◆メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
写真(上)1944年、フィンランド、フィンランド空軍のドイツ製メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109G-6戦闘機:前の形式であるF型を引き継いで1941年10月に先行量産型のG-0型が完成。しかし、1943年に入り、西側連合軍の重爆撃機のドイツ本土空襲が激化し、機首上面の7.92ミリMG17を13.1ミリMG131 機銃に強化したのに伴い、機銃空薬莢排出筒が大型化し、機首上側面にバルジが突出した。高高度迎撃用に与圧キャビンを装備したG-5型は完成が遅れ、先に非与圧キャビンの中高度戦闘機型のG-6型が量産された。全長:9.06m、全幅:9.76m、全高:2.5m、全備重量:3,148kg、エンジン:DB605A(離昇出力1,475hp)、最高速力:621km/h、兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数600発)、20ミリMG151/20機関砲1基(200発)。 Hävittäjä on palannut taistelusta
Luutnantti Jori ilanko, valokuvaaja
Sotamuseo
Hävittäjä on palannut taistelusta. Mekanikkojen työ alkaa. Kesä-heinäkuu 1944. Kuvassa Hävittäjälentolaivue 24:n 3. lentueen Messerschmitt hävittäjä Bf 109 G-6.
写真はフィンランド博物館, MUSEOT FINNA引用。
写真(右)2016年7月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館 (RAF Museum London)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109G-2 Trop戦闘機熱帯仕様: Description Photo ref;Nikon-D80-2015-DSC_0797 (Edited)
Date 17 October 2015, 10:44
Source Messerschmitt Bf 109G-2, Royal Air Force Museum, Hendon.
Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at RAF Museum London , File:Messerschmitt Bf 109G-2, Royal Air Force Museum, Hendon. (22990793843).jpg
引用。
写真(上)2016年7月、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機:全長 9.16m、全幅 9.86m、主翼面積 16.2平方メートル、空虚重量 2720 kg、全備重量 3258 ?、エンジン Daimler-Benz DB 605 DB、 最高速力 665km、緊急最高速力 698 km/h 高度8000m、兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数600発)、20ミリMG151機関砲1基(200発)。 Description
English: Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum
Date 1 July 2016, 10:12:42
Source Own work
Author Articseahorse 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum ,File:Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum 1.jpg引用。
◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
1.第二次大戦2年前に登場したメッサーシュミットBf-109戦闘機
1934年,バイエルン航空機(Bayerische Flugzeugwerke:BF)は、単葉、全金属製、モノコック構造、密閉式のガラス風防、引込脚といった当時の先端技術をすべて取入れ、強力なエンジンで、小さく軽い機体を引っ張る高速戦闘機の開発を始めた。設計上参考にされたのは、Bf 108連絡機・小型輸送機で、設計者は同じロベルト・ルッサー技師だった。その後,バイエルン航空機(Bayerische Flugzeugwerke:BF)は、メッサーシュミット社となったため、MEの略称も併用され、Bf109戦闘機は、Me109戦闘機とも呼ばれるようになる。大戦中のパイロットは、Bf109と呼称するものが多かったようだが、ドイツ航空産業の雄「メッサーシュミット」の名称を広めようとしたのは当然のことで、公式文書でMe 109となっているとの反論、バイエルン航空機で設計したのでBf109と呼ぶべきだとの説は、産業界のメッサーシュミットの重要性に思い至れば、解消される。
Bf 109の発動機は、当初のA型では、ダイムラーベンツDB601の実用化ができていなかったため、ユンカース社ユモJumo 210液冷倒立12気筒エンジンを装備した。B型以降に装備したのはダイムラー・ベンツDB601液冷エンジン(後期型はDB605エンジン)で、シリンダーは高圧で駆動するために構造上精度・素材品質も高く保つ必要があった。また、燃料噴射ポンプが装備されたが、これは気化器を通さず直接シリンダーに燃料噴射をするポンプで、飛行機の態勢いかんにかかわらず、安定的なエンジン駆動ができた。バトル・オブ・ブリテンにあって、気化器を装備したスピットファイア戦闘機は、マイナスGが強くかかるとシリンダーへの燃料供給が停止する欠点があったが、Bf109戦闘機は、燃料直接噴射ポンプがあったために、その欠点はなかった。
さらに、ダイムラー・ベンツDB601液冷エンジンは、倒立V型シリンダーであったため、エンジンを貫通して胴体内機関砲をプロペラスピナ先端から発射することも可能だった。このよう複雑な機構は、生産効率や整備性の上で困難があったが、技術的優位を活かす自信があったダイムラーベンツは、あえて複雑な機構のエンジンを開発したのである。
1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年にドイツ再軍備宣言(German re-armament)、ドイツ空軍にヘルマン・ゲーリングが総司令官として着任、ナチ化が推進された。尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。
写真(右)1936-1938年,スペイン、スペイン内戦に派遣されたドイツ義勇軍「コンドル軍団」のメッサーシュミットBf109戦闘機A:水平尾翼は細い支柱で固定されている。スペイン協和政府に反乱を起こした国民戦線反乱軍は、黒丸白十字のマークを採用した。尾翼には、白地黒十字を採用した。ドイツは、1935年までは、国旗の黒白赤三色ストライプの国籍マークだったが、1935年の再軍備宣言、ヘルマン・ゲーリングのドイツ空軍総司令官就任以来、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。 English: A Bf109A from the Condor Legion with Spanish rebel markings
Date between 1936 and 1939
Source Biblioteca Virtual de Defensa: Guerra Civil. Tomo II (MUE-202443) page 145
Author Unknown author
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2.メッサーシュミットBf-109戦闘機B型/D型
メッサーシュミットBf109戦闘機のプロペラの金属製羽根の数は、D型までは2翅プロペラで、E型以降になって3翅プロペラになった。発動機は、搭載するエンジンが、B型・D型はユモJumo210液冷倒立V型12気筒で冷却器(ラジエーター)は機首下面にあったが、E型以降はより強力なダイムラー・ベンツDB601液冷倒立V型12気筒を搭載し、冷却器は主翼左右下面に二分割して設置している。
写真(右)1937年8月11日,メッサーシュミットBf109戦闘機B-1型:ダークグリーン系の二色迷彩塗装を施している。水平尾翼は支柱で固定されている。 SDASM Archives
Messerschmitt Bf 109B-1 (or C-1) photo taken 11 Aug 1937 Nowarra collection
PictionID:44220872 - Title:Messerschmitt Bf 109B-1 (or C-1) photo taken 11 Aug 1937 Nowarra collection - Catalog:16_005490 - Filename:16_005490.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085167引用。
兵装は7.92ミリMG17機銃4丁と貧弱に見えるが、これは当時の標準(2丁)以上の装備である。第二次欧州世界大戦にBf109DあるいはE型に改良された。航続距離が短いことや主脚幅が狭くエンジンが強力なために,未舗装滑走路における地上安定性は良くなかった。
写真(右)1937-1939年,メッサーシュミットBf109戦闘機B型:国籍マークには変則的に、垂直尾翼に尾翼の赤帯と白丸に黒のスワスチカ (Swastika:ハーケンクロイツ)を描いている。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸に黒のスワスチカ(卍)は敵から発見されやすかったために廃止になり、ハーケンクロイツだけなった。水平尾翼は支柱で固定されている。ダークグリーン系の二色迷彩塗装を施している。 SDASM Archives
PictionID:44220897 - Catalog:16_005492 - Title:Messerschmitt Bf 109B Peter Bowers collection - Filename:16_005492.T- - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Repository: San Diego Air and Space Museum 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: PictionID:44220897引用。
1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年3月のドイツ再軍備宣言、ヘルマン・ゲーリングのドイツ空軍司令官就任以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。水平尾翼は支柱で固定されている。
写真(右)1936-1937年頃,スペイン内戦にドイツ義勇軍コンドル軍団の戦闘部隊として派兵されたメッサーシュミットBf109戦闘機B-1型:スペイン内戦にドイツ義勇軍コンドル軍団の戦闘部隊として派兵されたメッサーシュミットBf109戦闘機E-1型:国籍マークは、胴体の黒丸と垂直尾翼の黒の×十字でファシストのファランヘ党、フランコ将軍の反乱軍側に立って参戦した。スペイン内戦には当初はBf109戦闘機B型が投入されたが、1938年にはBf109戦闘機E型が投入されている。プロペラは2翅で、エンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口は、機首下面に大きなものが一つ空いている。 SDASM Archives
Messerschmitt Me 109B-1 Peter Bowers collection
PictionID:44217238 - Title:Messerschmitt Me 109B-1 Peter Bowers collection - Catalog:16_005512 - Filename:16_005512.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085089引用。
ドイツ空軍メッサーシュミットBf-109戦闘機は、計画では新型のダイムラー・ベンツDaimler-Benz DB601Aエンジンを搭載する予定だったが、完成せず,ユンカースJumo211エンジンを搭載。 Messerschmitt Me 109 Bは,1937年のスペイン内乱 (Spanish Civil War)において,ドイツのコンドル軍団 (Legion Condor)に配備,派遣された。二機編隊ロッテを2組合わせた四機編隊シュワルムによる集団一撃離脱戦術を生み出した。
全金属製低翼単葉、引込み式降着装置のメッサーシュミットBf109戦闘機は、1935年5月28日初飛行した。その後、メッサーシュミットBf-109B戦闘機が、スペイン内戦が戦われ、日中戦争が勃発した1937年に部隊配備された。しかし、Bf-109B戦闘機の兵装は、7.92ミリ機関銃のみであり、当時の主力戦闘機ハインケルHe51複葉機と火力は大差なかった。1938年、ドイツによるオーストリア併合、ズデーテンラント併合の時期には、He51複葉機に代わって、メッサーシュミットBf-109B戦闘機が主力となっていた。第二次世界大戦が勃発する1939年の初め、新型ダイムラー・ベンツDB601搭載のメッサーシュミットBf-109B戦闘機E型(エミール)が搭乗した。そして、1939年9月のドイツによるポーランド侵攻に投入され、第二次大戦緒戦のドイツ空軍主力戦闘機となった。
ドイツのヒトラー総統は、1934年1月26日、ドイツ・ポーランド不可侵条約を締結していたが、それを1939年4月28日に一方的に破棄して、1939年9月1日、ポーランドに侵攻した。空襲に参加したヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)総司令官のドイツ空軍機はアルベルト・ケッセルリング (Albert Kesselring)元帥の第1航空軍,アレクサンデル・レール第4航空軍で,あわせて1302機を保有していた。さらに,空軍総司令部直轄として,輸送機,偵察機など133機があり,陸軍にも偵察機,連絡機など288機が配備されていた。また,ドイツ本土防空部隊は,216機を保有していた。
したがって,ドイツ軍は,総計1929機をポーランド戦に投入したことになる。これはドイツ空軍兵力の三分の二に相当した。当時の主力爆撃機はドルニエDo-17とユンカースJu87だった。
対するポーランドの航空兵力は,自国設計・国内生産の機体も含めて、第一線機900機(爆撃機150機,戦闘機315機,偵察機325機,海軍機50機など)だった。これは、当時の小国としては、強力な空軍力であり、イギリス、フランスは、士気の低いソ連軍よりも、勇敢なポーランド軍の方を同盟相手として選ぶことになった。イギリスもフランスもポーランドの独立を保証する順次協定を結び、これを破ってポーランドに侵攻したドイツに対して最後通牒を告げ、宣戦布告をしたのである。
ポーランド軍機は,果敢に攻撃をかけてきたが,ドイツ空軍Messerschmitt Me 109 B戦闘機に撃退された。部品,燃料に不足をきたし,稼動機数は急速に低下した。
3.第二次世界大戦緒戦のBf-109戦闘機E型 エミール(Emil)
写真(右)1937年-1938年,スペイン内戦にドイツ義勇軍コンドル軍団の戦闘部隊として派兵されたメッサーシュミットBf109戦闘機E-1型:国籍マークは、胴体の黒丸と垂直尾翼の黒の×十字でファシストのファランヘ党、フランコ将軍の反乱軍側に立って参戦した。プロペラは3翅で、エンジン冷却器(ラジエータ)の空気取入れ口は、機首下面に大きなものが一つ空いている。 SDASM Archives
Messerschmitt Me 109E-1 in Spain Peter Bowers collection
PictionID:44217251 - Title:Messerschmitt Me 109E-1 in Spain Peter Bowers collection - Catalog:16_005513 - Filename:16_005513.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- -Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44217251引用。
1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相ネヴィル・チェンバレン(Neville Chamberlain)は,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」(Phoney War)とも称された。
1939年9月1日、ポーランド侵攻時には,特別部隊(のちのアインザッツグルッペ)が投入され,公務員,教師,医師,聖職者,ユダヤ人,地主,商店主など,ポーランドの文化・国家の維持に有益な人物,インテリゲンツィアを処置していた。
総統(Führer)アドルフ・ヒトラーにも空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)元帥にとても、ワルシャワ空爆に躊躇は一切なかったと考えられる。
1940年1月10日,ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)隷下の第二航空軍所属の連絡機Me-108タイフーン (Me 108 Taifun)が,悪天候によって,ベルギーに不時着する事故が発生した。この連絡機には,ドイツ軍参謀が搭乗しており,その携帯していた参謀本部のゲルブ計画書(フランス侵攻作戦計画)が,ベルギー軍にわたってしまった。本来,このような機密書類を携帯して空路を飛ぶことは禁止されていたが,連戦連勝の中,機密保持についておろそかになっていた。
ベルギー軍が入手したドイツ軍のフランス侵攻作戦計画は,当然,英仏軍に手渡されたことは疑うべくもなかった。飛行機事故で,ドイツのフランス侵攻ゲルフ計画が連合軍に明らかになってしまったために,ドイツ軍は,侵攻変更を余儀なくされた。ドイツ陸軍参謀本部が立案したフランス侵攻作戦「ゲルブ」(黄)計画は,第一次大戦のシュリーフェン計画と同様であった。
Me109戦闘機E型(Emil:エーミール)は、発動機はダイムラー・ベンツ (DB601A) で、E-1は機首上面・左右主翼に7.92ミリMG17機関銃4丁を搭載しただけで、兵装は軽微だった。E-2型は、当初の計画通り、エンジンを貫通し、プロペラ軸から発射する20ミリ機関銃 (MG FF)を搭載するモーターカノン装備型となるはずだったが、大口径機関砲の振動のために、モーターカノンは搭載できなかった。
しかし、生産が始まっていたために、Bf 109戦闘機 E型のプロペラスピナ先端には、20ミリ機関砲の砲口があいたままとなった。E-3型は、武装強化のために主翼に20ミリMG FF機関砲を搭載した。Bf 109戦闘機E-4型には、同口径の20ミリMG FF/Mをが装備し、榴弾を使用することが可能になった。
1940年4月9日,英軍に先んじて,ドイツ軍がノルウェーに侵攻,その後,4月14日,トロンヘイムに英仏軍,ポーランド軍の連合軍1万2000名を上陸させた。ナルヴィク(Narvik)にも,4月20日に連合軍3万名を上陸させた。1940年5月10日,ドイツ軍のベルギー,オランダに侵攻に直面して,連合軍はナルヴィクを撤退。チェンバレンは,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任。 戦時挙国一致内閣として,1940年5月10日にウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)がイギリス首相に就任した。
図(右)1941年,アメリカ航空省作成、ドイツ空軍メッサーシュミットBf109戦闘機E型の内部構造図;機首に装備した7.92ミリMG17機関銃を搭載、左右主翼に20ミリMG-FF機関銃1挺装備。7.92mmMG17機銃は、初速840m/s 発射速度1000発/分、ベルト給弾各500発、2丁合計1000発。 English: Cutaway drawing of the Messerschmitt Bf 109E fighter.
Date January 1941
National Archives Identifier (NAID) 44266184.
