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◆ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
写真(上)1937-1938年頃,第二次世界大戦突入前のドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126A近距離偵察機(登録コード:D-DAAV)
:1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を描いた国籍マークだった。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のスワスチカ (Swastika:ハーケンクロイツ)は敵から発見されやすかったために廃止になり、ハーケンクロイツだけになった。
SDASM Archives Henschel, Hs 126 PictionID:44219292 - Title:Henschel, Hs 126 - Catalog:16_005362 - Filename:16_005362.TIF
写真はSDASM Archives・PictionID:44219292 引用(他引用不許可)。


写真(上)1945年6月、敗戦後のオーストリアの飛行場に放棄されたドイツ空軍ヘンシェル(Henschel) Hs 126B偵察機
機関車メーカーとして有名なヘンシェル社が開発した近距離、地上軍と密接な連携をとる直接協力偵察。大戦勃発当初の電撃戦で、急降下爆撃機にの陰に隠れているが、地上偵察は電撃戦の前提だった。1941年6月に東部戦線が勃発してからもソ連相手に活躍した。左後方の単発機は、アラド(Arado)Ar 96練習機。左右2機の双発機はアルグス411空冷倒立エンジン装備のジーベル Si 204輸送機/機上練習機で、1940年の初飛行以来、1,216機が生産された。
English: German Military Aircraft 1939-1945 An abandoned Henschel Hs 126B reconnaissance aircraft on an Austrian airfield in June 1945. The Hs was commonly used as an artillery observation aircraft early on in the war but by 1942 had been relegated to training and glider towing duties. In the background of this photograph are an Arado Ar 96 trainer in Hungarian markings and a Siebel Si 204 liaison aircraft. Author Royal Air Force official photographer
写真はImperial War Museums IWM CNA 3632引用。

写真(右)1918年6月以降,第一次世界大戦中、戦闘機パイロット・撃墜王として軍人最高位のプール・ル・メリット勲章を授与されたヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)中尉 :1914年1月に陸軍少尉に任官後8月に勃発した第一次世界大戦では、10月から陸軍航空隊の偵察機の偵察員として活躍。1915年9月から戦闘機パイロットとなり、1915年3月に一級鉄十字章を授与。1915年10月から戦闘機パイロットとして出撃。1917年5月、第27飛行中隊指揮官になる。1918年6月、撃墜18機で軍人最高位のプール・ル・メリット勲章を受章。1918年7月、名誉ある「リヒトホーフェン大隊」指揮官に就任したが、11月に敗戦。
1911年5月13日、士官候補生、1914年1月20日、少尉、1916年8月18日、中尉、1920年6月8日、名誉階級大尉、1933年8月30日、名誉階級歩兵大将、1935年5月21日、空軍大将、1936年4月20日、上級大将、1938年2月4日、元帥、1940年7月19日、国家元帥
1923年3月1日、SA最高指導者、1931年12月18日、SA中将、1933年1月1日、SA大将
larson coll. Photo_250 Photo from the Lou Larson Collection. These photos were donated to the Museum in September of 2012.
San Diego Air and Space Museum Archive ・Aufn.-Nr.: df_bo-pos-10_0000042引用。


ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)が国会議長に就任。

1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月の再軍備宣言によって新設された空軍の総司令官に就任。

ゲーリング

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring): 第一次世界大戦末期, ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は英雄だった。1914年から志願兵となり第一次大戦に参加し,空軍に入隊し航空兵となった。1916年からは戦闘機パーロットとして活躍,22機を撃墜。大戦末期の1918年6月2日,皇帝ヴィルヘルム2世から最高勲章プール・ル・メリット授与,「リヒトーホーフェン大隊」指揮官に就任。しかし,半年後に敗戦。ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンは、1938年11月、少将として、コンドル軍団長としてスペイン内戦に二度目の派兵。1939年5月に、コンドル軍団は凱旋、ドイツに帰国した。


ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンは、1936年に中佐としてスペイン内戦に「コンドル軍団」の義勇兵として参戦し、1937年4月のゲルニカ空襲を指揮したコンドル軍団の参謀となった。1937年10月、スペインから帰還するも、1938年11月に少将として、コンドル軍団長として再度スペイン内戦に参戦。1939年5月、コンドル軍団は、ドイツに凱旋した。

1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相ネヴィル・チェンバレンNeville Chamberlain:1869–1940)は,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」とも称された。

1940年4月9日,英軍に先んじて,ドイツ軍がノルウェーに侵攻,その後,4月14日,トロンヘイムに英仏軍,ポーランド軍の連合軍1万2000名を上陸させた。ナルヴィクにも,4月20日に連合軍3万名を上陸させた。1940年5月10日,ドイツ軍のベルギー,オランダに侵攻に直面して,連合軍はナルヴィクを撤退。ネヴィル・チェンバレンNeville Chamberlain)は,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任。 戦時挙国一致内閣として,1940年5月10日に、チャーチル(Winston Churchill)がイギリス首相に就任した。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。

ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)の成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。
1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会演説でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説、その後の1941年6月29日の法令を根拠に,自らを後継者として自認していた。これを元に,1945年4月23日のベルリン攻防戦の最中に、ゲーリングはヒトラーに対して、連絡が取れなくなった場合、自分がドイツの最高指導者の地位を引き継ぎたいと電文を発した。しかし、ヒトラーは、これをゲーリングンの裏切りと感じ、激怒してゲーリングの公職追放・監禁を命じた。


0.ハインケル(Heinkel)He 45/He 46 複葉機

写真(右)1936年頃,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 45 偵察爆撃機(登録コード:D-IVAZ):複葉機、固定式降着装置、という堅実な設計だが、発動機をダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB 600液令エンジンとした実験機も製造された。ハインケル(Heinkel)He 45偵察機試作3号機は、軍用仕様で機関銃を装備していた。
SDASM Archives Heinkel, He 45 Title: Heinkel, He 45 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 45.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・- Catalog #: 01_00081257引用。


ドイツ再軍備前の1930年に、ドイツ共和国のドイツ連邦軍(共和国軍)のために、ハインケル社が開発を始めたのがハインケル(Heinkel)He 46軍用機である。当時、ドイツ共和国軍は、ベルサイユ条約の下にあり、空軍の保有はできなかったが、事実上、軽爆撃機として開発され、1932年初頭に無武装の複座試作機が完成した。

量産型は、試作3号機を原型とするハインケル(Heinkel)He 45 C 偵察爆撃機で、BMW VI 液冷V型12気筒エンジン560 kW (750 hp)を装備し、7.92mmMG17前方固定機関銃1挺、後席に7.92mmMG15旋回機関銃1挺を装備した。しかし、偵察爆撃機としては実用性に乏しく、すぐに練習機として使用されるようになった。

ハインケルHe 45C偵察爆撃機(Heinkel He 45C)の諸元

搭乗員: 2人
全長: 10.60 m (34 ft 91⁄3 in)
全高: 3.60 m (11 ft 93⁄4 in)
翼幅: 11.50 m(37 ft 83⁄4 in)
翼面積: 34.60 m2 (372.32 ft2)
空虚重量: 2,110 kg (4,641 lb)
全備重量: 2,751 kg (6,052 lb)
発動機: BMW VI 液冷V型12気筒エンジン560 kW (750 hp)1基
最高速力: 290 km/h(海面高度) (157 kt) 180 mph
巡航速力: 221 km/h (119 kt) 137 mph
航続距離: 1,200 km (649 マイル) 746 mi
実用上昇限度: 5,500 m (18,045 ft)
上昇率: 1,000 m (3,280 ft): 2.4 分 (ft/s)
兵装:7.92 mmMG 17前方固定機関銃1挺、後席7.92 mmMG 15旋回機関銃1挺
搭載爆弾量: 300 kg (660 lb)
初飛行: 1931年
就役: 1932年
生産期間:1932-1936年
生産機数:512機

写真(右)1936年頃,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 46 近距離偵察機(登録コード:D-IIDY):複葉機、固定式降着装置、という堅実な設計だが、発動機はジーメンス SAM22B 650 hpを搭載した。ハインケル(Heinkel)He 46偵察機の初飛行は、1931年12月末で、1933年から量産が開始され、1936年12月末で生産中止。合計481機が生産された。
Description Heinkel He 46 aircraft. Pre-WW2 markings. Source Unknown. Article Heinkel He 46 Portion used Entire image, as necessary to show subject Low resolution? Thumbnail, not adequate for commercial reproduction Purpose of use To illustrate article on this rare aircraft.
写真はWikipedia Category:Fair use images・- File:Heinkel 46.jpg引用。


ドイツ航空省は、将来ドイツ空軍の戦闘機、爆撃機、偵察機など基幹搭乗員を育成することを各社に求めた。そこで、ハインケル(Heinkel)は、近距離偵察、対地直接協力(直協)用のハインケル(Heinkel)He46を設計した。

ハインケル(Heinkel)He46は複座単葉機で、構造は木金混合、胴体構造は鋼管骨組に羽布張り、主翼は高翼パラソル式(片翼式)で10°後退角がついている。発動機は、ドイツのジーメメンス(Siemens)社がイギリスからライセンス生産したブリストル(Bristol)ジュピター(Jupitor)空冷星形9気筒エンジン450hpで、試作1号機He46aは1931年12月末に初飛行した。次作は、エンジンを強化するために、ジーメンス(Siemens-Halske)SAM22B空冷星形9気筒エンジン 650 hp(Bramo 322B)に換装した試作2号機He46bである。

カラー写真(右)1942年,対ソビエト東部戦線、木の枝を使って厳重に対空偽装されたハンガリー空軍ハインケル(Heinkel)He-46 E近距離偵察機:ドイツ同盟国ハンガリーは、ハインケル(Heinkel)He 46偵察機を導入し、1941年6月以降の対ソ連侵攻に投入した。
Magyar: A magyar légierő Heinkel He-46E típusú közelfelderítő repülőgépe. Tags: colorful, Royal Hungarian Air Force, airplane, Heinkel-brand, Gerrman brand, transport, second World War, camouflage Title: A magyar légierő Heinkel He-46E típusú közelfelderítő repülőgépe. Date 1942. FOTO:Fortepan — ID 27160: Home pagePictureInformation page Adományozó/Donor: Konok Tamás id.
写真はWikimedia Commons,  Category:Heinkel He 46・File:A magyar légierő Heinkel He-46E típusú közelfelderítő repülőgépe. Fortepan 27160.jpg引用。


試作3号機ハインケル(Heinkel)He46cは、軍用仕様として、機関銃を搭載し、1933年にHe46C-1として生産が開始された。これは、偵察用のカメラか、爆弾200kgをコックピット後方の格納庫に搭載できる偵察爆撃機である。ハインケル(Heinkel)He46Cの装備したジーメンス(Siemens-Halske)Sh 22空冷星形9気筒エンジン 650 hpは、振動など不調に悩まされた。しかし、1934年末までにハインケル(Heinkel)He46は、約500機もが量産されることになるが、このような大量生産は、ドイツ空軍創設の準備だったのである。

