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◆フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機
写真(上)1938-1939年頃,イタリア、飛行中のイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機
;1938年5月23日初飛行、1939年5月より部隊配備。ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。後に、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、降伏すると、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


写真(上)2015年10月、イギリス、ロンドン、ヘイドン(Hendon)、イギリス空軍博物館( Royal Air Force Museum )が保管しているファシスト・イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機
:ファシスト独裁独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。エンジンカウリングの黄色は同盟国ドイツと同じで味方識別マーク。
Photo ref; Nikon-D80-2015-DSC_0868 (Edited) Date 17 October 2015, 12:41 Source Fiat CR.42, Royal Air Force Museum, Hendon. Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons, Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:Fiat CR.42, Royal Air Force Museum, Hendon. (24193543965).jpg引用。



写真(上)1940年9月、ガンブット(Gambut)基地、イタリア空軍第2航空団第13飛行隊第82a飛行中隊所属フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機
:ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)だが、垂直尾翼は、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の白十字とサボイア王家の紋章を描いている
Date 6. 4. 2014 Source Martin Čížek Author Martin Čížek
English: Fiat CR.42, 82a Squadriglia 13° Gruppo 2° Stormo. C. T., Gambut airfield, September 1940.写真はWikimedia Commons, Category:Fiat CR.42 in art File:CR-42 82a Squadriglia.jpg引用。


1.フィアット(Fiat)CR.30/CR.32複葉戦闘機

写真(右)1935年10月12-28日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクション、フィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機(手前左)、IMAM Ro.41複葉戦闘機(手前右)、 イタリア航空サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 73三発輸送機(I-ENNA)(右端の機首)、サヴォイア・マルケッティSM 81三発雷撃機(奥:後ろ向き):SM 81は、胴体下面に航空魚雷2本を搭載している。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 13 x 18
Note: Veduta parziale della sezione italiana del Salone. Sulla destra parte dell'aereo Savoia Marchetti SM 73 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI) delle linee Ala Littoria Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_93
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_93引用。


1932年4月に初飛行したフィアット(Fiat)CR.30戦闘機の原型は、単座複葉固定脚の戦闘機CR.20で、1926年6月19日に初飛行している。CR.20は、1925年にイタリア空軍の時期新型戦闘機の要望に応え、フィアットが開発した新型のフィアット(Fiat)A20 R.A. 液冷V型12気筒エンジン331 kW (444 hp)を搭載することとし、チェレスティーノ・​ロザテッリ(Celestino Rosatelli)技師が設計し、CRを冠された。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機を見る。

写真(右)1937年、スペイン、スペイン内戦に派遣されたイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の編隊飛行:スペイン国民戦線フランコ将軍率いる反乱軍の国籍マークとして、垂直尾翼に白地に黒のXを、胴体と主翼に黒丸●に描いている。
English: A pair of Fiat C.R.32 of the X Gruppo "Baleari". The foreground aircraft is flown by D'Agostini Date 1937 Source http://www.finn.it/regia
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.32 (Aviazione Legionaria) File:Fiat C.R.32-Baleari.jpg引用。


フィアット CR.32複葉戦闘機は、1933年4月28日に初飛行、最高速力360km/hと当時としては優れた飛行性能を発揮したために、すぐにイタリア王国空軍に制式された。そして、1936年2月までにCR.32bis、CR.32tris、CR.32quarterなど改良が積図けられ1053機もが量産された。1936年7月に、スペイン内戦が勃発し、スペイン共和国軍とファシスト反乱軍(国民戦線)の戦いが始まると、イタリアはファシストを軍事援助するためにイタリア軍を「義勇兵」の名目で派兵し、CR.32も実戦投入された。

フィアット(Fiat)CR.32の諸元

乗員Crew: one
全長Length: 7.88 m (25 ft 7.25 in)
全幅Wingspan: 9.5 m (31 ft 2 in)
全高Height: 2.78 m (9 ft 1.5 in)
翼面積Wing area: 22.1 m2 (238 sq ft)
空虚重量Empty weight: 1,455 kg (3,208 lb)
総重量Gross weight: 1,975 kg (4,354 lb)
発動機Powerplant: 1 × Fiat A.30 R.A. 12-cylinder Vee piston engine , 447 kW (600 hp)
最高速力Maximum speed: 360 km/h (220 mph, 190 kn)
航続距離Range: 781 km (485 mi, 422 nmi)
実用上昇限度Service ceiling:8,800 m (28,900 ft)
兵装Armament:2 ×7.7 mmあるいは12.7 mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃
爆弾Bombs: 100 kg (220 lb)

イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Vittorio Emanuele III)は、イタリアの陸海空軍の統帥権を保持する大元帥であり、昭和天皇と同じく、軍の最高指揮官として、「大元帥」を名乗った。独裁者ベニート・ムッソリーニも、国王から政治と統帥権を移譲されているだけであり、ファシスト・イタリア空軍といっても、正規軍はイタリア王室空軍であり、ファシストはあくまで、国王の下で行政、軍事を担っていたにすぎない。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機を見る。


2.フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機

写真(右)1937-1938年頃,イタリア、駐機しているイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;1938年5月23日初飛行、1939年8月より部隊配備。1940年6月のイタリアの第二次大戦前の国籍マーク、イタリア三色旗トルコローレ緑白赤を垂直尾翼に描いている。標準兵装は、機首上面に12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁、爆弾搭載量200kgである。
An Italian Fiat CR.42 Falco fighter. Date Unknown date Source National Museum of the U.S. Air Force photo 070419-F-1234P-028 Author USAF
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Fiat CR 42 Falco fighter parked.jpg引用。

イタリア空軍マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機の試作機は、第二次大戦勃発2年前の1937年12月24日に初飛行し、1939年8月より部隊配備された運動性のいい軽戦闘機である。


写真(右)1940年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42 複葉水上戦闘機の側面
:垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。
5582. FIAT. ICR 42. ca. 1935-1940, Original photograph 17 x 23,2 cm, with stamp on verso. Item nr: 39422
In 1940 in what I see like an effort to sell the CR.42 to the navy, a Fiat subsidiary, CMASA (Costruzioni Meccaniche Aeronautiche SA) was designated designed the ICR.42, a float plane obviously based in the CR.42.Only one was constructed and in early 1941 trialed, but no orders were made, thus ending the project. Design The ICR didn't change much from the standard CR.42, except for the replacement of the landing gear by 2 floaters. The wheight was increased by 126kg making it 1.846kg when empty and 2.420kg when full. Surprisingly, the augmented drag and weight didn't change much the performance of the plane, only decreasing it speed by 8 km/h
写真は,Krul Antiquarian Books Books and photographs on Aeronautics引用。


フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の固定式降着用主輪を撤去して、水上滑走用の双浮舟フロートを付けたCR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機水上機仕様は、空虚重量が126kg増加して1846kgとなり、総重量は 2420kgとなった。この水上機化を進めたのは、1913年創立のCMASA(Costruzioni Meccaniche Aeronautiche Società Anonima:航空機械有限会社)で、性能は、最高速力は8 km/h低下しただけで、423km/hを維持できた。兵装は12.7mm12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、携行弾薬400発である。


図(上)1940年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)ICR.42 複葉水上戦闘機(CR.42の水上機仕様)の側面図
:垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗である緑白赤の縦縞の国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。上の写真をもととしたカラー復元図。
5582. FIAT. ICR 42. ca. 1935-1940, Original photograph 17 x 23,2 cm, with stamp on verso. Item nr: 39422
写真は,Gaijin Network Ltd Krul Antiquarian Books Books and photographs on Aeronautics引用。


1939年9月1日、第二次大戦が勃発し、フランスがドイツに降伏する直前の1940年6月8日、、ベニート・ムッソリーニは、娘婿で外務大臣チアーノ伯爵と一緒に、ミュンヘンに到着、アドルフ・ヒトラーと戦争の行く末について話し合った。西側連合国との戦争が始まっても、参戦していなかったイタリアの立場は軽んじられており、ドイツの西方侵攻でフランスが大敗北する中で、ムッソリーニは、戦争におびえていると思われ、イタリアは屈辱的な思いをしていた。ムッソリーニは、ドイツに大打撃を受けたフランスに侵攻し、その降伏を要求し、フランス南部を占領しようとしたが、フランス軍の抵抗のために、進撃は停止していた。そこで、ヒトラーに頼み込んで、フランスに対する過大な領土要求をしたのである。これを求めるために、ムッソリーニは、戦闘に勝利したヒトラーに会いに出かけた。

ドイツのアドルフ・ヒトラーは、イギリスを屈服させ、当方での戦争を開始しよと考えていたから、危険を冒す気にはならず、フランスとの和平にも、寛大な条件を提示するにとどめた。フランスに侵攻したイタリア軍は参戦後の戦闘では大きな功績をあげてはいなかった。最小限のリスクで報酬を獲得するといった都合のいい外交方針は、ファシズムのメンツを潰したものだった。

写真(右)1940年6月以降、イタリア参戦以降,編隊飛行するイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;1938年5月23日初飛行、1939年8月より部隊配備。鋼管骨組みフレームワークに羽布を張った胴体なので、骨組みが際立っている。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079136 引用。

ファシスト独裁国家イタリアの国籍マークがあり、イタリア国旗を模して、緑・白・赤の三色旗が描かれている。格闘性能は良かったが、最高速力や武装の点で、イギリス空軍スピットファイア―戦闘機、ホーカーハリケーン戦闘機よりも大幅に劣っていた。

写真(右)1940年6月以降、イタリア、イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;鋼管骨組みフレームワークに羽布を張った胴体と尾翼は、羽布のたわみのために、骨組みフレームが際立って見えている。

Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079137引用。

写真(右)1940年6月以降,雲の上を飛行するイタリア空軍第4飛行戦隊第73a飛行中隊所属エルネスト・ボット(Ernesto Botto1907-1984)のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;開放式コックピットから出て操縦士エルネスト・ボットが写真撮影に応じている。彼は、1943年9月のイタリア降伏以降は、ムッソリーニを元首とするイタリア社会共和国の側に立って連合国軍・イタリア王国と戦った。
Italiano: Il Fiat C.R.42 appartenente alla 73ª Squadriglia, inquadrata nel 4º Stormo, pilotato da Ernesto Botto, soprannominato "Gamba di Ferro"; Africa Settentrionale 1940. Categoria:Immagini di aeroplani Date 1940 (12 April 2009 (original upload date)) Source Transferred from it.wikipedia to Commons. (Original text : http://www.finn.it) Author Anonimo. The original uploader was Threecharlie at Italian Wikipedia. Permission (Reusing this file) PD-ITALIA.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Fiat C.R.42 4st 01.jpg引用。

フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機が機首上面に2丁搭載した12.7mmブレダSAFAT機関銃の諸元
開発時期 1935年
重量 29kg
弾丸 12.7x81mmSR弾(34.2g)
口径 12.7mm(0.50in)
発射速度 700発/分
575発/分(戦闘機機首のプロペラ同調機銃の場合)
初速 765m/s(12.7mm)

写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;固定脚の車輪カバーを撤去しているが、これは未舗装滑走路における第二次世界大戦に参戦した時期、イタリア機の垂直尾翼に描かれた国籍マークは、イタリア三色旗トルココーレ緑白赤の縦縞から中央の白だけ残し白十字としたものに変更された。第二次世界大戦に参戦前のファシスト独裁国家イタリアの国籍マークは、イタリア国旗を模して、緑・白・赤の三色旗が描かれていた。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079134引用。



イタリア空軍フィアット 第二次世界大戦に参戦前のファシスト独裁国家イタリアの国籍マークは、イタリア国旗を模して、緑・白・赤の三色旗が描かれていた。しかし、1040年6月のイタリアの第二次世界大戦に参戦後には、イタリア機の垂直尾翼に描かれた国籍マークは、イタリア三色旗トルココーレ緑白赤の縦縞から中央の白だけ残し白十字としたものに変更された。

1940年6月、ヒトラーは、イギリスを屈服させ、当方での戦争を開始しよと考えていたから、危険を冒す気にはならず、フランスとの和平にも、寛大な条件を提示するにとどめた。ヒトラーは、有力なフランス艦隊が中立を維持し、フランス亡命政府が北アフリカなど植民地やロンドンで形成されないようにする必要があったので、フランスには名誉を保持して、イギリス側に立って戦争を続けさせないことを優先したのである。ヒトラーは、イタリアのムッソリーニの南フランス占領というような過大な要求を即座に拒否し、ローヌ渓谷を占領し、コルシカ、チュニジア、ジブチ(イタリア占領下のエチオピアに隣接)を武装解除して、イタリアの支配下に置くというムッソリーニの要求ですら認めなかった。

写真(右)1940年11月頃,ベルギー、イタリア空軍第56飛行隊第18飛行中隊第85飛行小隊(85th Squadron, XVIII Group, 56th Wing)のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機(85-16:製造管理番号MM.6976)を見聞するイタリア空軍とドイツ空軍の兵士;ドイツ軍との共通の味方識別マークとして黄色で翼端を塗装しているが、カウリングには味方識別の黄色塗装はなされていない。
English: A German Officer sitting in the cockpit examines the control panel of a Fiat CR.42 "Falco" of the 85th Squadron, XVIII Group C.T. (Terrestrial Fighter Group), 56th Wing C.T., Italian Air Corp, Battle of Britain, Belgium 1940 Date 1940 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Fiat CR.42 -Belgium.jpg引用。

北アフリカ、イタリア領植民地リビア西端の海岸部に位置するトリポリ(Tripoli)飛行場は、1934年にイタリア空軍が開設した飛行場で、カステル・ベニート(Castel Benito:"Tripoli-Castel Benito Airport")基地と命名されたが、1943年1月23日にイギリス軍がトリポリを占領して以降、イギリス空軍基地として継続して使用された。現在はトリポリ国際空港となっている。

