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◆ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲 写真(上)2017年8月、ロシア共和国モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管展示されているドイツ軍IV号戦車ベースのナースホルン対戦車自走砲;を改造した71口径8.8センチ高射砲(8,8 cm Pak 43)を搭載した軽装甲の対戦車自走砲
English: German WW2 era Tank Destroyer Official designation:- Sd.Kfz 164 Geschützwagen III/IV Designer:- Alkett Manufacturer:- Deutsche Eisenwerke Built:- 1943 Total Production:- 473 Main Armament:- 88mm Pak 43/1 Initially called the ‘Hornisse’ (Hornet), Hitler renamed it as the ‘Nashorn’ (Rhinoceros) in 1944. It first saw action at the Battle of Kursk, where the open Soviet countryside suited its long-range ability and it was able to take on Soviet Heavy tanks like the KV-1. Nashorns later also served well in Italy and Normandy. This is one of only three Nashorns to survive and has recently been repainted into an accurate colour scheme and markings. It is on display in Hall 11 of the Patriot Museum Complex. Park Patriot, Kubinka, Moscow Oblast, Russia. 25th August 2017 Date 25 August 2017, 11:38 Source Nashorn ‘131 red’ – Patriot Museum, Kubinka Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons Category: Panzerkampfwagen IV Ausführung G in the Panzermuseum Munster File:Nashorn ‘131 red’ – Patriot Museum, Kubinka (26518901069).jpg引用。


写真(上)2006年9月,スイス ベルン州、トゥーン戦車博物館(Panzermuseum Thun)の保管されているドイツ軍48口径7.5センチ砲搭載型のIV号駆逐戦車戦車の前面には、キャタピラを装着して、補助装甲板の役割を持たせている。
Description A Jagdpanzer IV/48 at the Panzermuseum Thun, Switzerland Date 26 September 2006 Source http:// clement.li/cgi-bin/gallery2 /main.php?g2_itemId=1248 Author de:Benutzer:Chlempi
写真はWikimedia Commons Category: Jagdpanzer IV at the Panzermuseum Thun File:Jagdpanzer IV 48 Thun 1.jpg引用。

『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)ではドイツの政党、第二次大戦を詳解しました。ナチ党の初期のポスター、社会民主党の反ナチポスターから、投票所の写真なども掲載しています。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールにゲスト出演。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。

1.IV号戦車−ドイツ陸軍の最多・最良の主力戦車

ポーランド北西部のポメラニア(Pomerania)は、ドイツではポンメルン(Pommern)と呼ばれた地域で、北のバルト海、東のオーデル川、西のビスワ川に挟まれた土地に、ドイツ系住民(民族ドイツ人:Volksdeutsche)が多数居住していた。ドイツ軍のポーランド侵攻「白の事例」作戦によって、ポーランド全土がドイツに占領され、ポメラニア(ポンメルン:Pommern)はドイツに併合された。ポーランド東半分は、総督領と呼ばれ、ドイツの植民地となった。こうして、ポーランドに住んでいた民族ドイツ人(Volksdeutsche)は、支配者民族のドイツ人と同様に重用されることになった。しかし、占領時期に政治的、経済的に優遇された民族ドイツ人(Volksdeutsche)の大半は、ドイツ敗戦後は、財産を没収され、難民としてポーランドからドイツに追放された。

写真(右)1940年春,西部戦線、24口径7,5センチ短砲身砲(7,5 cm Kwk L 24) 搭載のドイツ軍IV号戦車D型(Panzer IV Ausf. D):泥濘の演習場で走行試験の最中だが、車体上面、砲塔は新品同様にきれいなままである。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-124-0211-18 Archive title: Im Westen.- Panzer IV bei Übung; PK 689 Dating: 1940 Frühling Photographer: Gutjahr 撮影。
写真はWikimedia Commons ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv File: Bundesarchiv Bild 101I-124-0211-18, Im Westen, Panzer IV.jpg引用。


IV号戦車Panzer IV (Sd. Kfz. 161)がはじめに装備した火砲は,短砲身24口径7.5cm砲(7.5cm KwK 37 L/24)だったが,これでは,火力支援はできても,対戦車戦闘能力は低かった。24口径7.5cm砲の貫通力は,500メートルで39ミリ,1000メートルで30ミリと,敵戦車の正面装甲貫通は困難だったためである。

IV号戦車D型
第二次大戦初期1939年10月に登場
独ソ戦勃発当初は少数しか配備されていなかった。
兵装:短長砲身24口径7.5センチ戦車砲(7,5-cm-KwK 37 L/24)
車体長5.92m、全幅2.84m、全高2.68m、重量20.0t、乗員5名
砲塔前面装甲35mm、マイバッハV型12気筒ガソリンエンジン300PS (224kW)

1936年に開発され,第二次大戦が勃発した1939年から生産されたIV号戦車は,大直径のターレットリング,バスケット式の大型砲塔が特徴で,ここに当初の計画にはなかったような長砲身大口径砲とそれに見合った大型砲弾を搭載することができた。また,操縦手,砲手のほかに戦闘指揮に専念できる戦車長の合計4名の乗員のために,車内通話装置が完備していた。また,昇降ハッチは,乗員分が装備されており,乗り降りはもちろん,緊急時の脱出にも配慮されていた。

短砲身24口径7.5cmセンチ戦車砲(7.5cm KwK 37 L/24)を搭載したIV号戦車D型Sd. Kfz. 161)あるいはE型は、歩兵支援を任務としていた。その後、主砲を短砲身から長砲身43口径7.5センチ戦車砲に変換して対戦車戦闘能力を向上したIV号戦車F2型Sd. Kfz. 161)が北アフリカに投入されたが、数は少なかった。当初の対戦車戦闘は、長砲身60口径5センチ戦車砲(5 cm KwK 39 L/60)を搭載したIII号戦車が担っていた。IV号戦車は戦車部隊の中では火力支援任務に当たっていた。

1941-1942年,ドイツ陸軍IV号戦車 KwK L/24:24口径7,5センチ短砲身砲を装備した,当時の最新鋭戦車。ドイツの工場で,記録用に撮影された側面写真。
Panzer IV(Sd. Kfz. 161) Ausf. F 1 mit 7,5 cm KwK L/24 ohne Hoheitsabzeichen; ca. 1941/1942
Dating: 1941/1942 ca. Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


IV号戦車E型(PzKpfw IV Ausf.E)諸元
全備重量21トン,全長5.9メートル,全幅2.8メートル,車高2.7メートル
時速42キロ(整地),航続距離200キロ,乗員5人
兵装:7.5センチ24口径砲(KwK 37 L/24),7.92ミリMG34機銃2丁

短砲身24口径7.5センチ戦車砲(7.5 cm KwK 37 L/24 )装備のIV号戦車は,1942年末から長砲身43口径40年式7.5センチ戦車砲に換装された。終戦まで生産続行。

写真(右)1942年7月-8月,ソ連中部,ドイツIV号戦車Panzer IV(Sd. Kfz. 161)Ausf. F1の装備した短砲身24口径7.5cm砲(愛称Turmは切り株あるいは塔を意味):IV号戦車は,計画では主力のIII号戦車の火力支援を目的で開発された支援戦車で,当初から大口径の7.5センチ砲を搭載していた大型砲塔を持つ戦車だった。ただし,援護目的の短砲身24口径7.5cm砲の砲弾初速は遅く,貫通力は低く、射程も短かいので対戦車戦闘はできなかった。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-271-0302-26 Archive title: Sowjetunion-Mitte.- Panzer IV (Sd. Kfz. 161) Ausf. F1, Detailaufnahme Turm (Turmnummer 814), vordere Luken; PK 697 Dating: 1942 Juli - August Photographer: Heydrich Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


IV号戦車初期型(F型まで)が搭載していた短砲身24口径7.5cmセンチ戦車砲(7.5cm KwK 37 L/24)は歩兵支援用火器だった。

IV号戦車F2型は、対戦車戦闘能力を備えるために、長砲身43口径7.5センチ戦車砲(7.5 cm KwK 40 L/43)に変換した新型の戦車。この発展型がG型。次のIV号戦車H型は48口径7.5センチ戦車砲を搭載した。

  写真(右):1942年夏月,ソビエト連邦、ウクライナ、43口径7.5センチ戦車砲装備のIV号戦車:43口径長砲身7.5センチ砲を装備した新鋭IV号戦車F2型は北アフリカ戦線に初めて実戦投入された。対戦車戦闘能力を向上させ、ソ連赤軍T-34中戦車と対抗できるようになった。
Russland, Panzer IV, Panzersoldaten Bild 169-0118.
Deutsche Panzer in Bereitschaft vor dem Angriff Ukraine Sommer 1941.
Archive title Sowjetunion, Ukraine.- Panzersoldaten auf Panzer IV (lang) der 14. Panzer-Division sitzend; ca. 1942 Date 1942 ca.
Photographer o.Ang. Source Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


ドイツ陸軍IV号戦車 (Panzer IV)は、設計当初から24口径7.5センチ戦車砲(7,5 cm KwK 37 L/24)を搭載することを前提としていたため、車体の全幅は、大型砲塔を搭載できる余裕があり、砲塔を収めるターレットリング(砲塔回転盤)の直径は、42口径5センチ戦車砲(5 cm KwK 38)の搭載を前提としていたIII号戦車よりも大きかった。そのため戦前の設計でありながら、43口径の長砲身7.5センチ戦車砲を搭載することもでき、終戦まで、IV号戦車H型Pz.Kpfw IV Ausf H)の生産は続行された。

他方、III号戦車の砲塔に搭載できる火砲は、アドルフ・ヒトラーの命令があっても、5センチ砲が最大だったために、大戦後半には対戦車戦闘能力が不足したために生産は中止された。しかし、砲塔を撤去して大型戦闘室を設けた突撃砲であれば、長砲身43口径あるいはIV号戦車J型Pz.Kpfw IV Ausf J)は48口径7.5センチ戦車砲を搭載できたため、突撃砲として終戦まで生産された。

写真(右):1942年夏月,ソビエト連邦、ウクライナ、43口径7.5センチ戦車砲装備のIV号戦車:後続の戦車も対戦車戦闘能力を向上させたIV号戦車(43口径7.5センチ砲搭載)である。
Russland, Panzer IV Bild 169-0081 1942 ca.
Russland, Panzer IV Record group Bild 169 - Sammlung zum Rußlandfeldzug Inventory information (BASYS-Invenio).
Signature Bild 169-0081 Original title Deutsche Panzereinheit in Bereitschaft in der Ukraine Sommer 1941.
Archive title Sowjetunion, Ukraine.- Panzersoldaten auf zwei Panzern IV der 14. Panzerdivision neben einem Gebäude; ca. 1942.
Date 1942 ca.
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


ドイツ陸軍のIV号戦車(Panzer IVSd. Kfz. 161)はJ型以降は、アドルフ・ヒトラーの命令もあって、長砲身60口径5センチ戦車砲(5 cm KwK 39)を搭載し、対戦車戦闘を念頭に置いていた。他方、IV号戦車 (Panzer IV)はD型でも、火力支援車である突撃砲でもクルップ社の砲身長1768ミリの24口径7.5センチ戦車砲(7.5 cm KwK 37 L/24)を搭載していたが、対ソ戦初期にソ連赤軍のT-34戦車に直面したドイツ軍は、その防御力の高さと長砲身76.2ミリ戦車砲の威力に衝撃を受けた。

 そこで、アドルフ・ヒトラーの長砲身砲採用の命令もあって、1942年春から対戦車戦能力の向上のためIV号戦車(Panzer IVSd. Kfz. 161)とIII号突撃砲には長砲身43口径の7.5センチ戦車砲(7.5cm-KwK 40 L/43)が装備されることになった。しかし、陸軍は保守的で、長砲身砲の生産も順調ではなかったようで、実際に対戦車戦闘能力が強化されたIV号戦車が登場するのは、1942年後半になってしまった。

写真(右):1942-43年,ソ連,ドイツ陸軍48口径7.5センチ砲装備のIV号戦車F2型(Panzer IV Ausf. F2 L/48):1943年には、装甲師団の主力戦車は、IV号戦車5センチ戦車砲搭載型ではなく、火力を強化した43口径あるいは48口径7.5センチ砲搭載型にkなっていた。
Signature Bild 101I-748-0096-38 Archive title Sowjetunion.- Panzer IV Ausf. F2 L/48 mit Besatzung auf offenem Feld stehend; PK OKH Date 1942/1943 Photographer Kempe撮影。
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)


IV号戦車Panzer IV(Sd. Kfz. 161)は,大型砲塔に3人が搭乗できる設計で,車内空間が狭いソ連軍のT-34戦車よりも居住性ははるかによく,専任の戦車長を設けることができた。
IV号戦車Panzer IV (Sd. Kfz. 161)D型は,前面装甲20ミリ、1939年10月から1941年5月に229輌生産された。その後,初期に装備されていた短砲身24口径7.5センチ砲は,対戦車戦闘能力を高めるために,大型砲塔の利点を活かして,長砲身50口径5センチ砲,さらにF2型では長砲身43口径7.5センチ砲に、IV号戦車H型Pz.Kpfw IV Ausf H)では長砲身48口径7.5センチ砲変換された。

写真(右):1944年初期,イタリア戦線の山岳兵団とドイツ軍IV 号戦車:IV号戦車 (Panzer IV)は、第二次大戦開戦劈頭には少数しか配備されていなかったが、その後、あらゆる戦線でドイツ装甲師団の主力として終戦まで活躍した。口径75mmで43口径7.5cm戦車砲KwK40 L/43は、第二次世界大戦初期から中期にIV号戦車F2型以降装備された対戦車戦闘用の火砲で、徹甲弾による貫通効果を期待したもので、戦車を撃破するような対戦車戦闘を第一の任務としていた。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1986-013-06 Old signature: Bild 146-1993-030-21A Archive title: Italien, Brückenkopf Nettuno.- Panzer IV (Sd. Kfz. 161) mit Besatzung und aufgesessener Infanterie Dating: 1944 Anfang Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 146-1986-013-06引用(他引用不許可)


独ソ戦当時,ドイツ軍戦車の主力は,新型のIV号戦車(重量22トン,46.5口径3.7センチ砲 KwK 36装備)とIV号戦車(重量22トン,24口径7.5センチ砲KwK 37 L/24装備)だった。この中戦車は,長砲身3.7センチ砲あるいは短砲身5センチ砲を装備した対歩兵支援戦車だった。ポーランド,フランス侵攻の時のII号戦車(重量7.2トン,55口径2センチ砲KwK 30 L55装備),チェコ38t戦車(重量9.8トン,48口径,3.7センチ砲Kw.K.38(t) L/48.7装備もまだ多数が残っていて,独ソ戦に投入された。

