◆ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
写真(上)1941年,極北戦線、フィンランド、ヘルシンキ郊外マルミ飛行場、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87R急降下爆撃機:航続距離を伸ばすために主翼に300リットル入り増加燃料タンクを懸架している。最高速力:450km/h、高度5000m、上昇限度:9,000m、離陸距離:800km。
Saksalainen Stuka-syöksypommittaja Malmin lentokentällä.
Tuntematon, Valokuvaaja 1941
Aiheen paikka
Helsinki, Helsinki-Malmin lentoasema
Aiheen aika
1941
Organisaatio
Helsingin kaupunginmuseo
Inventaarionro
N190205
Mitat
9x12 18x24
Kuvaustiedot:
1941
Helsinki, Helsinki-Malmin lentoasema
写真は,Museoiden Finna, PictionID:44217186引用。
写真(上)1944年6月28日、フィンランド、未舗装飛行場で待機するドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型(登録コード:S7+HH):前の形式であるB型を引き継いで1941年6月に試作機が完成。視界を向上するためにコックピットを再設計し、、エンジン出力を向上したうえで、兵装を強化した。主翼に装備した前方固定機銃は7.92ミリMG17機銃から2センチMG151/20機関銃に変換されている。
Stuka-syöksypommittaja. Kuvan lentokone on saksalaisen 1./SG 3:n Junkers Ju 87 D-5, tunnus S7+HH.
Aineistotyyppi
?Valokuva
Organisaatio
Sotamuseo
Kuvaustiedot:
1944-06-28
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
写真(上)1944年6月28日、フィンランド、離陸準備をするドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型の編隊:全幅:15m、全長:11.5m、全高:3.84m
翼面積:33.6平方メ―トル、発動機:Jumo211液冷エンジン(1,400hp)、全装備重量:6,500kg、最高速力:425km/h、実用上昇限度:7,500m、上昇時間:5,000mまで19.8分、航続距離:1,500km、兵装:7.92ミリMG81z連装機銃1丁、20ミリMG151/20機銃2丁。 Stuka-syöksypommituskoneet lähdössä pommitusmatkalle Talin siltoja tuhoamaan.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Sotamuseo 6.
Kuvaustiedot:1944-06-28
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
写真(上)1944年6月28日、フィンランド、編隊飛行するドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:戦闘機部隊は、大戦当初から二機編隊(ロッテ)2組の四機編隊(シュヴァルム)が基本だったが、急降下爆撃機・双発爆撃機はドッグファイトを想定していないので3機編隊を維持している。 Pelätyt Stuka-syöksypommittajat saapuvat onnistuneelta pommitusmatkalta.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Aineistotyyppi
?Valokuva
Organisaatio
Sotamuseo
Kuvaustiedot:1944-06-28
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
1.第二次大戦4年前に登場したユンカースJu-87V急降下爆撃機試作機
写真(右)1935年以降,ユンカースJu-87 V1急降下爆撃機試作1号機:垂直尾翼は双尾翼式だが、急降下時の空気流の乱れが生じた。そこで、試作2号機からは、垂直尾翼が1枚に変更されることになる。但し、開発当初は、空気抵抗減少のために、水平尾翼には支柱がない。発動機は、イギリス製ロールスロイス(Rolls-Royce)社ケストラー液冷エンジン640馬力を装備している。
SDASM Archives
Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081661
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219615引用。引用。
1934年にユンカース社で主任設計者はヘルマン・ポールマン(Hermann Pohlmann)の下で,ユンカース(Junkers)Ju-87 V1急降下爆撃機試作1号機の開発が始まり、1934年にモックアップは完成した。これは、ドイツ航空省(RLM)による単発急降下爆撃機の競争試作に応えたもので、試作には対抗機種として、アラド社のAr 81(試作3機)、ハインケル社のHe 118(試作機5機)、ブローム・ウント・フォス社のHa 137(試作1機)が名乗りを上げた。特にハインケルHe118は、全金属製なだけでなく、唯一完全引込み式の降着装置を備え、空気抵抗を減らして、高速を誇った。
ユンカース(Junkers)Ju-87は、まず試作機V1、V2、V3を生産した。ユンカースJu-87V1試作1号機(D-UBYR)は、双尾翼で急降下時の速度抑制をするためのダイブブレーキは装備していない。試験飛行は1935年9月17日初飛行しているが、その後、急降下時の尾翼の振動が原因で試験飛行中に墜落した。そこで、試作2号機(D-UHUH)垂直尾翼は、単尾翼に変更され、尾翼の強度強化のために、水平尾翼を支える支柱が設けられた。
写真(右)1935年9月17日初飛行した,ロールスロイス社ケストラー液冷エンジン640馬力装備のユンカースJu 87V-1急降下爆撃機試作1号機D-UBYR:プロペラは2翅で垂直尾翼は双尾翼式。しかし、これは急降下時の空気流の乱れが生じた。そこで、試作2号機(D-UHUH)の垂直尾翼は、1枚に変更されることになる。但し、開発当初のユンカースJu-87V1試作1号機(D-UBYR)は、空気抵抗減少のために、水平尾翼には支柱がない。
SDASM Archives
Junkers Ju 87V-1
PictionID:44219591 - Title:Junkers Ju 87V-1 - Catalog:16_005386 - Filename:16_005386.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219591 引用。引用。
写真(右)1935年以降,ユンカース社ユモJumo 210液冷12気筒エンジンを装備したユンカースJunkers Ju 87V-2急降下爆撃機試作2号機: SDASM Archives
Junkers Ju 87V-2
PictionID:44219603 - Title:Junkers Ju 87V-2 - Catalog:16_005387 - Filename:16_005387.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219591 引用。引用。
ユンカース(Junkers) Ju 87V-1急降下爆撃機試作1号機(D-UBYR)の発動機は、ロールス・ロイス(Junkers Rolls-Royce)のイギリス製だったが、試作2号機はユンカース航空機発動機社(Junkers Flugzeug- und Motorenwerke)社ユモJumo 210液冷12気筒エンジンを装備した。機体の垂直尾翼は、試作1号機(D-UBYR)は双尾翼式だったが、Ju 87V-2試作2号機(D-UHUH)から1枚垂直尾翼となった。しかし、プロペラはのである。但し、開発当初は、空気抵抗減少のために、水平尾翼には支柱がなかったが、試作2号機(D-UHUH)からは水平尾翼を下から支える支柱が尾部から上に張り出しており、洗練さが失われた。
写真(右)1935年、ユンカースJu-87急降下爆撃機試作機:ユンカース社ユモJumo 210液冷倒立12気筒エンジン、3翅プロペラを装備し、逆ガル翼、複座、固定脚の構造は、堅牢性を重視している。同時期に完成したBf109戦闘機A型も、ダイムラーベンツDB600エンジンが実用化ができていなかったため、ユンカース社ユモJumo 210液冷倒立12気筒エンジンを装備した。第二次大戦のドイツ空軍主力戦闘機メッサーシュミットBf109は、大戦勃発の3年前の1936年に試作機が完成したが、エンジン冷却器ラジエーターはJu87同様に機首下面に大きく空気取入れ口を開けている。
SDASM Archives
Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081641
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081641引用。
写真(右)1930年代、ユンカース社ユモJumo 210液冷倒立12気筒エンジン:気筒(シリンダー)のボア(Bore): 124 mm、ストローク (Stroke): 136 mm、排気量(Displacement): 19.7 L。当初は600馬力しかなかったが、1936年には660馬力迄向上した。引き続き、エンジンの馬力強化のために、Jumo211が開発されるが、これは気筒数は同じで、Jumo210を発展させたタイプである。ハインケル・アーカイブ(Heinkel Archiv)が保管していた写真。1936年に、Jumo210を大型化、発展させたJumo211液冷倒立12気筒エンジンが完成している。気筒(シリンダー)のボア: 150 mm、 ストローク: 165 mm、排気量: 34.99 L。 ユンカースJu88爆撃機はユンカース・ユモJumo211エンジン(エアインテーク正面左)装備することになった。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46169149 - Catalog:16_007389 - Title:Flugmotor Jumo 210 Heinkel Archiv, Stuttgart - Filename:16_007389.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog:16_007389 引用。
ドイツ空軍メッサーシュミットBf-109戦闘機は、計画では新型のダイムラー・ベンツDaimler-Benz DB601Aエンジンを搭載する予定だったが、完成せず,ユンカースJumo211エンジンを搭載。Bf 109戦闘機A型では、ダイムラーベンツDB601の代わりにユンカース社ユモJumo 210液冷倒立12気筒エンジンを装備した。B型以降に装備したのはダイムラー・ベンツDB601液冷エンジン(後期型はDB605エンジン)で、シリンダーは高圧で駆動するために構造上精度・素材品質も高く保つ必要があった。また、燃料噴射ポンプが装備されたが、これは気化器を通さず直接シリンダーに燃料噴射をするポンプで、飛行機の態勢いかんにかかわらず、安定的なエンジン駆動ができた。バトル・オブ・ブリテンにあって、気化器を装備したスピットファイア戦闘機は、マイナスGが強くかかるとシリンダーへの燃料供給が停止する欠点があったが、Bf109戦闘機は、燃料直接噴射ポンプがあったために、その欠点はなかった。
写真(右)1936年3月27日初飛行のユンカースJu-87 V3急降下爆撃機試作3号機 D-UKYQ :降着装置の整形カバーは大型で、左主翼には計測用の大型ピトー管(空気圧式速度計)が装着されている。ユンカース社ユモ Jumo 210Ca 液冷12気筒エンジンを装備した。
English: Junkers Ju 87 V3 Sturzkampfflugzeug (Stuka) D-UKYQ (c/n 4923), the third Ju 87 prototype was first flown on 27 March 1936, embodying the lowered Jumo 210Ca engine for improved forward vision, a redesigned and enlarged vertical tail, and the characteristic small endplates on the tail plane.
Date circa 1936
Source Self-scanned
Author Ad Meskens
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219615引用。引用。
さらに、ダイムラー・ベンツDB601液冷エンジンは、倒立V型シリンダーであったため、エンジンを貫通して胴体内機関砲をプロペラスピナ先端から発射することも可能だった。このよう複雑な機構は、生産効率や整備性の上で困難があったが、技術的優位を活かす自信があったダイムラーベンツは、あえて複雑な機構のエンジンを開発したのである。
写真(右)1936年6月20日初飛行のユンカースJu-87V4急降下爆撃機試作4号機D-UBIP:ユンカース社ユモJumo 210液冷倒立12気筒エンジンを装備した。1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。
SDASM Archives
Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081642
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081642引用。
ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機は、A、B、D,R、G型と量産が続き、地上支援から対艦船攻撃、戦車襲撃機として第二次世界単線の全期間にわたって、最前線で使用され続けた。量産は、1944年には終了しているが、総計で5,700機も大量生産されたために、終戦時にも100機以上が残っていた。投入された戦線は、1939年9月のポーランド侵攻を皮切りに、1940年のノルウェー侵攻、西部侵攻、イギリス本土航空決戦、1941年の東部戦線ソ連侵攻、地中海・北アフリカ戦線とドイツ空軍の戦ったすべての戦線に参加している。wikipedia日本語版は「東部戦線においては絶大な対地戦闘能力を発揮してドイツ陸軍を支援し、地中海では英空母「イラストリアス」を大破させるなど対艦攻撃にも活躍した。しかし大戦後半になると、本機の性能では連合国軍戦闘機が遊弋する昼間の作戦行動は自殺行為となり、夜間行動型に改修されて使用された」と述べているが、ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機の対地戦闘能力が絶大であるとの評価は、大戦前半までで、中期以降は、イギリス空軍のホーカー・ハリケーンの40ミリ機関砲装備、ソ連空軍の重装甲イリューシン「スツルモビク」37ミリ砲装備、アメリカ陸軍航空隊のベルP-38「エアコブラ」37ミリ機関砲装備が地上攻撃に投入されており、それと同程度の火力ではあるが、Ju87Gの3.7糎機関砲の装弾数は各6発合計12発と連合軍の地上攻撃機の半数に満たず、速度や航続距離など飛行性は遥かに劣っている。
写真(右)1936年6月20日初飛行のユンカースJu-87 V4急降下爆撃機試作4号機D-UBIP:降着装置の整形カバーは大型で、左主翼には計測用の大型ピトー管(空気圧式速度計)が装着されている。ユンカース社ユモJumo 210液冷12気筒エンジンを装備した。1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ヘルマン・ゲーリングのドイツ空軍総司令官就任以来、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。
SDASM Archives
Junkers Ju 87V-4 (?)
PictionID:44219615 - Title:Junkers Ju 87V-4 (?) - Catalog:16_005388 - Filename:16_005388.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219615引用。引用。
1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年にドイツ再軍備宣言(German re-armament)、ドイツ空軍にヘルマン・ゲーリングが総司令官として着任、ナチ化が推進された。尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。
2.スペイン内戦に実戦試験を受けたユンカースJunkers Ju 87急降下爆撃機A型/B型
写真(右)1935年以降,ユンカース社ユモJumo 210液冷12気筒エンジンを装備したユンカースJunkers Ju 87急降下爆撃機A型:垂直尾翼は1枚で、塗装もダークグリーン系の迷彩柄となっている。スパッツは、ズボン式の大型で空気抵抗が大きいように見えるが、整備しやすかったのかもしれない。
SDASM Archives
Junkers Ju 87V-2
Junkers Ju 87A
PictionID:44219627 - Title:Junkers Ju 87A - Catalog:16_005389 - Filename:16_005389.TIF
- - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219627引用。
ユンカース社ユモJumo 210液冷12気筒エンジンを装備したユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機A型と同時期のメッサーシュミットBf109戦闘機は、プロペラの金属製羽根の数がD型までは2翅プロペラで、E型以降になって3翅プロペラになった。この点で、ユンカースは当初から3翅プロペラを採用していた。発動機は、搭載するエンジンが、メッサーシュミットBf109戦闘機B型・D型はユモJumo210液冷倒立V型12気筒で、ユンカースJunkers Ju 87急降下爆撃機と同じで、機首下面に冷却器(ラジエーター)があるのも同様である。 しかし、メッサーシュミットBf109戦闘機E型以降はより強力なダイムラー・ベンツ DB 601液冷倒立V型12気筒を搭載し、冷却器は主翼左右下面に二分割して設置するように設計が大きく変更されている。
初の量産型ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機A型は、1937年から生産開始、1936年に勃発したスペイン内戦に試験的に実戦投入された。1937年にはA型を改良したB型も生産され、同じくスペイン内戦に実戦投入されたが、投入された機数は10機程度で少なかった。
写真(右)1937年頃,スペイン内戦に実戦投入されたドイツ義勇軍コンドル軍団所属のユンカースJu-87急降下爆撃機B型:国籍マークは、スペイン反乱軍(国民)側なので、白地に黒十字を描いている。プロペラは3翅で、エンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口は、機首下面に大きなものが一つ空いているのは、A型と同じ。 SDASM Archives Junkers Ju 87B-1 Pete Bowers photo
PictionID:44219801 - Title:Junkers Ju 87B-1 Pete Bowers photo - Catalog:16_005404 - Filename:16_005404.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219801引用。
ドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機A型
1936年のスペイン第二共和政では、選挙で勝利したマヌエル・アサーニャ率いる人民戦線政府(共和派)が主導権を握ったが、これに対して、フランシスコ・フランコ将軍を中心としたナショナリストが1936年7月に国民政府を称して反乱を起こした。イギリス、フランス、アメリカは、スペイン内乱 (Spanish Civil War)においてに中立を表明したが、ソ連は反ファシズムを掲げる人民戦線に軍事援助を行い、西ヨーロッパ市民も人民戦線に義勇軍としてはせ参じた。他方、フランコ将軍の国民政府は、ファシズム陣営のドイツ・イタリアが軍事援助を行い、スペイン内戦は1939年の第二次大戦直前まで続いた。
写真(右)1937年頃,スペイン内戦に実戦投入されたドイツ義勇軍コンドル軍団所属のユンカースJu-87急降下爆撃機B型:国籍マークは、スペイン反乱軍(国民)側なので、主翼端に白地に黒十字を描いている。プロペラは3翅。 SDASM Archives Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081670
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
- - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081670引用。
写真(右)1937年頃,スペイン内戦に実戦投入されたドイツ義勇軍コンドル軍団所属のユンカースJu 87A 急降下爆撃機A型:国籍マークは、スペイン反乱軍(国民)側なので、白地に黒十字を描いている。プロペラは3翅で、エンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口は、機首下面に大きなものが一つ空いているのは、A型と同じ。 SDASM Archives Junkers Ju 87B-1 Pete Bowers photo
PictionID:44219801 - Title:Junkers Ju 87B-1 Pete Bowers photo - Catalog:16_005404 - Filename:16_005404.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,Biblioteca Virtual de Defensa,Guerra Civil. Tomo III (MUE-202444) page 43引用。
Messerschmitt Me 109 Bは,1937年のスペイン内乱 (Spanish Civil War)が1936年7月に勃発すると、ドイツは、コンドル軍団 (Legion Condor)を派遣した。戦闘機部隊はそこで二機編隊ロッテを2組合わせた四機編隊シュワルムによる集団一撃離脱戦術を生み出した。
写真(右)1936-1937年頃,スペイン内戦にドイツ義勇軍コンドル軍団の戦闘部隊として派兵されたメッサーシュミットBf109戦闘機B-1型:スペイン内戦にドイツ義勇軍コンドル軍団の戦闘部隊として派兵されたメッサーシュミットBf109戦闘機E-1型:国籍マークは、胴体の黒丸と垂直尾翼の黒の×十字でファシストのファランヘ党、フランコ将軍の反乱軍側に立って参戦した。
SDASM Archives
Messerschmitt Me 109B-1 Peter Bowers collection
PictionID:44217238 - Title:Messerschmitt Me 109B-1 Peter Bowers collection - Catalog:16_005512 - Filename:16_005512.TIF- - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085089引用。
1936年7月に勃発したスペイン内乱 (Spanish Civil War)派遣されたドイツ義勇軍コンドル軍団には、当初の戦闘機はHe51複葉戦闘機で、直ぐにBf109戦闘機B型が投入された。その後、1938年には、改良型のBf109戦闘機E型が投入されている。Bf109戦闘機B型のプロペラは2翅で、エンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口は、機首下面に大きなものが一つ空いている。
1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年3月のドイツ再軍備宣言、ヘルマン・ゲーリングのドイツ空軍司令官就任以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。水平尾翼は支柱で固定されている。
3.第二次大戦緒戦で使われたユンカースJunkers Ju 87急降下爆撃機B型
写真(右)第二次大戦前の1938-1939年前半,ドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:主翼下面のダイブブレーキが開いている。急降下するときに速度が急速に早くなり、機体引き起こしの強度に耐えられなくなる恐れがあるために、エアブレーキが装備された。プロペラは3翅で、エンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口は、機首下面に大きなものが一つ空いているのは、A型と同じ。 AL61A-402 Junkers Ju87B
Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,AL61A-402引用。
国籍マークには変則的に、垂直尾翼に尾翼の赤帯と白丸に黒のスワスチカ (Swastika:ハーケンクロイツ)を描いている。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸に黒のスワスチカ(卍)は敵から発見されやすかったために廃止になり、ハーケンクロイツだけなった。水平尾翼は支柱で固定されている。ダークグリーン系の二色迷彩塗装を施している
写真(右)第二次大戦前の1938-1939年前半,ドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:主翼下面に板状のダイブブレーキ(急降下時の速度を抑制するブレーキ)がついている。プロペラは3翅で、エンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口は、機首下面に空いている。 Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081634
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081634引用。
写真(右)1939年9月,第二次大戦の緒戦のポーランド侵攻時のドイツツ空軍ユンカースJu 87急降下爆撃機B型:Agatano kairyougatano B型は、ユモJumo 211 D 1,200馬力(883kW)液冷エンジンに強化され、胴体と降着装置も改変された。B型は、1936年7月に勃発したスペイン市民戦争において、実戦テストを行い、急降下爆撃機の地上攻撃能力の高さを実証した。そのため、ドイツ空軍の主要機首として、月産60機のペースで量産されることとなった。1939年9月の第二次世界大戦の勃発時には、ドイツ空軍の保有するJu87急降下爆撃機は300機以上となった。このB1型には「ジェリコのラッパ」と称する拡声爆音装置が装着され、地上部隊を威嚇して、敵の士気を低下させることが期待された。しかし、この威嚇装置は、戦争中期からは効果が薄くなり、空気抵抗も大きいために取り外されている。 Polen.- Staffel Flugzeuge Junkers Ju 87 im Flug
Title
Polen, Stukas Info non-talk.svg
Original caption
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Luftsieg in Polen, Eine Staffel Stukas = Ju 87 = fliegt gegen den Feind.
