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◆カプローニ(Caproni) Ca.316水上偵察機
写真(右)1939年以前、イタリア、イタリア空軍カプローニ(Caproni) Ca.316水上偵察機
:イタリアの国籍マークは、第二次大戦参戦前は、垂直尾翼にイタリア三色旗トルコローレ緑白赤の縦縞、中央にサボイア王家の紋章が入った華麗な記章だったが、1940年6月の参戦以降は、白十字に変更された。 Caproni Ca.316; 写真はWikipedia, Category:Images of Italian airplanes File:Caproni Ca.316.jpg引用。


写真(上)1942年,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機とカント(CANT)Z.506水上偵察機
(左右の奥に各1機);1937年2月20日初飛行のCa.310の水上機仕様Ca.310 Idroを原型として、CA.316は1940年8月14日初飛行。生産機数 14機のみ。
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA Coletti’s Combat Aircraft ANNO 1942 - XX F. E.引用。


◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。


1.カプローニ(Caproni) Ca.310リベッチオ軽爆撃機

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたイタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio:南西風)軽爆撃機
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand Aeroplani Caproni S.A. Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: Al centro l'aereo Caproni CA 310
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_243 引用。


カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio)軽爆撃機は、1937年2月20日初飛行、1938年に部隊配備され、1948年に至るまで使用された実用性の高い双発小型機。発動機は、ピアッジオ・ステラ(Piaggio Stella)P.VII C.16/35空冷星形9気筒エンジン470hp2基を搭載、最高速力365km、航続距離1690km、爆弾搭載量450kg。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたイタリア空軍カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio)軽爆撃機:リベッチョ(Libeccio)の命名は、「南西風」を意味する。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: In primo piano l'aereo Caproni 310
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_216 引用。


1937年2月20日に初飛行したイタリア空軍カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio:南西風)軽爆撃機は、既に1936年から始まっていたスペイン内戦に1938年7月、イタリア義勇軍として16機が派遣された。

第二次大戦緒戦で中立を守っていたイタリアは、1940年5月のドイツのフランス侵攻でフランスの命運が尽きようとしていた1940年6月10日にフランスに侵攻した。そして、僅か2週間で、対フランス戦勝利を味わったが、実際の戦闘での成果ではなく、ドイツ軍に敗北したフランスが、イタリアとの戦争を続けられなくなったためであった。しかし、イタリア外務大臣ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)は、これをイタリアの勝利としてムッソリーニの意向通り、フランスに対する強硬な領土要求を行った。しかし、対イギリス戦を控えているヒトラーは、フランスに対するイタリアの身勝手な要求を拒否した。

写真(右)1938年頃,イタリア、ノルウェーに輸出されたイタリア製カプローニ Ca310リベッチオ軽爆撃機(Caproni Ca 310 ' Libeccio '):主翼と垂直尾翼には赤・白・紺のノルウェー国旗を模した国籍マークを描いている。SM-79爆撃機よりも小型で、経費を節減しながら爆撃機を揃えることができた。
a Norwegian Ca 310 serial 505 with manufacturer's c/n 364. The photo was probably taken before the delivery flight in October 1938.
PictionID: 42002936 - Title: Savoia-Marchetti SM.79 - - Filename: 15_003030.TIF - Image from the Charles Daniel's Collection Italian Aircraft Album..
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog:15_003030引用。


ノルウェーにもカプロニCa.310リベッチオ軽爆撃機が水産加工品とのバーター交易として交換されたが、ノルウェーは、カプロニCa.310が所定の性能に達していない苦情を申し出たため、その後、より強力なエンジンに換装したカプロニCa.312が12機送られることになったが、1940年6月のドイツのノルウェー侵攻によって実現しなかった。

  浮いたカプロニCa.310リベッチオ軽爆撃機は、イギリス空軍が購入を希望したが、1940年6月にイタリアがドイツ側に立って第二次世界大戦に参戦したために、これも実現しなかった。第二次大戦では、イタリア空軍は、カプロニCa.310リベッチオ軽爆撃機を北アフリカのイタリア領リビアで偵察機として使用した。

写真(右)1939年,イタリア南端、サンピエトロ島、ターラント湾上空を飛翔するイタリア空軍カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio:南西風)軽爆撃機(GRO-102):垂直尾翼をイタリア三色旗の緑・白・赤のトリコロール(Tricolore)マークで塗って国籍記章としているが、戦時になるとこのような華麗で目立ちやすい国籍マークは、白十字に変更された。
Magyar: Taranto-i öböl, San Pietro-sziget. Az Olasz Légierő Caproni Ca-310 Libeccio típusú könnyűbombázó repülőgépe. Location: Italy
Tags: transport, Italian brand, Caproni-brand Title: Taranto-i öböl, San Pietro-sziget. Az Olasz Légierő Caproni Ca-310 Libeccio típusú könnyűbombázó repülőgépe. Date 1939
Source www.fortepan.hu/_photo/download/fortepan_39325.jpg archive copy Author FOTO:Fortepan — ID 26464: Home pagePictureInformation page Adományozó/Donor: Hídvégi Zoltán.
写真は, Wikimedia Commons, Category:Caproni Ca.310 File:Taranto-i öböl, San Pietro-sziget. Az Olasz Légierő Caproni Ca-310 Libeccio típusú könnyűbombázó repülőgépe. Fortepan 26464.jpg引用。


カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio)軽爆撃機は、枢軸側のハンガリー(1938年36機購入、ただし飛行性能カタログ未満で返還)、スペイン(16機)、ユーゴスラビア(1938年12機)、クロアチア(ユーゴから7機を継承)、ペルー(1938年16機)にも輸出された。イタリア軍の使用機数は、約200機である。

写真(右)1940-1942年頃,イタリア、飛行場上空を低空飛行するイタリア空軍カプローニ Ca310リベッチオ(Libeccio:南西風) 軽爆撃機:主翼と垂直尾翼にはイタリア三色旗を模した国籍マークを描いている。
Caproni Ca 310 Catalog #: 00076691 Manufacturer: Caproni Designation: Ca 310.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00076691引用。


カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio)軽爆撃機は、サボイア・マルケッティSM-79爆撃機よりも、小型であり、経費を節減しながら機数を揃えることができた。

写真(右)1941-1943年前半,北アフリカ戦線、イギリス軍に鹵獲された破損したイタリア空軍カプローニ Ca310リベッチオ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の戦列:主翼が破損して取り去られているので、スクラップにされるのであろう。サヴォイアS.79三発爆撃機よりも小型で、経費を節減しながら爆撃機を揃えることができた。
Caproni Ca 311 Catalog #: 00076692 Manufacturer: Caproni Designation: Ca 311.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00076692引用。


写真(右)1941-1943年前半,北アフリカ、飛行場でアメリカ軍に鹵獲された破損したイタリア空軍カプローニ Ca310リベッチオ(Libeccio:南西風) 軽爆撃機とふざけてローマ式敬礼をするアメリカ兵士たち:機首には、ファッシを模した部隊マークエンブレムが描かれている。主翼のエンジンは取り外されており、コックピットのガラス風防は破壊されている。
Aircraft Accident Title: Aircraft Accident Date: 1940-1949 Additional Information: Italian Aircraft in North Africa Tags: Aircraft Accident, Italian Aircraft in North Africa, 1940-1949.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 10_0013734引用。


写真(右)2017年6月、ノルウェー、スタヴァンゲル近郊、ソラのスタヴァンゲル空港内の航空歴史博物館(Flyhistorisk Museum)に展示されているカプロニCa-310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機:斜め前方より撮影。
Description: The Caproni Ca.310 was a twin engined light bomber / reconnaissance aircraft which was found in service to be very underpowered. A total of 312 was built, but Hungary returned all 33 of their aircraft to Italy and Norway only accepted four aircraft of the 24 ordered. The rest of the Norwegian order was converted to the improved Ca.312, but none were delivered due to the German occupation in 1940. Small remains of one of the Norwegian aircraft, ‘501’, are being incorporated into a full reconstruction by the Flyhistorisk Museum, Sola, Norway.
10th June 2017 Date 10 June 2017, 18:47 Source Caproni Ca.310 Libeccio [501] Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
Date 16 April 2016 Source Own work
写真は, Wikimedia Commons, Category:Caproni Ca.310 File:Caproni Ca.310 Libeccio -501- (43529645554).jpg引用。


1938年にハンガリーは、イタリアからカプロニCa-310リベッチョ軽爆撃機36機を購入したが、性能不足のために、33機を返還した。ノルウェーでは、戦争勃発の危機にあったため、急遽このカプロニCa-310を購入することを決め、24機を発注した。

写真(右)2017年6月、ノルウェー、スタヴァンゲル近郊、ソラのスタヴァンゲル空港内の航空歴史博物館(Flyhistorisk Museum)に展示されているカプロニCa-310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機:斜め後方より撮影。
Description: The Caproni Ca.310 was a twin engined light bomber / reconnaissance aircraft which was found in service to be very underpowered. A total of 312 was built, but Hungary returned all 33 of their aircraft to Italy and Norway only accepted four aircraft of the 24 ordered. The rest of the Norwegian order was converted to the improved Ca.312, but none were delivered due to the German occupation in 1940. Small remains of one of the Norwegian aircraft, ‘501’, are being incorporated into a full reconstruction by the Flyhistorisk Museum, Sola, Norway.
10th June 2017 Date 10 June 2017, 19:00 Source Caproni Ca.310 Libeccio [501] Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真は, Wikimedia Commons, Category:Caproni Ca.310 File:Caproni Ca.310 Libeccio -501- (43529644294).jpg引用。


ノルウェーは、戦争危機のために、イタリアからカプロニCa-310軽爆撃機24機を輸入することを決めたが、1939年9月には第二次大戦が勃発し、実際にノルウェーに届いたカプロニCa-310は4機だった。

図(右)イタリア空軍カプロニCa-310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の三面図: 1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備。生産機数 312機。
Description English: Caproni Ca.310
Date 16 April 2016 Source Own work
Author Kaboldy
写真は, Wikimedia Commons, Category:Caproni Ca.310 File:Caproni Ca 310.svg引用。


カプロニ Caproni Ca.310 リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の諸元
乗員Crew: 3
全長Length: 12.2 m (40 ft 0 in)
全幅Wingspan: 16.2 m (53 ft 2 in)
全高Height: 3.52 m (11 ft 7 in)
主翼面積Wing area: 38.7 m2 (417 sq ft)
空虚重量Empty weight: 3,040 kg (6,702 lb)
最大離昇重量Max takeoff weight: 4,650 kg (10,251 lb)
発動機Powerplant: ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.16/35空冷星形9気筒(cylinder)エンジン350 kW (470 hp)2基
プロペラPropellers: 3翅可変ピッチ
性能Performance
最高速力Maximum speed: 365 km/h (227 mph, 197 kn)

巡航速力Cruise speed: 285–312 km/h (177–194 mph, 154–168 kn) 航続距離Range: 1,690 km (1,050 mi, 910 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,000 m (23,000 ft)
兵装Armament
7.7 mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁 (主翼付根前方固定2丁、後上方回転銃塔 1丁)
爆弾搭載量Bombs: 450 kg (992 lb)