1933年2月、第一次大戦の英雄で、ナチ党内閣のヘルマン・ゲーリング無任所大臣は、民間航空事業の促進を名目にドイツ航空委員会を設立する。同委員会は4月までに航空省に昇格し、5月には陸軍航空部を統合し、空軍再建が極秘裏に進められた。この間の空軍再建にはリペツクの基地が重要な役割を果たした。そして1935年2月、ドイツは空軍の存在を認め、同年3月、ヒトラーが再軍備宣言をし、ベルサイユ条約を一方的に破棄したことによって、ドイツ国防軍が編成され、その一軍として空軍(Luftwaffe)が設置され、初代空軍総司令官にヘルマン・ゲーリング元帥が就任した。

カラー図(右)1939年9月、第二次大戦中のドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-46 C 近距離偵察機
Magyar: A magyar légierő Heinkel He-46E típusú közelfelderítő repülőgépe. Tags: colorful, Royal Hungarian Air Force, airplane, Heinkel-brand, Gerrman brand, transport, second World War, camouflage Title: A magyar légierő Heinkel He-46E típusú közelfelderítő repülőgépe. Date 1942. FOTO:Fortepan — ID 27160: Home pagePictureInformation page Adományozó/Donor: Konok Tamás id.
写真はWikimedia Commons,  Category:Heinkel He 46・File:Heinkel He 46 sketch.jpg引用。


1935年3月16日ドイツ再軍備後にドイツ航空省はエンジン形式を定型化し、ハインケル(Heinkel)He 46の装備したジーメンス(Siemens-Halske)Sh 22空冷星形9気筒エンジンは、ブラモ(Bramo)322空冷星形9気筒エンジンと呼称されるようになり、そのころにはエンジンの信頼性が確保された。

ハインケル(Heinkel)He46 C-1のエンジンカウリングをNACAカウリングとしたのがHe46D、その量産型がHe46Eである。この空力学的に抵抗の少ないカウリングの採用によって、最高速力は25km/hも向上した。ハインケル(Heinkel)He46は、ドイツのほか、1936年以降、1938年までにブルガリアにHe 46Cが18機、ハンガリーにHe 46Eが数機、スペインにHe 46Cが20機輸出されたが、これは友好国支援と並んで、外貨獲得も大きな目的だった。1938年春には、ハインケル(Heinkel)He46後継機のヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機が完成しており、随時、置き換えられることになった。

写真(右)1943-1944年、対ソビエト連邦東部戦線、1/48スケールのプラモデルでAndy氏が作成したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-46夜間地上襲撃航空隊のジオラマ:雪の降った未舗装の秘匿基地で出撃準備なったHe-46 夜間地上襲撃機の胴体下面には50kg爆弾3発が搭載され、左右パラソル翼のアンテナ支柱から尾翼にアンテナ線が張られている。古いプラモデルで、部品の欠品もあるにもかかわらず、実際の戦場を模して、労力と時間をかけて素晴らしいモデルなので、実際の戦場での使用状況が思い浮かぶ。
I bought this resin model from Ebay some years ago, it's an aeroplane that has interested me for sometime a 1930s design that lived on till the end of WW2. These aircraft used by the Luftwaffe for night harassment on the Eastern Front make a change from all the usual 109s and 190s I have built. Onto the kit all the basics are there in resin plus white metal undercarriage legs, injection moulded wing struts, vac formed windscreens and decal sheet. Unfortunately I should have checked the contents of the kit a little more carefully when I received it as some of the smaller detail parts were missing (good old Ebay!!!!). I managed to get some reasonable idea of the layout of the cockpits from trawling the net. Incidentally it seems the French have an example of this aircraft preserved, it originally was liberated by the French Resistance! The kit detail in cockpits was basic 2 floors, 2 seats, crude instrument panels, two radio sets, moulded interior framework (removed) and a missing control column! I added as much detail as would be seen, the cockpit openings are not that large. Fuselage was glued together and sanded down. The wing was supplied in left and right halves which I joined using small metal tubes to add strength, the weight of the assembled wing meant that the interplane struts supplied in resin were not going to support it, they would have been better supplied in white metal. My solution for this was to fabricate struts in metal using some brass Strutz streamlined wire I've had for many years, this was quite a reasonable solution I'm pleased to say. The joining of wing to fuselage still caused me a lot of frustration and cussing but eventually came together quite well. I painted the wing and fuselage seperately also applying the decals before joining them together. I fabricated the exhausts using 2mm soldering wire as the exhausts supplied were not suitable for a night harassment aircraft. A note about the colour scheme and decals these came from an OWL decal sheet I bought after buying the kit, they were quite thick and a couple of the items broke apart when applying them however I managed to get them on successfully in the end!.Not one of my best builds but I highly doubt we'll see an injection moulded kit of this aircraft, watch the Czech kit producers prove me wrong.
写真はBritmodeller.com, Heinkel He46c - Planet Models 1/48 Resin・By andyh59, November 11, 2019 in Ready for Inspection - Aircraft引用。


1936年に勃発したスペイン内戦に、ドイツは、正規軍を義勇軍コンドル軍団としては派兵したが、ハインケル(Heinkel)He46 C偵察爆撃機は、スペイン内戦勃発直後1936年9月に28機が投入され、実戦テストに供されている。また、1939年9月のドイツ軍ポーランド侵攻を契機とする第二次大戦にも、ドイツ軍は2個飛行隊のハインケル(Heinkel)He46偵察爆撃機を配備していた。

カラー図(右)1942年,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-46 E近距離偵察機の三面図
Heinkel He 46: monomotore da ricognizione ad ala alta a parasole sviluppato dall'azienda tedesca Ernst Heinkel Flugzeugwerke AG nei primi anni trenta. Date 1936.
写真はWikimedia Commons,  Category:Heinkel He 46・File:Heinkel He 46.png引用。


ハインケルHe-46 E近距離偵察機(Heinkel He 46)の諸元

搭乗員:2人
全長: 9.50 m
全幅: 14.00 m
全高: 3.45 m
全備重量: 2,300 kg
発動機: ジーメンス SAM22B 650 hp(Bramo 322B)1基
最高速力: 260 km/h
上限高度: 6,000 m
航続距離: 1,000 km
武装
7.92mmMG15旋回機関銃 1挺
搭載爆弾量 50キロ爆弾4発200kg
あるいはSC10対人爆弾10kg20発200kg
乗員: 2名
生産期間:1931年から1938年
生産機数:481機
使用国:ドイツのほか、He 46はブルガリア、ハンガリー、スペインに輸出された。

1941年6月のドイツのソ連侵攻時には、大半のハインケル(Heinkel)He46 偵察爆撃機は前線から引き上げられていたが、ハンガリー空軍ではHe 46Eを近距離偵察部隊に配備していた。しかし、1943年春までにはハインケル(Heinkel)He46偵察爆撃機は、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189ウーフーに置き換えられている。

こうして、ハインケル(Heinkel)He46は、1943年春までには、前線から姿を消し、稼働機は、練習飛行隊の仕様に回されていたが、1943年12月、対ソビエト東部戦線に、地上夜間襲撃部隊が編成された際には、少数のハインケル(Heinkel)He46が練習飛行隊から引き抜かれて、夜間襲撃機として、前線に配備された。


1.ヘンシェル(Henschel)Hs-122近距離偵察機

写真(右)1935年頃,ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 122V-1近距離偵察機試作1号機(登録コード:D-UBYN):高翼式主翼、固定式降着装置という堅実な設計のHs.122V-1試作1号機は、1935年初めに初飛行した。このHs.122を原型にして、ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機が開発され、1936年8月に初飛行した。V-3試作3号機は、ユモJumo-210液冷エンジンを搭載している。
SDASM Archives PictionID:43936611 - Title:Henschel Hs 122V-1 Nowarra photo - Filename:16_005342.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・- - Catalog:16_005342 引用。

ヘンシェル(Henschel)Hs 122V-1試作1号機は、1935年初めに初飛行した。このHs.122を原型にして、ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機が開発され、1936年8月に初飛行した。V-3試作3号機は、ユモJumo-210液冷エンジンを搭載している。

カラー図(右)1935-1936年頃,ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 122V-1近距離偵察機試作1号機(登録コード:D-UBYN)
Hs.122A-0 (Hs.122V-1)
写真はkitchener.lordFollow ・ Henschel Hs 122引用。

ハインケル(Heinkel)He 46偵察機の後継機として. ドイツ航空省の開発要請に応じたのがヘンシェル(Henschel)Hs 122V-1偵察機試作1号機である。装備した発動機は、ロールスロイス・ケスターRolls-Royce Kestrel)V-12気筒液冷エンジン(water-cooled engine)を搭載していた。しかし、試作2号機(登録コード:D-UBAV)は、610馬力(460 kW)のジーメンス(Siemens)Sh 22B 空冷9気筒エンジンを装備している。これがヘンシェル(Henschel)Hs 122B-0で、1936年に完成した。

写真(右)1936年頃,ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 122V-2近距離偵察機試作2号機(登録コード:D-UBAV):試作1号機の発動機はユモJumo-210液冷エンジンだったが、それを610馬力(460 kW)のジーメンス(Siemens)Sh 22B 空冷9気筒エンジンに換装した。
SDASM Archives PictionID:43936636 - Title:Henschel Hs 122V-2 Nowarra photo - Filename:16_005344.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・- - Catalog:16_005344 引用。

ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 122高翼機は、ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機の原型となった機体である。つまり、ヘンシェル(Henschel)Hs 126試作1号機は、ヘンシェル(Henschel)Hs 122Aをパラソル翼、片持ち式主脚(降着装置)、操縦席の風防とした発展型である。試作3号機は、発動機の出力強化、武装強化を図り、1937年からハインケルHe-46の後継偵察機として部隊がなされ始めた。

写真(右)1936年頃,ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 122V-2近距離偵察機試作2号機(登録コード:D-UDIZ):610馬力(460 kW)のジーメンス(Siemens)Sh 22B 空冷9気筒エンジンを装備、ユモJumo-210液冷エンジンを装備した機体である。
SDASM Archives PictionID:43936649 - Title:Henschel Hs 122 serial version Nowarra photo - Filename:16_005345.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・- Catalog:16_005345引用。


ヒトラーが第二次世界大戦を始める直前の1930年初頭、ドイツ空軍の近距離偵察機はハインケル(Heinkel)He-45とHe-46偵察機で、速力、上昇限度、搭載量など飛行性能も時代遅れで、対空射撃に対する脆弱性も問題だった。機体は、金属鋼管と木製枠組みに羽布を張ったので、軽量だった半面、悪天候で破損しやすく、野外での保管・運用には、限界があったっため、飛行格納庫内での整備が必要だった。

