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◆ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破されたソ連赤軍第34機甲師団第67戦車連隊所属T-35重戦車
:砲塔上面には出入り口ハッチがある。砲塔には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が見える。前後の副砲塔には45ミリ戦車砲を搭載。7.62ミリDT機関銃1丁を搭載する銃塔が、前後に1基見える。
T-35 986-16 of 67th Tank Regiment 34th Division
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、リボフ郊外、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破されたソ連赤軍第34機甲師団第68戦車連隊所属T-35重戦車を見物する多数のドイツ国防軍兵士たち
:砲塔上面には出入り口ハッチが開いている。砲塔前面には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が見える。
T-35 No 234-42 from 68th Tank Regiment, Lvov 1941
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(右)1941年秋,ソビエト連邦、ソ連赤軍T-35重戦車 M1938型
:T-35重戦車はソ連赤軍が1933年に制式した多砲塔戦車で、16.5口径76.2ミリ短砲身砲装備の大型砲塔1基、42口径45ミリ戦車砲装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃装備の小砲塔2基を備えている。装甲は11ミリから30ミリ。
T-35-1 soviet heavy tank, the side view, Summer 1932 (1) WurgerJan 15, 2019
写真は,ww2aircraft.net T-35引用。



写真(上)2011年5月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35A重戦車
:ドイツ軍の戦車よりも,重装甲,強力な76.2ミリ短砲身榴弾砲1門装備の大型砲塔1基,長砲身45ミリカノン砲1門装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃1丁装備の小型砲塔2基を装備していた。重装甲とは言えないが、ドイツ戦車と同等以上の防御力を誇っていた。他方、発展型の重戦車KV-1の砲塔装甲は前面90mm、側面75mm、後に砲塔は全周120mmに強化ている。
Description Русский: Т-35 в бронетанковом музее в Кубинке
Date 30 May 2011 Source Own work Author Prised
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum : File:T-35 in the Kubinka Museum.jpg引用。



1.フランス陸軍シャール 2C(FCM 2C)重戦車

イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)重戦車は試作のみに終わったものの、各国陸軍が構想していた陸上戦艦の参考として、このような形状が踏襲されることになった。例えば、ソビエト赤軍T-28中戦車、T-35多砲塔重戦車、日本陸軍九一式重戦車・九五式重戦車などは、イギリス陸軍インディペンデント重戦車の形状が類似している。しかし、イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)重戦車は、第一次大戦中にフランスが開発を始めたしたシャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車に類似している。


写真(右)1928年8月,フランス、フランス陸軍シャール 2C(FCM 2C)重戦車
:主砲に搭載されたM1897式75ミリ加濃砲は、当時としては強力な火砲だった。
Description Français : Issy-les-Moulineaux, 31/3/28, manoeuvres de chars d'assaut : [photographie de presse] / [Agence Rol]
Date 28 March 1928 Source https:// gallica.bnf.fr/ark: /12148/ btv1b53197676j
写真は,Category:Char 2C File:Issy-les-Moulineaux 31-3-28 manoeuvres de chars- Agence Rol 03.jpg引用。


フランス陸軍シャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車試作車は、前後2基の砲塔を持つ多砲塔戦車で、A1E1インディペンデントよりも4年も早い1921年に完成している。1921年のフランス陸軍シャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車は、重量69トンで強力な75ミリカノン砲1門を装備しており、10両が生産された。世界各国の多砲塔戦車が、失敗、放棄されたことを思えば、重戦車は強力な大口径火力と重防御が理想だったことがわかる。


写真(右)1940年5月以降,フランス、ドイツ軍が鹵獲した輸送途上のフランス陸軍シャール 2C(FCM 2C)重戦車
:鉄道の重量物移送トレーラーに乗せられている。車体側方から見ると、高い全高の巨大な車体の前部に主砲塔、後方に小型砲塔が搭載されている。主砲は、 75ミリM1897カノン砲で、当時のドイツ西部戦線としては最強の戦車砲だった。
Description Deutsch: Char 2C Nr. 99 "Champagne" nach der Erbeutung durch die deutschen Truppen in Westfrankreich, Sommer 1940
English: Char 2C no. 99 "Champagne" after capturing by German forces in western France, summer 1940
Français : Char FCM 2C n° 99 « Champagne » capturé par les forces allemandes dans l'ouest de la France, été 1940
Date 1940 Source original negative of image taken by my late grandfather
Author my late grandfather
写真は,Category:Char 2C File:Char2C 97.jpg引用。


フランス陸軍シャール 2C(FCM 2C)重戦車を詳しく見る。


2.イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)重戦車

1914年勃発の第一次世界大戦に投入された世界初の戦車イギリス陸軍Mk.1型戦車は、農業用トラクターのキャタピラーを装備した大型戦闘車輛だったが、車体側方に57ミリ砲を搭載しており回転式砲塔は装備していなかった。その後、この陸上軍艦のような重戦車の発展型が、第一次大戦中に開発が始まり、戦後になって、フランス陸軍シャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車試作車、イギリス陸軍A1E1インディペンデント戦車が完成した。その影響の下に、ソ連赤軍は多砲塔戦車の開発を開始した。これがソ連T-28中戦車とT-35重戦車で1933年に制式された。


写真(右)1925年,イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)重戦車
:ヴィッカースA1E1インディペンデント重戦車は、全長7.6 m 、全幅2.7 m、全高2.7 m、重量33トンの重戦車で、 ソ連赤軍が1933年に制式した多砲塔戦車の参考にもされた。装備されたオードナンス長砲身QF3ポンド速射砲は、当時としては最強の対戦車砲だった。
Description Vickers Independent Heavy Tank (A1E1). Date 1925
Source IWM London Thumbnail .jpg This is photograph KID 109 from the collections of the Imperial War Museums (collection no. 6000-02) Flag of the United Kingdom.svg
Author Photographer not identified. "Official photograph".
写真は,Category:Vickers A1E1 Independent File:IWM-KID-109-Vickers-Independent.jpg引用。


イギリスの兵器メーカー、ヴィッカース社によって、第一次大戦後の1925年に開発された試作多砲塔重戦車。イギリス陸軍初の重戦車として制式されたために"A1"の名称が与えられたが、試作段階だったため、"E1"が追記された。形状、動力駆動方式、サスペンションなど、イギリス陸軍ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデントA1E1 Independent)多砲塔重戦車は、ソ連赤軍のT-28中戦車とT-35多砲塔重戦車の参考になったと思われるが、模倣というのは、ソ連の技術力を軽視しすぎている。このような設計思想は、フランス陸軍シャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車試作車のように第一次大戦からあり、陸上戦艦として、列国軍隊の間で共通認識ができていた。

イギリスの兵器メーカー、ヴィッカース社に対して、1924年にイギリス陸軍参謀本部が、歩兵の支援無しでも単独で塹壕を攻撃・突破できる重戦車の試作を発注した。これが、1925年に試作車が完成したイギリス陸軍ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデントA1E1 Independent)多砲塔重戦車は、翌1926年にイギリス陸軍に納入された。しかし、戦間期の平和の時期にこのような重戦車が量産されることはなく、技術資料として保管されることになった。そして、21世紀の現在でも、このインディペンデント多砲塔戦車は、イギリス、ボービントン戦車博物館で保存、公開されている。


写真(右)2008年,イギリス、ボービントン戦車博物館の保管しているイギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)重戦車
(正面近くより撮影):ヴィッカースA1E1インディペンデント重戦車の発動機は、アームストロング・シドレー社の開発したV12気筒空冷ガソリンエンジンで、排気量は35.8リットル、370馬力(280 kW)である。懸架方式は、手堅いコイルスプリング ボギー式で、最高速力は路上32 km/hに達した。
Vickers Independent At Bovington tank museum, Dorset. Inter-war tank design with 5 turrets. One of the four small turrets which surround the main one had a gun which could elevate to point at aircraft.
Although this didn't get produced it did influence later tanks. Date Taken on 25 February 2006
Source https://www.flickr.com/photos/skuds/224525415/in/photostream/ Author skuds
写真は,Category:Vickers A1E1 Independent at the Bovington Tank Museum File:Independent tank edited.jpg引用。


ヴィッカースA1E1インディペンデント重戦車の諸元
全長 7.6 m、 全幅 2.7 m 、全高 2.7 m
重量 33 tトン
乗員 8名
主砲塔1基:オードナンス(Ordnance)QF 3ポンド47ミリ速射砲1門搭載
小型銃塔4基:各々.303口径7.7ミリ・ヴィッカース重機関銃1丁搭載
車体装甲:13ミリから28ミリ

イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデントA1E1 Independent)重戦車は試作のみに終わったものの、各国陸軍が構想していた陸上戦艦の参考として、このような形状が踏襲されることになった。例えば、ソビエト赤軍T-28中戦車、T-35多砲塔重戦車、日本陸軍九一式重戦車・九五式重戦車などは、イギリス陸軍インディペンデント重戦車の形状が類似している。しかし、イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)重戦車は、第一次大戦中にフランスが開発を始めたしたシャール 2C(FCM 2C)重戦車に類似している。シャール2Cの試作車は、多砲塔戦車ではないが、イギリス陸軍ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデントA1E1 Independent)重戦車よりも4年も早い1921年に完成している。1921年のフランス陸軍シャール 2C(FCM 2C)重戦車は、重量69トンで強力な75ミリカノン砲1門を装備しており、10両が生産された。世界各国の多砲塔戦車が、失敗、放棄されたことを思えば、重戦車は強力な大口径火力と重防御が理想だったことがわかる。

イギリス陸軍ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント重戦車を見る。


3.ソ連赤軍 T-28中戦車


写真(上)1940年4月、フィンランド、フィンランド軍が対ソビエト連邦「冬戦争」時に撃破・鹵獲したソ連赤軍T-28中戦車M1938年型
(前半部分):フィンランド国防軍の兵士が戦車を点検している。主砲は26口径76.2ミリ戦車砲L-10で、歩兵支援用である。車体前部の小型銃塔2基には、7.62ミリDT機関銃各1丁を装備し、接近戦の敵歩兵を排除する。
Korjatulla T-28 sotasaalispanssarivaunulla ajetaan Varkaudessa. Vallattu hyökkäysvaunu Varkaudessa. Varkaus 1940.04.01 Kyseessä T-28 panssarivaunu, jonka pääaseena 76,2 mm:n tykki. SA-kuva.
写真は,The Finnish Defence Forces From the front line to the home front 1939-1945引用。


1932年にソ連赤軍T-28中戦車は、ソビエト連邦、レニングラードのキーロフ(Kirov)工場で開発された多砲塔である。原型として参考にされたのは、イギリスのA6中戦車とドイツのNbFzトラクターである。中央の砲塔には45ミリM27/32戦車砲を搭載した試作車が1933年8月11日にソ連赤軍に制式された。その後、攻撃力が強化され16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲を1門搭載するようになった。主砲塔の後部背面にも7.62ミリ機関銃1丁を搭載する。車体後方背面には、V型12気筒M-17Lガソリンエンジン(500馬力/372kW)を搭載した。


写真(上)1941年6月以降、ソビエト連邦、ドイツ軍のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦で破壊されたソ連赤軍T-28中戦車M1938年型と戦利品を見物するドイツ軍将兵
:中央の砲塔主砲は26口径76.2ミリL-10戦車砲。1939年11月30日から1940年3月13日のフィンランドとの冬戦争に参戦している。T-28戦車の発動機は、ミクーリンM-17M V型12気筒液冷ガソリンエンジン500 馬力。
multi-turreted medium tank T-28 14
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-28 photo gallery引用。


ソ連赤軍T-28中戦車1934年型は、1932年にソビエト連邦、レニングラードのキーロフ(Kirov)工場で開発された多砲塔である。原型として参考にされたのは、イギリスのA6中戦車とドイツのNbFzトラクターである。中央の砲塔には45ミリM27/32戦車砲を搭載した試作車が1933年8月11日にソ連赤軍に制式された。その後、攻撃力が強化され16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲を1門搭載するようになった。主砲塔の後部背面にも7.62ミリDT機関銃1丁を搭載する。車体後方背面には、ミルーキンV型12気筒M-17Lガソリンエンジン(500馬力/372kW)を搭載した。

写真(右)2008年9月、ロシア連邦、モスクワ、中央軍事博物館(Central Armed Forces Museum, Moscow )に保管展示されている短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲装備のT-28中戦車M1934年型/多砲塔戦車:主砲塔右には旋回機関銃(同軸ではない)の銃座が、車体前部右の銃塔の銃口は蓋をされている。キャタピラが地面に接する転輪は、片側6組12個あるので、同じ多砲塔のT-35戦車の転輪4組8個よりも多い。右側にはT-34/76中戦車が置かれている。
Description Средний танк Т-28 1933
Date Taken on 27 August 2003 Source http://www.panoramio.com/photo/48823622 Author Валерий Дед
写真は,Category:T-28 in the Moscow Central Armed Forces Museum File:Средний танк Т-28 1933 - panoramio.jpg引用。



写真(右)2013年5月、フィンランド、ヘルシンキ北100キロ、パロラ戦車博物館(Parola Tank Museum)に保管展示されているフィンランド軍の鹵獲したソ連製T-28多砲塔中戦車
(斜め右後方より撮影):中央の砲塔には16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲を1門搭載、砲塔の後部背面にも7.62ミリ機関銃1丁を搭載する。写真の展示している車両には、機関銃は未装備で、銃身を伸ばす銃口が開いている。1939-1940年のソ連・フィンランド冬戦争において、ソ連軍が使用したT-28戦車を、フィンランド軍が鹵獲した。
155 - T-28 m 1938 Date 5 July 2017, 12:20 Source 155 - T-28 m 1938 Author Richard Allen from Nottingham, UK
写真は,Category:T-28 in the Parola Tank Museum File:Parola Tank Museum 155 - T-28 m 1938 (37682173905).jpg引用。


T-28中戦車の諸元
全長:7.44m、全幅:2.66m、全高:2.86m
重量:当初32.0トン、後期32.5トン 装甲:最厚;当初後期T-28A型50ミリ、後期T-28C型80ミリ、側方:当初20ミリ、後期T-28C型40ミリ
乗員:6名
発動機:V型12気筒M-17Lガソリンエンジン(500馬力/372kW/1400rpm)
主砲:45ミリM27/32戦車砲あるいは16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲;携行弾数:70発、後期T-28C型;26口径76.2ミリ戦車砲L-10
副兵装:7.62ミリDT機関銃3丁(主砲塔同軸機関銃と小砲塔2基に搭載);携行弾数:7938発
最高速力:路上37km/h、路外20km/h
航続距離220km

ソ連赤軍T-28中戦車を詳しく見る。



4.ソ連赤軍 T-35重戦車


写真(右)1932年夏,ソビエト連邦、ソ連赤軍T-35重戦車初期型
:5月1日メーデーは、労働者の祝日で、労働者独裁を標榜するボリシェビキにとって重要な政治社会的祝日である。この時に、男女労働者とともに、陸空軍を中心にした軍事パレードが開催される。
T-35-1 soviet heavy tank, the side view, Summer 1932 (1) WurgerJan 15, 2019
写真は,ww2aircraft.net T-35引用。


ソ連赤軍のT-28戦車は、イギリス軍のA6中戦車、MK.II中戦車を参考にして開発されたといわれるが、ほぼ同時期により強力な攻撃力をもつT-35重戦車も開発された。T-28中戦車の試作車が完成したのは1932年で、この時は主砲塔には45ミリ戦車砲を搭載していた。またT-35重戦車も翌1933年には施策が完成しており、ともに世界の戦車の中でもソ連の軍事技術を誇りうるものだった。これらの戦車は、当時としては大重量の30トン級で、「重戦車」と見なすことができた。それでも、路上の最高速力は30キロ以上で、機動性も十分あると考えられた、1933年2月のモスクワで開催されたメーデーの軍事パレードに参加し、一般公開され、この時期にT-28中戦車とT-35重戦車として制式された。


写真(上)1933年5月,ソビエト連邦、モスクワ、メーデーの軍事パレードに参加した時と思われるソ連赤軍T-35重戦車初期型
:T-35重戦車はソ連赤軍が1933年に制式した多砲塔戦車で、16.5口径76.2ミリ短砲身砲装備の大型砲塔1基、42口径45ミリ戦車砲装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃装備の小砲塔2基を備えている。装甲は11ミリから30ミリ。
Wurger T-35-1 soviet heavy tank in Moscow 1933 WurgerJan 15, 2019
写真は,ww2aircraft.net T-35引用。