3.カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機


写真(右)1942年,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機
;1937年2月20日初飛行のCa.310を水上機化した発展型がCA.316水上偵察機で、1940年8月14日に初飛行した。生産は14機のみで、制式されずに終わった。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載写真と同じ場所・同じ機体の写真。Caproni Ca 316 Manufacturer: Caproni Designation: Ca 316
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA Coletti’s Combat Aircraft ANNO 1942 - XX F. E.引用およびSDASM Archives Catalog #: 00076705引用。同じ写真は, Caproni (CAB) Ca. 316- scala 1/72 -di Marco SERINO からも引用可能。


Ca.310軽爆撃機は、引込み式降着装置を備えた1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備の陸上機で、生産機数 312機だった。このCa.310の水上機仕様が、Ca.316水上偵察機であるが、生産機数は14機のみで制式されずに終わった。

1940年6月の第二次大戦突入前のイタリア機の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の華麗な縦縞を描いていた。1940年6月にドイツ同渓谷として参戦したイタリアでは、派手な国籍マークでは、敵に発見されやすいために、白十字に改めた。したがって、上記写真の撮影時期は、垂直尾翼の三色旗の国籍マークからみて、1940年6月以前であることが分かる。


写真(右)1942年,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機
;1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載写真と同じ場所・同じ機体の写真。
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA Coletti’s Combat Aircraft ANNO 1942 - XX F. E.引用。


1937年2月20日初飛行のCa.310陸上機を、第二次世界大戦がはじまっていた(しかしイタリアは参戦していない)1940年初めに水上機化の計画をしたのはいいが、1942年にはイタリアにとって戦局が悪化しており、低速水上偵察機が活躍する場はほとんどなかったであろう。制式されず、部隊への試験配備もされていないようだ。生産機数は14機のみ。


写真(右)1942年,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機
;1937年2月20日初飛行のCa.310を水上機化した発展型がCA.316水上偵察機で、1940年8月14日に初飛行した。生産は14機のみで、制式されずに終わった。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載写真と同じ場所・同じ機体の写真。
写真は, Caproni (CAB) Ca. 316- scala 1/72 -di Marco SERINO 引用。


Ca.316水上偵察機が、1940年初飛行とCa.310より3年以上遅いのは、wikipediaによれば、1940年就役のイタリア海軍新鋭4万トン級大型戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト」「リットリオ」「ローマ」3隻に搭載予定のためとされた。

しかし、弾着観測機としては双発では全幅15.9mと大きすぎる上に総重量4.648 kgでは、従来のカタパルトでは射出もできない。また、主翼の折り畳みができない双発艦載水上機を戦艦に搭載する空間はなく、陸上基地から支援すれば間に合う。すでにCa.310 Idroという水上機を試作しているが、それを艦載水上機としてテストもしていないようだ。


図(上)イタリア海軍戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦2番艦「リットリオ (Littorio)」
; 起工1934年10月28日、進水1937年8月22日、就役1940年5月6日の基準排水量4万3,835トンの新鋭戦艦で、同型艦は後甲板に艦載機を搭載するデリックと射出するカタパルトが各々1個配置されている。第3番砲塔は、上甲板にあるので、トップヘビーの傾向にあるが、後甲板の艦載機を運用する際は、広い空間を確保することができる。ここに、全長 12.89 m 全幅15.87 m 全高 5.11 mの双発水上機を1機か2機搭載し、整備・運用するのは容易ではない。
English: ONI identification: Littorio class battleship
図はWikimedia Commons, Category:Littorio class battleship File:Oni-Littorio.JPG引用。


戦艦「リットリオ (Littorio)」は、満載排水量4万5,963トン、全長224.5 m、全幅32.9 m、吃水10.5 m、主機14万馬力、最高速力31.5ノット、乗員1,920名、兵装:50口径381mm砲三連装砲塔3基9門、55口径155mm三連装砲塔4基12門、50口径90mm高角砲12門。


写真(右)1939年11月、イタリア海軍戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦2番艦「リットリオ (Littorio)」
; 起工1934年10月28日、進水1937年8月22日、就役1940年5月6日の基準排水量4万3,835トンの新鋭戦艦で、同型艦は後甲板に艦載機を搭載するデリックと射出するカタパルトが各々1基配備されている。ここに、双発水上機を艦載するのは実用上不可能であろう。
Italien, Schlachtschiff "Littorio" Die erste Probefahrt des 1937 vom Stapel gelaufenen italienischen 35.000 t Schlachtschiffes "Littorio" im November 1939. Scherl: "Littorio" Italiens neuestes 35.000 Tonnen Schlachtschiff in Dienst gestellt Nach einer Rekordbauzeit von 1 1/2 Jahren wurde mit einer militärischen Feier in Genua das 35.000 Tonnen Schlachtschiff "Littorio" den Marinebehörden übergeben und in den aktiven Verband der italienischen Kriegsflotte eingereiht. Dieses neue Schiff bildet mit drei Schwesterschiffen gleicher Grösse die stärksten Einheiten der italienischen Kriegsflotte, die das Kräfteverhältnis der Mittelmeer-Seemächte erheblich zu Gunsten Italiens verschieben. Die Bestückung des Schiffes besteht aus neun 38,1 cm-Geschützen, zwölf 15,2 cm-Geschützen, einer starken Flak-Abwehr aus zwölf 9 cm-Geschützen und 40 Fla-MGs, zwei Katapult-Einrichtungen und drei Bordflugzeugen. U.B. zeigt das neue italienische Schlachtschiff "Littorio". Scherl Bilderdienst, Berlin 7.5.40
Italiano: collaudo della RN Littorio (varata nel 1937) nel novembre 1939. Depicted place Italien, unknown town Date November 1939
図はWikimedia Commons, Category:Littorio class battleship File:Bundesarchiv Bild 183-S54286, Italien, Schlachtschiff "Littorio".jpg引用。


ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦は基準排水量4万4000トンで、後甲板に艦載機を搭載するデリックと射出するカタパルトが各々1個配置されている。後方の第3番砲塔は、上甲板に設けられており、一段下がった後甲板に艦載機搭載のスペースが設けられている。したがって、主砲の射界をあまり制限しないで、IMAM Ro.43水上機を搭載し、広い空間で整備・運用が可能である。


写真(右)1937年、イタリア海軍IMAM Ro.43水上偵察機
;1934年11月19日初飛行、全長 9.71 m、全幅11.57 m、全高3.51 m、主翼面積20.4 m²、空虚重量1,776 kg 、総重量2,400 kg、ピアッジョ(Piaggio)P.X R.空冷星形9気筒エンジン700馬力搭載、最高速力300 km/h、航続距離800–1,500 km、7.7mm ブレダ(Breda)-SAFAT機銃2丁装備。1940年就役のイタリア海軍新鋭戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦(基準排水量4万3,8300トン)の艦載機として2-3機が搭載された。
English: With the Italian Navy having no aircraft carriers in service at the beginning of hostilities, this led to limitations on the Italian fleet operating in the open sea. In an attempt to remedy this situation, the Regia Marina began deploying a catapult-enabled fighter plane. The choice fell on the Reggiane Re 2000, capable of the respectable speed of 530 km/h and sufficient range. On September 8th, 1943, the day of the armistice,there were 6 Re 2000 Catapultabile in service , 2 on the battleship Rome and one each on the Vittorio Veneto and Italy (formerly Littorio). Date no data
図はWikimedia Commons, CategoryCategory:IMAM Ro.43 File:Re 2000 Catapultabile.jpg引用。


しかし、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の後甲板に、全長 12.89 m 全幅15.87 m 全高 5.11 mのCa.3176双発水上機を1機か2機搭載し、整備・運用するとなれば、十分な空間を摂ることはできない。また、艦載機を搭載したまま艦砲射撃することは、爆風の強さから言って不可能である。したがって、単発のIMAM Ro.43水上機あるいはレジアーネRe.2000戦闘機3機を搭載した場合であっても、運用上の障害は大きく、とても双発水上機を艦載機とする余裕はないであろう。


写真(右)1937年、イタリア海軍ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の後甲板のカタパルトに載せられたレジアーネRe.2000 ファルコ(Falco)戦闘機
;水上機ではないので、母艦に戻ってきて、再び艦載することはできないので、陸上機基地に帰還する。1939年5月24日初飛行、全長 7.99 m、全幅11 m、全高3.2 m、主翼面積20.4 m²、空虚重量2,090 kg、総重量2,850 kg、ピアッジョ(Piaggio) P.XI RC 40空冷星形14気筒エンジン1000馬力搭載、最高速力530km/h、航続距離1400km、12.7 mm ブレダ(Breda)-SAFAT機銃2丁装備。1943年9月のイタリア降伏時、イタリア海軍戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦(基準排水量4万3,8300トン)3隻に艦載機として各2機、合計6機が搭載されていた。
English: With the Italian Navy having no aircraft carriers in service at the beginning of hostilities, this led to limitations on the Italian fleet operating in the open sea. In an attempt to remedy this situation, the Regia Marina began deploying a catapult-enabled fighter plane. The choice fell on the Reggiane Re 2000, capable of the respectable speed of 530 km/h and sufficient range. On September 8th, 1943, the day of the armistice,there were 6 Re 2000 Catapultabile in service , 2 on the battleship Rome and one each on the Vittorio Veneto and Italy (formerly Littorio). Date no data
図はWikimedia Commons, CategoryCategory:IMAM Ro.43 File:Re 2000 Catapultabile.jpg引用。


リットリオ級戦艦は、後甲板に艦載機射出用カタパルト(catapult)1基を装備し、IMAM Ro.43単発水上偵察機あるいはレジアーネRe.2000戦闘機3機を搭載した。イタリア航空省刊行のCa.316公式マニュアルにも、艦載機としての仕様やカタパルト射出の件は全く出ていない。現在の国防省イタリア空軍(Aeronautica Militare)のwebsiteにも言及は一切ない。したがって、Ca.316水上偵察機が、イタリア海軍新鋭大型戦艦「リットリオ」級戦艦への搭載を前提にして開発されたとは信じがたい。あり得るのは、カプローニ(Caproni)が新鋭艦載水上機を売り込むための喧伝がなされたということであろう。


写真(右)1942年,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機
;1937年2月20日初飛行のCa.310を水上機化した発展型がCA.316水上偵察機で、1940年8月14日に初飛行した。生産は14機のみで、制式されずに終わった。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載写真と同じ場所・同じ機体の写真。
写真は, Caproni (CAB) Ca. 316- scala 1/72 -di Marco SERINO 引用。


カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機は、Ca.310の水上機仕様ではあるが、機首・胴体は太く、コックピットの正副操縦座席とその正面計器盤の構造は、Ca.310と異なっている。初飛行の時期もCa.310の1937年2月20日よりも3年以上後も後である。しかし、装備した発動機は、Ca.310はピアッジョ・ステラ(Piaggio Stella)P.VII C.16/35空冷星形7気筒エンジン350 kW (470 hp)であり、Ca.316は同型のピアッジョ・ステラ(Piaggio Stella)P.VII C.16空冷星形7気筒エンジン353 kW(480 hp)で同一だった。


