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◆アメリカ海軍ブリュスター(Brewster)F2A バッファロー(Buffalo)艦上戦闘機
写真(上)1938年頃、格納庫前のアメリカ海軍航空隊、ブリュスター(Brewster)F2A-1「バッファロー」( Buffalo)艦上戦闘機
;アメリカ海軍航空母艦の艦上機として運用するために、主翼は折り畳み式の単葉機、引き込み脚、密閉式風防(コクピット)の近代的戦闘機として1936年、海軍から試作要求が出された。1937年12月2日、初飛行。
Brewster : F2A-1 : Buffalo Manufacturer: Brewster Designation: F2A-1 Official Nickname: Buffalo
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00019174引用。



写真(上)1939-1944年、フィンランド、フィンランド空軍は、アメリカ海軍航空隊のブリュスター(Brewster)F2A-1「バッファロー」( Buffalo)艦上戦闘機を輸入して、ブリュスター(Brewster)BW-355戦闘機として制式した。 この機体は、フィンランドの大企業ノキアが寄贈したので、固有名詞 "Noka."と命名された。
;1939年から1940年のフィンランド対ソ連「冬戦争」、1941年から1944年のフィンランド対ソ連「継続戦争」に際して、フィンランド空軍戦闘機として大活躍した。
Brewster : F2A-1 : Buffalo Purchase of this Brewster Buffalo (BW-355) was funded by Finnish company Nokia (Nokia Oy) and named "Noka."
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・01_00090406引用。

写真(上)1939年頃、オランダ空軍が導入したアメリカ製ブリュスター(Brewster)339D 戦闘機
;1937年12月に初飛行したブリュスター(Brewster)F2A-1「バッファロー」( Buffalo)艦上戦闘機は、1938年1月、試作機XF2A-1が海軍に納入されたものの、アメリカ海軍では、1938年6月、F2A-1の名称で制式化し66機を発注した程度だった。戦争切迫を感じたヨーロッパでは、ドイツとの戦争に備えるため、空軍力増強が進んだが、これはアメリカからオランダ、ベルギーへのF2A戦闘機など軍用機輸出を促進した。
Brewster : F2A : Buffalo Manufacturer: Brewster Designation: F2A Official Nickname: Buffalo
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00019167引用。


1.1938年6月制式のアメリカ海軍ブリュスター(Brewster)F2A バッファロー(Buffalo)艦上戦闘機

写真(右)1938-1941年、試験飛行中、真横から撮影されたアメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)XF2A1試作1号機;試作機XF2A-1は、空冷星形ライトR-1820-22エンジン950馬力(710 kW)を搭載し1機のみ試作された。兵装は、機首エンジン上にブローニング 12.7ミリAN/M2 .50口径機関銃1丁、ブローニング 7.62ミリ.30口径機関銃 AN/M2を1丁搭載した。1938年1月にアメリカ海軍に納入され、試験飛行が行われた。
Brewster XF2A1 flt
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・引用。


アメリカ海軍航空隊1937年12月に初飛行したブリュスター(Brewster)F2A-1「バッファロー」(Buffalo)艦上戦闘機は、ライトR-1820-34空冷星形エンジン940馬力(700 kW)を装備し、兵装は機首エンジン上に.50口径ブローニング 12.7ミリ機関銃、.30 後継ブローニング7.62ミリ機関銃各1丁、左右主翼に50口径ブローニング 12.7ミリ機関銃各1丁を搭載した。

写真(右)1941年、飛行中のアメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)XF2A-1試作1号機;アメリカ海軍が1938年6月に制式し、ブリュスター(Brewster)F2A-1「バッファロー」( Buffalo)艦上戦闘機と命名した。
Brewster : XF2A-1 : Buffalo Manufacturer: Brewster Designation: XF2A-1 Official Nickname: Buffalo
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: 00019159引用。


1939年3月22日、アメリカ海軍からF2A-1艦上戦闘機への爆弾搭載を要求されたブリュスターは、飛行性能の低さを改善するために、エンジンの出力向上を含む改良型を試作したが、これが1939年7月よ試作された試作2号機のXF2A-2である。XF2A-2はエンジン出力向上により最高速力は早くなったが、重量増加によって上昇能力、運動性は低下してしまった。しかし、この時期、F2A艦上戦闘機は、43機が発注されており、引き渡しは1940年9月から始まった。

写真(右)1938-1939年、アメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)XF2A-1艦上戦闘機試作機;第二次大戦にアメリカが参戦する以前、アメリカ軍用機の国籍記章は、青い丸に白の★、星の中心に赤丸を記入していた。しかし、参戦後、星中央の赤丸は目立ちすぎる上に、日本軍の日の丸と似ているためか、削除される。
SDASM Archives Brewster : XF2A-1 : Buffalo Manufacturer: Brewster Designation: XF2A-1 Official Nickname: Buffalo .
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: 00019158引用。


写真(右)1940-1940年、アメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)XF2A-2艦上戦闘機試作機;第二次大戦にアメリカが参戦する以前、アメリカ軍用機の国籍記章は、青い丸に白の★、星の中心に赤丸を記入していた。しかし、参戦後、星中央の赤丸は目立ちすぎる上に、日本軍の日の丸と似ているためか、削除される。
SDASM Archives Brewster : XF2A-2 : Buffalo Manufacturer: Brewster Designation: XF2A-2 Official Nickname: Buffalo .
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: 00019160引用。


1937年12月に初飛行したブリュスター(Brewster)F2A-1「バッファロー」(Buffalo)艦上戦闘機は、1938年1月、試作機XF2A-1が海軍に納入されたものの、当初は447km/時と最高速力の要求を満たせなかったが、NACA(国立航空諮問委員会)ラングレー研究所の風洞実験によって、エンジン・カウリング、オイルクーラーのエアインテイクを改良し、空気抵抗を減少したことで、最高速力は489 km/時に向上した。

写真(右)1941年、試験飛行中、真横から撮影されたアメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)XF2A2試作2号機;アメリカ海軍がブリュスター(Brewster)XF2A-1試作1号機の飛行性能が低いと判断したために、そのXF2A-1のエンジンを、より馬力の大きい空冷星形R-1820-40エンジン1,100馬力(820 kW)に換装した飛行性能向上型。
Brewster XF2A2 1941 From SDASM's History of Naval Aviation Collection
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Brewster XF2A2 1941引用。


1937年12月初飛行のブリュスター(Brewster)F2A艦上戦闘機は、当初は飛行性能が要求を満たせなかったが、解消によって要求水準に達したとみなされ、アメリカ海軍は、1938年6月、F2A-1の名称で制式化した。そして、アメリカ海軍は、ブリュスター社にF2A-1艦上戦闘機を66機発注した。

写真(右)1941年、試験飛行中、真横から撮影されたアメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)XF2A2試作2号機;アメリカ海軍が1938年6月に制式し、ブリュスター(Brewster)F2A-1「バッファロー」( Buffalo)艦上戦闘機と命名した。
Brewster XF2A2 1941 From SDASM's History of Naval Aviation Collection
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・sa-kuva-13129引用。


アメリカ海軍から、ブリュスター(Brewster)F2A-2艦上戦闘機に対しては、操縦席への装甲板装備、防弾式燃料タンク(セルフシーリングタンク)装備という防御能力向上の要求があり、総重量の増加による航続距離短縮化を相殺するために、燃料タンクが大型化された。これが、F2A-3艦上戦闘機で、1941年1月21日に108機が発注された。ブリュスター(Brewster)F2ABrewster F2A Buffalo)戦闘機の引き渡しは、1941年7月で、太平洋戦争勃発まで半年もない時期だった。しかし、改良型のF2A-3は重量増加から、運動性能が低下し、さらに重量増加によって、降着装置への負荷過重となり、離着陸時に降着装置の故障や事故が生じやすくなった。

写真(右)1939-1941年、アメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)F2A-1艦上戦闘機;アメリカ海軍が1938年6月に制式されたブリュスター(Brewster)F2A-1「バッファロー」( Buffalo)艦上戦闘機だったが、生産は遅滞し、量産機の引渡しは、1939年6月までずれ込んだ。ブルースター社は、新参企業であり、生産されたF2Aはが初めての自社生産だった上に、当時最新式の技術を導入した全金属製単葉・折畳み主翼の艦上機だった。
Brewster : F2A-1 : Buffalo Manufacturer: Brewster Designation: F2A-1 Official Nickname: Buffalo
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: 00019173引用>。


1941年には、ブリュスター(Brewster)F2A-2艦上戦闘機艦上戦闘機のほかに、グラマンF4F艦上戦闘機も実用段階に達しており、1940年12月から部隊配備が始まった。結局、アメリカ海軍は、ブリュスターF2A艦上戦闘機をほとんど使用せず、艦上戦闘機はグラマンF4F「ワイルドキャット」が主力の座を占めることとなった。

写真(右)1940-1942年、アメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)F2A-2「バッファロー」(Buffalo)艦上戦闘機
SDASM Archives Brewster F2A Buffalo
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog 01_00090407引用。


1941年12月のアメリカ第二次大戦前には、アメリカ軍機の国籍マーク(国籍記章)は、アメリカ国旗「星条旗」を模して、青い丸に白の星を描き、星の中心に赤丸を記入していた。また、国籍マークは、主翼には記入されていたが、胴体側面にはなかった。しかし、1930年代末には、機体胴体側面にも国籍マークを記入するようになった。さらに、1941年12月の第二次大戦参戦後には、アメリカ期の国籍マークは、星中央の赤丸が目立ちすぎる上に、日本軍の日の丸と似ているためか、削除されている。

写真(右)1940-1941年、アメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)F2A-3「バッファロー」( Buffalo)艦上戦闘機;第二次大戦にアメリカが参戦する以前、アメリカ軍用機の国籍記章は、青い丸に白の★、星の中心に赤丸を記入していた。しかし、参戦後しばらくして、星中央の赤丸は目立ちすぎる上に、日本軍の日の丸と似ているためか、削除される。
SDASM Archives Brewster F2A3 From SDASM's History of Naval Aviation Collection Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog 01_00090407引用。


軍用機に搭載された無線通信装置は、機体のアンテナ線を通して送受信された。アンテナ線は、機首にアンテナ支柱を立て、尾翼上端との間に長く張られている。ただし、アンテナ線が金属に接触しないように、碍子を使って、金属とは遮断されている。

写真(右)1940年9月9日、アメリカ、カリフォルニア州ノースアイランド海軍基地、アメリカ海軍航空隊第3戦闘隊 (VF-3) ブリュスター(Brewster)F2A1艦上戦闘機;試作的な曲線雲形迷彩塗装を施されている。後方にはボート(Vought) O3U複葉偵察機がテストを受けている。
Title:Brewster F2A-1 fighter Description:of Fighting Squadron Three (VF-3) At Naval Air Station, North Island, California, 9 September 1940. It is painted in McClelland Barclay experimental camouflage design number 1. A Vought O3U observation plane is partially visible at the right. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
写真はNaval History and Heritage Command・NH 96144 Brewster F2A-1 fighter引用。


1920年代末から1930年代にかけて、世界の航空開発が進んだため、複葉、木製、固定脚、開放式風防という方式から、単葉、金属製、引込み式脚、密閉式風防の採用へと変化したが、これは戦闘機よりも輸送機など大型機で先行した技術だった。戦闘機は格闘性能を重視されたために、低翼面荷重、軽量が優先され、複葉機、羽布張の構造が継続していた。しかし、ドイツ、イギリス、アメリカでは高速化を目指して単葉低翼の戦闘機が開発された。ただし、航空母艦で使用する艦上戦闘機については、狭い飛行甲板で運用する制約があった。

写真(右)1940年9月9日、アメリカ、カリフォルニア州ノースアイランド海軍基地、アメリカ海軍航空隊第3戦闘隊 (VF-3) ブリュスター(Brewster)F2A1艦上戦闘機の右側面;試作的な直線的な短冊形迷彩塗装を施され、胴体右側面にガンカメラが装着されている。後方には第2戦闘飛行隊のグラマンF2F-1艦上戦闘機が並んでいる。
Description:of Fighting Squadron Three (VF-3) At Naval Air Station, North Island, California, 9 September 1940. The plane is painted in McClelland Barclay experimental camouflage design number 2. Note gun camera mounted on the starboard side of the fuselage, forward. Grumman F2F-1 fighters of Fighting Squadron Two (VF-2) are in the background. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
写真はNaval History and Heritage Command・NH 96146 Brewster F2A-1 fighter引用。


アメリカ海軍は、高性能な次世代の艦上戦闘機として、単葉、引き込み脚、密閉式風防の新型機の要求仕様を出し、それにこたえて、ブリュースター社はブリュースター・モデル139(B-139)を試作した。その結果、競争試作に打ち勝って、ブリュスターF2A「バッファロー」Brewster F2A Buffalo)戦闘機艦上戦闘機として制式になった。ただし、F2Aと同時にグラマン社が開発したXF4Fが、後にF4FワイルドキャットとしてF2Aを上回る活躍をすることとなる。

写真(右)1940年9月9日、アメリカ、カリフォルニア州ノースアイランド海軍基地、アメリカ海軍航空隊第3戦闘隊 (VF-3) ブリュスター(Brewster)F2A1艦上戦闘機の左側面;試作的な直線的な短冊形迷彩塗装を施されている。
Title:Brewster F2A-1 fighter Description:of Fighting Squadron Three (VF-3) At Naval Air Station, North Island, California, 9 September 1940. The plane is painted in McClelland Barclay experimental camouflage design number 2. A Curtiss SOC flag plane is in the in the left center background. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
写真はNaval History and Heritage Command・NH 96148 Brewster F2A-1 fighter 引用。


