Search the TORIKAI LAB Network

Googleサイト内

◆ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
写真(上)1926年,完成直後のユンカース(Junkers)W33輸送機(登録コード:D-291)
:操縦席は、開放式で、液冷エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。
Title: Junkers W 33, Landflugzeug
Dating: ca. 1926 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33
Record Name: Ans_05338-02-309-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-309-AL-FL 引用。

写真(上)1926年,ジーメンス(Siemens)Sh 20(540馬力)と思われる空冷星形エンジンを搭載したユンカース(Junkers)W33(W34)輸送機
:操縦席は、開放式で、空冷星形エンジンを機首に1基搭載、出を企図した輸送機。ユンカース(Junkers)L5液冷エンジン(340馬力)を装備したW33輸送機の外国への輸出向けに、外国で普及していた空冷星形エンジンに変換したW34輸送機が開発された。製造された様だ。この空冷エンジン装備のユンカースW33輸送機が、ユンカースW34輸送機となった。
Title: Junkers W 33, Landflugzeug Dating: ca. 1926
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Impressum: Physical Description: Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Horizontal Special Size: ohne Angabe Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33 Record Name: Ans_05338-02-313-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-313-AL-FL 引用。

◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。

アメリア・イアハート(Amelia Earhart)五部作
(1)アメリカ女性飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)
(2)1928:フォッカー(Fokker)F.VII三発水上機による女性初の大西洋横断飛行
(3)1931:ピトケアン(Pitcairn)PCA-2による女性初のオートジャイロ飛行と高度記録達成
(4)1932:ロッキード・ベガ(Lockheed Vega 5)による女性初の大西洋横断単独飛行
(5)1937:ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Electra)による世界一周飛行


⇒写真集Album:ライト・ベランカ (Wright-Bellanca WB-2)「コロンビア」の大西洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの大西洋横断飛行見る。
⇒写真集Album:ベランカCH-400「スカイロケット」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A-50「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W33「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。
⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇

1.ユンカース(Junkers)F.13輸送機

写真(右)1929年以前,スロベニア、ユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機と見物人たち:スロベニアで発行された絵葉書(Postcards Of Cerknica)。発動機には、ユンカース L5 水冷直列6気筒水冷エンジンあるいはBMW III 水冷直列6気筒エンジンを搭載している。
Slovenščina: Razglednica Cerknice. Date 1929 Source stareslike. cerknica.org Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:1929 postcards of Slovenia ・File:Razglednica Cerknice 1929.jpg引用。


Junkers D.1 第一次世界大戦中の1915年、ドイツ帝国のヒューゴ・ユンカースは、主翼の新構造を打ち出した。それは、主翼を支柱や張金を張って主翼を支えるのではなく、それらを取り去り、空気抵抗を減少させた片持式主翼である。また、胴体の堅牢性を高めるために、内部骨格を減少させ重量軽減図る波型の金属外板を開発した。この片持式の低翼・単葉、波板の構造を活用し、戦後ユンカースが開発したのが、ユンカースF.13単発輸送機だった。

写真(右)1920年代,ルーマニア、ウユンカース社が輸出したと思われるユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機「ラレース」LARESと見物人たち:機体の固有名称「ラレース」LARESは、古代ローマの守護神で、ローマ帝国の末裔を継承したルーマニアにふさわしい命名である。発動機には、ユンカース L5 水冷直列6気筒水冷エンジンあるいはBMW III 水冷直列6気筒エンジンを搭載している。
Description Română: LARES Date 18 November 2014 Source Own work Author Fygo1973
写真はWikimedia Commons, Category:1929 postcards of Slovenia ・File:Junkers F.13 -.jpg引用。


ユンカースJunkers F.13 旅客輸送機
乗員:2名、乗客数:4名。
全長:9.59 m、全幅:14.8 m、全高:3.50 m
翼面積:34.50平方メートル
空虚重量:951 kg、ペイロード:320 kg、最大離陸重量:1,640 kg
出力荷重:14.05 kg/kW
エンジン:BMW IIIa、118 kW (160馬力)
最高速度:173 km/h (107 mph)、巡航速度:160 km/h (100 mph)
航続距離:1,400 km (870 miles)
巡航高度:5,000 m。

ユンカースF.13旅客輸送機の1919年から1929年までの生産機数は、ドイツ93機、ソ連49機、アメリカ26機、コロンビア17機、ポーランド16機、イタリア12機、日本・ボリビア各8機、フランス・フィンランド・オーストリア各7機、イギリス・ハンガリー・ペルシャ各6機、スウェーデン・スイス各5機、中国・トルコ各4機、ベルギー・スペイン・ラトビア・アルゼンチン各3機、ルーマニア・ブルガリア・オーストラリア・チリ各1機などと世界で300機以上生産・組み立てられている。

ユンカースF.13旅客輸送機の年間生産機数は、1919年2機、1920年26機、1921年26機、1922年21機、1923年47機、1924年39機、1925年68機、1926年13機、1927年25機、1928年29機、1929年18機と、11年間に合計314機が量産された。

写真(右)1924年から1938年まで、スウェーデン、ストックホルム、イギリスのロンドンとの間を夜間航空便輸送したAB航空輸送(AB Aerotransport )のユンカース(Junkers) F.13輸送機「ダルスラント」(Dalsland)(登録コード S-AAAC)
Description Cargo. ABA - AB Aerotransport begin to fly June 18th 1928, night air mail flights between Stockholm - London. Junkers F13 Dalsland S-AAAC, Today in Stockholm Tekniska Museet. Date 1920s /1930s Source images.flysas.com Author SAS Scandinavian Airlines
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13 ・File:Junker W 33 (1).jpg引用。


AB航空輸送は、1924年3月設立のスウェーデンの国営航空で、ユンカース F.13 10機(1924−1938)、ユンカース G.24輸送機 5機(1925ー1932)、ユンカースW 33輸送機2機(1929-1931)、ユンカースs Ju 52輸送機8機(1932−1948)、ダグラスDC-3輸送機10機(1937-1948)、ユンカースW 34輸送機2機(1935-1940)、ユンカースJu86輸送機1機(1938-1940)などを有する大航空会社である。

写真(右)1920年代,フィンランド南部、ヘルシンキ、ユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機の正面:降着装置は車輪式ではなく、スキー式に変更されている。発動機は、ユンカース L5 水冷直列6気筒水冷エンジンあるいはBMW III 水冷直列6気筒エンジンを搭載している。しかし、フィンランドでは、BMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載したF.13も使用している。
Photographer Foto Roos Title Suomi: Vesitaso Junkers suksilla Merisataman jäällä, takana vas Depicted place Helsinki, Date 1920 -luku Dimensions 9x12 18x24 Collection Helsinki City Museum Accession number N35036
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13 ・File:Razglednica Cerknice 1929.jpg引用。


1919年 6月25日に初飛行したユンカース(Junkers)F.13 輸送機は、各種のエンジンを変換装備できた。当初は、メルセデス D.IIIa 液冷直列エンジン170馬力1基を装備していたが、その後の量産機は、BMW IIIa液冷直列エンジン185馬力1基を装備している。

しかし、各国の実情や発注者の要望に合わせて、液冷直列エンジンとしては、BMW、ユンカースを中心に、メルセデスも装備した機体もある。

写真(右)1924−1927年,フィンランド南部、ヘルシンキ、雪原の中のユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機2機(登録コード:K-SALB と B - LATA):降着装置は車輪式ではなく、スキー式に変更されている。
Photographer Foto Roos Blue pencil.svg wikidata:Q104576203 Title Suomi: Junkers -vesitasoja jäällä, K - SALB ja B - LATA Depicted place Helsinki, Date between 1924 and 1927 Dimensions 9x12 18x24 Collection Helsinki City Museum Accession number N35031 Source Finna: hkm.HKMS000005:km003lez
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13 ・File:Junkers -vesitasoja jäällä, K - SALB ja B - LATA - N35031 - hkm.HKMS000005-km003lez.jpg引用。


F.13輸送機は、少数だが、空冷星型エンジンとして、イギリスのアームストロング・シドレー ピューマ、フランスのノーム・エ・ローヌ ジュピター、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー ホーネットを装備した機体もある。


写真(上)1925年,バルト海沿岸、エストニア、タリン近郊、ラスナマエ飛行場(Lasnamäe Airfield)、飛行機格納庫前に並んだユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機3機とサブラトニヒ(Sablatnig)P III肩翼機2機

English: Aeronaut hangar with Junkers F.13 and Sablatnig P III aircraft at Lasnamäe Airfield in Tallinn, Estonia. Date circa 1925 Source http://www.ronaldv.nl/abandoned/airfields/EN/harju.html Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13 ・File:Razglednica Cerknice 1929.jpg引用。

ドイツのサブラトニヒSablatnig P IIIは、1919年初飛行、乗員 2名、乗客 6名、全長 8.94 m、全幅 16 m 、主翼面積 45.1 m2 空虚重量 1,400 kg 、総重量 3,080 kg、発動機マイバッハ(Maybach) Mb.IVa 液冷6気筒エンジン 190 kW (260 hp)、最高速力 170 km/h、航続距離 900 km。1930年頃まで使用され、生産機数30−40機。

写真(右)1923−1924年、イラン、テヘラン、ユンカース社が売り込みのために派遣したユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機と騎乗のイラン軍アフマッド・カーン大佐:北洋軍閥は、山西省を中心に割拠した半独立政府的な軍事集団、軍閥で、閻錫山、傅作義など有力な将軍を輩出している。軍閥は独自の指定的軍隊を保有していたので、飛行機も購入していた。発動機は、ユンカース L5 水冷直列6気筒水冷エンジンあるいはBMW III 水冷直列6気筒エンジンを搭載している。
Description the Exhibition of 2 F13 sent to Tehran(Ghale Morghi Air Field), Iran. these Junkers bought at 1921 from Germany. standing man was Colonel Ahmad Khan Nakhjavan (Breguet -19). Date between 1923 and 1924 Source different version but with content of this image: http://asemanfars.ir/Main/IranianAviationHistory.aspxr
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13 ・File:Junkers F13 in Tehran.jpg引用。


F.13a:BMW IIIa (185 hp)液冷エンジン
F.13ba, ca, da, fa:ユンカース(Junkers)L2 (200 hp)液冷エンジン
F.13be, ce, de, fe: ユンカース(Junkers)L5 (310 hp)液冷エンジン
F.13dle, fle, ge, he:ユンカース(Junkers)L5 (310 hp)液冷エンジン
F.13bi, ci, di, fi: BMW IV (250 hp) 液冷エンジン
F.13co, fo:BMW Va (310 hp)液冷エンジン

写真(右)1920年代,中華民国北部、山西省、ユンカース社が売り込みのために派遣したと思われるユンカース(Junkers) F.13旅客輸送機と軍閥の兵士たち:北洋軍閥は、山西省を中心に割拠した半独立政府的な軍事集団、軍閥で、閻錫山、傅作義など有力な将軍を輩出している。軍閥は独自の私兵的軍隊を保有していたので、飛行機も購入したかもしれない。発動機は、ユンカース L5 水冷直列6気筒水冷エンジンあるいはBMW III 水冷直列6気筒エンジンを搭載している。
Description 日本語: 山西派軍閥のF13 Date circa 1920 Source 군벌전쟁[군벌의 시대 북양군벌 시절의 중국 공군과 항공기] Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers F 13 ・File:F13 at Shanxi clicle.jpg引用。


ユンカースF.13旅客輸送機の年間生産機数は、1919年2機、1920年26機、1921年26機、1922年21機、1923年47機、1924年39機、1925年68機、1926年13機、1927年25機、1928年29機、1929年18機と、11年間に合計314機が量産された。

1921年、ユンカース社は自ら開発したユンカース(Junkers)F.13 輸送機を就航させるユンカース航空を設立したが、1926年にドイツ・アエロ・ロイド社と合併して、ドイツ・ルフトハンザ航空となった。

写真(右)1929年5月,ドイツ、ユンカース飛行機製造工場'Junkers Flugzeugwerke AG' あるいは格納庫で整備中のユンカース(Junkers)G. 24W三発水上輸送機の胴体内部:輸出国における組み立て・整備中なのかもしれないが、隣にはG24三発陸上輸送機とおもわれる機体胴体が写っている。
Photographer: Photographisches Institut der ETH Zürich Title: Junkers G 24 W Caption: Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs Dating: 5/1929 Physical Description: Reproduction photography : glass-plate negative 9 x 12 cm Categories: Junkers G 24, Photographisches Institut der ETH Zürich, ETH, Photographical Institute, Product photography, Propeller-driven aircraft
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name: PI_29-B-0181 引用。