イギリス空軍=アメリカ空軍=イタリア空軍=ドイツ空軍
飛行小隊Flight=Fligh=Squadriglia=Schwarm
飛行中隊:Squadron=Squadron=Gruppo=Staffel
飛行隊:Wing =Group=Stormo=Geschwader
航空団:Group=Wing

写真(右)1940年11月11日,イギリス南部、サフォーク(Suffolk)州ローストフト(Lowestoft)に不時着したイタリア空軍第56飛行隊第85a飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/85a Squadriglia/Stormo 56)アントニオ・ラチャーリ(Antonio Lazzari)曹長操縦のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機(85-16:製造管理番号MM.6976)を見聞するイギリス・オーストラリア軍兵士;ドイツ軍との共通の味方識別マークとして黄色で翼端を塗装しているが、カウリングには味方識別の黄色塗装はなされていない。
English: An Italian Fiat C.R. 42 Falco fighter (85-16, s/n MM.6976, 18° Gruppo/85a Squadriglia/Stormo 56°) which had crashed at Lowestoft, Suffolk (UK) on 1430 hrs, 11 November 1940. The pilot, Sergente Antonio Lazzari, evaded three Hawker Hurricanes until the variable pitch gear of the propeller jammed, leaving one of the three blades at a different pitch to the rest. Lazzari decided to land. Upon landing he ran over a railway line which caused the aircraft to crash into a field. Lazzari was was unhurt. Date Taken on 11 November 1940 Author Australian armed forces Australian War Memorial under the ID Number: 005696
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Crashed Fiat CR42 near Lowestoft 1940.jpg引用。

イギリス本土航空決戦に際して、1940年11月11日、ベルギーの基地からイタリア空軍第56飛行隊第85a飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/85a Squadriglia/Stormo 56)アントニオ・ラチャーリ(Antonio Lazzari)曹長が操縦するフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機(部隊番号85-16:製造管理番号MM.6976)は、イギリス南岸エセックス州ハーウィッチ(Harwich)空襲に出撃した。ハーウィッチは、ストゥア川とオーウェル川が河口三角江(エスチュアリー)に突出したイングランド東部の良港で、この港湾都市には軍港もあった。しかし、ラチャーリ曹長のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機は、イギリス空軍ホーカー・ハリケーン(Hawker Hurricanes)3機の迎撃を受けて、3翅プロペラの可変ピッチが故障した。彼のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)は、帰還することができず、イギリス南岸、ハーウィッチ北東60キロのサフォーク(Suffolk)州ローストフト(Lowestoft)に不時着した。機体の損傷が激しかったために、この機体は廃棄されたようだ。

しかし、同じ1940年11月11日、イタリア空軍第56飛行隊第85a飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/85a Squadriglia/Stormo 56)ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長が操縦していたフィアットCR.42複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701)がイギリス本土空襲に出撃し、故障でイギリス東岸に不時着している。この機体は、ほどんど無傷だったために、イギリス空軍が復元、飛行試験を行っている。そして、現在は、当時の姿に再塗装されて、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)で保管・展示されている。

写真(右)1940年11月11日以降、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)、連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長が操縦していたフィアットCR.42複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701):ドイツ軍と共通の味方識別マークとして、機首のエンジンカウリングを黄色で塗装している。標準兵装は、機首上面に12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁、爆弾搭載量200kgである。
English: On November, 1940 during the Battle of Britain, the Fiat CR.42 (95th Squadron, 18th Group C.T., 56th Wing C.T., Italian Air Corp, Magden, Belgium) flown by Sgt. Pietro Salvadori was forced to land on a beach near Orfordness lighthouse. Date November 1940
写真はWikimedia Commons,Category:MM5701 (aircraft)  File:Fiat CR.42-Pietro Salvadori.jpgおよびCaptured Wings Wiki :World War 2, Fiat CR.42, 1426 Flight MM.5701引用。


イギリス本土航空決戦に際して、1940年11月11日、イタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長が操縦するCR.42戦闘機(製造管理番号:MM5701)は、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地からイギリス南岸エセックス州ハーウィッチ空襲に出撃した。しかし、このイタリア空軍フィアットCR.42戦闘機(製造管理番号:MM5701)は、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)に燃料パイプの故障によって不時着を余儀なくされた。

写真(右)1940年11月11日以降、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)、連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアットCR.42複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701):ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が復元・保管・展示している機体。
MM5701 was flown to RAE Farnborough with a Hurricane escort, since the aircraft still carried Italian markings, on 27 November 1940. After arrival at Farnborough, it was given it's RAF serial, with Italian markings painted over with RAF roundels, and underwent a thorough examination by RAE staff. Limited flights were carried out at Farnborough by Sqn Ldr WilsonTemporarily attached to 56 Stormo, the unit's aircraft carried the squadriglia shield (the claw of an eagle) and the Gruppo shield (an axe with three arrows diagonally enclosed in a vertical rectangle and the motto ocio che te copo. The unit was also given the Luftwaffe designation 18/JG56. The fighters could only operate over England for about ten minutes due to limited fuel capacity/range...
写真は,Captured Wings Wiki :World War 2, Fiat CR.42, 1426 Flight MM.5701引用。


イタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長が操縦していたフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701)は、1940年11月11日にイギリス本土空襲に向かったが、途上、機体故障に見舞われ、イギリス東岸サフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)に不時着した。この不時着最終段階で降着装置が地中にのめり込んでしまい、機首が倒れて前のめりになった。しかし、上手な不時着を敢行したために、機体の損傷はあまりなく、搭乗者のイタリア空軍ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長も重傷を負うことなくイギリス軍の捕虜となった。

写真(右)1940年11月11日以降、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)、連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長が操縦していたフィアットCR.42複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701):ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が復元・保管・展示している機体。
On 11 November 1940, Twenty-two CR42s took off at 1200 hours from Eechlou (modern Eeklo), Belgium and climbed to 18,000 feet. Before the actual combat MM5701, flown by 23-year-old Sergente Pilota Pietro Salvadori broke an oil pipe, fell behind the formation, and the engine overheated. He pressed on and force landed on the shingle beach at Orfordness, Suffolk. C.¼ mile north of the lighthouse, at c.13.45 hoursBuilt during 1940 as part of a batch of 200 CR.42 aircraft, serial numbers MM5510-MM5709.
写真は,Captured Wings Wiki :World War 2, Fiat CR.42, 1426 Flight MM.5701引用。


イギリス本土航空決戦に際して、1940年11月11日、ベルギーの基地からイギリス南岸エセックス州ハーウィッチ空襲に出撃したイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機(製造管理番号:MM5701)は、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)海岸に潤滑油パイプの故障によって不時着を余儀なくされた。

写真(右)1940年11月11日以降、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)、連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長が操縦していたフィアットCR.42複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701):ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が復元・保管・展示している機体。
His 18 Gruppo 95 Squadriglia Caccia Terrestre aircraft bore the fuselage marking 13 crest 95 and the serial MM5701 under the tail.[N 1] Salvadori was taken prisoner and was apparently very proud of his landing when he simply nosed gently over on the shingle..
写真は,Captured Wings Wiki :World War 2, Fiat CR.42, 1426 Flight MM.5701引用。


1940年11月11日にイギリスに不時着したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701)は、軽微な損傷だったために、イギリス軍が鹵獲・復元しCR.42戦闘機の検分・性能評価のために、飛行試験を行っている。

写真(右)1940年11月11日以降、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)、連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長が操縦していたフィアットCR.42複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701):1938年5月23日初飛行、1939年8月より部隊配備。ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が復元・保管・展示している機体。
When interrogated by the British, Salvadori commented that he was happy to be out of the war, was dissatisfied with the Italian officers, and didn’t like Belgian weather, the Germans, or their food!
写真は,Captured Wings Wiki :World War 2, Fiat CR.42, 1426 Flight MM.5701引用。


イギリス軍は、多数の鹵獲機を復元し実際に飛行させているが、その試験飛行を多数行ったのが、イギリス空軍士官ヒュー・ウィルソン(Hugh "Willie" Wilson:1908-1990)で、かれは1940年11月11日にイギリスに不時着したイタリア空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアットCR.42複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701)も飛行させている。

写真(右)1940年11月11日以降、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)、連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長が操縦していたフィアットCR.42複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701):真上からの撮影したもので、操縦士が真上を向いている。彼は、多数の鹵獲機を実際に飛行し、著作も表しているイギリス空軍士官ヒュー・ウィルソン(Hugh "Willie" Wilson:1908-1990)であろう。ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が復元・保管・展示している機体。
When interrogated by the British, Salvadori commented that he was happy to be out of the war, was dissatisfied with the Italian officers, and didn’t like Belgian weather, the Germans, or their food!
写真は,Captured Wings Wiki :World War 2, Fiat CR.42, 1426 Flight MM.5701引用。


第二次世界大戦に投入された多数の種類の敵味方の航空機を実際に飛行させ、相互の性能比較を行ったのは、特殊飛行艇に属したヒュー・ウィルソン(Hugh "Willie" Wilson)のような少数の操縦士だけである。その記録は、ドイツ・イタリアなど敵機に対しても的確に利点と問題点を指摘しているので、興味深い。自国機だけの操縦であれば、経験と比較が限られてしまうが、100種に及ぶ機体を乗り比べ、その知見を明らかにしたのは、イギリス空軍士官ヒュー・ウィルソン(Hugh "Willie" Wilson)だけである。

写真(右)1941-1944年、イギリス、イギリス空軍戦闘開発部隊で飛行試験をされた、1940年11月11日、イギリス東岸に不時着したフィアットCR.42戦闘機:ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している機体。
A captured Italian Fiat CR.42 Falco (RAF serial BT474) of the RAF Air Fighting Development Unit, parked in a dispersal at Duxford, Cambridgeshire (UK). The aircraft was salvaged following a forced landing at Orfordness, Suffolk, on 11 November 1940, and was kept by the AFDU through the war. It is preserved and displayed at the Royal Air Force Museum Hendon, as MM5701 '13-95'. Date between 1941 and 1945 CH 5096 from the collections of the Imperial War Museums. .Author J.R. Watkins, Royal Air Force official photographer
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:Fiat CR42 (45387040285).jpg引用。


イギリス空軍は、1940年11月11日、イギリス本土に不時着したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアットCR.42戦闘機を鹵獲した再整備をして飛行可能な状態に戻しイギリス空軍戦闘開発部隊で飛行試験をし、性能や実用性を調査した。

写真(右)2010年7月27日、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(製造管理番号:MM5701)コックピット操縦席:中央には射撃用の光像式照準器を設ける台があるが、照準器自体は撤去されている。足元には、操縦用フットペダルがある。手前には操縦桿があり、その先端に電気式トリガーの射撃ボタンがついている。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00079133引用。


イギリス本土航空決戦に際して、1940年11月11日、ベルギーの基地からイギリス南岸エセックス州ハーウィッチ空襲に出撃したイタリア空軍フィアットCR.42戦闘機(製造管理番号:MM5701)は、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)海岸に潤滑油パイプの故障によって不時着を余儀なくされた。

写真(右)1940-1943年,地中海方面、固定脚の車輪カバーを外した未舗装飛行場のイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機と戦闘機操縦士オルフェオ・マッチテーリ(Orfeo Mazzitelli:1915-1984);未整備な飛行場では、飛行機の離着陸に、車輪と車輪カバーの間に泥や埃が詰まり、滑走に支障が出たり、事故を起こすリスクがあるため、車輪カバーを外して運用することがあった。
Italiano: Orfeo Mazzitelli (Salerno, 15 agosto 1915 – 29 gennaio 1984) aviatore e militare italiano. Date before 1945 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Orfeo Mazzitelli.png引用。

フィアット(Fiat)CR.42戦闘機の諸元
全長:Lunghezza 8,26 m
全幅:Apertura alare 上主翼9,70 m (sup)、下主翼6,50 m (inf)
全高: Altezza 3,30 m
主翼面積: Superficie alare 22,4 m²
翼面荷重: Carico alare 102 kg/m²
空虚重量: Peso a vuoto 1 720 kg
離昇最大重量: Peso max al decollo 2 295 kg
発動機: Motore フィアット(Fiat)A.74 RC.38空冷星形14気筒エンジン 840馬力 (618 kW):排気量31.25 L

写真(右)1940年9月、イタリア、サルジニア島南端、カリャリ県モンセッラート(Monserrato)、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機と格納庫
Sardegna Avieri, piloti e caccia Fiat C.R. 42 nell'aeroporto di Monserrato Creation Date: 01.09.1940-30.09.1940 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing Country: Italy First Published In Europeana: 2020-11-22
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier Identifier: GuerraGuerraIL0001004270-man0引用。


フィアット(Fiat)CR.42戦闘機の性能
最高速力 Velocità max 342 km/h/高度1 000 m, 430 km/h/高度6 000 m, 423 km/h/高度7 000 m
上昇時間:Velocità di salita 毎秒11,8 m/s; 5 000 m/7分20秒、6 000m/9分
離陸滑走距離:Corsa di decollo 210 m
着陸滑走距離:Atterraggio 340 m (ブレーキ付きの場合)
航続距離:Autonomia 775 km 1 000km (C.R.42 Egeo),燃料搭載量 575 kg/高度5 500 m/巡行速力 380 km/h
上昇限度:Tangenza 10 500 m (teorica) 10 200 m (pratica)
兵装:Mitragliatrici 12,7 mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁
あるいは 7,7 mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁
あるいは12,7 mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁、7,7 mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁
爆弾:Bombe 50 kg2発あるいは100 kg2発

写真(右)1940年9月、イタリア、サルジニア島南端、カリャリ県モンセッラート( Monserrato)、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の左機首側面での燃料補給;地上整備員4名が2個のドラム缶から手動ポンプを使用して胴体燃料タンクに給油している。
Sardegna Avieri riforniscono di carburante un caccia C.R. 42 nella base di Monserrato Republic of Italy Monserrato Monserrato Provincia di CagliariCreation date 01.09.1940-30.09.1940 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004292-man0引用。


