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◆ユンカースW33輸送機/W34/K43f水上機:鳥飼行博研究室
写真(上)1926年,完成直後のユンカース(Junkers)W33輸送機(登録コード:D-291)
:操縦席は、開放式で、液冷エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。
Title: Junkers W 33, Landflugzeug
Dating: ca. 1926 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33
Record Name: Ans_05338-02-309-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-309-AL-FL 引用。

写真(上)1928年4月13日,ドイツ、大西洋横断無着陸飛行に成功したドイツのユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”:(登録コード:D 1167)
:ドイツ人搭乗員のヘルマン・コール(Hermann Koehl)、エレンフリート・キュンター・フォン・ヒューネフェルト(Ehrenfried Guenther von Huenefeld)の肖像画あるが、同乗したアイルランド人ジェイムス・フィッツモーリス(James Fitzmaurice)の肖像はない。
Die Flugpioniere Hermann Köhl und Ehrenfried Günther Freiherr von Hünefeld mit dem Flugzeug "Bremen D 1167" vom Typ Junkers W 33 vor ihrem Transatlantikflug, Unsere Ozeanbezwinger mit der "Bremen"Aineistotyyppi Date: 1928 , First half of the 20th century Identifier: http://www.deutschefotothek.de/obj89004142.html Institution: Deutsche Fotothek Provider: Deutsche Digitale Bibliothek Providing country: Germany First published in Europeana: 2017-02-13
写真はDeutsche Fotothek,Deutsche Digitale Bibliothek・2048418_Ag_DE_DDB_SLUB-Sub10 引用。



写真(上)1926年,ジーメンス(Siemens)Sh 20(540馬力)と思われる空冷星形エンジンを搭載したユンカース(Junkers)W33(W34)輸送機
:操縦席は、開放式で、空冷星形エンジンを機首に1基搭載、出を企図した輸送機。ユンカース(Junkers)L5液冷エンジン(340馬力)を装備したW33輸送機の外国への輸出向けに、外国で普及していた空冷星形エンジンに変換したW34輸送機が開発された。製造された様だ。この空冷エンジン装備のユンカースW33輸送機が、ユンカースW34輸送機となった。
Title: Junkers W 33, Landflugzeug Dating: ca. 1926
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Impressum: Physical Description: Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Horizontal Special Size: ohne Angabe Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33 Record Name: Ans_05338-02-313-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-313-AL-FL 引用。


写真(上)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki:ムルマンスク南350キロ、レニングラード北800キロ)、負傷者を後方に移送する任務に就いたフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)
:ナチ党と同じ逆卍は、反ユダヤ主義・反共産主義の象徴だった。ロシア革命に乗じて、フィンランドでも共産主義者の武力闘争が盛んになったが、これを鎮圧して成立した独立フィンランドは、ボリシェビキ赤色ソ連を開会していた。これが、フィンランド軍の国籍識別マークの由来であり、根源的には、ナチ党とそれ以前から存在した卍を採用したのである。ナチ党を引き継いだのが新フィンランド政権ではないのは当然だが、ナチ党の記章の背景にあった反共産主義は、共有していたのである。
Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähtee Tiiksjärveltä lentokoneilla. Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähtee Tiiksjärveltä lentokoneilla. Kuvassa on Junkers K 43fa (tunnus JU-128). Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-06
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 43672引用。


写真(上)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki:ムルマンスク南350キロ、レニングラード北800キロ)、担架に乗せた負傷者をフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)に搬入するフィンランド国防軍兵士たち。
:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。
Kuvassa oleva vesilentokone on Junkers K 43fa, joka tuttavallisemmin tunnetaan nimellä ”Pikku-Junnu”.. Kuvaaja:Hedenström、 Paikka:Kiestinki
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 43672引用。

◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。


1.ユンカース(Junkers)F.13輸送機

第一次世界大戦中の1915年、ドイツ帝国のヒューゴ・ユンカースは、主翼の新構造を打ち出した。それは、主翼を支柱や張金を張って主翼を支えるのではなく、それらを取り去り、空気抵抗を減少させた片持式主翼である。また、胴体の堅牢性を高めるために、内部骨格を減少させ重量軽減図る波型の金属外板を開発した。この片持式の低翼・単葉、波板の構造を活用し、戦後ユンカースが開発したのが、ユンカースF.13単発輸送機だった。

写真(右)1942年5月21日,フィンランド中西部、カレリア地方、ティークシャルベン湖付近、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機(登録コード:JU-120):BMW132空冷星形9気筒エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。航空分輸送のほか、緊急物資の輸送・用務連絡などに使用されたものと思われる。
From the front line to the home front 1939-1945 Lentokone on Junkers F 13. Paikka: Joensuu  Joensuun-Tiiksjärven Junkers kuriirikone Joensuussa.
Lentokone on Junkers F 13 (tunnus JU-120). Kuorman purkamisen Author Sot.virk. Pärttyli Virkki
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 92838引用。


ユンカースJunkers F.13 旅客輸送機:乗員:2名、乗客数:4名。
全長:9.59 m、全幅:14.8 m、全高:3.50 m、翼面積:34.50平方メートル。
空虚重量:951 kg、ペイロード:320 kg、最大離陸重量:1,640 kg。出力荷重:14.05 kg/kW
エンジン:メルセデス D.IIIa、118 kW (160馬力)
最高速度:173 km/h (107 mph)、巡航速度:160 km/h (100 mph)。航続距離:1,400 km (870 miles)、巡航高度:5,000 m。

ユンカースF.13旅客輸送機の1919年から1929年までの生産機数は、ドイツ93機、ソ連49機、アメリカ26機、コロンビア17機、ポーランド16機、イタリア12機、日本・ボリビア各8機、フランス・フィンランド・オーストリア各7機、イギリス・ハンガリー・ペルシャ各6機、スウェーデン・スイス各5機、中国・トルコ各4機、ベルギー・スペイン・ラトビア・アルゼンチン各3機、ルーマニア・ブルガリア・オーストラリア・チリ各1機などと世界で300機以上生産・組み立てられている。

ユンカースF.13旅客輸送機の年間生産機数は、1919年2機、1920年26機、1921年26機、1922年21機、1923年47機、1924年39機、1925年68機、1926年13機、1927年25機、1928年29機、1929年18機と、11年間に合計314機が量産された。

1919年 6月25日に初飛行したユンカース(Junkers)F.13 輸送機は、各種のエンジンを変換装備できた。当初は、メルセデス D.IIIa 液冷直列エンジン170馬力1基を装備していたが、その後の量産機は、BMW IIIa液冷直列エンジン185馬力1基を装備している。

しかし、各国の実情や発注者の要望に合わせて、液冷直列エンジンとしては、BMW、ユンカースを中心に、メルセデスも装備した機体もある。

少数だが、空冷星型エンジンとして、イギリスのアームストロング・シドレー ピューマ、フランスのノーム・エ・ローヌ ジュピター、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー ホーネットを装備した機体もある。

F.13a:BMW IIIa (185 hp)液冷エンジン
F.13ba, ca, da, fa:ユンカース(Junkers)L2 (200 hp)液冷エンジン
F.13be, ce, de, fe: ユンカース(Junkers)L5 (310 hp)液冷エンジン
F.13dle, fle, ge, he:ユンカース(Junkers)L5 (310 hp)液冷エンジン
F.13bi, ci, di, fi: BMW IV (250 hp) 液冷エンジン
F.13co, fo:BMW Va (310 hp)液冷エンジン

ユンカースF.13旅客輸送機の年間生産機数は、1919年2機、1920年26機、1921年26機、1922年21機、1923年47機、1924年39機、1925年68機、1926年13機、1927年25機、1928年29機、1929年18機と、11年間に合計314機が量産された。

1921年、ユンカース社は自ら開発したユンカース(Junkers)F.13 輸送機を就航させるユンカース航空を設立したが、1926年にドイツ・アエロ・ロイド社と合併して、ドイツ・ルフトハンザ航空となった。


2.ユンカース(Junkers)W33輸送機

写真(右)1926年、ドイツ、湖沼に着水寸前のユンカース(Junkers)W.33水上輸送機:水上機は、二つのフロートで空気抵抗が大きく、飛行安定性も悪くなる。このW.33水上輸送機には登録コードは記入されていないが、次の2枚の写真と同じ場所で、同じ機体(D-927)と思われる。
Title: Junkers W 33 auf Schwimmern Dating:ca. 1926 Is Part Of: Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Categories: View Collection, Unknown, Reportage photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33, Hydroplanes Record Name: Ans_05338-02-307-AL-FL
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-307-AL-FL引用。


ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。


写真(上)1926年、ドイツ、湖沼に待機中のユンカース(Junkers)W.33水上輸送機(D-927)
:水上機は、二つのフロートで空気抵抗が大きく、飛行安定性も悪くなる。他方、尾輪の必要がなく、機体が水面上で水平になる。そのために、垂直尾翼が下方に延長され、左右の安定性を保つようになっている。
Title: Junkers W 33 auf Schwimmern Dating: ca. 1926 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe Categories: View Collection, Unknown, Reportage photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33, Hydroplanes Record Name: Ans_05338-02-308-AL-FL
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-308-AL-FL引用。


写真(右)1926年、ドイツ、ユンカース(Junkers)W.33水上輸送機(登録コード:D 921):水上機は、二つのフロートで空気抵抗が大きく、飛行安定性も悪くなる。他方、尾輪の必要がなく、機体が水面上で水平になる。そのために、垂直尾翼が下方に延長され、左右の安定性を保つようになっている。
Title: Junkers W 33 auf Schwimmern Dating: ca. 1926 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Categories: View Collection, Unknown, Reportage photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33, Hydroplanes Record Name: Ans_05338-02-306-AL-FL
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-306-AL-FL 引用。


写真(右)1929年12月20日、ユンカースW33輸送機:F13輸送機をベースに、大型化したのがW33輸送機であり、これらの機体は量産性を考慮して共通部品が多かったようだ。
Photographer Photographisches Institut der ETH Zürich Dating 20.12.1929 Caption Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs Physical Description Reprofotografie : Glasplattennegativ Format 9 x 12 cm Colour schwarz/weiss Orientation Querformat
References: 97010451 (Foto-nummer)
写真はNational Archives of The Netherlands: ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Record Name PI_29-B-0275 引用。


ユンカースのベストセラーになったF13単発輸送機をベースに、大型化したのがユンカース(Junkers)W.33輸送機であり、原型はユンカースL5液冷エンジン1基を装備し1926年6月17日に初飛行している。しかし、輸出向けには、普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプが開発されている。

写真(右)1927年8月,ザクセン・アンハルト州デッサウ、ユンカース(Junkers)W 33 輸送機: ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-00395
Archive title: Dessau.- Arbeiten an einem Junkers Ozeanflugzeug Dating: August 1927 Anfang
Photographer: Pahl, Georg Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 102-00395引用


ユンカース(Junkers)W33輸送機が後に搭載したユンカース(Junkers)L2液冷エンジンは、ユンカース社が初めて実用化した液冷エンジンで6気筒、で200馬力、ユンカース F 13輸送機、ユンカース G 23輸送機、ユンカース G 24輸送機、ユンカース W 33輸送機が装備している。58台が生産されたにとどまったが、これは後継のユンカースL5が開発されたためである。

ユンカース(Junkers)L2液冷エンジン諸元
ボア(Bore): 150 mm
ストローク(Stroke): 180 mm
排気量(Displacement): 19.1 L
全長(Length): 1.58 m
全幅(Width): 0.555 m
全高(Height): 1.085 m
乾燥重量(Dry weight): 310 kg
出力(Power output): 巡航時 195 hp (145 kW)/回転数1,550 rpm
離昇出力(take-off) 230 hp (171 kW)

写真(右)1929-1935年、ユンカース(Junkers)W.33 水上輸送機の客室内部:ジュラルミン製波板外板は1枚のみで、内側に張っていないので、外板の内側が波板壁になっている。ドアの奥には、コックピットで、操縦桿(ハンドル式)と計器盤が確認できる。天井にも四角のガラス窓があるが、これは明り取りの窓である。床板は外されているが、このスペースに荷物を積み込む。
Junkers W.33:n lisäpolttoainesäiliöt Junkers W.33:n lisäpolttoainesäiliöt pitkän matkan lentoa varten.
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo
Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Inventaarionro SIM VK 533:159 Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1929-1935 IFA
写真は,Museot Finna: "M016-19809"引用。


 今日の旅客機では、客室内の気圧は、高度が上が手も低下しない。それは、客室が密閉され、室内に空気が注ぎ込まれているからで、これはジェットエンジンを使ってコンプレッサー(圧力器)を駆動させればよい。

しかし、ピストンエンジンのプロペラ機では、ジェットエンジンと異なりコンプレッサー(圧力器)を駆動するために別途動力を搭載するのが一般的だった。ドイツでは、第二次大戦中に与圧室を実現したものの、本格的に長時間高高度を飛行する偵察機・爆撃機の与圧室は、最後まで実用化が困難だった。コンプレッサー用のエンジンを別途装備すればよいが、これでは重量増加、飛行性能の低下が招来されてしまうのである。

また、高空になるほど室内と外気との気圧差が大きくなるため、密閉するとしても、圧力差に耐えられるだけの耐久性・堅牢性が必要となる。室内構造を頑丈にすれば、重量が嵩んでしまうので、簡単に与圧室を実用化することはできなかった。

ユンカース(Junkers)W.33製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。

写真(右)1926年,完成直後のユンカース(Junkers)W33輸送機(登録コード:D-291):操縦席は、開放式で、液冷エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。エンジンの排気管を1本の集合排気管にまとめて、コックピットの後ろで機外に排出しているが、これは排気煙によって操縦士の視界が妨げられないようにするためである。
Photographer: Unbekannt Title: Junkers W 33, Landflugzeug
Dating: ca. 1926
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe
Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33
Record Name: Ans_05338-02-309-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-309-AL-FL引用。


写真(右)1925-1935年頃、フィンランド航空(Finnair Oyj)のユンカース(Junkers)W.33輸送機の試験飛行:飛行試験中のユンカースW.33輸送機が、煙を引いているが、これを利用して、飛行性能を確認する様だ。
Junkers W.33:n koelentoja Junkers W.33:n koelentoja, kone laskee pilviverhon.
Aineistotyyppi ?Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Inventaarionro SIM VK 533:150 Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1925-1935
写真は,Museot Finna: "M016-19800"引用。