写真(上)1941年秋,ソビエト連邦、ソ連赤軍T-35重戦車 M1938型
:T-35重戦車はソ連赤軍が1933年に制式した多砲塔戦車で、16.5口径76.2ミリ短砲身砲装備の大型砲塔1基、42口径45ミリ戦車砲装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃装備の小砲塔2基を備えている。装甲は11ミリから30ミリ。
T-35 soviet heavy tank model 1938, the starboard, Fall 1941 (2) Wurger · Jan 15, 2019
写真は,ww2aircraft.net T-35引用。


写真(右)1939年6月,ソ連赤軍T-35重戦車:T-35重戦車はソ連赤軍が1933年に制式した多砲塔戦車で、16.5口径76.2ミリ短砲身砲装備の大型砲塔1基、42口径45ミリ戦車砲装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃装備の小砲塔2基を備えている。装甲は11ミリから30ミリ。
English: A T-35 heavy tank. Date 1933-1939? Source http://www. morozov.com. ua /eng/body /tanks t-35.php?menu =history5.php Author Unknown author
写真は,wikipedia-commons File:P68l.jpg引用。


1914年勃発の第一次世界大戦に投入された世界初の戦車イギリス陸軍Mk.1型戦車は、農業用トラクターのキャタピラーを装備した大型戦闘車輛だったが、車体側方に57ミリ砲を搭載しており回転式砲塔は装備していなかった。その後、この陸上軍艦のような重戦車の発展型が、イギリス陸軍が1925年に開発したA1E1インディペンデント戦車である。その影響の下に、ソ連赤軍は多砲塔戦車の開発を開始した。これがソ連T-28中戦車とT-35重戦車(5砲塔戦車)で1933年に制式された。

ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車は、イギリス陸軍ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデントA1E1 Independent)重戦車の影響を受けたようだが、1933年に制式した後年の多砲塔戦車である。主砲は、16.5口径76.2ミリ短砲身砲装備の大型砲塔1基、42口径45ミリ戦車砲装備の中型砲塔2基で、イギリス陸軍 A1E1インディペンデント重戦車よりもはるかに強力であり、模倣したというより、発展型である。防御力も装甲は11ミリから30ミリで、強化されている。

写真(右)1941年6月以降,ドイツ軍に鹵獲されたと思われるソ連赤軍T-35重戦車:砲塔の上には、戦利品に気をよくしたドイツ軍人2人が写っている。
English: Russian heavy battle tank T-35 model 1935 Deutsch: Russischer schwerer Kampfpanzer T-35 Modell 1935 Date Unknown date Source private photoarchiv Author Willi Ude, uploaded by Ude
写真は,wikipedia-commons File:T-35 model 1935.jpg引用。


ソ連赤軍T-35重戦車は1933年制式で、5砲塔装備の多砲塔戦車である。中央の大型砲塔に16.5口径1932年式76.2ミリ短砲身砲1門装備、前後の中型砲塔2基に1932年式45ミリ20K戦車砲各1門装備、小砲塔2基には7.62ミリDT機関銃各1丁が装備された。T-35は乗員11名、43トンの超大型重戦車にもかかわらず、当時の仮想敵戦車の装備する37ミリ砲に対処できる厚み11ミリから30ミリの装甲しかなかった。


写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破されたソ連赤軍所属のT-35重戦車
:主砲は16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲で、貫通力は、距離500メートルで31ミリ、1000メートルで28ミリだが、対戦車戦ではなく歩兵支援の援護射撃をする目的には十分だった。砲塔上面の司令官用キューポラのハッチが開放状態で止まっているのは、搭乗員が脱出したのであろうか。
T-35 tank of the 68th Tank Regiment, 34th Tank Division 1941
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。


写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破されたソ連赤軍T-35重戦車:砲塔上面には出入り口ハッチが開いている。砲塔前面には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が見える。キャタピラは両側とも外れている。車体前面に牽引用のロープが掛けられているので、ソ連軍が行動不能となった戦車を回収しようとしたのかもしれない。
T-35 44
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。


T-35多砲塔重戦車はソ連赤軍が1933年に制式した多砲塔戦車で、16.5口径76.2ミリ短砲身砲装備の大型砲塔1基、42口径45ミリ戦車砲装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃装備の小砲塔2基を備えている。T-35の装甲は11ミリから30ミリ。


写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破されたソ連赤軍T-35重戦車の砲塔を検分するドイツ国防軍兵士
:砲塔上面には出入り口ハッチが開いている。砲塔前面の16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲は後ろ向き。キャタピラは両側とも外れている。車体前面に牽引用のロープが掛けられている。上と同じ戦車だが、砲身の向きが異なっているので砲塔が回転させられたことがわかる。
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。


写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツに撃破・鹵獲されたソ連赤軍T-35重戦車で記念撮影に興じるドイツ国防軍将兵:車体前面に牽引用のロープが掛けられているので、ソ連軍が行動不能となった戦車を回収しようとしたのかもしれない。汚れが雨に流れたのか、それとも迷彩塗装が施されていたのであろうか。主砲塔は後ろ向きになっている。砲塔上面の司令官用ハッチは開いたままになっている。
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。


ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車の搭載した短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲は、歩兵の支援のための火砲で、対戦車戦は副砲の45ミリ戦車砲が担当する。接近してくる歩兵には7.62ミリDT機関銃を搭載した小型砲塔(銃塔)が1基ずつが対処する。T-35の銃塔は、回転方向が制約されているので射撃視界は220度程度である。


写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ウクライナ、ドイツのソ連侵攻緒戦に撃破されたソ連赤軍第67戦車連隊T-35重戦車を見物するウクライナ住民
:主砲塔には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲、ロッド式アンテナがついている。副砲塔には長砲身45ミリ戦車砲が搭載されている。しかし、前後の銃塔のは7.62ミリDT機関銃は外されているが、これは撤退したソ連軍兵士が持ち去ったのであろう。
German soldier and civilians atop T-35, Yariczov (Новий Яричів) Ukraine 1941
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ウクライナ、ドイツのソ連侵攻緒戦に撃破されたソ連赤軍第67戦車連隊T-35重戦車を検分するドイツ国兵士たち
:主砲塔も副砲塔も右側を向いているので、砲身は写っていない。主砲塔の周囲には無線用のロッド式アンテナがついている。副砲塔には長砲身45ミリ戦車砲が搭載されている。しかし、前後の銃塔のは7.62ミリDT機関銃は外されているが、これは撤退したソ連軍兵士が持ち去ったのであろう。
German soldier and civilians atop T-35, Yariczov (Новий Яричів) Ukraine 1941
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。


Francis Pulham (2017) Fallen Giants: The Combat Debut of the T-35A Tankp.22によれば、ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車は、1934年(148号)10輌、1935年(399または288号)8両、1936年16輌、1937年10輌、1938年11輌、1940年(744号62から67)6輌、合計61輌が生産された。そして、第二次世界大戦で実戦に使用されている。

写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破された赤い星の記章を付けたソ連赤軍第67戦車連隊T-35重戦車を検分するドイツ国防軍兵士:砲塔周囲には、ロッド式アンテナはついていない。主砲塔前面には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が見える。副砲塔には長砲身45ミリ戦車砲が搭載され、後方の銃塔には7.62ミリDT機関銃が搭載されている。
T-35 of the 67th Tank Regiment, 34th Tank Division Red Army
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、リボフ郊外、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破された赤い星の記章を付けたソ連赤軍T-35重戦車の車体上で見物・記念撮影したドイツ国防軍将兵たち
:前後の副砲塔の45ミリ戦車砲に挟まれた一段高い位置にあるのが主砲塔で短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が搭載されているが、砲身が側方を向いている。
German soldiers atop an abandoned T-35
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破されたソ連赤軍第34機甲師団第67戦車連隊所属T-35重戦車
:主砲塔の短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲は後方に砲口を向けている。前後の副砲塔の45ミリ戦車砲も砲身を左側に向けている。7.62ミリDT機関銃1丁を搭載する銃塔が、前後に1基見えるが、機関銃は搭載されていない。
T-35 soviet heavy tank somewhere on Eastern Front 1941
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。


写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破された赤い星の記章を付けたソ連赤軍T-35重戦車で記念撮影に興じるドイツ空軍将兵:主砲塔にはロッド式アンテナが装着され、副砲塔には2個の出入り口ハッチが開いている。7.62ミリDT機関銃を装備する銃塔(小型砲塔)の機銃は外されている。キャタピラーは外れている。
German Luftwaffe soldiers with T-35
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。


ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車の主砲塔には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が搭載されたが、この砲塔の前後にも、45ミリ戦車砲を搭載する副砲塔、7.62ミリDT機関銃を装備する銃塔(小型砲塔)が各々1基ある。つまり、ソ連赤軍T-35重戦車は、砲塔・銃塔が合計5基を搭載する多砲塔戦車である。生産台数は約60台。