写真(右)1942年,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機
;1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載写真と同じ場所・同じ機体の写真。下記の写真の白黒版。Caproni Ca 316 Manufacturer: Caproni Designation: Ca 316
写真は, SDASM Archives Catalog #: 00076704引用。同じ写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA Coletti’s Combat Aircraft ANNO 1942 - XX F. E.からも引用可能。


したがって、最高速力は、陸上機で引き込み脚を備えたCa.310の360 km/h(航続距離1650 km)に対して、固定式双フロート装備のCa.316水上機は328 km/h(航続距離1600 km)と1割ほど遅かった。


写真(上)1942年,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機
;1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載写真と同じ場所・同じ機体の写真。上記の写真のカラー(彩色?)版。
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA Coletti’s Combat Aircraft ANNO 1942 - XX F. E.引用。



写真(右)1942年,水上機基地のランプ(滑走台)で待機するイタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機
;後方には、水上機の格納庫が見える。フロートは、陸上移動用の台車に乗っており、台車はレールの上をそのまま飛行機を乗せて移動し、海面に入る。台車は外れるが、浮がついているので海上に漂う。それを陸上から伸びたロープで手繰り寄せて回収する。
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA Coletti’s Combat Aircraft ANNO 1942 - XX F. E.引用。


水上機は、陸上で整備するために水上機基地に海から引き上げられるが、陸上で移動するためにフロートの下に台車を取付け、台車に据えられている車輪で陸上を移動する。車輪はレールの上を移動する鉄輪のこともある。つまり、水上機や飛行艇は、陸上移動用の台車を海上で装着したり、クレーンで引き揚げて台車に載せたり死ねければならない。


写真(右)1942年,水上機基地のランプ(滑走台)で待機するイタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機
;後方には、右に水上機の格納庫が、左に石造りの建物が見える。フロートは、陸上移動用の台車に乗っている。
写真は, Caproni (CAB) Ca. 316- scala 1/72 -di Marco SERINO 引用。


水上機フロートの下に装着された陸上移動用台車はレールの上をそのまま飛行機を乗せて移動できる。飛行機が発進するときは、台車に乗った水上機はそのまま、ランプから滑り、海面に出る。海上に出ると、台車は外れるが、台車の浮のために海上に漂うことになる。台車には、陸上から伸びたロープが結ばれており、地上勤務員がランプでロープを手繰り寄せて、台車を回収する。


写真(右)1942年,イタリア、水上機基地のランプ(滑走台)で待機するイタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機

写真は, Caproni (CAB) Ca. 316- scala 1/72 -di Marco SERINO 引用。


カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の諸元

乗員Crew: three
全長Length: 12.89 m (42フィート3インチ)
全幅Wingspan: 15.87 m (52 フィート 1 インチ)
全高Height: 5.11 m (16フィート9 インチ)
主翼面積Wing area: 38.0 m2 (409平方フィート)
空虚重量Empty weight: 4,000 kg (8,820ポンド)
総重量Gross weight: 4,804 kg (10,590 ポンド)
発動機Powerplant: ピアッジオ(Piaggio)P.VII空冷星形7気筒エンジン 460キロワット(616 馬力)2基
性能Performance
最高速力Maximum speed: 328 km/h (205 マイル, 178 ノット)
航続距離Range: 1,600 km (1,000 マイル, 870 ノーティカルマイル)
実用上昇限度Service ceiling: 6,000 m (19,680 フィート)
兵装Armament
口径7.7 mm (.303インチ)ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁あるいは2丁
爆弾搭載量:400 kg (882 ポンド)


3.カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機マニュアル


写真(右)1942年,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の公式マニュアルの表紙
;1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備。生産機数 312機。1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


1940年イタリア航空省刊行マニュアルの掲載写真を見ると、1940年6月の第二次大戦突入前のイタリア機の国籍マーク、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の華麗な縦縞を描いているので、写真撮影の時期は、1940年6月以前であることが分かる。

ファシスト・イタリア王国では、西暦のほかに、ファシスト党が1922年10月31日に起こしたローマ進軍、これを契機にしたファシスト・ムッソリーニ政権樹立を記念して、新歴を導入した。西暦1922年は「ファシスト政権元年」である。

カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の公式マニュアルの表紙には、1942年ファシスト歴20年、と記入されている。フィアット(Fiat)BR.20爆撃機公式マニュアルでも1940年、Anno XVIII、すなわちファシスト歴18年が記載されている。

ただし、ファシスト独裁政権が確立したのは、1924年12月31日のムッソリーニによる独裁宣言の後で、この時からは、統領ムッソリーニの権限が強化され、ファシスト党以外の政党は解散され、一党独裁となった。


図 (上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機胴体の正面図
;全幅15.900メートル、全高5.440メートル。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



写真(上)1940年6月以降,海上に停泊するイタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の側面
;P. VII C. 16エンジン2基装備、2翅プロペラ装備。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図 (上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の側面構造図
(図2);ピアッジオP. VII C. 16空冷星形7気筒エンジン2基装備、2翅プロペラ装備。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA. 316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機胴体・主翼中央部の上面・下面構造図
(図3);主翼には降着装置の浮舟フロートが左右についている。左主翼付け根には前方7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁が装備されている。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図(右)1939年以前,イタリア空軍カプロニCa-310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の上面構造図
;1937年2月20日初飛行。 スペイン内戦にも派兵された。
図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1939年ローマ刊行)引用。

カプロニ(Caproni)Ca.310リベッチオ(Libeccio)軽爆撃機は、チェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)の設計になり、第二次世界大戦勃発3か月後、1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備。総生産機数は312機である。

乗員Crew: 3
全長Length: 12.2 m (40 ft)
全幅Wingspan: 16.2 m (53 ft 2 in)
全高Height: 3.52 m (11 ft 7 in)
主翼面積Wing area: 38.7 m2 (417 sq ft)
空虚重量Empty weight: 3,040 kg (6,702 lb)
最大離昇重量Max takeoff weight: 4,650 kg (10,251 lb)


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機のピアッジオP. VII C. 16空冷星形7気筒エンジン背面と集合排気管の構造図

1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図(右)1939年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機のエンジンの集合排気管の取付け構造図
;シリンダーから排出される排気を一本の管にまとめて、mエンジン下方に排出路をつくる。
図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1939年ローマ刊行)引用。


発動機・内燃機関・エンジンは気筒内の爆発の煙など排気が、コックピットや搭乗員の視界や操作の妨げにならないことが求められる。そこで、廃棄をまとめて、胴体下方に導き排気する方法が採用された。これが、発動機のエキゾーストマニホールド (Exhaust manifold)で、エンジンにある複数の排気口から排気を1つにまとめる多岐管(manifold)の形状となり、集合排気管と呼ばれた。

イタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca. 310軽爆撃機の諸形式
1)Ca. 310:ピアシオ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.16/35空冷星形7気筒エンジン338 kW (453 hp)2基を装備。 最高速力365 km/h (227 mph, 197 kn)、巡行速力 285–312 km/h (177–194 mph, 154–168 kn)、航続距離 1,690 km (1,050 mi, 910 nmi)、実用上昇限度 7,000 m。
2)Ca.310 Idro:双フロート装備の水上機仕様。
3)Ca.310bis:ユーゴスラヴィア向け輸出仕様。 段無し全面ガラス風防を装備しCa.311の原型となった機体もある。
4)Ca.318:フランスのグローム・ローヌ(Gnome-Rhône)14Kミストラル・マヨール(Mistral Major)空冷星型14気筒エンジン 600 kW (800 hp)搭載。


図 (上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機胴体の金属溶接鋼管の骨組み構造図
;自家風力発電機(8番)、環状ループアンテナ・ラジオなどの配置が示されている。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の主翼の構造図
(図10);
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の主翼は、金属桁に軽金属外板張り、胴体は、溶接鋼管構造に軽金属外板張りだが、尾翼は、合板の木製構造である。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の主翼上面の構造図
(図12);
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の主翼断面の構造図
(図13);左側が機首で右側が尾部。上図は翼端で後縁には補助翼が描かれている。下図は付け根の断面構造図。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の主翼後縁の補助翼(エルロン)とフラップの構造図
(図14);上図が翼端の補助翼(エルロン)。下図は主翼付け根後縁のフラップ。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機コックピット操縦桿・操縦ペダルと主翼後縁の補助翼(エルロン)と水平尾翼の昇降舵の操縦制御索の構造図

1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図(上)1937年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機胴体前方のコックピット操縦士の操縦桿と操縦用ペダルの操作索と取付け構造図

図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1939年ローマ刊行)引用。


イタリア空軍カプロニ Ca310 リベッチオ軽爆撃機は、飛行場の未舗装滑走路や補給・整備体制が十分でなくとも運用できるように信頼性・運用性を重視した植民地向けの軍用機である。そのため、小国向けの輸出用機体としても喧伝され、搭載エンジンや火器は輸出相手国の実情に合わせて換装された。そして、実際にスペイン、ノルウェー、ハンガリー、ユーゴスラビア、クロアチアで使用された。


図 (上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機胴体の無線通信装置の配置・構造図
;自家風力発電機(8番)、環状ループアンテナ・ラジオなどの配置が示されている。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機胴体の垂直尾翼と水平尾翼の構造図
(図8);自胴体は、溶接鋼管構造だが、尾翼は、合板の木製構造である。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


左右主翼先端部後縁にある補助翼 (エルロン:Aileron)は、飛行機を旋回(横転、ロール)する際の舵である。つまり、補助翼は飛行機の前後中心軸をを回転させ、姿勢を変え、方向を決める舵である。


図(右)1937年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の垂直尾翼と水平尾翼の構造図

図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1939年ローマ刊行)引用。


飛行機胴体尾部の水平尾翼の後縁にある昇降舵は、エレベーター(elevator)の名の通り、飛行機の進行方向の上下の動きを制御する舵(動翼)である。昇降舵を上げれば、機首上げで上昇し、昇降舵を下げれば機首下げで降下する。

カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の胴体は、溶接鋼管構造で軽合金外板をはってものだが、水平尾翼/垂直尾翼は、合板でできた木製構造で、多数の桁で尾翼を支え、強度を維持している。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の主翼下面に取り付けられた浮舟フロートと取付け構造図

1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


航空機が地上にある際には、待機するにも離着陸のために地上滑走するにも、ゴム製主輪のついた降着装置が必要である。陸上飛行機の降着装置は、着陸時の衝撃の緩衝、地上走行時の路面凸凹による衝撃の緩衝と吸収、着陸時及び離陸断念時のブレーキ、地上走行時のステアリングを行うシステムである。構成要素は、ゴムタイヤの主輪、主脚柱、脚支柱、揚降アクチュエータ、ブレーキ、ホイール、タイヤ、ブレーキ制御機器、ステアリング制御機器、揚降制御機などである。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の胴体・主翼・浮舟フロートの正面内部構造図

