太平洋戦争直前に日本軍のインドシナ進駐を受入れたフランスだったが,1945年,終戦直前に,日本軍に武装解除され,ベトナムは独立した。しかし,日本の降伏後,フランスはインドシナ植民地を再興しようとした。そして,フランス軍は,独立を目指すベトナム軍と第一次インドシナ戦争を戦った。フランスは、1949年,インドシナ植民地を分割して、ベトナム、ラオス、カンボジアを分離独立させ、勢力を確保しようとしたのである。
しかし、中国は、ソ連と共にベトナム民主共和国(北ベトナム)に軍事援助をした。これに対抗して,トルーマン米大統領は,1950年に対仏軍事援助を開始したが,1954年5月、フランス軍はディエンビエンフーの戦いで惨敗し、7月、ジュネーヴ協定によって、北ベトナム独立を承認した。
しかし、アメリカは、アジアにおける連鎖的共産化というドミノ理論を信じ、1956年,北緯17度以南の親仏ベトナム政権をベトナム共和国(南ベトナム)として承認した。北ベトナムは、ベトコン(南ベトナム民族解放戦線)を結成、ゲリラ戦を展開した。
その後、1961年1月に大統領に就任したジョン・ケネディは、ロバート・マクナマラ国防長官の支持を得て、南ベトナムに1万名以上の軍事顧問団(米軍)を派遣した。米地上軍兵力は,1965年春から年末までに18万名が投入され、1966年末38万5千名、1967年末48万6千名、1968年の最盛期には53万6千名が動員されていた。ベトナム戦争全期間の米軍動員兵力は、,ラオス,カンボジアの作戦も合わせて378万名,そのうち約100万名が戦闘を経験したと考えられる。米軍の死者(事故・病死を含む)は,1967-1969年の3年間は,年1万1千名以上,1962-1979年合計で5万8千名だった。他方、南北ベトナム兵士の死者は100万名、民間人も含め百数十万名が死亡したと推測される。
ベトコン支配地域と米軍支配地域の間には広範な競合区があり,住民は、昼間は南ベトナム、夜はベトコンに従うという二重基準の生活だった。ベトコン支配地域で民兵を組織しようとした米軍・南ベトナム軍の包囲戦術は、抜け穴,抜け道だらけだった。イデオロギー・民族戦争の苛酷な戦場となった農村を逃れて、都市に流入する国内避難民もあったが、米軍はベトコン支配地を孤立化するために、住民を強制移住させた。
スパイはどちらの側でも処刑対象となった。ベトナム農民は、ベトコンと政府軍・米軍の間で、したたかに生き抜いた。
●米陸軍戦史センター,Richard W. Stewart(2005)American Military History, Volume 2 The U.S. Army in Vietnam: Background, Buildup, and Operations, 1950-1967参照。
終章 21世紀を戦争の百年にしないために
戦争の20世紀について、200点に及ぶ,写真・ポスター・新聞紙面を用いて、時代を追ってテーマ別に検討してきたが、-----写真やポスターは、歴史的事実の断片であったり、捏造であったり、様々な解釈を許すものである。その判断力が、メディアリテラシーである。
メディアリテラシーとは、マスメディア(TV・新聞・雑誌、インターネットなど)が提供する情報に対する、受け手側の判断や判断能力、という意味で使われる。情報を媒介する手段とその管理者の意図を推し量って、情報は事実とは必ずしも一致しないことを踏まえ、情報を批判的に検討することでもある。-----
社会、個人のメディアリテラシーに対峙するのが、プロパガンダである。戦争プロパガンダは、政府・軍あるいはメディアが、思考・世論を誘導する戦争情報の管理であり、戦時には、情報戦、心理戦の技巧ともなる。戦争を政治の延長と捉えて、特定目標を達成する手段として戦争を遂行しようとする者は、プロパガンダを巧みに活用する。-----
<戦争プロパガンダの特徴>
1.情報管理
2.情報の非対象性
3.情報の受容性
4.情報共有の一体感
5.情報の迎合性・無批判性
クラウゼビッツの有名な著作『戦争論』を引き継いで、戦争を目標達成の手段として認識する立場では、特定時点において、一方の当事者の利益に配慮することになる。国家目的の追求に、戦争は有効な手段である。政府や軍あるいは軍需産業がスポンサーとなった戦争研究が肥大化する中で、学術的にも政治の延長としての戦争の価値が認められている。社会主義の階級闘争理論では、国家間の戦争を階級間の戦争に転化して、社会主義革命につなげることが関心ごとだった。しかし、政治家や革命家の意図にもかかわらず、戦争に総動員され、戦闘員も非戦闘員も、大量破壊、大量殺戮の被害を受けた。国際テロ戦争も無差別ゲリラ長期消耗戦の様相を呈してきた。
