◆ドイツ軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
写真(上):2016年、フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館(Musée des Blindés)に保管展示されているドイツ軍の対戦車自走砲(Panzerjäger 38(t))マーダー"Marder III"対戦車自走砲M型Ausf M (SdKfz 139) :チェコのシュコダ(スコダ)社製造の38(t)戦車の車体を改造してソ連製76.2ミリ砲(7,62cm PaK 36(r) )装備。左奥は同じくチェコ38(t)をベースにした駆逐戦車ヘッツァーとIII号戦車をベースにしたIII号突撃砲。 解説
2045 - Frankreichtour 2016 - Saumur
日付 2016年8月18日, 10:04
原典 2045 - Frankreichtour 2016 - Saumur
作者 Uwe Brodrecht
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category:SdKfz 139 Panzerjäger 38(t) für 7,62cm PaK 36(r) Marder III in the Musée des Blindés File:2045 - Frankreichtour 2016 - Saumur (32978251286).jpg引用。
写真(上):ドイツ連邦共和国、バーデン=ヴュルテンベルク州、ジンスハイム市のジンスハイム自動車・技術博物館に保管・展示されているドイツ陸軍マーダーIII対戦車自走砲H型(Marder III Ausf. H :Sd. Kfz. 138) :チェコのプラガ社製造の38(t)戦車の車体を改造して48口径7.5センチ戦車砲(7.5 cm Pak 39 L/48)を装備。奥は同じ車体を改造したヘッツァー駆逐戦車。 解説
Czech built Sk Kfz 138 Panzer Jager
38(t) Ausf M "Marder III" S.P. Anti-Tank Gun built by BMM (ex-CKD/Praga) for the German Army with Skoda 7.5 cm PaK 40/3 gun at the Auto & Technik Museum, Sinsheim, 6/11.
Date 3 June 2011, 11:53
Source Pz Jag 38(t) Ausf M "Marder III"
Author Hugh Llewelyn from Keynsham, UK
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: Jagdpanzer 38(t) Hetzer in the Kubinka Tank Museum>File:Pz Jag 38(t) Ausf M "Marder III" (6089965580) (2).jpg引用。
写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館(Musée des Blindés)に保管展示されているドイツ軍の対戦車自走砲マーダーIII M型: SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III ;46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40/3 L/46)を搭載し攻撃力は高いが、戦闘室周囲の装甲板は10ミリの厚で防御力は低い。マーダーとは「テン(貂)」。奥は15センチ榴弾砲を搭載したIV号自走砲フンメル"Hummel"。 解説
Photographed in the Musée des Blindés, France.
日付 2013年9月11日, 12:54:04
原典 投稿者自身による作品
作者 Alf van Beem 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III in the Musée des Blindés>File: Marder III Ausf M in the Musée des Blindés, France, pic-2.JPG引用。
◆
『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)ではドイツの政党、第二次大戦を詳解しました。ナチ党の初期のポスター、社会民主党の反ナチポスターから、投票所の写真なども掲載しています。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールにゲスト出演。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
序.I号戦車ベースの対戦車自動砲
写真(右)スペイン、マドリッド北郊外、エル・ホロソ兵器博物館に保管・展示されているドイツ軍のI号戦車B型 Panzerkampfwagen I Ausf. B (Sd.Kfz. 101):
Description
English: Panzer I Ausf. B at the Museum of Armored Vehicles at El Goloso, Spain
Date 29 October 2007
Source Own work (Original text: I created this work entirely by myself.)
Author JonCatalán (talk) 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Panzerkampfwagen I Ausführung B in the El Goloso Armour Museum>File:SdKfz101 2.jpg引用。
ドイツは,1939年9月1日、西部国境からポーランドに侵攻,主力をフォン・ルントシュテット将軍率いる南方軍集団におき,ヴァルター・フォン・ライヒェナウ大将(1880-1958)の第十軍が中央に位置しワルシャワに向かった。北方軍集団(フォン・ボック大将)は,クルーゲ大将の第四軍,キュヒラー対象の第三軍,あわせて22個師団からなる。北方軍集団は,ドイツ領の東プロイセンから前進した。
ポーランド侵攻「白」作戦の目標は,ヴィスワ川の西方でポーランド軍を包囲殲滅することである。
ポーランド,フランス侵攻の時のII号戦車,チェコ38t戦車もまだ多数が残っていて,独ソ戦に投入された。またI号戦車を改造した歩兵支援あるいは対戦車自走砲も製造された。
ポーランド戦当時のドイツ軍戦車の主力は,II号戦車(重量7.2トン,55口径2センチ砲KwK 30 L/55装備),チェコ38t戦車(重量9.8トン,48口径、3.7センチ砲Kw.K.38(t) L/48.7装備)だった。
写真(右):1943年4月14日,オーストラリア、ビクトリア州メルボルンで展示されたドイツ軍から鹵獲したI号対戦車自走砲 Panzerjäger I。砲塔を撤去して大きな戦闘室を設け、そこにチェコ製の43口径47mm対戦車砲(KPUVvz36 4.7)を搭載した。:この鹵獲戦車は、オーストラリアの戦費調達を目的に、自由公債(Liberty Loan)を消化をするのに利用された。自由公債売り出しセール(Liberty Loan Rally)のために、士気高揚や客寄せに一役買っているのである。写真を掲載したヘラルド紙(The Herald)はメルボルンで1840年から1990年まで発行されていた。
ID number
138588
Maker
Herald Newspaper
Place made
Australia: Victoria, Melbourne
Date made
14 April 1943 Description
A German Panzerjager 1 fur 47 PAK (t) self-propelled anti-tank gun. It was equipped with a 4.7 cm Czech made anti tank gun. The gun has been reconditioned by the Australian Army Ordnance corps, and is on display in Collins Street during a Liberty Loan Rally.
写真はAustralian War Memorial ・ID 137053引用。
I号戦車の砲塔を撤去して大きな戦闘室を設け、そこにチェコ陸軍の採用した43口径47ミリ対戦車砲(KPUVvz36 4.7)を搭載した。この対戦車砲は、チェコ陸軍のM-36対戦車砲。チェコを併合しチェコ全土は,1939年3月14日、大戦勃発直前にドイツに占領され ベーメン・メーレン保護領( Protektorat Böhmen und Mähren)としたドイツ軍がシュコダ社に生産させ、ドイツ仕様4.7 cm PAK 36 (t)と称して配備したもの。
ソ連侵攻バルバロッサ作戦用のドイツ陸軍兵力は,三軍集団あった。
北方軍集団(司令官リッター・フォン・レープ元帥):2個軍,1個装甲集団によってバルト地区のソ連軍を撃滅,レニングラードを攻略する。
中央軍集団(司令官(フォン・ボック元帥):3個集団軍,第2装甲集団(グーデリアン大将),第3装甲集団(ヘルマン・ホート大将)によって,ブレスト=ウィルナ=スモレンスクのソ連軍主力の撃破。
写真(右)1941年夏,ウクライナ西部,ドイツ軍I号砲戦車:旧式化したI号戦車の旋回砲塔を除いて,チェコのスコダ43口径47ミリ対戦車砲(KPUVvz36 4.7)を搭載した砲戦車。回転砲塔ではないので,火砲の射界は狭い。Kurze Pause einer Mot-Einheit
West-Ukraine 1941
Archive title: Sowjetunion, Westukraine.- Leicht getarnter Panzerjäger 1 (Selbstfahrlafette auf Fahrgestell des "Panzer I" mit 4,7-cm-Pak; Turmnummer 221) im hohen Gras
Dating: 1941 Sommer.写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild_169-0110引用
(他引用不許可)。
1940年5月,ドイツ軍がフランスを攻撃したのは,装甲師団の展開に不利なアルデンヌ林のルートだった。 ソ連侵攻バルバロッサ作戦にあっても,ヒトラーは,沼沢地,河川が多く,ソ連軍が攻撃を予期しない中部地域に大軍を投入した。
⇒ドイツ陸軍I号戦車と47mm砲戦車Enteを見る。
1.フランス軍牽引車ベースの対戦車自走砲(Jagdpanzer)マーダーI "Marder I"
写真(右):1942年,フランス南部のドイツ陸軍対戦車自走砲(Jagdpanzer)マーダーI "Marder I" : Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-258-1326-22
Archive title: Südfrankreich.- Jagdpanzer "Marder I"; PK 696
Dating: 1942
Photographer: Wegner
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-258-1326-22"引用(他引用不許可)。
ドイツ陸軍対戦車自走砲マーダーI(Jagdpanzer "Marder I":7,5cm Pak auf Gw Lorraine (fr.) Sd.Kfz.135/1)は、第二次世界大戦期にドイツ陸軍が鹵獲したフランス陸軍の砲牽引車・装甲輸送車ロレーヌ 37Lトラクター(Lorraine 39L AM)を活用した簡易型の対戦車自走砲である。
写真(右):1943-1944年,ベルギーあるいはフランスのドイツ陸軍対戦車自走砲(Jagdpanzer)マーダーI "Marder I" : Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-297-1701-26
Archive title: Im Westen: Belgien/Frankreich.- Nachschub per Eisenbahn, Jagdpanzer "Marder I", 7,5cm Pak auf Gw Lorraine (fr.) nach dem Abladen; PK 698
Dating: 1943/1944
Photographer: Müller, Karl
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-297-1701-26"引用(他引用不許可)。
第二次世界大戦期にフランスを降伏させたドイツは、多数のフランス軍用車両を鹵獲した。そこで、フランスの砲牽引車・装甲輸送車ロレーヌ 37Lトラクター(Lorraine 39L AM)を原型に、7,5cm Pak auf Gw Lorraine (fr.) マルダーIを開発した。
写真(右):1943-1944年,ベルギーあるいはフランスのドイツ陸軍対戦車自走砲(Jagdpanzer)マーダーI "Marder I" :
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-297-1701-20
Archive title: Im Westen: Belgien/Frankreich.- Nachschub per Eisenbahn, Jagdpanzer "Marder I", 7,5cm Pak auf französischen Lorraine Fahrgestell; PK 698
Dating: 1943/1944
Photographer: Müller, Karl
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-297-1701-20"引用(他引用不許可)。
7,5cm Pak auf Gw Lorraine (fr.) マルダーIは、第二次世界大戦期にドイツ陸軍が鹵獲したフランス陸軍の牽引車・弾薬運搬車だった送車ロレーヌ 37Lトラクター(Lorraine 39L AM)ベースにした対戦車自走砲を活用した簡易型の対戦車自走砲である。マーダーII対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)よりも小型で非力なエンジンだが、ドイツ軍は活用できる鹵獲車も戦力化した。
写真(右):1943-1944年,ベルギーあるいはフランスのドイツ陸軍対戦車自走砲(Jagdpanzer)マーダーI "Marder I" : Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-297-1701-22
Archive title: Im Westen: Belgien/Frankreich.- Nachschub per Eisenbahn, Jagdpanzer "Marder I", 7,5cm Pak auf Gw Lorraine (fr.) nach dem Abladen; PK 698
Dating: 1943/1944
Photographer: Müller, Karl
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-297-1701-20"引用(他引用不許可)。
7,5cm Pak auf Gw Lorraine (fr.) マルダーIは第二次世界大戦期にドイツ陸軍が鹵獲したフランス陸軍の砲牽引車・装甲輸送車ロレーヌ 37Lトラクター(Lorraine 39L AM)を活用した簡易型の対戦車自走砲である。
1937年から1940年5月までに、フランスは387輌の砲牽引車・装甲輸送車ロレーヌ 37Lを生産したが、1940年6月のフランス降伏で多数がドイツ軍に鹵獲された。そこで、砲牽引車・装甲輸送車ロレーヌ 37Lの車体に7.5 cm PaK40対戦車砲を搭載し自走砲とした。
写真(右):1943-1944年,ベルギーあるいはフランスのドイツ陸軍対戦車自走砲(Jagdpanzer)マーダーI "Marder I" :
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-297-1701-24
Archive title: Im Westen: Belgien/Frankreich.- Nachschub per Eisenbahn, Jagdpanzer "Marder I", 7,5cm Pak auf Gw Lorraine (fr.) nach dem Abladen; PK 698
Dating: 1943/1944
Photographer: Müller, Karl
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-297-1701-24"引用(他引用不許可)。
1937年から1940年5月までに、フランスは387輌の砲牽引車・装甲輸送車ロレーヌ 37Lを生産したが、1940年6月のフランス降伏で多数がドイツ軍に鹵獲された。そこで、砲牽引車・装甲輸送車ロレーヌ 37Lの車体に7.5 cm PaK40対戦車砲を搭載し自走砲としたのである。
写真(右):1943-1944年,ベルギーあるいはフランスのドイツ陸軍対戦車自走砲(Jagdpanzer)マーダーI "Marder I" の後部:7,5cm Pak auf Gw Lorraine (fr.) マーダーIは第二次世界大戦期にドイツが開発した対戦車自走砲である。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-297-1701-34
Archive title: Im Westen: Belgien/Frankreich.- Nachschub per Eisenbahn, Panzerjäger "Marder I", 7,5cm Pak ?auf Gw Lorraine (fr.) mit Anhänger, Fahrt durch Ortschaft; PK 698
Dating: 1943/1944
Photographer: Müller, Karl
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-297-1701-34"引用(他引用不許可)。
7,5cm Pak auf Gw Lorraine (fr.) マルダーI、フランスで鹵獲した弾薬運搬車をベースにした対戦車自走砲。
マーダーII対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)は、ドイツ軍のII号戦車を流用した自走砲だった。他方、マーダーIII対戦車自走砲(Marder III)は第二次世界大戦期にナチス・ドイツがチェコのシュコダ38(t)戦車をベースに開発した対戦車自走砲である。
Sd Kfz 138 マルダーIII Ausf. Mは、チェコのスコダ社が開発した38(t)戦車を母体とした車体に15cm sIG33重歩兵砲を搭載した自走砲榴弾。しかし、対空戦闘能力はなく、戦車のよう防御用の装甲板もなかったので、敵に発見されないように偽装に注意を払う必要があった。
2.II号戦車ベースの対戦車自走砲(Jagdpanzer)マーダーII "Marder II" (Sd.Kfz. 131)
写真(右)セルビア、ベオグラード軍事博物館(Belgrade Military Museum)に保管展示されているドイツ軍のII号戦車C型 (Panzerkampfwagen II Ausführung C): Description
English: German WWII PzKpfw II Ausf. C light tank, part of Belgrade Military Museum outer exhibition at Kalemegdan fortres.