写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ウクライナ、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破されたソ連赤軍第34機甲師団第67戦車連隊所属T-35重戦車を見物するドイツ国防軍将兵
:砲塔上面には出入り口ハッチが開いている。砲塔前面には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が見える。
T-35 from 67th Tank Regiment, Ukraine 1941 2
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。


ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車は、乗員11名、重量45トンで、大型回転砲塔、その前後に中型・小型砲塔各2基を配置した5砲塔戦車である。中央砲塔には、主砲の16.5口径 76.2ミリ短砲身榴弾砲を装備し、前後の中型砲塔には副砲の42口径 45ミリカノン砲を装備した。そして、前後の小型砲塔には7.62ミリ機関銃を装備して、歩兵攻撃用とした。

写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ウクライナ、リボフ、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破された赤い星の記章を付けたソ連赤軍第67戦車連隊T-35重戦車を検分するドイツ国防軍兵士:砲塔周囲には、ロッド式アンテナはついていない。主砲塔前面には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が見える。副砲塔には長砲身45ミリ戦車砲が搭載され、後方の銃塔には7.62ミリDT機関銃が搭載されている。
T-35 tank No183-8 near Lvov, 1941
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。


ソ連赤軍T-35重戦車(5砲塔戦車)の総生産数は60台のみだが、威容を誇る「陸上戦艦」として、ドイツ軍の目立った戦利品になった。


写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破・回収されたソ連赤軍T-35重戦車の砲塔を検分するドイツ国防軍兵士
:砲塔上面には出入り口ハッチが開いている。砲塔前面には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が見える。砲塔上面の司令官用ハッチが開放状態で止まっているのは、搭乗員が脱出したからであろう。
T-35 288-43 Городок (Horodok near Lviv) 1941
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ウクライナ、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破されたソ連赤軍第67戦車連隊T-35重戦車を検分するドイツ国防軍兵士
:キャタピラは両側とも外れている。砲塔前面には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が見える。砲塔上面の司令官用ハッチが開放状態で止まっている。
German soldiers poses atop a T-35 of the 67th Tank Regiment, Ukraine 1941
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破され回収されたソ連赤軍T-35重戦車の車体上や周囲で見物するドイツ国防軍将兵たち
:副砲塔は45ミリ戦車砲用は前後の2門が右側に向けられている。7.62ミリDT機関銃用の銃塔(後部)には、銃眼だけが見え、機関銃は撤去されている。主砲塔に搭載の短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲の砲口が白く塗られているので明瞭に識別できる。
Soviet multi-turreted heavy tank T-35 45
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。


ソ連赤軍T-35重戦車(5砲塔戦車)は、Francis Pulham (2017) Fallen Giants: The Combat Debut of the T-35A Tankp.22によれば、1934年(148号)10輌、1935年(399または288号)8両、1936年16輌、1937年10輌、1938年11輌、1940年(744号62から67)6輌、合計61輌が生産された。

写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ウクライナ、カミン、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破されたソ連赤軍第34機甲師団第67戦車連隊所属T-35重戦車の車体上で見物する多数のドイツ国防軍将兵たち:副砲塔は45ミリ戦車砲用と7.62ミリDT機関銃用の大小2種類が見えるが、機関銃は撤去されているのか見当たらない。主砲塔に搭載の短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲の砲口が白く塗られているので明瞭に識別できる。
T-35 0183-3 Білий Камінь (Bilyj Kamin, Ukraine) 1941
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ウクライナ、カミン、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破・回収されたソ連赤軍T-35重戦車の副砲塔(45ミリK-20戦車砲装備)を車体上で見物するドイツ国防軍将兵たち
:車体前面に2個のライトがついている。主砲塔の短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が左側を向いている。
T-35 0183-3 frontal view, Bilyj Kamin, Ukraine
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、リボフ郊外、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破・回収されたソ連赤軍T-35重戦車の副砲塔(45ミリK-20戦車砲装備)を車体上で見物・記念撮影したドイツ国防軍将兵たち
:副砲塔上面には出入り口ハッチが開いている。左の主砲塔には見えないが、短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が搭載されている。
German soldiers atop an abandoned T-35
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(上)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」緒戦に撃破・回収されたソ連赤軍T-35重戦車の砲塔を検分するドイツ国防軍兵士
:砲塔上面には出入り口ハッチが開いている。砲塔前面には短砲身16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲が見える。砲塔上面の司令官用ハッチが開放状態で止まっているのは、搭乗員が脱出したからであろう。
T-35 288-43 Городок (Horodok near Lviv) 1941
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



写真(右)1941年6月22日以降、ソビエト連邦、ドイツのソ連侵攻緒戦に撃破されたソ連赤軍第67戦車連隊T-35重戦車を検分するドイツ軍兵士と民間人
:主砲塔も副砲塔も右側を向いているので、砲身は写っていない。主砲塔の周囲には無線用のロッド式アンテナが破損している。副砲塔には長砲身45ミリ戦車砲が搭載されている。しかし、車体前には、副砲塔(45ミリ戦車砲)と並んで、銃塔(7.62ミリDT機関銃)が並んで装備されているのがわかる。ただし、機関銃は外されているが、これは撤退したソ連軍兵士が持ち去ったのであろう。
Soviet multi-turreted heavy tank T-35 42
写真は,World War Photos 2013-2020, USSR/Tank T-35 photo gallery引用。



Red Army T-35 heavy tanks: 6,539 回視聴 (2018/04/30)

T-35重戦車1936年型は、ハリコフ機関車工場で1935-1938年に35台生産された。T-35重戦車1939年型は、1938-1939年に6台生産された。モスクワの赤の広場で毎年開催される5月のメーデには、この超大型T-35重戦車が軍事パレードに参加した。

T-35重戦車 ソ連T-35重戦車(5砲塔戦車)は重量45トン、乗員11名で、発動機は500馬力ガソリンエンジンを搭載、最高速力は路上30km/hだったが、機構上、トランスミッション・メカニズムが重量負荷に耐えられず、脆弱だったために、故障が頻発した。

 しかし、外見上のインパクトはまさに陸上戦艦というに等しく威圧的でインパクトがあったために、ソ連赤軍は1933年にT-35重戦車として制式し、1939年までに40輌以上が量産され、1939年対フィンランド冬戦争に初めて実戦投入されている。


図解(上)1936年頃、ソ連赤軍T-35重戦車の側面図
:雲形迷彩塗装を施されている。赤い星は、ソ連赤軍の国籍記章。
Deutsch: Schwerer sowjetischer Panzer T-35. Bleistiftzeichnung nach einer Fotografie, angefertigt für eine Propaganda-Wandzeitung anlässlich des Tages der Sowjetarmee 1978 durch den Gefr. Treudler
Date 1978 Source http://de.wikipedia.org/wiki/Datei:T35-Tank.jpg Author Tobias Treudler
写真は,wikipedia-commons File:T-35 Panzer.JPG引用。


ソ連赤軍T-35重戦車の前後の中型砲塔に装備した1門の42口径45ミリK-20戦車砲は、1932年式45ミリ20K戦車砲で、当時としては、大口径長砲身で攻撃力は抜きんでていた。前後の小型砲塔の7.62ミリDT機関銃は、戦車に接近する歩兵を攻撃する小火器である。

T-35重戦車の重量は43トンあったが、500馬力ガソリンエンジンを装備しており、路上最高速力は30キロメートル、航続距離は150キロメートルあった。後継車両のT-100重戦車、SMK重戦車の試作車と比較すると、機動性に劣っており、攻撃力も低かったが、61輌が量産され、一部は、1941年6月のドイツ侵攻バルバロッサ作戦の時期にも、部隊配備されていた。

Francis Pulham (2017) Fallen Giants: The Combat Debut of the T-35A Tankp.22によれば、1934年(148号)10輌、1935年(399または288号)8両、1936年16輌、1937年10輌、1938年11輌、1940年(744号62から67)6輌、合計61輌が生産された。



5.現存するソ連赤軍 T-35重戦車


写真(上)2007年8月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35A重戦車
:クビンカ戦車博物館に保管されている1輌のT-35戦車の塗装は、2007年には褐色だったが、2013年には緑と褐色の迷彩塗装に、2016年には緑一色の迷彩塗装に変更されている。
Description T-35 tank Date 08.09.2007 Author User:Saiga20K
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum: File:800px-T35kub1 edited.jpg引用。