ユンカース(Junkers)W 33 (Junkers)W 33輸送機の諸元
発動機(Triebwerk): Junkers L 5
出力(Leistung:kW): 228 kW
初飛行(Baujahr): 1926年
全幅(Spannweite): 17,75 m
全長(Länge): 10,50 m
全高(Höhe): 2,90 m
翌面積(Flügelfläche): 43,00 qm(平方メートル)
総重量(Startmasse): 2100 kg
最高速力(Höchstgeschwindigkeit): 197 km/h
搭乗員(Besatzung): 2名


写真(上)1926年,ジーメンス(Siemens)Sh 20(540馬力)と思われる空冷星形エンジンを装備したユンカース(Junkers)W33(W34)輸送機
:ユンカースW33搭載した発動機はユンカース(Junkers)L5液冷エンジン(340馬力)だったが、これは空冷エンジンを装備している。本当にW33であれば、試作的に製造されたSジーメンス(iemens)Sh 20空冷星形エンジン(540馬力)を装備した機体であろう。
Title: Junkers W 33, Landflugzeug Dating: ca. 1926
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe
Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories: View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Junkers, Propeller-driven aircraft
Record Name: Ans_05338-02-167-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-167-AL-FL 引用。



写真(上)1926年,空冷エンジンを装備した登録コードも描かれていないユンカース(Junkers)W33(W34)輸送機
:ユンカース(Junkers)L5液冷エンジン(340馬力)を装備したW33輸送機の外国への販売を目的にして、外国で普及していた空冷星形エンジンに変換した機体が開発された。この機体は、世界市場をにらんでジーメンス(Siemens)Sh 20空冷星形エンジン(540馬力)を搭載し製造された様だ。この空冷エンジン装備のユンカースW33輸送機が、ユンカースW34輸送機となった。
Title: Junkers W 33, Landflugzeug Dating: ca. 1926
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe
Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories: View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Junkers, Propeller-driven aircraft
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name: Ans_05338-02-310-AL-FL 引用。


ドイツのユンカースW33輸送機は、発動機としてユンカース(Junkers)L5液冷エンジン(340馬力)を装備した。しかし、輸出促進を考慮すれば、他国で普及している空冷エンジンを装備した機体のほうが、販売機数が多くなり、商業的にも好ましい。そこで、ユンカースW33輸送機の装備していたユンカースL%液冷エンジンに代えて、ジーメンス(Siemens)Sh 20空冷星形エンジン(540馬力)を装備した機体が製造された様だ。この空冷エンジン装備のユンカースW33輸送機は、ユンカースW34輸送機との名称を与えられる。

写真(右)1928年4月13日,ドイツ、大西洋横断無着陸飛行に成功したドイツのユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D 1167)搭乗員のヘルマン・コール(Hermann Koehl)、エレンフリート・キュンター・フォン・ヒューネフェルト(Ehrenfried Guenther von Huenefeld):ドイツ人搭乗員2人しか映っていないが、実際に太平洋を横断した飛行には、アイルランド人ジェイムス・フィッツモーリス(James Fitzmaurice)も搭乗していた。
Beschreibung: Die Flugpioniere Hermann Köhl und Ehrenfried Günther Freiherr von Hünefeld mit dem Flugzeug "Bremen D 1167" vom Typ Junkers W 33 vor ihrem Transatlantikflug Zusatzinformation : Der 36-stündige Flug erfolgte gemeinsam mit dem irischen Kopiloten James Fitzmaurice am 12.04.1928 von Baldonnel, Irland nach Greenly Island auf Neufundland. Der Weiterflug nach New York war aufgrund eines Motorschadens nicht möglich. Positiv (Papier, 14,2 x 9 cm, schwarzweiß)
写真はDeutsche Fotothek,Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_pos-2009-a_0004636 引用。


アメリカのチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh:1928‐1974)は、1927年5月20日、スピリットオブセントルイス(ライアンNYP)を操縦し、アメリカのニューヨークを離陸し、5月21日、フランスのパリに着陸し、大都市間の大西洋単独無着陸飛行に成功した。彼が、大西洋を西から東に飛行したのは、地球の自転、偏西風の影響で、飛行にはプラスに作用するからである。他方、東から西ヘの大西洋横断は、遥かに困難が多かった。これに挑んだのが、ドイツのユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」Bremenで、1928年4が十18日に、アイルランドからカナダまで無着陸飛行に成功した。

1929年、ドイツ、ドレスデン、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167):ユンカースW 33輸送機は、単発エンジンの輸送機だが、空力的かつ構造的に洗練されており、低翼式、全金属製の単葉機として完成した。生産機数は約200機。最初の大西洋直行東西横断飛行に成功した。1928年4月13日に、ドイツのユンカースW.33輸送機「ブレーメン」”Bremen”が向かい風の中を西から東に大西洋を横断して信頼性を高め、それが世界の航空会社がW.33輸送機を採用する理由にもなったであろう。
Description: Technikgeschichte | Grundlagen der Technik, Wissenschaft und Kultur | Technische Denkmale | Verkehrswesen | Verkehrsmittel | Junkers-Verkehrsflugzeug W33 Bremen Gesammelt (von wem): SLUB/Deutsche Fotothek Language: Deutsch Location: Sächsische Landesbibliothek - Staats- und Universitätsbibliothek Dresden
写真はSLUB / Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0006672引用。


ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」Bremen(登録コード:D 1167)は、ノンストップでヨーロッパ大陸からアメリカ大陸に東から西への大西洋横断飛行(Transatlantic flight)を成功させた初めての飛行機である。この時のユンカース(Junkers)W.33搭乗員は、ドイツ人ヘルマン・コール(Hermann Koehl)、エレンフリート・キュンター・フォン・ヒューネフェルト(Ehrenfried Guenther von Huenefeld)、アイルランド人ジェイムス・フィッツモーリス(James Fitzmaurice)で1928年4月12日にアイルランド、ダブリン郊外のバルドネル(Baldonnel)飛行場を飛び立ち、36時間半かけて大西洋を横断し、翌日、カナダ、ニューファウンドランド島沖のグリンリー(Greenly)島に着陸した。

写真(右)1929年、ドイツ、ドレスデン、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167):1928年、大西洋を横断した。
ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。
Description: Hausschild, Alfred Bräter, Edmund, Technikgeschichte | Grundlagen der Technik, Wissenschaft und Kultur | Technische Denkmale | Verkehrswesen | Verkehrsmittel | Junkers-Verkehrsflugzeug W33 Bremen, Stübelallee, Stübelplatz Dresden, Ausstellungspalast Geschaffen (von wem): Hausschild, Alfred; Bräter, Edmund Geschaffen (wann): 1894
Fotothek, Detail: Junkers-Verkehrsflugzeug W 33 "Bremen" (einmotoriger Tiefdecker) nach dem Transatlantikflug mit ... am 12./13. April 1928, 1929
写真はNational Archives of The Netherlands:SLUB / Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0006671 引用。


前年1927年5月20日に大西洋を西から東に、ニューヨーク〜パリ単独無着陸飛行をアメリカ人にチャールズ・オーガスタス・リンドバーグCharles Lindbergh:1902年2月4日 - 1974年8月26日)がライアンNYP-1「スピリット・オブ・セントルイス」で成功させているが、1928年4月12日、ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの行った東から西への大西洋横断は偏西風の影響で遥かに困難である。

写真(右)1927年、ドイツ、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167)操縦席の操縦桿:操縦桿の前には、水平儀・羅針儀(コンパス)・メーターが並んだ計器盤が見える。
1928年、大西洋を横断した。
ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。
Title: Führerraum-Instrumentierung. Junkers W 33 "Bremen", 1927 Dating: 1927
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Categories: View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33 Record Name: Ans_05338-02-169-AL-FL
写真はNational Archives of The Netherlands:ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-169-AL-FL引用。


写真(右)1927年、ドイツ、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」”Bremen”(登録コード:D-1167)の操縦席正面の計器盤:水平儀・羅針儀(コンパス)・エンジンと燃料関係のメーターが並んでいる。
Title: Führerraum-Instrumentierung. Junkers W 33 "Bremen", 1927 Dating: 1927 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Categories: View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33 Record Name: Ans_05338-02-168-AL-FL W 33 "Bremen" (einmotoriger Tiefdecker) nach dem Transatlantikflug mit ... am 12./13. April 1928, 1929
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-168-AL-FL 引用。


写真(右)1928年、アメリカ、大西洋を横断したばかりのユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167)搭乗員のドイツ人機長ヘルマン・コール(Hermann Koehl)、エレンフリート・キュンター・フォン・ヒューネフェルト(Ehrenfried Guenther von Huenefeld)、アイルランド人ジェイムス・フィッツモーリス(James Fitzmaurice)
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Junkers W-33 ""Breman"" Kohl/Con Hunefeld/Fitzmaurice Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Junkers W-33 ""Breman"" Kohl/Con Hunefeld/Fitzmaurice, 1928
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081555"引用。


写真(右)1928年10月(?)、ドイツ、ベルリン、カイザーダム、第2回国際航空展のホール(?)、大西洋を横断したユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167):アメリカ国旗、「W33」のプレートを掲げて展示されている。コックピットは、長い機種の大きなエンジンに妨げられ、さらに空気抵抗を抑えるためか、風防の高さも低いために、操縦席からの視界は良くないように見える。
Junkers W 33 "Bremen", first east to west Atlantic crossing
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 10_0015275"引用。


ユンカースが飛行機製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。

写真(右)1928年10月、ドイツ、ベルリン、カイザーダム、第2回国際航空展のホールに展示された大西洋を横断したユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167):ヘルマン・コール(Hermann Koehl)機長の下で、エレンフリート・キュンター・フォン・ヒューネフェルト(Ehrenfried Guenther von Huenefeld)、アイルランド人ジェイムス・フィッツモーリス(James Fitzmaurice)少佐が、大西洋で最初の東西飛行を行った。機体の前には、アメリカ国旗、「W33」のプレートを掲げて展示され、太平洋横断飛行を成功させた搭乗員3名の写真が花輪で飾られている。
Title Luftfahrtausstellung, Flugzeug Junkers W 33 Info non-talk.svg Die Eröffnung der II. Internationalen Luftfahrt-Ausstellung in den Ausstellungshallen am Kaiserdamm in Berlin 1. Das Junkers-Flugzeug "Bremen", mit welchem Hauptmann Köhl, von Hünefeld und Major Fitzmaurice den ersten Ost-West-Flug über den Ozean ausführten. Vor der Maschine das geschmückte Bild der drei erfolgreichen Ozeanflieger. Depicted place Luftfahrtausstellung Date October 1928
写真はWikimedia Commons,Bremen (Junkers W 33) File:Bundesarchiv Bild 102-06642, Luftfahrtausstellung, Flugzeug Junkers W 33.jpg引用。


ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」”Bremen”は、アイルランドのバルドネルを出発し、大西洋を西に向かって飛行し、カナダのグリー二ー島(51.38度、N 57.19度)まで、飛行することに成功した。これは、世界初の、大西洋の東から西への横断飛行である。現在、復元されたユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」が、ドイツのブレーメン空港に展示されている。

写真(右)1928年、アメリカ、ミシガン州、フォード博物館、大西洋を横断したユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167)復元機
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Junkers W 33 Breman Ford Museum, Michigan :38237537 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002359.TIF -Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.---PLEASE TAG these images with any information you know about them so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.-----------------SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Array-Filename:15_002359.TIF "引用。


1928年にアイルランドからカナダに大西洋横断無着陸飛行を成功させた後、W33「ブレーメン」は、アメリカで展示されている。その時期に、主翼を切り離してアメリカ本土に輸送したW33「ブレーメン」なのであろうか。しかし、カラー写真なので、撮影時期はカラー撮影が普及しだした1940年以降と思われる。あるいは、第二次大戦後にアメリカがドイツで鹵獲し、機体をアメリカに譲渡・売却したために、フォード博物館に持ち込まれたのであろうか。

写真(右)アメリカ、ミシガン州、フォード博物館、大西洋を横断したユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167)復元機:写真解説はないが、第二次大戦後にアメリカがドイツで鹵獲し、主翼を切り離してアメリカ本土に輸送したW33「ブレーメン」なのであろうか。大西洋横断は1928年だが、その後、機体をアメリカに譲渡・売却したために、フォード博物館に持ち込まれたのであろうか。しかし、カラー写真なので、撮影時期はカラー撮影が普及しだした1940年以降と思われる。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Junkers W 33 Breman Ford Museum, Michigan :38237501 - Catalog:Array - Title:Array - Filename: 15_002358.TIF
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Array - Filename:15_002358.TIF "引用。


写真(右)1927-1935年、フィンランド航空(Finnair Oyj)のユンカース(Junkers)W.33輸送機(D-291)
Junkers W 33 Junkers W 33 oli Junkersin valmistama yksimoottorinen kuljetuslentokone, tuotannossa vv. 1927-1934.
Aineistotyyppi ?Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo
Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Inventaarionro SIM VK 533:147 Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1925-1935 IFA.
写真は,Museot Finna: "M016-19797"引用。


ユンカースJunkers W 33輸送機の諸元
初飛行:1926年
搭乗員: 2人
発動機:ユンカース(Junkers) L5エンジン228 kW(310馬力)1基
全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m
全高: 2,90 m
主翼面積 43平方メートル
最高速度: 197 km/h
重量:2100 kg

写真(右)1928-1929年頃、ユンカースL5液冷エンジンをブリストル・ジュピター空冷星形9気筒エンジンに変換したしたユンカースW33(W34ho)輸送機(登録コード:D 922):初期型なので開放式のコックピットで、胴体後方は貨物・郵便室で客室ではないために窓がない。F13輸送機をベースに、大型化したのがW33輸送機であり、原型はユンカースL5液冷エンジン1基を装備していたが、輸出向けには、普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプが開発されている。
Kapten Ahrenbergs atlantflygplan. Ett "Junkers-W33" med flottörer och Bristol Jupitermotor, som användes under provflygningarna, till Junkers L5 blev färdig.Avbildad - namn: Junkers Motorenbau GmbH
Fotograf: Okänd Accession Säljare till museet: Martin, Harald, samling
Publisher: Tekniska museet Identifier: TEKA0013235 Institution: Tekniska museet Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden First published in Europeana: 2019-04-26
写真はTekniska museet ・Identifier:TEKA0013235 およびSwedish Open Cultural Heritage | K-samsök ・Dataset: 916118_Ag_SE_Tekniskamuseet 引用。