Author UK Air Ministry OCAC Tactical Poster No. 109, via U.S. Office for Emergency Management. Office of War Information. Domestic Operations Branch. Bureau of Special Services. 写真は Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109E,File:Messerschmitt Bf 109E fighter cutaway drawing, 1941 (44266184).png引用。
メッサーシュミットBf109戦闘機E-1型は、ダイムラー・ベンツDB601液冷倒立V型12気筒エンジンを搭載し、冷却器(ラジエーター)も機首下面には設置していない。1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年3月のドイツ再軍備宣言、ヘルマン・ゲーリングのドイツ空軍司令官就任以降は、尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ (Hakenkreuz:ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。水平尾翼は支柱で固定されている。
メッサーシュミットBf109戦闘機のプロペラの金属製羽根の数は、D型までは2翅で、E型以降になって3翅プロペラになった。発動機は、搭載するエンジンが、B型・D型はユモJumo210液冷倒立V型12気筒で冷却器(ラジエーター)は機首下面にあったが、E型以降はより強力なダイムラー・ベンツDB601液冷倒立V型12気筒を搭載し、冷却器は主翼左右下面に二分割して設置している。
英国ウィンストン・チャーチル (Winston Spencer- Churchill)首相は,米国の武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦を戦う覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日まで,ヘルマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring:1893-1946)のドイツ空軍は、英国本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。
ドイツ空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング (Hermann Goering)国家元帥は,1940年8月からの英本土航空「鷲」作戦に際して,ドイツ空軍がイギリス空軍機を駆逐し,イギリスを征服してみせると豪語した。しかし,ドイツ側の被害は甚大で,イギリス戦闘機の抵抗が続いたために,1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始した。
写真(右)1939‐1940年,飛行中のドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109E-3戦闘機(CE-BM):機首に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、銃口を黄色のペイントで塗装している。主翼内には強力なスイス、エリコン社の20ミリ機関銃MGFF左右合計2挺装備している。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 44217305 - Catalog: 16_005517 - Title: Messerschmitt Bf 109E-3 CE-BM 1952 - Filename: 16_005517.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44217305引用。
メッサーシュミットMe109E戦闘機は、機首に7.92ミリMG17機銃 2丁,主翼に20ミリMGFF(エリコン)機銃2丁装備で,ダイムラー・ベンツDB601Aエンジン(1100馬力),最大速度570キロ, 航続距離 660キロ。1935年から1945年まで,総生産数3万3000機で,Bf109は世界最多の戦闘機となった。
Me109E戦闘機諸元 兵装:機首7.92ミリMG17機銃 2丁,主翼20ミリMGFF(エリコン)機銃2丁装備
ダイムラー・ベンツDB601Aエンジン (1100馬力),最大速度570キロ, 航続距離 660キロ 生産機数(1935-1945年)3万3000機。
写真(右)1939−1940年,ドイツ、新しいドイツ空軍第20戦闘航空団 (JG 20)メッサーシュミットBf109戦闘機E-3型;。機首に装備した7.92ミリMG17機関銃を搭載、ベルト給弾する。7.92mmMG17機銃は、初速840m/s 発射速度1000発/分、ベルト給弾各500発、2丁合計1000発。 English: experimental Messerschmitt Bf 109E-3 showing propeller hub and wing cannons
Date 19 June 2013, 14:50:43
Source I.W.M. Photo
Author Unknown author 写真は Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109E,File:Bf 109E-3 in flight (1940).jpg引用。
Me109戦闘機E型は、愛称「エーミール」(Emil)で、ダイムラーベンツDaimler-Benz DB601A液冷エンジン1175馬力を搭載、バトルオブブリテン当時の主力戦闘機だった。E-1は、機首上面に2丁、左右主翼に各々1丁の7.92ミリMG17機銃を装備したが、プロペラ軸を通して20ミリMGFF機関砲が発射可能な構造だったが、機銃整備・調整が間に合わずに、機首プロペラ軸の機関銃(モーターカノン)は未搭載だった。
ドイツ空軍主力戦闘機メッサーシュミットBf 109戦闘機E-2型は、ダイムラー・ベンツDB601のモーターカノンとしてスイスのエリコン社の開発した20ミリMGFF機関砲を搭載した。しかし、20ミリ機関砲の発射時の振動が大きく、機種上面の7.92ミリMG17機銃と共振し大きな振動を起こしてしまう。
そこで、Bf 109戦闘機E-3型とE-4型では機首プロペラ軸の機関銃(モーターカノン)を撤去して、主翼内に20ミリMGFF機関砲を搭載した。E-5型とE-6型はE-4を改造し、小型カメラを搭載した偵察機である。
また、爆撃機に随伴、護衛するには、航続距離の延長が不可欠だったため、E-7型では、胴体下面に金属製300L入り落下増槽を懸架可能にした。部隊配備は、1940年夏だった。
ドイツ空軍Bf 109 E-1戦闘機の機首上面に2丁の7.92ミリMG17機銃が搭載されていて、プロペラ・スピナーには、20ミリ機関銃発射口が儲けられている。しかし、機首プロペラ軸の機関銃(モーターカノン)は、振動が大きく実用に適さないと判断されE型での搭載は見送られることになる。
ドイツ軍の主力は,ゲルト・フォン・ルントシュテット総司令官が率いるA軍集団で,エヴァルト・フォン・クライスト将軍が率いる装甲集団が,ルクセンブルク,セダンを突破して,マール川を超え,ソンム川北岸をダンケルクに向かって突進した。ベルギーにあった連合軍は,退路を遮断されるのを恐れて退却を開始したが,A軍集団の装甲軍集団は,「電撃戦」というに相応しい機動力を発揮して,連合軍がフランス本土,パリへ退却するのを阻止してしまった。そこで,連合軍は,英仏海峡に面したダンケルクへと追い詰められた。
そのまま連合軍敗残部隊の集結したダンケルクに、ドイツ軍装甲軍を突入させれば、イギリス軍、フランス軍とも壊滅していたと思われるが、進撃を停止させ、ヘルマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring)のドイツ空軍部隊だけが、ダンケルクの連合軍を空襲攻撃した。イギリス軍は、ダイナモ作戦と称して、大小各種船舶を大動員に、ダンケルクからイギリス本土に地上部隊を運搬、救出してしまった。
ドイツ空軍メッサーシュミットBf109戦闘機E型のプロペラ・スピナー先端には、プロペラ軸から通じる黒い穴が開いている。これは、モーゼル社の20ミリモーターカノンの銃口になる予定だったものだが、実際にはモーターカノンは実用化できず、機関砲は装備されていない。そこで、事前に生産してしまった銃口の開いたスピナーをそのまま装着するしかなくなった。
メッサーシュミットBf109戦闘機E型は、主翼左右にスイスのエリコン社の開発し20mmMGFF 機関銃各1丁合計2丁を搭載した。20mmMGFF機関銃は、初速600m/s、発射速度540発/分、60発ドラム弾倉を採用した。
Bf109戦闘機が20ミリモーターカノンを装備したのは、Bf 109 F型 F(フリードリヒ:Friedrich)になってからで、ダイムラー・ベンツ DB 601 N/E液冷エンジンの後方に15.1ミリMG151機関銃(ベルト給弾200発)あるいは20ミリMG151/20機関銃1丁(ベルト給弾150発)をモーターカノンとして、12個あるシリンダーの間を銃身を通し、プロペラ軸を貫通させて、スピナー先端の銃口から弾丸を発射する。したがって、プロペラ圏外から発射するので、プロペラ同調装置は不必要で、発射速度が速く、機体中心にあるために、運動によるモーメントを受けにくく、弾道直進性も良くなり、命中率が高まる。F型を引き継ぐG型でも、このモーターカノンは採用され、Bf109の武装強化に貢献している。
写真(右)1939年,ドイツ、新しいドイツ空軍第20戦闘航空団 (JG 20)メッサーシュミットBf109戦闘機E-1型機首に装備した7.92ミリMG17機関銃のベルト給弾装置の整備作業;7.92mmMG17機銃は、初速840m/s 発射速度1000発/分、ベルト給弾各500発、2丁合計1000発。 Photographer
Unknown author
Wartung und Bewaffnung eines Jagdflugzeugs Messerschmitt Me 109 E-1 der 2. Staffel des Jagdgeschwaders 20 (JG 20)
Title
Flugzeug Me 109, Wartung und Bewaffnung Original caption
For documentary purposes the German Federal Archive often retained the original image captions, which may be erroneous, biased, obsolete or politically extreme. Info non-talk.svg
Aircraft of Jagdgeschwader 51 being rearmed. This was also the emblem of Jagdgeschwader 20.
Date 1939
Sammlung von Repro-Negativen (Bild 146)
Accession number
Bild 146-1997-026-32A 写真は Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109E,File:Bundesarchiv Bild 146-1997-026-32A, Flugzeug Me 109, Wartung und Bewaffnung.jpg引用。
Bf109戦闘機は、A型からG型初期まで、機首のエンジン上に、7.92ミリMG17機関銃2丁を装備し続けた。この7.92ミリMG1機関銃機銃は、初速840m/s、発射速度1000発/分、ベルト給弾1000発。20ミリMG-FF機関銃と比較すると、発射速度は速いが、弾丸が軽量のため威力が小さく、射程距離もやや短い。しかし、軽量・小型のBf109戦闘機では、大型の機関銃を装備する余地が限られており、長い間、この7.92ミリMG17機関銃が使用されている。この機関銃は、陸軍の使用するモーゼル小銃、MG34機関銃、MG42機関銃とも同じリムレスの7口径.92ミリの弾丸であり、汎用性があった上に、量産・補給の観点からも、扱いやすく信頼性のある機関銃だった。
日本陸海軍は、イギリス軍の小銃弾を参考にしたセミ・リムドあるいはリムドの口径7.7ミリであり、威力が小さかったために、太平洋戦争勃発後に、7.92ミリ弾を使った7.92ミリMG15旋回機関銃を制式している。しかし、固定機関銃の7.92ミリMG17機関銃は、実用化できなかった。その理由は、機関銃に不可欠な高品質の小型複座バネ・装填排出装置を生産できず、機械装填に使用があったためである。他方、手動旋回機銃であれば、弾丸を手で装填・排出できるために、この小型複座バネ・装填排出装置を省略できる。日本軍の技術力・金属加工技術の低さのから、世界一流の航空機用小口径機関銃の生産はできなかった。
写真(右)1941年,北アフリカ、到着したばかりの新しいドイツ空軍第27戦闘航空団 (JG 27)メッサーシュミットBf109戦闘機E-4:黒人と豹の部隊マークを付け、機首を黄色に塗装している。 Photographer
Doege
Afrika-Nord.- Neuer Anstrich eines Jagdflugzeugs Messerschmitt Me 109 E-4 des Jagdgeschwaders 27 (JG 27); KBK Lw 7
Title
Nordafrika, Flugzeug Messerschmitt Me 109
Depicted place North Africa
Date 1941
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-431-0710-29A 写真は Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109E,>File:Bundesarchiv Bild 101I-431-0710-29A, Nordafrika, Flugzeug Messerschmitt Me 109.jpg引用。
第27戦闘航空団 (JG 27)のヴェルナー・シュレーア(Werner Schroer、1918‐1985)は、地中海・北アフリカ方面で、ハンス・ヨアヒム・マルセイユに次ぐ撃墜王で、柏葉・剣付騎士鉄十字章を受賞。第二次世界大戦で114機を撃墜.1941年2月下旬、地中海、シシリー島コミゾに派遣され、イタリアから北アフリカのトリポリの海上交通ルートの護衛に当たった。1941年4月15日、北アフリカのトリポリに派遣され、トブルク攻略などに従事した。
カラー写真(右)1941年,北アフリカ、砂漠上空を飛行する迷彩塗装のドイツ空軍第27戦闘航空団 (JG 27)第1戦闘飛行隊メッサーシュミットBf109戦闘機E型:黒人と豹の部隊マークを付けている。Bf 109戦闘機E-4 /Trop型らしいが、Tropとは熱帯仕様の略称ある。 Description German Messerschmitt Me 109E fighters from I/Jagdgeschwader 27 (1st Group, 27th Fighter Wing) in flight over North Africa, circa 1941.
Date circa 1941
Source Coloured version of National Museum of the U.S. Air Force photo 050613-F-1234P-040
Author Unknown author
Permission
(Reusing this file) Copyright: U.S. Air Force photo
Other versions File:Me 109Es in flight over North Africa 050613-F-1234P-040.jpg 写真は Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109E,>File:Bf 109Es JG 27 on flight over North Africa c1941.jpg引用。
メッサーシュミットBf 109戦闘機E型 /Trop(熱帯仕様)は、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着したために、過給機が長く伸びている。また、コックピットが地上で日射によって加熱しないように、待機時に使用する日よけ傘を取り付ける差込口、砂漠での不時着に備え狩猟用のモーゼル小銃なども装備した。この過給機エアインテークのフィルターは、ソ連東部戦線の未整備飛行場でも有効とされ、東部戦線に配備された戦闘機にも装着されている。
Bf 109戦闘機D型までの兵装は、機首上面と主翼に各々7.92ミリMG17機関銃左右2丁、合計4丁だった。しかし E-1では、翼内の7.92ミリ機銃をより強力なスイス、エリコン社の20ミリ機関砲MGFFに換装している。F型以降、主翼内の機銃装備はしなくなったが、爆撃機迎撃のために兵装を強化する際は、主翼下にガンポッドを装着して20ミリ機関砲を搭載した。
彩色写真(右)1941年9月,北アフリカ、砂漠上空を飛行する迷彩塗装のドイツ空軍第27戦闘航空団 (JG 27)第1戦闘飛行隊メッサーシュミットBf109E-4/Trop戦闘機:黒人と豹の部隊マークを付けている。Tropとは熱帯仕様の略称で、空中や飛行場では砂塵が待っていることが多く、エンジン過給機の空気取入れ口から砂塵がエンジンに侵入すると故障、不調の原因になった。そこで、飛行場や空中で砂塵を吸い込まないように、機首左のエンジン過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着した。このフィルターの分だけ、過給機が長く伸びている。 Description A German Messerschmitt Bf 109E-4/Trop of Jagdgeschwader 27 (27th Fighter Wing) in flight, off the North African coast in the summer of 1941.
Date Summer 1941
Source
Australian War Memorial under the ID Number: 129670
Coloured version [1]
Author Unknown author
Permission
(Reusing this file) Image copyright: Copyright expired - public domain
Other versions File:Me 109E JG 27 in flight 1941.jpg 写真は Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109E,>File:Me 109E-4Trop JG27 off North African coast 1941.jpg引用。
1941年1月から6月まで、第二次世界大戦で、フランスを降したドイツ・イタリアに日本陸軍山下奉文航空総監を団長とする軍事視察団が派遣された。山下使節団は、ドイツの電撃戦に見習おうと、航空兵力と事情軍の連携にも注目していた。しかし、電撃戦には、制空権を掌握することが必要で、それには今日りょっくな戦闘機が不可欠だった。
山下使節団は、レーゲンスブルクにあるメッサーシュミット航空機工場も訪問し、新鋭機のBf 109の公開飛行を見学し、研究用に購入することを決めた。本来は、戦時中に第一線機の輸入は難しかったが、ヒトラーの好意で同盟国日本に売却することが認められたのである。そして、まだ、アメリカもソ連もドイツと交戦する前だったので、1941年6月にはBf 109 E-7戦闘機3機が海上航路で日本まで輸送され、神戸港に運ばれた。そして、岐阜県の各務原飛行場に陸路運ばれて、組み立てられた後に、飛行審査が行われることになった。そして、陸軍飛行実験部実験隊のパイロットがBf109を操縦士、飛行試験が行われた。
メッサーシュミットからは、ドイツ空軍での経験もあるテストパイロットのヴィルヘルム・シュテーアが来日しており、かれが日本陸軍に操縦、空戦を伝授したが、先に日本大使館に勤めていた駐在在日武官フリッツ・ロージヒカイト大尉はは、Bf109を操縦して、日本陸軍戦闘機パイロットに2機編隊の「ロッテ」、4機編隊の「シュワルム」の編隊空戦術を伝授した。ドイツ語のできない日本人パイロットは、4機編隊空戦を「ロッテ戦法」と呼称し、その重要性を理解した。すでに日本陸軍航空隊は、1939年前半のノモンハン事件で、ソ連赤軍空軍の重武装I-16単葉低翼戦闘機による一撃離脱戦法の洗礼を受けており、ソ連空軍の編隊空戦・無線電話・装甲板装備の防弾装備についての情報を得ていた。
輸入さらたBf109戦闘機は、日本陸軍の新鋭機中島キ44二式単座戦闘機「鍾馗」と空戦審査が行われ、キ44の性能が見直された。輸入機Bf109戦闘機のDB601液冷エンジンの整備不十分だったためか、キ44よりも速力・加速度・上昇性能・格闘戦能力が下回っていた。こうして、新鋭機キ44戦闘機は、キ43一式戦闘機「隼」より劣っているとされたが、キ44はドイツ空軍新鋭戦闘機Bf109に匹敵する以上の存在であることが明らかになった。実際には、ドイツ空軍の新鋭機はエンジン出力を向上したBf 109 Fだったが、日本は旧型Eと比較をしたのである。
1941年6月、日本陸軍は同盟国ドイツからメッサーシュミットBf 109 E-7戦闘機を3機輸入した。これは、ドイツがフランスに勝利した1年後であり、Bf109の優秀性を認めていたからに他ならない。このメッサーシュミットBf 109戦闘機は、日本陸軍の開発した中島二式単戦(鍾馗)とも模擬空戦を実施したほか、日本陸軍の優秀なパイロットが試乗し、空を飛んだ。
しかし、日本では、一撃離脱を旨とする重戦闘機は評価されず、旋回半径が大きい、失速が急激に来るなど、Bf109を適切に評価できないで終わった。また、搭載したダイムラー・ベンツDB601液冷12気筒エンジンの整備困難や量産性を考慮した部酷な構造は、重量軽減、飛行性能向上のために繊細な手間のかかる工作を好んだ日本の航空機メーカーや設計者には受け入れがたかったようだ。
写真(右)2016年、ドイツ、ベルリン、ドイツ技術博物館 (Deutsches Technikmuseum Berlin)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109 戦闘機E-3型:過給機の空気取入れ口エアインテーク(air intake)は、機首側面に密着しており、気流の乱れを生じさせ、冷却効果も低くなった。そこで、F型からは、エアインテーク(air intake)を機首側面から離して、気流を撹乱しないように配慮した構造に変化している。機首上面に2丁の7.92ミリMG17機関銃を装備したが、機銃の取り付けのためか上面に2つの小さなバルジが明瞭に見て取れる。F型では、そのようなバルジを突出させないで済むように、機首、機体をより凹凸のないように平面化し、空気抵抗の減少を計っている。 escription They were so great at killing in the air and so terrible, terrible at everything that mattered.
Date 22 December 2016, 16:50
Source War machines...
