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◆フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro水上戦闘機
写真(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機
;イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。



図(上)1931年、イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20Idro複葉水上戦闘機の左側面図
(部隊番号:161-1):ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、胴体側面のファッシ(束ねた武器)、主翼上下の黒縁白円の三本ファッシ、垂直尾翼のイタリア軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレ緑・白・赤の縦縞(中央の白にサヴォイア王家紋章入り)。1933年時点でイタリア空軍のCR.20戦闘機は、27個飛行隊に配備されていた主力戦闘機だった。CR.20Idro複葉水上戦闘機も、第二次エチオピア(アビシニア)侵攻で実戦投入されている。
Unit: 70 Squadriglia, 3 Stormo Caccia Terrestre Serial: 70-4 Brescia, Italy, 1931. Artist: © Sergey Vakhrushev Source: "Aviation and Times" 2003, No.2 (63)
写真は, WINGS PALETTE Interwar/Fighters/Fiat CR.20/Italy (fascists)引用。

写真(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の左側面構造図
(図53);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


1.フィアット(Fiat)CR.20複葉戦闘機

フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の試作機の兵装は、7.7mmビッカース(Vickers)機関銃4丁が搭載可能だったが、これは当時の標準兵装の2倍の火力を保持していた。イタリア空軍の試験飛行・審査を通り制式されたCR.20複葉戦闘機は、1927年から部隊配備された。生産機数は、CR.20戦闘機 250機、双フロートを装着したCR.20 Idro水上機 46機、降着装置を改良したCR.20bis戦闘機 235機、イゾッタフラスキーニ(Isotta Fraschini)Asso Caccia液冷V型12気筒エンジン 336 kW (450 hp)に換装した CR.20 Asso戦闘機 204機である。

写真(右)1927年5月,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機 :フレッチャ(Freccia)とは、矢を意味する。ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレを模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
The Fiat C.R. 20 has an all metal frame covered with fireproof fabric, except for the area near the engines, which is covered in duraluminum. It is armed with 4 machine guns and is capable of 280 KPH. Document ID 19930090620 Date Acquired September 6, 2013 Publication Date May 1, 1927 Report/Patent Number NACA-AC-43 Distribution Limits Public Copyright Work of the US Gov. Public Use Permitted.
写真は、Aircraft Circular No.43Fiat C.R. 20 pursuit airplaneおよびWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Fiat CR.20 photo NACA Aircraft Circular No.43.jpg引用。


イタリア王国空軍は、リビアの反イタリア勢力との戦闘、第二次エチオピア戦争の初めに地上支援航空機としてフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機を投入し、実戦使用し、1930年代半ばまでイタリア空軍戦闘機として使用している。最後のフィアットCR.20は1939年に退役しているので、第二次大戦には投入されていない。

写真(右)1927年5月,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機:主翼、尾翼、胴体中央部の羽布を撤去して内部構造を見せている。
The Fiat C.R. 20 has an all metal frame covered with fireproof fabric, except for the area near the engines, which is covered in duraluminum. It is armed with 4 machine guns and is capable of 280 KPH. Document ID 19930090620 Date Acquired September 6, 2013 Publication Date May 1, 1927 Report/Patent Number NACA-AC-43 Distribution Limits Public Copyright Work of the US Gov. Public Use Permitted.
写真は、Aircraft Circular No.43Fiat C.R. 20 pursuit airplaneおよびWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Fiat CR.20 structure photo NACA Aircraft Circular No.43.jpg引用。


1926年6月19日に初飛行したフィアット(Fiat) CR.20 は、1932年4月に初飛行したフィアット(Fiat)CR.30戦闘機の原型といえる。

フィアット(Fiat)CR.30の原型は、単座複葉固定脚の戦闘機でフィアット(Fiat) CR.20 フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機で、1926年6月19日に初飛行している。そのCR.30のエンジンを高出力のフィアット(Fiat)A.30 R.A. 液冷V型12気筒エンジン600馬力に換装し、設計し直したのは、前作と同じくチェレスティーノ・ロザテッリ技師である。ただし、フィアットCR.30とCR.32は、構造も形状も性能も類似しているが、フィアット(Fiat) CR.20 フレッチャ(Freccia)は、第一次大戦の戦闘機のように軽量なもろい外観なので、識別は容易である。

フィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機は、イタリア友好国のオーストリア、リトアニア、パラグアイ、ハンガリーに輸出された。1930年、ハンガリーは、イタリアからフィアットCR.20を1機購入し、1931年にはさらに12機のCR.20またはCR.20bis複葉戦闘機を購入した。そして、ハンガリー空軍で1936年まで部隊配備されていた。


図(上)1931年、イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍第3飛行中隊第70飛行小隊所属のフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機の左側面図
(部隊番号:70-4):ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、胴体側面のファッシ(束ねた武器)、主翼上下の黒縁白円の三本ファッシ、垂直尾翼のイタリア軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレ緑・白・赤の縦縞(中央の白にサヴォイア王家紋章入り)。1933年時点でイタリア空軍のCR.20戦闘機は、27個飛行隊に配備されていた主力戦闘機だった。リビアの反乱、第二次エチオピア戦争で実戦投入されている。
Unit: 70 Squadriglia, 3 Stormo Caccia Terrestre Serial: 70-4 Brescia, Italy, 1931. Artist: © Sergey Vakhrushev Source: "Aviation and Times" 2003, No.2 (63)
写真は, WINGS PALETTE Interwar/Fighters/Fiat CR.20/Italy (fascists)引用。


ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、左右主翼上面・下面のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼のサヴォイア高家紋章付きのイタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞だった。しかし、1940年6月の第二次大戦参戦後、垂直部翼の三色旗の華麗な国籍マークは、サボイア王家紋章付きの白十字に変更された。ムッソリーニ首相罷免後に樹立されたピエトロ・バドリオ政権は、1943年9月18日連合国に降伏し、1943年10月18日、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。

写真(右)イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機の三面図:NACA Aircraft Circular No.43、Fiat C.R. 20 pursuit airplane、1927年5月刊行掲載。
English: Fiat CR.20 3-view drawing from NACA Aircraft Circular No.43 Date 1 May 1927 Source Author NATIONAL ADVISORY COMMITTEE FOR AERONAUTICS
写真はWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Fiat CR.20 3-view NACA Aircraft Circular No.43.jpg引用。


フィアット(Fiat)C.R.20bis複葉戦闘機の諸元
全長Lunghezza 6,71 m
全幅 Apertura alare 9,80 m
全高Altezza 2,79 m
主翼面積 Superficie alare 25,50 m²
空虚重量 Peso a vuoto 970 kg
最大離昇重量 Peso max al decollo 1 390 kg
搭載量 Capacità combustibile 200 kg
発動機Motore フィアット(Fiat)A.20液令V12気筒エンジン(排気量18.7 L)
出力 Potenza 410馬力(CV)
最高速力 Velocità max 239 km/h (a bassa quota)
240 km/h (a 4.000 m di quota)
離陸滑走距離Corsa di decollo 180 m
着陸滑走距離Atterraggio 200 m
航続時間Autonomia 2 h 30 min
上昇限度Tangenza 8 500 m
兵装 Armamento
ビッカース(Vickers)7.7 mm機関銃2丁

写真(右)1931-1936年,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso複葉戦闘機(部隊番号:7) :ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
Dim004: Campoformido - 1931-36. Il Fiat C.R. 20 “Asso” pilotato dal Serg. Magg. Bruno di Montegnacco del 1° Stormo Caccia Terrestre.
写真は、Di Montegnacco Bruno File:Fiat C.R.20 Aviano, 1936.jpg引用。


ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso複葉戦闘機は、1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計の初の量産機。CR.20のフィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410hpをイソッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)アッソ(Asso)空冷倒立V-12気筒エンジン450 hpに換装。最高速力 270 km/h。

写真(右)1931-1936年,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso複葉戦闘機(部隊番号:88) :ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
Dim005: Campoformido - 1931-36. Il Fiat C.R. 20 “Asso” in volo sulle Prealpi Giulie. Dim006: Campoformido - 1931-36. Il Fiat C.R. 20 “Asso”.
写真は、Di Montegnacco Bruno File:Fiat C.R.20 Aviano, 1936.jpg引用。


ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、左右主翼上面・下面のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼のサヴォイア高家紋章付きのイタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞だった。しかし、1940年6月の第二次大戦参戦後、垂直部翼の三色旗の華麗な国籍マークは、サボイア王家紋章付きの白十字に変更された。

写真(右)1936年,イタリア、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Asso複葉戦闘機:ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
Italiano: Un Fiat C.R.20 in volo. Categoria:Immagini di aeroplani Date anni trenta Source http://www.finn.it Author Anonymous
写真はWikimedia Commons、Category:Fiat CR.20 File:Fiat C.R.20 Aviano, 1936.jpg引用。


ムッソリーニ首相罷免後に樹立されたピエトロ・バドリオ政権は、1943年9月18日連合国に降伏し、1943年10月18日、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。


2.フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro 水上戦闘機

写真(右)1932年頃,イタリア、水上機基地、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro 水上戦闘機:ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
Fiat C.R.20 Bis Idro. Variante idrovolante a scarponi del caccia Fiat. Vennero realizzati 23 esemplari dalla Macchi e 23 dalla CMASA. L’installazione dei galleggianti comportò un deperimento delle caratteristiche di velocità e maneggevolezza.
写真はWikimedia Commons、Modellismo Italia Fiat C.R.20 引用。