ドイツは、第一次大戦に敗北し、ベルサイユ条約の下で、連合国航空管理委員会(Inter-Allied Aeronautical Commission of Control)によって飛行機開発を制約されていたために、ユンカース飛行機生産工場は、大型のユンカース(Junkers)G 24旅客機を単発機として設計したのである。しかし、実用性向上と販売促進のために、単発機ではなく、三発機として製造された。こうして、低出力エンジン3基を搭載したユンカース(Junkers)G 24は飛行可能な旅客機ではあったが、実用性が低かった。

⇒写真集Album:ユンカース(junkers)K.43患者輸送機を見る。


2.ユンカース(Junkers)W33輸送機

写真(右)1926年、ドイツ、湖沼に着水寸前のユンカース(Junkers)W.33水上輸送機:水上機は、二つのフロートで空気抵抗が大きく、飛行安定性も悪くなる。このW.33水上輸送機には登録コードは記入されていないが、次の2枚の写真と同じ場所で、同じ機体(D-927)と思われる。
Title: Junkers W 33 auf Schwimmern Dating:ca. 1926 Is Part Of: Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Categories: View Collection, Unknown, Reportage photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33, Hydroplanes Record Name: Ans_05338-02-307-AL-FL
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-307-AL-FL引用。


ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。


写真(上)1926年、ドイツ、湖沼に待機中のユンカース(Junkers)W.33水上輸送機(D-927)
:水上機は、二つのフロートで空気抵抗が大きく、飛行安定性も悪くなる。他方、尾輪の必要がなく、機体が水面上で水平になる。そのために、垂直尾翼が下方に延長され、左右の安定性を保つようになっている。
Title: Junkers W 33 auf Schwimmern Dating: ca. 1926 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe Categories: View Collection, Unknown, Reportage photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33, Hydroplanes Record Name: Ans_05338-02-308-AL-FL
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-308-AL-FL引用。


写真(右)1926年、ドイツ、ユンカース(Junkers)W.33水上輸送機(登録コード:D 921):水上機は、二つのフロートで空気抵抗が大きく、飛行安定性も悪くなる。他方、尾輪の必要がなく、機体が水面上で水平になる。そのために、垂直尾翼が下方に延長され、左右の安定性を保つようになっている。
Title: Junkers W 33 auf Schwimmern Dating: ca. 1926 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Categories: View Collection, Unknown, Reportage photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33, Hydroplanes Record Name: Ans_05338-02-306-AL-FL
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-306-AL-FL 引用。


ユンカースのベストセラーになったF13単発輸送機をベースに、大型化したのがユンカース(Junkers)W.33輸送機であり、原型はユンカースL5液冷エンジン1基を装備し1926年6月17日に初飛行している。しかし、輸出向けには、普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプが開発されている。


写真(上)1929年12月20日,スイス(?)、飛行機未舗装滑走路に待機するユンカース(Junkers)W 33単発輸送機
:胴体は波板状のコルゲート構造で、機体表面の強度を向上させている。F13輸送機をベースに、大型化したのがW33輸送機であり、これらの機体は量産性を考慮して共通部品が多かったようだ。
Photographer: Photographisches Institut der ETH Zürich Title: Junkers W 33 Original title: Junkers W 33 Caption: Orderer: Leopold Karner, ETH professor for structural analysis, building and bridge construction in wood and iron. Reproduction of a paper print Dating: 20.12.1929
写真は, ETH-Bibliothek Zürich https://ba.e-pics.ethz.ch/catalog/ETHBIB.Bildarchiv/r/33803/viewmode=infoview/qsr=PI_29-B-0275引用。


写真(右)1927年8月,ザクセン・アンハルト州デッサウ、ユンカース(Junkers)W 33 輸送機: ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-00395
Archive title: Dessau.- Arbeiten an einem Junkers Ozeanflugzeug Dating: August 1927 Anfang
Photographer: Pahl, Georg Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 102-00395引用


ユンカース(Junkers)W.33製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。

写真(右)1926年,完成直後のユンカース(Junkers)W33輸送機(登録コード:D-291):操縦席は、開放式で、液冷エンジンを機首に1基搭載した小型輸送機。エンジンの排気管を1本の集合排気管にまとめて、コックピットの後ろで機外に排出しているが、これは排気煙によって操縦士の視界が妨げられないようにするためである。
Photographer: Unbekannt Title: Junkers W 33, Landflugzeug
Dating: ca. 1926
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe
Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33
Record Name: Ans_05338-02-309-AL-FL .
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-309-AL-FL引用。


写真(右)1925-1935年頃、フィンランド航空(Finnair Oyj)のユンカース(Junkers)W.33輸送機の試験飛行:飛行試験中のユンカースW.33輸送機が、煙を引いているが、これを利用して、飛行性能を確認する様だ。
Junkers W.33:n koelentoja Junkers W.33:n koelentoja, kone laskee pilviverhon.
Aineistotyyppi ?Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Inventaarionro SIM VK 533:150 Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1925-1935
写真は,Museot Finna: "M016-19800"引用。


ユンカース(Junkers)W 33 (Junkers)W 33輸送機の諸元
発動機(Triebwerk): Junkers L 5
出力(Leistung:kW): 228 kW
初飛行(Baujahr): 1926年
全幅(Spannweite): 17,75 m
全長(Länge): 10,50 m
全高(Höhe): 2,90 m
翌面積(Flügelfläche): 43,00 qm(平方メートル)
総重量(Startmasse): 2100 kg
最高速力(Höchstgeschwindigkeit): 197 km/h
搭乗員(Besatzung): 2名

ユンカースが飛行機製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。

写真(右)1929年5月,スイス(?)、飛行機格納庫内でのユンカース(Junkers)W 33単発輸送機のコックピット正操縦席と操縦輪・計器盤:コックピットの左が正操縦士、右が副操縦士の席である。足元には、方向舵を操作するフットペダルがある。胴体は波板状のコルゲート構造で、機体表面の強度を向上させている。
Photographer: Photographisches Institut der ETH Zürich Title: Cockpit of a Junkers W 33 Original title: Cockpit einer Junkers W 33 Caption: Orderer: Leopold Karner, ETH professor for structural analysis, building and bridge construction in wood and iron. Reproduction of a paper print Dating: 5/1929
写真は, ETH-Bibliothek Zürich PI_29-B-0167 引用。



写真(上)1926年,ジーメンス(Siemens)Sh 20(540馬力)と思われる空冷星形エンジンを装備したユンカース(Junkers)W33(W34)輸送機
:ユンカースW33搭載した発動機はユンカース(Junkers)L5液冷エンジン(340馬力)だったが、これは空冷エンジンを装備している。本当にW33であれば、試作的に製造されたSジーメンス(iemens)Sh 20空冷星形エンジン(540馬力)を装備した機体であろう。
Title: Junkers W 33, Landflugzeug Dating: ca. 1926
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe
Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories: View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Junkers, Propeller-driven aircraft
Record Name: Ans_05338-02-167-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-167-AL-FL 引用。



写真(上)1926年,空冷エンジンを装備した登録コードも描かれていないユンカース(Junkers)W33(W34)輸送機
:ユンカース(Junkers)L5液冷エンジン(340馬力)を装備したW33輸送機の外国への販売を目的にして、外国で普及していた空冷星形エンジンに変換した機体が開発された。この機体は、世界市場をにらんでジーメンス(Siemens)Sh 20空冷星形エンジン(540馬力)を搭載し製造された様だ。この空冷エンジン装備のユンカースW33輸送機が、ユンカースW34輸送機となった。
Title: Junkers W 33, Landflugzeug Dating: ca. 1926
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Other size Special Size: ohne Angabe
Categories: View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories: View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Junkers, Propeller-driven aircraft
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name: Ans_05338-02-310-AL-FL 引用。


ドイツのユンカースW33輸送機は、発動機としてユンカース(Junkers)L5液冷エンジン(340馬力)を装備した。しかし、輸出促進を考慮すれば、他国で普及している空冷エンジンを装備した機体のほうが、販売機数が多くなり、商業的にも好ましい。そこで、ユンカースW33輸送機の装備していたユンカースL%液冷エンジンに代えて、ジーメンス(Siemens)Sh 20空冷星形エンジン(540馬力)を装備した機体が製造された様だ。この空冷エンジン装備のユンカースW33輸送機は、ユンカースW34輸送機との名称を与えられる。

アメリカのチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh:1928‐1974)は、1927年5月20日、スピリットオブセントルイス(ライアンNYP)を操縦し、アメリカのニューヨークを離陸し、5月21日、フランスのパリに着陸し、大都市間の大西洋単独無着陸飛行に成功した。彼が、大西洋を西から東に飛行したのは、地球の自転、偏西風の影響で、飛行にはプラスに作用するからである。他方、東から西ヘの大西洋横断は、遥かに困難が多かった。これに挑んだのが、ドイツのユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」Bremenで、1928年4が十18日に、アイルランドからカナダまで無着陸飛行に成功した。

1929年、ドイツ、ドレスデン、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167):ユンカースW 33輸送機は、単発エンジンの輸送機だが、空力的かつ構造的に洗練されており、低翼式、全金属製の単葉機として完成した。生産機数は約200機。最初の大西洋直行東西横断飛行に成功した。1928年4月13日に、ドイツのユンカースW.33輸送機「ブレーメン」”Bremen”が向かい風の中を西から東に大西洋を横断して信頼性を高め、それが世界の航空会社がW.33輸送機を採用する理由にもなったであろう。
Description: Technikgeschichte | Grundlagen der Technik, Wissenschaft und Kultur | Technische Denkmale | Verkehrswesen | Verkehrsmittel | Junkers-Verkehrsflugzeug W33 Bremen Gesammelt (von wem): SLUB/Deutsche Fotothek Language: Deutsch Location: Sächsische Landesbibliothek - Staats- und Universitätsbibliothek Dresden
写真はSLUB / Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0006672引用。


ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」Bremen(登録コード:D 1167)は、ノンストップでヨーロッパ大陸からアメリカ大陸に東から西への大西洋横断飛行(Transatlantic flight)を成功させた初めての飛行機である。この時のユンカース(Junkers)W.33搭乗員は、ドイツ人ヘルマン・コール(Hermann Koehl)、エレンフリート・キュンター・フォン・ヒューネフェルト(Ehrenfried Guenther von Huenefeld)、アイルランド人ジェイムス・フィッツモーリス(James Fitzmaurice)で1928年4月12日にアイルランド、ダブリン郊外のバルドネル(Baldonnel)飛行場を飛び立ち、36時間半かけて大西洋を横断し、翌日、カナダ、ニューファウンドランド島沖のグリンリー(Greenly)島に着陸した。

前年1927年5月20日に大西洋を西から東に、ニューヨーク〜パリ単独無着陸飛行をアメリカ人にチャールズ・オーガスタス・リンドバーグCharles Lindbergh:1902年2月4日 - 1974年8月26日)がライアンNYP-1「スピリット・オブ・セントルイス」で成功させているが、1928年4月12日、ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの行った東から西への大西洋横断は偏西風の影響で遥かに困難である。

写真(右)1927年、ドイツ、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167)操縦席の操縦桿:操縦桿の前には、水平儀・羅針儀(コンパス)・メーターが並んだ計器盤が見える。
1928年、大西洋を横断した。
ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。
Title: Führerraum-Instrumentierung. Junkers W 33 "Bremen", 1927 Dating: 1927
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour: black and white Orientation: Horizontal Format: Categories: View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33 Record Name: Ans_05338-02-169-AL-FL
写真はNational Archives of The Netherlands:ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-169-AL-FL引用。


写真(右)1927年、ドイツ、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」”Bremen”(登録コード:D-1167)の操縦席正面の計器盤:水平儀・羅針儀(コンパス)・エンジンと燃料関係のメーターが並んでいる。
Title: Führerraum-Instrumentierung. Junkers W 33 "Bremen", 1927 Dating: 1927 Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard Colour: black and white Orientation: Horizontal Categories: View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers W 33 Record Name: Ans_05338-02-168-AL-FL W 33 "Bremen" (einmotoriger Tiefdecker) nach dem Transatlantikflug mit ... am 12./13. April 1928, 1929
写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Ans_05338-02-168-AL-FL 引用。


ユンカースが飛行機製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。

ユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」”Bremen”は、アイルランドのバルドネルを出発し、大西洋を西に向かって飛行し、カナダのグリー二ー島(51.38度、N 57.19度)まで、飛行することに成功した。これは、世界初の、大西洋の東から西への横断飛行である。現在、復元されたユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」が、ドイツのブレーメン空港に展示されている。

⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W33ブレーメン(Bremen)大西洋横断飛行を見る。