Date 12 December 2010
Source Own work
Author Srđan Popovič
写真はWikimedia Commons, Panzerkampfwagen II in museums> Category: Panzerkampfwagen II Ausführung C tank in the Belgrade Military Museum>File: PzKpfw II 01.jpg引用。
II号戦車は、55口径30式2センチ戦車砲(2-cm-KwK 30 L/55)搭載。上下射界は、俯角?10度から仰角+20度。この戦車砲は1930年ラインメタル社が開発、1935年生産開始。II号戦車は1936年のスペイン内戦に初の実戦参加をしている。機関銃のように連続射撃することはできないが、自動砲なので、箱型弾倉を装填する。1発ずつ2センチ砲弾を装填するのではない。
II号戦車は,主力となるIII号戦車までの過渡的な戦車として,1937年から本格的に量産された。全長4.8メートル,全幅2.2メートル,全高 2.0メートル,重量7.2トン。 2センチ砲装備。エンジン140馬力,乗員3人。ポーランド進攻からフランス侵攻まで,主力となったが,ソ連侵攻ではIII号戦車,IV戦車の補助的存在として投入された。開戦当初から,対戦車戦闘は考慮されていなかったが,戦車の集団用法によって,電撃戦に貢献した。
◆ヒトラー総統は,大戦直前,1939年1月30日のドイツ国会演説で、国際金融界のユダヤ人が、諸国民を再び大戦に引き込めば、その結果は、ボルシュビキとユダヤ人の勝利ではなく、欧州ユダヤ人の絶滅である,と予言していた。 最高機密のユダヤ人絶滅は口頭命令だったが,ヒトラー総統は,1939年1月の国会演説,1941年12年11日の対米宣戦布告、1945年4月の政治的遺書など,ユダヤ人,ボリシェビキへの殲滅戦争を公言している。これは過激な表現のプロパガンダではなく,本心だった。
1942年1月23日,ヒトラー卓上談話:「必要なのは思い切った行動である。----ユダヤ人は、ヨーロッパから消えてなくなるべきである。さもないと,われわれヨーロッパが相互理解に達しえなくなる。ユダヤ人は,何事にも障害となっている。
------だが,彼らが自由意志で出ていかなければ、絶滅があるだけだ。なぜユダヤ人をロシア人捕虜とは違ったものとしなければならないのか。捕虜収容所では,多くのものが死んでいる。それは私の責任ではない。戦争も捕虜収容所も私が望んだわけではない。ユダヤ人によって,この状況に追い込まれたのだ。」
◆第二次大戦初期,ドイツがヨーロッパを占領すると,排除すべき対象は,ヨーロッパ・ユダヤ人すべてとなった。太平洋戦争が始まると,アメリカの堕落した民主主義を資金・メディアを通じて操っているユダヤ人が,ドイツに戦争を仕掛けてくるのも,時間も問題となった(とヒトラーは考えた)。
トラーは,1941年,独ソ戦開始後,卓上談話(『ヒトラーのテーブル・トーク1941-1944(上)』三交社,1994年)で,次のように述べている。
1941年9月23日ヒトラー卓上談話:「ドイツ世界とスラブ世界の間には,現時いつには境界がある。それをどこに引くかはわれわれが決めることだ。ドイツ世界を東方に拡張する権利がある。国家が自分の代表するものを認識しているから,権利があるのだ。成功すれば全て正当化される。これは,経験的にいえることだ。優秀な民族が狭苦しい土地に押し込められ,文明の名に値しないものどもが,世界でも有数の広大な肥沃な土地を占めているのは許しがたい。----強者が自らの意思を主張する,これが自然の掟だ。世界は常に変わらず,その法則に支配される。-----自然の法則を尊重せず,強者の権利としてわれわれの意思を主張しなければ,いつの日にか野生動物がわれわれを食らうであろう。」
1941年10月10日:「戦争は原始的な形態に戻ってきた。民族対民族の戦いは影をひそめ,広大な土地の所有権を巡る戦いが主流になってきた。----戦争は今日では,天然資源を求めて起こる。暗黙の掟によって,こうした資源は征服者のものとなる。----この絶え間のない闘争は自然淘汰の掟であり,最もふさわしい者だけが生き残る。」
◆ヒトラーの第三帝国は,弱肉強食の掟を奉じ,弱いものを支配し,領土を拡張することで,強者たらんとする強烈な生存闘争の意思を持つ。
1941年11月11日:「現在のわれわれの戦いは,以前に国内における闘争を,国際レベルに移して継続したものだ。---私が必要とするのは,荒々しく勇敢な人々,何事が起ころうとも,自分の思想を最後まで掲げ続ける人々だ。-----今の戦争も同じだ。私の欲しいのは自分の責任で何事でもできる司令官だ。粗暴さのない戦略家など,何の役にも立たない。戦略のない粗暴さのほうがまだましだ。」
◆ドイツ軍司令官は弱肉強食の自然の掟を奉じ,弱いものを支配し,領土を拡張するためには,粗暴でなくてはならない。生存闘争に勝利するには,力が必要である。戦開始の時期には,ドイツ陸軍はIII号戦車,IV戦車を主力として,ソ連軍戦車よりも優れていると考えていた。しかし,戦車の数量は劣っていることが判明していたので,生産コストの高い回転砲塔を持つ戦車ではなく,突撃砲,自走砲(砲戦車)を装備して,戦車を補助あるいは歩兵支援を充実させようとした。
1941年6月22日以降のドイツのソ連侵攻は,ユダヤ人など劣等人種の殲滅戦争の第二段階だった。
既に,バルカンの戦いにおいて,1941年4月27日,「あらゆる抵抗が仮借ない厳格さで打ち砕かれること」と求める命令が出されていた。
1941年4月28日,第二軍団マクシミリアン・フォン・ヴァイクス(Maximilian von Weichs)司令官の命令書では,「襲撃が起きた危険地域では、プラカードを出し,住民に過酷な結果が生じることを公示せよ。」とされ,「セルビア人よ,卑劣で陰険な襲撃により,ドイツ兵士が死亡した。ドイツ人の忍耐は切れた。罰として,全住民の1000人が射殺された。今後,セルビア側からの襲撃によってドイツ兵士が死亡すれば,一人に付き100人のセルビア人が射殺されることになる。」このようなテロによる支配が公然と示されていた。
ヒトラーの再軍事宣言前、1934年7月に密かにII号戦車の開発が、クルップ、MAN、ヘンシェルの各社に出されたが、これは重量10トン、砲塔に2センチ機関砲と7.92ミリ同軸機銃を装備する軽戦車だった。2センチ機関砲は、2センチ対空機関砲として制式された2 cm Flak 30である。試作車は、1935年に完成、II号戦車の量産が始まったのは、1937年7月以降で、1940年4月までに1000輌が生産された。II号戦車(Panzerkampfwagen II(Sd.Kfz.121))として制式になったのは、1938年10月でオーストリア併合の時期だった。
II号戦車の初の実戦投入は、1936年に勃発したスペイン内戦で、I号戦車と同時にドイツ軍スペイン遠征部隊「コンドル軍団」に配備された。1939年9月の第二次世界大戦では、III号戦車、IV号戦車の実戦配備が遅れたために、ポーランド侵攻だけでなく、1940年5月のフランス侵攻にも主力戦車として使用された。2センチ機関砲では対戦車戦闘は困難だったため、その後、III号戦車、IV号戦車の生産が軌道に乗ると補助任務、偵察などに使用された。しかし、北アフリカ戦線、独ソ戦にもII戦車は実戦投入されている。1942年末で、旧式化したII号戦車の生産は中止され、その後、車体を活用したマーダーII対戦車自走砲などの自走砲に生産転換が図られた。
写真(右):1942年8月1日、北アフリカ戦線、西砂漠でイギリス軍が撃破したドイツ陸軍II号戦車: Panzerkampfwagen II ( PzKpfw II): ID number
ID number
024684
Place made
North Africa: Western Desert, Western Desert (Egypt)
Date made
1 August 1942
Description
A GERMAN PANZER-KAMPFWAGEN II LIGHT TANK CAPTURED BY BRITISH FORCES. NOTE THE INDEPENDENT SPRINGING OF EACH WHEEL. 写真はオーストラリア戦争博物館 Australian War Museum登録・引用・ AWM (024684)
II号戦車は、55口径30式2センチ戦車砲(2-cm-KwK 30 L/55)搭載。上下射界は、俯角?10度から仰角+20度。この戦車砲は1930年ラインメタル社が開発、1935年生産開始。II号戦車は1936年のスペイン内戦に初の実戦参加をしている。この車体を利用したのがマーダーII対戦車自走砲である。
ドイツ陸軍II号戦車: Panzerkampfwagen II ( PzKpfw II)諸元 全長
4.81 m、
全幅
2.22 m、
全高
1.99 m 重量
8.9 t、乗員
3 名 懸架方式
リーフスプリング方式 速度
40 km/h、
航続距離
200 km
兵装
55口径20ミリ機関砲(2 cm KwK 30 L/55) 、
7.92ミリ機関銃MG34
装甲 14.5 mm 動力
マイバッハ HL62TR
直列6気筒液冷ガソリンエンジン(140 馬力)
1941年6月22日,ドイツ軍は,独ソ不可侵条約を反故にして,突如,ソ連を攻撃した。このは,ドイツ軍によるソ連攻撃バルバロッサBarbarossa作戦が実行されたのは,次のような理由からだった。
1)バルバロッサとは,神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)のことである。ナチスは,ハプスブルク家の皇帝標章をオーストリアからドイツに持ち帰り,第三帝国を設立し,帝国以来の伝統を引継いだとした。そして,東方ソ連を植民化するために,ソ連を攻撃した。そして,ドイツ人,民族ドイツ人が東方ソ連に入植して土地と現地住民を支配し,石油・鉄鉱石,農作物など資源エネルギー・食料を略奪することで,大ドイツ繁栄の基礎を固めようとした。
2)ボリシェビキが支配する東方ソ連は,ドイツ反英の脅威であり,イデオロギー上も,ソビエトを攻撃,壊滅する必要があった。ただし,東方に向かうドイツ軍兵士は,独ソ不可侵条約の下で,スターリンがウクライナをヒトラーに貸与するという噂があった。
3)フランス降伏後も,ヨーロッパで孤立しても英国が戦っている理由は,米国とソ連がドイツを威嚇しているからだった。そこで,ヒトラーは,英国の士気を高めているソ連軍を壊滅させ,英国の希望を砕こうとした。ただし,バルバロッサ作戦の準備は,英本土上陸作戦の意図を隠蔽する目的で行われる陽動だとされた。実際,ドイツ海軍軍令部は,2月18日の作戦日誌で,陽動作戦のことを記している。
写真(右):1942年8月,フランス、パリのシャンゼリゼ大通りを行進するSS武装親衛隊「ライプシュタンダルテ・アドルフヒトラー」(SS-Leibstandarte "Adolf Hitler)のマーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132):ソ連製76.2ミリ野砲(7.62cm PaK 36(r))を搭載。手前にはSS武装親衛隊の兵士が警備している。
Sowjetunion-Süd.- Division "Wiking" der Waffen-SS
Signature: Bild 101III-Moebius-117-27
Old signature: Bild 101I-256-1231-37
Archive title: Frankreich, Paris.- Parade der Wehrmacht auf dem Champs-
Élysées, Fahrzeuge der SS-Leibstandarte "Adolf Hitler", Panzerjäger Marder 2 (Sd.Kfz. 132); PK 696
Dating: August 1942
Photographer: Micheljack
Archive title: Sowjetunion-Süd.- Zwei SS-Männer der Waffen-SS-Division "Wiking" vor Panzerjäger "Marder II" (Sd. Kfz. 132) beim Vorstoß zum Kaukasus; SS-PK
Dating: 1942 August - September
Photographer: Möbius撮影。 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ドイツ軍の主力対戦車砲3.7 cm PaK 36が威力不足で、5 cm PaK 38も数が少ない上に不十分な攻撃力しかなかったために、ソ連軍のT-34中戦車やKV-1重戦車に苦戦したドイツ軍は、ソ連軍から鹵獲した7.62cm Pak 36(r)対戦車砲を重用することになった。7.62 cm PaK 36(r)は、マーダーIII対戦車自走砲に搭載され、ドイツ陸軍の主要対戦車自走砲として活躍した。
写真(右):2011年、ロシア連邦,サンクトペテルスブルク(旧レニングラード)、サンクトペテルブルク砲兵博物館が保管・展示しているソ連の51口径76.2ミリ師団砲M1936(76 mm divisional gun M1936 (F-22) ):
解説
English: 76 mm F-22 gun displayed in Saint Petersburg Artillery Museum
日付 2011年6月17日, 15:49:16
原典 投稿者自身による作品
作者 Сайга20К 写真はWikimedia Commons,Category: 76 mm divisional gun M1936 (F-22) in the courtyard of the Military-historical Museum of Artillery, Engineer and Signal Corps>File: F-22-4.JPG引用。
76mm師団砲M1936(F-22)の諸元 口径
76.2 mm 全長
7.12 m 全幅
1.93 m 全高
1.71 m 砲身のみ
3,680 mm / 48.4口径(砲身のみ) 砲身(薬室含む)
3,895 mm / 51.2口径
重量
1,620 kg 操作人員数
6名 装薬:分離薬莢式 仰俯角
-5度から75度 旋回角
60度 発射速度
15発/分 最大射程
14,000 m
ドイツ軍は、1941年夏のソ連侵攻当初の包囲戦によって、ソ連製51口径76.2ミリ野砲F-22を大量に鹵獲した。この野砲は、51口径と当時としては世界最長の長砲身の野砲であり、砲口初速が早く、射程14キロであり、相談は分離薬莢式のため手間はかかったが、と対戦車戦闘も可能な優秀な野砲だった。そこで、ドイツ軍は、ソ連製51口径76.2ミリ野砲F-22を7.62cm PaK 36(r)の名称で、ドイツ軍に配備した。そして、その一部は、II号戦車の砲塔を撤去したマーダーII対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)に搭載された-。
写真(右):1942年8-9月,SS武装親衛隊「ヴィーキング」(バイキング)装甲師団のマーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132):II号戦車のシャーシーを流用してソ連製76.2ミリ野戦師団砲(7.62cm PaK 36(r))を搭載した対戦車戦闘用の自走砲。装甲は薄く防御力は弱い。
Sowjetunion-Süd.- Division "Wiking" der Waffen-SS
Signature: Bild 101III-Moebius-117-27
Old signature: Bild 146-1981-144-21A
Archive title: Sowjetunion-Süd.- Zwei SS-Männer der Waffen-SS-Division "Wiking" vor Panzerjäger "Marder II" (Sd. Kfz. 132) beim Vorstoß zum Kaukasus; SS-PK
Dating: 1942 August - September
Photographer: Möbius撮影。 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
SS武装親衛隊「ヴィーキング」(5. SS-Panzer-Division "Wiking":バイキング)は,外国アーリア人義勇兵部隊で、ノルウェー,スウェーデンなど北欧の反共産主義者などが対ソ連戦に志願していた。ノルウェーは,ドイツに占領され,クィスリング(元国防省)の傀儡政権が樹立された。ノルウェーの自立と強化を目指すために,あるいは仕事や出世の機会を得るために,武装親衛隊に参加したノルウェー人などがいた。
写真(右):2008年、フィンランド中部、オウル、フィンランド軍が枢軸側に立って使用したドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲:フィンランド・ポジャ旅団(Pohja brigade)は、1941年から1944年まで対ソ戦を戦った部隊で、それを記念する対戦車砲が、ヒウカバーラ"Hiukkavaara"基地の中にあるという。7.5センチ対戦車砲は、マーダーII対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)にも搭載されている。 Description
English: A Pak 40 anti-tank gun in the area of the former Pohja Brigade, in the Hiukkavaara district of Oulu, Finland.