写真(右)1940年9月、イタリア、サルジニア島南端、カリャリ県モンセッラート( Monserrato)、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;操縦士がパラシュート(座席クッション兼用)を身に着けてコックピットに乗り込んでいる。
Sardegna Due piloti si apprestano a salire a bordo di un caccia Fiat C.R. 42 e alcuni avieri li aiutano nei preparativi Republic of Italy Monserrato Monserrato Provincia di CagliariCreation date 01.09.1940-30.09.1940 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004269-man0引用。


写真(右)1940年9月、イタリア、サルジニア島南端、カリャリ県モンセッラート( Monserrato)、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機のエンジン始動;地上整備員が3翅プロペラを手動回転させエンジンを始動する。
Sardegna Piloti e avieri si dirigono verse dei caccia C.R. 42 per avviare i motori Republic of Italy Monserrato Monserrato Provincia di CagliariCreation date 01.09.1940-30.09.1940 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004290-man0引用。


写真(右)1940年9月、イタリア、サルジニア島南端、カリャリ県モンセッラート( Monserrato)、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機のエンジン始動を確認する操縦士;地上整備員が3翅プロペラを手動回転させエンジンを始動する。
Sardegna Piloti e avieri si dirigono verse dei caccia C.R. 42 per avviare i motori Republic of Italy Monserrato Monserrato Provincia di CagliariCreation date 01.09.1940-30.09.1940 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004290-man0引用。


写真(右)1940年9月、イタリア、サルジニア島南端、カリャリ県モンセッラート( Monserrato)、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の左正面;操縦士が乗り込んでエンジンを始動したので3翅プロペラが回転している。
Sardegna Un gruppo di caccia Fiat C.R. 42 nell'aeroporto di Monserrato Republic of Italy Monserrato Monserrato Provincia di CagliariCreation date 01.09.1940-30.09.1940 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004276-man0引用。


写真(右)1940年9月、イタリア、サルジニア島南端、カリャリ県モンセッラート( Monserrato)、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の左正面;操縦士が乗り込んでエンジンを始動したので3翅プロペラが回転している。
Sardegna Piloti salgono su due C.R. 42 col motore acceso Republic of Italy Monserrato Monserrato Provincia di CagliariCreation date 01.09.1940-30.09.1940 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004277-man0引用。


写真(右)1940年9月、イタリア、サルジニア島南端、カリャリ県モンセッラート( Monserrato)、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の左正面;操縦士が乗り込んでエンジンを始動したので3翅プロペラが回転している。
Sardegna Un gruppo di caccia Fiat C.R. 42 nell'aeroporto di Monserrato Republic of Italy Monserrato Monserrato Provincia di CagliariCreation date 01.09.1940-30.09.1940 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004267-man0引用。


写真(右)1940年9月、イタリア、サルジニア島南端、カリャリ県モンセッラート( Monserrato)、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の右後方より;操縦士が乗り込んでエンジンを始動したので3翅プロペラが回転している。
Sardegna Un Caccia C.R. 42 col pilota a bordo e il motore acceso sulla pista dell'aeroporto di Monserrato Republic of Italy Monserrato Monserrato Provincia di CagliariCreation date 01.09.1940-30.09.1940 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004288-man0引用。


写真(右)1940年12月27日,イタリア領植民地リビア、大きく破損し羽布が破れたイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;1940年6月のイタリアの第二次大戦前の国籍マーク、イタリア三色旗トルコローレ緑白赤を改め、白十字の国籍マークを垂直尾翼に描いている。
A wrecked Italian Fiat C.R. 42 Falco fighter on an airfield between Capuzzo and Bardia in Libya, 1940. Date 27 December 1940 Author Australian armed forces Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: 005277
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Wrecked Fiat CR 42 near Bardia 1940.jpg引用。

第二次大戦緒戦で中立を守っていたイタリアは、1940年5月のドイツのフランス侵攻でフランスの命運が尽きようとしていた1940年6月10日にフランスに侵攻した。そして、僅か2週間で、対フランス戦勝利を味わったが、実際の戦闘での成果ではなく、ドイツ軍に敗北したフランスが、イタリアとの戦争を続けられなくなったためであった。しかし、イタリア外務大臣ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)は、これをイタリアの勝利としてムッソリーニの意向通り、フランスに対する強硬な領土要求を行った。しかし、対イギリス戦を控えているヒトラーは、フランスに対するイタリアの身勝手な要求を拒否した。

写真(右)1940年12月27日,イタリア領植民地リビア、大きく破損し羽布が破れたイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;ドイツ軍との共通の味方識別マークとして黄色でカウリングと翼端を塗装している。
An abandoned Italian Fiat C.R. 42 Falco fighter on an airfield between Capuzzo and Bardia in Libya, 1940. The van belongs to the Australian Photographic Unit. Date 27 December 1940 Author Australian armed forces Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: 005281
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Abandoned Fiat CR42 Libya 1940.jpg引用。

飛行機の金属鋼管フレームワークの胴体、桁構造の主翼・尾翼の表面は、羽布で覆われていたが、このような羽布張りは、重量軽減に有効で、1930年代まで多数の民間機・軍用機が採用していた。

写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス海峡の基地からイギリス本土空襲するために「 、ドラム缶から燃料補給を行うイタリア王国空軍第56飛行隊所属のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機と通信文を読んでいる操縦士;エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。パイロットが飛行経路の通信文を飛行任務の開始直前に、読んでいる。
Poco prima dell'avvio di una missione di volo sulla Manica del 56° stormo, i piloti si dedicano alla lettura della corrispondenza, mentre altri lavorano 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
Provider EFG - The European Film Gateway
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004738-man0引用。


1940年6月のフランス降伏後、ヒトラーは、国会演説・ラジオ放送で、イギリスがドイツの大陸支配を認めるのであれば、イギリス帝国の存続を認めるという寛大な講和条件を発表したが、イギリスはこのようなヒトラーの提案を信じようとせず、徹底抗戦を表明した。そこで、1940年7月に、ドイツはイギリス本土上陸作戦の前提として、上陸用の舟艇や艀を準備するとともに、イギリス本土の制空権を確保するために、航空撃滅戦を展開することを決めた。

写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス海峡に面した基地、イギリス本土空襲するために、エンジン整備中のイタリア王国空軍第56飛行隊所属のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機と通信文を読んでいる操縦士;エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。パイロットが飛行経路の通信文を飛行任務の開始直前に、読んでいる。未舗装の待機場だが、降着装置の下にはのめり込まないように敷板が並べられている。雨水がたまらないように階段状の形状に軽量化した金属製敷板のようだ。
Poco prima dell'avvio di una missione di volo sulla Manica del 56° stormo, un pilota legge la corrispondenza, mentre un altro lavora all'elica del caccia 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
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写真はEuropeana experience,Europeana GuerraGuerraIL0001004735-man0引用。


1940年8月、後にイギリス本土航空決戦(バトル・オブ・ブリテン)と呼ばれる空の戦いが始まった。1940年8月2日ドイツ空軍の「鷲の日」の大攻勢をもって契機とする。これは、イギリス空軍部隊・対空部隊・レーダー基地の殲滅を目的とする合理的な作戦だったが、イギリス空軍は、ドミニオン(自治領)ニュージーランド、カナダ、亡命してきたポーランド軍、チェコスロヴァキア軍の操縦士の力も借りて、スーパーマリン「スピットファイア」、ホーカー「ハリケーン」、ブリストル「ボーファイター」双発戦闘機などを繰り出し、粘り強く戦った。

写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス海峡に面した基地、イギリス本土空襲するために、エンジン整備中のイタリア王国空軍第56飛行隊所属のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機と通信文を読んでいる操縦士;エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。パイロットが飛行経路の通信文を飛行任務の開始直前に、読んでいる。
Tre uomini dell'avizione militare ripresi in una base della Manica durante i preparativi per una missione di volo 10.01.1941 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing Country: Italy First Published In Europeana: 2020-11-22 Subject: Aviazione militare italiana Corpo Aereo Italiano aereo Fiat CR.42 La guerra in Europa Occidentale Vita nelle retrovie
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写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004738-man0引用。


イギリス空軍は、防空戦だけではなく、イギリス本土の都市・住民への空爆による報復として、双発爆撃機によるベルリン夜間空襲も実施した。そのため、ドイツ空軍は、あと一歩のところまでイギリス空軍を追い詰めながらも、高空撃滅戦ではなく、ロンドンなどイギリス諸都市への爆撃を優先するようになった。イギリス空軍戦闘機部隊は、攻撃目標の変更によって、余裕が生まれたのである。

写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス海峡の基地からイギリス本土空襲の準備中、イタリア王国空軍第56飛行隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の操縦士たちの出撃前の説明ブリーフィング;搭乗員は救命胴衣を装着している。エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。3翅プロペラは停止しておりエンジンは動いていない。
Aviatori del CAI ripresi in una base della Manica mentre si preparano ad una missione su CR 42 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004706-man0引用。


イタリアは、ドイツ同盟国として、イギリス本土航空決戦に援軍を派遣し、1940年7月から1941年5月まで、イギリス海峡に面したベルギーの航空基地に、フィアット BR.20M双発爆撃機、フィアットCr.42複葉戦闘機など空襲部隊を配備した。最終的に配備されたフィアットBR.20爆撃機は70機、フィアットCR.42戦闘機は40機程度だったようだ。

写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス海峡を臨む基地からイギリス本土空襲の準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の操縦士たち;対空偽装ネットを施した飛行機駐機・待機所で整列したイタリア空軍操縦士たち。エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。3翅プロペラは停止しておりエンジンは始動していない。
Preparativi di volo per il 56° stormo del CAI impegnato sulla Manica 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004711-man0引用。


イタリア空軍は、ドイツのイギリス本土空襲に援軍を派遣し、ベルギーにフィアットBR.20双発爆撃機、フィアットCR.42複葉戦闘機などを派兵した。ここでは、イギリス海峡を越えて、イギリス本土を空襲したので、海上に不時着したときに備えて、搭乗員は救命胴衣を装着している。

写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦、雨除けのシートをコックピットから外し作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。後方の大型格納庫は屋根が低く偽装ネットをかけてある。
Fasi preparatorie della missione sulla Manica del 56° stormo del CAI con i piloti impegnati nelle necessarie verifiche dei CR 42 Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004716-man0引用。


イタリアのイギリス攻撃の初戦は、1940年10月25日で、イタリア空軍第13飛行隊・第43飛行隊のフィアット BR.20M爆撃機と援護の第52飛行隊のフィアットCR.42複葉機が出撃した。出撃回数は、昼間空襲、夜間空襲とも数回ずつである。しかし、イギリス空軍迎撃機や対空砲火の果敢な反撃により、1940年11月には大きな損害を被っており、空軍将兵の士気も上がらなかった。

写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員6人。後方の大型格納庫はコンクリート製で屋根が低く偽装ネットをかけてある。
Fasi preparatorie della missione sulla Manica del 56° stormo del CAI con i piloti impegnati nelle necessarie verifiche ad un CR 42 Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004721-man0引用。


ムッソリーニは、ヒトラーに内密にギリシャ攻撃を準備していたため、1940年12月末、ベルギーのイタリア空軍部隊はバルカン方面に移動をはじめ、1941年4月末には、イギリス本土空襲のための部隊は、全て撤収している。

写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦、雨除けのシートをコックピットから外し作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;3翅プロペラを回転させエンジンを始動している機体を地上整備員4人が押さえて留めている。
Fasi preparatorie della missione sulla Manica del 56° stormo del CAI su CR 42 Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004722-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦、未舗装の隠匿待機場所から木製板を敷いた誘導路に出るイタリア王国空軍第56飛行隊所属フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機(部隊番号:7-85);雨除けシートを外して運搬する操縦士が右端に見える。3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。後方の大型格納庫は屋根が低く偽装ネットをかけてある。
Fasi preparatorie dell'avviamento di una missione di volo sulla Manica del 56° stormo Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004734-man0引用。


イギリス空軍=アメリカ空軍=イタリア空軍=ドイツ空軍の部隊編成
飛行小隊Flight=Fligh=Squadriglia=Schwarm
飛行中隊:Squadron=Squadron=Gruppo=Staffel
飛行隊:Wing =Group=Stormo=Geschwader
航空団:Group=Wing

写真(右)1941年1月6-10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦、雨除けのシートをコックピットから外し作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;3翅プロペラを回転させエンジンを始動している機体を地上整備員4人が押さえて留めている。
Uomini dell'aviazione, fermi su una pista di atterraggio, si preparano alla partenza Creation date 06.01.1941-10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004526-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦、舗装滑走路で準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊第85飛行小隊所属フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機(部隊番号:7-85);3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。後方の大型格納庫は屋根が低く偽装ネットをかけてある。
Fasi preparatorie dell'avviamento di una missione di volo sulla Manica del 56° stormo Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004728-man0引用。


写真(右)1940年7月11-24日,ベルギー、シエーヴル(Chièvres)基地、イタリアの第二次世界大戦参戦直後、木陰で偽装網をかけて対空偽装を施したイタリア空軍フィアット(Fiat)BR.20Mチコーニャ(Cicogna:コウノトリ)爆撃機の機体後方:イギリス本土空襲にイタリア空軍はドイツ軍とともに参加したが、反撃が厳しいので、基地でも手間と時間をかけて森の中に双発機を引き入れて対空偽装に余念がなかった。
mediterraneo Un bombardiere Fiat B.R.20 sistemato in una postazione situata ai confini di un bosco
Creation date: 11.07.1940-24.07.1940
Dataset: 08602_EFG_Instituto_Luce_Cinecitta Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Belgio
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001004671-man0 引用。


1940年6月22日、ドイツはフランスを降伏させ、休戦協定を締結した。しかし、翌日6月23日、フランスを脱出しロンドンにあったシャルル・ド・ゴールは、亡命政権として、自由フランス委員会を設立した。その後、1940年6月27日になって、イタリアはフランスと休戦協定を締結している。これは、イタリアはあくまでもドイツとは別に「並行戦争」としてフランスと戦ったという意思表示であった。