アメリカ海軍航空隊が制式したブリュスター(Brewster)F2A-1艦上戦闘機は、ライトR-1820-34空冷星形エンジン940馬力(700 kW)を装備、66機が発注されたものの、アメリカ海軍への納入が大幅に遅れたた。そのために、42機がフィンランド空軍向けに輸出された。

写真(右)1940年9月9日、アメリカ、カリフォルニア州ノースアイランド海軍基地、正面から見たアメリカ海軍航空隊第3戦闘隊のブリュスター(Brewster)F2A1艦上戦闘機;試作的な曲線の雲形迷彩塗装を施されているが、胴体側面にガンカメラが装着されている。
Description:of Fighting Squadron Three (VF-3) Head-on view, taken at Naval Air Station, North Island, California, 9 September 1940. The plane is painted in McClelland Barclay experimental camouflage design number 2. Note gun camera mounted on the right side of the fuselage. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph. .
写真はNaval History and Heritage Command・NH 96147 Brewster F2A-1 fighter 引用。


写真(右)1941年、アメリカ、陸上基地に待機するアメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)F2A-3 艦上戦闘機;エンジンの出力強化、兵装強化、防弾性の強化が図られたが、重量増加のために、飛行性能は僅かの向上に留まった。しかし、1933年10月に初飛行したグラマンF2F複葉艦上機(最高速力:383 km/h、航続距離:1,585 km)よりも将来性がある機体だった。
Title:Brewster F2A-3 fighter Description:Photographed on the ground, circa 1941. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives..
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-65566 Brewster F2A-3 fighter 引用。


Brewster F2A3バッファロー Buffalo アメリカ海軍ブリュスター(Brewster)F2A-3「バッファロー」(Buffalo)艦上戦闘機は、F2A-2のライトR-1820-40/42空冷星形エンジン(1,200馬力)は変わらないが、防弾を強化し、航続距離を延長するために燃料タンクを大型化した。エンジンカウリングとキャノピーが再設計されている。重量増加のため運動性は低下した。生産機数は108機のみ。

アメリカ海軍主力艦上戦闘機は、1941年12月に第二次世界大戦に参戦したとき、グラマンF4F「ワイルドキャット」(Grumman F4F Wildcat)だった。

写真(右)1940-1941年、離陸準備のなったアメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)F2A「バッファロー」( Buffalo)艦上戦闘機2-F-1と記念撮影をしたアメリカ海軍将兵;コックピット風防ガラスは、スライド式で、飛行中も、低速であれば開閉可能だった。開放すれば視界が良くなり、航空母艦への着艦操作も多少は容易になる。胴体側面には、機体の固有所属番号2-F-1が記入されている。
SDASM Archives F2A Wheels Up
Notes: This image appears in Arcadia Publishing's "San Diego's North Island 1911-1941" Written by Katrina Pescador and Mark Aldrich of the San Diego Air and Space Museum.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: NI-170引用。


アメリカ海軍戦闘機の胴体側面には、部隊における整備や運用をしやすくするために、機体ごとの固有所属番号が割り当てられ、大きく記入されていた。しかし、このような分かりやすい表示方式は、平時では便利であるが、戦時では敵への情報公開と等しく、防諜の上から不利である。そこで、第二次大戦が勃発しても参戦していない1939年から1941年までは機体固有記号を記入していたが、その後、アメリカが1941年12月に太平洋戦争を始めると、直ぐに防諜のために削除された。同時に、軍用機のアメリカ国籍記章も目立たない赤丸なしに変更された。

写真(右)1941年頃、尾翼を破壊されたアメリカ海軍航空隊第2戦闘飛行隊(VF2)所属のブリュスター(Brewster)F2A-2「バッファロー」(Buffalo)艦上戦闘機2-F-17と2-F-6(左奥);1941年12月7日(日曜日)、日本海軍機動部隊を発進した空襲航空隊によるハワイ諸島オアフ島真珠湾攻撃によって生じた破損であろうか、羽布張りの垂直尾翼安定板と水平尾翼安定板が吹き飛ばされている。戦闘機胴体側面には、機体の固有所属番号が記入されているが、このような分かりやすい表示は、戦争に突入すると、このような番号は防諜の必要上から削除されることになる。
SDASM Archives VF2 F2A2 accident
From SDASM's History of Naval Aviation Collection.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: NI-170引用。


写真(右)1942年4月25日、中部太平洋、ハワイ諸島オアフ島、ホノルル郊外エワ海兵隊基地、アメリカ海兵隊第212飛行戦隊 (VMF-212)のブリュスター(Brewster)F2A-3 「バッファロー」艦上戦闘機;機体の周囲には、偽造用のカバーが張られている。
Title:Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter Photo #: 80-G-271041 Brewster F2A-3 Buffalo fighter, probably from Marine Fighting Squadron 212 (VMF-212) Receives maintenance in a camouflaged revetment at Marine Corps Air Station, Ewa, Hawaii, 25 April 1942. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives. .
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-271041 Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter引用。


飛行機用の掩体壕は、
(1)周囲に土手を築き、内側を木材で固めてあり、上空から地上に駐機する飛行機を発見できないようにする偽装の効果、
(2) 機銃掃射・爆弾などの空襲の被害を受けにくく防衛上の効果、
の2点が企図されている。

写真(右)1942年5月1日、中部太平洋、ハワイ諸島オアフ島、ホノルル郊外エワ海兵隊基地、トレーラーで牽引準備中のアメリカ海兵隊第212飛行戦隊 (VMF-212)のブリュスター(Brewster)F2A-3 「バッファロー」艦上戦闘機
Title:Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter Photo #: 80-G-271050 Brewster F2A-3 Buffalo fighter, probably from Marine Fighting Squadron 212 (VMF-212) In a camouflaged revetment at Marine Corps Air Station, Ewa, Hawaii, 1 May 1942. The plane is hitched to a towing tractor. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives .
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-271050 Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter引用。


1938年に採用されたブリュスターF2A「バッファロー」(Brewster F2A Buffalo)戦闘機は、アメリカ海軍の初の全金属製単葉、密閉式風防、引込み式降着装置を備えた近代的艦上戦闘機だったが、1941年12月の太平洋戦争勃発時には、旧式化しつつあり、グラマンF4F艦上戦闘機と比較すると、遜色があった。しかし、1942年までの苦しい緒戦の時期を、日本陸海軍を相手に善戦した。これは、堅牢な機体構造と信頼性のある機体だったこともあるが、パイロットたちの士気が高かったためであろう。

写真(右)1942年5月1日、中部太平洋、ハワイ諸島オアフ島、ホノルル郊外エワ海兵隊基地で偽装されている、アメリカ海兵隊第212飛行戦隊 (VMF-212)のブリュスター(Brewster)F2A-3 「バッファロー」艦上戦闘機;機体の周囲には、偽造用のカバーが張られている。
Title:Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter Photo #: 80-G-271049 Brewster F2A-3 Buffalo fighter, probably from Marine Fighting Squadron 212 (VMF-212) Being fueled by ground crewmen in a camouflaged revetment at Marine Corps Air Station, Ewa, Hawaii, 1 May 1942. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-271049 Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter 引用。


写真(右)1942年6月25日、中部太平洋、ハワイ南800キロ、パルミュラ諸島沖、アメリカ海軍練習用航空母艦「ロングアイランド」(USS Long Island;AVG-1)艦上で事故を起こしたアメリカ海兵隊第211飛行戦隊 (VMF-211)のブリュスター(Brewster)F2A-3 「バッファロー」艦上戦闘機
Title:Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter Description:Photo #: 80-G-12905 Brewster F2A-3 Buffalo fighter Rests in the flight deck gallery walkway after suffering landing gear failure while landing on board USS Long Island (AVG-1), off Palmyra Island, 25 July 1942. This plane is from Marine Fighting Squadron 211 (VMF-211), the last Navy or Marine Corps unit to operate the F2A in a front-line capacity. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-12905 Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter 引用。


アメリカ海軍護衛空母「ロング・アイランド」(USS Long Island; AVG-1/ACV-1/CVE-1)は、1939年7月7日起工、1941年6月2日就役、基準排水量7800トンのアメリカ海軍初の護衛空母。全長 492 ft (150 m) 、全幅 69.5 ft (21.2 m)、吃水 25.7 ft (7.83 m)、ディーゼル機関1軸 8,500 馬力、最高速力 16.5 ノット (30.6 km/h)、乗員 970名、兵装 5インチ (127 mm)砲1門、3インチ(76.2 mm)砲2門、搭載機 21機。

写真(右)1942年6月25日、中部太平洋、ハワイ南800キロ、パルミュラ諸島沖、アメリカ海軍練習用航空母艦「ロングアイランド」(USS Long Island;AVG-1)艦上で事故を起こしたアメリカ海兵隊第211飛行戦隊 (VMF-211)のブリュスター(Brewster)F2A-3 「バッファロー」艦上戦闘機
Title:Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter Description:Photo #: Photo #: 80-G-12906 Brewster F2A-3 Buffalo fighter, of Marine Fighting Squadron 211 (VMF-211) Rests in the flight deck gallery netting after suffering landing gear failure while landing on board USS Long Island (AVG-1) off Palmyra Island, 25 July 1942. Note marking MF-5 on the plane's fuselage and very weathered paint. The carrier's SC radar antenna is visible atop her stub mast at right. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives..
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-12906 Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter 引用。


アメリカ海軍多目的空母「ロング・アイランド」(USS Long Island)は、他の護衛空母と葉異なって、 船団護衛には使用されず、1942年8月20日から「多目的雑用空母」"Auxiliary Aircraft Carrier"(ACV-1)として、小型低速「護送空母」の運用試験、ブリュスターF2A「バッファロー」(Brewster F2A Buffalo)戦闘機艦上戦闘機、グラマンF4F「ワイルドキャット」艦上戦闘機など艦載機訓練に主に使用された。1946年3月26日に退役。

写真(右)1942年8月2日、アメリカ、ジョセフ・クリフトン中尉の操縦するアメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)F2A-3 艦上戦闘機(機体番号白21);主翼と胴体側面の国籍記章は、戦争当初の星の中央にあった赤丸が削除され、青地に白い星を描いたシンプルなものになった。
Title:Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter Description:Photo #: 80-G-16053 Brewster F2A-3 Buffalo fighter In flight on 2 August 1942. Pilot is Lieutenant Commander Joseph C. Clifton, USN. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-16053 Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter 引用。


アメリカ海軍航空隊 ブリュスター(Brewster)F2A-3「バッファロー」(Buffalo)艦上戦闘機の諸元
乗員 1名
全長 26 ft 4 in (8.03 m)
全高 12 ft 0 in (3.66 m)
全幅(翼長):35 ft 0 in (10.67 m)
主翼面積:209 sq ft (19.4 平方メートル)
空虚重量 2,146.40 kg(4,732 ポンド)
最大離陸重量 2,867.16 kg(6,321 ポンド)
燃料搭載量 242 ガロン(917.07 リットル
発動機 ライト(Wright)R-1820-40 サイクロン(Cyclone)空冷星型9気筒エンジン 1,200馬力(890kW)
最高速力 321 mph (517 km/h, 279 kn)/高度 16,500 ft;海面上 457 km/h
巡航速力161 mph (259 km/h, 140 kn)
離陸速度:150 km/h
離陸滑走距離:最小/最大 70/155 m
航続距離 2,703.70 km
最高上昇限度 33,200 ft (10,100 m)
実用上昇限度 30,500 ft (9,296.4 m)
上昇率 2,440 ft/min (12.4 m/s)
兵装 M2ブローニング(Browning ).50口径12.7mm機関銃(機首2丁+翼内2丁)合計4丁
爆弾搭載量:最大 90.8kg(45kg爆弾2発)

写真(右)1942年8月2日、アメリカ、ジョセフ・クリフトン中尉の操縦するアメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)F2A-3 艦上戦闘機(機体番号白21);エンジンの出力強化、兵装強化、防弾性の強化が図られたが、重量増加のために、飛行性能は僅かの向上に留まった。そのため、1933年10月に初飛行したグラマンF2F複葉艦上機(最高速力:383 km/h、航続距離:1,585 km)よりも飛行性能は優れていたものの、グラマンF4Fに艦上戦闘機の主力の座を奪われた。
Title:Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter Description:Photo #: NH 97540 Brewster F2A-3 Buffalo fighter In flight, 2 August 1942, piloted by Lieutenant Commander Joseph C. Clifton. Official U.S. Navy Photograph, from the collections of the Naval History and Heritage Command.
写真はNaval History and Heritage Command・NH 97540 Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter 引用。


写真(右)1942年8月2日、アメリカ、ジョセフ・クリフトン中尉の操縦するアメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)F2A-3 艦上戦闘機(機体番号白21);機体番号白21のクローズアップ写真。主翼と胴体側面の国籍記章は、戦争当初の星の中央にあった赤丸が削除され、青地に白い星を描いたシンプルなものになった。風防は開けて、パイロットが良く見えるようにして写真撮影をしている。1942年になっても、操縦席コックピット前方に装備されているのは、眼鏡式の射撃照準器で、光像式射撃照準器ではない。
Title:Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter Description:Photo #: 80-G-16055 Brewster F2A-3 Buffalo fighter In flight on 2 August 1942. Pilot is Lieutenant Commander Joseph C. Clifton, USN. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・NH 97540 Brewster F2A-3 "Buffalo" fighter 引用。