写真(右)1936年頃,ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 122V-2近距離偵察機試作2号機(登録コード:D-UDIZ):試作1号機のユモJumo-210液冷エンジンを、610馬力(460 kW)のジーメンス(Siemens)Sh 22B 空冷9気筒エンジンに換装した。
SDASM Archives - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002338.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.- Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・- PictionID:38236791引用。

ハインケルHe-46複葉偵察機の後継機としてヘンシェル(Henschel)Hs 122V-1偵察機試作1号機(D-UBAV)が1935年夏に登場し、その先行生産型ヘンシェル(Henschel)Hs 122A-0も少数生産されていたが、ドイツ航空省はその飛行性能が、前作のHe-46と大して変わらないとして、不満だった。

写真(右)1936-1938年頃,ドイツ上空を飛行するドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 122近距離偵察機の3機編隊:610馬力(460 kW)のジーメンス(Siemens)Sh 22B 空冷9気筒エンジンを装備、ユモJumo-210液冷エンジンを装備した機体である。
SDASM Archives PictionID:43936624 - Title:Henschel Hs 122 Pete Bowers photo - Filename:16_005343.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・- Catalog:16_005343 引用。

1936年初頭、ヘンシェル主任技師フリードリッヒ・ニコラウスは、ヘンシェル(Henschel)Hs 122の性能向上型として新型近距離偵察機HS-126の開発した。これは、パラソル翼(片翼)のHs-122を引き継いでいるが、主翼形状を改良し、開放式だったコックピットを半密閉式コックピットに変更もので、1936年秋にヘンシェル(Henschel)Hs 126V-1試作1号機が初飛行した。この発動機は、ユモJumo210液令エンジンで、当初はコックピットは風防なしの開放式だった。その後ので、ヘンシェル(Henschel)Hs 126V-2(D-UJER)、V-2(D-OECY)試作機は、発動機をブラモ・ファニール323A-1空冷星形9気筒エンジンとし、降着装置の形状も改良されている。


2.ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機

写真(右)1936年頃,ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126V-1近距離偵察機試作1号機:高翼式主翼、固定式降着装置という堅実な設計のヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機の初飛行は1936年8月、試作3号機が搭載している発動機はユモJumo-210液冷エンジンである。
SDASM Archives PictionID:44219241 - Title:Henschel, Hs 126V-1 - Filename:16_005358.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・- Catalog:16_005358引用。

1936年8月初飛行のドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126は、ヘンシェル主任技師フリードリッヒ・ニコラウス(Friedrich Nicolaus)の設計になる視界良好な短距離偵察機で、地上部隊と密接に協力する日本陸軍で言う「直協」である。視界をよくするために、高翼式主翼とし、未整地での離着陸が容易なように、固定式降着装置という堅実な設計とした。装備して発動機は、試作1号機は、ユモJumo 210 D液冷V型12気筒エンジンで、1936年8月に初飛行した。しかし、試作2号機、3号機が搭載したのは、ブラモ(Bramo)323ファニール(Fafnir)空冷星型9気筒エンジンに変換されている。

ユモJumo 210 D液冷V型12気筒エンジンの諸元
気筒直径Bohrung: 124 mm
気筒行程Hub: 136 mm
排気量Hubraum: 19,7 Liter
圧縮比Verdichtungsverhältnis: 6,5:1
重量Rüstgewicht: 440 kg
出力Startleistung: 680 PS (500 kW) 毎分2700回転

写真(右)1936年頃,ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126V-3近距離偵察機試作3号機機(登録コード:D-DECY) (製造番号:WNr 126.3001)
SDASM Archives Henschel, Hs 126V-3 with BMW 323 PictionID:44219254 - Title:Henschel, Hs 126V-3 with BMW 323 - Catalog:16_005359 - Filename:16_005359.TIF
写真はSDASM Archives・PictionID:44219304 引用(他引用不許可)。

高翼式主翼、固定式降着装置という堅実な設計のヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機の初飛行は1936年8月、試作3号機が搭載している発動機はBMWブラモ323空冷星型9気筒エンジンだが、量産型A型はそれを引き継いだ。しかし、次の量産型ヘンシェル(Henschel)Hs 126 Bでは、より普及していたBMW132空冷星形9気筒エンジンに変換されている。

ヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機の初の実戦参加は、1936年から1939年まで続いたスペイン内乱(スペイン市民戦争)で、ドイツ軍は、反乱軍・国民戦線を支援するために「コンドル軍団」を派兵した。その偵察機として、1938年秋になってヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機6機が投入されている。

写真(右)1936年頃,垂直尾翼に白帯を引き赤丸に黒のスワスチカを描いたドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs 126 A近距離偵察機(登録コード:D-DDRT):発動機はブラモ(Bramo)323ファニール(Fafnir)空冷星型9気筒エンジンを搭載。ナチ党の記章をドイツ空軍機の国籍マークとして採用した。裏焼きの写真なのでカギ十字の方向が逆になっている。垂直尾翼には、水平尾翼を支える支柱が2本伸びているのが分かる。降着装置は、主輪も尾輪も固定式である。
SDASM Archives Henschel, HS 126
Catalog #: 01_00081350 Title: Henschel, HS 126
Corporation Name: Henschel Additional Information: Germany
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081350引用(他引用不許可)。

ドイツ機の国籍記章は、1933年1月末、ナチ党政権となってから、当初は、黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年以降、再軍備宣言がなされ、ドイツ空軍が創立されると、赤帯に白丸とハーケンクロイツを描いた国章が決まった。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸は目立つために敵からの標的にされやすかった。そこで、黒色のハーケンクロイツのみが小さく描かれるように変更された。

ヘンシェルHS126 BMB-ブラモ(Bramo)323ファニール(Fafnir)J空冷星型9気筒エンジン の諸元
気筒直径Bore: 154 mm (6.06 in)
気筒工程Stroke: 160 mm (6.30 in)
排気量Displacement: 26.82 L
Length: 1,417 mm (55.8 in) 直径Diameter: 1,388 mm (54.6 in)
乾燥重量Dry weight: 545 kg (1,202 lb)
出力:1,000 PS (986 hp; 735 kW)/回転数 2,800 rpm (max)/高度 3,100 m

圧縮比Compression ratio: 6.4:1

ブラモ(Bramo)は、1939年にBMWと合併した。そこで、エンジン名称も、ヘンシェル(Henschel)Hs 126開発当初はブラモ(Bramo)323ファニール(Fafnir)だったが、1939年以降は、BMW-ブラモ(Bramo)323ファニール(Fafnir)が正式呼称となった。

ヘンシェル主任技師フリードリッヒ・ニコラウス(Friedrich Nicolaus)の設計したヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機は、当初2機の試作機V-1、V-2は、ドイツ空軍仕様ではなく、搭載するエンジンもユモJumo210液令エンジンとBMB-ブラモ(Bramo)323ファニール(Fafnir)空冷星形エンジンで異なっていた。しかし、ヘンシェル(Henschel)Hs 126V-3試作機3号機、それに続く先行生産型(pre-production)10機が1937年に生産された。

写真(右)1937-1938年頃,第二次世界大戦突入前のドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126A近距離偵察機(登録コード:D-DDBT):1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を描いた国籍マークだった。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のスワスチカ (Swastika:ハーケンクロイツ)は敵から発見されやすかったために廃止になり、ハーケンクロイツだけなった。
SDASM Archives Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Henschel Hs. 126 PictionID:38236826 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002339.TIF
写真はSDASM Archives・PictionID:38236826 引用(他引用不許可)。

1936年秋初飛行のドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機は、1937年末までに、ヘンシェル(Henschel)Hs 126V3試作3号機と同様のヘンシェル(Henschel)Hs 126 A-0 先行生産型が搭乗し、1938年春には実用審査のために部隊配備がなされた。その結果、短距離で離着陸でき、操縦性も良好なことが確認された。そこで、1938年初期に、ヘンシェル (Henschel) Hs-126A-1の量産機が出現し、1938年中に部隊配備が始まった。

カラー写真(右)1938年、スペイン内戦、フランコ将軍を元首とする国民戦線ファシスト政府の1/72スケールのプラモデルでHomebee氏が作成・撮影したドイツ・コンドル軍団ヘンシェル(Henschel)Hs.126 A 近距離偵察機ジオラマ写真:黒丸のファシスト・スペインの記章を付け、迷彩塗装を保護越している。胴体下面には250kg爆弾1発が搭載され、パラソル翼のアンテナ支柱から尾翼にアンテナ線が張られている。胴体側面には、地上目標との角度を指し示す白と赤の斜線が入っている。労力と時間をかけて作成され、コックピットには搭乗員が配置されている素晴らしい飛行モデル写真である。
Brengun is to release 1/72nd Henschel Hs. 126 kits Source: https://www.facebook.com/HaulerBrengun/posts/1744751992350108 CAO+sprues See also the other new tool 1/72nd Hs. 126 kit project by Sabrekits !!. Released - ref. BRP72044 - Henschel Hs.126A-1 „Superpava“ Legion Condor Jan 29 Homebee changed the title to 1/72 - Henschel Hs.126 by Brengun - 3D renders+sprues+test build+instructions+box art - release in 2021
写真はBritmodeller.com, Heinkel He46c - Planet Models 1/48 Resin・Homebee引用。


ヘンシェル (Henschel) Hs-126 ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126は、1938年秋に部隊配備された。そして、就役してすぐに、スペイン内戦に派遣されていたドイツ義勇軍(実際はドイツ遠征軍)コンドル軍団(Legion Condor)に1938年秋、ヘンシェル(Henschel)Hs 126A-1は、スペイン内戦後、勝利した反乱軍フランコ将軍の樹立した国民戦線政府に譲渡されている。さらに、ヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機は、ギリシャ空軍にも売却されている。

1938年初期にドイツ空軍部隊配備がなされたヘンシェル(Henschel)Hs 126の兵装は、前方固定7.92mmMG17機関銃1挺、後方偵察席に7.92mmMG15旋回機関銃1丁、爆弾搭載量はSD10対人爆弾10kg5発あるいはSC50通常爆弾50kg1発を機体に搭載できる。

写真(右)1939年9月、ポーランド、東部戦線,対空偽装を施しているドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 A近距離偵察機;敵機に発見されないように、対空用カモフラージュした場所に隠匿しているが。初飛行は1936年8月で、1942年には生産中止し、後継機のFw-189 に活躍を譲っている。全長: 10.85 m、全幅: 14.50 m、全高: 3.75m、全備重量: 3,275 kg、エンジン: BMWブラモ323A空冷9気筒 850 hp、最高速力: 356 km/h、航続距離: 720 km、兵装 7.92ミリ機銃2丁、爆弾 100 kg、乗員: 2名。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-379-0015-37 Archive title: Im Osten, Polen.- Aufklärungsflugzeuge Henschel Hs 126, getarnt, in Stellung an einem Feldrand / unter den Bäumen eines Weges; KBK Lw 4 Dating: September 1939 Photographer: Rübelt Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ヘンシェル (Henschel) Hs-126 1939年夏、第二次大戦勃発時には、ヘンシェル(Henschel)Hs 126B-1偵察機が登場したが、この機体はA型のBMW132空冷星形9気筒エンジン(排気量27.7L)をブラモBramo323A空冷星形9気筒エンジン(排気量26.8L)エンジンに変換し、高高度性能と短距離離着陸性能を向上させている。