1927年にチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)が飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功すると、メイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行をした最初の女性を目指したが実現せず、1928年6月17日アメリア・イアハートは女性初の大西洋横断飛行を成し遂げた。しかし、1928年中に、メイベル・ボル(Mabel Boll)は、チャールズ・レヴァインの購入したユンカース(Junkers)W.33「クィーンオブエア」に同乗して、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てた。しかし、計画は実現せず、終わった。ただし、この機体は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発し、途中で不時着水している。

写真(右)1928年、大西洋を横断したユンカース(Junkers)W.33輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”:1927年にチャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功すると、メイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行をした最初の女性を目指したが、1928年6月17日アメリア・イアハートは女性初の大西洋横断飛行を成し遂げた。しかし、1928年中に、メイベル・ボルは、チャールズ・レヴァインの購入したユンカースW33「クィーンオブエア」に同乗して、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てた。しかし、計画は実現せず、終わった。ただし、この機体は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発し、途中で不時着水している。
Junkers, W.33 Catalog #: 01_00081555 Title: Junkers, W.33 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: W.33 Tags: Junkers, W.33
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): Catalog #: 01_00081555引用。


女性による大西洋無着陸飛行の計画は、ブレーメンの大西洋横断の時期にあった。アメリカ婦人メイベル・ボルMabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行を成功させようとした。1928年中に、メイベル・ボルは、チャールズ・レヴァインの購入したユンカース(Junkers)W.33単発輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”を使って、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てたのである。しかし、大西洋横断の計画は実現できなかった。実際に女性初の大西洋無着陸横断飛行は、1928年6月17日、アメリカ婦人アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)の搭乗した三発輸送機フォッカー (Fokker)F.VII「フレンドシップ」によるものである。その後、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発しているが、途中で不時着水している。

写真(右)1928年頃、ユンカース(Junkers)W.33輸送機(R-RDAH):登録コード:RR-DAHの ユンカースW.33輸送機は、製造番号c/n 658、一時期D-270、さらにR-RDAHとなり、 1928年8月、ソビエト連邦のドブロリョート(Dobrolet)航空に売却され、「フラシディウム」 'Prasidium WSNCh' となった。
Junkers, W.33 Catalog #: 01_00081556 Title: Junkers, W.33 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany ---Repository: San Diego Air and Space Museum
RR-DAH Junkers F13 658 D-270 R-RDAH Dobrolet 'Prasidium WSNCh' 00.08.23
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081556"引用。


ユンカースJunkers W 33輸送機の諸元
初飛行:1926年
搭乗員: 2人
発動機:ユンカース(Junkers) L5エンジン228 kW(310馬力)1基
全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m
全高: 2,90 m
主翼面積 43平方メートル
最高速度: 197 km/h
重量:2100 kg
生産機数:199機


写真(上)1929年、スウェーデン、ベルゲン、アーレンバーグ・ドックに着いたユンカースL5液冷エンジン装備のユンカースW33輸送機(登録コード:SE−ADY)
:大西洋横断飛行に臨む直前、コックピットで待ち受けるスタッフと、主翼付け根からコックピットに乗り込む搭乗員。開放式ではなく密閉式のガラス風防コックピットで、胴体後方は貨物室には扉がついているが、客室ではないために窓はない。長距離飛行のためには、燃料タンクを増設していたはずである。
Ahrenberg (på bryggan) anländer till Bergen vid sitt Atlantflygningsförsök 1929.
Fotograf: Okänd Accession 1944 Säljare till museet: Martin, Harald, samling
Avbildad - namn: Ahrenberg, Albin Avbildad, ort: Norge Bergen Publisher: Tekniska museet Identifier: TEKA0121936 Institution: Tekniska Museet Date published:March 19, 2016 DIMU-CODE:021016341295 UUID:1E16B868-85B1-452F-BA3F-0DD2A17BEC7B
写真はTekniska museet ・Identifier: TEKA0121936およびSwedish Open Cultural Heritage | K-samsök Identifier: TEKA0121936 引用。


写真(右)1931年,ドイツ、ベルリン郊外、ルフトハンザ航空の飛行機整備工場で分解整備中のユンカース(Junkers)W33輸送機機:機首は、光の反射で操縦車の視界が妨げられないように黒色に塗られている。機首側面には、ルフトハンザの社名が記入されている。主翼断面の補強支柱が良くわかる。主翼の留め金具のねじを入れるねじ穴が開いているが、強度を維持するには、耐久性・粘性のある金属を鋳造する技術が必要である。初期型なのか、コックピットは開放式であり、ガラス風防は正面に揉みついていて、天蓋はついていない。胴体後方は6名の乗客用座席があり、外を眺めるための窓がある。Eschen, Fritz: Flugzeug-Sanatorium der Lufthansa, 1931
Beschreibung: Ehemalige Zeppelinwerft bei Staaken. Ein Junkers W 33, Baujahr 1931 wird überholt
Location: Standort: Staaken, Flugzeughalle Google-Maps-Lokalisierung: Stadt: Berlin, Stadtteil: Staaken, Provinz: Berlin, Land: Deutschland
Literature: Janos Frecot. Kamera Geschichten Fritz Eschen 1930-1950.
Ernst Wasmuth Verlag Tübingen, 2001, Abb. S. 43 Hinweis: Die Serie umfasst 12 Aufnahmen.
写真は,Deutsche Fotothek・Foto: Eschen, Fritz, 1931 Aufn.-Nr.: df_e_0006581引用。


写真(右)2011年、青森県三沢基地で展示中の初の太平洋横断機のベランカ(Bellanca)CH-400 スカイロケットSkyrocket「ミス・ビードル」Miss Veedol (replica):1931年10月4日早朝、青森県三沢村の淋代海岸に杉板を敷きつめてつくられた特設飛行場から離陸したミス・ビードルは、北太平洋を横断して、アメリカ、ウェナッチ市まで7982kmを41時間13分で飛行することに成功した。
Toshi Aoki - JP Spotters Location Misawa (MSJ / RJSM), Japan Aircraft type Bellanca CH-400 Skyrocket (replica) Operator Pangborn World Flight Company / Tydol Registration NR796W Type Photograph Description English: 80th anniversary first to fly non-stop across the Pacific Ocean. Miss Veedol Japan tour 2011. "Misawa Air Fest 2011" Date 4 September 2011
写真はeuropiana collections,Airliners Bellanca CH-400 Skyrocket (replica) - Pangborn World Flight Company / あるいはWikimedia Commons, Category:Miss Veedol File:Bellanca CH-400 Skyrocket (replica), Pangborn World Flight Company - Tydol AN1983554.jpg引用。


初の太平洋横断無着陸飛行に成功したベランカ(Bellanca)J-300「ミス・ビードル」Miss Veedolは、全幅14.8m、全長8.5m、発動機はにブラッド&ホイットニ「ワスプ」425馬力エンジン1基装備で、機内食として、サンドイッチ、鶏の揚げ物、りんご「紅玉」20個を搭載したという。1931年10月4日、青森県三沢市淋代海岸を発進したベランカ(Bellanca)「ミス・ビードル」Miss Veedolは、北アメリカ大陸アメリカ、ワシントン州ウェナッチ市まで、7982kmを41時間13分かけて飛行し、初の太平洋無着陸横断を成功させている。

写真(右)1932年、日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB):1932年(昭和7年)9月24日、青森県三沢市の淋代海岸を飛び立って、太平洋を無着陸横断飛行をしてアメリカ大陸北岸の到着を目指した。搭乗者は、海軍兵学校出身の本間清中佐を機長に、馬場英一郎操縦士,井下知義通信士の3名である。機首は、光の反射を避けるために、黒色で塗装されている。機体後方には客室の窓があるが、長距離飛行用の燃料タンクや食糧・飲料水も搭載されたはずである。
写真は,Уголок неба - Большая авиационная энциклопедия Index of /image/idop/cw1/w33引用。


1932年(昭和7年)9月24日、本間清海軍中佐を機長に馬場英一操縦士、井上智義機関士の3名の搭乗する日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)は、羽田を出発し青森県三沢市の淋代海岸に着陸し燃料を補給した。青森県三沢市の淋代海岸は、前年1931年に周辺住民が杉板を敷いて飛行場を建設し、10月4日、アメリカ人クライド・パングボーン(Clyde Edward Pangborn)、ヒュー・ハーンドンの2人が搭乗したベランカ(Bellanca)J-300「ミス・ビードル」Miss Veedolが太平洋横断飛行に飛び立った海岸である。

1932年(昭和7年)9月24日、午前5時37分、機長本間清海軍中佐、馬場英一操縦士、井上智義機関士の3名が搭乗するユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)は、青森県三沢市淋代海岸を離陸して、アメリカの本土を目指して、太平洋横断無着陸飛行に発進した。

ユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)の発動機は、ユンカースL5液冷エンジン(310馬力)で、燃料満タンで全重量4.5トンで、離陸速度160kmだった。午前11時過ぎ「エトロフ島南方を通過」の無線が入ったあと、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」は消息を絶った。それから捜索が行われたが機体は見つからないままだった。帝国飛行協会は、1932年12月、「横断飛行断念」の声明を出した。

写真(右)1932年、太平洋横断飛行に挑戦した日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB):本間清機長、馬場英一郎操縦士,井下知義通信士の搭乗で羽田飛行場を出発,淋代で燃料を満載して離陸した。
2 Fantastic RARE ORIGINAL 1932 B/W ( THESE ARE NOT COPIES OR REPRODUCTIONS OF ANY TYPE-THEY ARE 100% ORIGINAL PERIOD DEVELOPED PHOTOGRAPHS ) ACME Newspictures news photographs showing the Japanese crew of Junkers W33 f registration number J-BFUB named the No.3 Hochi - Nichi - Bei before their ill-fated non-stop trans-pacific flight of September 1932. While Clyde Pangborn and Hugh Herndon Jr. had made the first non-stop trans-pacific flight in 1931 flying their Bellanca monoplane " Miss Veedol ", it had always been a dream of the Japanese to successfully fly a trans-pacific flight. I have been unable to ascertain any information regarding the flight of the Hochi other than it was lost somew near Sabishiro Beach during the flight on or about September 24th 1932.
写真はDiscover Worth, Worthopedia引用。


1932年9月10日に羽田飛行場において、報知新聞社が購入したユンカースW33「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)の太平洋横断飛行出発式が開催された。この時は、帝国飛行協会のユンカースW33「オイローパ」EUROPA(登録記号:J-BAWG)も参加している。それから2週間後の1932年9月24日に、ユンカースW33「第三報知日米号」(登録記号:J-BFUB)は、淋代を出発したが、千島列島付近で行方不明となった。

1928年9月18日にドイツのデッサウ飛行場を離陸したユンカースW33「オイローパ」"Europa"(D-1197 :c/n 2505.)は,1928年10月18日、日本の立川飛行場を目指していたが、天候不順で多摩川の河原に不時着、破損した。このユンカースW33「オイローパ」は、ドイツ人搭乗員ヒューネフェルト男爵など3名が搭乗し,ベルリンから、12日間、90時間の飛行時間で東京まで1万4250kmを飛翔した。途中、燃料補給のために、10回着陸している。河原に不時着破損したユンカースW33「オイローパ」"Europa"(D-1197 :c/n 2505.)は三菱飛行機で修理されたうえで,1929年に、帝国飛行協会に譲渡された。帝国飛行協会でもオイローパ(EUROPA)の機名を引き継いでいる。1929年2月、帝国飛行協会は、日本学生航空連盟にユンカースW33「オイローパ」EUROPA(登録記号:J-BAWG)を貸与した。しかし、搭載していたユンカースL5水冷エンジンは、日本では部品で整備困難となり、実際にはほとんど使用さずに終わったという。

写真(右)1932年、太平洋横断飛行に挑戦した日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)搭乗員の本間清機長、馬場英一郎操縦士,井下知義通信士:右翼に日章旗、左翼に星条旗が描かれたという。
2 Fantastic RARE ORIGINAL 1932 B/W ( THESE ARE NOT COPIES OR REPRODUCTIONS OF ANY TYPE-THEY ARE 100% ORIGINAL PERIOD DEVELOPED PHOTOGRAPHS ) ACME I found information about the Junkers on a German web site that gave the aircraft type and registration number but nothing else. Photos show the crew & aircraft at Haneda Airport prior to the attempted flight and show Kiyoshi Honma (navigator), Eiichiri Baba (pilot) and Tomoyoshi (radio operator). Other photo lists Homna as the Chief Pilot and Baba as the co-pilot. Great research possibilities and RARE photos of this event. Photos measure 9" x 7" and are in near mint condition with attached flimsy captions (please read scans for text) and ACME newspictures credit stamp .
写真はDiscover Worth, Worthopedia引用。


報知新聞 1931.5.5-1931.6.16 (昭和6)

新聞(右)1930年、「太北太平洋飛行記念号:北太平洋征空の途にきょう報知日米号出発;春空に恵まれ観衆三十万以上 元気一杯の吉原飛行士」:ユンカースW33「第三報知日米号」より前に、報知新聞は2回、太平洋横断飛行を試みている。第1回目の太平洋横断の試みが、吉原清治飛行士のユンカース(Junkers)A50水上機によるものだった。1930年8月30日、吉原清治操縦は、ベルリン〜東京間11404kmを79時間58分で飛行、1931年5月14日にユンカース(Junkers)A50水上機「日米号」で、太平洋横断飛行をめざして羽田を出発したが、失敗した。1931年、吉原清治は、報知新聞社主催の飛行機による北太平洋横断飛行に、5月14日と7月5日に挑んだが、いずれも失敗した。そして、1932年5月、飛行艇での北太平洋逆横断飛行に挑んだが、アメリカのオークランドで試験飛行中、高波により機体が大破、機関士とともに負傷し飛行を断念した。
写真は神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 航空(2-014) 報知新聞 1931.5.5-1931.6.16 (昭和6)引用。


