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◆カプローニ(Caproni) Ca.311偵察爆撃機
写真(上)1941年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有りガラス風防)
;ピアジオ(Piaggio)P.VII C 35空冷星形エンジン470 HP/高度3800 mを2基装備し、左主翼付け根(プロペラ圏外)に7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁が見える。
写真は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(上)1941年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機側方断面構造図(段有りガラス風防)
;胴体中央部に爆弾倉があり、小型爆弾用の爆弾懸架が設けられている。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



写真(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)
;1939年4月1日初飛行、1939年8月部隊配備。生産機数 335機。
写真は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


CA311CAPRONI

◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。


1.カプローニ(Caproni) Ca.310リベッチオ軽爆撃機

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたイタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio:南西風)軽爆撃機
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand Aeroplani Caproni S.A. Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: Al centro l'aereo Caproni CA 310
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_243 引用。


カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio)軽爆撃機は、1937年2月20日初飛行、1938年に部隊配備され、1948年に至るまで使用された実用性の高い双発小型機。発動機は、ピアッジオ・ステラ(Piaggio Stella)P.VII C.16/35空冷星形9気筒エンジン470hp2基を搭載、最高速力365km、航続距離1690km、爆弾搭載量450kg。

1937年2月20日に初飛行したイタリア空軍カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio:南西風)軽爆撃機は、既に1936年から始まっていたスペイン内戦に1938年7月、イタリア義勇軍として16機が派遣された。

写真(右)1938年頃,イタリア、ノルウェーに輸出されたイタリア製カプローニ Ca310リベッチオ軽爆撃機(Caproni Ca 310 ' Libeccio '):主翼と垂直尾翼には赤・白・紺のノルウェー国旗を模した国籍マークを描いている。SM-79爆撃機よりも小型で、経費を節減しながら爆撃機を揃えることができた。
a Norwegian Ca 310 serial 505 with manufacturer's c/n 364. The photo was probably taken before the delivery flight in October 1938.
PictionID: 42002936 - Title: Savoia-Marchetti SM.79 - - Filename: 15_003030.TIF - Image from the Charles Daniel's Collection Italian Aircraft Album..
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog:15_003030引用。


ノルウェーにもカプロニCa.310リベッチオ軽爆撃機が水産加工品とのバーター交易として交換されたが、ノルウェーは、カプロニCa.310が所定の性能に達していない苦情を申し出たため、その後、より強力なエンジンに換装したカプロニCa.312が12機送られることになったが、1940年6月のドイツのノルウェー侵攻によって実現しなかった。

  浮いたカプロニCa.310リベッチオ軽爆撃機は、イギリス空軍が購入を希望したが、1940年6月にイタリアがドイツ側に立って第二次世界大戦に参戦したために、これも実現しなかった。第二次大戦では、イタリア空軍は、カプロニCa.310リベッチオ軽爆撃機を北アフリカのイタリア領リビアで偵察機として使用した。

カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio)軽爆撃機は、枢軸側のハンガリー(1938年36機購入、ただし飛行性能カタログ未満で返還)、スペイン(16機)、ユーゴスラビア(1938年12機)、クロアチア(ユーゴから7機を継承)、ペルー(1938年16機)にも輸出された。イタリア軍の使用機数は、約200機である。

カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio)軽爆撃機、サボイア・マルケッティSM-79爆撃機よりも、小型であり、経費を節減しながら機数機を揃えることができた。

写真(右)1941-1943年前半,北アフリカ、飛行場でアメリカ軍に鹵獲された破損したイタリア空軍カプローニ Ca310リベッチオ(Libeccio:南西風) 軽爆撃機とふざけてローマ式敬礼をするアメリカ兵士たち:機首には、ファッシを模した部隊マークエンブレムが描かれている。主翼のエンジンは取り外されており、コックピットのガラス風防は破壊されている。
Aircraft Accident Title: Aircraft Accident Date: 1940-1949 Additional Information: Italian Aircraft in North Africa Tags: Aircraft Accident, Italian Aircraft in North Africa, 1940-1949.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 10_0013734引用。


1938年にハンガリーは、イタリアからカプロニCa-310リベッチョ軽爆撃機36機を購入したが、性能不足のために、33機を返還した。ノルウェーでは、戦争勃発の危機にあったため、急遽このカプロニCa-310を購入することを決め、24機を発注した。

ノルウェーは、戦争危機のために、イタリアからカプロニCa-310軽爆撃機24機を輸入することを決めたが、1939年9月には第二次大戦が勃発し、実際にノルウェーに届いたカプロニCa-310は4機だった。

図(右)イタリア空軍カプロニCa-310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の三面図: 1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備。生産機数 312機。
Description English: Caproni Ca.310
Date 16 April 2016 Source Own work
Author Kaboldy
写真は, Wikimedia Commons, Category:Caproni Ca.310 File:Caproni Ca 310.svg引用。


カプロニ Caproni Ca.310 リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の諸元
乗員Crew: 3
全長Length: 12.2 m (40 ft 0 in)
全幅Wingspan: 16.2 m (53 ft 2 in)
全高Height: 3.52 m (11 ft 7 in)
主翼面積Wing area: 38.7 m2 (417 sq ft)
空虚重量Empty weight: 3,040 kg (6,702 lb)
最大離昇重量Max takeoff weight: 4,650 kg (10,251 lb)
発動機Powerplant: ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.16/35空冷星形9気筒(cylinder)エンジン350 kW (470 hp)2基
プロペラPropellers: 3翅可変ピッチ
性能Performance
最高速力Maximum speed: 365 km/h (227 mph, 197 kn)

巡航速力Cruise speed: 285–312 km/h (177–194 mph, 154–168 kn) 航続距離Range: 1,690 km (1,050 mi, 910 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,000 m (23,000 ft)
兵装Armament
7.7 mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁 (主翼付根前方固定2丁、後上方回転銃塔 1丁)
爆弾搭載量Bombs: 450 kg (992 lb)

⇒写真集Album:カプロニ(Caproni) Ca.310 Libeccio軽爆撃機を見る。


2.カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機

写真(右)1939-1941年頃,イタリア、飛行機格納庫前の2翅プロペラのイタリア空軍カプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機:1939年4月1日に初飛行したCa.311は、1939年から部隊に配備されが、総生産機数は335機にとどまった。 主に偵察爆撃機として使用された。
Caproni Ca 311 Manufacturer: Caproni Designation: Ca 311
写真はSmugMug+Flickr. Connecting people through photography., Category:Caproni Ca.311 Catalog #: 00076694引用。


ピアッジョ(Piaggio)P VII C.36空冷星形7気筒エンジン350 kW (470 hp)2基装備のカプローニ(Caproni)Ca. 311軽爆撃機は、ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.16/35350 kW (470 hp)2基装備のCa.310小型爆撃機の発展型で、1939年4月1日に初飛行した。 イタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca. 311軽爆撃機は、1939年から就役し、偵察爆撃機として、335機が量産された。最高速力365 km/h、7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃3丁搭載で、爆弾搭載量も400 kgと少ないが、地上攻撃から哨戒爆撃まで、近距離用に使用された。

写真(右)1939-1941年頃,イタリア、2翅プロペラのイタリア空軍カプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機:1939年4月1日に初飛行したCa.311は、1939年から部隊に配備されが、総生産機数は335機にとどまった。 主に偵察爆撃機として使用された。
Caproni Ca 311 Manufacturer: Caproni Designation: Ca 311
写真はSmugMug+Flickr. Connecting people through photography., Category:Caproni Ca.311 Catalog #: 00076693引用。


1939年4月1日初飛行のカプローニ(Caproni)CA 311は、ピアッジョ(Piaggio)P VII C.36空冷星形7気筒エンジン350 kW (470 hp)2基装備で、後継機のCa.313はイソッタ(Isotta Fraschini)デルタ(Delta)R.C.35空冷倒立V型545 kW (730 hp)2基装備なのでエンジンの形状が異なる。

写真(右)1939-1941年頃,イタリア、2翅プロペラのイタリア空軍カプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機:主翼の十字マークは1938年から1941年の間に使用されたイタリア王国の国籍マークである。
Description Italiano: www.airwar.ru /enc/bww2/ ca311.html Categoria: Immagini di aeroplani
写真はWikimedia Commons, Category:Caproni Ca.311 File:Ca311.jpg引用。