写真(右)1940年9月1-20日,ベルギー、ブリュッセル西50キロ、シエーヴル(Chièvres)基地、木陰で偽装網をかけて対空偽装を施したイタリア空軍フィアット(Fiat)BR.20Mチコーニャ(Cicogna:コウノトリ)爆撃機:イギリス本土空襲にイタリア空軍はドイツ軍とともに参加した。
mediterraneo Un bombardiere B.R.20 sistemato in un riparo mimetizzato sotto gli alberi di un bosco
Creation date: 01.09.1940-20.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Belgio
写真は,Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001004731-man0 引用。


フィアットBR.20(Fiat B.R.20 Cicogna) 爆撃機の諸元
乗員:5 名
全長: 16.10 m
全幅: 21.56 m
全高: 4.30 m
主翼面積:74.0 m2
空虚重量: 6,400 kg
全備重量:9 900 kg
発動機:フィアット(Fiat)A82RC41空冷星型14気筒エンジン 1,250hp2基
最高速力:432 km/h (250 mph)
上昇時間:4 000 m /14分
実用上昇限度:9,000 m
航続距離:2,800 km
兵装:12.7ミリ ブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃1丁、7.7ミリブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃2丁 爆弾搭載量:1,600 kg

写真(右)1940年9月1-20日,ベルギー、ブリュッセル西50キロ、シエーヴル(Chièvres)基地、木陰で偽装網をかけて対空偽装を施したイタリア空軍フィアット(Fiat)BR.20Mチコーニャ(Cicogna:コウノトリ)爆撃機:イギリス本土から基地に対する空襲が危惧されたため、イタリア軍爆撃機にも厳重な偽装が施されている。
mediterraneo Un B.R.20 sistemato sotto gli alberi e protetto da un telo mimetico e da una barriera laterale
Creation date: 01.09.1940-20.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Belgio
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⇒写真集Album:フィアット(Fiat)BR.20M(Cicogna)爆撃機を見る。

1940年7月3日、イギリス海軍は、ドイツに降伏したフランス海軍艦艇がドイツに利用されることを恐れて、フランス北アフリカ植民地アルジェリアのメルセルケビールにあったフランス艦隊を攻撃した。さらに、イギリスは、1942年5月5日、フランスア南アフリカ植民地マダガスカルのフランス海軍基地も攻撃している。

写真(右)1941年1月10日、1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス海峡の基地からイギリス本土空襲の準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊第82飛行小隊所属と思われるフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機のプロペラ駆動・エンジン始動;ハミルトン・スタンダードの3翅金属プロペラを地上勤務員と操縦士らしい兵士が手で回転させ、停止しているエンジンを始動しようとしている。エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。後方には、偽装ネットで覆われた飛行機格納庫が見える。
Preparativi di volo per il 56° stormo del CAI impegnato sulla Manica 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004709-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲時期、雨に濡れた舗装滑走路で作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊第85飛行小隊所属フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機(部隊番号:7-85);3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前。
Fasi preparative della missione sulla Manica del 56° stormo del CAI Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004710-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦、未舗装の隠匿待機場所から木製板を敷いた誘導路に出るイタリア王国空軍第56飛行中隊所属フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;3翅プロペラを手回しで指導しようとするは地上勤務員。後方の避難待機場所には偽装ネットをかけてある。後方の機体のエンジンカウリングは、ドイツ軍と共通の黄色で味方識別マークである。手前の機体にはない。
Fasi preparatorie dell'avviamento di una missione di volo sulla Manica del 56° stormoCreation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004712-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;3翅プロペラを地上勤務整備員が回転させエンジンを始動しようとしている。後方の大型格納庫は屋根が低く偽装ネットをかけてある。
Fasi preparative della missione sulla Manica del 56° stormo del CAI con uomini della squadra impegnati ad avviare le eliche Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004713-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、イタリア、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の操縦士たち(海難救助用のライフジャケットを着用);エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。後方の待機場所は偽装ネットをかけてある。
Cacciatori del CAI appartenenti al 56° stormo ripresi in una base della Manica mentre preparano una missione Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004558-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の操縦士たち(海難救助用のライフジャケットを着用);エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。後方の待機場所は偽装ネットをかけてある。
Cacciatori del CAI ripresi in una base della Manica mentre si preparano ad una missione Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004701-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス海峡の基地からイギリス本土空襲の準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機と操縦士たち(海難救助用のライフジャケットを着用);エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。後方の待機場所は偽装ネットをかけてある。
Cacciatori del CAI ripresi in una base della Manica durante i preparativi per una missione di volo Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004705-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス海峡の基地からイギリス本土空襲の準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の操縦士たち(海難救助用のライフジャケットを着用);エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。後方の待機場所は偽装ネットをかけてある。
Fasi preparatorie della missione sulla Manica del 56° stormo del CAI con i piloti impegnati nelle necessarie verifiche dei CR 42 Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004716-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス海峡の基地からイギリス本土空襲の準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の操縦士たち(海難救助用のライフジャケットを着用);エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。後方の待機場所は偽装ネットをかけてある。
Cacciatori del CAI ripresi in una base della Manica mentre si preparano ad una missione Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004697-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦、発進準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機とゴーグルをつけた士官操縦士(袖章に注意);3翅プロペラを回転している機体が背景に見える。地上整備員が操縦士が落下傘を付けるのを手伝っている。
Fasi preparatorie della missione sulla Manica del 56° stormo del CAI su CR 42 Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004723-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦準備中のイタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;3翅プロペラを回転させエンジンを始動している機体を地上整備員4人が押さえて留めている。
Fasi preparatorie dell'avviamento di un CR 42 in missione sulla Manica Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004724-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;未舗装滑走路は降雨で傷んだために、人力で整備して使用可能な状態に土砂を運び入れ、整地している。 3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。右奥の大型格納庫は屋根が低く偽装ネットをかけてある。
Fasi preparatorie della missione sulla Manica del 56° stormo del CAI con i piloti impegnati nelle necessarie verifiche dei CR 42 Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004730-man0 引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。降雨で荒廃した未舗装滑走路は、人力で整備され、使用可能な状態に土砂を運び入れ、整地されている。
Fasi preparatorie della missione sulla Manica del 56° stormo del CAI con i piloti impegnati nelle necessarie verifiche dei CR 42 Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004729-man0引用。


写真(右)1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス本土空襲作戦準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊第82飛行小隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機とプロペラの始動に従事する地上勤務整備員;奥の機体は部隊番号8-82。3翅プロペラは停止しておりエンジンを始動する前に機体を滑走路に運搬する地上勤務員。後方の大型格納庫はコンクリート製で屋根が低く偽装ネットをかけてある。
Fasi preparative della missione sulla Manica del 56° stormo del CAI con uomini della squadra impegnati ad avviare le eliche Creation date 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004714-man0引用。


1940年後半から1941年初めに、ベルギー西部の航空基地に進出して、イギリス本土空襲に従事したイタリア王国空軍だったが、北ヨーロッパの冬の悪天候や降雨によって、未舗装滑走路は、荒れた状態になり、飛行機の運用に支障をきたした。そこで、飛行場の滑走路をに、土砂を運び入れ、整地したり、板を敷いたりして、整備して何とか使用可能な状態に戻して、出撃をした。

写真(右)1941年1月10日、1941年1月10日、ベルギー西部、ブリュージュ東20キロのエークロ(Eeklo:Eechlou)基地(?)、イギリス海峡の基地からイギリス本土空襲の準備中のイタリア王国空軍第56飛行中隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機と操縦士たち;右遠方の操縦士は、ライフジャケットを着用しているが、これはイギリス海峡に不時着したときの救命救急用である。 エンジンカウリングは黄色塗装をしているがこれはドイツ軍と共通の味方識別マークである。3翅プロペラは回転しておりエンジンを始動しているため、自力で地上滑走、タキシングして離陸地点まで滑走路を移動する。
Preparativi di volo per il 56° stormo del CAI impegnato sulla Manica 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004711-man0引用。


写真(右)1940年12月27日,イタリア領植民地リビア、大きく破損し羽布が破れたイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機と乗用車でやってきて見聞するオーストラリア軍兵士;ドイツ軍との共通の味方識別マークとして黄色で翼端を塗装しているが、カウリングには味方識別の黄色塗装はなされていない。
A crashed Italian Fiat C.R. 42 Falco fighter on an airfield between Capuzzo and Bardia in Libya, 1940. The van belongs to the Australian Photographic Unit.. Date 27 December 1940 Author Frank Hurley, Australian armed forces Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: 005280
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Crashed Fiat CR42 Libya 1940.jpg引用。

写真(右)1941年1月10日(?)、地中海方面(?)、未舗装滑走路から発進しようとするファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機(部隊番号:364-10)と操縦士;エンジンカウリングは黄色塗装をしていない。3翅プロペラは回転しておりエンジンを始動しているため、自力で地上滑走、タキシングして離陸地点まで滑走路を移動する。エンジンカウリングは黄色塗装をしていない。
Nella cabina di guida di un CR 42, un pilota si appresta a levarsi in volo per una missione sulla Manica 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004708-man0引用。


フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機は、空気抵抗減少のために、固定式降着装置に流線形の整形カバーをかけている。しかし、未舗装滑走路では、離着陸の時に、車輪とカバーの間に泥や異物が詰まって事故を起こす危険があった。そこで、空気抵抗の増加を忍んで、車輪整形カバーを撤去して、離着陸時の安全性を確保する場合が多かった。

写真(右)1941年9月1-20日、地中海方面の未舗装滑走路に待機するイタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機と基地警備にあたっている歩哨の兵士たち:兵士は、小銃を担いでいるが、手前に立っているのは、分隊指揮官の下士官か下級将校のようだ。エンジンカウリングに黄色塗装をしていないので、ドイツ軍との共同作戦がまだ等閑視されている時期・地域における撮影と思われる。3翅プロペラは停止しておりエンジンは止まっているので、コックピット操縦席に乗り込んでいるのは点検中の整備員かもしれない。
mediterraneo Un graduato della Regia Aeronautica e un gruppo di avieri in posa vicino a un caccia CR. 42 Creation date 01.09.1940-20.09.1940 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004772-man0引用。


1940年9月、イタリアは、自国のアフリカ植民地リビアから、西方のイギリス属国エジプトに侵攻した。これは、スエズ運河を占領して、地中海のイギリス海軍の影響力を大幅に低下することを企図したものだった。しかし、イタリア軍は兵力的には勝っていたにも関わ環図、イギリス軍の反撃を受けて後退し、1941年2月になると、イギリス軍にリビアの要衝ベンガジを占領されてしまう。

イタリア領植民地リビア、ベンガジ(Benghazi)は、第二次世界大戦が緒戦の1941年1月イギリス軍はエジプトから侵攻し、リビアのキレナイカ地方を占領、1941年2月6日、リビア西部の要衝ベンガジを占領した。しかし、イギリスは、ドイツのバルカン侵攻に対応する必要上、北アフリカへの補給は滞った。

写真(右)1941年2月11日,イタリア領植民地リビア北部、トブルク(Tobruk)南方のエル・アダム(El Adam)近郊に撃墜され炎上するイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;ドイツ軍との共通の味方識別マークとして黄色で翼端を塗装している。
A burning Italian Fiat C.R.42 Falco fighter shot down near El Adam, south of Tobruk, Libya. Date 11 February 1941 Author Australian armed forces Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: 006113
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Burning Fiat CR42 near Tobruk 1941.jpg引用。

他方、ドイツは、1941年2月にイタリア軍支援のためにエルヴィン・ロンメルを指揮官とするドイツアフリカ軍団を北アフリカのリビアに派兵し、3月11日にリビア西端トリポリに上陸した。素早く奇襲攻撃をかけたドイツ軍は、1941年4月4日にベンガジを奪回し、4月10日にはリビア西端トブルクまで到達してイギリス軍リチャード・オコーナー将軍を捕虜にした。

写真(右)1943年頃,地中海方面、羽布が大きく破損したイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;後方には、イタリア南端、プッリャ州ターラント県グロッターリエ(Grottaglie)基地から飛来したイギリス空軍第216飛行隊ダグラスC-47軍用輸送機からトラックの荷台に貨物の積み下ろしをしている。
Royal Air Force- Italy, the Balkans and South-east Europe, 1942-1945. Supplies for the RAF wings operating from Grottaglie, Italy, are unloaded from a Douglas Dakota of No. 216 Group RAF, using a commandeered Italian lorry. In the foreground a SAAF officer lights a cigarette beside the wreckage of an Italian Fiat CR.42. Date between 1942 and 1945 Author Bridge B (Fg Off), Royal Air Force official photographer
CNA 1394 from the collections of the Imperial War Museums.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Royal Air Force- Italy, the Balkans and South-east Europe, 1942-1945. CNA1394.jpg引用。

1941年2月12日、ドイツ・アフリカ軍団を率いることになったエルヴィン・ロンメル将軍は、北アフリカ、イタリア領植民地リビア西部、トリポリ(Tripoli)空港に到着した。1942年6月22日には、リビア西端のトブルクを攻略し、ヒトラーから、ドイツ最年少の元帥に任命された。しかし、北アフリカ到着から2年後、1943年3月、ロンメル元帥は、北アフリカを離れ、二度と戻ることはなかった。これは、功績ある英雄エルヴィン・ロンメル元帥を捕虜にさせないという理由もあるが、残された枢軸軍将兵、特に後任のハンス=ユルゲン・フォン・アルニム(Hans-Jürgen Theodor von Arnim)上級大将から見れば、見捨てられたと感じたであろう。

