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◆マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機
写真(上)1940-1942年頃,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機試作機
;1937年12月24日初飛行、1939年8月より部隊配備。
English: Italian Macchi C.200 fighter Date Early 1940s Source Scanned from Bishop, Chris, ed. The Encyclopedia of Weapons of World War II: The Comprehensive Guide to Over 1,500 Weapons Systems, Including Tanks, Small Arms, Warplanes, Artillery, Ships, and Submarines. New York: Barnes and Noble Books, 1998. ISBN 0-7607-1022-8. Author uncredited
写真は Wikimedia Commons, File:Macchi C.200 on ground.jpg File:Macchi C.200 on ground.jpg引用。


写真(上)1938-1939年頃,イタリア、飛行中のイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機
;1937年12月24日初飛行、1939年8月より部隊配備。ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。後に、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、降伏すると、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。 写真は,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog:15_003037引用。


写真(上)アメリカ、オハイオ州、デイトン(Dayton)、ライト・パターソン空軍基地内、アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が管理する迷彩塗装のファシスト・イタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)
:ファシスト独裁独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。
Macchi MC-200 Saetta DAYTON, Ohio – Macchi MC-200 Saetta at the National Museum of the United States Air Force Date Unknown date Source - National Museum of the United States Air Force (photo resized) Author USAAF
写真はWikimedia Commons, Category:Macchi MC.200 at National Museum USAF File:Macchi MC-200 920901-F-1234P-073.jpg引用。



写真(上)1998年以降、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機
:ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)だったが、統領ムッソリーニ罷免後のバドリオ政権は連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


1.1940年6月10日、第二次世界大戦に参戦したイタリア王国ムッソリーニ

写真(右)1942年4月11-27日,イタリア北部、ミラノ祭(ミラノ・フィエラ)、ピレリパビリオンの出口、サボイア王家のイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Vittorio Emanuele III)とトリノ伯爵ヴィットリオエマヌエーレ(左)を案内したフィエラ会長ピエロ・プリチェッリ:イタリアのアフリカ植民地をエチオピアにまで拡張し帝国化したファシスト党ムッソリーニを信頼して、軍事大権、いわゆる統帥権を認めた。こうして、独裁者となったムッソリーニは、この時期、ドイツの対フランス勝利、ドイツ・ソ連の不可侵条約に幻惑され、自ら第二次世界大戦に参戦した。
Fiera di Milano - Campionaria 1942 - Visita del Re Vittorio Emanuele III Bruni.
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 11/04/1942 - 27/04/1942 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/pellicola piana negativa (acetato) Misure: 6 x 6
Note: Il Re Vittorio Emanuele III, accompagnato dal presidente della Fiera Piero Puricelli e da altre personalità, all'uscita del padiglione della Pirelli. Tra le personalità della delegazione reale: il conte di Torino Vittorio Emanuele di Savoia (sulla sinistra)
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1940_2 引用。


1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相ネヴィル・チェンバレンNeville Chamberlain)は,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」(Phoney War)とも称された。

  しかし、イタリアのファシスト党がナチ党よりファシズムを先輩であるにもかかわらず、イタリアよりも優れているような振る舞いをすること、ヒトラーのムッソリーリに対する指導的地位に対して反感を抱いており、ヒトラーとの外交・軍事的関係を緊密化することには反対していた。しかし、義父ムッソリーニの国民的人気を背景にした指導性には服従するしかなく、独伊軍事同盟への交渉を担い、1938年ミュンヘン会談でも活躍している。

写真(右)1942年5月15-16日,イタリア、サルジニア島南端、カリャリ=エルマス (Cagliari-Elmas) 基地を訪問しイタリア空軍を視察するイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini):革製の飛行帽を被っているムッソリーニは、飛行機の操縦も習ったことがあった。現在、カリャリ=エルマス空港 (Cagliari-Elmas Airport) は国際空港となっている。
Mussolini ad Elmas in tenuta da pilota
Creation date: 15.05.1942-16.05.1942
写真は,Europeana experience Dataset: 08602_EFG_Instituto_Luce_Cinecitta Identifier: AttualitaA141694 Institution: Instituto Luce - Cinecittà引用。


イタリアのファシスト独裁政権の首相ベニート・ムッソリーニは、1939年9月に勃発した第二次世界大戦に1940年6月8日に参戦し、フランスを攻撃した。イタリアは、1940年5月のドイツによるフランス侵攻で、フランスが降伏する直前の1940年6月8日にイタリアは参戦し、フランスに勝利した戦勝国として、フランスの占領の利益を確保しようとした。

写真(右)1942年5月15-16日,イタリア、サルジニア島南端、カリャリ=エルマス (Cagliari-Elmas) 基地を訪問しイタリア空軍将兵を閲兵するイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini):サルジニア南端から、北アフリカ、チュニジアまで200キロの距離だった。しかし、連合国は戦略的により重要なイタリア本土進攻を進めるために、1943年、シシリー島に侵攻した。カリャリ=エルマス (Cagliari-Elmas) 基地は、今は国際空港となっている。
Il Duce, accompagnato da Corso Fougier ed altre autorità, passa in rassegna gli avieri schierati nell'aeroporto di Elmas
Creation date: 15.05.1942-16.05.1942
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy aeroporto di Cagliari
写真は,Europeana experience Identifier: AttualitaA142084 引用。


ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)は、1939年4月、イタリアによるアルバニア侵攻では、自ら飛行機を操縦士前線を飛んでいる。アルバニア王国はすぐに降伏し、イタリア保護国となったが、実際は併合されたに等しかった。チャーノはアルバニアに居を構えたが、あたかもアルバニア副王のように豪華な生活を享受していた。これは、侵略による略奪であるが、チャーノは個人的な財産を増殖させることに繋がるとして、植民地拡大、戦争支持の立場にあったともいえる。

写真(右)1942年5月16日,イタリア、サルジニア島南端、カリャリ=エルマス (Cagliari-Elmas) 基地を訪問しイタリア空軍将兵と会話するイタリア統領(Duce)ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini):格納庫には、エンジン整備中のイタリア空軍サヴォア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84三発爆撃機が見える。ムッソリーニは、インテリで、英語もドイツ語も流暢に話すことができた。現在のカリャリ=エルマス国際空港 (Cagliari-Elmas Airport)。
Il Duce, durante la sua visita ad Elmas, si intrattiene con il personale civile dell'aeroporto
Creation date: 16.05.1942 Location: Italy aeroporto di Cagliari Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真はSmugMug+Flickr.,Europeana experience Dataset: 08602_EFG_Instituto_Luce_Cinecitta 引用。


イタリア空軍フィアット イタリア軍の北アフリカでの敗北は、イタリアの指導者ムッソリーニの威信を失墜させ、政権交代、イタリアのイギリスとの和平も危惧されたために、ドイツは、地中海方面・北アフリカへ派兵を決定した。そして、西方電撃戦で活躍したエルヴィン・ロンメル隷下の2個師団をドイツアフリカ軍団Deutsche Afrikakorps :DAK)と称して北アフリカに派遣した。地中海方面には、歴戦の第一突撃航空団のユンカース(Junkers)Ju-87急降下爆撃機も派遣され、対艦船攻撃にも大きな戦果を挙げている。


2.マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機

写真(右)1937-1938年頃,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機試作機;1937年12月24日初飛行、1939年8月より部隊配備。
Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow""
Title: Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow"" Corporation Name: Macchi Official Nickname: Saetta ""Arrow"" Additional Information: Italy Designation: M.C. 200 Tags: Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow""
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00082270引用。

イタリア空軍マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機の試作機は、第二次大戦勃発2年前の1937年12月24日に初飛行し、1939年8月より部隊配備された運動性のいい軽戦闘機である。

写真(右)1940-1942年頃,イタリア、イタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta:電光) :ファシスト独裁国家イタリアの国籍マークがあり、イタリア国旗を模して、緑・白・赤の三色旗が描かれている。格闘性能は良かったが、最高速力や武装の点で、イギリス空軍スピットファイア―戦闘機、ホーカーハリケーン戦闘機よりも劣っていたが。
Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow"" Title: Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow"" Corporation Name: Macchi Official Nickname: Saetta ""Arrow"" Additional Information: Italy Designation: M.C. 200 Tags: Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow""
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00082273引用。


マッキMC200 1939年9月1日、第二次大戦が勃発し、フランスがドイツに降伏する直前の1940年6月8日、、ベニート・ムッソリーニは、娘婿で外務大臣チアーノ伯爵と一緒に、ミュンヘンに到着、アドルフ・ヒトラーと戦争の行く末について話し合った。西側連合国との戦争が始まっても、参戦していなかったイタリアの立場は軽んじられており、ドイツの西方侵攻でフランスが大敗北する中で、ムッソリーニは、戦争におびえていると思われ、イタリアは屈辱的な思いをしていた。ムッソリーニは、ドイツに大打撃を受けたフランスに侵攻し、その降伏を要求し、フランス南部を占領しようとしたが、フランス軍の抵抗のために、進撃は停止していた。そこで、ヒトラーに頼み込んで、フランスに対する過大な領土要求をしたのである。これを求めるために、ムッソリーニは、戦闘に勝利したヒトラーに会いに出かけた。

写真(右)1940-1942年頃,イタリア、イタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta:電光):ファシスト独裁国家イタリアの国籍マークがあり、イタリア国旗を模して、緑・白・赤の三色旗が描かれている。格闘性能は良かったが、最高速力や武装の点で、イギリス空軍スピットファイア―戦闘機、ホーカーハリケーン戦闘機よりも劣っていたが。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 45646584 - Title: Macchi Mc.200 - Filename: 16_006956.TIF
Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive - Catalog:16_006956 引用。