Date May 2008
Source Own work
Author Methem (Mikko J. Putkonen)
撮影。 写真はWikimedia Commons,Category:PaK 40 in the Pohja Brigade barracks>Pak40 antitank gun in Hiukkavaara May2008 002.jpg引用。
II号戦車C型は砲塔に2センチ戦車砲を搭載しているが、威力不足のために、砲塔を撤去して、開放式の大型戦闘室を設け、そこに60口径5センチ対戦車砲、46口径7.5センチ対戦車砲(7,5-cm-PaK 40)、ソ連製51口径76.2ミリ野砲F-22 (ドイツ名称7.62cm PaK 36(r))を搭載したのが、マーダーII対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)である。
写真(右):1943年春,ロシア中部、東部戦線のII号戦車を改造し7.5センチ対戦車砲を搭載したマーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132): Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-197-1235-07
Archive title: Rußland-Mitte.- Panzersoldaten auf 7,5cm Panzerjäger "Marder II" auf Panzer II (Bezeichnung "Kohlenklau") neben Holzhaus; PK 693
Dating: 1943 Frühling 撮影。 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右):1943年春,ロシア中部、東部戦線のII号戦車を改造し7.5センチ対戦車砲を搭載したマーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132): Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-197-1235-22
Archive title: Rußland-Mitte.- Panzersoldaten auf 7,5cm Panzerjäger "Marder II" auf Panzer II (Bezeichnung "Kohlenklau") neben Holzhaus; PK 693
Dating: 1943 Frühling
Photographer: Henisch, Walter 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右):1943年2-3月,ロシア中部、東部戦線のマーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)
:46口径7.5センチ対戦車砲(7,5-cm-PaK 40)を搭載した対戦車戦闘を主任務とする自走砲。マーダーII対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)は攻撃力はあるが、防御力は弱い。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-197-1237-15
Archive title: Rußland-Mitte.- Panzersoldaten auf 7,5cm Panzerjäger "Marder II" auf Panzer II in Fahrt auf schlammigem Weg; PK 693
Dating: 1943 Februar - März
Photographer: Henisch, Walter 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
マーダー II(Marder II:Sd.Kfz. 131)は、II号戦車から砲塔を撤去し、車体中央上に戦闘室を設けて、46口径7.5センチ対戦車砲(7,5-cm-PaK 40)を搭載した即製の対戦車自走砲である。
写真(右):1943年春,ソビエト連邦、ウクライナ東部、ハリコフ、II号戦車を改造し60口径5センチ対戦車砲5-cm PaK 38 を搭載したマーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132):5cm PaK 38は、ラインメタル社が1938年に開発した対戦車砲で、3,7センチ対戦車砲(3.7 cm PaK 36)の威力向上を企図した。1940年から1943年に9,500門が生産された。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-238-2009-02A
Archive title: Sowjetunion, Charkow.- Umbau eines Panzer II zum Panzerjäger Marder 2 (Sd.Kfz. 131); PK 695
Dating: 1943 Anfang
Photographer: Falk 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-238-2009-02A引用。
1936年7月、スペインで民主主義・共和派が選挙で勝利すると、ファシスト(国家主義・王党派)の側に立つスペイン軍が反乱を起こし、スペイン内戦が勃発した。ドイツは、ファシストの援助要請を受けて、直ぐに輸送機を貸与し、さらに援軍として、航空部隊と地上軍とを派遣した。このスペイン内戦では、当初、ドイツ軍の3.7センチ対戦車砲(3.7cm Pak36)が投入されたが、共和派政府を援助したソ連のT-26軽戦車、BT-5快速戦車の装甲は薄く、大きな戦果を挙げた。こうして、3.7センチ対戦車砲(3.7cm Pak36)は、ドイツ軍の主力対戦車砲として、第二次大戦初期の1939年9月のポーランド侵攻、1040年5月のフランス侵攻から、1941年6月のソ連侵攻まで主力対戦車砲として配備され続けた。
写真(右):1943年春,ソビエト連邦、ウクライナ東部、ハリコフ、II号戦車を改造し60口径5センチ対戦車砲5-cm PaK 38 を搭載したマーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132):5cm PaK 38は、ラインメタル社が1938年に開発した対戦車砲で、3,7センチ対戦車砲(3.7 cm PaK 36)の威力向上を企図した。1940年から1943年に9,500門が生産された。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-238-2009-04A
Archive title: Sowjetunion, Charkow.- Umbau eines Panzer II zum Panzerjäger Marder 2 (Sd.Kfz. 131); PK 695
Dating: 1943 Anfang
Photographer: Falk 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-238-2009-04A引用。
第二次大戦初期まで、ドイツ軍の主力対戦車砲3.7センチ対戦車砲(3.7cm Pak36)だったが、実は、1937年にはラインメタル社が5センチ対戦車砲を開発し、ドイツ軍も1938年にはこの5センチ対戦車砲(5cm PaK38)を制式と削いていた。しかし、ドイツ陸軍内の保守派は、3.7センチ対戦車砲(3.7cm Pak36)で十分であると考え、60口径5センチ対戦車砲(5-cm PaK 38)は生産も配備もほとんど進まなかった。しかし、1941年6月のソ連侵攻で、ソ連赤軍の新鋭戦車T-34やKW-1重戦車に対しては、3.7センチ対戦車砲(3.7cm Pak36)は無力で、装甲を貫通できないことから「聴診器」と悪評されるほどだった。
写真(右):1943年春,ソビエト連邦、ウクライナ東部、ハリコフ、II号戦車を改造し60口径5センチ対戦車砲5-cm PaK 38 を搭載したマーダー Marder II 対戦車自走砲:5cm PaK 38は、ラインメタル社が1938年に開発した対戦車砲で、3,7センチ対戦車砲(3.7 cm PaK 36)の威力向上を企図した。1940年から1943年に9,500門が生産された。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-238-2009-05A
Archive title: Sowjetunion, Charkow.- Umbau eines Panzer II zum Panzerjäger Marder 2 (Sd.Kfz. 131); PK 695
Dating: 1943 Anfang
Photographer: Falk 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-238-2009-05A引用。
1941年6月のソ連侵攻で、ソ連赤軍の新鋭戦車T-34やKW-1重戦車に対抗できる強力な戦車砲が望まれ、3.7センチ対戦車砲(3.7cm Pak36)に替わって、42口径5センチ対戦車砲(5-cm PaK 38) が注目された。III号戦車に搭載する火砲は、A型からG型は46口径3.7センチ戦車砲だったが、G後期型からJ型では42口径5センチ戦車砲(5 cm KwK 38 L/42 )に強化され、その後のJ後期型からM型では60口径5センチ戦車砲を搭載している。
弾丸と薬莢とからなるカートリッジ(Cartridge)が砲弾である。カートリッジ(Cartridge)は、日本では、実包(じっぽう)あるいは弾薬筒(だんやくとう)と呼ばれる。
弾丸は、古来、球形の鉛製であり、これと火薬を銃身に仕込んで、火薬を燃焼させて、発射していた。これが500年間も続いた銃(gun)である。19世紀になると、第一に、銃身の内側に螺旋状の溝、すなわちライフル(Rifling)が採用された。ライフルは、日本では施条(しじょう)あるいは腔綫(こうせん)と呼ばれる。発射された弾丸を、回転させて弾道を安定化させ、飛翔距離を長くすることができた。第二に、弾丸が球形から円錐形・紡錘形のミニエー弾(ミニ弾)がフランスで開発された。南北戦争のゲッチスバークの戦いで、ライフル銃とミニ弾が使用され、南軍に1万名の死傷者を出した。第三が、金属製薬莢によって、弾丸と薬莢が一体化されたことである、南北戦争後、弾丸と金属製薬莢を一体化したカートリッジの採用が一般化した。第四に、1880年代に黒色火薬から無煙火薬に転換したことである。ニトログリセリンを使った無煙火薬によって、弾丸の砲口初速は秒速300メートルから、600メートルに高速化した。無煙火薬で発射された弾丸は、煙が出ないので、弾道が視認できなかったので、マグネシウムを仕込んだ曳光弾を5発に1発混ぜて弾道を目視確認できるようになった。弾丸のサイズが大きくなれば、発射に必要な火薬も多く必要で、破壊力も大きくなる。
写真(右):1943年春,ソビエト連邦、ウクライナ東部、ハリコフ、II号戦車を改造し60口径5センチ対戦車砲5-cm PaK 38 を搭載したマーダー Marder II 対戦車自走砲:5cm PaK 38は、ラインメタル社が1938年に開発した対戦車砲で、3,7センチ対戦車砲(3.7 cm PaK 36)の威力向上を企図した。1940年から1943年に9,500門が生産された。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-238-2009-06A
Archive title: Sowjetunion, Charkow.- Umbau eines Panzer II zum Panzerjäger Marder 2 (Sd.Kfz. 131); PK 695
Dating: 1943 Anfang
Photographer: Falk 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-238-2009-06A引用。
60口径5センチ対戦車砲 5cm PaK38の諸元
・口径:50mm
・全長:4.75m、全幅:1.85m ・重量:830kg
・砲身長:3173mm (60口径)
・仰俯角:-8度から+27度、旋回角:左右65度
・発射速度:13発/分 ・砲口初速:823m/s(徹甲弾39)・1180m/s(タングステン弾40)・550m/s(榴弾)
・最大射程距離:1500m
60口径5センチ対戦車砲5-cm PaK 38) は、ラインメタル社が
年に開発した対戦車砲で、3,7センチ対戦車砲(3.7 cm PaK 36)の威力向上を企図した。1940年から1943年に9,500門が生産された。
マーダーII対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)に搭載された60口径5センチ対戦車砲5-cm PaK 38)は、砲身を左右にも、仰俯角にも操作でき、射界も広くとれるように工夫されている。防盾を後ろから見て左側にある覗き(のぞ)窓をとして射撃するようだが、砲が旋回した時に、防盾と戦闘室の間の隙間から、敵弾が侵入しないように、右側だけに補助装甲板が3枚取り付けられている。
写真(右):1943年春,ソビエト連邦、ウクライナ東部、ハリコフ、II号戦車を改造し5センチ対戦車砲5-cm PaK 38 を搭載したマーダー Marder II 対戦車自走砲:5cm PaK 38は、ラインメタル社が1938年に開発した対戦車砲で、3,7センチ対戦車砲(3.7 cm PaK 36)の威力向上を企図した。1940年から1943年に9,500門が生産された。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-238-2009-08A
Archive title: Sowjetunion, Charkow.- Umbau eines Panzer II zum Panzerjäger Marder 2 (Sd.Kfz. 131); PK 695
Dating: 1943 Anfang
Photographer: Falk 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-238-2009-08A引用。
◆ドイツ軍司令官は弱肉強食の自然の掟を奉じ,弱いものを支配し,領土を拡張するためには,粗暴でなくてはならない。生存闘争に勝利するには,力が必要である。戦開始の時期には,ドイツ陸軍はIII号戦車,IV戦車を主力として,ソ連軍戦車よりも優れていると考えていた。しかし,戦車の数量は劣っていることが判明していたので,生産コストの高い回転砲塔を持つ戦車ではなく,突撃砲,自走砲(砲戦車)を装備して,戦車を補助あるいは歩兵支援を充実させようとした。
1941年4月28日,第二軍団フォン・ヴァイヒ司令官の命令書では「襲撃が起きた危険地域では、プラカードを出し,住民に過酷な結果が生じることを公示せよ。」とされ,「セルビア人よ,卑劣で陰険な襲撃により,ドイツ兵士が死亡した。ドイツ人の忍耐は切れた。罰として,全住民の1000人が射殺された。今後,セルビア側からの襲撃によってドイツ兵士が死亡すれば,一人に付き100人のセルビア人が射殺されることになる。」このようなテロによる支配が公然と示されていた。
ドイツのソ連侵攻2ヶ月後の1941年9月1日,ドイツ・ユダヤ人がユダヤの星をつけることについての警察条令が発令。(ドイツ占領地では1940年からユダヤの星をつけさせていた)
ニュルンベルク法が,ユダヤ人を宗教による分別したとの俗説があるが,宗教や国籍ではなく,人種的特長,歴史を踏まえて,祖先がユダヤ人だったことを基準にしている。このような恣意的な区分は,ドイツの敵となりうる人間,潜在的な敵性住民,人種汚染を排除するため定められた。敵を排除し,ドイツ人の種族保全のために,ユダヤ人を排除したのである。
<ヒトラー卓上談話(ヒトラーのテーブル・トーク)> ナチ党官房長官マルチン・ボルマンは,ヒトラーが側近に語りかけた会話を,ナチ党員・下級将校・速記者のハインリヒ・ハイムに記録をとらせた。そして,これを元にボルマンの速記者たちは口述筆記し,タイプ原稿を作成した。ボルマンは原稿に訂正・解説を加えて『ボルマン覚書』として保管した。これがHitler's Table Talk である。
1941年12月25日:ヒトラー卓上談話:「(1939年1月30日の)帝国議会の演壇で私はユダヤ人に予言した。戦争が不可避であるからには,ユダヤ人はヨーロッパから消え去れなくてはならない。この罪の人種には,第一次大戦の死者200万人と現在の死者数十万人の責任がある。ロシアの湿地帯にユダヤ人の奴等を置き去りにはできないなどと言ってくれるな。わが部隊の心配を誰がするというのか。われわれがユダヤ人絶滅を計画しているという噂は,悪くない。恐怖はなかなかいいものだ。ユダヤ人国家を作る試みは失敗に終わるであろう。 -----ユダヤ人に関しては,まだ十分でないと思っている。現時点でいたずらに問題を増やしても意味はない。時節到来を待っている人間は,行動にいっそう磨きがかかるものだ。------こちらに力があればこそ,マルクス主義に最終決戦を仕掛けたのだから。」
写真(右):1943年春,ソビエト連邦、ウクライナ東部、ハリコフ、II号戦車を改造し5センチ対戦車砲5-cm PaK 38 を搭載したマーダー Marder II 対戦車自走砲:5cm PaK 38は、ラインメタル社が1938年に開発した対戦車砲で、3,7センチ対戦車砲(3.7 cm PaK 36)の威力向上を企図した。1940年から1943年に9,500門が生産された。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-238-2009-10A
Archive title: Sowjetunion, Charkow.- Umbau eines Panzer II zum Panzerjäger Marder 2 (Sd.Kfz. 131); PK 695
Dating: 1943 Anfang
Photographer: Falk 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-238-2009-10A引用。
1942年4月12日:ヒトラー卓上談話:「特にこの(対米戦と独ソ戦という)戦争では,負ければすべてを失うということを明記しなければならない。だからスローガンは唯一“勝利”である。」
1942年5月22日:ヒトラー卓上談話「(東部の)戦場では理想主義者が次々に死んでゆくのに,銃後で犯罪者どもを野放しにしておけば,わが国の人種政策は逆行してしまう。第一次大戦の教訓を忘れてはいけない。私の結論は次の通りだ。兵士は死ぬ可能性がある。犯罪者は確実に死ななければならない。これに選択の余地はない。この原則を受け入れない国家に,理想主義に燃える兵士を戦場で市の危険にさらす権利はない。-----銃後のドイツ国民が劣等人種に成り果てることがないように監視することこそ,私の義務であると心得ている。」
1942年8月30日:ヒトラー卓上談話:「ロシアでは共産主義が本性を現している。我々は1メートルごとに掃討作戦を展開し,即決裁判を行わざるを得なかった。テロリストとの戦いは,過酷な戦いである。エストニアとラトビアでは反抗は収まった。が,ゲリラの情報を担うユダヤ人を殲滅しない限り,我々の責務は完了しない。」ユダヤ人が反ドイツ謀略戦争を仕掛けているので,殲滅すべきだと考えていた。