北太平洋飛行記念号

北太平洋征空の途にきょう報知日米号出発 春空に恵まれ観衆三十万以上 元気一杯の吉原飛行士

爽快なる初夏の空を破る爆音、地に満ちる歓声、『報知日米号』は白銀に輝きながら翔け上った、正に四日午前十時十分、世を挙げて期待したその時刻、吉原飛行士は日米親善新航空路開拓の使命を担って、ユンケルスA五〇型水上機を操縦して単身北太平洋征空の壮途に上った、この晴れの出発を見送るべく、羽田東京飛行場を中心として海陸を埋めた観衆は三十万と註され、飛行場内の式場には幣原外相、小泉逓相、南陸相の各閣僚の他朝野の名士約四千五百名参集、吉原飛行士の母堂も列席して盛大なる出発式が挙げられた

写真(右)1931年、フィンランド南部、ヘルシンキ北30キロ、コイヴィッコ(Koivikko)、トゥースラ(Tuusula)湖、フィンランド軍のユンカース(Junkers)A50 「ユニオール」(Junior:青年)水上機(登録コード:OH-SKY):フィンランドのペール・スヴィンヒュー(Pehr Evind Svinhufvud)大統領(1931-1937)が、国防連盟から受け取ったばかりのユンカース(Junkers)A 50 Junior(OH-SKY)を検閲した。1929年2月13日初飛行のユンカース(Junkers)A50 「ユニオール」(Junior)は、全長7.12 m、全幅 10 m、全高 2.39 m、湯職面積 13.7 平方メートル、空虚重量 340 kg、総重量 590 kg、発動機 アームストロング(Armstrong)Siddeley Genet II空冷星形5気筒エンジン65 kW (87 hp)、最高速力164 km/h、巡航速力 140 km/h、航続距離 600 km、航続時間 5時間、実用上昇限度 4,200 m、上昇時間 3,000 m/21分、離陸距離 250 m、着陸距離 187 m。
1931年の報知新聞には、これと同型機で太平洋横断飛行に挑んだ吉原清治飛行士の出発には「見送り人が報知旗と日の丸の小旗を打振り『吉原飛行士万歳』を連呼するとき、八十馬力の軽飛行機は赤いフロートを初夏の陽にかがやかしながらフワリと舞上った『吉原、吉原』と呼ぶかん声が大きな渦巻となって『報知日米号』を見送れば、吉原飛行士また空中に手を振り、母堂とみ子氏から贈られた黒猫のマスコットを胸にしっかりとつけて、北太平洋へと機首を向けた」とある。
Presidentti Svinhufvud tutustumassa Suojeluskuntain juuri saamaan Junkers A 50 Junior (OH-SKY) -koneeseen.
Creation date: 1931 Identifier: M012:HK19770808:156o , HK19770808:156o Institution: Finnish Heritage Agency Provider: National Library of Finland Providing country: Finland First published in Europeana: 2019-09-09 Dataset: 2021009_Ag_FI_NDL_musketti Location: Koivikko,Tuusula
写真はeuropiana collections,Finnish Heritage Agency Identifier: M012:HK19770808:156o , HK19770808:156o 引用。


両殿下特に御使を差遣され光栄一入輝く出発式 御下賜の日章旗は高く掲げられ朝野名士の熱烈なる演説

この日『報知日米号』は吉原飛行士操縦のもとに、午前六時五十五分霞ケ浦より羽田へ空中輸送され、高橋兵曹等の指導によってガソリンその他主要積載物の積込みを終った、吉原飛行士は耐寒装備の新調の飛行服を凛々しく身につけて、甲斐々々しく愛機の点検を行い壮図決行を前にして涙ぐましい緊張を示す、この頃式場には続々招待者参集し、久邇宮御使として御付武官安藤海軍少佐、賀陽宮御使として事務官梶田文太郎氏を差遣わされた、八時四十分いよいよ出発式に入り、戸山学校軍楽隊の吹奏によって一同国歌を合唱し、吉原飛行士も唱和して荘重なる興奮は式場を包み、この間いとけない八歳の鍋島松子さん(鍋島直縄子令嬢)の手によって式場内マスト高く賀陽宮殿下より拝受の国旗は掲揚された、寺田副社長は今回の大飛行がいかなる計画のもとに進められたかの簡単ながら胸を打つ報告をなし、来賓代表としてアメリカ大使代理ネヴィル参事官、ロシア大使代理ボドルスキー参事官、小泉逓信大臣、カナダ公使代理カークウッド氏、日米協会副会長樺山伯爵等が各々壮烈にして力強き送別の辞を飛行士に送り激励した、つづいて小泉逓信大臣は米国大統領に送るメッセージを吉原飛行士に伝達し、野間社長は幣原外相、永田東京市長、清浦伯、カナダ公使、徳川家達公、津村広告倶楽部会長、ロシア大使、横浜市長等のメッセージ及び社長より米国大統領、国務長官その他に呈するメッセージを伝達した、かくて野間社長は熱誠あふるる各方面の後援に対して息づまる如き熱情的謝辞を述べ、プログラムにはなかったがこの時幣原外相登壇し、今回の壮挙の使命の重大なることを説き成功を衷心から期待すると熱弁を揮って飛行士を激励し、更に石井羽田町長の送別の辞あり、いよいよ吉原飛行士は立って壮途に上る決意を例のキビキビした口調で語り袂別の挨拶を終った

天に轟く万歳に送られ吉原飛行士愛機に搭乗 空に舞う千羽の鳩と歓送機 見事、羽田飛行場を離水

かくて飛行の完成を祈念しつつ吉原飛行士は明治神宮御下賜の神酒を頂き、杯をほしたが、その面上には流石に一脈の悲壮なる緊張が現れていた、式場内の空気は高潮し、並いる人々の胸に血脈は躍った、花束は次々に捧げられ期せずして北太平洋横断歌の合唱となり、戸山学校軍楽隊がこれを演奏すれば、吉原飛行士は野間社長に同伴され、再び両宮家御使の前に進んでいよいよ出発の時にいたった挨拶を申上げた、式まさに終ろうとして野間社長は感激に声を振るわせ皇室の万歳を高唱して総員これに唱和し、小泉逓信大臣は『報知日米号』の万歳を叫び、これまた一同唱和し羽田海上にこだまする万歳の声は天地をとどろかした、戸山学校軍楽隊は重ねて国歌を吹奏し、壮重なる厳粛なる、しかも悲壮なる告別の時は過ぎゆき、この間に国旗はマストより引降ろされ、野間社長よりこの栄光にかがやく国旗は吉原飛行士に授与された、式は終ったそれより吉原飛行士は母堂の席に近づいて『行って来ます』と唯一言の悲壮極まる告別をなし、大臣と固く握手して飛行の完成を誓った吉原飛行士は新井航空官等に守られつつ仮桟橋より『報知日米号』に搭乗した、出発の時は近づいた、午前十時九分沖合に進んだ『報知日米号』のプロペラは勢いよく回転を始めた、かくて『報知日米号』は白銀の翼を初夏の陽にかがやかしつつ、軽快極まる滑走約六百メートルを以て羽田海上さして離水した、出発と同時に放たれた千羽の伝書鳩が鳩笛をならして青空を祝福する中を場を一周し第一日の着水地沼崎をさして霞ケ浦八号飛行船初め十余機の歓迎飛行機にかこまれながら、重き使命をもつユンケルスA五〇型の軽快なる姿は青空の中に遠く没した時正に十時十二分であった

報知日米号を送る 内閣総理大臣男爵 若槻礼次郎

昨年日独親善欧亜聨絡飛行を、軽飛行機による世界新記録によって遂行し、我が民間飛行の実力を世界に示した報知新聞社の吉原飛行士が、今回報知日米号によって日米親善北太平洋横断飛行を成就されんとするは、余の真に欣快に堪えざる所である  今や世界各国民は、地球上にのこされた空界の処女地として、ひとしく太平洋を注視している、この時に際し、堅実なる計画と果敢なる実行力による報知新聞社の北太平洋横断飛行が、我が航空界の盛名を全世界にあげ、国民精神の作興に大なる効果あるばかりでなく、米、露、カナダ等通過各国との親善増進に深き寄与あるべきはいうまでもない  余は切に吉原飛行士の不とうなる健闘を期待し、我が国空前の大壮図が、必ず偉大なる成功を以て結ばれんことを、衷心より祈るものである

未明早くも愛機を霞ケ浦から空中輸送 元気一杯の吉原飛行士

土浦支局電話=四日の朝霞ケ浦の空は一点の雲なく、風もなく波一つ立たぬ、この朝吉原飛行士は早くも五時起床して元気一杯静かに一路平安を神に祈って五時半皆川秘書と共に土浦の宿舎松庄旅館を出発、霞ケ浦航空隊へ向ったが、これより先き航空隊では先着の安田助手が晴れの『報知日米号』を格納庫から引出して最後の点検を済ました『安田君に安心してまかせる』と吉原君から絶対の信頼を受けて居る安田助手は前夜ほとんど徹夜で『報知日米号』を守り通したのだ、松永副長、千田飛行長、和田水上隊長、三和、中野、内堀、渡辺の各教官を初め多数の将校が吉原飛行士を迎えて『絶好の飛行日和に恵まれて幸先よい』と祝辞を浴びせる中に午前六時地上試験運転を開始し、調子がよいので吉原飛行士はニッコリしつつ六時五分ビールとスルメで祝杯があげられた、松永副長が音頭を取って『吉原飛行士万歳』を叫んだ、吉原飛行士は航空隊の今まで寄せられた好意を感謝した後同十分いよいよ機上の人となった、プロペラは廻り出した『では行って参ります』といとも軽やかに機上から手を振る、機尾から波をあげて『報知日米号』はスラスラと滑走を開始した、一分間で離水し、航空隊の上空を約五分間三周して同二十二分朝霧のかなた帝都へ向って機影を没した

きのう午後三時三十三分横断機沼崎安着 懸念された強風を衝いて先ず第一航程を翔破

沼崎特電=第一次着水地沼崎では前夜来気遣われた天候も四日には無風快晴の飛行日和となり、青年団、在郷軍人分会、後援会委員等が森航空官外地上勤務員の指揮で徹宵準備を整え、飛行の万全を期するため強風の場合を予想してテント張りの臨時格納庫も出来上り、水電会社の好意によって着水場附近には電灯設備もされたが、午前十時十分羽田飛行場出発の報を得て合図の花火が打揚げられ、各戸では戸毎に歓迎の国旗を掲揚、附近部落からは小学校児童地方、民が未明から陸続として着水場目がけて詰掛け、正午過ぎには観衆約一万に達し、さしもに広い小河原沼沿岸も人の黒山を築き、ひたすら飛来を待ちわびていた折柄、午後一時過ぎには七乃至九メートルの風が吹き始め、天気晴朗なれど着水地小河原沼に小波が立って一同も着水を憂慮し、地上勤務員は着水に遺憾なからしむるため最大の努力をしたが午後三時二十五分機影を認め、同三十三分歓呼裡に着水した

千島は朝来大吹雪 予想される大難航 幌莚加熊別にて 松山特派員

日米丸託送幌莚無電松山特派員四日発=五月に入るも当地の天候依然不良、連日曇または雪を見、北及び北西風強く海上浪高し、壮挙決行の四日朝来猛烈な吹雪は北西風にあおられ吹付けられて居る、千島征服を前に吉原飛行士の苦心想像にあまる

三十通に余るメッセージ 最初の飛行郵便として託送

吉原飛行士が『報知日米号』で持って行ったメッセージはアジアより米大陸に運ぶ最初の飛行郵便であるが、次の如くである

▲米国大統領フーヴァー閣下宛(小泉逓相) ▲米国国務長官スチムソン閣下宛(幣原外相) ▲米国大統領フーヴァー閣下宛(永田市長) ▲サンフランシスコ市長宛(同) ▲ロスアンゼルス市長宛(同) ▲シヤアトル市長宛(同) ▲バンクーバー市長宛(同) ▲米国大統領フーヴァー閣下宛(日本新聞協会長清浦伯爵) ▲カナダ首相宛(カナダ公使) ▲ラッセルス氏宛(米国大使館ホステッスのラッセル夫人) ▲米国飛行協会々長宛(帝国飛行協会田中館副会長) ▲シヤアトル日本協会々長宛(日米協会長徳川家達公) ▲ニュヨーク日本協会長宛(同) ▲サンフランシスコ日本協会々長宛(同) ▲ニュヨーク、アドバータイジング倶楽部会長宛(日本広告倶楽部津村会長) ▲ペトロパヴロフスク市ソヴィエット会長宛(ロシア大使) ▲ニコルスキー市ソヴィエット会長宛(同) ▲サンフランシスコ市長宛(大西横浜市長) ▲シヤアトル市長宛(同) ▲バンクーバー市長宛(同) ▲サンフランシスコ市長宛(羽田町長) ▲サンフランシスコ青少年団各位(羽田町青年団) ▲米国大統領フーヴァー閣下宛(野間社長) ▲米国国務長官スチムソン閣下宛(同) ▲サンフランシスコ市長宛(同) ▲シヤアトル市長宛(同) ▲バンクーバー市長宛(同) ▲ポートランド市長宛(同) ▲ロスアンゼルス市長宛(同) ▲シヤアトルランデス夫人宛(専修大学道家斉一郎氏) ▲着陸地の同胞へ(野間社長)

きょうの予定 根室着は二時十五分頃

『報知日米号』の五日のコースにおける通過時刻は

▲沼崎出発 午前十時 ▲尻矢岬通過 同十時四十分 ▲襟裳岬 正午 ▲釧路 午後一時十五分 ▲厚岸 同一時三十六分 ▲根室着 同二時十五分

国交上に大貢献 凱旋の姿を見たい 出発式における幣原外相の演説

報知新聞社主催、吉原飛行士による北太平洋横断飛行の首途に当り外務大臣として、この盛典に列するの光栄を得たことを感謝します、吉原君は先きに日独親善飛行を完成した航空界の偉大なる存在であって、私は今回の日米親善飛行も必ず成功することを信じて疑わぬ一人であります

