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◆グランサッソに拘禁されたベニート・ムッソリーニ救出作戦
写真(上)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)[右奥の建物]を後にする黒コートのイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と救出作戦に参加した武装親衛隊オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)SS少佐(左・高身長)、イタリア軍将校フェルナンド・ソレティ(Fernando Soleti)[ムッソリーニ左隣の髭]、ドイツ空軍降下猟兵たち)

Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Hauptsturmführer Otto Skorzeny, Mussolini mit deutschen Fallschirmjägern auf dem Weg vom Sporthotel "Campo Imperatore" zum Flugzeug; PK Fs AOK
Gran Sasso, Skorzeny, Mussolini mit Fallschirmjägern
Depicted people Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien Skorzeny, Otto: SS-Hauptsturmführer, Ritterkreuz (RK), Waffen-SS, Deutschland
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503A-08 Origin: Bundesarchiv
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503A-08, Gran Sasso, Skorzeny, Mussolini mit Fallschirmjägern.jpg引用。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)拘禁されていたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出しフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機で送り出すのを見送るドイツ軍空挺特殊部隊(コマンド);空挺特殊部隊はドイツ空軍の降下猟兵、武装SS親衛隊、陸軍山岳猟兵からなっていた。右端に見えるのは、Fi156連絡機の主翼。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Fallschirmjäger und Soldaten der Waffen-SS beim Abflug von Mussolini, winkend; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger und Waffen-SS
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-37
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-37, Gran Sasso, Fallschirmjäger und Waffen-SS.jpg引用。

◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。

1.イタリアの第二次大戦参戦と地中海方面の戦争

写真(右)1937年3月14日,北アフリカ、イタリア植民地、リビア、トブルク、イタリア将兵の軍事パレードに参加したイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ:イタリアのアフリカ植民地をエチオピアにまで拡張し帝国化したファシスト党ムッソリーニの絶頂期で、ドイツとの軍事同盟による結びつきを強めた。
English: Benito Mussolini driving through the streets of Tobruk during his visit in Libya (1937) Date 14 March 1937
Opis obrazu: Benito Mussolini (stoi) przejeżdżający ulicami miasta. Data wydarzenia: 1937-03-14 Miejsce: Tobruk Osoby widoczne: Benito Mussolini, Osoby niewidoczne: Hasła przedmiotowe: kolonializm, władze państwowe, faszyzm, Inne nazwy własne: Zakład fotograficzny: Autor: Zespół: Koncern Ilustrowany Kurier Codzienny - Archiwum Ilustracji Sygnatura: 1-E-9384
写真は,Category:Benito Mussolini in 1937 File:Mussolini in Tobruk, Libya (1937).jpg引用。


1935年10月に、エチオピア帝国に侵攻したイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)のイタリア軍は、1936年にはエチオピアを敗北させ、ここを併合した。そこで、イタリア王国サヴォイア王家ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、エチオピア帝位を簒奪して、イタリアの帝国化をして、大いに栄誉を得た。このイタリア王家のエチオピア皇位継承という功績によって、イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)はサヴォイア王家から大元帥として、イタリア軍の統帥権を委託され、事実上、政治・軍事の独裁権を得たのである。


写真(右)1937年8月13日,イタリア、シシリー島南岸、シラキューザ、イタリア海軍の水上機基地を視察する海軍制服を着用したイタリア統領ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)とイタリア軍幹部・ファシスト党幹部
;イタリアは、IMAM Ro.43水上偵察機、カント(CANT)Z.506B"アイローネ"水上機、カント(CANT)Z.501"ガッビアーノ"水上機など地中海で使用する水上機を揃えていた。
Italiano: Mussolini, accompagnato da alti gradi dell'aeronautica militare e da autorità fasciste, visita l'idroscalo di Siracusa
Date 13 August 1937
Author Istituto Luce
写真は,Category:Benito Mussolini in 1937 引用。

チェコスロバキアは,ドイツ軍を迎え撃つために,総動員を開始し、ドイツは,ズテーテンラント(Sudetenland)を即時引き渡すことを求め,9月28日までにチェコスロバキア軍を,ズテーテンラント(Sudetenland)から撤退させるを要求する。これは,ドイツからチェコスロバキアへの最後通牒といえた。


写真(右)1937年,イタリア、イタリア海軍ザーラ級重巡洋艦「ポーラ」を視察する海軍制服を着用したイタリア統領ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と同行するイタリア海軍幹部

Italiano: Mussolini visita l'incrociatore Pola nel 1937 Date 7 April 2016
Author Senato-Istituto Luce
写真は,Category:Benito Mussolini in 1937 File:Incrociatore Pola (2).JPG引用。

イタリア海軍ザーラ級重巡洋艦「ポーラ」(cruiser Pola)の諸元
起工 1931年3月17日
進水 1931年12月5日
就役 1932年12月21日
消失 1941年3月29日、マパタン沖海戦でイギリス海軍艦艇により撃沈
排水量 13,531トン
全長 182.8m
全幅 20.6m
吃水 7.2m
最高速力 32ノット
兵装: 203 mm (8インチ)53口径連装砲4基8門
100 mm (3.9インチ)47口径連装砲8基16門
ヴィッカース(Vickers-Terni)40 mm39口径機関砲4門
12.7 mm機関銃8丁
乗員 841名

ミュンヘン協定は,チェコスロバキアのズテーテンラントをめぐる世界大戦再発の危機を回避した条約として,ヨーロッパ市民に理解された。イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は,英仏からズテーテンラント譲渡させることに協力し、戦争を回避したとして称賛された。しかし、1年と経過しないうちに,チェコスロバキアはズテーテンラントを割譲しただけでなく,解体されてしまい、世界大戦が勃発することになる。

イタリア 1938年9月24日,チェコスロバキアと同盟を結んでいたフランス首相エドアール・ダラディエ(Edouard Daladier:1884-1970)は,チェコスロバキア支援のために,動員令を発した。イギリス首相アーサー・ネヴィル・チェンバレンArthur Neville ChamberlainMarch 18, 1869−November 9, 1940)もフランスに加勢することになるのではないかと,1938年9月,第二次世界大戦の危機にヨーロッパ中が慄いた。そこで、英仏独伊の三首脳が揃って、ズテーテン危機に対処しようと開催されたのが、ミュンヘン会談だった。

ミュンヘン会談は,チェコスロバキアのズテーテンラントをめぐる世界大戦再発の危機を防ごうとした和平会談として,ヨーロッパ市民に理解されていた。
この会談がミュンヘン協定が成立,イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)がドイツの味方を演じてくれたことに,ミュンヘン市民は歓呼で応えている。後に,ズテーテンラントを無血占領したヒトラー総統,それを支持したイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は,ドイツ復興の英雄として大歓迎を受ける。

1938年9月のミュンヘン協定は,チェコスロバキアのズテーテンラントをめぐる世界大戦再発の危機を回避した条約として,ヨーロッパ市民に理解された。しかし、平和は偽りであり、1年と経過しないうちに,チェコスロバキアはズテーテンラントを割譲しただけでなく,解体されてしまい、世界大戦が勃発することになる。

⇒写真集:オーストリア併合・ズテーテン危機・ミュンヘン会談: Sudeten & Munich Conference を見る。

写真(右)1939年11月1日,イタリア中部、ローマ南部、ポンティーヌ湿地を開拓し建設された新都市ポメジアを訪問するイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini):ムッソリーニは、ポンティーヌ湿地にあるポメジアと呼ばれる5番目で最後の都市を訪問し成果を誇っている。
Mussolini weiht die 5. und letzte Stadt namens Pomezia in den Pontinischen Sümpfen ein, hier bei seiner Ankunft im Pomezia.
Mussolini, Benito (1883 - 1945)
Datierung 01.11.1939 Neue Stadt in den Pontinischen Sümpfen eingeweiht .
写真は European Commission ,Bildarchiv Austria 引用。


フィアット「アウトブリンダ」Autoblinda 40/41 (AB 40/41) 装甲車(Armored Car)は、1939年五詩作が完成し、1940年にイタリア軍に制式した四輪装甲車で、1943年9月のイタリア降伏まで、トリノのフィアット工場で624輌が量産された。

1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相ネヴィル・チェンバレンNeville Chamberlain)は,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」(Phoney War)とも称された。

  写真(右)1940年6月18日,ドイツ、ミュンヘン駅、イタリア統領ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を歓待するドイツ首相・総統アドルフ・ヒトラー :ドイツ市民がたくさん集まって声援をあげている。
Mussolini und Hitler schreiten auf dem Münchner Hauptbahnhof die Front der Vertreter von Staat, Partei und Wehrmacht ab.
Mussolini und Hitler schreiten auf dem Münchner Hauptbahnhof die Front der Vertreter von Staat, Partei und Wehrmacht ab.
Hitler, Adolf (1889 - 1945) Mussolini, Benito (1883 - 1945) Datierung 1940 Mussolini und Hitler schreiten auf dem Münchner Hauptbahnhof die Front der Vertreter von Staat, Partei und Wehrmacht ab.
写真は European Commission ,Bildarchiv Austria Inventarnummer S 484/37 引用。


写真(右)1940年6月18日,ドイツ、ミュンヘン駅、イタリアに帰国する列車に乗ったイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と固い握手をして別れるドイツ首相・総統アドルフ・ヒトラー :ムッソリーニは、第二次世界大戦に半年以上遅れて参戦し、フランスを攻めたが、進撃は遅かった。しかし、南フランス、コルシカ島の領有など過大な要求をしていたため、ヒトラーに拒否された。ヒトラーは、笑顔で握手できたが、ムッソリーニは不満と屈辱で憤っていたはずだ。この仕返しをしようと、ドイツに相談なしにギリシャに侵攻する。
Begegnung Hitlers mit Mussolini Beschreibung Händeschütteln zwischen Hitler und Mussolini in München. Körperschaft Weltbild .
Technik Fotografie Datierung 06.1940.
.
Hitler, Adolf (1889 - 1945) .
Mussolini, Benito (1883 - 1945).
Schlagworte Außenpolitik, Italien, Nationalsozialismus, Politik.
Digitale Sammlung Zeitgeschichte.
写真は European Commission ,Bildarchiv Austria Inventarnummer S 484/37 引用。


1940年6月18日、第二次大戦が勃発し、フランスがドイツに降伏する直前、イタリア統領ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は、娘婿で外務大臣チアーノ伯爵と一緒に、ミュンヘンに到着、総統ヒトラーと戦争の行く末について話し合った。西側連合国との戦争が始まっても、参戦していなかったイタリアの立場は軽んじられており、ドイツの西方侵攻でフランスが大敗北する中で、ムッソリーニは、戦争におびえていると思われ、イタリアは屈辱的な思いをしていた。ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は、ドイツに大打撃を受けたフランスに侵攻し、その降伏を要求し、フランス南部を占領しようとしたが、フランス軍の抵抗のために、進撃は停止していた。そこで、ヒトラーに頼み込んで、フランスに対する過大な領土要求をしたのである。これを求めるために、ムッソリーニは、戦闘に勝利したヒットラーに会いに出かけた。

イタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は、参戦し、その占領国としての利益を確保したかったが、イタリア軍は参戦後の戦闘では大きな功績をあげてはいなかった。最小限のリスクで報酬を獲得するというった姑息な外交は、ファシズムのメンツを潰したものだった。 しかし、ヒットラーは、イギリスを屈服させ、当方での戦争を開始しよと考えていたから、危険を冒す気にはならず、フランスとの和平にも、寛大な条件を提示するにとどめた。ヒトラーは、有力なフランス艦隊が中立を維持し、フランス亡命政府が北アフリカなど植民地やロンドンで形成されないようにする必要があったので、フランスには名誉を保持して、イギリス側に立って戦争を続けさせないことを優先したのである。ヒトラーは、イタリアのベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)の南フランス占領というような過大な要求を即座に拒否し、ローヌ渓谷を占領し、コルシカ、チュニジア、ジブチ(イタリア占領下のエチオピアに隣接)を武装解除して、イタリアの支配下に置くというムッソリーニの要求ですら認めなかった。

イタリア外相チアーノは、日記に、イタリア統領(ドゥーチェ)ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)が「彼の役割は二次的なものだ」と感じて、不機嫌であり「非常に恥ずかしい」思いでとミュンヘンを去ったと記している。チアーノは、ヒトラーが1940年5月に西方戦役をはじめ、6月中にフランスを降伏させたことに驚き、その力を認めざるを得なかった。ムッソリーニの過大なイタリアの領土要求に対して「今日、彼は、そのような勝利の後、本当に驚くべきであり、控えめで粘り強い話し方だった」と記している。

写真(右)1940年6月,イタリア、美術品を鑑賞するサボイア王家のイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Vittorio Emanuele III)、後方には皇太子ウンベルト2世(Umberto II)、皇女マリア・ホセ(Maria Josè):イタリアのアフリカ植民地をエチオピアにまで拡張し帝国化したファシスト党ムッソリーニを信頼して、軍事大権、いわゆる統帥権を認めた。こうして、独裁者となったムッソリーニは、この時期、ドイツの対フランス勝利、ドイツ・ソ連の不可侵条約に幻惑され、自ら第二次世界大戦に参戦した。
Prima Mostra Triennale delle Terre Italiane d'oltremare - palazzo degli Uffici - salone Mediterraneo - il re Vittorio Emanuele III, il principe Umberto II e la principessa Maria Josè in visita. Patellani, Federico.
Misure: 135 mm (24 x 36 mm) Note: La Triennale d'Oltremare fu ideata e allestita per ospitare una manifestazione diretta a celebrare l'espansione politica ed economica dell'Italia sui mari; fu scelta la città di Napoli che, in virtù della sua posizione centrale nel Mediterraneo, era considerata punto di partenza ideale per l'intraprendente politica coloniale del regime fascista. Collocazione: Cinisello Balsamo (MI), Museo di Fotografia Contemporanea, PR. 321/FT. 14a
Autore: Patellani, Federico (1911/ 1977), fotografo principale
写真は,LombardiaBeniCulturali File:Triennale delle terre italiane 1940.jpg引用。


写真(右)1940年6月,イタリア北部、トリノ、第7回トリエンナーレ(Triennale)開会式、イタリア王国サボイア王家ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア3世(Vittorio Emanuele di Savoia)と教育大臣ジュゼッペ・ボッタイ(Giuseppe Bottai)(前列手前):トリエンナーレ会長ジュゼッペ・ビアンチーニ(Giuseppe Bianchini)、ファシスト幹部もあとに随行している。
Note: Il re d'Italia Vittorio Emanuele III di Savoia, durante la sua visita all'inaugurazione della VII Triennale, nel parco con Giuseppe Bottai, ministro dell'educazione nazionale, Giuseppe Bianchini, presidente della Triennale, Vittorio Emanuele di Savoia, conte di Torino, e altri gerarchi fascisti.
Misure: 135 mm (24 x 36 mm)
Note: La Triennale d'Oltremare fu ideata e allestita per ospitare una manifestazione diretta a celebrare l'espansione politica ed economica dell'Italia sui mari; fu scelta la città di Napoli che, in virtù della sua posizione centrale nel Mediterraneo, era considerata punto di partenza ideale per Autore: Farabola (1908), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), 06/04/1940
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Fondazione La Triennale di Milano, TRN_VII_22_1451 引用。


写真(右)1940年4月6日,イタリア北部、トリノ、第7回トリエンナーレ(Triennale)開会式、殿堂(オーラ・マッシマ)、イタリア王国サボイア王家ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア3世(Vittorio Emanuele di Savoia)教育大臣ジュゼッペ・ボッタイ(Giuseppe Bottai)、トリエンナーレ会長ジュゼッペ・ビアンチーニ(Giuseppe Bianchini):トリエンナーレ会長ジュゼッペ・ビアンチーニによるスピーチ中、ステージ中央には、イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世、国王の右には、教育大臣ジュゼッペ・ボッタイ、ヴィットリオ・エマヌエーレ(トリノ伯爵)が国王の左側にいる。
VII Triennale - Inaugurazione - Re d'Italia, Vittorio Emanuele III di Savoia - Discorso del presidente della Triennale Giuseppe Bianchini - Gian Giacomo Gallatati Scotti - Vittorio Emanuele di Savoia, conte di Torino - Giuseppe Bottai Autore: Farabola (1908), fotografo principale
Autore: Foto Crimella (seconda metà sec. XIX- secolo XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), 06/04/1940
Misure: 18 x 24
Vista dall'alto del Salone d'Onore (Aula Massima) all'inaugurazione della VII Triennale di Milano durante il discorso di Giuseppe Bianchini, presidente della Triennale; al centro del palco Il re d'Italia Vittorio Emanuele III di Savoia. Tra gli altri si riconoscono Giuseppe Bottai, ministro dell'educazione nazionale, a destra del re, e, Vittorio Emanuele, conte di Torino, a sinistra del re...
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Fondazione La Triennale di Milano, TRN_VII_21_1418引用。