1939年9月、第二次世界大戦がドイツのポーランド侵攻によって開始されたが、その時にドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機257機が部隊配備されていたが、まだハインケルHe 46複葉偵察機64機、ハインケルHe45複葉偵察機21機も残っていた。ハインケルHe45, He46複葉偵察機は、1940年5月のドイツのフランス侵攻の時期には前線から姿を消しており、他方、1939年9月1日から1941年1月までに505機のヘンシェル(Henschel)Hs 126B偵察機が量産されている。

写真(右)1939年9月、ポーランド、東部戦線,対空偽装を施しているドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 A近距離偵察機
Nordafrika.- Wartung eines Aufklärungsflugzeugs Henschel Hs 126 (Kennung 5F+FK) der Aufklärungsgruppe 14 / Nahaufklärungsgruppe 14 in der Wüste; KBK 7 Datierung: 1941 Fotograf: Doege Quelle: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。

1939年9月のドイツのソ連侵攻ポーランド空軍の反撃は、あまりなかったようだが、ドイツ空軍機は、初戦から敵機に発見されないように、対空用カモフラージュした場所に隠匿されていた。1943年以降、西側連合軍がドイツ本土、占領地に空襲を掛ける時期には、この対空偽装はより厳重に徹底されることになる。

ドイツ空軍は,フランス侵攻には、アルベルト・ケッセリング将軍の第二航空軍,フーゴー・シュペルレ将軍の第三航空軍をあて,そこに双発爆撃機1120機,単発Ju-87急降下爆撃機シュツーカ342機,複葉Hs-123襲撃機42機,単発Me-109戦闘機1016機,双発Me-110戦闘機248機を配備した。1940年5月10日0430,ケルン郊外の航空基地をユンカースJu-52輸送機41機が離陸,輸送機は各々1機のDFS-230グライダーを曳航していた。グライダーには,1機当たり8-12人の降下猟兵(空挺隊員)が搭乗していた。このドイツ空軍の空挺部隊が,ベルギーのマース川の要衝マーストリヒト近くのエバン・エマール要塞に降下し,ベルギー兵士1200人の守備していた近代的な要塞を,その日のうちに攻略した。

1940年5月20日,フランスでは、レノー内閣が改造され、副首相に第一次世界大戦の英雄フィリップ・ペタン元帥が就任した。1940年5月15日オランダ降伏、5月28日ベルギー降伏と続き、6月10日にはパリが無防備都市を宣言した。このとき、ムッソリーニ統領の指導するイタリアも、南フランスを攻撃した。6月14日、パリにドイツ軍が無血入城した。 独仏戦では,フランス軍は、死者10万人、負傷者12万人、捕虜150万人の損害を出した。他方,ドイツ軍は,死者4万人,負傷者15万人だった。

1940年5月14日、ドイツの第54,第57爆撃航空団ハインケルHe111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。ウィストン・チャーチル首相は、1940年5月26日1857,大陸よりのイギリス軍救出命令ダイナモ作戦(Operation Dynamo)を発動。ダイナモ作戦第一日の夕方まで,連合軍将兵7669名が救出され,5月28日だけで,1万7804人が救出された。5月29日には,4万7310名が後送,5月30日には5万3823人が大陸を去った。うちフランス兵氏は1万4874人だった。5月31日は,6万8014人が,6月1日は6万4429人が英本土に戻ることができた。敗退するフランス軍を前に、フランス政府では和平派(終戦派)が主導権をにぎった。

フランス休戦の場所として、アドルフ・ヒトラーは、第一次大戦のドイツ休戦が調印されたのと同じコンピエーニュの森を指定した。コンピエーニュには、ドイツ降伏調印を行ったのと同じ食堂列車をフランスの博物館から引き出し据え付けて、そこで行った。フランス勝利の記念碑もコンピエーニュにあったが、それも爆破された。第一次世界大戦の敗戦の雪辱を晴らした思いは、第一次大戦の戦闘機エースのヘルマン・ゲーリングも同じであったろう。

フランス休戦は、1.フランス国土の北部5分の3をドイツ軍政下に置く、2.フランス軍の武装解除、3大西洋側の港湾をドイツに引き渡す、4.フランス艦船の行動停止、5亡命者の引渡し、6.フランスによる占領経費の負担、という条件で認められた。


写真(右)1941年7月25日、フィンランド対ソ連「継承戦争」開戦当初、フィンランド上空を飛行するドイツ空軍ヘンシェル(Henschel) Hs 126近接偵察機近距離偵察機
;1939-1940年の「冬戦争」で敗北したフィンランドはドイツと同盟して、ドイツのソ連侵攻の直後、1941年6月27日にソ連を攻めた。
Saksalainen lentäjä tuo viestin joukoillemme.
Uomala, Vilho, valokuvaaja Organisation
Military Museum
Photo info 1941-07-25
Uomala, Vilho, valokuvaaja
写真はsa-kuva Finna引用。


第二次世界大戦の勃発から3ヶ月後、1939年11月30日に、ソビエト連邦は、それまでのフィンランドに、
1)ソ連との同盟条約の締結、
2)レニングラードの安全保障のためのカレリア地峡と北方領土の交換、
3)レニングラードの海上湖通路となるハンコ半島におけるソ連軍駐留基地の要求、
をフィンランドが拒否したために、国境での武力衝突を理由にフィンランドに攻め入った。これが、冬戦争である。冬戦争では、フィンランドは、善戦したが、周辺国からも、イギリス、フランスからも援軍を得ることができなかった。

ソ連は冬戦争でフィンランドに侵略行為に及んだことで、国際連盟を除名され、フィンランド軍相手に戦術的失策を犯したが、何とか勝利することができた。フィンランドは、冬戦争で領土割譲を余儀なくされた。しかし、講和後、フィンランドは、ソ連に対して領土復活のための臥薪嘗胆を覚悟し、将来、ソ連に奪われた領土を奪回する復讐戦争を、マンネルハイム元帥の下に計画、準備した。

写真(右)1941年7月25日,フィンランド、低空飛行するフィンランド空軍第32飛行戦隊第1飛行中隊ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機
Saksalainen lentäjä tuo viestin joukoillemme. Konetyyppi: Henschel Hs 126. 1.(H)/32 Lähitiedustelulaivue 32:n 1. lentue. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1941-07-25 Uomala, Vilho, valokuvaaja
写真はWikimedia Commons、Finna Fl sa-kuva-81261引用。


フィンランドは、1941年6月26日に第二次ソ芬戦争、すなわち継続戦争Continuation War)を始め、南東のカレリア地方に侵攻し、ソ連国境レニングラード方面に進撃し、8月中にヴィープリ(ヴィボルグ:Viipuri)を解放、奪回した。

写真(右)1941年10月日,フィンランド、低空飛行するフィンランド空軍第32飛行戦隊第1飛行中隊ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機
Saksalainen hävittäjä palaa tukikohtaan. Luftwaffen 1936-45 käyttämä kaksipaikkainen tiedustelukone tyyppiä Henschel Hs 126.
Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1941-10-07 Sot.virk. V. Hollming, valokuvaaja
写真はWikimedia Commons、Finna Fl sa-kuva-57177引用。


1939年後半の冬戦争で失ったカレリア地方を奪還するために、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻をチャンスととらえたフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は、7月には、ナチスと同盟して、ソ連を敵として、攻撃を開始した。これは、事実上、フィンランドが枢軸同盟国の一員として、第二次世界大戦に参加することを意味した。フィンランドは、ナチスと組んで軍事作戦を展開し、レニングラードを包囲し住民を餓死させ、不凍港ムルマンスクを攻略し、ソ連への西側連合国の輸送船団を途絶させる作戦を展開した。

しかし、フィンランド側は、イギリス、アメリカには戦争を仕掛けたいとは思っていなかった。そこで、あくまで、ソ連に対して1939年の冬戦争で奪われた国土の回復を求めた防衛戦争であるとの立場を主張した。しかし、ソ連がドイツの攻勢を一国で受け止めている状況で、イギリスもアメリカも、フィンランド側の言う「継続戦争」であり、イギリス・アメリカと戦う第二次大戦への参戦ではないという身勝手な論理は受けつかなかった。これを梃子にして、ヒトラーはフィンランドに対して、ソ連への軍事的攻勢を強化するように強く要請した。

写真(右)1941年7月,対ソ連、東部戦線(?)、ドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs 126 A近距離偵察機を前にマイクロホンでインタビューを受ける搭乗員:マイクロホンは,現在のものより大きいがそれでも,実用化できたのは,少数の国だけだった。パラソル翼のヘンシェルHS-126偵察機は初期のA型はアメリカのプラット・アンド・ホイットニーR-1690 ホーネットエンジンをライセンス生産したBMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載。しかし、後期B型は、ブラモ(Bramo)323空冷星形9気筒エンジン900 PS (671 kW)(排気量26.8 L)を搭載した。大戦前半まで使用され、大戦後半は、後継機のフォッケウルフFw-189双発偵察機に代替された。
Sowjetunion.- Kriegsberichterstatter mit Mikrofon Piloten interviewend; PK 691
Dating: Juli 1941
Photographer: Fremke, Heinz撮影。
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ドイツ空軍は,東部戦線に1945機を準備した。これはドイツ空軍兵力の 61%に当たり、ヘンシェル(Henschel)Hs 126は近距離偵察機の主力として配備された。使用可能な第一線機は,双発爆撃機510機,単発急降下爆撃機290機,単発戦闘機440機など1280機を数えた。

東部戦線には,レープ元帥の北方軍集団に第一航空軍(ケラー),ボック元帥の中央軍集団に第二航空軍(ケッセリング),ルントシュテット元帥の南方軍集団に第四航空軍(レール)を配備し,第五航空軍(シュトンプ)はオスロに本部を置いた。つまり,バルバロッサ作戦には、広大な東部戦線の始まりであり、ドイツ空軍四個航空軍を配備した。

1941年6月、ドイツ軍はソ連に侵攻し、開戦当初は奇襲により東部戦線の前線に配備されていた多数のソ連空軍機を地上で破壊した。そして、北方軍集団ではレニングラードを、中央軍集団はスモレンスクを、南方軍集団はキエフを目指し、損害を被りながらも順調に前進した。

