写真(右):2008年,イギリス、ボービントン戦車博物館の保管・展示しているドイツ軍のI号戦車B型 Panzerkampfwagen I Ausf. B (Sd.Kfz. 101):7.92ミリ機関銃2丁を搭載した砲塔だったため、第二次大戦では火力不足だった。そこで、砲塔を撤去して47ミリ対戦車砲を搭載した自走砲がI号戦車の車体をベースに製造された。
English: Panzerkampfwagen I Ausführung B in the United States Army Ordnance Museum.
Date 8 March 2008 (original upload date)
Source Own work by the original uploader
Author Raymond Douglas Veydt
. 写真はWikimedia Commons, Category:Panzerkampfwagen I Ausführung B in the United States Army Ordnance Museum File:Us ord museum 012.JPG引用。
写真(右):1943年4月14日,オーストラリア、ビクトリア州メルボルンで展示されたドイツ軍から鹵獲したI号対戦車自走砲 Panzerjäger I。砲塔を撤去して大きな戦闘室を設け、そこにチェコ製の43口径47mm対戦車砲(KPUVvz36 4.7)を搭載した。:この鹵獲戦車は、オーストラリアの戦費調達を目的に、自由公債(Liberty Loan)を消化をするのに利用された。自由公債売り出しセール(Liberty Loan Rally)のために、士気高揚や客寄せに一役買っているのである。写真を掲載したヘラルド紙(The Herald)はメルボルンで1840年から1990年まで発行されていた。
ID number
138588
Maker
Herald Newspaper
Place made
Australia: Victoria, Melbourne
Date made
14 April 1943 Description
A German Panzerjager 1 fur 47 PAK (t) self-propelled anti-tank gun. It was equipped with a 4.7 cm Czech made anti tank gun. The gun has been reconditioned by the Australian Army Ordnance corps, and is on display in Collins Street during a Liberty Loan Rally.
写真はAustralian War Memorial ・ID 137053引用。
I号戦車の砲塔を撤去して大きな戦闘室を設け、そこにチェコ陸軍の採用した43口径47ミリ対戦車砲(KPUVvz36 4.7)を搭載した。この対戦車砲は、チェコ陸軍のM-36対戦車砲、チェコを併合しチェコ全土は,1939年3月14日、大戦勃発直前にドイツに占領され ベーメン・メーレン保護領( Protektorat Böhmen und Mähren)としたドイツ軍がシュコダ社に生産させ、ドイツ仕様4.7 cm PAK 36 (t)と称して配備したもの。
写真(右)1941年夏,ウクライナ西部,ドイツ軍I号砲戦車:旧式化したI号戦車の旋回砲塔を除いて,チェコのスコダ43口径47ミリ対戦車砲(KPUVvz36 4.7)を搭載した砲戦車。回転砲塔ではないので,火砲の射界は狭い。Kurze Pause einer Mot-Einheit
West-Ukraine 1941
Archive title: Sowjetunion, Westukraine.- Leicht getarnter Panzerjäger 1 (Selbstfahrlafette auf Fahrgestell des "Panzer I" mit 4,7-cm-Pak; Turmnummer 221) im hohen Gras
Dating: 1941 Sommer.写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild_169-0110引用
(他引用不許可)。
写真(右)1941年4-5月,I号戦車にIG-33歩兵砲を搭載したI号15センチ自走砲:Sturmpanzer I Bison (Sd.Kfz.101); 15cm sIG33(Sf) auf Panzerkampfwagen I Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-163-0328-15
Archive title: Griechenland.- Schweres Infanterie-Geschütz 33 auf Fahrgestell Panzer I Ausführung B der 5. Panzerdivision; PK 690
Dating: 1941 April - Mai
Photographer: Jesse
Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-163-0328-15引用(他引用不許可)。
1941年6月30日,ドイツ軍がリボフを占領すると,反ソ・反ロシアだったウクライナ人ナショナリストは,ドイツ軍を歓迎。ソ連の秘密警察NKVD (内務人民委員会)とそれに協力したとされたユダヤ人を 特別任務部隊(アインザッツグルッペ:Einsatzgruppe)Cとともに,虐殺した。ポーランド人ナショナリスト,知識人,一部のウクライナ人も犠牲になった。4週間で,リボプのユダヤ人4000名が殺害された。(Holocaust Education & Archive Research Team 引用)