1934年6月14日(最初)ベネチア会談、ヒトラーのイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)初訪問
1937年9月29日、ベルリン会談、ムッソリーニのベルリン訪問
1938年3月12日、ヒトラー、オーストリア進駐・併合
1938年4月9日、ヒトラーのウィーン訪問、ゲッペルス同行
1938年9月29日、ミュンヘン駅、ヒトラー、ミュンヘン会談に出席のムッソリーニを出迎える。ズテーテン危機
1938年9月30日、ミュンヘン駅、ヒトラーはムッソリーニを見送る。
1940年10月22日、ヒトラー、フランス南西端モントルー(Montoire)でフランス首相ピエール・ラヴァル(Pierre Laval)と会談
1940年10月23日、ヒトラー、スペイン北東端アンダイ(Hendaye)で、スペイン総統フランコ(Francisco Franco)と会談
1940年10月24日、ヒトラー、フランス南西端モントルー(Montoire-sur-le-Loir)でフランス国家元首フィリップ・ペタン(Philippe Pétain)元帥と会談
1940年10月28日、ヒトラー、リンベントトロップ外相を伴って、イタリア北部フィレンツェでイタリア統領ベニート・ムッソリーニ、チアーノ外相と会談
1940年11月12日、ヒトラー、リンベン・トロップ外相を伴って、ベルリンでソ連外務大臣モロトフと会談
1941年6月12日、ヒトラー、ミュンヘンでルーマニアの指導者アントネスク(Antonescu)元帥と会談
1941年8月25日、ヒトラー総統本営「狼の巣」(Wolfsschanze)でムッソリーニと会談
1941年8月28日、ヒトラー・ムッソリーニの東部戦線、ウクライナ、ウマン(Uman)でドイツ軍、イタリア軍を閲兵
1942年6月1日、ヒトラー、東部戦線、ウクライナ、ポルタワ(Poltawa)で閲兵
1942年6月4日、ヒトラー、フィンランド、フィンランド大統領リスト・リティ(Risto Ryti)と会談、フィンランド軍総司令官マンネルハイム(Mannerheim)75歳の誕生日を祝福
1942年6月27日、フィンランド軍総司令官マンネルハイム(Mannerheim)、ラステンブルク総統段本営に飛来、ヒトラーと会談
1943年4月10日、ヒトラー、ザルツブルク、クレースハイム(Kleßheim)駅に、ムッソリーニを出迎え会談
1943年9月14日、ヒトラー、ザルツブルク、クレースハイム(Kleßheim)駅に、ムッソリーニを出迎え会談
1944年9月20日、ヒトラー、東プロイセン州ラステンブルクの総統大本営ヴォルフスシャンツェ (Wolfsschanze)で爆殺未遂事件当日、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)と会談(最後の会談)

写真(右)1940年11月,イタリア、ローマ、ベネチア宮殿(パラッツォ・ヴェネチア)、イタリア外務大臣チヤーノ(Galeazzo Ciano)、ルーマニアの指導者イオン・アントネスク(Ion Victor Antonescu:1882-1946.6処刑)元帥、イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)、ルーマニア外務大臣ミシェル・ストルーザ(Prince Mihail R. Sturdza :1886-1980)王太子:ルーマニア国王カロル2世と対立し投獄されたこともあるイオン・アントネスクは、国家主義の政治・純軍事組織の鉄衛団を率いて、カロル2世を退位させて首相に就任、国民投票によって国家指導者(Conducător)の地位を得た。そして、ドイツ・イタリア同盟国ルーマニアの政治・軍事の指導者が、ローマを訪問、ムッソリーニと会談した。ともに、1941年6月22日、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」に同盟国として全体主義を奉じて参加し、ソ連に遠征軍を派遣し、ボリシェビキ排除のために戦った。すかし、戦局が悪化した1944年8月23日、国王ミハイ1世のクーデターにより失脚した。
Osoby widoczne: Sturdza, Galeazzo Ciano, Ion Antonescu, Benito Mussolini,
Opis obrazu: Przywódca państwa rumuńskiego Ion Antonescu (drugi z lewej) podczas wizyty u przywódcy fasztstowskich Włoch Benito Mussoliniego (drugi z prawej). Widoczni: minister spraw zagranicznych Włoch Galeazzo Ciano (z lewej) i minister spraw zagranicznych Rumunii książe Sturdza (z prawej). Fotografia grupowa.
Inne nazwy własne: Pałac Wenecki (Palazzo Venezia) w Rzymie,
写真はOgraniczenie działalności Archiwów Państwowych、Search the Archives archival resources on-line,Zbiory NAC on-line Sygnatura: 2-16753引用。


イタリアは、1940年6月10日に第二次世界大戦に参戦した。そして、フランス降伏後の1940年9月7日、イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は、イタリア植民地リビアから進軍しエジプトへ侵攻することを決心した。エジプトはイギリスが外交権・軍事権を掌握した保護国だったので、事実上、イギリス植民地だった。

1940年9月13日、エジプト侵攻を開始したイタリア軍は、グラッツィアーニ元帥隷下の8万人のイタリア第10軍で、5個師団を基幹としており、エジプト守備隊のイギリス軍より2倍以上優位な兵員を擁していた。優勢なイタリア軍はエジプトに100キロ侵攻したが、自動車化されていない部隊の補給は停滞した。

1940年9月、イタリアは、自国のアフリカ植民地リビアから、西方のイギリス属国エジプトに侵攻した。これは、スエズ運河を占領して、地中海のイギリス海軍の影響力を大幅に低下することを企図したものだった。しかし、イタリア軍は兵力的には勝っていたにも関わ環図、イギリス軍の反撃を受けて後退し、1941年2月になると、イギリス軍にリビアの要衝ベンガジを占領されてしまう。

写真(右)1940年6月28日,南フランス、フランス降伏後、イタリア=フランス国境のアルプス山中、自動車に乗ってフランスに侵攻したイタリア軍部隊を検閲するイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini):ベニート・ムッソリーニは、ローマのベネチア宮殿(パラッツォ・ヴぇネチア)で宣戦布告の演説をし、南フランスに侵攻したが、ドイツの攻撃を受けたフランスは、降伏寸前だった。
Osoby widoczne: Sturdza, Galeazzo Ciano, Ion Antonescu, Benito Mussolini,
Polski: Benito Mussolini w samochodzie podczas inspekcji obszarów zdobytych w czasie ofensywy w Alpach. Depicted people Benito Mussolini Date 28 June 1940
Inne nazwy własne: Pałac Wenecki (Palazzo Venezia) w Rzymie,
Opis obrazu: Benito Mussolini w samochodzie podczas inspekcji obszarów zdobytych w czasie ofensywy w Alpach. Data wydarzenia: 1940-06-28
写真はWydawnictwo Prasowe Kraków-Warszawa,Narodowe Archiwum Cyfrowe Sygnatura: 2-278引用。


写真(右)1940年6月後半,南フランス、フランス降伏後、イタリア=フランス国境のアルプス山中、イタリア軍部隊を検閲したイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)とイタリア国王ウンベルト2世( Umberto II)王太子が話し合っている。:ベニート・ムッソリーニは、ローマのベネチア宮殿(パラッツォ・ヴぇネチア)で宣戦布告の演説をし、南フランスに侵攻したが、ドイツの攻撃を受けたフランスは、降伏寸前だった。
Opis obrazu: Benito Mussolini (w środku) w otoczeniu oficerów włoskich w rozmowie z następcą tronu ks. Umberto II (2 z prawej) podczas inspekcji w zdobytej miejscowości w Alpach francuskich. Data wydarzenia: 1940-06
Zespół: Wydawnictwo Prasowe Kraków-Warszawa
写真はWydawnictwo Prasowe Kraków-Warszawa,Narodowe Archiwum Cyfrowe Sygnatura: 2-279引用。


イタリア軍の北アフリカでの敗北は、イタリアの指導者ベニート・ムッソリーニhttps://www.britannica.com/biography/Benito-Mussolini(Benito Mussolini)の威信を失墜させ、政権交代、イタリアのイギリスとの和平も危惧されたために、ドイツは、地中海方面・北アフリカへ派兵を決定した。そして、西方電撃戦で活躍したエルヴィン・ロンメル隷下の2個師団をドイツアフリカ軍団Deutsche Afrikakorps :DAK)と称して北アフリカに派遣した。地中海方面には、歴戦の第一突撃航空団のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機も派遣され、対艦船攻撃にも大きな戦果を挙げている。

イタリア空軍マッキMC200サエッタ マッキMC-200サエッタ戦闘機Macchi MC-200 Saetta)の諸元
乗員:1名
全長:8.19m
全幅:10.57m
全高:3.51m
主翼面積:16.8m2
発動機:フィアット A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hp
全備重量:2,208kg
最大速度:503 km/h /4 500 m
航続距離:570 km
実用上昇限度:8900 m 武装:12.7ミリ2 Breda-SAFAT機銃2丁

1937年12月24日に初飛行したマッキMC-200サエッタ戦闘機Macchi MC-200 Saetta)は、1939年8月に部隊配備したフィアットA74RC38空冷星型14気筒870馬力搭載の軽快な戦闘機で、視界を向上するために半開放式の風防を小高く盛り上げた胴体上に設置した。空気抵抗は若干増加しても、視界の良好さを優先したのである。

マッキMC-202フォルゴーレ戦闘機(Macchi MC-202)は、空冷星形14気筒エンジンを搭載したM.C.200サエッタの発動機を、ドイツのダイムラー・ベンツDB.601水冷倒立V型12気筒エンジン1,100馬力に換装して、性能を向上させた戦闘機である。設計者はMC200サエッタの設計者と同じマリオ・カストルディ技師で、全高を低くして空気抵抗を減らし、エンジン換装のために胴体は60センチ長くなった他、エンジンの出力向上でプロペラ回転トルクモーメントが大きくなったため、主翼に傾き・捩れを付けるのではなく、左翼を右翼よりも20センチ延長して、トルクを打ち消す設計とした。

マッキMC-202(Macchi MC-202)試作1号機(M.M.445)は、DB601A液冷エンジン1,175馬力、ピアッジョP.1001可変ピッチ・定速3翅プロペラを搭載、1940年8月に初飛行し、大幅な速度向上が見られた。上昇力時間も6000mまで6分と飛行性能の向上から、すぐに量産に入ることが決まった。

イタリア空軍マッキMC202フォルゴーレ マッキMC-202フォルゴーレ戦闘機Macchi MC-202)の諸元
乗員:1名
生産数:1 150機
全長:8.85 m
全幅:10.58 m
全高:3.49 m
翼面積:16.82 m²
重量 空虚重量:2,491 kg
最大離陸重量:2,930 kg
発動機 アルファロメオ(Alfa Romeo)RA.1000 R.C.41-I Monsone液冷V-12気筒エンジン1,175 hp
最高速力:595 km/h / 5600 m
航続距離:765 km
実用上昇限度:11,500 m
12.7ミリ Breda-SAFAT 機関銃2丁(各360発)、7.7ミリBreda-SAFAT 機関銃2丁(各500発) 160kg爆弾 ×2

マッキMC-200戦闘機に空冷星形エンジンをドイツの開発したダイムラーベンツDB601液冷エンジンを国産化したものに変換したことで、マッキMC-202戦闘機(Macchi MC-202)は最高速力は595キロと、イギリス空軍スピットファイア―戦闘機と互角の飛行性能を誇ることができた。

マッキMC.205ベルトロ イタリア空軍マッキMC-205ベルトロ戦闘機(Macchi MC 205 Veltro Greyhound")の諸元
全長:8.85 m
全幅:10.58 m
全高:3.05m
翼面積:16.8m²
空虚重量:2,581kg
最大離陸重量:3,900kg
発動機:フィアット R.A.1050 RC.58 ティフォーネ1,475hp
MC202よりエンジン換装で機首が長くなった。熱帯仕様ではエアインテークに防塵除去フィルターを装着。
性能 最大速度:640km/h(高度7,500m)
航続距離:855km
実用上昇限度:11,500 m
兵装:12.7mm ブレダ-SAFAT 機銃2丁(各370発)、 7.7mm ブレダ-SAFAT 機銃2丁(各500発)
爆弾搭載量 320kg
主翼の機関銃をブレダ7.7ミリ機関銃からモーゼル20ミリMG151/20 機関砲(250発)に換装した武装強化型もある。

ドイツ空軍ユンカースJu-87B-2 ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機は、1940年の西方戦役やイギリス本土航空決戦に使用されたが、低速で弱武装のために多大な損害を受けたため、西部戦線からは撤収して、北アフリカ戦線、地中海戦線、東部戦線にまわされた。東部戦線においては地上支援や対地攻撃に使用されたが、地中海方面では、イギリス海軍空母「イラストリアス」を爆撃し大破させるなど対艦船攻撃にも威力を発揮した。

ドイツ空軍のユンカースJu 87急降下爆撃機B-2 trop型は、ユモ(Jumo)211D 1,200PS(883kW、1,184hp)液冷エンジンを搭載した熱帯仕様の機体で、砂塵や乾燥地での装備を備えており、北アフリカや地中海で活動するイタリア空軍にも貸与された。ドイツ空軍からイタリア空軍が受領したユンカースJu-87B-2急降下爆撃機は、イタリアではPicchiatello「急降下」と名づられたが、Picchiatelloには「へそ曲がり」「とび上がり者」などの俗語もあった。

ドイツの同盟国だったユーゴスラビアでクーデターが起こり、親ドイツを放逐して、親ソビエト派が実権を握った。この裏切りに激怒したヒトラーは、1941年4月6日、ユーゴスラビア侵攻を指令し、ユーゴの首都ベオグラードを破壊することを命じた。

サボイア・マルケッティSM-79は雷撃機として、胴体下面に航空魚雷を搭載するもできた。性能は芳しくなかったが、実用性が高く、艦船攻撃にも成果を上げた。ファシスト独裁国家イタリアの国籍マークは、主翼上面と下面にファッシ(束ねた武器)、垂直尾翼にイタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗を描いた。SM-79は雷撃機として、胴体下面に航空魚雷を搭載するもできた。性能は芳しくなかったが、実用性が高く、艦船攻撃にも成果を上げた。

ユーゴスラビア摂政パヴレ・カラジョルジェヴィチPrince Paul of Yugoslavia)は、1941年3月25日、フランスを敗北させ西ヨーロッパの支配者となっていたヒトラーのドイツと同盟条約を締結した。

しかし、オーストリア帝国の支配の下にあったユーゴスラビアのセルビア人は、支配者と見られたドイツ系を憎悪しおり、セルビア人政治家や高級軍人は、1941年3月27日にクーデターによって摂政パヴルを始めとするぢ親ドイツ政権を倒して、国王ペータル2世を担ぎ出して、親スラブ政権を樹立した。 国だったユーゴスラビアでクーデターが起こり、親ドイツを放逐して、親ソビエト派が実権を握った。新政権はドイツとの武力衝突を望んではいなかったが、ヒトラーは、ドイツを裏切ったユーゴスラビアの激怒し、直ちに1941年4月6日、ユーゴスラビアにドイツ軍を侵攻させ、ユーゴの首都ベオグラードBeograd)を空襲することを命じた。ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は、友好国のユーゴをいとも簡単に裏切者扱いしたヒトラーに反感を持ったはずだ。自分の権威を全く気にかけていないと。

写真(右)1941年7月17日,イタリア南部、バリ、イタリアに帰還した負傷兵を見舞うイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini):ムッソリーニは、第二次世界大戦に半年以上遅れて参戦し、フランスを攻めたが、進撃は遅かった。しかし、南フランス、コルシカ島の領有など過大な要求をしていたため、ヒトラーに拒否された。この仕返しをしようと、ドイツに相談なしにギリシャに侵攻すも敗退し、ドイツの援軍を得て、1941年4月30日に勝利できた。しかし、6月22日のドイツのソ連侵攻にも同盟軍としてイタリア軍を派遣している。北アフリカのイギリス軍に手古摺らされていたのに、宣戦を広げすぎたため、イタリアの経済力、軍事力では対処できるはずがなかった。これは、日本が中国一国にも手古摺っていたのに、アメリカ、イギリスとの戦争を始めたのに比べれば、落ち度としては軽いかもしれない。
Mussolini besucht verwundete Soldaten Mussolini besucht verwundete Soldaten | Scherl Bilderdienst.
Mussolini unterhält sich in einem Lazarett in Bari mit einem Verwundeten.
Körperschaft Scherl Bilderdienst .
Technik Fotografie Datierung 17.07.1941.
Mussolini, Benito (1883 - 1945).
Schlagworte Italien, Krankenhaus, Krieg, Politik, Soldat .
Digitale Sammlung Zeitgeschichte.
写真は European Commission ,Bildarchiv Austria Inventarnummer S 463/43 引用。


イタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニhttps://www.britannica.com/biography/Benito-Mussolini(Benito Mussolini)は、フランス敗北後の領土要求をヒトラーに拒否され、地中海帝国イタリアの面目を施すことができなかった。ヒトラーは、戦争に寄与していなイタリアの領土要求を拒否して当然と考えたが、ムッソリーニは不名誉を被り、イタリア人の誇りを傷つけられた。ムッソリーニは、ヒトラーに対して仕返しをしようと、ドイツに相談することなく、併合していたアルバニアから16万のイタリア軍で、1940年10月28日、ギリシャに侵攻する。しかし、準備不足のイタリア軍は、勇敢なギリシャ軍の反撃を受け、かえってイタリア領アルバニアに押し返されてしまう。そして、ギリシャから、枢軸国に地中海東部を支配されないように、イギリス軍は、ギリシャ沖のクレタ島に進駐し、守備を固めた。

ヒトラーは、イギリス軍がバルカンで勢力を伸ばせば、同盟国ルーマニアの油田が脅かされ、イギリスとソ連との連携の可能性が高まると憂慮し、バルカン半島、北アフリカを確保することを決め、イタリア軍に加勢する準備を始めた。ヒトラーは、1941年4月6日、ギリシャ侵攻「マリータ作戦」(Unternehmen Marita)、ユーゴスラビア侵攻を発動し、同盟国ブルガリア、ハンガリーから司令官ヴィルヘルム・リスト元帥隷下のドイツ第12軍がギリシャに侵攻した。ユーゴスラビアは4月17日、ギリシャは4月30日に降伏した。しかし、ギリシャにあったイギリス軍は、4万2,000名は無事撤退することができた。