 レジアーネRe2002 ドイツのアドルフ・ヒトラーは、イギリスを屈服させ、当方での戦争を開始しよと考えていたから、危険を冒す気にはならず、フランスとの和平にも、寛大な条件を提示するにとどめた。フランスに侵攻したイタリア軍は参戦後の戦闘では大きな功績をあげてはいなかった。最小限のリスクで報酬を獲得するといった都合のいい外交方針は、ファシズムのメンツを潰したものだった。

マッキMC.200サエッタ戦闘機Macchi MC-200 Saetta)の原型は、1936年のイタリア空軍増強計画(プログラムR)でイタリアの主要航空機メーカーのマッキ社が開発した軽快な戦闘機で、高速記録を誇るシュナイダーカップの世界最速のイタリア水上機を開発したマリオ=カストルディの設計である。1934年10月、シュナイダーカップでマッキMC.72高速水上機は、世界最速の709.2km/hの世界記録を樹立した。これは現在もプロペラ式水上機の世界最速記録である。

写真(右)1940年8月2日,イタリア、イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機の3翅プロペラを据え付けエンジンの整備をしている地上勤務整備員:エンジンの上部での作業がしやすいように、木製の踏み台が準備されている。機首上面に12.7ミリブレダ機関銃の銃身が露出している。
Piloti e avieri lavorano alla sistemazione del rotore di un Caccia MC 200
Creation date: 02.08.1940
Identifier: Guerra Guerra IL0001002446-man0
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: Guerra Guerra IL0001002446-man0 引用。


機首に装備した機関銃は、回転する3翅あるいは4翅プロペラ越しに射撃するので、プロペラに弾丸が当たらないように同調させる必要があった。プロペラの回転と機関銃の射撃時間を調整して、プロペラを撃たないように工夫したのが、プロペラ同調装置である。

プロペラ同調装置は、第一次世界大戦中の戦闘機に装着されて以来、広く普及したが、プロパラ回転の圏外からs機関銃を射撃するのであれば、プロpら同調装置は不要であり、その整備もいらずに、稼働率の向上が期待できる。まtら、機関銃の発射速度も射撃を停止しない分だけ高めることができ、有利である。そこで、アメリカ海軍戦闘機、アメリカ陸軍戦闘機の多くは、左右の主翼に12.7ミリブローニング「エクスカリバー」機関銃を2丁、のちに3丁か4丁装備して対戦闘機戦闘を有利に展開した。

写真(右)1940年8月2日,イタリア、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機機首上面の12.7ミリブレダ機関銃の給弾をしている地上勤務整備員
Avieri caricano le mitragliatrici di un caccia Macchi MC 200
Creation date: 02.08.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience Identifier: Guerra Guerra IL0001002436-man0 引用。


マリオ=カストルディの設計、1937年12月24日に初飛行したマッキMC-200サエッタ戦闘機Macchi MC-200 Saetta)は、1939年8月にイタリア王国空軍部隊配備したフィアットA74RC38空冷星型14気筒870馬力搭載の軽快な戦闘機で、視界を向上するために半開放式の風防を小高く盛り上げた胴体上に設置した。空気抵抗は若干増加しても、視界の良好さを優先したのである。

イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機の機首にあるフィアットA74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpのカウリングは、直径を絞るために、14個のシリンダーの突出部バルジ(涙滴型カバー)がついている。他方、フィアットG.50戦闘機のエンジン・カウリングは、バルジはない円型曲面である。

写真(右)1940年8月2日,イタリア、イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機:地上勤務整備員がエンジンカウリングを外してエンジンを整備し、胴体上部に搭載した12.7ミリブレダ機関銃の整備と弾丸補給をしている。3翅プロペラにはスピナーはついていない。
Avieri e piloti riposano all'ombra dell'ala sinistra di un caccia Macchi MC 200
Creation date: 02.08.1940
Identifier: Guerra Guerra IL0001002436-man0
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience -GuerraGuerraIL0001002436-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、胴体上部に搭載した12.7ミリブレダ機関銃の整備と弾丸補給をするイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機の機体前半分:12.7ミリブレダ機関銃の弾倉部分のカバーが開いている。
Avieri caricano le mitragliatrici di un caccia Macchi MC 200
Creation date: 02.08.1940
Identifier: Guerra Guerra IL0001002438-man0 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience -GuerraGuerraIL0001002438-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、胴体上部に搭載した12.7ミリブレダ機関銃の整備と弾丸補給をするイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機:機関銃の銃身が胴体上面に露出している。
Avieri caricano un nastro di proiettili in una delle mitragliatrici interne di un caccia Macchi MC 200
Creation date: 02.08.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience -GuerraGuerraIL0001002437-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機機首燃料タンクにドラム缶から給油する地上勤務整備員たち:ガソリンが零れないように漏斗を使って給油している。日差しが強いため、帽子をかぶっている。機体の上は滑りやすいからか、はだしで作業している。
Un gruppo di avieri riforniscono di carburante un caccia G-50( MC 200 )
Creation date: 02.08.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience Identifier: GuerraGuerraIL0001002421-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、シシリア島南部、コーミゾ(Comiso)基地、イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機:主翼の下の日陰でカードで遊び寛いでいる地上勤務整備員。地面にカバーを敷いて横になって寝ている整備員もみえる。機首上面に12.7ミリ機関銃の銃身が露出している。フィアットA74RC38空冷星型14気筒870馬力のカウリングは小型で直径を小さくしている。そのために、14個あるシリンダー(気筒)の数だけ、シリンダー・バルジ(涙滴流線型のカバー)が突出している。フィアットG.50戦闘機のカウリングは、円形でバルジはないので容易に区別ができる。主翼下面のイタリア国籍マークは、白縁黒丸に白のファッシ3本を描いたものである。
Piloti e avieri riposano all'ombra di un Caccia MC 200
Creation date: 02.08.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Location: Italy aeroporto di Comiso First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: Guerra Guerra IL0001002447-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、シシリー島南部、コーミゾ(Comiso)基地、発進準備のためタキシングするイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機:手前の機首上面に12.7ミリ機関銃の銃身が露出している。
Caccia MC 200 nell'aeroporto di Comiso: uno dei caccia ha il rotore in funzione
Creation date: 02.08.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy aeroporto di Comiso
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: GuerraGuerraIL0001002445-man0引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、エンジンを駆動して発進準備中のイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機:後方には、燃料用のドラム缶を転がして運搬している地上勤務整備員が見える。エンジンの集合排気管の配置がわかる。プロペラを回しているが、プロペラ・スピナー(防滴型カバー)はつけていない。撮影期日が1940年8月2日で同じなことから、シシリア島南部、コーミゾ(Comiso)基地での撮影と思われる。
Caccia MC 200 nell'aeroporto di Comiso: uno dei caccia ha il rotore in funzione
Creation date: 02.08.1940
Identifier: GuerraGuerraIL0001002416-man0 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: GuerraGuerraIL0001002416-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,,イタリア、イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機(機体中部側面):プロペラを外して地上勤務整備員が整備している。撮影期日が1940年8月2日で同じなことから、シシリア島南部、コーミゾ(Comiso)基地での撮影と思われる。
Un caccia Fiat G-50 col rotore in funzione in un campo di aviazione(G.50→MC.200)
Creation date: 02.08.1940
Identifier: Guerra GuerraIL0001002440-man0 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience -08602_EFG_Instituto_Luce_Cinecitta 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機の胴体下で日差しを避けて休憩しているパイロットと地上勤務整備員たち:3本のファッシのファシスト・イタリア国籍記章を描いてある。撮影期日が1940年8月2日で同じなことから、シシリア島南部、コーミゾ(Comiso)基地での撮影と思われる。
Piloti e avieri riposano seduti sotto un caccia Macchi MC 200
Creation date: 02.08.1940
Identifier: Guerra Guerra IL0001002443-man0 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience -GuerraGuerraIL0001002443-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機の主翼を押して未舗装滑走路を移動している地上勤務整備員たち:手前にはロバの荷車が見えるが、ガソリン節約のために人力や畜力を用いて飛行機を地上で移動している。撮影期日が1940年8月2日で同じなことから、シシリア島南部、コーミゾ(Comiso)基地での撮影と思われる。
Un caccia Macchi M.C.200 viene spinto a mano lungo le piste dell'aeroporto di Comiso
Creation date: 02.08.1940
Identifier: Guerra Guerra IL0001002439-man0 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Dataset: 08602_EFG_Instituto_Luce_Cinecitta 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、離陸準備のなったイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機のコックピットに乗り込もうとする白いオーバーオールの飛行服を着てパラシュートを背負ったパイロット:パイロットの足元では、事情勤務整備員が搭乗するパイロットの足場を支えている。撮影期日が1940年8月2日で同じなことから、シケリア島南部、コーミゾ(Comiso)基地での撮影と思われる。
Un pilota prende posto nella cabina di un caccia G-50 mentre un aviere e un pilota si avvicinano
Creation date: 02.08.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: GuerraGuerraIL0001002420-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、離陸準備のなったイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機のコックピットに立つ白いオーバーオールの飛行服を着たパイロット:操縦席の脇には、地上整備員が控えている。撮影期日が1940年8月2日で同じなことから、シケリア島南部、コーミゾ(Comiso)基地での撮影と思われる。
Un pilota prende posto nella cabina di un caccia G-50 mentre un aviere e un pilota si avvicinano
Creation date: 02.08.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: GuerraGuerraIL0001002422-man0 引用。