Author Billie Grace Ward from New York, USA 写真はWikimedia Commons, Category:Bf 109E at Deutsches Technikmuseum Berlin, File:War machines... (31437490980).jpg引用。
写真(右)2016年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、ドイツ空軍第52戦闘航空団のメッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109 戦闘機E-4B型:1940年11月27日、スピットファイア(Spitfire)戦闘機に撃墜され、不時着した機体。 Description Photo ref; Nikon-D80-2013-DSC_1265 (Edited)
Date 5 December 2006, 03:43
Source Messerschmitt Bf-109E, RAF Museum, Hendon.
Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109E at RAF Museum London, File:Messerschmitt Bf-109E, RAF Museum, Hendon. (11357551985).jpg引用。
写真(右)2016年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、エンジンカバーを取り外した第52戦闘航空団のドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109 戦闘機E-4B型のダイムラーベンツDB601液冷倒立12気筒エンジン:1940年11月27日、スピットファイア(Spitfire)戦闘機に撃墜され、不時着した機体。 Description
The RAF Museum chose to celebrate the 100th Anniversary of the service by dismantling and closing the museum dedicated to its finest hour, the Battle of Britain Museum. Every cloud has a silver lining, however, and during May 2016 the aircraft were in a part dismantled state, allowing for some interesting photos.
Delivered in September 1940 and operated with 2/JG51 based at Wissant near Calais. Flew as ‘Black 12’, the markings it wears today. Shot down on 27th November 1940 by a 66sqn Spitfire and forced landed next to the flight office on RAF Manston Airfield, with very little damage sustained. The aircraft was moved to RAF Hucknall for repair in December 1940 and on 25th February 1941 it flew again, now in RAF camouflage and markings, with the serial ‘DG200’. The rebuilt included parts of other shot down Bf109s, including '1418' and '6313'. In March 1942 it joined 1426 Enemy Aircraft Flight, based Duxford, the unit moving to RAF Collyweston in April 1943. By September 1943 newer aircraft were available and ‘DG200’ was stored along with Fiat CR42 ‘BT474’ for future museum use. Stored at various locations including RAF Biggin Hill. It also appeared statically at various exhibitions and displays. Restored as Black 12 at St Athan in 1970, it finally went on permanent display in 1978 when the Battle of Britain Hall opened and remained there until 2016. RAF Museum, Hendon, London, UK.
28th May 2016
Date 28 May 2016, 09:40
Source Engine of Messerschmitt Bf109E-4/B ‘4101 / Black 12’ (DG200)
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109E at RAF Museum London, File:Engine of Messerschmitt Bf109E-4-B ‘4101 - Black 12’ (DG200) (32300599023).jpg引用。
ドイツの工業技術は、素材、規格に優れていたために、左右の主翼(wing)を機体にボルトで結合して製造した。このような構造であれば、陸上を自動車や列車で、海上を船舶で運搬するときでも、主翼を外してコンパクトにまとめることができる。他方、日本軍機は、左右の主翼を一体化し、それを胴体に固定した。若干の重量軽減には役に立ったが、輸送には不便だった。左右一体化の主翼を大きく損傷した場合、両翼全てを交換しなければならず、これができない以上、日本機の修理、整備は困難となり、稼働率の低下を招いた。
⇒写真集Alubum:メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109E戦闘機を見る。
4.空力学的に洗練されたBf-109戦闘機F型 フリードリヒ (Friedrich)
F型は、E型と異なって、機首左の過給機空気取入れ口が、機首から離れた位置にまで伸びているが、これは機体表面の境界層を、突出物によって乱さないように配慮したためである。水平尾翼を支える支柱も撤去され、空気抵抗の減少につながった。
写真(右)1943年頃,ドイツ空軍メッサーシュミットBf109F戦闘機初期型:Bf 109戦闘機F型では、機首の機関銃は、E型までと同じ7.92ミリMG17機関銃2丁だが、胴体エンジン後方に15.1ミリMG151機関銃1門をモーターカノンとして装備し、プロペラ軸を通じて弾丸をスピナー先端の銃口から発射できる。これは、プロペラ越しの射撃ではないので同調装置はいらず、発射速度が速くなる。また胴体中央で重心近くにあるため弾道が安定している。
SDASM Archives
Messerschmitt, Bf 109
Catalog #: 01_00082380
Title: Messerschmitt, Bf 109
Corporation Name: Messerschmitt
Additional Information: Germany
Designation: Bf 109
Tags: Messerschmitt, Bf 109
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00082380引用。
Bf 109戦闘機の操縦席(コックピット)のガラス風防は、枠を少なくし、さらに平面ガラスを採用して、パイロットの視界向上を図っている。また、ガラス風防の窓枠は堅牢な構造で、強度を向上させており、機体転覆や不時着時のパイロットの安全性を高めている。パイロットが操縦席に乗り込む際には、ガラス風防をヒンジ式の番で開く。これと比較すると、日本戦闘機の風防は、軽量なスライド式で一見便利だが、強度不足の問題があった。
Bf 109戦闘機F型(Messerschmitt Me 109 F)の兵装は、機首上面の機関銃は、E型までと同じ7.92ミリMG17機関銃2丁だが、胴体エンジン後方にマウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃または20ミリMG151/20 機関銃1丁をモーターカノンとして装備した。そして、15.1ミリ機関銃は、プロペラ軸を通じて弾丸をスピナー先端の銃口から発射するのである。これは、プロペラ越しの射撃ではないので同調装置はいらず、弾丸の発射速度を低下させないで済む。さらに、飛行中は、機体が動揺し、様々なベクトルでGがかかるが、モーターカノンは、機関銃が機体胴体中央で重心近くにあるために、弾道が安定しており、命中率も高いと考えられる。
1940年6月のフランス降伏で,ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げた。
写真(右)1943年4月,ソビエト連邦、ドイツ空軍第52戦闘航空団所属のメッサーシュミットMe-109F戦闘機:砂塵がエンジン内部に入らないように、エンジンのエアインテークには砂塵除けのフィルターが装着されている。先端部にあるの開閉式吸入口は開いている。ドイツ空軍主力戦闘機で,エンジンのプロペラ軸を通してマウザー(モーゼル)20ミリMG151/20 機関銃1丁を装備していた。望遠レンズで撮影したためか、機首が短縮されて写っている。 Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-633-3849-30
Archive title: Ostfront.- Feldflugplatz. Jagdgeschwader 52, 13. (slowakische) Staffel. Jagdflugzeug Messerschmitt Bf 109; KBK Lw zbV
Dating: April 1943
Photographer: Ritter, Heinz
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。
舗装されていない滑走路が一般的だった地中海方面や東部戦線では、ダイムラー・ベンツDB605エンジン内部に砂塵が吸い込まれて、エンジンが故障するリスクが高まった。そこで、砂塵がエンジン内部に入らないように、エンジンのエアインテークには砂塵除けのフィルターが装着されるようになった。先端部にあるの開閉式吸入口は開いている。低空でなければ、砂塵は少ないので、吸入口の扉は開けているが、地上では砂塵が多いので、口を閉じて円筒状のフィルター越しに空気を吸入する。
高速を出せば、風圧によりエアインテークに流れる空気は、十分にあるが、風圧を効率的に利用するためには、胴体突出して開口部を境界層の外に設けている。これは、境界面での空気の流れを妨げない工夫で、空気抵抗を減らす効果もある。P-51 ムスタングのエアインテークも、機体下部の中央部にあるが、境界層を乱さないように突出した形状になっている。他方、Bf109 戦闘機E形までは、エアインテークを境界層に設けており、境界層から離して吸入口を設けたのはF型以降である。日本陸軍キ61川崎三式戦闘機のエアインテークは、最後まで境界層に設けられていた。
Messerschmitt Me 109 Fは,機首ダイムラー・ベンツ(Daimler Benz )DB605にモーターカノンとしてマウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃または20ミリMG151/20 機関銃,ラインメタル13.1ミリMG131機銃 2丁,主翼に機銃は装備しなかった。ダイムラー・ベンツDB601エンジン (1200馬力),最大速度630キロ, 航続距離 580キロ。
1941年6月21日,バルバロッサ作戦開始の前日のドイツ軍東部戦線配備兵力
兵員300万人,戦車3580両,火砲7184門,車両60万台,ウマ75万頭。航空機1830機.
対峙するソ連軍は,兵員450万人,10個軍だった。
ソ連軍は,北方には30個師団,8個機甲旅団,中部に45個師団,14個機甲旅団,南部に64個師団,14個機甲旅団を配備
ソ連空軍は白ロシア(ベラルーシ)に6000機を配置。
写真(右)1942年8月11日、フィンランドに駐屯したドイツ空軍第一航空軍アルフレート・ケラー司令官隷下第54戦闘航空団(JG54)「緑のハート」(グリュン・ヘルツ)のメッサ―シュミットBf 109戦闘機F型:モーターカノンには、F-3型までは15.1ミリMG151機関銃1丁(ベルト給弾200発)、F-4型以降は20ミリMG151/20機関銃(ベルト給弾150発)をエンジン後方に装備。機首上面の7.92ミリMG17機銃(2丁)は、初速840m/秒、発射速度1000発/分、ベルト給弾1丁当たり500発、合計1000発を装備した。モーターカノンを搭載した連合軍機は、アメリカのベルP-39エアコブラが37ミリ機関砲を備えていた。
Saksalainen hävittäjälaivue Petäjärvellä. Sot.virk. G.Feldhoff, valokuvaaja
Saksalainen hävittäjälaivue Petäjärvellä. Kommando I/JG 54, jonka kalustona olivat Bf 109 F-4 -hävittäjät. Kuvassa mekaanikot vääntävät käynnistysveiviä.
Aineistotyyppi:
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1942-08-11
Sot.virk. G.Feldhoff, valokuvaaja
Aiheet:
1942-08-11. 写真はフィンランド国防省,MUSEOT FINNA引用。
ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)のドイツ空軍第一航空軍(Luftflotte 1)に属していたJG54は、1941年6月21日、バルバロッサ作戦初日,ヴィルヘルム・リッター・フォン・レープ(Wilhelm Ritter von Leeb)元帥を司令官とする北方軍集団(レープ元帥)を支援し、フィンランド、バルチック海周辺、レニングラードで戦った。1941年から1943年には、JG54は、レニングラード包囲戦、イイリメニ湖周辺のソ連軍攻撃のために、フィンランドにも駐屯した。
第54戦闘航空団(Jagdgeschwader 54 )「緑のハート」(グリュン・ヘルツ)は、それまでBf109戦闘機を装備していたが、1943年2月からは、JG54にもフォッケウルフ Fw190が配備されることになった。1943年の時点で、JG54第1飛行戦隊には、ヴァルター・ノヴォトニー大尉(257機撃墜)、ルドルフ・ラーデマッハ少尉(126機)などのトップクラスのエースを擁していた。
写真(右)1942年8月11日、フィンランドに駐屯したドイツ空軍第一航空軍アルフレート・ケラー司令官隷下、第54戦闘航空団(JG54)「緑のハート」(グリュン・ヘルツ)のメッサ―シュミットBf 109戦闘機F型:1943年から、JG54の第1、2、4飛行戦隊は、ドイツ軍の北方軍集団を支援するため、ラトビア、エストニア、クールラント、東プロイセン地域で戦った。
Saksalainen hävittäjälaivue Petäjärvellä. Sot.virk. G.Feldhoff, valokuvaaja
Saksalainen hävittäjälaivue Petäjärvellä. Kommando I/JG 54, jonka kalustona olivat Bf 109 F-4 -hävittäjät. Kuvassa mekaanikot vääntävät käynnistysveiviä.
Aineistotyyppi:
?Valokuva
Kuvaustiedot:
1942-08-11
Sot.virk. G.Feldhoff, valokuvaaja
Aiheet:
1942-08-11. 写真はフィンランド博物館,MUSEOT FINNA引用。
メッサ―シュミットBf 109戦闘機F型は、枢軸軍では初めてモーターカノンを搭載した。ダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB605のモーターカノンには、F-3型までは15.1ミリMG151機関銃1丁(ベルト給弾200発)、F-4型以降は20ミリMG151/20機関銃(ベルト給弾150発)をエンジン後方の操縦席足元に搭載し、プロペラ軸を通して、プロペラスピナ先端の銃口から発射した。F型は機首上面に7.92ミリMG17機銃(2丁)は、初速840m/秒、発射速度1000発/分、ベルト給弾1丁当たり500発、合計1000発を装備しているが、これはその前のE型と同じである。連合軍機では、アメリカのベルP-39エアコブラがモーターカノンの37ミリ機関砲を備えていた。
第54戦闘航空団(Jagdgeschwader 54 )第1飛行戦隊は、第70戦闘航空団第1飛行隊として、1939年7月、ニュルンベルクで編成されたたため、エンブレムは、ニュルンベルクの紋章に由来する「緑のハート」となった。第54戦闘航空団第1飛行戦隊が成立したのは、第二次大戦勃発直後の1939年9月15日だった。
第54戦闘航空団(Jagdgeschwader 54 )第2飛行戦隊は、第138戦闘航空団第1飛行戦隊として、1938年のアンシュルス以降に、オーストリアで編成され、1940年4月に第54戦闘航空団第2飛行戦隊となった。
第54戦闘航空団(Jagdgeschwader 54 )第3飛行戦隊は、プロイセンの第21戦闘航空団第1飛行戦隊が起源で、第二次大戦直前の1939年7月15日に成立した。1939年9月のポーランド侵攻には、第54戦闘航空団の第2飛行戦隊、第3飛行戦隊が参加している。
Bf 109戦闘機F型では、機首の機関銃を、それまでの7.92ミリMG17機関銃2丁としながらも、大口径高初速のモーゼル15.1ミリMG151機関銃1門をダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB605モーターカノン式にエンジン後方に装備し、プロペラ軸を通じて弾丸をスピナー前端の銃口から発射する。
写真(右)1943年頃,枢軸国のルーマニア軍の使用したドイツ製メッサーシュミットBf109戦闘機F型(G初期型?):
SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Catalog #: 01_00085149
Title: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Gustav
Additional Information: Germany
Designation: BF 109g
Tags: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085149引用。
1933年に王立陸軍参謀総に就任したイオン・アントネスク(Ion Antonescu)将軍は、1937年には国防大臣を務めたが、国家主義的武装団体の鉄衛団と連携しようとして、反政府活動の容疑で投獄された。すぐに釈放されたが、今度は、ソ連の領土割譲要求を拒否すべきであるとの国家主義的立場をとり、国王カロル2世と対立し、再度投獄された。しかし、ドイツの働きかけで、イオン・アントネスク(Ion Antonescu)は、1940年に釈放されると、反ソ連の立場を明確にして、カロル2世を退位させ、自らが政府首班となった。ヒトラーを真似て、国民投票を行い、「国家指導者」という独裁的地位に就任した。
ルーマニアの国家指導者イオン・アントネスク(Ion Antonescu)将軍は、三国軍事同盟に加わり、1941年6月、ドイツのソ連侵攻に際して、枢軸国側に立って参戦した。そして、ソ連南部のオデッサ、スターリングラード、カフカスへ侵攻したが、1942年冬、イオン・アントネスク(Ion Antonescu)でソ連軍の反撃を受け壊滅的打撃を受けた。1944年夏、ルーマニア東部にソ連軍が迫ると、ルーマニア国内は動揺し、1944年8月23日、ルーマニア国王ミハイ1世は反アントネスクのクーデターを起こし、政権を奪取し、枢軸国側より離脱、ソ連と和睦して、ソ連軍側に立って、対ドイツ戦争に加わった。
メッサ―シュミットBf 109戦闘機F型は、枢軸軍では初めてダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)DB605にモーターカノンを搭載した。これは、マウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃あるいは20ミリMG151/20 機関銃1丁で、コックピット足元に搭載して、銃身からプロペラ軸を通して、プロペラスピナ先端の銃口から弾丸を発射した。連合軍機では、アメリカのベルP-39エアコブラがモーターカノンの37ミリ機関砲を備えていた。
ドイツ空軍メッサーシュミットBf-109G3型は、戦闘偵察機で、G0型、G1型のような与圧操縦室はなく、偵察任務のために、大型カメラを胴体操縦席後方に搭載した。
写真(右)1943年1月,北アフリカ戦線、チュニジア、ドイツ空軍メッサーシュミットBf-109F戦闘機:エアインテークには、砂塵の侵入を防ぐフィルターが装着されている。空気は低空では、網の目になったフィルター側面から取り入れる。中空以上では、インテーク先端の扉を開けて正面から空気を取り入れる。プロペラスピナには、20ミリ機関銃、エンジンカバーには、機首上面の7.92ミリ機関銃の銃口が開いている。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-421-2056-35
Archive title: Nordafrika, Tunesien.- Feldflughafen, Pilot vor Start in Flugzeug Messerschmitt Bf 109 mit Geschwader-Kennzeichen "Pik As", Jagdgeschwader 53; KBK Lw 6
Dating: 1942/1943 ca.