1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプローニ(Caproni)CA.316双発水上偵察機は、海上や湖水を滑走路として使用する水上機であり、降着装置として双浮舟フロートを装備していた。陸上機でも、雪上・氷上を滑走路とする機体は、スキー式橇の降着装置を備えていた。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の空冷エンジンナセルの構造図

1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


エンジンナセルは、高速で飛行する航空機のエンジンと周辺機器を保護するための金属製カバーで、形状は空力学的に、空気抵抗を減少させ、プロペラ気流を乱さないことが必要となる。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の空冷エンジンナセル・エンジン取付け架の構造図

1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョの設計者は、チェーザレ・パッラヴィチーノ(Cesare Pallavicino)が担当し、Ca.310は彼がで、彼は前作の固定脚Ca.309を引き込み脚として、発動機の出力を強化して、設計しなおした。


図(上)1937年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の空冷エンジンナセル・エンジン取付け架の構造図

図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1937年ローマ刊行)引用。



図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機のコックピットから、垂直尾翼後縁の方向舵に取り付けられたタブを調整する制御索の配線図

1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


飛行中の飛行機の姿勢を変化させる動翼である補助翼、方向舵、昇降舵の後部に取付けられるタブ(Tab)は、小さな可動翼として飛行中の動翼のバランス、操作感覚を適正に維持する役目がある。 飛行中のバランスを良くして安定させるトリム・タブと、動翼の作動を操縦士に合わせるバランス・タブとがあるが、小型機では両者を兼用する場合が多い。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機のコックピットの計器盤配置図
;左側に正操縦士席があるので、計器は左側重視である。右には、機首に繋がる通路がある。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプロニ(Canproni)Ca.316水上偵察機コックピットは、左右に正副操縦士の操縦席がある複式操縦であるが、左の正操縦士に比較して、右の副操縦士の操縦席は小型であり、正面には計器盤はなく、左の正操縦士の計器盤を脇から見るようになっている。これは、右側の副操縦士席は、機首に偵察員が移動するときの通路となっているためである。


図(上)1937年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機コックピットの計器盤配置図
;左側に正操縦士席があるので、計器は左側重視である。右には、機首に繋がる通路がある。
図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1937年ローマ刊行)引用。


カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機コックピットには、左側に正操縦士席があるので、計器は左側重視である。右には、副操縦士席と機首に繋がる通路がある。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機のコックピット断面図:左の正操縦士・右の副操縦士の並列式複式操縦装置
;左側の正操縦士席には計器盤があるが、コックピット右(副操縦士の前)には、機首への通路で、計器盤はない。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機のコックピットは、Ca.310系爆撃機と同じく、左側に正操縦士席、右側も副操縦士席で、操縦桿・操縦桿も制服2組ある並列複式操縦席である。

カプロニ(Canproni)CA.316水上偵察機は、Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機と同じく、コックピットには、正副操縦士用の並列複式操縦装置があり、その後上方に手動回転銃塔1基がある。搭乗員は、正副操縦士と通信士の3名である。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機のコックピットコックピットの左の正操縦士・右の副操縦士の並列式複式操縦装置配置の構造図
(斜め左後方);左側に正操縦士席が座っているが、右側も副操縦士用の操縦桿がある複式操縦席である。左側の正操縦士席には計器盤があるが、コックピット右(副操縦士の前)には、機首への通路で、計器盤はない。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の水上機仕様から発展したCA.316水上偵察機は、小型の機体だが、並列式の複式操縦装置を備えている。左側に正操縦士席があるので、計器は左側重視である。並列式の複式操縦装置は、操縦桿を移動するものではなく、あらかじめ正副2本の操縦桿があって、操作を切り替えるタイプである。コックピット右(副操縦士の前)には、機首に繋がる通路があるために、計器盤は置かれていない。


図(右)1937年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機コックピットの正操縦士の配置と操縦用ペダル・操縦桿の取付け構造図
(斜め前方);左側に正操縦士席が座っているが、右側にも、副操縦士用の操縦桿がある複式操縦席である。右には、機首に繋がる通路がある。
図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1937年ローマ刊行)引用。


イタリア空軍カプロニ(Canproni)CA.316水上偵察機は、Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機と同じコックピット左側に正操縦士席が、右側に副操縦士用の操縦桿がある複式操縦装置を採用している。これは、操縦桿を移動するものではなく、あらかじめ正副2本の操縦桿があって、操作を切り替えるタイプである。しかし、改良型のカプロニ(Canproni)Ca.311では、復籍操縦装置は、操縦桿1つとなり、それを左右に移動して正操縦士あるいは副操縦士が操作するタイプに変更されている。

カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機コックピットは、左右に正副操縦士の操縦席がある複式操縦であるが、左の正操縦士の計器盤に比較して、右の副操縦士の計器盤は数が遥かに少ない。これは、右側の副操縦士用の計器が簡略化されたためである。




図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の左主翼付け根前方固定式7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁と胴体後上方7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁装備の手動回転銃塔(ターレット)の構造図

1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプローニ(Caproni)Ca.310軽爆撃機コックピット後上方の手動回転銃座は、2本の銃身が飛び出ているようにみえるが、これは1本は擬似機関銃を兼ねたカウンターウェイト(バランス錘)、もう1本は7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃である。Ca.310水上機仕様といえるカプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機も胴体後上方の手動回転銃塔を備えていて、やはり1本は擬似機関銃を兼ねたカウンターウェイト(バランス錘)、もう1本は7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃を搭載している。

イタリアのブレダ(Breda)-SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃である後継には7.7ミリと12.7ミリとがある。原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103​航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。


図(上)1937年頃,イタリア空軍カプロニ(Canproni)Ca.310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の胴体前部の構造図
;左主翼付け根前方固定式の7.7ミリブレダ機関銃1丁、胴体・主翼中央下面の爆弾倉の小型爆弾の配置が示されている。当初、Ca.310爆撃機の右主翼付け根に前方固定機関銃は装備されていない。
図は, Caproni Ca. 310 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio(1937年ローマ刊行)引用。


カプロニCa-310リベッチョ(Libeccio:南西風)軽爆撃機の機首は、段アリの一般的な形状だが、発展型のCa.311軽爆撃機では、コックピットと一体化して前面ガラス風防で覆われている。視界が良い機首全面ガラス風防は、ドイツ空軍のハインケルHe111P型、ドルニエDo-217E型が採用しているが、居住性と操作性にも優れている。問題は、敵戦闘機による正面攻撃を受けた際、全面ガラス風防では防御力が弱く、搭乗員に恐怖心を与えることである。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の胴体後上方7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁装備の手動回転銃塔(ターレット)の射界図
;左上側面図を見ると回転銃塔は、後上方を射撃できるが、前方に向けた射撃はできないようにみえる。しかし、実際は、右下の上面図のように360度回転するので、前方も射撃することができた。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


イタリアのブレダ(Breda)-SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃である後継には7.7ミリと12.7ミリとがある。原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103​航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。

それまでのイタリアでは、機関銃はフィアットが受注していたが、これ以後、ブレダでもイタリア軍の機関銃が量産されるようになった。ただし、フィアット子会社のSAFAT(Società Anonima-Fabbricazione Armi Torino)が、ジョヴァンニ・アニェッリ(Giovanni Agnelli)によってブレダに売却されており、フィアットの技術や生産方式は、ブレダに引き継がれている。こうして、イタリアの機関銃は、フィアットではなく、ブレダ-SAFATが担うことになったのである。


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の胴体後下方の航空写真機とその電動制御装置配線図
;左の胴体上側(4)には、A.R.P.87.パノラマ光像機が設置されている。中央上面には回転銃塔を設置する円形の空間が開いている。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。



図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の無線アンテナ線の配備図
;主翼端と胴体全部上面、垂直尾翼端と回転銃塔後部の胴体にアンテナ線が張られている。暗転亜線の両端には、金属金具と接触しないように碍子が装着されている。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の無線通信用アンテナは、左右の主翼端と胴体全部上面、垂直尾翼端と回転銃塔後部の胴体にアンテナ線が張られている。無線アンテナ線の両端には、金属金具と接触しないように碍子が装着されている。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の重心と搭載物資の重量計算表
;(図74)
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


軍用搭載物:搭乗員85キロ3名255キロ、兵器(機銃2丁)26.300キロ、弾薬36キロ、信号弾1.100キロ、航空写真機28キロ、その他合計476.400キロ。

軍用搭載物476.4キロ、ガソリン(ベンジン)880キロ、潤滑油(オイル)87キロ、運用搭載量1443.400キロ

空虚重量:3369.900キロ


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機のクレーン吊り下げの鋼索取り付け図解

1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプローニ(Caproni)CA 313は、Ca.310と同じくチェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)の設計になり、1939年12月22日初飛行だが、発動機はイソッタ・フラスキーニ デルタ(Isotta-Fraschini Delta )R.C.35 I-DS倒立空冷V型12気筒空冷エンジン 545 kW (730 hp) 2基装備した出力向上型だった。そのため、総重量5,672 kg (12,505 lb)に増加したものの、Ca.313は最高速力 430 km/h (268 mph, 233 kn)、航続距離 1,700 km (1,050 mi, 910 nmi)、実用上昇限度 8,500 m (27,880 ft)と、性能を向上させている。また、生産機数も271機が量産された。

しかし、同時期の初飛行のカプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機は、Ca.310と同じ低出力のピアッジオP. VII空冷星形エンジン搭載で、最高速力は 328 km/hと100キロも低速である。


図(右)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の三面図
;主翼や水平尾翼の取り付け角度と昇降舵・方向舵の制御角度が図解されている。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。


カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の左右主翼のプロペラ圏内は胴体の太さに合わせてあるが、左主翼付け根の前方固定機関銃の弾道は、プロペラ圏外にあるので、プロペラとの同調装置は必要ない。

カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機の諸元

乗員Crew: three
全長Length: 12.89 m (42 ft 3 in)
全幅Wingspan: 15.87 m (52 ft 1 in)
全高Height: 5.11 m (16 ft 9 in)
主翼面積Wing area: 38.0 m2 (409 sq ft)
空虚重量Empty weight: 4,000 kg (8,820 lb)
総重量Gross weight: 4,804 kg (10,590 lb)
発動機Powerplant: 2 × ピアッジオ(Piaggio)P.VII空冷星形7気筒エンジン 460 kW (616 hp) each
性能Performance
最高速力Maximum speed: 328 km/h (205 mph, 178 kn)
航続距離Range: 1,600 km (1,000 mi, 870 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 6,000 m (19,680 ft)
並走Armament
1 × 7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1−2丁
爆弾搭載量:400 kg (882 lb)


4.カプローニ(Caproni)Ca.311/Ca.312bis軽爆撃機

写真(右)1939-1941年頃,イタリア、2翅プロペラのイタリア空軍カプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機:主翼の十字マークは1938年から1941年の間に使用されたイタリア王国の国籍マークである。
Description Italiano: www.airwar.ru /enc/bww2/ ca311.html Categoria: Immagini di aeroplani
写真はWikimedia Commons, Category:Caproni Ca.311 File:Ca311.jpg引用。


