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◆ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
写真(上)1934-1939年前半、アメリカ、飛行場の舗装滑走路に並んだトランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y)[中央]とTWAのロゴを機首に描いたダグラスDC-1輸送機試作機(中央)と両脇のDC−2旅客輸送機4機
(左右):
Image from an Album (AL-77) belonging to Charles Rector SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive Date 27 June 2014, 10:38:06 Source https://www.flickr.com/photos/sdasmarchives/14519942282/ Author San Diego Air & Space Museum Archives Flickr sets Charles Rector Album Collection (AL-77)
写真は, SDASM Archives AL77B-006 引用。


1.ダグラス(Douglas)DC-1 輸送機

写真(右)1934年、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアポート(Grand Central Airport)(グレンデール・エアターミナル(GCAT))、トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)ダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y)無塗装のダグラス(Douglas)DC-1輸送機(登録コード:NC-223Y):TWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)(後のトランスワールド)航空に引き渡される前の完成時の撮影と思われる。
Douglas : DC-2 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2.
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065449用。


写真(右):1934年後半、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアポート(Grand Central Airport)(グレンデール・エアターミナル(GCAT))、トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)ダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y):ダグラス(Douglas)DC-1試作機は、DC-2 輸送機の原型となった。実際にはDC-1は試作1機のみだが、アメリカ、イギリス、フランス、スペインと持ち主が変わった。
Douglas, DC-1 Title: Douglas, DC-1 Corporation Name: Douglas Aircraft Designation: DC-1 Tags: Douglas, DC-1 Additional Information: USA, Prototype developed into the DC-2 & 3.
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065447引用。


ダグラス(Douglas)DC-1試作機は、ダグラス(Douglas)DC-2輸送機の原型となった。実際には新型機ダグラス(Douglas)DC-1は試作1機のみだが、アメリカ、イギリス、フランス、スペインと持ち主が変わった。

写真(右)1934年後半、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアポート(Grand Central Airport)(グレンデール・エアターミナル(GCAT))、飛行場管制塔近くに待機するトランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)ダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y):現在でもこのターミナルビルは歴史遺産として保存されている。
Douglas : DC-1 Catalog #: 00065454 Manufacturer: Douglas Designation: DC-1 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065454引用。


グランド・セントラル・ターミナルGrand Central Terminal)とは、グランド・セントラル・エアポート(Grand Central Airport)のターミナルで、カリフォルニア州ロサンゼルス市郊外、北15kmに位置するグレンデール(Glendale)にあるグレンデール・エアターミナル(Grand Central Air Terminal:GCAT)のことである。1920年代に開設され、管制塔や空港ビルが設けられたのは1928年である。

写真(右)1928年末−1929年、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))、ターミナルビル、足場が掛けられた建設中の航空管制塔。手前の飛行機は、ボーイング80(Boeing Model 80A)で機首側面に翼のはえたBOEING(縦書)のロゴ(1930年代)が描かれている。:ボーイング80機首のエンジンは、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン386 kW(520hp)。
GCAT During Construction, Ca. Late 1920s (Source: Site Visitor)
The terminal building (which was not complete when the airfield was rededicated) was a masterpiece of Art Deco design, constructed under the guidance of the architect and engineer Henry L. Gogerty (1894-1990). His firm was cited on the architectural drawings, below. Avobe is an image of the terminal building before it was completed in the late 1920s. The airplane is a Boeing trimotor Model 80, NC224M (not a Register airplane)..
写真は, the Register of the Grand Central Air Terminal, Glendale, CA 引用。


ボーイング80(Boeing Model 80A)は、1928年7月27日初飛行、乗員: 3人、乗客: 18人、全長: 17,20 m、全幅: 24,40 m、最大離昇陸重量: 7.930 kg、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン520hp(排気量27.7L)3基搭載、巡航速力: 201 km/h、最高速力: 222 km/h、上昇限度: 4.270 m、航続距離: 740 km。

写真(右)1929年、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))、飛行場全景の航空写真:中央斜めに4,200フィート(1280メートル)舗装滑走路(ランウェイ)、左に舗装誘導路(タキシング・ウェイ)と飛行場ターミナルビルが見える。 Aerial View, Grand Central Air Terminal, 1929 (Source: Koontz)
Stepping back from the engineering details, below, courtesy of G.B. Koontz, is an aerial photograph from 1929. The view is to the southeast and shows the site before full development of the aviation infrastructure surrounding the terminal and runways. Note the absence of the tower on the terminal, which is located left, center. Compare the terminal building in this aerial with the second one down at the link taken in 1930. The tower is constructed and operational on the terminal building..
写真は, the Grand Central Air Terminal, Glendale, CA 引用。


写真(右)1933年8月16日頃、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアポート(Grand Central Airport)(グレンデール・エアターミナル(GCAT))、舗装滑走路上に待機するトランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)所属のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y):当初は、固定式尾輪に流線型カバーを装着していた。
Douglas DC-1
Catalog #: 00065457
Title: Douglas DC-1
Collection: Miles Blaine Collection
Repository : San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065457引用。


 ダグラス(Douglas)DC-1輸送機は、ボーイング(Boeing)247輸送機と同じく、低翼、単葉、金属製の機体構造、膠着装置の聞き込み式構造、密閉式ガラス風防コックピットなど、当時の軍用機、戦闘機が複葉、羽布張り、固定脚、開放式コックピットだったのとは対照的に、革新的な設計だった。

ダグラス(Douglas)DC-2輸送機に発展する新型機ダグラス(Douglas)DC-1輸送機の試作機だが、機首の2個の照明灯、機首の貨物室、客室キャビンの形状、主翼形状、尾翼計上、引込み式降着装置、ライト・サイクロンWright R-1820 Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン690hpナセルの構造などは、DC-2は原型DC-1とは同一であり、DC-1の改良型がDC-2輸送機であった。

ダグラスDouglas)社は新型機ダグラス(Douglas)DC-1の売り込みのために、DC-1/DC-2輸送の実機を使ったデモンストレーション飛行を行った。

このようなDC-1のような金属製の斬新な巨体が軽々と飛翔する様子は格好の宣伝材料になったといえる。また、ダグラスDC-1輸送機は、アメリカ大陸横断飛行も実施し、13時間5分の記録を作った。この時の経験が、この後に登場するダグラス寝台機DST、すなわちダグラスDC-3輸送機の原型につながった。

写真(右)1933年8月16日、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))とトランスワールド(TWA)航空ダグラスDC-1輸送機(NC-C223Y)右側面:完成時のDC-1は、固定式尾輪に流線型の整形カバーを装着していた。
English: The new Douglas DC-1 dropped in unannounced at Grand Central Air Terminal, Glendale, California on August 16, 1933 Dansk: Den nye Douglas DC-1 kom på uanmeldt besøg i Grand Central Air Terminal, Glendale, Californien den 16. august 1933 Date 16 August 1933 Source Grand Central Air Terminal Glendale Author Glendale Public Library.
写真はWikimedia Commons, Category:Grand Central Air Terminal File:Douglas DC-1 at Grand Central Air Terminal 1933.jpg引用。


1930年代、ダグラス(Douglas)DC-1が滑走したのは、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))で、1923年に112エーカー(acre)すなわち0.45 km2の敷地に地方空港として開設された。飛行機滑走路は、幅100フィート(30 m)で、長さ3,800フィート(1,200 m)のコンクリート舗装である。

写真(右)1934年頃、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))、トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y):右主翼上面に登録コード(NC-223Y)が、左主翼上面にTWA(Transcontinental & Western Air)の文字が記入されている。ダグラス(Douglas)DC-1試作機は、DC-2 輸送機の原型となった。実際にはDC-1とDC-2は同一機体の改造型といってよかった。
Douglas DC-1 CATALOG #: Blaine_00263 Title: Douglas DC-1 Collection: Miles Blaine Collection Repository : San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065481引用。


米国、某前進根拠地中心に更に海軍演習挙行 : 今秋九月まで猛訓練を続く
大阪朝日新聞 Vol: 第 37巻 Page: 66 出版年 1935-06-12
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100346275

ペンシルヴェニア 【ロサンゼルス特電十日発】過去六週間太平洋上で未曾有の大演習を行ったアメリカ連合艦隊百三十一隻はリーヴス司令長官の旗艦ペンシルヴェニア号[USS Pennsylvania]を先頭に戦闘艦隊、索敵艦隊の順に十日午前十時南カリフォルニア沖に雄姿を現わし、サラトガ[USS Saratoga,]、レキシントン[米国、某前進根拠地中心に更に海軍演習挙行 : 今秋九月まで猛訓練を続く引用おわり)

写真(右)1934年、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))、トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)ダグラスDC-1輸送機(NC-C223Y)左側面:DC-1の胴体後方左の昇降口から、婦人、紳士が客室キャビンに乗込もうとしている。昇降口には、移動式ステップが設置されている。手前には見物人が集まっている。
Douglas DC-1 NC223Y Grand Central Air Terminal 1934 a Photos belonging to a Special Collection belonging to Greg Wasmann who worked at Douglas Aircraft. .
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1934年、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))、トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)ダグラスDC-1輸送機(NC-C223Y)左上面:DC-1の胴体客室キャビンに乗客が乗り込んだ後、プロペラを回転させ、離陸準備をしている。
Douglas DC-1 NC223Y Grand Central Air Terminal 1934 g Photos belonging to a Special Collection belonging to Greg Wasmann who worked at Douglas Aircraft. .
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


太平洋の新脅威米国空軍の強化 : 無着横断可能の六十機を西海岸に常備する
報知新聞 Vol: 第 38巻 Page: 135 出版年 1935-10-20
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100345591

サンピドロ(カリフォルニア)十八日発電通=米国海軍航空局長官キング少将は十八日発表していわく

[Consolidated PB2Y Coronado]  米国海軍は今回六十機の海軍機[Consolidated PB2Y Coronado]を建造する事となった、右は一九三四年六月マックギニス少佐が桑港[San Francisco]真珠湾[Pearl Harbor]間二千四百浬無着水飛行の記録を樹立した際の使用機と同型であり建造は出来得る限り速かに着手する筈である、これ等の海軍機は太平洋を無着水で横断し得る機能を有して居り、不時着水しても数日間は水上に浮んで居る事が出来る、しかして米国海軍はこれ等水上機[Consolidated PB2Y Coronado]を西海岸の警羅に使用する予定である

一向驚かぬ(航空本部の草鹿[龍之介]大佐談)

海軍航空本部総務部第一課長草鹿[龍之介]大佐は語る

 そういう計画は事実かも知れませぬ、前からかねがね計画があったようですから…太平洋の脅威といってもそれは程度問題で私の方では一向へこたれやァしませんよ、しかしこの飛行機が度々の試験を経て可なり優秀なものであることは事実で、航続距離二千哩程度だと思います、なおアメリカでは以前ハワイに大航空隊を作る計画があったのが立消えになったことがあるので、それが形を変えてこの計画となったのかも知れません(太平洋の新脅威米国空軍の強化 : 無着横断可能の六十機を西海岸に常備する