4551-40
Description
Information added by Wikimedia users.
Depicted place Poland
Date September 1939
写真は Wikimedia Commons,Bundesarchiv ,File:Bundesarchiv Bild 183-1987-1210-502, Polen, Stukas.jpg引用。
写真(右)1939年12月22日,整備中のドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:プロペラは3翅で、エンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口は、機首下面に大きなものが一つ空いている。 Reichsgebiet.- Wartung/Reparatur eines Flugzeuges vom Typ Junkers Ju 87; KBK Lw1
Title
Reichsgebiet, Wartung Ju 87 Info non-talk.svg
Depicted place Reichsgebiet
Date 22 December 1939
Collection
German Federal Archives
wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
写真はWikimedia Commons, Bundesarchiv ,File:Bundesarchiv Bild 101I-378-0037-22, Reichsgebiet, Wartung Me 110.jpg引用。
1939年9月1日、ポーランド侵攻時には,特別行動部隊(のちのアインザッツグルッペ)が投入され,公務員,教師,医師,聖職者,ユダヤ人,地主,商店主など,ポーランドの文化・国家の維持に有益な人物,インテリゲンツィアを処置していた。
総統(Führer)アドルフ・ヒトラーにも空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)元帥にとても、ワルシャワ空爆に躊躇は一切なかったと考えられる。
写真(右)1939年頃,整備中のドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:プロペラは3翅で、機首下面にエンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口が大きく開いている。 Catalog #: 01_00081639
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
写真はWikimedia Commons, Bundesarchiv ,Catalog #: 01_00081639引用。
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機B型の兵装は、主翼に7.92ミリMG17機銃1丁、コックピット後席に7.92ミリMG15旋回機銃1丁と貧弱に見えるが、これは当時の戦闘機の標準兵装(2丁)と同等の装備である。第二次欧州世界大戦に投入されたBf109戦闘機同様、航続距離は短いが、これは地上支援のためには十分だった。他方、ユンカースJu-87急降下爆撃機主脚幅は広く、地上安定性が良かったが、これはがBf109戦闘機の降着装置の主輪間隔が狭くエンジンが強力なために,未舗装滑走路における地上安定性が悪かったのとは対照的である。
写真(右)1940年頃, 西ヨーロッパ、3機編隊(ケッテ)を組んで飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:胴体下面の爆弾を急降下で投下した時にプロペラに当たらないようにするガイド枠が下がったままになっている。イギリス本土航空決戦時期と思われる。左右の降着装置の付け根部分に急降下するときに威嚇音を発生させる装置はついていない。 SDASM Archives Junkers, Ju.87
Junkers Ju 87B
PictionID:44219825 - Title:Junkers Ju 87B - Catalog:16_005406 - Filename:16_005406.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219825引用。
写真(右)第二次大戦突入後の1939年後半から1940年頃,編隊飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:プロペラは3翅で、ユンカース社のトレードマークがついている。機首下面にエンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口が大きく開いている水平飛行のために主翼下面のダイブブレーキは閉じている。複座のコックピット後方席には、7.92ミリMG15旋回機銃1丁が装備されているが、銃座に防弾版は装備されていない。 SDASM Archives Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081639
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081639引用。
写真(右)第二次大戦突入後の1940年頃,3機編隊で飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型のカラー写真:第二次世界大戦初頭の電撃作戦で活躍したドイツ空軍を代表する急降下爆撃機スツーカ。発動機は、ユモJumo 211 D液冷エンジン 1,200PS(883kW、1,184hp)1機を装備。複座のコックピット後方席には、7.92ミリMG15旋回機銃1丁が装備されているが、銃座に防弾版は装備されていない。
SDASM Archives Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081638
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081638引用。
ドイツ空軍最高司令長官ヘルマン・ゲーリング大将も、航空省技術局長エルンスト・ウーデット(Ernst Udet)も、資源制約の強いドイツ空軍には、大型四発爆撃機よりも、単発の急降下爆撃により、投下爆弾の高い命中率を選選した。急降下爆撃能力がそなわった単発機は、水平爆撃を行う双発以上の爆撃機よりも価値があると考えたのである。このような地上支援を重視した航空兵力のあり方が確立されたのが、1936年からスペイン内戦に派遣され第一線で活躍したドイツ・コンドル軍団のユンカース(Junkers)Ju-87など航空部隊の実戦経験によってである。wikipedia日本語版は急降下爆撃機を優先したことが「戦略爆撃機、後継機の開発を怠るなどドイツ空軍全体の開発計画に悪影響を与えた」とするが、これは、大戦中期・後半からの戦略爆撃が普及しだした時期の事であり、完全な後知恵の誤解である。1941年までは、ドイツ軍の電撃戦は、戦車と急降下爆撃機によって支えられたといってもよいほど軍事的成功を収めていた。エルンスト・ウーデット(Ernst Udet)は、1939年2月1日に航空総監にも就任し、航空機生産を管理する立場になったが、このことも急降下爆撃機を推進する力となった。
写真(右)第二次大戦突入後の1940年頃,3機編隊で飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型のカラー写真: SDASM Archives Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081640
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081640引用。
ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機B-2型の諸元
乗員Crew: 2
全長Length: 11.00 m (36 ft 1.07 in)、全幅Wingspan: 13.8 m (45 ft 3.30 in)
全高Height: 4.23 m (13 ft 10.53 in)
主翼面積Wing area: 31.90平方メートル
空虚重量(自量)Empty weight: 3,205 kg (7,086 lb)
積載重量(全備重量)Loaded weight: 4,320 kg (9,524 lb)
最大離陸重量Max. takeoff weight: 5,000 kg (11,023 lb)
発動機Powerplant: 1 × ユンカース(Junkers)ユモJumo 211D液冷倒立V12エンジン1200 PS (1,184 hp (883 kW))
プロペラPropellers: 3翅(Three-blade)ユンカース(Junkers)VS 5 直径: 3.4 m
ユンカースJu-87急降下爆撃機B-2型の性能Performance
制限速度Never exceed speed: 600 km/h (373 mph)
最高速力Maximum speed: 390 km/h @ 4,400 m (242 mph @ 13,410 ft)
巡航速力Cruise speed: 319 km/h (198 mph)
航続距離Range: 500 km (311 mi) /500 kg爆弾装備時
上昇率Rate of climb: 2.3 m/s
兵装Armament
2× 7.92 mm MG 17前方固定機銃、 1× 7.92 mm MG 15旋回機銃
爆弾Bombs: 通常搭載量 = 1× 250 kg爆弾、 4× 50 kg爆弾.
写真(右)第二次大戦突入後の1939年後半から1940年頃,編隊飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:水平飛行のために主翼下面のダイブブレーキは閉じている。複座のコックピット後方席には、7.92ミリMG15旋回機銃1丁が装備されているが、銃座に防弾版は装備されていない。 Junkers Ju 87B
PictionID:44219825 - Title:Junkers Ju 87B - Catalog:16_005406 - Filename:16_005406.TIF - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219825引用。
1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を描いた国籍マークだった。
写真(右)1939-1940年頃,飛翔するドイツ空軍のユンカースJu-87急降下爆撃機B型:プロペラは3翅で、エンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口は、機首下面に大きなものが一つ空いているのは、A型と同じ。 Junkers Ju 87 Catalog #: 01_00081677
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081677引用。
1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相ネヴィル・チェンバレン(Neville Chamberlain)は,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」(Phoney War)とも称された。
写真(右)1939-1940年頃,飛翔するドイツ空軍のユンカースJu-87急降下爆撃機B型:プロペラは3翅で、エンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口は、機首下面に大きなものが一つ空いているのは、A型と同じ。 Junkers Ju 87 Catalog #: 01_00081684
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081677引用。
ドイツのヒトラー総統は、1934年1月26日、ドイツ・ポーランド不可侵条約を締結していたが、それを1939年4月28日に一方的に破棄して、1939年9月1日、ポーランドに侵攻した。空襲に参加したヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)総司令官のドイツ空軍機はアルベルト・ケッセルリング (Albert Kesselring)元帥の第1航空軍,アレクサンデル・レール第4航空軍で,あわせて1302機を保有していた。さらに,空軍総司令部直轄として,輸送機,偵察機など133機があり,陸軍にも偵察機,連絡機など288機が配備されていた。また,ドイツ本土防空部隊は,216機を保有していた。
写真(右)1940年頃,ドイツ、電撃戦の立役者となったドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:主翼の逆ガル付近に前方固定機銃の7.92ミリMG17機銃を装備し、主翼下面に急降下時の速度を抑制するダイブブレーキを装着している。
Beeldnummer
145
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift
Der Auftrag ist erfüllt! Die Ju 87 zieht ihrem Heimathafen zu, nachdem sie ihre Bombenlast auf England abgeworfen hat. Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 147引用。
したがって,ドイツ軍は,総計1929機をポーランド戦に投入したことになる。これはドイツ空軍兵力の三分の二に相当した。当時の主力爆撃機はドルニエDo-17とユンカースJu87だった。
対するポーランドの航空兵力は,自国設計・国内生産の機体も含めて、第一線機900機(爆撃機150機,戦闘機315機,偵察機325機,海軍機50機など)だった。これは、当時の小国としては、強力な空軍力であり、イギリス、フランスは、士気の低いソ連軍よりも、勇敢なポーランド軍の方を同盟相手として選ぶことになった。イギリスもフランスもポーランドの独立を保証する順次協定を結び、これを破ってポーランドに侵攻したドイツに対して最後通牒を告げ、宣戦布告をしたのである。
ポーランド軍機は,果敢に攻撃をかけてきたが,ドイツ空軍Messerschmitt Me 109 B戦闘機に撃退された。部品,燃料に不足をきたし,稼動機数は急速に低下した。
写真(右)1940-1941年頃,主翼燃料タンクに給油中のドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:ドイツ空軍はルーマニアの油田と石炭から合成する人口石油に燃料を依存していたために、87オクタンの低質の燃料を標準燃料としていた。手前には500キロ爆弾が置かれている。
Junkers Ju 87
Catalog #: 01_00081650
Title: Junkers, Ju.87
- - Image from the Ray Wagner Collection.
Bestanddeelnummer
28036_019 写真は,SDASM Archives,Catalog #: 01_00081650引用。
写真(右)1940年4-5月,ノルウェー中部、大西洋岸トロンヘイム、未舗装の飛行場に待機しているドイツ空軍第1突撃航空団(StG1)第1飛行隊所属のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機R型(登録コード:A5+CH):左右主翼下面には、海上での長距離作戦に備えて300リットル入りの金属製増加燃料タンクを懸架している。 Photographer
Kayser, Bruno v.
Archive description
Norwegen, bei Drontheim.- Flugzeuge Junkers Ju 87 (hintere Maschine mit Kennung "A5+CH") des Sturzkampfgeschwader 1 auf einem Feldflugplatz; PK Staffel Nord.
Title
Norwegen, Flugzeug Junkers Ju 87 Info non-talk.svg.
Depicted place Norwegen
Date April 1940. 写真は,Bundesarchiv,File:Bundesarchiv Bild 101I-761-0233-10, Norwegen, Flugzeug Junkers Ju 87.jpg引用。
ドイツ空軍第1突撃航空団(StG:Schlachtgeschwader 1)は、第1急降下爆撃航空団とも訳されているが、配属された機種はユンカース(Junkers)Ju87急降下爆撃機が主だった。第1突撃航空団(StG:Schlachtgeschwader 1)は、1939年5月の編成で、1943年10月まで前線で活躍した。 当初配備されたbのは、ユンカースJu87急降下爆撃機は、稼働可能機38機で、ドルニエ(Dornier)Do17爆撃機2機も配属されていた。1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻では、第1突撃航空団(StG1)の第1飛行隊と第3飛行隊(3./StG 1)が参戦し、ポーランド北部、ダンチヒ(Danzig)近くのヴィスワ川にかかるトチェフ(Tczew)の架橋を空襲している。
写真(右)1940年,ノルウェー、胴体下面の爆弾懸架に爆弾搭載中のドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型とその脇でスキーに興じる人々:ノルウェ―人の親ドイツ派が楽しそうにしているのを演出しているプロパガンダ写真なのか。軍機のスツーカ近くに市民を近づけて遊んでいるのは面白い。 In Norway the dive bomber crews played a decisive role. They repeatedly broke the senseless resistance that was offered. The population as a whole always knew that the German soldier was a "good guy". If not, why would these Norwegian ski girls be such interested spectators of the Luftwaffe?
Date Issued
1940
Division
The Miriam and Ira D. Wallach Division of Art, Prints and Photographs: Picture Collection
Photographer
Hoffmann, Heinrich. 写真は,The New York Public Library,Image ID 3974387引用。
写真(右)1940年4月25日、ノルウェー、北トロンハイム飛行場、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機B型:未舗装の飛行場には、木製板が敷き詰められているように見える。
LEM.018.17.07
Subject:
Junkers 87 tar av fra plankedekket.
Avbildet sted: Norge Nord-Trøndelag Stjørdal Værnes Lufthavn
Specific subject terms: Fly Okkupasjon Krig 2.verdenskrig
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History
Værnes lufthavn ble bombet av bristike styrker den 25.4. 1940.
Tilhører samling av fotografier tatt av ukjente tyske soladater under 2.verdenskrig. Bildene var sendt inn til framkalling og kopiering hos Harald Renbjørs fotoforretning i Levanger. Familen Renbjør dobbeltkopierte noen av fotografiene og beholdt en kopi selv. Dette var strengt ulovlig. Mest sannsynlig gjorde de dette av etterretningsgrunner for motstandsbevegelsen eller på eget initiativ.
Fotografering 1940
ukjent tysk soldat. 写真はノルウェー博物館, Norsk Luftfartsmuseum Identifier:NL.99410001引用。
1940年1月10日,ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)隷下の第二航空軍所属の連絡機Me-108タイフーン (Me 108 Taifun)が,悪天候によって,ベルギーに不時着する事故が発生した。この連絡機には,ドイツ軍参謀が搭乗しており,その携帯していた参謀本部のゲルブ計画書(フランス侵攻作戦計画)が,ベルギー軍にわたってしまった。本来,このような機密書類を携帯して空路を飛ぶことは禁止されていたが,連戦連勝の中,機密保持についておろそかになっていた。
写真(右)1940年頃,ドイツ、急降下しているように見せかける斜めに置いたドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:主翼下面に急降下時の速度を抑制するダイブブレーキを装着しているが、主翼平面と平行な状態で閉じたままになっている。つまり、急降下しているように見せかけた水平飛行時の写真である。主翼の逆ガル付近に前方固定機銃の7.92ミリMG17機銃を装備している。 Beeldnummer
144
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift
Junker 87 Stuka. Sturzkampfflugzeug Junkers Ju 87. Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper.
. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 144 引用。
1940年4月9日,英軍に先んじて,ドイツ軍がノルウェーに侵攻,その後,4月14日,トロンヘイムに英仏軍,ポーランド軍の連合軍1万2000名を上陸させた。ナルヴィク(Narvik)にも,4月20日に連合軍3万名を上陸させた。1940年5月10日,ドイツ軍のベルギー,オランダに侵攻に直面して,連合軍はナルヴィクを撤退。チェンバレンは,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任。 戦時挙国一致内閣として,1940年5月10日にウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)がイギリス首相に就任した。
写真(右)1940年頃,西ヨーロッパの農地上空を3機編隊(ケッテ)で飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:西部戦線あるいはドイツ上空と思われる。ガラス風防(コックピット)後方に防御用の7.92ミリMG15旋回機銃を装備している。主翼下面のダイブブレーキによって、急降下時の速度を抑制することができ、爆弾の命中率が上がり、速度超過による機体の破損を防いでいる。
Beeldnummer
143975
Collectie
Nationaal Oorlogs- en Verzetsmuseum Overloon / Liberty Park
Trefwoorden
Luftwaffe, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift
'Eine kette Junkers Ju-87 Sturzkampfflugzeug (Stuka).'