写真(右):セルビア、ベオグラード軍事博物館(Belgrade Military Museum)に保管展示されているドイツ軍のIV号戦車H型Panzer IV Ausf H:48口径7.5cm戦車砲KwK40搭載。J/H型以前のIV号戦車は43口径7.5cm戦車砲だったから、若干砲身が長くなり、砲口初速が高速化して、貫通力が強化されている。
English: German WWII Panzerkampfwagen IV tank, part of Belgrade Military Museum outer exhibition at Kalemegdan fortres.日付 2010年12月12日 作者 Srđan Popović
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: Panzerkampfwagen IV Ausführung H in the Belgrade Military Museum・File: Panzer4 Belgrade.jpg引用。


IV号戦車H型PzKpfw IV Ausf H)は、43口径砲の砲身を長くした48口径7.5cm戦車砲KwK40を搭載した。車体前面装甲板は80mm厚の一枚構造で、リベット追加(30mm)装甲板ではない。IV号戦車H型は、IV号戦車の最多生産台数を誇り、1943年4月から1944年7月まで3800輌が製造された。


2.IV号突撃戦車 Strumpanzer IV 「ブルムベア」 Brummbär

写真(右)1944年3月,イタリア戦線、ラツィオ州アンツィアに隣接したネットゥーノ、ドイツ軍第508重戦車大隊のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"と12口径15センチ臼砲(15cm StuH 43(/1) L/12)を搭載した「ブルムベア」突撃砲
解説 Information added by Wikimedia users. Tiger is of Schwere Panzer-Abteilung 508 (only Tiger unit that was near Nettuno at this date)[1] Depicted place Nettuno 日付 1944年3月 写真家 Vack撮影。
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-311-0903-23, Bei Nettuno, Sturmpanzer "Brummbär", "Tiger I".jpg引用(他引用不許可)。


IV号戦車 (Panzer IV)の砲塔を撤去し戦闘室に12口径15センチ砲を搭載したIV号突撃砲(Strumpanzer IV )「ブルムベア」 ( Brummbär)Sd.Kfz 166 は、全長5.9 m、全幅2.9 m、全高2.5 m、重量28.2 t、乗員5名、 マイバッハ HL120TRM1-4ストロークV型12気筒液冷ガソリンエンジン300 馬力搭載。

写真(右):1944年4月,イタリア戦線、IV号突撃戦車 Strumpanzer IV 「ブルムベア」 Brummbär
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-311-0903-21A Archive title: Italien, bei Nettuno.- Panzersoldaten auf getarntem Sturmpanzer IV in offenem Gelände; PK 699 Dating: März 1944 Photographer: Vack Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-311-0903-21A"引用(他引用不許可)


歩兵支援用にIV号戦車 (Panzer IV)の車台をベースに1942年から1943年にかけて開発されたのが重装甲のIV号突撃砲(Strumpanzer IV )「ブルムベア」 ( Brummbär)Sd.Kfz 166 。砲塔を撤去して、広い空間を持つ戦闘室を設け、40度傾斜の100mm装甲を施した。そして、歩兵砲sIG33を戦車用に改造した12口径15cm突撃榴弾砲(15cm Sturmhaubitze 43 L/12)を戦闘室に装備した。歩兵支援のためには、破壊力の大きい大口径砲が拠点を制圧するのに威力を発揮する。しかし、大口径砲は重く機動性が低いために、戦車に搭載して運用することが考えられた。初の実戦投入は、1943年7月4日、東部戦線、シタデレ(城塞)作戦Unternehmen Zitadelle )におけるクルスク戦車戦。

写真(右):1944年4-5月,イタリア戦線、IV号突撃戦車 Strumpanzer IV 「ブルムベア」 Brummbär(手前)、V号戦車Panzer V パンテル"Panther"、III 号突撃砲Sturmgeschütze III(奥2台):初の実戦投入は、1943年7月、東部戦線、クルスク戦車戦。 
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-313-1004-2A Archive title: Italien.- getarnter Sturmpanzer IV, Panzer V "Panther" und zwei Sturmgeschütze III vor Gebäude stehend; PK 699 Dating: 1944 April - Mai Photographer: Vack Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-313-1004-2A"引用(他引用不許可)


IV号突撃戦車ブルムベアSturmpanzer IV Brummbär性能諸元:
全長5.9 m、全幅2.88 m、全高2.5 m
重量28.2 t
エンジン:マイバッハ12気筒液冷ガソリン HL120TRM1 300 馬力
航続距離 210 km(整地時)
乗員:5 名
主砲:12口径15cm StuH 43(/1) L/12

写真(右)1944年,イタリア戦線、ローマ近郊、ドイツ軍のVI号重戦車「ティーゲル」 Panzer VI "Tiger I"と12口径15センチ臼砲(15cm StuH 43(/1) L/12)を搭載した「ブルムベア」突撃砲 :IV号戦車の砲塔を撤去し戦闘室に12口径15センチ砲を搭載したIV号突撃砲(Strumpanzer IV )「ブルムベア」 (Brummbär)Sd.Kfz 166は、全長5.9 m、全幅2.9 m、全高2.5 m、重量28.2 t、乗員5名、 マイバッハ HL120TRM1-4ストロークV型12気筒液冷ガソリンエンジン300 馬力搭載。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-476-2069-19 Archive title: Italien, Rom.- Getarnter Panzer IV mit Seiten- und Turmschürzen auf der via Giovanni Giolitti, rechts im Hintergrund die Ruine des Tempio di Minerva Medica; PK Lfl 2 Dating: 1944 Photographer: Bayer 撮影。 Origin: Bundesarchiv
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・File:Bundesarchiv Bild 101I-311-0903-23, Bei Nettuno, Sturmpanzer "Brummbär", "Tiger I".jpg引用(他引用不許可)。


1943年秋にイタリアが連合国に降伏すると、ドイツ軍はすぐにイタリアを占領下に置いた。そして、アドルフ・ヒトラーは、捕まっていたムッソリーニを救出させ、傀儡政権サロニカ共和国を樹立した。それ以前、ファシスト・イタリアは、ユダヤ人を迫害するどころか、保護する立場にあったが、傀儡サロ政権下では、ユダヤ人狩り、強制収容所への移送が大々的に実施された。

写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号突撃戦車ブルムベア "Brummbär" Sd.Kfz.167:戦闘室に搭載されているのは12口径15センチ43式突撃榴弾砲(15cm StuH 43(/1) L/12)を搭載、戦闘室戦闘室前面の装甲板は100ミリ厚。
Beschreibung Français : BRUMMBAR FACE Datum 30. August 2011, 14:02:15 Quelle Eigenes Werk Urheber BBF9232
写真はWikimedia Commons・Category: SdKfz 166 Brummbär in the Musée des Blindés・File: BRUMMBAR(1).jpg引用。


1942年4月12日ヒトラー卓上談話:「特にこの(対米戦と独ソ戦という)戦争では,負ければすべてを失うということを明記しなければならない。だからスローガンは唯一“勝利”である。」

1942年5月22日:「(東部の)戦場では理想主義者が次々に死んでゆくのに,銃後で犯罪者どもを野放しにしておけば,わが国の人種政策は逆行してしまう。第一次大戦の教訓を忘れてはいけない。私の結論は次の通りだ。兵士は死ぬ可能性がある。犯罪者は確実に死ななければならない。これに選択の余地はない。この原則を受け入れない国家に,理想主義に燃える兵士を戦場で市の危険にさらす権利はない。-----銃後のドイツ国民が劣等人種に成り果てることがないように監視することこそ,私の義務であると心得ている。

1942年8月30日ヒトラー卓上談話:「ロシアでは共産主義が本性を現している。我々は1メートルごとに掃討作戦を展開し,即決裁判を行わざるを得なかった。テロリストとの戦いは,過酷な戦いである。エストニアラトビアでは反抗は収まった。が,ゲリラの情報を担うユダヤ人を殲滅しない限り,我々の責務は完了しない。」ユダヤ人が反ドイツ謀略戦争を仕掛けているので,殲滅すべきだと考えていた。

写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号突撃戦車ブルムベア "Brummbär" Sd.Kfz.167:戦闘室に搭載されているのは12口径15センチ43式突撃榴弾砲(15cm StuH 43(/1) L/12)を搭載、戦闘室戦闘室前面の装甲板は100ミリ厚。
Beschreibung Photographed in the Musée des Blindés, France. English: German tank "Brummbaer" (WW II) at the "Musée des Blindés" in Saumur (France) Datum 12.08.2011 Quelle Eigenes Werk Urheber Matthias Holländer
写真はWikimedia Commons・Category: SdKfz 166 Brummbär in the Musée des Blindés・File: SdKfz 166 Brummbär, Musée des Blindés, France, pic-2.JPG引用。


1942年8月30日ヒトラー卓上談話:「ロシアでは共産主義が本性を現している。我々は1メートルごとに掃討作戦を展開し,即決裁判を行わざるを得なかった。テロリストとの戦いは,過酷な戦いである。エストニアラトビアでは反抗は収まった。が,ゲリラの情報を担うユダヤ人を殲滅しない限り,我々の責務は完了しない。」ユダヤ人が反ドイツ謀略戦争を仕掛けているので,殲滅すべきだと考えていた。

SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」は、ヒトラーユーゲントからSSに入隊した17歳、18歳の少年兵が基幹となる師団で、後にノルマンディーに侵攻してきた西側連合軍と死闘を繰り広げることになる。

◆1942年7月14日,総統大本営「狼の巣」で,アドルフ・ヒトラーからユダヤ人問題の最終解決を命令された親衛隊国家長官ヒムラーは,運輸省に,停滞気味を鉄道運行を正常化し,ユダヤ人を迅速に輸送することを求めた。7月17日、ヒムラー長官は,アウシュビッツ収容所を視察し,オランダ・ユダヤ人のガス殺に立ち会った。

この時期,独ソ戦ではドン川西岸にあった南方軍集団が,ロストフから,カフカスに南下し,スターリングラードに東進していた。東方ソ連で「ブラウ」作戦が発動した時期に,ユダヤ人絶滅政策が本格的に始動したのであって,これは,ソ連のボリシェビキ殲滅戦闘と対比しながら,考えることができる。

 ユダヤ人迫害の主導者は,ナチスと親衛隊だが,それだけではない。一般市民や現地住民のなかにも,やむをえないと思いつつ,差別・迫害に加担した人たちがいた。当時,ユダヤ人差別に反対することは反逆であり,処罰対象となった。保身のためにはやむをえないと考えた人々が大多数だったことが,ユダヤ人差別・迫害を激化させたと考えられる。

写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号突撃戦車ブルムベア "Brummbär" Sd.Kfz.167:戦闘室に搭載されているのは12口径15センチ43式突撃榴弾砲(15cm StuH 43(/1) L/12)を搭載、戦闘室戦闘室前面の装甲板は100ミリ厚。
Beschreibung Photographed in the Musée des Blindés, France. Datum 11. September 2013, 12:57:21 Quelle Eigenes Werk Urheber Alf van Beem
写真はWikimedia Commons・Category: SdKfz 166 Brummbär in the Musée des Blindés・File: SdKfz 166 Brummbär, Musée des Blindés, France, pic-2.JPG引用。


SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」は、ヒトラーユーゲントからSSに入隊した17歳、18歳の少年兵が基幹となる師団で、後にノルマンディーに侵攻してきた西側連合軍と死闘を繰り広げることになる。

1941年6月22日,ドイツ軍は,独ソ不可侵条約を反故にして,突如,ソ連を攻撃した。このは,ドイツ軍によるソ連侵攻バルバロッサ作戦が実行されたのは,次のような理由からだった。
1)ドイツ人,民族ドイツ人が東方ソ連に入植して土地と現地住民を支配し,石油・鉄鉱石,農作物など資源エネルギー・食料を略奪することで,大ドイツ繁栄の基礎を固めようとした。
2)ボリシェビキが支配する東方ソ連は,ドイツ繁栄の脅威であり,イデオロギー上も,ソビエトを攻撃,壊滅する必要があった。
3)フランス降伏後も,ヨーロッパで孤立しても英国が戦っている理由は,米国とソ連がドイツを威嚇しているからだった。そこで,ヒトラーは,英国の士気を高めているソ連軍を壊滅させ,英国の希望を砕こうとした。

ヒトラーは,ソ連軍を弱体化していると見ていた。対ソ戦は,「腐った納屋を蹴り飛ばすようなもの」であり,1941年中に,8週間程度で決着がつくと考えていた。 

ソ連侵攻バルバロッサ作戦に準備されたドイツ陸軍兵力は,北方軍集団(司令官リッター・フォン・レープRitter von Leeb元帥),中央軍集団(司令官フォン・ボックvon Bock元帥),南方軍集団(フォン・ルントシュテットvon Rundstedt元帥)に分かれていたが,主力は,中央軍集団だった。

写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号突撃戦車ブルムベア "Brummbär" Sd.Kfz.167:戦闘室に搭載されているのは12口径15センチ43式突撃榴弾砲(15cm StuH 43(/1) L/12)を搭載、戦闘室戦闘室前面の装甲板は100ミリ厚。
Beschreibung Français : BUMMBAR 3/4 FACE Datum 30. August 2011, 14:02:30 Quelle Eigenes Werk Urheber BBF9232
写真はWikimedia Commons・Category: SdKfz 166 Brummbär in the Musée des Blindés・File: BRUMMBAR(4).jpg引用。


ヒトラー卓上談話(ヒトラーのテーブル・トーク)
ナチ党官房長官マルチン・ボルマンは,ヒトラーが側近に語りかけた会話を,ナチ党員・下級将校・速記者のハインリヒ・ハイムに記録をとらせた。そして,これを元にボルマンの速記者たちは口述筆記し,タイプ原稿を作成した。ボルマンは原稿に訂正・解説を加えて『ボルマン覚書』として保管した。これがHitler's Table Talk である。

1941年12月25日のヒトラー卓上談話:「(1939年1月30日の)帝国議会の演壇で私はユダヤ人に予言した。戦争が不可避であるからには,ユダヤ人はヨーロッパから消え去れなくてはならない。この罪の人種には,第一次大戦の死者200万人と現在の死者数十万人の責任がある。ロシアの湿地帯にユダヤ人の奴等を置き去りにはできないなどと言ってくれるな。わが部隊の心配を誰がするというのか。われわれがユダヤ人絶滅を計画しているという噂は,悪くない。恐怖はなかなかいいものだ。ユダヤ人国家を作る試みは失敗に終わるであろう。
-----ユダヤ人に関しては,まだ十分でないと思っている。現時点でいたずらに問題を増やしても意味はない。時節到来を待っている人間は,行動にいっそう磨きがかかるものだ。------こちらに力があればこそ,マルクス主義に最終決戦を仕掛けたのだから。