写真(右)1941年10月,雪の降り始めた東部戦線を進撃するチェコ35(t)戦車Pz Kpfw 35(t) :先に制式されたシュコダLT-35戦車は、走行装置にトラブルがあったために、ČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk:プラガ)社製のLT-38戦車が新たに制式された。しかし、37mm戦車砲というドイツの開発した戦車と同等以上の火力を持っていたため、ともに量産されている。 Sowjetunion.- Panzerkolonne, deutsche Soldaten auf Panzern 35t in Fahrt im Schnee; PK 697
Dating: Oktober 1941
Photographer: Böhmer撮影。 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1941年6-7月,ソ連,指導者ヨセフ・スターリンのポスターがあるゲートを潜るドイツ軍チェコ38(t)戦車Pz Kpfw 38(t)
:38(t)のtはトンではなく、チェコを意味する。Joseph Stalin( 1878年12月18日-1953年3月5日)は,独ソ戦の開始直後から,ソ連人民のドイツ軍への利敵行為を危惧していた。そこで,ウクライナ人,チェチェン人,タタール人をシベリア,中央アジアへ強制移住させた。彼らの分離独立,反共産主義が、侵略者のはずのドイツ軍を,同盟軍としてしまうことを心配したのである。このような圧制には,内務人民委員(NKVD)が活躍した。 Sowjetunion.- Panzer 38 (t) vor dem Eingang eines mit Porträts sowjetischer Politiker (links Josef Stalin) geschmückten Lagers; PK 697
Dating: 1941 Juni - Juli
Photographer: Bieling 撮影。写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
WW2 Panzer 38(t) - LT vz. 38 - Panzerkampfwagen 38(t) The Panzerkampfwagen 38(t), was a Czechoslovak-designed light tank used mainly by Germany during World War II.
In Czechoslovak service, it had the formal designation Lehký tank vzor 38 or LT vz. 38 / LT-38.
A total of 1,400 were built by Czechoslovakia, and saw service during the early years of World War II until 1942 when the production stopped because it's main armament was deemed inadequate, the chassis of the Pz. 38(t) continued to be produced for the Marder III, and newly designed chassis was used for the Jagdpanzer 38, which used some of the Pz. 38 components.
写真(右)1941年頃,ドイツ軍チェコ38(t)戦車Pz Kpfw 38(t)114号車:砲塔番号は、赤字に白縁で記入されている。チェコスロバキア陸軍の制式した戦車をドイツ軍も引き続き生産し部隊に配備した。当時としては、強力な47口径3.7センチ砲を搭載し、装甲も最大5センチと防御力も強固だった。のちに、火力も防御力も劣勢になり、第一線で活躍できなった。しかし、その砲塔を撤去し車体を改造して、ソ連製76.2ミリ野砲あるいは7.5センチ戦車砲を搭載し対戦車自走砲マーダー(貂)に発展した。 Second World War
whole: Nitrate
Catalogue number STT 10 Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
写真は,Imperial War Museum登録・Catalogue number STT 10引用。
チェコスロバキア軍は、1934年、シュコダ社、ČKD (Českomoravská Kolben-Daněk)社、タトラ社に対して、新鋭戦車の開発を依頼した。そして、プラガ(Praga)社は、試作車を完成させ、それが1938年、LTvz.38として制式になった。しかし、1938年のミュンヘン会談で、同盟国のフランス、友好国のイギリスは、ドイツによるチェコスロバキアとドイツとの国境地帯ズテーテン・ラントを、ドイツに併合することを認めるてしまう。結局、1939年には、ズテーテン地方だけではなく、残りの全てのチェコ領はドイツに併合され、スロバキアはドイツ傀儡国家とされてしまう。LTvz.38の量産が開始されたのは、事実上、ドイツ併合後になってであり、ドイツ軍のために新鋭戦車チェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))が生産され、ドイツ軍に配備されることになった。
Firing up a WWII German PANZER 38t Light Tank The Australian Armour & Artillery Museum Follow the progress of our workshop restorations every Wednesday! A must watch for students of history, engineering, mechanics and metalworking!