ピアッジョ(Piaggio)P VII C.36空冷星形7気筒エンジン350 kW (470 hp)2基装備のカプローニ(Caproni)Ca. 311軽爆撃機は、ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.16/35350 kW (470 hp)2基装備のCa.310小型爆撃機の発展型で、1939年4月1日に初飛行した。後継機のCa.313はイソッタ(Isotta Fraschini)デルタ(Delta)R.C.35空冷倒立V型545 kW (730 hp)2基装備なのでエンジンの形状が異なる。

双発爆撃機で、初期の段アリの風防から、後期の段なしの風防に変更し、視界を向上したのは、イタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca 310/Ca 311軽爆撃機のほかにドイツ空軍ハインケルHe111爆撃機、ドルニエDo217爆撃機がある。逆に、初期の段ナシ風防から、後期の段アリ風防に変更したのが、ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)双発爆撃機である。

イタリア爆撃機カプローニCA311 カプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機
乗員 3名
全長 11,74 m
全幅 16,20 m
全高 3,69 m
主翼面積  38,40 m²
発動機 (343 kW)2基
自量 3460 kg
総重量 4822 kg
最高速力 347 km/h
実用上昇限度 7400 m
航続距離 1600 km
兵装 7.7ミリブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁
爆弾搭載量 400 kg

イタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca. 311軽爆撃機は、1939年から就役し、偵察爆撃機として、335機が量産された。最高速力365 km/h、7.7ミリブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁搭載で、爆弾搭載量も400 kgと少ないが、地上攻撃から哨戒爆撃まで、近距離用に使用された。

写真(右)1939-1941年頃,イタリア、2翅プロペラのイタリア」空軍カプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機とコックピット後上方のアンテナ支柱付き動力回転銃座:回転銃座には7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃1丁が装備されているほか、前方固定7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃1丁、胴体後下方7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃1丁が装備されている。爆弾搭載量は400kgと少ない。
Italiano: aereo da ricognizione Caproni Ca.311, matricola MM. 11531, fotografato presso gli stabilimenti dell'Aeronautica Caproni di Vizzola Ticino, provincia di Varese. Categoria:Immagini di aeroplani Source http://www.finn.it/regia/html/seconda_guerra_mondiale04.htm (direct link) Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Caproni Ca.311 File:Ca311.jpg引用。


カプローニCA311 第二次世界大戦勃発3か月後、1939年12月22日初飛行のカプローニ(Caproni)CA 311軽爆撃機は、チェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)の設計になる。イソッタ(Isotta Fraschini)デルタ(Delta)R.C.35 I-DS空冷倒立V型エンジン 545 kW (730 hp)2基搭載、最高速力430 km/h (268 mph, 233 kn)、航続距離 1,700 km (1,050 mi, 910 nmi)、実用上昇限度 8,500 m (27,880 ft)、7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁、爆弾搭載量 400 kg (882 lb)。機体後上方に銃座のように2本のアンテナ支柱が装備されている。生産機数は271機。

写真(右)1943年,イタリア、3翅プロペラのイタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca 312bis軽爆撃機:段なしコックピットのガラス風防ではなく、段の付いたガラス風防になっている。
Italiano: Caproni Ca 312bis Date before 1943 Source Aerofan n. 73 Apr.-Giu 2000 p.126 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Caproni Ca.312 File:Caproni 312.jpg引用。


イタリア爆撃機カプローニCA311 イタリア空軍カプローニ Ca311軽爆撃機(Caproni Ca 311)の諸元
1939年4月1日初飛行
Ca.310/Ca311/Ca312/Ca313の一連のカプローニ小型偵察爆撃機発展型がある。
生産機数:1943年までに335機を量産
最高速力:350km/h
航続距離:1600km
爆弾搭載量:400kg
近距離偵察や船団護衛のような後方の偵察哨戒任務には便利だった。
クロアチア、ハンガリー、ユーゴスラビアに輸出された。

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca.311偵察爆撃機 を見る。


5.カプローニ(Caproni)Ca.313軽爆撃機

写真(右)1941年-1944年頃,イタリア、舗装飛行場に駐機しているイタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca.313軽爆撃機(後方より撮影):胴体の形状は、量産性と居住性を考慮してか、箱型である。
Trasporti aerei - Aereo militare - Caproni Ca. 313 - Bimotore monoplano ad ala bassa - Vista posteriore
Autore: Dotti & Bernini (notizie prima metà sec. XX) Luogo e data della ripresa: Italia, 1941 - 1945 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: L'immagine era inserita in un album recante l'iscrizione "Trasporti terra mare cielo".
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Centro per la cultura d'impresa, fondo Edison, EDS_478_094 引用。


イタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca.313軽爆撃機は、チェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)の設計になり、第二次世界大戦勃発3か月後、1938年12月7日初飛行、1940年から部隊配備。総生産機数は271機である。

カプローニ(Caproni)Ca.313軽爆撃機は、全長12.20 m、全幅 16.20 m、全高 3.03 m、空虚重量 3 875 kg、総重量 5 475 kg、ピアッジョ(Piaggio) P.XVI RC-35 空冷星形9気筒エンジン700hp2基装備、最高速力430 km/h (268 mph, 233 kn)、航続距離 1,550 km 、実用上昇限度 7,800 m、7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁、爆弾搭載量 400 kg (882 lb)。生産機数271機。

イタリア爆撃機カプローニCA311 1939年12月22日初飛行のカプローニ(Caproni)CA 313も、チェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)の設計になり、の設計である。総重量5,672 kg (12,505 lb)の軽爆撃機で、発動機はイソッタ・フラスキーニ デルタ(Isotta-Fraschini Delta )R.C.35 I-DS倒立空冷V型12気筒空冷エンジン 545 kW (730 hp) 2基装備、最高速力 430 km/h (268 mph, 233 kn)、航続距離 1,700 km (1,050 mi, 910 nmi)、実用上昇限度 8,500 m (27,880 ft)。高性能とは言えないが、少ない経費で271機が量産された。また、スウェーデン、ノルウェー、ベルギー、クロアチアは、カプローニ(Caproni)Ca.312/Ca.313を輸入して、部隊配備した。

写真(右)1940-1945年,スウェーデン、ストックホルム南西250キロ、リンシェーピングス(Linköping)基地(?)、イタリアから購入したスウェーデン空軍第3航空団 マルムスラット(F 3 Malmen)所属のカプローニ(Caproni)CA 313 S 16 小型爆撃機27号、28号機
Svenska: Motiv: Två stycken flygplan S 16 Caproni på flygfält på F 3 Malmen. Märkta nummer 27 och 28. Flygplansmekaniker i arbete med flygplanen. Tillhör Gamla Malmen-samlingen. GM 891. Ur Flygvapenmuseums bildarkiv.
Fotografering 1940 - 1945 Ursprunglig fotografering Fotograf: Okänd fotograf
写真は, Flygvapenmuseum Identifier:FVMF.002214 引用。Wikimedia Commons, Category:Caproni Ca.313 File:FSM Caproni Ca313 (B-16) (7728476628).jpg引用。


第二次世界大戦勃発3か月後、1939年12月22日初飛行のカプローニ(Caproni)CA 313(スウェーデン空軍 S 16)軽爆撃機は、イソッタ(Isotta Fraschini)デルタ(Delta)R.C.35 I-DS空冷倒立エンジン 545 kW (730 hp)2基搭載、最高速力430 km/h (268 mph, 233 kn)、航続距離 1,700 km (1,050 mi, 910 nmi)、実用上昇限度 8,500 m (27,880 ft)、7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃3丁、爆弾搭載量 400 kg (882 lb)。機体後上方に銃座のように2本のアンテナ支柱が装備されている。

カプローニ(Caproni)Ca.313軽爆撃機コックピット後上方の動力回転銃座は、2本のアンテナ支柱が装備されているようにみえるが、これは1本は疑似銃身を兼ねたカウンターウェイト、もう1本は7.7ミリ(.303 in) ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃の銃身である。

写真(右)1944年,スウェーデン、ストックホルム南西250キロ、リンシェーピングス(Linköping)基地(?)、イタリアから購入したスウェーデン空軍第3航空団 マルムスラット(F 3 Malmen)所属のカプローニ(Caproni)CA 313(スウェーデン空軍 S 16)軽爆撃機31号機
Sex stycken Flygplan S 16 märkt nummer 31 tillhörande F 11 Nyköping på ett flygfält...
Avbildad - namn: Södermanlands flygflottilj F 11 (1941 - 1980) Specific subject terms: Flygplan S 16 Spaningsflygplan Caproni Ca 313 Propellerflygplan
Fotografering 1944 (Enligt information på fotots omslag användes gula spinner på motorn i samband med en manöver 1944.) Ursprunglig fotografering Fotograf: Okänd fotograf Fotografering 1973 Reprofotograf: Okänd fotograf
写真は, Flygvapenmuseum Identifier:FVMF.002216 引用。Wikimedia Commons, Category:Caproni Ca.313 File:FVMF.002216.jpg引用。


空冷倒立エンジンは空冷星形エンジンよりも同出力であれば正面面積が遥かに小さくなり、形状が全く異なるので区別は容易である。

1930年代後半、イタリア空軍のカプローニ(Caproni)Ca.310双発偵察爆撃機を原型に、発展型、輸出型が開発された。カプローニ(Caproni)Ca.313小型爆撃機は、イタリアが第二次世界大戦に参戦する1940年6月以前に、ノルウェー、スウェーデンが輸入したが、さらにらにベルギーは24機、イギリスは300機のCa.313を発注している。ただし、イタリアの参戦で、実機が引き渡されることはなかった。

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca.313偵察爆撃機を見る。


6.カプローニ(Caproni)Ca.314 攻撃機


図(上)イタリア、カプロニ(Canproni)Ca.314偵察爆撃機(段有り機首ガラス風防)三面図

Caproni Ca. 314 versioni A - B - C a cura di Riccardo TROTTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio掲載。
写真は, MINISTERO DELL'AERONAUTICA [航空省] ROMA Aeroplano Caproni 314 - 2 MOTORI I.F. DELTA Rc.35 I./D.S. ISTRUZIONE PER L'USO DELL' AEROPLANO, RELAZIONE TECNICA(発行年不詳)引用。


イタリア空軍カプローニ(Caproni)Ca. 310小型爆撃機の最終型となったCa.314は、チェザーレ・パラビシーノ(Cesare Pallavicino)の設計になるが、エンジン出力向上がほとんどなかったため、総重量増加に伴って飛行性能は低下した。その多くが地上攻撃機・襲撃機として使用されたが、航空魚雷を搭載した雷撃型が作られている。