フィアット(Fiat)C.R. 20戦闘機の搭載したフィアットA.20液令V-12気筒エンジン331 kW (444 hp)を圧縮比を高め高空性能を向上させたフィアット(Fiat)A.20 A.Q.に換装したのが、発展型フィアット(Fiat)CR.20bisAQ 戦闘機である。そして、それを水上機仕様としたのが、フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -、すなわちCR.20Idro複葉水上戦闘機である。生産機数は、マッキ(Macchi)で23機、CMASACostruzioni Meccaniche Aeronautiche Società Anonima)で23機の合計46機である。

写真(右)1932年頃,イタリア、水上機基地、移動式クレーンで吊り下げられたイタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro 水上戦闘機:ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。写真はWikimedia Commons、Modellismo Italia Fiat C.R.20 引用。

1935-1936年、イタリアのエチオピア(Abyssinia)侵攻に、イタリア空軍はフィアット(Fiat)C.R. 20フレッチャ(Freccia)複葉戦闘機、その水上機仕様であるフィアットC.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機を投入した。

写真(右)1932年頃,イタリア、水上機基地、イタリア王国空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro 水上戦闘機:ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレ(Tricolore italiano)を模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
Fiat C.R.20 Bis Idro. Variante idrovolante a scarponi del caccia Fiat. Vennero realizzati 23 esemplari dalla Macchi e 23 dalla CMASA. L’installazione dei galleggianti comportò un deperimento delle caratteristiche di velocità e maneggevolezza.
写真はWikimedia Commons、Modellismo Italia Fiat C.R.20 引用。



3.フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)


写真(右)1931年刊行,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -公式ガイドライン(Istruzioni)カバー
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


フィアット(Fiat)C.R. 20戦闘機は、1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計の初の量産機。フィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410馬力搭載、全幅 9.804 m、総重量 1,390kg、最高速力 270 km/h。これを水上機化したのがフィアット(Fiat)C.R. 20 idro水上戦闘機である。

「ファシスト暦」とは、ファシスト党・ムッソリーニ率いるローマ進軍の勢いに感銘を受けたイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Vittorio Emanuele III)が、1922年10月29日、統領(ドゥーチェ)ベニート・ムッソリーニを首相に任命した期日を紀元、すなわちファシスト暦元年(ANNO I)としている。

実際のファシスト暦の制式は、ファシスト独裁政権が盤石になった1927年10月29日で、この日がファシスト暦5年(Anno V)と定められ,ファシスト暦の元旦は、1922年10月29日とされた。しかし、イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.30公式ガイドライン(Istruzioni)では、ファシスト暦は表示されていない。

ガイドライン(guideline)は、ガイド(guide)の名詞形で指導・案内の意味だが、それにライン(line)を付けて、指南書・指導要綱の意味になる。

つまり、利用者・購入者の仕様書案内のように、取り扱いの基準と指針を示したマニュアル(操作案内)として作成される。この点で、カタログと同程度の有効性があると考えられる。

ガイドラインは、法律や命令ではなく、その基準を示すものであるから、絶対服従という要件はないが、法律・命令に準じる強い基準として認識・理解されることもある。

特に、航空機のガイドラインの場合、その誤った取り扱いや操作が、重大な事故や飛行機の破壊につながることもあり、ガイドラインといっても、順守手べきものとして理解されてしかるべきである。つまり、飛行機のガイドラインは、守ることを義務付けるべき強いものなはずである。

しかし、イタリア軍用機の公式ガイドライン・公式マニュアル・公式カタログを見ると、名称・形式の異なる飛行機のはずが、ガイドライン・マニュアル・カタログによっては、同じ図解や写真を流用している。

イタリア航空省のこのような厳格さを欠く公式ガイドライン・公式マニュアル・公式カタログの作成姿勢は、写真や図を新規掲載しなくとも実害がないと判断によるのであろうが、厳格な内指示・説明が求められるガイドラインが、旧来の機体をそのまま掲載しているのは、厳格さに欠けており、真剣さが足りないように感じられじられる。


写真(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機
;イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。



図(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の左側面寸法図
(図2);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


フィアット(Fiat)C.R. 20 複葉戦闘機は、機体を小型軽量化し、空気抵抗を減少させるために胴体を絞っているが、燃料タンク、エンジンと潤滑油の冷却装置を搭載したために、空気抵抗の減少には限度があった。それでも、液令エンジンを搭載したため、シリンダーがV型に並んで、星形エンジンよりも空気抵抗は小さくて済んだ。他方、コックピットに搭乗するパイロットの視界が良好であることが求められたため、胴体の上部に突出したガラス風防を設けはいるが、開放式コックピットを採用した。これは、後に飛行機の速力が向上すると居住性が悪化し、空気抵抗を増加してしまうために、ガラス風防で覆われた密閉式コックピットが採用されるようになる。


図(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の側面寸法図
(図1);イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


エンジンへの燃料噴射を調整するスロットル・レバーは、燃料調整弁のこと。出力制御レバーは、内燃機関を制御する絞り弁(スロットル)を調節することで、アクセルの役目を持っている。


図(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の正面寸法図
(図2);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso操縦席では、フィアットA74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpをスロットルで調整する。エンジンの出力制御に用いるスロットル・レバーは、燃料を内燃機関に送る絞り弁(スロットル)を調節するレバーであり、エンジンの出力制御レバーのことである。第二次世界大戦中、イギリス式のアメリカ、ドイツ、日本では、スロットルレバー前に倒すことで出力を増大させ、後ろに引くことで出力を減少させる。

イギリス式スロットル・レバーとは対照的に、フランス式のイタリア、日本陸軍機のキ43一式戦初期までは、反対に、スロットルレバー後ろに引くことで出力を増大させ、前に倒すことで出力を減少させる。


図(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の正面寸法図
(図2);イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



図(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の上面寸法図
(図3);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


フィアット(Fiat) CR.20 後継機のフィアットCR.32複葉戦闘機は、1933年4月28日の初飛行で、前作のフィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機の発展型で、当時はすでに単葉機も出現していたが、戦闘機では複葉機が主流だった。


図(右)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の上面寸法図
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


1930年代の戦闘機ではフィアット(Fiat) CR.20 のような複葉機が主流だった。その理由は、格闘戦闘で旋回や宙返りなどのアクロバット的な飛行をするには、翼面荷重(主翼面積当たりの総重量)が軽いこと、回転・ロールしやすいように全幅が短いことが求められたためである。


写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の双浮舟フロートの取付け支柱
(図18);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。



写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の上下主翼の連結支柱と双浮舟フロートの取付け支柱の正面図
(図18);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


フィアット(Fiat)C.R. 20bisの発動機フィアット(Fiat)A.20 液令倒立V12気筒エンジン343 kW (460 hp) をイソッタ=フラスキーニ(Isotta Fraschini)・アッソ(Asso)336 kW (450 hp) に換装したフィアットCR.20 Assoが開発された。フィアットCR.20 Assoは、中〜後期生産分をCR.20bisAQとして区別することもある。


写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の水上浮舟フロート右側面構造図
(図19);イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



写真(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の開放式コックピットの操縦席左右と正面ガラス風防
(図32と図31);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。



写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の開放式コックピットの操縦席左右と正面ガラス風防
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の開放式コックピットの操縦席と操縦桿・操縦ペダル・計器盤
(図38);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。



写真(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の胴体鋼管枠組みフレームワーク構造図
(図4);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


鋼管溶接構造の利点は、
1)工作容易で保守が容易である、
2)架構の剛性が管材組立構造より高い,
3)衝撃損傷時に破 断ではなく屈曲するので衝撃が緩和され事故の際の搭乗者に対する安全性が高い,
4)鋼管の軽度の損傷・屈曲なら修理や交換が可能である,
という4点である。(坂上茂樹(2017)「枠組構造を有する飛行機機体の技術史ーネジないしリベット締結とガス溶接の適用事例」参照)


写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機のエンジン取付け架と胴体全部の鋼管枠組みフレームワーク構造
(図7);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


複葉機戦闘機フィアット(Fiat) CR.20 の後継機は、フィアット(Fiat)CR.30、CR.32戦闘機で、その後継機は、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機であるが、この時には、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機は、単葉低翼、引込み式主輪を採用しており、複葉機の固定脚とは全く異なる形状となった。また、フィアット(Fiat)C.R. 20bisの胴体構造は、鋼管フレームワーク(骨格枠組み構造)が引き継がれているが、形状は箱形から筒型に変化し異なっている。


写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の胴体鋼管骨組みフレームワーク側面構造図
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 の後継機となったフィアットCR.32戦闘機のイタリア空軍後継機のフィアットCR.42ファルコ(Falco)戦闘機とマッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機は、同じフィアット(Fiat)A.74 R.C.38 空冷星型14気筒エンジン650 kW (870 hp)1基を装備している。イタリアでは、液冷エンジンは日本同様に例外的で、空冷星形エンジンが主流だった。


写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機のエンジンと胴体前部の内部構造図
(図9);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


坂上茂樹(2017)「枠組構造を有する飛行機機体の技術史ーネジないしリベット締結とガス溶接の適用事例」によれば、飛行機の機体の製造にあたって、胴体枠に鋼製部材を使用するようになったが、その方法は、
1)溶接組立構造、
2)管材組立構造、とに分類できる。


写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の冷却水(白)・エンジン潤滑油(青)・燃料(緑)・消火剤(赤)・エンジン始動用油(黄)の胴体前部の側面内部構造図
(図27);冷却水は、上主翼前縁に導かれ、航空の待機で冷却される。イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


航空機用発動機は、構造・機構の上では、冷却器と冷却液が不要で、簡易化でき軽量な空冷星形エンジンが世界の航空機発動機の主流となった。しかし、イギリスのス―パーマリーン、ドイツのダイムラーベンツ、ユンカースでは高度の技術を駆使して高性能の航空機用液冷エンジンを開発した。