写真(右):1943年春,ソビエト連邦、ウクライナ東部、ハリコフ、II号戦車を改造し5センチ対戦車砲5-cm PaK 38 を搭載したマーダー Marder II 対戦車自走砲:戦闘室の後部に設置された弾薬収納ケース。右端が後輪。次の写真Bild 101I-238-2009-13Aと同じ個所が映っている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-238-2009-12A
Archive title: Sowjetunion, Charkow.- Umbau eines Panzer II zum Panzerjäger Marder 2 (Sd.Kfz. 131); PK 695
Dating: 1943 Anfang
Photographer: Falk 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-238-2009-12A引用。
写真(右):1943年春,ソビエト連邦、ウクライナ東部、ハリコフ、II号戦車Pz.Kpfw.IIを改造し5センチ対戦車砲5-cm PaK 38 を搭載したマーダー Marder II 対戦車自走砲:奥は7.5センチ対戦車砲を搭載したマーダーII対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)だが、手前はII号戦車C型を改造した車輛で5センチ対戦車砲(5cm Pak38)を搭載している。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-238-2009-13A
Archive title: Sowjetunion, Charkow.- Umbau eines Panzer II zum Panzerjäger Marder 2 (Sd.Kfz. 131); PK 695
Dating: 1943 Anfang
Photographer: Falk 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-238-2009-13A引用。
◆ユダヤ人・パルチザン・ソ連軍捕虜の虐殺・虐待は,秘匿されてきたが,それは,殺戮を行っていることが知れ渡れば次のような支障が生じるからである。
1)敵は殺害されると知れば,抵抗をやめない。そこで,抵抗を弱めるために,姦計を弄して,処刑した。 2)残虐行為は,連合国の戦争遂行理由を正当化する。そこで,ユダヤ人,パルチザン,ソ連軍捕虜の虐殺は,連合国にも秘匿する必要があった。 3)後方・前線のドイツ人にとって,非人間的な虐殺・虐待は,士気を低下させる恐れがあった。そこで,ドイツ人にも虐殺・虐待を秘匿する必要があった。
写真(右):1943年春,ロシア中部、II号戦車Pz.Kpfw.IIに7.5センチ対戦車砲を搭載したマーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132):
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature:Bild 101I-197-1235-15
Archive title: Russland-Mitte.- Panzersoldaten auf 7,5cm Panzerjäger "Marder II" auf Panzer II (Bezeichnung "Kohlenklau") im Gelände; PK 693
Dating: 1943 Frühling
Photographer: Henisch, Walter 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-197-1235-15引用。
◆虐殺・虐待という忌むべき行為は,人々にとって,歓迎される情報ではない。人間とは,自分に都合のよい情報を知りたがり,信じたがるものである。バルバロッサ作戦,スターリングラード攻防戦の背後には,ユダヤ人,パルチザン,捕虜の組織的な虐殺の問題があった。たくさんのいのちが非人間的に失われたことを,激戦の一環として済ませるわけにはいけないであろう。
◆ナチスは,人種民族的偏見は,人種民族差別を正当化し,ドイツ民族はアーリア人の血を受け継ぐ優秀な民族であり,世界の覇権を握るべきである。他方,人種汚染して,ドイツを滅ぼそうとするユダヤ人,スラブ人は下等人種・劣等民族であり,排除しなければならないとした。
写真(右):1943年8-9月,ロシア中部、II号戦車Pz.Kpfw.IIに7.5センチ対戦車砲を搭載したマーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132):
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-686-0084-31
Archive title: Sowjetunion-Mitte.- Panzerjäger "Marder II" auf Pz.II. Turm mit Aufschrift "Friedel"; KBZ HG Mitte
Dating: 1943 August - September
Photographer: Wittke撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-238-2009-12A引用。
◆人種は,生物学的特長によるヒトの区分,民族は言語文化的な特長による人間の区分であって,人種は遺伝・DNAが支配する先天的要因,民族は出自・家庭・教育・国籍が支配する後天的要因による区分とされる。しかし,実際には,人種も民族も,区分は,実は明確ではない。生物学的にも,人類は連続的に変化し,DNAを踏まえれば,人「種」ではなく,亜種(Subspecies)を区分できるに過ぎない。
◆人種民族差別は,為政者の裁量を基準に行われており,似非科学な偏見,恣意的なご都合主義,プロパガンダに基づいている。為政者とは,人種・民族を自分の意図に都合よく定義,特定の人種民族を差別,迫害するものである。
写真(右):1944年4月,バルト諸国、ラトビア、リガ、SS武装親衛隊ヴォルデマールス・ヴァイス(Voldemars Veiss)中佐の葬儀。彼の棺を運搬しているのは、マーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)。:後方はリガ中心部にあるカテドラルで、ヴォルデマールス・ヴァイス中佐の棺は、ハーケンクロイツの付いた親衛隊の軍旗で覆われている。周囲にはドイツ式敬礼をしている兵士だけでなく、民間人・婦女子も集まっている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-702-0420-35
Archive title: Lettland, Riga.- Beisetzungsfeierlichkeiten für SS-Standartenführer Voldemars Veiss (auch Voldemars Weiss).- Überführung des Sargs mit Hakenkreuzflagge auf einem Panzerjäger Marder II (Sd. Kfz. 131) durch ein Spalier von Menschen (Zivilbevölkerung) vor dem Dom (Rīgas Doms); PK KBZ HGr. Nord
Dating: April 1944
Photographer: Foltinek 撮影 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-702-0420-35引用。
SS武装親衛隊ヴォルデマールス・ヴァイス(Voldemars Veiss)は、1899生まれ、ドイツ軍に協力してラトビアの内務省を主導し、ラトビア警察部隊を組織した。その後、3個大隊からなる「ラトビア軍団」(連隊規模)を編成し、親衛隊中佐として、ラトビア人連隊を指揮した。ラトビア人兵士として、1944年2月9日、初めてドイツ軍の騎士十字賞(Knight's Cross)を授与されている。1944年4月17日死亡。
写真(右):1943年9月12日,イタリア南部、アドリア海に面したバルレッタ、ドイツ軍の降下猟兵(空挺部隊)の兵士とマーダー II 対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132):
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-568-1537-02A
Archive title: Italien, Barletta.- Fallschirmjäger, im Hintergrund ein Panzerjäger Marder 2 (Sd.Kfz. 131); PK Fs AOK
Dating: 12. September 1943
Photographer: Benschel 撮影。 写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・Bild 101I-238-2009-12A引用。
3.チェコ製プラガ38(t)戦車にソ連製76.2ミリ砲を搭載したドイツ軍マーダーIII "Marder III"自走砲 (Sd.Kfz. 139)
写真(右)1941年10月,対ソ戦の東部戦線北部,チェコ38(t)戦車:38(t)のtはトンではなく、チェコを意味する。チェコスロバキアを併合したドイツがスコダ社で生産していたチェコスロバキア軍の戦車を,ドイツ軍も引き続き第一線で使用した。 Sowjetunion-Nord.- Panzer 38(t) und Infanterie in einen Birkenwäldchen; PK 694
Dating: Oktober 1941
Photographer: Gebauer撮影。 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
チェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))はチェコのシュコダ社の設計,生産になる戦車で,tはチェコを意味する。チェコ全土は,1939年3月14日、大戦勃発直前にドイツに占領され ベーメン・メーレン保護領( ボヘミア・モラヴィア保護領)となったため,シュコダ社の戦車・火砲などは,ドイツ軍のために生産が続行された。
写真(右):2008年、ドイツ連邦共和国、ニーダーザクセン州、ミュンスター戦車博物館に保管展示されているドイツ軍の38(t)戦車 (LT-38, PzKpfw 38(t)):このチェコČKD (Českomoravská Kolben-Daněk:プラガ) 38(t)戦車(LT-38)の砲塔を除去し、車体に開放式戦闘室を設けて、ソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)を搭載したのが、対戦車自走砲マーダーIII(Sd.Kfz.139)である。
解説
English: LT-38 (Panzer 38(t)), Technical museum in Togliatti, Russia
Русский: Чехословацкий Лëгкий танк обр. 38 (LT-38, PzKpfw 38(t)), технический музей, Тольятти, Россия
日付 2008年4月13日
原典 投稿者自身による作品
作者 ShinePhantom
写真はWikimedia Commons, Category: Panzerkampfwagen 38(t) in museums>File: Panzer-kampfwagen 38 (t) Bojo.JPG引用。
1941年6月30日,ドイツ軍がリボフを占領すると,反ソ・反ロシアだったウクライナ人ナショナリストは,ドイツ軍を歓迎。ソ連の秘密警察NKVD (内務人民委員会)とそれに協力したとされたユダヤ人を 特別任務部隊(アインザッツグルッペ:Einsatzgruppe)Cとともに,虐殺した。ポーランド人ナショナリスト,知識人,一部のウクライナ人も犠牲になった。4週間で,リボプのユダヤ人4000名が殺害された。(Holocaust Education & Archive Research Team 引用)
ドイツ軍によるポーランド侵攻とソ連侵攻の共通する暗部は,ユダヤ人を初めとする敵性住民を即決処刑したことである。独ソ戦では親衛隊アインザッツグルッペンEinsatzgruppen(特別行動部隊)が,後方の治安維持,ユダヤ人虐殺を担当した。独ソ
他方,独ソ戦の東部戦線で6月22日から6月30日の間に,ドイツ軍は8886人が死亡した。
1941年10月,対ソ戦の東部戦線北部,チェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))の38(t)のtはトンではなく、チェコを意味する。チェコスロバキアを併合したドイツがスコダ社で生産していたチェコスロバキア軍の戦車を,ドイツ軍も引き続き第一線で使用した。
チェコスロバキア軍は、1934年、シュコダ社、プラガ社、タトラ社に対して、新鋭戦車の開発を依頼した。そして、シュコダ社は、試作車を完成させ、それが1935年、LTvz.35として制式になった。しかし、1938年のミュンヘン会談で、同盟国のフランス、友好国のイギリスは、ドイツによるチェコスロバキアとドイツとの国境地帯ズテーテン・ラントを、ドイツに併合することを認めるてしまう。結局、1939年には、ズテーテン地方だけではなく、残りの全てのチェコ領はドイツに併合され、スロバキアはドイツ傀儡国家とされてしまう。LTvz.38の量産が開始されたのは、事実上、ドイツ併合後になってであり、ドイツ軍のために新鋭戦車プラガ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))が生産され、ドイツ軍に配備されることになった。
ドイツ軍では、シュコダ社LTvz.38戦車(Panzerkampfwagen 38 (t))を、はチェコ製であることを示す(t)の文字をつけ、38(t)戦車(Pz.Kpfw. 38(t))として制式とした。LTvz.38戦車(Panzerkampfwagen 38 (t))は、既にチェコ陸軍のために先行生産されていた35(t)戦車と共にドイツ軍の主要戦車の一つとなった。
写真(右):2008年、スロバキア共和国、スロバキア国民蜂起博物館(Slovak National Uprising Museum)に保管展示されているドイツ軍チェコ38(t)戦車 (LT-38, PzKpfw 38(t)):チェコČKD (Českomoravská Kolben-Daněk:プラガ) 38(t)戦車の車体に開放式戦闘室を設けて、ソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)を搭載した。
Description
English: Museum of Slovak National Uprising.
Date 12 October 2008
Source Own work
Author Vassia Atanassova - Spiritia
写真はWikimedia Commons,Category: Panzerkampfwagen 38(t) in the Slovak National Uprising Museum> Category: Panzerkampfwagen 38(t) at the Technical museum in Togliatti>File: Banska-Bystrica-ceskoslovensky-lahky-tank-vzor-38-3.jpg引用。
ドイツ軍の38(t)戦車(Panzerkampfwagen 38 (t))は、第二次大戦劈頭、1939年9月のポーランド侵攻に投入され、1940年5月のフランス侵攻では、エルヴィン・ロンメル将軍率いる第7装甲師団、第8装甲師団に配属されて、戦っている。ドイツ軍の主力戦車は、I号戦車・II号戦車だったが、攻撃力、防御力ともに38(t)戦車の方が優れていた。他方、新鋭のIII号戦車(Panzerkampfwagen III)は、数が少なかったために、装甲・火力の面で最も有効に戦場に投入されたのは、チェコのスコダ社製38(t)戦車だったのである。
写真(右):ロシア、モスクワ郊外、大祖国戦争博物館(Great Patriotic War)に保管展示されているドイツ軍の38(t)戦車F型 (LT-38, PzKpfw 38(t)):このチェコČKD (Českomoravská Kolben-Daněk:プラガ) 38(t)戦車(LT-38)の砲塔を除去し、車体に開放式戦闘室を設けて、ソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)を搭載したのが、対戦車自走砲マーダーIII(Sd.Kfz.139)である。
解説
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日付 2014年6月5日, 14:34:13
原典 投稿者自身による作品
作者 Mike1979 Russia
写真はWikimedia Commons, Panzerkampfwagen 38(t) in museums> Category: Tanks at the central museum of the Great Patriotic War>File: PzKpfw 38(t) Ausf F in the Great Patriotic War Museum 5-jun-2014 Front.jpg引用。
38t(Panzerkampfwagen 38 (t))はチェコのプラガ社(ČKD :Českomoravská Kolben-Daněk)の設計,生産になる戦車で,tはチェコを意味する。チェコは,大戦勃発前にドイツに占領されたため,シュコダ社の戦車・火砲などは,ドイツ軍のために生産が続行された。この中で最も利用されたのがチェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))である。
⇒写真集Album:ドイツ陸軍38(t)戦車:Pz Kpfw 38(t)を見る。
写真(右)1942年5月、ソビエト連邦、東部戦線、クリミアのドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲 (Sd. Kfz. 139) :ソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)をチェコ38(t)戦車の車体に開放式戦闘室を設け搭載した。 Inventory: B 145 Bild - Presse- und Informationsamt der Bundesregierung - Bildbestand
Signature: B 145 Bild-F016217-0015A
Original title: info Krim, Anfang Mai 1942
Aufmarsch zum Angriff auf die Halbinsel Kertsch
Archive title: Sowjetunion, Krim.- Panzerjäger Marder III (Sd. Kfz. 139)
Dating: Mai 1942
Photographer: o.Ang.