Bijschrift
Groep Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerpers. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 143975 引用。
ベルギー軍が入手したドイツ軍のフランス侵攻作戦計画は,当然,英仏軍に手渡されたことは疑うべくもなかった。飛行機事故で,ドイツのフランス侵攻ゲルフ計画が連合軍に明らかになってしまったために,ドイツ軍は,侵攻変更を余儀なくされた。ドイツ陸軍参謀本部が立案したフランス侵攻作戦「ゲルブ」(黄)計画は,第一次大戦のシュリーフェン計画と同様であった。
写真(右)1940年8月20日,北フランス、イギリス本土航空決戦時期、ドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型の3機編隊(ケッテ):主翼下面に50キロ爆弾を搭載している。ガラス風防(コックピット)後方に、防御用の7.92ミリMG15旋回機銃が装着されているのが明瞭にわかる。この他、主翼の逆ガル付近に前方固定機銃の7.92ミリMG17機銃を装備している。 Beeldnummer
160
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam: Republic of France
Land: France
Bijschrift
Nach erfolgreichem Feindflug kehrt eine Gruppe Sturzkampfbomber Ju 87 zi ihrem Feldflughafen in Nordfrankreich zurück. Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper.
Type
Foto
Datum
20/08/1940. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 160引用。
1940年5月、ドイツ軍の主力は,ゲルト・フォン・ルントシュテット総司令官が率いるA軍集団で,エヴァルト・フォン・クライスト将軍が率いる装甲集団が,ユンカース(Junkers)Ju-87などの航空支援の下でルクセンブルク,セダンを突破して,マール川を超え,ソンム川北岸をダンケルクに向かって突進した。ベルギーにあった連合軍は,退路を遮断されるのを恐れて退却を開始したが,A軍集団の装甲軍集団は,「電撃戦」というに相応しい機動力を発揮して,連合軍がフランス本土,パリへ退却するのを阻止してしまった。そこで,連合軍は,英仏海峡に面したダンケルクへと追い詰められた。
写真(右)1940年,北フランス、ドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型の空襲によって破壊されたフランスの街並み:地上支援戦闘といっても、街に兵士や軍用車両があれば、スツーカの攻撃目標となった。パリのように無防備都市の宣言をすれば、戦果は免れた可能性はあるが、無防備都市の宣言が敵に適宜、正確に伝わるかどうかは不確かであり、これによって攻撃がなされない保証もない。 This is the road of the French retreat. Dotted with equipment thrown away by the fleeing army, marked by ruins created by the hard work of German Stukas.Date Issued
1940
Division
The Miriam and Ira D. Wallach Division of Art, Prints and Photographs: Picture Collection
Photographer
Hoffmann, Heinrich. 写真は,The New York Public Library,Image ID 3956147引用。
そのまま連合軍敗残部隊の集結したダンケルクに、ドイツ軍装甲軍を突入させれば、イギリス軍、フランス軍とも壊滅していたと思われるが、進撃を停止させ、ヘルマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring)のドイツ空軍部隊だけが、ダンケルクの連合軍を空襲攻撃した。イギリス軍は、ダイナモ作戦と称して、大小各種船舶を大動員に、ダンケルクからイギリス本土に地上部隊を運搬、救出してしまった。
写真(右)1940年8月31日,北フランス(?)、英国本土航空決戦時期のドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型の戦列:エンジンのある機首下面と上面にもラジエーターの空気取入れ口が開いている。主翼の逆ガル付近に前方固定機銃の7.92ミリMG17機銃を装備し、主翼下面に急降下時の速度を抑制するダイブブレーキを装着している。
Beeldnummer
174
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Vliegtuigen, Vliegvelden, Duitse strijdkrachten
Bijschrift
'Awaiting their action. Stukas ready to start against England. Ju 87.' Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper.
Type
Foto
Datum
31/08/1940. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 174引用。
イギリスのウィンストン・チャーチル (Winston Spencer- Churchill)首相は,アメリカの武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦する覚悟だった。1940年7月10日から10月31日まで,ヘルマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring:1893-1946)のドイツ空軍は、英国本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju-87や戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。
写真(右)1940年8月31日,北フランス(?)、250キロ爆弾を搭載する準備をしているドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型の戦列:ガラス風防の後方には防御用の7.92ミリMG15旋回機銃銃座が見えるが、機銃本体は搭載されていない。主翼下面に急降下時の速度を抑制するダイブブレーキを装着している。英国本土航空決戦時期のようだ。
Beeldnummer
43337
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Bommenwerpers, Luchtmacht, Vliegtuigen, Bommen
Bijschrift
Ju 87. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 43337引用。
ドイツ空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング (Hermann Goering)国家元帥は,1940年8月からの英本土航空攻撃「鷲の日」に際して,ドイツ空軍がイギリス空軍機を駆逐し,イギリスを征服してみせると豪語した。しかし,ドイツ側の被害は甚大で,イギリス戦闘機の抵抗が続いたために,1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始した。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。
写真(右)1940年10月3日,西ヨーロッパ(?)、未舗装の飛行場で待機するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:西部戦線あるいはドイツ上空と思われる。逆ガル式主翼の折れ曲がった部分に前方固定の地上機銃掃射用の7.92ミリMG17機銃を装備している。主翼下面のダイブブレーキによって、急降下時の速度を抑制することができ、爆弾の命中率が上がり、速度超過による機体の破損を防いでいる。
Beeldnummer
43432
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Vliegvelden, Duitse strijdkrachten
Bijschrift
'Stukas werden startfertig gemacht.' Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper.
Type
Foto
Datum
03/10/1940. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 43432 引用。
写真(右)1940年頃, 西ヨーロッパ、飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:イギリス本土航空決戦の時期と思われる。左右の主輪降着装置の付け根部分に急降下時に威嚇音を発生させる装置がついているが、古い風車式ではなく、新しい警笛式のようだ。 SDASM Archives Junkers, Ju.87
Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081646
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081646引用。
ユンカースJu-87急降下爆撃機スツーカの固定式車輪支柱の付け根には、サイレン恩を発する小型風車が装着されていた。サイレンガを鳴らしながら急降下すると、敵はその音に恐怖して動けなくなってしまうので、サイレンの威嚇音によって、急降下爆撃の命中率を上げ、敵の対空射撃の精度を低下させるという効果が期待されていた。このサイレンは、当初は風車式だが、後に警笛式に変更された。しかし、1940年の英国本土航空決戦時には、効果が亡くなったためか、撤去されている。つまり、Ju-87スツーカの威嚇音発生装置は、Ju87初期型のみ装備され、後には撤去されている。
写真(右)1940年頃, 西ヨーロッパ、イギリス本土航空決戦時期と思われる飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:左右の降着装置の付け根部分に急降下するときに威嚇音を発生させる装置はついていない。 SDASM Archives Junkers, Ju.87
Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081672
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081672引用。
写真(右)1940年頃, 西ヨーロッパ、イギリス本土航空決戦に参加した時期のドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型とドルニエDo17Z双発爆撃機:胴体下面の爆弾懸架に搭載する500キロ爆弾を爆弾運搬懸架車で運んでいる。この運搬車のアームに爆弾を乗せ、をジャッキで持ち上げて、胴体下面の爆弾懸架に装着する。急降下で投下した時にプロペラに当たらないようにするガイド枠も設けられている。左右の降着装置の付け根部分に急降下するときに威嚇音を発生させる装置はついていないようだ。 SDASM Archives Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081636
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081636引用。
写真(右)1940年10月2日,イギリス、イギリス本土航空決戦で撃墜したドイツ空軍機のスクラップ置き場。中央奥にユンカースJu-87急降下爆撃機B型の風防が確認できる。左はハインケルHe111爆撃機の機首、右はメッサーシュミットBf109戦闘機E型の風防:スクラップは資源節約のために溶かされて金属原料に再資源化された。
Object description
Reporters examine the remains of a Heinkel He 111, Junkers Ju 87 and Messerschmitt Bf 109E, now resting in a scrapyard in Britain, 2nd October 1940.
Catalogue number HU 104723Part ofMINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
. 写真は,Imperial War Museum,IWM (HU 24780)引用。
4.バルカン・地中海方面・北アフリカ戦線・イタリアで活躍したユンカースJu 87急降下爆撃機B型/R型/D型
写真(右)1940年5月以降,バルカン半島、ユーゴスラビア、飛行中のドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:ドイツの同盟国だったユーゴスラビアでクーデターが起こり、親ドイツを放逐して、親ソビエト派が実権を握った。この裏切りに激怒したヒトラーは、1941年4月6日、ユーゴスラビア侵攻を指令し、ユーゴの首都ベオグラードを破壊することを命じた。
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam: Federal Republic of Yugoslavia
Bijschrift
Stukaangriff auf die Festung Belgrad. Deutsche Stukas über Jugoslawien auf den Anflug nach Belgrad. Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper.
Type
Foto
Datum
08/04/1941. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 147引用。
ユーゴスラビア摂政パヴレ・カラジョルジェヴィチ(Prince Paul of Yugoslavia)は、1941年3月25日、フランスを敗北させ西ヨーロッパの支配者となっていたドイツと同盟条約を締結した。しかし、ユーゴスラビアの主要民族のセルビア人は、長らくオーストリア帝国の支配の下にあったこともあって、反ドイツ的で、3月27日にクーデターを起こして、親ドイツ派の摂政パヴレを失脚させ、国王ペータル2世を担ぎ出して、親スラブ政権を樹立した。 国だったユーゴスラビアでクーデターが起こり、親ドイツを放逐して、親ソビエト派が実権を握った。新政権はドイツとの武力衝突を望んではいなかったが、ヒトラーは、ドイツを裏切ったユーゴスラビアの激怒し、直ちに1941年4月6日、ユーゴスラビアにドイツ軍を侵攻させ、ユーゴの首都ベオグラード(Beograd)を空襲することを命じた。
写真(右)1940-1941年頃,北アフリカ戦線に投入されたドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:斑の砂漠戦用迷彩塗装を施している。飛行場には、300リットル入り増加燃料タンク、250-500キロ爆弾が転がっている。
Fotocollectie Spaarnestad Onderwerpen
Reportage / Serie
Duitse luchtmacht door Noord-Afrika
Beschrijving
Op een Noord-Afrikaans vliegveld van de Duitse Luftwaffe. Om een Stuka Ju 87 liggen verschillende zware bommen
Trefwoorden
oorlog, oorlogen
Krempl / Kriegsberichter
Materiaalsoort
Nummer archiefinventaris
bekijk toegang 7.000SPAond
Inventarisnummer
28036
Bestanddeelnummer
28036_019 写真は,Nationaal Archief ,28036_019引用。
写真(右)1940-1941年頃,北アフリカ戦線に投入されたイタリア空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:イタリア空軍は、単発の急降下爆撃機を持っていなかったために、ドイツ軍から貸与されたJu87急降下爆撃を配備した。垂直尾翼の白十字がイタリアの国籍マークである。
Junkers Ju 87
PictionID:44219789 - Title:Junkers Ju 87 - Catalog:16_005403 - Filename:16_005403.TIF- - Image from the Ray Wagner Collection.
Bestanddeelnummer
28036_019 写真は,SDASM Archives,Catalog:16_005403 引用。
1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相ネヴィル・チェンバレン(Neville Chamberlain)は,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」(Phoney War)とも称された。
写真(右)1941-1942年12月,北アフリカ戦線、3機編隊(ケッテ)で低空飛行するドイツ空軍アフリカ軍団のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機B型:アメリカ軍のジープに相当するキューベルワーゲンは、二輪駆動だが、軽量て簡易構造だったために、砂漠でも信頼性が高い自動車だった。酷暑の砂漠戦用にドイツアフリカ軍団(Deutsche Afrikakorps:DAK)の兵士は、半袖、半ズボンを制服とし、熱帯用帽子も提供した。
Object description The Axis Offensive 1941 - 1942: Three German Junkers Ju 87 (Stuka) aircraft return to base from an operational flight.
Related period Second World War (production), Second World War (content)Catalogue number MH 5584 Part ofSELINGER FRANZ COLLECTION. 写真は,Imperial War Museum, MH 5584引用。
1940年9月、イタリアは、自国のアフリカ植民地リビアから、西方のイギリス属国エジプトに侵攻した。これは、スエズ運河を占領して、地中海のイギリス海軍の影響力を大幅に低下することを企図したものだった。しかし、イタリア軍は兵力的には勝っていたにも関わ環図、イギリス軍の反撃を受けて後退し、1941年2月になると、イギリス軍にリビアの要衝ベンガジを占領されてしまう。イタリア軍の北アフリカでの敗北は、イタリアの指導者ムッソリーニの威信を失墜させ、政権交代、イタリアのイギリスとの和平も危惧されたために、ドイツは、地中海方面・北アフリカへ派兵を決定した。そして、西方電撃戦で活躍したエルヴィン・ロンメル隷下の2個師団をドイツアフリカ軍団(Deutsche Afrikakorps :DAK)と称して北アフリカに派遣した。地中海方面には、歴戦の第一突撃航空団のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機も派遣され、対艦船攻撃にも大きな戦果を挙げている。
写真(右)1941年12月,北アフリカ戦線、イギリス軍陣地時不時着したドイツ空軍機のユンカースJu-87急降下爆撃機B型:砂漠用だが、普及していた斑迷彩塗装ではなく、縞迷彩塗装を施している。
Object description
British troops inspect a Junkers Ju 87 Stuka which made an emergency landing in the desert, December 1941..