双発爆撃機で、初期の段アリの風防から、後期の段なしの風防に変更し、視界を向上したのは、イタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca 310/Ca 311軽爆撃機のほかにドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機、ドルニエDo217爆撃機がある。逆に、初期の段ナシ風防から、後期の段アリ風防に変更したのが、ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)双発爆撃機である。

写真(右)1939-1941年頃,イタリア、2翅プロペラのイタリア」空軍カプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機:段アリの風防から段なしの風防に変更し、視界と居住性を向上した。
Italiano: aereo da ricognizione Caproni Ca.311, matricola MM. 11531, fotografato presso gli stabilimenti dell'Aeronautica Caproni di Vizzola Ticino, provincia di Varese. Categoria:Immagini di aeroplani Date fine anni trenta - primi anni quaranta Source http://www.finn.it Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Caproni Ca.311 File:Ca311.jpg引用。


イタリア爆撃機カプローニCA311 カプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機
乗員 3名
全長 11,74 m
全幅 16,20 m
全高 3,69 m
主翼面積  38,40 m²
発動機 (343 kW)2基
自量 3460 kg
総重量 4822 kg
最高速力 347 km/h
実用上昇限度 7400 m
航続距離 1600 km
兵装 7.7ミリブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁
爆弾搭載量 400 kg

写真(右)1939-1941年頃,イタリア、2翅プロペラのイタリア空軍カプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機とコックピット後上方のアンテナ支柱付き動力回転銃塔:回転銃塔には7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁が装備されているほか、前方固定7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃1丁、胴体後下方7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃1丁が装備されている。爆弾搭載量は400kgと少ない。
Italiano: aereo da ricognizione Caproni Ca.311, matricola MM. 11531, fotografato presso gli stabilimenti dell'Aeronautica Caproni di Vizzola Ticino, provincia di Varese. Categoria:Immagini di aeroplani Source http://www.finn.it/regia/html/seconda_guerra_mondiale04.htm (direct link) Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Caproni Ca.311 File:Ca311.jpg引用。


第二次世界大戦勃発3か月後、1939年12月22日初飛行のカプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機は、チェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)の設計になる。イソッタ(Isotta Fraschini)デルタ(Delta)R.C.35 I-DS空冷倒立V型エンジン 545 kW (730 hp)2基搭載、最高速力430 km/h (268 mph, 233 kn)、航続距離 1,700 km (1,050 mi, 910 nmi)、実用上昇限度 8,500 m (27,880 ft)、7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁、爆弾搭載量 400 kg (882 lb)。機体後上方に銃座のように2本のアンテナ支柱が装備されている。生産機数 271機。

写真(右)1943年,イタリア、3翅プロペラのイタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca 312bis軽爆撃機:段なしコックピットのガラス風防ではなく、段の付いたガラス風防になっている。
Italiano: Caproni Ca 312bis Date before 1943 Source Aerofan n. 73 Apr.-Giu 2000 p.126 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Caproni Ca.312 File:Caproni 312.jpg引用。


イタリア爆撃機カプローニCA311 イタリア空軍カプローニ Ca311軽爆撃機(Caproni Ca 311)の諸元
1939年4月1日初飛行
Ca.310/Ca311/Ca312/Ca313の一連のカプローニ小型偵察爆撃機発展型がある。
生産機数:1943年までに335機を量産
最高速力:350km/h
航続距離:1600km
爆弾搭載量:400kg
近距離偵察や船団護衛のような後方の偵察哨戒任務には便利だった。
クロアチア、ハンガリー、ユーゴスラビアに輸出された。

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca.310軽爆撃機を見る。


3.カプローニ(Caproni)Ca.311偵察爆撃機カタログ


写真(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)胴体の7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃座
(16099番);機首下面に前方固定7.7ミリ機関銃、コックピット後上方に回転銃塔、胴体下面後下方銃座の3か所がある。 写真は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)胴体の7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃座
(16099番);機首下面に前方固定7.7ミリ機関銃、コックピット後上方に回転銃塔、胴体下面後下方銃座の3か所がある。 図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段アリ機首ガラス風防)コックピット下面の機首前方固定7.7ミリブレダ(Breda)-SAFAT機関銃銃座
;機首下面に前方固定7.7ミリブレダ(Breda)-SAFAT機関銃は、操縦席に環状照準器と射撃用引き金がある。ほかにも、コックピット後上方に回転銃塔、胴体下面後下方銃座の3か所がある。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)の側面図
:垂直尾翼には、イタリア三色旗トルコローレが描かれているが、この国籍マークは、イタリアが1940年6月に第二次世界大戦に参戦すると、白十字に変更されている。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)上面図
:ピアッジョ(Piaggio)P VII C.36空冷星形7気筒エンジン350 kW (470 hp)2基装備。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)は、コックピット後上方に7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁搭載の人力回転銃塔がある。このほか、機首前方固定・胴体下面後下方にも7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃各1丁が装備されている。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有りガラス風防)の胴体金属骨格構造図
;胴体中央下面に自家発電用の小型紡錘形の2翅プロペラ風力発電機が設置されている。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有りガラス風防)の尾翼の構造図

図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


垂直尾翼とその後縁の方向舵、水平尾翼とその後縁の昇降舵という尾翼の操作翼は、コックピット操縦席の操縦桿と操縦ペダルによって操作される。

コックピットの左ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は右に動き、重心より後方の尾部を左に、機首を右にふるモーメントが作用することによって、飛行機は右に旋回する。

方向舵(ラダー:rudder)とは、機首を左右にふり、方向の姿勢を制御する操縦翼で、垂直尾翼の後縁に取り付けられている。方向舵の操作は,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御する。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。

イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の主翼(補助翼)と水平尾翼(昇降舵)・垂直尾翼(方向舵)を多数の金属製桁で支え、飛行中の空気抵抗、飛行操縦操作するときの抗力・強度を維持している。


写真(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)の後部
:垂直尾翼には、イタリア三色旗トルコローレが描かれているようだ。この国籍マークは、イタリアが1940年6月に第二次世界大戦に参戦すると、白十字に変更されている。
写真は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


1937年2月20日初飛行のカプローニ(Caproni)Ca. 310軽爆撃機の発展型が、カプローニ(Caproni)Ca. 311偵察爆撃機で、同じチェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)技師の設計になり、第二次世界大戦勃発5か月前、1939年4月1日初飛行、1939年8月部隊配備。生産機数は 335機である。


写真(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段アリ機首ガラス風防)左主翼付け根に搭載された前方固定7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃
;ほかにも、コックピット後上方に回転銃塔、胴体下面後下方銃座の3か所がある。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段アリ機首ガラス風防)左主翼付け根の前方固定前方固定7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃は、操縦席に環状照準器と射撃用引き金がある。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有りガラス風防)の銃座の射界の図解
;装備された銃は、いずれも7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁で、前方固定機関銃・後上方の人力回転銃塔、胴体下面の後下方銃座の射界が描かれている。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)胴体の7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃座
;空虚重量 7.630 ポンド (3,460 kg)、最大離昇重量 10,630 ポンド (4,822 kg)で、アメリカ陸軍リパブリックP-47サンダーボルト戦闘機よりも軽量である。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機は、機首下面に前方固定7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁、コックピット後上方に7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁搭載の人力回転銃塔、胴体下面後下方7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁装備銃座の3か所がある。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無し機首ガラス風防)胴体の7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃座
(16099番);機首下面に前方固定7.7ミリ機関銃、コックピット後上方に回転銃塔、胴体下面後下方銃座の3か所がある。 図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


写真(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無し機首ガラス風防)

写真は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311は、全長 11.74 m、全高 3.69 m、全幅 16.2 m、主翼面積 38.4 m2、空虚重量 3,460 kg、最大離昇重量 4,822 kg)で、アメリカ陸軍リパブリックP-47サンダーボルト戦闘機よりも若干大きいが、重量はより軽量である。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の構造図(段無し機首ガラス風防)
;1939年4月1日に初飛行したCa.311は、1939年から部隊に配備されが、総生産機数は335機にとどまった。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無し機首ガラス風防)胴体の構造図
;溶接された骨格に、ガラス窓を留めている。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


チェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)は、カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機を設計、1939年4月1日初飛行させ、その発展型カプローニ(Caproni)CA 313は、総重量5,672 kg (12,505 lb)の軽爆撃機を設計、1939年12月22日初飛行させた。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無し機首ガラス風防)胴体側面ガラス窓の構造図
;胴体側面には5個の四角の大型ガラス窓が並び、その後下方銃座(7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁装備)用のガラス窓も追加されている。コックピット後上方の回転銃塔にも7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁が装備されている。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無し機首ガラス風防)の機首コックピットとその下方の前方固定7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁の配置図
;正副操縦士の左右どちらの側にも移動できる操縦桿がある複式操縦装置が備わっている。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