Origin: Bundesarchiv. 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブ (Deutsches Bundesarchiv) ・File: Bundesarchiv Bild 101I-022-2949-28, Russland, Jagdpanzer "Marder".jpg引用。
初期のドイツ陸軍 マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)を搭載し、車体もチェコ製造の38(t)戦車(Panzerkampfwagen 38 (t))だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。しかし、後期型のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40 )を搭載した。
写真(右)1942年8-9月,マーダー Marder III 38(t)対戦車自走砲Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139)
:ソ連軍から鹵獲した76.2ミリ野砲をチェコ開発のシュコダ38(t)戦車に搭載。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-217-0485-28
Archive title: Sowjetunion-Süd.- .- Soldaten auf Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139); PK 694
Dating: 1942 August - September
Photographer: Scheffler
撮影。 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
38(t)対戦車自走砲マーダーIII(Jagdpanzer Marder III)はチェコ陸軍制式のチェコプラガ38(t)戦車(Panzerkampfwagen 38 (t))の砲塔を取り除き,開放式戦闘室を設けて,そこにソ連軍から鹵獲した76.2ミリ野砲7.62cmPak36(r)を装備した対戦車自走砲である。全長 5.9メートル,全幅2.2メートル,全高 2.5メートル,重量10.7トン。占領国チェコ製の車体に,ソ連製の火砲をつけたハイブリッド型の戦闘車両だった。
写真(右)1942年夏,76.2ミリ砲装備のマーダー III 38(t)対戦車自走砲Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139): Sowjetunion-Süd (Don,Stalingrad).- Jagdpanzer Marder III ; PK 694
Dating: 1942 Sommer
Photographer: Seibold撮影。写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、対二次大戦直前、1939年3月のチェコ併合によってドイツ軍に配備されるようになった旧チェコ陸軍の制式戦車LT-38、すなわちドイツ軍チェコ38(t)戦車(Panzerkampfwagen 38 (t))の車体をベースにした対戦車戦闘可能な自走砲である。38(t)戦車は小型で、4.7センチ砲の搭載しかできなかったが、砲塔を撤去して大型の戦闘室を設け、そこに対ソ戦で大量に鹵獲したソ連軍の76.2mm野砲F-22を搭載したのが、 Sd Kfz 139 マルダーIIIである。
ソ連軍の76.2ミリF-22野砲は、3インチ砲弾だったが、ドイツ軍は自国の7.5センチ弾・薬莢も装填できるように、砲尾の薬室を回収し、それを7.62cm対戦車砲PaK 36(r)と命名した。(r)はロシア兵器の鹵獲であることを示す。ソ連軍の76.2mm弾とドイツ軍の7.5cm弾は口径がわずかに異なる上に、薬莢も異なったが、間に合わせ兵器として、砲の精度を度外視して、実用化し、実戦に大量投入された。
初期のドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)を搭載し、車体もチェコ製造の38(t)戦車だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。しかし、後期型のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40 )を搭載した。
写真(右):2016年ロシア連邦,サンクトペテルスブルク(旧レニングラード)、サンクトペテルブルク砲兵博物館が保管・展示しているソ連の51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936(76 mm divisional gun M1936 (F-22) ):
解説
Photographed at the Military-historical Museum of Artillery, Engineer and Signal Corps, Saint Petersburg.
日付 2016年8月12日, 10:34:40
原典 投稿者自身による作品
作者 Alf van Beem 撮影。 写真はWikimedia Commons,Category: 76 mm divisional gun M1936 (F-22) in the courtyard of the Military-historical Museum of Artillery, Engineer and Signal Corps>File:76 mm divisional gun M1936 (F-22) pic1.JPG引用。
76mm師団砲M1936(F-22)は、ソ連軍が開発した野戦砲で、試作砲は1935年に完成、1936年5月11日に制式とされた。1939年の対日戦ノモンハン事件で実戦投入され、その直後の対フィンランド冬戦争、1941年6月以降の大祖国戦争で活躍した。しかし、重量過大の傾向を修正、軽量化したF-22 USV野砲が開発されると生産はこの改良砲に転換された。対ソ戦に際して、ドイツ軍は大量に76mm師団砲M1936(F-22)を鹵獲し、それを7.62cm Pak 36(r)対戦車砲と称して制式し活用した。その際、76.2mm対戦車砲 Pak36(r)の砲身先端部にマズルブレーキを装着し、大型で背の高い防盾を小型の低シルエットの形状に変更している。
写真(右):2007年、ロシア連邦,サンクトペテルスブルク(旧レニングラード)、サンクトペテルブルク砲兵博物館が保管・展示しているソ連の51口径76.2ミリ師団砲M1936(76 mm divisional gun M1936 (F-22) ):
解説
76 mm F-22 gun displayed in Saint Petersburg Artillery Museum
日付 2007年3月3日, 13:28:45
原典 投稿者自身による作品
作者 Сайга20К撮影。 写真はWikimedia Commons,Category: 76 mm divisional gun M1936 (F-22) in the courtyard of the Military-historical Museum of Artillery, Engineer and Signal Corps>File:76 mm divisional gun M1936 (F-22) pic1.JPG引用。
76mm師団砲M1936(F-22)の諸元 口径
76.2 mm 全長
7.12 m 全幅
1.93 m 全高
1.71 m 砲身のみ
3,680 mm / 48.4口径(砲身のみ) 砲身(薬室含む)
3,895 mm / 51.2口径 重量
1,620 kg 操作人員数
6名 装薬:分離薬莢式 仰俯角
-5度から75度 旋回角
60度 発射速度
15発/分 最大射程
14,000 m
ドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した76.2ミリや砲を改造して搭載したが、車体もチェコ製造の38(t)戦車(Panzerkampfwagen 38 (t))だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。
ドイツ陸軍II号戦車の車体を活用したマーダーIIと38(t)戦車の車体を活用した初期のマーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲(7.62cmPak36(r))を搭載したが、後期のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 )を搭載している。
写真(右)1943年夏、ソビエト連邦、東部戦線、シタデル作戦時期のドイツ陸軍マーダーIII 対戦車自走砲Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139): Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-022-2944-23
Archive title: Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle", Marder III 7,62cm Pak auf GW 38(t); PK 637
Dating: 1943 Sommer
Photographer: Horster
Origin: Bundesarchiv. 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブ (Deutsches Bundesarchiv) ・File: Bundesarchiv B 145 Bild-F016217-0015A, Krim, Panzerjäger Marder III.jpg引用。
マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、チェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))の砲塔と上部構造を撤去して、戦闘室を設けて周囲を11mm厚保の装甲板で覆った。ただし、戦闘室の後方と上面は開放されており、防御力は弱い。また、装甲が薄いだけでなく、大きな戦闘室を車体上面に設けたために車高が高くなり、隠匿性が低くなり、敵の目標になりやすかった。しかし、車体前面装甲は、チェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))と同じく50mm厚で、当時の戦車としては強固だった。
写真(右):1942年、北アフリカ戦線でイギリス軍が撃破したドイツ陸軍Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139):ソ連軍から鹵獲した76.2ミリや砲を改造して搭載したが、車体もチェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。
ID number
P01396.009 Description
NORTH AFRICA. 1942. A DAMAGED GERMAN MARDER III SELF PROPELLED ANTI-TANK VEHICLE ARMED WITH THE 75MM L/48 ANTI TANK GUN. (DONOR: L. DAVIS)
写真はオーストラリア戦争博物館 Australian War Museum登録・引用・ AWM(P01396.009)
旧式化したチェコ・プラガ38(t)戦車の砲塔を取り除き,車体上部に戦闘室を設けて,ここにソ連軍から鹵獲した76.2ミリ野砲を装備したのがマーダー Marder III 38(t)対戦車自走砲。防盾を後ろから見て左側にある覗き(のぞ)窓をとして射撃するようだが、砲が旋回した時に、防盾と戦闘室の間の隙間から、敵弾が侵入しないように、右側だけに補助装甲板が3枚取り付けられている。
写真(右):1943年2月9日、北アフリカ戦線でイギリス軍が撃破したドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139) ):チェコ38(t)戦車の車体中部上面に開放式戦闘室を設け、ソ連製76.2ミリ師団砲(7.62 cm PaK 36 )を搭載した。
ID number
014326
Maker
Hurley, James Francis (Frank)
Date made
9 February 1943 Description
IMPROVISED MOUNTING OF A RUSSIAN M1936 76.2 MM ANTI TANK GUN ON A CZECH T.38 TANK HULL (THE WHOLE IS KNOWN AS AN SDKFZ 139 MARDER III). THIS POWERFUL GERMAN ANTI TANK GUN CARRIED ARMOUR PROTECTION FOR THE CREW ONLY IN FRONT; THE TOP AND BACK WERE OPEN. THESE WEAPONS WITH THE LONG BARRELS WERE, HOWEVER, DEADLY AGAINST TANKS.
写真はオーストラリア戦争博物館 Australian War Museum登録・引用・ AWM (014326 )
初期のドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)を搭載し、車体もチェコ製造のプラガ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。しかし、後期型のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40 )を搭載した。
写真(右):1943年2月9日、北アフリカ戦線でイギリス軍が撃破したドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139):ソ連軍から鹵獲した76.2ミリ師団砲(野砲)を改造して搭載したが、車体もチェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。 ID number
014324
Maker
Hurley, James Francis (Frank)
Date made
9 February 1943 Description
IMPROVISED MOUNTING OF A RUSSIAN M1936 76.2 MM ANTI TANK GUN ON A CZECH T.38 TANK HULL (THE WHOLE IS KNOWN AS AN SDKFZ 139 MARDER III). THIS GERMAN ANTI TANK GUN, WHICH FIRED A SHELL 9 LBS IN WEIGHT WITH A MUZZLE VELOCITY OF 5000 FEET A SECOND, WAS PUT OUT OF ACTION BY THE EIGHTH ARMY.
Description
IMPROVISED MOUNTING OF A RUSSIAN M1936 76.2 MM ANTI TANK GUN ON A CZECH T.38 TANK HULL (THE WHOLE IS KNOWN AS AN SDKFZ 139 MARDER III). THIS POWERFUL GERMAN ANTI TANK GUN CARRIED ARMOUR PROTECTION FOR THE CREW ONLY IN FRONT; THE TOP AND BACK WERE OPEN. THESE WEAPONS WITH THE LONG BARRELS WERE, HOWEVER, DEADLY AGAINST TANKS. 写真はオーストラリア戦争博物館 Australian War Museum登録・引用・ AWM(014324)
マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から大量に鹵獲した76.2ミリ野砲を改造して搭載したが、車体もチェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。歩兵の火力支援ではなく,対戦車戦闘を旨とした自走砲だが、ソ連軍とチェコ軍の兵器を組み合わせた応急の即製兵器だった。ただし、マーダーIIIは、対戦車能力はあるものの,戦闘室周囲の装甲は薄く,戦闘室は後面と上面が開放されているために,防御力はきわめて弱い。
写真(右):1943年2月9日、北アフリカ戦線でイギリス軍が撃破したドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139):ソ連軍から鹵獲した76.2ミリや砲を改造して搭載したが、車体もチェコ製造の38(t)戦車だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。マーダーII対戦車自走砲(Sd.Kfz. 139)はソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)を搭載したが、マーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 )を搭載した。 ID number
014325
Maker
Hurley, James Francis (Frank)
Date made
9 February 1943 Description
IMPROVISED MOUNTING OF A RUSSIAN M1936 76.2 MM ANTI TANK GUN ON A CZECH T.38 TANK HULL (THE WHOLE IS KNOWN AS AN SDKFZ 139 MARDER III). THE CREW OF THIS POWERFUL GERMAN ANTI TANK GUN WERE PROTECTED BY ARMOUR IN FRONT ONLY; THE TOP AND BACK WERE OPEN. THE GUN FIRED A SHELL APPROXIMATELY 9 LBS IN WEIGHT WITH A MUZZLE VELOCITY OF 5000 FEET A SECOND. ON THE RIGHT IS A CHEVROLET PANEL VAN OPERATED BY THE AUSTRALIAN PHOTOGRAPHIC UNIT. 写真はオーストラリア戦争博物館 Australian War Museum登録・引用・ AWM (014325)
ソ連侵攻でT-34など強力なソ連軍戦車に直面したドイツ軍は,対戦車能力の低い戦車しかなかったために,急遽,対戦車自走砲を生産したのである。その後, II号戦車の車体を改造したマーダー II(Marder II)も生産された。新型戦車が登場するまでの繋ぎのはずだったが,対戦車自走砲は,敗戦まで使用された。
1941年6月22日、ドイツ軍は、ソビエト侵攻「バルバロッサ作戦」を発動し、ソ連を席巻した。しかし、ドイツ軍が直面したソ連軍の重戦車KV-1、KV-2、そしてT-34中戦車は、76.2ミリ戦車砲を搭載しており、ドイツ戦車より攻撃力が高く、さらに装甲も厚く、防御力にも優れていた。予想外のソビエト新鋭戦車に直面し、ドイツ軍の新鋭5センチPak38型対戦車砲でも、近距離でなければT34の前面装甲を貫通できなかったのである。
写真(右)1944年頃、イギリス軍が鹵獲したドイツ陸軍マーダー III対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139):チェコ38(t)戦車の車体中央に開放式戦闘室を設け、ソ連製76.2ミリ師団砲(7.62 cm PaK 36 )を装備した応急型の対戦車自走砲。 Department Photographs Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period Second World War
Label
German Marder III tank destroyer. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 7227)
そこで、前線部隊の対戦車戦闘能力を向上するために、ドイツ軍は緊急対策として量産されていたチェコ製38(t)戦車から砲塔を撤去し、車体上部にソ連軍から捕獲した長砲身76.2mm師団砲を搭載し、即製の対戦車自走砲を開発した。これが、38(t)戦車をベースとしたマーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III)である。
写真(右)1943
年頃、ドイツ陸軍マーダーIII 対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139):記録用写真。チェコ38(t)戦車の車体中央に開放式戦闘室を設け、ソ連製76.2ミリ師団砲(7.62 cm PaK 36 )を搭載。 Catalogue number: STT 4605,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Label: German Marder III tank destroyer. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 4605)
チェコ38(t)戦車の車体に、対戦車戦が可能なソ連軍から鹵獲した76.2mm野砲 Pak36、後にはドイツ軍の7.5cm対戦車砲Pak40を搭載した対戦車自走砲が開発された。これがマーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )である。対戦車砲を車体中央に搭載したマーダーIII対戦車砲H型(Sd. Kfz. 138)に続き、エンジンを前方に移動して後方に7.5cm砲Pak40砲を搭載したマーダーIII対戦車砲M型(Sd. Kfz. 138)が生産された。
写真(右)イギリス軍が鹵獲したドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139)の記録写真:エンジンが後部にあったために、戦闘室が車体中央になり、操縦室の空間を確保するために、ソ連製76.2ミリ師団砲(7.62 cm PaK 36 )を搭載した開放式戦闘室は車体中央の上部に置かれた。そのため車高が高くなり、バランスが悪くなる(不安定化)とともに、敵から発見されやすくなった。マーダーIII後期のM型ではエンジンを車体前部に移して、戦闘室を車体後方に設けて、車高を低くし、前後のバランスをとって機動性を増した。 Catalogue number: STT 4606
Department Photographs Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period Second World War
Object description
Marder III 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 7227)
写真(右)1944年頃、ドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139)の記録写真:エンジンが後部にあったために、戦闘室が車体中央になり、操縦室の空間を確保するために、戦闘室は車体中央の上部に置かれた。そのため車高が高くなり、バランスが悪くなる(不安定化)とともに、敵から発見されやすくなった。マーダーIII後期のM型ではエンジンを車体前部に移して、戦闘室を車体後方に設けて、車高を低くし、前後のバランスをとって機動性を増した。 Catalogue number: STT 4606
Department Photographs Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period Second World War
Object description
Marder III 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 4603)
マーダー III 対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139)は、1942年2月に試作車が完成し、Panzerjäger 38(t) für 7.62cm PaK36(r) (7.62cm 36式(r)野砲搭載38(t)対戦車自走砲)と命名された。1942年4月から11月の間に38(t)G型用の車台を流用し生産が始まり、その後、エンジンをEPA-2(140馬力)に変換した車体が生産に移行した。
ドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲H型(Panzerjäger Marder III Ausf. H, Sd.Kfz. 138 )までは、チェコ38(t)戦車G/H型の車台中央に対戦車戦が可能な7.5cm砲Pak40を搭載。マーダーII対戦車自走砲(Sd.Kfz. 139)はソ連軍から鹵獲した76.2ミリ砲を改造して搭載したが、マーダー III 対戦車自走砲H型(Panzerjäger Marder III Ausf. H, Sd.Kfz. 138 )とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 )を搭載した。マーダーIII H型はM型とは異なり、エンジン位置を原型の戦車から変更していない。
38(t)対戦車自走砲マーダーIII(Jagdpanzer Marder III)はチェコ製のチェコ・プラガ38(t)戦車の砲塔を取り除き,開放式戦闘室を設けて,そこにソ連軍から鹵獲した76.2ミリ野砲7.62cmPak36(r)を装備した対戦車自走砲である。全長 5.9メートル,全幅2.2メートル,全高 2.5メートル,重量10.7トン。占領国チェコ製の車体に,ソ連製の火砲をつけたハイブリッド型の戦闘車両だった。
写真(右):2009年、フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139)::チェコ38(t)戦車の車体に開放式戦闘室を設け、ソ連製76.2ミリ師団砲(7.62 cm PaK 36 )を搭載した。
解説
English: Marder III tank destroyer. On display at Saumur Général Estienne museum.