平和研究に欠陥があるとすれば、それは、20世紀の百年間、惨禍を及ぼした戦争を戦いながらも、依然として、人類が戦争を回避する方法を見出せないでいることである。だれも戦争を望まないが、それでも戦争が起こるのが現実である、という現実主義、ニヒリズムが成り立っていることである。このように、人類は戦争を繰り返すものだ、戦争が無くなることはありえないという戦争観、すなわち戦争必然説が払拭できないために、軍隊の整備、軍需生産・国防予算の維持、戦争プロパガンダが経常化し、戦争を準備し、戦争を戦う社会が普通になってしまう。-----
戦争を目的追及の有効な手段であると見なしている政治家・軍人がいる限り、戦争の原因が判明しても、戦争を根絶することはできない。人類を卑下して戦争を繰り返す愚かな生き物だとする戦争必然説が信奉される限り、戦争をなくすことはできない。----
しかし、20世紀初頭から現代に至る戦争の20世紀を、写真やポスターを見直してみると、行間・余白を埋める作業を通じて、背後にある事実やプロパガンダが徐々に見えきた。----決して、大量破壊・大量殺戮を伴う戦争は、政治の延長、政治の有効な手段として認識することはできない。また、戦争がいつの間にか始まってしまうこともありえない。-----
戦争は、権威を握る人間が、戦争ポスターによって,意図的に人々を煽動しながら始めるものである。裏を返せば、多数の人々の支持がない限り、戦争を戦い続けることはできなくなった。兵士、資金、生産、世論を担う人々は、戦争の主導権を握っているともいえる。-----(後略)
<目次>
はじめに
序章 戦争の二十世紀
第一次世界大戦まで
戦間期のファシズム
第二次世界大戦
冷戦下の国際紛争
国際テロ戦争
第1章 二十世紀初頭の戦争
ヨーロッパ列国によるアフリカ分割とボーア戦争
列国によって半植民地化された中国
アメリカの帝国主義
フィリピン=アメリカ戦争のマッカーサー将軍
国内軍から遠征軍に変貌したアメリカ軍
満州・朝鮮半島における日露の対立
日露戦争
与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」
武運長久に込められた願い
旅順閉塞作戦の失敗と日本海海戦の大勝
ポーツマス講和会議
日韓協約・義兵闘争を経て日韓併合へ
アメリカの大白色艦隊(大西洋艦隊)の世界周航
第2章 第一次世界大戦前半
第一次世界大戦の勃発
キッチナー陸軍と大英帝国自治領の動員
ドイツ軍攻撃を挫折させたフランス軍ジョセフ・ジョフル将軍
塹壕戦と大兵器の登場
空中戦の開始
国家総力戦における動員
国家総力戦に対する反戦論
東部戦線ドイツ軍とロシア軍とのタンネンベルク会戦
ドイツ軍に銃殺された看護婦エディス・キャヴェル
オスマン帝国参戦とジハード
中東問題とイギリス外交
聖地エルサレムをめぐる戦い
大英帝国を支えたイギリス領インド軍
インドの大英帝国への戦争貢献
第一次世界大戦中の日本の中国大陸進出
第3章 第一次世界大戦後半――アメリカ参戦以降
ドイツ潜水艦Uボートによるイギリス客船ルシタニア号撃沈事件
ドイツ軍の残虐行為を非難する反ドイツプロパガンダ
メキシコ革命へのアメリカ介入
ドイツの無制限潜水艦作戦とアメリカ参戦
Uボートと戦った二百隻のアメリカ海軍駆逐艦
アメリカ海軍の艦隊拡充計画とヨーマン
戦費調達のための自由公債募集
中東のアラブ反乱とイギリスの思惑
レーニンが主導したロシア革命
シベリア出兵――ロシア革命への干渉戦争
オスマン帝国のアルメニア人虐殺問題
ウィルソンの十四カ条とヴェルサイユ講和条約
第4章 スペイン内戦(一九三六年七月―三九年三月)
スペイン第二共和政への反乱
スペイン内戦への列国の介入
カトリック教会のスペイン内戦
反乱軍(国民戦線軍)と共和国軍
コンドル軍団によるゲルニカ空襲
ゲルニカをめぐる問題
国際旅団の編成
国際旅団の解散
対ドイツ宥和政策とソ連の孤立回避
第5章 日中戦争(一九三七年七月―四五年八月)
盧溝橋事件
第二次上海事変と日本軍の都市爆撃
日本赤十字社の従軍看護婦
近衛文麿首相による暴支膺懲(ルビ:ぼうしようちょう)と東亜新秩序の声明
国債による戦費調達と統制経済
日中戦争直前の防空法
中国空軍による日本本土初空襲
重慶大空襲の負の遺産
支那事変関係情報綴・新聞記事にみる南京事件
アメリカとイギリスによる対日宥和政策
第6章 第二次世界大戦初期(一九三九年九月―四一年十一月)
ナチス・ドイツによるヨーロッパ大陸侵略
フランス降伏後のヴィシー政権
大英帝国自治領(ドミニオン)・植民地からの派兵
イギリスの学童疎開
オーストラリア陸軍看護隊の海外派遣
アメリカの中立法と中立パトロール
アメリカの一九四〇年選抜訓練徴兵法
民主主義の兵器廠からの武器貸与