Photographer: Marnowitz
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。
ヘルマン・ゲーリングのドイツ空軍Bf 109戦闘機F型では、機首の機関銃を、それまでの7.92ミリMG17機関銃2丁としながらも、大口径のマウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃あるいは20ミリMG151/20 機関銃1丁を操縦席足元に搭載し、プロペラ軸を通して、プロペラスピナ先端の銃口から発射した。連合軍機では、アメリカのベルP-39エアコブラがモーターカノンの37ミリ機関砲を備えていた。Bf 109戦闘機G型では、機首の7.92ミリMG17機関銃2丁から、より大口径の13.1ミリMG131機関銃2丁に強化した。そこで、この13.1ミリ弾の薬莢を排出するパイプのバルジ(突出部)がある。
ドイツ空軍メッサーシュミットBf-109戦闘機F型(フリッツ)は、ドイツ軍がソ連に侵攻した1941年6月から大々的に使用され、それまでのE型(エミール)よりも強力なエンジンを搭載し、空力学的な洗練さを求めた機体だった。そして、E型に代わって主力戦闘機となったが、問題は兵装が20ミリ機関銃1丁、7.92ミリ機関銃2丁と火力不足だったことだった。熟練パイロットであれば火力不足もカバーできるが、新米パイロットでは攻撃力が大幅に低下した。また、対戦闘機戦闘ではなく、対十打公家機器迎撃戦が本格化すると、火力不足で、重爆撃機の迎撃はできなくなった。ただし、F型では胴体下部に落下式増槽(300L)を常時装備できるよう改良されたため、それまでの航続距離の不足の問題は解消された。
⇒写真集Alubum:メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109F戦闘機を見る。
5.エンジン強化、最多生産型のBf-109戦闘機G型 グスタフ(Gustav)
写真(右)1942年8月、 ロシア北部、未舗装飛行場で待機しているドイツ空軍第54戦闘航空団(JG54)「グリュン・ヘルツ」第3飛行隊所属のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-2:メッサ―シュミットBf 109戦闘機G型初期型は、モーターカノンには、20ミリMG151/20機関銃(ベルト給弾150発)をエンジン後方の操縦席足元に搭載し、機首上面に2丁の7.92ミリMG17機関銃を装備した。この程度の火力では、1943年段階では、対爆撃機用の火力として決定的に不足しており、対戦闘機用としても物足りない。 Photographer
Reiners
Rußland-Nord.- Jagdflugzeug Messerschmitt Me 109 G-2 des Jagdgeschwaders 54 (III./JG 54) "Grünherz" auf Feldflugplatz; KBK Lw 4
Title
Flugzeug Messerschmitt Me 109 G-2 Info non-talk.svg
[Bf 109 G-2; JG 54/III]
Date August 1942
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-398-1794-18
写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Bf 109G File:Bundesarchiv Bild 101I-398-1794-18, Flugzeug Messerschmitt Me 109 G-2.jpg引用。
写真(右)1943年夏、 イタリア、ドイツ空軍第52戦闘航空団(JG52)第2飛行隊所属のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-3が右エンジンカバーを開放してエンジン整備を受けている。:メッサ―シュミットBf 109戦闘機G型初期型は、モーターカノンには、20ミリMG151/20機関銃(ベルト給弾150発)をエンジン後方の操縦席足元に搭載し、機首上面に2丁の7.92ミリMG17機関銃を装備した。この程度の火力では、1943年段階では、対爆撃機用の火力として決定的に不足しており、対戦闘機用としても物足りない。 Photographer
Lechleitner
Italien(?).- Feldflugplatz mit Flugzeug Messerschmitt Me 109 G-3; Soldaten, sitzend; Eins Kp Lw zbV (These are in fact Bf 109's of II./JG52 at Anapa, Black Sea, Autumn 1943).
Title
Flugzeug Me 109 auf Feldflugplatz Info non-talk.svg
Depicted place Italien, World War II, unknown town
Date 1942 (1943)
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-649-5382-31A
写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Bf 109G File:Bundesarchiv Bild 101I-649-5382-31A, Flugzeug Me 109 auf Feldflugplatz.jpg
引用。
写真(右)1943年夏、 イタリア、シシリー島コミソ、イギリス軍がシシリー島侵攻「ハスキー作戦」で占領した飛行場で鹵獲したドイツ空軍第27戦闘航空団(JG27)所属のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-6 R6:モーターカノンには、20ミリMG151/20機関銃(ベルト給弾発)の銃口は、渦巻きを描いたスピナー先端にある。機首上面には、F型同様、2丁の7.92ミリMG17機関銃を搭載しており、銃口が見える。この程度の火力では、1943年段階では、対爆撃機用の火力として決定的に不足していたために、主翼下面に左右各1丁の20ミリMg151/20機関銃を入れたポッドを取り付けている。そのため火力は増強された反面、重量増加、空気抵抗増大で飛行性能は大きく低下してしまった。 Photographer
Hebenstreit
Jagdflugzeug Flugzeug Messerschmitt Me 109 G-6 des Jagdgeschwader 27 (Jg 27) mit zwei MG 151/20 unter den Tragflächen im Flug; Eins Kp Lw zbV
Title
Flugzeug Messerschmitt Me 109 Info non-talk.svg
Date 1943
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-662-6659-37 写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Bf 109G File:Royal Air Force- Italy, the Balkans and South-east Europe, 1942-1945. CNA1045.jpg
引用。
写真(右)1943年3月以降、北アフリカ、チュジア、アメリカ陸軍航空隊のカーチス(Curtiss)P-40Fウォーホーク戦闘機と1943年3月1日に撃墜、鹵獲され試験飛行されるドイツ空軍メッサ―シュミットBf 109戦闘機G型:Bf109はアメリカの大79戦闘飛行隊パイロットが登場し試験飛行をする。 Description A U.S. Army Air Forces Curtiss P-40F Warhawk and a Messerschmitt Me 109G fighter. The Me 109 had been shot down in Tunisia in 1 March 1943. After being repaired, the plane (named "Irmgard" by its German pilot) was flown by pilots of the USAAF 79th Fighter Group.
Date 1943
Source
Database of the Australian War Memorial under the ID Number: MEC0512
Author Laurence Craddock Le Guay, Australian armed forces 写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss P-40F Warhawk File:P-40F and captured Bf 109G in Tunisia 1943.jpg引用。
写真(右)1944年初期、アメリカ本土、オハイオ州ライトフィールド飛行場、アメリカ陸軍航空隊が1943年3月1日にチュニジアで鹵獲したドイツ空軍メッサ―シュミットBf 109戦闘機G型:このBf109はアメリカが初めて鹵獲したドイツ戦闘機だったために、アメリカ本土まで運ばれ検査された。 Description View of a Messerschmitt Bf 109G fighter. This aircraft had been shot down in Tunisia by British ground forces on 1 March 1943. After being repaired, the plane (named "Irmgard" by its German pilot) was flown by pilots of the USAAF 79th Fighter Group. "Irmgard" ended its life as a structural test vehicle at Wright Field, Ohio (USA), in early 1944. This is where this photo was probably taken, as the aircraft in the background seems to be a Bell P-59 Airacomet.
Date 1944
Source U.S. Air Force photo [1]
Author USAAF 写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Bf 109G File:Messerschmitt Bf 109 during static tests USAF.JPG
引用。
写真(右)1943年9月、 フランス、ドイツ空軍第2戦闘航空団(JG2)のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-6 R6:メッサ―シュミットBf 109戦闘機G型は、全形式がモーターカノンを搭載した。モーターカノンには、20ミリMG151/20機関銃(ベルト給弾150発)をエンジン後方の操縦席足元に搭載し、プロペラ軸を通して、プロペラスピナ先端の銃口から発射する。さらにR6は、左右主翼下面にベルト給弾方式の20ミリMG151/20機関銃1挺ポッドを吊り下げている。
Photographer
Boyer
Frankreich.- Flugzeugwarte beim Anschieben eines Jagdflugzeugs Messerschmitt Me 109 G-6 (with R6 gun package) (Kennung schwarze 12) des Jagdgeschwader 2 (JG 2) auf Flugplatz; Lfl 3
Title
Flugzeug Messerschmitt Me 109 Info non-talk.svg
Date September 1943
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-487-3066-04
写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Bf 109G File:Bundesarchiv Bild 101I-487-3066-04, Flugzeug Messerschmitt Me 109.jpg引用。
写真(右)1943年、 フランス、飛行するドイツ空軍第2戦闘航空団(JG2)のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-6 R6の右側面:メッサ―シュミットBf 109戦闘機G型は、重量増加で、尾輪も大型化、構造強化されたために、引き込み式ではなく、固定式尾輪となった。また、全形式がモーターカノンを搭載した。モーターカノンには、20ミリMG151/20機関銃(ベルト給弾150発)をエンジン後方の操縦席足元に搭載し、プロペラ軸を通して、プロペラスピナ先端の銃口から発射する。さらにR6は、左右主翼下面にベルト給弾方式の20ミリMG151/20機関銃1挺ポッドを吊り下げている。
Photographer
Hebenstreit
Jagdflugzeug Flugzeug Messerschmitt Me 109 G-6 des Jagdgeschwader 27 (Jg 27) mit zwei MG 151/20 unter den Tragflächen im Flug; Eins Kp Lw zbV
Title
Flugzeug Messerschmitt Me 109 Info non-talk.svg
Date 1943
Collection
German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-662-6659-37
写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Bf 109G File:Bundesarchiv Bild 101I-662-6659-37, Flugzeug Messerschmitt Me 109.jpg引用。
ドイツのソ連侵攻バルバロッサ作戦では、1941年6月22日早朝に攻撃が始まったが、北方軍集団の目標は、レニングラード攻略だった。レニングラードは、ソ連海軍バルト艦隊の基地であり、フィンランド湾、バルト海にあったソ連海軍潜水艦は脅威だった。また、ナチ党の反共産主義のイデオロギーの上で、ボルシェビキの本拠地と見なされ、ヒトラーは当初より、レニングラードの徹底的壊滅を指示していた。北方軍集団司令官レープ元帥隷下、第16軍司令官ブッシュ将軍、第18軍司令官キュッヒラー将軍ともにナチ党イデオロギーに心酔していた軍人であり、対ソ戦初期の快進撃の後方で、親衛隊アインザッツグルッペ(特殊行動部隊)による危険人物・ユダヤ人の処刑を黙認した。
写真(右)1942年,メッサーシュミットMe109G戦闘機の操縦席でメモを取るパイロット:
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-607-1846-26
Archive title: Sowjetunion.- Start / Landung, Pilot im offenen Cockpit einer Messerschmitt Bf 109; KBK Lw z.b.V
Dating: 1942
Photographer: Väth
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
メッサーシュミットMe109E型の発動機は、ダイムラーベンツDaimler-Benz DB601Aでボア(シリンダ内径)は150mmであったが、メッサーシュミットMe109F型のダイムラー・ベンツ(Daimler Benz )DB605では154mmへと大型化したために、シリンダ数は12気筒で同じでもエンジン排気量は33.9Lから35.7Lへと容積が増加し、出力がアップした。
写真(右)1942年,メッサーシュミットMe109G戦闘機の操縦席でメモを取るパイロット:高空で空気が薄くなった時に、パイロットに酸素を送るゴム製管が伸びている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-607-1846-26
Archive title: Sowjetunion.- Start / Landung, Pilot im offenen Cockpit einer Messerschmitt Bf 109; KBK Lw z.b.V
Dating: 1942
Photographer: Väth
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1943年,ドイツ空軍メッサーシュミットMe109G戦闘機の操縦計器: 水平儀(姿勢指示器)、速度計 、高度計、羅針儀、旋回傾斜計、昇降計、時計、回転計、燃料混合比計、油温計、シリンダー温度計、吸気圧計、油圧計、航路計、電路切断機。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-638-4222-02
Archive title: Reichsgebiet.- Im Cockpit einer Messerschmitt Bf 109, Messinstrumente, Gerätetafel; Eins KP Lw z.b.V.
Dating: 1943
Photographer: Höss
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ドイツ軍はモスクワに次ぐソ連第2大都市レニングラードを900日近く包囲し、空襲、砲撃により破壊され、包囲された人々からは死傷者100万名がでたが、レニングラードは陥落しなかった。独ソ戦の緒戦で、ソ連軍は大敗北を続けたが、その士気は衰えなかった理由は、ソビエト人の意識や大ロシア意識といったアイデンティティー、共産党・スターリンによる鉄の規律、ソ連軍兵器の優秀性、極東配備のソ連軍の西方派遣も指摘できるが、レニングラードが包囲されても抵抗し続けたことは、ソ連の人々を勇気づけ、モスクワ陥落もあり得ないとの地震を付けさせることになった。1945年、スターリンは、レニングラードに英雄都市の称号を与えた。
メッサーシュミットMe109戦闘機G型は、F型同様、機首プロペラシャフトにモーターカノンとして、20ミリMG151/20機銃1丁、機首上面に13.1ミリMG131機銃2丁を装備。Me109Fは,機首上面に7.92ミリMG17機銃2丁だったが、機首上面に搭載した固定機銃が大型になったことでG標準型の機首には突出部(バルジ)がある。ダイムラー・ベンツDB601エンジン (1475馬力),最大速度630キロ, 航続距離 580キロ。
写真(右)1943年,ソ連(?)、ドイツ空軍第52戦闘航空団第II飛行隊(II./JG52)の飛行隊長ゲルハルト・バルクホルン大尉メッサーシュミットBf-109G戦闘機:飛行場にあると撃墜王ゲルハルト・バルクホルン(中央)の搭乗機Messerschmitt Me 109 Gには,飛行戦隊長のマーク(二重楔形)があり,三角形の航空燃料オクタン価指示マークに87(オクタン)とある。 左端の整備兵が左手をかけているのは,フタ付の手掛けで操縦席に上るときに使う。尾翼付け根には。尾翼を持ち上げる棒を差し込む穴が確認できる。 Reichsgebiet.- Der Pilot Gerhard Barkhorn (Mitte) mit Angehörigen der Luftwaffe auf einem Feldflugplatz; Einsatzkompanie Luftwaffe zbV
Dating: 1940/1943 ca.
Photographer: Heinz [Heins]
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。
バルクホルンは、1943年1月11日、105機撃墜で柏葉付騎士鉄十字章を授与され、1943年8月8日、ドイツ空軍で15番目の150機撃墜王となある。9月1日、バルクホルンは大尉に昇進し、第52戦闘航空団第II飛行隊(II./JG52)の飛行隊長に就任。11月30日、5番目の200機撃墜、1944年2月13日、3番目の250機撃墜、1945年1月4日、エーリヒ・ハルトマンに次いで2番目の300機撃墜を達成。
写真(右)1943年,ソ連(?)、ドイツ空軍第52戦闘航空団第II飛行隊(II./JG52)の飛行隊長ゲルハルト・バルクホルン大尉のメッサーシュミットMe109G戦闘機:Me109Fは,機首上面に7.92ミリMG17機銃2丁だったが、機首上面に搭載した固定機銃が大型になったことでG標準型の機首には突出部(バルジ)がある。機首プロペラシャフトに20ミリMG151/20機銃1丁、機首上面に13.1ミリMG131機銃2丁を装備。プロペラスピナ先端にこのモーターカノンのマウザー(モーゼル)20ミリMG151/20 機関銃の銃口が開いている。ダイムラー・ベンツDB605エンジン (1475馬力),最大速度630キロ, 航続距離 580キロ。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda--kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-649-5357-20
Archive title: Reichsgebiet.- Pilot Gerhard Barkhorn (in der Flugzeugkanzel) in Flugzeug Messerschmitt Me (Bf)109 ("Christel") nach der Landung; Einsatzkompanie Luftwaffe zbV
Dating: 1940/1943 ca.
Photographer: Radebach
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ドイツ軍のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」開始の時期,今までの空軍,陸軍の攻撃順序が逆転している。1940年5月のベルギー・フランス侵攻では,グライダー空挺部隊によるエバン・エマール要塞を奇襲攻略するために,空軍が陸軍よりも先に出撃する必要があった。攻撃開始時間は,陽光が不可欠だった。
他方,1941年6月22日,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の攻撃時間は,6月22日0315で,ドイツ陸軍は早暁に行動を起こして奇襲効果を高めた。
ドイツ空軍(総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring))は,対ソ侵攻の東部戦線に、4個の航空軍を配備,第一線機1280機を揃えた。内訳は,ハインケルHe-111,ユンカースJu-88など双発爆撃機510機,ユンカースJu87など急降下爆撃機290機,メッサーシュミットMe109単発戦闘機440機,Me110双発駆逐機40機,長距離偵察機120機である。
ソ連空軍は,その2倍の飛行機を保有していると予測された。
写真(右)マフラーを撒いた軍服の兵士とオーバーを着込んだ整備士らしい2人がメッサーシュミットBf109戦闘機G型の前で談笑している。:Bf 109戦闘機のモーターカノンのプロペラスピナー先端銃口が明瞭に写っている。衣類が主翼したに置かれているので、移動中なのであろうか。 SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Catalog #: 01_00085142
Title: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Gustav
Additional Information: Germany
Designation: BF 109g
Tags: Messerschmitt, BF 109g, Gustav 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085142引用。
写真(右)1943年冬、ノルウェー、不時着した冬季白色迷彩を施したドイツ空軍第5戦闘航空団第6戦隊(6./JG5)所属のメッサーシュミットBf109G-2戦闘機(W.nNr.14810); G(グスタフ Gustav)型になって、ダイムラー・ベンツ DB605液冷倒立12気筒エンジンが標準搭載となった。 1 fly på bakken, BF 109 G-2 (6/Jg5, W.nNr.14810)havari ettet nedskyting. 1 annet fly sees bak, dobbeldekker.