写真(右)1941年1月10日(?)、地中海方面(?)、未舗装滑走路から発進しようとするファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機(部隊番号:364-10)と操縦士;エンジンカウリングは黄色塗装をしていない。3翅プロペラは回転しておりエンジンを始動しているため、自力で地上滑走、タキシングして離陸地点まで滑走路を移動する。エンジンカウリングは黄色塗装をしていない。
Nella cabina di guida di un CR 42, un pilota si appresta a levarsi in volo per una missione sulla Manica 10.01.1941 Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z Timestamp created 2020-11-22T21:25:10.106Z
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier GuerraGuerraIL0001004708-man0引用。


写真(右)1941年6月以降,ソ連東部戦線、不時着し横転したハンガリー空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;ドイツ軍との共通の味方識別マークとして黄色でエンジンカウリングを塗装している。
Szovjet fronton a III. közelfelderítő század Dr. Varga Csaba magyar jogfilozófus, Pécsett nagypolgári családban született. Az általa összegyűjtött fényképeken nemcsak a család, hanem a nagyapja által alapított cég, a Varga Gyula Autókarosszéria- és Kocsigyár is megelevenedik.. Provider Forum Hungaricum Non-profit Ltd. Creator Dr. Varga Csaba, jogász Providing country Hungary
写真はEuropeana experience,Europeana Identifier 713062 Inventory number 133470引用。

写真(右)1942-1944年頃,イタリア、イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;夜間戦闘の準備をしているのであろうか。1943年に入ると、Cr.42の性能では、昼間の対戦闘機戦闘は困難になったが、地上襲撃や夜間攻撃には、操縦性の良さと格闘性能の高さを活用することができた。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079138引用。

マルタ島を出航したイギリス駆逐艦「ケルヴィン」「ヌビアン」は、1943年1月15-19日、リビア晴西端トリポリから脱出しようとした枢軸国艦船を襲撃し、大損害を与えた。1943年1月23日、西側連合国軍は、トリポリを占領した。1943年1月末に、枢軸軍は、チュニジアまで撤退し抗戦したが、1943年5月13日、北アフリカの枢軸国軍は降伏し、アルニム上級大将以下、27万5000人が捕虜となった。

写真(右)1943年12月、イタリア南端、プッリャ州ターラント県グロッターリエ(Grottaglie)基地、飛行船用格納庫を背景にした破損し羽布が破れたイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;1940年6月のイタリアの第二次大戦前の国籍マーク、イタリア三色旗トルコローレ緑白赤を改め、白十字の国籍マークを垂直尾翼に描いている。後方の飛行専用格納庫の格納庫扉は開放された状態で、格納庫を覆う外板も外れている。
A damaged Italian Fiat CR.42 fighter outside the burnt out shell of a dirigible hangar at the captured airfield at Grottaglie, Italy. Date circa December 1943 Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: MEA07067
Author Laurence Craddock Le Guay, Australian armed forces
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Wrecked Fiat CR 42 near Bardia 1940.jpg引用。


1943年7月10日、西側連合国軍は、イタリアのシチリア島にへ上陸、7月25日、ムッソリーニは首相を罷免され、逮捕された。1943年9月3日、イギリス軍はイタリア半島に上陸、9月8日、イタリア王国バドリオ首相は連合国と休戦協定を締結し、無条件降伏を受け入れた。

写真(右)1942-1945年頃(?)、スウェーデン、スウェーデン空軍がイタリアから購入して使用したフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機・J11;1940年2月から1941年9月の間に、スウェーデンは合計72機のCR.42を購入した。スウェーデンの青丸金三王冠の国籍マークを胴体後方側面に描いている。
Identifier: kulturarvsdata.se FVM.149854 Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing Country: Sweden First Published In Europeana: 2016-05-13 Inglasat foto på J 11 - Fiat CR-42 "Falco"
写真は,Europeana experience,Europeana FVM.149854; Dataset: 916113_Ag_SE_Flygvapenmuseum引用。


スウェーデンはフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の最大の輸入国だった。スウェーデン空軍は、1939年9月に勃発した第二次世界大戦に際して、戦争に巻き込まれる危機感をいっそう強めた。そこで、それまで自国で航空機の開発・生産をしていなかったために、急遽、軍用機を輸入することとした。しかし、第二次大戦に参戦しているイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギーなどの航空機開発・生産国は、とても他国に軍用機を供給する余力はなかった。第二次世界大戦の結果、中立国アメリカも国防強化に乗り出し、武器の輸出を制限するようになった。

他方、イタリアは、ドイツ同盟国だったが、1939年9月に始まった第二次世界大戦に参戦しておらず、非参戦国として、武騎手つつ、外貨獲得を続けていた。そこで、スウェーデンは、1939年から1941年の間に、CR.42戦闘機、Ca.313偵察爆撃機などさまざまなイタリア軍用機を購入した。ヨーロッパの中立国スウェーデンは、航空機の自国生産を実現するのは、1943年以降であり、それまでは輸入機で空軍力の増強を図っていたのである。 1940年2月から1941年9月の間に、スウェーデンは合計72機のCR.42を購入した。これらのCr.42戦闘機には、無線機、パイロット後方の20 mm防弾装甲板、冬季作戦用のスキー式降着装置の装備が可能で、スウェーデン空軍はJ 11戦闘機と命名した。

写真(右)1976年、スウェーデン空軍がイタリアから購入して使用したフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機・J11;スウェーデンの青丸金三王冠の国籍マークを胴体後方側面に描いている。1940年2月から1941年9月の間に、スウェーデンは合計72機のCR.42を購入しJ11と命名した。
Fiat CR 42, Swedish Air Force J 11 Date 1976 Source Own work Author Towpilot
写真はWikimedia Commons,Category:J 11 Falco File:Fiat CR 42 - J 11.jpg引用。


スウェーデン空軍はJ 11戦闘機は当初、F 9飛行隊に配属され、ヨーテボリに配備された。F13ブロヴァラ飛行隊は、ノルチェピングに配備された。また、北方のキルナのJ11戦闘機は、スキー式降着装置を装備した。1942年の春、ルレオ 飛行場のJ 11は、スウェーデン領空を侵犯したドイツ機を迎撃するために数回スクランブルをかけているが、侵入したドイツ機と接触したことはなかった。イェーテボリの飛行隊は、侵入した国籍不明機を数回迎撃し、スウェーデン領空から離れることを余儀なくさせた。

絵画(右)1989年作、飛行するスウェーデン空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機・J11の2機編隊;イタリアから購入して使用した機体でスウェーデンの青丸金三王冠の国籍マークを胴体後方側面に描いている。1940年2月から1941年9月の間に、スウェーデンは合計72機のCR.42を購入しJ11と命名した。
Blyertsmålning med motiv av J 11 (Fiat CR 42). På baksidan av målningen sitter en lapp med information om flygplanstypen. Creator Ahremark, Carl Gustaf Subject Kulturhistoria Konst http://vocab.getty.edu/aat/300193782 Art Type of object Blyertsmålning Object Medium Papper Provider Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Creation date 1989-01-01 Timestamp created 2016-05-13T08:21:59.599Z写真はWikimedia Commons,Category:J 11 Falco FVM.147119引用。


スウェーデン空軍J11、フィアットCR.42戦闘機は、運用中に、フィアット工場で使用した材料の品質欠陥のめに、多くの事故に見舞われているが、これはCa.313偵察爆撃機と同様の事故だった。1942年の終わりまでに、スウェーデン空軍J11、フィアットCR.42戦闘機8機が失われ、1943年の終わりまでにさらに17機が失われた。スウェーデン空軍J11、フィアットCR.42戦闘機は、こうして事故と機械的故障により、合計で30機を超える損失を記録している。

スウェーデン空軍パイロットは、J11の各戦闘能力、ドッグファイトを高く評価したが、低速、不十分な火力、さらに厳冬・吹雪・悪天候に適していない開放式オープンコックピットを欠点とみていた。また、事故や故障が相次いだために、1945年までに、スウェーデンのCR.42は、運用が停止状態になった。そして、ドイツ降伏2か月前の1945年3月14日までに、スウェーデン空軍F13飛行隊に残っていたJ11、フィアットCR.42複葉固定脚戦闘機は、廃止され、残っていた合計19機のJ11は民間請負業者に売却された。

図(右),イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の三面図
Photographer MLWatts Location Aircraft type Fiat C.R.42 Type SVG drawing Object type aircraft Description English: 3-view drawing of a Fiat C.R.42 Italian biplane fighter of World War II. Italiano: Tavole prospettiche di un caccia italiano della seconda guerra mondiale Fiat C.R.42. Date 27 December 2011 Source Own work (basing upon G. Dicorato, G. Bignozzi, B. Catalanotto, C. Falessi, Storia dell'Aviazione, Milano, Fratelli Fabbri Editori, 1973, p. 375 Profili.)
図はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Fiat C.R.42 Falco 3-view.svg引用。

フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の諸元
搭乗員:Crew: 1
全長:Length: 8.25 m (27 ft 1 in)
上主翼全幅:Upper wingspan: 9.7 m (31 ft 10 in)
下主翼幅:Lower wingspan: 6.5 m (21 ft 4 in)
全高:Height: 3.585 m (11 ft 9 in)
主翼面積:Wing area: 22.4 m2 (241 sq ft)
空虚重量:Empty weight: 1,782 kg (3,929 lb)
総重量Gross weight: 2,295 kg (5,060 lb)
発動機:Powerplant:フィアット(Fiat)A.74 R.C.38空冷(air-cooled)星形(radial)14気筒(cylinder)ピストンエンジン 627 kW (841 hp) /高度 3,800 m (12,500 ft) / 2,400 rpm
プロペラPropellers: 3翅可変ピッチ(variable-pitch)プロペラ
性能:Performance
最高速力:Maximum speed: 441 km/h (274 mph, 238 kn) at 6,100 m (20,000 ft)
巡行速力:Cruise speed: 399 km/h (248 mph, 215 kn)
着速度:Landing spreed: 128 km/h (80 mph; 69 kn)
航続距離:Range: 780 km (480 mi, 420 nmi)
実用上昇限度:Service ceiling: 10,210 m (33,500 ft)
上昇率:Rate of climb: 11.8 m/s (2,320 ft/min) 翼面荷重:Wing loading: 102 kg/m2 (21 lb/sq ft)
出力重量比:Power/mass: 0.28 kW/kg (0.17 hp/lb)
離陸距離:Take-off run: 210 m (690 ft)
着陸距離:Landing run: 340 m (1,120 ft)
火器:Guns: 初期:ブレダ(Breda)-SAFAT 7.7 mm (0.303 in)機関銃1丁、ブレダ(Breda)-SAFAT 12.7 mm (0.500 in)機関銃1丁
後期:ブレダ(Breda)-SAFAT 12.7 mm (0.500 in)機関銃2丁(携行弾薬 400発)
爆弾: Bombs: 200 kg (440 lb) 2発/主翼爆弾懸架


3.現存するフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機

写真(右)2007年9月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊所属(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長操縦のフィアットCR.42戦闘機(部隊番号:13-95/製造管理番号:MM5701) 左側面:エンジンカウリングを黄色に塗装したのは、同盟国ドイツ軍と共通の味方識別マークを採用したためである。
Italiano: Fiat CR42 Falco - Caccia monoposto della Regia Aeronautica - Seconda Guerra Mondiale - Royal Air Force Museum - Hendon - London Date 9 September 2007 (original upload date) Source Transferred from it.wikipedia to Commons by Mike1979 Russia using CommonsHelper. Author The original uploader was Oscareagle at Italian Wikipedia.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:CR42 Falco.jpg引用。


イギリス本土航空決戦に際して、1940年11月11日、ベルギーの基地からイギリス南岸エセックス州ハーウィッチ空襲に出撃したこのイタリア空軍フィアットCR.42戦闘機(製造管理番号:MM5701)は、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォード海岸に潤滑油パイプの損傷によって不時着した。

写真(右)2015年10月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(部隊番号:13-95/製造管理番号:MM5701)の上から見た開放式コックピット:足元には、方向舵を操作するフットバーが写っている。
Photo ref; Nikon-D80-2015-DSC_0881 (Edited) Date 17 October 2015, 12:45 Source Fiat CR.42 cockpit,, Royal Air Force Museum, Hendon. Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:Fiat CR.42 cockpit,, Royal Air Force Museum, Hendon. (23848820669).jpg引用。


写真(右)2015年10月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長が操縦していたフィアットCR.42複葉戦闘機(部隊番号13-95:製造管理番号MM5701)開放式コックピット:前方のみ風を避けるガラス風防が設けられているが、周囲・天蓋に風防はなく開放されているために視界はよい。
Photo ref; Nikon-D80-2015-DSC_0882 (Edited) Date 17 October 2015, 12:45 Source Fiat CR.42 cockpit,, Royal Air Force Museum, Hendon. Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:Fiat CR.42 cockpit,, Royal Air Force Museum, Hendon. (24134071901).jpg引用。


写真(右)2010年7月27日、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)、連合国軍が1940年11月に鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊所属のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(部隊番号:13-95、製造管理番号:MM5701)コックピット操縦席前の計器盤(計器盤の左側):イタリア空軍第18航空団第85a飛行戦隊第56飛行中隊(18°Gruppo/85a Squadriglia/Stormo 56)アントニオ・ラチャーリ(Antonio Lazzari)曹長の乗機で、当時の塗装を復元し、イギリス本土航空決戦の記念碑として展示されている。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00079144引用。


フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機コックピット操縦座席には、パイロットを保護するための防弾ガラス、装甲板など防弾装置は設けられていないようだ。

写真(右)2010年7月27日、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管しているイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアットCR.42戦闘機コックピット操縦席左側に設置されたスロットル・レバー:1940年11月11日に、イギリス南岸イタリア空軍第18航空団第85a飛行戦隊第56飛行中隊(18°Gruppo/85a Squadriglia/Stormo 56)アントニオ・ラチャーリ(Antonio Lazzari)曹長の乗機で、当時の塗装を復元し、イギリス本土航空決戦の記念碑として展示されている。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00079155引用。