写真(上)1941年10月3日,イタリア北部、パルマ県サルソマッジョーレ・テルメ(Salsomaggiore Terme)を訪問したイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)とファシスト党幹部たち
; Italiano: Mussolini a Salsomaggiore Terme Date 8 October 1941
写真は,Category:Benito Mussolini in 1941 File:Mussolini Salsomaggiore Terme 1941.jpg引用。

写真(右)1942年,バルカン半島、イタリア陸軍フィアット社「アウトブリンダ」Autoblinda 40/41 (AB 40/41) 装甲車の隊列:1935年5月15日に開設したばかりの新フィアット工場で生産された。
Title Balkan, italienische Spähpanzer Depicted place Balkan Date 1942
Balkan.- Kolonne italienischer Panzer-Spähwagen Autoblinda 40/41; PK KBK Lw zbV
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-602-B1242-27A .
写真は Wikimedia Commons,Category:Autoblinda AB 41 File:Bundesarchiv Bild 101I-602-B1242-27A, Balkan, italienische Spähpanzer.jpg引用。


フィアット「アウトブリンダ」Autoblinda 40/41 (AB 40/41) 装甲車の諸元
全長 5.20 m
全幅 1.92 m
全高 2.48 m
重量 7.4 t(6.85 t)
乗員 4 名
装甲 6-18 mm
兵装 ブレダ20/65 20ミリ機関銃1丁、ブレダM38 8ミリ車載機関銃 ×2(8x59mmRBブレダ弾)
最高速力 76 km/h
エンジン フィアットSPA6気筒ガソリンエンジン(80 HP)航続距離 400 km(路上)

1941年の初め、イタリア軍は植民地のリビアからイギリス属領エジプトへの攻撃を始めたが、イギリス軍の反撃を受けて敗退した。そこで、イタリア軍の救援のために、北アフリカにもドイツ軍が派遣されこととなった。これが、ドイツアフリカ軍団である。バルカン半島、北アフリカに進出したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機は、1940年の西方電撃戦の時と同様に、地上攻撃に当たると共に、地球会を遊弋するイギリス艦隊を空襲した。海上での大規模攻撃は、この時がJu87にとって初めてであったが、練度の高い急降下爆撃部隊(突撃航空団)は、連合軍艦艇・船舶を急降下爆撃で多数撃沈、大破させた。バルカン半島、地中海、北アフリカでもユンカースJu87急降下爆撃機は敵の艦船と地上軍の攻撃に大活躍した。

写真(右)1942-1943年頃,イタリア戦線、地中海方面、DFS 230 グライダー曳航の準備のなったドイツ空軍ユンカースJu 87R-1急降下爆撃機:シシリー島攻防戦時期であろうか、地中海方面で輸送任務に活躍したJu-87急降下爆撃機。主翼両翼下面に300リットル入り増加燃料タンクを懸架して航続距離を2倍に伸ばし、燃料消費の覆いグライダー曳航輸送に備えている。
Italien, Sizilien.- Lastensegler DFS 230 im Schlepp einer Junkers Ju 87 "Stuka" auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Title Italien, Lastensegler DFS 230 hinter Ju 87
Depicted place Sizilien Date 1943 Collection German Federal Archives Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-565-1407-31A
写真は Wikimedia Commons,Bundesarchiv ,File:Bundesarchiv Bild 101I-565-1407-31A, Italien, Lastensegler DFS 230 hinter Ju 87.jpg引用。


写真(右)1943年頃,イタリア戦線、地中海方面、DFS 230 グライダー曳航の準備のなったドイツ空軍ユンカースJu 87R-1急降下爆撃機:地中海の海上で輸送任務に活躍したJu-87急降下爆撃機。主翼両翼下面に300リットル入り増加燃料タンクを懸架して航続距離を2倍に伸ばし、燃料消費の多いグライダー曳航輸送に備えている。
Italien.- Lastensegler DFS 230 hinter Junkers Ju 87 als Schleppflugzeug auf Feldflugplatz vor dem Start; PK Fs AOK Title Italien, Ju 87, Lastensegler DFS 230 auf Flugplatz Info non-talk.svg Depicted place Italien, World War II, unknown town Date 1943 German Federal Archives Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1519-30
写真は Wikimedia Commons,Bundesarchiv ,File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1519-30, Italien, Ju 87, Lastensegler DFS 230 auf Flugplatz.jpg引用。


ユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機の場合は、試作機のプロペラは2翅だったが、量産機は全て3翅プロペラを装備している。これは、ダイムラー・ベンツ DB 601液冷倒立V型12気筒エンジンよりも重量も重く出力の強いユモJumo211液冷倒立V型12気筒エンジンをユンカースJu87急降下爆撃機が搭載していたためである。

写真(右)1940-1942年頃,イタリア戦線、地中海方面、DFS 230グライダーを曳航するドイツ空軍ユンカースJu 87急降下爆撃機:地中海の海上で輸送任務に活躍したJu-87急降下爆撃機。主翼両翼仮面に300リットル入り増加燃料タンクを懸架して航続距離を2倍に伸ばし、グライダーを曳航輸送している。
Italien.- Lastensegler DFS 230 (Kennung LB+1-91) im Schleppflug, dahinter Junkers Ju 87 "Stuka" beim Schleppen eines Lastenseglers; PK Fs AOK Title Italien, Lastensegler DFS 230, Ju 87 Info non-talk.svg Depicted place Italien, World War II, unknown town Date 1943 Collection German Federal Archives Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
写真は Wikimedia Commons,Bundesarchiv ,File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1523-35A, Italien, Lastensegler DFS 230, Ju 87.jpg引用。


写真(右)1940-1942年頃,イタリア中部、アペニン山脈上空を飛行中のドイツ空軍ユンカースJu-87急降下爆撃機B型:岩山の上空を飛行している。プロペラ・スピナーの色は白色で、飛行中隊ごとに区別されていたようだ。主翼下面にダイブブレーキが見えるが、爆弾は搭載していない。
Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Bommenwerpers, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Locatie Naam: Repubblica Italiana Land: Italy Bijschrift Deutsche Flieger in Italien. Deutscher Stuka auf Feindflug gegen Malta. Junkers Ju 87 Stuka duikbommenwerper.
写真は,Beeldbank WO2 ,Beeldnummer 148引用。


ドイツ空軍戦闘機の型式であるTropとは熱帯の略称で、空中や飛行場では砂塵が舞い上がっているが、航空機が砂塵をエンジン過給機の空気取入れ口から吸い込んでしまうと、エンジン内部の故障、不調の原因になる。そこで、飛行場や低空で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着、その円筒側面から空気を取り入れた。ただし、高空では砂塵の心配はなく、エンジンの全力可動のためには、エアインテークの正面から空気を取り込むほうが都合がよい。そのために、インテーク前面は、開閉式となっていた。低空では閉鎖し、フィルター円筒の側面から吸気し、高空ではインテーク正面の取入れ口から空気を取り込むのである。ユンカースJu87に搭載されたユモJumo211液冷エンジンも、砂漠の砂塵で不調になるリスクが高いと思われるが、JU87の場合は、形式上Trop熱帯仕様が明示されていない。

1943年5月13日、北アフリカのチュニジアでドイツ・イタリア軍が降伏し、西側連合軍は、チュニジア・マルタから、チュニジア⁼シチリア島の中間にあるパンテッレリア島を空襲し、さらに艦砲射撃も実施して、6月11日にイタリア軍守備隊を降伏させた。

そして、1943年7月10日、西側連合軍は、イタリアのシシリー島攻略「ハスキー作戦」を発動、グライダー140機、空挺部隊3000人をシチリア島南部に降下させた。そして、シシリー島南岸に艦砲射撃の援護の下に、地上軍を上陸させた。

写真(右)1943年7月10日以降,イタリア南端、ターラント郊外グロッターリエ(Grottaglie)飛行場、損害を受けた格納庫を背景にしたアメリカ陸軍航空軍ノースアメリカンB-25C-20ミッチェル(Mitchell)双発爆撃機とイタリア空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch)連絡機:Fi-156の垂直尾翼には、イタリア空軍の国籍マークが記入されている。
A group of Italians in Italy get their first glimpse of an American North American B-25C-20 Mitchell bomber (s/n 42-64660, probably from the 321st BG) at close range at Grottaglie airfield, Apulia (Italy), from which RAAF fighter bombers were also in operation. In the background is an airship hangar that had been damaged by Allied bombings and an Italian Fieseler Fi 156 Storch STOL plane.
Date 1943
Author Laurence Craddock Le Guay, Australian armed forces Permission (Reusing this file) Image copyright: Copyright expired - public domain Bild 101I-567-1503D-39
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:B-25C and Fi 156 at Grottaglie airfield 1943.jpg引用。


1943年7月10日、「ハスキー作戦」に基づいてシシリー島に上陸したイギリス・アメリカ軍は、シシリー島北東端、イタリア本土にメッシーナ海峡を隔てて面したメッシーナを目指して進撃した。シシリー島上陸から1か月後、8月11日、シチリアのドイツ・イタリア軍守備隊は、イタリア半島に脱出した。シシリー島に住んでいたイタリア国民の中には、西側連合軍の占領を歓迎する動きが目立った。シシリー島が陥落したことで、イタリア王国サヴォイア王家ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世ピエトロ・バドリオPietro Badoglio:1871-1956)元帥も、多くのイタリア国民と同じく、イタリアが世界大戦から離脱し、講和すべきであると考えるようになった。

写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダー(滑空機):迷彩塗装が施されている。機体側方に大型扉があって、着陸した直後に緊急に降下猟兵が地上で戦闘態勢に入れるよう配慮されている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-565-1407-04A
Archive title: Italien, Sizilien.- Luftwaffen-Soldaten vor Lastensegler DFS 230 (Kennung ?+1-86) mit Zusatzpropeller auf dem Dach auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943 Photographer: Macioszek
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv:Signature;"Bild 101I-565-1407-04A"登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1943年,イタリア戦線のドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダー(滑空機):操縦席上方に地上掃射用の7.92ミリMG15機銃が装備されている。球状のものは空薬莢入れ。操縦席外側には、降下猟兵が地上戦に使用する7.92ミリMG34機銃が固定されている。グライダー胴体上部には、旋回機銃が取り付けられ、登場する降下猟兵がを操作する。空気抵抗を小さくするために、機体は幅が狭く、大柄な操縦手には窮屈なコックピットである。

曳航に使用されるのは、ヘンシェルHenschel Hs 126偵察機。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-565-1425-20A
Archive title: Italien, Sizilien.- Lastensegler DFS 230 mit geöffneter Cockpit-Kanzel und MG 34 auf dem Dach und neben der Cockpithaube auf Feldflugplatz stehend, im Hintergrund Henschel Hs 126; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943 Photographer: Schnitzer
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


DFS230 ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダーの胴体は、GAL.48ホットスパーが円形だったのと対照的に、鋼管羽布張りの方形断面で、テーパー翼は、前面は合板仕上げ、後部は羽布張りで軽量化を図っている。離陸時には車輪を使用するが、離陸直後に車輪を切り離して、機体を計量化している。着陸時には、胴体下面に固定されている木製の橇を使用する。グライダーは、使い捨ての兵器でもあり、経費と資源の節約のために、簡単な構造だった。

ドイツ滑空機研究所DFS 230 DFS 230兵員輸送グライダーの初の実戦は、1941年5月10日の西部戦線におけるベルギーのエバン・エマール要塞攻略戦にDFS 230 グライダー7機が参加。降下猟兵が要塞に爆雷を仕掛けて破壊した。また、翌1942年5月20日にはクレタ島攻略に多数が参加した。しかし、降下猟兵、輸送機、曳航機に大損害を被ったために、以後、ドイツ軍は大規模降下作戦を実施していない。


写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダー
(滑空機):迷彩塗装が施されている。機体側方に大型扉があって、着陸した直後に緊急に降下猟兵が地上で戦闘態勢に入れるよう配慮されている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-565-1407-04A
Archive title: Italien, Sizilien.- Luftwaffen-Soldaten vor Lastensegler DFS 230 (Kennung ?+1-86) mit Zusatzpropeller auf dem Dach auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943 Photographer: Macioszek
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv:Signature;"Bild 101I-565-1407-15A"登録・引用(他引用不許可)。


ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)ハンス・ヤコブス (Hans Jacobs) は、1935年開発のイギリス製のゼネラル・エアクラフト(General Aircraft)GAL.48ホットスパー(Hotspur)グライダーと同時期に、DFS 230 兵員輸送グライダーを開発した。1937年に試作機が完成したDFS 230 兵員輸送グライダーは、女流パイロットのハンナ・ライチュが試験飛行をして実用性を高めて、1939年から生産が開始された。

ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 グライダーは、胴体が角型断面の鋼管羽布張り、主翼が前部は木造合板、後部は羽布張りで軽量化されている。車輪は、離陸後に切り離され、曳航時の空力抵抗の減少が図られている。着陸時は、機体下部に装備した木製の橇を使用する。

ドイツ滑空機研究所DFS 230 兵員輸送グライダー機首の下方には、着陸に使用する木製の橇が見える。離陸の時には、橇ではなくその下に装着した車輪を使い、離陸した時に重量軽減のために車輪を投下する。

写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230兵員輸送用グライダー (滑空機):
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-569-1579-28A
Archive title: Italien.- Fallschirmjäger am Dach-MG eines Lastenseglers DFS 230 nach der Landung (Übung); PK Fs AOK
Dating: September 1943 Photographer: Stocker, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv:Signature;"Bild 101I-569-1579-28A"登録・引用(他引用不許可)。


DFS 230 A-1兵員輸送用グライダー 諸元
全長: 11,24 m
全高: 2,74 m
全幅: 20,87 m
主翼面積: 41,3 平方メートル
最高曳航速度: 210 km/h
空虚重量: 860 kg、最大全備重量: 2100 kg
乗員: パイロット1名
降下猟兵 9名搭乗
生産数は、A型654機、B型936機、その他合計1.603機。

ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230兵員輸送用グライダーが初めて実戦に参加したのは、1941年5月10日にのベルギー軍エバン・エマール要塞攻略戦である。これ以前のノルウェー戦でも降下猟兵が投入されてはいたが、パラシュート降下と輸送機による兵員輸送によっていた。グライダーによる降下猟兵の投入を控えていたのは、フランス侵攻に当たって特に要害となっていたエバン・エマール要塞の堅塁を攻略するためであり、それまでグライダー部隊は、秘匿されていたのである。

ドイツ空軍DFS 230兵員輸送用グライダー7機に分乗したコマンド部隊は、空挺降下奇襲作戦によって、大きな損害を被ることなくエバン・エマール要塞を占領することに成功した。

写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)ドイツ空軍DFS 230 C-1兵員輸送用グライダー(滑空機):地上でグライダーを運搬したのは,Hanomag SS 55トレーラー(後方)。グライダーの尾部に車輪を装着して、グライダー機体前部に元から装着されている車輪を使って引っ張った。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-566-1491-37
Archive title: Süditalien.- Hanomag SS 55als Zugfahrzeug für Lastensegler DFS 230 (Kennung S1+B1-B3); PK Fs AOK
Dating: 1943 Photographer: Stocker, Dr. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-566-1491-37引用(他引用不許可)。


DFS230 ドイツ軍による最大にして最後の大規模空挺作戦は、1942年5月20日に始まったギリシャ、クレタ島攻略「メルクール作戦」である。イギリス軍が守備するクレタ島にユンカースJu52輸送機で運ばれてパラシュート(落下傘)降下したり、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダーによる降下をしたりした降下猟兵(空挺部隊)は、防衛体制の整った守備隊の迎撃を受けて、大きな損害を被った。飛行場にユンカースJu52輸送機で乗り付けた降下猟兵も多数いた。

しかし、イギリス空軍の迎撃やクレタ島イギリス軍守備隊の対空砲火によって、輸送機ごと撃墜されるドイツ空軍降下猟兵も少なくなかった。ドイツ軍降下猟兵(空挺部隊)は2万名が参加したが、戦死は3,000人以上、航空機搭乗員の戦死300人以上で、その精鋭の損失は、新兵の補充では補うことはできなかった。また、ドイツ軍は、飛行場への輸送機による強行着陸も実施したが、その際、多数の輸送機が大きく損傷し、甚大な損害を被っていた。

1942年5月20日の地中海、クレタ島攻略「メルクール作戦」で、ドイツの精鋭部隊だった降下猟兵に大きな損害を被ったことで、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングは、自分の軍隊が損なわれることを危惧して、マルタ島攻略のための大規模空挺作戦を取り止めた。第二次大戦中、ドイツ降下猟兵は二度と大規模な空挺作戦を実施するとがなく、歩兵として、戦闘に投入された。

1936年8月初飛行のドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機の原型となったのは、ヘンシェルHs-122高翼機である。つまり、ヘンシェルHs-122Aをパラソル翼、片持ち式主脚(降着装置)、操縦席の風防を備えた発展型が、ヘンシェルHs 126である。

ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126は、視界良好な短距離偵察機で、地上部隊と密接に協力する日本陸軍で言う「直協」である。視界をよくするために、高翼式主翼とし、未整地での離着陸が容易なように、固定式降着装置という堅実な設計とした。装備して発動機は、試作1号機は、ユモJumo 210 D液冷V型12気筒エンジンで、1936年8月に初飛行した。

その後、ヘンシェル(Henschel)Hs 126V2試作2号機、Hs 126V3試作3号機は発動機を換装して、より出力の大きいブラモ(Bramo)323ファニール(Fafnir)空冷星型9気筒エンジンに変換している。 発動機の出力強化、武装強化をしたヘンシェル(Henschel)Hs 126V3試作3号機は、1937年からハインケルHe-46の後継偵察機として部隊配備が始められた。