航空機用空冷星型エンジンは、シリンダー(気筒)を放射状星形に配置したレシプロのガソリン・エンジンである。このように星形にシリンダーを配置した理由は、飛行するときに正面から流れてくる空気によって、燃料爆発・過熱したシリンダーを冷却するためである。シリンダー配置が星形であれば、エンジンによる正面積が大きくなり空気抵抗が大きくなる半面、シリンダーに直接高速で航空の冷気が流れ込むので、冷却効率が良い。

航空機用空冷エンジンは、シリンダーを冷却するのに航空の気流を取り入れて使う。そこで、エンジン正面に空気取り入れ口を設けているが、潤滑油の小型冷却器以外、大きな冷却器を必要としない。他方、航空機用液冷エンジンは、シリンダーを冷却するのに不凍液を混ぜた水を使うが、この冷却液は、航空の冷たい空気を使って冷却するしかない。そこで、エンジンとは別に、冷却液と冷却器が必要となるので、重量が重くなる。液冷エンジンのシリンダー配置は、直列させてエンジン正面面積を縮小することができるため、その空気抵抗は小さくなる。冷却液を冷やす冷却器を設けているので、その部分の空気抵抗は大きくなる。


図(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の胴体鋼管枠組みフレームワーク構造の側面全体構造図
(図5);コックピット操縦座席、燃料タンク、航空写真機の取付け部も明示されている。イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


飛行機の鋼製部材は、それまでの木製枠組構造の一部を鋼管に置換える形で発達した。また、木製枠組構造とは異なり、枠組みを接合するために、接合金具を用い、さらにガス溶接,アセチレンと酸素を混合させて放出する酸素アセチレン溶接を用いる鋼管溶接組立工法が採用された。


図(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の上左主翼の上面構造図
(図21);後縁に取り付けられる補助翼は、撤去されているので、右上に切り欠きが開いている。イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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飛行機機体の木製枠組構造と同じく、鋼材の溶接と可逆組立には,四角形に組まれた中枠(框かまち)の四隅を縦通材で繋ぎ,要所に斜 め材や十字張線を配して強度を維持した立体骨組みを作る。そして、骨格の接合部を溶接組立するのが、鋼管溶接構造である。


図(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の上主翼後縁に取り付けられる補助翼の上面構造図
(図25);コックピット操縦座席、燃料タンク、航空写真機の取付け部も明示されている。イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Assoコックピット床面には、操縦桿、操縦ペダルが配置されている。操縦桿は、昇降舵を操作することd、飛行機の上下の進行を、操縦ペダルは足元で方向舵を操作することで、飛行機の左右の進行を制御するが、立体駆動なので飛行機の操縦は、地上・平面上の自動車よりもはるかに複雑である。


写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の上主翼骨組みフレームワーク上面構造図
;イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


飛行機は揚力(升力)を得るために、主翼の上面と下面では形状が異なる。上面の空気が下面より早く流れれば、気圧の差から揚力(Lift force)が働き、機体は上に持ち上げられる。しかし、主翼は付け根から先端まで捩じりがあったり、形状が異なったりと複雑で、それを支える桁も細心の注意が必要である。


写真(右)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の下主翼骨組みフレームワーク上面構造図
;1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計。フィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410馬力搭載、全幅 9.804 m、総重量 1,390kg、最高速力 270 km/h。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


主翼上面の曲がっているところを流れる気流の流線の内側は低圧となる。他方、翼下面では、気流は直進するので、圧力が上昇し高圧となる。空気の流れが下向きに曲げられた翼上面では圧力が低下し、空気が直進する翼下面では圧力が上昇する。このように空気の流れを曲げた反作用は翼上面・下面の圧力差として翼に揚力(Lift force)として働くのである。複葉機は、単葉機よりも主翼面積が大きく揚力(Lift force)も大きいために、旋回性能や上昇性能が際立っている。


写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の下左主翼の上面構造図
(図22);コックピット操縦座席、燃料タンク、航空写真機の取付け部も明示されている。イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の水平尾翼の上面構造図
(図10);コックピット操縦座席、燃料タンク、航空写真機の取付け部も明示されている。イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の水平尾翼後縁に取り付ける昇降舵の上面構造図
(図12);コックピット操縦座席、燃料タンク、航空写真機の取付け部も明示されている。イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
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写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の水平尾翼の桁骨組みフレームワーク上面構造図
(図10);水平尾翼の後端に昇降舵が取り付けられる。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機水平尾翼後端の昇降舵の桁骨組みフレームワーク上面構造図
(図11);イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


翼面荷重を軽減するには、主翼面積を大きくすればよいが、全幅を拡張すると、ロール率が低下する。しかそこで、、胴体上下に二枚の主翼を付ける複葉機が生まれた。第一次大戦における空中戦では、格闘性能が重視されたが、戦後もそれが引き継がれ、輸送機や爆撃機では、多数の単葉機が開発されたものの、運動性を重視する戦闘機では、複葉機が主流であり続けた。


写真(右)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の垂直尾翼の桁骨組みフレームワーク側面構造図
;1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計。フィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410馬力搭載、全幅 9.804 m、総重量 1,390kg、最高速力 270 km/h。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。



写真(右)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の垂直尾翼の桁骨組みフレームワーク側面構造図
(図12);1926年6月19日初飛行、チェレスティーノ・ロザテッリ技師設計。フィアットA20 AQ 水冷V型12気筒 410馬力搭載、全幅 9.804 m、総重量 1,390kg、最高速力 270 km/h。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


  フィアット(Fiat) CR.20 戦闘機試作1号機の初飛行は、1926年6月19日にフィアット・トリノ工場の社有飛行場で行われた。各社との競争試作の中で、フィアット(Fiat)C.R.20の審査は順調に進み、フィアット(Fiat) CR.20 は制式され、1927年から本格的な生産に入った。そして、1927年から1930年にCR.20戦闘機は250機が量産され、バルト諸国リトアニアが15機、ハンガリーが1機を輸入している。

 地中海に囲まれたイタリアでは、水上機が盛んに生産されていたが、フィアット(Fiat) CR.20 フレッチャ(Freccia)戦闘機び双浮舟フロートを装備した水上機仕様CR.20Idroが開発され、46機が生産された。水上戦闘機は、日本海軍でも例外的な存在で、零式艦上戦闘機の水上機仕様の零式水上戦闘機が1940年代に登場した程度で、イタリアは、早くから水上戦闘機を実用化していた海洋国家だった。

フィアット(Fiat) CR.20 フレッチャ(Freccia)戦闘機の改良型が、フィアットCR.20bisである。フィアットCR.20bisは、フィアットCR.20の脆弱だった主輪降着装置に、車輪ブレーキと着地時の衝撃を和らげる緩衝装置を設置した。生産期間は、1930年から1932年までで235機が量産された。フィアット(Fiat) CR.20 bisについては、ハンガリーが12機、オーストリアが16機、パラグアイが6機を輸入している。


写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の垂直尾翼の上面の上面構造図
(図14);後縁に取り付ける方向舵は取り付けられていない。イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。



写真(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の垂直尾翼の上面後縁に取り付けられる方向舵(ラダー:rudder)の構造図
(図13);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


方向舵(ラダー:rudder)とは、機首を左右にふり、方向の姿勢を制御する操縦翼で、垂直尾翼の後縁に取り付けられている。方向舵の操作は,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御する。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。

空気には形状に沿って流れるが、主翼の後縁が下方に傾斜していると、その空気の流れが下向きに曲げられる。主翼で空気を下方に向けられた。この作用で押し下げられた空気の反作用で、揚力が発生する。つまり、揚力は、主翼上面の空気の流れが下向きに曲げらた反作用で発生しますたのである。空気は力の作用がなければ直進すすが、主翼で空気が下方で流れたからには、どこからか力が働いたといえる。空気の流れが曲げられると曲がった流線の内側と外側に圧力差が発生し、向心力が働くのである。

同じ出力・馬力のエンジンを搭載し、同じ重量であっても、複葉戦闘機は、単葉戦闘機に比して、最高速力は遅くなるが、旋回・ロール・急上昇を伴う格闘性能は、有利だった。


写真(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20戦闘機の側面構造図
(図3);イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


イタリア空軍フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機は、写真銃と並んで航空写真機も搭載することができた。写真銃は機関銃射撃と同調して正面を撮影するが、航空写真は、爆撃目標や偵察のために地上目標を撮影する目的があるので垂直方向を撮影する。

フィアット(Fiat) CR.20 、CR.30戦闘機の機首上面に搭載された7.7mmビッカース機関銃2丁には、プロペラ同調装置がついているので、プロペラが銃口正面に来た時には射撃が停止する。つまり、プロペラ同調装置があるために、銃弾はプロペラにあたることなく、射撃し続けることができる。

ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat) CR.20 戦闘機機首上面に装備された7.7mmビッカース(Vickers)機関銃は、当初、陸戦兵器として第一次世界大戦で広く使用されたビッカース重機関銃が原型であり、戦時中にビッカース.303インチ航空機関銃として、飛行機に搭載されていた実用性の高い航空機用機銃だった。


図(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機に搭載可能な写真銃
(図37);イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。しかし、イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲にも全く同一の写真を差し替えることなく掲載している。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


イギリス空軍7.7mmビッカース(Vickers)機関銃は、ソッピース キャメル複葉戦闘機、スパッドXIII複葉戦闘機など、第一次大戦の中盤、すなわち1916年以降に戦闘機用として普及していた。また、このイギリス製機関銃は、フランスの戦闘機にも装備され、同じ連合国のイタリアも装備した。第一次大戦中盤には、戦闘機機首に搭載した航空機関銃は、プロペラの回転を通して射撃可能で、これはプロペラ同調装置が装備されていたためである。


