒文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
⇒戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
⇒統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland
⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
⇒ハワイ真珠湾奇襲攻撃
⇒ハワイ真珠湾攻撃の写真集
⇒開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
⇒サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
⇒沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
⇒沖縄特攻戦の戦果データ
⇒戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
⇒海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
⇒フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
⇒ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov
⇒フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
⇒ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車/Sd.Kfz. 231-6Rad六輪装甲車
⇒ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
⇒ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
⇒ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
⇒ドイツ陸軍2号戦車
⇒ドイツ陸軍3号戦車
⇒ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
⇒ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
⇒ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
⇒ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
⇒ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
⇒ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
⇒VI号ティーガー重戦車
⇒ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
⇒V号パンター戦車
⇒ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車
⇒イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
⇒イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
⇒イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
⇒イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
⇒M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
⇒イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
⇒イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
⇒英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
⇒イギリス陸軍コメット巡航戦車
⇒アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
⇒アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
⇒アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
⇒シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
⇒フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
⇒シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
⇒ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
⇒ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
⇒ボーイング(Boeing)247旅客機
⇒ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
⇒ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
⇒ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
⇒アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
⇒アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機
⇒ユンカース(Junkers)F.13輸送機
⇒ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
⇒ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
⇒ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
⇒ユンカース(Junkers)K43f水上機
⇒巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)G.31輸送機
⇒ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
⇒ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
⇒ハインケル(Heinkel)He111輸送機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
⇒カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
⇒NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
⇒軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
⇒NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
⇒サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
⇒ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
⇒ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
⇒マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
⇒ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"
⇒フィンランド内戦:Finnish Civil War
⇒フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
⇒ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
⇒フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
⇒第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
⇒第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
⇒ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
⇒ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
⇒フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
⇒フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
⇒フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
⇒フィンランド軍の防空監視哨
⇒ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
⇒ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
⇒ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
⇒ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
⇒ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
⇒ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
⇒ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
⇒ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
⇒ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
⇒フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
⇒ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
⇒ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
⇒メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
⇒メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
⇒ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
⇒ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju88 C/R/G夜間戦闘機
⇒ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
⇒エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
⇒ムッソリーニ救出作戦
⇒イタリア独裁者ムッソリーニ
⇒独裁者ムッソリーニ処刑
⇒ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
⇒マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」
⇒サヴォイア=マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
⇒カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
⇒カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機
⇒サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
⇒サヴォイア・マルケッティSM.82カングロ輸送機
⇒フィアット(Fiat)G.18V輸送機
⇒フィアット(Fiat)G.12/G.212三発輸送機
⇒サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
⇒フィアット(Fiat)BR.20/イ式重爆撃機
⇒サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84爆撃機
⇒カント(CANT)Z.1007爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
⇒ピアジオP.108重爆撃機
⇒マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
⇒マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
⇒マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機
◆当時の状況に生きた方々からも、共感のお言葉、資料、映像などをいただくことができました。思い巡らすことしかできませんが、実体験を踏まえられたお言葉をいただけたことは、大変励みになりました。この場を借りて、御礼申し上げます。
◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただけますお方のご協力をいただきたく,お願い申し上げます。
ご意見等をお寄せ下さる際はご氏名,ご連絡先を明記してくださいますようお願い申し上げます。
2018年5月20日公開、2022年9月17日改定の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
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