写真(右)1940年8月2日,イタリア、出撃準備のなったイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機:未舗装の飛行場で発進準備中の2機。撮影期日が1940年8月2日で同じなことから、シケリア島南部、コーミゾ(Comiso)基地での撮影と思われる。
Due caccia italiani Fiat GR-50 decollano da un campo di aviazione
Creation date: 02.08.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Aeroporto
Fontanarossa di Catania
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Guerra GuerraIL0001002415-man0 引用。


 マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機は、第2次世界大戦に参戦したイタリア空軍の主力戦闘機で、設計は世界最高速力を記録したマッキMC.72水上機と同じカストルディ技師である。視界を向上するために、胴体の中央部を高くして、半開放型のガラス風防を採用した。

マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機発動機は、フィアット(Fiat) A74RC38空冷星型14気筒エンジン870馬力1基であり、試作当初から不足気味だったが、軽武装で軽量、小型で空気抵抗の減少に配慮した軽戦闘機だったために、性能は高かった。生産機数は1153機で、イタリア戦闘機としては最多の部類に入る。

発動機をダイムラーベンツDB601液冷12気筒エンジンに換装した機体は、マッキMC.202フォゴーレと呼ばれ、参戦初期のイタリア戦闘機の中で最優秀機となった。

写真(右)1940年8月2日,イタリア、シケリア島南部、コーミゾ(Comiso)基地、出撃のためエンジンを駆動したイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機(機首正面):MC.200三冬季はプロペラ中心軸のスピナを、重量軽減のためなのか、つけていない。
Due caccia italiani Fiat GR-50 decollano da un campo di aviazione
Creation date: 02.08.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Location: Italy aeroporto di Comiso
First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Aeroporto
Fontanarossa di Catania
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: GuerraGuerraIL0001002435-man0 引用。


地中海に囲まれたシケリア島南部、コーミゾ(Comiso)基地は、南に120キロでイギリス空軍・海軍の地中海中部の拠点となったマルタ島に、西に350キロでチュニジアの要衝チュニスに位置する。また、コーミゾから南500キロで北アフリカ植民地リビアのトリポリに、チレニア海を越えて500キロでナポリ南部のサレルノに着く戦略拠点だった。

2018年現在、シケリア島コーミゾ(Comiso)は、古いカトリック教会が印象的な古都である。ここのコーミゾ空港(CIY)には、イタリア国内・海外4都市から、1日当たり国内線2路線、国際線2路線が運航している。ただし、運航している会社は、イタリアの格安航空会社(LCC)のライアンエアが1社あるのみ。

写真(右)1940年9月,イタリア、イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機の主翼下で日差しを避けて休憩している地上勤務整備員たち:3本のファッシのファシスト・イタリア国籍記章を描いてある。
Avieri e piloti lavorano alla manutenzione e alla messa a punto di un caccia Macchi MC 200
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Identifier: Guerra Guerra IL0001003246-man0 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: GuerraGuerraIL0001003246-man0引用。


写真(右)1940年9月,イタリア、シチリア島東部、カタニア(Catania)基地、整備中のイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機:主翼下面の日陰で休息している整備員もいる。
Caccia Un meccanico sistema il motore di un caccia M.C. 200 dell'81^ squadriglia mentre l'equipaggio si riposa all'ombra del velivolo
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Aeroporto Fontanarossa di Catania
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: GuerraGuerraIL0001003263-man0 引用。


写真(右)1940年9月,イタリア、シチリア島東部、カタニア(Catania)基地、離陸準備のなったイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機と白いオーバーオールの飛行服を着てパラシュートを背負ったパイロット:操縦席にいるのは、地上整備員でエンジンを始動し発進の準備をしている。
Un pilota si appresta a salire su un caccia M.C. 200 dell'81^ Squadriglia
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Aeroporto Fontanarossa di Catania
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: GuerraGuerraIL0001003264-man0 引用。


写真(右)1940年9月,イタリア、シチリア島南部、コーミゾ (Comiso)基地の格納庫でエンジンを整備するイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機
Meccanici fissano la parte anteriore del motore su un caccia Macchi M.C. 200 all'interno di un capannone industriale
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Location: Italy aeroporto di Comiso First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Aeroporto Fontanarossa di Catania
写真はRegione Lombardia Europeana experience -GuerraGuerraIL0001003237-man0 引用。


マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機の搭載した発動機は、フィアット(Fiat) A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hp1基で、このエンジンは1937年に開発された。シリンダー(気筒)のボア(Bore)は140 mm (5.512 in)、行程(Stroke)は145 mm (5.709 in)、排気量(Displacement)は 31.25 L (1,906.9 cu in)、全長(Length)1,044mm (41.13 in)、直径(Diameter)1,195 mm (47.05 in)、乾燥重量(潤滑油などを含まない:Dry weight)590 kg (1,246 lb)である。

写真(右)1940年9月,イタリア、シチリア島南部、コーミゾ (Comiso)基地の格納庫でエンジンを整備するイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機:MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機は、全備重量が2,208kgと軽量だったため、最高速力は512km/hと競争してのフィアットG.50
Tre meccanici sistemano il motore di un caccia Macchi M.C. 200 all'interno di un capannone industriale
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
Italy aeroporto di Comiso
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: GuerraGuerraIL0001003238-man0 引用。


フィアット(Fiat) A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpを搭載したイタリア軍用機は、マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機のほかにも、同時期に試作されたフィアット(Fiat)CR.42複葉戦闘機、フィアットG.50戦闘機、フィアットC.R.25双発偵察爆撃機がある。

写真(右)1940年9月,イタリア、シチリア島南部、コーミゾ (Comiso)基地の格納庫でエンジンを整備するイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機
Un meccanico sistema il motore di un Macchi M.C. 200
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Location: Italy aeroporto di Comiso First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Aeroporto Fontanarossa di Catania
写真はRegione Lombardia Europeana experience -IdentifierIdentifier: GuerraGuerraIL0001003240-man0 引用。


航空機用空冷星型エンジンは、シリンダー(気筒)を放射状星形に配置したレシプロのガソリン・エンジンである。このように星形にシリンダーを配置した理由は、飛行するときに正面から流れてくる空気によって、燃料爆発・過熱したシリンダーを冷却するためである。シリンダー配置が星形であれば、エンジンによる正面積が大きくなり空気抵抗が大きくなる半面、シリンダーに直接高速で航空の冷気が流れ込むので、冷却効率が良い。

航空機用液冷エンジンば、シリンダーを冷却するのに不凍液を混ぜた水を使っうが、この冷却液は、航空の冷たい空気を使って冷却するしかない。そこで、エンジンとは別に、冷却液と冷却器が必要となるので、重量が重くなる。液冷エンジンのシリンダー配置は、直列させてエンジン正面面積を縮小することができるため、その空気抵抗は小さくなる。冷却液を冷やす冷却器を設けているので、その部分の空気抵抗は大きくなる。

写真(右)1940年9月,イタリア、シチリア島南部、コーミゾ (Comiso)基地の格納庫でエンジンを整備するイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機
Un meccanico sistema il motore di un Macchi M.C. 200
Creation date: 01.09.1940-30.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Location: Italy aeroporto di Comiso First published in Europeana: 2020-11-22
Location: Italy Aeroporto Fontanarossa di Catania
写真はRegione Lombardia Europeana experience -Identifier: GuerraGuerraIL0001003236-man0 引用。


航空機用発動機は、構造・機構の上では、冷却器と冷却液が不要で、簡易化でき軽量な空冷星形エンジンが世界の航空機発動機の主流となった。しかし、イギリスのス―パーマリーン、ドイツのダイムラーベンツ。ユンカースでは高度の技術を駆使して高性能の航空機用液冷エンジンを開発した。

イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機は、発動機として空冷星型14気筒フィアット A74RC38(870hp)を搭載したが、この発動機をドイツのダイムラーベンツDB601液冷12気筒エンジンに変換したマッキ(Macchi)MC.202フォルゴーレ(Folgore)戦闘機は、原型のMC200サエッタ戦闘機を遥かに上回る飛行性能を発揮した。


写真(右)1940年,イタリア王国、シチリア島西部、トラパニ(Trapani)、イタリア空軍第1航空団所属のマッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機
;束ねた斧(ファッシ)の部隊マークが確認できる。
English: Macchi C.200 with fully-enclosed cockpit of the 1st Stormo, Trapani, August 1940
Date 1940 Source www.finn.it
Author Unknown author
写真は Wikimedia Commons, Category:Macchi MC.200 File:Macchi C.200-1940.jpg引用。

1941年6月、ヒトラーは、イギリスを屈服させ、当方での戦争を開始しよと考えていたから、危険を冒す気にはならず、フランスとの和平にも、寛大な条件を提示するにとどめた。ヒトラーは、有力なフランス艦隊が中立を維持し、フランス亡命政府が北アフリカなど植民地やロンドンで形成されないようにする必要があったので、フランスには名誉を保持して、イギリス側に立って戦争を続けさせないことを優先したのである。ヒトラーは、イタリアのムッソリーニの南フランス占領というような過大な要求を即座に拒否し、ローヌ渓谷を占領し、コルシカ、チュニジア、ジブチ(イタリア占領下のエチオピアに隣接)を武装解除して、イタリアの支配下に置くというムッソリーニの要求ですら認めなかった。