写真(右)1934年、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))、トランスワールド(TWA)航空ダグラスDC-1輸送機(NC-C223Y)左正面:ダグラスDC-1の3翅金属製プロペラが回転しているが、主翼後方には地上整備らしい人物が控えている。
Douglas DC-1 NC223Y Glendale Air Terminal 1934 a Photos belonging to a Special Collection belonging to Greg Wasmann who worked at Douglas Aircraft. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


北鮮へ僅か四時間空の旅明年実現 : 新機軸ラジオビーコンを装置
神戸又新日報 Vol: 第 4巻 Page: 43 出版年 1936-08-19
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100206400

軍事上産業上最も重要視される日本海を挟んだ裏日本の空港米子と北鮮清津[Chongjin]とを結ぶ内地北鮮航空路は、いよいよ来年十月開設、わが国航空界に一新機軸を劃するラジオビーコン装置を完備して就航することとなった、

これが経費五十万円は、明年度予算に計上、大阪を基点として明年中に完成の十六万坪を有す米子飛行場をへて清津[朝鮮半島北部]まで直航するもので、実に一千十八キロを僅か四時間(大阪米子間一時間、米子清津[청진시]間三時間)で飛翔するが、これは現在大阪京城[Keijō]間所要時間約七時間に比し、実に驚異すべきスピードアップで、米子清津両飛行場にはわが国はじめての試みとしてラデオビーコン装置を施設、電波を放射し電波線上を飛行機を飛ばせるもので、受信機を装置した飛行機は風害雲禍を避けつつその線上を目的地に直航、機体が波幅をはなれると受信不能に陥る装置になっているため、電波をパイロットとして魔の日本海上空を安全に飛行できる仕組になっている

飛行は一週三往復、使用機はダグラス[Douglas DC-2]二台(一七〇〇馬力)十四人乗の大型を用いられ清津において満洲国の清津、新京線と聯絡することになっている(北鮮へ僅か四時間空の旅明年実現 : 新機軸ラジオビーコンを装置

写真(右)1936年、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))とフォードトライモーター輸送機:。Photographic copy of reproduced photograph dated 1936. Exterior view, south elevation. Air show in progress - Grand Central Air Terminal, 1310 Air Way, Glendale, Los Angeles County, CA Title Photographic copy of reproduced photograph dated 1936. Exterior view, south elevation. Air show in progress - Grand Central Air Terminal, 1310 Air Way, Glendale, Los Angeles County, CA Depicted place California; Los Angeles County; Glendale Dimensions 4 x 5 in. Current location Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA http://hdl.loc.gov/loc.pnp/pp.print Accession number HABS CAL,19-GLEND,2-47.
写真はWikimedia Commons, Category:Grand Central Air Terminal File:Photographic copy of reproduced photograph dated 1936. Exterior view, south elevation. Air show in progress - Grand Central Air Terminal, 1310 Air Way, Glendale, Los Angeles HABS CAL,19-GLEND,2-47.tif引用。


グランドセントラルエアターミナル "Grand Central Air Terminal"と命名され空港は、すぐに新たな所有者の手によって、 175エーカー(0.71 km2)に拡張された。ターミナルの管制塔が建設されたのは、1929年2月22日で、設計はヘンリー・ジョージ(Henry L. Gogerty)の手になる。内装は古典的な鉄道ターミナル駅と似ている。カリフォルニアの文化を意識して、スペイン・コロニアル復古調(Spanish Colonial Revival)のジグザク模様を取り入れた アールデコ(Art Deco)様式である。GCATは、ロサンゼルスの主要空港となり、アメリカ西岸で初めての舗装滑走路の完備した空港になった。1930年代、ダグラス(Douglas)DC-1もここを使った。


着色絵葉書(上)1930年代、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))とフォードトライモーター輸送機(NC8413)
:English: Exterior view of the Administration Building at the Grand Central Airport in Glendale. A Ford 5-AT-C Tri-Motor of Maddux Air Lines, registered NC-8413, is in front of the building. Historical Background: The City of Glendale, situated at the eastern end of the San Fernando Valley and bisected by the Verdugo Mountains, is considered a suburb of the Greater Los Angeles Area. Incorporated in 1906, Glendale was originally part of Rancho San Rafael, founded by Don Jose Maria Verdugo who settled in the area in 1784. The Grand Central Airport Terminal was designed by Henry L. Gogerty in 1928 blending the Spanish Colonial Revival style with Art Deco influences. The Airport first began its service between Los Angeles and New York, and it played a vital role as the premier airport in Southern California. The building represents the simple concept of early airport terminal design, and it is listed on the Glendale Register of Historic Resources. Date circa 1930 Source Werner von Boltenstern Postcard Collection.
写真はWikimedia Commons, Category:Grand Central Air Terminal File:Administration Building, Grand Central Airport, Glendale, Calif (post 00219).jpg引用。


ロサンゼルス郊外、グランド・セントラル・エアターミナルGrand Central Air Terminal: GCAT)は、1997年から、ウォルト・デズニー社(The Walt Disney Company)のグランド・セントラル・クリエイティブ・キャンパス(Grand Central Creative Campus :GC3)となっている。

1930年代、ダグラス(Douglas)DC-1の使った滑走路は、3,800フィート、1,200 mの1本で、今は大通りとして機能している。ターミナルビルは、2017年3月にグランド・セントラル・ターミナルGrand Central Terminal)歴史遺産(National Register of Historic Places)に登録されている。

写真(右)2000年代、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))、復旧された管制塔:翼と天使の像がタワーの周囲には、1925年パリ万国装飾美術博覧会から1930年代に一世を風靡したアールデコ(Art Déco)様式の彫刻があり、豪華さと高級感を演出している。Restored GCAT Tower Because of structural issues (stairway not restored), it was not possible for me to climb into the tower to photograph the view out. Below, a wider view of just the tower. Three of the Deco-themed, winged pilots can be seen in this view. Notice the Art Deco accents on the building exterior.
GCAT has a glamorous and enrolling history. It became an official airport entity as Glendale Municipal Airport on March 17, 1923. It was given a name change of Grand Central Air Terminal and rededicated February 22, 1929. The beautiful terminal building (see below) was under construction, about half-way completed, at the time of the 1929 dedication. It was one of 143 landing fields in the state of California at the time. The small filler article from Aeronautics magazine, December, 1929, right, provides background. For 30 years GCAT hosted scheduled air transport companies, record setters, local industries, famous aircraft and famous people in and out of aviation. A good resource, which includes many period photographs, including the terminal building under construction, is John Underwood's informative book, cited in the left sidebar. Please note, while GCAT was an airfield from 1923 to 1959 (see below), the dates you see in the banner above are the dates that the known REGISTER was kept at the field.
写真は, the Grand Central Air Terminal, Glendale, CA 引用。


1925年パリ開催の現代産業装飾芸術国際博覧会はアール・デコ博覧会として有名になった。アール・デコは、1920-30年代に芸術・建築にあって、第一次世界大戦の後輩から復活したフランス芸術を代表する様式となった。アール・デコは、繊細で複雑なアール・ヌーヴォーとは対照的に、幾何学的な力強さが示され、工芸的的作品として、商品・衣装・建築にも取り入れられ、モダニズムと都市文化の結合によって、新しい産業芸術に繋がり、アメリカ、ヨーロッパとその植民地に広がった。


写真(上)2000年代、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))
:トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y)の基地となった。
In 1921, local businessman Leslie Brand decided to promote the idea of “air-mindedness” to the citizens of Glendale so he hosted a party at his home. But there was a catch: he locked the gates to his estate, preventing anyone from driving up. The only way to get into the party was to FLY in! The party was a hit, luring the best pilots and a host of Hollywood stars. It prompted Glendale to consider building a public airfield. The Glendale Municipal Airport officially opened on March 17, 1923, and was commemorated with an air rodeo. Kinner Airplane and Motor Corporation was one of the first companies to move in at the new airfield. Kinner was known as a company that built affordable and reliable airplanes. One of their early customers was a young Amelia Ear.
写真は, Grand Central Air Terminal 引用。


グランド・セントラル・ターミナルGrand Central Terminal)とは、1913年にアメリカ、ニューヨーク市マンハッタン区に開業した鉄道のターミナル駅であるが、これと同じ名称をTWAは、ニューヨーク市の飛行場に使用した。このグランド・セントラル・ターミナルGrand Central Terminal)とは、年開業のTWAフライトセンター(TWA Flight Center:Trans World Flight Center)で、ニューヨーク市のJFK(John F. Kennedy)国際空港の飛行場、ホテル、商業施設などの複合施設である。


写真(上)2000年代、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアターミナル(Grand Central Air Terminal: GCAT))
:トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y)の基地となった。
Commercial aviation was just beginning to gain popularity in the early 1930s and no airline was more audacious than Transcontinental Air Transport (TAT). The company hired famed pilot Charles Lindbergh as an executive and promised 48 hour coast-to-coast service using a scheme of trains and planes to cross the country. Actress Mary Pickford christened the TAT Ford Tri-Motor in July 1929 at Grand Central Air Terminal using a bottle of grape juice instead of champagne due to Prohibition. The event marked the beginning of transcontinental air service between New York and Los Angeles (Glendale).
写真は, Grand Central Air Terminal 引用。


トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)は、アメリカ東のニューヨークと西のロスアンゼルスを結ぶ大陸横断航路を1930年代に開設しダグラス(Douglas)DC-1の用な高性能機を望んだが、この時から東西に同じグランド・セントラル・ターミナルGrand Central Terminal)と名付けた飛行場があった。

写真(右)1942年、太平洋戦争勃発直後、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、偽装用の迷彩塗装を施されたグランド・セントラル・エアポート(Grand Central Airport)(グレンデール・エアターミナル(GCAT))空港管制塔:整備士の服装をした兵士と女性補助員が管制塔の周りに集まっている。戦時中は、アメリカ陸軍航空隊の基地として活用された。
Photographic copy of reproduced photograph dated 1942. Exterior view, west elevation. Building camouflaged during World War II. - Grand Central Air Terminal, 1310 Air Way, Glendale, Los Angeles County, CA Depicted place California; Los Angeles County; Glendale Dimensions 4 x 5 in. Current location Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA http://hdl.loc.gov/loc.pnp/pp.print Accession number HABS CAL,19-GLEND,2-48.
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive File:Photographic copy of reproduced photograph dated 1942. Exterior view, west elevation. Building camouflaged during World War II. - Grand Central Air Terminal, 1310 Air Way, HABS CAL,19-GLEND,2-48.tif引用。