3.対戦車自走砲 マーダーIIIー38(t)戦車の改造型
初期のドイツ陸軍 マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)を搭載し、車体もチェコ製造の38(t)戦車(Panzerkampfwagen 38 (t))だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。しかし、後期型のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40 )を搭載した。
初期のドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)を搭載し、車体もチェコ製造の38(t)戦車だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。しかし、後期型のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40 )を搭載した。
76mm師団砲M1936(F-22)は、ソ連軍が開発した野戦砲で、試作砲は1935年に完成、1936年5月11日に制式とされた。1939年の対日戦ノモンハン事件で実戦投入され、その直後の対フィンランド冬戦争、1941年6月以降の大祖国戦争で活躍した。しかし、重量過大の傾向を修正、軽量化したF-22 USV野砲が開発されると生産はこの改良砲に転換された。対ソ戦に際して、ドイツ軍は大量に76mm師団砲M1936(F-22)を鹵獲し、それを7.62cm Pak 36(r)対戦車砲と称して制式し活用した。その際、76.2mm対戦車砲 Pak36(r)の砲身先端部にマズルブレーキを装着し、大型で背の高い防盾を小型の低シルエットの形状に変更している。
76mm師団砲M1936(F-22)の諸元 口径
76.2 mm 全長
7.12 m 全幅
1.93 m 全高
1.71 m 砲身のみ
3,680 mm / 48.4口径(砲身のみ) 砲身(薬室含む)
3,895 mm / 51.2口径 重量
1,620 kg 操作人員数
6名 装薬:分離薬莢式 仰俯角
-5度から75度 旋回角
60度 発射速度
15発/分 最大射程
14,000 m
II号戦車の車体を活用したマーダーIIと38(t)戦車の車体を活用した初期のマーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲(7.62cmPak36(r))を搭載したが、後期のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 )を搭載している。
写真(右)1943年夏、ソビエト連邦、東部戦線、シタデル作戦時期のドイツ陸軍マーダーIII 対戦車自走砲Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139): Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-022-2944-23
Archive title: Sowjetunion.- "Unternehmen Zitadelle", Marder III 7,62cm Pak auf GW 38(t); PK 637
Dating: 1943 Sommer
Photographer: Horster
Origin: Bundesarchiv. 写真はウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) ドイツ連邦アーカイブ (Deutsches Bundesarchiv) ・File: Bundesarchiv B 145 Bild-F016217-0015A, Krim, Panzerjäger Marder III.jpg引用。
マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、チェコČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk:プラガ)社製のドイツ陸軍38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))の砲塔と上部構造を撤去して、戦闘室を設けて周囲を11mm厚保の装甲板で覆った。ただし、戦闘室の後方と上面は開放されており、防御力は弱い。また、装甲が薄いだけでなく、大きな戦闘室を車体上面に設けたために車高が高くなり、隠匿性が低くなり、敵の目標になりやすかった。しかし、車体前面装甲は、チェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))と同じく50mm厚で、当時の戦車としては強固だった。
旧式化したチェコ・チェコ38(t)戦車の砲塔を取り除き,車体上部に戦闘室を設けて,ここにソ連軍から鹵獲した76.2ミリ野砲を装備したのがマーダー Marder III 38(t)対戦車自走砲。防盾を後ろから見て左側にある覗き(のぞ)窓をとして射撃するようだが、砲が旋回した時に、防盾と戦闘室の間の隙間から、敵弾が侵入しないように、右側だけに補助装甲板が3枚取り付けられている。
写真(右):1943年2月9日、北アフリカ戦線でイギリス軍が撃破したドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲:(Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139) )チェコČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk:プラガ)社製のドイツ陸軍38(t)戦車:Pz Kpfw 38(t)の砲塔を除いて、軽装甲の開放式戦闘室を設け、ソ連製76.2ミリ師団砲を搭載した急増対戦車自走砲。
ID number
014326
Maker
Hurley, James Francis (Frank)
Date made
9 February 1943 Description
IMPROVISED MOUNTING OF A RUSSIAN M1936 76.2 MM ANTI TANK GUN ON A CZECH T.38 TANK HULL (THE WHOLE IS KNOWN AS AN SDKFZ 139 MARDER III). THIS POWERFUL GERMAN ANTI TANK GUN CARRIED ARMOUR PROTECTION FOR THE CREW ONLY IN FRONT; THE TOP AND BACK WERE OPEN. THESE WEAPONS WITH THE LONG BARRELS WERE, HOWEVER, DEADLY AGAINST TANKS.