図(右)アメリカ海軍航空隊ブリュスター(Brewster)F2A-3 艦上戦闘機の三面図:機首には無線アンテナを張るためのアンテナ支柱が立っており、そこから尾翼上端にまでアンテナが張られている。
Description Three-side view of a Brewster F2A-3 Buffalo fighter.
Date 1976
Source U.S. Navy Naval Aviation News August 1976
Author USN
写真はWikimedia Commons Category:Brewster F2A-3 Buffalo・File:3-sd F2A-3 NAN8-76.jpg引用。


ブリュスターF2Aバッファロー(Brewster F2A Buffalo)艦上戦闘機は、密閉式コックピット、完全な引込み式の主輪・尾輪の降着装置を備えており、1937年12月の初飛行時点では、先進的だった。

しかし、ブリュスターF2A「バッファロー」艦上戦闘機は、その後の量産が順調に進まなかったために、1939年末までに僅か18機しか生産できず、戦力化が遅れた。その間に、飛行機の技術進歩は目覚ましく、数の揃った1940年には既に飛行性能は傑出した者とは言えなくなっていた。F2A-2の発展型が、F2A-3だが、飛行性能は重量増加のために改善されずに終わっている。

開発・生産を担ったアメリカでは、ブリュスターF2A「バッファロー」戦闘機はあまり使われずに終わってしまったが、その陸上機型は、イギリス、ベルギー、オランダ、フィンランドでB-339あるいはB-439の名称で使用されている。アメリカの航空機出に、西側民主主義国の国防には寄与した機体だったといえる。

ブリュスターF2A「バッファロー」Brewster F2A Buffalo)戦闘機の年次別生産機数
1938/1939年 18機
1940年 160機
1941年 311機
1942年 20機
合計 509機

写真(右)1943年4月9日、アメリカ南部、フロリア州マイアミ、アメリカ海軍基地のアメリカ海軍ブリュスター(Brewster)F2A-3 「バッファロー」艦上戦闘機の訓練機のブローニング0.50口径12.7ミリ機関銃を整備する地上勤務計器係員;3:1の比率で、黒の徹甲弾と赤の曳光弾を装填している。
Title:Aviation Ordnanceman
Description:Loads the fuselage .50 caliber machineguns of a Brewster F2A Buffalo fighter with ammunition, at Naval Air Station, Miami, Florida, 9 April 1943. The F2A was then in use as a training aircraft. Note 3:1 ratio of black-tipped armor-piercing ammunition to red-tipped tracer ammunition. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-830 Lieutenant Walter A. Haas, USNR 引用。


ブローニングM2空冷式機関銃の原型は、アメリカ人ジョン・ブローニングが第一次世界大戦末期に開発した地上戦用の水冷式M1921重機関銃だが、初速が早く、弾道の安定性がよく、射程が長いために、対空用M2機関銃としても1933年に採用され、それ以降、アメリカ戦闘機・爆撃機など多数のアメリカ軍用機に搭載された攻撃用あるいは防御用の航空機搭載機関銃となった。キャリバー.50 (Caliber .50)の愛称は、銃弾口径が1インチの0.5倍(半分)すなわち12.7ミリを意味する。
砲身長36.0 in (91.44 cm)
総重量固定式:61.4 ポンド (27.85 kg)
砲口初速 2,900 フィート/秒 (884 m/s)
発射速度700-850発/分
弾頭重量 AP:706.7 グレーン (45.79 g)

写真(右)1943年4月9日、アメリカ南部、フロリア州マイアミ、アメリカ海軍基地のアメリカ海軍ブリュスター(Brewster)F2A-3 「バッファロー」艦上戦闘機の新米パイロットに訓練指導する歴戦のアメリカ海軍ウォルター・ハース中尉
Title: Aviation Ordnanceman Description:Loads the fuselage .50 caliber machineguns of a Brewster F2A Buffalo fighter with ammunition, at Naval Air Station, Miami, Florida, 9 April 1943. The F2A was then in use as a training aircraft. Note 3:1 ratio of black-tipped armor-piercing ammunition to red-tipped tracer ammunition. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives. .
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-830 Lieutenant Walter A. Haas, USNR 引用。



写真(上)1942年、アメリカ南部、フロリア州マイアミ、アメリカ海軍基地のアメリカ海軍ブリュスター(Brewster)F2A-3 「バッファロー」艦上戦闘機(後方奥)と並んだノースアメリカン(North American)SNJ-3練習機・SNJ-5練習機(trainers)
;アメリカ海軍 SNJ-3「テキサン」練習機は、アメリカ陸軍T-6 テキサン (Texan)練習機の海軍仕様である。
Title:Naval Air Station, Miami, Florida Description:Training aircraft on the parking ramp, circa 1942-43. Note the variety of types, some built for training purposes and others former combat aircraft. The latter feature a wide variety of color schemes and markings. Planes closest to the camera are North American SNJ-3 & SNJ-5 trainers. Those beyond include Brewster F2A fighters (at right); Grumman F2F and F3F fighters (left and center); Curtiss SBC scout bombers (just beyond the fighters); and Northrup BT bombers (left distance). Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・File:Training aircraft at Naval Air Station Miami, circa in 1942 (80-G-K-13386).jpg引用。



写真(上)1942年、アメリカ南部、フロリア州マイアミ、アメリカ海軍基地のアメリカ海軍ブリュスター(Brewster)F2A-3 「バッファロー」艦上戦闘機(後方奥)と並んだノースアメリカン(North American) SNJ-3「テキサン」 "Texan"練習機(trainers)
;T-6 テキサン (Texan)は、アメリカ陸軍の高等練習機だが、アメリカ海軍でも SNJ-3「テキサン」の名称で同じ機種を練習機として使用した。
Title:North American SNJ-3 "Texan" training aircraft Description:North American SNJ-3 Texan training aircraft At a Naval Air Station (possibly NAS Miami, Florida), during World War II. The SNJ-3 at left is Bureau # 6830. Note tractor preparing to tow the SNJ in the center; and several Brewster F2A Buffalo fighters in the background. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・File:North American SNJ-3 and Brewster F2A-3 trainers at Naval Air Station Miami, circa in 1942 (80-G-K-13384).jpg引用。


図(右)1940年、ブリュスター(Brewster)F2A-3艦上戦闘機の平面構造図・塗装図解;機体の諸元、塗装仕様が詳しく記入された航空兵力を急速に強化しようとした西ヨーロッパ諸国にアメリカからF2A戦闘機が多数輸出された。
sdasm image - catalogbd lockheed pv 2.jpg - title--bd lockheed pv -- - filenamebd lockheed pv 2.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・ - pictionid:56896069引用。


1941年12月7日(日本時間8日)に、日米開戦、マレー半島上陸で太平洋戦争が勃発した時には、F2Aはイギリス植民地マラヤ、アメリカ軍のハワイ諸島オアフ島空軍基地などに配備されていた。しかし、アメリカ海軍は、ブリュスターF2A艦上戦闘機ではなく、グラマンF4F「ワイルドキャット」(Grumman F4F Wildcat)を主力艦上戦闘機として配備したために、ブリュスター(Brewster)「バッファロー」(Buffalo)戦闘機は艦上戦闘機としてほとんど活躍することがなかった。

図(右)1940年、ブリュスター(Brewster)F2A-3艦上戦闘機の側面構造図・塗装図解;航空兵力を急速に強化しようとした西ヨーロッパ諸国にアメリカからF2A戦闘機が多数輸出された。
sdasm image - catalogbd lockheed pv 3.jpg - title--bd lockheed pv -- - filenamebd lockheed pv 3.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・ pictionid:56896081引用。


ブリュスター(Brewster)「バッファロー」(Buffalo)艦上戦闘機は1938年から1043年にかけて509機が量産された。アメリカ海軍艦上戦闘機としては、大型攻撃空母「サラトガ」などに配備されていた時期もある。また、陸上機に改造したタイプは、ベルギー、オランダ、イギリスにも輸出され、ソ連と戦う準備をしていたフィンランドにも輸出されている。アメリカから導入したF2Aをイギリスでは「バッファロー」の愛称をつけて使用し、それがアメリカにも逆輸入された。


2.1940-1941年、オランダ・イギリス空軍ブリュスター339B「バッファロー」戦闘機

写真(右)1939-1940年、オランダ空軍の使用したアメリカ製ブリュスター(Brewster)Model 339D 戦闘機;Model 339D の「D」はオランダDutch(ダッチ)の頭文字で、オランダ軍仕様を意味する。
SDASM Archives Piction PictionID:40958504 - Brewster Model 339D B-3119 mfg - Filename:16_000239 Brewster Model 339D B-3119 mfg.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog:16_000239 引用。


1938年のズテーテン危機後、第二次欧州大戦勃発が懸念されたが、ドイツの隣国オランダ、ベルギーは中立を維持しつつも、国防力の強化を図ることとなった。そして航空兵力の増強のために、最新鋭のアメリカ製戦闘機の導入を決める。これがアメリカ製ブリュスター(Brewster)Model 339戦闘機である。隣国ヒトラー・ドイツの軍事的侵攻の驚異から国防を強化しようと、オランダもベルギーも、アメリカからブリュスター(Brewster)F2A艦上戦闘機を小改造して、自国軍仕様とした陸上型「ブリュスター339」戦闘機を輸入することを決めたのである。

写真(右)1939-1940年、飛翔するオランダ空軍の使用したアメリカ製ブリュスター(Brewster)Model 339D 戦闘機;Model 339D の「D」はオランダDutch(ダッチ)の頭文字で、オランダ軍仕様を意味する。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Photo Catalog:Array - Title:Array - Filename:16_000241 Brewster Model 339D B-3119.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・PictionID:40958528 引用。


オランダ軍の輸入したアメリカ製F2A戦闘機は、モデル(Model)339Dと呼称されたが、この「D」はオランダDutch(ダッチ)の頭文字で、オランダ軍仕様を意味する。また、ベルギー軍が購入を決めたアメリカ製F2A戦闘機は、Model 339Bと呼称されたが、この「B」はベルギーBelgium(ベルジウム)の頭文字で、ベルギー軍仕様を意味する。ただし、モデル(Model)339Dは、ベルギーに到着する前に、ベルギーはドイツの侵攻を受けて降伏してしまったため、アメリカ製Model 339B戦闘機はベルギーには到着していない。

写真(右)1940年頃、イギリス空軍迷彩塗装のアメリカ製ブリュスター(Brewster)「バッファロー」Buffalo I (F2A)戦闘機;イギリス軍は「バッファロー」と命名して制式したが、この愛称をアメリカ海軍でも取り入れて「バッファロー」戦闘機と呼称するようになった。ブリュスター社はModel 339E の「E」はイギリスEnglandの頭文字で、イギリス軍仕様として生産した。
SDASM Archives Brewster Buffalo I (F2A) Title: Brewster Buffalo I (F2A) ADDITIONAL INFORMATION: Brewster Buffalo I (F2A) Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: U.S. Manufacturers I, A to Br Page #: 104 Tags: Brewster Buffalo I (F2A)
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: 15_001401引用。


写真(右)1940年、イギリス空軍が導入したブリュスター(Brewster)F2A艦上戦闘機の陸上型はブリュスター339B「バッファロー」(Buffalo)Mark Iと呼ばれた。;Model 339B の「B」はベルギー(Belgium)を意味するが、イギリスBritain(ブリテン)の頭文字Bでもあり、イギリス軍仕様と見なされて、そのまま使用された。
AMERICAN AIRCRAFT IN ROYAL AIR FORCE SERVICE 1939-1945: BREWSTER MODEL 339 BUFFALO. Object description Buffalo Mark I, AS426, at the Aeroplane and Armament Experimental Establishment, Boscombe Down, Wiltshire. This aircraft was one of 33 ex-Belgian Model 339Bs purchased by the British Government, following the fall of Belgium. A few examples served briefly with No. 71 Squadron RAF, but all were eventually transferred to the Fleet Air Arm..
写真はImperial War Museums ・IWM (ATP 10420B)引用。


第二次欧州大戦勃発直前にベルギー軍が、隣国ヒトラー・ドイツの軍事的侵攻の驚異から国防を強化しようと、アメリカから33機のブリュスター(Brewster)F2A艦上戦闘機を小改造して、ベルギー軍仕様の陸上型「ブリュスター339B」を輸入することを決めた。しかし、F2A(ブリュスター339B)のベルギー到着前に、ベルギーはドイツから侵略され占領されてしまった。そこで、航空兵力強化を急いでいたイギリスが、ベルギーが発注したF2AF2A(ブリュスター339B)戦闘機33機をベルギーに代わって購入・使用した。この時のイギリス軍がブリュスター339Bに付けた愛称「バッファロー」がアメリカでも使用されることとなった。