Related period Second World War (production), Second World War (content)Materials
whole: glass
Catalogue numberE 3900E. 写真は,Imperial War Museum, IWM (E 3900E)引用。
ドイツ空軍戦闘機の型式であるTropとは熱帯の略称で、空中や飛行場では砂塵が舞い上がっているが、航空機が砂塵をエンジン過給機の空気取入れ口から吸い込んでしまうと、エンジン内部の故障、不調の原因になる。そこで、飛行場や低空で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着、その円筒側面から空気を取り入れた。ただし、高空では砂塵の心配はなく、エンジンの全力可動のためには、エアインテークの正面から空気を取り込むほうが都合がよい。そのために、インテーク前面は、開閉式となっていた。低空では閉鎖し、フィルター円筒の側面から吸気し、高空ではインテーク正面の取入れ口から空気を取り込むのである。ユンカースJu87に搭載されたユモJumo211液冷エンジンも、砂漠の砂塵で不調になるリスクが高いと思われるが、JU87の場合は、形式上Trop熱帯仕様が明示されていない。
写真(右)1941-1942年頃,北アフリカ戦線に投入されたドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型がイギリス軍によって鹵獲された。:1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ (Swastika:ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のスワスチカ (Swastika:ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。 SDASM Archives
Junkers Ju 87
PictionID:44219700 - Title:Junkers Ju 87 - Catalog:16_005396 - Filename:16_005396.TIF
Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219700引用。
写真(右)1941-1942年頃,北アフリカ戦線に投入されたドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型がイギリス軍によって鹵獲された。:強風によって煽られて機体が移動したり損傷したりしないように、尾部と主翼付け根には重しが結び付けてある。操縦席中央部には、垂直に無線アンテナ支柱が伸びている。 SDASM Archives
Junkers Ju 87
Catalog #: 01_00081666- - Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219700引用。
写真(右)1941-1942年頃,地中海上空を飛翔するドイツ空軍ユンカースJu 87R-1急降下爆撃機:地中海の海上で行動するには、800kmの航続距離では短すぎたために、主翼両翼仮面に300リットル入り増加燃料タンクを懸架して航続距離を2倍に伸ばしたのが、R型である。 SDASM Archives
Junkers Ju 87R-1
PictionID:44219579 - Title:Junkers Ju 87R-1 - Catalog:16_005385 - Filename:16_005385.TIF -Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081682引用。
写真(右)1941-1942年頃,地中海・バルカン方面、飛行場で待機しているドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型のカラー写真: SDASM Archives Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081640
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081640引用。
メッサーシュミットBf109戦闘機のプロペラの金属製羽根の数は、D型までは2翅で、E型以降になって3翅プロペラになった。発動機は、搭載するエンジンが、B型・D型はユモJumo210液冷倒立V型12気筒で冷却器(ラジエーター)は機首下面にあったが、E型以降はより強力なダイムラー・ベンツ DB 601液冷倒立V型12気筒を搭載し、冷却器は主翼左右下面に二分割して設置している。
ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機の場合は、試作機のプロペラは2翅だったが、量産機は全て3翅プロペラを装備している。これは、ダイムラー・ベンツ DB 601液冷倒立V型12気筒エンジンよりも重量も重く出力の強いユモJumo211液冷倒立V型12気筒エンジンをユンカースJu87急降下爆撃機が搭載していたためである。
1941年の初め、イタリア軍は植民地のリビアからイギリス属領エジプトへの攻撃を始めたが、イギリス軍の反撃を受けて敗退した。そこで、イタリア軍の救援のために、北アフリカにもドイツ軍が派遣されこととなった。これが、ドイツアフリカ軍団である。バルカン半島、北アフリカに進出したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機は、1940年の西方電撃戦の時と同様に、地上攻撃に当たると共に、地球会を遊弋するイギリス艦隊を空襲した。海上での大規模攻撃は、この時がJu87にとって初めてであったが、練度の高い急降下爆撃部隊(突撃航空団)は、連合軍艦艇・船舶を急降下爆撃で多数撃沈、大破させた。バルカン半島、地中海、北アフリカでもユンカースJu87急降下爆撃機は敵の艦船と地上軍の攻撃に大活躍した。
写真(右)1942-1943年頃,イタリア戦線、地中海方面、DFS 230 グライダー曳航の準備のなったドイツ空軍ユンカースJu 87R-1急降下爆撃機:シシリー島攻防戦時期であろうか、地中海方面で輸送任務に活躍したJu-87急降下爆撃機。主翼両翼下面に300リットル入り増加燃料タンクを懸架して航続距離を2倍に伸ばし、燃料消費の覆いグライダー曳航輸送に備えている。 Italien, Sizilien.- Lastensegler DFS 230 im Schlepp einer Junkers Ju 87 "Stuka" auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Title
Italien, Lastensegler DFS 230 hinter Ju 87 Info non-talk.svg
Depicted place Sizilien
Date 1943
Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-565-1407-31A
写真は Wikimedia Commons,Bundesarchiv ,File:Bundesarchiv Bild 101I-565-1407-31A, Italien, Lastensegler DFS 230 hinter Ju 87.jpg引用。
写真(右)1943年頃,イタリア戦線、地中海方面、DFS 230 グライダー曳航の準備のなったドイツ空軍ユンカースJu 87R-1急降下爆撃機:地中海の海上で輸送任務に活躍したJu-87急降下爆撃機。主翼両翼下面に300リットル入り増加燃料タンクを懸架して航続距離を2倍に伸ばし、燃料消費の覆いグライダー曳航輸送に備えている。 Italien.- Lastensegler DFS 230 hinter Junkers Ju 87 als Schleppflugzeug auf Feldflugplatz vor dem Start; PK Fs AOK Title
Italien, Ju 87, Lastensegler DFS 230 auf Flugplatz Info non-talk.svg
Depicted place Italien, World War II, unknown town
Date 1943
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-567-1519-30
写真は Wikimedia Commons,Bundesarchiv ,File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1519-30, Italien, Ju 87, Lastensegler DFS 230 auf Flugplatz.jpg引用。
写真(右)1940-1942年頃,イタリア戦線、地中海方面、DFS 230グライダーを曳航するドイツ空軍ユンカースJu 87急降下爆撃機:地中海の海上で輸送任務に活躍したJu-87急降下爆撃機。主翼両翼仮面に300リットル入り増加燃料タンクを懸架して航続距離を2倍に伸ばし、燃料消費の覆いグライダーを曳航輸送している。 Italien.- Lastensegler DFS 230 (Kennung LB+1-91) im Schleppflug, dahinter Junkers Ju 87 "Stuka" beim Schleppen eines Lastenseglers; PK Fs AOK
Title
Italien, Lastensegler DFS 230, Ju 87 Info non-talk.svg
Depicted place Italien, World War II, unknown town
Date 1943
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
写真は Wikimedia Commons,Bundesarchiv ,File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1523-35A, Italien, Lastensegler DFS 230, Ju 87.jpg引用。
写真(右)1940-1942年頃,地中海方面、イタリア、飛行中のドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:岩山の上空を飛行している。プロペラ・スピナーの色は白色で、飛行中隊ごとに区別されていたようだ。主翼下面にダイブブレーキが見えるが、爆弾は搭載していない。
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam: Repubblica Italiana
Land: Italy
Bijschrift
Deutsche Flieger in Italien. Deutscher Stuka auf Feindflug gegen Malta. Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper
. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 148引用。
写真(右)1941-1942年冬,航続距離を延長したドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機R型:地中海方面あるいは東部戦線のようだが、広大な戦線を行動するのには、800kmの航続距離では短すぎた。フィンランドなど極北戦線でも、悪天候を飛行するには、主翼両翼仮面に300リットル入り増加燃料タンクを懸架して航続距離を2倍に伸ばししたR型は重宝された様だ。 SDASM Archives
Junkers Ju 87
Catalog #: 01_00081682
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.87 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081682引用。
写真(右)1944年,側上方から見たドイツ空軍ユンカースJu 87急降下爆撃機D-1型:
Ray Wagner Collection Image
Ray Wagner Collection Image
PictionID:44219663 - Catalog:16_005393 - Title:Junkers Ju 87D-1 (Same photo as 5392) - Filename:16_005393.TIF. 写真は Flickr, San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081685引用。
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-1型は1941年5月から生産が開始されたが、これは6月の対ソビエト連邦「バルバロッサ作戦」発動直前だった。それ以前のB型/R型とは、ガラス風防・機首の形状が異なり、発動機も出力強化されている。また、兵装も機関銃が強化され、爆弾搭載量も増強されている。こうして機体重量が増加したために、エンジンが強化されたものの、飛行性能はB型とD型では、航続距離以外は改善がみられていない。
写真(右)1944年,ドイツ空軍ユンカースJu 87急降下爆撃機D-1型のコックピット操縦席:操縦桿、計器盤、方位盤、水平儀が効率的に配置されている。風防ガラスは、局面で、防弾ガラスではない。
Ray Wagner Collection Image
Junkers Ju 87D-1 cockpit
PictionID:44219713 - Title:Junkers Ju 87D-1 cockpit Catalog:16_005397 - Filename:16_005397.TIF Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation . 写真は Flickr, San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44219713引用。
ユンカース社のヘルマン・ポールマン(Hermann Pohlmann)が設計したユンカース(Junkers)Ju87急降下爆撃機は、1934年にモックアップが完成し、1935年9月17日に初飛行した。逆ガル式の主翼の折れ曲がった部分に降着装置があるが、これは地上との距離が短く、降着装置の重量を軽減できるからである。複座機、固定脚は堅牢な設計だが、急降下時の安定性がよく、未整備の飛行場での離着陸も容易だった。機体構造が頑丈で、整備もしやすく信頼できる機体だった。
ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機のコックピット前方にある操縦席左側方には、エンジン出力を調整するスロットルレバー、爆弾投下レバーが並んでいる。左にあるのは、右手で操縦桿を操作するために、開いている左手でこれらのレバーを操作するため。操縦桿の最上部には、機銃発射ボタンがついている。主翼左右には、20ミリMG152/20機関銃が装備されている。計器盤、方位盤、水平儀も見える。風防ガラスを固定する金属枠は、強度を保つために堅牢な構造である。
ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機は旧式化したこと、戦闘機生産を優先したことから、1944年には他のドイツ空軍爆撃機と同様、生産終了となった。しかし、Ju87は、D型を中心に総計5,300機も大量生産されており、終戦まで使用され続けた。
写真(右)1944年,側上方から見たドイツ空軍ユンカースJu 87急降下爆撃機D-1型のコックピット操縦席:操縦席左側方に、スロットルレバー(エンジン出力の上げ下げ)、爆弾投下レバー(胴体下面と主翼下面)が並んでいるのが分かる。右下の操縦桿の徴用部には、蓋があってその下に機銃発射ボタンがついている。
Ray Wagner Collection Image
Junkers, Ju.87
Catalog #: 01_00081685
Title: Junkers, Ju.87
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany Designation: Ju.87. 写真は Flickr, San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081685引用。
飛行機の操縦は、当時の大半の小型機はスティック状の操縦桿で右手で操作する。操縦桿を手前に引くと上昇し、押すと下降するように補助翼が動く。他方、足元にある操縦ペダルは、垂直尾翼の方向舵を左右に動かすもので、右に押せば右旋回、左に押せば左旋回する。
ユンカースJu-87急降下爆撃機D型の諸元
全幅:15m、全長:11.5m、全高:3.84m
翼面積:33.6平方メ―トル 発動機:Jumo211液冷12気筒エンジン(1,400hp)
全装備重量:6,500kg 最高速力:425km/h 実用上昇限度:7,500m、上昇時間:5,000mまで19.8分
航続距離:1,500km 兵装:7.92ミリMG81Z連装旋回機銃1丁、20ミリMG151/20前方固定機銃2丁
写真(右)1944年,ドイツ(?)、ドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型の機首整形カバーを外しての整備指導:機首下方には、大型の空冷式エンジン冷却装置(ラジエーター)があり、金属製3翅プロペラにはユンカース社のロゴがついている。胴体下面の爆弾ラックは、B型のような金属枠式の旧式タイプでなく、ETC501ラックのような新型である。第二次世界大戦中にドイツ空軍は、重量2キロの対人用クラスター爆弾も実戦投入している。 Photographer
Unknown Original caption
Flugzeug Junkers Ju 87
Flugzeugbau 1944 447 44
[Arbeiten am Motor eines Sturzkampfbombers (Stuka) Junkers Ju 87]
Date 1944
Collection
German Federal 写真は,Bundesarchiv, File:Bundesarchiv Bild 183-2004-0819-500, Flugzeug Junkers Ju 87.jpg引用。
ユンカースJu87急降下爆撃機が装備した発動機は、ユンカース(Junkers)ユモJumo211は、液冷倒立V型12気筒エンジンである。この発動機は、第二次世界大戦に搭乗したドイツ空軍の双発爆撃機であるハインケルHe111、ユンカースJu88にも標準装備されており、代表的な爆撃機用エンジンだった。それに対して、ダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)の開発したDB 601は、同様の液冷倒立V型12気筒エンジンではあったが、開発が遅れ、設計が精巧で高価である反面、Jumo211よりも小型で軽量、さらにプロペラ軸を通して射撃するモーターカノンの装備が可能だったため、メッサーシュミットBf109単発戦闘機、Bf110双発戦闘機の発動機として装備された。
1935年に試作されたユンカース(Junkers)ユモJumo211は、1936年の施策時には1000馬力に満たない出力だったが、1937年4月に完成したユモ Jumo211Aは1,100馬力に出力を向上させており、Ju87V急降下爆撃機試作機に搭載され、好成績を収めた。
写真(右)1944年頃,イタリア戦線、地中海方面、トラックで尾部を牽引して移動中のドイツ空軍ユンカースJu 87D夜間襲撃機:エンジン排気管に消炎ダンパーを装着して、夜間飛行の隠密性を向上させた。主翼両翼下に250キロ爆弾あるいは300リットル入り増加燃料タンクを搭載できるETC250 ラック(懸架)を装着している。 Italien, bei Florenz / Ravenna.- Flugzeug Junkers Ju 87 "Stuka" auf Feldflugplatz stehend, Soldaten in LKW; PK Lfl 2
Title
Italien, Junkers Ju 87 auf Feldflugplatz Info non-talk.svg
Depicted place Florenz / Ravenna
Date 1944
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
写真は Wikimedia Commons,Bundesarchiv ,File:Bundesarchiv Bild 101I-478-2174-19A, Italien, Junkers Ju 87 auf Feldflugplatz.jpg引用。
写真(右)1944年頃,イタリア戦線、地中海方面、ドイツ空軍ユンカースJu 87D夜間襲撃機:トラックで尾部を牽引して移動準備中。エンジン排気管に消炎ダンパーを装着して、夜間飛行の隠密性を向上させた。主翼両翼下に250キロ爆弾あるいは300リットル入り増加燃料タンクを搭載できるETC250 ラック(懸架)を装着している。 Italien, bei Florenz / Ravenna.- Flugzeug Junkers Ju 87 "Stuka" auf Feldflugplatz stehend, Soldaten in LKW; PK Lfl 2
Title
Italien, Junkers Ju 87 auf Feldflugplatz Info non-talk.svg
Depicted place Florenz / Ravenna
Date 1944
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
写真は Wikimedia Commons,Bundesarchiv ,File:Bundesarchiv Bild 101I-478-2174-18A, Italien, Junkers Ju 87 auf Feldflugplatz.jpg引用。
5.1941-1942年、東部戦線・フィンランド戦線に配備されソ連軍と戦ったユンカースJu-87急降下爆撃機B型
写真(右)1941年6月以降,対ソビエト連邦東部戦線、飛翔するドイツ空軍機のユンカースJu-87急降下爆撃機B型:主翼下面に50キロ爆弾を2発ずつ搭載、主翼付け根に機銃掃射用の7.92ミリMG17機銃、降着装置覆スパッツの付け根に「ジェリコのラッパ」と呼ばれた風車式威嚇音発生器が回転している。ガラス風防(コックピット)後方は、防御用の7.92ミリMG15機銃1丁を装備。ダークグリーン系統の迷彩塗装を施している。
Object description
Junkers Ju 87 'Stuka' in flight - viewed from the right and slightly above.
Catalogue numberHU 24780
Part ofTHE GERMAN AIR FORCE DURING THE BALKAN CAMPAIGN AND THE FIRST RUSSIAN CAMPAIGN 1941. 写真は,Imperial War Museum, IWM (HU 24780)引用。
写真(右)1941-1943年頃、フィンランド、雪の積もった飛行場から発進をするドイツ空軍第1訓練(突撃)航空団(SG1)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機B-2型(登録コード:L1+KV ):第1訓練航空団(LG 1)は、名称こそ訓練航空団だが、実際は実戦部隊で、第1突撃航空団(SG1)呼称された。
Pohjoisella rintamalla toimivat stukat lähdössä pommittamaan. Pommeja kiinnitetään. Kuvassa Junkers Ju 87 B-2, tunnus L1+KV ja yksikkö IV(St.)/LG 1.
Aineistotyyppi
?Valokuva
Organisaatio
Sotamuseo
Kuvaustiedot:
ajoittamaton Uuno Laukka, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
フィンランドは、ロシア革命で崩壊したロシア帝国から独立した新興国だったが、ロシア革命の影響で、当初は共産主義者、ボリシェビキの勢力が伸長し、内乱も経験している。ボリシェビキを鎮圧して成立したフィンランド政府は、反共産主義の立場をとり、ヨシフ・スターリンの指導するソビエト連邦との国際関係は協調的とは言えなかった。ソ連は、1939年の第二次世界大戦勃発前、1939年8月23日に独ソ不可侵条約を結び、秘密議定書で、独ソの勢力範囲に合意していたが、ソ連はバルト三国とフィンランドへの影響力をドイツから認められていた。そこで、ソ連指導者指導者ヨシフ・スターリンは、バルト三国への外交圧力を強め、軍事基地を提供させ、ソ連軍進駐を認めさせ、相互援助条約に合意するよう強要した。また、フィンランドに対しても、レニングラードに近いカレリア地峡とコラ半島の一部とのソ連領との交換を強要しようとたが、フィンランドはソ連の領土割譲の要求を拒否した。第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目、1939年11月30日に、ソ連軍は、フィンランドを攻撃し、「冬戦争」が始まった。
写真(右)1941-1943年頃、フィンランド、雪の積もった飛行場で250キロ爆弾を爆弾搭載用具で運搬する地上勤務員とドイツ空軍第1訓練(突撃)航空団(SG1)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機B-2型(登録コード:L1+KV ):第1訓練航空団(LG 1)は、名称こそ訓練航空団だが、実際は実戦部隊で、第1突撃航空団(SG1)呼称された。
Pohjoisella rintamalla toimivat stukat lähdössä pommittamaan. Pommeja kiinnitetään. Kuvassa Junkers Ju 87 B-2, tunnus L1+KV ja yksikkö IV(St.)/LG 1.
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Kuvaustiedot:
ajoittamaton Uuno Laukka, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
フィンランドは1939年11月30日にソ連軍の攻撃を受けたが、ソ連の侵略に対しては国際世論の非難が起こり、ソ連は、1939年12月14日に国際連盟から追放された。また、各国の義勇軍が、フィンランドに馳せ参じた。国民世論、国際世論の支持と、国際社会から購入した航空兵力の支援を受けて、マンネルヘイム元帥率いるフィンランド軍は果敢に抵抗し、ソ連軍を苦しめた。しかい、国力の劣るフィンランド軍は長期戦には適応できず、1940年2月にはソ連軍の重圧を受けて敗退を続けていおり、フィンランドの敗戦は決定的となっていた。フィンランド政府は、1940年2月末にマンネルハイムの意向を受け入れ降伏交渉に臨み、1940年3月12日、モスクワ講和条約に合意した。講和の条件は、フィンランドの国土面積の10%近い工業地帯のカレリア地峡の割譲である。
写真(右)1941-1943年頃、フィンランド、雪の積もった飛行場で250キロ爆弾を準備する毛皮の帽子を被った地上勤務員とドイツ空軍第1訓練(突撃)航空団(SG1)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機B-2型(登録コード:L1+KV ):第1訓練航空団(LG 1)は、名称こそ訓練航空団だが、実際は実戦部隊で、第1突撃航空団(SG1)呼称された。
Pohjoisella rintamalla toimivat stukat lähdössä pommittamaan. Pommeja kiinnitetään. Kuvassa Junkers Ju 87 B-2, tunnus L1+KV ja yksikkö IV(St.)/LG 1.
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ajoittamaton Uuno Laukka, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
1941年6月21日,バルバロッサ作戦開始の前日のドイツ軍東部戦線配備兵力
兵員300万人,戦車3580両,火砲7184門,車両60万台,ウマ75万頭。航空機1830機.
対峙するソ連軍は,兵員450万人,10個軍だった。
写真(右)1941-1943年頃、フィンランド、胴体下面に250キロ爆弾を搭載中のドイツ空軍第1訓練(突撃)航空団(SG1)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機B-2型(登録コード:L1+KV ):第1訓練航空団(LG 1)は、名称こそ訓練航空団だが、実際は実戦部隊で、第1突撃航空団(SG1)呼称された。
Pohjoisella rintamalla toimivat stukat lähdössä pommittamaan. Pommeja kiinnitetään. Kuvassa Junkers Ju 87 B-2, tunnus L1+KV ja yksikkö IV(St.)/LG 1.
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ajoittamaton Uuno Laukka, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ソ連軍は,北方には30個師団,8個機甲旅団,中部に45個師団,14個機甲旅団,南部に64個師団,14個機甲旅団を配備
ソ連空軍は白ロシア(ベラルーシ)に6000機を配置。
フィンランドに駐屯したドイツ空軍第一航空軍アルフレート・ケラー司令官隷下、第54戦闘航空団(JG54)「緑のハート」(グリュン・ヘルツ)のメッサ―シュミットBf 109戦闘機F型。ドイツ空軍機は、1941年6月の対ソ連戦からフィンランドにも駐屯したが、ドイツ空軍機は、フィンランド軍にも貸与され、第1訓練(突撃)航空団フィンランド軍所属のBf109戦闘機もあった。
写真(右)1941-1943年頃、フィンランド、胴体下面に250キロ爆弾の搭載が終わったドイツ空軍第1訓練(突撃)航空団(SG1)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機B-2型(登録コード:L1+KV ):第1訓練航空団(LG 1)は、名称こそ訓練航空団だが、実際は実戦部隊で、第1突撃航空団(SG1)呼称された。
Pohjoisella rintamalla toimivat stukat lähdössä pommittamaan. Pommeja kiinnitetään. Kuvassa Junkers Ju 87 B-2, tunnus L1+KV ja yksikkö IV(St.)/LG 1.