写真はオーストラリア戦争博物館 Australian War Museum登録・引用・ AWM (014326 )
初期のドイツ陸軍マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した51口径76.2ミリ師団砲(野砲)M1936を改造した7.62 cm PaK 36(r)を搭載し、車体もチェコ製造のチェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。しかし、後期型のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40 )を搭載した。
写真(右):1943年2月9日、北アフリカ戦線でイギリス軍が撃破したドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139):ソ連軍から鹵獲した76.2ミリ砲を改造して搭載したが、車体もチェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。 ID number
014324
Maker
Hurley, James Francis (Frank)
Date made
9 February 1943 Description
IMPROVISED MOUNTING OF A RUSSIAN M1936 76.2 MM ANTI TANK GUN ON A CZECH T.38 TANK HULL (THE WHOLE IS KNOWN AS AN SDKFZ 139 MARDER III). THIS GERMAN ANTI TANK GUN, WHICH FIRED A SHELL 9 LBS IN WEIGHT WITH A MUZZLE VELOCITY OF 5000 FEET A SECOND, WAS PUT OUT OF ACTION BY THE EIGHTH ARMY.
Description
IMPROVISED MOUNTING OF A RUSSIAN M1936 76.2 MM ANTI TANK GUN ON A CZECH T.38 TANK HULL (THE WHOLE IS KNOWN AS AN SDKFZ 139 MARDER III). THIS POWERFUL GERMAN ANTI TANK GUN CARRIED ARMOUR PROTECTION FOR THE CREW ONLY IN FRONT; THE TOP AND BACK WERE OPEN. THESE WEAPONS WITH THE LONG BARRELS WERE, HOWEVER, DEADLY AGAINST TANKS. 写真はオーストラリア戦争博物館 Australian War Museum登録・引用・ AWM(014324)
マーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から大量に鹵獲した76.2ミリ野砲を改造して搭載したが、車体もチェコ38(t)戦車(Czech Panzer 38(t))だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。歩兵の火力支援ではなく,対戦車戦闘を旨とした自走砲だが、ソ連軍とチェコ軍の兵器を組み合わせた応急の即製兵器だった。ただし、マーダーIIIは、対戦車能力はあるものの,戦闘室周囲の装甲は薄く,戦闘室は後面と上面が開放されているために,防御力はきわめて弱い。
そこで、前線部隊の対戦車戦闘能力を向上するために、ドイツ軍は緊急対策として量産されていたチェコ製38(t)戦車から砲塔を撤去し、車体上部にソ連軍から捕獲した長砲身76.2mm野砲を搭載し、即製の対戦車自走砲を開発した。これが、38(t)戦車をベースとしたマーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )である。
写真(右)1943
年頃、ドイツ陸軍マーダーIII 対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139):記録用写真。 Catalogue number: STT 4605,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Label: German Marder III tank destroyer. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 4605)
チェコ38(t)戦車の車体に、対戦車戦が可能なソ連軍から鹵獲した76.2mm野砲 Pak36、後にはドイツ軍の7.5cm対戦車砲Pak40を搭載した対戦車自走砲が開発された。これがマーダー III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )である。対戦車砲を車体中央に搭載したマーダーIII対戦車砲H型(Sd. Kfz. 138)に続き、エンジンを前方に移動して後方に7.5cm砲Pak40砲を搭載したマーダーIII対戦車砲M型(Sd. Kfz. 138)が生産された。