写真(右)1940年、イギリス空軍が導入したブリュスター(Brewster)F2A艦上戦闘機の陸上型はブリュスター339B「バッファロー」(Buffalo)Mark Iと呼ばれた。;ベルギー軍がドイツの驚異の前に航空兵力を強化しようと、アメリカから33機のF2A艦上戦闘機の陸上型を輸入したが、その前に、ベルギーはドイツから侵略占領されてしまった。そこで、航空兵力強化を急いでいたイギリスが、そのF2A戦闘機をベルギーに代わって使用した。この時の名称「バッファロー」がアメリカでも使用されることとなった。
AMERICAN AIRCRAFT IN ROYAL AIR FORCE SERVICE 1939-1945: BREWSTER MODEL 339 BUFFALO. Object description Brewster Buffalo Mark I, AS426, on the ground with engine running at the Aeroplane and Armament Experimental Establishment, Boscombe Down, Wiltshire, during a display of new aircraft types acquired from the USA. AS426 was one of 33 aircraft from a Belgian contract, taken over by the British Government, following the German invasion, most of which were passed to the Fleet Air Arm. Label A Brewster Buffalo Mk I at the Aeroplane and Armament Experimental .
写真はImperial War Museums ・IWM (E(MOS) 218)引用。


1941年12月に勃発した太平洋戦争では、開戦前から東南アジア地域を植民地としていた大英帝国やオランダは、極東方面に新鋭戦闘機としてブリュスター(Brewster)339B「バッファロー」(Buffalo)陸上戦闘機を配備していた。このB-339は、アメリカ海軍のブリュスターF2A「バッファロー」(Brewster F2A Buffalo)艦上戦闘機の輸出版の名称で、イギリス空軍仕様のB-339Eは、コックピットの防御力を強化するために、防弾ガラス、防弾板を追加装備を行った。また、機銃射撃照準器も、望遠式ではなく、光像式射撃照準器を搭載した。

写真(右)1940年、イギリス空軍が導入したブリュスター(Brewster)F2A艦上戦闘機の陸上型ブリュスター339B「バッファロー」(Buffalo)Mark I戦闘機;イギリス空軍の制式した雲形迷彩塗装を施している。1940年には既に新鋭機とは言えなかったが、航空兵力を急速に強化するためにイギリスはアメリカから軍用機を多数導入した。
sdasm image - catalogbd lockheed pv 6.jpg - title--bd lockheed pv -- - filenamebd lockheed pv 6.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・ pictionid:56896117 引用。


 西側連合軍が導入したアメリカ製ブリュスター(Brewster)339B「バッファロー」(Buffalo)戦闘機は、元来強固な機体構造を活かして、日本軍によるイギリス領マラヤ植民地、オランダ領東インド植民地の防衛に当たり、さらに西太平洋上ではアメリカ軍の拠点となるハワイ諸島・ミッドウェー島などの防衛にも充当された。B-339バッファロー陸上戦闘機・F2A艦上戦闘機鵜は、対する日本陸軍の中島一式戦闘機、日葡院海軍の三菱零式艦上戦闘機よりも劣位にあったが、信頼性と堅牢な構造を活かして、西側連合軍の防衛の一翼を担っていたのある。

写真(右)1940年、イギリス空軍が導入したブリュスター(Brewster)F2A艦上戦闘機の陸上型ブリュスター339B「バッファロー」(Buffalo)Mark I戦闘機;イギリス空軍の制式した雲形迷彩塗装を施している。1940年には既に新鋭機とは言えなかったが、航空兵力を急速に強化するためにイギリスはアメリカから軍用機を多数導入した。
sdasm image -sdasm image - catalogbd lockheed pv 5.jpg - title--bd lockheed pv -- - filenamebd lockheed pv 5.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・ pictionid:56896105 引用。


アジア貿易の交通の要衝マラッカ海峡を臨むマレー半島、その南端のシンガポール島は、18世紀からイギリスの勢力が入り込んでおり、1895年にイギリス植民地マラヤ(マレー)となった。そして、マレー半島では、スズの採掘、天然ゴムのプランテーションが発展し、マレー半島南端に位置するシンガポールSingapore)島は政治・軍事の中核となる港湾都市として繁栄した。

写真(右)1940-1941年頃、シンガポール、センバワン基地、イギリス空軍第453飛行隊が導入したブリュスター(Brewster)F2A艦上戦闘機の陸上型はブリュスターB-339「バッファロー」(Buffalo)Mark Iと呼ばれた。;極東方面イギリス空軍のプルフォード少将による検閲を受けている。
AMERICAN AIRCRAFT IN ROYAL AIR FORCE SERVICE 1939-1945: BREWSTER MODEL 339 BUFFALO. Object description Buffalo Mark Is of No. 453 Squadron RAAF, lined up at Sembawang, Singapore, on the occasion of an inspection by Air Vice Marshal C W H Pulford, Air Officer Commanding Royal Air Force Far East..
写真はImperial War Museums ・ IWM (CF 766)引用。


日本軍の侵略からイギリス植民地マラヤ(マレーシア)、その拠点となるシンガポール要塞を守るために、コモンウェルスのオーストラリア軍遠征軍も派遣されていた。特に、オーストラリア空軍RAAFがアメリカから購入したロッキード・ハドソンLockheed Hudson)双発爆撃機(ロッキード・エレクトラ輸送機の軍用型)は新鋭機で、日本軍の爆撃機と対等以上の性能を誇っていた。

写真(右)1940-1941年頃、シンガポール、センバワン基地、イギリス空軍第21飛行隊が導入したブリュスター(Brewster)F2A艦上戦闘機の陸上型はブリュスターB-339「バッファロー」(Buffalo)Mark Iと呼ばれた。;極東方面イギリス空軍司令官コンウェイ・プルフォード少将(Conway Pulford:1892-1942)による検閲を受けている。日本軍の侵略からシンガポールとマレーシアの植民地を守るために、コモンウェルスのオーストラリア軍遠征軍も派遣されていた。特に、オーストラリア空軍RAAFがアメリカから購入したロッキード・ハドソン双発爆撃機(ロッキード・エレクトラ輸送機の軍用型)は新鋭機で、日本軍の爆撃機と対等以上の性能を誇っていた。
ROYAL AIR FORCE OPERATIONS IN THE FAR EAST, 1941-1945. Object description Brewster Buffalo Mark Is of No. 21 Squadron RAAF, lined up at Sembawang, Singapore, on the occasion of an inspection by Air Vice Marshal C W H Pulford, Air Officer Commanding Royal Air Force Far East..
写真はImperial War Museums ・IWM (CF 758)引用。


写真(右)1940-1941年頃、シンガポール、センバワン基地、イギリス空軍第21飛行隊と第453飛行隊のブリュスター(Brewster)339B「バッファロー」(Buffalo)Mark I 戦闘機;極東方面イギリス空軍司令官コンウェイ・プルフォード少将(Conway Pulford:1892-1942)検閲を受けている。日本軍の侵略からシンガポールとマレーシアの植民地を守るために、コモンウェルスのオーストラリア軍遠征軍も派遣されていた。
ROYAL AIR FORCE OPERATIONS IN THE FAR EAST, 1941-1945. Object description Brewster Buffalo Mark Is for the re-equipment of Nos. 21 and 453 Squadrons RAAF, being inspected by RAF personnel at Sembawang, Singapore...
写真はImperial War Museums ・IWM (K 630)引用。


極東方面イギリス空軍司令官コンウェイ・プルフォード少将(Conway Pulford:1892-1942)は、1942年イギリス植民地マラヤの首都シンガポールを席巻した日本軍から脱出するように2月2日に指令を受け、10日後にイギリス海軍モーターランチML310(HMS ML 310)でシンガポール脱出を図ったが、オランダ領インドシナのスマトラ島付近バンカ島北海面で空襲され、無人のチビア島に避難した。しかし、マラリアに感染したコンウェイ・プルフォード少将(Conway Pulford)少将は1942年3月10日、島で死亡した。2か月後、モーターランチML310(HMS ML 310)で脱出した部下たちはに日本軍に降伏し捕虜として抑留された。

写真(右)1940年、イギリス植民地マラヤ上空を飛行するイギリス空軍が導入したブリュスター(Brewster)F2A艦上戦闘機の陸上型ブリュスター339E「バッファロー」(Buffalo)Mark I戦闘機の大編隊
Ray Wagner Collection Photo - Catalog:Array - Title:Array - Filename: 16_000238 Brewster Model 339E Malaya.tif - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ..
写真はSan Diego Air and Space Museum ・PictionID:40958492 引用。


イギリス空軍仕様アメリカ製ブリュスターF2A「バッファロー」(Brewster F2A Buffalo)艦上戦闘機の陸上機型はModel 339E戦闘機と命名されているが、この「E」はイギリスEngland(イングランド)の頭文字で、イギリス軍仕様を意味する。しかし、イギリス軍が導入した最初のF2A戦闘機は、Model 339B であり、この「B」はベルギー(Belgium)を意味するが、イギリスBritain(ブリテン)の頭文字Bでもあり、イギリス軍仕様と見なされて、そのまま使用された。

写真(右)1940-1940年、イギリス空軍の使用したアメリカ製ブリュスター(Brewster)339B「バッファロー」(Buffalo)Mark I戦闘機を日本陸軍が鹵獲して機体に日の丸の国籍記章を記入した。
SDASM Archives Brewster : F2A : Buffalo Manufacturer: Brewster Designation: F2A Official Nickname: Buffalo Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: 00019171引用。


イギリス空軍の使用したアメリカ製ブリュスター(Brewster)339B「バッファロー」(Buffalo)Mark I戦闘機戦闘機は、マレー半島・シンガポールの防衛にアジアでも使用された。しかし、1942年早々、シンガポールは陥落してしまう。その時に、日本軍は多数のイギリス空軍機を鹵獲した。その中には、飛行可能なブリュスター(Brewster)339B「バッファロー」(Buffalo)Mark I戦闘機があった。その飛行性能は、格戦闘能力を重視する日本軍では劣っているとみなされたが、その後も稼働可能で国策プロパガンダ映画にも、敵イギリス空軍戦闘機として登場するなど、その稼働率の良さ、整備のしやすさは学ぶところがあったはずだ。


3.1939-1944年、フィンランド空軍のブリュスター(Brewster)239戦闘機


写真(右)1940年3月7日、フィンランド、試験的に固定式スキー降着装置を付けたフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機
;ブリュスター(Brewster) 239戦闘機は、アメリカのブリュスターF2Aバッファロー(Buffalo)のフィンランド名である。輸入当初、ブリュスターF2Aバッファローの引込み式脚を固定スキー式降着装置とした試作機が開発された。これは、フィンランドが極北戦線仕様に試作したものである。
Brewster 239 -hävittäjässä kokeiltu kiinteä profiloitu suksilaskuteline . Organisation Museokeskus Vapriikki Collection VAR Inventory ID VAR:10211 Photo info: 1940-1940 Härmälä, Pyhäjärvi Tampere, Suomi
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・VAR:10211引用。


アメリカ海軍は、それまでの複葉、固定脚、開放式風防の艦上戦闘機を近代化するために、1936年に単葉機、折畳み式主翼、引込み脚、密閉式風防の仕様で競争試作の要求を出した。これに対して、老舗メーカーのグラマン、セバスキーとともに新興のブリュスターがB-139(Brewster model 139)を提示し、最も優れた性能を発揮した。しかし、ブリュスターにおける新型艦上戦闘機の生産は遅れたため、グラマンの新型機F4Fワイルドキャットが制式となり、アメリカ海軍の主力艦上戦闘機となった。それでも、アメリカ軍の制式戦闘機として、F2Aはイギリスで「バッファロー(Buffalo)」と命名されて制式となった上に、第二次大戦の勃発を恐れるベルギー、オランダでもブリュスターF2A「バッファロー」(Brewster F2A Buffalo)を陸上戦闘機として購入した。また、フィンランドも、ソ連との戦争に備えて、F2A戦闘機44機を購入し、ブリュスターB-239と命名して部隊配備した。

1939年の冬戦争で、フィンランド軍は、総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の下、数的に遥かに勝るソ連赤軍相手に善戦した。しかし、ドイツは、西方戦役の準備のため、1939年独ソ不可侵条約を順守し、スカンジナビア諸国からも、英仏からも軍事援助を受けることができず、孤軍奮闘するしかなかった。その結果、1940年3月12日、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)は、ソ連の領土要求を受け入れざるを得ず、フィンランドは降伏の道を選んだ。

写真(右)1941年8月25日、フィンランド、カレリア地峡、ドイツ製1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37:フィンランド37 ItK / 37 RMB:Rheinmetall-Borsig)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:ドイツの対空機関砲3.7 cm Flak 37は、フィンランドでは37 ItK / 37 RMB(ラインメタル・ボルジ)と呼称した。ラインメタル社は、2 cm Flak 30を37mm口径に増強した3.7cmFlak 18を開発したが、大量生産されるに至らず、改良型の3.7 cm Flak 37、ついで 3.7 cm Flak 43が量産された。1943年式3.7センチ対空機関砲(3.7 cm Flak 43)の諸元;発射速度150 発/分、砲口初速770–820 m/秒、有効射程4,200 m。
Saksalaisia IT-tä. Kal. 37mm. Sijoitetaan lauttoihin niiden valmistuttua. Kuvassa on 37 mm:n saksalainen ilmatorjuntakanuuna vuodelta 1937, 37 ItK/37 RMB (Rheinmetall-Borsig), saksalainen nimike 3,7 cm Flak 37.ak 37.Content Type Organisation Military Museum Photo info: 1942-07-10 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja .
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-38120引用。


ドイツの対空機関砲3.7 cm Flak 37をフィンランド軍は輸入して、37 ItK / 37 RMB(ラインメタル・ボルジ)と命名して、部隊配備した。この3.7センチ対空機関砲の原型は、ラインメタル社の2 cm Flak 30で、これを同社が37mm口径に拡大して3.7cmFlak 18を開発した。しかし、この機関砲は完成度が低かったために量産されずに終わった。そこで、ラインメタル社は、改良型の3.7 cm Flak 37を開発し、次いで量産性を高めた 3.7 cm Flak 43を完成させ、大量生産に入った。