イタリアのブレダ(Breda)-SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃である後継には7.7ミリと12.7ミリとがある。原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段なし機首ガラス風防)コックピット後上方の7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁搭載の人力回転銃塔
;べルト給弾式の弾倉があるが、その脇には、手動回転式の銃塔を回転させる滑車がある。滑車は梃の原理で数回回して少しずつ銃塔を人力で回転することができる。ほかにも、コックピット後上方に回転銃塔、胴体下面後下方銃座の3か所がある。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



写真(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段なし機首ガラス風防)コックピット後上方に7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷旋回機関銃1丁を搭載した人力回転銃塔があり、機体側面にはガラス窓が並んでいて視界がよさそうである。
;一本は銃身だが、もう1本はバランスをとると同時に擬似銃身となって威嚇効果を企図している。前方固定、胴体下面後下方銃座にも7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷旋回機関銃が搭載されている。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機コックピット後上方には、箱形弾倉からべルト給弾される7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁搭載の人力回転銃塔が設置されている。この回転は人力になり、銃塔下にある手動回転滑車を回転させるて滑車の梃の原理で少しずつ銃塔を人力で回転することができる。したがって、高速で移動する敵戦闘機に対して的確に追尾するのは困難だったと考えられる。のちに、電動式の動力回転銃塔が開発されるが、小型のカプロニ(Canproni)Ca.310シリーズ偵察爆撃機は、最終型まで、人力回転銃塔だった。


写真(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段なし機首ガラス風防)コックピット後上方に7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷旋回機関銃1丁を搭載した人力回転銃塔がある。一本は銃身だが、もう1本はバランスをとると同時に擬似銃身となって威嚇効果を企図している。
;前方固定、胴体下面後下方銃座にも7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷旋回機関銃が搭載されている。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



写真(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段なし機首ガラス風防)のコックピット内部の左正操縦席と右副操縦席
;機首はガラス風防で覆われており、操縦席からの視界がよさそうである。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



写真(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段なし機首ガラス風防)のコックピット後方の通信・航法士席
;胴体側面ににもガラス窓が並んでいるので。胴体中部の視界もよさそうである。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



写真(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段なし機首ガラス風防)と左主翼付け根の前方固定7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷旋回機関銃1丁
;機首はガラス風防で覆われており、操縦席からの視界がよさそうである。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無し機首ガラス風防)胴体後下方の7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁装備の後下方銃座と箱形弾倉
;ベルト給弾式の機銃の撃ちガラ薬莢は、パイプを通じて、胴体下面の穴から、空中投棄される。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無し機首ガラス風防)胴体後下方の7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁装備の後下方銃座と箱形弾倉の部品組み立てず
;ベルト給弾式の機銃の撃ちガラ薬莢は、パイプを通じて、胴体下面の穴から、空中投棄される。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の後下方銃座は、箱形弾倉からベルト給弾される7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃を1丁装備している。機銃弾は、弾丸が射撃された後に空薬莢が出るが、これは薬莢排出孔に繋がるパイプを通じて、胴体下面の穴に導かっれ、迅速に空中投棄される。

攻撃してくる敵機に対して1分間に発射速度600発以上の機関銃を10秒間射撃し100発以上を撃てば、多数の撃ち空薬莢が排出されるが、機内にとどめて置けば、散乱して行動の邪魔になるばかりか、操縦装置やエンジン調整に装置にも問題を引き起こす恐れがある。しかし、薬莢は真鍮など希少金属を使用しているので、訓練射撃の際は、撃ちガラ薬莢を袋に保管して、回収する。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)胴体の側面構造図
;胴体コックピット側面には、大きな四角のガラス窓が並んでいて、偵察機としての視界を確保している。機首下面に前方固定銃座、コックピット後上方に回転銃塔がある。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(上)1941年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)の胴体。主翼の電動操作の配置図

図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1937年ローマ刊行)引用。

それまでのイタリアでは、機関銃はフィアットが受注していたが、これ以後、ブレダでもイタリア軍の機関銃が量産されるようになった。ただし、フィアット子会社のSAFAT(Società Anonima-Fabbricazione Armi Torino)が、ジョヴァンニ・アニェッリ(Giovanni Agnelli)によってブレダに売却されており、フィアットの技術や生産方式は、ブレダに引き継がれている。こうして、イタリアの機関銃は、フィアットではなく、ブレダ-SAFATが担うことになったのである。


図(上)1941年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)の機首の構造図

図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1937年ローマ刊行)引用。

カプローニ(Caproni)Ca.310軽爆撃機コックピット後上方の動力回転銃塔は、2本のアンテナ支柱が装備されているようにみえるが、これは1本は手動回転と機銃操作にあたって、重力と風圧のバランスをとるカウンターウェイトであり、同時に敵機に機関銃の銃身に見せかける威嚇のための機能も期待されていたようだ。もちろんもう1本は7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃の銃身である。


図(上)1941年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)の胴体の構造図
; 1939年4月1日に初飛行したCa.311は、1939年から部隊に配備されが、総生産機数は335機にとどまった。
図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1937年ローマ刊行)引用。

イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃は、小型双発機で、機首下面に前方7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃固定銃座、コックピット後上方に7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁搭載の人力回転銃塔、胴体下面に7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁装備の後下方銃座の3か所の銃座があるが、これは1940年初頭の小型機としては強力である。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段有り機首ガラス風防)の機首からコックピットにかけての胴体全部構造図
;100キロ爆弾4発が搭載されている。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃の爆弾倉は、主翼の中央部、胴体内部にあるが、50キロ爆弾あるいは100キロ爆弾以下の小型・中型爆弾しか搭載はできない。最大爆弾搭載量は400キロ。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段無しガラス風防)の爆弾懸架(ラック)
;100キロ爆弾4発を弾頭を横にして重ねて搭載する。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段有り機首ガラス風防)の機首からコックピットにかけての胴体全部構造図
;50キロ爆弾8発が搭載されている。Ca.311の爆弾搭載量は最大400 kg (880 lb)である。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃の胴体中央部には爆弾倉があるが、小型双発機であるために、爆弾搭載量は400キロしかなかった。しかし、これは一回り大型の日本陸軍九九式双発爆撃機とほも同等の爆弾搭載量で、前線近くの近距離爆撃で、高速で敵戦闘機の迎撃をかわし、出撃回数が多いのであれば十分な爆弾搭載量と考えられていた。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有りガラス風防)の100キロ爆弾懸架と50キロ爆弾搭載筒
;50キロ爆弾なら8発を爆弾筒に、100キロ爆弾なら4発を爆弾懸架に搭載する。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段無しガラス風防)の機首コックピット先端の爆撃手席とその後方の爆弾倉の構造図
(17340番);爆弾倉には100キロ爆弾4発が搭載されている。Ca.311の爆弾搭載量は最大400 kg (880 lb)である。コックピット後上方には、回転銃塔の輪が見える。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプローニ(Caproni)CA 313の機体の発動機はイソッタ・フラスキーニ デルタ(Isotta-Fraschini Delta )R.C.35 I-DS倒立空冷V型12気筒空冷エンジン 545 kW (730 hp) 2基装備、最高速力 430 km/h (268 mph, 233 kn)、航続距離 1,700 km (1,050 mi, 910 nmi)、実用上昇限度 8,500 m (27,880 ft)。高性能とは言えないが、少ない経費で271機が量産された。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段無しガラス風防)の爆弾搭載筒
;50キロ爆弾8発を弾頭を下にして縦型に搭載する。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


イタリア機カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の評判が良かったためか、その発展型のカプローニ(Caproni)Ca.312/Ca.313を、スウェーデン、ノルウェー、ベルギー、クロアチアは、輸入して、部隊配備した。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有りガラス風防)の機首から爆弾倉にかけての胴体構造図
;コックピット後上方には、回転銃塔の輪が見える。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃の胴体中央の爆弾倉の爆弾懸架(ラック)には、爆弾投下用の配線が、機首ガラス風防にある爆撃手席から、コックピットを通過して爆弾懸架(ラック)にまで伸びている。爆撃手は、機首の爆撃手席で爆撃照準器を除きながら、機体を誘導し、目標に爆弾が命中するように、飛行速度、気流を計算して、爆弾を投下する。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段無しガラス風防)の機首爆撃手席と爆弾投下装置と爆弾倉の構造図
;コックピット後上方には、回転銃塔の輪が見える。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