写真(右)アメリカ、ミシガン州、フォード博物館、大西洋を横断したユンカース(Junkers)W.33輸送機「ブレーメン」 ”Bremen”(登録コード:D-1167)復元機:写真解説はないが、第二次大戦後にアメリカがドイツで鹵獲し、主翼を切り離してアメリカ本土に輸送したW33「ブレーメン」なのであろうか。大西洋横断は1928年だが、その後、機体をアメリカに譲渡・売却したために、フォード博物館に持ち込まれたのであろうか。しかし、カラー写真なので、撮影時期はカラー撮影が普及しだした1940年以降と思われる。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Junkers W 33 Breman Ford Museum, Michigan :38237501 - Catalog:Array - Title:Array - Filename: 15_002358.TIF
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Array - Filename:15_002358.TIF "引用。


写真(右)1927-1935年、フィンランド航空(Finnair Oyj)のユンカース(Junkers)W.33輸送機(D-291)
Junkers W 33 Junkers W 33 oli Junkersin valmistama yksimoottorinen kuljetuslentokone, tuotannossa vv. 1927-1934.
Aineistotyyppi ?Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo
Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Inventaarionro SIM VK 533:147 Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1925-1935 IFA.
写真は,Museot Finna: "M016-19797"引用。


ユンカースJunkers W 33輸送機の諸元
初飛行:1926年
搭乗員: 2人
発動機:ユンカース(Junkers) L5エンジン228 kW(310馬力)1基
全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m
全高: 2,90 m
主翼面積 43平方メートル
最高速度: 197 km/h
重量:2100 kg

写真(右)1928-1929年頃、ユンカースL5液冷エンジンをブリストル・ジュピター空冷星形9気筒エンジンに変換したしたユンカースW33(W34ho)輸送機(登録コード:D 922):初期型なので開放式のコックピットで、胴体後方は貨物・郵便室で客室ではないために窓がない。F13輸送機をベースに、大型化したのがW33輸送機であり、原型はユンカースL5液冷エンジン1基を装備していたが、輸出向けには、普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプが開発されている。
Kapten Ahrenbergs atlantflygplan. Ett "Junkers-W33" med flottörer och Bristol Jupitermotor, som användes under provflygningarna, till Junkers L5 blev färdig.Avbildad - namn: Junkers Motorenbau GmbH
Fotograf: Okänd Accession Säljare till museet: Martin, Harald, samling
Publisher: Tekniska museet Identifier: TEKA0013235 Institution: Tekniska museet Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden First published in Europeana: 2019-04-26
写真はTekniska museet ・Identifier:TEKA0013235 およびSwedish Open Cultural Heritage | K-samsök ・Dataset: 916118_Ag_SE_Tekniskamuseet 引用。


1927年にチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)が飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功すると、メイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行をした最初の女性を目指したが実現せず、1928年6月17日アメリア・イアハートは女性初の大西洋横断飛行を成し遂げた。しかし、1928年中に、メイベル・ボル(Mabel Boll)は、チャールズ・レヴァインの購入したユンカース(Junkers)W.33「クィーンオブエア」に同乗して、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てた。しかし、計画は実現せず、終わった。ただし、この機体は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発し、途中で不時着水している。

写真(右)1928年、大西洋を横断したユンカース(Junkers)W.33輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”:1927年にチャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功すると、メイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行をした最初の女性を目指したが、1928年6月17日アメリア・イアハートは女性初の大西洋横断飛行を成し遂げた。しかし、1928年中に、メイベル・ボルは、チャールズ・レヴァインの購入したユンカースW33「クィーンオブエア」に同乗して、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てた。しかし、計画は実現せず、終わった。ただし、この機体は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発し、途中で不時着水している。
Junkers, W.33 Catalog #: 01_00081555 Title: Junkers, W.33 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: W.33 Tags: Junkers, W.33
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): Catalog #: 01_00081555引用。


W34 女性による大西洋無着陸飛行の計画は、ブレーメンの大西洋横断の時期にあった。アメリカ婦人メイベル・ボルMabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行を成功させようとした。1928年中に、メイベル・ボルは、チャールズ・レヴァインの購入したユンカース(Junkers)W.33単発輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”を使って、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てたのである。しかし、大西洋横断の計画は実現できなかった。実際に女性初の大西洋無着陸横断飛行は、1928年6月17日、アメリカ婦人アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)の搭乗した三発輸送機フォッカー (Fokker)F.VII「フレンドシップ」によるものである。その後、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発しているが、途中で不時着水している。

写真(右)1928年頃、ユンカース(Junkers)W.33輸送機(R-RDAH):登録コード:RR-DAHの ユンカースW.33輸送機は、製造番号c/n 658、一時期D-270、さらにR-RDAHとなり、 1928年8月、ソビエト連邦のドブロリョート(Dobrolet)航空に売却され、「フラシディウム」 'Prasidium WSNCh' となった。
Junkers, W.33 Catalog #: 01_00081556 Title: Junkers, W.33 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany ---Repository: San Diego Air and Space Museum
RR-DAH Junkers F13 658 D-270 R-RDAH Dobrolet 'Prasidium WSNCh' 00.08.23
写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum): "Catalog #: 01_00081556"引用。


ユンカースJunkers W 33輸送機の諸元
初飛行:1926年
搭乗員: 2人
発動機:ユンカース(Junkers) L5エンジン228 kW(310馬力)1基
全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m
全高: 2,90 m
主翼面積 43平方メートル
最高速度: 197 km/h
重量:2100 kg
生産機数:199機


写真(上)1929年、スウェーデン、ベルゲン、アーレンバーグ・ドックに着いたユンカースL5液冷エンジン装備のユンカースW33輸送機(登録コード:SE−ADY)
:大西洋横断飛行に臨む直前、コックピットで待ち受けるスタッフと、主翼付け根からコックピットに乗り込む搭乗員。開放式ではなく密閉式のガラス風防コックピットで、胴体後方は貨物室には扉がついている。
Ahrenberg (på bryggan) anländer till Bergen vid sitt Atlantflygningsförsök 1929.
Fotograf: Okänd Accession 1944 Säljare till museet: Martin, Harald, samling
Avbildad - namn: Ahrenberg, Albin Avbildad, ort: Norge Bergen Publisher: Tekniska museet Identifier: TEKA0121936 Institution: Tekniska Museet Date published:March 19, 2016 DIMU-CODE:021016341295 UUID:1E16B868-85B1-452F-BA3F-0DD2A17BEC7B
写真はTekniska museet ・Identifier: TEKA0121936およびSwedish Open Cultural Heritage | K-samsök Identifier: TEKA0121936 引用。


写真(右)1931年,ドイツ、ベルリン郊外、ルフトハンザ航空の飛行機整備工場で分解整備中のユンカース(Junkers)W33輸送機機:機首は、光の反射で操縦車の視界が妨げられないように黒色に塗られている。機首側面には、ルフトハンザの社名が記入されている。主翼断面の補強支柱が良くわかる。主翼の留め金具のねじを入れるねじ穴が開いているが、強度を維持するには、耐久性・粘性のある金属を鋳造する技術が必要である。初期型なのか、コックピットは開放式であり、ガラス風防は正面に揉みついていて、天蓋はついていない。胴体後方は6名の乗客用座席があり、外を眺めるための窓がある。Eschen, Fritz: Flugzeug-Sanatorium der Lufthansa, 1931
Beschreibung: Ehemalige Zeppelinwerft bei Staaken. Ein Junkers W 33, Baujahr 1931 wird überholt
Location: Standort: Staaken, Flugzeughalle Google-Maps-Lokalisierung: Stadt: Berlin, Stadtteil: Staaken, Provinz: Berlin, Land: Deutschland
Literature: Janos Frecot. Kamera Geschichten Fritz Eschen 1930-1950.
Ernst Wasmuth Verlag Tübingen, 2001, Abb. S. 43 Hinweis: Die Serie umfasst 12 Aufnahmen.
写真は,Deutsche Fotothek・Foto: Eschen, Fritz, 1931 Aufn.-Nr.: df_e_0006581引用。



3.ユンカース(Junkers)W33輸送機「報知日米号」第3回太平洋横断飛行挑戦

写真(右)2011年、青森県三沢基地で展示中の初の太平洋横断機のベランカ(Bellanca)CH-400 スカイロケットSkyrocket「ミス・ビードル」Miss Veedol (replica):1931年10月4日早朝、青森県三沢村の淋代海岸に杉板を敷きつめてつくられた特設飛行場から離陸したミス・ビードルは、北太平洋を横断して、アメリカ、ウェナッチ市まで7982kmを41時間13分で飛行することに成功した。
Toshi Aoki - JP Spotters Location Misawa (MSJ / RJSM), Japan Aircraft type Bellanca CH-400 Skyrocket (replica) Operator Pangborn World Flight Company / Tydol Registration NR796W Type Photograph Description English: 80th anniversary first to fly non-stop across the Pacific Ocean. Miss Veedol Japan tour 2011. "Misawa Air Fest 2011" Date 4 September 2011
写真はeuropiana collections,Airliners Bellanca CH-400 Skyrocket (replica) - Pangborn World Flight Company / あるいはWikimedia Commons, Category:Miss Veedol File:Bellanca CH-400 Skyrocket (replica), Pangborn World Flight Company - Tydol AN1983554.jpg引用。


初の太平洋横断無着陸飛行に成功したベランカ(Bellanca)J-300「ミス・ビードル」Miss Veedolは、全幅14.8m、全長8.5m、発動機はにブラッド&ホイットニ「ワスプ」425馬力エンジン1基装備で、機内食として、サンドイッチ、鶏の揚げ物、りんご「紅玉」20個を搭載したという。1931年10月4日、青森県三沢市淋代海岸を発進したベランカ(Bellanca)「ミス・ビードル」Miss Veedolは、北アメリカ大陸アメリカ、ワシントン州ウェナッチ市まで、7982kmを41時間13分かけて飛行し、初の太平洋無着陸横断を成功させている。

写真(右)1932年、日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB):1932年(昭和7年)9月24日、青森県三沢市の淋代海岸を飛び立って、太平洋を無着陸横断飛行をしてアメリカ大陸北岸の到着を目指した。搭乗者は、海軍兵学校出身の本間清中佐を機長に、馬場英一郎操縦士,井下知義通信士の3名である。機首は、光の反射を避けるために、黒色で塗装されている。機体後方には客室の窓があるが、長距離飛行用の燃料タンクや食糧・飲料水も搭載されたはずである。
写真は,Уголок неба - Большая авиационная энциклопедия Index of /image/idop/cw1/w33引用。


1932年(昭和7年)9月24日、本間清海軍中佐を機長に馬場英一操縦士、井上智義機関士の3名の搭乗する日本のユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)は、羽田を出発し青森県三沢市の淋代海岸に着陸し燃料を補給した。青森県三沢市の淋代海岸は、前年1931年に周辺住民が杉板を敷いて飛行場を建設し、10月4日、アメリカ人クライド・パングボーン(Clyde Edward Pangborn)、ヒュー・ハーンドンの2人が搭乗したベランカ(Bellanca)J-300「ミス・ビードル」Miss Veedolが太平洋横断飛行に飛び立った海岸である。

1932年(昭和7年)9月24日、午前5時37分、機長本間清海軍中佐、馬場英一操縦士、井上智義機関士の3名が搭乗するユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)は、青森県三沢市淋代海岸を離陸して、アメリカの本土を目指して、太平洋横断無着陸飛行に発進した。

ユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)の発動機は、ユンカースL5液冷エンジン(310馬力)で、燃料満タンで全重量4.5トンで、離陸速度160kmだった。午前11時過ぎ「エトロフ島南方を通過」の無線が入ったあと、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「第三報知日米号」は消息を絶った。それから捜索が行われたが機体は見つからないままだった。帝国飛行協会は、1932年12月、「横断飛行断念」の声明を出した。

1928年9月18日にドイツのデッサウ飛行場を離陸したユンカースW33「オイローパ」"Europa"(D-1197 :c/n 2505.)は,1928年10月18日、日本の立川飛行場を目指していたが、天候不順で多摩川の河原に不時着、破損した。このユンカースW33「オイローパ」は、ドイツ人搭乗員ヒューネフェルト男爵など3名が搭乗し,ベルリンから、12日間、90時間の飛行時間で東京まで1万4250kmを飛翔した。途中、燃料補給のために、10回着陸している。河原に不時着破損したユンカースW33「オイローパ」"Europa"(D-1197 :c/n 2505.)は三菱飛行機で修理されたうえで,1929年に、帝国飛行協会に譲渡された。帝国飛行協会でもオイローパ(EUROPA)の機名を引き継いでいる。1929年2月、帝国飛行協会は、日本学生航空連盟にユンカースW33「オイローパ」EUROPA(登録記号:J-BAWG)を貸与した。しかし、搭載していたユンカースL5水冷エンジンは、日本では部品で整備困難となり、実際にはほとんど使用さずに終わったという。

