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◆フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機
図(上)1931年、イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍第3飛行中隊第70飛行小隊所属のフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機の左側面図
(部隊番号:70-4):ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、胴体側面のファッシ(束ねた武器)、主翼上下の黒縁白円の三本ファッシ、垂直尾翼のイタリア軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレ緑・白・赤の縦縞(中央の白にサヴォイア王家紋章入り)。1933年時点でイタリア空軍のCR.20戦闘機は、27個飛行隊に配備されていた主力戦闘機だった。リビアの反乱、第二次エチオピア戦争で実戦投入されている。
Unit: 70 Squadriglia, 3 Stormo Caccia Terrestre Serial: 70-4 Brescia, Italy, 1931. Artist: © Sergey Vakhrushev Source: "Aviation and Times" 2003, No.2 (63)
写真は, WINGS PALETTE Interwar/Fighters/Fiat CR.20/Italy (fascists)引用。



図(上)1932年頃,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso複葉戦闘機の左側面図
;1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計の初の量産機。CR.20のフィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410hpをイソッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)アッソ(Asso)空冷倒立V-12気筒エンジン450 hpに換装。最高速力 270 km/h。イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


1.フィアット(Fiat)CR.20複葉戦闘機

フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の試作機の兵装は、7.7mmビッカース(Vickers)機関銃4丁が搭載可能だったが、これは当時の標準兵装の2倍の火力を保持していた。イタリア空軍の試験飛行・審査を通り制式されたCR.20複葉戦闘機は、1927年から部隊配備された。生産機数は、CR.20戦闘機 250機、双フロートを装着したCR.20 Idro水上機 46機、降着装置を改良したCR.20bis戦闘機 235機、イゾッタフラスキーニ(Isotta Fraschini)Asso Caccia液冷V型12気筒エンジン 336 kW (450 hp)に換装した CR.20 Asso戦闘機 204機である。

写真(右)1927年5月,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機 :フレッチャ(Freccia)とは、矢を意味する。ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレを模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
The Fiat C.R. 20 has an all metal frame covered with fireproof fabric, except for the area near the engines, which is covered in duraluminum. It is armed with 4 machine guns and is capable of 280 KPH. Document ID 19930090620 Date Acquired September 6, 2013 Publication Date May 1, 1927 Report/Patent Number NACA-AC-43 Distribution Limits Public Copyright Work of the US Gov. Public Use Permitted.
写真は、Aircraft Circular No.43Fiat C.R. 20 pursuit airplaneおよびWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Fiat CR.20 photo NACA Aircraft Circular No.43.jpg引用。


イタリア王国空軍は、リビアの反イタリア勢力との戦闘、第二次エチオピア戦争の初めに地上支援航空機としてフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機を投入し、実戦使用し、1930年代半ばまでイタリア空軍戦闘機として使用している。最後のフィアットCR.20は1939年に退役しているので、第二次大戦には投入されていない。

写真(右)1927年5月,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機:主翼、尾翼、胴体中央部の羽布を撤去して内部構造を見せている。
The Fiat C.R. 20 has an all metal frame covered with fireproof fabric, except for the area near the engines, which is covered in duraluminum. It is armed with 4 machine guns and is capable of 280 KPH. Document ID 19930090620 Date Acquired September 6, 2013 Publication Date May 1, 1927 Report/Patent Number NACA-AC-43 Distribution Limits Public Copyright Work of the US Gov. Public Use Permitted.
写真は、Aircraft Circular No.43Fiat C.R. 20 pursuit airplaneおよびWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Fiat CR.20 structure photo NACA Aircraft Circular No.43.jpg引用。


1926年6月19日に初飛行したフィアット(Fiat) CR.20 は、1932年4月に初飛行したフィアット(Fiat)CR.30戦闘機の原型といえる。

フィアット(Fiat)CR.30の原型は、単座複葉固定脚の戦闘機でフィアット(Fiat) CR.20 フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機で、1926年6月19日に初飛行している。そのCR.30のエンジンを高出力のフィアット(Fiat)A.30 R.A. 液冷V型12気筒エンジン600馬力に換装し、設計し直したのは、前作と同じくチェレスティーノ・ロザテッリ技師である。ただし、フィアットCR.30とCR.32は、構造も形状も性能も類似しているが、フィアット(Fiat) CR.20 フレッチャ(Freccia)は、第一次大戦の戦闘機のように軽量なもろい外観なので、識別は容易である。

写真(右)1931年,ハンガリー、ハンガリーイタリアから購入し配備したフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機
Description Tags: airplane, airport, Fiat-brand, Italian brand, Weiss Manfréd-brand, Hungarian brand, biplane Date 1931 Author FOTO:Fortepan — ID 93131: Home pagePictureInformation page Adományozó/Donor: Horváth Balázs. archive copy.
写真は、Aircraft Circular No.43Fiat C.R. 20 pursuit airplaneおよびWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Airplane, airport, Fiat-brand, Italian brand, Weiss Manfréd-brand, Hungarian brand, biplane Fortepan 93131.jpg引用。


フィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機は、イタリア友好国のオーストリア、リトアニア、パラグアイ、ハンガリーに輸出された。1930年、ハンガリーは、イタリアからフィアットCR.20を1機購入し、1931年にはさらに12機のCR.20またはCR.20bis複葉戦闘機を購入した。そして、ハンガリー空軍で1936年まで部隊配備されていた。

ハンガリー空軍は、フィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機を13機購入し、1936年まで部隊配備していた。その後は、その後数年間は、CR.20は飛行練習機として訓練部隊で使用された。

写真(右)1932年,ハンガリー空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘(HA-APP):イタリアから購入・輸入した機体を部隊配備した。
Fiat-CR-20-HA-APP 1932 FIAT
写真はWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Fiat CR.20 3-view NACA Aircraft Circular No.43.jpg引用。


写真(右)イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機の三面図:NACA Aircraft Circular No.43、Fiat C.R. 20 pursuit airplane、1927年5月刊行掲載。
English: Fiat CR.20 3-view drawing from NACA Aircraft Circular No.43 Date 1 May 1927 Source Author NATIONAL ADVISORY COMMITTEE FOR AERONAUTICS
写真はWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Fiat CR.20 3-view NACA Aircraft Circular No.43.jpg引用。


フィアット(Fiat)C.R.20bis複葉戦闘機の諸元
全長Lunghezza 6,71 m
全幅 Apertura alare 9,80 m
全高Altezza 2,79 m
主翼面積 Superficie alare 25,50 m²
空虚重量 Peso a vuoto 970 kg
最大離昇重量 Peso max al decollo 1 390 kg
搭載量 Capacità combustibile 200 kg
発動機Motore フィアット(Fiat)A.20液令V12気筒エンジン(排気量18.7 L)
出力 Potenza 410馬力(CV)
最高速力 Velocità max 239 km/h (a bassa quota)
240 km/h (a 4.000 m di quota)
離陸滑走距離Corsa di decollo 180 m
着陸滑走距離Atterraggio 200 m
航続時間Autonomia 2 h 30 min
上昇限度Tangenza 8 500 m
兵装 Armamento
ビッカース(Vickers)7.7 mm機関銃2丁


図(上)1929年9月、イタリアから購入したポーランド空軍第1飛行中隊所属のフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機
(製造番号:1810):ポーランド空軍の国籍マークは、垂直尾翼の赤白国旗からとった赤白四角模様である。
Fiat CR.20 Unit: unknown Serial: c/n.1810 September 1929. One-person, one-engine fighter biplane. Mixed construction, covered by canvas. Production year - 1926. Dimensions: Spread - 9.8m, length - 6.7m, high - 2.75m. Total weight - 1360kg. Maximum speed - 276km/hod. Range - 750km. Ceiling - 7500m. Engine: In-line engine Fiat A-200, load 294kW. Equipment: two machine-guns Breda-Safat 7.7mm, synchronized. Artist: unknown Source: Lotnictwo Magazine
写真は, WINGS PALETTE Interwar/Fighters/Fiat CR.20/Italy (fascists)引用。



図(上)1929年、イタリアから購入したポーランド空軍第1飛行中隊所属のフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の左側面図と下面図
(部隊番号:9、製造番号:1799):ポーランド空軍の国籍マークは、垂直尾翼の赤白国旗からとった赤白四角模様である。
Unit: Eskadra Treningowa 2.PL Serial: 9 (c/n.1799) Krakow, 1929. Artist: Wojciech Sankowski Source: Lotnictwo z Szachownica, issue 17, No.1, 2006. Ilustrirowany magazin milosnikow historii lotnictwa polskiego. ISSN 1643-5702
写真は,WINGS PALETTE Interwar/Fighters/Fiat CR.20/Italy (fascists)引用。



図(上)1929年、イタリアから購入したポーランド空軍第1飛行中隊所属のフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機
(部隊番号:9、製造番号:1799):ポーランド空軍の国籍マークは、垂直尾翼の赤白国旗からとった赤白四角模様である。
Artist: © Wojciech Sankowski Source: Lotnictwo z Szachownica, issue 17, No.1, 2006. Ilustrirowany magazin milosnikow historii lotnictwa polskiego. ISSN 1643-5702
写真は, WINGS PALETTE Interwar/Fighters/Fiat CR.20/Italy (fascists)引用。


写真(右)1931-1936年,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso複葉戦闘機(部隊番号:7) :ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
Dim004: Campoformido - 1931-36. Il Fiat C.R. 20 “Asso” pilotato dal Serg. Magg. Bruno di Montegnacco del 1° Stormo Caccia Terrestre.
写真は、Di Montegnacco Bruno File:Fiat C.R.20 Aviano, 1936.jpg引用。


神戸新聞 1935.7.12 (昭和10)「伊エ紛争へ和協新試案 三国条約を援用―破局の打開を策す エ国の王位を存続、宗主権は伊国に附与 ア事務総長東奔西走」

「イギリス政府当局はアヴノール連盟事務総長とロンドン駐箚各国大使を総動員してイタリア、エチオピヤ両国間の戦争回避に今や最後の努力を続けている、アヴノール事務総長の如き十日午前ポーランド大使ラチンスキー氏、イーデン無任所相らと会見後夜はフランス大使アンドレ・コルドン氏と会見、さらにグランディ・イタリア大使とも懇談を遂げるなど全く涙ぐましい活躍振りだ。但しムッソリーニ首相の主張が事実上エチオピヤ帝国に宗主権を確立するにあり一方制裁規定の適用にはイギリス、フランス両国政府の足並が揃わぬ実情なので事務総長自身国際連盟を通じての紛争処理を断念、緊急理事会の招請に対しては極力阻止策を講じている有様だ、尤も連盟の原則を維持しつつエチオピヤ政府の提訴を黙殺することは至難と見られるが窮余の一策としてイギリス、フランス両国政府は一九〇六年エチオピヤ帝国に関する英、仏、伊三国条約を援用、破局の打開を図る方針を決定目下しきりに下交渉を続けている。」