しかし、ドイツ中央軍集団から南方軍集団へ装甲師団を増援部隊として抽出、派遣したために、中央軍集団では、計画してモスクワ侵攻が遅れてしまうこととなった。

ヒトラーは、南方の石油、鉄鉱石などの地下資源を確保したかったのだが、結局、カフカスの油田を攻略することはできなかった。ドイツ側の損害は、バルバロッサ作戦の当初から、西部戦線とは比較にならないほど膨大だったが、これはソ連赤軍が徹底抗戦し、その保有していた兵器も優れていたためである。

ドイツ東部戦線では、天候・気象要因の影響が大きかったのは事実であるが、秋雨の泥将軍、雪の冬将軍などを、ナポレオンのモスクワ攻撃の時から天候・気候は事前に了解しており、ヘンシェル(Henschel)Hs 126の偵察でも確認できていた。つまり、悪天候や悪路など自然条件のためにドイツ軍がモスクワを攻略できなかったわけではない。「タイフーン作戦」のモスクワ前面の敗退した理由を天候のせいにしたり、ユーゴスラビアの裏切りでバルバロッサ作戦の発動が1カ月延期されたせいにするのは、正当ではない。これらは、ソ連赤軍の抗戦力の高さをを認めたくない軍人や知識人の俗説であろう。

写真(上)1941-1942年頃,対ソビエト東部戦線(?)、飛行場に着陸しようとするドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs 126 A 近距離偵察機:後右方には、ユンカースJu52タンテ輸送機が駐機し、さらに遠方には破損した飛行機が翼を地面に接している。
SDASM Archives Henschel, Hs 126  PictionID:44219304 - Title:Henschel, Hs 126 - Catalog:16_005363 - Filename:16_005363.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 撮影。写真はSDASM Archives・PictionID:44219304 引用(他引用不許可)。

ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察の量産期間は、1938-1941年で、ヘンシェル社で505機、AGO(Apparatebau GmbH Oschersleben)社で430機の合計935機が生産された。

ヘンシェル(Henschel)Hs 126 形式別生産機数では、試作機Vは3機、前期Hs-126 A型133機、後期Hs-126 B型771機、ギリシャ輸出仕様16機、エストニア輸出仕様12機、合計合計935機が生産された。

写真(右)1941-1942年冬頃,対ソビエト東部戦線、雪に覆われた飛行場に着陸しているドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs 126 B 近距離偵察機:主輪カバーを外してあるのは雪が主輪カバーに詰まって、主輪が回転しなくなってしまうため。垂直尾翼には、水平尾翼を支える支柱が2本伸びているのが分かる。降着装置は、主輪も尾輪も固定式である。発動機は、B.M.W. ブラモ(Bramo)323A空冷9気筒 850馬力で、余裕のある出力で、グライダーの曳航にも使用された。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image
PictionID:43932413 - Title:Henschel Henschel Hs 126 Salo print - Filename:16_005350.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- -Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・- Catalog:16_005350引用(他引用不許可)。


第二次世界大戦緒戦で使用されたヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機は、昼間偵察高度2000m程度だったが、夜間偵察では地上数十メートルの低空飛行偵察だった。ドイツ陸軍に協力する空軍の偵察機部隊の出撃詳細は、現地の空軍偵察部隊に任されていて、離陸後に無線電話で伝達されるのが普通だった。

また、装甲軍の隷下に配備された直協偵察部隊もあり、1941年6月のドイツのソ連侵攻の緒戦では、装甲軍の隷下にあるヘンシェル(Henschel)Hs 126B近距離偵察機装備の直協偵察部隊は第48飛行隊400機以上が配備されていた。

写真(右)1941-1942年頃,対ソビエト東部戦線、泥濘の飛行場に着陸しているドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 近距離偵察機:主輪カバーを外してあるのは雪が主輪カバーに詰まって、主輪が回転しなくなってしまうため。垂直尾翼には、水平尾翼を支える支柱が2本伸びているのが分かる。降着装置は、主輪も尾輪も固定式である。
Fotocollectie Spaarnestad Onderwerpen Reportage / Serie Duitse luchtmacht door Noord-Afrika Beschrijving Noord-Afrika. Een Duits verkenningsvliegtuig van het type Henschel Hs 126 op een door regenbuien modderig geworden vliegveld
写真はNationaal Archief, Het Genootschap voor het Nationaal Archief en Spaarnestad Photo 引用。


ヘンシェル主任技師フリードリッヒ・ニコラウス(Friedrich Nicolaus)設計のヘンシェル(Henschel)Hs 126 近距離偵察機は固定脚だが、空気抵抗減少のために主輪カバーで覆われている。しかし、対ソビエト東部戦線では、ヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機、Ju87急降下爆撃機など固定脚の機体で、主輪カバーを外した場合が多かった。その理由は、主輪に泥や砂塵を巻き込み、主輪カバーに異物が詰まって支障が生じないようにするためである。

ヘンシェルHs126 1940年6月のフランス降伏で,ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,ヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機400機も投入され、奇襲に成功,大戦果を挙げた。しかし、前年のフランス侵攻とは異なって、頑強な抵抗を続けるソ連軍、破壊された飛行場を結ぶ先進、泥沼と厳冬の悪条件など困難な状況に直面し、Hs126偵察機も大きな損害を受けた。

1942-1943年冬,スターリングラード空輸を請合ったが,失敗。1944年以降のドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。

写真(右)1943年,イタリア戦線,シシリー島、ドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 近距離偵察機:ブラモ(Bramo)323空冷星形9気筒エンジン900 PS (671 kW)(排気量26.8 L)装備。1943年には旧式で、敵の戦闘機の襲撃を受ければひとたまりもなかったはずだが、未整備の滑走路でも離着陸が可能で、前線との連絡飛行に使用されていたようだ。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-565-1425-11A Archive title: Italien, Sizilien.- Flugzeug Henschel Hs 126 (Seriennummer 4348) auf Feldflugplatz stehend; PK XI. Fliegerkorps Dating: 1943 Photographer: Schnitzer Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv 引用(他引用不許可)。


1936年8月に初飛行したドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機は、1938年から1941年までに、合計935機が生産された。この後継機が、1938年7月に初飛行したフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 189A近距離偵察機で、その運用は1940年からで、1940年から1944年までに、合計864機が生産された。

写真(右)1943年6月29日,フランス、パリ南方、イギリス空軍第132飛行中隊ムスタング戦闘機のガンカメラに映し出された撃墜されたドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 近距離偵察機:この日、A.G.ページ中尉のムスタングは、立て続けに4機の練習機、2基のユンカースJu-88爆撃機を撃墜した。この飛行中隊は、ふつう、スピットファイアV-B型を配備しているが、この日はムスタングを借りて飛んでいた。
Description Still from camera gun footage shot from the North American Mustang of Squadron Leader J.A.F. MacLachlan, Commanding Officer of No. 132 Squadron RAF, when, during a sortie south of Paris with Flight Lieutenant A.G. Page, they shot down four training aircraft and two Junkers Ju 88s in ten minutes. This shows one of two Henschel Hs 126s claimed by MacLachlan falling in flames. 132 Squadron was equipped with the Supermarine Spitfire VB, but the pilots had borrowed the Mustangs for this "Ranger" sortie.
Date 29 June 1943
Source IWMLondonThumbnail.jpg This is photograph C 3799 from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg
Author Squadron Leader J.A.F. MacLachlan; post-work: Cobatfor
写真はCategory: Henschel Hs 126・ File:Henschel Hs 126 shot down near Paris 1943.jpg引用。


1940年6月にフランスを降伏させ勝利したという大功績によって、元帥より上の国家元帥の称号を得たヘルマン・ゲーリング空軍総司令官だったが、イギリス本土航空決戦で,痛手を被った。1941年6月22日、ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」のために,東部戦線に兵力を集中させて時期だった。

空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥は,1942年冬のスターリングラード空輸を請合って失敗し,1943年からのドイツ本土防空戦でも,大損害を被って、ドイツ本土上空の制空権を支配できなかった。 つまり、ヘルマン・ゲーリングの成功は,1941年までの緒戦に限られたために,戦争後期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。緒戦でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説を根拠に,自らを後継者として自認していたとすれば,ゲーリングの立場は悪化しいた。

写真(右)1941-1942年冬頃, フィンランド(Finland)南西バルト海岸部、サロ(Salo)、雪に覆われた飛行場に着陸しているドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 近距離偵察機:東部戦線配属を示す黄色の帯が尾翼の前についている。主輪カバーを付けている。垂直尾翼には、水平尾翼を支える支柱が2本伸びているのが分かる。降着装置は、主輪も尾輪も固定式である。発動機は、B.M.W. ブラモ(Bramo)323A空冷9気筒 850馬力で、余裕のある出力で、グライダーの曳航にも使用された。
SDASM Archives Henschel, 126 in Finland Salo print
PictionID:44219278 - Title:Henschel, 126 in Finland Salo print- Filename:16_005361.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・ - Catalog:16_005361 引用(他引用不許可)。


ヘンシェル主任技師フリードリッヒ・ニコラウス(Friedrich Nicolaus)の設計したヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察の量産期間は、1938-1941年で、ヘンシェル(Henschel)Hs 126V 試作機は3機、前期ヘンシェル(Henschel)Hs 126 A型133機、後期ヘンシェル(Henschel)Hs 126 B型771機、ギリシャ輸出仕様16機、エストニア輸出仕様12機、合計935機が生産された。

ドイツ空軍の爆撃機は,モスクワ攻防戦にほとんど登場してこないが,これは装甲師団の進撃が早すぎて,後方の航空基地整備が遅れたこと,厳寒・悪天候による飛行および飛行機整備の困難,補給不足が原因と考えられる。いずれにせよ,航空支援を得られないまま行ったモスクワ攻撃は、失敗に終わった。

写真(右)1941-1943年,東部戦線、偽装されたドイツ空軍ヘンシェル (Henschel)Hs-126近距離偵察機の功績に用意されたムビーカメラ:胴体には、対地目標の角度を測る白色斜線3本が描かれている。後席には、後方射撃用の7.92mmMG15旋回機関銃1丁が設置されている。
Italien, Sizilien.- Mechaniker befestigt Schleppseil eines Lastenseglers DFS 230 am Heck einer Henschel Hs 126 auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Kriegsberichter Hauptman Hans von Pebal am Henschel Hs 126.
写真は,Ur Cameras引用。


1941年6-7月、バルバロッサ作戦でソ連軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,1942年の東部戦線では,スターリングラード空輸作戦以外,大軍をまとめて投入することはなくなった。

1942年,ドイツ空軍爆撃機は,ヘンシェル(Henschel)Hs 126と似た近接支援、すなわち東部戦線各地の個別の戦術的な地上支援に使用され,敵の工業地帯,発電所,交通中枢への戦略爆撃は行わなかった。モスクワ空襲も,独ソ戦緒戦以外、少数機が散発的に行っただけだった。

