Search the TORIKAI LAB Network

Googleサイト内
◆フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
写真(上)1938年、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:D-IRPJ)
1936年5月24日に初飛行している。尾輪はなく、軽量で不整地での使用も容易な橇がついている。
SDASM Archives PictionID:43933843 - Title:Fieseler Fi-156 Cleveland, Ohio September 1938 - Filename:16_005117.TIF
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive SDASM Archives・- Catalog:16_005117引用。


写真(上)1941年9月15日、ドイツ軍に続いてソ連に侵攻したフィンランド、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:V7-1N)
;胴体下面には、爆弾ではなく、追加80リットル燃料タンクを装備している。尾部は、尾輪ではなく、橇式である。
Fieseler Storch pommilastissa valmiina tehtäväänsä. Kuvassa on lähitiedustelulentua 1(H)/32:n Fi 156 Storch lentokone. Kuvassa on alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen 80 litran lisäpolttoainesäiliö, ei pommi.
Organisation Military Museum Photo info 1941-09-15 Sot.virk. H.Roivainen, valokuvaaja Subjects 1941-09-15
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-58433引用。



写真(上)2016年8月、ドイツ、ドイツ空軍機保管機飛行ショーに登場した飛行可能なドイツ空軍仕様のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:ZE-RA)
;尾橇ではなく、舗装道路で使用しやすいゴム輪がついている。
SDASM Archives IMG_9491 Date 13 August 2016, 21:25
Source IMG_9491 Author Clemens Vasters from Viersen, Germany, Germany
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Category:Fieseler Fi 156・File:Flying Heritage Collection Luftwaffe Day 2016 IMG 9491 (28350963334).jpg引用。

◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。

1.フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機

写真(右)1938年,未舗装滑走路で尾部にドリーを装着して移動準備するドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード:ZE-RA):尾橇は、小型軽量で空気抵抗も小さいが、地上での移動、特に未整地での移動は困難だったため、尾部を持ち上げて、地上で移動用転輪(ドリー)を装着した。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079213引用。


1935年、ドイツ航空省は、1935年に新型の連絡機の開発を国内航空機メーカーに要請した。これに対して、フィーゼラー社が提示したのは、野外で短距離離着陸が可能で、STOL性能の高い機体だった、滑走距離は、離陸では向かい風で50m、着陸では、20mと飛行場以外の野外における離着陸が可能であり、STO性能は高かった。そのため、地上軍との連絡飛行、地上軍と連携した偵察・地上支援に役に立った。

写真(右)1938年,未舗装滑走路で尾部にドリーを装着して移動準備のなったドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:ZE-RA):尾橇は、小型軽量で空気抵抗も小さいが、地上での移動、特に未整地での移動は困難だったため、尾部を持ち上げて、地上で移動用転輪(ドリー)を装着した。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079243引用。


1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を描いた国籍マークだった。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のスワスチカ (Swastika:ハーケンクロイツ)は敵から発見されやすかったために廃止になり、ハーケンクロイツだけなった。


写真(上)1938年、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:D-IRPJ)
1936年5月24日に初飛行している。尾輪はなく、軽量で不整地での使用も容易な橇がついている。
SDASM Archives Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive SDASM Archives・Catalog #: 00079241引用。


フィーゼラー(Fieseler)Fi-156連絡機の原型機は、1936年の春に初飛行した。V型8気筒で180kW(240HP)のアルグス As 10C空冷倒立エンジンを装備し、最高速力は175km/h、最低速力は50?/hと低速でも飛行できたが、低速飛行は地上との連絡を取りやすくしている。STOL性能が高いために、短距離で離陸も着陸も可能だった。ドイツ空軍から増加試作的に16機の発注を受け、生産が開始されたが、Fi-156連絡機の実機配備は、1937年中頃からであった。

写真(右)1938年,急上昇するドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード:D-IKVN):小型軽量で空気抵抗も小さい尾橇が明瞭に見える。地上での移動、特に未整地での移動は困難だったため、尾部を持ち上げて、地上で移動用転輪(ドリー)を装着した。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079214引用。


ドイツ陸軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(Fieseler Fi 156 "Storch")の諸元
全長10メートル
全幅 14メートル
主翼面積 26平方メートル
全備重量1260キロ
空冷エンジン240馬力
最高速力:175キロ
航続距離:380キロ

1937年から1945年に合計2600機生産されたFi-156"シュトルヒ"連絡機は,滑走路でない草原にも離着陸できたので、地上部隊との連絡に重宝された。

写真(右)1938-1940年,西側連合国軍に鹵獲されたと思われるドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機:右奥には、メッサーシュミットBf110双発駆逐戦闘機の初期型が待機している。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079240引用。


フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機の生産機数は、フィーゼラー(Fieseler)で1908機、フランスのモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)で784機、チェコその他を含み合計2,867機が量産された。

1935年、新生ドイツ空軍は、新型連絡機の開発をすすめた。この時に連絡機の仕様が出され、各社の競争入札がなされることになったが、フィーゼラーは、短距離離着陸性能(STOL性)を重視し、離陸には向かい風で50m、着陸には20mで運用可能な機体を提案した。Fi 156A試作機は、1936年春に初飛行し、V型8気筒240馬力のアルグス As 10Cを搭載、地上連絡に便利なように低速の50km/hでも運用でき、離陸は45m、着陸18mはで十分な短距離離着陸が可能だった。量産型Fi 156Aは、1937年から部隊配備がはじまったので、第二次世界大戦では緒戦から大活躍している。

写真(右)1939-1942年,飛行するフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機:小型軽量で空気抵抗も小さい尾橇を装備している。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079242引用。


1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相チェンバレンは,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」とも称された。

1940年4月9日,英軍に先んじて,ドイツ軍がノルウェーに侵攻,その後,4月14日,トロンヘイムに英仏軍,ポーランド軍の連合軍1万2000名を上陸させた。ナルヴィクにも,4月20日に連合軍3万名を上陸させた。1940年5月10日,ドイツ軍のベルギー,オランダに侵攻に直面して,連合軍はナルヴィクを撤退。

チェンバレンは,ノルウェー作戦失敗という戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任した。その後任首相には、戦時挙国一致内閣として,1940年5月10日に、チャーチル(Winston Churchill)がイギリス首相に就任した。

写真(右)1940年5月-6月,フランス侵攻作戦、野外地に着陸したドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-126-0322-13
Archive title: Frankreich, Westfeldzug.- Flugzeug Fieseler Storch Fi 156 auf einem Feld, Soldaten; PK 689
Dating: 1940 Mai - Juni Photographer: Boesig, Heinz Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ドイツ空軍は,フランス侵攻には、アルベルト・ケッセリング将軍の第二航空軍,フーゴー・シュペルレ将軍の第三航空軍をあて,そこに双発爆撃機1120機,単発Ju-87急降下爆撃機シュツーカ342機,複葉Hs-123襲撃機42機,単発Me-109戦闘機1016機,双発Me-110戦闘機248機を配備した。

1940年5月10日0430,ケルン郊外の航空基地をユンカースJu-52輸送機41機が離陸,輸送機は各々1機のドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダーを曳航していた。

DFS 230 兵員輸送用グライダーには,1機当たり8-12人の降下猟兵(空挺隊員)が搭乗していた。このドイツ空軍の空挺部隊が,ベルギーのマース川の要衝マーストリヒト近くのエバン・エマール要塞に空挺部隊がグライダー降下し,ベルギー兵士1200人の守備していた近代的な要塞を一日のうちに攻略した。

写真(右)1941年11月,ポーランド総督府、クラコウの大通りに着陸したドイツ軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機:周囲に集まって見物しているのは、ポーランド住民のようで、ドイツ軍は自らの技術や軍事力を見せつけるために、このような都市中心部にフィーゼラーFi156"シュトルヒ"Fieseler Fi 156 "Storch")連絡機を乗り付けた。1941年夏には、降伏したフランスの首都パリの凱旋門の近くに、我が物顔にFi156"シュトルヒ"連絡機を乗り付けている。
Inventory: Bild 183 - Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild
Signature: Bild 183-B13933
Original title: info An der Sowjetfront: Ein auf dem Dsherschinski-Platz in Charkow gelandeter Fieseler Storch wird von der Bevölkerung angestaunt. Im Hintergrund erkennen wir die im amerikanischen Stil erbauten Hochhäuser der Sowjetindustrie.
PK-Aufnahme: Kriegsberichter: Hähle
10305-41 "Fr." "Fr.OLF" Nov. 41 Archive title: Sowjetunion, Charkow.- Landung eines Flugzeugs Fieseler Fi 156 "Storch" auf einem Platz
Dating: November 1941 Photographer: Hähle, Johannes Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 183-B13933引用。


1940年5月14日、ドイツの第54,第57爆撃航空団ハインケルHe111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。ウィストン・チャーチル首相は、1940年5月26日1857,大陸よりの英軍救出命令ダイナモ作戦(Operation Dynamo)を発動した。

ダンケルク撤退戦「ダイナモ作戦」第一日の夕方まで,連合軍将兵7669名が救出され,5月28日だけで,1万7804人が救出された。5月29日には,4万7310名が後送,5月30日には5万3823人が大陸を去った。うちフランス兵氏は1万4874人だった。5月31日は,6万8014人が,6月1日には6万4429人が英本土に戻ることができた。敗退するフランス軍を前に、フランス政府では和平派(終戦派)が主導権をにぎった。

1940年5月20日,フランスでは、レノー内閣が改造され、副首相に第一次世界大戦の英雄フィリップ・ペタン元帥が就任した。1940年5月15日オランダ降伏、5月28日ベルギー降伏と続き、6月10日にはパリが無防備都市を宣言した。このとき、ムッソリーニ統領の指導するイタリアも、南フランスを攻撃した。6月14日、パリにドイツ軍が無血入城した。 独仏戦では,フランス軍は、死者10万人、負傷者12万人、捕虜150万人の損害を出した。他方,ドイツ軍は,死者4万人,負傷者15万人だった。

写真(右)1941年夏,不時着大破したドイツ軍のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機
Ein notgelandener Fieseler Storch
Sommer 1941 Archive title: Verbindungs- und Transportflugzeug Fieseler Fi 156 "Storch"
Dating: 1941 Sommer 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ドイツ空軍は,フランス侵攻には、アルベルト・ケッセリング将軍の第二航空軍,フーゴー・シュペルレ将軍の第三航空軍をあて,そこに双発爆撃機1120機,単発Ju-87急降下爆撃機シュツーカ342機,複葉Hs-123襲撃機42機,単発Me-109戦闘機1016機,双発Me-110戦闘機248機を配備した。1940年5月10日0430,ケルン郊外の航空基地をユンカースJu-52輸送機41機が離陸,輸送機は各々1機のDFS-230グライダーを曳航していた。グライダーには,1機当たり8-12人の降下猟兵(空挺隊員)が搭乗していた。このドイツ空軍の空挺部隊が,ベルギーのマース川の要衝マーストリヒト近くのエバン・エマール要塞に降下し,ベルギー兵士1200人の守備していた近代的な要塞を,その日のうちに攻略した。

1940年5月14日、ドイツの第54,第57爆撃航空団ハインケルHe111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。ウィストン・チャーチル首相は、1940年5月26日1857,大陸よりの英軍救出命令ダイナモ作戦(Operation Dynamo)を発動。ダイナモ作戦第一日の夕方まで,連合軍将兵7669名が救出され,5月28日だけで,1万7804人が救出された。5月29日には,4万7310名が後送,5月30日には5万3823人が大陸を去った。うちフランス兵氏は1万4874人だった。5月31日は,6万8014人が,6月1日には6万4429人が英本土に戻ることができた。敗退するフランス軍を前に、フランス政府では和平派(終戦派)が主導権をにぎった。

1940年5月20日,フランスでは、レノー内閣が改造され、副首相に第一次世界大戦の英雄フィリップ・ペタン元帥が就任した。1940年5月15日オランダ降伏、5月28日ベルギー降伏と続き、6月10日にはパリが無防備都市を宣言した。このとき、ムッソリーニ統領の指導するイタリアも、南フランスを攻撃した。6月14日、パリにドイツ軍が無血入城した。 独仏戦では,フランス軍は、死者10万人、負傷者12万人、捕虜150万人の損害を出した。他方,ドイツ軍は,死者4万人,負傷者15万人だった。

写真(右)1941年夏,ソ連,不時着,破壊したフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機:カギ十字は,ナチ党の記章だったが,ナチ党旗がドイツ国旗となり,ドイツ軍機の尾翼にはカギ十字が描かれることになった。
戦前,ドイツの飛行機の尾翼は,赤帯にナチスのカギ十字がついており,ドイツ国旗と同じだった。しかし,戦時中には目立ちすぎるために,赤帯は塗らなくなり,カギ十字も小さくされた。
Ein notgelandener Fieseler Storch Sommer 1941 Archivtitel: Verbindungs- und Transportflugzeug Fieseler Fi 156 "Storch" Datierung: 1941 Sommer Fotograf: o.Ang. Quelle: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

写真(右)1942年5月,ソ連南部,クリミア,ケルチ半島のステップを進撃するドイツ軍牽引車と空を飛ぶフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機
Krim, Anfang Mai 1942 Aufmarsch zum Angriff auf die Halbinsel Kertsch Archive title: Rußland.- Aufmarsch zum Angriff auf die Halbinsel Kertsch. Flugzeug Fieseler Fi 156 "Storch" über motorisierter Kolonne (PKW, Busse) Dating: Mai 1942 Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