Fotografering: 1943
Aksesjon: 1994
Identifier: NL.98070037
Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum
Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum
Institution: Norsk Luftfartsmuseum
Date published: December 18, 2014
Date updated: February 19, 2017
DIMU-CODE: 021015696908
UUID: F6EBA2E7-442F-42D1-9D27-6E2F0EBA4A85
写真はRomsdalsmuseet ・Identifier: R.FOT.02376引用。
写真(右)1943年,南イタリア、ドイツ空軍第53戦闘航空団(JG 53)所属のメッサーシュミットBf-109G戦闘機;敵機に発見されないように、対空用偽装網でカモフラージュし隠匿されている。連合軍の護衛戦闘機に対抗するには,性能はともかく,機数や燃料が足りなかった上に,パイロットも未熟練で戦力は劣っていた。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-468-1404-23
Archive title: Italien-Süd.- Jagdflugzeug Messerschmitt Me 109 des Jagdgeschwader 53 (JG 53) "Pik As" auf Feldflugplatz, Mechaniker bei Wartungsarbeiten, geüffnete Cockpithaube; Lfl 2
Dating: 1943
Photographer: Ketelhohn, Karl
Origin: Bundesarchiv ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。
メッサーシュミットBf-109G戦闘機は、最高速度630-680キロの快速戦闘機だったが,30ミリ機関砲1門,13.1ミリ機銃2丁の兵装は,爆撃機を迎撃するには貧弱だった。
写真(右)1943年,南イタリア、ドイツ空軍第53戦闘航空団(JG 53)所属のメッサーシュミットBf-109G戦闘機の頑丈な風防;G型の一部では、高高度でパイロットの体調を維持できるように、頑丈な風防にゴムで操縦室を密閉した簡易与圧室も装備された。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-468-1404-21
Archive title: Italien-Süd.- Jagdflugzeug Messerschmitt Me 109 des Jagdgeschwader 53 (JG 53) "Pik As" auf Feldflugplatz, Mechaniker bei Wartungsarbeiten, geöffnete Cockpithaube; Lfl 2
Dating: 1943
Photographer: Ketelhohn, Karl
Origin: Bundesarchiv ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。
写真(右)1943年,南イタリア、ドイツ空軍第51戦闘航空団(JG 51)所属のメッサーシュミットBf-109G戦闘機;G型では、機首装備の機銃が7.92ミリから13.1ミリに大型化したために、給弾・排出システムも大型化し、機首に瘤(バルジ)ができた。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-468-1421-27
Italien-Süd.- Jagdflugzeuge Messerschmitt Me 109 (JG 51 / Jagdgeschwader 51 "Mölders" oder JG 53 / Jagdgeschwader 53 "Pik As") auf Feldflugplatz; PK Lfl 2
Dating: 1943
Photographer: Ketelhohn, Karl
Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。
写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ空軍第51
戦闘航空団(JG 51)所属のメッサーシュミットBf-109G戦闘機:21センチ空対空ロケット榴弾Wgr.21装備機;G型では、機首装備の機銃が7.92ミリから13.1ミリに大型化し機首に13.1ミリ機関銃の瘤(バルジ)が突出している。また、G型では、主翼下面に21センチ空対空ロケット榴弾を装備して、爆撃機迎撃に用いられた。しかし、初速が遅く、弾道が放物線を描くように運動する上に、時限信管で爆発する仕組みだったため、命中率が悪かった。これに、近接信管が装備されれば、有効性は高まったであろう。機首の13.1ミリ機関銃の瘤(バルジ)、両翼のロケット弾吊り下げ装置のため、空気抵抗が大きく、性能低下が甚だしかった。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-526-2306-36
Archive title: Balkan.- Wartung / Einrichtung eines Maschinen-gewehrs unter der Tragfläche einer Messerschmitt Bf 109; Lw Kdo Südost
Dating: 1943
Photographer: Karnath
Origin: Bundesarchiv ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。
1943年,ドイツ本土と同様、イタリア戦線で活躍したドイツ空軍第51
戦闘航空団(JG 51)所属のメッサーシュミットBf-109G戦闘機G型にも、主翼下面に21センチ空対空ロケット榴弾Wgr.21が装備されて、爆撃機迎撃に用いられた。しかし、21センチ空対空ロケット榴弾Wgr.21は、地上戦用に開発された口径21センチのロケット弾であり、初速は遅く、弾道も安定していない。大重量のロケット弾は、低初速で、弾道が放物線を描くように運動する上に、時限信管で爆発する仕組みだったため、命中率が悪かったのである。21センチ空対空ロケット榴弾Wgr.21に、アメリカ軍の開発したような近接式信管が装備さたならば、命中率の低さを相殺して、有効性は高まったであろう。
メッサーシュミットBf-109G戦闘機機首に13.1ミリ機関銃の瘤(バルジ)もあり、両翼に21センチ空対空ロケット榴弾Wgr.21を吊り下げたため、空気抵抗が大きく、空中飛行性能が著しく低下してしまった。この機種では、対戦闘機戦闘は不可能である。
1942-1943年冬、ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)はスターリングラード空輸を請合ったが,失敗。1944年以降のドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。
写真(右)1943年頃,バルカン方面、ドイツ空軍メッサーシュミットBf 109G-6/R-6 Trop戦闘機 "赤13+" "Marga" と主翼下面の20ミリ機関銃増設ポッド;
Signature: Bild101I-526-2306-36
Bundesarchiv Bild 101I-526-2306-36, Balkan.- Oberfeldwebel Heinrich Bartels Balkan.- Oberfeldwebel Heinrich Bartels (left) during the maintenance / installation of a machine gun under the wing of a Messerschmitt Bf 109G-6/R-6 Trop "red 13+" "Marga" flown by Obfw. Heinrich BARTELS of III./JG 27 - Kalamaki airfield (Greece); Lw Kdo Südost Date: 1943. Photographer: Karnath. Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 II). Source: German Federal Archives.
Origin: Bundesarchiv
ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild101I-526-2306-36引用。
写真(右)1943年4月24日、フィンランド、フィンランド空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G2型:機首上面には7.92ミリ
MG 17機関銃2丁、モーターカノンの20ミリMG 151機関砲1門を搭載しているのはF型と同じだが、エンジンをF型のダイムラーベンツDB601から改良型のDB605に換装、強化したために、F型と比較して、速力、加速性、上昇力など性能が向上した。しかし、その後のG型では、武装強化、防弾強化によって重量、抵抗増加があり、性能の向上は僅かに留まった。 MT-kone.
Vänrikki E.Blomberg, valokuvaaja
Sotamuseo
MT-kone. Kuvassa Messerschmitt Bf 109 G-2 (tunnus MT-213).
Utin lentokenttä, 8533 (HLe.Lv.34) 1943.04.24 写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。
メッサ―シュミットBf 109戦闘機E型では、機首に7.92ミリ2丁、主翼に20ミリMG-FF機関銃を装備したが、F型では機首プロペラ軸を使ったモーターカノンを装備する予定だったため、主翼の機関銃は撤去された。しかし、モーターカノン20ミリ機関銃の配備が遅れ、それだけでは爆撃機迎撃には火力が不足したために、主翼下面に20ミリMG151/20機関銃を増設した武装強化型も生産された。
写真(右)1943年4月24日、フィンランド、フィンランド空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-2型: MT:n radiota korjataan.
Vänrikki E.Blomberg, valokuvaaja
MT:n radiota korjataan. Konetyyppi: Messerschmitt Bf 109 G-2. Radion viritys käynnissä.
Aineistotyyppi: Valokuva
Kuvaustiedot:
1943-04-24
Vänrikki E.Blomberg, valokuvaaja
Aiheet:
1943-04-24
写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。
メッサ―シュミットBf 109戦闘機G型は、機首上面にはラインメタル社(Rheinmetall)7.92ミリ
MG 17機関銃2丁が、エンジン後方にはモーターカノンの20ミリMG 151機関砲1門を搭載しているのはF型と同じだが、エンジンをF型のダイムラーベンツDB601から改良型のDB605に換装、強化したために、F型と比較して、速力、加速性、上昇力など性能が向上した。しかし、その後のG型では、武装強化、防弾強化によって重量、抵抗増加があり、性能の向上は僅かに留まった。
写真(右)1943年4月24日、フィンランド、フィンランド空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-2型:機首上面には7.92ミリMG 17機関銃2丁、モーターカノンの20ミリMG 151機関砲1門を搭載している。 MT:n radiota korjataan.
Vänrikki E.Blomberg, valokuvaaja
MT:n radiota korjataan. Konetyyppi: Messerschmitt Bf 109 G-2. Radion viritys käynnissä.
Aineistotyyppi: Valokuva
Kuvaustiedot:
1943-04-24
Vänrikki E.Blomberg, valokuvaaja
Aiheet:
1943-04-24 写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。
写真(右)1944年1月7日、フィンランド、フィンランド空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-2型: Saksalainen Messerschmitt 109 suojaa lauttaosastoa.
MT-hävittäjiä lähtövalmiina.
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
MT-hävittäjiä lähtövalmiina. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-2.
Aineistotyyppi: Valokuva
Kuvaustiedot: 1944-01-07
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Aiheet:1944-01-07 写真はフィンランド国防省,Museot Finna引用。
写真(右)1944年1月7日、フィンランド、フィンランド空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-2型:G型はエンジンをF型のダイムラーベンツDB601から改良型のDB605に換装、強化したために、F型と比較して、速力、加速性、上昇力など性能が向上した。 Saksalainen Messerschmitt 109 suojaa lauttaosastoa.
MT-hävittäjiä lähtövalmiina.
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
MT-hävittäjiä lähtövalmiina. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-2.
Aineistotyyppi:Valokuva
Kuvaustiedot: 1944-01-07
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Aiheet:1944-01-07 写真はフィンランド国防省,Museot Finna引用。
写真(右)1944年1月7日、フィンランド、フィンランド空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G2型:エンジンをF型のダイムラーベンツDB601から改良型のDB605に換装、強化したG型だったが、武装強化、防弾強化によって重量、抵抗増加があり、性能の向上は僅かに留まった。 Saksalainen Messerschmitt 109 suojaa lauttaosastoa.
MT-hävittäjiä lähtövalmiina.
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
MT-hävittäjiä lähtövalmiina. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-2.
Aineistotyyppi: Valokuva
Kuvaustiedot: 1944-01-07
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Aiheet:1944-01-07 写真はフィンランド国防省,Museot Finna引用。
写真(右)1944年2月6日、フィンランド、フィンランド空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-2型:機首上面には7.92ミリ
MG 17機関銃2丁、モーターカノンの20ミリMG 151機関砲1門を搭載し、F型と同じである。 MT-kone ilmassa
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
MT-kone ilmassa. (Messerschmidt) Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-2.
Aineistotyyppi: Valokuva
Kuvaustiedot: 1944-02-06
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Aiheet:1944-02-06 写真はフィンランド博物館,Museot Finna引用。
写真(右)1944年2月28日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ空港に駐屯したドイツ空軍第一航空軍アルフレート・ケラー司令官隷下のメッサ―シュミットBf 109G-6戦闘機の整備:主翼下面の20ミリMG151/20機関砲をガンポッドはに白系統の冬季迷塗装はしていないが、主翼の左右で色を違えているのは、敵味方識別のためと思われる。胴体下面に吊り下げた300リットル入りの金属製落下増加タンクには、燃料系統から零れ落ちた油汚れが目立つ。 Malmin lentokenttä
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Malmin lentokenttä. Saksalaisia hävittäjiä lämmitetään. Tyyppi: Me-109. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-6.
Tämän aineiston tarjoaa . Kuvaustiedot:1944-02-28
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces引用。
ヘルシンキ・マルミ空港は、1930年代から首都ヘルシンキの国際空港として使用され、国内路線としても、極地のペツァモ(Petsamo)まで結ばれていた。1939年、ソ連との冬戦争が勃発すると、マルミ空港は、フィンランド空軍が接収し、軍飛行場となった。また、1941年6月からのソ連との継続戦争でも軍飛行場として、ドイツ空軍機も駐留した。しかし、1944年9月にフィンランドがソ連と休戦すると、マルミ空港はソ連軍の管理下に置かれることになった。
写真(右)1944年2月28日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ空港、ドイツ空軍第一航空軍アルフレート・ケラー司令官隷下のメッサ―シュミットBf 109G-6戦闘機:機体は、全面的に冬季白色迷彩を施している。攻撃力を強化するために、主翼下面の20ミリMG151/20機関砲をガンポッドに入れて装備し、胴体下面には300リットル入りの金属製落下増加タンクを吊り下げて、航続距離を伸ばしている。 Malmin lentokenttä
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Malmin lentokenttä. Saksalaisia hävittäjiä lämmitetään. Tyyppi: Me-109. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-6.
Tämän aineiston tarjoaa . 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces引用。
写真(右)1944年2月28日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ空港に駐屯したドイツ空軍第一航空軍アルフレート・ケラー司令官隷下のメッサ―シュミットBf 109G-6戦闘機:攻撃力を強化するために、主翼下面の20ミリMG151/20機関砲をガンポッドに入れて装備し、胴体下面には300リットル入りの金属製落下増加タンクを吊り下げて、航続距離を伸ばしている。 Malmin lentokenttä Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Malmin lentokenttä. Saksalaisia hävittäjiä lämmitetään. Tyyppi: Me-109. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-6.
Tämän aineiston tarjoaa . Kuvaustiedot:
1944-02-28
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces引用。
写真(右)1944年2月28日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ空港に駐屯したドイツ空軍第一航空軍アルフレート・ケラー司令官隷下のメッサ―シュミットBf 109G-6戦闘機:主翼下面の20ミリMG151/20機関砲をガンポッドはに白系統の冬季迷彩色は塗られていないが、主翼の左右で色を違えているのは、敵味方識別のためと思われる。胴体下面に吊り下げた300リットル入りの金属製落下増加タンクには、燃料系統から零れ落ちた油汚れが目立つ。 Malmin lentokenttä
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Malmin lentokenttä. Saksalaisia hävittäjiä lämmitetään. Tyyppi: Me-109. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-6.
Tämän aineiston tarjoaa. 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces引用。
写真(右)1944年2月28日、フィンランド、ヘルシンキ・マルミ空港に駐屯したドイツ空軍の白系統の冬季迷彩メッサ―シュミットBf 109G-6戦闘機と後方のユンカースJu-52三発輸送機:主翼下面のガンポッドには、20ミリMG151/20機関砲を搭載している。胴体下面に吊り下げているのは、300リットル入りの金属製落下増加タンク。 Malmin lentokenttä
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Malmin lentokenttä. Saksalaisia hävittäjiä lämmitetään. Tyyppi: Me-109. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-6.
Tämän aineiston tarjoaa . Kuvaustiedot:
1944-02-28
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces引用。
写真(右)1944年5月8日、フィンランド、フィンランド空軍のドイツ製メッサ―シュミットBf 109G-2戦闘機:すでにG-6型も最新とは言えない時期に、フィンランドはより旧式のG-2型を装備していた。しかし、対峙しているソ連空軍には、四発大型爆撃機による空襲をしなかったために、武装は20ミリMG151/20機関砲のモーターカノン1門、機首上面の7.92ミリMG17機関銃2丁でも問題なかったようだ。 Tyyppikuvia MT-koneesta.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Tyyppikuvia MT-koneesta. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-2 (tunnus MT-227).
Aineistotyyppi:Valokuva
Kuvaustiedot:1944-05-08
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Aiheet:1944-05-08 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces引用。
写真(右)1944年5月12日、フィンランド、ドイツ空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G型の操縦席:風防を閉じて、飛行準備をするパイロット。ガラス風防前面と操縦席頭上後方を防弾ガラスで守られた操縦席。ガラス風防の前端下側、機体の小型空気取入れ口は、操縦室の換気、曇り止めのためのもの。G型はモーターカノンは20ミリMG 151機関銃1丁あるいは30ミリMK108 機関砲1門を搭載している。
Kansi kiinni ja hävittäjä nousee torjuntalennolle.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Kansi kiinni ja hävittäjä nousee torjuntalennolle. Kone Messerschmitt Bf 109.
Aineistotyyppi:Valokuva
Kuvaustiedot:1944-05-12
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Aiheet:1944-05-12 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces Kansi kiinni ja hävittäjä nousee torjuntalennolle.
Suulajärvi, HLeLv 24. 1944.05.12 引用。
写真(右)1944年6月15日、フィンランド、ドイツ空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-6型:操縦席前面風防には6センチ厚の防弾ガラスが埋め込まれている。また、パイロットの頭上後方も防弾ガラスで守られているが、この防弾ガラスは、ガラス風防の窓枠に取り付けられているために、風防を開放している場合、横倒しの位置になっている。 Mannerheim-ritari, majuri Luukkanen hävittäjäkoneessaan lähdössä hälytyslennolle.
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Mannerheim-ritari, majuri Luukkanen hävittäjäkoneessaan lähdössä hälytyslennolle. Majuri Eino Luukkanen, Hävittäjälentolaivue 34:n komentaja. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-6.
Aineistotyyppi:Valokuva
Kuvaustiedot:1944-06-15
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Aiheet:1944-06-15 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces Tyyppikuvia MT-koneesta.
Suulajärvi, HLeLv 24.) 1944.05.08
引用。
写真(右)1944年6月15日、フィンランド、ドイツ空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-6型:ガラス風防前端下側、機体の小型空気取入れ口は、操縦室の換気、曇り止めのためのもの。パイロットの頭上後方を守る防弾ガラスは、ガラス風防の枠に取り付けられており、写真ではパイロットの顔の前に見えている。F型までの機首上面の7.92ミリMG 17機関銃2丁を13.1ミリMG131機関銃に強化したため、大型化した薬莢排出パイプを通すために操縦席前にバルジが突出している。モーターカノンの20ミリMG 151機関銃1丁あるいは30ミリMK108機関砲1門を搭載している。爆撃機迎撃用には、主翼下面に20ミリ機関銃を収容したガンポッドを吊るして搭載できるが、飛行性能は低下する。
Mannerheim-ritari, majuri Luukkanen hävittäjäkoneessaan lähdössä hälytyslennolle.