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ajoittamaton Uuno Laukka, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ドイツのソ連侵攻バルバロッサ作戦では、1941年6月22日早朝に攻撃が始まったが、北方軍集団の目標は、レニングラード攻略だった。レニングラードは、ソ連海軍バルト艦隊の基地であり、フィンランド湾、バルト海にあったソ連海軍潜水艦は脅威だった。また、ナチ党の反共産主義のイデオロギーの上で、ボルシェビキの本拠地と見なされ、ヒトラーは当初より、レニングラードの徹底的壊滅を指示していた。北方軍集団司令官レープ元帥隷下、第16軍司令官ブッシュ将軍、第18軍司令官キュッヒラー将軍ともにナチ党イデオロギーに心酔していた軍人だった。
写真(右)1941-1943年頃、フィンランド、雪の積もった飛行場で主翼下面に50キロ爆弾を搭載中のドイツ空軍第1訓練(突撃)航空団(SG1)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機B-2型(登録コード:L1+KV ):地上勤務員は、毛皮の付いたオーバーオールと帽子を被っている。雪の量の多くはないが、気温は氷点下をかなり下回っており、風もあれば屋外作業は困難を伴う。
Pohjoisella rintamalla toimivat stukat lähdössä pommittamaan. Pommeja kiinnitetään. Kuvassa Junkers Ju 87 B-2, tunnus L1+KV ja yksikkö IV(St.)/LG 1. Rungon alla on 250 kg:n pommi ja kummassakin siivessä on kaksi 50 kg:n pommia.Aineistotyyppi
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ajoittamaton Uuno Laukka, valokuvaaja
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
1940年6月のフランス降伏で,ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げた。この時は、ドイツ空軍が奇襲攻撃によってソ連空軍機を地上で多数破壊したために、制空権下のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機は大きな活躍をすることができた。
6.1944年フィンランド極北戦線に配備されたユンカースJu-87急降下爆撃機D型
写真(右)1944年6月28日、フィンランド、離陸準備をするドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:エンジン出力が向上し、主翼には20ミリMG151/20機銃が装備され、地上機銃掃射能力が高まっている。
Stuka-syöksypommittajat lähdössä pommitusmatkalle Talin siltoja tuhoamaan. Lentokone on Junkers, JU 87 D-5.
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1944-06-28 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ユンカース(Junkers)Ju-87は、前の形式であるB型・R型の発動機出力を200馬力強化し、ガラス風防(コックピット)の形状を山形に拡大し視界を向上させた。また、主翼の前方固定機銃を、7.92ミリMG17機銃2丁から、2センチMG151/20 機銃2丁に、コックピット後方の7.92ミリMG15機銃1丁から同口径MG81Z連装旋回機銃1丁に火力を大幅に強化した。爆弾搭載量も、それまでの500キロから2倍の1トンに引き上げられている。
写真(右)1944年6月28日、フィンランド、整備中のドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:手前には航空機用揮発油の入ったドラム缶が転がっている。ドラム缶の容積は1缶当たり200リットル、44ガロン相当であるから、Ju87は1機でドラム缶5本分の燃料を搭載する。 Pommitusmatkan jälkeen täytetään syöksypommittajan bensiinitankki jälleen. Lentokone on Junkers, JU 87 D-5.
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1944-06-28
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
イギリス本土航空決戦(バトル・オブ・ブリテン)でイギリス空軍のハリケーン、スピットファイア戦闘機の反撃を受けてドイツ空軍航空部隊は、爆撃機も戦闘機も大損害を被った。特に低速で防御火器の貧弱なユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機は、Bf109戦闘機の護衛を付けていても際立って大きな損害を出した。ドイツ空軍は、ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機スツーカの後継機として、双発のMe210戦闘爆撃機を計画していたようだが、Me210は技術的失敗から実用性に乏しく、有効な後継機とはならなかった。そこで、ドイツ空軍は地上支援をするために、新機種を準備できず、Ju87急降下爆撃機スツーカを使い続けることになった。そこで、R形までのJu87を改良した新しいD型が開発されたのである。ユンカースJu-87Dは1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」直前の時期に試作機が完成しているが、これがJu87 V21からV25の試作機に相当する。
写真(右)1944年7月2日、フィンランド、未舗装飛行場でエンジンを始動し発進準備のなったドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:手前には航空機用揮発油の入ったドラム缶が転がっている。ドラム缶の容積は1缶当たり200リットル、D型の機内燃料搭載量は1,370リットルであるから、Ju87は1機でドラム缶6本分の燃料を搭載する。
Stuka-syöksypommittajan ohjaaja odottaa lähtömerkkiä. Sotilaat istuvat Junkers Ju 87 D-5:n päällä.
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1944-07-02
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D1型は、従来のユモJumo210液冷エンジンに代えて、排気量の大きく強力なダイムラー・ベンツDB 603液冷エンジンの搭載を計画していたが、このエンジンの量産能力は低く、ダイムラー・ベンツの液冷エンジンは新型のMe 410戦闘機用に優先配備されることになっていたために、D型にはユンカースJumo 211の出力強化型が回されることとなった。Ju 87 D型は、潤滑油冷却器(オイルクーラー)やエンジン冷却器(ラジエーター)の配置方式を変更し、視界を向上するためにガラス風防(コックピット)を大型化している。また、防御力を向上するために、後方旋回機銃を単装の7.92mm MG15機銃から、7.92mm MG 81Z 連装機銃へと強化し、発射速度も3倍となった。発動機は、出力を向上したユモJumo211J 1,420馬力(1,044kWp)に変換している。ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機の爆弾搭載能力はB型では500キロだったが、D型では1トンに増大している。D型の機内燃料搭載量は1,370リットルであり、滞空時間は2時間以上あった。また、300リットル入り増加燃料タンク2個を搭載した状態では、滞空時間は4時間に延長可能だった。
ドイツ軍はモスクワに次ぐソ連第2大都市レニングラードを900日近く包囲し、空襲、砲撃により破壊され、包囲された人々からは死傷者100万名がでたが、レニングラードは陥落しなかった。独ソ戦の緒戦で、ソ連軍は大敗北を続けたが、その士気は衰えなかった理由は、ソビエト人の意識や大ロシア意識といったアイデンティティー、共産党・スターリンによる鉄の規律、ソ連軍兵器の優秀性、極東配備のソ連軍の西方派遣も指摘できるが、レニングラードが包囲されても抵抗し続けたことは、ソ連の人々を勇気づけ、モスクワ陥落もあり得ないとの地震を付けさせることになった。1945年、スターリンは、レニングラードに英雄都市の称号を与えた。
写真(右)1944年、フィンランド、未舗装飛行場で整備中のドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:Ju87急降下爆撃機は、降着装置が頑丈であり、地上での安定性も良かったために、未舗装飛行場でも十分に運用が可能で、前線進出や基地の移動の便も良く、地上支援任務に適していた。 Vihollisen ilmatorjunta on saanut osuman,mutta kone on silti tuotu kotiin. Lentokone on Junkers Ju 87 D-5.
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Sotamuseo 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)のドイツ空軍第一航空軍(Luftflotte 1)に属していたJG54は、1941年6月21日、バルバロッサ作戦初日,ヴィルヘルム・リッター・フォン・レープ(Wilhelm Ritter von Leeb)元帥を司令官とする北方軍集団(レープ元帥)を支援し、フィンランド、バルチック海周辺、レニングラードで戦った。1941年から1943年には、JG54は、レニングラード包囲戦、イイリメニ湖周辺のソ連軍攻撃のために、フィンランドにも駐屯した。
写真(右)1944年6月28日、フィンランド、未舗装の飛行場で250キロ爆弾を搭載しようとしているドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:爆弾の運搬、搭載、懸架に便利なように、ジャッキと車輪を備えた爆弾懸架装置がある。但し、多数の地上整備員がいる場合には、人海戦術のほうが迅速に対処できた。 Lähtömerkki on annettu, mekanikot starttaavat konetta käyntiin. Junkers Ju 87 D-5 on saanut käynnistyskäskyn: mekaanikko kiertää ineertiakäynnistintä.
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1944-07-02 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ドイツ軍のソ連侵攻が始まった1941年6月、フィンランドもマンネルハイム将軍を先頭に立てて、1939年の冬戦争でソ連に奪われたカレリア地峡など領土奪回を目指し、共産主義ソビエト連邦に攻撃を仕掛けた。フィンランドはドイツの同盟国として、1941年6月から1944年9月までソビエト連邦と戦争状態にあったのである。これが継承戦争(継続戦争)で、1939年に始まり翌年敗北に終わった「冬戦争」の復習戦だった。しかし、継承戦争は、1944年夏になると、フィンランド側が不利であり、フィンランドは密かにソ連との和平交渉を始め、戦争から抜け出そうと画策していた。
写真(右)1944年6月28日、フィンランド、未舗装の飛行場で人力で250キロ爆弾を搭載しようとしているドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:爆弾の運搬、搭載、懸架に便利なように、ジャッキと車輪を備えた爆弾懸架装置がある。
Pommitusmatkan jälkeen mekanikot kiireesti kiinnittävät Stukaan uudet pommit. Kuvan lentokone on Junkers Ju 87 D-5.
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1944-06-28 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
舗装されていない滑走路が一般的だった地中海方面や東部戦線では、エンジン内部に砂塵が吸い込まれて、エンジンが故障するリスクが高まった。そこで、砂塵がエンジン内部に入らないように、エンジンのエアインテークには砂塵除けのフィルターが装着されるようになった。先端部にあるの開閉式吸入口は開いている。低空でなければ、砂塵は少ないので、吸入口の扉は開けているが、地上では砂塵が多いので、口を閉じて円筒状のフィルター越しに空気を吸入する。
写真(右)1944年6月28日、フィンランド、未舗装の飛行場から発進準備をするドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:反共産主義のフィンランドは、マンネルハイム将軍を先頭に建てて、1939年の冬戦争でソ連に奪われたカレリア地峡など領土奪回を目指し、共産主義ソビエト連邦にドイツとともに攻撃を仕掛けた。しかし、1944この夏には、フィンランドはソ連との戦争から抜け出そうと画策していた。
Stuka- syöksypommittajat starttaavat pommitusmatkalle Talin siltoja tuhoamaan. Taaempi lentokone on Junkers, JU 87 D-5.
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Kuvaustiedot: 1944-06-28 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
高速を出せば、風圧により空気取入れ口(エアインテーク)に流れる空気は、十分にあるが、ラジエーターが、風圧を利用して熱したエンジン冷却液を冷やすためには、大きく張り出すことが必要である。しかし、大きく張り出したラジエータの空気取入れ口(エアインテーク)は、空気抵抗が大きく、速度減少など飛行性能を低下させる。ラジエーターの空気抵抗を減らすためには、空気取入れ口の開口部を胴体や主翼の境界層の外に設けるのが効果的である。これは、境界面での空気の流れを妨げない工夫で、空気抵抗を減らす効果もある。
アメリカのノースアメリカンP-51 ムスタング戦闘機の空気取入れ口(エアインテーク)も、機体下部の中央部にあるが、境界層を乱さないように突出した形状になっている。他方、Bf109 戦闘機E形までは、エアインテークを境界層に設けており、境界層から離して吸入口を設けたのはF型以降である。日本陸軍キ61川崎三式戦闘機のエアインテークは、最後まで境界層に設けられていた。
写真(右)1944年7月2日、フィンランド、未舗装の飛行場から発進をするドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:プロペラが回転し未舗装の飛行場から砂ぼこりが舞い上がっている。コックピットにある無線通信装置のアンテナ線が垂直尾翼に碍子で張られている。
Stuka- syöksypommittajat starttaavat pommitusmatkalle Talin siltoja tuhoamaan. Taaempi lentokone on Junkers, JU 87 D-5.
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1944-06-28 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
メッサーシュミットMesserschmitt Me 109 Fは,機首にモーターカノンとしてマウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃または20ミリMG151/20 機関銃,ラインメタル13.1ミリMG131機銃 2丁,主翼に機銃は装備しなかった。ダイムラー・ベンツDB601エンジン (1200馬力),最大速度630キロ, 航続距離 580キロ。モーターカノンには、F-3型までは15.1ミリMG151機関銃1丁(ベルト給弾200発)、F-4型以降は20ミリMG151/20機関銃(ベルト給弾150発)をエンジン後方に装備。機首上面の7.92ミリMG17機銃(2丁)は、初速840m/秒、発射速度1000発/分、ベルト給弾1丁当たり500発、合計1000発を装備した。モーターカノンを搭載した連合軍機は、アメリカのベルP-39エアコブラが37ミリ機関砲を備えていた。Ju87急降下爆撃機は主翼にマウザー(モーゼル)20ミリMG151/20 機関銃を装備して、地上襲撃能力を向上させている。
写真(上)1944年6月28日、フィンランド、ドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)第一飛行隊所属のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型S7+HH:D型は、ユモJumo210液冷12気筒エンジン1400馬力にエンジン出力を強化した後期型。 Stuka-syöksypommittaja.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
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Stuka-syöksypommittaja. Kuvan lentokone on saksalaisen 1./SG 3:n Junkers Ju 87 D-5, tunnus S7+HH 写真はMUSEOT FINNA・Identifier: NL.03130033 引用。
写真(上)1944年6月28日、フィンランド、ドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)第一飛行隊所属のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型S7+HH:胴体下面に250キロ爆弾1発が、主翼左右下面には、50キロ爆弾2発が懸架されている。 Stuka-syöksypommittaja.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Sotamuseo
saksalaisen 1./SG 3:n Junkers Ju 87 D-5, tunnus S7+HH. 写真はMUSEOT FINNA・Identifier: NL.03130033 引用。
写真(右)1944年7月2日、フィンランド、出撃準備のなったドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載している。上空にはユンカースJu53/3mg三発輸送機が飛行している。
Stuka-syöksypommittaja lähdössä pommituslennolle Kannakselle. Kuvan lentokone on Junkers Ju 87 D-5.
Aineistotyyppi
Valokuva
Organisaatio
Sotamuseo
Kuvaustiedot:
1944-07-02 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ドイツ空軍のユンカースJu87急降下爆撃機部隊指揮官クルト・クールマイ(Kurt Kuhlmey:1913-1993)は、ソ連と戦うフィンランドに1944年6月に派遣された増援部隊を率いた。特に、フィンランド南部の要衝カレリア地峡を攻撃してきたソ連軍に対する防衛の任務に就き、フィンランド軍カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム元帥の援軍となった。クルト・クールマイの航空兵力は、フォッケウルフFw-190戦闘機A-6とユンカースJu-87急降下爆撃機D-5であり、70機を擁していた。wikipedia日本語版は「タリ=イハンタラの戦いにおいてはフィンランドの限定的勝利に大きく貢献した。ソ連によるカレリアへの組織的な大攻勢は7月13日を以って下火になり、クールマイ戦闘団は8月14日にはエストニア方面へ撤収し解散した」と英語版を参考に訳している。
写真(右)1944年7月2日、フィンランド、出撃準備のなったドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載している。 Stuka-syöksypommittaja valmistautuu lähtöön. Lentokone on Junkers Ju 87 D-5.
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1944-07-02 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
しかし、実際には、フィンランドはドイツ側に立って戦い続けることがアメリカ、いる義リストの対立を深めるだけであることを懸念しており、ソ連との戦争も講和したい状況にあった。フィンランドは、マンネルハイム元帥の承諾の下で、ドイツに秘密裏にソ連と和平交渉を始めており、1941年6月25日に始まった継承戦争は、事実上のフィンランド降伏で1944年9月4日に終戦となっている。そして、講和条件の一つとして、フィンランドはドイツに宣戦布告することになる。このような継続戦争の顛末を知れば、フィンランドが援軍にやってきたドイツ軍を積極的に歓迎したかどうか。wikipedia日本語版の言うように「クールマイは、フィンランドで現在もなお「救国の英雄」として称揚されている」というのは、大いに疑義がある。
写真(右)1944年6月28日、フィンランド、出撃準備のなったドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載している。上空にはユンカースJu53/3mg三発輸送機が飛行している。
Stuka- syöksypommittajat starttaavat pommitusmatkalle Talin siltoja tuhoamaan. Lentokone on Junkers, JU 87 D-5.
Aineistotyyppi
Valokuva
Organisaatio
Sotamuseo
Kuvaustiedot:
1944-06-28 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ユンカースJu87急降下爆撃機D型は、主翼外側にETC50ラック2基を1セットに整形カバーで覆っ爆弾懸架を装備し、ここに50キロ爆弾2発を搭載することができた。このような爆弾懸架は、日本陸軍の九九式襲撃機の主翼外側の50キロ爆弾懸架、日本海軍の九九式艦上爆撃機の主翼外側の60キロ爆弾懸架に比較して大がかりな印象を受ける。しかし、ドイツ空軍は、電動で信頼性の高い懸架を装備し、その見返りに、若干の空気抵抗の大きさは甘受したのである。
写真(右)1944年7月2日、フィンランドに駐屯したドイツ空軍第一航空軍アルフレート・ケラー司令官隷下、第54戦闘航空団(JG54)「緑のハート」(グリュン・ヘルツ)のフォッケウルフFw-190戦闘機A-6型の上空を3機編隊で飛ぶユンカースJu87急降下爆撃機D型:1943年から、JG54の第1、2、4飛行戦隊は、ドイツ軍の北方軍集団を支援するため、ラトビア、エストニア、クールラント、東プロイセン地域で戦った。フォッケウルフFw-190戦闘機A-6型は、主翼付け根にプロペラ同町装置付きのは20ミリMG151/20機関銃(ベルト給弾250発)を搭載し、プロペラを通して発射した。 Maataistelukoneen mekanikko hoitaa isäntänsä lintua ``Stukien ́ ́ saapuessa pommitusretkeltä. Lentokone on Focke-Wulf Fw 190 A-6, taivaalla on Stuka -lentokoneita.