1940年6月22日、ドイツとフランスとの間で締結された休戦協定場所として、アドルフ・ヒトラーは、第一次大戦のドイツ休戦が調印されたのと同じコンピエーニュの森を指定した。コンピエーニュには、ドイツ降伏調印を行ったのと同じ食堂列車をフランスの博物館から引き出し据え付けて、そこで行った。フランス勝利の記念碑もコンピエーニュにあったが、それも爆破された。第一次世界大戦の敗戦の雪辱を晴らした思いは、第一次大戦の戦闘機エースのヘルマン・ゲーリングも同じであったろう。

フランス休戦は、

1.)フランス国土の北部5分の3をドイツ軍政下に置く、
2.)フランス軍の武装解除、
3.)大西洋側の港湾をドイツに引き渡す、
4.)フランス艦船の行動停止、
5.)亡命者の引渡し、
6.)フランスによる占領経費の負担、
という条件で認められた。

1940年6月のフランス降伏で,ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げた。
1942-1943年冬,スターリングラード空輸を請合ったが,失敗。1944年以降のドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。

写真(右)1941-1944年、ロシア、ドイツ東部戦線、ドイツ陸軍将兵の通信隊の上空を飛行するドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機:手前の兵士は受話器を手にしている。右の将兵2人は、双眼鏡を使って観測している。
Feldzug in Russland.- Flugzeug Fieseler Fi 156 "Storch" im Flug über deutschen Soldaten
Title Flugzeug Fieseler Storch
Date between 1941 and 1944
Depicted place Russia
Current location Presse- und Informationsamt der Bundesregierung - Bildbestand (B 145 Bild)
Accession number B 145 Bild-F016225-0005A
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:Bundesarchiv Bild 169-0281, Russland, Fieseler Fi auf Feldflugplatz.jpg引用。


1940年6月にフランスを降伏させ勝利したという大功績によって、元帥より上の国家元帥の称号を得たゲーリング空軍総司令官だったが、イギリス本土航空決戦で,痛手を被った。1941年6月22日、ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」のために,東部戦線に兵力を集中させて時期だった。
ゲーリングは,1942年冬のスターリングラード空輸を請合って失敗し,1943年からのドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。ゲーリングの成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。緒戦でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説を根拠に,自らを後継者として自認していたとすれば,状況は大きく変わっていた。

ドイツ空軍は,1941年春にソ連侵攻により先端を開く東部戦線のために、第一線航空兵力1945機を準備した。これはドイツ空軍兵力の 61%に当たる。使用可能な第一線機は,双発爆撃機510機,単発急降下爆撃機290機,単発戦闘機440機など1280機を数えた。

東部戦線には,レープ元帥の北方軍集団に第一航空軍(ケラー),ボック元帥の中央軍集団に第二航空軍(ケッセリング),ルントシュテット元帥の南方軍集団に第四航空軍(レール)を配備し,第五航空軍(シュトンプ)はオスロに本部を置いた。つまり,バルバロッサ作戦にはドイツ空軍四個航空軍を配備した。

写真(右)1942年9月、ロシア、ドイツ東部戦線、スターリングラード郊外、上空を飛行するドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機:。
Bei Stalingrad.- Soldat auf Hügel, am Himmel Fiesler Fi 156 "Storch"
Title Steppe vor Stalingrad
Russland, Fieseler Fi auf Feldflugplatz
Steppe vor Stalingrad, August 1942 Sammlung zum Rußlandfeldzug (Bild 169)
Accession number Bild 169-0005
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:Bundesarchiv Bild 169-0005, Steppe vor Stalingrad.jpg引用。


1941年6月、ドイツ軍はソ連に侵攻し、開戦当初は奇襲により東部戦線の前線に配備されていた多数のソ連空軍機を地上で破壊した。そして、北方軍集団ではレニングラードを、中央軍集団はスモレンスクを、南方軍集団はキエフを目指し、損害を被りながらも順調に前進した。しかし、中央軍集団から南方軍集団へ装甲師団を増援部隊として抽出、派遣したために、中央軍集団では、計画してモスクワ侵攻が遅れてしまうこととなった。

ヒトラーは、南方の石油、鉄鉱石などの地下資源を確保したかったのだが、結局、カフカスの油田を攻略することはできなかった。ドイツ側の損害は、バルバロッサ作戦の当初から、西部戦線と葉比較にならないほど膨大だったが、これはソ連赤軍が徹底抗戦し、その保有していた兵器も優れていたためである。

写真(右)1942年9月、ロシア、ドイツ東部戦線、スターリングラード郊外、井戸とドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機:井戸は、大きな桶を使って水をくみ上げるために、左側に綱を上下させる転輪があるが、そこにドイツ軍将兵らしき人物が写っている。井戸の真上に滑車があり、そこを伝って、井戸の底に桶を下ろしている。右には、現地ロシアの女性と子供が立っている。
Sowjetunion, bei Stalingrad.- Flugzeug Fieseler Fi 156 "Storch" auf Feldflugplatz hinter Holzkonstruktion (Brunnen?) stehend
Title Russland, Fieseler Fi auf Feldflugplatz
Feldflugplatz in der Steppe vor Stalingrad
September 1942 Depicted place Russia Current location Sammlung zum Rußlandfeldzug (Bild 169)
Accession number Bild 169-0281
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:Bundesarchiv Bild 169-0281, Russland, Fieseler Fi auf Feldflugplatz.jpg引用。


1941年8月,ヒトラーは、モスクワ侵攻を主張する陸軍幹部の主張を覆して、ソ連南方の穀倉・資源が豊かなウクライナを早期占領を望んで、モスクワまで100キロと迫ったドイツ国防軍の中央軍集団に対して,主力となる装甲師団を南下させた。ヒトラーは、将軍たちは経済の重要性を理解していないとして、南部占領が、戦略的に正しい決断であると考えたのである。

ドイツ軍がモスクワに進撃せず、その兵力を南方進出にまわした目的は,
1)南方のソ連軍から中央軍集団の側面を防備し,ハリコフでソ連軍を包囲撃滅すること,
2)ソ連の戦争経済に必要なウクライナの穀物地帯,鉄鉱石鉱山,工業地帯を占領し,カフカスの油田からの石油輸送を停止させること,
3)クリミア半島を占領し,ルーマニアに対する黒海を利用した航空攻撃,海軍の策動を抑えること,
の3点だった。

写真(右)1942年,フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウモリ)連絡機:頑丈な脚(着陸装置)を備えていたフィーゼラーFi156"シュトルヒ"Fieseler Fi 156 "Storch")は滑走路が未舗装であっても、離着陸が可能だった。そこで、東部戦線では、前線への要人空輸に使われた。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-323-2723-28A
Archive title: Sowjetunion.- Offiziere bei Begrüßung vor Flugzeug Fieseler Storch Fi-156 "Storch"; KBK Lw1
Dating: 1942 Photographer: Hennig Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ヒトラーは,1941年,独ソ戦開始後,卓上談話(『ヒトラーのテーブル・トーク1941-1944(上)』三交社,1994年)で,次のように述べている。

1941年10月10日ヒトラー卓上談話:「戦争は原始的な形態に戻ってきた。民族対民族の戦いは影をひそめ,広大な土地の所有権を巡る戦いが主流になってきた。----戦争は今日では,天然資源を求めて起こる。暗黙の掟によって,こうした資源は征服者のものとなる。----この絶え間のない闘争は自然淘汰の掟であり,最もふさわしい者だけが生き残る。

1941年9月23日ヒトラー卓上談話:「ドイツ世界とスラブ世界の間には,現時いつには境界がある。それをどこに引くかはわれわれが決めることだ。ドイツ世界を東方に拡張する権利がある。------成功すれば全て正当化される。これは,経験的にいえることだ。優秀な民族が狭苦しい土地に押し込められ,文明の名に値しないものどもが,世界でも有数の広大な肥沃な土地を占めているのは許しがたい。----強者が自らの意思を主張する,これが自然の掟だ。世界は常に変わらず,その法則に支配される。

◆ヒトラーの第三帝国は,弱肉強食の掟を奉じ,弱いものを支配し,領土を拡張した。ヒトラーは,激烈な生存闘争を生き残り,生存圏を確保するには,弱肉強食の戦争にあって,敵を殲滅する勝利が不可欠であると考えた。

写真(右)1942年夏,ドイツ軍兵士の乗り込んだフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(三人乗り):視界の良好なFi-156風防の前方に収まったのは、同乗者であろうか、飛行士の服装ではない。後席には、包みを手にした副官のような兵士が載っている。頑丈な膠着装置と操縦席周囲の堅牢な構造がよくわかる。東部戦線では、前線への要人空輸に使われた。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-452-0984-23 Archive title: Sowjetunion.- Generaloberst Wolfram Freiherr von Richthofen am Steuer des Flugzeugs Fieseler Fi-156 C-3 "Storch", neben ihm ein
Soldat mit Karte; KBK Lw. 8
Dating: Februar 1942 Sommer
Photographer: Niermann Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ドイツ空軍の爆撃機は,モスクワ攻防戦にほとんど登場してこないが,これは装甲師団の進撃が早すぎて,後方の航空基地整備が遅れたこと,厳寒・悪天候による飛行および飛行機整備の困難,補給不足が原因と考えられる。いずれにせよ,航空支援を得られないまま行ったモスクワ攻撃は、失敗に終わった。

1941年6-7月、バルバロッサ作戦でソ連軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,1942年の東部戦線では,スターリングラード空輸作戦以外,大軍をまとめて投入することはなくなった。

1942年,ドイツ空軍爆撃機は,東部戦線各地の個別の戦術的な地上支援に使用され,敵の工業地帯,発電所,交通中枢への戦略爆撃は行わなかった。モスクワ空襲も,独ソ戦緒戦以外、少数機が散発的に行っただけだった。

写真(右)1941-1943年頃(?),飛行するフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機:東部戦線であろうか、小型軽量で空気抵抗も小さい尾橇を付けている。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43933867 - Catalog:16_005119 - Title: Fieseler Fi 156 Nowarra photo - Filename: 16_005119.TIF - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog:16_005119引用。


1942年初頭のドイツ側は,南部での大攻勢目指し,4月,「ブラウ」(青)作戦が決まった。この目標は,南方軍集団(司令官フォン・ボック元帥)によって,ソ連軍の防衛力を打ち砕き,スターリングラードを制圧,ついでカフカスの油田など戦争経済資源を奪取することとされた。

しかし、ブラウ作戦は、モスクワ攻略に失敗したドイツ軍には、欲張った目標だった。その上,カフカスとスーリングラードのニ目標を追うことになり,軍集団を二分するという失策を犯してしまう。戦力を分散投入してしまったために,どちらの目標も達成できなかった。

写真(右)1941-1943年頃(?),飛行するドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)赤十字患者輸送機(登録コード:DJ-PE):東部戦線であろうか、ゴム輪式の小型タイヤの尾輪を付けている。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:43933855 - Catalog:16_005118 - Title:Fieseler Fi-156 "Storch" - Filename:16_005118.TIF- - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog:16_005118引用。


1942年初頭のドイツ側は,南部での大攻勢目指し,4月,「ブラウ」(青)作戦が決まった。この目標は,南方軍集団(司令官フォン・ボック元帥)によって,ソ連軍の防衛力を打ち砕き,スターリングラードを制圧,ついでカフカスの油田など戦争経済資源を奪取することとされた。

しかし、ブラウ作戦は、モスクワ攻略に失敗したドイツ軍には、欲張った目標だった。その上,カフカスとスーリングラードのニ目標を追うことになり,軍集団を二分するという失策を犯してしまう。戦力を分散投入してしまったために,どちらの目標も達成できなかった。


3.フィンランドで活躍したフィーゼラー(Fieseler)Fi-156

フィンランドは、1941年6月26日に第二次ソ芬戦争、すなわち継続戦争( Continuation War)を始め、南東のカレリア地方に侵攻し、ソ連国境レニングラード方面に進撃し、8月中には、ヴィープリ(ヴィボルグ:Viipuri)を解放、奪回した。


写真(右)1941年6月下旬-1944年夏、フィンランド、フィンランド軍と同盟してソ連と戦ったドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
;大きなガラス風防は、後上方に7.92ミリMG15旋回機関銃が装備されている。
Opintomatkakuvia, mm Novgorodiin. Kuvan lentokone on Fieseler Fi 156 Storch.
Organisation Military Museum Photo info undated Kapteeni T.Suhonen, valokuvaaja
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-1777引用。


フィンランドは、1939-1940年の第一次ソ芬戦争「冬戦争」で失った領土を奪回するために、愛国的戦争と見なして1941年6月26日、第二次ソ芬戦争、すなわち継続戦争(Continuation War)を開始した。つまり、冬戦争の続きとして、領土奪回のための継続戦争を仕掛けたのである。また、当時、ドイツは、イギリス供交戦状態にあったが、フィンランドはイギリスと戦うつもりは全くなく、イギリスの行為を得るために、ドイツ同盟国として、枢軸側に立って第二次世界大戦を戦う、ということではないとの弁明をした。あくまでも敵はソ連だけであり、これは世界戦争の一環ではなく、局地的な二国間戦争に過ぎないというのである。このようなご都合主義の参戦をイギリスは認めなかったた。フィンランドは、事実上、ドイツの同盟国として、ファシズム枢軸国の側に立って、第二次世界大戦に参戦したとみなされるのである。


写真(右)1942年9月15日、ドイツ軍に続いてソ連に侵攻したフィンランド、未舗装飛行場でエンジンを駆動するドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:V7-1N)

Sot.virk. H.Roivainen, valokuvaaja Fieseler Storch pommilastissa valmiina tehtäväänsä. Kuvassa on lähitiedustelulentua 1(H)/32:n Fi 156 Storch lentokone. Kuvassa on alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen 80 litran lisäpolttoainesäiliö, ei pommi.
Organisation Military Museum Photo info 1941-09-15 Sot.virk. H.Roivainen, valokuvaaja Subjects 1941-09-15
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-1780引用。


ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機の特徴
1)大きな平面ガラスの風防は張出していて、地上の良好な視界を確保している。
2)エンジンは、空冷倒立シリンダーなので、細長く、前方視界を確保している。
3)降着装置は、ゴム輪を頑丈な緩衝支柱で支え、感覚を広くとっているので、未整地の離発着にも安定性を確保している。
4)コックピット後上方には、円形ガラスに7.92ミリMG15旋回機関銃を装備できる。
5)胴体下面には、爆弾ではなく、追加80リットル燃料タンクを装備できる。
6)主翼を折畳んで、トラックでの輸送、地上での格納や偽装に便利である。


写真(右)1941-1942年頃、ドイツ軍に続いてソ連に侵攻したフィンランド、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:NA+KD)
;胴体下面には、爆弾ではなく、追加80リットル燃料タンクを装備している。
Tiedustelukone ””Haikara”” Valkeajärven jäällä. Kuvassa yhteys- ja monitoimikone Fieseler Fi 156 Storch. Koneen tunnus NA+KD ja koneen alla on 80 litran lisäpolttoainesäiliö...
Organisation Military Museum undated Kapteeni T.Suhonen, valokuvaaja
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-926引用。


1941年6月の第二次ソ芬戦争、継続戦争の緒戦、フィンランド軍は、ソ連に侵攻した。この時、フィンランド中東部からは、1917年の独立以来、フィンランド領となったことのなかった旧ロシア領・ソ連の東カレリアに軍を進めた。1941年6月末に始まった継続戦争に於て、ソ連に侵攻したフィンランド軍は、瞬く間に1939年当時の旧国境まで進軍し、1940年の冬戦争で失った国土を取り返した。そして、1939年の旧国境を越えて、引き続き弱体化しているソ連軍を追って進撃を続けた。フィンランドは,中東部の東カレリア地方では、旧国境を遥かに超えて占領地を拡大しており、これは当初の戦争目的である失地回復・国土奪回を超えた侵略的行為である。


写真(右)1941-1942年頃、ドイツ軍に続いてソ連に侵攻したフィンランド、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:NA+KD)
;胴体下面には、爆弾ではなく、追加80リットル燃料タンクを装備している。
Tiedustelukone ””Haikara”” Valkeajärven jäällä. Kuvassa yhteys- ja monitoimikone Fieseler Fi 156 Storch. Koneen tunnus NA+KD ja koneen alla on 80 litran lisäpolttoainesäiliö...
Organisation Military Museum undated Kapteeni T.Suhonen, valokuvaaja
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-927引用。


例えば、カルフマキ(Karhumäki:フィンランド語)は、オネガ湖最北岸の町で、レニングラードと北極海に面した要港ムルマンスクを結ぶ交通路に当たる。現在はロシア連邦カレリア共和国に属し、メドヴェジエゴルスク(旧名メドヴェジヤ・ゴラ)と呼ばれるが、フィンランドはここを占領してフィンランド防衛拠点とした。これは、失地回復、固有の領土の奪還というのははるかに拡張された領土であるが、フィンランドは、歴史的に侵略を受けてきたロシア帝国・ソビエト連邦に対する恐怖から、彼らを弱体化、中立化し、フィンランドの防衛戦を国境よりも先に前進させて、予防的に防衛することが必要であるとした。


写真(右)1941-1942年頃、ドイツ軍に続いてソ連に侵攻したフィンランド、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:NA+KD)
;胴体下面には、爆弾ではなく、追加80リットル燃料タンクを装備している。
Alikersantti B. Kasanzow, valokuvaaja Saksalainen tiedustelukone ( Fieseler Storch) on laskeutunut suomalaisen esikunnan edustalle jäälle ja tuonut mukanaan tärkeitä viestejä. Kone Fieseler Fi 156 Storch, koneen tunnus NA+KD...
Organisation Military Museum Photo info undated Alikersantti B. Kasanzow, valokuvaaja
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-92256引用。


ドイツもフィンランドも、ソ連に戦争を仕掛けた1941年の夏、短期間でにソ連が降伏すると考えていた。フィンランドは1939年11月の冬戦争を、一国で戦い続け、ソ連軍の侵攻を食い止めることができた。となれば、1940年6月にフランスを1カ月で降伏させた世界最強のドイツ軍の加勢を受け、第二次ソ芬戦争を闘えば、ソ連を速やかに打倒できると考えても不思議はない。1940年末、ドイツ軍はモスクワ攻略に失敗し、モスクワ前面でジューコフ将軍率いるソ連軍に大敗した。これは、極東方面に配置されていた対日戦争用の極東軍を配置転換し、兵力を増強できたこともあるが、基本的にソ連軍の予備兵力が膨大で、その軍需生産能力(エネルギーから兵器まで)が強大だったことが要因である。戦術的失敗のために、1939年の冬戦争ではソ連軍はフィンランド軍に苦戦したに過ぎなかった。


写真(右)1942年2月19日、ドイツ軍と同盟してソ連に侵攻したフィンランド、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:1R+OH)のコックピット後方
;大きなガラス風防はの後上方に7.92ミリMG15旋回機関銃が装備されている。
Uomala, valokuvaaja Kenraali Siilasvuo lähtee lentokoneella esikuntaansa, käytyään tarkastusmatkalla Uhtuan suunnalla. Kuvassa A.Ke. (F) Finnlandin Fieseler Fi 156 Storch, tunnus 1R+OH. ..
Organisation Military Museum Photo info 1942-02-19 Uomala, valokuvaaja
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-1777引用。


1939年の冬戦争で失ったカレリア地方を奪還するために、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻をチャンスととらえたフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は、7月には、ナチスと同盟して、ソ連を敵として、第二次ソ芬戦争を開始した。これは、事実上、フィンランドが枢軸同盟国の一員として、第二次世界大戦に参加することを意味した。カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥指揮下のフィンランド国防軍は、ナチスと組んで軍事作戦を展開し、レニングラードを包囲し住民を餓死させ、不凍港ムルマンスクを攻略し、ソ連への西側連合国の輸送船団を途絶させる作戦を展開した。


写真(右)1942年2月19日、ドイツ軍と同盟してソ連に侵攻したフィンランド、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:1R+OH)のコックピット後方
;大きなガラス風防はの後上方に7.92ミリMG15旋回機関銃が装備されている。
Uomala, valokuvaaja Kenraali Siilasvuo lähtee lentokoneella esikuntaansa, käytyään tarkastusmatkalla Uhtuan suunnalla. Kuvassa A.Ke. (F) Finnlandin Fieseler Fi 156 Storch, tunnus 1R+OH...
Organisation Military Museum Photo info 1942-02-19 Uomala, valokuvaaja
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-1777引用。


フィンランドが、1941年6月に、ドイツのソ連侵攻直後、第二次ソ芬戦争、継続戦争を開始した。孤立無援でドイツと戦っていたイギリスは、すぐにソ連と同盟したの、フィンランドによる同盟国ソ連への攻撃を侵略と見なしたイギリスは、フィンランドをドイツ同盟国とみなして宣戦布告した。ソ連の対ドイツ戦を支えるために、アメリカの武器貸与法に基づく援助を行っていたイギリスとしては当然の行動だった。第二次世界大戦のさなかであり、ソビエト連邦からは、継続戦争は、枢軸国フィンランドに対する大祖国戦争の一環である。


写真(右)1942年2月19日、ドイツ軍に続いてソ連に侵攻したフィンランド上空を飛行するドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
;胴体下面には、爆弾ではなく、追加80リットル燃料タンクを装備している。
Uomala, valokuvaaja Kenraali Siilasvuo lähtee lentokoneella esikuntaansa, käytyään tarkastusmatkalla Uhtuan suunnalla. Kone on saksalainen Fieseler Fi 156 Storch. Matkan pää Kananainen Kiestingissä.
Organisation Military Museum Photo info 1942-02-19 Uomala, valokuvaaja
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-1780引用。


wikipedia日本語版の言う「冬戦争の際に連合国はフィンランドに介入しようとしたが、その援軍を隣接国のノルウェー、スウェーデンが通過させず、連合国もそれ以上の介入はしなかった」と誤解を招く表現をしている。これは、イギリス・フランス市民がフィンランドに同情的であったため、イギリス政府・フランス政府が、ソ連への圧力をかけない理由を他のスカンジナビア諸国の責任とした言い訳に過ぎない。両国とも、ドイツ打倒を第一の目標としており、北欧の小国のために、自国の安全保障を犠牲にするつもりはなかった。その証拠に、フィンランドが継続戦争を開始すると、同盟国ソ連への攻撃を侵略と見なしたイギリスは、フィンランドをドイツ同盟国とみなして宣戦布告した。ソ連の対ドイツ戦を支えるために、アメリカの武器貸与法に基づく援助を行っていたイギリスとしては当然の行動だった。第二次世界大戦のさなかであり、ソビエト連邦からは、継続戦争は、枢軸国フィンランドに対する大祖国戦争の一環である。


写真(右)1942年2月19日、ドイツ軍と同盟してソ連に侵攻したフィンランド、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:1R+OH)のコックピット後方
;大きなガラス風防はの後上方に7.92ミリMG15旋回機関銃が装備されている。
Kenraali Siilasvuo lähtee lentokoneella esikuntaansa, käytyään tarkastusmatkalla Uhtuan suunnalla. Kuvassa A.Ke. (F) Finnlandin Fieseler Fi 156 Storch, tunnus 1R+OH..
Organisation Military Museum Photo info 1942-02-19
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-1777引用。


フィンランド側は、イギリス、アメリカ(開戦当初は中立)には戦争を仕掛けたいとは思っていなかった。そこで、第二次ソ芬戦争とは、あくまで、ソ連に対して1939年の冬戦争で奪われた国土の回復を求めた防衛戦争であるとの立場を主張した。しかし、ソ連がドイツの攻勢を一国で受け止めている状況で、イギリスもアメリカも、フィンランド側の言う「継続戦争」であり、イギリス・アメリカと戦う第二次大戦への参戦ではないという身勝手な論理は受けつかなかった。イギリスもアメリカも、ほとらー率いる軍事大国ドイツ打倒のために、ソ連の軍事力を必要としていたのであり、フィンランドに配慮している余裕はなかった。


写真(右)1942年2月19日、ドイツ軍と同盟してソ連に侵攻したフィンランド、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:1R+OH)のコックピット前方
;雪原を利用した離発着なので、車輪ではなく、橇式の降着装置を装備している。
Kenraali Siilasvuo lähtee lentokoneella esikuntaansa, käytyään tarkastusmatkalla Uhtuan suunnalla. Kuvassa A.Ke. (F) Finnlandin Fieseler Fi 156 Storch, tunnus 1R+OH..
Organisation Military Museum Photo info 1942-02-19
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-1776引用。


フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルヘイム(Carl Mannerheim)元帥は、対ソビエト連邦との二回目の戦争、継続戦争を1941年6月26日に初めた指導者の一人だが、自ら開戦した以上、何としてもソ連を弱体化し、1939年-1940年の冬戦争で失った固有の領土回復を果たしたかった。1942年のマンネルハイムのヒトラー訪問は、継続戦争開始1周年であり、フィンランドはソ連を明確な敵とし、枢軸国ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、ソ連領に攻め入っていた。1942年6月時点で、未だにドイツのヨーロッパ支配の状況は変わりはなく、イギリス、アメリカによるフィンランド攻撃の心配は、全くなかった。マンネルハイムだけでなく、フィンランド国民の多くは、いまこそ、ソ連弱体化の最大の機会であると考え、継続戦争を自らはじめ、善戦していた。


写真(右)1942年2月19日、ドイツ軍と同盟してソ連に侵攻したフィンランド、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:1R+OH)
;大きなガラス風防は平面を組み合わせており、歪みがなく視界が抜群である。
Kenraali Siilasvuo lähtee lentokoneella esikuntaansa, käytyään tarkastusmatkalla Uhtuan suunnalla. Kuvassa A.Ke. (F) Finnlandin Fieseler Fi 156 Storch, tunnus 1R+OH.
Organisation Military Museum Photo info 1942-02-19
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-44211引用。


1941年6月のドイツのソ連侵攻にあわせて始めた継続戦争だったが、1943年に入ると、明らかに戦局はフィンランド、ドイツに不利になってきた。ソ連に対しては、イギリス、アメリカが膨大な軍事物資を貸与しており、ソ連の生産力増強と相まって、フィンランド、ドイツは、ソ連軍の攻勢を防ぐことも困難になっていた。戦局が悪化する中で、1943年3月5日、フィンランド首相ヨハン・ランゲル(Johan Wilhelm Rangell)は辞任し、新たにエドウィン・リンコミエス(Edwin Linkomies)がフィンランド首相に就任したが、彼も、ソ連に降伏できない以上、ナチスとの同盟を堅持するしか選択肢はなかった。


1942年2月19日、ドイツ軍と同盟してソ連に侵攻したフィンランド、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機の後方に整列したドイツ軍兵士とフィンランド軍兵士
;フィンランド国防軍シラスヴオ将軍は、ウフトゥアを訪問し、スタッフとともに飛行機に搭乗、カウニアイへの連絡飛行に出発する。
Kenraali Siilasvuo lähtee lentokoneella esikuntaansa, käytyään tarkastusmatkalla Uhtuan suunnalla. Kuvassa seurataan kenraalin lähtöä lentomatkalle Kauniaisiin. Kone on saksalainen Fieseler Fi 156 Storch. Matkan pää Kananainen Kiestingissä...
Organisation Military Museum Photo info 1942-02-19 Uomala, valokuvaaja
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-11017引用。