ドイツ軍潜水艦Uボートによる中立国のアメリカ艦船攻撃
アメリカ参戦前の大西洋憲章
日米交渉と帝国国策遂行要領
第7章 太平洋戦争前期(一九四一年十二月―四二年三月)
宣戦の大詔
宣戦布告の通告
日米開戦の時期
英雄とされた真珠湾攻撃のアメリカ軍死傷者
ハワイ海戦に先行するマレー作戦
マレー沖海戦とシンガポール攻略
特別攻撃隊の九軍神
アメリカ主導の国連共同宣言(連合国共同宣言)
東南アジアでの反英宣撫工作活動
ビルマ解放
日本が支援した自由インド仮政府
日本軍によるオーストラリア本土空襲
日本の特殊潜航艇によるシドニー港攻撃
日系人強制収容所
海軍甲事件(山本長官暗殺)
第8章 第二次世界大戦中期――アメリカの兵士動員
アメリカ陸軍の増強
海軍将校養成プログラム
アメリカの無制限潜水艦作戦による日本の海上封鎖
ガダルカナル島攻防戦
広範な任務をこなしたアメリカ沿岸警備隊
アフリカ系アメリカ人(黒人)の英雄ドリス・ミラー
アメリカ陸軍婦人部隊(WAC)と日本の国民義勇隊
アメリカ海軍婦人予備隊(WAVES)の設立
アメリカ海兵隊婦人予備部隊(MCWR)の設立
アメリカ陸軍看護婦部隊
アメリカ空軍女性パイロット部隊(WASP)
第9章 第二次世界大戦中期――アメリカの銃後の動員
ルーズベルト大統領の一九四二年教書
アメリカの戦時生産管理体制
独裁国家と民主国家
戦時標準船の大量建造
総動員のための差別撤廃
銃後の女性労働者のシンボル「リベット工ロージー」
女子徴用と男女賃金格差の問題
アメリカ陸軍のフィリピン敗退
「バターン死の行進」での捕虜虐待
農業増産のための戦い
公正な分配を目指した配給制
戦時国債の応募・押し売り
第10章 第二次世界大戦――ヨーロッパ戦線後期
ドイツへのアメリカ・イギリス空軍による戦略爆撃
航空機の増産競争
ナチス・ドイツの強制収容所
絶滅収容所でのユダヤ人虐殺
ホロコーストを黙殺した連合軍首脳部
アンネ・フランクが待ち焦がれたノルマンディ上陸(Dデイ)
ノルマンディ敗退後のヒトラー暗殺未遂事件
ドイツ降伏と難民問題
第11章 太平洋戦争後期
アッツ島守備隊への玉砕命令
アッツ島玉砕の大本営発表
アッツ島玉砕の顕彰による国民の戦意高揚
サイパン島での最後の万歳突撃
サイパン島全員玉砕という神話
台湾沖航空戦の誤報
フィリピン解放を演出したマッカーサー将軍
神風特攻隊編成三カ月前の人間魚雷の実験成功
特攻第一号は誰か
一九四四年十月二十五日神風特攻隊突入
B−29重爆撃機による日本本土空襲
沖縄戦での「軍民共生共死」の方針
沖縄住民の集団自決・集団死
戦艦大和の海上特攻の真相
特攻による戦果と犠牲
原爆投下の理由
第12章 二十世紀後半の戦争
冷戦と東西対立の始まり
朝鮮戦争
第二次中東戦争(スエズ動乱)
ベトナム戦争でのアメリカ軍の対ゲリラ戦
ベトナム戦争での戦略爆撃
イラン・イラク戦争
湾岸戦争
国際テロ戦争――イラクへの武力制裁
テロリスト殲滅戦争――アメリカ艦コール襲撃事件
終章 二十一世紀を戦争の百年にしないために
戦争論百家争鳴
◆APAグループは,CEO 元谷外志雄「報道されない近現代史」出版記念のメセナの一環として,平成20 年5 月10 日より「真の近現代史観」歴史論文懸賞制度を創設,募集を開始。審査委員会(渡部昇一委員長)は,第一回懸賞論文の最優秀藤誠志賞として,航空幕僚長・田母神空将の投稿を選び,懸賞金300 万円・全国アパホテル巡り招待券を授与した。その後,投稿は,現職の航空幕僚長の軽率な行為とされ,更迭,11月3日,定年退職とされた。
◆花岡審査員は,「審査は筆者名を伏せて進んだ」とブログで述べ,次のように続けた。「かくして、田母神氏の論文は解散攻防の中でもみくちゃにされることになる。野党側は田母神氏の国会招致を求めているが、民間人になったのだから、もう何を言っても平気だ。これが実現したらおもしろいことになるとひそかに期待している。」と,元幕僚長の思想・進退を劇場国家の中に,冷徹に位置づけている。
◆持論を携えた元・幕僚長空将は,国会で発言,社会に戦争に対する関心を盛り上げ,先導役を果たした。しかし,自衛隊の最高級指揮官を突撃させる作戦は,日本の未来を真剣に考える人物がすることであろうか。最高級指揮官は,自ら指摘してきたマインドコントロールの恐ろしさを理解していたはずだ。それなら,空将捕,基地司令だった当時から,彼ら一流のビジネスマンや政治家がもてなしてくれた理由も理解できたのではないか。高級指揮官を玉として扱ったことに気づかなかったのか。
◆日本の軍閥は,統帥権の独立を楯に政治化し,軍事専門家としての能力を低下させた。ドイツ国防軍は,政治家・企業家と同じく,ナチスを利用するつもりだったが,総統個人に忠誠を誓わされ,戦争に使われた。ともに,初期時点で,最高級指揮官の判断の誤りが,凋落に繋がった。