カプローニ(Caproni)Ca.314 攻撃機の諸元
乗員Crew: 3名
全長Length: 11.8 m (38 ft 9 in)
全幅Wingspan: 16.65 m (54 ft 8 in)
全高Height: 3.7 m (12 ft 2 in)
主翼面積Wing area: 39.2 m2 (422 sq ft)
空虚重量Empty weight: 4,560 kg (10,053 lb)
総重量Gross weight: 6,620 kg (14,595 lb) 発動機Powerplant: イソッタ・フラスキーニ デルタ(Isotta-Fraschini Delta )R.C.25 (I-DS) 倒立V型12気筒空冷エンジン 540 kW (724 hp) 2基
性能Performance
最高速力Maximum speed: 395 km/h (245 mph, 213 kn)
航続距離Range: 1,690 km (1,050 mi, 910 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 6,400 m (21,000 ft)
武装Armament
2 × 12.7 mm (0.500 in) 前方固定ブレダ(Breda SAFAT)機関銃(主翼付け根)、1 × 7.7 mm (0.303 in) ブレダ(Breda SAFAT)機関銃回転銃塔
爆弾搭載量: 500 kg (1,100 lb)

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca. 314 攻撃機を見る。


7.カント(CANT)Z.501ガンビアーノ(Gabbiano)飛行艇

写真(右)1937-1940年6月以前,イタリア、水上機基地ランプに勢ぞろいしたイタリア軍カント(CANT:C.R.D.A.)Z.501Gabbiano飛行艇:フィリッポ・ザパタ(Filippo Zappata)技師の設計になり1934年2月7日初飛行、454機が量産され、1950年まで就役していた。主翼に、黒縁白丸に3本のファッシ(束)のファシスト・イタリアの国籍マークを描いているが、垂直尾翼は白十字でなくイタリア三色旗国籍マークで、これは第二次世界大戦参戦前の国籍マークである。
English: Catalog #: 00076600 Manufacturer: CANT (C.R.D.A.) Designation: Z 501 Date 4 April 2013, 08:39:15 Author SDASM
写真は,Category:CANT Z.501 Gabbiano, File:CANT Z 501.jpg引用。


カント(CANT:C.R.D.A.)Z.501Gabbiano飛行艇の諸元
乗員 4〜5名
全長:14.27 m
全幅:22.49 m
全高:4.43 m
全備重量:5,937 kg
発動機:イゾッタ・フラスキーニ・アッソ XI RC15 液冷12気筒エンジン 900 hp
最高速力:275 km/h
航続距離:2,397 km
武装 7.7mm機銃3兆
爆弾 640 kg

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.501飛行艇を見る。


8.カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機

写真(右)1943年6月以降,イタリア、水上機基地に待機しているイタリア王室空軍カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone:アオサギ)水上機:薄いグレーの基本塗装で、ファシスト・イタリアではなく、連合国軍に降伏した後のイタリア三色旗トルコローレ緑白赤の同心円の国籍マークを付けている。
Italiano: Coppia di CRDA Cant. Z.506 davanti l’hangar dell’idroscalo Date before 1945 Author Unknown author ;
写真は,Category:CANT Z.506 Airone File:Coppia di CRDA Cant. Z.506 davanti l’hangar dell’idroscalo.jpg引用。


カントとは、航空機メーカーのカンティエリ・ナヴァレ・トリエスティーノ(Cantiere Navale Triestino)の略称で,カント(CANT)Z.506水上機は、フィリッポ・ザパタ(Filippo Zappata)技師の設計になり、1935年8月19日に初飛行した三発機である。1937年10月2-17日に北イタリア、ミラノで開催された航空展示会に出品された。カント(CANT)Z.506の生産機数は、試作2機、量産機314機と1930年代の大型水上機にしては多数生産されている。

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone:アオサギ)水上機を見る。


9.フィアット(Fiat)CR-25戦闘爆撃機

写真(右)1937-1938年頃,イタリア、格納庫前のイタリア空軍フィアット(Fiat)CR-25戦闘爆撃機(側面):1937年7月22日初飛行のフィアット(Fiat)CR-25は、。乗員2−3名、総重量6,625 kg (14,606 lb)、フィアット(Fiat)A.74 R.C.38空冷星形14気筒エンジン627 kW (841 hp)2基搭載、最高速力 450 km/h (280 mph, 240 kn)、航続距離 1,500 kmの双発戦闘機だったが、生産機数は12機のみに終わった。主翼に、黒縁白丸に3本のファッシ(束)のファシスト・イタリアの国籍マークを描いているが、垂直尾翼は白十字でなくイタリア三色旗国籍マークのようだ。
Fiat CR-25 Catalog #: 00079122 Manufacturer: Fiat Designation: CR-25
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 00079122引用。


イタリア軍用機は、外貨獲得のための輸出にも力を入れていた。そのために、1機種当たり数十から数百機の生産規模が想定されていたようで、1機種当たり1000機以上の量産をすることが当たり前の全面戦争における航空戦の準備は整っていなかった。

写真(右)1937-1938年頃,イタリア、格納庫前のイタリア空軍フィアット(Fiat)CR-25戦闘爆撃機(正面):主翼付け根に12.7ミリ (0.500 in)ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、胴体後上方の銃座に12.7ミリ (0.500 in)ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃1丁を搭載、爆弾搭載量は最高300キロ。全長13.56 m (44 ft 6 in)、全幅 16 m (52 ft 6 in)、全高 3.3 m (10 ft 10 in)、主翼面積 39.2 m2 (422 sq ft)、空虚重量 4,475 kg (9,866 lb)、総重量 6,625 kg (14,606 lb)、最高速力 450 km/h (280 mph, 240 kn)、航続距離 1,500 kmの双発機。主翼に、黒縁白丸に3本のファッシ(束)のファシスト・イタリアの国籍マークを描いている。
Fiat CR-25 Catalog #: 00079122 Manufacturer: Fiat Designation: CR-25
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 00079123引用。


写真(右)1937-1938年頃,イタリア、格納庫前のイタリア空軍イタリア空軍フィアット(Fiat)CR-25戦闘爆撃機(後面):戦闘爆撃機としてではなく、シシリー島を基地として、偵察機、護衛戦闘機として少数が使用された。主翼に、黒縁白丸に3本のファッシ(束)のファシスト・イタリアの国籍マークを描いている。
Fiat CR-25 Catalog #: 00079121 Manufacturer: Fiat Designation: CR-25
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 00079121引用。


イタリア空軍フィアット(Fiat)CR-25戦闘爆撃機の諸元
乗員:2−3名
全長13.56 m (44 ft 6 in)
全幅 16 m (52 ft 6 in)
全高 3.3 m (10 ft 10 in)
主翼面積 39.2 m2 (422 sq ft)
空虚重量 4,475 kg (9,866 lb)
総重量 6,625 kg (14,606 lb)
発動機 フィアット(Fiat)A.74 R.C.38空冷星形14気筒エンジン627 kW (841 hp)2基
最高速力 450 km/h (280 mph, 240 kn)
航続距離 1,500 km
兵装:主翼付け根12.7ミリ (0.500 in)ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、胴体後上方銃座12.7ミリ (0.500 in)ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃1丁
爆弾搭載量:300キロ
生産機数:12機


10.カプローニ(Caproni) Ca.135爆撃機

図(右)カプローニ(Caproni)Ca.135bis爆撃機
Magyar: Caproni Ca 135 bis Date 23 February 2014, 15:00:41 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons, Category:Caproni Ca.135 File:Caproni Ca 135 bis.svg引用。


カプローニ(Caproni)CA 135爆撃機の諸元
全長:14.38m
全幅:18.80 m
全高 3.4m
主翼面積:60平方メートル
発動機:ピアッジョ(Piaggio) P.XI RC40空冷星形14気筒エンジン1.000馬力(735kw)2基
空虚重量:6,106 kg
総重量:9,556 kg
最高速力: 365 km/h (227 mph, 197 kn)4,800 m
上昇率: 303 m/分
航続距離: 1,200-2,000 km
実用上昇限度:6,500-7,000 m
兵装:12.7ミリ ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、7.7ミリブレダ(Breda-SAFAT)機関銃1丁
爆弾搭載量:最大1.6トン
生産期間:1936-1941年
総生産機数:140機

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)CA 135爆撃機を見る。


11.フィアット(Fiat)ICR.42 複葉水上戦闘機


写真(右)1940年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)ICR.42 複葉水上戦闘機の側面
:垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。
5582. FIAT. ICR 42. ca. 1935-1940, Original photograph 17 x 23,2 cm, with stamp on verso. Item nr: 39422
In 1940 in what I see like an effort to sell the CR.42 to the navy, a Fiat subsidiary, CMASA (Costruzioni Meccaniche Aeronautiche SA) was designated designed the ICR.42, a float plane obviously based in the CR.42.Only one was constructed and in early 1941 trialed, but no orders were made, thus ending the project. Design The ICR didn't change much from the standard CR.42, except for the replacement of the landing gear by 2 floaters. The wheight was increased by 126kg making it 1.846kg when empty and 2.420kg when full. Surprisingly, the augmented drag and weight didn't change much the performance of the plane, only decreasing it speed by 8 km/h
写真は,Krul Antiquarian Books Books and photographs on Aeronautics引用。


CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の固定式降着用主輪を撤去して、水上滑走用の双浮舟フロートを付けたCR.42ファルコ(Falco)水上機仕様は、空虚重量が126kg増加して1846kgとなり、総重量は 2420kgとなった。この水上機化を進めたのは、1913年創立のCMASA(Costruzioni Meccaniche Aeronautiche Società Anonima:航空機械有限会社)で、性能は、最高速力は8 km/h低下しただけで、423km/hを維持できた。兵装は12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、携行弾薬400発である。


図(上)1940年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)ICR.42 複葉水上戦闘機(CR.42の水上機仕様)の側面図
:垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗である緑白赤の縦縞の国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。上の写真をもととしたカラー復元図。
5582. FIAT. ICR 42. ca. 1935-1940, Original photograph 17 x 23,2 cm, with stamp on verso. Item nr: 39422
写真は,Gaijin Network Ltd Krul Antiquarian Books Books and photographs on Aeronautics引用。


⇒写真集Album:フィアット(Fiat)ICR.42 水上戦闘機を見る。


12.フィアット(Fiat)BR.20爆撃機チコーニャ

写真(右)1938-1939年,スペイン、スペイン内戦に派遣され、フランコ将軍の国民戦線反乱軍の国籍記章を付けたイタリア空軍フィアット(Fiat)BR.20爆撃機チコーニャ(Cicogna:コウノトリ):双尾翼式の双発機で、白地にバツのファシスト反乱軍の国籍指標を描いている。対戦突入前のイタリア三色旗トルコローレの緑白赤の華麗な国籍マークを描いている。日本陸軍も90機輸入して、1938年に日中戦争に投入した。
English: One of the Fiat B.R.20 of the "Grupo G-23" maked over to the Spanish Air Force after the war. Date circa 1939 Source http://www.finn.it/regia/html/guerra_civile_spagnola.htm Author Unknown author
写真は,Category:Fiat BR.20 Cicogna  File:Fiat B.R.20-Spanish Air Force after the war.jpg引用。