写真(右)1940年,イタリア(?)、飛行中のイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機
;ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」に参加したイタリア軍だったが、主力は地中海・北アフリカ・バルカン半島に置かれていた。
Italiano: Aereo italiano della Seconda Guerra Mondiale in atterraggio. Foto provenienti dall'Archivio privato della famiglia Riggio.
English: A WWII Italian fighter Macchi MC.200 Saetta. From the private archive of Riggio family. Date circa 1940
Source Italiano: Archivio privato della famiglia Riggio. English: Private collection of Riggio family
写真は Wikimedia Commons, Category:Macchi MC.200 File:Aerei in atterraggio.jpg引用。

第二次大戦緒戦で中立を守っていたイタリアは、1940年5月のドイツのフランス侵攻でフランスの命運が尽きようとしていた1940年6月10日にフランスに侵攻した。そして、僅か2週間で、対フランス戦勝利を味わったが、実際の戦闘での成果ではなく、ドイツ軍に敗北したフランスが、イタリアとの戦争を続けられなくなったためであった。しかし、イタリア外務大臣ガレアッツォ・チャーノ(Galeazzo Ciano)は、これをイタリアの勝利としてムッソリーニの意向通り、フランスに対する強硬な領土要求を行った。しかし、対イギリス戦を控えているヒトラーは、フランスに対するイタリアの身勝手な要求を拒否した。


写真(右)1940-1941年頃,イタリア(?)、編隊飛行中のイタリア空軍マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機
;ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」に参加したイタリア軍だったが、主力は地中海・北アフリカ・バルカン半島に置かれていた。
Formazione di Macchi 200 di scorta ai bombardieri, probabilmente in missione verso Malta o Tobruk. Fotografia scattata da Andrea Nicola, mio padre, osservatore-fotografo sugli SM79 della Regia Aeronautica durante il periodo 1940/1942. Riccardo Nicola. --Elwood 00:30, 12 dic 2005 (CET)
写真は Wikimedia Commons, Category:Macchi MC.200 File:Macchi200 m2.jpg引用。

1940年9月、イタリアは、自国のアフリカ植民地リビアから、西方のイギリス属国エジプトに侵攻した。これは、スエズ運河を占領して、地中海のイギリス海軍の影響力を大幅に低下することを企図したものだった。しかし、イタリア軍は兵力的には勝っていたにも関わ環図、イギリス軍の反撃を受けて後退し、1941年2月になると、イギリス軍にリビアの要衝ベンガジを占領されてしまう。


写真(右)1941年9月,ソビエト連邦、イタリア空軍第1航空団所属のマッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機
;ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」が1941年6月22日に発動されると、イタリアも陸軍、空軍から成るロシア遠征イタリア軍を派遣した。
English: Macchi C.200 of the 369th Squadron 22nd Autonomous Fighter Group. Krivoj-Rog, Russian Front, September 1941
Date September 1941
Source: http://www.finn.it/regia/html/seconda_guerra_mondiale01.htm
Author Unknown author
写真は Wikimedia Commons, Category:Macchi MC.200 File:Macchi C.200-Russian Front.jpg引用。


写真(右)1942年1月,ソビエト連邦、ドラム缶から主翼燃料タンクに給油補給中のイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機
;主翼下面に地上攻撃用の100キロ小型爆弾を搭載している。左翼先端には、パイロット用のパラシュートが置かれている。ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」が6月に始まったが、翌年冬になっても、ソ連はスターリンの指導の下で頑強な抵抗を続け、モスクワ前面で冬攻勢を仕掛けてドイツ軍を撃破した。
English: A Macchi MC.200 on the eastern front in 1942 Italiano: Un Macchi MC.200 sul fronte orientale (Russia) nel 1942 con due bombe da 100 kg in attacchi sub-alari Date 2 January 1942 Source Wings Author SMA
写真は Wikimedia Commons, File:Macchi C.200 on ground.jpg File:Macchi C.200-Russian Front.jpg引用。


写真(右)1942年,北アフリカ、イタリア領植民地リビア東端、ベンガジ(Benghazi)飛行場、胴体着陸したイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機

English: Macchi C.200 at Benghazi's airport 1942. Allied militaries poses with two damaged airplanes
Date 1942 Source www.finn.it
Author Unknown author
写真は Wikimedia Commons, File:Macchi C.200 on ground.jpg File:Macchi C.200 at Benghazi's airport 1942-1.jpg引用。

イタリア領植民地リビア、ベンガジ(Benghazi)は、第二次世界大戦が緒戦の1941年1月イギリス軍はエジプトから侵攻し、リビアのキレナイカ地方を占領、1941年2月6日、リビア西部の要衝ベンガジを占領した。しかし、イギリスは、ドイツのバルカン侵攻に対応する必要上、北アフリカへの補給は滞った。他方、ドイツは、1941年2月にイタリア軍支援のためにエルヴィン・ロンメルを指揮官とするドイツアフリカ軍団を北アフリカのリビアに派兵し、3月11日にリビア西端トリポリに上陸した。素早く奇襲攻撃をかけたドイツ軍は、1941年4月4日にベンガジを奪回し、4月10日にはリビア西端トブルクまで到達してイギリス軍リチャード・オコーナー将軍を捕虜にした。


写真(右)1942年1月,北アフリカ、イタリア領植民地リビア東端、ベンガジ(Benghazi)飛行場、降着装置を破損したイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機

English: Macchi C.200 at Benghazi's airport 1942. Allied militaries poses with two damaged airplanes
Date 1942 Source www.finn.it
Author Unknown author
写真は Wikimedia Commons, File:Macchi C.200 on ground.jpg File:Macchi C.200 at Benghazi's airport 1942.jpg引用。

1941年2月12日、ドイツアフリカ軍団を率いることになったエルヴィン・ロンメル将軍は、北アフリカ、イタリア領植民地リビア西部、トリポリ(Tripoli)空港に到着した。1942年6月22日には、リビア西端のトブルクを攻略し、ヒトラーから、ドイツ最年少の元帥に任命された。しかし、北アフリカ到着から2年後、1943年3月、ロンメル元帥は、北アフリカを離れ、二度と戻ることはなかった。これは、功績ある英雄エルヴィン・ロンメル元帥を捕虜にさせないという理由もあるが、残された枢軸軍将兵、特に後任のハンス=ユルゲン・フォン・アルニム(Hans-Jürgen Theodor von Arnim)上級大将から見れば、見捨てられたと感じたであろう。


写真(右)1943年2月(?),北アフリカ、イタリア領植民地リビア西端、西側連合国軍爆撃機によって空襲、爆撃されているトリポリ(Tripoli)飛行場の施設群と飛行場滑走路(右)

The Italian Castel Benito airfield at Tripoli, Libya, under attack ba USAAF bombers, in early 1943.
Date early 1943 Author USAAF
Other versions frame removed.
写真は Wikimedia Commons, Category:Tripoli-Castel Benito Airport File:Bombing campaign. Europe and North Africa - NARA - 292585.jpg引用。


北アフリカ、イタリア領植民地リビア西端の海岸部に位置するトリポリ(Tripoli)飛行場は、1934年にイタリア空軍が開設した飛行場で、カステル・ベニート(Castel Benito:"Tripoli-Castel Benito Airport")基地と命名されたが、1943年1月23日にイギリス軍がトリポリを占領して以降、イギリス空軍基地として継続して使用された。現在はトリポリ国際空港となっている。


写真(右)1943年初頭,北アフリカ、イタリア領植民地リビア西端、トリポリ(Tripoli)飛行場、破壊されたイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機(左)、MC202フォゴーレ(Folgore )戦闘機(右)の残骸

Wrecked Italian fighters in a destroyed hangar at Castel Benito airdrome, Tripolis, Libya, in early 1943. Visible are three Macchi MC.200 Saetta figthers and a single MC.202 Folgore (2nd plane from the right). Original caption: "Enemy air equipment and installations took a heavy pounding from bombers of the United States Army Air Forces as they pursued Marshal Erwin Rommel's retreating Afrika Korps through Libya and Tripoli to the Tunisian coast. This was once a hangar at Castel Benito Airdrome." Date early 1943
写真は Wikimedia Commons, Category:Tripoli-Castel Benito Airport File:Castel Benito airfield destroyed hangar 1943.jpg引用。


写真(右)1943年3月10日,北アフリカ、イタリア領植民地リビア西端、トリポリ(Tripoli)飛行場、破壊されたイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機(手前)、フィアットG.50戦闘機(左)、フィアットCR.42複葉戦闘機(右)の残骸

English: Wrecked Italian Fiat CR.42 and G.50 aircraft at Castel Benito airport, Tripoli, Libya, in 1943.
Date 10 March 1943 Australian armed forces Permission (Reusing this file)
写真は Wikimedia Commons, File:Macchi C.200 on ground.jpg File:Macchi C.200 at Benghazi's airport 1942-1.jpg引用。

マルタ島を出航したイギリス駆逐艦「ケルヴィン」「ヌビアン」は、1943年1月15-19日、リビア晴西端トリポリから脱出しようとした枢軸国艦船を襲撃し、大損害を与えた。1943年1月23日、西側連合国軍は、トリポリを占領した。1943年1月末に、枢軸軍は、チュニジアまで撤退し抗戦したが、1943年5月13日、北アフリカの枢軸国軍は降伏し、アルニム上級大将以下、27万5000人が捕虜となった。

写真(右)1943年頃,イタリア、イタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機:ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)だったが、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の新イタリア政府が樹立され、連合国に無条件降伏した後、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。
Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow"" Title: Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow"" Corporation Name: Macchi Official Nickname: Saetta ""Arrow"" Additional Information: Italy Designation: M.C. 200 Tags: Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow"
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00082276引用。