フィンランドは、ソ連に奪われたカレリア地峡を奪還すると称して、1941年6月26日、「継続戦争」をはじめ、ソ連を攻撃した。そして、フィンランド国防軍総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Mannerheim)元帥の誕生日、1942年6月4日は、ヒトラーが空路フィンランドに飛来しお祝いに駆けつけ、マンネルハイム元帥自身が出迎えをした。


写真(右)1942年3月14日、フィンランド、フィンランド軍と同盟してソ連に侵攻したドイツ空軍のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒK-1 連絡機(登録コード:1R+OH)
;大きなガラス風防は平面を組み合わせており、歪みがなく視界が抜群である。
Kenraali Airo nousee lentokoneeseen Novikan jäällä. Kone Fieseler Fieseler Fi 156 K-1 Storch..
Organisation Military Museum Photo info 1942-03-14 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Museot Finna・sa-kuva-11017引用。


1941年6月26日にソ連侵攻「継続戦争」を指揮したフィンランド国防軍総司令官マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥だったが、戦局悪化の中、1944年8月4日、第6代フィンランド大統領に就任した。そして、1944年9月19日、ソ連と講和し、それまでの同盟国ドイツを裏切ることになった。


4.イタリア地中海方面で活躍したフィーゼラー(Fieseler)Fi-156

写真(右)1943年7月10日以上,イタリア南、シシリー島南岸コーミゾ(Comiso)、飛行場に放棄されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機の翼の下で任務をこなすイギリス空軍第324飛行戦隊の兵士たち:1943年7月10日、イギリス・アメリカ軍は、シシリー島攻略「ハスキー作戦」によってシシリー島南岸コーミゾ近郊に上陸し、空挺部隊を降下させた。
Royal Air Force- Italy, the Balkans and South-east Europe, 1942-1945. A temporary flight office of an RAF squadron at work, sheltered from the sun beneath the wing of an abandoned Fiesler Storch at Comiso, Sicily.
Date between 1942 and 1945
Author Daventry B J H (Fg Off), Royal Air Force official photographer
Associated people and organisations Royal Air Force, 324 Wing Squadron Associated places Comiso, Sicily, Italy Associated events Operation Husky, Allied Invasion of Sicily 1943, Italy, Second World War
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Royal Air Force- Italy, the Balkans and South-east Europe, 1942-1945. CNA1033.jpg引用。


1943年5月13日、北アフリカのチュニジアでドイツ・イタリア軍が降伏し、西側連合軍は、チュニジア・マルタから、チュニジア⁼シチリア島の中間にあるパンテッレリア島を空襲し、さらに艦砲射撃も実施して、6月11日にイタリア軍守備隊を降伏させた。

そして、1943年7月10日、西側連合軍は、イタリアのシシリー島攻略「ハスキー作戦」を発動、グライダー140機、空挺部隊3000人をシチリア島南部に降下させた。そして、シシリー島南岸に艦砲射撃の援護の下に、地上軍を上陸させた。

写真(右)1943年7月10日以降,イタリア南端、ターラント郊外グロッターリエ(Grottaglie)飛行場、損害を受けた格納庫を背景にしたアメリカ陸軍航空軍ノースアメリカンB-25C-20ミッチェル(Mitchell)双発爆撃機とイタリア空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch)連絡機:Fi-156の垂直尾翼には、イタリア空軍の国籍マークが記入されている。
A group of Italians in Italy get their first glimpse of an American North American B-25C-20 Mitchell bomber (s/n 42-64660, probably from the 321st BG) at close range at Grottaglie airfield, Apulia (Italy), from which RAAF fighter bombers were also in operation. In the background is an airship hangar that had been damaged by Allied bombings and an Italian Fieseler Fi 156 Storch STOL plane.
Date 1943
Author Laurence Craddock Le Guay, Australian armed forces Permission (Reusing this file) Image copyright: Copyright expired - public domain Bild 101I-567-1503D-39
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:B-25C and Fi 156 at Grottaglie airfield 1943.jpg引用。


1943年7月10日、「ハスキー作戦」に基づいてシシリー島に上陸したイギリス・アメリカ軍は、シシリー島北東端、イタリア本土にメッシーナ海峡を隔てて面したメッシーナを目指して進撃した。シシリー島上陸から1か月後、8月11日、シチリアのドイツ・イタリア軍守備隊は、イタリア半島に脱出した。シシリー島に住んでいたイタリア国民の中には、西側連合軍の占領を歓迎する動きが目立った。シシリー島が陥落したことで、イタリア国民の多くは、イタリアが世界大戦から離脱し、講和すべきであると考えるようになった。

DFS230 ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダーの胴体は、GAL.48ホットスパーが円形だったのと対照的に、鋼管羽布張りの方形断面で、テーパー翼は、前面は合板仕上げ、後部は羽布張りで軽量化を図っている。離陸時には車輪を使用するが、離陸直後に車輪を切り離して、機体を計量化している。着陸時には、胴体下面に固定されている木製の橇を使用する。グライダーは、使い捨ての兵器でもあり、経費と資源の節約のために、簡単な構造だった。

ドイツ滑空機研究所DFS 230 DFS 230兵員輸送グライダーの初の実戦は、1941年5月10日の西部戦線におけるベルギーのエバン・エマール要塞攻略戦にDFS 230 グライダー7機が参加。降下猟兵が要塞に爆雷を仕掛けて破壊した。また、翌1942年5月20日にはクレタ島攻略に多数が参加した。しかし、降下猟兵、輸送機、曳航機に大損害を被ったために、以後、ドイツ軍は大規模降下作戦を実施していない。

ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)ハンス・ヤコブス (Hans Jacobs) は、1935年開発のイギリス製のゼネラル・エアクラフト(General Aircraft)GAL.48ホットスパー(Hotspur)グライダーと同時期に、DFS 230 兵員輸送グライダーを開発した。1937年に試作機が完成したDFS 230 兵員輸送グライダーは、女流パイロットのハンナ・ライチュが試験飛行をして実用性を高めて、1939年から生産が開始された。

ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 グライダーは、胴体が角型断面の鋼管羽布張り、主翼が前部は木造合板、後部は羽布張りで軽量化されている。車輪は、離陸後に切り離され、曳航時の空力抵抗の減少が図られている。着陸時は、機体下部に装備した木製の橇を使用する。

ドイツ滑空機研究所DFS 230 兵員輸送グライダー機首の下方には、着陸に使用する木製の橇が見える。離陸の時には、橇ではなくその下に装着した車輪を使い、離陸した時に重量軽減のために車輪を投下する。

写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダー(滑空機):
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-569-1579-28A
Archive title: Italien.- Fallschirmjäger am Dach-MG eines Lastenseglers DFS 230 nach der Landung (Übung); PK Fs AOK
Dating: September 1943 Photographer: Stocker, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv:Signature;"Bild 101I-569-1579-28A"登録・引用(他引用不許可)。


DFS 230 A-1諸元
全長: 11,24 m
全高: 2,74 m
全幅: 20,87 m
主翼面積: 41,3 平方メートル
最高曳航速度: 210 km/h
空虚重量: 860 kg、最大全備重量: 2100 kg
乗員: パイロット1名
降下猟兵 9名搭乗
生産数は、A型654機、B型936機、その他合計1.603機。

ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダーが初めて実戦に参加したんぽは、1941年5月10日にのベルギー軍エバン・エマール要塞攻略戦である。これ以前のノルウェー戦でも降下猟兵が投入されてはいたが、パラシュート降下と輸送機による兵員輸送によっていた。グライダーによる降下猟兵の投入を控えていたのは、フランス侵攻に当たって特に要害となっていたエバン・エマール要塞の堅塁を攻略するためであり、それまでグライダー部隊は、秘匿されていたのである。

DFS 230 兵員輸送用グライダー7機に分乗したコマンド部隊は、空挺降下奇襲作戦によって、大きな損害を被ることなくエバン・エマール要塞を占領することに成功した。

写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダー(滑空機):地上でグライダーを運搬したのは,Hanomag SS 55トレーラー(後方)。グライダーの尾部に車輪を装着して、グライダー機体前部に元から装着されている車輪を使って引っ張った。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-566-1491-37
Archive title: Süditalien.- Hanomag SS 55als Zugfahrzeug für Lastensegler DFS 230 (Kennung S1+B1-B3); PK Fs AOK
Dating: 1943 Photographer: Stocker, Dr. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-566-1491-37引用(他引用不許可)。


DFS230 ドイツ軍による最大にして最後の大規模空挺作戦は、1942年5月20日に始まったギリシャ、クレタ島攻略「メルクール作戦」である。イギリス軍が守備するクレタ島にユンカースJu52輸送機で運ばれてパラシュート(落下傘)降下したり、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダーによる降下をしたりした降下猟兵(空挺部隊)は、防衛体制の整った守備隊の迎撃を受けて、大きな損害を被った。飛行場にユンカースJu52輸送機で乗り付けた降下猟兵も多数いた。

しかし、イギリス空軍の迎撃やクレタ島イギリス軍守備隊の対空砲火によって、輸送機ごと撃墜されるドイツ空軍降下猟兵も少なくなかった。ドイツ軍降下猟兵(空挺部隊)は2万名が参加したが、戦死は3,000人以上、航空機搭乗員の戦死300人以上で、その精鋭の損失は、新兵の補充では補うことはできなかった。また、ドイツ軍は、飛行場への輸送機による強行着陸も実施したが、その際、多数の輸送機が大きく損傷し、甚大な損害を被っていた。

1942年5月20日の地中海、クレタ島攻略「メルクール作戦」で、ドイツの精鋭部隊だった降下猟兵に大きな損害を被ったことで、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングは、自分の軍隊が損なわれることを危惧して、マルタ島攻略のための大規模空挺作戦を取り止めた。第二次大戦中、ドイツ降下猟兵は二度と大規模な空挺作戦を実施するとがなく、歩兵として、戦闘に投入された。

1936年8月初飛行のドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機の原型となったのは、ヘンシェルHs-122高翼機である。つまり、ヘンシェルHs-122Aをパラソル翼、片持ち式主脚(降着装置)、操縦席の風防を備えた発展型が、ヘンシェルHs 126である。

ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126は、視界良好な短距離偵察機で、地上部隊と密接に協力する日本陸軍で言う「直協」である。視界をよくするために、高翼式主翼とし、未整地での離着陸が容易なように、固定式降着装置という堅実な設計とした。装備して発動機は、試作1号機は、ユモJumo 210 D液冷V型12気筒エンジンで、1936年8月に初飛行した。

その後、ヘンシェル(Henschel)Hs 126V2試作2号機、Hs 126V3試作3号機は発動機を換装して、より出力の大きいブラモ(Bramo)323ファニール(Fafnir)空冷星型9気筒エンジンに変換している。 発動機の出力強化、武装強化をしたヘンシェル(Henschel)Hs 126V3試作3号機は、1937年からハインケルHe-46の後継偵察機として部隊配備が始められた。

写真(右)1943年,イタリア戦線、シチリア島、DFS 230グライダー曳航の準備をするドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 近距離偵察機:パラソル翼のヘンシェルHS-126は、偵察機だが、大戦後半は、低性能のために偵察任務を避けて、後方での訓練やグライダー輸送に使用された。Fw-189双発偵察機が地上部隊と協力しての偵察に当たるようになった。
Italien, Sizilien.- Mechaniker befestigt Schleppseil eines Lastenseglers DFS 230 am Heck einer Henschel Hs 126 auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Depicted place Sizilien
Date 1943
Photographer Schnitzer Institution German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-565-1425-37A
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・File:Bundesarchiv Bild 101I-565-1425-37A, Italien, Hs 126, Anhängen des Schleppseils.jpg引用


ヘンシェル ヘンシェル (Henschel) Hs-126 近距離偵察機諸元
全長: 10.85 m
全幅: 14.50 m
全高: 3.75m
全備重量: 3,275 kg
エンジン: B.M.W. ブラモ 323A-1 空冷9気筒 850 hp
最大速度: 356 km/h
航続距離: 720 km
武装 7.92ミリ機関銃2丁
爆弾搭載量 100 kg
乗員: 2名

1939年9月、第二次世界大戦がドイツのポーランド侵攻によって開始されたが、その時にドイツ空軍の近距離偵察機として実戦参加した。しかし、初の実戦参加は、1936年から1939年まで続いたスペイン内乱(スペイン市民戦争)で、ドイツ軍は、反乱軍・国民戦線を支援するために「コンドル軍団」を派兵した。その偵察機として、ヘンシェル(Henschel)Hs 126が投入されている。

1942年、エジプト国境、エル・アラメインの戦いで敗退したドイツ・イタリア枢軸軍は、アメリカ・イギリス連合軍による1942年11月8日のトーチ作戦によって、モロッコ、アルジェリア上陸によって背後を襲われた。また、1943年1月23日、イギリス軍バーナード・モントゴメリー大将隷下の第8軍は、枢軸軍の拠点トリポリを攻略、枢軸軍はリビアを抜けて、補給しやすいチュニジアに撤退した。しかし、イギリス軍はチュニジアに最も近いマルタ島の空軍基地を使って、イタリアからチュニジアへの補給を絶った。そして、チュニジアの枢軸軍を孤立化させた。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)が拘禁された山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )とその近くに強行着陸したドイツ空軍DFS230グライダーDFS 230 C-1:短距離着陸が可能なように機首にブレーキ用の逆噴射ロケットを装備。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- gelandete Lastensegler DFS 230 C-1. Im Hintergrund Hotel Campo Imperatore; Fs AOK
Title Gran Sasso, Lastensegler, Hotel Campo Imperatore
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503B-23
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-23, Gran Sasso, Lastensegler, Hotel Campo Imperatore.jpg引用。


ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーは、曳航され離陸滑走中には、胴体下面のゴム車輪を使用するが、離陸した直後に、重量軽減のために車輪を切り離なし投棄する。目的地に着陸する時には、グライダー胴体下面に固定した木製橇を使用する。そして、短距離で着陸、停止するために、接地した後に、胴体前部に装備した逆噴射ロケット3本を点火し、ブレーキとする。">DFS 230グライダーは、1939年から1944年11月までに、総計1603機が生産された。

ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーの諸元
乗員: 2人
搭載人員: 10人
全長: 11.3m (37ft)
全高: 2.8m (9ft4in)
翼幅: 21.1m(69ft1in)
主翼面積: 38.1m2 (410ft2)
最大離昇陸重量: 2100kg (4630lb)
性能
曳航最高速力: 161km/h
翼面荷重: 53.5kg/m2

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸したドイツ空軍降下猟兵、2.8センチsPzB41ゲルリッヒ軽対戦車砲とFG42自動小銃を装備している。:2.8センチsPzB41ゲルリッヒ軽対戦車砲は砲身長 171センチ、重量118キロ、タングステン芯徹甲弾で、口径は28ミリだが砲口発射時には20ミリ、初速1402m/秒。口径は小さくとも貫通力は大きい。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Fallschirmjäger mit leichtem Geschütz; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger mit Geschütz
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-01
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-09, Gran Sasso, Fallschirmjäger mit Geschütz.jpg引用。


ドイツ空軍降下猟兵、陸軍山岳猟兵、SS武装親衛隊からなっている特殊部隊(コマンド)が、1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈のグランサッソにグライダーで降下して、幽閉されていたムッソリーニを救出した。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )からに出てきたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と救出作戦に参加したドイツ空軍降下猟兵たち:1943年7月25日、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任され、その直後に逮捕された。そして、アペニン山脈山中のホテルに幽閉された。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini vor Hotel Campo Imperatore mit deutschen Fallschirmjägern und Lastenseglerpilot. links neben Mussolini Major Harald-Otto Mors; Fs AOK
Title Gran Sasso, Mussolini vor Hotel
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-14 Origin: Bundesarchiv
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-14, Gran Sasso, Mussolini vor Hotel.jpg引用。


1943年1月末、エルヴィン・ロンメル隷下のドイツ軍は、アルニムと共闘し、連合国軍に対する攻勢を企画し、2月中旬、カセリーヌ峠の戦いで防衛戦を構築した。3月中旬、チュニジア戦線の戦況報告のためにヒトラーの元に出向いたロンメルは、アフリカに戻ることを許されず、チュニジア戦線の指揮はアルニムに委ねられた。連合国軍はチュニジア北部の港湾チュニスに向けて攻撃を強め、マルタ島のイギリス空軍によって、枢軸国軍の補給を絶ち切った。1943年5月7日、アメリカ軍がビゼルト、イギリス軍がチュニスに突入したことで、チュニジア戦線の枢軸軍は、5月13日には全面的に降伏した。北アフリカ戦線で降伏して捕虜となった枢軸国軍は 27万人と膨大であり、これは3ヶ月前にソ連スターリングラードの敗戦時の2倍以上の規模だった。

1943年5月、北アフリカのドイツ軍・イタリア軍は、「トーチ作戦」でモロッコ・アルジェリアに上陸したアメリカ軍とエジプト・リビアを進撃してくるイギリス軍によって挟撃され、枢軸軍は西側連合軍に降伏した。そして、1943年7月10日、西側連合軍が「ハスキー作戦」でイタリア本土シチリア島に上陸すると、イタリア軍の士気は決定的に低下し、講和を望む声が高くなった。

1943年7月25日、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によってベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は首相を解任され、その直後に逮捕された。そして、アペニン山脈山中のホテルに幽閉された。 イタリアのファシスト党独裁者ムッソリーニも命運は尽きたと、多くの人々は考えた。

1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グランサッソに、パラソル翼のヘンシェルHS-126偵察機12機にグライダー12機が曳航されて、強行着陸した。目的は、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任され、秘かにグランサッソに拘束されていたベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)の救出である。

イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世も王室安泰のための講和を望み、元イタリア軍総司令官ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)元帥も1941年ギリシャ侵攻に失敗しムッソリーニに解任され、ムッソリーニを統領として相応しくないと感じていた。そこで、ファシスト党も勝利の希望を持てなくなった状況で、1943年7月25日のファシスト大評議会を開催し、ムッソリーニの出席する中、クーデーター的に首相退任要求の決議を採択した。これを受けて、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ムッソリーニを首相から解任し、その直後に警察によって逮捕させた。

イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)の後継首相にイタリア軍総司令官ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)元帥を任命した。バドリオ政権は、ドイツの武力介入に名目を与えないように、引き続きドイツとともに戦うと表明しながらも、裏では西側連合国との降伏交渉を進めていた。バドリオは、上官だったムッソリーニを逮捕、拘束していたが、ドイツ軍による奪還を警戒していた。そこで、イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)にある山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)にベニート・ムッソリーニを密かに隔離、幽閉して、イタリア軍に警備兵に監視させていた。グランサッソは、標高2000メートルで、山荘ホテルにアクセスするにはケーブルカー(ロープ―ウェー)を使用するしかなかったため、安全な隔離場所と考えられたのである。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)に幽閉されていたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出した時のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード: SJ+LL)
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Deutsche Fallschirmjäger beim Beobachten des Starts der Fiesler Fi 156 "Storch" mit Mussolini (im Hintergrund); PK Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger vor startendem Flugzeug
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503A-33 Origin: Bundesarchiv
写真は,Wikimedia Commons, Category:Fieseler Fi 156 Werknummer 1268 File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503A-33, Gran Sasso, Fallschirmjäger vor startendem Flugzeug.jpg引用。


アドルフ・ヒトラーは、イタリアとの軍事同盟を維持するにはベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)が必要であると考え、SS武装親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐に、ムッソリーニ救出を命じた。

DFS230 しかし、彼が山荘に幽閉されており、アクセスにケーブルカーを使用すれば、直ちにイタリア軍の反撃を受けて、ムッソリーニも処刑されるリスクがあった。そこで、ドイツ降下猟兵を主体とするドイツ軍特殊部隊(コマンド)を派遣して、奇襲をかけて、ムッソリーニを無事救出する計画が立案された。

このムッソリーニ救出作戦に投入された航空機は、狭い未整地に離着陸可能なフィーゼラーFi156"シュトルヒ"Fieseler Fi 156 "Storch")と、降下猟兵を送り込むDFS230グライダー12機である。グライダーを曳航したのは、ヘンシェルHs-126ユンカースJu-87であろう。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)に幽閉されていた元イタリア首相ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出した時のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード: SJ+LL)
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-567-1503C-03 Archive title: Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini im startbereiten Flugzeug Fieseler Fi 156 "Storch" (Kennung SJ+LL); Fs AOK Dating: 12. September 1943 Photographer: Schneiders, Toni Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-567-1503C-03引用(他引用不許可)。


1943年7月25日、イタリア首相ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任、逮捕された。そして、イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の山荘ホテル山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)に拘禁された。その幽閉中のベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)を救出するために、1943年9月12日,グランサッソ奇襲ムッソリーニ救出作戦が決行された。つまり、ドイツ空軍DFS 230 C-1でドイツ空軍降下猟兵たちがグランサッソに送り込まれ、脱出用に不整地に短距離で離着陸が可能なフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機が派遣されたのである。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)に幽閉されていた元イタリア首相ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出した時のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード: SJ+LL)
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini im startbereiten Flugzeug Fieseler Fi 156 "Storch" (Kennung SJ+LL); Fs AOK
Title Gran Sasso, Fieseler Fi 156 »Storch«
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-04 Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-04, Gran Sasso, Fieseler Fi 156 »Storch«.jpg引用。


1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈標高2,000メートルの山中に位置するグラン・サッソ(Gran Sasso)にイタリア兵200名の監視下に幽閉されていたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出するために、ドイツ空軍ハラルト・モルス少佐を指揮官とする降下猟兵とSS武装親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐率いるSS武装親衛隊16人からなるコマンド部隊は、ユンカースJu87爆撃機あるいはヘンシェルHs126偵察機が曳航したと思われるDFS230グライダー12機に分乗し出撃した。これが、グランサッソ奇襲ムッソリーニ救出作戦である。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)に幽閉されていた元イタリア首相ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出した時のドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード: SJ+LL)
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini im startbereiten Flugzeug Fieseler Fi 156 "Storch" (Kennung SJ+LL); Fs AOK
Title Gran Sasso, Fieseler Fi 156 »Storch«
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-05 Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-04, Gran Sasso, Fieseler Fi 156 »Storch«.jpg引用。


グランサッソ奇襲ムッソリーニ救出作戦には、イタリア軍の将軍も参加していた。これは、ムッソリーニを監視しているイタリア将兵たちの武力抵抗をやめさせるためである。騎兵将校フェルナンド・ソレティ(Fernando Soleti:1891-1978) は、第一次世界大戦中のピエモンテ騎兵隊の将校として武功をあげ、ムッソリーニ政権でも活躍した。しかし、1943年に国王への忠誠を優先して、ムッソリーニに対するクーデターに協力した。しかし、その後、ドイツのSS親衛隊に逮捕された。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)から救出され、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード: SJ+LL)に乗り込む元イタリア首相ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini):1943年7月25日、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任され、その直後に逮捕された。救出されたムッソリーニは、諦めきった表情のように見えるが、これはドイツ・ヒトラーの傀儡となる運命に暗澹たる気分に落ち込んだためであろう。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini. Benito Mussolini im Flugzeug Fieseler Fi 156 »Storch«
Title Gran Sasso, Mussolini im Fieseler »Storch«
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 183-J22932 Origin: Bundesarchiv
Photographer Kayser, Bruno v.
写真は,Wikimedia Commons, Category:Fieseler Fi 156 Werknummer 1268 File:Bundesarchiv Bild 183-J22932, Gran Sasso, Mussolini im Fieseler »Storch«.jpg引用。


グラン・サッソ山荘王ホテル「カンポ・インペラトーレ」近くにグライダー降下したドイツ軍将兵は、ムッソリーニが幽閉されていた山荘に奇襲をかけ、守備していたイタリア軍の抵抗をほとんど受けることなく、ムッソリーニを開放した。救出されたムッソリーニは、SS武装親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐とドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」連絡機(登録コード:SJ+LL)に同乗して、山腹から離陸した。

グライダー降下した降下猟兵は、グランサッソを撤退する前に、敵の手にDFS 230グライダーを渡さないように、自ら焼却、破壊した。そして、山荘に通じるケーブルカー(ロープウェイ)を使って、下山した。

SS武装親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐は、無事ムッソリーニを救出した功績で、SS中佐に昇進しヒトラーから騎士十字章を授与された。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁されたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後に、強行着陸したドイツ空軍グライダーDFS 230 C-1に火がかけられた。:ドイツ空軍降下猟兵が1名、機首の前に立っている。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Zerstörung (Verbrennen) der gelandeten Lastensegler DFS 230 C-1; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-03
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-03, Gran Sasso, Zerstörung der Lastensegler.jpg引用。


1943年7月25日に樹立されたピエトロ・バドリオを首班とする新イタリア政府は、1943年9月8日、連合国に無条件降伏した。イタリア脱落を予期していたドイツは、即座にローマ、北イタリアを占領し、9月12日には、SS武装親衛隊Otto Skorzeny)少佐とドイツ降下猟兵らが拘禁から解放したベニート・ムッソリーニを首班とするファシスト政権、俗にいうサロ傀儡政府を樹立した。

グランサッソのムッソリーニ救出奇襲作戦に使用されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機は1機のみで、コマンド部隊は、みなヘンシェルHs126偵察機(12機)が曳航するDFS230グライダー12機に便乗して、グランサッソに降り立った。この往路に使用したグライダーは、岩だらけの山腹に着陸した時破損しており、その後、敵の手に渡らないように焼却処分された。

1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈、標高2000メートルのグラン・サッソ(Gran Sasso)にドイツ空軍DFS230グライダーDFS 230 C-1グライダーで降下したドイツ軍の降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊からなる特殊部隊(コマンド部隊)は、グラン・サッソに拘束されていたムソリーニを解放、救出することに成功した。そして、グランサッソ山上で、解放したムッソリーニを、フィーゼラーFi156連絡機に乗せて送り出した。その後、山上からケーブルカー(ロープ―ウェー)に乗って下界に降りた。1943年9月13日,ドイツ軍コマンド部隊(特殊部隊)は、負傷者も連れて、山麓から、トラック、サイドカーに乗って、撤収した。

したがって、グランサッソのムッソリーニ救出作戦に参加した100名のドイツ軍兵士は、陸路をドイツ支配圏まで撤収するしかなかった。そこで、ドイツ軍は、山腹からケーブルカーで下界に降りた。

ドイツ空軍DFS230グライダーDFS 230 C-1でグランサッソに来襲したドイツ軍の兵士の中には、グライダーの着地に失敗し、負傷した搭乗者もでた。フィーゼラーFi156連絡機で撤収したのは、武装SS親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐など幹部だけで、負傷も武装親衛隊員、ドイツ陸軍山岳猟兵、ドイツ空軍降下猟兵も大半は、陸路で撤収した。陸軍は、トラックではサイドカーを運搬してきたが、これはSS武装親衛隊員の撤収に使われた。ドイツ空軍降下猟兵とドイツ陸軍山岳猟兵は、このトラックに乗車して撤収した。