「英仏伊三国政府間に下交渉が纏まれば理事会は仲裁委員会を組織出来ぬことを理由に三国政府に紛争の処理を付託、フランス政府が英、伊両国政府を招請し三国政府会談の段取りとなるものと期待される、右三国会議においてはイタリー政府の宗主権確立を基準に特に次の懸案を討議することとなろう。」

一、エチオピア帝国の領域における英、伊両国政府の勢力圏、特殊権益を明確に決定する

一、エチオピア帝国管理の新方式確立、皇帝ハイレ・セラシエ一世の王位存続を承認、名目上主権を賦与して事実上宗主権をイタリー政府に賦与する
神戸新聞 1935.7.12 (昭和10)引用終わり

写真(右)1930年前半以前,編隊飛行するイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機:上主翼には3本ファッシのファシスト・イタリアの国籍マークは描かれていない。
Biplano, monoposto, metallico da caccia, monomotore. La versione biposto era utilizzata per l'addestramento.​ Caratteri​stiche tecniche:​ Altezza: 2,79 m Superficie alare: 25,65 mq Apertura alare: 9,80 m Peso a vuoto: 980 kg Peso totale: 1.400 kg Velocità max: 270 km/h Autonomia: 3 ore
写真はMinistro della Difesa(イタリア国防省)、AERONAUTICA MILITARE Skip Navigation LinksMezzi>Aeromobili storici>FIAT CR 20引用。


大阪朝日新聞 1935.9.6 (昭和10)「伊エ紛争で貿易金融に異変−伊銀発行の信用状不安視に埃及向の輸出商困惑」に次のような記事がある。

1935年10月3日から1936年5月5日、イタリア王国は、アビシニアに侵攻し、第二次エチオピア戦争を戦った。このイタリアのアビシニア侵攻前に、イタリアの財政は、膨大な軍事経費を負担することになり、イタリア通貨のリラ為替は低落を続けた。そこで、ロンドン金融市場におけるイタリア銀行発行の手形の割引・決済も次第に困難となっていた。8月28日、イタリア政府が戦時経済について、イタリア民間所有の外国証券、在外クレジットはイタリア政府は強制徴収されるリスクが懸念された。イタリア政府は、金融資産の安全を保障したが、日本からエジプト、マルタ島方面に対する綿布、雑貨輸出商の取引に困難が生じていた。従来、日本の輸出商に対しエジプトの輸入商が送付する信用状には、イギリス系銀行と並行してイタリア銀行とイタリア商業銀行のもの関して、ロンドン金融市場でD・P(書類支払渡手形)と全く同様の取扱いを受けイタリア銀行の信用状付の手形は殆んど割引不可能になった。

こうして、内地で輸出手形を買取りロンドンで決済する日本の為替銀行にとって、由々しき事態に陥った。もし、開戦の場合不渡となる危険も濃厚となった。その結果、内地為替銀行の一部は銀行引受手形についてイタリア銀行の手形は一切買入れず、買入れを行っても出人(輸出商)に対する償還請求権を留保し、不渡の場合は振出人より損害を弁償させることを条件とした。将来、伊エ戦争が勃発すれば、為替銀行より担保を要求されたり、償還を余儀なくされたり、窮地に陥るであろう。
神戸新聞 1935.9.6 (昭和10)引用終わり

写真(右)1931-1936年,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso複葉戦闘機(部隊番号:88) :ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
Dim005: Campoformido - 1931-36. Il Fiat C.R. 20 “Asso” in volo sulle Prealpi Giulie. Dim006: Campoformido - 1931-36. Il Fiat C.R. 20 “Asso”.
写真は、Di Montegnacco Bruno File:Fiat C.R.20 Aviano, 1936.jpg引用。


写真(右)1933年6月30日、イタリア空軍カプローニ(Caproni) Ca.101 三発爆撃機:鋼管骨組みフレームワークに羽布張りの機体でアルファ・ロメオ(Alfa Romeo)・リンクス(Lynx)空冷星形エンジン200hp3発の民間輸送機として、1928年に初飛行し、その後、1932年にエンジンをアルファ・ロメオD.2空冷星形エンジン240hp3発に換装した爆撃機仕様が開発された。
Description Čeština: Caproni Ca.101 se třemi motory Walter Castor (1930) Date 30 June 1933 Source Katalog motorů Walter a jejich použití na letadlech. 1. vyd. Praha - Jinonice: Akciová společnost Walter, továrna na automobily a letecké motory, 1933. 140 s. S. L 12 Author neznámý (unknown)
写真はWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Caproni Ca.101 with 3 engines Walter Castor (1930).jpg引用。


大阪毎日新聞 1936.4.20 (昭和11)「悲壮な末路ー和するも戦うも弱小国の苦杯 前アディス・アベバ本社特派員 庄子勇之助」

 エチオピヤは四十年前のアドワの戦勝忘れられず、天下に誇るその天険と神が加護し給う武人の黒人帝国という自尊心も手伝って敢然イタリーの近代武器を相手に火蓋を切ってからここに半歳、エチオピヤが唯一の頼みとしていた国際連盟の英国の助けも何等役には立たず「恋と戦いは手段を選ばず」とかいう言葉にもれず、伊軍はあらゆる近代科学戦を展開せしめて、サンプルにも等しい僅かばかりの新式武器を持つエ軍を滅茶苦茶に撃破してしまった

イタリー南軍は南方髄一の要害といわれているジジガの南方七キロの地点一帯を確保してアツフアダ、ギニエルに進んでハラルを衝かんとし、ワダラに陣取っている

南軍司令官
グラチアーニ将軍の率いる本部隊はアディス・アベバへとこれら七八万の兵隊は刻々と肉薄している、また北軍はダナキル沙漠を越えてダルバラバ・タートに、中央主力部隊は東阿遠征軍総司令官バドリオ将軍とともにデッシェに、さらにタナ湖畔東岸中央クテッセモアに、或はスーダンとの国境ガラバット等に約十八万の兵をもって前進を続けている、そして北軍快速挺身隊は早くもデッシェを進発、アディス・アベバに一番乗をしようと進軍を急いでいる

 恐らくイタリーとしてもアディス・アベバ入城がこんなに容易に出来ようとは思わなかったであろう、最初の首都占拠の作戦は重爆撃機百台、軽爆撃機八十台に地上部隊を乗せさらに百台の戦闘機で擁護しつつアディス・アベバ郊外の大草原地に着陸、一日四回繰返して約千五百名の兵隊をエチオピヤ心臓部に送って一挙にエ軍を挟撃して全滅せしめんとする大掛りな意図であったらしいが最早やその必要もなくなった

神出鬼没を得意とするエ軍のゲリラ戦術も予期の効果をもたらさず、案外早く敗戦の憂目を見るに至ったのは去月三日ドイツがライン出兵をやりロカルノ条約を破ったことに拍車をかけられてイタリーがますます勢いを得たこと、エ軍の武器弾薬の不足、交通不便のため兵糧配給が困難だったこと、或は地方によっては異種族の集りから各言葉を異にし統一を欠いたことなど、殊に指揮官に人材が乏しかったことはエチオピヤの最も大きな悩みであった

写真(右)1938年、イタリア空軍カプローニ(Caproni) Ca.101 三発爆撃機:1934年に東アフリカ植民地(アビシニア/エチオピア)で使用するため、航続距離を伸ばすために、全幅と胴体を延長したCa101E(Etiopia)が開発された。Ca.101の生産数数は240機。 1935年のイタリアのエチオピア(アビシニア)侵攻では、カプローニ(Caproni) Ca.101 は爆撃機として実戦投入され、第一次大戦で使用された毒ガスイペリットを搭載したガス爆弾も投下している。
Description Magyar: Caproni Ca. 101 bombázó (Olasz festéssel). Tags: Italian brand, Caproni-brand, airplane Title: Caproni Ca. 101 bombázó (Olasz festéssel). Date 1938 Source http://www.fortepan.hu/_photo/download/fortepan_26495.jpg Author FOTO:Fortepan — ID 17579: Home pagePictureInformation page Adományozó/Donor: Erky-Nagy Tibor.
写真はWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Caproni Ca. 101 bombázó (Olasz festéssel). Fortepan 17579.jpg引用。


伊軍が最も困難を感じていた占領地の道路開発も武装を解除された捕虜兵達と未だかつて給料などは貰ったことのない奴隷どもを巧みに酷使することによって案外早く成し遂げまた征服されたエチオピヤ人—伊軍は彼等を新附住民という—この新附住民を先発として丁度支那の宣伝部隊のようにこれから進撃せんとする部落の住民を言葉たくみにくどき落す緑、赤、白のイタリー国旗を先頭に行くところから、伊軍はこれを三色の挨拶という、これらの事柄が非常な効果を収めた

去る十三日もカプローニ爆撃機(Caproni Ca.101)八台は突如、アディス・アベバ上空に現われて、エチオピヤ人に告ぐ威嚇的招撫勧告ビラをまいて伊空軍の威力を示して立去った

かくて伊軍は本格的の雨季に入る六月以前に、やがて野望を達すべき移民地として、また原料品供給地として恵まれたエチオピヤ中央高原たる鉄道沿線を中心として青ナイル河以北と西南部のカンバツタ地方を完全に占拠しようと焦っている、そして今やアディス・アベバ以北に陣取っている皇帝自ら指揮する軍隊とハラルに立籠っているナシブ将軍部隊と西南方部隊など僅か二十万足らずのエ軍は刻々と攻めよせる伊軍に対して悲壮な最後の抵抗を試みているのである

その後に来るべきものは当然エチオピヤ高原におけるムッソリーニ傍若無人の横暴振りであろう、一説にはハラルの王侯を、あるいは皇太子殿下を擁立して新帝となすなど伝えられているが、連盟や英国を尻目にとに角、傀儡国を建てて爆発せんとする自然の勢いのはけ口をこの東阿に求める結果となるのではあるまいか有色弱小国のエチオピヤはたといエチオピヤが戦争に訴えず伊の欲望を満してやっても、この前のホーア・ラヴァール和協試案が成立していたとしても、いずれにしてもやはり有力弱小国としての轍を履まねばならぬ運命に置かれてあったのだ。(引用終わり)

写真(右)1931-1936年,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso複葉戦闘機(部隊番号:88) :ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
Dim005: Campoformido - 1931-36. Il Fiat C.R. 20 “Asso” in volo sulle Prealpi Giulie. Dim006: Campoformido - 1931-36. Il Fiat C.R. 20 “Asso”.
写真は、Di Montegnacco Bruno File:Fiat C.R.20 Aviano, 1936.jpg引用。


ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、左右主翼上面・下面のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼のサヴォイア高家紋章付きのイタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞だった。しかし、1940年6月の第二次大戦参戦後、垂直部翼の三色旗の華麗な国籍マークは、サボイア王家紋章付きの白十字に変更された。

写真(右)1936年,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso複葉戦闘機 :ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
Italiano: Un Fiat C.R.20 in volo. Categoria:Immagini di aeroplani Date anni trenta Source http://www.finn.it Author Anonymous
写真はWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Fiat C.R.20 Aviano, 1936.jpg引用。