フィアット(Fiat)BR.20 爆撃機の諸元
乗員: 6 名
全長: 16.10 m
全幅: 21.56 m
全高: 4.30 m
主翼面積: 74.0 m2
重量: 6,400 kg
全備重量: 11,500 kg 発動機: フィアットA82RC42(空冷星型14気筒)1,250馬力2基
最高速力: 460 km/h
航続距離: 2,800 km
実用上昇限度: 9,200 m
兵装: 12.7 mm1丁、7.7 mm3丁
爆弾1,600 kg

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13.サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79三発爆撃機

図(右)イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79三発爆撃機の三面図:操縦席後上方の前方固定12.7ミリ機関銃、操縦席の後上方を12.7ミリ旋回機関銃が、胴体後方側面に7.7ミリ旋回機関銃を装備したタイプ。
Description English: Savoia-Marchetti SM.79
Date 20 June 2013, 21:28:19 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons,Category:Savoia-Marchetti SM.79 File:Aereo s79.jpg引用。


サボイア・マルケッティSM-79(Savoia Marchetti SM.79)三発爆撃機の諸元
初飛行:1934年9月28日
乗員Crew: 6名
全長Length: 16.2 m
全幅Wingspan: 20.2 m
全高Height: 4.1 m
主翼面積Wing area: 61.7 m2
空虚重量Empty weight: 7,700 kg (16,976 lb)
総重量Gross weight: 10,050 kg (22,156 lb)
発動機Powerplant: 空冷星形9気筒アルファロメオ(Alfa)128 R.C.18 エンジン 860馬力(642 kW)
プロペラPropellers: 3翅可変ピッチ

性能Performance
最高速力Maximum speed: 460 km/h (290 mph, 250 kn)/高度3,790 m (12,430 ft)
航続距離Range: 2,600 km (1,600 mi, 1,400 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,500 m (24,600 ft)
防御用火器Guns: 12.7 ミリ (0.5 in) ブレダ(Breda-SAFAT)前方固定機関銃1丁(コックピット上部)
12.7ミリ(0.5 in)ブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃2丁(後上方・後下方)
7.7 ミリ (0.303 in)機関銃2丁(胴体左右側方)
爆弾搭載量: 爆弾倉 1,200 kg (2,645 lb)
あるいは胴体下面 大型爆弾懸架(ラック): 45センチ航空魚雷1-2本
生産期間:1936-1943年
総生産機数: 1218機


⇒写真集Album:サボイアマルケッティSM-79三発爆撃機を見る。


14.サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84快速爆撃機

図(右)1941年,イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84快速爆撃機/偵察機の側面図と正面図(図1と図2):
イタリア航空省公式マニュアル Savoia Marchetti S.M. 84 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio掲載。
図は、MINISTERO DELL' AERONAUTICA, AEROPLANO "SAVOIA-MARCHETTI" TIPO S.M.84 TRIMOTOE VELOCHE DA BOMBERDAMENT VELOCHE E RICOGNIZIONE SAVOIA-MARCHETTI引用。


サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84快速爆撃機の諸元
全長:17.525m
全高:5.420m
胴体尾翼全高:3.040m
全幅:21.200m
降着装置の主輪間隔:5.200m
引込み式降着装置
3翅金属プロペラ
1940年6月5日初飛行
1941年から部隊配備
生産機数:約300機

⇒写真集Album:サボイアマルケッティSM.84快速爆撃機を見る。


14.カント(CANT)Z.1007アルシオーネ (Alcione)爆撃機


写真(上)1941-1943年頃,飛行中のファシスト・イタリア空軍のカント(CANT)Z.1007アルシオーネ(Alcione:かわせみ)三発爆撃機
:エンジンナセルの黄色塗装は、ドイツ軍との同士討ちを避けるため追加された国籍識別マークであるの。胴体尾翼の白帯は、イタリア王国空軍地中海方面の国籍マークである。
CANT (C.R.D.A.) Z 1007 Catalog #: 00076585 Manufacturer: CANT (C.R.D.A.) Designation: Z 1007
写真はSmugMug+Flickr.,Ricky 1971 Cant.Z.1007 bis-02引用。


写真(右)1941年版カント(CANT)Z.1007 bisマニュアル・カタログのカント(CANT)Z.1007 bis爆撃機(単尾翼式)三面図:機体に張るアンテナ線の場所と碍子によってつなぐ方法が示されている。また、胴体後方下面(左側)には、引き出すことのできる可動アンテナの位置が示されている。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z.1007 Bis- Monoderiva -a cura di Fabrizio CATALANO, Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA イタリア航空省(Ministero Dell'Aeronautica)引用。


カントCANT Z.1007bis爆撃機の諸元
乗員rew: 5名
全長Length: 18.35 m (60 ft 2 in)
全幅Wingspan: 24.8 m (81 ft 4 in)
全高Height: 5.22 m (17 ft 2 in)
主翼面積Wing area: 70 m2 (750 sq ft)
空虚重量Empty weight: 9,396 kg (20,715 lb)
最大離陸重量Max takeoff weight: 13,621 kg (30,029 lb)
発動機Powerplant: ピアジオ(Piaggio) P.XI R.C.40空冷星形14気筒エンジン745 kW (999 hp)2基
最高速力Maximum speed: 458 km/h (285 mph, 247 kn)
航続距離Range: 1,795 km (1,115 mi, 969 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,500 m (24,600 ft)
兵装Armament
12.7 mm (0.5 in) イソッタ=スコッチ(Isotta-Fraschini Scotti)機関銃あるいは12.7 mm (0.5 in)ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁
7.7 mm (0.303 in) ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁
爆弾搭載量Bombs: 2,200 kg (4,900 lb) 爆弾倉と外装の合計.
45cm(17.7 in) 800 kg (1,800 lb)魚雷2本.
生産期間:1938–1943年.
生産機数:660機

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.1007アルシオーネ (Alcione)爆撃機を見る。


15.ピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョP.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第3図・ ピアッジョP.108B爆撃機の斜め正面
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione. The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第3図
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


イタリア空軍P108 ピアッジョ(Piaggio)P.108 B 重爆撃機の諸元
初飛行:1939年11月24日
実戦投入:1942年

乗員 6名
全長:22.92 m
全幅:32.00 m
全高:7.70 m
主翼面積:135.54 m2
全備重量:29,885 kg
エンジン:ピアッジョ(Piaggio) P.XII RC.35 空冷星型18気筒空冷エンジン 1,350 hp 4基
プロペラ:3翅 定速回転プロペラ
生産機数:37機

ピアッジョ(Piaggio) P.108 B 重爆撃機の性能
最高速力:420 km/h/高度3,900m
航続距離:3,520 km
実用上限高度:6,000 m
上昇率:2,000 m/10'00”
武装 12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃6丁
7.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁
爆弾搭載量 3,500 kg

⇒写真集Album:ピアッジョ(Piaggio)P.108重爆撃機を見る。 16.イタリア領リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥

写真(右)1931年5月29日、イタリア、ローマ南40キロ、アンツィオ近郊、ネットゥ(Nettuno)、イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍大将の操縦したサボイア・マルケッティSM.62飛行艇とバルボ夫人エマヌエラ・フロリオ(Emanuela Florio):ファシスト四天王の有力者バルボは、ムッソリーニの盟友として1928年8月19日、空軍大将に任じられ、空軍大臣にもなるが、その後も、飛行家・探検家として、イタリア航空界の名声を高めた。
Nettuno Italo Balbo e la principessa Ileana di Romania, ripresi a bordo di un idrovolante Savoia Marchetti S.62 ormeggiato nelle acque di Nettuno, si preparano a partire
Creation Date: 29.05.1931 Leaflet | OpenStreetMap contributors Location: Italy Nettuno: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22 .
写真は,Europeana experience  Identifier: AttualitaAttualitaIL0010026430-man0引用。


サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti),S.62 飛行艇は、1926年に開発され、イソッタ(Isotta Fraschini)アッソ(Asso)750 空冷倒立6気筒エンジン(559 kW)750 hpを搭載、総重量3,000 kg、最高速力200キロ、民間輸送や連絡にも活躍した。

写真(右)1937年3月13日、イタリア領植民地リビア、イタリア・統領ベニート・ムッソリーニとリビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥が現地リビアの植民地住民たちに歓迎されている。 Creation Date: 13.03.1937 Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya:
Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana experience Identifier: AttualitaAttualitaIL0010033048-man0引用。


イータロ・バルボ(Italo Balbo:1896-1940年6月28日)は、ムッソリーニ率いるファシスト党の代表ファシスト四天王の一人で「黒シャツ隊」の指導者だった。ファシスト・イタリア政権では、ムッソリーニの盟友として、1928年8月に陸海軍から独立したイタリア空軍の大将になり、1929年9月に空軍大臣に就任した。

写真(右)1937年3月13日、イタリア領植民地リビア、イタリア・統領ベニート・ムッソリーニとリビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥が現地リビアの植民地住民たちに歓迎されている。
Cirenaica Mussolini e Italo Balbo si soffermano lungo una via davanti a un gruppo di madri con bambini in costumi tradizionali
Creation Date: 13.03.1937 Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya:
Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22 .
写真は,Europeana experience  Identifier: AttualitaAttualitaIL0010033081-man0引用。


サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)S.55飛行艇

写真(右)1929年、アメリカ東部、ニューヨーク州、マンハセット湾を飛び立つイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.55双胴飛行艇:ファシスト四天王の有力者バルボ空軍大将は、飛行家・探検家として、イタリアからアメリカのニューヨークまで編隊飛行しイタリア飛行術の名声を高めた。
English: A nice picture of a Savoia Marchetti S.55 Taking Off From Manhasset Bay in 1929. Date 1929 Author Unknown author.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55File:Savoia-Marchetti S.55 felszállás közben.jpg引用。


イタリア空軍サボイアS55 サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55双胴飛行艇の諸元
搭乗員:6名
全長:16.75m、全幅:24.00m、全高:5.00m
主翼面積:93.0m2
空虚重量:5,750kg、最大離陸重量:8,260kg
発動機:イソッタ(Isotta-Fraschini)アッソ(Asso)液令12気筒エンジン656kW(880hp)2基
最高速力:279km/h
続距離:3,500km

イタリア空軍大臣イータロ・バルボ(Italo Balbo、1896-1940年6月28日)自身は、飛行家アビエイターであり、1930年、自らサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55双発飛行艇12機を率いて大西洋を越えてブラジルのリオデジャネイロまでの大西洋巡回飛行をした。

また、1933年にはアイスランド経由でカナダのモントリオール、アメリカのニューヨークまでの飛行に成功し、アメリカ大統領ルーズベルト(Franklin Roosevelt)からもホワイト・ハウスに招待されていいる。彼は、イタリアの名声をアメリカ大陸全土に響かせ、1933年6月26日号“Time”の表紙を肖像で飾った。

写真(右)1937年3月13日、イタリア領植民地リビア、トリポリ、イタリア・統領ベニート・ムッソリーニとイタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥がイスラム戦士シッド・ラファ(SidiRafa)の墓の前で説明する現地案内の話に耳を傾ける。
Cirenaica Mussolini, Italo Balbo e folto gruppo di personalità politiche e militari ascoltano il cadì di Apollonia che tiene un discorso davanti alla tomba del mugiàhid Sidi Rafa a Beda Littoria
Creation Date: 13.03.1937 Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya:
Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22.
写真は,Europeana experience  Identifier: AttualitaAttualitaIL0010033075-man0引用。