◆国防重視を主張してきた政治家やビジネスマンは,普通の自衛隊員を相手にはしてこなかった。国防を論じたが,隊員の状況や心理を重んじなかった。他方,自衛隊最高級指揮官であれば,ビジネスマン・政治家とではなく,隊員との親交を第一にし,全国を飛び回り,部隊内で信頼を得て,満足することができたはずだ。そして,戦争・軍事を担う幕僚監部として,徹頭徹尾,専門家に徹し,頼もしい存在であってほしかった。
◆最高級指揮官の頭脳になる戦略論は,国家レベルの軍機で,表現の自由を理由に懸賞論文目当てに投稿,漏洩することは許されないのではないか。空将は,自分の戦争論を大臣・上官,各界要人に,伝えればよかった。秘匿すべき機密を懸賞論文の題材にし,部下に懸賞論文の紹介をしなくとも,空将には,国家指導者・要人に対する発言の機会はいくらもあった。
◆シビリアンコントロール(文民統制)を意識して空将は「これほど大騒ぎになるとは正直予想していなかった。日本もそろそろ自由に発言ができる、という私の判断が間違っていたかもしれない」「今回のことが政治に利用され、自衛隊全体の名誉が汚されることは本意ではない」と述べた。守秘義務のある国家機密を表現の自由を理由に一般公開してよいはずがない。国家戦略と個人の思想表明の自由の分限はないというなら,自ら批判した戦後教育の問題かもしれない。
◆空将が指揮官だった小松基地などの自衛官がアパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文に応募したことについて,田母神空将は「紹介はしたが、『書きなさい』とは言っていない」と弁明。これは,大将相当の空将の公言(放言),言霊のもつ重要性を卑下している。それとも,戦後教育による呪縛(出世主義,拝金主義)を示すのか。
◆自衛官幕僚監部の中枢情報を,公開することは,守秘義務違反,防衛機密漏洩罪に相当する場合がある。国家公務員法の罰則では,機密漏洩は,1年以下の懲役または3万円以下の罰金。自衛隊法の罰則では,通常隊員が自衛隊内部情報を漏らした場合,1年以下の懲役または3万円以下の罰金(自衛隊法第118条)、防衛機密を扱う職員による機密漏洩は,5年以下の懲役又は禁錮(自衛隊法第122条)である。敵前逃亡・反乱罪なら,7年以下の懲役又は禁錮(自衛隊法123条)。第86条では,政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し、又はこれに反対することを禁止し,国又は地方公共団体の機関において決定した政策の実施を妨害することを禁止している。第87条では,政治的目的を有する署名又は無署名の文書、図画、音盤又は形象を発行し、回覧に供し、掲示し、若しくは配布し、又は多数の人に対して朗読し、若しくは聴取させ、あるいはこれらの用に供するために著作し、又は編集することを禁止している。法律違反なら,退職金は支給できない。
『月刊アップルタウン(Apple Town)』(アパ,1999年4月号)ビック・トーク「独立自衛の時代。グローバルな視点で「自衛隊のある日本」を考えたい。」の第六航空団司令兼小松基地司令空将補・田母神俊雄とAPAグループ代表・元谷外志雄の対談:
田母神●日本の場合は、戦後の教育の問題もあると思いますが、第二次大戦に負けて、東京裁判以降、まず日本が悪い、もう一つは、国家、国が悪い、国民は常に善良だ、日本の国以外は、みんな、いい人ばかりで、いい国ばかりだという教え方をずっとしてきたのではないか-----私は、それが行き過ぎていると思っています。今、世界を見てみると-----悪ガキみたいな国家がたくさんある-----。これに対し私はアメリカや日本は大人の国であると考えています。現在のところ、大人の腕力(すなわち軍事力)が悪ガキの腕力より強いので国際社会の秩序が維持されていると思います。これが抑止ということなのですが、もし米国を中心とする先進諸国の軍事力がなければ国際社会は無法地帯になってしまいます。
田母神●アメリカ自体が十九世紀の後半から第二次大戦が終わるまで、執拗に日本をいじめ続けたというところがあると思います。----「排日移民法」という法律が米国議会で成立し、日系人が全ての財産を没収されたのは、わずか75年前、1924年のことなのです。[筆者注:移民法を太平洋戦争中の日系人強制収容と誤解?]。これらの日系人は第一次世界大戦ではアメリカの兵士として戦争にも参加しているのです[筆者注:WW1参戦の日系人兵士は数名,WW2の日系人連隊の活躍と誤解?]。そういう人種差別が公然と行われていたのは大昔のことではなく、20世紀に入ってからのことなのです[筆者注:19世紀中にアフリカ分割・アジア植民地化]。人種差別がタテマエ上許されなくなったのは、1948年の国連による世界人権宣言以降のことです[筆者注:1942年1月1日,生命、自由、独立及び信仰の自由を擁護する連合国共同宣言に中国,フィリピン,インド,イラン,メキシコも加盟]。日本では---------近代史はほとんど教えませんよね。そのあたり教育の問題が大きいと思っています。