そしてこの壮挙は単なる一新聞社の一事業と見るべからざる多分の意味が含まれているのを痛感いたします、何んとなれば『報知日米号』がしょう破せんとする北太平洋の航空路は、日本からする前人未踏の魔海である、これを開拓することが如何に重大なる意義を持つかは私が申すまでもありません、更に北太平洋を結ぶ沿岸諸外国及び終局の目的地たる米国と日本との国交上に及ぼす親善味の増大は予期以上のものがありましょう

勇士吉原清治君の決死的努力が日本にもたらす多大なる貢献は、このほか言葉に尽しがたい沢山のものがあります、ねがわくは沈着と慎重を念として、北太平洋を征服し凱旋将軍の如きさっそうたる勇姿を横浜埠頭にお迎えするの日の早からんことを心から祈るものであります

祝辞 米国大使フォーブス氏

吉原清治君、私は貴下の、この勇壮なる航空が良好なる天候に恵まれつつ、行路の旺ならん事を祈ると共に対岸の熱誠なる合衆国同胞に、一刻も早く相見えられん事を希うものである、貴下がこの大壮挙によって対岸にもたらすべき貴国民の熱誠は以て合衆国民の心に触るる処多大なるべく、私は貴下のこの大壮挙の完成が日米間の親善と結合に資する処偉大なるものがある事を信じて止まぬ者である

以上は、新聞記事文庫 航空(2-014) 報知新聞 1931.5.5-1931.6.16 (昭和6)引用。

写真(右)1932年9月24日、太平洋横断飛行に挑戦した日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)の報知日米号搭乗員慰霊之碑:右翼に日章旗、左翼に星条旗が描かれたという。
写真はMyルートガイド -青森版- 報知日米号搭乗員慰霊之碑引用。


1932年9月24日、「ミス・ビードル」に遅れること1年後、日本人として太平洋横断飛行を成功させようと報知新聞社が導入したユンカースW33「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)が発進した。しかし、北太平洋の悪天候に阻まれ3飛行士とともに遭難した。その遺徳をたたえて1962年(昭和37年)、本間機長と海軍兵学校同期の桑原虎雄氏らによって、青森県三沢市招和台公園に「報知日米号搭乗員慰霊之碑」が建立された。

1927年、アメリカ人リンドバーグは、ニューヨークからパリまで、5800kmの大西洋無着陸横断飛行に成功した。その4年後、1931年年、アメリカ人2人の搭乗する機体が、青森県三沢市の淋代海岸を離陸し、空気抵抗減少のために車輪を投下し、41時間後に、8000km彼方のアメリカ・ワシントン州ウエナッチに胴体着陸した。これが世界初の太平洋無着陸横断飛行である。

日本も全国紙の報知新聞社が飛行機を輸入して、太平洋横断無着陸飛行の計画を立てた。1932年9月24日、本間機長以下のユンカースW33「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)が3回目の挑戦をした。しかし、エトロフ島近郊での連絡を最後に消息を絶ち、行方不明となった。その後、捜索が1年間行われたが、痕跡は見つからなかった。発進前、井下通信士は「技術的には十分な自身あるも天佑は左右し難し」との遺書を家族に残していた。この太平洋横断飛行の挑戦者を追悼する報知日米号搭乗員慰霊之碑が、1962年、本間機長の海軍兵学校同期生らによって青森県三沢市三沢山ノ神15「三沢市招和台公園」に建てられた。

報知日米号搭乗員慰霊之碑
本間 清
機長、新潟県佐渡郡河原田町(現佐和田町)出身、享年45歳
北洋天低暗雲迷 (ほくようてんひくくあんうんまよい)
霧塞前程転凄惨 (きりぜんていをふさぎうたたせいさん)
決然破暁就鵬程 (けつぜんはぎょうほうていにつき)
爆々快翔横北溟 (ばくばくかいしょうほくめいをよこぎらん)
出発前の書、小比類巻家所蔵

馬場英一郎
操縦士、滋賀県坂田郡春照(すいじょう)村(現伊吹町)出身、享年28歳

井下 知義
通信士、島根県邑智群川越村(現桜江町)出身、享年32歳

⇒写真集Album:ユンカース(junkers)W33「報知日米親善号」を見る。


3.ユンカース(Junkers)W34輸送機

ドイツのユンカース社(Junkers Motorenbau GmbH)は、ユンカースF13単発輸送機をベースに、大型化したユンカースW33単発輸送機を開発したが、この機体はユンカースL5液冷エンジン1基を装備していた。しかし、このユンカース液冷エンジンよりも、当時世界各国で普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換した輸出仕様のW33輸送機が、ユンカース社で開発された。これが、輸出仕様のユンカースW34単発輸送機で、空冷星形9気筒エンジン1基を機首に装備しているが、その他の仕様は、W33単発輸送機とほぼ同様である。


写真(上)1935年、ドイツ、シェーンヴァルト、シェーガー訓練場の飛行場、空冷星形9気筒エンジン1基を搭載したユンカースW34輸送機
:後期型なので開放式でなく密閉式のコックピットで、胴体後方は貨物室ではなく、客室となっており、窓がある。F13輸送機をベースに、大型化したのがW33輸送機であり、原型はユンカースL5液冷エンジン1基を装備していたが、輸出向けには、普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプが開発されている。
Ein Junkers Flugzeug auf dem Flugfeld der Flieger Ausbildungssteller Schönwald, Deutschland 1930er Jahre. A Junkers plane at the airfield of the Flieger Ausbildungsstelle Schoenwald, Germany 1930s.
Creator: Heinz Pollmann Format: Nagatives (6cm x 6cm, 2,4cm x 3,6 cm (KB)) Creation date: 01.01.1935 Institution: United Archives Provider: EuropeanaPhotography Providing country: Germany First published in Europeana: 2014-01-08
写真はSwedish Open Cultural Heritage | K-samsök ・Dataset: 2024909_Ag_EU_EuropeanaPhotography_UA_1005 引用。


ユンカースJunkers W34輸送機の諸元
発動機:BMW -132空冷星形エンジン650馬力
金属製プロペラ 直径3.1m
総重量 3200 kg、空虚重量 1700?
全長: 10.3 m、全高: 3.5 m、全幅: 18.5 m
最高速力:265km/h、巡航速力230km/h
航続距離:900km、実用上昇限度6300m
乗員・乗客: 6席

写真(右)1935年、ドイツ、シェーンヴァルト、シェーガー訓練場の飛行場に列をなして並んだユンカースW34輸送機:後期型なので密閉式のコックピットで、胴体後方はガラス窓の付いた客室となっている。当初の液冷エンジンを装備したW33輸送機を、普及している空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプがW34輸送機である。
Junkersflugzeuge auf dem Flugfeld der Flieger Ausbildungsstelle Schönwalde, Deutschland 1930er Jahre. Junker planes at the airfield of the Flieger Ausbildungsstelle Schoenwalde, Germany 1930s.
Creator: Heinz Pollmann Format: Nagatives (6cm x 6cm, 2,4cm x 3,6 cm (KB)) Creation date: 01.01.1935 Institution: United Archives Provider: EuropeanaPhotography Providing country: Germany First published in Europeana: 2014-01-08
写真はEuropeana Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök ・Dataset: 2024909_Ag_EU_EuropeanaPhotography_UA_1005 Identifier: 01662422.jpg , 引用。


写真(右)1935年、ドイツ、シェーンヴァルト、シェーガー訓練場の飛行場、空冷星形9気筒エンジン1基を搭載したユンカースW34輸送機の客室扉を開いて会話する整備士たち:後期型なので密閉式のコックピットで、胴体後方はガラス窓の付いた客室となっている。主翼・胴体共にユンカース独自の波板構造の外板で覆われているが、これは軽量で強度を保つ工夫である。
Ein Junkers Flugzeug auf dem Flugfeld der Flieger Ausbildungssteller Schönwald, Deutschland 1930er Jahre. A Junkers plane at the airfield of the Flieger Ausbildungsstelle Schoenwald, Germany 1930s.
Creator: Heinz Pollmann Format: Nagatives (6cm x 6cm, 2,4cm x 3,6 cm (KB)) Creation date: 01.01.1935 Institution: United Archives Provider: EuropeanaPhotography Providing country: Germany First published in Europeana: 2014-01-08
写真はSwedish Open Cultural Heritage | K-samsök ・Dataset: 2024909_Ag_EU_EuropeanaPhotography_UA_1005 引用。


ユンカース(Junkers) W-33輸送機もユンカース(Junkers) W34も、機体の外板を薄くして重量を軽減しつつ,波板構造にして強度を高めるような設計だった。この独特の波板外板構造は,Ju-52輸送機に引き継がれた。

ユンカースF-13を大型化したユンカース(Junkers) W-34は,W-33輸送機のユンカースL5液冷エンジンを空冷星形に変換した客席6人乗りの旅客輸送機として、1920年代に完成した。ユンカースW33の生産機数は199機であるが、ユンカースW34輸送機は1800機もが生産され、1940年代まで現役機として世界各地で使用された。

1929年5月,ドイツ、ユンカース飛行機工場で製造中のユンカース(Junkers)W34輸送機・F13輸送機・W33輸送機:既存のユンカースW33輸送機をベースに、1926年7月7日に原型が初飛行したのがW34輸送機であり、これらの機体は量産性を考慮して共通部品が多かったようだ。
Titel Fertigungshalle von Junkers Erscheinungsdatum 5/1929 Format Reprofotografie : Glasplattennegativ, Querformat, schwarz/weiss ; 9 x 12 cm Beschreibung Im Vordergrund: mit Sternmotor W 34, im Hintergrund: F13 oder W33. Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs Identifikator DOI: 10.3932/ethz-a-000045536 Urheber Photographisches Institut der ETH Zürich
Last updated in Europeana: 2016-04-30 References and relations
Is part of: Norsk Luftfartsmuseum Dataset: 2022608_Ag_NO_ELocal_DiMu
References: 97010451 (Foto-nummer)
写真はNational Archives of The Netherlands: ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Identifier: LMU/NL.97010451 引用。


写真(右)1920年代,コロンビア、SCADTA、ユンカースJunkers W 34 水上輸送機:ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。
Three-quarter left front view of SCADTA Junkers W-34 "Magdalena" pulled up to a riverbank probably somewhere in Colombia; a small crowd watches from left foreground; a canoe is seen in the river at right midground; circa 1920s.
Data Source National Air and Space Museum Archives Restrictions & Rights Material is subject to Smithsonian Terms of Use. Should you wish to use Smithsonian National Air and Space Museum (NASM) material in any medium, please submit an Application for Permission to Reproduce NASM Material, available at http://airandspace.si.edu/permissions photographer Unknown See more items in R. E. G. (Ron) Davies Air Transport Collection Date Circa 1920s Repository Loc. National Air and Space Museum, Archives Division, MRC 322, Washington, DC, 20560 Local number NASM-9A08076
写真はSmithsonian Institution・NASM-9A08076引用。


写真(右)1930-1935年頃、ブラジル、コンドル・シンジゲート・ブラジル航空のユンカースW34輸送機(PP-CAR) :この機体は、当初は陸上機型だったが、後に水上機型に変更された。
SDASM Archives henry cord meyer image pictionid 61652159 - catalogcondor syndicate airline junkers w 34. - titlearray - filenamemeyer 0409.tifv
写真は,SDASM Archives・"pictionid 61652159"引用。


ユンカースW-34輸送機の諸元
全長 10.3メートル
全幅 17.8メートル
自量 1,700キロ
全備重量 3,200キロ
エンジン 650馬力1基
最高時速 265キロ
巡航速度 230キロ
航続距離 900キロ
上昇限度 6,300メートル
乗客6人
1926年に完成
生産機数1800機
原型となったユンカースL液冷エンジン装備のユンカースW33の生産機数は199機。

写真(右)1930-1935年頃、ブラジル、コンドル・シンジゲート・ブラジル航空のユンカースW34輸送機(PP-CAR) :この機体は、当初は陸上機型だったが、後に水上機型に変更された。
henry cord meyer image pictionid61652184 - catalogjunkers w 34 brazilian airline condor syndicate. - titlearray - filenamemeyer0411.tif---Image from the Henry Cord Meyer Collection-Please tag these photos so that the information will be kept with our Digital Asset Management System---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives・"pictionid 61652184"引用。


飛行場整備の必要性が少ない水上機は、開発途上国では陸上機よりも利用範囲が遥かに広かったため普及してた。ただし、大きなフロートを二つも装着しているので、空気抵抗が大きくなり、飛行性能が低下する。世界各地に飛行場が整備され出した20世紀後半には、水上機よりも陸上機のほうがより多く長距離輸送に使用されるようになった。

1930年以降、ノルウェー、トロンヘイム、ノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)W34hi水上輸送機"Ternen" (登録コード:LN-DAB、 製造番号: cn. 2832):この機体は1935年6月1日にオスロで登録され、1940年6月にドイツ軍侵攻により、ノルウェーからドイツに奪われた。しかし1946年7月13日に除籍。F13輸送機をベースに、大型化したのがW33輸送機であり、原型はユンカースL5液冷エンジン1基を装備していたが、輸出向けには、普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプが開発されている。
Subject: Data. LN-DAB Junkers W.34 hi cn. 2832. Reg:01.06.35 DNL A/S Oslo "Ternen" 06.40 beslaglagt av tyskerne. Slettet av register 13.07.46.
Tekn data . Motor: 1x 650 hk BMW -132. Maks T O vekt: 3200 kg. Lengde: 10.3 m. Høyde: 3.5 m. Vingespenn: 18.5 m. Ant seter: 6. Fotografering 1930 - 1950 (ANT)
Avbildet sted: Trondheim Sør-Trøndelag Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:December 18, 2014
写真はNorsk Luftfartsmuseum ・NL.97010431 引用。


ユンカース(Junkers)W33輸送機のユンカースL2(後にL5)液冷エンジンを空冷星形エンジンに変換したのが、ユンカースJunkers W34輸送機である。ユンカース(Junkers) W34輸送機の搭載した発動機は、ノーム エ ローヌ(Gnome et Rhône)9A ジュピター(Jupiter)空冷星形9気筒エンジン、ブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)VII空冷星形9気筒エンジン400 hp (300 kW)、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690ホーネット(Hornet )空冷星形9気筒エンジン 525 hp (392 kW)、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340 ワスプ(Wasp)空冷星形9気筒エンジン425 hp (317 kW)など各種ある。