写真(右):アメリカ、メリーランド州アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号突撃戦車ブルムベア "Brummbär" Sd.Kfz.167:戦闘室に搭載されているのは12口径15センチ43式突撃榴弾砲(15cm StuH 43(/1) L/12)を搭載、戦闘室戦闘室前面の装甲板は100ミリ厚。
Description Tanks and Artillery at The APG Ordnance Museum Date 12 September 2012, 14:34 Source Sturmpanzer IV Grizzly Bear Author Marc Palumbo from Narragansett, USA
写真はWikimedia Commons・Category: SdKfz 166 Brummbär in the Musée des Blindés・File: Sturmpanzer IV Grizzly bear 1.jpg引用。


写真(右):アメリカ、メリーランド州アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号突撃戦車ブルムベア "Brummbär" Sd.Kfz.167:戦闘室に搭載されているのは12口径15センチ43式突撃榴弾砲(15cm StuH 43(/1) L/12)を搭載、戦闘室戦闘室前面の装甲板は100ミリ厚。
Description Picture taken by myself, Mark Pellegrini, at the United States Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground, MD) Date 19 September 2007 Source Own work Author Mark Pellegrini Permission Own work, share alike, attribution required (Creative Commons CC-BY-SA-2.5)
写真はWikimedia Commons・Category: SdKfz 166 Brummbär in the Musée des Blindés・File: Sturmpanzer IV Grizzly bear 1.jpg引用。


写真(右):、ドイツのニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号戦車G型PzKpfw IV Ausf G:43口径7.5センチ戦車砲 KwK 40搭載。
解説 English: German Tank Museum Datum 7. Juli 2010 Quelle Eigenes Werk Urheber Banznerfahrer
写真はWikimedia Commons・Category: Sturmpanzer IV at the Panzermuseum Munster・File: Panzermuseum Munster 2010 0306.JPG引用。


⇒ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III を見る。


3.IV号自走榴弾砲 Panzerhaubitze フンメル "Hummel"

写真(右):1943年6月,ソ連東部戦線、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":開放式の戦闘室の前も含んて、8人の搭乗しているのが見えるが、この他に車内には操縦手など2名程度が入っていると思われる。対戦車戦闘用ではなく、歩兵火力支援用の自走砲である。
Harschneck Archive description Description provided by the archive when the original description is incomplete or wrong. You can help by reporting errors and typos at Commons:Bundesarchiv/Error reports. Sowjetunion, Mitte/Süd.- Panzerhaubitze "Hummel" mit aufgesessenen Soldaten, Hügel herauf fahrend; PK 694 Title Russland-Mitte/Süd, Panzerhaubitze "Hummel" Info non-talk.svg Depicted place Russland-Mitte/Süd Date June 1943
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"File:Bundesarchiv Bild 101I-219-0583A-07, Russland-Mitte-Süd, Panzerhaubitze "Hummel".jpg23"引用(他引用不許可)


写真(右):1943年秋,ソ連東部戦線、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"とIII号突撃砲(右):戦闘室に30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲を搭載した自走砲 Panzerhaubitzeフンメルと43口径7.5センチ対戦車砲を搭載した重装甲の突撃砲を比較すると、車高の高さがずいぶん異なる。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-220-0636-07 Archive title: Sowjetunion.- Panzerhaubitze "Hummel" (links) und Sturmhaubitze 42 (rechts) in einer Ortschaft; PK 694 Dating: 1943 Herbst Photographer: Harschneck Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-220-0636-07"引用(他引用不許可)


対戦車戦には、
1)隠密性(発見されにくい)を発揮できる、
2)射撃の標的になりにくい、
3)正面面積を狭くして重装甲を施しやすい、
という3点で車高が低い方が有利である。したがって、車高の高いフンメルは、対戦車戦闘に向いていない。

他方、歩兵支援のためには、破壊力の大きい大口径砲が拠点を制圧するのに威力を発揮する。しかし、大口径砲は重く機動性が低いために、戦車に搭載して運用することが考えられた。これが自走砲である。

写真(右):1943年6-7月,ソ連東部戦線、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲の射撃:砲弾を装填する砲員たちだが、戦闘室内に15cm sFH18 L/30榴弾は18発しか搭載できなかった。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-219-0586-11 Archive title: Sowjetunion-Süd.- Panzerhaubitze "Hummel" (Panzer IV Chassis), SFH 18 (15cm) auf Selbstfahrlafette, Geschütz wird geladen; PK 694 Dating: 1943 Juni - Juli Photographer: Harschneck Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-219-0586-11"引用(他引用不許可)


1941-42年、モスクワ前面でソ連軍冬季攻勢をうけたドイツ軍は、アドルフ・ヒトラーの死守命令もあって、難とか持ちこたえた。ドイツ参謀本部は、すばやく後退して後方に陣地構築をすべきとしたが、ヒトラーは安全な後方などない、撤退は許さないと強硬な姿勢を崩さなかった。そして、何とか体制を立て直したドイツ軍は,1942年4月,モスクワ攻略ではなく、南方軍によって,スターリングラード,カフカスを攻撃する「ブラウ」作戦を立案した。このときドイツ軍が侵攻した地域では,前年のウクライナ同様,共産党ボリシェビキ圧制からドイツ軍が解放してくれると期待した現地住民もあった。

1941年初頭,アドルフ・ヒトラーは強力な60口径5cm砲の搭載を命じていたが,保守的な陸軍将官は,機動性を重視して,重量の増える長砲身を搭載しなかった。
 しかし,独ソ戦で直面したソ連赤軍のT-34は,37口径75ミリ砲を装備して,避弾に優れた装甲であり,ドイツ軍の対戦車砲では貫通できなかった。このため長砲身7.5センチ砲装備のF型が急遽開発された。 

 弾丸と薬莢とからなるカートリッジCartridge)が砲弾である。カートリッジCartridge)は、日本では、実包(じっぽう)あるいは弾薬筒(だんやくとう)と呼ばれる。

 弾丸は、古来、球形の鉛製であり、これと火薬を銃身に仕込んで、火薬を燃焼させて、発射していた。これが500年間も続いた銃(gun)である。19世紀になると、第一に、銃身の内側に螺旋状の溝、すなわちライフルRifling)が採用された。ライフルは、日本では施条(しじょう)あるいは腔綫(こうせん)と呼ばれる。発射された弾丸を、回転させて弾道を安定化させ、飛翔距離を長くすることができた。第二に、弾丸が球形から円錐形・紡錘形のミニエー弾(ミニ弾)がフランスで開発された。南北戦争のゲッチスバークの戦いで、ライフル銃とミニ弾が使用され、南軍に1万名の死傷者を出した。第三が、金属製薬莢によって、弾丸と薬莢が一体化されたことである、南北戦争後、弾丸と金属製薬莢を一体化したカートリッジの採用が一般化した。第四に、1880年代に黒色火薬から無煙火薬に転換したことである。ニトログリセリンを使った無煙火薬によって、弾丸の砲口初速は秒速300メートルから、600メートルに高速化した。無煙火薬で発射された弾丸は、煙が出ないので、弾道が視認できなかったので、マグネシウムを仕込んだ曳光弾を5発に1発混ぜて弾道を目視確認できるようになった。弾丸のサイズが大きくなれば、発射に必要な火薬も多く必要で、破壊力も大きくなる。

写真(右):1943年6-7月,ソ連東部戦線、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の戦闘室:30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲に榴弾を装填する砲員たち。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-219-0586-17 Archive title: Sowjetunion, Mitte/Süd.- Panzerhaubitze "Hummel" (Panzer IV Chassis), SFH 18 (15cm) auf Selbstfahrlafette, Geschütz wird geladen; PK 694 Dating: 1943 Juni - Juli Photographer: Harschneck Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-220-0636-07"引用(他引用不許可)


15センチ榴弾砲18型搭載IV号火砲搭載車両「フンメル」(Sd.Kfz.165 Hummel 15cm SPG)試作車両は、1942年10月に完成、1943年から量産開始。1943年6月のクルスク突出部への攻撃に備えて、フンメルは装甲師団、装甲擲弾兵師団砲兵連隊に配備された。

写真(右):1944年3月,ソ連東部戦線南部あるいはルーマニア、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":開放式の戦闘室の上にはカバーがかかっていて、保温しているものと思われる。霙の跡が残る道を走行しているが、長距離移動をするのか、車体前面にはドラム缶が置かれていて、予備の転輪で支えられている。
Photographer Wolff, Paul Dr. Archive description Description provided by the archive when the original description is incomplete or wrong. You can help by reporting errors and typos at Commons:Bundesarchiv/Error reports. Sowjetunion-Süd (Rumänien).- Panzerhaubitze Hummel in Ortschaft; PK 637 Title Russland, Süd, Rumänien, Panzerhaubitze "Hummel" Info non-talk.svg Depicted place Russia Date March 1944 Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-023-3497-17A
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"File:Bundesarchiv Bild 101I-023-3497-17A, Russland, Süd, Rumänien, Panzerhaubitze "Hummel".jpg"引用(他引用不許可)


IV号自走砲フンメルHummel 15cm SPG)の30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲は、大型砲弾のために、15センチ砲弾は車内には僅か18発しか搭載できなかった。連続射撃のためには、15センチ榴弾砲18型搭載IV号火砲搭載車両「フンメル」(Sd.Kfz.165 Hummel 15cm SPG)に随伴する弾薬運搬車が不可欠だった。

写真(右):カナダ、オンタリオ州、ボーデン空軍基地軍事博物館(CFB Borden Military Museum, Ontario, Canada)が保管・展示しているドイツ軍の30口径15センチ榴弾砲(15cm sFH 18 ):IV号自走砲フンメルに搭載された。
English: German SFH 18, 150 mm Howitzer on display at CFB Borden Military Museum, Ontario, Canada. 日付 2011年7月5日 作者 Skaarup.HA撮影。
写真はWikimedia Commons,Category: 15 cm sFH 18 howitzerFile:76 mm divisional gun M1936 (F-22) pic1.JPG引用。


30口径15センチ重榴弾砲(15 cm sFH 18)の諸元
口径 149 mm
全長 7.849 m、砲身長 4.440 m L/29.5
全幅 2.225 m、全高 1.707 m
重量 5,512 kg 、操作人員数 12名
砲弾 149 mm × 260 R 、砲弾重量 43.52 kg
仰俯角 0度から45度、旋回角 40度
発射速度 4発/分、砲口初速 520 m/s、最大射程 13,325 m

ドイツ陸軍IV号榴弾砲自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の搭載した30口径15センチ重榴弾砲15 cm sFH 18)は、ラインメタル社が1934年に開発した火砲で、野砲の砲架はクルップ社が開発した。同時期に制式となった10.5センチ榴弾砲(10.5cm leFH 18)とともに、野戦榴弾砲の主力として、第二次世界大戦を戦った。30口径15センチ重榴弾砲15 cm sFH 18)の生産期間は1934年から1945年で、合計5,400門が製造された。

写真(右):1944年1-2月,ソ連東部戦線、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":1942年10月に試作車両が完成。1943年からは量産開始。1943年6月のクルスク突出部への攻撃に備えて、フンメルは装甲師団、装甲擲弾兵師団砲兵連隊に配備された。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-278-0898-27 Archive title: Sowjetunion.- Panzerhaubitze "Hummel" mit geöffneter Heckklappe auf steinigem Untergrund; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-278-0898-27"引用(他引用不許可)


装甲師団や機械化された歩兵に随伴する砲兵としてIV号戦車の車台をベースに1942年から1943年にかけて開発されたのがIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"。砲塔を撤去して、開放式の戦闘室を設け、20ミリの薄い乗員防御版で覆った。

IV号戦車の車体後方に搭載していたエンジンはフンメル自走榴弾砲では中央に移され、重量バランスを図った。そして、30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲を搭載した。 IV号榴弾砲自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"初の実戦投入は、1943年7月、東部戦線、クルスク戦車戦。

IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の生産台数は、1943年368輌、1944年 289輌、1945年57輌、合計714輌。

写真(右):1944年1-2月,ソ連東部戦線、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":戦闘室に搭載された30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲が射撃姿勢をとっている。 フンメル自走榴弾砲の戦闘室周囲は20ミリ装甲版で囲まれており、銃弾や砲弾破片からの乗員を防御できる程度であり、火砲の直接射撃を受ければ一たまりもなく破壊されてしまう。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-278-0898-28 Archive title: Sowjetunion.- Panzerhaubitze "Hummel" mit geöffneter Heckklappe, im Vordergrund neue Granaten; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-278-0898-28"引用(他引用不許可)


1942年1月23日、アドルフ・ヒトラー卓上談話:「必要なのは思い切った行動である。----ユダヤ人は、ヨーロッパから消えてなくなるべきである。さもないと,われわれヨーロッパが相互理解に達しえなくなる。ユダヤ人は,何事にも障害となっている。,
------だが,自由意志で彼らが出ていかなければ、絶滅があるだけだ。なぜユダヤ人をロシア人捕虜とは違ったものとしなければならないのか。捕虜収容所では,多くのものが死んでいる。それは私の責任ではない。戦争も捕虜収容所も私が望んだわけではない。ユダヤ人によって,この状況に追い込まれたのだ。

◆人種汚染・人種民族差別に,独ソの過酷な殲滅戦、占領地における治安悪化が結びつき,さらに日米開戦を契機とした対ユダヤ人世界戦争の開始が,ヒトラーに,本格的なヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅政策を強行させた。

写真(右):1944年1-2月,ソ連東部戦線、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":開放式の戦闘室を後部から眺めると、20ミリの薄い乗員防御版で囲まれた戦闘室に30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲が装備されているのがわかる。手前に15cm sFH18 L/30榴弾が並んでいるが、これを手動人力装填するのには体力がいる。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-278-0898-19 Archive title: Sowjetunion.- Panzerhaubitze "Hummel", Geschütz wird mit Granaten geladen; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-278-0898-19"引用(他引用不許可)


バルカン侵攻がなければ,ドイツ軍は,バルバロッサ作戦Unternehmen Barbarossa)を5月に開始し,冬到来前に,モスクワを陥落できたとの俗説がある。しかし,ドイツ軍は,1941年4月,英本土航空決戦大西洋戦い(潜水艦戦),さらにユーゴスラビア,ギリシャ,北アフリカで戦っていた。イタリア戦線脱落,バルカンへの英軍による側面攻撃のリスクを冒すことは出来ない。多面戦争を戦う無理を承知で,6月にソ連に侵攻した。