原画像データの生成日時
2009年7月18日 (土) 17:19
原典 投稿者自身による作品
作者 Rama 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: SdKfz 139 Panzerjäger 38(t) für 7,62cm PaK 36(r) Marder III in the Musée des Blindés>File: Marder III mg 7810.jpg引用。
写真(右):2009年、フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ軍のドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139):: プラガ社(ČKD :Českomoravská Kolben-Daněk)製38(t)戦車の砲塔を除いて、開放式戦闘室を設け、ソ連製46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40)を搭載した。
解説
Photographed in the Musée des Blindés, France.
原画像データの生成日時
2009年7月18日 (土) 17:19
原典 投稿者自身による作品
作者 Alf van Beem
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: SdKfz 139 Panzerjäger 38(t) für 7,62cm PaK 36(r) Marder III in the Musée des Blindés>File: SdKfz 139 Panzerjäger 38(t) für 7,62cm PaK 36(r) Marder III in the Musée des Blindés, France, pic-1.JPG引用。
II号戦車の車体を活用したマーダー II 対戦車自走砲(Panzerjäger Marder II Sd.Kfz. 131)と38(t)戦車の車体を活用した初期のマーダーIII対戦車自走砲(Sd.Kfz. 139)は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲(7.62cmPak36(r))を搭載した。しかし、その後、やっとドイツ軍独自の新鋭46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40)の量産体制が整ったために、後期のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 )を搭載している。
写真(右):2009年、フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ陸軍対戦車自走砲マーダーMarder III (Sd. Kfz. 139)::マーダーMarder III (Sd. Kfz. 139)はソ連軍から鹵獲した76.2ミリ砲を改造して搭載したが、車体もチェコ製造の38(t)戦車だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。
解説
Français : Vue arrière d'un Marder III au Musée des Blindés 解説
English: Marder III tank destroyer. On display at Saumur Génééral Estienne museum.
原画像データの生成日時
2009年7月18日 (土) 17:19
原典 投稿者自身による作品
作者 Rama
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: SdKfz 139 Panzerjäger 38(t) für 7,62cm PaK 36(r) Marder III in the Musée des Blindés>File: SdKfz 139 Marder III Saumur.jpg引用。
第二次世界大戦の前半、対ソビエト連邦東部戦線に登場したドイツ陸軍マーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 139)は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲(7.62cmPak36(r))を、チェコ38(t)戦車G/H型の車台中央に搭載した。しかし、その後、ドイツ軍独自の新鋭46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40)の量産体制が整ったために、後期のマーダー III 対戦車自走砲H型(Panzerjäger Marder III Ausf. H Sd.Kfz. 138)とマーダー III 対戦車自走砲M型(Panzerjäger Marder III Ausf. M Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5cm砲Pak40)を搭載している。また、マーダーIII H型はエンジン位置を原型の戦車から変更していないが、マーダーIII対戦車自走砲M型は、エンジンを車体前方に移して、火砲を車体後ろ寄りに搭載し、前後のバランスを良くして、戦闘室も拡大している。これによって、操縦性、安定性、操作性が向上した。
写真(右):2008年、フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館に保管展示されているドイツ陸軍対戦車自走砲マーダーMarder III (Sd. Kfz. 139):初期のマーダーIII対戦車自走砲(Sd.Kfz. 139)は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲(7.62cmPak36(r))を、チェコ38(t)戦車G/H型の車台中央に搭載した。しかし、後期のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5cm砲Pak40)を搭載している。
解説
Français : Vue arrière d'un Marder III au Musée des Blindés de Saumur.
日付 2008年8月23日, 16:23:45
原典 投稿者自身による作品
作者 Duch.seb
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: SdKfz 139 Panzerjäger 38(t) für 7,62cm PaK 36(r) Marder III in the Musée des Blindés>File: SdKfz 139 Marder III Saumur.jpg引用。
ドイツ陸軍の初期のマーダーIII対戦車自走砲は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲(7.62cmPak36(r))を、チェコ38(t)戦車G/H型の車台中央に搭載した。しかし、その後、ドイツ軍独自の新鋭46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40)の量産体制が整ったために、後期のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5cm砲Pak40)を搭載している。
写真(右):2000年、アメリカ、メリーランド州アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館(United States Army Ordnance Museum)に保管展示されているドイツ軍のドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139)::チェコ製の車体にソ連製76.2ミリ野砲(師団砲)を搭載した即製の対戦車自走砲。戦闘室の装甲は薄いので、防御力は弱い。
Panzerjäger 38(t) für 7.62cm PaK36(r) (Sd.Kfz.139), a.k.a. Marder III, Marder VII and Marder VIII. On display in the US Army Ordnance Museum at Aberdeen. The picture taken in year 2000.
日付 2000年
原典 投稿者自身による作品
作者 User:Fat yankey
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category:Sonderkraftfahrzeug 139>File:Marder-III-Aberdeen.0004sryz.1.jpg引用。
4. プラガ社(ČKD :Českomoravská Kolben-Daněk)製38(t)戦車ベースの7.5cm PaK40対戦車自走砲(Panzerjäger)マーダーIIIH型(Marder III Ausf.H)
写真(右)1943年2-3月,76.2ミリ砲装備のマーダー Marder III 38(t)対戦車自走砲 H型:武装親衛隊「アドルフ・ヒトラー」師団の対戦車自走砲で,チェコ・プラガ38(t)戦車の車体に,7.5センチ砲を搭載。 Sowjetunion, Kampf um Charkow.- Männer des Panzer-Regiments 1 der Waffen-SS-Division "LSSAH" (Leibstandarte-SS Adolf Hitler) beim Angriff auf Charkow, Panzerjäger "Jagdpanzer Marder III" und Infanterie in Wintertarnanzügen in verschneitem Gelände; SS-PK
Dating: 1943 Februar - März
Photographer: Roth, Franz撮影。。
旧式化したチェコ・プラガ38(t)戦車の砲塔を取り除き,車体上部に戦闘室を設けて,ここにソ連軍から鹵獲した76.2ミリ野砲を装備したのがマルダーIII地戦車自走砲。歩兵の火力支援ではなく,応急の対戦車自走砲を製造した。対戦車能力はあるが,装甲が薄く,戦闘室は開放されているために,防御力はきわめて弱い。
II号戦車(Panzerkampfwagen II)改造のII号7.5センチ対戦車自走砲マルダーII(Panzerjäger Marder II Sd.Kfz. 131)とマーダーIII対戦車自走砲:初期型(Sd.Kfz. 139)は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲を搭載したが、後期型のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 )を搭載した。
マーダーII対戦車自走砲(Panzerjäger Marder II Sd.Kfz. 131)は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ野砲を搭載したが、マーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダー III 対戦車自走砲M型(Panzerjäger Marder III Ausf. M Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 )を搭載した。 ソ連侵攻でT-34など強力なソ連軍戦車に直面したドイツ軍は,対戦車能力の低い戦車しかなかったために,急遽,対戦車自走砲を生産したのである。その後, II号戦車の車体を改造したマーダー II(Marder II)も生産された。新型戦車が登場するまでの繋ぎのはずだったが,対戦車自走砲は,敗戦まで使用された。
写真(右):フィンランド,ヘルシンキ北東300キロ、ミッケリ、ミッケリ歩兵博物館が保管・展示しているドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 ):マーダーII対戦車自走砲(Sd.Kfz. 139)は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ野砲を搭載したが、、マーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40 )を搭載した。1944年までフィンランドは枢軸側に立ってソ連と戦っていたのでその時期にドイツ軍から貸与された46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm Pak 40)と思われる。ハミナ軍事博物館(RUK-museo)の住所はKadettikoulunkatu 8, Hamina
Description
English: 75 mm PaK 40 anti-tank gun outside RUK-museum in Hamina.Date 12 August 2015
Source Own work
Author MKFI 撮影。 写真はWikimedia Commons,Category: PaK 40 guns in museums>File: 75 PaK 40 Mikkeli 1.JPG引用。
初期のドイツ陸軍マーダーIII対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した76.2ミリ砲を改造して搭載し、車体もチェコ製造の38(t)戦車だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。しかし、後期型のマーダー III 対戦車自走砲H型(Panzerjäger Marder III Ausf. H Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40 )を搭載した。
46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm Pak 40)は、前世代の60口径5戦に対戦車砲(5cm PaK 38)を強化したもので、1939年にラインメタル社が開発したが、独ソ戦開始まで、強力な対戦車砲の必要性を痛感していなかったために、開発は遅れた。しかし、1941年の夏、独ソ戦で、ソ連赤軍のT-34中戦車、KV-1重戦車、KV-2重戦車と対峙すると、当時の主力だった3.7センチ対戦車砲(3.7cm PaK 36)は役に立たず、新鋭の60口径5センチ対戦車砲(5cm PaK 38)を急遽整備したが、それも威力不足だった。そこで、46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm Pak 40)の開発が本格化し、1941年11月に試作砲が完成した。対戦車戦闘の必要性が緊急課題だったために、十分な試験期間をとらずに1942年早々には量産体制に移っている。
写真(右):フィンランド,ヘルシンキ北東300キロ、ミッケリ、ミッケリ歩兵博物館が保管・展示している46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 ):II号戦車の車体を利用したマーダーII、プラガ38(t)戦車の車体を利用したマーダーIII対戦車自走砲H型(SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III)が搭載した戦車砲の原型となった。 Description
English: 75 mm PaK 40 anti-tank gun at the yard of Mikkeli Infantry museum.
Date 14 July 2011
Source Own work
Author MKFI 撮影。 写真はWikimedia Commons,Category: PaK 40 guns in museums>File: 75 PaK 40 Mikkeli 3.JPG引用。
46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm Pak 40)は、前世代の60口径5戦に対戦車砲(5cm PaK 38)を強化したもので、1939年にラインメタル社が開発したが、独ソ戦開始まで、強力な対戦車砲の必要性を痛感していなかったために、開発は遅れた。しかし、1941年の夏、独ソ戦で、ソ連赤軍のT-34中戦車、KV-1重戦車、KV-2重戦車と対峙すると、当時の主力だった3.7センチ対戦車砲(3.7cm PaK 36)は役に立たず、新鋭の60口径5センチ対戦車砲(5cm PaK 38)を急遽整備したが、それも威力不足だった。そこで、46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm Pak 40)の開発が本格化し、1941年11月に試作砲が完成した。対戦車戦闘の必要性が緊急課題だったために、十分な試験期間をとらずに1942年早々には量産体制に移っている。
弾丸と薬莢とからなるカートリッジ(Cartridge)が砲弾である。カートリッジ(Cartridge)は、日本では、実包(じっぽう)あるいは弾薬筒(だんやくとう)と呼ばれる。
弾丸は、古来、球形の鉛製であり、これと火薬を銃身に仕込んで、火薬を燃焼させて、発射していた。これが500年間も続いた銃(gun)である。19世紀になると、第一に、銃身の内側に螺旋状の溝、すなわちライフル(Rifling)が採用された。ライフルは、日本では施条(しじょう)あるいは腔綫(こうせん)と呼ばれる。発射された弾丸を、回転させて弾道を安定化させ、飛翔距離を長くすることができた。第二に、弾丸が球形から円錐形・紡錘形のミニエー弾(ミニ弾)がフランスで開発された。南北戦争のゲッチスバークの戦いで、ライフル銃とミニ弾が使用され、南軍に1万名の死傷者を出した。第三が、金属製薬莢によって、弾丸と薬莢が一体化されたことである、南北戦争後、弾丸と金属製薬莢を一体化したカートリッジの採用が一般化した。第四に、1880年代に黒色火薬から無煙火薬に転換したことである。ニトログリセリンを使った無煙火薬によって、弾丸の砲口初速は秒速300メートルから、600メートルに高速化した。無煙火薬で発射された弾丸は、煙が出ないので、弾道が視認できなかったので、マグネシウムを仕込んだ曳光弾を5発に1発混ぜて弾道を目視確認できるようになった。弾丸のサイズが大きくなれば、発射に必要な火薬も多く必要で、破壊力も大きくなる。
写真(右)1943
年頃、東部戦線で偽装を施したドイツ陸軍マーダーIII対戦車自走砲H型(Marder III Ausf. H :Sd. Kfz. 138)(Panzerjäger 38 für Marder III H 7.5cm PaK40/3 Ausf.H ): Catalogue number: STT 3785,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Label: German Marder III tank destroyer. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 3785)
初期のドイツ陸軍マーダーIII対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した7.62センチ(Pak36)野砲を改造して搭載し、車体もチェコ製造の38(t)戦車だった。しかし、後期型のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダー III 対戦車自走砲M型(Panzerjäger Marder III Ausf. M Sd.Kfz. 138)は、チェコ38(t)戦車G/H型の車台を流用して7.5cm砲Pak40を搭載した。マーダー III 対戦車自走砲H型(Panzerjäger Marder III Ausf. H Sd.Kfz. 138)はM型とは異なり、車体中央にトップヘビーに対戦車砲を搭載しており、アンバランスな感がある。ソ連軍から鹵獲した7.62センチ(Pak36)野砲を搭載したのはマーダーII自走砲およびマーダーIII自走砲である。
写真(右):ドイツ連邦共和国、バーデン=ヴュルテンベルク州、ジンスハイム市のジンスハイム自動車・技術博物館に保管・展示されているドイツ陸軍マーダーIII対戦車自走砲H型(Marder III Ausf. H :Sd. Kfz. 138)( Sd.Kfz.138 Panzerjäger 38 für Marder III H 7.5cm PaK40/3 Ausf.H ): プラガ社(ČKD :Českomoravská Kolben-Daněk)製38(t)戦車の砲塔を除いて、開放式戦闘室を設け、7.5センチ対戦車砲を搭載した。
解説
Czech built Sk Kfz 138 Panzer Jager 38(t) Ausf M "Marder III" S.P. Anti-Tank Gun built by BMM (ex-CKD/Praga) for the German Army with Skoda 7.5 cm PaK 40/3 gun at the Auto & Technik Museum, Sinsheim, 6/11.