写真(右)1933-1939年前半、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアポート(Grand Central Airport)(グレンデール・エアターミナル(GCAT))、トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)ダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y):ダグラス(Douglas)DC-1試作機は、DC-2 輸送機の原型となった。実際にはDC-1とDC-2は同一機体の改造型といってよかった。
Douglas, DC-1 Title: Douglas, DC-1 Corporation Name: Douglas Aircraft Designation: DC-1 Tags: Douglas, DC-1 Additional Information: USA, Prototype developed into the DC-2 & 3.
写真は, SDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00091384引用。


ダグラスDouglas)DC-1は、ライト(Wright)R-1820-F3 サイクロン(Cyclone)を2基装備して、1933年7月1日に初飛行を成功させた。そして、その後の試験飛行や改修作業が行われたが、当時の世界の航空会社の主力旅客輸送機は、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機、ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)双発輸送機などアメリカ製が多かった。そこで、ダグラス社も世界の航空会社に対するダグラス(Douglas)DC-1/DC-2輸送機を喧伝し、売り込みを図った。イタリアのフィアット(Fiat)G. 18 Vの開発にも影響を与えたと考えられる。

写真(右)1939-1940年、アメリカTWA(Trans World Airline)航空のロゴを描いたダグラス(Douglas)DC-1 輸送機の機首:スイス航空の保管していた写真だが、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアポート(Grand Central Airport)(グレンデール・エアターミナル(GCAT))の空港管制塔を消去して写真に修正を加えている。機首側面にTWA(Transcontinental & Western Air)のロゴが記入されている。左主翼下面に登録コード:NC-223Yが、右主翼にTWA(Transcontinental & Western Air)も文字が記入されているようだ。
Douglas : DC-1 Manufacturer: Douglas Designation: DC-1 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives Catalog #: 00065463 引用。


ダグラス DC-2 大阪−台北間の“一日連絡”実現 : 空の旅のダイヤ・四月から改正 : 日曜、月曜も普通どおり運航大阪毎日新聞 Vol: 第 4巻 Page: 6 出版年 1936-02-27
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100108686

[1928年設立]日本航空輸送会社では定期航空輸送の運航ダイヤグラムを四月一日から夏季に改正実施するので逓信省関係当局と同社の間に具体案につき打合せを続けているが改正ダイヤによれば西日本における連絡時間の著しい短縮、自慢の国産ダグラス優秀大型旅客機の颯爽たるデビュなど航空日本の躍進が著しく目立っている、改正の重なる点は

一、大阪−新京および大連間の航空輸送一日連絡は大阪以西を一時間繰上げて下り便は大阪発午前六時、福岡着同八時、大連着午後三時となり、また日曜、月曜もダイヤ通り運航となる

一、福岡−台北間はダグラス[Douglas DC-2]優秀大型旅客機が一台乃至二台の就航によって大阪−台北間も一日連絡を実施する予定で下り便は福岡発午前八時十分、那覇発午後零時、台北着同四時、上り便は台北発がダグラス[Douglas DC-2]機のときは午前八時、フォッカー[Fokker F.VIIa]のときは午前五時発で午後二時半福岡に着き大阪行の上り便と連絡の予定である(東京発)(大阪−台北間の“一日連絡”実現 : 空の旅のダイヤ・四月から改正 : 日曜、月曜も普通どおり運航引用終わり)

写真(右)1933-1934年10月以前、トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(登録コード:NC 223Y) "City of Los Angeles"の機首貨物収納庫への貨物搭載作業(機首左側面):ダグラス(Douglas)DC-1は輸送機として採用された。DC-1機首には貨物室があったが、ここに荷物を収納するためには、機首に届く階段を据える必要があった。
Description English: Douglas DC-1 "City of Los Angeles" of TWA (aircraft registration NC 223Y). Français : Un des Douglas de la lignetranscontinentale reçoit son chargement de messageries accélérées. Date circa 1934 Source L'Illustration, volume 92, issue 4785, page 393, 1934-11-17 Author Anonymous.
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive File:Douglas DC-1 NC 223Y.jpg引用。


ダグラスDouglas)DC-1輸送機は全金属製、低翼の旅客機で1933年7月1日に試作機が初飛行した。ダグラス(Douglas)DC-1は、引込み式脚の降着装置で、ライト(Wright)R-1820-F3 サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒星型エンジン690 hp (510 kW)2基装備、12座席の旅客機で生産機数は1機のみである。

写真(右)1934-1938年、アメリカ西岸、カリフォルニア州ロサンゼルス市北15km、グレンデール(Glendale)、グランド・セントラル・エアポート(Grand Central Airport)(グレンデール・エアターミナル(GCAT))、、TWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)(後のトランスワールド)航空の飛行機格納庫前、舗装滑走路に待機するTWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(EC-AGN):ダグラス(Douglas)DC-1試作機は、1936年に、ハワードヒューズの所有になるTWAに売却され、1938年にはイギリスに再転売された。その後、イベリア航空に移籍されている。
Douglas : DC-1 Catalog #: 00065463 Manufacturer: Douglas Designation: DC-1 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065463引用。


登録コードNC-223Yの1機しか試作されなかったダグラス(Douglas)DC-1輸送機だが、TWAで新鋭旅客機として短期間使用されたのに、イギリス、さらにスペインのリベリア航空で民間輸送機として使用された実績を持っている。

写真(右)1938-1939年、スペイン、TWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)(後のトランスワールド)航空の飛行機格納庫前、舗装滑走路に待機するTWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(EC-AGN):機首側面にはないが、胴体後部側面にTWAのロゴが記入されている。垂直尾翼上部に登録コードNC-223Yが記載されている。
Douglas : DC-1 Catalog #: 00065463 Manufacturer: Douglas Designation: DC-1 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065452引用。


待望の台内間空路 あす処女大飛行 : 明春一月からダグラス機就航 : 空の新時代来る!中外商業新報 日本産業経済新聞 Vol: 第 3巻 Page: 185 出版年 1935-10-07
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100168571

内地台湾間の交通連絡に一新紀元を劃する内台定期飛行は愈々来る八日から先ず郵便貨物取扱いを以て実施されることになった、逓信省航空局を始め日本航空輸送会社は二日後に迫ったこの大事業開始第一日に備えるため異常の緊張を示し諸般の準備に忙殺されている

既に途中寄航の那覇飛行場には会社から鵜野、黒木の両氏が派遣され地上勤務員四名を督励して格納庫や修理工場、ガソリンタンク等の整備に努めているが福岡から一千六百十キロを十時間で連絡する航空機の飛来を待って台湾の飛行場台北では浅香支所長と武田営業所主任とが五名の地上勤務員と共に離着陸各般の設備を急いでいるが、台湾総督府はまたあらゆる便宜を提供して、これを応援している

このほか途中海洋上の不時着陸揚鹿ノ屋島にも二名の地上勤務員が配され、それぞれ部署を固めた、またこの航空路線下に当る富江、厳原、鹿児島、那覇、台北の各測候所では航空無線の諸手配を既に終り洋上の気象観測を刻々に航空中の飛行機へ無電で通知する係員の配置を終り何時の飛来にも対応する用意は出来た、この劃期的な内台飛行の皮切りは大森操縦士、阿辺副操縦士、田代機関士、森通信士が乗務するフォッカー三発動機[Fokker F.VII]BJOBで同機は去る三日に東京から福岡飛行場へ空輸され入念な手入れを受けて晴れの飛行の日を待っている

同機には児玉拓務大臣と望月逓信大臣から中川台湾総督に宛てたメッセージを始め日本航空輸送会社社長から台湾の要路十四名に宛てたメッセージを積み、貨物としては既に予約されている松茸の籠詰や浅草海苔その他を始め大阪からは雀寿司百五十人分が今のうちから初乗り飛行に受けつけられている

かくて内台飛行第一回の飛行機は午前七時福岡を離陸し零時十分那覇に着陸、午後一時同地発で午後五時台北飛行場へ到着する、この間十時間で汽船が四日間を要するのと比較すると夢のような現実である、これが毎週一往復ずつ来る十二月まで行われる、来春一月からは大空の超特急ダグラス機[Douglas DC-2]によって旅客輸送が開始されることになる、この内台連絡飛行は台湾文化の振興と産業開発に資するばかりではなく一方には南洋方面への交通伸展を助成する国際航空路の第一階梯ともなるもので各国からも注目されている (待望の台内間空路 あす処女大飛行 : 明春一月からダグラス機就航 : 空の新時代来る!引用終わり)

写真(右)1934-1939年前半、トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA)のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y)(後上方から撮影):左右主翼上面には登録コード(NC-223Y)もTWA(Transcontinental & Western Air)の文字も何も記入されていないる。
Douglas DC-1 SDASM CATALOG #: Blaine_00263 Title: Douglas DC-1 Collection: Miles Blaine Collection Repository : San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive SDASM CATALOG #: Blaine_00263引用。


DC-2ライト(Wright)R-1820-F3 サイクロン(Cyclone)は、1931年から実用化されたエンジンである。その後、カーチス・ライトは、ライト(Wright)R-1820-F3 サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジンを複列して18気筒化し排気量を2倍の3350立方インチの大型エンジンの開発を始めた。これがライト R-3350 サイクロン 18(Wright R-3350 Cyclone)である。

写真(右)1933-1940年、アメリカ、TWA航空のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(NC-C223Y)(後上方から撮影):左右主翼上面に登録コード:NC-223YもTWA(Transcontinental & Western Air)の文字が記入されていない、上と同一の写真。
Photographer: Swissair Title: Douglas DC-1 der TWA am Boden in Dübendorf
Caption: Dating: 1933-1940 Physical Description: Photography : nitrate-negative
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: 9 x 12 cm
Categories: Die DC-1 bei den ersten Testflügen 1933. Sie hatte noch schmale Vorflügel zwischen Motoren und Rumpf, die aber bald entfernt wurden, da sie keine Vorteile brachten. 1936 kam die DC-1 in den Besitz von Howard Hughes (Hauptaktionär der TWA), der sie 1938 nach England verkaufte. Via Bürgerkrieg in Spanien kam sie 1939 zur Iberia, wo sie im Dezember 1940 beim Start in Malaga verunglückte,
写真は, ETH-Zürich Record Name LBS_SR02-10643 引用。


ダグラスDouglas)DC-1 輸送機は1機のみ製造された。当初、ライト・サイクロンWright R-1820 Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン690hp2基と胴体の間にまだ狭いスラットがあったが、これは撤去された。

写真(右)1939-1940年、アメリカTWA(Trans World Airline)航空のロゴを描いたダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(登録コード:NC-223Y):雨の後、水たまりのある舗装滑走路に到着した旅客機から乗客が降機している。乗客はスーツ、ハットの紳士で、婦人は見えない。左主翼上面にTWA(Transcontinental & Western Air)も文字が記入されている。
Douglas : DC-1 Manufacturer: Douglas Designation: DC-1 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives Catalog #: 00065482 引用。


アメリカのトランス・ワールド航空(TWA)は、エンジン出力の向上、搭乗客数の2席増員の注文を付けて、ダグラスDouglas)DC-1/DC-2を20機発注した。このTWA仕様DC-1改修型がDC-2と、新しい名称で新型機として登場したのである。