1943年式3.7センチ対空機関砲(3.7 cm Flak 43)の諸元;
重量2,000 kg
銃身長3.626 m
操作員6–7名
弾薬 37 × 263 mm
弾薬重量 623–659 g
口径37 mm (L/57口径)
発射速度150 発/分
砲口初速770–820 m/秒
有効射程4,200 m

フィンランドは、冬戦争の敗北後、ソ連に対して領土復活のための復讐戦争を計画し、マンネルハイム元帥の下で、軍事力を強化した。特に、1940年に、ドイツ軍が、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、フランスを占領し、大陸を制覇すると、ドイツとソ連の対立が予期される状況になった。そこで、フィンランドは、ナチス・ドイツに接近し、ドイツとの同盟の元にソ連軍に対峙する姿勢を見せた。フィンランド軍は、10個師団以上を編成し、国民義勇軍として、女子や学徒も動員することで、総兵力50万人となった。

写真(右)1942年頃(?)、フィンランド・ソ連国境、航空監視塔の女性航空監視員:女性航空監視員が一人は双眼鏡で飛行機を探し、もう一人は電話で通信を担っている。女性対空監視員の多数のカラー写真が、フィンランド国防軍のアーカイブに収録されている。カレリア地峡でロシア方面からのソ連敵機を見張っているのであろう。気象観測も重要な役目だった。
Ilmavalvontalotat työssään. Hökkölän säähavaintoasema ja ilmavalvonta-aluekeskuksesta Hökkölän pappilassa, Jaakkiman pitäjässä. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: undated Carl Rosenqvist, valokuvaaja .
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-166423引用。


フィンランドは、冬戦争で失った領土を奪回するために、愛国的戦争と見なして1941年6月26日に第二次ソ芬戦争、すなわち継続戦争Continuation War)を開始した。つまり、冬戦争の続きとして、領土奪回のための継続戦争を仕掛けたのである。また、当時、ドイツは、イギリス供交戦状態にあったが、フィンランドはイギリスと戦うつもりは全くなく、イギリスの行為を得るために、ドイツ同盟国として、枢軸側に立って第二次世界大戦を戦う、ということではないとの弁明をした。あくまでも敵はソ連だけであり、これは世界戦争の一環ではなく、局地的な二国間戦争に過ぎないというのである。このようなご都合主義の参戦をイギリスは認めなかったた。フィンランドは、事実上、ドイツの同盟国として、ファシズム枢軸国の側に立って、第二次世界大戦に参戦したとみなされるのである。

写真(右)1942年頃(?)、フィンランド・ソ連国境、カレリア地峡、ラトガ湖北西岸、ヤクキマ(ジャキマ)にあるホッケラ修道院ホールにある通信中継センターで勤務する女性高空監視員:2人の女性航空監視員が無線機を操作している。壁には呼び出し富豪のようなチャートが張ってある。ヤクキマ(Яккима)は現在ロシア連邦カレリア共和国。カール・ローゼンクヴィストの撮影。
Lotat radiolaitteiden ääressä. Kuva todennäköisesti Jaakkiman pitäjän Hökkölän pappilassa sijainneesta ilmavalvonta-aluekeskuksesta, josta Carl Rosenqvist kuvannut useampia värikuvia.Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: undated Carl Rosenqvist, valokuvaaja .
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-165684引用。


1941年6月26日に第二次ソ芬戦争、すなわち継続戦争Jatkosota)を仕掛けたのは、フィンランドであり、イギリスとは戦わない、第二次世界大戦への参戦ではなく、ソ連との二国間戦争であるというのは、国際的には通用しない詭弁であり、ドイツと戦うソ連に対していち早く軍事援助を開始するとしたイギリスは、ソ連の同盟国として、フィンランドの対ソ攻撃を許さなかった。「継続戦争」と称しているのは、フィンランドのみであり、これは第二次世界大戦の一環としての枢軸国ドイツ・フィンランドと連合国ソビエト連邦との戦いである。フィンランドは、ドイツの同盟国として、ファシズム枢軸国の側に立って、第二次世界大戦に参戦したのである。

1940年6月のフランス降伏で,ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げた。1941年6月21日,バルバロッサ作戦開始の前日のドイツ軍東部戦線配備兵力
兵員300万人,戦車3580両,火砲7184門,車両60万台,ウマ75万頭。航空機1830機.

1941年6月21日,バルバロッサ作戦で攻撃を受けたソ連軍は,兵員450万人,10個軍だった。
ソ連軍は,北方には30個師団,8個機甲旅団,中部に45個師団,14個機甲旅団,南部に64個師団,14個機甲旅団を配備

ソ連空軍は白ロシア(ベラルーシ)に6000機を配置。

写真(右)1940年6月24日、フィンランド、林の中で枝葉で対空偽装を施したフィンランド空軍第24飛行隊第2中隊所属のブリュスター(Brewster) 239戦闘機;ブリュスター(Brewster) 239戦闘機は、アメリカのブリュスターF2Aバッファロー(Buffalo)のフィンランド名である。ブリュスターF2Aバッファローの引込み式脚を固定スキー式降着装置とした試作機は、実用化されず、引込み式脚の原型が、フィンランド軍で採用された。フィンランド軍の国籍標識は、白丸に青のカギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)。
Ilmasuojassa olevia koneita vartioidaan. Kyseessä 2./LeLv 24:n Brewster (BW-352) hävittäjä Selänpään kentällä.;.
Content Type Photo Organisation Military Museum
Photo info: 1941-06-24 Kivi, Kauko, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・sa-kuva-78443引用。


フィンランドは、ソ連との戦争に備えて、アメリカ海軍の制式ブリュスターF2A「バッファロー」(Brewster F2A Buffalo)戦闘機44機を購入し、ブリュスターB-239と命名した。F2A戦闘機はイギリスで「バッファロー(Buffalo)」と命名されている。

写真(右)1940年6月24日、フィンランド、フィンランド空軍第24飛行隊第2中隊所属のブリュスター(Brewster) 239戦闘機が飛行場脇の森林に隠匿されている。;ブリュスター(Brewster) 239戦闘機は、アメリカのブリュスターF2Aバッファロー(Buffalo)のフィンランド名である。ブリュスターF2Aバッファローの引込み式脚を固定スキー式降着装置とした試作機は、実用化されず、引込み式脚の原型が、フィンランドの極北戦線で実戦使用された。フィンランド軍の、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)、白丸に青のカギ十字が国籍標識として描かれている。
Ilmasuojassa olevia koneita vartioidaan. Kyseessä 2./LeLv 24:n Brewster (BW-352) hävittäjä Selänpään kentällä.
Content Type Photo Organisation Military Museum
Photo info: 1941-06-24 Kivi, Kauko, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・sa-kuva-78446引用。


1935年アメリカ陸軍航空隊の戦闘機競争試作において、名門カーチス社は、1935年5月15日、ライトXR-1760試作空冷エンジン(900馬力)搭載の試作機モデル75を初飛行させた。その後、モデル75の発動機を後に有名となるライトXR-1820空冷星形エンジン「サイクロン」に換装、モデル75Bを開発した。しかし、セバスキーSEV-7が競争試作に勝ち、P-35戦闘機として制式されてしまう1939年11月にソ連によるフィンランド侵攻で、冬戦争が勃発したが、最前線に数百機を投入できたソ連空軍に対して、フィンランド空軍は、試作から開発した国産機は配備されておらず、全て外国からの輸入機であり、多様な機体を少数ずつ配備するしかなかった。この冬戦争初頭の主力戦闘機が、40機配備されていたオランダ製フォッカーD21戦闘機である。

写真(右)1940年8月8日、フィンランド、フィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;ブリュスター(Brewster) 239戦闘機は、アメリカのブリュスターF2Aバッファロー(Buffalo)のフィンランド名である。フィンランド軍の、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)、白丸に青のカギ十字が国籍標識として描かれている。
Brewster saapuu. Majuri Magnusson y.m. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: 1941-08-08 Lassi Hämäläinen, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・VAR:10211引用。


アメリカ海軍は、それまでの複葉、固定脚、開放式風防の艦上戦闘機を近代化するために、1936年に単葉機、折畳み式主翼、引込み脚、密閉式風防の仕様で競争試作の要求を出した。これに対して、老舗メーカーのグラマン、セバスキーとともに新興のブリュスターがB-139(Brewster model 139)を提示し、最も優れた性能を発揮した。しかし、ブリュスターにおける新型艦上戦闘機ブリュスターF2A「バッファロー」(Brewster F2A Buffalo)の生産は遅れたため、グラマンの新型機F4Fワイルドキャットが制式となり、アメリカ海軍の主力艦上戦闘機となった。それでも、アメリカ軍の制式戦闘機として、F2Aはイギリスで「バッファロー(Buffalo)」と命名されて制式となった上に、第二次大戦の勃発を恐れるベルギー、オランダでもF2Aを陸上戦闘機として購入した。また、フィンランドも、ソ連との戦争に備えて、F2A戦闘機44機を購入し、ブリュスター(Brewster)Model 239と命名して部隊配備した。

写真(右)1940年6月24日、フィンランド、林の中で枝葉で対空偽装を施したフィンランド空軍第24飛行隊第2中隊所属のブリュスター(Brewster) 239戦闘機;ブリュスター(Brewster) 239戦闘機は、アメリカのブリュスターF2Aバッファロー(Buffalo)のフィンランド名である。ブリュスターF2Aバッファローの引込み式脚を固定スキー式降着装置とした試作機は、実用化されず、引込み式脚の原型が、フィンランドの極北戦線で実戦使用された。フィンランド軍の、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)、白丸に青のカギ十字が国籍標識として描かれている。
Ilmasuojassa olevia koneita vartioidaan. Kyseessä 2./LeLv 24:n Brewster (BW-352) hävittäjä Selänpään kentällä.
Content Type Photo Organisation Military Museum
Photo info: 1941-06-24 Kivi, Kauko, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・sa-kuva-78442引用。


マンネルハイム元帥は、対ソビエト連邦との二回目の戦争、継続戦争を1941年6月26日に初めた指導者の一人だが、自ら開戦した以上、何としてもソビエト連邦の軍事力を削いで、1939年-1940年の冬戦争で失った固有の領土回復を果たしたかったに違いない。1942年のマンネルハイムのナチス訪問は、ちょうど、継続戦争開始1周年であり、フィンランドはソ連を明確な敵とし、枢軸国ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、ソ連領に攻め入っていた。マンエルハイム元帥が、フィンランドの領土の回復、ソ連の弱体化を真剣に望んでいたのは確かであろう。1942年6月時点で、未だにドイツのヨーロッパ支配の状況は変わりはなく、イギリス、アメリカによるフィンランド攻撃の心配は、全くなかった。マンネルハイムだけでなく、フィンランド国民の多くは、いまこそ、ソ連弱体化の最大の機会であると考え、継続戦争を自らはじめ、善戦していた。

写真(右)1940年6月24日、フィンランド、林の中で枝葉で対空偽装をしたフィンランド空軍第24飛行隊第2中隊所属のブリュスター(Brewster) 239戦闘機;ブリュスター(Brewster) 239戦闘機は、アメリカのブリュスターF2Aバッファロー(Buffalo)のフィンランド名である。ブリュスターF2Aバッファローの引込み式脚を固定スキー式降着装置とした試作機は、実用化されず、引込み式脚の原型が、フィンランドの極北戦線で実戦使用された。
Ilmasuojassa olevia koneita vartioidaan. Kyseessä 2./LeLv 24:n Brewster (BW-352) hävittäjä Selänpään kentällä.
Content Type Photo Organisation Military Museum
Photo info: 1941-06-24 Kivi, Kauko, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・sa-kuva-78444引用。


このような対ソビエト戦争の戦意高揚を無視して、マンネルハイム元帥は、ヒトラーとの共闘を臨んでいなかった、ヒトラーによる誕生日訪問を迷惑に思っていたなどと邪推するのは、見当違いであろう。1917年のロシア革命後、ボリシェビキ勢力が伸長し、赤軍を組織して共産主義革命を進めたとき、フィンランドでは、、ロシア共産党のボリシェビキに賛同したフィンランド共産主義者、共産党員、赤軍が政権奪取を図った。それに対して、反革命軍、白軍を組織して、革命派を武力鎮圧したのが、マンネルハイムである。この経緯を踏まえれば、マンネルハイムもヒトラーも、フィンランドもナチス・ドイツも、ともに反共産主義として、ソビエト連邦、ヨシフ・スターリンを警戒し、チャンスがあれば、彼らを無害化、中立化したかったに違いない。

写真(右)1940年4月11日、フィンランド、フィンランド空軍ブリュースター・モデル239(BW-383とBW-384)の前にいるパイロットたち;スウェーデンのトロルハッタンからブリュースター・モデル239戦闘機を拾った空軍パイロット。左から正体不明、ヴィクトル・"ヴィッキ"・ベイエツィア空軍師匠、エイノ・アンテロ大尉"エイッカ"・ルッカネン、イルヨー・オラヴィ・"パッパ"・トゥルッカ航空長(元。ダーチマン)、ヨルマ・"ヨッペ"・カルフネン中尉とヨルマ・カレヴィ・サルヴァント中尉。
Ilmavoimien ohjaajia noutamassa Brewster Model 239 -hävittäjiä Trollhättanista Ruotsista 11.04.1940. Vasemmalta tunnistamaton, lentomestari Viktor "Vikki" Pyötsiä, kapteeni Eino Antero "Eikka" Luukkanen, lentomestari Yrjö Olavi "Pappa" Turkka (ent. Durchman), luutnantti Jorma "Joppe" Karhunen ja luutnantti Jorma Kalevi Sarvanto, taustalla koneet BW-383 ja BW-384. "Suomen Ilmailumuseo Kokoelma Luukkanen, Eino Inventaarionro SIM VK 551:131 Mitat 12x9 cm Vedos Kuvaustiedot 11.04.1940
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna SIM VK 551:131引用。