ソ連赤軍T-35重戦車は、76.2ミリ短砲身榴弾砲1門装備の大型砲塔1基,長砲身45ミリK20戦車砲1門装備の中型砲塔2基、7.62ミリDT機関銃1丁装備の小型砲塔2基、合計5砲塔を保有する多砲塔重戦車である。防御力は、重装甲とは言えないが、ドイツ戦車と同等以上の防御力を誇っていた。


写真(上)2013年6月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35A重戦車
:クビンカ戦車博物館に保管されている1輌のT-35戦車の塗装は、2007年には褐色だったが、2013年には緑と褐色の迷彩塗装に、2016年には緑一色の迷彩塗装に変更されている。 重装甲とは言えないが、ドイツ戦車と同等以上の防御力を誇っていた。車体前面下段の夜間行動用の照明灯2基にはカバーが掛けられている。車体左側に、操縦手の外観を見るハッチがある。
Русский: Тяжелый танк Т-35 в Центральном музее бронетанкового вооружения и техники в Кубинке. Date 8 June 2013, 11:26:16 Source Own work Author Mike1979 Russia
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum : File:T-35 in the Kubinka Museum.jpg引用。



写真(上)2017年8月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35A重戦車
:クビンカ戦車博物館に保管されている1輌のT-35戦車の塗装は、2007年には褐色だったが、2013年には緑と褐色の迷彩塗装に、2016年には緑一色の迷彩塗装に変更されている。
Designer:- OKMO Tank Design Bureau Manufacturer:- KhPZ Built:- 1933-1938 In service:- 1935-1941 Total production:- 61 Main armament:- 76.2mm gun model 27/32. The T-35 was the only five-turreted heavy tank ever to reach production, but was expensive, slow and mechanically unreliable. Already obsolete by 1941, they did see action during Operation Barbarossa, with the last recorded action being during the early stages of the Battle of Moscow. This is the only remaining example and survives because it was one four used for training and therefore never saw frontline service. On display in what is best known as Hall1 of the Kubinka Tank Museum, although its official title is now Pavilion 1 in Area 2 of the Park Patriot museum. Kubinka, Moscow Oblast, Russia.
24th August 2017.
Date 24 August 2017, 12:22 Source T-35A Heavy Tank
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum: File:T-35 in the Kubinka Museum.jpg引用。



写真(上)2016年8月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35A重戦車の前部に搭載された長砲身45ミリカノン砲1門装備の中型砲塔
:ドイツ軍の戦車よりも,重装甲,強力な76.2ミリ短砲身榴弾砲1門装備の大型砲塔1基,長砲身45ミリカノン砲1門装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃1丁装備の小型砲塔2基を装備していた。重装甲とは言えないが、ドイツ戦車と同等以上の防御力を誇っていた。他方、発展型の重戦車KV-1の砲塔装甲は前面90mm、側面75mm、後に砲塔は全周120mmに強化ている。
Description T-35A in the Kubinka Museum.
Date 16 August 2016, 13:47:41
Source Own work Author Alf van Beem
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum : File:T-35A in the Kubinka Museum pic4.JPG引用。


写真(右)2016年8月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35A重戦車:大型砲塔1基には16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲,中型砲塔2基には長砲身45ミリK20戦車砲各1門を装備し、銃塔2基には7.62ミリ機関銃各1丁を装備している。発展型の重戦車KV-1の砲塔装甲は前面90mm、側面75mm、後に砲塔は全周120mmに強化ている。
Description T-35A in the Kubinka Museum. Date 16 August 2016, 13:46:41
Source Own work Author Alf van Beem
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum:File:T-35A in the Kubinka Museum pic2.JPG引用。


Francis Pulham (2017) Fallen Giants: The Combat Debut of the T-35A Tankp.22によれば、ソ連赤軍T-35重戦車(5砲塔戦車)は、1934年(148号)10輌、1935年(399または288号)8両、1936年16輌、1937年10輌、1938年11輌、1940年(744号62から67)6輌、合計61輌が生産されている。

写真(右)2016年8月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35A重戦車:クビンカ戦車博物館に保管されている1輌のT-35戦車の塗装は、2007年には褐色だったが、2013年には緑と褐色の迷彩塗装に、2016年には緑一色の迷彩塗装に変更されている。
Description T-35A in the Kubinka Museum.
Date 16 August 2016, 13:47:09
Source Own work Author Alf van Beem
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum:File:T-35A in the Kubinka Museum pic4.JPG 引用。


 1936年に勃発したスペイン内戦では、ドイツ・イタリアはフランコ将軍の反乱軍を支援して派兵したが、ソ連は共和国政府を支援して派兵した。このとき、ソ連赤軍派遣したT-26 軽戦車、BT快速戦車は、37ミリ、45ミリ戦車砲の攻撃力は認められたが、装甲が薄く防御力に問題があった。スペイン内戦に、T-35重戦車は、投入されていない。

写真(右)2017年8月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35重戦車の副砲塔45ミリ戦車砲:ドイツ軍の戦車よりも,重装甲,強力な76.2ミリ短砲身榴弾砲1門装備の大型砲塔1基,長砲身45ミリカノン砲1門装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃1丁装備の小型砲塔2基を装備していた。重装甲とは言えないが、ドイツ戦車と同等以上の防御力を誇っていた。他方、発展型の重戦車KV-1の砲塔装甲は前面90mm、側面75mm、後に砲塔は全周120mmに強化ている。
0732 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka
Date 1 October 2015, 12:56 Source 0732 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka Author Uwe Brodrecht
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum:File:0759 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka (26334835851).jpg引用。


写真(右)2015年10月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35重戦車の副砲塔45ミリ戦車砲:大型砲塔1基には16.5口径76.2ミリKT-28榴弾砲,中型砲塔2基には長砲身45ミリK20戦車砲各1門を装備し、銃塔2基には7.62ミリ機関銃各1丁を装備している。
0731 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka Date 1 October 2015, 12:56
Source 0731 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka Author Uwe Brodrecht
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum:File:0731 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka (26128038060).jpg引用。


写真(右)2018年4月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35重戦車車体前部の主砲塔76.2ミリ榴弾砲と副砲塔45ミリ戦車砲(正面):手前にある車体前面下段の流線型の2個のカバーは、起倒式照明塔である。 このほかに車体後部にも副砲塔(45ミリ戦車砲)1基と銃塔(7.62ミリDT機関銃)1基とがあり、合計5基の砲塔が設けられている。
Description Русский: Ходовой макет Т-35 выезжает из цеха реставрации
Date 17 April 2018 Author ООО "УГМК-Холдинг"
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum:File:Ходовой макет Т-35 для Музея военной техники УГМК.jpg引用。


写真(右)2010年4月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35重戦車の主砲塔76.2ミリ榴弾砲と副砲塔45ミリ戦車砲と銃塔(7.62ミリDT機関銃)(正面):車体前面下段の夜間行動用の照明灯2基にはカバーが掛けられている。車体前面下段の夜間行動用の照明灯2基にはカバーが掛けられている。車体左側に、操縦手の外観を見るハッチがある。
Tank T35 Date 29 April 2010, 15:11 Source Tank T35 Author English: Aleksandr Markin Русский: Александр Маркин
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum:File:Tank T35 (4565439995).jpg引用。


写真(右)2018年4月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35重戦車の主砲塔76.2ミリ榴弾砲と副砲塔45ミリ戦車砲と銃塔(7.62ミリDT機関銃)(正面):車体前面下段の夜間行動用の照明灯2基にはカバーが掛けられている。車体左側に、操縦手の外観を見るハッチがある。
Description Русский: Ходовой макет Т-35 выезжает из цеха реставрации Date 17 April 2018
Source http://museum.elem.ru/ru/press/news/uralskie-restavratory-postavili-na-khod-sukhoputnyy-bronenosets/ Author ООО "УГМК-Холдинг"
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum:File:Ходовой макет Т-35 для Музея военной техники УГМК.jpg引用。


ソ連赤軍の実用化した5砲塔を持つT-35重戦車は、1934年(148号)10輌、1935年(399または288号)8両、1936年16輌、1937年10輌、1938年11輌、1940年(744号62から67)6輌、合計61輌が生産された。(Francis Pulham (2017) Fallen Giants: The Combat Debut of the T-35A Tankp.22参照)