田母神●私は隊員にもよく言うのですが、自分たちのやっていることが正しいことである、正義である、という気持ちがやはり使命感だと思います。それが、おまえたちがいるから戦争になるという風潮ですと、隊員が使命感を持つのはなかなか難しいと思います。そうではなく、アメリカを中心とする今の旧西側の軍事力が世界の絶対権力となって、悪いことをすればたたくぞというにらみをきかせているから、国際社会が安定しているのだと…[注:正義の戦争・聖戦のイデオロギーによって大量破壊・大量殺戮を正当化できる?]。
田母神●----アメリカは、ベトナムで初めてゲリラ戦を体験したのだと思います。そのときに、隣にいたおばさんが突然アメリカ兵に襲いかかるということがあって、ゲリラ戦とはこんなものなのだということが初めてわかったのだと思います[注:米墨戦争,米比戦争でゲリラ戦を経験済み]。結局、戦う相手が誰かわからないわけですから…[注:戦う相手は敵の正規兵・不正規兵と敵性住民]。
元谷●そのことが過大に報道されて、本来なら北ベトナムが南ベトナムを侵略したわけですが、そういうとらえ方ではなく、いかにもアメリカが不正義な戦争をしているということで、戦う兵士自身が使命感が持てなくて、結局、自己崩壊のようなかたちで負けてしまったわけですからね。戦うときにはやはり使命感、日本の国家、国民のために私はこういうことをやっているという錦の御旗をきちんと掲げてやらなければいけないと思います。企業経営においてもそうですが、お金もうけのためにやるのだと言っても、ついてきません。
田母神●人間と動物の一番の境目はそこだと思います[筆者注:戦争・金儲け・差・迫害を正当化することに長けている悪賢い人間がいる]。
◆航空幕僚長・田母神空将(2008)「日本は侵略国家であったのか」(懸賞論文「真の近現代史観」最優秀賞)の抜粋(拙著『写真ポスターから学ぶ戦争の百年』と反する箇所のみ)
「大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。」
⇒研究室の立場:戦争の百年を振り返れば,戦争の本質は大量破壊・大量殺戮であり,「戦争は必然だった」というほど,経緯は簡単ではないことが解る。
「諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。」
⇒自衛官・日本人がマインドコントロールされているというのは誤解。日本政府は,文化大革命(共産化,独裁化)を目指してはいない。伝統文化は「改革」で破壊されるほど弱くはない。
「日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。」
⇒戦後63年以上たった現在,戦争経験者の考えを引き継ぐ「歴史」の視点から議論すべき。国家統一見解を強要するのではなく,賛否両論のある議論が望ましい。
「日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘や捏造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。(引用終わり)」
⇒空将のいう「嘘や捏造」で「歴史を抹殺された国家」は「輝かしい日本の歴史」の認識とは反する。
◆更迭幕僚長の後任外薗(ほかぞの)健一朗・航空幕僚長(57歳)は,2008年11月7日、就任会見で「国民の信頼を揺るがせた」と謝罪し,投稿は「一読して不適切だと思った。憲法に関する問題もあり、シビリアンコントロール(文民統制)の観点からも適切性を欠いている」と批判した。自らは論文公表の経験はなく、自分は政府見解と同じ方針だと強調した。
⇒自衛隊幕僚長の戦争論
◆戦争の百年を見れば、戦争の大義が如何なるものであろうとも、破壊と殺戮を繰り返す戦争は、人類が自ら同胞に対して犯してきた愚行であった。戦争の写真・ポスターや新聞記事は、聖戦の認識を広めようとしたが,同時に愚行の表象ともいえる。戦争の百年、20世紀が辿り着いた先は、戦争は人類の生存と人間性に対する脅威であるという認識である。戦争は起こってしまったのではなく、人類自らが戦争を引き起こした。産業に支えられ,破壊と殺戮を行った。戦争の百年には、目を背けてはいけないもの、知っておくべきことが、見て取れる。ただし、我々の祖先も、私たち自身も加担した戦争を見つめるには、勇気と内省が求められる。