操縦席では、フィアットA74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpをスロットルで調整する。エンジンの出力制御に用いるスロットルレバーは、燃料を内燃機関に送る絞り弁(スロットル)を調節するレバーであり、エンジンの出力制御レバーのことである。第二次世界大戦中、イギリス式のアメリカ、ドイツ、日本では、スロットルレバー前に倒すことで出力を増大させ、後ろに引くことで出力を減少させる。

写真(右)2010年7月27日、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊所属のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(部隊番号:13-95/製造管理番号:MM5701)のコックピット操縦席左側に設置されたスロットル・レバー
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00079151引用。


イギリス式スロットルレバーとは対照的に、フランス式のイタリア、日本陸軍機のキ43一式戦初期までは、反対に、スロットルレバー後ろに引くことで出力を増大させ、前に倒すことで出力を減少させる。

写真(右)2010年7月27日、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管しているイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアットCR.42戦闘機(部隊番号:13-95/製造管理番号:MM5701) コックピット操縦席中央に設置された操縦桿:操縦の先端には機首に装備した機関銃の引き金トリガーに替わる発射ボタンがある。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00079146引用。


マリオ=カストルディの設計、1937年12月24日に初飛行したマッキMC-200サエッタ戦闘機Macchi MC-200 Saetta)は、1939年8月にイタリア王国空軍部隊配備したフィアットA74RC38空冷星型14気筒870馬力搭載の軽快な戦闘機で、視界を向上するために半開放式の風防を小高く盛り上げた胴体上に設置した。空気抵抗は若干増加しても、視界の良好さを優先したのである。

写真(右)2010年7月27日、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王室空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊所属のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(製造管理番号:MM5701)コックピット操縦席にある操縦桿:操縦桿の先端には、ボタンがあるが、これは機首の7.7mm機関銃2丁の電気式トリガーの射撃装置である。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00079153引用。


イギリス本土航空決戦に際して、1940年11月11日、ベルギーの基地からイギリス南岸エセックス州ハーウィッチ空襲に出撃したイタリア空軍フィアットCR.42戦闘機(製造管理番号:MM5701)は、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォードネス(Orford Ness)海岸に潤滑油パイプの故障によって不時着を余儀なくされた。

写真(右)2010年7月27日、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(部隊番号:13-95/製造管理番号:MM5701) のコックピット操縦席
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00079150引用。


1940年6月、第二次世界大戦に参戦したイタリアは、ドイツ同盟国として連合国軍と戦ったが、1943年9月に連合国に無条件降伏した。その後、10月には同盟国だったドイツに宣戦布告し、連合国の一員として再度、第二次世界大戦を戦うことになった。

写真(右)2010年7月27日、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王室空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊所属(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアットCR.42戦闘機のコックピット操縦席:座席には特に装甲板など防弾装置は設けられていないようだ。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00079150引用。


垂直尾翼に描かれた国籍マークは、ファシスト・イタリア王国空軍は、三色旗トルココーレ緑白赤の縦縞だったが、第二次大戦にドイツ同盟国として参戦した1940年6月以降は、三色旗の中央の白だけ残し白十字としたものに変更された。

しかし、1943年10月以降、連合国側に立って戦ったたたかった新生イタリア王国空軍の国籍マークは、垂直尾翼の三色旗トルココーレ緑白赤の縦縞と胴体側面のトルコローレ緑白赤の同心円に変更された。

写真(右)2010年7月27日、1941年以降に連合国軍が鹵獲したイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機のコックピット操縦席:中央には射撃用の光像式照準器を設ける台があるが、照準器自体は撤去されている。足元には、操縦用フットペダルがある。手前には操縦桿があり、その先端に電気式トリガーの射撃ボタンがついている。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00079147引用。


イギリス本土航空決戦に際して、1940年11月11日、ベルギーの基地からイギリス南岸エセックス州ハーウィッチ空襲に出撃したこのイタリア王室空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長操縦のフィアットCR.42戦闘機は、イギリス、ハーウィッチ北東20キロのサフォーク州オーフォード海岸に潤滑油あるいは燃料パイプの故障よって不時着した。しかし、成就な不時着でほとんど無傷でイギリス軍が鹵獲し、再飛行させている。これが、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)に現存するフィアットCR.42戦闘機である。

写真(右)2010年7月27日、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管しているイタリア王室空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアットCR.42戦闘機(製造管理番号:MM5701)コックピット操縦席右側にある制御盤
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: 00079142引用。


フィアット(Fiat) A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpを搭載したイタリア軍用機は、マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機のほかにも、同時期に試作されたフィアット(Fiat)CR.42複葉戦闘機、フィアットG.50戦闘機、フィアットC.R.25双発偵察爆撃機がある。

写真(右)2010年8月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊所属(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアットCR.42戦闘機(部隊番号:13-95/製造管理番号:MM5701) 左側面:エンジンカウリングを黄色に塗装したのは、同盟国ドイツ軍と共通の味方識別マークを採用したためである。
Italiano: Vista laterale del Fiat C.R. 42 esposto al RAF Museum Hendon, Londra, Regno Unito Date 26 August 2010, 17:32 Source Own work Author Diko.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:Fiat C.R.42.JPG引用。


写真(右)2015年3月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王室空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊所属フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(製造管理番号:MM5701)右側面
Based in Belgium as part of the CAI (Corpo Aereo Italiano) during the Battle of Britain. Forced landed on the beach at Orfordness, Suffolk on 11th November 1940 when an oil pipe broke during a raid on Harwich. Taken to Martlesham Heath for repair and then flown to Farnborough. In April 1941 it joined the Air Fighting Development Unit at Duxford and remained in use there until October 1942. It was then allocated for preservation by the Air Historical Branch and by mid 1943 it was dismantled and stored. In 1964 it had reached Biggin Hill, where it was then ‘restored’. Further restoration was carried out at St Athan in 1974 and in 1978 it went on permanent display in the Battle of Britain Hall where it remains today. RAF Museum, Hendon, London, UK. 22-3-2015 Date 22 March 2015, 10:36 Source Fiat CR42 ‘MM5701 / 95-13’ Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:Fiat CR42 ‘MM5701 - 95-13’ (16993853728).jpg引用。


写真(右)2015年10月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王室空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアットCR.42戦闘機右側面
Photo ref; Nikon-D80-2015-DSC_0854 (Edited) Date 17 October 2015, 12:27 Source Fiat CR.42, Royal Air Force Museum, Hendon. Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:Fiat CR.42, Royal Air Force Museum, Hendon. (23886776226).jpg引用。


写真(右)2015年10月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊(18°Gruppo/95 Squadriglia/Stormo 56)所属ピエトロ・サルバドーリ(Pietro Salvadori)曹長のフィアットCR.42戦闘機右側面
Fiat CR42 of 95 Squadriglia 'Caccia Terrestre', 18 Gruppo, 56 Stormo in Hangers 3&4 at the RAF Museum, Hendon, 4 December 2018. CR42's fought many an air battle with the contemporary Gloster Gladiator in the Western Desert in early WWII. in Hanger 3&4 at the RAF Museum, Hendon, 4 December 2018. Date 4 December 2018, 15:36 Source Fiat CR42 Author Hugh Llewelyn from Keynsham, UK.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:Fiat CR42 (45387040285).jpg引用。


写真(右)2016年5月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管しているイギリス軍の鹵獲したイタリア王室空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊所属フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(部隊番号:13-95/製造管理番号:MM5701) :左上方より撮影。
The RAF Museum has chosen to celebrate the 100th Anniversary of the service by dismantling and closing the museum dedicated to its finest hour, the Battle of Britain Museum. Ever cloud has a silver lining, however, and during May 2016 the aircraft were in a part dismantled state, allowing for some interesting photos. Based in Belgium as part of the CAI (Corpo Aereo Italiano) during the Battle of Britain. Forced landed on the beach at Orfordness, Suffolk on 11th November 1940 when an oil pipe broke during a raid on Harwich. Taken to Martlesham Heath for repair and then flown to Farnborough. In April 1941 it joined the Air Fighting Development Unit at Duxford and remained in use there until October 1942. It was then allocated for preservation by the Air Historical Branch and by mid 1943 it was dismantled and stored. In 1964 it had reached Biggin Hill, where it was then ‘restored’. Further restoration was carried out at St Athan in 1974 and in 1978 it went on permanent display in the Battle of Britain Hall where it remained until 2016. RAF Museum, Hendon, London, UK. 28th May 2016 Date 28 May 2016, 09:53 Source Fiat CR42 ‘MM5701 / 95-13’ Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:Fiat CR42 ‘MM5701 - 95-13’ (33002791562).jpg引用。


写真(右)2018年6月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍RAF博物館(Royal Air Force Museum London)が保管している連合国軍が鹵獲したイタリア王国空軍第56飛行隊第95飛行中隊第18飛行小隊フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機(部隊番号:13-95/製造管理番号:MM5701)正面:後方には、スーパーマリーンスピットファイア戦闘機が見えるが、展示ではイギリス本土航空決戦をテーマとしている。エンジンカウリングを黄色に塗装したのは、同盟国ドイツ軍と共通の着方識別マークを採用したためである。
English: Fiat CR.42 in the Battle of Britain exhibition at the RAF Museum with a cut out figure of Jean 'Pyker' Offenberg, Belgian ace of the RAF Date 28 June 2018, 10:42:03 Source Own work Author Krishendrix78.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at RAF Museum London File:Fiat CR.42 at the RAF Museum.jpg引用。


写真(右)2011年10月、イタリア、ローマ県ブラッチャーノ(Malmslätt)、ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館(Swedish Air Force Museum)、ファシスト・イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機'162-6'(製造管理番号:MM5643):これは、イタリア空軍の使用した機体ではなく、スウェーデンに輸出されJ-11戦闘機(AF 2539:SE-AOP)として使用されていたCR.42を買い戻したものである。
Displayed in Hangar VELO. Restored in non-genuine Italian AF markings as MM5643. Actually ex Swedish AF 2539 and SE-AOP. msn 917 Date 20 October 2011, 10:10 Source Fiat CR42 'MM5643 / 162-6' (really fv2539) .
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR 42 Falco at Museo Vigna di Valle File:Fiat CR42 MM5643 162-6 (really fv2539) (6438155357).jpg引用。


写真(右)2017年1月、イタリア、ローマ県ブラッチャーノ(Malmslätt)、ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館(Swedish Air Force Museum)、ファシスト・イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機'162-6'(製造管理番号:MM5643):この機体は、イタリア空軍が使用したCr.42ではなく、スウェーデンに輸出されJ-11戦闘機(AF 2539:SE-AOP)として使用されていたCR.42で、それをイタリアが買い戻し、イタリア空軍機の塗装に復元し展示している。

Deutsch: Fiat CR.42 im Luftwaffenmuseum Vigna di Valle ate 13 January 2017, 10:45:28 Source Own work Author Smolik .
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR 42 Falco at Museo Vigna di Valle File:Fiat CR.42 Vigna di Valle DSCN0657 (2).jpg引用。


写真(右)2017年1月、イタリア、ローマ県ブラッチャーノ(Malmslätt)、ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館(Swedish Air Force Museum)、ファシスト・イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機'162-6'(製造管理番号:MM5643):スウェーデンがCr.42を輸入し、スウェーデン空軍でJ-11戦闘機(AF 2539:SE-AOP)として配備した機体で、これをイタリアが買い戻してファシスト・イタリア空軍CR.42戦闘機の塗装に復元し展示している。
Deutsch: Fiat CR.42 im Luftwaffenmuseum Vigna di Valle Date 13 January 2017, 10:44:58 Source Own work Author Smolik .
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR 42 Falco at Museo Vigna di Valle File:Fiat CR.42 Vigna di Valle DSCN0654 (2).jpg引用。


写真(右)2017年1月、イタリア、ローマ県ブラッチャーノ(Malmslätt)、ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館(Swedish Air Force Museum)、ファシスト・イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機'162-6'(製造管理番号:MM5643) :左後方より撮影。後方はカプロニ・カンピニ N.1(Caproni Campini N.1)ジェット実験機で、1940年8月27日にジェット推進で初飛行した。これは、世界初のジェット飛行をしたHe-178ターボジェット実験機の1年後だったが、He-178は秘密にされていたので、このイタリア製カプロニ・カンピニ N.1が世界初のジェット機として喧伝された。搭乗員:2名、全長:13.10 m 全幅:15.85 m、全高:4.7 m、翼面積:36.00 m2、空虚重量:3640 kg、最大離昇陸重量:4195 kg、最高速力375 km/h。
Displayed in Hangar VELO. Restored in non-genuine Italian AF markings as MM5643. Actually ex Swedish AF 2539 and SE-AOP. msn 917 msn 917 Date 20 October 2011, 10:13 Source Fiat CR42 'MM5643 / 162-6' (really fv2539) Author Alan Wilson Blue pencil.svg wikidata:Q33132025.
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR 42 Falco at Museo Vigna di Valle File:Fiat CR42 MM5643 162-6 (really fv2539) (6438173417).jpg引用。


写真(右)2012年6月、スウェーデン南部、ストックホルム南西200キロ、マームスラット(Malmslätt)、スウェーデン空軍博物館(Swedish Air Force Museum)、スウェーデン王国空軍が輸入し第F9飛行隊に配備したフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)/スウェーデン名J-11 戦闘機'2543'
Built in 1941, this 'Falco' carries F9 unit markings. msn 921. Flyvapenmuseum, Malmen, Sweden. 04-6-2012 Date 4 June 2012, 11:26 Source Fiat CR42 (J-11) '2543' .
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at Flygvapenmuseum File:Fiat CR42 (J-11) 2543 (8038993776).jpg引用。


写真(右)2018年8月、スウェーデン南部、ストックホルム南西200キロ、マームスラット(Malmslätt)、スウェーデン空軍博物館(Swedish Air Force Museum)、スウェーデン王国空軍が輸入・配備したフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)/スウェーデン名J 11戦闘機正面:右後方は、イギリス製デハビラント(De Havilland)D.H. 60T モス(Moth)水上練習機の機首 。
Español: Museo de la Fuerza Aérea Sueca (Flygvapenmuseum) en agosto de 2019. English: Swedish Air Force Museum (Flygvapenmuseum) in August 2019. Date 20 August 2019 Source Own work Author BugWarp .
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 at Flygvapenmuseum File:Flygvapenmuseum - BugWarp (2).jpg引用。