写真(右)1943年,イタリア戦線、シチリア島、DFS 230グライダー曳航の準備をするドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 近距離偵察機:パラソル翼のヘンシェルHS-126は、偵察機だが、大戦後半は、低性能のために偵察任務を避けて、後方での訓練やドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー曳航に使用された。Fw-189双発偵察機が地上部隊と協力しての偵察に当たるようになった。
Italien, Sizilien.- Mechaniker befestigt Schleppseil eines Lastenseglers DFS 230 am Heck einer Henschel Hs 126 auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Depicted place Sizilien
Date 1943 Photographer Schnitzer Institution German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-565-1425-37A
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・File:Bundesarchiv Bild 101I-565-1425-37A, Italien, Hs 126, Anhängen des Schleppseils.jpg引用


ヘンシェル ヘンシェル (Henschel) Hs-126 近距離偵察機諸元
全長: 10.85 m
全幅: 14.50 m
全高: 3.75m
全備重量: 3,275 kg
エンジン: B.M.W. ブラモ 323A-1 空冷9気筒 850 hp
最大速度: 356 km/h
航続距離: 720 km
武装 7.92ミリ機関銃2丁
爆弾搭載量 100 kg
乗員: 2名

1939年9月、第二次世界大戦がドイツのポーランド侵攻によって開始されたが、その時にドイツ空軍の近距離偵察機として実戦参加した。しかし、初の実戦参加は、1936年から1939年まで続いたスペイン内乱(スペイン市民戦争)で、ドイツ軍は、反乱軍・国民戦線を支援するために「コンドル軍団」を派兵した。その偵察機として、ヘンシェル(Henschel)Hs 126が投入されている。

写真(右)1943年,南イタリア戦線、飛行場のドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 距離偵察機:パラソル翼のHs-126は、偵察機だが、大戦後半は、低性能のために偵察任務を避けて、後方での訓練やグライダー輸送に使用された。Fw-189双発偵察機が地上部隊と協力しての偵察に当たるようになった。
Süditalien.- Mechaniker an Henschel Hs 126 (Kennung +RW; Prüfung des Hecksporns für Schleppseile?) auf Flugplatz; PK Fs AOK Depicted place Süditalien Date 1943 Photographer Stocker, Dr. Institution German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-566-1492-17A
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-566-1492-17A引用


1942年、エジプト国境、エル・アラメインの戦いで敗退したドイツ・イタリア枢軸軍は、アメリカ・イギリス連合軍による1942年11月8日のトーチ作戦によって、モロッコ、アルジェリア上陸によって背後を襲われた。また、1943年1月23日、イギリス軍バーナード・モントゴメリー大将隷下の第8軍は、枢軸軍の拠点トリポリを攻略、枢軸軍はリビアを抜けて、補給しやすいチュニジアに撤退した。しかし、イギリス軍はチュニジアに最も近いマルタ島の空軍基地を使って、イタリアからチュニジアへの補給を絶った。そして、チュニジアの枢軸軍を孤立化させた。

1943年5月、北アフリカのドイツ軍・イタリア軍は、「トーチ作戦」でモロッコ・アルジェリアに上陸したアメリカ軍とエジプト・リビアを進撃してくるイギリス軍によって挟撃され、枢軸軍は西側連合軍に降伏した。そして、1943年7月10日、西側連合軍が「ハスキー作戦」でイタリア本土シチリア島に上陸すると、イタリア軍の士気は決定的に低下し、イタリア統領(ドゥーチェ)ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)への支持も低下し、連合国との講和を望む声が高くなった。

1943年7月25日、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によってベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は首相を解任され、その直後に逮捕された。そして、アペニン山脈山中のホテルに幽閉された。 イタリアのファシスト党独裁者ムッソリーニも命運は尽きたと、多くの人々は考えた。新イタリア首相は、元イタリア陸軍参謀総長ピエトロ・バドリオPietro Badoglio:1871-1956)元帥が任命された。

⇒写真集Album:イタリア統領(Duce)ムッソリーニ(Mussolini)を見る。


2.グラン・サッソ(Gran Sasso)への空挺部隊(降下猟兵)派遣

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)が拘禁された山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore ):このホテルに飛来したドイツ空挺部隊のDFS 230 C-1グライダーは、短距離着陸が可能なように機首にブレーキ用の逆噴射ロケットを装備していた。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Hotel Campo Imperatore; Fs AOK
Title Gran Sasso, Alte Seilbahn-Bergstation
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503B-06
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-06, Gran Sasso, Hotel Campo Imperatore.jpg引用。


ピエトロ・バドリオPietro Badoglio)元帥は、1928年から1933年まで、イタリア領北アフリカ植民地のリビア総督に就任した。イタリアは、19世紀末の復讐戦として開戦した第二次エチオピア戦争では、1936年5月5日に首都アディスアベバ攻略で勝利することができた。バドリオは、その時、イタリア領東アフリカ(エチオピア)皇帝を継いだ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世から東アフリカ帝国の副王、アディスアベバ公爵位を賜っている。首相ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)が1943年7月25日、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世に罷免され、後任には信頼するピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)が首相に任命された。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)が拘禁された山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )の脇に着地したドイツ空挺部隊のドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー:ここに飛来したドイツ空挺部隊のDFS 230 C-1グライダーは、短距離着陸が可能なように機首にブレーキ用の逆噴射ロケットを装備していた。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini; gelandeter Lastensegler DFS 230 C-1 neben Hotel Campo Imperatore; PK Fs AOK
Title Gran Sasso, Lastensegler neben Hotel
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920-2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503B-05
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-05, Gran Sasso, Lastensegler neben Hotel.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)が拘禁された山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )とその近くに強行着陸したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー:短距離着陸が可能なように機首にブレーキ用の逆噴射ロケットを装備。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- gelandete Lastensegler DFS 230 C-1. Im Hintergrund Hotel Campo Imperatore; Fs AOK
Title Gran Sasso, Lastensegler, Hotel Campo Imperatore
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503B-23
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-23, Gran Sasso, Lastensegler, Hotel Campo Imperatore.jpg引用。


ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーは、曳航され離陸滑走中には、胴体下面のゴム車輪を使用するが、離陸した直後に、重量軽減のために車輪を切り離なし投棄する。目的地に着陸する時には、グライダー胴体下面に固定した木製橇を使用する。そして、短距離で着陸、停止するために、接地した後に、胴体前部に装備した逆噴射ロケット3本を点火し、ブレーキとする。DFS 230グライダーは、1939年から1944年11月までに、総計1603機が生産された。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)上空、ドイツ空軍フィーゼラーFi156連絡機から見たベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)が拘禁された山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore ):手前には、Fi156連絡機の大型ガラス風防の窓枠が写っている。ドイツ空挺部隊のDFS 230 C-1グライダーがこの周囲の草地に着陸したが、平坦ではなく起伏がある上に、岩がところどころ露出している。さらに、天候や風速、気流を考慮すれば、決して安全なグライダー降下ができる場所ではなかったであろう。ただし、樹木がないので、谷間に降下できれば、グライダー機種に装備した逆噴射ロケットも使い短距離着陸が可能なようにみえる。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini; Blick aus fliegendem Lastensegler DFS 230 C-1 auf das Hotel Campo Imperatore
Title Gran Sasso, Anflug mit Lastensegler Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild (Bild 183)
PK XI. Fliegerkorps, Film-Nr.1502/11 Bildberichter: v. Kayser, Text: Dahm Datum 12.9.43, Bildbericht 353/43 mit 10 Aufnahmen. Bild 3 Das Geheimnis um die Duce-Befreiung gelöst Fallschirmjäger landeten mit Lastenseglern in der Bergwildnis des Gran Sasso. ... ist das Gefängnis des Duce, ein Berghaus knapp unter dem Gipfel des Gran Sasso erreicht. Die Männer in den Seglern packen Waffen und Gerät fester. Der Flugzeugführer stösst hinab zu einer kühnen Landung auf gefährlichstem Gebirgsgelände.
Zentralbild, II. Weltkrieg 1939-4 Zur Mussolini-Befreiung am 12.9.1943 durch den SS-Sturmbannführer Otto Skorzeny aus dem Berghotel auf dem Gran Sasso in den Abruzzen. Nach seinem Sturz am 25.6.1943 wurde Mussolini durch Badoglio-Truppen auf dem Gran Sasso gefangengehalten. Skorzeny befreite ihn im Handstreich mit deutschen Fallschirmjägern, SS-Männern und Sicherheitsdienst.
UBz: einen Blick aus dem Lastensegler, mit dem die Fallschirmjäger anfliegen, auf das Berghaus knapp unter dem Gipfel des Gran Sasso.
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 183-H27777, Gran Sasso, Anflug mit Lastensegler.jpg引用。


写真(右)2008年9月25日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)が拘禁されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore ):1943年時点では、山荘ホテルまで自動車で上ることはできず、ケーブルカー(ロープ―ウェイ)があるだけだった。ドイツ空挺部隊のドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーがこの周囲の草地に着陸したが、平坦ではなく起伏がある上に、岩がところどころ露出している。さらに、天候や風速、気流を考慮すれば、決して安全なグライダー降下ができる場所ではなかったであろう。21世紀の山荘ホテルの近くには、観光客用なのか望遠鏡を備えた天文台が設置されている。
Campo Imperatore Date Summer 2008 Source selbst fotografiert SP-550 UZ Author Ra Boe Permission (Reusing this file) --Ra Boe (talk) 22:35, 25 September 2008 (UTC) Bild 101I-567-1503B-06
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Campo Imperatore 04(RaBoe).jpg引用。


1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)で、ドイツ空挺部隊のドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーが、谷間の草地に着陸した。谷間は、平坦ではなく起伏がある上に、岩がところどころ露出している。さらに、標高2000メートルあるので天候の急変、強風、気流を乱れも心配である。グランサッソの山腹は、安全にグライダー降下ができる場所とも思えないが、ムッソリーニ救出という目的のためには、リスクを負って決行するのが当然だった。

しかし、グランサッソ山腹は、樹木がないので、谷間に降下して、草地に設置しグライダーの機首に装備した逆噴射ロケットも噴射すれば、短距離着陸が可能なようにみえる。実際、12機のグライダーのうち、少なくとも3機は、山荘ホテルの隣に上手に着陸することができた。

写真(右)2011年10月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)上空、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)が拘禁された山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)[右下に見える]:ドイツ空挺部隊のDFS 230 C-1グライダーがこの周囲の草地に着陸したが、平坦ではなく起伏がある上に、岩がところどころ露出している。さらに、天候や風速、気流を考慮すれば、決して安全なグライダー降下ができる場所ではなかったであろう。ただし、樹木がないので、谷間に降下できれば、グライダー機種に装備した逆噴射ロケットも使い短距離着陸が可能なようにみえる。
Deutsch: Campo Imperatore 2011 Date 12 October 2011 Source Own work Author © Ra Boe / Wikipedia .
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Campo Imperatore 2011-by-RaBoe-61.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー:離陸滑走用の車輪は、離陸直後に切り離され、投下される。着陸するには、胴体下面に固定した木製橇を使用する。 短距離着陸が可能なように機首にブレーキ用の逆噴射ロケットを装備。グライダーの操縦席直後上方には、地上銃撃用の7.92ミリMG15旋回機関銃1丁を装備している。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- gelandeter Lastensegler DFS 230 C1; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-01
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-01, Gran Sasso, gelandeter Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸した迷彩塗装を施したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー(登録コード:LC+1-28):短距離着陸が可能なように機首に逆噴射ロケットを装備。グライダーの操縦席直後上方に備えていた地上銃撃用の7.92ミリMG 34旋回機関銃1丁は、外されている。離陸滑走用の車輪は、離陸直後に切り離され、投下される。着陸するには、胴体下面に固定した木製橇を使用する。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini; gelandeter Lastensegler DFS 230 C1 (Kennung LC+1-28); PK Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503B-16
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-16, Gran Sasso, gelandeter Lastensegler.jpg引用。


ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーの諸元
乗員: 2人
搭載人員: 10人
全長: 11.3m (37ft)
全高: 2.8m (9ft4in)
翼幅: 21.1m(69ft1in)
主翼面積: 38.1m2 (410ft2)
最大離昇陸重量: 2100kg (4630lb)
性能
曳航最高速力: 161km/h
翼面荷重: 53.5kg/m2

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー(登録コード:LC+1-28); :離陸滑走用の車輪は、離陸直後に切り離され、投下される。着陸するには、胴体下面に固定した木製橇を使用する。 短距離着陸が可能なように機首にブレーキ用の逆噴射ロケットを装備。グライダーの操縦席直後上方には、地上銃撃用の7.92ミリMG15旋回機関銃1丁を装備している。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Mussolini; gelandeter Lastensegler DFS 230 C1 (Kennung LC+1-28); Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920ー2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503B-13
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-13, Gran Sasso, gelandeter Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )近くに強行着陸したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー (登録コード:LC+1-28);
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini; gelandeter Lastensegler DFS 230 C1 (Kennung LC+1-28); PK Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503B-14
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-14, Gran Sasso, gelandeter Lastensegler.jpg引用。


グライダーDFS 230は、全長 11.3m、全高 2.8m、全幅 21.1mで、主翼面積 38.1m2、最大離昇重量 2100kg、操縦者2人、空挺部隊兵士 10人を乗せることができた。DFS 230 C-1は、後期量産型で機首に逆噴射ロケット3本を装備して、短距離での着陸を可能にした。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)にベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために降下したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーと周囲のドイツ軍空挺部隊の兵士たち:7名の兵士が確認できるが、迷彩服を着たドイツ空軍降下猟兵たちのようだ。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini; gelandeter Lastensegler DFS 230 C1; PK Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920ー2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503B-15
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-15, Gran Sasso, gelandeter Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出作戦にドイツ軍特殊空挺部隊が使用したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー(登録コード:LC+1-8):手前には、山荘ホテルの索の一部があり、その先にFG42自動小銃を所持したドイツ空軍降下猟兵が見える。イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任、逮捕されたムッソリーニを無事に解放した直後の撮影。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini durch deutsche Fallschirmjäger; gelandeter Lastensegler DFS 230 C-1; PK Fs AOK
Gran Sasso Date 12 September 1943
Bildbericht v. Kayser Italien, 12.9.43, 333/43 (Einzelbilder)
Gran Sasso, Fallschirmjäger vor Lastensegler
Current location Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild (Bild 183)
Accession number Bild 101I-567-1503B-01 Origin: Bundesarchiv Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-01, Gran Sasso, Fallschirmjäger vor Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸したドイツ軍特殊部隊(コマンド)の無線通信機を操作する迷彩軍服を着用したドイツ空軍降下猟兵たち:このほか、ドイツ陸軍山岳猟兵、SS武装親衛隊も特殊部隊に加わっていた。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini; zwei Fallschirmjäger mit Funkgerät (rechts Oberjäger Klaus Jacobi) vor gelandetem Lastensegler DFS 230 C1; PK Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger vor Lastensegler Info non-talk.svg
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920ー2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503B-03
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-03, Gran Sasso, Fallschirmjäger vor Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)[右奥の建物]から救出された黒コートのベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)とドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで飛来して救出作戦に参加したイタリア軍将校フェルナンド・ソレティ(Fernando Soleti)[ムッソリーニ後方の髭]、武装SS親衛隊,ドイツ空軍降下猟兵たち:山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」では、警備のイタリア兵との銃撃戦はなかった。イタリア軍将軍が救出作戦に同行し、イタリア軍警備兵を制したためである。
Gran Sasso, Mussolini vor Hotel
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini verlässt das Hotel Campo Imperatore. rechts neben ihm General Ferdinando Soleti, General Gueri, Karl Radl (mit Koffer). deutsche Fallschirmjäger und Waffen-SS-Soldaten; Fs AOK
Der Duce, geleitet von seinen Befreiern, verlässt sein Gefängnis. Achtung! PK-Aufnahme! Bei Abdruck nennen: PK-Aufnahme, Kriegsberichter von Kayser (Sch)
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 183-J15420 Origin: Bundesarchiv
Photographer Toni Schneiders (1920-2006)
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 183-J15420, Gran Sasso, Mussolini vor Hotel.jpg引用。


1943年7月25日、ファシスト大評議会での解任決議後、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世から首相を罷免されたベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は、逮捕された。そして、ドイツ軍の介入を避けるためにティレニア海の島々に密かに拘束されたが、最終的にはイタリア中部のアペニン山脈グラン・サッソの山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)に拘禁された。ヒトラーは、盟友ムッソリーニを逮捕されたままにしておくことを許さず、直ちに彼を救出することを命令したが、ムッソリーニの拘禁場所が不明だった。しかし、諜報活動により、グラン・サッソにムッソリーニが移送されたこが判明した。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)[右奥の建物]から救出された黒コートのベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)とドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで飛来して救出作戦に参加したドイツ軍空挺部隊の兵士たち:山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」では、警備のイタリア兵との銃撃戦はなかった。イタリア軍将軍が救出作戦に同行し、イタリア軍警備兵を制したためである。
Gran Sasso, Mussolini
Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 183-J22931 Origin: Bundesarchiv
Photographer Kayser, Bruno v. (1920-2006)
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 183-J22931, Gran Sasso, Mussolini.jpg引用。