写真(右):1944年1-2月,ソ連東部戦線、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"戦闘室で測距儀(レンジファインダー)を操作する砲員:戦闘室に搭載された30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲の砲弾が並べられている。乗員たちは、重くて滑りやすい砲弾を作動する榴弾砲に装填する危険な作業をするために、分厚い手袋をしている。戦闘室周囲の装甲板は20ミリ厚しかない。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-278-0898-11 Archive title: Sowjetunion.- Panzerhaubitze "Hummel", Richtschütze schaut durch Visiereinrichtung / Entfernungsmesser; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-278-0898-11"引用(他引用不許可)


直線的軌道のカノン(加農)砲、放物線軌道の榴弾砲(曲射)砲では、射撃術は異なる。IV号自走砲フンメル(Sd.Kfz.165 Hummel 15cm SPG)が搭載した榴弾砲にあっては、目標が直接見えない状態で攻撃する間接射撃も多用される。榴弾砲の射撃照準は、砲の仰角と左右角度を調節することで、そのために次のような機材を使用する。
1)水準器
縦と横を合わせて、砲を水平面に定めて、基準線を設定する。
2)マイクロメーター
3)砲の角度を測定する。
4)測距儀(レンジファインダー)
5)標的と砲との距離を測る。左右に離れた2個の対物レンズで取り込んだ画像を、距離計に連動して回転する鏡(またはプリズム)によって、合成プリズムに送る。操作としては、二つ乖離して映る像を重ねて一つになるように操作すると、砲と標的との距離がわかる。
6)射撃照準器
7)砲の仰角や砲と標的の標高差を調整して射撃距離を定める。

写真(右):1943年6-7月,ソ連東部戦線中南部、IV号自走砲 Panzerhaubitze "戦闘室でSFH 18 (15cm) の信管をきる砲員:戦闘室に搭載された30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲の砲弾は、弾頭重量43.5kg。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-219-0586-20 Archive title: Sowjetunion, Mitte/Süd.-Panzerhaubitze "Hummel" (Panzer IV Chassis),SFH 18 (15cm) auf Selbstfahrlafette, Geschütz wird geladen, Granate wird präpariert; PK 694 Dating: 1943 Juni - Juli Photographer: Harschneck Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-219-0586-20"引用(他引用不許可)


15センチ榴弾砲18型搭載IV号火砲搭載車両「フンメル」(Sd.Kfz.165 Hummel 15cm SPG)の主砲に採用された30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲は、第1次世界大戦の17口径15cm重榴弾砲sFH13の改良型で、1920年代から1930年代初めまで開発され、1933年に制式された。15cm重榴弾砲sFH13は重量2,270kgだったが、sFH18の重量は5,512kgと大幅に増加したため機動力が低下した。そこで、牽引車や自走砲が利用されるようになったのである。

30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲Gr.19榴弾は、弾頭重量43.5kg、特別な8番装薬を用いて発射すると、初速495m/秒、最大射程1万3,250mだった。ただし通常射撃では、容量の異なる1番装薬から6番装薬までを使用したが、特大の7番装薬と8番装薬は、特に許可があった場合にのみ装填できた。

Gr.19榴弾は装薬量も多く大型だったために、フンメル自走榴弾砲の車内には、15cm砲弾を18発しか搭載できなかった。

IV号榴弾砲自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の車体は、自走砲用に延長されているが、転輪/サスペンション懸架方式の数や配置はIV号戦車と同じである。ただし、15センチ榴弾砲18型搭載IV号火砲搭載車両「フンメル」(Sd.Kfz.165 Hummel 15cm SPG)の最終転輪以降の車体部分が延長されており、起動輪と第1転輪の間隔もIV号戦車より延長されている。また、車体幅はIV号戦車より若干延長されている。

写真(右):1944年1-2月,ソ連東部戦線、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"戦闘室後方に並んだ乗員たち:戦闘室に搭載された30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲の砲弾が並べられている。乗員たちは、重くて滑りやすい砲弾を作動する榴弾砲に装填する危険な作業をするために、分厚い手袋をしている。戦闘室周囲の装甲板は20ミリ厚しかない。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-278-0898-22 Archive title: Sowjetunion.- Panzerhaubitze "Hummel", Panzerbesatzung, lachend, auf Granaten gelehnt; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-278-0898-22"引用(他引用不許可)


1941年4月27日,バルカンで戦うドイツ軍指揮官に対して「あらゆる抵抗が仮借ない厳格さで打ち砕かれること」と求める命令が出された。そして,「ドイツ軍が占領したユーゴスラヴィア領土は、ドイツ軍政下に置く。軍司令官は,軍隊の安全および治安・秩序の安定のために必要な措置を取る。」とされた。

1941年4月28日,第二軍団フォン・ヴァイヒ司令官の命令書では,ドイツ人への襲撃に対しては,住民に過酷な報復を行うことを通告している。「襲撃によってドイツ兵士が死亡すれば,一人に付き100人のセルビア人が射殺されることになる。」

ドイツ軍によるソ連侵攻の2週間前,1941年6月6日,政治委員コミサール射殺命令(「政治役員の追跡と粛清に関する指針」)が出た。これは,ボリシェビキの残忍さ,アジアの野蛮性を前提とした殲滅戦にあって,ソ連共産党員の軍隊派遣政治将校であるコミサールは,パルチザンの温床であり,処刑すべきことを指示した。そして,政治委員コミサール射殺命令は,親衛隊特別行動部隊(アインザッツグルッペ)が担った。

写真(右):1944年1-2月,ソ連東部戦線、IV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の操縦室:開放式の戦闘室の下、車掌の前部に操縦室がある。防御は20ミリ装甲なので機銃防御程度であり、対戦車戦闘は考慮されていないのが、自走砲である。これに対して、突撃砲は対戦車戦にも耐えられる装甲を施している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-278-0898-23 Archive title: Sowjetunion.- Panzerhaubitze "Hummel", Soldat im Innenraum; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-278-0898-23"引用(他引用不許可)


1941年11月5日,ヒトラー卓上談話:「----この戦争の終結は,ユダヤ民族の絶滅を意味する。ユダヤ人というのは,エゴイズムそのものだ。
---ユダヤ人は精神的なものに全く関心を持たない。------ユダヤ人の最大の誤魔化しは,宗教でもなんでもないユダヤ教を,宗教のごとく偽っていることだ。簡単に言えば,ユダヤ人は自分たちの人種思想に宗教的カモフラージュを施したのだ。奴らのやることなすことすべて,嘘に立脚している。ギリシャ・ローマ世界の崩壊の責任は,ユダヤ人が負うべきである。
----ユダヤ人は有能だというが,奴らの能力は,他人のものを弄び騙し取ることだけだ。
----とにかく私が言いたかったのは,-------ユダヤ人には音楽家も思想かもいない。奴らは無,いやそれ以下だ。嘘つき,詐欺師,ペテン師!やつらが成功したのは,騙された人間がいたからだ。----」

写真(右):1945年,ハンガリー、ブダペスト、IV号フンメル自走砲の残骸(右):キャタピラーが外れており、戦闘室の後方も破壊されている。
Magyar: Rác fürdő. A Gellért-hegy oldalában a Hegedűs villa. Balra egy német Hummel önjáró löveg roncsa. Location: Hungary, Budapest I., Tabán Tags: wreck, assault gun, Gerrman brand, Budapest Title: Rác fürdő. A Gellért-hegy oldalában a Hegedűs villa. Balra egy német Hummel önjáró löveg roncsa. Date 1945 FOTO:Fortepan — ID 52097
写真はCategory:Hummel during World War II File:Budapest I., Rác fürdő, Gellért-hegy, Hegedűs villa. Balra egy német Hummel önjáró löveg roncsa. Fortepan 52097.jpg引用。


1941年11月5日:「善良な国民が(東部の)最前線で戦死しているこの時,(人権に配慮した刑罰制度によって)犯罪者ばかりを保護すれば社会のバランスは崩れ,国家の健全さは打撃を受けるだろう。これは,衆愚政治だ。国家が窮地に陥っている時には,このような手厚い保護の下に置かれている一握りの犯罪者どもに,最前線の兵士たちの犠牲によって得た賜物を簒奪する恐れが高い。これは1918年(第一次大戦の敗北)に経験済みだ。この対策としては,この種の犯罪者は直ちに死刑に処す,これしかない。
-----こんな屑どもに団結する機会を与えるのは非常に危険だ。
」(『ヒトラーのテーブル・トーク1941-1944(上)』三交社,1994年 参照)


Hummel, Mobile Artillery (Documentary)

写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":戦闘室に搭載されているのは30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲。戦闘室周囲の装甲板は20ミリ厚。
Description Photographed in the Musée des Blindés, France. Date 11 September 2013, 12:23:14 Source Own work Alf van Beem
写真はWikimedia Commons・Category:SdKfz 165 Hummel in the Musée des Blindés・"File:SdKfz 165 Hummel, Musée des Blindés, France, pic-2.JPG引用。


◆ヒトラーは,戦線後方の下等人種・劣等民族が団結すれば,反ドイツの動きを開始し,ドイツ人にとって有害である,敵に連帯し団結する契機を与えてはならないというのが,ヒトラーの考えである。したがって,ウクライナ人,チェチェン人,ロシア人に,自治や独立を与えることは,絶対にありえない。バルバロッサ作戦,ブラウ作戦も,現地のスラブ人,チェチェン人にとって,決してボリシェビキからの解放やスターリン圧政からの自由に繋がることはなかった。

写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":戦闘室に搭載されているのは30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲。戦闘室周囲の装甲板は20ミリ厚。
Description Photographed in the Musée des Blindés, France. Date 11 September 2013, 12:17:30 Source Own work Author Alf van Beem
写真はWikimedia Commons・Category:SdKfz 165 Hummel in the Musée des Blindés・File:SdKfz 165 Hummel, Musée des Blindés, France, pic-5.JPG引用。


◆ドイツ軍は,ボリシェビキ圧制に反発していたソ連軍捕虜を厚遇して,反ソ宣伝,親ドイツ軍を編成することが可能だった。しかし,スラブ人を下等人種・劣等民族として見下したドイツは,ソ連軍捕虜を虐待した。
ソ連の肥沃な大地は,ドイツ人,民族ドイツ人の植民地となり,スラブの住民は農奴として使役されることになった。ウクライナや自由ロシアの自立と強化を目指す活動をドイツ軍は組織化できなかった。

写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の正面:伸びているのは30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲。車体前面には、工作道具が置かれているがこれは補助装甲も兼ねている。戦闘室周囲の装甲板は20ミリ厚。
Description Photographed in the Musée des Blindés, France. Date 25 April 2017, 12:51:06 Source Own work Author Alf van Beem
写真はWikimedia Commons・Category:SdKfz 165 Hummel in the Musée des Blindés・File:SdKfz 165 Hummel, Musée des Blindés, France, pic-9.jpg引用。


写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の戦闘室と30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲の砲尾:戦闘室周囲の装甲板は20ミリ厚で、車体の装甲もIV号戦車よりはるかに薄く前面30ミリ、側面20ミリ。
日本語: 自走砲「フンメル」戦闘室 Date 18 February 2012 Source Own work Author 衛兵隊衛士
写真はWikimedia Commons・Category:SdKfz 165 Hummel in the Musée des Blindés・File:フンメル(自走砲)戦闘室.JPG引用。


写真(右):2017年4月、フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の側面:転輪は、片側8個ついている。戦闘室周囲の装甲板は20ミリ厚で、車体の装甲もIV号戦車よりはるかに薄く前面30ミリ、側面20ミリ。
Photographed in the Musée des Blindés, France. Date 25 April 2017, 12:51:55 Source Own work Author Alf van Beem
写真はWikimedia Commons・Category:SdKfz 165 Hummel in the Musée des Blindés・File:SdKfz 165 Hummel, Musée des Blindés, France, pic10.jpg引用。


写真(右):2013年9月、フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel"の後部:戦闘室周囲の装甲板は20ミリ厚で、車体の装甲もIV号戦車よりはるかに薄く前面30ミリ、側面20ミリ。
Photographed in the Musée des Blindés, France. Date 11 September 2013, 12:17:53 Source Own work Author Alf van Beem
写真はWikimedia Commons・Category:SdKfz 165 Hummel in the Musée des Blindés・File:SdKfz 165 Hummel, Musée des Blindés, France, pic-6.JPG引用。


写真(右):2006年6月、ドイツ連邦共和国南西部、バーデン=ヴュルテンベルク州、ジンスハイム(Sinsheim)市、ジンスハイム自動車・技術博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲搭載。ジンスハイム自動車・技術博物館にはクラシックカー(Oldtimer)300台、二輪オートバイ200台、蒸気機関車27両、ユンカース Ju-52輸送機、ダグラス DC-3輸送機など航空機60機も展示されている。
Panzerhaubitze "Hummel" at the Auto- und Technikmuseum Sinsheim / Germany. Picture taken in may 2006 by Christian Kath (me). Date 3 June 2006 (original upload date) Source No machine-readable source provided. Own work assumed (based on copyright claims). Author No machine-readable author provided
写真はWikimedia Commons・Category: Hummel at the Panzermuseum Munster・"File:Panzerhaubitze-Hummel.jpg引用。


写真(右):ドイツ連邦共和国南西部、バーデン=ヴュルテンベルク州、ジンスハイム(Sinsheim)市、ジンスハイム自動車・技術博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲搭載。
解説Auto & Technik Museum, Sinsheim, 6/11. 日付 2011年6月3日, 11:52 原典 Nashorn Uploaded by Oxyman 作者 Hugh Llewelyn
写真はWikimedia Commons・Category: Hummel at the Panzermuseum Munster・"File: German Nashorn 1.jpg引用。


ドイツ連邦共和国南西部、バーデン=ヴュルテンベルク州のジンスハイム・自動車技術博物館は3万平方メートル、10ホールに3000点の自動車・戦車・航空機などがで展示されている。見どころは、スポーツカー・レーシングカー40台、クラシックカー300台、二輪車200台、機関車20台、航空機60機などで、エンジン、農業機械、バス・トラックなどの輸送用自動車などえあるが、特に軍用戦闘車両が興味深い。珍しい民間機は、エア・フランスのF-BVFBコンコルド機で、超音速ジェット旅客輸送機としては、フランスとイランで数機が就役しただけだったが、内部に入ることができる。

写真(右):2019年10月、ドイツ連邦共和国,ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲搭載。
Description Deutsches Panzermusem Munster Date 13 October 2019, 15:27 Source Deutsches Panzermusem Munster Author Clemens Vasters from Viersen, Germany, Germany
写真はWikimedia Commons・Category: Self-propelled artillery in the Auto und Technik Museum Sinsheim・"File:Deutsches Panzermusem Munster (48892165073).jpg引用。