1943年7月10日、西側連合国軍は、イタリアのシチリア島にへ上陸、7月25日、ムッソリーニは首相を罷免され、逮捕された。1943年9月3日、イギリス軍はイタリア半島に上陸、9月8日、イタリア王国バドリオ首相は連合国と休戦協定を締結し、無条件降伏を受け入れた。

写真(右)1943-1944年頃,イタリア、連合国側で戦ったイタリア王国空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機;1937年12月24日初飛行、1939年8月より部隊配備。
Title: Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow"" Corporation Name: Macchi Official Nickname: Saetta ""Arrow"" Additional Information: Italy Designation: M.C. 200 Tags: Macchi, M.C. 200, Saetta ""Arrow""br>写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00082272引用。


イタリア領リビア(Libia italiana)植民地は、1934年1月1日に成立で、イタリア領キレナイカとイタリア領トリポリタニアの2地域を合わせた植民地。1943年5月13日に西側連合国に占領された。イタリアは、1943年9月7日、連合国と停戦し、9月9日、イタリア国王もバドリオ首相もファシスト・ドイツ軍制圧下のローマを脱出した。9月9日、西側連合軍は、イタリア南部サレルノに「アヴァランチ作戦」に従って上陸した。その後、10月13日、バドリオ政権は、ドイツを裏切って宣戦布告し、戦勝国となった。しかし、第二次世界大戦終戦後の1947年2月15日、イタリアは領有を放棄し、イギリスとフランスによる分割統治がなされた。


図(右)たイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機の三面図

English: Macchi MC. 200 Saetta Date 5 December 2013, 11:33:26 Source Own work Author Kaboldy
写真は Wikimedia Commons, File:Macchi C.200 File:Macchi MC 200 Saetta.svgjpg引用。


マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機の諸元
乗員:1名
全長:8.19m
全幅:10.57m
全高:3.51m
翼面積:16.8m2
発動機:フィアット(Fiat)A.74 R.C.38 空冷星型14気筒エンジン650 kW (870 hp)1基
空虚重量:1,964 kg全備重量:2,200 kg
最高速力:504 km/h
上昇時間:5,000 m/5’52” 航続距離: 570 km
実用上昇限度:8,900 m 兵装:12.7ミリ・ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃(370発)2丁
爆弾搭載量:50キロ/100キロ/150キロ爆弾2発
翼面荷重: 131.7 kg/m2
離陸距離:260 m
着陸距離:300 m
初飛行:1937年12月24日
生産数:1,153機
運用開始:1939年8月


3.現存するマッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機

写真(右)アメリカ、オハイオ州、デイトン(Dayton)、ライト・パターソン空軍基地内、アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)に保管されている迷彩塗装のファシスト・イタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta):ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。
Macchi MC-200 PictionID: 42002605 - Title: Macchi MC-200 - - Filename: 15_003003.TIF - Image from the Charles Daniel's
Collection Italian Aircraft Album.
This was taken at the National Museum of the USAF in Dayton, OH.写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog: 15_003003引用。


1937年12月に初飛行したマッキMC-200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)は、プログラムRの競争試作機の対抗馬、フィアット G.50、フィアットCR.42複葉戦闘機よりも高性能を発揮したため、イタリア空軍は制式して、直ちに量産機を発注した。翌年1939年、第二次世界大戦が勃発した年に、イタリア空軍はマッキMC-200サエッタ戦闘機を配備した3つの航空団(ストロモ:Stormo)を編成した。 1個飛行中隊(スコードロン:Squadriglie)は9機で、2-3個の飛行中隊合計18-27機で1個の飛行戦隊/飛行団(グルッポ:Gruppo)、3個飛行戦隊合計54-81機で1個の航空団(ストロモ:Stormo)となる。

写真(右)アメリカ、オハイオ州、デイトン(Dayton)、ライト・パターソン空軍基地内、アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)に保管されている迷彩塗装のファシスト・イタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta):ムッソリーニ独裁イタリア空軍の国籍記章は、ファッシ(束ねた武器)だったが、後に、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、降伏すると、イタリア軍の国籍記章は、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。
Macchi MC-200 PictionID: 42002742 - Title: Macchi MC-200 -- Filename: 15_003014.TIF - Image from the Charles Daniel's Collection Italian Aircraft Album.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive  Catalog:15_003014 引用。


マッキMC200サエッタ マッキMC-200サエッタ戦闘機Macchi MC.200 Saetta)の諸元
乗員:1名
全長:8.19m
全幅:10.57m
全高:3.51m
主翼面積:16.8m2
発動機:フィアット A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hp
全備重量:2,208kg
最大速度:503 km/h /4 500 m
航続距離:570 km
実用上昇限度:8900 m
武装:12.7ミリ2 Breda-SAFAT機銃2丁
初飛行:1937年12月24日
部隊配備:1939年8月

マッキM.C.200サエッタは軽量小型、弱武装のイタリア空軍戦闘機で、1940年6月のイタリア参戦時に主力戦闘機として配備されていた。開戦当時、最高速力500km/hは、世界的水準であり、軽武装とはいえい、良好な旋回性能、上昇率と良好な視界など格闘戦闘能力の高さは、イタリア空軍の保守的な戦闘機パイロットを満足させるものだった。

写真(右)アメリカ、オハイオ州、デイトン(Dayton)、ライト・パターソン空軍基地内、アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)に保管されている迷彩塗装のファシスト・イタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)の機首:ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。
Macchi MC-200 PictionID: 42002605 - Title: Macchi MC-200 - - Filename: 15_003003.TIF - Image from the Charles Daniel's
Collection Italian Aircraft Album.
This was taken at the National Museum of the USAF in Dayton, OH.写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog: 15_003003引用。


wikipedia日本は「部隊配属が開始された1939年時点で既にその性能の限界は見えていた。」と酷い評価を下しているが、当時日本陸軍のキ27中島九七式戦闘機、海軍の九六艦上戦闘機よりも高速であり、総合的には世界標準以上の出来だった。しかし、対戦相手が、イギリス空軍スピットファイア戦闘機となると、武装、速力の点からも劣勢は明らかだった。

イタリア空軍マッキMC-200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)は、高性能系戦闘機だったが、敵対するイギリス空軍ホーマー「ハリケーン」戦闘機、スパーマリン「スピットファイア」戦闘機に比較して、低速であり、それらに対抗可能な次世代戦闘機が求められた。そこで、イタリア空軍は、同盟国ドイツのメッサーシュミットBf109戦闘機の高性能に注目し、MC.200サエッタ戦闘機に同じDB601液冷エンジンを搭載することで、性能向上する発展型の戦闘機を試作するようにマッキに発注したのである。


写真(右)アメリカ、オハイオ州、デイトン(Dayton)、ライト・パターソン空軍基地内、アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)に保管されている迷彩塗装のファシスト・イタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)
;ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。
Macchi MC-200 - Title:Macchi MC-200 - Catalog:15_003013 - Filename:15_003013.TIF - Image from the Charles Daniel's Collection Italian Aircraft Album.Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive PictionID:42002730 引用



写真(上)アメリカ、オハイオ州、デイトン(Dayton)、ライト・パターソン空軍基地内、アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が管理する迷彩塗装のファシスト・イタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)
:ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。
Description The Macchi M.C.200 Saetta was an Italian fighter during the Second World War. This model was captured during the Nord African campaing, transferred in Unites States and was restored in 1989. Now it is on display at USAF Museum. Date 2006 Source National Museum of the U.S. Air Force photo 060929-F-1234P-002 (cropped) Author USAF
写真はWikimedia Commons, Category:Macchi MC.200 at National Museum USAF File:Macchi M.C.200.jpg引用。


高性能の戦闘機の条件は、軽量で空戦性能の高い機体より、大出力のエンジンで高速を発揮でき、武装も強力であることとの考えがアメリカから広まり、空戦のあり方も格闘ではなく一撃離脱であるとの考えが広まる中、イタリア空軍でも大出力エンジンを搭載した高速の戦闘機が試作されることになった。しかし、イタリア国内には、爆撃機用の大直径の空冷星形エンジンしかなく、それでは空気抵抗が大きくなり高性能は望めないとい考えられた。そこで、盟国ドイツのBf109戦闘機が搭載しているダイムラー・ベンツDB601液冷倒立V型12気筒1,100馬力エンジンを搭載する戦闘機が望まれた。


写真(上)アメリカ、オハイオ州、デイトン(Dayton)、ライト・パターソン空軍基地内、アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が管理する迷彩塗装のファシスト・イタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)
:ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。
Description: Macchi MC-200 Saetta Source: USAF Museum
写真はWikimedia Commons, Category:Macchi MC.200 at National Museum USAF File:Macchi MC-200 Saetta 3 USAF.JPG引用。


写真(右)2011年7月、イタリア北部、トレント空港内、 ジャンニ・カプロニ航空博物館(Gianni Caproni Museum of Aeronautics)に保管されているイタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)胴体と垂直尾翼前半部の金属骨格:置かれているドラム缶も当時の燃料タンクである。ジャンニカプローニ航空博物館は、イタリアで最も古い航空博物館で最も古い企業博物館でもある。
English: The Gabardini G.51bis, the Breda Ba.19 and the Macchi M.C.200 in the main hall of the Gianni Caproni Museum of Aeronautics in Trento, Italy. Date 5 July 2011
English: This photograph was donated by the Gianni Caproni Museum of Aeronautics for use under CC BY-SA 3.0 conditions. Image author (for attribution):
Author Ennio Varani .
写真はWikimedia Commons, Category:Aircraft at Museum of Aeronautics Gianni Caproni File:Museo dell'Aeronautica Gianni Caproni M.C.200, Ba.19, G.51bis.JPG引用。