1943年9月13日、幽閉されたムッソリーニ救出作戦「柏(オーク)」が発動された。グラン・サッソで、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)を拘束していたのは、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 (Vittorio Emanuele III di Savoia)に忠実であるとされたイタリア警察、カラビニエリ(国家憲兵)の兵士たち200名だった。しかし、イタリアが、連合国と休戦してしまった状況で、同盟軍だったドイツ軍との関係も不確実であり、ムッソリーニの扱いに確固たる命令がなく、不安な状況にあったのも事実である。

このような状況で、ドイツ軍空挺部隊によるベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)救出「オーク作戦」が発動され、ドイツ軍空挺部隊がグライダーでグランサッソに飛来した。ドイツ軍空挺部隊は、ドイツ空軍降下猟兵部隊が、ハラルト・モルス空軍少佐が指揮し、ドイツ陸軍山岳猟兵、武装SS親衛隊も空挺部隊に参加して、100名がグライダーで、グラン・サッソに降下した。ドイツ軍空挺部隊には、イタリア軍のフェルナンド・ソレツィ将軍も参加しており、警備していたイタリア軍兵士や警察に、イタリア語で投降を命令したため、イタリア軍警護部隊は、救出に飛来したドイツ軍空挺部隊に発砲したり抵抗したりすることなく、武装解除された。ムッソリーニは、無血解放された。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸したドイツ空軍降下猟兵、2.8センチsPzB41ゲルリッヒ軽対戦車砲とFG42自動小銃を装備している。:2.8センチsPzB41ゲルリッヒ軽対戦車砲は砲身長 171センチ、重量118キロ、タングステン芯徹甲弾で、口径は28ミリだが砲口発射時には20ミリ、初速1402m/秒。口径は小さくとも貫通力は大きい。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Fallschirmjäger mit leichtem Geschütz; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger mit Geschütz
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920ー2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-01
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-10, Gran Sasso, Fallschirmjäger mit Geschütz.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸したドイツ空軍降下猟兵、2.8センチsPzB41ゲルリッヒ軽対戦車砲とFG42自動小銃を装備している。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Fallschirmjäger mit leichtem Geschütz; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger mit Geschütz
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920-2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-01
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-09, Gran Sasso, Fallschirmjäger mit Geschütz.jpg引用。


ドイツ陸軍の2.8センチsPzB41ゲルリッヒ軽対戦車砲は砲身長 171センチ、重量118キロ、タングステン芯徹甲弾で、口径は28ミリだが砲口発射時には20ミリ、初速1402m/秒。口径は小さくとも貫通力は大きい。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)に飛来したラインメタルFG42自動小銃を装備したドイツ空軍降下猟兵たちが迷彩ジャケットを脱いでいる。:ラインメタルラインメタルFG42自動小銃は、クレタ島攻略空挺作戦の失敗・戦訓を踏まえ1942年に開発された空挺部隊の降下猟兵(Fallschirmjäger)用自動小銃である。小銃弾と同じ7.92x57mmモーゼル弾を使用し、全自動連側射撃と1発ずつの単発射撃を切り替える装置がついている。ただし、10発あるいは20発入り箱型弾倉なので、連射すれば数秒で打ち尽くしてしまう。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Gruppe von Fallschirmjägern nach dem Einsatz; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjägern nach Einsatz
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920ー2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503B-11
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-11, Gran Sasso, Fallschirmjägern nach Einsatz.jpg引用。


1940年5月、ドイツ空軍降下猟兵は、オランダやベルギーに対する西方戦役における空挺作戦で、軽装備の突撃をした。主要火器は、Kar98K騎兵小銃で歩兵と同じだった。そこで、火力不足を補うために、自動小銃の採用が検討された。陸軍兵器局は、連続発射に有利な新型の矮小弾(7.92mm×33)に対して、補給・生産の煩雑さを憂慮した。後に矮小弾を使用する突撃銃(StG44)が開発されたが、普及したのは1944年の後半からだった。ドイツ空軍は、独自の矮小弾(7.92mm×33)の採用は不可能だったため、既存のモーゼル小銃弾を利用する自動小銃をラインメタルに要求した。

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のため、ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで飛来したドイツ軍特殊部隊の隊員(ドイツ空軍降下猟兵):迷彩服を着用し、FG42自動小銃を装備しているので、その10発/20発入り弾倉を入れている。片側8個の弾倉を収納しているが、連射すれば、30秒と持たない持たない。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Fallschirmjäger nach dem Einsatz; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger nach Einsatz
Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503B-22
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-22, Gran Sasso, Fallschirmjäger nach Einsatz.jpg引用。


ドイツ空軍が採用したラインメタルFG42自動小銃(Fallschirmjägergewehr 42:降下兵小銃42年型)は、クレタ島攻略空挺作戦の失敗・戦訓を踏まえ1942年に開発された空挺部隊の降下猟兵(Fallschirmjäger)用自動小銃である。小銃弾と同じ7.92x57mmモーゼル弾を使用し、全自動連射と1発ずつの単発射撃を切り替える装置がついている。ただし、10発あるいは20発入り箱型弾倉なので、連射すれば数秒で打ち尽くしてしまう。

FG42自動小銃の機構は複雑で、製造経費も高価だったため、量産数は6000挺程度でしかなく、装備したのは降下猟の一部だった。しかし、突撃銃MP44よりも1年以上早く実戦部隊に配備され、1943年9月のグラン・サッソのベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)救出作戦にも使用された。東部戦線においても、ドイツ空軍降下猟兵が投入されたが、もはや空挺作戦は実施されることはなく、歩兵部隊として使用された。

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のため、ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで飛来したドイツ軍特殊部隊の隊員(ドイツ空軍降下猟兵):武装SS親衛隊は、迷彩塗装をした軍服・ケープ・ヘルメットカバーを世界でいち早く導入した。日本陸軍も、1945年4月の沖縄のアメリカ軍飛行場への義烈特攻隊のコマンド部隊兵士が臨時の迷彩服を着用している。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini; deutscher Fallschirmjäger mit Fallschirmjägergewehr 42 (FJG 42) vor Lastensegler DFS 230 C-1; PK Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger vor Lastensegler Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503A-01
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503A-01, Gran Sasso, Fallschirmjäger vor Lastensegler.jpg引用。


ラインメタルFG42自動小銃の諸元
口径 7.92mm
使用弾薬 7.92x57mmモーゼル弾
装弾数 10発/20発(箱型弾倉)
作動方式 ガス圧
全長 937mm(I) 1060mm(II)
重量 4500g(I型金属製銃床) 4900g(II型木製銃床)
発射速度 900発/分(I型金属製銃床) 600発/分(II木製銃床) 銃口初速 761m/秒
有効射程 550m

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで強行着陸し、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)に拘束されていたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出したドイツ軍コマンド部隊(特殊部隊):迷彩軍服を着用したドイツ空軍降下猟兵は、ジャケットにFG42自動小銃の弾倉入れがついている。
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
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Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Gruppe von Fallschirmjägern nach dem Einsatz; Fs AOK Title Gran Sasso, Fallschirmjägern nach Einsatz
Date 12 September 1943
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-07, Gran Sasso, Fallschirmjägern nach Einsatz.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸したドイツ軍コマンド部隊(特殊部隊)に所属した迷彩軍服を着用したドイツ空軍降下猟兵:このほか、ドイツ陸軍山岳猟兵、SS武装親衛隊も特殊部隊に加わっていた。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Gruppe von Fallschirmjägern nach dem Einsatz; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjägern nach Einsatz
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503B-08
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-08, Gran Sasso, Fallschirmjägern nach Einsatz.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のため、ドイツ空軍グライダーDFS 230 C1兵員輸送用グライダーを操縦し、着地に成功させたドイツ空軍降下猟兵の兵士:武装SS親衛隊は、迷彩塗装をした軍服・ケープ・ヘルメットカバーを世界でいち早く導入した。
Gran Sasso, Befreiung von Benito Mussolini. Pilot eines Lastenseglers; Fs AOK
Title Gran Sasso, Deutscher Lastenseglerpilot
Depicted place Gran Sasso Date 12 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503-11
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503-11, Gran Sasso, Deutscher Lastenseglerpilot.jpg引用。


ドイツ空軍降下猟兵、陸軍山岳猟兵、SS武装親衛隊からなっている特殊部隊(コマンド)が、1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈のグランサッソにドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug ;DFS)DFS 230 C-1グライダーで降下して、幽閉されていたベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)を救出した。

この強襲用兵員輸送グライダーDFS 230は、操縦は1人で可能で、全長 11.3m、全高 2.8m、全幅 21.1mで、主翼面積 38.1m2、最大離昇重量 2100kg、空挺部隊兵士 10人を乗せることができた。DFS 230 C-1は、後期量産型で機首に逆噴射ロケット3本を装備したので、短距離での着陸が可能となった。グランサッソのような山岳地にグライダーを無傷で着地させるのは困難だが、逆噴射ロケットを装備したことで、着陸失敗のリスクを減少させることができた。それでも、グランサッソに着陸したグライダー12機のうち、3基は損傷し、乗員には負傷者が出た。

グライダーDFS230 ドイツ空軍降下猟兵は、ダーク・グリーンの迷彩服を着て、ジャッケットには、弾倉や小物を収納する蓋付きポケットが並んでいるが、パラッシュ―トの索(ロープ)が絡まないように、突起が出ないように細工されている。

空挺降下用スモックは、最初は、パラシュート降下用の軍服だったが、各国の空挺部隊でも採用している。このような空挺部隊は、ソ連軍が大規模に準備していたが、実戦投入はあまりなされないままに終わってしまった。また、空挺部隊用の降下用スモックを大々的に制式したのは、ドイツ空軍が最初だったようだ。

第二次大戦後半には、ドイツ空軍降下猟兵が空挺作戦に投入されることはほとんどなくなり、ドイツ空軍降下猟兵は、地上戦に投入されることになった。空兵作戦は、ドイツ軍ではなく、西側連合軍が大規模に採用するようになったのである。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸したドイツ軍コマンド部隊(特殊部隊)のドイツ軍SS武装親衛隊(?):腰には、左右にMP38/40短機関銃の弾倉ケースを装着している。ヘルメットの色から見て、オリジン写真解説とは異なり、DFS 230 C-1グライダー降下時に着用していた迷彩ジャケットを脱ぎ捨てた降下猟兵ではないようだ。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Gruppe Fallschirmjäger nach dem Einsatz; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger nach Einsatz
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503B-04
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-04, Gran Sasso, Fallschirmjäger nach Einsatz.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )からに出てきたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と救出作戦を現地で指揮したドイツ空軍降下猟兵大隊長ハラルト=オットー・モルス(Harald-Otto Mors)少佐[ムッソリーニの左手、小柄]、周囲のドイツ空軍降下猟兵たち:1943年7月25日、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任され、その直後に逮捕された。そして、アペニン山脈山中のホテルに幽閉された。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini vor Hotel Campo Imperatore mit deutschen Fallschirmjägern und Lastenseglerpilot. links neben Mussolini Major Harald-Otto Mors; Fs AOK
Title Gran Sasso, Mussolini vor Hotel
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-14 Origin: Bundesarchiv
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-14, Gran Sasso, Mussolini vor Hotel.jpg引用。


1943年1月末、エルヴィン・ロンメル隷下のドイツ軍は、アルニムと共闘し、連合国軍に対する攻勢を企画し、2月中旬、カセリーヌ峠の戦いで防衛戦を構築した。3月中旬、チュニジア戦線の戦況報告のためにヒトラーの元に出向いたロンメルは、アフリカに戻ることを許されず、チュニジア戦線の指揮はアルニムに委ねられた。連合国軍はチュニジア北部の港湾チュニスに向けて攻撃を強め、マルタ島のイギリス空軍によって、枢軸国軍の補給を絶ち切った。

 1943年5月7日、アメリカ軍がビゼルト、イギリス軍がチュニスに突入したことで、チュニジア戦線の枢軸軍は、5月13日には全面的に降伏した。北アフリカ戦線で降伏して捕虜となった枢軸国軍は 27万人と膨大であり、これは3ヶ月前にソ連スターリングラードの敗戦時の2倍以上の規模だった。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )からに出てきたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と武装SS親衛隊オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)SS少佐(ムッソリーニ左手・高身長)、救出作戦を現地で指揮したドイツ空軍降下猟兵大隊長ハラルト=オットー・モルス(Harald-Otto Mors)少佐[スコルツェニーの左手、小柄]、周囲のドイツ空軍降下猟兵たち:山荘ホテル厳寒での記念撮影。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini vor Hotel Campo Imperatore mit deutschen Fallschirmjägern und italienischen Soldaten. links neben Mussolini Otto Skorzeny (helle Uniform, Fernglas) und Major Harald-Otto Mors. Rechts Karl Radl (mit Stahlhelm); Fs AOK
Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien Skorzeny, Otto: SS-Hauptsturmführer, Ritterkreuz (RK), Waffen-SS, Deutschland (GND 118614886) Mors, Harald: Major, Luftwaffe, Fallschirmspringer, Deutschland Title Gran Sasso, Mussolini vor Hotel
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-15 Origin: Bundesarchiv
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-15, Gran Sasso, Mussolini vor Hotel.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore前、黒コートのベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と武装SS親衛隊オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)SS少佐(左・高身長)、ドイツ陸軍山岳兵、ドイツ空軍降下猟兵:イタリア指導者を囲んでの記念撮影にドイツ兵たちは喜んでいるが、ムッソリーニは将来の不安を予期して当惑顔だ。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini vor Hotel Campo Imperatore mit deutschen Fallschirmjägern und italienischen Soldaten. links neben Mussolini Otto Skorzeny (helle Uniform, Fernglas); Fs AOK
Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien Skorzeny, Otto: SS-Hauptsturmführer, Ritterkreuz (RK), Waffen-SS, Deutschland
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Bild 101I-567-1503C-17 Origin: Bundesarchiv
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-17, Gran Sasso, Mussolini vor Hotel.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)[右奥の建物]を後にする黒コートのベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と救出作戦に参加した武装親衛隊オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)SS少佐(左・高身長)、イタリア軍将校フェルナンド・ソレティ(Fernando Soleti)[ムッソリーニ左隣の髭]、ドイツ空軍降下猟兵たち
Gran Sasso, Mussolini mit deutschen Fallschirmjägern
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Otto Skorzeny, Benito Mussolini General Gueli mit deutschen Fallschirmjägern und SS-Leuten auf dem Weg zum Flugzeugrn
Depicted people Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503A-08 Origin: Bundesarchiv
Photographer Toni Schneiders (1920-2006)
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503A-07, Gran Sasso, Mussolini mit deutschen Fallschirmjägern.jpg引用。


1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グランサッソに、ユンカースJu87急降下爆撃機あるいはヘンシェルHS-126偵察機12機にグライダー12機が曳航されて、強行着陸した。目的は、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任され、秘かにグランサッソに拘束されていたベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)の救出である。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )近くに強行着陸したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー(登録コード:LC+1-8);
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini durch deutsche Fallschirmjäger; gelandete Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini durch deutsche Fallschirmjäger; gelandete Lastensegler DFS 230 C-1 (u.a. Kennung LC+1-8); PK Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503B-02
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-02, Gran Sasso, gelandeter Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )近くに強行着陸し主翼を破損したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーとドイツ空軍降下猟兵;:降下猟兵は、全長の短いモーゼル騎兵小銃を手にしているが、これはドイツ陸軍の歩兵の標準的な小銃だった。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini; deutscher Fallschirmjäger an beschädigtem Lastensegler DFS 230 C-1; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger, beschädigter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503B-20
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503B-20, Gran Sasso, Fallschirmjäger, beschädigter Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )近くにドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー[後方に主翼と尾翼が見える]で強行着陸したドイツ空挺特殊部隊;:降下猟兵は、二脚付き口径7.92ミリMG34軽機関を担いでいる。両脇の降下猟兵は、7.92x57mmモーゼル弾の弾帯を首から下げている。この弾丸は、モーゼル騎兵小銃ともFG42自動小銃とも全く同じもので汎用性があった。しかし、このような火器を使用することなく、イタリア軍は抵抗せず、ムッソリーニを無傷で解放した。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Fallschirmjäger u.a. mit geschultertem Maschinengewehr (MG) nach dem Einsatz; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger nach Einsatz
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-34
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-34, Gran Sasso, Fallschirmjäger nach Einsatz.jpg引用。


ドイツ軍の7.92x57mmモーゼル弾は、ドイツ軍が制式したモーゼル騎兵小銃、FG42自動小銃、MG34機関銃、MG42機関銃とも全く同じ弾丸で、軽火器の弾薬を口径7.92ミリ統一して汎用性を持たせていた。他方、イタリア軍、日本軍は小銃用にkっ雄式な6.5ミリ弾も使用し続け、ブリティシュ7.7ミリ弾、モーゼル7.92ミリ弾なども併用して使用しており、弾薬の生産も補給も煩雑化し、効率性を低下させてしまった。イタリア、日本では、統一した弾丸を一挙に普及させるだけの工業力もなく、文尾の統制についても総力戦準備ができていまいまま、第二次世界大戦に突入してしまったのである。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )近くに強行着陸したドイツ空軍DFS230グライダーと乗ってきたドイツ空軍降下猟兵たち:1943年7月25日、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任され、その直後に逮捕された。そして、アペニン山脈山中のホテルに幽閉された。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- gelandeter Lastensegler DFS 230 C-1 mit deutschen Fallschirmjägern; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-32
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-32, Gran Sasso, gelandeter Lastensegler.jpg引用。


イタリア国王サヴォイア家ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世も王室安泰のための講和を望み、元イタリア軍総司令官ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)元帥も1941年ギリシャ侵攻に失敗し、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)に解任されており、ムッソリーニを統領として相応しくないと感じていた。