飛行機胴体尾部の水平尾翼の後縁にある昇降舵は、エレベーター(elevator)の名の通り、飛行機の進行方向の上下の動きを制御する舵(動翼)である。昇降舵を上げれば、機首上げで上昇し、昇降舵を下げれば機首下げで下降する。




図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)コックピットと爆弾倉扉の開閉操作構造図
;Ca.311の爆弾搭載量は最大400 kg (880 lb)で、後のドイツやアメリカの戦闘爆撃機よりも少ない。操縦席は、左が正操縦士、右が副操縦士で、その前に爆撃主席が設けられている。爆弾倉には100キロ爆弾4発が搭載されているが、Ca.311の爆弾搭載量は最大400 kg (880 lb)で、後のドイツやアメリカの戦闘爆撃機よりも少ない。

図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


対地攻撃で自動車、飛行機、兵舎などを目標として爆撃するには、50キロあるいは100キロ爆弾のような小型爆弾を用いるので、カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃も、50キロ爆弾8発あるいは100キロ爆弾4発を搭載できる。爆弾搭載量は、400キロしかないが、近距離攻撃を主にしている。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)の機首爆撃手席
;、爆撃照準器を除いて機体を誘導する。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の機首コックピット下面には前方固定7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷旋回機関銃1丁、コックピット後上方に7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷旋回機関銃1丁搭載回転銃塔、胴体下面に7.7ミリ機関銃1丁後下方銃座の3か所がある。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)の胴体全体の構造図
;機首コックピット後方上面には7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷旋回機関銃1丁搭載の回転銃塔が設置される。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の胴体全体の鋼管溶接の骨組み構造図
(200番);機首コックピット後方上面には7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷旋回機関銃1丁搭載の回転銃塔が設置される。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


飛行機のコックピット・キャビンの床底面は、乗員や乗客が移動しやすいように平板になっている。しかし、1930年代の機体の大半は、尾輪式で、築城に待機しているときには、機首を持ち上げた姿勢だったので、機内の移動は坂道を上るような感じになった。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の胴体後半の鋼管溶接の骨組み構造図
(177番);機首コックピット後方上面には7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷旋回機関銃1丁搭載の回転銃塔が設置される。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


飛行機のコックピット・キャビンなどの空間を生み出す胴体は、鋼管溶接の骨組みで支えられていたが、飛行性能を高めるために軽量化しようとすると、強度が低下した。しかし、堅牢すぎる構造では、重量が嵩んでしまい、速力や上昇力が低下したので、バランスをとる必要があった。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の胴体全体の鋼管溶接の骨組み構造図
;機首コックピット後方上面には7.7ミリ機関銃1丁搭載の回転銃塔が設置される。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


イタリア軍用機は、外貨獲得のための輸出にも力を入れていた。そのために、1機種当たり数十から数百機の生産規模が想定されていたようで、1機種当たり1000機以上の量産をすることが当たり前の全面戦争における航空戦の準備は整っていなかった。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃の左右主翼・胴体の正面構造図
;ピアッジョ(Piaggio)P VII C.36空冷星形7気筒エンジン350 kW (470 hp)2基装備。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃の右主翼上面の構造図

図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃の左右一体化された主翼の構造図

図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


左右主翼先端部後縁にある補助翼 (エルロン:Aileron)は、飛行機を旋回(横転、ロール)する際の舵である。つまり、補助翼は飛行機の前後中心軸をを回転させ、姿勢を変え、方向を決める舵である。


図(右)1940年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の垂直尾翼と水平尾翼の構造図

図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の尾翼は、多数の桁で水平尾翼と垂直尾翼を支え、飛行中の空気抵抗、飛行操縦操作するときの抗力・強度を維持している。


図(右)1940年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の水平尾翼の構造図

図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


エンジンナセルは、高速で飛行する航空機のエンジンと周辺機器を保護するための金属製カバーで、形状は空力学的に、空気抵抗を減少させ、プロペラ気流を乱さないことが必要となる。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃の主翼ピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp)取付け架とエンジンナセルに引き込まれる降着装置・ゴム主輪の構造図

図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃の主翼ピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp)取付け架とエンジンナセルに引き込まれる降着装置・ゴム主輪の構造図

図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(右)1940年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の主翼に搭載されたピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp)とエンジンナセルの構造図
;エンジンナセルには、引き込み式降着装置が引き込む収納空間を確保している。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(右)1940年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の主翼に搭載されたピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp)とエンジンナセルの構造図
;エンジンナセルには、引き込み式降着装置が引き込む収納空間を確保している。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(右)1940年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の主翼に搭載されたピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp)とエンジンナセルの構造図
;エンジンナセルには、引き込み式降着装置が引き込む収納空間を確保している。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


飛行機胴体尾部の水平尾翼の後縁にある昇降舵は、エレベーター(elevator)の名の通り、飛行機の進行方向の上下の動きを制御する舵(動翼)である。昇降舵を上げれば、機首上げで上昇し、昇降舵を下げれば機首下げで下降する。 航空機が地上にある際には、待機するにも離着陸のために地上滑走するにも、ゴム製主輪のついた降着装置が必要である。ただし、水上機では浮舟フロートで、雪上・氷上を滑走路とする機体は、スキー式橇の降着装置を備えていた。


図(右)1940年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機のエンジンナセルとエンジン取付け架の構造図
; 2基のピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp) のシリンダーから排出される排気を一本の管にまとめて、mエンジン下方に排出路をつくる。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


発動機・内燃機関・エンジンは気筒内の爆発の煙など排気が、コックピットや搭乗員の視界や操作の妨げにならないことが求められる。そこで、排気をまとめて、胴体下方に導き排気する方法が採用された。これが、発動機のエキゾースト・マニホールド (Exhaust manifold)で、エンジンにある複数の排気口から排気を1つにまとめる多岐管(manifold)の形状で集合排気管と呼ばれた。


図(右)1940年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機のピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp) の集合排気管の構造図
;シリンダーから排出される排気を一本の管にまとめて、mエンジン下方に排出路をつくる。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機とカプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機のピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp)から伸びる集合排気管は、ほとんど同じ形状である。


図(上)1941年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機コックピットの正操縦士の配置と操縦用ペダル・操縦桿の取付け構造図
(斜め前方);左側に正操縦士席があるので、計器は左側重視である。右には、機首に繋がる通路がある。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(右)1941年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃コックピット操縦装置の操縦索と降着装置の引込み操作線の配置構造図
;操縦桿の操作と、操縦用フットペダルの操作によって、エルロン、補助翼、方向舵、昇降舵などを操作する。また、引き込み式降着装置の引込みも操縦士が操作する。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機は、コックピット左側に正操縦士席が、右側に副操縦士用の操縦桿がある複式操縦装置を採用している。これは、操縦桿を移動するものではなく、あらかじめ正副2本の操縦桿があって、操作を切り替えるタイプである。しかし、改良型のカプロニ(Canproni)Ca.311では、複式操縦装置は、操縦桿1つとなり、それを左右に移動して正操縦士あるいは副操縦士が操作するタイプに変更されている。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)コックピットと並列複式操縦席のシートベルト・クッションの構造図
;操縦席は、左が正操縦士、右が副操縦士である。しかし、操縦桿は1本で、左右に半回転移動させて使用する。機首下面に前方固定7.7ミリ機関銃1丁があり、機関銃の環状照準器がある。戦闘機でも、光像式照準器はまだ実用化されなかった。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)コックピットと並列複式操縦席の構造
;操縦席は、左が正操縦士、右が副操縦士である。しかし、操縦桿は1本で、左右に半回転移動させて使用する。機首下面に前方固定7.7ミリ機関銃1丁があり、機関銃の環状照準器がある。戦闘機でも、光像式照準器はまだ実用化されなかった。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の機首(段無しガラス風防)コックピット下方の前方固定7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃・後上方の7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃回転銃塔・胴体後下方の7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃の構造図
;夜間行動用の左右主翼先端の航空灯、主翼下面の照明塔、尾翼の尾灯などの配線図。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段無しガラス風防)の機首コックピットと機首下面前方固定7.7ミリ機関銃1丁
;機関銃を固定する金具が示されている。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)コックピットの並列複式操縦席は、左が正パイロット、右が副パイロットである。操縦桿は左右可変式の1本で、左右に半回転移動させて、どちらかのパイロトが操縦する。操縦桿が正副2本あるよりも、休憩している操縦士の視界と居住性を向上できるうえに、操縦索や構造を簡易化することができる。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段無しガラス風防)の機首コックピット先端の爆撃手席とその構造図
;コックピットの床は平面板とガラス窓がある。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)コックピット前方にあるガラス窓の構造図
;操縦席は、左が正操縦士、右が副操縦士で、その前に爆撃主席が設けられている。爆弾倉とその扉は、このガラス窓の後方にある。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニCa-310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の機首は、段アリの一般的な形状だが、発展型のカプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃では、コックピットと一体化して全面ガラス風防で覆われている。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段無しガラス風防)の機首コックピット先端の爆撃手席とそのガラス風防構造図
;視界を確保するために機首は段無しのガラス風防で覆われている。そこに、爆弾照準器と爆撃手席がある。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段無しガラス風防)の機首コックピットは、視界が良い全面ガラス風防を採用した。このような全面ガラス風防は、ドイツ空軍のハインケルHe111P型、ドルニエDo-217E型が採用しているが、居住性と操作性にも優れている。問題は、敵戦闘機の攻撃を受けた際の防御力の弱さである。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃(段無しガラス風防)の機首コックピット操縦席前面の大型ガラス風防の構造図
;視界を確保するために機首は段無しのガラス風防で覆われている。そこに、操縦席と爆撃手席が配置されている。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機コックピットは、左右に正副操縦士の操縦席がある複式操縦であるが、左の正操縦士の計器盤に比較して、右の副操縦士の計器盤は数がに少ない。これは、右側の副操縦士用の計器が簡略化されたためである。