Vähemmän
Aineistotyyppi
Valokuva
Organisaatio
Sotamuseo
Kuvaustiedot:
1944-07-02 写真はフィンランド博物館,MUSEOT FINNA引用。
第54戦闘航空団(Jagdgeschwader 54 )第1飛行戦隊は、第70戦闘航空団第1飛行隊として、1939年7月、ニュルンベルクで編成されたたため、エンブレムは、ニュルンベルクの紋章に由来する「緑のハート」となった。第54戦闘航空団第1飛行戦隊が成立したのは、第二次大戦勃発直後の1939年9月15日だった。
第54戦闘航空団(Jagdgeschwader 54 )第2飛行戦隊は、第138戦闘航空団第1飛行戦隊として、1938年のアンシュルス以降に、オーストリアで編成され、1940年4月に第54戦闘航空団第2飛行戦隊となった。
写真(右)1944年、フィンランド、爆弾を搭載したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D型の下部:胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載している。降着装置は頑丈で、車輪カバーを付けて空気抵抗を減容させている。車輪カバーの前部は補修したような跡がある。
Saksalainen syöksypommittaja Junkers Ju 87 D, tyyppikuva. Kesäkuu 1944. Lentokone on Junkers Ju 87 D-5.
Aineistotyyppi
?Valokuva
Organisaatio
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Kuvaustiedot:
ajoittamaton Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
写真(上)1944年6月27日、フィンランド、待機中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:未舗装飛行場に250キロ爆弾と50キロ爆弾が置いてあるが、これから搭載するのであろう。250キロ爆弾の尾翼には金属筒が複数装着されているが、これは落下時に汽笛のような音を発して、地上の敵兵を威嚇して身動きできなくさせる効果を企図している。
Syöksypommittaja (Junkers Ju 87) huollossa.
Sot.virk. Olavi Linnus, valokuvaaja
Aineistotyyppi
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1944-06-27 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
写真(上)1944年、フィンランド、未舗装飛行場に出撃準備のなったドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)第1飛行隊所属のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型(登録コード S7+BH).:胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載しているので対地攻撃に出動するところであろう。右の車輪カバーには補修した跡が見える。
Saksalainen syöksypommittaja JunkersJu 87 D, tyyppikuva. Kesäkuu 1944. Lentokone on 1./SG 3:n Junkers Ju 87 D-5 (tunnus S7+BH).
Kuvaustiedot:
ajoittamaton Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
写真(上)1944年、フィンランド、出撃準備の完了したたドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)第1飛行隊所属のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型(登録コード S7+BH).:胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載している。右車輪カバーには補修した跡が見える。
Saksalainen syöksypommittaja Junkers Ju 87 D, tyyppikuva. Kesäkuu 1944. Lentokone on 1./SG 3:n Junkers Ju 87 D-5 (tunnus S7+BH).
Kuvaustiedot:
ajoittamaton Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D型は、航空省の要請を受けて1941年に試作機の開発が始まった。D-1型の初めの試作機はJu 87 V 21試作21号機で登録コードは D-INRF、製造番号0870536である。既存のB型を改造した試作機V21の初飛行は、1941年3月1日である。Ju 87 V25試作25号機は、登録コードBK+EF、製造番号0870530でやはり既存のB型をベースに改造されD-4型の試作機となった。D-1型の量産は、1941年5月から1942年3月までに500機が生産された。その後のD-2型、D-5型なども併せてD型は1944年春の生産終了までにに3,300機が量産されたが、これはユンカースJu 87急降下爆撃機の総生産機数5700機の6割以上に相当する。
写真(右)1944年6月28日、フィンランド、離陸直前のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型の編隊:胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載しているので対地攻撃に出動するところである。
Ju 87 eli Stuka- syöksypommittajat lähdössä pommitusretkelle, Talin siltoja tuhoamaan.
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1944-06-28 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
1933年にルーマニア王立陸軍参謀総に就任したイオン・アントネスク(Ion Antonescu)将軍は、1937年には国防大臣を務めたが、国家主義的武装団体の鉄衛団と連携しようとして、反政府活動の容疑で投獄された。すぐに釈放されたが、今度は、ソ連の領土割譲要求を拒否すべきであるとの国家主義的立場をとり、国王カロル2世と対立し、再度投獄された。しかし、ドイツの働きかけで、イオン・アントネスク(Ion Antonescu)は、1940年に釈放されると、反ソ連の立場を明確にして、カロル2世を退位させ、自らが政府首班となった。ヒトラーを真似て、国民投票を行い、「国家指導者」という独裁的地位に就任した。
写真(右)1944年6月28日、フィンランド、離陸直前のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型の編隊:胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載しているので対地攻撃に出動するところである。 SA-kuvat ovat lisensoitu Nimeä 4.0 Kansainvälinen (CC BY 4.0) -lisenssillä ja ne ovat vapaasti käytettävissä ja julkaistavissa. Kuvat ovat nähtävissä myös www.sa-kuva.fi -palvelussa.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Ju 87 eli Stuka- syöksypommittajat lähdössä pommitusretkelle, Talin siltoja tuhoamaan.
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Military Museum
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1944-06-28 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
1944年1月、ドイツ軍を排除してレニングラード包囲を解いたソ連軍は、カレリア地峡を経てフィンランドへの圧力を強めた。この時期、イタリアは脱落してた枢軸軍の劣勢は明白であり、フィンランドはソ連との講和を考えていたが、カレリア地峡の割譲、駐留するドイツ軍の排除という要件は、フィンランド側には受諾するのは困難だった。イタリアは1943年に連合国に降伏したが、その直後に駐留ドイツ軍によって占領されていたからである。しかし、1944年6月9日に、西側連合軍が、北フランス、ノルマンディー海岸に上陸して大陸反攻が本格化すると、ソ連軍も攻勢を開始し、レニングラードからカレリア地峡への侵攻を開始した。フィンランド軍のカレリア地峡の防衛戦は突破されたが、フィンランドに6月22日に赴いたドイツ外相リッベントロップは、フィンランド大統領リュティの対ソ戦争継続の言質をとり、クールマイ率いる空軍部隊、第303突撃砲旅団を増援部隊としてフィンランドに派遣した。
写真(右)1944年6月28日、フィンランド、出撃中のドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型 (登録コード: S7+AK):胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載している。
Syöksypommittaja (Ju 87). Kuvan lentokone on Junkers Ju 87 D-5 (tunnus S7+AK).Aineistotyyppi
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1944-06-28 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
第54戦闘航空団(Jagdgeschwader 54 )第3飛行戦隊は、プロイセンの第21戦闘航空団第1飛行戦隊が起源で、第二次大戦直前の1939年7月15日に成立した。1939年9月のポーランド侵攻には、第54戦闘航空団の第2飛行戦隊、第3飛行戦隊が参加している。この第54戦闘航空団は、1944年にフィンランドに増援部隊として派遣され、ソ連軍と戦うことになった。
写真(右)1944年頃、フィンランド、飛行中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型 (登録コード: S7+GK):胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載しているので対地攻撃に出動している最中であろう。 Syöksypommittaja (Ju 87). Kuvan lentokone on Junkers Ju 87 D-5 (tunnus S7+GK).Valokuva
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1944-06-28 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ドイツ空軍は、重量別では50キロ爆弾、250キロ爆弾、500キロ爆弾、1トン爆弾などを多用した。爆弾の用途別・構造別種類には、SC(Splitterbombe Cylindrisch)破壊円筒型爆弾(通常弾)、SD(Spilitterbombe Dickwand)破壊散布爆弾(破片弾)、PC(Panzerbombe Cylimdrisch)
対装円筒型爆弾(徹甲弾)、AB(親子爆弾)、BT(Bomben torpedo)魚雷型爆弾などがあった。何れも信管、構造が堅牢であり、信頼性の高い爆弾だった。不発弾や対象物に命中して破損してしまうような日本陸軍の爆弾よりも遥かに有効性が高かった。
写真(右)1944年頃、フィンランド、編隊を組んで出撃中のドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型 (登録コード: S7+GK):胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載しているので対地攻撃に出動している最中であろう。
Syöksypommittaja (Ju 87). Lentokone on SG3:n Junkers Ju 87 D-5.Organisaatio
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1944-06-28 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
ヘルシンキ・マルミ空港は、1930年代から首都ヘルシンキの国際空港として使用され、国内路線としても、極地のペツァモ(Petsamo)まで結ばれていた。1939年、ソ連との冬戦争が勃発すると、マルミ空港は、フィンランド空軍が接収し、軍飛行場となった。また、1941年6月からのソ連との継続戦争でも軍飛行場として、ヘルマン・ゲーリングのドイツ空軍機も駐留した。しかし、1944年9月にフィンランドがソ連と休戦すると、マルミ空港はソ連軍の管理下に置かれることになった。
写真(右)1944年頃、フィンランド、編隊飛行中のドイツ空軍第3突撃航空団(SG3)ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型:胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載している。三機編隊を組んでいる。
Syöksypommittajat palaavat kotiin. Lentokoneet SG3:n Junkers Ju 87 D-5.
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Military Museum
Photo info:
undated Sot.virk.Niilo Helander, valokuvaaja 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
写真(右)1944年頃、フィンランド、飛行中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D-5型 (登録コード: S7+GK):胴体下面には250キロ爆弾、主翼下面には50キロ爆弾を搭載しているので対地攻撃に出動している最中であろう。
Syöksypommittaja (Ju 87). Kuvassa Junkers Ju 87 D-5.
Organisaatio
Sotamuseo
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
写真(右)1944年6月21日,フィンランド、対ソビエト連邦北方戦線、林の縁で対空偽装を施したドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型:胴体下面のラックに 250爆弾1発、主翼下面に50キロ爆弾2発が搭載されており、出撃体制で待機している様だ。このほか、ドイツ空軍は2キロ対人用クラスター爆弾である「SD2対人爆弾」を108発内包するAB250爆弾も実用化し、1941年6月のドイツのソ連攻「バルバロッサ作戦」に投入している。
Photographer
Doege
Archive description
Sowjetunion (Nord).- Major Erich Rudorffer schreibend auf einer Kiste sitzend, im Hintergrund ein mit Buschwerk getarntes Flugzeug Junkers Ju 87D; KBZ Lw 24
Title
Russland, Erich Rudorffer, Ju 87 Info non-talk.svg
Depicted people Rudorffer, Erich: Major, Ritterkreuz (RK), Luftwaffe, Deutschland
Depicted place Immola, Finnland
Date 21 June 1944
写真は,Bundesarchiv, File:Bundesarchiv Bild 101I-727-0297-09A, Russland, Erich Rudorffer, Ju 87.jpg引用。
⇒>写真集:フィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D型を見る。
7.東部戦線でソ連軍を迎え撃ったユンカースJu87急降下爆撃機D型
写真(右)1942年,ソビエト連邦南部、ケルチ地峡の上空を編隊で飛翔するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型:胴体下面、主翼下面には爆弾は搭載されていないので、攻撃後か、部隊移動中の撮影と思われる。 Eye on the Reich : German propaganda photographs, 1939-1942
At dawn, countless Stuka squadrons dived on the Kerch Peninsula (in eastern Crimea), attacking the arrays of supposedly-impregnable concrete defensive positions built by the Russians.Luftwaffe, Oostfront, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Photographs
Date Issued
1942
Division
The Miriam and Ira D. Wallach Division of Art, Prints and Photographs: Picture Collection
Photographer
Hoffmann, Heinrich. 写真は,The New York Public Library,Image ID 3974387引用。
写真(右)1941年6月以降,ソビエト連邦南部、黒海沿岸、クリミア半島東南部、ドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型の空襲によって破壊されたフェオドシヤ 港:地上支援戦闘以外にも、スツーカは、対艦船攻撃にも投入されている。東部戦線とはいっても、黒海沿岸では、要港を空襲して、敵の交通網を破壊する作戦に急降下爆撃機が投入された。 [The fighting in the Crimea was especially fierce. This is the harbor of Feodosiya after its recapture by German troops following a Stuka attack.]
Date Issued
1941
Division
The Miriam and Ira D. Wallach Division of Art, Prints and Photographs: Picture Collection
Photographer
Hoffmann, Heinrich. 写真は,The New York Public Library,Image ID 3973106 引用。
写真(右)1942年3月26日,東部戦線、ソビエト連邦、大平原の上空を編隊で飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型:主翼下面には50キロ爆弾が搭載されているので、出撃中の撮影と思われる。ただし、拡大した写真から見て、D型ではなくB型/R型の可能性もある。 Beeldnummer
17419
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Oostfront, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Locatie
Naam: Union of Soviet Socialist Republics
Bijschrift
'Stuka auf dem Anflug.' Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper.
Type
Foto
Datum
26/03/1942. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 175引用。
写真(右)1942-1943年,東部戦線、ドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型の編隊飛行:車輪カバーは、外されている。未舗装の最前線飛行場では、車輪とカバーの間に泥や異物が巻き込んで危険なために、空気抵抗の増加を覚悟で、車輪カバーを撤去することが多かった。この方が、車輪や降着装置の整備も容易だった。
Beeldnummer
17437
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Oostfront, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Locatie
Naam: Union of Soviet Socialist Republics
Bijschrift
'Geschlossen fliegt der Verband Ju 87 dem befohlenen Ziele zu.' Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper.
写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 17437引用。
東部戦線の固定脚のドイツ空軍機(ユンカースJu87急降下爆撃機、ヘンシェルHs126偵察機など)は、降着装置覆い(車輪カバー・スパッツ)をハスして運用することが多々あった。この理由は、最前線では未整備な飛行場が多く、滑走路も未舗装であり、泥や土が車輪に付着しやすく、車輪カバーがあると車輪の回転が不調になりやすかったため、このを防ぐ目的で車輪カバーを撤去したからである。車輪カバーを外したことで、空気抵抗が増加し、飛行性能は若干低下したが、車輪カバー付けたまま離着陸する際のリスクや整備のしにくさを考慮すれば、車輪カバーを撤去することが選択されたのである。
写真(右)1942-1943年,東部戦線、ドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型の編隊飛行:車輪カバーは、外されている。未舗装の最前線飛行場では、車輪とカバーの間に泥や異物が巻き込んで危険なために、空気抵抗の増加を覚悟で、車輪カバーを撤去することが多かった。この方が、車輪や降着装置の整備も容易だった。 Beeldnummer
157
Collectie
NIOD Trefwoorden
Luftwaffe, Oostfront, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam: Union of Soviet Socialist Republics Bijschrift
Stuka einsatz auf der Krim. In der Bekämpfung der auf dem Gebiet der Halbinsel Krim gelandeten Sowjetkräfte unterstützt die altbewährte Ju 87 unsere schwerkämpfenden Grenadiere durch Zarschlagung feindlicher Bereitstellungen aus der Luft. Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 157引用。
写真(右)1942-1943年,東部戦線、3機編隊(ケッテ)で飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型と護衛するフォッケウルフFw190A戦闘機(奥):泥だらけの未舗装の最前線飛行場では、車輪とカバーの間に泥や異物が巻き込んで危険なために、空気抵抗の増加を覚悟で、車輪カバーを撤去することが多かった。この方が、車輪や降着装置の整備も容易だった。 Beeldnummer
60106
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Oostfront, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Locatie
Naam: Union of Soviet Socialist Republics
Bijschrift
'Immer wieder die gefürchteten Stuka-Angriffe auf die Sowjets. Die schnelle Focke-Wulf-Jäger schützen unsere Ju 87 gegen feindliche Jagdangriffe.' Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 60106引用。
ドイツ空軍(総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring))は,対ソ侵攻の東部戦線に、4個の航空軍を配備,第一線機1280機を揃えた。内訳は,ハインケルHe-111,ユンカースJu-88など双発爆撃機510機,ユンカースJu87など急降下爆撃機290機,メッサーシュミットMe109単発戦闘機440機,Me110双発駆逐機40機,長距離偵察機120機である。
ソ連空軍は,その2倍の飛行機を保有していると予測された。
写真(右)1942-1943年,東部戦線、ソビエト連邦、前線の雪の飛行場に待機するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型:主翼下面には50キロ爆弾が搭載されているが、プロペラは停止している。手前には、250キロ爆弾が並んでいる。車輪カバーは、外されていない。 Beeldnummer
17442
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Oostfront, Transport, Duitse strijdkrachten.