写真(右)1943年1月,ソ連侵攻、東部戦線、ドイツ空軍ヘンシェル (Henschel)Hs-126偵察機:パラソル翼のヘンシェルHS-126偵察機はヘンシェル社では510機量産され,大戦前半まで使用された。独ソ戦の後半には前線では使われなくなり、フォッケウルフFw-189双発偵察機が後継機となった。
Archive description Description provided by the archive when the original description is incomplete or wrong. You can help by reporting errors and typos at Commons: Bundesarchiv/ Error reports.
Sowjetunion.- Verschneiter Feldflughafen; KBK Lw1 Depicted place Russia
Date January 1943 Photographer Liedke
Institution German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata: Q685753
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Accession number Bild 101I-331-3040-18A 引用


ヒトラーは,1941年,独ソ戦開始後,卓上談話(『ヒトラーのテーブル・トーク1941-1944(上)』三交社,1994年)で,次のように述べている。

1941年9月23日ヒトラー卓上談話:「ドイツ世界とスラブ世界の間には,現時いつには境界がある。それをどこに引くかはわれわれが決めることだ。ドイツ世界を東方に拡張する権利がある。------成功すれば全て正当化される。これは,経験的にいえることだ。優秀な民族が狭苦しい土地に押し込められ,文明の名に値しないものどもが,世界でも有数の広大な肥沃な土地を占めているのは許しがたい。----強者が自らの意思を主張する,これが自然の掟だ。世界は常に変わらず,その法則に支配される。

1941年10月10日ヒトラー卓上談話:「戦争は原始的な形態に戻ってきた。民族対民族の戦いは影をひそめ,広大な土地の所有権を巡る戦いが主流になってきた。----戦争は今日では,天然資源を求めて起こる。暗黙の掟によって,こうした資源は征服者のものとなる。----この絶え間のない闘争は自然淘汰の掟であり,最もふさわしい者だけが生き残る。

◆ヒトラーの第三帝国は,弱肉強食の掟を奉じ,弱いものを支配し,領土を拡張した。ヒトラーは,激烈な生存闘争を生き残り,生存圏を確保するには,弱肉強食の戦争にあって,敵を殲滅する勝利が不可欠であると考えた。

写真(右)1943年,ソビエト連邦、ドイツ東部戦線戦線、飛行場のドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126 A1 近距離偵察機(L2+37):敵ゲリラ部隊の根拠地・痕跡を探しだそうと低空飛行している。舗装された滑走路を基地としたために、主輪には空気抵抗を減少させる流線型のカバーが装着されている。
Nederlands: Henschel Hs126 A1 L2+37. De tekst op de keerzijde luidt "Nahaufkklärer Hs 126 beim Tiefflug über einem Wald, in dem feindliche Widerstandsnester vermutet werden." English: Henschel Hs126 A1 L2+37. The text on the card reads: "Nahaufkklärer Hs 126 beim Tiefflug über einem Wald, in dem feindliche Widerstandsnester vermutet werden." (Close-range reconnaissance aircraft Hs 126 during low level flight over a forest where enemy resistance nests are suspected.) Date between 1939 and 1945 Source Own work (scan) Author Ad Meskens
写真は,Wikimedia Commons, Category:Henschel Hs 126・File:Henschel Hs 126 Storch.jpg引用。


1942年初頭のドイツ側は,南部での大攻勢目指し,4月,「ブラウ」(青)作戦が決まった。この目標は,南方軍集団(司令官フォン・ボック元帥)によって,ソ連軍の防衛力を打ち砕き,スターリングラードを制圧,ついでカフカスの油田など戦争経済資源を奪取することとされた。

ブラウ作戦は、モスクワ攻略に失敗したドイツ軍には、欲張った目標だった。その上,カフカスとスーリングラードのニ目標を追うことになり,軍集団を二分するという失策を犯してしまう。戦力を分散投入してしまったために,どちらの目標も達成できなかった。


カラー写真(右)1942年5月,北アフリカ、未整地飛行場で横転したフィーゼラーFi-156連絡機と左主翼先端部分が接触事故で折れて破損したドイツ空軍ヘンシェル (Henschel)Hs-126近距離偵察機
:未整地だが主ゴム車輪にある車輪カバーはそのまま残されている。
Henschel HS-126 Trainer. Photo/rec super tug.
Luftwaffe Mishap Fiesler Fi-156/Henschel HS-126 Accident North Africa April 1942.
写真は,Eagle0025引用。


開戦前,ドイツ国防軍の将軍たちはポーランド侵攻にも大いに不安を感じていたが,1941年には,前線は北アフリカ,ソビエト連邦まで拡大した。1941年2月、独ソ開戦3か月前に、北アフリカのイタリア軍を援助するエルヴィン・ロンメルErwin Johannes Eugen Rommel)将軍隷下にドイツ・アフリカ軍団が編成され、北アフリカのイタリア植民地リビアに派遣されている。

ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機は、1936年8月に初飛行した旧式機だったが、信頼性があり、堅牢で使いやすい機体だったため、運用するには悪い自然条件であった北アフリカ方面に派遣され、枢軸イタリア・ドイツ陸軍との共同作戦を担うために使用されている。

写真(右)1941-1942年頃,北アフリカ戦線、イギリス軍に鹵獲されイギリス空軍の国籍記章を描いたドイツ空軍ヘンシェル (Henschel)Hs-126B近距離偵察機:未整地で離着陸がしやすいように、尾輪のゴム車輪にある車輪カバーは取り外されている。
Henschel HS-126 Trainer. Photo/rec super tug.
This image was scanned from a photograph in an album dating from World War 2. It was taken during the North African campaign. The album was purchased from an op shop by one of our members and is held in the Sir Edgeworth David Memorial Museum. Unfortunately, we do not know who took the photos, or who owned the album, so if you have any information about this, please contact us. The original photo was taken prior to 1955 and so is out of copyright. You are free to use it, but we would appreciate your acknowledging our efforts in the attribution.
写真は,Coalfields Local History Association引用。


北アフリカに派遣されたドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機は、陸軍直協部隊1飛行隊だけだったが、制空権を握ることができない状況で、固定脚・低速のHs126偵察機の損失は増えたために、近距離偵察には、メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109戦闘機、メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 110双発戦闘機が投入されるようになった。そして、1942年8月には、北アフリカ戦線からヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機は姿を消していった。

1942年11月8日、ドワイト・D・アイゼンハワーDwight David Eisenhower)中将が指揮する米英軍が「トーチ作戦Operation Torch)」が発動し、モロッコ、アルジェリアに上陸するとドイツ軍はチュニジアまで撤退した。そして、ドイツ・アフリカ軍団長エルヴィン・ロンメルErwin Johannes Eugen Rommel)元帥も、1943年3月9日にヒトラーからアフリカ軍集団司令官を解任され、ベルリンに呼び戻された。

写真(右)1943年,イタリア戦線、シチリア島、DFS 230グライダー曳航の準備をするドイツ空軍ヘンシェル (Henschel)Hs-126近距離偵察機:ブラモ(Bramo)323空冷星形9気筒エンジン900 PS (671 kW)(排気量26.8 L)装備。未整地で離着陸がしやすいように、尾輪のゴム車輪は、直径が大きめに作られている。主輪カバーがついていないのは、覆いと車輪の間の空間に、泥や草が詰まるのを避けるためである。パラソル翼のヘンシェル (Henschel) Hs-126は、偵察機だが、大戦後半は、低性能のために偵察任務を避けて、後方での訓練やグライダー輸送に使用された。Fw-189双発偵察機が地上部隊と協力しての偵察に当たるようになった。
Italien, Sizilien.- Mechaniker befestigt Schleppseil eines Lastenseglers DFS 230 am Heck einer Henschel Hs 126 auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Depicted place Sizilien Date 1943
Photographer Schnitzer Institution German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-565-1425-37A
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・File:Bundesarchiv Bild 101I-565-1425-37A, Italien, Hs 126, Anhängen des Schleppseils.jpg引用


ヘンシェル(Henschel)Hs 126 A-1がドイツ空軍に配備されるまでに、スペイン内戦を通じて、ドイツ空軍は近距離偵察の重要性を認識し、戦術偵察の方式を確立して、1939年9月に勃発した第二次世界大戦に臨んだ。その後、ヘンシェル(Henschel)Hs 126の生産は、1941年に中止され、前線任務から引き上げられ、1942年には前線から引き上げられている。

しかし、1943年9月12日、イタリア中部山岳地のグランサッソ(Gran Sasso)に監禁されていた元イタリア統領ベニート・ムッソリーニ救出作戦にヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機10機が投入され、各機1機のDFS 230グライダーを曳航して、ローマ郊外を離陸し、グランサッソに降下猟兵と武装親衛隊をグライダー降下させた。

写真(右)1943年,南イタリア戦線、飛行場のドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機:ゴム車輪には、車輪カバーがついていない。未整地では、車輪覆いと車輪の間の空間に、泥や草が詰まるので、整備をし易いようにカバーは外されている。
Süditalien.- Mechaniker an Henschel Hs 126 (Kennung +RW; Prüfung des Hecksporns für Schleppseile?) auf Flugplatz; PK Fs AOK
Depicted place Süditalien Date 1943
Photographer Stocker, Dr. Institution
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-566-1492-17A
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-566-1492-17A引用


ドイツ空軍ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機は、単葉でパラソル翼で視界がよい。飛行場だけではなく、平坦な草地ど未整備な土地であっても、丈夫な脚と離着陸距離の短さのために、離着陸ができた。パラソル翼のヘンシェル(Henschel)Hs 126不整地に近い野戦飛行場で使用できたために、地上軍との協力関係も密接になった。

ヘンシェル (Henschel) Hs-126は、近距離偵察機で、第二次世界大戦の前半にドイツ陸軍、特に装甲師団の指揮下で地形・気象偵察、敵情把握、連絡の任務に就き、電撃戦に貢献した。第二次世界大戦後半、ヘンシェル (Henschel) Hs-126は低性能のために偵察任務を避けて、後方での訓練やグライダーの曳航機としても使用された。近距離Fw-189双発偵察機が地上部隊と協力しての偵察に当たるようになった。

写真(右)1943年,ポーランド、ドイツ東部戦線戦線、飛行場のドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機(正面):降着装置が胴体から外に広がって伸びて出ているが、設置するタイヤの間隔をあけて。不整地における地上滑走時の安定性を保っている。右奥にはフィーゼラー(Fieseler)Fi 156シュトルヒ(Storch)が待機しているが白色塗装の赤十字マークを付けた患者輸送機のようだ。
Polski: Niemiecki samolot rozpoznawczy Henschel Hs 126 na lotnisku przed hangarem na froncie wschodnim. Na drugim planie widoczny samolot sanitarny Fieseler Fi 156 Storch.
Date styczeń 1943 r.
Source https:// audiovis.nac.gov.pl /obraz/3759/  (ze zbiorów Narodowego Archiwum Cyfrowego) Author Schmidt - Scheeder
写真は,Wikimedia Commons, Category:Henschel Hs 126・File:Henschel Hs 126 Storch.jpg引用。


ヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機試作機Vは3機で、量産型は、前期Hs-126A型が、ヘンシェル社で83機、AGO(Apparatebau GmbH Oschersleben)社で50機の合計133機が生産された。

ヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機量産型は、後期型Hs-126Bが、ヘンシェル社で391機、AGO(Apparatebau GmbH Oschersleben)社で380機の合計771機が生産された。

ヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機は、Hs-126 V 試作機3機、前期Hs-126 A 133機、後期Hs-126 B 771機、ギリシャ輸出仕様16機、エストニア輸出仕様12機、合計935機が生産された。

図(右)ドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) HS-126 B-1偵察機の三面図
English: Henschel Hs 126
Date 21 October 2014, 09:55:07
Source Own work Author Kaboldy
三面図は,Category:Henschel Hs 126 File:Henschel Hs-126.svg引用。


ヘンシェル (Henschel) HS-126 B-1近距離偵察機諸元
初飛行:1936年8月
量産期間:1938-1941年
生産機数: ヘンシェル社 505機
AGO(Apparatebau GmbH Oschersleben)社 430機
生産機数合計 935機
搭乗員: 2名
全長: 10.85 m
全幅: 14.50 m
全高: 3.75m
空虚重量: 2032 kg
総重量: 3090 kg
最大離昇重量: 3,270 kg
燃料: 650L
主翼面積: 31.60 m2
エンジン: ブラモ(Bramo)323A-1 空冷9気筒エンジン634 kW (850 hp)
最高速力: 356 km/h 高度3000m
航続距離: 720 km
兵装
7.92ミリMG17前方固定機銃1丁
7.92ミリMG15旋回機銃1丁
爆弾搭載量: 100 kgから150kg
発動機: ブラモ(Bramo)323A-1ファニール(Fafnir) 空冷9気筒エンジン 850 hp

カラー写真(右)2017年4月,ドイツ、ベルリン、ドイツ技術博物館で復元されているドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機の主翼:オリーブドラブの迷彩塗装を施している。ドイツの鉄十字の国籍記章が明瞭に残っている。
English: German Museum of Technology, Berlin, Germany. Henschel Hs 126 B-1 - der hochbeinige Nahaufklärer. 1940.
Date 4 April 2017, 10:11:02 Source Own work
Author Photograph by Mike Peel (www.mikepeel.net).
Permission (Reusing this file) CC-BY-SA-4.0
写真は,Wikimedia Commons, Category:Henschel Hs 126・File:German Museum of Technology, Berlin 2017 346.jpg引用。


ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察の量産期間は、1938-1941年で、試作機Vは3機、前期Hs-126 A型133機、後期Hs-126 B型771機、ギリシャ輸出仕様16機、エストニア輸出仕様12機、合計935機が生産された。

カラー写真(右)2017年4月,ドイツ、ベルリン、ドイツ技術博物館で復元されているドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機の垂直尾翼と水平尾翼:オリーブドラブの迷彩塗装を施している。胴体部分は、木製枠組みでできている。
English: German Museum of Technology, Berlin, Germany. Henschel Hs 126 B-1 - der hochbeinige Nahaufklärer. 1940.
Date 4 April 2017, 10:11:02 Source Own work
Author Photograph by Mike Peel (www.mikepeel.net).
Permission (Reusing this file) CC-BY-SA-4.0
写真は,Wikimedia Commons, Category:Henschel Hs 126・File:German Museum of Technology, Berlin 2017 346.jpg引用。


ヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察機は、1942年春から随時、後継機Fw-189双発偵察機に替わられ、北アフリカ戦線でも、1942年8月、使用されなくなった。1942年11月8日、イギリス・アメリカ軍による「トーチ作戦Operation Torch)」が始まった時期に、既にヘンシェル (Henschel) Hs-126は、北アフリカ戦線では使われていなかった。

旧式化して前線を下がったヘンシェル(Henschel)Hs 126近距離偵察は、練習部隊に配備された。そして、DFS230グライダー曳航機としても使用された。さらに、ヘンシェル(Henschel)Hs 126は第二線の夜間地上襲撃機として、バルカン半島、エストニア、ラトビアに配備され、訓練とともに対ゲリラ戦、パルチザン襲撃に投入された。


3.フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189ウーフー(ふくろう)

写真(右)1941年頃,双胴式のドイツ空軍フォッケウルフFw-189ウーフー(Focke-Wulf Fw 189 "Uhu" )近距離偵察機
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 189 Uhu (Owl) Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album
PictionID:38235879 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002313.TIF
Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft
写真はSDASM Archives・PictionID:38235879引用(他引用不許可)。


1936年8月初飛行のドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126近距離偵察機は、1938年から1941年までに、合計935機が生産された。この後継機は、1938年7月初飛行のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 189A近距離偵察機で、1940年から1944年までに、合計864機が生産された。

フォッケウルフ フォッケウルフFw-189ウーフー(Focke-Wulf Fw 189 "Uhu" )近距離偵察機の諸元
全長: 12.02 m 全幅: 18.39 m
全高: 3.10 m 翼面積: 38.00平方メートル
全備重量: 3,945 kg 自重: 2,800 kg
発動機: アルグス(Argus)As 410A-1 空冷倒立12気筒エンジン(465 hp)2基
最高速力: 349 km/h(2600 m)
上昇限度: 7300 m
航続距離: 670 km
武装 7.92ミリ機銃 4丁、爆弾 200 kg
乗員: 3 名

Fw189が搭載したアルグス(Argus)As 410空冷倒立V型12気筒エンジン登録の諸元
ボア×ストローク:105 mm×115 mm
排気量:11.9 L
全長:1,585 mm
全幅:660 mm
全高:970 mm
乾燥重量:315 kg
総重量:336 kg(潤滑油込み)
燃料供給方式: キャブレター
出力:465 PS (459 hp, 342 kW) /3,100 rpm

フォッケウルフ 1937年と早い時期に近距離偵察機としてフォッケウルフ社で開発されたFw 189偵察機 「 ウーフー」(ミミズク)は、双胴式でエンジンから話した機首を全面ガラス張りとして良好な視界を得ていた。この機首に3名の乗員が全員密集して搭乗したために、乗員相互の連絡も容易だった。試作機は、1938年7月に初飛行し、競争試作のブローム・ウント・フォス BV 141近距離偵察機と比較された。

フォッケウルフFw 189偵察機は、双発機であり、片方のBV141よりもエンジン被弾の場合、生還率が高いから採用されたとの説もあるが、軍用機の採択は、性能以上に信頼性(ブランド力)や政治力がものをいうのであり、フォッケウルフ社の航空産業における優位性が採用の理由であろう。

フォッケウルフFw-189ウーフー(Focke-Wulf Fw 189 "Uhu" )近距離偵察機は、ヘンシェル(Henschel)Hs 126の後継機として、1940年から部隊配属が始まったが、本格的な活躍は、1941年6月からのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」における地上軍部隊との直接強力である。本記の生産は、1944年までに860機が生産されたが、対地攻撃型は試作のみに終わった。 フォッケウルフFw 189偵察機は、巨大な全面ガラス張り機首で視界がよく、偵察任務に適していたため、フクロウの大きな目を思わせ。「ウーフー」(フクロウ)の愛称を付けられた。双胴式の双発機で、機首が独立していて、そこに搭乗員3名が乗るので、搭乗員相互の連絡もしやすかった。低速で敵地上空を旋回し、地上の様子を偵察し、写真を撮影した。1944年までにこの種の偵察機としては864機と多数が生産され、地上部隊との近接支援に多用された。

写真(右)1942-1943年頃、東部戦線、ドイツ空軍フォッケウルフFocke-Wulf Fw 189A近距離双発偵察機
Catalogue number: CH 16123,
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION,
Subject period: Second World War,
Alternative Names object category: Black and white,
Creator: German Air Force photographer
Object description: Focke-Wulf Fw 189. The twin-fuselage Fw 189 was designed as a light-bomber but saw service mostly as a short-range reconnaissance and liaison aircraft on the Eastern Front.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (CH 16123)


パラソル翼のドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) Hs-126は、近距離偵察機だが、大戦後半は、低性能のために偵察任務を避けて、後方での訓練やグライダーの曳航機としても使用された。後継機のフォッケウルフFw-189双発偵察機が地上部隊と協力しての偵察に当たるようになった。

写真(右)1943年6月10日、フィンランド、ソ連軍と対峙したドイツ空軍フォッケウルフFw-189A近距離偵察機の機首:機首は前面がガラス風防で覆われており、視界は抜群だった。 7.92ミリMG-15機銃,操縦席後方に7.92ミリMG-81連装機銃を装備。白色の冬季迷彩を施している。爆撃もできる双発の地上直接協力偵察機で,50キロ爆弾を合計4発搭載できた。フォッケウルフFw-189近距離偵察機は大戦後半にヘンシェルHs-126の後継機として東部戦線に投入された。
Saksalainen kevyt pommi- ja tiedustelukone tuo saksalaisia sotaherroja.
Vänrikki V.Hollming, valokuvaaja
Saksalainen kevyt pommi- ja tiedustelukone tuo saksalaisia sotaherroja. Lentokone on Focke-Wulf Fw 189 A.
写真は,.finna.fi引用。


フォッケウルフFw189 1937年、ドイツ航空省は、地上部隊と連携できる近距離偵察機の開発を各社に養成し、フォッケウルフ社はそれに応じて、Fw189を開発した。このフォッケウルフFw-189近距離偵察機は、大戦後半になってから、ヘンシェルHs-126の後継機として東部戦線に投入された。

ドイツ空軍フォッケウルフFw 189 A-3近距離偵察機は、双胴式双発機で、中央部にガラス張りの機首を設け、後部までも円錐状にガラス張りとしたために、視界がとてもよかった。乗員は、3名で、全てこの機首に搭乗し、相互の連絡を取るのにも都合が良かった。また、車輪間隔も広いために、不整地であっても、安定性を維持するのが容易だった。

乗員3名は、この広い視界が確保された機首に登場したが、これは搭乗員相互の連絡をよくすることになった。

写真(右)1943年冬,東部戦線、ソ連軍に鹵獲されたフォッケウルフFw-189偵察機ウーフー(梟):ヘンシェルHs126単発偵察機の後継機として、双発で視界が良いFw-189は、地上直接協力に東部戦線で参加した。
Description Русский: Немецкий самолет-разведчик Focke-Wulf Fw 189, захваченный советскими войсками под Сталинградом
Author Sergey Strunnikov (1907–1944)
Date 1943
写真は,Category:Photos by Sergey Strunnikov File:Сталинград. Focke-Wulf Fw 189.jpg引用。