そこで、ファシスト党も勝利の希望を持てなくなった状況で、1943年7月25日のファシスト大評議会を開催し、ムッソリーニの出席する中、クーデーター的に首相退任要求の決議を採択した。これを受けて、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 (Vittorio Emanuele III :1869-1947) は、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)を首相から解任し、その直後に警察によって逮捕させた。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーと降下したドイツ空軍降下猟兵たち:グライダーの操縦席直後上方には、地上銃撃用の7.92ミリMG 34機関銃1丁を装備している。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- gelandeter Lastensegler DFS 230 C-1 mit deutschen Fallschirmjägern; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-30
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-32, Gran Sasso, gelandeter Lastensegler.jpgjpg引用。


イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)の後継首相にイタリア軍総司令官ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)元帥を任命した。バドリオ政権は、ドイツの武力介入に名目を与えないように、引き続きドイツとともに戦うと表明しながらも、裏では西側連合国との降伏交渉を進めていた。バドリオは、上官だったムッソリーニを逮捕、拘束していたが、ドイツ軍による奪還を警戒していた。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出作戦にドイツ軍特殊空挺部隊が使用したドイツ空軍DFS 230 C-1(登録コード:LC+1-8):周囲には、ドイツ空軍降下猟兵を中核とした兵士が見える。イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任、逮捕されたムッソリーニを無事に解放した直後の撮影。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- gelandeter Lastensegler DFS 230 C-1 mit deutschen Fallschirmjägern; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Gran Sasso, Oberleutnant Berlepsch, Major Mors
Gran Sasso Date 12 September 1943
Bildbericht v. Kayser Italien, 12.9.43, 333/43 (Einzelbilder)
Der Duce kurz nach seiner Befreiung
Depicted people Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien
Current location Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild (Bild 183)
Accession number Bild 101I-567-1503C-31 Origin: Bundesarchiv Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-31, Gran Sasso, gelandeter Lastensegler.jpg引用。


そこで、イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)にある山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)にベニート・ムッソリーニを密かに隔離、幽閉して、イタリア軍に警備兵に監視させていた。グランサッソは、標高2000メートルで、山荘ホテルにアクセスするにはケーブルカー(ロープ―ウェー)を使用するしかなかったため、安全な隔離場所と考えられたのである。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出にドイツ軍特殊空挺部隊が使用した12機のドイツ空軍DFS 230 C-1のうち2機:手前には、ドイツ空軍降下猟兵が見える。ヘルメット(鉄帽)は、パラシュートの索が引っかからなないように縁がない降下猟兵専用のものである。逮捕されたムッソリーニを無事に解放した直後の撮影。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini; gelandeter Lastensegler DFS 230 C-1
Title Gran Sasso, Lastensegler DFS 230 C-1
Gran Sasso Date 12 September 1943
Bildbericht v. Kayser Italien, 12.9.43, 333/43 (Einzelbilder)
Der Duce kurz nach seiner Befreiung
Depicted people Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien
Current location Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild (Bild 183)
Accession number Bild 101I-567-1503C-31 Origin: Bundesarchiv Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503A-06, Gran Sasso, Lastensegler DFS 230 C-1.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出作戦を現地で指揮したドイツ空軍降下猟兵ハラルト=オットー・モルス(Harald-Otto Mors)少佐[左]と後ろに控える迷彩服を着用しヘルメットを被った降下猟兵:握手の相手は、武装SS親衛隊の将校であろうか。1943年7月25日、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任、逮捕されたムッソリーニを解放した。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Major Harald-Otto Mors (helle Uniform), Kommandeur des Fallschirmjäger-Lehr-Regiments schüttelt Georg Freiherr von Berlepsch, Führer der 1. Kompanie, die Hand; Fs AOK
Gran Sasso, Oberleutnant Berlepsch, Major Mors
Gran Sasso Date 12 September 1943
Bildbericht v. Kayser Italien, 12.9.43, 333/43 (Einzelbilder)
Der Duce kurz nach seiner Befreiung
Depicted people Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien
Current location Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild (Bild 183)
Accession number Bild 101I-567-1503A-1
Origin: Bundesarchiv Photographer Toni Schneiders
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503A-16, Gran Sasso, Oberleutnant Berlepsch, Major Mors.jpg 引用。


ムッソリーニ救出作戦(Unternehmen Eiche)で降下部隊の大隊長を務めたハラルト=オットー・モルスHarald-Otto Mors:1910-2001)は、作戦の主要兵力の指揮官(大隊長)であり、作戦の最大の功労者であった。階級は少佐で、武装SS親衛隊オットー・スコルツェニー少佐と同じだった。しかし、解放したムッソリーニを、作戦に随行していたにすぎない武装SS親衛隊オットー・スコルツェニー少佐に引き渡し、彼がフィーゼラーFi156連絡機に無理やりムッソリーニに同伴してグランサッソを飛び立ったたことで、救出作戦のお株をスコルツェニーに奪われた。しかし、作戦の功労者として、1943年9月26日、ドイツ黄金十字章(Deutsches Kreuz in Gold)を授与されている。


3.グラン・サッソからムッソリーニを脱出させたフィーゼラーFi-156連絡機

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)に幽閉されていたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出した時のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード: SJ+LL)
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Deutsche Fallschirmjäger beim Beobachten des Starts der Fiesler Fi 156 "Storch" mit Mussolini (im Hintergrund); PK Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger vor startendem Flugzeug
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503A-33 Origin: Bundesarchiv
写真は,Wikimedia Commons, Category:Fieseler Fi 156 Werknummer 1268 File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503A-33, Gran Sasso, Fallschirmjäger vor startendem Flugzeug.jpg引用。


アドルフ・ヒトラーは、イタリアとの軍事同盟を維持するにはベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)が必要であると考え、SS武装親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐に、ムッソリーニ救出を命じた。

DFS230 しかし、彼が山荘に幽閉されており、アクセスにケーブルカーを使用すれば、直ちにイタリア軍の反撃を受けて、ベニート・ムッソリーニBenito Amilcare Andrea Mussolini)も処刑されるリスクがあった。そこで、ドイツ降下猟兵を主体とするドイツ軍特殊部隊(コマンド)を派遣して、奇襲をかけて、ムッソリーニを無事救出する計画が立案された。

このムッソリーニ救出作戦に投入された航空機は、狭い未整地に離着陸可能なフィーゼラーFi156"シュトルヒ"Fieseler Fi 156 "Storch")と、降下猟兵を送り込むDFS230グライダー12機である。グライダーを曳航したのは、ヘンシェルHs-126ユンカースJu-87であろう。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)に幽閉されていた元イタリア首相ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出した時のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード: SJ+LL)
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-567-1503C-03
Archive title: Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini im startbereiten Flugzeug Fieseler Fi 156 "Storch" (Kennung SJ+LL); Fs AOK
Dating: 12. September 1943 Photographer: Schneiders, Toni Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-567-1503C-03引用(他引用不許可)。


1943年7月25日、イタリア首相ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任、逮捕された。そして、イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の山荘ホテル山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)に拘禁された。その幽閉中のベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)を救出するために、1943年9月12日,グランサッソ奇襲ムッソリーニ救出作戦が決行された。つまり、ドイツ空軍DFS 230 C-1でドイツ空軍降下猟兵たちがグランサッソに送り込まれ、脱出用に不整地に短距離で離着陸が可能なフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機が派遣されたのである。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)に幽閉されていた元イタリア首相ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出した時のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード: SJ+LL)
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini im startbereiten Flugzeug Fieseler Fi 156 "Storch" (Kennung SJ+LL); Fs AOK
Title Gran Sasso, Fieseler Fi 156 »Storch«
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-04 Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-04, Gran Sasso, Fieseler Fi 156 »Storch«.jpg引用。


アルマートM13 1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈標高2,000メートルの山中に位置するグラン・サッソ(Gran Sasso)にイタリア兵200名の監視下にベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)が幽閉されていた。

ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)を救出するために、ドイツ空軍ハラルト・モルス少佐を指揮官とする降下猟兵とSS武装親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐率いるSS武装親衛隊16人からなるコマンド部隊は、ユンカースJu87爆撃機あるいはヘンシェルHs126偵察機が曳航したと思われるドイツ空軍DFS 230 C-1グライダー12機に分乗し出撃した。これが、グランサッソ奇襲ムッソリーニ救出作戦である。

グランサッソ奇襲ムッソリーニ救出作戦には、イタリア軍の将軍も参加していた。これは、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)を監視しているイタリア将兵たちの武力抵抗をやめさせるためである。騎兵将校フェルナンド・ソレティ(Fernando Soleti:1891-1978) は、第一次世界大戦中のピエモンテ騎兵隊の将校として武功をあげ、ムッソリーニ政権でも活躍した。しかし、1943年に国王への忠誠を優先して、ムッソリーニに対するクーデターに協力した。しかし、その後、ドイツのSS親衛隊に逮捕された。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)に幽閉されていた元イタリア首相ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出した時のドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード: SJ+LL)
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Benito Mussolini im startbereiten Flugzeug Fieseler Fi 156 "Storch" (Kennung SJ+LL); Fs AOK
Title Gran Sasso, Fieseler Fi 156 »Storch«
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-05 Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-04, Gran Sasso, Fieseler Fi 156 »Storch«.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)から解放された黒コートのベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と救出作戦に参加したMG34機関銃を肩に背負ったドイツ空軍降下猟兵
Gran Sasso, Befreiung von Benito Mussolini. Mussolini, General Gueli und deutsche Fallschirmjäger; Fs AOK
Title Gran Sasso, Mussolini, Fallschirmjäger
Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien
Gran Sasso Date 12 September 1943
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503A-04 Origin: Bundesarchiv Photographer Kayser, Bruno v.
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503A-04, Gran Sasso, Mussolini, Fallschirmjäger.jpg引用。


グランサッソの首相ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)救出作戦は、武装SS親衛隊オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)少佐が指揮したかのように公表された写真が有名である。しかし、多数の写真を1枚ずつ見ると、スコルツェニー少佐の実戦で果たした役割は、大きくないように思われる。イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任され、その直後に逮捕されたムッソリーニを解放したのは、果敢にアペニン山脈グランサッソに降下したドイツ軍空挺部隊の将兵たちだった。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)に幽閉されていたムッソリーニ救出作戦に参加したイタリア軍フェルナンド・ソレティ(Fernando Soleti)将軍[左]、救出作戦を主導した救出作戦に参加したドイツ空軍降下猟兵ハラルト=オットー・モルス(Harald-Otto Mors)少佐[中央奥]と周囲のドイツ空軍降下猟兵:武装SS親衛隊オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)少佐は、解放されたムッソリーニとともにFi156連絡機で飛び立った後なので、アペニン山脈グランサッソには残っていない。
Italien, Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Deutsche Fallschirmjäger und italienische Soldaten, im Vordergrund General Ferdinando Soleti, Major Harald-Otto Mors (Mitte); Fs AOK
Gran Sasso, Skorzeny, Mussolini mit Fallschirmjägern
Gran Sasso, General Ferdinando Soleti, Major Mors Info non-talk.svg
Gran Sasso Date 12 September 1943
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-35 Origin: Bundesarchiv Photographer Toni Schneiders
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-35, Gran Sasso, General Soletti, Major Mors.jpg引用。


1943年9月のグランサッソに幽閉されたベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)救出作戦に際して、イタリア軍将校フェルナンド・ソレティ(Fernando Soleti)は、ドイツ軍に従って同行を命じられた。彼は、ドイツ空軍降下猟兵とともにグライダーに便乗し、ムッソリーニが閉じ込められていた山荘ホテルの近くに到着した時に、イタリア警備兵に発砲しないように命じ、武力抵抗の停止を促した。こうして、ムッソリーニ解放は無血のうちに成功したのである。ムッソリーニの解放後、フェルナンド・ソレティ(Fernando Soleti)も拘禁を説かれたが、連合軍のローマ占領迄、隠遁生活を送った。戦後、1956年に引退するまで軍務についている。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、幽閉されていた山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)から解放された黒コートのベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)と救出作戦に参加したイタリア軍フェルナンド・ソレティ(Fernando Soleti)将軍[ムッソリーニ正面]、イタリア軍グエリ(Gueri)将軍,MP38/40短機関銃を持ったドイツ空軍降下猟兵:奥の高身長のドイツ軍兵士は、SS武装親衛隊オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)少佐と思われる。1943年7月25日、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任され、その直後に逮捕された。そして、アペニン山脈山中のホテルに幽閉された。
Italien, Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- General Soletti, Benito Mussolini, General Gueri, Waffen-SS Soldat mit Maschinenpistole (MP) nach der Befreiung
Gran Sasso, Skorzeny, Mussolini mit Fallschirmjägern
Depicted people Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien Gran Sasso, Mussolini, Ferdinando Soleti, Gueri
Gran Sasso Date 12 September 1943
Bildbericht v. Kayser Italien, 12.9.43, 333/43 (Einzelbilder)
Der Duce kurz nach seiner Befreiung
Depicted people Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien
Current location Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild (Bild 183)
Accession number Bild 183-2006-1025-500 Origin: Bundesarchiv Photographer Kayser, Bruno v.
写真は,Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 183-2006-1025-500, Gran Sasso, Mussolini, Soletti, Gueri.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)から救出され、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機(登録コード: SJ+LL)に乗り込む元イタリア首相ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini):1943年7月25日、ファシスト大評議会で首相解任要求が採択され、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によって首相を解任され、その直後に逮捕された。救出されたムッソリーニは、諦めきった表情のように見えるが、これはドイツ・ヒトラーの傀儡となる運命に暗澹たる気分に落ち込んだためであろう。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini. Benito Mussolini im Flugzeug Fieseler Fi 156 »Storch«
Title Gran Sasso, Mussolini im Fieseler »Storch«
Gran Sasso Date 12 September 1943
Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 183-J22932 Origin: Bundesarchiv
Photographer Kayser, Bruno v.
写真は,Wikimedia Commons, Category:Fieseler Fi 156 Werknummer 1268 File:Bundesarchiv Bild 183-J22932, Gran Sasso, Mussolini im Fieseler »Storch«.jpg引用。


グラン・サッソ山荘王ホテル「カンポ・インペラトーレ」近くにDFS 230 C-1グライダーで降下したドイツ軍将兵は、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)が幽閉されていた山荘に奇襲をかけ、守備していたイタリア軍の抵抗をほとんど受けることなく、ムッソリーニを解放した。救出されたムッソリーニは、SS武装親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐とドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」連絡機(登録コード:SJ+LL)に同乗して、山腹から離陸した。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出、フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウノトリ)連絡機で帰還するのを見送るドイツ軍特殊部隊(コマンド)の降下猟兵とSS武装親衛隊:降下当初に着用していた迷彩ジャケットは、脱ぎ捨てた隊員もいる。右端に見えるのは、Fi156連絡機の主翼。特殊部隊にはドイツ陸軍山岳猟兵も加わっていた。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Fallschirmjäger und Soldaten der Waffen-SS beim Abflug von Mussolini; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger und Waffen-SS
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503C-36
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-36, Gran Sasso, Fallschirmjäger und Waffen-SS.jpg引用。


ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで降下した降下猟兵は、グランサッソを撤退する前に、敵の手にDFS 230グライダーを渡さないように、自ら焼却、破壊した。そして、山荘に通じるケーブルカー(ロープウェイ)を使って、下山した。

SS武装親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐は、無事ムッソリーニを救出した功績で、SS中佐に昇進しヒトラーから騎士十字章を授与された。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁されたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後に、強行着陸したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーに火がかけられた。:ドイツ空軍降下猟兵が1名、機首の前に立っている。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Zerstörung (Verbrennen) der gelandeten Lastensegler DFS 230 C-1; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-03
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-03, Gran Sasso, Zerstörung der Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁されたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後、火をかけられたドイツ空軍グライダーDFS 230 C-1の残骸:拳銃のホルスターを付けたドイツ軍山岳猟兵らしい兵士1名が見える。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Zerstörung (Verbrennen) der gelandeten Lastensegler DFS 230 C-1; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-06
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-10, Gran Sasso, Zerstörung der Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁されたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後、火をかけられたドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーの残骸
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Zerstörung (Verbrennen) der gelandeten Lastensegler DFS 230 C-1; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-04
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-04, Gran Sasso, Zerstörung der Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore)近くに強行着陸したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーは、救出が終了し、降下猟兵が撤退する時に、敵の手に渡さないように自ら焼却した。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Zerstörung (Verbrennen) der gelandeten Lastensegler DFS 230 C-1; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-06
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-06, Gran Sasso, Zerstörung der Lastensegler.jpg引用。