写真(右)2007年8月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館、キャタピラ、懸架サスペンションと主砲塔・副砲塔・銃塔(小型砲塔)の合計5基の砲塔を備えた多砲塔戦車ソ連赤軍T-35重戦車:ドイツ軍の戦車よりも,重装甲,強力な76.2ミリ短砲身榴弾砲1門装備の大型砲塔1基,長砲身45ミリカノン砲1門装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃1丁装備の小型砲塔2基を装備していた。重装甲とは言えないが、ドイツ戦車と同等以上の防御力を誇っていた。他方、発展型の重戦車KV-1の砲塔装甲は前面90mm、側面75mm、後に砲塔は全周120mmに強化ている。
Soviet heavy tank T-35, displayed in Kubinka Tank Museum. Photo taken on December 6, 2006. Source: Photo by me, User:Saiga20K. Date 9 August 2007 (original upload date) Source No machine-readable source provided. Own work assumed (based on copyright claims). Author No machine-readable author provided. Saiga20K assumed (based on copyright claims).
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum:File:0759 - Moskau 2015 - Panzermuseum Kubinka (26334835851).jpg引用。



6.ソ連赤軍T-100重戦車の試作車


写真(右)1939年6月,ソ連赤軍T-100重戦車の試作車
:T-35重戦車の後継戦車T-35は、同時に開発されたSMK重戦車試作車と比較されたが、機動性に劣っていたために、量産には至らなかった。
English: T-100 prototype multiturret heavy tank
Date 1 June 1939
Source https://www. yaplakal.com/ forum2/ topic1360058.html Author Unknown USSR personnel
写真は,wikipedia-commons File:T-100.jpg引用。


スターリンは、スペイン内戦での欠点を解消するために、攻撃力と防御力を両立させた重戦車に注目した。そして、スターリンの示唆で、ソ連では1930年代に多砲塔の重戦車が開発され、レニングラードにあるキーロフスキー第100工場とボルシェビク第174工場で試作された。完成した戦車は、キーロフスキー第100工場のSMK(СМК)重戦車55トン、ボルシェビク第174工場のT-100 重戦車58トンの2種類で、どちらも複数砲塔の重戦車試作車である。しかし、巨大で重量過大なために、野外走行に使用に支障があり、全高が高く標的として大きかったために隠匿性と機動性が著しく低かった。


写真(上)1939年12月,ソ連赤軍SMK (セルゲイ・ミロノヴィッチ・キーロフ) 重戦車の試作車
:T-35重戦車の後継戦車SMKは、1939年のソ連・フィンランド冬戦争に実戦投入されたが、防御力・攻撃力は実証されたものの、雪原での機動性が制約された。しかし、試作重戦車を鹵獲されたら、司令官としては粛清対象になる。ソ連赤軍は、再攻勢をかけて、行動不能になっていたSMKを回収した。
English: photography profile smk
Français : photographie de profil du smk
Date 1939/12/xx
Source http:// ww2armor.jexiste.fr /Files/Allies/Allies /1-Vehicles/USSR/ 4-HeavyTanks/ SMK/SMK.htm Author ussr
写真は,wikipedia-commons File:SMK, August 1939.jpg引用。


しかし、多砲塔の威容は、陸上戦艦のようで威容を誇っていたために、スターリンは、さらなる開発を求め、砲塔の数を減らして、前後・上下の2砲塔式に改められた。そして、当時の共産党国防委員、世界で言えば、国防大臣に相当するクリメント・ヴォロシーロフの名を冠した「KV」は、多砲塔をやめ、大型砲塔1基とした重戦車も試作された。


7.ソ連赤軍TSMK重戦車の試作車


写真(右)1939年8月,ソ連赤軍SMK (セルゲイ・ミロノヴィッチ・キーロフ) 重戦車の試作車
:T-35重戦車の後継戦車SMKは、同時に開発されたT-100重戦車試作車と比較されたが、機動性に劣っていたために、量産には至らなかった。
SMK (Sergei Mironovich Kirov) heavy tank, August 1939 Русский: Тяжелый танк СМК (Сергей Миронович Киров). Август 1939 г. Date August 1939 Source Тяжелый танк СМК in Энциклопедия бронетехники РККА Author Unknown author
写真は,wikipedia-commons File:SMK, August 1939.jpg引用。


多砲塔戦車2種、KV重戦車の試作車は、機動性を確認することを主な目的に、モスクワ郊外のクビンカ戦車試験場で装甲試験が実施された。この試作車の審査では、機動性はKV重戦車には認められたが、多砲塔戦車試作車は、不十分だったが、その攻撃力が評価された。1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、ポーランドをドイツと分割したソ連は、バルト三国に次いでフィンランドへもレニングラード周辺のカレリア地峡の領土の割譲、バルト海の要衝の軍隊駐留権を要求した。フィンランドは、これを拒否し、1939年にソ連とフィンランドの愛で「冬戦争」が始まった。ソ連は、対フィンランド冬戦争にこの3種の重戦車を投入し、実戦使用したのである。多砲塔戦車は、森林・雪原での機動性に問題が出たが、KV重戦車は重防御、攻撃力の高さを発揮したと認められた。



A Brief History Of The T-35 Tank:12,430 回視聴(2015/04/08)

T-100重戦車とSMK (セルゲイ・ミロノヴィッチ・キーロフ) 重戦車は、機動性に劣っていたために、量産には至らなかった。他方、KV1重戦車は、1939年12月にソ連赤軍に制式された。KV-1重戦車の生産台数は、各種合わせて、1942年末までに3000両も量産され、さらに装甲を若干薄くして48トンにまで軽量化したKV-1Sが1943年春まで900輌生産された。



8.日本陸軍試製九一式重戦車


写真(右)1930年代,大日本帝国、国軍日本陸軍九一式重戦車
(側方):
日本語: 試製九一式重戦車 English: Imperial Japanese Army Experimental Type 91 Heavy Tank
Date early 1930s Source 日本語: 出版協同社、1978年、原乙未生 監修、竹内昭 著 『日本の戦車』 p143 English: Tomio Hara, Akira Takeuchi "Nihon no sensha (Japanese tanks)" p143, Shuppan Kyodosha, 1978.
Author 日本語: 日本陸軍 English: Imperial Japanese Army
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Experimental Type 91 Heavy Tank 01.jpg引用。


試製九一式重戦車は、日本陸軍が1931年(皇紀2591年)に開発した重戦車で、九一式とは、皇紀の下二桁から命名されており、本来は、制式の場合に採用される名称だが、実際には姿勢にとどまっており、制式ではない。この発展型が、1935年(皇紀2595年)、日本陸軍が開発した九五式重戦車である。しかし、どちらの重戦車も、性能も信頼性も不十分であり、量産されることなく終わった。


写真(右)1930年代,大日本帝国、雲形迷彩塗装を施した日本陸軍九一式重戦車

Русский: Танк Type 91 Heavy принимает участие на ходовых испытаниях
Date 31 January 2020
Source Own work Author Ferdinand1000
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Танк Type 91 Heavy.png引用。


試製九一式重戦車重戦車の諸元
全長 6.30 m 、全幅 2.47 m 、全高 2.57 m
重量 18.0 トン
懸架方式: 板バネ
最高速力:路上25 km/h
航続距離 110 km
主砲:九〇式五糎七戦車砲
後に九四式七糎戦車砲に換装
副兵装:ヴィッカース .303口径7.7ミリ機関銃3丁あるいは6.5ミリ軽機関銃3丁
装甲:20 mm
発動機:BMW IV 水冷直列6気筒ガソリン航空機用エンジン220馬力 / 1,600 rpm
乗員:5 名


写真(右)1927年,大日本帝国、雲形迷彩塗装を施した日本陸軍試製九一式重戦車
(側方):
Description English: The Type 91 experimental heavy tank, climbing a hill during tests.
Date 1927 Source Japanese Medium Tanks. AFV Weapons Profiles No. 49 Author Tomio Hara
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Танк Type 91 Heavy.png引用。


日本陸軍試製九一式重戦車は、車体中央に九〇式57ミリ戦車砲(短砲身榴弾砲)を装備し、 車体前後に各1基の小型銃塔を持ち、ここに機関銃1丁を搭載している多砲塔戦車である。


写真(右)1930年代,大日本帝国、雲形迷彩塗装を施した日本陸軍九一式重戦車
(側方):
English: The Type 91 experimental heavy tank, climbing an obstacle during tests. Date 1927
Source Japanese Medium Tanks. AFV Weapons Profiles No. 49 Author Tomio Hara
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Type 91 experimental heavy tank,-climbing-obstacle.jpg引用。