写真(右)1935年、スウェーデン、マルメ、空冷星形9気筒エンジン1基を搭載したノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)W34hi水上輸送機"Ternen" (登録コード:LN-DAB、 製造番号: cn. 2832):垂直尾翼に、国旗が描かれている。エンジン覆いカウリングの後半から排気管が合わさった集合排気管となっている。後期型なので密閉式のコックピットで、胴体後方は6名の乗客用座席があり、外を眺めるための窓がある。
Junkers W 34, LN -DAB flygplan i Limhamns hamn.
Foto: Okänd fotograf / Malmö Museer
Creation date: 1935 - 1935 Publisher: Malmö museer Identifier: http://kulturarvsdata.se/MM/foto/613292 , EH 001997 Institution: Malmö museer Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden First published in Europeana: 2019-05-20
写真はeuropeana collectioms Malmö museer ・Dataset: 91672_Ag_SE_SwedishNationalHeritage_malmo_foto 引用。


写真(右)1935-1940年、ノルウェー、格納庫前に駐機して記念撮影したノルウェー航空(DNL)のユンカースW34水上輸送機(LN-DAB) (製造番号 W.Nr 5429) :二つのフロートは、機体とは異なって黒っぽい色に塗装されているが、海水による錆止めのためであろう。垂直尾翼には、青地に白縁赤十字のノルウェー国旗を描いている。
Ant. sjøflyhavn. ett fly på bakken, Junkers Ju W 34 "Ternen", LN-DAB, foran en hangarbygning. To personer sitter på den ene vingen.
Specific subject terms: Sjøflyhavn Sjøfly DNL Propellfly Fotografering 1935 - 1940
Owner of collection:Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:December 18, 2014 UUID:D525E6EE-7659-4727-8880-9B9C63793619
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・Identifier:NL.97010452 引用。


写真(右)1930-1935年頃、ノルウェー、トロンハイム、ノルウェー航空(DNL)のユンカースW34水上輸送機(LN-DAB) (製造番号 W.Nr 5429) :垂直尾翼には、青地に白縁赤十字のノルウェー国旗を描いている。
Ett fly på bakken, Junkers Ju W 34 LN-DAB "Ternen".Flere personer ved flyet. Brygger - bygninger i bakgrunnen
Fotografering 1930 - 1950 Avbildet sted: Trondheim Sør-Trøndelag
Owner of collection:Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:December 18, 2014 UUID:6F113B62-DA5B-4482-B857-0E3E68E98A66
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・Identifier:NL.97010432引用。


写真(右)1930-1935年頃、ノルウェー、ノルウェー航空(DNL)のユンカースW34水上輸送機(LN-DAB) (製造番号 W.Nr 5429) :垂直尾翼には、青地に白縁赤十字のノルウェー国旗を描いている。解説ではJu 52としているが誤り。
LN-DAB Junker 52 Specific subject terms: Fly Luftfart - Tyskland Junkers Ju 52 Junkers Luftfart
Identifier: NTM C 4280 Part of collection: NTM Owner of collection: Norsk Teknisk Museum Institution: Norsk Teknisk Museum
Date published: August 11, 2014 Date updated: April 1, 2015 DIMU-CODE: 011014273546 UUID: FBEF9277-A8ED-4FBA-B36E-94CA4CABFCE6
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・"NTM MFF 651"引用。


転載写真(右)1936年、ノルウェー、ベルゲン空港、ノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)JU52水上輸送機とユンカース(Junkers)W34hi水上輸送機"Ternen" (登録コード:LN-DAB、 製造番号: cn. 2832)
Tre sjøfly på vannet ved Bergen Lufthavn; Junkers W 34 "Ternen" tilhørende DNL Fred. Olsen & Bergenske A/S med reg.nr. LN-DAB (rute Bergen-Sogn) i forgrunnen, Junkers Ju 52 "Najaden" tilhørende Det norske Luftfarselskap A/S (DNL) med reg.nr. LN-DAF (rute Oslo-Bergen) bak denne og Junkers Ju-52 3m "Falken" tilhørende Det norske Luftfartselskap A/S (DNL) med reg.nr. LN-DAH (rute Bergen-Tromsø) et stykke ut på fjorden
Date: start=1936-01-01 写真はEuropeana ・ Dataset: 2048418_Ag_DE_DDB_SLUB-Sub10 引用。


1930年以降,ノルウェー中部、ソール・トロンデラーグ、トロンハイム(?)の水面に待機中のノルウェー航空のユンカース(Junkers)W34水上輸送機"Ternen"(登録コード: LN-DAB):原型は単発エンジンだったが、強力なエンジンを搭載することが軍用に転用可能と判断された。そこで、小出力の三発エンジンに変換された。ユンカースの採用した波板式の金属外板は、強度を保つのに役に立った。フロートの間に木製板を渡して足場を確保している。
Sjøflyhavn - brygge, to personer står foran motoren til ett fly, Junkers Ju W 34 "Ternen", LN-DAB.
Date: start=1930-01-01;end=1950-01-01
Provenance Identifier: LMU/NL.97010451
Institution: Norsk Luftfartsmuseum Provider: Arts Council Norway
Providing country: Norway First published in Europeana: 2014-03-26
Last updated in Europeana: 2016-04-30 References and relations
Is part of: Norsk Luftfartsmuseum Dataset: 2022608_Ag_NO_ELocal_DiMu
References: 97010451 (Foto-nummer)
写真はNational Archives of The Netherlands:Norsk Luftfartsmuseum ・Identifier: LMU/NL.97010451 引用。


ユンカースJunkers W34輸送機の諸元
発動機:BMW -132空冷星形エンジン650馬力
金属製プロペラ 直径3.1m
総重量 3200 kg
空虚重量 1700?
全長: 10.3 m、全高: 3.5 m、全幅: 18.5 m
最高速力:265km/h、巡航速力230km/h
航続距離:900km
実用上昇限度6300m
乗員・乗客: 6席

写真(右):1930年以降,ノルウェー中部、ソール・トロンデラーグ、トロンハイム(?)の水面に待機中のノルウェー航空のユンカース(Junkers)W34水上輸送機"Ternen"(登録コード: LN-DAB):ユンカースの採用した波板式の金属外板は、強度を保つのに役に立った。フロートの間に木製板を渡した足場で、2翅プロペラに手をかけて記念撮影をしている。
Ett fly i vannkanten, Junkers Ju W 34 DNL "Ternen", ved kai. Nærbilde av den ene motoren. en person foran flyet, holder i propellen.
https://www.europeana.eu/portal/en/search?q=what%3A%22Sj%C3%B8fly%22
Language: Norwegian
Identifier: LMU/NL.97010437 Institution: Norsk Luftfartsmuseum Provider: Arts Council Norway Providing country: Norway First published in Europeana: 2014-03-26
Date: start=1930-01-01;end=1950-01-01 Is part of: Norsk Luftfartsmuseum Dataset: 2022608_Ag_NO_ELocal_DiMu
Location: Sør-Trøndelag
写真はNational Archives of The Netherlands:Norsk Luftfartsmuseum ・Identifier: LMU/NL.97010437引用。


ユンカース(Junkers)W34輸送機は、原型となったユンカースW33輸送機が初飛行した同じ1926年7月に初飛行した。両機の差異は、発動機であり、ユンカースW33輸送機がユンカース L5 液冷エンジンを搭載したに対して、ユンカースW34輸送機はフランス製グロノーム(Gnome et Rhone)ジュピター(Jupiter) VI 空冷星形エンジンやBMW132空冷星形エンジンなど、空冷星形9気筒エンジンを搭載した。スウェーデンではユンカース(Junkers)W34輸送機の軍用型であるK43が製造され、フィンランドに6機、アルゼンチンに5機、ポルトガルに5機合計18機が生産された。

写真(右)1935年,ユンカース(Junkers)W34輸送機の複座式操縦席と計器盤:左右に複式の操縦桿が並んでいるが、計器盤は左右でかなり異なっている。
Title: Füum-Instrumentierung. Junkers W 34, 1935 Dating: 1935
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories: View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Junkers, Propeller-driven aircraft
Record Name: Ans_05338-02-167-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-167-AL-FL 引用。


写真(右)1933年,ユンカース(Junkers)W34輸送機の胴体下面に取付けられた偵察用写真機:客室は容積に余裕があり、6名分の座席を確保できる。
Verkehrsflugzeug vom Typ Junkers (sehr wahrscheinlich Junkers W-34). Innenansicht mit Reihenbildkamera
Foto: Unbekannter Fotograf, vor 1933 Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0020393 SLUB / Deutsche Fotothek Eigentümer: SLUB / Deutsche Fotothek
Record Name: Ans_05338-02-167-AL-FL.
写真は,Deutsche Fotothek・df_hauptkatalog_0020393引用。


写真(右)1930-1940年代(?)、カナダ、カナダ航空の使用したユンカースW34水上輸送機:1929年に初購入、その後、1933年と1934年に合計6機のW34(Ju-34)を購入した。当初は、ドイツ製BMW6気筒エンジンを搭載していたが、整備の上でより容易なアメリカ製プラットアンドホイットニーのワスプ(Wasp) P&W R1340エンジンに変換され、ブリティシュコロンビア州で活躍した。
The first Junkers (CF-ABK) brought to Canada by Western Canada Airways, later Canadian Airways, headed by James A. Richardson, was purchased in 1929. It was delivered with the German engine, a BMW six-cylinder inline engine. At the first opportunity an H Wasp P&W R1340 was installed. In 1933 and 1934 six more JU-34’s were purchased and finally a JU-52, the famous Flying Boxcar.
写真は,Royal Aviation Museum of Western Canada引用。


写真(右)1930-1940年代(?)、カナダ、カナダ航空の使用したユンカースW34水上輸送機:カナダ航空が購入したW34(Ju-34)は、当初装備していたドイツ製BMW6気筒エンジンをアメリカ製プラットアンドホイットニーのワスプ(Wasp) P&W R1340エンジンに変換して、ブリティシュコロンビア州で使用された。巡航速度115マイル、燃料搭載量120ガロン、貨物搭載量2200ポンド。他方、Ju52輸送機の貨物搭載量は6600ポンドで3倍もある。
Maintenance personnel and pilots agree, that it was an aircraft well ahead of its time. Take-off speed was 45 or 50, cruise 115 on floats, 120-gallon fuel capacity, range of five hours, rugged construction and no bad flight characteristics. The small Junkers had a payload of 2,200 pounds and the Flying Boxcar, the JU-52, carried 6,600 pounds. John Racey, who flew the Junkers to Ottawa, reports the plane was enthusiastically met wherever he went. Many were the nostalgic memories brought back to a host of Canadians as they saw the “old Junkers”, which has played such an important role in Canada’s aviation history from Quebec to British Columbia, winging its way eastward. And John reports that she kept her reputation intact–the twenty hours of flying time on her last trip was completely trouble free.
写真は,Royal Aviation Museum of Western Canada引用。



4.スウェーデンのユンカースW34輸送機(軍用型Tp 2A患者輸送機、TPPA 2患者水上輸送機)

写真(右)1935年、スウェーデン中央、ミッドランダ(Midlanda:現スンズヴァル–ティムロ空港)、空冷星形9気筒エンジン1基を搭載したユンカースW34輸送機(登録コード:?-BYA):エンジン覆いカウリングが大型化され、シリンダー(気筒)は隠されており、集合排気管が出ているのが分かる。後期型なので密閉式のコックピットで、胴体後方は6名の乗客用座席があり、外を眺めるための窓がある。
Europas äldsta flygmaskin, Junker 1935, på Midlanda..
Creator: Norrlandsbild Language: Swedish
Creation date: 1961-09-23 Publisher: Sundsvalls museum Identifier: SuM-foto 024524
Institution: Sundsvalls museum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
写真はeuropeana collectioms Sundsvalls museum ・Dataset: 91698_Ag_SE_ Swedish NationalHeritage_SuおよびSundsvalls museum ・Identifier:SuM-foto024524 引用。


写真(右)1940-1945年、スウェーデン、カールスボルグ(?)、民間用のユンカース(Junkers)W 34 ho輸送機(登録コード:SE-AKI):主輪式の降着装置を備えた陸上機型だが、北欧では、第二次世界大戦時までは、海辺の自然条件を活かして水上機型が多用された。胴体左右、主翼に大きく登録コードSE-AKIを記入している。
Civilt flygplan Junkers W 34ho märkt SE-AKI tillhörande Svensk flygtjänst står i en hangar. .
Identifier: FVMF.003490 Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: SwedenFirst published in Europeana: 2017-09-04
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden
写真は,Flygvapenmuseum a>登録・Dataset: 916113_Ag_SE_FlygvapenmuseumあるいはFlygvapenmuseum  Identifier:FVMF.003490 引用。



写真(上)1938年、スウェーデン、カールスボルグ第81格納庫前、民間用のユンカース(Junkers)W 34ho 輸送機(登録コード:SE-AKI)
:主輪式の降着装置を備えた陸上機型だが、北欧では、第二次世界大戦時までは、海辺の自然条件を活かして水上機型が多用された。胴体左右、主翼に大文字で登録コードSE-AKIを記入している。
Karlsborg 1938. Svensk flygtjänsts Junker W34 (SE-AK1). I bakgrunden hangar 81.
Creation date: 1938-01-01 Publisher: Karlsborgs fästningsmuseum Institution: Karlsborgs fästningsmuseum First published in Europeana: 2014-04-02
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden
写真は,Karlsborgs fästningsmuseum登録・Dataset: 1652_Ag_SE_SwedishNationalHeritage_KBG引用。


写真絵葉書(右):1935-1945年頃?、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34輸送機(赤十字マーク);軍用 K43のスウェーデン軍仕様Tp 2A 患者輸送機 :原典にはJunkers W33とあるがW34の誤りであろう。
Inglasat foto på Tp 2 Junkers W 33.
Type: Tavla , Object Subject: Kulturhistoria , Kontor
Identifier: FVM.149950 Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden First published in Europeana: 2016-05-13
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: 916113_Ag_SE_Flygvapenmuseum 引用。