写真(右)1934-1940年、アメリカTWA(Trans World Airline)航空所属のダグラス(Douglas)DC-1 輸送機の客室キャビン(12座席):DC-2(14座席)とほとんど同じ仕様である。
Photographer: Swissair Title: Kabine einer Douglas DC-1
Caption: Dating: 1933-1940 Physical Description: Photography : nitrate-negative
Colour: black and white Orientation: Vertical Format: 9 x 12 cm
Categories: Douglas DC-1, Product photography, Propeller-driven aircraft, Cabin, Swissair, Swissair Archive, Trans World Airline (TWA)
写真は, ETH-Zürich Record Name LBS_SR02-10641 引用。


ダグラスDouglas)DC-1 輸送機は1933年7月1日の初飛行で、性能は上々でDC(ダグラスコマーシャル)航空機の最初の成功作だった。テスト飛行後、DC-1は12人の乗客を輸送できる双発輸送機としてTWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air))航空が採用した。

しかし、TWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)(後のトランスワールド)航空が採用は、ダグラスDouglas)DC-1を14人の乗客増員することを要求し、20機を発注した。これが、新たにDC-2と命名された輸送機となる。

写真(右)1934年、アメリカ、TWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)(後のトランスワールド)航空のダグラス(Douglas)DC-1輸送機(登録コード:NC-223Y)の客室キャビン:モデルや社内重役が座席に座っているようで、宣伝用の写真撮影だが、実際の機内客室キャビンの様子がよくわかる。残念ながら、1930年代の日本の民間航空輸送の客室キャビンの様子は、写真など記録がほとんどないようだ。
Douglas : DC-2 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2.
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065453用。


TWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)(後のTWAトランスワールド)航空のダグラス(Douglas)DC-1輸送機(登録コード:NC-223Y)の客室キャビンは、中央通路、座席上の手荷物収納ネット(軽量化のためネットが使用されている)、座席上の通風孔、窓ガラスの遮光カーテンが配備されている。最後尾には、パーサーが乗客に新聞や雑誌を配布しているようだ。

写真(右)1934年、アメリカ、地面から見上げたTWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)(後のTWAトランスワールド)航空のダグラス(Douglas)DC-1輸送機(登録コード:NC-223Y):垂直尾翼上部に登録コードNC-223Yが、胴体前側面に宣伝文が記載されている。左主翼下面に登録コード:NC-223Yが記入されている。
Douglas : DC-2 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2.
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065456用。


トランスコンチネンタル・アンド・ウエスタン・エアー(Transcontinental & Western Air)は、アメリカ東部のニューヨークと西部のロスアンゼルスを結ぶ大陸横断航路を開設した航空業界である。この大陸横断航路は、途中、セントルイス(St. Louis),、カンザスシティー(Kansas City)などを経由するもので、フォードトライモーター(Ford Trimotor)が担っていた。そして、トランスコンチネンタル・アンド・ウエスタン・エアー(Transcontinental & Western Air)は、アメリカン航空(American)、ユーナイテッド航空(United)、イースタン航空(Eastern)と並んでアメリカの四大航空会社"Big Four" だった。11932年に、TWAは、低翼単葉の全金属製最新ダグラス(Douglas)DC-1輸送機を就役させ、その量産型DC-2、その大型化DC-3を導入して、本格的なアメリカ大陸横断航路に就役させ、その航空路線網をアメリカ全土に広げていった。

写真(右)1934年、アメリカ、舗装滑走路上のTWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)(後のTWAトランスワールド)航空のダグラス(Douglas)DC-1輸送機(登録コード:NC-223Y):機首側面と胴体後部側面にTWAのロゴが記入されている。左主翼下面に登録コード(NC-223Y)が記入されている。
Douglas : DC-2 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2.
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065449用。


1939年に、トランスコンチネンタル・アンド・ウエスタン・エアー(Trans World Airlines)は、大富豪の実業家で飛行家でもあるハワード・ヒューズ(Howard Hughes)に買収されたが、第二次世界大戦が勃発し、1941年12月にアメリがも参戦すると、アメリカ民間航空は飛行機と搭乗員をアメリカ軍に徴用されたために、民間航空は弱体化し、民間航路も衰退してしまった。しかし、1945年に第二次世界大戦に勝利したアメリカは、戦後の好況と、ヨーロッパ民間航空が戦争の痛手によって衰退したために、世界の航空業界を席巻するようになる。

1950年、フラッグキャリアのパンアメリカン航空が独占していた国際線航路への参入が認められると、トランス・ワールド・エアーTrans World Airlines)は、大西洋航路、中東航路、アジア航路を拡張し、世界一周航路の形成へと航路を拡大していった。そして、1950年代末から、ジェット旅客機ボーイング707を導入したTWA(Transcontinental & Western Air)は、世界一周路線の確立によって、パンアメリカン航空と並ぶアメリカのナショナルフラッグとみなされるようになった。他方、健康状態が悪化したヒューズは1966年に保有するTWA株の多くを売却し、TWAの経営権を手放し、新経営方針は収益性の低い路線を手放したために、TWAは、世界一周路線から撤退したのである。

写真(右)1934年、アメリカ、飛行するTWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air:後のトランスワールド)航空が採用したダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(登録コード:NC-223Y):飛行中なので、主翼形状と下面の様子がよくわかる。左主翼下面に登録コード:NC-223Yが、右主翼にTWA(Transcontinental & Western Air)も文字が記入されている。
Douglas : DC-2 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2.
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065492用。


ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)のTWA株の譲渡によって。経営方針が堅実なものとなったTWAは、1967年にホテルチェーンのヒルトン・インターナショナルを買収し、宿泊観光業への多角化を志向した。しかし、1980年代になるヨーロッパ航空業界の伸長の下、航空業・路線認可・路線価格の自由化が競争激化を招いたために、TWAの業績は悪化した。そして、TWAは、2001年にアメリカン航空に吸収合併され消滅した。

写真(右)1934年、アメリカ、カリフォルニア上空(?)、飛行するTWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air:後のTWAトランスワールド)航空が採用したダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(登録コード:NC-223Y):飛行中なので、主翼形状と下面の様子がよくわかる。右主翼上面に登録コードNC-223Yが、左主翼上面にTWA(Transcontinental & Western Air)も文字が記入されている。
Douglas : DC-2 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2.
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065455用。


TWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)航空のダグラス(Douglas)DC-1輸送機は、左主翼上面にTWA(Transcontinental & Western Air)の文字が、右主翼上面に登録コード(NC-223Y)が記入されている。他方、ダグラス(Douglas)DC-1の左主翼下面には登録コード(NC-223Y)が、右主翼下面にTWAの文字が記入されている。

写真(右)1938-1939年、スペイン、未舗装駐機場のイベリア航空(Iberia Airlines)ダグラス(Douglas)DC-1 輸送機(EC-AGN):ダグラス(Douglas)DC-1試作機は、1936年に、ハワードヒューズの所有になるTWAに売却され、1938年にはイギリスに再転売された。その後、イベリア航空に移籍されている。
Description EC-AGN Date 23 June 2004, 14:05:57 Source Flickr: DC- 1 Author Iberia Airlines.
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00091384引用。


イギリスでは、乗員2人、乗客14人のダグラス(Douglas)DC-1輸送機機を短期間使用したことがある。このDC-2は、民間機の登録コードX223Y、製造番号c/n 1137で、1933年7月1日に初飛行した機体である。完成後、まずアメリカの民間航空TWAで、そしてその富豪ハワード・ヒューズの個人機としてアメリカにあったが、1938年5月に、イギリスのフォーブズ卿に売却された。このフォーブズ卿の個人機のダグラス(Douglas)DC-1輸送機は、1938年7月29日、民間登録コードG-AFIFとして、イギリス、ロンドン南部、クロイドン(Croydon)を基地とした。しかし、1938年9月にはフランスに売却され、すぐにスペインのスペイン航空便ライナーのEC-AGIの登録コードを得た。そして、1940年にイベリア航空に移転し、ダグラス(Douglas)DC-1「ネグロン」登録コードEC-AAEとなった。この機体は、1940年12月に1940年12月にスペイン南部マラガで事故を起こし破棄された。


2.ダグラス(Douglas)DC-2 輸送機の登場

写真(右)1934年、アメリカ、完成したばかりの無塗装のダグラス(Douglas)DC-2 輸送機:空港ビルの上からの撮影なので、上面の様子がよくわかる。
Douglas : DC-2 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2.
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065473用。


ダグラスDouglasDC-2輸送機は、ダグラス(Douglas)DC-1の改良型で1934年5月11日に初飛行し、その直後の5月18日にTWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)(後のトランスワールド)航空に採用された。そして、KLMオランダ航空とパンアメリカン航空(Pan American Airways)が採用を決めた。軍用仕様のC-39輸送機35機も含めて、1934年から1939年にかけて198機が生産された。

写真(右)1934年、アメリカ、完成したばかりのダグラス(Douglas)DC-2 輸送機:飛行中の機体で、主翼にはDOUGLASと会社名とDC-2と機種名を記載している。
Douglas : DC-2 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2.
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065488用。


ダグラスDouglas)社が開発したDC-1は、ジェームス・キンデルバーガー、ジャック・ノースロップが設計した引き込み脚、全金属製、低翼の新技術を取り入れた双発輸送機で1933年6月1日に試作1号機のDC-1が初飛行した。発動機は、ライト・サイクロンWright R-1820 Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン690hp2基で可変ピッチ金属プロペラを装備した乗客12座席の旅客輸送機であった

TWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)航空は、1928年に設立で、当時は世界周遊はできない状況であり、「アメリカ大陸横断航路」を開設を企図して大西洋横断飛行を達成したチャールズ・リンドバーグを顧問に迎えるなど、顧客開拓や営業面にも重視していた。

TWAトランスコンチネンタル・エアー・トランスポート(Transcontinental & Western Air)航空は、1932年に、全金属製の低翼、引き込み脚のダグラスDC-1を採用した。その後もTWAは、引き続きダグラス(Douglas)DC-2とDC-3を導入し、アメリカ東部のオハイオ州コロンバス(Columbus)=ピッツバーグ=ニューアーク航路、アメリカ大陸横断路航路を開設した。

写真(右)1939年6月、アメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコ空港(San Francisco International Airport)、 TWAトランスコンチネンタル航空のダグラス(Douglas)DC-2 輸送機(登録コード:N1934D)
Description DC-2twaSF Date June 1939
Source DC-2twaSF Author Bill Larkins
写真は, Wikimedia Commons, Author John Murphy File:DC-2twaSF (4422982706).jpg引用。


アメリカの航空会社トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines: TWA) は、ダグラス(Douglas)DC-1に満足したが、エンジン出力向上、機体延長による2座席増の14座席の確保を要求し、この仕様で20機を発注した。そこで、ダグラスDouglas)社はダグラス(Douglas)DC-1を原型に若干の改修を施し、これを新鋭機ダグラス(Douglas)DC-2と命名して、生産した。