写真(右)1940年、フィンランド、フィンランド空軍ブリュースター・モデル239(BW-3??)の前のる第24飛行隊(LLv.24)のパイロットたち;左から、エーロ・オーリス・"レッケリ"・キンヌネン軍曹、パーヴォ・エルッキ・"ナプ"・マンニラ軍曹、ヨルマ・カレヴィ・サルヴァント中尉、オラヴィ・ランピ伍長、ヨルマ・"ヨッペ"・カルフネン、ローリ・ヴィルヘルム・"ラプラ"・ニッシネン軍曹、エイノ・アンテロ・"エイッカ"・ルッカネン大尉、ラース・アルマス・"ラッセ"・ヘイキナロ軍曹(元ヘドストローム)、グスタフ・エリック・"エカ"・マグヌソン少佐、飛行士ケルポ・ジャルマリ・タイミ・ヴィルタ、デンマークのアイナー・ソープ中尉、エイノ・イルマリ・"イル"・ユウティライネン軍曹、レオ・ヴィクトル・アホラ大尉、不明、オラヴィ・"オッリ"・ムストネン中尉、アイモ・エリアス・"ヴァッフェ"・アイモ・ヴァフヴェライネン軍曹、エアマスター・イルヨー・オラヴィ・"パッパ"・トゥルッカ(元ダーチマン)。
Lentolaivue 24:n (LLv.24) ohjaajia Brewster Model 239 -hävittäjän (BW-3??) edustalla. Vasemmalta ylikersantti Eero Aulis "Lekkeri" Kinnunen, ylikersantti Paavo Erkki "Napu" Mannila, luutnantti Jorma Kalevi Sarvanto, alikersantti Heimo Olavi Lampi, luutnantti Jorma "Joppe" Karhunen, vääpeli Lauri Vilhelm "Lapra" Nissinen, kapteeni Eino Antero "Eikka" Luukkanen, vääpeli Lars Armas "Lasse" Heikinaro (ent. Hedström), majuri Gustaf Erik "Eka" Magnusson, lentomestari Kelpo Jalmari Taimi Virta, tanskalainen kapteeniluutnantti Einar Thorup, vääpeli Eino Ilmari "Illu" Juutilainen, kapteeni Leo Viktor Ahola, tunnistamaton, luutnantti Olavi "Olli" Mustonen, kersantti Aimo Elias "Vaffe" Aimo Vahvelainen ja lentomestari Yrjö Olavi "Pappa" Turkka (ent. Durchman). "Suomen Ilmailumuseo Kokoelma Luukkanen, Eino Inventaarionro SIM VK 551:113 Mitat 14x9 cm Vedos Kuvaustiedot 1940
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna SIM VK 551:113引用。

写真(右)1941年、フィンランド、滑走路上のフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機とパイロット;カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、白丸に青のカギ十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークである。
Lentolaivue 24:n 1. lentueen (1/LLv.24) ohjaajan res.vänrikki Johannes Kai Kalevi "Kaius" Metsolan nimikkokone, Brewster Model 239 -hävittäjä (BW-390) Immolan lentokentällä kesällä 1941 (aikavälillä 21.08-03.09.1941). MORE Content Type Photo Organisation Finnish Aviation Museum Collection Luukkanen, Eino Inventory ID SIM VK 551:156 Measurements 9x6 cm Vedos Photo info 1941
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・SIM VK 551:156引用。


アメリカ海軍初の単葉艦上戦闘機として制式された、ブリュスター(Brewster)F2A「バッファロー」(Buffalo)だったが、艦上戦闘機としての部隊配備は進まず、海軍所属の艦上戦闘機は、後継機のグラマンF4F「ワイルドキャット」が占めるようになった。しかし、余剰となったブリュスター(Brewster)F2A「バッファロー」(Buffalo)は、オランダ、フィンランドが購入した。特に、フィンランドが輸入したF2Aは、B-239「バッファロー」戦闘機と命名され、ソ連相手の継承戦争で大活躍を見せた。極寒の悪天候にあっても、頑丈で信頼性の高い機体であり、兵装もM2ブローニング(Browning ).50口径12.7mm機関銃(機首2丁+翼内2丁)合計4丁装備と重兵装であり、フィンランド空軍は高く評価した。ソビエト空軍機相手に奮戦した「空の真珠」は、フィンランド空軍エースも生み出した。

写真(右)1941年9月18日、フィンランド、フィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、白丸に青のカギ十字を描いた。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。反革命、反ボリシェビキは、ドイツのカギ十字スワスチカと同じ語源があるといえる。
Brewster Nurmoilan kentällä. L. Johnsson, valokuvaaja
Content Type Photo Organisation Military Museum
Photo info: 1941-09-18 L. Johnsson, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・VAR:10211引用。


ブリュスターF2A-3「バッファロー」(Brewster F2A-3 Buffalo)の諸元
全長Length: 26 ft 4 in (8.03 m)
全幅Wingspan: 35 ft 0 in (10.67 m)
全高Height: 12 ft 0 in (3.66 m)
主翼面積: 209 sq ft (19.4平方メートル)
空虚重量Empty weight: 4,732 lb (2,146 kg)
最大重量Max takeoff weight: 7,159 lb (3,247 kg)
発動機Powerplant: ライト(Wright)R-1820-40サイクロン(Cyclone)9気筒空冷星形エンジン 1,200 hp
最高速力Maximum speed: 321 mph (517 km/h; 279 kn)
巡航速力Cruise speed: 161 mph (259 km/h; 140 kn)
航続距離Range: 965 mi (839 nmi; 1,553 km)
実用上昇限度Service ceiling: 33,200 ft (10,100 m)
上昇率Rate of climb: 2,440 ft/min (12.4 m/秒)
M2ブローニング(Browning ).50口径12.7mm機関銃(機首2丁+翼内2丁)合計4丁

写真(右)1941-1942年冬、フィンランド、フィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機とジョエルアディエルサボネン中尉;革製の飛行帽と飛行服に身を包んでいる。
""Luutnantti Joel Adiel Savonen talvella 1941-1942. Taustalla Brewster Model 239 -hävittäjä. Content Type Photo Organisation Finnish Aviation Museum Collection Luukkanen, Eino Inventory ID SIM VK 551:74 Measurements 9x6 cm Vedos Photo info 1941-1942
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。

フィンランド空軍では、エイノ・イルマリ・ユーティライネン(Eino Ilmari Juutilainen:1914-1999)准尉が冬戦争における1939年12月19日のフォッカー D.XXI戦闘機での初撃墜以来、おもにブリュスター(Brewster)Model 239「バッファロー」(Buffalo)戦闘機(BW-364号機)、その後メッサーシュミット Bf109G-6に搭乗して、合計で出撃437回、撃墜94機の実績を上げた。彼は、マンネルヘイム十字勲章を2度受章し、フィンランド空軍トップクラスのエースとなった。

写真(右)1941-1942年冬、フィンランド、編隊飛行するフィンランド空軍第24飛行隊第2中隊所属ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;3機編隊方式であり、近代的な4機編隊方式は採用していなかったのか。
"" Lentolaivue 24:n 4. lentueen (4/LLv.24) kolme Brewster Model 239 -hävittäjää lennolla syyskesällä 1941, mahdollisesti joko Rantasalmella tai Immolassa. Content Type Photo Organisation Finnish Aviation Museum Collection Luukkanen, Eino Inventory ID SIM VK 551:194 Measurements 9x6 cm Vedos Photo info Xx.xx.1941 Nyblin
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。

写真(右)1941-1942年頃、フィンランド、飛行場に着陸しようとするフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;引込み式降着装置は車輪を降ろしている。
""Curtiss"" laskeutuu Lappeenrannan lentokentälle. Alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen laskeutuva kone on Brewster 239, ei Curtiss. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info Sot.virk. Johnsson, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。

写真(右)1941-1942年頃、フィンランド、飛行場に着陸しようとするフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;3翅プロペラの回転数が遅くなった状態で下降している。
""Curtiss"" laskeutuu Lappeenrannan lentokentälle. Alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen laskeutuva kone on Brewster 239, ei Curtiss. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info Sot.virk. Johnsson, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


写真(右)1941-1942年頃、フィンランド、飛行場に着陸しようとするフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、白丸に青のカギ十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークである。
""Curtiss"" laskeutuu Lappeenrannan lentokentälle. Alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen laskeutuva kone on Brewster 239, ei Curtiss. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info Sot.virk. Johnsson, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


写真(右)1941-1942年頃、フィンランド、飛行場に着陸しようとするフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;飛行場の建造物の屋根越しに撮影している。
""Curtiss"" laskeutuu Lappeenrannan lentokentälle. Alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen laskeutuva kone on Brewster 239, ei Curtiss. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info Sot.virk. Johnsson, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドのブリュスター(Brewster)Model 239「バッファロー」(Buffalo)にも標識として描いている。

写真(右)1941-1942年頃、フィンランド、飛行場に着陸しようとするフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、白丸に青のカギ十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークである。
""Curtiss"" laskeutuu Lappeenrannan lentokentälle. Alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen laskeutuva kone on Brewster 239, ei Curtiss. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info Sot.virk. Johnsson, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


写真(右)1942年2月14日、フィンランド、雪原の飛行場を利用するフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、白丸に青のカギ十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークである。
Military Museum Photo info 1942-02-14 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Omat hävittäjät palaavat lennolta. Lentokone on Brewster Model 239. lmataistelussa 25.6.1942 venäläiset Hurricanet ja MiG:t onnistuivat vaurioittamaan luutnantti Lauri Pekurin lentämää BW-372-konetta niin pahoin, että se syttyi tuleen ja Pekuri joutui tekemään palavalla koneella pakkolaskun Seesjärven lähelle Itä-Karjalaan silloisen Neuvostoliiton alueelle. Pekuri pelastui koneesta, ui rantaan ja käveli takaisin suomalaisten puolelle. (Lähde: Keski-Suomen Ilmailumuseo).
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


写真(右)1942年2月14日、フィンランド、雪原の飛行場脇の森林に待機しているフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、白丸に青のカギ十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークである。
Military Museum Photo info 1942-02-14 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Omat hävittäjät palaavat lennolta. Lentokone on Brewster Model 239. lmataistelussa 25.6.1942 venäläiset Hurricanet ja MiG:t onnistuivat vaurioittamaan luutnantti Lauri Pekurin lentämää BW-372-konetta niin pahoin, että se syttyi tuleen ja Pekuri joutui tekemään palavalla koneella pakkolaskun Seesjärven lähelle Itä-Karjalaan silloisen Neuvostoliiton alueelle. Pekuri pelastui koneesta, ui rantaan ja käveli takaisin suomalaisten puolelle. (Lähde: Keski-Suomen Ilmailumuseo).
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


写真(右)1942年2月14日、フィンランド、雪原の飛行場脇の森林に待機しているフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、白丸に青のカギ十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークである。
Omat hävittäjät palaavat lennolta. Lentokone on Brewster Model 239. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1942-02-14 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。 1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。反革命、反ボリシェビキは、ドイツのカギ十字スワスチカと同じ語源がある。

写真(右)1942年2月14日、フィンランド、雪原の飛行場を利用するフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、白丸に青のカギ十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークである。
Military Museum Photo info 1942-02-14 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Omat hävittäjät palaavat lennolta. Lentokone on Brewster Model 239. lmataistelussa 25.6.1942 venäläiset Hurricanet ja MiG:t onnistuivat vaurioittamaan luutnantti Lauri Pekurin lentämää BW-372-konetta niin pahoin, että se syttyi tuleen ja Pekuri joutui tekemään palavalla koneella pakkolaskun Seesjärven lähelle Itä-Karjalaan silloisen Neuvostoliiton alueelle. Pekuri pelastui koneesta, ui rantaan ja käveli takaisin suomalaisten puolelle. (Lähde: Keski-Suomen Ilmailumuseo).
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


フィンランドが民主国家であり、ナチス・ドイツと同じ卍(カギ十字)を採用していたことに反感を抱く人々は、両国のカギ十字を関連性がないと強弁しているが、これは完全な誤解で、反革命のルーツは完全に共通している。そのため、フィンランドが、ソ連との継続戦争に敗れ、ソ連と講和した後の1944年10月以降、この青色の「ハカリスティ」(Hakaristi)の国籍マークは廃止されている。青色の「ハカリスティ」(Hakaristi)は、自由・独立を象徴するとは、ボリシェビキ、共産主義に反対する意味においである。

写真(右)1942年3月、フィンランド、雪原の飛行場脇の森林に待機しているフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、白丸に青のカギ十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークである。
Suksilaskutelineellä varustettu Lentolaivue 24:n 1.lentueen (1/LLv.24) Brewster Model 239 -hävittäjä (BW-374) Nurmoilassa maaliskuussa 1942. Tuntematon ohjaaja. Content Type Photo Organisation Finnish Aviation Museum Collection Luukkanen, Eino Inventory ID SIM VK 551:221 Measurements 9x6 cm Vedos Photo info 1942-03 Kuva-Posti
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・SIM VK 551:221引用。


フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。

当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。

写真(右)1942年4月12日、フィンランド、雪の残るぬかるんだ滑走路で横転したフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、白丸に青のカギ十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークである。
Nurmoilassa 12.04.1942 startin yhteydessä lumivalliin törmännyt ja sen seurauksena ympäri mennyt Lentolaivue 24:n 1.lentueen (1/LLv.24) Brewster Model 239 -hävittäjä (BW-371). Koneen ohjaajana toimi ylikersantti Aimo Elias "Vaffe" Vahvelainen. Organisation Finnish Aviation Museum Collection Luukkanen, Eino Inventory ID SIM VK 551:222 Measurements 9x6 cm Vedos Photo info 12.04.1942
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(Hakaristi)が描かれている。ドイツでも、カギ十字(卍)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、夏党政権獲得後、この鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。そして、再軍備宣言後、ドイツ空軍が創設されると、ナチ党の採用したカギ十字をドイツの国籍マークとした。

写真(右)1942年5月25日、フィンランド、森林の隠匿場所に待機するフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機;カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、白丸に青のカギ十字を描いたフィンランド軍の国籍識別マークである。
Suomi: Suomalaisia lentokoneita lähdössä lennolle. (Kuvassa on Brewster Model 239). Kuvauspaikka: Tiiksjärven lentokenttä Date 25 May 1942 Source http://sa-kuva.fi/ Author Sot.virk. V.Hollming
写真はWikimedia Commons、Category:SA-kuva File:Brewster Model 239 (SA-kuva 89184).jpg引用。


フィンランドは、1939-1940年の対ソビエト連邦「冬戦争」の敗北後、ソ連にカレリア地峡など領土を奪われた。そこで、ソ連に対して領土復活のための復讐戦争を計画し、マンネルハイム元帥の下で、軍事力を強化した。特に、1940年に、ドイツ軍が、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、フランスを占領し、大陸を制覇すると、ドイツとソ連の対立が予期される状況になった。

写真(右)1941-1943年、フィンランドの飛行場上空を飛行するフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機 :引込み式降着装置を備えた機体はスキー式降着装置を装備しないのが普通である。
""Curtiss"" laskeutuu Lappeenrannan lentokentälle. Alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen laskeutuva kone on Brewster 239, ei Curtiss. Sot.virk. Johnsson, valokuvaaja NÄYTÄ MUUT VERSIOT (1) Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo.
写真は,Museot Finna, Finna.Fi sa-kuva-61023引用。


写真(右)1941-1943年、フィンランドの飛行場上空を飛行するフィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機:カーチスモデル(Model)75戦闘機の引込み方式とは異なるオーソドックスな折り畳み方の降着装置を採用した。着陸態勢に入った様子を下から撮影した珍しい写真。
Curtiss laskeutuu Lappeenrannan lentokentälle. Sot.virk. Johnsson, valokuvaaja NÄYTÄ MUUT VERSIOT (1) Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo.
写真は,Museot Finna, Finna.Fi sa-kuva-61020引用。


F2A-3 Buffaloeの諸元
全長Length: 26 ft 4 in (8.03 m)
全幅Wingspan: 35 ft 0 in (10.67 m)
全高Height: 12 ft 0 in (3.66 m)
主翼面積: 209 sq ft (19.4平方メートル)
空虚重量Empty weight: 4,732 lb (2,146 kg)
最大重量Max takeoff weight: 7,159 lb (3,247 kg)
発動機Powerplant: ライト(Wright)R-1820-40サイクロン(Cyclone)9気筒空冷星形エンジン 1,200 hp
最高速力Maximum speed: 321 mph (517 km/h; 279 kn)
巡航速力Cruise speed: 161 mph (259 km/h; 140 kn)
航続距離Range: 965 mi (839 nmi; 1,553 km)
実用上昇限度Service ceiling: 33,200 ft (10,100 m)
上昇率Rate of climb: 2,440 ft/min (12.4 m/秒)
M2ブローニング(Browning ).50口径12.7mm機関銃(機首2丁+翼内2丁)合計4丁
爆弾搭載量:最大 90.8kg(45.4 kg×2)

写真(右)1943年8月26日、フィンランド、フィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機とハンス・ウィンド中尉;ハンス・ウィンド中尉は、39機のロシア機を撃墜したマンネルハイム十字章の騎士である。
Luutnantti Hans Wind, Mannerheim-ristin ritari, joka on ampunut alas 39 ryssän konetta. Lentokone on Brewster B.239. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-08-26 Luutnantti Viljo Koivumäki, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


フィンランドは、ナチス・ドイツに接近し、ドイツとの同盟の元にソ連軍に対峙する姿勢を見せた。1941年6月22日にドイツは一方的に独ソ不可侵条約を無視して、ソビエト連邦に侵攻した。この時点で、ソビエト連邦に奪われた領土を奪回しようとしていたフィンランド軍は、10個師団以上を編成し、国民義勇軍として、女子や学徒も動員することで、総兵力50万人となっていた。

さらに、フィンランド領内には、ソ連攻撃に向かうドイツ軍も駐屯していたのである。ソ連は、ドイツと軍事同盟を結んでいるフィンランドを空襲したが、これを口実に、1941年6月25日フィンランドはソ連と戦う「継続戦争」を開始した。

写真(右)1943年8月26日、フィンランド、フィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機とハンス・ウィンド中尉;ハンス・ウィンド中尉は、39機のロシア機を撃墜したマンネルハイム十字章の騎士である。
Luutanantti Wind ajokkeineen. Lentokone on Brewster B.239. Sotamuseo Kuvaustiedot 1943-08-26 Luutnantti Viljo Koivumäki, valokuvaaja Aiheet 1943-08-26
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


1939年にソ連に仕掛けられた冬戦争で敗れ、1940年にレニングラードに通じるカレリア地峡の割譲を余儀なくされたフィンランドは、敗戦後、国防力の強化に力を入れた。そして、ドイツのソ連侵攻直後の1941年6月25日、ソ連に対して宣戦布告し、領土奪還のために進軍を開始した。進撃は順調に進み、フィンランド独立以来フィンランド領となったことのなかった東カレリアやオネガ湖周辺にまで領土を拡大した。こうなると、失地回復のための継続戦争とは言えないが、フィンランドは、攻撃的なソビエト連邦から国土を防衛するためには、防衛戦の前進が必要であると主張した。

写真(右)1944年7月9日、フィンランド、フィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機(BW-382);1944年7月という第二次世界大戦末期になってもフィンランド空軍では飛行性能の低いF2Aバッファローを使用していた。濃霧など悪天候の中では、信頼性のある堅牢な戦闘機が有効だったのであろう。
Meikäläinen Brewster- hävittäjä lähdössä lennolle. Hävittäjälentolaivue 26:n 1. lentueen Brewster, tunnus BW-382 Vänrikki V.Hollming, valokuvaaja Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1944-07-09 Vänrikki V.Hollming, valokuvaaja Subjects 1944-07-09
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna引用。


1941年、冬戦争争に敗れたフィンランドは、レニングラードに通じるカレリア地峡の割譲を余儀なくされた。そこで、1941年6月にドイツによるソ連侵攻が始まった直後の1941年6月25日、ソ連に対して宣戦布告し、「継続戦争」と称して領土奪還のために進軍を開始した。

写真(右)フィンランド、フィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機(BW-373号機)と記念撮影をしたフィンランド空軍地上勤務員とフィンランド軍婦人補助部隊の3人の女性;1938年1月にアメリカ海軍に納入されたF2A艦上戦闘機は、アメリカでの評価が好ましくなかったため、供給能力に余裕が生まれ、それをブリュスター社は輸出に充てることになった。
Brewster BW-373
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・ 01_00090406引用。


1939年の冬戦争当時,ソ連軍は命令を厳格に実行しようとするあまり,迅速な作戦変更ができなかったり,攻撃日程を墨守しようとするあまり、物資の補給が間に合わない状況でも進軍を続けたりして。戦術的欠陥をフィンランド軍に衝かれることがしばしばおこった。第二次大戦前,1937年のソ連軍内部のトハチェフスキ粛清によって,ソ連軍の軍事専門家の指導力は低下し,共産党による軍の管理,政治委員(政治将校)コミサールCommissarsによる介入が強いことが、攻撃計画や戦術の臨機応変な変更を困難にしていたのである。

写真(右)フィンランド、フィンランド空軍ブリュスター(Brewster) 239戦闘機BW-373の尾翼付近で記念撮影をしたフィンランド空軍の4名の将兵;1944年には既に旧式化していた機体だったが、航空兵力を寄せ集めで戦ったフィンランド軍にとっては、F2A戦闘機も現役で使用された。
Brewster BW-370 Buffalo
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive・ 01_00090405 引用。


1941年6月のドイツのソ連侵攻にあわせて始めた継続戦争だったが、1943年に入ると、明らかに戦局はフィンランド、ドイツに不利になってきた。ソ連に対しては、イギリス、アメリカが膨大な軍事物資を貸与しており、ソ連の生産力増強と相まって、フィンランド、ドイツは、ソ連軍の攻勢を防ぐことも困難になっていた。戦局が悪化する中で、1943年3月5日、フィンランド首相ヨハン・ランゲル(Johan Wilhelm Rangell)は辞任し、新たにエドウィン・リンコミエスEdwin Linkomies)がフィンランド首相に就任したが、彼も、ソ連に降伏できない以上、ナチスとの同盟を堅持するしか選択肢はなかった。

1944年9月、フィンランドは戦局の悪化を前にソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を廃止した。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を忌避するために唱えられた方便であろう。


4.フィンランド空軍の使用したフランス・オランダ・イギリス・ドイツ機


写真(右)1940年3月7日、フィンランド、タンペレ飛行場、ハカリスティ(スワスチカ)の記章(国籍マーク)を付けたスキー式降着装置のフィンランド空軍フォッカー D-21(Fokker D.XXI ) 戦闘機
;降着装置は、オランダで開発された時点では、固定脚のゴム車輪だったが、雪原や氷結した湖沼を滑走路にする場合、スキーも有効であると考えられた。そこで、降着装置をスキーとした試験機が行われた。D-21戦闘機は、国営航空機工場でスキー付きの機体が実験的に製造された。
Fokker D.XXI suksien koekoneena Lentokonetehtaan lisenssillä valmistama D.XXI suksien koekoneena. Aineistotyyppi Kuva Organisaatio Museokeskus Vapriikki Kokoelma D/944 Inventaarionro 944:2:37 Kuvaustiedot: 1940-1940 Härmälä, Lentokonetehdas Tampere, Suomi
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・sa-kuva-115381引用。


オランダで開発されたフォッカー D-21(Fokker D.XXI ) 戦闘機は、固定式脚のゴム車輪で離着陸していたが、フィンランドの冬は寒く、森林の合間にある雪原や氷結した湖沼を滑走路にすることがあった。そこで、開発当初の固定車輪を固定スキーに変換することで、使用範囲が広がると考えられた。そこで、オランダから輸入し、その後ノックダウン生産も行ったフォッカーD21戦闘機の場合も、降着装置をスキーに変更した実験機が、フィンランド国営航空機工場で試作された。そして、スキー付きのフォッカーD21戦闘機が誕生し、試験の結果有効性が確認できたために、スキー付きの機体が製造されるようになった。

第二次世界大戦前、オランダのフォッカー D-21は1936年3月に初飛行した鋼管溶接骨組み胴体の前半金属外皮、後半羽布張り、木製主翼、固定脚という堅牢な戦闘機である。第二次大戦緒戦で、オランダ軍はフォッカーD-21戦闘機30機を配備していたが、フィンランドも完成機7機、ノックダウン方式14機を購入しており、国営工場で21機を生産している。1939年に勃発したソ連との冬戦争では、フィンランド空軍の主力機として活躍し、「フォッケル」の愛称で呼ばれた。1941年に勃発した継続続戦争では、第一線の戦闘機ではなかったが、1944年の終戦まで使用された。

写真(右)1941年9月4日、フィンランド、ミッケリ飛行場、フィンランド空軍フォッカー(Fokker)D-21(D.XXI.)戦闘機 :左右の固定脚には、漫画の笑顔と紳士の似顔絵マーキングが描かれている。固有の3翅プロペラが回転している。左主翼には速度を計測するピトー管、その内側に7.7ミリブローニング機銃2丁を、右主翼には小型探照灯、その内側に7.7ミリブローニング機銃2丁を装備しているが、これは第二次大戦中盤以降は、火力不足だった。
Suomalainen Fokker starttivalmiina. Mikkeli 1941.09.04.
写真は,Museot Finna, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-59017引用。


フィンランド空軍が、1939年の冬戦争、1941年の継続戦争に使用したフォッカー(Fokker)D-21(D.XXI.)戦闘機は、左主翼には速度を計測するピトー管、その内側に7.7ミリブローニング機銃2丁を、右主翼には小型探照灯、その内側に7.7ミリブローニング機銃2丁を装備しているが、これは第二次大戦中盤以降は、火力不足であり、固定脚で飛行性のガ低いことも、不利だった。しかし、森林や節減を活用した秘匿飛行場の未舗装滑走路では、固定脚のほうが稼働率が良く、使いやすい機体だったようで、1944年の継続戦争末期まで、固定脚の旧式戦闘機フォッカーD21は使用され続けた。