ドイツ連邦の北部ニーダーザクセン州にあるミュンスター戦車博物館には、第二次世界大戦のドイツ軍自走砲として、"I号戦車"II号戦車改造のヴェスペ10.5cm自走砲、III号戦車改造のIII号突撃砲、IV号戦車改造のフンメル 150mm自走砲、IV号戦車改造のIV号駆逐戦車、VI号"シュトルムティーガー""Sturmmörserwagen":モーゼル突撃戦車)が保管展示されている。

写真(右):2017年12月、ドイツ連邦共和国,ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号自走砲 Panzerhaubitze フンメル"Hummel":30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲搭載。
Deutsches Panzermuseum Munster Date 17 December 2017, 20:34 Source Hummel Author Triple-green
写真はWikimedia Commons・Category: Self-propelled artillery in the Auto und Technik Museum Sinsheim・"File:Hummel (25247803068).jpg引用。


III号戦車A-F型は、47口径3.7 cm KwK 36(120発)、G-J型は42口径5 cm KwK 38(99発)を搭載している。しかし、1943年に入ると明らかに攻撃力不足で、III号戦車の生産は1943年8月に終了している。これ以降、III号戦車は、車体・シャーシを活かしてIII号突撃砲としてのみ生産が続けられた。


4.IV号対戦車自走砲 Panzerjäger ナースホルン Nashorn/Hornisse

写真(右):1944年1-2月,ソ連東部戦線、IV号自走対戦車砲 Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisse:戦闘室の上部をカバーで覆うことができるように湾曲した覆い支柱が戦闘室の前方に装備している。寒気を遮断して少しでも乗員のいる空間を暖かくするためである。車外の乗員は厚いコートを着込んでいる。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-278-0888-15 Archive title: Sowjetunion.- Kolonne von Panzerjäger Nashorn/ Hornisse in Fahrt auf Straße; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-279-0950-13"引用(他引用不許可)


写真(右):1944年3月,ソ連東部戦線、IV号自走対戦車砲 Panzerhaubitze Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisseのキャタピラ交換作業:戦闘室に30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲を搭載した自走砲 Panzerhaubitze フンメルとほぼ同時に71口径8.8センチ対戦車砲を搭載した対戦車自走砲としてホルニッセ(スズメバチ)、後のナースホルン(犀/サイ)が開発された。突撃砲と異なり、装甲は小銃弾や弾片に耐えられる程度で、20ミリしかない。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-279-0949-16 Archive title: Sowjetunion, bei Witebsk.- Panzerjäger Nashorn/Hornisse. Panzersoldaten beim Kettenwechsel; PK 697 Dating: März 1944 Photographer: Bergmann, Johannes Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-279-0949-16"引用(他引用不許可)


1941年9月、ベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke GmbH)がサイズの近いIV号戦車をベースにIII号戦車の転輪などを取り入れた自走砲専用車体(III/IV号火砲搭載車輌)を開発した。この車体は、全長を延長し、エンジンを後部から中央部に移動して、大型砲を搭載する場合の重量バランスや戦闘敷く空間の確保に考慮している。

1942年7月、この車体に15cm榴弾砲を搭載するフンメルの開発が始まったが、ヒトラーは対戦車戦闘を有利にするために8.8センチ高射砲を改造した8.8 cm PaK 43を搭載した対戦車自走砲の開発を指示し、アルケット社(Altmärkische Kettenwerke GmbH)で開発されることになった。

写真(右):1944年3月,ソ連東部戦線、IV号自走対戦車砲 Panzerhaubitze Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisse:戦闘室に30口径15cm sFH18 L/30榴弾砲を搭載した自走砲 Panzerhaubitze フンメルとほぼ同時に71口径8.8センチ対戦車砲を搭載した対戦車自走砲としてナースホルンがアルケット社(Altmärkische Kettenwerke GmbH)で開発されることになった。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-279-0949-26 Archive title: Sowjetunion, bei Witebsk.- Panzerjäger Nashorn/ Hornisse. Im Vordergrund Kradfahrer auf Motorrad; PK 697 Dating: März 1944 Photographer: Bergmann, Johannes Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-279-0949-26"引用(他引用不許可)。


対ソ戦の緒戦でドイツ陸軍は、ソ連赤軍のT-34、KV-1など重防御、76.2ミリ長砲身戦車砲を装備する戦車に苦戦した。そこで、対戦車戦能力を向上させるために、急遽、防御力は犠牲にしても、強力な戦車砲を装備して、ソ連赤軍戦車を撃破できる車両が望まれた。

ヒトラーも、このような対戦車戦闘車両を望んであり、新型の71口径8.8センチ対戦車砲を搭載し対戦車戦を戦う車両としてホルニッセ(スズメバチ)、後にナースホルン(サイ)と呼ばれる対戦車自走砲がアルケット社(Altmärkische Kettenwerke GmbH)で開発された。しかし、この車両が実戦に投入された時期は、1943年の夏、シタデレ(城塞)作戦Unternehmen Zitadelle)あたりからで遅かった。

写真(右):1944年3月,ソ連,東部戦線,IV号自走対戦車砲 Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisseの前部:戦闘室から71口径8.8センチ対戦車砲8.8cm PaK 43/L71)が伸びている。車体前部には操縦席があるので、出入りに使用できるハッチで視界を確保している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-279-0950-08 Archive title: Sowjetunion, bei Witebsk.- Panzerjäger Nashorn/Hornisse. Im Vordergrund Kradfahrer auf Motorrad; PK 697 Dating: März 1944 Photographer: Bergmann, Johannes Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-279-0950-08"引用(他引用不許可)。


IV号自走対戦車砲 Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisse諸元:

全長8.44 m、車体長7.26 m、全幅2.95 m、全高2.65 m
重量24 t
航続距離235 km(整地)
主砲:71口径8.8cm PaK 43/1(40発) 、7.92mm MG-34機銃 1丁
装甲:戦闘室全周・車体前面上部10 mm、車体前面下部30 mm
エンジン:マイバッハ HL 120 TRMガソリンエンジン 300 馬力
乗員4名

71口径8.8cm PaK 43は、1940年にドイツ国防軍が8.8 cm FlaK 18/36/37に代わる高射砲開発を進めたことが契機になり、1943年に戦車砲型が8.8 cm KwK 43と、対戦車砲型が71口径8.8cm PaK 43として採用された。これらは71口径の長砲身で、狭い戦闘室内での争点を考慮して、垂直鎖栓式の閉鎖機、ボタン式の電気撃発装置を備えていた。砲尾の閉鎖機を開くと薬莢が排出されるが、砲弾の装填は手動であり、現在の戦車のような自動装填式の戦車砲はなかった。

ナースホルンと同じ71口径8.8cm PaK 43はエレファント駆逐戦車、V号駆逐戦車ヤークトパンター、ティーガー?、ヤークトテーゲル駆逐戦車にも装備されている。

写真(右):アメリカ合衆国メリーランド州アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館が保管・展示しているドイツ軍の71口径の8.8センチ対戦車砲(8,8 cm PaK 43 ):IV号対戦車自走砲ナースホルン(犀)のほか、エレファント駆逐戦車、ヤークトパンター駆逐戦車、ティガーII重戦車に搭載された。
Description English: A German Panzerabwehrkanone 43 (PaK 43) 88mm anti-tank gun at the US Army Ordnance Museum, in Aberdeen, Maryland. Date Summer of 2009 Source Own work Author DZGuymed 撮影。
写真はWikimedia Commons Category: PaK 43File: 76 mm divisional gun M1936 (F-22) pic1.JPG引用。


71口径8.8センチ対戦車砲(8.8cm PaK 43)の諸元
口径 88 mm
全長 9.2 mm、砲身長 6.35 m L/71
全幅 2.225 m、全高 1.7 m
重量 3,650 kg 、操作人員数 5名
砲弾 88mm x 822 R 、砲弾重量 10.2 kg
仰俯角 -8度から40度、旋回角 360度
発射速度 6-10発/分、砲口初速 1000 m/s
最大射程 15,150 m、有効射程 1,000-2000m

写真(右):1944年3月,ソ連,東部戦線、IV号自走対戦車砲 Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisse:フンメルと同様の車体に長砲身じ71口径8.8cm PaK 43を搭載した。この対戦車砲は、ティーガー?重戦車の8.8センチ砲よりも長砲身で強力である。ただしティーガー?重戦車は、重装甲だったが、ナースホルンは突撃砲ではなく自走砲であり、装甲は貧弱である。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-279-0950-13 Archive title: Sowjetunion, bei Witebsk.- Panzerjäger Nashorn/Hornisse mit Besatzung; PK 697 Dating: März 1944 Photographer: Bergmann, Johannes Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-279-0950-13"引用(他引用不許可)


ドイツ陸軍IV号対戦車自走砲ナースホルンNashorn )の搭載した71口径8.8センチ対戦車砲8.8cm PaK 43)は、1928年に開発された8.8センチ高射砲をベースにした対戦車砲で、クルップ社が1943年に開発した砲身長71口径の高初速の対戦車砲。砲尾の垂直鎖栓式の閉鎖機は狭い砲塔・戦闘室での操作に有利だった。また、電気発火方式の撃発で、十字型砲架だったのは、前身の高射砲を引き継いでいる。第二次世界大戦の終盤に登場したが、71口径8.8センチ対戦車砲8.8cm PaK 43)は、1943年から1945年で合計2,100門が製造された。

写真(右):1944年3月,ソ連,東部戦線、IV号自走対戦車砲 Panzerjäger ナースホルンNashorn/ ホルニッセHornisse
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-279-0950-16 Archive title: Sowjetunion, bei Witebsk.- Panzerjäger Nashorn/Hornisse. LKW-Kolonne; PK 697 Dating: März 1944 Photographer: Bergmann, Johannes Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-279-0950-16"引用(他引用不許可)


装甲師団ではなく、装甲擲弾兵師団に配備されたIV号対戦車自走砲ナースホルンPanzerjäger "Nashorn":Sd.Kfz.164;犀)やフンメルは、戦車とともに行動することは少なく、歩兵と行動を共にすることが多かった。ナースホルンンと随伴しているのは、トラック、乗用車である。

写真(右):1944年3月,ソ連東部戦線、IV号自走対戦車砲Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisse:フンメルと同様の開放式の戦闘室にいる乗員は冬季の寒さに堪えたようだ。戦闘室の上部をカバーで覆い外気から遮断して少しでも暖を取ったようだ。車外の乗員は厚いコートを着込んでいる。
Inventory: Bild 101 I -Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-279-0950-10 Archive title: Sowjetunion, bei Witebsk.- Panzerjäger Nashorn/ Hornisse mit Besatzung; PK 697 Dating: März 1944 Photographer: Bergmann, Johannes Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-279-0950-10"引用(他引用不許可)


写真(右):1944年3月,ソ連東部戦線、IV号自走対戦車砲Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisse:フンメルと同様の車体に長砲身71口径の8.8センチ対戦車砲を搭載した。この対戦車砲は、ティーガーIの8.8センチ砲よりも長砲身で強力である。ただしティーガーIは、重装甲だったが、ナースホルンは突撃砲ではなく自走砲であり、装甲は貧弱である。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-279-0949-21 Archive title: Sowjetunion, bei Witebsk.- Panzerjäger Nashorn/ Hornisse mit aufgessenen Soldaten in Winterkleidung; PK 697 Dating: März 1944 Photographer: Bergmann, Johannes Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-279-0949-21"引用(他引用不許可)


写真(右):1944年3月,ソ連東部戦線、IV号自走対戦車砲 Panzerjäger ナースホルンNashorn/ ホルニッセHornisse: 開放式の戦闘室にいる乗員は冬季の寒さから少しでも守ろうと、戦闘室の上部をカバーで覆い外気から遮断している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-278-0889-11 Archive title: Sowjetunion.- Kolonne von Panzerjägern Nashorn / Hornisse in Fahrt auf Straße; PK 697 Dating: 1944 Januar - Februar Photographer: Wehmeyer Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-278-0889-11"引用(他引用不許可)


IV号対戦車自走砲ナースホルンPanzerjäger "Nashorn":Sd.Kfz.164)は、開放式の戦闘室だったため、冬季の東部戦線、イタリア戦線に投入されたとき、乗員は冬の寒さから身を守る手段を考えた。これは、開放式の戦闘室の上部をカバーで覆うことで、冷たい外気から遮断しようとした。

イタリアでは、1944年1月から5月のモンテカッシーノ戦、1945年9月のゴシック線などイタリアのドイツ軍は有効な持久戦を展開した。

写真(右):1944年2月,イタリア戦線、偽装を施したIV号自走対戦車砲 Panzerhaubitze Panzerjäger ナースホルンNashorn/ ホルニッセHornisseの砲撃
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-310-0876-15 Archive title: Italien.- getarnter Panzerjägern Nashorn / Hornisse ; PK 699 Dating: Februar 1944 Photographer: Dohm Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-310-0876-15"引用(他引用不許可)


IV号対戦車自走砲ナースホルンPanzerjäger "Nashorn":Sd.Kfz.164)は、開放式の戦闘室で走行も貧弱である。そこで、敵から発見されないように、偽装に気を配った。周囲と砲身に樹木を被せて対地・対空の艤装を施し、対戦車戦闘の隠密性を維持している。

写真(右):1944年2月,イタリア戦線、IV号自走対戦車砲 Panzerjäger ナースホルンNashorn/ホルニッセHornisseのマルズブレーキ:開放式の戦闘室に立っているのは指揮官か記念撮影のためか勲章を佩用している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-310-0876-33 Archive title: Italien.- getarnter Panzerjäger Nashorn/ Hornisse; PK 699 Dating: Februar 1944 Photographer: Dohm Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild+101I-310-0876-33"引用(他引用不許可)


IV号戦車H型PzKpfw IV Ausf H)が搭載した動力は、マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリンエンジン、最大出力300hp/3,000rpm、最高速度38km/h(路上)、 航続距離210kmである。

写真(右):1944年3月,イタリア戦線、IV号自走対戦車砲 Panzerjäger ナースホルンNashorn/ ホルニッセHornisseの砲撃:開放式の戦闘室に砲員が揃い砲弾の装填、照準、71口径8.8cm PaK 43戦車砲の調整をしている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-311-0913-33A Archive title: Italien, bei Nettuno.- Getarnter Panzerhaubitze Wespe (?) in Feuerstellung; PK 699 Dating: März 1944 Photographer: Koch Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-311-0913-33A"引用(他引用不許可)


ドイツ軍の1941-1942年、独ソ戦初期の主力戦車III号戦車G型からJ型では、砲塔に42口径5センチ戦車砲(5 cm KwK 38)を装備し、携行砲弾数は99発だった。III号戦車は、全幅が小さく大直径のターレットを設けることができなかった。そこで、大型砲塔が搭載できず、搭載火砲の口径は5センチが限界であり、短砲身24口径7.5センチ戦車砲(7,5 cm KwK 37 L/24)が限界だった。