ダグラス DC-2 したがって、DC-2輸送機も、全金属製、低翼、引込み式脚の降着装置の旅客輸送機であり、胴体が延長され、発動機も同じライト・サイクロン Wright R-1820-F52 サイクロン(Cyclone) 710 hp (652 kW)搭載で、1934年5月11日に試作機が初飛行した。フィアット(Fiat)G. 18 Vは、その1年後の初飛行で、エンジン出力は向上されている。

ダグラス(Douglas DC-2)の性能
最高速力Maximum speed: 210 mph (340 km/h, 180 kn) at 8,000 ft (2,400 m)
巡行速力Cruise speed: 190 mph (310 km/h, 170 kn) at 8,000 ft (2,400 m)
航続距離Range: 1,000 mi (1,600 km, 870 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 22,450 ft (6,840 m)
上昇率Rate of climb: 1,000 ft/min (5.1 m/s)
翼面荷重Wing loading: 19.8 lb/sq ft (97 kg/m2)
出力重量比Power/mass: 0.082 hp/lb (0.135 kW/kg)

⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)DC-2輸送機を見る。



3.軍用仕様ダグラス(Douglas)C-39輸送機

アメリカ陸軍航空隊のダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機は、35機が生産されただけだったが、DC-2とDC-3のハイブリッド型輸送機であり、第二次世界大戦で大活躍したC-47軍用輸送機の先行生産型といえる。

写真(右)1939-1942年頃、アメリカ、未舗装滑走路で待機しているアメリカ陸軍航空隊C-39軍用輸送機:ダグラス(Douglas)DC-2 輸送機の軍用仕様。日差しが強いので主翼の下の日陰で搭乗員たちが待機しているのか。後方には、飛行格納庫やその他の施設が見えている。
Douglas : C-39 : Manufacturer: Douglas Designation: C-39
Source The last flying Douglas DC-2
写真は,SDASM Archives, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00012890引用。


ダグラス DC-2 欧州軍用機 アメリカ陸軍航空隊が採用したダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機は、DC-2民間輸送機よりも悪条件での戦場での使用が想定されていたために、降着装置の強度をより高めて、堅固なものとし、さらに貨物室の内装を簡易化する一方で、強度を向上している。

民間旅客機DC-2は機首に照明灯2個を装備し、夜間着陸や夜間の運用の便を図っていた。しかし、DC-2軍用仕様のC-39輸送機は、照明灯を撤去している。その理由は、
1)敵から発見されやすいため、
2)量産性向上のため、
という2つの理由である。

⇒写真集Album:アメリカ陸軍C-39輸送機を見る。


4.スイス山岳観光地のダグラス(Douglas)DC-2 旅客機

写真(右)1935年2月12日、スイス、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港とサンクトガレン州シュメリコンの間の山腹上空を飛行するスイス航空ダグラスDC-2(機体コード:115-B, 登録コード:HB-ITE)
Photographer: Swissair Title: Douglas DC-2 115-B, HB-ITI im Flug über dem Müllerspitz / Gschwendli oberhalb Reichenburg Dating: 12.2.1935 Photography : glass-plate negative Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: 13 x 18 cm
写真は, ETH-Zürich Record Name LBS_SR02-10683 引用。


飛行するスイス航空ダグラスDC-2の一連の写真は、随伴する僚機から撮影することになるが、経費が掛かる。そこで、天候や飛行ルートを事前に計画して、プロの写真家に依頼して多数の撮影をし宣伝用に使用した。

飛行するスイス航空ダグラスDC-2の一連の写真は、天候の急変しやすい山岳地上空での撮影が多数含まれる。天候や飛行ルートを見計らって撮影したのであろう。

サメダンSamedan)には、山岳地と湖沼に面して、ゴルフ場、スキー場があり、四季を通じて楽しめる観光地である。かいます。サメダンという街有名なサンモリッツへは鉄道15分、自動車30であるが、より小柄な静かなリゾートである。しかし、高級ホテルもあって、1935年には、ロンドン=サメダン間のダグラスDC-2輸送機による直行便が就航していた。

⇒写真集Album:スイス航空山岳観光ダグラス(Douglas)DC-2輸送機を見る。


5.胴体拡大ダグラス(Douglas)DC-3輸送機

写真(右)1936年7月−10月、アメリカ東部、ニュー・ジャージー州、ニューヨーク市=フィラデルフィア市中間、レイクハースト(Lakehurst)飛行場、アメリカン航空(AA:American Airlines)所属ダグラス(Douglas)DC-3輸送機(登録コード:NC16001)とドイツから飛来したツェッペリン飛行船「ヒンデンブルク」Hindenburg (D-LZ 129)
Douglas, DC-3 Catalog #: 01_00091372 Title: Douglas, DC-3 Corporation Name: Douglas Aircraft Designation: DC-3 Tags: Douglas, DC-3 Additional Information: USA, First DC-3 in civil service. Airship Hindenburg (D-LZ 129) in background. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Stig Jarlevik 8y Hindenburg made its first flight to USA in May (arrived 20th and departed on the 21st) and in all a total of 10 flights (final one in October), all to Lakehurst. She made just one flight in 1937 and how that one ended we all know! NC16001 was delivered to AA June 6th in 1936. So the picture is taken somewhere between July 2nd and October 10th 1936 at Lakehurst, all according to the log of Hindenburg.
写真はFlickr, SDASM Archives 引用。


ダグラス(Douglas)DC-3輸送機は、寝台輸送機として開発され、初飛行は1935年12月17日で、運行開始は1936年からである。1933年7月1日初飛行のダグラス(Douglas)DC-1の初飛行から2年半後だった。しかし、その後、搭乗14人の寝台型は少数の生産にとどまり、多くは21人乗りの旅客輸送機として、アメリカの主要航空会社に採用された。民間輸送機DC3としての生産機数は600機である。

写真(右)1932年以降、アメリカ、ニューヨーク州、マンハッタン上空を飛翔するアメリカン航空(AA:American Airlines)所属ダグラス(Douglas)DC-3 輸送機:1913年竣工ウールワースビル(57階建て/高さ241m)、1930年竣工クライスラービル(77階319m)、1931年竣工エンパイア・ステート・ビルディング(102階381m)、1932年竣工シティーズ・サービスビル(66階296m)など摩天楼を眼下にした豪華な飛行を演出した宣伝用の彩色写真である。
curatorial image pictionid 60919585 - Flagship Over Manhattan- American Airlines the flagship Rochester Douglas DC-3 artist Robert Watts print 1731000 - titlearray - filename 050510.all.009 cropped.jpg -Image from the SDASM Curatorial Collection.Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive 用。


ダグラス(Douglas)DC-3輸送機は、寝台輸送機として開発され、初飛行は1935年12月17日で、運行開始は1936年からである。しかし、その後、搭乗14人の寝台型は少数の生産にとどまり、多くは21人乗りの旅客輸送機として、アメリカの主要航空会社に採用された。民間輸送機ダグラス(Douglas)DC-3輸送機としての生産機数は600機である。

写真(右)1938年2月1日、アメリカ東部、ニューヨーク州、ニューヨーク市の摩天楼エンパイヤーステイトビル(Empire State Building)上空を低空飛行するユナイテッド航空(United Air Lines)ダグラス(Douglas)DC-3輸送機「メインライナー」(The Mainliner): ニューヨーク市マンハッタン区の「エンパイア・ステート・ビルディング」は地上381 m、102階、1931年4月11日開業である。
DC-3 pictionid66051246 - catalogdc-3.jpg - title douglas dc-3 - filenamedc-3.jpg---Born Digital Image. .Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, SDASM Archives 引用。


1937年、ユナイテッド航空(United Air Lines)は、新鋭機ダグラス(Douglas)DC-3「メインライナー」(The Mainliner)を公開した。これは航続距離 1,500 マイルで、ニューヨーク=サンフランシスコを16 時間で飛行した。ただし、ノンストップではなく、途中 3 回の給油を行った。ダグラス(Douglas)DC-3輸送機は、標準型の21 人乗りコーチ、寝台型の14 人用の折りたたみ式寝台付き寝台飛行機、豪華型の回転座席付き「スカイラウンジ」の3種類があった。

写真(右)1939年8月31日、アメリカ東部、ニューヨーク港、フランス客船「フラファイエット」(USS Lafayette)上空を飛翔するTWA航空(トランス・ワールド航空:Trans World Airlines)所属のダグラス(Douglas)DC-3輸送機:1935年建造のフランス客船「ノルマンディー (SS Normandie)」は、総トン数8万トン、速力30ノット、総トン数8万トンの大型高速豪華客船で、1939年8月31日、ニューヨーク港に到着したが、9月1日、第二次世界大戦が勃発、1940年6月にフランスがドイツに降伏したため、海外にあったフランス艦船として処遇が問題になった。アメリカが中立を維持している間は、フランス客船「ノルマンディー (SS Normandie)」はそのまま停泊を続けたが、1941年12月、アメリカが参戦すると、アメリカは、本船を接収して、「ラファイエット(USS Lafayette)」と改名し、兵員輸送船として改修されることになった。
Douglas, DC-3 Catalog #: 00065581 Title: Douglas, DC-3 Corporation Name: Douglas Aircraft Designation: DC-3
写真はFlickr, SDASM Archives 引用。


フランス客船「ノルマンディー (SS Normandie)」は、 1935年建造の総トン数8万トン、速力30ノット、総トン数8万トンの大型高速豪華客船で、旅客は1等室848名、ツーリスト室670名、3等室454名の合計1,972名、乗組員1,345名だった。1939年8月31日、139次航海としてニューヨーク港に到着したが、9月3日フランスはドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦がはじまった。1940年6月にフランスがドイツに降伏したため、アメリカ、ニューヨーク港にあったフランス艦船として処遇が問題になった。アメリカは、第二次大戦には中立の立場だったため、フランス客船「ノルマンディー (SS Normandie)」はそのまま停泊を続けたが、1941年12月11日にドイツがアメリカに宣戦布告したため、アメリカは、本選を接収して、「ラファイエット(USS Lafayette)」と改名し、兵員輸送船として改修されることになった。しかし、船内の改装作業途上の「ラファイエット(USS Lafayette)」は、1942年2月9日、船内火災が発生した。そして、消火作業による流水によって、翌日転覆した。復旧出来ないまま、戦後解体された。

図(右)1938年頃、アメリカ、ダグラス(Douglas)DST(Douglas Sleeper Transport)寝台輸送機のキャビン内部構造:2列7寝台で14名の乗客が寝台個室に搭乗できる。DC3輸送機は、1935年12月初飛行。DC3旅客機は、標準型の21 人乗りコーチ、寝台型の14 人用の折りたたみ式寝台付き寝台飛行機、豪華型の回転座席付き「スカイラウンジ」の3種類があった。
Douglas : DC-3 Catalog #: 00065577 Manufacturer: Douglas Designation: DC-3 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, SDASM Archives 引用。