1943年7月25日に樹立されたピエトロ・バドリオを首班とする新イタリア政府は、1943年9月8日、連合国に無条件降伏した。イタリア脱落を予期していたドイツは、即座にローマ、北イタリアを占領し、9月12日には、SS武装親衛隊Otto Skorzeny)少佐とドイツ降下猟兵らが拘禁から解放した統領ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)を首班とするファシスト政権、俗にいうサロ傀儡政府を樹立した。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )近くに強行着陸したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーに乗っては、救出が終了し、降下猟兵が撤退する時に、敵の手に渡さないように自ら焼却した。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Zerstörung (Verbrennen) der gelandeten Lastensegler DFS 230 C-1; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-11
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-11, Gran Sasso, Zerstörung der Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )近くに強行着陸したドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーは、救出が終了し、降下猟兵が撤退する時に、敵の手に渡さないように自ら焼却した。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Zerstörung (Verbrennen) der gelandeten Lastensegler DFS 230 C-1; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920ー2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-08
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-08, Gran Sasso, Zerstörung der Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、拘禁中のベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出のために、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )近くにDFS 230 C-1グライダーに乗って強行着陸したドイツ空軍DFS230グライダーDFS 230 C-1は、救出が終了し、降下猟兵が撤退する時に、敵の手に渡さないように自ら焼却、破壊された。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Zerstörung (Verbrennen) der gelandeten Lastensegler DFS 230 C-1; Fs AOK
Title Gran Sasso, gelandeter Lastensegler
Deutsches Bundesarchiv Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-05
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-05, Gran Sasso, Zerstörung der Lastensegler.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の山上駅と山麓駅を結ぶケーブルブルカー(索道車:日本ではロープーウェー):この山頂駅近くにある山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」ムッソリーニ(Mussolini)救出後、ドイツ軍の降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊は、グランサッソから下山して、麓で一泊してから、陸路を自動車で撤収した。この時、グライダー降下に失敗して負傷した隊員も救出された。
Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Seilbahn Gran Sasso, Seilbahn
Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-567-1503-09
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503-09, Gran Sasso, Seilbahn.jpg引用。


グランサッッソ山頂は標高2,914 mで、その近くの山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」に首相を解任されたベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)が幽閉されていた。イタリア王国は、連合国に無条件降伏したが、ヒトラーは、ムッソリーニを救出してまだ確保しているイタリアの北半分にムッソsりーにを首班とするドイツ傀儡イタリア政権を樹立しようとした。そのために、ムッソリーニを救出する奇襲作戦を発動したのである。

 ベニート・ムッソリーニをグランサッソから救出したのは、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機1機だったが、ユンカースJu87急降下爆撃機あるいはヘンシェルHs126偵察機(12機)が曳航するDFS 230 C-1グライダー12機に便乗して、グランサッソに降り立ったドイツ軍特殊空挺部隊の隊員たちの大半は、山頂駅からケーブルカーで山麓駅に下山し、そこから自動車で撤収した。往路に使用したDFS230グライダー12機は、岩だらけの山腹に着陸し、破損した機体もあったために、再使用はできず、敵の手に渡らないように焼却処分された。

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の山上と山麓を結ぶケーブルブルカー(索道車:日本ではロープーウェー):ムッソリーニ(Mussolini)救出後、ドイツ軍の降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊は、グランサッソから下山して、麓で一泊してから、陸路を自動車で撤収した。この時、グライダー降下に失敗して負傷した隊員も救出された。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Blick ins Tal mit der Seilbahn; Fs AOK
Title Gran Sasso, Blick ins Tal, Seilbahn
Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503C-20
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-20, Gran Sasso, Blick ins Tal, Seilbahn.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の山上と山麓を結ぶケーブルブルカー(索道車:日本ではロープーウェー)のケーブル(索道)が張られた鉄塔:ムッソリーニ(Mussolini)救出後、ドイツ軍の降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊は、グランサッソから下山して、麓で一泊してから、陸路を自動車で撤収した。この時、グライダー降下に失敗して負傷した隊員も救出された。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Blick ins Tal mit der Seilbahn; Fs AOK
Title Gran Sasso, Blick ins Tal, Seilbahn
Date 12 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v. .
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503-15
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503-15, Gran Sasso, Blick ins Tal.jpg引用。


1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈、標高2000メートルのグラン・サッソ(Gran Sasso)にドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで降下したドイツ軍の降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊からなる特殊部隊(コマンド部隊)は、グラン・サッソに拘束されていたベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)を解放、救出することに成功した。そして、グランサッソ山上で、解放したムッソリーニを、フィーゼラーFi156連絡機に乗せて送り出した。その後、山上からケーブルカー(ロープ―ウェー)に乗って下界に降りた。1943年9月13日,ドイツ軍コマンド部隊(特殊部隊)は、負傷者も連れて、山麓から、トラック、サイドカーに乗って、撤収した。

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の山上と山麓を結ぶケーブルブルカー(索道車:日本ではロープーウェー)の山麓駅:山麓駅には、自動車道路が通っており、自動車輸送が可能だった。ムッソリーニ(Mussolini)救出後、山麓駅まで、ケーブルカーで下山したドイツ軍の空挺部隊(降下猟兵・山岳猟兵、武装SS親衛隊)は、陸路を自動車で撤収した。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Blick ins Tal mit der Seilbahn; Fs AOK
Title Gran Sasso, Blick ins Tal, Seilbahn
Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503C-26
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-26, Gran Sasso, Blick ins Tal, Seilbahn.jpg引用。


図(右)ドイツ空軍塗装のフィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-3シュトルヒ連絡機の三面図
Description English: Fieseler 156 c3 Storch
Date 1 June 2013, 13:57:52
Source Own work
Author Kaboldy
写真はCategory:Fieseler Fi 156 File:Fiesler 156 c3 Storch.svg引用。


フィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-3シュトルヒ連絡機の諸元
初飛行 1936年5月10日
就役 1937年
生産期間:1936-1945年3月末
ドイツ軍向け生産機数:2867機
1965年までフランス製MS 500が生産された。
乗員:1名
搭載人員:3名
全長 9.9m
全幅 14.3m
全高 3.1m
主翼面積 26平方メートル
空虚重量 860kg
総重量 1,260kg
最大離陸重量 1,330kg
発動機:アルグス As 10空冷倒立エンジン240HP(180kW)

フィーゼラー(Fieseler)Fi-156C-3シュトルヒ連絡機の性能
最高速力 175km/h
航続距離 380km
上昇限度 5,200m
上昇率 290m/分
翼面荷重 48.5kg/m2
兵装:7.92ミリMG 15旋回機関銃1丁

⇒写真集Album:フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡 を詳しく見る。


グラン・サッソ山麓からのムッソリーニ救出作戦


4.グラン・サッソ山麓から陸路撤退したドイツ軍空挺部隊

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後、陸路を撤収するため、トラックからサイドカーを下ろすSS武装親衛隊
Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Durch Bruchlandung verletzte deutsche Fallschirmjäger werden versorgt; rechts Dr. Otto Brunner; Fs AOK
Title Gran Sasso, verletzte Fallschirmjäger Info non-talk.svg Date 13 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-39
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-39, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


したがって、グランサッソに拘禁されていたベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)救出作戦に参加した100名のドイツ軍兵士は、陸路をドイツ支配圏まで撤収するしかなかった。そこで、ドイツ軍は、山腹からケーブルカーで下界に降りて、そこに用意されたトラック、サイドカーを使って撤収したのである。

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後、陸路を撤収するため、サイドカーを使用するドイツ軍特殊部隊の隊員(ドイツ空軍降下猟兵あるいはSS武装親衛隊):武装親衛隊は、迷彩塗装をした軍服・ケープ・ヘルメットカバーを世界でいち早く導入した。日本陸軍も、1945年4月の沖縄のアメリカ軍飛行場への義烈特攻隊のコマンド部隊兵士が臨時の迷彩服を着用している。
Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Durch Bruchlandung verletzte deutsche Fallschirmjäger werden versorgt; rechts Dr. Otto Brunner; Fs AOK
Title Gran Sasso, verletzte Fallschirmjäger Date 13 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-26
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-26, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後、陸路を撤収するドイツ軍特殊空挺部隊の隊員(ドイツ空軍降下猟兵あるいは武装SS親衛隊):武装親衛隊は、迷彩塗装をした軍服・ケープ・ヘルメットカバーを世界でいち早く導入した。日本陸軍も、1945年4月の沖縄のアメリカ軍飛行場への義烈特攻隊のコマンド部隊兵士が臨時の迷彩服を着用している。
Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger Info non-talk.svg
Title Italien, Abruzzen.- Rückkehr vom Gran Sasso Date 13 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-27
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-27, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後、陸路をトラックで撤収するにドイツ軍の降下猟兵・山岳兵、武装SS親衛隊:ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで飛来した時に、着地に失敗したグライダーの搭乗者には、負傷が出た。グランサッソ山上から下界にケーブルカー(ロープ―ウェー)で降りてきたので、負傷者の後送も容易にできた。山麓から、トラック、サイドカーに乗って、撤収したのである。
Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Durch Bruchlandung verletzte deutsche Fallschirmjäger werden versorgt; rechts Dr. Otto Brunner; Fs AOK
Title Gran Sasso, verletzte Fallschirmjäger Info non-talk.svg Date 13 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-37
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-37, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ムッソリーニ(Mussolini)救出後、トラックで撤収するにドイツ軍の降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊:グランサッソの侵攻した時、DFS 230 C-1グライダーが不時着して、負傷した隊員もいる。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Fahrzeugkolonne; Fs AOK
Title Gran Sasso, Fahrzeugkolonne
Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503C-24
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-24, Gran Sasso,Fahrzeugkolonne.jpg引用。


 伊ランチャア3Ro重トラック ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーでイタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)標高2000メートルに飛来したドイツ軍空挺部隊だったが、グライダーが不時着した時に負傷した搭乗兵士もでた。しかし、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)を監視していたイタリア軍警備兵は、無抵抗だったため、武装解除され、解放されたムッソリーニは、SS武装親衛隊オットー・スコルツェニーOtto Skorzeny)少佐の同伴で、グランサッソからフィーゼラーFi156連絡機に乗って脱出した。

残されたドイツ軍空挺部隊の将兵は、、負傷もSS武装親衛隊員、ドイツ陸軍山岳猟兵、ドイツ空軍降下猟兵も大半は、陸路で撤収した。陸軍は、トラックではサイドカーを運搬してきたが、これはSS武装親衛隊員の撤収に使われた。ドイツ空軍降下猟兵とドイツ陸軍山岳猟兵は、このトラックに乗車して撤収した。

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ムッソリーニ(Mussolini)救出後、トラックで撤収するに迷彩服を着たドイツ軍空挺部隊の兵士:降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊からなるコマンドは、山麓までケーブルカーで下山し、そこから自動車で撤収した。
alien, Abruzzen.- Rückkehr vom Gran Sasso
Title Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger
Date 12 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-22
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-22, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


 イタリア軍ランチャア3Ro重トラック 1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出にドイツ空軍DFS230グライダーDFS 230 C-1で飛来した時、不時着した機体では、搭乗していたドイツ兵が骨折や打撲などの傷を負い、戦闘に参加できなかった。

 グランサッソの着陸に失敗したグライダーで負傷したドイツ将兵は、ムッソリーニがフィーゼラーFi-156連絡機で飛び去った後に、グランサッソ山頂から山麓に通じるケーブルカーで下山し、トラックで後送された。

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ムッソリーニ(Mussolini)救出後、撤収するトラックを運転するドイツ軍空挺部隊:トラックの運転席上部には対空偽装用の植物が置かれている。グランサッソにDFS 230 C-1グライダーで侵攻した降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊は、グライダーを破棄して、山麓から自動車で撤退した。
Italien, Abruzzen.- Rückkehr vom Gran Sasso
Title Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger
Date 13 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-34
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-34, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ムッソリーニ(Mussolini)救出後、撤収するトラックを運転するドイツ軍空挺特殊部隊:雪山専用のサングラス・ゴーグルを着用している。トラックの運転席上部には対空偽装用の植物が置かれている。グランサッソにDFS 230 C-1グライダーで侵攻した降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊は、グライダーを破棄して、山麓から自動車で撤退した。
Italien, Abruzzen.- Rückkehr vom Gran Sasso
Title Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger
Date 13 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-36
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-36, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ムッソリーニ(Mussolini)救出後、撤収するトラックを運転するドイツ軍特殊空挺部隊:トラックの運転席上部には対空偽装用の植物が置かれている。グランサッソにグライダーで侵攻した降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊は、グライダーを破棄して、山麓から自動車で撤退した。
Italien, Abruzzen.- Rückkehr vom Gran Sasso
Title Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger Info non-talk.svg
Date 13 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-34
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-35, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後、トラックに負傷者を乗せているドイツ軍の降下猟兵・山岳兵、武装親衛隊:ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで飛来した時に、着地に失敗したグライダーの搭乗者には、負傷が出た。グランサッソ山上から下界にケーブルカー(ロープ―ウェー)で降りてきたので、負傷者の後送も容易にできた。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Einladen verwundeter Fallschirmjäger in LKW; Fs AOK
Title Gran Sasso, verwundete Fallschirmjäger in LKW Date 13 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-17
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-17, Gran Sasso, verwundete Fallschirmjäger in LKW.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の山麓下界、ムッソリーニ救出作戦でDFS 230 C-1グライダーが不時着し負傷したドイツ軍特殊空挺部隊兵士たち
Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Durch Bruchlandung verletzte deutsche Fallschirmjäger werden versorgt; rechts Dr. Otto Brunner; Fs AOK
Title Gran Sasso, verletzte Fallschirmjäger Info non-talk.svg.
Date 13 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) .
Accession number Bild 101I-567-1503D-40
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503-19, Gran Sasso, verletzte Fallschirmjäger.jpg引用。


イタリアフィアット508CM 1943年9月12日、グランサッソに幽閉されていたベニート・ムッソリーニを救出しようと、ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで奇襲したが、岩だらけの高原に着地しようとして、不時着、破損したグライダーの搭乗員は負傷した。地上のグライダーだけであれば、ロープを張って、低空飛行した飛行機でロ―プロかけて回収することができる。 しかし、降り立った空挺部隊の隊員は、この方法では、重量が嵩むグライダーに乗って帰還するのは不可能である。

ドイツ軍兵士は、グランサッソ山上から下界にケーブルカー(ロープ―ウェー)で降りてきたので、負傷者の後送も容易にできた。翌日9月13日mドイツ軍コマンド部隊(特殊部隊)は、山麓から、トラック、サイドカーを使って撤収した。

写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後、陸路をトラックで撤収するにドイツ軍の降下猟兵・山岳兵、武装SS親衛隊:グランサッソの侵攻した時、DFS 230 C-1グライダーが不時着し、負傷した搭乗者も出た。
Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Durch Bruchlandung verletzte deutsche Fallschirmjäger werden versorgt; rechts Dr. Otto Brunner; Fs AOK
Title Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger Italien, Abruzzen.- Rückkehr vom Gran Sasso Date 13 September 1943
Photographer Toni Schneiders.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-25
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-25, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


写真(右)1943年9月13日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)の麓、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出後、撤収するトラックの荷台で無線通信機を使って交信しているドイツ軍空挺部隊の兵士
Italien, Abruzzen.- Rückkehr vom Gran Sasso
Title Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger Date 13 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503D-20
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-20, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


ドイツ空軍DFS 230 C-1グライダーで飛来した降下猟兵・山岳兵、武装SS親衛隊の中には、着地に失敗し負傷した兵士もいたが。しかし、グランサッソ山上から下界にケーブルカー(ロープ―ウェー)が通じているので、それを使って、負傷者を後送した。ケーブルカー山麓駅には、ぢ乗車道路も通じていたので、山麓からはトラック、サイドカーを使って撤収した。

写真(右)1943年9月18日(?),イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)山麓、拘禁されていたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出し帰還したドイツ軍コマンド部隊(特殊部隊)に所属した迷彩軍服を着用したドイツ空軍降下猟兵:左の兵士はMP38/40短機関銃を持っているが、これは歩兵の標準装備の小火器だった。右の兵士は、MG34機関銃を持ち、その弾帯を首から下げている。
Befreiung Mussolinis Befreiung Mussolinis | Weltbild

Fallschirmjäger, die an der Befreiung Mussolinis beteiligt waren, auf dem Gran Sasso.
写真は Europeana collections,Bildarchiv Austria Inventarnummer S 463/45 引用。


写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈の山麓下界からグラン・サッソ(Gran Sasso)を背景にした記念写真撮影をするドイツ空軍降下猟兵:前日9月12日、グランサッソに幽閉されていたベニート・ムッソリーニをドイツ空軍DFS230グライダーで奇襲して救出した。その帰路に、山上から下界に降りて、活躍した切り立ったグランサッソをバックに写真を撮った。山上には、下界からケーブルカー(ロープ―ウェー)が通じている。
Gran Sasso.- Befreiung von Benito Mussolini. Durch Bruchlandung verletzte deutsche Fallschirmjäger werden versorgt; rechts Dr. Otto Brunner; Fs AOK
Title Italien, Abruzzen.- Rückkehr vom Gran Sasso Date 13 September 1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503-19
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503D-40, Italien, Abruzzen. Abmarsch Fallschirmjäger.jpg引用。


1943年9月9日、西側連合国軍は、ナポリ近郊のサレルノに上陸し、1943年11月6日、ソ連軍は、ウクライナの主要都市キエフを解放した。しかし、イタリアのドイツ軍は防衛ラインを複数構築して、持久戦を粘り強く戦い、1944年1月22日、西側連合国軍がローマ南、アンツィオに上陸しても、上陸部隊が内陸に侵攻するのを防戦した。連合国軍がローマを解放できたのは、それから4カ月以上たった1944年6月4日だった。1944年6月6日、西側連合軍が、北フランスのノルマンディー海岸への上陸に成功し、ソ連の東部戦線とならんで「第二戦線」としてやっと西部戦線が開かれた。

写真(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈の山麓下界からグラン・サッソ(Gran Sasso)を背景にして記念写真撮影をするドイツ空軍降下猟兵:山上には、下界からケーブルカー(ロープ―ウェー)が通じているので、これを使って山麓に下った。
Gran Sasso, Befreiung von Mussolini.- Fallschirmjäger Willi Wex (gefallen in der Normandie); Fs AOK
Title Gran Sasso, Fallschirmjäger Date 13 September 1943
Photographer Toni Schneiders (1920–2006) .
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503-19
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 101I-567-1503C-25, Gran Sasso, Fallschirmjäger.jpg引用。