天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの1年のご動静(平成17年12月19日):
陛下は病の治療を続けられながら,戦後60年に当たってサイパンを慰霊訪問されるなど,数多くの公務に取り組まれました。初めての海外での慰霊についてのお気持ちや,かの地で感じたこと,今後の慰霊の在り方,次世代への継承などについて陛下のお考えをお聞かせください。
天皇陛下 質問に従って十分にお答えができるよう紙にまとめましたので,それに従ってお話したいと思います。
先の大戦では非常に多くの日本人が亡くなりました。全体の戦没者310万人の中で外地で亡くなった人は240万人に達しています。戦後60年に当たって,私どもはこのように大勢の人が亡くなった外地での慰霊を考え,多くの人々の協力を得て,米国の自治領である北マリアナ諸島のサイパン島を訪問しました。そこにはこの地域で亡くなった戦没者のために国が建てた中部太平洋戦没者の碑があります。
ドイツ領であったサイパン島は,第一次世界大戦後,国際連盟により日本の委任統治領となり,多くの日本人が移住し,砂糖産業や農業,漁業に携わっていました。
昭和19年6月15日,米軍がサイパン島へ上陸してきた時には日本軍は既に制海権,制空権を失っており,大勢の在留邦人は引き揚げられない状態になっていました。このような状況下で戦闘が行われたため,7月7日に日本軍が玉砕するまでに,陸海軍の約4万3千人と在留邦人の1万2千人の命が失われました。軍人を始め,当時島に在住していた人々の苦しみや島で家族を亡くした人々の悲しみはいかばかりであったかと計り知れないものがあります。この戦闘では米軍にも3500人近い戦死者があり,また900人を超えるサイパン島民が戦闘の犠牲になりました。またこの戦闘では朝鮮半島出身の人々も命を落としています。この度の訪問においては,それぞれの慰霊碑にお参りし,多くの人々が身を投じたスーサイド・クリフとバンザイ・クリフを訪れ,先の大戦において命を落とした人々を追悼し,遺族の悲しみに思いを致しました。
61年前の厳しい戦争のことを思い,心の重い旅でした。ただ,高齢のサイパン島民にはかつて日本の移住者が島民のために尽くしたことを今も大切に思っている人がいることはうれしいことでした。私どもが島民から温かく迎えられた陰にはかつての移住者の努力があったことと思われます。
この度のサイパン島訪問に携わった日本側の関係者を始め,米国側並びに北マリアナ諸島側の関係者に深く感謝しています。
日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって,また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います。
戦後60年に当たって過去の様々な事実が取り上げられ,人々に知られるようになりました。今後とも多くの人々の努力により過去の事実についての知識が正しく継承され,将来にいかされることを願っています。
参考文献・資料引用
1
『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』の序章、終章と全般的記述・統計に関しては、次の文献を参考にした。
[1] アメリカ合衆国戦略爆撃調査団編(1972)正木千冬訳『 日本戦争経済の崩壊 第2版 』日本評論社
[2]池尾靖志編(2002)『平和学をはじめる』晃洋書
[3]A.ラパポート(1969)関寛治訳『現代の戦争と平和の理論』岩波書店
[4]金子常規(1979)『兵器と戦術の世界史』原書房
[5]小林正弥(2003)『戦争批判の公共哲学』勁草書房
[6]東海大学教養学部国際学科編(2005)『日本の外交と国際社会−日本は世界にどう向き合ってきたのか』東海大学出版会
[7]矢野恒太記念会編(1991)『数字で見る日本の100年』国勢社
2.第1章から12章では、各項目に関連する参考文献・資料(webページなど)を、項目末尾に記入した。ただし、参考文献・資料の考察は、本書の考察と必ずしも一致するわけではないので、注意されたい。----
3.本書の写真、ポスター、グラフ誌の画像の大半は、下記の機関が作成、保管、公開しているデジタル画像資料を引用した。機関の名称とURL(ここでは省略)は、次の通り。
[1]アラスカデジタルアーカイブ:Alaska's Digital Archives
[2]オーストラリア戦争記念館:Australian War Memorial
[3]英国立公文書館:The National Archives