1932年9月24日、「ミス・ビードル」に遅れること1年後、日本人として太平洋横断飛行を成功させようと報知新聞社が導入したユンカースW33「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)が発進した。しかし、北太平洋の悪天候に阻まれ3飛行士とともに遭難した。その遺徳をたたえて1962年(昭和37年)、本間機長と海軍兵学校同期の桑原虎雄氏らによって、青森県三沢市招和台公園に「報知日米号搭乗員慰霊之碑」が建立された。

1927年、アメリカ人リンドバーグは、ニューヨークからパリまで、5800kmの大西洋無着陸横断飛行に成功した。その4年後、1931年年、アメリカ人2人の搭乗する機体が、青森県三沢市の淋代海岸を離陸し、空気抵抗減少のために車輪を投下し、41時間後に、8000km彼方のアメリカ・ワシントン州ウエナッチに胴体着陸した。これが世界初の太平洋無着陸横断飛行である。

日本も全国紙の報知新聞社が飛行機を輸入して、太平洋横断無着陸飛行の計画を立てた。1932年9月24日、本間機長以下のユンカースW33「第三報知日米号」(登録コード:J-BFUB)が3回目の挑戦をした。しかし、エトロフ島近郊での連絡を最後に消息を絶ち、行方不明となった。その後、捜索が1年間行われたが、痕跡は見つからなかった。発進前、井下通信士は「技術的には十分な自身あるも天佑は左右し難し」との遺書を家族に残していた。この太平洋横断飛行の挑戦者を追悼する報知日米号搭乗員慰霊之碑が、1962年、本間機長の海軍兵学校同期生らによって青森県三沢市三沢山ノ神15「三沢市招和台公園」に建てられた。

⇒写真集Album:ユンカース(junkers)W33「報知日米号」を見る。


4.ユンカース(Junkers)W34輸送機

ドイツのユンカース社(Junkers Motorenbau GmbH)は、ユンカースF13単発輸送機をベースに、大型化したユンカースW33単発輸送機を開発したが、この機体はユンカースL5液冷エンジン1基を装備していた。しかし、このユンカース液冷エンジンよりも、当時世界各国で普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換した輸出仕様のW33輸送機が、ユンカース社で開発された。これが、輸出仕様のユンカースW34単発輸送機で、空冷星形9気筒エンジン1基を機首に装備しているが、その他の仕様は、W33単発輸送機とほぼ同様である。


写真(上)1935年、ドイツ、シェーンヴァルト、シェーガー訓練場の飛行場、空冷星形9気筒エンジン1基を搭載したユンカースW34輸送機
:後期型なので開放式でなく密閉式のコックピットで、胴体後方は貨物室ではなく、客室となっており、窓がある。F13輸送機をベースに、大型化したのがW33輸送機であり、原型はユンカースL5液冷エンジン1基を装備していたが、輸出向けには、普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプが開発されている。
Ein Junkers Flugzeug auf dem Flugfeld der Flieger Ausbildungssteller Schönwald, Deutschland 1930er Jahre. A Junkers plane at the airfield of the Flieger Ausbildungsstelle Schoenwald, Germany 1930s.
Creator: Heinz Pollmann Format: Nagatives (6cm x 6cm, 2,4cm x 3,6 cm (KB)) Creation date: 01.01.1935 Institution: United Archives Provider: EuropeanaPhotography Providing country: Germany First published in Europeana: 2014-01-08
写真はSwedish Open Cultural Heritage | K-samsök ・Dataset: 2024909_Ag_EU_EuropeanaPhotography_UA_1005 引用。


ユンカースJunkers W34輸送機の諸元
発動機:BMW -132空冷星形エンジン650馬力
金属製プロペラ 直径3.1m
総重量 3200 kg、空虚重量 1700kg
全長: 10.3 m、全高: 3.5 m、全幅: 18.5 m
最高速力:265km/h、巡航速力230km/h
航続距離:900km、実用上昇限度6300m
乗員・乗客: 6席

写真(右)1935年、ドイツ、シェーンヴァルト、シェーガー訓練場の飛行場に列をなして並んだユンカースW34輸送機:後期型なので密閉式のコックピットで、胴体後方はガラス窓の付いた客室となっている。当初の液冷エンジンを装備したW33輸送機を、普及している空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプがW34輸送機である。
Junkersflugzeuge auf dem Flugfeld der Flieger Ausbildungsstelle Schönwalde, Deutschland 1930er Jahre. Junker planes at the airfield of the Flieger Ausbildungsstelle Schoenwalde, Germany 1930s.
Creator: Heinz Pollmann Format: Nagatives (6cm x 6cm, 2,4cm x 3,6 cm (KB)) Creation date: 01.01.1935 Institution: United Archives Provider: EuropeanaPhotography Providing country: Germany First published in Europeana: 2014-01-08
写真はEuropeana Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök ・Dataset: 2024909_Ag_EU_EuropeanaPhotography_UA_1005 Identifier: 01662422.jpg , 引用。


写真(右)1935年、ドイツ、シェーンヴァルト、シェーガー訓練場の飛行場、空冷星形9気筒エンジン1基を搭載したユンカースW34輸送機の客室扉を開いて会話する整備士たち:後期型なので密閉式のコックピットで、胴体後方はガラス窓の付いた客室となっている。主翼・胴体共にユンカース独自の波板構造の外板で覆われているが、これは軽量で強度を保つ工夫である。
Ein Junkers Flugzeug auf dem Flugfeld der Flieger Ausbildungssteller Schönwald, Deutschland 1930er Jahre. A Junkers plane at the airfield of the Flieger Ausbildungsstelle Schoenwald, Germany 1930s.
Creator: Heinz Pollmann Format: Nagatives (6cm x 6cm, 2,4cm x 3,6 cm (KB)) Creation date: 01.01.1935 Institution: United Archives Provider: EuropeanaPhotography Providing country: Germany First published in Europeana: 2014-01-08
写真はSwedish Open Cultural Heritage | K-samsök ・Dataset: 2024909_Ag_EU_EuropeanaPhotography_UA_1005 引用。


ユンカース(Junkers) W-33輸送機もユンカース(Junkers) W34も、機体の外板を薄くして重量を軽減しつつ,波板構造にして強度を高めるような設計だった。この独特の波板外板構造は,Ju-52輸送機に引き継がれた。

ユンカースF-13を大型化したユンカース(Junkers) W-34は,W-33輸送機のユンカースL5液冷エンジンを空冷星形に変換した客席6人乗りの旅客輸送機として、1920年代に完成した。ユンカースW33の生産機数は199機であるが、ユンカースW34輸送機は1800機もが生産され、1940年代まで現役機として世界各地で使用された。

1929年5月,ドイツ、ユンカース飛行機工場で製造中のユンカース(Junkers)W34輸送機・F13輸送機・W33輸送機:既存のユンカースW33輸送機をベースに、1926年7月7日に原型が初飛行したのがW34輸送機であり、これらの機体は量産性を考慮して共通部品が多かったようだ。
Titel Fertigungshalle von Junkers Erscheinungsdatum 5/1929 Format Reprofotografie : Glasplattennegativ, Querformat, schwarz/weiss ; 9 x 12 cm Beschreibung Im Vordergrund: mit Sternmotor W 34, im Hintergrund: F13 oder W33. Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs Identifikator DOI: 10.3932/ethz-a-000045536 Urheber Photographisches Institut der ETH Zürich
Last updated in Europeana: 2016-04-30 References and relations
Is part of: Norsk Luftfartsmuseum Dataset: 2022608_Ag_NO_ELocal_DiMu
References: 97010451 (Foto-nummer)
写真はNational Archives of The Netherlands: ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Identifier: LMU/NL.97010451 引用。


写真(右)1920年代,コロンビア、SCADTA、ユンカースJunkers W 34 水上輸送機:ユンカースJunkers W 33は1926年に完成した。乗員: 2人、Junkers L5エンジン228 kW(310馬力)1基搭載、全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m、全高: 2,90 m、主翼面積 43平方メートル、最高速度: 197 km/h.、重量:2100 kg。
Three-quarter left front view of SCADTA Junkers W-34 "Magdalena" pulled up to a riverbank probably somewhere in Colombia; a small crowd watches from left foreground; a canoe is seen in the river at right midground; circa 1920s.
Data Source National Air and Space Museum Archives Restrictions & Rights Material is subject to Smithsonian Terms of Use. Should you wish to use Smithsonian National Air and Space Museum (NASM) material in any medium, please submit an Application for Permission to Reproduce NASM Material, available at http://airandspace.si.edu/permissions photographer Unknown See more items in R. E. G. (Ron) Davies Air Transport Collection Date Circa 1920s Repository Loc. National Air and Space Museum, Archives Division, MRC 322, Washington, DC, 20560 Local number NASM-9A08076
写真はSmithsonian Institution・NASM-9A08076引用。


写真(右)1930-1935年頃、ブラジル、コンドル・シンジゲート・ブラジル航空のユンカースW34輸送機(PP-CAR):この機体は、当初は陸上機型だったが、後に水上機型に変更された。
SDASM Archives henry cord meyer image pictionid 61652159 - catalogcondor syndicate airline junkers w 34. - titlearray - filenamemeyer 0409.tifv
写真は,SDASM Archives・"pictionid 61652159"引用。


ユンカースW-34輸送機の諸元
全長 10.3メートル
全幅 17.8メートル
自量 1,700キロ
全備重量 3,200キロ
エンジン 650馬力1基
最高時速 265キロ
巡航速度 230キロ
航続距離 900キロ
上昇限度 6,300メートル
乗客6人
1926年に完成
生産機数1800機
原型となったユンカースL液冷エンジン装備のユンカースW33の生産機数は199機。

写真(右)1930-1935年頃、ブラジル、コンドル・シンジゲート・ブラジル航空のユンカースW34輸送機(PP-CAR) :この機体は、当初は陸上機型だったが、後に水上機型に変更された。
henry cord meyer image pictionid61652184 - catalogjunkers w 34 brazilian airline condor syndicate. - titlearray - filenamemeyer0411.tif---Image from the Henry Cord Meyer Collection-Please tag these photos so that the information will be kept with our Digital Asset Management System---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives・"pictionid 61652184"引用。


飛行場整備の必要性が少ない水上機は、開発途上国では陸上機よりも利用範囲が遥かに広かったため普及してた。ただし、大きなフロートを二つも装着しているので、空気抵抗が大きくなり、飛行性能が低下する。世界各地に飛行場が整備され出した20世紀後半には、水上機よりも陸上機のほうがより多く長距離輸送に使用されるようになった。

1930年以降、ノルウェー、トロンヘイム、ノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)W34hi水上輸送機"Ternen" (登録コード:LN-DAB、 製造番号: cn. 2832):この機体は1935年6月1日にオスロで登録され、1940年6月にドイツ軍侵攻により、ノルウェーからドイツに奪われた。しかし1946年7月13日に除籍。F13輸送機をベースに、大型化したのがW33輸送機であり、原型はユンカースL5液冷エンジン1基を装備していたが、輸出向けには、普及していた空冷星形9気筒エンジンに変換したタイプが開発されている。
Subject: Data. LN-DAB Junkers W.34 hi cn. 2832. Reg:01.06.35 DNL A/S Oslo "Ternen" 06.40 beslaglagt av tyskerne. Slettet av register 13.07.46.
Tekn data . Motor: 1x 650 hk BMW -132. Maks T O vekt: 3200 kg. Lengde: 10.3 m. Høyde: 3.5 m. Vingespenn: 18.5 m. Ant seter: 6. Fotografering 1930 - 1950 (ANT)
Avbildet sted: Trondheim Sør-Trøndelag Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:December 18, 2014
写真はNorsk Luftfartsmuseum ・NL.97010431 引用。


ユンカース(Junkers)W33輸送機のユンカースL2(後にL5)液冷エンジンを空冷星形エンジンに変換したのが、ユンカースJunkers W34輸送機である。ユンカース(Junkers) W34輸送機の搭載した発動機は、ノーム エ ローヌ(Gnome et Rhône)9A ジュピター(Jupiter)空冷星形9気筒エンジン、ブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)VII空冷星形9気筒エンジン400 hp (300 kW)、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690ホーネット(Hornet )空冷星形9気筒エンジン 525 hp (392 kW)、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340 ワスプ(Wasp)空冷星形9気筒エンジン425 hp (317 kW)など各種ある。