4.フィアット(Fiat)CR.42公式マニュアル

写真(右)1940年(ファシスト暦13年)イタリア航空省刊行(ローマ),フィアット(Fiat)CR.42公式マニュアルのカバー
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


マニュアル(manual)とは、
1) 飛行機・機械から道具・アプリケーションまでの使用説明書であり、取扱や手引きとして用いられる。
2) 操作・生産工程など作業手順を説明するが、写真・図解などを多用して、理解を円滑に進める。
という二つの目的がある。

他方、カタログは、取引相手・購入者などに対する飛行機・機械から道具・アプリケーションまで、機能を説明し、商品の性能を誇示する説明書である。

しかし、マニュアルとカタログを厳格に区別することはできない。マニュアルがカタログの役割を担い、マニュアルがカタログの役割を担うことがあるからである。

1937年12月に初飛行したマッキMC-200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)は、プログラムRの競争試作機の対抗馬、フィアット G.50、フィアットCR.42複葉戦闘機よりも高性能を発揮したため、イタリア空軍は制式して、直ちに量産機を発注した。翌年1939年、第二次世界大戦が勃発した年に、イタリア空軍はマッキMC-200サエッタ戦闘機を配備した3つの航空団(ストロモ:Stormo)を編成した。 1個飛行中隊(スコードロン:Squadriglie)は9機で、2-3個の飛行中隊合計18-27機で1個の飛行戦隊/飛行団(グルッポ:Gruppo)、3個飛行戦隊合計54-81機で1個の航空団(ストロモ:Stormo)となる。


図(上)1940年6月以前,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の正面

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。




ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、左右主翼上面・下面のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼のサヴォイア高家紋章付きのイタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞だった。しかし、1940年6月の第二次大戦参戦後、垂直部翼の三色旗の華麗な国籍マークは、サボイア王家紋章付きの白十字に変更された。ムッソリーニ首相罷免後に樹立されたピエトロ・バドリオ政権は、1943年9月18日連合国に降伏し、1943年10月18日、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。


図(上)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の側面構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


1940年6月の第二次大戦参戦後のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。1943年7月25日、ムッソリーニ首相罷免後のバドリオ政権は9月初めに連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。


図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機前部の側面構造図
:機首部分とエンジン
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


ファシスト独裁イタリア王国空軍の国籍マークは、主翼に描かれたファッシ(束ねた武器)、垂直尾翼に描かれた白十字ある。後に、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、降伏すると、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。


図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の側面図
(三面図1):3翅プロペラは直径2800mm、取付け角上向き1.30度、車輪は直径は600cm・幅170cm、尾輪の直径260cm・幅100cm。高さ3585cm、垂直尾翼の高さ1430cm。
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


1940年6月の第二次大戦参戦後のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。しかし、統領ムッソリーニ罷免後のバドリオ政権は連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円に変更され、現在に至っている。


図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の上面図
(三面図2):水平尾翼3350cm、全長8257cm、上主翼幅1560cm、下主翼幅1315cm。
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イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機は、第二次大戦勃発2年前の1937年12月24日に初飛行し、1939年8月より部隊配備された。マッキMC.200戦闘機の兵装は、12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃2丁、搭載爆弾は、主翼下面に50 kgあるいは100 kg爆弾または150キロ爆弾2発で、フィアット(Fiat)CR.42より強力だった。


図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機
(三面図3):上主翼幅(全幅)9700cm、下主翼幅6500cm、主車輪間隔1965cm、主翼上反角(上下翼とも)1.30度、
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図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。



図(上)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の燃料タンクと配管の側面構造図
:7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁がコックピット前方の機首上面に搭載されている。
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写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機のコックピット
(第34図):正面左右に計器盤、中央上部に光像式照準器、中央下に操縦桿、中央床に操縦ペダル・フットバーが設けられている。
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フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の初飛行は1938年5月で、1937年のスペイン内戦で活躍したフィアットCR.32複葉戦闘機の性能向上型で、より強力なフィアット(Fiat)A.74 RC.38空冷星形14気筒エンジン840 馬力 (618 kW)を搭載し、旋回・格闘性能を重視し、そのために複葉(主翼面積22.4m2)、軽量化(総重量2,300kg)のための固定脚、視界の良い開放式コックピットを引き継いでいる。

フィアット(Fiat)CR.42の1年後に初飛行するゼロ戦と同様、ハミルトン・スタンダード定速可変ピッチ3翅金属プロペラは、当時の最先端技術であり、最高速力430km/hは、量産された複葉機では最速である。


写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機のコックピット操縦席右側の計器盤とスロットルレバー
(第35図):右下に酸素瓶と弁が、手前に操縦席、右上に計器盤、中央下部に操縦桿、中央床(右)に操縦ペダル・フットバーが設けられている。
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
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操縦席では、フィアットA74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpをスロットルで調整し、補助翼・昇降舵・方向舵を操縦席から動かして、飛行機を操縦する。そして、燃料の消費や搭載量変化に応じて、水平尾翼の取付け傾きを調整して、重心を合わせるのがトリム・タブ調整である。


写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機のコックピット操縦席右側の計器盤と
(第36図):左に航空時計、機関銃安全装置解除スイッチ、トリムタブ調整装置が設けられている。
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機火力は、初期型7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁、中期型7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁と12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁、後期型12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃丁と日本海軍九六式艦上戦闘機や日本陸軍キ27九七式戦闘機を上回り、1938年12月12日初飛行の日本陸軍のキ43一式戦と同等以上である。第二次大戦中にイタリアが投入した戦闘機の中でCR.42は、最多の1,782機の生産数を誇っている。


写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の機首に搭載されたエンジンと集合排気管

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
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第二次世界大戦参戦時のイタリア王国空軍の1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機、マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機、フィアットG.50戦闘機は、いずれも発動機として空冷星型14気筒フィアット A74RC38(870hp)を搭載した。この発動機をドイツのダイムラーベンツDB601液冷12気筒エンジンに変換したマッキ(Macchi)MC.202フォルゴーレ(Folgore)戦闘機は、原型のMC200サエッタ戦闘機を遥かに上回る飛行性能を発揮した。


写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の機首に搭載されたエンジンのカウルフラップ
(左側面):
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イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機、フィアットG.50戦闘機のエンジン・カウリングは、バルジはない円型曲面である。しかし、イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機の機首にあるフィアットA74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpのカウリングは、直径を絞るために、14個のシリンダーの突出部バルジ(涙滴型カバー)がついている。


写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の上下主翼・胴体・固定式降着装置の正面右半分
(第18図):
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。



写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の右側の上下主翼・胴体・固定式降着装置
(第25図):
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。



写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機のコックピット上部の状 上主翼の左右繋ぎ目
(第20図):
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。



写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の下主翼の降着装置と主翼繋ぎ目
(第21図):
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。



図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の機首上面に搭載された7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁の側面構造図と上面構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


それまでのイタリアでは、機関銃はフィアットが受注していたが、これ以後、ブレダでもイタリア軍の機関銃が量産されるようになった。ただし、フィアット子会社のSAFAT(Società Anonima-Fabbricazione Armi Torino)が、ジョヴァンニ・アニェッリ(Giovanni Agnelli)によってブレダに売却されており、フィアットの技術や生産方式は、ブレダに引き継がれている。こうして、イタリアの機関銃は、フィアットではなく、ブレダ-SAFATが担うことになったのである。


写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機コックピット操縦席正面に取り付けられた計器盤
(図33):
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。



図(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機コックピットの中央上正面に取り付けられた光像式照準器
(図48):3翅プロペラは直径2800mm、取付け角上向き1.30度、車輪は直径は600cm・幅170cm、尾輪の直径260cm・幅100cm。高さ3585cm、垂直尾翼の高さ1430cm。
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


フィアット(Fiat)CR.42戦闘機は、光像式照準器を装備していたが、これは日本ではドイツ製ユンカース・レビ照準器をまねた日本海軍零式艦上戦闘機の九八式照準器よりも早く実用化している。透明なガラス板に、光源をあてて環状十字形で区切られた照準環を投影し、目標と重ね合わせて照準するタイプである。


写真(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機コックピット操縦席のガラス風防

Macchi M.C. 200 a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


従来の筒型の望遠鏡式照準器や環状照準器では、搭乗員の視線を正確に固定する必要があって画、激しい動きをする飛行機内で不動の姿勢をとることあできず、照準が定まらないのが普通だった。しかし、光像式照準器ではガラス板に投影された照準環と前方にある目標とが重なるようにすればよく、正しい姿勢で覗き込む必要はなかった。


写真(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機のコックピットと垂直尾翼後縁の方向舵の操縦索の配線構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


方向舵(ラダー:rudder)とは、機首を左右にふり、方向の姿勢を制御する操縦翼で、垂直尾翼の後縁に取り付けられている。方向舵の操作は,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御する。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。

図(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の胴体金属鋼管フレーム構造図
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


坂上茂樹(2017)「枠組構造を有する飛行機機体の技術史ーネジないしリベット締結とガス溶接の適用事例」によれば、飛行機の機体の製造にあたって、胴体枠に鋼製部材を使用するようになったが、その方法は、
1)溶接組立構造、
2)管材組立構造、とに分類できる。

飛行機の鋼製部材は、それまでの木製枠組構造の一部を鋼管に置換える形で発達した。また、木製枠組構造とは異なり、枠組みを接合するために、接合金具を用い、さらにガス溶接,主として酸素アセチレン溶接を用いる鋼管溶接組立工法が採用された。

飛行機機体の木製枠組構造と同じく、鋼材の溶接と可逆組立には,四角形に組まれた中枠(框かまち)の四隅を縦通材で繋ぎ,要所に斜 め材や十字張線を配して強度を維持した立体骨組みを作る。そして、骨格の接合部を溶接組立するのが、鋼管溶接構造である。


図(上)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の胴体後方の金属鋼管フレーム構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


同時期のイタリア空軍のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機とマッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機は、同じフィアット(Fiat)A.74 R.C.38 空冷星型14気筒エンジン650 kW (870 hp)1基を装備しているが、複葉機と単葉低翼機と形状は全く異なる。胴体構造は、鋼管フレームワーク(骨格枠組み構造)だが、形状は箱形と筒型で異なっている。


写真(上)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の金属製骨格構造

Macchi M.C. 200 a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICAAER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


写真(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の胴体後方の金属鋼管フレーム構造図
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


鋼管溶接構造の利点は、
1)工作容易で保守が容易である、
2)架構の剛性が管材組立構造より高い,
3)衝撃損傷時に破 断ではなく屈曲するので衝撃が緩和され事故の際の搭乗者に対する安全性が高い,
4)鋼管の軽度の損傷・屈曲なら修理や交換が可能である,
という4点である。(坂上茂樹(2017)「枠組構造を有する飛行機機体の技術史ーネジないしリベット締結とガス溶接の適用事例」参照)

写真(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の胴体全部・機首の構造図:3翅プロペラにはスピナーがついている。
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の発動機は、1937年12月24日初飛行の低翼単葉マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機と同じフィアット A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpである。

フィアットA74 RC 38空冷星型14気筒エンジンの諸元
気筒ボアBore: 140 mm (5.512 in)
気筒ストロークStroke: 145 mm (5.709 in)
排気量Displacement: 31.25 L (1,906.9 cu in)
全長Length: 1,044mm (41.13 in)
直径Diameter: 1,195 mm (47.05 in)
乾燥重量Dry weight: 590 kg (1,246 lb)
離昇出力Power output: 870 馬力 (858 hp, 640 kW)/毎分 2,520回転
緊急出力960 馬力(947 hp, 706 kW)/毎分 2520 回転/高度3,000 m
圧縮比Compression ratio: 6.7:1
出力重量比Power-to-weight ratio: 1.2 kW/kg (0.73 hp/lb)

写真(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の左上主翼の上面構造図
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


空気には形状に沿って流れるが、主翼の後縁が下方に傾斜していると、その空気の流れが下向きに曲げられる。主翼で空気を下方に向けられた。この作用で押し下げられた空気の反作用で、揚力が発生する。つまり、揚力は、主翼上面の空気の流れが下向きに曲げらた反作用で発生しますたのである。空気は力の作用がなければ直進すすが、主翼で空気が下方で流れたからには、どこからか力が働いたといえる。空気の流れが曲げられると曲がった流線の内側と外側に圧力差が発生し、向心力が働くのである。

図(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の左上主翼の下面構造図
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


主翼上面の曲がっているところを流れる気流の流線の内側は低圧となる。他方、翼下面では、気流は直進するので、圧力が上昇し高圧となる。空気の流れが下向きに曲げられた翼上面では圧力が低下し、空気が直進する翼下面では圧力が上昇する。このように空気の流れを曲げた反作用は翼上面・下面の圧力差として翼に揚力として働くのである。複葉機は、単葉機よりも主翼面積が大きく揚力も大きいために、旋回性能や上昇性能が際立っている。

写真(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の左下主翼の上面構造図
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


飛行機は揚力を得るために、主翼の上面と下面では形状が異なる。上面の空気が下面より早く流れれば、気圧の差から揚力が働き、機体は上に持ち上げられる。しかし、主翼は付け根から先端まで捩じりがあったり、形状が異なったりと複雑で、それを支える桁も最新の注意が必要である。

写真(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の左下主翼の下面構造図
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。