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後、陸路を撤収するドイツ軍特殊部隊の隊員(ドイツ空軍降下猟兵あるいは武装SS親衛隊):武装親衛隊は、迷彩塗装をした軍服・ケープ・ヘルメットカバーを世界でいち早く導入した。日本陸軍も、1945年4月の沖縄のアメリカ軍飛行場への義烈特攻隊のコマンド部隊兵士が臨時の迷彩服を着用している。
Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger Info non-talk.svg
Title Italien, Abruzzen.- Rückkehr vom Gran Sasso Date 13 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-27
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-27, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出にドイツ空軍DFS230グライダーDFS 230 C-1で飛来した時、不時着した機体では、搭乗していたドイツ兵が骨折や打撲などの傷を負い、戦闘に参加できなかった。このようなドイツ兵負傷者は、ムッソリーニがフィーゼラーFi-156連絡機で飛び去った後に、グランサッソに通じるケーブルカー、トラックで後送された。

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ムッソリーニ(Mussolini)救出後、トラックで撤収するにドイツ軍の降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊:グランサッソの侵攻した時、グライダーが不時着して、負傷した隊員もいる。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Fahrzeugkolonne; Fs AOK
Title Gran Sasso,Fahrzeugkolonne
Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503C-24
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-24, Gran Sasso,Fahrzeugkolonne.jpg引用。


1943年9月12日、グランサッソに幽閉されていたベニート・ムッソリーニをドイツ空軍DFS230グライダーDFS 230で奇襲したが、岩だらけの高原に着地しようとして、不時着、破損したグライダーの搭乗員は負傷した。ドイツ軍兵士は、グランサッソ山上から下界にケーブルカー(ロープ―ウェー)で降りてきたので、負傷者の後送も容易にできた。翌日9月13日mドイツ軍コマンド部隊(特殊部隊)は、山麓から、トラック、サイドカーを使って撤収した。

⇒写真集Album:グランサッソからのベニート・ムッソリーニ救出作戦 を詳しく見る。

1943年9月9日、西側連合国軍は、ナポリ近郊のサレルノに上陸し、1943年11月6日、ソ連軍は、ウクライナの主要都市キエフを解放した。しかし、イタリアのドイツ軍は防衛ラインを複数構築して、持久戦を粘り強く戦い、1944年1月22日、西側連合国軍がローマ南、アンツィオに上陸しても、上陸部隊が内陸に侵攻するのを防戦した。連合国軍がローマを解放できたのは、それから4カ月以上たった1944年6月4日だった。1944年6月6日、西側連合軍が、北フランスのノルマンディー海岸への上陸に成功し、ソ連の東部戦線とならんで「第二戦線」としてやっと西部戦線が開かれた。

1944年3月19日、ドイツ同盟国ハンガリーもイタリア、ブルガリアに習って、戦線離脱、講和の動きがみられたため、ドイツ軍は、ハンガリーを占領し、最高司令官の摂政ミクローシュ・ホルティ(Miklós Horthy:1868-1957)に親独の総理大臣を指名させる。しかし、ホルティもハンガリーの講和を画策し続けたため、ヒトラーは1944年10月、オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)SS中佐に命じて、ホルティの息子ミクローシュを誘拐し、脅迫によってホルティを追放し、ハンガリーのファシストである矢十字党によるドイツ傀儡ハンガリー政権を樹立し、ドイツ同盟国として徹底抗戦させた。


5.第二次世界大戦末期のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156連絡機


写真(右)1944年1月7日、フィンランド、フィンランド軍のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機K-1
;ナチ党ハーケンクロイツと同様の反共産主義カギ十字がフィンランド軍の国籍マークである。大きなガラス風防だが、後上方に7.92ミリMG15旋回機関銃の銃座はない。
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Ilmavoimien esikunnan Fieseler Storsch-kone. Lentokone on Fieseler Fi 156 K-1 Storch.
Organisation Military Museum Photo info 1944-01-07 Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
写真はSan Diego Air and Space Museum ArchPhoto info undated Kapteeni T.Suhonen, valokuvaaja ive Museot Finna・sa-kuva-1777引用。


wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を忌避するために唱えられた方便であろう。

フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。

1939年の冬戦争、1941年の継続戦争でも、青のカギ十字は、フィンランド軍の国籍マークとして使われたが、継承戦争末期の1944年、リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は、フィンランド大統領を辞職し、新大統領にカール・グスタフ・マンネルヘイム元帥が就任して、ソ連と講和し、対ドイツ戦争を開始しした。この時に、フィンランド軍のカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は廃止された。

1941年6月にソ連に侵攻して「継続戦争」を始めたフィンランドだったが、1944年夏の戦闘も苦戦し、9月にはソ連・イギリスとの戦争に敗北し、降伏することになる。そして、フィンランド国内に残ってる外国軍を排除するという条件をのんだため、盟友だったドイツ軍と戦う「ラップランド戦争」を始めた。降伏後も、平和が訪れたのではなく、ドイツ敗北迄戦争は続いたのである。

写真(右)1944年2月,ソビエト連邦、負傷者空輸に使用されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch)連絡機:患者輸送に便利なようにコックピット後部に大きな側方扉が開いている。
Russland, Verwundeten-transport mit Fieseler Storch ADN-ZB-Archiv II.Weltkrieg 1939-45 An der Front in der Sowjetunion, Mitte Februar 1944, Verwundete deutsche Soldaten werden südlich des Pripjet aus der Haupt-kampflinie durch leichte Flugzeuge von Typ "Fieseler Storch" abtransportiert. Foto: Thiemann, 615-44 [Scherl Bilderdienst] [Sowjetunion,]
February 1944
Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild (Bild 183) Bild 183-J16767
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 183-J16767, Russland, Verwundetentransport mit Fieseler Storch.jpg引用。


写真(右)1944年3月、ロシア、ドイツ東部戦線、不時着破損したドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機:搭乗員と現地に駐屯していたドイツ軍将兵の記念写真であろうか。
Title Russland, abgestürzter Fieseler Storch
Photographer August Ahrens (1893–1967)
Depicted place Russia Date March 1944 Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Waffen-SS (Bild 101 III)
Accession number Bild 101III-AhrensA-015-25A
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:Bundesarchiv Bild 101III-AhrensA-015-25A, Russland, abgestürzter Fieseler Storch.jpg引用。


写真(右)1945年(?),飛行場上空を低空飛行するフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機:垂直尾翼にはポーランド空軍の国籍マークが描れている。尾部下面には小型軽量で空気抵抗も小さい尾橇が明瞭に見える。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079240引用。


1939年9月1日、ドイツのポーランド侵攻「白の事例」によって第二次世界大戦が勃発した。この時、ポーランド空軍には、モラーヌ ソルニエ 30E1戦闘機、モラーヌ ソルニエ MS.406戦闘機のようなフランス製軍用機が中心だったが、PZL(Państwowe Zakłady Lotnicze)37双発爆撃機のような国産機も装備していた。ポーランド空軍将兵は、性能的にドイツ機よりも劣る機体で果敢に反撃した。

1939年9月3日、ポーランドの国境を保障していたイギリス、フランスがドイツに宣戦布告した。しかし、イギリス・フランスは、9月3日以降も、ドイツに対して地上軍も空軍も何ら攻勢をとらなかった。これは「座り込み戦争」「まやかし戦争」とも揶揄されたが、英仏に比較して、ポーランドは第二次大戦の最初から、果敢に最前線で戦ったのである。

写真(右)1945年(?),未舗装飛行場に待機する垂直尾翼にポーランド空軍の国籍マークを描いたフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機:小型軽量で空気抵抗も小さい尾橇ではなく、支柱を伸ばしたソリッド小型車輪が明瞭に見える。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079219引用。


1939年9月17日、ポーランド政府が、ルーマニアに脱出すると、ソビエト連邦は、ポーランド政府が崩壊し、ソ連ポーランド不可侵条約が無効になったと発表し、東部からポーランドに進駐した。9月27日、抵抗を続けていたワルシャワのポーランド軍がドイツに降伏し、ポーランド政府もはルーマニアに亡命してしまった。しかし、ポーランドがドイツとソ連に分割占領された後も、生き伸びたポーランド軍兵士は、フランスに脱出しそこで戦い、フランスが1940年6月に敗れても、イギリスで戦った。

特にイギリスは、亡命したポーランド空軍将兵を編入してポーランド戦闘機隊を編成し、英本土航空決戦に投入した。そして、ポーランド人部隊を、北アフリカ戦線、地中海方面にも投入した。士気旺盛なポーランド人部隊からは、60人近いポーランド人操縦士がイギリス空軍のエースとなった。

写真(右)1945年(?),西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機:滑走路は、本来未舗装だが、地面の上に鉄製の多孔式金属板を敷き詰めている。この板は、軽量化と水分浸透のために、穴があけられている。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079240引用。


フィーゼラー(Fieseler)Fi-156A連絡機の原型は、1936年5月10日に、アルグス As 10空冷V型8気筒エンジン(180kW:240HP)を搭載して初飛行した。最高速力は時速175km/hと低速だったが、短距離の離着陸ができるSTOL性が高く、飛行場ではない未整備地での離着陸能力が高かった。

写真(右)1945年,西側連合国軍に鹵獲されたと思われるドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機の操縦計器盤:中央の手前には、スティック式の操縦桿が写っている。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079236引用。


フィーゼラーFi 156Aは、最低速力(失速度)50km/hで、地上との連絡や偵察にこの低速が役に立った。離陸滑走距離は45メートル、着陸滑走距離は18mと、短距離での離着陸が可能で、降着装置の車輪間隔が広いために、未整地での離着陸にも便利だった。

写真(右)1945年(?),西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機の操縦席前下方:垂直尾翼を操作するペダルが見える。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079226引用。


フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機は、主翼の全幅が大きく、高い揚力を発揮することができた。そして、主翼前縁には、固定スラットが前面に渡て装備されており、主食後縁には、ヒンジで留められたエルロンとフラップが設けられたが、これは主翼との間に住み間を持つスロッテッド(隙間)方式だった。

写真(右)1945年(?),西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機の操縦席右前下方:垂直尾翼を操作するペダルが見える。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079227引用。


フィーゼラーFi 156シュトルヒ連絡機、地上での隠匿性やトラックによる陸上移動性を高めるために、全幅の大きな主翼を胴体に添わせるように折り畳むことができた。全幅が縮小したために、トレーラーへの積載、自動車での輸送にも便利になったのである。

写真(右)1945年(?),西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機の操縦席左前下方:垂直尾翼を操作するペダルとトリム調整の手動式滑車が見える。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079229引用。


ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)の成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。

写真(右)1945年(?),西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機のコックピット操縦席:スティック式の操縦桿、計器盤、足元には垂直尾翼のフットペダル左右2個が写っている。
Fieseler Fi 156 Storch
Manufacturer: Fieseler Fi 156 Storch
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079246引用。


1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会演説でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説、その後の1941年6月29日の法令を根拠に,自らを後継者として自認していた。これを元に,1945年4月23日のベルリン攻防戦の最中に、ゲーリングはヒトラーに対して、連絡が取れなくなった場合、自分がドイツの最高指導者の地位を引き継ぎたいと電文を発した。しかし、ヒトラーは、これをゲーリングンの裏切りと感じ、激怒してゲーリングの公職追放・監禁を命じた。

1945年4月23日、ヒトラーは、罷免したドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥の代わりにローベルト・フォン・グライム元帥を後任の空軍総司令官に任命しようとは、ソ連軍に包囲されたベルリン総統地下壕にグライムを招聘した。

1945年4月26日に、女流飛行家ハンナ・ライチュHanna Reitsch)とともにベルリン北100キロのレヒリン-レルツ飛行場から、グライムの操縦するフォッケウルフFw190戦闘機で12機のFw190に護衛されて、ベルリンのガトウ飛行場に飛んだ。

写真(右)1945年(?),西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機の座席側面に取り付けられた拳銃型の信号弾発射装置:拳銃式のグリップとトリガーが、信号弾を発射する鋼管の根元に装着されている。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079224引用。


1945年4月26日、ガトウ飛行場からフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機を操縦して、グライムとハンナ・ライチュHanna Reitsch)はソ連軍の迫っているベルリン市街総統地下壕近くのティーガルテン通りの臨時滑走路に向かった。

しかしフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」は、ソ連軍軍の対空砲火により損傷、操縦していたグライムは足に重傷を負って操縦不能になったが、操縦をハンナ・ライチュHanna Reitsch)に代わって包囲下のベルリンに着陸した。

写真(右)1945年(?),西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機の座席側面に取り付けられた拳銃型の信号弾発射装置:拳銃式のグリップとトリガーが、信号弾を発射する鋼管の根元に装着されている。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079233引用。


1945年4月26日、フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)連絡機を操縦し、ベルリン総統地下壕のヒトラーの下にはせ参じようとしたグライムは、ソ連軍の対空砲火で足に重傷を負って、同乗のライチュの操縦で、ティーアガルテン通りに着地した。そこで、グライムとライチュは、ドイツ軍トラックに乗り、総統地下壕に到着した。そこでグライムはヒトラー侍医テオドール・モレルの知り合いの外科医ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガー(Ludwig Stumpfegger)から治療を受けた。ヒトラーは、ゲーリングとヒムラーに裏切られていたこともあって、グライムとライチュを褒め讃え、グライムを空軍総司令官に正式に任命した。