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Mannerheim-ritari, majuri Luukkanen hävittäjäkoneessaan lähdössä hälytyslennolle. Majuri Eino Luukkanen, Hävittäjälentolaivue 34:n komentaja. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-6.
Aineistotyyppi:Valokuva
Kuvaustiedot:1944-06-15
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Aiheet:1944-06-15 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces Tyyppikuvia MT-koneesta.
Suulajärvi, HLeLv 24.) 1944.05.08
引用。
第二次大戦緒戦から終戦まで、ドイツ空軍の主力戦闘機メッサーシュミットBf109は戦い続けた。戦闘機の中では世界最多の3万機以上が生産された。世界最多生産の機体は、ソ連空軍イリューシン Il-2地上襲撃機(シュトゥルモヴィーク Il-2)で3万6,000機生産だが、Bf109は発展型、派生型の多さを軍を抜いている。そのBf109の中でも最多生産型がG型で、離昇出力1,475馬力のダイムラー・ベンツDB605液冷エンジンを搭載している。機首上面の兵装は、それまでの7.92ミリMG17機関銃2丁から13.1ミリMG131機関銃に変換、火力を強化したが、G型のモーターカノンはF型同様、20ミリMG151/20機関銃1丁で、登場した1943年には火力不足だった。それでも、武装強化型を含めて、1943年2月から1945年2月までにメッサーシュミットBf109戦闘機の中でも、各型最多の1万3,000機が製造されている。
写真(右)1944年6月15日、フィンランド、ドイツ空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-6型:機首上面の7.92ミリMG 17機関銃2丁は13.1ミリMG131機関銃に強化されている。大型になった薬莢を排出するパイプを通すために、風防前面の左右にバルジが突出しているのが確認できる。操縦席前の空気取入れ口は、操縦室内の換気や曇り止めのために使用する。
Mannerheim-ritari, majuri Luukkanen hävittäjäkoneessaan lähdössä hälytyslennolle.
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Mannerheim-ritari, majuri Luukkanen hävittäjäkoneessaan lähdössä hälytyslennolle. Majuri Eino Luukkanen, Hävittäjälentolaivue 34:n komentaja. Lentokone on Messerschmitt Bf 109 G-6.
Aineistotyyppi:Valokuva
Kuvaustiedot:1944-06-15
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Aiheet:1944-06-15 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces Tyyppikuvia MT-koneesta.
Suulajärvi, HLeLv 24.) 1944.05.08
引用。
ドイツ空軍メッサーシュミットBf109戦闘機G型は、機首に13.1ミリMG131機関銃を搭載したために、機銃保弾子の排出シュートが大型化し、機首側面にボイレ(バルジ:膨らみ)ができた。また、G型は主翼下面に20mm機銃ゴンドラ各1挺追加装備した火力強化型もあり、四発大型爆撃機の迎撃戦に投入された。メッサーシュミットBf109戦闘機G-6は、エアインテークに防塵フィルターを装備したTorop型もあり、東部戦線、西部戦線、地中海・バルカン戦線、極北・バルト海、フィンランド戦線など、ドイツ空軍のあるところすべての戦線に投入された。
写真(右)1944年6月15日、フィンランド、ドイツ空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-8型:機首上面の7.92ミリMG 17機関銃2丁は13.1ミリMG131機関銃に強化されているが、、モーターカノンの20ミリMG 151機関砲1門を搭載しているのはF型と同じ。しかし、その後のG型では、主翼下面に20ミリ機関砲を収容したガンポッドを吊るして武装強化しており、飛行性能は低下した。 Hälytys! Vääpeli Katajainen, (jolla on 29 ilmavoittoa) lähtee torjuntalennolle.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Hälytys! Vääpeli Katajainen, (jolla on 29 ilmavoittoa) lähtee torjuntalennolle. Kuvan lentokone on Messerschmitts Bf 109 G-8. Ohjaajana vääpeli Nils Katajainen, Hävittäjälentolaivue 24, 3. lentue.
Aineistotyyppi:Valokuva
Kuvaustiedot:1944-06-15
Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja
Aiheet:1944-06-15 写真はフィンランド国防省,The Finnish Defence Forces MT-kone ilmassa. (Messerschmidt)
Malmin lentokenttä 1944.02.06 引用。
写真(右)1944年6月30日、フィンランド、ドイツ空軍のメッサ―シュミットBf 109戦闘機G-6型:胴体中央部下面に写真カメラを装備したのが、写真偵察用のBf109 G-8型。Me109戦闘機を、フィンランドではMT109と固有名詞で登録、使用した。機首上面の7.92ミリMG 17機関銃2丁は13.1ミリMG131機関銃に強化されているが、、モーターカノンの20ミリMG 151機関砲1門を搭載しているのはF型と同じ。しかし、その後のG型では、主翼下面に20ミリ機関砲を収容したガンポッドを吊るして武装強化しており、飛行性能は低下した。 Vääpeli Katajainen starttaa MT 109 G.6-koneella.
Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Vääpeli Katajainen starttaa MT 109 G.6-koneella. Konetyyppi: tiedustelukuvausversio Bf 109 G-8. Ohjaajana väjäpeli Nils Katajainen, Hävittäjälentolaivue 24, 3. lentue.
Kuvaustiedot:1944-06-30 Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
Aiheet:1944-06-30 写真はフィンランド国防省,Museot Finna引用。
写真(右)1943年夏、オランダ、フリースラント州レーワルデン(Leeuwarden)のドイツ空軍基地で整備中の第1戦闘航空団第3飛行戦隊メッサ―シュミットBf 109G-6戦闘機:プロペラスピナに対空砲火避けのお守り渦巻を塗装してるが、プロペラは外されているのであろうか。敵機に発見されないように、対空用偽装網でカモフラージュし隠匿されている。Bf 109G-6は、最高速度630km/hだったが,標準的な30ミリ機関砲1門,13.1ミリ機銃2丁の兵装は,爆撃機を迎撃するには貧弱だった。そこで、主翼下面のガンポッドで20ミリMG151/20機関砲各1門を吊り下げた爆撃機迎撃型。手前にはエンジンカバーが放置されている。放牧地が広がる酪農地帯だったので、飛行場をそれを活用し、隠匿するために舗装していないが、駐機場には地面に木製板を並べてあるようだ。 Leeuwarden, zomer 1943. Duitse monteurs kijken toe hoe een Messerschmitt 109 van de III./JG 1 proefdraait. De spinner van het vliegtuig is voorzien van een opvallend ringenpatroon. Beeld NIMH. 写真はオランダ国防省,Minister van Defensie
ドイツ軍の迎撃戦闘機は、敵連合軍機に発見されないように、対空用偽装網でカモフラージュし隠匿された場所に駐機しており、出撃時には、そこから滑走路に向かう。しかし、1944年には、燃料不足の為に、地上でのタキシングは禁止あるいは制限されていた。燃料不足は、パイロットの訓練飛行時間の短縮にもつながり、熟練パイロットの減少に対処するため、爆撃機、偵察機から戦闘機への操縦転換も計画された。
写真(右)1944年夏,フランス,西部戦線に来襲する米英の戦略爆撃機を迎撃したドイツ空軍メッサーシュミットBf-109G戦闘機;西側連合軍に発見されないように、対空用カモフラージュを施した。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-496-3477-13
Archive title: Frankreich.- Flugzeug Messerschmitt Me 109 auf Feldflugplatz; Lw Kdo West
Dating: 1944 Sommer
Photographer: Engelmann
Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 : Bild 101I-496-3477-13引用。
ドイツ空軍メッサーシュミットBf-109G戦闘機は、最高速度630-680キロの快速だったが,30ミリ機関砲1門,13.1ミリ機銃2丁の兵装は,爆撃機を迎撃するには貧弱だった。他方、連合軍の護衛戦闘機に対抗するには,性能はともかく,機数や燃料が足りなかった上に,パイロットも未熟練で戦力は劣っていた。
写真(右)1944年夏,フランスに侵攻した米英軍を迎撃するドイツ空軍メッサーシュミットBf-109G戦闘機のパイロット。地図を手にしているので、地上攻撃にあるいは近距離偵察に向かうのであろうか。;操縦席の前には、レビ光像式照準器が、風防の上部には、後方を警戒するバックミラーが装着されている。Bf-109戦闘機は250キロ爆弾を搭載し、地上支援にも投入された。 Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-496-3453-39 A
Archive title: Frankreich nach Invasion.- Pilot mit Landkarte im Cockpit einer Messerschmitt Bf 109; Lw Kdo West
Dating: 1944
Photographer: Röder
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。
1943年8月のハンブルクの大空襲、1943年8月17日の秘密兵器実験場ペーネミュンデへの空襲でショックを受けたドイツ空軍参謀総長ハンス・イエショネク(Hans Jeschonnek)大将は、ラステンブルク(Rastenburg)の総統大本営(狼の巣)で自殺した。ただし、ペーネミュンデとの関連性を秘匿するために、イェショネク大将の死亡日は、その前日の1943年8月19日として公表された。
後任の参謀総長に任命されたのはギュンター・コルテン大将だが、彼も1年たたない1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件に巻き込まれ、総統大本営で爆死した。
ドイツ空軍参謀総長の初代ヴェーフェル、2代ケッセルリンク、3代シュトゥンプ、4代イェショネク、5代コルテン、6代クライプ、7代コラーと続くが、権力の永続化を狙う総司令官ゲーリングとの信頼関係を気づくことは難しかったようだ。
写真(右)1944年頃、西部戦線、森林の中に秘匿していたメッサーシュミットBf109戦闘機G型、胴体下250キロ爆弾を搭載して出撃準備中:地上攻撃には、FW-190戦闘爆撃機のほうが、頑丈な構造で、被弾に強く、搭載量も大きいので向いているが、Bf 109戦闘機も戦闘爆撃型が作られた。モーターカノンのプロペラスピナー先端銃口が明瞭に写っている。御守り代わりのスピナーの渦巻の先端にモーターカノンの銃口が見える。 SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Catalog #: 01_00085150
Title: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Gustav
Additional Information: Germany
Designation: BF 109g
Tags: Messerschmitt, BF 109g, Gustav 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085142引用。
ドイツ本土は,1943年前半から,昼間は米陸軍航空隊B-17「フライング・フォートレス」,B-24「リベレーター」重爆撃機に,夜間は英空軍「ランカスター」「ハリファックス」重爆撃機による戦略爆撃に晒された。
ドイツ本土爆撃に際し、アメリカ陸軍航空隊は、軍需工場など軍事施設を爆撃目標として狙う昼間精密爆撃を行った。これは、 1)操縦に連動する精密なノルデン爆撃照準器に信頼を置いた、 2)爆撃機に12.7ミリ機銃を多数装備し防御に自信があった、 という理由である。
他方、イギリス空軍は、中型爆撃機による昼間爆撃を行った際に大きな損害を受けており、四発の重爆撃機は米軍爆撃機より低速であったため、夜間の絨毯爆撃、都市爆撃を行った。
こうして、米英二つの航空兵力が行ったドイツ本土空襲によって,ドイツの産業,交通,市民生活は,次第に困難な状況に陥った。
ドイツ空軍戦闘機部隊は,1943年前半までは,連合軍爆撃部隊を迎撃し,大きな戦果をあげていた。 しかし,1944年後半には,熟練搭乗員と燃料の不足,数的劣勢,性能の相対的低下のために,連合軍の爆撃機部隊に,有効な反撃を加えることができなくなっていた。
制空権が失われた以上,連合軍による欧州侵攻を防衛することは,ドイツ軍にとって不可能なことになった。
実際,1944年6月に,米英加を中心とする連合軍がノルマンディーに上陸すると,ドイツ軍はカーンで包囲され,大損害を被った。ドイツ陸軍地上部隊だけで,連合軍に反撃を加えることは,困難だった。
写真(右)1943年3月,イタリア南部、メッサーシュミットMe109戦闘機の胴体下面に装着する300L落下式増加燃料タンク: Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-468-1416-04
Archive title: Italien-Süd, Sizilien, bei Comiso (?).- Soldat der Luftwaffe beim Transport von Zusatztanks für Flugzeuge; PK Lfl 2
Dating: 1943 März - April
Photographer: Ketelhohn, Karl
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
写真(右)1943年3月,イタリア南部、メッサーシュミットMe109戦闘機の胴体下面に装着するからの300L落下式増加燃料タンクを運搬する整備員:F型初期までの発動機ダイムラーベンツDaimler-Benz DB601Aのボア(シリンダ内径)は150mmであったが、DB605では154mmへと大型化したために、シリンダ数は12気筒で同じでもエンジン排気量は33.9Lから35.7Lへと容積が増加し、出力がアップした。燃費も出力増加、重量増加で悪化し、航続距離が短くなった。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-468-1416-04
Archive title: Italien-Süd, Sizilien, bei Comiso (?).- Soldat der Luftwaffe beim Transport von Zusatztanks für Flugzeuge; PK Lfl 2
Dating: 1943 März - April
Photographer: Ketelhohn, Karl
Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。
ドイツ空軍メッサーシュミットBf109戦闘機F型初期までは、発動機ダイムラーベンツDaimler-Benz DB601Aのボア(シリンダ内径)は150mmであったが、F型後期型、G型以降では154mmのボア(シリンダ内径)のDB605を搭載した。発動機は、同じ12気筒でシリンダ数は同じだが、エンジン排気量は、33.9Lから35.7Lへと増加し、出力が向上した。
他方、エンジンを強化したBf109戦闘機のG型など後期型では、E型など初期型と比較してエンジン出力の増加、重量の増加で、燃費が悪化し、航続距離は短縮してしまった。
写真(右)1944
年1月25日、イタリア中部、アンツィオ橋頭堡で撃墜、不時着したメッサ―シュミットBf-109G戦闘機:機首が失われているが、F型では尾輪が引き込み式だったが、G型では固定式に戻された。風防前縁の枠形状から見てもG型と思われる。イギリス第2軍の映像写真部隊が撮影。垂直尾翼付根胴体には白帯の識別マークが付けられている。1941年暮れに、ソ連軍相手の東部戦線から、イギリス軍・アメリカ軍を相手とする地中海戦域に移動した第2航空艦隊の第53戦闘航空団所属機のようだ。 Catalogue number: NA 11413,
Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION,
Subject period: Second World War,
Alternative Names: object category: Photography Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit
Menzies (Sgt), Object description: A German Messerschmitt Bf 109 fighter shot down in the Anzio bridgehead, 25 January 1944..
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用・ IWM (NA 11413)
写真(右)1945年、ノルウェー、飛行場の片隅にかき集められたドイツ空軍第5戦闘航空団(JG5)のメッサーシュミットBf109G-6/G-14戦闘機約32機分の残骸;敗戦後のスクラップ置き場で、集められた戦闘機も損傷が著しい。 Tyske fly på Aukra flyplass.
Publisering: 1945
Utgiver: Giver: Odd ?alseth
Identifier: 1996-104-002
Institution: Romsdalsmuseet
Date published: March 13, 2014
Date updated: April 17, 2015
DIMU-CODE: 011012622505
UUID: 4686e268-5d54-43ca-ac77-9b009fea4eda
写真はRomsdalsmuseet ・Identifier: 1996-104-002 引用。
写真(右)1945年、ノルウェー、飛行場の片隅にかき集められたドイツ空軍第5戦闘航空団(JG5)のメッサーシュミットBf109G-6/G-14戦闘機約32機分の残骸の残骸;敗戦後のスクラップ置き場に集められた。 Tyske fly på Aukra flyplass.
Publisering: 1945
Utgiver: Giver: Odd ?alseth
Identifier: 1996-104-003
Institution: Romsdalsmuseet
Date published: March 13, 2014
Date updated: April 17, 2015
DIMU-CODE: 011012622508
UUID: 99ed05ff-a711-411f-9ad8-061fd16804b7
写真はRomsdalsmuseet ・Identifier: 1996-104-003 引用。
写真(右)1945年夏、ノルウェー、飛行場の片隅に取り除けられたドイツ空軍第5戦闘航空団第4飛行戦隊(IV./JG5)所属のメッサーシュミットBf109G-6 またはBf109G-14戦闘機「黄14」 "Gelbe 14", 戦闘機の残骸;敗戦後のスクラップ置き場。 Bilde er trolig tatt etter at engelske soldater sprenkte de 32 jagerflyene på Gossen sommeren 1945. .Flyene ble ødlagt ved å detonere en handgranat i kokbitten på de. .Flyet tilhørte 11 staffel III Gruppe JG 5, og har mekingen Gul 14.. Bildet er trolig tatt på flyplassen på Gossen. Vi ser Jendemsfjellet i bakgrunnen..Messerschmitt 109...Bf109G-6 or Bf109G-14 "Gelbe 14", IV./JG5, Gossen, Summer 1945.