図(上)1941年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機コックピットの操縦席から伸びる操縦索と垂直水平・水平尾翼の補助翼の構造図
(斜め前方);
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(右)1937年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃の機首部分のピトー管と部品構造図
;ピトー管は、複数の管に流入する気流の圧力差から対地速度を計測する。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニCa-310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の機首は、段アリの一般的な形状だが、発展型のCa.311軽爆撃機では、コックピットと一体化して前面ガラス風防で覆われている。視界が良い機首全面ガラス風防は、ドイツ空軍のハインケルHe111P型、ドルニエDo-217E型が採用しているが、居住性と操作性にも優れている。問題は、敵戦闘機の攻撃を受けた際の防御力の弱さである。


図(右)1941年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の左右のピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp)点火プラグとその配置図(段有りガラス風防)

図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


イタリア爆撃機カプローニCA311 エンジンを始動してプロパラを回転させるには、電動セルモーターを取り付けて始動する方法があるが、これは始動用のモーターを予め装備する分だけ、重量と空間が嵩むことになる。また、モーターではなく、手動でゴム・喘鳴あるいはクランクを通してイナーシャ(弾み車)を回し、初めにプロペラを回転させ、エンジンを始動する方法もある。イナーシャ(はずみ車)は、金属製円盤を回転させ運動エネルギーを保存し、プロペラシャフトに繋いで連動させエンジンを始動する方法である。当時の日本では、信頼性のある電池もセルモーターも量産することは困難だったために、クランクを使って手動でイナーシャを回転させていた。


図(上)1941年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の左右のピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp)操作線配置図(段有りガラス風防)

図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(上)1941年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の右側のピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星型(radial)7気筒(cylinder)エンジン 350 kW (470 hp)操作線配置図(段有りガラス風防)

図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有りガラス風防)の通信用アンテナ線の配置図

図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段有りガラス風防)コックピットの自家発電用の風力発電機と通信装置・レシーバの配置図
;胴体中央下面に自家発電用の小型紡錘形の2翅プロペラ風力発電機が設置されている。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311軽爆撃機は、小型の機体だが、並列式の複式操縦装置を備えている。左側に正操縦士席があるので、計器は左側重視である。右には、機首に繋がる通路がある。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の機首(段無しガラス風防)コックピットの自家発電用の風力発電機とその配電の全体構造図
;夜間行動用の左右主翼先端の航空灯、主翼下面の照明塔、尾翼の尾灯などの配線図。
図は, AEROPLANI CAPRONI, MILANO Aeroplano CAPRONI 311 -V Serie 2 MOTORI P.VII C.35 MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] MILANO 1941引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)コックピットの自家発電用の風力発電機と通信装置・レシーバの配置図

図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の胴体中央下面に小型紡錘形の自家発電用の2翅プロペラ風力発電機が設置されている。これは、航空灯、主翼の照明塔などの消費電力が少ない危機に使用された。機内の通信には、蓄電池を通じて給電する。このような小型風力発電機は、フランスやドイツでも採用していた。元来は、十分な蓄電池(バッテリー)があれば、エンジンの駆動によって蓄電できるために、自家発電機は不要である。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)の自家発電用の風力発電機と電動部品図
;通信・操縦操作・爆弾倉の操作・降着装置の操作など、電動あるいは油圧を使用するので、自家発電機があれば充電器を充電できる。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)コックピット下面に取り付け可能な写真銃(ガンカメラ)の配線図
;写真銃は、機関銃による敵機や地上目標攻撃の戦果確認に便利であるが、高価である上に、空気抵抗を増加させるために、枢軸国ではあまり使用されていない。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機は、コックピット下面外側に写真銃(ガンカメラ)を取り付けることができた。写真銃(ガンカメラ)は、機関銃による敵機や地上目標攻撃の戦果確認に便利である。アメリカ軍では第二次世界大戦の後半には、戦闘機、地上攻撃機に小型の機内収容型写真銃(ガンカメラ)を広く普及させた。しかし、写真銃(ガンカメラ)は、高価で運用経費が掛かり、さらに、取り付けた場合に空気抵抗を増加させ飛行性能を低下させたために、枢軸国ではあまり使用されていない


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)のコックピットの引込み式降着装置の操作計器盤の配線図
;緑のランプは主輪が降りていて着陸できる状態、赤のランプは主輪が引き込まれている状態を示す。2個ずつあるのは、左右の降着装置に連動しているため。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の胴体金属骨格の中部下面には、爆弾倉の爆弾を投下する切り欠きがあり、金属製骨組み開いている。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)のコックピット先端の爆撃手席と並列複式操縦席の構造図

図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


1939年4月1日に初飛行したCa.311は、1939年から部隊に配備されが、総生産機数は335機にとどまった。主に偵察爆撃機として使用された。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)の胴体コックピットの並列複式操縦席の構造図
(304番);死体の左側が正操縦士の、右側が副操縦士の席である。操縦桿一つしかないが、正副どちらの操縦士も操縦桿を摂ることができるように、移動式操縦桿を備えている。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)は、並列複式操縦席を備えているが、操縦桿一つしかない。正副操縦士の間を半回転させて、どちらの操縦士も操縦桿を摂ることができるように、移動式操縦桿を備えている。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機(段無しガラス風防)の操縦席の操縦桿およびコックピット下面に装着可能な写真銃の取付け構造図
(304番);機体の左側が正操縦士の、右側が副操縦士の席である。操縦桿一つしかないが、正副どちらの操縦士も操縦桿を摂ることができるように、移動式操縦桿を備えている。
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。



写真(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の胴体後方に搭載された航空写真機とその取付け配置

写真は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星形9気筒(cylinder)エンジン350 kW (470 hp)2基搭載
公式カタログ(pp.9-11)掲載の性能

巡行速力:305km/h
最高速力:359km/h/高度4000m
失速(最低速力)119km/h
実用上昇限度:6500m
航続距離:1600km/巡行速力300km
最大航続距離:1950km/巡行速力300km
燃費:790kg/1600km;0.493kg/km

諸元
全幅:16.200m
全長:13.400m
全高:3.030m
主翼面積:38.400平方メートル

兵装搭載量
7.7ミリ機関銃3丁・弾薬各500発当たり
総重量260kg
兵装搭載量の内訳
弾薬:60kg
兵器:40kg
装着装填諸機材:120kg
写真銃:30kg


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.311偵察爆撃機の胴体後方に搭載された航空写真機とその取付け部品の構造図
(19001番以降);
図は, Caproni Ca. 311 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA(1941年ローマ刊行) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore引用。


カプロニ(Canproni)Ca.311ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.35空冷星形9気筒(cylinder)エンジン350 kW (470 hp)2基搭載
公式カタログ(pp.9-11)掲載の性能

爆弾:400kg

空虚重量:3500kg
搭載量:1360kg
総重量:4860kg

搭載量(1360kg)内訳
乗員重量:1人当たり80kg、乗員3人合計240kg
兵装:260kg
燃料(1055L/比重0.720):760kg
潤滑油:100kg
総搭載量:1360kg