マーダー III 対戦車自走砲 Jagdpanzer Marder III (Sd. Kfz. 139)は、1942年2月に試作車が完成し、Panzerjäger 38(t) für 7.62cm PaK36(r) (7.62cm 36式(r)対戦車砲搭載38(t)対戦車自走砲)と命名された。1942年4月から11月の間に38(t)G型用の車台を流用し生産が始まり、その後、エンジンをEPA-2(140馬力)に変換した車体が生産に移行した。
II号戦車の車体を活用したマーダー II 対戦車自走砲(Panzerjäger Marder II Sd.Kfz. 131)と38(t)戦車の車体を活用した初期のマーダーIII対戦車自走砲(Sd.Kfz. 139)は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲(7.62cmPak36(r))を搭載した。しかし、その後、やっとドイツ軍独自の新鋭46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40)の量産体制が整ったために、後期のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40 )を搭載している。
ドイツ陸軍の初期のマーダーIII対戦車自走砲は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲(7.62cmPak36(r))を、チェコČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk:プラガ)社製のドイツ陸軍38(t)戦車 Pz Kpfw 38(t)G/H型の車台中央に搭載した。しかし、その後、ドイツ軍独自の新鋭46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40)の量産体制が整ったために、後期のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5cm砲Pak40)を搭載している。
初期のドイツ陸軍マーダーIII対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した76.2ミリ砲を改造して搭載し、車体もチェコ製造の38(t)戦車だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。しかし、後期型のマーダー III 対戦車自走砲H型(Panzerjäger Marder III Ausf. H Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40 )を搭載した。
46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm Pak 40)は、前世代の60口径5戦に対戦車砲(5cm PaK 38)を強化したもので、1939年にラインメタル社が開発したが、独ソ戦開始まで、強力な対戦車砲の必要性を痛感していなかったために、開発は遅れた。しかし、1941年の夏、独ソ戦で、ソ連赤軍のT-34中戦車、KV-1重戦車、KV-2重戦車と対峙すると、当時の主力だった3.7センチ対戦車砲(3.7cm PaK 36)は役に立たず、新鋭の60口径5センチ対戦車砲(5cm PaK 38)を急遽整備したが、それも威力不足だった。そこで、46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm Pak 40)の開発が本格化し、1941年11月に試作砲が完成した。対戦車戦闘の必要性が緊急課題だったために、十分な試験期間をとらずに1942年早々には量産体制に移っている。
46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm Pak 40)は、前世代の60口径5戦に対戦車砲(5cm PaK 38)を強化したもので、1939年にラインメタル社が開発したが、独ソ戦開始まで、強力な対戦車砲の必要性を痛感していなかったために、開発は遅れた。しかし、1941年の夏、独ソ戦で、ソ連赤軍のT-34中戦車、KV-1重戦車、KV-2重戦車と対峙すると、当時の主力だった3.7センチ対戦車砲(3.7cm PaK 36)は役に立たず、新鋭の60口径5センチ対戦車砲(5cm PaK 38)を急遽整備したが、それも威力不足だった。そこで、46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm Pak 40)の開発が本格化し、1941年11月に試作砲が完成した。対戦車戦闘の必要性が緊急課題だったために、十分な試験期間をとらずに1942年早々には量産体制に移っている。
写真(右)1943
年頃、東部戦線で偽装を施したドイツ陸軍マーダーIII対戦車自走砲H型(Marder III Ausf. H :Sd. Kfz. 138)(Panzerjäger 38 für Marder III H 7.5cm PaK40/3 Ausf.H ): Catalogue number: STT 3785,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Label: German Marder III tank destroyer. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 3785)