写真(左)1945年,西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機の後方席
:中央の後方には、後席の後上方7.92ミリMG15旋回機関銃が見える。
写真(右)1945年,西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラーFi-156シュトルヒ連絡機の後方席から前方の操縦席を見た所:中央の奥には、操縦席の計器盤が見える。
Fiesler Fi-156
Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156
Official Nickname: Storch
写真左はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079235引用。
写真右はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079244引用。


 ヒトラーは、愛人エヴァ・ブラウン、啓蒙宣伝大臣ゲッベルス夫人マクダ(Magda Goebbels)も伴って、グライム、ライチュと食事を共にした。包囲下のベルリン総統地下壕でマクダは、先夫で大富豪ギュンター・クヴァントとの息子であるハラルト(Harald Quandt)宛ての遺書をグライムたちに託した。


写真(左)1945年,西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機の後方席の後上方7.92ミリMG15旋回機関銃
:銃座のガラス風防の先に、アラドAr195練習機が写っているが。その胴体には青地に白星のアメリカの国籍マークに書き換えられている。
写真(右)1945年,西側連合国軍に鹵獲されたフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機の操縦席側方のフラップ調整装置:中央の奥には、手動式滑車とチェーンが見える。操縦席左のガラス風防越しに、アメリカのパトロールカーが写っている。
Fiesler Fi-156
Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156
Official Nickname: Storch
写真左はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079234引用。
写真右はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079237引用。


総統地下壕で3日を過ごしたグライムは、足を撃たれ操縦不能だったが、ハンナ・ライチュHanna Reitsch)が操縦して、1945年4月29日、アラドAr96複座練習機で、ティーアガルテン通りを離陸しベルリンを脱出した。その翌日、1945年4月30日、ヒトラーとエヴァは自殺し、遺体は焼かれた。


写真(左)1945年,西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機の右側ガラス風防からパラソル翼
:トリムタブや重心調子のためのチェーンの付いた滑車がついている。
写真(右)1945年,西側連合国軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラーFi-156シュトルヒ連絡機の後方席から上方ガラス風防を見た所:中央の奥には、操縦席の計器盤が見える。
Fiesler Fi-156
Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156
Official Nickname: Storch
写真左はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079230引用。
写真右はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079245引用。


1945年5月2日 ベルリンは陥落しソ連軍に占領された。5月7日、国防軍最高司令部(OKW)作戦部長アルフレート・ヨードル大将は、西側連合国への降伏文書にランスで署名した。5月8日、国防軍最高司令部(OKW)総長ヴィルヘルム・カイテル元帥は、連合国への降伏文書に署名した。こうして、第二次世界大戦でドイツは敗北してヨーロッパ大戦が終わったのである。

写真(右)1945年(?),アメリカ軍に鹵獲されたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機:滑走路は、本来未舗装。
AL-32 Hatchard Album Photo_00286
Image from an Album (AL-32) which belonged to James Hatchard. The album contains images showing Hatchard's experiences in the Second World War. Hatchard was a liason officer in the 94th Infantry Division.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive 引用。


1945年5月23日 ヒトラーから後継の大統領に指名されドイツ・フレンスブルク政府新元首となっていたカール・デーニッツ海軍元帥は、閣僚とともに戦争犯罪の容疑で逮捕された。

ベルリンを脱出したグライムとハンナ・ライチュHanna Reitsch)は、5月初旬にはアメリカ軍の捕虜となり、オーストリアのザルツブルクに移送された。しかし、グライムは、ソ連に引き渡されるこになったため、5月24日にザルツブルクで毒薬を仰いで自決した。

写真(右)1945年(?),アメリカ軍に鹵獲されアメリカの国籍記章を描いたドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機:垂直尾翼は、白と赤のアメリカ国旗のストライプは、味方に敵機として見誤れないようにするために目立っている。同じような塗装を、第二次世界大戦前のアメリカ軍も同様の塗装をしていた。滑走路は、未舗装で草原のようにみえる。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46168110 - Catalog:16_007307 - Title:Fieseler Fi 156 "Storch" in US Markings - Filename:16_007307.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ベルリンを脱出したグライムとハンナ・ライチュHanna Reitsch)は、5月初旬にはアメリカ軍の捕虜となり、オーストリアのザルツブルクに移送された。しかし、グライムは、ソ連に引き渡されるこになったため、5月24日にザルツブルクで毒薬を仰いで自決した。

写真(右)1945年(?),スウェーデン、ストックホルム、スウェーデン空軍のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機67号機:滑走路は、本来未舗装だが、地面の上に鉄製の多孔式金属板を敷き詰めている。この板は、軽量化と水分浸透のために、穴があけられている。
Fieseler Fi. 156k Storch Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID: 38235634 - Catalog: Array - Title: Array - Filename: 15_002306.TIF ---Image from the Charles Daniels Photo Collection.
Album: German Aircraft.---PLEASE TAG these images with any information you know about them so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079240引用。


写真(右)1945年(?),フランス、フランス空軍のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ救急搬送機は、フランスではモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)MS.500と命名されている。:フランスの国籍マークのほかに、白丸に赤十字の赤十字社の記章を描いており、機体も白色に塗装されている。尾部には尾橇がついている。
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079215引用。


図(右)ドイツ空軍塗装のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-3シュトルヒ連絡機の三面図
Description English: Fieseler 156 c3 Storch
Date 1 June 2013, 13:57:52
Source Own work
Author Kaboldy
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:Fiesler 156 c3 Storch.svg引用。


フィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-3シュトルヒ連絡機の諸元
初飛行 1936年5月10日
就役 1937年
生産期間:1936-1945年3月末
ドイツ軍向け生産機数:2867機
1965年までフランス製MS 500が生産された。
乗員:1名
搭載人員:3名
全長 9.9m
全幅 14.3m
全高 3.1m
主翼面積 26平方メートル
空虚重量 860kg
総重量 1,260kg
最大離陸重量 1,330kg
発動機:アルグス As 10空冷倒立エンジン240HP (180kW)

フィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-3シュトルヒ連絡機の性能
最高速力 175km/h
航続距離 380km
上昇限度 5,200m
上昇率 290m/分
翼面荷重 48.5kg/m2
兵装:7.92ミリMG 15旋回機関銃1丁




6.現存するフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch)

写真(右)1992年6月15-21日、ドイツ、ベルリン、シェーネフィールド(Schönefeld )、ルフトハンザ航空国際祭(Internationale Luftfahrtaustellung (ILA) 1992)に参加しドイツ空軍塗装のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(登録コード:EA-LM)、フランス製モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)MS.500:後方は、アメリカ製ベル212「ヒューイ」ヘリコプターで、ともに短距離の離着陸が可能で、STOL性が高いために、地上部隊との協力・連絡が重要な任務である。この時は、クレムKl35単発複座練習機も展示された。そのほかは、ジェット戦闘機F4ファントム、ミグMG-29、ミグMG-31、シコルスキーCH-53Gスタリオン、ウェストランドH-3シーキングも展示された。
English: Fieseler Fi 156 Storch at Internationale Luftfahrtaustellung (ILA) 1992 Edition. In background, a Bell Huey helicopter. Original photo taken with Leica R3 camera. Image scanned from photograph
Date 17 June 1992
Source Own work Author Bento Mattos Meskens
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:Fieseler Fi 156 Storch at Internationale Luftfahrtaustellung (ILA) 1992 Edition.jpg引用。


写真(右)2013年12月、ベルギー、ブシュッセル空軍軍事歴史博物館(Royal Museum of the Armed Forces and Military History in Brussels)に保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-3シュトルヒ連絡機‘KR+QX’ (OE-ADT)(製造番号c/n 5503 )
Fieseler Storch.
Date 18 December 2013, 11:34
Source Fieseler Storch Author Clemens Vasters from Viersen, Germany
写真は写真はCategory:Fieseler Fi 156 Storch at RAF Museum Cosford File:Royal Military Museum, Brussels - Fieseler Storch (11449287436).jpg引用。


ベルギー、ブシュッセル空軍軍事歴史博物館(Royal Museum of the Armed Forces and Military History in Brussels)に保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-3シュトルヒ連絡機‘KR+QX’ (OE-ADT)は、1941年にドイツで製造された製造番号c/n 5503の機体で、ドイツ敗戦目前の1945年4月4日に、スウェーデンに亡命、着地した。その後、スウェーデン空軍でS-14Bの呼称で使用された後に、オーストリアで民間機として登録コードOE-ADTで使用された。それから、ブシュッセル空軍軍事歴史博物館(Royal Museum of the Armed Forces and Military History in Brussels)に渡り、展示されている。

写真(右)2016年6月、ベルギー、ブシュッセル空軍軍事歴史博物館(Royal Museum of the Armed Forces and Military History in Brussels)に保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-3シュトルヒ連絡機‘KR+QX’ (OE-ADT)(製造番号c/n 5503 ):離着陸に使用するフラップが非常に大きく、低速時の飛行安定性・機動性を重視した設計になっている。
c/n 5503. Genuine German Storch built in 1941. Landed in Sweden and interned on 4th April 1945. Became Fv3822 as an S-14b with the Swedish Air Force. Later registered as OE-ADT for civil use in Austria, possibly for spraying work. Now preserved and on display at the Musee Royal de l'Armee et d'Histoire Militaire (usually known as the Brussels Air Museum), Brussels, Belgium. 26th June 2016.
Date 26 June 2016, 10:50 Source Fieseler Fi156C-3/trop Storch ‘KR+QX’ (OE-ADT)
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はCategory:Fieseler Fi 156 Storch at RAF Museum Cosford File:Fieseler Fi156C-3-trop Storch ‘KR+QX’ (OE-ADT) (34874997672).jpg引用。


写真(右)2010年8月、イギリス、イギリス空軍(RAF)博物館に保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-7シュトルヒ連絡機(製造番号c/n 475081)
Photo of Fieseler Fi 156 Storch aircraft, taken at the RAF Museum Cosford, Shropshire, England.
Date 16 August 2010 Source Own work Author Rept0n1x
写真はCategory:Fieseler Fi 156 Storch at RAF Museum Cosford File:Fi 156 at RAF Museum Cosford.jpg引用。


写真(右)2013年11月、イギリス、イギリス空軍(RAF)博物館に保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-7シュトルヒ連絡機(製造番号c/n 475081):降着装置の車輪の間隔が広く、未整地における離着陸の場合に安定性を確保している。
Fiesler Storch.
Date 2 November 2013, 13:41 Source Fiesler Storch Author ozz13x
写真はCategory:Fieseler Fi 156 Storch at RAF Museum Cosford File:Fiesler Storch (10629822926).jpg引用。


写真(右)2018年8月、イギリス、イギリス空軍(RAF)博物館に保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-7シュトルヒ連絡機(製造番号c/n 475081):後方には、日本陸軍百式司令部偵察機III型が見える。
c/n 475081 Built 1944 by Mraz in Czechoslovakia. Surrendered by German forces at Flensburg, Germany at the end of the war. Flown to RAF Farnborough in September 1945 and used for technical evaluations, demonstrations and as a glider tug. In April 1946 it was allocated British military serial VP546 and continued flying on RAE business until 1955 when she was retired and offered for disposal. In October 1956 she was allocated to the Air Historical Branch (AHB) and was stored at several locations, ending up at RAF Coltishall. While at Coltishall, the resident Battle of Britain Memorial Flight considered returning her to flight, but sadly did not have the manpower to do so. She moved to RAF StAthan in 1973 and a long restoration began in 1976. This was completed in the mid 1980’s and in April 1989 she moved to Cosford where she remains on display, currently in the ‘War in the Air’ hangar. RAF Museum, Cosford, Shropshire, UK.
9th June 2018 Date 14 August 2016, 11:43.
Source Fieseler Fi156C-7 Storch ‘475081 / GM+AK’ (VP546).
Author Alan Wilson from Peterborough, Cambs, UK
写真はCategory:Fieseler Fi 156 Storch at RAF Museum Cosford File:Fieseler Fi156C-7 Storch ‘475081 GM+AK’ (VP546) (47045121922).jpg引用。


写真(右)主翼を折畳んだドイツ空軍塗装のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機:格納庫の扉は一部しか開いていないが、飛行機の主翼が折り畳まれているので、出入りができる。
History of SDASM Collection Image PictionID: 41004712 - Title: SDASM Restoration Ford Building
Filename: BP SDASM_00762.TIF - - Image from the History of the San Diego Air and Space Museum and Balboa Park Collection.
Source Own work Author Bento Mattos Meskens
写真は San Diego Air and Space Museum - Catalog: BP SDASM_00762 引用。


写真(右)アメリカ、カリフォルニア州チノ(Chino)郊外、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Air Museum)、主翼を折り畳んだ状態で保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機、オリジナルは、フランスのモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)MS.502 Criquet:フランスのモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)社では、ドイツ占領時期の1942年からフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機を生産している。原型と同じドイツのアルグス(Argus)エンジン搭載型は、MS.500と呼ばれたが、230hpのサルムソン(Salmson)9Abc空冷エンジン搭載機は、MS.502と呼ばれている。
English: Morane Saulnier Ms.502 Criquet
Author Morane Saulnier Category vehicles, aircraft and ships
the Imperial War Museums.photograph 2010.100.1
写真はCategory:Fieseler Fi 156 引用。


写真(右)2010年、アメリカ西岸、ワシントン州(Florida)ペイン・フィールド (Paine Field)、航空機遺産コレクション (Flying Heritage Collection)で保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)F1-156-C2 連絡機(登録コード:ZE-RA):7.92ミリMG15旋回機関銃1丁を搭載している。
English: Fieseler Fi 156-C2 Storch - Paine Field - USA (2010) - Left side view.
Date 2010 Source Own work Author John Veit
写真はCategory:Fieseler Fi 156 museum aircraft File:Storchb.jpg引用。