4.カプローニ(Caproni)Ca.313軽爆撃機


写真(右)1942年頃,スウェーデン、イタリアから輸入されたスウェーデン空軍B 16(?)カプローニ(Caproni)Ca.313爆撃機20号機
:飛行中の姿。カプローニ(Caproni)Ca.313は第二次世界大戦勃発3か月後、1939年12月22日初飛行。スウェーデン空軍が輸入し配備した機体で、君主、議会(リクスダーゲン)、政府を表す三王冠(Tre Kronor:Three Crowns)の国籍マークを付けている。
Inglasat foto på flygande B 16 Caproni Ca 313 Classifications Type: Tavla, Object Subject: Kulturhistoria , Kontor , Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden First published in Europeana: 2016-05-13.
Rights: Creative Commons - Erkännande Dataset: 916113_Ag_SE_ Flygvapenmuseum
写真は, European Union Europeana Identifier: FVM.149968 引用。


イタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca.313軽爆撃機は、チェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)の設計になり、第二次世界大戦勃発3か月後、1938年12月7日初飛行、1940年から部隊配備。総生産機数は271機である。

カプローニ(Caproni)Ca.313軽爆撃機は、全長12.20 m、全幅 16.20 m、全高 3.03 m、空虚重量 3 875 kg、総重量 5 475 kg、ピアッジョ(Piaggio) P.XVI RC-35 空冷星形9気筒エンジン700hp2基装備、最高速力430 km/h (268 mph, 233 kn)、航続距離 1,550 km 、実用上昇限度 7,800 m、7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁、爆弾搭載量 400 kg (882 lb)。生産機数271機。

1939年12月22日初飛行のカプローニ(Caproni)CA 313も、チェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)の設計になり、の設計である。総重量5,672 kg (12,505 lb)の軽爆撃機で、発動機はイソッタ・フラスキーニ デルタ(Isotta-Fraschini Delta )R.C.35 I-DS倒立空冷V型12気筒空冷エンジン 545 kW (730 hp) 2基装備、最高速力 430 km/h (268 mph, 233 kn)、航続距離 1,700 km (1,050 mi, 910 nmi)、実用上昇限度 8,500 m (27,880 ft)。高性能とは言えないが、少ない経費で271機が量産された。また、スウェーデン、ノルウェー、ベルギー、クロアチアは、カプローニ(Caproni)Ca.312/Ca.313を輸入して、部隊配備した。

空冷倒立エンジンは空冷星形エンジンよりも同出力であれば正面面積が遥かに小さくなり、形状が全く異なるので区別は容易である。

1930年代後半、イタリア空軍のカプローニ(Caproni)Ca.310双発偵察爆撃機を原型に、発展型、輸出型が開発された。カプローニ(Caproni)Ca.313小型爆撃機は、イタリアが第二次世界大戦に参戦する1940年6月以前に、ノルウェー、スウェーデンが輸入したが、さらにらにベルギーは24機、イギリスは300機のCa.313を発注している。ただし、イタリアの参戦で、実機が引き渡されることはなかった。

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca.313偵察爆撃機を見る。


5.カプローニ(Caproni)Ca.314 攻撃機


写真(右)公式マニュアル掲載のカプロニ(Canproni)Ca.314爆撃機(段有り機首ガラス風防)
;Ca.314は、Ca.313とは兵装が異なるが、Ca.314公式マニュアルではCa.313公式マニュアルの写真がCa.314として掲載されている。
Caproni Ca. 314 versioni A - B - C a cura di Riccardo TROTTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio掲載。
写真は, MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] ROMA Aeroplano Caproni 314 - 2 MOTORI I.F. DELTA Rc.35 I./D.S. ISTRUZIONE PER L'USO DELL' AEROPLANO, RELAZIONE TECNICA(発行年不詳)引用。


イタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca. 310小型爆撃機の最終型となったCa.314は、チェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)の設計になるが、エンジン出力向上がほとんどなかったため、総重量増加に伴って飛行性能は低下した。その多くが地上攻撃機・襲撃機として使用されたが、航空魚雷を搭載した雷撃型が作られている。

カプローニ(Caproni)Ca.314 攻撃機の諸元
乗員Crew: 3名
全長Length: 11.8 m (38 ft 9 in)
全幅Wingspan: 16.65 m (54 ft 8 in)
全高Height: 3.7 m (12 ft 2 in)
主翼面積Wing area: 39.2 m2 (422 sq ft)
空虚重量Empty weight: 4,560 kg (10,053 lb)
総重量Gross weight: 6,620 kg (14,595 lb) 発動機Powerplant: イソッタ・フラスキーニ デルタ(Isotta-Fraschini Delta )R.C.25 (I-DS) 倒立V型12気筒空冷エンジン 540 kW (724 hp) 2基
性能Performance
最高速力Maximum speed: 395 km/h (245 mph, 213 kn)
航続距離Range: 1,690 km (1,050 mi, 910 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 6,400 m (21,000 ft)
武装Armament
2 × 12.7 mm (0.500 in) 前方固定ブレダ(Breda SAFAT)機関銃(主翼付け根)、1 × 7.7 mm (0.303 in) ブレダ(Breda SAFAT)機関銃回転銃塔
爆弾搭載量: 500 kg (1,100 lb)

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca. 314 攻撃機を見る。


6.カプローニ(Caproni)Ca. 316 水上機


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の側面構造図
(図2);ピアッジオP. VII C. 16空冷星形7気筒エンジン2基装備、2翅プロペラ装備。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA. 316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機は、ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.16/35空冷星形9気筒(cylinder)エンジン350 kW (470 hp)2基装備で、最大離昇重量 4,650 kg (10,251 lb)、最高速力365 km/h (227 mph, 197 kn)、航続距離 1,690 km (1,050 mi, 910 nmi)の性能だった。
原型のカプローニ(Caproni)Ca.310陸上機は、1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備。生産機数 312機。このCa.310の水上機仕様Ca.310 Idroを原型として、CA.316は1940年8月14日初飛行した。しかし、戦局悪化の中で、低性能の水上機は制式されず、生産機数は14機のみで終わった。

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca.316 水上機を見る。


7.カプローニ(Caproni) Ca.135爆撃機

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカプローニ(Caproni)CA 135小型爆撃機とカプローニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio:南西風)軽爆撃機(右手側):
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand Aeroplani Caproni S.A Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: In primo piano l'aereo bimotore da bombardamento Caproni CA 135
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_226引用。


イタリア空軍カプローニ(Caproni)CA 135爆撃機は総重量9,556 kg、カプローニ(Caproni) Ca.310リベッチオ軽爆撃機は総重量 4,650 kg で重量は2倍の格差があるが、ドイツ空軍のドルニエDo-17爆撃機は全備重量7650kg、ハインケルHe111は総重量 12,030 kg、 ユンカースJu-88爆撃機は総重量 14,000 kgで決して小型すぎるということはない。

図(右)カプローニ(Caproni)Ca.135bis爆撃機
Magyar: Caproni Ca 135 bis Date 23 February 2014, 15:00:41 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons, Category:Caproni Ca.135 File:Caproni Ca 135 bis.svg引用。


カプローニ(Caproni)CA 135爆撃機の諸元
全長:14.38m
全幅:18.80 m
全高 3.4m
主翼面積:60平方メートル
発動機:ピアッジョ(Piaggio) P.XI RC40空冷星形14気筒エンジン1.000馬力(735kw)2基
総重量:9,556 kg
最高速力: 365 km/h (227 mph, 197 kn)4,800 m
航続距離: 1,200-2,000 km
実用上昇限度:6,500-7,000 m
兵装:12.7ミリ ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、7.7ミリブレダ(Breda-SAFAT)機関銃1丁
爆弾搭載量:最大1.6トン
生産期間:1936-1941年
総生産機数:140機

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)CA 135爆撃機を見る。


8.ブレダ(Breda)Ba 82爆撃機

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたブレダ(Breda)Ba 82爆撃機試作機:手前の小型模型は、ブレダ(Breda)Ba 88双発急降下爆撃機である。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand della Società italiana Ernesto Breda Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: Al centro l'aereo da bombardamento Breda Ba 82; in primo piano il modello dell'aereo Ba 88
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_214 引用。