日付 2011年6月3日, 11:53
原典 Pz Jag 38(t) Ausf M "Marder III" Uploaded by Oxyman
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Category: Marder III Ausführung H・"File: Pz Jag 38(t) Ausf H "Marder III" (6089965580).jpg"引用(他引用不許可)。
初期にII号戦車(PzKpfw II:Panzerkampfwagen II(Sd.Kfz.121))のシャーシを流用して生産されたマーダーII対戦車自走砲(Sd.Kfz. 139)は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ野砲を搭載したが、後期に生産されたマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 )を搭載した。
写真(右):ドイツ連邦共和国、バーデン=ヴュルテンベルク州、ジンスハイム市のジンスハイム自動車・技術博物館に保管・展示されている7.5cm PaK 40搭載のドイツ陸軍マーダーIII対戦車自走砲H型(Marder III Ausf. H :Sd. Kfz. 138)
: 解説
Czech built Sk Kfz 138 Panzer Jager 38(t) Ausf M "Marder III" S.P. Anti-Tank Gun built by BMM (ex-CKD/Praga) for the German Army with Skoda 7.5 cm PaK 40/3 gun at the Auto & Technik Museum, Sinsheim, 6/11.
2009年10月23日, 13:43:47
原典 Pz Jag 38(t) Ausf M "Marder III" Uploaded by Oxyman
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Category: Marder III Ausführung H・"File: Jagdpanzer Marder III at Sinsheim pic1.JPG"引用(他引用不許可)。
7.5cm PaK 40の諸元
口径 75mm 砲身長 3,450mm 重量 1,425kg 仰俯角 - 5度 + 22度 最大射程 7,680m、有効射程 1,800 m 発射速度 12-15発/分 運用人員 5名 弾薬重量 3.2kg
砲口初速 徹甲弾 792m/s、榴弾 550m/s 製造期間 1942-1945年 2万基生産 マーダーIII H型(Marder III Ausf. H :Sd. Kfz. 138)およびM型(Marder III Ausf. M :Sd. Kfz. 138)の対戦車自走砲に搭載。
写真(右):ドイツ連邦共和国、バーデン=ヴュルテンベルク州、ジンスハイム市のジンスハイム自動車・技術博物館に保管・展示されているドイツ陸軍マーダーIII対戦車自走砲H型(Marder III Ausf. H :Sd. Kfz. 138)
: 解説
Czech built Sk Kfz 138 Panzer Jager 38(t) Ausf M "Marder III" S.P. Anti-Tank Gun built by BMM (ex-CKD/Praga) for the German Army with Skoda 7.5 cm PaK 40/3 gun at the Auto & Technik Museum, Sinsheim, 6/11.
日付 2011年6月3日, 11:53
原典 Pz Jag 38(t) Ausf M "Marder III" Uploaded by Oxyman
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) Category: Marder III Ausführung H・"File: Pz Jag 38(t) Ausf H "Marder III" (6089965580).jpg"引用(他引用不許可)。
◆1942年7月14日,総統大本営「狼の巣」で,ヒトラーからユダヤ人問題の最終解決を命令された親衛隊国家長官ヒムラーは,運輸省に,停滞気味を鉄道運行を正常化し,ユダヤ人を迅速に輸送することを求めた。7月17日、ヒムラー長官は,アウシュビッツ収容所を視察し,オランダ・ユダヤ人のガス殺に立ち会った。この時期は,独ソ戦でドン川西岸にあった南方軍集団が,ロストフから,カフカスに南下し,スターリングラードに東進していた時期だった。。
東方ソ連で[ブラウ」作戦が発動した時期に,ユダヤ人絶滅政策が本格的に始動した。これは,ロシアのボリシェビキ殲滅戦と対比しながら,考えることができる。
バルバロッサ作戦の時期でも,ドイツのソ連侵攻2週間前,1941年6月6日,ドイツ軍は,ソ連赤軍の政治委員コミサール射殺命令(「政治役員の追跡と粛清に関する指針」)を出している。これは,残虐なボリシェビキ,野蛮なアジア人に対する殲滅戦の開始だった。ソ連共産党員の軍隊派遣政治将校のコミサールは,パルチザンあるいはその扇動者として,処刑されるべきこととされた。
ソ連の占領行政にユダヤ人が協力したとされ,独ソ戦後,ポーランド住民によるユダヤ人虐殺事件も起こった。ヨーロッパの中で,アンチセミニズムが強かったポーランド,ウクライナでは,ナチス親衛隊によるユダヤ人迫害に同調する動きも,現地のポーランド人,ウクライナ人の間に起こった。
ユダヤ人迫害の理由は,ユダヤ人が,ソ連共産党ボリシェビキの下で,政治的,経済的に優位にあった,現地のポーランド人,ウクライナ人を抑圧したという偏見だった。
しかし,ナチスドイツは,アーリア人の人種汚染,後方撹乱,共産主義革命,パルチザン活動に関与する下等劣等人種は全て排除するつもりだった。
世界戦争となれば,世界のユダヤ人を相手に,ドイツ人のヨーロッパ支配,東方ソ連への生存圏を求める戦争を戦うべきである、こうヒトラーは考えた。 そして、東方ソ連を,ドイツの生存圏となるべき植民地と考え,その住民は農奴扱いしたためである。ドイツ軍のソ連侵攻後,東方ソ連でもユダヤ人迫害が開始された。
◆一度隔離した敵ユダヤ人,パルチザン,ソ連軍捕虜は,労働可能であっても,解放することは考えられない。強制収容所に拘束したユダヤ人,ソ連軍捕虜は,奴隷労働者として使い捨てにするか,殺戮することになった。
5.シュコダ38(t)戦車に7.5cm PaK40砲搭載の対戦車自走砲(Panzerjäger)マーダーIII M型(Marder III Ausf.H)
写真(右):1944年3月,ベルギー、ブリュージュ=アントワープ間のエークロ、ドイツ陸軍対戦車自走砲マーダーMarder III Ausf. M (Sd. Kfz. 138)の隊列が広場を進軍する。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-297-1729-23
Archive title: Belgien, Eeklo.- Kolonne von Panzerjäger "Marder III" (Ausführung M) mit Besatzung vom Marktplatz (?) fahrend; PK 694
Dating: März 1944
Photographer: Kurth 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-278-0885-05"引用(他引用不許可)。
初期のドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した76.2ミリ砲を改造して搭載し、車体もチェコ製造の38(t)戦車だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。しかし、後期型のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40)を搭載した。
Sd Kfz 138 マルダーIII Ausf. Mは、シュコダ38(t)戦車を母体とした対戦車自走砲の最終版で、7.5cm40式3型対戦車砲を搭載している。この38(t)対戦車自走砲マルダーIII M型は、戦車よりも防御力は遥かに劣るが、生産が容易であり、多用された。
写真(右):1944年1-2月,東部戦線のドイツ陸軍対戦車自走砲マーダーMarder III Ausf. M (Sd. Kfz. 138):
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-278-0885-05
Archive title: Sowjetunion.- Marder III Ausf. M (Sd. Kfz. 138) in Fahrt auf Straße; PK 697
Dating: 1944 Januar - Februar
Photographer: Wehmeyer
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-278-0885-05"引用(他引用不許可)。
ドイツ陸軍対戦車自走砲マーダーMarder III H型までは、エンジンが後部にあったために、戦闘室が車体中央になり、操縦室の空間を確保するために、戦闘室は車体中央の上部に置かれた。そのため車高が高くなり、バランスが悪くなる(不安定化)とともに、敵から発見されやすくなった。マーダーIII後期のM型ではエンジンを車体前部に移して、戦闘室を車体後方に設けて、車高を低くし、前後のバランスをとって機動性を増した。
写真(右):1944年4-5月,イタリア戦線のドイツ陸軍対戦車自走砲マーダーMarder III Ausf. M (Sd. Kfz. 138):Sd Kfz 138 マルダーIII Ausf. Mは、チェコのシュコダ38(t)戦車を母体とした7.5cm40式3型対戦車砲を搭載した対戦車自走砲。しかし、対空戦闘能力はなく、戦車のよう防御用の装甲板もなかったので、敵に発見されないように偽装に注意を払う必要があった。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-313-1050-28
Archive title: Italien.- Getarnter Marder III Ausf. M (Sd. Kfz. 138) auf einer Landstraße an einem Hang; PK 1944
Dating: 1944 April - Mai
Photographer: Micheljack Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-313-1050-28"引用(他引用不許可)。
写真(右):1944年4-5月,イタリア戦線のドイツ陸軍対戦車自走砲マーダーMarder III Ausf. M (Sd. Kfz. 138):Sd Kfz 138 マルダーIII Ausf. Mは、チェコのシュコダ38(t)戦車を母体とした7.5cm40式3型対戦車砲を搭載した対戦車自走砲。しかし、対空戦闘能力はなく、戦車のよう防御用の装甲板もなかったので、敵に発見されないように偽装に注意を払う必要があった。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-313-1050-29
Archive title: Italien.- Getarnter Marder III Ausf. M (Sd. Kfz. 138) auf einer Landstraße an einem Hang; PK 1944
Dating: 1944 April - Mai
Photographer: Micheljack Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-313-1050-28"引用(他引用不許可)。
写真(右)1943年12月30日、イタリア戦線、イギリス第2軍第1槍騎兵連隊の兵士が鹵獲したドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd. Kfz. 138)M型の7.5センチ砲を装填、射撃している。:
Catalogue number
NA 10438
DepartmentPhotographs Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
Subject period Second World War
Alternative namesobject name: Official photograph
object category: Photography
Creator No. 2 Army Film & Photographic Unit
Hewitt (Sgt)
Object description
Men of the 1st Royal Fusiliers operate a captured German Marder 75mm self-propelled gun, 30 December 1943.
Associated events
Italian Campaign 1943-1945, Second World War 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (NA 10438)
マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd. Kfz. 138)M型は、エンジンが後部にあったH型を改めて、エンジンを前部に搭載し、戦闘室を車体中央後ろ寄りに拡大し、操縦室の空間を確保するとともに、戦闘室内での火砲操作性を向上させた。マーダーIIはH型までは、エンジンが後部にあったため、戦闘室の車高が高くなり、バランスが悪くなる(不安定化)とともに、敵から発見されやいという欠点があった。しかし、マーダーIII後期のM型ではエンジンを車体前部に移して、戦闘室を車体後方に設けて、車高を低くし、前後のバランスをとって機動性を増すことができた。
写真(右)1943年12月30日、イタリア戦線、イギリス第2軍第1槍騎兵連隊の兵士が鹵獲したドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd. Kfz. 138)M型の7.5センチ砲を装填、射撃している。:エンジンが後部にあったために、戦闘室が車体中央になり、操縦室の空間を確保するために、戦闘室は車体中央の上部に置かれた。そのため車高が高くなり、バランスが悪くなる(不安定化)とともに、敵から発見されやすくなった。マーダーIII後期のM型ではエンジンを車体前部に移して、戦闘室を車体後方に設けて、車高を低くし、前後のバランスをとって機動性を増した。 Catalogue number
NA 10439
Department Photographs Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
Subject period Second World War
Alternative namesobject name: Official photograph
object category: Photography
Creator No. 2 Army Film & Photographic Unit
Hewitt (Sgt)
Object description
Men of the 1st Royal Fusiliers operate a captured German Marder 75mm self-propelled gun, 30 December 1943.
Associated events
Italian Campaign 1943-1945, Second World War
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (NA 10439)
Sd Kfz 138 マルダーIII Ausf. Mは、シュコダ38(t)戦車を母体とした対戦車自走砲の最終版で、7.5cm40式3型対戦車砲を搭載している。この38(t)対戦車自走砲マルダーIII M型は、戦車よりも防御力は遥かに劣るが、生産が容易であり、多用された。
写真(右)1944
年頃、ドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd. Kfz. 138)M型:真横から見た記録用写真。
Catalogue number: STT 7224,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Label: German Marder III tank destroyer. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 7224)
チェコ38(t)戦車の車体に対戦車戦が可能な7.5cm砲Pak40を搭載した。ソ連軍から鹵獲した7.62cm Pak36野砲を搭載した自走砲、ドイツ軍の7.5cm砲Pak40を搭載したH型に続き、エンジンを前方に移動して後方に7.5cm砲Pak40砲搭載したのがマーダーMarder III 最終型のM型である。
写真(右)1944
年頃、ドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd. Kfz. 138)M型:Marder III Ausf. M記録用写真。 Catalogue number: STT 7227,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Label: German Marder III tank destroyer. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 7224)
ドイツ陸軍の初期のマーダーIII対戦車自走砲(Sd.Kfz. 139)は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲(7.62cmPak36(r))を、チェコ38(t)戦車G/H型の車台中央に搭載した。しかし、その後、ドイツ軍独自の新鋭46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40)の量産体制が整ったために、後期のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5cm砲Pak40)を搭載している。また、マーダーIII H型はエンジン位置を原型の戦車から変更していないが、マーダーIII M型は、エンジンを車体前方に移して、火砲を車体後ろ寄りに搭載し、前後のバランスを良くして、戦闘室も拡大している。これによって、操縦性、安定性、操作性が向上した。
写真(右)1944
年頃、ドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd. Kfz. 138)M型:Marder III Ausf. M記録用写真。 Catalogue number: STT 7227,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Label: German Marder III tank destroyer. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 7227)
ドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd. Kfz. 138)M型は、チェコ38(t)戦車の車体の後方に対戦車戦が可能な7.5cm砲Pak40を搭載するためエンジンを前に移動している。1943年5月に生産を開始し、マーダー最終型として駆逐戦車ヘッツァーと交代するまで942輌生産された。
写真(右):アメリカ、メリーランド州アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館(United States Army Ordnance Museum)に保管展示されているドイツ軍の対戦車自走砲マーダーIII M型: SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III ;46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40/3 L/46)を搭載し、攻撃力は高いが、戦闘室周囲の装甲板は10ミリの厚さしかなく、防御力は低い。マーダーは「テン(貂)」でドイツ軍は自走砲に肉食獣や巨大な獣に因んだ愛称を付けた。 解説
Picture taken by myself, Mark Pellegrini, at the United States Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground, MD) on June 12, 2007.