写真(右)2013年11月29日、アメリカ西岸、ワシントン州(Florida)ペイン・フィールド (Paine Field)、航空機遺産コレクション (Flying Heritage Collection)で保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)F1-156-C2 連絡機(登録コード:ZE-RA):7.92ミリMG15旋回機関銃1丁を搭載している。
English: Fieseler Fi-156 C-2 "Storch" restored to flying condition at the Flying Heritage Collection located at Paine Field in Everett WA.
Date 29 November 2013, 16:41:27
Source Own work Author PanGalacticGargleBlasterr
写真はCategory:Fieseler Fi 156 museum aircraft File:Fi-156 C-2.JPG引用。


写真(右)2015年2月、アメリカ西岸、ワシントン州(Florida)ペイン・フィールド (Paine Field)、航空機遺産コレクション (Flying Heritage Collection)で保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)F1-156-C2 連絡機(登録コード:ZE-RA):主翼を折り畳んで、格納状態にしている。
Paine Field-Lake Stickney, WA, USA Date Taken on 1 February 2015
Source https:// web.archive.org/web/ 20161101020935/ http://www.panoramio.com/photo/116743665
Author Eric Friedebach
写真はCategory:Fieseler Fi 156 museum aircraft File:Paine Field-Lake Stickney, WA, USA - panoramio (148).jpg引用。


写真(右)アメリカ南部、フロリダ州(Florida)ポークシティ(Polk City)、ファンタジーオブ・フライト(Fantasy of Flight)で保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079217引用。


イギリスには、フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機が2機現存している。そのうち飛行可能な状態を保っているFi-156は、1機で、それは1943年に製造され、登録コードはG-STCHである。

写真(右)アメリカ南部、フロリダ州(Florida)ポークシティ(Polk City)、ファンタジーオブ・フライト(Fantasy of Flight)で保管展示されているドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機(NX156FS)
Fiesler Fi-156 Manufacturer: Fiesler
Designation: Fi-156 Official Nickname: Storch
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079218引用。


フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機は、当初はドイツでのみ生産されていたが、1940年6月にドイツがフランスを占領してしばらくすると、フランスの資本(設備)、労働力(技術者を含む)を活用して、ドイツ機が生産が開始された。フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機も、フランスのモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)でMS.500、MS.502、Ms.505の名称で生産されるようになった。

写真(右)2010年3月27日、アメリカ南部、フロリダ州(Florida)ポークシティ(Polk City)、ファンタジーオブ・フライト(Fantasy of Flight)で飛行したドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)F1-156-C2 連絡機(製造番号:C/N 4642)(NX156FS):1942年にアルグス(Argus)AS10R空冷倒立エンジンを搭載して完成したフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機。
1942 Fieseler F1-156-C2 C/N 4642 Reg N156FS (Previously D-EKMU) SONY DSC
Date 27 March 2010, 13:34 Source Fiesler_Fi-156_Storch_1st_pass_04_FOF_27March2010
Author Valder137
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:Fiesler Fi-156 Storch 1st pass 02 FOF 27March2010 (14587161611).jpg引用。


写真(右)2010年3月27日、アメリカ南部、フロリダ州(Florida)ポークシティ(Polk City)、ファンタジーオブ・フライト(Fantasy of Flight)で飛行したドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)F1-156-C2 連絡機(製造番号:C/N 4642)(NX156FS):1942年にアルグス(Argus)AS10R空冷倒立エンジンを搭載して完成したフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機。
1942 Fieseler F1-156-C2 C/N 4642 Reg N156FS (Previously D-EKMU) SONY DSC
Date 27 March 2010, 13:35
Source Fiesler_Fi-156_Storch_1st_pass_04_FOF_27March2010
Author Valder137
写真はCategory:Fieseler Fi 156 at Fantasy of Flight File:Fiesler Fi-156 Storch 2nd pass 03 FOF 27March2010 (14403863288).jpg引用。


写真(右)2010年3月27日、アメリカ南部、フロリダ州(Florida)ポークシティ(Polk City)、ファンタジーオブ・フライト(Fantasy of Flight)で飛行したドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)F1-156-C2 連絡機(製造番号:C/N 4642)(NX156FS):1942年にアルグス(Argus)AS10R空冷倒立エンジンを搭載して完成したフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機。
1942 Fieseler F1-156-C2 C/N 4642 Reg N156FS (Previously D-EKMU) SONY DSC
Date 27 March 2010, 13:34 Source Fiesler_Fi-156_Storch_1st_pass_04_FOF_27March2010
Author Valder137
写真はCategory:Fieseler Fi 156 at Fantasy of Flight File:Fiesler Fi-156 Storch 1st pass 04 FOF 27March2010 (14403879299).jpg引用。


写真(右)2010年3月27日、アメリカ南部、フロリダ州(Florida)ポークシティ(Polk City)、ファンタジーオブ・フライト(Fantasy of Flight)で飛行したドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)F1-156-C2 連絡機(製造番号:C/N 4642)(正面):1942年にアルグス(Argus)AS10R空冷倒立エンジンを搭載して完成したフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機。
1942 Fieseler F1-156-C2 C/N 4642 Reg N156FS (Previously D-EKMU) SONY DSC
Date 27 March 2010, 13:40 Source Fiesler_Fi-156_Storch_1st_pass_04_FOF_27March2010
Author Valder137
写真はCategory:Fieseler Fi 156 at Fantasy of Flight File:Fiesler Fi-156 Storch 3rd pass 04 FOF 27March2010 (14404042847).jpg引用。


フランスのモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)社では、ドイツ占領時期の1942年からフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機を生産している。これは、原型と同じドイツのアルグス(Argus)エンジン搭載型であるMS.500と230hpのサルムソン(Salmson)9Abc空冷倒立エンジン搭載型のMS.502とがあり、フランス製Fi 156D-1 Storchと呼ばれている。

写真(右)2015年5月、アメリカ、飛行するドイツ空軍塗装のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
Description Fiesler Storch Date 23 May 2015, 14:30
Source Fiesler Storch Author Rob Mitchell
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:Fiesler Storch (17989243679).jpg引用。


アメリカには、フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒが8機現存している。そのうち飛行可能な状態を保っているFi-156は、4機である。そのうちの2機は、フランスのモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)が製造したMS.500とMS.502である。

写真(右)2017年4月、ドイツ、ベルリン、ドイツ技術博物館に保管展示されているスウェーデン空軍塗装のフィーゼラー(Fieseler)Fi 156 C-3シュトルヒ連絡機(製造番号C/N: 110062 )
Nederlands: Fieseler S-14B Storch (Fi-156C-3), C/N: 110062 in het Deutsches Technikmuseum Berlin.
Date 21 April 2017, 10:15:25
Source Own work Author Ad Meskens
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:Berlin Technikmuseum Fieseler Storch.jpg引用。


ドイツには、フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒが6機現存している。そのうち飛行可能な状態を保っているFi-156は、1機で、それはフランスのモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)が製造したMS.505(登録コード: D-EGTY)で、フランス空軍仕様の塗装を施している。

フランス製MS.505 Criquetの発動機は、304 hpヤコブス(Jacobs)R-755-A2空冷星形エンジンで、機首の形状が他のFi-156と異なり、日本陸軍の三式連絡機のようである。

写真(右)2018年9月8日、フランス、パリ航空ショー、飛行するフィーゼラー(Fieseler)F1-156を原型とし304 hpヤコブス(Jacobs)R-755-A2空冷星形エンジンに換装したフランスのモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)MS-505 連絡機 Criquet(登録コード:BE-JF)
Description F-BEJF FEISELER STORCH PARIS AIRLEGEND 2018
Date 8 September 2018, 15:12 Source F-BEJF FEISELER STORCH MS502 CRIQUET PARIS AIRLEGEND 2018
Author ERIC SALARD from PARIS, FRANCE
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:F-BEJF FEISELER STORCH MS502 CRIQUET PARISAIRLEGEND 2018 (30218831527).jpg引用。


ドイツ製フィーゼラー(Fieseler)F1-156連絡機は、アルグス(Argus)AS10R空冷倒立エンジンを搭載していたが、フランス製モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)MS502連絡機 Criquet、ヤコブス(Jacobs)R-755-A2空冷星形エンジン304 hpに換装したMS.505 Criquetである。


7.ヘンシェル (Henschel) Hs 126近距離偵察機

写真(右)1943年,イタリア戦線,ドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 近距離偵察機
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-565-1425-11A
Archive title: Italien, Sizilien.- Flugzeug Henschel Hs 126 (Seriennummer 4348) auf Feldflugplatz stehend; PK XI.
Fliegerkorps Dating: 1943 Photographer: Schnitzer Origin

: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。
ドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機の初飛行は、1936年8月で、1942年には生産中止し、後継機のFw-189 に活躍を譲っている。

ヘンシェル (Henschel) Hs-126の諸元

全長: 10.85 m、全幅: 14.50 m、全高: 3.75m
全備重量: 3,275 kg
発動機: BMWブラモ323A空冷9気筒 850 hp
最高速力: 356 km/h
航続距離: 720 km
兵装 7.92ミリ機関銃2丁
爆弾搭載量: 100 kg
乗員: 2名

1943年には旧式で、パラソル翼のドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 近距離偵察機は510機量産,大戦前半まで使用された。大戦後半には、敵戦闘機の襲撃を受ければひとたまりもなかったはずだが、未整備の滑走路でも離着陸が可能で、前線との連絡飛行に使用されていたようだ。前線では使われたのは、後継機となったフォッケウルフFw-189双発偵察機だった。

⇒写真集Album:ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機を見る。


8.近距離偵察機フォッケウルフFw-189ウーフー

写真(右)1941年頃,双胴式のドイツ空軍フォッケウルフFw-189ウーフー(Focke-Wulf Fw 189 "Uhu" )近距離偵察機
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 189 Uhu (Owl) Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID: 8235879 - Catalog:Array - Title:Array - Filename: 5_002313.TIF ----Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft
写真はSDASM Archives・PictionID:38235879引用(他引用不許可)。

1937年と早い時期に近距離偵察機としてフォッケウルフ社で開発されたFw 189偵察機 「 ウーフー」(ミミズク)は、双胴式でエンジンから話した機首を全面ガラス張りとして良好な視界を得ていた。この機首に3名の乗員が全員密集して搭乗したために、乗員相互の連絡も容易だった。試作機は、1938年7月に初飛行し、競争試作のブローム・ウント・フォス BV 141近距離偵察機と比較された。

フォッケウルフFw 189偵察機は、双発機であり、片方のBV141よりもエンジン被弾の場合、生還率が高いから採用されたとの説もあるが、軍用機の採択は、性能以上に信頼性(ブランド力)や政治力がものをいうのであり、フォッケウルフ社の航空産業における優位性が採用の理由であろう。

1940年から部隊配属が始まり、1944年までに860機が生産された。

フォッケウルフFw-189ウーフー(Focke-Wulf Fw 189 "Uhu" )偵察機の諸元
全長: 12.02 m 全幅: 18.39 m
全高: 3.10 m 翼面積: 38.00平方メートル
全備重量: 3,945 kg 自重: 2,800 kg
発動機: アルグス As 410A-1 空冷倒立12気筒エンジン(465 hp)2基
最高速力: 349 km/h(2600 m)
上昇限度: 7300 m
航続距離: 670 km
武装 7.92ミリ機銃 4丁、爆弾 200 kg
乗員: 3 名

⇒写真集Album:フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu" を見る。


9.近距離偵察機ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141

写真(右)1942年初期,近距離偵察機ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141:後方斜めから見ると、エンジンの搭載された機首のすぐ後方にと操縦席・偵察席が設置されているかのように錯覚させられる。実際には、ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141は世界的に珍しい左右非対称の機体で、地上・下方視界を最大限に拡大できる設計となっている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-602-B1227-18A Archive title: Reichsgebiet.- Aufklärungsflugzeug Blohm und Voß BV 141 (Kennung NC+RH), Maschine auf Flugplatz, Räckansicht; KBK Lw zbV Dating: 1942 Anfang Photographer: Scholz Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 146-1980-117-02"引用


エンジンの搭載された機首と操縦席・偵察席を別個に設けており、左右非対称のブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141は、操縦性や安定性を確保するのが難しそうである。他方、地上・下方視界は最大限に広げられているので、近距離偵察、地上部隊との共同作戦には便利である。

ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141のエンジンは、当初の搭載したBMW 132Nエンジンが865馬力と力不足だったために、B型ではフォッケウルフFw-190戦闘機と同系のBMW 801(出力1,560馬力)にエンジンを強化した。しかし、BMW 801のような高出力エンジンを近距離の直協任務の機体に使用することは、ドイツ空軍の戦闘力を低下させると判断され、量産はされなかった。

ブロームウントフォスBlohm und Voß BV 141 B 諸元:
乗員:4人
全長:13.95 m、全巾:17.46 m、全高:3.6 m
翼面積:53.15 m平方メートル
空虚重量:4,700 kg、全備重量:5,700 kg
エンジン;BMW 801 出力:1,160 kW(1,560 hp)
最高速度:438km/h /3,510m、上昇率:570 m/分
武装:7.92ミリMG 17 旋回機関銃2丁、7.92ミリMG 15 固定機関銃2丁


⇒写真集Album:ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機 を見る。



ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥

2020年12月6日開設の当サイトへのご訪問ありがとうございます。写真,データなどを引用する際は,URLなど出所を明記してください。
連絡先: torikai007@yahoo.co.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
Fax: 0463-50-2078
東海大への行き方|How to go
Flag Counter
Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 9000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai Yukihiro, who is web archive maintainer.


Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2020/12/6 All Rights Reserved.