図(上)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機のエンジン取付け架の構造図
:フィアット A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hp(重量600kg)で3翅プロペラを毎分2700回転させる。
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機は、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機と同じ発動機、フィアット(Fiat) A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hp1基で、このエンジンは1937年に開発された。シリンダー(気筒)のボア(Bore)は140 mm (5.512 in)、行程(Stroke)は145 mm (5.709 in)、排気量(Displacement)は 31.25 L (1,906.9 cu in)、全長(Length)1,044mm (41.13 in)、直径(Diameter)1,195 mm (47.05 in)、乾燥重量(潤滑油などを含まない:Dry weight)590 kg (1,246 lb)である。


図(上)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の固定式主輪構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。



図(上)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の主輪と尾輪の構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機が降着に使用する主輪はゴム車輪で、支柱は外側1本で、着地するときの緩衝装置が支柱に組み込まれている。固定脚であり、フィアット G.50 フレッチア(Freccia)戦闘機、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機の採用した引込み式の降着装置ではない。

方向の姿勢を制御する操縦翼の方向舵(ラダー:rudder)は、垂直尾翼の後縁にあって,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御される。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。反対に、左ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は右に操作され、機首を右にふるモーメントにより、飛行機は右に旋回する。

高速飛行中に翼面または舵面の圧力中心が後方に移ると、翼面や舵面が曲がったり、捩れたりするが、これによって振動が生じて、翼が震えるフラッター(flutter)現象が生じる。そこで、舵面のフラッターを防止するために、補助翼のヒンジ(留め金)前方にマス・バランスとして釣り合い重りを装着して、補助翼面の重心とヒンジが一致するように配慮する。

写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の尾部の垂直尾翼・水平尾翼と尾輪:イタリア軍の国籍マークは、第二次世界大戦参戦前は、緑・白・赤のイタリア三色旗トルコローレを垂直尾翼に描いている。尾輪は空気抵抗を減少させるような流線形のカバーで覆われている。
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


方向の姿勢を制御する操縦翼の方向舵(ラダー:rudder)は、垂直尾翼の後縁にあって,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御される。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。反対に、左ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は右に操作され、機首を右にふるモーメントにより、飛行機は右に旋回する。

飛行機の尾翼にある昇降舵を下げると、水平尾翼に上向きの揚力がが発生する。飛行機の尾部に上向きの揚力が発生する。つまり、飛行機の重心より後方で上向きの力が作用して、飛行機は機首下げ方向に動く。したがって、水平尾翼が上がることで、機首が下向きになり、下降する。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の尾翼と固定式尾輪
(図8):イタリア軍の国籍マークは、1940年6月の第二次世界大戦参戦後、三色旗のような華麗なマークは敵から発見されやすいと判断され、白十字に変更された。尾輪は空気抵抗を減少させるような流線形のカバーで覆われている。
Macchi M.C. 200 a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


イタリア軍の国籍マークは、第二次世界大戦参戦前は、緑・白・赤のイタリア三色旗トルコローレを垂直尾翼に描いていた。その後、1940年6月の参戦後は、三色旗のような華麗なマークは敵から発見されやすいと判断され、白十字に変更された。さらに、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、1943年9月にイタリアが降伏すると、連合国側に寝返ったイタリア王国軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。


写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の尾部の固定式尾輪とフェアリング
(図6):イタリア軍の国籍マークは、1940年6月の第二次世界大戦参戦後、三色旗のような華麗なマークは敵から発見されやすいと判断され、白十字に変更された。尾輪は空気抵抗を減少させるような流線形のカバーで覆われている。
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


降着に使用する尾輪はゴム車輪で、支柱は一本で、着地するときの緩衝装置が支柱に組み込まれている。固定式の降着装置であるが、尾部カバーの中に主要部は収まっており、ゴムタイヤの下半分が露出している。

飛行機胴体尾部の水平尾翼の後縁にある昇降舵は、エレベーター(elevator)の名の通り、飛行機の進行方向の上下の動きを制御する舵(動翼)である。昇降舵を上げれば、機首上げで上昇し、昇降舵を下げれば機首下げで下降する。


図・写真(上)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の固定式尾輪降着装置の構造図と尾輪ゴム主輪・支柱

Macchi M.C. 200 a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図・写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。



5.フィアット(Fiat)CR.42公式カタログ

写真(右)1940年(ファシスト暦13年)イタリア航空省刊行(ローマ),フィアット(Fiat)CR.42公式カタログのカバー
Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機:1938年5月23日初飛行、1939年5月より部隊配備。ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、1940年6月の第二次大戦参戦までは、主翼の3本ファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼の緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ縦縞である。
Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、左右主翼上面・下面のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼のサヴォイア高家紋章付きのイタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞だった。しかし、1940年6月の第二次大戦参戦後、垂直部翼の三色旗の華麗な国籍マークは、サボイア王家紋章付きの白十字に変更された。


写真(上)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機

Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


写真(右)1940年6月以前、イタリア王国空軍1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の胴体中央部の鋼管骨組みフレーム構造
Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


金属鋼管を繋ぎ合わせた骨格フレームワークは、重量軽減と強度維持のバランスをとるために導入された。当時、メッサーシュミットBf109やスピットファイア戦闘機のように軽金属で胴体や主翼の外側を覆い、外板の強度を利用した金属モノコック構造も採用した機体もあったが、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機は、鋼管骨格フレームワークに軽い羽布を張ったな羽布張り構造を採用している。

写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の胴体内部の桁と外板の部品図
Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


伝統的な 羽布張り構造は、新型機材の乏しい飛行機工場でも作りなれていて工作機械も揃っていたことを考えると、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)が、軽量化と並んで、量産性、信頼性を重視して、金属モノコック構造を胴体前方のコックピット付近にしか採用しなかったのも頷ける。

写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機コックピットの床板・操縦席などの部品図
Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機コックピットは、イタリア戦闘機の伝統だった正面ガラス風防のみの開放式である。他方、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機は、半開放式コックピット操縦席を採用したが、これはガラス風防で覆われた密閉ガラス風防の天蓋を開放式とし視界を向上させたものだった。しかし、パイロットの航空における居住性、空気抵抗の上では、密閉式コックピットのほうが遥かに有利だった。

写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機コックピットの正面カラス風防・計器盤・操縦席などの部品図
Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


コックピットの左ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は右に動き、重心より後方の尾部を左に、機首を右にふるモーメントが作用することによって、飛行機は右に旋回する。

写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機コックピットの操縦桿とトリム調整の制御構造図と部品図
Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機は、フィアット G.50 フレッチア(Freccia)戦闘機、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機と同一の発動機フィアットA74AC38空冷星形14気筒エンジンで800馬力級1基を搭載している。この程度の出力で、最高速力500km/hを達成するのは、技術的に難しかったため、機体を小型軽量化し、空気抵抗を減少させるために胴体を絞って細くし、エンジン直径も最小化できるようにカウリングを工夫した。しかし、同時にパイロットの視界が良好であることが求められたため、胴体の上部に突出したガラス風防を設け、完全は密閉式ではなく、開放式あるいは半開放式のガラス風防を設けた。


図(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の機首に搭載されたエンジンの集合排気管と3翅プロペラの構造図
(前方左上からの俯瞰図):
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


航空機用空冷星型エンジンは、シリンダー(気筒)を放射状星形に配置したレシプロのガソリン・エンジンである。このように星形にシリンダーを配置した理由は、飛行するときに正面から流れてくる空気によって、燃料爆発・過熱したシリンダーを冷却するためである。シリンダー配置が星形であれば、エンジンによる正面積が大きくなり空気抵抗が大きくなる半面、シリンダーに直接高速で航空の冷気が流れ込むので、冷却効率が良い。


図(右)1940年6月以前,フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機機首に搭載されたエンジンカウリングの部品構造図
(前方左上からの俯瞰図):
Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


航空機用空冷エンジンは、シリンダーを冷却するのに航空の気流を取り入れて使う。そこで、エンジン正面に空気取り入れ口を設けているが、潤滑油の小型冷却器以外、大きな冷却器を必要としない。他方、航空機用液冷エンジンは、シリンダーを冷却するのに不凍液を混ぜた水を使うが、この冷却液は、航空の冷たい空気を使って冷却するしかない。そこで、エンジンとは別に、冷却液と冷却器が必要となるので、重量が重くなる。液冷エンジンのシリンダー配置は、直列させてエンジン正面面積を縮小することができるため、その空気抵抗は小さくなる。冷却液を冷やす冷却器を設けているので、その部分の空気抵抗は大きくなる。

航空機用発動機は、構造・機構の上では、冷却器と冷却液が不要で、簡易化でき軽量な空冷星形エンジンが世界の航空機発動機の主流となった。しかし、イギリスのス―パーマリーン、ドイツのダイムラーベンツ。ユンカースでは高度の技術を駆使して高性能の航空機用液冷エンジンを開発した。


図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機のコックピット左側のスロットルレバーとその制御伝達機構の構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


エンジンへの燃料供給を調整してエンジン回転数・出力を調整するのがスロットルレバー(燃料弁)であり、速力調整のアクセルの役割がある。


図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の潤滑油タンクと潤滑油冷却装置の配管構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。



図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の潤滑油タンクの配管詳細構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。



図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機のハチの巣型潤滑油冷却装置の配管の詳細構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機コックピットの射撃照準装置・弾薬装填制御索・射撃ボタンの連動装置の構造図
Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


コックピット操縦席には、機首の機銃に弾薬を装填したり、不発弾・弾詰まりを除去するために、バネ・鋼索あるいは電動を用いた機関銃の給弾制御装置が備えられている。


図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の機首上面に搭載された7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁と弾薬装填の制御索構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


機首に装備した機関銃は、回転する3翅あるいは4翅プロペラ越しに射撃するので、プロペラに弾丸が当たらないように同調させる必要があった。プロペラの回転と機関銃の射撃時間を調整して、プロペラを撃たないように工夫したのが、プロペラ同調装置である。

プロペラ同調装置は、第一次世界大戦中の戦闘機に装着されて以来、広く普及したが、プロパラ回転の圏外から機関銃を射撃するのであれば、プロpら同調装置は不要であり、その整備もいらずに、稼働率の向上が期待できる。また、機関銃の発射速度も射撃を停止しない分だけ高めることができ、有利である。そこで、アメリカ海軍戦闘機、アメリカ陸軍戦闘機の多くは、左右の主翼に12.7ミリブローニング「エクスカリバー」機関銃を2丁、のちに3丁か4丁装備して対戦闘機戦闘を有利に展開した。


図(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の機首上面に搭載された7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁と弾薬装填の制御索構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


1939年4月という段階では、戦闘機の機関銃は口径7.62mm、7.7mm、7.92mmクラスが主流であり、12.7mmブレダ(Breda)-SAFA機関銃を装備したマッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の火力は、強力だった。

イタリアのブレダ SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃である後継には7.7ミリと12.7ミリとがある。原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103​航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。


図(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の機首12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁の側面構造図

Macchi M.C. 200 a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


12.7mmブレダSAFAT機関銃の諸元
開発時期 1935年
重量 29kg
弾丸 12.7x81mmSR弾(34.2g)
口径 12.7mm(0.50in)
発射速度 700発/分
575発/分(戦闘機機首のプロペラ同調機銃の場合)
初速 765m/s(12.7mm)

12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃の原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。


6.マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機

写真(右)2005年、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機(右上方より撮影):1940年6月の第二次大戦参戦後のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


マッキMC200サエッタ マッキMC.200サエッタ戦闘機Macchi MC-200 Saetta)の原型は、1936年のイタリア空軍増強計画(プログラムR)でイタリアの主要航空機メーカーのマッキ社が開発した軽快な戦闘機で、高速記録を誇るシュナイダーカップの世界最速のイタリア水上機を開発したマリオ=カストルディの設計である。

マッキMC-200サエッタ戦闘機Macchi MC-200 Saetta)の諸元
乗員:1名
全長:8.19m
全幅:10.57m
全高:3.51m
主翼面積:16.8m2
発動機:フィアット A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hp
全備重量:2,208kg
最大速度:503 km/h /4 500 m
航続距離:570 km
実用上昇限度:8900 m 武装:12.7ミリ2 Breda-SAFAT機銃2丁

⇒写真集Album:マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機 を見る。


7.マッキ(Macchi)MC.202フォルゴーレ"Folgore"戦闘機

マッキMC.202 イタリア空軍制式MC.200サエッタ戦闘機を設計したマリオ・カストルディ技師は、DB601液冷エンジンを搭載するために、マッキMC200サエッタ戦闘機の機首とエンジン懸架を新設計し、重心バランスの前方偏向に対応できるよう胴体を60センチ延長し、小改造によって、新型戦闘機マッキ(Macchi)MC.202戦闘機を開発した。

マッキMC.202(Macchi MC-202)試作1号機(M.M.445)は、DB601A液冷エンジン1,175馬力、ピアッジョP.1001可変ピッチ・定速3翅プロペラを搭載、1940年8月に初飛行し、大幅な速度向上が見られた。上昇力時間も6000mまで6分と飛行性能の向上から、すぐに量産に入ることが決まった。

マッキMC202Folgore イタリア空軍マッキMC-202フォルゴーレ戦闘機(Macchi MC.202"Folgore")の諸元
乗員:1名
生産数:1 150機
全長:8.85 m
全幅:10.58 m
全高:3.49 m
翼面積:16.82 m²
重量 空虚重量:2,491 kg
最大離陸重量:2,930 kg
発動機 アルファロメオ(Alfa Romeo)RA.1000 R.C.41-I Monsone液冷V-12気筒エンジン1,175 hp
最高速力:595 km/h / 5600 m
航続距離:765 km
実用上昇限度:11,500 m
12.7ミリBreda-SAFAT 機関銃2丁(各360発)、7.7ミリBreda-SAFAT 機関銃2丁(各500発) 160kg爆弾 ×2

⇒写真集Album:マッキ(Macchi)MC-202フォルゴーレ戦闘機 を見る。

⇒写真集Album:マッキ(Macchi)MC-205ベルトロ戦闘機 を見る。



ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
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ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
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ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
マッキMC.202与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カント(CANT)Z.501飛行艇
カント(CANT)Z.506水上機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.212輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.82輸送機
ピアジオP.108重爆撃機
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑



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