初期のドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd.Kfz.139 Panzerjäger 38 Marder III )は、ソ連軍から鹵獲した76.2ミリ砲を改造して搭載し、車体もチェコČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk:プラガ)社製のドイツ陸軍38(t)戦車 Pz Kpfw 38(t)だった。つまり、火砲も車体もドイツが設計、生産したものではなく、借り物だった。しかし、後期型のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40 )を搭載した。
Sd Kfz 138 マルダーIII Ausf. Mは、シュコダ38(t)戦車を母体とした対戦車自走砲の最終版で、7.5cm40式3型対戦車砲を搭載している。この38(t)対戦車自走砲マルダーIII M型は、戦車よりも防御力は遥かに劣るが、生産が容易であり、多用された。
ドイツ陸軍対戦車自走砲マーダーMarder III H型までは、エンジンが後部にあったために、戦闘室が車体中央になり、操縦室の空間を確保するために、戦闘室は車体中央の上部に置かれた。そのため車高が高くなり、バランスが悪くなる(不安定化)とともに、敵から発見されやすくなった。マーダーIII後期のM型ではエンジンを車体前部に移して、戦闘室を車体後方に設けて、車高を低くし、前後のバランスをとって機動性を増した。
Sd Kfz 138 マルダーIII Ausf. Mは、シュコダ38(t)戦車を母体とした対戦車自走砲の最終版で、7.5cm40式3型対戦車砲を搭載している。この38(t)対戦車自走砲マルダーIII M型は、戦車よりも防御力は遥かに劣るが、生産が容易であり、多用された。
写真(右)1944年頃、ドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd. Kfz. 138)M型:真横から見た記録用写真。
Catalogue number: STT 7224,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Label: German Marder III tank destroyer. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 7224)
チェコČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk:プラガ)社製のドイツ陸軍38(t)戦車 Pz Kpfw 38(t)の車体に対戦車戦が可能な7.5cm砲Pak40を搭載した。ソ連軍から鹵獲した7.62cm Pak36野砲を搭載した自走砲、ドイツ軍の7.5cm砲Pak40を搭載したH型に続き、エンジンを前方に移動して後方に7.5cm砲Pak40砲搭載したのがマーダーMarder III 最終型のM型である。
写真(右)1944
年頃、ドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd. Kfz. 138)M型:Marder III Ausf. M記録用写真。 Catalogue number: STT 7227,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Label: German Marder III tank destroyer. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 7224)
ドイツ陸軍の初期のマーダーIII対戦車自走砲(Sd.Kfz. 139)は鹵獲したソ連製51口径76.2ミリ師団砲(7.62cmPak36(r))を、チェコ38(t)戦車G/H型の車台中央に搭載した。しかし、その後、ドイツ軍独自の新鋭46口径7.5センチ対戦車砲(75 mm PaK 40)の量産体制が整ったために、後期のマーダーIII対戦車自走砲H型(Sd.Kfz. 138)とマーダーIII対戦車自走砲M型(Sd.Kfz. 138)は、ドイツ軍の46口径7.5センチ対戦車砲(7.5cm砲Pak40)を搭載している。また、マーダーIII H型はエンジン位置を原型の戦車から変更していないが、マーダーIII M型は、エンジンを車体前方に移して、火砲を車体後ろ寄りに搭載し、前後のバランスを良くして、戦闘室も拡大している。これによって、操縦性、安定性、操作性が向上した。
ドイツ陸軍マーダー Marder III 対戦車自走砲(Sd. Kfz. 138)M型は、チェコČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk:プラガ)社製のドイツ陸軍38(t)戦車 Pz Kpfw 38(t)の車体の後方に対戦車戦が可能な7.5cm砲Pak40を搭載するためエンジンを前に移動している。1943年5月に生産を開始し、マーダー最終型として駆逐戦車ヘッツァーと交代するまで942輌生産された。
ドイツ軍の対戦車自走砲マーダーIII M型(SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.M Marder III) は46口径7.5センチ対戦車砲(7.5 cm PaK 40/3 L/46)は、38(t)戦車の車体をベースに、バランスを良くするために車体後部にあったエンジンを車体前部に移し、車体後部に戦闘室を設けた。7.5センチ戦車砲は車体中央より若干後方に搭載されたため、重心が車体中央となり、安定性、操縦性がそれまでのH型よりも向上した。