1943年9月12日、ドイツ空挺特殊部隊は、ドイツ空軍グライダーDFS 230 12機に分乗して、アペニン山中グランサッソに強行着陸し、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )に幽閉されていたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を無血て救出に成功した。グランサッソからは、山上から下界にケーブルカーを使って下山し、そこから陸路を自動車で撤収した。自分たちが作戦を実施した岩山のグランサッソをバックに記念写真を撮影した。

ドイツ空挺特殊部隊に助けられたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)は、ドイツのヒトラーの支持を得て、王制を廃止しイタリア社会共和国を樹立し、再び統領(Duce)として国家元首に収まった。このファシスト政権は、ロマ以北を領土としており、バドリオ政権よりも多数の人口・経済中枢を擁していたが、ドイツの傀儡政権であり、イタリア国民からの強い支持は得られなかったようだ。

写真(右)1943年10月3日,感謝祭、ドイツ、ベルリン、スポーツ宮殿、グラン・サッソ(Gran Sasso)に幽閉されていたベニート・ムッソリーニ救出成功を讃えて叙勲されたドイツ軍空挺特殊部隊の武装SS親衛隊員・降下猟兵:1943年9月12日、グランサッソに幽閉されていたベニート・ムッソリーニをドイツ空軍DFS230グライダーで奇襲して無事に救出した。その功績で、親衛隊少佐(SS-Sturmbannführer)オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)らが叙勲された。
Die Befreier des Duce als Ehrengäste im Berliner Sportpalast Die Grosskundgebung, die anlässlich des Erntedanktages 1943 im Berliner Sportpalast stattfand, wohnten auch die Männer bei, die unter Führung von Ritterkreuzträger SS-Sturmbannführer Skorzeny den Duce aus dem Berghotel am Gran Sasso aus den Händen seiner Feinde befreiten.
Title Berlin, Sportpalast, Waffen-SS-Angehörige Date 3.10.1943
Photographer Kayser, Bruno v.
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-567-1503-19
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 183-J07989, Berlin, Sportpalast, Waffen-SS-Angehörige.jpg引用。


1943年9月12日、オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny:1908-1975)はグラン・サッソ山頂のホテルに幽閉されていたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)を救出した功績で、SS中佐に昇進、騎士十字章を受章した。しかし、実働部隊は、武装親衛隊ではなく、ドイツ空軍降下猟兵を中核とする空挺特殊部隊である。

写真(右)1943年10月3日,感謝祭、ドイツ、ベルリン、スポーツ宮殿、グラン・サッソ(Gran Sasso)に幽閉されていたベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)救出成功を讃えて叙勲された武装SS親衛隊員オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny:1908-1975)親衛隊少佐(SS-Sturmbannführer):1943年9月12日、グランサッソに幽閉されていたベニート・ムッソリーニをドイツ空軍DFS230グライダーで奇襲して無事に救出した。その功績で、親衛隊少佐オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)らが叙勲された。前列の人物は手前から、ドイツ陸軍ヘルムート・ケルナー(Helmut Körner:1920-1945.4.22)、武装親衛隊スコルツェニー、ドイツ陸軍ブルナー・チャンツ(Bauer Kurt Zschirnt)、軍事行政副長官フリッツ・ラインハルト(Fritz Reinhardt)博士[親衛隊の黒制服]。
Berlin, Skorzeny, Reinhardt, Zschirnt, Körner.
Scherl, II. Weltkrieg; 1943 Im Rahmen der großen Kundgebung, die anläßlich des Erntedanktages 1943 im Berliner Sportpalast stattfand, wurden drei Männer mit dem Ritterkreuz des Kriegsverdienstkreuzes ausgezeichnet. Von rechts nach links: Militärverwaltungschef Helmut Körner, Bauer Kurt Zschirnt und Militärverwaltungs-Vizechef Dr. Fritz Reinhardt. Links daneben der Befreier des Duce, SS-Sturmbannführer Otto Skorzeny, der den drei Männern im Auftrag Adolf Hitlers die Auszeichnung überreichte. Date 3.10.1943
Photographer Unknown author.
Skorzeny, Otto: SS-Hauptsturmführer, Ritterkreuz (RK), Waffen-SS, Deutschland (GND 118614886) : General, Militärverwaltungs-Vizechef, Ritterkreuz (RK) zum Kriegsverdienstkreuz (KVK), Deutschland Reinhardt, Fritz Dr.: Militärverwaltungsvizechef, Ritterkreuz (RK) zum Kriegsverdienstkreuz (KVK), Deutschland Zschirnt, Kurt: SS-Führer, Ritterkreuz, Bauer, Deutschland
写真は,Deutsches Bundesarchiv Category:Gran Sasso raid File:Bundesarchiv Bild 183-J07994, Berlin, Skorzeny, Reinhardt, Zschirnt, Körner.jpg引用。


しかし、アドルフ・ヒトラーは自らの親衛隊である武装SS親衛隊を庇護し、ドイツの政治的兵士として重視していた。そこで、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)の救出という大成功を政治的に利用し、ソムッソリーニ救出が政治的兵士の武装SS親衛隊少佐オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)というナチの英雄によって成し遂げられたと喧伝したようだ。

カラー図(右)1943年9月12日,イタリア中部、アペニン山脈グラン・サッソ(Gran Sasso)、山荘ホテル「カンポ・インペラトーレ」(Hotel Campo Imperatore )を急襲しムッソリーニを解放するドイツ軍空挺部隊:実際は、グランサッソに幽閉されていたベニート・ムッソリーニをドイツ空軍DFS230グライダーで奇襲して救出した。アペニン山脈ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)が拘禁されたが、ポスターではパラシュート降下して救出したように作り話で喧伝されている。山上には、下界からケーブルカー(ロープ―ウェー)が通じている。
De bevrijding van Mussolini De bevrijding van Mussolini

Brochure met een uitvoerige beschrijving van de operatie op 12 september 1943 waarbij Mussolini werd bevrijd door Duitse parachutisten. Op de voorpagina een zwart-wit tekening op een licht blauwe achtergrond van parachutisten boven het hotel op de Gran Sasso in de Abruzzen waar Mussolini gevangen werd gehouden. De brochure bevat diverse zwart-wit foto's. Los toegevoegd is een rode wikkel met: "Exclusieve Foto's!!".
Titel(s) : De bevrijding van Mussolini
Plaats : Nederland (plaats van vervaardiging)
Afmetingen : Algemeen: 23 x 15.5cm (9 1/16 x 6 1/8in.)
写真は,Europeana museon Inventarisnummer : 66815引用。


1944年3月19日、ドイツ同盟国ハンガリーもイタリア、ブルガリアに習って、戦線離脱、講和の動きがみられたため、ドイツ軍は、ハンガリーを占領し、最高司令官の摂政ミクローシュ・ホルティ(Miklós Horthy:1868-1957)に親独の総理大臣を指名させる。しかし、ホルティもハンガリーの講和を画策し続けたため、ヒトラーは1944年10月、オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)SS中佐に命じて、ホルティの息子ミクローシュを誘拐し、脅迫によってホルティを追放し、ハンガリーのファシストである矢十字党によるドイツ傀儡ハンガリー政権を樹立し、ドイツ同盟国として徹底抗戦させた。




ムッソリーニ救出作戦 La liberazione di Mussolini a Campo Imperatore


5.1943年9月イタリア降伏・1945年4月ムッソリーニ処刑

写真(右)1936年6月20日,イタリア北部、ミラノ、第6回ミラノ・トリエンナーレ (Triennale di Milano)芸術祭、デッラルテ宮殿テラスのイタリア王国軍ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio:1871-1956)元帥:トリエンナーレの会長ジュリオ・バレラが同行している。バドリオは、イタリア植民地東アフリカ副王になったといっても、エチオピアに滞在し、現地の実情を把握して統治したのではない。単に称号としての副王、侯爵の地位が欲しいだけだったのであろう。
VI Triennale - Visita di Pietro Badoglio - Giulio Barella Foto Crimella.
Autore: Foto Crimella (seconda metà sec. XIX- secolo XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), 20/06/1936
Note: Pietro Badoglio, al centro della foto, durante la sua visita alla Sesta Triennale sul terrazzo del palazzo dell'Arte accompagnato tra gli altri da Giulio Barella presidente della Triennale.
写真は、Regione Lombardia LombardiaBeniCulturali -Collocazione: Milano (MI), Fondazione La Triennale di Milano, TRN_VI_19_1279 引用。


長らく開かれていなかったファシズム大評議会が1943年7月24日に開催され、議論が深夜まで続き、7月25日、ムッソリーニの首相罷免とそのと独裁的権能を剥奪する議案が決まった。それを受けて、7月25日にベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)はイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 (Vittorio Emanuele III ) により罷免解任を告げ、後任首相にムッソリーニにイタリア軍司令官を罷免されたピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio:1871-1956)元帥が任命された。イタリア王国首相ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)元帥は、ドイツの介入を招かないように表向きは戦争継続を主張しつつ、西側連合国と講和を図り、1943年9月3日になって降伏が決まった。

写真(右)1936年6月20日,イタリア北部、ミラノ、第6回ミラノ・トリエンナーレ (Triennale di Milano)芸術祭を訪問した、イタリア王国軍ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)元帥が見学に来たらしい女性を迎えている。
VI Triennale - Visita di Pietro Badoglio Foto Crimella.
Autore: Foto Crimella (seconda metà sec. XIX- secolo XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), 20/06/1936
Misure: 18 x 24 Note: Pietro Badoglio, al centro della foto, durante la sua visita alla Sesta Triennale, saluta una signora non identificata.
写真は、Regione Lombardia LombardiaBeniCulturali -Collocazione: Milano (MI), Fondazione La Triennale di Milano, TRN_VI_19_1282引用。


ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)は、第一次大戦を勝利したイタリアの参謀長にもなった元帥で、イタリア植民地東アフリカ副王、アジスアベバ侯爵など爵位も保持しており、国王の信頼が厚かった。しかし、軍事的能力、実務能力は、高くはなく、第二次大戦中のイタリアの戦略・政略に見るべきところは、早期の降伏、連合国への変わり身の早さである。最後まで戦い続けたドイツ、日本の本土は荒廃し、多数の国民が生命財産の危機に陥ったが、イタリアの損害はそれに比して小さかった。

ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)は、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世を説得して、イタリア停戦協定を認めさせ、1943年9月7日、全土に休戦をラジオ公表した。休戦とは名ばかりで、イタリアは無条件降伏したのであり、1943年9月9日にはローマ南のサレルノ上陸「アヴァランチ作戦」が実施され、併せてイタリア南端の軍港ターラント攻略「スラップスティック作戦」が行われた。

しかし、ドイツ軍は、イタリア軍の武装解除し、ローマを占領しようと軍を進め、イタリアとドイツの武力対立が始まった。慌てたイタリア政府も国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 (Vittorio Emanuele III ) は、1943年9月9日にローマから逃亡し、ドイツ支配がはじまった。

1943年9月12日、ドイツ軍空挺部隊は、グラン・サッソに拘禁されていたベニート・ムッソリーニBenito Amilcare Andrea Mussolini:を救出し、ムッソリーニはヒトラーの支持を得て、傀儡イタリア・ファシズム政権を樹立した。ムッソリーニは、1943年9月15日、ファシスト党独裁共和イタリア政府が樹立された。これが、1943年9月23日に独立を宣言した「イタリア社会共和国(Repubblica Sociale Italiana:RSI)」である。

イタリア自走砲M40 社会主義者だったこともあるベニート・ムッソリーニBenito Amilcare Andrea Mussolini)は、戦争に勝っているときは賞賛し、戦局が傾くと見放す国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世のご都合主義を憎んだ。サボイア王家に裏切られ、王国に決別して、社会主義者の志を思い出して、「イタリア社会共和国」を建国した。もっとも、その経済力も、軍事力も、かつてムッソリーニが支配していた時とは比べ物にならないほど、弱体化していたのであるが。

イタリア王国バドリオ首相は、ムッソリーニによるイタリア傀儡政府を否認し、イギリス海軍3万8,000トン、16インチ(40.6?)三連装砲塔3基搭載の戦艦「ネルソン」 (HMS Nelson) 艦上で無条件降伏文書に署名したため、イタリア王国は連合国側に立ってドイツと戦争することになった。

ムッソリーニを元首とするイタリア社会共和国Repubblica Sociale Italiana:RSI)は、1943年9月にファシスト党独裁国家として成立したが、これに対峙するイタリア王国は、10月13日、ドイツに宣戦布告をしている。 ヒトラー傀儡政権に過ぎず、1945年4月までドイツ側に立って戦い続けたものの、戦力は暫時減少しており、北イタリアの支配権も縮小した。こうして矮小化されムッソリーニの傀儡政権は、ローマから追い出され、サロ共和国(Repubblica di Salò)とも別称されたが、首都は次々に遷都され、ミラノで消滅した。

写真(右)1945年1月9日,イタリア北部、ミラノ、演説後のサロ政権元首ベニート・ムッソリーニ(Benito Amilcare Andrea Mussolini):イタリアの追随者や高官に囲まれているが、もはや敗北まじかのヒトラー・ドイツの傀儡政権の指導者に忠誠を誓っていたのは少数派であり、イタリア全土では人気はなかった。この3か月半後には、イタリアのパルチザンによって、裁判もなく、処刑され、ミラノのガソリン・スタンドに愛人とともに吊るされ晒されることになる。
Title Mussolini nach einer Ansprache in Mailand
Date 09.01.1945
Rights Holder Österreichische Nationalbibliothek
Criador Photopress Zürich
写真はEuropiana,Österreichische Nationalbibliothek - Austrian National Library引用。


ベニート・ムッソリーニBenito Amilcare Andrea Mussolini:1883年7月29日-1945年4月28日)、随行した忠実な部下とともにドイツ軍とともに逃げ延びようとした。しかし、途上、イタリア・パルチザンの検問で、阻止され、イタリア人裏切り者の引き渡しを条件に通貨を認められた。こうして、ムッソリーニは頼りにしていたドイツ軍部隊にも裏切られて、イタリア人共産系パルチザンに拘束された。

写真(右)1945年4月29日,イタリア北部、ミラノ、ラザレットのサングレゴリオの回廊、イタリア・パルチザン兵士と丸刈りにされたファシスト協力派の女性たち:第二次世界大戦末期にイタリアの武装抵抗勢力は、共産系・イギリス系などがあったが、ミラノを解放したのは共産系パルチザンだったようだ。彼らは、ファシスト協力派として告発された3人の女性を丸刈りにして懲罰した。しかし、群衆のリンチ・暴行から守るために銃で武装したパルチザンが護衛・警備している。
Seconda guerra mondiale. Resistenza italiana. Liberazione di Milano. 29 aprile 1945. Via San Gregorio, nel chiostro del Lazzaretto, tre donne accusate di collaborazionismo rasate a zero e sorvegliate da un partigiano armato di moschetto. Autore: Ferrario, Luigi (1915 - 1992)
Autore: Ferrario, Luigi (1915 - 1992) Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 29/04/1945
Misure: 135 mm (24 x 36 mm)
写真はRegione Lombardia LombardiaBeniCulturali -Collocazione: n.d., fondo Ferrario, serie Liberazione di Milano - 29 Aprile 1945, Ferrario_1_06a引用。


写真(右)1945年4月29日,イタリア北部、ミラノ、ロレト(Loreto)広場、スタンダード・オイル(Esso)のガソリン・スタンドの梁に吊るしあげられるベニート・ムッソリーニの死体:スタンダード・オイル(Esso)ガソリン・スタンドの鉄製の梁から初めに吊るされた時は、上着姿だった。しかし、すぐに上着をはぎ取られ、下着姿で吊るされた。アメリカ軍がミラノに到着し、無残な死体を晒すような行為をやめさせた。そして、死体の検死が行われた。
Seconda guerra mondiale. Resistenza italiana. Liberazione di Milano. 29 aprile 1945. Il corpo di Benito Mussolini esposto alla folla in piazzale Loreto appeso alle travi della tettoia del distributore di benzina Esso...
Ferrario, Luigi
Autore: Ferrario, Luigi (1915 - 1992)
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 29/04/1945
Misure: 135 mm (24 x 36 mm) Note: I corpi di Benito Mussolini, di Claretta Petacci e dei gerarchi del Partito Fascista fucilati il pomeriggio del 28 Aprile a Dongo erano stati scaricati nella notte in Piazzale Loreto dai partigiani che avevano patrtecipato alla loro esecuzione..
写真はRegione Lombardia &LombardiaBeniCulturali -Collocazione: n.d., fondo Ferrario, serie Liberazione di Milano - 29 Aprile 1945, Ferrario_1_08a引用。


1945年4月28日、ムッソリーニは、パルチザン虐殺の報復として、パルチザンによって愛人クララ・ペタッチと共に銃殺された。そして、1945年4月29日、虐殺されたパルチザンが吊るされたと同じ、ミラノのロレト(Loreto)広場のスタンダード石油ガソリンスタンの鉄枠から随行者とともに逆さに吊るされた。殺され吊るされたのは、ムッソリーニ友人・政治家ニコラ・ボムバッチ(Nicola Bombacci)、ムッソリーニ、愛人クラーラ・ペタッチClara Petacci:1912年2月28日-1945年4月28日)、ファシスト党書記長アレッサンドロ・パヴォリーニ、ファシスト前党書記長アキッレ・スタラーチェである。

⇒写真集Album:ムッソリーニ処刑(Death of Benito Mussolini)を見る。



ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カント(CANT)Z.501飛行艇
カント(CANT)Z.506水上機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.212輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.82輸送機
ピアジオP.108重爆撃機
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑



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