イタリア空軍マッキMC-200サエッタ戦闘機は、1936年イタリア空軍増強計画(プログラムR)の仕様に準拠してイタリアのマッキ社マリオ・カストルディ(Mario Castoldi)技師が開発した軽戦闘機である。マリオ・カストルディ(Mario Castoldi)技師は、高速機世界記録を更新しているシュナイダー・カップ(杯)で世界最高速力の水上機を設計した。このシュナイダー・カップには、スピットファイア設計者となるイギリス人R・J・ミッチェルも参加している。

写真(右)2011年7月、イタリア北部、トレント空港内、 ジャンニ・カプロニ航空博物館(Gianni Caproni Museum of Aeronautics)に保管されているイタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)エンジンと胴体金属骨格:ジャンニカプローニ航空博物館は、イタリアで最も古い航空博物館で最も古い企業博物館でもあり、そこに航空技術の資料としてマッキMC-200サエッタ、フィアットG.50戦闘機が保管展示されている。
English: The Macchi M.C.200 in the main hall of the Gianni Caproni Museum of Aeronautics in Trento, Italy. Date 5 July 2011
English: This photograph was donated by the Gianni Caproni Museum of Aeronautics for use under CC BY-SA 3.0 conditions. Image author (for attribution):
Author Ennio Varani .
写真はWikimedia Commons, Category:Aircraft at Museum of Aeronautics Gianni Caproni File:Museo dell'Aeronautica Gianni Caproni M.C.200.JPG引用。


イタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機に搭載可能なイタリアのエンジンは、フィアットA74AC38空冷星形14気筒エンジンで800馬力級の出力で、最高速力500?/hを達成するのは、技術的に難しかった。そこで、機体を小型軽量化し、空気抵抗を減少させるために胴体を絞って細くし、エンジン直径も最小化できるようにカウリングを工夫した。しかし、パオロットの視界は良好であることが求められたため、胴体の上部に突出したガラス風防を設け、完全は密閉式ではなく、半開放式のコックピットとされた。

写真(右)2011年7月、イタリア北部、トレント空港内、 ジャンニ・カプロニ航空博物館(Gianni Caproni Museum of Aeronautics)に保管されているイタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC.200 Saetta)胴体前半の金属骨格:前方奥にエンジンが見える。ジャンニカプローニ航空博物館は、イタリアで最も古い航空博物館で最も古い企業博物館でもある。
English: The Macchi M.C.200 and the Gabardini G.51bis in the main hall of the Gianni Caproni Museum of Aeronautics in Trento, Italy.. Date 5 July 2011
English: This photograph was donated by the Gianni Caproni Museum of Aeronautics for use under CC BY-SA 3.0 conditions. Image author (for attribution):
Author Ennio Varani .
写真はWikimedia Commons, Category:Aircraft at Museum of Aeronautics Gianni Caproni File:Museo dell'Aeronautica Gianni Caproni M.C.200 and G.51bis.JPG引用。


写真(右)1970年、イタリア共和国中部、後にラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)で塗装展示されることになる破損したイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機:ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)だったが、統領ムッソリーニ罷免後のバドリオ政権は連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円に塗られている。しかし、仮に塗装したものだったのか、国籍マークは過小である。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


写真(右)イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機:ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)だったが、統領ムッソリーニ罷免後のバドリオ政権は連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


写真(右)1977年、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機: 赤い塗装は、錆止め塗装と思われる。ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、左右主翼上面・下面のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼のサヴォイア高家紋章付きの白十字だったが、ムッソリーニ首相罷免後のバドリオ政権は連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


写真(右)1977年、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機: 赤い塗装は、錆止め塗装と思われる。イタリア空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円で、胴体後方側面と垂直尾翼に描かれている。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


写真(右)1978年、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機:ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、左右主翼上面・下面のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼のサヴォイア高家紋章付きの白十字だったが、ムッソリーニ首相罷免後のバドリオ政権は連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


写真(右)1988年、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機
Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、左右主翼上面・下面のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼のサヴォイア高家紋章付きのイタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞だった。しかし、1940年6月の第二次大戦参戦後、垂直部翼の三色旗の華麗な国籍マークは、サボイア王家紋章付きの白十字に変更された。ムッソリーニ首相罷免後に樹立されたピエトロ・バドリオ政権は、1943年9月18日連合国に降伏し、1943年10月18日、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。

写真(右)1998年、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機:ファシスト党独裁時代のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


写真(右)イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキMC.200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)の前半分:ファシスト・イタリアの国籍マークは、垂直尾翼のサボイア王家紋章入りの白十字、左右主翼上下のファッシ(束ねた武器)である。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


写真(右)イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機の左側面:ファシスト・イタリアの国籍マークは、垂直尾翼のサボイア王家紋章入りの白十字、左右主翼上下のファッシ(束ねた武器)である。第二次大戦後のイタリア空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


写真(右)2005年、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機(機体左側面):
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


1940年6月の第二次大戦参戦後のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。

写真(右)2005年、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機(機体後方):ファシスト独裁イタリア王国空軍の国籍マークは、機体側面・主翼のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼の白十字とサボイア王家の紋章だった。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。




写真(右)2005年、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機(右上方より撮影):1940年6月の第二次大戦参戦後のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。




写真(右)2005年、イタリア共和国中部、ラツィオ州(Lazio)ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、軍事空軍歴史博物館(Museo Storico dell’Aeronautica Militare)に保管されているイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta:電光)戦闘機(右後上方より撮影):ファシスト独裁イタリア王国空軍の国籍マークは、機体側面・主翼のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼の白十字とサボイア王家の紋章だった。
​Costruito in numerosi esemplari nel corso di tutta la seconda guerra mondiale, il Macchi MC.200 si rivelò una macchina dalle caratteristiche alquanto scadenti e dal pilotaggio complesso, talvolta rischioso, a causa di alcuni difetti nella progettazione dell’ala. Tali problemi furono risolti solo dopo l’introduzione di una nuova ala, che venne adottata anche dai successivi caccia Macchi MC.202 e MC.205, grazie alla quale questo caccia fu in grado di fornire prestazioni competitive e contribuire allo svolgimento delle operazioni in Africa e in Russia. Dotato di armamento leggero (due sole mitragliatrici da 12.7 mm) il MC.200 trovò impiego su tutti i fronti di guerra. Dopo la guerra i velivoli superstiti svolsero ruoli di addestramento sino al 1947.写真は,MINISTERO DELLA DIFENSA HANGAR BADONI> MACCHI MC-200引用。


1940年6月の第二次大戦参戦後のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。しかし、統領ムッソリーニ罷免後のバドリオ政権は連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円に変更され、現在に至っている。


4.マッキ(Macchi)C.200マニュアル

写真(右)1940年,マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機のマニュアル・カバー
Macchi M.C. 200 a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


マニュアル(manual)とは、
1) 飛行機・機械から道具・アプリケーションまでの使用説明書であり、取扱や手引きとして用いられる。
2) 操作・生産工程など作業手順を説明するが、写真・図解などを多用して、理解を円滑に進める。
という二つの目的がある。

他方、カタログは、取引相手・購入者などに対する飛行機・機械から道具・アプリケーションまで、機能を説明し、商品の性能を誇示する説明書である。

しかし、マニュアルとカタログを厳格に区別することはできない。マニュアルがカタログの役割を担い、マニュアルがカタログの役割を担うことがあるからである。


図(上)1940年,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の三面図

Macchi M.C. 200 a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機は、第二次大戦勃発2年前の1937年12月24日に初飛行し、1939年8月より部隊配備された。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機

Macchi M.C. 200 a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の兵装は、12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃2丁、搭載爆弾は、主翼下面に50 kgあるいは100 kg爆弾または150キロ爆弾2発で、運動性のいい軽戦闘機である。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機

Macchi M.C. 200 a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


ファシスト独裁イタリア王国空軍の国籍マークは、主翼に描かれたファッシ(束ねた武器)、垂直尾翼に描かれた白十字ある。後に、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、降伏すると、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。


写真(上)1940年,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の機首部分とエンジン取付け架

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図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。



写真(上)1940年,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の機首エンジン取付け架とエンジンの排気を集める集合排気管の構造図

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図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。



写真(上)1940年頃,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の金属製骨格構造

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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICAAER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。



写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機のプロペラ・機首エンジンカウリングと潤滑油のオイルフィルターおよび右主翼上面に設置された写真銃(ガンカメラ)
:左側面。
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図(右)1940年,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の主翼付け根の写真銃(ガンカメラ)取付け状態の三面構造図

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図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。



写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の半開放式コックピット操縦席のガラス風防付近の上面図・左側面図

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写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の半開放式コックピット操縦席と引込み式降着装置の正面写真

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降着に使用する主輪はゴム車輪で、支柱は外側1本で、着地するときの緩衝装置が支柱に組み込まれている。引込み式の降着装置は、主翼前縁に完全に収容される。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の半開放式コックピット操縦席のガラス風防

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機銃弾薬を機関銃の薬室に装填するには、大型機関銃の場合、人力で弾薬を送り出すスプリングを圧縮することは困難である。そこで、操縦席後方に搭載した圧搾空気ボンベから圧搾空気を注入して、機関銃のスプリングを圧縮して、機関銃の薬室に弾薬を装填する。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の半開放式コックピット操縦席のガラス風防
:右側面から。
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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