写真(右)1935年、スウェーデン、マルメ、空冷星形9気筒エンジン1基を搭載したノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)W34hi水上輸送機"Ternen" (登録コード:LN-DAB、 製造番号: cn. 2832):垂直尾翼に、国旗が描かれている。エンジン覆いカウリングの後半から排気管が合わさった集合排気管となっている。後期型なので密閉式のコックピットで、胴体後方は6名の乗客用座席があり、外を眺めるための窓がある。
Junkers W 34, LN -DAB flygplan i Limhamns hamn.
Foto: Okänd fotograf / Malmö Museer
Creation date: 1935 - 1935 Publisher: Malmö museer Identifier: http://kulturarvsdata.se/MM/foto/613292 , EH 001997 Institution: Malmö museer Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden First published in Europeana: 2019-05-20
写真はeuropeana collectioms Malmö museer ・Dataset: 91672_Ag_SE_SwedishNationalHeritage_malmo_foto 引用。


写真(右)1935-1940年、ノルウェー、格納庫前に駐機して記念撮影したノルウェー航空(DNL)のユンカースW34水上輸送機(LN-DAB) (製造番号 W.Nr 5429) :二つのフロートは、機体とは異なって黒っぽい色に塗装されているが、海水による錆止めのためであろう。垂直尾翼には、青地に白縁赤十字のノルウェー国旗を描いている。
Ant. sjøflyhavn. ett fly på bakken, Junkers Ju W 34 "Ternen", LN-DAB, foran en hangarbygning. To personer sitter på den ene vingen.
Specific subject terms: Sjøflyhavn Sjøfly DNL Propellfly Fotografering 1935 - 1940
Owner of collection:Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:December 18, 2014 UUID:D525E6EE-7659-4727-8880-9B9C63793619
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・Identifier:NL.97010452 引用。


写真(右)1930-1935年頃、ノルウェー、トロンハイム、ノルウェー航空(DNL)のユンカースW34水上輸送機(LN-DAB) (製造番号 W.Nr 5429) :垂直尾翼には、青地に白縁赤十字のノルウェー国旗を描いている。
Ett fly på bakken, Junkers Ju W 34 LN-DAB "Ternen".Flere personer ved flyet. Brygger - bygninger i bakgrunnen
Fotografering 1930 - 1950 Avbildet sted: Trondheim Sør-Trøndelag
Owner of collection:Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published:December 18, 2014 UUID:6F113B62-DA5B-4482-B857-0E3E68E98A66
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・Identifier:NL.97010432引用。


写真(右)1930-1935年頃、ノルウェー、ノルウェー航空(DNL)のユンカースW34水上輸送機(LN-DAB) (製造番号 W.Nr 5429) :垂直尾翼には、青地に白縁赤十字のノルウェー国旗を描いている。解説ではJu 52としているが誤り。
LN-DAB Junker 52 Specific subject terms: Fly Luftfart - Tyskland Junkers Ju 52 Junkers Luftfart
Identifier: NTM C 4280 Part of collection: NTM Owner of collection: Norsk Teknisk Museum Institution: Norsk Teknisk Museum
Date published: August 11, 2014 Date updated: April 1, 2015 DIMU-CODE: 011014273546 UUID: FBEF9277-A8ED-4FBA-B36E-94CA4CABFCE6
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・"NTM MFF 651"引用。


転載写真(右)1936年、ノルウェー、ベルゲン空港、ノルウェー航空(DNL)のユンカース(Junkers)JU52水上輸送機とユンカース(Junkers)W34hi水上輸送機"Ternen" (登録コード:LN-DAB、 製造番号: cn. 2832)
Tre sjøfly på vannet ved Bergen Lufthavn; Junkers W 34 "Ternen" tilhørende DNL Fred. Olsen & Bergenske A/S med reg.nr. LN-DAB (rute Bergen-Sogn) i forgrunnen, Junkers Ju 52 "Najaden" tilhørende Det norske Luftfarselskap A/S (DNL) med reg.nr. LN-DAF (rute Oslo-Bergen) bak denne og Junkers Ju-52 3m "Falken" tilhørende Det norske Luftfartselskap A/S (DNL) med reg.nr. LN-DAH (rute Bergen-Tromsø) et stykke ut på fjorden
Date: start=1936-01-01 写真はEuropeana ・ Dataset: 2048418_Ag_DE_DDB_SLUB-Sub10 引用。


1930年以降,ノルウェー中部、ソール・トロンデラーグ、トロンハイム(?)の水面に待機中のノルウェー航空のユンカース(Junkers)W34水上輸送機"Ternen"(登録コード: LN-DAB):原型は単発エンジンだったが、強力なエンジンを搭載することが軍用に転用可能と判断された。そこで、小出力の三発エンジンに変換された。ユンカースの採用した波板式の金属外板は、強度を保つのに役に立った。フロートの間に木製板を渡して足場を確保している。
Sjøflyhavn - brygge, to personer står foran motoren til ett fly, Junkers Ju W 34 "Ternen", LN-DAB.
Date: start=1930-01-01;end=1950-01-01
Provenance Identifier: LMU/NL.97010451
Institution: Norsk Luftfartsmuseum Provider: Arts Council Norway
Providing country: Norway First published in Europeana: 2014-03-26
Last updated in Europeana: 2016-04-30 References and relations
Is part of: Norsk Luftfartsmuseum Dataset: 2022608_Ag_NO_ELocal_DiMu
References: 97010451 (Foto-nummer)
写真はNational Archives of The Netherlands:Norsk Luftfartsmuseum ・Identifier: LMU/NL.97010451 引用。


ユンカースJunkers W34輸送機の諸元
発動機:BMW -132空冷星形エンジン650馬力
金属製プロペラ 直径3.1m
総重量 3200 kg
空虚重量 1700kg
全長: 10.3 m
全高: 3.5 m
全幅: 18.5 m
最高速力:265km/h、巡航速力230km/h
航続距離:900km
実用上昇限度6300m
乗員・乗客: 6席

写真(右):1930年以降,ノルウェー中部、ソール・トロンデラーグ、トロンハイム(?)の水面に待機中のノルウェー航空のユンカース(Junkers)W34水上輸送機"Ternen"(登録コード: LN-DAB):ユンカースの採用した波板式の金属外板は、強度を保つのに役に立った。フロートの間に木製板を渡した足場で、2翅プロペラに手をかけて記念撮影をしている。
Ett fly i vannkanten, Junkers Ju W 34 DNL "Ternen", ved kai. Nærbilde av den ene motoren. en person foran flyet, holder i propellen. Language: Norwegian
Identifier: LMU/NL.97010437 Institution: Norsk Luftfartsmuseum Provider: Arts Council Norway Providing country: Norway First published in Europeana: 2014-03-26
Date: start=1930-01-01;end=1950-01-01 Is part of: Norsk Luftfartsmuseum Dataset: 2022608_Ag_NO_ELocal_DiMu
Location: Sør-Trøndelag
写真はNational Archives of The Netherlands:Norsk Luftfartsmuseum ・Identifier: LMU/NL.97010437引用。


ユンカース(Junkers)W34輸送機は、原型となったユンカースW33輸送機が初飛行した同じ1926年7月に初飛行した。両機の差異は、発動機であり、ユンカースW33輸送機がユンカース L5 液冷エンジンを搭載したに対して、ユンカースW34輸送機はフランス製グロノーム(Gnome et Rhone)ジュピター(Jupiter) VI 空冷星形エンジンやBMW132空冷星形エンジンなど、空冷星形9気筒エンジンを搭載した。スウェーデンではユンカース(Junkers)W34輸送機の軍用型であるK43が製造され、フィンランドに6機、アルゼンチンに5機、ポルトガルに5機合計18機が生産された。

写真(右)1935年,ユンカース(Junkers)W34輸送機の複座式操縦席と計器盤:左右に複式の操縦桿が並んでいるが、計器盤は左右でかなり異なっている。
Title: Füum-Instrumentierung. Junkers W 34, 1935 Dating: 1935
Is Part Of: Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Photography : paper print, mounted on cardboard
Categories: View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Junkers, Propeller-driven aircraft
Record Name: Ans_05338-02-167-AL-FL.
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-167-AL-FL 引用。


写真(右)1933年,ユンカース(Junkers)W34輸送機の胴体下面に取付けられた偵察用写真機:客室は容積に余裕があり、6名分の座席を確保できる。
Verkehrsflugzeug vom Typ Junkers (sehr wahrscheinlich Junkers W-34). Innenansicht mit Reihenbildkamera
Foto: Unbekannter Fotograf, vor 1933 Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0020393 SLUB / Deutsche Fotothek Eigentümer: SLUB / Deutsche Fotothek
Record Name: Ans_05338-02-167-AL-FL.
写真は,Deutsche Fotothek・df_hauptkatalog_0020393引用。


写真(右)1940年6月,民間仕様のユンカース(Junkers)W 34hi水上輸送機
Description Deutsch: Junkers W 34hi mit Schwimmern, unbekannte zivile Zulassung, ca. 1940 - Foto digital nachgeschärft. Date 1 June 1940 Source Familien-/family album Kraft - never published by name of a photographer Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers W 34 floatplanes File:Junkers W 34hi mit Schwimmern, zivile Zulassung (S).jpg引用。


1926年に初飛行したユンカース(Junkers)W.34は単発旅客輸送機は、ユンカースF.13以来の特徴である波形ジュラルミン金属外皮の機体で、多くの国に輸出された。生産機数は3,000機以上(うち軍用2,000機で、ドイツ空軍でも終戦まで輸送任務や搭乗員の練習機として使用された。ユンカース(Junkers)W.34は各種エンジンを搭載したが、BMW132空冷星型9気筒エンジンを搭載したのがユンカース(Junkers)W.34hiである。

写真(右)1930-1940年代(?)、カナダ、カナダ航空の使用したユンカースW34水上輸送機:1929年に初購入、その後、1933年と1934年に合計6機のW34(Ju-34)を購入した。当初は、ドイツ製BMW6気筒エンジンを搭載していたが、整備の上でより容易なアメリカ製プラットアンドホイットニーのワスプ(Wasp) P&W R1340エンジンに変換され、ブリティシュコロンビア州で活躍した。
The first Junkers (CF-ABK) brought to Canada by Western Canada Airways, later Canadian Airways, headed by James A. Richardson, was purchased in 1929. It was delivered with the German engine, a BMW six-cylinder inline engine. At the first opportunity an H Wasp P&W R1340 was installed. In 1933 and 1934 six more JU-34’s were purchased and finally a JU-52, the famous Flying Boxcar.
写真は,Royal Aviation Museum of Western Canada引用。


写真(右)1930-1940年代(?)、カナダ、カナダ航空の使用したユンカースW34水上輸送機:カナダ航空が購入したW34(Ju-34)は、当初装備していたドイツ製BMW6気筒エンジンをアメリカ製プラットアンドホイットニーのワスプ(Wasp) P&W R1340エンジンに変換して、ブリティシュコロンビア州で使用された。巡航速度115マイル、燃料搭載量120ガロン、貨物搭載量2200ポンド。他方、Ju52輸送機の貨物搭載量は6600ポンドで3倍もある。
Maintenance personnel and pilots agree, that it was an aircraft well ahead of its time. Take-off speed was 45 or 50, cruise 115 on floats, 120-gallon fuel capacity, range of five hours, rugged construction and no bad flight characteristics. The small Junkers had a payload of 2,200 pounds and the Flying Boxcar, the JU-52, carried 6,600 pounds. John Racey, who flew the Junkers to Ottawa, reports the plane was enthusiastically met wherever he went. Many were the nostalgic memories brought back to a host of Canadians as they saw the “old Junkers”, which has played such an important role in Canada’s aviation history from Quebec to British Columbia, winging its way eastward. And John reports that she kept her reputation intact–the twenty hours of flying time on her last trip was completely trouble free.
写真は,Royal Aviation Museum of Western Canada引用。



5.スウェーデンのユンカースW34輸送機(軍用型Tp 2A患者輸送機、TPPA 2患者水上輸送機)

写真(右)1935年、スウェーデン中央、ミッドランダ(Midlanda:現スンズヴァル–ティムロ空港)、空冷星形9気筒エンジン1基を搭載したユンカースW34輸送機(登録コード:?-BYA):エンジン覆いカウリングが大型化され、シリンダー(気筒)は隠されており、集合排気管が出ているのが分かる。後期型なので密閉式のコックピットで、胴体後方は6名の乗客用座席があり、外を眺めるための窓がある。
Europas äldsta flygmaskin, Junker 1935, på Midlanda..
Creator: Norrlandsbild Language: Swedish
Creation date: 1961-09-23 Publisher: Sundsvalls museum Identifier: SuM-foto 024524
Institution: Sundsvalls museum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
写真はeuropeana collectioms Sundsvalls museum ・Dataset: 91698_Ag_SE_ Swedish NationalHeritage_SuおよびSundsvalls museum ・Identifier:SuM-foto024524 引用。