写真(右)1938年11月7日、イタリア領植民地リビア、イスラム教徒の植民者を視察するイタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍大将:ジャーナリストのグループがバルボに同行し、植民地の平和で活気ある様子を喧伝した。
Libia Libia Il governatore della Libia Italo Balbo consegna un oggetto a un colono italiano in partenza per il villaggio rurale Crispi
Creation Date: 07.11.1938 Foto Attualità / I 20.000 Coloni in Libia - Il governatore della Libia Italo Balbo e un gruppo di giornalisti visitano i villaggi musulmani in costruzione nei pressi di Derna, fra cui El-Glaa; campo di coloni (Barce); lo sbarco di 8000 rurali a Bengasi; la colonna degli autocarri in viaggio; casa del villaggio D'Annunzio; vita colonica Balbo ripreso accanto a un autocarro del regio esercito segnato "Crispi 10" porge sorridente un oggetto a un colono che si sporge dall'automezzo. Gruppo di personalità e giornalisti accompagna Balbo. Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya:
Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22 .
写真は,Archivio Storico Istituto Luce e codice foto: A00087033引用。


イタリア植民地リビアには、2万人の入植者があった。リビア総督イターロバルボが、ジャーナリストのグループを引き連れて、エルグラなどデルナ近郊で建設中のイスラム教徒の村を訪問した。入植者キャンプ(バルス)に向かうベンガジに8000人の農村の人々が上陸した。ここからトラックに乗せられて入植地に向かう。愛国詩人に因んだ「ダヌンツィオ村」を建設する入植者は、「クリスピ(Crispi)10」と記されたイタリア王立軍のトラックに乗っていて、バルボ総督に、車から身を乗り出して贈り物を受け取っている。

写真(右)1938年8月9日、ドイツ、ドイツ飛行クラブで、イタリア空軍大臣イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥が出迎えたクラブメンバーと話をし、脇にドイツ航空省次官エアハルト・アルフレート・ミルヒ(Erhard Alfred Milch:1892-1972)大将(右)が控えている。:ゲーリングは、手にした元帥杖を振って歓迎に答えている。
Marschall Balbo als Gast des Aeroc-Clubs von Deutschland
Marschall Balbo (Mitte) im Gespräch mit General Milch (rechts) und dem italienischen Botschafter Attolico.
Creation Date: 1938-08-09 Institution: Österreichische Nationalbibliothek - Austrian National Library .
Providing country: Austria First published in Europeana: 2016-11-08 Last updated in Europeana: 2016-11-08 写真は,Europeana experience  Österreichische Nationalbibliothek 引用。


イタリア空軍サボイアS55 1939年9月1日のドイツによるポーランド侵攻、9月3日のイギリス・フランスのドイツへの宣戦布告によって、第二次世界大戦が勃発すると、リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo、1896-1940年6月28日)は、イギリスとフランスとの戦争に躊躇しなかったと同時に、ヒトラー・ドイツのイタリアを無視した外交・戦争に対して嫌悪感を示した。これは外務大臣ガレアッツォ・チアーノと共通していたが、北アフリカ、エジプトの防備手薄なイギリス軍を攻撃しなかったことは、イギリスにとって僥倖だった。

リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥もガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)外相も、地中海世界の覇者となる古代ローマ帝国の再来、大イタリア帝国を夢想していたので、ヨーロッパ西部・東部での戦いには戦力を割きたくなかった。この消極的姿勢が、イタリアの外交、戦略にも反映していた。戦うことで勇ましい国民性を体得すべきという統領ムッソリーニの英雄・戦士の思想は、巧妙に立ち回り、最小の努力で最大の成果を手にすることを旨とするイタリアの政治体質には当てはまらなかったようだ。

写真(右)1939年4月11日、イタリア領植民地リビア、トリポリ、オープンカーの後席に乗ったイタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥とドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥:ゲーリングは、手にした元帥杖を振って歓迎に答えている。
Göring und in Tripolis
Creation date: 1939-04-11
Institution: Österreichische Nationalbibliothek - Austrian National Library .
Providing country: Austria First published in Europeana: 2016-11-08 Last updated in Europeana: 2016-11-08 写真は,Europeana experience  Österreichische Nationalbibliothek 引用。


イタリア空軍サボイアS55 イタリアのアフリカ植民地をエチオピアにまで拡張し帝国化したファシスト党ムッソリーニを信頼して、軍事大権、いわゆる統帥権を認めた。こうして、独裁者となったムッソリーニは、この時期、ドイツの対フランス勝利、ドイツ・ソ連の不可侵条約に幻惑され、自ら第二次世界大戦に参戦した。

しかし、イタリアのファシスト党がナチ党よりファシズムを先輩であるにもかかわらず、イタリアよりも優れているような振る舞いをすること、ヒトラーのムッソリーリに対する指導的地位に対して反感を抱いており、ヒトラーとの外交・軍事的関係を緊密化することには反対していた。しかし、義父ムッソリーニの国民的人気を背景にした指導性には服従するしかなく、独伊軍事同盟への交渉を担い、1938年ミュンヘン会談でも活躍している。

1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、兵力撤退の要請が無視されたイギリス・フランスは、9月3日、ドイツに対して宣戦を布告した。こうして、これから6年近くの第二次世界大戦がはじまったが、イタリアはドイツとの軍事同盟があったが、参戦せず中立を保った。リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo、1896-1940年6月28日)は、イギリスとフランスとの戦争を始めることに躊躇しなかったが、同時に、ヒトラー・ドイツがイタリアを無視して独自の外交・戦略を進めることに反感を感じており、これは外務大臣ガレアッツォ・チアーノと共通していた。彼らは、地中海世界を制する大ローマ帝国を夢見ていたのであって、北ヨーロッパでの戦いには、意義を見出していなかった。そこで、北アフリカ、バルカン半島へのイタリア勢力拡張を望んでいたのである。

写真(右)1940年6月、イタリア領植民地リビア、リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥が飛行服を着て飛行帽子を被ったイタリア空軍搭乗員と話している。:バルボ総督は、リビア駐屯イタリア軍の総司令官でもあった。
Libia Balbo e altri ufficiali a colloquio con dei piloti
Creation Date: 06.1940 Institution: Instituto Luce - Cinecittà.
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing Country: Italy First Published In Europeana: 2020-11-22 Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya写真は,Europeana experience  Identifier: GuerraG01-000066引用。


1940年6月にイタリアが第二次世界大戦に参戦すると、リビア総督バルボは、リビア駐屯イタリア軍によるエジプト攻撃を命じられた。しかし、バルボは、植民地戦争に躊躇はなかったが、現時点でのエジプト攻撃は、イギリス・フランス相手の世界戦争の一環であり、局地紛争に留まらないのであって、イタリアにこの2カ国と戦争するだけの戦備はないと判断していた。

写真(右)1940年6月、イタリア領植民地リビア、トリポリ飛行場(?)、イタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥エマヌエラ・フロリオ(Emanuela Florio)リビア伯爵夫人がイタリア軍兵士に慰問用の贈答品を配布している。
Libia La contessa Florio distribuisce doni ai soldati
Creation date: 06.1940 Location: Italy Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya:
Identifier: GuerraG01-000885 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22.
写真は,Europeana experience  Identifier: Attualita Attualita IL0010034537 -man0引用。


写真(右)1940年6月、イタリア領植民地リビア、トリポリ飛行場(?)、イタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥エマヌエラ・フロリオ(Emanuela Florio)リビア伯爵夫人がイタリア軍兵士に慰問用の贈答品を配布している。
Libia La contessa Florio distribuisce doni ai soldati
Creation Date: 06.1940 ocation: Great Socialist People’s Libyan Arab JamahiriyaInstitution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22 .
写真は,Europeana experience  Identifier: GuerraG01-000885引用。


しかし、1940年5月、ドイツ軍フランス侵攻「黄色の事例」が発動し、6発にフランスの敗退が決定すると、イタリア統領ムッソリーニは、第二次世界大戦がドイツの料理で終わる前に参戦し、国際影響力を確保する必要性を痛感した。そこで、中立による戦略的優位性を投げ出し、ドイツ側に立って参戦し、南フランス、エジプトの攻撃を命じたのである。

リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)は、リビアからのエジプト侵攻を優柔不断で回避し、優勢なイタリア軍を準備していたにもかかわらず、手薄なエジプト駐留イギリス軍を攻撃できなかった。この絶好の機会を逃したのは、バルボ将軍の決定的な判断ミスだった。このバルボ将軍は、第二次世界大戦の参戦に際して、ムッソリーニに次ぐ政治・軍事指導者と見なされていたから、ムッソリーニが二人の空軍士官となった息子や娘婿のチャーノ外務大臣を差し置いて、バルボがムッソリーニの後継者として、イタリア統領になることを心良しとしなかったとも考えられる。そこで、バルボ総督搭乗のSM.79爆撃機が、北アフリカ、トリポリ港で友軍艦艇の誤射で撃墜された事件は、ムッソリーニの陰謀であるとの噂がたった。

イタリア空軍レジアーネ Re2002 1940年6月28日、リビア首都トリポリ(Tobruk)飛行場に着陸しようと低空飛行していたバルボ将軍のサボイア・マルケッティSM.79三発爆撃機は、イギリス空軍ブリストル・ブレンハイム(Bristol Blenheims)の空襲と誤解したイタリア海軍1万トン級旧式装甲巡洋艦「サン・ジョルジョ」(San Giorgio)が対空攻撃を始めた。旧式装甲巡洋艦「サン・ジョルジョ」は、巡洋艦というよりもトリポリ港の在泊防空艦として使用されていたのである。バルボ将軍の同乗したSM.79爆撃機は、味方の誤射で撃墜され、同士討ちでバルボは死亡した。しかし、バルボの家族は、ムッソリーニの指示で暗殺されたとの噂が広まった。

写真(右)1940年6月、イタリア領植民地リビア、トリポリ飛行場(?)、イタリア・リビア総督イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥エマヌエラ・フロリオ(Emanuela Florio)リビア伯爵夫人がイタリア軍兵士に慰問用の贈答品を配布している。
Libia La contessa Florio con un militare e un civile durante la distribuzione dei doni
Creation Date: 06.1940 Location: Great Socialist People’s Libyan Arab JamahiriyaInstitution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europeana experience  Identifier: GuerraG01-000890引用。


イタリアのアフリカ植民地をエチオピアにまで拡張し帝国化したファシスト党ムッソリーニを信頼して、軍事大権、いわゆる統帥権を認めた。こうして、独裁者となったムッソリーニは、この時期、ドイツの対フランス勝利、ドイツ・ソ連の不可侵条約に幻惑され、自ら第二次世界大戦に参戦した。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇 風立ちぬ
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カント(CANT)Z.501飛行艇
カント(CANT)Z.506水上機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.212輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.82輸送機
ピアジオP.108重爆撃機
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑


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