 スウェーデン軍は、フィンランド軍と同じく、ユンカース(Junkers) W34輸送機の実用性の高さ、運用コストの低さに注目して、W34の軍用型K43輸送機に注目した。ただし、任務は患者輸送用要とされたために、武装を施しておらず赤十字社の記章を大きく描いているので、白色塗りの患者輸送機Tp 2Aとなった。つまり、民間輸送機ではなく、軍用の患者輸送機・救難機であり、軍事物資・兵力の輸送は行わず、運航も事前に相手国に届けを出しているので、秘密の運航はしない機体である。当然のことながら、敵との交戦は想定していないから、機関銃など武装も一切していない。

写真絵葉書(右):1933-1945年、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);軍用 K43のスウェーデン軍仕様Tp 2A 患者水上輸送機 :スウェーデン軍は、フィンランド軍と同じく、ユンカース(Junkers)W34輸送機の実用性の高さ、運用コストの低さに注目して、W34の軍用型K43輸送機に注目した。ただし、このユンカース(Junkers) W34任務は患者輸送機・救難機とされたために、武装を施しておらず赤十字社の記章を大きく描いているので、白色塗りの患者輸送機Tp 2Aとなった。
Inglasat foto på Tp 2A - Junkers Flugzeug-und Motorwerke JU W 34 1933-1945 Type: Tavla , Object
Subject: Kulturhistoria , Kontor , http://vocab.getty.edu/aat/300193782
Identifier: FVM.149835 Institution: Flygvapenmuseum
Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden First published in Europeana: 2016-05-13
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: 16113_Ag_SE_Flygvapenmuseum 引用。



写真(上):1933-1953年、スウェーデン、湖面を滑走中のスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TP 2A 患者水上輸送機
:白色塗りではなく、明細塗装をしたまま軍用の正規患者輸送機として使用されたのであろうか。患者輸送機は、軍事物資・兵力の輸送は禁止され、機関銃など武装も許されない。
Flygplan TP 2A flygambulans vid landning på vatten vid F 2 Hägernäs.
Identifier: FVMF.002219
Avbildad - namn: Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974) Avbildad, ort: Sverige Uppland Hägernäs Fotografering 1933 - 1953 Ursprunglig fotografering Institution: Flygvapenmuseum Date published: December 2, 2014 Date updated: May 7, 2019 DIMU-CODE: 021015595419 UUID: BA931FC4-68BE-4691-A52B-7559B9886DA4
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: FVMF.002219 引用。


写真(右):1933-1953年、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2A患者水上輸送機 :白色塗りの患者輸送機Tp 2Aとなった。つまり、民間輸送機ではなく、軍用の正規患者輸送機であり、軍事物資・兵力の輸送は行わず、運航も事前に相手国に届けを出しているので、秘密の運航はしない機体である。当然のことながら、敵との交戦は想定していないから、機関銃など武装も一切していない。
Ambulansflygplan Junkers W34, TRP 2A, i luften med flottörer..
Identifier: FVMF.001436
Creator: Okänd fotograf Creation date: 1933-01-01 - 1953-01-01 Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden First published in Europeana: 2016-05-13
FVM.149950 Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden First published in Europeana: 2016-05-13
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: 916113_Ag_SE_Flygvapenmuseum 引用。


写真(右):1933 - 1953年、スウェーデン、湖沼の上空を飛行するスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2 A患者水上輸送機5号機 :双フロートは、黒っぽい色で塗装されている。機体赤十字マークの後の「5」は機体番号。
Flygplan TP 2A flygambulans märkt nummer 5 flyger över kustlinje..
FVMF.002218
Fotograf: Okänd fotografFotografering 1933 - 1953 Institution: Flygvapenmuseum Date published: December 2, 2014 k
DIMU-CODE: 021015595415 UUID: 33EA5BBD-3130-4F38-B0E1-34336A0FE5BB
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Identifier: FVMF.002218 引用。


写真(右):1934 - 1941年、スウェーデン、格納庫前でスウェーデン軍兵士と記念撮影したスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2 A患者水上輸送機5号機 :左端の兵士は、右の双フロートにまたがっている。黒っぽい色で塗装されたフロートは、陸上では車輪のついた台座に乗せられて、移動しやすくしている。機体赤十字マークの後の「5」は機体番号。
Flygplan Trp 2 framför hangar. Tre militärer vid flygplanet.
FVMF.002071
Fotograf: Okänd Fotografering 1934 - 1941 Date published: December 21, 2016 DIMU-CODE: 011015057848 UUID: 2D1F1CA5-01ED-447B-BBA5-6DBAFBB9641F
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Identifier: FVMF.002071 引用。


写真(右):1934 - 1948年、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2 A患者水上輸送機5号機 :着水に失敗したのか、横転事故を起こし、クレーンで回収されている。主翼上面の赤十字記章がよくわかる。
Ambulanslygplan TRP 2 A märkt nr. 5 bärgas av en kran på en pråm. Folksamling på bygga framför kranen.
Identifier: FVMF.001436
Avbildad - namn: Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974) Avbildad, ort: Sverige Uppland Hägernäs Fotografering 1934 - 1948 Institution: Flygvapenmuseum Date published: March 20, 2014 k
DIMU-CODE: 011013013377 UUID: 6C532D73-FAD4-49C8-8546-184AB84610D5
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Identifier: FVMF.001436 引用。


スウェーデンは、第一次世界大戦、第二次世界大戦にも加わらずに、その後も非同盟中立を堅持し続けた。他方、1926年には、航空兵力の重要性を認識し、それまでスウェーデン陸軍航空隊と海軍航空隊に分かれていた航空兵力を、あらたにスウェーデン空軍(Flygvapnet)を創設して、統合した。また、北欧スカンジナビアの平和に配慮して、中立を前提としながら、ロシアから独立したフィンランドへの支援、フィンランド内戦での反共産主義青軍の支援に義勇兵を派遣している。スウェーデンには、19世紀末から反共産主義の動きが活発で、政治的にも自由主義を擁護してきた伝統がある。


5.ユンカース(Junkers)K43水上輸送機(W34輸送機の軍用型)

フィンランド軍は、総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の下、数的に遥かに勝るソ連赤軍相手に善戦したが、ドイツからも、スカンジナビア諸国からも、英仏からも軍事援助を受けることができず、孤軍奮闘だったために、1940年3月12日に、ソ連の領土要求を受け入れて講和した。

1939年9月1日、ドイツがポーランドに突如侵攻、3日には、ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリス・フランスがドイツに参戦して、第二次世界大戦が勃発した。その混乱に乗じたソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、既に傘下に収めていたバルト諸国同様に、フィンランドにも領土要求をし、併合する構えを見せた。しかし、フィンランドは、この要求を断固拒否、そこで、ソ連赤軍は、1939年11月30日、フィンランド南部に攻撃を加えた。こうして、フィンランド冬戦争が始まった。

写真(右)1941年8月21日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki:ムルマンスク南350キロ、レニングラード北800キロ)、担架に乗せた負傷者をフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)に搬入するフィンランド国防軍兵士:K43水上機はW34輸送機の軍用型。フィンランドでは、患者。負傷者の空輸に使われた機体の写真が多数残されている。胴体右側の扉は、担架のまま負傷者を搬出入するには小さすぎるようだ。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kuvassa oleva vesilentokone on Junkers K 43fa , joka tuttavallisemmin tunnetaan nimellä ”Pikku-Junnu”.
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 43673引用。


フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。

当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。

写真(右)1941年8月21日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki:ムルマンスク南350キロ、レニングラード北800キロ)、担架に乗せた負傷者をフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)に搬入するフィンランド国防軍兵士:胴体右側の扉は、担架のまま負傷者を搬出入するには小さすぎるようだ。Junkers W-34のコックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している水上患者輸送機。
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan. Koska pikainen apu on tarpeen ja satojen kilometrien taival maitse huonoilla teillä vie paljon aikaa.
Vähemmän
? Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-06 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。


ドイツのソビエト連邦侵攻は、1941年6月22日だが、フィンランドは、1939年11月30日から1940年3月12日の対ソビエト冬戦争に敗北しており、その報復として、1941年6月26日から1944年9月19日にかけて、ドイツとともに対ソビエト継続戦争(Continuation War)を戦った。冬戦争の際に、イギリスもフランスも連合国として、ドイツと第二次世界大戦を戦っていたが、ソ連とは戦っておらず、あえてフィンランドを助けるために、ソ連と会戦するはずがなかった。1941年7月、総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の指揮の下、フィンランド軍は、フィンランド南東部、ソ連に割譲させられていたカレリア地方を攻撃し、再占領し、冬戦争で奪われた領土を取り戻した。

写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖付近を飛行するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コードJU-8)。負傷者を搬送するのに使用された。:主翼下面に二つフロートがついているが、それを支えているフレームの数が多く、空気抵抗が大きそうに見える。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kuvassa on Junkers K 43fa. Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47720引用。


フィンランドが継続戦争(Continuation War)を開始すると、同盟国ソ連への攻撃を侵略と見なしたイギリスは、フィンランドをドイツ同盟国とみなして宣戦布告した。ソ連の対ドイツ戦を支えるために、アメリカの武器貸与法に基づく援助を行っていたイギリスとしては当然の行動だった。第二次世界大戦のさなかであり、ソビエト連邦からは、継続戦争は、枢軸国フィンランドに対する大祖国戦争の一環である。


写真(上)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖付近を飛行するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コードJU-128)。負傷者を搬送するのに使用された。
:主翼下面に二つもフロートがついているが、それを支えているフレームの数が多く、空気抵抗が大きそうに見える。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kuvassa on Junkers K 43fa. Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47720引用。


しかし、1944年、ソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、廃止された。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継続戦争(Continuation War)を、ナチ党の残虐性を想起させるのを忌避する方便であろう。


写真(上)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43fa水上機(登録コードJU-128)と出撃を見送るフィンランド軍兵士たち
:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しているが、患者・負傷者搬送する水上輸送機で、負傷者空輸の宣伝写真がたくさん残されている。
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan. Koska pikainen apu on tarpeen ja satojen kilometrien taival maitse huonoilla teillä vie paljon aikaa. Kuvassa on Junkers K 43fa vesilentokone (tunnus JU-128), joka on haavoittuneiden kuljetustehtävässä).
Lisää ? Aineistotyyppi ?Valokuva
Kuvaustiedot: 1941-09-06 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。


1930年にフィンランド空軍は、ドイツからユンカースW 34輸送機1機を購入し、さらにW43輸送機の水上機型のK 43水上機6機をスウェーデン空軍から購入した。1941年7月に、ソビエト連邦との継承戦争を戦うに際しては、長距離偵察・哨戒機として前線に送られたが、前線から傷病兵を後方に搬送する患者輸送機としての任務にも就役した。1944年春、フィンランド空軍は、さらに5機のユンカースW 34輸送機を購入したが、これらは訓練用の練習機として使用されたようだ。戦後にこれらユンカースW34/K43輸送機は、フィンランド国境警備隊で1950年まで使用された。

写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機で負傷者を空輸しようと、担架で負傷兵を運んできたフィンランド国防軍兵士
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin.
H.Tollet, valokuvaaja Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin. Vesilentokone on Junkers K 43fa (Junkers W 34).
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-09 H.Tollet, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。


写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機で空輸するために、湖岸まで運ばれてきたフィrンランド国防軍負傷兵。:湖岸の林の中なので、ソビエト空軍の空襲からぎそうするにぎそうするのに都合がよい。
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin.
H.Tollet, valokuvaaja
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin. Vesilentokone on Junkers K 43fa (Junkers W 34).
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-09 H.Tollet, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。


ユンカースK 43fa輸送機の諸元:
搭乗員: 2名、 乗客: 3-6名
全直:11,13m、全幅i: 17,75m
全高: 3,90m、主翼面積:44平方メートル
空虚重量: 1885kg、全備重量: 3200kg
発動機: 1× BMW 132
最高速力: 220km/h  巡航速力: 180km/h
航続距離: 1700km 上昇限度: 5300m

写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、負傷兵の後方空輸に任務にあたったフィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:JU-127)の搭乗員と現地のフィンランド国防軍兵士。:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähdössä Tiiksjärvellä. Kuvan vesilentokone sotilaisjoukon takana on Junkers K 43 fa (tunnus JU-127).
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-06 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja Aiheet 1941-09-06
写真は,Museot Finna引用。


写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、負傷兵の後方空輸に任務にあたったフィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:JU-127)の搭乗員と現地のフィンランド国防軍兵士。:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähdössä Tiiksjärvellä. Kuvan vesilentokone sotilaisjoukon takana on Junkers K 43 fa (tunnus JU-127).
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-06 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja Aiheet 1941-09-06
写真は,Museot Finna引用。


写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、負傷兵・傷病兵の後方空輸に任務にあたったフィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:JU-127)の搭乗員と現地のフィンランド国防軍兵士
Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähdössä Tiiksjärvellä. Kuvan vesilentokone sotilaisjoukon takana on Junkers K 43 fa (tunnus JU-127).
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-06 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja Aiheet 1941-09-06
写真は,Museot Finna引用。


写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43fa水上機(登録コードJU-128)に負傷者を搬送するフィンランド国防軍兵士たち
Description Suomi: Kornetti Hämäläisen kaukopartio lähtee Tiiksjärveltä lentokoneilla. (Kuvassa on Junkers K 43fa, tunnus JU-128). Kuvauspaikka: Tiiksjärvi
Date 6 September 1941 Source http://sa-kuva.fi/ Author Kapteeni E.J.Paavilainen Date 6 September 1941 Source http://sa-kuva.fi/
写真は,Museot Finna引用。


継続戦争(Continuation War)は、1941年6月25日から1944年9月19日にかけて3年2カ月の間、フィンランドがソ連と戦った戦争である。戦争当事国の一方であるソ連は、フィンランドの侵入を受け、それを防いだ「大祖国戦争」の一環であり、すなわち第二次世界大戦の一部である。フィンランドは、国土を奪ったソ連とは戦うが、イギリスとは戦わないという釈明をした。