方向舵(ラダー:rudder)とは、機首を左右にふり、方向の姿勢を制御する操縦翼で、垂直尾翼の後縁に取り付けられている。方向舵の操作は,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御する。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の半開放式コックピット操縦席のガラス風防
:左側面から。
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コックピットの左ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は右に動き、重心より後方の尾部を左に、機首を右にふるモーメントが作用することによって、飛行機は右に旋回する。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の半開放式コックピット操縦席のガラス風防
:左側面から。
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イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機は、イタリア戦闘機の伝統となったの半開放式コックピット操縦席を採用したが、これはガラス風防で覆われた密閉ガラス風防は視界が妨げられるためだった。しかし、パイロットの居住性、空気抵抗の上では、半開放式コックピットは不利だった。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の半開放式コックピット操縦席のスロットル・レバーと操縦ペダル
:左側面から。
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図(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機のコックピット計器盤

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図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


操縦席では、フィアットA74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpをスロットルで調整し、補助翼・昇降舵・方向舵を操縦席から動かして、飛行機を操縦する。


図(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機のコックピット計器盤パネル

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図(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の機首12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁の側面構造図

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図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


1939年4月という段階では、戦闘機の機関銃は口径7.62mm、7.7mm、7.92mmクラスが主流であり、12.7mmブレダ(Breda)-SAFA機関銃を装備したマッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機やサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79 スパルヴィエーロ (Sparviero:ハイタカ)三発爆撃機の火力は、強力だった。


図(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の機首12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁の配置上面構造図

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図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機が装備したイタリアのブレダ(Breda)-SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃である。7.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃と12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃とがある。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の機首12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁の配置上面

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12.7mmブレダSAFAT機関銃の諸元
開発時期 1935年
重量 29kg
弾丸 12.7x81mmSR弾(34.2g)
口径 12.7mm(0.50in)
発射速度 700発/分
575発/分(戦闘機機首のプロペラ同調機銃の場合)
初速 765m/s(12.7mm)


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の機首12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁の配置上面

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イタリアのブレダ SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃である後継には7.7ミリと12.7ミリとがある。原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103​航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の機首12.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁の配置上面

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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


それまでのイタリアでは、機関銃はフィアットが受注していたが、これ以後、ブレダでもイタリア軍の機関銃が量産されるようになった。ただし、フィアット子会社のSAFAT(Società Anonima-Fabbricazione Armi Torino)が、ジョヴァンニ・アニェッリ(Giovanni Agnelli)によってブレダに売却されており、フィアットの技術や生産方式は、ブレダに引き継がれている。こうして、イタリアの機関銃は、フィアットではなく、ブレダ-SAFATが担うことになったのである。

12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃の原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。


図(上)1940年,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の胴体・主翼付け根の上面構造図

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図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。



写真(上)1940年,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の胴体・主翼付け根の側面構造

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写真図は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。



写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の左主翼の上面構造

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写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の左主翼と後縁に設けられた補助翼の上面構造
:フラッター防止用のマスバランスが取り付けられている。
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高速飛行中に翼面または舵面の圧力中心が後方に移ると、翼面や舵面が曲がったり、捩れたりするが、これによって振動が生じて、翼が震えるフラッター(flutter)現象が生じる。そこで、舵面のフラッターを防止するために、補助翼のヒンジ(留め金)前方にマス・バランスとして釣り合い重りを装着して、補助翼面の重心とヒンジが一致するように配慮する。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の左主翼後縁に設けられた補助翼の上面構造

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方向の姿勢を制御する操縦翼の方向舵(ラダー:rudder)は、垂直尾翼の後縁にあって,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御される。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。反対に、左ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は右に操作され、機首を右にふるモーメントにより、飛行機は右に旋回する。


写真(右)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の尾翼と固定式尾輪
:尾輪は空気抵抗を減少させるような流線形のカバーで覆われている。
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イタリア軍の国籍マークは、第二次世界大戦参戦前は、緑・白・赤のイタリア三色旗トルコローレを垂直尾翼に描いていた。その後、1940年6月の参戦後は、三色旗のような華麗なマークは敵から発見されやすいと判断され、白十字に変更された。さらに、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、1943年9月にイタリアが降伏すると、連合国側に寝返ったイタリア王国軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。


写真(上)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の垂直尾翼・方向舵の側面構造図および水平尾翼・昇降舵の上面構造図
:フラッター防止用のマスバランスが取り付けられている。
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飛行機の尾翼にある昇降舵を下げると、水平尾翼に上向きの揚力がが発生する。飛行機の尾部に上向きの揚力が発生する。つまり、飛行機の重心より後方で上向きの力が作用して、飛行機は機首下げ方向に動く。したがって、水平尾翼が上がることで、機首が下向きになり、下降する。


図・写真(上)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の引込み式降着装置の正面構造図とゴム主輪

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写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。



図・写真(上)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の固定式尾輪降着装置の構造図と尾輪ゴム主輪・支柱

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図・写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。


降着に使用する尾輪はゴム車輪で、支柱は一本で、着地するときの緩衝装置が支柱に組み込まれている。固定式の降着装置であるが、尾部カバーの中に主要部は収まっており、ゴムタイヤの下半分が露出している。


図・写真(上)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の半流線形式増加燃料タンク

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図・写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。
ANNO 1940-XVIII引用。


写真(上)1940年6月以降,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機の燃料タンクとトリムタブの調整制御ハンドル
:調整制御はピアノ線によって行われる。
Macchi M.C. 200 a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AER. MACCHI C. 200 con motore fiat A. 74 R. C. 38 / MILANO/ ANNO 1940-XVIII引用。



5.マッキ(Macchi)MC.202フォルゴーレ"Folgore"戦闘機

マッキMC202フォルゴーレ イタリア空軍制式MC.200サエッタ戦闘機は、小直系のフィアット空冷星形14気筒エンジンを搭載していたが、ドイツのダイムラーベンツDB601液冷12気筒エンジンに換装すれば、出力向上と空気抵抗の減少によって、飛行性能の向上が見込めた。そこでMC200を設計したマリオ・カストルディ技師は、DB601液冷エンジンを搭載するために、マッキMC200サエッタ戦闘機の機首とエンジン懸架を新設計し、重心バランスの前方偏向に対応できるよう胴体を60センチ延長し、小改造によって、新型戦闘機マッキMC202戦闘機を開発した。

写真(右)1942-1943年頃,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC-202フォルゴーレ"Folgore"戦闘機:1940年8月10日初飛行、1941年6月より部隊配備。ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。後に、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、降伏すると、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。
Macchi, M.C. 202, Folgore ""Thunderbolt"" Title: Macchi, M.C. 202, Folgore ""Thunderbolt"" Corporation Name: Macchi Official Nickname: Folgore ""Thunderbolt"" Additional Information: Italy Designation: M.C. 202 Tags: Macchi, M.C. 202, Folgore ""Thunderbolt""
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00082283引用。


原型となったマッキMC.202戦闘機は、ドイツ製のDB601Aエンジン(1,175馬力)を搭載し、プロペラはイタリア製ピアッジョP.1001可変ピッチを付けて1940年8月に初飛行した。強力なエンジンに換装したために、最高速力は時速600キロ以上、上昇時間は6000メートルまで6分で、MC200を引き継いで高度の格闘性能も維持することができた。試験飛行で問題となったのは、良好な視界を確保することで、風防後端の後方ガラス窓を取り止め、風防後半に絞り込んだ金属製フェアリングをつなぎ、操縦席左右後方の視界を確保した。また、エンジン強化で重量も増加したために、尾輪は大型化し、引き込み式尾輪は、空気抵抗を減少させるフェアリングを付けたうえで固定式尾輪に変換された。

マッキMC.202(Macchi MC-202)試作1号機(M.M.445)は、DB601A液冷エンジン1,175馬力、ピアッジョP.1001可変ピッチ・定速3翅プロペラを搭載、1940年8月に初飛行し、大幅な速度向上が見られた。上昇力時間も6000mまで6分と飛行性能の向上から、すぐに量産に入ることが決まった。

写真(右)1942-1943年頃,イタリア、イタリア空軍マッキ(Macchi)MC-202フォルゴーレ"Folgore"戦闘機:1941年6月より部隊配備。ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)である。後に、ムッソリーニが首相を罷免されバドリオ元帥の政府が樹立され、降伏すると、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。
Macchi, M.C. 202, Folgore ""Thunderbolt"" Title: Macchi, M.C. 202, Folgore ""Thunderbolt"" Corporation Name: Macchi Official Nickname: Folgore ""Thunderbolt"" Additional Information: Italy Designation: M.C. 202 Tags: Macchi, M.C. 202, Folgore ""Thunderbolt""
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00082281引用。


マッキMC.202戦闘機の生産は、1941年5月から開始され、マッキ社以外にも、直ぐにブレダ社でも生産が始まり、1年後の1942年5月からはSAIアンブロシーニ社も量産を始めた。しかし、MC.202戦闘機のボトルネックは、ドイツから輸入するDB601液冷エンジンであり、ドイツ国内でも主力戦闘機メッサーシュミットBf109、Bf110に搭載されていたために、イタリア空軍は十分な供給を受けることはできなかった。そこで、同エンジンをイタリアで国産することとし、準備がなされた。こうして、1942年以降、イタリアのエンジンメーカー、アルファロメオでダイムラー・ベンツDB601液冷エンジンをRA1000RC41(1175馬力)の名称のもとに国産化できるようになった。