図(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機に搭載可能な写真銃
(図43);第一次大戦以来の7.7mmビッカース機関銃2丁搭載。イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)にも全く同一の写真を差し替えることなく掲載している。ただし、これはそれ以前のイタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)の掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio  写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


機首に装備した機関銃は、回転する2翅あるいは3翅プロペラ越しに射撃するので、プロペラに弾丸が当たらないように同調させる必要があった。プロペラの回転と機関銃の射撃時間を調整して、プロペラを撃たないように工夫したのが、プロペラ同調装置である。


図(上)1928年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機の機首上面に装備された7.7mmビッカース(Vickers)機関銃の側面図
(図32);第一次大戦以来の7.7mmビッカース機関銃2丁搭載。イタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


陸戦では水冷式だった7.7mmビッカース(Vickers)機関銃だったが、高速で高空を飛行する戦闘機では、空中を流れる気流によって重心を冷却することができるために、銃身の周囲にあった水冷装式冷却筒(ウォータージャケット)を撤去して、冷却用の空気を取り入れる多孔式冷却筒を取付けた。

プロペラ同調装置は、第一次世界大戦中の戦闘機に装着されて以来、広く普及したが、プロパラ回転の圏外から機関銃を射撃するのであれば、プロペラ同調装置は不要であり、その整備もいらずに、稼働率の向上が期待できる。また、機関銃の発射速度も射撃を停止しない分だけ高めることができ、有利である。そこで、アメリカ海軍戦闘機、アメリカ陸軍戦闘機の多くは、左右の主翼に12.7mmブローニング「エクスカリバー」機関銃を各々2丁、のちに各々3丁か4丁、合計6丁か8丁も装備して対戦闘機戦闘を有利に展開した。


図(上)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の機首上面に装備された7.7mmビッカース(Vickers)機関銃の側面図
(図36);第一次大戦以来の7.7mmビッカース機関銃2丁搭載。イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載だが、それ以前のイタリア航空省1928年刊行、フィアットCR.20公式ガイドライン(Istruzioni)と全く同じ写真で差し替えをしていない。
Fiat C.R. 20 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA APPARECCHIO C.R.20 Istruzioni ROMA 1928 引用。


1930年代になると、全金属製の戦闘機が開発され、主翼が頑丈で厚くなったため、よくない装備の機関銃が誕生した。そして、プロペラ回転圏外の翼内装備の機関銃とすれば、プロペラ同調装置は不要で、機関銃の発射速度も2割も早くすることができた。機関銃自体も7.7mmビッカース(Vickers)機関銃と同口径ながらより発射速度が速く軽量小型のアメリカ製ブローニング0.303インチ(7.7mm)機関銃が開発され、米英を中心に、左右翼内に各々2丁から3丁、合計4丁から6丁の多数の機関銃が搭載できるようになった。

1937年12月に初飛行したマッキMC-200サエッタ戦闘機(Macchi MC-200 Saetta)は、プログラムRの競争試作機の対抗馬、フィアット G.50、フィアットCR.42複葉戦闘機よりも高性能を発揮したため、イタリア空軍は制式して、直ちに量産機を発注した。翌年1939年、第二次世界大戦が勃発した年に、イタリア空軍はマッキMC-200サエッタ戦闘機を配備した3つの航空団(ストロモ:Stormo)を編成した。 1個飛行中隊(スコードロン:Squadriglie)は9機で、2-3個の飛行中隊合計18-27機で1個の飛行戦隊/飛行団(グルッポ:Gruppo)、3個飛行戦隊合計54-81機で1個の航空団(ストロモ:Stormo)となる。


4.フィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機

写真(右)1933年11月,フランス、パリ航空祭、イタリアから出品された最新鋭のフィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機 :1933年パリ航空祭に出品された単葉機は、ドイツのフィーゼラー(Fieseler)F2 タイガー(Tiger)複葉機、イタリアのカンプロ二(Caproni)Ca.125複葉機などほとんどが複葉機だった。
English: Fiat CR 30 photo L'Aerophile November 1933 Date 1 November 1933 Source https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k65535577?rk=257512;0 Author L'Aerophile Salon 1933
写真はWikimedia Commons、Category:Fiat CR.30 File:Fiat CR 30 L'Aerophile November 1933.jpg,およびGallica、 L'Aérophile (Paris) November 1933引用。


さらに、ポーランドとソ連もCR.20の購入を検討している。イタリアは、実績作りに役立てようとポーランドにCR.20を貸与しエアレースに出場することを認めた。しかし、レース結果は散々だったため、ポーランド空軍はCR.20の購入をせず、飛行訓練にも使用していたCR.20をイタリアに返還した。

写真(右)1934年頃,イタリア、未舗装飛行場に待機する迷彩塗装を施したイタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機 :ファシスト独裁国家イタリア王国の国籍マークは、イタリア国旗トルコローレを模して、緑・白・赤の縦縞三色旗が垂直尾翼に描かれている。
English: Fiat CR 30 photo L'Aerophile November 1933 Date 1 November 1933 Source https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k65535577?rk=257512;0 Author L'Aerophile Salon 1933
写真はSmugMug+Flickr、kitchener.lord Fiat CR.30引用。


国家ファシスト党(Partito Nazionale Fascista:PNF)統領ベニート・ムッソリーニがイタリア国王に首相に任命されファシスト政権がスタートしたのは、ローマ進軍後の1922年10月31日で、その後、1924年4月には、他党を圧殺してファシスト党独裁政権を樹立した。他方、国家社会主義同一労働者党(ナチ党)総統アドルフ・ヒトラーがドイツ大統領フォン・ヒンデンブルクによりドイツ首相に任命されたのは1933年1月30日、他党を廃止してのナチ党独裁政権を樹立したのは、ドイツ国会議事堂炎上事件後の、1933年3月23日の全権授権法「国家的苦境除去法」の成立後だった。

つまり、イタリアのファシズム政権の樹立は、ドイツより10年早かった。また、イタリアは、第一次世界大戦の占領国であり、ドイツのようにベルサイユ条約による賠償金支払い、航空機開発制限、軍備制限の頚城のもとにあったわけではない。

単座複葉固定脚の戦闘機フィアット(Fiat) CR.20 は、1926年6月19日に初飛行している。CR.20は、1925年にイタリア空軍の時期新型戦闘機の要望に応え、フィアットが開発した新型のフィアット(Fiat)A20 R.A. 液冷V型12気筒エンジン331 kW (444 hp)を搭載することとし、チェレスティーノ・​ロザテッリ(Celestino Rosatelli)技師が設計し、CRを冠された。CR.20試作機は、金属鋼管フレームに羽布あるいは軽金属外板張りで、下方の主翼が上方より大きい複葉機だった。CR.20試作1号機の初飛行は1926年6月19日で、トリノのフィアット社飛行場で実施された。

写真(右)1935年10月12-28日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクション、フィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機(手前左)、IMAM Ro.41複葉戦闘機(手前右)、 イタリア航空サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 73三発輸送機(I-ENNA)(右端の機首)、サヴォイア・マルケッティSM 81三発雷撃機(奥:後ろ向き):SM 81は、胴体下面に航空魚雷2本を搭載している。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 13 x 18
Note: Veduta parziale della sezione italiana del Salone. Sulla destra parte dell'aereo Savoia Marchetti SM 73 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI) delle linee Ala Littoria Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_93
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1935_SA_93引用。


フィアット(Fiat) CR.30 の諸元

乗員Crew: one
全長Length: 7.88 m (25 ft 7.25 in)
全幅Wingspan: 10.50 m (34 ft 5.5 in)
全高Height: 2.78 m (9 ft 1.5 in)
翼面積Wing area: 27.05 m2 (291.17 sq ft)
空虚重量Empty weight: 1,345 kg (2,965 lb)
総重量Gross weight: 1,895 kg (4,178 lb)
発動機Powerplant: 1 × Fiat A.30 R.A. 12-cylinder Vee piston engine , 447 kW (600 hp)
フィアット(Fiat)CR.30の性能Performance
最高速力Maximum speed: 351 km/h (218 mph, 189 kn)
航続距離Range: 850 km (528 mi, 459 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 8,350 m (27,845 ft)
兵装Armament
ブレダ(Breda)-SAFAT 7.7 mm (0.303 in) 機関銃2丁

写真(右)1935年10月12-28日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア空軍IMAM Ro.41 複葉戦闘機(中段右)、フィアット(Fiat)CR.30複葉戦闘機(中段左)、サヴォイア・マルケッティ SM.81雷撃機(奥)、イタリア航空(アラリットリオ)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 73三発輸送機(I-ENNA):手前は、ドイツのクリム(Klemm)KL 35 軽飛行機(D-R)。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana
Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: Veduta della sezione italiana del Salone con numerosi visitatori. Sul fondo a destra l'aereo Savoia Marchetti SM 73 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI) delle linee Ala Littoria.
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1935_SA_180 引用。


イタリア空軍フィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機は、フィアット A.20 R.A.V型12気筒液冷エンジン 331 kW (444 hp)搭載、IMAM Ro.41 複葉戦闘機は、ピアッジオ(Piaggio)ステラ(Stella)P.VII R.C.35空冷星形7気筒エンジン335 kW (449 hp)搭載。

フィアット(Fiat) CR.30 複葉戦闘機は、フィアット A.30 R.A.V型12気筒液冷エンジン447 kW (599 hp)を搭載、最高速力350km/h(高度3000m)、実用上昇限度8,350m、航続距離850km、7.7ミリブレダSAFAT機関銃2丁。