Kilde: Eier original: Anna Hegbom
Publisering: 1941
Fotografering: 1941
Identifier: R.FOT.02376
Institution: Romsdalsmuseet
Date published: March 14, 2014
Date updated: April 18, 2015
DIMU-CODE: 011012647766
UUID: 43772f55-192d-471b-a1ed-00b37c15e912
写真はRomsdalsmuseet ・Identifier: R.FOT.02376引用。
写真(右)1944年夏ー1945年,アメリカ軍が鹵獲した破壊され放置されたドイツ空軍メッサーシュミットBf109G戦闘機:エンジンカバーと風防が外れている。垂直尾翼の国籍マークのハーケンクロイツの描かれた板部分だけが切り取られているようだ。連合軍兵士が戦利品として、ナチ党カギ打十字のマークを欲しがったのであろう。Bf 109戦闘機G型は、後継のK型が登場してからも、第一線戦闘機として使用され続けた。
SDASM Archives
Messerschmitt Bf 109
PictionID:44219103 - Title:Messerschmitt Bf 109 - Catalog:16_005497 - Filename:16_005497.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_005497 引用。
ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)の成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。 1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会演説でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説、その後の1941年6月29日の法令を根拠に,自らを後継者として自認していた。これを元に,1945年4月23日のベルリン攻防戦の最中に、ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)国家元帥はヒトラーに対して、連絡が取れなくなった場合、自分がドイツの最高指導者の地位を引き継ぎたいと電文を発した。しかし、ヒトラーは、これをヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)の裏切りと感じ、激怒してゲーリングの公職追放・監禁を命じた。
写真(右)1945年秋,アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍メッサーシュミットBf109K4戦闘機(工場製造番号 W.Nr. 332700と W.Nr. 330255)を戦利品とし記念撮影したアメリカ軍将兵:偽装ネットで覆われた飛行機格納庫の前にある奥は第27戦闘航空団第III飛行隊のBf 109戦闘機K4型。機首の13.1ミリMG131機関銃2丁の薬莢を排出する排出パイプのボイレ(瘤)があったが、これは大型流線形化したために目立たなくなった。尾輪も、F型同様、引き込み式に戻されている。 SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109 K-4
Catalog #: 01_00085147
Title: Messerschmitt, BF 109K-4
Corporation Name: Messerschmitt
Additional Information: Germany
Designation: BF 109K
Marc-André Haldimann 9y
Bf 109 K-4 W.Nr. 332700, Wunstorf, Germany, Autumn 1945. In the background is Bf 109 K-4 W.Nr. 330255 "Schwarzer Winkel", Stab III./JG 27.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085158引用。
写真(右)1945年,アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍メッサーシュミットBf109G戦闘機:Bf 109戦闘機G型初期型では、機首の機関銃を、それまでの7.92ミリMG17機関銃2丁としたため、薬莢を排出する排出パイプのバルジ(突出部)がなく、F型と識別が困難である。ただし、モーターカノンはマウザー社20ミリMG151/20機関砲1門でF型と同じ。
SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Catalog #: 01_00085156
Title: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Gustav
Additional Information: Germany
Designation: BF 109g
Tags: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085156引用。
写真(右)1945年,アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍メッサーシュミットBf109G戦闘機:Bf 109戦闘機G型では、機首の機関銃を、それまでの7.92ミリMG17機関銃2丁から、より大口径の13.1ミリMG131機関銃2丁に強化したため、薬莢を排出する排出パイプのバルジ(突出部)である。ただし、主翼のスイス、エリコン社の20ミリ機関砲MGFFは撤去され、モーターカノンの、モーターカノン式のマウザー社(Mauser )20ミリMG151/20機関銃1丁に変化している。
SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Catalog #: 01_00085158
Title: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Gustav
Additional Information: Germany
Designation: BF 109g
Tags: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085158引用。
1943年10月20日、ロンドンで17カ国が集まる国際会議において、連合国戦争犯罪委員会(UNWCC)の設置が決まり、ドイツ指導者の裁判は、国際戦争犯罪裁判で裁くことを申し合わせた。1945年8月8日、米英仏ソの四大国はロンドンで国際軍事裁判所憲章に署名、国際軍事裁判所の構成や役割について合意し、戦争犯罪を「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」「共同謀議」の4点とし、ニュルンベルグ国際軍事裁判で裁くことが決まった。
写真(右)1945年,アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍メッサーシュミットBf109G戦闘機。過給機の空気取入れ口(エアインテーク)に砂塵フィルターを付けている。:Bf 109戦闘機G型では、機首の機関銃を、それまでの7.92ミリMG17機関銃2丁から、より大口径の13.1ミリMG131機関銃2丁に強化したため、薬莢を排出する排出パイプのバルジ(突出部)である。ただし、主翼のスイス、エリコン社の20ミリ機関砲MGFFは撤去され、モーターカノン式のマウザー社(Mauser )20ミリMG151/20機関銃1丁に変化している。
SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Catalog #: 01_00085163
Title: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Gustav
Additional Information: Germany
Designation: BF 109g
Tags: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00082367引用。
ニュルンベルグ国際軍事裁判において、ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)は被告人第1号とされ、最も指導的な地位についていた戦争犯罪容疑者と見なされ、当初から注目を浴びた。
写真(右)1945年,アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍メッサーシュミットBf109G戦闘機:
SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Catalog #: 01_00085157
Title: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Gustav
Additional Information: Germany
Designation: BF 109g
Tags: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085157引用。
ニュルンベルグ国際軍事裁判では、犯罪組織(犯罪集団)に所属していると訴追対象となったが、これは、ナチ党指導部、内閣(政府)、親衛隊(SS)、突撃隊(SA)、親衛隊保安本部(ゲシュタポ・SD)、参謀本部・国防軍最高司令部の6組織である。また、ニュルンベルグ国際軍事裁判の事犯としては、ユダヤ人大量殺戮、ホロコーストが未曽有の殺戮と認識され、C級戦犯の「人道に対する罪」として裁かれた。死刑対象者は、1946年10月16日に絞首刑にされ、有期刑対象者はベルリン郊外のシュパンダウ刑務所に収監された。
写真(右)1945年,アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍メッサーシュミットBf109G戦闘機:Bf 109戦闘機G型では、機首の機関銃を、それまでの7.92ミリMG17機関銃2丁から、より大口径の13.1ミリMG131機関銃2丁に強化したため、薬莢を排出経路のバルジ(突出部)である。 SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Catalog #: 01_00085157
Title: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Gustav
Additional Information: Germany
Designation: BF 109g
Tags: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085157引用。
写真(右)1945年,アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍メッサーシュミットBf109G戦闘機:Bf 109戦闘機G型では、機首の機関銃を、それまでの7.92ミリMG17機関銃2丁から、より大口径の13.1ミリMG131機関銃2丁に強化したため、薬莢を排出する排出パイプのバルジ(突出部)である。ただし、主翼のスイス、エリコン社の20ミリ機関砲MGFFは撤去されている。
SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Catalog #: 01_00085158
Title: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Gustav
Additional Information: Germany
Designation: BF 109g
Tags: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085158引用。
写真(右)1945年秋,2機のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍メッサーシュミットBf109K4戦闘機(工場製造番号:W.Nr. 332700とW.Nr. 330255):後方の機体は、第27戦闘航空団第III飛行隊所属のBf 109戦闘機K型は、機首の13.1ミリMG131機関銃2丁の薬莢を排出する排出パイプのボイレ(コブ)が大きく流線形になったたまに目立たなくなった。尾輪も引き込み式に戻された。
SDASM Archives
Messerschmitt, BF 109 K-4
Catalog #: 01_00085147
Title: Messerschmitt, BF 109K-4
Corporation Name: Messerschmitt
Additional Information: Germany
Designation: BF 109K
Marc-André Haldimann 9y
Bf 109 K-4 W.Nr. 332700, Wunstorf, Germany, Autumn 1945. In the background is Bf 109 K-4 W.Nr. 330255 "Schwarzer Winkel", Stab III./JG 27.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085158引用。
写真(右)1945年5月以降、ドイツ、進駐したアメリカ陸軍航空隊が飛行場で接取したドイツ空軍メッサ―シュミットBf 109戦闘機G型とユンカースJu-290A-3四発哨戒偵察機:Bf109はスピナーに渦巻きを描き、機首に13.1ミリ機関銃のバルジがあるのでG-6、G-14型と思われる。Ju 290 A-3は四発輸送機のJu-90を改造した哨戒偵察機。全幅: 42.00m、全長: 28m、全高: 6.83m。主翼面積: 203.6平方メートル、 空虚重量: 33,005 kg、最大重量(Ju 290A-5): 44,970kg、(Ju 290A-7): 45,400kg。最高速度: 440kph (273 mph)、実用上昇限度:6000 m、航続距離: 3,700 マイル (5950 km)。兵(装290A-2):5× 20mm MG 151/20、6× 13mm MG 131。 on
English: US Servicemen with a captured Junkers Ju 290 Transport and a Messerschmitt Bf 109 fighter at an unknown location.
Date 27 March 2017
Source From a personal collection found in a shoe box in a deceased relative's closet.
Author Unsure, an unknown friend of the relative actually took the photograph. All are deceased 写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Bf 109G File:Junkers Ju 290 Transport and Messerschmitt Bf 109 Fighter.jpg
引用。
カラー写真(右)1945年4月14日、ドイツ、イギリス空軍が接取したドイツ空軍メッサ―シュミットBf 109戦闘機G型とユンカースJu-88A爆撃機:Bf109はスピナーに渦巻きを描き、機首に13.1ミリ機関銃のバルジがあるのでG-6、G-14型。 Description
English: A late German Messerschmitt Bf 109 (G-10/-14 or K-4) fighter and a Junkers Ju 88 bomber at Gardelegen airfield, Germany, on 14 April 1945. Gardelegen was occupied by U.S. troops on 12 April 1945.
Date 14 April 1945
Source
IWMLondonThumbnail.jpg This is photograph FRE 7641 from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg
Author U.S. Army Air Force 写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Bf 109G
引用。
写真(右)1945年4月16日、イタリア中部、アドリア海アンコーナ西20キロ、イエジ(Jesi)、イギリス空軍の鹵獲したドイツ空軍メッサ―シュミットBf 109戦闘機G−14型:Bf109はドイツ空軍の鉄十字を塗りつぶした上にイギリス空軍のラウンデル国籍マークを描いてある。後方にあるスピットファイアーと同伴して試験飛行されたのであろう。 Description Messerschmitt Me109G-14 of the Croatian Air Force, captured by the R.A.F. in Jesi, Italy, 1945.
Date 16 April 1945, 09:37
Source Messerschmitt Me109G-14 of the Croatian Air Force, captured by the R.A.F. in Jesi, Italy, 1945.
Author Mike 写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Bf 109G File:Messerschmitt Me109G-14 of the Croatian Air Force, captured by the R.A.F. in Jesi, Italy, 1945. (5920951995).jpg引用。
6.現存するメッサーシュミット(Messerschmitt) Bf 109G戦闘機
写真(右)2013年、セルビア、ベオグラード空港近く、ベオグラード航空博物館(Belgade Aviation Museum )に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt) Bf 109戦闘機G-2型:主翼上にある小型のバルジは、大型化した車輪・降着装置を収めるもの。ユーゴスラビアは、ドイツ敗戦後、余剰となったメッサーシュミットBf109戦闘機を譲渡され、イギリス空軍のスピットファイア戦闘機とともに、自国の航空兵力として配備した。この他、枢軸国のハンガリー、ルーマニア、フィンランドもBf109戦闘機をドイツから貸与され装備し実戦投入している。また、スイスは中立国だが、ドイツから購入したBf109戦闘機を、上空侵犯するドイツ機や連合軍機の迎撃に使用した。 Description
English: Messerschmit Bf-109 G-2
Date 2012
Medium photograph
Current location
Museum of Aviation Blue pencil.svg wikidata:Q2539582
Museum of Aviation
Link to OpenStreetMapLink to Google Maps
wikidata:Q2539582
Source/Photographer Belgade Aviation Museum Photo Archive
写真はWikimedia Commons,Category:Bf 109G-2 at Belgrade Aviation Museum,File:ME109 AT THE LUFTWAFFEN MUSEUM RAF GATOW BERLIN GERMANY JUNE 2013 (9118774129).jpg引用。
写真(上)2006年12月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館 (RAF Museum London)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109G-2 Trop戦闘機熱帯仕様左側面: Description Photo ref; Nikon-D80-2013-DSC_1185 (Edited)
Date 5 December 2006, 01:44
Source Messerschmitt Bf-109G, RAF Museum, Hendon.
Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at RAF Museum London , File:Messerschmitt Bf-109G, RAF Museum, Hendon. (11238406235).jpg引用。
写真(上)2016年7月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館 (RAF Museum London)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109G-2 Trop戦闘機熱帯仕様: Description Photo ref; Nikon-D80-2013-DSC_1209 (Edited)
Date 5 December 2006, 02:10
Source Messerschmitt Bf-109G, RAF Museum, Hendon.
Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain 写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at RAF Museum London , File:Messerschmitt Bf-109G, RAF Museum, Hendon. (11256708225).jpg引用。
写真(右)2007年6月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館 (RAF Museum London)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109G-2 Trop戦闘機熱帯仕様の左側面: Description Bf 109G-2/Trop 'Black 6', Now on static display RAF Hendon London
Date 23 June 2007 (original upload date)
Source Originally from en.wikipedia; description page is/was here.
Author Dapi89 at English Wikipedia 写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at RAF Museum London ,File:Bf 109 G-2 trop RAF Museum London.jpg 引用。
写真(右)2010年5月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館 (RAF Museum London)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109G-2 Trop戦闘機熱帯仕様の正面:真後ろは、イギリス空軍デハビラント・モスキート高速偵察爆撃機、右後ろはドイツ空軍メッサーシュミットMe262ジェット戦闘機 English: Nose view of Messerschmitt Bf 109 G-2 10639, at the Royal Air Force Museum London.
Date 14 May 2010
Source Flickr : https://www.flickr.com/photos/elsie/4607405482
Author Flickr user Les Chatfield : https://www.flickr.com/photos/elsie
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at RAF Museum London , File:Messerschmitt Bf 109 10639 at RAF Museum London Flickr 4607405482.jpg引用。
写真(右)2016年7月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館 (RAF Museum London)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109G-2 Trop戦闘機熱帯仕様コックピット操縦席左側面:ガラス風防は、歪みのない平面で、側面には赤線で降下角度の目安が引かれている。 English: Cockpit of Messerschmitt Bf 109 G-2 10639, at the Royal Air Force Museum London.
Date 14 May 2010
Source Flickr : https://www.flickr.com/photos/elsie/4606785405
Author Flickr user Les Chatfield : https://www.flickr.com/photos/elsie
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at RAF Museum London , File:Messerschmitt Bf 109 G-2 10639 at RAF Museum London Flickr 4606785405.jpg引用。
写真(上)2015年10月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館 (RAF Museum London)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109G-2 Trop戦闘機熱帯仕様:後方は、アメリカ陸軍航空隊のボーイングB-17重爆撃機。 Description Photo ref; Nikon-D80-2015-DSC_0784 (Edited)
Date 17 October 2015, 10:26
Source Messerschmitt Bf 109G-2 Trop, Royal Air Force Museum, Hendon.
Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at RAF Museum London , File:Messerschmitt Bf 109G-2 Trop, Royal Air Force Museum, Hendon. (23458183441).jpg引用。
写真(右)2008年10月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館 (RAF Museum London)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109G-2 Trop戦闘機熱帯仕様の後方:水平尾翼は垂直尾翼に支柱なしで取り付けられている。尾輪は大型化したために、固定式になり、引き込み式ではなくなった。 Description
Photographed at the Royal Air Force Museum, Hendon, North London.
Photo ref; SNC11329
Date 17 October 2008, 11:06
Source Messerschmitt Bf-109
Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at RAF Museum London , File:Messerschmitt Bf-109 (4649346047).jpg引用。
写真(上)2010年6月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館 (RAF Museum London)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 109G-2 Trop戦闘機熱帯仕様:左上方から機体を俯瞰して撮影。 Description Messerschmitt Bf 109 at the RAF Museum, Colindale, London.
Date 5 June 2010
Source Own work
Author Rept0n1x
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at RAF Museum London , File:RAF Museum, Colindale, London - DSC06017.JPG引用。
写真(右)2010年3月、ドイツ連邦西端、ラインラント=プファルツ州シュパイアー、シュパイアー技術博物館 (Technik Museum Speyer)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-4戦闘機の機首左側面から見たダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 605 D液冷倒立12気筒エンジン: scription
English: Me 109 G-4 on display at Technikmuseum Speyer
Date 23 March 2010, 23:58 (UTC)
Source Own work (Original text: I (MisterBee1966 (talk)) created this work entirely by myself.)
Author MisterBee1966 (talk)
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at Techr>nik Museum Speyer , File:Me 109 G-4 Speyer.JPG引用。
写真(上)2017年8月、ドイツ連邦西端、ラインラント=プファルツ州シュパイアー、シュパイアー技術博物館 (Technik Museum Speyer)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-4戦闘機の機首正面のプロペラスピナー: Description Technik Museum Speyer
Date 27 August 2017, 13:06
Source Messerschmitt Bf 109 G-4
Author Triple-green 写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at Techr>nik Museum Speyer , File:Messerschmitt Bf 109 G-4 (37658460061).jpg引用。
写真(右)2018年月、ドイツ連邦西端、ラインラント=プファルツ州シュパイアー、シュパイアー技術博物館 (Technik Museum Speyer)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-4戦闘機の機首左側面から見たダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 605 D液冷倒立12気筒エンジン: Description Photographed in the Technik Museum Speyer, Germany.