[4]国防総省U.S. Department of Defense
[5]国立公文書館アジア歴史資料センター
[6]サンディエゴ大学歴史学部:History Department at the University of San Diego
[7]帝国戦争博物館コレクション:Imperial War Museum Collections
[8]トルーマン大統領図書館:The Harry S. Truman Library and Museum
[9]ナッブソース海軍史:NavSource Naval History
[10]フランクリン・ルーズベルト図書館(FDR図書館):The Franklin D. Roosevelt Presidential Library and Museum
[11]米海軍歴史センター:The Naval Historical Center
[12]米議会図書館印刷写真局:The Library of Congress、Prints & Photographs Division
[13]米国立公文書館記録管理局(NARA):The U.S. National Archives & Records Administration
4.本書のビラ(伝単)、戦争ポスターの一部は、下記の出版物の画像を取り込み引用・掲載した。ここには、戦争プロパガンダの記述で参考にした書籍も含んでいる。
[1]大田昌秀(2004)『沖縄戦下の米日心理作戦』岩波書店
[2]恒石重嗣(1978)『心理作戦の回想』東宣出版
[3]里見脩(2005)『姿なき敵−プロパガンダの研究』イプシロン出版企画
[4]泰風(2006)『鉄蹄下的南京』広西師範大学出版社
[5]富永謙吾(1970)『大本営発表にみる太平洋戦争の記録−開戦1号から終戦846まで/大本営発表の真相史』自由国民社
[6]富田昭次(2005)『絵はがきで見る日本近代』青弓社
[7]
平櫛孝(2006)『大本営報道部 言論統制と戦意昂揚の実際』光人社
[8]吉見俊哉編(2006)『戦争の表象−東京大学情報学環所蔵第一次世界大戦期プロパガンダ』東京大学出版会
4.本書に掲載した新聞画面および紹介した新聞記事は、下記の縮刷版、CD-ROMから引用し、資料を参考にした。
[1]『朝日新聞 縮刷版』朝日新聞社
[2]「朝日戦前紙面データベース」CD-ROM 昭和10年〜20年編 朝日新聞社
[3]「終戦前後2年間の新聞切り抜き帳」
[4]「昭和の読売新聞 戦前1」CD-ROM 読売新聞社
[5]「昭和の読売新聞 戦前2」CD-ROM 読売新聞社
2008年10月17日現在,『写真ポスターから学ぶ戦争の百年』を所蔵している主な公立図書館。
【全国大学図書館】
【北海道】:北海道立図書館/旭川市図書館///
【東北】:青森県立図書館/青森市民図書館/弘前市立図書館/北上市立中央図書館/宮城県立図書館/仙台市立図書館/山形県立図書館/酒田市立図書館/寒河江市立図書館 /秋田県立図書館/岩倉市立図書館/塩竈市民図書館/福島市立図書館
【関東】:国立国会図書館/東京都立図書館/文京区立図書館/足立区立図書館中央図書館/花畑図書館/渋谷区立図書館/中央図書館/渋谷図書館/板橋区立図書館蓮根・氷川・成増/台東区図書館/目黒区立図書館/品川区立図書館/大田区立図書館/港区立図書館/新宿区中央図書館・四谷図書館・戸山図書館・大久保図書館/千代田区神田図書館/中央区京橋図書館/豊島区立図書館/中野区図書館/杉並区図書館/台東区立図書館/文京区立図書館/日野市立図書館/あきる野市立図書館/八王子市立図書館/武蔵野市立図書館//稲垣市立図書館
/町田市立図書館/多摩市立図書館/三鷹市立図書館/府中市立図書館/調布市立図書館/狛江市立図書館/東大和市立図書館/立川市図書館/小平市図書館/西東京市図書館/練馬区立図書館/
瑞穂町図書館/那珂川町立図書館/牛久市立中央図書館/川越市立図書館中央図書館/寄居町立図書館/加須市立図書館/所沢市立図書館所沢図書館/海老名市立中央図書館/鹿沼市立図書館/水戸市立図書館
/守谷中央図書館/
栃木県立図書館/小山市立図書館/大平町立図書館/高根沢町図書館/
宇都宮市立図書館/高崎市立図書館/邑楽町立図書館/さいたま市図書館/埼玉県坂戸市立図書館/
行田市立図書館/北本市立中央図書館/狭山市立図書館/草加市立中央図書館/成田市立図書館/野田市立図書館
/八千代市立図書館/君津市立中央図書館/八街市立図書館/佐倉市立図書館/浦安市立図書館/白井市立図書館/袖ヶ浦市立図書館/松戸市立図書館/匝瑳市立図書館/八千代市立図書館/図書館/神奈川県立図書館/山梨県・県立図書館・甲府市立・中央市立玉穂・北杜市はくしゅう図書館/甲斐市立図書館/笛吹市立図書館//