写真集:Album フォッカー(Fokker)D-21(D.XXI)戦闘機を見る。


写真(右)1941年7月25日、フィンランド南東部、ヨエンス空港(海岸)のフィンランド空軍のフランス製モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.406戦闘機部隊とドイツの前線特派員Oberleutnant Meyer
;ヨエンスは、現在、フィンランド北カルヤラ県ヨエンスー郡に属する。ソ連国境で、レニングラードの北350キロに位置する。
Saksalainen rintamakirjeenvaihtaja Oberleutnant Meyer Joensuun lentokentällä (rantahietikolla). Seloste epäselvä.
Organisation Military Museum
Photo info: 1941-07-25
Päiviö, Paavo (luutn.), valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-88419引用。


フランスで1935年8月8日に初飛行したモラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.405の発展型がM.S.406戦闘機で、低翼単葉・引込み脚・密閉風防と近代的な戦闘機で、第二次大戦前の1938年から1,000機以上量産された。機体は、全金属製ではなく、胴体後半は金属骨格・羽布張りで軽量構造だったが、第二次世界大戦勃発時のフランス空軍の主力戦闘機だった。搭載した発動機は、イスパノ・スイザ 12Y31V12気筒液冷エンジンで、850馬力は出力不足だったが、最高速力486km/h、航続距離800km、実用上昇限度9,500m、上昇力5,000mまで6分、兵装は20ミリHS.404モーターカノン1門 7.5ミリMAC 1934機銃2丁と、出現当初は強力だった。

モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.406戦闘機の諸元
全長:8.15m、全幅:10.71m
全高:2.84m
主翼面積:16.0平方メートル
空虚重量:1,893kg
全備重量:2,720kg
発動機:イスパノ・スイザ 12Y31V12気筒液冷エンジン(860hp)
最高速力:486km/h、巡航速力:400km/h(5,000m)
航続距離:800km
上昇限度:9,500m
上昇率:5,000mまで6分
兵装:20ミリHS.404機関砲1門、7.5ミリMAC 1934機関銃2丁

ドイツのメッサーシュミットBf109戦闘機に比較して、フランスのモラーヌ・ソルニエM.S.406戦闘機は、エンジン出力不足で飛行性能は劣ったが、フィンランド空軍では対ソ連戦争の実戦で活躍した。

写真集:Album モラーヌ・ソルニエ(Morane-Saulnier)M.S.406戦闘機を見る。

写真(右)1943年10月16日、ソ連、レニングラード北東200キロ、ラトガ湖東岸のロデイノイェ ポリェ、フィンランド空軍のアメリカ製カーチス・ホーク(Curtiss-Hawk)CU-580戦闘機
Cu-koneita ilmassa (Curtiss-Hawk, CU-580). Lotinanpellon yläpuolella. Kuvattu Fk-koneesta. Lentorykmentti 1. Lotinanpelto 1943.10.16.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-166337引用。


写真(右)1943年頃、フィンランド空軍のアメリカ製カーティスホーク75A(Curtiss-Hawk)戦闘機 :1939年11月にソ連によるフィンランド侵攻で、冬戦争が勃発したが、最前線に数百機を投入できたソ連空軍に対して、フィンランド空軍は、試作から開発した国産機は配備されておらず、全て外国からの輸入機であり、多様な機体を少数ずつ配備するしかなかった。この冬戦争初頭の主力戦闘機が、40機配備されていたオランダ製フォッカーD21戦闘機である。
Kuvasarja ``Neljän lentäjän arkipäivä ́ ́. Kone Curtiss Hawk 75A. Lentolaivue 32.
Organisaatio Sotamuseo.
Kuvaustiedot: ajoittamaton V. Willebrand, valokuvaaja .
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-64228引用。


写真(右)1943年10月16日、ソ連、レニングラード北東200キロ、ラトガ湖東岸のロデイノイェ ポリェ上空、フィンランド空軍のアメリカ製カーチス・ホーク(Curtiss-Hawk)CU-580戦闘機 :。
Cu-koneita ilmassa (Curtiss-Hawk). Lotinanpellon yläpuolella. Kuvattu FK-koneesta. Lentorykmentti 1. Lotinanpelto 1943.10.16. Cu-koneita ilmassa (Curtiss-Hawk). Lotinanpellon Niilo Helander kävi kuvaamassa lentäviä CU-koneita
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-166337引用。


競争試作戦闘機にセバスキーSEV-7に敗れたとはいえ、それまでアメリカ軍の主力機を量産してきたに名門カーチスを重視していたアメリカ軍は、P-35戦闘機と同じ発動機P&W-1830空冷星形エンジンに換装したカーチスY1P-36を追加試作機として3機発注した。これが、1937年に制式されたカーチスP-36A戦闘機で、「カーチス ホーク75」と呼ばれた。P-36A戦闘機は210機の発注を受ける。兵装は、機首に12.7ミリ機関銃と7.62ミリ機関銃と当時としては強力で、アメリカでの制式を契機に、フランスも大戦勃発前にホーク75の購入を決め、イギリスではカーチス・モホーク(Mohawk)として使用された。

写真集:Album カーティス(Curtiss)P-36ホーク(Hawk)75戦闘機を見る。

フィンランドは、ロシア革命時期にその独立が定まった反面、その後のソビエト連邦の共産主義には、強い警戒感を抱いていた。フィンランド国内での共産主義革命の動きがあったからである。そこで、反共産主義の象徴として、白丸に青の鍵十字を描いたカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を用いるようになった。1917年のロシア革命に追随する赤軍に対抗する白軍以来のシンボルとしてである。フィンランドの内戦では、反共産主義の赤軍に反対する、白軍が自由のシンボルとして、カギ十字(卍)を採用した。白軍を支援したスウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が鈎十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を譲渡した飛行機に描いたこともある。フィンランド軍は、1918年に採用したカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を、1944年の対ソ講和の時に廃止した。 このスワスチカが、対ソビエト連邦の戦い、すなわち1939年の冬戦争、1941年の継承戦争でも採用されている。

当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。しかし、1944年、リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)はフィンランド大統領を辞職、新大統領カール・グスタフ・マンネルヘイム元帥の下で、ソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、廃止された。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を忌避するために唱えられた方便か、カギ十字を好む人物の誤解に基づく思い込みである。

写真(右)1942年6月4日、フィンランド、ヘルシンキ(Helsinki)郊外、ドイツに帰国するドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)を見送るフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥。ヒトラー乗機となったのは、ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドルC3/U9輸送機 (登録コード: KE+IX)
Adolf Hitlerin vierailu marsalkka Mannerheimin 75-vuotissyntymäpäivillä Marsalkka Mannerheim (vas.) hyvästelemässä valtakunnankansleri Adolf Hitlerin. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: 1942-06-04.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-15850引用。


フォッケウルフFw-200コンドルの諸元
エンジン BMW-Bramo 323 R-2 mit je 1000 PS (1200 PS mit MW-50-Einspritzung) 4基
全幅: 32,84 m 全長: 23,87 m 全高: 6,30 m
空虚重量: 14.180 kg 全部重量: 22.600 kg
乗員: 7 人,生産機数 276機
巡航速度: 384 km/h 高度 3970 m, 405 km/h 重量17.600 kg
上昇限度: 6600 m
航続距離: 3550 km (標準) C-3/U2 最大 6400 km
武装: 2基×MG 151/20 (20 mm), 5基×MG 15 (7,92 mm)
爆弾1000 kg (爆弾倉) + 主翼下面 1400 kg,最大搭載量1800 kg

第二次大戦時のフィンランド国防軍総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の誕生日、1942年6月4日は、ヒトラーが空路お祝いに駆けつけ、マンネルハイム元帥自身が出迎えをした。フィンランドは、ソ連に奪われたカレリア地峡を奪還すると称して、1941年6月26日、「継承戦争」をはじめ、ソ連を攻撃した。

フィンランド政府は、1941年に始めた継続戦争についてソ連との冬戦争の続きであり、二国間戦争であるとの詭弁を弄した。つまり、第二次大戦へ枢軸国(ドイツ)側としてイギリスに参戦したのではないとの形式論を主張したのである。しかし、イギリスはドイツ軍の兵力のほとんどを相手に地上戦を戦うソ連を軍事支援しており、ソ連に対する政略の上からも、フィンランドがイギリス、アメリカとは戦うつもりがないとの一方的な宣言を認めなかった。

フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイムCarl Mannerheim)元帥は、1942年6月27日、ドイツ空軍の遣わしたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200コンドル C-3/U9輸送機に乗って、東プロイセン州ラステンブルク大本営「狼の巣」にナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー総統を訪問、作戦会議に出席した。

写真集:Album フォッカー(Fokker)D-21(D.XXI)戦闘機を見る。

1942年6月28日には、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)国家元帥の下にも参じたフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイムCarl Mannerheim)元帥は、ナチスと共闘して、対ソビエト連邦との戦争協力を話し合った。マンネルハイム元帥が、ソ連を明確な敵とし、領土の回復、ソ連ボリシェビキの弱体化を真剣に望んでいた。1942年6月時点で、未だにドイツのヨーロッパ支配の状況は変わりはなく、イギリス、アメリカによるフィンランド攻撃の心配は、全くなかった。マンネルハイムだけでなく、フィンランド国民の多くは、いまこそ、ソ連赤軍・ボルシェビズムを敲く最良の機会であると考え、継続戦争を自らはじめ、善戦した。

写真集:Album マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連戦争を見る。

写真(右)1943年4月24日、フィンランド、フィンランド空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-2型:機首上面にはラインメタル社(Rheinmetall)7.92ミリ MG 17機関銃2丁、モーターカノンの20ミリMG 151機関砲1門を搭載しているのはF型と同じだが、エンジンをF型のダイムラーベンツDB601から改良型のDB605に換装、強化したために、F型と比較して、速力、加速性、上昇力など性能が向上した。しかし、その後のG型では、武装強化、防弾強化によって重量、抵抗増加があり、性能の向上は僅かに留まった。
MT:n radiota korjataan. Vänrikki E.Blomberg, valokuvaaja MT:n radiota korjataan. Konetyyppi: Messerschmitt Bf 109 G-2. Radion viritys käynnissä. Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1943-04-24 Vänrikki E.Blomberg, valokuvaaja Aiheet: 1943-04-24
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。


1944年6月のノルマンディ侵攻で、西側連合軍地上軍が西ヨーロッパでドイツ軍を圧倒し、ドイツの敗戦が確実になる中、1944年8月8日にエドウィン・リンコミエス首相(日本の勲一等旭日大綬章佩用)は辞任、後任首相には、アンッティ・ハックゼル(Antti Hackzell)が就いた。そして、フィンランド大統領フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)も辞職し、8月4日にフィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥が後継の大統領に就任した。

ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)のドイツ空軍第一航空軍Luftflotte 1)に属していたJG54は、1941年6月21日、バルバロッサ作戦初日,ヴィルヘルム・リッター・フォン・レープWilhelm Ritter von Leeb)元帥を司令官とする北方軍集団(レープ元帥)を支援し、フィンランド、バルチック海周辺、レニングラードで戦った。1941年から1943年には、JG54は、レニングラード包囲戦、イイリメニ湖周辺のソ連軍攻撃のために、フィンランドにも駐屯した。

Messerschmitt Me 109 Fは,機首にモーターカノンとしてマウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃または20ミリMG151/20 機関銃,ラインメタル13.1ミリMG131機銃 2丁,主翼に機銃は装備しなかった。ダイムラー・ベンツDB601エンジン (1200馬力),最大速度630キロ, 航続距離 580キロ。モーターカノンには、F-3型までは15.1ミリMG151機関銃1丁(ベルト給弾200発)、F-4型以降は20ミリMG151/20機関銃(ベルト給弾150発)をエンジン後方に装備。機首上面の7.92ミリMG17機銃(2丁)は、初速840m/秒、発射速度1000発/分、ベルト給弾1丁当たり500発、合計1000発を装備した。モーターカノンを搭載した連合軍機は、アメリカのベルP-39エアコブラが37ミリ機関砲を備えていた。Ju87急降下爆撃機は主翼にマウザー(モーゼル)20ミリMG151/20 機関銃を装備して、地上襲撃能力を向上させている。

写真集:Album フィンランド駐屯ドイツ空軍メッサ―シュミットBf109戦闘機を見る。

  フィンランド軍にとっても、白丸に青の鍵十字を描いたカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、軍の国籍識別マークで、1917年のロシア革命に追随する赤軍に対抗する白軍以来のシンボルである。フィンランドの内戦では、反共産主義の赤軍に反対する、白軍が自由のシンボルとして、カギ十字(卍)を採用した。白軍を支援したスウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が鈎十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を譲渡した飛行機に描いたこともある。フィンランド軍は、1918年に採用したカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)を、1944年の対ソ講和の時に廃止した。


5.グラマン(Grumman)F8F-1ベアキャット(Bearcat)艦上戦闘機

写真(右)1944年、アメリカ、低空飛行中のアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)XF8F-1ベアキャット(Bearcat)TEST試作機:濃い青マリンブルーで仮面も塗装されている。
Charles M. Daniels Collection Photo Catalog #: 15_001328 Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Grumman XF8F-1 Daniels Album Name: F8F Bearcat Album Page #: 14 Notes From Album: Grumman XF8F-1, 90462, in flight over Bethpage, Long Island Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。




2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊

サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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