原画像データの生成日時
2007年6月12日 (火) 12:45
Attribution ShareAlike 2.5 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: SdKfz 138 Panzerjäger Marder III Ausführung M at the United States Army Ordnance Museum>File: Marten III M 1.jpg引用。
写真(右):アメリカ、メリーランド州アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館(United States Army Ordnance Museum)に保管展示されているドイツ軍の対戦車自走砲マーダーIII M型: SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III ; 解説
Picture taken by myself, Mark Pellegrini, at the United States Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground, MD) on June 12, 2007.
原画像データの生成日時
2007年6月12日 (火) 12:45
Attribution ShareAlike 2.5
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: SdKfz 138 Panzerjäger Marder III Ausführung M at the United States Army Ordnance Museum>File: Marten III M 2.jpg引用。
ドイツ軍の対戦車自走砲マーダーIII M型(SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III) は46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40/3 L/46)は、38(t)戦車の車体をベースに、バランスを良くするために車体後部にあったエンジンを車体前部に移し、車体後部に戦闘室を設けた。7.5センチ戦車砲は車体中央より若干後方に搭載されたため、重心が車体中央となり、安定性、操縦性がそれまでのH型よりも向上した。
ドイツ軍の対戦車自走砲マーダーIII H型(SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.H Marder III)は、23口径76.2ミリ砲搭載で、この火砲はソ連軍から大量に鹵獲した兵器だった。また、38(t)戦車の車体をほぼそのまま流用したため、火砲を車体中央より若干前方に搭載したため、バランスがノーズヘビー気味になり、戦闘室の位置も上方となり、車高が高かった。そこで、対戦車自走砲に不可欠な機動性と隠密性が損なわれてしまった。
つまり、マーダーIII M型はH型の改良型で、攻撃力と機動力に優れていた。しかしながら、戦闘室の周囲の装甲は10ミリと薄く、ともに防御力は低いままだった。マーダーは「テン(貂)」でドイツ軍は自走砲に肉食獣や巨大な獣に因んだ愛称を付けた。
写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館(Musée des Blindés)に保管展示されているドイツ軍の対戦車自走砲マーダーIII M型: SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III ;46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40/3 L/46)を搭載し、攻撃力は高いが、戦闘室周囲の装甲板は10ミリの厚さしかなく、防御力は低い。マーダーは「テン(貂)」でドイツ軍は自走砲に肉食獣や巨大な獣に因んだ愛称を付けた。 解説
Photographed in the Musée des Blindés, France.
日付 2013年9月11日, 12:46:45
原典 投稿者自身による作品
作者 Alf van Beem 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III in the Musée des Blindés>File: Marder III Ausf M in the Musée des Blindés, France, pic-1.JPG引用。
写真(右):フランスのメーヌ=エ=ロワール県、ソミュール戦車博物館(Musée des Blindés)に保管展示されているドイツ軍の対戦車自走砲マーダーIII M型: SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III ;46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40/3 L/46)を搭載し、攻撃力は高いが、戦闘室周囲の装甲板は10ミリの厚さしかなく、防御力は低い。マーダーは「テン(貂)」でドイツ軍は自走砲に肉食獣や巨大な獣に因んだ愛称を付けた。 解説
日本語: マルダーIII(M)戦闘室
日付 2012年2月18日
原典 投稿者自身による作品
作者 衛兵隊衛士
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III in the Musée des Blindés>File: Sd Kfz 138 マルダーIII Ausf. M 戦闘室.JPG引用。
写真(右)2014年、ロシア、モスクワ、大祖国戦争博物館に保管・展示されているドイツ陸軍対戦車自走砲(Panzerjäger )マーダー Marder III 対戦車自走砲M型( Sd.Kfz.138 Panzerjäger 38 für 7.5cm PaK40/3 Ausf.H Marder III H ):The 75mm 38M Marder Self-Propelled Anti-Tank Gun. Germany. The gun was produced on the works of the VMM Firm in Prague from April 1943 to May 1944. It was created on the Czechoslovakian 38t Light Tank Base. Cannon had a frontal engine. The total output was 975 Guns. The 38M Marder Gun was used at the Soviet-German front. This cannon was reconstructed at the 38 Armoured Forces Institute of the Russian Federation Ministry of Defence in February 2002.
Performance Weight: 11 Tonne
Crew: 4 People
Armament: 75 mm PaK 40 gun
Ammunition: 38 rounds
Engine: Carburettor 125 PS
Max Road Speed 45 km/h Date 5 June 2014, 14:34:28
Source Own work
Author Mike1979 Russia. 写真はWikimedia Commons Category:Marder III at the Moscow Museum of the Great Patriotic War・"File:Marder III at Victory Park, Moscow.jpg"引用。
写真(右):ロシア連邦、ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍のMarder III, Sd.Kfz. 138 :48口径7.5センチ戦車砲を装備 解説
English: Marder III, Sd.Kfz. 138
日付 2004年6月
原典 投稿者自身による作品
作者 Tacintop
写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: Jagdpanzer 38(t) Hetzer in the Kubinka Tank Museum>File:Marder III at Victory Park, Moscow.jpg引用。
Marder III(Sd.Kfz.138)は、チェコ38(t)戦車の砲塔を除去し、発動機をと車体後方から前方に移動し、車体後方に開放式戦闘室を設け、7.5センチ対戦車砲を搭載した。38(t)戦車の車台に、火砲を搭載することで、旧式化していたチェコ38(t)戦車を有効活用したのである。1941年6月のソ連侵攻当初、大量に鹵獲したソ連軍76.2mm師団砲(7.62 cm PaK 36(r))搭載したマーダーIII対戦車自走砲が始まりだった。この応急型の対戦車自走砲は有効だったために、ドイツの7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40)搭載型が製造された。車体中央に火砲を搭載した初期H型とは異なり、後期のM型は、エンジンの位置が胴体前方に移され、重心バランスが良くなり、車高も低くなり、隠密性が増した。
6.駆逐戦車 ヘッツァー "Hetzer":Sd.Kfz.138/2 Jagdpanzer 38(t)
チェコのBMM社は、小型のスコダ38(t)の生産ラインを活用して、攻撃力を増した駆逐戦車を生産することになった。既に生産されていたIII号突撃砲の重量25トン以上だったが、新たな駆逐戦車ヘッツァー(Jagdpanzer 38(t) "Hetzer":SdKfz 138/2)は38(t)戦車を基にしているためにその半分の重量だった。
写真写真(右)1944年,バルカン半島ハンガリー、ドイツ軍の駆逐戦車ヘッツァー Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer' (Panzerjäger 38(t) SdKfz 138/2(勢子):機械化されたのは一部の部隊であり、戦争後期のドイツ軍にも馬匹による輸送は重要な役割を担っていた。馬は弾薬箱を運搬しているようだ。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-715-0212A-06A
Archive title: Balkan, Ungarn.- Jagdpanzer 38(t) "Hetzer" (Panzerjäger 38(t), Sd.Kfz.138/2) in einer Ortschaft neben beladenen Pferden / Mulis; KBZ HGr Südukraine
Dating: 1944
Photographer: Kreutzer, Wilhelm撮影。
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-715-0212A-06A"引用(他引用不許可)。
駆逐戦車ヘッツァー(Jagdpanzer 38(t) "Hetzer":SdKfz 138/2)は、1943年12月に設計完了、1944年1月24日にはモックアップ完成と、設計から生産までの期間は短縮されたのは、資源節約型の対戦車車両として有望だったためで、一年後の国民戦闘機(フォルクス・イェーガー)HE-162ジェット戦闘機と類似したコンセプトである。
駆逐戦車ヘッツァー(Jagdpanzer 38(t) "Hetzer":SdKfz 138/2)は、大型の7.5センチ戦車砲を車体に搭載するために、車体前面にバルジを設けて、砲架を収容した。車体上面のラインは、エンジンを搭載した機関室まで同一の車高で、一体化されている。戦闘室の前面および側面は、傾斜装甲として、避弾径始を活用している。
写真(右):ロシア連邦、ロシア、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管・展示されているドイツ軍の駆逐戦車ヘッツァー Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer' SdKfz 138/2:48口径7.5センチ戦車砲を装備。駆逐戦車ヘッツァー(Jagdpanzer 38(t) "Hetzer":SdKfz 138/2)は3000輌程度の量産だったが、III号突撃砲は戦争前から終戦まで1万輌とドイツ戦車(突撃砲・駆逐戦車を含む)の中では最多生産を誇る。 解説
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日付 2014年4月12日, 16:18:02
原典 投稿者自身による作品
作者 Mike1979 Russia 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ・Category: Jagdpanzer 38(t) Hetzer in the Kubinka Tank Museum>File: Hetzer in the Kubinka Museum 01.jpg引用。
チェコスロバキアは、1938年にドイツと隣接したズテーテンラントをドイツに割譲するように強要され、第二次大戦直前、1939年3月15日に、チェコ全土がドイツに併合された。チョコスロバキアの残りのスロバキアは、傀儡国家として独立した。第二次大戦でドイツが敗北すると、再びチェコスロバキアは独立した。そして、ドイツ併合時代の戦車生産設備を活用して、駆逐戦車ヘッツァー(Jagdpanzer 38(t) "Hetzer":SdKfz 138/2)の改良型のG-13を製造した。
⇒駆逐戦車ヘッツァー Jagdpanzer 38(t) "Hetzer": チェコ製戦車を流用した軽駆逐戦車
7.III号突撃砲 Sturmgeschütze III
写真(右):1942年6-7月,ソ連に侵攻するドイツ軍のIII号突撃砲StuG III : Sowjetunion, deutsches Sturmgeschütz auf dem Marsch über staubige Straßen; PK 689
Dating: 1941 Juni - Juli.写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
歩兵に火力支援する突撃砲は,III号戦車の車台上に,短砲身24口径7.5センチStuK37L/24大口径榴弾砲を搭載。火力は戦車よりも大きかった。1940年のフランス侵攻作戦にも,III号突撃砲は参加している。
突撃砲,自走砲は,既存の戦車の回転式砲塔を取り除いて,そこに余裕のある固定式戦闘室を儲け,大型の火砲を装備した戦闘車両である。突撃砲は,密閉された装甲戦闘室を備え,前線から突撃するときに使用された。自走砲は,開放式の戦闘室で,榴弾砲など装備し遠距離射撃を第一とするが,対戦車戦闘にも投入された
搭載している短砲身24口径7.5センチ砲 StuK 37 L/24 は,歩兵への火力支援用だが,戦闘室は密閉されてい,全高が低いために,防御力も高かった。そこで,前線に歩兵などとともに突撃する火砲として,突撃砲と呼ばれた。したがって,歩兵支援を前提としたものだったが,対戦車戦闘能力もあった。
写真(右)1944年6月4日、フィンランド・ソ連国境、フィンランド軍が購入したドイツ軍のIII号戦車G型(Ps 513):第二次世界大戦直前に部隊配備されたT-34 戦車の搭載した76.2ミリ戦車砲と同等の7.5センチ砲を搭載したIII号戦車。 Uusien syöksytykkien esittely Suomen Marsalkka Mannerheimille ja Tasavallan Presidentille. Syöksytykkien ohimarssi katselmuksessa..
Organisation
Military Museum
Photo info:
1944-06-04
Sot.virk. Hedenström, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-118112引用。
ドイツ国防軍のIII号突撃砲(Sturmgeschütz III:StuG III)は、歩兵への火力支援車両として大型の24口径7.5センチ戦車砲(7,5 cm KwK 37 L/24)を搭載する突撃砲として、III号戦車の車台を流用して開発された。その後III号戦車が威力不足で前線で使用できなくなる、その車体の大型戦闘室を活かして43口径7.5センチ戦車砲を搭載して、対戦車用の突撃砲としても使用されるようになった。
III号突撃砲は、終戦までドイツ軍の主力突撃砲となり、火力支援だけでなく、対戦車戦闘にも活躍した応急の陸戦兵器だったが、実用性も量産性も高かったために、III号突撃砲(Sturmgeschütz III:StuG III)は終戦までに1万両が生産され、第二次世界大戦中のドイツ軍の装甲戦闘車輛のうちで最多の生産台数を誇っている。
⇒III号突撃砲戦車 Sturmgeschütze III: III号戦車流用の装甲自走砲
8.IV号対戦車自走砲 Panzerjäger ナースホルン "Nashorn" Sd.Kfz.164
写真(右):アメリカ、メリーランド州、アバディーン、アメリカ陸軍兵器博物館に保管展示されているドイツ軍のIV号対戦車自走砲 Panzerjäger ナースホルン "Nashorn" Sd.Kfz.164:戦闘室に搭載されているのは71口径8.8cm戦車砲。
全長
8.44 m、
車体長
7.26 m、全幅
2.95 m、
全高
2.65 m、
重量
24 t。 解説 Picture taken by myself, Mark Pellegrini, at the United States Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground, MD) on June 12, 2007.
原画像データの生成日時
2007年6月12日 (火) 12:44
原典 投稿者自身による作品
写真はWikimedia Commons・Category: Nashorn at the United States Army Ordnance Museum・"File: German Nashorn 1.jpg引用。
⇒IV号対戦車自走砲 Panzerjäger ナースホルン "Nashorn" Sd.Kfz.164: IV号戦車流用の対戦車自走砲
⇒IV号駆逐戦車 Jagdpanzer IV 48 : VI号戦車を流用した駆逐戦車
⇒ヤークトパンタ−Jagdpanther (SdKfz 173): VI号パンター戦車流用のhttp://torikai.starfree.jp/1940/jagdpanther.html
◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。 そこでは、ポーランド侵攻、ゲットー設置、ホロコースト、レジスタンス弾圧、東方生存圏、ソ連侵攻バルバロッサ作戦も解説しました。
⇒ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
⇒ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism ⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics ⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck ⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発 ⇒ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto ⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏 ⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1) ⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
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自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
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⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
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