図(上)1932年、イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍第1飛行中隊所属のフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機
(部隊番号:3):ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、胴体側面のファッシ(束ねた武器)、主翼上下の黒縁白円の三本ファッシ、垂直尾翼のイタリア軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレ緑・白・赤の縦縞(中央の白にサヴォイア王家紋章入り)。1933年時点でイタリア空軍のCR.20戦闘機は、27個飛行隊に配備されていた主力戦闘機だった。リビアの反乱、第二次エチオピア戦争で実戦投入されている。
Unit: 1 Stormo (probably), Regia Aeronautica Serial: 3 CMASA-built aircraft. Circa 1932. Artist: John W.Wood Source: "Fighters Between the Wars 1919-1939 - Included Attack and Training Aircraft" by Kenneth Munson, The Pocket Encyclopaedia of World Aircraft in Colour, Blandford Colour Series, Blandford Press Ltd, 1970
写真は, WINGS PALETTE Interwar/Fighters/Fiat CR.20/Italy (fascists)引用。


ムッソリーニ首相罷免後に樹立されたピエトロ・バドリオ政権は、1943年9月18日連合国に降伏し、1943年10月18日、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機
;イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


フィアット(Fiat)C.R. 20戦闘機の搭載したフィアットA.20液令V-12気筒エンジン331 kW (444 hp)を圧縮比を高め高空性能を向上させたフィアット(Fiat)A.20 A.Q.に換装したのが、発展型フィアット(Fiat)CR.20bisAQ 戦闘機である。そして、それを水上機仕様としたのが、フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -、すなわちCR.20Idro複葉水上戦闘機である。生産機数は、マッキ(Macchi)で23機、CMASACostruzioni Meccaniche Aeronautiche Società Anonima)で23機の合計46機である。

1935-1936年、イタリアのエチオピア(Abyssinia)侵攻に、イタリア空軍はフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機、その水上機仕様であるフィアットC.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機を投入した。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)CR.20 Idro複葉水上戦闘機を見る。


2.フィアット(Fiat)CR.20公式ガイドライン(Istruzioni)


写真(右)1934年10月以前,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20公式ガイドライン(Istruzioni)カバー
;1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計の初の量産機。フィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410馬力搭載、全幅 9.804 m、総重量 1,390kg、最高速力 270 km/h。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


「ファシスト暦」とは、ファシスト党・ムッソリーニ率いるローマ進軍の勢いに感銘を受けたイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Vittorio Emanuele III)が、1922年10月29日、統領(ドゥーチェ)ベニート・ムッソリーニを首相に任命した期日を紀元、すなわちファシスト暦元年(ANNO I)としている。

実際のファシスト暦の制式は、ファシスト独裁政権が盤石になった1927年10月29日で、この日がファシスト暦5年(Anno V)と定められ,ファシスト暦の元旦は、1922年10月29日とされた。しかし、イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.30公式ガイドライン(Istruzioni)では、ファシスト暦は表示されていない。

ガイドライン(guideline)は、ガイド(guide)の名詞形で指導・案内の意味だが、それにライン(line)を付けて、指南書・指導要綱の意味になる。

つまり、利用者・購入者の仕様書案内のように、取り扱いの基準と指針を示したマニュアル(操作案内)として作成される。この点で、カタログと同程度の有効性があると考えられる。

ガイドラインは、法律や命令ではなく、その基準を示すものであるから、絶対服従という要件はないが、法律・命令に準じる強い基準として認識・理解されることもある。

特に、航空機のガイドラインの場合、その誤った取り扱いや操作が、重大な事故や飛行機の破壊につながることもあり、ガイドラインといっても、順守手べきものとして理解されてしかるべきである。つまり、飛行機のガイドラインは、守ることを義務付けるべき強いものなはずである。

しかし、イタリア軍用機の公式ガイドライン・公式マニュアル・公式カタログを見ると、名称・形式の異なる飛行機のはずが、ガイドライン・マニュアル・カタログによっては、同じ図解や写真を流用している。

イタリア航空省のこのような厳格さを欠く公式ガイドライン・公式マニュアル・公式カタログの作成姿勢は、写真や図を新規掲載しなくとも実害がないと判断によるのであろうが、厳格な内指示・説明が求められるガイドラインが、旧来の機体をそのまま掲載しているのは、厳格さに欠けており、真剣さが足りないように感じられじられる。


写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の正面寸法図
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の側面寸法図
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の上面寸法図
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



写真(右)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機のコックピット操縦桿・操縦ペダルの部品構造図
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の開放式コックピットの操縦席左右と正面ガラス風防
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機は、フィアット G.50 フレッチア(Freccia)戦闘機、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機と同一の発動機フィアットA74AC38空冷星形14気筒エンジンで800馬力級1基を搭載している。この程度の出力で、最高速力500km/hを達成するのは、技術的に難しかったため、機体を小型軽量化し、空気抵抗を減少させるために胴体を絞って細くし、エンジン直径も最小化できるようにカウリングを工夫した。しかし、同時にパイロットの視界が良好であることが求められたため、胴体の上部に突出したガラス風防を設け、完全は密閉式ではなく、開放式あるいは半開放式のガラス風防を設けた。


写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の側面構造図
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の胴体中央部の主輪降着装置と後端の尾橇降着装置の構造図
;尾輪ではなく、重量軽減・空気抵抗減少に有利な、しかし地上での滑走には不便な尾橇を装備している。ただし、環境相栂ついている。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の胴体鋼管骨組みフレームワーク側面構造図
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


坂上茂樹(2017)「枠組構造を有する飛行機機体の技術史ーネジないしリベット締結とガス溶接の適用事例」によれば、飛行機の機体の製造にあたって、胴体枠に鋼製部材を使用するようになったが、その方法は、
1)溶接組立構造、
2)管材組立構造、とに分類できる。

飛行機の鋼製部材は、それまでの木製枠組構造の一部を鋼管に置換える形で発達した。また、木製枠組構造とは異なり、枠組みを接合するために、接合金具を用い、さらにガス溶接,主として酸素アセチレン溶接を用いる鋼管溶接組立工法が採用された。

飛行機機体の木製枠組構造と同じく、鋼材の溶接と可逆組立には,四角形に組まれた中枠(框かまち)の四隅を縦通材で繋ぎ,要所に斜 め材や十字張線を配して強度を維持した立体骨組みを作る。そして、骨格の接合部を溶接組立するのが、鋼管溶接構造である。

フィアット(Fiat) CR.20 の後継機となったフィアットCR.32戦闘機のイタリア空軍後継機のフィアットCR.42ファルコ(Falco)戦闘機とマッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機は、同じフィアット(Fiat)A.74 R.C.38 空冷星型14気筒エンジン650 kW (870 hp)1基を装備している。イタリアでは、液冷エンジンは日本同様に例外的で、空冷星形エンジンが主流だった。

鋼管溶接構造の利点は、
1)工作容易で保守が容易である、
2)架構の剛性が管材組立構造より高い,
3)衝撃損傷時に破 断ではなく屈曲するので衝撃が緩和され事故の際の搭乗者に対する安全性が高い,
4)鋼管の軽度の損傷・屈曲なら修理や交換が可能である,
という4点である。(坂上茂樹(2017)「枠組構造を有する飛行機機体の技術史ーネジないしリベット締結とガス溶接の適用事例」参照)


写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の上主翼骨組みフレームワーク上面構造図
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


飛行機は揚力を得るために、主翼の上面と下面では形状が異なる。上面の空気が下面より早く流れれば、気圧の差から揚力が働き、機体は上に持ち上げられる。しかし、主翼は付け根から先端まで捩じりがあったり、形状が異なったりと複雑で、それを支える桁も最新の注意が必要である。


写真(右)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の下主翼骨組みフレームワーク上面構造図
;1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計。フィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410馬力搭載、全幅 9.804 m、総重量 1,390kg、最高速力 270 km/h。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


主翼上面の曲がっているところを流れる気流の流線の内側は低圧となる。他方、翼下面では、気流は直進するので、圧力が上昇し高圧となる。空気の流れが下向きに曲げられた翼上面では圧力が低下し、空気が直進する翼下面では圧力が上昇する。このように空気の流れを曲げた反作用は翼上面・下面の圧力差として翼に揚力として働くのである。複葉機は、単葉機よりも主翼面積が大きく揚力も大きいために、旋回性能や上昇性能が際立っている。


写真(右)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の垂直尾翼の桁骨組みフレームワーク側面構造図
;1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計。フィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410馬力搭載、全幅 9.804 m、総重量 1,390kg、最高速力 270 km/h。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 戦闘機試作1号機の初飛行は,、1926年6月19日にフィアット・トリノ工場の社有飛行場で行われた。各社との競争試作の中で、フィアットCr.20の審査は順調に進み、フィアット(Fiat) CR.20 は制式され、1927年から本格的な生産に入った。そして、1927年から1930年にCR.20戦闘機は250機が量産され、バルト諸国リトアニアが15機、ハンガリーが1機を輸入している。

 地中海に囲まれたイタリアでは、水上機が盛んに生産されていたが、フィアット(Fiat) CR.20 フレッチャ(Freccia)戦闘機び双浮舟フロートを装備した水上機仕様CR.20Idroが開発され、46機が生産された。水上戦闘機は、日本海軍でも例外的な存在で、零式艦上戦闘機の水上機仕様の零式水上戦闘機が1940年代に登場した程度で、イタリアは、早くから水上戦闘機を実用化していた海洋国家だった。


写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の水平尾の桁骨組みフレームワーク上面構造図
(図10);水平尾翼の後端に昇降舵が取り付けられる。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 フレッチャ(Freccia)戦闘機の改良型が、フィアットCR.20bisである。フィアットCR.20bisは、フィアットCR.20の脆弱だった主輪降着装置に、車輪ブレーキと着地時の衝撃を和らげる緩衝装置を設置した。生産期間は、1930年から1932年までで235機が量産された。CR.20bisについては、ハンガリーが12機、オーストリアが16機、パラグアイが6機を輸入している。

CR.20bisの発動機フィアット(Fiat)A.20 液令倒立V12気筒エンジン343 kW (460 hp) をイソッタ=フラスキーニ(Isotta Fraschini)・アッソ(Asso)336 kW (450 hp) に換装したフィアットCR.20 Assoが開発された。フィアットCR.20 Assoは、中〜後期生産分をCR.20bisAQとして区別することもある。


写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の水平尾後端の昇降舵の桁骨組みフレームワーク上面構造図
(図11);イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


翼面荷重を軽減するには、主翼面積を大きくすればよいが、全幅を拡張すると、ロール率が低下する。しかそこで、、胴体上下に二枚の主翼を付ける複葉機が生まれた。第一次大戦における空中戦では、格闘性能が重視されたが、戦後もそれが引き継がれ、輸送機や爆撃機では、多数の単葉機が開発されたものの、運動性を重視する戦闘機では、複葉機が主流であり続けた。