ドイツ軍の対戦車自走砲マーダーIII H型(SdKfz 138 Panzerjäger 38(t) mit 7.5 cm PaK 40/3 Ausf.H Marder III)は、23口径76.2ミリ砲搭載で、この火砲はソ連軍から大量に鹵獲した兵器だった。また、38(t)戦車の車体をほぼそのまま流用したため、火砲を車体中央より若干前方に搭載したため、バランスがノーズヘビー気味になり、戦闘室の位置も上方となり、車高が高かった。そこで、対戦車自走砲に不可欠な機動性と隠密性が損なわれてしまった。
写真(右)1944
年に登場したドイツ陸軍チェコ、チェコČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk:プラガ)社製のドイツ陸軍38(t)戦車 Pz Kpfw 38(t)をベースに開発された駆逐戦車ヘッツァー Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer' SdKfz 138/2:
Catalogue number: STT 7560,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Object description: Jagdpanzer 38(t). Label: German Jagdpanzer 38(t) tank destroyer. Also known as the 'Hetzer'.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 7560)
・駆逐戦車ヘッツァー Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer' SdKfz 138/2諸元:
全長:6.27 m、車体長:4.87 m、全幅:2.63 m、全高:2.17 m 重量:15.75 t 速度:路上42 km/h、路外15 km/h、航続距離:177 km 主砲:48口径7.5cm PaK39 L/48(41発)、車載機銃:7.92mm MG34機銃1丁 装甲:車体前面60mm、側・後面20mm、底面10mm 動力:マイバッハ Hl 203 P 30直列6気筒液冷ガソリンエンジン 160 馬力
乗員:4 名
写真(右)1944
年頃、ドイツ陸軍38(t)対空車自走砲 Flakpanzer 38(t) SdKfz 140:記録用写真。チェコČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk:プラガ)社製38(t)戦車の砲塔を除いて、戦闘室を設けて、2センチ対空機関銃を搭載した。
Catalogue number: STT 7486,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Object description: Jagdpanzer Flakpanzer 38(t) 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 7486)
チェコ38(t)戦車の車体を利用しているが、エンジン位置は重心のバランスをとるために、マルダーIII M型、グリレと同様に、中央に移動している。装備した対空兵器は、65口径2センチFlaK 30対空機関砲(2 cm FlaK 30 L/65)1門で、車体後部の開放式の戦闘室に装備した。
機関砲1門搭載なので、戦闘室内で360度の車角が確保されており、戦闘室前部の装甲板を折りたたむことで、対地射撃も可能。
写真(右)1944
年頃、ドイツ陸軍38(t)対空車自走砲 Flakpanzer 38(t) SdKfz 140:真横から撮影した記録写真。チェコČKD (Českomoravská-Kolben-Daněk:プラガ)社製38(t)戦車の砲塔を除いて、戦闘室を設けて、2センチ校舎機関銃を搭載。 Catalogue number: STT 7484,
Part of SCHOOL OF TANK TECHNOLOGY COLLECTION
Subject period: Second World War
Alternative Namesobject category: Black and white, Object description: Jagdpanzer Flakpanzer 38(t) 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (STT 7484)
65口径2センチFlaK 30対空機関砲(2 cm FlaK 30 L/65)の諸元 重量
450 kg 全長
4.08 m 銃身長
1.3 m (L/65) 全幅
1.81 m 全高
1.6 m
操作要員数 7名 仰俯角:-12度から90度、旋回角:360度
発射速度: 280 - 450 発/分
初速:900 m/s
有効射程
2,200 m
装填方式:
20発入り箱型弾倉
38(t)対空車自走砲 Flakpanzer 38(t) SdKfz 140の諸元
全長:4.95 m 全幅:2.15 m 全高:2.25 m 重量9.8 t 乗員 4名 生産台数:1943年11月から1944年2月まで140輌程度。
8.マーダーII "Marder II"−II号戦車を流用の対戦車自走砲