ダグラス(Douglas)DC-3輸送機の原型は、 DST(Douglas Sleeper Transport)で、この機体は寝台14名分を二段ベットとして2列14寝台を配置した。DST(Douglas Sleeper Transport)は、アメリカン航空で1936年6月25日に就航した。そして、DST(Douglas Sleeper Transport)の寝台を乗客座席に変更したのがDC-3輸送機で、座席配置は3列7行21座席を確保することができた。DC-3輸送機もアメリカン航空によって採用され1936年9月に就航したのである。ダグラス(Douglas)DC-3輸送機は、DC-2の拡張型で、胴体幅が若干拡大され座席数は14席から21席に5割も増加したが、技術的にはDC-2と変わりがなく、燃費と製造コストはそれほど悪化しなかった。

つまり、旅客機の乗客さえ確保できれば、ダグラス(Douglas)DC-2よりもダグラス(Douglas)DC-3輸送機の方が経済効率が高く、収益を上げることができた。こうして、ダグラス(Douglas)DC-3輸送機は、戦前から1941年6月の太平洋戦争勃発までに、アメリカのTWA、ユナイテッド航空、イースタン航空、デルタ航空のほかにも、スイス航空、KLMオランダ航空、日本航空輸送から採用された。

写真(右)1938年頃、アメリカ、運行中のダグラス(Douglas)DC-3輸送機の「スカイラウンジ」仕様の豪華客室キャビン:回転座席付き「スカイラウンジ」2列7座で14名の乗客が搭乗できる。DC3輸送機は、1935年12月初飛行。
Douglas : DC-3 Catalog #: 00065550 Manufacturer: Douglas Designation: DC-3 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, SDASM Archives 引用。


写真(右)1938年頃、アメリカ、運行中のダグラス(Douglas)DC-3輸送機の客室キャビン:3列7座で21名の乗客が搭乗できる。DC3輸送機は、1935年12月初飛行。
Douglas : DC-3 Catalog #: 00065551 Manufacturer: Douglas Designation: DC-3 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, SDASM Archives 引用。


1937年に運航を開始した新鋭機ダグラス(Douglas)DC-3旅客機は、標準型の21 人乗りコーチ、寝台型の14 人用の折りたたみ式寝台付き寝台飛行機、豪華型の回転座席付き「スカイラウンジ」の3種類があった。

1937年、ユナイテッド航空(United Air Lines)は、新鋭機ダグラス(Douglas)DC-3「メインライナー」(The Mainliner)を公開した。これは航続距離 1,500 マイルで、ニューヨーク=サンフランシスコを16 時間で飛行した。ただし、ノンストップではなく、途中 3 回の給油を行った。

写真(右)1938年頃、アメリカ、運行中のダグラス(Douglas)DC-3輸送機の客室キャビン:3列7座で21名の乗客が搭乗できる。DC3輸送機は、1935年12月初飛行。
Douglas : DC-3 Catalog #: 00065539 Manufacturer: Douglas Designation: DC-3 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, SDASM Archives 引用。


第二次世界大戦勃発が危惧される中で、ダグラス(Douglas)DC-3輸送機は、アメリカ陸海軍で軍用仕様が制式され、陸軍ではC-47スカイトレイン輸送機、海軍ではR4D輸送機と命名がなされ、合計1万機以上が大量生産された。

さらに、ダグラス(Douglas)DC-3輸送機は、ソビエト連邦でリースノフ(Lisunov) Li-2と命名され5000機が、日本で零式輸送機(L2D)と命名され487機がライセンス生産されている。

写真(右)1937-1948年4月、スイス、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港の空港ビルから眺めたスイス航空(Swissair)のダグラス(Douglas)DC-3輸送機(機体コード:227A, 登録コード:HB-IRO) の左上面:一部氷結した舗装滑走路の上に待機している。胴体はDC-2よりも太く、客室キャビンには座席が3列7座席の合計21座席が配置されている。垂直尾翼には赤地に白十字のスイス国籍マークが描かれている。機首にSwissair、胴体側面にSWISS Air LINESの文字が記入されている。胴体後方側面にHBーIROの文字が記入されている。主翼左にHBー、主翼右にIROの文字が記入されている。胴体コックピット上面に無線アンテナ支柱と環状ループ方位測定アンテナが設けられている。
Photographer: Swissair Title: Douglas DC-3-227A, HB-IRO in European service on the ground in Dübendorf Original title: Ohne Titel Caption: From above Dating: 1938-1948
写真は, ETH-Zürich LBS_SR01-01370引用。


写真(右)1937-1948年4月、スイス、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港の空港ビルから眺めたスイス航空(Swissair)のダグラス(Douglas)DC-3輸送機(機体コード:227A, 登録コード:HB-IRO) の右上面:コックピット上面に無線アンテナ支柱と環状ループ方位測定アンテナが設けられている。機首右に移動式点検台が置かれていて、地上勤務員が機首を点検している。主翼左にHBー、主翼右にIROの文字が記入されている。機首にSwissair、胴体側面にSWISS Air LINESの文字が記入されている。胴体後方側面にHBーIROの文字が記入されている。滑走路には氷が張っているが、上の写真とほぼ同じ形状なので、同一時期の撮影であることが確認できる。
Zuschauerterrasse und die Douglas DC-2 115-B, HB-ITA, Douglas DC-3-216, HB-IRI und De Havilland Dragon DH-89, HB-APA auf dem Flugplatz Dübendorf
Photographer: Swissair Title: Douglas DC-3-227A, HB-IRO on the ground in Dübendorf, from above Original title: Ohne Titel Caption: Contemporary picture description of Swissair marketing: "Douglas DC-3 HB-IRO, picture taken in front of the shipyard. At the wing leading edges, the rubber de-icers are clearly visible; these consist of various air chambers which are alternately inflated so that the ice formed on them is broken and thus falls away." Dating: 1938-1948
写真は, ETH-Zürich LBS_SR01-01374引用。


写真(右)1937-1948年4月、スイス、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港の空港ビルから眺めたスイス航空(Swissair)のデハビランド(De Havilland)ドラゴン(Dragon)DH-89(登録コード:HB-APA)輸送機、DC-3輸送機(機体コード:226, 登録コード:HB-IRI) と奥のもう1機のダグラスDC-3輸送機(機体コード:216, 登録コード:HB-IRA)(最奥左):原典(誤)「DC-2 115-B, HB-ITA」⇒正「DC-3-216, HB-IRA」手前のフェンスのうち側では見送りや見物の人々が集まり、右には登場する乗客が待機している。ただし、右のDC-3の昇降口には乗客がすでに集まっている。
Zuschauerterrasse und die Douglas DC-2 115-B, HB-ITA, Douglas DC-3-216, HB-IRI und De Havilland Dragon DH-89, HB-APA auf dem Flugplatz Dübendorf
Photographer Swissair Dating 1937-1948
Caption Die Fracht ist vom Camion in die HB-IRO umgeladen worden
Physical Description Fotografie : Nitratnegativ Format 6 x 6 cm Colour schwarz/weiss
Orientation Square Categories Douglas DC-2 115-B, HB-ITA, Reportage photography, Dübendorf, Douglas DC-3-216, HB-IRA, Aerodrome Dübendorf, de Havilland Dragon Rapide D.H. 89A, HB-APA
写真は, ETH-Zürich LBS_SR01-01065引用。


2機のDC-3輸送機(機体コード:216, 登録コード:HB-IRA)と(機体コード:216, 登録コード:HB-IRA)は、1937年6月にスイス航空が1機当たり52万7000スイス・フランで新規購入した機体である。前者・後者ともに、1955年3月にアメリカのオザーク航空(Ozark Air Lines)売却された。オザーク航空は1986年10月にTWAに買収され、TWAは2001年にアメリカン航空に合併された。

デハビランドDH.89 デハビランド(De Havilland)ドラゴン(Dragon)ラピードDH-89複葉機は、1934年4月17日に初飛行した木製・複葉羽布張り主翼・固定脚という堅実な設計だった。全長10.5 m、全幅14.6 m、全高3.1 m、主翼面積32 m²、空虚重量1,460 kg、全備重量2,490 kgで、発動機製自社のデハビランド(De Havilland)ジプシークイン(Gipsy Queen)空冷6気筒エンジン205 hp (153 kW)2基を搭載し、乗客8名、最高速力253 km/h、航続距離920 kmだった。

wikipediaでは「ドラゴン・ラピードは主に近距離旅客機として運用され、戦時中は軍事用として運用された。またイギリスで1930年代に開発されたほかの航空機よりも操縦性に優れていたため、最も商業的成功を収めた機体であった。」と説明しているが、デハビランド(De Havilland)ドラゴン(Dragon)DH-89複葉機は、民間旅客機としては200機程度の生産で、その後、第二次世界大戦中はイギリス空軍にデハビランド・ドミニエ機上練習機として制式され、500機が生産された。つまり、民間旅客機と練習機と合計でデハビランドDH-89複葉機は、727機が量産され、1946年の生産終了後も堅牢な構造を生かして、長期間、世界中で活躍し続けた。

写真(右)1946年4月16日、スイス、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港の空港ビルから眺めたスイス航空(Swissair)ダグラス(Douglas)DC-3輸送機(登録コード:HB-IRB)、DC-3輸送機(機体コード:227A, 登録コード:HB-IRO) と奥のダグラスDC-2(機体コード:115-B, 登録コード:HB-ITO)(最奥)とダグラス:DC-2もDC-3ともに10年間もスイス航空に就航しているベテランである。
Douglas DC-3-227A, HB-IRO und Douglas DC-3D, HB-IRB sowie Douglas DC-2 115-B, HB-ITEPhotographer
Photographer Swissair Dating 25.4.1946
Caption Die Fracht ist vom Camion in die HB-IRO umgeladen worden
Physical Description Fotografie : Nitratnegativ Format 6 x 6 cm Colour schwarz/weiss
Orientation Quadrat Categories ◾Sachkatalog > Verkehrsmittel > Luftverkehr > Flugzeugtyp nach Hersteller > Douglas > Douglas DC-2 115-B, HB-ITE
写真は, ETH-Zürich LBS_SR01-03075 引用。


写真(右)1950年10月9日、オランダ、アムステルダム空港(?)、KLMオランダ航空(Delta Air Lines)のダグラス(Douglas)DC-4輸送機(中央の丸窓)とオランダエア(Aero-Holland)(Douglas)DC-3ダコダ双発輸送機PH-TFA (手前と奥の四角窓の2機):オランダエア(Aero-Holland)は 1949年から1953年までオランダ始発の飛行機を運航していた。1949年11月20日、オランダエアのダグラスDC-3ダコダ双発輸送機がノルウェーで墜落事故を起こし、34名が死亡、1名が生き残った。
Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Anefo
Reportage / Serie : [ onbekend ] Beschrijving : Dakota van de "Aero-Holland"
Datum : 2 april 1948 Instellingsnaam : Dakota
Fotograaf : Vrind, Luuk / Anefo Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Negatief (zwart/wit) Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.01.04
Bestanddeelnummer : 902-6664 Date 2 April 1948
Bestanddeelnummer : 050-0763
Date 9 October 1950
Author Anefo .
写真は Wikimedia Commons, Category:Douglas DC-4 of KLM・File:Japanse krijgsgevangen halen de zakken uit het vliegtuig en laden ze op vrachtwa, Bestanddeelnr 115-5-5.jpg引用。