写真(右)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の垂直尾翼の桁骨組みフレームワーク側面構造図
(図12);1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計。フィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410馬力搭載、全幅 9.804 m、総重量 1,390kg、最高速力 270 km/h。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


方向舵(ラダー:rudder)とは、機首を左右にふり、方向の姿勢を制御する操縦翼で、垂直尾翼の後縁に取り付けられている。方向舵の操作は,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御する。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。

空気には形状に沿って流れるが、主翼の後縁が下方に傾斜していると、その空気の流れが下向きに曲げられる。主翼で空気を下方に向けられた。この作用で押し下げられた空気の反作用で、揚力が発生する。つまり、揚力は、主翼上面の空気の流れが下向きに曲げらた反作用で発生しますたのである。空気は力の作用がなければ直進すすが、主翼で空気が下方で流れたからには、どこからか力が働いたといえる。空気の流れが曲げられると曲がった流線の内側と外側に圧力差が発生し、向心力が働くのである。

同じ出力・馬力のエンジンを搭載し、同じ重量であっても、複葉戦闘機は、単葉戦闘機に比して、最高速力は遅くなるが、旋回・ロール・急上昇を伴う格闘性能は、有利だった。

 
図(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の側面構造図
;第一次大戦以来の7.7mmビッカース(Vickers)機関銃2丁搭載。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 後継機のフィアットCR.32複葉戦闘機は、1933年4月28日の初飛行で、前作のフィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機の発展型で、当時はすでに単葉機も出現していたが、戦闘機では複葉機が主流だった。


図(右)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機に搭載された燃料タンク
(図23);イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


1930年代の戦闘機ではフィアット(Fiat) CR.20 のような複葉機が主流だった。その理由は、格闘戦闘で旋回や宙返りなどのアクロバット的な飛行をするには、翼面荷重(主翼面積当たりの総重量)が軽いこと、回転・ロールしやすいように全幅が短いことが求められたためである。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機のコックピッ後下方に装着可能な航空写真

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機は、写真銃と並んで航空写真機も搭載することができた。写真銃は機関銃射撃と同調して正面を撮影するが、航空写真は、爆撃目標や偵察のために地上目標を撮影する目的があるので垂直方向を撮影する。

フィアット(Fiat)CR.20、CR.30戦闘機の機首上面に搭載された7.7mmビッカース機関銃2丁には、プロペラ同調装置がついているので、プロペラが銃口正面に来た時には射撃が停止する。つまり、プロペラ同調装置があるために、銃弾はプロペラにあたることなく、射撃し続けることができる。

ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機機首上面に装備された7.7mmビッカース(Vickers)機関銃は、当初、陸戦兵器として第一次世界大戦で広く使用されたビッカース重機関銃が原型であり、戦時中にビッカース.303インチ航空機関銃として、飛行機に搭載されていた実用性の高い航空機用機銃だった。


図(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機に搭載可能な写真銃
(図37);イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


イギリス空軍7.7mmビッカース(Vickers)機関銃は、ソッピース キャメル複葉戦闘機、スパッドXIII複葉戦闘機など、第一次大戦の中盤、すなわち1916年以降に戦闘機用として普及していた。また、このイギリス製機関銃は、フランスの戦闘機にも装備され、同じ連合国のイタリアも装備した。第一次大戦中盤には、戦闘機機首に搭載した航空機関銃は、プロペラの回転を通して射撃可能で、これはプロペラ同調装置が装備されていたためである。

機首に装備した機関銃は、回転する2翅あるいは3翅プロペラ越しに射撃するので、プロペラに弾丸が当たらないように同調させる必要があった。プロペラの回転と機関銃の射撃時間を調整して、プロペラを撃たないように工夫したのが、プロペラ同調装置である。


図(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の機首上面に装備された7.7mmビッカース(Vickers)機関銃の側面図
(図32);第一次大戦以来の7.7mmビッカース機関銃2丁搭載。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


陸戦では水冷式だった7.7mmビッカース(Vickers)機関銃だったが、高速で高空を飛行する戦闘機では、空中を流れる気流によって重心を冷却することができるために、銃身の周囲にあった水冷装式冷却筒(ウォータージャケット)を撤去して、冷却用の空気を取り入れる多孔式冷却筒を取付けた。

プロペラ同調装置は、第一次世界大戦中の戦闘機に装着されて以来、広く普及したが、プロパラ回転の圏外から機関銃を射撃するのであれば、プロペラ同調装置は不要であり、その整備もいらずに、稼働率の向上が期待できる。また、機関銃の発射速度も射撃を停止しない分だけ高めることができ、有利である。そこで、アメリカ海軍戦闘機、アメリカ陸軍戦闘機の多くは、左右の主翼に12.7mmブローニング「エクスカリバー」機関銃を各々2丁、のちに各々3丁か4丁、合計6丁か8丁も装備して対戦闘機戦闘を有利に展開した。

1930年代になると、全金属製の戦闘機が開発され、主翼が頑丈で厚くなったため、よくない装備の機関銃が誕生した。そして、プロペラ回転圏外の翼内装備の機関銃とすれば、プロペラ同調装置は不要で、機関銃の発射速度も2割も早くすることができた。機関銃自体も7.7mmビッカース(Vickers)機関銃と同口径ながらより発射速度が速く軽量小型のアメリカ製ブローニング0.303インチ(7.7mm)機関銃が開発され、米英を中心に、左右翼内に各々2丁から3丁、合計4丁から6丁の多数の機関銃が搭載できるようになった。


3.フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso公式マニュアル


写真(右)1932年刊行,イタリア航空省、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)のカバー
;1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計の初の量産機。CR.20のフィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410hpをイソッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)アッソ(Asso)空冷倒立V-12気筒エンジン450 hpに換装。最高速力 270 km/h。イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


マニュアル(manual)とは、
1) 飛行機・機械から道具・アプリケーションまでの使用説明書であり、取扱や手引きとして用いられる。
2) 操作・生産工程など作業手順を説明するが、写真・図解などを多用して、理解を円滑に進める。
という二つの目的がある。

他方、カタログは、取引相手・購入者などに対する飛行機・機械から道具・アプリケーションまで、機能を説明し、商品の性能を誇示する説明書で、顧客に対して商品説明にも使用される。例えば、航空機メーカーが、軍用機や民間機を自国空軍や航空会社、あるいは外国空軍や航空運送会社に売り込みをするのに、写真や図解の入ったカタログを提供するのである。

しかし、マニュアルとカタログを厳格に区別することはできない。マニュアルがカタログの役割を担い、マニュアルがカタログの役割を担うことがあるからである。


写真(上)1932年頃,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso複葉戦闘機
;1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計の初の量産機。CR.20のフィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410hpをイソッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)アッソ(Asso)空冷倒立V-12気筒エンジン450 hpに換装。最高速力 270 km/h。イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



写真(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の正面
;1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計の初の量産機。CR.20のフィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410hpをイソッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)アッソ(Asso)空冷倒立V-12気筒エンジン450 hpに換装。最高速力 270 km/h。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



図(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の正面寸法図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



図(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の左側寸法図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


複葉機戦闘機フィアット(Fiat) CR.20 の後継機は、フィアット(Fiat)CR.30、CR.32戦闘機で、その後継機は、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機であるが、この時には、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機は、単葉低翼、引込み式主輪を採用しており、複葉機の固定脚とは全く異なる形状となった。また、胴体構造は、鋼管フレームワーク(骨格枠組み構造)が引き継がれているが、形状は箱形から筒型に変化し異なっている。


図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の下面構造図
;胴体中央にコックピット操縦席がある。下主翼の翼幅は、上主翼よりも短い。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


イタリア空軍の試験飛行・審査を通り制式されたフィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機は、1927年から部隊配備され250機が量産された。そして、降着装置を改良したCR.20bis戦闘機は、235機が生産された。最終型のイゾッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)Asso Caccia液冷V型12気筒エンジン 336 kW (450 hp)に換装した CR.20 Asso戦闘機の生産機数は 204機である。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機機首イゾッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)Asso Caccia液冷V型12気筒エンジン336 kW (450 hp)のエンジン懸架構造図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機は、1926年6月19日に初飛行している。搭載した発動機は、フィアット(Fiat)A.20 液令V-12気筒エンジン331 kW (444 hp)である。その発展型のCR.20 Asso複葉戦闘機は、発動機をイゾッタフラスキーニ(Isotta Fraschini)Asso Caccia液冷V型12気筒エンジン336 kW (450 hp)に換装した。


図(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の胴体左側内部構造図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機は、機首にイゾッタフラスキーニ(Isotta Fraschini)Asso Caccia液冷V型12気筒エンジン336 kW (450 hp)、コックピット下面に燃料タンク、胴体後方から尾翼向けて方向舵と昇降舵の制御用操縦索が伸びている。


図(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機コックピット床面の操縦ペダルと垂直尾翼後縁の方向舵の制御操作配線構造図
; イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



図(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の胴体機首上面の7.7mm機関銃のプロパラ同調装置の配線構造図
;エンジンへの燃料供給を制御するスロットル・レバーの操作配線が示されている。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 試作機の兵装は、7.7mmビッカース(Vickers)機関銃4丁が搭載可能だったが、これは当時の標準兵装の2倍の火力を保持していた。しかし、量産型では2丁搭載という標準的な火力に低下した。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の機首上面の上主翼連結支柱と機首上面の7.7mmビッカース(Vickers)機関銃2丁の配置図
;イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機は、後継機のフィアットCR.30、CR.32複葉戦闘機と同じく、機首上面に7.7mmビッカース(Breda)機関銃2丁を搭載した。第二次大戦のイタリア空軍主力戦闘機となった最後の複葉戦闘機フィアット(Fiat)CR.42でも、機首上面に7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁を搭載しただけだった。つまり、第一次大戦後のフィアットCR.20複葉戦闘機から、第二次大戦初期のフィアットCR.42ファルコ複葉戦闘機まで、小口径の7.7mm機関銃2丁のままで推移しており、イタリア戦闘機の武装強化・火力の向上はなされていないままである。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の下左主翼上面に装着可能な写真銃図
;エンジンへの燃料供給を制御するスロットル・レバーの操作配線が示されている。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機胴体機首上面の7.7mm機関銃2丁の射撃と同調する写真銃撮影装置があり、射撃によって、目標に弾丸が命中したかどうかを判定できる。


図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の下左主翼上面に装着可能な写真銃
;エンジンへの燃料供給を制御するスロットル・レバーの操作配線が示されている。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の下左主翼上面に装着可能な写真銃図
;エンジンへの燃料供給を制御するコックピット左脇のスロットルレバー付近に写真銃の撮影シャッターがある。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機は、写真銃を下左主翼上面に装着可能である。実戦では、写真銃は、空気抵抗増加と重量増加によって飛行性能を低下させるために使用されなかったが、射撃訓練では使用された。当時の新しい技術を体現した訓練装置だったので、公式マニュアルでも詳しい解説がなされている。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機コックピット後下方に装着可能な航空写真機
;胴体中央にコックピット操縦席がある。下主翼の翼幅は、上主翼よりも短い。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