写真(右)1945年8月末以降,日本、イギリス占領軍が鹵獲した日本陸軍九一式重戦車

Русский: Type 91 tank photographed in 1945 Date 31 January 2020
Source Own work Author Ferdinand1000
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Type 91 experimental heavy tank,-climbing-obstacle.jpg引用。


1925年、日本陸軍はフランスのルノ−戦車のような10トン以内の戦車を軽戦車、イギリスのヴィッカース戦車のような20トン以下の戦車を重戦車と区分した。九一式重戦車は、初の日本国産戦車の試製一号戦車の発展型で、1927年開発の試製一号戦車は、重量が過大で、機動性が低かったために、中国大陸において、仮想敵ソビエト連と戦うことを想定した場合、未整地での機動性が低い九一式重戦車は、結局、制式されずに終わった。


9.日本陸軍九五式重戦車


写真(右)1945年8月末以降,日本、日本陸軍九五式重戦車

Description 日本語: 九五式重戦車 English: Imperial Japanese Army Type 95 Heavy Tank Date mid 1930s
Source 日本語: 出版協同社、1978年、原乙未生 監修、竹内昭 著 『日本の戦車』 p141 English: Tomio Hara, Akira Takeuchi "Nihon no sensha (Japanese tanks)" p141, Shuppan Kyodosha, 1978.
Author 日本語: 日本陸軍 English: Imperial Japanese Army
写真は,Category:Type 95 Heavy Tank File:Type 95 Heavy Tank 01.jpg引用。


日本陸軍の九五式重戦車は、1935年(皇紀2595年)に開発された重戦車で、「九五式」の名は皇紀の下二桁を表したが、秘匿名称としてロ号といわれた。同時期の八九式中戦車はイ号、九五式軽戦車ハ号と呼ばれたが、これら2種類の戦車は制式となり、量産された。

九五式重戦車重戦車の諸元
全長 6.47 m 、全幅 2.70 m 、全高 2.90 m
重量 26.0 トン
懸架方式: 板バネ
最高速力:路上22 km/h
航続距離 110 km
主砲:九四式七糎戦車砲(携行弾数:100発)
副兵装:九四式三十七粍戦車砲(携行弾数:250発)、6.5ミリ軽機関銃2丁(携行弾数:2,940発)
装甲:12mmから 35 mm
発動機:BMW IV 水冷直列6気筒ガソリン航空機用エンジン290馬力 / 1,600 rpm
乗員:5 名


10.ソ連赤軍 KV-1,KW-1重戦車

KWはロシア語ではKBで、KBとはソビエト連邦国防大臣のクリメント・ヴォロシーロフКлимент Ворошилов)の氏名を冠した略称である。


写真(上)1942年6月,ドイツ軍東部戦線、モスクワ南500キロ、ハリコフ北東300キロのヴォロネジ、撃破されたソ連軍KW-1重戦車
:砲塔のハッチから硝煙が立ち上っている。車体前面上部左の7.62ミリ車載機銃が完全に破壊され抜け落ちている。KVの表記は、当時のソ連国防大臣クリメント・ヴォロシーロフ(Климент Ворошилов)に由来する。
Archive title: Sowjetunion, bei Woronesch.- Brennender sowjetischer Panzer KW-1; PK 694 Dating: Juni 1942 Photographer: Klintzsch Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・wikipedia-commons;Bundesarchiv Bild 101I-216-0412-07引用(他引用不許可)。


戦車の名称KWはロシア語ではKBで、KBとはソビエト連邦国防大臣のクリメント・ヴォロシーロフКлимент Ворошилов)の氏名を冠した略称である。英語のKV、ドイツ語のKWである。

ソ連軍KW-1重戦車は、45トンと配備された時点では驚異的な重戦車だったが、車体長6.75 m、全幅3.32 m、全高2.71 mと、できるだけ小型にまとめられている。砲塔には 41.5口径76.2mm ZIS-5戦車砲(収容砲弾数98発)を搭載し、砲塔前面装甲は90 mmと分厚かった。エンジンは、12気筒液冷ディーゼルV-2K 550 馬力/2150回転/分で、最高時速は整地35キロ、不整地17キロ、航続距離335キロだった。

ソ連軍KV-1重戦車は、第二次大戦勃発直前、1939年夏に76.2mmという当時としては大口径の戦車砲を搭載する重戦車として試作され、1939年冬、フィンランド冬戦争に実戦テストを受けたとするwikipediaの記述は疑問である。数少ない試作車を、対フィンランド戦に投入し、重戦車の存在を明らかにするにはリスクが大きすぎるからである。1939年12月に制式されているが、この短期間に制式されたことからも、とても実戦テストをした期間的余裕はない。

写真(右)1943年9月3日、フィンランド、ラップランド、フィンランド軍が鹵獲したソ連製KV-1B重戦車を使った石製対戦車障害物のテスト
Linnoitustoimiston hyökkäysvaunu este kokeiluja. Kuvassa Klim Voroshilov KV-1B..
Subject place 1943-09-03 Oswald Hedenström, valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-14660引用。


ソ連軍のKB−1(ドイツはKW-1,英国はKV-1と表記)重戦車は,1939年開発,T-34中戦車と同じ76.2ミリ(3インチ)砲を装備していた。全長7メートル,装甲は砲塔90ミリ,側面75ミリと厚く,ドイツの37ミリ対戦車砲を問題としなかった。しかし,独ソ戦当初、最強の戦車で,1942年までに3000両生産。しかし,重量45トンという重さのため,トランスミッションの不具合が生じやすかったという。

ソ連軍のKB-1(ドイツはKW-1,英国はKV-1と表記)重戦車は,1939年開発,T-34中戦車と同じ76.2mm砲を装備していた。KB-1重戦車の30口径76.2ミリ砲は,当時の全てのドイツ軍戦車を撃破できるものだった。

ソ連軍のKB-1は、重装甲で防御力は強かったが、重量が45トンと当時は超重量戦車であったため、動力としてディーゼルエンジン550馬力を搭載していた。これは、軽飛行機よりも強力なエンジンである。

写真(右)1943年9月3日、フィンランド、ラップランド、フィンランド軍が鹵獲したソ連製KV-1B重戦車を使った石製対戦車障害物のテスト;現地の石材を木製枠に詰めた障害物をソ連戦車が乗り越そうとすると、傾斜した障害物上面に沿って車体が持ち上がり、装甲の弱い車体下面が晒されるようになる。そこを対戦車砲で射撃すれば、容易に撃破できる。
Linnoitustoimiston hyökkäysvaunu este kokeiluja. Kuvassa Klim Voroshilov KV-1B..
Subject place 1943-09-03 Oswald Hedenström, valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-146687引用。


1941年6月22日にドイツ軍は独ソ不可侵条約を反故にしてソ連を電撃的に侵攻した。このバルバソッサ作戦当初、ソ連赤軍KB-1は世界最強の戦車で,1942年までに3000両生産された。砲塔装甲は前面90ミリ,側面75ミリと厚く,ドイツの37ミリ対戦車砲を問題としなかった。
しかし,重量45トンという重さのため,トランスミッションの不具合が生じやすかった。

ソ連軍は,KW−1重戦車を秘密兵器扱いし,フィンランド冬戦争には,T-34と同じく投入していない。フィンランドとの国境に近いレニングラードLeningrad)の工業で製造していたにもかかわらずである。
1941年6月22日,ソ連に侵攻したドイツ軍は,国境近くで,KB−1重戦車に直面し苦戦した。ドイツ軍がティーガー重戦車を投入したのは,これから2年後と遅い。

写真(右)1943年9月3日、フィンランド、ラップランド、フィンランド軍の石材製対戦車障害物に乗り上げた正面下方からみたソ連製KV-1B重戦車(障害物の有効性判定テスト試験の様子);ソ連で大量生産されたT-34戦車の搭載した76.3ミリ(3インチ)F-34戦車砲と同じ火砲である。現地の石材を木製枠に詰めた障害物をソ連戦車が乗り越そうとすると、傾斜した障害物上面に沿って車体が持ち上がり、装甲の弱い車体下面が晒されるようになる。そこを対戦車砲で射撃すれば、容易に撃破できる。
Linnoitustoimiston hyökkäysvaunu este kokeiluja. Kuvassa Klim Voroshilov KV-1B..
Subject place 1943-09-03 Oswald Hedenström, valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-146669引用。