III号戦車は,1941年から本格的な主力戦車配備され,3.7センチ砲、後に42口径5センチ砲を搭載していたが,ヒトラーは対戦車戦闘能力を重視し,さらに長砲身の60口径砲を搭載するように指示した。しかし,陸軍当局は,重量増加による機動性低下を嫌い,42口径砲のまま量産してしまう。60口径砲への転換が始まったのは,1941年4月にヒトラーが命令無視を知って以降である。

1941年から1942年までIII号戦車に搭載された5 cm KwK 39は徹甲弾を使うと距離100 mで67mm、500 mで57mm、1000 mで44mm、1500 mで34 mmの装甲を貫通できる。

写真(右):1944年,イタリア戦線、対空偽装を施して移動するIV号自走対戦車砲ナースホルンの後部:装甲師団に随伴する砲兵として開発された自走砲 Panzerhaubitze フンメルだが、制空権を失い戦闘爆撃機の襲撃を受ければ、開放式の戦闘室は一たまりもなく破壊されてしまう。そこで、対空偽装を施し、できるだけ上空から遮蔽されるような森林地帯や夜間を利用して移動するようになった。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-316-1161-21A Archive title: Italien-Senigallia.- mit Zweigen stark getarnter deutscher Panzer auf Landstraße (Panzerhaubitze Hummel oder Panzerjäger Nashorn/Hornisse); PK 699 Dating: 1944 Photographer: Vack Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


IV号対戦車自走砲ナースホルンPanzerjäger "Nashorn"(Sd.Kfz.164)
搭載火砲:71口径8.8cm PaK 43(8.8 cm PaK 43 )
全長 8.44 m、 車体長 7.26 m
全幅 2.95 m、 全高 2.65 m
重量 24 t。


写真(上):2007年、アメリカ、メリーランド州、アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号対戦車自走砲 Panzerjäger ナースホルン "Nashorn" Sd.Kfz.164の側面
:赤い錆止めと量が塗られている。
解説 Nashorn on display at the US Army Ordnance Museum in Aberdeen. The picture taken May 7, 2007. 日付 5/7/2007 原典 投稿者自身による作品 作者 User:Fat yankey
写真はWikimedia Commons・Category: Nashorn at the United States Army Ordnance Museum・"File:Nashorn.Aberdeen.0007wakh.jpg引用。


写真(右):アメリカ、メリーランド州、アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号対戦車自走砲 Panzerjäger ナースホルン "Nashorn" Sd.Kfz.164
解説 Picture taken by myself, Mark Pellegrini, at the United States Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground, MD) on June 12, 2007. 原画像データの生成日時 2007年6月12日 (火) 12:44 原典 投稿者自身による作品
写真はWikimedia Commons・Category: Nashorn at the United States Army Ordnance Museum・"File: German Nashorn 1.jpg引用。


写真(右):アメリカ、メリーランド州、アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号対戦車自走砲 Panzerjäger ナースホルン "Nashorn" Sd.Kfz.164
Picture taken by myself, Mark Pellegrini, at the United States Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground, MD) on June 12, 2007.
原典 投稿者自身による作品
許可(ファイルの再利用) Attribution ShareAlike 2.5
写真はWikimedia Commons・Category: Nashorn at the United States Army Ordnance Museum・"File:German Nashorn 2.jpg引用。


アメリカ合衆国メリーランド州アバディーンにあるアメリカ陸軍兵器博物館United States Army Ordnance Museum)は、第一次世界大戦に参戦し料理したアメリカが1919年に設置した軍事兵器博物館である。ここには、ドイツ軍から鹵獲した兵器、特に陸戦兵器を展示するために設けられ、1924年に公開が始められた。

アメリカ陸軍兵器博物館は、アメリカ陸軍アバディーン兵器性能試験場にあり、1967年までアメリカ陸軍にが運営していた。ここには勝利した第一次世界大戦中の兵器のほかに、戦後にアメリカが性能試験をした兵器もあり、比較検討にも便利な軍事施設となった。現在展示されているの主な戦車には、M3A1リー中戦車、M4A4シャーマン中戦車、M10ウルヴァリン駆逐戦車、I号戦車,III号戦車J型、III号戦車M型、IV号戦車D型、IV号戦車 H型、IV号戦車G型、V号戦車パンター、軽駆逐戦車ヘッツァー、IV号駆逐戦車、V号駆逐戦車、VI号駆逐戦車(ヤークトティーガー)、エレファント重駆逐戦車、IV号突撃戦車、III号突撃砲 C型、35(t)戦車などが保管・展示されている。

写真(上)2015年10月、ロシア共和国モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管展示されているドイツ軍IV号戦車ベースのナースホルン対戦車自走砲;を改造した71口径8.8センチ高射砲(8,8 cm Pak 43)を搭載した軽装甲の対戦車自走砲
0622 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka 日付 2015年10月1日, 11:49 原典 0622 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka 作者 Uwe Brodrecht
写真はWikimedia Commons Category: Panzerkampfwagen IV Ausführung G in the Panzermuseum Munster File:0622 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka (26308072272).jpg引用。


写真(右):ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館(Kubinka Tank Museum)に保管展示されているドイツ軍のIV号対戦車自走砲 Panzerjäger ナースホルン "Nashorn" Sd.Kfz.164:強力な71口径8.8cm戦車砲を装備しており、攻撃力は高い反面、装甲は、戦闘室周囲10 mm、車体前面下部30 mmしかなく弱い。
解説 Русский: Немецкая САУ Nashorn в Кубинке 日付 2009年3月 原典 фотоаппарат 作者 Галин Владимир Петрович
写真はWikimedia Commons・Category: Nashorn in Kubinka Tank Museum・"File: Nashorn in Kubinka.jpg引用。


独ソ戦の勃発1年たってIII号戦車が装備していた戦車砲は,47口径あるいは60口径5センチ砲で、ソ連軍に比較するとドイツ軍戦車の対戦車戦闘能力は低かった。スターリングラード攻防戦ではソ連軍のT-34戦車やKW-1重戦車に対抗できず,8.8センチ高射砲などの火砲や航空支援を受けながら戦った。戦車の集団用法,空軍による地上援護と組み合わせた電撃戦により,ソ連軍を奇襲,撃破できたのである。

⇒ドイツ陸軍III号戦車 Pz.Kpfw. III を見る。


5.IV号駆逐戦車 ヤークトパンツァー Jagdpanzer IV (Sd.Kfz.162)

写真(右)1944年頃,ドイツ陸軍IV 号駆逐戦車Jagdpanzer IV Sd.Kfz.162 :低い車高で隠密性が高く、標的になりやすい前面露出面積も狭い。搭載しているのは、?号戦車と同じ48口径7.5センチ砲(7.5 cm L/48)だが、対戦車戦闘能力は高い。ヤークトティーゲル重駆逐戦車が重装甲でも車高が高いのと対照的である。
Catalogue number STT 7134 Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period Second World War Alternative Namesobject category: Black and white Object description: Jagdpanzer IV, Label: German Jagdpanzer IV tank destroyer.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 7134引用


ドイツ軍の戦車は,大口径,長砲身の対戦車砲を搭載していなかった。そこで,1942年春には,対戦車用に43口径7.5センチ砲StuK 40 L/43を装備した突撃砲IV号戦車Sd. Kfz. 161)と並んで開発された。この突撃砲の主砲は,1942年秋には,48口径7.5センチ砲StuK 40 L/48へと強化され,事実上「駆逐戦車」となった。

写真(右)1944年頃,ドイツ陸軍IV 号駆逐戦車Jagdpanzer IV Sd.Kfz.162 :後方には、予備のキャタピラ、予備のタンクを装着している。搭載している48口径7.5センチ砲(7.5 cm L/48)はそれほど長砲身ではないため、隠れてしまっている。
Catalogue number STT 7135 Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject periodSecond World War Alternative Namesobject category: Black and white Object description: Jagdpanzer IV, Label: German Jagdpanzer IV tank destroyer.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 7135引用


III号戦車よりも大きな砲塔を搭載し,大口径装備が可能だったIV号戦車は終戦までドイツ軍の主力戦車となった。突撃砲は少数で終わったが、駆逐自走砲戦車は量産された。これは、48口径あるいは70口径7.5センチ砲を搭載し,対戦車戦闘能力を向上したものである。
写真(右)1944年頃,ドイツ陸軍IV号駆逐戦車Jagdpanzer IV (Sd.Kfz.162)48口径7.5センチ砲搭載車両のプロトタイプ(試作車)の正面:砲身には反動を緩和・減退するマズルブレーキmuzzle brake)を装着している。正面から見ると、車高が低く、隠密性に優れており、正面面積が狭い分、敵砲弾の命中率も低くなる。この試作車の表面には、非磁気のプラスチックコーティングは塗られていない。
Catalogue number STT 6607N, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period Second World War Alternative Namesobject category: Black and white Object description: Jagdpanzer IV prototype. 写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 6607N引用


III号突撃砲は、終戦までドイツ軍の主力突撃砲となり、火力支援だけでなく、対戦車戦闘にも活躍した応急の陸戦兵器だったが、実用性も量産性も高かったために、III号突撃砲Sturmgeschütz III:StuG III)は終戦までに1万両が生産され、第二次世界大戦中のドイツ軍の装甲戦闘車輛のうちで最多の生産台数を誇っている。 したがって、IV号駆逐戦車と代替的な位置にある。 

写真(右):1944年暮れ頃,ベルギー、西部戦線で西側連合軍に撃破されたドイツ陸軍IV 号駆逐戦車Jagdpanzer IV Sd.Kfz.162 :トルーマン図書館にはドイツ軍から鹵獲した写真も掲載・公開されている。
Description: A German tank makes its way off road outside of Poteau, Belgium. From a group of captured German photographs. Date: ca. 1944 Related Collection: John M. Redding Papers ARC Keywords: Tanks (Military science); World War, 1939-1945 HST Keywords: Belgium, Poteau; World War II - General File 写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-656引用。


写真(右):1944年暮れ頃,ベルギー、西部戦線に投入されたドイツ陸軍IV号駆逐戦車Jagdpanzer IV Sd.Kfz.162 :IV号戦車が砲塔に搭載した48口径7.5センチ砲搭を車体前面の戦闘室に装備している。そのため、射角は制限されるが、車高が低く、露出部分を小さくできるので、対戦車戦闘に有利である。
Description: A German armored vehicle carrying unidentified soldiers makes its way off road. Possibly near Poteau, Belgium. From a group of captured German photographs. Date: ca. 1944 Related Collection: John M. Redding Papers ARC Keywords: Roads; Soldiers; Vehicles, Military; World War, 1939-1945 HST Keywords: World War II - General File 写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-628引用。


写真(右):1944年暮れ頃,ベルギー、西部戦線で西側連合軍に撃破されたドイツ陸軍IV号駆逐戦車Jagdpanzer IV Sd.Kfz.162 :車体には迷彩が施されている。戦車兵も鉄帽を着用しているが、車体後方には歩兵を乗せているように見える。
Description: A German tank drives off road ,possibly near Poteau, Belgium. Soldiers are unidentified. From a group of captured German photographs. Date: ca. 1944 Related Collection: John M. Redding Papers ARC Keywords: Soldiers; Tanks (Military science); Vehicles, Military; World War, 1939-1945 HST Keywords: World War II - General File 写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 63-629引用。


写真(右)1944年暮れ頃,西部戦線で西側連合軍に撃破されたドイツ陸軍IV 号駆逐戦車Jagdpanzer IV Sd.Kfz.162 とVI号戦車パンター:二つの戦車ともに、磁力吸着式対戦車爆雷の防御用に、装甲板の上にプラスチックのコーティングを施している。IV 号駆逐戦車の搭載している48口径7.5センチ砲(7.5 cm L/48)砲身には反動を緩和・減退するマズルブレーキmuzzle brake)を装着されている。他方、V 号戦車パンターの搭載しているのは長砲身の70口径7.5センチ砲(7.5 cm L/70)である。
Catalogue number STT 6600 Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject periodSecond World War Alternative Namesobject category: Black and white Object description: Jagdpanzer IV, Label: German Jagdpanzer IV tank destroyer, next to a Panther. 写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 6600引用


写真(右)1944年頃,ドイツ陸軍IV号駆逐戦車Jagdpanzer IV (Sd.Kfz.162)70口径7.5センチ砲搭載車両:IV号駆逐戦車の備砲を48口径7.5センチ砲から、V号戦車パンター搭載と同じ70口径7.5センチ砲(7.5 cm L/70)へ長砲身化した発達型。ただし、砲身が長くなったために重心バランスが崩れ、前方が重く負荷がかかる傾向が強まった。
Catalogue number STT 8026 Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period Second World War Alternative Namesobject category: Black and white Object description: Jagdpanzer IV, Label:German Panzer IV/70 (V) tank destroyer. Also known as the Jagdpanzer IV.. 写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 8026引用


写真(右)1944年頃,ドイツ陸軍IV号駆逐戦車Jagdpanzer IV (Sd.Kfz.162)70口径7.5センチ砲搭載車両の左側面:IV号駆逐戦車の後方のエンジン部分には、大型のカバーがあり、そこにエンジン冷却装置が取り付けられている。車体が低いためか、戦闘室と同じ高さに調節してある。この車体には、非磁気のプラスチックコーティングは塗られていない。
Catalogue number STT 8025, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period Second World War Alternative Namesobject category: Black and white Object description: Panzer IV/70 (V) - Jagdpanzer IV. Label: German Panzer IV/70 (V) 'Jagpanzer IV' tank destroyer. 写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 8025引用


写真(右)1944年12月,西部戦線へのアルデンヌ攻勢に投入されたドイツ陸軍IV号駆逐戦車Jagdpanzer IV (Sd.Kfz.162)70口径7.5センチ砲搭載車両:パンター搭載と同じ70口径7.5センチ砲を搭載した駆逐戦車。1944年10月にはドイツ本土のアーヘンまで攻め込まれていたが、12月に大攻勢をかけ、1日の損害としてはアメリカ陸軍の史上最大の死傷者を与えた。
Catalogue number STT 7270, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period Second World War Alternative Namesobject category: Black and white Object description: Panzer IV/70 (V) - Jagdpanzer IV, Label: Panzer IV/70 (V) tank destroyer (also known as the Jagdpanzer IV) in action during the German counter-offensive in the Ardennes, December 1944. 写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 7270引用


写真(右)1944年暮れ頃,西部戦線で西側連合軍に撃破されたドイツ陸軍IV号駆逐戦車Jagdpanzer IV (Sd.Kfz.162)70口径7.5センチ砲搭載車両:駆逐戦車の周囲には、磁力吸着式対戦車爆雷が吸着しないように非磁気のプラスチックのコーティングを施している。
Catalogue number STT 7160, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period Second World War Alternative Namesobject category: Black and white Object description:Panzer IV/70 (V) - Jagdpanzer IV, Label: German Panzer IV/70 (V) tank destroyer. Also known as the Jagdpanzer IV.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 7160引用