イタリア空軍フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機写真銃と並んで虚空写真機も搭載することができた。写真銃は機関銃射撃と同調して正面を撮影するが、航空写真は、爆撃目標や偵察のために地上目標を撮影する目的があるので垂直方向を撮影する。


図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機コックピット後下方に装着可能な航空写真機の装着配置三面図;

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



図(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の胴体左側面構造図・正面構造図
;エンジンへの燃料供給を制御するスロットル・レバーの操作配線が示されている。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機は、パイロットの視界が良好であることが求められたため、胴体の上部に突出した正面ガラス風防を設け、開放式コックピットとして視界を確保している。


図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の機首機関銃・燃料タンク・エンジン制御装置の配備方式の構造図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


航空機用発動機は、構造・機構の上では、冷却器と冷却液が不要で、簡易化でき軽量な空冷星形エンジンが世界の航空機発動機の主流となった。しかし、イギリスのス―パーマリーン、ドイツのダイムラーベンツ、ユンカースでは高度の技術を駆使して高性能の航空機用液冷エンジンを開発した。

航空機用空冷星型エンジンは、シリンダー(気筒)を放射状星形に配置したレシプロのガソリン・エンジンである。このように星形にシリンダーを配置した理由は、飛行するときに正面から流れてくる空気によって、燃料爆発・過熱したシリンダーを冷却するためである。シリンダー配置が星形であれば、エンジンによる正面積が大きくなり空気抵抗が大きくなる半面、シリンダーに直接高速で航空の冷気が流れ込むので、冷却効率が良い。


図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の機首下面の潤滑油冷却装置の配線構造図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


航空機用空冷エンジンは、シリンダーを冷却するのに航空の気流を取り入れて使う。そこで、エンジン正面に空気取り入れ口を設けているが、潤滑油の小型冷却器以外、大きな冷却器を必要としない。他方、航空機用液冷エンジンは、シリンダーを冷却するのに不凍液を混ぜた水を使うが、この冷却液は、航空の冷たい空気を使って冷却するしかない。そこで、エンジンとは別に、冷却液と冷却器が必要となるので、重量が重くなる。液冷エンジンのシリンダー配置は、直列させてエンジン正面面積を縮小することができるため、その空気抵抗は小さくなる。冷却液を冷やす冷却器を設けているので、その部分の空気抵抗は大きくなる。


図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機コックピットの操縦士用計器盤の配置図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


エンジンへの燃料噴射を調整するスロットル・レバーは、燃料調整弁のこと。出力制御レバーは、内燃機関を制御する絞り弁(スロットル)を調節することで、アクセルの役目を持っている。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の胴体中央部のコックピットの操縦席左側
;エンジンへの燃料噴射を調整するスロットルレバーは、燃料調整弁だが、アクセルの役目を持っている。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso操縦席では、フィアットA74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpをスロットルで調整する。エンジンの出力制御に用いるスロットル・レバーは、燃料を内燃機関に送る絞り弁(スロットル)を調節するレバーであり、エンジンの出力制御レバーのことである。第二次世界大戦中、イギリス式のアメリカ、ドイツ、日本では、スロットルレバー前に倒すことで出力を増大させ、後ろに引くことで出力を減少させる。

イギリス式スロットル・レバーとは対照的に、フランス式のイタリア、日本陸軍機のキ43一式戦初期までは、反対に、スロットルレバー後ろに引くことで出力を増大させ、前に倒すことで出力を減少させる。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の胴体中央部のコックピットの操縦席右側
;コックピット床面には、左に昇降舵を操作する操縦桿、足元に方向舵を操作する操縦ペダルが見える。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Assoコックピット床面には、操縦桿、操縦ペダルが配置されている。操縦桿は、昇降舵を操作することd、飛行機の上下の進行を、操縦ペダルは足元で方向舵を操作することで、飛行機の左右の進行を制御するが、立体駆動なので飛行機の操縦は、地上・平面上の自動車よりもはるかに複雑である。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の胴体中央部の固定式降着装置
;ゴム車輪2個が支柱の先についている。支柱の根元には、着地時の衝撃を和らげる緩衝装置が付けられている。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機こ降着装置は、ゴム車輪2個が支柱の先につけられた双輪利器の固定式降着装置である。双輪を保持する支柱が主翼下面に接続する箇所(左右)には、飛行から地上に着地するときの衝撃を和らげるための緩衝装置が付けられている。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の尾部の固定式尾橇降着装置
;重量が嵩み、空気抵抗も増えるゴム車輪ではなく、尾橇式の降着装置だが、これは、軽量の複葉機であれば、未舗装滑走路に着陸・離陸する際に不都合ではなかった。根元には、着地時の衝撃を和らげる緩衝装置が付けられている。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機の3点式降着装置の尾部には、ゴム輪の尾輪は装着されていない。その理由は、ゴム輪は重量が嵩み、バランスを尾部に偏らせてしまう上に、空気抵抗が増加するという不利な点がある。他方、ゴム車輪ではなく、尾橇式の降着装置であれば、重量が嵩まず単純な構造で済むために、軽量で済む。、また、当時は全金属製の機体ではなく、軽量な羽布張りの複葉機であったので、未舗装滑走路に着陸・離陸する際にも尾橇でも不都合ではなかった。ただし、尾橇根元には、着地時の衝撃を和らげる緩衝装置が付けられている。


写真(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の胴体左側面の構造図
(上面);
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の上下主翼の連結支柱の配置構造図と寸法図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



写真(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の上下主翼の連結構造正面図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



写真(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の上主翼補助翼の制御用操縦索の配線構造図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



写真(上)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の右の上主翼の上面構造図
(図21);
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の垂直尾翼の側面構造図
(図11);
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の垂直尾翼後縁の宝方向舵の側面構造図
(図14);イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の水平尾翼後縁の昇降舵の上面構造図
(図13);イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A (ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



4.フィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機

写真(右)1933年11月,フランス、パリ航空祭、イタリアから出品された最新鋭のフィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機 :1933年パリ航空祭に出品された単葉機は、ドイツのフィーゼラー(Fieseler)F2 タイガー(Tiger)複葉機、イタリアのカンプロ二(Caproni)Ca.125複葉機などほとんどが複葉機だった。
English: Fiat CR 30 photo L'Aerophile November 1933 Date 1 November 1933 Source https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k65535577?rk=257512;0 Author L'Aerophile Salon 1933
写真はWikimedia Commons、Category:Fiat CR.30 File:Fiat CR 30 L'Aerophile November 1933.jpg,およびGallica、 L'Aérophile (Paris) November 1933引用。


さらに、ポーランドとソ連もCR.20の購入を検討している。イタリアは、実績作りに役立てようとポーランドにCR.20を貸与しエアレースに出場することを認めた。しかし、レース結果は散々だったため、ポーランド空軍はCR.20の購入をせず、飛行訓練にも使用していたCR.20をイタリアに返還した。

写真(右)1934年頃,イタリア、未舗装飛行場に待機する迷彩塗装を施したイタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機 :ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレを模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
English: Fiat CR 30 photo L'Aerophile November 1933 Date 1 November 1933 Source https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k65535577?rk=257512;0 Author L'Aerophile Salon 1933
写真はSmugMug+Flickr、kitchener.lord Fiat CR.30引用。


国家ファシスト党(Partito Nazionale Fascista:PNF)統領ベニート・ムッソリーニがイタリア国王に首相に任命されファシスト政権がスタートしたのは、ローマ進軍後の1922年10月31日で、その後、1924年4月には、他党を圧殺してファシスト党独裁政権を樹立した。他方、国家社会主義同一労働者党(ナチ党)総統アドルフ・ヒトラーがドイツ大統領フォン・ヒンデンブルクによりドイツ首相に任命されたのは1933年1月30日、他党を廃止してのナチ党独裁政権を樹立したのは、ドイツ国会議事堂炎上事件後の、1933年3月23日の全権授権法「国家的苦境除去法」の成立後だった。

つまり、イタリアのファシズム政権の樹立は、ドイツより10年早かった。また、イタリアは、第一次世界大戦の占領国であり、ドイツのようにベルサイユ条約による賠償金支払い、航空機開発制限、軍備制限の頚城のもとにあったわけではない。

単座複葉固定脚の戦闘機CR.20は、1926年6月19日に初飛行している。CR.20は、1925年にイタリア空軍の時期新型戦闘機の要望に応え、フィアットが開発した新型のフィアット(Fiat)A20 R.A. 液冷V型12気筒エンジン331 kW (444 hp)を搭載することとし、チェレスティーノ・​ロザテッリ(Celestino Rosatelli)技師が設計し、CRを冠された。CR.20試作機は、金属鋼管フレームに羽布あるいは軽金属外板張りで、下方の主翼が上方より大きい複葉機だった。CR.20試作1号機の初飛行は1926年6月19日で、トリノのフィアット社飛行場で実施された。

写真(右)1935年10月12-28日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクション、フィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機(手前左)、IMAM Ro.41複葉戦闘機(手前右)、 イタリア航空サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 73三発輸送機(I-ENNA)(右端の機首)、サヴォイア・マルケッティSM 81三発雷撃機(奥:後ろ向き):SM 81は、胴体下面に航空魚雷2本を搭載している。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 13 x 18
Note: Veduta parziale della sezione italiana del Salone. Sulla destra parte dell'aereo Savoia Marchetti SM 73 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI) delle linee Ala Littoria Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_93
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_93引用。


フィアット(Fiat)CR.30の諸元

乗員Crew: one
全長Length: 7.88 m (25 ft 7.25 in)
全幅Wingspan: 10.50 m (34 ft 5.5 in)
全高Height: 2.78 m (9 ft 1.5 in)
翼面積Wing area: 27.05 m2 (291.17 sq ft)
空虚重量Empty weight: 1,345 kg (2,965 lb)
総重量Gross weight: 1,895 kg (4,178 lb)
発動機Powerplant: 1 × Fiat A.30 R.A. 12-cylinder Vee piston engine , 447 kW (600 hp)
フィアット(Fiat)CR.30の性能Performance
最高速力Maximum speed: 351 km/h (218 mph, 189 kn)
航続距離Range: 850 km (528 mi, 459 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 8,350 m (27,845 ft)
兵装Armament
ブレダ(Breda)-SAFAT 7.7 mm (0.303 in) 機関銃2丁

写真(右)1935年10月12-28日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア空軍IMAM Ro.41 複葉戦闘機(中段右)、フィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機(中段左)、サヴォイア・マルケッティ SM.81雷撃機(奥)、イタリア航空(アラリットリオ)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 73三発輸送機(I-ENNA):手前は、ドイツのクリム(Klemm)KL 35 軽飛行機(D-R)。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana
Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: Veduta della sezione italiana del Salone con numerosi visitatori. Sul fondo a destra l'aereo Savoia Marchetti SM 73 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI) delle linee Ala Littoria.
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1935_SA_180 引用。