1939年9月に第二次背世界大戦が勃発してもイタリアはドイツ同盟国ではあったが、非参戦国だった。その時期は、イタリア空軍機は、垂直尾翼にイタリア三色旗トルコローレ緑白赤・サボイア王家紋章入りの国籍マークを描いている。しかし、1940年6月のフランス降伏直前に参戦したイタリアでは、この国籍マークを改めて、中央の白だけの十字としサボイア王家紋章入りの国籍マークを描いている。

マニュアル(manual)とは、
1) 飛行機・機械から道具・アプリケーションまでの使用説明書であり、取扱や手引きとして用いられる。
2) 操作・生産工程など作業手順を説明するが、写真・図解などを多用して、理解を円滑に進める。
という二つの目的がある。

他方、カタログは、取引相手・購入者などに対する飛行機・機械から道具・アプリケーションまで、機能を説明し、商品の性能を誇示する説明書で、顧客に対して商品説明にも使用される。例えば、航空機メーカーが、軍用機や民間機を自国空軍や航空会社、あるいは外国空軍や航空運送会社に売り込みをするのに、写真や図解の入ったカタログを提供するのである。

しかし、マニュアルとカタログを厳格に区別することはできない。マニュアルがカタログの役割を担い、マニュアルがカタログの役割を担うことがあるからである。

イタリア空軍の試験飛行・審査を通り制式されたフィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機は、1927年から部隊配備され250機が量産された。そして、降着装置を改良したCR.20bis戦闘機は、235機が生産された。最終型のイゾッタ・フラスキーニ(Isotta Fraschini)Asso Caccia液冷V型12気筒エンジン 336 kW (450 hp)に換装した CR.20 Asso戦闘機の生産機数は 204機である。

フィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機は、1926年6月19日に初飛行している。搭載した発動機は、フィアット(Fiat)A.20 液令V-12気筒エンジン331 kW (444 hp)である。その発展型のCR.20 Asso複葉戦闘機は、発動機をイゾッタフラスキーニ(Isotta Fraschini)Asso Caccia液冷V型12気筒エンジン336 kW (450 hp)に換装した。

フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機は、機首にイゾッタフラスキーニ(Isotta Fraschini)Asso Caccia液冷V型12気筒エンジン336 kW (450 hp)、コックピット下面に燃料タンク、胴体後方から尾翼向けて方向舵と昇降舵の制御用操縦索が伸びている。

フィアット(Fiat) CR.20 試作機の兵装は、7.7mmビッカース(Vickers)機関銃4丁が搭載可能だったが、これは当時の標準兵装の2倍の火力を保持していた。しかし、量産型では2丁搭載という標準的な火力に低下した。

フィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機は、後継機のフィアットCR.30、CR.32複葉戦闘機と同じく、機首上面に7.7mmビッカース(Breda)機関銃2丁を搭載した。第二次大戦のイタリア空軍主力戦闘機となった最後の複葉戦闘機フィアット(Fiat)CR.42でも、機首上面に7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁を搭載しただけだった。つまり、第一次大戦後のフィアット(Fiat) CR.20 複葉戦闘機から、第二次大戦初期のフィアットCR.42ファルコ複葉戦闘機まで、小口径の7.7mm機関銃2丁のままで推移しており、イタリア戦闘機の武装強化・火力の向上はなされていないままである。


写真(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の下左主翼上面に装着可能な写真銃図
;エンジンへの燃料供給を制御するスロットル・レバーの操作配線が示されている。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A(ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機胴体機首上面の7.7mm機関銃2丁の射撃と同調する写真銃撮影装置があり、射撃によって、目標に弾丸が命中したかどうかを判定できる。


図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の下左主翼上面に装着可能な写真銃
;エンジンへの燃料供給を制御するスロットル・レバーの操作配線が示されている。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A(ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。



図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の下左主翼上面に装着可能な写真銃
;エンジンへの燃料供給を制御するコックピット左脇のスロットルレバー付近に写真銃の撮影シャッターがある。
イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A(ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機は、写真銃を下左主翼上面に装着可能である。実戦では、写真銃は、空気抵抗増加と重量増加によって飛行性能を低下させるために使用されなかったが、射撃訓練では使用された。当時の新しい技術を体現した訓練装置だったので、公式マニュアルでも詳しい解説がなされている。

イタリア空軍フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機写真銃と並んで航空写真機も搭載することができた。写真銃は機関銃射撃と同調して正面を撮影するが、航空写真は、爆撃目標や偵察のために地上目標を撮影する目的があるので垂直方向を撮影する。


図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機コックピット後下方に装着可能な航空写真機の装着配置三面図;

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A(ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機は、パイロットの視界が良好であることが求められたため、胴体の上部に突出した正面ガラス風防を設け、開放式コックピットとして視界を確保している。


図(右)1932年以前,イタリア空軍フィアットC.R. 20 Asso複葉戦闘機の機首機関銃・燃料タンク・エンジン制御装置の配備方式の構造図

イタリア航空省1932年刊行、フィアットC.R. 20 Asso公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Asso a cura di Saverio RADOGNA e Pietro BARULLI selezione tratta dal Manuale per il montaggio 写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO CR/A(ASSO-CACCIA)C.M.S.A. ISTRUZION EDIZIONE 1932 引用。


フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機こ降着装置は、ゴム車輪2個が支柱の先につけられた双輪利器の固定式降着装置である。双輪を保持する支柱が主翼下面に接続する箇所(左右)には、飛行から地上に着地するときの衝撃を和らげるための緩衝装置が付けられている。

フィアット(Fiat) CR.20 Asso複葉戦闘機の3点式降着装置の尾部には、ゴム輪の尾輪は装着されていない。その理由は、ゴム輪は重量が嵩み、バランスを尾部に偏らせてしまう上に、空気抵抗が増加するという不利な点がある。他方、ゴム車輪ではなく、尾橇式の降着装置であれば、重量が嵩まず単純な構造で済むために、軽量で済む。また、当時は全金属製の機体ではなく、軽量な羽布張りの複葉機であったので、未舗装滑走路に着陸・離陸する際にも尾橇でも不都合ではなかった。ただし、尾橇根元には、着地時の衝撃を和らげる緩衝装置が付けられている。


5.フィアット(Fiat)CR.29高速水上機


写真(右)1929年10月,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.29高速水上機試作1号機
:CR.29試作1号機は、垂直尾翼が小型だったために、安定性が低く、着水事故を起こしたと考えられた。そこで、CR.29の2号機、3号機は、垂直尾翼を下方に延長し、面積を拡大して、安定性を向上させている。
Description English: Fiat C.29 prototype with original tail configuration. Photo from L'Aérophile October,1929 Date 1 October 1929 Source https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6554360b/f304.item Author L'Aérophile magazine
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat C.29 File:Fiat C.29 prototype with original tail L'Aérophile October,1929.jpg引用。


フィアット(Fiat)CR.29高速水上機は、イギリスで1929年開催されるシュナイダー杯(Schneider Cup)高速レースに参加するために開発された高速水上機で、チェレスティーノ・ロザテッリ(Celestino Rosatelli)の設計になる。合計3機が生産されたが、1929年6月12日、フィアット(Fiat)CR.291号機はイタリアで着水事故で失われ、2号機も1929年8月12日、イタリアの事故で沈没した。


写真(右)1929年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.29高速水上機
:全長:5.45 m、全幅:6.6 m、全高:2.75 m、主翼面積:8 m2、最大離昇重量:1,160 kg、フィアット(Fiat)AS.5液令12気筒エンジン750 kW (1,050hp)搭載、最高速力:560 km/h。垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗の国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。
Fiat CR-29 Manufacturer: Fiat Designation: CR-29
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00079117引用。


空軍大臣イタロ・バルボ(Italo Balbo)は、イタリア・ファシスト政権の沽券にかかわるとして、フィアット(Fiat)CR.29水上高速機3号機の製造を命じ、1929年シュナイダー杯(Schneider Cup)に出場すべく、開催地イギリスへ送られたがレースには参加できなかった。しかし、イタリアは、1929年シュナイダー杯にフィアット CR.29と酷似した外見のマッキ M.52とマッキ M.67で出場し、第2位、第4位に入賞している。


写真(右)1953年,イタリア、ローマ郊外、プラティカ・ディ・マーレ(Pratica di Mare)で展示されたファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.29高速水上機3号機
:胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。
Italiano: Fiat C.29 idrocorsa a Pratica di Mare nel 1953 Date 1953 Source Aerofan Anno II, Gen./Mar. 1979 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat C.29 File:Fiat C.29 idrocorsa.jpg引用。


フィアット(Fiat) CR.29 高速水上機は、双フロート式の単葉機で、主翼は木製桁にアルミニウム合金板張り、発動機は特別仕様の強力なフィアット(Fiat)AS.5液令12気筒エンジン1050馬力を搭載した。


写真(右)2011年10月,イタリア、ローマ北30キロ、ブラッチャーノ湖畔、ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館に保管・展示されているファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.29高速水上機3号機
:全長:5.45 m、全幅:6.6 m、全高:2.75 m、主翼面積:8 m2、最大離昇重量:1,160 kg、フィアット(Fiat)AS.5液令12気筒エンジン750 kW (1,050hp)搭載、最高速力:560 km/h。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。
Displayed in Hangar VELO. Took part in the 1929 Schneider Cup. Average speed of 350mph was fast, but the aircraft was reportedly difficult to fly. Date 20 October 2011, 10:05 Source Fiat C.29 'MM130' Author Alan Wilson
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat C.29 File:Fiat C.29 MM130 (6414035913).jpg引用。


ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館Museo storico dell'Aeronautica Militare di Vigna di Valle)には、フィアット C.29以外にも、マッキ=カストルディ M.C.72高速機、フィアット C.R.32 複葉戦闘機、フィアット C.R.42 ファルコ複葉戦闘機、マッキ M.C.200サエッタ戦闘機、マッキ M.C.202 フォルゴレ戦闘機、マッキ M.C.205ヴェルトロ戦闘機、フィアット G.55 チェンタウロ戦闘機、ノース・アメリカン P.51 D ムスタング戦闘機、スーパーマリン スピットファイア Mk.IX戦闘機など第二次大戦時までの機体が多数保管、展示されている。


6.フィアット(Fiat)CR.32戦闘機


写真(上)1935年,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32戦闘機の側面
;垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞(中央の白地にはサボイア王家の紋章入)、主翼にファッシ3本のファシストを描いて、イタリアの国籍記章としたイタリア航空省1934年(ファシスト暦12年)刊行、フィアットCR.32公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
a cura di Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO C.R.32 (Motore Fiat A.30 R.A.bis)Istruzioni ROMA 1934-ANNO XII 引用。


スペイン内戦に、イタリアから派兵された固定脚の低速機のサヴォイア・マルケッティSM.81爆撃機、フィアットCR.32戦闘機は、制空権の下で一定の活躍ができた。しかし、1939年9月に勃発した第二次大戦の時期には、低速で旧式化していたため、イタリアが1940年6月に参戦したときには、輸送機や練習機として使用されるにとどまった。

ファシスト・イタリア王国空軍機の国籍マークは、1940年6月に第二次大戦に参戦する以前までは、垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞を描き、特に中央の白地には、サヴォイア王家の紋章を記入している。さらに、左右主翼の上下面に、黒縁で囲んだファッシ3本のファシスト記章を描いて、ファシスト・イタリアの国籍マークを喧伝している。

写真(右)1937年、スペイン、スペイン内戦に派遣されたイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の編隊飛行:スペイン国民戦線フランコ将軍率いる反乱軍の国籍マークとして、垂直尾翼に白地に黒のXを、胴体と主翼に黒丸●に描いている。
English: A pair of Fiat C.R.32 of the X Gruppo "Baleari". The foreground aircraft is flown by D'Agostini Date 1937 Source http://www.finn.it/regia
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.32 (Aviazione Legionaria) File:Fiat C.R.32-Baleari.jpg引用。


スペイン共和国政府に反抗したモラ将軍、フランコ将軍らの反乱軍は、自らをスペイン国民戦線政府と名乗り、イタリアとドイツの軍事援助を受けて、スペイン共和政府と内戦を戦った、この反乱軍側のスペイン軍国籍マークは、垂直尾翼に白地に黒のXを、胴体と主翼に黒丸●に描いている。スペイン内戦に派兵されたイタリア軍(義勇軍)・ドイツ軍(コンドル軍団)の機体も同様の国籍マークを描いている。

フィアット CR.32複葉戦闘機は、1933年4月28日に初飛行、最高速力360km/hと当時としては優れた飛行性能を発揮したために、すぐにイタリア王国空軍に制式された。そして、1936年2月までにCR.32bis、CR.32tris、CR.32quarterなど改良が続けられ1053機もが量産された。

1936年7月に、スペイン内戦が勃発し、スペイン共和国軍とファシスト反乱軍(国民戦線)の戦いが始まると、イタリアはファシストを軍事援助するためにイタリア軍を「義勇兵」の名目で派兵し、CR.32も実戦投入された。

1936年7月に勃発したスペイン内戦には、ソ連がスペイン共和国政府軍を軍事援助したため、そのポリカールポフI-15複葉戦闘機、I-16単葉戦闘機とファシスト反乱軍政府を援助したイタリア空軍のフィアットCR.32複葉戦闘機との空戦も行われたであろう。

1938年にスペインは、フィアットCR.32複葉戦闘のライセンス生産をはじめ、少なくとも100機が生産されている。さらにオーストリア空軍、中国空軍、ハンガリー空軍がフィアットCR.32複葉戦闘を採用したほか、パラグアイ、ベネズエラもフィアットCR.32複葉戦闘を各々5機、9機購入している。

ファシスト・イタリア王国空軍機の国籍マークは、垂直尾翼に、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞を描き、左右主翼の上下面に、黒縁で囲んだファッシ3本のファシスト記章を描いて、イタリアの国籍マークとしていた。しかし、1940年6月にイタリアが第二次世界大戦に参戦したとき、垂直尾翼の三色旗を改め、白十字を描いて国籍記章とした。三色旗は華麗だったため、敵に目立ちやすく発見されやすいとして改められたのであろう。

写真(右)1939年4月12-27日,イタリア北部、ミラノ祭(ミラノ・フィエラ)、ファシスト党員から説明を受けるイタリア王国サボイア王家ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア3世(Vittorio Emanuele di Savoia)Giuseppe Bottai)(前列手前中央小柄):ヴィットリオエマヌエーレ3世王は、啓蒙文化大臣ディーノ・アルフィエリ、フィエラ会長ピエロ・プリチェッリの説明を受けながら、パビリオンを見学した。2列目にベルガモ公アダルベルト・ディ・サボイアも随伴している。
Fiera di Milano - Campionaria 1939 - Visita del Re Vittorio Emanuele III Bruni
Autore: Bruni (notizie prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/04/1939 - 27/04/1939Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 10 x 15
Note: Il Re Vittorio Emanuele III, accompagnato dal presidente della Fiera Piero Puricelli, dal ministro della cultura popolare Dino Alfieri e da altre numerose personalità, passa in un viale. Tra le personalità della delegazione reale: il duca di Bergamo Adalberto di Savoia (in seconda fila)
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, Fondo Fiera campionaria, P_1939_3引用。


イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Vittorio Emanuele III)は、イタリアの陸海空軍の統帥権を保持する大元帥であり、昭和天皇と同じく、軍の最高指揮官として、「大元帥」を名乗った。独裁者ベニート・ムッソリーニも、国王から政治と統帥権を移譲されているだけであり、ファシスト・イタリア空軍といっても、正規軍はイタリア王室空軍であり、ファシストはあくまで、国王の下で行政、軍事を担っていたにすぎない。

イタリアで1933年4月28日初飛行したフィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機は、1935年から1936年にハンガリー王国空軍(Royal Hungarian Air Force :MKHL)に合計76機が輸出された。このハンガリー王国空軍(Magyar Királyi Honvéd Légierő)フィアットCR.32複葉戦闘機は、イタリア三色旗の赤白緑の国籍マークを付けている。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、イタリアは1940年6月のフランス降伏直前に参戦した。その時、旧式化してはいたが、まだイタリア空軍フィアットCR.32複葉戦闘機は部隊配備されており、北アフリカ戦線にmぽ派遣された。そして、100キロ爆弾1発あるいは50キロ爆弾2発を搭載して、地上襲撃機としても使用された。

ハンガリー王国空軍(Royal Hungarian Air Force :MKHL)フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機は、1939年、隣国スロバキア(Slovakia)と戦闘になったとき、敵対したスロバキア空軍は、チェコスロバキア製1933年初飛行のアビア(Avia)B.534複葉戦闘機、チェコスロバキア製1929年初飛行のレトフ(Letov)S-328複葉偵察機を中核に少数配備していただけだった。

 チェコスロバキア空軍のアビア(Avia)B.534複葉戦闘機は、1933年初飛行、開放式コックピットだったが、1937年に密閉式コックピットとしたアビアB-534-4が開発され、1937年春から1938年夏にかけて272機が生産された。

チェコスロバキア空軍ののアビアB-534-4の最高速力は380km/hで、1937年7月23日から8月1日開催のチューリヒ・デューベンドルフ国際エアレース(International Air Races Zurich-Dübendorf)に改造型が出場し、メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109 V7 (W.Nr. 881)に次いで第2位で準優勝した。


写真(右)1935-1936年頃,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の右の上主翼の構造図
(上面);イタリア航空省刊行フィアットCR.32公式カタログ(CATALOGO)掲載。
Fiat C.R. 32 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,AERONAUTICA D'ITALIAVELIVOLO DA CACCIA C.R.32 CATALOGO NOMENCLATORE 引用。



写真(右)1937-1938年頃,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32戦闘機4型の下主翼の構造図
;イタリア航空省の1938年刊行、フィアットCR.32Quaterマニュアル掲載。
Fiat C.R. 32 Quater a cura di Marco OCULISTI (un Amico che, purtroppo, ci ha prematuramente lasciati) n.d.r. selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO C.R.32 (Motore Fiat A.30 R.A.bis) ROMA 1938-ANNO XVI引用。


フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の発動機は、フィアット A30 RA-bis液令V12気筒エンジン600 hpで、この程度の出力で、最高速力360 km/hを達成できたのは、空力学的に洗練されていたからである。機体を小型軽量化し、空気抵抗を減少させるために胴体を絞って細くし、エンジン直径も最小化できるようにカウリングを工夫した。

イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機は、フィアット G.50 フレッチア(Freccia)戦闘機、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機と同一の発動機フィアットA74AC38空冷星形14気筒エンジンで800馬力級1基を搭載している。

フィアット(Fiat)CR.32戦闘機が降着に使用する主輪はゴム車輪で、支柱は外側1本で、着地するときの緩衝装置が支柱に組み込まれている。固定脚であり、この方式は、発展型のフィアット(Fiat)CR.42ファルコ戦闘機にも引き継がれている。しかし、同時期に開発されたフィアット G.50 フレッチア(Freccia)戦闘機は、低翼単葉、引込み式降着装置を採用しておた。ライバル社のマッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機も低翼単葉、引込み式の降着装置を採用している。

写真(右)1937年、イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の三面図
English: FIAT CR-32 Date 12 February 2016 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.32 File:FIAT CR-32.svg引用。


フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の諸元

乗員Crew: one
全長Length: 7.88 m (25 ft 7.25 in)
全幅Wingspan: 9.5 m (31 ft 2 in)
全高Height: 2.78 m (9 ft 1.5 in)
翼面積Wing area: 22.1 m2 (238 sq ft)
空虚重量Empty weight: 1,455 kg (3,208 lb)
総重量Gross weight: 1,975 kg (4,354 lb)
発動機Powerplant: 1 × Fiat A.30 R.A. 12-cylinder Vee piston engine , 447 kW (600 hp)
最高速力Maximum speed: 360 km/h (220 mph, 190 kn)
航続距離Range: 781 km (485 mi, 422 nmi)
実用上昇限度Service ceiling:8,800 m (28,900 ft)
兵装Armament:2 ×7.7 mmあるいは12.7 mmブレダ(Breda)-SAFAT機関銃
爆弾Bombs: 100 kg (220 lb)


図(上)1937-1938年頃,イタリア、ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.32戦闘機の側面
;1933年4月28日初飛行、1933年より部隊配備。イタリア航空省1934年(ファシスト暦12年)刊行、フィアットCR.32公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
a cura di Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA AEROPLANO C.R.32 (Motore Fiat A.30 R.A.bis)Istruzioni ROMA 1934-ANNO XII 引用。

1940年6月の第二次大戦参戦後のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。1943年7月25日、ムッソリーニ首相罷免後のバドリオ政権は9月初めに連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円である。

1940年6月の第二次大戦参戦後のイタリア王国空軍の国籍記章は、機体側面のファッシ(束ねた武器)、左右主翼上面・下面の3本ファッシ、垂直尾翼のサボイア王家の紋章入り白十字だった。しかし、統領ムッソリーニ罷免後のバドリオ政権は連合国に降伏し、その後、ドイツに宣戦布告した。この時のイタリア王国空軍の国籍マークは、イタリア三色旗トルコローレの緑白赤の同心円に変更され、現在に至っている。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機を見る。


7.フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機

写真(右)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機:1938年5月23日初飛行、1939年5月より部隊配備。ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、1940年6月の第二次大戦参戦までは、主翼の3本ファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼の緑・白・赤の三色旗の三色旗と同じ縦縞である。
Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


ファシスト独裁イタリアの国籍マークは、左右主翼上面・下面のファッシ(束ねた武器)と垂直尾翼のサヴォイア高家紋章付きのイタリア三色旗トルコローレの緑白赤の縦縞だった。しかし、1940年6月の第二次大戦参戦後、垂直部翼の三色旗の華麗な国籍マークは、サボイア王家紋章付きの白十字に変更された。


写真(上)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機

Fiat C.R. 42 a cura di Saverio RADOGNA , con il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA CATALOGO NOMENCLATORE PER VELIVOLO FIAT C. R.42 AERONAUTICA D'ITALIA S.A.−TRINO 1940 ANNO XVIII引用。


イタリア空軍フィアット G.50 フレッチア(Freccia)戦闘機は1937年2月26日に初飛行し、マッキ(Macchi)MC200サエッタ(Saetta)戦闘機は、1937年12月24日に初飛行しているが、これらは、第二次大戦勃発2年前に出現した金属製低翼単葉の戦闘機である。他方、フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機は、1938年5月28日に半年遅れて初飛行している。

イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機は、フィアット G.50 フレッチア(Freccia)戦闘機、マッキ(Macchi)MC.200サエッタ(Saetta)戦闘機と同一の発動機フィアットA74AC38空冷星形14気筒エンジンで800馬力級1基を搭載している。この程度の出力で、最高速力500km/hを達成するのは、技術的に難しかった。


図(上)1940年6月以前,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の側面構造図

Fiat C.R. 42 a cura di Pietro BARULLI , Saverio RADOGNA , la collaborazione di Bruno FOCHESATO e il prezioso aggiornamento di Fabrizio CATALANO (in memoria) selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZIONI E NORMW PER IL MONTAGGIO LA REGOLAZIONE, L'IMPIEGO E LA MANUTENZIONE DEL VELILO C. R.42 ROMA−1940 ANNO XVIII引用。


イタリア空軍フィアット イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の発動機は、1937年12月24日初飛行の低翼単葉マッキ(Macchi)MC.200サエッタ"Saetta"戦闘機と同じフィアット A74RC38空冷星型14気筒エンジン870hpである。

フィアットA74 RC 38空冷星型14気筒エンジンの諸元
気筒ボアBore: 140 mm (5.512 in)
気筒ストロークStroke: 145 mm (5.709 in)
排気量Displacement: 31.25 L (1,906.9 cu in)
全長Length: 1,044mm (41.13 in)
直径Diameter: 1,195 mm (47.05 in)
乾燥重量Dry weight: 590 kg (1,246 lb)
離昇出力Power output: 870 馬力 (858 hp, 640 kW)/毎分 2,520回転
緊急出力960 馬力(947 hp, 706 kW)/毎分 2520 回転/高度3,000 m
圧縮比Compression ratio: 6.7:1
出力重量比Power-to-weight ratio: 1.2 kW/kg (0.73 hp/lb)

図(右),イタリア空軍フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の三面図
Photographer MLWatts Location Aircraft type Fiat C.R.42 Type SVG drawing Object type aircraft Description English: 3-view drawing of a Fiat C.R.42 Italian biplane fighter of World War II. Italiano: Tavole prospettiche di un caccia italiano della seconda guerra mondiale Fiat C.R.42. Date 27 December 2011 Source Own work (basing upon G. Dicorato, G. Bignozzi, B. Catalanotto, C. Falessi, Storia dell'Aviazione, Milano, Fratelli Fabbri Editori, 1973, p. 375 Profili.)
図はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.42 Falco File:Fiat C.R.42 Falco 3-view.svg引用。

フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)戦闘機の諸元
搭乗員:Crew: 1
全長:Length: 8.25 m (27 ft 1 in)
上主翼全幅:Upper wingspan: 9.7 m (31 ft 10 in)
下主翼幅:Lower wingspan: 6.5 m (21 ft 4 in)
全高:Height: 3.585 m (11 ft 9 in)
主翼面積:Wing area: 22.4 m2 (241 sq ft)
空虚重量:Empty weight: 1,782 kg (3,929 lb)
総重量Gross weight: 2,295 kg (5,060 lb)
発動機:Powerplant:フィアット(Fiat)A.74 R.C.38空冷(air-cooled)星形(radial)14気筒(cylinder)ピストンエンジン 627 kW (841 hp) /高度 3,800 m (12,500 ft) / 2,400 rpm
プロペラPropellers: 3翅可変ピッチ(variable-pitch)プロペラ
性能:Performance
最高速力:Maximum speed: 441 km/h (274 mph, 238 kn) at 6,100 m (20,000 ft)
巡行速力:Cruise speed: 399 km/h (248 mph, 215 kn)
着速度:Landing spreed: 128 km/h (80 mph; 69 kn)
航続距離:Range: 780 km (480 mi, 420 nmi)
実用上昇限度:Service ceiling: 10,210 m (33,500 ft)
上昇率:Rate of climb: 11.8 m/s (2,320 ft/min) 翼面荷重:Wing loading: 102 kg/m2 (21 lb/sq ft)
出力重量比:Power/mass: 0.28 kW/kg (0.17 hp/lb)
離陸距離:Take-off run: 210 m (690 ft)
着陸距離:Landing run: 340 m (1,120 ft)
火器:Guns: 初期:ブレダ(Breda)-SAFAT 7.7 mm (0.303 in)機関銃1丁、ブレダ(Breda)-SAFAT 12.7 mm (0.500 in)機関銃1丁
後期:ブレダ(Breda)-SAFAT 12.7 mm (0.500 in)機関銃2丁(携行弾薬 400発)
爆弾: Bombs: 200 kg (440 lb) 2発/主翼爆弾懸架


写真(右)1940年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)CR.42 複葉水上戦闘機の側面
:垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。
5582. FIAT. ICR 42. ca. 1935-1940, Original photograph 17 x 23,2 cm, with stamp on verso. Item nr: 39422
In 1940 in what I see like an effort to sell the CR.42 to the navy, a Fiat subsidiary, CMASA (Costruzioni Meccaniche Aeronautiche SA) was designated designed the ICR.42, a float plane obviously based in the CR.42.Only one was constructed and in early 1941 trialed, but no orders were made, thus ending the project. Design The ICR didn't change much from the standard CR.42, except for the replacement of the landing gear by 2 floaters. The wheight was increased by 126kg making it 1.846kg when empty and 2.420kg when full. Surprisingly, the augmented drag and weight didn't change much the performance of the plane, only decreasing it speed by 8 km/h
写真は,Krul Antiquarian Books Books and photographs on Aeronautics引用。


CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機の固定式降着用主輪を撤去して、水上滑走用の双浮舟フロートを付けたCR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機水上機仕様は、空虚重量が126kg増加して1846kgとなり、総重量は 2420kgとなった。この水上機化を進めたのは、1913年創立のCMASA(Costruzioni Meccaniche Aeronautiche Società Anonima:航空機械有限会社)で、性能は、最高速力は8 km/h低下しただけで、423km/hを維持できた。兵装は12.7mm12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、携行弾薬400発である。


図(上)1940年,ファシスト・イタリア王国空軍フィアット(Fiat)ICR.42 複葉水上戦闘機(CR.42の水上機仕様)の側面図
:垂直尾翼に、第二次大戦参戦前のイタリア三色旗である緑白赤の縦縞の国籍マークを付けている。胴体側面にはファッシを描いたファシストの記章が描かれている。上の写真をもととしたカラー復元図。
5582. FIAT. ICR 42. ca. 1935-1940, Original photograph 17 x 23,2 cm, with stamp on verso. Item nr: 39422
写真は,Gaijin Network Ltd Krul Antiquarian Books Books and photographs on Aeronautics引用。