Date 24 September 2018, 11:07:16
Source Own work
Author Alf van Bee
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at Techr>nik Museum Speyer ,File:Messerschmitt Bf 109-G4 Nesthäckchen pic1.jpg 引用。
写真(上)2016年7月、ドイツ連邦西端、ラインラント=プファルツ州シュパイアー、シュパイアー技術博物館 (Technik Museum Speyer)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-4戦闘機の機首左側面: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/29/Messerschmitt_Bf_109_G-4_Seriennummer_19310_vl2.jpg/800px-Messerschmitt_Bf_109_G-4_Seriennummer_19310_vl2.jpg
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at Techr>nik Museum Speyer , File:Messerschmitt Bf 109 G-4 Seriennummer 19310 vl2.jpg引用。
写真(右)2013年10月、ドイツ連邦西端、ラインラント=プファルツ州シュパイアー、シュパイアー技術博物館 (Technik Museum Speyer)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-4戦闘機の尾部右側面:固定式尾輪は、当時の燃料用ドラム缶の上に乗せられている。 escription
Čeština: Muzeum Speyer
Deutsch: Technik Museum Speyer
Date 12 October 2013, 13:34:54
Source Own work
Author Horst
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Bf 109G at Techr>nik Museum Speyer , File:Speyer collection PA125049 39.jpg引用。
写真(右)2013年、ドイツ、ベルリン・ガトー飛行場軍事史博物館(Militärhistorisches Museum Flugplatz Berlin-Gatow)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt) Bf 109戦闘機G-2型(構造製造番号:Werk-Nummer 160756):ドイツ空軍の98機撃墜王グスタフ・レーデル(Gustav Rödel:1915-1995)大尉が、1942年11月当時、第27戦闘航空団第2I飛行戦隊指揮官だった時の乗機「黄4」を再現した塗装。機体後部側面に飛行戦隊指揮官を表す3重シェヴロンを描いている。出撃回数980回。 Description ME109 AT THE LUFTWAFFEN MUSEUM RAF GATOW BERLIN GERMANY JUNE 2013
Date 9 June 2013, 14:57
Source ME109 AT THE LUFTWAFFEN MUSEUM RAF GATOW BERLIN GERMANY JUNE 2013 Uploaded by MainFrame
Author calflier001
写真はWikimedia Commons,Category:Messerschmitt Me 109 at the Luftwaffenmuseum Berlin-Gatow,File:ME109 AT THE LUFTWAFFEN MUSEUM RAF GATOW BERLIN GERMANY JUNE 2013 (9118774129).jpg引用。
写真(右)2015年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt) Bf 109戦闘機G-2 Trop型:開閉式の過給機エアインテーク(空気取入れ口)と円筒フィルターの構造がよくわかる。
Description
Photo ref; Nikon-D80-2015-DSC_0784 (Edited)
Date 17 October 2015, 10:26
Source Messerschmitt Bf 109G-2 Trop, Royal Air Force Museum, Hendon.
Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons,Category: Messerschmitt Bf 109G at RAF Museum London
,File:Messerschmitt Bf 109G-2 Trop, Royal Air Force Museum, Hendon. (23458183441).jpg引用。
型式のTropとは熱帯の略称で、空中や飛行場では砂塵が舞い上がっているが、航空機が砂塵をエンジン過給機の空気取入れ口から吸い込んでしまうと、エンジン内部の故障、不調の原因になる。そこで、飛行場や低空で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着、その円筒側面から空気を取り入れた。ただし、高空では砂塵の心配はなく、エンジンの全力可動のためには、エアインテークの正面から空気を取り込むほうが都合がよい。そのために、インテーク前面は、開閉式となっていた。低空では閉鎖し、フィルター円筒の側面から吸気し、高空ではインテーク正面の取入れ口から空気を取り込むのである。
写真(右)アメリカ、ワシントンDC、国立航空宇宙博物館(National Air and Space Museum:スミソニアン博物館)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットM(Messerschmitt) Bf 109戦闘機G-6/R3型(構造製造番号:Werk-Nummer 160756):1943年夏から秋に生産された機体だが、どのような経緯でドイツからアメリカに運ばれたのかはよくわかっていない。1948年に、アメリカ空軍が、当時の国立航空博物館(National Air Museum)、現在の 国立宇宙博物館(National Air and Space Museum)に運搬してきたところまでは判明している。 SDASM Archives
Catalog #: 01_00085155
Title: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Gustav
Additional Information: Germany
Designation: BF 109g
Tags: Messerschmitt, BF 109g, Gustav
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 01_00085155引用。
写真(右)アメリカ、オハイオ州、ライトパターソン空軍基地(Wright-Patterson AFB)、アメリカ空軍博物館(National Museum of the U.S. Air Force )に保管されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt) Bf 109戦闘機G-10型:ガラス風防は、窓枠の少ない視界改良型のガーラント風防で、操縦席後方の頭部保護は、装甲板ではなく、防弾ガラスとして、やはり後方視界を確保している。エンジンをダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 605D 1,850馬力に強化、機首が大型化したために、機首付け根が全体的に膨らんだバルジとなっている。重量増加に対応するために、膠着装置が強化され、車輪の引込みバルジが大きくなった。 Messerschmitt Bf 109G-10
DAYTON, Ohio -- Messerschmitt Bf 109G-10 at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
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The museum's Bf 109G-10 is painted to represent an aircraft from Jagdgeschwader 300, a unit that defended Germany against Allied bombers. JG 300 was originally formed as a Wilde Sau (or Wild Boar) night fighter unit in 1943 but converted to the day fighter role as U.S. bomber attacks intensified. In the many pitched battles with the U.S. Army Air Forces, the Bf 109G-10s of JG 300 often provided top cover for the more heavily armed Focke Wulf Fw 190s attacking the bomber formations. This unit also had the distinction of being the last command of the war for Maj. Gunther Rall, who with 275 victories, was the third-highest scoring ace in history.
写真はFlickr, a Yahoo company,National Museum of the U.S. Air Force ,Messerschmitt Bf 109G-10引用。
写真(右)アメリカ、オハイオ州、ライトパターソン空軍基地、アメリカ空軍博物館(National Museum of the U.S. Air Force )に保管されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt) Bf 109戦闘機G-10型:重量増加に対応するために、膠着装置が強化され、車輪の引込み空間を確保するために、主翼上面に車輪確保のための膨らみ(バルジ)が設けられている。兵装は、モーターカノンを30ミリMK108機関砲1門、機首上面のMG131 機関銃2丁である。 Messerschmitt Bf 109G-10.DAYTON, Ohio -- Messerschmitt Bf 109G-10 at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
071017-F-1234S-035.JPG
American Bf 109s: The center for USAAF foreign aircraft testing in WWII was based at Wright Field, Ohio. Throughout the war, numerous enemy aircraft were brought there to face a rigid examination, including test flights. Test aircraft were given an designation number prefixed by: EB (for Evaluation Branch), FE (Foreign Intelligence) or T2 (for the T-2 Office of Air Force Intelligence).
TECHNICAL NOTES:
Armament: One 30mm MK 108 cannon and two 13mm MG 131 machine guns
Engine: One Daimler-Benz DB 605D inverted V rated at 1,850 hp for take-off
Maximum speed: 426 mph at 24,280 ft.
Range: 373 miles
Ceiling: 41,400 ft.
Span: 32 ft.
Length: 29 ft. 5 in.
Height: 8 ft. 2.5 in.
Weight: 5,800 lbs 写真はNational Museum of the U.S. Air Force ,Messerschmitt Bf 109G-10引用。
写真(右)アメリカ、オハイオ州、ライトパターソン空軍基地、アメリカ空軍博物館(National Museum of the U.S. Air Force )に保管されているドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt) Bf 109戦闘機G-10型:全長 9.16m、全幅 9.86m、主翼面積 16.2平方メートル、空虚重量 2720 kg、全備重量 3258kg、エンジン Daimler-Benz DB 605 DB、 最高速力 665km、緊急最高速力 698 km/h 高度8000m、兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数各300発、2丁合計600発)、30ミリMK108機関砲1基(65発)ただし、20ミリMG151/20機関銃なら200発。 Messerschmitt Bf 109G-10.DAYTON, Ohio -- Messerschmitt Bf 109G-10 at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
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The limits of the Bf 109 design appeared with the Bf 109G series, which began production in early 1942. The Bf 109G had a higher top speed but was less maneuverable than earlier versions. Some later Gs had bulges in front of the cockpit caused by the larger 13mm MG 131 machine guns, which added further weight and drag. Pilots of the Bf 109G found it increasingly difficult to fly against more capable aircraft such as the P-51D Mustang. Despite its limitations, the G series was the most numerous of the Bf 109 types and remained in production into 1945.
The last major series was the Bf 109K, which was similar to the Bf 109G-10 series. Development problems aggravated by Allied bombing and the rapidly deteriorating war situation limited production of this type to less than 2,000.
During WWII, the Bf 109 was the backbone of the Luftwaffe fighter force, serving on all fronts and also in the air forces of its European allies. Even though the superior Fw 190 began to replace the Bf 109 in some units as early as the summer of 1941, production of the Bf 109 actually rose until the closing months of the war and it remained the most numerous Luftwaffe fighter. By war's end, Germany had built more than 30,000 Bf 109s. Production of the Bf 109 continued on after the war in Czechoslovakia until 1949 and in Spain until 1958. It remains to this day the most produced fighter in history. 写真はNational Museum of the U.S. Air Force ,Messerschmitt Bf 109G-10引用。
写真(上)2016年7月、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機:ガラス風防の正面と後面には厚さ60 mmの防弾ガラス(Bulletproof glass)を使用。パイロットの座席は、厚さ4-8 mmの装甲版でできている。さらに、座席頭部には、厚さ10 mmの湾曲した装甲板が頭部を保護している。燃料タンクの後方には、銃撃に備えて、厚さ21 mmの装甲板がある。また、燃料タンク全体が厚さ4 mm の装甲板で防御されている。 Description
English: Evergreen ME 109G side
Date 1 July 2016, 10:10:59
Source Own work
Author Articseahorse 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum ,File:Evergreen ME 109G side.jpg引用。
写真(上)2016年7月、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機: Bf109F型、G-2型、その後のK-4型は,尾輪を引き込むことができて、飛行性能向上を図っているが、G-6型、G-14 型、G-10型では固定式尾輪であり、区別が容易である。 Description
English: Evergreen ME 109G Engine
Date 1 July 2016, 10:19:31
Source Own work
Author Articseahorse 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum , File:Messerschmitt Bf 109 G-10 Gustav, 1944 - Evergreen Aviation & Space Museum - McMinnville, Oregon - DSC00575.jpg引用。
写真(上)2010年2月、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機の正面:全長 9.16m、全幅 9.86m、主翼面積 16.2平方メートル、空虚重量 2720 kg、全備重量 3258 kgで、小型軽量の機体に強力な DB 605 DBを搭載して、最高速力 665km、緊急最高速力 698 km/h /高度8000mを発揮できる性能向上型。ただし兵装は13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数600発)、20ミリMG151機関砲1基(200発)で対爆撃機迎撃能力は低い。 Description
SONY DSC
Date 4 February 2010, 13:52
Source Messerschmitt_Bf-109G-10_Gustav_Erich_Hartmann_HeadOn_EASM_4Feb2010
Author Valder137 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum , File:Messerschmitt Bf-109G-10 Gustav Erich Hartmann HeadOn EASM 4Feb2010 (14589225254).jpg引用。
写真(上)2016年、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機:G-10型は、過給機の更新,大型化に従って機首全体が膨らんでバルジ突出部がなめらかに改修されたために、それ以前のG-6、G-14 とは容易に区別できる。兵装は、13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数600発)、モーターカノン20ミリMG151機関砲1基(200発)で変化していないので、火力不足の傾向があった。 Description
English: Evergreen ME 109G Engine
Date 1 July 2016, 10:19:31
Source Own work
Author Articseahorse 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum , Evergreen ME 109G Engine引用。
写真(上)2011年12月、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機の機首左側面:新型で航空性能の良いエンジン Daimler-Benz DB 605 DBを搭載し、 Bf109のG型にあった機首上面バルジを13.1mm機関銃装備にもかかわらずなめらかな曲線でカバーした。その結果、既存の機首内に収まりきらなかったボイレ(こぶ)の突出部がなくなり、機首形状が一見すると全体的ふくらみが判別できずF型のようになった。 Description Messerschmitt Bf 109 610937 at the Evergreen Aviation & Space Museum
Date 27 December 2011, 10:10
Source IMG_1447
Author Clemens Vasters from Viersen, Germany 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum , File:Messerschmitt Bf 109 610937 at the Evergreen Aviation & Space Museum.jpg引用。
写真(上)2010年2月、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機:全長 9.16m、全幅 9.86m、主翼面積 16.2平方メートル、空虚重量 2720 kg、全備重量 3258 kg、エンジン Daimler-Benz DB 605 DB、 最高速力 665km、緊急最高速力 698 km/h 高度8000m、兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数600発)、20ミリMG151機関砲1基(200発)。 Description
SONY DSC
Date 4 February 2010, 13:50
Source Messerschmitt_Bf-109G-10_Gustav_Erich_Hartmann_RNose_EASM_4Feb2010
Author Valder137 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum , File:Messerschmitt Bf-109G-10 Gustav Erich Hartmann RNose EASM 4Feb2010 (14404511989).jpg引用。
写真(右)2012年12月、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機の左正面:全長 9.16m、全幅 9.86m、主翼面積 16.2平方メートル、空虚重量 2720 kg、全備重量 3258 ?、エンジン Daimler-Benz DB 605 DB、 最高速力 665km、緊急最高速力 698 km/h 高度8000m、兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数600発)、20ミリMG151機関砲1基(200発)。 DDescription Wa-OR_Vac_10-12-1205
Date 12 October 2012, 12:56
Source
Wa-OR_Vac_10-12-1205
Uploaded by High Contrast
Author Rob Bixby from Jacksonville, FL, US 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum , File:Wa-OR Vac 10-12-1205 (8117675180).jpg引用。
写真(右)2016年、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機のコックピット左正面:全長 9.16m、全幅 9.86m、主翼面積 16.2平方メートル、空虚重量 2720 kg、全備重量 3258 ?、エンジン Daimler-Benz DB 605 DB、 最高速力 665km、緊急最高速力 698 km/h 高度8000m、兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数600発)、20ミリMG151機関砲1基(200発)。 Description
English: Evergreen ME 109G Engine
Date 1 July 2016, 10:19:31
Source Own work
Author Articseahorse 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum , File:Vasters 1449 (6586580471).jpg引用。
写真(上)2016年、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機の機首ダイムラーベンツ
DB605液冷エンジン右側:全長 9.16m、全幅 9.86m、主翼面積 16.2平方メートル、空虚重量 2720 kg、全備重量 3258 ?、エンジン Daimler-Benz DB 605 DB、 最高速力 665km、緊急最高速力 698 km/h 高度8000m、兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数600発)、20ミリMG151機関砲1基(200発)。 escription IMG_1444
Date 27 December 2011, 10:10
Source IMG_1444
Author Clemens Vasters from Viersen, Germany 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum , File:Vasters 1444 (6586578759).jpg引用。
写真(上)2016年、アメリカ、オレゴン州マクミンヴィル(McMinnville)、エヴァーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G-10戦闘機コックピット操縦席前の計器盤:全長 9.16m、全幅 9.86m、主翼面積 16.2平方メートル、空虚重量 2720 kg、全備重量 3258 ?、エンジン Daimler-Benz DB 605 DB、 最高速力 665km、緊急最高速力 698 km/h 高度8000m、兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数600発)、20ミリMG151機関砲1基(200発)。 Description
English: Evergreen ME 109G Engine
Date 1 July 2016, 10:19:31
Source Own work
Author Articseahorse 写真はWikimedia Commons, Bf 109G at Evergreen Aviation & Space Museum , File:Cockpit of Messerschmitt Bf109G-2 R6 ‘14649 Yellow 3’ (49224534636).jpg
引用。
ドイツ空軍メッサーシュミットMesserschmitt Bf 109G後期型は、エンジンとプロペラを繋ぐ自区内を通って射撃するモーターカノンとして、ラインメタル30ミリMK101機関砲1門を搭載した。銃口は、プロペラスピナー先端にあり、機関砲は、コックピット操縦席床の中央に砲尾が来るような位置に配置されている。
7.爆撃機迎撃・地上攻撃に投入されたフォッケウルフFw-190戦闘機
ドイツ最優秀のDB601液冷エンジンは,Bf-109戦闘機,Bf-110戦闘機(駆逐機)に優先配備されていた。そこで、このDB601液冷エンジンを装備できなかった弱小メーカーのフォッケウルフ社は,爆撃機用だった空冷BMW801空冷星型エンジンを搭載した戦闘機を開発せざるを得なかった。
こうして開発されたのがフォッケウルフFw-190戦闘機で,対戦闘機,対爆撃機の戦闘を念頭に、小型で速力が速く、操縦も容易な方針で設計された。
緒戦では、イギリス空軍のスーパーマリン・スピットファイア戦闘機に対して,有利に戦いを進めることができた。頑丈で,装甲板も施された機体は,爆弾搭載能力,被弾・防弾能力も高く,戦闘爆撃機としても活躍した。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。 バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
⇒ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
⇒ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism ⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics ⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck ⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発 ⇒ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto ⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏 ⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1) ⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz ⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
⇒ヒトラー:Hitler
⇒ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
⇒海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
⇒ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒VI号ティーガー重戦車 ⇒V号パンター戦車
⇒ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
⇒ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
⇒ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
⇒イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
⇒イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
⇒イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車 ⇒イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
⇒アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車 ⇒アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank ⇒イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
⇒シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail ⇒英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
⇒アンネの日記とユダヤ人 ⇒与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇 ⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機 ⇒ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
⇒ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
⇒ハンセン病Leprosy差別
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