Locatie
Naam: Union of Soviet Socialist Republics
Bijschrift
Ju 87 Stuka jachtbommenwerper. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 17442引用。
写真(右)1942年3月9日,東部戦線、編隊飛行する冬季迷彩のドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型:車輪カバーは、装着されている。未舗装飛行場では、車輪とカバーの間に泥や異物が巻き込んで危険なために、空気抵抗の増加を覚悟で、車輪カバーを撤去することが多かった。しかし、雪の飛行場は圧延可能なために車輪と降着装置を覆うカバーを外す必要はなかったようだ。 Beeldnummer
17420
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Oostfront, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Locatie
Naam: Union of Soviet Socialist Republics
Bijschrift
'Tragfläche an Tragfläche fliegen unsere kampferprobten Stukas Ju 87 auf das befohlene sowjetische Ziel.' Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper. Type
Foto
Datum
09/03/1942 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 17420 引用。
写真(右)1942年3月,冬の東部戦線、ソビエト連邦、冬季迷彩を施したドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型:胴体下面のラックには250キロ爆弾1発が搭載されているが、主翼下面には50キロ爆弾用ETC50ラック2基が見えてはいるが、50キロ爆弾は搭載していない。上空には、白色冬季迷彩塗装のユンカースJu52/3m輸送機が飛んでいる。車輪カバーは、装着されている。未舗装飛行場では、車輪とカバーの間に泥や異物が巻き込んで危険なために、空気抵抗の増加を覚悟で、車輪カバーを撤去することが多かった。しかし、雪の飛行場は圧延可能なために車輪と降着装置を覆うカバーを外す必要はなかったようだ。
Photographer
Reiners
Archive description
Description provided by the archive when the original description is incomplete or wrong. You can help by reporting errors and typos at Commons:Bundesarchiv/Error reports. Sowjetunion.- Sturzkampfflugzeug Junkers Ju 87D "Stuka" mit laufendem Motor auf Feldflugplatz; KBK Lw 4 Title
Russland, Flugzeug Junkers Ju 87 D Info non-talk.svg
Depicted place Russia
Date March 1942 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 60106 引用。
ドイツ軍のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」開始の時期,今までの空軍,陸軍の攻撃順序が逆転している。1940年5月のベルギー・フランス侵攻では,グライダー空挺部隊によるエバン・エマール要塞を奇襲攻略するために,空軍が陸軍よりも先に出撃する必要があった。攻撃開始時間は,陽光が不可欠だった。 他方,1941年6月22日,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の攻撃時間は,6月22日0315で,ドイツ陸軍は早暁に行動を起こして奇襲効果を高めた。
この時期には、ユンカースJu87急降下爆撃機はB型が主力だったが、すでに5月にはD型の生産が始まっており、東部戦線にもD型の配備が進んでゆく。1943年初めまでは、東部戦線の最前線にもユンカースJu87急降下爆撃機B型も残っていたが、1944年にはD型あるいは37ミリBK砲2門を搭載したG型に改編されている。
写真(右)1943年10月28日,ドイツ上空を3機編隊(ケッテ)飛行するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型:降着装置の主輪には、車輪カバーが装着されている。胴体下面と主翼下面のETCラックに爆弾を搭載できる。 Beeldnummer
19
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany Bijschrift
Het originele bijschrift luidt: 'Rückkehr vom Feindlug. Eine deutscher Stukaverband vom Typ 'Ju 87' kehr nach erfolgreicher Durchführung seines Auftrages, der Vernichtung bolschewistischer Bereitstellungen galt, in den Einsatzhafen züruck.' Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerpers. Type
Foto
Datum
28/10/1943 写真は,Beeldbank WO2, Beeldnummer 19 引用。
1943年になるとソ連空軍戦闘機部隊には、1940年10月初飛行のミグMiG-3戦闘機、1941年12月初飛行のラボ―チキンLa-5戦闘機など新鋭機が実戦配備されており、制空権をドイツ空軍から奪い返していた。第二次世界大戦緒戦、1941年6月のドイツのソ連侵攻に大活躍していたユンカースJu87急降下爆撃機は、対ソ戦では、夜間地上襲撃、対戦車戦闘に限定的に使用するしかなくなった。
写真(右)1943年12月22日,雪の東部戦線、ソビエト連邦、冬季迷彩を施したドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型にAB 250爆弾を搭載する地上整備員:胴体下面のラックに搭載中のAB 250爆弾1発には、SD2(Sprengbombe Dickwandig 2 kg)という小型対人爆弾が、またはSD2)は、第二次世界大戦中にドイツ空軍で使用された2 kg対人用クラスター爆弾であるが搭載されている。このSD2対人爆弾は、1941年6月のドイツのソ連攻「バルバロッサ作戦」に投入されている。 Photographer
Doege
Archive description
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Sowjetunion-Nord.- Arbeiten an einer Junkers Ju 87
Title
Russland, Junkers Ju 87 Info non-talk.svg
Depicted place Russia
Date 22 December 1943 写真は,Bundesarchiv, File:Bundesarchiv Bild 101I-726-0224-26A, Russland, Junkers Ju 87.jpg引用。
ドイツ空軍の開発したAB 250爆弾とは、コンテナ収容型爆弾であり、弾体内部の空間に、重量2キロのSD2(Sprengbombe Dickwandig 2 kg)小型対人爆弾を108発を内包している。AB 250爆弾は投下されると、地表に落下する前に開放され、内部のSD2対人爆弾が散布される。SD2対人爆弾は落下するときに、空気抵抗を強める傘2枚が開くようになっており、流されて広い範囲に散布されるようになっていた。これは、今日では、「クラスター爆弾」である。SD2対人爆弾は、羽を広げた蝶のようにゆっくりと落下してくるために、イギリス軍は「蝶々爆弾」( Butterfly Bomb)と呼んだ。
ユンカースJu87急降下爆撃機の車輪カバーは、泥濘の未舗装飛行場では、車輪とカバーの間に泥が詰まって、離着陸に支障が出た。そこで、車輪カバーを撤去して、空気抵抗の増加を偲んで運用していた。しかし、雪の飛行場では、雪が固まってしまえば、車輪カバーに雪が巻き込まれることはなく使用がなかったために、車輪カバーを装着したままで運用された。未舗装飛行場では、車輪とカバーの間に泥や異物が巻き込んで危険なために、空気抵抗の増加を覚悟で、車輪カバーを撤去することが多かった。しかし、雪の飛行場は圧延可能なために車輪と降着装置を覆うカバーを外す必要はなかったようだ。
1941年6月のドイツによるソ連侵攻とともに、対ソビエトの戦いに参戦したルーマニアだったが、1944年8月にソ連軍がルーマニアを席巻すると、ソ連と講和しドイツに宣戦布告した。本来、連合国には枢軸国への無条件降伏の要求、単独講和はしないとの盟約があったが、イタリア報復とその後の対ドイツ宣戦布告と同じく、事実上、枢軸国の小国は、西側のみあるいは東側ののみと講和し、それを他方に承諾させる形で、寝返りを認められている。
写真(右)1942-1944年前半,東部戦線、ドイツ同盟国ルーマニア空軍に配備されたドイツ製ユンカースJu-87急降下爆撃機D型:
Beeldnummer
173772
Collectie
Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbee
Trefwoorden
Roemeense strijdkrachten, Bommenwerpers, Luchtmacht, Vliegtuigen
Bijschrift
Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper in Roemeense kleuren.
4 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 173772引用。
ルーマニアの国家指導者イオン・アントネスク(Ion Antonescu)将軍は、三国軍事同盟に加わり、1941年6月、ドイツのソ連侵攻に際して、枢軸国側に立って参戦した。そして、ソ連南部のオデッサ、スターリングラード、カフカスへ侵攻したが、1942年冬、イオン・アントネスク(Ion Antonescu)でソ連軍の反撃を受け壊滅的打撃を受けた。1944年夏、ルーマニア東部にソ連軍が迫ると、ルーマニア国内は動揺し、1944年8月23日、ルーマニア国王ミハイ1世は反アントネスクのクーデターを起こし、政権を奪取し、枢軸国側より離脱、ソ連と和睦して、ソ連軍側に立って、対ドイツ戦争に加わった。
写真(右)1943年3月28日,東部戦線、ソビエト連邦、飛行場に勢ぞろいしたドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型:主翼に搭載されている50キロ爆弾の信管は、弾体から飛び出した杭状形態になっている。これは、軟弱な土地で起動しやすい信管である。主翼には20ミリMG151/20機関銃の銃身が出ている。スピナーの先端は、赤あるいは白と飛行隊ごとに区別されている。 Beeldnummer
175
Collectie
NIOD Trefwoorden
Piloten, Luftwaffe, Vliegtuigen, Vliegvelden, Duitse strijdkrachten
Bijschrift ''Um 12.10 Uhr startet die Gruppe!' Mit gedrosselten Motoren stehen die Ju 87 am Start in Erwartung des Einsatzbefehls. Im Vordergrund die Maschine des Gruppenkommandeurs, Eichenlaubträger Hauptmann Rudel.' Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper. Type
Foto
Datum
28/03/1943. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 175引用。
東部戦線のドイツ空軍機は、飛行場の軟弱な土壌や泥に車輪をとられて悩まされた。また、投下した爆弾が軟弱な土壌で信管が作動せず、爆弾が破裂しないこともあった。また、軟弱な土壌では、爆弾が土壌の深いところで爆発し爆圧を急襲され敵へ被害を与えにくくしてしまった。そこで、爆弾が確実に作動するように、信管を爆弾本体から突出させる特殊な構造とした爆弾が開発、実用化された。
写真(右)1944年7月31日,東部戦線、ソビエト連邦、飛行場掩体壕に待機するドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機D型:掩体壕の周りの土手は、飛行場が爆撃されたり、銃撃されたりした場合も、破片や銃弾で待機してある機体に被害が及ばないようにする目的がある。また、敵偵察機からみて、掩体壕の斜めの土手が機体を発見しにくくしする目的がある。手前の誘導路は、未舗装に木製各材を並べて、機体を移動しやすくしている。
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Oostfront, Vliegtuigen, Vliegvelden, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam: Union of Soviet Socialist Republics Bijschrift
'Vorsehen ist besser als das Nachsehen haben. Auf einem Feldflugplatz an der Nordostfront wurden die Lageplätze der Schlachtflugzeuge mit Erdwällen umgeben, um bei Überraschenden Luftangriffen der Sowjets die Gefahr grösserer Beschädigungen auszuschalten. - Die Warte einer Ju 87 arbeiten daran, einen kleinen 'Herzfehler' an ihrem Flugzeug zu beheben.' Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper. Type Foto
Datum
31/07/1944. 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 17442引用。
写真(右)1943年頃、ヨーロッパ、農地上空を編隊で飛行する6機のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機D型:
Subject:
Luftfoto, 6 fly i luften i formasjon, Junkers JU-87 Stuka fra Luftwaffe. Landskap under.
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Eierskap
Tidligere eier : Reichkommisariats Bildarchiv sikker Aksesjon 1999
Giver/siste eier: Riksarkivet 写真はノルウェー博物館, Norsk Luftfartsmuseum Identifier:NL.99410001引用。
ドイツ空軍メッサーシュミットBf109戦闘機F型初期までは、発動機ダイムラーベンツDaimler-Benz DB601Aのボア(シリンダ内径)は150mmであったが、F型後期型、G型以降では154mmのボア(シリンダ内径)のDB605を搭載した。発動機は、同じ12気筒でシリンダ数は同じだが、エンジン排気量は、33.9Lから35.7Lへと増加し、出力が向上した。他方、ユンカースJu87急降下爆撃機は、固定脚であり、高速化は困難だったために、発動機の変換はおこなわないまま、第二次大戦全期間を闘った。
写真(右)1944年,最終型のドイツ空軍ユンカースJu 87夜間地上襲撃機D-7型:夜間にエンジン排気煙が目立ってしまうために、大型の筒状消炎ダンパーを装着した。空気抵抗が大きくなるが、もはや高速で離脱するよりも、低速で高速の敵機をやり過ごすほうが得策だった。急降下爆撃を行わないので、重量軽減のために主翼下面のダイブブレーキは撤去している。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:44219776 - Catalog:16_005402 - Title:Junkers Ju 87D with flame-dampener for night actions - Filename:16_005402.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation. 写真はWikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_005402 引用。
ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)の成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。 1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会演説でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説、その後の1941年6月29日の法令を根拠に,自らを後継者として自認していた。これを元に,1945年4月23日のベルリン攻防戦の最中に、ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)国家元帥はヒトラーに対して、連絡が取れなくなった場合、自分がドイツの最高指導者の地位を引き継ぎたいと電文を発した。しかし、ヒトラーは、これをヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)の裏切りと感じ、激怒してゲーリングの公職追放・監禁を命じた。
8.対戦車戦闘に活躍したユンカースJu87G地上襲撃機
写真(右)1943-1944年,主翼下面に口径3.7cmのBordkanone 3,7 (BK 3.7) 機関砲を搭載したドイツ空軍ユンカースJu 87G-2地上襲撃機:陸軍の3.7センチFlack対空機関砲を改造して航空機搭載機関砲とした口径3.7cmのBordkanone 3,7 (BK 3.7) 機関砲は、空冷装置を前部に装備し、金属製装弾子に装填した口径37ミリの徹甲弾6発を皇祖色で発射する。1門当たり装弾数は6発と少ないために、繰り返し目標を射撃することはできないが、1日当たり数回の短時間の出撃を繰り返すことで、多大な戦果を期待できた。前線近くの飛行場を利用していたために、短距離の移動で行動ができ、出撃回数を増やすことができたのである。但し、搭乗員の疲労は極限に達したであろう。
SDASM Archives
Junkers Ju 87G-2
PictionID:44219676 - Title:Junkers Ju 87G-2 - Catalog:16_005394 - Filename:16_005394.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081682引用。
写真(右)1943-1944年,東部戦線、ソビエト連邦、主翼下面に口径3.7cmのBordkanone 3,7 (BK 3.7) 機関砲を搭載したドイツ空軍ユンカースJu 87G-2地上襲撃機:急降下爆撃を行わなくなったために、主翼下面にあったダイブブレーキは撤去されている。口径3.7cmのBordkanone 3,7 (BK 3.7) 機関砲は1門当たり装弾数は6発で、一回の攻撃しかできなかったが、短距離の移動で済んだため、出撃回数を増やして対応できた。 SDASM Archives
Junkers Ju 87G
PictionID:44219837 - Title:Junkers Ju 87G - Catalog:16_005407 - Filename:16_005407.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081682引用。
写真(右)1944年5月12日,ドイツ、ドイツ空軍ユンカースJu 87G-2地上襲撃機の主翼下面に搭載された口径3.7cmのBordkanone 3,7 (BK 3.7) 機関砲への装填作業:陸軍の3.7センチFlack対空機関砲を改造して航空機搭載機関砲とした口径3.7cmのBordkanone 3,7 (BK 3.7) 機関砲は、空冷装置を前部に装備し、金属製装弾子に装填した口径37ミリの徹甲弾6発を高初速で発射する。1門当たり装弾数は6発と少ないために、繰り返し目標を射撃することはできないが、1日当たり数回の短時間の出撃を繰り返すことで、多大な戦果を期待できた。前線近くの飛行場を利用していたために、短距離の移動で行動ができ、出撃回数を増やすことができたのである。但し、搭乗員の疲労は極限に達したであろう。
Beeldnummer
165
Collectie
NIOD
Trefwoorden
Luftwaffe, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Locatie
Naam: Federal Republic of Germany
Land: Germany
Bijschrift
Luftwaffe bekämpft Panzer. Das deutsche Kampfflugzeug 'Ju 87' mit der eingebauten Waffe zur Panzerbekämpfung. Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper.
Type
Foto
Datum
12/05/1944 写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 179 引用。
ドイツ陸軍が開発した3.7センチFlack18対空機関砲、この改良型のFlack36対空機関砲を改造してユンカース(Junkers)Ju-87地上襲撃機搭載用の対戦車機関砲としたのがBordkanone 3,7(BK 3.7) 機関砲である。この機関砲は、前上部に銃身空冷装置を装備している。金属製装弾子に装填した口径37ミリの徹甲弾6発を秒速1000mという高初速で、毎分160発の発射速度で射撃可能だったが、1門当たり装弾数は6発と僅かである。そのために、ユンカース(Junkers)Ju-87Gは、1回の出撃では繰り返し目標を射撃することはできないが、1日当たり数回の出撃を繰り返すことで、多大な戦果を期待できた。前線近くの飛行場を利用していたために、短距離の移動、短時間の作戦行動だったために、搭乗員の疲労はたまったものの、複数回の出撃が可能だったのである。
写真(右)1943-1944年,3.7cmFlak 36 機関砲を搭載したドイツ空軍ユンカースJu 87G-2地上襲撃機:急降下爆撃を行わなくなったために、主翼下面にあったダイブブレーキは撤去されている。Bordkanone 3,7(BK 3.7) 機関砲は、3.7cmFlak 36 対空機関砲を改造したもので、1門当たり装弾数は、金属装弾子式弾倉に装填した6発に過ぎなかった。 Ohne Ortsangabe] Auf einem Feldflugplatz.- Mechaniker bei Wartung / Reparatur einer Junkers Ju 87 G "Stuka" mit 3,7-cm Flak ("Kanonenvogel"); KBK Lw24 Title
Flugzeug Junkers Ju 87 Info non-talk.svg
Date 1942
Collection
German Federal Archives
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-728-0323-24A 写真はWikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum Archive,File:Bundesarchiv Bild 101I-728-0323-24A, Flugzeug Junkers Ju 87.jpg引用。
写真(右)1943-1944年,ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 87G-2地上襲撃機主翼下面に装備された3.7cmFlak 36 機関砲:東部戦線のようだが、37ミリ砲は1門当たり装弾数は6発で、一回の攻撃しかできなかったが、短距離の移動で済んだため、出撃回数を増やして対応できた。 SDASM Archives
Junkers Ju 87G 3.7 Flak 36
PictionID:44219737 - Title:Junkers Ju 87G 3.7 Flak 36 - Catalog:16_005399 - Filename:16_005399.TIF - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081682引用。
ドイツ本土は,1943年前半から,昼間は米陸軍航空隊B-17「フライング・フォートレス」,B-24「リベレーター」重爆撃機に,夜間は英空軍「ランカスター」「ハリファックス」重爆撃機による戦略爆撃に晒された。
ドイツ本土爆撃に際し、アメリカ陸軍航空隊は、軍需工場など軍事施設を爆撃目標として狙う昼間精密爆撃を行った。これは、 1)操縦に連動する精密なノルデン爆撃照準器に信頼を置いた、 2)爆撃機に12.7ミリ機銃を多数装備し防御に自信があった、 という理由である。
写真(右)1945年5月以降,ドイツ降伏後、ドイツ空軍ユンカースJu-87G-2夜間地上襲撃機の主翼下面に搭載された口径3.7cmのBordkanone 3,7 (BK 3.7) 機関砲:夜間攻撃の目標とならないように、エンジン排気火焔を消炎排気管を装備している。37ミリ機関砲の砲身を冷却する大型装置もついている。
SDASM Archives
AL-32 Hatchard Album Photo_00285
Image from an Album (AL-32) which belonged to James Hatchard. The album contains images showing Hatchard's experiences in the Second World War. Hatchard was a liason officer in the 94th Infantry Division.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真は,San Diego Air and Space Museum Archive,Photo_00285引用。
他方、イギリス空軍は、中型爆撃機による昼間爆撃を行った際に大きな損害を受けており、四発の重爆撃機は米軍爆撃機より低速であったため、夜間の絨毯爆撃、都市爆撃を行った。こうして、米英二つの航空兵力が行ったドイツ本土空襲によって,ドイツの産業,交通,市民生活は,次第に困難な状況に陥った。
他方、東部戦線では、ソ連空軍がドイツ諸都市への戦略爆撃を行わず、地上支援に大半の航空兵力を割いていた。ドイツ空軍ユンカースJu87地上襲撃機G型は、主翼下面口径37ミリのBK37ミリBK3,7機関砲で対戦車戦闘に従事した。
写真(右)1945年5月,アメリカ軍の鹵獲した主翼下面に3.7cmFlak 36 機関砲を搭載したドイツ空軍ユンカースJu 87G-2地上襲撃機:低速の機体は昼間飛行するには危険すぎたために、夜間地上襲撃機として使用された。そのためにエンジン排気煙を消すための円筒状の消炎ダンパーを排気管部分に装着している。 AL-32 Hatchard Album Photo_00285
Image from an Album (AL-32) which belonged to James Hatchard. The album contains images showing Hatchard's experiences in the Second World War. Hatchard was a liason officer in the 94th Infantry Division.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,AL-32 Hatchard Album Photo_00285引用。
ドイツ空軍戦闘機部隊は,1943年前半までは,連合軍爆撃部隊を迎撃し,大きな戦果をあげていた。しかし,1944年後半には,熟練搭乗員と燃料の不足,数的劣勢,性能の相対的低下のために,連合軍の爆撃機部隊に,有効な反撃を加えることができなくなっていた。
制空権が失われた以上,連合軍による欧州侵攻を防衛することは,ドイツ軍にとって不可能なことになった。
1944年6月に,米英加を中心とする連合軍がノルマンディーに上陸すると,ドイツ軍はカーンで包囲され,大損害を被った。ドイツ陸軍地上部隊だけで,西部戦線で連合軍に反撃を加えることは,困難だった。しかし、夜間対地攻撃と、輸送ポッドを懸架しての緊急輸送に低速のユンカースJu87が終戦まで投入された。
8.現存する数少ないユンカースJu87急降下爆撃機
写真(上)2012年、ドイツ連邦共和国のバーデン=ヴュルテンベルク州、ジンスハイム自動車・技術博物館(Auto- und Technikmuseum Sinsheim)に展示されているドイツ空軍ユンカースJu87急降下爆撃機B型の中央部分:操縦桿・操縦ペダルと其の操作索を通す穴が中央に見えている。逆ガル翼の断面もわかる。 Description
English: Salvaged Stuka from Mediterranean sea by members of staff at Technisches Museum Sinsheim, Germany Date 26 February 2012
Source Own work
Author Neodarkshadow 写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 87 at Deutsches Technikmuseum Berlin,German Museum of Technology, Berlin 2017 320.jpg 引用。
写真(上)2011年、アメリカ、イリノイ州、シカゴ科学産業博物館に展示されているドイツ空軍ユンカースJu87急降下爆撃機R-2型:1941年に北アフリカでイギリス軍が鹵獲した機体をアメリカ軍にに譲渡した。 Description
English: A picture of a Junkers Ju 87 on display in the Museum of Science and Industry in Chicago. Germany used this plane during World War II to inflict serious damage on cities and towns. The Junkers Ju 87, or "Stuka", was a dive-bomber. Each Stuka carried sirens to terrify their targets before dropping its payload. Their wings were inverted gull wings. Date 30 June 2011
Source Own work
Author WilliamBrain 写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 87 5954,File:Junkers Ju 87 "Stuka".jpg引用。
写真(上)2014年、アメリカ、イリノイ州、シカゴ科学産業博物館に展示されているドイツ空軍ユンカースJu87急降下爆撃機R-2型の搭載していたユモJumo 211D液冷エンジン1200馬力:1941年に北アフリカでイギリス軍が鹵獲した機体をアメリカ軍にに譲渡した。 Description
English: Exhibit in the Museum of Science and Industry, Chicago, Illinois, USA. Photography was permitted in the museum without restriction. Date 22 August 2014, 13:12:46
Source Own work
Author Daderot 写真はWikimedia Commons, Junkers Ju 87 5954,File:Junkers JU-87R-2 Tropical Stuka Engine, c. 1940 - Museum of Science and Industry (Chicago) - DSC06833.JPG引用。
写真(上)2017年、ベルリン、ドイツ技術博物館 (Deutsches Technikmuseum Berlin)に展示されているドイツ空軍ユンカースJu87急降下爆撃機R-2型の中央部分:操縦桿・操縦ペダルと其の操作索を通す穴が中央に見えている。逆ガル翼の断面もわかる。 Description
English: German Museum of Technology, Berlin, Germany.