写真(右)1944年暮れ頃,西部戦線で西側連合軍に撃破されたドイツ陸軍IV号駆逐戦車Jagdpanzer IV (Sd.Kfz.162)70口径7.5センチ砲搭載車両:IV号駆逐戦車の後方のエンジン部分には、大型のカバーがあり、そこにエンジン冷却装置が取り付けられている。写真では、エンジンの大型カバーを上に跳ね上げている。
Catalogue number STT 7159N, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period Second World War Alternative Names object category: Black and white Object description: Knocked-out Panzer IV/70 (V) - Jagdpanzer IV. 写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 7159N引用


写真(右)1944年暮れ頃,西部戦線で西側連合軍に撃破されたドイツ陸軍IV号駆逐戦車70口径7.5センチ砲搭載車両:?号駆逐戦車の後方のエンジン部分には、大型のカバーがあり、そこにエンジン冷却装置が取り付けられている。写真では、一部のエンジンの大型カバーを上に跳ね上げている。
Catalogue number STT 7620, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject periodSecond World War Alternative Namesobject category: Black and white Object description: Knocked-out Panzer IV/70 (V) - Jagdpanzer IV, Label: German Panzer IV/70 (V) tank destroyer. Also known as the Jagdpanzer IV. 写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 7620引用


ドイツ国防軍司令部は,ソ連侵攻バルバロサ作戦の発動直前,ソ連共産党がソ連軍兵士の政治教育のために派遣していた政治委員コミサールを捜索・拘束,殺害するよう命令を出した。

独ソ戦に際して,ユダヤ人と同じように積極的に排除すべきだとされたのが,共産党員,ソ連軍にいた共産党員政治委員コミサールなどボリシェビキ分子である。ドイツ国防軍も,パルチザンやボリシェビキに容赦をしなかった。

◆1941年6月22日にドイツがソ連を攻撃すると,それまで反共産主義の立場を表明していた英国,米国は即座にソ連支援を公言した。それまでのチャーチル英首相の関心は,英本土航空決戦,大西洋の対潜水艦戦争,そして米国の参戦を引き出すことだった。しかし,独ソ戦の勃発に,英国の危機は遠のいたと大喜びした。

写真(右)1945年4月6-8日,西部戦線、運河に擱座したドイツ陸軍IV号駆逐戦車Panzer IV/70 (V) ("Jagdpanzer IV") 70口径7.5センチ砲搭載車両:IV号駆逐戦車が操縦を誤ったのか、攻撃を避けようとしたのか、運河に擱座し破壊された。後方には、イギリス軍の車両がトラス式架橋を渡っている。トラス式架橋Bailey bridge)は、鉄骨の三角形の集合構造で橋を支える構造で、第二次大戦中にイギリス軍が開発した。
Catalogue number BU 3336, Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period: Second World War Alternative Namesobject category: Black and white Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Travis (Sgt), Object description: A disabled German Panzer IV/70 (V) ("Jagdpanzer IV") tank destroyer half-submerged in the canal at Dreierwalde, 6 - 8 April 1945. British vehicles pass over a Bailey bridge in the background. 写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・BU 3336引用


バルバロッサ作戦の時期、ドイツ軍第16装甲師団司令官フーベ少将(1890-1944)の狙撃兵旅団(自動車移動の歩兵旅団)は,3.7センチ対戦車砲でソ連軍T-34戦車を砲撃したが,20発以上の命中弾を跳ね返してしまった。

写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ陸軍IV号駆逐戦車Panzer IV/48 ("Jagdpanzer IV Sd. Kfz. 162 ? 7,5cm L/48") 48口径7.5センチ砲搭載車両
English: German Tank Museum Date 7 July 2010 Source Own work Author Banznerfahrer
写真はWikimedia Commons・Category: Sdkfz 162 Jagdpanzer IV in the Musée des Blindés・"File: Jagdpanzer IV Saumur.JPG引用。


写真(右):ドイツのニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管展示されているドイツ陸軍IV号駆逐戦車Panzer IV/48 ("Jagdpanzer IV Sd. Kfz. 162 7,5cm L/48") 48口径7.5センチ砲搭載車両
Description Deutsch: Jagdpanzer IV Panzerjäger 39 (Sd.Kfz. 162) (links davon ein Jagdpanzer 38(t)), ausgestellt im Panzermuseum Munster Date 5 November 2004 (original upload date) Source Self-photographed Author Darkone
写真はWikimedia Commons・Category: Jagdpanzer IV at the Panzermuseum Munster・Panzermuseum Munster 2010 0446.JPG引用。


写真(右):ドイツ連邦共和国、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管・展示されているドイツ陸軍IV号駆逐戦車Panzer IV/48 ("Jagdpanzer IV Sd. Kfz. 162 7,5cm L/48") 48口径7.5センチ砲搭載車両
English: German Tank Museum Date 7 July 2010 Source Own work Author Banznerfahrer
写真はWikimedia Commons・Category: Jagdpanzer IV at the Panzermuseum Munster・Panzermuseum Munster 2010 0458.JPG引用。


写真(右):ドイツ連邦共和国、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管・展示されているドイツ陸軍IV号駆逐戦車Panzer IV/48 ("Jagdpanzer IV Sd. Kfz. 162 7,5cm L/48") 48口径7.5センチ砲搭載車両
English: German Tank Museum Date 7 July 2010 Source Own work Author Banznerfahrer
写真はWikimedia Commons・Category: Jagdpanzer IV at the Panzermuseum Munster・Panzermuseum Munster 2010 0461.JPG引用。


写真(右):ドイツ連邦共和国、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管・展示されているドイツ陸軍IV号駆逐戦車Panzer IV/48("Jagdpanzer IV Sd. Kfz. 162 ? 7,5cm L/48") 48口径7.5センチ砲搭載車両
English: German Tank Museum Date 7 July 2010 Source Own work Author Banznerfahrer
写真はWikimedia Commons・Category: Jagdpanzer IV at the Panzermuseum Munster・Panzermuseum Munster 2010 0446.JPG引用。


写真(右):ドイツ連邦共和国、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管・展示されているドイツ陸軍IV号駆逐戦車Panzer IV/48 ("Jagdpanzer IV Sd. Kfz. 162 ? 7,5cm L/48") 48口径7.5センチ砲搭載車両
Description Deutsch: Jagdpanzer IV Panzerjäger 39 (Sd.Kfz. 162) (links davon ein Jagdpanzer 38(t)), ausgestellt im Panzermuseum Munster Date 5 November 2004 (original upload date) Source Self-photographed Author Darkone
写真はWikimedia Commons・Category: Jagdpanzer IV at the Panzermuseum Munster・Panzermuseum Munster 2010 0446.JPG引用。


写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ陸軍IV号駆逐戦車Panzer IV/48 ("Jagdpanzer IV") 48口径7.5センチ砲搭載車両
Description Photographed in the Musée des Blindés, France. Date 11 September 2013, 12:27:59 Source Own work Author Alf van Beem
写真はWikimedia Commons・Category: Sdkfz 162 Jagdpanzer IV in the Musée des Blindés・"File: Sdkfz 162 Jagdpanzer IV, Musée des Blindés, France, pic-3.JPG引用。


1943年7月のクルスク戦車戦で苦戦したドイツでは、IV号戦車の対戦車戦闘能力がT-34/85戦車には十分でなく、新鋭V号戦車パンターもVI号重戦車ティーガーも信頼性や機動力の観点、数量不足から、ソ連軍戦車に対抗するのが難しかったことが明らかになった。そこで、ヒトラーは、戦車よりも車高が低く、防御力と隠密性、さらに量産性にも優れるIII号突撃砲を優先配備することを求め、IV号戦車についても威力不足を認め、IV号戦車をベースとする駆逐車(Panzerjäger IV)の開発を命じた。駆逐戦車は、アルケット社(Altmärkische Kettenwerke GmbH)で開発されることになった。

写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ陸軍IV号駆逐戦車Panzer IV/48 ("Jagdpanzer IV") 48口径7.5センチ砲搭載車両
Description Photographed in the Musée des Blindés, France. Date 11 September 2013, 12:27:37 Source Own work Author Alf van Beem
写真はWikimedia Commons・Category: Sdkfz 162 Jagdpanzer IV in the Musée des Blindés・"File: Sdkfz 162 Jagdpanzer IV, Musée des Blindés, France, pic-4.JPG引用。


 こうして1944年8月以降、IV号駆逐戦車が本格的に開発され、1944年10月には、IV号戦車と同じ48口径7.5 cm戦車砲を搭載し、車高の低い駆逐戦車の試作車が完成した。IV号戦車をベースにしたため、量産性もすぐに開始できること、操作や扱いも容易であることも、IV号駆逐戦車の採用が推進された理由となった。IV号駆逐戦車は、当初のPanzerjäger IVからJagdpanzer IVに変更されたが、歩兵を擲弾兵と名称したのと同様、新名称による士気の鼓舞も図られた。

写真(右):ドイツ連邦共和国、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管・展示されているドイツ陸軍IV号駆逐戦車Panzer IV/48("Jagdpanzer IV Sd. Kfz. 162 7,5cm L/48") 48口径7.5センチ砲搭載車両
English: German Tank Museum Date 7 July 2010 Source Own work Author Banznerfahrer
写真はWikimedia Commons・Category: Jagdpanzer IV at the Panzermuseum Munster・Panzermuseum Munster 2010 0458.JPG引用。


搭載した48口径の7.5 cm PaK 39 L/48砲の防楯は、曲面を使って避弾径始を活かしている。しかし、車体前部に搭載した長砲身の7.5センチ砲のために、重心が車体前部に偏ってしまい、前後のバランスが悪化した。砲身が長くなったため重量が車体前方に偏るノーズヘビーとなった。操縦性が悪化しただけでなく、前輪への負荷が大きくなり、前輪の摩耗が早まってしまった。

写真(右):スイス連邦、ベルン州、トゥーン軍事博物館に保管展示されているドイツ陸軍IV号駆逐戦車("Jagdpanzer IV Sd. Kfz. 162 7,5cm L/48") :トゥーン軍事博物館には、野外にドイツ軍のIV号戦車、V号戦車パンターA型、ヤークトパンター駆逐戦車、ヘッツァー駆逐戦車、連合国のM7 "Priest"自走砲、T34/85戦車などが保管展示されている。
Description A Jagdpanzer IV/48 at the Panzermuseum Thun, Switzerland Date 26 September 2006 Source http://clement.li/cgi-bin/gallery2/main.php?g2_itemId=1248 Author de: Benutzer: Chlempi Permission (Reusing this file) see for cc-by-sa-2.5 permission
写真はWikimedia Commons・Category: Jagdpanzer IV at the Panzermuseum Thun・Jagdpanzer IV 48 Thun 1.jpg引用。


ドイツ陸軍IV号駆逐戦車("Jagdpanzer IV Sd. Kfz. 162")の48口径7.5センチ砲には当初、マズルブレーキ(砲口制退器)が着いていた。しかし、車高が低いため、発砲時に逆流する爆風による砂塵の拡散が生じ、砲身内に侵入したり、舞い上がった砂埃が敵目標になったり、砂埃で敵の目標視認が困難になったりした。そこで、後期型では、48口径7.5センチ砲にマズルブレーキ(砲口制退器)は装備していない。

IV号駆逐戦車の備砲を48口径7.5センチ砲StuK 40 L/48から70口径7.5センチ戦車砲(7,5-cm-KwK42 L70)に変換したのがIV号駆逐戦車70ラングPanzer IV/70 Lang: Sd.Kfz.162/1)である。70口径7.5センチ砲(7.5cm Pak 42 L / 70)は、V号戦車パンターPanzer V Panther)の備砲と同じで、より初速が早く、砲弾の貫通力も向上している。

写真(右):スイス連邦、ベルン州、トゥーン軍事博物館に保管展示されているドイツ陸軍のIV号駆逐戦車("Jagdpanzer IV/48") 48口径7.5センチ戦車砲搭載車両:トゥーン軍事博物館には、スイスが二度の世界大戦に巻き込まれず、戦禍を免れた理由として、スイスの防衛力の高さを伝える意味があるという。スイス軍が、平和に、国防に重要な役割を担っていることを兵器によって示していることになる。ドイツ空軍は、スイスの国境を侵犯したが、国境を越えて占領することはなかった。スイス侵略の代償は小さくないと判断したのである。
Description A Jagdpanzer IV/48 at the Panzermuseum Thun, Switzerland; side/rear view Date 26 September 2006 Source http://clement.li/cgi-bin/gallery2/main.php?g2_itemId=1245 Author de: Benutzer:Chlempi Permission (Reusing this file) see de: Diskussion: Bergepanzer for cc-by-sa-2.5 permission
写真はWikimedia Commons・Category: Jagdpanzer IV at the Panzermuseum Thun・Jagdpanzer IV 48 Thun 2.jpg引用。


写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ陸軍のIV号駆逐戦車Sd.Kfz. 162-1 Jagdpanzer IV-70(A) 70口径7.5センチ砲搭載車両
Description Photographed in the Musée des Blindés, France. Date 11 September 2013, 12:20:33 Source Own work Author Alf van Beem
写真はWikimedia Commons・Category: Sdkfz 162 Jagdpanzer IV in the Musée des Blindés・"File: Sd.Kfz. 162-1 Jagdpanzer IV-70(A) in the Musée des Blindés, France, pic-1. 162-1 Jagdpanzer IV-70(A) in the Musée des Blindés, France, pic-.JPG引用。


IV号駆逐戦車70ラングPanzer IV/70 Lang: Sd.Kfz.162/1)にはフォマーク社製のIV号駆逐戦車70ラング(V)(Panzer IV/70(V)Lang: Sd.Kfz.162/1)とアルケット社製のIV号駆逐戦車70ラング(A)(Panzer IV/70(A)Lang: Panzer IV/70(A)Lang, Sd.Kfz.162/1)の2種類がある。後者は、戦闘室が50cmだけ上積みされている。70口径の長砲身7.5センチ砲を車体前部に搭載したため、48口径砲よりもいっそうノーズヘビーの傾向が強まり、操縦性、機動性が悪化した。そこで、前輪の転輪ゴムの損傷が急速に進んだため、前輪ゴムを鋼鉄製に変更している。