写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機。負傷者を担架で搬送している。:湖の水深が浅いために、岸辺に座礁してしまうので、少し沖合まで木材で簡単な桟橋を作ったようだ。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin.
H.Tollet, valokuvaaja
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin. Vesilentokone on Junkers K 43fa (Junkers W 34).
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-09 H.Tollet, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。


他方、イギリスのウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)首相は、1941年6月の独ソ戦開始前から、ソ連にドイツがソ連攻撃を計画していることを事前に連絡し、独ソ戦開始後も、直ぐにソ連邦への軍事援助を表明しているが、これはドイツ打倒を最優先し「ヒトラーを倒すためには、悪魔とも手を結ぶ」と公言していたウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)首相にとって、当然のことだった。したがって、イギリスは、フィンランドがソ連とのみ領土奪回の目的で、1939年の第二次大戦開始直前の「冬戦争」を継承しているのであって、イギリスと戦火を交えるつもりはないという方便を認めていない。

写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43fa水上機(登録コードJU-128)と出撃を見送るフィンランド軍兵士たち:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している水上偵察爆撃機型だが、負傷者空輸の写真がたくさん残されている。
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan
Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
Kovien taisteluiden aikana on haavoittuneita kuljetettava edestä lentokoneillakin taakse hoitoa saamaan. Koska pikainen apu on tarpeen ja satojen kilometrien taival maitse huonoilla teillä vie paljon aikaa. Kuvassa on Junkers K 43fa vesilentokone (tunnus JU-128), joka on haavoittuneiden kuljetustehtävässä).
Lisää ? Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-06 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja
写真は,Museot FinnaMuseot Finna引用。


写真(右)1941年9月9日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機。負傷者を担架で搬送している。:湖の水深が浅いために、岸辺に座礁、乗り上げて担架の患者を運搬している。
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin. H.Tollet, valokuvaaja
Vaikeasti haavoittunutta kannetaan lentokoneeseen, joka vie hänet Kajaaniin. Vesilentokone on Junkers K 43fa (Junkers W 34).
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-09-09 H.Tollet, valokuvaaja
写真は,Museot FinnaMuseot Finna引用。


写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、担架に乗せた負傷者を搬送する準備をするフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-128):手前の砂浜には、負傷者が横たわった担架が置かれている。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。
Kuvassa on Junkers K 43fa vesilentokone (tunnus JU-128), joka on haavoittuneiden kuljetustehtävässä). Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真はThe Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47733引用。


写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ‐ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、担架に乗せた負傷者を搬送する準備をするフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-128):手前の砂浜には、負傷者が横たわった担架が置かれている。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。
Kuvassa on Junkers K 43fa vesilentokone (tunnus JU-128), joka on haavoittuneiden kuljetustehtävässä). Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47734引用。


写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、発進するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)を見送る地上勤務の隊員たち。手を振る婦人も軍服を着ており、フィンランド軍のK43水上機は負傷者搬送に使用されたので、従軍看護婦あるいは女性兵士のようだ。:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。
Kuvassa on Junkers K 43fa. Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47725引用。


写真(右)1941年11月2日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上患者輸送機(登録コード:JU-124)。負傷者を搬送している。
Lääkintähuoltoa(医療), sairaskuljetus lentoteitse Vilho Uomala, valokuvaaja Lääkintähuoltoa, sairaskuljetus lentoteitse. Elo-Syyskuu 1941. Lentokone on Junkers K 43f.
写真は,Museot Finna引用。


水上機は、フロートで浮いているので、機体の姿勢は、機首と尾部が水平になるので、人員輸送にはやりやすい面もある。当時の陸上機の多くは、尾輪式で、地上姿勢では、機首が上方を向いており、尾翼部分は地面に近くにある。そこで、地上で機体に乗り込むと、坂の上にあるように、姿勢が斜めになった。

写真(右)1941年11月2日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コードJU-12?)。負傷者を搬送している。:主翼下面に二つもフロートがついているが、それを支えているフレームの数が多く、空気抵抗が大きそうに見える。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Sairaskuljetusta lentokoneella. Uomala, valokuvaaja Sairaskuljetusta lentokoneella. Lentokone on Junkers W 43fa, ``Pikku-Junnu ? ?. Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1941-11-02 Uomala, valokuvaaja
写真は,Museot Finna引用。


写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コードJU-128)。負傷者を搬送している。:主翼下面に二つもフロートがついているが、それを支えているフレームの数が多く、空気抵抗が大きそうに見える。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kuvassa on Junkers K 43fa. Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces: Kuvan numero 47720引用。


写真(右)1941 - 1944年,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上患者輸送機「ピッコ・ユノ」``Pikku-Junnu ? ?(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)。負傷者を搬送している。:胴体上部の前方銃座には、旋回機銃が装着されているが、中部の銃座には旋回機関銃が装着されていない。
haavoittunutta nostetaan Junkers kujetuskoneeseen haavoittunutta nostetaan Junkers kujetuskoneeseen(負傷者は担架でユンカースに乗せられる) , Kyseinen Junkers K 43fa (OH-MVF) kuljetuskoneen on ilmavoimat luovuttanut Merivartiolaitokselle (myöh. Rajavartiosto) ennen vuotta 1944.(ユンカース K 43fa(OH-MVF)輸送機は、1944年までフィンランド空軍によって沿岸警備隊(後の国境警備隊)に配属された。) Aineistotyyppi ?Kuva Aiheen aika 1941 - 1944
Organisaatio Museovirasto - Musketti Kokoelma Historian kuvakokoelma Inventaarionro HK19850130:205 Kuvaustiedot: 1941 - 1944
Lääkintähuoltoa(医療) , sairaskuljetus lentoteitse Vilho Uomala, valokuvaaja Lääkintähuoltoa(医療), , sairaskuljetus lentoteitse. Elo-Syyskuu 1941. Lentokone(航空機) on Junkers K 43f.
Aineistotyyppi:Valokuva (写真)
写真は,Museot Finna HK19850130:205引用。


写真(右)1941年7月30日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上患者輸送機「ピッコ・ユノ」``Pikku-Junnu ? ?(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)。負傷者を搬送している。
Lääkintähuoltoa(医療) , sairaskuljetus lentoteitse Vilho Uomala, valokuvaaja Lääkintähuoltoa(医療), , sairaskuljetus lentoteitse. Elo-Syyskuu 1941. Lentokone(航空機) on Junkers K 43f.
Aineistotyyppi:Valokuva (写真)
写真は,Museot Finna引用。


写真(右)1941年11月2日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上患者輸送機「ピッコ・ユノ」 ”Pikku-Junnu”(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)。負傷者を後方に搬送するのに使用された。
Sairaskuljetusta lentokoneella. Uomala, valokuvaaja Sairaskuljetusta lentokoneella. Lentokone on Junkers W 43fa, ``Pikku-Junnu ? ?.
Aineistotyyppi:Valokuva (写真)
写真は,Museot Finna引用。



写真(右)1942年5月28日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(キエスチンキ:Kiestinki)、カナナイネン(Kananainen:カナダ村)と称された水上機地に待機するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-123;奥)に搬入するフィンランド国防軍兵士
:手前は K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-125)。
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. U. Laukka, valokuvaaja
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. Junkers K 43fa lentokoneita.
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1942-05-28 U. Laukka, valokuvaaja
写真は,The Finnish Defence Forces引用。



写真(右)1942年5月28日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(キエスチンキ:Kiestinki)、カナナイネン(Kananainen:カナダ村)と称された水上機地に待機するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) するK 43 fa水上機「ピッコ・ユノ」 ”Pikku-Junnu”(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)と水上滑走するK 43 fa水上機
:奥の丘陵の上には、農家の木造家屋が4件あるが、湖畔の建物は、農家に見せかけた水上機基地の施設であろうか。
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. U. Laukka, valokuvaaja
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. Junkers K 43fa lentokoneita.
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1942-05-28 U. Laukka, valokuvaaja
写真は,The Finnish Defence Forces: Kuvan numero 101880引用。


1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(Hakaristi?Swastika)が描かれている。ドイツでも、カギ十字卍(スワスチカ:Swastika)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、夏党政権獲得後、この鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。そして、再軍備宣言後、ドイツ空軍が創設されると、ナチ党の採用したカギ十字をドイツの国籍マークとした。


写真(右)1942年5月28日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(キエスチンキ:Kiestinki)、カナナイネン(Kananainen:カナダ村)と称された水上機地に待機するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-123;奥)に搬入するフィンランド国防軍兵士
:手前は K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-125)。
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. U. Laukka, valokuvaaja
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. Junkers K 43fa lentokoneita.
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1942-05-28 U. Laukka, valokuvaaja
写真は,The Finnish Defence Forces: Kuvan numero 101880引用。



写真(右)1942年7月30日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki)(?)、担架に乗せた負傷者をフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)に搬入するフィンランド国防軍兵士
:胴体右側の扉は、担架のまま負傷者を搬出入するには小さすぎるようだ。
Kuvaaja(撮影監督):Vänrikki H.Harrivirta(ハリヴィルタ) Lentokone on Junkers K 43fa, ``Pikku-Junnu´´. nimellä ”Pikku-Junnu”.
写真は,The Finnish Defence Forces: Kuvan numero 101880引用。


写真(右)1942年7月30日,フィンランド中西部、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、フィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上患者輸送機「ピッコ・ユノ」 ”Pikku-Junnu”(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)。負傷者を搬送している。
Lentokone tuo tarvikkeita(航空機用具) ja vie haavoittuneita(負傷者を搬送する).
Vänrikki H.Harrivirta, valokuvaaja
Lentokone tuo tarvikkeita ja vie haavoittuneita. Lentokone on Junkers K 43fa, ``Pikku-Junnu ? ?(リトル・ジェンヌ).
Aineistotyyppi:Valokuva (写真)
Kuvaustiedot: 1942-07-30.
写真は,Museot Finna引用。


第二次世界大戦中の1941年6月22日、ドイツはバルバロッサ作戦(Operation Barbarossa)を発動し、独ソ不可侵条約を反故にして、ソビエト連邦に攻め込んだ。それから3日後、1941年6月25日、フィンランドもソ連に侵攻した。これは、1939年の冬戦争でソ連に奪われた国土(カレリア)を奪回するための継続戦争(Continuation War)だったが、ソ連は、イギリス・アメリカの軍事支援を受けていた連合国側になっていた。

写真(右)1943年8月21日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、レニングラード北600キロ、キマソゼロ(Kiimasjärvi )(?)、フィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機に負傷者を運搬するフィンランド国防軍兵士:担架で負傷者を機内に運び入れるには、胴体の扉は狭いようだ。コックピット後上方7.92ミリ旋回機関銃の銃座がある。
Haavoittunut nostetaan varovasti koneeseen, jolla matka jatkuu kenttäsairaalaan. Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja Haavoittunut nostetaan varovasti koneeseen, jolla matka jatkuu kenttäsairaalaan. Lentokone on Junkers W 43 fa. Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1943-08-21
写真は,Museot Finna引用。


 フィンランドは、イギリス・アメリカの反共産主義勢力を過大評価し、ソ連に対する軍事支援が、実際に大規模に行われるとは予測していなかったのかもしれない。あるいは、イギリスを孤立に追い込んでいたドイツの戦力を過大評価し、あえてソ連に戦いを挑む好機が到来したと読み誤ったようだ。日本ですら、関東軍を増強して特別大演習を実施し、ソ連を威嚇したものの、対ソ連戦争は開始しなかった。これは、中国と日中戦争を戦い続け、さらに南方を攻略してアメリカに対抗するという目的があったからだが、フィンランドにとっては、ソ連だけが仮想敵国だった。


写真(右)1941-1943年頃,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、レニングラード北600キロ、キマソゼロ(Kiimasjärvi )(?)、負傷者を運搬していたフィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機
:コックピット後上方7.92ミリ旋回機関銃の銃座があり、そこから搭乗員が上半身を出している。
Haavoittuneita kuljetetaan karjalan korpimailta myös lentokoneilla Luutnantti M.Rossi, valokuvaaja
Haavoittuneita kuljetetaan karjalan korpimailta myös lentokoneilla. Paareilla lepäävää potilasta nostetaan kuljetuslentokoneeseen. Kuvassa oleva vesilentokone on Junkers W 43f.
写真は,Museot Finna引用。


戦時にあっても、万国共通の攻撃対象外の機体として、戦争法規では、無武装で白色塗装の上に大きな赤十字を描いた患者輸送機・救難機を認めていた。これは、機体を白色塗装とし、大きな赤十字マークうを描くこと、無武装であること、兵員・軍事物資を搭載しないこと、前もって、航路を敵に知らせることを条件として認められた。

しかし、敵の戦力を削減するには、このような患者・負傷者の輸送であっても阻止すべきである。また、患者・負傷者の輸送を偽って、軍事物資や要人・兵員輸送をしている違法行為かもしれない。1940年のバトルオブブリテンで必死の本土決戦を戦っているイギリス空軍も、ドイツ空軍の救難機を攻撃対象外とはしなかった。 ...コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。

写真(右)1943年8月21日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、レニングラード北600キロ、キマソゼロ(Kiimasjärvi )(?)、負傷者を運搬していたフィンランド空軍のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機:コックピット後上方7.92ミリ旋回機関銃の銃座があり、そこから搭乗員が上半身を出している。
Junkers-vesikone Tiiksjärven rannassa. Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
Aineistotyyppi ?Valokuva.
写真は,Museot Finna: Kuvan numero 135289引用。


1941年6月25日から1944年9月19日にかけて3年2カ月の間、フィンランドは、結果を知っているものの視点で見れば、無謀な対ソビエト連邦戦争を開始した。しかし、当時は、民主主義国イギリス・アメリカの軍事力を過小評価しており、第二次世界大戦に参戦したのではなく、冬戦争で失った国土を奪還するという目的で、イギリス(当時は中立国のアメリカ)と戦うのではないという言い訳が国際的に通用すると錯覚していた。結果から見れば、これはフィンランド外交の大失敗だった。


⇒写真集Album:ユンカース(junkers)G 24 三発輸送機を見る。

⇒写真集Album:ユンカース(junkers)G 31 三発輸送機を見る。

⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を詳しく見る。


ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
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