ソ連製KV-1重戦車が砲塔に搭載した火砲は、口径76.2ミリで初期型から後期型まで同じである。しかし、火砲の初速を高速化し、貫通力を増強するために、砲身が長くなっている。当初1939年型は30.5口径76mm砲L-11、中期1940年型は31.5口径76mm砲F-32、後期1941年型は41.5口径76mm戦車砲ZIS-5と、火力が強化されている。

ソ連赤軍T-34戦車の搭載砲は,76.2ミリ(3インチ)砲で,砲塔は当初は,圧延鋼板溶接構造だったが,生産性の高い鋳造構造に変更された。また,砲塔は,ピロシキ形状で,傾斜装甲を全面採用し,車体周囲も傾斜装甲だった。T-34戦車は,全面的に避弾径始に配慮し,命中弾を横滑りさせて,貫通力を弱めることに成功した。装甲の厚さ以上に,防弾性能が優れていたといえる。


Killer Tanks The KV Tank


写真(右)2007年、ロシア連邦、エカテリンブルク郊外、レニングラード攻防博物館に保管展示されているソ連赤軍KW-1重戦車
:T-34戦車と同じ76.2ミリM1940年F-34L/42.5戦車砲搭載。
Танк КВ-1 ? 061. Вид сзади. Диорама «Прорыв блокады Ленинграда». Экспозиция военной техники периода 1941–1944 годов под открытым небом. Date 2007 Source Own work Author Андрей!
写真はWikimedia Commons, Category:KV-1 Model 1941 in the Breakthrough of the Siege of Leningrad Museum、File:КВ-1 «Диорама «Прорыв блокады Ленинграда».jpg引用。


ソ連軍KV-1重戦車の諸元
全長(砲身を含む) 6.89 m、車体長 6.75 m
全幅 3.32 m
全高 2.71 m
重量 45 t
懸架方式 トーションバー式
最高速力:35 km/h(整地)/17 km/h(不整地)
航続距離 335 km
兵装 41.5口径76.2ミリZIS-5戦車砲(携行砲弾数98発)
7.62ミリ車載機銃DT3丁(携行弾数3024発)

写真(右)2012年8月、ロシア連邦、エカテリンブルク郊外、レニングラード攻防博物館、に保管展示されているソ連赤軍KW-1重戦車(左側面):T-34戦車と同じ76.2ミリM1940年F-34L/42.5戦車砲搭載。
> Диорама «Прорыв блокады Ленинграда». Экспозиция военной техники периода 1941–1944 годов под открытым небом. Танк КВ-1. Вид слева. Date 2007 Source Own work Author Андрей!
写真はWikimedia Commons, Category:KV-1 Model 1941 in the Breakthrough of the Siege of Leningrad Museum、File:КВ-1-061-слева-ЭкспозицияВоеннойТехники.JPG引用。


ソ連軍KV-1重戦車の装甲
防盾90 mm 砲塔前面75 mm
砲塔側面・後面75 mm、上面40 mm 車体前面75mm、前面傾斜40 mm
車体側面・後面75 mm
車体上・底面30-40 mm
発動機:12気筒液冷ディーゼルV-2K(550 馬力)
乗員:5 名
車長兼装填手・砲手・操縦手・ 補助操縦手兼整備手・ 通信手兼前方機銃手

ソ連赤軍KV-1重戦車を詳しく見る。


11.ソ連赤軍 KB-2,KW-2重戦車


写真(右)1941年6-7月,対ソ連東部戦線、ロシア北部で撃破されたソ連軍KW-2重戦車
:ソ連軍のKB-2(ドイツはKW-2,英国はKV-2と表記)重戦車は,全長 6.95メートル,全幅 3.32メートル,全高 3.24メートル,重量 52トン。 速度 34 キロ/時(整地)・15キロ(不整地),航続距離 180キロ,兵装 20口径152mm榴弾砲M10(弾数36発),1939年制式,弾頭50キロ,最大射程12000メートル。7.62ミリ機銃3丁,エンジン550馬力。乗員 6人。
Sowjetunion-Nord.- Defekter russischer Panzer KW-2 am Straßenrand wird von deutschen Soldaten untersucht; PK 694 Dating: 1941 Juni - Juli Photographer: Nägele 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


KB-2(ドイツはKW-2,英国はKV-2と表記)重戦車は,1939年開発,20口径152ミリM10榴弾砲を装備。152mm榴弾砲は,弾頭50キロで,薬莢は分離していたので,装填手は2人,乗員は6人だった。全長7メートル,装甲は砲塔前面110ミリ,側面75ミリでもあった。重量52トンでディーゼルエンジン550馬力は力不足だった。KV-2は独ソ戦当初、最大級の重戦車だったが,砲弾の装填,路外走行に難点があり,1940-41年に200台が生産されたに過ぎない。

KB-2重戦車の諸元
重量:52トン、乗員:6名
全長:6.95 m 、全幅: 3.32 m、全高3.25 m
装甲:60-110 mm
兵装:152mm榴弾砲M-10T152 mm M1937
車載機銃 2丁×DT7,62mm-DP28軽機関銃(発射速度:500-600発/分、初速:840m/s、有効射程:800m、収容銃弾数2,079発)
エンジン:V2-K-12気筒ディーゼル550 hp
航続距離:140 km(整地)
最高時速:28 km/h (路上)


12.ソ連赤軍のT-34中戦車−大祖国戦争の担い手

写真(右)1942年10月,対ソ連東部戦線、撃破されたソ連軍T-34中戦車
Provisorischer Ofen in dem Erdreich eines Baikas einer Stalingrad-Einwohnerin Oktober 1942 Dating: Oktober 1942 撮影。写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


 T-34/ 1941年式 諸元
重量:26.5トン,全長: 6.68メートル,全幅: 3.00メートル,車高 2.45メートル
乗員: 4人(車長:装填手を兼務、操縦手,砲手,無線手:前方機銃手を兼務)
装甲 52ミリ,兵装: 76.2ミリF-34戦車砲,7.62ミリ機銃2丁
エンジン:12気筒ディーゼルV-2 500馬力(370キロワット),17.5馬力/トン
航続距離:400キロ,最高速度 時速53キロ

写真(右)1942年夏,対ソ連東部戦線、撃破されたソ連軍T-34中戦車
Archive title: Sowjetunion, Raum Stalingrad.- Abgeschossener / zerstörter russischer Panzer T-34 Dating: 1942 Sommer Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・wikimedia・commons;Bild 169-0017引用(他引用不許可)。
T-34戦車が実戦使用されたのは、1941年6月のドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」からである。ソ連赤軍は、当初は無線設備の不備のために戦車の集団用法や機動力に劣っていたが、重装甲と大口径戦車砲を装備するT-34戦車は、ドイツ軍のどの戦車よりも防御力、攻撃力に優れていて、この高性能と頑強に戦うソ連赤軍の戦車兵の戦意の高さによって、ドイツ軍の装甲師団、歩兵部隊は、電撃戦Blitzkrieg)でも苦しい戦いを強いられることものあった。


写真(上)1943年7月23-24日、フィンランド、ラップランド、フィンランド軍が鹵獲したソ連製T-34/76(1942年型)戦車の石材障害物通過試験
;現地に傾斜したや石材を並べて試作して、その後でソ連戦車が乗り越えられるかどうか、実際に鹵獲したT-34戦車を乗り入れる実験をした。
Hyökkäysvaunuesteiden kestävyyttä koetellaan Äänislinnassa 23-24.7.1943. Panssarivaunu on tyyppiä T-34 (vuosimalli 1942)..
Subject place undated Sundström, valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-122254引用。


このようなフィンランドにおける対ソビエト「継続戦争」の戦意高揚を無視して、マンネルハイム元帥は、ヒトラーとの共闘を臨んでいなかった、ヒトラーによる誕生日訪問を迷惑に思っていたなどと邪推するのは、見当違いであろう。1917年のロシア革命後、ボリシェビキ勢力が伸長し、赤軍を組織して共産主義革命を進めたとき、フィンランドでは、、ロシア共産党のボリシェビキに賛同したフィンランド共産主義者、共産党員、赤軍が政権奪取を図った。それに対して、反革命軍、白軍を組織して、革命派を武力鎮圧したのが、マンネルハイムである。この経緯を踏まえれば、マンネルハイムもヒトラーも、フィンランドもナチス・ドイツも、ともに反共産主義として、ソビエト連邦、ヨシフ・スターリンを警戒し、チャンスがあれば、彼らを無害化、中立化したかったに違いない。

ソ連赤軍T-34戦車を詳しく見る。


◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊

サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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