ヒトラーの再軍事宣言前、1934年7月に密かにII号戦車の開発が、クルップ、MAN、ヘンシェルの各社に出されたが、これは重量10トン、砲塔に2センチ機関砲と7.92ミリ同軸機銃を装備する軽戦車だった。2センチ機関砲は、2センチ対空機関砲として制式された2 cm Flak 30である。試作車は、1935年に完成、II号戦車の量産が始まったのは、1937年7月以降で、1940年4月までに1000輌が生産された。II号戦車(Panzerkampfwagen II(Sd.Kfz.121))として制式になったのは、1938年10月でオーストリア併合の時期だった。
写真(右):1942年8月1日、北アフリカ戦線、西砂漠でイギリス軍が撃破したドイツ陸軍II号戦車: Panzerkampfwagen II ( PzKpfw II): ID number
ID number
024684
Place made
North Africa: Western Desert, Western Desert (Egypt)
Date made
1 August 1942
Description
A GERMAN PANZER-KAMPFWAGEN II LIGHT TANK CAPTURED BY BRITISH FORCES. NOTE THE INDEPENDENT SPRINGING OF EACH WHEEL. 写真はオーストラリア戦争博物館 Australian War Museum登録・引用・ AWM (024684)
ドイツ陸軍II号戦車: Panzerkampfwagen II ( PzKpfw II)諸元 全長
4.81 m、
全幅
2.22 m、
全高
1.99 m 重量
8.9 t、乗員
3 名 懸架方式
リーフスプリング方式 速度
40 km/h、
航続距離
200 km
兵装
55口径20ミリ機関砲(2 cm KwK 30 L/55) 、
7.92ミリ機関銃MG34
装甲 14.5 mm 動力
マイバッハ HL62TR
直列6気筒液冷ガソリンエンジン(140 馬力)
ドイツ軍の主力対戦車砲3.7 cm PaK 36が威力不足で、5 cm PaK 38も数が少ない上に不十分な攻撃力しかなかったために、ソ連軍のT-34中戦車やKV-1重戦車に苦戦したドイツ軍は、ソ連軍から鹵獲した7.62cm Pak 36(r)対戦車砲を重用することになった。7.62 cm PaK 36(r)は、マーダーIII対戦車自走砲に搭載され、ドイツ陸軍の主要対戦車自走砲として活躍した。
76mm師団砲M1936(F-22)の諸元 口径
76.2 mm 全長
7.12 m 全幅
1.93 m 全高
1.71 m 砲身のみ
3,680 mm / 48.4口径(砲身のみ) 砲身(薬室含む)
3,895 mm / 51.2口径
重量
1,620 kg 操作人員数
6名 装薬:分離薬莢式 仰俯角
-5度から75度 旋回角
60度 発射速度
15発/分 最大射程
14,000 m
ドイツ軍は、1941年夏のソ連侵攻当初の包囲戦によって、ソ連製51口径76.2ミリ野砲F-22を大量に鹵獲した。この野砲は、51口径と当時としては世界最長の長砲身の野砲であり、砲口初速が早く、射程14キロであり、相談は分離薬莢式のため手間はかかったが、と対戦車戦闘も可能な優秀な野砲だった。そこで、ドイツ軍は、ソ連製51口径76.2ミリ野砲F-22を7.62cm PaK 36(r)の名称で、ドイツ軍に配備した。そして、その一部は、II号戦車の砲塔を撤去したマーダーII対戦車自走砲(Marder II: Sd.Kfz.132)に搭載されたのである。
第二次大戦初期まで、、ドイツ軍の主力対戦車砲3.7センチ対戦車砲(3.7cm Pak36)だったが、実は、1937年にはラインメタル社が5センチ対戦車砲を開発し、ドイツ軍も1938年にはこの5センチ対戦車砲(5cm PaK38)を制式と削いていた。しかし、ドイツ陸軍内の保守派は、3.7センチ対戦車砲(3.7cm Pak36)で十分であると考え、60口径5センチ対戦車砲(5-cm PaK 38)は生産も配備もほとんど進まなかった。しかし、1941年6月のソ連侵攻で、ソ連赤軍の新鋭戦車T-34やKW-1重戦車に対しては、3.7センチ対戦車砲(3.7cm Pak36)は無力で、装甲を貫通できないことから「聴診器」と悪評されるほどだった。
1941年6月のソ連侵攻で、ソ連赤軍の新鋭戦車T-34やKW-1重戦車に対抗できる強力な戦車砲が望まれ、3.7センチ対戦車砲(3.7cm Pak36)に替わって、42口径5センチ対戦車砲(5-cm PaK 38) が注目された。III号戦車に搭載する火砲は、A型からG型は46口径3.7センチ戦車砲だったが、G後期型からJ型では42口径5センチ戦車砲(5 cm KwK 38 L/42 )に強化され、その後のJ後期型からM型では60口径5センチ戦車砲を搭載している。
1941年4月28日,第二軍団マクシミリアン・フォン・ヴァイクス(Maximilian von Weichs)司令官の命令書では「襲撃が起きた危険地域では、プラカードを出し,住民に過酷な結果が生じることを公示せよ。」とされ,「セルビア人よ,卑劣で陰険な襲撃により,ドイツ兵士が死亡した。ドイツ人の忍耐は切れた。罰として,全住民の1000人が射殺された。今後,セルビア側からの襲撃によってドイツ兵士が死亡すれば,一人に付き100人のセルビア人が射殺されることになる。」このようなテロによる支配が公然と示されていた。
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