イタリア空軍が1934年に単葉引込脚高速双発爆撃機の仕様を競争試作させたが、仕様にブレダ、CMASA、カント、フィアット、カプロニ・ベルガマスキ、ピアッジオの6社が応募しての競作試作となった。有力なブレダでは、アントニオ・パラーノ技師、ジュゼッペ・パンツァーリ技師が初の全金属製応力外皮・引込み脚を採用したら斬新な設計で臨んだ。搭載した発動機は、試作段階のフィアット(Fiat)A.80 RC41空冷星形エンジンだったが、従来よりも大出力の新型エンジンによって、優れた飛行性能が期待されtら。原型機が完成したのは、1937年でミラノ航空ショーに堂々と展示され、その飛行性能が固辞された。ブレダの解説では、最高速力450km/h、搭載量(ペイロード:燃料や爆弾)は3400kg、実用上昇限度9500mという高性能だった。しかし、全長が短いこともあって、飛行安定性が悪く、発動機の稼働率も低く、実用爆撃機として制式されずに終わった。

ブレダ(Breda)Ba 82爆撃機試作機の諸元
乗員Crew: 4名
全長Length: 14 m (45 ft 11 in)
全幅Wingspan: 21 m (68 ft 11 in)
全高Height: 4.5 m (14 ft 9 in)
主翼面積Wing area: 66 m2 (710 sq ft)
空虚重量Empty weight: 6,840 kg (15,080 lb)
総重量Gross weight: 10,400 kg (22,928 lb)
発動機Powerplant: フィアット(Fiat)A.80 RC 41空冷星形エンジン750 kW (1,000 hp) 2基
性能Performance
最高速力Maximum speed: 425 km/h (264 mph, 229 kn)
実用上昇限度Service ceiling: 9,800 m (32,200 ft)
兵装Armament:7.7 mm ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁
爆弾搭載量:1トン


9.フィアット(Fiat)BR.20爆撃機チコーニャ

写真(上)1937年,イタリア空軍フィアット(Fiat)BR.20爆撃機チコーニャ(Cicogna:コウノトリ):この初期型のBR.20は機首銃座下のガラス風防が一段で数が少ない。他方、後期型のBR.20Mは、二段の機首ガラス風防である。双尾翼式の双発機で、大戦突入前のイタリア三色旗トルコローレの緑白赤の華麗な国籍マークを描いている。1937年イタリア航空省刊行のカタログに掲載された公式写真。
写真は,CATALOG NOMENCLATORE per FIAT B.R. 20 (Motor FIAT A.80 R.C.41) AERONAUTICA D'ITALIA-S.A.-TORINO(1937 Torino Anno XV.)引用。


初期型フィアット(Fiat)BR.20は機首銃座下のガラス風防が一段で数が少ない。他方、後期型フィアット(Fiat)BR.20 M は、二段の機首ガラス風防である。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)BR.20を見る。


10.サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機


写真(上)1943年前半,イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79bis スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の側面
:ALFA 126 R.C.34
写真は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, CATALOGO NOMENCLATORE PER AEROPLANO S. 79 BIS PER MOTORI ALFA 126 R.C.34 Roma 1943・A.XXI引用。


サボイア・マルケッティSM-79(Savoia Marchetti SM.79)三発爆撃機の諸元
初飛行:1934年9月28日
乗員Crew: 6名
全長Length: 16.2 m
全幅Wingspan: 20.2 m
全高Height: 4.1 m
主翼面積Wing area: 61.7 m2
空虚重量Empty weight: 7,700 kg (16,976 lb)
総重量Gross weight: 10,050 kg (22,156 lb)
発動機Powerplant: 空冷星形9気筒アルファロメオ(Alfa)128 R.C.18 エンジン 860馬力(642 kW)

最高速力Maximum speed: 460 km/h (290 mph, 250 kn)/高度3,790 m (12,430 ft)
航続距離Range: 2,600 km (1,600 mi, 1,400 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,500 m (24,600 ft)
火器Guns: 12.7 ミリ (0.5 in) ブレダ(Breda-SAFAT)前方固定機関銃1丁(コックピット上部)
12.7ミリ(0.5 in)ブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃2丁(後上方・後下方)
7.7 ミリ (0.303 in)機関銃2丁(胴体左右側方)
爆弾Bombs: 爆弾倉 1,200 kg (2,645 lb)
生産期間:1936-1943年
総生産機数: 1218機

⇒写真集Album:サボイアマルケッティSM-79三発爆撃機を見る。


11.カント(CANT)Z.1007アルシオーネ (Alcione)爆撃機

写真(右)1940年版カント(CANT)Z.1007 bisマニュアル・カタログのカント(CANT)Z.1007 bis爆撃機(単尾翼式)の側面
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z.1007 Bis- Monoderiva -a cura di Fabrizio CATALANO, Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA イタリア航空省(Ministero Dell'Aeronautica)引用。


カントCANT Z.1007bis爆撃機の諸元
乗員rew: 5名
全長Length: 18.35 m (60 ft 2 in)
全幅Wingspan: 24.8 m (81 ft 4 in)
全高Height: 5.22 m (17 ft 2 in)
主翼面積Wing area: 70 m2 (750 sq ft)
空虚重量Empty weight: 9,396 kg (20,715 lb)
最大離陸重量Max takeoff weight: 13,621 kg (30,029 lb)
発動機Powerplant: ピアジオ(Piaggio) P.XI R.C.40空冷星形14気筒エンジン745 kW (999 hp)2基
最高速力Maximum speed: 458 km/h (285 mph, 247 kn)
航続距離Range: 1,795 km (1,115 mi, 969 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,500 m (24,600 ft)
兵装Armament
12.7 mm (0.5 in) イソッタ=スコッチ(Isotta-Fraschini Scotti)機関銃あるいは12.7 mm (0.5 in)ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁
7.7 mm (0.303 in) ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁
爆弾搭載量Bombs: 2,200 kg (4,900 lb) 爆弾倉と外装の合計.
45cm(17.7 in) 800 kg (1,800 lb)魚雷2本.
生産期間:1938-1943年
生産機数:660機

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.1007爆撃機を見る。


12.ピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第1図・ ピアッジョP.108B爆撃機の側面
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第1図
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 重爆撃機の諸元
初飛行:1939年11月24日
実戦投入:1942年

乗員 6名
全長:22.92 m
全幅:32.00 m
全高:7.70 m
主翼面積:135.54 m2
全備重量:29,885 kg
エンジン:ピアッジョ(Piaggio) P.XII RC.35 空冷星型18気筒空冷エンジン 1,350 hp 4基
生産機数:37機

ピアッジョ(Piaggio) P.108 B 重爆撃機の性能
最高速力:420 km/h/高度3,900m
航続距離:3,520 km
実用上限高度:6,000 m
上昇率:2,000 m/10'00”
武装 12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃6丁
7.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁
爆弾搭載量 3,500 kg

⇒写真集Album:ピアッジョ(Piaggio)P.108重爆撃機を見る。


13.カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機


写真(右)2011年10月、イタリア、ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館(Museo storico dell'Aeronautica Militare di Vigna di Valle)に保管されているファシストと戦った連合国側のイタリア空軍カント(CANT)Z.506 S アイローネ(Airone:アオサギ)水上救難機(84-4)
;胴体下面の爆弾倉の扉が開いている。バルジ先端のガラス風防張りの爆撃手席は設けられていない。
Displayed in Hangar BADONI Date 20 October 2011, 12:25 Source Cant Z.506S 'MM45425 / 84-4' Author Alan Wilson
写真はWikimedia Commons, Category:CANT Z.506 Airone File:Cant Z.506S MM45425 84-4 (6446969945).jpg引用。


カントとは、航空機メーカーのカンティエリ・ナヴァレ・トリエスティーノ(Cantiere Navale Triestino)の略称で,カント(CANT)Z.506水上機は、フィリッポ・ザパタ(Filippo Zappata)技師の設計になり、1935年8月19日に初飛行した三発機である。1937年10月2-17日に北イタリア、ミラノで開催された航空展示会に出品された。カント(CANT)Z.506の生産機数は、試作2機、量産機314機と1930年代の大型水上機にしては多数生産されている。

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone:アオサギ)水上機を見る。


14.イタリア統領ムッソリーニ

1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、兵力撤退の要請が無視されたイギリス・フランスは、9月3日、ドイツに対して宣戦を布告した。こうして、これから6年近くの第二次世界大戦がはじまったが、イタリアはドイツとの軍事同盟があったが、参戦せず中立を保った。リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo、1896-1940年6月28日)は、イギリスとフランスとの戦争を始めることに躊躇しなかったが、同時に、ヒトラー・ドイツがイタリアを無視して独自の外交・戦略を進めることに反感を感じており、これは外務大臣ガレアッツォ・チアーノと共通していた。彼らは、地中海世界を制する大ローマ帝国を夢見ていたのであって、北ヨーロッパでの戦いには、意義を見出していなかった。そこで、北アフリカ、バルカン半島へのイタリア勢力拡張を望んでいたのである。