Junkers Ju 87 - das Blitzkreigssymbol. Junkers Ju 87 R-2, 1949. Date 4 April 2017, 09:58:27
Source Own work
Author Photograph by Mike Peel (www.mikepeel.net). 写真はWikimedia Commons, Junkers Ju 87 5954,File:German Museum of Technology, Berlin 2017 320.jpg引用。
写真(上)2016年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、主翼を取り外したドイツ空軍ユンカースJu87急降下爆撃機D-5型 (工場製造番号:WkNr:2883):1945年5月にアメリカ軍がドイツ本土で鹵獲した機体をイギリスに譲渡した。 Description
The RAF Museum has chosen to celebrate the 100th Anniversary of the service by dismantling and closing the museum dedicated to its finest hour, the Battle of Britain Museum. Ever cloud has a silver lining, however, and during May 2016 the aircraft were in a part dismantled state, allowing for some interesting photos. Built as a Ju87D-5 (WkNr2883) and later converted to a G-2 and given the new WkNr494083. Captured in Germany in May 1945, it was brought to the UK for museum use. It immediately went in to store and only made a few brief static appearances. It was at RAF Henlow in 1967 for the filming of the ‘Battle of Britain’ film and permission was given to restore the aircraft to fly. Unfortunately (or maybe fortunately??) this didn’t happen due to the aircraft’s overall condition. It was certainly engine run and probably taxied, but never appeared in the film. After several more show appearances, it was repainted to original markings at RAF St Athan in 1975 and in 1978 it arrived at Hendon for permanent display in the Battle of Britain Hall, RAF Museum, Hendon, London, UK. 28th May 2016 Date 28 May 2016, 09:59
Source Junkers Ju87G-2 ‘494083 / RI+JK’
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, , Category:Junkers Ju 87G (494083) at RAF Museum London, File:Junkers Ju87G-2‘494083 - RI+JK’ (33118504796).jpg引用。
メッサーシュミットBf 109戦闘機E型 /Trop(熱帯仕様)は、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着したために、過給機が長く伸びている。また、コックピットが地上で日射によって加熱しないように、待機時に使用する日よけ傘を取り付ける差込口、砂漠での不時着に備え狩猟用のモーゼル小銃なども装備した。この過給機エアインテークのフィルターは、ソ連東部戦線の未整備飛行場でも有効とされ、東部戦線に配備された戦闘機にも装着されている。
Bf 109戦闘機D型までの兵装は、機首上面と主翼に各々7.92ミリMG17機関銃左右2丁、合計4丁だった。しかし E-1では、翼内の7.92ミリ機銃をより強力なスイス、エリコン社の20ミリ機関砲MGFFに換装している。F型以降、主翼内の機銃装備はしなくなったが、爆撃機迎撃のために兵装を強化する際は、主翼下にガンポッドを装着して20ミリ機関砲を搭載した。
写真(上)2016年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、主翼を取り外したドイツ空軍ユンカースJu87急降下爆撃機D-5型 (工場製造番号:WkNr:2883):1945年5月にアメリカ軍がドイツ本土で鹵獲した機体をイギリスに譲渡した。 Description
The RAF Museum has chosen to celebrate the 100th Anniversary of the service by dismantling and closing the museum dedicated to its finest hour, the Battle of Britain Museum. Ever cloud has a silver lining, however, and during May 2016 the aircraft were in a part dismantled state, allowing for some interesting photos. Built as a Ju87D-5 (WkNr2883) and later converted to a G-2 and given the new WkNr494083. Captured in Germany in May 1945, it was brought to the UK for museum use. It immediately went in to store and only made a few brief static appearances. It was at RAF Henlow in 1967 for the filming of the ‘Battle of Britain’ film and permission was given to restore the aircraft to fly. Unfortunately (or maybe fortunately??) this didn’t happen due to the aircraft’s overall condition. It was certainly engine run and probably taxied, but never appeared in the film. After several more show appearances, it was repainted to original markings at RAF St Athan in 1975 and in 1978 it arrived at Hendon for permanent display in the Battle of Britain Hall, RAF Museum, Hendon, London, UK. 28th May 2016 Date 28 May 2016, 09:49 Source Junkers Ju87G-2 ‘494083 / RI+JK’
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons,Category:Junkers Ju 87G (494083) at RAF Museum London,File:Junkers Ju87G-2 ‘494083 - RI+JK’ (33003385142).jpg引用。
ドイツの工業技術は、素材、規格に優れていたために、左右の主翼(wing)を機体にボルトで結合して製造した。このような構造であれば、陸上を自動車や列車で、海上を船舶で運搬するときでも、主翼を外してコンパクトにまとめることができる。他方、日本軍機は、左右の主翼を一体化し、それを胴体に固定した。若干の重量軽減には役に立ったが、輸送には不便だった。左右一体化の主翼を大きく損傷した場合、両翼全てを交換しなければならず、これができない以上、日本機の修理、整備は困難となり、稼働率の低下を招いた。
写真(上)2015年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、復元されたドイツ空軍ユンカースJu87急降下爆撃機D-5型 (工場製造番号:WkNr:2883):1945年5月にアメリカ軍がドイツ本土で鹵獲した機体をイギリスに譲渡した。 Description
Built as a Ju87D-5 (WkNr2883) and later converted to a G-2 and given the new WkNr494083. Captured in Germany in May 1945, it was brought to the UK for museum use. It immediately went in to store and only made a few brief static appearances. It was at RAF Henlow in 1967 for the filming of the ‘Battle of Britain’ film and permission was given to restore the aircraft to fly. Unfortunately (or maybe fortunately??) this didn’t happen due to the aircraft’s overall condition. It was certainly engine run and probably taxied, but never appeared in the film. After several more show appearances, it was repainted to original markings at RAF St Athan in 1975 and in 1978 it arrived at Hendon for permanent display in the Battle of Britain Hall, RAF Museum, Hendon, London, UK. 22-3-2015 Date 22 March 2015, 10:42 Source Junkers Ju87G-2 ‘494083 / RI+JK’
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 87G (494083) at RAF Museum London,File:Junkers Ju87G-2 ‘494083 - RI+JK’ (16569954964).jpg引用。
9.双発単座小型のヘンシェルHs129地上襲撃機
ドイツ空軍ヘンシェルHs129地上襲撃機A型は、1940年6月に完成していたが、当初はその必要性が低いために実用化されなかった。しかし、1941年6月のドイツのソ連侵攻以降、重装甲のT-34戦車、KV-1重戦車に遭遇し苦戦することになった。そこで、1942年4月から、対戦車攻撃用にヘンシェルHs129地上襲撃機B型は、3センチMK 103機関砲あるいは3.7センチBK3.7砲、その後7.5センチBK7.5砲を搭載した戦車キラーとして登場した。「空飛ぶ缶切り」と呼ばれたヘンシェルHs129地上襲撃機の生産総数は870機であるが、ユンカースJu87G地上襲撃機の生産機数300機弱よりも多い。
写真(右)1942-1943年頃,東部戦線に投入されたドイツ空軍ユンカースHs 129B-2地上襲撃機:急降下爆撃は行わないのでダイブブレーキはない。胴体側面に前方固定武装20ミリMG 151/20機関銃2丁、7.92ミリMG17機関銃2丁、下面に3センチMK 103機関砲1基装備している。のちに、3.7cmのBK 3.7 機関砲1門を搭載した。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID:43936686 - Catalog:16_005349 - Title:Henschel Hs 129B-2 Nowarra photo - Filename:16_005349.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00081682引用。
へンシェル(Henschel)Hs129地上襲撃機B型の諸元
全長9.75m、全高3.25m、全幅 14.2m 主翼面積 29平方メートル 自重 3810kg、総重量5100kg 発動機:フランス製グノームローヌ 14M4/5 空冷星形複列14気筒700馬力2基 最高速力410km/h(高度4000m) 上昇限度 9000m 航続距離 560km
第二次世界大戦における地上支援攻撃では、ドイツ空軍ユンカースJu87急降下爆撃機が緒戦で大活躍したが、中盤からは、北アフリカ戦線で、アメリカの37ミリ機関砲1門装備のベルP-39戦闘機、40ミリ機関砲2門装備のハリケーン戦闘機、後期からは西部戦線でリパブリックP-47サンダーボルト戦闘機、ホーカータイフーン戦闘爆撃機などが投入された。他方、ドイツ軍がソ連赤軍地上部隊を攻撃した東部戦線では、重装甲のイリューシュンIL2襲撃機が登場した。そして、ドイツ軍では旧式化したユンカースJu87を急降下爆撃機から地上襲撃に投入したが、フォッケウルフFw190を戦闘爆撃機としても用いている。さらに、対戦車攻撃に特化した小型双発機のドイツ空軍ヘンシェルHs129地上襲撃機が、重装甲、強力な火力を備えて投入されたが、発動機の出力が弱かったために、低速で飛行性能が悪く、爆弾搭載量が少ないために、少数の使用で終わった。
10.ソ連空軍のイリューシン(Ilyushin)Il-2地上襲撃機シュツルモビク
ソ連空軍のイリューシン(Ilyushin)Il-2は、単座型の地上襲撃機(シュツルモビク)で、初飛行は1939年12月20日、1941年6月のドイツのソ連侵攻の時期には、既に実用化されていた。しかし、イリューシン(Ilyushin)Il-2地上襲撃機(シュツルモビク)が前線で活躍したのは、ソ連軍の反攻が本格化した1942年以降である。前方固定機銃は、主翼に23ミリ機関砲2丁、7.62ミリ機銃2丁mm機銃2丁を搭載し、爆弾搭載量は600キロで、ドイツ軍地上部隊、装甲兵力に多大な損害を与えた。総生産機数は、3万6,000機と最多である。
写真(右)1941-1942年頃,ソ連空軍の単座型イリューシン(Ilyushin)Il-2襲撃機シュツルモビク:引込み式脚(主輪)の格納部分のバルジは、流線型に成形されてはいるが、張出しのために空気抵抗が増加し、飛行性能が悪化した。しかし、降着装置の構造は単純、堅牢であり、不整地における使用に便利だった。急降下爆撃は行わないのでダイブブレーキはない。主翼に23ミリ機関砲2丁、7.62ミリ機銃2丁mm機銃2丁を搭載。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46167984 - Catalog:16_007297 - Title:Ilyushin Il-2 - Filename:16_007297.TIF - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_007297引用。
第二次大戦緒戦から終戦まで、ドイツ空軍の主力戦闘機メッサーシュミットBf109は戦闘機の中では世界最多の3万機以上が生産された。世界最多生産の機体は、ソ連空軍イリューシン Il-2地上襲撃機(シュトゥルモヴィーク Il-2)で3万6,000機生産だが、Bf109は発展型、派生型の多さを軍を抜いている。
写真(右)1942-1943年頃,ソ連空軍の複座型イリューシン(Ilyushin)Il-2M襲撃機シュツルモビク:引込み式脚(降着装置)ではあるが、格納部分が主翼に大きく張り出したバルジとなっているために、飛行性能が悪化した。しかし、降着装置の構造は単純、堅牢であり、不整地における使用に便利だった。急降下爆撃は行わないのでダイブブレーキはない。主翼に23ミリ機関砲2丁、7.62ミリ機銃2丁mm機銃2丁を搭載。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46167984 - Catalog:16_007297 - Title:Ilyushin Il-2 - Filename:16_007297.TIF - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_007297引用。
イリューシン(Ilyushin)Il-2地上襲撃機(シュツルモビク)は、当初は単座機で、後方旋回機銃がないためにドイツ軍戦闘機により損失が目立ったが、装甲強化、複座化による12.7ミリ後方旋回機銃1丁の装備の複座型Il-2Mに改良された。
写真(右)1943-1944年頃,ソ連空軍の複座型イリューシン(Ilyushin)Il-2 M3襲撃機シュツルモビク:コックピット後方席増設とその装甲強化のために重心が後方に下がったために、主翼途中から後退角をつけたIl-2M3は、コックピット後方に防御用の12.7ミリ旋回機銃1丁が装備されている。主翼に23ミリ機関砲2丁、7.62ミリ機銃2丁mm機銃2丁を搭載。 SDASM Archives
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PictionID:46168010 - Catalog:16_007299 - Title:Ilyushin Il-2 m3 - Filename:16_007299.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_007299引用。
複座型イリューシン(Ilyushin)Il-2M3襲撃機シュツルモビクは、コックピット後方席増設とその装甲強化のために、重心が後方に下がった。そこで、重心バランスを調整するために、主翼に後退角を付けたが、これによって平面形状が大きく変化した。搭載火器には、37ミリ機関砲、45ミリ機関砲など火力が強化され、地上攻撃用のRS-82ロケット弾8発あるいはより大型のRS-132ロケット弾4発を搭載し、対戦車襲撃機として活躍した。
写真(右)1944年7月13日、フィンランド、枢軸軍に撃墜されたと思われるソ連空軍の複座型イリューシン(Ilyushin)Il-2 M襲撃機シュツルモビク:搭載している発動機は、1,750馬力のミクーリン AM-38液冷12気筒エンジンで、出力はユンカースJu87と同等だった。3翅プロペラは不時着したが、金属製のために木製と違って折れることなく曲がっている。主翼下面には、大型のRS-132ロケット弾用らしい懸架2条が設けられているが、機銃は撤去されている。
Ryssän ""maatalouskoneen"" IL-2 matka on päättynyt pellonojaan, ja hävittäjämme ovat taas voineet merkitä tililleen yhden ""pörriäisen"".
Aineistotyyppi
?Valokuva
Organisaatio
Sotamuseo
Kuvaustiedot:
1944-07-13
Sot.virk. C.G.Rosenqvist, valokuvaaja
Aiheet
1944-07-13
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
写真(右)1944年8月2日、フィンランド、森林の中の草地に不時着したソ連空軍の複座型イリューシン(Ilyushin)Il-2 M襲撃機シュツルモビク:3翅プロペラは不時着したが、金属製のために木製と違って折れることなく曲がっている。主翼下面には、大型のRS-132ロケット弾用らしい懸架2条が設けられているが、機銃は撤去されている。
JR 4:n lohkolta: Leppäsyrjän aseman ilmatorjunta on pudottanut IL.2 maataistelukoneen.
Sot.virk. J.M.Vuorela, valokuvaaja
Aineistotyyppi
?Valokuva
Organisaatio
Sotamuseo
Kuvaustiedot:
1944-08-02 写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
複座型イリューシン(Ilyushin)Il-2M襲撃機の諸元 全長: 11.65 m、全幅: 14.60 m、全高: 4.17 m
主翼面積:38.5平方メートル 全備重量: 6,060kg
エンジン:ミクーリン AM-38F 1,700馬力1基
最高速力: 410km/h
実用上限限度:6,000m 航続距離: 685km
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。 バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
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