ドイツ空軍フォッケウルフFw-189偵察機飛行性能の特徴は、低速安定が高いことで、これは地上偵察に有利である。ドイツ東部戦線で使用され始めたのは、1941年6月のドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦からで、その後、1944年までに864機が生産されている。

ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 189A近距離偵察機は、ソ連軍からその特異な双胴式形状から「空飛ぶ額縁」と呼ばれた。装備していた発動機は、アルグス(Argus)As 410A-1 空冷倒立12気筒エンジン(465 hp)である。このエンジンは、日本陸軍オートジャイロ「カ」号観測機も装備したが、日本で生産したエンジンは故障が多く、使い物にならず、エンジンは、空冷星形に変更されている。

⇒写真集:AlbumフォッケウルフFw-189偵察機ウーフー(Focke-Wulf Fw 189 Uhu)を見る。


4.ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141近距離偵察機

写真(右)1942年,近距離偵察機ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1980-117-02 Original title: info Das erste unsymmetrsiche Flugzeug der Welt BV 141 Archive title: Aufklärungsflugzeug Blohm und Voß BV 141 - Flugzeug auf Rollfeld Dating: 1942 Photographer: Hoffmann 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 146-1980-117-02"引用


フォッケウルフFw-189と競争試作で敗れたとはいえ、単発3座偵察機ブロームウントフォス(Blohm & Voß BV-141は機首のエンジンと操縦席を主翼上に離して設けているために、左右非対称の世界的に珍しい形状の飛行機だった。 エンジンの搭載された機首と操縦席・偵察席を別個に設けており、ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141は、視界は抜群に良かった。また地上・下方視界は最大限に広げられているので、近距離偵察、地上部隊との共同作戦には便利である。

ブロームウントフォスBV141 ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141のエンジンは、当初の搭載したBMW 132Nエンジンが865馬力と力不足だったために、B型ではフォッケウルフFw-190戦闘機と同系のBMW 801(出力1,560馬力)にエンジンを強化した。初飛行は1938年2月、1940年までに、BV 141 V1から試作機8機が生産されたが、搭載したBMW 132Nエンジン865馬力と低出力であり、同程度の出力のエンジン2基を装備した競争試作機フォッケウルフ Fw 189が敗れて不採用になった。

ブロームウントフォスBlohm und Voß BV 141 B 諸元:
乗員:4人
全長:13.95 m、全巾:17.46 m、全高:3.6 m
翼面積:53.15 m平方メートル
空虚重量:4,700 kg、全備重量:5,700 kg
エンジン;BMW 801 出力:1,160 kW(1,560 hp)
最高速度:438km/h /3,510m、上昇率:570 m/分
武装:7.92ミリMG 17 旋回機関銃2丁、7.92ミリMG 15 固定機関銃2丁

写真(右)1942年,近距離偵察機ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141:格納庫にある3機の全容と1機の右主翼が、格納庫のすぐ前に1機が駐機している。格納庫内の機体には、プロペラを外しているものがある。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-602-B1227-09A Archive title: Reichsgebiet.- Aufklärungsflugzeug Blohm & Voss , Maschinen im Hangar; KBK Lw zbV Dating: 1942 Photographer: Scholz Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・http://www.bild.bundesarchiv.de/archives/barchpic/search/_1459083196/?search%5Bform%5D%5BSIGNATUR%5D=Bild+101I-602-B1227-09A引用


1941年には、エンジンをBMW 801(1700馬力)に強化したBV 141 B型が開発されたが、このような機種は、既存のもので十分間に合ったために、先行量産型として20機が生産されたにとどまった。

⇒写真集:AlbumブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141を見る。


5.指揮連絡機フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ(Storch:こうもり)

写真(右)1940年5月-6月,フランス侵攻作戦、野外地に着陸したドイツ空軍フィーゼラー・Fi156"シュトルヒ"連絡機
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-126-0322-13 Archive title: Frankreich, Westfeldzug.- Flugzeug Fieseler Storch Fi 156 auf einem Feld, Soldaten; PK 689 Dating: 1940 Mai - Juni Photographer: Boesig, Heinz Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


1935年、新生ドイツ空軍は、新型連絡機の開発をすすめた。この時に連絡機の仕様が出され、各社の競争入札がなされることになったが、フィーゼラーは、短距離離着陸性能(STOL性)を重視し、離陸には向かい風で50m、着陸には20mで運用可能な機体を提案した。視界の良好なFi-156 A試作機は、1936年春に初飛行し、V型8気筒240馬力のアルグス As 10Cを搭載、地上連絡に便利なように低速の50km/hでも運用でき、離陸は45m、着陸18mはで十分な短距離離着陸が可能だった。量産型Fi 156Aは、1937年から部隊配備がはじまったので、第二次世界大戦では緒戦から大活躍している。

フィーゼラー(Fieseler)Fi-156 ドイツのフィーゼラー(Fieseler)Fi-156「シュトルヒ」(Storch:コウモリ)連絡機(Fieseler Fi 156 "Storch")は、全長10メートル,全幅 14メートル,主翼面積 26平方メートル,全備重量1260キロ, 空冷エンジン240馬力,最大速度175キロ,航続距離 380キロ。
1937年から1945年に合計2600機生産されたFi-156"シュトルヒ"連絡機は,滑走路でない草原にも離着陸できたので、地上部隊との連絡に重宝された。

SS武装親衛隊のオットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)に率いられたドイツ降下猟兵を主体とするドイツ軍特殊部隊は、グライダーで突入して、ムッソリーニを救出した。その後、荒れ地を滑走路代わりにして離着陸できるフィーゼラーFi156"シュトルヒ"Fieseler Fi 156 "Storch")で、ムッソリーニを安全地帯に空輸した。

⇒写真集Album:フィーゼラー(Fieseler)Fi-156連絡機 を見る。


6.ドルニエ(Dornier)Do 22 偵察機


写真(右)1937年頃、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 22L偵察機(D-OXWD)
;第二次世界大戦前にドルニエ社が輸出用に開発したパラソル単葉機だが、ドイツ空軍の第二次世界大戦勃発前の赤帯白丸黒鍵十字の国籍マークを垂直尾翼に描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 46170115 - - Title: Dornier Do 22L Nowarra Collection - Filename: 16_007466.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, SDASM Archives Catalog: 16_007466 - 引用。


ドイツは、ヒトラー政権になっても、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、ドイツ機の尾翼に描いて、国籍マークとしていた。しかし、1935年、ヒトラーが再軍備を宣言し、第一次世界大戦の撃墜王ヘルマン・ゲーリングの下、ドイツ空軍が設立されると、ドイツ軍機は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを採用した。スワスチカは、ナチ党のイデオロギー、政治思想を軍人にまで浸透させることを反映したもので、軍人の忠誠宣言がドイツに対してでは、ヒトラーに対する忠誠を誓うものと変更されたのと同じ動機である。また、高速の機体の国籍、敵味方の認識をしやすくするため、機体・主翼の上下にも、白の縁取り付きの黒色バルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。


写真(右)1942-1944年8月頃、フィンランド、トラックで牽引されるフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do 22 K 偵察機
:スカンジナビアの青の鍵十字卍「ハカリスティ」(Hakaristi)は、反共産主義、反ボリシェビキのシンボルで、ナチ党鍵十字スワスチカと同じ起源から生まれたものである。
Lentokonetehdas. Dornier Do 22 tiedustelukone. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info Kartto - Peronkoski, valokuvaajaa
写真はThe Finnish Defence Forces、Museot Finna・sa-kuva-35191引用。


1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、激しい航空戦が展開され、敵の空襲も予期する必要があったため、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)は敵から発見されやすいいとして、取りやめになった。その代わり、ナチ党のイデオロギーを示す国章として、尾翼に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。

ドルニエ(Dornier)Do 22 1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(HakaristiSwastika)が描かれている。

1939年の冬戦争、1941年の継続戦争でも、青のカギ十字は、フィンランド軍の国籍マークとして使われたが、継承戦争末期の1944年、リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)は、フィンランド大統領を辞職し、新大統領にカール・グスタフ・マンネルヘイム元帥が就任して、ソ連と講和し、対ドイツ戦争を開始しした。この時に、フィンランド軍のカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は廃止された。

wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を忌避するために唱えられた方便か、カギ十字を好む人物の誤解に基づく思い込みである。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-22偵察機を見る。


7.ハインケルHe 114 水上偵察機

写真(右)1938-1939年9月、ドイツ本土海域、ハインケルHe 114 水上偵察機:アラドAr-196水上偵察機が、1937年5月に初飛行し、1938年11月に部隊配備されると、He114水上偵察機は、艦載機から、順次、代替されていった。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081315 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081315引用。


⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 114 水上偵察機を見る。


8.アラドAr-196水上偵察機


アラドAr 196水上偵察機は、ドイツ海軍の巡洋艦以上の艦艇用の艦載水上偵察機として1937年にHe-60水上偵察機の後継機として開発され、BMW132空冷星型9気筒エンジン(880馬力)を装備した。双フロートのAr196A型、単フロートのAr196B型が試作され、1938年に、双フロート式のA型が採用された。

アラドAr-196艦上水上偵察機は、主翼を90度回転させて折りたためるので、狭い艦船上での搭載・運用が容易だった。

アラドAr 196水上偵察機が部隊配備されたのは、第二次世界大戦の勃発した1939年9月からである。その後、主翼の7.92ミリMG17機関銃(左右合計2丁)を20ミリMG-FF機関銃(合計2丁)にう強化したA-2型が主力となった。活動海域は、主に大西洋、北海、バルト海だが、黒海、地中海方面でも使用されている。アラドAr 196水上偵察機は、1944年までに500機が製造された。第二次大戦の全期間を通じて、ドイツ海軍の水上偵察機として活躍した。

アラドArado Ar 196 水上偵察機は、第二次大戦中にドイツ海軍で広範囲に使用された、低翼単葉、双フロートの艦載機。BMW132K空冷星型エンジン960馬力搭載、機首と後部座席の7.92mm機銃2挺、主翼内に20mm機関銃2挺、主翼下面に50kg爆弾2発搭載可能。第二次大戦の始まった1939年に部隊配備開始、戦艦ビスマルク、重巡洋艦ヒッパーなど大型水上艦艇に搭載。沿岸水上機部隊にも配備された。

アラドAr-196水上偵察機の諸元
乗員:2名
全長: 11.0メートル
全幅: 12.5メートル
翼面積: 28.4平方メートル
自量: 2トン
全備重量: 3.7トン
エンジン: BMW132 空冷 960馬力1基
最高速力: 320キロ
航続距離: 1000キロ
上昇限度: 7,000メートル
武装: 20ミリMG-FF機関砲2門,7.92ミリMG17機銃2丁
50キロ爆弾2発
初飛行1937年5月
生産開始1938年11月からで、1944年3月までに540機が産された。

⇒写真集Album:アラドAr-196水上偵察機を見る。


◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945

ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥

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