イタリア空軍フィアットCR.20複葉戦闘機は、フィアット A.20 R.A.V型12気筒液冷エンジン 331 kW (444 hp)搭載、IMAM Ro.41 複葉戦闘機は、ピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella)P.VII R.C.35空冷星形7気筒エンジン335 kW (449 hp)搭載。

フィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機は、フィアット A.30 R.A.V型12気筒液冷エンジン447 kW (599 hp)を搭載、最高速力350km/h(高度3000m)、実用上昇限度8,350m、航続距離850km、7.7ミリブレダSAFAT機関銃2丁。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクション、IMAM Ro.51戦闘機(手前左)、 IMAM Ro.41 複葉戦闘機(右奥):IMAM Ro.41 複葉戦闘機は、ピアッジオ(Piaggio Stella)P.VII R.C.35空冷星形7気筒エンジン335 kW (449 hp)搭載、最高速力320 km/h (200 mph, 170 kn) /4,000 m、航続距離320 km (200 mi, 170 nmi)で、1934年6月初飛行、1935年から743機生産。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand della IMAM - Industrie meccaniche e aeronautiche meridionali (gruppo Breda)Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 13 x 18
Note: Sulla sinistra l'aereo IMAM da caccia RO 51; sulla destra l'aereo IMAM da caccia e allenamento acrobatico RO 41
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_239引用。


イタリア空軍IMAM Ro.41 複葉戦闘機は、ピアッジオ(Piaggio Stella)P.VII R.C.35空冷星形7気筒エンジン335 kW (449 hp)搭載、最高速力320 km/h (200 mph, 170 kn) /4,000 m、航続距離320 km (200 mi, 170 nmi)で、1934年6月初飛行、1935年から743機生産。 第二次世界大戦開戦前のイタリア空軍主力戦闘機だった。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクション、IMAM Ro.51戦闘機(手前左)、 IMAM Ro.41 複葉戦闘機(右奥):IMAM Ro.41 複葉戦闘機は、ピアッジオ(Piaggio Stella)P.VII R.C.35空冷星形7気筒エンジン335 kW (449 hp)搭載、最高速力320 km/h (200 mph, 170 kn) /4,000 m、航続距離320 km (200 mi, 170 nmi)で、1934年6月初飛行、1935年から743機生産。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand della IMAM - Industrie meccaniche e aeronautiche meridionali (gruppo Breda)Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: Sulla sinistra l'aereo IMAM da caccia RO 51; sulla detsra l'aereo IMAM da caccia e allenamento acrobatico RO 41
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_220 引用。


イタリア空軍IMAM Ro.51戦闘機は、単葉低翼固定脚、フィアット A.74 R.C.38空冷星形エンジン出力840 hpを装備し1937年に試作された。最高速力489 km/h/4,500 m (264 knots, 304 mph)、巡航速力444 km/h (240 knots, 276 mph)、実用上昇限度8,200 m (26,900 ft)、航続距離1,200 km (648 nm, 745 mi)、上昇時間6,000 m/7分、武装12.7ミリブレダSAFAT機関銃2丁。1930年代後半の有力な戦闘機だったが、生産数は2機のみ。

1939年9月に第二次背世界大戦が勃発してもイタリアはドイツ同盟国ではあったが、非参戦国だった。その時期は、イタリア空軍機は、垂直尾翼にイタリア三色旗トルコローレ緑白赤・サボイア王家紋章入りの国籍マークを描いている。しかし、1940年6月のフランス降伏直前に参戦したイタリアでは、この国籍マークを改めて、中央の白だけの十字としサボイア王家紋章入りの国籍マークを描いている。


5.フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機


写真(上)1935年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32戦闘機の側面
;垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞(中央の白地にはサボイア王家の紋章入)、主翼にファッシ3本のファシストを描いて、イタリアの国籍記章としたイタリア航空省1934年(ファシスト暦12年)刊行、フィアットCR.32公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
a cura di Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO C.R.32 (Motore Fiat A.30 R.A.bis)Istruzioni ROMA 1934-ANNO XII 引用。


スペイン内戦に、イタリアから派兵された固定脚の低速機のサヴォイア・マルケッティSM.81爆撃機、フィアットCR.32戦闘機は、制空権の下で一定の活躍ができた。しかし、1939年9月に勃発した第二次大戦の時期には、低速で旧式化していたため、イタリアが1940年6月に参戦したときには、輸送機や練習機として使用されるにとどまった。

ファシスト・イタリア王国空軍機の国籍マークは、1940年6月に第二次大戦に参戦する以前までは、垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞を描き、特に中央の白地には、サヴォイア王家の紋章を記入している。さらに、左右主翼の上下面に、黒縁で囲んだファッシ3本のファシスト記章を描いて、ファシスト・イタリアの国籍マークを喧伝している。

写真(右)1937年、スペイン、スペイン内戦に派遣されたイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の編隊飛行:スペイン国民戦線フランコ将軍率いる反乱軍の国籍マークとして、垂直尾翼に白地に黒のXを、胴体と主翼に黒丸●に描いている。
English: A pair of Fiat C.R.32 of the X Gruppo "Baleari". The foreground aircraft is flown by D'Agostini Date 1937 Source http://www.finn.it/regia
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.32 (Aviazione Legionaria) File:Fiat C.R.32-Baleari.jpg引用。


スペイン共和国政府に反抗したモラ将軍、フランコ将軍らの反乱軍は、自らをスペイン国民戦線政府と名乗り、イタリアとドイツの軍事援助を受けて、スペイン共和政府と内戦を戦った、この反乱軍側のスペイン軍国籍マークは、垂直尾翼に白地に黒のXを、胴体と主翼に黒丸●に描いている。スペイン内戦に派兵されたイタリア軍(義勇軍)・ドイツ軍(コンドル軍団)の機体も同様の国籍マークを描いている。

フィアット CR.32複葉戦闘機は、1933年4月28日に初飛行、最高速力360km/hと当時としては優れた飛行性能を発揮したために、すぐにイタリア王国空軍に制式された。そして、1936年2月までにCR.32bis、CR.32tris、CR.32quarterなど改良が続けられ1053機もが量産された。

1936年7月に、スペイン内戦が勃発し、スペイン共和国軍とファシスト反乱軍(国民戦線)の戦いが始まると、イタリアはファシストを軍事援助するためにイタリア軍を「義勇兵」の名目で派兵し、CR.32も実戦投入された。

1936年7月に勃発したスペイン内戦には、ソ連がスペイン共和国政府軍を軍事援助したため、そのポリカールポフI-15複葉戦闘機、I-16単葉戦闘機とファシスト反乱軍政府を援助したイタリア空軍のフィアットCR.32複葉戦闘機との空戦も行われたであろう。

1938年にスペインは、フィアットCR.32複葉戦闘のライセンス生産をはじめ、少なくとも100機が生産されている。さらにオーストリア空軍、中国空軍、ハンガリー空軍がフィアットCR.32複葉戦闘を採用したほか、パラグアイ、ベネズエラもフィアットCR.32複葉戦闘を各々5機、9機購入している。

ファシスト・イタリア王国空軍機の国籍マークは、垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞を描き、左右主翼の上下面に、黒縁で囲んだファッシ3本のファシスト記章を描いて、イタリアの国籍マークとしていた。しかし、1940年6月にイタリアが第二次世界大戦に参戦したとき、垂直尾翼の三色旗を改め、白十字を描いて国籍記章とした。三色旗は華麗だったため、敵に目立ちやすく発見されやすいとして改められたのであろう。

写真(右)1937年4月12-27日,イタリア、ミラノ祭、パビリオン入り口、サボイア王家のイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Vittorio Emanuele III)を案内するフィエラ会長ピエロ・プリチェッリ
Fiera di Milano - Campionaria 1937 - Visita del Re Vittorio Emanuele III
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/04/1937 - 27/04/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 13 x 18
Note: Il Re Vittorio Emanuele III, accompagnato dal presidente della Fiera Piero Puricelli e da altre personalità, si dirige all'entrata di un padiglione
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_20 引用。


イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Vittorio Emanuele III)は、イタリアの陸海空軍の統帥権を保持する大元帥であり、昭和天皇と同じく、軍の最高指揮官として、「大元帥」を名乗った。独裁者ベニート・ムッソリーニも、国王から政治と統帥権を移譲されているだけであり、ファシスト・イタリア空軍といっても、正規軍はイタリア王室空軍であり、ファシストはあくまで、国王の下で行政、軍事を担っていたにすぎない。

イタリアで1933年4月28日初飛行したフィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機は、1935年から1936年にハンガリー王国空軍(Royal Hungarian Air Force :MKHL)に合計76機が輸出された。このハンガリー王国空軍(Magyar Királyi Honvéd Légierő)フィアットCR.32は、ハンガリー三色旗の赤白緑の国籍マークを付けている。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、イタリアは1940年6月のフランス降伏直前に参戦した。その時、旧式化してはいたが、まだイタリア空軍フィアットCR.32複葉戦闘機は部隊配備されており、北アフリカ戦線に派遣された。そして、100キロ爆弾1発あるいは50キロ爆弾2発を搭載して、地上襲撃機としても使用された。

ハンガリー王国空軍(Royal Hungarian Air Force :MKHL)フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機は、1939年、隣国スロバキア(Slovakia)と戦闘になったとき、敵対したスロバキア空軍は、チェコスロバキア製1933年初飛行のアビア(Avia)B.534複葉戦闘機、チェコスロバキア製1929年初飛行のレトフ(Letov)S-328複葉偵察機を中核に少数配備していただけだった。

 チェコスロバキア空軍のアビア(Avia)B.534複葉戦闘機は、1933年初飛行、開放式コックピットだったが、1937年に密閉式コックピットとしたアビアB-534-4が開発され、1937年春から1938年夏にかけて272機が生産された。

チェコスロバキア空軍ののアビアB-534-4の最高速力は380km/hで、1937年7月23日から8月1日開催のチューリヒ・デューベンドルフ国際エアレース(International Air Races Zurich-Dübendorf)に改造型が出場し、メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109 V7 (W.Nr. 881)に次いで第2位で準優勝した。


写真(右)1935-1936年頃,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の右の上主翼の構造図
(上面);イタリア航空省刊行フィアットCR.32公式カタログ(CATALOGO)掲載。
Fiat C.R. 32 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,AERONAUTICA D'ITALIAVELIVOLO DA CACCIA C.R.32 CATALOGO NOMENCLATORE 引用。



写真(右)1937-1938年頃,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32戦闘機4型の下主翼の構造図
;イタリア航空省の1938年刊行、フィアットCR.32Quaterマニュアル掲載。
Fiat C.R. 32 Quater a cura di Marco OCULISTI (un Amico che, purtroppo, ci ha prematuramente lasciati) n.d.r. selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO C.R.32 (Motore Fiat A.30 R.A.bis) ROMA 1938-ANNO XVI引用。


フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の発動機は、フィアット A30 RA-bis液令V12気筒エンジン600 hpで、この程度の出力で、最高速力360 km/hを達成できたのは、空力学的に洗練されていたからである。機体を小型軽量化し、空気抵抗を減少させるために胴体を絞って細くし、エンジン直径も最小化できるようにカウリングを工夫した。


写真(右)1937-1938年頃,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32戦闘機4型の主翼下の固定式降着装置主翼の構造図
(図20);イタリア航空省の1938年刊行、フィアットCR.32Quaterマニュアル掲載。
Fiat C.R. 32 Quater a cura di Marco OCULISTI (un Amico che, purtroppo, ci ha prematuramente lasciati) n.d.r. selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO C.R.32 (Motore Fiat A.30 R.A.bis) ROMA 1938-ANNO XVI引用。


イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機は、フィアット G.50 フレッチア(Freccia)戦闘機、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機と同一の発動機フィアットA74AC38空冷星形14気筒エンジンで800馬力級1基を搭載している。


写真(右)1937-1938年頃,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32戦闘機4型の右主翼下の固定式ゴム主輪降着装置と緩衝装置付きの固定式尾輪降着装置
(図21と図11);イタリア航空省の1938年刊行、フィアットCR.32Quaterマニュアル掲載。
Fiat C.R. 32 Quater a cura di Marco OCULISTI (un Amico che, purtroppo, ci ha prematuramente lasciati) n.d.r. selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO C.R.32 (Motore Fiat A.30 R.A.bis) ROMA 1938-ANNO XVI引用。


フィアット(Fiat)CR.32戦闘機が降着に使用する主輪はゴム車輪で、支柱は外側1本で、着地するときの緩衝装置が支柱に組み込まれている。固定脚であり、この方式は、発展型のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ戦闘機にも引き継がれている。しかし、同時期に開発されたフィアット G.50 フレッチア(Freccia)戦闘機は、低翼単葉、引込み式降着装置を採用しておた。ライバル社のマッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機も低翼単葉、引込み式の降着装置を採用している。


写真(右)1940年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42 複葉水上戦闘機の側面
:垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。
5582. FIAT. ICR 42. ca. 1935-1940, Original photograph 17 x 23,2 cm, with stamp on verso. Item nr: 39422
In 1940 in what I see like an effort to sell the CR.42 to the navy, a Fiat subsidiary, CMASA (Costruzioni Meccaniche Aeronautiche SA) was designated designed the ICR.42, a float plane obviously based in the CR.42.Only one was constructed and in early 1941 trialed, but no orders were made, thus ending the project. Design The ICR didn't change much from the standard CR.42, except for the replacement of the landing gear by 2 floaters. The wheight was increased by 126kg making it 1.846kg when empty and 2.420kg when full. Surprisingly, the augmented drag and weight didn't change much the performance of the plane, only decreasing it speed by 8 km/h
写真は,Krul Antiquarian Books Books and photographs on Aeronautics引用。


CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の固定式降着用主輪を撤去して、水上滑走用の双浮舟フロートを付けたCR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機水上機仕様は、空虚重量が126kg増加して1846kgとなり、総重量は 2420kgとなった。この水上機化を進めたのは、1913年創立のCMASA(Costruzioni Meccaniche Aeronautiche Società Anonima:航空機械有限会社)で、性能は、最高速力は8 km/h低下しただけで、423km/hを維持できた。兵装は12.7mm12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、携行弾薬400発である。


図(上)1940年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)ICR.42 複葉水上戦闘機(CR.42の水上機仕様)の側面図
:垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗である緑白赤の縦縞の国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。上の写真をもととしたカラー復元図。
5582. FIAT. ICR 42. ca. 1935-1940, Original photograph 17 x 23,2 cm, with stamp on verso. Item nr: 39422
写真は,Gaijin Network Ltd Krul Antiquarian Books Books and photographs on Aeronautics引用。


写真(右)1937年、イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の三面図
English: FIAT CR-32 Date 12 February 2016 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.32 File:FIAT CR-32.svg引用。


フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の諸元

乗員Crew: one
全長Length: 7.88 m (25 ft 7.25 in)
全幅Wingspan: 9.5 m (31 ft 2 in)
全高Height: 2.78 m (9 ft 1.5 in)
翼面積Wing area: 22.1 m2 (238 sq ft)
空虚重量Empty weight: 1,455 kg (3,208 lb)
総重量Gross weight: 1,975 kg (4,354 lb)
発動機Powerplant: 1 × Fiat A.30 R.A. 12-cylinder Vee piston engine , 447 kW (600 hp)
最高速力Maximum speed: 360 km/h (220 mph, 190 kn)
航続距離Range: 781 km (485 mi, 422 nmi)
実用上昇限度Service ceiling:8,800 m (28,900 ft)
兵装Armament:2 ×7.7 mmあるいは12.7 mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃
爆弾Bombs: 100 kg (220 lb)


図(上)1937-1938年頃,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32戦闘機の側面
;1933年4月28日初飛行、1933年より部隊配備。イタリア航空省1934年(ファシスト暦12年)刊行、フィアットCR.32公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
a cura di Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO C.R.32 (Motore Fiat A.30 R.A.bis)Istruzioni ROMA 1934-ANNO XII 引用。

1940年6月の第二次大戦参戦後のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。1943年7月25日、ムッソリーニ首相罷免後のバドリオ政権は9月初めに連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。

1940年6月の第二次大戦参戦後のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。しかし、統領ムッソリーニ罷免後のバドリオ政権は連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円に変更され、現在に至っている。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機を見る。


6.フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機

イタリア空軍マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機の試作機は、第二次大戦勃発2年前の1937年12月24日に初飛行し、1939年8月より部隊配備された運動性のいい軽戦闘機である。

イタリア空軍フィアット イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の発動機は、1937年12月24日初飛行の低翼単葉マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機と同じフィアット A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpである。

フィアットA74 RC 38空冷星型14気筒エンジンの諸元
気筒ボアBore: 140 mm (5.512 in)
気筒ストロークStroke: 145 mm (5.709 in)
排気量Displacement: 31.25 L (1,906.9 cu in)
全長Length: 1,044mm (41.13 in)
直径Diameter: 1,195 mm (47.05 in)
乾燥重量Dry weight: 590 kg (1,246 lb)
離昇出力Power output: 870 馬力 (858 hp, 640 kW)/毎分 2,520回転
緊急出力960 馬力(947 hp, 706 kW)/毎分 2520 回転/高度3,000 m
圧縮比Compression ratio: 6.7:1
出力重量比Power-to-weight ratio: 1.2 kW/kg (0.73 hp/lb)

写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機;固定脚の車輪カバーを撤去しているが、これは未舗装滑走路における第二次世界大戦に参戦した時期、イタリア機の垂直尾翼に描かれた国籍マークは、イタリア三色旗トルココーレ緑白赤の縦縞から中央の白だけ残し白十字としたものに変更された。
Fiat CR-42 Manufacturer: Fiat Designation: CR-42 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079134引用。

フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機は、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機と同じ発動機、フィアット(Fiat) A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hp1基で、このエンジンは1937年に開発された。シリンダー(気筒)のボア(Bore)は140 mm (5.512 in)、行程(Stroke)は145 mm (5.709 in)、排気量(Displacement)は 31.25 L (1,906.9 cu in)、全長(Length)1,044mm (41.13 in)、直径(Diameter)1,195 mm (47.05 in)、乾燥重量(潤滑油などを含まない:Dry weight)590 kg (1,246 lb)である。

マッキMC200 12.7mmブレダSAFAT機関銃の諸元
開発時期 1935年
重量 29kg
弾丸 12.7x81mmSR弾(34.2g)
口径 12.7mm(0.50in)
発射速度 700発/分
575発/分(戦闘機機首のプロペラ同調機銃の場合)
初速 765m/s(12.7mm)

12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃の原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。
写真(右)1940年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)ICR.42 複葉水上戦闘機の側面
:垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。
5582. FIAT. ICR 42. ca. 1935-1940, Original photograph 17 x 23,2 cm, with stamp on verso. Item nr: 39422
In 1940 in what I see like an effort to sell the CR.42 to the navy, a Fiat subsidiary, CMASA (Costruzioni Meccaniche Aeronautiche SA) was designated designed the ICR.42, a float plane obviously based in the CR.42.Only one was constructed and in early 1941 trialed, but no orders were made, thus ending the project. Design The ICR didn't change much from the standard CR.42, except for the replacement of the landing gear by 2 floaters. The wheight was increased by 126kg making it 1.846kg when empty and 2.420kg when full. Surprisingly, the augmented drag and weight didn't change much the performance of the plane, only decreasing it speed by 8 km/h
写真は,Krul Antiquarian Books Books and photographs on Aeronautics引用。


CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の固定式降着用主輪を撤去して、水上滑走用の双浮舟フロートを付けたCR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機水上機仕様は、空虚重量が126kg増加して1846kgとなり、総重量は 2420kgとなった。この水上機化を進めたのは、1913年創立のCMASA(Costruzioni Meccaniche Aeronautiche Società Anonima:航空機械有限会社)で、性能は、最高速力は8 km/h低下しただけで、423km/hを維持できた。兵装は12.7mm12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、携行弾薬400発である。


図(上)1940年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)ICR.42 複葉水上戦闘機(CR.42の水上機仕様)の側面図
:垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗である緑白赤の縦縞の国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。上の写真をもととしたカラー復元図。
5582. FIAT. ICR 42. ca. 1935-1940, Original photograph 17 x 23,2 cm, with stamp on verso. Item nr: 39422
写真は,Gaijin Network Ltd Krul Antiquarian Books Books and photographs on Aeronautics引用。




⇒写真集Album:フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機を見る。


7.ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機

写真(右)1933年5月以降、ドイツ、BMW VI 73Z液冷V型12気筒エンジン 750馬力)装備のハインケル(Heinkel)He-51C戦闘機の3機の列機(登録コード:D-IRKO 他);1933年5月に初飛行した。既に1月末にヒトラー政権が成立していたので、国籍マークは、垂直尾翼に黒のナチ党卍カギ十字スワスチカを赤帯白丸に付けている。He-70輸送機やHe112戦闘機とは異なって、古風な羽布張り胴体に複葉、固定脚の第一次大戦以来の古風な設計である。目新しさはない
Ray Wagner Collection Image Heinkel 51 C
PictionID:46168667 - Catalog:16_007351 - Title: Heinkel 51 C Nowarra Collection - Filename:16_007351.TIF- Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168642引用。


1935年3月16日のドイツ再軍備宣言から半年以上経過した1935年11月7日、第一次大戦勃発の時1914年生まれの成人男子に徴兵が開始され、それまで10万人だった共和国軍(ライヒスヴェア)は、50万人の国防軍(ヴェアマハト)へ拡張された。ただし、ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機は、1933年5月に「スポーツ機・アクロバット機」として初飛行している。