写真(右)1940-1945年、スウェーデン、カールスボルグ(?)、民間用のユンカース(Junkers)W 34 ho輸送機(登録コード:SE-AKI):主輪式の降着装置を備えた陸上機型だが、北欧では、第二次世界大戦時までは、海辺の自然条件を活かして水上機型が多用された。胴体左右、主翼に大きく登録コードSE-AKIを記入している。
Civilt flygplan Junkers W 34ho märkt SE-AKI tillhörande Svensk flygtjänst står i en hangar. .
Identifier: FVMF.003490 Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: SwedenFirst published in Europeana: 2017-09-04
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden
写真は,Flygvapenmuseum a>登録・Dataset: 916113_Ag_SE_FlygvapenmuseumあるいはFlygvapenmuseum  Identifier:FVMF.003490 引用。



写真(上)1938年、スウェーデン、カールスボルグ第81格納庫前、民間用のユンカース(Junkers)W 34ho 輸送機(登録コード:SE-AKI)
:主輪式の降着装置を備えた陸上機型だが、北欧では、第二次世界大戦時までは、海辺の自然条件を活かして水上機型が多用された。胴体左右、主翼に大文字で登録コードSE-AKIを記入している。
Karlsborg 1938. Svensk flygtjänsts Junker W34 (SE-AK1). I bakgrunden hangar 81.
Creation date: 1938-01-01 Publisher: Karlsborgs fästningsmuseum Institution: Karlsborgs fästningsmuseum First published in Europeana: 2014-04-02
Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden
写真は,Karlsborgs fästningsmuseum登録・Dataset: 1652_Ag_SE_SwedishNationalHeritage_KBG引用。


写真絵葉書(右):1935-1945年頃?、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34輸送機(赤十字マーク);軍用 K43のスウェーデン軍仕様Tp 2A 患者輸送機 :原典にはJunkers W33とあるがW34の誤りであろう。
Inglasat foto på Tp 2 Junkers W 33.
Type: Tavla , Object Subject: Kulturhistoria , Kontor
Identifier: FVM.149950 Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden First published in Europeana: 2016-05-13
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: 916113_Ag_SE_Flygvapenmuseum 引用。


 スウェーデン軍は、フィンランド軍と同じく、ユンカース(Junkers) W34輸送機の実用性の高さ、運用コストの低さに注目して、W34の軍用型K43輸送機に注目した。ただし、任務は患者輸送用要とされたために、武装を施しておらず赤十字社の記章を大きく描いているので、白色塗りの患者輸送機Tp 2Aとなった。つまり、民間輸送機ではなく、軍用の患者輸送機・救難機であり、軍事物資・兵力の輸送は行わず、運航も事前に相手国に届けを出しているので、秘密の運航はしない機体である。当然のことながら、敵との交戦は想定していないから、機関銃など武装も一切していない。

写真絵葉書(右):1933-1945年、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);軍用 K43のスウェーデン軍仕様Tp 2A 患者水上輸送機 :スウェーデン軍は、フィンランド軍と同じく、ユンカース(Junkers)W34輸送機の実用性の高さ、運用コストの低さに注目して、W34の軍用型K43輸送機に注目した。ただし、このユンカース(Junkers) W34任務は患者輸送機・救難機とされたために、武装を施しておらず赤十字社の記章を大きく描いているので、白色塗りの患者輸送機Tp 2Aとなった。
Inglasat foto på Tp 2A - Junkers Flugzeug-und Motorwerke JU W 34 1933-1945 Type: Tavla , Object
Subject: Kulturhistoria , Kontor , http://vocab.getty.edu/aat/300193782
Identifier: FVM.149835 Institution: Flygvapenmuseum
Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök Providing country: Sweden First published in Europeana: 2016-05-13
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: 16113_Ag_SE_Flygvapenmuseum 引用。



写真(上):1933-1953年、スウェーデン、湖面を滑走中のスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TP 2A 患者水上輸送機
:白色塗りではなく、明細塗装をしたまま軍用の正規患者輸送機として使用されたのであろうか。患者輸送機は、軍事物資・兵力の輸送は禁止され、機関銃など武装も許されない。
Flygplan TP 2A flygambulans vid landning på vatten vid F 2 Hägernäs.
Identifier: FVMF.002219
Avbildad - namn: Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974) Avbildad, ort: Sverige Uppland Hägernäs Fotografering 1933 - 1953 Ursprunglig fotografering Institution: Flygvapenmuseum Date published: December 2, 2014 Date updated: May 7, 2019 DIMU-CODE: 021015595419 UUID: BA931FC4-68BE-4691-A52B-7559B9886DA4
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: FVMF.002219 引用。


写真(右):1933-1953年、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2A患者水上輸送機 :白色塗りの患者輸送機Tp 2Aとなった。つまり、民間輸送機ではなく、軍用の正規患者輸送機であり、軍事物資・兵力の輸送は行わず、運航も事前に相手国に届けを出しているので、秘密の運航はしない機体である。当然のことながら、敵との交戦は想定していないから、機関銃など武装も一切していない。
Ambulansflygplan Junkers W34, TRP 2A, i luften med flottörer..
Identifier: FVMF.001436
Creator: Okänd fotograf Creation date: 1933-01-01 - 1953-01-01 Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden First published in Europeana: 2016-05-13
FVM.149950 Institution: Flygvapenmuseum Provider: Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök
Providing country: Sweden First published in Europeana: 2016-05-13
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Dataset: 916113_Ag_SE_Flygvapenmuseum 引用。


写真(右):1933 - 1953年、スウェーデン、湖沼の上空を飛行するスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2 A患者水上輸送機5号機 :双フロートは、黒っぽい色で塗装されている。機体赤十字マークの後の「5」は機体番号。
Flygplan TP 2A flygambulans märkt nummer 5 flyger över kustlinje..
FVMF.002218
Fotograf: Okänd fotografFotografering 1933 - 1953 Institution: Flygvapenmuseum Date published: December 2, 2014 k
DIMU-CODE: 021015595415 UUID: 33EA5BBD-3130-4F38-B0E1-34336A0FE5BB
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Identifier: FVMF.002218 引用。


写真(右):1934-1941年、スウェーデン、格納庫前でスウェーデン軍兵士と記念撮影したスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2 A患者水上輸送機5号機 :左端の兵士は、右の双フロートにまたがっている。黒っぽい色で塗装されたフロートは、陸上では車輪のついた台座に乗せられて、移動しやすくしている。機体赤十字マークの後の「5」は機体番号。
Flygplan Trp 2 framför hangar. Tre militärer vid flygplanet.
FVMF.002071
Fotograf: Okänd Fotografering 1934 - 1941 Date published: December 21, 2016 DIMU-CODE: 011015057848 UUID: 2D1F1CA5-01ED-447B-BBA5-6DBAFBB9641F
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Identifier: FVMF.002071 引用。


写真(右):1934 - 1948年、スウェーデン、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(赤十字マーク);スウェーデン軍仕様TRP 2 A患者水上輸送機5号機 :着水に失敗したのか、横転事故を起こし、クレーンで回収されている。主翼上面の赤十字記章がよくわかる。
Ambulanslygplan TRP 2 A märkt nr. 5 bärgas av en kran på en pråm. Folksamling på bygga framför kranen.
Identifier: FVMF.001436
Avbildad - namn: Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974) Avbildad, ort: Sverige Uppland Hägernäs Fotografering 1934 - 1948 Institution: Flygvapenmuseum Date published: March 20, 2014 k
DIMU-CODE: 011013013377 UUID: 6C532D73-FAD4-49C8-8546-184AB84610D5
写真は,Flygvapenmuseum 登録・Identifier: FVMF.001436 引用。


スウェーデンは、第一次世界大戦、第二次世界大戦にも加わらずに、その後も非同盟中立を堅持し続けた。他方、1926年には、航空兵力の重要性を認識し、それまでスウェーデン陸軍航空隊と海軍航空隊に分かれていた航空兵力を、あらたにスウェーデン空軍(Flygvapnet)を創設して、統合した。また、北欧スカンジナビアの平和に配慮して、中立を前提としながら、ロシアから独立したフィンランドへの支援、フィンランド内戦での反共産主義青軍の支援に義勇兵を派遣している。スウェーデンには、19世紀末から反共産主義の動きが活発で、政治的にも自由主義を擁護してきた伝統がある。


6.ユンカース(Junkers)K43水上輸送機(W34輸送機の軍用型)

写真(右)1930-1935年頃、フィンランド、フィンランド空軍ユンカース(Junkers)W34水上輸送機(Junkers JU-122):垂直尾翼の方向舵と水平尾翼の昇降舵が着色されている。
ORGANISAATIO Museokeskus Vapriikki TUNNISTE 1515:146 VALMISTUS Turkinsaari Viipuri, Suomi
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・Identifier:NL.97010432引用。


フィンランド軍は、総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の下、数的に遥かに勝るソ連赤軍相手に善戦したが、ドイツからも、スカンジナビア諸国からも、英仏からも軍事援助を受けることができず、孤軍奮闘だったために、1940年3月12日に、ソ連の領土要求を受け入れて講和した。

1939年9月1日、ドイツがポーランドに突如侵攻、3日には、ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリス・フランスがドイツに参戦して、第二次世界大戦が勃発した。その混乱に乗じたソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、既に傘下に収めていたバルト諸国同様に、フィンランドにも領土要求をし、併合する構えを見せた。しかし、フィンランドは、この要求を断固拒否、そこで、ソ連赤軍は、1939年11月30日、フィンランド南部に攻撃を加えた。こうして、フィンランド冬戦争が始まった。

写真(右)1941年8月21日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(Kiestinki:ムルマンスク南350キロ、レニングラード北800キロ)、担架に乗せた負傷者をフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)に搬入するフィンランド国防軍兵士:K43水上機はW34輸送機の軍用型。フィンランドでは、患者。負傷者の空輸に使われた機体の写真が多数残されている。胴体右側の扉は、担架のまま負傷者を搬出入するには小さすぎるようだ。コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備している。
Kuvassa oleva vesilentokone on Junkers K 43fa , joka tuttavallisemmin tunnetaan nimellä ”Pikku-Junnu”.
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 43673引用。


フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。

当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反ボリシェビキとソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。

ドイツのソビエト連邦侵攻は、1941年6月22日だが、フィンランドは、1939年11月30日から1940年3月12日の対ソビエト冬戦争に敗北しており、その報復として、1941年6月26日から1944年9月19日にかけて、ドイツとともに対ソビエト継続戦争(Continuation War)を戦った。冬戦争の際に、イギリスもフランスも連合国として、ドイツと第二次世界大戦を戦っていたが、ソ連とは戦っておらず、あえてフィンランドを助けるために、ソ連と会戦するはずがなかった。1941年7月、総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の指揮の下、フィンランド軍は、フィンランド南東部、ソ連に割譲させられていたカレリア地方を再占領し、ボリシェビキを排除して、冬戦争で奪われた領土を取り戻した。

フィンランドが継続戦争(Continuation War)を開始すると、同盟国ソ連への攻撃を侵略と見なしたイギリスは、フィンランドをドイツ同盟国とみなして宣戦布告した。ソ連の対ドイツ戦を支えるために、アメリカの1941年レンドリース法( Lend-Lease Act)に基づく援助を行っていたイギリスとしては当然の行動だった。第二次世界大戦のさなかであり、ソビエト連邦からは、継続戦争は、枢軸国フィンランドに対する大祖国戦争の一環である。

しかし、1944年、ソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、廃止された。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継続戦争(Continuation War)を、ナチ党の残虐性を想起させるのを忌避する方便であろう。

ユンカースK 43fa輸送機の諸元:
搭乗員: 2名、 乗客: 3-6名
全直:11,13m、全幅i: 17,75m
全高: 3,90m、主翼面積:44平方メートル
空虚重量: 1885kg、全備重量: 3200kg
発動機: 1× BMW 132
最高速力: 220km/h  巡航速力: 180km/h
航続距離: 1700km 上昇限度: 5300m

第二次世界大戦が勃発し、アメリカは中立法を改め英仏を軍事援助する必要があった。そこで、1941年3月にレンドリース法(Lend-Lease Act)を成立させ、中立国や連合国に対して武器、軍需物資を提供した。これは、1941年6月のドイツとの戦いを始めたソ連を軍事援助することを決めた。

継続戦争(Continuation War)は、1941年6月25日から1944年9月19日にかけて3年2カ月の間、フィンランドがソ連と戦った戦争である。戦争当事国の一方であるソ連は、フィンランドの侵入を受け、それを防いだ「大祖国戦争」の一環であり、すなわち第二次世界大戦の一部である。フィンランドは、国土を奪ったソ連とは戦うが、イギリスとは戦わないという釈明をした。