【中部】:愛知県碧南市民図書館 /愛知県一宮市図書館/安城市中央図書館/愛西市立図書館/小牧市立図書館/豊田市中央図書館/蒲郡市図書館/愛知県大府市中央図書館/刈谷市中央図書館/愛知県岩倉市/犬山市立図書館/北名古屋市東図書館/枚方市立図書館/岐阜県立図書館/岐阜市立図書館/大垣市立図書館/富山県立図書館//富山市立図書館/氷見市立図書館/魚津市立図書館/高岡市立図書館/石川県白山市立図書館/岐阜県可児市立図書館/高山立図書館/池田町立図書館/新潟県の図書館/新潟市立図書館/長岡立図書館/上越市立図書館/十日町立図書館/前原市立図書館/加古川図書館・中央図書館・ウェルネスパーク
/市立飯山図書館/山鹿市鹿本図書館
/池田市立図書館//富士立図書館/三島市立図書館/島田市立図書館/静岡市立図書館/磐田市立図書館/県立長野図書館/松本市立図書館/長野市立図書館/福井市立図書館/福井県立図書館//
【近畿】:大府立中央図書館/大阪府立図書館/堺市立図書館/豊能町立図書館/豊中市立野畑図書館/京都府立図書館/京都市立中央図書館/京都市伏見中央・東山・久世図書館/京都市向島図書館/舞鶴市東図書館/神戸市立図書館中央図書館/垂水図書館/外大図書館/播磨町立図書館/兵庫県立図書館/
三郷町立図書館/
和田山図書館/西宮市立図書館/舞鶴立図書館/滋賀県野洲図書館/津図書館/滋賀県愛知郡愛荘町立図書館/彦根市立図書館/和歌山市民図書館/和歌山県立図書館/大垣市立図書館/尼崎市中央図書館/三重県図書館///
【四国】:香川県立図書館/丸亀市立図書館/高知県立図書館/徳島県立図書館/徳島市立図書館/
【中国】:姫路市立図書館/城内/花北/広畑/東広島市立図書館サンスクエア児童青少年図書館・黒瀬図書館/岡山県立図書館/岡山市立図書館/鏡野町立図書館/倉敷市立中央図書館・児島図書館・玉島図書館/鳥取県立図書館/鳥取県南部町立図書館/米子市立図書館/鳥取県西伯郡南部町立図書館/
三原市立図書館/岩国市市立図書館/山口県下松市立図書館/下関・長府図書館/防府市立図書館///
【九州】:北九州市門司図書館/行橋市図書館
/大分県立図書館/鹿児島市立図書館/武雄市図書館/
宗像ユリックス図書館/大分県立図書館/佐賀市立図書館/延岡市立図書館/日向市立図書館/宮崎市立佐土原図書館/川南町立図書館/長崎市立図書館/佐世保市立図書館/諫早市立図書館/長崎県立長崎図書館/高松市立図書館/諫早市たらみ図書館/諫早市諫早図書館/那覇市立図書館///
大学図書館:《戦争の百年》所蔵の大学図書館
蔵書検索:全国の蔵書検索ウェブOPAC/全国の公共図書館
/全国の県立図書館/
◆誠に申し訳ございません。拙著の写真ポスター解説の誤りをいくつか訂正させていただきます。
1.横書きを縦書き自動変換したときに,八八(ハチハチ)艦隊を八十八艦隊,六六(ロクロク)を六十六と誤変換してしまいました。
2.p.147:1ポンド=450gで,500ポンド爆弾は225キロ爆弾です。
3.p.153:『写真週報』は,第21号(1938年7月6日発行)の誤りです。
4.p.160:九六陸攻(中攻)の爆弾搭載量は800キロ程度なので,「爆弾1万5千トン」は「爆弾1万5千発」の誤りです。
5.p.215:フランス塔は仏塔の誤変換です。
6.p.219:日本軍ラバウル占領は,1941年ではなく,1942年1月23日の誤記です。
7.p.231:参戦は,2月ではなく,1941年12月7日の誤記です。
8.p.259:「Bf109戦闘機」は「Bf110双発戦闘機のような軍用機」に訂正します。
9.p.279:「物価統制局発行」に訂正します。
10.アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の撮影時期は,英文説明(写真に書き込み)の通り9月13日の誤りです。
11.p.305:「アッツ島に皇軍の神髄を発揮」に訂正します。
12.挺身を「挺進」に訂正します。
13.第二次中東戦争当時,「チーフテン」戦車はありませんでした。「センチュリオン」戦車の誤りです。
連絡先:
torikai@tokai-u.jpが最良の連絡方法です。
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1
東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Tokai University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
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