ダグラスDSTDouglas Sleeper Transport)は、寝台14名分を二段ベットとして2列14寝台を配置した。DSTは、アメリカン航空で1936年6月25日に就航した。そして、DSTの寝台を乗客座席に変更したのがDC-3輸送機で、座席配置は3列7行21座席を確保することができた。DC-3輸送機もアメリカン航空によって採用され1936年9月に就航した。こうして、DC-3は、1941年末の太平洋戦争勃発までに、アメリカのTWA、ユナイテッド航空、イースタン航空、デルタ航空、スイス航空、KLMオランダ航空、日本航空輸送から採用された。

⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)DC-3輸送機を見る。


6.DC-2の手本ボーイング(Boeing)247輸送機

写真(右)1934年10月、マックロバートソン飛行レースに出場したボーイング(Boeing)247 D 輸送機レースナンバー5番(左)とイギリスのデハビランド(de Havilland)DH.88 コメット(Comet):1934年10月のイギリス=オーストラリア長距離(1万1,300マイル:1万8,200 km)飛行レースのマックロバートソン飛行レース(MacRobertson Air Race)に尾翼のレース参加番号5番で出場した。イギリスのデハビランド(de Havilland)DH.88 コメット(Comet)双発レーサー専用機(G-ACSS)で1934年9月8日初飛行したがレーサー専用機であって、商業機でも量産機でもない。、垂直尾翼には、翼のついたボーイングのロゴとレースナンバー5番が記入されている。また、製造番号c/rのNR257Yも記入されている。
Charles M. Daniels Collection Photo Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Boeing 247D Daniels Album Name: Roscoe Turner IV Album Page #: 7 Notes From Album: Roscoe Turner's Boeing 247D, NR257Y.
写真は, SDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_001173引用。


ボーイング(Boeing)247輸送機は,それ以前、アメリカで国産され広く使用されていた1926年6月11日初飛行の肩翼式フォード・トライモータ(Ford Trimotor)三発輸送機の最高速力212 km/hより100 km/hも高速で、航続距離820kmより長距離の1207kmを飛ぶことができた。客室キャビンの座席は、2列5行の10席が確保され、アメリカ大陸飛行も可能だった。

1934年10月のイギリス=オーストラリア長距離(1万1,300マイル:1万8,200 km)マックロバートソン飛行レース(MacRobertson Air Race)に参加したボーイング(Boeing)247 D 輸送機レースナンバー5番(製造番号c/r:NR257Y)は、アメリカからイギリスまで大西洋を海路横断するときに、すでに垂直尾翼にレース参加番号5番、翼のついたボーイングのロゴ、登録コードc/r:NR257Yが記入されている。

写真(右)1934-1938年頃、アメリカ、マックロバートソン飛行レースに出場したボーイング(Boeing)247 D 輸送機。右翼上面に大きく登録コードc/r NR257Yが記入されている。:1934年10月のイギリス=オーストラリア長距離(1万1,300マイル:1万8,200 km)飛行レースのマックロバートソン飛行レース(MacRobertson Air Race)に尾翼のレース参加番号5番で出場した。レース結果は、輸送機部門台2位、総合第3位に入った。胴体側面には、ユナイテッド航空のロゴもマックロバートソン飛行レースのロゴもない。しかし、垂直尾翼には、翼のついたボーイングのロゴが描かれている。また、製造番号c/rのNR257Yも記入されている。。
Boeing, 247 Title: Boeing, 247 Manufacturer: Boeing Designation: 247 Official Nickname: Notes: In Flight Repository : San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は, SDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00061517引用。


ボーイング(Boeing)247 D 輸送機(製造番号c/r NR257Y)は、1934年10月のマックロバートソン飛行レース(MacRobertson Air Race)、飛行距離1万1,300マイル(1万8,200 km)、賞金1万5,000ポンド、に出場した。この機体は、長距離飛行用に量産型に8個の燃料タンクを増設したもので、レースナンバー5番をもらっている。

ボーイング(Boeing)247輸送機の発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1340 S1H1-G ワスプ(Wasp)空冷星形9気筒エンジン500 hp (370 kW) 2基である。プロペラは2翅可変ピッチだが、後期型は3翅に変更されている。

ボーイング(Boeing)247輸送機は、全金属構造、引き込み脚の降着装置、低翼の最新技術を実用化した高速輸送機で1933年2月8日に初飛行した。当時は、金属骨格に木製あるいは羽布張、複葉、固定脚の飛行機が多かったことを思うと、民間旅客輸送機で、このような最新技術を実用化したのは、驚異的だった。

写真(右)1933-1939年頃、アメリカ、ボーイング(Boeing)247 輸送機の客室キャビン:宣伝用の撮影であろうが、乗客1名ずつに日除けカーテン付きのガラス窓が設けられている。座席には、ひじ掛けがついている。キャビンは狭いので、上部天井に荷物棚はないが、上部に小型荷物用のネット、側面に帽子掛けはついている。短時間、少人数の乗客のであっても、一流のサービスを好む金持ち用に若い美人女性のホステス(スチュワーデス)がついている。
Bill Boeing Jr. Image Model 247 passengers 80284941 San Diego Air and Space International Hall of Fame Inductee Image.-please tag these images so the information could be recorded in our DAMS-Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)-.
写真は, SDASM Archives  San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ボーイング(Boeing)247 輸送機の客室キャビンには、乗客1名ずつに日除けカーテン付きのガラス窓が設けられている。座席は、クッションとひじ掛けがあり、座席ベルトも備わっている。上部に小型荷物用のネット、側面に帽子掛けがついている。

ボーイング(Boeing)247輸送機は,それ以前、アメリカで国産され広く使用されていた1926年6月11日初飛行の肩翼式フォード・トライモータ(Ford Trimotor)三発輸送機の最高速力212 km/hより100 km/hも高速で、航続距離820kmより長距離の1207kmを飛ぶことができた。斬新なデザインの旅客輸送機である。また、搭乗できる乗客数も10名で、客室キャビンの座席は、2列5行の10席が確保され、アメリカ大陸飛行も可能だった。

こうして、ボーイング(Boeing)247輸送機は、ユナイテッド航空によって採用され、60機が350万ドルで発注された。また、ドイツルフトハンザ航空(Lufthansa)が2機、中華民国が1機、コロンビアのアビアンカ航空(Avianca )が10機、を発注している。

⇒写真集Album:ボーイング(Boeing)247 輸送機を見る。



7.DC2を手本にしたフィアット(Fiat)G. 18 輸送機


写真(右)1935-1940年頃,イタリア、イタリア航空(Avio Linee Italiane :ALI)所属フィアット(Fiat)G. 18 双発旅客輸送機(I-ETNA)
:フィアット(Fiat)G. 18の空冷星形9気筒エンジンを搭載した初期型は3基製造された。機体の胴体側面には9個のガラス窓が並んでいるが、客席9座席左右2列18席ある。主翼にも胴体にも国籍記章が描かれていない。降着装置の支柱などの構造は、ダグラスDC-2/DC-3輸送機に酷似している。1935年3月18日初飛行で、生産数9機のみ。
Italiano: Fiat G-18 con marche I-ETNA, numero si serie 3, della ALI Avio Linee Italiane; il velivolo compì il primo volo nel 1935 e rimase distrutto in un incidente di prova presso Milano il 16 novembre 1942 Date 18 September 2007, 18:13:46 Source Own work Author Paolobon140
写真はWikimedia Commons, Category:Fiat G.18 File:Fiat G-18 I-ETNA.jpg引用。


フィアット(Fiat)G. 18旅客輸送機は、ジュゼッペ・ガブリエッリGiuseppe Gabrielli)技師の設計でフィアット A.59空冷星形9気筒エンジン750hpを装備した原型で3機製造された。全金属製低翼機、引込み式降着装置を装備し、ダグラスDC-2に匹敵する斬新なデザインだった。

G.18は1937年2月26日に初飛行したが、発動機の出力が低かったため、換装してフィアットA.80空冷星型14気筒エンジン 1,000 hp(750 kW)(排気量45.72L)2基を搭載した発展型G.18Vが作られた。しかし、初期型G.18は3機、発展型G.18Vも6機が製造されただけだった。

アメリカのダグラス(Douglas)DC-2輸送機は、全金属製、引込み脚式降着装置を備え低翼式で、1934年5月11日に初飛行した。1年後、1935年3月11日初飛行のイタリアフィアット(Fiat)G.18は、アメリカで1年前に開発されたDC-2と前後反対の低翼形状(空力学的には同様の効果がある)、同じ構造の引込み式降着装置と尾翼を備え、スケールも似ている。フィアット(Fiat)G.18は、このダグラス(Douglas)DC-2輸送機の技術を取り込んで開発されたイタリア機であると考えられる。

ダグラス(Douglas)DC-2フィアット(Fiat)G. 18 Vの比較
初飛行 1934年5月11日 1935年3月11日
全長: 19.1 m  18.81 m
全幅: 25.9 m  25.00 m
全高: 4.8 m  5.01 m
主翼面積: 87.3m2  88.3 m2
空虚重量: 5,650 kg  7,200 kg
総重量: 8,420 kg  10,800 kg
発動機:ライトR-1820サイクロン空冷星型9気筒(29.88 L)  フィアットA.80空冷星型18気筒(45.72 L)
出力: 730 hp (540 kW)  1,000 hp(750 kW)
最高速力: 338km/h  400 km/h
実用上昇限度: 6,930 m   8,700 m
航続距離: 1,750 km  1,675 km
乗客座席数: 14人  18人
生産機数: 198機  9機

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)G. 18 輸送機を見る。


8.ユンカース(Junkers)G.31輸送機

写真(右)1931年5月-1938年以前,ニューギニア島東部、ラエ、オースチン・クレーン車(Austin 7)で胴体上面貨物ハッチから乗用車を吊上げ積み下ろしているドイツ製ユンカース(Junkers) G 31go輸送機(VH-UOW)::オーストラリアの飛行家(Charles Raymond Gurney:1906-1942/5/2)の撮影になる。線路上の大型クレーンを使用して胴体上部の大型貨物出し入れ口から自動車を吊上げている。
Description English: Title: Het laden van een stoomketel voor de Bulolo goudmijn in een vliegtuig in Australisch Nieuw-Guinea Shelfmark: KITLV 402580 Subject (topical): Aircraft Gold Mining Subject (geographic): Papua New Guinea Language: No linguistic content Country: No place, unknown, or undetermined Published: [Circa 1938] Persistent URL: http://hdl.handle.net/1887.1/item:846686 Extent: Digital image Date Unknown date
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers G.31 "File:Austin 7 car being loaded in Junkers G 31 at Lae - 1933 (C R Gurney).jpg"引用。


⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)G.31輸送機を見る。


9.サヴォイア・マルケッティSM.75三発輸送機

写真(右)1939年頃,イタリア、未舗装滑走路で待機するイタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機(HA-SMA):胴体左後方には、昇降用の端語が掛けてある。左主翼したに、搭乗員らしき人物が見える。
Savoia-Marchetti, SM.75, Catalog #: 01_00087230 Manufacturer: Savoia-Marchetti Designation: SM.75 Notes: Italy.
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive引用。


サヴォイア・マルケッティSM 73輸送機の後継機が、同じ会社のサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機であり、旅客と貨物の双方に利用する民間機として、イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)の要望に応えた機体で、設計はアレッサンドロ・マルケッティ技師である。前作のSM 73は、固定脚だったが、後継機SM.75では空気抵抗を減少させ、より高出力のエンジンを搭載して、引込み脚の降着装置を備えた。しかし、基本構造は、SM.73と同じく軽量化を優先し、SM.75でも金属鋼管フレームの骨格に羽布張り、合板の胴体・主翼表面のつくりとした。

サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機の発動機は、アルファロメオ 126 RC.34 空冷星型9気筒エンジン559 kW (750 hp)3基で、最高速力363 km/h/高度6,250 m、航続距離1,720 km だった。乗員は4名。客室には乗客25名を収容可能だった。

⇒写真集Album:サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM-75輸送機を見る。


10.ロッキード(Lockheed)モデル(Model)12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)

写真(右)1943年2月3日、アメリカ、舗装滑走路上のロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機(NACA99)とNACAのテストパイロットのメル・ゴフ(Mel Gough)
Description English: Lockheed 12A Electra Junior. Langley tried a center fin to improve the directional stability of its Lockheed 12A Electra Junior executive transport. NACA test pilot Mel Gough stands nearby. Date 3 February 1943 Source NASA Langley Research Center - Multimedia Repository Test pilots at Langley have often started as engineers. Engineer Mel Gough, who began his career in wind tunnels in 1926, took a leave of absence so he could learn to fly and come a pilot at Langley in 1929. He rose to chief pilot, then director flight research until he transferred in 1958 to Cape Canaveral to become NASA’s head of the Atlantic Missile Range.
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 Electra Junior  File:NACA Lockheed 12A 1943.jpeg引用。


ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)の試作1号機は、1936年6月27日昼12時12分に初飛行したが、これはアメリカ航空局の出した地方用民間輸送機の競争試作締め切り期限の6月末の3日前だった。 つまり、ロッキードL-12の名称に因んだ飛行時間を選んだのである。

ただし、航空局の競争試作に応じたロッキード以外の機体は、ビーチクラフト モデル 18もバークレー グロウ T8P-1もともに試作機完成の期限に間に合わなかったために、競争試作ではロッキード(Lockheed)モデル Model 12が勝ち残ることになった。

写真(右)1955年、フィンランド、ヘルシンキ北東郊外、マルミ(Malmi)飛行場、舗装滑走路上のロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機(OH-ETA)
Description English: OH-ETA seen at Malmi Airport in June 1955. Date June 1955 Source Mäkinen, Tuomo T.; Ritaranta, Eino (2001) Finnish Civil Aircraft 1926–2000, Helsinki: Koala-Kustannus ISBN: 952-5186-11-3. Author Eino Ritaranta
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 Electra Junior  File:Lockheed L-12A Electra Junior OH-ETA at Malmi airport (June 1955).jpg引用。


ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機は、1936年6月27日初飛行、ライト(Wright)R-975ウィールウィンド(Whirlwind:旋風) 空冷星形エンジン450 馬力 (336 kW)2基を装備している。原型のロッキード(Lockheed)モデル Model 10 エレクトラ(Electra)を若干小型化し、8座席、6人乗客の全金属製双発輸送機である。1930年代後半から、小規模な航空会社、大企業、資産家が購入して使用したほか、政府要人も使用した。 ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)の生産機数は、130機に達した。

ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア( Electra Junior)輸送機の諸元
乗員Crew: 2名、乗客Capacity: 6名
全長Length: 36 ft 4 in (11.07 m)
全幅Wingspan: 49 ft 6 in (15.09 m)
全高Height: 9 ft 9 in (2.97 m)
主翼面積Wing area: 352 ft2 (32.7 m2)
空虚重量Empty weight: 5,765 lb (2,615 kg)
搭載量Loaded weight: 8,650 lb (3,924 kg)
最大離陸重量Max. takeoff weight: 9,200 lb (4,173 kg) 発動機Powerplant: 2 × プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン450 hp (340 kW)
最高速力Maximum speed: 225 mph (362 km/h, 196 kn) /5,000 ft (1,500 m)
巡航速力Cruise speed: 213 mph (343 km/h, 185 kn)
航続距離Range: 800 mi (1,300 km, 700 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 22,900 ft (7,000 m)
丈量率Rate of climb: 1,400 ft/分 (7.1 m/秒)

⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed)モデル(Model)12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)


11.スイス航空フォッカー(Fokker)F.VII輸送機

写真(右)1935年、イギリス、ロンドン、クロイドン空港、スイス、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港に駐機しているスイス航空のフォッカー(Fokker)F.VII a単発輸送機(機体コード CH-157、登録コード HB-LBO)とダグラスDC-2(機体コード:115-B, 登録コード:HB-ITE) (奥):スイス航空の保有するフォッカーF,VIIは1機のみ。空港ビルの上から撮影した。
Fokker F.VII a, CH-157 (HB-LBO) und Douglas DC-2 115-B, HB-ITE am Boden in Dübendorf Photographer Swissair Dating ca. 1935 Caption Douglas DC-2 115-B, HB-ITE, Reportage photography, Dübendorf, Aerodrome Dübendorf, Fokker F.VII a, CH-157 (HB-LBO), Physical Description Fotografie : Nitratnegativ Square Format: 6 x 6 cm Colour schwarz/weiss Orientation Querformat Categories ◾Reportagefotografien ◾Sachkatalog > Verkehrsmittel > Luftverkehr > Flugzeugtyp nach Hersteller > Douglas > Douglas DC-2 115-B, HB-ITO
写真は, ETH-Zürich Record Name LBS_SR02-10730引用。


1928年6月17−18日、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」"Friendship"に同乗したアメリカ人アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、カナダのニューファウンドランド島からイギリスのウェールズまで、大西洋横断無着陸飛行した初めての女性となったが、これはアメリカ人男性リンドバーグの大西洋単独無着陸飛行に続く世界史上に残るアメリカの快挙だった。このような高性能なフォッカーF.VIIb-3mトライモーターを、スイス航空は8機購入し、個別機体名称CH-162、CH-163、CH-164,CH-165,CH-166,CH-190CH-192、CH-193として、1931年から1935年まで使用した。

写真(右)1996年5月、スイス中部、ルッツェルン(Lucerne)、スイス輸送博物館、スイス航空のフォッカー(Fokker)F.VII a単発輸送機(機体コード CH-157、登録コード HB-LBO) (奥):スイス航空の保有するフォッカーF,VIIは1機のみだったが、1927-1948年まで20年以上も運行に使用された。
Fokker F.VIIA Catalog #: 15_000699 Title: Fokker F.VIIA Date: May 1996 ADDITIONAL INFORMATION: Swissair Fokker F. VIIA, HB-LBO, 1927-1948. Side view. Swiss Transport Museum, Lucerne. Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: Swiss Museums, May '96 Page #:29 Tags: Fokker F.VIIA PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m輸送機の諸元
製造:フォッカー(Fokker), オランダ(NL) ・アムステルダム(Amsterdam)
全幅Span: 21.70m
全長Length: 14.60 m
全高Height: 4.50 m
発動機出力Power:3x 200hp
乗客Passengers: 8-10名
航続距離Range: 800 km

写真(右)1996年5月、スイス中部、ルッツェルン(Lucerne)、スイス輸送博物館、スイス航空のフォッカー(Fokker)F.VII a単発輸送機(機体コード CH-157、登録コード HB-LBO) (奥):スイス航空の保有するフォッカーF,VIIは1機のみだったが、1927-1948年まで20年以上も運行に使用された。
Fokker F.VIIA Catalog #: 15_000700 Title: Fokker F.VIIA Date: May 1996 ADDITIONAL INFORMATION: Swissair Fokker F. VIIA, HB-LBO, 1927-1948. Side view. Swiss Transport Museum, Lucerne. Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: Swiss Museums, May '96 Page #: 30 Tags: Fokker F.VIIA PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


スイス航空は、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m輸送機をCH-162、CH-163、CH-164,CH-165,CH-166,CH-190CH-192、CH-193の合計8機購入し1935年まで使用している。そのほか、スイス航空は、1931-1950年フォッカー(Fokker)F.VIIa単発輸送機(157)、1931年ドルニエ・メルクール単発輸送機(171)、1931-1938年BFWメッサーシュミットM-18b(191)単発輸送機、1932-1936年ロッキード9Bオリオン単発輸送機(167)、1934-1936年ジェネラル・アビエーション・クラークGA単発輸送機(CH-169)、1934年カーチスAT-32Cコンドル双発複葉機(170)のような多様な機種を1機ずつ採用した。

⇒写真集Album:フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーターを見る。

⇒写真集Album:アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)のフォッカーF.VIIによる大西洋横断飛行を見る。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャ
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人

与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ハンセン病Leprosy差別
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen

自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」

日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
ソ連赤軍T-34戦車ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov

フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
ドイツ陸軍2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
VI号ティーガー重戦車
ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
V号パンター戦車
ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車

イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
イギリス陸軍コメット巡航戦車

アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機

ユンカース(Junkers)F.13輸送機
ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
ユンカース(Junkers)K43f水上機
巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
ユンカース(Junkers)G.31輸送機
ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
ハインケル(Heinkel)He111輸送機
ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機

フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"

フィンランド内戦:Finnish Civil War
フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
フィンランド軍の防空監視哨

ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇

ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88S高速爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」

サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カント(CANT)Z.501飛行艇
カント(CANT)Z.506水上機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.212輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.82輸送機
ピアジオP.108重爆撃機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機

当時の状況に生きた方々からも、共感のお言葉、資料、映像などをいただくことができました。思い巡らすことしかできませんが、実体験を踏まえられたお言葉をいただけたことは、大変励みになりました。この場を借りて、御礼申し上げます。
◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただけますお方のご協力をいただきたく,お願い申し上げます。

ご意見等をお寄せ下さる際はご氏名,ご連絡先を明記してくださいますようお願い申し上げます。
連絡先: torikai007@yahoo.co.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
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