12.7mmブレダSAFAT機関銃の諸元
開発時期 1935年
重量 29kg
弾丸 12.7x81mmSR弾(34.2g)
口径 12.7mm(0.50in)
発射速度 700発/分
575発/分(戦闘機機首のプロペラ同調機銃の場合)
初速 765m/s(12.7mm)

12.7mmブレダ(Breda-SAFAT)機関銃の原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)CR.42ファルコ(Falco)複葉戦闘機を見る。


8.ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機

写真(右)1933年5月以降、ドイツ、BMW VI 73Z液冷V型12気筒エンジン 750馬力)装備のハインケル(Heinkel)He-51C戦闘機の3機の列機(登録コード:D-IRKO 他);1933年5月に初飛行した。既に1月末にヒトラー政権が成立していたので、国籍マークは、垂直尾翼に黒のナチ党卍カギ十字スワスチカを赤帯白丸に付けている。He-70輸送機やHe112戦闘機とは異なって、古風な羽布張り胴体に複葉、固定脚の第一次大戦以来の古風な設計である。目新しさはない
Ray Wagner Collection Image Heinkel 51 C
PictionID:46168667 - Catalog:16_007351 - Title: Heinkel 51 C Nowarra Collection - Filename:16_007351.TIF- Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:46168642引用。


1935年3月16日のドイツ再軍備宣言から半年以上経過した1935年11月7日、第一次大戦勃発の時1914年生まれの成人男子に徴兵が開始され、それまで10万人だった共和国軍(ライヒスヴェア)は、50万人の国防軍(ヴェアマハト)へ拡張された。ただし、ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機は、1933年5月に「スポーツ機・アクロバット機」として初飛行している。

ハインケルHe 51複葉戦闘機は、1934年から1937年に陸上型473機生産されたが、この他に水上機型が33機生産されている。したがって、He51の全経形式の生産機数は506機となる。

ハインケルHe51B.1複葉戦闘機 ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機の搭載した発動機BMW VI液冷V型12気筒エンジンは、前形式のBMW IV6気筒液冷エンジンのシリンダー数を2倍(排気量を2倍)にした出力向上エンジンである。1926年に開発され、前作のBMW VIを踏襲して大量生産に入った。

1936年7月、スペインでは、人民戦線政府に対して、モロッコ植民地に駐留していたフランシスコ・フランコらの反乱軍が蜂起した。このスペイン内乱に際して、ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、即座に支援を命令し、ドイツ・コンドル軍団をスペインに派遣することが決定した。

 ドイツは、形式上は、スペイン市民戦争に不干渉の立場にあると表明しながらも、義勇軍の形式をとったコンドル軍団を編成して、ドイツ正規軍の派兵を実装した。この時、コンドル軍団に配備されたハインケル(Heinkel)He-51戦闘機、He111爆撃機、He70輸送機もスペイン内乱に反乱軍への援軍として実戦投入されている。

ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機の諸元
乗員:1名
全高: 3.20 m
全幅: 11.00 m
全長: 8.40 m
自重: 1,460 kg
総重量: 1,900 kg
発動機: BMW VI 73Z 液冷V型12気筒エンジン (750馬力)
プロペラ: 2翅可変ピッチ(variable-pitch)
主翼面積: 27.2 平方メートル
翼面過重: 69.9 kg/m2

最高速力: 330 km/h
巡航速度: 280 km/h
航続距離: 570 km
実用上昇限度: 7,700 m
兵装: 7.92 mm MG 17 機関銃2丁(携行弾数各500発)
爆弾:10キロ爆弾6発

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機を見る。


9.ドイツ空軍アラド(Arado)Ar 68 複葉戦闘機

写真(右)1936-1938年頃,ドイツ空軍のアラド(Arado)Ar 68E複葉戦闘機:ダークな迷彩塗装は、初期のドイツ機には珍しい。本来は、劣勢になり、制空権を失った場合、上空から見つかりにくいように地表と紛らわしい濃い迷彩塗装を施した。
Ardo Ar 68E NowArdo Arra photo - Title:Ardo Ar 68E NowArdo Arra photo - Catalog: 16_004973 - Filename: 16_004973.TIF - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file
写真は、SmugMug+Flickr, SDASM Archives PictionID:43932112引用。


アラド(Arado)Ar 68 E 複葉戦闘機:ユンカース・ユモJumo210倒立V型12気筒液冷エンジンを搭載しているので、Ar 68 Eの機首はプロペラスピナまでエンジンナセルが流線型になっている、アラドAr 68 FとハインケルHe-51戦闘機は,同じBMW VI12気筒V型液冷エンジン492 kW (660馬力)を装備しているので、機首の形状が箱型のエンジンナセルで類似している。

アラド(Arado)Ar 68 E 戦闘機は、空力学的に洗練されており、ハインケルHe-51戦闘機を若干上回る性能だったが、ソ連空軍I-16戦闘機に劣っていた。そこで、1935年5月28日に試作機が初飛行していたメッサーシュミット(Messerschmitt)Bf109が高性能を発揮していたため、アラド Ar 68 (Arado Ar 68) 戦闘機は、ハインケルHe51戦闘機と並行的に使用され、生産機数も同程度の511機の量産にとどまっている。

アラド(Arado)Ar 68 Eは、ユンカース・ユモJumo210倒立V型12気筒液冷エンジン(610馬力)を装備し、ドイツ空軍の制式戦闘機となった。1936年はスペイン内戦が勃発した年で、アラドAr68戦闘機もスペイン内戦に投入され、国民戦線側のコンドル軍団に配備され、共和国政府人民戦線側のソ連ポリカルポフ(Polikarpov)I-16戦闘機と戦った。

⇒写真集Album:アラド(Arado)Ar 68 複葉戦闘機を見る。


10.ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機

ポリカルポフI-15bis戦闘機・後期型 ソ連ポリカルポフ(Polikarpov)設計の1933年10月に初飛行したポリカルポフI-15複葉戦闘機は、シュベツォフ(Shvetsov)M-25空冷星型9気筒エンジン520 kW (700 hp) を搭載、胴体から伸びるガル上翼、小型の下翼を一本の支柱で繋いでおり、空気抵抗の少ない洗練された形状だった。1936年のスペイン内戦、1939年のノモンハン事変、1941年の独ソ戦に用いられた。スペイン内戦ではイタリア空軍の派遣したフィアットCR.32複葉戦闘機とも戦っている。1937年に開発された改良型I-15bisは、上主翼を胴体から離したパラソル型とし、発動機の出力を向上している。

最高速力: 367 km/h (228 mph, 198 kn) at 3,000 m (9,800 ft)
巡行速力: 285 km/h (177 mph, 154 kn) at 2,000 m (6,600 ft)
航続距離: 510 km (320 mi, 280 nmi)
実用上昇限度: 9,800 m (32,200 ft)
状領事館:5,000 m(16,400 ft)/6.1分
兵装:4 × 7.62mm PV-1 機関銃(7.62×54mmR)
爆弾:100kg (220 lb)

⇒写真集Album:ポリカルポフ(Polikarpov)I-15戦闘機 を見る。


11.ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-16 戦闘機

 1936年に勃発したスペイン内乱では、共和国政府軍とファシスト反乱軍が戦ったが、前者をソ連軍が、後者をイタリア軍・ドイツ軍が軍事支援した。航空戦についても、ソ連はポリカルポフI-15複葉戦闘機、ポリカルポフI-16単葉戦闘機を、イタリアはフィアットCR.20、CR.30複葉戦闘機を、ドイツはハインケルHe-51複葉戦闘機を派遣した。

これらは、各国の主力戦闘機だったから、スペイン内戦では各国空軍の力量が実戦で試されたことになる。

ファシスト反乱軍の側で戦ったイタリアのフィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機は、共和国政府軍側で戦ったソ連のポリカルポフI-15複葉戦闘機、I-16単葉戦闘機と空中戦を行い、数的優位もあって、有利に戦いを進めることができた。

そこで、イタリア空軍は、自国のCR.32複葉戦闘機の優秀性が証明されたと考え、速度を重視する低翼単葉の戦闘機が世界各国に登場するようになってからも、イアリアはポリカルポフI-16複葉戦闘機を主力戦闘機として採用したのである。

⇒写真集Album:ポリカルポフ(Polikarpov)I-16 戦闘機 を見る。


12.カント(CANT) Z.501(Gabbiano)飛行艇

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクションに展示されたカント(CANT:Cantieri Aeronautici e Navali Triestini)Z. 506 B アイローネ(Airone:アオサギ)水上偵察爆撃機:斜め前方より撮影。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand dei Cantieri riuniti dell'Adriatico Stabilimento Fotografico Crimella. Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24 Note: In primo piano l'aereo trimotore idrovolante CANT Z 506 B "Airone" (versione da bombardamento)
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_225 引用。


カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機の初飛行は1935年8月19日で、この試作機をベースに高出力のアルファロメオ液令エンジンを搭載した特別仕様のZ.506水上機は、1936年から1938年に、国際飛行記録を樹立した。ピアッジオ ステラ P.IX空冷星形エンジンを装備したカントZ.506Aは、1936年からイタリア航空(Ala Littoria)に就航しており、民間旅客輸送機として使用された。1940年の保有機数は、14機である。

カント(CANT:Cantiere Navale Triestino)Z.506水上機は、1935年8月19日の初飛行で、全長:19.25m、全幅:26.50m、全高:7.40m、総重量:12.3t、 アルファロメオ AR126RC34 空冷9気筒エンジン(750hp)3基搭載、最高速力 365km/h(高度3000m)、航続距離 2745km、乗員:4名。

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機を見る。


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