他方、イギリスのウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)首相は、1941年6月の独ソ戦開始前から、ソ連にドイツがソ連攻撃を計画していることを事前に連絡し、独ソ戦開始後も、直ぐに1941年レンドリース法(Lend-Lease Act)を背景に、ソ連邦への軍事援助を表明しているが、これはドイツ打倒を最優先し「ヒトラーを倒すためには、悪魔とも手を結ぶ」と公言していたウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)首相にとって、当然のことだった。

 アメリカ議会は、アメリカが第二次大戦に参戦せずに、まだ中立を保っていた1941年3月にレンドリース法(Lend-Lease Act)を成立させた。参戦後は、2国間の武器貸与が始まり、イギリスとアメリカは1942年に相互援助協定を締結した。オーストラリアは同様の協定を1942年にアメリカと、1944年にカナダと締結した。武器貸与は、1945年に戦争の終結とともに終了した。1946年時点で、2,700万米ドルをアメリカに支払うことで合意した。オーストラリアは、約4億6,600万オーストラリア・ポンド相当の援助を受け、アメリカとの相互援助協定に基づき2億8,500万オーストラリア・ポンドを提供した。

したがって、イギリスは、フィンランドがソ連とのみ領土奪回の目的で、1939年の第二次大戦開始直前の「冬戦争」を継承しているのであって、イギリスと戦火を交えるつもりはないという方便を認めていない。

写真(右)1941年9月6日,フィンランド中西部・ソ連、北緯64,09度、西経 31,92度、ヘルシンキ=ムルマンスク中間、カレリア地方、テークシャロビ(Tiiksjärvi)湖、発進するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) K 43 fa水上機(登録コード:tunnus; JU-124)を見送る地上勤務の隊員たち。手を振る婦人も軍服を着ており、フィンランド軍のK43水上機は負傷者搬送に使用されたので、従軍看護婦あるいは女性兵士のようだ。:コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。
Kuvassa on Junkers K 43fa. Kuvaaja:Kapteeni E.J.Paavilainen
写真は,The Finnish Defence Forces・Kuvan numero 47725引用。


水上機は、フロートで浮いているので、機体の姿勢は、機首と尾部が水平になるので、人員輸送にはやりやすい面もある。当時の陸上機の多くは、尾輪式で、地上姿勢では、機首が上方を向いており、尾翼部分は地面に近くにある。そこで、地上で機体に乗り込むと、坂の上にあるように、姿勢が斜めになった。


写真(右)1942年5月28日,フィンランド中西部・ソ連、カレリア地方、ケステニガ(キエスチンキ:Kiestinki)、カナナイネン(Kananainen:カナダ村)と称された水上機地に待機するフィンランド空軍所属のユンカース(Junkers) するK 43 fa水上機「ピッコ・ユノ」 ”Pikku-Junnu”(リトル・ジェンヌ;小さな娘)(登録コード:JU-124)と水上滑走するK 43 fa水上機
:奥の丘陵の上には、農家の木造家屋が4件あるが、湖畔の建物は、農家に見せかけた水上機基地の施設であろうか。
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. U. Laukka, valokuvaaja
Potilaita kuljetetaan lentokoneilla, kuvattu Kananaisten kylästä. Junkers K 43fa lentokoneita.
Aineistotyyppi ?Valokuva Kuvaustiedot: 1942-05-28 U. Laukka, valokuvaaja
写真は,The Finnish Defence Forces: Kuvan numero 101880引用。


1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(Hakaristi?Swastika)が描かれている。ドイツでも、カギ十字卍(スワスチカ:Swastika)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、夏党政権獲得後、この鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。そして、再軍備宣言後、ドイツ空軍が創設されると、ナチ党の採用したカギ十字をドイツの国籍マークとした。

第二次世界大戦中の1941年6月22日、ドイツはバルバロッサ作戦(Operation Barbarossa)を発動し、独ソ不可侵条約を反故にして、ソビエト連邦に攻め込んだ。それから3日後、1941年6月25日、フィンランドもソ連に侵攻した。これは、1939年の冬戦争でソ連に奪われた国土(カレリア)を奪回するための継続戦争(Continuation War)だったが、ソ連は、イギリス・アメリカの軍事支援を受けていた連合国側になっていた。

 フィンランドは、イギリス・アメリカの反共産主義勢力を過大評価し、ソ連に対する軍事支援が、実際に大規模に行われるとは予測していなかったのかもしれない。あるいは、イギリスを孤立に追い込んでいたドイツの戦力を過大評価し、あえてソ連に戦いを挑む好機が到来したと読み誤ったようだ。日本ですら、関東軍を増強して特別大演習を実施し、ソ連を威嚇したものの、対ソ連戦争は開始しなかった。これは、中国と日中戦争を戦い続け、さらに南方を攻略してアメリカに対抗するという目的があったからだが、フィンランドにとっては、ソ連だけが仮想敵国だった。

戦時にあっても、万国共通の攻撃対象外の機体として、戦争法規では、無武装で白色塗装の上に大きな赤十字を描いた患者輸送機・救難機を認めていた。これは、機体を白色塗装とし、大きな赤十字マークうを描くこと、無武装であること、兵員・軍事物資を搭載しないこと、前もって、航路を敵に知らせることを条件として認められた。

しかし、敵の戦力を削減するには、このような患者・負傷者の輸送であっても阻止すべきである。また、患者・負傷者の輸送を偽って、軍事物資や要人・兵員輸送をしている違法行為かもしれない。1940年のバトルオブブリテンで必死の本土決戦を戦っているイギリス空軍も、ドイツ空軍の救難機を攻撃対象外とはしなかった。 ...コックピット後上方に7.92ミリ旋回機関銃を装備しており、白色塗装、赤十字マークも付けていないので、国際赤十字で定められた救難機・患者輸送機ではない。

写真(右)1945-1955年、ユンカースW33輸送機
Onni Paronen Junkers W34:n ohjaamossa Utissa Onni Paronen Junkers W34:n ohjaamossa Utissa. ORGANISAATIO Suomen Ilmailumuseo KOKOELMA Paronen, Onni TUNNISTE SIM VK 603:395 MITAT Kuvatiedosto VALMISTUS 1945-1955
写真はNational Archives of The Netherlands: ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Record Name PI_29-B-0275 引用。


ユンカース(Junkers)W33輸送機がBMW132空冷星型9気筒エンジン1基を搭載した。

しかし、ユンカース(Junkers)W33輸送機の一部は、少数だが、ユンカース(Junkers)L2液冷エンジンを搭載した型もある。は、ユンカース社が初めて実用化した液冷エンジンで6気筒、で200馬力、ユンカース F 13輸送機、ユンカース G 23輸送機、ユンカース G 24輸送機、ユンカース W 33輸送機が装備している。58台が生産されたにとどまったが、これは後継のユンカースL5が開発されたためである。

ユンカース(Junkers)L2液冷エンジン諸元
ボア(Bore): 150 mm
ストローク(Stroke): 180 mm
排気量(Displacement): 19.1 L
全長(Length): 1.58 m
全幅(Width): 0.555 m
全高(Height): 1.085 m
乾燥重量(Dry weight): 310 kg
出力(Power output): 巡航時 195 hp (145 kW)/回転数1,550 rpm
離昇出力(take-off) 230 hp (171 kW)

写真(右)1949年6月27日、フィンランド、ボスニア湾岸オウル、オラヴィ・シーブ中尉操縦の着陸事故を起こしたフィンランド空軍LeR 3ユンカースW33輸送機(JU-135):LeR 3のJU-135がオウルで事故を起こした。平坦でない滑走路は離陸に十分な長さがなかったために、飛行機は鉄道の堤防に衝突し、大破した。エンジンが外れ、フレームが壊れた。見物人がやってきた。
Junkers W 34:n tuho Oulun Oritkarissa 27.6.1949 Ev.luutnantti Olavi Seeven ohjaama LeR 3:n JU-135 koki onnettomuuden Oulussa. Epätasainen kiitotie ei riittänyt lentoonlähdössä vaan kone törmäsi ratavalliin ja vaurioitui pahoin. Moottori irtosi, runko katkesi. Tuntemattomat henkilöt kuvassa. Suomen Ilmailumuseo KOKOELMA Tuomikoski, Kauko TUNNISTE SIM VK 32:42 MITAT 9x6 Vedos VALMISTUS 27.6.1949 Oulu, Oritkari (EFOR)
写真はNational Archives of The Netherlands: ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv ・Record Name PI_29-B-0275 引用。


写真(右)1929-1935年、ユンカース(Junkers)W.33 水上輸送機の客室内部:ジュラルミン製波板外板は1枚のみで、内側に張っていないので、外板の内側が波板壁になっている。ドアの奥には、コックピットで、操縦桿(ハンドル式)と計器盤が確認できる。天井にも四角のガラス窓があるが、これは明り取りの窓である。床板は外されているが、このスペースに荷物を積み込む。
Junkers W.33:n lisäpolttoainesäiliöt Junkers W.33:n lisäpolttoainesäiliöt pitkän matkan lentoa varten.
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Suomen Ilmailumuseo
Kokoelma Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar Inventaarionro SIM VK 533:159 Mitat Vedos Kuvaustiedot: 1929-1935 IFA
写真は,Museot Finna: "M016-19809"引用。


 今日の旅客機では、客室内の気圧は、高度が上が手も低下しない。それは、客室が密閉され、室内に空気が注ぎ込まれているからで、これはジェットエンジンを使ってコンプレッサー(圧力器)を駆動させればよい。

しかし、ピストンエンジンのプロペラ機では、ジェットエンジンと異なりコンプレッサー(圧力器)を駆動するために別途動力を搭載するのが一般的だった。ドイツでは、第二次大戦中に与圧室を実現したものの、本格的に長時間高高度を飛行する偵察機・爆撃機の与圧室は、最後まで実用化が困難だった。コンプレッサー用のエンジンを別途装備すればよいが、これでは重量増加、飛行性能の低下が招来されてしまうのである。

また、高空になるほど室内と外気との気圧差が大きくなるため、密閉するとしても、圧力差に耐えられるだけの耐久性・堅牢性が必要となる。室内構造を頑丈にすれば、重量が嵩んでしまうので、簡単に与圧室を実用化することはできなかった。

⇒写真集Album:ユンカース(junkers)K.43患者輸送機を見る。


7.世界飛行をしたヴェイノ・ブレマーのユンカース(Junkers)A50 (登録コード:OH-ABB)

写真(右)1933年、フィンランド南部、ヘルシンキにフィンランド空軍将校ヴェイノ・ブレマー(Väinö Bremer)の操縦で到着したユンカース(Junkers)A50 「ユニオール」(Junior:青年)陸上機(登録コード:OH-SKY)
kapteeni Väinö Bremer saapunut Junkers A 50 -koneellaan maail-manympärilento-yritykseltään.
Creation date: 1931 Size: 6 x 9 cm Creation date: 1933, elokuu Identifier: M012: HK 19670603:10649 Institution: Finnish Heritage Agency Provider: National Library of Finland Providing country: Finland First published in Europeana: 2019-09-09
写真は,Finnish Heritage Agency Identifier: HK19670603引用。


フィンランド空軍の将校ヴェイノ・ブレマー(Väinö Bremer)は、1920年代には飛行中隊の長を務め、1928年パイロットとして表彰されている。1931年、ブレマーはヨーロッパ飛行に出発し、1932年にはフィンランドのヘルシンキから、南アフリカ共和国のケープタウンまで飛行機で往復している。1933年、ブレンマーは世界周遊飛行を計画したが、ソビエト連邦は上空の飛行を拒否したため、アラスカからアメリカ本土への飛行することとし、アメリカを世界飛行の拠点とした。このとき、日本からアメリカのカリフォルニアへ太平洋を越えるた時は、移動に船舶を用いている。また、ユンカースA 50では、アメリカからアイスランドを経由してヨーロッパには飛行するほどの航続距離はなかったため、やはり大西洋横断も船を使っている。アメリカ出発時に、ブレマーはイタリア人パイロットのイタロ・バルボ将軍に会っている。

写真(右)1933年、フィンランド、ヘルシンキ郊外、ヴェイノ・ブレマー(Väinö Bremer)の搭乗するユンカース(Junkers)A50 「ユニオール」(Junior:青年)陸上機(登録コード:OH-SKY):1899年4月24日生まれのヴェイノ・ブレマーが、世界巡回飛行の途中にフィンランドを出発する時期の撮影と思われる。1933年5月11日から、1933年8月13日まで、アジアを巡回飛行してフィンランドの名声を高めた。このときのユンカースA 50ジュニアは、ヘルシンキ空港に展示されている。
kapteeni Väinö Bremer saapunut Junkers A 50 -koneellaan maail-manympärilento-yritykseltään.
Creation date: 1931 Creator: Pietinen Size: 6 x 9 cm Creation date: 1933, elokuu Identifier: M012 :HK19670603:10650 , HK19670603:10650 Institution: Finnish Heritage Agency Provider: National Library of Finland Providing country: Finland First published in Europeana: 2019-09-09
写真はNational Library of Finland,Finnish Heritage Agency Identifier: HK19670603:10650 引用。


⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"を見る。




8.1928年アメリア・イアハート(Amelia Earhart)のフォッカー F.VII「フレンドシップ」大西洋横断

写真(右)1928年、大西洋を横断したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028):大西洋を横断した時の降着装置は、主輪・尾輪式の陸上機仕様ではなくて、双フロートの水上機仕様だった。1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日「フレンドシップ」に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートだった。女性初の大西洋横断飛行を逃したアメリカ女優で大富豪のメイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)は、チャールズ・レヴァインの購入したユンカースW33「クィーンオブエア」に同乗して、ロンドンから逆回りで大西洋を横断する計画を立てた。しかし、計画は実現せず、終わった。
The Fokker F.VIIb-3m "Friendship" (NX-4204, c/n 5028), in which Wilmer Stultz and Louis Gordon flew across the Atlantic from Trepassy Harbour, Newfoundland, to Pwll, Wales, on 17-18 June 1928, with Amelia Earhart riding as a passenger. Catalog #: 10_0015334 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 1928 Source Historic Flight Trans Atlantic
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights): File:Fokker F.VIIb-3m "Friendship" NX-4204 (8091755853).jpg引用。


1928年6月17日に、アメリカ女性アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart:1897-1939)が同乗したフォッカー (Fokker)F.VIIb-3m三発水上旅客輸送機「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上旅客機は、カナダ東端、ニューファンドランド州、ニューファンドランド島トレパシー湾を離水した。

1928年6月17日、そして、大西洋を横断して、飛行時間21時間で、イギリスのにウェールズ、バリー・ポートに着水した。これが、女性による初の大西洋無着陸横断の記録である。この後、アメリアは飛行士として有名になるが、この大西洋横断はアメリカ女性アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart)は、乗客として同乗した。

つまり、1928年6月の女性初の大西洋横断飛行とは、男性の操縦する飛行機の乗客、形式的には航法員として、同乗したのがアメリカ人女性アメリア・イヤハートだったということで、確かに女性初の大西洋横断だが、飛行機の搭乗員(操縦士・航法士・機関士)として搭乗したわけではない。

アメリア・メアリー・イアハート(Amelia Mary Earhart:1897年7月24日-1937年7月2日)は、アメリカの女性飛行士として 1927年のチャールズ・リンドバーグによる大西洋横断飛行の壮挙に続く、女性として初の大西洋横断飛行をしと喧伝された。彼女が、実際に単独で女性初の大西洋横断飛行をするロッキード・ベガ(Lockheed Vega)"Little Red Bus".(Lockheed L-10 Electra)(登録コード:NR16020)によって、1932年5月21日、カナダ東端ニューファウンドランドからイギリス、北アイルランドまで横断飛行したときだった。

日本語版wikiでも「1927年のチャールズ・リンドバーグの快挙に続き、女性として初めての大西洋単独横断飛行をした」とミス・リンディの愛称をミスリードするような記述がある。「知的かつチャーミングな女性であったため、当時から絶大な人気があり、彼女の名前を冠された商品も多岐にわたっていた」というのも、彼女の力だけではなく、夫ジョージ・パットナムのメディアと資金によるところが大きい。しかし、本来、魅力ある女性飛行士であることには変わりはなく、現代アメリカでも著名なヒロインである。

写真(右)1928年4月12日、大西洋横断準備中のフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)の尾翼で記念撮影した搭乗員のヴィルマー・シュルツ(Wilmer Stultz):機体が上を向いて駐機しているので、大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造作業直前の撮影と思われる。1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日フォッカー F.VII(F.VIIb/3m)「フレンドシップ」に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートだった。
Wilmer Stultz standing side of tail of Byrd's 3-motor fokker that flies to the South Pole. Plane Friendship Creator/Contributor: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer) Date created: 1928-04-12 Physical description: 1 negative : glass, black & white ; 4 x 5 in. Genre: Glass negatives Subjects: Stultz, Wilmer L., 1899-1929; Gordon, Louis E.; Friendship (Airplane); Airplanes Notes: Title and date from information provided by Leslie Jones or the Boston Public Library on the negative or negative sleeve. Collection: Leslie Jones Collection Location: Boston Public Library, Print Department Rights: Copyright © Leslie Jones. Preferred citation: Courtesy of the Boston Public Library, Leslie Jones Collection.
写真は,Boston Public Library File name: 08_06_001443引用。


アメリア・イアハート 1924年4月11日オランダで初飛行し、1928年にアメリア・イアハートAmelia M. Earhart)を大西洋横断飛行をした初の女性としたフォッカー F.VII(F.VIIb/3m)の諸元

搭乗員: 2名
乗客: 8名
全長: 14.60 m
全幅: 21.70 m
全高: 3.90 m
主翼面積:58.5平方メートル
空虚重量: 6,725 kg kg
総重量: 11,570 kg
エンジン: ライト(Wright)J-5 ヴィールウィンド(Whirlwind)空冷星型9気筒エンジン 164 kW (220 hp)3基
巡航速度:170 km/h
最高速力:185 km/h /1980 m
航続距離:1160 km
実用上昇限度:2600 m
生産期間:1925-1932年 283機


写真(上)1928年4月、大西洋無着陸横断の準備をしているフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)
:大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造作業中の撮影。1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日フォッカー F.VII(F.VIIb/3m)「フレンドシップ」に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートだった。
Title: Fokker trimotor Friendship with Wilmer Stultz and Lou Gordon working on engine, prior to transatlantic flight Creator/Contributor: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer) Date created: 1928-04 Physical description: 1 negative : glass, black & white ; 4 x 5 in. Genre: Glass negatives Subjects: Stultz, Wilmer L., 1899-1929; Gordon, Louis E.; Friendship (Airplane); Airplanes Notes: Title and date from information provided by Leslie Jones or the Boston Public Library on the negative or negative sleeve. Collection: Leslie Jones Collection Location: Boston Public Library, Print Department Rights: Copyright © Leslie Jones. Preferred citation: Courtesy of the Boston Public Library, Leslie Jones Collection.
写真は,Boston Public Library File name: 08_06_001633引用。


写真(右)1928年4月、大西洋横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を双フロートの水上機仕様に改造作業中のフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028):大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造作業中の撮影と思われる。1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日フォッカー F.VII(F.VIIb/3m)「フレンドシップ」に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートだった。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015321 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015321引用。


女性による大西洋無着陸飛行の計画は、ブレーメンの大西洋横断の時期にあった。アメリカ婦人メイベル・ボルMabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行を成功させようとした。

1928年中に、メイベル・ボルは、チャールズ・レヴァインの購入したユンカース(Junkers)W.33単発輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”を使って、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てたのである。しかし、大西洋横断の計画は実現できなかった。

実際に女性初の大西洋無着陸横断飛行は、1928年6月17日、アメリカ婦人アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)の同乗した三発輸送機フォッカー (Fokker)F.VII「フレンドシップ」によるものである。

その後、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発しているが、途中で不時着水している。

写真(右)1928年4月、大西洋横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を双フロートの水上機仕様に改造しているフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028):の撮影と思われる。1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日「フレンドシップ」に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートだった。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015322 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015322引用。


写真(右)1928年6月17-18日、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に無着陸飛行したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028):大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造作業が終了した直後の撮影と思われる。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015321 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015317引用。


写真(右)1928年6月17-18日、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に無着陸飛行したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028):大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造し、試験飛行中の撮影と思われる。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015321 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015314引用。


写真(右)1928年6月17-18日、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に無着陸飛行したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028):大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造し、試験飛行中と思われる。1927年にチャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日フォッカー F.VII(F.VIIb/3m)「フレンドシップ」に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートAmelia M. Earhart)だった。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015328 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015328引用。


写真(右)1928年6月17-18日、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に無着陸飛行したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)の着水:機首を若干上方にして、尾輪式の着陸方式と同様に着水しようとしている。大西洋を横断用に主陸上機仕様を、双フロートの水上機仕様に改造、試験飛行中の撮影と思われる。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015329 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015329引用。


1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日「フレンドシップ」に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートAmelia M. Earhart)だった。アメリア・イアハートは、は、ロッキード・ベガの単独操縦で1932年5月20日から5月21日、リンドバークのライアン(Ryan)NYPと同じ航路で女性初の大西洋単独横断飛行に挑戦した。そして、実際の飛行では、カナダから出発し、パリ手前の北アイルランド、ロンドンデリー郊外までの飛行に成功した。

女性初の大西洋横断飛行の名声をアメリア・イアハートに先取りされ、有名になる機会を逃したの感じたアメリカ女優で大富豪のメイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)は、チャールズ・レヴァインの購入したユンカースW33「クィーンオブエア」に同乗して、ロンドンから逆回りで大西洋を横断する計画を立てた。

しかし、計画は実現せず、終わった。地球の自転の上で、欧州からアメリカ大陸に飛行するほうが難しいが、緒戦、大衆相手の宣伝では、「女性の大西洋初横断」に勝る名声は得られるはずがない。こう考えたことで、メイベル・ボルは、逆回り大西洋横断の熱意を失ってしまったのかもしれない。

写真(右)1928年6月17-18日、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に無着陸飛行したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028):大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造した。沖合にもやってあるので、そこまで小舟で移動して、フロートを桟橋代わりにして、胴体に乗り込んだ。写真の右下隅にパラマウントニュースの配信クレジットが添えられている。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015307 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015307引用。


写真(右)1928年6月17-18日、カナダ、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に到着したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)から桟橋に降り立ったアメリア・イアハートが記者に囲まれて写真撮影とインタビューを受けている。:後フォッカー(Fokker)F.VIIb三発水上機が写っている。沖合に停泊した機体から、フロートを桟橋代わりにして、小型船に乗り移って、ここの大きな桟橋まで移動した。写真の右下隅にパラマウントニュースの配信クレジットが添えられている。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015310 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015310引用。


写真(右)1928年6月17-18日、カナダ、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に到着したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028):大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造した。沖合にもやってあるので、そこまで小舟で移動して、フロートを桟橋代わりにして、胴体に乗り込んだ。上記の写真とは、異なる場所で撮影されたらしく、船舶用の大型燈火ブイが写っている。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015311 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015311引用。


写真(右)1928年6月17-18日、カナダ、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に到着したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)が、動力船に牽引されて港湾の中に進んできた。:大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造した。着水には船舶のない広い海面が必要なので、港の沖合に着水し、そこから港湾内の桟橋近くまで、燃料節約と安全航行のなめに、小型動力船に引っ張られて移動した。桟橋近くで、フロートを羽板代わりにして、小型船に乗り込んで、桟橋に行き上陸した。周囲の客船の舷側には多数の見物人があり、フォッカー水上機を出迎えている。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015318 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015318引用。


写真(右)1928年6月17-18日、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に無着陸飛行したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)から降りてフロートに立っているアメリア・イヤハート(左):着水した水上機の二つのフロートは、上部が水面上にあり、水平な位置を保っているので、乗降用に利用された。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015312 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015312引用。


写真(右)1928年6月17-18日、カナダ、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断してイギリス、ウェールズのプル(Pwll)フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)から桟橋に降り立ったアメリア・イアハート:後方に、フォッカー(Fokker)F.VIIb三発水上機が写っている。沖合に停泊した機体から、フロートを桟橋代わりにして、小型船に乗り移って、ここの大きな桟橋まで移動した。後方には、船舶が写っている。上記の大型燈火ブイが写っているのと同じ港であろう。
SDASM Archives Historic Flight Trans Atlantic Catalog #: 10_0015308 Title: Historic Flight Trans Atlantic Date: 1928 Additional Information: Fokker ""Friendship"" Tags: Historic Flight Trans Atlantic, Fokker ""Friendship"", 1928 .
写真は,SDASM Archives(Aircraft Races, Air Shows and Historic Flights):Catalog #: 10_0015308引用。


⇒写真集Album:メリア・イヤハートのフォッカー(Fokker)F.VII「フレンドシップ」 "Friendship"大西洋横断初飛行を見る。



ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
2018年3月20日公開、2022年9月17日改定の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
連絡先: torikai007@yahoo.co.jpp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
Fax: 0463-50-2078
Flag Counter


Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 7000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai Yukihiro, who is web archive maintainer.
Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2018 All Rights Reserved.