写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ陸軍のIV号駆逐戦車Sd.Kfz. 162-1 Jagdpanzer IV-70(A) 70口径7.5センチ砲搭載車両
Description Photographed in the Musée des Blindés, France. Date 11 September 2013, 12:21:07 Source Own work Author Alf van Beem
写真はWikimedia Commons・Category: Sdkfz 162 Jagdpanzer IV in the Musée des Blindés・"File: Sd.Kfz. 162-1 Jagdpanzer IV-70(A) in the Musée des Blindés, France, pic-3.JPG引用。


IV号駆逐戦車Jagdpanzer IVは、車体シャーシはIV号戦車を継承して量産性を維持しつつ、砲塔を撤去して、そこに車高の低い戦闘室を設け、IV号駆逐戦車Jagdpanzer IVでは直線的ではあるが、大きく傾斜した装甲板を採用した。IV号戦車では、避弾径始はあまり配慮できなかったが、車体前面の傾斜装甲は、防御力を向上させた。


6.IV号対空戦車 ヴィルベルヴィント Wirbelwind (Sd.Kfz.161/4) 

写真(右)1944年頃,撃破されたドイツ陸軍IV号対空戦車ヴィルベルヴィント(Wirbelwind:旋風)Sd.Kfz.161/4
Catalogue number STT 7873 Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION Subject period: Second World War Alternative Namesobject category: Black and white Object description: Wirbelwind.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・STT 7873引用


ドイツ陸軍IV 号対空戦車ヴィルベルヴィント(Wirbelwind:旋風)Sd.Kfz.161/4は、砲塔に2センチ4連装対空機関砲(2cm Flakvierling 38)を砲塔に搭載している。しかし、砲塔の上部は開放式で、自走砲に近い貧弱な防御力しか持っていない。砲塔は人力稼働で、砲手1名と装填手2名で操作する。高速起動する戦闘爆撃機を撃墜するのは困難であった。生産数は100輌程度と少ない。

 IV号対空戦車ヴィルベルヴィントWirbelwind:旋風)搭載した2センチ4連装対空機関砲(2cm Flakvierling 38)は、ドイツ陸軍では、牽引車に搭載され自走砲化されている。また、ドイツ海軍でも艦艇やUボートに有効な対空兵器として装備されている。

写真(右):イスラエル、イスラエル空軍博物館が保管・展示しているドイツ軍の38式四連装2センチ対空砲(2cm Flakvierling 38)
Description Description: Flakvierling 38 20 mm AA gun at Muzeyon Heyl ha-Avir, Hatzerim airbase, Israel. 2006. Source: Photo by me, User:Bukvoed. Date 3 March 2006 (according to Exif data)
写真はWikimedia Commons,Category: PaK 43File: Flakvierling-38-20mm-hatzerim-2.jpg引用。


IV号対空戦車に搭載された38式四連装2センチ対空砲2cm Flakvierling38)は、単装の2センチ対空機関砲(2 cm Flak 38)を四連装にした大型の対空機関砲で重量1,509キロ。発射速度は、1門当たり600発/分。38式四連装2センチ対空砲2cm Flakvierling38)は、都市や飛行場などの基地の対空機関砲として、ドイツ海軍の水上艦艇、潜水艦Uボートの対空機関砲として広く使用された。

38式四連装2センチ対空砲2cm Flakvierling38)の諸元
口径 20 mm
全長 4.08 m、砲身長 1.3 m
全幅 1.81 m、全高 1.6 m
重量 3,650 kg 、操作人員数 5名
砲弾 20mm x 138 R 、砲弾重量 120g、20発入り箱型弾倉
仰俯角 -10度から40度、旋回角 360度
発射速度 800発/分、砲口初速 900 m/s
最大射程 5,780 m、有効射程 2,200 m

写真(右)カナダ、オンタリオ州、トロント北方ボーデン(Borden),ボーデン基地軍事博物館に保管・展示されているドイツ陸軍IV 号対空戦車ヴィルベルヴィント(Wirbelwind:旋風)Sd.Kfz.161/4:ボーデン基地軍事博物館(CFB Borden Military Museum)の住所は27 Ram Street, P.O. Box 1000, Station Main Borden, ON L0M 1C0.電話は+1 (705) 423-3531。
Description English: Wirbelwind, WWII German Self-Propelled four-barrelled Anti-Aircraft Gun on display at the CFB Borden Military Museum, Ontario, Canada Date 7 July 2011 Source Own work Author Skaarup.HA
写真はWikimedia Commons Category:Flakpanzer IV Wirbelwind in the Base Borden Military Museum・File: Wirbelwind CFB Borden 4.jpg引用。


ドイツ陸軍IV 号対空戦車ヴィルベルヴィント(Wirbelwind:旋風)Sd.Kfz.161/4は、既存のIV号戦車の車体・シャーシをそのまま流用した対空戦車で、装甲師団に随伴して防空任務を担うことを意図している。それ以前のIV号対空戦車メーベルワーゲンの発展型で、メーベルワーゲンの完全開放式の対空銃座の周囲に、乗員を防護する半開放式の装甲板でおおった砲塔を搭載している。

写真(右)カナダ、オンタリオ州、トロント北方ボーデン(Borden),ボーデン基地軍事博物館に保管・展示されているドイツ陸軍IV 号対空戦車ヴィルベルヴィント(Wirbelwind:旋風)Sd.Kfz.161/4:ボーデン基地軍事博物館にはドイツ軍のヘッツァー駆逐戦車(Hetzer tank destroyer)、シャーマンクラブファイル地雷除去戦車(Crab flail tank)も展示されている。
Description Flakpanzer IV Wirbelwind Date 9 August 2009 Source Own work Author Balcer
写真はWikimedia Commons Category:Flakpanzer IV Wirbelwind in the Base Borden Military Museum・File: Wirbelwind CFB Borden 7.jpg引用。


IV 号対空戦車ヴィルベルヴィントWirbelwind:旋風)Sd.Kfz.161/4の諸元:
全長5.92m 幅2.9m 高さ2.76m 
重さ22t 
最高速度 38km/h 
装甲 車体前面80mm、 砲塔シールド 16mm
兵装 四連装2cm対空機関砲Falk38

写真(右)カナダ、オンタリオ州、トロント北方ボーデン(Borden),ボーデン基地軍事博物館に保管・展示されているドイツ陸軍IV 号対空戦車ヴィルベルヴィント(Wirbelwind:旋風)Sd.Kfz.161/4
Description Flakpanzer IV Wirbelwind Date 9 August 2009 Source Own work Author Balcer
写真はWikimedia Commons Category:Flakpanzer IV Wirbelwind in the Base Borden Military Museum・File: Wirbelwind CFB Borden 8.jpg引用。


IV 号対空戦車ヴィルベルヴィント(Wirbelwind:旋風)Sd.Kfz.161/4の兵装は、2センチ対空機関砲(2cm Flak38)4連装で、低空から襲撃する戦闘機や小型爆撃機を銃撃できるが、高空を飛ぶ水平爆撃機への攻撃は、機関砲の射程不足で不可能だった。

写真(右)カナダ、オンタリオ州トロント北方100キロ、ボーデン(Borden),ボーデン基地軍事博物館に保管・展示されているドイツ陸軍IV 号対空戦車ヴィルベルヴィント(Wirbelwind:旋風)Sd.Kfz.161/4
Description Flakpanzer IV Wirbelwind Date 9 August 2009 Source Own work Author Balcer
写真はWikimedia Commons Category:Flakpanzer IV Wirbelwind in the Base Borden Military Museum・File: Wirbelwind CFB Borden 6.jpg引用。


IV 号対空戦車ヴィルベルヴィント(Wirbelwind:旋風)Sd.Kfz.161/4は、IV号戦車の車体を流用したが、IV号戦車G・H型の砲塔は、重量軽減。量産性向上のために旋回モーターを撤去し人力回転だった。そこで、対空戦車としては、低空を高速で移動する戦闘機を追尾し、射撃することが困難で、実際の敵機撃墜は少なかったようだ。また、ひとたび発砲して、砲火・発光により所在が知られてしまえば、秘匿性が亡くなり、敵機による集中攻撃を受けたであろう。したがって、実際の対空防御には、少数の対空戦車では有効性は低く、生産台数は約100両に留まった。


7.VI号重戦車「ティーガー」(ティーゲル) Panzer VI "Tiger I"

写真(右)2017年、イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のVI号ティーゲル戦車(Tiger I):56口径8.8センチ戦車砲(8,8 cm KwK 36 L/56:携行砲弾数92発)を装備。
Panzer-kampfwagen VI in the Bovington Tank Museum
解説 English: Tiger I is the common name of a German heavy tank developed in 1942 and used in World War II. 日付 2011年7月19日, 12:51:44 原典 Flickr: Tiger 1 Tank, Bovington Tank Museum - Dorset. 作者 Jim
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Tiger 1 Tank, Bovington Tank Museum - Dorset..jpg引用


重装甲のティーガーI の装甲
車体前面100mm、側面60mm 砲塔前面120mm、側面および後方は80mm
上面・底部25mm

◆ヒトラー総統は,大戦直前,1939年1月30日のドイツ国会演説で、国際金融界のユダヤ人が、諸国民を再び大戦に引き込めば、その結果は、ボルシュビキとユダヤ人の勝利ではなく、欧州ユダヤ人の絶滅である,と予言していた。

 ユダヤ人・ソ連軍捕虜抹殺・奴隷労働化の方針は,最高機密だったが,それは,迫害が知れれば次のような支障が生じるからである。

?ユダヤ人,ソ連軍捕虜が迫害されていることがわかれば,彼らは反抗する。そこで,抵抗を予防するために,東方への移送,労働すると偽り,強制収容所やその支所(労働キャンプ)に移送した。
?ユダヤ人・ソ連捕虜の処刑という残虐行為は,連合国の戦争遂行理由を正当化する。そこで,処刑は秘匿する必要があった。
?後方・前線のドイツ人にとって,ユダヤ人・ソ連軍捕虜の処刑は,人倫に悖ると反感を買う恐れがあった。そこで,ドイツ人にも処刑を秘匿した。

ユダヤ人,パルチザン,ソ連軍捕虜大量殺戮には,次のような障害があった。
?殺戮に伴う処刑者の精神的負担
?資源・労力をあまり要しない大量殺戮・死体処理の方法の開発・施設整備
?大量殺戮発覚によるユダヤ人・スラブ人などの抵抗勢力の増大
 したがって,以上の障害を克服できる条件が整うまで,一時的にユダヤ人やソ連軍捕虜を収容したが,ゲットー・強制収容所では,食糧など物資不足,病気などによって,多数の住民・囚人がすでに死亡していた。ガス室がない状態でも,強制収容所では,大量殺戮が事実上行われていた。

◆電撃戦に必要なこのような兵器を開発,量産したドイツの技術は高度なものである。同時に,その軍事技術を何のために,誰が用いようとしたのかが問われなくてはならない。技術を開発し,それを体化させた兵器を作り出し,その兵器を運用するのは人間である。そして,その兵器のために破壊される財産や殺害される人間がいる。となれば,大量破壊,大量殺戮をもたらす技術を開発することが正当化どうかということにもなる。

VI号テーゲル重戦車Panzer VI Tigerを見る。

エレファント(フェルジナンド)重駆逐戦車 Sd.Kfz.184を見る。

ティーガーII「キングタイガー」重戦車Panzer VI "Tiger II" (Königstiger)基本方針はティーガーIの防御力と攻撃力を向上させるものである。装甲は、パンテルと同様に傾斜が強くなり、車体にもその影響が窺われるが、重量は70トン近く、パンテルの45トン、ティガー?の60トンよりも遥かに重い。ティーガーII生産は、1943年9月の試作から1945年3月の生産終了までに492両で少ない。

ティーゲルII重戦車「ケーニヒス・ティーゲル」Panzer VI "Tiger II"を見る。



8.V号戦車パンテル Panzer V "Panther" Sd.Kfz.171

写真(右)2010年、イギリス南部、ドーセット州、ボービントン戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のV号パンター戦車G型(Sd Kfz 171 Panzerkampfwagen V Ausf G Panther);全長8.66 m、車体長6.87 m、全幅3.27 m、全高2.85 m、重量44.8 t、 最高速度45km/h(整地)、30 km/h(不整地)、航続距離170km、兵装70口径75mm KwK 42 L/70(携行砲弾数79発) 、7.92mmMG34機関銃2長(4,200発)。
解説 Bovington Tank Museum 102 panther 日付 2010年7月7日, 12:14 原典 Bovington Tank Museum 102 panther 作者 DAVID HOLT from London, England
写真はFile:Flickr - davehighbury - Bovington Tank Museum 102 panther.jpg引用


V号パンテル戦車Panzer V Pantherを見る。
V号ヤークト・パンター駆逐戦車を見る。


ユダヤ人・パルチザン・ソ連軍捕虜の虐殺・虐待は,秘匿されてきたが,それは,殺戮を行っていることが知れ渡れば次のような支障が生じるからである。
?敵は殺害されると知れば,抵抗をやめない。そこで,抵抗を弱めるために,姦計を弄して,処刑した。
?残虐行為は,連合国の戦争遂行理由を正当化する。そこで,ユダヤ人,パルチザン,ソ連軍捕虜の虐殺は,連合国にも秘匿する必要があった。
?後方・前線のドイツ人にとって,非人間的な虐殺・虐待は,士気を低下させる恐れがあった。そこで,ドイツ人にも虐殺・虐待を秘匿する必要があった。
 

虐殺・虐待という忌むべき行為は,人々にとって,歓迎される情報ではない。人間とは,自分に都合のよい情報を知りたがり,信じたがるものである。バルバロッサ作戦,スターリングラード攻防戦の背後には,ユダヤ人,パルチザン,捕虜の組織的な虐殺の問題があった。たくさんのいのちが非人間的に失われたことを,激戦の一環として済ませるわけにはいけないであろう。

ナチスは,人種民族的偏見は,人種民族差別を正当化し,ドイツ民族はアーリア人の血を受け継ぐ優秀な民族であり,世界の覇権を握るべきである。他方,人種汚染して,ドイツを滅ぼそうとするユダヤ人,スラブ人は下等人種・劣等民族であり,排除しなければならないとした。

◆人種は,生物学的特長によるヒトの区分,民族は言語文化的な特長による人間の区分であって,人種は遺伝・DNAが支配する先天的要因,民族は出自・家庭・教育・国籍が支配する後天的要因による区分とされる。しかし,実際には,人種も民族も,区分は,実は明確ではない。生物学的にも,人類は連続的に変化し,DNAを踏まえれば,人「種」ではなく,亜種Subspeciesを区分できるに過ぎない。

人種民族差別は,為政者の裁量を基準に行われており,似非科学な偏見,恣意的なご都合主義,プロパガンダに基づいている。為政者とは,人種・民族を自分の意図に都合よく定義,特定の人種民族を差別,迫害するものである。

2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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