イタリア空軍[REGIA AERONAUTICA FIGHTER]マッキ MC.202フォルゴーレ戦闘機(Macchi MC.202 Folgore)は、馬力不足だったマッキMC.200サエッタ戦闘機が搭載した空冷エンジンを、ドイツのメッサーシュミットBf109Eに搭載されていたダイムラーベンツDB601液冷エンジン1175馬力に変換して、性能を大幅に向上された。エンジン冷却器(ラジエター)を胴体中央下面に搭載し、コックピットも空気抵抗を減少させるために低い位置に戻して、密閉風防に改造されている。液冷エンジン搭載によって、胴体は、1m延長するされた。

マッキMC202Folgore マッキMC.200サエッタ戦闘機が MC.202フォルゴーレ戦闘機に発展した過程は、日本の三式戦「飛燕」が搭載したダイムラーベンツDB601液冷エンジン国産版が不調で空冷エンジンに載せ替えて登場した五式戦とは全く逆方向だった。これから見ると、日本の液冷エンジン工作技術の水準は、イタリアの水準よりも低かったことがわかる。

マッキ(Macchi)MC-202フォルゴーレ "Folgore"戦闘機の諸元
乗員Crew: 1
全長Length: 8.85 m (29 ft 0 in)
全幅Wingspan: 10.58 m (34 ft 9 in)
全高Height: 3.49 m (11 ft 5 in)
主翼面積Wing area: 16.82 m2 (181.0 sq ft)
空虚重量Empty weight: 2,491 kg (5,492 lb)
最大離昇重量Max takeoff weight: 2,930 kg (6,460 lb)
発動機Powerplant: アルファロメオ(Alfa Romeo)RA.1000 R.C.41-Iモンスーン(Monsone)V-12気筒液冷エンジン, 864 kW (1,159 hp) /毎分2,500回転/離陸時
プロペラ: 3-翅恒速回転プロペラ(constant-speed propeller)

三面図(右)イタリア空軍マッキ(Macchi)MC-202フォルゴーレ"Folgore"戦闘機
Description English: Macchi MC.202 Italian fighter
Date 11 December 2011 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons,Category:Macchi MC.202 File:Macchi MC.202.svg引用。


マッキ(Macchi)MC-202フォルゴーレ "Folgore"戦闘機の性能Performance
最高速力Maximum speed: 600 km/h (370 mph, 320 kn) /5,600 m (18,400 ft)
航続距離Range: 765 km (475 mi, 413 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 11,500 m (37,700 ft)
上昇率Rate of climb: 18.1 m/s (3,560 ft/min)
翼面荷重Wing loading: 174.2 kg/m2 (35.7 lb/sq ft)
出力比Power/mass: 0.35 kW/kg (0.21 hp/lb)
兵装Armament
12.7ミリ(0.500 in) ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁/機首(携行弾数 360/400発)
7.7ミリ (0.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁/主翼(携行弾数 500発)
50キロ (110 lb), 100キロ(220 lb) あるいは160キロ(350 lb)爆弾2発
100リットル (26.4 US gal; 22.0 imp gal) 落下式増槽2個

マッキMC.202 イタリア空軍マッキ(Macchi)MC-202フォルゴーレ"Folgore"戦闘機Macchi MC-202)の諸元
乗員:1名
生産数:1 150機
全長:8.85 m
全幅:10.58 m
全高:3.49 m
翼面積:16.82 m²
重量 空虚重量:2,491 kg
最大離陸重量:2,930 kg
発動機 アルファロメオ(Alfa Romeo)RA.1000 R.C.41-I Monsone液冷V-12気筒エンジン1,175 hp
最高速力:595 km/h / 5600 m
航続距離:765 km
実用上昇限度:11,500 m
12.7ミリBreda-SAFAT 機関銃2丁(各360発)、7.7ミリBreda-SAFAT 機関銃2丁(各500発) 160kg爆弾 ×2

⇒写真集Album:マッキ(Macchi)MC-202フォルゴーレ戦闘機 を見る。


6.マッキ(Macchi)MC.205 V ベルトロ"Veltro"戦闘機


写真(右)2009年6月,イタリア共和国ラツィオ(Lazio)州ローマ県ブラッチャーノ(Bracciano)、イタリア空軍博物館(Museo Vigna di Valle)所蔵のイタリア空軍マッキ(Macchi)MC.205 V ベルトロ(Veltro "Greyhound")戦闘機
:未舗装飛行場でも円滑な運用ができるように鉄製敷板を並べて、「簡易舗装」したが、その鉄製敷板が並べられている。ドラム缶も、転がしやすいように二つの鉄枠が付いた、戦争当時のもののようだ。左遠方には、カントZ.506水上機が展示されている。ムッソリーニの首相罷免後に成立したバドリオ元帥を首班とする非ファシスト・イタリア政府が樹立され、イタリアは連合国に降伏した。その後、イタリア軍の国籍マークは、緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ同心円となった。
Photographer Aldo Bidini Location Vigna di Valle - LIRB, Italy Aircraft type Macchi MC-205V Veltro Operator Italy - Air Force Registration MM9546 Type Photograph Object type aircraft Date 24 June 2009
写真はWikimedia Commons.,Category:Aircraft at Museo Vigna di Valle -Macchi MC-205V Veltro, Italy - Air Force JP6604210引用


ドイツのダイムラー・ベンツDB601を搭載したイタリア空軍マッキMC.202 フォルゴーレは、高性能戦闘機だったが、スピットファイアの性能向上型が登場すると、対抗できるように性能向上が求められた。そこで、メッサーシュミットBf109F型からG型へと同様に、MC202のDB601液冷エンジンをより高出力のDB605液冷12気筒エンジン1,475馬力のイタリア国産型に換装し、性能向上を果たすことになった。これが、イタリア空軍マッキMC-205ベルトロ戦闘機(Macchi MC 205 Veltro Greyhound")で、1942年4月19日初飛行、1943年2月より部隊配備された。しかし、戦争中期以降の量産だったために、総生産数は262機と少ない。

⇒写真集Album:マッキ(Macchi)MC-205ベルトロ戦闘機 を見る。


7.同時代のライバル戦闘機

写真(右):1942-1944年、ソビエト連邦、東カレリア地方(Vienan Karjala)、チクシェオゼロ(Tiiksjärvi)、フィンランド空軍のフランス製モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.406戦闘機:フィンランド軍は、フランス製戦闘機のエンジンをソ連製のエンジンに変換、強化して、性能を向上させた。
Lentolaivue 14:n hävittäjälentäjiä Morane Saulnier M.S. 406 -hävittäjän vierellä Tiiksjärvellä .
Subject place

Subject date 1942 - 1944 Organisation National Board of Antiquities - Musketti
Collection Historian kuvakokoelma Valokuvaamo Jäniksen kokoelma Inventory ID HK7744:41
Measurements 6 x 6 cm Photo info: 1942 - 1944 Jänis Pauli, kuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces, Museo Finna musketti.M012:HK7744:41引用。


フランスで1935年8月8日に初飛行したモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.405の発展型がM.S.406戦闘機で、低翼単葉・引込み脚・密閉風防と近代的な戦闘機で、第二次大戦前の1938年から1,000機以上量産された。機体は、全金属製ではなく、胴体後半は金属骨格・羽布張りで軽量構造だったが、第二次世界大戦勃発時のフランス空軍の主力戦闘機だった。搭載した発動機は、イスパノ・スイザ 12Y31V12気筒液冷エンジンで、850馬力は出力不足だったが、最高速力486km/h、航続距離800km、実用上昇限度9,500m、上昇力5,000mまで6分、兵装は20ミリHS.404モーターカノン1門 7.5ミリMAC 1934機銃2丁と、出現当初は強力だった。

写真集:モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.406戦闘機 を見る。

写真(右):1944年7月12日、カレリア地峡、ラトガ湖北端岸、ヘリュリャ(Helylän)飛行場、フィンランド空軍のアメリカ製ブリュースターF2A-1「バッファロー」(Buffalo)戦闘機(B-239)のエンジンと機関銃の整備をする地上勤務員たち:ヘリュリャ(Хелюля)は、現在、ロシア連邦カレリア共和国の61°45′N 30°41′Eに位置する。2018年の推計人口は2,586人だが、1979年人口は3,231人だった。
Helylän lentokentällä kunnostetaan vaurioitunutta pommikonetta. Kuvassa Brewster-hävittäjä. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: 1944-07-12 Vänrikki V.Hollming, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces, Museo Finna sa-kuva-141149引用。


ブリュースターF2A‐1「バッファロー」戦闘機の諸元
初飛行:1937年12月2日
全長:7.80 m
全幅:10.67 m
全高:3.56
翼面積:19.4平方メートル
空虚重量:1,715 kg
最大離陸重量:5,820 lb (2,640 kg)
発動機:ライト R-1820-22“サイクロン” 9気筒空冷星型エンジン950馬力
最高速力:478 km/h(4,750 m) and their loaded weight was ).[km/時
巡航速度:259 km/時
離陸速度:150 km/時
離陸滑走距離:最短70m/最長155 m
航続距離:2,486km
実用上昇限度:30,500 ft (9,296m)
上昇力 3,060 ft/分 (15.5m/秒)
兵装:12.7ミリ機関銃4丁
生産期間:1938–1941年
生産機数:509機

写真集:ブリュスター(Brewster)F2A バッファロー(Buffalo)戦闘機 を見る。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇 レジアーネ Re2000ファルコ
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カント(CANT)Z.501飛行艇
カント(CANT)Z.506水上機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.212輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.82輸送機
ピアジオP.108重爆撃機
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑



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