フィアットCR42 1940年6月にイタリアが第二次世界大戦に参戦すると、リビア総督バルボは、リビア駐屯イタリア軍によるエジプト攻撃を命じられた。しかし、バルボは、植民地戦争に躊躇はなかったが、現時点でのエジプト攻撃は、イギリス・フランス相手の世界戦争の一環であり、局地紛争に留まらないのであって、イタリアにこの2カ国と戦争するだけの戦備はないと判断していた。

しかし、1940年5月、ドイツ軍フランス侵攻「黄色の事例」が発動し、6月にフランスの敗退が決定すると、イタリア統領ムッソリーニは、第二次世界大戦がドイツの料理で終わる前に参戦し、国際影響力を確保する必要性を痛感した。そこで、中立による戦略的優位性を投げ出し、ドイツ側に立って参戦し、南フランス、エジプトの攻撃を命じた。

フィアットG50 ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)は、名家出身の外務官僚だったが、ファシズムに共鳴し、1930年4月24日にムッソリーニ長女エッダと恋愛結婚した。そして、1936年には、チャーノは33歳の若さで外務大臣に就任し、1943年9月にムッソリーニとたもとを分かつまでその地位にあり、イタリア外交の中心的人物となった。しかし、ムッソリーニは、ドイツ語、英語、フランス語も操る国際人であり、ムッソリーニ自身が外交方針を指図したために、外務大臣チャーノの役割は、ムッソリーニへの情報提供や相談役といったものであった。

しかし、ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)の日記は、イタリアのファシスト政権ばかりでなく、ドイツやイギリスの情報の宝庫でもある。実際、チャーノは、外交特使というよりムッソリーニ特使として、諸国に出向いており、外国の政府首脳や要人との交渉や折衝に当たっているので、その経験に基づいて、多くのことを日記に記述している。この日記を保管していたのは、ムッソリーニの長女チャーノ夫人エッダである。

フォゴーレMC202 1939年4月、イタリアによるアルバニア侵攻では、自ら飛行機を操縦士前線を飛んでいる。アルバニア王国はすぐに降伏し、イタリア保護国となったが、実際は併合されたに等しかった。チャーノはアルバニアに居を構えたが、あたかもアルバニア副王のように豪華な生活を享受した。これは、侵略による略奪であるが、チャーノは個人的な財産を増殖させることに繋がるとして、植民地拡大、戦争支持の立場にあった。

1943年5月7日、アメリカ軍がビゼルト、イギリス軍がチュニスに突入したことで、チュニジア戦線の枢軸軍は、5月13日には全面的に降伏した。北アフリカ戦線で降伏して捕虜となった枢軸国軍は 27万人と膨大であり、これは3ヶ月前にソ連スターリングラードの敗戦時の2倍以上の規模だった。

1943年5月13日、北アフリカのチュニジアでドイツ・イタリア軍が降伏し、西側連合軍は、チュニジア・マルタから、チュニジア⁼シチリア島の中間にあるパンテッレリア島を空襲し、さらに艦砲射撃も実施して、6月11日にイタリア軍守備隊を降伏させた。

写真(右)1941年8月、ソビエト連邦、ウクライナ、ドイツの同盟軍としてソ連に侵攻したイタリア遠征軍を閲兵するイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ;ムッソリーニは、盟友ヒトラーとともに、ウクライナの東部戦線を訪問し、イタリア軍とドイツ軍の部隊を視察した。
Dictator Benito Mussolini (R) inspects Italian troops
‘It was a terrible idea’ School scraps 'unique' fascism-themed ball after angry complaints.
Jon Rogers 21:41, Wed, Feb 15, 2017 | UPDATED: 22:34, Wed, Feb 15, 2017
One of the photos on the original flyer showed dictator Mussolini in uniform, walking down the steps of the school with its head teacher at the time.
写真は,2021 Express Newspapers. "Daily Express ‘It was a terrible idea’ School scraps 'unique' fascism-themed ball after angry complaints引用。

1943年7月10日、西側連合軍は、イタリアのシシリー島攻略「ハスキー作戦」を発動、グライダー140機、空挺部隊3000人をシチリア島南部に降下させた。そして、シシリー島南岸に艦砲射撃の援護の下に、地上軍を上陸させた。

1943年7月10日、イギリス・アメリカ軍は、 「ハスキー作戦」に基づいてシシリー島に上陸した。そして、シシリー島北東端、イタリア本土にメッシーナ海峡を隔てたメッシーナを目指して進撃した。シシリー島上陸から1か月後、8月11日、シチリアのドイツ・イタリア軍守備隊は、イタリア半島に脱出した。

シシリー島のイタリア住民の中には、西側連合軍の占領を歓迎する動きが強かった。そして、イタリア半島近くのシシリー島が西側連合軍に占領されたことで、イタリア本土の国民の多くは、イタリアが世界大戦から離脱し、講和すべきであると考えるようになった。

レジアーネ Re2000 イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)の後継首相にイタリア軍総司令官ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)元帥を任命した。バドリオ政権は、ドイツの武力介入に名目を与えないように、引き続きドイツとともに戦うと表明しながらも、裏では西側連合国との降伏交渉を進めていた。

1943年7月24日の西側連合軍(アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国、フランス、ポーランドなど)のシシリー島上陸「ハスキー作戦」で、枢軸国の敗北が予期される状況で、7月25日ファシスト大評議会で、クーデーター的にムッソリーニ首相退任要求の決議が採択、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によってベニート・ムッソリーニBenito Mussolini)は首相を解任された。そして、逮捕されたムッソリーニは、アペニン山脈グラン・サッソ山荘王ホテル「カンポ・インペラトーレ」に幽閉された。

ムッソリーニを救出するために、ドイツ空軍降下猟兵(空挺部隊)とSS武装親衛隊16人からなるコマンド部隊は、ドイツ滑空機研究所DFS230グライダー12機に分乗し出撃した。

フィーゼラーFi156 グラン・サッソで解放されたベニート・ムッソリーニがを解放し、ドイツ空軍フィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」連絡機(登録コード:SJ+LL)で山腹から離陸した。

⇒写真集Album:グランサッソからのムッソリーニ救出作戦を見る。

1943年7月25日、ムッソリーニの首相罷免とそのと独裁的権能を剥奪する議案が決まった。それを受けて、7月25日にムッソリーニはイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世により罷免解任を告げ、後任首相にムッソリーニにイタリア軍司令官を罷免されたバドリオが任命された。バドリオ元帥は、ドイツの介入を招かないように表向きは戦争継続を主張しつつ、西側連合国と講和を図り、1943年9月3日になって降伏が決まった。

ムッソリーニ失脚後、後継首相ピエトロ・バドリオ元帥は、ドイツに介入されないように戦争の継続を公約したが、1943年9月2日、西側連合国と密かに休戦協定を結び、9月8日にヨーロッパ方面の西側連合軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー大将は、これを公表した。これに対抗して、1943年9月にベニート・ムッソリーニは、イタリア社会共和国Repubblica Sociale Italiana:RSI)を建国したが、これはドイツ傀儡政権となった。

イタリア社会共和国Repubblica Sociale Italiana:RSI)に対峙したイタリア王国は、1943年9月に降伏し10月13日、ドイツに宣戦布告をした。

1944年1月22日、ローマ南アンツィオに、アメリカ軍、イギリス軍を中核とした連合軍将兵3万6,000名、車両3,200輌岸が上陸。6月4日、首都ローマが陥落。このときムッソリーニは、首都ローマが失陥した後も戦い続けることをイタリア国民にラジオ放送で訴えた。

ベニート・ムッソリーニBenito Amilcare Andrea Mussolini:1883年7月29日-1945年4月28日)、随行した忠実な部下とともにドイツ軍とともに逃げ延びようとした。しかし、ムッソリーニは、頼りにしていたドイツ軍部隊にも裏切られて、パルチザン側に引き渡され拘束された。

⇒写真集Album:ムッソリーニの処刑(Mussolini Execution)を見る。



ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
風立ちぬドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カント(CANT)Z.501飛行艇
カント(CANT)Z.506水上機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.212輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.82輸送機
ピアジオP.108重爆撃機
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑



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東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程 鳥飼 行博
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