ハインケルHe 51複葉戦闘機は、1934年から1937年に陸上型473機生産されたが、この他に水上機型が33機生産されている。したがって、He51の全経形式の生産機数は506機となる。

ハインケルHe51B.1複葉戦闘機 ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機の搭載した発動機BMW VI液冷V型12気筒エンジンは、前形式のBMW IV6気筒液冷エンジンのシリンダー数を2倍(排気量を2倍)にした出力向上エンジンである。1926年に開発され、前作のBMW VIを踏襲して大量生産に入った。

1936年7月、スペインでは、人民戦線政府に対して、モロッコ植民地に駐留していたフランシスコ・フランコらの反乱軍が蜂起したたが、ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、即座にドイツ・コンドル軍団をスペインに派遣することを決定した。

 ドイツは、形式上は、スペイン市民戦争に不干渉の立場にあると表明しながらも、義勇軍の形式をとったコンドル軍団を編成して、ドイツ正規軍の派兵を実装した。この時、コンドル軍団に配備されたハインケル(Heinkel)He-51戦闘機、He111爆撃機、He70輸送機もスペイン内乱に反乱軍への援軍として実戦投入されている。

写真(右)1935年8月3日、ドイツ、未舗装飛行場、ドイツ空軍第132戦闘航空団「リヒトホーフェン」(Richthofen)所属のハインケル(Heinkel)He-51戦闘機と整備士たち:プロペラ2翅のハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機の搭載した発動機BMW VI液冷V型12気筒エンジンは、前形式のBMW IV液冷6気筒エンジンのシリンダー(気筒)数を2倍(排気量を2倍)にした出力向上エンジンである。1926年に開発され、前作のBMW VIを踏襲して大量生産に入った。
Döberitz, JG Richthofen, Heinkel He 51 ignatur Bild 102-04681 Originaltitel [vgl. Bild 102-04678] Arbeitsdienstmänner besichtigen zum ersten mal die Jagdstaffel "Richthofen" in Döberitz bei Berlin am 3. August 1935. Die startfertige Jagdstaffel "Richthofen" vorbildlich ausgerichtet in Döberitz. [vgl. Bild 102-04678] Arbeitsdienstmänner besichtigen zum ersten mal die Jagdstaffel "Richthofen" in Döberitz bei Berlin am 3. August 1935. Die startfertige Jagdstaffel "Richthofen" vorbildlich ausgerichtet in Döberitz.3. August 1935 Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Bestandsinformationen in Invenio
写真は、BundesArchive・Signatur Bild 102-04681引用。


ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機の諸元
乗員:1名
全高: 3.20 m
全幅: 11.00 m
全長: 8.40 m
自重: 1,460 kg
総重量: 1,900 kg
発動機: BMW VI 73Z 液冷V型12気筒エンジン (750馬力)
主翼面積: 27.2 平方メートル
翼面過重: 69.9 kg/m2
最高速力: 330 km/h
航続距離: 570 km
実用上昇限度: 7,700 m
兵装: 7.92 mm MG 17 機関銃2丁(携行弾数各500発)
爆弾:10キロ爆弾6発

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機を見る。


8.アラド(Arado)Ar 68 複葉戦闘機

写真(右)1936-1938年頃,ドイツ空軍のアラド(Arado)Ar 68E複葉戦闘機:ダークな迷彩塗装は、初期のドイツ機には珍しい。本来は、劣勢になり、制空権を失った場合、上空から見つかりにくいように地表と紛らわしい濃い迷彩塗装を施した。
Ardo Ar 68E NowArdo Arra photo - Title:Ardo Ar 68E NowArdo Arra photo - Catalog: 16_004973 - Filename: 16_004973.TIF - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file
写真は、SmugMug+Flickr, SDASM Archives PictionID:43932112引用。


アラド(Arado)Ar 68 E 複葉戦闘機:ユンカース・ユモJumo210倒立V型12気筒液冷エンジンを搭載しているので、Ar 68 Eの機首はプロペラスピナまでエンジンナセルが流線型になっている、アラドAr 68 FとハインケルHe-51戦闘機は,同じBMW VI12気筒V型液冷エンジン492 kW (660馬力)を装備しているので、機首の形状が箱型のエンジンナセルで類似している。

アラド(Arado)Ar 68 E 戦闘機は、空力学的に洗練されており、ハインケルHe-51戦闘機を若干上回る性能だったが、ソ連空軍I-16戦闘機に劣っていた。そこで、1935年5月28日に試作機が初飛行していたメッサーシュミット(Messerschmitt)Bf109が高性能を発揮していたため、アラド Ar 68 (Arado Ar 68) 戦闘機は、ハインケルHe51戦闘機と並行的に使用され、生産機数も511機にとどまっている。

アラド(Arado)Ar 68 Eは、ユンカース・ユモJumo210倒立V型12気筒液冷エンジン(610馬力)を装備し、ドイツ空軍の制式戦闘機となった。1936年はスペイン内戦が勃発した年で、アラドAr68戦闘機もスペイン内戦に投入され、国民戦線側のコンドル軍団に配備され、共和国政府人民戦線側のソ連ポリカルポフ(Polikarpov)I-16戦闘機と戦った。

⇒写真集Album:アラド(Arado)Ar 68 複葉戦闘機を見る。


9.マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機

マッキMC200 1937年12月に初飛行したマッキMC-200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)は、プログラムRの競争試作機の対抗馬、フィアット G.50、フィアットCR.42複葉戦闘機よりも高性能を発揮したため、イタリア空軍は制式して、直ちに量産機を発注した。

1939年、第二次世界大戦が勃発した年に、イタリア空軍はマッキMC-200サエッタ戦闘機を配備した3つの航空団(ストロモ:Stormo)を編成した。

1個飛行中隊(スコードロン:Squadriglie)は9機で、2-3個の飛行中隊合計18-27機で1個の飛行戦隊/飛行団(グルッポ:Gruppo)、3個飛行戦隊合計54-81機で1個の航空団(ストロモ:Stormo)となる。

マッキMC.200サエッタ戦闘機Macchi MC-200 Saetta)の原型は、1936年のイタリア空軍増強計画(プログラムR)でイタリアの主要航空機メーカーのマッキ社が開発した軽快な戦闘機で、高速記録を誇るシュナイダーカップの世界最速のイタリア水上機を開発したマリオ=カストルディの設計である。

マッキMC-200サエッタ戦闘機Macchi MC-200 Saetta)の諸元
乗員:1名
全長:8.19m
全幅:10.57m
全高:3.51m
主翼面積:16.8m2
発動機:フィアット A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hp
全備重量:2,208kg
最大速度:503 km/h /4 500 m
航続距離:570 km
実用上昇限度:8900 m 武装:12.7ミリ2 Breda-SAFAT機銃2丁

⇒写真集Album:マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機 を見る。


10.マッキ(Macchi)MC.202フォルゴーレ"Folgore"戦闘機

マッキMC202Folgore イタリア空軍制式MC.200サエッタ戦闘機は、小直系のフィアット空冷星形14気筒エンジンを搭載していたが、ドイツのダイムラーベンツDB601液冷12気筒エンジンに換装すれば、出力向上と空気抵抗の減少によって、飛行性能の向上が見込めた。そこでMC200を設計したマリオ・カストルディ技師は、DB601液冷エンジンを搭載するために、マッキMC200サエッタ戦闘機の機首とエンジン懸架を新設計し、重心バランスの前方偏向に対応できるよう胴体を60センチ延長し、小改造によって、新型戦闘機マッキ(Macchi)MC.202戦闘機を開発した。

マッキMC.202(Macchi MC-202)試作1号機(M.M.445)は、DB601A液冷エンジン1,175馬力、ピアッジョP.1001可変ピッチ・定速3翅プロペラを搭載、1940年8月に初飛行し、大幅な速度向上が見られた。上昇力時間も6000mまで6分と飛行性能の向上から、すぐに量産に入ることが決まった。

⇒写真集Album:マッキ(Macchi)MC-202フォルゴーレ戦闘機 を見る。

⇒写真集Album:マッキ(Macchi)MC-205ベルトロ戦闘機 を見る。


11.ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機

ポリカルポフI-15bis戦闘機・後期型 ソ連ポリカルポフ(Polikarpov)設計の1933年10月に初飛行したポリカルポフI-15複葉戦闘機は、シュベツォフ(Shvetsov)M-25空冷星型9気筒エンジン520 kW (700 hp) を搭載、胴体から伸びるガル上翼、小型の下翼を一本の支柱で繋いでおり、空気抵抗の少ない洗練された形状だった。1936年のスペイン内戦、1939年のノモンハン事変、1941年の独ソ戦に用いられた。スペイン内戦ではイタリア空軍の派遣したフィアットCR.32複葉戦闘機とも戦っている。1937年に開発された改良型I-15bisは、上主翼を胴体から離したパラソル型とし、発動機の出力を向上している。

最高速力: 367 km/h (228 mph, 198 kn) at 3,000 m (9,800 ft)
巡行速力: 285 km/h (177 mph, 154 kn) at 2,000 m (6,600 ft)
航続距離: 510 km (320 mi, 280 nmi)
実用上昇限度: 9,800 m (32,200 ft)
状領事館:5,000 m(16,400 ft)/6.1分
兵装:4 × 7.62mm PV-1 機関銃(7.62×54mmR)
爆弾:100kg (220 lb)

⇒写真集Album:ポリカルポフ(Polikarpov)I-15戦闘機 を見る。


12.ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-16 戦闘機

 1936年に勃発したスペイン内乱では、共和国政府軍とファシスト反乱軍が戦ったが、前者をソ連軍が、後者をイタリア軍・ドイツ軍が軍事支援した。航空戦についても、ソ連はポリカルポフI-15複葉戦闘機、ポリカルポフI-16単葉戦闘機を、イタリアはフィアットCR.20、CR.30複葉戦闘機を、ドイツはハインケルHe-51複葉戦闘機を派遣した。

これらは、各国の主力戦闘機だったから、スペイン内戦では各国空軍の力量が実戦で試されたことになる。

ファシスト反乱軍の側で戦ったイタリアのフィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機は、共和国政府軍側で戦ったソ連のポリカルポフI-15複葉戦闘機、I-16単葉戦闘機と空中戦を行い、数的優位もあって、有利に戦いを進めることができた。

そこで、イタリア空軍は、自国のCR.32複葉戦闘機の優秀性が証明されたと考え、速度を重視する低翼単葉の戦闘機が世界各国に登場するようになってからも、イアリアはポリカルポフI-16複葉戦闘機を主力戦闘機として採用したのである。

⇒写真集Album:ポリカルポフ(Polikarpov)I-16 戦闘機 を見る。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
マッキMC.202与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
レジアーネ Re2000ファルコドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カント(CANT)Z.501飛行艇
カント(CANT)Z.506水上機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.212輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.82輸送機
ピアジオP.108重爆撃機
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑



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